検察の在り方検討会議 第11回会議 議事録 第1 日時  平成23年3月3日(木)  自 午後 1時33分                       至 午後 5時02分 第2 場所  法務省第1会議室 第3 議題  1 「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」についての議論  2 その他 第4 出席者 千葉座長,石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,佐藤委員,嶌委員,高橋委員,但木委員,龍岡委員,原田委員,宮崎委員,吉永委員 第5 その他の出席者 黒岩法務大臣政務官,事務局(神,土井,黒川) 第6 議事 ○千葉座長 予定の時刻となりましたので,検察の在り方検討会議の第11回会合を開会させていただきます。   これまでも,毎回,皆さんには様々な御議論をいただいておりますが,本日も御出席をいただきまして誠にありがとうございます。なお,諸石委員におかれましては,所用により御欠席ということでございます。   それでは,議事に移らせていただきます前に,まず事務局から,配布資料の説明をしてもらいます。 ○事務局(黒川) 配布資料の確認をさせていただきます。事務局で用意させていただいた本日の議事次第のほか,皆様のお手元には石田委員,井上委員,江川委員,郷原委員,後藤委員,嶌委員,但木委員,宮崎委員及び本日は御欠席ですが,諸石委員がそれぞれ御準備された資料をお配りしております。 ○千葉座長 それでは,早速,議事次第1の「『検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方』についての議論」に入らせていただきたいと思います。このテーマは,前々回,前回の会合でも御議論いただいておりまして,本日は,いわば二巡目の議論となります。   二巡目の議論に入るに先立ちまして,前回の会合におきまして,委員の方々から,私の方で,これまでの議論を整理して,ある程度の議論の方向性を示した上で進めてはどうかといった御意見をいただきました。私といたしましても,これまでの御意見を整理して効率的な議論を行い,最終的には,単なる意見の羅列ではなく,この検討会議として,可能な限り具体的な提言という形で,委員の皆様の御意見を取りまとめさせていただきたいと思っております。   「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」というテーマにつきましては,これまでの会合において,かなりの時間を割いて御議論いただいてまいりましたが,取調べの可視化については,様々な御意見をいただいたものの,その他の部分,すなわち,捜査・公判構造の見直しや証拠開示その他の刑事手続・運用に関する諸問題といったテーマについては,必ずしも御意見が出そろったということではなく,これらに関して,まだ御意見をお持ちの方もおられると承知いたしております。そこで,今回の会合におきましては,前半は,「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」のうち,取調べの可視化以外のテーマを中心にして,御意見のある方に御発言をいただきたいと思っております。その上で,後半は,これもおおよその見込みではございますけれども,午後3時以降ぐらいで取調べの可視化について御議論いただきたいと思っております。また,限られた時間内でできる限り活発な議論ができますよう,前回同様,御発言は原則としてお1人,7,8分程度でおまとめいただきまして,御発言が一回りした後,更なる御発言をいただくということで御理解をいただきたいと思います。   なお,本日の会合も,午後4時30分ぐらいまでを予定しておりますので,円滑な議事進行に御協力をお願いします。   それではまず,「検察(特捜部)の捜査・公判活動の在り方」に関し,取調べの可視化以外の部分について,御意見のある方がございますれば,御発言をいただきたいと思います。 ○郷原委員 お手元に「検察官のための捜査戦略論」というものをお配りしています。これは,ここに書いていますように,2003年5月,私が東京地検の公判部に長崎地検から戻ってきた頃に書いたものでして,捜査の現場にいたときに,私なりにそれまで行ってきた検察独自捜査というものを振り返って,自分なりの戦略論として,主として中堅・若手の検事たちに読んでもらいたいという思いで書いたものです。   これまで,捜査・公判の在り方に関して違法・不当な捜査・取調べの抑制をどうすべきかということを中心に議論されてきたと思うのですが,何もやらなければいいという話ではなくて,やはり検察官として事実を解明していかないといけないという使命を負っているわけです。そのためにやってはならないことがあると同時に,適法・公正な捜査によって,どうやって目的を達していくのか,真実を明らかにしていくのかということを併せて考えていかないといけないのではないか。捜査官,検察官の倫理の問題というのは,具体的な実践の中で,どういうやり方をしていけば,そういう倫理的に,あるいは不当・違法な捜査ということを行わないで事実を解明できるかということだと思うんですね。そういう面から,当時書いたものをそのまま今日お配りしてみたものです。その頃,現場の実感として私が考えていたことが,この中に書いてありますので,ちょっとその主なところを紹介しながら,例えば,こういうような考え方で検察の捜査をやっていくことによって,これまで起きてきたような問題の発生を防止するとともに,検察官による事実解明能力を高めることができるんじゃないなというふうに考えたものです。   1ページ目,2ページ目は前置き的なものなんですが,私がまずここで強調したかったのは,2ページから3ページにかけて,捜査戦略というのを体系的に検察官として考える必要があるんじゃないかということです。これは何も,検察官が独自捜査でやるときだけではなくて,検察官として責任を持って事実を解明しようとするとき,警察官との協力関係によって行うことも含めて,主導的・主体的に捜査を行うことに関する戦略です。捜査戦略というと,何か策略や陰謀のようなものが捜査戦略であるように誤解されることがあるんですが,私が言っていることはそういうことではなくて,きちんと自分の頭で考えて,創意工夫をして,適法で公正な捜査を遂げることによって,いかに事実解明という目的を達していくのか,それを常に考え続けることが,捜査戦略だという意味です。   そして,第1章,基本論の第1節の1のところなんですが,ある意味では当然のことなんですが,捜査班の内部で,自分たちは常に適法な捜査を行っていくという目的意識で行っているんだという認識ですね,これを共有していないといけないんじゃないか。自分が変なことやってないということだけじゃなくて,周りの捜査班のチーム全体が,本当にみんなが適正な捜査をやっているという認識を共有しながらやっていかないといけないし,捜査の指揮官というのも,単に指示しているだけじゃなくて,常にそれを確かめながらやっていかないといけない。そして,そのことが検察捜査の大前提であって,それについて少しでも疑念が生じたときには,本来はもう検察が捜査をやっている前提が崩れるんだという,そういう思いでやっていかなくちゃいけない。これは,私は主として,こういう捜査を地方の小さな地検でやってきたもんですから,小さな地検でやっていると当たり前のことなんですね。独自捜査なんていうことをやれる状況というのは,本当に批判を受けないような捜査をやるしかないという実感から考えたものです。   それから,4ページ目なんですが,これは,この前,コンプライアンスや組織論の専門家の方々のヒアリングのときにもちょっと質問の中で触れたことなんですが,何のために捜査をやるのか,正当な捜査なのかということについて,やはり常に自問自答していく必要があるんじゃないか。これが飽くまで検察官としての主体的な捜査ですから,来るものを判断すればいいやというような考え方では絶対事実解明はできないわけですね。やはり自分の頭の中に,こいつらはやはり悪いことをやってるやつらだ,許せないという気持ちを主観的に持つということがないと捜査のパワーは生まれないけれども,ただそれが往々にして思い込み,軽率な判断につながって,それが正に,今回問題になっている大阪地検のような問題を生じさせるわけです。自分は常に正当な捜査をやっているということを自分自身で確認しながら,確かめながらやっていくという姿勢が重要なんじゃないかということをここで書いています。   それから,捜査というのは飽くまで国民の負担の下に,そういう資源を与えられてやっている,だから常に効率的に,有効に行われないといけない。これも過去に捜査機関の目的を達するためであれば,どれだけの時間とどれだけの労力をかけるのも当たり前なんだという考え方が,とめどもない暴走捜査につながったりすることもあるという意味で,この4ページに書いていることは,有効性・効率性というのを常に考えないといけないということです。   こういったことが一般的に,まず捜査戦略を考えていく上で,前提として必要となることではないかということで,あとは5ページ,6ページの辺りから,少し具体的な捜査戦略の進め方を書いています。これは少し実務的な,技術的な問題になりますので,この辺は省略いたします。   もう一つ,前回も申し上げたことなんですが,捜査による事実解明を,従来は取調べによって,取り分け特捜部の場合は大規模な捜査班を編成して,被疑者,参考人と長期間にわたって対峙して,そして粘り強い取調べを行うことによって,最終的に自白を得て事実を解明するというのが従来型の,私が言っているところの歩兵戦的な捜査です。   しかし,今,状況は大きく変わっていると思います。全てそういう敵と対峙をして,力で相手の組織を押しつぶしてしまうという捜査ではなくて,やはり相手方の自浄能力,自主的な調査能力をもっともっと活用して,そこである程度,重要な事実をつかんでいくという捜査手法をもっともっと重視していかないといけないのではないか。そうすると,最終的に対峙すべき相手が絞られてきて,従来の取調べによる事実解明の部分も絞られる。しかも,そこまでに相当程度,本当の実態に近いような事実のストーリーが解明できるということで,これまでのような無理な捜査ということが行われる前提が違ってくるのではないか。取調べにおいて違法・不当な言動が行われた,そういう取調べが行われたという過去の事実を改めて考えてみますと,その捜査の進め方・前提自体に問題があったのではないか。個々の検察官が不当・違法な取調べをしないということを肝に銘じると同時に,捜査班全体が適法に事実解明をしていくスキル,能力をもっともっと持っていかないといけないのではないかということです。   そういう意味で,それでは相手方に自発的に事実を解明させるためにどうしたらいいのかということは,これは正に捜査官としてのスキルの向上の問題です。その具体的なやり方について,13ページ,「『外交的空中戦』の基本的戦術論」というのを書いています。許されない利益誘導とか取引というものと許される説得というものの違い,この辺のところが捜査の実務の中で,先輩,上司から部下に,そういった技量を,そういったノウハウを伝えていかないといけないんじゃないかと思います。そして,これは私が2003年の時点で考えたことなんですけれども,そういったことをもっともっと検察の内部で,みんなで議論し合って検討し合って,そういうスキルを高めていかなければいけないのではないか。取調べの可視化の問題とか記録化の問題とか,どうやって違法・不当な取調べを抑制していくかという問題も,そういった全体的な捜査のやり方の改善の文脈の中で考えていくべきではないかと思います。そういった観点から資料としてお出ししたものですので,またお読みいただければと思います。 (黒岩大臣政務官退室) ○吉永委員 余り難しいことは分からないんですけれども,やはり村木さんの事件ということからきちっと離れないで考えていくしか,私の場合はないんです,やはり,疑念が生じたときに,なぜ引き返せなかったのかということが一番問題なんじゃないかというふうに思っています。先週いただいた郷原委員の御本もちょっと拝読させていただいていたんですけれども,考えれば考えるほど,検察にはブレーキとかバックギアに相当するものがないのではないか,あるいは,あるかもしれないけれども機能しなかったということなんじゃないかなというふうに思います。そのために公訴取消しも無罪論告もできない状況にあるということ,間違いに気付いたときに改めることができないということは,えん罪被害者を生むばかりではなくて,その傷を更に深くしてしまうということを、村木さんとか村瀬さんとか,たくさんの人のお話を伺って,恐怖感とともに実感した次第なわけです。   最高検の検証では,引き返す勇気ということが言われていたというふうに思うんですけれども,実際に提起された再発防止案というんですか,あれは,起訴する際に高検などの上級庁のチェックを強化するということが挙げられていたように思うんです。起訴するまでの段階でチェックを厳しくするということは,間違った起訴をできる限りなくすという意味では有効な対策になるというふうには思いますけれども,ただこれまで,チェック体制は完全だと,当の大阪地検に視察に伺ったときですら胸を張って言っていらっしゃったような気がするんです。起訴段階でのチェック体制が整っているから,逆に,一度起訴してしまったらもう後は突っ走るしかないという側面もあるんじゃないかなというふうにも思えるわけです。起訴というのは,言ってみればアクセルに相当するもので,この再発防止策によってアクセルを更に強化するというような見方も一面にはできるのではないか。そうすると,ますます引き返しにくくなるかなという懸念も感じざるを得ないところであります。止まって引き返すのに必要なのはブレーキであり,バックギアなわけですから,起訴した案件が公判で崩れてきたときに公訴を取り消す,あるいは無罪論告ができるようにするブレーキやバックギアを,勇気を持てというだけでは,やはり気分任せではちょっと無理かなというふうに思いますので,システムとしてきちっと構築するという,そのことが引き返せる検察に生まれ変われることではないかなというふうに考えました。   そのためにお願いしたいなということの1点目なんですけれども,これまであったはずなのに機能しなかった部分ということを,機能できるように改めるということが求められるんじゃないかと思います。村木さんの事件でも,高検や最高検がチェックしているはずなのに,あれだけ崩れてきて,なお有罪論告を許してしまっているのはなぜなのか。国家賠償の問題等が絡むかもしれませんけれども,最高検の検証も,あのときの論告は間違っていたと言ってないんですよね。本当に生まれ変われる,生まれ変わる気があるのであれば,ここからスタートするべきだったというふうに,私は今でも思っています。これまで引き返すという視点が欠落した組織だったわけですから,まずは引き返せるのだということを全員が十分自覚していただきたい。特に,トップはそのことを肝に銘じていただきたいというふうに思います。その次に,どんなときに引き返すのかという判断基準というのがなかったんじゃないかなという気がします。100%の確信で起訴した事件が崩れてきたときに,どの程度まで有罪論告をするのか,どの程度崩れたら無罪論告にするのか,その責任は誰が負うのかというような,その判断基準や責任の所在について,検察として是非しっかりとお考えいただきたいなというふうに思います。   併せて2点目なんですけれども,この証拠が崩れてきた場合,公判部が個人的にごちゃごちゃ言っても,結局押し切られてしまうというのであるならば,その在り方を具体的に変えるということが必要かというふうに思います。どうもおかしいなという疑問を受けて,全体的に再協議を要求できるということが今はないような気がするので,要求できるということをきちっと担保すること。それと,そういう要求があった場合に,それを受けて,上級庁も含めて検討する場を設けていただきたい。これがブレーキに相当することじゃないかなというふうに思うんです。起訴した検事さんだけでなくて,もっと外側の人間も含めて検察全体で再決定システムというんでしょうかね,そういうものをつくるということで,引き返すということの言葉の意味をきちっと担保してくれるのではないかなというふうに思います。できれば,検討会議の提言として,こういうところを盛り込んでいただけると,本気で引き返せる検察に変わろうとしているというような理解と,そのことによっていくらか信頼を回復する道につながるのではないかなというふうに考えております。 ○江川委員 可視化以外ということで幾つか申し上げます。一つは,理念みたいな感じになってしまうのですけれども,検察のメンツだとか,恥とかいう,そういう点で考えると,無実の人を罪に陥れるということが検察にとっては一番恥なんだということをしっかり自覚していただきたいということです。   そして,あと幾つか,システムのことなんですけれども,1点目は保釈の問題です。よく人質司法などと言われますけれども,自白しないと,あるいは検察の筋書きを認めないと保釈されないということが,随分プレッシャーとなって被疑者にのしかかってきて,それだったらもう認めて取りあえず出ようというふうになってしまうことがたくさんあるといろいろな事例から聞いております。これは何も検察だけではなくて,裁判所の問題でもあるわけですけれども,やはり検察としても,なるべく起訴した後は,速やかに保釈するということをもっと徹底をしていただきたい。あるいは保釈請求があったときになるべく反対しないと。   例えば,村木さんなんかが,何であんなに長く勾留されなきゃいけなかったのか。起訴されてから確か143日間勾留されているんですよね。その間に,検察が反対に反対を重ねたものですから,4回ぐらい保釈の請求が出ているわけです。村木さんが一体何を罪証隠滅するのかということをもう少し考えれば,こんなに反対することはなかったんじゃないか。よく組織犯罪なんかだと,証人や共犯者にプレッシャーをかけてしゃべらせない用にするおそれがある,と言いますけれども,それはかなり具体的な可能性がない限り,そういう理由で反対してはいけないということを言うべきではないかというふうに思います。村木さんの件で言うと,村木さんが起訴後143日間も勾留されたのに,大坪さんは100日間。村木さんの方が大坪さんより長いというのは,どうしても私は釈然としないというのがあります。これはさっきも言ったように,検察だけではなくて裁判所の問題でもあるということは認識していますが。   それから,2番目に,証拠開示の問題なんですけれども,やはり全証拠のリストぐらいは開示をすることは義務付けるべきだと思います。というのは,村木さんの事件で,前田検事はフロッピーディスクのプロパティが添付された捜査報告書の存在を忘れていたということになっているわけですね。忘れていたから,運良くちゃんと開示されて,弁護側の手元に行ったわけですけれども,前田検事がもうちょっとち密だったりすれば,これはまずいということになって捨てちゃったりするということだって,あるいは隠しちゃうということだってやりかねないわけですね。つまり,フロッピーディスクの改ざんまでしちゃう人なんですから,そういうことがあってもおかしくないということを考えると,やはりちゃんと証拠というのをリスト化して,いじれないようにして管理をして,そしてそのリストを開示するという形にすべきではないかなと思います。   それから,3点目に,今日,資料の中に,この間の乙12事件の裁判傍聴記を入れておきました。1ページ目の黄色い字で,「前田検事にやられたな。だまされたな,と思った」というところから,一番最後の6ページ目の,「私も甲14検事にだまされたと思っている」と,そこの間のところに,いろいろな捜査上の問題が出てきております。これは被告人質問で出てきたものです。被告人質問は検察側も終わりましたので,そこのところで検察が反論的な質問はしていなかったので,こういったことがあったということはほぼそう考えていいんじゃないか。もちろん検察官を呼んでの証人尋問というのもありますので,これで確定したというつもりはありませんけれども。この中で,幾つかやはり問題が出てきております。つまり,ある人には,共犯者のことを,あの人はもう自白してるから安心してしゃべりなさいとか,あるいは共犯者がそれ言ってるからあなたも合わせないと向こうが困るよというふうに言ってるんですが,実はまだその人たちは自白していないのに,あるいは供述を検察側の筋書きとは違う供述をしているのにもかかわらず,そういうある種だまし討ちみたいなことをしたんじゃないかということが問題になっています。そういうような取調べが実際に行われているようでしたら非常に問題なので,こういうことはしっかり禁じるということは徹底しなければいけないと思います。   もう一つ,これはやはり前田検事が関与しているわけですけれども,前田検事は,取調べのときに事務官を立ち会わせないで1人でやってる時間がすごく長かったらしいんですね,1対1で。しかも調書を作るときには,「これからは作家の時間だ。」と言って,「司馬遼太郎みたいなものだ。」と言って,1人でパシャパシャパソコンを打っていたという話が出ておりました。そういう規則はないのかもしれませんけれども,すごく極めて密室性が高いという,そういう状況を作っているというのは,これは果たしていいのか。もちろん1対1で話すことはあるのかもしれませんけれども,基本的にはちゃんと事務官を立ち会わせなきゃいけないということは,やはりルールとして決めておくべきだというふうに思います。前回,郷原委員がおっしゃったのか,事務官の役割ですよね,私は可視化のことについても,後で御意見申し上げますけれども,可視化しないケースであってもやはり事務官がちゃんとメモを取ってそれを保管するという,事務官の役割をきちっと定めるというのは私も必要ではないかなというふうに思いました。 ○井上委員 前回のペーパーの後編として,「検察の捜査・公判活動の在り方について(その2)」を作ってまいりました。このうちの�Vというのは可視化絡みのものですので,機会があれば,そちらの方でまたお話しさせていただきます。   �Wは証拠開示についてであり,ただ今,江川委員のお話にも出ましたけれども,前から,今回の事態に関連して,検察官による「証拠隠し」あるいは「証拠開示逃れ」を許さないために検察官手持ち証拠の全面開示をさせるべきではないかという意見が出ていました。先ほどのお話はリストの問題でしたけれども,これらの2点について簡単にコメントをさせていただきます。詳しくは,お配りしてあるペーパーを読んでいただければと思います。   既に倫理のところでお話しした点ですが,いずれの点についても,現行の刑事訴訟法の規定による証拠開示制度をつくるときにかなり突っ込んで検討しました。その立案の過程で,同様の御意見があったのですが,ここに書いてありますように,全面開示については,検察官手持ち証拠というのは,捜査の過程で,当初から幅広くいろいろな情報収集をし証拠化していった結果が集積したものですが,極めて雑多な,あるいは様々な事項や,いろいろな人についての幅広い情報が収集されているため,これを無条件に全面開示するということになりますと,いろいろな弊害が考えられるということから,そういう弊害のおそれにも配慮しながら,被告人の防御のために必要性が高く,かつ弊害のおそれが一般的に小さいものについては,類型的に,段階としては検察官請求証拠の次の2番目ですけれども,開示をする。そして,次の段階として,具体的に被告人側がどういう防御の仕方をするのかによって,それに関連する証拠を開示する。こういう手順を繰り返すということになっています。こうすることによって,実質的に被告人の防御に資するものは開示されることを確保しようということを考えたわけです。最初から無条件に全面という形じゃないですけれども,その趣旨はできるだけ生かそうとして設計されたものなのです。   もちろん,このようにしても,証拠を検察官が出さなければ出てこないわけですが,そういう場合に出てくることを担保するため,裁判所による裁定という制度を設けまして,被告人側から裁判所に裁定を求め,これを受けた裁判所は必要に応じて,検察官に対し,該当する証拠が含まれていると思われる範囲の証拠リストの提出を命じたり,問題の証拠自体の提出を命じて,開示すべきものがあるかどうか,あるいはそういうものに該当するかどうかを判断して,開示すべきだということになれば,開示を命ずるという仕組みになっているわけです。   この制度は,施行してから5年半ぐらい経過し,かなり定着をしておりますし,検察官においてもより幅広な運用をしていると,私もいろいろ見聞きして認識しています。もちろん,個別の事案や個々の検察官において,なお不徹底な例が見られることが全くないとは言えないかもしれませんけれども,全体として,この仕組みのために被告人側の防御の準備に必要な証拠ないし被告人に有利な証拠の開示という点で,実質的な支障が生じているとは,私自身は認識していません。したがって,現段階でやらなければいけないのは,むしろ,個々の検察官に対して,このような現行制度の趣旨をより周知徹底させ,その趣旨に従って,誠実に,かつ,被告人側の利益にも十分配慮して幅広に,証拠開示を行っていくことを徹底させるということであろうと考えています。   これに対しては,その証拠開示制度は公判前整理手続が開かれる事件にのみ適用があるもので,それ以外の事件には適用がないではないかという指摘,これは後藤委員がこの前指摘されたことですが,私は,こういう仕組みが定着していけば,ほかの事件における証拠開示,これは今のところは検察官の裁量によって行われることになっていると思うのですが,その場合も,刑事訴訟法の証拠開示制度についてと全く違った運用がなされるということは考えにくくなるように思います。もし提言するとすれば,「この現行制度の趣旨を尊重して,それ以外の事件においても,運用上,それに準じた証拠開示が行われることを目指していくべきだ。」といったものにすべきではないかと思います。   もちろん,こういう現行の証拠開示制度があっても,検察官が故意に,あるいは悪意に証拠を開示しないとか,隠匿するということがあれば,その制度は機能しません。しかし,仮に全面開示の制度をとったとしても,当の証拠は無いとされてしまえば,出てくることはないのです。決してそういうことがあってはいけないのですが,仮にあるとして,それを未然に防ぐ制度を考えるのは極めて難しく,高橋委員でしたか諸石委員でしたか,前にほかのコンテクストで言われたことと同じなのですけれども,そういう異常な逸脱をも防ぐ全く漏れのない制度を設計するのは恐らく無理だろうと思います。そういう逸脱に対しては,やむを得ないのですけれども,事後的に厳しい制裁を加えることによって対処をしていく,それによって抑止もしていくということしかないのではないかと思っています。   それでは,リストを出せばいいではないかという御意見もあったのですが,これも司法制度改革の過程でかなり議論をした点でありまして,証拠管理用のリスト,これは形式的に標目だけが並んでいるようなものですが,そういうものを出しただけでは,個々の証拠の性質とか内容はほとんど分からないため,証拠開示してもらうべき証拠かどうかを判断することはほとんど不可能なのです。それでは,ある程度の概要,こういう証拠でこういう内容のもの,こういうことについての証拠だということまで書いたリストを出させてはどうかということになりそうなのですが,そこまでの内容のあるリストを開示してしまいますと,結局,開示すべき証拠であるかどうか,開示の要件が備わっているかどうかを判断する前に全部開示するのにかなり近くなってしまうということで,そういう制度は採るべきではないということになりました。ただ,その代わりに,先ほどお話ししたように,裁判所の裁定を求め,裁判所が必要に応じ一定範囲の証拠のリストを提出させるなどして,チェックし,該当する証拠があったら開示を命じるようにする,そういう制度設計がなされています。この制度を活用すれば,故意の隠匿のような場合はこれでもカバーできませんけれども,それ以外の,検察官がうっかりしたとか判断ミスで開示していないようなものについては,十分対応できるのではないかと考えています。 ○後藤委員 今,井上委員から証拠開示の御指摘があったので,まずそのことから少し意見を申したいと思います。刑事訴訟法では,2004年の改正で,公判前整理と併せて証拠開示の制度がつくられました。そのときに井上委員などが非常に御苦労されて,いろいろなことをち密に考えられた上でつくられた制度であって,それはかなり重要な機能を果たしていることは確かだと思います。村木さんの事件でも,フロッピーディスクの改ざんが発覚した一つのきっかけは,類型証拠開示で報告書が開示されたことにあったので,確かに改革の効果が現れていると言えると思います。ただ,証拠開示制度は全ての事件で適用されているわけではなくて,私の聞くところでは,裁判員事件以外だと,弁護人が求めてもなかなか公判前整理手続に付してくれない裁判官も多いと聞いています。必ずしも必要な事件で全て行われているかどうか確認はできない,むしろ行われていない場合もあるかもしれません。   それから,井上委員もおっしゃっているように,この制度が適用されない事件でも,検察官が同じような対応をしたらよいではないか,正に私もそうだと思うのです。だから,例えば,そういうことを検察官の倫理規範として検察官自身が宣言する,公判前整理に付されない事件でも開示を同じようにやりますと宣言することはあり得るのではないかと思います。   それから,今の制度を厳密に適用しても,仮に被告人に有利な無罪方向の証拠があったとして,それが全部開示されるかというと,それは必ずしもそうとは言えません。弁護人が何も気付かなければ開示されないことはあり得るので,そういうときに,少なくとも検察官が気付いたら,それは隠しませんよと検察官自身の姿勢として宣言することは,考えられるのではないかと思います。これが証拠開示についての私の意見です。   そのほか,取調べへの弁護人の立会いも前に話題になりました。これは,私はかなり重要だと思いますし,村木さんたち取調べを受けた方の経験からしてもそうだと思うのです。これは別に法律の改正をしなければそうならないというわけではなくて,現状でも,取調べを受ける被疑者が,弁護人を立ち会わせてくれなければ何も言いませんと言われたら,それ以上,供述を強制するという手段がないわけですね。だから,そういう要求をする人が多くなったら,必然的にそうせざるを得なくなるのではないかと思います。   それから,江川委員が保釈のことをおっしゃいました。それも重要なことだと思います。もう少し広げて言うと,争わせないとか,自白をさせるために身体拘束という手段を使うべきではないということだと思います。保釈は今の法律では,起訴後だけの話ですけれども,村木さんの場合,起訴前に20日間勾留されているわけです。その勾留が何のために行われていたのかということもやはり見ないといけない。本来,刑事訴訟法の建前では,自白させるために勾留することは認められていないはずですけれども,現状の扱い,勾留の実際の運用がそういう機能を果たしていないか,それは正していかなければいけないと思います。   それからもう一つ,前回,私が申しました,2号の廃止論です。検察官の調書を証拠として非常に優遇している2号の廃止論を申しましたが,どなたからも賛成が得られなくて私は少し寂しいのですけれども。本当にこれを真剣に考えなくてもよいのだろうかと私は思うわけです。つまり,こういうことが繰り返されていても2号は安泰ですよというサインを,私たちが検察官に送ってはいけないのではないか。こういうことが繰り返されていたら2号のような特別扱いをする根拠がなくなることを,検察官の方たちに意識していただく,そういう警告を発することは,やはり是非とも必要なのではないかなと思います。 ○原田委員 保釈のことですが,全くおっしゃるとおりで,裁判所全体も裁判員裁判を迎えて,かなり傷害致死とか,そういう重い犯罪でも保釈をしているケースが出てきております。確かに,大きな犯罪の場合,保釈が現実には難しいということもありますけれども,全体の感じでは,保釈をなるべく認めないと,公判前整理手続だけでも1年も2年もかかるような事件もございますので,そういう点では保釈は大きな流れとしては認める方向に,一歩ずつだとは思うけれども,動いているのではないかと思うのです。   問題は,保釈して検事が抗告したときに,高裁が破ってばかりいますと,結局,検察も何度も抗告することになります。こんなことを言ったら何ですが,私の部では,検事の保釈に対する抗告は認めないという基本方針で事件に当たっていました。20件以上ありましたけれども,認めたのは1件くらいです。それは,確か保釈中に逃げた被告人をまた保釈した事件で,これはどうしてもしょうがないと考えました。ほかの部でも,そういう方針の方がおられました。そういう点では,保釈に対して裁判官自身が感覚を磨いていかないといけないということを痛感しています。この点で,江川委員と後藤委員の意見には全く賛成です。   それから,吉永委員がおっしゃったように,検察が元に戻らないというのも本当に困ったことで,これは是非おっしゃったようなシステムを設けて,後ろに戻るということをやっていただきたいと思います。ただ,私の経験ですと,もう大分事件が危なくなってきますと,私の場合,検事を呼びまして,もうこの事件は,危ないが,心残りがあっちゃいけないから何か調べてみなさいというと必死になって調べてきます。ここが検事の大したもので,来て,やはりだめですね,これはと。また,無罪の証拠を持ってくるのです。やはりこれは無罪でしたと。ですから,検察官にとって予想外の無罪というのはほとんどありません。そういう事件はもう無罪にした方がいいですね。取り下げられてしまうと曖昧になってしまいますから。しかし,最初の段階で,何か基本的な問題があったら取り下げる,そうでなければ,無罪論告,論告放棄,そういう方向でやっていくのがよいと思います。吉永委員が言われたように,1人の検事じゃとても言い出せないので,そういうルート,システムをつくっていくということを,僕は是非やっていただきたいと思っています。 ○嶌委員 今週の月曜日に記者クラブで,笠間さん,今の検事総長が,村木事件を中心とした講演を行った。そこで幾つか言われましたが,非常に反省をしていると言った後に,今後の方針として,妥当でない捜査はしないと,捜査の暴走を防ぎたいということを1点。それから,捜査力をアップして真相解明を行うという大きな流れの中で,例えば,暴走防止については,これは自分が賛成しているとかそういうことじゃないが,捜査を適正に保つために一部の録音と録画を行う。それから,起訴に当たってはチェック機構を設ける。これは,具体的には,公訴官というものと起訴をする権利というものを分けるというようなことをおっしゃっていましたね。   それから,3番目に人事の在り方。やはり大阪というところは,ちょっと特殊な事情があったようだと。したがって,人事はもうちょっと全体を見ながらやった方がいい。大阪で一旦,家を持っちゃうとそこから離れたくないというようなことがあって,能力評価とは別な馴れ合いのような人事がどうもあったように見られるというようなことをおっしゃってましたね。それから,教育というのが非常に大事であるということで,今後は,教育というものを強化し,中心にしていきたいということなどを言っておられました。   また,特捜部に関しては,検事長の指揮事件にしたいと。そして,特捜係の検事を置いて,それからチェックについては,横からも縦からも下からもチェックするような体制を作りたい。特捜には起訴権を与えないで,起訴権はほかに与えるというようなことも考えていいんじゃないかと。全部結論を出しているわけではないんだけれども,自分の案として,そういうようなことを考えていると述べられておりました。   僕が聞いた感じでは,前向きなところもあるんだけれども,僕も質問をしましたが,要するに,一番最初に僕がこの会議の冒頭から申し上げていますけれども,今の検察不信というのはかつてのように捜査が手ぬるいぞといった類の不信ではなくて,検察がもしかすると,えん罪を起こす可能性がある,あるいは証拠を改ざんする可能性があるんだとみられている。そういう意味で言うと,一般の人が非常に恐ろしいと感じているのが,僕らの周りを聞いてもあるわけですね。そういう検察の不信を取り除くためには,中途半端なやり方では,なかなか検察不信というのは取り除けないか。いろいろな細かい問題点とか,法的な問題もあると思うんですけれども,原則としては開かれた検察というんですかね,そういったようなことを,まず原則として立てる。その中で,捜査とか公判の在り方とかそういったことを考えていくというふうにしないと理解されない。ああでもない,こうでもないといった,どっちを向いているのかということが分からないような表明の仕方はしない方がいいんじゃないのかなというのが基本的な僕の考えです。   そして,チェック機能について言えば,さっきも少し言われてましたけれども,やはり1人の検事が全てを負う,独任性という言葉,僕もほとんど聞かないし,恐らく一般の人もほとんど知らない言葉だろうというふうに思うんですね。そういう意味では,検察内では起訴する側と裁判を担当する側と分かれるだとか,その前に主任検事だけじゃなくて,ほかの検事も含めて,そこをいろいろお互いに質問したりチェックしたりして検察全体としてこれで妥当だろうという判断を下すような組織を作った方がいいんではないかなというふうに思います。これは,会計検査院だとか国税庁だとか,そのほか企業なんかの場合も,中心的な1人の人がすべてを決めているということはないわけですね。   それから,警察と検察の関係を見ても,警察には起訴権はないわけですよね。警察が一所懸命,調べたものを検察に持っていって検察が起訴しているわけですから,そういう意味では検察だけが,1人の検事が独任性で起訴権を持つというのは,国民の側からみても少し考え直してもいいんじゃないのかなというふうに思います。   そして,高検に特捜部の中心を持ってくるということもありましたけれども,僕はむしろ最高検に置いた方がいいんじゃないかというふうに思っております。今回の事件の場合も,大阪地検が,高検と最高検に報告するんだけれども,結局そこは書類審査が中心だったと思います。最高検の報告書の中には,高検と最高検がどういうふうにチェックして,どこを見逃したということは余り詳しく書いてなかったけれども,基本的には書類審査を見て,それならいいだろうということで認めたのではないのかなと思うんですね。そうであれば,日本の検察のトップである最高検が特捜という組織を預かって,そして全検察が公正な事件の裁きと巨悪を逃さないようなことに当たっているという体制にした方が国民も安心するし,最高検がそういうふうにやるということになれば,もっと検察内の空気は引き締まってくるんじゃないのかなというふうに思います。   それから,証拠開示の問題については,欧米なんかを見ていると,証拠はもう全部開示しましょうと。そして,先ほどから誰がそれを判断するのかという問題があって,証拠のリストだけでは中身が分からないということがありますけれども,裁判官と弁護士,検察官とで合意するものは全部証拠を開示していくと。 (黒岩大臣政務官入室)   合意できないものは裁判官に判断してもらう形の方が民主的で分かりやすい。武器平等の原則という言葉もあるようですけれども,要するに,お互いに持っている武器は全部表に出して,そこで話し合いをし,話し合いがつかないときには裁判所に判断してもらう。その目的は何かというと,やはり正しい裁判を行う,公正な裁判を行うということが基本的な目的であって,弁護人側は弁護すること,あるいは検察側は罪を重くすることだけが第一義目的,問題なんじゃなくて,むしろ公正な裁判,正義を貫くというか,そういうことが司法界全体の目標なんだという意味において,僕は証拠を開示するというふうにして,それでは,どの証拠を裁判で取り上げるかということについては弁護側,検察側が話し合って,さらに,できない場合には裁判所も加わって判断するというふうにする方が非常に透明性も出てくるし,裁判員裁判のスタートした今日では国民も納得しやすいんじゃないのかなというふうに思います。   それからもう一つは,メディアとの関係が非常に重要だと,僕は思っているんですね。僕は,前回検察憲章のことを書きましたけれども,今回は捜査のことについて全面的に書いてきて,可視化のことは後で触れるということなので,それはここでは言いません。メディアとの関係というところでは2ページに書きましたが,やはりメディアの報じ方一つで,世論の方向とか,えん罪などの修正がきかなくなる懸念というのは,非常に多いんだろうというふうに思うんですね。   検察側は常にリークは存在しないと主張するんですけれども,メディアにとっては,僕もメディアにいた人間として考えるんですけれども,メディアにとっては,はっきりした言葉とかペーパーがなくても,取材中のちょっとした表情だとか,肯定はしないけれども否定もしないとか,そういった一つ一つの態度というものが我々にとってはリークというふうにとるんですよね。これはどうなんですかというと,いや,否定はしないよというようなことを言うと,それはやはりリークしてくれたんだなと。はっきりしたリークとは思わないけれども,一つの肯定の要素なんだなというふうにはとるわけですね。もちろんそれだけで書くわけじゃないけれども,同じような質問をいろいろな人にして,そういうものを寄せ集めたときに初めて我々は記事にしていくわけですよね。   そういう意味で言うと,恐らく検察側はリークと言ったときには,何かある事実をベラベラとしゃべったり書類を渡したりというようなことをリークの定義にしているのかもしれないけれども,新聞社とかメディアは,もつペーパーを渡してくれるようなそんなことやってくれたら,それはもう万々歳でうれしくて仕方ないけれども,そんなことしてくれる人はまずいないわけです。だから,メディアとの付き合い方というのはもうちょっと考えた方がいいんじゃないのかなと。それはなぜかというと,メディアが一斉にある方向で書くと,それをまたひっくり返すというのはなかなか大変だし,またメディアも自分の間違いを正すのは何となくはばかられるから,訂正するときは非常に小さくしか書かないんですよね。そして,もしえん罪で誤った記事を書くと,そのえん罪になった人の人生を完全に傷付けてしまうということが起こるというふうに思うわけです。   そういう意味で言えば,やはりメディアとの関係については,節目節目で,検察内部の責任者がきちんと透明な会見をするというようなことも,僕は大事なんじゃないのか。検察が,そういう事件の途中で会見をしたということは余り聞きませんけれども,そういうことはもっと取り入れていいのではないのかなと思います。   もう一つは,捜査の手法をもっと強化する。どうも検察は科学に弱いんじゃないか。ITに弱いんじゃないかという感じが何となく受けるんですね。僕は,この間も言いましたけれども,最近感心したのは,中目黒の夫婦殺害事件で,それこそ自宅そばの防犯カメラだとか駅の防犯カメラだとか高速道路だとか,それから最終的には福島の方の防犯カメラだとか,それらの映像は普通で言えばただの点,数百枚の中のジグソーでしかないわけですよね。その点,ジグソーを突き合わせ総合化し,何かの共通性を見付けて総合化して,そして1人の犯人の足取りを全部探し出すというのは,やはり今までにない,何か新しいIT時代の捜査方法みたいなものが僕は出てきてるという感じがするんですね。   それから2,3日前の入試のことも,これは携帯に,我々が知らないような足跡がついているんだというようなことがありましたけれども,そういうことも我々は初めて知るわけですよね。そういうようなことは,捜査側が基本的な常識として持っているのかなと。海外では飛び交うメールの中で,たとえばテロに関係した言葉や暗号があると。それを取り出したりしているようです。これには新しい法律がいるのかもしれませんが,こんな手段があればそうすると,恐らく捜査ももっと早くなるし,証拠ももっとつかみやすくなるということがあるんだろうというふうに思うんですね。むろん,それらはプライバシーの問題とからめて考える必要もありますが。   そういう意味で言うと,特に最近,グローバル化したりIT化したり,そういう世の中というのが非常に複雑になっていますから,捜査の手法というものをもっと,特にIT化とかグローバル化に対する捜査の手法というものを,もっと研修したり訓練をするということが必要なんじゃないかなというふうに思います。 ○宮崎委員 証拠開示についてでありますが,証拠開示法制を事実上つくられた井上委員の功績には大変敬意を払いつつも,なおかつ,やはり若干問題もいろいろ出てきている。日弁連の立場は,リストの開示であるとか全面証拠開示でありますけれども,それはそれといたしましても,現行の運用につきましても,やはり様々なほころびが出てきているということで,やはりこれは検察官倫理とかそういうことに,もちろんそれも重要ですけれども,それだけになかなか任せるわけにはいかないという状況もあると考えております。私のメモにも書きましたけれども,例えば,公判前整理手続では,ないないと言ってきた証拠が,検事が代わった途端に,その後任の検事がそれを示して反対尋問を始めたため存在が分かったとか,あるいは存在しないと言っていたのが随分後からあるということになったりとかいう形で,やはりリストが開示されていないということに基づく不合理が出てきているのではないかと思います。   それからあと,先ほど後藤委員も言われましたけれども,公判前整理手続をやらない,やりたがらない,あるいはそれをなかなか行わない裁判官あるいは裁判所の扱いも報告をされているところであります。証拠開示そのものについては,ほかの方がおっしゃいましたので,私としてはそういう実務上の問題がある。さらに,今回の村木事件でもフロッピーディスクを還付している。検察官の手元にはないんだけれども,やはり,その中に弁護人にとって極めて重要な証拠もあり得るわけであります。こういう還付の問題等も含めまして,やはりリストの開示・交付というのは極めて重要ではないかと思っています。リストの作成が大変だということでありますけれども,様々な機会に検察はリストを作っておられると思います。また,警察から送致された書類のリストもあるわけでありますから,こういう点も工夫してリストの交付,そして全面証拠開示についても御検討いただかなければならないと,このように考えているところです。 ○但木委員 私は,是非この在り方会議で,今後の日本の捜査あるいは公判の在り方について,大きな方向性は示していただきたいというふうに望んでおります。これまでの捜査によってたくさんの事件が解決されて,そして国民の安全と安心というのを守ってきたということは事実だろうと思います。その中で,取調べが極めて重要な役割を果たしてまいりまして,真犯人を突き止めるのはもちろん,山の中に隠された死体を発見し,あるいは帳簿に隠された贈賄金の有り場所を特定するというような,いろいろな機能を取調べは果たしてまいりました。また,裁判所にあっては,法定刑が非常に幅が広いこと,それから国民が,裁判によって全容が,つまり真実が全て明らかになってほしいという期待を持っていることなどから,精密司法と言われる手法で行われました。   調書は,そういう意味では,動機を含めて事件の全容を語る証拠であります。したがって,今までの裁判において,調書が極めて重要視されてきたのは誠に自然であります。捜査のサイドから申しますと,そうした裁判の在り方,それからもう一つは日本の刑事訴訟法上では,ほとんどそれ以外の捜査手法を認めないと,欧米にはないような法制をとっておりますので,そのために取調べや供述調書に依存せざるを得なかったということも,これは必然的な結果なのであります。調書重視の裁判では,調書が最も重要な証拠ですから,法廷において被告人がうそをつこうと,証人がうそをつこうと,裁判官も法廷侮辱だと言って怒ったようなことはありませんし,検事もまたこれは偽証だといって,それを偽証罪で起訴したようなことも通常ないわけです。つまり,調書が出てしまえばそれで有罪判決がでて,そして真実は解明されたというふうに考えてきたのがこれまでの裁判の大きな在り方であります。時代が大きく転換してきたように思います。例えば,司法改革によって弁護士の数は増えました。それから,捜査段階においても,必ず弁護人が付されるようになりました。それから,接見時間につきましても,回数と時間が従来とは全く変わって,ほぼ自由に認められるようになりました。このような大きな客観的な変動によって,今の若い検事に昔と同じようにじっくりした調べをして,ちゃんと真実を解明した調書をとってこいと言っても,極めてそれは難しい注文になりつつあるというのは否定できないところでございます。   にもかかわらず,捜査方法,手段がそれに制約されていれば,当然無理な調べの危険というのがいつも伏在的になっているという事態もまた,否定し難いところであります。特に調べるときに基本に忠実な捜査,つまり客観的証拠を重視する,あるいは供述が得られたらすぐに裏付け捜査をして,それが真実であるかどうかを解明する,そういうことを怠った調書には事実と異なるような内容が調書となって出てくる,そうした危険が出てきたわけであります。村木さん事件というのは,正にその危険性が顕在化した,現実化したというふうに私は思っております。これは決して小さな事象ではなくて,むしろそうした大きな流れがここに出ているだけだというふうに私は思っております。   もう一つのことでありますが,裁判員制度がとられまして,既に公判中心主義というのが現実化しているわけであります。もう遠い将来の話ではなくて,既に現実に,公判中心主義というのは一部ですけれども,もう行われてきているわけです。その影響はほかの裁判にも大いに影響を与えているところでございます。取調べの,あるいは供述調書への過度の依存という本質的な問題を抱えて,これをこのまま維持させながら捜査を続行しろということを今後もやっていくということは,同じ危険がずっと伏在しますよということになるんだと,私は思う。ですから,この際,やはり日本のあるべき姿は何かということを大きな方向としてお考えいただきたい。私はやはり,公判中心主義,つまり公判廷において真実は吟味されるべきだと。裁判官の自宅において調書の真実性が吟味されるという時代はもう終わったんだと,私は思っております。   それから,供述調書についても,糾問的な調べ方というものの限界がそろそろ来たのかなというふうにも思っております。私は,可視化の問題を軽視するつもりは全くありません。しかし,可視化だけに,この事件の対応すべき回答を見出すとしたらば,現在までの取調べに過度の依存している捜査構造,それから調書に過度に依存している裁判の構造は変わらない。先ほど身柄の話も出ましたけれども,全ては関連している問題であります。やはり日本の裁判,捜査の在り方が大きな方向に向けて変わっていくべき時代に入っているんだというふうに私は思っております。   それから,取調べの透明化の問題は,そうした新しい構造の中でどうあるべきなのかはお考えいただければと思っております。それは,もちろん全面可視化論というのもありましょうし,あるいは弁護人の同席という問題もありましょう。それは,私は大きな転換の中で,我が国でどれがふさわしいのかを考えていってもらいたいというふうに思っております。それから,当面の検察官の取調べの透明性を高めるための手段としては,運用でやるのでは,やはり限界はあります。ただ,検察官はここで言われたように,最高検が述べられたように,是非フェアな姿勢で,この録音・録画の問題に対応してもらいたい。一部,裁判員裁判あるいは特捜以外の事件だって必要な場合というのはあるかもしれない。そういう問題はどうするのか。あるいは単に調書を作成するときの作成手続の録音・録画だけではない,もう少し進んだものがあるのではないか。そういう問題についても是非,最高検が積極的に考えていってもらいたい。私は,検察官に全面的に録音・録画を義務付けるというのは,法整備なしには無理であろうというふうに思っております。それは,どういう場合にとらなくていいのかとか,あるいはどういう場合に開示しなきゃいけないのか,それはもちろん一般的な開示の仕組みというのは現行法上もあるわけですけれども,しかし,録音・録画に特有の問題というのはいっぱいあるんです。ですから,そういう条件をきちんと法定化しておかないとできません。   したがって,私は,むしろ,この在り方検討会議で是非お考えいただきたいのは,そういう最高検のマインドは前を向いているんだというふうにおっしゃったわけですから,それが本当に前を向いているのかどうか,何らかの方法でどこかの時点でどこまで進んでいるのか,検証していくことを考えていかざるを得ないんだろうなというふうに思っております。   それから,取調べに過度に依存しない新たな刑事手続というのを考えなきゃいけない。いろいろなことを言って,もし可視化をするのなら,これだけのものをよこせという,そういう考え方じゃないかというふうに言われるんですけれども,そうじゃないんです。他の国では既にそういう捜査手法が全部そろっているわけです。そろっている上で可視化が行われ,弁護人の立会いが行われているわけです。そういうものを全く持たない日本において可視化した場合にどうなるのか。その影響がどこまであるのか,これらの問題については,やはり国民的な論議が必要だし,国民がどう合意するかということがすごく大事だと思います。つまり,日本の社会をどうしていくのか。片方には市民生活の安全があり,片方には被疑者の人権がある。その中を,どういう折り合いを付けていくかということは,やはり国民的な合意というのが是非必要ではないか。それは先延ばしだろうという御議論がありますけれども,時代はもう既に変わってきている。決してそんな,こういう問題を出したら5年も10年も先だろうという時代ではもうないと思っています。裁判員裁判はもう既に始まっているわけですから,私は全面的な日本の捜査の在り方,公判の在り方について考えるべき時期が来ているんだというふうに思っております。   なお,先ほど吉永委員から引き返しに関する御意見が出ました。いろいろなことが出まして,また江川委員からも保釈の問題等に関する御意見が出ました。それについてはまた後日の機会に申し上げたいと思います。今日は,是非そういう大きな問題というのを,この在り方検討会議においては是非お考えいただきたいということを心からお願い申し上げます。 ○高橋委員 可視化の後で申し上げようかなと思ったんですが,前回も,私もペーパーでちょっとお話をさせていただいたことです。今の但木委員のお話にも非常に重なるところがあるんです,前回もちょっと申し上げましたけれども,今回の村木事件一つとってみても,可視化だけでは防げなかった可能性が極めて私は高いと思っています。根本的にこれは捜査・公判の在り方を変えないと問題解決できないところまで,世の中は変わってきているという気がいたします。ですから,大体,組織の改革でも何でもそうなんですけれども,パッチワークで何か具体的な問題が1個出たので,それを解決するためにどうしたらいいかとやると,実はそれをやったことによるひずみがまたほかのところに出てきて,それを解決すると,またほかのところにひずみが出てきてということを永久にやりかねません。   私は,前回申し上げましたように,全過程可視化というのは,限定的でもいいから,絶対やるべきだろうという意見はあるんですが,同時に今,但木委員が言われたように,いわゆる取調べに過度に依存しないものはどうあるべきなのかということも,ものすごく大きな問題だと思うんですね。前回,私が申し上げたように,行政の部分で対応すべきことを,一言で言うと,そもそも村木事件の場合は要するに刑事事件として対応すべきものではなかったんだ,検察が扱う事案ではなかったというのが私の感想なんです。そこがやはり根本的にまず正されないといけないので,行政の部分の対応の力をもっとつけるようにするとか,事故調査委員会の話も言いましたけれども,事故調査委員会の権限をもっと強化して再発防止できるようにするとか,もっと大きい話で世の中でどうするかという中の一つとして,やはりそれぞれの柱が立つというふうに御議論いただかないと,ここで余りにも特定の具体的な話,アウトプットは出さなきゃいけないんですけれども,その話ばかりになって,結局意見が合わずに何も結果が出なかったというのが最悪だと思うんです。ですから,当然,大きな絵はここで決められる話ではないと思いますけれども,大きな絵を国民的な議論で早急に議論するべきだというような中の大枠があった上で,一つ一つここで出せるものについてはできるだけ具体的にここまで行くべしというものを出すというふうに是非取りまとめていただきたいなと,そんなふうに思います。 ○江川委員 大きな絵をまず描かなければだめだというのは,正にそのとおりだとは思います。思いますが,それが全部描けなければ具体的なことができないのかというと,そうでもないと思うんですね。例えば,さっきの可視化だけでは村木さんの事件を防げなかった,そうかもしれません。ただ,可視化がされていれば,例えば係長のああいう供述というのはとれたのかどうか,あるいは部長の供述がとれたのだろうかというところを考えると,それはかなり厳しかったのではないか。それを考えると,これは可視化のときにゆっくり申し上げますけれども,可視化はすごい抑止力になる。今でも,えん罪の被害者が出ているかもしれない。そのことを考えると,1年,2年ゆっくりかけて大きな絵柄を描くだけではなくて,やはり今すぐやらなければいけないことが幾つもあると思います。可視化以外のことでもいろいろなことがあると思うんですが,さっき後藤委員がおっしゃった2号書面のことなんですけれども,これは,法律を読むと別におかしくないと思うんですね。だけれども,法律では法廷で言っていることと違ったときに例外的に調書を採用できるというのに,実際は,違ったときに例外の方が普段行われているところがおかしいと思うんですね。これに限らず,法律家の方々は全然おかしくないと思っているかもしれないけれども,日本語としてすごく変だということがほかにもあると思うんです。例えば,任意の取調べ。任意というのは,国語辞典を見れば,心のままにとか自由意思でと出ているんですね。自由意思で受けられますかと,任意の取調べを。そういうような余りにも国語的な,つまり一般の人たちが受け止めるのと違った言葉の使い方がされているということがあると思うんです。ですから,これをきっかけに法律に書かれている原則に戻すということが必要だと思いますし。原則に戻せないんだったら,どうしても,そうやってひねた解釈をするんだったら,私は後藤委員のおっしゃるように刑訴法321条1項2号の規程をなくすべきだというふうに思っています。先ほど誰も賛成しないとおっしゃいましたけれども,そういう面では私は賛成したいと思います。 ○井上委員 高橋委員の御発言についてですが,大規模事故だとか医療事故など,そういったものとの関係では,同様の問題意識を私も以前から持っています。ただ,これは,検察の問題というよりは,刑事法あるいは刑事司法が本来こういった類の問題に対処し,解決する役割を担うべきなのかどうなのかという問題であり,現状では,そういう役割を過度に負わされているところがある。それは,やはり社会全体というか,かなり大きな視点で議論していかなければならない問題であるということは,そのとおりだと思います。もっとも,今回の事件がそういう性質のものであったのかについては,私はちょっと違うのではないかというふうには思っていますけれども。   もう一つは,今,江川委員が言われた2号後段書面の問題ですけれども,現在までの長い運用がどうであったかについては,立場によって評価がかなり大きく異なります。しかも,それは,制度そのものの問題なのか,それとも具体的な特信性の判断とか,証拠能力の要件の判断が甘かったのかどうなのかといったレベルの問題なのか,後者の問題ではないかとも思うのですね。この規定が適用されるのは,当該証人が公判で証言していることが前提であり,そこで証人が前に言ったことと違うことを言ったり,覚えていないと言ったような場合に前の供述が出てくる。前の供述も出させて,それと対照してどちらが正しいかを判断することを可能にしようとするものなのですが,それについて,検察官調書に特別の地位を与えているという見方もあれば,本来,何でも出していいはずだけれども,検察官調書に限定しているという見方もできなくはないのです,制度趣旨としてはですね。だから,ここのところは,そう簡単に解決できる問題ではありませんし,いずれにしろ法律論,立法論になりますので,問題があれば,それに適した場で正面から議論すべきだろうと思います。   証拠開示については,宮崎委員が挙げられた例は,今日初めて伺ったので,どういう事情でそうなっているのか事実関係が分かりませんから,何ともコメントできないのですが,先ほど伺った限りの印象では,制度そのもののほころびとおっしゃったけれども,そうではなく,現行制度がなお徹底されていないことによるものではないかと思います。一つは,被告人側も裁判所の裁定に持ち込んでいないのではないか,裁定に持ち込んだらどうだったのかですね。もう一つは,恐らく当の検察官の理解が不徹底・不十分だったのではなかろうか。そういう問題ではないかと思うのです。事実関係が分かりませんので,その程度のコメントにします。 ○龍岡委員 委員の方々の意見はそれぞれ傾聴すべきものがあって,なるほどと考えるところが多いんですが,ちょっと2号書面の関係についてお話をさせていただきたいと思います。調書裁判の問題点については,但木委員からも指摘されたとおりですが,裁判所は必ずしも調書裁判を是としてきたわけではない。例えば,2号書面の要件があるかどうか厳重に判断して,証拠能力があるものについて取調べをする。取調べをした上で,更にその証明力については別途他の証拠とも併せ総合的な判断をしてきているわけで,事案によっては証拠能力があるとして採用はしながらも,信用性を否定した事例もたくさんあるわけです。私も現実に経験があります。その2号書面をむしろこの際やめてしまったらどうかという御意見もあるんですが,しかし,現実問題として,証人的な立場の人が,犯行から比較的近い時点では記憶が鮮明なわけですけれども,少し時間が経つと記憶が薄れるというようなこともあります。そういった場合について,やはりこの調書を使わざるを得ないという場面があります。それを全部廃止するというのはどうかと思います。ただ,後藤委員が言われるのは,2号書面と3号書面を一緒にしろと,2号書面に特別の地位を与える必要はないという御趣旨だろうと思うんですが,そこはやはり検察官が公訴官としての立場も踏まえながら取調べをして,調書を作るのとは少し違った面があるんじゃないか,そういう面で,この規定が多分できているんだろうと思うんですね。そういう面から,2号書面について直ちにやめてしまえというのは少し性急な議論ではないかなという感じがします。   それから,もちろん調書裁判についての批判は正面から受け止めていかなければならないだろうと思います。調書に頼らない,できるだけ客観的な証拠によって立証し,裁判所もそれに基づいて判断するということは当然考えていかなきゃならない。但木委員も指摘されましたように,裁判員裁判が始まることによって,公判中心主義は,いわば原則に戻ったというか,ようやく原則に沿って動き出したとも言えるような状態になっている。裁判所の方も,いろいろなことを言われますけれども,それを全然無視して調書に乗っかって裁判してきたのではない。それに対しては,いろいろな反論があると思いますけれども,個々の事案についてはそれぞれの理由があるということは,機会があれば反論もさせていただきたいと思います。   ただ,裁判所も随分変わってきたと思うんですね。調書を重視するという方向からかなり客観的な証拠を重視する,公判中心主義になるということは,裁判員の制度の導入を契機として明らかになってきましたけれども,それ以前からそういう方向に動いていっている。それを助長するように,それを促進するように当事者の方でも訴訟活動をしていただくということも大事ではないかということを一言申し上げておきたいと思います。 ○佐藤委員 ちょっと感想を含めて申し上げたいと思います。この検察の在り方会議は,文字どおり検察の在り方を論ずるべき会議であったと思うのですが,特に全面可視化の問題が強く主張される経過をたどって,現在の日本の刑事司法の構造問題に触れざるを得ない,そういう議論に展開しつつあると思います。それはそれで大事なことだと思うんですけれども,しかし,ある事項については,現在,法務省なり,あるいは警察庁なりで別途会議が設定されて,政府として検討が行われているというものでありますし,また,大問題の構造的な問題については,本来別途会議を起こしてそこで論ずるべきそういうテーマでもあるようにも思います。しかし,提起された以上は,それらについて,この会議として何らかの見解表明はしなければならないだろうと思うのです。しかし,さらばといって,ここで解決策を示すことのできるテーマでは必ずしもない。こうしたときに,それでは,これらについて本会議は何ができるかと考えますと,国民に問題の所在と,それから国民に問い掛けていくという,問題を提起するという役割は果たせるのではないか,またこの会議はそれを果たすべきではないかと思うわけです。   その意味で,例えば,先ほど高橋委員から話されたような,医療事故の問題でありますとか,航空機事故の問題,これを現在は行政的な調査と併せて同時に捜査が展開をされるとこういう制度の国になっているわけですね。これは大変捜査には負担があるし,公訴官にも負担があるし,恐らく裁判所にも大変な負担がかかっている,そういうテーマだと思います。それを検察の捜査との関わりで見たときに,これをどうあるべきなのかということについて,この会議として,それは刑事司法ではなくて,次なる事故の防止を主眼とした,そうした活動を優先させて,それでもなおかつ処理しきれないものについて刑事司法に乗せるということを検討すべきだと,例えばですよ,というようなことを提起することはこれはあり得るという具合に考えるんですね。   それから,先ほど但木委員が言われたような刑事司法の構造の問題,これは全面可視化という問題その部分だけを取り上げて日本に持ってくるということになりますと,松の木に椿を接ぎ木するような,その結果どうなっていくんだか分からないというようなことにもなりかねないような問題をはらんでいるわけです。したがって,全体を考えるというのはこれはもう必至だと思うんですけれども,そういう問題でありますよということを国民に提起をしていくということは可能だし,それはやるべきじゃないかということを思います。それは意見の一致を見ないことかもしれませんけれども,しかし,今申し上げたようなことを提起するということについては意見が一致するのではないかと思います。そういう方向を目指すことはこの議論についての一つの方向性としてはあり得るのではないかと思いますので,一言申し述べました。 ○千葉座長 今,皆さんから,構造転換に関わるかなり大きなお話を含め,取調べの可視化以外の部分での捜査・公判のいろいろな問題点について御意見をいただきました。   冒頭申し上げましたように,また今,佐藤委員などからもお話がありましたが,今日の御議論も踏まえて,少し議論の進め方,焦点の絞り方等について,私の方で少し整理をさせていただきたいと思います。そして,最終的にどういう形で提言がまとめられるのか,こういうところについて,また,皆さんの御意見をいただいていきたいと思います。今日の段階での御意見の聴取は,ここで取調べの可視化以外の部分については一区切りさせていただきたいと思います。   それでは,ここで休憩をさせていただきたいと思います。再開後は可視化を中心にして御議論をいただくことにいたしたいと思います。 (休憩) ○千葉座長 議事を再開させていただきたいと思います。   後半は,取調べの可視化についての御議論に入りたいと思います。これまで皆さんから,この可視化につきまして御議論いただきました。それを私なりに大まかに整理をさせていただきますと,まず,刑事訴訟法に掲げられている目的の一つでもございます人権保障あるいは適正手続という観点からすると,取調べの可視化というのは大変有用である,これを少しでも積極的に運用していくべきではないかということについては大方のところ皆さんの御認識が共通しているのではないかと思います。この観点を更に厳格にというお立場から,取調べの全過程の録音・録画を実施すべきだという御意見があったのも,これも皆さん御承知のとおりでございます。   他方で,刑事訴訟法のもう一つの目的であります真実発見,社会秩序の維持といった観点からは,現状を前提にすると,可視化により取調べの持つ真相解明機能が害され,事案の真相解明や犯人の検挙,ひいては社会秩序の維持に支障を来たすではないか,こういう懸念の御意見もございました。この点については,少なくとも,そうした懸念があるという点については皆さんの御理解はおありなのではないかと思います。   こういう大きな整理で考えてみますと,問題は人権保障や適正手続の要請と,そして真実発見や社会秩序維持の要請の間でどのような形でバランスをとっていくのかということが,一つのポイントになるのではないかと思っています。これも少し大ざっぱな乱暴とも思えるくくり方ではありますけれども,これまでの皆さんの御意見を踏まえて,可視化に向けたプロセス・道筋というのを大きくまとめてみたいと思います。   一つには,捜査への支障がないことを前提に,あるいは支障が多少あるとしても可視化を優先して直ちに取調べの全過程の録音・録画を実現実施すべきという道筋,これが一つ考えられるやり方。   それから二つ目としては,可視化によって,指摘されているような懸念が現実化するかどうかは,今の状況では調査をしてみないとよく分からない。そういう意味で,試行,あるいは可能な限りその範囲を積極的に広げる,柔軟に活用する,こういうことを通じて,可視化が取調べの真相解明機能等に与える影響等を吟味しながら,刑事手続全体の在り方を考えて,可視化の具体的なやり方を決めるべきではないか,こういう段階的な考え方。   それから,取調べの全過程の可視化を実現するのであれば,取調べ以外の方法により供述証拠,客観的証拠を獲得することを可能にする新たな捜査手法とか,あるいは仕組みの導入,あるいは主観的要件を要求している実体法の規定の見直し等を,やはり同時にやらないとうまくいかないのではないか,問題が残るのではないか。これは当然のことながら,法律の整備等にもつながっていくということになろうかと思います。こういうことを同時に実施することが必要だと,こういう考え方。さらには,先ほど日本の捜査・公判,刑事手続全体の大きな構造展開ということまでをもやらなければいけない,そういう時代で,そういう中で,このような可視化の問題等も検討をする必要があるのだという大変重い御指摘などもあったかと思います。   そういう意味では,本当にまだまだ乱暴ではありますけれども,全体として,皆さんに共通の御認識はいただきつつ,その導入の方向性ですね,どのようなプロセスを経てというところに幾つかの御意見の違いがあるのではないかなと,私なりに大くくりをさせていただきました。   現段階で,これ以上整理をするというところにはまだ至っておりませんけれども,意見としては,このような形で大きくまとめることができるのかなと思いますので,このようなことを少し念頭に置いていただきながら,今日は,皆さんに可視化についての御議論,御発言をいただければ有り難いと思います。それによって,また双方の議論がかみ合っていくかということにもなるかと思います。   これは私の大きなくくりでございますので,当然ながら御意見がおありであれば,御指摘をいただければと思います。   こういうことで,これからの時間を可視化の議論にさせていただきたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。このくくりも含めてどうぞ御意見を出していただければと思います。 ○郷原委員 まず,議論の前提として,対象をどの範囲で考えるかという問題があると思うんですね。今回問題になったのは,まず検察の特捜部で起きた問題で,一番狭く考えると,検察の特捜部の取調べの在り方の問題。それからさらに,検察独自捜査というものだと少しそれより広くなります。さらに,検察官の取調べ全体ということだと,更にそれから広がります。これまで可視化に関して出された意見の中には,もっと警視庁全体,警察も含めた捜査の在り方,取調べの在り方としての可視化の議論も出てきているような気がするんですね。これを区別して議論しないと,ちょっと議論がぼやけてしまうんじゃないかと思うんですね。少なくとも,この前,検察から出された取調べの可視化の考え方は,あれは検察が直接立件する事件についてですよね,まずそのことの議論と,更に広げた議論とを,ちょっと区別する必要があるんじゃないかと思うんですが。 ○千葉座長 今,郷原委員から御意見がございました。これは私もそのとおりではないかなと思いますので,そういうことを意識をしながら御意見を賜ればと思います。 ○石田委員 現在,検察の在り方ということで検討をしております。その中で,この可視化という問題は,突き詰めて考えれば,検察による捜査,もう少し絞れば,検察による取調べの捜査の在り方,更に突き詰めて考えれば,検察の取調べ過程の検証をどのようにするのかという問題に収れんされていくのではないかというふうに私は考えております。その中で,可視化という問題を考えるというのが,現在の我々に与えられた課題であるというふうに認識をしております。   ところで,2月28日に,先ほど嶌委員から御紹介がありましたように,日本記者クラブで笠間検事総長が講演をされております。この日本記者クラブのウェブサイトにはユーチューブで公開されておりまして,私も大変興味深く拝見をいたしました。質疑を合わせて140分ぐらいの長いものでしたので見るのが大変でした。   その中で,検事総長は,検察の信頼の回復をするためにということで,嶌委員の御紹介のように,捜査の暴走をさせないこと,捜査力の向上が必要であること,それに供述調書至上主義を排除する必要があるということなどを述べられておりました。その上で,具体的には24日に示された特捜部が扱う身柄捜査事件についての一部録音・録画の方針の説明がされました。そして,もう一つは,捜査過程のチェックの強化として,第一に2月28日から最高検察庁と東京,大阪,名古屋の高等検察庁に特別捜査係検事を置くこと,それから2番目として,捜査主任検事の下に総括補佐検察官を置くことを今後も検討しておくことが明らかにされました。そして一方で,弁護人の立会いであるとか,全過程の録音・録画は容認できないということも明言をされていたわけであります。   この講演の内容は,先ほどもお話のように多岐にわたりますが,今日はこの講演を素材として取調べ過程の検証について,検討会議では,いよいよ取りまとめの段階でありますので,先ほどの座長のお話を意識しながら意見を述べさせていただきたいと思います。   一言で言いますと,検察捜査の適正を図るためには,一定のリスクを冒してでも基本的かつ抜本的な改革,つまり捜査過程を検証するには外部からの検証と,検察庁内部での検証の双方が必要であるということを,是非提言に盛り込んでいただきたいというのが私の考えであります。   まず第一に,内部検証の在り方です。検察庁の方針によりますと,特別捜査係検事には特捜部から報告を受けたときは主要な証拠の内容を直接把握する,全ての証拠にアクセスでき,また,直接被疑者を取り調べることもできるとされた上で,その捜査の当否を検討して,必要な指導を行う権限を与えることとされています。また,今後検討する総括補佐検察官には,捜査を弁護人と同様の目で,内部でチェックするよう果たさせること。証拠にもアクセスできて,検察官は他部からもってきて起訴権も与えることも考えられるというようなことを検事総長はおっしゃっていました。   しかし,捜査が適正に行われるか否かという検証を有効に行うためには,従前の決裁とは全く性格が異なるものでなくてはならないと考えております。そのためには,取調べと検証機関が被疑者にとっても十分認識できる程度に遮断されていなくてはならないということです。検察と警察の捜査の間においてさえ,このような遮断が行われないで検察官調書の任意性が否定された裁判例は少なくありません。このことは,遮断がいかに困難であるかということを示しています。特別捜査係検事は,上からの,それから総括補佐検察官は横からのチェックを行うというのがその趣旨であるようであります。しかし,一方では,起訴時の処分を行う場合には,検事正はあらかじめ検事長の指揮を受けなければならないという訓令が28日に出ているようであります。いわゆる検事長指揮事件とされております。そうである限りは,これらの指導等は,事件の処理という同一の方向に向かった検証とならざるを得ません。したがって,従来の決裁制度とは本質的に変わるところはないと思います。   一方,違法な取調べ,適正手続に反する捜査が進行している場合には,その時点でしかるべき対策がとられないと取り返しがつかないことになってしまいます。前々回挙げた裁判例でも,弁護人は検事正に対して違法な取調べの疑いがある旨文書で通知しています。それにもかかわらず,担当検事を変えただけで何らの有効な措置を講じられていません。むしろ交代した検察官は,被疑者の弁護人を批判して弁護人の解任を迫るようなことまで言っているのです。いくら別の検察官を持ってきたとしても,同じことが繰り返されているということをこの事例は示しているのではないでしょうか。ですから,このような違法・不正な取調べが認知されたときは,リアルタイムの検証と是正が是非とも必要なのです。このような情報は,具体的には被疑者であるとか弁護人,場合によっては内部通報によってもたらされます。情報がもたらされたときには,速やかにしかるべき措置が採られるべきだと考えます。   そして,この検証機関は,既に前々回申し上げましたが,捜査ラインから完全に遮断された人,組織でなくてはなりません。そのためには,検事だけではなくて,判事,弁護士,研究者ら,検事以外の者によって構成された機関,あるいはそのメンバーというのはパートタイムではなくて,一定期間の任期制のある常設機関でなくてはならないというふうに考えております。   こうした私の意見に対しては,以前いろいろな批判がありましたので,ここでそれにおこたえをしておきたいと思います。リアルタイムの検証は,量的,時間的に対応できないという批判がありました。しかし,このような事例が量的に対応できないほど多くあれば,むしろそのこと自体が問題です。現実的には十分に対応できると考えます。   捜査の独立,密行性を侵害するとの批判がありました。この捜査の独立,密行性というのは,適正手続の保証が前提です。これに優先するものでは決してありません。適正手続に対する急迫不正の侵害が疑われるといったときは,捜査の独立に優先して速やかに是正されるべきは当然のことだと思います。   検察内部の者による検証で足りるという批判もありました。しかし,検察内部での批判では,例えそれが上級庁であっても,有効な是正措置を講じることは期待できません。むしろ悪い状況を生み出します。このようなときこそ,検察とは違った視点での検証が必要だと考えます。   捜査と公判との分離で対応できるという考えもございます。捜査と公判と分離することでは問題が解決できないと思います。先ほど述べましたけれども,検察と警察との関係でさえ遮断されていない事案が極めて多いわけであります。ですから,やはりこの内部的な検証においても,外部の目を取り入れていくということが考えられるべきだと考えます。   次に,外部検証についての在り方であります。適正な取調べを確保するという手段というのはいろいろな方法があります。接見交通権の拡大であるとか,あるいは被疑者国選弁護人を付するということは,もう私が弁護士になった1970年代から,弁護士が,あるいは弁護士会がかなりの力を入れて運動をしてきた課題でありました。そして,今,ようやくそれが端緒に着いたというような状況であります。   そのほかに検証するためには,取調べに際して弁護人の立会いや,あるいは全過程の録音・録画を行うことが最も有効な手段であることは誰の目から見ても明らかだと思います。そもそも一般市民に対する取調べが,何の援助も受けられないところで行われること自体,誤っています。我々の弁護士の業務に関しては,弁護士職務基本規程というのがあり,弁護士は,相手方に代理人が選任されたときは,その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならないというふうに定めております。それが刑事になってくると全く違った状況が生み出されているわけであります。   2月24日付けの指針が提出されましたけれども,この底流にあるものは,依然としてリアルタイムに弁護人立会い等の検証をすると自白がとれなくなる,人の見ているところでは自白がとれないという1点に尽きます。自白なくして犯罪捜査はできないというドグマが,その底流にあると考えます。   しかし,我が国の法体系は,そもそも基本的に自白中心の捜査や公訴提起はしてはならないことを求めています。自白がなければ他の方法で立証するしかないのが法の趣旨であります。それが自己負罪の拒否の特権を認めた憲法28条の趣旨だからです。構成要件的故意や目的など,いわゆる主観的事実についても,客観的な証拠により十分立証可能で,これまでも,そのような認定が現に行われてきております。取調べは懺悔であるとか告解の場ではないということを留意すべきです。言うまでもなく,外部検証したからといって自白調書を作成してはいけないということにはなりません。重要なのは,調書が適正な手続で作成されなければならないという単純な論理なのであります。   他の捜査手法,捜査力の向上をめぐる問題は,これはやはり別の事件の問題で,同時履行の問題として議論されるべき問題ではないと考えます。現に,例えばアメリカのミランダルール判決が出たのが1966年,それから台湾で弁護人の立会権が認められてきたのは1982年です。やはりそれは,人権という問題をまず考えた上で,捜査の適正が問題とされたのは,歴史的にそうではなかったのではないでしょうか。   確かに,検事総長が自己の体験として講演で触れられましたが,組織犯罪等の場合には,自分が最初に自白したのを分からないようにしてくれれば自白するという場合があるかもしれません。このように被疑者が弁護人の立会いや録音・録画を行うことを拒否する場合には,それが被疑者の真に出たものであることを客観的に担保した上で,一定の例外を設けて対応する方法も考えられると思います。稀有事例を根拠に原則と例外を逆転させるべきではないと思います。まして,本人や弁護人が,当初から外部検証を要求する場合には,これを拒否する理由は全くないと思います。   あと,321条2号書面の問題もお話をしたいのですが,またこれは後から機会があればお話をしたいと思います。 ○後藤委員 「取調べの可視化(録音・録画)について」という1枚のレジュメを配っていただいております。そのほかに,指宿教授がまとめられたEU諸国とアメリカの諸州における可視化の状況という資料がございまして,これは先週,法務省からいただいたものより,もう少し広い範囲をカバーしているところがありますので,御参考のために配布していただいたものです。   可視化につきまして,三つの点を述べさせていただきたいと思います。まず一つは,一部の可視化ではやはり不十分だということです。既にそれまでの取調べで屈服してしまっている被疑者が録画のときだけ急に気力を取り戻して抗議するというようなことは普通は期待できないと思います。これは心理学で,「学習された無気力」と呼ばれる状態になってしまうからです。それを考えると,一部だけ録画するやり方は,かえってそれを見る人に誤った印象を与えるおそれが強いと思います。そもそも,この村木さんの事件で現れている問題は,検察官の情報選択とか,あるいは記録が自分の仮説に合ったもの中心になってしまって客観性がないということです。それなのに,どこを録画するかを検察官に任せるのでは,問題と対策がかみ合っていないと私は思います。   次に,可視化によって捜査が困難になるかという問題です。まず,先ほど座長のまとめでは,可視化と真実発見とは対立するような構図も少し見えたようにも思うのですけれども,そういうふうに捉えるのが適切かどうか疑問に思います。つまり,可視化してあれば,どんな取調べがあったのか,それからこの供述がどういう取調べの結果としてできたのかが後から分かるわけですから,その意味では真相の解明に非常に役に立つものになると思います。取調べのやり方を改善するためにも非常に役に立つものなので,余り対立的に捉えない方がよいのではないか,これが一つの視点です。   私の知る限り,諸外国で可視化のために自白する率が非常に減って困ったというようなことは余り聞かないです。むしろ警察官たちは,可視化して余計な争いがなくなったので非常にやり易くなったというふうにいうことが多いと思います。だから,日本でも多分そうなるだろうと思うのです。非常に困ったという状態は多分起きないだろうと思います。もしも,日本で可視化によって自白の率が大きく下がるようなことが起きるとすると,それはこれまでかなり無理な取調べが多かったことを推測させる結果になるのではないでしょうか。そのような無理な取調べこそ,えん罪の原因として非常に危険なものだと思います。だから,結局,犯罪を摘発するためにはときどきは無理な取調べがあってもいいのだという,容認的な姿勢をとるのかどうかが問題なのだと思います。もしも検察がそういう容認的な姿勢を示したら,国民の信頼は得られないと思います。つまり,検察官はいつも公明正大にやっていますという姿勢を示してくれなければ,国民の方も,自分たちもずるいことしてもいいのではないかというふうになってしまって,結局法律の道徳的な権威がなくなってしまうという気が私にはします。   可視化をしている諸外国と日本は非常に違うのかということも一つの問題ですけれども,例えば,先ほど石田委員もおっしゃったように,自白がなくても故意とか過失などの要件は認定されることが多いわけで,今の裁判所は決して自白がなければそういうことを認定できないとは考えていないはずです。   それから,おとり捜査も行われて,判例もこれを認めていますし。あるいは司法取引についてもそれをいけないと禁じている法律があるわけではないです。だから,日本と諸外国との違いというのを,余り過大に評価するのは問題かもしれないと思います。   それから,現在の法律でも,証拠開示の部分で弊害が非常に大きければ弁護人にも開示しないことができるような組立てが既にできています。そういう意味では,これは郷原委員の問題意識にもつながるところですけれども,記録するということが必ずしも公表されるとか,弁護人にさえ必ず見させることを意味しないことも,留意すべきだと思います。   もう一つ,参考人の取調べの問題です。村木さんの事件で信用性が争われたのは被告人以外の者の供述です。これはいわゆる2号書面です。実際には共犯者的な被疑者の位置付けだったので,被疑者としての供述調書であったことは,確かですけれども。2号の典型は,やはり参考人としての供述調書なので,2号を残すのであれば参考人の取調べを可視化しないと,村木さんの事件に現れた問題に対する本当の対策にはならないのではないかと私は思います。   先ほど但木委員が,立法がなければ全面可視化の義務付けはできないと言われました。確かにそのとおり,法律がなければ義務付けはできないと思います。それから,立法するときには,例えば,例外を許容する条件などを考えないといけない,それもそうだと思います。ただ運用でやる限りは別にそういう制約はないわけですね。むしろ柔軟なことができる可能性があるのではないかと思います。だから,立法がなければ全面可視化はできないということはないのではないかと思います。   これから先,この提言をどういうふうにまとめるかにも関わりますけれども,私としては,これだけいろいろな違う意見の委員が集まっていればこそ,結論部分は本当は全員が一致する一番説得力があると思います。だから,まずはそれを模索するべきではないかと思います。例えば,検察の独自捜査事件では全面可視化をする,あるいはそれを原則とするとか,まずはそこから始めるべきだというようなところで,その部分の一致ができないものでしょうかと私は考えるのですけれども。 ○千葉座長 ありがとうございます。先ほど後藤委員から,私の大ざっぱなくくりについて御意見をいただきました。これまでの皆さんの御議論を大くくりにすると,そういう幾つかの進めるプロセスというのがあり得るのかなと,こんな整理をさせていただいたということで御理解をいただければというふうに思います。 ○郷原委員 先ほどの対象のくくりで,私は,検察官独自捜査の場合を中心に考えたいんですが。前回も申しましたように,やはり私は,そのまま証拠化される可視化の問題と,取調べの過程を記録化するという問題とをちょっと区別して考えたいんですね。技術的にいろいろ難しい点はありますけれども,そのまま証拠化される可視化の範囲について,一部可視化が適切なのか全部可視化が適切なのかという問題は難しい面はありますけれども,私は,一部可視化であっても,確かに完全に被疑者がいろいろな方法で検察官に屈服させられてしまうという状況は別として,一般的にはある特定の部分は必ず可視化する,必ず録画するということが,何かガイドラインによって明確にされていれば相当な効果はあると思うんです。前回,龍岡委員が言われたような,まず当初の弁解は必ず可視化しておくということと,調書の読み聞かせ・署名部分,これも必ず録画するということを最高検のガイドラインか何かで明確にしておけば,これはそこを一旦始めて途中でやめられないということになると,なかなか今までのような取調べ方はできなくなるということは確かだろうと思います。   とはいっても,いろいろなやり方で被疑者を完全に支配下に置くような調べが過去にいろいろ行われてきたわけですから,やはりそういう意味では,直ちに証拠化というのと切り離して,少なくとも被疑者が必要だと,録音してほしいと言っているときには全面的に全過程を録画するということは行い,なおかつ,それについて検察官の側と被疑者の側でパスワードを設定して封印をして保存しておけば,確かに類型証拠に当たるという意味では絶対に証拠上使えないということにはならないかもしれないけれども,そのパスワードをかけたものをパスワードを外して実際に使うということは,かなり困難ではないかと思いますから,ほとんど使うことはあり得ない。使うのは本当に不当・違法な取調べが行われたということが主張されたときに,具体的にそれを最終的に確認するときだけに使うということにしたらどうか。その代わり,そういった全過程が録音されているということ自体が取調べの検察官にとっては,これは相当なプレッシャーになると思うんですね。もし無茶なことをやっていて,最後それを否定していても,その録音が出されてしまったら,これはもう大変なことになるわけですから。この全過程の録音によって不当・違法な調べは相当抑制できるのではないか。そういう方向を考える。   そして,それに加えて,先ほどの江川委員の意見の中にもありましたけれども,検察事務官が今までとは全く違った役割で,検察官のラインとは別のラインで取調べの記録をしっかり残しておくということを併用することによって,全体的に取調べを適正化できるのではないか。検察事務官というのは外部検証ではなくて,正に取調室の中で直接見ているものですし,その検察事務官が記録した取調記録というのは,ある程度一覧性もあって取調べの状況を記録するものとして適切だと思うんですね。これが私の意見です。 ○江川委員 一番最初に,郷原委員がどこまでやるのか,議論するのかという話をされましたけれども,最高検が発表したのは特捜部だけなんですよね。独自捜査全部でもないというようなことであります。私たちは,1月20日の第5回の会議でも,江田大臣がここに来られておっしゃったことというのは,国民の検察に対する信頼を回復するための提言ということを求められている。そして,早急に検察の再生を図りましょうと,こういうことをおっしゃっておられます。ですから,独自捜査というだけではなくて,検察全体の捜査の在り方をちゃんと国民の信頼を取り戻すような形で変えていくという方向が必要なんだと思います。そういう意味では,今日,座長が可視化を積極的に活用していくという方向性を打ち出されたということは,その第一歩かなというふうに認識しています。特捜部だけ,あるいは独自捜査だけではないということを具体的に考えるために「貝塚放火事件を通して(1)」という紙を用意しましたので,それを見ていただきたいのです。これは何度も報道されて,ここでも私は話題にしたこともあるので御記憶だと思います。大阪地検堺支部管内なんですけれども,そこで知的な障害のある方が逮捕されて,放火の犯人ではないかということで取調べを受けて起訴され,その後,それが取り下げられたと。実は,公判担当の検察官が指示して警察の捜査報告書の一部消去したという問題が,後で発覚した事件であります。   この方は10か月の間,起訴されてからずっと身柄が勾留されているんですけれども,10か月の間に公判担当が次々に代わって,4人も代わってるんですね。その4人目の検事さんが,3人目の検事さんから捜査報告書の改変の話を聞いて,上司に相談して,再捜査をするという形になったようなんですね。その結果,起訴は取り下げられたので,いわば立ち止まったという形にはなるんですけれども,起訴されてから10か月も入れられっ放しということで,もうちょっと早くできなかったのか。あるいは,何の前触れもなく釈放しますといきなり言われて,その対応にみんなはものすごく困ったということで,なぜもうちょっと当事者のことを考えないのかとか,いろいろな問題点があるわけです。   しかもこの事件は,検察としてはもう既に終わった事件なんですけれども,この人は釈放はされたけれども,自由の身にはなっていないんですね。というのは,更正施設に強制的に入れられることになる。ただ,更正施設は今はいっぱいだから,しばらく別の施設に入れられて,そして空きが出たらそこから最低2年間はいなきゃいけないというようなことで,結局,自由はまだ取り戻せていないと,こういうようなことがあります。   そしてまた,この事件だけではなくて,後ろの方に新聞記事などを添付しておきましたけれども,今,知的な障害のある方などコミュニケーションに非常にハンディのある人たちが刑事手続を経て刑務所にたくさんいると。そして,その刑務所の職員の方が,一所懸命対応していると,こういうことになるわけです。その中には,えん罪ではないかと,あるいは1個は本人がやったのかもかもしれないけれども,ほかのは全部背負わされたんじゃないかとか,いろいろな疑問が持たれているケースもあるという報告もあるわけです。そういうような刑務所の問題まで含めて,いろいろな問題が起きている現実というのは,今回のような事件処理から始まっているのではないかというふうに思います。確か,吉永委員からも以前,知的な障害のある方の捜査の問題は考えなければいけないというふうな指摘がありましたけれども,今は,障害者基本法の改正の中でも,やはり捜査の在り方というのが問われるという形になっています。   今回の事件で言うと,本人は非常にコミュニケーションにハンディがあって,彼をよく知っている福祉関係者に話を聞くと,通常の言葉のキャッチボールが非常に苦手である。こうしたんでしょう,だめじゃないのと言われると,すごく迎合してしまう。その一方で,すごく暗記力には優れていて,何か文章を言われると,それをすごくよく覚えるんですね。私も実は会ってきました。確かに言葉のキャッチボールが難しい。その一方で,いろいろなテレビの話を,この人はああ言った,こう言ったという話もすごく生き生きとたくさん語ってくれました。つまり,そういうような特性があるということが弁護人からも指摘があって,間違った捜査にならないように録音・録画してねという話もあったんだけれども,結局,捜査機関の方はそれを無視していたし,それから,彼の様子をよく知るという人に尋ねることもしないまま捜査を進めて,あたかも本人がスラスラとしゃべったような調書もできているわけです。それに加えて,さっき証拠の,私はねつ造だと思いますけれども,一部を削除したのを作り直すというようなことをやっていたと。これはつまり,証拠のねつ造は村木事件だけではなかったと,こういう問題もこの事件で明らかになったわけです。どうも,いろいろお尋ねしてみると,このねつ造をやった検事さんは,ねつ造していると悪いことをしているという余り罪悪感なくやっておられたような感じもして,検察の常識は世間の非常識じゃないかというのを,ここでもまた感じると同時に,本当にほかの事件でこういうことないんだろうかという心配もしたところであります。   こういう事件を見てきて,やはりこの知的障害者など,コミュニケーションにハンディのある人たちの取調べをどうするかということは,やはり本気で考えなければいけないのではないか。特捜部の問題ももちろんありますけれども,こういったケースは優先的に可視化ということを考えなければいけないのではないか。そうすると,これは人権擁護だけではなくて,例えば決裁する人たちも,「じゃあ,その取調べのときの様子をちょっと見せてくれ。」ということで見れば,早いうちで適切な決裁ができて,検察にとってもいいんじゃないかと。あるいは,被害者が出るような事件になりますと,検察段階で不起訴にしても,今は検察審査会というところで強制起訴の手続があります。ただ,強制起訴をするときの資料の中に,そういう取調べのときの映像等が添付されて,ちゃんと検察審査会の委員がそれをチェックするということになると,間違った強制起訴というのが防げるんじゃないかとか,そういうような問題もあり,あるいは被害者に説明するときも,これは実際使えるかどうか検討しなきゃいけないと思うんですけれども,参考になるでしょう。そういったことをいろいろ考えると,確かに基準を設けるというのは非常に難しい。ですが,私は以前から本人の希望あるいは弁護人の要求ということについては可視化するよう法制化すべきと言ってきましたが,それとは別に,運用としてでも,できるだけ知的障害のある方などコミュニケーションにハンディがある被疑者については,弁護人や福祉関係者の要求があった場合,あるいは捜査の過程で障害者の療育手帳を持っているとか,そういうようなことが明らかになったときには,やはり積極的に取調べの映像記録というのを残しておくということはやるべきではないかというふうに思います。   それと同時に,福祉との連携を早い段階からやるべきです。そういうふうに本人の希望,弁護人の要求以外にこの問題も入れるべきではないかなというふうに思いました。   あとほんの一つ,二つです。おとり捜査とか司法取引とか,そういったような問題を入れろというのがありますけれども,これはメリット,デメリットをちゃんと時間をかけてきちっと検討するべきであって,検討することについて,私は全然否定するものではありません。ですから,まずは可視化をすると決めて,それに当たっては,今後こういうような検討事項があるというようなことでやるべきなのかなというふうに思いました。   それと同時に,取調べの問題なので,やはり強化すべきは,取調べのところでなければいけないんじゃないか。例えば,こういう障害のある方でしたら,よくその障害について分かっている人を取調べのときに立ち会わせるとか,あるいは協力してもらうということができないのかどうか。あるいは今後,今でも起きていますけれども,医療とか介護とかいろいろな専門的な分野の最先端のところに関わるような事件というのがあります。先ほど,井上委員が,全て刑事手続の方に押し付けられているところもあるというようなことをおっしゃいました。私もそう思うんですが,そのような現実がある以上,対応するために,例えばそういった最先端の経験がある人の協力を受ける。あるいは,これからグローバル化がもっと進んでいく中で,いろいろな金融犯罪とか,なかなか普通の人では知識がついていけないような事件に対応するために,そういった最先端の知識や経験のある人たちを取調べに協力してもらう。単に聞くだけじゃなくて,その場でいてもらって,質問もできるというようなことになれば,随分これは違ってくるんじゃないか。   特別弁護人というのがあって,弁護士の資格を持ってなくても公判に立ち会えると。それと同じように特別検察官みたいなものを設けて,取調べが現代化できるような,そういう仕組みというのも考えていくことはあっていいんじゃないかなというふうに思っています。 (黒岩大臣政務官退室) ○宮崎委員 私も,今日はメモを用意しておりまして,録画の範囲につきましては,私ども当然のことながら,検察の地検特捜部の事件だけにとどまるべきではない,警察も含めて当然可視化すべきだと思っております。また,任意性の判断でも,警察のひどい取調べを引きずっているから検事調書も否認されるという判例は非常に多いところでありまして,そうしないと適正な捜査は行われないのではないかと思っています。ただ,今回は取りあえず,この検討会議の趣旨から,この試行指針等についても意見を述べたいと思います。   今回の最高検の指針は,検察官の立証のためであるから,録画するかしないかは検察官が選択すればよいという内容になっているわけでありまして,前回も検察官の信頼が揺らいでいる状態で検察官の選択に委ねるということについては,大変批判が強かったわけであります。   また,現に笠間検事総長の記者会見などを見ましても,全過程録画をしない理由として,説得場面を録画すれば,真相解明機能に支障があると,こういう理由を挙げておられるようであります。これは別の言い方をすれば,やや少し例えとしてきついかもしれませんが,元厚労省の元局長無罪事件での元局長の表現によれば,「プロボクサーとアマチュアのボクサーが,レフェリーもいない,セコンドもいないリング上で戦っている。」。そういう説得場面は録画しない,自白というのかダウンしたら録画しましょうと,こういうことを言うに等しいわけでありまして,本指針の下では,虚偽の調書が多数積み重なる状況が改善されることはないのではないかと思っています。   また,一部録画の危険性につきましては,やはり布川事件等でも大変有名でありまして,再審開始されましたけれども,これもやはり当時の公判調書を見ますと,テープをとる前は練習をしたわけですね。テープは,事前のリハーサルの結果だとの説明に,知らないことをあれだけスラスラしゃべれるはずがないと,裁判官が延々と尋問をしているという情景が続いているわけであります。   また,高野山放火事件でも,暴行を訴えた少年に対して,検事が警察に録音を指示したわけですけれども,テープが少しずつ欠けていると。その欠けている時間帯の暴行が疑われて任意性が否定されるというような事例もありました。やはり一部録画というのは,録画されていないときに何が起こったかということの検証ができないわけであります。また一方,録画された画面はインパクトが大変強いわけでありまして,改めて深刻なえん罪を生むおそれがあるわけでありますから,全過程の録画が必要であると,こういうことを申し上げたいと思っています。   それで,取調べの可視化のために新たな捜査手法を導入すべきだとこういう御意見が出ておりますし,また供述調書に頼る捜査構造を転換すべきだと,こういう御意見が出ております。これはこれで可視化と引っ掛けることなく議論をされるべきだと,このように考えています。   こういう代替的捜査手法が,今までどう主張されてきたかといいますと,日本における取調べの可視化は司法制度改革審議会意見書でも取り上げられました。将来の検討課題。そして10年が経過しています。この間,可視化に関連する刑事訴訟法の改正等がありましたけれども,その中で,やはり附帯決議においても繰り返し取調べの可視化と新たな捜査手法について検討するように求められてきたわけであります。そして,この間の国会の答弁においても法務省は,取調べの可視化の話の際に必ず新たな捜査手法という抗弁を持ち出してきていたわけでありましたが,答弁はそれについてどの程度進んでいるかと聞かれますと,「検討しています。」という以上の答えをしてはいないわけであります。附帯決議によって開始された法務省,日弁連,最高裁の協議も,可視化の代替的捜査手法についての具体的提言は全く行われないために,この協議自体も中断されている状況であります。このように,10年が経っても新たな捜査手法の導入は提案されず,結果的には提案しないことによって全過程可視化導入の議論は先送りされてきたわけであります。   司法取引にせよおとり捜査にせよ,実施している国でも共犯者への巻き込み,新たな犯罪の誘発等,問題が多いとの指摘がなされています。今後も適切な方針を検討することは否定いたしませんが,この10年の間に数多くのえん罪が次々と明らかになり,それが密室でのひどい取調べの結果だとの認識がされている中で,捜査当局の新たな捜査手法が新たに提案され,検討され,実現するまで可視化できない,とすれば,捜査当局がこの10年来と同様に提案を怠れば怠るほど可視化が実現できない,こういう不合理な結果を招くのではないかと思っています。   この間,国際的にはえん罪防止等,人権保障の観点からも弁護士の立会権や録画の拡大は世界的な流れになっています。そういう意味で,新たな捜査手法は,事実上飛躍的に発展してきているわけであります。監視カメラの問題もDNAデータベースの問題も,この間,指摘したところであります。   さて,そこで,自白率が落ちるかどうかということにつきまして,今日はイギリスにおける日弁連の調査報告書の抜書きを添付いたしました。10分の8ページ以降であります。イギリスは26年前から可視化を実現しています。実に4分の1世紀前から可視化,録画を導入しているわけです。その頃は,今のようなDNAのデータベースもない,高性能な監視カメラもさほど発達していない,そういうような状況の下,IRAのテロ事件があったりして治安が極めて不安定なときですら,こういう可視化を導入したということは注目されるべきではないかと,このように考えているわけであります。日弁連の調査団のまとめは10分の8に書かせていただきました。可視化によって公正さが確保されているということが国民的な理解になっている。それから,可視化によってお互いに相互に批判,検討する尋問技術が上がり,そして取調べ技術が向上して,非常に良い取調べが行われていると,こういうことであります。それと,取調べはイギリスではほとんど重視されていないということですが,イギリスでも重視しているというのが捜査担当者の答えでありました。   それから,自白率の低下については,10分の9で捜査関係者からのインタビューを載せさせていただいております。イギリスにおいて録音が開始されてから26年近くになっている,書面にとっていた時代を覚えている自分のようなものはもはや少なくなったと,可視化時代の刑事が増えてきているわけであります。ともかく録音した方が効率が良く,捜査官の信頼性も守るものであると,現在の刑事司法において録音しないで取調べを行うというのはもう考えられない。こう言うのがミルバーン警部補。   それからレイ・ブル教授につきまして,レコーディングをした国で自白率が下がった国はありません。イギリスの警察でも86年以前は自白率が下がると言ってましたが,彼らは間違っていました。警察は旧式なやり方が効果があると思っているのですから,そのように言うのでしょう。レイ・ブル教授は,警察官御出身でいらっしゃいます。   それからもう一つは,サセックス警察での両名の説明です。一人の方は自白率は下がったか,黙秘が増えたか,これは分からない。それからもう一人の方は,幾つかの研究がありますが,変化なしという結果が出ています。しかし,数字というものは変数的な要素が大きく関わりますし,軽微な事件の自白率と重大な事件の自白率は一緒にされては困りますと。   このようなインタビューで,可視化をすれば治安が悪化する,あるいは可視化をすれば弊害が生じるということについては,少なくとも可視化の先進国,4分の1世紀以上前から可視化を導入しているイギリスでは,そういうことは一般的には言われていない。捜査当局も歓迎しているという,平たく言えばウィン・ウィンの関係が成立しているのがイギリスではないかとこのように思っております。   改めて申し上げると,代替的捜査手法の議論はしても全然構わないわけでありますけれども,ただそれを可視化と引換えにということについては,やはり問題があると思います。ミランダルールが1966年,台湾の可視化の法施行が1982年,イギリスが1984年,その頃の捜査体制というのは,今の日本の捜査体制よりはるかに弱かった,それぞれのお国でも弱かったのではないかと思っています。これだけいろいろなIT技術とか進化してきた中で,引換えにという議論はもはや成り立たないのではないかと,私は考えているところであります。 ○但木委員 いろいろ御指摘がありました。それについて答えられるところはお答えしたいと思います。イギリスとかアメリカの制度というのは,やはり捜査妨害罪,あるいは公判侮辱罪,裁判侮辱罪という形で,うそをついたら処罰されますよということを前提にして供述が出されております。それは捜査官に対するのも同じですし,裁判官に対する供述も同じであります。   それから,被疑者がある一定事項をお巡りさんから聞かれて黙秘しますと,その黙秘したことについて合理的推定をすることができるという規定になっております。例えば,あなたの指紋が帽子についてますよ,これどういう意味ですか,私には分かりません,それはお前がこの帽子をかぶっていたんだな,つまりこの帽子があった場所にいたんだなということの合理的推定を働かせてもいいようになる。そういういろいろな仕組みがあった上での録音・録画ですから。何度も繰り返しますが,日本にはそういう制度がないわけです。ほかのところと違わないじゃないかというけれども,大いに違うわけです。例えば,司法取引を禁止している規定はないとおっしゃいますけれども,司法取引をして罰金にするから自白しろと言ったらば,日本の裁判では任意性を飛ばしているんですよね。その判例はあるわけです。そういうふうに,たくさんのいろいろな歴史的に積み重ねられてきた中での問題であって,これだけ取り上げてこうしろこうしろというのはやはりおかしい。刑事手続全体を新しい時代にふさわしいものに変えていかなきゃいけない,そういう問題として私は考えるべきだと思います。   それから,知的障害者の問題がありました。それは僕は,江川委員が言うことは本当によく分かります。あるいは,これについては検察庁にもお考えいただきたいなという気がしています。やはり障害者の方を調べるのは大変です。私も呉支部で勤務していいたときに,障害者の方が被疑者とされた12件ぐらいの連続放火事件をやりました。本当に分からないです。つまり,全部自白しちゃうわけですから。分からなくて,僕は結局,これだけは大丈夫だという2件ぐらいしか起訴できませんでした。それは本当に難しいんですね。調書にならないわけですよ。だから,そういうものを調書にしていること自体が,やはり無理がある。通訳みたいなものなんで,そこら辺は,私はもう調書でやるんだったら質問,答え,質問,答えという形式にすべきだし,あるいは一歩進んで録音・録画したらどうかと思います。ただ,これは認定するのがなかなか難しいんですけれどもね。だけれども,私もその考え方はよく分かりますし,そういう非常に難しい領域の問題があることはそのとおりです。   それから,一部録画は危険ではないかということです。僕は全面可視化というのはあり得ると思っていますし,弁護人が同席しなければ調べられないというのもあり得ると思いますが,それは新しい時代に向けた新しい裁判のやり方,公判中心主義と,それからそこに真実を出せるような,新たな捜査のやり方というのがやはり必要なんじゃないでしょうか。それを全く検討しないで,これだけやるのが正しいんだというのは,私は余り与することはできないような気がします。   それからもう一つは,最高検の当面の運用の方針が出されました。これについてはいろいろ御論議があると思います。ただ,今はこれから始めますということでありまして,やはりそれがどういう,いろいろな作用を持つのかということももちろんありますし,どういう場合には録画ができないという場合が生じるんだなというような,いろいろな検証をやって,一歩一歩進んでいかないと分からない面があると思うんですよね。ですから,僕はできるだけ早くいろいろな試みをやっていただいて,その試みを集大成する中で,やはり,宮崎委員から10年間,お前ら何もやらなかったじゃないかと怒られましたけれども,もうそういう時代じゃないと,是非お考えいただきたい。もう既に裁判員裁判が始まって,日本の刑事訴訟法はかなり大きな変革を既にし始めているんですよね。だから,僕はそういう制度を検討して,これが5年先,10年先になるんだなんていうことは僕は全く思っていない。   ここにいっぱい書いてあります。新しい捜査手法について書いてありますけれども,何もこれ全部やれとかいう話だとは全く私は思っていません。日本の国民性の中で,受け入れられるものしか受け入れられませんし,それから,捜査官の取調べの透明化,これのやり方と恐らくそういう問題とはリンクしてくるんだろうというふうな気もします。   これで皆さん方が言ったことには答えているのかどうか分かりませんけれども,いろいろお考えいただきたいなというふうに思っています。 ○郷原委員 ちょっと議論の整理なんですけれども,私,先ほど申し上げたかったのは,特捜の問題,検察独自調査の問題と一般事件の問題とはちょっと分けて議論すべきじゃないかという意味なんですね。そういう意味で考えると,この場で,少なくとも特捜事件については全面的に少なくとも記録化はした方がいいんではないか。それを直ちに証拠化するかは別として,その点については余り異論があるようには思えないんですね,私は。しかも,捜査への支障ということに関して,私は,この前も申し上げたコンプライアンス型捜査への転換ができる状況になっていますから,少なくともそういう強行犯の事件とか,殺人とか,そういう事件でなければ,あるいは暴力団事件でなければ,特捜検察の対象事件であれば,私はそういうような記録化すること自体は,私は余り異論はないんじゃないかと思います。ただ,それとは別に,刑事事件一般の問題もあって,それも重要な問題ですから,それはこの会議で議論することはものすごく意味があると思います。   それともう一つ,江川委員がおっしゃった障害者の問題については,私は,検察の現場の感覚としても全面可視化することにそんなに抵抗感・違和感ないんじゃないかと思います。そこはむしろ議論の対象というよりも,確認してみれば,検察の方でも,どう考えておられるのかということを確認してみたら,私は余りそんなに,やるべきじゃないという意見は出てこないんじゃないかと思うんです。ちょっと三つに分けて考えた方がいいんじゃないかなというのを改めて申し上げさせていただきます。 ○吉永委員 第1回目から可視化という言葉がずっと飛び交っているわけですけれども,なぜ可視化が求められているのかということを考えると,やはり密室において何が行われていたのかということをみんなが知ってしまったという,そうじゃないかなということからはっきりと分かってしまったということ。その危険性が,大変に国民にとって大きいものであるということを認識したということが一つある。と同時に,佐賀検事が,立場が逆転して自らが取り調べられる側になったら,断固可視化を求めたということで,いかに密室というのが彼らにとって有利であり,被疑者にとっては大変なことだったということが明確になってしまったという,この事実から,やはり可視化ということはもう避けられないだろうということ。求めなければいけないということがまず1点あると思うんですけれども。   では,どこをどう可視化するかということが次の段階の議論になるかというふうに思うんです。先週,最高検の方が言ってきた試行案ですよね。あれだと,一部の部分に対して一部分という,一部の一部ということ,更に検察が自分で判断するということ。これではやはり恐らくそのことによって国民の理解ということは得られないのではないかなというふうに思います。やはり,今まではどうしても可視化が必要だと,人権保障の観点から大事だと,片方は真相究明から,これやったらえらいこっちゃという,南極と北極から叫び合っているみたいな感じがあったんですけれども,やはりだんだん詰まってくると,今,時代の流れなども考えると,やはりこの全面可視化という方向は避けられない。これがやはり重要なんじゃないかな。一部可視化ということであれば,その部分では,えん罪の危険というものに対して,安心感が持てないということになるかと思います。   ただ,どちらもリスクを負ってもやっちまえという話ではなくて,じゃあ,実際に全面可視化にはどの部分がなじむのであるかと。そのことに関して言えば,リスクを防ぐ手立てというのが,先ほど郷原委員からも出たかと思いますが,そのことも検討しながらやるべきだというふうに思います。それが全て整ってからということではなくて,その方向性を明確にしながら,そのために法制度も含めて何が必要なのかという議論を同時に進めていくべきだと。   実際に本人が全面可視化を望むケースとか,全面というのは全過程可視化を望むケースにおいては,それを妨げる理由というのはないのではないか,任意のケースも含めて,という整理ができるかなというふうに思います。   それと,やはり可視化には明らかになじまない事件というものもあるかと思うんですね。そういうことに関しては例外としてきちっと定めていくという方向を示せればいいのかなというふうに思っております。と同時に,そのような議論,検討を進める中で,運用に関して直ちに手をつけなきゃいけない部分というのが,先ほど江川委員から出されました知的障害者に対する取調べ,これはやはり一番,えん罪を生むというのは,この知的障害を疑われる被疑者のケースだというふうに思うんです。この部分はやはり特別に全面可視化ということ,一部可視化では絶対に救えないと思います。全面可視化ということは運用でできるのではないかなというふうに,それを模索する道はないかなというふうに思っています。   ただ,知的障害を持った方の場合,全面可視化されたものを見ると,かえってどこも問題ないじゃないかということになってしまう危険も当然あるわけです。ですから,やはり弁護人の立会い,先週,私は弁護人の立会いを求めたんですけれども,やはりコミュニケーション能力に関して問題があるとか,なかなか自分の意思をうまく表現できないということですと,福祉関係の方ですよね,日頃,接していらっしゃる方だったら,この人が何を言わんとしているのか,この人はどういう傾向にあるのかということが分かるというふうに思いますので,その福祉関係者あるいは心理的なことがきちんと分かる方というものの立会い,全面可視化プラスその立会いというものを求めていけるといいなというふうに思っています。   ちょうど障害者基本法の改正案で,刑事事件に関与した障害者への配慮というものが記されるというふうに伺っておりますので,それを受けて,やはり検察だけでなく,警察も含めてですけれども,適正な取調べのために具体的な案を出していくということは,全体の可視化と別個に,これを直ちに取り組むべき部分として書き込んでいけば有り難いなというふうに思っております。 ○嶌委員 皆さん言っておられるし,僕も一貫して言っていますので,余り変わらないんですけれども,やはり事件関係者の取調べに当たっては,原則として全過程を録画・録音することがいいのではないのかなと思います。先ほど,特捜とほかの案件とを分けるという話がありましたけれども,ここは検察の在り方全体を検討している会議なんだから,特捜と普通の事件とを分けるということは考える必要はないんじゃないのか。そして,今まで起きているえん罪を見ていると,別に特捜案件だけではないわけですよね。そういう意味では,可視化の問題については,原則として全過程を可視化する。ただし,生命だとか人権だとか,よく言われるのは暴力団関係者のときなんかは,後でお礼参りが来るだとか,そういった問題はいろいろあるようですから,そういうようなケースについては,検事や弁護人がきちんと話し合って,そして裁判官もそこで判断をしてもらうというようなことで,僕は調整がつくんじゃないのかなというふうに思います。   これまでは自白が最強の証拠だという基本的な考えみたいなものであったようでして,そのことが過酷な取調べ状況を生んだり,えん罪を生んだりしているんじゃないのかなというふうに思えるわけですね。そういう意味では,今,世間で我々が考えている以上に検察に対する不信があるとすると,やはり原則はこうなんだということをきちんと示すことが僕は非常に重要なんじゃないのかなと思います。起訴というのは,具体的な証拠の積み重ねから導き出した犯意と犯行の全容であって,取調べというものはそういうものを裏付けるものなんだというふうにもう一遍位置付けを考え直すということも大事なんじゃないかなと思います。   それともう一つは,今,やはり裁判員裁判というのが始まってきているわけですよね。そして,恐らく,今ほど国民が司法に関心を持っている時代はないんじゃないか。いつ自分がそういう場に立ち会うかもしれないという,心配も持っているわけですね。そのときに果たして自分は公正な裁判ができるのかという思いがあると思うんですね。そのときに,裁判員はいろいろな証拠,間違えないような証拠があった方がいいなと考えるんじゃないかなと思います。そういう裁判員裁判,そういったようなものを更に良いものにするためにも,なるべく多くの証拠というかそういったものが見せた方がいいんではないかなと思う。そして,どうしても都合が悪いというような問題については,やはり検察だけで判断するんじゃなくて,弁護人や裁判官とも話し合った上で,これは外に出さない方がいいだろうとか,合議の上で管理だけはしておくというようなことが,国民に対しては説得力があるんじゃないのかなと思いますね。やはり何か一歩前に踏み出したんだというメッセージを送らないと,この問題に対する関心が深いだけに,そういうきちんとした宣言を出した方が,僕はいいような気がします。 ○佐藤委員 先ほど,宮崎委員が一部可視化は極めて危険であると言われましたので,私もちょっと発言をいたしたいと思います。例えば,極端な例かもしれませんけれども,本人の意思でというか,本人が自ら出頭してきて取調べを開始するという場面を考えましたとき,自ら出頭してきたときにでも,いろいろなケースがありまして,正に本人の意思で出てきた場合もありましょうし,それから説得されて出てきた場合もありましょうし,あるいは他をかばうために自らの意思で出てくるという場合もありましょうし,あるいは正に替え玉で出てくるという場合もあります。そうすると,そういう人物が出頭してきたときに取調べをするということに相成りますと,言いなりに聞いていたのでは,これはえらいことになってくるのですよ。正に,ためにする出頭であったときには,罪なき人をおとしめる,そういう供述がないとも限りませんし,あるいは自らの意思で出てきたとしても,人というのは前回も申しましたように,それでもうそはつくのですよ。逃れたいという気持ちは消せないのです。そうしますと,その時点での取調べは極めて大事になってくる。そのときに,うそを仮に言ったとして,その供述が録画されてしまいますと,今度はその供述で固まってしまうということが十分あるんですよ。それはそうだと思いますよね。自分がうそだと思って言ったそのうそが映像になって,他の人に後刻見られるということが分かって供述しているわけですから。   そういたしますと,もしこれがイギリスであったとしましたらば,そのまま捜査が終わって公判にいったということになれば,本人が有罪答弁するわけでしょうから,そうすると審理なしにすぐ求刑に至り,有罪になるのでしょう。仮にそうだとしても,イギリスの制度では,これは私の忖度になりますけれども,それはそれでやむを得ないことだという考え方で制度が成り立っているのではないか。日本では,それは真実でなきゃ捜査機関として何やってたんだということに相成る,そういう仕組みであるし,世論だと思いますよ。だから,そこのところを抜本的に変えてしまうのなら,それはそれで割り切りができると思いますけれども,しかしそうでない以上は,本当にこれは犯人なのか,あるいは犯人隠避なのか,本当に自首なら自首調書をまかなきゃいかんですよね。自首調書をまかなければ,これはまた刑事訴訟手続に違反するわけですから。そうすると,その時点での取調べというのは極めて重要だし,そのときの供述は重要だし,うそがうそで固まってしまうような事態というのは避けなければならないということもあるわけですよ。したがって,全過程可視化というのが危険性をはらんでいるということがあるのです。ですから,その部分だけを捉えて云々するというのはいかがかと思います。   先ほど,但木委員が言われたように,イギリスではそもそも取調べには余り重きを置いていないんですよね。前回の法務省の説明でありましたように,せいぜい2回ぐらいの調べしかしない。その調べ時間も1回は30分ぐらいだと,そういう取調べで結構だという制度なわけですから,そこを全面可視化したって痛痒がないんですよ。ですから,困ったということにはそれはならなかったんだと思いますよ。我が国では困りに困るんですよ,これは。何とかしてもらわないと,これはもう困るということなんです。 ○原田委員 郷原委員が言われた三つ目の問題で,先ほどからもかなりの皆さんもおっしゃっていた知的障害者の全面可視化というのが,僕はいいと思います。私も知的障害者で,但木委員もおっしゃっていたような,加害者が知的障害者で,被害者も知的障害者だった事件がありまして,これはものすごく難しかったです。結局,無罪にしましたけれども。非常な困難を伴う問題です。   それからもう一つは,龍岡委員が最初に言われていた少年の事件も,全部録音を聞いておられたら非常に参考になったと言われていたと思います。私も可視化したDVDを見たことがあります。少年が実行行為を全部したのですけれども,それを指示した成人がいたというのです。それをいたと自白していたのに,起訴後は全面否認したのです。そのDVDを見ますと,皆さんは,恐らく読み聞けというと検事が全部読み上げてこれでいいのかと聞いて署名を求めると思われるでしょうが,そうではなくてものすごく丁寧でした。一言一言チェックしていくんですね。でも,恐らくそこに至る前に,きっと共犯者は全面否認しているのですから,聞いていると思うんです。例えば,「お前,そう言うけれども,共犯者は全然否認してるよ。」と,そのときどういう反応だったかというのを是非知りたかったと思いました。   ですから,どこかから始めるというのであれば,知的障害者と少年から始めるのがよいと思います。   話は違うのですけれども,この前,ちょっとお話ししたように,日弁連と最高検がガチンコ勝負になってしまうのはこれでしょうがないと思うのです。双方,そういう現場で戦ってますから。でも,法務省は,僕も法務省に6年間いたのですけれども,検察の利益代表ではありません。法務省というのは司法全体を見ていますから,検察のことをもちろん考えます。しかし,検察はこれでいいのかを常に考えています。確かに検察の現場の声は,これだと真相解明に困ると必ず言うと思います。しかし,それはそうだけれども,それで本当に検察が将来を保っていけるのかという角度から常に考えていると思います。法務省と最高検とは別ですから,ここで最高検の報告があったから,それに従っていればよいということはありません。本当に検察がこれで10年,20年先やっていけるのかという視点から,法務省として,考えておられると思うのです。だから,そういう視点で是非,この問題は解決してもらいたいと,こんなふうに思っています。 ○井上委員 主観的な要素なども,客観的な証拠で立証した例が幾つもあるじゃないかということなのですけれども,そういった例が幾つかあるという話ではなく,全体として,どの程度の影響があるのか,どれほどの支障があるのかが問題なのだと思うのです。ですから,そこのところはやはりきちんと見極めないといけない。   それに,前回お配りしたペーパーで指摘しましたけれども,主観的要素だけの問題ではないのです。供述証拠は,いろいろな点の証明に使われており,全体としてそれにかなり依存する構造になっているので,それをどう変えていくかという議論をしないと改まってこない。これは但木委員と同意見です。   次に,外国のことについて,それぞれあるところを取って,その国に行ってみたら,こういうことを言っていた,ああいうことを言っていたと言われる。私は,外国法の研究を結構長くやってきましたので,そういう議論の仕方は非常に問題だと思うのです。   後藤委員は,可視化している諸外国と日本では大した違いはないと言われたけれども,実はそれぞれ相当違うというのが,長年研究してきた印象です。だから,それぞれの全体的構造の中に置いて見てみないと,ある現象の持つ本当の意味合いは分からないというのが実感です。   もう一つ,自白がとれなくなるという点について,後藤委員は,無理な取調べをして自白を取っているのが取れなくなるとしても,それは本来やってはいけないことをやっているのだから,取れなくなっても当然じゃないか,とおっしゃったのですけれども,それはそのとおりでしょうが,捜査の第一線の人たちが懸念しているのは,むしろ,ノーマルな,別に問題のない取調べをして任意性も真実性もある供述が得られているのが,かなりの程度得られなくなる,それでいいのかということではないかと思うのです。私も,そういった懸念が完全に裏付けられているということまで言うつもりはないのですけれども,そういう懸念が現に多くから示されている以上,この前も申し上げたように,真剣に検討し検証しないといけない問題だと思っているわけです。   新たな捜査手法については,宮崎委員も石田委員もレベルが違う問題だし,それはそれで別に検討すれば良いのではないかと言われたのですが,私は,但木委員と同じ意見で,この前のペーパーにも書きましたけれども,全体的な構造を変えていく,あるいは変わっていくという話なので,一緒に検討しないといけないのではないかと思うのです。司法制度改革審議会のときも,そういう視点で意見を言いましたし,国会の附帯決議で新たな捜査手法についての検討ということも一緒に載っているのも,そういう意味だと私は思っています。これに対しては,法務省は10年もの間,何もやってこなかったじゃないかという反批判もありましたが,そんなことを言ったら,どちらもどちらだと思うのです。両者がガチンコ状態で動かなかったというのはそのとおりで,私たちから見ると,非常に腹立たしく思っていたのです。   そんなことばかり言っているのではなく,前も言いましたけれども,その問題に本格的に取り組む場を設け,逃げていないで正面から議論を,両方の問題を含めて全体的に幅広く議論する必要があるということを本会議としても提言すべきだと思うわけです。そういう全体構造ないし状況の中で,運用とはいえ,検察としていきなり全面,全過程の録音・録画を原則にさせると,そう決めようというのは,やはり無理だろう。これも,この前目したことですので,このぐらいにしておきます。 ○後藤委員 井上委員がおっしゃるように,外国のことというのはそう簡単には分からないですよね。それは井上委員の講義を数時間聞いてもイギリスのことが本当に分かるかというと多分なかなかそうではない。それくらい難しい問題だと思います。ただ,やはりある切り口で見て比較するということも,一応せざるを得ないのかなと思うんですね。そういう意味で言うと,先ほどの佐藤委員のお話をもしイギリスの警察官が聞いたら,ちょっとカチンと来るかもしれないなと思います。つまり,イギリスだって,別に自首してきたら自動的に有罪にしてるわけではなく,ちゃんと裏付け取っているんですよと,多分彼らは言うんじゃないかなと思います。   それから,私は,日本と諸外国が全く同じだと言っているわけではなくて,確かにそれぞれ違いがあるわけですけれども,それを余りに過大に見るのはいかがなものかということを申し上げているつもりです。 ○石田委員 井上委員が3点ばかり重要なことをおっしゃいましたので,それに対する私の考えを,項目だけ申し上げておきたいと思います。   まず,自白調書がなければ主観的な事項が立証できない事案もある,全体的に考えなければいけない,それはそのとおりだと思いますが,例えば,殺意の問題であるとか,目的犯における目的は,むしろ今の基本的な傾向は,そういった自白がなくても立証が可能な方向になっている,そういう一般的な傾向があるということが第1点。   それから,可視化をすれば自白が全くなくなってしまう,そして自白調書をとってはいけないということを言っているのではなく,適正な方法でもって自白調書をとれば,それでもって任意の形で自白が出てきて,十分に主観的事項についての立証も可能になって来ると,そういうことを申し上げたいと思います。   それから,問題がないというような捜査あるいは取調べの場合には,それならば別に録音・録画しても構わないじゃないのという反論ができるのではないかと思います。この点はもう少し細かく,いずれの機会にお話をさせていただきたいと思います。   それから,捜査手法との関係ですが,これは今の議論というのは,卵が先か鶏が先かといったような議論になってしまっていますが,しかしむしろ,全面的に録音・録画あるいは弁護人の立会いを認めるべきだという主張は,我々がかなり前から言ってきたことであります。そして,それに対して捜査手法はどうなっているかと言いますと,むしろそれはどんどん,法ではなくて運用のところで,ものすごくいろいろなことがなされてきていると,私に言わせれば違法すれすれのところまでできているのではないかと思います。例えば,通信傍受の問題などは,もちろんそれは限定的ではありますけれども,今はむしろいろいろな組織犯罪等は,傍受されるからなのかもしれませんが,電話などでやるよりも,例えば,携帯のメールでやれば,傍受がどういうふうにやるのかというのはよく分かりませんけれども,傍受ではなくて,今般の事件であったように,メールであれば事後的にこれを検証する事が可能になってくる。そして,例えば,潜入捜査であるとか,あるいはおとり捜査等の問題などでも,特にそれが余りひどいものでない限り,特に違法収集証拠として否定されるわけではない。   そういったIT関連でも,あるいは捜査手法の問題でも,今,但木委員あるいは佐藤委員がおっしゃったような形での捜査というのは,現実的には今の法制度の中でも可能であるし,そして現実に行われているのではないかというふうに思います。   ですから,どちらかが先行しなければいけないということではもちろんないんですが,むしろ取調べの実体的な,実質的な検証を今こそやらなければ,そういった捜査手法が進んでいる中では,ますますこういう問題が起こってくるのではないかというのが私の意見です。 ○高橋委員 私は司法が専門ではないもんですから,ずっとこういう議論を聞いていますと本当に混乱するのは,本当に全面可視化したらどのぐらい自白って減るのか,減らないのか,例えば,若狹元特捜検事は3割から4割はできないというし,いや,そんなことは絶対ないという人もいる。今の法律の範囲内でできる,いや,できないという人もいるし,両側から。もうよく分からないというのが正直なところなんですね。そうはいっても,先ほど,江川委員が言われたように,そうこうしている間にえん罪が生まれるんだというのも,これまた確かです。ただ一方で,大きい話を10年,棚ざらしに誰がしたのか分かりませんけれども,大きい話が全然進んでいないじゃないかというのも,これまた確かなので,ソリューションベースで考えるならば,やはり本当は,それは検察の方はプロですから,お任せして,例えば録画だって,ここからここがいいというんだったら,そこでもう判断していただいてと,信用できるんだったらそれが一番良いんですよね。間違いなくいいんですけれども,それじゃあ信用できないというふうになってしまったわけですから,そうしてしまったのは,前回も言いましたけれども,検察自身の責任も極めて大きいわけですから,ここはやはり第一歩としてほかの話を進めるにしても,例えば,皆さんのお話を聞いていて思うんですが,直ちに,例えば特捜部の案件とそれから知的障害者とか,この辺は全過程の可視化を直ちにやる,例えばですね。だけれども,それ以外,どこまで可視化とかほかのことを進めるのかというのと同時に,やはり全体の刑事司法の在り方を根本的にどう変えるんだとか,代替手段をどうするんだとかというのをはっきり言って,例えば期限を切って,1年なり何なり早急に詰めて欲しいと。   もうちょっと言えば,私は是非報告の中に,ここまで,これだけ環境が変わっているにもかかわらず,そういうふうにある意味,可視化も含めてですけれども,全ての問題をなかなか大きく,もちろん井上委員とか大分御苦労されて進められた部分もあるんだと思うんですが,大きくやはり対処してこなかったのは司法全体の責任なんだと,誰かの責任というよりも。だから,それを早急に進めるべきなんだというようなところは是非どこかに入れていただけたらいいんじゃないかと。   それはそれとしてやると。だけれども,取りあえず,そうはいってても,ここの限定した部分だけの全過程可視化はやるみたいな,何かそんな感じの,私はこれは飽くまで今,私自身の意見でありますけれども,そんなふうに早く第一歩と大きな話とを幾つか分けて,この会合のアウトプットとして何を出すべきかということをまとめに入っていただかないと,延々と,いや,絶対,自白減る,減らない,減る,減らないと言われても,素人としては正直言ってよく分からないと,そんな感じでございます。 ○龍岡委員 屋上屋を重ねるような話なのかもしれませんけれども,先ほど指摘ありましたように,知的障害者とか少年については,やはりこれは可視化する必要性はあるし,また,それは可能なんだろうと思いますね。そういうところから実際やっていくということは考えられる。しかし,ほかの問題については,佐藤委員が指摘されたような問題,私はやはりそういう面もあるんだろうと思うんですね。しかし,それはどの程度,どういう事件にあるのかということをある程度,検察の方から示していただかないと,抽象的なそういう議論で,だからだめなんだということにはならない。   そういう意味では,今回,最高検が示された指針でまず第一歩を踏み出す,試行していく,その中からいろいろな実例を踏まえながら,検証しながら問題点を指摘して,そして段階的に,指針はそこまでいっているわけではないのかもしれませんけれども,段階的に広げていく。最終的な方向としては,恐らく全段階可視化というのが一つの方向だろうと思うんですが,そこに至るまで,検証をきちんとやっていく必要がある。いきなり全面可視化に踏み込むというのが果たしていいのかどうかという点はやはり,問題があるということが言われているわけですから,それを具体的に指摘していただいた上で,つまり,いろいろな検証の結果について適切に報告していただいて,それを踏まえて議論をしていくと,そういう段階を踏んでいくことが適切ではないかと思います。   それから,この可視化と代替手段の問題ですけれども,これは先ほど,井上委員が言われたように,私は,やはり正面から議論する場が絶対必要だろうと思うんですね。これは,但木委員も言っておられるとおりで,可視化が進められるとなると,やはりそこに問題が出てくる可能性がある。諸外国の例に,私は詳しいことは存じませんけれども,可視化にいろいろな支障があるとすればそれは何かを考えながら,日本の風土に合った,日本人の人情というか,そういったものに合った代替手段・方法といったものを正面から議論していく場をつくっていくべきではないかと思います。これらのことも,段階を踏んで進めていくというのがいいのではないか。ただし,大きな方向としてこうだということは,この検討会議としても方向性として打ち出すことは役割だろうと思いますね。細かい点については,十分適切な場所,委員会とか,その他のところで十分議論していただく,研究もしていただかなきゃならないだろうというふうに思います。そういうことで,全面可視化にいきなり踏み込むということについては,私は,やはり今の段階では疑問があると,こういうふうに申し上げたいと思います。 ○千葉座長 皆さんから大変いろいろな部分を念頭に置きつつ,それから,今後の進め方・プロセスなどにも思いをはせつつ,御意見をお出しいただいたと思っております。   本日の会合の後半部分では,皆さんから,可視化を中心として御意見をいただき,大分共通の土台が出てきた気がいたします。今日,私の大くくりというか,幾つかの進め方のプロセスをお示しをさせていただきましたが,今日皆さんからお出しいただいた大変貴重な御意見や御議論も併せまして,更に次回あるいは次々回までに,少し骨になるようなものをまとめてみまして,また皆さんに御議論いただくことにしてまいりたいと思います。御意見がございますれば,その間にもお出しをいただきたいと思っております。   それでは,この部分につきまして本日の御議論は一応区切りをさせていただきたいと思います。   次回の会合につきましては,この間,韓国視察がございますので,その結果報告を行い,その上で,検察の在り方の総論としての「検察官の使命・役割」,それから「検察(特捜部)の組織とチェック体制」,「検察官の人事・教育・倫理」について,まとめて御議論いただいて,また方向を探っていきたいと思っております。 ○高橋委員 サーベイなんですけれども,一応もう締切りまして,今,集計中のようですが,大体回答率90%ぐらいいっているようでございます。この手のものとしては結構高い数値であるという感じではあります。ここ数日で,数字の単純集計は出せると思いますので,次回に,私の方で分析して御報告いたします。ただ,自由記入欄がかなりたくさんあるという話もあって,それがどこまでどのぐらいの時間でうまく集計をまとめきれるか,3月10日に間に合うかどうか分かりませんが,数値の部分は間違いなく10日に御報告できるんじゃないかなと,そんな感じでございます。 ○千葉座長 ありがとうございます。そういう御報告もいただければ,次回の議論にも大変役に立つのではないかと思われますので,どうぞよろしくお願いいたします。この間,御尽力ありがとうございます。   大変中身のある御議論をいただくことができたのではないかと思っております。本日の会合は終了させていただきたいと思います。   来週は,3月6日から8日までの間,韓国視察を予定をいたしております。詳細は事務局から個別に御案内させていただいております。せっかくの視察ですので有意義なものになるように,皆さんの御協力もお願いします。   次回は3月10日の午後1時30分ということになりますので,よろしくお願いします。 −了−