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タリバン
Taliban(注1)

アフガニスタンで活動するスンニ派過激組織。アフガニスタン政府や同国駐留外国軍を主な標的としてテロを実行。

別称:
「アフガニスタン・イスラム首長国」(The Islamic Emirate of Afghanistan)(注2)

(1) 設立時期

1994年11月(注3)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

駐留外国軍の撤退及びアフガニスタン政府の打倒を当面の目標とし,その後,「アフガニスタン・イスラム首長国」による政府を樹立し,シャリーアに基づく統治体制の確立を目指す。

イ 攻撃対象

主な攻撃目標として,声明などで,①駐留外国軍及び大使館,②アフガニスタン軍,警察及び情報機関,③政府高官,国会議員,④外国人-などを列挙している。

(3) 活動地域

アフガニスタンのほぼ全土で活動がみられる。また,「タリバン」幹部の多くは,パキスタン西部・バルチスタン州クエッタ及び北西部・カイバル・パシュトゥンクワ州ペシャワールなどアフガニスタンとの国境地帯に潜伏しているとされる。

(4) 勢力

総数は,約3万人(注4)との指摘や6万人(注5)との指摘がある。「タリバン」が支配している又は影響力を持つ地域やパキスタンのマドラサ(イスラム神学校)及び難民キャンプなどから戦闘員を確保しているほか,国軍兵士や警察官など戦闘経験を有する者を積極的に勧誘しているとされる。

(5) 組織・機構

ア 指導者,幹部等

(ア) ハイバトゥッラー・アーフンザーダ(Haibatullah Akhunzada)
別名:
ムッラー・ハイバトゥッラー・アーフンザーダ(Mullah Haibatullah Akhunzada),マウラウィ・ハイバトラ・アクンドザダ(Mawlavi Haibatullah Akhundzadah),シェイフ・サーヒブ・ハイバトゥッラー・アーフンザーダ(Sheikh Sahib Haibatullah Akhunzada)など

最高指導者(三代目)。1967年10月19日生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州出身。ヌールザイ族。2016年5月,「タリバン」最高指導者アフタール・モハンマド・マンスール(後述)の死亡に伴い,副指導者から最高指導者に就任し,「アミール・ウル・モミニーン」(信仰者たちの指導者)の地位を継承。ソ連軍のアフガニスタン侵攻を受け,一家でパキスタンに移住し,同地で宗教教育を受けた。

同人は,宗教学者で戦闘経験は少ないものの,長く宗教教育に携わった経歴から多くの教え子が戦闘員となっていることから,「タリバン」内で広く尊敬されているとされる。「タリバン」政権下では,司法委員会委員長として,「タリバン」の戦闘行為を正当化するファトワの大半を発行した。

(イ) モハンメド・オマル(Mohammed Omar)(死亡)
別名:
ムッラー・モハンマド・オマル(Mullah Mohammad Omar)

「タリバン」の設立者・初代最高指導者。1960年生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州ハクレズ郡出身(注6)。ホタキ族。

ソ連のアフガニスタン侵攻に対するジハードが盛んに行われた1980年代,南部・カンダハール州マイワンド郡シンゲサル村でマドラサを開いたとされる。1994年11月,同州で「タリバン」と称するグループを設立し,州都カンダハールを制圧した後,1996年には首都カブールを陥落させ,「タリバン」政権を樹立した。

2001年12月,米軍主導の連合軍によって「タリバン」政権最後の拠点となったカンダハールが制圧された後は,パキスタン西部・バルチスタン州都クエッタ又は南部・シンド州都カラチなどに潜伏していたとされるが,2015年7月,既に2013年4月に死亡していたことが明らかになった。

(ウ) アフタール・モハンマド・マンスール・シャー・モハンメド(Akhtar Mohammad Mansour Shah Mohammed)(死亡)
別名:
アフタール・モハンマド・マンスール・ハーン・ムハンマド(Akhtar Mohammad Mansor Khan Muhammad)など

前最高指導者。1968年生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州出身。イシャクザイ族。2015年7月,「タリバン」最高指導者であったモハンメド・オマルの死亡発表に伴い,「タリバン」の最高指導者(二代目)及び「アミール・ウル・モミニーン」の地位を継承。「タリバン」政権下で航空・運輸相,カンダハール州空軍司令官を務めた。2010年2月にアブドゥル・ガーニ・バラダール副指導者がパキスタン当局に拘束された後は,同人の後任の一人として,「指導者評議会」を主導していた。

2015年6月,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)最高指導者アル・バクル・アル・バクダディに対し,「タリバン」副指導者兼「指導者評議会」責任者の肩書で,アフガニスタンに関与しないよう求める書簡を発出した。2016年5月,米軍がパキスタン領内で実施した無人機空爆で死亡した。

(エ) シラージュッディン・ジャラーロウディン・ハッカーニ(Sirajuddin Jallaloudine Haqqani)
別名:
シラージュッディン・ハッカーニ(Sirajudin Haqqani),シラージ・ハッカーニ(Siraj Haqqani),セラージュッディン・ハカニ(Serajuddin Haqani),サラージ・ハカニ(Saraj Haqani),ハリファ(Khalifa)など

副指導者の一人(2015年7月就任)。1973年から1978年の間の生まれ。パキスタン連邦直轄部族地域・北ワジリスタン地区ミランシャー又はアフガニスタン南東部・パクティア州出身。ザドラン族。「ハッカーニ・ネットワーク」(HQN)(後述)創設者であるジャラールッディン・ハッカーニの息子で,HQNの指導者も務める。

20代前半までは目立った活動はなかったが,その後,積極的に武装闘争に関与してきたとされ,現在も「アルカイダ」との関係を維持しているとされる。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2007年9月,同人を制裁対象に指定した。

(オ) ムハンマド・ヤクーブ(Muhammad Yaqoob)
別名:
ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ(Mullah Muhammad Yaqoob/Yaqoub/Yaqub)

副指導者の一人(2016年5月就任)。1990年生まれ。「タリバン」創設者オマルの息子。

2015年7月,マンスールの最高指導者就任に反発して,叔父アブドゥル・マナン(Abdul Manan,オマルの弟)と共に指導部と距離を置いていたが,後にマンスールと和解した。2016年5月,マンスールの死亡に伴い,副指導者の一人に就任した。

(カ) モハンマド・ラスール・アーフンド(Mohammad Rasul Akhund)
別名:
アユーブ・モハンマド・ラスール(Ayyub Mohammad Rasul),ムッラー・モハンマド・ラスール・ヌールザイ(Mullah Mohammad Rassoul Noorzai)

「タリバン」の反主流派である「アフガニスタン・イスラム首長国高等評議会」指導者。1958年から1965年の間の生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州又は西部・ファラ州出身。ヌールザイ族。「タリバン」設立当初から,モハンメド・オマルの信任が厚く,「タリバン」政権では,南部・ニームローズ州,西部・ファラ州の州知事を務めた。「タリバン」政権崩壊時にイランへ逃亡したが,政権崩壊後もオマルと緊密な関係を保っていたとされる。

2015年11月,マンスールの指導者就任に反対する勢力によって,同勢力のリーダーに選出された。現在,パキスタン当局に拘束されているとされる(注7)

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年4月,同人を制裁対象に指定した。

(キ) アブドゥル・カビール・モハンマド・ジャン(Abdul Kabir Mohammad Jan)
別名:
マウラヴィ・アブドゥル・カビール(Maulavi Abdul Kabil),A・カビール(A Kabir)

「指導者評議会」メンバー。1963年頃の生まれ。アフガニスタン北東部・バグラーン州又は南東部・パクティア州出身。ザドラン族。「タリバン」政権下で,閣僚評議会第二副議長(経済担当),東部・ナンガルハール州知事,東部地区作戦司令官などを歴任した。

HQNと強い関係を持つとされる。これまで,パキスタン当局に2度(2005年,2010年)拘束されたが,いずれも釈放されている。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年2月,同人を制裁対象に指定した。

(ク) シェール・モハンマド・アッバス・スタネクザイ(Sher Mohammad Abbas Stanekzai)

「タリバン」在カタール政治事務所代表。1963年生まれ。アフガニスタン中央部・ローガル州出身。「タリバン」政権下で外務副大臣及び保健副大臣を務めた。

2001年の「タリバン」政権崩壊後は目立った活動はなかったが,2012年,「タリバン」在カタール政治事務所設立のため,カタールに渡った後,同政治事務所設立とともに副代表に就任した。その後,2015年8月にタイヤブ・アガー(後述)政治事務所代表が辞任したことから,代表代行に就任し,同年11月,正式に代表に就任した。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年2月,同人を制裁対象に指定した。

(ケ) サイード・ムハンマド・タイヤブ・アガー(Sayyed Muhammad Tayyab Agha)

前「タリバン」在カタール政治事務所代表。1976年生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州出身。ポパルザイ族。1998年にモハンメド・オマルの秘書及び報道官となった後,2008年頃には,財政支援を受けるため,サウジアラビアなどの湾岸諸国への渡航を繰り返していた。また2009年以降は,湾岸地域で米国政府関係者らと接触していたとされる。

2014年に現在の政治事務所代表に就任したが,2015年8月,マンスール新最高指導者の選出過程を批判し,同事務所代表を辞任した。

(コ) アブドゥル・ワセイ・ムターシム・アガー(Abdul Wasay Mu'tasim Agha)
別名:
ムターシム・アガ・ジャン(Mutasim Aga Jan),アガー・ジャン(Agha Jan),アブドゥル・ワセイ・アガー・ジャン・モターセム(Abdul Wasay Agha Jan Motasem)

「タリバン」の元政治委員会委員長,元財務委員会委員長で,湾岸諸国における資金調達役であったとされる。1968年又は1971年生まれ。アフガニスタン南部・カンダハール州出身。「タリバン」政権下では財務大臣に就任。モハンメド・オマルとは義理の親子関係にあるとされる。

「タリバン」内部で,武装闘争よりも政治的アプローチの必要性を主張していたことから,2011年8月頃,パキスタン南部・シンド州カラチで,「タリバン」内の強硬派に銃撃された後,全役職を解任され,治療先のトルコを拠点に活動していたとされる(注8)。2014年4月には,滞在先のアラブ首長国連邦で,同国当局に拘束され,アフガニスタンに送還された。

国連安保理「アルカイダ」及び「タリバン」制裁委員会は,2001年2月,同人を制裁対象に指定したが,「タリバン」の和平交渉に向けた動きを推進させるためとして,2012年7月,同人に対する制裁を解除した。

イ 組織形態・意思決定機構

最高指導者をトップに置き,意思決定機関として「指導者評議会」(別名「クエッタ評議会」),執行機関として軍事委員会,財政委員会などを設置しているとされるが,「タリバン」を実質的に運営していたバラダール副指導者(当時)が2010年にパキスタン当局に拘束されたこと(注9),モハンメド・オマル初代最高指導者が死亡したこと及び後継者問題などから,組織の分裂が進んでいるとされる。

(ア) 指導部
a 最高指導者など

最高指導者の下,現在は2人の副指導者が配置されている。明確な役割分担は不明であるが,シラージュッディン・ハッカーニ副指導者が軍事や財政など主要委員会を支配下に置いており,ハイバトゥッラー・アーフンザーダ最高指導者の影響力は限定的とされる(注10)

b 「指導者評議会」(「クエッタ評議会」)

意思決定機関である「指導者評議会」は,15人前後の幹部で構成されているとみられる(注11)。これまでパシュトゥン人(注12)のみで構成されていたが,2015年11月,タジク人,ウズベク人,トルクメン人のメンバーが加わったとされる。

(イ) 各派閥

主な派閥は以下のとおりである(注13)

a 「ハッカーニ・ネットワーク」(HQN)(注14)

最強硬派グループであり,独自にテロを計画・実行しているとされる。「タリバン」副指導者シラージュッディン・ハッカーニが指導者を務めており,構成員は最大1万人とされる。パキスタン北西部・連邦直轄部族地域北ワジリスタン地区ミランシャーに拠点を構えており,アフガニスタン南東部及び中央部で活動している。

b ペシャワール派

パキスタン北西部・カイバル・パクトゥンクワ州都ペシャワールに拠点を構えている。シラージュッディンの叔父又は従兄弟(いとこ)とされるハリル・ハッカーニが代表を務め,アフガニスタン東部及び中央部の諸州において,テロを実行している。

c バダフシャーン派

アフガニスタン北東部・バダフシャーン州を拠点とする一派で,北東部や中央部・カピサ州の支配権を主張している。2015年末にペシャワール派から分裂して組織されたとされる。「指導者評議会」の指揮に服していないとされるが,他の派閥と緩やかな協力関係を維持している。

d マシュハド派

イラン北部・マシュハドを拠点とする一派で,アフガニスタン西部の支配権を主張している。「指導者評議会」の指揮に服していないとされるが,他の派閥と緩やかな協力関係を維持している。

e 「アフガニスタン・イスラム首長国高等評議会」

マンスールの最高指導者就任に反発する勢力がモハンマド・ラスール・アーフンドを指導者として立ち上げた一派である。アフガニスタン全土の支配権を主張しており,他の「タリバン」勢力と武力衝突を起こしている。

(ウ) 地方組織(注15)

アフガニスタン各州には,統治機構が設置され,州ごとに任命される「州知事」(注16)は,非戦闘員の投降者及び捕虜の処遇決定や紛争事案の裁定などの権限を有しているとされる。また,「州軍事司令官」は,各州における軍事活動を計画・指揮するとともに,①敵兵の投降者及び捕虜の処遇決定,②スパイの処罰,③略奪品の管理や配分の決定,④「タリバン」の「行動規範」に違反した者の処罰-などに関する権限を有しているとされるほか「州知事」,「州軍事司令官」の下には,それぞれ「郡長」,「郡軍事司令官」が置かれている。

そのほか,各州には,シャリーアによる統治の推進や聖職者や地方司令官では解決できない論争の仲裁,解決などを行うための「イスラム法廷」が設置され,「タリバン」の判事も任命されている。

(6) 沿革

アフガニスタン南部・カンダハール州マイワンド郡シンゲサル村でマドラサを開いていたモハンメド・オマルは,共産党政権崩壊(1992年)後に始まったムジャヒディン同士の勢力争いが激化する中,1994年11月,「タリバン」と称する武装グループを組織し,同州都カンダハールを制圧した。その後,アフガニスタンやパキスタンから多くのイスラム神学生が加わり,勢力を拡大していった「タリバン」は,1996年9月,シャー・マスード将軍率いるタジク人武装勢力を破って首都カブールを制圧し,「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言した。さらに,北部のハザラ人,ウズベク人,タジク人などの少数民族による武装勢力を次々と破り,1998年8月に北部・バルフ州都マザリシャリフを制圧したことで,アフガニスタンの大部分を支配するに至った。

「タリバン」は,元々,欧米諸国に対して明確な敵意を有してはいなかったが,1997年にオサマ・ビン・ラディンらを「保護」下に入れた後,次第にその世界観に影響され,欧米諸国や国連に対し,オサマ・ビン・ラディンの使う挑発的な言葉を用いた声明を発出するようになった。また,1998年9月には,偶像崇拝の禁止を徹底すべく,世界遺産に登録されていた中央高地・バーミヤン州の仏教遺跡群の石像を一部破壊した。一方,「タリバン」政権を承認していたサウジアラビアは,「タリバン」によるオサマ・ビン・ラディン「保護」に反発して,援助及び外交関係を停止した。

国連安保理は,1999年10月,米国によるオサマ・ビン・ラディンの引渡要求を再三にわたり拒否する「タリバン」に対し,アフガニスタンへの民間航空機の乗り入れ禁止や「タリバン」関係の銀行口座の凍結などを定めた安保理決議第1267号を採択したほか,2000年12月には,同年10月にイエメン・アデン港で発生した米駆逐艦「コール」爆破テロ事件に関連し,改めてオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを求める安保理決議第1333号を採択した。しかし,「タリバン」は,客人であるオサマ・ビン・ラディンを追放することはパシュトゥン人の伝統に反するとして拒絶し続け,2001年3月には,「アフガニスタンの仏像は,偶像崇拝に用いられるものであり,全て破壊されなければならない」などと宣言した上で,再び,バーミヤンの仏教遺跡群の石像を破壊した。

「タリバン」は,2001年9月の米国同時多発テロ事件後もオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを拒否したため,米国主導の連合軍は,同年10月,安保理決議第1368号による自衛権の発動として,アフガニスタンへの攻撃を開始した。「タリバン」政権は,同年12月,連合軍の攻勢の前に後退を重ねた末に,最後の拠点であるカンダハールを放棄して崩壊した。

しかし,カンダハールを追われた「タリバン」の生き残りは,隣国パキスタンの部族地域に活動拠点を移し,勢力を回復させるとともに,2002年には武装活動を再開し,2005年以降は,自爆攻撃や即席爆発装置(IED)などによる攻撃を採用することで,アフガニスタン東部から南部にかけてテロを拡大させていった。

(7) 最近の主な活動状況

ア 概況

「タリバン」は,例年,冬季にはテロを低減させているが,気候の安定する春になると特定の作戦名を冠した「春季攻勢」の開始を宣言し,テロを急増させている。

2014年以降,「タリバン」の戦術は,IEDなど爆発物の強力化のほか,数百人単位で一定の地域を占領する襲撃事案の増加がみられ,2015年9月には,「タリバン」政権崩壊後,初めて地方の主要都市であるアフガニスタン北東部・クンドゥーズ州都クンドゥーズを数日間占拠した。また,北部,南部の農村部及び山岳部を中心に支配地域を拡大しており,2017年8月時点で,アフガニスタン全行政区の13%を支配又は影響下に置き,全行政区の30%で支配をめぐって政府と争っている(注17)が,2017年の後半には,土地を占拠する戦術から,再度,治安部隊などに対して攻撃を仕掛けて逃走するヒット・エンド・ラン戦術に回帰しているとの指摘もある(注18)

「タリバン」は,アフガニスタン国内での攻撃を継続する一方で,2015年7月,パキスタン首都イスラマバード近郊で,アフガニスタン政府との初めての公式和平協議を行った。しかし,同月末に予定されていた第2回協議の直前,最高指導者オマルが死亡していたことが明らかになり,それに伴う指導者交代及びその後の組織内の混乱から,アフガニスタン政府との和平協議は中断した。その後,指導者が再度交代したが,「タリバン」の対決姿勢は変わらず,和平協議再開の目途は立っていない。このほか,「タリバン」は,2015年1月に設立されたISILの「ホラサン州」が,アフガニスタン東部を中心に活動範囲を広げつつあったことを受け,同年6月,ISIL最高指導者アブ・バクル・アル・バクダディに対し,「タリバン」副指導者名でアフガニスタンへの干渉をやめるよう求める書簡を発出した。しかし,両勢力はその後も,アフガニスタン東部を中心に衝突を繰り返している。

イ 他勢力との連携

(ア) 「アルカイダ」及び「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)

2001年の米国同時多発テロ事件以前から,オサマ・ビン・ラディンら「アルカイダ」指導部をアフガニスタンで「保護」下に置き,テロ資金やテロリストの訓練などを通じて協力関係を深めたとされる。「アルカイダ」は,2008年4月,当時ナンバー2であったアイマン・アル・ザワヒリ(現「アルカイダ」最高指導者)がオサマ・ビン・ラディンを「オマル(『タリバン』最高指導者)の『一兵卒』」と表現したほか,2015年8月には,「タリバン」最高指導者となったアフタール・マンスールに対して,また,2016年5月には同じくハイバトゥッラー・アーフンザーダに対して忠誠を表明した。一方,「タリバン」は,2011年5月のオサマ・ビン・ラディン死亡時に同人に対する追悼声明を発出したほか,2015年8月には,「アルカイダ」による忠誠表明に対し,最高指導者マンスールが忠誠を受け入れる旨の声明を発出した。

「タリバン」報道担当は,これまで,アフガニスタンにおける「アルカイダ」指導部の存在や支援を否定する声明を度々発出しているが,アフガニスタン南部,東部及び北東部などの地域では,「アルカイダ」戦闘員とされる者が,駐留外国軍やアフガニスタン治安部隊に殺害・拘束される事例が散見されているほか,2015年10月には,南部・カンダハール州内の「タリバン」支配地域で,「アルカイダ」が運営していたとされる複数の訓練キャンプが発見された。また,2017年12月には,南東部及び南部において「インド亜大陸のアルカイダ」(AQIS)のナンバー2であるオマール・ヘタブほかAQIS戦闘員80人が殺害,27人が拘束された。AQIS戦闘員は,アフガニスタンにおいて「タリバン」に対して訓練を施していると指摘されている(注19)

(イ) 「パキスタン・タリバン運動」(TTP)

「パキスタン・タリバン運動」(TTP)初代最高指導者であったベトゥラ・メスード(2009年死亡)が「タリバン」及びモハンメド・オマルに忠誠を誓っていた経緯もあり,「タリバン」は,TTPから資金や戦闘員の提供などの申出を受けていたとされる。また,2013年10月には,当時のTTP報道担当シャヒドゥッラー・シャヒードが,「タリバン」から資金面で支援を受けていること及びTTP幹部マウラナ・ファズルッラー(現TTP最高指導者)が「タリバン」によってアフガニスタン東部・クナール州でかくまわれていることを明らかにしており,一定の関係があることがうかがわれる。

(ウ) 「ラシュカレ・タイバ」(LeT)

2010年7月,国際治安支援部隊(ISAF)は,アフガニスタン東部・ナンガルハール州で,「タリバン」司令官を拘束した際,「拘束した『タリバン』司令官が,『ラシュカレ・タイバ』(LeT)戦闘員の同州への流入を支援していた」と発表した。また,2014年5月の西部・ヘラート州所在のインド総領事館に対する襲撃事件では,LeTが関与したとされるほか,2016年には,米国国防省が米国議会に宛てた報告書で,LeTが「タリバン」と共闘している旨指摘している(注20)

ウ 資金獲得活動

年間収入は,3~5億米ドルで,そのうち約2億米ドルが麻薬の製造・運搬による収入と指摘されている(注21)。資金獲得手段として,一般に,麻薬の製造・運搬,外国からの資金調達,鉱物販売,地元住民からの「税金」の徴収などが挙げられる。

そのほか,国連安保理「タリバン」制裁モニタリング・チームが行った調査によると,「タリバン」が2011年3月21日から2012年3月20日までの1年間に集めた資金は,ケシ栽培から得られた約1億米ドルを含む約4億米ドルで,寄附,経済活動への「課税」のほか,麻薬生産者,運搬業者,建設業者,携帯電話事業者及び鉱工業者などからの資金徴収だったとされる(注22)

エ リクルート活動

「タリバン」は,政権掌握の過程で,パキスタンの部族地域に所在するマドラサから数千人の学生をリクルートしたとされるが,以前のような大規模なリクルートを行うことは困難になっているとされる。そのため,近年では,パキスタン国内のマドラサや難民キャンプなどで自爆テロ要員として訓練を受けた者の購入に加え,①住民に脅迫状を配布し,「タリバン」への参加を強要する,②警察官など治安機関職員に対してムスリムの義務や愛国心を説き,「タリバン」側へと離反させる,③駐留外国軍などとの戦闘を記録した動画を配信した上で,参加を呼び掛ける,④農村地域で反外国人感情に訴え,「タリバン」の正当性を主張する,⑤少年を誘拐した上で洗脳する-などの手法を中心にリクルート活動を展開しているとされる。

オ プロパガンダ活動

「タリバン」は,政権掌握時,国内の自由なメディア報道を規制し,海外メディアの取材にも消極的であった。政権崩壊後は,アフガニスタン国内や国際社会に対する情報発信に努めており,国内外の報道メディアの取材にも応じるほか,インターネット,携帯電話などの通信機器を使用して主張を広めている。

(ア) 公式ウェブサイトの開設・運営

パシュトゥー語版ウェブサイト「サウト・アル・ジハード(Sawt al-Jihad)」(「ジハードの声」)を開設・運営しており,同サイトを利用して声明を発出するなど,情報発信活動を行っている(注23)

(イ) 機関誌の発行

アラビア語機関誌「アル・ソムード」を毎月発行している。同機関誌の主な内容は,①駐留外国軍に対するジハードの呼び掛け,②「州知事」や「州軍事司令官」への取材,③アフガニスタン政府及び駐留外国軍に対する攻撃の様子,④殉教者のプロフィール-などであり,2018年2月末時点で,第144号まで発行されている。

パシュトゥー語を話すパシュトゥン人を主体とする「タリバン」が,アフガニスタン国内の公用語ではないアラビア語の機関誌を発行する背景には,湾岸諸国のアラブ人から,活動に対する理解や共感を得ることで,資金調達を容易にするためとされる。

年 月 日  主要テロ事件,主要動向等
94.11  南部・カンダハール州で,モハンメド・オマルが「タリバン」と称する武装グループを設立,州都カンダハールを制圧
96. 9  首都カブールを制圧し,政権を掌握
97年  オサマ・ビン・ラディンをカンダハール州で「保護」
99.10  オサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しに応じない「タリバン」に経済制裁を課す国連安保理決議第1267号採択
00.12  「タリバン」にオサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを要求する国連安保理決議第1333号採択
01. 9. 9  反「タリバン」勢力の「北部同盟」を主導していたアフマド・シャー・マスード司令官が自爆テロで死亡
01.10. 7  米軍主導の連合軍がアフガニスタンに進攻
01.12  最後の拠点となったカンダハール州を失い,政権崩壊。潜伏活動を開始
02. 3  南東部・パクティア州で,国際治安支援部隊(ISAF)の掃討作戦に対する武装抵抗活動を開始
05. 5.10  アフガニスタン政府からの恩赦の申出を拒否し,駐留外国軍に対する攻撃継続を表明する声明をモハンメド・オマル名で発出
07. 6.17  カブールで,警察官用のバスを標的とした自爆テロを実行し,警察官35人が死亡,邦人2人を含む35人が負傷
07. 7.19  南東部・ガズニ州で,韓国人宣教者団体23人を誘拐(2人が殺害され,同年8月30日までに残る21人は全員解放)
07.11. 6  北東部・バグラーン州で,砂糖工場を視察中の国会議員を標的とした自爆テロを実行し,国会議員6人を含む77人が死亡
08. 1.14  カブールで,外国人が利用する高級ホテルを襲撃し,米国人及びノルウェー人を含む8人が死亡
08. 2.17  カンダハール州で,闘犬会場で自爆テロを実行し,80人以上が死亡,約90人が負傷
08. 4.27  カブールで,カルザイ大統領が参列していた対ソ戦勝記念式典会場を襲撃し,国会議員1人を含む4人が死亡,9人が負傷
08. 6.13  カンダハール州で,刑務所を襲撃し,刑務官ら15人が死亡するとともに,「タリバン」戦闘員400人を含む約1,150人の囚人が脱走
08. 7. 7  カブールで,インド大使館を標的とした自爆テロを実行し,同大使館関係者4人を含む41人が死亡,140人が負傷
09. 1.17  カブールで,ISAF基地付近で自爆テロを実行し,米軍兵士1人を含む5人が死亡,ドイツ大使館関係者を含む20人以上が負傷
09. 2.11  カブールで,司法省及び教育省を相次いで襲撃したほか,同北部にある刑務所監督局でも自爆テロを実行し,20人が死亡,57人が負傷
09. 9. 2  東部・ラグマーン州で,国家保安局(NDS)副長官を標的とした自爆テロを実行し,同副長官を含む24人が死亡,50人以上が負傷
09. 9.17  カブールで,駐留イタリア軍の車列を標的とした自爆テロを実行し,イタリア軍兵士6人を含む16人が死亡,58人が負傷
09.10. 8  カブールで,インド大使館を標的とした自爆テロを実行し,警察官2人を含む17人が死亡,63人が負傷
09.10.28  カブールで,国連職員宿舎を襲撃し,同職員5人を含む8人が死亡
10. 2. 初  ナンバー2のアブドゥル・ガーニ・バラダールがパキスタンで拘束
10. 2.26  カブールで,外国人ゲストハウスを襲撃し,18人が死亡,38人が負傷
10. 5.18  カブールで,国軍施設付近で駐留外国軍車列を標的とした自爆テロを実行し,米軍兵士5人,カナダ軍兵士1人を含む18人が死亡,47人が負傷
10.10. 8  北東部・タハール州で,モスクで礼拝中の北東部・クンドゥーズ州知事を標的とした自爆テロを実行し,同知事を含む15人が死亡,35人が負傷
10.10.23  ヘラート州で,国連アフガニスタン支援ミッション事務所を標的とした自爆テロ及び銃撃戦で,警備員3人が負傷
11. 4.18  カブールで,国防省本部を襲撃し,国防相秘書官及び副国防相警護官の2人が死亡,7人が負傷
11. 6.28  カブールで,外国人が利用する高級ホテルを襲撃し,スペイン人1人を含む19人が死亡,約20人が負傷
11. 7.17  カブールで,カルザイ大統領の部族問題担当顧問宅を襲撃し,同顧問及び下院議員ら3人が死亡
11. 8. 6  中央部・マイダン・ワルダック州で,駐留外国軍の兵員輸送ヘリを撃墜し,搭乗していた米軍兵士30人を含む38人が死亡
11. 9.13  カブールで,米国大使館,ISAF本部,警察施設などを標的とした同時多発テロを実行し,警察官5人を含む16人が死亡,約20人が負傷
11. 9.20  カブールで,ラバニ高等和平評議会議長(元大統領)を標的とした自爆テロを実行し,同議長を含む4人が死亡,大統領顧問ら数人が負傷
11.10.31  カンダハール州で,国連難民高等弁務官事務所を襲撃し,警察官を含む6人が死亡,2人が負傷
12. 1. 3  「タリバン」報道担当が,カタールを含む関係者との間で,同国首都ドーハに国際社会との窓口となる政治事務所を設置することに基本合意した旨の声明を発出
12. 2.27  東部・ナンガルハール州で,ISAF基地を標的とした自爆テロを実行し,国軍兵士,警備員ら9人が死亡,12人が負傷。事件後,「タリバン」が,同月21日に発生した米軍兵士によるコーラン焼却に対する報復であるとする犯行声明を発出
12. 4.15  カブール,ナンガルハール州,パクティア州,及び中央部・ローガル州で,同時多発テロを実行。カブールでは,外国公館や国会庁舎などを対象に市内3か所で同時テロを実行し,住民3人を含む11人が死亡,65人が負傷。在アフガニスタン日本国大使館事務所棟にも被害が発生
12. 5.13  カブールで,ラフマーニ高等和平評議会幹部(上院議員)を射殺
12. 6.21  中央部・カブール州で,リゾートホテルを襲撃し,警察官1人を含む18人が死亡,10人以上が負傷
12. 9.14  南部・ヘルマンド州で,ヘンリー英国王子が配属されたISAF基地を襲撃し,米軍兵士2人が死亡,米軍兵士ら9人が負傷したほか,戦闘機6機及び基地施設が破損。「タリバン」が「預言者ムハンマド冒涜(とく)映像への報復」であるとする犯行声明を発出
13. 3. 9  カブールで,国防省本部を標的とした自爆テロを実行し,国防省職員を含む9人が死亡,警備要員2人を含む14人が負傷。事件後,「タリバン」が,カブール訪問中のヘーゲル米国国防長官に対する警告であるとする犯行声明を発出
13. 4. 3  西部・ファラ州で,州裁判所を襲撃し,自爆テロ及び銃撃戦で,裁判所関係者8人を含む54人が死亡,100人以上が負傷
13. 6.18  「タリバン」報道担当が,カタール首都ドーハに政治事務所を開設した旨の声明を発出
13. 8. 3  ナンガルハール州で,インド総領事館を標的としたとみられる自爆テロを実行し,住民9人が死亡,警察官1人を含む26人が負傷
13. 9.13  ヘラート州で,米国総領事館を襲撃し,自爆テロ及び銃撃で,警察官1人を含む10人が死亡,19人が負傷
14. 1.17  カブールで,外国人が利用するレストランを襲撃し,自爆テロ及び銃撃戦などで,国連職員ら外国人13人を含む21人が死亡,5人が負傷
14.11.23  南東部・パクティカ州で,バレーボールの試合会場を標的とした自爆テロを実行し,約60人が死亡,少なくとも60人が負傷
14.11.27  カブールで,英国大使館の車両を標的とした自爆テロを実行し,英国人大使館員1人を含む5人が死亡,少なくとも30人が負傷
14.12.31  ISAFの任務が終了
15. 1. 1  アフガニスタン治安部隊がISAFから治安維持権限の移譲を受けるとともに,北大西洋条約機構(NATO)の「確固たる支援任務」(Resolute Support Mission)が開始
15. 2.17  ローガル州で,州警察本部を襲撃し,自爆テロと銃撃戦で,警察官23人及び教育局職員1人の計24人が死亡,9人が負傷
15. 6.16  アフタール・マンスール「タリバン」副指導者兼「指導者評議会」責任者名でISIL最高指導者アブ・バクル・アル・バクダディに対して,ISILのアフガニスタンへの不干渉やリクルート活動の中止などを求める書簡を発出
15. 6.22  カブールで,国会議事堂を襲撃し,自爆テロ及び銃撃戦で,付近にいた住民2人が死亡,同31人が負傷。国会議員は無事
15. 7. 7
 ~8
 アフガニスタン政府及び「タリバン」が,パキスタン首都イスラマバード近郊のマリーで,初の公式和平協議を開催
15. 7.30  「タリバン」最高指導者モハンマド・オマルが2013年4月に死亡していたと発表。翌31日,副指導者アフタール・モハンマド・マンスールが新最高指導者に就任したことを発表
15. 8. 7  カブールで,警察学校を標的とした自爆テロを実行し,警察訓練生ら27人が死亡,26人が負傷。また,駐留外国軍基地を襲撃し,米軍兵士1人,米国人民間業者8人が死亡,20人が負傷したほか,国軍施設を狙ったとみられる自動車爆弾が,居住地で爆発し,住民15人が死亡,248人が負傷
15. 9.28  クンドゥーズ州都クンドゥーズを襲撃し,数日間,占拠。警察官70人以上を含む289人が死亡,559人以上が負傷
15.12. 1  パキスタン西部・クエッタで開催中の「タリバン」の会合で最高指導者アフタール・マンスールが銃撃され,重傷を負ったほか,「タリバン」幹部数人が死亡
16. 2. 1  カブールで,治安維持警察本部を標的とした自動車自爆テロを実行し,警察官ら21人が死亡,28人が負傷
16. 4.19  カブールで,NDSの要人警護部門庁舎を標的とした自爆テロ及び銃撃戦で,64人が死亡,347人が負傷
16. 6.30  カブール郊外で,警察関係の車列に対する連続自爆テロを実行し,警察研修生ら38人が死亡,40人以上が負傷
16. 5.21  パキスタン領内で米空軍が実施した無人機空爆で「タリバン」最高指導者マンスールが死亡。同25日,副指導者ハイバトゥッラー・アーフンザーダを後継指導者に選出
16. 9. 5  カブールの国防省付近で,遠隔操作型の爆弾が爆発した直後,被害者救護などのために警察関係者が集まったところに別の爆弾が爆発し,41人が死亡,100人以上が負傷
17. 1.10  カブールの国会議事堂付近で,自爆テロを実行し,28人が死亡,50人が負傷
17. 4.21  北部・バルフ州で,国軍基地を襲撃し,兵士140人が死亡,60人が負傷
17. 7.24  カブールで,公務員送迎バスを標的とした自動車自爆テロを実行し,公務員ら30人が死亡,40人が負傷
17.10.17  パクティア州で,州警察本部を襲撃し,警察官ら41人が死亡,158人が負傷したほか,南東部・ガズニ州で,郡議会事務所を襲撃し,20人が死亡,34人が負傷
17.10.19  カンダハール州で,国軍駐屯地を襲撃し,兵士43人が死亡,9人が負傷
18. 1.20  カブールで,高級ホテルを襲撃し,外国人15人を含む40人が死亡,12人が負傷
18. 1.27  カブールの旧内務省庁舎付近で,自動車自爆テロを実行し,103人が死亡,235人が負傷

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