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ハムザ・ビン・ラディン

ハムザの結婚式を映した映像から抜粋(2017年11月1日,米中央情報局が公開した2011年にアボタバードの住宅から押収された資料)

ハムザの結婚式を映した映像から抜粋
(2017年11月1日,米中央情報局が
公開した2011年にアボタバードの
住宅から押収された資料)

「グローバル・ジハード」の旗振り役としての「アルカイダ」の影響力は,「アルカイダ」設立者オサマ・ビン・ラディンの死亡や「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)の台頭などによって,低下していったとされる。こうした中,オサマの息子ハムザ・ビン・ラディンは,2015年8月,「アルカイダ」最高指導者アイマン・アル・ザワヒリに「『アルカイダ』の根城から現れた一匹のライオン」と紹介される形で,プロパガンダシーンに登場(注1)し,ユダヤ及び米国の権益に対する攻撃の呼び掛けを行った。

ハムザは,将来の「アルカイダ」指導者として育成されているとみられるほか,ISILが衰退していく中で,イスラム過激勢力を束ねる次世代のリーダーになる可能性を秘めていると指摘されることから,同人の動静については注目を要するところである。

なお,ハムザは,その後も米国などへの攻撃を呼び掛けており(次頁表参照),米国国務長官は,2017年1月5日,同人を特別指定国際テロリスト(SDGT)に指定した。

ハムザの生い立ち

ハムザは,1989年,オサマとその三番目の妻ハイリア・サバルとの間の子として,サウジアラビアで生まれ,オサマがサウジアラビアからスーダンそしてアフガニスタンに移動したのに伴い,ハムザも母親らと共にスーダン及びアフガニスタンに移り住んだとされる(注2)。 同人は,2001年11月初旬,アフガニスタン東部・ナンガルハールで追跡から逃れるため,山岳部に潜伏しようとしていたオサマと別れの挨拶を交わして以降,母親や異母兄弟,「アルカイダ」幹部らと共にイランに渡ったが,同国当局に拘束され,2010年8月に解放されるまで隔離された生活を送ったとされる。

ハムザは,当局に拘束されていた間に,母親や「アルカイダ」のエジプト人幹部サイフ・アル・アデル(注3)からイスラム法などの教育を受けたとされるほか,同エジプト人幹部アブ・ムハンマド・アル・マスリ(注4)の娘と結婚し,1男1女をもうけ,男子を父親と同じ名前であるオサマ(注5)と名付け,女子を母親と同じ名前であるハイリアと名付けたとされる。

同人は,イラン当局から解放された後,パキスタン連邦直轄部族地域・ワジリスタン地区に潜伏していたとされるが,同人のたっての願いから,オサマがいるパキスタン北部・アボタバードの住居に合流する計画が進められていた(注6)。しかし,オサマが2011年5月2日,米軍に殺害されたため,ハムザがアボタバードの住居に行くことはなかった。その後の同人の消息は明らかになっておらず,パキスタン又はアフガニスタン若しくはシリアに潜伏しているとも言われている。

将来の最高指導者?

ハムザが「アルカイダ」の中でどのような位置付けであるのか,明確に言及されている声明などはないものの,オサマの息子であるとの理由のほか,次の理由から幹部陣に名前を連ねていると推察され,ザワヒリらは,ハムザを将来の最高指導者として育成していると指摘されている。

・ 「タリバン」最高指導者に忠誠を誓っているのは,「アルカイダ」の中では,最高指導者のみであったところ,ハムザは,2015年8月13日付けの声明において,直接,「タリバン」最高指導者に忠誠を誓っている。

・ オサマの息子の中で,「アルカイダ」のプロパガンダに登場しているのはハムザだけである。

声明発出日 主な内容
2015年8月13日 ○ アイマン・アル・ザワヒリに,「『アルカイダ』の根城から現れた一匹のライオン」と紹介された上で,世界中のあらゆる場所でユダヤと米国の権益を攻撃するよう呼び掛け
2016年5月9日 ○ パレスチナ支援のため,あらゆる場所でユダヤ人の殺害及びユダヤ権益への攻撃を呼び掛け
○ エルサレム解放の足掛かりの地としてシリアを挙げ,シリアのムジャヒディンに結束を呼び掛け
2016年7月9日 ○ ムスリムを抑圧し,かつ,オサマを殺害した米国に対する攻撃を継続すると主張
2016年8月17日 ○ サウジアラビア人が政府による不正と暴虐を受けていると主張し,蜂起を呼び掛け
2017年5月13日 ○ 西側諸国の殉教志願者に対し,「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)が発行する機関誌「インスパイア」を参考に,イスラム教を攻撃する全ての者を攻撃するよう呼び掛け
2017年5月20日 ○ サウジアラビア王政を打倒することの正当性を主張
2017年9月14日 ○ シリアにいるムジャヒディン同士の団結を促したほか,シリア国外にいるムジャヒディンに対してシリアでの聖戦に参加するよう呼び掛け
2017年11月7日 ○ オサマ・ビン・ラディンの功績を称え,同人を殺害した米国への報復を呼び掛け
2017年12月9日 ○ サウジアラビア王政の正当性を否定
2018年1月18日 ○ 初代サウジアラビア国王はイギリスの手先であったと中傷

参考文献

Ali Soufan, Hamza bin Ladin:From Steadfast Son to Al-Qaida's Leader in Waiting, 7 September 2017.

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