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和歌山県人権啓発活動ネットワーク協議会
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テレビ和歌山賞 身近に感じた人権

和歌山県立向陽中学校 一年 磯部 礼奈

小学校の頃から道徳の授業などで「人権問題」についてはいろいろ学んできました。いじめの問題や障害者差別、男女差別、人種差別など、どれも絶対になくさなければいけないことです。悪いということはきっと多くの人がわかっていると思います。しかし、私もそうだったのですが「自分には全く関係のないこと」で、決して関わることのないものだと思ってしまっているのだと思います。しかし、中学生になって、身近な出来事から「人権問題」について改めて考えさせられ、「全く関係のないこと」ではなく、私たちにいつでも直面することがありえる出来事なのだと思えるようになりました。

私は今、和歌山市内の学校に通っています。中学受験をしたため、地元の中学校ではありません。毎朝、電車に乗っていろいろな地域から来ている友達と駅から徒歩で通学しています。六月の雨の降る日の朝、いつものように二人で通学しているとき、私の通う近くの中学校の二人の生徒たちが私たちに声をかけてきました。「スカート長くてダサいなって思わへんの。」私たちは聞いていないふりをしました。しかし、再び、「そんなダサくて恥ずかしくないん?」と笑いながら言ってきたのです。私はたいして気にはしてなかったのですが、私の友達は「あなたたちに言われなければいけない筋合いはないと思いますけど。私たちは学校の規則をきちんと守って学校に通っているだけです。あなたたちの通っている学校はスカートが短くてもいいのかもしれませんが、私たちの通っている学校では校則によってスカートは短くしすぎないよう、決められているんです。」と言い返しました。そこから、互いの格好だけでなく互いの学校を卑下し合う言い争いがしばらく続きました。しばらくして、その生徒たちは、少しイラッとしたような顔つきをしてその場を去って行きました。その言い争いを見て、ふと私は思いました。「あれ、私たちはどこかで同じ中学生でも線引きをしているのではないだろうか。」制服姿や校風などをはじめ、「どこの中学校がよくて、どこの中学校がよくない。そんなことを誰が決めたのだろうか。」「私たちは自分を普通だと考え、他の生徒たちを普通でないと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。」また、同時に「他の生徒たちも自分たちを普通だと思い私たちが変わっているのだと決めつけてしまっているのではないだろうか。」それは「普通はこうだろう。」「みんな私と同じだろう。」「これがあたり前なのだろう。」などと人はついつい自分たちの基準で物事を見て、決めつけてしまっているところがあるからなのかもしれません。自分たちと違うことは、普通に思えなく、どこか偏見な目で見ているのかもしれません。つまり、「人権問題」とは、自分と人の違いを自分たちが正しく、他の人が間違っていると決めつけてしまったり、人より自分を高く評価して、人を低く評価することから生まれてくるのではないだろうか。と私は思います。それが性別による男女問題であったり、肌の色の違いや民族の違いによる人種問題であったり、あるいは体の不自由な方とそうでない方による障害者問題につながるのかもしれません。私たち中学生の「人権問題」のきっかけは身近に起こる小さな言い争いから始まるように私は思えます。また、同時に私がそうであったように小さな言い争いの傍観者であってもいけないような気もします。

私たちは身近なところから、家族や友人、地域の人々、通学の際に出会う人々、他の学校の生徒に対して「思いやり」の気持ちを持つということを絶対に忘れてはいけません。自分は悪気がなく発した言葉でも相手は傷ついてしまったり、逆に相手の言葉も受け止め方によっては決して相手に悪気がなかったとしても傷ついてしまうのだと思います。「思いやり」の気持ちを持って言葉をきちんと伝え、受け止める側もその気持ちを大事にして接する。そうするだけでも私たちの身の回りの出来事は大きく変わっていくような気がします。一人一人の心がけが社会が抱える「人権問題」を解決していくのだと私は思います。みんなが明るい気持ちで生活していくためにも、人権問題をなくしていくためにも、それぞれが「思いやり」の気持ちを大切にして、私も他の多くの人たちも、自分が発する言葉や行動にはきちんと責任をもって生活していければいいなと思いました。

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