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イラク・レバントのイスラム国(ISIL)
The Islamic State of Iraq and the Levant

イラク,シリアなどで活動するスンニ派過激組織。「カリフ制国家」を自称。両国などで,政府や,シーア派などイスラム教スンニ派以外の宗派,宗教の住民などを標的としたテロを実行。

別称:
@Al-Qaida in Iraq,AAQI, Bal-Tawhid, CThe Monotheism and Jihad Group,DQaida of the Jihad in the Land of the Two Rivers(注1), EAl-Qaida of Jihad in the Land of the Two Rivers, FThe Organization of Jihad's Base in the Country of the Two Rivers, GThe Organization Base of Jihad/Country of the Two Rivers,HThe Organization Base of Jihad/Mesopotamia, ITanzim Qa'idat Al-Jihad fi Bilad al-Rafidayn, JTanzeem Qa'idat al Jihad/Bilad al Raafidaini, KJama'at Al-Tawhid Wa'al-Jihad, LJTJ, MThe Islamic State of Iraq, NISI, Oal-Zarqawi network, PAl-Qaida Organization of Jihad in Iraq,QDaesh,RDaish, SDaash,21Al-Dawla al-Islamiyya fil-Iraq wal-Sham(注2)22The Islamic State of (又はin) Iraq and the Levant,23ISIL,24The Islamic State of (又はin) Iraq and the (又はal) Sham,25The Islamic State of (又はin) Iraq and Syria, 26ISIS,27Al-Dawlaal-Islamiyya,28The Islamic State,29IS

(1) 設立時期

2004年10月

(2) 組織・機構

ア 最高指導者,幹部等

(ア) アブ・バクル・アル・バグダディ・アル・フッセイニ・アル・クレイシ(Abu Bakr al-Baghdadi al-Husseini al-Quraishi)

別名:
アブ・ドゥア(Abu Du'a)
本名:
イブラヒーム・アッワード・イブラヒーム・アリー・アル・バドリー・アル・サマッライ(Ibrahim Awwad Ibrahim Ali Al-Badri Al-Samarrai)

現最高指導者。1971年生まれ。イラク人であり,同国のサラーハッディーン県サーマッラー市出身とも指摘されている(注3)。名前にある「バグダディ」は,アラビア語で「バグダッドの人」を意味する。バグダッドの大学でシャリーアなどを学んだ後,同市やサーマッラー市のモスクなどでイマームを務めていたとされる。2003年の米軍などによるイラク侵攻後,スンニ派武装組織の結成に関与し,サラーハッディーン県やディヤーラー県などで武装闘争を行っていた。2004年には,駐留米軍に一時拘束されたとされる。2006年には,同武装組織とともに,「イラク・イスラム国」(ISI)(当時)に合流した。2010年5月15日,ISI最高指導者アブ・ウマル・アル・バグダディの死亡を受けて,ISI最高指導者に就任し,以降,「預言者ムハンマドの子孫」などを自称するようになった
(注4)。同人主導の下,ISIは,2013年4月9日に「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL),2014年6月29日に「イスラム国」への名称変更を行い,バグダディのカリフ就任などを宣言した。以降,ISILは,バグダディを「カリフ・イブラヒーム」などと呼称している(注5)

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2011年10月,同人をISI(当時)の最高指導者として制裁対象に指定した。

(イ) アブ・ムサブ・アル・ザルカウィ(Abu Musab al-Zarqawi)(死亡)

本名:
アフマド・ファディル・ナザル・アル・ハレイレ(Ahmad Fadil Nazal al-Khalayleh)

「イラクのアルカイダ」(AQI,ISIへの名称変更前の呼称)の設立者で元最高指導者。ヨルダン生まれ。名前にある「ザルカウィ」は,アラビア語で「(ヨルダンの)ザルカ(町)の人」を意味する。2003年3月に米軍主導の「イラクの自由作戦」が開始された後,イラクへ入国し,2004年10月に「アルカイダ」のオサマ・ビン・ラディンに対して忠誠を誓い,イラク国内外で数々のテロに関与した。2006年6月,米軍の空爆で死亡した。

(ウ) アブ・アイユーブ・アル・マスリ(Abu Ayub al-Masri)(死亡)

別名:
アブ・ハムザ・アル・ムハージル(Abu Hamza al-Muhajir)

AQI元最高指導者,ISI元「首相」など。エジプト人であり,同国の「ジハード団」に所属していたとされる。名前にある「マスリ」は,アラビア語で「エジプトの人」を意味する。2006年6月,AQI最高指導者であったザルカウィの死亡後,最高指導者に就任した。同人主導の下,AQIは,同年10月,ISIの「建国」を宣言するとともに,組織名称も,事実上,AQIからISIへと変更した。マスリは,イラク人アブ・ウマル・アル・バグダディをISI最高指導者に据え,自身は,ISI「首相」などに就任しつつ,同組織を背後から指導したとされる(注6)。2010年4月18日,駐留米軍及びイラク軍による合同作戦で死亡した。

(エ) アブ・ウマル・アル・バグダディ(Abu Omar al-Baghdadi)(死亡)

別名:
アブ・アブドラ・アル・ラシッド・アル・バグダディ(Abu Abdullah al-Rashid al-Baghdadi)

ISI元最高指導者。イラク人。2006年10月,ISI「建国」時に最高指導者に就任した。2010年4月18日,駐留米軍及びイラク軍による合同作戦で死亡した。

(オ) アブ・アブドラ・アル・ハッサニ・アル・クレイシ(Abu Abdullah al-Hassani al-Quraishi)

2010年5月15日,ISI「首相」であったマスリの死亡を受けて,同ポストに就任し,以降,ISILにおいても「首相」の地位にあるとされる。

(カ) アル・ナセル・リディーン・イッラ・アブ・スレイマン(Al-Nasser Lideen Illah Abu Suleiman)

本名:
ニーマン・サルマン・マンスール・アル・ザイディ(Neaman Salman Mansour al Zaidi)

シリア人とされる。2010年5月14日,ISI「戦争相」に就任した。2011年2月25日にイラク治安部隊による掃討を受けて死亡したとされる一方で,現在もなお生存しているとの指摘もある(注7)

(キ) アブ・ムハンマド・アル・アドナニ(Abu Mohammed al-Adnani)

別名:
アブ・ムハンマド・アル・アドナニ・アッシャーミ(Abu Muhammad al-Adnani ash-Shami)

ISILの報道担当及びシリアにおける責任者。1977年頃シリアで生まれたが,国籍はイラク。2003年以降,イラクにおいて,駐留米軍などに対する武装闘争に参加し,2005年頃から2010年頃まで,治安当局に拘留されていたとされる。釈放後,シリアに渡り,後に「ヌスラ戦線」の指導者となるアル・ファテフ・アブ・ムハンマド・アル・ゴラニの下で,ISI(当時)の活動に参加していたとされる。

ISILの報道担当として,同指導部による重要な声明を発出しており,ISILは,2014年5月11日,同人を通じて,「アルカイダ」最高指導者ザワヒリを非難する声明を発出したほか,同年6月29日には,カリフ制の施行や「イスラム国」への名称変更などを宣言した。

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,同年8月,同人を制裁対象に指定した。

(ク) オマル・アル・シシャニ(Omar al-Shishani)

別名:
タルクハン・タユムラゾヴィッチ・バティラシヴィリ(Tarkhan TayumurazovichBatirashvili)

シリア北部などを統括するISILの司令官とされる。1986年生まれ。ジョージア北東部のパンキシ渓谷(注8)を出身とするチェチェン系の同国人とされ,名前にある「シシャニ」は,アラビア語で「チェチェンの人」を意味する。過去,ジョージア軍に勤務していたとされる。2012年頃にシリアに渡航し,反体制派武装組織「ジャイシュ・アル・ムハジリーン・ワル・アンサール」(JMA)の指導者となり,ISI(当時)などと連携して政府軍などに対する攻撃を実行した。2013年半ば,ISIL指導者バグダディに忠誠を誓い,事実上,JMAを離れる形でISILに合流し,その後,同組織の司令官に就任したとされる。

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2015年1月,同人を制裁対象に指定した。

(ケ) アブ・ムスリム・アル・トルクマニ(Abu Muslim al-Turkmani)(死亡)

本名:
ファデル・アハマド・アブドラ・アル・ヒヤリ(Fadel Ahmad Andullah al-Hiyali)
別名:
アブ・ムタズ・アル・クラシ(Abu Mutaz al Qurashi)

元ISIL副指導者で,イラクでの作戦を統括する司令官であったとされる。また,ISILの諮問評議会メンバーで,シリアとイラク間における武器・人員などの移動を統括していたとされる。2015年8月18日,米軍の空爆で死亡した。(注9)

(コ) アブドゥルラフマン・ムスタファ・アル・カドゥリ(Abdul Rahman Mustafa al-Qaduli)

別名:
アブ・アラー・アル・アフリ(Abu Alaa al-Afri)

ISIL副指導者で,シリアやイラク国外の関連組織との調整役を務めているとされる。トルクメン系のイラク人とされる。2004年にAQIに加入し,当時の最高指導者ザルカウィの副官として,また,イラク北部・モスルにおける司令官として活動していたとされる。イラク国防省は,2015年5月13日,米軍主導の有志連合による空爆で同人が死亡したと発表したが,米国は同人の死亡を確認していない。

イ 組織形態,意思決定機構

ISILは,AQIと称されていた2006年10月,「『首長』(emir)を頂点とする『イラク・イスラム国』(ISI)を建国した」と宣言し,組織名称も,事実上,AQIからISIへと変更した。以降,同組織は,「国家」を自称するとともに,「首相」,「戦争相」,「情報相」といった閣僚ポストを設置するなど,国家を模した組織形態をとってきた。その後,2013年4月9日,ISIからISILへと名称の変更を宣言したほか,さらに,2014年6月29日には,ISILから「イスラム国」への名称変更及び最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディのカリフ就任などを宣言した。

ISILの意思決定機関は,最高指導者(カリフ)バグダディ及び同人の下に存在する評議会であり,同評議会メンバーは,軍事,広報など分野別に活動を統括しているとされる。さらに,これら意思決定機関には,軍事や行政などに精通した旧フセイン政権時代のイラク軍の元幹部や旧「イラク・バアス党」関係者も関与しているとされる。また,バグダディは,イラクからシリアにまたがる地域を複数の管区組織(Wilayat)に分割し,それぞれの地域における日常的な活動については,各管区組織に一定の裁量を与えているとされる(注10)

(3) 勢力

イラクとシリアの両国を合わせて,約2万人から約3万人との指摘(注11)(注12)もなされているが,勢力は多分に流動的とみられる。

(4) 活動地域

結成以降,主にイラクで活動していたが,2013年以降は,反政府運動が続くシリアにも活動を拡大させた。また,その周辺国においても,同組織によるとみられるテロや治安当局に対する襲撃事件などが発生した。

イラクでは,首都バグダッドを含めたほぼ全土で活動がみられるが,特に,スンニ派アラブ人が多数住む北部や西部での活動が顕著であり,これら地域などに事実上の支配地も有している。シリアでは,西部海岸地域の一部を除けば,ほぼ全土で活動がみられるが,特に,北部,東部及び中部での活動が顕著であり,これら地域などに事実上の支配地も有している。ISILの支配地は,シリア北部のアレッポ県からイラク西部のアンバール県にまで連なるユーフラテス川流域の一帯などに及ぶとされ(注13),同組織の戦闘員は,両国国境をほぼ自由に陸路で行き来しているとされる。

なお,ISILは,2015年,シリアとイラクにおける支配地を縮小させたと指摘されている(注14)

(5) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

独自のシャリーア解釈に基づくカリフ制国家の「建国」や,スンニ派イスラム教徒の保護を目標とする
(注15)
。同「国家」の支配地については,シリア北部からイラク中部にかけての地域に言及する一方で,究極的には,欧米諸国やイスラエルなどを打倒した上での,中東域外への影響力拡大の姿勢も示している(注16)(注17)(注18)

イ 攻撃対象

イラク,シリア両国において,@政府,A治安部隊,B親政府系民兵組織(注19),Cクルド人勢力,Dイスラム教スンニ派以外の宗派,宗教の住民-などを標的としてきた(注20)。このほか,酒類販売業者などISILが不道徳とみなす主体,インフラ設備,外国人を含むジャーナリスト,他の反体制派組織などに対してもテロを実行してきた。

また,イラク駐留米軍の撤退(2011年12月)後も,声明を通じて,米国を標的としたテロの実行を警告してきた(注21)ほか,イラクやシリアでのISILに対する空爆開始(イラク:2014年8月,シリア:同年9月)以降は,空爆に参加する欧米諸国などを標的としたテロの実行などを呼び掛けた。

(6) 宣伝活動

ISILは,インターネットを駆使した宣伝活動において,アラビア語だけに限らず,英語なども用いて,中東地域外の幅広い地域からも戦闘員を募ってきた。また,同組織は,実態以上の存在感を示すべく宣伝活動を行ってきたとされ,拘束した者を処刑する模様や,惨殺した遺体などを画像や動画で頻繁に公開することで,敵対関係にある組織や勢力の恐怖感を煽り,その戦意喪失を図ってきたとされる。

ISILは,複数のメディア部門を有し,各部門が,犯行声明や活動状況の紹介など組織の宣伝を目的とした情報を,文書,音声,画像,動画の形に編集し,それぞれの部門が有するソーシャル・メディア・アカウント(注22)などに掲載してきた。また,ISILの各管区組織(Wilayat)は,各組織の活動等について,それぞれ声明を作成し,独自に有するソーシャル・メディア・アカウントに掲載してきた。

ア 「アル・ハヤト・メディア・センター」(Al-Hayat Media Center)

「ムジャツイート」(Mujatweets)と題する英語字幕付きの動画や,オンライン英語機関誌「ダービク」(Dabiq)(注23),同「イスラム国ニュース」(Islamic State News)などを作成して掲載。これら動画や機関誌では,自組織の主張や方針,犯行声明だけに限らず,支配地の住民に対する支援活動の模様と称する内容なども掲載。

「ダービク」第1号から第13号の概要は下表のとおり。

発行年月日 表紙タイトル・主な項目・我が国に関する言及
第1号 14. 7. 7
タイトル: カリフ国家の再来
項目:
  • ○ 本誌について
  • ○ 速報:カリフ制国家宣言
  • ○ 速報:世界は二つの陣営に分かれた
  • ○ 統率力はアブラハムの軌跡から来た
  • ○ 智慧の言葉
  • ○ 特集:ヒジュラ(移住)からカリフ制国家まで
  • ○ イスラム国ニュース
第2号 14. 7. 27
タイトル: 洪水
項目:
  • ○ 序文
  • ○ カリフ国へのムスリムの義務について
  • ○ ガザ情勢について
  • ○ イスラム国を取るか,洪水を取るか
  • ○ ヒジュラとジハード
  • ○ ムバハラ後の洪水
  • ○ イスラム国ニュース
第3号 14. 8. 29
タイトル: ヒジュラへの呼び掛け
項目:
  • ○ 序文
  • ○ 大いなる戦い以前のイスラム国
  • ○ イスラム国レポート
  • ○ 智慧のコーナー
  • ○ ヒジュラとジハード
  • ○ フォーリー(米国人の人質)の血はオバマの手に
  • ○ フォーリーのメッセージ
  • ○ アル・ハヤト・メディア・センターから読者へのメッセージ
第4号 14. 10. 12
タイトル: 失敗した十字軍
項目:
  • ○ 序文
  • ○ まさに,主は常に警戒深くあられた
  • ○ 奴隷状態の再来
  • ○ イスラム国レポート
  • ○ 十字軍の最期に関する考察
  • ○ 特集:ソトロフ(米国人の人質)から母へのメッセージ
  • ○ 私のビデオ・メッセージの裏にある真実の話(ジョン・キャントリー)
第5号 14. 11. 21
タイトル: 留まり,拡大する
項目:
  • ○ 序文
  • ○ 殉教者ヨハネからの教訓
  • ○ アンバール州の戦い
  • ○ 仲間の団結
  • ○ アイン・アル・イスラムの戦い
  • ○ カリフの貨幣
  • ○ 留まり,拡大する
  • ○ もし私が今米国大統領だとしたら(ジョン・キャントリー)
第6号 14. 12. 29
タイトル: ワジリスタンのアルカイダ(内部からの証言)
項目:
  • ○ 序文
  • ○ イスラム国兵士への忠告
  • ○ ザワヒリ等の智慧の空虚さ
  • ○ イスラム国レポート
  • ○ ワジリスタンのアルカイダ(内部からの証言)
  • ○ メルトダウン(ジョン・キャントリー)
第7号 15. 2. 12
タイトル: 偽善から背教へ
項目:
  • ○ 序文
    シリアにおける邦人殺害テロ事件(15.1.20〜2.1)に触れ,「日本国民・権益はカリフの兵士や支援者の標的である」旨主張
  • ○ 背教者であるパイロットの焼殺
  • ○ イスラム国指導者への忠告
  • ○ イスラムは戦争のない平和主義的な宗教ではない
  • ○ イスラム国レポート
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ 我らの姉妹たちへ
  • ○ アブ・ウマル・アル・バルジキとのインタビュー
  • ○ 怒りの工場(ジョン・キャントリー)
第8号 15. 3. 31
タイトル: シャリーアのみがアフリカを治める
項目:
  • ○ 序文
  • ○ シャームのアルカイダの同盟者
  • ○ 歴史のページから(初代カリフの刮目すべき姿勢)
  • ○ イスラム国レポート
    チュニジアにおける銃撃テロ事件(15.3.18)に触れ,「十字軍連合に参加する国々」として日本等を名指し
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ 我らの姉妹たちへ
  • ○ 遅延,最も危険な異端行為
  • ○ チュニジア国会議員殺害者とのインタビュー
  • ○ パラダイム・シフト(ジョン・キャントリー)
第9号 15. 5. 22
タイトル: 彼らは策謀し,また,アッラーも策謀する
項目:
  • ○ 序文
  • ○ シャームのアルカイダの同盟者(パート2)
  • ○ アッラーの理想のためのジハードの砦
  • ○ 多神崇拝陰謀論
  • ○ イスラム国レポート
  • ○ サフワ(覚醒評議会)を刈る
  • ○ 我らの姉妹たちへ:女奴隷か売春婦か
  • ○ 「そしてアッラーは最高の策士」である
  • ○ ヤルムーク・キャンプ関係者とのインタビュー
  • ○ パーフェクト・ストーム(ジョン・キャントリー)
第10号 15. 7. 13
タイトル: アッラーの法か,人間の法律か
項目:
  • ○ 序文
  • ○ シャームのアルカイダの同盟者(パート3)
  • ○ 一神教と両親たちに対する我らの義務
  • ○ ホラサンのためのファトワ
  • ○ 歴史のページから(ラマダン月の遠征,戦闘そして勝利)
  • ○ 米国のクルディスタン
  • ○ 名誉はジハードにあり/バルカン半島の人々へのメッセージ
  • ○ コーカサスのキャラバンはペースを上げる
  • ○ 智慧:ワラー(忠誠)とバラー(否認)
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ 我らの姉妹たちへ:彼らはお互いに合法的な配偶者同士ではない
  • ○ アッラーの法か,人間の法律か
  • ○ 元「ヌスラ戦線」構成員とのインタビュー
第11号 15. 9. 9
タイトル: 部族連合との戦いから十字軍連合との戦争へ
項目:
  • ○ 序文
  • ○ シャームのアルカイダの同盟者(パート4)
  • ○ シーア派のマフディー
  • ○ ワラーとバラー,米国民族主義との戦い
  • ○ イスラムの家を放棄することの危険性
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ 我らの姉妹たちへ:戦いのないジハード
  • ○ 部族連合との戦いから十字軍連合との戦争へ
    「十字軍連合」の一員として日本等への攻撃を呼び掛けたほか,ボスニア,マレーシア及びインドネシアの日本の外交使節を攻撃対象の一つとして名指し
  • ○ リビア派遣部隊責任者とのインタビュー
第12号 15. 11. 18
タイトル: テロあるのみ
項目:
  • ○ 序文
  • ○ イエメンのアルカイダの同盟者
  • ○ ムジャヒディンへの助言:聞いて従え
  • ○ シャームのアルカイダの同盟者(結末)
  • ○ 我らの姉妹たちへ:2人,3人,それとも4人
  • ○ イスラム国による軍事作戦
    バングラデシュにおける邦人殺害事件(15.10.3)に関し,「『十字軍連合』の一員である日本の市民を標的とした」旨主張
  • ○ 主のお恵みがあれば言及せよ
  • ○ ベンガルにおけるジハードの復活
    「日本国民・権益はカリフの兵士や支援者の標的である」旨主張
  • ○ 共にいると思うが,心は離れている
  • ○ パラダイム・シフト:パート2(ジョン・キャントリー)
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ アブ・ムハリブ・アル・スマリとのインタビュー
第13号 16. 1. 19
タイトル: ラーフィダ(シーア派の蔑称)
項目:
  • ○ 序文
  • ○ 不信仰のイマームを殺害せよ
  • ○ 軍事レポート
  • ○ 智慧
  • ○ 信者の中の男たち
  • ○ 我らの姉妹たちへ:イフダードについての助言
  • ○ ラーフィダ
  • ○ ホラサン州知事に対するインタビュー

イ 「アル・フルカン・メディア」(Al Furqan Media)

犯行声明や,死亡したISILの戦闘員を賞賛・追悼する動画などを掲載。

ウ 「アル・バキヤ・メディア・ファウンデーション」(Al Baqiya Media Foundation)

2014年4月,シリア国内におけるISILの訓練キャンプの模様と称する動画を掲載。

エ 「アル・イティサム・メディア・ファウンデーション」(Al-I'tisam Media Foundation)

ISILの支配地において,これまで同組織がインターネット上に掲載してきた動画のDVD版などを地元住民に配布する施設を立ち上げ。

オ 「アル・バヤーン」(Al-Bayan)

ISILの戦闘員あるいは支持者が運営するラジオ局とされ,ISILによる各地での活動状況などをアラビア語,英語及びロシア語などで放送しているとされる。放送した内容をインターネット上に掲載している。

カ 「アーマク・ニュース・エージェンシー」(Aamaq News Agency)

ISIL支持者によるメディア組織。

キ 「アル・バタル・メディア・ファウンデーション」(Al-Battar Media Foundation)

ISIL支持者によるメディア組織。

このほか,ISILは,自組織に参加してきた外国人戦闘員が有するソーシャル・メディア・アカウントを利用して,同アカウントの閲覧者に,ISILへの参加や居住国でのテロ実行などを呼び掛けてきたとされる。さらに,2014年夏頃からは,ISILの各メディア部門が有するソーシャル・メディア・アカウントの多くが停止されたことを受け,同組織は,支持者のアカウント(注24)なども通じて宣伝活動を行っているとされる。

(7) 沿革

ア 「ジャマート・アル・タウヒード・ワル・ジハード」(JTJ)としての活動

ISILの前身組織は,ザルカウィが設立及び主導した「ジャマート・アル・タウヒード・ワル・ジハード」(JTJ)である(注25)。ザルカウィは,1999年,パキスタンを経由し,アフガニスタンへ入国,2000年頃,同国西部に訓練キャンプを設立した。同人は,欧州に亡命したヨルダン人,パレスチナ人,シリア人らを戦闘員として同キャンプに呼び寄せ(注26),JTJの勢力を拡大した。多数の国・地域出身の戦闘員が同組織に加わったことから,ザルカウィの活動目的は,ヨルダン王制打倒からイスラエル及びユダヤ人に対する攻撃へと変化していったとされる。

2003年3月,イラクに対して米軍主導の「イラクの自由作戦」が開始された後,ザルカウィは,当時滞在していたシリアからJTJ戦闘員を率いてイラクに向かい,同年8月にバグダッドで,在イラク・ヨルダン大使館に対する爆弾テロを実行したほか,国連事務所に対する自爆テロを実行し,セルジオ・デ・メロ国連事務総長特別代表(イラク担当)ら22人を殺害した。ザルカウィは,欧州の人的ネットワークを通じて,イラクでの「ジハード」に志願する者を数多く集め,同国に外国人戦闘員を流入させる上で大きな役割を果たしていたとされる。

2004年に入ると,イラク駐留米軍に対し,自動車爆弾による自爆テロを頻発させたほか,同年5月に米国民間人らを殺害したことを始め,数々の外国人誘拐・殺人事件に関与した。また,シーア派主導の政府や米軍に反発するアンバール県のスンニ派の部族長から支持を得ることにも成功し,同県を拠点として活動を拡大した。

イ 「イラクのアルカイダ」(AQI)としての活動

ザルカウィは,2004年10月17日,「アルカイダ」のオサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓う声明を発出(注27)し,「イラクのアルカイダ聖戦機構」(注28)の名称を使用し始めた。このため,JTJは,AQIなどと称されるようになった。米国国務長官は,同月,イラク国内の混乱を扇動することで自由かつ多元的なイラクの存立を脅かすことを目的としているとして,AQIを「外国テロ組織」(FTO)に指定した。また,国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,同月,AQIを制裁対象に指定した。

AQIは,2004年10月26日,邦人1人を誘拐(同月30日,遺体で発見)し,当時イラクに派遣されていた我が国自衛隊の撤収を要求したほか,同年12月にはシーア派巡礼者が多数訪問するナジャフ県ナジャフやカルバラー県カルバラーでの爆弾テロを,2005年には北部モスルで,簡易手製爆弾(IED)などを使用して1か月間に約570回の攻撃を実行した。しかし,AQIは,米軍や治安部隊を攻撃するに際し民間人に被害が及ぶことを全く意に介さず,そのために無関係な民間人にも犠牲が広がったことから,従前AQIを支持していた部族長や地元住民の反発を招いた。「アルカイダ」ナンバー2(当時)のアイマン・アル・ザワヒリは,2005年7月,ザルカウィに宛てた書簡の中で,シーア派住民に対する無差別テロなどに苦言を呈したとされる。

AQIは,2006年1月,スンニ派の連合組織「ムジャヒディン諮問評議会」(MSC)(注29)(注30)の設立を宣言し,スンニ派勢力の結集に努める一方,同年2月,シーア派の聖地とされる中部サーマッラーのアル・アスカリ・モスク(注31)を爆破し,シーア派とスンニ派の宗派対立をあおった。AQIは,MSCの名で同テロを自認する声明を発出し,MSCの活動を通じたスンニ派勢力の影響力拡大を図ったものの,AQIによる無差別テロが際立って目立つこととなり,元々AQIを支持していたアンバール県でもAQIに対する地元部族の反発が高まった。

イラク国外でも,2005年8月,イスラエル・アカバ湾で米軍艦に対してロケット弾を発射し,同年11月,ヨルダンの首都アンマンのホテル3か所に対する連続爆弾テロを実行したほか,同年12月,レバノンからイスラエルに向けて複数のロケット弾を発射した。

ウ 「イラク・イスラム国」(ISI)としての活動

AQIは,2006年6月,最高指導者ザルカウィが米軍の空爆で死亡した後,同人の死亡を発表した上で,最高指導者にアブ・アイユーブ・アル・マスリを指名した。また,AQIは,同年10月,ISIの「建国」を宣言し,以降,組織名称も,AQIからISIへと事実上変更(注32)したほか,イラク人のアブ・ウマル・アル・バグダディがISI最高指導者に,マスリがISI「首相」などに就任した。

2009年には,バグダッドにおいて,シーア派住民地区における連続爆弾テロ(4月),司法省や県政府施設などを狙った連続自爆テロ(10月)及び財務省や内務省などの政府施設を狙った連続爆弾テロ(12月)などを実行し,400人以上を殺害,約1,400人を負傷させたほか,シーア派住民に対する攻撃も継続した。

他方,ISIは,2006年頃から,駐留米軍,イラク治安部隊,「覚醒評議会」などによる大規模な掃討を受けたほか,支配地で極端な解釈によるシャリーアを施行したことや,その過激な主張などから,地元住民や他のスンニ派武装勢力の離反を招いた。2010年頃までには,アンバール県などの拠点も喪失し,著しく勢力を減退させた。2010年4月には,バグダディとマスリが駐留米軍などの掃討を受けて死亡した。

しかし,2011年12月の駐留米軍の撤退以降,ISIは,現最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディの下,徐々に勢力を回復させた(注33)。その要因としては,@政府側の掃討能力の低下,A駐留米軍に拘留されていたISIの元戦闘員が釈放され,その一部が同組織に合流したこと,BISIがシーア派主導の政府に不満を高めるスンニ派からの支持回復や犯罪活動などによる資金源の拡大を図ってきたこと-などが挙げられるとされる。さらに,ISIは,シリアでの反政府運動発生(同年3月)以降,同国における関連組織として「ヌスラ戦線」の結成を支援するなどして同運動への関与を開始し,その結果,イラク,シリア両国間での人員や物資の往来を活発化させたとされる。

エ 「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)としての活動

ISIは,2013年4月,@ISIからISILへの名称変更,A「ヌスラ戦線」の統合,BISILのシリアへの活動拡大-などを宣言した。しかし,「ヌスラ戦線」が同統合を拒否したことから,以降,ISILは,「ヌスラ戦線」とは事実上別組織のまま,シリアでも本格的に活動を開始し,政府軍や親政府系民兵組織,自治権の確立を目指して活動するクルド人勢力などに対する攻撃を行った。

シリアにおいて,ISILは,軍の基地に対しても自爆を伴う攻撃を実行し,時にはこれを占拠するなど,高い戦闘力を示して,反体制派中,有力組織の一つとなったほか,北部のラッカ県や東部のデリゾール県などに事実上の支配地を構築した。同組織は,当初,政府側やクルド人勢力との戦闘では,他の反体制派組織と共闘し,支配地では,生活物資の配給などを通じて地元住民からの支持獲得を図った。その一方で,同組織は,@他組織に対してISIL指導者への忠誠を強要し,これに従わない組織を「背教者」などと称して攻撃対象としてきたこと,A他組織から支配地や武器などの奪取を試みてきたこと,B支配地で独自の極端な解釈によるシャリーアの施行を進めてきたこと-などから,他組織や地元住民から反発を招いた。

イラクでは,2013年4月以降,北部のスンニ派が多数居住する地域で,シーア派主導の同国政府に不満を抱く住民と治安部隊との衝突が発生・拡大した。こうした中,ISILは,再び高まった宗派間の緊張を背景に,政府の信用失墜・弱体化を企図して治安当局に対するテロや,シーア派からの報復による宗派間抗争の再燃を企図して同派住民を標的としたテロを頻発させた(注34)。特に,同月以降,バグダッド市内のシーア派居住地区で,ISILが関与したとみられる同時多発型の爆弾テロが継続的に発生したほか,同年7月,同組織は,バグダッド市郊外の刑務所を襲撃し,同組織の元戦闘員を含む収監者数百人を脱獄させた。また,同組織は,西部のアンバール県において,訓練キャンプを含む拠点を再び構築したとされる(注35)

(8) 最近の主な活動状況

ア 概況

(ア) カリフ制の施行,「イスラム国」への名称変更

ISILは,2006年10月以降,「国家」を自称してきたところ,2014年6月29日,@同「国家」名のISILから「イスラム国」への変更,A同「国家」におけるカリフ制の施行,BISIL最高指導者バグダディのカリフ就任-などを宣言した。また,「イスラム国」の支配地に関して,シリア北部・アレッポ県からイラク中部・ディヤーラー県までの地域について言及する一方,「世界の全イスラム教徒がカリフ(バグダディ)に忠誠を誓わねばならない」,「全ての首長国,集団,国家,組織の合法性は,カリフ(バグダディ)の権威及びカリフ軍(ISILの戦闘部隊)の到着・拡大をもって無効となる」などと,更なる支配地・影響力の拡大も示唆した。

(イ) イラク

スンニ派が多数居住するイラク西部・アンバール県では,2013年12月末以降,シーア派主導の同国政府に不満を抱くスンニ派住民と治安部隊との衝突が発生・拡大した。ISILは,同混乱に乗じて,スンニ派部族民兵,旧フセイン政権時代の軍関係者,旧「イラク・バアス党」関係者などから成る他のスンニ派武装勢力とともに,2014年1月以降,同県ファルージャ市などを占拠したほか,同年4月までに,同県の広い範囲を占拠した。さらに,同組織などは,同年6月以降,スンニ派が多数居住する同国北部でも攻勢を開始し,ニーナワー県都モスルやサラーハッディーン県都ティクリートを含む北部の広い地域も占拠した。ISILなどは,占拠したモスルで,駐モスル・トルコ総領事館員らを拘束した(同年9月に全員解放)ほか,同地の銀行からは多額の金銭を,軍関連施設からは軍事物資を略奪したとされる。さらに,同組織などが占拠した地域では,複数の刑務所からISILの元戦闘員を含む数千人の囚人が脱走し,その一部が同組織に合流したとされる。

同攻勢により,治安部隊の多くが敗走する中,ISILなどは,首都バグダッドに向けて南進し,同市から北方約100キロメートルのサラーハッディーン県サーマッラー市の周辺などに迫った。また,同年8月初めには,北東部のイラク・クルド自治政府(KRG)の管轄地域へも侵攻を開始し,同自治政府の中心都市であるアルビル県都アルビルに迫った。

こうした事態を受け,米国などは,同年8月以降,KRG管轄地域を含む北部などで,ISILなどを標的とした空爆を行った。その後,同空爆の支援を受ける形で,治安部隊やKRGの民兵組織「ペシュメルガ」などは,北部におけるISILなどの占拠地を一部奪還したほか,2015年3月には,治安部隊やシーア派民兵組織などが,サラーハッディーン県都ティクリートを奪還した。

一方,ISILは,スンニ派住民が多数を占める同国西部のアンバール県では依然として軍事的な優位を保ち,同年5月に同県都ラマディの主要部を新たに占拠したが,その後は,治安部隊やシーア派民兵組織などがISILに対する攻勢を強め,同年11月,「ペシュメルガ」などが,ISILが「首都」と称するシリア北部のラッカとイラクのモスルを結ぶ要衝シンジャールを奪還したほか,同年12月には,治安部隊などが,同年5月に占拠されたラマディの主要部を奪還した。

(ウ) シリア

ISILに対する他の反体制派組織の不満が高まる中,2014年1月,ISILが他組織のメンバーを殺害したとされる事件を契機に,ISILと,「自由シリア軍」(FSA)や「ヌスラ戦線」など他の反体制派組織との間で本格的な衝突が発生した。同衝突は,北部や東部の反体制派支配地域の全域に拡大し,同年7月までの戦闘で,双方の戦闘員など約7,000人が死亡したとされる。

ISILは,当初,同衝突により一定の打撃を受けたとされるが,その後は,各地で反撃に転じ,他組織から新たに支配地を奪取したほか,敵対する組織や地元部族を降伏させ,自組織に統合するなどして,勢力を一層拡大させたとされる。また,同組織は,同年6月以降のイラク北部での攻勢に際しては,同国と国境を接するシリア東部・ハサカ県における支配地を後方拠点にしたとされ,米国などは,同年9月以降,東部や北部における同組織の拠点などに対する空爆を行った。さらに,同組織は,同年7月以降,反体制派支配地域に点在する政府軍施設や,同年9月以降は,北東部などのクルド人勢力の支配地に対する攻撃も活発化させた。

こうした中,ISILは,2015年1月,同空爆などの支援を受けたクルド人勢力の攻勢を受け,2014年下旬からほぼ大半を制圧していたシリア北部のクルド人の町アイン・アル・アラブから撤退した。北部における支配地域の一部を失ったISILは,一方で,2015年1月以降,首都ダマスカス付近を含む同国南部や中部で活動を活発化させ,同年5月には,政府側支配下にあった同国中部・ホムス県の要衝パルミラを占拠し,その後,世界遺産であるパルミラ遺跡の一部を破壊するなどした。

以降,ISILは,アサド政権軍,他の反体制派勢力及びクルド人勢力などと各地で戦闘を継続したが,同年9月には,ロシアが同国での空爆を開始したほか,同年11月以降には,同月に発生したフランス・パリにおける連続テロ事案を受け,米国などがISILに対する空爆を強化した。

(エ) レバノン

首都ベイルートでは,2014年1月2日,シーア派組織「ヒズボラ」の拠点が置かれた地区で自動車を用いた爆弾テロが発生(5人が死亡)し,ISILが,「『ヒズボラ』によるシリアのアサド政権への支援に対する報復である」などと犯行を自認した。さらに,レバノンに潜伏していたシリア反体制派組織の幹部(注36)がレバノン当局に拘束された(同年8月2日)ことを受け,ISILや「ヌスラ戦線」などは,同幹部の釈放を要求し,レバノン領内に侵入して同国治安部隊と戦闘を交えた末,同月5日までに,北東部の町アルサルを占拠した。両組織などは,レバノンのスンニ派聖職者などによる調停を受け入れ,同月7日には,アルサルからシリアに撤退したが,その際,ISILと「ヌスラ戦線」は,それぞれ拘束していたレバノン治安部隊の隊員複数を連れ去ったとされる。さらに,ISILは,同年9月,そのうちの1人を殺害する映像をインターネット上に公開した。

2015年には,1月,レバノン北東部のシリア国境付近の村ラス・バールベックで,ISILとみられる武装集団が同国軍部隊を越境攻撃し,同国軍兵士8人が死亡した。また,同年11月には,同国首都ベイルート南郊に位置する繁華街で自爆テロが発生(少なくとも43人が死亡)し,ISILが「ISILレバノン」名で犯行を自認した。同名での犯行声明の発出は初めてとされる。

なお,レバノンでは,ISILが同国内に拠点を構築する可能性についての指摘がなされている(注37)(注38)

(オ) トルコ

2014年1月28日,トルコ南部のキリス県で,ISILの戦闘員とみられる者らがトルコ軍の車両を銃撃した。また,ISILは,同年3月までに,シリア北部・ラッカ県にあるトルコの飛び領地「スレイマン・シャー霊廟」(注39)の周辺地域を制圧したとされ,同月21日,同飛び領地からのトルコ軍の撤退を要求していたところ,2015年2月,トルコ軍は,同霊廟を警備していた同国軍兵士約40人を救出した。

さらに,同年7月,同国南東部・シャンルウルファ県で,ISIL戦闘員によるとされる自爆テロが発生し,30人以上が死亡したほか,同年10月には,首都アンカラの中央駅付近で,ISIL戦闘員によるとされる連続自爆テロが発生し,約100人が死亡した。7月の自爆テロを受け,トルコ軍はシリアのISIL拠点に対する空爆を実施したほか,以降,トルコ国内のISIL関係者らを相次いで摘発した。

このほか,トルコ南東部には,戦闘員の募集などを目的としたISILの後方拠点が存在するとの指摘もある(注40)

(カ) シリア,イラク国外で「州」を称する関連組織が設立

ISILが,2014年6月に「カリフ制国家」である「イスラム国」の「建国」を表明して以降,シリアやイラク国外の中東,北アフリカなどの各地では,既存の過激組織などが相次いでISILへの忠誠を表明し,中には「イスラム国の領土」として複数の「州」を称する関連組織が設立される動きが見られた。2015年には,西アジアや西アフリカなどでも同様の動きが見られ,ISILは,シリアやイラク国外でその影響力を更に拡大させた。

ISILは,同組織が各地の組織などからの忠誠表明を受け入れ,「イスラム国」の「州」として認定する手続きについて,@「イスラム国」から各「州」における指導者の指名,認定,A「イスラム国」と各「州」との間に直接的な連絡ルートを確立し,これら「州」が(ISIL最高指導者バグダディから)情報や指示を得ることができるような体制を確立すること−などと説明した上で,「これら条件は,たとえ今後,忠誠を表明する組織が,これまでに忠誠を表明して州として忠誠を受け入れられた組織よりも強力な組織であったとしても,例外なく適用される」としている(注41)

以下は,同組織の「州」を称する主な関連組織を取りまとめたものである。

ISIL関連組織

ISIL関連組織の図

〈ISIL関連組織〉

活動開始年月 名称 主な活動地 前身組織など 備考
2014年 9月  「アルジェリア州」 アルジェリア 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)から分派  2014年9月,元AQIM幹部がISILに忠誠を表明し,新組織「アルジェリアのカリフ国家の戦士」を設立。現在は,「アルジェリア州」の名で活動
2014年11月 「シナイ州」 エジプト北東部・シナイ半島 「アンサール・バイト・アル・マクディス」(ABM)  シナイ半島で治安機関などを標的とした襲撃を多発させているほか,首都カイロでもテロを実行。2015年10月のロシア旅客機墜落事件で犯行声明を発出
2014年11月 「バルカ州」 「トリポリ州」 「フェザーン州」 リビア 「イスラム青年のシューラ評議会」ほか  「バルカ州」の前身組織は,「イスラム青年のシューラ評議会」。「トリポリ州」及び「フェザーン州」の前身組織については,不明。また,「フェザーン州」については,特段の活動は確認されず
2015年 1月  「ホラサン州」 アフガニスタン 「パキスタン・タリバン運動」(TTP)から分派  2015年1月までに,TTP元幹部らが同組織からの離脱とISILへの忠誠を表明
2015年 3月  「西アフリカ州」 ナイジェリア 「ボコ・ハラム」  2015年3月,かつて「アルカイダ」(特にAQIM)と関係が深いと見られていた「ボコ・ハラム」がISILへの忠誠を表明し,「西アフリカ州」と改称
2015年 3月  「サヌア州」 イエメン 不明  2015年3月,イエメン首都サヌアのモスクで発生した自爆テロについて,犯行声明を発出
2015年 5月  「ナジュド州」 サウジアラビア 不明  2015年5月,サウジアラビア東部・カティーフのモスクで発生した自爆テロについて,犯行声明を発出
2015年 6月  「コーカサス州」 ロシア南部・北コーカサス地方 「コーカサス首長国」から分派  2015年6月までに,「コーカサス首長国」元幹部の多くがISILへの忠誠を表明する中,ISILも同月の声明の中で,「コーカサス州」の設置を表明
2015年 8月 「アル・ヒジャーズ州」 サウジアラビア 不明  2015年8月,サウジアラビア南部・アブハの治安機関施設内にあるモスクで発生した自爆テロについて,犯行声明を発出
2015年10月 「バーレーン州」 サウジアラビア 不明  2015年10月,サウジアラビア東部・カティーフのモスク付近で発生した銃撃テロについて,犯行声明を発出

こうした「州」を称する関連組織には,ISILが定めた手続に沿って,設立されたとみられるもののほか,組織実態や設立過程が明らかになっておらず,テロ事件の犯行声明において初めて組織名が確認されたものなども存在している。

また,関連組織の存在が確認されていない国で発生したテロについて,ISILを名のる犯行声明が発出される事案も確認されており,2015年3月には,チュニジアにおける銃撃テロ事件において,「ISILチュニジア」名の犯行声明が,同年10月には,バングラデシュにおける邦人殺害事件において,「ISILバングラデシュ」名の犯行声明が出された。さらに,同年11月には,レバノンでの自爆テロにおいて,「ISILレバノン」名の犯行声明が出されたほか,同月,シリアへの渡航歴があるとされる者などが関与したフランス・パリにおける連続テロ事案において,「ISILフランス」名の犯行声明が出された。加えて,2016年1月には,インドネシア首都ジャカルタで発生したテロ事件において,「ISILインドネシア」名の犯行声明が出された。

このほか,以下のように,ISILへの忠誠などを表明したにも関わらず,ISIL側から正式な忠誠受入れ表明がなされていない組織などもある。

a 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)傘下組織

AQIMの活動地域は,アルジェリア,モーリタニア,ニジェール,マリなどの数か国にまたがり,同組織は,複数の傘下組織を有するところ,このうち,2015年7月には「アル・グラバー旅団」が,また,同年9月には「アル・アンサール旅団」の一部勢力及び「ジャマーアト・ハマート・ダウワ・サラフィーヤ」がそれぞれISILに忠誠を表明した。

b 「アル・シャバーブ」幹部

2015年3月,ソマリアで活動する「アル・シャバーブ」は,同組織の宗教的指導者とされるシェイク・ハッサン・フセイン・アブ・アルマンがISIL支持の発言を行ったほか,同年10月,同組織幹部でプントランドを拠点とする精神的指導者とされるアブドゥル・カディル・ムミンがISILへの忠誠を表明した。

c 「アル・ムラービトゥーン」幹部

「アル・ムラービトゥーン」は,2013年8月に,「覆面旅団」及び「西アフリカ統一戦線運動」(MUJAO)が合併して結成された組織であり,2015年5月,「アル・ムラービトゥーン」幹部のアドナン・アブ・アル・ワリド・アル・サハラウィが,同組織指導者を名のり,ISILへの忠誠を表明した。しかし,その翌日,「アル・ムラービトゥーン」設立者のモフタル・ベルモフタルは,サハラウィによるISILへの忠誠表明は「アル・ムラービトゥーン」を代表するものではなく,同組織は従前どおり「アルカイダ」最高指導者ザワヒリに忠誠を誓うと表明した。

d 「ウズベキスタン・イスラム運動」(IMU)

2015年8月,IMU最高指導者ウスマン・ガジィがISILへの忠誠を表明した。

e 「ジャマー・アンシャルット・タウヒッド」(JAT)

2014年7月,インドネシアを活動地域とする「ジャマー・アンシャルット・タウヒッド」(JAT)の設立者であるアブ・バカル・バシールが刑務所内で仲間と共に,ISILへの忠誠を誓うことを表明し,JATメンバーにもこれに従うよう命じた。一方,これに反対したとされるアブドゥル・ラヒムやモハマド・アフワンを含む主要幹部ら多数は,JATを離脱し,新組織「ジャマー・アンシャルシ・シャリーア」(JAS)を設立した。

f  「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)

フィリピンの「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)は,2014年8月,ISILへの忠誠を表明した。これについて,報道担当アブ・ミスリ・ママは,BIFFの政治部門副議長のシェイク・イスマエル・アブバカルがISIL最高指導者バグダディと勢力の合流について合意したと述べた。また,BIFFのメンバーを訓練あるいは戦闘参加のために海外に送り込むことはまだ行っていないとした上で,もしISILがBIFFの加勢を求めることがあれば,人員を送り込む用意はあると述べた。

g 「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)幹部

2014年7月,フィリピンの「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)幹部イスニロン・ハピロンがISILへの忠誠を表明した。

イ 他勢力との連携

ISILは,政府軍,シーア派,クルド人勢力などとの戦闘では,ほかのスンニ派組織と一時的に連携することもあるが,長期的には,他組織との間で,権力を共有するといった対等な関係を結ぶことはないとされる。ISILは,2014年6月29日,カリフ制の施行などを発表したが,その際,同組織の活動地域では,政府に限らず,ほかのいかなる組織の正統性も認めない姿勢を示した。ISILは,これまで,イラク,シリアにおいて,ほかのスンニ派組織に対しても自組織指導者への忠誠を強要し,従わない組織を「背教者」などと称して攻撃対象にしてきたとされる。

(ア) 「アルカイダ」

「ジャマート・アル・タウヒード・ワル・ジハード」(JTJ)最高指導者であったザルカウィは,2004年10月,「アルカイダ」最高指導者(当時)のオサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓う声明を発出した。一方,同年12月,ビン・ラディンは,同声明を受け,ザルカウィに対し「二つの河の地におけるアルカイダの指導者」という称号を授けた。この結果,JTJは「イラクのアルカイダ」(AQI)などと称されるとともに,イラクにおける「アルカイダ」関連組織として認識されるようになったほか,ザルカウィ自身も「アルカイダ」幹部として知られるようになった。

「アルカイダ」のアイマン・アル・ザワヒリは,2005年7月,ザルカウィに宛てた書簡の中で,@イラクから米国人を排除し,Aイスラム国家を樹立し,Bイラク近隣の世俗国家に紛争を拡大し,Cイスラエルと戦う-という4段階の「ジハード」戦略を示した。

また,ザワヒリは,2006年6月,AQI(当時)最高指導者ザルカウィが米軍の空爆により死亡した後,同人の「殉教」を称賛し,復讐を宣言する声明を発出したほか,ビン・ラディンも同年7月にアブ・アイユーブ・アル・マスリをザルカウィの後継者として認め,「ジハード」の継続を求める声明を発出した。さらに,ザワヒリは,同年12月,ISI「建国」宣言を支持する姿勢を示した。

しかし,AQI/ISIは,常に「アルカイダ」指導部の意に従って活動してきたわけではなく,シーア派住民やほかのスンニ派組織などに対する攻撃を止めるようにとの同指導部の助言を度々無視していたとされる。「アルカイダ」指導部がザルカウィ宛に送ったとされる2005年12月11日付けの書簡では,シーア派に対する攻撃といった慎重を要する課題については「アルカイダ」指導部の指示に従うよう求めていたとされるが,その後も,シーア派への攻撃は続いた。

ISI(当時)最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディは,2011年5月9日,ビン・ラディンの死に伴い,同人への哀悼の意を表するとともに,「アルカイダ」との連帯を表明した(注42)。さらに,同年8月19日には同人殺害に対する報復を行う旨を宣言した。しかし,ISIは,「アルカイダ」の後継指導者となったザワヒリに対して祝福は表明したものの,同人への忠誠を示す声明は発出しなかった。他方,ザワヒリは,2012年9月12日に発出した声明において,ISIを「アルカイダ」の「支部」組織として名指しした(注43)

ISIが2013年4月,「ヌスラ戦線」との統合などを宣言した際,ザワヒリは,同年5月23日付けの書簡を通じて,これら宣言の撤回を求め,ISIの活動をイラクに,「ヌスラ戦線」の活動をシリアに,それぞれ限定する「裁定」を両組織指導者に発したとされるほか,「ヌスラ戦線」を,事実上,シリアにおける「アルカイダ」支部として認めたとされる。これに対して,ISILは,その後の声明で,ザワヒリの「裁定」を「罪悪」などと非難し,同「裁定」に従わない意向を表明した。

2014年1月以降,ISILは,シリアにおいて,「ヌスラ戦線」を含むほかの反体制派組織との間で衝突を本格化させた。ザワヒリは,同衝突の停止を呼び掛けたが,ISILはこれに応じる姿勢を見せず,「アルカイダ」は,同年2月,「『アルカイダ』総司令部」名の声明で,自組織とISILとの事実上の関係断絶を表明した。ただし,ザワヒリは,その後も,声明を通じて,ISILに対して,シリアからの撤退などを呼び掛けた(注44)が,これに対して,ISILは,同年4月17日及び5月11日に発出した二度の声明を通じて,「アルカイダ」指導部を非難するとともに,自組織がもはや「アルカイダ」の支部ではないなどと主張した(注45)

2015年に入っても,ISILは,シリアで,「ヌスラ戦線」を含むほかの反体制派組織との戦闘を継続した。こうした中,ザワヒリは,同年9月9日及び同12日に発出した声明において,ISILを批判し,バグダディのカリフとしての正統性を明確に否定する一方で,シリア及びイラクの「全ての戦闘員」に対し,「十字軍」との戦いを優先し,「協力し,互いに調整」するよう呼び掛けた(注46)

(イ) 「ヌスラ戦線」

ISI(当時)は,2011年3月にシリアで反政府運動が発生した後,同国における関連組織として,アル・ファテフ・アブ・ムハンマド・アル・ゴラニを指導者とする「ヌスラ戦線」の結成を支援したとされる。米国国務省は,2012年12月11日,「ヌスラ戦線」がISIと同一の組織であるとして,外国テロ組織(FTO)指定におけるISIの項目に,別称として,「ヌスラ戦線」の名称を追加した。

ISIは,「ヌスラ戦線」との関係を秘匿してきたが,2013年4月9日,「ヌスラ戦線」との統合などを宣言した際,バグダディは,「ヌスラ戦線」がISIの支援を受けて結成された組織であるなどと両組織の関係について述べた(注47)

これに対して,ゴラニは,同月10日に発出した声明で,自組織の結成におけるISIの役割は認めつつも,今後も独立した形態を維持するとして同統合を拒否したほか,「アルカイダ」最高指導者ザワヒリへの忠誠を表明した。また,ザワヒリも,ゴラニとバグダディ両者に宛てた同年5月23日付けの書簡において,バグダディに前記宣言の撤回を求め,ISILの活動をイラクに,「ヌスラ戦線」の活動をシリアにそれぞれ限定する「裁定」を発したとされるほか,「ヌスラ戦線」を,事実上,シリアにおける「アルカイダ」支部として認めたとされる。しかし,ISILは,その後の声明で,同「裁定」に従わない意向を表明し,その後,両組織の関係は悪化していった(注48)

ISILが2014年1月以降,ほかの反体制派組織との間で衝突を本格化させたのに対し,「ヌスラ戦線」は,当初,ISILと他組織の双方に向けて,衝突の停止を呼び掛けた(注49)。ゴラニは,同年2月25日に発出した声明で,ISILが停戦のための仲裁などを受け入れない限り,同組織をシリア及びイラク両国から排除すると警告した(注50)。これに対して,ISILは,同年3月7日の声明で,「『ヌスラ』は,裏切りと反逆の作戦を開始した」などと同警告に応じない姿勢を示したほか,同年5月11日の声明では,ゴラニを「卑劣な裏切り者」などと称した。

両組織は,シリア東部のデリゾール県などで戦闘を交え,同年1月から7月までの間に,双方の戦闘員数千人が死亡したとされる。ISILは,特に,同年6月以降,「ヌスラ戦線」が有していた支配地の多くを奪取したとされる。米国国務省は,同年5月14日,FTO指定におけるISILの項目を改訂し,別称として加えていた「ヌスラ戦線」の名称を削除した上で,新たに単独の組織として「ヌスラ戦線」をFTOに指定した(注51)

ISILは,同年6月29日,カリフ制の施行などを宣言したが,これに対して,「ヌスラ戦線」の複数の幹部は,それぞれ,インターネット上などで,同宣言を非難する声明を発出した。さらに,「ヌスラ戦線」は,同年8月8日,声明を通じて,「我々とState(ISIL)は,行動や実践面で異なるだけでなく,教義において異なる」などと主張した。

2015年に入っても,両組織は,シリア北部・アレッポ県などで戦闘を継続したが,ゴラニは,同年5月に放映されたアル・ジャジーラとのインタビューで,「ヌスラ戦線」にとって,ISILが主要な脅威である旨述べたほか
(注52),同年6月に放映された同テレビ局とのインタビューでは,当面の間,ISILとの衝突が継続するとの見通しを表明した(注53)

(ウ) イラク国内勢力

ISILは,2014年1月以降,イラクにおける攻勢において,ほかのスンニ派過激組織に加えて,シーア派主導であるとして同国政府に不満を抱くスンニ派部族民兵や旧「イラク・バアス党」関係者,旧フセイン政権時代の軍関係者などから成る武装組織とも連携してきたとされる。これら組織は,治安部隊が撤退した北部や西部において,ISILに協力する形で支配地の維持や防御にあたってきたが,その多くは,世俗的な性質が強く,政府の打倒という点ではISILと利害が一致する一方,カリフ制国家の樹立などを活動目標とする同組織とは,究極的には相容れないとされる。

a 「ナクシュバンディア教団信者軍」(JRTN)

「ナクシュバンディア教団信者軍」(JRTN)は,2006年12月,旧「イラク・バアス党」関係者や旧フセイン政権時代の軍関係者などを主体とし,同「党」体制の復活やスンニ派の保護などをその活動目標に掲げて結成されたスンニ派武装組織である。JRTNは,民間人を無差別に殺害するISILとは一線を画す姿勢を示してきたが,ISILなどが2014年1月にイラクで攻勢を開始して以降は,同組織とも連携し,治安部隊などに対する攻撃を活発化させたとされる。JRTNの実質的な指導者イザト・イブラヒム・アル・ドゥーリとされる人物は,同年7月,ISILなどを称える声明を発出し,「誇りと感謝,愛を込めて彼らに特別な敬礼をする」などと語った。他方で,JRTNは,世俗的な性質が強く,民族主義などを思想上の基盤とするため,究極的には,ISILとは相容れないとされ,同年6月以降,イラク北部などでは,ISILとの間で散発的な衝突が発生したとされるほか,ドゥーリとされる人物は,2015年5月の声明で,「これ以上彼ら(ISIL)と関係が深くなることはない」などと述べた。

b 「イラク革命者総軍事評議会」(GMCIR)

「イラク革命者総軍事評議会」(GMCIR)は,スンニ派部族民兵などの連合体で,旧「イラク・バアス党」関係者や旧フセイン政権時代の軍関係者などが主導しているとされる。シーア派主導であるとしてイラク政府の打倒と,同国に対するイランの影響力の排除などを活動目標に掲げているとされる。2013年夏頃に存在が明らかとなった。ISILなどが2014年1月にイラクで攻勢を開始して以降は,同組織とも連携し,治安部隊などに対する攻撃を活発化させたとされる。他方で,GMCIRは,世俗的な性質が強く,民族主義などを思想上の基盤とするため,究極的には,ISILとは相容れないとされ,支配地の統治方針などをめぐり,同組織との間で意見の相違も生じているとされる。

c 「アンサール・アル・イスラム」(AI)

スンニ派過激組織「アンサール・アル・イスラム」(AI)は,シーア派住民に対する無差別テロを繰り返すISILとの思想上の違いなどから,同組織との連携を拒否する姿勢を示してきたとされる。AIは,ISILとの間で,度々,小規模な衝突も繰り返してきたとされ,AI指導者は,「アルカイダ」最高指導者ザワヒリに対して,ISILとの衝突の仲裁を求めていたとされる。その一方で,AIは,ISILなどが2014年1月にイラクで攻勢を開始して以降は,同攻勢に呼応する形で,治安部隊に対する攻撃を実行したとされる。

(エ) シリア国内勢力

ISILは,2013年にシリアへも活動を拡大させた後,当初は,ほかの反体制派組織と連携してきたとされる。その一方で,ISILは,@他組織に対してもISIL最高指導者への忠誠を強要し,これに従わない組織を「背教者」などと称して攻撃対象としてきたこと,A他組織から支配地や武器などの奪取を試みてきたこと,B支配地で独自の極端な解釈によるシャリーアの施行を進めてきたこと-などから,次第に,他組織や地元民からの反発も招くようになったとされる。

ISILは,2014年1月以降,他組織との間で衝突を本格化させ,他組織から新たに支配地を奪取したほか,敵対する組織や地元部族を降伏させて自組織に統合するなどして,勢力を拡大させた。

a 「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」

「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」は,2012年1月に結成されたイスラム主義武装組織であり,政府側などとの戦闘では,ISILとも連携していたとされる。また,同「運動」は,2013年6月頃,ISILを含む他組織と共同で,アレッポ市の反体制派支配地の運営にあたっていたとされる。同「運動」の幹部であったアブ・ハレド・アル・スーリ(2014年2月死亡)は,「シリアにおける『アルカイダ』の代理人」とも称され,2013年には,「アルカイダ」最高指導者ザワヒリから,関係が悪化していったとされるISILと「ヌスラ戦線」両指導者の仲裁役に任じられていたとされるが,同「運動」は,2014年1月以降,ISILと本格的な衝突を繰り返しているとされる。

b 「ジャイシュ・アル・ムハジリーン・ワル・アンサール」(JMA)

「ジャイシュ・アル・ムハジリーン・ワル・アンサール」(JMA)は,2012年半ばの結成以降,ISI(当時)とも共闘関係にあったとされる。JMAの設立者であったオマル・シシャニは,2013年半ば,ISIL最高指導者バグダディに忠誠を誓い,事実上,JMAを離れる形でISILに合流し,同組織の司令官に就任したとされる。しかし,その際,JMA戦闘員の多くは,バグダディに忠誠を誓うことを拒否し,JMAに残留したとされる。

JMAは,当初,ISILと「ヌスラ戦線」との対立には中立な立場であったとされ,当時指導者であったサラーハッディーン・アル・シシャニは,両組織の争いの仲裁を行ったとされる。その後,JMAは,ISILによる忠誠の強要を拒否する中でISILとの距離を置くようになった一方,「ヌスラ戦線」との連携を緊密にしていったとされる。

ウ 資金獲得活動

ISILは,その活動資金の多くを,イラク国内での恐喝や密輸などの犯罪活動から入手し,海外から献金に頼らない態勢を作り上げていたとされる(注54)。さらに,シリアやイラクで事実上の支配地を獲得した後は,石油などの経済資源の収奪・密売や,地元民などに対する「課税」などでも資金を入手したとされる(注55)
(注56)

(ア) 経済資源の収奪・密売など

ISILは,過去,イラクにおいて,石油業者に対する恐喝などで入手した国内供給用の燃料などの一部を入手し,それを周辺国で密売するなどして利益を得ていたとされる。シリアやイラクで事実上の支配地を獲得した後は,両国で複数の油田地帯などを占拠し,同地帯で産出される原油などを密売して利益を得たとされるが
(注57),2015年には,米軍などによる石油関連施設への空爆などの影響により,原油密輸による収入は減少したとされる(注58)。このほか,ISILは,支配地で,銀行から金銭などを略奪したとされるほか(注59),遺跡などからの古美術品の略奪・密輸に関与するなどして資金を入手したとされる(注60)(注61)

(イ) 恐喝,「課税」など

ISILは,イラクで,企業や商店などに対する恐喝を通じて資金を入手してきたとされる(注62)。また,シリアやイラクで事実上の支配地を獲得した後は,地元民などを対象とした「課税」によっても資金を入手しているとされる。その形態には,@地元民への直接「課税」(キリスト教徒など非イスラム教徒に対する「人頭税」)(注63)(注64),A商業活動に対する「課税」(注65),B現地で活動する人道支援団体に対する「課税」,C「通行料」の徴収(注66)-などが挙げられる。このほか,支配地で行われる密輸活動を黙認する見返りに密輸業者から利益の一部を徴収するなどして資金を入手したとされる。

(ウ) 資金提供

ISILは,AQIと称されていた頃,「アルカイダ」の資金ネットワークや中東地域における海外支援者などから送られる資金提供に依存していたが,その後,資金提供への依存度は低下していったとされる。ただし,最近では,ISILによるシリアへの活動拡大や中東地域での宗派間の緊張の高まりを背景に,海外支援者からの資金提供は増加したとの指摘もなされている。こうした資金は,表向き,慈善活動資金や難民支援活動資金などを装う形で収集・送金されたとされる(注67)

(エ) その他

ISILは,このほか,身代金目的の誘拐(注68),人身売買,強盗,偽造品の密売などの犯罪活動によっても資金を得てきたとされる。特に,シリアへの活動拡大後は,同国において,対立する反体制派組織の関係者やその家族を身代金目的で誘拐したとされる。

エ リクルート活動

ISILは,イラク国内で,刑務所を襲撃して元戦闘員を奪還したり,シーア派主導として同国政府に不満を抱くスンニ派から戦闘員を募集してきたとされる。また,シリアへの活動拡大後は,資金力を背景に,ほかの反体制派組織に比して高額な報酬を支払うなどして,同国人や同国に流入してきた外国人を戦闘員として吸収してきたとされる(注69)(注70)

シリアには,反政府運動発生後,反体制派への参加を目的に多数の外国人が流入しており,ISILは,これら外国人の積極的な吸収を図ってきたとされる。同組織は,反体制派の中でも,最も多くの「外国人戦闘員」を引き付け,「外国人戦闘員」への依存度も高いとされ,戦闘員の約半数が外国人との指摘(注71)もある。特に,2014年6月にカリフ制の施行などを宣言して以降,外国人による同組織への参加が一層加速したとされる。>

このほか,支配地では,宗教学校を立ち上げたり,レクリエーション活動を主催するなどして,若年層に対する影響の浸透も図ってきたとされる(注72)

オ 支配地における活動

ISILは,シリアやイラクの支配地(注73)で,地元行政機関の要職に自組織の戦闘員を配置したり,地元部族指導者に対して影響力を行使するなどして統治を行ってきたほか,道路,電気,郵便,ダム,路線バスなどのインフラ機能の運営にも関与してきたとされる(注74)。また,特に,都市部などでは,独自の司法,警察機関(注75)を設けて,極端な解釈によるシャリーアの施行を行い,同法に背いた者に対しては,即決の裁判と体刑や処刑(注76)などによる処罰を行ってきたとされる(注77)(注78)。イラク・モスル市では,2014年6月12日,市民に向けて,「市憲章」と称する独自の規則などを発表(注79)したほか,同市やシリア北部・ラッカ市などでは,独自に制定した教育カリキュラムに基づいた授業を行うよう教育機関に要求したとされる。このほか,自組織の支配に抵抗する可能性があるとみなす地元有力者などを殺害してきたほか,独自の検閲組織を立ち上げて,地元報道機関に対して自組織による検閲を課してきたとされる。

ISILは,イスラム教スンニ派以外の住民に対しては,改宗や「人頭税」の支払いなどを強要し,これに従わない者を殺害又は追放する一方で,追放された者の資産をスンニ派住民に分配するなどして支持の獲得も図ってきたとされる。また,同年8月には,イラク北部において,少数派宗教であるヤジディ教に属するクルド系住民の男性多数を殺害したほか(注80),女性や児童を拘束し,「戦利品」などと称して人身売買の対象としたり,自組織戦闘員との性行為を強要したとされる(注81)。同組織は,同年10月,オンライン英語機関誌「ダービク」第4号において,「奴隷制の復活」と称する記事を掲載し,「異教徒の家族を性的な奴隷とすることは,シャリーアの確固たる解釈として認められる」などと主張したほか,自組織の戦闘員に向けても,異教徒の女性を性的な「奴隷」として扱うことを奨励しているとされる(注82)

このほか,ISILは,宗教,宗派に関わらず,自組織が偶像崇拝の対象になっているとみなす寺院,霊廟,古代文化財などを破壊してきた。

カ 訓練活動

ISILは,シリアとイラク両国内の支配地に,それぞれ独自の訓練施設を有しているとされる(注83)。これまでに,ビデオ声明を通じて,シリア首都ダマスカス郊外にある「ザルカウィ・キャンプ」と称する訓練施設のほか,イラク北部・ニーナワー県や同国西部・アンバール県などの訓練施設を公開してきた(注84)。このほか,ISILは,少年を対象とした複数の訓練施設を運営しているとされ(注85),同施設では,少年らが,各種の火器を用いた訓練を受けたり,シャリーアを学んでいるとされる。

ISILの支配地は広域に及ぶことから,これら施設が攻撃を受けることは少なかったとみられ,高度な戦闘訓練や思想的な教化が行われているとされる(注86)

キ 武器,弾薬の獲得

イラクでは,2003年のイラク戦争開始以降,また,シリアでは,2011年の反政府運動発生以降,いずれも,軍事物資への「需要」が増加し,インフォーマル経済を通じた武器の密輸が横行した結果,武器や弾薬が氾濫してきたとされる。ISILは,同状況を背景に,@密輸ネットワークなどを通じた購入,A密輸ネットワークを独自に運営しての入手,B他の武装組織からの購入又は略奪,C軍,治安部隊などからの略奪-などにより武器や弾薬を入手してきたとされる。特に,ISILは,2014年6月のイラク北部での攻勢以降,占拠した軍施設などにおいて,米軍からイラクに提供されていた軍用車両などを含む大量の軍事物資を略奪したとされる。国連安保理は,同年11月14日付け報告書において,ISILが「通常の軍隊とも十分に対抗できる程度の武器や弾薬を保有している」旨指摘した(注87)

ク 生物化学兵器などをめぐる動向

ISILは,これまで,生物化学兵器の製造・入手にも関心を有してきたとされ,爆発,投てき,投下などといった手段による生物化学兵器の製造を企図してきたとされる。

イラク駐留米軍は,2004年11月,アンバール県ファルージャ市で,JTJが有していたとみられる生物化学兵器の製造施設を発見した。同施設には,インターネットからダウンロードしたとみられる化学兵器の製造解説や炭疽菌や血液病原体などについて書かれたノートが発見された。また,ISI(当時)幹部アブ・アイユーブ・アル・マスリは,2007年2月に発出した声明で,化学者に向けて,細菌を用いた実験を呼び掛けたとされるほか,同組織は,同年,塩素ガスを用いた爆弾の実験を行ったとされる。

イラク国防省は,2013年6月2日,イラク国内3か所の施設でサリン・ガスやマスタード・ガスの製造を行っていたとされるISILの細胞組織(5人)を摘発したと発表した。同省報道官によると,逮捕された5人は,イラク国内で,シーア派の祭礼時に合わせて,同派住民を標的に,遠隔操作のラジコン飛行機による化学物質の散布などを企図していたとされる。

ISILなどは,2014年6月,バグダッド北方にある旧フセイン政権時代の化学兵器生産施設を占拠したが,同施設には,化学兵器製造用の原料が保管されていたとされる。ただし,同占拠を受けて,記者会見を行った米国国務省は,施設内に残っている物質は全て古く,取扱いが困難であるため,同物質を基に化学兵器を新たに製造することは不可能であると指摘した(注88)

他方,同年以降,ISILがシリアやイラクでの戦闘において,塩素ガスやマスタード・ガスを使用したとする指摘が複数なされている(注89)(注90)

年月日 主要テロ事件,主要動向等
03. 3  アブ・ムサブ・アル・ザルカウィが「アル・タウヒード・ワル・ジハード」を率いてシリアからイラクに入国
03. 8. 7  イラク首都バグダッドの在イラク・ヨルダン大使館を標的とした爆弾テロを実行し,19人が死亡
03. 8. 19  バグダッドの国連事務所を標的とした自爆テロを実行,国連事務総長特別代表を含む22人が死亡,邦人1人を含む100人以上が負傷
04. 3. 2  シーア派の宗教行事が行われていたバグダッド及びカルバラー市で爆弾テロを実行し,合わせて約140人が死亡,数百人が負傷
04. 7. 20  イラク南部・サマワ市に派遣中の自衛隊を撤収させるよう要求する声明を発出
04. 10. 17  ザルカウィが「アルカイダ」最高指導者オサマ・ビン・ラディンに忠誠を誓い,「アル・タウヒード・ワル・ジハード」から「イラクのアルカイダ聖戦機構」(「イラクのアルカイダ」〈AQI〉)に名称変更
04. 10. 26  邦人男性を誘拐した上で48時間以内に自衛隊を撤収させるよう要求。同人は,同月30日にバグダッドにおいて遺体で発見
05. 8. 19  イスラエル・アカバ湾で米国艦船に向けてロケット弾を発射
05. 11. 9  ヨルダン・アンマン市内のホテル3か所で連続爆弾テロを実行し,60人が死亡,100人以上が負傷(ヨルダン史上最大のテロ事件)
06. 1. 15  スンニ派連合組織「ムジャヒディン諮問評議会」(MSC)の設立を宣言
06. 6. 7  米軍の空爆でザルカウィが死亡
06. 6. 8  ザルカウィの後継者としてアブ・アイユーブ・アル・マスリが就任
06. 10. 15  「イラク・イスラム国」(ISI)の「建国」を宣言し,最高指導者にアブ・ウマル・アル・バグダディが就任
07. 2. 3  バグダディが駐留米軍の掃討作戦に対抗するテロ攻撃の実施を表明
08. 3. 27  イラク北部・モスル近郊のタルアファルで自動車爆弾を用いた爆弾テロを実行し,152人が死亡,約150人が負傷
08. 5. 13  イラク北部・アルビル近郊のマハムールで「クルド民主党」(KDP)事務所を標的とした自爆テロを実行し,約50人が死亡,約70人が負傷
08. 8. 14  モスル近郊のカハターニーヤで自動車爆弾を用いた連続自爆テロを実行し,少なくとも400人が死亡,約1,500人が負傷
09. 4. 24  バグダッドのシーア派居住地区で連続自爆テロを実行し,60人が死亡,120人以上が負傷
09. 8. 19  バグダッド中心部で外務省や財務省などの政府施設を標的とした連続自爆テロを実行し,95人が死亡,約600人が負傷
09. 10. 25  バグダッド中心部で司法省や県知事事務所などの政府施設を標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも140人が死亡,約700人が負傷
09. 12. 8  バグダッド中心部で財務省や内務省などの政府施設を標的とした連続爆弾テロを実行し,127人が死亡,約450人が負傷
10. 1. 25  バグダッド中心部のホテル3か所を標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも36人が死亡,約70人が負傷
10. 4. 4  バグダッド中心部のエジプト,ドイツ,スペイン及びシリアの各大使館を標的とした連続爆弾テロを実行し,30名が死亡,約220人が負傷
10. 4. 18  駐留米軍及びイラク軍による合同作戦でバグダディ及びマスリが死亡
10. 4. 17  バグダッド中心部のイラク軍新兵募集事務所を標的とした自爆テロを実行し,少なくとも59人が死亡,100人以上が負傷
10. 5. 15  ISI最高指導者にアブ・バクル・アル・バグダディが就任
10. 11. 2  バグダッドのシーア派住民地区で連続爆弾・襲撃テロを実行し,約90人が死亡,約200人が負傷
11. 1. 18  イラク北部・ティクリートの警察官募集事務所に集まった志願者を標的とした自爆テロを実行し,少なくとも60人が死亡,約100人が負傷
11. 11. 28  バグダッドなどで刑務所などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも24人が死亡,約30人が負傷
11. 12. 18  イラク駐留米軍の撤退完了
11. 12. 22  バグダッドのシーア派住民地区などで連続爆弾テロを実行し,約60人が死亡
12. 3. 20  バグダッド,カルバラーなどで治安機関施設などを標的とした連続爆弾テロを実行し,約50人が死亡,約250人が負傷
12. 4. 19  バグダッド,北部・キルクークなどで治安機関施設などを標的とした連続爆弾テロを実行し,約40人が死亡,約150人が負傷
12. 6. 13  バグダッド,中部・ヒッラなどで,シーア派の巡礼者などを標的とした連続爆弾・襲撃テロを実行し,少なくとも59人が死亡,約200人が負傷
12. 7. 23  バグダッドなどでシーア派の巡礼者及びイラク軍などを標的とした連続爆弾・襲撃テロを実行し,少なくとも107人が死亡,約270人が負傷
12. 9. 9  バグダッド,南東部・アマラなどでシーア派の住民などを標的とした連続爆弾・襲撃テロを実行し,少なくとも100人が死亡,約360人が負傷
12. 10. 27  バグダッドのシーア派住民地区などで連続爆弾・襲撃テロを実行し,少なくとも40人が死亡,約100人が負傷
12. 12. 16
  〜17
 バグダッド,キルクークなどで治安機関施設などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも67人が死亡
13. 3. 4  イラク西部・アンバール県の対シリア国境付近で,シリア側から避難していた同国軍部隊とそれに同行していたイラク軍部隊を襲撃し,両軍兵士合わせて49人が死亡
13. 4. 9  ISIから「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)への名称変更や,「ヌスラ戦線」の統合,シリアへの活動拡大などを発表
13. 7. 21  バグダッドの2つの刑務所を襲撃し,看守など26人が死亡したほか,ISILメンバーを含む収監者少なくとも500人が脱走
13. 7. 29  バグダッドを含む各地で,市場などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも60人が死亡
13. 8. 10  バグダッド,キルクーク県などで,シーア派居住地区などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも74人が死亡,数百人が負傷
13. 8. 28  バグダッドのシーア派居住地区などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも82人が死亡,180人以上が負傷
13. 9. 3  バグダッドのシーア派居住地区などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも40人が死亡,100人以上が負傷
13. 9. 30  バグダッドのシーア派居住地区などを標的とした連続爆弾テロを実行し,少なくとも55人が死亡,120人以上が負傷
13. 12. 4  キルクークで,警察施設を襲撃し,10人が死亡
14. 1  イラクで,他のスンニ派武装勢力とともに,アンバール県ファルージャ市などを占拠。その後,同年4月までに同県の広域を占拠。シリアでは,他の反体制派組織との衝突が本格化
14. 1. 2  レバノン首都ベイルートで,「ヒズボラ」の拠点を標的とした爆弾テロを実行し,5人が死亡
14. 1. 28  トルコ南部・キリス県で,ISILの戦闘員とみられる者が同国軍の車両を銃撃
14. 4. 25  バグダッドで,シーア派組織による政治集会を標的とした爆弾テロを実行し,31人が死亡
14. 6  イラク北部で,他のスンニ派武装勢力とともに攻勢を開始。モスルを含む北部の広域を占拠。この際,在モスル・トルコ総領事を含む同国総領事館員らを拘束(同年9月20日に全員解放)
14. 6. 29  ISILから「イスラム国」への名称変更や,カリフ制の施行,バグダディのカリフ就任などを宣言
14. 8  イラク北東部のクルド自治政府(KRG)管轄地域に侵攻を開始
14. 8. 5  他のシリア反体制派組織とともに,レバノン領内に侵入し,治安部隊との戦闘の末,同国北東部の町アルサルを占拠(同月7日にはシリア領内に撤退)
14. 8. 17  シリア北部・アレッポ付近で,邦人男性1人が(17日までに)ISILとみられる武装集団により拘束
14. 8. 23  キルクークで,自動車を用いた爆弾テロを実行し,31人が死亡
14. 9  シリア北東部などのクルド人勢力の支配地に対する攻撃を活発化
14. 10. 13  イラク東部・ディヤーラー県で,クルド民兵組織を標的とした自爆テロを実行し,58人が死亡
14. 10. 14  バグダッドで,シーア派国会議員などを標的とした自爆テロを実行し,同議員を含む25人が死亡
14. 11. 2  バグダッド郊外で,シーア派巡礼者を標的とした爆弾テロを実行し,23人が死亡
14. 12. 1  アンバール県で,シリアとの国境にあるイラク軍の検問所を襲撃し,16人が死亡
15. 1  シリア北部のクルド人の町アイン・アル・アラブから撤退
15. 1. 20  ISILに拘束されたとみられる邦人男性2人の動画がインターネット上で公開。同月24日,拘束されたとみられる邦人男性のうち1人が,2月1日には,残る1人が殺害されたとみられる動画が,それぞれインターネット上で公開
15. 2. 7  バグダッドの複数の地域で,相次いでシーア派住民を標的とした自爆テロなどを実行し,少なくとも40人が死亡
15. 3  ティクリートから撤退
15. 3. 20  シリア北東部・ハサカ県都ハサカで,クルド系住民の祭事を標的としたISIL戦闘員によるとされる自爆テロなどが発生し,49人が死亡
15. 4. 8  アンバール県で,スンニ派部族民ら約300人を殺害
15. 5  アンバール県都ラマディの主要部を占拠
15. 5  シリア中部・ホムス県の要衝パルミラを占拠。その後,世界遺産であるパルミラ遺跡の一部を破壊
15. 5. 8  ディヤーラー県で,ISILとみられる武装集団が刑務所を襲撃し,看守ら16人が死亡,収監中のISIL戦闘員ら40人以上が脱走
15. 6. 1  イラク中部・サラーハッディーン県都サーマッラー近郊で,治安部隊の基地を標的とした自爆テロを実行し,38人が死亡
15. 6. 25  アンバール県で,軍部隊を襲撃し,14人が死亡
15. 7. 17  ディヤーラー県で,シーア派住民を標的とした自爆テロを実行し,約130人が死亡
15. 7. 20  トルコ南東部・シャンルウルファ県で,ISIL戦闘員によるとされる自爆テロが発生し,30人以上が死亡
15. 7. 27  モスルで,ISILに反発する市民ら少なくとも120人を殺害
15. 8. 13  バグダッドで,シーア派住民を標的とした爆弾テロを実行し,少なくとも76人が死亡
15. 9. 14  ハサカ県で,クルド人勢力の拠点などを標的とした爆弾テロを実行し,少なくとも32人が死亡
15. 10. 3  バグダッドで,シーア派住民を標的とした自爆テロなどを実行し,15人が死亡
15. 10. 10  トルコ首都アンカラで,ISIL戦闘員によるとされる連続自爆テロが発生し,約100人が死亡
15. 11. 12  ベイルート南郊で,シーア派住民などを標的とした自爆テロを実行し,少なくとも43人が死亡。「ISILレバノン」名の犯行声明を発出
15. 11. 13  バグダッド近郊で,ISILの戦闘員とみられる者がシーア派民兵の告別式を標的とした自爆テロを実行し,21人が死亡
15. 12  ラマディの主要部から撤退
15. 12. 9  バグダッドで,シーア派モスクを標的とした自爆テロを実行し,少なくとも11人が死亡
15. 12. 10  ハサカ県で,クルド系住民を標的とした爆弾テロを実行し,少なくとも50人が死亡
年月日 ISIL関連組織等による主要テロ事件等
14. 9. 21  アルジェリア北部・ティジ・ウズ県で,フランス人登山家が誘拐され,同月24日,殺害。同日,「アルジェリアのカリフ国家の戦士」が犯行声明を発出
15. 3. 18  チュニジア首都チュニスで,武装集団が国会議事堂近くにあるバルドー博物館を襲撃し,外国人21人を含む22人が死亡,44人が負傷(邦人3人死亡,3人負傷)。同月19日,「ISILチュニジア」名の犯行声明が発出
15. 3. 20  イエメン首都サヌアで,モスク2か所を標的とした自爆テロがあり,140人以上が死亡。同日,「サヌア州」が犯行声明を発出
15. 5. 22  サウジアラビア東部・東部州カティーフ県で,シーア派モスクを標的とした自爆テロがあり,20人以上が死亡,100人以上が負傷。同日,「ナジュド州」が犯行声明を発出
15. 6. 26  チュニジア北部・スース県で,リゾート・ホテルへの襲撃があり,外国人38人が死亡。同日,「ISILチュニジア」名の犯行声明が発出
15. 10. 3  バングラデシュ北西部・ロングプールで,邦人が襲撃され死亡。同日,「ISILバングラデシュ」名の犯行声明が発出
15. 10. 31  エジプト北東部・シナイ半島で,ロシア機が墜落し,乗客・乗員224人全員が死亡。同日及び11月4日,「シナイ州」が犯行声明を発出
15. 11. 13  フランス首都パリ郊外の競技場や同中心部のレストラン及び劇場などで,銃撃や自爆などによるテロが相次いで発生し,130人が死亡,約350人が負傷。同月14日,「ISILフランス」名の犯行声明が発出
16. 1. 14  インドネシア首都ジャカルタのショッピングモール付近で,銃撃や自爆によるテロが発生し,4人が死亡,26人が負傷。同日,「ISILインドネシア」名の犯行声明が発出

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