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ヌスラ戦線(現「タハリール・アル・シャーム機構」〈HTS〉)
Al-Nusrah Front

シリア北西部を拠点に活動するスンニ派過激組織。「ファテフ・アル・シャーム戦線」(JFS)を経て,2017年1月以降,複数の反体制派勢力と共に「タハリール・アル・シャーム機構」(HTS)を結成して活動。

別称:
①Jabhat al-Nusrah,②Jabhet al-Nusrah,③The Victory Front,④al-Nusrah Front for the People of the Levant,⑤al-Nusrah Front in Lebanon,⑥Jabhat al-Nusra li-Ahl al-Sham min Mujahedi al-Sham fi Sahat al-Jihad,⑦Support Front for the People of the Levant,⑧Jabhat Fath al-Sham,⑨Jabhat Fath al Sham,⑩Jabhat Fateh al-Sham,⑪Front for the Conquest of Syria,⑫The Front for liberation of al Sham,⑬Front for the Conquest of Syria/the Levant,⑭Front for the Liberation of the Levant,⑮Conquest of the Levant Front,⑯Fatah al-Sham Front,⑰Fateh Al-Sham Front, ⑱Hayat Tahrir al-Sham(注1)

(1) 設立時期

2012年1月頃(注2)(注3)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

シリア政府の打倒や同国でのシャリーアに基づく統治体制の樹立などを活動目標に掲げている(注4)(注5)(注6)。ただし,統治体制の樹立については,単独で実現するのではなく,イスラム主義を掲げる他の反体制派勢力などとの合意の上で実現するとの姿勢を示している(注7)

イ 攻撃対象

政府,治安部隊,親政府系民兵組織などを主な攻撃対象としている。このほか,シリアで自治権確立を目指して活動するクルド人勢力,アラウィー派やキリスト教徒などイスラム教スンニ派以外の宗派,他宗教に属する住民などを標的とした攻撃も実行してきたほか,2014年1月以降は,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)との間で本格的な衝突を繰り返してきた。

また,2015年9月にロシアがシリアでの空爆を開始して以降は,「ロシアによるスンニ派ムスリムの無差別な殺害」に報復する旨主張している。

欧米諸国については,シリア和平に向けた取組に関与していることから,批判する立場を採っているものの,これら諸国からの攻撃がない限り,攻撃対象とはしない旨明言している。なお,欧米での攻撃に活動の主軸を置いていると指摘される「ホラサン・グループ」(注8)の存在も否定している(注9)

(3) 活動地域

活動拠点は,主に,シリア北西部・イドリブ県や北部・アレッポ県,南部・ダルアー県や首都ダマスカス周辺の地域である。

また,トルコ国内においても,シリア北部での活動を兵站(たん)面で支援するための工作員や支援者のネットワークが存在している可能性があるとの指摘(注10)があるほか,2014年頃からは,レバノンでの活動も見られるようになった。

(4) 勢力

2017年10月時点で2万5,000人と見積もられるとの指摘がある(注11)。戦闘員の中核はシリア人とされ,過去にイラクなど他の紛争地で戦闘経験を積んだ者も多いとされる(注12)。このほか,シリア以外の中東,北アフリカ,欧州,中央アジア地域などの出身の戦闘員も存在するとされる。

(5) 組織・機構

ア 最高指導者,幹部

(ア) アブ・ムハンマド・アル・ゴラニ(又はジャウラニ)(Abu Muhammad al-Golani〈又はal-Jawlani〉)(注13)

「ヌスラ戦線」の設立者で最高指導者。1975年から1979年の間の生まれ。シリア東部・デリゾール県の村シュハイル出身との指摘もある(注14)。アブ・ムハンマド・アル・ゴラニは偽名であり,本名については,ウサマ・ハダウィー又はウサマ・ワーヒディーとの指摘があるが,定かではない。

同人は,元々は宗教的に穏健であったが,シリア首都ダマスカスの大学で医学を学んでいた2003年に米軍主導の「イラクの自由作戦」が開始されたことを受け,徐々に宗教的に熱心になったとされる。さらに,同人は,この頃から,「アルカイダ」に理論面で影響を与えたとされるシリア出身のムスタファ・セトマリアム・ナサル(アブ・ムスアブ・アル・スーリ)(注15)の著書を読みふけるようになり,2005年,「アルカイダ」関係者の手引きでイラクに入国し,「イラクのアルカイダ」(AQI,現ISIL)のアブ・バクル・アル・バグダディ(現ISIL最高指導者)と出会うなどした。

ゴラニは,2006年にレバノンを経由してシリアに帰国し,2007年初頭に再度イラク入りしたところ,米軍に拘束・収監されたが,2008年の釈放後,バグダディに合流し,バグダディによってイラク北部・モスルにおける「イラク・イスラム国」(ISI,現ISIL)の指導者に任命されたとされる(注16)。シリアでの反政府運動発生(2011年3月)後,同人は,バグダディの指示を受けてシリアに派遣され,既に同国で活動していた他のISI戦闘員と共に,ISIの同国における関連組織として「ヌスラ戦線」を結成したとされる(注17)

2013年4月,バグダディが「ヌスラ戦線」のISILへの統合を一方的に宣言したのに対して,ゴラニは声明を発出し,これを拒否した上で,独自に「アルカイダ」最高指導者アイマン・アル・ザワヒリに忠誠を表明した。

ゴラニは,2017年1月に発出した声明の中で,複数の反体制派勢力と共に,「タハリール・アル・シャーム機構」(HTS)の結成を宣言の上,自身がHTS軍事総司令官に就任したことを明らかにした(注18)。同人は,同年10月,HTS最高指導者に就任した(注19)

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2013年7月,同人を制裁対象に指定した。

(イ) アブ・フィラス・アル・スーリ(Abu Firas al-Suri)(死亡)
別名:
レドウアン・ネムス(Redouan Nemous)

元報道担当(注20)。過去,シリア軍に所属していたが,「イスラム教への傾倒」を理由に除隊処分となり,その後,同国の「ムスリム同胞団」に加入し,1979年及び1980年には,同国のハーフェズ・アサド政権(当時)に対する暴動に参加したとされる。

同人は,その後,アフガニスタンに渡り,同地でオサマ・ビン・ラディンと親交を深めたとされるほか,「アルカイダ」設立時からの同組織メンバーとの指摘もある(注21)。米国同時多発テロ事件後,「アルカイダ」指導部の家族らがアフガニスタンから逃走するのを支援したとされる。2003年以降,イエメンに潜伏していたが,2013年には,「アルカイダ」指導部の指示を受け,関係が悪化した「ヌスラ戦線」とISILとの間を仲裁するため,シリアに派遣されたとされる。

2016年4月,「ヌスラ戦線」は,米軍のシリア北西部での空爆で,同人が死亡したとする声明を発表した。

(ウ) フッサム・アル・シャフィイー(Hussam al-Shafiee)
別名:
アブ・アンマール・アル・シャーミ(Abu Ammar al-Shami)

報道担当とされる。2016年12月,JFSの報道担当として,同月に発生した駐トルコ・ロシア大使の殺害への関与を否定する声明などを発出した(注22)

(エ) サミ・アル・オレイディ(Sami al-Oreidi)
別名:
アブ・マハムード・アル・シャーミ(Abu Mahamoud al-Shami)

「ヌスラ戦線」における宗教指導者の一人。2013年8月,「ヌスラ戦線」の声明に初めて登場し,「シャリーアやハディース(注23)などに関するヨルダン人学者」などと紹介されたほか,同年10月には,同組織が発出した声明の中で,同組織の理念や戦略などについて説明を行った。

同人は,2014年初頭以降,シリア南部・ダラアー県で,「ヌスラ戦線」のシャリーア法廷責任者兼上級司令官として活動していたが,2016年初頭までにはシリア北部に移動したとされる。

同人は,2017年1月のHTSの結成を受け,組織から脱退したとされる(注24)

(オ) アブ・スレイマン・アル・ムハージル(Abu Suleiman al-Muhajir)
別名:
モスタファ・マハメド(Mostafa Mahamed),モスタファ・ファラグ(Mostafa Farag),アブ・スレイマン・アル・オーストラリ(Abu Suleiman al-Australi)

「ヌスラ戦線」におけるシャリーア評議会のメンバーの一人(注25)。エジプト系オーストラリア人であり,オーストラリア南東部・シドニーのコミュニティ・センターなどでシリア反体制派勢力への支援などを呼び掛け,2013年にシリアに渡航し,「ヌスラ戦線」に参加したとされる。2016年6月頃からSNS上における活動を活発化させ,シリアのムスリムに対し,ジハードを支援するよう呼び掛けるなどした。

同人は,2016年10月,JFSから離脱することを宣言した(注26)

なお,オーストラリア政府は,2015年8月,「ヌスラ戦線」のための資金調達及びリクルート活動に関与しているとして,同人を制裁対象に指定した。また,米国財務長官は,2016年5月,「ヌスラ戦線」の上級構成員であるとして,同人を特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定した。

(カ) アナス・ハサン・ハッタブ(Anas Hasan Khattab)
別名:
アブ・ハムザ(Abou Hamzah),サミル・アフメド・アル・ハッヤト(Samir Ahmed al-Khayyat)

兵站(たん)部門責任者。1986年4月7日生まれ。シリア人とされる。過去,ISIで活動し,その後,「ヌスラ戦線」の結成にも関与したとされる。

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2014年9月23日,同人を制裁対象に指定した。

(キ) マイサル・アリ・モウサ・アブドッラー・アル・ジュボウリ(Myassar Ali Mousa Abdullah al Jubouri)
別名:
アブ・マリヤ・アル・カハターニ(Abu Mariya al-Qahtani),アル・ガリブ・アル・ムハージル(al-Gharib al-Muhajir)

シャリーア部門責任者。1976年6月1日生まれ。イラク人。過去,ISIで活動し,2011年にシリア入りしたとされる。「ヌスラ戦線」のシリア東部・デリゾール県における責任者であったが,2014年6月頃,ISILによる攻勢を受けて撤退し,2016年初頭には,シリア北西部に移動したとされる。

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2014年9月,同人を制裁対象に指定した。

(ク) アブダッラー・ムハンマド・ビン・スレイマン・アル・ムハイシニ(Abdallah Muhammad Bin Suleiman al-Muhaysini)
別名:
アブ・ムハンマド(Abu Muhammad)

宗教アドバイザーとされる。サウジアラビア人。2016年4月にシリア北部で戦闘員のリクルート活動に従事したほか,2013年から2015年の間,「ヌスラ戦線」によるシリア北西部・イドリブ県の統治を支援するため数百万米ドルを調達するなど,財政支援において重要な役割を果たしたとされる。

同人は,自身が独立した立場にあり,「ヌスラ戦線」やその他のいかなる勢力にも属していない旨主張しているが,2017年1月,HTSへの結成に関与するとともに,HTSに公式に加入することを宣言したとされる。

(ケ) アフマド・サラマ・マブルーク(Ahmad Salama Mabruk)(死亡)
別名:
アブ・アル・ファラジ・アル・マスリ(Abu al-Faraj al-Masri)

諮問評議会の中枢メンバーの一人で,上級司令官であったとされる。エジプト人。エジプトの「ジハード団」元メンバーで,同組織の指導者であった現「アルカイダ」最高指導者ザワヒリの側近の一人であり,後に「アルカイダ」に加入したとされる。2015年にシリアに渡航し,「ヌスラ戦線」に加入した。ゴラニが「アルカイダ」からの離脱や新組織JFSの結成などを宣言した声明(動画)に登場した。

2016年10月,JFSは,米軍のシリア北西部での空爆で,同人が死亡したとする声明を発表した。

(コ) アブ・アブドッラー・アル・シャーミ(Abu Abdullah al-Shami)
別名:
アブドルラヒーム・アトウン(Abdurrahim Attoun)

諮問評議会メンバーとされる。「ヌスラ戦線」が発出した声明の中で,米国による空爆やISILを批判したほか,シリアの反体制派勢力の団結などを訴えた。ゴラニが「アルカイダ」からの離脱や新組織JFSの結成などを宣言した声明(動画)に登場した。

同人は,2017年1月に結成されたHTSに加入し,宗教・司法委員会のメンバーになったとされる。

(サ) アブデルラフマン・モウハマド・ザフィル・アル・ダビディ・アル・ジャハニ(Abdelrahman Mouhamad Zafir al Dabidi al Jahani)

外国人戦闘員のリクルート・ネットワークなどを運営。1971年12月4日又は1977年生まれ。サウジアラビア人。「アルカイダ」の工作員として活動し,2013年半ばまでにパキスタンからシリアに渡航し,「ヌスラ戦線」に加入したとされる。

国連安保理「アルカイダ」制裁委員会は,2014年8月,同人を制裁対象に指定した。

(シ) ジャマル・フセイン・ゼイニヤ(Jamal Hussein Zeiniyah)
別名:
アブ・マリク・アル・シャーミ(Abu Malik al-Shami),アブ・マリク・アル・タッリ(Abu Malik al-Talli)

レバノンとの国境付近のシリア南西部・カラムーン地域における指導者。シリア人。レバノン国内のシーア派集落などを標的とした攻撃を呼び掛けたとされる。

(ス) イヤド・ナズミ・サリフ・ハリル(Iyad Nazmi Salih Khalil)
別名:
アブ・ジュライビーブ・アル・ウルドゥーニ(Abu Julaybib al-Urduni),イヤド・アル・トウバシ(Iyad al-Toubasi),アブ・アル・ダルダ(Abu al-Darda)

治安情報責任者兼司令官。1974年,シリア生まれのヨルダン人。「アルカイダ」に忠誠を誓い,アフガニスタンでの訓練経験もあるとされる。2000年代中頃,AQI(現ISIL)に加入したとされる。2011年,バグダディによって,ゴラニと共にシリアに派遣され,「ヌスラ戦線」の設立に関与したとされる(注27)

同人は,当初,シリア南部・ダラアー県における「ヌスラ戦線」司令官を務めていたが,2016年初頭にシリア北西部に移動し,ゴラニによって,ラタキア県における同組織司令官に任命されたとされる。同年3月以降,同県で活動していたが,ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱や新組織JFSの結成などを受け,組織を脱退したとされる。シリアで新たな「アルカイダ」関連組織を結成するために活動しているとの指摘があり(注28),2017年10月初旬に結成が発表されたイスラム過激組織「シャームの地におけるアンサール・アル・フルカン」(AFS,「シリアにおけるコーランの支持者たち」の意)の指導部を率いる者の一人と指摘されている(注29)

国連安保理ISIL及び「アルカイダ」制裁委員会は,2017年2月,同人を制裁対象に指定した。

イ 組織形態,意思決定機構

中央組織として,最高指導者及びその下に置かれる諮問評議会が存在するとされる。これら中央組織の下,各地域に政治,軍事,宗教を担当する3指導者で構成される地方統括組織が存在し,中央組織が発する戦略的な指示に従って,各地域の活動を指導しているとされる。さらに,シリアの各県には,それぞれ「軍事会議」が置かれ,同「会議」の指揮下に,県単位で構成される戦闘部隊が存在するとされる(注30)。「軍事会議」は,指揮下にある戦闘部隊の作戦立案のほか,これら部隊を代表して声明の発出を行っているとされる。また,各地に独自のシャリーア法廷を配置しているとされる。

(6) 沿革

「ヌスラ戦線」は,シリアでの反政府運動発生(2011年3月)後,ISIの支援を受けて,ゴラニを指導者としてシリアにおけるISIの関連組織として結成され,当初はISI最高指導者バグダディの影響下にあったとされる。

「ヌスラ戦線」は,2012年1月,初めて同組織名で声明を発出し,結成を宣言するとともに,活動目標がシリア政府の打倒や同国におけるシャリーアに基づく支配体制の樹立であることなどを発表した。同組織は,当初,爆弾テロを主な戦術とし,同国首都ダマスカスなどで治安機関施設を標的とした自爆テロなどを実行していたが,他の反体制派勢力と連携して軍の施設などを襲撃・占拠し,次第に反体制派内でも有力組織の一つとなったほか,同国北部や東部に事実上の支配地を有するようになった。

「ヌスラ戦線」とISIは相互の関係を秘匿してきたが,バグダディは,2013年4月,声明を通じて,①ISIからISILへの名称変更,②「ヌスラ戦線」のISILへの統合,③ISILのシリアへの活動拡大-などを一方的に宣言するとともに,「ヌスラ戦線」がISIの支援を受けて結成された組織であるなどと両組織の関係を明らかにした。これに対し,ゴラニは,声明を発出し,自組織の結成におけるISIの役割を認めつつも,統合を拒否し,「ジハードの師アイマン・アル・ザワヒリに改めて忠誠を誓う」と表明した。また,ザワヒリも,ゴラニとバグダディ両者に宛てた書簡(同年5月)の中で,「ヌスラ戦線」をシリアにおける「アルカイダ」支部として認めたとされる。他方,アサド政権軍やクルド人勢力との戦闘では,「ヌスラ戦線」はISILと連携していたとされるが,活動方針の違いなどをめぐり,次第にISILとの衝突が本格化し,主にシリア東部・デリゾール県などでISILと戦闘を繰り返す中で,2014年6月以降,同県などに有していた支配地の多くをISILに奪取されたとされる。

米国国務長官は,2012年12月,「ヌスラ戦線」をISIと同一の組織であるとして,外国テロ組織(FTO)指定におけるISIの項目に,別称として「ヌスラ戦線」の名称を追加し,2014年5月には,FTO指定におけるISILの項目から「ヌスラ戦線」の名称を削除し,新たに単独の組織として「ヌスラ戦線」をFTOに指定した。

(7) 最近の主な活動状況

ア HTS結成までの状況

2015年に入り,「ヌスラ戦線」は,「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」など他の反体制派勢力との連合体を複数結成し,シリア北西部・イドリブ県や同北部・アレッポ県などでアサド政権軍との戦闘を続け,同年3月には,イドリブ県都イドリブを占拠するなど,支配地を拡大させた(注31)

「ヌスラ戦線」は,2016年にも,レバノンとの国境付近のシリア南西部・カラムーン地域やヨルダンとの国境付近の南部・ダルアー県などでISILと戦闘を交える一方で,他の反体制派勢力などと共に,シリア北部・アレッポや首都ダマスカス近郊などでアサド政権軍との戦闘を継続したが,2015年9月にアサド政権がロシアの軍事支援を受けて攻勢を強めたことから,支配地を縮小させるなど,次第に劣勢に立たされていった。

こうした中,ゴラニは,2016年7月,かねてから取り組んできたアサド政権打倒に向けた他の反体制派勢力との統合の推進(注32)などを目的とし,「アルカイダ」からの離脱と新組織JFSの結成を発表した。ゴラニは,「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」など他の反体制派勢力や自組織内部から「アルカイダ」との関係断絶を迫られ(注33),組織を二分しての議論の末,分裂を避けるために離脱を選択したとされる(注34)

ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱宣言を受け,「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」は,これを歓迎する旨発表し,他の反体制派勢力に対して統合を呼び掛けたことから,ゴラニの思わくは功を奏した形になった。しかしながら,同年8月,トルコがISIL掃討作戦を名目にシリアへの軍事介入(「ユーフラテスの盾」作戦)を開始した際,同「運動」などはこれを歓迎したが,JFSは,これを拒絶したため,徐々に孤立を深めていくこととなった。

イ HTSの結成

反体制派勢力内でJFSの孤立化が進む中,2017年1月,「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」は,対JFSを目的に「共同作戦室」を立ち上げ,JFSへの攻勢を強めた。ゴラニは,これに対して,四つの反体制派勢力と共にHTSを結成し,JFSがHTSに発展的に解消されたことを発表した。

HTSは,結成以降,シリア首都ダマスカスや同国中部・ハマ県,南部・ダラアー県などで,アサド政権軍に対する攻撃を実行しており,2017年5月には,「結成から100日間の成果」と題した動画を配信し,各地で合計12回の「殉教作戦」や襲撃を実行し,アサド政権軍の兵士850人以上を殺害したと主張した。

2017年7月以降,シリア北西部・イドリブ県各地で,HTSと「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」の対立が激化したが,HTSは,同県から同「運動」を排除して県都イドリブを制圧し,同県における支配をほぼ確立させた。また,10月には,ゴラニがHTSの軍事総司令官から最高指導者に就任するなど(注35),同人による権力固めが進んだ。他方で,それまで対ISIL掃討作戦に重きを置いていたアサド政権軍が,ISILの退潮が顕著になったことを受け,徐々に対HTS掃討作戦を強めたことから,イドリブ県や中部・ハマ県などでは,HTSの支配地は縮小してきている。

ウ 他勢力との連携

(ア) 「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)

第Ⅱ部1「イラク・レバントのイスラム国」〈ISIL〉(8)最近の主な活動状況 イ他勢力との連携 (イ)「ヌスラ戦線」を参照。

(イ) 「アルカイダ」

ゴラニは,2013年4月,「アルカイダ」最高指導者ザワヒリへの忠誠を表明し,ザワヒリも同年5月,ゴラニとISIL最高指導者バグダディの両者に宛てた書簡の中で,事実上,「ヌスラ戦線」をシリアにおける「アルカイダ」支部として認めたとされる。さらに,2015年8月には,「タリバン」が,最高指導者であったモハンメド・オマルの死亡を認めたことを受け,「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)や「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)と共同でオマルに賛辞を送る声明を発出するなど,他の「アルカイダ」関連組織との連携も見られた。

また,「アルカイダ」は,アフガニスタンなどからシリアにメンバーを派遣し,「ヌスラ戦線」などに対して訓練や指導を施してきたとされる。こうしたメンバーの中には,「ヌスラ戦線」の幹部を兼ねている者もいるとされるほか,「ヌスラ戦線」内部に独自のグループを形成し,同組織の支配地などを拠点として,「アルカイダ」のためにシリアへ流入した外国人戦闘員を対象に募集活動を行ったり,欧米諸国などを標的としたテロ実行のために爆弾の製造,開発などを行ったりしているとの指摘もなされた(注36)

こうした中,ゴラニは,2016年7月,アル・ジャジーラを通じて声明を発出し,他の反体制派勢力との統合を進めるためとし,「『ヌスラ戦線』の名称での全ての活動を完全に解消する」とした上で,新組織JFSの結成を宣言し,JFSについて,「外部のどの組織とも関係を有さない」とし,「アルカイダ」からの離脱を宣言した。

ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱及びその後のHTSの結成をめぐり,ゴラニと「アルカイダ」の間で「溝」が発生し,拡大したとみられる。ゴラニは,「アルカイダ」からの離脱を宣言した声明の中で,ザワヒリのほか,シリアに派遣されていたザワヒリの副官アブ・アル・ハーイル・アル・マスリへの感謝を表明し,離脱に関して「アルカイダ」及びザワヒリから了承を得たように演出したとみられるが,実際には,ザワヒリに相談なく離脱を宣言したとされ,ザワヒリは,ゴラニによる離脱宣言を拒絶したとされる(注37)。また,ゴラニによる2017年1月のHTS結成についても,ザワヒリの関知しないところで行われたとされる(注38)。ザワヒリは,これまで,AQIMが2017年3月に複数の傘下組織と共に広域で活動する新組織を結成した際などには,活動範囲の拡大につながるものとして祝福してきたが,HTS結成の際には,祝福しなかったとされる。こうした中,ザワヒリは,2017年11月の声明で,ゴラニが依然として「アルカイダ」の人物である旨主張するとともに,ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱宣言を拒絶する立場を明確に示した。

また,シリアには,ザワヒリから派遣された副官マスリを始め,「アルカイダ」の古参メンバーが活動していたが,これら古参メンバーは,ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱宣言に反発し,「ゴラニなどHTS中枢がザワヒリ師への忠誠に背いた」として,もはやHTSを「アルカイダ」の関連組織とみなしておらず,さらに,「アルカイダ」の主義主張に一層の忠誠を誓う独自の勢力を別途結成しようとしているとの指摘もなされた(注39)。こうした中,2017年10月,「シャームの地におけるアンサール・アル・フルカン」(AFS,「シリアにおけるコーランの支持者たち」の意)の設立声明が発表され,「アルカイダ」の古参メンバーらがAFSの指導部を率いているとされたが,翌11月に入り,HTSが,「HTSの評判をおとしめた」として,これら古参メンバーの一部を拘束したことが明るみに出た(注40)

(ウ) シリア反体制派勢力

「ヌスラ戦線」は,アサド政権軍との戦闘では,他の反体制派勢力とも幅広く連携してきたほか(注41),声明などを通じ,他勢力と協調する姿勢を示してきたことから(注42),そうした姿勢などを好意的に捉えている勢力もあるとされる。同組織は,2013年10月に発した声明の中で,他勢力との連携について,イスラム主義勢力は,互いの違いを乗り越えて積極的に連携していくとする一方で,世俗的な勢力に関しては,その姿勢を改めるよう促していくとする方針を示した(注43)

また,「ヌスラ戦線」は,ロシアがアサド政権への軍事支援を強化して以降,他の反体制派勢力との統合の必要性を強く認識していったとみられ,2016年1月には,統合に向けた協議が開催されたとされる(注44)。さらに,同年7月には,統合に向けて「アルカイダ」からの離脱と新組織JFSの結成を宣言したほか(注45),その後も声明などで統合を呼び掛けた(注46)

「ヌスラ戦線」(現HTS)と連携した主な勢力は以下のとおりである。

a 「自由シリア軍」(FSA)及び「シリア国民連合」

「ヌスラ戦線」は,アサド政権軍との戦闘では,「自由シリア軍」(FSA)とも連携してきた。一方で,主に世俗的な組織を傘下とするFSAとは,その活動目標において,互いに相容れないとされ,「ヌスラ戦線」内では,宗教指導者らが戦闘員に対してFSAを敵視するよう指導してきたとされる(注47)。こうしたことから,「ヌスラ戦線」とFSAの傘下組織とが散発的に戦闘を交えてきたともされる(注48)。また,「ヌスラ戦線」は,反体制派の代表組織「シリア国民連合」について,これまでの声明を通じて,「シリア国民を代表する存在ではない」としてその正当性を否定する姿勢を示してきた(注49)(注50)。このような姿勢は,HTS結成後も,基本的に変化はないとされる。

b 「イスラム戦線」(IF)

「イスラム戦線」(IF)は,複数のイスラム主義武装勢力(注51)から成る連合体で,2013年11月に結成され,アサド政権軍などとの戦闘において,「ヌスラ戦線」と連携してきたとされる。IFは,その活動目標として,「ヌスラ戦線」と同様に,「イスラム国家の樹立」や「シャリーアの施行」を掲げており,両者は,反体制派内でも,思想的に近い関係にあるとされる。他方,「ヌスラ戦線」は,より極端なシャリーアの解釈を前提としているところ,より穏健な解釈を示すIFとの間には隔たりもあるともされる(注52)

c 「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」

「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」は,2012年1月に結成され,アサド政権軍などとの戦闘において,「ヌスラ戦線」と連携してきたとされる。同「運動」の指導者ハサン・アブード(2014年9月死亡)は,2013年6月,メディアとのインタビューで,「ヌスラ戦線」との関係について,「組織的なつながりはない」とする一方で,「『ヌスラ戦線』とは何度も共同で作戦を実行してきた。彼らの活動は,真摯(し)であり,また,勇敢で忍耐強い。たとえ,米国が(『ヌスラ戦線』を)制裁対象に指定しても,我々は,彼らと共に戦うことをやめないだろう」などと語った。また,同「運動」の幹部であったアブ・ハーレド・アル・スーリ(2014年2月死亡)は,「シリアにおける『アルカイダ』の代理人」とも称され,2013年には,ザワヒリから,関係が悪化していったとされる「ヌスラ戦線」とISIL両指導者の仲裁役に任じられていたとされる。

同「運動」は,2015年3月には,「ヌスラ戦線」を含む複数のイスラム主義勢力と共に,連合体「ジャイシュ・アル・ファテフ」を結成して継続的な共闘関係を結び,以降,シリア北部・アレッポ県や同国北西部・イドリブ県などでアサド政権軍と戦闘を交えた。他方,「ジャイシュ・アル・ファテフ」を構成する勢力の内部では,これら勢力の「完全な統合」に向けた協議が開催されたが,同「運動」は,「統合」に向け,「ヌスラ戦線」が「アルカイダ」から離脱することを要求したとされる。

こうした中,2016年8月のトルコによるシリアへの軍事介入をめぐり,同「運動」はこれに肯定的であったことから,軍事介入に否定的なJFSと対立した。2017年にHTSが結成された後は,対立を一層深め,同年7月にはイドリブ県各地で激しく衝突した。

d 「ジャイシュ・アル・ムハジリーン・ワル・アンサール」(JMA)

「ジャイシュ・アル・ムハジリーン・ワル・アンサール」(JMA)は,2012年半ばに結成され,アサド政権軍などとの戦闘において,「ヌスラ戦線」と緊密に連携してきたとされる。また,JMAは,当初,ISILと「ヌスラ戦線」との対立には中立な立場であったため,当時の指導者サラーハッディーン・アル・シシャニは双方の争いの仲裁を行ったとされる。

JMAは,2015年8月頃,指導部が再編され,同年9月に「ヌスラ戦線」への忠誠を表明し,同組織に合流したとされる。指導部の再編には,「ヌスラ戦線」や「アルカイダ」とのつながりを有する著名な聖職者らが重要な役割を果たしたとされる。

e 「ジュンド・アル・アクサ」

「ジュンド・アル・アクサ」は,オサマ・ビン・ラディンやザワヒリと近い関係にあったとされるシェイク・アブドゥル・アジズ・アル・カタリが「ヌスラ戦線」から離脱して設立した組織で,従来から「ヌスラ戦線」と連携してきたとされる。2015年3月には,「ヌスラ戦線」らと共に,連合体「ジャイシュ・アル・ファテフ」を結成し,継続的な共闘関係を結んだものの,同年10月には,ISILを正統な「カリフ国家」と認めないとしつつも,ISILとの戦闘は望まないとし,同連合体からの離脱を表明した。その際には,同連合体に加盟する「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」の政策や戦術を非難していたともされる。

こうした中,「ジュンド・アル・アクサ」は,2016年10月,「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」からISILとの協力関係を指摘され,同「運動」と対立したところ,同月,JFSに忠誠を表明し,同組織に合流した。なお,旧「ジュンド・アル・アクサ」勢力の一部は,その後もISILとの協力関係を維持していると指摘されている(注53)

HTSの結成後,「ジュンド・アル・アクサ」は,HTSと一部の戦闘で共闘するなどしているとされるが,具体的な関係は不明とされる(注54)

(エ) その他

2013年1月以降,レバノンでは,首都ベイルートの「ヒズボラ」拠点地域などで爆弾テロが発生し,「レバノンのヌスラ戦線」を名のる組織が,「『ヒズボラ』がシリア・アサド政権を支援していることへの報復である」などとして,犯行を自認してきた(注55)

このほか,アフガニスタンなどを活動地域とするイスラム過激組織「ウズベキスタン・イスラム運動」(IMU)が,「ヌスラ戦線」内部のウズベキスタン人部隊のため,人員のリクルートを行っていたとの指摘もある(注56)

エ 資金獲得活動

結成当初は,ISI(当時)から資金提供を受けていたとされたが,その後は,主にシリア国外の中東湾岸地域における富裕な個人などからの資金提供に依存しているほか,身代金目的の誘拐などからも資金を得ているとされる(注57)(注58)。このほか,支配地内の幹線道路などに検問所を設置し,「通行料」を徴収しているとされる(注59)

これまで,国連や米国政府などは,「ヌスラ戦線」の資金調達担当とされる複数の人物をそれぞれ制裁対象に指定している。国連安保理は,2014年7月,「ヌスラ戦線」などが占拠した油田から原油を密輸し,資金源としていることを非難する議長声明を採択した。

オ リクルート活動

主に,シリア国内のスンニ派を対象に戦闘員のリクルートを図っているとされる。2016年4月頃には,複数の反体制派勢力などによって大規模な戦闘員の動員キャンペーンが開始され(注60),「ヌスラ戦線」は,同年5月頃までに,10代の若者ら約3,000人の戦闘員を新たに獲得したとされる(注61)。また,インターネットを通じた呼び掛けやシリア国内外に存在する募集ネットワークを通じて,外国人戦闘員の参加も募っているとされる(注62)。ただし,ISILによる統合宣言を拒否(2013年4月)して以降,「ヌスラ戦線」から多数の外国人戦闘員が離脱してISILに合流したとされる(注63)。このほか,支配地では,独自の宗教教育を通じて,子供たちに対する影響力の浸透も図っているとされる(注64)。こうした活動は,HTSの結成後も引き続き行われているとされる。

カ 戦闘員に対する教育訓練

「ヌスラ戦線」は,シリア国内に複数の訓練キャンプを有していたとされる(注65)(注66)。同組織関係者は,2012年12月末,メディアからのインタビューに対して,同組織による訓練について言及し,「戦闘員として志願する者に対して,10日間の宗教教育を課し,同教育を通じて,志願者のイスラム教に対する理解,道徳観などを評価し,その後,15日間から20日間の軍事訓練を課している」などと語った。同組織は,2013年8月,独自の訓練キャンプの模様と称する動画を公開したが,動画では,新たに募集された戦闘員が,自動小銃,拳銃,対戦車ロケット弾,重機関銃などの火器を用いた訓練を受けている模様が紹介された。

なお,HTS結成後は,戦闘経験豊富な者らを中心に精鋭部隊を組織しているとされる(注67)

キ 支配地での活動

「ヌスラ戦線」は,支配地において,地元住民からの支持獲得を狙い,食料,水,燃料などの生活必需品やインフラ設備の補修に必要な資金や資材を提供しているほか,診療所の設置なども行っているとされる。また,行政(注68),司法機関を立ち上げ,独自のシャリーア解釈に基づき,秩序の維持を図っているとされる(注69)(注70)。このほか,地元住民を対象に,「神学校」を設立し,独自の解釈に基づくイスラム神学やジハードのあり方などについて指導しているとされる。HTS結成後は,イドリブ県などで,道路を始めとするインフラ整備や民生活動を強化し,地元住民への求心力を高めようとしているとされる。

ク 武器の入手

アサド政権軍や他の反体制派勢力などからの略奪やシリア国外からの密輸などを通じて,武器や弾薬を入手しているほか,独自に武器の生産を試みているとされる。

ケ 宣伝活動

「ヌスラ戦線」は,複数のメディア部門を有し,各部門は,同組織が発出する声明やその他宣伝を目的とした動画などを,インターネットやそれぞれの部門が有するSNSなどに投稿してきた。このうち,「アル・マナラ・アル・バイダ」(Al-Manara al-Bayda;White Minaret)は,指導部による重要声明や主要な攻撃に関する犯行声明などを発出してきた。

2014年2月に設立が発表された「アル・バシーラ・メディア・ファウンデーション」(al-Baseera Media Foundation)は,「ヌスラ戦線」幹部とされる人物が支配地での人心掌握の重要性などについて配下の戦闘員に指導する模様などを収めた動画を掲載したほか,「通信員ネットワーク」(Correspondent Network)は,オンライン英語機関誌「毎月の収穫」(Monthly Harvest)を通じて,「ヌスラ戦線」の活動に関する発表を月単位で配信してきた。

また,2015年7月には,「ヌスラ戦線」戦闘員が関与しているとされるオンライン英語機関誌「リサーラ」(手紙の意)が発刊され,アサド政権軍に対する「戦果」やISILへの非難などを主張している。

JFSの結成以降は,新たに「ブンヤーン・メディア・ファウンデーション」を名のるメディア部門が最高指導者ゴラニによる音声声明を発出した。

HTSの結成以降は,HTSの通信社とされる「エバア通信」を通じて,各地における活動状況を配信している。

年 月 日  主要テロ事件,主要動向等
12. 1.24  結成宣言
12. 2.10  シリア北部・アレッポ県で,軍情報機関施設を標的とした自爆テロを実行し,少なくとも25人が死亡,175人が負傷
12. 3.17  シリア首都ダマスカスで,軍情報機関施設などを標的とした自爆テロを実行し,少なくとも27人が死亡
12.10.12  シリア北部・ラッカ県タナ地区で,他の反体制派組織と共に,軍の基地を攻撃し,占拠
12.12. 9  アレッポ郊外のシェイク・スレイマン地区で,他の反体制派組織と共に,軍の基地を攻撃し,占拠
13. 2. 1  シリア南部・クネイトラで,軍情報機関施設を標的とした自爆テロを実行し,53人が死亡
13. 2.11  シリア東部・ハサカ県シャダディ地区で,自爆テロを実行し,治安部隊員14人が死亡
13. 3. 3  他の反体制派組織と共に,シリア北部・ラッカを攻撃し,同市を占拠
13. 3.23  シリア南部・ダルアー県サイダ地区付近で,他の反体制派組織と共に,軍の基地を攻撃し,占拠
13. 4.10  「アルカイダ」最高指導者アイマン・アル・ザワヒリに忠誠を表明
13.10.19  ダマスカスで,軍の検問所を標的とした自爆テロを実行し,16人が死亡
13.10.20  シリア中部・ハマで,軍の検問所を標的とした自爆テロを実行し,43人が死亡
14. 1  「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)との衝突が本格化
14. 5.25  シリア中部・ホムス県のアラウィー派居住地区で,自動車を用いた爆弾テロを実行し,13人が死亡
14. 8. 5  他の反体制派組織と共に,レバノン領内に侵入し,治安部隊との戦闘の末,同国北東部の町アルサルを占拠(同月7日にはシリア領内に撤退)
14. 8.28  クネイトラ付近で,イスラエルとシリア間の停戦監視活動に当たっていた国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)の要員であるフィジー軍の兵士45人を拘束(同年9月11日に全員を解放)
14.10. 5  レバノン東部に侵入し,「ヒズボラ」の拠点を攻撃
15. 1.10  レバノン北部・トリポリで,飲食店を標的とした自爆テロを実行し,約10人が死亡
15. 3.24  他の反体制派勢力と共に,連合体「ジャイシュ・アル・ファテフ」を結成し,3月28日には,アサド政権軍との戦闘の末,シリア北西部・イドリブ県都イドリブを占拠
15. 4  他の反体制派勢力と共に,連合体「勝利の戦場」を結成し,イドリブ県の町ジスル・アル・シャグールを占拠
15. 4  「ジャイシュ・アル・ファテフ」は,政府軍との戦闘の末,イドリブ県のアル・カルミード軍基地を占拠
15. 7. 2  他の反体制派組織と共に,連合体「アンサール・アル・シャリーア」を結成
15.12. 1  レバノン当局との間で捕虜交換に合意
16. 1. 9  イドリブ県で,「ヌスラ戦線」の捕虜収容施設が空爆を受け,少なくとも市民を含む57人が死亡。ロシアによる空爆との指摘
16. 4  他の反体制派組織と共に,アレッポ北方やダルアー県におけるISILとの戦闘のほか,ラタキア県における軍との戦闘の末,多数の村を占拠
16. 5  「ジャイシュ・アル・ファテフ」は,政府軍との戦闘の末,アレッポ南西のハーン・トゥマンを制圧
16. 6  「ジャイシュ・アル・ファテフ」は,ラタキア県において,「ヤルムークの戦い」と名付けた新たな攻勢を開始
16. 7.28  「アルカイダ」からの「離脱」及び新組織「ファテフ・アル・シャーム戦線」(JFS)の結成を宣言
17. 1.28  JFS最高指導者ゴラニが,他の反体制派勢力と共に,「タハリール・アル・シャーム機構」(HTS)を結成し,JFSのHTSへの発展的解消を発表(ゴラニはHTS軍事総司令官に就任)
17. 3.11  ダマスカスのシーア派聖廟(びよう)付近で,連続自爆テロを実行し,イラク人巡礼者ら少なくとも74人が死亡
17. 7  「アハラール・アル・シャーム・イスラム運動」との激しい交戦の末,イドリブ県の支配をほぼ確立
17.10. 1  HTS軍事総司令官ゴラニが,最高指導者に就任

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