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中学生人権作文コンテスト

生きている喜び

ぼくは、小学二年生の修了式が終わってから、心臓の手術を受けるため十ヵ月入院することになりました。その時、手術は二回目でした。なぜかというと、幼稚園の時にのどのへんとう線がはれていたからです。その時はかなりはれ、のどが、つまるぐらいの状態でしたから、手術をしました。でもメスはいれていなかったのです。ですから、お腹を切るのは、初めてでした。自分ではもう手術日当日のことは、覚えていませんが親に聞くと、これから大きな手術を受けるというのに、笑顔で手術室に入って行ったそうです。ですがさすがにそれから親に二ヵ月、笑顔を見せられなかったそうです。それはなぜなら手術は二十時間を超える大手術で、二ヵ月も意識不明だったからです。ですから、僕が目をあけた時の喜びは言葉に言い表せれないと言っていました。ですが、その大手術が原因で足の切断をよぎなくされ障害を持つことになりました。当時は「切断」という言葉を聞いても幼いぼくはどういう事か理解できていませんでした。だから、「よろしくお願いします。」と笑顔で答えたそうです。その手術の事を同じ病棟の人に言うと、かわいそうにと言われました。ですが、ぼくは切断しなければいけないという事をつらいと思った事はありませんでした。だって考えてみてください。今の現実を受け止めないと、ずっとぐずぐずしていられませんから。

そして、ついに右足切断の手術当日になりました。この時もまた、僕は笑顔で手術室に入っていったそうです。そして、入院していた部屋に手術から帰って来たら、片足を失ったことでイジメにあいました。その時、初めて今の自分の事をいやと思いました。そのイジメだけではなく、その後もつらいリハビリがありました。その時はもう入院し七ヵ月の月日が流れていたので、今リハビリを受けて学校に行けるようになったとします。でも友達は、どうこの現実を受け止めるのだろうか。またイジメにあうのではないのだろうか。そう思うと、自分は生きていてもいいことがないとしたら悲しいではないだろうか。死にたいと思った事もありました。その時は幼かったのでぼくは世界で一番つらいんじゃないのだろうか。など、ぼくよりつらい人がいるのに気づいていなかったのです。そのぼくよりつらい人とは、ぼくのお母さんです。ぼくのために七ヵ月も入院していたぼくにずっと付きそってくれていたのですから。遅れている勉強を一緒に教えてくれたり、ぼくがつらい時は、いつもはげましてくれたのは、お母さんだけでした。ひまな時には一緒にキャッチボールをしてくれたり本当に今思うといいお母さんのところに生まれてこれてよかった、と思うこともあります。ですから付きそってくれたお母さんは一番つらかったと思います。
 だからぐずぐずしていられませんからそれに今ここに生きている喜びの方が心配より強かったからです。そしてあの大手術から十一ヵ月後およそ一年の月日が流れ、二月に退院という言葉が、担当医の口から告げられました。そして退院の一週間前に、担任の先生がおみまいに来てくれた時のことです。

ぼくは先生に一つお願いをしました。そのお願いとは、退院することを友達にはだまっていてほしいという事です。それを、お願いすると先生は、笑顔で分かったと答えてくれました。友達をおどろかしたかったのでお願いしました。そしてついに退院の日をむかえ学校につきました。

玄関では、先生が笑顔でむかえてくれました。そして、その日は体育館で授業をしていたので母、先生、僕で体育館にむかいました。一、二年の教室の前を通ると授業中なのに、驚き立って笑顔でむかえてくれました。そして体育館の扉を開けると同級生が笑顔で走ってむかえてくれました。本当に嬉しかった。生きていて良かった。

そして初めて生きていて良かったと思いました。

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