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ジェマー・イスラミア(JI)
Al-Jama'ah Al-Islamiyyah

東南アジアにおけるイスラム国家樹立を目指し,インドネシアを中心に活動する武装勢力。

別称:
①Jemaah Islamiyah, ②Jema'ah Islamiyah, ③Jemaah Islamiya, ④Jemaah Islamiah,⑤Jamaah Islamiyah, ⑥Jama'ah Islamiyah

(1) 設立時期

1993年(「ダルル・イスラム」〈DI〉から分裂)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

1990年代に作成された組織マニュアル「ジェマー・イスラミアの闘争のための一般的ガイドライン」(PUPJI)によると,JIは,「イスラム国家を樹立すること」を目標とし,この目標を達成するために宣教,教育,ヒジュラ(移住),ジハードなどを実施することを掲げている。

イ 攻撃対象

2007年に事実上テロ活動を停止したとされ(後述),いかなる標的へのテロを指向しているかは明確でない。なお,過去の攻撃対象は以下のとおりである。

○ インドネシア国内のキリスト教徒・キリスト教関係施設,治安部隊(2000~2007年)

○ インドネシア内外の欧米,イスラエル権益(2001~2002年頃。分派組織「トプ・グループ」については2009年までの間)

○ インドネシア内外のフィリピン権益(2000年)

(3) 活動地域

インドネシアを中心に活動。

(4) 勢力

500人から数千人程度とされる(注1)

(5) 組織・機構

ア 指導者,幹部等

(ア) パラ・ウィジャヤント(Para Wijayanto)

最高指導者(アミール)。2000年初め頃,インドネシア西部・中ジャワ州で,JIの下部組織ワカーラ(後述)の責任者に就任し,同年,フィリピン南部・ミンダナオ島で軍事訓練を受けたとされる。2008年,JI最高指導者に就任したとされる。

(イ) ムハンマド・ハイルル・アナム(Muhammad Khairul Anam)(拘束中)
別名:
ブラボ(Bravo),ウスターズ・バタル(Ustadz Batar)

前軍事指導者(総司令官)。2000年代に東部・マルク州アンボンでテロ活動に関与した後,一時組織を離れていたが,2010年にJI中央司令部によって呼び戻され,2011年頃,軍事指導者に任命されたとされる。2013年,ウィジャヤントの指示によって,シリアへJIメンバー数人を派遣したとされる。

2014年5月,中ジャワ州クラテン県で,武器工場を運営していたJIメンバー9人が逮捕されたことを受け,同人は活動を停止していたとされるが,2015年12月頃逮捕された。

(ウ) アブ・フスナ(Abu Husna)
本名:
アブドゥルラヒム・ビン・トティブ(Abdurrahim bin Thotib)

元中央司令部メンバー(注2)。1959年10月9日生まれ。インドネシア西部・東ジャワ州パチタン出身。2008年1月,マレーシアで拘束され,インドネシアに送還された。2009年2月,逃走中のメンバーを隠避したとして禁錮9年の有罪判決を受けた後,収監中の2014年7月に「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディに忠誠を表明した。刑期短縮にて2015年8月に釈放され,同月,ISIL支持組織「カティーバ・アル・イマーン」を設立した(注3)

2016年,ISILの東南アジア出身者部隊を率いるインドネシア人バフルムシャーとつながりを有するインドネシアのISIL支持グループ「カフィーラ・アル・ハワーリーユーン」の顧問に就任したとされる(注4)

(エ) アブ・バカル・バシール(Abu Bakar Ba'asyir)(服役中)

別名:
アブドゥス・ソマド(Abdus Somad)

JI共同設立者。1938年生まれ。インドネシア西部・東ジャワ州ジョンバン出身。「ダルル・イスラム」(DI)((6)「沿革」参照)で活動していた1985年,スハルト政権によるイスラム過激組織に対する取締りを避けてマレーシアに逃亡し,1993年,同国でアブドゥラ・スンカル(後述)と共にJIを設立した。1999年,スハルト政権崩壊を受けてインドネシアに帰国し,スンカルの死亡(1999年11月)後,最高指導者に就任した。2000年,JIとは別に,公然組織「インドネシア・ムジャヒディン評議会」(MMI)を設立し,MMI最高指導者としてシャリーアの施行を訴えた。

第1次バリ事件(2002年10月)の直後に逮捕され,JI最高指導者の地位はアブ・ルスダン(後述)が引き継いだ。2005年3月,同事件における共謀罪で禁錮2年6月の判決を言い渡されたが,出所後の2006年12月,最高裁は再審において,同事件への関与は認められないとして,無罪判決を下した。

2008年,最高指導者の権限に関する見解の相違などからMMI(注5)を脱退し,新たな公然組織「ジャマー・アンシャルット・タウヒッド」(JAT)(注6)を設立した。バシールは,JAT・JIへの二重加入を否定し,2009年までに,同人とJIとの関係は断絶したとの指摘もある(注7)

2010年8月,「アチェの武装集団」(「(6)沿革」参照)に関与していたとして逮捕され,テロ教唆の罪で禁錮15年の判決を言い渡された。その後も,獄中から支持者を通じて宣伝活動を続け,2014年7月には,「カリフ」就任を宣言したISIL最高指導者バグダディへの忠誠を表明した。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2006年4月,JIのために活動したとして,同人を制裁対象に指定した。

(オ) アブドゥラ・スンカル(Abdullah Sungkar)(死亡)

JI共同設立者。1937年生まれ。インドネシア西部・中ジャワ州ソロ出身。1970年代半ばにDIに加入。1993年,マレーシアで,アブ・バカル・バシールと共にJIを設立した。1999年11月に死亡した。

(カ) アブ・ルスダン(Abu Rusdan)
別名:
トリクディン(Thoriqudin, Thoriquddin, Thoriquiddin, Thoriquidin, Toriquddin),ルスダン(Rusdjan, Rusydan)

元臨時最高指導者。インドネシア西部・中ジャワ州クドゥス出身。1960年8月16日生まれ。1980年代後半にアフガニスタンで軍事訓練に参加し,2002年にバシールの逮捕を受け,臨時最高指導者に就任したとされる。

2003年4月,第1次バリ事件実行犯の隠避容疑で逮捕され,2005年に釈放された。同人は,2016年2月,「民衆の支持」を得るため,JIは「一定の時点までは平和的」である必要があると語った。現在はJI内で特定の地位には就いていないものの,大きな影響力があるとされる。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2005年5月,JIのために活動したとして,同人を制裁対象に指定した。

(キ) ザルカシ(Zarkasih)
別名:
ズフロニ(Zuhroni),ヌアイム(Nuaim),ンバ(Mbah),アブ・イルシャド(Abu Irsyad)

元臨時最高指導者。1962年生まれ。インドネシア西部・中ジャワ州プカロガン出身。1980年代後半にパキスタンで軍事訓練に参加した後,1993年,設立当初のJIに加入した。フィリピン・ミンダナオ島のキャンプで訓練を指導したほか,地域部門マンティキⅡ(後述)の指導者を務めた後,2005年から2007年にかけて臨時の最高指導者を務めたとされる。2007年6月に逮捕され,複数のテロに関与していたとして禁錮15年の判決を受けて服役していたが,2015年10月,服役態度が良好であるなどとして仮釈放された(注8)

(ク) ヌルジャマン・リドゥアン・イサムディン(Nurjaman Riduan Isamuddin)(拘束中)
別名:
ハンバリ(Hambali)など

元軍事指導者。1964年4月4日生まれ。インドネシア西部・西ジャワ州チアンジュール出身。2003年8月にタイで拘束された後,米国当局の勾留下にある。スハルト政権による取締りを避けて,1980年代中頃までにマレーシアへ移住し,同国でJIに加入した。1986年頃にアフガニスタンでの軍事訓練に参加した後,「アルカイダ」と関係を築き,JIでは「アルカイダ」との連絡役を務めたほか,マンティキⅠ(後述)の指導者となり,後年は,JIの軍事指導者の役割を果たしていたとされる(注9)(注10)。なお,弟のルスマン・グナワンは現在ISILで活動しているとされる(注11)

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2003年1月,JIの上級幹部としてJIのために活動したとして,同人を制裁対象に指定した。

(ケ) ヌルディン・トプ(Noordin Top,Noordin Mohammed Top)(死亡)

元メンバー・分派グループ指導者。1968年生まれ。マレーシア出身。1998年頃JIに加入し,2001年後半,マレーシアでJIに対する摘発が展開されたことから,インドネシアへ逃亡した。2003年から2004年頃にJIから「離脱」し,独自にテロ実行グループ(通称「トプ・グループ」)を率い,インドネシアに潜伏しながら,米国系ホテルやオーストラリア大使館などに対するテロを実行した。2005年に作成された映像声明では,イラク及びアフガニスタンへの派兵に対する「報復」がこれらのテロの動機であると主張した。2009年9月,中ジャワ州ソロ近郊において,警察当局の急襲を受け,死亡した。

イ 組織形態,意思決定機構

前述の組織マニュアルPUPJIによると,JIには,アミール(最高指導者)の下,執行機関である「マジュリス・キヤーダ」,組織管理やアミール選出を行う「マジュリス・シューラ」,アミールの諸決定を正当化する「マジュリス・ファトワ」,組織統制や懲罰を行う「マジュリス・ヒスバ」の4評議会が置かれると規定されている。

「マジュリス・キヤーダ」には,更に①「マジュリス・キヤーダ・マルカジーヤ」(中央司令部:メンバーはアミールが任命)の下,②「マジュリス・キヤーダ・マンティキーヤ」(地域司令部:責任者は①のメンバーから選出)及び③「マジュリス・キヤーダ・ワカーラ」(代理地域司令部:責任者は②のメンバーから選出)が設置されるものとされている。

地域部門であるマンティキは,かつてはマンティキⅠ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳに分かれ,Ⅰはマレーシア(サバ州を除く)及びシンガポール,Ⅱはインドネシア(スラウェシ島を除く),Ⅲはフィリピン南部,サバ州及びスラウェシ島,Ⅳはオーストラリアを所掌するものとされ,各マンティキには,階層構造を持った下部組織が置かれていた(注12)

2011年,JI中央司令部は,「宣教」のための公然組織及び軍事関連を所掌する秘密組織を設置し,後者については,PUPJIに依拠したピラミッド型の構造を採用したとされる。具体的には,総合司令官(アミール・マジュフル・ビトナ)の下,地域部門(ビトナ:旧「マンティキ」に相当。現在は1部門のみ),旅団(コディマ。2個設置),大隊(トリア),中隊(イソバ:1大隊につき3個設置),小隊(ロディバ:村レベルで設置),分隊(コビヒソ),細胞(リババ)が設置されているとされる。

(6) 沿革

前身は,インドネシア独立戦争時,インドネシア革命軍と共にオランダ支配に抵抗した「ダルル・イスラム」(DI)である。DIは,インドネシアが1949年に独立した後も,イスラム国家樹立を目指し,政府軍に対する武力攻撃を継続した。1968年に誕生したスハルト政権がDIの取締りを強化したため,スンカルやバシールらDI活動家の一部は,1985年,マレーシアへ逃亡した。スンカルは,1993年,当時のDI最高指導者との対立からDIを離脱し,バシールと共にJIを設立した。両人は,1998年のスハルト政権崩壊を契機にインドネシアへ帰国し,スンカルが1999年に死亡した後,バシールが最高指導者に就任した。

2000年5月,インドネシア西部・北スマトラ州メダンのキリスト教会を標的に,同組織初とされるテロ(爆弾テロ)を実行した。同年以降,宗教間紛争が勃発した同国中部・中スラウェシ州ポソの拠点化に力を注ぎ,同地でリクルートや訓練を継続したほか,キリスト教徒へのテロを続発させた(注13)

JIは,攻撃対象をキリスト教権益に限定せず,2000年8月に首都ジャカルタのフィリピン大使公邸で爆弾テロを,同年12月にはフィリピンのマニラ首都圏で同時爆弾テロを実行した。また,JIは,フィリピン南部・ミンダナオ島に訓練キャンプを設立し,他の過激組織メンバーらと共に訓練を行った。JIが,この時期,フィリピン権益への攻撃を繰り返したのは,当時のエストラーダ政権によるイスラム系反政府勢力への「全面戦争」宣言に対する反発が理由とみられている(注14)

また,2001年12月及び2002年8月には,シンガポールにおいて,米国大使館・イスラエル大使館・米海軍基地などへのトラック爆弾テロ,米軍人とその家族が利用するシャトルバス・米艦船・アメリカンスクール・地元権益への攻撃を計画したなどとして,JIメンバー計30人が拘束された(注15)。2002年10月12日には,インドネシア中部・バリ島で,202人の死者(うち邦人2人)を出した連続爆弾テロ(第1次バリ事件)を実行した。これらの事案は,2001年9月の米国同時多発テロ事件を受けた米軍主導のアフガニスタンにおける武力行使への反発が背景にあったとみられている。

第1次バリ事件後,JIメンバーであったヌルディン・トプは,独自のテロ実行グループを形成し(通称「トプ・グループ」,自称「タンジーム・カイダトゥル・ジハード」など),2003年8月,ジャカルタの米国系ホテルに対する自爆テロを実行した。同グループは,2004年に在インドネシア・オーストラリア大使館に対する自爆テロを,2005年にバリ島で同時自爆テロ(第2次バリ事件)を実行したが,マレーシア人爆弾専門家アザハリ・フシンの死亡(同年)で打撃を受け,2009年にジャカルタの米国系ホテルに対する同時自爆テロを実行した後,トプ以下主要メンバーの殺害・逮捕によって,グループは壊滅したとされる。

一方,JI指導部内では,第1次バリ事件のような無差別暴力がJIのイメージを損なったとする反省が生じ,「紛争地におけるムスリムを防衛する目的のみに武力を行使すべき」との考え方が強まったとされる。その後も,ポソでのテロ活動は継続したが,2007年1月の警察との衝突でJIは死者14人を出し,同年6月に臨時最高指導者ザルカシ,軍事指導者アブ・ドゥジャナが逮捕されるなどの大打撃を受けたことで,事実上,テロ活動を停止したとされる。

2010年に入り,JI中央司令部は,武器の製造・使用能力の構築を目的に,休眠中のメンバーを招集し,軍事組織の再建を始めたとされる。また,2014年以降,軍事・戦闘技術の獲得を目的に,シリアの「ヌスラ戦線」にメンバーを派遣したともされる(後述)。

なお,第1次バリ事件に関与したとして指名手配されていた古参メンバーのドゥルマティンは,別のイスラム系NGO「KOMPAK」幹部アブドゥッラー・スナタらと共に,2009年,インドネシア西部・アチェ州に設置したキャンプに人員を集め(通称「アチェの武装集団」),訓練を開始した(注16)。同キャンプでは,新たな要員の育成に加え,インドネシア国内の他の過激組織・活動家との横断的な連携が図られ,後にISIL支持者のイデオローグとして影響力を示すアマン・アブドゥルラフマンも,軍事訓練のための資金支援と徴募を行った(このため同人は2010年12月,禁錮9年の有罪判決を受けて収監中)。しかし,当局が2010年2月に開始した一斉摘発で100人以上が逮捕され,同年3月にドゥルマティンが死亡したことで(注17),同集団はほぼ壊滅した。

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

2009年のジャカルタ同時爆弾テロ事件以降,JIやその分派組織によるとみられる大規模テロは確認されていない。

JI中央司令部が2010年以降に再建を進めていた軍事組織については,2014年5月に中ジャワ州クラテンで武器工場が摘発され,それ以降,少なくとも18人のメンバーが逮捕されたことで,武器集積などの活動は打撃を受けたとみられている。

イ 他勢力との連携

(ア)「アルカイダ」

「アルカイダ」は,イラク人メンバーのオマル・アル・ファルーク(注18)を通じてJIと連絡を取っていたと言われている。また,JI側では,ハンバリが「アルカイダ」との連絡役を務めたほか,マレーシア人ヤジド・スファアトが,2000年1月,ハンバリの要請に基づき,後に米国同時多発テロ事件実行犯となる「アルカイダ」メンバー中4人を自宅に滞在させ,さらに,2001年には,アフガニスタンで数か月にわたり,「アルカイダ」のために炭疽(そ)菌の培養を試みたとされる(注19)

このほか,第1次バリ事件の資金を含め,2002年頃までの間,「アルカイダ」はJIに資金援助していたとされる(注20)。しかし,2003年にハンバリが逮捕されたことやパキスタンで活動していたJI子弟らが逮捕されたことで(後述),JIと「アルカイダ」との直接的な関係は途絶したとされる(注21)

(イ) 「インドネシア・ヒラル・アフマル協会」及び「ヌスラ戦線」(現「タハリール・アル・シャーム機構」〈HTS〉)

2011年にインドネシアでNGOとして活動を開始した「インドネシア・ヒラル・アフマル協会」(Hilal Ahmar Society Indonesia:HASI)は,JIによって資金調達の手段として利用されており,JIの「人道支援部門」の役割を果たしているとされる(注22)。HASIはシリアへの人道支援を掲げて寄附を集めるとともに,「ヌスラ戦線」(現「タハリール・アル・シャーム機構」〈HTS〉)とつながりを有し,JIメンバーに軍事訓練を受けさせ,実戦に参加させるため,これらメンバーをシリアに送り出しているとされる(注23)(注24)

(ウ) その他

JIは,2000年代前半,ミンダナオ島に訓練キャンプを設け,「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)メンバーらを受け入れていたとされる(注25)。これらのキャンプが閉鎖された後も(注26),JIの残存メンバーは,現地の過激組織と協力関係を保ってきた。例えば,マルワンことズルキフリ・ビン・ヒル(2015年1月,ミンダナオ島マギンダナオ州ママサパノで死亡)は,後にISILを支持する「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)分派組織の指導者となるアブ・トゥライフィーらに爆弾製造技術を教えたほか,スキプトことサイフッラー・イブラヒム(2015年11月,同島スルタン・クダラト州で死亡)は,ISIL支持組織「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)指導者トクボイと協力関係を有し,サヌシ(2012年11月,同島南ラナオ州マラウィで死亡)は,後に「マウテ・グループ」を率いたマウテ兄弟の精神的指導者の役割を果たしていたとされる(注27)

ウ 資金獲得活動

メンバーからの寄附(注28)のほか,強盗などによる資金獲得が指摘されている。また,1990年代末から2003年には,JI幹部の子弟らが,留学先のパキスタン南部・シンド州カラチで,インドネシア人及びマレーシア人から成るグループ「アル・グラバー」を結成し,「アルカイダ」訓練キャンプへ渡航するJIメンバーへの便宜供与やインドネシアへの送金などを行っていたとされる(注29)

エ リクルート活動

インドネシア国内には,JIの関与が指摘されるイスラム学校が数十校存在し,同校出身者のネットワークを始め,同郷,親族,刑務所内で知り合った人間関係などがリクルートに利用されてきたとされる。

年 月 日  主要テロ事件,主要動向等
93年  アブドゥラ・スンカルとアブ・バカル・バシールが,「ダルル・イスラム」(DI)を離脱し,マレーシアで「ジェマー・イスラミア」(JI)を設立 
99年  スンカルとバシールが,スハルト政権崩壊(1998年5月)を受けて,インドネシアに帰国
00. 5.28  インドネシア西部・北スマトラ州メダンの教会で爆弾が爆発し,日曜礼拝に集まっていた32人が負傷
00. 8. 1  インドネシア首都ジャカルタのフィリピン大使公邸で爆弾が爆発し,2人が死亡,大使を含む20人が負傷
00.12.24  ジャカルタなどの国内7都市のキリスト教会で爆弾が爆発し,17人が死亡,100人が負傷
00.12.30  フィリピンのマニラ首都圏5か所でほぼ同時に爆弾が爆発し,22人が死亡
02.10.12 第1次バリ事件
 インドネシア中部・バリ島のナイトクラブなど2か所で連続して爆弾が爆発し,邦人2人を含む202人が死亡,約300人が負傷
02.10.18  インドネシア警察当局が,最高指導者バシールを逮捕
03. 8. 5  「トプ・グループ」(通称)が,ジャカルタの米国系ホテル前で自動車爆弾を爆発させ,12人が死亡,約150人が負傷
03. 8.11  タイ警察当局が,軍事責任者ハンバリ(当時)を逮捕
04. 4.30  インドネシア警察当局は,刑期を終えたバシールを反テロ法違反の容疑で逮捕
04. 9. 9 在インドネシア・オーストラリア大使館爆弾テロ事件
 「トプ・グループ」が,ジャカルタのオーストラリア大使館前で,自動車に積んだ爆弾で自爆テロを実行し,10人が死亡,邦人1人を含む180人以上が負傷
05. 5.28  JIメンバーとみられる者が,インドネシア中部・中スラウェシ州ポソの市場で,爆弾を爆発させ,22人が死亡
05.10. 1 第2次バリ事件
 「トプ・グループ」が,バリ島の飲食店3か所で同時に自爆テロを実行し,邦人1人を含む20人が死亡,約90人が負傷
07. 6. 9  インドネシア警察当局は,同国西部・ジョグジャカルタ特別州及び中ジャワ州で,臨時最高指導者ザルカシ及び軍事部門指導者アブ・ドゥジャナを反テロ法違反容疑で逮捕
08.11. 9  第1次バリ事件(2002年)主犯格のムクラス,イマム・サムドラ及びアムロジの死刑を執行
09. 1.13  JIシンガポール支部メンバーが,同支部責任者カスタリ(2009年4月1日逮捕)が主導したとされる「チャンギ国際空港爆破計画」(2002年)への関与を自供
09. 7.17 ジャカルタ同時爆弾テロ事件
 「トプ・グループ」が,ジャカルタの米国系ホテル2か所で同時に自爆テロを実行し,7人が死亡,邦人1人を含む約50人が負傷
09. 9.17  インドネシア警察当局は,インドネシア西部・中ジャワ州でトプを含む「トプ・グループ」主要メンバー4人を射殺
10. 2.22  インドネシア警察当局は,同国西部・ナングル・アチェ・ダルッサラム州(現アチェ州)で,「アチェの武装集団」(通称)の軍事訓練キャンプを摘発
10. 3. 9  インドネシア警察当局は,同国西部・バンテン州で,「アチェの武装集団」首謀者ドゥルマティンを射殺
10. 8. 9  インドネシア警察当局は,バシールを,「アチェの武装集団」の活動に関与していたとして,反テロ法違反容疑で逮捕
11. 6.16  インドネシアの南ジャカルタ地裁は,「アチェの武装集団」への関与において,テロを教唆した罪で,バシール被告に禁錮15年の判決(2012年確定)
14. 7  インドネシアの刑務所に収監中のバシールが,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)への忠誠を表明

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