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滋賀県人権啓発活動ネットワーク協議会
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全国中学生作文コンテスト

『 ガ イ ジ 』 と 言 っ て い る あ な た へ

長浜市立北中学校 二年 天草 愛理

『ガイジ』。この言葉を知っていますか。私達の学年で、最近よく耳にします。
「お前、『ガイジ』やん!」
「ほんまに『ガイジ』ってるわぁ。」

などと笑い声にのって。どうしてそんなことが平気で口に出来るのか、私には理解出来ません。『ガイジ』とは障害児が語源となった言葉だと知っていましたか。

私の両親は養護学校で教師をしています。そのため、幼い頃から障害を持った人達と旅行に行ったりして触れ合ってきました。私を妹のように可愛がって下さる方、姉のように慕ってくれる子のことが私は大好きです。

『ガイジ』という言葉を耳にする度に私の中にその人達の笑顔が浮かびあがります。そして、怒りと私の大好きな人達を否定されたような悔しさの入り交じった思いがぐるぐると渦まいていくのです。
「『ガイジ』って言うな!」

と言いたくても言えなかった自分が情けなくて嫌になります。

人間は自分と少しでも違う人との間に線を引きたがります。それが差別です。みんな同じ人間なのに無数の線が引かれていくのは、とても悲しいことだと思います。

性格が悪いからと線を引くことは差別ではありません。それは、相手にだって直すべき所はあるし、自分の意志次第でどうにでも変化させることが出来るからです。

しかし、差別は違います。自分ではどうしようもないことや誰にも罪のないことで線を引かれ、人々から白い目で見られてしまうのです。

障害だってそうです。その人の力ではどうにもならないものなのです。

障害を持ちたくて持たれた方は一人もおられません。偶然にも障害を持って生まれてこられたのです。

その人達が障害を持たれたことが偶然であったように、私達が障害を持たなかったことも偶然です。障害を持って生まれてくる可能性は誰にもあるのです。

私達は7月7日から5日間、職場体験学習に行きました。私が5日間働いたのは、「あそしあ」という福祉施設でした。重度の知的障害を持たれた方が生活されている所です。

「あそしあ」に入所されている方達は、毎日一生懸命に仕事をなさっています。老人ホームでの入浴時に使うタオルをたたんだり、車の部品にシールをはったりと自分達に出来ることを精一杯しておられます。また、空きカンやペットボトルを洗ったり、潰したり、ラベルをはがしたり、人が嫌がる作業も進んでやって下さっています。作業が出来ない方は知育玩具をして頭を使っておられて、一人一人役が割り当てられているなぁと感じました。一人一役が割り当てられているということは、その人を一人の人間として認めているということです。

最近の社会にはニートなんていう働かない人達もいるというのに、「あそしあ」の人達はしっかりと働いて自分達に出来ることで社会に貢献されていて、何不自由ない生活を送って働かない人達よりもずっとずっと素晴らしいと思いました。

「あそしあ」には温かい空気が流れています。差別をする人も差別をされる人も、そこには存在しないからです。障害を持っている方に出来ないことがあるなら手を差し伸べること……。そんな当たり前のことがなかなか出来ないこの社会に、「あそしあ」では当たり前のことが当たり前に行われていました。心がほんわかして、ほっと溜め息を吐きたくなるような光景でした。

障害を持っている方が上手く出来ないことを何不自由なく暮らしている私達がサポートすることで、それは障害ではなくなるのだと思いました。私達一人一人が身近な障害を持った方を支えていくことで、その人は普通の生活を送ることが可能なのです。

『ガイジ』と言っているあなたへ。障害を持たれた方は好きで障害を持たれた訳ではありません。そして、それは誰かに罪があるものでもありません。人は一人一人違って良いのです。簡単に線を引かないで下さい。手が不自由でも、足が悪くても、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、話すことが出来なくても、知的な発達が遅れていても、その人達は自分達に出来ることを精一杯なさっているし、日々を大切に生きておられます。私達がその人達を攻撃する側でなく、守る側になったら将来の日本には差別で苦しむ人はいなくなるでしょう。

世界中の人々が笑顔で暮らせる日が来ますように・・・・・・。


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