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ヒズボラ
Hizballah(注1)

レバノンを拠点に活動するシーア派組織。シーア派主導のイスラム国家樹立を主張。

別称:
①Hizbollah,②Hizbullar, ③Islamic Jihad, ④Islamic Jihad Organization, ⑤Revolutionary Justice Organization, ⑥Organization of the Oppressed on Earth, ⑦Islamic Jihad for the Liberation of Palestine, ⑧Organization of Right Against Wrong, ⑨Ansar Allah, Followers of the Prophet Muhammed,⑩Lebanese Hizballah,⑪Foreign Relations Department(FRD),⑫External Security Organization(ESO)(注2)

(1) 設立時期

1982年頃

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

主たる目的は,中長期的には,レバノンにおけるシーア派主導のイスラム国家樹立及びイスラエルの滅亡であるが,短期的には,レバノン国民議会での議席獲得を通じた合法活動の拡大である。

イ 攻撃対象

シーア派と対立する国内のキリスト教など各派,国内外のイスラエル権益などである。

(3) 活動地域

レバノン南部,ベッカー高原,同国首都ベイルート南郊が主な活動地域であるほか(注3),イラン国内にも事務所(注4)や訓練施設を有している(注5)。2011年3月のシリア反政府運動発生以降,同国のアサド政権を支援し,反体制派との戦闘に参加させるため,多数の戦闘員を同国に派遣しているとされる。

(4) 勢力

「ヒズボラ」が有する戦闘員は最大4万5,000人で,そのうち2万1,000人が常勤とされるほか(注6),約7,000人がシリアで活動しているとされる(注7)

(5) 組織・機構

ア 最高指導者,幹部等

(ア) ハッサン・ナスララ(Hassan Nasrallah)

書記長(第3代。1992年就任)。1960年生まれ。レバノン人。1975年に「アマル運動」(注8)に参加し,同組織のバーズーリーヤ支部幹部に就任した。イラク中部・ナジャフに留学後,1979年に「アマル運動」の政治局員に任命された。

1982年,レバノン戦争に伴い「アマル運動」を離脱し,「ヒズボラ」の結成に参加した。1987年,「ヒズボラ」の「諮問評議会」メンバーに就任し,1992年2月,アッバース・ムーサウィー書記長(当時)(注9)の暗殺後,新書記長に選出された(注10)

米国財務長官は,2012年9月,シリア政府による反体制派の弾圧を支援しているなどとして,同人を制裁対象に指定した。

(イ) ナイーム・カースィム(Naim Qasim)

副書記長。「諮問評議会」メンバー。1953年生まれ。レバノン人。1975年,「アマル運動」の結成に参加し,1977年にレバノン大学教育学部フランス語学科を卒業した後,1982年,「ヒズボラ」の結成に参加し,1991年,副書記長に選出された。ナスララ書記長に代わって声明などを発表する場合もある。

(ウ) ムハンマド・ラアド(Muhammad Raad)

「諮問評議会」メンバー。1955年生まれ。レバノン人。レバノン国民議会(一院制,定数128議席)議員で,「ヒズボラ」の議会会派「抵抗への忠誠」代表である。レバノン大学で学士(哲学)を取得した。

(エ) モハマド・ヤズベク(Mohammad Yazbek)

「諮問評議会」メンバー。レバノン人。イラクで神学を学び,1980年にレバノンへ帰国し,1982年の「ヒズボラ」結成に参加した。イランの最高指導者ハメネイ師の「代理人」でもある。

(オ) イブラヒム・アミン・サイエド(Ibrahim Amin Sayyed)

「諮問評議会」メンバー。「政治評議会」委員長。1953年生まれ。レバノン人。イラク中部・ナジャフ及びイラン北部・コムに留学した後,レバノンへ帰国し,「ヒズボラ」に参加したとされる。

(カ) ハシェム・サフィエッディン(Hashem Safieddine)

「諮問評議会」メンバー。「執行評議会」委員長。1992年2月のナスララ書記長選出を受けて,同委員長に就任。ナスララ書記長の従兄弟(いとこ)とされ,同書記長の後任候補とされる。

米国国務長官は,2017年5月,テロを実行するおそれがあるとして,特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定した。

(キ) フセイン・ハリール(Hussein Khalil)

「諮問評議会」メンバー。政治顧問。

イ 組織形態,意思決定機構

ナスララ書記長を含む7人で構成される「諮問評議会」が,組織の最高意思決定機関として組織活動の全般的戦略及び政治的決定を行っている。「諮問評議会」の下には,「ジハード評議会」,「政治評議会」,「執行評議会」,「議員活動評議会」及び「法務評議会」の五つの評議会が設置されているが,軍事部門である「イスラム抵抗」は,「諮問評議会」の直轄とされる。

このほか,「ヒズボラ」の政治思想及び活動を宣伝するテレビ局「アル・マナール」を運営している。

書記長は,組織の運営,監督及び指導並びに「諮問評議会」や各評議会議員間の連絡調整に当たるとともに,「ヒズボラ」の活動方針策定の責任者である。

(6) 沿革

ア 概況

「ヒズボラ」は,イスラエル占領下の1982年頃,「イスラミック・アマル運動」(注11)と「ダアワ党」(注12)レバノン支部などの合併によって結成された。

「ヒズボラ」は,その思想などが説明された「公開書簡」(1985年2月)を発表するまで,自組織の存在を明らかにしなかった(注13)。同書簡では,レバノンに駐留するイスラエル軍及びその同盟国に対し,武力による抵抗を宣言するとともに,その延長として,イスラエルの滅亡,(イラン革命を模範とした)レバノンでのイスラム国家の樹立,などを主張した。

「ヒズボラ」の指導者層の多くが聖職者であったことから,同組織は,活動開始当初,レバノン国内のモスクを活動拠点にしていた。こうした聖職者の多くは,1960年代から1970年代にかけて,イスラム教シーア派の聖地であるイラク北部・ナジャフで教育を受け,ムハンマド・バーキル・サドル((注12)参照)や前イラン最高指導者であるホメイニ師などが説く急進的なイスラム思想の影響を受けていたとされる。

イ テロ関連動向

「ヒズボラ」は,1982年頃の結成以降,イスラエルや欧米の権益に対するテロを実行してきた。1980年代には,国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の米・フランス軍司令部爆破事件,在レバノン米国大使館爆破事件,トランス・ワールド航空機乗っ取り事件などを引き起こした。また,1990年代には,レバノン南部のイスラエル軍治安警戒地域での同国軍車列に対する自爆テロ事件を実行したほか,在アルゼンチン・イスラエル大使館爆破事件やユダヤ文化センター爆破事件にも関与したとされる(注14)。さらに,レバノン南部の「安全保障地帯」に駐留するイスラエル軍や親イスラエル民兵組織「南レバノン軍」(SLA)(注15)に対するロケット砲攻撃を実行した。こうした「ヒズボラ」の活動を受け,1997年10月,米国国務長官は,同組織を外国テロ組織(FTO)に指定した。

2000年5月,イスラエル軍が「安全保障地帯」から23年ぶりに撤退した後,「ヒズボラ」は,第二次インティファーダ(パレスチナ人による対イスラエル抵抗運動)に呼応して,イスラエルに向けて頻繁にロケット砲による攻撃を行ったほか,パレスチナ支援を理由として,イスラエル軍機や同国占領下のゴラン高原北端のシェバア農場地区(注16)に所在する同国軍駐屯地に対し,対空砲や迫撃砲による攻撃を行うなどした。

さらに,2006年7月,「ヒズボラ」は,レバノン南部の国境地帯で,イスラエル軍に対する大規模攻撃を行い,同国軍兵士8人を殺害し,同2人を誘拐した。その後,同国軍は,2000年5月の撤退以来となる本格的な軍事作戦を開始し,レバノンに対する海上封鎖,ベイルート空港に対する空爆などを実行した。これに対して同組織は,レバノン南部からイスラエル領内に多数のロケット弾を撃ち込むなどして反撃した。その後,両者の紛争は,2006年8月の国連安保理決議第1701号に基づく戦闘停止まで34日間にわたり続いた。「ヒズボラ」は,この戦闘で疲弊したとされていたが,2007年11月,レバノン南部において,イスラエルへの侵攻を想定した大規模な軍事演習を実施し,戦闘能力の回復を示した。

こうした中,2008年2月,シリア首都ダマスカスにおける自動車爆弾の爆発で,「ヒズボラ」軍事部門最高幹部イマード・ムグニヤが死亡した。同組織は,同月,「イスラエルによる犯行」との声明を発表し,イスラエルへの報復を示唆した。

レバノン政府は,「ヒズボラ」の戦力抑制を目的として,同年5月,同組織軍事部門がレバノン南部などで運用しているとされる軍事用有線通信網に対する実態調査及び同組織に近いとされるベイルート空港治安責任者の更迭を決定したが,同組織などの親シリア派野党勢力は,これに反発し,反シリア派の政権与党勢力と激しく衝突した(双方の死者計80人以上)。両勢力は,同月,アラブ連盟の仲介による和解交渉で合意に達したが,「ヒズボラ」を含む親シリア派は,閣僚の3分の1超を獲得することとなり,政府内で事実上の拒否権を有することになった。

ウ 政治活動

「ヒズボラ」は,イスラエルに対する攻撃を行う一方,1992年以降,レバノン国内で合法政党として政治活動を行っており,同年8月に行われたレバノン内戦後初めての国民議会選挙の直前に「ヒズボラ選挙綱領」を発表し,「シオニストの占領及び帝国主義の影響下からのレバノンの解放」及び「政治的宗派主義の廃止」という目標を掲げ,12議席を獲得した。

「ヒズボラ」は,2000年の国民議会選挙においても,立候補者11人全員を当選させたほか,2005年の国民議会選挙では,「アマル運動」と連合して35議席を獲得し,幹部のモハメド・フネイシュをエネルギー・水資源相として初めて入閣させた。また,2009年の国民議会選挙でも12議席を獲得し,閣僚2人を輩出している(注17)

このほか,「ヒズボラ」は,2014年5月に当時のスレイマン大統領の任期が満了して以降,空席となっていた国家元首たる大統領の座をめぐっても,2016年10月,「ヒズボラ」などが推す「自由愛国運動」のミシェル・アウン前党首(キリスト教マロン派)を第13代大統領に就任させるなどした。

エ その他の活動

「ヒズボラ」は,これまで,イスラエルとの捕虜交換にも応じており,2004年1月,ドイツ及び赤十字国際委員会の仲介で,イスラエル国内に収容されている「ヒズボラ」メンバー23人,同メンバーの遺体59体,西岸地区で収監されていたパレスチナ人活動家400人及びアラブ人活動家12人と引換えに,レバノン国内で拘束されていたイスラエル人1人を解放し,イスラエル軍兵士の遺体3体を返還した。ナスララ書記長は,この捕虜交換を受け,同日を「自由の日」とし,その成果を「『ヒズボラ』のみならず,アラブ世界の勝利」として大々的に宣伝した。その後も,「ヒズボラ」は,2007年10月,イスラエル軍兵士の遺体1体と引換えに同組織メンバーの遺体2体の引渡しを受けた。

「ヒズボラ」は,多数の機関誌,セミナー,講演,金曜礼拝,ラジオ及び同組織が運営するテレビ局「アル・マナール」の放送を通じてイデオロギーの普及及び拡散を図ってきた。特に,「アル・マナール」については,広報窓口のみならず,イスラエルに対する「非武力闘争の武器」と位置付け,放送内容を拡充していった。

また,「ヒズボラ」は,設立以降,医療施設や学校の運営,社会インフラの整備など,包括的な福祉及び教育活動を独自に展開している。

このほか,ナスララ書記長は,サウジアラビアが2016年1月,同国における過去のテロ事件に関わったとされる囚人47人の処刑を発表した際には,同47人の中にシーア派聖職者ら4人が含まれていたことから,テレビ演説の中でサウジアラビアを非難し,これ以降も,同国に対する批判を継続的に展開するなどしている(注18)

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

「ヒズボラ」は,レバノン国内で政党活動を続ける一方,シリアでの反政府運動発生(2011年3月)以降,同国のアサド政権について,「(イスラエルと)闘争している政権」として支持を表明(注19)しているほか,イランと共に,シリアの親政府系民兵組織やイラクのシーア派組織からシリアに派遣された戦闘員(注20)の訓練を行ってきたとされる(注21)。特に,「ヒズボラ」は,シリアにおける「シーア派聖地の警備」などを名目に,自らも戦闘員を派遣し,2013年半ば以降,戦闘への直接的な関与を深めていった(注22)

他方,「ヒズボラ」は,イラクにおいて,2014年1月以降のISILによる攻勢を受けて,同国のシーア派組織に対する支援も強化し(注23),ナスララ書記長は,2015年2月,「ヒズボラ」がイラクに戦闘員を派遣し,ISILとの戦闘において,イラク治安部隊やシーア派組織を支援していることを公に認めたとされる。

その後,ナスララ書記長は,2015年5月,シリアに派遣された自組織の部隊がアサド政権軍と協力して首都ダマスカスの北東に位置する戦略拠点のカラムーン地域からISILと「ヌスラ戦線」(当時)を一掃したと主張した。しかし,同地域には,ISILの勢力が残存していたとみられ,「ヒズボラ」は,2017年8月,アサド政権軍と共同で掃討作戦を実施する中,ISILとの間で,追い詰められたISIL戦闘員らの東部・デリゾール県への撤退及び2014年にISILが拘束したレバノン軍兵士の返還で合意(注24)したことで,同地域のISIL掃討を完了させた。

「ヒズボラ」のシリア及びイラクへの関与は,軍事部門指導者ムスタファ・バドレッディンがダマスカス郊外で発生した爆発で死亡(2016年5月)するなど,同組織に人員や資金面での負担をもたらしたとされる(注25)一方,レバノン国内に大きな影響をもたらしてきた。特に,2013年5月以降,同組織を標的としたとみられる爆弾テロが続発し,同8月には,首都ベイルートの同組織拠点地域で,自動車を用いた爆弾テロが発生した(24人死亡,犯行主体不明)。「ヌスラ戦線」(当時)は,2014年1月以降,首都ベイルートや北東部・ベッカー県などで発生した複数の爆弾テロなどに関して,また,ISILは,同年1月にベイルート南郊の「ヒズボラ」拠点地域で発生した自爆テロ(5人が死亡)などに関して,それぞれ犯行を自認し,「『ヒズボラ』によるアサド政権支援に対する報復である」などと主張した。なかでも,2015年11月のベイルート南郊の「ヒズボラ」拠点地区で発生したISILによる連続自爆テロでは,少なくとも43人が死亡,240人が負傷した。

こうした「ヒズボラ」の活動に対し,米国財務長官は,2012年8月,シリア政府を支援しているとして,大統領令第13582号に基づき,「ヒズボラ」を制裁対象に指定した(注26)ほか,同年9月,同様の理由などからナスララ書記長及び同組織関係者2人を制裁対象に指定した(注27)。また,欧州連合(EU)理事会は,2013年7月,「ヒズボラ」の軍事部門をテロ組織に指定した。さらに,2016年3月には,湾岸協力理事会(GCC)及びアラブ連盟が,それぞれ「ヒズボラ」をテロ組織に指定した。

イ 他勢力などとの連携

(ア) イスラム過激組織

「ヒズボラ」は,他の組織との連携には慎重とされるが,イスラエルと対峙(じ)していた2000年初頭には,「ハマス」,「パレスチナ・イスラミック・ジハード」(PIJ),「パレスチナ解放人民戦線総司令部派」(PFLP-GC)などのパレスチナの組織と関係を有していたとされる。また,イスラエル当局は,「ヒズボラ」がパレスチナの「アル・アクサ殉教者旅団」(AAMB)などに武器を提供しているなどとして,繰り返し非難してきた。

「ヒズボラ」は,イラクにおいて,「カタイブ・ヒズボラ」(KH)などのシーア派組織を支援してきたとされる。また,シリアでは,「ヒズボラ」やイランから訓練を受けた親政府系民兵組織やイラクのシーア派組織の戦闘員が,単なる警備活動に限らず,軍による攻撃に参加するなど,幅広い役割を担っているとされる。米国財務長官は,2013年8月,アサド政権支援のためイラク人義勇兵の募集などを行っていたとして,「ヒズボラ」メンバー4人を制裁対象に指定した。

他方,「ヒズボラ」は,イエメンにおいて,同国のシーア派系武装勢力「フーシー派」に対し,武器の取扱いや弾道ミサイルの発射方法などを指導しているとされる。

(イ) イラン

イランは,「ヒズボラ」に対する軍事訓練,政治教育,財政援助,物的支援に関与しているとされ(注28),同国当局者は,「ヒズボラ」との関係について,同国の防衛戦略の一つである旨発言している(注29)。また,ナスララ書記長も,2016年6月のテレビ演説の中で,イランによる継続的な資金援助に謝意を表明している。さらに,イランは,自国内で,シリアに派遣される「ヒズボラ」戦闘員に軍事訓練を施しているとされる(注30)

ウ 資金獲得活動・リクルート活動

「ヒズボラ」は,イランから資金や物資の支援を受けているとされ(注31)(注32),同国からの資金提供については,年間8億米ドルとの見積りがあるほか(注33),世界各地に広がる合法・非合法の資金ネットワークに依拠しているとされる。同ネットワークは,主に,世界各地のレバノン人コミュニティと結び付いており,「ヒズボラ」は,同ネットワークを通じて,個人からの寄附や合法ビジネスへの大規模投資によって収益を得ているほか,麻薬取引,詐欺,ダイヤモンド密輸,自動車窃盗,偽造品の取引といった非合法活動にも関与しているとされる(注34)。米国当局は,2012年8月,「ヒズボラ」の資金洗浄に関連するとみられる1億5,000万米ドルを米国内の銀行から押収したと発表した(注35)。「ヒズボラ」は,近年,経済制裁下にあるイランからの資金援助が減少したことを受け,西アフリカ諸国での資金活動を強化したと指摘されている(注36)。米国財務長官は,2013年6月,「ヒズボラ」対外部門の現地代表として西アフリカで活動資金の調達やメンバーの勧誘を行っていたなどとして,レバノン人4人を制裁対象に指定した。こうした中,レバノン中央銀行総裁は,2016年6月,米国法の規定に倣った措置として,「ヒズボラ」系団体及び施設に関連する100の銀行口座の凍結を発表した(注37)(注38)

「ヒズボラ」は,2017年2月,戦闘員の武器購入のための資金調達活動を行ったが,この際,資金調達の対象を,従来のシーア派だけでなく,スンニ派やキリスト教徒に拡大したほか,活動を拡散させるために初めてソーシャル・メディアを利用するなど,積極的かつ広範に行われたため,「ヒズボラ」が資金難に直面しているとも指摘された(注39)

年 月 日  主要テロ事件,主要動向等
83.10.23  レバノン首都ベイルートで,国連レバノン暫定軍(UNIFIL)の米仏軍司令部を標的とする爆弾テロを実行し,両軍兵士ら約300人が死亡
84. 9.20  ベイルートで,米国大使館を標的とした爆弾テロを実行し,同大使館員ら50人以上が死傷
85. 6.14
~30
 トランス・ワールド航空機乗っ取り事件を実行
92. 3.17  アルゼンチン首都ブエノスアイレスで発生したイスラエル大使館を標的とした自動車爆弾テロに関与とも。同大使館員ら29人が死亡
93. 8.19  レバノン南部・シヒン付近でイスラエル軍車両を標的とした爆弾テロを実行し,同軍兵士7人が死亡,同2人が負傷
94. 3. 7  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域の道路上で,爆弾テロを実行し,親イスラエル民兵組織「南レバノン軍」(SLA)兵士4人が死亡,同14人が負傷
94. 7.18  ブエノスアイレスで発生したユダヤ文化センターを標的とした爆弾テロに関与とも。同センター職員ら86人が死亡
95.10.13  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域で,爆弾,対戦車砲や軽火器類を用いてイスラエル軍部隊を攻撃し,同軍兵士3人が死亡,同6人が負傷
96.10.25  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域で,爆弾テロを実行し,イスラエル兵士2人が死亡,同3人が負傷
97.11.29  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域でSLA車両を襲撃し,SLA兵士1人が死亡したほか,イスラエル軍拠点で爆弾テロを実行し,同軍兵士5人が負傷
98. 5.27  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域で,イスラエル軍部隊を襲撃し,同軍兵士2人が死亡,同3人が負傷
98.10. 5  レバノン南部・ハズバヤの路上で爆弾テロを実行し,イスラエル軍兵士2人が死亡,同3人が負傷 
98.11.16  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域で爆弾テロを実行し,同軍兵士3人が死亡,同4人が負傷
99. 2.28  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域の路上で爆弾テロを実行し,イスラエル軍准将とイスラエル放送記者ら4人が死亡,同軍兵士3人が負傷
99. 6.24  イスラエル北部・ガリラヤ地方のキリヤトシェモナなどを翌日にかけてロケット砲などで攻撃し,同市職員2人が死亡,同13人が負傷
99. 8.17  レバノン南部・イスラエル軍治安警戒地域でイスラエル軍と衝突し,同軍兵士3人が死亡,同5人が負傷したほか,「ヒズボラ」側も3人が死亡  
00.10. 7  レバノンとイスラエルの国境地帯を襲撃し,イスラエル軍兵士3人が死亡
01. 4.14  イスラエル,シリア及びレバノンとの国境地帯にあるシェバア農場付近で,イスラエル軍戦車を対戦車ミサイルを用いて襲撃し,同軍兵士1人が死亡,同3人が負傷
02. 8.29  シェバア農場地域のイスラエル軍陣地を砲撃し,同軍兵士3人が負傷
03. 8. 8  シェバア農場地域を迫撃砲で砲撃し,イスラエル人1人が死亡,同4人が負傷
04. 7.20  イスラエル北部のレバノン国境付近で,「ヒズボラ」メンバーがイスラエル軍陣地を銃撃して戦闘となり,同軍兵士2人と「ヒズボラ」メンバー1人が死亡。イスラエル軍はレバノン南部の「ヒズボラ」陣地に対し,戦車・戦闘機で攻撃
05. 1. 9  シェバア農場付近で,イスラエル軍車両を標的とした爆弾テロを実行。イスラエル軍機が「ヒズボラ」陣地を空爆,「ヒズボラ」もロケット砲で応射。一連の交戦で,イスラエル軍兵士1人とフランス人停戦監視要員1人の計2人が死亡,イスラエル軍兵士3人が負傷
05. 6.29  イスラエル北部のレバノン国境付近で,「ヒズボラ」がイスラエル軍陣地を武力攻撃し,同軍兵士ら4人が負傷
06. 7.12  イスラエル北部で,パトロール中の同国軍車両を襲撃し,兵士8人を殺害,2人を誘拐
06. 7.14  レバノン沖のイスラエル軍艦船を攻撃,乗船していた同軍兵士4人が死亡又は行方不明
06. 7.21  イスラエル北部・ハイファに,「ヒズボラ」が発射したロケット弾が着弾し,19人が負傷
06. 7.24  レバノン南部・ビントジュベイル一帯で,イスラエル軍と交戦し,少なくとも同軍兵士2人が死亡したほか,「ヒズボラ」メンバー10人が死亡
06. 8. 2  イスラエル領内に200発以上のロケット弾を撃ち込み,同国北部・ナハリヤで1人が死亡したほか,約20人が負傷
06. 8. 6  イスラエル北部・クファルギラディに,「ヒズボラ」が発射したとみられるロケット弾が着弾し,11人が死亡。また,ハイファにも,「ヒズボラ」が発射したとみられるロケット弾約30発が着弾し,市民3人が死亡,約40人が負傷
06. 8. 9  レバノン南部・アイタアシャブなどで,イスラエル軍と交戦し,同軍兵士15人が死亡したほか,「ヒズボラ」メンバー約40人が死亡
06. 8.12  レバノン南部各地で,翌日にかけてイスラエル軍と交戦し,同軍兵士約30人が死亡したほか,「ヒズボラ」メンバー約50人が死亡
08. 5. 6  「ヒズボラ」は,レバノン政府による同組織に対する締め付けを企図した措置(「ヒズボラ」に近いとされるベイルート空港治安担当責任者の更迭など)に反発し,ベイルートから同空港に通じる道路上で座り込みをするなどして道路を封鎖した上,レバノン治安部隊と衝突・銃撃戦となり,双方で80人以上が死亡
12. 1.12  タイで,レバノン生まれのスウェーデン人が,爆発物関連物質の不法所持容疑で逮捕。タイ国防相は「容疑者が『ヒズボラ』のメンバーである」と指摘。同国警察当局は,首都バンコク郊外の商店兼倉庫を捜査し,尿酸肥料約4トン,硝酸アンモニウム約290リットルなどを押収
12. 7. 7  キプロス南部・リマソルで,イスラエル権益への攻撃を計画していた疑いで,「ヒズボラ」のメンバーとされるレバノン生まれのスウェーデン人が逮捕
12. 7. 8  ブルガリア東部・ブルガスの空港で,イスラエル中西部・テルアビブからの航空機で到着した観光客を乗せたバスを標的とした自爆テロが発生。ブルガリア外務省によると,少なくとも7人(自爆犯1人を含む)が死亡,32人が負傷。同国政府は,2013年2月,「ヒズボラ」による関与の可能性を示唆
13. 5.25  ナスララ書記長が,演説を通じて,「ヒズボラ」戦闘員がシリアにおいて同国政府軍と共に戦闘に参加していると表明
13. 6  シリア軍と共に,同国首都ダマスカス郊外における要衝の町クサイルを同国反体制派から奪還 
14. 6.23  ダマスカス近郊のカラムーン地域で,シリア軍と共に,同国反体制派に対する掃討作戦を開始
14. 7.13  シリアとレバノンとの国境地帯で,「ヌスラ戦線」戦闘員と交戦し,「ヒズボラ」戦闘員7人が死亡(「ヌスラ戦線」の損害は不明)
14.10. 5  レバノン東部で,シリアから侵入してきた「ヌスラ戦線」戦闘員と交戦
15. 1.28  イスラエルとレバノンの国境地帯で,「ヒズボラ」とイスラエル軍が交戦(イスラエル軍兵士2人,UNIFILのスペイン人隊員1人が死亡)
15. 5.16  ナスララ書記長が,シリアに派遣された「ヒズボラ」の部隊が同国政府軍と協力してダマスカスの北東に位置する戦略地点のカラムーン地域からISILと「ヌスラ戦線」を一掃した旨発表
16. 1. 4  シェバア農場付近で,パトロールに当たっていたイスラエル軍車両を攻撃
16. 5.20  ナスララ書記長が,「ヒズボラ」軍事部門指導者ムスタファ・バドレッディンが,同月13日にダマスカス郊外で発生した爆発で死亡した旨発表
16.12.23  ナスララ書記長が,シリアのアサド大統領が同月15日に行った「アレッポ解放宣言」を受け,同地における勝利を宣言
17. 7.11  ナスララ書記長が,シリア北部・モスルをISILから解放したことについて,「偉大なる勝利」と称賛
17. 7.26  ナスララ書記長が,レバノン北東部・アルサルにおける「ヌスラ戦線」掃討作戦について,「大きな勝利を挙げた」と宣言
17. 8.28  ナスララ書記長が,レバノン北東部・アル・カーア及びラス・バールベックからISILが撤退したことを受け,テロリストからのレバノン全土の解放を宣言

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