検察の在り方検討会議 第9回会議 議事録 第1 日時  平成23年2月17日(木)  自 午後 1時01分                       至 午後 4時51分 第2 場所  法務省第1会議室 第3 議題  1 ヒアリング  2 「検察官の人事・教育・倫理」についての議論  3 「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」についての議論  4 その他 第4 出席者 千葉座長,石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,佐藤委員,嶌委員,高橋委員,但木委員,龍岡委員,原田委員,宮崎委員,諸石委員,吉永委員 第5 その他の出席者 黒岩法務大臣政務官,事務局(神,黒川) 第6 説明者 村瀬勝美氏(谷口典明弁護士同席) 第7 議事 ○千葉座長 予定の時刻となりましたので,検察の在り方検討会議の第9回会合を開会させていただきます。本日も御多用の中,御出席,誠にありがとうございます。   なお,事務局の土井先生におかれましては,所用により欠席されておられます。また,井上委員は,30分程度遅れて御出席と伺っております。   まず,事務局から配布資料の説明をお願いいたします。 ○事務局(黒川) 配布資料の確認をさせていただきます。本日,皆様のお手元にお配りしております資料のうち,事務局で用意させていただいた資料は議事次第のみでございます。   そのほかに皆様のお手元には,本日のヒアリング対象者である村瀬勝美氏作成の資料のほか,石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,嶌委員,龍岡委員,宮崎委員,諸石委員がそれぞれ御準備された資料をお配りしております。本日の配布資料は以上でございます。 1 ヒアリング ○千葉座長 それでは,議事次第1のヒアリングに入らせていただきます。御案内のとおり,本日は,村瀬さんからヒアリングを行うこととしております。ヒアリングの時間は,お話を伺う時間と質疑応答の時間を含めて30分程度とさせていただき,午後1時35分から40分頃までを目途としたいと思いますので,議事の進行に御協力をお願いいたします。 (村瀬氏,谷口弁護士入室) ○千葉座長 村瀬さん,本日はお忙しい中,本検討会議にお越しいただきまして,誠にありがとうございます。本検討会議におきましては,今般の大阪地検特捜部における一連の事態を踏まえ,検察の在り方について,幅広い観点から抜本的な議論・検討を進めさせていただいております。本日は,本検討会議における議論の参考とさせていただくために,捜査を受けられた御経験などを基にお話をお伺いしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。   最初に事務局から,村瀬さんの御紹介をさせていただきます。 ○事務局(神) それでは御紹介申し上げます。   村瀬さんは,名古屋市緑政土木局長を務められ,平成15年11月4日,競売入札妨害への関与を疑われて名古屋地検特捜部に逮捕され,同月25日に起訴されるとともに,同日,別の競売入札妨害への関与が疑われて逮捕され,同年12月16日に起訴されましたが,平成19年2月16日,名古屋地裁で無罪判決を受けられ,その判決が確定いたしました。本日は,この事件の御経験を踏まえてお話いただけるものと思います。よろしくお願いいたします。 ○千葉座長 なお,本日は,村瀬さんの弁護人を務められた谷口典明弁護士に同席していただいております。それでは村瀬さん,よろしくお願いいたします。 ○村瀬氏 ただ今,御紹介いただきました,元名古屋市緑政土木局長の村瀬勝美でございます。よろしくお願いいたします。   本日は,このような場にお呼びいただきまして,千葉座長を始め,委員の皆様には,大変深く感謝申し上げます。   本日,私と,事件当時私の部下で道路部長をしておりました甲12さんが,身に覚えのない罪で長い間苦しめられ,いまだに自分たちが納得できる名誉回復措置がなされていない状況などにつきまして,お話しさせていただきたいと思います。   それでは,限られた時間でございますので,お手元の資料に基づきながらお話しさせいただきます。   私たちの事件は,名古屋市道路清掃談合事件と言われまして,私と甲12さんは事件の発生した平成15年4月当時,それぞれ緑政土木局長と道路部長という立場にございました。事件全体の流れは,今,事務局の方から御説明いただきました。ただ,お手元の資料には,まず,平成15年11月4日に逮捕された車道清掃業務委託につきまして,第一の事件としてございます。それから,平成15年11月25日に再逮捕されているわけですけれども,これを第二の事件と分けさせていただきました。これも理由がございますので,後で御説明申し上げます。その他のことにつきましては,先ほど事務局から御説明いただきましたので省かせていただきます。   私どもは,逮捕が平成15年11月4日,無罪が確定したのが平成20年12月6日ということで,実に5年1か月かかったわけでございます。検察側の上告断念の方針が伝えられました12月3日の「司法ジャーナル」に,次のような記事が載っておりました。「特捜部の摘発した中央・地方公務員・高官の犯罪で無罪例が確定したのは今回が初めてだ。しかも,検察の威信をかけて名古屋市の腐敗摘発だった。」というものでした。   私は,司法の専門家ではございませんので,特捜事件で初めての無罪確定だったかどうかは分かりませんけれども,仮に初めてであったとすれば,その後の検察内部におかれまして私たちの事件について真摯な反省がなされていなかったのではないか,そんなことが,その後の村木さんや小堀さんなどのえん罪事件につながっていると,私は確信しております。その意味でも,私たちの事件のことを委員の皆様に聞いていただきたいと思います。   なお,委員の皆様には江川委員が「文藝春秋」に書かれた記事のコピーが配布されていると伺っております。取調べの状況につきましては,この江川委員の書かれました「文藝春秋」を参照していただきまして,できるだけ重複する部分を省かせていただきます。   私は,第二の事件,いわゆる歩道清掃業務委託で再逮捕されたときに,検察の持つ権力の大きさにおののきました。検察は,どんなに些細なことでも恣意的に事件にしてしまえる強大な権力を持っており,とてもあらがえるものではないと痛感しました。私は,第二の事件での勾留期限の10日間の延長通知を受け取ったとき,ただもうがく然としました。その数日後に検事の執ような脅しやすかしに屈する形でやむなく検察の主張を認める調書の作成に応じることにしました。   私が検察の主張を受け入れた理由につきましては,江川委員が書かれたように,第1に父親の認知症の件がありまして,年末までにはどうしても家に帰りたかった。検事は,そんな私の思いを見透かすように,このまま否認を続ければ,更に事件を拡大して他の関係のない職員も逮捕すると脅し,私が否認を続けたまま起訴された場合には保釈されるのは公判が始まって証人尋問が終わる3年先になるという説明をしました。検事は,その説明の中で,役所側の証人の数だとか業者側の証人の数,こういうものを細かく挙げまして,具体的に保釈までの期間を計算して示されましたので,私としても信用せざるを得ませんでした。後で知ったことですけれども,甲12さんも,別の担当検事から同じ説明を受けたそうです。   私は,正月までに家に帰られるならと思い,12月8日夜になってやむなく供述調書の作成に応じることにしましたが,罪を認めるといっても,私には全く身に覚えのないことなので,自分がどのように事件に関与していたのか,自分からは供述することができませんでした。ところが,検事の手元には,事件関係者のA3版の供述一覧表が出来上がっておりまして,私が供述しなくても他人の供述をつなぎ合わせれば供述調書を作成できるようになっていたわけでございます。当時の検事は,とにかく調書が出来上がれば裁判に勝てるという供述調書至上主義で,調書の中身が客観的な証拠と矛盾していたとしても有罪にできるというおごりがあったのではないかと私は思っております。   次に,今回のテーマにございますように,一審の公判で明らかになりました捜査の内容,それと,とても検察のやることではないというような公判の進め方につきましてお話しさせていただきます。お手元の資料の2を御覧ください。第一の事件と第二の事件について検察の描いた事件の流れ,すなわち構図を示してございます。あえて事件を二つに分けてございますのは,検察の描いた事件の流れが,不思議なことに途中で変更されていますので,あえて二つの事件を区別して,これからお話しさせていただきます。   検察は,第一の事件を立件するに当たりまして,資料に示してあるように,平成13年4月の懸案事項説明で業者に予定価格を教えていると部下から報告を受け,了承していたという前提に立ちまして,事件の構図を次のように描いたことが公判内容や供述調書の内容から明らかになりました。第一の事件は,名古屋道路清掃協会の「業者代表格A」が平成14年11月11日に開かれました総会の場で会員から発議を受けて,現金100万円を翌年に予定されていた市会議員選挙の応援のため,表に必勝と書いたのし袋に入れて平成14年12月か平成15年1月頃のある日,市会議員に渡したところからその流れが始まっていました。そこのところの流れは資料のとおりでございます。   次に検察は,否認を続けた私たちの勾留期間を引き延ばし,更に取調べを続けるために第二の事件を無理やり立件しました。そのために,検察は事件の流れの変更を余儀なくされたわけです。そこで検察は,現金授受の時期を業界の総会前の平成14年10月28日という具体的な日付にして,その後の事件の流れを作り変えてしまいました。資料2の2枚目でございますけれども,平成14年10月28日に「業者代表格A」から市会議員に現金が渡され,それを受けて市会議員が歩道清掃の入札が行われる前に私に電話を架けて働きかけを行い,第二の事件とそれに続く第一の事件の流れにつながったという筋書きでございます。   検察が一審の公判に提出した「業者代表格A」の供述調書に,現金授受の日付の違う2通の供述調書がございました。200万円を渡したわけではございません。飽くまでも結果は100万円でございます。いずれの調書もS検事が「業者代表格A」から聴取したものでございます。1通目は私たち2人が逮捕される前の平成15年10月27日作成のものでございまして,市会議員に現金を送るために現金を用意した状況や渡した状況が非常に具体的に述べられておりまして,より信用できる内容でございました。ところが,現金授受の日付が平成14年10月28日と特定されている供述調書は,ただ単に現金100万円を渡したとだけ述べられており,調書の日付は平成15年12月7日になっていました。   同じ検事Sが,同じ「被疑者A」から違う内容の供述調書を取り,何ら変更の理由を聴取することなく,事件の内容を変更することなど全く考えられませんでした。私たちは,この事件でたくさん作成されている供述調書について,全く信用に値しない検事の勝手な作文が数多く作られたと思っております。そのようなでたらめな供述調書を証拠にして,平成16年6月22日に言い渡された,これは資料1に書いてございますが,市会議員の判決文には,平成14年10月28日に賄賂を収受したと日付が明示されてございました。   私たちは,一審の弁論の中でも,弁護人からこの点を追及してもらいましたが,検察からは何も弁解がなく,それどころか,私たちの疑問を無視したまま控訴までしてしまいました。私たちは,捜査担当検事は,なぜ内容の全く矛盾した供述調書を理由もなく作り上げたのか,更に公判担当検事は,何故内容の矛盾した2通の供述調書を公判に提出したのか,今もって不思議でなりません。当検討会議でも,当時のそれぞれの担当検事からヒアリングを行っていただき,是非真相を明らかにしていただくことを切望いたします。   ところで,先ほども述べましたように,検察の筋書きでは,私や甲12さんの事件関与の前提として,部内で行われる懸案事項説明という場を設定しておりました。私の場合,具体的には資料2の冒頭にございますように,道路部長であった当時の平成13年4月に懸案事項説明の場で,課長らからこの報告を受けて了承していたという前提で罪を問われました。裁判で一審,二審とも最大の争点になりましたのは,この平成13年4月の懸案事項説明が実際に行われたかどうか,担当課の課長や各係長,主任級の係員等,十数名が居合わせる説明の場で,事件になり得る内容の話がされるかどうかという点でした。   そもそも,名古屋地検の特捜部検事は,最初から大きな誤解をしていました。名古屋市の懸案事項説明という行事は,正しくは人事異動で上司である部長等が交代した場合に限り,新任の部長等に対して,各課がその仕事の内容を説明すると同時に当面の懸案事項について説明する場でありまして,人事異動が行われなければ行われない,そういうことなのに,毎年4月に定期的に行われていたと誤解をしていたのです。   平成13年4月について言いますと,この年は部長以上に異動はなかった。私も12年度に引き続き道路部長の立場でありました。懸案事項説明は行われていなかったのが客観的な事実でございました。これは正に,村木さんの場合と同じで,国会議員が事件関係者と話し合いをしたと主張したその日に国会議員がゴルフ場にいたという事実と酷似しております。取調べの段階でも,証拠として押収されていた当時の私の手帳を見ればすぐ分かるはずなのに,手帳を私に見せて確認することもありませんでしたし,この懸案事項説明というものは,各課が資料を作成して部長に説明するもので,懸案事項説明が行われていれば必ずその資料が残っているはずです。そんな疑問さえ,私にぶつけようとしませんでした。   この事実は,弁護人が名古屋市に照会して,公判で名古屋市からの正式回答を示したことによりまして明らかになったわけでございます。検察は,公式な懸案事項説明がなかったことが判明した後も,正式でない懸案事項説明があったと主張するなど,一審の判決文の中で,裁判長から,平成13年4月の懸案事項説明がなかったことが判明した事態に至って,検察官が正式でないものとして懸案事項説明があったと主張することは理解し難いと指摘される,見苦しいと言うほかないような対応でした。また,懸案事項説明用の資料の存在を問われた公判検事は,内容も使用目的も全く違う資料を突然公判に提出し,証人である当時の係長に,これが資料ですと言わせましたけれども,弁護人からの追及に対して「私は分かりません,課長ではないから。」と,一審,二審とも裁判長が判決の中で「意識的な虚偽供述ではないかと疑われる。」と言われたほどの無謀振りでした。   こんなでたらめな立証でしたから,当然,私たちは一審で無罪判決をいただきました。しかし,それにもかかわらず,検察はあきらめずに控訴手続をしました。控訴審になっても結局,平成13年4月の懸案事項説明の有無が争点になりましたが,検察は,更に説明に使用された資料ということで,今度は課内で使用されたレクチャー資料を臆面もなく提出するなど,被告人の人権などまるで無視し,無罪確定を少しでも遅らせるための嫌がらせとしか言いようのない対応でした。以上,資料の中で重要な点について述べさせていただきました。   次に,現在の私たちの検察に対する心情と,今後の検察の在り方につきまして若干述べさせていただきたいと思います。私たちは,先ほども述べましたように,検察の理不尽な捜査・取調べ,無理な起訴・公判のために約5年という貴重な時間を失いました。時間だけではありません。公務員としての名誉や,何よりも,当時,局長や部長として仕事に専念しようとしていた矢先に事件に巻き込まれ,大好きな仕事を奪われ,いまだに非常に悔しい思いを持ち続けております。無罪が確定した後も検察からはいまだに謝罪の言葉もありません。それどころか,当時捜査の指揮をした名古屋地検の元特捜部長からは,つい最近のマスコミからの取材に対し,「検察としては立証し尽くしたと理解しております。」などというばかげたコメントが発せられていました。検察が立証し尽くしても完全無罪であった私たちの立場は一体どうなるのでしょうか。   私たちは,人権無視に近い取調べを受け,おまけに連日大きく犯罪者としてマスコミに報道された刑事被告人とその家族として,肩身が狭く困窮した日々をじっと耐えてきました。この元特捜部長の言葉は,検察が郵便不正事件でこれだけ世間を騒がせ,自ら検証までしているこの期に及んでも全く反省していない証左であると思っており,私たちは,到底納得することはできません。   最後に,私たちからお願いを申し上げます。検察は,私たちのようなえん罪事件を未然に防ぐため,事件の捜査に当たりましては,取調べの全面可視化はもちろんですけれども,まず,証拠の適正な評価と容疑者に対する証拠の小出しをやめて,被疑者と弁護人立会いの下,証拠の全面開示をすることが是非必要だと思います。私たちの場合でも,先ほども申し上げましたように,平成13年4月の懸案事項説明が行われていなかったことくらい,私の予定を書き込んである手帳を他の年の手帳と見比べれば一目瞭然でしたし,行われていればつづられて残っている資料があったはずです。検察が何故そんなことに疑問を感じなかったのか不思議でなりません。こんな場合,例え捜査の途中でも,筋書きの違う事実が判明したら,そこで一旦立ち止まる勇気を是非持っていただくべきです。   私たちの事件も,何人かの検事がチームで捜査に当たったと思いますけれども,その組織内で都合の悪いことは言い出しにくい雰囲気があったのではないかと思っております。その証拠に,私が調書の作成に応じたときの検事の安堵した姿は今でも目に焼き付いております。これはチーム内で,ようやく私が認めたのでほかの検事に頭が上がるということかと思います。また,一審で完全無罪の判決が出たにもかかわらず,検察が自分たちの間違いを認めようとせず,紙切れ1枚の控訴手続で簡単に私たちの貴重な時間を奪い,私は,復職がかなわぬうちに定年を迎え,市役所を退職することになってしまいました。私の立場は,名古屋市役所では,いまだに起訴休職のまま定年退職した人間という中途半端なままですし,甲12さんも,無罪確定後市役所に復職はしたものの,村木さんのように花束で歓迎されるというのとは全く逆に,当時の市長からは労いの言葉もなく,部下が有罪だったことを理由に甲12さんにも非があるような言動をされ,復職の挨拶回りさえ認めてもらえず,今も肩身の狭い思いを抱いたままです。   私たちは,地方公務員として三十数年もの長い間,ひたすら市民のために真面目に,しかも自分の家庭を犠牲にしながらも一生懸命働いてきたのに,最後に検察のずさんな捜査のためにその苦労は全く報われず,私たちの今もなお不本意に失われた公務員人生を返してほしいという思いで一杯というのが今の偽らざる心境です。以上です。ありがとうございました。 ○千葉座長 ありがとうございました。それでは,委員の皆様から村瀬さんに御質問がございましたら,どうぞお願いいたします。 ○後藤委員 これは弁護人の方にお尋ねした方が分かりやすいかと思いますが,村瀬さんのお話の中で,同一の人について矛盾する内容の検察官調書を検察官が両方請求したとおっしゃいましたが,それは,村瀬さんに対する証拠として両方を請求したという意味でしょうか。 ○谷口弁護士 そういうことでございます。 ○原田委員 弁護人の方に伺うのですが,控訴審で,検察官は何か新たな証拠というものでも出したのかという点と,先ほどからの懸案事項説明の点について,法廷でもあるいは判決の中でも指摘があるのに,それに対してはどういう見解に基づいて控訴を申し立てているのでしょうか。 ○谷口弁護士 新たな証拠としては,懸案事項説明の資料とは似ても似つかないものを,これがレクの資料であったということで持ち出してきました。あとは,検察側の主要な証人の1人の元係長にもう1度,その似ても似つかぬ資料を基に証言をさせたということでございます。   懸案事項説明がなかったということに対しては,飽くまでも懸案事項説明はなかったかもしれないが,非公式なレクはあったというストーリーで押し通してきております。 ○嶌委員 村瀬さんのおっしゃられた流れはよく分かったのですが,弁護人の方はこの5年間の中で,どの時点で引き返すべきだったというか,止めるべきだったとお考えになりましたか。そして,それがこんなに長く延びてしまったのはなぜだったのかとお考えになりましたか。 ○谷口弁護士 私の見解といたしましては,懸案事項説明は客観的な事実として存在しなかったということが分かった時点で,無罪論告をしてもおかしくなかったのではないかと思います。遅くともその段階では引き返していただきたかったと思っております。 ○嶌委員 それをまた新たな裏資料というか,裏の説明があるというようなものを出してきたときに,それの信憑性とか,そういったことについて相当議論があったと思うのですが,その辺はどうだったのですか。 ○谷口弁護士 市役所という組織を知っているものとしては,こんなものは説明の資料ではないことが明らかに分かるようなものでございました。それを裁判所の方に理解していただくという弁護の方向になっておりました。 ○嶌委員 逆にいうと,裁判所の方もそういう役所の実態はよく分かっていなかったことも事件を長引かせたと取れますか。 ○谷口弁護士 裁判所の方は,検察の主張・弁護側の主張を公平に判断していただいて,最初は市の組織,情報,指揮・命令の在り方は当然御存知なかったのですけれども,弁護人の方の主張には十分耳を傾けていただいたと理解しております。 ○吉永委員 いろいろな検察官の方がいて,村瀬さん1人に対してチームでという感じになるかと思いますが,その中で,例えば,前提を再確認しようとか,やはりこれはおかしいのではないかというような,ちょっと疑問に感じている人が1人でもいた感じなのか,それとも全く全員が同じ方向に固まっていたのか,あるいはその場合にそういうものを感じていても実は言えないというような雰囲気を感じ取ったりなさったことはありますでしょうか。 ○村瀬氏 当時,主任検事がいらっしゃいまして,私は,1人の検事から最初から最後まで取調べを受けたわけですけれども,やはり,周りがずっと認めてきた,先ほどの構図にございましたように市会議員も認めた,100万円を贈った人も認めた,周りがずっと認めて,私と甲12さんだけが認めていないという状況の中で,本当に土曜日も日曜日もなく夜遅くまで取調べが行われたわけですけれども,やはりかなり悩んでいらっしゃいました。ただ,私は局長という立場でございましたから,机を叩くとか暴力的なことは一切なかったのですが,かなり悩まれていたのですが,私もとにかく年末までに,江川委員の記事にも書いてございますけれども,12月26日で御用納めだったのです。どうしても帰りたいという気持ちが先に立ちまして。   私はどちらかというと,裁判所にチェック機能があればできると思うのですけれども,第一の事件の10日間,10日間,第二の事件の10日間,10日間で,合計40日ありますね。40日のうち30日否認しながら頑張ってくれば,何かおかしいのではないかと裁判所も気が付いてくれれば良いのですが,そのまま,全く膠着状態の中で勾留延長が行われたということで,私もがく然としました。私が認めるということを申し上げましたところ,弁護士の先生からは絶対にアカンということを言われたのですが,認めることになりましたときには,検事は本当にほっとされて,私が認めることになったその夜は,ちょうど12月でしたから,それまで延びていた忘年会もされて「夕べはちゃんと忘年会もできたわ。」と,そんなことでした。 ○江川委員 一つは,村瀬さんの方としては,早く帰りたいということだったと思うのですが,しゃべれば,あるいは認めれば早く帰してやる,あるいは保釈になるという話はあったのか,あるいはしゃべった後に,だったら早く保釈してやろうとか,そういうことがあったのかどうかということを確認します。もう一つは,記憶にないとか,もう忘れてしまったようなことは,恐らく資料を見せてくれとおっしゃったのだと思いますが,そういうときの検察官の対応について具体的にお話しください。 ○村瀬氏 保釈につきましては,最後は検事さんと私の早期保釈対策会議でございまして,調書も先ほども申し上げましたように,A3版の一覧表に基づいて,ちょうど私と甲12さんのところだけが空白になっていて,誰々,こういう事柄についてダァーとこう,一覧表になっているわけです。それに基づいて検事は,役者の方が台詞を覚えられるように私の周りをうろうろと回りながらしゃべり,横にいた事務官がパソコンに打ち込む。私もなるべく疑問を挟まないように,出来上がったら署名,サインして指印を押すというところでやってまいりました。   12月16日の頃になりますと,手続のことをいろいろ教えていただきました。私の弁護人,先生とその父親と2人おりましたけれども,2人とも当時は民事の方がどちらかというと専門でした。いわゆる刑事手続といいますか,第一の事件は起訴勾留が付いているよ,第二の事件は起訴勾留を付けない予定だということを言われました。それを弁護人に伝えて,とにかく16日に起訴するからすぐに保釈申請を出しなさい。保釈申請を出すと同時に,弁護人は主任検事のところに行って,まず頭を下げて,私のこういう事情を説明してもらいなさい。こういうアドバイスをいただきまして,私は必死になりまして,弁護人にお話しして,それでやっていただいたわけです。   そうしましたら,17日に保釈申請を出して,検察からはしかるべくという回答が出て,18日の昼までには保釈決定が出されて,18日のうちに家に帰ることができました。それが保釈の経緯でございます。   それから,懸案事項説明というのは検事が非常に誤解していると,取調べ途中に思ったのです。ですから,私の手帳を見せてくださいと。しかしそれは,お前が言い訳をするために手帳を見せろと言っているのではないか。懸案事項説明の資料についても,資料を見せてくれと言っても,それを見せた途端にお前は言い訳をするのではないか。   それからもう一つ,本日はお話ししませんでしたけれども,もう一つ私が疑われたのは,部下に対して設計額の水増しをしたと。これは裁判では争点にはなりませんでした。なぜなら,ただ単に検察・検事が誤っていた。それは新たな証拠を見れば必ず分かったのに,それを見ずに水増ししていたと。この水増ししていたということは,私の公判でも,私を取り調べた検事は,捜査当時のことをしゃべるときに「村瀬さんは水増しを指示していた。」と言っておりましたので,まず間違いないと思います。ただし,私は水増しをしているはずがないのだから,発注した設計書を見せてくださいと申し上げましたけれど,そういう資料を見せた途端にお前たちは言い訳を考えるということを言われました。例えば,こういう資料を見せれば,前後を見て自分たちでも思い出せるのに,この中の1枚だけを取って「これが証拠だ」と見せられても,私たちにとっては,道路清掃というものは,日常の仕事の100分の1以下の占有というか,もうほとんどないわけです。ないものですから,思い出せと言って1枚の資料だけを見せられて,こうではないかと言われても,「それは思い出せません。」といったことで,あの取調べの状況はまるっきり,この前,村木さんがおっしゃっていらしたように,レフリーのいないリングの上みたいな話です。 ○千葉座長 それでは,御質問尽きないところかと思いますが,今後の予定もございますので,村瀬さんからのヒアリングはこれで終わらせていただきたいと思います。   村瀬さん,本日は本当にありがとうございました。 (村瀬氏,谷口弁護士退室) ○千葉座長 それではここで10分間の休憩を取りたいと思います。 (休憩) (黒岩大臣政務官退室) (井上委員入室) 2 「検察官の人事・教育・倫理」についての議論 ○千葉座長 それでは,議事を再開いたします。まず,午後3時頃までを目途にいたしまして,議事次第2の「検察官の人事・教育・倫理」について御議論いただき,その後,休憩を挟みまして,議事次第3の「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」について御議論いただきたいと考えております。委員の皆様から順次御発言をいただく形で今回も進めて行きたいと思いますが,限られた時間内でできる限り活発な御議論ができますよう,前回同様,御発言は原則として1人5分程度におまとめをいただき,まずは御発言を希望される方全員に1回ずつ御発言いただくという形で進めさせていただきます。   なお,検察官の人事・教育・倫理のテーマにつきましては,前回会合において,数名の委員の皆様から御発言がありましたので,まだ発言なさっていない委員の皆様から順序を先にお願いできればと思っております。御発言が一巡した後,時間に余裕がございますれば,ほかの委員の皆様の御意見もいただいてまいりたいと思っておりますので,御協力をお願いしたいと思います。   それでは,議事次第2の「検察官の人事・教育・倫理」についての議論に入らせていただきたいと思います。 ○龍岡委員 ペーパーをお配りしていただいておりますけれども,このテーマに対する意見として,総論と重なるところがありますので,最初に意見を述べさせていただきます。   これまでのこの会議で明らかにされたこと,最高検の検証結果報告や,当会議における先ほどのものを含めましたヒアリング,あるいは議論などから,今回の事件・事態の原因や背景等についても,かなりの程度に明らかにされてきたように思われます。これを前提に考えますと,特捜部における独自捜査の在り方等についての検討とともに,私は検察の在り方,これを担う検察官の在り方の問題を,やはりそれぞれの検察官自身が他人事ではなく,自らの問題として改めて原点に立ち返って考えていくことが大事であり,検察の在り方の改革も検察官の意識改革が出発点にならなければならないのではないかと思います。   昨日の夕刊に,検察長官会同で,笠間新検事総長が,「供述調書至上主義を改める必要がある。」,「今回の事件を特異なことではなく,自分たちの問題として受け止めなければならない。」と述べた旨報じられていましたけれども,これが検察の第一線の隅々まで浸透することが望まれます。ここでは,意識改革の必要性の点とそのための方策として研修等について,総論で論じられたところと重複するところがありますが,もう少し述べさせていただこうと思います。   司法制度改革が進められ,刑事裁判に裁判員制度が導入され,ほぼ順調に運用されていますが,刑事裁判に長く携わってきたものとして,私が最も考えたことは,裁判員制度の導入によって,法律専門家としてだけではなく,視点を変え,国民の目線で刑事裁判を見る,刑事裁判の在り方を原点から見直してみることが求められているということでありました。それには,どうしても裁判官として意識改革が必要であると考えたわけであります。導入された制度をその趣旨・目的に沿うように活かして運用していくためには,運用に当たる者の強い目的意識が必要であると思います。制度を活かすのは結局,これを運用する人にかかっている。それ故に,まずもって意識改革が必要であると考えたわけであります。   裁判官の場合,その独立が生命線でもある裁判官としての在り方,理想の裁判官とはといったことは1人1人の裁判官がそれぞれに考え,日常的な職務の遂行の中で,あるいはそのほかの場面で,先輩や同僚,更には書記官等との話や議論などから,おのずから修得し,内面化してきたものであると思います。裁判官の在り方や事件処理の在り方等を随分議論してきました。事件処理については,最終的には自らの判断・決断によるわけですけれども,様々な意見を聞くことは視野を広げ,独断に陥ることを防ぎ,適正・妥当な結論を導く上でも極めて有効であったと思います。   特に,裁判官の合議では,自由闊達に意見を述べることが最も大事とされ,自らの意見をきちんと述べることが裁判官としての義務とされています。合議の裁判長としての経験からも,異論があった場合にはどちらがより説得力があるか,合理性があるかなど,様々な角度から十分に議論していきますから,その結果として出た結論というものは批判に耐え得るものとなっていると言ってよく,裁判長としても自信を持って判決を言い渡すことができたと思います。   裁判官を退官して振り返ってみて,反対意見・異論に謙虚に,真摯に耳を貸し,正面から議論をしていくことが裁判所の文化として優れたところであると思います。こうした裁判官としての経験から,今般の検察の問題についても,同じようなことが当てはまるのではないかと思っております。今回の最高検の検証結果報告に盛り込まれた対応策についての提言も,検察官の1人1人が真剣に問題の所在を意識し,考え,検察の在り方,検察官の使命・役割を原点にまで立ち返って考えてみるといった,真の意識改革があってこそ,現実的かつ有効なものとして機能し,活きたものとなっていくのではないかと思います。   この意識改革のためには,大綱的な倫理綱領的なものを作成するのもその一つの方策であると思いますが,検察官は,行政官としての面では国家公務員として国家公務員法等による服務規律や倫理規程を遵守すべき義務があり,その違反に対しては制裁措置も定められており,これと重ねて,あるいはそれよりも厳しい倫理規程を設け,その違反に対しても制裁を科すことが必要であるのか,この点については疑問があるように思われます。そして,検察官は独任官庁としての良心に従って服務を遂行すべきであり,このような検察官の職務の性質との関係では,その独立が保障されている裁判官にも似た一面,準司法官といわれる面があることからすると,制裁等を含む他律的な倫理規程的なものを定めることが果たして適切なのか,そうした職務の性質に親しむものであろうかといった点も,十分議論を尽くす必要があるのではないかと思います。   この点は別としましても,検察官の職務の性質から検察官の倫理の問題は,検察官自身が自律的に考え策定していくべき性質のものではないかと思います。この会議における議論等も踏まえ,他律的に与えられたものではなく,自律的に自ら策定したものであれば,これは内面化し,倫理規範としても活かされていくであろうと思われます。この点に関して,検察庁法等関係の法令が特段の定めを置いていないのは,このような観点からのものと理解することができるように思われます。   とはいえ,今回のような事態が現実に発生したことを直視する必要があり,全ての検察官がこれを他人事としてではなく,自分自身にも関わる重大な問題として真剣に考え,検察官としてその職務の性質,検察の使命・役割を改めて原点に立ち戻って考え,内面化していくことが強く望まれるように思われます。   これらを可能とする一つとして,事件処理の場でも異論・反対意見を供述しやすく,これを正面から受け止めて議論していく職場環境を作っていくこと,それをそれなりに評価する人事評価の在り方など,人事政策にも関連すると思います。人事政策については別途議論されることと思いますが,ここでは,検察官の研修について,一言述べさせていただきます。   前回,高橋委員からも非常に参考になる御意見を伺わせていただき,前々回には検察官の研修についての説明を受け,その充実のためにも,これからも検討を加えていきたいとのお話がありましたが,研修の場はもとより,あらゆる場を捉えて日常的に検察官が検察の在り方について議論をし,考えていくということが検察官の意識改革には必要不可欠であると思います。   本日のテーマに関連して,精神論的なことを述べてきましたけれども,時間の関係がありますので,取りあえずはこの程度でとどめます。 ○後藤委員 「検察官倫理規範の構想」と題するメモを提出させていただいております。これまでも検察官に対して国家公務員としての倫理規範が適用されているわけですけれども,その内容はほぼ公務員一般と同じであって,私的な利害によって公務の公正さが疑われないようにすることが主要な目的になっていると思います。そのために,検察官という特殊な役割に応じた特別な問題に対応するような倫理規範はこれまで存在しません。これからは,そういうものが必要だと思います。   もちろん,それを作るに当たって,どういうものがふさわしいかを検察官の中で議論されるのは必要なことだと思います。しかし,例えば,どういうことが考えられるかを,私たちとして提案する方が良いと思います。   まず,大きな意味での検察官の使命を明示すること,宣言することが必要だと思います。けれども,それだけだと精神主義になってしまうので,行動の指針になるようなもう少し具体的な規範が必要ではないか。例えば,どういう項目があるのかについては,後に述べます。そういう規範を実効性のあるものにするためにはどうしたら良いか,どのような形式で定めたら良いか,外からその違反を指摘できるような仕組みはどういうものがあり得るかといったことも問題になり得ると思います。しかし,これはやや技術的な問題ですので,ここでは,まだ踏み込まないでおきます。後ほど,必要があれば議論したいと思います。   例えば,どんな項目について定めたら良いかを考えて,列挙してみたものがこのメモです。余り抽象的でもいけないし,余り細かくしようとしてもまとまらないと思います。例えば,総則的なものとして検察官の基本的な使命,これは皆様もおっしゃっているように,有罪判決を得ることではなくて,正義の実現ということだと思います。それから報道への情報の提供の方法等も,ほかの委員からも指摘があった点です。   捜査に関しましては,例えば,被疑者に有利な証拠にも配慮しなければいけない,押収した証拠物を保全しなければいけない,供述拒否権を尊重する,供述を得る目的で身体拘束をしてはいけない,あるいは弁護人依頼権を尊重する,例えば,被疑者と弁護人の信頼関係を害するようなことをしてはいけないといった項目があり得るのではないでしょうか。これらは今の法律から考えても,検察官に要求されると思われることを明らかにするという意味です。   そのほか,起訴に関しましては,起訴のために嫌疑の程度はどれくらいのものが必要か,公平な訴追裁量をする必要があるといったことも明記する方が良いかと思います。公判につきましては,虚偽証拠の提出禁止,これは当然のことでございますけれども。それから,被告人の有利になる可能性のある証拠を明らかにする義務,公判中に起訴の誤りが判明した場合の対応をどうすべきか,という項目を盛り込む必要があるのではないか。そのほか,上訴や再審についても,いくつかの定めを明記することがあり得るのではないかと考えております。 ○吉永委員 あまり具体的に細かいところまではよく分からないのですけれども,やはり,村木さん,村瀬さん,小堀さんを始めとして,お話を伺っていると,検察の持っている絶大な権力におののくというような感覚を国民としては受けてしまいます。ですから,それが国家公務員倫理法とかそういうものではなく,きちんとした倫理観を検察官が共有しないまま,この権力を持っているということに関してはやはり危惧をするところです。ですから,やはり倫理規程と言うのでしょうか,倫理憲章と言ってもいいでしょうか,そういうものを作る必要があるのだろうなと深く思いました。   検察官に向けて,検察官とはこうあるべきであるという明確な自覚を持って職務を遂行してもらうために作るということと同時に,国民にも検察官の在るべき姿をしっかりと理解してもらうということも大事なのではないかと思います。ですから,その内容は国民にも分かりやすいものであることが望ましいのではないかと思います。難しい言葉とか,気持ちの中に浸透しない言葉だと,検察内部においては何となく特権階級的なエリート意識を逆に育ててしまい,国民にとっては何かもうただただ恐れおののく対象になってしまう。これではいけないのではないかと思います。   まず,検察は何のために存在するのかという職務の基本を明確にして,そのために検察が果たすべき役割は何なのかという具体的な行動の基準を導き出せるようなもの,在るべき検察の姿を国民と共有することができる内容にしたいと思います。国民が安心して暮らせる安全な社会を法によって守るために検察が存在するのであれば,検察が守るべき対象は国民なのだろうと思います。だから,常に国民のために行動するべきという,こういう気持ちをしっかり持てるものが必要だと思います。ですから,まず検察官に与えられた権限というものは国民から負託された責務を果たすためのものであることを常に意識して職務に当るべきであるということを,倫理憲章あるいは倫理規程には明記してほしいと思います。   その上で,検察に求められる真相解明と人権の保障という二つの重要な柱を両立させる努力をしてほしいと思うわけです。この二つのどちらかがないがしろにされると,検察の存在する意義が危うくなってしまうわけですから,ここは極めて重要な部分だと思います。ですから,例えば,検察官は法と証拠に基づいて真摯に真実・真相の解明に努めるべきであるというような文言や,検察官は,被疑者や被告人のみならず,被害者を含む全ての事件関係者の権利や利益の保護に深く配慮するべきであるといったような文言ですと,国民も共有できるイメージがしっかりと倫理の中でうたわれるのかなと思います。やはり,倫理観を育てるというのは禁止事項を並べて,萎縮的・隠蔽的な流れを作るよりも,それに照らして,常に自らの在るべき姿が確認できるというものが望ましいと思います。   求められる姿,在るべき姿がくっきりと継承できるための教育が必要になると思いますし,このあるべき姿を保てるための人事制度を構築するべきなのではないかと考えております。規範というものは,自らが,生み出す過程に関わると,皆一生懸命遵守しようという姿勢が生まれるということを,ある少年院の取材で私は知ることができました。与えられたものではなかなかできないのですね。ですから,倫理憲章なり倫理規程を作るときには,是非全員の検察官が意識的に,気分的にでもいいですが,自らが新しく関わって生み出すのだという過程が一つ欲しいなと考えております。 ○井上委員 私の申し上げるべきことのかなりの部分を皆様がおっしゃいましたので,それに付け加える程度のことを簡単にお話したいと思います。   お配りしてある1番目のところは,結論部分で既にお話ししたとおりでして,検察官としての心構えを明記した規範のようなものを定め,それに基づいて教育研修,人事評価・管理のシステムも整備していくことが必要かつ有用だと思われます。非常に地味な面ですが,中・長期的にはじわじわと効いていって,検察の体質を改善していくことにつながっていくので,非常に大事な点ではないかと思っています。   ただ,倫理綱領とか行為規範については,龍岡委員が先ほど指摘されていましたように,それを遵守してもらうために制裁措置と結び付けるのかどうか,懲戒とか,あるいは身分保障の意味もあって検察官適格審査会の審査というものが別途ありますけれども,そういう装置があることを前提にしながら,更に新たな強力な制裁を考えて倫理綱領と結び付けていくのかというところは,検討の余地があるのではないかと思っています。そのこともあって,2の(1)で,こういうことをしてはいけないとか,あるいは事細かく何かいろいろなことを書くのではなく,この間のヒアリングで野田先生がおっしゃったと思いますが,積極的な行動を促すようなものの方が望ましいのではないかと思います。(2)のところで,これも龍岡委員が既におっしゃいましたが,定め方についても,やはり当事者が十分納得して,それを実際に遵守し,生きたものにしていこうという意識・覚悟で作らないと,結局,実効性が期待できない,あるいは逆効果となってしまう。それではモラルが逆に落ちてしまいますので,やはり検察自身が今回の事態の真摯な反省に基づいて,内発的にそういうものを定めていくべきだろうと思います。   もちろん,本会議で我々が意見を言う,あるいはそこで議論を闘わせる,その内容も十分に踏まえていただいて,実情に適した具体的な規程案を作り,それを広く国民にお知らせして意見を十分に聞いて,それをまた反映させて最終的なものを作ってもらう,これが望ましいプロセスではないかと考えています。   具体的な中身については,皆さん,いろいろアイデアを出されて,私も賛成するところが多いのですけれども,ただ少し気になりますのは,既に刑事手続の下で一定の制度があるのに,それとは異なる効果をもたらすのではないかと思われるようなことを,この倫理規程で義務付けようとするものであり,それは適切ではないだろうと思います。問題があるとすれば法律の方を改めるべきことを,倫理という名の下に,実質的に変えていこうというのはやはり適切ではないと思っています。   配布した資料では,その一番分かりやすい例として,証拠開示の義務ということを挙げております。その一つは,いわゆる事前全面開示論に近似するような規程振りの提案があるのですが,この点については,今の制度をつくる際に,司法制度改革審議会でかなり議論しまして,検察官手持ち証拠には実にいろいろなものが入っている。捜査の過程でいろいろな情報を収集し,その裏付けを取るなどして捜査をしており,結果として無関係な情報等も多い。それを無条件で全部見せるということになると,やはり様々な弊害も考えられるので,その弊害のおそれという面にも配慮しつつ,必要なものはきちんと開示するという制度をつくろうというのが,司法制度改革審議会の合意事項だったのです。それに基づいて具体的に制度設計されたものが,現在の刑事訴訟法の証拠開示の規定ですので,ここでもう1度,その議論を最初からやり直そうというのは適切ではないのではないかと思います。   もう一つは,被告人に有利な方向の証拠は開示しなさいという規程の提案です。外国にもそのような規程の例がありますし,それだけを見ると,一見,問題がないように見えるのですが,これについても,現行法の制度設計のときにかなり時間を使って議論をしています。一口に「被告人に有利」といっても,その局面のときの状況,特に被告人側の主張の在り方等によって変わってくるので,一義的ではなく,実際上,非常に判断が難しいということから,むしろ,証拠の種類によって段階的に証拠を開示していく。一般的・類型的に被告人側の防御に必要と思われるものは,早い段階で開示をし,そして順番に,被告人側の主張・争点が明らかになれば,それに関連するものは,有利・不利を問わず開示する。そういう仕組みを考えまして,その検討の過程で,結果から見れば明らかに被告人に有利と思われる証拠がその仕組みでは漏れることにならないかということもかなり踏み込んで具体的に点検をし,今の制度をつくったわけです。そして,この制度は施行後,かなり定着しており,検察官においてもより幅広に証拠開示を行っていると認識しております。   このような現行の証拠開示制度の下で,何か実質的に問題が生じているのか,私はそう認識しておりませんし,もし生じているのだとすれば,その制度自体を改めることを正面から議論すべきであって,こういう多義的な言葉を使って,倫理規程という形で,変えていこうというのは本筋ではないのではないか。そうではなく,もし現行制度と違うことを考えていないとするのであれば,そういう多義的な言葉を使わない方が良いのではないかと考えます。   3番目の教育研修については,読んでいただければ分かるのですが,これまでいろいろな問題のある事例,無罪事例とか,取調べの在り方に問題が指摘された事例というのはかなりあると思います。検察でも,それをその都度,反省し検証しているわけですけれども,それがどうも十分活かされていないのではないか。それを日常的に,こういうことを考える素材にし,共通の認識になればマニュアルにして,それを日常的な議論とか研修とか,そういうところで繰り返し確認していく。この前のヒアリングでも同じ事を何度も日常的に繰り返し刷り込んでいくということが有用であるということをおっしゃっていましたが,そういうことを地道に続けていくことが必要ではないかと思います。 ○原田委員 研修の充実につきましては,既に述べましたとおりであります。検察にとって今回の事件は,この点では正に大きなチャンスであるとすら思えます。よく言われますようにピンチをチャンスに変える良い機会ではないかと考えます。法総研の幹部の方から,先日お話を伺ったところですが,既に私が考えていますよりも内容がかなり充実した研修が行われているようであり,これからはそれを一層有意義なものにすることがテーマであると思います。   佐藤委員からもお話があったように,官庁派遣,マスコミ研修等の拡大により,貴重な経験を積ませて,検察官としての見識を広げることが肝要だと思います。   若干気になりましたのは,もっと検察に批判的な外部の方からの話も加えるべきではないかという点であります。どうも研修全体が内向きの感じがいたしました。確かに,内部の研修機関ですから一定の限界はあると思いますが,江川委員が言われますように村木さんのような、えん罪被害者のお話も重要ではないかと思います。   私のつまらない経験を披露いたしますが,かなり前に法総研の所長から呼ばれて,検事研修で裁判官から見た検察について,思ったとおりのことを遠慮なく言ってくれと言われたことがございます。その方とは刑事局時代に机を並べて仕事をしたことがありましたのでお引き受けいたしました。根がこういう人間ですから,正に忌憚のないことを話しました。講義が終わりますと,質問どころか,みんな怒ってしまい,みんなで睨みつけ,誠に後味の悪いことになりました。取調室であれば,怒鳴りつけられていたことでしょう。裁判官にここまで言われるものなのかと心外に思われたようであります。そんなことで,この講義が役に立ったかは大いに疑問ですが,私の性格を見抜いて研修生に刺激を与えようとした所長は偉いなと今でも思っております。これからはある意味でこのような辛口の研修も必要ではないかと思います。   もう一つの感想は,多面評価のことです。360度評価とも言うそうです。高橋委員から教えていただいたのですが,周りだけではなく,上からも下からも評価をする評価方法を言うそうです。裁判所の研修では,左陪席から見た右陪席・裁判長,右陪席から見た左陪席・裁判長,裁判長から見た右陪席・左陪席という角度から、もちろん匿名ですが,多くのことが語られている資料があります。多面評価を人事に反映するというのではなくて,研修に用いております。これは非常に面白いもので,大変勉強になりました。左陪席や右陪席の人が,裁判長を結構シビアな目で見ていることが分かり,反省にもなりました。検察組織の場合には裁判所の小さな合議体とは違うので,そのまま行うことには問題もありましょう。しかし,このような工夫もあり得るのではないかと思っております。   次に,検察官倫理の問題です。前回,野田先生がプロフェッショナル組織ほど倫理行動規範の浸透が大切だと述べられたことに共感を持っております。プロはどうしても,なぜそんな当たり前のことを言う必要があるのだと考えがちです。しかし,繰り返して起こるえん罪事件を検討してみますと,結局は,被疑者の主張が正しいかもしれないという仮説に基づく証拠の全面的な再検討や,自白があっても,それが客観的証拠と矛盾しないかの検討などが十分なされていないといった捜査の基本が守られていないことに起因しています。   したがって,このような点を倫理規程に取り入れることは考えられましょう。もっとも,このような点は倫理規程というよりは捜査指針ないし心構えのような性格,犯罪捜査規範のようなものなのかもしれません。犯罪捜査規範については,佐藤委員の御専門ではありますが,例えば総則の4条1項は,「捜査を行うに当たっては,証拠によって事案を明らかにしなければならない。」,2項が,「捜査を行うに当たっては,先入観にとらわれず,根拠に基づかない推測は排除し,被疑者その他の関係者の供述を過信することなく,基礎的捜査を徹底し,物的証拠を始めとするあらゆる証拠の発見収集に努めるとともに,鑑識施設及び資料を十分に活用して,捜査を合理的に進めるようにしなければならない。」という規定がございます。井上委員が今言われましたように,証拠の即時全面開示といったことは,本来,刑訴法等で規定すべき法的規範であって,倫理規程にはなじまないと思います。今般,刑訴法改正によってこれらの点も十分考慮した上で,証拠開示規定が全面的に整備されたのですから,それを尊重すれば足りるように思います。また,国家公務員法や国家公務員倫理規程等の既存の倫理に関する法令との関係でも疑問があります。といいますのは,このような倫理規程は,法的性格が曖昧なものになってしまうからです。例えば,倫理規程に基づいて証拠の全面開示を裁判所が求められても法的根拠とはならないので,開示の裁定をすることは恐らく無理でありましょう。それでは,これに反したからといって一定の懲戒処分をするというのも,裁判所では認められない処分をしなかったから懲戒というのも困難ではないかと思います。   そうなると,このような法的規制を伴う倫理規程は無理であって,仮に作るとしましても,先に述べましたような犯罪捜査規範的なものにとどまるべきではないかと思っております。以上です。 ○嶌委員 僕もここに文書を出しておきました。僕が一貫して言っていることは,ここで検察憲章というものを策定したらどうかということを御提案しています。最初はそれほど大きな意味を持たせて言ったわけではないのですが,これまでのヒアリングだとか,ここの討議を聞いていると,やはりこういう大きな視点から国民に対して,検察の基本的精神,信条や使命・役割をもう一度,投げ掛けるのが一番良いのではないかと思います。   僕は司法の専門家でもないし,メディアの立場から,今,起こっていることを国民がどう受け止めるか,そして,この検察の在り方の会議が,それに対してどんなメッセージを発するかということが極めて重要な意味を持っていると思います。僕がこの問題について,普通の市民である知人とか友人といろいろと話していると,今までの巨悪を追及する正義の検察というイメージがかなり壊れてきて,最強の権力を持っている検察は,えん罪すらつくれる恐ろしい機関なんだなと考える人が増えていると実感します。したがって,国民に対して,もう一度,検察の使命,信条,社会正義を貫く組織なのだということを自ら確認し,国民に誓い,説明するような大きな構えを持った憲章を作ることが一番良いのではないかと思います。   今まで議論があって,取調べの可視化とか録音とか,一部組織の手直しとか,そういうことももちろん後できちんと書けばいいのですが,そういう個別的改革だけを述べて検察の在り方会議の結論としてしまうと,何となく物事が小さく見えてしまうのではないかと考えます。   そして,今,世界中で起こっていることは,エジプトの問題もそうですし,小さくは相撲改革のこともそうですし,要するに20世紀型の古い秩序とか習慣とか慣行とか,そういうものが全部見直されて,そして,これからの公正な社会とか人権の在り方とか,そういったようなことをもう一遍きちんと見直そうではないかということが大きな流れになっていると思います。しかも企業では,次々とコンプライアンスに関する憲章みたいなものを作ってきているというのが今の社会の流れなのかなと思います。   そういうふうに考えたときに,倫理規程という考え方もありますが,これは先ほど井上委員もおっしゃっていましたが,何々をしてはいけないという抑制や禁止条項になるとますます働く人のモチベーションが低下してしまうのではないか。むしろ国民に対して,検察が誇りを持って,しかも新しい価値観や正義をうたって,そしてまた国内だけではなくて,国際社会にも共通するというか,通用するという組織であるのだということをごく短くでいいからシンボリックな憲章とか信条という形でまとめたらどうなのかなと思います。そして,その信条に基づいて,組織の在り方とか,取調べの可視化の問題について書くというのが,最後の発表の仕方としては最もアピール力もあるし,国民も納得しやすいのではないかと感じます。   僕は私案として七つか八つ書いてみました。こんなことは,僕は,法の専門家ではないのでお笑いになるかもしれませんけれども,法務省からいただいた資料とか本とかいろいろ読んでまとめたところ,次のような規定を設けてはどうかと思います。まず「検察庁は法と証拠に基づいた捜査により,不正を追及し,社会の安全と市民の正義を実現する機関である。」,「検察庁はその使命の遂行に当たって,法の支配と基本的人権を尊重して市民の権利を守る。」という規定です。それから,「検察庁は裁判に臨む際,例え検察に不利とみられる証拠であっても,公正な判断に必要とされるときは積極的に開示し,公正な裁判を追求する。」,「検察庁は証拠主義に基づく捜査・訴追能力を強化,改善するため,科学的知見,組織,捜査の在り方などの改革に努める。」,「検察庁は自らの組織を点検し,そのチェック機能を強化し,必要に応じてネットを通じた情報公開や記者会見を行うなどの手段によって,透明性,公開性に努める。」といった規定です。この透明性,公開性というのは,今の時代の一つのキーワードだろうと思います。そしてもう一つ,「検察庁は,国際社会の司法機関と協力し,世界の平和と安全,環境,基本的人権等の擁護に努める。」という規定です。この辺までは検察庁のミッションですが,その後三つほど,「検察官は取調べにおいて,人間の品位と人権を尊重し,法に従って,公正,迅速にその義務を果たす。」,「検察官は高い倫理と品性を備え,自らが持つ権力に対して謙虚に振る舞い,国と市民社会の礎になることを目指す。そのため教育や研修を強化する。」,「検察官は取調べにおいて,録画・録音を行い,求めがある場合には弁護人の同席を認め,被疑者の基本的人権を配慮する。」というような規定です。   録画とか録音というのは具体的に書き過ぎていますけれども,基本的な人権に配慮するような取調べの在り方が大事ではないかという趣旨で書きました。   こういうような精神規程みたいなものを掲げた上で,その後,六つか七つ書いてきましたが,取調べの全面的な可視化・録音についてどう考えるか。起訴に当たってのチェック機能の強化。会計検査院などでは副官といわれる人がいて,その人たちが何度も何度も質問をする。副官というのは検査対象分野の担当とは全く別組織の人だそうですが,何人かが,しかも偉い人とか部下とか上司とかそういうことを関係なくいろいろ聞くそうですけれども,そういうチェック機能があるというふうに聞きました。そういうようなチェック機能を強化するにはどうしたらいいかということをここでもう少し議論したい。それから,自白こそ最強の証拠といいますが,やはりえん罪を起こさないためにも物的な証拠を重視した捜査方法,技術などをどうやって強化したらいいのかというようなことですね。   僕は,特捜部は残した方がいいのではないかと思っています。しかし,これは東京とか大阪,名古屋の三つ置くというよりも,むしろ最高検の中に特捜部を置くというふうにした方が,今後の流れとしては分かりやすいのかなと考えております。   それから,教育・研修の充実です。これも先ほど皆さんおっしゃられていましたが,捜査や取調べの方法,技術といったことだけではなくて,新しい時代の価値観等について,識者などの話を聞く研修もあった方がいいのではないかと思います。   人事評価についても,上が下を評価するというだけでなくて,縦,横,下からも評価できるようにした方がいいのではないか。今の企業社会の中ではだんだん当たり前になってきているし,大学の教官なども学生が評価するというようなことにもなってきています。そういう評価の改革の在り方もあってもいいのではないかと思います。   そのほか,メディアとの関係をどういうふうに考えるかについても,我々は,もし考え方があれば出しておいた方がいいのではないかなと思います。 ○但木委員 皆さん方からいろいろな御意見が出ておりました。非常に大事なことは,検察という,割合閉ざされた社会が,国民の批判にさらされて,今どういうふうに思われているのか。どういう検察になってもらいたいのかという,国民の意見を直接知ることが非常に大事だと思います。   そういう意味で,この検討会議のそれぞれの委員の御意見は全部そのまま検察に伝えるべきである。まずそれが第1でございます。   第2は,もちろん言葉の中にはいろいろ問題がありまして,例えば,有罪獲得が目的でないという言葉をとっても,本当の犯人は処罰しなければいけない,全力で有罪を獲得しなければいけない事件もあり,言葉の使い方についてはいろいろと問題があります。だけど,気持ちはよく分かります。だからそれは,生のままで検察は受け取って,内部でよく検討すべきだと思います。こういうふうにみんなが言っているぞ,それをどういうふうにみんな思うのだということを検察内部でよく検討して,自分たちは次の時代をどうするか,そういう意見を十分咀嚼しながら考えなければいけないと思います。   ここでまとまった意見というのは,それはそれで大事です。その辺は嶌委員,吉永委員あるいは皆さん,それぞれの御意見と同じであります。検察官というのはこうあるべきだということについて,検討会議ではこんなふうに思いましたということを世に出して,検察はこうあってほしいという要望を出すのは良いことだと思います。   検察がそれを受け取って,検討会議が検察はこうあってほしいという期待を持っているいうことを前提にして,自分たちできちんと憲章を作ってもらいたい。それは実務ですから,そのままの言葉で規定するのは大変難しいだろうとは思いますけれども,しかし,それをちゃんと体現していくような方向で,国民が新しい検察に期待感が持てるようなものを必ず作ってくれるであろうと思うわけであります。 ○石田委員 お手元に「倫理・行為規範,監査体制,取調べの在り方について」というマルチテーマの書面を配布していただいております。この書面は6ページありますが,まず3ページまでの倫理行為規範について前回の発言に補充して意見を述べさせていただきます。その内容は,これまでの皆さん方のお話と共通する部分が多くあります。ほとんど共通するといっても過言ではありません。配布した書面のうちに資料を二つ付けております。資料2は検察官の取調べが問題となった事例を私の取り扱った事件を含めて10件ばかり上げております。これは取調べの在り方について議論をするときにまた引用させていただきたいと思いますが,これからの意見にも参考になる判例等であります。   そのうち,比較的最近の京都地方裁判所で平成21年9月29日にあった判決を一つの材料に,この倫理・行為規範の問題について述べてみたいと思います。この事案は資料2の1でその要約を記載しております。この事案は,京都地検の検事の取調べを受けたときに自白を強要されたなどとして,取調べを受けた少年と弁護人が,国に対し,国家賠償法に基づき損害賠償を請求した事案であります。   第一審の判決は,検察官の倫理・行為規範あるいは監査体制,そして取調べの在り方を考えるに格好の材料を提供しているので取り上げてみました。認定事実はここに記載したとおりですが,要約しますと,検察官が取調べに際して「誰がお前らのことなんて信じるんや。お前らが何と言おうと強盗致傷で持っていく。とことんやったるからな。お前としゃべっても話にならんから帰れ。」と言った。これを接見で聞いた弁護人は直ちに京都地検の検事正に対して違法な取調べがなされた疑いがある旨を記載した通知書を発送しましたが,その後も「このままいったら重い罪になるぞ。あの弁護士は1年しかたっていないぞ。刑事のことを全然分かっていない。あんな弁護士がついて君もかわいそうやな。あんな人のことをよく信じるね。君は本当にかわいそうだよ。」と言ったという事実を認定をしています。   この裁判例は,検察官の不法行為を認定して,慰謝料の支払を国に命じておりますが,判決文の中で,取調官が取調べの場で被疑者に対し,その尊厳や品位を傷つける言動をすることは許されず,取調官には取調べをするに当たって被疑者の尊厳や品位を傷付ける行動をしない職務上の法的義務があるというべきである,供述の任意性に疑念を抱かれるような取調べ方法を採用してはならないのは,取調官としての職務上の法的義務というべきであるという内容の判決をしております。   前回,1999年の国際検察官協会で採択された検察官の職責の基準と基本的権利・義務に関する声明をお配りしております。この内容は,検察官にとっての最低限の倫理あるいは行為規範だと考えます。この基準は,2008年の国連の決議,これは検察官の連結性と受容力の向上の過程を経た法の支配の強化,これは私が訳したので正式な訳がどうか分かりませんが,こうした国連決議,今日,お手元に国際連合経済社会理事会の国連決議の内容を翻訳したものを配布しました。これは日弁連の担当部門で急いで仮訳をしてもらいました。ここの中,3ページ以降に前回英文で配布した「検察官の職業的責任に関する基準及び本質的権利義務に関する声明」という付属文書が引用されておりますので配布しております。ここで引用されておりますし,さらに,2009年3月の第3回世界検察官首脳サミットでもこれを推奨すべきものしております。この声明は,日本も参加した国際会議で採択をしております。つまり,この声明を採択するについては,恐らく法務省あるいは検察庁内部でも議論をされ,採択に賛成するかどうかを検討された上でされたものであると考えられます。我が国の検察庁内部でも一定のコンセンサスを得たものではないかと考えております。   これまで,このような国際基準がなぜか一般の検察官の方々には周知されず,更にこのような内容の明文の規定がなかったこと,そして,これらの国際基準等に基づいて倫理教育等によって徹底されていなかったことが,今回の事件の要因の一つになったのではないかと考えております。   したがって,このような基準であるとか,先ほど原田委員が引用されましたが,犯罪捜査規範168条1項には取調べを行うに当たって強制,拷問,脅迫その他,供述の任意性に疑念を抱かれるような方法を用いてはならないというような規定もございます。これらの事項を参考にして最低限,検察官が遵守すべき内容を倫理あるいは行為規範と言ってもいい。名称はいろいろ考えられましょうけれども,一定の内容を我が会議としても,こういうものが望まれるということを提言すべきではないかと思います。   以下は,前回述べた内容をただ引用しただけでございますので,お読みいただければと思います。 ○江川委員 倫理規程について,私はこういうのを入れたらどうかと考えるものについては前回,紙にしてお出ししましたので繰り返しません。今,一言だけ申し上げたいと思うのは,先ほどから,こういう倫理規程については,あるいは倫理綱領については,検察官が自律的に考えることが大事だという意見が相次いだわけです。果たして,今の検察に自律的にやってもらっていいのだろうかということを私は疑問に思うわけです。もちろん,それのメリットもあるとは思いますが,どこが今,問題で,どこを改めて,どこを我々は守っていくべきなのかということについての基本的なところが,閉鎖された検察庁の中にいる方々と,事件の当事者あるいは社会の人々の意識とは相当にかけ離れているという現状があると思います。思い出していただきたいのは東京,札幌の検察庁に視察に行ったときのことであります。複数の検事さんが出られていろいろ話を聞きましたけれども,皆さん,前田検事による証拠の改ざんについては「とんでもない。」とか「信じられない。」とか「あってはならない。」とおっしゃったけれども,それ以外の取調べあるいは公判維持のことについて,どなたも自発的におっしゃらない。それについて聞くと,例えば公判維持については何も違法な,あるいは改ざんした証拠を使って立証活動をしたわけではないからいいではないかというような回答が返ってまいりました。   しかし,例えば,村木さんなどの話を聞けば改ざんももちろんびっくりしたけれども,事実と違う調書が多くの検事,副検事によってたくさん作られた。今日の村瀬さんの話でもチームとして事実として違う調書がいっぱい作られた。そういうところを当事者は問題にしているのであって,そこを余り問題視していない検察内部の人たちの意識は,やはり相当かけ離れている。その中で,自律的に,つまり中の価値観,中の文化でもって自律的な倫理規範を作ってもらっていいのだろうか。もちろん中の人を入れてもいいと思いますけれども,やはり外の目,外の風をそこに吹き込むということであれば,私たちが一定のこういうことを入れてほしい。今,石田委員がおっしゃったようなことを入れるべきだということを盛り込んだ提言にするべきではないかと思いました。これを作った上で,更に内部でもっと練り上げてくれというならば,これは理解できます。 ○高橋委員 まず1点目。今の倫理規程のお話で,江川委員のお話に付け加えさせていただくと,やはり内部的に作ったものでないと実効性がないというのは全くそうだと思います。ただ,外部的な目がちゃんと入ってずれがないかどうかをチェックする体制をどこでどう入れるかは非常に重要だと思います。ただ,この辺りは一つは提案でありますが,3月10日にアンケートの調査が出てきますので,それを見ますと,どの程度ずれがあるかないかもある程度分かってくるのではないか。その上で,もう1回プロセスを議論したらいいのではないかと思います。   それからもう一つ,今日の村瀬さんのお話をお聞きして,ますます私は思ったのですが,確かに取調べそのものの適正化あるいは録画・録音の問題ということがいわゆる現場で起きている取調べの中の抑止効果として非常に重要だということはよく分かりますが,一方で,今日のお話にもありましたが,そもそもなぜこういうことになったのかというと,いわゆる経営の分野で経営品質という言葉があります。経営品質の劣化ですよね。これが明らかであるという気がますますします。品質というのは,前に郷原委員からその辺がファジーでというお話がありました。経営品質というのは物の品質とは違ってやはりファジーですか,ファジーな品質を図るというか,管理していく手法というのは,今,随分出来始めているので,そういうものが使えるのではないかと思いました。   その典型がやはり経営品質劣化の,どこの会社でも民間企業でもそうですが,大きいポイントになるのはリーダーシップの劣化です。今回も,とてもその問題が多い。被疑者の方は直接,上のリーダーとはお会いになっていないので,そこの問題というのは被疑者の方々はなかなか語れないのですが,背景には相当あると思います。   この問題は,例えば,研修制度は,今,一生懸命に新しい研修制度をいろいろ入れていますというお話が前にありました。最近だんだん良くなっているという原田委員のお話もありました。そうだと思いますが,実は今,リーダーシップを発揮している偉い方々が受けたときの研修というのは様変わりだったと思います。ですから,新任者とか1年目,3年目とか,初めて決裁官になった人の研修だけで一生懸命やっていても,その人たちが,その研修の効果が出てリーダーシップを発揮して上の方にいくのにすごい時間がかかって,その間に,またその教育を受けていない人が「お前何言っているんだ。」と言われると雲散霧消してしまいます。ですから,リーダーシップ教育の一番重要な部分というのは,いつもそうですが,上からやることです。これから新しくなってくる人の教育を1回やっても薄れますから,まず今,実際にリーダーシップを発揮している幹部の人たちにリーダーシップ教育を受けていただきたい。それと同じものを下の人に下ろしていくと,「あれは大事だぞ,お前らもちゃんと受けてこい。」という話になるとすごく効果が上がるので,これはもう是非やっていただきたいなと思います。   もう一つ,その具体的なリーダーシップ研修のイメージを少し分かりにくかった部分もあると思うので言わせていただくと,多面評価というのは360度評価とほぼ同意語になりますが,一番良い導入としてはやはり研修,気付き,自己変容です。ですから現幹部の方も含めて,例えば,検事正とかそういう方々も含めて,一旦多面評価を受けていただきたいと思います。そして,多面評価は,よく自己評価と一緒にやります。自分で先に評価させて,周りの評価,多面評価と自分の評価とどこが違うか,全部自分で分析させるみたいなことをやります。そこに行動規範のようなものを重ねて,行動規範上期待されるリーダーシップ行動を自分はとっていると思うか,周りはそう思っているのかを見て,それで自分の気付きにして,例えば半年間,1年間ずっと継続して行動変容します。行動変容しますと思考も変わりますから,意識も変わります。それをフォローするというような仕組みをしっかり入れられたらどうかと思います。   一つの例で,私のメモに入れさせていただきましたことで,例えば,イメージで言いますとコミュニケーションスタイルで,今回,東大の甲9先生には来ていただけなかったのですが,私が推薦した中で,あの方のお得意の分野がコミュニケーションにおける人材育成です。同僚,上司,先輩からのコミュニケーションで人の育成に非常に資するものには三つあると言われています。業務的支援と内省的支援と精神的支援。業務的支援というのは,正に今回行われたように「単独犯行なんてありえないだろう。」と仕事の中身のアドバイスをする,あるいは知見を述べる,あるいは技術的なことについて教えてあげる。内省的な支援というのは,どうしてそう思ったのということで気付かせるとか腑に落とさせるためのきっかけをするのが内省的支援です。精神的支援というのは,最近の話題でいいますと,ザッケローニ監督が非常にうまいと言われています。李も最後に出てきて,後半の一番最後に出てきて,いきなりボレーシュートを決めましたが,「お前の出番はいずれ必ずあるぞ。」ということをアジアカップの昼飯のときとかに,会うと言っていた。あるいは失敗した選手に対して,「このぐらいの1回の失敗で俺のお前に対する信頼は揺るがないぞ。」ということを言う。そういう言葉の使い方が非常にうまい人だと言われていますね。そういうのを精神的な支援と言っているのですが,実は上司,上に行けばいくほど重要なのは,業務的支援ではなくて精神的な支援です。業務的支援というのは,現場を離れて長い人がやると非常に危険です。あなたの役割はそうでないのです。ザッケローニさんを見てください。お前のボレーの蹴り方がおかしいとか言っていないでしょう。そういうことはあなたの役割ではないのですよということを気付かせて変わらせるという教育を,現幹部を含めて是非やっていただきたいなということです。   もう1点だけ最後に付け加えますと,それは毎年やるものではなくて,とにかく1回,現幹部はやっていただきたいのですが,例のサーベイということは,一つの組織品質のチェックになります。経営品質と言ってもいいと思います。今回やったサーベイ,あのままでないかもしれませんが,毎年必ずやっていただいて,それは毎年,必ず検事正クラス,地検単位になるのかどうか分かりませんけれども,その上の方の人たちが,今,自分の組織の経営品質,組織品質がどういう状況になっているのか,そこから含めて見て,問題意識を持ってもらって,必ずアクションプランをそこで立てる。そして,どんどん組織の状況を良くしていくという方向に現実リーダーシップを発揮していることが毎年のサイクルの中に組み込まれる。そうやって組織品質というものを管理し,それを上昇させるためのリーダーシップを発揮するということを明確にしていく役割として,幹部の,そういう仕組みの中でこの毎年の調査をビルトインしていただきたいなと思います。   逆にいいますと,人事考課なども,要は幹部の評価もそういうことで問題意識を持ってリーダーシップを発揮し,組織の品質を上げて,結果としてまたみんなのスキルも上がり,やる気も上がってみたいな,経営品質そのものが良くなっているかということが,そのリーダーの評価にもつながるということにもなるのではないかと思います。それを継続的に後はやっていくということが,もう一つ必要なのではないかと思います。   最後にもう1点だけです。これは石田委員が言われましたリアルタイムのチェックの話にも関わるのですが,人材の多様性の確保は是非進めていただきたい。中途採用あるいは他の官庁からの転籍を含めて,多様なキャリアを持った方々を入れるというのも,外部の人間を入れてチェックするという,その委員会みたいなところもいいのですが,もう一つの方法としては外部の人間にはできないよという仕事もある。やってはまずいよというのもあると思います。内部の人間自体も外部に出向で経験させるというお話が原田委員からございました。採用も含めて多様な経験のある方を採用していただきたいなと思いました。 ○後藤委員 先ほど,倫理規範的なものと既存の法律との関係を考える必要があるという御指摘がありました。それは,そのとおりだと思います。私もその問題は理解いたします。ただ二つぐらいの視点がそれに合わせて必要だと思います。まず証拠開示の問題について言いますと,確かに法律はできましたけれども,それが適用されるのは公判前整理ないし期日間整理に付された事件だけですので,事件数全体から見ると,限られたものであることも意識する必要があると思います。   それからもう一つ,規範の作り方で,江川委員もおっしゃったように,完全に検察官たちに任せるのではなくて,我々も含めた外部の意見を反映させる,取り入れてもらう必要もあると思います。しかし,検察官自身が全く従う気がないものを外から押し付けても,無理だと思いますので,倫理規範は,やはり何らかの意味で検察官自身が宣言するものであることが必要だと思います。そうであるからこそ,法律で決まっていることだけをやりますというのではなくて,必ずしも法律の明文では要求されていないけれども,私たちはこういうことをしますと宣言する,そのことに意味があるのではないでしょうか。   例えば,被告人に有利な証拠があると分かったけれども,それは今の法律では必ずしも開示を義務付けられるものではないというときにどうしますかと,検察官に問うたら,それは明らかにしますと,多くの検察官はおっしゃるのではないでしょうか。そうであるとすれば,そうしますと宣言することに意味があります。そうすべきなのだけれども,するという宣言はできませんという態度をとるとすれば,それで本当に国民の信頼が得られるのか,という疑問が出てくると思います。 ○井上委員 後藤さんが言われた2番目の点については,私も,全く白紙の状態で,検察の方で何か考えてくださいと任せてしまうという趣旨ではなく,ここでの議論・意見がある程度まとまれば,こういうことを踏まえて,実情に合ったものを作ってくださいと勧告するという趣旨で申し上げました。   1番目については,確かに法律の上ではそうですが,特捜事件など,争いがあり,証拠開示が実際に問題になるような事件はほぼ間違いなく公判前整理手続が開かれています。また,問題になれば,公判前整理手続や期日間整理手続を開けばいいわけです。それで,実際上は,ほぼ賄えるのです。それで賄えないとすれば,他の事件でも法律の証拠開示の規定がある場合に準じてやりなさいということは言えるだろうと思います。これは後の捜査・公判に関する問題ですので,そこでまた議論したいと思います。 ○千葉座長 皆さんから倫理・研修等に関わって大変積極的な御意見を出していただきました。   そろそろ一区切りさせていただいてよろしゅうございましょうか。今後また整理をしながら議論させていただくということになろうかと思いますが,今日のところはここで区切らせていただきたいと思っております。ここで休憩をとりまして,再開後,検察の捜査・公判活動の議論に入らせていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。10分間の休憩をさせていただきます。 (休憩) (黒岩大臣政務官入室) 3 「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」についての議論 ○千葉座長 それでは議事を再開させていただきます。これから議事次第3の「検察の捜査・公判活動の在り方」についての議論に移らせていただきますが,その前に,今日,ヒアリングをさせていただき,基本的には,直接お越しいただいてヒアリングを行うということは,これ以降,時間的に難しいと思っております。そこで,郷原委員の方で,ヒアリングではなく,それに代わる御報告をいただけるということでございますので,冒頭簡潔にお願いできればと思います。 ○郷原委員 本来であれば,ヒアリングという形で,大阪,名古屋特捜部だけではなくて,東京の特捜部の問題もここで把握できればと思っていたのですが,時間の関係で難しいということですので,それに代わるものとして,東京の特捜部の事件に関して,これまで被告人側,弁護人側から指摘されてきたこと,それからマスコミ,関係者等から公刊物等で指摘されてきたことなどを十分かどうか分かりませんけれども,私の方でまとめました。お配りいただいています資料の中の一つは,東京地検特捜部の取調べの問題ということで1枚の紙です。これは,被告人側からの特捜の捜査に対する批判,指摘の代表的なものだと思います。乱暴な恫喝,脅迫的な取調べの問題と利益誘導の問題等,ここでいろいろ挙げられております。これが一つです。   それから,「アスタンド」というウェブの記事ですが,朝日新聞の編集委員の村山治さんが書かれたものです。村山さんは長く検察の取材をされてきて,非常に内部の情報に詳しいということで,ここにはゼネコン汚職事件の問題等を中心にいろいろ書かれております。ページ数が飛んでいまして読みにくいのですが,最後から2枚目の下の方,「相手の手を取ってサインさせろ」という,意に反する調書が強要されている状況についての検事の苦悩の話とか,それからその次,2枚目の裏になりますが,下の方で「どうせ,恒常的に賄賂を贈っているのだから,少しぐらい日時や金額が違っていてもいいんだ。ずっと周辺を捜査していれば,世間体もあるから,音を上げてそのうち白旗を上げるさ。」という地検幹部の話を直接聞いたということとか,いろいろ生々しい話がここに書かれています。こういったことは,明らかにこれまでヒアリングに出てきた大阪,名古屋の特捜部の問題と同様の問題が東京の特捜部にもあるという前提で議論をしていかなければいけないということを示しているのではないかと思います。   ところが,東京の特捜の問題に関しては,今まで余り消極判決の例というのがありません。そういう意味で,唯一大きな事件での消極判決の例は乙2事件ではないかと思います。乙2事件については,私は「検察の正義」という新書の中で,関係者の話も聞いた上で書いている部分がありますので,ここに写しを配布させていただきました。最終的に最高裁で逆転無罪になった事件ですけれども,これは単に決算経理基準についての判断が一審,二審と最高裁で違ったということだけではなくて,本来,最終的に最高裁で認められた当時の会計基準が実態だったとすると,その頃,会計監査を行っていた公認会計士の人たちが,それを当然ありのままに話してくれていたら,検察の見立てがおかしい,特捜部の見立てが間違っているということが分かったはずなんです。しかも,被疑者側も全てそういったことは言いたかったはずだし,言っていたはずですが,全員が自白させられていた。そういう意味では,最終的に最高裁で無罪になったこの乙2事件も,取調べの中で全くその実態が明らかにされないで無視され続けてきて,それがようやく最高裁でその事実が明らかになった事件と見るべきではないか。   特捜部の事件については,この後に出てきますキャッツ事件についても捜査・公判について様々な問題が指摘されましたが,裁判所では取り上げられず,最終的に最高裁で上告棄却で有罪になりましたが,有罪で終わっているから東京の特捜の捜査に問題がないということでは決してないと思います。そういうことを改めて認識した上で,今後の捜査・公判の在り方の検討においては,今回の大阪地検のような問題は,東京の特捜にもあるということを十分前提にして検討を進めていくべきではないかと思います。 ○石田委員 今の関連で補足的に。今日,私が配布させていただいているペーパーの資料1と資料2を御覧いただきたいと思います。今,郷原委員から東京の特捜に関連する具体的な事件についての資料が提出されましたが,私は,この資料2で特捜事件に限らないのですが,これまで供述調書の任意性が検察官の取調べによって否定された事例で,刊行物に載っているものの主なものを取り上げて,裁判例にこういうものがあるということで,その事案の概要等を記載した書面を提出しております。   具体的には,この判決文をお読みになれば,今日,村瀬さんがお話になりましたことと同じような取調べが検察官によって行われて,その任意性が否定されている事件が本件だけではなく,いろいろな形であるということがお分かりいただけるのではないかと思います。資料2には詳しい出典を出して要約を記載したものですが,そのほかに資料1,これは年表ですが,これからの議論に分かりやすいために黄色の部分は全て裁判例を引用したもので,これも全て任意性に問題があった事例として刊行物あるいは裁判所のウェブ等に全文が載っているものをここに示しております。これを参考にしていただければ,今後の議論に役立つのではないかと思います。 ○江川委員 石田委員にお願いなんですけど,この年表ですが,もしできれば事務局経由で,みんなにメールで添付していただけると,見るときにすごく便利なので,よろしくお願いします。 ○石田委員 検討させていただきます。 ○千葉座長 今後の議論の前提にしていただくべき資料等について御報告をいただきました。これから捜査・公判活動の在り方について議論に入りたいと思います。なお,捜査・公判活動の在り方につきましては,これまでの委員の皆様の様々な御発言を踏まえますと,内容が大変盛りだくさんで充実した御意見があるように受け止めさせていただいております。したがいまして,私としては,この点に関して,議事の進行への協力はこれまでどおりお願いはしたいのですが,5分を目安としながらも,7,8分ぐらいになっても,これは皆さんも御納得いただけるかと思っておりますので,その辺はどうぞ相互の立場もおわきまえいただきまして,御発言の際,お時間を見計っていただければと思っております。よろしくお願いいたします。 ○宮崎委員 私は,今日はペーパーと,日弁連が行いました検事調べについての全国の弁護士に対するアンケート集計をここに持ってきております。これを見ますと,先ほどの村瀬さんではありませんけれども,同様のひどい取調べがなされています。それは何も,東京地検とか特捜だとかそういうことではなく,全国津々浦々,支部も含めて行われているということが明らかになる資料だと考えています。   この資料は後でお読みいただくこととして,私は捜査・公判活動の提言をペーパーに基づいて申し上げたいと思います。前半部分の倫理あるいはモラル等について御発言を聞いておりますと,皆様方は自発的な倫理の盛り上がりがないと効果がないということで大変優しいなと。皆さん方は何々をしてはいけないという倫理規程は余り効果がないと言われますが,我々弁護士の倫理規程は何々をしてはだめとか,何々すべきとか,何々を破ったら懲戒よとか,そういう厳しい倫理規程であり行為規範であり,しかも外部委員が半分ぐらい占めるという委員会で審査される。今まで許されてきたチョンボも許されなくなってきている。日夜こういう厳しい中におりますと,なぜ皆さんは検察庁に優しいのだろう,と思います。また,我々の役割は,そういう身内の文化だけで是正できないからこそ,今日こういうところに呼ばれて提言しようとしているのではないか,こういう思いをしておりました。そういう観点から,我々は取調べの可視化についても同様の思いから提言したいと思います。   これは,根本はモラルとか倫理とか心構えとかで解決はできないということです。相手方当事者と裁判所が捜査を実効的にチェックできる仕組み,すなわち取調べの全過程の録画,この義務化が絶対に必要だということです。   厚労省の元局長事件は,その前に,えん罪が明らかとなった志布志,氷見,足利事件,それ以前からもえん罪は続いておりましたけれども,そういう検証を踏まえて,不適正な取調べの再発防止のため,多くの改善策が提言され,通達等が発出されていたにもかかわらず,捜査官の不適正な取調べがほとんど改善されていなかったこと,従来の改善策が結果的に全く無力であったということを明らかにしたわけであります。ヒアリングにおいて,村木氏は,「一番恐ろしいのは,密室の中で根拠のない一定方向の多数の調書が作られたことだ。」と言われています。密室における強引な捜査こそがえん罪の根本原因であり,その改善策が検証不可能な密室の取調べを見直す,こういう以外にないということが今やもう明らかになったと考えています。そういう形で捜査官による不適正な取調べを予防し,裁判所が供述調書の作成過程を客観的事後的に検証する仕組みとして,取調べ全過程の録画の義務化が不可欠であります。   現在,裁判員対象事件において,一部自白場面のみを録画するということをしていますが,しかし,厚労省の元局長事件を例にとれば,村木氏を除く他の被告人は,全て厳しい取調べの結果,勾留中は虚偽の自白をしていたわけでありまして,これを忘れてはならないわけであります。一部録画では取調べの初期の段階でどのような取調べで自白に陥ったのか分からないわけであります。むしろ裁判員や裁判官に,かえって誤った印象を与える可能性すらあります。任意の取調べを含めて,取調室に入ったところから最後までの全過程の録画することなしに,取調べの検証,ひいては取調べの適正化は不可能であると考えているところであります。   さて,取調べの全面可視化については様々な御意見があります。まず,被疑者が自白しなくなるのではないか,ひいては治安が悪化するのではないか,こういう意見がございますが,録画制度を導入した後で,録画による弊害を述べている国は寡聞にして知らない。そして,可視化後は対象事件についての取調べを重視することから余罪についての自白の割合が減ったという印象を持つ場合であっても,それを上回る取調べの質的向上があるという報告もあります。   多くのえん罪や過酷な取調べが明らかになっている中で,捜査当局が「治安」を口実に「密室の強引な捜査」を維持することに,国民の共感はもはや得られないと考えます。国民が取調べや捜査に対して不信感を持つ中で真に国民の安心・安全を守る役割を果たすことはできないと考えます。他の国々も,現在の我が国と同様,司法への信頼を揺るがす事件を契機に国民の司法への信頼を取り戻すために可視化を導入し,実際国民からの信頼を取り戻し,さらには捜査の質的向上を果たしてきているわけであります。   また,我が国では,諸外国と異なり,取調べを重視し,生い立ちから心を開いて話をしてもらうために録画をすることはできないという意見もあります。しかし,むしろ録画を行うことによって面接技法の研究や向上が図られ,従来に比べて本当のことを話してもらえるようになったという研究結果もイギリスなどでは報告されているわけであります。逆に,密室では,信頼構築の名の下に,不正常な人間関係が形成され,誘導,迎合,脅迫等によって虚偽供述が生じやすいことこそが指摘されなければならないと考えております。   さて,もう一つの批判として,全過程の録画による裁判の長期化というものがあります。取調べの全過程を録画すると裁判が長期化するというのは誤解であります。可視化すれば,任意性に関する争いは絶滅いたします。多くの裁判で任意性をめぐって警察官,検察官の証人尋問や被告人質問によって水掛け論をする必要がなくなるわけであります。公判でテープを視聴しなければならなくなるということはごくごく一部であります。そして,極めて例外的に相当長時間にわたる視聴が必要になる場合もあるかもしれませんが,そのような場合であっても,証人を何人も何人も調べて任意性や特信性の立証をすることより,長時間かかるとは考えられません。実際,諸外国でも任意性・信用性を争う事案は,可視化導入後,激減いたしました。私の経験でも,誰も録画を再生したりはしていません。既に実施している国を見てもそうですけれども,全過程の録画することによって,裁判が長期化することは到底考えられないわけであります。   また,捜査側にも新たな捜査手法を与えるべきであるという意見があります。可視化すると自白が得られなくなるから,捜査側にも新たな捜査手法を与えるべきだという御意見であります。私は,取調べの可視化によって公正な捜査が行われ,それによって得られた供述こそが有力な捜査手法になり得ると考えていますが,さらに,我が国における捜査手法は特にここ二,三十年の間に飛躍的な進歩を見ています。例えば,DNA型鑑定の精度向上,指紋自動識別,掌紋自動識別システム等は画期的であります。また,要件を満たせば,通信傍受を行うことができ,麻薬特例法ではコントロールド・デリバリー,泳がせ捜査も規定されています。また,最近,携帯電話の分析等が話題になっておりますが,電磁的記録の証拠等について分析技術,デジタル・フォレンジックの進展もめざましいところであります。防犯カメラの高性能化,自動車ナンバー自動読取システム(Nシステム),あるいはDNAデータベースのデータ量の増加もよく認識されているところであります。   このように,捜査側の武器は飛躍的に充実し,既に可視化を実現するための環境は整っていると考えています。客観証拠を得るための手段がこれほど充実している今こそ,可視化を行うべきであろう思います。その上で,どうしても新たな捜査手法が必要だ,こういうことになれば,その手法によっては,国民的議論を交わしつつ検討すればいい。捜査当局の具体的な提言を待って議論すべきである,このように考えています。   さて,可視化の対象でありますけれども,我々も現段階で,全ての事件について,直ちに取調べの可視化を求めているわけではありません。法制化前に試行を行うなどして,段階的に可視化の対象事件の範囲を広げていくことも考えられます。   また,厚労省の元局長事件では,多くの関係者について,客観的事実と異なるものの相互に一致している多数の供述調書が作成されています。すなわち,被疑者本人以外の関係者に対する強引な取調べにも重大な問題があることが明らかになりました。したがって,被疑者の取調べにとどまらず,参考人の取調べの可視化も含めるべきではないかと考えています。   さて,証拠開示であります。証拠開示も,適正な公判あるいは捜査のチェックのために不可欠であります。厚労省の元局長事件において,主任検察官は,弁護人に開示すると公判が紛糾するということで,フロッピーディスクを手持ち証拠から排除するため,データを改変の上,関係者の家族に還付していました。このような方法による証拠開示の回避も,相手方当事者である被告人側には捜査機関がどのような証拠を持っているのか,こういうことが把握できない現行制度だからこそ行われたわけであります。   また,この事件に限らず,当初は弁護人の求めに対し,「不存在」,「見当たらない」とされた証拠について,後で存在していたことが判明した事例も,何例か報告されています。そこで,適正な公判遂行のためには,不当な証拠開示逃れを防止する必要があり,そのためには捜査機関が当該事件の捜査の過程で作成又は入手した全証拠のリストの作成・交付が制度化されるべきだと考えています。   さて,また全面的な証拠開示も,私は制度論としてあり得るべきだと思っています。国際人権規約委員会も,1998年に日本政府に対して,「弁護を受ける権利が阻害されないために,日本が法律と実務において弁護側が関連のあらゆる証拠資料にアクセスできることを確保するように勧告する。」という見解を述べております。   現行法上,公判前整理手続又は期日間整理手続に付された事件については,類型証拠開示及び主張関連証拠の開示が行われていますが,被告人側には,なお全ての証拠にアクセスする権限が保証されていないわけであります。そういうことのために,例えば,この前,公訴取消しになりました放火事件につきましても,担当検察官が捜査報告書を改変する,こういう事件も起きているわけであります。検察官が,弁護人に対して,原則として全ての証拠を開示する制度が採用されるべきではないかと考えている次第であります。 ○諸石委員 お手元に諸石の名前で「捜査・公判手続についての意見」と題しました紙をお配りしております。まず,検察の職責は,遵法・被疑者の人権尊重という手続の中で,犯罪の真相を解明し,もって国民生活の平穏と安全・安心を守るということになります。この両者のいずれにも偏らずに適切なバランスを保つことが必須であるということは申すまでもないと思います。今次の検察の在り方の検討の結論として,取調べに対する抑制措置だけが先行して,その結果として犯罪摘発率が低下したり,本来,有罪であるはずの者が処罰を免れて,ひいては国民生活の平穏・安全・安心が損なわれるような事態を招来してはならない。これも当然だと思います。   次に,現在の刑事裁判においては,調書が過度に重視される調書裁判に偏している嫌いがあるということが,この会議でも度々指摘されております。犯行を自白する調書があると,法廷で被告人が供述を翻しても,供述調書の任意性・特信性のハードルが余り高くないために,ほかの証拠との矛盾がなく,調書記載の供述が詳細で,かつ,全体としての整合性があると,調書の内容までもがそのまま採用されるというケースが多くて,勢い検察における調書の作成に際しては,供述をそのままに記録するというよりも,検察の見込みに合わせて整合性のある内容に関係者の供述を一致させるように誘導するという思い込み捜査のおそれがあるということが指摘されております。   一方で,日本の刑事法は,犯人,行為者の内心での認識を重視する主観主義の法制度であります。取調べ方法の抑制措置が採用され,そのことが被取調者に広く認識されるようになりますと,自己に不利益な事実はなるべく隠しおおせたいというのが人情の自然であります。全般的に,特に行為者の内心の意図や認識が構成要件に直結する類型の事件では,自発的な自供が得にくくなり,そのことが犯罪の摘発を困難にして,ひいては巨悪を眠らせる結果を招来するおそれがあることは無視し得ないところでございます。   次に,調書主義を排斥すると,残る方法は公判廷での供述重視にならざるを得ないのでありますが,孔子の言葉に「父は子の為に隠し,子は父の為に隠す。直きことその中にあり。」,そういう仲間内でのかばい合いの精神風土が色濃く残っている日本では,偽証が十戒の一つとして重罪であることが広く人心に定着している欧米との対比においては,公判廷で虚偽陳述がなされることが多く,それに対して偽証罪が適用される例は少ないと言われております。公判廷での供述の信頼性を高めるためには,一つは公判廷での偽証の摘発の強化,次に被告人に対して宣誓の上で,ということは偽証罪の適用可能性の下で供述をする機会を与える制度を設ける。三つ目には,弁護人が虚偽と知りながら虚偽の証言に積極的に関わった場合に,偽証教唆,幇助等の刑事罰,弁護士資格剥奪に直結する厳格な運用,これは現行法の下でもできるかもしれませんが,少なくともそういう厳格な運用の導入等を検討することが必須だと思います。   また,刑事実体法の構成要件から,本人の供述に頼らざるを得ないことが多い犯人の内心の要素をできるだけ排除すること。例えば,殺人において射程内での拳銃の発射,身体の主要部への刀剣による刺突・切り付け等における殺意の推定,あるいは公務員・政治家等の開示義務に違反して秘匿された金銭の受領に対する収賄・請託の意思の推定,よく知らない他人から国内持ち込みを安易に引き受けた場合の状況自体からの密輸の意思の推定等々といった定型的に犯意が推定される場合の推定規定,これは,挙証責任の転換になると思いますが,そういった推定規定の導入による刑事実体法の主観主義からのある程度の変容といった方策をも同時に検討する必要があるのではないかと考えます。   さらに,組織犯罪の場合であって,被取調者が企業・官庁の役職員であったり,暴力団の構成員であるケースにおいて,同一組織内の他の被取調者と弁護人が同一人であったり,あるいは同一事務所所属等であったりする場合の問題,取調べ中に未発覚の他の犯罪についての供述が出てきた場合の録音・録画が開示の範囲をどうするかといった問題点も十分に検討した上で,不都合のない解決方法を見出す必要があると考えます。   今申しましたことはもとより,刑事法の抜本的な変容に関わることであるだけに,十分な国民の理解・納得の下に,法制審議会等での慎重な審議が必要となることは当然でありまして,これの諸対策の十分な検討を置き去りにして,取調べ方法の全般的制限だけが一人歩きすることは危険が伴うと考えます。   取調べの可視・可聴化については,一定の犯罪類型について,取調べの全過程を可視化する方向性を明確にするとともに,実施に当たっては,関連する諸制度の改革との整合性を保ちつつ,順次慎重に導入すべきであると考えます。その一方で,国民の目に見える形での改革を実施・実現するために,例えば可視・可聴化の必要性が特に高いと思われる身柄拘束中の特捜事件や精神・身体にハンディキャップを持つ取調べ弱者の事件を対象として,この検討会議において,可視・可聴化の範囲,内容,実施時期等を議論した上で,具体的な提案として国民に示すことができればよいと考えております。 ○佐藤委員 お手元に「刑罰法・自白・取調べについて」というペーパーをお配りさせていただきましたので,それに基づいて申し上げたいと思います。   まず,犯罪構成要件の主観的要素と自白ということで申したいと思います。特捜部が捜査対象とします事件に適用することが多い罪として,次に掲げるような罪がございます。その罪の犯罪構成要件は,そこに下線を引いた主観的な要素がカギとされています。例えば,収賄罪では「公務員が,その職務に関し,賄賂を収受し,又はその要求若しくは約束をしたとき」,賄賂というのは便宜供与に対する反対給付であるという認識がなければなりませんので,どうしても,それは本人に聞かなければ分からない。要求,約束というのは行為ですけれども,しかしそれは,主観的な意思が反映したものでありますので,それが分からなければ,その行為も明らかにならない。そういう要素であります。   受託収賄罪の場合には,それに加えて「請託を受けて」というのが加わりますので,その請託をしたか,受けたかというのは口頭であります,通常。それを明らかにすることが絶対に必要となります。   あっせん収賄の場合には,更に「あっせんをすること」ということがありますので,あっせん行為があっせんであったかどうかというのは,主観的な内心の問題であります。   それから詐欺罪,「人を欺いて」ということですけれども,欺く意思があったかどうか,欺もうの意思があったかどうかということが重要であります。   背任罪の場合には,「自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的で」という,図利加害目的が証明されなければなりません。   それから,投票買収罪。これは「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって利益等の供与の申込み,約束をしたとき」というときでありますので,その当選を得る目的であったかどうか,得しめない目的であったかということを明らかにしなければ適用ができない。   会社法の贈収賄,これは先ほどの収賄と同じですけれども,「不正の請託を受けて,要求若しくは約束をした」ということ,これらについては同様でございます。   つまり,そこに下線を引いた要素は,被疑者の自白なくして証明することは不可能であります。そこで,自白と被疑者の取調べということでございますけれども,今,諸石委員からお話がありましたけれども,残念ながら人は自らに不利益なことを進んで他人に話すことはなかなかなし難いものであります。話すことによって刑罰を受けることになるとなれば,なおさらのことであります。黙するか,あるいは嘘を言ってでも逃れようとするのが人の常でございます。我が国でいう自白の本質は,欧米と異なって告白・懺悔であると私は思います。告白であり懺悔であるからこそ,そこに至るまでに葛藤があり,踏ん切りが要る。取調べはそれを促す捜査活動にほかならないと思います。このような自白を見知らぬ者にいきなりすることは考えにくく,後日であってもその姿を他人にさらすことになるとあらかじめ分かっていて,葛藤を乗り越え,自白に踏み切ることは期待できないのが現実でございます。   特捜部対象事件の被疑者は多くの場合,政党,国・地方自治体の行政組織,会社,組合,その他の団体の構成員であります。また,いわゆる社会的地位が高い人が多い。このような被疑者から自白を得るには,世間体を吹っ切らせ,団体から受ける有形無形のプレッシャーをはね除けさせる過程が必須であります。例えば,政党幹部,首長等,会社役員への配慮がありましょう。特にこれらの者と共犯であるときにはなおさらであります。   また,談合,買収,あっせん収賄と必要的共犯で多数が関与する事件では,最初の自供者となることを隠すため,被疑者から取調官に対して,それが分からないようにという切実な要求があるのは普通であります。取調官,被疑者各々のプライバシーや他人の名誉に関わることに触れなければならないこともしばしばであります。例えば,犯行の動機が,あるいは得た金の使途先が愛人であるという場合,特に,その愛人が受領金を犯罪収益と知らないでいた場合はプライバシーの問題が大きくなります。また,家庭内の人間関係,上司に対する不満,憤りが犯行の原因であるときも同様でございます。   こういう状態であるときに,取調べを全面可視化するとどういうことになるかということでありますけれども,先ほど申し上げました自白の本質が告白・懺悔であるということと特捜事件被疑者の実情に照らしますと,取調べ過程全面可視化の実施によって,今日までのように自白を得るのは不可能になることは瞭然であります。刑罰法構造を現行のままにして取調べ過程の全てを可視化することは「採光を良くするために家屋構造の強度を無視して窓を拡大する。」が如しだと思います。これを強行すれば,遠からず家屋の倒壊,すなわち秩序維持システム脆弱化の危険が生じる。   秩序・治安というものは,一旦崩れたら元に復することは至難であります。制度変更しようとするとき,これによって治安が崩れる恐れがあるならば,崩れが生じないための備えを十分に整えておくのが国家・社会・国民に責任を持つ者の採るべき措置であると思います。   そこで,4でありますけれども,刑罰法及び刑事司法手続法の抜本改正が必要だということであります。本日は,時間の関係で刑罰法のことのみ申し上げたいと存じます。まず,主観的要素を排除した構成要件にすべく,刑法その他の刑罰法令を改正すべきであります。例えば,詐欺罪です。「虚偽の事実を申し向けて財物を得たときは」ということで,客観的な事実で証明できる要件に変える。あるいは収賄罪については,公務員の事務を特定して,「当該公務員が次に掲げる者から財産上の利益を受けたときは」ということで内心を排除する。そういう要件にすることは不可欠であります。   また,刑法その他の刑罰法令に推定規定を置くことも考えるべきであります。例えば,そこに例示いたしましたけれども,イギリスの汚職防止法第2条という規定があります。公務員等と政府との契約者等の間で「金銭,贈物その他の利益が供与され,又は,受領が証明されたときは,反証がない限り当該金銭,贈物その他の利益は賄賂の趣旨で供与され,又は,受領されたものとみなされる」という規定とされております。このような措置が少なくとも実体法について採られなければ,これらの事件についての検挙は不可能と言ってよろしいと思います。   いま一つ,刑事司法手続法の問題がございます。今,諸石委員からもお話がございました。この問題については,時間の関係がありますので,次回にまとめて御報告をさせていただきたいと思います。   先ほど,宮崎委員が取調べ録画を行っている国の導入前後で大した変化がないというお話もございましたけれど,そもそも導入している欧米の国では,例えば,イギリスでは取調べは大体2回ぐらい。しかも1回が30分程度,その程度の取調べしかしていない。そういう中ですから,可視化をしようがしまいが余り変化はない。したがって,取調べをしなくても立証できるような手続法の規定が数多く用意されております。   それから,我が国の捜査手法が飛躍的に進歩した。誠に買いかぶっていただいて有り難いのでありますけれども,これも次回数字をもって御説明したいと思いますけれども,外国との比較をいたしますと,まるで違っているのが現状でございます。   宮崎委員から,導入すべきとする新たな捜査手法について具体的な提言あるべしということでございましたので,これらについても,次回申し述べたいと存じます。 ○石田委員 配布書面の5ページ以下に,この問題についての発言要旨を記載しております。問題を端的に言いますと,ここで議論をしている検察の在り方を巡る問題というのは,検察による取調べの在り方を巡る問題であり,突き詰めて考えれば,検察官調書,これは321条1項2号書面ということになりますが,その在り方を巡る問題であると考えます。今日は時間の関係もありますので,私の主張の結論のみを申し上げたいと思います。   問題の病根は,正に取調べ受任義務を容認している判例あるいは実務と,それに加えて,この検察官調書を特別扱いしている刑事訴訟法321条1項2号にあると考えます。このことは既に前回まで述べておりますが,これを基本的に見直さない限り,抜本的な検察改革はあり得ないと考えます。   先ほど,佐藤委員から,自白が必要だという御趣旨の意見がございました。しかし,佐藤委員がここで挙げられた行為,構成要件が自白によってしか立証できないという見解には私は賛同しかねます。全く黙秘をしている事件でも有罪になっている事件もあります。   そして,そのような理由が検察官調書を特別扱いするという理由には到底なりません。しかも,憲法38条は自己負罪拒否の特権を認めておりまして,それが前提で,検察官に対して犯罪の立証責任を負わせているわけでありますから,自白がなければ犯罪が立証できないという前提に立つこと自体,憲法の趣旨にも反するのではないかと思います。   この会議では,抽象的には供述調書に依存した捜査・公判からの脱却が必要であるとのコンセンサスが一応出来上がっているのではないかと思います。その下で,当面の対策としては,前々回,私が総論で述べたように調書裁判の過程のうち,その作成段階と任意性・特信性の検証の段階の制度改革を行うことが絶対に必要だと思います。これが検察による捜査の在り方を改革する上での最低限の方策であると思います。   そこでまず,調書の作成過程につきましては,適正手続の確保であります。この適正手続の確保がなければ,自白を得るということが適正手続の確保に優先するなどということは,絶対にあってはならないことだと思います。被疑者取調べに際しての弁護人の立会権を認めるということで,この問題は基本的に解決すると思います。そして,先ほど宮崎委員も御提案されましたが,全過程の録音・録画はこれを補完するものとして機能するものと考えます。   このことは,既に長年にわたって議論されて,問題点はもはや出尽くしていると思います。参考判例あるいはこれまでの可視化問題あるいは弁護人立会権の問題についての議論の経過につきましては,資料1の年表を参照していただければと思います。ここでは取りあえず2008年10月30日の国連の自由人権委員会の最終見解が,我が国に対して主な懸念事項及び勧告として指摘していることの引用をしておきます。詳細はこの書面に記載したとおりですが,要は末尾に取調べの全過程について体系的に録音・録画し,更に全ての被疑者に弁護人が取調べに立ち会う権利を保証すべきであると指摘している点を強調しておきたいと思います。   それから任意性・特信性の挙証問題を巡る問題であります。言うまでもなく任意性は刑訴法319条1項,特信性は321条1項2号の問題でありますが,この挙証責任は,言うまでもなく検察官にあります。現在,この立証は,主として捜査官や供述者の証人尋問,あるい本人尋問によって行われております。そのため,おびただしい時間と労力が費やされました。私が弁護に携わった土田・日石・ピース缶爆弾事件,これは戦後最大のえん罪事件と言われた被告人18名が全て無罪になった事件であります。これは,その審理に9年間,それから先ほど郷原委員の方で引用されましたリクルート事件は約14年間が審理に費やされております。これは1か月1回程度ではなくて,土田・日石・ピース缶爆弾事件は2週間毎に,例えば木,金と10時から5時までということでした。そして,リクルート事件は毎週でしたから,月に4回から5回,10時から5時まで公判が開かれて,そのほとんどが捜査官の尋問,供述調書の任意性・信用性を巡る問題として審理が進められたわけであります。   しかし,このような証拠調べで任意性・特信性を判断することは極めて非効率で,かつ,信用性を判断すればいいという傾向に傾いて,結局は,調書裁判を一層助長することになっております。しかも,検察官にも二重の過ちを犯させることになります。   ここで,アメリカの著名な裁判官であるジェローム・フランクの著作を引用してみましたが,この中で「拷問は,拷問者を偽証者たらしめる。つまり強制された自白に対する証人として召還される場合,彼は,強制がなかったと偽証することを余儀なくされるのである」と言っています。この見解は万国共通のものであります。我が国で任意性を否定した裁判例は,基本的に取調官の法廷証言を偽証とは言わないまでも排斥をしております。   先ほど引用しました裁判例も,ここで引用をしておりますが,「原告が,あえて被疑者ノートに嘘の記載をする動機があることを裏付ける特段の事情が認められたり,取調べ過程が録画されていて,被疑者ノートの記載が事実と異なることが証明されたりすれば格別,そうでない限り本件被疑者ノートの記載内容の信用性を高く評価すべきところ,上記特段の事情を認めるに足る証拠はない。」として,取調官の証言を排斥しているのです。   これは,刑事裁判においても,取調官の証言を重視することなく,録画による反証の必要性を示唆していると理解することが可能です。したがって,この問題を解決する,そして佐藤委員がおっしゃったように,自白を被告人に維持させるということであれば,本来,特信性条項は削除すればいいわけです。そして,そういうふうに取調べの成果として被告人が法廷で自白をすれば,佐藤委員がおっしゃっている目的も達成できるわけであります。したがって,こういうことをしない限りは,被疑者とか弁護人の任意性・特信性がないという主張,これは先ほど例も挙げましたように,通常は主張の段階で被疑者ノートであるとか,我々がよく接見で行う手法でありますが,接見メモに確定日付をとって証拠化するといったようなことにより,その内容によって具体的なテーマが提示をされます。   このような主張に対する反証を,取調官による証言ではなくて,つまり人証というような主観的な証拠ではなくて,客観的な証拠,例えば,弁護人の立会いあるいは録音・録画といったようなものに限るという,任意性・特信性,ペーパーには任意性だけ書いてありますが,任意性・特信性の立証についての証拠方法の制限をするというような規定を置けば,それでできるのではないかと考えます。   そして,弁護人の立会い権の問題などは,先ほど欧米諸国では全体的な証拠物が違うという御指摘がありました。これらの制度,弁護人の立会いについても,あるいは録音・録画についても,日本の刑事訴訟法の影響を強く受けてきたお隣の韓国であるとか台湾などにおいても,既に法の改正によって採用をされております。そして,それによって治安が悪化したとか,そういうことは全く聞いておりません。これらの国々は,ミランダの影響,あるいは当事者主義が進む中で採用をしてきております。それについての詳しいことは,また別の機会に御紹介をしたいと思いますが,いずれにしても,自白によってしか立証ができないというその前提自体が私は納得ができません。そして,それを仮に前提としたとしても,検察官調書をどのように扱うかというところがやはり問題であります。そして,検察官調書を特別扱いしている制度にあぐらをかいてきた今の検察官制度であればこそ,このような問題が生じているということは間違いのない事実でありますので,この点からまず改革に手をつける必要があると思います。もちろん,この見解については法の改正等もしなければいけない問題で,あるいはこの検討会議だけの問題ではないかもしれません。いずれは法制審議会などでも議論される問題ではあろうかとは思いますけれども,大まかな枠組みについては検察改革の非常な要だと思いますので,一定程度の提言をすることが我々に課せられた義務であると思っております。 ○郷原委員 私も,検察で捜査を経験してきた人間ですので,その中で取調べによって真実を明らかにすることと逆に,不当な取調べを防止することの難しさはいろいろ体験してまいりました。そうした中で,御参考になるのではないかと考えた事例を,色付きの絵を用意いたしました。私がある地検で行った検察官の独自捜査というか,国税からの告発を受けて行った捜査の事例です。脱税請負人グループが広域的な犯罪で検挙されたというケースです。広域的な犯罪でしたので,既に他の3地検で被疑者が逮捕・起訴されていて,私がいた地検は4番目に被疑者を逮捕したということで,他の地検で明らかになったストーリーどおりにやればいいかなと思っていたところ,私は非常に腑に落ちないところがあって,裏付け捜査をとってみた結果,意外な事実が出てきたという事例でした。   この1枚目の紙を御覧いただきたいのですが,私がいた地検がB地検です。B地検の脱税請負の依頼者が,A地検があったA市を本拠とする脱税請負グループに脱税を依頼したという案件でした。当初のストーリーでは,5月2日にこの依頼者がA市に飛行機で行った。そこで脱税請負グループからおおまかな話を聞いて,A市に帰って,いろいろ知人などに相談して,最終的に脱税請負を依頼することに決めて,5月20日にもう1回B市の脱税請負グループの本拠地に行って,そこで最終的に話を決めて契約をしたという流れでした。そして,この脱税請負グループの中では,Xが主犯で,Yは�bQとされていましたが,Xは全面否認,Yは全面的に自白しておりました。   私がひっかかったのは,2日の飛行機の購入の裏付けがとれていなかったことです。20日はいつも使っている旅行代理店で航空券を買っていますが,2日はそれがない。なぜなのか。国税の係官に聞いたら,それは急に話が決まったので空港で直接購入したと言っていますということでしたが,どうも納得できない。この2日の行動をずっと確かめてみると,その中に非常に具体的な話が出てきたんです。その脱税請負グループの1人に,昼食に「日本一大きな水車小屋」という大きな水車があるドライブインに連れて行ってもらって,そこでソーメン流しを食べたという話が調書に記載されています。そこまで明確な記憶があって,しかも大きな水車があるドライブインなど近くにはないだろうから特定できるだろうということで裏付けをとるように指示したところ,国税の係官から特定できたという報告を受けました。ところが,5月2日はそのドライブインは休業だったわけです。   そこで,依頼者であったZの取調べを担当していた検事に,もう1回じっくり聴き直してみてくれ,今まで話していたことに本当に間違いがないかどうか聴き直してみてくれと言ったところ,その取調べの結果,実は5月2日は行っていません。実は,私は5月20日,1回しかA市には行かなかったという話になったのです。国税の係官から取調べを受ける中で捜索で事務所から愛人とのわいせつ写真が押収されていて,それをちらつかされて調べられたために完全におびえてしまっていて,途中で自分が言い間違えたのか,2日と言い間違えたのか,聞き間違えたのか分からないけれども,2日に行ったという話になってしまい,それを撤回できなくなってしまった。2日に行った後,20日までの間は何をしていたんだと聞かれて,全部,話は作りましたということになったわけです。   Zの話が嘘だったというだけではなくて,この事件のストーリーは,Zが2日と20日の2回B市を訪れたという前提ですべてできていたので影響は重大でした。XとYの共謀も,最初2日に会ったのはYだけで,YとXとの間の共謀は2日と20日の間に成立したといういことになっていました。これが全部嘘だった。全部作り話だったということになり,しかも,Zから受け取った報酬をこのグループの一味のUという人間を介してXに渡したということになっていたのですが,これもいろいろ調べていったら嘘だった。全て嘘だった。   ここで私が非常に印象に残ったのは,このときの取調官の言っていたことです。Yの調べをやっていた検事は,それだけの事実が出てきて,Yの話は全く嘘ばかりだった。と言っても,それでもまだ信じているんです。こいつは嘘を言っていないはずだと言ってまだ信じているんです。Yに頼まれてXに報酬を届けたということを供述しているUの取調べを担当していた検事は,話がおかしいから調べ直せと言ったら,涙を流して抵抗するんです。「私の調べを信じてくれないんですか。」と言って。要するに,検事の心証的にはすべて本当のことを言っていると思っているわけです。   この会議でのヒアリングで,若狹弁護士が,最近の若い検事は心証というものが分かっていないということを言っていましたが,私は,若い検事に心証を聞くという,そういうアプローチは逆に危険だと思います。検事は占い師ではないんですから,客観的な事実で分かる範囲内のことをベースにせざるを得ないのです。自分の心証とか印象,勘,こういうものに頼って,こいつが言っていることは本当だと思ってしまうと大きな間違いを起こすことになってしまうのではないか。実際には,こういう形で本当に信じられると思っていた供述が全部嘘でたらめだったということは結構多いと思います。   そして,もう一つこの事例から言えることは,取調べの可視化をしてもこのような事例ではなかなか問題は明らかにならなかったかもしれないということです。机の端っこの方にわいせつ写真がちょっと見えるように置いてあれば,被疑者はそれだけで十分ビビるのです。ですから,心理的に圧迫される虚偽供述をするプロセスというのはいろいろな要因があるので,表面的に可視化をすれば済むというものでもないのではないかという気もします。   可視化を巡る議論は,これからもっといろいろな観点からやっていかないといけないと思います。私はそういう意味で,可視化というのは一つの重要な方法だと思いますが,その可視化もどういう目的でやるのか。今,裁判員裁判などで試行されているような,そして最高検の検証結果報告書で言われていたような,裁判所に検察官の供述調整を信用してもらうための可視化なんていうのは,私は全くナンセンスだと思います。飽くまで不当な取調べの抑制でなはいといけないと思いますが,可視化だけ全て目的が達せられるかというとそうではない。多面的な方法によって真実に迫り,なおかつ不当な捜査を抑制する方法を考えていかないといけないと思いますし,私は可視化以外にも例えば検察事務官の役割を見直す。検察事務官の客観義務というのを重視して,事務官の縦のラインできちんと取調べの状況は報告させるということ。   それから,石田委員が前々回からいろいろおっしゃっていた不当な取調べに対して弁護人側から抗議をした場合に,それをどうやって検討して,その指摘を受けいれて,そういう取調べを是正するシステムを整えるか。そういうことも含めて多面的に措置を採っていかないといけないのではないかと思っています。 ○後藤委員 私たちに与えられた目標は,国民の信頼を得られる検察の捜査と公判活動はどういうものか提言をすることだと思います。これをキャッチコピー的に表現するとどうなるか,ない知恵を絞って考えてみたのが,例えば,このメモに書いた「一人ひとりを大事にする公明正大な検察活動」というようなことではないか。余りセンスがなくて申し訳ないですが,拙いながら,こういうような言葉で表現されるものが,私たちの目標ではないかと私は思うわけです。   そのために必要なことは,大きく分けると二つあると思います。一つは捜査の改革です。ここでは,ほかの委員もおっしゃっているように,密室での供述調書作成に依存した捜査を改めることが必要です。そのために,取調べの全過程の録音・録画,いわゆる可視化がやはり重要だと思います。   この可視化の目的について,検察官の立場からは自白の任意性立証を容易にするためだという捉え方があります。他方,弁護人側には,不当な取調べを予防するため,発見するためだという捉え方があります。しかし,そういう利害対立を超えて,もっと客観的な意味があることを意識すべきだと思います。それは,供述の形成過程を事後的に検証できるようになることです。それは,裁判所にとっては任意性や信用性の判断材料が格段に改善されるということを意味します。また,誤った供述が生じる原因を探ることができるようになります。これは取調べを科学的に見ることができるようになるということで,こういう客観的な利益を意識することが重要だと思います。そのためには,一部の可視化では足りません。また,被疑者だけではなく参考人の取調べも対象とする必要があります。   また,録画の方法について,心理学の知見を活かすことも必要だと思います。これについては,外国でも日本でもいろいろな研究がございます。例えば,同じ取調べの場面でも,どういうアングルから写すかによって,それを見る人が受ける印象が違うことが確認されています。こういった知見を活かすことが必要だと思います。   それから弊害論についてですが,私自身,外国の話を聞く限りでは,取調べの可視化をしたために捜査機関がすごく困った,捜査ができなくて困ったという話は聞いたことがありません。むしろ自白について余計な争いがなくなったので,やりやすくなったというふうに聞くわけです。そうだとすると,日本で可視化をしたために捜査が大変やりにくくなるということが本当に起きるのだろうか。もしそれが起きたとすれば,それは日本の取調べは,外国に比べてよほど特殊なことをしていたことになってしまうけれども,本当にそうなるのだろうかという疑問が私にはあります。そのほか,プライバシーの保護といったような問題が現実には生じ得るかと思います。しかし,それにはそれぞれ対応策の工夫があり得ると思います。   現実問題として,今年の4月1日から,全事件で全ての検察官取調べを可視化しなさいと言っても,それは無理でしょう。何らかの意味で段階的に実施することは避けられないと思います。しかし,どういう手順で広げるかをここで具体的に詰めようとしたら,とてもまとまらないでしょう。大事なのは,最終的にはここまで持っていってくださいという最終目標と,そのためにまずこれをやってくださいという具体的な最初の一歩について,なるべく私たちが一致して提案することだと思います。   それから,取調べへの弁護人の立会いも重要な課題だと思います。村木さんの言葉で,取調べというのは孤立したアマチュアボクサーとプロボクサーの闘いみたいなものだ,せめてセコンドが必要だというような表現があったと思います。そこからも弁護人立会いの重要さが分かります。   次に,身体拘束を自白獲得の手段にしないことも重要だと思います。これも村木さんの例で言うと,村木さんを勾留した後,村木さんの言い分を聞いて起訴するかどうかを考え直すというのであれば取調べに意味があります。しかし,起訴するという方針を決めておいて,ただ自白を取るために20日間勾留する,それは何のためにするのでしょうか。起訴すると決めているなら,すぐ起訴したらいいわけです。   それから,前田さんのしたことを見れば,押収した証拠物の管理方法を整備することも,もちろん重要なことだと思います。   これらのことは,新たな法律がなくても可能です。例えば,録音・録画とか弁護人の立会いについて,そういうことをしてくれなければ,私は何もしゃべりませんと被疑者に言われてしまったら,そうするしかないでしょう。それでもしゃべってもらいたければ,むしろ供述を得るために,それが必要になると思います。   次が,公判活動の改革です。ここでは供述調書に依存しない立証が必要になると思います。ここでは,私の意見は,ある意味で石田委員より激しいかと思います。そもそも現在,被告人以外の者の供述について検察官がとった調書を証拠として特別に優遇しているのが刑事訴訟法321条1項2号という条文です。これ自体の存廃を考えなければいけないというのが私の問題意識です。この条文をやめろというのは,現場の検察官にとっては非常にショッキングな提案だと感じられるでしょう。しかし,この問題を私たちは避けては通れないでしょう。つまり,この条文がそもそもなぜあるかといえば,それは検察官は客観的な立場から正確な供述を記録するだろうという期待に基づいているわけです。ところが,村木事件で行われていた供述調書の作り方はそういうものだったでしょうか。私にはそうは思えないです。それは,検察官が抱いている仮説に合った供述を何とかしてまとめたものでした。そうすると,そもそも2号の書面を特別扱いする根拠がないのではないか。それは,この事件に関わった検察官たちが特に劣った検察官だったからそうなったわけではありません。むしろ検察官は訴追官としての役割を負っているので,自分の仮説に合う証拠をそろえようとするのは,非常に自然な行動です。そういう検察官が作る調書を証拠として特別扱いすることに,そもそも問題があるのではないでしょうか。   この2号が存在していることによって,検察官たちの仕事も捜査中心になり,どうしても調書を作らなければいけないという,いわば呪縛を受けているのが現状ではないかと思います。もし,この2号をやめるとすれば,供述証拠は法廷での証人尋問が中心ということになりますから,尋問技術が非常に重要になるでしょう。   それから,2号の廃止に合わせて,公判前の証人尋問請求の要件をもう少し広げる,つまり,検察官面前供述に代えて裁判官の面前での証言を確保する手段を広げる必要が出てくるかもしれません。ここはやや技術的な問題になるので,深入りしません。   それから,2号の廃止といっても,すぐにはできないかもしれない。その場合,経過的なやり方としては,先ほど申しました参考人を含めた取調べの可視化が必要だし,それから裁判所が2号の後段,特信性と言われている要件を認めて調書を証拠採用される場合には,必ずその理由を明示的に説明するという運用をすることが必要ではないかと思います。   公判については,起訴の誤りが判明した場合の柔軟な対応も,今後,必要になると思います。これについては,例えば,倫理規範に盛り込むことがあり得ると思います。   最後に,取調べの可視化をすると,証拠収集が困難になるので,代替的な捜査手法が必要になるという議論について,一言申します。私は,検察庁あるいは警察のような日本の捜査機関は,法律の範囲内で新しい捜査方法を工夫するという能力があるし,かつ,その自由があると思います。さらに,もし新しい法律が必要だとお考えであれば,それは憲法の範囲内で,その提案をされたらいいわけです。それについて,検討会議の私たちが,これをすべきだとか,あれをいけないと決める必要はないと思います。もしそれを決めようとしたら,とても3月までにこの議論はまとまらないでしょう。   それから,何人かの委員から,日本の刑法は主観的要件を重視していて,特殊ではないかという御発言がありました。私は必ずしもそう思わないです。外国の刑法も,やはり故意,過失のような要件を要求しています。ただ日本に特色があるとすれば,それは立証の方法だと思います。供述によって,それを立証しようとする傾向がある。だから,もっと客観的な状況からそれを推認する立証方法が必要になるというのはそうかもしれないと思います。   ちなみに,佐藤委員が最後に御指摘になったイギリスの汚職防止法2条については最近,イギリスの控訴裁判所が欧州人権規約に反するという判例を出したと聞きました。まだ私自身はっきり内容を確認はできていないのですが,御参考までに申し上げます。 ○江川委員 私も紙1枚のものを出しております。頭の部分は,正に後藤委員が今おっしゃったこととほぼ同義ですが,私たちに求められているのは何かということをまず確認したいと思います。先ほどから,いろいろな専門的な立場でいろいろなことをおっしゃっているわけですが,もちろんそういうことは不要だとは言いません。とても大事なことだと思いますけれども,まず私たちに求められている一番大事なことは何かというと,検察に対する国民の信頼を取り戻すための何かをしなければいけない。どうすればいいのか。取りあえずは,村木さんが巻き込まれたような,ああいう事件を二度と起こさないための何か仕組みが提言されるというところが大事なのだと思います。   そのために,まずやるべきことは何かというと,書面では「取調べ過程の可視化」とありますが,「取調べ全過程の可視化」です。「全」を入れて強調させていただきたいと思います。これは,最低ラインといいますか,マストだというふうに思います。いくら立派な倫理憲章,綱領などを提言しても,あるいは教育の制度を整えても,これがなければ検察の在り方が少し変わるのではないかという国民の期待,あるいは信頼というものはほとんどかなえられないというふうに思っています。ですから,これはやるんだということを早く決めて,もちろん郷原委員がおっしゃるように,これだけやればいいというわけではありません。だからこそ,これはまずやると決めて,ではどのようにやるかというのを次に決めて,そして,その上で,あと何が必要なのかという,そういう順番だというふうに思います。   ということで,どのようにやるかということで提案したいのは,一つは身柄事件です。それは被疑者若しくは弁護人から請求があれば,原則として,その時点から全過程の録音・録画をする。ただし,請求によっては音声のみの録音にするのか,それともビデオ撮影もするのかということは選択できるということにしたらどうかと思います。   あるいは,そういう請求が本人や弁護人からなくても,例えば,被疑者が知的障害をお持ちの方だとか,あるいは日本語が自由ではない外国人とか,いろいろなハンディがあって,後日スラスラとしゃべったような供述調書を作ったとき,任意性・信用性が問題になる可能性があるときには請求がなくても検察官の判断でできる限り記録を残しておくように努める。   ただ,例外として,組織犯罪であって,国民の生命・安全に重大な影響を及ぼす可能性がある場合,例えば,私の頭にあるのはオウムのような組織の事件です。こういうような場合に限って,仮に弁護人,例えば組織がつけた弁護人がということもあり得るので,そういう場合にのみ裁判所の判断によって録音・録画しないことはあり得るとか,そういうわずかな例外を作って,その場合であっても,後からきちんと透明性が確保できるように検察事務官が細かいメモを作っておくとか,そういうことをやっておけばどうかと思います。つまり,請求があったときに全過程の録音・録画をまずは提案したいと思います。   それからもう一つ,これは任意の捜査のときですけれども,この場合には,被疑者あるいは参考人が持参した録音機によって録音することを妨げてはならないということを確認しておく。これは,法律改正は全然必要ないわけです。すぐにでもできることだと思います。ただ,その場合に後でいろいろなトラブルが,編集されて使われるということが心配であれば,検察官も録音を残しておけばいいのではないか。そして,それを外に発表したりとか,いろいろなことで問題が生じた場合には,その問題の責任は発表した側にあると決めておけばいいのではないかと思います。   最高検が特捜事件の一部録音・録画を検討していると報道されておりますけれども,これは,村木事件の再発防止という意味では全く役に立たないものであることは明らかです。例えば,実際に証明書を偽造した係長などは,私たちもその弁護人にヒアリングをしましたけれども全然信用してもらえない,本当のことをしゃべっても,結局,精神的にすっかり参ってしまって弁護人が自殺の心配をするぐらいの状況に追い込まれている。こういう人に最後に録音・録画するから,そのときに頑張って本当のことを言いなさいと言っても無理な相談だと思います。なので,一部の録音・録画では駄目だと思います。   それから,代わりの何か武器を寄こせという話もあり,それ以外に,先ほどからたくさんの専門的な話がありました。こういうことは,先ほど後藤委員もおっしゃいましたけれども,必要とあらば別個に会議を作るなり,あるいは法務省が検討するなりにして提案すればいいことだと思います。しかも,これにはかなり時間がかかることだと思います。例えば,司法取引がよく言われますが,そうすると裁判制度が形骸化するのではないか。あるいはおとり捜査,盗聴等は権利侵害がどうなるのかをきちんと調査した上でやらなければいけないので,これはこれで別途やっていただくことで,私たちとしては,早く取調べの全過程の可視化に向けて具体策を議論すべきではないかと思います。   それからもう一つ,先ほど,佐藤委員が,日本の場合は,自白は告白・懺悔であるとおっしゃいました。それは何かというと,つまり反省させて,そして告白・懺悔をさせるということだと思います。捜査機関が反省をさせるというのは,こういう言い方は失礼ですけれども,傲慢不遜だと言わざるを得ません。実際にやっていない人たちもいるわけですから,やっていない人たちに反省を迫るということに今なっているわけです。捜査機関が反省とか内心のことまでやって立ち直らせよう。そういうことは考える必要はないと思います。事案の真相解明に努めるというところだけでいいのではないかと思います。   ヒアリングのときに若狹さんが,いろいろな弊害もあるかもしれないけれども,これは時代の要請だという趣旨のことをおっしゃいました。時代の要請というのは,先ほど嶌さんもおっしゃったように正に透明性ということだと思います。透明性が確保されてこそ信頼が取り戻せる。早く具体策についての議論をやりたいなと思っています。 ○但木委員 捜査官が反省まで求めるのは行き過ぎだというお話でした。僕は検事をやっている間,調べている相手方が反省してくれることをずっと望んでいました。現実的に言うと,例えば,殺人の被疑者で自白をずっとしていない。その間,眠れもしない。食欲もない。顔が真っ青になって,どんどん痩せていくわけです。その人は,毎日,何を考えているかというと,良心の呵責に苦しみ,真実ををこの取調官に言ってしまおうかどうしようか,それをずっと考えている。ある日,彼は自白した。自白した途端に食欲は元に戻る。眠ることもできる。彼は実刑になりましたけれども,刑務所においても,すごく一生懸命更生のために自分で努力した。   刑事訴訟というのは,その一部だけ切り取って可視化すれば何かできるんだというものではなくて,ロングタームの問題で最初から最後までの問題であるということです。   それから,日本の刑事訴訟法は性善説でできています。犯人というのは必ず罪を悔いて自白するのだと思っています。そういう刑事訴訟法です。国民もそう信じていて,例えば,甲13の事件などは,証拠はばっちりで,あの刑事事件で証拠が足りないなんて全世界で誰も思わないと思うけれども,マスコミは何と言ったか。あれは闇から闇と言ったんです。事件は闇から闇だ。それは何を言っているのかというと,甲13は何もしゃべっていないではないかということを言っている。それぐらい日本人は,調べで本当のことを言うものなのだと確信してしまっています。   戦後,日本の治安が全世界の先進国よりも良かった原因はたくさんあります。決してそれだけの問題ではないけれども,しかし,刑事司法作用がそれなりに健全に働いてきていて,国民がその刑事司法作用を信頼してきたことが非常に大きな支えになってきたことも否定できないと思います。その中において,取調べは真実の解明のために果たしてきた役割は非常に大きいんです。今だって,もう取調べはなくていいかと言われると,例えば,死体を山中に運ばれたときに日本中を掘り返すわけにはいかないのです。誰が犯人ではないかと思って当たって,誰かが死体のありかを言ってくれない限り,この死体は出てこない。あるいは,非常に複雑な企業内の犯罪もまたそうです。取調べが要らなくなるとか,真実解明義務というのはなくなったんだとか,そんなことは僕はないと思っています。   ただ,今度の事件を見ていると,検事は真実を解明するために取り調べているのではなくて,調書を作るために取り調べるようになっている。それはとんでもないことだと思います。検察官というのは非常に強大な権限を持っているからこそ,絶対にやってはいけないことは幾つもあるのだと思います。その過ちを冒して真実を追求するよりも,調書を作りたいというのが検事の目的になってしまった。これは検察の文化として実に恥ずべき文化だと私は思います。だから,それを予防するためにどうするかを考えていただきたいと心から願っています。   外国ではやっているではないかというけれども,外国と日本とは全然違う発達をしたんです。例えばエンロン事件なんていうのがあります。エンロン事件はどうやったか。一番下の職員を連れてきて,まず法廷で証言させる。法廷というのは調べの法廷です。法廷で証言をさせて,その証言が偽証だといってまず捕まえてしまう。それを起訴して,今度は司法取引にかけて順次上がっていくわけです。そういう一つの捜査のやり方で,とうとう頂点まで上り詰めた事件です。   あるいはリニエンシー制度でも,私は談合をやりましたという人に対して,もう一度談合をやらせるわけです。それをビデオで撮ってしまう。そんなのは弁護人の立会いがあろうとなかろうと関係なく,ビデオに全部撮ってしまえば,その事件は全部終わってしまうわけです。あるいは,イギリスでは,一定の政府職員に対する嘘,これも処罰の対象にしてしまっています。いろいろな国がいろいろなやり方をやっています。それは取調べと関わりがないかというと,取調べとものすごく関係があります。   日本だって将来,弁護人の立会いを認めたっていいではないか。僕はそれは一つの考えとしてあると思います。全然不合理ではない。ただし,捜査構造全体を大転換しなければなりません。だから,全面可視化だってもちろんあると思います。でも,それにはたくさんのことを考えなければいけない。例えば,全面可視化した場合に,人のプライバシーにすごく関係すること,あるいは乙11事件を覚えておられますか。特捜部が調べる被疑者というのは,結構,政治家の名前をやたらに言って自慢する人がいっぱいます。そんな人が言ったことを全部信頼できるかどうか,本当かうそか分からない話を開示しろと言ったって,そんなものを開示できるわけがない。だからその歯止めをどうやってかけるか,全面可視化には法的な規制が必要です。今,運用の問題として最高検がどこまでできるかをお考えだということはあります。私たちはもうちょっと先まで見ようではありませんか。   今日,そんな時間はないので,もうそろそろやめますけれども,是非お願いしたいことが事務局にあります。いろいろな国がいろいろな法制をとっていると思います。その中でどのようにして合理的に治安を国全体で保ち,かつ,被疑者の人権を守ろうとしているのか。それはいろいろなパターンでやっていると思います。日本はどの方向に進んでいったらいいのかというのは,全体の中で考えていくべき話であると思います。そこで,諸外国の法制について,分かっている範囲で結構ですので,教えていただきたい。   それともう一つ,法務省で勉強会をやっていますよね。千葉座長が大臣でおられた頃にお作りになった可視化の勉強会。あれは今,どの程度までいっていて,どんなことを論議されているのか,是非手短に次回にでも教えてもらいたいなという気がしております。本日はこれぐらいに。 ○千葉座長 この議論は,当然のことながら次回継続して,更に皆さんから活発に御意見をいただきたいと思っております。今日,御発言をいただいたことを今日の分として,御意見の表明は取りあえずここで区切らせていきたいと思います。 4 その他 ○佐藤委員 次回,私は,先ほど申し上げましたように,刑事手続法に関わる部分について申し上げたいと思いますけれども,そのときはどうしても,今,但木委員からも話がありましたが,外国の法制を紹介せざるを得ない。しかし,議論の前提として,その紹介した外国法制が正しく紹介されていなければいけないと思いますので,法務省においては過去何度も,また,今回勉強会を作られたその過程で随分調べられたと思いますので,法務省から御説明をいただくか,ないしは,我々が質問をしたときに正しく答えていただける人を列席させていただいて,その紹介をしていただきたい。そうでないと時間の無駄でもありますし,それぞれに認識が違っているものを話し合ってもいかがかと思いますので,是非そのような配慮を座長におかれてはお願い申し上げたいと思います。 ○江川委員 ただ御自身の熟知している範囲の中でおっしゃればいいのではないでしょうか。外国の例をいろいろ持ち出すと,それこそ,その社会のこと全体が分かっていないと分からないではないかという形にもなりますよね。だから御自身の熟知されている範囲内で御説明していただくということではだめなのでしょうか。 (吉永委員退室) ○千葉座長 但木委員,佐藤委員から御要望をいただきました。江川委員から,そんなに細かく要らないのではないかという御意見もいただきました。ただ,前提となる共通認識があることも大事だろうと思います。それから,法務省内で,今,どんな可視化等に向けた検討が進められているのか,こういうことも知っていただけた方がいいのかなと思います。   次回までには最高検の試行指針も報告してもらえる状況になっているのでしょうか。 ○事務局(黒川) そのつもりで準備を進めていると聞いております。 ○千葉座長 次回には,最高検の試行指針についての御報告もいただけるのではないかということです。そこで,次回は,捜査・公判の在り方について御議論いただく前に,最高検の試行指針,可視化に関する法務省内の検討状況,可能な範囲での外国の実情などを御報告いただき,また議論を続けていったらどうかと思います。そのような方向で,次回,取り計らわせていただきたいと思っております。   それでは,このテーマは次回に引き継ぐという形で,本日はここで区切らせていただきたいと思います。特段ございませんようでしたら,これで本日の会合は閉じさせていただきたいと思います。   なお,次回は2月24日の1時30分ということで,定時に開催させていただきますので,よろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。 −了−