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アルカイダ
Al-Qaida

米国を始めとする西側諸国に対するテロを主張するスンニ派過激組織。米国及びその同盟国を主な攻撃対象ととする「グローバル・ジハード」を主張。

別称:
①The Base,②Al Qaeda,③Islamic Salvation Foundation,④The Group for the Preservation of the Holy Sites,⑤The Islamic Army for the Liberation of Holy Places,⑥The World Islamic Front for Jihad Against Jews and Crusaders,⑦Usama Bin Laden Network,⑧Usama Bin Laden Organization,⑨Al Qa'ida,⑩Al Qa'ida/Islamic Army,⑪Qa'idat al-Jihad

(1) 設立時期

1988年8月

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

「カリフ国家」を復興すること(注1) (注2)。同目的の達成の手段として,いわゆる「グローバル・ジハード」を主張(注3)

イ 攻撃対象

(ア) 「シオニスト・十字軍」(注4)

イスラエル,米国及び米国の同盟国。「西側十字軍」又は単に「西側」などと呼称する場合もある。「外の敵」とも言われる(注5)

「アルカイダ」は,「シオニスト・十字軍」の中でも,特に米国を最優先の攻撃対象とみなしている(注6)

「アルカイダ」は,我が国についても,「シオニスト・十字軍」の側にあるとの見方を示している。我が国又は我が国と似た条件の対象を標的として示唆する「アルカイダ」の主な発言は次のとおりである。

年月日 発言者(推定含む) 発言概要
03.10.18 オサマ・ビン・ラディン(声明)  「我々は,適時適所でこの不正義の(イラク)戦争に参加している全ての国々,特に英国,スペイン,オーストラリア,ポーランド,日本及びイタリアに対して応戦する権利を留保している」(アル・ジャジーラ)
04. 5. 6 オサマ・ビン・ラディン(声明)  「日本やイタリアのような安保理の奴隷としてイラクに滞在する国の国民を殺害した者には,金500グラムを与える」(アル・ジャジーラ)
04.10. 1 アイマン・アル・ザワヒリ(声明)  「我々は,今すぐ,抵抗を開始すべきである。米国人や英国人,オーストラリア人,フランス人,ポーランド人,ノルウェー人,韓国人及び日本人は,あらゆる地で各自の権益を有し,(中略)アフガニスタンやイラク,チェチェンの占領に参画し,又はイスラエルに対してその生存に資する手段を提供してきた」(アル・ジャジーラ)
08. 4.22 アイマン・アル・ザワヒリ(声明)  「日本は十字軍同盟の旗の下に(イラクで)支援活動を展開した」ため,「イスラムの地に対する十字軍の共犯者である」(公募した質問への回答。イスラム過激派系のウェブサイト)
 10年5月以降に作成 オサマ・ビン・ラディン(書簡)  「私はまた,次のような意見についてあなたの考えを聞きたいと思う。それは,我々の能力を越えた一切,すなわち米国内での攻撃や前線での戦闘に費やすことができない一切のものを,まず韓国のような非イスラム国における米国権益を攻撃することに費やしてはどうか,というものだ」(注7)
(イ) 「十字軍の代理人である地元政権」(注8)

「十字軍」に協力的とみなすイスラム諸国の政権を意味する。「内の敵」とも言われる(注9)

「アルカイダ」は,米国を弱体化させることができれば,後ろ盾を失ったこれら政権を打倒することは容易とみなしている(注10)。なお,イランについては,「イスラムの敵(米国)への協力者」(注11)として敵視しているが,攻撃対象には含めていない(注12)

(ウ) 「イスラムの地を占領する国」

ロシア,中国,インド,フィリピン,ミャンマーなどをイスラム教徒を抑圧している国として名指し(注13)

(3) 勢力

100~300人との指摘(注14)や400~600人との指摘がある(注15)

(4) 活動地域

パキスタン北西部・連邦直轄部族地域北ワジリスタン地区並びにアフガニスタン東部,南東部及び南部など(注16)。ただし,2014年6月にパキスタン軍が開始した北ワジリスタン地区での軍事作戦を受けて,同地区から国境を越えてアフガニスタンに逃れてきているとの指摘もある(注17)。なお,「アルカイダ」指導部などは,自らの所在地などを「ホラサン」(注18) と呼称することがある。

(5) 組織・機構

ア 指導者,幹部など

(ア) アイマン・アル・ザワヒリ(Ayman al Zawahiri)
本名:
アイマン・ムハンマド・ラビ・アル・ザワヒリ(Aiman Muhammad Rabi al Zawahiri)

最高指導者(2011年6月頃就任)。1951年6月19日生まれ。エジプト・ギザ出身。エジプト国籍。イスラム過激組織「ジハード団」(注19)元指導者。

エジプトの名門一族の生まれで,カイロ大学総長の祖父,アル・アズハル(注20)総長の大伯父を持つ。15歳のとき,エジプトでの「イスラム国家樹立」を目指す地下組織を設立し,カイロ大学医学部進学後に他の組織と統合して「ジハード団」を指導した。

1981年10月に発生したサダト・エジプト大統領暗殺事件において,武器調達に関与したとして有罪判決を受けて投獄されたが,1984年に釈放された。1986年にはパキスタンへ入国し,同国で「ジハード団」再建に努めるとともに,オサマ・ビン・ラディンとの関係を構築した。その後,「ジハード団」の拠点をスーダンに移し,エジプト政府高官などに対するテロを実行した。1996年にスーダンからの退去を強いられた後,アフガニスタンへ入国し,オサマ・ビン・ラディンと共に対米テロを唱え,同人の側近として組織ナンバー2を務めた。現在,アフガニスタンとパキスタンの国境地域に潜伏しているとされる。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会(注21)は,2001年1月,同人を制裁対象に指定した。

(イ) オサマ・ビン・ラディン(Osama Bin Laden,Usama Bin Muhammad Bin Awad Bin Ladin)(死亡)

設立者,前最高指導者。1957年又は1956年生まれ,2011年5月2日死亡。サウジアラビア・ジッダ又はイエメン出身。元サウジアラビア国籍(剥奪)。

サウジアラビア有数の建設会社「サウジ・ビン・ラディン・グループ」創設者の17又は18番目の息子として生まれ,1979年12月末にソ連軍がアフガニスタンに侵攻した直後から,ソ連軍に抵抗するムジャヒディン(注22) の支援に取り組んだ。 1988年に「アルカイダ」を設立し,指導者に就任した。その後,スーダン滞在などを経て,1996年5月に再びアフガニスタンへ入国し,2001年9月の米国同時多発テロ事件を首謀した。2005年末頃から,パキスタン北西部・カイバル・パクトゥンクワ州(注23)アボタバードの隠れ家に潜伏していたが(注24),2011年5月,米海軍特殊部隊の急襲を受けて死亡した。

(ウ) ハムザ・ビン・ラディン(Hamza Bin Ladin)

オサマ・ビン・ラディンとその3番目の妻ハイリア・サバルとの間の長男。1989年生まれ。サウジアラビア・ジッダ出身。国籍不明。次期最高指導者とも目される。

2010年8月にイラン当局が軟禁を解き,パキスタンに渡航したとされるが,その後の消息は不明である。同人は,2015年8月ザワヒリから「『アルカイダ』の根城から現れた一匹のライオン」と紹介されて以降,録音声明を発出している。

米国国務長官は,2017年1月,ハムザを特別指定グローバルテロリスト(SDGT)に指定した。

(エ) サイフ・アル・アデル(Saif al Adel)

本名不明

別名:
セイフ・アル・アデル(Seif al Adel),ムハンマド・イブラヒム・マッカウィ(Muhamad Ibrahim Makkawi),イブラヒム・アル・マダニ(Ibrahim al-Madani)

元軍事部門責任者(2002年頃)。1963年又は1960年4月11日生まれ。エジプト出身。エジプト国籍。

エジプトのイスラム過激組織「ジハード団」出身で,1998年8月に発生した在ケニア・在タンザニア両米国大使館同時爆破テロ事件に関与したとして米国で起訴,指名手配された。

1988年にアフガニスタンに渡航し,「アルカイダ」がスーダンに移った1990年代前半,同国及びソマリアで「アルカイダ」細胞の訓練に当たった。また,オサマ・ビン・ラディンの警護責任者を務めた。2002年,前任者の死亡に伴い「アルカイダ」軍事部門責任者に就任した。その後,イラン当局に拘束され,軟禁下に置かれたが,2015年9月に軟禁を解かれた後,シリアに渡ったとされる(注25)

2001年の米国同時多発テロ事件について,アデル自身は米国の報復を招くなどとして,反対したが,2005年にインターネット上に掲載された文書では,「米国を穴の中から引きずり出すために必要だった」と同事件を肯定したとされる。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年1月,同人を制裁対象に指定した。

(オ) アブ・アル・ハイル・アル・マスリ(Abu al-Khayr al-Masri)(死亡)
本名:
アブドゥッラー・ムハンマド・ラジャブ・アブド・アル・ラフマン(Abdullah Muhammad Rajab Abd al-Rahman)

ザワヒリの「副官」。1957年11月3日生まれ。エジプト出身。エジプト国籍。

2015年9月まで,イランで軟禁下に置かれていたとされる。2016年7月,「アルカイダ」の関連組織「ヌスラ戦線」(当時)が,「アイマン・アル・ザワヒリの副官」と紹介した上で,同人とされる人物が登場する録音声明を発出した。2017年2月,シリア北部・イドリブ県で,米軍の無人機攻撃を受けて死亡した。

(カ) アブ・ムハンマド・アル・マスリ(Abu Muhammad al-Masri)
本名:
アブドゥッラー・アフメド・アブドゥッラー(Abdullah Ahmed Abdullah)

幹部。1963年頃の生まれ。エジプト出身。

1998年8月に発生した在ケニア・在タンザニア両米国大使館同時爆破テロ事件に関与したとして米国で起訴,指名手配された。その後,イラン当局に拘束され,2015年9月まで軟禁下に置かれていたとされる。かつて,「アルカイダ」の中で,最も経験豊富なテロ計画立案者だったともされる。

(キ) スレイマン・アブ・ガイス(Sulaiman Abu Ghaith)(収監中)
本名:
スレイマン・ジャセム・スレイマン・アリ・アブ・ガイス(Sulaiman Jassem Sulaiman Ali Abu Ghaith)

元広報担当。1965年12月14日生まれ。クウェート出身。元クウェート国籍(剥奪)。

1994年夏,ボスニア内戦に参加。2000年頃までクウェートにとどまり,アフガニスタンの訓練キャンプへの参加者を募るリクルート活動を行った。オサマ・ビン・ラディンの娘婿とされる。2001年の米国同時多発テロ事件後,「アルカイダ」の報道担当として,同事件を称賛するなどした。イラン当局に軟禁されているとみられていたが,2013年2月,トルコ首都アンカラで,治安当局に身柄を拘束された。翌3月,米国に移送され,2014年3月,米国人の殺害などの罪で終身刑を宣告された。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2004年1月,同人を制裁対象に指定した。

(ク) ハリド・シェイク・モハメド(Khalid Shaykh Mohammed)(拘束中)

元メディア部門責任者・元対外作戦部門責任者。1965年又は1964年生まれ。パキスタン・バルチスタン州出身。クウェート国籍。

1986年,機械工学の学位を取得して,米国ノースカロライナA&T州立大学を卒業後,対ソ連戦に参加するため,アフガニスタンに渡航した。1994年,フィリピンで甥(おい)のラムジ・ユセフと共に,米国本土に向かう米国民間航空機12機を爆破する計画(「ボジンカ作戦」)(注26)に携わった。1998年末から1999年初め頃,「アルカイダ」に加入し,自らが提案した米国同時多発テロ事件の準備を進めた。また,2000年にメディア部門責任者に就任した。2001年末には,対外作戦部門責任者に就任したが,2003年3月にパキスタンで拘束され,2006年以降キューバにある米海軍グアンタナモ基地内のテロ容疑者拘束施設に収容されている。2012年4月,米国同時多発テロ事件に関与したとして,特別軍事法廷に訴追された。

(ケ) ユニス・アル・モーリターニ(Younis al Mauretani)(収監中)
本名:
アブド・アル・ラハマン・ウルド・ムハンマド・アル・フサイン・ウルド・ムハンマド・サリム(Abd al Rahman Ould Muhammad al Husayn Ould Muhammad Salim)

元対外作戦部門責任者(2010年頃)。1981年生まれ。サウジアラビア出身。モーリタニア国籍。

2001年に,アルジェリアのイスラム過激組織「宣教と戦闘のためのサラフィスト・グループ」(GSPC:2007年1月,「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」〈AQIM〉に改称)に加入し,モーリタニアやアルジェリアにおけるテロに関与した。その後,「アルカイダ」との連絡のため,GSPCによってパキスタンに派遣され,同組織と「アルカイダ」の合併を進めた(注27)。「アルカイダ」の対外作戦部門責任者に就いていた2010年半ば,欧州でのテロ計画に携わった。2011年9月,パキスタン西部・クエッタ近郊で,パキスタン軍に逮捕された後,アフガニスタンのバグラム米空軍基地に移送され,2013年5月,モーリタニア当局に引き渡された後(注28) ,2015年4月に懲役20年を宣告された。

(コ) ヤシン・アル・スーリ(Yasin al Suri)
本名:
エゼディン・アブデル・アジズ・ハリル(Ezedin Abdel Aziz Khalil)

イランにおける「アルカイダ」の資金調達・支援責任者。1982年生まれ。シリア・カミシリ出身。国籍不明。

2005年からイラン国内で活動を始めるとともに,湾岸諸国から資金を集め,イラン経由でアフガニスタンの「アルカイダ」指導部に送金したほか,リクルートした要員をイラン経由でパキスタン及びアフガニスタンに送り込んだともされる。2011年7月,イランで一時軟禁下に置かれたが,後に同国での活動を再開したとされる(注29)

(サ)ムフシン・ファディル・アイエド・アシュール・アル・ファドリ(Muhsin Fadhil Ayed Ashour al Fadhli)(死亡)

イランにおける「アルカイダ」の元資金調達・支援責任者(2011年後半以降)。1981年4月24日生まれ。クウェート出身。クウェート国籍。

2011年後半,ヤシン・アル・スーリの後任として,資金調達・支援責任者に就いた。2002年10月に発生したイエメン沖でのフランス船籍石油タンカー爆破事件などに関与したほか,「イラクのアルカイダ」(AQI。現「イラク・レバントのイスラム国」〈ISIL〉)最高指導者(当時)アブ・ムサブ・アル・ザルカウィ(2006年死亡)に対する支援を行っていたとされる。2009年にイランへ,2013年前半にシリアへ移動し,「ホラサン・グループ」(注30)の指導者として,シリアでの活動の中心的役割を担っていたとされる。

2015年7月,シリア北部アレッポ市近郊で,米国の空爆を受けて死亡した。

(シ) ムハンマド・アブドッラー・ハサン・アブ・アル・ハイル(Muhammad Abdallah Hasan Abu al Khayr)

財務部門幹部・メディア部門幹部。1975年6月19日又は18日生まれ。サウジアラビア・マディーナ州出身。サウジアラビア国籍。

オサマ・ビン・ラディンの娘婿で,かつて,オサマ・ビン・ラディンの護衛及びその妻らの世話役を務めた。

2010年8月,国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,同人を制裁対象に指定したが,2016年9月,指定を解除した(解除の理由は未公表)。

(ス) アダム・ヤヒイェ・ガダーン(Adam Yahiye Gadahn)(死亡)
別名:
アッザム・アル・アムリキ(Azzam al Amriki)

元プロパガンダ担当者。元通訳・翻訳担当者(アラビア語及び英語に堪能)。1978年9月1日生まれ。米国出身(改宗者)。米国籍。

2004年以降,繰り返しビデオ声明を発出し,「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)の英語機関誌「インスパイア」(Inspire)第10号(2013年2月),「アルカイダ」又は「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)が制作する英語機関誌「リサージェンス」(Resurgence)(注31)の創刊号(2014年10月)に寄稿したほか,特別号(2015年6月)にもインタビューに答える形で登場した。

2015年1月,パキスタンとアフガニスタンの国境地帯で,米国の空爆を受けて死亡した。

(セ) アハマド・ファルーク(Ahmad Farooq)(死亡)

プロパガンダ担当(パキスタンにおける「メディア・宣教部門」責任者)。生年不明。出身地不明。米国籍。

パキスタンの国語であるウルドゥー語でしばしば声明を発出した。「アルカイダ」関連組織の「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)は,2015年4月,録音声明を発出し,同人が死亡したことを認めるとともに,同人が同組織の最高指導者マウラナ・アシム・ウマルの副官及び同組織の宣教責任者であったことを明らかにした。

2015年1月,パキスタンとアフガニスタンの国境地帯で,米国の空爆を受けて死亡した。

(ソ) アブ・ハフス・アル・モーリターニ(Abu Hafs al Mauritani)
本名:
マフフーズ・ウルド・アル・ワリド(Mahfouz Ould al Walid)

元「アルカイダ」上級指導者(精神的指導者,イスラム学者,作戦立案者としての役割を果たしたとされる)。1975年1月1日生まれ。モーリタニア出身。モーリタニア国籍。

スーダン及びアフガニスタンでオサマ・ビン・ラディンに仕えるとともに,アフガニスタンでは「タリバン」と緊密な関係を持ったとされる。米国同時多発テロ事件については反対していたとされる。2001年以降,イランで拘束されていたが,2011年4月頃,イランからモーリタニアに送還された。2012年7月頃,モーリタニア当局は,「アルカイダ」との関係を断ったとして同人を釈放したとされる。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年10月,同人を制裁対象に指定した。

イ 組織形態・意思決定機構

(ア) 組織形態

「アルカイダ」は,2001年にアフガニスタンの拠点を失うまで,オサマ・ビン・ラディンの側近から成る諮問評議会の下,軍事,財務,宗教,メディア広報の4委員会を設置していたとされるが,現在の組織形態は不明である。

(イ) 意思決定機構

パキスタン北西部・アボタバードのオサマ・ビン・ラディンの隠れ家から押収された各種文書,他組織宛ての書簡などに基づくと,同人存命中の「アルカイダ」の意思決定には,最高指導者(オサマ・ビン・ラディン),側近(ザワヒリ),総司令官が密接に関与し,総司令官が各司令官などを統括していたとされる。なお,潜伏場所の発覚を避けるため,最高指導者との連絡には,電話やインターネットなどの通信機器類を使用せず,専らクーリエ(通信担当要員)を用い,文書でやり取りしていたとみられている。

(6) 沿革

オサマ・ビン・ラディンは,1979年12月末にソ連軍がアフガニスタンへの軍事侵攻を開始した直後から,サウジアラビア国内で寄附金を集めて現地に配るなどしたほか,1984年には,パレスチナ人イスラム学者アブドラ・アッザム(注32)を首班とする「奉仕局」(マフタブ・アル・ヒダマト〈MAK〉)を設立し,ソ連軍と戦う戦闘員を支援するため多額の資金を提供したとされる。

1988年4月にソ連政府が9か月以内のアフガニスタン撤退を発表すると,オサマ・ビン・ラディンらは,同年8月,パキスタンのペシャワールで会合を開き,戦争終結までアフガニスタンで「ジハード」を継続するとともに,ソ連軍撤退後も志願者を選抜して軍事訓練を施すことを目的として,「アルカイダ」を結成し,同人が最高指導者に就任した。発足当初のメンバーは30人程度であったとされる。

「アルカイダ」は,ソ連軍が1989年2月にアフガニスタンから完全撤退した後も,現地の共産主義政権に対する戦闘を継続した。同年3月,オサマ・ビン・ラディンは,アラブ人部隊約200人を率いてアフガニスタン人反政府勢力と共にジャララバード包囲戦に参加したが,同政権側の攻撃で約80人を失った。アフガニスタンで内戦が継続する中,オサマ・ビン・ラディンは,同年秋にサウジアラビアに帰国し,旧南イエメンの共産主義政権打倒などを目指した。また,1990年8月,サダム・フセイン政権下のイラク軍がクウェートを占領すると,同人は,サウジアラビア高官に対し,自らの配下を動員してクウェートを奪還することを申し出るとともに,米軍のサウジアラビア駐留を認めないよう要請したが,同国政府はこれに応じなかった。

同国政府との関係を悪化させた同人は,1991年12月,スーダン首都ハルツームに移住し,同地において,様々なイスラム過激組織の指導者らから成る「イスラム軍シューラ」を設立し,テロ支援活動に取り組んだ(注33)

1992年後半,米軍がソマリアへの展開を開始すると,「アルカイダ」は,米軍と戦うソマリア民兵に武器を提供したほか,1993年に同組織の軍事部門幹部ら数十人をソマリアへ派遣したとされる。

また,「アルカイダ」は,軍事部門指導者アブ・ウバイダ・アル・バンシリ(当時)(注34)を内戦下(1992~1995年)のボスニアに派遣するなどし,欧州などのイスラム過激組織と関係を構築したとされる。さらに,1994年にサウジアラビア人のハリド・アル・ファワズ(注35)が英国で「忠言改革委員会」(ARC)を設立し,オサマ・ビン・ラディンの声明を発出し始めた。

一方,当時のスーダン政府は,同国に滞在していたテロ組織メンバーらがテロを続発させたことで,1996年4月に国連の経済制裁を受けた。こうした中,「アルカイダ」は,同年5月,再びアフガニスタンへ拠点を移した。

アフガニスタンに入国したオサマ・ビン・ラディンを始めとする「アルカイダ」幹部らは,パキスタンとの国境に近いトラボラの山岳地帯に拠点を構えた。オサマ・ビン・ラディンは,同地において,対米ジハードを宣言(1996年8月23日付け文書声明「二聖地の占領者に対するジハード宣言」)したのに続き,1997年3月にはCNNのインタビューに対し,再び対米ジハードの意思を示すとともに,サウジアラビアの米軍関連施設を標的とした2件のテロ事件(注36)を称賛した。その後,「アルカイダ」は,「タリバン」の最高指導者ムッラー・モハンメド・オマル(当時)の招請を受けて,拠点をアフガニスタン南部・カンダハール州に移した。

一方,エジプト政府打倒を主目標に据えていた「ジハード団」指導者ザワヒリは,1997年5月にアフガニスタンへ入国した後,オサマ・ビン・ラディンと共に対米ジハードを唱えるようになった(注37)。 1998年2月,両人らは,「ユダヤ・十字軍に対するジハードのための世界イスラム戦線」の結成を宣言して,全てのムスリムに対し,米国人と米国の同盟国の者を場所を問わずに殺害するよう求めた(注38)。 1998年8月,「アルカイダ」は,ケニア及びタンザニアの米国大使館を標的とした同時爆破テロを実行し,5,000人を超える死傷者を出した。この際,「タリバン」最高指導者オマルは,「アルカイダ」にアフガニスタンから出国するよう求めたとされるが,同組織は,その後もアフガニスタンを拠点とした。こうした事件を受けて,米国国務長官は,1999年10月,「アルカイダ」を外国テロ組織(FTO)に指定した。

その後,「アルカイダ」は,2000年10月,イエメン・アデン港に停泊中の米駆逐艦「コール」に対し,小型ボートを用いた自爆テロを実行したほか,2001年9月には,邦人24人を含む約3,000人が死亡(注39)した米国同時多発テロ事件を引き起こした。

2001年10月に米軍などがアフガニスタン攻撃を開始すると,同年11月までに「アルカイダ」メンバー500人近くが死傷し又は拘束され,他のメンバーは,パキスタンやイランなどへ脱出したとみられている。「アルカイダ」は,その後もパキスタン部族地域で欧米へのテロを画策し,戦闘員に訓練を施すなどしてきた。しかし,2008年以降,多くの幹部を相次ぎ失ったほか,2011年にオサマ・ビン・ラディンが米軍の作戦で殺害されるなどし,弱体化しているとみられている。

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

最高指導者ザワヒリ及びハムザ・ビン・ラディンらは,繰り返し声明を発出して欧米へのテロを呼び掛けるなどしており,「アルカイダ」による2017年の声明発出件数は,過去5年間で最多となった。

2013年4月にISILとシリアにおける関連組織「ヌスラ戦線」との対立が顕在化した際,ザワヒリは,両組織の調停を試みたものの,ISIL指導者らは同年6月,同人の指示に従わない旨を表明した(注40)。2014年2月,「アルカイダ」は,「アルカイダ総司令部」名で,ISILとの関係を断絶する旨の声明を発出した(注41) 。ザワヒリは,2015年9月,連続して声明を発出し,ISIL最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディについて,「カリフに就く資格はない」と述べ,同人の「カリフ」としての正統性を明確に否定した。そして,シリア及びイラクにいる全ての戦闘員に対し,ISILによる「カリフ国家」の設立宣言をめぐる争いより,米国などとの戦いを優先すべきとの考えを示し,協力して互いに調整するよう呼び掛けたほか,2016年以降,ISILに対して「ムジャヒディンの結束を妨げている」などと繰り返し主張し,同組織への批判を強めた。

また,ザワヒリは,「アルカイダ」がアフガニスタンで活動・潜伏を続ける上で不可欠の存在となっている「タリバン」に関し,同組織最高指導者モハンメド・オマルの死亡発表(2015年7月)を受け,2015年8月,後任に選出されたアフタール・マンスールへの忠誠を表明し,アフタール・マンスールの死亡(2016年5月)後は,その後任に選出されたハイバトゥッラー・アーフンザーダへの忠誠を表明した。その際,ザワヒリは,アーフンザーダに向けて,「アッラーは,あなたの兄弟である移住者(「アルカイダ」メンバー)を守る栄誉をあなたに授けた」などと述べ,引き続き「タリバン」と良好な関係を維持することへの期待を見せた(注42)

このほか,「アルカイダ」は,シリアでの活動を強化し,幹部や古参戦闘員らをアフガニスタンやパキスタンなどからシリアに派遣しているとされ,2015年以降,同国でこれら幹部らの死亡が相次いで明らかになった。一方,同国における関連組織である「ヌスラ戦線」は,2016年7月,「アルカイダ」からの離脱を宣言して新組織「ファテフ・アル・シャーム戦線」(JFS)を設立し,さらに,2017年1月,複数の反体制派組織と共に「タハリール・アル・シャーム機構」(HTS)を結成した。こうした動きに対し,「アルカイダ」は,2017年11月,ザワヒリによる声明を発出し,「ヌスラ戦線」による「アルカイダ」からの離脱を拒絶する旨発表した。また,「アルカイダ」古参メンバーがHTSに拘束されるなどの事件も発生しており,「アルカイダ」と「ヌスラ戦線」(現HTS)の関係に「溝」が生じているとも言われている(注43)

イ プロパガンダ

「アルカイダ」は,公式メディア「アル・サハブ」を活用して「グローバル・ジハード」の主導権回復を企図し,その存在感を示すため精力的に声明を発出しており, 2017 年の声明発出件数は,39件で,過去5年間で最多の発出となった(注44)

(ア) ザワヒリの発出する声明

ザワヒリは,継続的に声明を発出しており,最近では2013年9件,2014年13件,2015年7件(注45),2016年16件(注46),2017年11件であった。

最近の主な発言内容としては,①世界各地のムスリムを「抑圧」し,「ムジャヒディン」を「攻撃」する欧米諸国などに対する攻撃の呼び掛け,②欧米諸国などに協力的とみなすイスラム諸国の政権への批判,③「カリフ制国家」樹立宣言などをめぐり対立しているISILへの批判(後述),④ISILを含むシリアのイスラム過激組織の間で起きている争いの停止の呼び掛け,⑤シリア情勢に関与する諸国などへの批判,⑥生前のオサマ・ビン・ラディンが見せた「英雄」的行為の紹介,⑦「アルカイダ」幹部や関連組織の幹部が「殉教」したことへの追悼及び同幹部らの「英雄」的行為の紹介-などが挙げられ,「アルカイダ」の活動目的である「カリフ制国家」復興の実現のため,世界各地のムスリムやムジャヒディンを牽(けん)引しようとする姿勢を見せている。

(イ)「一匹狼」型テロ(注47)(注48)の呼び掛け(オサマ・ビン・ラディン死亡後)

オサマ・ビン・ラディンが2011年5月に死亡した後,「アルカイダ」は,同人の死を殉教とたたえ,米国への報復を示唆する声明を発出した(注49)。その後,「アルカイダ」は,同年6月に幹部ら複数人が登場するビデオ声明を発出し,欧米のムスリムに対し,「一匹狼」型テロの実行を呼び掛けた。同声明は,「アルカイダ」に同調する欧米在住者に対し,「1人又は少人数」で自発的にテロを実行するよう勧めるもので,厳しい圧力下にある「アルカイダ」が新たなテロ戦術を採用した可能性を示すものとして注目された。「アルカイダ」は,その後も,そうしたテロ戦術を重視しているとみられ,ザワヒリは,2013年,ボストンマラソン爆弾テロ事件(同年4月)を指摘した上で,「単独又は2,3人」による「多様な攻撃」をあらゆる場所で行うよう呼び掛けたほか(注50) ,2015年,欧米諸国での「一匹狼」型テロを呼び掛けるAQAPの英語機関誌「インスパイア」を「殉教作戦」実行のための参考にするよう,「西側諸国に住むムジャヒディン」に紹介するなどした。また,ハムザ・ビン・ラディンも,2017年5月,欧米諸国などにおける殉教志願者に対する助言として,「インスパイア」を参考にしつつ,イスラム教を攻撃する全ての者に対する攻撃を行うよう呼び掛けた。

ウ シリアでの活動

「アルカイダ」は,シリア情勢の混乱以降,アフガニスタンやパキスタンなどから,幹部や古参戦闘員らをシリアに派遣し,爆発物の開発や欧米出身者のリクルートなど国際的なテロ計画の立案・実行を目的として活動しているとされ,2015年以降,数人の「アルカイダ」幹部らが米軍の空爆で同国北西部・イドリブ県などにおいて死亡したことが確認された(注51)

同国に派遣された者らは,特に「ヌスラ戦線」(当時)と関係を構築していたとされる。両者の関係を示唆する事例としては,「アルカイダ」幹部(注52) アブ・フィラス・アル・スーリ(2016年4月シリア北西部で死亡)が「ヌスラ戦線」の報道担当であったとされることや,「アルカイダ」幹部アフメド・サラーマ・マブルーク(注53)(2016年10月シリア北西部イドリブ県で死亡)が「ヌスラ戦線」の「アルカイダ」からの離脱を発表するビデオ声明(2016年7月)において,「ヌスラ戦線」指導者アブ・ムハンマド・アル・ゴラニの隣に座っていたことなどが挙げられる。

しかしながら,「ヌスラ戦線」による「アルカイダ」離脱宣言以降,「アルカイダ」からの離脱を不服とする親「アルカイダ」派の幹部らが「ヌスラ戦線」を脱退した(注54)ほか,HTSがシリアで活動する親「アルカイダ」派を拘束していることから(注55),「アルカイダ」によるシリアでの拠点作りは停滞しているとみられる。

エ 地元武装勢力との関係

「アルカイダ」は,潜伏するパキスタン連邦直轄部族地域などにおいて,地元武装勢力の調整に当たっているとされる。ザワヒリは,2010年5月に死亡した「アルカイダ」幹部ムスタファ・アブ・アル・ヤジドを追悼する声明(2010年7月26日掲出)で,ヤジドがアフガニスタン及びパキスタンのイスラム武装勢力に働き掛け,「ムジャヒディン諮問評議会」の結成に重要な役割を担ったなどと指摘した(注56)

また,2012年には,ナンバー2であったアブ・ヤヒヤ・アル・リビ(2012年6月死亡)が,「タリバン」の代表などと共に「パキスタン・タリバン運動」(TTP)を含むパキスタン武装組織諸派の会合(2011年11月~12月)に立ち会い,これら勢力の合同協議会「シューラ・イ・ムラクバ」の設立(2012年1月発表)に関与したことが報じられた。リビは,これら会合の場で,「一切の相違点を忘れる」よう各派に促すなどし,同協議会設立を後押ししたとされる(注57)

そのほか,ザワヒリが2014年9月,AQISの設立を発表した際,(AQISの設立は)インド亜大陸におけるムジャヒディンたちを一つの組織にまとめ上げようと,「アルカイダ」や「イスラム首長国」(「タリバン」)が,過去2年以上にわたり努力してきた成果である旨述べ,「タリバン」を始めとする地元勢力との関係を誇示した(注58)

オ 各地の「アルカイダ」関連組織との関係

アボタバードのオサマ・ビン・ラディンの隠れ家から押収された各種文書などから,「アルカイダ」は,各地の「アルカイダ」関連組織を公の声明で激励する以外にも,書簡を介して活発にやり取りし,水面下で指示や勧告を伝えていた模様であることが明らかになった。また,2013年に報じられた「アルカイダ」やその関連組織などの書簡とされる文書から,これら関連組織内で対立などが生じた際に,「アルカイダ」が要員などを派遣して仲裁に努めていることも示唆された。

ザワヒリは,「アルカイダ」の「支部」として,四つの「アルカイダ」関連組織(注59)を名指ししたものの,このうち,ISILについては,関係を断絶(2014年2月)した。一方,シリアで活動する「ヌスラ戦線」(注60) について,ザワヒリは,「ヌスラ戦線」指導者ゴラニらに宛てた書簡(2013年5月)(注61) の中で,「ヌスラ戦線」が「アルカイダ」支部であることを認めたとされる。また,2014年9月,ザワヒリは,声明を発出し,新たな「支部」として「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)の設立を発表した。これら関連組織と「アルカイダ」との関係は,以下のとおりである。

(ア) 「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)

「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)は,「アルカイダ」との密接な関係が指摘されている。アボタバードのオサマ・ビン・ラディンの隠れ家から押収された各種文書によると,「アルカイダ」は,AQAP最高指導者ナーセル・アル・ウハイシ(当時)に対し,イエメン政府や同国治安部隊ではなく,米国を標的とすることに集中するよう求めたほか(注62),指導者の地位の禅譲を打診してきたウハイシについて,その座にとどまるべきとの指示を与えるなど(注63) ,戦略や人事面に関与していたことが示されている。これに対し,AQAPは,2009年以降,米国本土に向かう航空機へのテロを累次企図するなど(注64) ,「アルカイダ」の方針に従っていることがうかがわれる。

また,ザワヒリは,インターネット上でウハイシにテロの実行を指示し,その際,ウハイシを「総括責任者」(general manager)に任命したとされる(注65) 。また,2015年9月に発出した声明で,ウハイシが,AQAP最高指導者であり,「アルカイダ」の「副指導者」(deputy emir)であると説明しており(注66),実際,ウハイシの書簡とされる文書によれば,同人は,「アルカイダ」から受けた助言をAQIM最高指導者アブデルマレク・ドルークデルに自らの言葉で伝えるなどしている(注67) 。このほか,ザワヒリは,同声明の中で,「シリアにおけるムジャヒディンの間での争いをやめさせるためにできることを全て行うよう(ウハイシに)指示した」と発言している。なお,ザワヒリは,2016年7月,声明の中で,ウハイシをAQAP最高指導者に任命したのはオサマ・ビン・ラディンであったことを明かしている。

2015年7月,死亡したウハイシの後任として新たに最高指導者に就いたカシム・ヤヒヤ・アル・リミは,ザワヒリへの忠誠を表明した。これに対し,ザワヒリは,2016年7月,声明の中で,リミの指導者就任を受け入れる旨述べた。

なお,AQAPは,「アルカイダ」との人的関係も深く,前最高指導者ウハイシのほか,主要メンバーのファハド・アル・クソ(注68)(2012年死亡)などが「アルカイダ」の出身者であるとされる。

ただし,アボタバードのオサマ・ビン・ラディンの隠れ家から押収された各種文書によると,「アルカイダ」とAQAPの戦略・戦術面における隔たりも見られる。例えば,オサマ・ビン・ラディン又はアティヤ・アブドルラハマンとみられる者は,ウハイシに対し,「軍事・メディアにおける『アルカイダ』の一般的な政策」は,内の敵(イエメンなどイスラム諸国の政府)よりも外の敵(米国)に集中することであると強調した上で,イエメン軍などを標的としたテロを行わないことなどを求めていたとされる(注69)

(イ) 「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)

ザワヒリは,「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」(AQIM)の前身組織「宣教と戦闘のためのサラフィスト・グループ」(GSPC)が「アルカイダ」に加入したことを自ら発表するなど(2006年9月。AQIMへの改称は2007年1月),同組織の「アルカイダ」への合流に積極的な姿勢を示していた。

「アルカイダ」からAQIMに対し,具体的にどのような指示・勧告が出ているかは不明であるものの,AQIMの指導部である「諮問評議会」が,2012年10月頃,傘下組織の「覆面旅団」(当時。同年後半にAQIMから離脱)に宛てた書簡とされる文書には,「アルカイダ」とAQIMとの意思疎通が不十分であったことが示唆されている(注70)

他方,同文書では,「覆面旅団」指導者モフタル・ベルモフタルが,AQIM指導部との関係悪化をめぐって「アルカイダ」に調停を求め,「アルカイダ」から幹部級の人物が派遣されたことが示唆されている(注71)。ベルモフタルは,これ以前にも,前身のGSPCメンバーであったユニス・アル・モーリターニ(注72) を「アルカイダ」に派遣していたことを自認している(注73)

(ウ) 「アル・シャバーブ」

ソマリアのイスラム過激組織「アル・シャバーブ」は,2007年に設立され,2012年2月,正式に「アルカイダ」に合流した(注74)

「アル・シャバーブ」は,従前からオサマ・ビン・ラディンへの忠誠を表明するなど(注75) ,「アルカイダ」への合流の意図を示していたが,アボタバードのオサマ・ビン・ラディンの隠れ家から押収された各種文書によると,オサマ・ビン・ラディンは,合併を公に宣言すれば,「アル・シャバーブ」への圧力が強まるとの見方を示し,合併に否定的な見方を示していた(注76)。他方,同人は,「アル・シャバーブ」に対し,「アフリカ軍に攻撃を加える際には,ムスリムの被害を最小限に抑えよ」(注77) とも求めており,一般のソマリア人を巻き込む同組織のテロに懸念を抱いていたこともうかがわれる。

ソマリアでは,「アル・シャバーブ」と協力して活動する「アルカイダ」メンバーも残存していた。これらメンバーの指導者と言われたファズル・アブドラ・ムハンマド(2011年6月死亡)は,ソマリアで,「アル・シャバーブ」に路肩爆弾や自爆などの戦術を導入させたとの指摘もある(注78)。同人死亡後も,ソマリアでは,「アルカイダ」メンバーとされる者が,避難民キャンプで支援物資を配るなどの動きが伝えられた(注79)

ザワヒリは,2015年9月,声明の中で,「アル・シャバーブ」最高指導者ズベイルの死亡(2014年9月)を追悼した上で,アハマド・ディリエがその後任に就くことを承認する旨述べた。その際,ザワヒリは,過去,ISILの「振る舞いの問題」に関し,ズベイルとの間で,2013年7月頃から翌年3月頃の間に,書簡のやり取りをしたことがあることを明かした。

他方,2015年以降,「アルカイダ」と絶縁状態にあるISILが,「アル・シャバーブ」を取り込もうと同組織への働き掛けを活発化させ(注80),同年10月には,「アル・シャバーブ」の精神的指導者の1人とされるアブドゥル・カディル・ムミンが,ISIL最高指導者バグダディへの忠誠を表明し,「アル・シャバーブ」から離脱した一方,分裂を阻止しようとする声明が「アル・シャバーブ」報道担当から発出されるなど(注81) ,「アル・シャバーブ」がISILの影響力にさらされている可能性をうかがわせた。2016年に入ると,4月に,アブドゥル・カディル・ムミン率いる一派とは異なるとみられる組織内のISIL支持勢力による新組織結成の動きなども報じられた(注82)

(エ) 「ヌスラ戦線」(現「タハリール・アル・シャーム機構」〈HTS〉)

ザワヒリは,シリアで活動するイスラム過激組織「ヌスラ戦線」指導者のゴラニが,2013年4月,「ジハードの師アイマン・アル・ザワヒリに改めて忠誠を誓う」と表明したことを受け,同年5月,同組織を「アルカイダ」支部として認めたとされる。

2015年初頭,ザワヒリは,「ヌスラ戦線」に対し,①シリアの革命運動及び国民により良く統合させること,②現地のイスラム主義組織とより緊密に協調すること,③シャリーアに基づいた司法システムをシリア全土で確立することに尽力すること,④持続可能な「アルカイダ」の拠点を構築するため同国の要衝を用いること,⑤西側諸国への攻撃につながるような行動は慎むこと-を指示したともされる(注83)。同年5月,ゴラニは,メディアによるインタビューで,「我々がアイマン(・アル・ザワヒリ)から受けている任務は,(アサド)政権を転覆させることである」などと述べ,同組織が「アルカイダ」の指揮下にあることをうかがわせた。

しかし,2016年7月,「ヌスラ戦線」は,中東の衛星テレビ局アル・ジャジーラを通じ,「我々は,シリアの民衆をまとめ,彼らの地を解放し,彼らの侵攻に勝利をもたらし,彼らが求める米国とロシアが率いる国際社会の欺瞞(まん)-すなわち,『アルカイダ』の関連組織『ヌスラ戦線』を攻撃する素振りを見せながらシリアにいるムスリムの民衆を絶え間なく爆撃し追いやっているという欺瞞(まん)-を暴く,評議会に基づく団結した組織を結成することを望む」とした上で,「『ヌスラ戦線』の名称での全ての活動を完全に解消する」などと述べ,新組織「ファテフ・アル・シャーム戦線」(JFS)を結成することを発表した。さらに,ゴラニは,同組織について「外部のどの組織とも関係を有さない」と主張し,「ヌスラ戦線」の「アルカイダ」からの離脱を宣言した(注84)。その後,同組織は,2017年1月,複数の反体制派組織と共に「タハリール・アル・シャーム機構」(HTS)を立ち上げた。

こうした動きに対し,ザワヒリは2017年11月の声明で,ゴラニによる「アルカイダ」からの離脱宣言を拒絶する立場を明確にした(注85)。また,HTSは,同月,公然と組織批判をしているなどの理由で「アルカイダ」古参メンバーを拘束したことが明らかになった。

(オ) 「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)

ザワヒリは,2014年9月3日,声明を発出し,「アルカイダ」関連組織として「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)が設立されたことを発表した。同声明によると,同組織は,パキスタンやインド周辺地域で活動してきた複数のイスラム過激組織が集まって結成された組織とされ,各構成組織は,ザワヒリの指示に従うことを表明した旨,同組織報道担当が言明している(注86)

AQIS指導者とされるアシム・オマルは,2012年9月や2013年7月など,「アルカイダ」公式メディア「アル・サハブ」作成によるプロパガンダビデオなどに複数回登場しており,2014年4月頃,インターネット上に掲出されたとみられる同「アル・サハブ」作成の告知用バナーでは,同人について,「パキスタンの『アルカイダ』シャリーア委員会責任者」と紹介されている。また,AQIS副指導者だったとされるアフメド・ファルーク(2015年1月死亡)は,「アルカイダ」のパキスタンにおける「メディア・宣教部門」責任者としてしばしば声明を発出していたことで知られる。

このほか,「アルカイダ」又はAQISが制作する英語機関誌「リサージェンス」(注87) の特別号(2015年夏号)には,「アルカイダ」のプロパガンダ担当(当時)アダム・ヤヒイェ・ガダーン(2015年1月死亡)が,同誌によるインタビューに応じる形で登場している。

こうした設立経緯や「アルカイダ」との人的つながりに加え,AQISは,①軍事活動の目的の第一項目に,アフガニスタンにおいて「イスラム首長国」(「タリバン」)の防衛のため戦うことを挙げていること(注88),②AQISは武器や爆弾などに関する訓練を「タリバン」に施し,その見返りに「タリバン」から「アルカイダ」中枢及びAQIS向けの「セーフヘイブン」の提供を受けているとの指摘があること(注89),③2017年12月にアフガニスタン南東部でAQISのナンバー2であるオマル・ヘタブほか戦闘員80人が殺害,27人が拘束されていること-などから,主にアフガニスタンに拠点を設け,「アルカイダ」の実働部隊として活動しているものとみられている。

年 月 日  主要テロ事件,主要動向等
88. 8  「アルカイダ」が正式に設立
92.12.29 イエメン・ホテル爆破テロ事件
スーダンの「アルカイダ」キャンプで訓練を受けた者を含むイエメン出身者のグループが,イエメン・アデン市のホテル2か所(ソマリアへ向かう米軍が頻繁に利用)を爆破し,2人が死亡
93. 2.26 米国・世界貿易センタービル爆破テロ事件
 後に「アルカイダ」幹部となるハリド・シェイク・モハメドの甥で,アフガニスタンの「アルカイダ」訓練キャンプで訓練を受けたラムジ・ユセフらが,米国・ニューヨークの世界貿易センタービル地下駐車場で自動車爆弾を爆発させ,6人が死亡,邦人4人を含む1,000人以上が負傷
93.10. 3 「ブラックホーク・ダウン」事件
 アイディード将軍派のソマリア民兵組織が,同国首都モガディシュで米軍ヘリ2機を撃墜し,米軍兵士18人が死亡。「アルカイダ」側は同攻撃への関与を主張
94.12.11 フィリピン航空機内爆発事件
 ラムジ・ユセフらが,フィリピン・マニラ発セブ経由成田行きのフィリピン航空機に自作の爆弾を持ち込み,座席下で爆発させ,邦人1人が死亡,6人が負傷
96. 8.23  オサマ・ビン・ラディンが,「二聖地の占領者に対するジハード宣言」(いわゆる「対米ジハード宣言」)を発出
98. 2  オサマ・ビン・ラディン,アイマン・アル・ザワヒリらが,「ユダヤ・十字軍に対するジハードのための世界イスラム戦線」の結成を発表
98. 8. 7 在ケニア・在タンザニア両米国大使館同時爆破テロ事件
 「アルカイダ」が,ナイロビ及びダルエスサラームの両米国大使館に対し,自爆テロを実行し,合計229人が死亡,邦人1人を含む5,000人以上が負傷
00.10.12 イエメン・米駆逐艦「コール」爆破テロ事件
 「アルカイダ」が,イエメン・アデン港に停泊中の米駆逐艦「コール」に対し,小型ボートを用いた自爆テロを実行し,17人が死亡,38人が負傷
01. 9.11 米国同時多発テロ事件
 「アルカイダ」が,米国・ニューヨークの世界貿易センタービル2棟にハイジャックした米国旅客機2機を突入させたほか,1機を首都ワシントン郊外の国防総省に突入させ,更に1機をペンシルバニア州ピッツバーグ郊外に墜落させて,邦人24人を含む約3,000人が死亡
01.10. 7  米軍が主導する連合軍によるアフガニスタン攻撃が開始
02.10. 6  「アルカイダ」が,イエメン・ムカラ沖合でフランス船籍石油タンカー・ランブールに対し,小型ボートによる自爆テロを実行し,1人が死亡,17人以上が負傷
02.11.28  「アルカイダ」が,ケニア・モンバサ市郊外のイスラエル資本のホテルに爆薬を積んだ自動車を突入させ,犯人3人のほか15人が死亡,約80人が負傷。ほぼ同時刻にモンバサ空港を離陸したアルキア・イスラエル航空のチャーター機に対して地対空ミサイルが発射されたが命中せず
03.10.18  オサマ・ビン・ラディンが,アル・ジャジーラで放送された録音声明において,「我々は,適時適所でこの不正義の(イラク)戦争に参加している全ての国々,特に英国,スペイン,オーストラリア,ポーランド,日本及びイタリアに対して応戦する権利を留保している」などと発言
03.11.15及び11.20 トルコ・イスタンブール連続自爆テロ事件
 「アルカイダ」に接触していたと指摘される者らが,トルコ・イスタンブールのユダヤ教会付近で自爆テロ(15日,20人死亡)を実行し,次いで,英国総領事館及び英国系銀行の2か所で自爆テロ(20日,英国総領事など41人が死亡)を実行
05. 7. 7 英国・ロンドン地下鉄等同時爆破テロ事件
 「アルカイダ」から訓練を受けたとみられる者らが,英国首都ロンドンの地下鉄及びバスで自爆し,52人が死亡,邦人1人を含む約700人が負傷(「アルカイダ」の関与が指摘されている)
08. 6. 2  「アルカイダ」メンバーとみられる者が,パキスタン首都イスラマバードのデンマーク大使館に対し,自動車を用いた自爆テロを実行し,8人が死亡,約30人が負傷。同月5日,「アルカイダ」上級幹部ムスタファ・アブ・アル・ヤジドは,「アルカイダ」に所属する者が事件を実行したとする声明を発表
09. 9  「アルカイダ」から訓練・指示を受けた者が,米国・ニューヨーク市内の地下鉄で自爆テロを実行しようとしたが,当局の監視を察知して計画を中止。米国当局は,同月19日に1人を逮捕
11. 5. 2 オサマ・ビン・ラディン死亡
  パキスタン北西部・アボタバードで,オサマ・ビン・ラディンが米海軍特殊部隊の急襲を受けて死亡
11. 8.13  武装集団がパキスタン東部・ラホールで米国人開発専門家(当時70歳)を誘拐。同年12月1日,ザワヒリは,「アルカイダ」が同人を人質に取ったと犯行を自認
11. 8.23  パキスタン連邦直轄部族地域で,アティヤ・アブドルラハマンが死亡
14. 2. 2  「アルカイダ総司令部」名の文書声明を発出し,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)とはいかなる関係もない旨発表
14. 9. 3  ザワヒリが,「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)が設立されたとする声明を発表
15. 6.12頃  イエメン東部・ハドラマウト州都ムカッラで,「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)最高指導者で「アルカイダ」ナンバー2でもあるナーセル・アル・ウハイシが空爆を受けて死亡
17.11.28  ザワヒリが「ヌスラ戦線」の「アルカイダ」からの離脱宣言を拒絶する声明を発出

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