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和歌山県人権啓発活動ネットワーク協議会
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最優秀賞(和歌山地方法務局長賞) 通い合う心と心

由良町立由良中学校 三年 細川 菜希

人には、気の合う人と苦手な人がいる。そして、その「気の合う人」の中にも好きな部分と嫌いな部分がある。そう、この世界で一生誰にも嫌われずに生きるということは「絶対」と言っていいほどできないのだ。一生誰にも嫌われない、そんな完璧な人など存在するのだろうか。

私の通っていた小学校は、生徒数が少なく、二学年ずつ同じ教室で勉強していた。プールは広々使えるし、黒板が見えにくいこともない。私はその小学校が好きだったが、忘れられない苦い思い出もある。

私が六年生だった頃、クラスには、六年生三人、五年生四人の女子がいた。そして、性格などの違いから、一つのグループと、二人の「ぼっち」が生まれた。「ぼっち」は「一人ぼっち」という意味で、二人とも五年生だった。先生はその二人をなんとかしようと、私達六年生を呼び出した。

「一日に一回は二人に話しかけるようにしなさい。」先生は私達にそう言った。確かに、学校で誰とも話さずにいるのは、とても辛いことだと思う。しかも、それが長く続けば、学校に来たくなくなるだろう。だから、そうならないように先生は対処したつもりだったのだ。しかし、私達には先生が二人のことしか考えていないように思え、なんだか納得できなかった。「命令口調うざっ。」「私らに何も関係ないやん。」「二人で遊べばいいやん。」なんて。そんなことを先生がいなくなってから言うのだった。世間では、それを「陰口」と呼ぶ。陰口は決まって「弱い人間」が言うものだ。相手に直接言えないけれど、このストレスをはらしたい。そんなときに使う、卑劣で卑怯な手段なのだと、今の私にはわかる。

その後、私達は先生に怒られたくないがために、あえて先生のいるときに、二人に話しかけに行った。「筆箱かわいいね。」「どこで買ったん?」など、できるだけ自然に。そんなことが一週間くらい続いた。しかし、話題がなくなったというのを理由に、話しかけるのを止めてしまった。私達はあの時、彼女達の心の支えになれていたのだろうか。

その次に先生に言われたのは「遊びに誘ってあげてほしい。」ということだった。私達はいつも、できる限りの生徒を集めて鬼ごっこなどをしていたため、誘うことは簡単だった。二人のうち、一人は一緒にやることになったけれど、もう一人には断られた。理由は「走りたくないから。」

「何様のつもり?せっかく誘ってあげたのに!」これは、その後の私達のグチの一部分である。今思えば、「誘ってあげた」と言っている自分達の方が何様なのだろうか。

その頃から、私達はその子の悪口を頻繁に言うようになった。わざと聞こえるように言う子もいたほどだ。そのときは何とも思わなかったけれど、これも立派な“いじめ”になるのかもしれない。そう思うと、情けない気持ちでいっぱいになってくる。

「いじめはいじめられる方に問題がある」中には、そう思う人もいるかもしれない。しかし、いじめというのは、いじめる方の自己満足であり、また自分より下の人がいてほしいという願望から始まるのではないだろうか。だから、いじめられる方が悪いという考えは、私達の勝手な思い込みだと思う。

私は中学生になって変わることができた。それは、陰口を言わなくなったということである。小学生のときは毎日のように口から出ていた陰口。それを止めることができたのは新しい友達のおかげだと思う。中学校でできた新しい友達は、正義感が強く、陰口などが嫌いな子で、私はその子と過ごしてみて、とてもかっこいいなと、感じた。それをきっかけに、私は陰口を言わなくなったのだ。そして何より、人を見る目が変わったような気がする。つまり、人の悪いところではなく、良いところを探すようになったのだ。私は、陰口を言わなくなって、世界が明るくなったように感じる。大げさかもしれないけれど、それくらいの心の変化があったのだ。私は、私を変えてくれた友達に、心から感謝している。

“いじめ”を受けた人の心は、まるでおもちゃのように簡単に壊れる。いじめによって命を失う人もいるほどだ。「えっ、いじめられただけで?」そう思う人も少なくはないだろう。しかし、いじめには、それを受けた人にしか分からない痛みがあるのだ。

いじめによって苦痛を味わう人をなくすために自分ができることは何か、それを考えることが大切なのである。人は、人との出会いを通して傷つくこと、傷つけること、そして“心のあたたかさ”を知る。みんながそれに気づいたとき、いじめは終わることを知るのではないだろうか。

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