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静岡県人権啓発活動ネットワーク協議会
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静岡県内の中学生が書いた人権作文

平成28年度静岡県大会最優秀作品

静岡県大会最優秀賞の2作品を紹介します。

人権イメージキャラクター人KENまもる君
人権イメージキャラクター人KENあゆみちゃん
ひいばあの二十五日間
静岡市立城内中学校
1年 望月紫央
気持ちを言葉に
三島市立南中学校
3年 土屋奏太

ひいばあの二十五日間静岡市立城内中学校 一年 望月紫央

昨年の春,曾祖母が亡くなりました。私はひいばあと呼んでいました。両親が共働きなので小学校の頃は祖母の家に帰宅し,私はひいばあと並んで寝転び一緒に相撲や相棒というドラマを見たりしていました。九十一歳なのにいつも元気,よく友達と外出をしていたので,家族の中では百歳はゆうにいくねと話していたものです。その日,ひいばあはいつものように友達の家に歩いて出かけ,そのお宅で急に倒れたという事でした。祖母からの連絡で私と母も救急車を追いかけるように病院に駆けつけました。ひいばあは,脳の血管にできたコブが破け,クモまくか出血というものになり,頭の中が血で一杯になっているという事でした。もう意識が戻る事はないと言われました。お医者さんが後数時間しかもたないでしょうと母に伝えたので,母は部活中の姉を急いで迎えに行きました。近い親戚も続々と病院に駆けつけました。その夜は持ちこたえました。なぜか次の日も,その次の日も・・・そして気付けば四日。もちろん意識はもどりませんが,先生は呼吸が止まらない理由がわからないと言っていました。さすがひいばあです。五日目には救急病棟から脳外科病棟に引っ越し,酸素マスクもはずれて自力で呼吸できる状態になりました。血圧も呼吸も悪い中ではあるけれど安定していると先生は驚いていました。母は仕事を休んだり,早退したりで祖母と交代で付き添っていました。私も学校が終わるとすぐに病院に行きました。病室では,意識のないひいばあに誰もが普通に話しかけていました。私達家族だけでなく,看護師さん達も先生も,お掃除のおばさんもレントゲン技師さんもです。
「ひいばあ,ただいま。調子どう?」
私は必ず聞いていました。良いはずはないけれど,返事がくるかもしれない気がして。
「とよさん,ひ孫さんが今日も来てるねー。」
「とよさん,なんだか今日は顔色いいね。」
確かに顔色がいいような日は,そうでしょうと答えてるように見えました。
何日かごとに看護師さんがシャンプーをしてかみを乾かしてくれました。
「とよさん,きれいにしてあげるよ」
「とよさん,かゆいところはないかな?」
意識がないはずのひいばあなのに,かみを洗ってもらっている時,とても気持ちがよさそうでした。母が何度か,本当にもう意識は戻らないのですか?と先生に質問しました。ひいばあなら,目を覚ますかもしれないと私達はどこかで期待をしていました。
「脳幹という一番大事なところにダメージがあるので残念ですが」と先生の答えは毎回同じでした。しばらくして徐々に体温が低くなり呼吸が浅くなり,反射が弱くなって,ひいばあの入院生活は倒れてから二十五日で終わりました。最後にゆっくり家族で過ごせてよかった。母と祖母は,気持ちの整理がつくまでつきあってくれてありがとう,とひいばあに言いました。私はやっぱり,最後にもう一度ひいばあと話をしたかったです。

人間の尊厳とか高齢者の人権とか,たまにニュースやドラマで見聞きします。言葉の意味が難しくてしっかり理解はしていなかったけれど,入院中意識のないひいばあが病院の人達に大事にされていた事,意識がないのにある時と同じように接してもらえた事が,私はとても嬉しかったです。「尊厳」と調べるとその人を尊いものと認めて敬う事とありました。ひいばあの尊厳は意識がない二十五日間も守られていたと思います。そして意識は無くても,とよさんとして認められていたと思います。最後まで「とよさん」と話しかけられ,気持ちよく入院生活を送れていたと思います。一人の人間としてひいばあの人権が守られていたという事だと思います。病院の人達が守ってくれたのだと思います。

ひいばあはラーメンを食べに連れて行ってくれたり,あみ物を教えてくれたり,ゴミ入れの折り方を教えてくれました。そして最後の二十五日間で,一番大切な事を教えてくれたと思います。人が人を大事に思う気持ちです。それは接し方や表情からも周りに伝わります。受け取った側は,うれしくなりそうしてくれるその人を大事にしようと思います。気持ちのような目に見えないものは,大事にするのが難しいです。難しいのに,それが人として一番重要だったりします。せっかくひいばあが残してくれた最後の教えなので,私はいつも忘れずにいようと思います。ひいばあが,あの世から見守ってくれている,手助けしてくれる事も。お寺の階段では私と姉がひいばあを助ける方だったけれど。

気持ちを言葉に三島市立南中学校 三年 土屋奏太

泣きたかった。僕が今,一番後悔していること。それは,かっこ悪いとか,恥ずかしいとか思って,泣きたいときに泣かなかったことです。

二年生になって初めての公式戦。当時,僕は部活と並行してクラブチームにも所属していました。東部選抜や県選抜がいるクラブチームの練習は,部活より何倍も楽しく,そして何倍も厳しいものでした。そのおかげで,部活では,僕はずっとスターティングでした。他人よりも厳しい練習をし,経験歴も何年も長い僕にとって,部活の練習は正直楽でした。そういった気持ちが態度に現れていたのかもしれません。

僕の練習への態度が不真面目だという理由で,いじめはエスカレートしていきました。廊下ですれ違えば舌打ちをされ,僕を見かければ避けるように逃げていくようになりました。それでも僕は耐え続けました。「部活に行きたくない」ずっとそう思っていました。

中体連前,状況はさらに悪化しました。廊下を歩いていると,突然後輩に「初戦で三割の力しか出していなかったって本当ですか。」と聞かれ,衝撃を受けました。その後,先生からそういうことをLINEに書き込んだのは本当かと聞かれましたが,当然そんな事実はありませんでした。その日,僕が部活に行くと「三割だから三本でいいよね」と言われ,「三割しか出してないし,練習にならないから帰る」と言いだす始末でした。以降,僕が部活に行くと,すぐさま「帰る」と言い出し,ボールをぶつけられていました。「相手にしてはだめだ。」そう言い聞かせずっと我慢しました。結局,耐えきれず先生の前で泣いてしまいましたが。

中体連前,僕は中体連で試合に出ないことを決めました。それは今までしてきた練習を捨てるようなものでした。「いじめられたぐらいでもったいない」と思う人もいるかもしれません。でも,毎日のように,何もかも捨てて逃げ出してしまいたいと思っていた僕にとって,もう限界でした。

ある日,「その経験が何かの役に立つから。そこから学べることがあるから。」と声をかけてくれた先生がいました。最初,僕は「学べる事なんて一つもない。ただ辛いだけなのに,なんでそんな無責任なことを言ってくるんだ。」と思っていました。でも,部活を終えた今,徐々にその言葉の意味が分かってきました。それは僕がたくさんの人に支えられて生きているのだということを強く実感したからでした。学校で「部活,大丈夫?」と声をかけてくれる先生。呼び出され,何かしてしまったかと不安になって行った控え室では,「表情暗いけどなんかあった?」と心配してくれる先生。部活の後泣いていると「ごめん」と本気で言ってくれる先生。毎日LINEで話を聞いて「大丈夫?」と言ってくれる友達。それまでたくさんの人に支えられているんだなんて考えたことは一度もありませんでした。また,言葉の影響の大きさについても,改めて考えました。「大丈夫?」「応援してるよ」という言葉がなければ,僕は学校に行っていなかったと思います。

そして,いじめを受けて個性についても深く考えるようになりました。よく「すぐ辛いとか無理とか言うな。世界にはもっと辛い人がいるんだぞ。」と言う人がいますが,僕はそれは絶対に違うと思います。確かに甘やかすのはいけませんが,人それぞれ溜められるストレスの量は違います。例えば,心にコップがあり,人それぞれコップに入る水の量は違います。嫌な気持ちは水として溜まっていきますが,それがたくさん溜められる人もいれば,すぐにあふれてしまう人もいます。そのコップの大きさも個性なのではないでしょうか。だから,人それぞれ「辛い」のタイミングは違って良いのです。それを否定してしまったら,その人のコップは水があふれてしまいます。だから,「辛い」という言葉を認めて,正面から向き合ってほしいです。言葉には,コップに入った水を飲む力があります。コップを磨く力もあります。だから,辛そうな人がいたら,声をかけてあげてください。相手のことを思って,言葉を聞いてあげてください。隣に座るだけでも,黙っていても,それらも言葉と同じくらいの力を持っています。

僕は,これからたくさんの人の,心の清掃員になれるよう,たくさんの人に声をかけて,言葉を聞いていこうと思います。いじめを受けたからこそ言える言葉や思いを大切にしていきたいです。そして,心を押し込めて,限界になるまで我慢せず,泣きたいときに泣き,自分の気持ちを大切にできる人になっていこうと思います。

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