検察の在り方検討会議 第8回会議 議事録 第1 日時  平成23年2月10日(木)  自 午前10時03分                       至 午後 4時17分 第2 場所  法務省第1会議室 第3 議題    1 ヒアリング  2 「検察(特捜部)の組織とチェック体制」についての議論  3 「検察官の人事・教育・倫理」についての議論  4 その他 第4 出席委員等 千葉座長,石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,佐藤委員,嶌委員,高橋委員,但木委員,龍岡委員,原田委員,宮崎委員,諸石委員 第5 その他の出席者 黒岩法務大臣政務官,事務局(神,黒川) 第6 意見陳述者 秋山進氏,野田稔氏 第7 議 事 ○千葉座長 予定の時刻となりましたので,検察の在り方検討会議の第8回会合を開会させていただきます。   本日も御多用の中,御出席をいただきまして誠にありがとうございます。   なお,吉永委員,事務局の土井先生におかれましては所用により御欠席となっております。   また,高橋委員におかれましては少し遅れて御参加いただけるとのことでございますので,御承知おきいただきたいと思います。 1 ヒアリング ○千葉座長 議事次第1のヒアリングに入らせていただきます。今日は秋山進先生,野田稔先生のお二方からヒアリングを行うこととしております。ヒアリングの時間は,お話をお伺いする時間と質疑応答の時間を含めて,それぞれ45分程度とさせていただき,午前11時45分頃までを目途とさせていただきたいと思いますので,議事の進行に御協力をお願い申し上げます。   また,ヒアリングの方法ですが,前回のヒアリングと同様,まず最初に先生方からお話をいただき,その後に私の方から基本的な質問をさせていただきたいと思います。その後,更に委員の皆様から補充的に御質問をいただきたいと考えておりますので,よろしくお願いいたします。 (秋山氏入室) ○千葉座長 秋山先生,本日はお忙しい中,本検討会議にお越しをいただき,誠にありがとうございます。本検討会議におきましては,今般の大阪地検特捜部における一連の事態を踏まえ,検察の在り方について,幅広い観点から抜本的な議論・検討を進めているところであり,検察の組織の在り方についても検討課題の一つとしているところでございます。そこで,本日は,本検討会議における議論の参考とさせていただくために,秋山先生から御教示をいただきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。   最初に事務局から秋山先生の御紹介をさせていただきます。 ○事務局(神) 秋山先生は,経営コンサルタントとして,大手商社・メーカー等の企業理念・企業行動指針・個人行動規範等の作成やコンプライアンス教育を行うなど,企業コンプライアンスを御専門に御活躍されています。本日は,組織の中で逸脱行動が発生した際の問題点や対処方法等についてお話しいただけるものと伺っております。なお,皆様のお手元には,秋山先生御作成の書面をお配りしております。 ○千葉座長 それでは秋山先生,どうぞよろしくお願いいたします。 (黒岩大臣政務官入室) ○秋山氏 皆さん,おはようございます。秋山でございます。今日はよろしくお願いいたします。   さて,今,御紹介をいただきましたが,私は,普段は企業のコンプライアンス教育とか全社的リスク管理とか,そのような仕事をやっております。中でも力を入れてやっておりますのは,不祥事が起こった後,その企業の組織の中に入っていきまして,現場に出向き,この不祥事は一体何で起こってしまったのか,その不祥事だけではなくて,いろいろな諸問題がありますので,そういったものももう一度調べ,リスク事象等も調べた上で,組織について何らかの診断を行い,それに対してどのような対策をするかということを考えて一生懸命対応するというものです。そう言うと,何か立派に聞こえますけれども,現実は,経営者とかコンプライアンス担当の皆さんと,日々,七転八倒しながらいろいろなことをやって,どうにか逸脱行動を抑える考え方を組織の中に根付かせていくというようなことをやっている者でございます。そういった意味では,不祥事が起こった際の組織の状況とか,あるいは人がどんなことを考えているのかとか,そういうようなことは場数をたくさん踏んでいると思いますので,今日はそういった辺りのお話をさせていただこうと思っております。   さて,今回の大阪地検特捜部の主任検事による証拠改ざんの事件というのは,私にとっても大変ショッキングな出来事でした。刑事司法をつかさどり,法と証拠に基づいて全てのものを進めていってくれる立場の方が,自ら証拠を改ざんしてしまうということは,あってはならないことであります。一般の国民から見ても,そのことによって,検察に対する信頼が大きく損なわれてしまったことは間違いないことだと思います。   ただ,このようなことが一般の企業で行われていないかという別の視点に立って見ますと,実はよくあるといいますか,どこにでも転がっている話かなというのが私の実感でございます。例えば,お配りいたしましたレジュメのタイトルはこれに似たケースということで「データを改ざんして大型受注をあげようとした有力課長のいる会社」という書き方をしております。それなりに従業員の多い大きな会社だと,このようなことは過去1度や2度は経験しているのでないかと思います。私自身も今までの経験の中で,これに似た話はたくさん見てきました。   ただ,最終的な行為としては,データを改ざんして大型受注をあげるということになるのですが,その一つひとつを見ていきますと,やはり違ったきっかけ,又は違った背景事情みたいなものがありますので,そちらの方を少し乱暴に幾つかに類型化したものを最初に御説明させていただきながら,本題に入っていきたいと思っております。   さて,その類型化したものがこの1枚目の表になります。組織としての深刻度がレベル1,レベル2,レベル3,レベル4,レベル5とだんだん増していくという形で整理をしております。一般的にデータを改ざんして大型受注をあげようとしていた有力課長のような事象についての分かりやすい説明は,このレベル2のところの最初に出てくる個人の経済的利得,その方がこの行為をすることによってボーナスをたくさんもらえるとか,あるいは早く出世して給料が上がるとか,そういうようなことがきっかけになっているということのように思います。しかしながら,私がこれまでいろいろな会社で見てきたケースを考えますと,日本の企業においては,個人の経済的利得によってこのような問題が発生するということは,全くないわけではありませんが,少ないように思います。日本の企業の場合,1回良い業績を上げたからといって,ボーナスをものすごく払うとか,あるいはものすごく早く出世させるとか,そういう決定をしませんので,そういう意味においては,こういうことをしてもきっと元は取れないのだろうということがあって,これは余りないように思います。   では,どういうものが多いかといいますと,それはレベル1のところに書いてあります失敗のつじつま合わせです。例えば,よくあるタイプのものは,営業に行った先のお客様から言われるんです,「この品質とこの納期であんたのところはできるか。」と。それに対して,その課長が「はい,大丈夫です。」と太鼓判を押して帰ってくる。帰ってきた後,,その会社の技術であるとか,生産であるとかそういうところに問い合わせてみると,自分が大きな勘違いをしていて,実はできないことに気付く。ここからが難しいんです。お客様向けに「大丈夫です。」と言ってきたとは社内にも言えない。言うと怒られるから。そうとも言えず,でも,どうにかならないかと内部の技術者や仲間にムニャムニャといろいろなことをねじ込んで,どうにかしようと思ってやるけれども,結局できそうにない。そんなときに,またお客様から,「この間頼んでたやつ,できると言っていたよね。大丈夫だよね。」という声がかかる。そのとき,できないと思いつつ,「はい。」と言ってしまう。そういった中でだんだん時間が経っていって,お客様の方は,それができることが前提になって,いろいろなものを組み立てるようになってしまうと,もういまさらノーと言えない。一方で,品質のレベルの高いものはできない。そうなるとどうするのかというと,出てきたものの品質の仕様書の数字をちょっと変えて,そのままお客様に出してしまう。そういうようなことが起こってしまうということであります。   これにはどういうような背景事情があるかというと,一つはやはり仕事の基本ができていない。本来やるべき商品,サービスを納入するまでの品質管理の体制が,その会社できちんとできていないということです。さらにもう一つは社内外の関係において,後になって間違っていたとは言えないような空気であるとか,できませんと言えないような,えも言われぬ空気が組織の中にあるというようなことです。   さて,それよりもう少し深刻度が上がるレベル2の話をさせていただきます。先ほど個人の経済的利得というようなものは余りありませんというお話をしました。では,その代わりにあるものは,次に出ていますライバルとの関係,あるいは組織内での地位の維持です。こういったようなものはあちらこちらで結構見てきました。ライバル逆転,例えば,どんなことかといいますと,この方は一応有力課長ということで,会社の中ではエリートということになっていますが,組織の中で1級エリートと2級エリートが明確に分かれているような会社が結構ございます。1級になるためには業績が良いことも大事ですが,やはり学閥であったり,特定の事業部の出身であったりとかが必要だということで,明確に1級と2級は分かれているのです。   このときの問題は何かというと,残念ながら2級エリートの方はいつも強迫観念にさいなまれているといいますか,1級エリートと同じだけの評価をしてもらおうと思うと常に1.2倍の業績を上げ続けなければいけない。あるいは逆転しようと思ったら1.5倍の業績を上げなければならないといったような強迫観念をいつも持っていて,良い結果を出さないと落ちこぼれてしまうといった形で,何となくいつも厳しいと思える状況にある。そんな中で,今回,自分の業績はどうも悪いな,普通にやっているとだめだなというときには思わずこういったやってはいけないところに走ってしまうことがあるということです。   次に,組織内の地位維持ということもあります。それなりにできる方は,どの組織でも,良い意味でも悪い意味でもある種のラベル付けがされます。この男は1年に1回はすごい受注をして,みんなを驚かせる男だとか,あるいは,ずっとトップ営業を引っ張ってきた人なので,今年も一番取ってくれる人だとか,そういう形である意味のラベル付けというものが行われます。これらに対して,そのラベルというのは決して悪いものではなくて,そのラベルがあることによって,それに相当する自分になりたいということで,一生懸命,日々研さんを積むという良いこともありますが,それが過剰になりすぎると,そのラベルをはがされると自分の存在意義がなくなってしまう。そういうふうに追い込まれてしまう。それゆえに良いときはいいのですが,悪くなってしまったときに,無理をしてこのような逸脱行為に走ることがあるということです。こういったことの背景事情には,ここに書いてありますような社内の厳しい競争風土や公平感のなさみたいなものがあったりするわけです。一方で,実際にこういうふうに逸脱行為をしたいと思ったとしてもできないような内部統制の仕組みが組織の中にないと,割と簡単に間違った行為に走ってしまうことになってしまいます。   さて,次にレベル3のお話をさせていただきます。これは込み入っているので詳しめにお話しします。レジュメの記述としては,「上からの強い期待に応える」というのがレベル3ということになっています。ただ,それだと意味がよく分からないので,補足の意味で,例えば,こんなことを言われるということを書いてみました。「○○のため,厳しいのはよく分かっているが,君には何とか大きな成果をあげてほしい」,このようなことが事業本部長とか,あるいは社長に近い人とか,そういう方から言われるわけであります。   ここでのポイントの,最初の一つは「○○のため」ですが,これは具体的にどんなことを言われるかというと,多いのは業績不振の事業部だったりすると,今年も業績が悪いと事業部が取り潰しになる可能性がある,そういった意味で「事業部存続のため,厳しいのはよく分かっているが,君には何とか頑張ってほしい。」ということが言われたりします。   また,会社レベルでいきますと,例えば,それぞれの業界で業界御三家と言われていたりしますが,3番目というのは,かなり業績が悪くなってくるというのが最近の常であります。その中で,今年も業績が悪いと御三家からは追い出されて,上位2社だけがトップであって,3社目はもうなくなったと言われてしまいそうだ。だからこそ,厳しいのはよく分かっているが,頑張ってほしい。そんなことを言われて,そこで間違って頑張ってしまう人がいるということです。   ここでのもう一つのポイントは,次のところで書いています「厳しいのはよくわかっているが」ということです。実際にその方が,こういうふうにおっしゃるかどうかは状況によります。おっしゃらないことも多いと思いますが,問題は,言う人も聞く人も厳しいのはよく分かっていて,かつ,言う方の人は,ここでの意味は「厳しいのはよく分かっているので,普通のことをやったらなかなかいかないということは前提だよね。だからこそ君に頑張ってもらいたいんですよ。」ということです。   ただ,もう一つ重要なことは,だからといってこういうふうにお話をされる方が,その相手に対して逸脱行為をやれと言っているわけではないのです,ほとんどの場合。飽くまでもルールにのっとってやってね。ただ,状況の厳しさによっても異なりますが,頼む方の人も,「場合によっては結構ギリギリまでは攻めるかもしれないね。」とか,「場合によってはOBゾーンに出てしまうかもしれないけれども,その辺,あんじょううまくやってね。」と。「あんじょうやって」というのは関西弁なので,うまく伝わるかどうか分かりませんが,うまいことやってということです。そういうような感じでお話をされるわけです。したがって,必ずしも逸脱行為をやれという話はしていないのです。   しかしながら,これを聞いた方がどう思うかは,また別問題であります。この方が,例えばレベル2のところでライバルとの関係にいつも悩んでいる方であったり,あるいは組織内の地位をどうにか守りたいという強い思いを持っている方であったり,そういう方であった場合には,その聞いた話は,次のレベル4に出てきますけれども,何が何でも売上げを作れと言っていると認識して,逸脱行為に走ってしまうような状況になっているかもしれないというのがこのレベル3の段階です。   ここでの背景事情ですが,コンプライアンス的な話の際によく出てくることとは違うことが並んでいると思います。この段階での重要な問題は何かというと,その会社が提供している価値というものが社会の中で認められなくなっていて,例えば,民間企業であれば競争において大変劣位の状況になっていて,競争力がどんどん落ちている。落ちているからどうにかしなければならない。にもかかわらず,それに対する手立てができていないので,その負担が現場にのしかかっているということになります。   ポイントとしては,コンプライアンス的なことに対応することも大事ですが,根本のところは,その競争力や商品の価値の問題であって,そこの部分にきちんと対応しなければ,いくらコンプライアンスの部分だけをやっても問題は解決しないというのがレベル3の段階であります。   次にレベル4の段階です。これは「危機」とありますが,レベル3の段階で適切に対応がとられずに会社の戦略もうまくいかず,結果的に売上げを上げなければならないような状況になります。例えば,今年赤字を出すと債務超過になって上場廃止になる。それは何が何でも防がなければならないので,会社としては,どうしても売上げを作れというメッセージを出すといったケースです。これは会社として逸脱行為をやれとまでは言っていないけれども,逸脱行為は有りというメッセージを出しているのとほぼ同義であります。こういうような状況になってしまうということは完全に戦略の失敗でありまして,しかも,こういう中で,コンプライアンス的な問題も気にせず売上げを上げろなんていう感じのことを言うというのは,完全に経営不在の状況に陥っています。こうなってしまうともう必然的にレベル5にいきます。会社の生き残りのためということで,データを改ざんしてでも全員で売ってこい。こうなってしまうと,まず市場からも退場させられて,会社としても存続できなくなってしまう。レベル4で最後のギリギリのところで何らかの対応がとられなければ,あっという間にレベル5になってしまうということになります。   さて,データを改ざんして大型受注をあげた,その例を基に,かなり乱暴に分類して話してきましたが,この件について全体像を2ページのところで簡単にまとめてお話ししたいと思います。レベル1の問題としては,やはり品質管理力の低下,コミュニケーション不在といった問題であります。状況的には,商品サービスの実現過程に問題がある。率直なコミュニケーションができない風土も問題となります。   レベル2のところでは,組織と個人との関係の問題が多く,それを制御するための内部統制の不備やマネジメントの不満みたいなものをうまくコントロールできていないということになります。レベル3のところでは問題としては,商品の価値低下又は事業転換の遅れ,そういう中で商品の価値の低さが現場のプレッシャーを生んで,それが逸脱行動に走らせている。   レベル4になりますと,戦略不全ということで戦略の失敗が現場のひずみとなって現れる。レベル5になると,存続のためには手段を選ばない末期的な状況になってしまう。   さて,このようにレベルを分けさせていただいたところで,今度は,このようなレベルそれぞれに対してどのような対応の仕方をするのかということも次の3ページ目,4ページ目でまとめさせていただいております。通常,このような不祥事があって,企業の組織あるいは事業の建て直しをやる場合に2方向からのアプローチをいたします。一つは人の意識や価値観というところに対してアプローチをする。人の身体でいえば頭や心といいますか,ハートといいますか,そういったところにアプローチをするというところと,もう一つはルールをきちんと固めることと手続をきちんとして,日々の仕事に対しての行動が枠から逸脱しないようにする。人の身体へのアプローチする先としては手足というイメージです。行動そのものへのアプローチですね,こういった2方向から進めてまいります。   レベル1の段階におきましては,まず価値観の方でいきますと,やはり基本の重要性の再認識です。あるべきプロセスをちゃんと踏んでいないというところで,基本が守られていない。あと率直なコミュニケーションを良しとする価値観みたいなものを常日頃からトップに言い続けていただくということをしていきます。   一方,制度的な対応としてはチェックシステムの整備です。ミスが起こらないための確認,点検のプロセスの組込みやミス発生時のエスカレーションルールの設定のようなことを行います。エスカレーションルールというのは,何か問題があったときに,それを誰かに伝えると,どこの段階で意思決定がされるかをあらかじめ決めておくものですが,ミスがあったらすぐここに言ってくれ。早めに言ってくれれば大きな傷口にならないということを事前に言っておくことで,問題が発生しても大きな問題にすることなく制御することが可能になります。   次にもう一つは,失敗等を受容する管理者の育成です。これはかなり努力しないとできません。失敗やリスクがあるということをわざわざ言ってきてくれた社員に対して,いきなり課長や部長が「ばかやろう。」と怒鳴り付けてしまうと,そういった事象があっても二度と誰も言ってくれなくなってしまいます。そういった意味では,そういうことを言われても,本当は腹が立ってもぐっとこらえて「ありがとう。」という習慣をマネージャーにつけさせることは,大変重要な訓練であります。   また,レベル1の場合に極端な減点主義といいますか,減点評価がこういった失敗等を受容しない空気を作り出している場合もありますので,そういった評価のところもチェックして直したりいたします。   さて,次のレベル2であります。ここで重要なのは職業倫理です。プロフェッショナル倫理といいますか,そういったものを徹底的にもう1度固めていくこと。倫理綱領とか行動基準といわれるようなものがあれば,もう1度見直しますし,なければ作ります。それとともに経営陣からの強いメッセージというようなことをやります。   行動の方の制御に関しては,チェックシステムの整備や内部通報制度の設置ということで,チェックシステムの場合は階層及び進捗段階別チェックの厳格的な実施とか,別組織等による事後の監査,また,内部通報による問題の早期発見を図るために,内部だけでなくて外部機関の設置というのが取りあえずのやることです。   ただ,これは割と大きな会社で,物を作って売ったりするようなオペレーション型の会社の場合,結構機能しますが,プロフェッショナル型の組織といいますか,知的集約型のプロフェッショナルがチームを組んで仕事をするような場合には,この手のシステムは余り機能しないというのが私の実感です。というのは,まず階層及び進捗段階チェックとよく話に出ますが,プロフェッショナルが集まってやる特定の案件は,外にいる人とその中の人の間の情報格差が余りにも大きくて,外の人が後で形式的にチェックリストを持って1個1個聞いていくぐらいでは,ほとんど何もチェックされずに素通りして通ってしまいます。   一方,内部通報の方もほとんど機能しません。内部通報が機能するためには,例えば,その通報をした際に,この通報をしたかもしれない可能性のある人が少なくとも30人ぐらいいるという状況でないと誰も通報しません。例えば,5人や10人のチームでやっていて,その中で内部通報がもたされるとすると,5人か10人の中の1人が通報したに決まっています。そうすると容易に誰か分かってしまう。そういうリスクを抱えながら通報するのはまずないと言っていいと思います。   では,こういうプロフェッショナル型の場合,どのようにこの手の逸脱行為を制御するのかということです。これについては,私が勝手に言っていることですが,「ピアプレッシャーと鬼上司」という言い方をしています。ピアプレッシャーとは何かというと,同僚とか部下からのプレッシャーです。全ての人が本当に高いプロフェッショナル意識を持っている。プロフェッショナル意識というのはどういうことかというと,常に能力を自分で高めようと思ってやっている。目前の案件に対して最善の努力をしようとしている。そして,最高の答えを求めようとしている。そういうレベルの高いプロフェッショナル意識を同僚であるとか部下が全員持っているのであれば,リーダーとしてもいい加減なことができない空気になってしまいます。そういったことでピアの部分がすごくチェックをするような仕組み,そのために,この後も出てきますが,それを支援する意味で360度評価みたいなものが定期的にあるというものがそれの支援につながります。   そういったことが一つと,もう一つは鬼上司です。これは直接の上司でなくても他の部署の方でもいいんですけれども,その案件に対して土地勘があり,しかも,それに対してチェックするだけの高い能力を持っている人に対して,自分が今やっていることの進捗状況であるとか,なぜこれが本当に起訴できるのか,そういったことをきちんとした話をして,それでOKをもらうという一つの段階を経るということです。本当に力のある,本当にそのことに土地勘がある人を前にして,それらを説明するということになってしまうと,鬼上司の方は幾つかの質問をするだけで,こいつは本当にちゃんとやっているか,重要なステップを飛ばしていないかということは見抜くはずだと思います。恐らくプロフェッショナル型の仕事をやっていらっしゃる方は,そういった人たちに育てられた経験は皆さんおありだと思います。そこでの問題は扱っている領域に対して,きちんとした土地勘を持っている人でないと,それはできないということであります。金融の犯罪についてプロの方は,金融というのは本当はもっと細かいのですが,とりあえず金融と言っておきますが,すごい能力をお持ちで,その方面で危険があればすぐ見抜くでしょう。例えば,談合に強い方はまた違うところにチェックポイントがあるはずです。その関係のことについてすごく強い方のチェックを経る,そういうようなプロセスが必要になってくるのではないか。今ちょっと検察の方に寄って話をしてしまいましたが,一般的にその領域について大変詳しい方にやはりチェックをしてもらう。そのようなことを経ることの方が一般的な階層チェック,進捗段階チェックを形式的にやるより,よほど成果が出ると私の経験上認識しております。   次に倫理,コンプライアンス教育の実施ということです。先ほど言ったプロフェッショナル倫理を実現させていくために,研修をします。これもただただ普通に研修してもだめです。実際,現場で倫理的なことでジレンマに陥っていくような問題が過去,その会社なりにありますので,それを引っ張ってきて使います。例えばコンサルティング会社でよくあるのはこんなジレンマです。依頼者は社長ですと。社長から依頼された内容は,うちの会社は儲かっていない,何が一番悪いのか教えてくれ,病巣をとにかくえぐり出してほしい。そして,一生懸命,何か月かかけてえぐり出して分かったこと。それは実は社長が最も悪いと。このとき,どのようなアウトプットレポートを書けばいいのか,そういったものを倫理訓練としてやったりします。これは会社によって答えはちょっとずつ違います。会社ならではの考え方や価値観がありますので,これに一般的な正答なんていうのはないのですが,同じように倫理的なジレンマに陥るような場面が過去あったとすれば,それはどういうことなのか。それを仕事のレベルに落としたところで考えてもらうような形のものをやっていきます。そして評価制度,懲罰制度みたいなところももう1度見直して,こういった部分での会社の中での価値意識を明確にしていくことになります。   さて,次にレベル3であります。レベル3で重要なことは,今の事業をただただ続けていくだけではだめだということです。もう1度価値をちゃんと構築しなければならないということを明確にすることであります。そういう意味で,もし内部だけで方向性が見つからないのであれば,社外取締役であるとか経営諮問委員会みたいなものを設けて,経営者に対しての方向付けのお手伝いをいただきます。また,事業の仕組みの革新としては,注力領域の再設定と重点組織能力の明確化,どこで勝負するのかということを明確にしていきます。   それとともに基幹人材の登用基準が変わります。これまで業績を収めてきた人,立派と言われてきた人,必ずこれからは立派な人ではなくなります。そうなると,例えば出世する人も変わります。それがもし中にいなければ外部から採用してくるといったことになります。   併せて価値観の方にもアプローチします。歴史の再解釈やロールモデルの変更,タブーやドグマの再解釈等も行います。これまでヒーローと言われてきた人がどこの会社にもいます。その人と仕事をもう1度再解釈して,過去のそのような事業環境の中にあっては彼/彼女のような仕事のやり方,彼/彼女のような考え方は良しとされてきたけれども,これからは違うんですということを明確にします。最終的にどのように変わっていくかというと,会社案内とか,あるいはリクルーティング用のパンフレットに出てくる人が変わります。今まで出てきた人とは違う人が載るようになりますし,会社としてもこういう人を目指してほしいという人が変わるということになります。   併せて,人材,採用,評価,教育,これも見直します。外部からどんどん人を採ったり,又は外部の機関を上手に使えるようなものにしたり,スキル教育,スキルの内容も変わります。ロールモデルも変わりますし,それとともに採用評価,教育体系も変わる。能力向上のための投資ということでニーズに応えるための技術だけではなくて,工学的だけでなくていろいろなものに対しての技術投資。それから組織の在り方の見直し,そういったものも徹底的に行います。こういったものをやることによって事業の価値が回復する。回復するとともに,ある意味で変な形でのプレッシャーが現場にかからなくなる。それによって逸脱行為を防ぐ,そういうやり方になります。   さて,レベル4であります。レベル4は先ほどもお話ししましたが,かなり危機的な状況でありますので,これははっきり言って会社の再生案件であります。ガバナンス体制から戦略,組織全部の見直し。経営陣も見直し。全部やり直し。このようなことをやって成功しますと,もう1度復活できますが,成功しなければレベル5の企業解体の方にいってしまう。そのような形になってしまうかなと思います。   これまで取りあえずの一般論として,しかもデータを改ざんして大型受注をあげようとした有力課長という一つの例から,ここまで拡大してお話をさせていただきました。最後に,今の検察についてどう思っているかということを少しお話しさせていただいて,質疑応答に移らせていただければと思います。本来はこういうことはしてはいけないと思っています。というのは,僕は幾つかのレポートを読んだだけでありまして,こんなレベルの情報の質の量で組織のレベルを診断しては絶対にいけないのですが,ただ皆さんの議論のサポートになるかなと思って,あえて言うことにします。まず大阪の事件であります。これについて私がレポートを読んだ限りでどういうふうに思ったかといいますと,ここで言うレベル1,レベル2,レベル3,レベル4,レベル4はそんな段階ではもちろんないのですが,感じとしては部長さんの方から結構厳しい期待が飛んだみたいな形に書き方になっていて,レベル3の雰囲気はありますが,私の感じは余りそうではありませんでした。「それは君のミッションだからな。」ぐらいのことは誰でも言います。ただ,レベル3かどうかというのはその組織なり何なりの存続,そのほかの大義名分というものが明確にあって,その大義名分を実現するために,これはやばいのは分かっているけれどもやらなければならないよねみたいな,そういう雰囲気が組織の中にあるかないかというと,読んだものが限られていますので一概には言えないのですが,そんな感じは余り受けませんでした。むしろ先ほど例としてお話しさせていただいたレベル2のところの組織内の地位の維持であるとか,もちろんレベル1のところの失敗のつじつま合わせみたいな,そこが一番大きいのではないかと思いますが,そういったような要素があって,その中で期待をかけられたのをある種レベル4の会社のため,何が何でも売上げを作れに近いようなイメージで捉えられたのではないかなと思います。これは完全に推測でありますけれども,そのように大阪の事件については思いました。   そう言うと,では検察全体はレベル2ですかというと,それはちょっと違います。私は個々の事件をたくさん見てきたわけではないのですが,検察の今の状況に対してはどうかなと思うことがあります。それは何かというと,中途採用的な外の能力を上手に使うことを全然やってきていないことであります。日本の企業,有力大手企業も含めてどこの企業でも1980年代後半から中途採用をやっています。中途採用を何でやるか。最初のころは新卒を教育させていたんです。新卒の人に新しい領域のところを勉強させていたのですが,全然間に合わない。そのぐらい世の中の変化といいますか広がり,それから深さというものが増してきて,それに対して対応できなくなった。最初の頃は中途採用は人員補充みたいな感じだったので,採り方としても,中途採用で来ていただいてもハンデ等は一切ございませんといった書き方を求人広告には書いていましたが,今の実態は全然違います。中途採用で良い人を採るために,どこの企業もあえて人事制度を変えたりしています。それだけでなくて,本当に優秀な人を採るためにいろいろウルトラCというのはありますが,日本の企業も人事制度を改定して,それなりに高いお給料でも取れるようになっても,それでも追い付かないので,日本人が日本の企業で働くのに,あえてアメリカ子会社の社員にして,そこから出向させたりとか,そのような工夫をしています。アメリカの会社であればもっと自由にお給料を決められるので。そのぐらい本当に肝になる人というのは採らないと間に合わない状況というのが起こっています。   そういう面でいくと,検察の方,皆さん大変優秀な方が多いことは間違いないのですが,とはいえITの技術についてどれだけ詳しいかとか,金融の最先端の部分に対してどれだけ詳しいかとか,そういった部分に対してプロ中のプロの相手と闘うのに十分な陣立てが組織の中にできているかというと,正直ちょっと厳しいのではないか。それは中途採用せずに,外の血を使わずに,優秀の方が,例えばその権威の方に話を聞きに行ってどうにか考えをまとめてという,そういうレベルで対応できるレベルはもうとっくの昔に終わっているのではないかというふうに思います。企業が一生懸命足りない知恵をどうにか中に入れて対応しようと思っていたのに比べると,余りにもその辺が弱い。   また組織図といいますか組織構造ですね。こういったものも見ました。公表されているものは飽くまでも細かいことを書いていないのだとは思いますが,私たちのように組織を見てきた人間から見ますと,完全な地域別事業部制,今どき余り見ないような,1980年代ぐらいにあったよなというような,余り言葉を選ばずに言うと,牧歌的な雰囲気さえする地域別事業部制です。今,ほとんどの会社は現場の人に闘ってもらうためにも現場を支援するための組織をいろいろなところにつくったり,あるいはそういう人を育てるための特別なチームを編成するための場所をつくったりなど,人材育成とか現場の人を支援するようなことも含めて,大変努力をして,その努力の形はどの会社も組織図に表れていますが,書いていないだけかもしれないのですが,検察の組織図を見る限りそういうことが余りにも見えない。やってなさそうだなみたいな,そんな感じを受けまして,もうちょっとこういった辺りの支援をやっていかないといけないと思います。   何が言いたいかといいますと,そういう能力の部分で相手に対して遅れをとってしまうと,そのしわ寄せというのはきっと現場に来てしまう。本筋で勝負できなくなってしまっているので仕方がないから,例えば形式的なところで検挙する。又は別件逮捕するみたいな話です。逮捕したら新聞はバーッと書いてくれますので,結果的には同じだと言えなくもないのですが,やはりそれは違っていて,私たち国民が求めるのは本筋のところで勝負していただいて,きちっと取り締まってもらいたい。そのためにはきちんとした能力をやはり検察自身が作る必要があって,そのためには人事制度も変える必要もあるでしょう。外の人を活用する仕組み,こういったものもちゃんとやっていただかないと,今,レベル3の大きな問題がいろいろ起こっているとは思いませんが,そういったようなことになりかねないなというふうに思います。したがって,私は今後,その辺りのことを是非検察の在り方を考えていただくこの場でも揉んでいただいて,是非強い検察をつくっていただく。国民にとってすばらしい検察をつくっていただきたいというふうに思っております。   ちょっと長くなりましたが,私からの話は以上とさせていただきます。ありがとうございました。 ○千葉座長 ありがとうございました。大変勉強になるお話をお聞かせをいただきました。私の方から1点聞かせていただければと思います。今,検察,今回の事件を踏まえての御指摘を最後におまとめいただきました。レベル3までいっていないというお話だったと思います。 ○秋山氏 レベル3になりかねないという感じです。 ○千葉座長 検察という非常に特殊な組織でありまして,個々の検察官が独任制の官庁だと言われているような部分もございます。そういう意味では,一般的な企業,外部との競争もある企業等とはいささか違う組織なのかなとは思います。そういうことを踏まえながら,今お話しいただいた点についてもう少し補足をいただいて,御提示いただいたような処方箋がうまく機能するものなのかどうか,お教え願えないでしょうか。 ○秋山氏 独立性を高めてプロとして頑張っていただくということだけであると,実は答は簡単なのだと思います。先ほどプロフェッショナル倫理という話をしましたが,プロフェッショナル倫理というのは,技能を高めて,目の前の事件に対して本当に最善を尽くす。そして最終的には自分で判断するというのがプロフェッショナル倫理であります。これをとにかく全員に植え付けるということを徹底してやるというのが一番効くことだろうなとは思っています。   ただし,ここでまた議論のテーマになる話をしてしまいますけれども,僕は,実は検察の組織がまだよく分からないんです。分からないのは何かといいますと,独立性を高く持ちつつ,同一体として運用する組織なるものは一体どういう組織なのかということなんです。僕が知っていて機能している組織というのは,独立性を高く保ちつつ,ただ重要なことについては統一の方向性をとっていくためにきちんと合議して決めましょう。これは監査法人であるとか弁護士法人であるとか,あるいはコンサルティングファームだとか,パートナー制をとっておられる組織は,基本は独立した形で頑張っていくのだけれども,重要なことについては統一性を持ってやっていこうよねというようなタイプの仕事のやり方をしています。ただ,これにはちゃんとした制限がありまして,代表社員,パートナーになられる方というのは,その組織の中でそれなりにきちんと実績も収められて,かつ,その組織の価値観,大事な価値感というものは何なのかということを十分に理解されたと認められた人だけが独立性を保っているパートナーになり得る。だから,検察官のように全員,検察官になったらいきなり独立性を持つというとはちょっと違う感じなんです。なので,本当に限られた優秀な人で,ちゃんと価値観を分かっている人たちが独立性を持ちつつ,でも方向性としては合議でというのと,独立性を高く保ちつつ,かつ,同一体として運用するというのはかなりレベルが違いまして,これが機能する組織の形態というのはいかなる形態なのか,考えても正直分からないんです。思考実験としては結構ありえて,きっと個が持っている意識と全体が持っている集合意識みたいなものが,常にうまく調整し合いながら,一心同体として動けるような組織体なのだろう,と。ただ,これは観念の創造物でありまして,リアリティの持てるものではないんです。   ここで思うことというのは,独立性かつ一体性が前提になって全てを進めていけるのか。ある種不可能に近いようなものすごく難しい組織の在り方がこれまで大きな問題になってこなかったというのは,恐らくですが,割と昔から環境がそれなりに安定していた,かつ,案件のほとんどが割と分かりやすい,大体こういう問題だったらこういう答えになるよねということについてはほぼ全員が同じ見解を持てる,こういうような案件がほとんどだったから,普通ではあり得ないような,独立性が高い同一体という形態でも特に問題が起こらないまま,ここまでやってこられたのだろうと思うんです。本当は,これ自体もう無理な状況になっていて,犯罪かどうかなかなか分からないような事件がたくさん出てきている中で,見解が分かれずに同じ見解を全員が持つなんていうことが本当にできるのだろうか。少なくとも裁判の一審,二審,三審等でそれぞれ違う判決が出ることはもう普通である中で,独立性を保ち同一体で運用する組織みたいなことを掲げていること自体が,本当はもう矛盾だらけで,ここの部分をどういうふうに手当てするかはきちっと明確にしていただかないと,僕が検察官だったらつらいなと思ったということです。   すみません,千葉座長の御質問への直接のお答えにはなっていませんが,これをちゃんと片付けておかないと,逆にこの組織をどういうふうに変えるかと言われても正直難しいなと思ったということでございます。 ○千葉座長 ありがとうございます。ほかに御質問がある方はどうぞ。 ○郷原委員 秋山さんとは,以前も意見交換させていただいたことがありました。今日,お会いするのは初めてですが。私も企業,官庁の不祥事という,全く同じようなテリトリーの仕事をさせていただいているので,今日,お話になったことはほとんど私の経験とも重なる,非常に意を強くして私自身考えることができると思わせていただきました。   問題は,検察の組織に今のコンプライアンスの考え方を当てはめたときにどう考えられるかということです。検察の組織の問題と今回の事件,不祥事の問題ですね。今回の問題自体のレベルがそれほど高く思えないというのは,これは恐らく資料が最高検の検証報告書だからですよね。あの報告書は,最初からそういう方向から見てもらうように作ってありますから,余り問題にしない方がいいと思います。むしろ問題の根本のところは,ほとんどそういう形で明確に出ていないので,その明確にその問題自体を認識していただいたら,恐らくまた全然違う問題意識になるのだと思います。その具体的な問題は別にして,組織の在り方について,先ほど非常に重要な指摘をいただきました。独立性と一体性の問題というのは確かに非常に特殊だということです。私自身,この組織の中にいて思ったことです。それが明文化されない一体性を保つ独特の空気のようなものが存在しているということが一つ言えるのではないかと思います。   例えば,決裁ということに関しても,上級庁の決裁というのは,どういう事件について,どういう場合に決裁を得るということが明文化されていない。そこを,こういったことは一言耳に入れておいた方がいいということをちゃんと判断できるのが,やはり組織内で評価できるというような話です。こういう世界というのは,結構昔ながらの日本の組織の中にあったのではないかと思います。そういう空気の中で何となく意思決定がされていて,そして評価が行われるというシステム。昔の日本の軍隊等もそうだったのではないかと思います。そういう要素というのは,事業の環境によってはまだ残っているような組織もあって,そういったところで結構問題が起きているということもあるのではないかという気がします。今までの御経験からいかがでしょうか。 ○秋山氏 そういう会社はありますね。結構古くて良い会社は今でも変わっていません。結構あうんの呼吸でルールが決まっているような決まっていないようなですが,必要なことは上にちゃんと話が行って何か決まっている。いつ決まったんだ,いや,何となくみたいな,そういった会社はあります。ただ,こういう会社の中にこれを悪用しようとするやつが1人出てくると結構厄介なことになります。決裁をとったとか適当なことを言いながら決裁をとって,どんどんお金を使ってしまうとか,後になって気が付いたらものすごく悪いことをしていた。ムラ社会でみんなが顔を知っていて,あいつはどういうやつだなんていうことはよく分かっている世界の中でうまく回っている組織ですが,あるとき突然,なぜか上手に立ち回ろうという人が出たときに,実はそういう組織はそれを制御する術がない。気が付くとえらい問題になっているというものをあちらこちらで見てきまして,やはり最低限度のチェックシステムは入れなければなりません。   あともう一つは,そういうようなことを発見するために360度評価する。あれはやはり効くので,そういった人たちを早めに発見するような手立てをつくる。そういうやり方をしていると思います。 ○江川委員 端的にお聞きをしたいと思います。先ほど,外の人を入れる,中途採用等で外の人を入れることで,いろいろなスキル,それから知識,そういったものがどんどん新しいものをアップデートしていけるという,そういうことをおっしゃいました。それだけではなくて,今回の検察の問題みたいに意識あるいは風土,文化といいますか,閉鎖された社会の中だけで通用するような価値観や文化みたいなものが濃厚にあって,そういうものを変えていく,あるいはそこの特異差みたいなものに中に入っている人たちにちゃんと気付いてもらうということのために外の目や外の風を入れたらどうかということを思っています。そういう組織の風土,文化を変える上で外の目や外の風,外の人を入れるということはどういう効果があるとお考えかということ。   あともう1点は,先ほど失敗を受容する管理者というところの育成について話されたときに,訓練という言葉を使われましたが,そういう訓練のシステムが今あるのかということも1点伺わせてください。 ○秋山氏 最初の外の人の話ですが,これはちょっと言葉足らずでした。外のできる人を入れないとだめです。それが難しいんです。外のかなり抜群にできる,特にこれだけレベルの高い方がおられる団体でありますから,かなりできる人が行かないと,もう太刀打ちできないので,しかも外の人を束で入れないと,まず無理です。束にして入れて,しかも後は人事ですね。基幹になる人事のところというのを変えるみたいな,そういったことであります。   ただ,そう言うと何か敵対するみたいな感じになってしまうので,そこが問題ですが,外のできる人であれば敵対しない。中途半端にできる人であれば絶対敵対するという,この辺が難しいところであります。   そういうことをやるのと,もう一つはその外から入れた人たちを,ある程度誰かが後ろ楯になって支援してあげるというようなことをかなりセットにしてやっていくことと,後は個別の人事においても先ほど言いましたけれども,今まで出世した人でない人が社内の中から出世する。そういったような外の人,中の人でも評価される人が代わるというものを合わせてセットでやっていく。そういう意味でいくといろいろなことをガサッと一遍にたくさんやるというやり方をやっていかないと,なかなか機能しないのかな。むしろそういうふうなやり方をするというのが一つのやり方だろうと思います。   あと訓練の方ですが,これは初級管理者訓練とか,その辺のところで徹底的に言って,言って,言って聞かせて,怒ったらあかんで,怒ったらあかんでと言い続けるだけです。それで習慣付けて,怒っている人を見たら上司が「お前,ああいうときに怒ったらあかんやろ。」と言う。割とそれだけの話なんです。我慢するだけなので,特別な訓練は必要ないと思いますが,そこでちゃんと聞く。ニコッとは笑えないと思いますが,ブスッとはしても怒らないというような訓練を会社の中で定期的にずっとやり続けるということをやっていくと,だんだん定着してくるかなと思います。 ○江川委員 質問がちょっと良くなかったのかもしれませんが,最初に伺ったのは,技術的にできる人を入れるという話ではなくて,つまり検察というところは同業他社がいませんので,もちろんさっきおっしゃった金融とか,あるいはコンピュータの問題という,そういう専門分野での専門家を入れるというのは分かりますが,そうではなくて,一般の業務をやっている検察官のできる人をすぐに外から持ってくるというのはなかなか難しい話ですね。 ○秋山氏 難しいですね。 ○江川委員 そうではなくて,技術の問題ではなくて文化や意識の問題ですね。それを変えていくときに,例えば,外の人が恒常的に中に入るのではなくても,例えば社外取締役でないですが,何か外の人が見ることができる,あるいは常に対話することができるという,そういう人が外の人から入っていく,あるいはときどき来るということは意味があるでしょうか。 ○秋山氏 あると思います。あると思いますが,これは江川委員の御質問に上手に答えられるかどうか分からないのですが,要するにマネジメントの人材だと思います。会社の方向性をどういうふうにしていくかという。マネジメントという場合には,もちろん法曹のことに詳しい人が良いに決まってはいますが,必ずしもマネジメントについてはそうではなくてもよいのかもしれません。世の中のニーズの方向性と,今持っている検察組織のポテンシャルを考えて,一番良い形でアジャストするような方向性を見つけて,そちらの方向にどうにか持っていくということなので,それは内部の人と外部の人がある種の協力関係でうまく持っていければいいので,それは内部に入ってもらってもいいですし,案外半分ぐらい外で半分ぐらい中みたいな感じもありますし,単に諮問委員会みたいな形でもいいのかもしれません。それはいろいろなバリエーションがあって,最適なものを選んでいくのが良いのではないかと思います。 ○井上委員 最後に言われた検察全体についての見方ですが,一つは専門的,先端的な知見とか素養が不足するようなことになっていないかということだったと思いますが,もう一つ,組織として牧歌的な地域別事業部制のような組織のように見えると。その後者については,何か支援策あるいは支援システムが欠如しているのではないかというようなことをおっしゃいました。その中身については,例えばどういうことがあり得るのか。どういうことが欠けていて,どういうことがあり得るのか。もう少し補充して御説明いただければと思います。 ○秋山氏 こういうある種の知的集約型を支援するために,コンサル系の話が多くなってしまいますが,コンサルティング会社等は産業別のチームと,それから機能別のチーム,機能別チームというのはマーケティングの専門家とか,あるいは人事の専門家とか,そういう機能です。機能別の専門家というものと,それから金融に詳しい人とかIT産業に詳しい人。これをマトリックスの形でやっています。私は金融を中心として,かつ,人事も割と強い人とか,人事はものすごく強くてオールマイティに全部できる人とか,そういうような形で専門家をたくさん養成していて,プロジェクトに応じてそのチームを実行するのに最適な人材を集めて,それでチームを作るというやり方をしてやっています。それなりにその世界における知見を機能レベルの話と産業のレベルと両方で深めてもらってやっていかないと,なかなか追い付かなくなってきてしまっている。そういうことです。 ○石田委員 ここの中で,先生がレベル3の状況として,商品の価値の低さが現場へのプレッシャーを生んでいるという状況把握の下で,こういったレベル3の問題が起こり得るということをお話になっています。これは先ほどもありましたように同業他社がいて,一定の商品があって,その商品がどのような価値を生んでいるかといったような問題だと思います。   検察庁の場合は,仮にレベル5までいったとしても倒産してなくなってしまうということはあり得ないわけです。そういうときに,レベル3の状況として商品の価値の低さという問題を検察の問題に当てはめると,どのような状況と考えたらよろしいのでしょうか。 ○秋山氏 検察そのものの状況については情報量が不足しているので,割り引いて聞いていただきたいのですが,やはり裁判に負けるというのが分かりやすい例だと思います。それから,本筋で勝負していないといいますか,「えっ,そういう立件の仕方をするの。」みたいな。「えっ,そういう話ではなかったよね。」という感じというのは,僕らから見ると,それはちょっと違うのではないかと思うことは度々あります。そんなことが多発するということが相当するのではないかと思います。あと,別件逮捕の感じの攻め方なども,それは本筋でやれないような能力になっているかなのではないかという感じを持っていて,やはり検察には正道で闘ってほしいなという,これはほとんど希望ですが,というふうに思っています。 ○嶌委員 今の話をずっと聞いていると,企業の組織の在り方とかコンプライアンスの在り方ということだと思います。企業の使命というのは,ある種成長を遂げて,そして収益を上げるということが中心にあります。その過程の中で,不正なことはしないということもあると思います。検察というのは,別に収益を上げるわけではなくて,社会の正義といいますか,公正といいますか,そういうことを目指すということです。しかし一方で,今回起こった問題というのは,人の人生を左右するような問題を起こしているわけであって,会社のお金を使っただとか,他人の足を引っ張ったとか,その類の話とはまたちょっと違う一人の人生を破壊してしまうという本質的な話なのではないか。これが途中で真実が分からなければ,その人の運命が全く別な形に変わってしまうというようなことを考えると,ただ企業のコンプライアンスの在り方とか,組織の在り方ということだけではない,もうちょっと別の視点から検察の在り方を考えることがあってもいいのではないか。今,レベル2とおっしゃられたけれども,例えば,当事者にしてみれば,これはレベル4だよと。自分の人生は危機に陥ったということになるとレベル4である。そういうことを念頭においたような形で,そういうことを起こしてはいけない組織の在り方と,一般企業の組織の在り方というのは結構違うのではないかと思いますが,その辺はいかがですか。 ○秋山氏 やはり企業は分かりやすいんですね。検察の場合は国民の安全とか安心とかそういうものを作る,インフラを作っていただく,もう一つは社会正義を追求していただくということだと思います。これは嶌委員がこの会議でもおっしゃっておられることだと思いますが,今,何が正義なのかというのが揺れに揺れていて,何を実現することが大事なことなのか分からない。ある種の社会解体状態といいますか,アノミー状態にあって,その中で何を検察に求めるのか。私の言葉遣いでいいますと,この検察組織の存在理由とか,活動領域というのはどこまでなのかとか,その辺りのところをやはりきちっと決めていただいて,その上で国民の生活,安全を守るということです。守るべき人の人生を傷付けては絶対にいけないわけなので,そういったことも考えた上で,じゃあ何をやるのが検察の正義なのか。検察がやるべきことなのかというのを決めてあげないと,あげないというのはちょっと言い方が偉そうですが,これは中の人だけでは決められない問題だと思うんです。   ちょっとオーバートーク気味になりますが,例えば,前回の尖閣の事件がありました。あれについて沖縄の地検の検事が御判断されたということになります。それはそれでいいと思いますが,ああいう政治的なところもひっくるめて検察の守備範囲なのでしょうか。この辺は誰が決めるのか分かりませんが,誰かがというか,それは社会として決めてあげないとだめだと思います。だから,嶌委員おっしゃったように,やはり普通の会社とは違って,何が正義なのか,何が我々が検察に求めるものなのか,どこまでが守備範囲なのか,そういうようなところは国民全体として,あるいは政治,それから検察,法曹界全員である程度決めていってあげるようなこともしてあげないと。その意味では検察の在り方そのものなので,この会議体でそういったところも,是非何らかの方向性を出していただけると,検察の人は仕事がしやすくなるだろうなと思います。 ○嶌委員 その場合には検察で考えるだけでなくて,それは国民も合意できるようなところで,新しい在り方が作られなければだめだということですか。 ○秋山氏 そういうことなのではないでしょうか。実際のワーキングは,別に国民が全部ということはないと思いますが,やはり政治もそうですし,経済も。 ○嶌委員 要するに国民も納得するようなということですね。 ○秋山氏 だと思います。それをある種決めないで,検察が悪いと言われても,僕がもし検察の人間であれば,それはちょっと違うのではないのと言いたくなるのだろうなというふうに,組織を見ている人間としては思います。 ○但木委員 大変参考になりました。組織論として,検察が時代に遅れてきている部分があることは間違いがない。例えば,金融商品の最先端部門なんていうのはなかなか分からない。もはや追い付けない領域なのかもしれません。あるいは公認会計士の資格を持っている人たちの知見と検察が持っている知見とは相当な開きが出てきているのかもしれません。そういう意味で検察は,もっと大胆に組織というものを考えなければいけない。ただ,御存じのとおり,検事というのは法律家の資格を持っていなければなれませんので,そういう意味では限界があります。それを打ち破れということをおっしゃっているのだろう。そうすると例えば,検察事務官というものが,今までは補助的機能として作用してきましたが,この人たちにもっと専門家の人を,例えば給与体系が非常に難しいんですが,例えば任期付き採用という給与体系が比較的自由な方式で専門家の人たちを大量に入れて,我々の遅れてきている部分の知見を担うということを考える時代に来たのかなと,もう少し大胆な発想をしなければいけないのかなというふうに思いました。   それから,ここはちょっと難しいと思ったのは,独立性と一体性は矛盾だとおっしゃる。矛盾なのです。ただ,司法というのはそもそもそういうふうにできてしまっていて,例えば,裁判所というのは各部で意見が違うことを前提にしています。それから三審制というのもあって,一審,二審,三審は意見が違うだろう。普通の会社なら一つの結論を初めから出すはずです。ところが,そうしないというのが司法のやり方で,それがある意味で民主主義の枠の一つです。検察というのは,必ずしも司法そのものではないけれども,同じものがあって,つまり検事は自分の良心に反して起訴状に署名をしないということは,最後まで守ろうとするんです。だから,上司の命令で,お前は不満かもしれないけれども,お前が起訴状を書けと言われても,書いてはいけない。それが独立性の大事な部分です。それが同一体の原則とどういう関係になるのか。その場合は,上司が事件を引き取って自分の名前で起訴しなさいというふうにできているわけです。そういう組織の作り方というものは,会社の作り方とちょっと違うなと思います。こういう新しい時代に一体司法はどう対応したらいいのかなというのを,全く御自由な発想で結構ですから教えていただければと思います。 ○秋山氏 ちょっとお答えするのが難しい問題です。事務官についての最初の方は,もうどしどしやったらいいんじゃないでしょうか。人事制度も変えればいいと思います。民間企業ほど簡単に変えられないことは分かった上で言っていますが,変えればいいですよね,そこはもうどしどしやっていただきたいと思います。   後の方の話は,私の中にはまだリアリティがないんです。今,但木委員がおっしゃったような同一性と独立性のリアリティが余りにも弱いので,実際入って中身を見て,どんな会話がなされているのか。組織の中でよく隠語みたいなものがあります。例えば,赤レンガ組というようなですが,そういう言葉がどんな感じで使われているのか。そこにはすごい価値体系がいろいろ入っていて,そこにいろいろなヒントが隠されていますが,そういったものがどんな形で使われているのか。そういうようなことをいろいろ見ていかないと,正直どうしていいか分からないというように思います。全然答えになりませんでしたが,そこは,今の段階ではちょっと難しいですという感じです。 ○千葉座長 ありがとうございました。皆さんからもまだまだお尋ねしたいことがおありかと思いますけれども,この後の予定もございますので,それから秋山先生にもこのようなお時間でお願いをさせていただきましたので,この辺で秋山先生からのヒアリングは終わらせていただきたいと思います。   今日はどうもありがとうございました。大変勉強させていただきました。   ここで5分間だけ休憩をさせていただきます。 (休憩) (高橋委員,野田氏入室) ○千葉座長 それでは,野田先生のヒアリングを始めさせていただきたいと思います。野田先生におかれましては,本日お忙しい中,本検討会議にお越しをいただきまして誠にありがとうございます。本検討会議におきましては,今般の大阪地検特捜部における一連の事態を踏まえまして,検察の在り方について幅広い観点から抜本的な議論,検討を進めているところでもございます。検察の組織の在り方についても検討課題の一つとしておりますので,本日は本検討会議における議論の参考とさせていただくために野田先生から御教示をいただきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。   最初に事務局から野田先生の御紹介をさせていただきます。 ○事務局(神) それでは御紹介申し上げます。野田先生は,明治大学大学院グローバルビジネス研究科教授として御活躍されており,組織論,特に中間管理職の役割や組織学習といった分野を御専門とされております。本日は,組織に所属する個々人の能力の強化,その所属する組織の仕組みの在り方,組織の風土の在り方等についてお話しいただけるものと伺っております。 ○千葉座長 それでは野田先生,よろしくお願いいたします。 ○野田氏 (事務局注:非公開資料を基にした説明箇所あり。)   今御紹介いただきましたように,私は組織論というものを専門に勉強しております。今,アカデミズムの方におりますけれども,もともと20年ほど野村総合研究所で経営コンサルタントとして実務を担当しておりました。その後に学界の方に転じまして,研究活動,教育活動をしておりますが,やはりまだ実務家の側面がございますので,今日の私の立場は学説を御紹介してそれで説明するということだけではなくて,これをどう生かしていくのかというエンジニアリングの立場から議論させていただきたいと思っております。   事務局の方々より今回のケースにつきましていろいろレクチャーをいただき,資料を拝見させていただきました。ものすごく分厚い資料を拝見いたしました。その中で再三にわたり御指摘をされていたことが,検察組織というのは1人1人の検察官の独立性が高いというお話でありました。ここが非常に特殊であり,独任制官庁という言葉が何回も出てまいりました。しかし,私はそのお話を聞けば聞くほど,外から見える検察庁という組織と,仕組みとして作られているこの独立性というものの間に何となくイメージギャップを感じました。そこのところがもしかすると,今回のケースの根本的な原因になっているのではないかという仮説を立てて,ここしばらくの間,思考を重ねてまいりました。本日はそのことを皆さんにお話をさせていただこうと思います。   組織論というのは大きく分けますと,マクロの組織論とミクロの組織論という二つの分野から成り立ちます。マクロの組織論と申しますのは,組織の構造を考えたり,組織の中での意思決定のプロセスを考えたりという,いわゆる枠組みを考える分野であります。こちら側が,組織論と聞いて皆さんがご想像なさるところですが,実はもう一つ大きな柱がございます。それがミクロの組織論と呼ばれる分野です。ミクロ組織論というのは,その組織の中における人の在り方を研究する学問です。具体的には,個人の動機を研究するモチベーション論,動機付け理論。個人と個人の関係性を考えるリーダーシップ論。そして個人と組織との関係性を考える組織文化論,組織風土論,若しくはそれをダイナミックに捉えた組織改革論というようなものから成り立っております。   まず今回のケースにおいて,検察官という方がどういう動機に基づいて動いている方なのだろうかということを推察いたしました。組織論においては,人間を三つの側面を持つ存在であるというふうに捉えております。まずは人間の経済人的な側面,簡単に言うと,人はお金によって動く,人というのはお金を欲するために動くのだというものの見方であります。   もう一つは「社会人モデル」と称しまして,人というのは何かの集団に属していたいという強い欲求を持つものであるという考え方。そして,その組織の中にどうせいるのならば,その組織の中でより影響力の強い,より重きを置かれる存在になりたいという基本的欲求を持つという考え方であります。   そして三つ目が「自己実現人モデル」,要するに自分の信じるところに従って,むしろ組織を道具として使いながら,その信念を通そうとするという欲求,この三つから成り立つと考えられております。この三つのモデルは,エドガー・シャインというアメリカの学者が提唱したものでありますが,ほぼ一般的に通用すると考えております。   更に加えて,人間は経済人モデルだけの人とか社会人モデルだけの人とか自己実現人モデルだけの人というのはいなくて,経済人的側面,社会人的側面,自己実現人的側面というものを全て兼ね備えている。これが「複雑人モデル」というものであります。ちなみに前二つ,経済人モデルと社会人モデル,ここの動機付けのことを外発的動機付けと申します。要するに,お仕事そのものとか,その人の心の内側にある動機ではなくて,この仕事をするとお金になるよとか,この仕事に成功すると出世できるよという外から与えられる御褒美によって動機付くという意味で,外発的動機付けと言っております。一方,自己実現人モデル的なものは内側から込み上げてくるやる気ということで,内発的動機付けと言われております。   旧来,日本の組織というのは,非常に内発的動機付けを重んじる社会であったと考えられます。しかし,バブルの崩壊以降,外発的動機付けに急速に傾斜していき,これは民間企業中心ではありましたが,その余勢を駆って中央官庁等でもこの外発的動機付けを使うことをためらわない,むしろ積極的にこれを用いようという動きがあるというふうに理解をしております。   ちなみに,外発的動機付けは即効性があり,また万人に効くという意味で非常に使いやすい動機付けのモデルになります。しかし,「よく効く薬は副作用がある」の例えどおりで,外発的動機付けは大変よろしくない結果も持っております。それは何かというと,すぐに効きが悪くなる。最初は1万円もらって大喜びしていた人も,同じ仕事をして,もう1回1万円もらっても,もう余りうれしくない。3回目,4回目になって,まだ1万円だと,何とか色を付けろよという,そうなってくるのが常でありまして,外発的動機付けを主たる動機付け要因として人をやる気付けようとすると,ずっと金額を上げ続けなくてはいけないということになります。   更に,「全員不公平感」という変な言葉があります。これは公平理論という動機付け理論に基づいています。例えば,ある人がボーナスで20万円もらった。「やったあ,20万円ももらった。」。絶対額としての20万円は確かにその人にとってはとてもうれしかった。ところがふと隣を見ると,自分と同じような仕事しかしていないように見える人が30万円もらっている。この瞬間にすごく不愉快になります。20万円の絶対額で喜んでいたんだから,そのまま喜んでいればいいじゃないと思うんですが,そうはいきません。他人と比べて自分が高いか低いかということを自分の投入したインプット,これは努力と能力ですが,これで割り算をしまして,公平か不公平かを考えるという癖があります。たった20万円か,こんなものいるかという状態になってしまいます。ですから,この外発的動機付けを主たる動機付け要因として組織を形成すると非常によろしくない結果が待っています。ギスギスしていて協力関係がなくなるということです。   私は,外発的動機付けを否定する気は全くありません。ただ,これを主としない。内発的動機付けを主として,いわば利きのいいスパイスのように外発的動機付けを使うというバランス感覚が組織の健全な運営のためには必要だと思っております。   では,このような考え方をベースにして,それでは検察官の方の動機付けモデルはどうなっているかということを推察いたしました。まず経済人モデルに関しては,すみません,私は皆さんのお給料の水準を知らないものですから,ただ推察するに,これで動いている人は余りいないだろうなと,大変失礼な言い方ですが,もしお金で動くなら,ほかにも儲け方は世の中にはいくらでもありますので,多分違うだろうと思い,バツをつけました。   しかし,社会人モデルはどうだろうなと思ったときに,これは私の外から見ての印象ですが,非常に強い集団の凝集性を感じます。多分,検察官である検察組織に属しているということについて強い誇りと強い使命感と,そして強い仲間意識を持っているに違いないと思いました。ですので,まず検察官でなくなるということについての危機感というのは強いのではないかと想像しております。ですので,ここからですが,繰り返し仕組みとしての独立を教えていただきましたが,資料を読むと非常に閉じた社会の中での心理的な従属ということがあり,これが強い動機付けの要因になっているのではないかと,今は推察しております。   一方で,自己実現人モデル,内的な動機に関しては,大変強い真理探索指向がある方がやはり検察官を指向されるのではないかと認識しております。そしてまた,強い使命感と正義感,このようなものがないと,経済人モデルを否定してまでこの職に就こうという動機にはならないと思います。ただ,この正義感,使命感というのはとても良いことではありますが,狭い社会の中に位置付けておりますと,時として偏向する危険性があります。ここの懸念については,私はぬぐい去れませんでした。   いずれにいたしましても,この社会人モデル,すなわち強い集団凝集性と自己実現人モデル,強い真理探索指向及び強い使命感,正義感との間は業務のプロセスにおいて,時として相剋するのではないかと考えます。すなわち,自分としては真理を探索し続けたい,強い正義を,例えば白の人を黒と言ってはいけないというような正義感があっても,組織として全体の流れが黒に傾いているときに,大変大きな葛藤が内的に生れるものと拝察されます。すなわち,個人的指向と意図せざる組織的指向の内的葛藤が存在するのではないか。ここの中で苦しみながら意思決定を下していくことが,検察官の方々には求められるのではないかと思います。   そして,こういう強い業務プレッシャーの中で,そもそもとか,本来はとか,もともとというような本質指向性というのはどうしても失われていく傾向があります。まず目の前のプレッシャーに対応することが求められるわけでして,業務においても経済学でいうところのグレシャムの法則は当てはまります。すなわち,ルーチンワークはノンルーチンワークを駆逐いたします。本当は,そもそも我々はどうあるべきかとか,本来我々が追求すべき目標はという議論をすべきではありますが,強いプレッシャーをまずはねのけることを最優先とすると,そもそも論の議論はどこかに消え去るという傾向は,ほかの組織でも見えるものであります。   更に,これは全然違った側面なのですが,評価若しくは処遇とモチベーションの関係,これが一般で言われているものと,実際に人の心の中で起こるものの間で若干の違いがあるということを,今日は是非ご説明したいと思い,このような図を持ってまいりました。横軸に評価,右にいくほど評価が高い。そして上にいくほどやる気が高い。真ん中をゼロ,やる気があるわけでも,ないわけでもないという状態をとります。通常,我々が望むのはこの一番右上に書いた,ちょうど下に凸の円といいますか,円弧のようなものを普通は求めます。すなわちとても評価が低い人はなにくそと奮起し,これがモチベーションの高さになるわけです。平均的な人はまあまあこんなものかなということで,一番モチベーションが下がるのですが,それでもゼロよりは高いところにいて,高い評価をもらうと,もっと高い評価をもらおうと思ってより頑張るという,こういうスマイルカーブというのですが,こういうカーブになってもらいたいものだなと世の中は思うのですが,実際にはそうなりません。だとするならば左から右に右肩上がりになっている,この直線のようなモチベーションカーブになってくれるとまだましです。すなわち,平均点より下だったらばどんどんやる気は下がるけれども,平均点より上だったらどんどん上がるという直線になってくれればまだうれしいのですが,現実にはこうですらありません。多くの場合は,このブルーの曲線,上に凸の曲線のように平均点を上回る評価をもらっても,そんなやる気が上がるわけでもなく,しかし平均点を下回ると急速にやる気が下がる。こういう状況に大体はなってしまいます。特に成績優秀者であればあるほど,この傾向が顕著であります。大体,成績優秀な方というのは,学校の時代に平均点より下なんてとったことがありません。しかし,優秀な人間だけが集まって組織を作ると,やはり半分より下は平均より下になります。生れて初めて平均点以下をとるということで,大ショックになってしまいます。ですので,変な話ですが,差をつければつけるほどモチベーションの総和が下がるというとてもおかしな現象が組織には起こります。だものですから乙6社のように集団凝集性を重んじる会社では差をつけません。差をつけない方がむしろモチベーションの総和が上がるという,とても皮肉な現象が組織では起こります。   今回の場合,一体何が起きたのだろうと想像するに,多分平均点より下がる,若しくは今まで高い評価であったことが下がることに,とても強い恐怖を感じたのではないかと拝察しております。この平均より下がる,普通だったら平均で満足すればいいはずなのに,平均点よりも下になるということの恐怖の余り,常軌を逸脱するような行為が行われたということは,これはよくあることであります。   この下がってしまうことの恐怖というものを下から支えたのが,先ほどから何回も私が口にしております集団凝集性という組織現象ではないかと想像しております。   私は,検察の組織というのはとても強い仲間意識と,とても強い組織としてのまとまりを持っているのではないかと思っております。もちろん,仕組みとしては独立をしております。しかし,心理的にはインターディペンデントとでもいいましょうか,大変強い仲間としての誇りを共有しているのではないかと思っております。この集団凝集性,グループのメンバーが互いに引きつけられる度合い,グループに所属し続けたいと思う度合いというのは,決して悪いことではありません。例えば,スポーツチームのようなものを考えると集団凝集性が高ければ高いほど,やはり力が強まります。また,この凝集性というのは,ある要素があるとより強まるんですね。「決定因」と書きましたが,その1が,まず一緒にいた時間の長さと接触頻度です。長くいればいるほどその組織にとどまりたいという気持ちが強くなります。もちろん,その組織でいじめられたら,ばかにされないというのが前提条件になりますけれども,中にいつづけたいなと思います。   それから2番目,これが結構重要だと思っていますが,参加の困難さです。その集団に属するのが難しい。例えば難しい試験を突破しなくてはならなかったり,選ばれないとなかなか入れないという組織に入ると,入った者同士が強く結び付きます。   昔,ある調査がございまして,東京の大学の卒業生たちに対して,自分が大学で受けてきた授業の内容とか教授の質だとか設備の良さ等をいろいろ聞いた後に,「あなたはこの大学を出たことを誇りに思っていますか。出て良かったと思っていますか。」という調査をしたところ,ある大学の卒業生の方は,授業にも不満だし,ろくに出てないし,教授のことを余り良いとも評価しないし,建物は汚いと言っているのですが,なぜかとても大学が大好きだとおっしゃっている。なぜだろうと考えたときに,この大学は試験が難しいからねという話が出ました。実は,エリート集団というのはとても高い凝集性を持ちます。そして,それがまた彼らの活力源にもなっています。   集団規模も関係します。集団規模はでかければでかいほど凝集性が下がります。これは経験則ですが,一番凝集性が高いのが,多分10名から20名ぐらいの組織ではないかと今は考えております。ですから,ラグビーとかサッカーというのは,ちょうどそのぐらいの集団規模でして,凝集性の高さの一因になると思います。   それから,一般に調べてみると,女性の方が凝集しやすい傾向があるようです。   それから,外部からの脅威がありますと,内側はまとまります。外敵を作ることによって内側がまとまるという効果です。   それから,過去に成功体験の強い組織は強くまとまります。このように条件を挙げていくと,多分思い当たる節がいくつもあるのではないかと思います。   そして,この集団凝集性,これは高いパフォーマンス規範というもの,高い成果を上げようという規範と強い倫理が共有されているうちは大変良いパフォーマンスにつながるのですが,一方で逆効果を生む危険性がとても高い。それが集団浅慮,グループシンクと呼ばれる現象です。集団浅慮というのはどういうことかというと,私たちは絶対に大丈夫だという,絶対堅固の幻想にまずとらわれます。自分たちの組織はどんなことがあっても潰れることはない。そして,自分たちは常に正しい。神は常に我の側にありという感覚。そして,自分たちの決定の過度の正当化。間違うはずがないということです。同時に今度は外部の組織に対して蔑視,軽視を始めます。どうせ他の連中なんて分かっていないんだよというような言い方,若しくは,どうせ他の連中なんかに何か言われたところで自分たちが揺らぐはずはないという考え方です。根拠のない自信です。   内側に向けては,異議に対する暗黙の圧力が働いてまいります。これは「全員一致の幻想」と呼ばれることにもつながります。私たちは全員気持ちを一にしているよね,たった1人でも変なことを考えるやつなんていないよねという幻想です。そして,そのことが批判への自己抑制規範になります。自分でおかしいなと思っても,いやいや反対をするなんてもってのほかというような感覚です。そして,それが最後は認知不協和的情報の遮断,つまり自分たちの意思決定に反するような情報については目を背ける,聞かないというようなことが起こってまいります。   このような症状が起こる背景としては,まずその組織が外部から遮断されているということが多く働きます。そして,強い成果プレッシャーにさらされているということも背景にあります。先ほど申し上げた高い集団凝集性と4番目は支配的リーダーが存在するということが集団浅慮に組織を導く条件として挙げることができます。   その結果として,他の可能性を検討しないとか,そもそも我々の組織目的は何だったか,我々は何を追求すべきだったかという再検討が行われない。自分たちが誤った決定をしたときのリスクについての検討が行われない。初期に持っていた懸念であるとか,初期に持っていた代替案をもう一度再考することがない。情報収集をあえて一生懸命やろうとしない。また,せっかく集まった情報に対しても偏見を持ち,手元資料だけで判断しようとする傾向がある。間違ったときの二の矢,三の矢についての検討をしない。なぜならば間違わないからであります。このようなことがまま見られます。私は今,検察のことを観察して言っているわけではなく,一般論を申し述べております。これは日本の企業においては大変多く見られます。ただ,日本の企業だけではありません。もともとこの集団浅慮について一番研究が進んだのは,アメリカにおいてチャレンジャー号の墜落という事件の後です。もともとは1972年,アーヴィング・ジャニスという教授がこの集団浅慮の概念を発表いたしましたが,余り省みられませんでした。しかし,チャレンジャー号の失敗で,完全にこの集団浅慮において一技術者の持っていた健全な批判精神が圧殺され,7名のチャレンジャー号乗組員が死ぬに至って,これは危険であるということで検討がされるようになったわけであります。   その結果,これについてどうしていったらいいのかということが考えられました。「対策0」と書きましたが,実は,これが一番重要なことであります。まずオープンな風土を形成するということが最も強く求められます。どのようなことでも議論ができるという風土,これはトップ自らが強くこれについてドライブをかけない限り,全くそうはなりません。更に言うのなら組織全体を外部からの遮断から守る,もっと言うのなら集団の孤立を避けるということが必要になってまいります。   内的に言うならば,メンバー1人1人に批判的な目を持つ役割を無理やり割り振るということも必要です。すなわち,議論する最中のディベートですね。今回は,君はこの意思決定に反対の立場をとってください。当然のことながら,この反対の立場をとったメンバーは反対を通したことを評価されることになります。   2番目は,リーダーは自分の意見,予測をできるだけ言わないようにするという原則。いただいた資料によると,かなりのドライブがかかっているプロセスを私は観察することができました。非常に危険なプロセスではないかと思います。   それから,それぞれのメンバーが,個別に,グループの意見について信頼できる外部の人の意見を求められるような構造にするべきである。個人ブレーンを外に持つべきだということも指摘されております。そして,今回のように外部の専門家をグループの議論に時折加える必要性。このようなものが必要になってくるのではないかと思っております。   最後,今後に向けてでありますが,成果を生み出す組織作りにおいて大切なことは三つあると考えられております。これは私の最大のクライアントでもございます乙6社が常に意識をしていることではありますが,個人の育成と動機付け,仕組みの再構築,そして風土への落とし込み,これが重要だと言われております。   まず個人の育成・動機付けに関して,私が今回のケースについて一番強く感じたのは,仕組みとしての独立性は担保されておりますが,心理的な従属性が強いということを考えたときに,いかにして個人のプロフェッショナリティをもっと高めていくかということが,採用段階から強く求められるのではないかと思っております。組織従属性若しくは組織に対する順応性と同時に,個人としてのプロフェッショナリズム指向というものを強く求めていく必要があるのではないかと思っております。   これは高橋委員からきっと何回もご指摘があると思うのですが,プロフェッショナル組織ほど,倫理とか個人の行動規範の刷り込みが重要な組織はございません。繰り返し繰り返し何が正しいことなのか。何をもって職業倫理とすることなのかは,外部の声も取り入れながら強く刷り込む必要があろうかと思っております。   私も個人のコンサルタントとして長年仕事をしておりますが,プロフェッショナルというのは,本当に倫理を失ったら何でもできてしまうと思います。とても危険な仕事だと思っております。それだけに,個の確立ということが非常に強く求められると思っております。また,個の確立を助ける上司のリーダーシップ,育成的なリーダーシップということが強く求められ,上司になる人間には,人材育成に関する基礎的な知識と基礎的なスキルのかん養ということが強く求められるのではないかと思っております。上司の育成という観点であります。そして,上司を通じたプロフェッショナルの育成ということが求められると思います。   2番目の仕組みなのですが,我々,これはコンサルタントの反省でもありますが,ついつい仕組みを作りたがります。そしてまた,仕組みを作ると何となくそれでうまく動くように感じてしまうのですが,これはいつも戒めております。仕組みというのは,飽くまでも個の動機付けをサポートする支援的なツールにすぎません。仕組みは飽くまでも補助的なものであるという認識をまず大枠として議論するべきだと思います。   更に言うなら,今作ろうとしているのはプロフェッショナル組織でありますので,懲罰的若しくは拘束的な仕組みというのは余りふさわしくはありません。我々がよくやってしまうのは,1人の例外的な人物のミスを防ぐために,ほかの大部分の人間のやる気を削いでしまうという仕組みを作ってしまう危険性です。大部分の人間はプロとして強い自覚を持ち,自己育成をしようとされていると思います。そういう方々の気持ちをやはり大切にしなくてはいけないとすると,例外のために余りに懲罰的,拘束的な仕組みを作ることは,全体としてのモラルを落としてしまう危険性をはらむというふうに認識しています。むしろ正しい行動を加点的に評価する。正しい行動に挑戦することを促すような仕組みであり,評価の体制であるべきではないかと思っております。   それから,仕組みとしては常に外部と接触するという仕組み。これは監督されるというより交流するというような意味での外部との接触というふうにお考えいただきたいと思います。   それから最後は,風土への落とし込みですが,ここには,やはり誇りを感じられる組織風土形成を再生するということが必要だと思います。繰り返しますが,仏を作って魂を入れずのようなものになってはしょうがない。中にいる方々の組織における感情,気持ちの問題ということに十二分に配慮した施策をお作りいただきたいと念じております。   まず組織文化を作っていくということを目標に置いて,個人の動機付けと育成を行い,仕組みをそれでサポートするということをお考えいただきたいなと私は思っております。   このぐらいの話は12時間ぐらいかけてするべきだと思っておりますが,30分に凝縮してしまいました。とても不十分で御理解いただけない部分があったかと思いますが,質疑応答を通じてお答えできることをお答えしていきたいと思っております。御清聴ありがとうございました。 ○千葉座長 ありがとうございました。大変限られた時間の中でお話をいただきまして恐縮でございます。質疑応答でまた補っていただければと思いますので,よろしくお願いいたします。     高橋委員,この課題について野田先生にもいろいろとお願いをしていただいたということもございますが,先生の方から何か補足で,ここは聞いておいた方がよろしいということなどありましたら,どうぞお願いいたします。 ○高橋委員 もう既に多少触れてはいただいていますが,今回の問題の一つに,先ほどおっしゃっていたように独任制であることと,一体性を重視することのバランスをどうとるのだという議論が結構ありまして,それが特に特捜部等の場合に,ここで野田先生が言われる組織凝集性の問題が一挙に出てしまったという,絵に描いたような感じではありますが。   例えば,コンサル会社等もそうですね。1人1人がプロフェッショナルとして非常に独立的でなければいけない。医師とかみんなそうです。一方で,組織としての一体性がいい形で現れないといけない。このバランスとか両立をするための最大の重要なポイントというのは,どの辺りかというのは今回の議論の一つのポイントになると思いますが,その辺はいかがでございますか。 ○野田氏 それは先ほど最後の方で申し述べたと思いますが,私は倫理とか行動規範の共有ではないかなと思っております。何をもって正しいとするのか。何がそもそもの組織目標なのかということについては,これは1回議論して終わりになるものでは決してないと思っておりまして,定期的に議論をし続けることではないかと思います。乙6社も,「ウェイ」についての議論というのは本当にしつこくやっています。何回も何回もやっています。特に新入社員等は1週間に一遍ぐらい必ず「ウェイ」のことを言われるというぐらい徹底した刷り込みをします。「ウェイ」というのは,乙6社としての物の考え方ということです。例えば,なぜを5回繰り返すという行動規範もありますが,そういう乙6社らしい身のこなしみたいなことについては,繰り返し繰り返し刷り込みます。そのしつこさが必要なのではないかと思います。 ○嶌委員 僕も,信条とか使命とか倫理とかそういうことは大事だと思いますが,これは時代によって変わるわけです。僕が特に最近思うのは,やはり20世紀的な価値観というものと21世紀的な価値観というものが相当変わってきている。それは言葉で言えば,環境だとか公開性,透明性,人権とかいろいろなことが言われていると思います。そういう外から見た検察の印象という点で,今,倫理とかモラルというものをもっときちんとした方が検察のウェイというものを考えた方がいいとおっしゃられましたが,何が一番足りないと思いますか。 ○野田氏 私は起訴されたこともないのでよく分からないのですが,形式合理性にこだわりすぎているような気がしてしようがありません。本来あるべき姿というのはもっと違ったところにあるのではないかと,いつも思っております。 ○嶌委員 本来あるべき姿というのは。 ○野田氏 私は一番最後にジャック・アタリの価値観のことを入れています。きれいごとと言われるかもしれませんが,私はやはり利他と博愛という時代に移ってきていると思っています。そこのことを前提にしていないという気がしてしようがないのです。 ○嶌委員 そうすると何を前提にしているのか。 ○野田氏 形式合理性です。自分たちの決めたプロセス,自分たちの決めたプロシージャーというものについては非常に忠実ではあるけれども,何のためにという議論がなされていないように見えます。 ○後藤委員 組織の中で個を確立するということは,特に検察でも私は重要だと思います。しかし,そのことと対外的に正しい,あるいは適切な決定ができるように,例えば決裁制度で個人の判断をコントロールすることとは,どうしたら調和ができるのでしょうか。 ○野田氏 すみません,私は専門でないので詳しく答えられないかもしれませんが,私は絶対に正しいなんていうことはありえないと思っております。そこに必要とされるのは結果の正しさではなくて,そこでどういう議論がなされたかということと,それを説明できるかという説明責任の問題ではないかと思っております。ですから,仕組みによって正しさを担保するというよりは,そのプロセスにおいて議論をするということ,そして,その議論の過程を後々説明できるような形にしていくということが,正しさの担保条件になっていくのではないかと私は思っております。 ○石田委員 組織論という,我々には全くなじみのないことで,教えていただきましてどうもありがとうございました。集団浅慮に対する対応策として,集団の孤立を避けるとか,あるいは個の確立をするとか,もう少し具体的に加点的,挑戦的仕組みを常につくる,あるいは常に外部と接触する仕組みをつくるといったようなことをお話しいただきました。具体的な組織のイメージとしては,それはどういう組織イメージというものが考えられるのでしょうか。 ○野田氏 これもすみません,私もよく分かっていない段階になりますが,例えば,今どちらかというと良いことをやったとか,良い発言をしたというのは当たり前になっているのではないかと思うんです,そのプロセスの中で。これは上司の問題にはなりますが,よりそもそも論的な発言をしているとか,より結果に対する疑問を呈したというような発言に対して,ちゃんと加点評価できるというようなことは評価の中で考えられると思っております。   私は,客観的評価というのは,実は世の中には存在しないと思っております。すべからく主観的なものを客観風に見せかけているだけだと思っておりますので,だとするならば鍛え上げられた上司が主観的に正しさを評価するという,プロフェッショナル組織というのは実は大体そういう形になっていますが,そういうやり方を具体的に持っていくべきではないかなと思っています。 ○石田委員 外部と接触する仕組みというのは具体的にどういう仕組みですか。 ○野田氏 裁判の過程全体をつまびらかにしてしまったら逆に危険だし,私は捕まったことがないから分からないですが,しゃべりにくくなってしまうと思うんです。ですので,あとあとトレースできるという一種のトレーサビリティのようなところが必要なのではないかと私は思っております。後は外部の人間が,先ほどもありましたけれども専門家が議論に加わるとか,メンバーの方が外部ブレーンを持てるとか,そんな仕組みだとすると少しけん制過程が入るのではないかと思っております。私も組織論という専門でありますが,全然違った,生物学などの先生の方がかえって面白いことを言ってくれるのではないかと思ったりいたします。 ○宮崎委員 ここで一番難しそうなのは,上司に,どうそういう風土というか文化を刷り込むかというところではないかと思います。閉鎖的な社会で上司に「あなたは生まれ変われ。」と言っても早急には生まれ変われないと思うんです。そういう場合の教育とか,研修とか,何か実際の御経験等でこういうやり方があるのではないか,というのがありましたら。 ○野田氏 私自身の主たる業務がそれになってしまっているぐらい,そのようなことばかり企業の中でやらせていただいております。すなわち企業におけるいわゆるミドルマネージャーたちも今,大きく変わらなくてはならないのですが,おっしゃるとおり日本の企業もとても閉鎖的ですから,その中の人間に今までの考え方を捨てろと言ってもそう簡単には捨てられません。我々がよく使っている手法は,リフレクション・ラウンドテーブルと呼ばれる手法とワークショップと呼ばれる手法であります。分かりやすい方でいくと,ワークショップという手法ですが,数人の大体似たような職責の人たちが集まって,アクション・ラーニングと申しますが,具体的にその組織が解決すべき問題を外部のアドバイスも受けながら,実際に解決するという研修です。これは,解決することが目的なのではなくて,解決のプロセスによって自分たちの考え方を変えていくことが主目的になるという研修です。このアクション・ラーニング的なワークショップというのはかなり効果的だと思います。   ただ,やはりそれは一過性の研修になります。ですので,研修効果を持続させるために,リフレクション・ラウンドテーブルというのですが,大体週に一遍ぐらい,1回の時間は70分から80分ぐらいの短い時間なのですが,その人たちがもう1回集まって,この1週間,自分がマネジメントする上で感じた疑問とか直面した難しい点などを話し合うということをずっと続けさせていくというような研修効果の持続法を使っております。これは実際に多くの企業でやっているやり方です。それで本当に変われたかというと難しいのですが,明らかに研修効果の中で言うならば意識の変わり方はあるようです。ただ,それが成果には結び付くにはなかなか時間がかかるんですが,意識改革の手法としてはそのようなものが使えると思っております。 ○江川委員 今まで漠然と思っていたことなどがすごく整理をされたような気持ちがいたしました。特にさっきから質問も出ていましたが,外部との接点なんですね。個々の事件についてはなかなか難しいところがあると思うのですけれども,例えば,いろいろな問題が起きたときにどういうふうに対応するかとか,そういった監察組織みたいなもの,あるいはいろいろな問題が起きたときに検証するという,そういう形で外部の人間が,あるいは外部の人間が一緒に入った組織があって,その問題に1個1個向き合っていくという,そういようなやり方は外部の遮断から組織を守る上で有効とお考えかどうかというのが1点。   それからもう一つ,いろいろな組織で失敗があると思います。それぞれのセクションあるいは個人での失敗,例えば検察でいうと,間違った人を捕まえてしまったというのは最たるものですが,取調べやいろいろ手続の上での問題点を後から裁判所に指摘されたとか,そういう個々の失敗を組織の中でどういうふうに共有化していくのかというのが,検察の場合はほとんどなされていないような気がしますが,それに当たって何かアドバイスをいただければというふうに思います。この2点です。 ○野田氏 まず外部の監察組織的なものというのは,私はあり得ると思います。ただし位置付けが大変難しいと思っております。すなわち,いわゆる監察的であったり,ネガティブな発想で見るような組織になると,多分それは全く機能しなくなります。それは元組織がその監察からいかに逃げるかという方に気が向いてしまうからです。   昔,乙7社が,各現場のいろいろな問題を解決するときに,最初は強圧的に経理部が入っていたところがありますが,一転いたしまして相談窓口的な機能に変えたんです。これはコストバスターズという名前にしたんですけれども,社内のコンサルタントとして,皆さんが現場で抱えている悩みごととか問題の解決のお手伝いをしますという位置付けの組織にいたしました。ミスを指摘するのではなくて,問題を共に解決する役割だ,そういうふうにしたところ非常に明るくなりましたし,うまく動いたような気がいたします。   繰り返しますが,やはり懲罰的,拘束的な組織というのは,結局のところ,そこからどう逃げるかというところにモチベーションを与えてしまいます。そうではない形の組織構造を作っていかないと危険だと思います。   二つ目の御質問でございましたけれども,問題が実際に発生したときではありますが,これもやはり同じような意味付けだと思いますけれども,犯人探しをしないことが一番大切ではないかと思います。誰がやったかではなくて,何が起きたかというところに完全に焦点を絞った検討会が行われる分にはとても良いというふうに思っております。しかし,とかく犯人探しをしてしまうものですから,どうやって隠そうかとか,どうやってほかの人に責任を持っていこうかというふうに考えてしまって,全然本質的な議論がなされません。例えば元気が良かったときの乙8社ではいろいろな開発をして,失敗してもなかったことにするという風土があったんだそうです。これはある意味ではとても良いことでもあったというふうに思います。もちろん失敗事例ですからなかったことにはできません。しかし「誰が」ではなく,「何が」という形で検討することはとても大切だし,それを逆にはっきりと申し述べた人間が,失敗をしてもちゃんと申し述べて原因を究明したら加点されるぐらいのことがあってもかまわないのではないというふうに私は認識をしております。 ○郷原委員 複雑人モデルという話に関連して,本来の意味探索の欠如というお話がありました。自分たちは何を目指して何のためにやっているのかという本質的な議論を避けるという。私も検察の組織の中に23年いた人間で,言われてみると誠にそのとおりで,ずっと思い起こしてみても,現場では毎日のように部屋でコップ酒を飲みますが,その中で本質的な議論をしたという記憶がほとんどないんです。1回だけ,確か任官して2年目か3年目の任地で私と同期の検事と1期上の検事がいて,その3人の間でかなり本質的な問題について論争したことがあります。検事の権限は客観的に裁判官のように証拠によって,これは起訴できる,できないということを判断するのか,それともこいつは悪いやつだ,こいつは許せないということがまずあって,それに証拠がついてくるかどうかを考えるのかということに関して,私とその同期の検事は後者です。こいつは悪いと思わなければ捜査できるわけがないじゃないか。1期上の検事は非常に大人で,冷めた目で,客観的な観点で考えるべきだという意見でした。3人で話をしたんですけれども,全然かみ合わないんです。考え方がまるっきり違うんです。ですから恐らくそこはかなり本質的な問題で,そういったことを組織の中で現場レベルで,みんながきちんと議論し合って,そこに経験の豊富な上司が加わってしっかり基本的な考え方を確立していくことは重要だと思うんですが,恐らくそういったことを,今日お話しいただいたことに関連してやっていくべきだということではないかと思うんです。 ○野田氏 全くそのとおりだと思います。しかも,そのときの上司の役割が非常に重要だと思っております。上司は答えを出さないことが大切ではないかと思います。今,委員がおっしゃったように,多分事の本質は分からないんだと思うんです。分かるような簡単なことだったら,こんな優秀な方々がこんなにいっぱいいる必要はないわけであります。ですから1人1人の検察官が複数の考え方があるということを常に意識すること。そして,自分が考えていることがもしかしたら間違いかもしれないという危惧を常に持つということが,私は自己けん制過程ということで非常に重要なのではないかと思っております。ですから,そこで上司が「それはこっちだよ。」と言ってしまわないということのための上司育成が,さっきのアクション・ラーニングではございませんけれども,通じて非常に重要で,時間はかかりますが,今,手を付けないと大変危険なのではないかなと思っております。 ○郷原委員 そうしますと,今の倫理規程をどうするかということが一つの論点になっていますが,外からこういう倫理規程を作って,これを守るべきだということにするのではなくて,やはり倫理規程というのは内部でいろいろな議論を経て,その中で基本的にみんなが納得できるようなものとして作っていく。それが外部に認められるというようなプロセスが必要だということでしょうね。 ○野田氏 全くおっしゃるとおりだと思います。先ほど嶌委員からもございましたが,倫理規程そのものも多分時代によって変わってくることがあると思います。それを変えないことの方が危険であります。重要なことは議論を繰り返していくということ,そちらをむしろ仕組み化するべきではないかなと思っております。 ○原田委員 1点だけですが,多角評価というのでしょうか,多面評価というのがあって,集団凝集性という関係でも,僕は素人ですが非常に有益ではないかと思いますが,学校でも双方評価というので学生の方から先生の講義のすごい詳しいデータが出てきます。ただ,検察の風土ということを考えた場合,そういうのがうまくなじむのかどうかという観点で,何かお考えがあれば教えていただけないでしょうか。 ○野田氏 学生の評価はいい加減でございます。分からないやつに,どうして分かっているやつが評価されなければいけないのだと,多分みんな思っていると思います。でも何らかの参考にはなるんですね。私はそれが全てではないと思っております。プロフェッショナル組織におきましては,ピアエバリュエーションと呼ばれるプロフェッショナル同士の評価のし合いというのがとても大切なことではないかと思っております。しかも,それは評価表を書くようなものではなくて,ちゃんと文章でストーリーとして書いていくような評価。よくおみくじでも凶とか吉とか書いてあるのもありますが,書いていないのがありますよね。良いんだか悪いんだかよく分からないような文章がいっぱい書いてある。あっちの方がプロフェッショナル評価としては重要だと思っております。対話に基づいて,お互いがお互いの良いところと良くするべきところを建設的に書き合っていくという,ですから正に風土形成になってしまうのですが,そちらの方が多面評価としては効果的です。むしろこの辺は高橋委員の方がお詳しいと思うので,また後ほど議論していただきたいと思います。 ○龍岡委員 答はある程度お話しされているのですが,上司の問題,上司の教育が大事だということを言われて,これは確かに今回の事件についても一つの課題だと思います。今回の問題を頭に置いた場合に,例えばどういう方法が考えられるか。これは,上司の更にその上の人についても考えられることでもありますが,その辺のことで何か参考になるようなことをお話しいただければと思います。 ○野田氏 今回の場合に,直接的に現場に強い影響を及ぼした方が一体どういう職位の方だったかということについては,資料では拝見いたしまして,私なりに多分この方ではないかと,この方のランクではないかというのはありますが,正に現場に対しての影響力の強い方々をまず対象にすべきではないかと思っております。その方々に対しては,先ほど宮崎委員に対してお答えさせていただいたように,アクション・ラーニングということをベースにしたワークショップ,すなわち自分たちで自分たちの問題を解決するというようなプロセスが一番有効ではないかというふうに認識しております。そこでは,自分の客観視ということが求められてまいりますし,当然,ある答を出すために矛盾を解消していかなくてはならないということを強いてまいります。ですから,御自分たちでアクション・ラーニングをしたら何の意味もないんですが,いわゆる外部の専門家の人間に入ってもらって,ここがおかしいではないか,検討不足ではないかということで詰めていきながら解決するというプロセスを持って,自分たちの考え方を変えていくやり方が一番よろしいのではないかなと思っております。   個別に座講を受けさせてどうなるというものでも多分なくて,何らかの形での思考,作業を通じて意識を変えていくやり方が適合的ではないかと拝察いたします。 ○江川委員 もう1度聞かせてください。先ほど郷原委員から質問があったことにも関連してですけれども,確かに先生がおっしゃったように,自分たちの中からいろいろな問題意識を持って話し合うということが根本的な解決であるというふうに思いますし,今お話を伺っていると,医療に例えると,漢方薬と生活改善で体質を変えるということだと思います。それは本質的なところですごく大事だと思う一方で,今日にでも新たなえん罪が生れているかもしれないんですね。つまり漢方の体質改善と併せて,今すぐ変えなければいけない部分もあるわけです。例えば,倫理等では中から湧き上がってくるのは確かに大事だと思うのですが,検事さんたちにヒアリングしていると,問題意識が社会の期待しているところとものすごくかけ離れているというのを感じるわけです。ですから,倫理規範としては,例えば,この検討会議で社会としてはこういうものを求めているのだということを一つ打ち出す,あるいはさっき懲罰的なものは良くないとおっしゃいましたけれども,やはり人権侵害があると人の命や生活が全く潰れてしまう。これをどういうふうに救済するかという急ぎのときにある種のしっかりとした対応をする部分も必要ではないかと思います。その辺はどうお考えかお聞かせください。 ○野田氏 私は,それほどクリティカルな話をしている環境にいつもはなくて,企業経営のお手伝いをしているものですから,江川委員から見ると少し甘く見えるのかもしれませんが,私は大部分のプロフェッショナルの方というのは,やはりちゃんと仕事をしているのだと思うんです。すなわち3件に1件,えん罪が起こっていたら大変なことになってしまうわけですが,100件に1件とか1000件に1件とか,万件に1件だとするならば,その例外ということで全体を縛ることの非効率ということもまた考えるべきではないかと思います。その1件を切り捨てろとは言いませんけれども,それによって全体の効率性が損なわれるということも私は考えるべきではないかと思います。   もしそういうことが起こった場合には,多分それはプロフェッショナル村の村民では既にないんです,その方は。そういう方はプロフェッショナル組織外として別扱いをするべきではないかと思います。 ○江川委員 実際はそれに似たような事例は実はあちこちに起きているので,例外というふうに言っていいのか,あるいは例外とされたときにはその人の生活や人生全てが駄目になるわけですね。ですから,これはやはり切り捨てられない問題だというふうに思います。 ○野田氏 分かります。先ほど申し上げたように,私がいつも住んでおりますのは人の生き死に関係しない企業経営でございますので,甘いかもしれません。ただ,組織論の観点からすると,一つの例外的なミスを起こさないということに努力することのものすごいコストと,あとはそれを行うことによってちゃんとやっている人たちのディモチベーション効果ということを,いつも我々は考えております。それが今,委員がおっしゃったように例外なのか,とても例外とは言えないぐらいの大事なのか,これについては一種の哲学論争になるのではないかと私は認識しております。   私は,それを無視するつもりは全くございません。ただし,往々にして例外に目を向けすぎるということの問題がこの頃とても多いので,一般企業においては。そこを指摘させていただいたということにとどめさせていただきます。 ○嶌委員 さっきから独任制という思想,組織と検察組織全体の一体化という組織原理もあるが,そこにどうしても上からの締め付けみたいなものが出てくる。すると,なかなか自由な議論ができないという話があった。これは一般の組織でもそういうことがよく言われるわけですけれども,そういうときに,今起きていることは,昔は平社員よりも係長,係長よりも課長,課長よりも部長の方が情報をたくさん持っていた。その情報をたくさん持っていることが下をコントロールする際の非常に大きなパワーになった。そこへ今は,IT化の普及もあって情報のフラット化ということが盛んになってきた。この情報をフラット化することによって,尖閣みたいに情報が流出してしまう問題も出てくるかもしれないけれども,あえて情報をもうちょっと検察内部でフラット化する。それは主任検事だけではなくて,例えば検察事務官にしても,上位者に対しても平等に行う。そこの中でさっきおっしゃったようなアクション・ラーニングですか,というようなことをやるとずいぶん組織は変わるのではないかという気もするのですが,その辺はどうですか。 ○野田氏 それに関しては全く同意であります。どこまで情報を広げるべきかということについては,これは守秘の問題等,いろいろ関係があると思いますのでバランスをとるべきだと思いますが,少なくとも1人だけが握るというのは非常に危険だと思っています。今,マネジメントの分野でもたった1人のリーダーという概念はむしろ退潮しておりまして,これだけ複雑な環境においては,リーダーシップというのもチームで行われるべきである。マネジメントチームという概念の方がむしろ主流になってまいりました。それと全く同じことが言えるのではないかというふうに思っております。1人を頂点とする完全なピラミッド組織というのは,実はとても脆弱なものであるという認識を持った方がよろしいかと思います。 ○高橋委員 先ほどの江川委員のお話との関係で少し補足説明したいのですが,組織の中でたった1回の間違いも絶対にあってはいけない民間企業という分野も実はありまして,典型的に言うとエアラインです。今,エアラインが1件全損事故を万が一起こせば,全損事故というのは要するに機体がバラバラになって2桁3桁の犠牲者が出るということですが,恐らく会社はその一発で完全になくなるんです。消えてなくなります。だから絶対に1回でも起こしてはいけないというタイプの仕事はあります。   それはペーパーにも少し書きましたが,そういう場合の民間企業の対応はどうやっているのかというと,この後でも少し参考になる部分については,この午後以降でもお話ししたいのですが,そのやり方はハインリッヒの法則とか,いろいろな考え方もあるので,それはそれでまたちょっと別途お話を私の方からもさせていただきたいと思います。 ○千葉座長 それでは,野田先生にも大分お時間を延長していただきまして,ありがとうございました。御質問はほかにもあろうかと思いますけれども、この辺りでヒアリングを一応区切らせていただきたいと思います。今日は野田先生,ありがとうございました。 (野田氏退室) 4 その他 ○千葉座長 それでは休憩に入る前に,2点ほど皆さんにお伝えをさせていただきます。   まず,今後のヒアリングについてでございます。今日もヒアリングをさせていただきましたが,これまでに複数の委員の方から,名古屋地検特捜部の捜査を受けられた御経験のある村瀬勝美さんのヒアリングを行うべきであるという御意見がございました。村瀬さんからお話をお伺いすることは,検討事項の一つでございます検察の捜査・公判活動の在り方の議論に関わることでもあり,参考になるのではないかと思われますので,このテーマについて御議論いただく予定の次回会合におきまして,村瀬さんからのヒアリングを実施することといたしまして,その時間を確保したいと思います。そのため,大変恐縮ですが,開始時刻を午後1時として,村瀬さんのヒアリングを実施させていただきたいと思いますので,どうぞ御了解ください。   それから次に,前回の会合におきまして宮崎委員から御提案がありました韓国の視察の件についてでございます。この件につきましては,前回会合の後,事務局を通じて皆さんとの調整をさせていただきましたところ,3月6日から8日までの日程であれば,かなりの皆さんが御予定がついて御参加になれるということでございます。また,先方の受入れもこの日程であれば可能であるということでございますので,この3月6日から8日という日程で韓国視察を行いたいと思います。   なお,具体的な視察先等につきましては,皆さんからの御意見も頂戴しておりますので,更に調整を進めたいと思っております。   以上2点でございますが,いかがでしょうか。 ○郷原委員 村瀬さんを,次回ヒアリングということで,捜査の対象者側のヒアリングはこれでおしまいというふうに考えてよろしいのでしょうか。 ○千葉座長 基本的に日程,それから時間等の関係がございますものですから,これで一応区切らせていただきたいと思います。また,皆さんが様々な形で情報をとっていただいた御報告等はしていただければ幸いだと思っております。 ○郷原委員 一つ気になるのは,東京の特捜部の関係について捜査対象者側の話を聞いていないので,それに代わる方法として例えば乙2事件等で対象者のヒアリングという話もありました。それに代えて,これはもう無罪判決が確定していますし,その辺りをどういう問題が判決で指摘されたかということを事務局にまとめていただくとか。   それから,東京の関係でこれまでいろいろな人が著作等でも取調べの問題を指摘していますので,そういったことを事務局でまとめていただいて,それでヒアリングに代えるということにしたらどうかと思うのですが。 ○千葉座長 いろいろな著作等もございますので,そういうものを御指摘がございますれば,資料として皆様に御紹介をさせていただくということもできようかと思います。   それから,問題点を事務局で整理するというのもいささか,別に偏見を持つわけではないと思いますが,そこはまた事務局の整理という形がいいか,あるいは郷原委員等に問題点を御指摘いただいて,皆さんにも資料として御提供させていただく,こういうこともできようかと思いますので,そこはまた相談をさせていただければと思います。   それでは,以上2点につきまして御了解をいただきまして進めてまいりたいと思います。   ここでお昼の休憩に入りたいと思います。午後1時30分に再開をするということで休憩に入らせていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 (休憩) ○千葉座長 議事を再開させていただきます。まず事務局から配布資料の説明をお願いいたします。 ○事務局(黒川) 配布資料の確認をさせていただきます。本日,皆様のお手元にお配りしております資料のうち,事務局で用意させていただいた資料は本日の議事次第のみでございます。そのほかに,皆様のお手元には石田委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,佐藤委員,高橋委員,宮崎委員がそれぞれ御用意された書面をお配りしております。本日の配布資料は以上でございます。 ○千葉座長 それでは,午後の予定等についてあらかじめ御説明をさせていただきます。本日は委員の皆様には朝からお集まりをいただいておりますので,議論の時間も長時間にわたります。そういう意味では,本日の会合は,遅くとも定刻には終了したいと思います。どうぞ御協力をお願いしたいと思います。   まず午後3時過ぎぐらいまでは,議事次第2の「検察の組織とチェック体制」について御議論いただき,その後,若干の休憩を挟みまして,議事次第3の「検察官の人事・教育・倫理」について御議論いただければと思っております。個別の検討事項についての議論におきましては,今回も委員の皆様から順次御発言いただく形で進めさせていただきたいと思います。なお,前回の会合で複数の委員からお話がありましたが,限られた時間内でできる限り活発な議論ができますよう,御発言は原則としてお一人5分以内におまとめをいただき,そして,まずは御希望される方皆さんに1回ずつ御発言をいただくという形で進めてまいりたいと思います。その後,また時間がございますれば2巡目ということもあろうかと思います。   それから,委員の御専門の御知見を伺うことも必要かと思っておりますので,私から詳しい御発言をお願いするという場合もございますが,これも御了解をいただきたいと思います。今後,議論の内容を詰めていくという作業にもなっていきますので,是非円滑な議事進行に御協力をお願いさせていただきたいと思います。 2 「検察(特捜部)の組織とチェック体制」についての議論 ○千葉座長 それでは議事次第2の「検察の組織とチェック体制」についての議論に入らせていただきたいと思います。今日は嶌委員がお時間の関係がおありと伺っております。もし,この検察の組織とチェック体制という点で嶌委員から御発言がございますれば,冒頭でお願いいたしたいと思います。 ○嶌委員 この組織とチェック体制と言われても,僕は具体的なイメージがあるわけではないのですが,僕がずっと聞いていて思うのは,検察は新聞社の組織と似ているところがあるなということです。新聞社というのは,ある種独任制なところがあります。若いうちはキャップの下にいたり,サブキャップの下にいたりして,そこでいろいろ我々は訓練を受けていく。しかし,10年目ぐらいになると,1人クラブを持たされて,1人でその業界なり,その経営の問題点を,それこそ1週間か10日ぐらいのうちに歴史から何から全部調べ上げておいて,何か事件が起きれば1人で全部書いていく。そういう意味で言うと,独任制というか,そういう組織なのかなと思います。そして,同時に,その書いたことは広く社会に知られるわけですから,非常に影響力も大きいわけです。そこで間違ったことを書いたりすると,とんでもないことになって,その書いた対象だけでなくて会社全体も信用を失うということもあるわけです。そういうような状況にありますから,新聞社というのは個人個人の記者をどうやって育成していくかとか,そういうことについては非常に厳しく訓練もされるし,チェックもされるわけです。   普通だと,1人の記者が書いた原稿は大体信用して載せるわけですけれども,大きい事件になると,まず原稿が通る過程には記者を統括するデスクが2人か3人いて,彼らが今まで経験していますから,これをパッと見てこれはおかしいのではないかとか,この大事件にあいつの能力で大丈夫なのかなとか,本当に間違いないのかなとか,そういうことをチェックするわけです。そして,何か危ないなと思ったら,デスクがまた彼のところに行って,この点とこの点とこの点はどうなんだ,そこは裏付けを取ったのかとか,チェック項目を聞くわけです。同時に,それだけではまだ危ういなと思えば,その前の年とか,あるいはかつてその業界とかに相当詳しい人脈を持っている連中にも電話して,今,○○君からこういう原稿が上がってきたけれども,かなり大きそうな記事なので裏を取ってくれよということを組織を挙げてやる。そういうようなことが日常的に行われているわけです。   僕は経済部でしたから,経済の記事を書くと,今度は,その上に編集局会議があって,どの記事をどういう面に載せるかということを毎日,朝晩,そこで議論をして,そして1日の新聞が出来上がっていくわけです。1面にその経済の記事を載せるか,あるいは経済面に載せるかということは社会部とか政治部とかのデスクたちが議論するわけですが,これは社会的な意味がある。決して経済だけの記事ではないというときには1面の方に持っていこう。そこでまたもう一つ大きなチェックがあって,同時に1面に持っていけというようなときには,当然ながら各社,各部から本当に1面に持っていくような価値があるのかとか,あるいは本当にその記事に間違いがないのか,1面で間違ったら大変なことになるぞ,そういうチェック体制が利いているわけです。   もっと大きい事件になると社会部,政治部,経済部が,僕もロッキードなどの事件のときには経済部から記者として入りました。社会部が中心ですけれども,社会部,政治部,経済部がそれぞれネタを持ち寄って1日討論をする。情報を共有して,そしてまた明日はこういうことを焦点にやっていこうという形で,また散っていって,また情報を集める。そういうふうにしながら,お互いにチェックと材料収集を突き合わせをやっているという感じですよね。そして,同時に大きい事件になると,部長とかデスクとか,場合によっては編集局長等も議論に加わりながらチェック体制をとるというようなことを新聞社の日常の活動ではやっているわけです。その中で一番大事なのは,個人個人の取材能力というものをどれだけ強めるかということです。それから記事を書くときには,もちろんシナリオという話がありましたが,僕らもシナリオをいっぱい立てます。シナリオを立てないと本質が分からないんですね。シナリオを立てるけれども,そのシナリオについて聞いてみて,違った答えが出てくれば,「ああそうか,シナリオを間違えていたな。」と言って,そこでもう一遍シナリオ・構想を書き直すという,そういう繰り返しをやりながら一つのシナリオ・筋を固めていく。100パーセント分かって書くということはほとんどないんですね。発表のときは100パーセント分かりますけれども,普通の記事の場合は,僕らだと80%から90%ぐらい分かればここで書こう,特ダネとして書こうというような決断をどこかで下さなければいけないわけです。そういう決断を下すときに,一人クラブのときにはその個人が責任を持つわけですけれども,デスクだとかにチェックされる。それから,この記者だけでは危ないなといったときには周りの記者たちにも補強取材をしてもらうというような形で固めていくというのが我々のやり方なんです。   そういう意味でいうと,先ほどから組織の在り方だとか倫理だとか,いろいろなことが出ていましたけれども,聞いていて新聞社の組織の在り方とよく似ているなという感じを受けました。   そういう中でやっているのは,例えば大きい事件の場合は情報をかなりフラット化して,みんなが共有をする。そして共有したところでその専任の,ここで言えば主任検事以外の人たちも情報をお互いに持ち寄って,それらの人たちが過去の経験だとか,あるいはその業界を担当したことがあるだとか,いろいろなことをお互いに寄せ合うことによってチェックをし合って,そして間違いのない記事に仕立てていくというような組み合わせや見直しを何度も何度もやるようにしながら新聞記事は出来上がっていく。そこで間違いはまずほとんどないようにはしていますけれども,たまに間違えることももちろんあるわけです。そういったときには,どこをどういうふうに間違えたのかとか,そういう訂正もやりますし,最近で言えば,社外の人に1か月に1回ぐらい集まってもらって,各記事を読んで,どういう記事が問題だったのかとか,こういう視点はどうだったのかとか,視点や内容チェックもやっている。社外の人たちを入れるようになったのは多分もう10年以上前だと思いますけれども,かつてはそういうことはありませんでした。   それからもう一つ,私の所属していた社の場合でいいますと,私の所属していた社は78年頃に経営危機があって,一時的に潰れたというか,新会社にして継続はしているわけですけれども,立ち直ったわけです。そのときに大きな問題になったのは,会社の再建とは何なのかという議論が社内的に大議論になりました。それは編集の各部を始め,工場の人だとか,あるいは新聞記者ではない,広告だとか販売だとかそういうところも全部含めて会社の再建とは何なのか,その理念をきちんと語ろうということで,相当の職場会議をやって,そして更にそれを全体会議に持っていくということを組合と会社を中心にしながらやりました。   その結果,いろいろ出てきたことは,会社の再建というのは決して黒字にすることだけが再建だというわけではない。黒字にするだけだったら赤字会社を切ってもいいし,あるいは合理化をして人員をカットしてもいい。黒字にすることだけだったらそんなに難しいことではない。本当に再建するということは,単に黒字にすることだけではなくて,どういう理念の会社として新しく再出発するのかということをきちんと我々が共有しない限り,本当の再建にはならないだろうというようなことになりました。結局,新たな編集綱領というものを作ろうということになって,編集綱領委員会を社内に作って編集綱領を作りました。そんな大した長いものではありませんけれども,今,多分,会社の手帳には,それは書いてあると思います。大きく言うと,開かれた会社にしよう。1978か79年年頃ですから,当時からすると,開かれた新聞社というのはなかなか斬新なスローガンだったという感じもし,ある種の誇りすら感じました。そういうような形でやっていたという経験がございます。   そんな経験から考えますと,もうちょっと組織をオープンにするというか,検察内部もオープンに運営するというか,そういうところからチェック体制をどのようにしたらいいかとか,それから独任制ということもあるけれども,同時に組織の一体化ということも,決して自分の経験から言うとできない話ではないなという感じは持っています。 ○千葉座長 ありがとうございました。それでは,このテーマにつきましては,高橋委員が御専門とされていらっしゃいます。そのお立場の御発言をいただければ,またこの議論の大変大きな参考になるのではないかと思いますので,高橋委員に冒頭お願いをし,少し時間をお使いいただいても結構でございますので,お話しいただければと思います。よろしくお願いいたします。 (嶌委員退室) (黒岩大臣政務官入室) ○高橋委員 なるべく手短にお話をさせていただきます。分厚いものなので,もう読んでいただいたか,あるいは次回までにじっくりお読みいただけると大変ありがたいなとは思いますが,ポイントだけ,特にけん制機能的な部分のお話を前段でまず申し上げます。一つは,私のペーパーの6ページ辺りにもありますが,若狭さんも,同じような状況で同じようなことが起きたら,また同じ過ちをする可能性を必ずしも排除できないということをおっしゃっています。そういう問題からも,いわゆる最高検の検証報告書を読んでも,どうもこれは結果的に言いますと,証拠改ざんは結果として起こった一つの不正ですが,その前の部分の方が大きい。村木さん御自身もおっしゃっていましたが,そういうことをする人は中にはいるだろう。それはそんなに驚かなかったということをおっしゃっていましたよね。あれだけたくさんの人が関わっておられて,かつ,証拠改ざんの事実が分かっても起訴が止まらなかった。こちらの方がずっと怖いということをおっしゃっていました。   ハインリッヒの法則というものを7ページのところに書きましたが,正にこれであります。航空機事故の話もそうですが,結局1つ1つはそれほど大きな悪意を当然持っていないし,やっているとすれば,単に能力が不足しているとか,若干の認識不足があって,大きな不正をしているわけでもないし,そんな大きな事故ではないというようなもの,いわゆるヒヤリハットと呼ばれるものです。これが300件ぐらいあって,でもそれが放置されたままだと,特に取調べは要するに密室ですから,それだけでは大きな問題にはならないのですが,それが29の軽微な事故を起こし,最後には1件の致命的な事故に至るというのが,航空機事故もみんなそうですけれども,そういう問題です。1件の航空機事故をなくすためには300件のヒヤリハットを徹底的に1個1個潰すしかない。ここは悪意をもって意図的にすごく悪いことをするという話とは全く無縁の世界なんです。ですから,そこは単純に倫理規程と言っても処罰的な形で,これは絶対にやってはいけないよ,やったらもう処罰するよというだけでは,そこまで悪いことをしているつもりは全然ないという人たちの細かい300件の積み重ねというものが背景にあると考えれば,むしろ積極的にあるべき行動をとらないということがいけないのだという発想に変えていく意味では,行動規範的なもの,「○○をしてはならない」ということよりも,「○○を積極的に推進しなければいけない」という部分も同時に非常に大切にされるべきではないかなというのが一つのポイントになるかなと思います。   エアラインの場合の話は,ここに私は先日ヒアリングをしてまいりましたので書きましたが,機長のクオリティのチェックは何重にもかけていろいろな形でやられています。同じようなものを,手短に言いますと,私は検察でも一つの仕組みだけに頼るのは非常に危険だと思います。これは一般的に民間企業でもそうですが,間違いを冒さないようにするために性悪説で全て最初から頭からやると何もできなくなるという問題があります。しかし,性善説でやっているとヒヤリハットが起きてくる。それを気付かないでいると,それがだんだん日常的になって,最後には致命的な事故になるので,原則,性善説のように組織をマネジメントしながら,裏ではきっちりと1件1件調べているという状況を両立させることがとても重要なのではないかと思います。   そこで,私の提案に入りたいのですが,17ページの「具体的提言」というところで,「新たな仕事品質検証機能」ということで書きました。極めて具体的な部分は,この段階では例でございますので,もっと調べてみたらもうちょっと別のやり方の方がいいということが十分あり得るので,ただイメージを持っていただくために例で書きましたが,まずは個別案件の審査です。従来であれば上級幹部まで上がっていたような重要案件については,特に必要に応じて監査チームを設ける。分野別専門委員会というのは,後段の人材育成の話のところで御説明しますが,検察が大事だと考える10なら10の専門分野についての委員会のようなものを常に組織の中で持っておいて,そこの専門分野の知見のある人は必ずその知見が必要な案件には入ってください。その専門性がないと判断できませんから。そういう人も入った上で,内部の人間によって監査チームを作って案件指導監査,ただ監査するだけではなくて足りないところを指導するという積極的な側面も含めてやる。このチームはそのときごとに集まるわけですが,そのチームの活動を支援し,チームメンバーを指名するのは指導監査部として,これを最高検に置くというふうに,組織の中でもかなり独立性を高くして置くべきだと思います。   もう一つ重要なことは,これは例えば起訴のとき以前にやるとか,ポイント,ポイントでやるわけですが,もう一つはこれを積み重ねていった中で定期的に指導監査部に外部監査アドバイザーというものを置きまして,個別の案件の起訴をするかどうかということについての監査に外部の人間は入らないと思いますが,何件かやって半年やったら,その監査の案件が幾つもたまりますから,その監査の案件について特に済んでしまったことだったら全然問題ないと思うので,外部アドバイザーを入れてちゃんとした監査が行われていたのかという監査プロセスとか,その後の指導の仕方の報告をして,外部アドバイザーからそれでは違うのではないかというような外部とのディスカッションを,全体のプロセスに対して総括的に,例えば年に2回とか時間をかけてじっくり行っていくというところに外部の人間を入れたらどうだろうかということです。これがいわゆる縦からのチェックではなく,横からのチェックを機動的に案件ごとに徹底して行うというところです。   これは案件ごとのチェックですが,もう一つが個人の職務遂行能力の問題です。もちろん,意図的に悪いことをするというのはチェックしなければいけないのですが,今回も逆に言いますと,それはたった1件のことであって,あとは意図的に悪いことをしようと思った形跡はほとんどないわけです。にもかかわらず問題が起きたということは,むしろ本人の職務遂行能力や職務遂行スタイルの問題だと思います。そうだとすると,そういう一人ひとりの独任官がちゃんとした能力を持って,ちゃんと仕事をしているのかということを,正に機長の監査フライトというのは年に1回シミュレーターでもやるし実際のフライトでもやります。それのイメージです。副部長ぐらいになるまでの,少なくとも管理職になるまでの間は,これを例えば定期的に行うべきではないか。この監査検察官という資格を持った人がいて,この人が監査を行う。その人の仕事ぶりを,特定案件ではなくて仕事ぶりを例えば数日間にわたって徹底的に後ろから見る,あるいは決裁の場を見る,あるいは取調べであればビデオに撮っておいて後から見るとか,そういう形でこの人の仕事がやり方が的確,適正であるかを見て,例えば要改善であればちゃんと指導をするプログラムにする。よほどひどければ,機長の場合でも大体1,000人いて1人ぐらい,0.1%ぐらい,いったんフライトから外すという判断をされるような人は出るとは言っていました。それは0.1%の話です。そこまで極端な例でなくても,これはちょっと要指導だなと思うような人の場合には,要指導のプログラムを作って,必ずこれを展開していただきたい。   それから今のは個別の案件と個別の人ですが,3番目のチェックとして更に重ねていったらどうか考えているのが組織のチェックです。組織品質も似た機能と18ページに書きまして,これが今やっている組織調査,アンケート調査のようなものです。倫理規程や行動規範が決まった後には,そういうことをやっているかという項目を全部入れて,こういう調査を毎年必ず全組織でやる。そして,例えば検事正単位ぐらいがいいのかどうか,地検単位なのかどうか,そこに集まってきたデータで検察全体の平均値に比べて,うちの組織でどこが強い,どこが弱いというのを判断してもらう。絶対値としてもこれは高すぎる低すぎるという判断があると思います。実際,さっきアクションラーニングという言葉が野田先生からありましたが,正にこれのようなもので,今の自分の組織の中で,組織クオリティ的に,例えば風土,普段のスタイルという意味で,これは要改善だなというものを幾つか挙げて,自分でそれをどう改善するかのアクションプランを立てて,リーダーシップを発揮して,例えば検事正クラスが組織改革をする。徹底してその組織の風土改革をするのだということをやって,翌年もう1回調査をして,その数値がちゃんと改善されているかどうかを必ずチェックしていくという組織全体の品質のようなものを定期的にチェックし,それを年間サイクルとしてアクションプランと行動,そしてまた結果をもう1回見るというようなサイクルに完全にビルトインしていくという考え方ですね。行動規範や倫理規程が非常に厳しくきっちりと組織の中で共有されている組織のよくある手の一つです。   外資の場合でとても有名なのが乙9社の行動規範があります。あそこは1年に一遍必ずこの組織調査をやって,その組織調査の結果,それぞれの組織のどこに要改善点があるかを各部門長が自分で考えてアクションプランに落として行動に移す。3か月後に本当に行動に移しているかどうかチェックが入る。そうして更に途中で年に1回全社員にちゃんと行動規範どおりやっているんですかということについての問題意識をぶつけ合う,いわゆるワークショップのようなものを20人から30人単位で,全社員,毎年必ず丸々1日受けなければいけないということですね。更にそれが終わったあとに,もう1年後に本当に組織品質が上がっているかどうか,また同じ調査をする。これを10年も20年も延々と続けるということですね。これでもう完全に組織のマネジメントのメカニズムに常に組織品質をフォローし続けるという仕組みを入れ込んでしまうということですよね。   この3段階のチェック体制ですね。個別案件の場合はどうしても重要案件ばかりになりますから,それ以外の部分で言えば個人の能力,検察能力。それから3番目に、これはリーダーの部分にすごく関わりますが,組織品質のチェック。この3段階ぐらいでじっくりとやっていくということで,事故ゼロみたいな形ですね。撲滅を目指すような部分になるのかなと思います。   1個だけ,最後に行動規範的な部分で倫理規程と行動規範で,私は具体的にどんな項目を入れるべきか,今回そこは提案はまだ入れていないのですが,一つだけ申し上げたいのは,さっきの野田さん,秋山さんの話にもありましたが,正に本来論として何をすべきなのか。郷原委員からもそういう根本的なディスカッションは1回しかしたことがないというお話がありましたが,その部分をちゃんと問うような項目は是非入れていただきたいなと。本当は社会の問題を解決することですよねと。一番より高次の究極的な目的を意識して仕事をちゃんとしているんですか,皆さん,そういう議論をしていますか,究極的な目的から考えた議論を普段からしていますかみたいな話を是非行動規範か倫理規程か分かりませんが,そういうのは入れていただきたいなという感じがいたします。   取りあえずチェック機能の部分は以上でございまして,人材育成の部分等については後半の方でまたお話ししたいと思います。 ○千葉座長 まず高橋委員から問題提起を兼ねての御提起をいただきました。それではそれぞれ皆さんの御意見も御提起をいただきたいと思いますので,お手を挙げていただければと思いますが,いかがでございましょうか。 ○佐藤委員 私は具体的な提案をいたしたいと思います。配布していただいたペーパーが1枚ございますので,それを御覧いただければと思います。   四つの項目に分けました。一つは特捜部組織の存置とその条件。特捜部は,過去10年の実績を見ても,独自捜査によって,国会議員に係る受託収賄・あっせん収賄・政治資金規正法違反事件のほか,企業経営者に係る粉飾決算・証券取引法違反事件等水面下に潜む複雑で困難な事件を検挙してきました。   この種の事件捜査は,端緒把握のための活動を恒常的に展開し,事案を解明するための内偵捜査を長期にわたって実行する必要があるとともに,押収資料の分析,一斉取調べ等検挙活動に当たって多数の捜査員を要します。   このため,専門的な知識・技術を有する検察官及び検察事務官の専従体制を安定的に確保しておくことが不可欠であり,自今も従前同様の検挙実績を期待するのであれば,特捜部組織を存置すべきであります。   ただし,今次の強引な捜査とそれに伴って生じた不始末の処理姿勢に鑑みると,次の条件を満たさなければ,特捜部を存置すべきでないと考えます。   この度の事件捜査では,特捜部がストーリーを描き,それに沿って関係被疑者の供述調書が多数作成され,これらと矛盾する供述をする被疑者に対して,関係被疑者と同趣旨の供述を迫り,他方,供述証拠と客観証拠との周密な検討を怠りました。すなわち,特捜部の独自捜査は,事実に基づく真相の究明ではなく,自らが描いたストーリーの頂点に立つ「ターゲット」の逮捕・起訴・有罪の獲得に地道を挙げたものと認め得るのであります。   これほど極端ではないにしても,大阪地検に限らず他の地検特捜部においても,このような捜査傾向は少なからず過去にも見られたと指摘されているところでありますが,その最大の原因は,捜査をする特捜部の主任検事ないし特捜部組織が捜査権と公訴権を一元保有しているところにあると言わざるを得ません。   この点に関して最高検報告書は,「特捜部が担当する独自捜査事件のうち,被疑者を逮捕したもの又は検事正が必要と認めるものについて,起訴又は不起訴の処分を行う場合には,あらかじめ検事長の指揮を受けなければならないこと。」として,捜査権と公訴権の一元保有に問題があることを前提に,そこから生じる問題を縮減する策を示しています。   しかし,高検の指揮を実効あるものにするために新たに配置するとする高検の特別捜査係検事の立場は微妙なものとなりかねず,また,高検と特捜部の意見を真っ向対立することがあり得ることを考慮すると,報告書が示した策は相当の改善を図ろうとするものと評価するものではあるが,如何せん中途半端であり,責任の所在も不明確で,捜査権と公訴権の一元保有問題の根は依然として残るのであります。   したがって,特捜部組織を存置するに当たっては,特捜部が捜査する独自捜査事件のうち検事総長が指定するものについては,特捜部・地検ではなく高検が公訴権を行使することとし,捜査権と公訴権を明確に分離することとすべきであります。   もっとも,この場合,地方裁判所に対応するのは地方検察庁とされているので,公訴提起権を行使する高検の検事については事務取扱に係る所要の措置が必要となりましょうし,特捜部の捜査中,どのタイミングで公訴官たる高検の検察官が関与するかなど解決すべき運用上の課題が生じましょう。しかし,特捜部対象事件と同種の警察送致事件について公訴官たる検察官として自ら対処してきた経験を多々有していることでもあり,運用上の課題の解決はさほど難しくないと考えます。   なお,公訴提起権の行使主体を高検以外の機関とすることもあり得なくはないが,その場合には,捜査権と公訴権を分離する趣旨が確実に実現されるものでなければならないと考えます。   また,特捜部を存置するとしても,特捜部が置かれている3地検における特捜部対象事件数の推移,適性を有する検事の養成,適任者の確保,裁判員裁判によって生じている検察官及び検察事務官に係る負担増等を考慮すれば,更なる組織の再編合理化が図られてしかるべき状況にあると考えます。以上の観点に立てば,この際,名古屋地検特捜部については,これを割愛して東京地検及び大阪地検の特捜部に集約することを検討すべきではないでしょうか。   さらに,特別捜査部という名称は,昭和24年,隠退蔵事件捜査部を特別捜査部と改称したことに始まる由であり,検察庁の内外に定着した伝統の名と理解するものであります。また,刑事部・交通部・公安部が公判部に対して捜査部と総称されてきたことから,それらと区別するというほどの意味で「特別」を冠した捜査部として違和感なく今日まで来たものであると推察します。   ところが,独自捜査は公訴官として行う捜査と異なって組織捜査であることが通例であり,多数の検事・副検事・検察事務官との共同作業であるのにかかわらず,特定の検事の功績であるかのように喧伝されることも起因してか,次第に「特別」な捜査部に所属しているという意識が生まれ,他の所属の検事より優位な地位にあるとの錯覚が生じているのではないでしょうか。そして,この意識が,ひいては捜査対象者に対して優越的に対することにつながっているのではないかとの危惧を抱くのであります。困難な独自捜査の遂行には適度のヒロイズムが支えとなることは否めませんが,傲慢につながりかねないヒロイズムが生じないようにする配慮が必要なことは当然であります。   以上の観点と,刑事部・交通部・公安部が行う捜査は公訴官としての補充捜査に止まるのに対して,高検が公訴権を行使することに伴い,特捜部は専ら独自捜査を行う唯一の組織となるのでありますから,「特別」捜査部という組織名称である必要はなく,単に「捜査部」という名称で十分と思えるので,そのように名称変更することを提案します。 ○江川委員 今の佐藤委員の発言に続く形で,まず特捜部の問題について意見を述べたいと思います。私はこの際,特捜部というのは全廃した方がいいと思っております。先ほど捜査部に変えたらというふうな意見がありましたけれども,であれば刑事部の方で捜査を行ったりすることもあるわけですから,あるいはそれはできるわけですから,刑事部に全部役割は移すと。必要な人員は刑事部の方に入れて,それでやるということにしたらどうかと思います。前に申し上げましたけれども,特捜部長さんが新しくいらっしゃるとインタビュー等に応じて,「特捜部らしい事件をやりたい」,こういうふうにおっしゃいます。特捜部があるから特捜部らしい事件をやらなければいけないと思うわけです。それは名前を変えても「捜査部らしい事件をやりたい」と言えば同じことでありますので,やはり刑事部というところに全部集約をしていく。その中で例えば直告班とか経済班とか,そういうのが必要に応じてこれから作っていけばいいのではないかと思います。   それからもう一つ,先ほど高橋委員の方からいろいろ御提案がありましたけれども,私の方で考えたチェック体制ということについて提案を申し上げたいと思います。先ほど午前中のヒアリングでもこの体質改善のための漢方と,それから緊急手術あるいはすぐに痛みや熱を下げなければいけないという緊急対処の両方があるのではないかと申し上げました。体質改善の方は私はどちらかというと倫理・教育その他のところの方がすごく効果的なのかなと思いました。一方,緊急に対応しなければいけないいろいろな問題がある。例えば村木さんの事件で言うと,取調べに問題があると弁護士さんが苦情を言う。だけども,それに対応するのが特捜部の副部長なんですね。佐賀さんが対応して,「どうなんだ。」と聞いて,「いや,問題ありません。」,「ああそうか。」で終わっている。あるいはクレームを出してくれたそうだなということで弁護人の解任届を出させるとか,そういうようなことにもなってしまっています。こういう問題にどういうふうに対応するか。同じセクションの中でやるのではなくて,やはりそういった倫理,あるいは佐藤委員が前回だったと思いますが,クレームに対する対応セクションを作らなければいけないとおっしゃいましたが,それを併せたような緊急対応ができる担当者を内部でちゃんと決めておく。例えば,高検の担当者を決めておくとか,そういう形でやっておく必要があるだろう。第1段階として。   そして,第2段階として,先ほど外部の目が大事だという話もありましたけれども,外部の人間を複数入れたを設置をして,そこで例えば,検察内部担当者がちゃんと適切に対応しなかった場合に,例えば弁護士さんがそちらに持ち込む。あるいは定期的に内部の監察システムがちゃんと働いているかどうかを監察するという,そういう外部の人を活用した委員会を作る。そして,それに一定の調査権限を持たせる。例えば担当した検事を呼んできて,「あなた,どうなんですか。」ということもちゃんと聞けるようにして,問題があるというふうに判断したら,例えば法務大臣に提言をするとか意見書を送るとか,そういうことも含めて一定の権限というか,力を持たないと結局意味がないと思いますので,そういうような二重構造の中で,まず内部で迅速に対応する,そして外の人間を入れてしっかりと対応するというシステムを作ってはどうかなと思いました。   それからちょっと補足ですが,先ほど嶌委員から新聞社に似ているという話がありました。私も新聞社にいましたし,ジャーナリズムの中におりますので,そういう面もあるのかなと思いました。そして,間違いが指摘されてもなかなか訂正しないとか,いろいろ問題が起きて1回反省しても,すぐ同じ間違いを繰り返すというところも似ているなということも思いました。なのでモデルにするのがいいというふうには思わないです。ただ,それでも,さっき嶌委員がおっしゃったように,外部の目を一応入れるというのが,今,出来つつあるわけです。それだけではなくて,ネットメディアの発達によってマスメディアそのものの取材の過程がもっと明らかにされないと信用されなくなってくるというところもあって,メディアそのものが可視化されるという時代になってきたのだと思います。読者・視聴者に信用されるためには,そういうプロセスがちゃんと明らかにする。誰が書いたかと,この発言した人は本当は全部は何を言ったかをいつでも検証できるというのがあって初めて信頼されるというような社会の雰囲気というか傾向というのが参考にしていただけるのではないかと思いました。 ○郷原委員 私はお手元にもこの「捜査・処分のチェック体制に関する問題」という紙をお配りしています。高橋委員が先ほどおっしゃたことに関連した発言をさせていただきたいと思います。高橋委員のペーパーを読ませていただいて,まず問題の指摘,この検察の組織の特殊性等,ほとんどここに書いてあるところは非常に適切な指摘だと考えております。ただ再発防止という,対策という面で考えたとき品質をどう管理していくのかというのを個人レベルと組織のレベルの両面からというお話だったのですが,私は自分自身もある程度の期間,検察の現場で仕事をした人間の経験から言わせていただくと客観的な品質評価になじむかというと,かなりファジーな部分があります,この検察の仕事というのは。例えば決裁官の仕事というのは,部下にはできるやつもいれば,はっきり言ってだめな部下もいます。だめな部下には難しい事件を与えたらとんでもないことになりますから,そこそこの事件を与えてやってもらう。そういったことの中で,確かに仕事の品質は差は出てきます。でもやはり,その中でトータルでどうやって間違いを犯さないのかということを組織全体でやっていく。これは独立制のシステムと独立制と一体制のドグマの調和みたいなものなんだと思うんです。それは一般的な刑事事件,伝統的な刑事事件であれば大体従来的な経験の範囲内で判断できるのでそれで済むのだろうと思うんです。品質管理ということをそんなに客観的に行わなくても。ただ,問題はそれでは済まない社会の変化に伴って検察が新たな分野の事件をやらなければいけなくなっている部分。それから1から10まで全部自前でやる検察独自捜査,こういったところが一番品質が求められる部分だと思います。そういう面で考えますと,私はこの主任検察官の捜査処分を上司,上級庁が決裁によってチェックしていくというシステム,これは要するに単線的な経験知に基づく,経験知を活用してやっていくチェックシステムですが,それこそが正に伝統的な犯罪に適したシステムで,やはり,今申し上げたような新たなタイプの品質管理が必要な部分については,もっともっと幅広い経験知の活用が必要になっているのではないかと思います。   そういう意味では今までの検察のチェックシステムというのは,一つは経験知の活用が単線的だということ。組織的に経験知が活用できていない。ですから一方で,その単線的な経験知の活用が非常に属人的で,その単線的なラインの中でも非常に力を持った人が主任検事をやっているとほとんどその主任検事の言うことが通る。上級庁とか上司の中に特別にまた力を持った人がいると,その人物中心の判断ということになっていく。そういうようなやり方を組織としての経験知を活用する方向に持っていく必要があるのではないかと思います。   一つだけ今回の大阪の事件に関連して,この事件が経験知として生かされていたら今回のような問題は起きないのではないかと思う私自身の経験が一つあります。あの大阪の事件からいうと10年ほど前に,私はある地検で経験した事件です。同じく検察の独自捜査で,その県の政界の大物を言ってみればターゲットにする捜査をやっていて,その中で社会福祉法人の障害者向けの施設の建築に関して補助金を受けていますが,その補助金の単価がごまかされているという疑いが出てきました。その補助金の申請に使われていたのが証明書です。本来単価が鉄筋単価,ブロック単価,木造単価というのがありますが,その補助金は鉄筋でもブロックでも木造でもない建物について鉄筋と同等という証明書が付いていて,その証明書によって高い補助金が出ていた。その証明書を見ると明らかに内容がおかしいんです。実際の建物と違うんです。本当はサイディングという建材ですが,ALCというふうにレベルの高いものが書いてある。そういう内容,虚偽の証明書を建築主事が出しているということで,これは補助金の適正化法違反と今回の大阪の事件と同じ虚偽有印公文書作成の疑いがある。場合によっては公文書偽造ではないかという疑いで捜査をしていったのですが,結局,その事件は二つ大きな隘路があった。一つは,これも全く今回の大阪の事件と似ています。文書の作成の経過が分からないんです。内容は虚偽であることは分かりますが,その作成名義人である建築主事は内容は虚偽だということは言いますが,判子は自分のもので,なおかつ,ちゃんと管理していました,ですから偽造ではないということを言うんです。でも判子を管理していたということは補助金を申請をした側が勝手にそれを偽造したとも思えない。ですから結局最終的には虚偽の文書ができているけれども,どうしてもそのプロセスが解明できないんです。   どうしてそういうことが起きたのかというと,もう一つ調べていったら,厚労省の補助金の出し方のいい加減さというのが出てきたわけです。30年も40年も前に鉄筋,ブロック,木造という単価設定が行われていて,それがもう30年も40年も全然変わっていないわけです。ですから新しい鉄筋鉄骨造だとか,いろいろなものが全然どの区分か分からないんです。それを単に建築主事が鉄筋と同等と書けば鉄筋と同等の単価で支給される。   要するに,この事例を参考にしてもらったら恐らく今回の事件というのはその経験知で十分に防止できた事件ではないかと思います。そういうケースがたくさんあるのではないか。   高橋委員のおっしゃる品質の問題ですね,そういう面から私は経験知の活用という面でカバーしていくべきではないかと思っています。 ○石田委員 以前からも申し上げておりますが,本件の問題は特別捜査部という組織の存否の問題ではなくて,経済事犯等に限らずあらゆる事件においていわば特捜部的な捜査,取調べが行われている。その取調べあるいは捜査方法の可否あるいは存否の問題と捉えるべきだと思います。それが本日の議論からしますと,倫理規範あるいは行為規範の問題であり,そのチェック体制の問題だと思っております。   そこで,今日お手元に配布していただいております私のペーパーは「検察官の倫理・行為規範,およびその監査体制についての提言」という表題でお配りをしております。まず倫理・行為規範を確立することが必要だということを述べた上で,本来であればその後チェック体制の問題を言わなければいけないと思いますが,倫理・行為規範の問題はまた後から申し上げたいと思います。今のテーマにつきましては,このペーパーの4ページに監査体制の確立ということを書いておりますので,それについて少し意見を述べさせていただきたいと思います。   先ほど言いましたように,行為規範あるいは倫理規範を確立することが少なくとも現在必要であると考えております。しかし,そういった倫理規範を定めても,それが実行されなくては全く意味がありません。規範制定と同時に監査体制あるいはチェック体制も確立されなければいけないと考えます。今回の報告書では独自捜査事件について,29ページには検事長の指揮事件として高検において証拠関係の十分な検討等を行うものとするとされています。しかし独自捜査事件に限らずおしなべて上部組織,ラインによる指揮,決裁の充実では従来の決裁制度と本質的には変わるところはありません。これでは不正防止のための改革の意義は全くないと思います。   その理由を一言で言えば,事件処理という同一目的に向かっている決裁ラインでは基本的に適正手続の確保を目的とした抑制機能というものは期待できないからであります。したがって私は決裁ラインとは別個の機関の創設が是非必要であると考えます。   先ほど江川委員もお話になりましたが,私もいろいろな刑事事件,特捜事件に限らず通常の刑事事件をやっている中で,逮捕・勾留された依頼者から検察官あるいは警察も含めてですが,ひどい取調べを行っていることを情報として認識をします。今では御存じのように被疑者ノート等もありますし,あるいは接見の中でそういう情報を得ます。その場合,通常は次席であるとか,あるいは担当副部長等に抗議をします。私の知人等は抗議の内容を後日までちゃんと残すために内容証明を出すといったような手段をとって抗議をしている人もいます。しかし,次席とか担当副部長は捜査の指揮者ですから同一目的に向かっている人たちですので,この抗議を真剣に取り上げるということはほとんど期待できないのです。むしろ抗議をすることによって,私も経験がありますが,当時は過激派の弁護士と言われまして,「あんな過激派の弁護士を頼んでいたら執行猶予になるものもならないよ。」とか,あるいは「あんな弁護士は解任してしまえ。」といったことで,本当に解任してしまう依頼者もいるのです。それほどのものでなくても,更にひどい取調べをするようになってしまうということもしばしば経験しているところであります。したがって,ラインとは異なる機関を置くことがこのチェック体制を考える上では絶対に必要であると思います。   そこで,一体どのようなものが考えられるかといいますと,決裁ラインとは別個の検察権の行使が,法あるいは倫理・行為規範に則って適正に行われているかをリアルタイムに検証,是正するための機関を設置すべきと考えております。もしそういう組織を作るということになればその組織デザインはいろいろ考えられますが,例えば次のようなものが考えられるのではないかと思います。   1点目,各地方検察庁に独立かつ常置の監査機関を設置する。   2点目,当該機関には個別事件が適正な手続によって処理されているかをリアルタイムに検証し,問題を是正することができる強力な権限を与える。   3番目,弁護人,被疑者らからの申し入れ。先ほど私が申し上げたような申し入れ,抗議です。あるいは公益通報,内部通報の受入・検証機関としての機能を与える。   4番目,起訴事件の事後検証機関としての機能,例えば後戻りをすべきである。具体的な法的な手続だと公訴の取消し等の勧告をするといった機能を与える。あるいは検察官の人事評価に関する諮問機能を与えるといった,かなり具体的かつ強力な常置機関としてそういった機関を設置すべきではないかと思います。   そして,この常置機関の構成員としては,検察官以外の者が本来は望ましいのですけれども,それができなければ少なくとも裁判官あるいは弁護士,学者,研究者らの外部からの一定期間の任期制で選任をした上で,もちろんその人たちには守秘義務とかいろいろな公務員上の義務を負わせなければいけないとは思いますが,そうした外部からの人たちを入れた上でそういう機関を作っていくべきであろう。こういうことによって今問題とされているような特捜的な捜査あるいは取調べの不正なものをデュープロセスに従った監査をしていくということが是非とも必要ではないかと思います。   行為規範等の具体的な内容については,また,後からの機会に申し上げたいと思います。 ○後藤委員 まず特捜部の組織をどうするかということが一つのテーマになると思います。それについてまず一つ発言いたします。例えば,ロッキード事件というのは特捜の成果として今でも伝説的なものになっていると思います。しかし,そういった形の事件というのは,現在あるいは近い将来の政治的な状況の中では比較的起きにくくなってきているタイプの事件ではないかと思います。ですから,検察官が特に独自の捜査で能力を発揮すべき場面があるとすると,むしろそういったものよりも,経済犯罪と言われているような分野ですね。そういうところにより重点が移るべきではないかと思います。そのために,その分野の本当の専門家,エキスパートを育てることは意味があるだろうと思います。それは高橋委員がおっしゃっている専門委員でしたか,というようなイメージと重なってくるかもしれません。ですから特捜部という組織の問題というよりも,専門家集団を育てる方法の問題になります。そのために,外部からいろいろな知識,経験のある人を入れるということも考えられます。そういう問題として考える必要があるのかと思います。そういう観点からすると,少なくとも今のような特捜部を今のような規模で維持することは合理性がないように,私は思います。   もう一つは,検察官の独立性と組織の一体性との調和についてです。上下関係での決裁のシステムを改善する必要があるかもしれませんが,決済制度を余り強調するということに私は気が進まないところがあります。それよりも同僚同士で知恵を出し合うとか,チェックし合う仕組みを何とか導入できないものか。これが横からのチェックと言われているものと重なるかもしれません。   例えば,最近ですと,刑事弁護をしている若い弁護士たちが集まり,そこにベテランも加わって,自分が持っている事件を出していろいろ相談する例があります。事件検討会と称しますが,そういうことをやってお互いに経験を積んで,自分の事件処理も改善するということが行われています。検察庁は,日常的に大量の事件を処理しなければならないので,それを全部こういう方式でやるのは無理があるかもしれませんが,そういった上下関係での決裁とは別のお互いに事件を検討し合って知恵を出し合うようなやり方ももう少し取り入れることができないのかと私は考えております。 ○宮崎委員 特捜部の組織ということで言えば,特捜部をなくせば問題が解決するということは考えていません。今現在,日弁連は各地の弁護士会に検察の取調べについてのアンケートをとっていますが,集計がまとまりつつありますけれども,それを見ますと北から南までストーリーの押し付けでありますとか,あるいは自白しなかったら病床の奥さんを取り調べるぞとか,現に「がん」の奥さんを取り調べたとか,そういう捜査状況が報告をされています。したがって,検察にしろ警察にしろ,捜査を行う過程において,先ほどリスク管理のところで高橋委員が小さなヒヤリハットが積み重なると言いましたけれども,私はそれは常時行われていることであって,こういう文化を変えるためには何度も申し上げますけれども取調べの可視化でありますとか,証拠の全面開示という形での外部の目が行き届くような形にしなければならない。その上で,いろいろチェック体制はまた更に考える。特捜部の在り方について考える。こういう順序が必要なのではないかと思っています。   申し上げたいのは特捜部の調べに特に問題があるのではなく,検察の調べ,警察の調べ,全てにわたって申し上げてきたような問題がある。これを念頭において組織改革をしなければならない,このように考えています。 ○但木委員 皆さんの大変貴重な御意見をいただいて,検察の再生はいかにあるべきか,特に特捜部の再生はいかにあるべきかということは考えなければいけないと思います。そして検察,特に大阪地検特捜部の今回の事件については,誠に痛恨の極みと言わざるを得ませんし,大いに反省をすべきだと思います。検察は新しい時代に向けて新しい捜査のやり方を考えて再生していかなければいけない。私はそう思っています。   ただし,私は,それと同時に,検察に課せられた,あるいは国民が検察に期待しているものというのはやはり現存していると思っております。もちろん権力に対する犯罪の摘発というのは検察ただ一人ができるわけではなくて,警察もやってきましたし,証券取引等監視委員会,国税局,あるいは公正取引委員会というところが権力犯罪をそれぞれのアンテナに基づいて捜査し,調査し,摘発してきているわけであります。しかし,検察もまたその一角として,政治的,経済的,あるいは社会的強者の犯罪をこれまで摘発してきたわけであります。その機能について,国民がもう要らないというというふうに言っているとは私は全く思っておりません。   それから,警察や公正取引員会など,いろいろなところがいろいろなアンテナを持って,犯罪の端緒をつかんでいます。それぞれの組織にはそれぞれのアンテナがあります。このアンテナの一つを完全に廃棄してしまうということは,そこの部分の権力犯罪については,もう摘発する組織がいなくなるということになります。私は,国民がそういう組織を消してほしいと願っているとは思いません。検察は猛烈な反省に基づいて再生すべきではありますが,検察の機能を一歩でも損なうことは決して国民のためにならないと私は信じております。   それから,名古屋をどうするかという問題でございます。私は東西に置けばいいのではないかという案があり得ることもよく分かります。ただ,私はやはり,今,名古屋という地域に独自のアンテナを持っている特捜部というものを廃止するということは,検察官に一定の消極的イメージを与えることは否めない,つまり萎縮効果を与えてしまうことは否めないと思っています。私は,新しい方向で再生すると同時に,検察官を勇気付ける必要があると思います。真相を解明して処罰すべきは処罰すべきである,それが社会的・政治的・経済的強者であっても遠慮することはない,という検察官の意識はやはり下げたくない。そのような意識は一歩も下げてはならないと思っております。   もう一つ,特捜部が持っている捜査という側面と公訴という側面が一体化していることによって今回の事件が起きたのではないかという指摘については,私は誠にごもっともな意見と思っております。やはり捜査をする者がそのまま公訴をすれば,公訴官としての見方は甘くなってしまうと思います。私の全く個人の見解を申しますと,一番いいのは公判部に公訴をやらせることだと思います。あるいは特捜部に対応する特別公判部でもいいです。つまり,裁判所に立って恥をかく人たち。公訴権を誤って行使したら自分が恥をかかなければいけない。捜査手続が違法であったら,その指摘を受けて満座で恥をかかなければいけない。苦労しなければいけない。それは公判部あるいは特別公判部の人たちであります。もちろん高検が大いに監視を強めることについては大賛成であります。しかし,それは言ってみれば一つの同質的なものです。私は,異質的なものというのは捜査に対応するものは公判だと思っています。公判部の検事こそが,本当に自分がこの公訴を遂行できるか,恥をかかずにやれるのかということをきちんと自分で判断し,足りないものは自分で補う。もしそれが犯罪として成立しなければいつでも立ち戻るといいますか,引き返す勇気は始めから持っているというふうに思っております。   ですから,私はその分離論については高橋委員もおっしゃいました,皆さんもおっしゃいました。私はなるほどなと,それから石田委員の発想法の中にもおそらくそういうお考えが入っているように思います。同僚であっても,機能が全く違うところがチェックをすべきだという案については誠にそのとおりと思っております。 ○原田委員 私は特捜部を廃止するということには反対です。ただ,私は特捜部がなくなると悪い人が跋扈するではないかと,だからそのためには特捜部が必要だという議論にはいささか異論があります。ここで問われているのは,本当に悪いやつを逃していいのかという座標軸だけではないと思うのです。一方では,やはりえん罪を招いているという,この実態を座標軸として考えないといけないと思います。   えん罪は制度リスクだから,それはある程度やむを得ない,しかし,本当に悪いやつを処罰するためにはその制度リスクを我慢しなければいけないという考え方も確かにあると思うのです。あるいは,これが一般の国民の方の今までの考え方かなとも思うのです。しかし,他方では,えん罪というのは絶対に起こしてはならない,その範囲で本当に悪い人がある程度その場では免れてもやむを得ない,こういう考え方も日本の社会の中ではどんどん芽生えてきたように思います。その大きなきっかけは裁判員裁判だと思います。裁判員の方をマスコミを通じていろいろ見ていますけれども,えん罪を招いてはいけない,自分の判断が誤ってはいけないというのをものすごくひしひしと感じておられると思います。だから国民のレベルではやはりえん罪はいけない,その範囲である程度悪い人が免れてもやむを得ないというところまで動いてきているのではないかなと思っています。   そういう観点からしますと,特捜部は是非必要ですけれども,その存立の根拠の中に,やはりえん罪は絶対に防がなければならないのだという座標軸を持ってこれから運営していっていただきたい。その視点がなくて,悪い人を捕まえればいいのだ,それが正義だというだけでいくと誤ってくるのではないかというふうに感じております。 ○井上委員 特捜部の存廃の話につきましては,今,原田委員が言われたような修飾を加えた上で,但木委員が言われたことに私も同感です。政治的,経済的,社会的強者による犯罪の摘発・厳正な処罰という点での検察に対する国民の期待というのは厳然として実在すると思われますので,それにふさわしい専門的な素養と技能というものを一定の継続性を持って蓄積していかないと,対応できないと思います。   もちろん,組織を見直さなくてもよいということではなく,小さすぎるとか大きすぎるとか,少なすぎるとか多すぎるとか,どちらの方向にも動き得る話ですが,佐藤委員がおっしゃったように,名古屋をどうするかは別にして,組織の見直しは不断にやっていかなければならないと思います。   江川委員が言われた特捜部の機能を刑事部に移すというのは,佐藤委員が言われた問題意識とはちょっと違っているのではないと思います。初めから捜査を行ってきた同じ検察官が起訴・不起訴の決定をするのでは,どうしても捜査で検挙した被告人を訴追するという方向になってしまうので,その二つを分離しないといけないのではないかというのが佐藤委員の問題意識だと思うのですが,江川委員が言われたように刑事部に移したのでは,捜査と起訴・不起訴を同じ検察官がやることになりますし,そこで係を作って専従させるというのも,結局看板を付け変えるだけなので,余り意味がないと思います。刑事部も,起訴・不起訴の決定までやっていますから。その機能を,特捜事件については,やはり二つの役割を分離しないと意味がないと私は感じました。   もう一つはチェック体制について,そこに外部の目,意見をどうやって入れていくのかという話です。私も,石田委員の言われたオンゴーイングあるいはリアルタイムで外部の目を入れてチェックをしていくというのはいろいろな意味で難しいのではないかと思います。一つは捜査というものは秘密保持を要するということと,外から不当な影響が及ぶという懸念もないわけではないということ,さらに,限られた時間の中で円滑に捜査しなければいけないということなどから,難しいように思います。その意味で,高橋委員が言われるように,内部における横からのチェックというのが,あり得る一つの方策ではないかと思います。その上で,定期的なレビュー,あるいは問題が発生したときの事後検証をやっていくときに,外部の目や意見を入れ,原因分析をして将来に向けて問題を是正していく,そういう形の方が適切ではないかというのが,私の考えです。 ○高橋委員 先ほど郷原委員と宮崎委員から言われたことに対して説明を補足したいんですが,一つは宮崎委員が言われるのは私も全く同感です。この問題は特捜部的な問題と,それから特捜部以外にも共通した問題の二つに分けないといけない。不適切な取調べとか取調べ中心の捜査という話は特捜部に限ったことではないので,そこの仕事の品質をどうチェックしていくかという部分について言えば,当然,捜査・公判の仕方の改革と可視化の議論みたいなものとを併せながらも,さっきの個人の能力と普段の仕事ぶりのチェックを時々入れていくみたいなことをやって,特捜部に限らない全般的な取調べ等々の適正化を図るべきだと思います。それが品質だと思います。   もう一つの部分が郷原委員の言われた部分にもなりますが,専門性と言いますか,それぞれの分野ごとの知見の蓄積が必要だというのは全くおっしゃるとおりです。それを実は後で御説明しますが,分野別専門委員会というものを作って,そこでいろいろな知見を蓄積して,必ず何か大きな事件を案件として横からチェックするときには,その専門性の過去の蓄積を持った人が必ず1人入る。入らないとチェックのしようがないということだと思うんです。そういう体制で大型の事件の案件ごとのチェックをかけるということの二重体制で,いわゆる体質的全般的な話と,大きな案件の暴走を途中でピッと止めるみたいな話の2本立てにしていくということではないのかなと思います。   更に言えば,さっきの最後の3番目の組織のいわゆる毎年毎年の組織調査をやることで,全般的にさっきの例えば今までだったらば許されたようなことがもう許されないんだよということが分かって,余り意識として強くなかったようなものもちゃんと意識してやらなければならないねという現状がどのぐらい組織全体でマクロ的にやるのかというのを,また別のやり方から見てくる。この3段体制ぐらいでいると両方の問題がいけるのかなと思います。   最後に江川委員が言われた緊急の部分ですが,これは私の資料の最後の23ページのD−3というところに入れたのですが,外部意見窓口の設置ということで,そういうことがタイムリーに来たときに,この外部意見窓口を作って,監査指導部みたいなところがリンクしているのがいいのかどうか分かりませんけれども,そういう部門を最高検のどこか,かなり独立したところに作って,そこから様々な監査機能をやる組織にその情報もスーッと入るというような形にして,場合によってはそこから特別監査をやるとか,というような体制のきっかけにもするような窓口を作ったら,そういう緊急対応的なものにもなるのではないかと思いましたので,それを入れてございます。 ○龍岡委員 問題点については,既に多く指摘されているように思いますが,まず特捜部の存廃の関係につきましては,前に申し上げたとおりで,直ちに存廃の議論をするのではなくて,そこの問題点を探って,それに対する改善策があるかどうかということから考えていくべきではないかと思います。特捜部の存在意義というのは,やはりなくならないと思います。これからも事件というのは,先ほどの指摘されたような事件だけではなく,新たな犯罪が出てくるだろう。それに対して適切に対応するところがなくてはいけない。検察の役割というのは大きなものがある。そういう面で特捜部を廃止するのではなくて,そういう機能に見合うような組織体制,執務の在り方等を検討していくべきだろうと考えます。その視点としては,先ほど但木委員らの言われたように公訴官としての視点を強めていくということが大事だろうと思います。   それから監察体制ですけれども,これをリアルタイムに実施するということは,ある面では合理性があるようですけれども,検察の仕事の内容,性質からいいますと,これはやはり無理があるのではないか。また,それが適正であるかどうか,かなり問題ではないか。事件自体に対して横からチェックするというのは確かに見える面もあるけれども,事件捜査の上では問題の方がむしろ大きいのではないか。しかし,そういう外部の目が入らなければいけないというところもあるのではないか。それは,今,高橋委員等が指摘されているように,私はある期間について検察の事件捜査の在り方等についての概況報告的なものを,1年なら1年,あるいは半年ごとに,外部の人も加わった組織を作ってそこに報告してもらって,そこで意見を述べるとか批判をするという形でのチェックというのもあり得るのではないか。例えば裁判員裁判に関しては,裁判員法103条に運用状況の公表というのがあります。1年間の裁判員制度の運用についてのいろいろな問題点等についての報告をすることになっています。それによって裁判員制度のいろいろな問題点もまたチェックしていこうという面があるのだろうと思います。改善のための制度でもある。こういう制度もありますし,裁判所には地方裁判所委員会とか家庭裁判所委員会というのがありまして,そこの中で地裁や家裁での事件処理等についてもいろいろな外部の意見を聞く。その際に,裁判所の方から事件処理の状況等について報告されている。そういう報告に対していろいろ意見を述べられることによって,裁判運営が適切に行われるようにということで外部の目を取り入れているということだと思います。このようなことが検察についても考えられるのではないだろうかという気がいたします。 ○諸石委員 特捜部の存廃といいますか,今,但木委員を始め皆様がおっしゃったように,特捜部の存在というものは必然性があるし,それを廃止する理由もないと思います。これは当然あるべきだ。ただ,それが捜査官の立場と公訴官の立場を明確にするために,公判部は特別公判部なのか公判部なのか,それとを分ける。これでいいと私は思います。   特捜は何が特別かというと,一つは権力犯罪といいますか,政官財,そういう権力に立ち向かうという性格が強い。これが一つの特徴だと思います。   それから一般刑事事件でない,特殊な知識,経験,学識,例えば新しい経理知識といいますか金融知識,そういうものを必要とする集団という性格を特捜部が持てばいいのではないか。そのためにはやはり検事に勉強しろというだけでは無理で,そのほかに検事でない人を活用する。それが検察事務官で事務官の給与の中でうまくまとまるかというのは問題でしょうから,例えば知財裁判所で特許庁からの調査官が大いに役立っている。同じようなことで専門家を,公認会計士とか税務署とかいろいろなところと交流をして,そこで検察庁の内部にそういった最新のいろいろな知識を持った人を抱えて,そこがそういう犯罪に対応していく。そういう方向で特捜部を更に強化していけばいいのではないかと思います。   それからチェック体制というのは,ある程度まとまって事後的に間違いはないかというチェックをするのと,1件ごとに現在進行中の事件の,例えば逮捕,起訴,そういうものについてアクセルを踏む人とブレーキを踏む人とを違う人にする方がいいのではないか。それが一つには捜査部と公判部を分ければ自ずからそれができる。これもあると思います。   また,常設の専門家としてブレーキ役に重点を置いた,そういう人を置くということもあり得ると思います。ただ,それは東京地検とか大阪地検では可能でしょうけれども,小さな地検では数人しかいないので,公判と捜査を分けることすら難しい。まして,そのブレーキ役とアクセル役とを違う人がやるということは言うべくしてなかなかできることではない。その場合に,それを高検がまとめてやるというのでは事後チェック,日々のチェックという意味でそれをどうするか。例えば次席検事がアクセル役が本来でしょうが,ブレーキ役を持っているんだということを職務上明確にするという,そういうふうな形でまとまって後で検証するというのは当然だろうと思います。それから大きな組織においてそうした外部からの情報の窓口であったり,いろいろなブレーキをかける人,そういう専門官を置くということもあり得る。ただ,現実に小さいところでどうするかというと名案がないなというのが今のところの私の意見でございます。 ○石田委員 私が先ほどリアルタイムの検証ということを申し上げましたら,いろいろな御批判をいただきました。しかし,不正な取調べが行われている。それをもう少し大きく言えばデュープロセスに違反した捜査が行われている状況があるときは,そのときに是正をしないと後からとんでもないことになるというのが我々の経験ではないかと思います。リアルタイムの検証という言葉を当初から私は使っておりますが,その方法としては,今,議論されている取調べの録音・録画あるいは弁護人の立会権を認めるというのも一つの方法ですが,検察の内部においてもそういった検証をしなければいけないというのが私の発想であります。全部が全部そんなことできないのではないかという議論がありますけれども,全部する必要はないわけで,いろいろな苦情の申立てがあったとか,あるいは明白で現在そういう問題が起こっているという事件というのは基本的にはそれほど多くはない。例えば1週間に1回ぐらいしか恐らくない。そういうふうに期待はしていますが,そういった問題については,やはり常置の機関で,第三者の目が入ったところで捜査を行わなければいけない。検察も適正手続をしなければいけないという,プレッシャーという言葉が適当かどうか分かりませんけれども,そういう防止機能も果たすのではないかということで現実的にこういう常置の機関を作ってそうした検証をするということは,私はそれほど難しい問題ではないのではないかと思います。   もちろん先ほどから議論されておりますように,公訴と捜査を分けるというのも一つの方法かもしれません。先ほど但木委員もおっしゃったように,特別公判部で起訴をさせる,そして公判でいろいろな恥をかく可能性もあるというふうなことをおっしゃいましたが,正にそのとおりかもしれません。しかし,例えば,特別公判部はリクルート事件のときに東京地検で初めてできたというふうに理解しております。そのときはむしろ捜査をやった人たちが特別公判部に来て、そして捜査と公判を一体化させて弁護団と対決をする,こういう構造だったわけです。今の検事総長もそこにいらっしゃいましたけれども,そういうようなことであればむしろおかしくなってしまうわけですので,イメージとしてなかなか検察庁内部で捜査と公判を分けるというのが,例えば警察と検察との関係ということではないわけですから,なかなかイメージがつかめないわけです。   例えば,任意性が否定された事例などでも警察で取調べをやり,検察で取調べをやる。その中で検察官調書も任意性が否定されるという例があります。それは警察の取調べが遮断されていないから検察官調書も任意性が否定されるという,こういうケースが多くありますよね。同じところの同じ官庁で捜査と公判を仮に分けたとしても,そういったデュープロセスをちゃんと監視するようなシステムにはならないのではないかと思います。   そして,私がリアルタイムの検証と言っているのは事実関係がどうなのかということのチェックをするということではなくて,基本的にはデュープロセスが行われているかどうかをその点に限ってでもいいから,そういうシステムを作ったらどうかということを申し上げているということを付言しておきたいと思います。 ○但木委員 石田委員が言われることは誠によく分かるのですが,ただ検察の捜査というのは独立性を持っていて,捜査の進展というのは極めて微妙な問題をはらんでいるので,それをリアルタイムに第三者に開示することはなかなか難しい。開示する相手の人選は更に難しいという問題がございます。私はそうした問題を全部考えた上で,一番良いのは捜査と公訴の機能を分化させることだと考えたのです。   確かにあのときの特別公判部を想定されたら,それは意味がないぞと言われたら全く意味がないんです。私は公判部でいいと思うんですが,仮に特捜部に対応するそういうものを置くとしたら,それはリクルート事件のときとは全く違って,捜査部を応援するものではなく,むしろ公訴官の立場で冷静かつ公正に証拠を,そして起訴価値を判断する,そういう検察官の役割を果たす公判部というものを特別に作るのなら作ってもいいし,作らないで今の公判部でおやりになるのならやる。検察の独立制というものと微妙な捜査過程を考えていろいろ考えると,そこら辺が限界かなと思います。   それから石田委員がおっしゃったことでなるほどと思ったのは,リアルタイムの苦情を誰が受け付けてくれるのだというのは,実は,今,異議申立てというのはありますが,それは地検で終わってしまうんです。これはどうかなと思います。リアルタイムにやるとしても検察部内でやるべきですが,せめて高検とか,場合によっては最高検,非常上告みたいなものがあるかどうか知りませんけれども,捜査における捜査中の事件に迅速に対応できるような組織内のものというのはおっしゃるように何か考えなければいけないのかなと思いました。 ○佐藤委員 チェックという問題ですけれども,私は捜査の実際というものを考えますと,この問題,この件に関する最大のチェック方法は何かといえば,それは捜査権と公訴権の分離が最高のチェック方法だと思っています。これなくして如何なる装置を整えてもチェックというものは有効とならない,これは確信をいたします。したがって,捜査権と公訴権を保有する部署を別にするということが大前提になるべきだと思います。それをどこがそれぞれ保有することとするのがいいかというのは,それは検討されるべきだろうと思います。   それからリアルタイムのチェックといいますのは,これは,今,但木委員が言われたように,私も時々刻々と動いていく捜査,しかもずっと1人だけの被疑者あるいは数人だけの被疑者について捜査をしていく,取調べをしていくという,そんなものではなくて,日々新たな参考人及び新たな被疑者を調べ,新たな捜索をやり,そういうことが毎日展開をしていくという捜査の実際を考えますと,リアルタイムでその捜査過程を監視するということは至難のことであろうと思います。ただし,実際に被疑者について非常に困った事態が生じているなどの具体的な情報があったときに,それを放置することはできないという意味における監視装置というのは必要だろうと思います。   また,高橋委員が言われたように,一定の期間を置いて,定期的にそういうものの総体としてのチェックをしていくということも有効だろうと思いますけれども,チェックの仕方については私はそのように思います。   したがって,整理をいたしますと,捜査権と公訴権をまず分離するということに踏み切る。その上で,どこが公訴権を持つのが一番良いかということは重々検討があるべきだ。それから,リアルタイムでの監視というのは実効性に疑問なしとしない。したがって,苦情等があったときに監視するシステムと定期的に監視するシステム,これは整えるべきではないか。以上が意見でございます。 ○江川委員 先ほど井上委員の発言で,私は結構誤解されているような気がするんですが,私も何も捜査と公判を分けることに反対しているわけではないのであります。特捜部という部そのものを存置することに反対しているのであって,それでしたら独自捜査をしたものは捜査と公判,起訴をしっかり分けるということにすれば,それはそれでいいのではないかと思っているので補足させてください。   それから,宮崎委員が特捜部の存廃に話を持っていくのではなくて全体をとおっしゃいました。私も可視化の議論はこの後,別の機会にしっかりするべきだと思いますが,可視化さえすれば特捜部はそのままでいいのかというと,私はそうではないのではないかと思いました。先ほど但木委員から名古屋のお話がありましたけれども,名古屋に関しては,村瀬さんの方からもヒアリングがありますし,次回たっぷりお話しする機会があると思いますが,名古屋はそれだけではなくて,本当に談合事件の細かいやつを一生懸命探して,探して,探しまくって,えん罪めいたものを作ったということも実はあるのでありまして。やはり特捜部という看板があるがゆえにやらなければいけないというプレッシャーがあったことは事実だと思います。   また,大阪地検の特捜部に関して言うと,ついこの間の東警察署などの事件を担当した検事は,自分が任意性を飛ばされたということに関して,私たちのヒアリングに全く反省の色を示していない。どこが問題か分かっていないという,そういう人に警察の暴言事件の捜査を任せるような特捜部の感覚というのは,これだけのいろいろな問題が指摘されていながら,結局まだ分かっていないとしか言いようがなくて,これは自浄能力ということに期待はできないと思いました。   あと東京の特捜部ですが,今回はヒアリングはありませんけれども,先ほど郷原委員からもありました乙2事件について,私も関係者から話を聞きましたが,この大阪の事件と同じような,あるいはこの間ヒアリングをやったような枚方市の小堀さんのような余りにもひどい取調べがあったことも事実です。   ついこの間,陸山会事件の初公判を私は傍聴していて,私は本当にびっくりしたんですが,お配りしてあるのは傍聴記の記事になったやつをお配りしましたが,その第2パラグラフを見ていただくと分かると思うんです。前田元検事が大久保元秘書の取調べを担当しているわけですが,弁護人の話によるとほとんど検察事務官を立ち会わせず単独で取調べたということです。完全密室です。そしてその中で急に号泣したり,意味不明なことを言ったりして被疑者が不安に陥ったという話がありました。1日たまたまということならば気が付かなかったということもあるでしょうけれども,もしこれが本当だったら,やはり検察事務官を排除するということが常態化していた取調べを東京地検特捜部は許したのかということにもなるわけです。そこのところは東京地検の方の説明を求めないと分からないですが,こうした取りあえず特捜部ならではの問題があることも確かなので,1回廃止して刑事部に組み入れて,そこの中でしっかり必要な捜査をしてもらう。何も国民は特捜部の存続を望んでいるわけでなくて,問題があったときにきちっと適切な捜査をすることを望んでいるのす。特捜部まずありきというような議論は違うと思います。もし,これでやってみて,本当にそれが必要なんだということであれば,また改めて必要なところに必要な部署を作ればいいのではないかなと思います。   それから1点,チェックシステムですが,石田委員が常設の機関として外部の人間を中心にとおっしゃっています。確かにこれは私も1度考えたのですけれども,本当に緊急対応,24時間365日の対応ができるのかということを考えると,さっき私が申し上げたように2段階方式,つまり第1段階の緊急対応は内部で,例えば高検など,直接の捜査と関係のないところに常設の担当者を置いて,そこでまず対応する。そして,その対応の仕方を外部がチェックするという,この二重のシステムの方が私は現実的ではないかなというような気がいたしました。 ○郷原委員 捜査と公判の分離論に関してですが,確かに捜査の適正化という面で非常に有効な手段だと思いますが,現実的に考えてみますと,いろいろ問題があるような気がします。今の特捜部について考えると,まず一つは国税局から告発される税金事件ですね。それからその他の公正取引委員会,証券取引等監視委員会等の事件,こういったところは告発をしてくるところですから起訴してもらうことに意味があるわけであって,もし特捜部から公訴権が切り離されるということになると,そういう国税局等の機関との関係では余り意味がないわけです。そうすると残った部分ですね。裸のままの捜査機関としての特捜部というのは一体どんな機関になるのだろうか。いわゆる岡っ引き的な部分が残るわけですが,はっきり言って国税局とかそういう機関と切り離された,自前で全部端緒を得ていく捜査機関として特捜部にそんなに力があるかと言ったら,私は決してそうは思いません。ですからちょっとイメージが湧かないところがあります。   それからもう一つは地方です。地方は捜査部門と公訴の部門を切り離すことはできないと思いますから,事実上,地方では独自捜査はできないということになると思います。先ほど話しかけた例は,私が言いたかったのは,あれは地方で言ってみれば,血気盛んに地方の地検で独自捜査でやろうとして,非常に大きな問題か出てきて,高検に報告したところ,当時の検事長がこれは行政のいい加減さみたいなものもあるのではないかということを適切に指摘していただいて,いろいろ調べていったら確かに自分たちが考えていたのと全然違う世界があった。それは厚労省の行政という面で,今回の大阪の事件とも非常に似た面があるんですね。それから文書犯罪というものの難しさもそうでした。そういうふうにして捜査権と公訴権が結び付いていても適切に経験知が活用されれば私はうまくいく余地もあると思いますし,まだまだ努力はできるのではないかと思います。残念ながら今の捜査,検察の現状を考えると,捜査権と公訴権の分離というのが本当に現実的に正しい手段なのかというのはちょっと私は疑問です。 ○龍岡委員 特捜の関係のお話ですけれども,今,郷原委員が言われたこと,私もうなずけるところがあります。確かに東京のような大きな組織では体制を組んでやることはできると思います。大阪もある程度できるでしょう。しかし地方の問題。そうすると,これは道州制ではありませんけれどもブロックで対応するという方法もあり得るだろうと思います。それから,江川委員から初めに特捜部ありきの議論ではないかと言われましたけれども,先ほど申し上げたように特捜部が果たしてきた役割,機能を前提として議論していくべきではないか。その上で改善方策が考えられるべきだと一言付け加えたいと思います。   それから,先ほど言い忘れたのですが,苦情の問題はやはりあり得ると思います。捜査について行き過ぎがあったのではないかというような場合,恐らく弁護人の被疑者との接見の中から改善を求められることはあるだろう。これに対する対応策は考えられなければならない場合があるだろう。終わってからではどうしようもないということがあるわけです。そうすると苦情処理を受け付けるところがなければならない。それを外部の方が入ったところでやるかというと,この点は江川委員が言われるとおりで,第一次的にはそれは難しい。やはり検察の内部に地検なり高検なりどこでもいいんですが,考えて,そういう部門を作る。作って受け付けるということと,それからそれに対してどういう対応をしたかということを必ず外に対して報告する。それに例えば報告を受ける委員会だか,外部的な組織をもしできれば,それを作って,そこに報告させることによってそういう問題の解消を少しずつ図っていくということは現実的ではないのだろうかと思います。 ○高橋委員 今のお話に絡むのですけれども,私がA−1というところで案件ごとの品質監査を指導監査部という,これは仮称ですけれども最高検につくって,横からのチェックを入れるようにと書いたんですが,ちょっとこの説明が足りなかったかもしれませんが,私はこの場合はどっちかといいうと本当にリアルタイムというよりも起訴の時点とかで,今までも決裁で上に上げるわけです。大きい事件を上に。起訴の時点とかの決裁と同じ仕組みで最終決定する前にここをクリアしないと起訴の決断ができないという形の監査のイメージで,それをさっきの郷原委員が言われているような専門性の蓄積をした人も入れて横からの最高検ぐらいの独立性の高いところから重要案件は全部起訴の直前に上司だけでなく横も含めて決裁を受けるというイメージに近いです。   それに対して今の龍岡委員のお話,それから江川委員のお話と同じようにクレームが出た場合は一番最後のDの部分に書いたのですが,これは同じ部分にいくのが一番良いと思いますが,指導監査部みたいなところにパッと行って,その場合には起訴までの判断を待つか,待たないかと関係なくリアルタイムで必要なものはアクションをとる。例えば特別監査とか臨時監査と称してもいいと思いますが,というものをやるというようなイメージで,それを半年間,両方のもの,リアルタイムのものと決裁的なものの二つを半年間どんなふうにやってきたのを外部の委員も見て,全部,そのプロセスをチェックする。そんなイメージでこの指導監査部という名前にしたんです。そんな感じでイメージしました。補足の説明です。 ○石田委員 先ほど私が申し上げた外部から人材を登用するという,チェック機関としてですね。私が申し上げたのはペーパーにも書いてありますが,外部委員というとパートタイマーみたいにとられるかもしれませんけれども,そうではなくて裁判官であるとか弁護士とかそういう人からチェック体制の中にいわゆるメンバーとして取り込んで,そうした組織を作るべきだ。なぜこういうことを言うかといいますと,例えば高検,キャリアの検事さんが苦情処理の窓口となったとしても,それほど信用できないということなんです。ですから,そうではなくてむしろ違うところから外部の血を入れた組織を作らなければいけないということを申し上げているんです。 ○千葉座長 それぞれの御意見,そしてまたそれを踏まえての補足をしていただくなど,大変活発な意見交換になったかと思っております。これについては,今日の御議論等々を踏まえつつ,少し整理しながら,また御議論をいただくという次の段階があろうかと思いますので,取りあえずこの辺りで「検察の組織とチェック」という課題については一区切りさせていただきたいと思っております。   ここで10分間の休憩をとらせていただいて,再開後「人事・教育・倫理」というテーマで議論をしてまいりたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 (休憩) 3 「検察官の人事・教育・倫理」についての議論 ○千葉座長 議事を再開をしたいと思います。これから議事次第の3番目,「検察官の人事・教育・倫理」についての議論に移らせていただきます。このテーマにつきましても高橋委員から問題の御提起をいただきますので,まず高橋委員から御発言をいただき,また皆さんから活発な御議論をいただければと思っております。 ○高橋委員 私は人事の部分で特に重要なのは能力開発の部分というのがあって,結局,能力が不足で組織に無理が出てきている。その能力不足をカバーするために無理が出てきているという部分も多分にあるのではないかなと思っています。冒頭の方にも書きましたが,能力不足に陥る原因は当然ですけれども,いろいろな意味でのプレッシャーに挟まれているという部分と,それから変化に十分ついていけていないという,専門性の深掘りが十分でないとか,いろいろな部分がありますが,その能力で大きく三つに分けました。19ページを見ていただきますと,まず一番最初にくるのが上級幹部,中堅幹部の役割とは何なのかということをまかり間違っても具体的な案件について上からアクセルを踏む役割ではないよというような部分の再定義を明確にし,リーダーシップコンピタンシーと,これはよく民間企業でも言うんですが,リーダーに求められる思考や行動特性やスキル等について何が重要なのかを具体的に明確に書き下すこと。そして,そういうリーダーシップを自分が発揮できているのかをよく内省してもらって自己変容してもらう。徹底してやるまで追い続けるというような非常にしつこく,ねちっこくやっていくプログラムが必要だと思います。さっきの野田先生のお話ではないですが,人間変わるのには時間がかかりますので。   例えば,具体的に方法論でいいますと,多面評価なども部下,上司,あるいは同僚からの評価も,いきなり人事とか給与に結び付けようと思いますと大変抵抗が強いのですが,まずは自己変容なんだと,飽くまでも自分の気付きに使ってくださいということで多面評価をする。そして,よく使うテクニックですが,例えば自分で先に自己評価をしておいて,「周りの人の評価と比べてどこが同じだけど,どこが違いますね。あなたは皆さんからこう思われていますよ。どうしてそう思われるのでしょうね。今,コンピタンシーはこのように定義されていますよね。こういう行動をしてほしいんです。何が自分には不足だと思いますか。どう変えたいんですか。だったら変えると言ったら変えてくださいね。」と言って,その後必要によってはコーチとかをつけて。私もお手伝いしているケースでありますけれども,こう変わるんだと言って6か月間のプログラムがありました。毎月毎月,月に1回2回コーチから電話がかかってきて,大丈夫ですか,やっていますか,やっていますか,というようなことをずっとフォローしていて,もう1回,例えば半年後,1年後に多面評価をやって,本当に自分は変わるのだと言った部分が変わっているかどうかをちゃんとチェックしますよ。ポイントになるのは最初から多面評価のポイントの高い人がすばらしい人だというのではないんですねと。一番リーダーに求められるのは,自分で変わろうと思ったところの変容ができる人かどうかを見ているんですよというメッセージをしっかり与えていただいて,意識改革ですよね。自分の役割はもう違うんだ,過去の蓄積の上にないんだ,今までの経験の上にあるものではないのだということをよく理解していただくようなプログラムを時間をかけてじっくりと,少なくとも検事正クラスは是非,検事正クラスは典型的なターゲットだと思いますが,その辺りはやっていきたい。それで行動変容を促す。   もう1点が専門性です。先ほどから出ております郷原委員のお話に近いです。私が思い付くだけでも,医療・介護,医療と介護を分けたのは介護というのは単に医療的な部分の介護だけでなく,介護疲れ殺人とか介護の実態はどうなっているのだというのはかなり重要な部分もあると思います。それから金融等です。特殊過失,交通,例えば鉄道とか飛行機などもそうです。それから精神医学系。これはアスペルガーとかそういった問題もございます。それから当然知的障害のケースもある。   それから更生なんていうのもまだ科学が日本は足りないのだろうなと思うんです。本当に人間というのはどうなったらどう更生するのかという科学的な分析やデータを基に更生可能性を判断する,専門性とかそんなところをですね。   こういうそれぞれの分野で10個ぐらいかなと思いますが,分野別専門委員会というものを持っていく。この専門性を蓄積するには二つの方法が一般的にあります。一つは,そういう専門的な知見の研究開発を専門にやる部署を1個作るという方法と,もう一つは普段仕事をしている人たちを幾つかのグループに分けて,その人たちがそれぞれの分野の専門性を普段の仕事をやりながら並行してやる。一般的にプロフェッショナルな世界は後者でないと機能しないんです。研究開発部門を別に設けても,そこは自己満足的な専門性の蓄積をやるだけで,実際の仕事にうまく活用できないということが非常によく起こるので,基本的にはそれぞれのキャリアの中で一定レベルになったら必ず専門性の分野を1個ぐらいは持っていないといけないんだと。それはみんなで分担して持つんだという形にして,通常の所属組織とは横のマトリックス的な組織で,委員会といいますか,何と呼ぶかは別ですけれども,そこに所属するということだと思います。そこの所属の最大のポイントの一つは,それに関する知見を全部,今までの失敗例・成功例を含めて検察が扱った事例がどうなったかを全部そこで蓄積していく。 (後藤委員退室)   さっきの郷原委員の言うように,その専門的な知見を活用していく。もう一つが外部のその分野の専門家と連携し,その人たちから何かというと教えてもらうということです。その専門性の高い人は特に専門分野の委員として認知を受ける。発言的には検事正クラスと同じぐらいに,専門分野の専門員となってくると組織の中での地位といいますか,権威的なものも非常に高いというものを作られたらどうだろうかということです。   もう一つこれに関わるところで後ろの方,22ページのC−4の2番目の●にありますが,これが先ほどの御意見にもあったものに近いんですが,専門官制度というものです。今の検事で,もちろん弁護士経験とか多様な経験で検事として採用するのも,もちろん一つの方法ですが限界があります。かといって検察事務官というのは明らかに検事と今の組織の中では上下関係,例えば医師と看護師的なイメージですね。医療機関になると。どうしてもそうなりやすい。どちらかというと検事に準ずる形で,例えば外務省でいえば専門官というのがありますが,専門性の分野が非常に高い人を違う形で専門官として何かそういう制度が作れないのかな。それは基本的には中途採用でそういう専門的な人を採ってくるか,あるいは行政機関の中で例えば金融庁等もそうですが,非常に専門性と経験の高い人を転籍出向で来てもらうか。もう一つは検察事務官の中で非常に専門性を自分で勉強もし,努力してきた人を検察事務官から登用する形でやる。だから位置付け的においてほとんど副検事と同等か,場合によってはそれより少し上ぐらいの位置付けの専門官というものを分野ごとに何人かずつ作るというのと併せて専門委員会をやって,専門性を組織的に蓄積していく仕組みを作ったらどうかということでございます。   そして21ページにありますのが,基盤的職務能力の向上です。これはむしろ専門的な部分でなく取調べ,供述調書の作り方を含めて,いわゆる不適切なヒヤリハット的なやつがたくさんそこら中で起きているのだという宮崎委員の御意見もございました。いずれにしてもこの部分の基盤的能力というものが弱まっている可能性がある。医師の世界でも最近,PCを使ってカルテを打ち込みながら患者の顔も見ないで診断する人がいるというのが大問題になっているわけです。いろいろな意味で基盤的能力をもう1回しっかり作り直そうよということであります。   例えばそもそも基盤的能力とは何なのかということを明文化してしっかり捉えるということも必要でしょうし,更には初任の検事の最初の数年間の指導体制をもっと充実することも重要でしょうが,日常的なやり方,例えばさっきお話がどこかであったと思いますが,弁護士で確か事例をお互いに持ち寄るというのがありましたが。医師のカンファレンスというのは正にこれです。いろいろな事例を持ち寄って経験豊かな人,あるいは若い人が持ち寄ってきて,これについて私はこう思うんですけどというのに経験豊かな人もいろいろなディスカッションをしていくという,いわゆる事例共有ですね。日常的に普段から職場で事例共有の時間をとる。エアラインでいいますと乙10社等はずっとやっておりますが,フライトが終わった後に毎フライトごとキャビンアテンダントが集まって,今日のフライトの反省点,どこが良くてどこはもっとこうすれば良かったというのを必ず事例を共有する。   我々の様々なデータを取ってみても一番自分の成長に役立っているのは何かといろいろな質問をしますと,データ的に言っても同僚との事例の共有というのが今非常に比重が高くなっています。先輩や上司から教えてもらったことよりも同僚との事例の共有の方が点数が高いんです,学習との関係でいきますと。変化の激しい時代ですから,正にそれなんですね。ですからそういう事例の共有とかお互いを指摘し合う文化,医師の世界でも最近カルテをイントラネットでお互いに公開し合って,お互い同僚同士が同僚のカルテとその見立てを,この見方ってこう簡単に言っているけれども,こういう可能性を考えたのかみたいなことをお互いにコメントし合う,イントラネットで。そういうことをやっている病院もあると聞きます。例えばそういうふうにお互いに刺激し合ったり教え合ったり,事例を共有するような仕組みを,それは初任が終わった後も継続的に職場でみんなが参加してやるような仕組みですね。裁判員裁判でそれに近いものを一部やっていたと思いますが,そういうものを通常の全ての業務においてしっかりと入れていただきたい,一定時間をもって入れるということであります。   それから,人事革新のお話を幾つかさせていただくと,一つが多角的人事情報収集と登用への活用です。多面評価というのはもちろん給料を決めたり,直接つくるといきなりやるわけにはいきませんけれども,いろいろな研修のときの状況とか,いろいろな先ほどの案件監査,それから個人の職務能力監査を含めたいろいろなデータが集まってきます。多面的なデータがいろいろ集まってきます。プロセス的なデータも集まってきます。それを集中的に管理して,特に重要なポストに登用するときには本当にこの人間は識見,人格を含めて間違いがない人間なのかということを相当多面的な情報からチェックできるようなものがないと,やはり誤った登用が起きるのではないのかなということで,この体制をしっかりとつくっていただきたなということです。   それからもう一つは,これは官庁全般で今問題ではございますが,幹部人事の異動の期間が早すぎるのではないかと私は思います。個別の案件の決裁を受けて,豊かな経験をもとに指導するのであれば1年で替わってもいいのですが,この組織をどう変えるんだ,自分のリーダーシップを変革し,この組織をどう変えて学習する組織に変えていくんだということをやったらもっと時間がかかります。ですから1年や1年半で替えずに幹部の異動期間を長期化させる。ただそうすると人事機能全体にいろいろな影響を及ぼしますので,たとえばキャリアパスを複線化するとか,上にいくだけがキャリアでないとか,いろいろな仕組みで多様なキャリア形成のパターンを推進することによって長期化しやすくするという施策も必要だろうというふうに思います。   それから,もう一つが適切な働き方の確保,C−3,22ページであります。これは証明はできていませんが,私は何となく感じているのは今回の様々の問題の一つの背景になってきているのが,大阪地検の場合は特にあるかもしれませんが,裁判員裁判制度が入ってから以降,やはり多忙を極めている。この多忙を極める中で人間というのは余り忙しくなると思考停止になります。その影響がなかったと言えないのではないか。ということで,みんな勤務状況はどうなっているのか。独任官は当然残業の対象ではありませんが,しかしながら,今,安全配慮義務というのは極めて厚生労働省も厳しく問うわけです。まかり間違ってもメンタルから最悪の事態が起きたりすると,これは検事も検察事務官もそうですけれども,検察庁としても大変なダメージを今度は受けると思います。そういうことも含めて適切な業務ができるぐらいの状況にあるのかどうかを常にウォッチして,状況によってはパッと陣容を増強するとか,体制を変えるということができるような仕組みをつくっていただくことが重要ではないかということであります。   そして,付け加えさせていただくと,C−4,多様性の向上ということです。これはここに書いてあるとおりでございます。いろいろなバックグラウンドのある人を採りましょう,あるいは専門官制度を作りましょうということで,組織の中の構成人員の多様化をもっと図りましょうということです。   最後に実効ある組織改革の継続と効果測定です。今までも,検察庁では,いろいろな改革は少しずつやられてきた部分があるようです。でも,日本の民間企業も大体そういうところが多いんですが,何か新しい改革運動をやるのですが,いつの間にか立ち消えになってしまうということが非常に多いんです。ですから,そういうことがないように継続していくためにも,まずは上級幹部によるビジョン合宿を定期的にやっていただきたい。行動規範も先ほどのお話のように,野田先生のお話にもありましたように変化していきます。毎年1回ぐらいは我々の本来の役割どうなんだ,行動規範どおり本当にみんな変わっているのか,何が問題なのかというようなことを,これは合宿でディスカッションいただきたいということです。   一つありますのは,各専門委員会では専門分野の検察の在り方というものを提言するんです,このビジョンに。私は前にもちょっと書きましたけれども,これは何かというと,冒頭のこのレポート,私のレポートにも書きましたが,分野ごとに取りあえず何か端緒があって大玉が取れそうだったらいくかというやり方があっては決してならない。ということはどういうことかというと,例えば,特定の経済事犯や医療過誤などは正にそうだと思いますが,それぞれの専門分野で検察がいわゆる刑事事件として立証することによって果たす役割はどのぐらいのものからそうなのかというようなガイドラインのようなものを事前にディスカッションしないで,たまたま端緒があったからやりましたというのではまた同じような問題を起こしかねないということなので,各専門委員会でそれぞれ専門分野で我々が果たすべき役割というのは,このそれぞれの専門分野で刑事事件として刑事責任を追及する役割はどのぐらいの部分が一番重要なんだということを提案してもらって,本当にこれでいいのかどうかということをこのビジョン合宿で,毎年ビジョンレベルの話は徹底的に幹部が合宿で丸々1日はやってほしいなということでございます。なおかつ,そこで毎年毎年本当に改革が進捗しているのかということをビジョン合宿で確認する。3年,5年続けてそれをやり続けていただきたい。   さらに,その推進担当部署を設けて本当の全ての改革がちゃんと進んでいるのかどうかを検証し報告するというような検察改革推進部と仮称,名前は付きましたが,人数はそんなになくてもいいんですがそういう部門を作って,先ほど野田先生も言われていましたが,例えば乙6社の強さというのは一言でいいますとねちっこさにあるわけです。言い出したことは絶対にやり続けるというところだと思います。世界の優秀な企業はほかとどこが違うかというと,やっていることは必ずしもそんな突飛ではないけれども,絶対にできるまでやり続けるというところの執念がものすごく違うような感じがするんです。それを入れるためにも組織的にそれを絶対に追い続けるという部門もどこかに作っていただいたらいいのではないか,こういうことでございます。 ○千葉座長 ありがとうございました。問題提起まとめていただきました。皆さんから更にいろいろな御意見をいただきたいと思います。 ○江川委員 倫理や教育,人事などに関してですが,今日,資料として配りました中に「倫理規定について」というペラの裏表のがあります。先ほどのヒアリングの中から自発的にそういうものが出てくるのが大事だという話がありましたけれども,そういった雰囲気あるいは価値観が育つにはものすごく時間がかかるということもあり,今,ちゃんと検察官としてあるべき姿は何かという,国民が求めるものとしてある種の倫理規程というものをこちらの方で提案するということは必要なのではないかと思います。その中には,例えば検察の役割というのは事案の真相を明らかにすることに努めることであって,人を逮捕したり,あるいは有罪判決をとることではないという全体的なところから,そのためには被疑者に有利な証拠も積極的に開示しなければいけないとか,あるいは検察がメディアや国民に対して行う情報提供というのはできる限りオープンな環境でなければならないとか,裏側には如何なる証拠も改変してはならないという,こんなの当たり前ではないかと思うかもしれませんが,実際に幾つかのケースが起きているわけです。少なくとも複数起きているわけです。そういったことを盛り込んだものを入れて,そういうものを提案したのをたたき台にして,先ほど高橋委員がおっしゃったようないろいろな中での検討会というもので,これについて自分たちはどう考えるかを議論していただく一つの案みたいなものをこの委員会として出したらいいのではないかと思います。私が書いたのは今までいろいろ見聞きしたことを基本に書いてみましたけれども,そこで実務をやっていらっしゃる方にこういうものが必要なのではないかとか,こういう表現はどうなのかということをもう少し揉んでいただければいいなと思いました。   それからもう一つは,教育の中に含まれると思うのですけれども,いろいろな事件が終結した後,裁判の判決が確定しましたと。一応終わった後に例えば無罪事件が出た,あるいは判決の中で任意性がけられたとか幾つかいろいろな問題点が出てくることがあります。例えば,知的障害のある方の取調べをやって,犯人だと思ったけれども,実際は別に犯人で出てきてしまった。そういうように後からいろいろなことが分かるケースもあります。そういった失敗事例についてちゃんと検証するという,そしてその失敗を共有化することが大事なのではないかと。   宇都宮で知的障害の方の事件があった後,貝塚の放火事件でも知的障害の方の事件がありました。そういった失敗例が共有化されていないがために,あちこちで似たような事件があるいは似たような失敗があるという可能性があると思います。そのためには既に評価が定められるようなケースについて,どうしてこういうことになってしまったのかということを検証するような外部を交えたチームが必要ではないか。それはとにかくいろいろなことを言ってもらうけれども,それに対して処罰をしたり責めるということはまずしない。むしろ原因を突き止める,あるいはそのときの背景を知るということをメインにした,そういったチームを作って,そしてそれはいろいろな研修のときに活用してもらう。そしてその失敗の原因やプロセスなどを全国の検事さんに共有化してもらう。そういうところはやはりセクションが必要ではないかと思うんです。その材料を先ほど高橋委員がおっしゃったように職場での会議のところで自分だったらどうするとか,自分も似たような体験があったとかディスカッションすることで体験を血肉に溶かしてもらう。そういうことができたらいいなということで提案をします。   先ほど,私が提案したのは人権侵害をストップさせるとか,問題があったらそれに対して処罰まではいかなくても対処するという,どちらかというと厳しい面があったわけです。今回のもう一つのチームの場合は全く教訓を学んで教育に生かすという,そういうチームが別個な組織として私は必要なのではないか。一緒にすると処罰されるのか,教育に使われるか分からないということになりかねないのではないかなと。これはどこに置くかはいろいろな方々の知恵をいただきたいなと思っています。 ○郷原委員 過去の失敗の経験から学ぶということは最も重要なことなのに,今まで余り検察の組織はやってこなかった。これは先ほど来高橋委員が話されていること,今,江川委員が言われていることも全く同じだと思います。私もこの紙の最後のところに書かせていただきました。これは新たな専門分野の知識ということもさることながら,捜査の実務の中で今まで多くのものが得られているはずで,それを問題意識をもって考えるかどうかということだと思うんです。内部でも,今までは上司との間の本当に単線的なラインだったので気が付かなかったことが,横でみんなで考えていけば見えてくるのではないかと思いますので,そういった経験知を生かすことが人事,教育という面でも重要だと思います。   もう一つ,根本的にこれから先の検察の組織の人事,キャリアというのをどういうふうにイメージするかということです。アメリカのような40代の前半ぐらいで現場の検事はおおむね辞めて,後は政治任用で幹部の方は登用されるというシステムと,私も余り詳しくはありませんが,以前,出張した際に会ったドイツの検事の話のよると,ドイツの検察官は専門性が高くて博士号を持ったような検事もたくさんいるということでした。そういう人たちがずっと一生そういうキャリアでやっていく。日本の場合はどちらでもなくて,現場ではめちゃくちゃ大変な思いをして働くけれども,ある一定の年次以降は何となく希薄になっていって,リーダーシップがあるわけではない,専門性があるわけでもないという部分が全体としては労働生産性的に非常に無駄になっているのではないか。先ほど高橋委員が言われたような組織全体の知的なパワーを高めていく,品質を上げていくためにはやはり無駄なところをもうちょっときちんと整理もしていかなければいけない。そういう意味では今のような先ほどのヒアリングで地域割りの事業部みたいな組織だと言われておりましたけれども,そういう形だけでこれから10年先,20年先の検察はいいのか。もう少し大きな長期的な人事のビジョンというものを考えてみる必要があるのではないかという気がします。 ○宮崎委員 前回,倫理についても簡単に言及しておりますが,今日は「教育研修の在り方について」というペーパーと「検察官倫理について」というペーパーを二つ出させていただいています。まず申し上げたいのは,教育研修の在り方についてであります。高橋委員からどのようなトレーニング方法がいいのか,あるいはどういう体制がいいのかということをお話になりましたけれども,要はそういう教育の中で教えられるべき内容であろうかと思います。我々の方ではそもそも検察官については人権教育がほとんどなされていなかったのではないか,このように考えているところです。私も最近,こういう委員になりまして司法研修所の検察講義案というものを読ませていただきましたけれども,検察官の心構えというところで被告人の人権に触れているところがないなと,こういう具合に思いました。犯罪被害者の取扱いについては数行書いてあり,ただ被告人,被疑者の心情に思いをいたして適切な取調べをせよ,こういうことが心構えのところに書いてあるなと思いました。   それをなぜ言うかというと,従来から日弁連も申入れをしているところでありますけれども,例えば国際機関から再三人権教育をしろ,こういう勧告,意見を受けているわけであります。自由権規約委員会の日本政府の報告書審査では,法律家に対する国際人権法教育について次のような勧告がなされています。1998年と2008年,10年後の2008年とです。その中でいずれも委員会は裁判官,検察官及び行政官に対し,規約上の人権についての教育が何ら用意されていないことに懸念を有するというのが1998年であります。2008年につきましても,締約国は規約の適用と解釈が,裁判官,検察官及び弁護士のための専門的教育の一部に組み込まれることが必要である,こういう勧告をしているわけであります。そういう形でページをめくって2ページですけれども,今回のえん罪とか,あるいは証拠の偽造とか,あるいは調書の押し付けとか,こういうことをなくすためには法曹倫理と国際自由権規約の解釈,適用を中核とする国際人権法に基づく刑事司法の在り方についての教育・研修を義務付けるように要請をされているわけです。その結果,裁判所は2ページの真ん中ぐらいですけれども,裁判所,司法研修所の教育と裁判官の新任・継続研修についてはこういう勧告を受けて,裁判官の新任研修においては自由権規約委員会の委員による講義等がなされるなどしているわけですけれども,検察官に対する新任研修や継続研修でこのような研修を実施されたという報告は受けていないわけであります。したがいまして,少なくとも国際人権法の諸原則に従った捜査・公判の在り方についての教育・研修を必ず実施するということをするべきではないか,このように考えているわけであります。   その中身ですけれども国際人権に関する中身につきましては例えば3ページの四角の中で書かせていただいたおりますが,捜査や公判の過程において講義ではなくて具体的なケースに則して,高橋委員がおっしゃっておられますけれども,問題解決型のそういう内容を教育内容として取り入れることが必要ではないか,このように考えております。   ちなみに3ページの欄外で注3として書かせていただきましたけれども,刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の13条3項は刑務官には被収容者の人権に関する理解を深めさせという,こういう形で知識,技能を習得させる,こういう条文になっておりまして,既に刑務官に対する人権教育・研修においてはロールプレイ方式などを活用した実務研修が取り入れられているところであります。   検察の講義案ということだけでなしに,高橋委員におっしゃったように国際人権規約に基づく人権教育をしつこくしつこく教育をしていただく。こういうことが必要ではないのかなと考えているところであります。   また,仕事に就いてからだけでなく,法科大学院の教育も重要でありますけれども,法曹倫理のテキストについてやはり検察官倫理というものは我が国で成文化されていないものですから,法科大学院については弁護士倫理の教育はかなり詳細に行われているわけでありますけれども,検察官倫理についての教育は極めて手薄である,このように考えているところであります。   以上,教育・研修について,その中身について人権教育を充実すべきではないか,と申し上げました。また倫理につきましては検察官倫理について,これから考えるかとか,練り上げていくかということもありますが,既に様々な国際会議において検察官の倫理というものについてはかなり成文化されたものがあるわけであります。これらのものを参考にして検察官倫理を早急に定める。グローバルスタンダードで検察官の役割,倫理について成文化していくことが必要ではないか,このように考えているところであります。 ○石田委員 先ほどお配りしましたペーパーの前半の部分,検察官の倫理・行為規範ということについて私の考えを述べたいと思います。今,宮崎委員が倫理のことについて触れられましたが,それに関連するところをもう少し詳しくお話しさせていただきたいと思います。御存じのように現在,我が国では検察官固有の倫理・行為規範というのはありません。今回の報告書ではこの点について46ページ(公表版43ページ)に公正な検察権の行使に関する基本的な原則ないし心構えを取りまとめて公表するとされております。しかし,検察官の倫理・行為規範というのは検察権の行使が国民の負託に由来することを理念として具体的に確立するということが必要であろうと思います。そして,これを個々の検察官の規範として徹底させていくということが必要ではないかと思います。その必要性については既に前回まで述べたとおりです。   もちろんこの規範の制定という形式的な統制のみでは効果が期待できるものではありません。しかし,私も何件か,えん罪事件の弁護に携わっておりますけれども,先ほども議論されましたように,そこの中で全く同じようなことが行われている。というのはやはり検察官に基本的な倫理規範あるいは行為規範といったものが存在しないからではないかと思います。ですから検察官の特殊性や今後の様々な場面における検察官の倫理教育の必要性を考えれば,一般の公務員の規範を超えた具体的な倫理規範,行為規範を明文化するということが最低限必要であると考えます。   その具体的な倫理あるいは行為規範の内容などですが,先ほど宮崎委員が御指摘になりましたように国際的な基準あるいはABA(American Bar Association)ではこれまでいろいろな形で法律家の倫理,特に検察官の責任等についてもいろいろな基準を規定しておりますが,そういう基準。あるいはまた,前回,但木委員も引用されましたけれども,最高裁判所の判例などでも検察官はこうあるべきだといった原則を打ち出している部分もありますので,そういった事項,それから御存じのように警察の段階では犯罪捜査規範などのような国家公安委員会の規則等もありますので,こういった内容が参考になるのではないかと思います。   参考となる資料の目録は配布した書面の5ページ以下に指摘したとおりです。取り分け配布しました資料1は「検察官の役割に関するガイドライン」,“Guidelines on the Role of Prosecutors”という有名な採択されたものであります。   また2番目の「検察官の職責と基本的権利義務に関する声明」は,1999年の国際検察官協会で採択されたものであります。資料2−2は昨日急いで必要と思われるところだけを仮に訳したものをここに書いておきました。拙い英語力ですので訳が間違っている可能性は十分にありますので,余りこの訳は信用しないで,原文の方をお読みいただきたいと思います。   この表題からして,私は「検察官の職責と基本的権利義務に関する声明」と訳していますが,原文は“Standards of professional responsibility”と書いてありますので,「検察官の職責の基準と基本的権利義務に関する声明」というふうに訳するのが直訳的には正確かもしれません。   これらのガイドラインとか声明は,我が国も当該国際会議に参加して採択をしたものであります。したがって,最低限これらの内容は倫理・行為規範として明文化すべきことは当然のことだと思います。この「検察官の役割に関するガイドライン」につきましては,2010年,昨年11月1日の参議院の法務委員会において指摘され,法務省刑事局長も答弁をされております。それはここに引用しておりますが,これが全会一致による採択ということで,我が国もこれに参加して賛成をしている。内容については,検察官等への周知が図られたものと認識をしていると答弁をされております。   具体的に,これらのものがどのような形で検察官に周知が図られているのか分かりませんが,ここの中にはこの資料の中にアンダーラインを引いておきましたが非常に重要な事項が規定されております。先ほど説明しました声明の項には検察官は人間の尊厳,人権という普遍的な考えを尊重すべきであるということや,被告人に有利な証拠が開示されることを確実にすることなどが述べられております。   また,これとは別に有名なABAの中には法律家責任規範の倫理条項の7−13であるとか,法律家職務模範規則の規則3.8条,「検察官の特別な職責」という項がありますが,これなども参考になります。その内容はインターネット上でも容易に見ることができますので,重要な事項のみ資料として翻訳を添付しておきました。この翻訳は出版されているもので,それぞれに権威があるものですので,信用してもいいと思いますが,若干どうかなと思うところもありますが,資料としてはここに引用をしておきました。原文はインターネット等で検索できますので御覧になってください。   そこでもう一つ付け加えておきますが,御存じのように富山事件と志布志事件につきましては警察庁が平成20年に「この問題に関する警察捜査の問題点について」という報告書を公にされております。そして,これに基づいて国家公安委員会では被疑者取調べ適正化のための監督に関する規則というものを制定されております。この辺りは佐藤委員の方が詳しいのではないかと思いますが。この中で取調べに関しては,直接又は間接に有形力を行使すること,殊更に不安を覚えさせ,または困惑させるような言動をすること,一定の姿勢や動作をとるように不当に要求することなど,6項目にわたって,それを取調べの監督対象行為としてこれを監視する取調べ監督官の制度を設けてこれを監視する制度を設けております。このような諸資料やこれまでの検察権の行使で問題にされた事例等を参考にするなどとして,倫理・行為規範の具体的な内容はいかにあるべきかということを考えなければいけないと思います。   その内容は今後の捜査,公判活動の在り方の議論の帰すうにも関わってくるとは思いますが,私は配布した書面の3ページで記載したような内容をまず考えていくべきではないかと思っております。時間の関係で全部は読み上げませんけれども,例えば検察官は人格の尊厳と人権を尊重しなければならないといったことや,あるいは検察官の職責は有罪を求めることではなく正義を求めることにあることとか,任意性に疑いを抱かせるような取調べはしてはならず,これをしたときには速やかに中止させなければならないといったようなところでありますので,内容はここで読んでいただきたいと思います。 ○千葉座長 ありがとうございました。今日はこの辺で一区切りしたらいかがかと思います。この問題につきましてはまた次回にも皆さんに御議論いただく時間もございますので,今日は大変貴重な問題提起をいただいたということで,この辺りで閉じさせていただければと思います。   それでは本日は予定しておりましたものは全て終わっておりますので,終了をしたいと思っております。長丁場でございましたがありがとうございました。   次回は,先ほど申し上げましたとおり2月17日,定刻より30分早めて午後1時からということにいたしまして,ヒアリングを冒頭でさせていただくということにしたいと思いますので,よろしくお願いを申し上げます。   それでは本日は以上でございます。どうもありがとうございました。 −了−