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優秀賞 (中国新聞社賞)
バリアのない、やさしい社会下松市立下松中学校 二年 井原 基馨
最近、バリアフリーという言葉をよく耳にします。バリアフリーとは、障害者が生活する中での支障となる物理的な障害や精神的な障壁を取り除くことを言います。具体的には、階段のスロープ化、手すり付きの通路やトイレの設置、ボタンの位置を配慮したエレベーターの設置などです。
僕の住む下松市でも、バリアフリー化は進んできています。しかし、それは新しい建物には見られますが、古い建物や施設には、あまり見られません。バリアフリーは、建物に限ったことではありません。歩道にもバリアフリーは必要です。車いすが無理なく通れる歩道の幅の確保や、道の段差やデコボコをなくすことなどもバリアフリーだと思います。自転車を駐輪場以外の歩道に止めることも、良くないことです。他には、階段の多い駅も気になります。新幹線が止まるような主要な駅には、エレベーターが設置されてきていますが、規模の小さい駅には、エレベーターもエスカレーターもありません。
理想とするバリアフリーは、障害者が自由に、安全に行きたい所へ行けることです。しかし現状は理想とはほど遠い感じがします。物理的なバリアフリー化には、ばく大な費用がかかることが、その理由かもしれません。しかし、少しずつでも理想に近づいているのは確かです。
少し疑問に思うことがあります。バリアフリー化されてきているのに、日頃の生活で障害者を見かけることがあまりないことです。なぜ見かけないのだろうと考えてみると、以前何かで読んだことを思い出しました。それは「偏見や差別」です。そのせいで障害のある人は外へ出かけにくいのではないでしょうか。物理的なバリアフリーは進んできていますが精神的なバリアフリーは、まだまだ進んでいない樣な気がします。
では、どうすれば良いのか追究してみることにしました。この追究することにあたって実際に見て感じた体験を基に考えてみました。
僕は、中学一年生の三学期に福祉体験学習の授業を受けました。そこで、障害者福祉施設への希望を出し実際に行きました。初め、どのような接し方をすればよいのか、どのように話せばよいのかと、疑問がたくさん出てきて、とても不安でした。そんな不安な気持ちのまま施設へ行きましたが、予想とは全くちがいました。障害者の方々は、みなさんとても明るく、楽しそうに僕達と接してくれました。いつの間にか不安な気持ちは消えていました。なぜなら、すごく自然に受け入れてくださったからです。
この学習でわかったことは、障害者と健常者の間に壁を感じなかったことです。しかし、それは体験学習という場があって事前に障害者の方について学んだから、僕も自然に接することができたのだと思います。この学習を体験する前は正直なところ自分にも偏見がありました。僕だけではなく、初めて障害者と接する友達は皆、少しは心に戸惑いがあったようでした。
普段の生活では、障害者とふれ合うこともなく、学習する場も少ないです。こんな環境が、精神的なバリアフリーの壁になっているのではないでしょうか。この環境を変えるには、健常者である僕達が、もっと障害者と接する場を作ることです。例えば、幼稚園や保育園、小学校などの幼い頃から、障害者と一緒に過ごす時間を設けることです。そうすれば、障害者という意識が薄れて、偏見や差別はなくなると思います。しかし、このことはあくまで僕の考えであって、この考えが合っているのか、わかりません。けれども、障害者福祉施設へ行って障害者の方と接していると、「もっと多くの人と話したり遊んだりしたい」という気持ちが強く伝わってきました。その気持ちをかなえてあげたいと思いました。
僕はまだ、自分の考えを実現できるような機会も無く、障害者の方々へして差しあげることもこれといってなく、とても残念だと感じています。今の僕にできることは、限られているかもしれません。しかし、何か役に立てることをして、少しでも障害者の方々が安心して暮らせる社会への実現に近づけたいと思います。そのために今は、できる限りのことをして、小さいことでもこつこつ重ねていき、いつか実現へとつながるようにがんばります。
障害者の方々は、とてもやさしく、明るい人ばかりです。早くたくさんの人達に障害者のことをもっと知って、理解してほしいと思います。そして、障害者と健常者の壁のない、ノーマライゼーションを感じられる社会になってほしいです。


