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ホーム > 各種行事 > 第56回(平成20年度)中学生人権作文コンテスト結果 >

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優秀賞 二つのバリアフリー

堺市立晴美台中学校 1年 西村 美保

「人権」という言葉について、私の今までの生活の中では、あまり考えたこともない、意識したこともない、親しみのない言葉でした。この作文を書くのに、はじめて、世界人権宣言というものを知りました。それは、「すべての人間は、生まれながらにして、自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」(第一条)というものでした。難かしそうに書かれていますが、日常の生活の中で、どんな人も平等に生きる権利があるということだと思います。私の日常とその人権がどのように関係しているのか、少し考えてみることにしました。

以前、歩道を車いすで通っていた人が、歩道に電柱があって、通れずに困っている姿を見たことがありました。私は、なぜだか、声をかけるのをためらい、助けることができませんでした。通りがかった他の大人の人達が車いすを持ち上げ、通していました。なぜ、手伝うことができなかったのかとその日は、声をかけられなかった自分に反省しました。  また、駅では、大きな荷物をもったおじいさんとおばあさんが、長い階段を、休み休み少しずつ上がっていかれる姿も見たことがありました。この時も、何も助けることができなくて、ただ、心の中で『もう少しです。がんばって下さい。』と応えんしただけでした。

今、人権を考えると、日常生活で、若く健康な人にとって、気にしない、何気ないことが、障害のある人や高齢者の人にとっては、とても大きな障害になっていることに気が付きます。もし、歩道が、車いすでも通れるくらい広く、段差もなければ、障害者の人にとって、外出することは、障害のない人と何もかわらないことになるのです。駅の長い階段にしても、エレベーターがあれば、足が弱った高齢者の人にとっても何も苦痛ではなくなるのです。

今、若い私達も、必ず、年をとり、おじいさん、おばあさんと言われる高齢者になっていくのです。今、健康な私達も、いつ、事故やケガや病気により、障害を背負って生きていかなくてはならないのか、わかりません。高齢や障害というものは、私達にとって遠く関係のないことではなく、ごく身近なことなのだと思います。このような自覚をもって街を見た時、バリアフリーでなければならないのです。階段のかわりにエレベーター、段差のない歩道、車いすでも利用できるバス、タクシー、手すりの設置などがあればいいのです。出かけた時や生活の中で、不自由なものがなければ、みんなが同じような生活を送ることができるはずなのです。

もう一つ、社会のバリアフリーについて、考えると、設置の面では、整っても、心のもち方が大事になってくると思います。日本では、昔から、何でも、みんなと同じだと安心してきたようです。私も、持ち物など「みんな持っているから。」とか、服装もみんなとそろえたりすることに、気を配ってきたような気がします。周りと同じであることで、自分を守ってきたようなところがあるのです。だから、社会では違いのあることに関しては、受けとめないというか、取り除き、分けへだててきたようなことがあると思います。人に対しても、皆とちがう人、障害のある人、高齢の人を、違った視線で見てしまっていることもバリアフリーには、問題だと思います。違った面は、それぞれの個性としてお互いに認め合い、協力しあえるようになることが大事なのです。

これから、私のかかわる社会もだんだん広がっていくことだと思います。その中で、設置のバリアフリー、心のバリアフリーを、考えていきたいと思います。その一歩として、困っている人を見かけたら、必ず声をかけ、手助けできることはしようと思います。そして、みんながそういう一歩をふみ出すことによって人権の守られた社会になると思うのです。

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