法制審議会刑事法(犯罪被害者関係)部会               第3回会議 議事録 第1 日 時  平成18年11月14日(火) 自 午後1時30分                        至 午後5時11分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  損害賠償請求に関し刑事手続の成果を利用する制度及び犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度の新設等のための法整備について 第4 議 事 (次のとおり)                議        事 ● ただいまから法制審議会刑事法(犯罪被害者関係)部会の第3回会議を開催いたします。 ● 本日は,御多用中のところお集まりいただきましてありがとうございます。  前回,諮問事項の第1及び第2について,具体的な論点についての議論を行いました。本日は,諮問事項第3の「犯罪被害者等に関する情報の保護」及び諮問事項第4の「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度」を中心として議論を行いたいと思います。  これらの事項については,第1回会議において一通りの議論をいただきましたが,特に諮問事項の第4については,時間の制約もありました関係で,必ずしも十分な議論をいただいてはいないのではないかと思われます。そこで,本日は,まず諮問事項の第4についての議論を行い,その後,諮問事項の第3についての議論を行いたいと考えております。また,前回の会議と同様に,諮問事項の第3及び第4につきましても,議論のたたき台となるべき資料が用意されておりますので,審議をするに当たっては,まず事務当局からそれぞれの諮問事項に関する資料の説明をしていただいた後に,議論を行ってまいりたいと考えております。このような進行でよろしゅうございますでしょうか。  また,本日,席上に,○○委員から提出された資料及びこの部会の第1回会議の議事録が配布されておりますので,御確認ください。  それでは,早速諮問事項の第4についての審議に入りたいと思います。よろしいでしょうか。  まず,事務当局から,「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与できる制度(諮問事項第四)に関する資料」の説明をしていただきたいと思います。 ● それでは,諮問事項第4の,「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度」について,本部会の第1回会議や犯罪被害者等基本計画の策定過程における御議論等も踏まえまして,事務当局におきまして審議・検討の参考としていただくための資料を作成いたしましたので,その内容等について,御説明させていただきます。  それでは,資料24の「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度(諮問事項第四)に関する資料」を御覧ください。  そもそも,「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度」の具体的な内容等を検討するに当たりましては,まず最初に,刑事裁判における犯罪被害者等の方々の地位や関与の在り方について,どのように考えるべきかという基本的かつ根本的な論点について,議論を行う必要があるのではないかと考えられます。そこで,この資料では,まず1つ目の項目といたしまして,このような基本的かつ根本的な問題を設定させていただいたものです。  その上で,議論の御参考としていただくために,これまでの様々な御議論等も踏まえまして,この点についての考え方としてあり得るものの例を3つ挙げさせていただきました。  まず1つ目の考え方は,「犯罪被害者等が加害者の処罰を求める権利を行使するために,検察官とは別個独立に,一定の訴訟活動を行うという考え方」です。このような考え方の根拠としては,例えば,「犯罪被害者等は,元来,加害者の処罰を求める権利を有しているとの観点から,その権利の行使として検察官とは別個独立の訴訟当事者として刑事裁判に参加することができる。」という考え方などが挙げられるのではないかと思われます。  次に,2つ目の考え方は,「『犯罪被害者等は,個人の尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する』ということを踏まえまして,『事件の当事者』としての特別の地位に基づいて,一定の関与を行うという考え方」です。このような考え方の根拠といたしましては,例えば,「犯罪被害者等が『事件の当事者』という特別な立場にあることにかんがみまして,犯罪被害者等基本法が定めるように,その『尊厳にふさわしい処遇』として,被害に係る事件の刑事裁判に『適切に関与すること』を確保することは極めて重要なことであり,そのために,犯罪被害者等に対し,どのような場合にいかなる訴訟活動を行うことを認めるかを個別具体的に検討すべきである。」という考え方などが挙げられるのではないかと思われます。  3つ目の考え方は,「『事件の当事者』としての立場から,被害に関する心情を中心とする意見を主体的に陳述することにより,刑事裁判に関与するという考え方」です。このような考え方の根拠といたしましては,例えば,「現行の被害者等による意見陳述制度の趣旨は,裁判が被害者等の心情や意見をも踏まえた上でなされることをより明確にすることにあるところ,犯罪被害者等基本計画で述べられていますように,今回の新しい制度も『刑事裁判に犯罪被害者等の意見をより反映させる』ことを目的とするものであるので,現行の刑事裁判の在り方を踏まえ,その延長線上で,犯罪被害者等の関与を拡充するという観点から考えるべきである。」という考え方などが挙げられるのではないかと思われます。  もとより,これらの3つの考え方は,本部会や犯罪被害者等基本計画の策定過程での議論等をも踏まえまして,あり得る考え方の例として挙げたものにすぎません。本部会におきましては,これらに限らず,今回新たに設ける制度の基本的な考え方について,幅広い観点から御審議・御検討をいただきたいと思います。  次に,この資料では2つ目の項目として,「犯罪被害者等が刑事裁判に直接関与することのできる制度」を検討するに当たり,考慮すべき点として,どのようなものがあるかという問題を記載させていただきました。  すなわち,これまでの様々な御議論や御意見におきまして,今回の新たな制度の基本的な在り方や,その具体的な内容等を検討するに当たりましては,公益の代表者である検察官のみが犯人を訴追するのが原則とされ,また,公正中立な立場にある裁判所が刑罰を科すこととされている現行法の原則やその背景にある思想をどのように考えるかという根源的な問題も指摘されており,また,この点に加えまして,事案の真相の解明や迅速な裁判といった刑事訴訟の根本的な目的や要請,あるいは犯罪被害者等の方々や被告人,証人といった刑事裁判にかかわる様々な人たちの権利・利益や負担,さらには,間もなく開始される予定の裁判員が参加する刑事裁判に及ぼす影響なども考慮に入れつつ,これらの観点からも十分に調和の取れたものであることが必要ではないかとの指摘もなされております。  そこで,この資料では,議論の御参考としていただくために,これまでの様々な御議論や御意見等をも踏まえまして,今回の新たな制度を検討するに当たり考慮すべき点として考えられるものの例を,順不同で列挙させていただきました。  そして,以上のような基本的かつ根本的な論点について御議論をいただいた上で,そのような御議論をも踏まえつつ,それでは犯罪被害者等は具体的にどのような関与を行うことができるものとすることが適切と考えられるかという問題について議論を行う必要があるのではないかと考えられます。そこで,この資料では,3つ目の項目といたしまして,このような問題を設定させていただいたものです。  この点につきましても,議論の参考としていただくため,これまでの様々な御議論等をも踏まえ,刑事裁判への関与の内容として考えられるものの例として,AからDまでの4つのモデルを挙げさせていただきました。  Aのモデルは,「犯罪被害者等の方々が,検察官とは別個独立の訴訟当事者の立場で,自らが望む処罰を求めて,訴因の設定,事実に関する主張・立証及び上訴を行うことができるものとする」というものです。  Bのモデルは,「犯罪被害者等の方々が,検察官とは別個独立に,しかしながら検察官が設定した訴因を前提として,事実に関する主張・立証を行うことができるものとする」というものです。Aとは違い,犯罪被害者等の方々が独自に訴因を設定したり上訴を行うことは,このBのモデルには含まれておりません。  Cのモデルは,「犯罪被害者等の方々が,刑事裁判に出席し,検察官の事実に関する主張・立証の範囲において,『事件の当事者』としての立場で,一定の訴訟活動を行うことができるものとする」というものです。このモデルの下で,犯罪被害者等の方々が行うことができる訴訟活動の範囲をどのように定めるかについては,更に様々な選択肢があり得るのではないかと思われます。  Dのモデルは,「犯罪被害者等の方々が,刑事裁判に出席することができるものとする」というものです。  この資料に挙げましたモデルは以上の4つですが,もちろんほかにも様々な案が考えられるのではないかと思われますので,これらを含めまして,幅広い観点から審議・検討をしていただければと思います。  なお,このような検討に当たって参考にしていただけるよう,別紙として,現行法上検察官,被告人又は弁護人の行う主な訴訟活動を表にしてみましたので,併せて御参照ください。  以上,簡単ではございますが,参考資料について御説明させていただきました。繰り返しますが,もとより,この資料は,議論の参考としていただくために作成したものであります。皆様方におかれましては,これも参考にしつつ,幅広い観点から審議・検討していただければと考えております。 ● ただいまの事務当局の説明について,まず御質問等がありましたらお願いいたします。よろしいでしょうか。  それでは,議論に入りたいと思います。ただいま説明がありましたように,1として,「刑事裁判における犯罪被害者等の地位や関与の在り方についてどのように考えるか」という問題が提示されています。また,2としては,新たな制度を検討するに当たって考慮すべき点が例示されております。さらに,3として,「刑事裁判への関与について具体的にどのような関与を行うことができるものとするか」という問題が提示されております。そこで,これらは相互に関連する部分もございますが,まずは2に掲げられているような事項を考慮しつつ,1の刑事裁判における犯罪被害者等の地位や関与の在り方についての議論を行った上で,その後に,この議論を踏まえつつ,3の具体的な問題についての議論を行いたいと考えております。そのような進行でよろしゅうございますでしょうか。  それでは,まず資料24の項目1の刑事裁判における犯罪被害者等の地位や関与の在り方」について,どなたか御発言をお願いいたします。 ● 項目1から議論を始めるということは結構だと思いますが,さらに,議論の前提として,先ほど○○幹事もしばしば言及されましたが,犯罪被害者等基本計画というものがあるわけです。それについては,議論の内容が要約した形で資料化されておりますけれども,私,念のために,ホームページから議事録を取り出して読んでみました。それによりますと,訴訟参加の問題に関しては,主として争われたといいますか,議論の対象になった点は2つです。当初の案に「制度採用の可否を検討する」と書かれていましたが,それでよろしいかという点が1つ。それから,「我が国にふさわしいものを導入する」とあったのを,どうするかという点が1つ。この2つであったと考えられます。第1点の制度採用の可否の検討ということについては,消極的に過ぎる,この制度を導入する方向で検討すると一歩進めるべきだという議論があって,それが採用されたと考えられます。ただ,第2点の,「我が国にふさわしい」というのは,外したいという意見もあったわけですけれども,やはり我が国にふさわしいものを考えることが必要だという意見が有力で,最後の基本計画の文言にはそれが残っています。「我が国にふさわしい」とは何であるかというのが,今まさにこれから考えていく上での前提ですが,現行刑事訴訟法は既に60年の蓄積があるわけですし,さらに,近く裁判員制度の施行を目前に控えて,刑事訴訟法についても大きなメスが加えられつつあるところでありまして,そのような状況を全体として把握した上で,我が国にふさわしい制度は何かというものを考える必要があると思います。そのようなことを念頭に置いて,これからの御議論を承っていきたいと考えている次第です。 ● ありがとうございました。  それでは,繰り返しになりますが,議論の進行としては,まず刑事裁判の原則等との関連というような基本的な問題から議論を行って,次いでどのような具体的な関与が考えられるかという順序で審議をいたしたいと思います。  そこで,まず前者について御意見をちょうだいしたいと思います。 ● 1番のところですけれども,この3つ目の「『事件の当事者』としての立場から」という,この考え方なんですが,これは現行法そのものといいますか,それの枠を出ないという考え方だと思います。これでは基本法,それに基づく基本計画,今,○○関係官の方からお話がありましたけれども,それを生かしていないと考えられます。現在の刑事司法の大きな枠組みを揺るがさずに,更に被害者の権利利益を考えて関与を拡充するという意味では,2番目の考え方に,私の考えは近いと思うのです。ただし,1番目の「検察官とは別個独立に」というのがどこまでのことを言っているのか,ちょっとこの分け方だと,どちらに入るのかなという部分もあるんですけれども,基本的に検察官と,それから被告人,弁護人の当事者主義を壊さずに,被害者は検察官の補助的な役割として,検察官の同意を得て,例えば証拠調べ請求権を持つとか,証人尋問ができるとか,被告人質問ができるとか,そういうことは可能ではないかと考えます。日弁連の犯罪被害者支援委員会では,そのような案を要綱試案として一昨年提案した経緯がありまして,一定の訴訟行為ができるということは認められるのではないかと考えております。 ● 現行の刑事司法制度というのが非常に被害者を無視してしまっている。被害者というものは告訴することができるという,そこだけしか刑事訴訟法には書いていないですね。だから,今まで裁判の外に置かれて,どんどん勝手に裁判を進められて,被害者が置き去りにされる。こういうことが被害者の尊厳を非常に傷付けて苦しまされてきたという,そこからやはり出発する必要があると思うのです。そうなりますと,現在の枠組みの中でだけ改善しようということでは私は不十分だと思っています。今の枠組みがそういう枠組みだからこそ,被害者は苦しめられてきたわけですから,これをやはり変えていかなければいけない。  例えば,ドイツでも被害者は参加して,検察官とほとんど変わらない権限を行使しております。ドイツの裁判所を見学に行ったときに,「検察官と被害者はどこが違いますか」と言いましたら,裁判所はずっと考えておりまして,「検察官は,被告人の利益のためにも行動し証拠を出せます。参加した被害者は,自分のためにしか利益を主張し証拠を出すことはできません。そこが違います」と言われたのです。そういうふうに被害者というのが守られているんです。ところが,今の制度の中では,被害者というのは虫けらのごとく扱われている。残念ながらそういうことなんです。だから,やはり今の制度を変えていかないと,私は被害者の尊厳は守られないと思います。  今おっしゃったように,検察官を補助する立場で参加すると言われましたけれども,じゃ,検察官がだめだと言ったときはどうなりますか。検察官が,これしかやらないと言われたときにはどうなりますか。検察官に泣かされている被害者も,残念ながら大勢いるんです。それを考えると,被害者が独自の立場で公訴に参加していくことは本当に必要だと私は考えております。  例えば,後で出ますけれども,だれが考えても殺人であるというのを傷害致死で起訴するということがあるわけであります。一番滑稽に聞こえるのが○○事件です。加害者本人も,だれでもいいから殺してやろうと思って,げんのうと包丁を持って外に出て通行人を殺そうとしたと,調書にも言い,法廷でも言い,判決もそのように認定しているわけです。そして,被害者は2人殺され,5人重傷を負い,2人暴行を受けました。殺意の下にそれをやったわけです。ところが,検察官は殺人で2人起訴した。5人を傷害で起訴した。2人を暴行で起訴しました。ところが,立会検察官が論告のときに,そういうふうに分類して起訴したことを忘れて,殺人と殺人未遂で論告要旨を書いたのです。だれが見ても殺すつもりでやったと言っていますから,そうしたら,弁護人が「いやいや,これは違うのではありませんか。分けて起訴しておりますよ」と言われて,慌ててその場で訂正をしたという事件がありました。これなんかは,当然殺人で起訴すべきものを,立証が容易であるかということで,私はよく分かりませんが,殺すためにやったと本人も言っているんですから,それをそういうふうにやったという,その点が非常に象徴的な例であります。傷害致死ではなくて殺人であるとして担当の検察官は書いたけれども,上司が,これは殺意の立証が面倒くさいから傷害致死でやれと言って傷害致死に直されたと,検察官をやめた弁護士は言っていらっしゃるんですよ。そういうときに,検察官の補助としてだけしか行動できないということで被害者が救われるでしょうか。そこで私たちは,話が飛びますけれども,検察官の公訴した,その公訴事実の範囲内,殺意だけを加えた訴因を追加するように裁判所に求める,こういうふうなこともお願いしているわけです。  だから,現在の検察官が本当に被害者のためにやってくれているのなら,それはそれでよろしい。しかし,検察官は公益の代表者であって,一般の事象とか社会の事象とか,いろいろなことを考えなきゃいけない。そういうところでややもすると被害者の求めに応じかねる場合があって,それが被害者を苦しめ,尊厳を傷つけることがある。だから,別個独立に被害者が当事者となってこそ初めて基本法の精神が実現できると,こう私は考えております。 ● 1の一番上に記載されている考え方というのは,犯罪被害者の方が刑事訴訟の当事者として参加をするという形態だろうと思うのですね。2番目の事件の当事者としての特別の地位に基づいて関与するというのが,訴訟の当事者なのか,そうでないのかということについてはよく分からない点もありますけれども,いずれにしても訴訟当事者,あるいはそれに近い立場で参加するということになりますと,私は実務家で,余り理論的な詰めをしたわけではありませんけれども,現行の刑事訴訟法は当事者主義を採っている。これは単に訴訟法でそう定められたわけだけではなくて,憲法の37条とか38条の要請に基づくものだという考え方もあると理解をしておるんですが,そういう憲法の採ろうとしている今の刑事訴訟の構造と,やはり合致しないのではないかとも考えられるのですけれども,そういう訴訟当事者という位置付けをするとなると,やはり根本的な憲法を含めた今の刑事訴訟の構造を見直さなければならないということになって,果たしてどうなのかというような疑問を持っております。その辺に関しましては,学者の先生方にちょっと御意見を伺いたいなと思っています。 ● ちょっとその点,よろしいですか。当事者主義というのは,二当事者でなければならないとはどこにも書いていないんですよ。当事者は3人いても当事者じゃありませんか。当事者の出した主張・証拠に基づいて裁判所が判断するわけであって,3人でなきゃいけない,2人でなきゃいけないということは,憲法にはどこにも書いていないはずです。 ● 今,当事者主義訴訟の仕組みのお話が出ましたがそれについての意見は保留し,今までの御意見を伺っていて考えたことを申します。特に○○委員のおっしゃった,被害者がこれまでの刑事司法の仕組みの中で置き去りにされ無視されていたとのお気持ちは理解できたのでございますけれども,このような不当な事態を防ぐために委員は,現在の枠組みを変えなければいけないとの御主張であろうと理解しました。  ただ,初めに○○関係官がおっしゃいましたとおり,我が国の現在の刑事裁判の形態は,ほぼ60年間続いて定着し,根付いて,適切合理的に機能している部分もおおいにあります。この部会の出発点になる基本計画の要請も,○○関係官が先ほどお触れになりましたとおり,「我が国にふさわしい」形態の,我が国の刑事司法制度中に,これまで置き去りにされていた被害者の方々の直接関与を具体的・適合的な形で進めたい,そのような趣旨だろうと考えられます。  そこで振り返って現在の刑事裁判,これまで我が国で定着し根付いてきた刑事裁判はどのような姿形だったかといいますと,検察官はもとより公益の代表者でもありますけれども,現在の検察官の基本的な活動は,国家を代表して,刑罰権の具体的実現すなわち有罪判決の獲得・被告人の処罰を目標に活動する,これに対して被告人がそのような検察の主張を争う,このような大きく分けて二極の主体の間の対抗関係を機軸に設計されていることは間違いない。そしてこのような裁判のやり方が60年間定着してきたというのが我が国の刑事訴訟の在り方です。検察官は,法と証拠に基づいて被告人の処罰を求め全力を傾注しているだろう。他方で被告人の方は,もし犯罪事実や重要な量刑事情について争う場合には,検察官の出張立証活動を標的にしてこれを争い,対抗する。私は,基本的にこのような現行刑事裁判の二極構造は維持した上で,その中で,これまで置き去りにされてきた被害者の方々の直接関与を具体的に実現する道を探るのが妥当な方向だと思っています。そうしますとその方向は,被害者がもう一つの独立の当事者として関与するという道以外にも十分に成り立つ制度設計があるのではないかと考えています。つまり,完全に独立な当事者として関与する方式ではなくて,大きな意味での二極対抗関係の構造は維持した上で,被害者の方も十分な役割を果たし得るような仕組みを考えるということがあり得る基本的に妥当な方向ではないかと思います。  もうちょっと一般的なことを言いますと,犯罪被害者の方が求めていることは,一般的には犯人の訴追,処罰を求める側ですから,検察官と同じ側の立場にあられることは明らかだろうと思います。そこで現在の二極構造の大枠は維持した上で,先ほど「補助者」という言葉が出てきましたけれども,言葉が適当でないとすれば,むしろ検察官とともに被告人側に対して処罰を求める関与者,ないし共同参画者として主体的に関与するという在り方が,独立参加の形とは別にあり得るのではないか。そういう道を探ることが,むしろ全体として適当なのではないかという考えを持っています。  以上でございます。 ● 現行刑訴の60年の歴史とか,更に数年後に行われる裁判員裁判との兼ね合いを考えて,やはりどうすべきかということを考えていかないといけないと思います。それを前提にしましても,被害者の方が,その中で刑事裁判を見ていて,この点はぜひ自分で確認したいと,そういうふうに思われる気持ちというのは,これは非常によく理解することができるわけであります。こうした点についてやはり手当てをするために,何らかの新しい制度を導入していくことが必要であると,これについては私も異論があるわけではございません。  ただ,その際,検察官と異なる主張方針で独自に訴訟活動を行うという制度にしてしまいますと,訴訟がその分複雑化し,混乱するということが避け難いというように思われます。そうなりますと,かえって適正で迅速な刑事裁判の実現自体が怪しくなってくるわけで,被害者の方もかえって困るという事態に立ち至るのではないでしょうか。そういう意味で,被害者の方が一定の訴訟活動を行えるような制度を組むといたしますならば,あらかじめ被害者の方が検察官に自分の気持ちを十分伝えて,立証方針について十分打合せをする機会を確保した上で,検察官よりもむしろ被害者の方が直接訴訟活動を行うことに意味があると考える場合に,例えば被告人質問の一部を検察官に代わって行うとか,あるいは検察官が論告する場合に被害者の方も意見を述べるとか,そういった制度にした方が適正かつ迅速な刑事裁判の実現を図ることができますし,併せて同時に被害者の方の思いも実現することができるのではないかと思います。これが,今までの刑事訴訟法の歴史ないし今後の裁判員裁判のことも頭に入れると,妥当な線なのではないかと考えます。 ● 60年の歴史と言われますけれども,裁判員制度というのは60年間なかったのですよね。しかも,裁判員制度を作ってくれという国民の要請はどこにもありませんでした。司法制度改革審議会が言い出されて,国民があれよあれよという間に成立したのです。それで,できてしまうと裁判員になるのは嫌だということを国民が言い出した。60年間全くやらなかったことを,国民の方から要求がないのに変えております。私どもは,その審議会に被害者の権利,訴訟参加等を認めてほしいということは言いましたけれども,審議会の中には取り上げられなかった。そういう枠を今度は裁判員という制度で変えておきながら,被害者から,国民から要求のある制度については,60年の歴史を壊すものだということで反対されるということは,私はちょっと納得いきません。  それと,先ほど,被害者が参加すると訴訟が混乱すると言われました。どういう場合を想定して混乱と言われるんでしょうか。私たちは,ドイツの裁判所の副所長に,マーストバーデンで聞いてみました。そうすると「混乱なんかありません。むしろ被告人側が法廷戦術として混乱させることはあります。重い刑罰を求めている被害者側が裁判所を混乱させるというようなことはありません。もしそんなことが起こったとしたら,訴訟指揮権を持つ裁判官の素質の問題でしょう」と,こういうことを言われました。今,被害者が入ると訴訟が混乱するとおっしゃられましたけれども,どうして混乱するとおっしゃられるのか,私には意味がよく分かりません。 ● 裁判の点について,いかがでしょうか。 ● 訴訟が,確か混乱,複雑化するとおっしゃったような気がするんですけれども,要するに,形にもよると思うのですが,訴因が1つでやっている訴訟について,参加する被害者の方が独自の訴因を設定できるとすると,そこには訴因が2つになるわけで,それが当然ながら食い違った内容となるわけですから,その意味で言うと,それは混乱するというか,訴因が増える分だけ複雑化するということは恐らく間違いがないのではないかと思います。  それと,○○委員の方でドイツの制度について度々言及があります。ドイツの制度は確かに当事者参加ということをやっておりますけれども,私の承知している限りでは,やはり職権主義を基調とした制度であるということがかなり大きな意味があるのではないか,つまり,もともと裁判所が事実を解明するという訴訟構造でありまして,その中で検察官,被告人がそれぞれ主張する。そこに被害者がもう一人加わる。そこでは基本的な訴訟構造というのは,それほど矛盾なく当事者参加というものが受け入れられやすい構造にあると思われるわけです。それに対して,当事者主義の国において,当事者が必ずしも二当事者に限らないのではないかというのは,それは先ほど○○委員がおっしゃったとおりでして,理論的にあり得ることは私もそう思いますが,少なくとも,これも先ほどから出ているとおり,我が国,あるいはほかの当事者主義の国はどこでもそうだと思いますが,基本的には検察官と被告人の二当事者対立構造というものを採ってやってきたわけです。それがこれまで何とかやってこれた。そこに全く新たな冒険をして,検察官対被告人の対立構造のほかに被害者対被告人の対立構造,それも,検察官と被害者とは必ずしも同じことを言わないかもしれない。こういう構造を持ち込んで本当にうまくいくのだろうか。失敗したときに,いろいろなひずみが生じていくんではないだろうかと思われ,私はやはり聞いていてやや不安だなという感じがいたします。 ● 先ほどからドイツのお話が出ておりますので,一言付け加えたいと思いますが,○○委員がドイツでの御自分の御経験として,裁判官の話を聞いていたところ,検察官というのは何も被害者のために行動しているのではないという趣旨のお返事があったとお話しになりました。ドイツでは検察官について,以前から客観義務ということが非常に強く言われておりまして,ドイツの検察官は世界で最も客観的な官庁であるという表現すらなされていたわけであります。ドイツではもともと当事者という観念が刑事訴訟にはなじんでおりませんで,ドイツ人に言わせると,刑事訴訟はおよそ当事者訴訟であり得ない。当事者,ドイツ語でパルタイですけれども,パルタイッシュというのは「偏った,偏頗な」という意味であって,そういうものは我がドイツには受け入れ難いというのが圧倒的な多数説であります。これに比べて日本では,60年前から当事者主義というものを受け入れて定着させ,検察官も当事者であるということについて何らの異論がありません。ただ,先ほど「公益の代表者」がという言葉もありましたが,これは検察庁法が使っている用語ですが,そこで使われているのは,検察官は刑事訴訟法以外にも人事訴訟法とか非訟事件手続法とか,いろいろな法律で権限を認められているので,そういう権限を行使する場合には,すなわち公益の代表者であるということになっているわけです。刑事訴訟については被告人,弁護人と対抗する当事者として行動することが予定されているわけであります。もっとも,100%被害者と同じかと言われれば,それはそうでない。だからこそ証拠書類の扱いについても321条1項で2号書面として優遇されているわけで,完全に100%被害者と同じであれば,そういう検察官の調書を特別扱いにする理由も消えてしまうことになろうかと思われます。その辺に当事者という用語には奥行きの深いものがあるということを一言申し添えておきます。 ● ただいまの,訴訟のいわゆる複雑化の点について,もう少し議論をいたしたいと思います。御意見をいただきたいと思います。 ● 訴訟が複雑化するかどうかという問題は,どこまでの権利が被害者の方に認められるかという問題と関わってくると思います。配布資料の1の最初に,「犯罪被害者等が加害者の処罰を求める権利を行使するために,検察官とは独立に,一定の訴訟活動を行うという考え方」が示されていますが,このように,被害者には加害者の処罰を求める権利があるという前提に立つならば,当然私人訴追も本来は認められるべきことになるはずで,しかしながら,とりあえず,そこまではいわないで訴因の設定権を認めるという発想であろうと思います。しかし,その前提自体が本当に正しいのかは疑問があります。歴史的にどうであったかはともかく,現在においては,被害者に加害者の処罰を求める権利はないけれども,しかしながら,第2の考え方として示されていますように,個人の尊厳という観点から特別な地位を認めるという形で,一定の訴訟活動を認めるという考え方もあり得るわけです。この考え方のもとでは,私人訴追は認められないということになりますので,そうすると,訴因設定権は,実質的にそれと等しいですから,やはり認めることはできないと思います。そうだとしますと,被害者が検察官とは別個独立に訴訟活動を行うとしても,それは訴因の範囲内という話にならざるを得ないわけです。その場合,検察官と別個独立に,例えば主張・立証活動を行うといっても,それは,訴因の枠内に限られるわけですから,実際には,情状面だけに限られてくるのかなと思います。その前提で考えた場合,それによって訴訟が複雑化するというのは,具体的に,どういうことなのだろうかという疑問があります。その意味で,訴訟が複雑化するかどうかは,被害者がどの範囲で独立に活動できるかということを考えた上でないと明らかにならない問題だという気がします。 ● ここの問題は後の第3のところで,具体的などのような関与を行うことができるものとするかというところで,より具体的な審議をしていただきたいと思いますが,なお,この問題について御発言ございますでしょうか。 ● 今,具体的に訴訟が混乱するかどうかというところで議論されているんですが,そもそも,やはり国家刑罰権,国家訴追権という基本に立ち返った検討も必要ではないかと思います。言うまでもなく,近代の刑事法が国家訴追権という形を採り,刑罰権も国家に与えるという形でやっているというのは,まさに私的復讐を公的な刑罰に昇華させていくという人類の知恵であったと思います。それは,1つは加害者と被害者との報復の連鎖というものを防いで,社会秩序を維持するという目的もあったと思います。加害者は国家によって訴追をされ,処罰をされるという仕組みで,直接被害者と対峙をしたり対決をさせないということによって,被害者への加害者からの復讐もまた防ぐということになったと思います。  そういう意味で,今回,被害者を処罰をする側に回らせる,処罰を求める側のそういう立場を与えるということが,日本の刑事司法にとってどういう結果をもたらすのかという点で,私は,この被害者と加害者の間の報復の連鎖を防ぐという仕組みでできたものを,もう一度加害者,又は被告人にとっては,被害者の訴訟活動や行動によって自分が重く処罰をされたという仕組みを作り出すことになり,それは被害者にとっても好ましいことではないと思います。そういう点で,被害者と加害者が法廷で対峙をするような仕組みを作るということについては,私は日本の刑事司法の在り方としても適切ではないと考えています。 ● 今の○○委員の発言ですけれども,裁判所に向かって被害者が「被告人にこういう被害を受けました。処罰してください」と言うことがどうして復讐になるんでしょうか。当たり前のことじゃありませんか。自ら手を下すなら復讐ですけれども,「こういう犯罪をこうむったから処罰してください」と言うのは当たり前のことじゃありませんか。これができないというなら,それはおかしいと私は思います。なぜそれさえも被害者は言わないで黙って座っていなきゃいけないのか,我慢しなきゃいけないのか。そんな制度が被害者を苦しめたと言っているんです。  それから,先ほど○○幹事の方から訴因が複雑になると言われましたが,ここに別に訴因を設定するということを書いているから,ちょっと誤解を受けると思うのですけれども,私たちは,さっきも言ったように,同じ公訴事実の中で傷害致死を殺人という訴因に追加させてくださいということを裁判所にお願いして,裁判所の許可をとって訴因を設定すると言っているんですよ。むちゃくちゃに訴因を設定すると言っているのではないんですよ。先ほど○○幹事の方から複雑になると言いましたけれども,検察官がもともと殺人で起訴しておれば,それで済む問題なんです。傷害致死だったから訴因というものが1つ加わることになる。そうすると,殺意があったかなかったかということだけが争点に加わるわけであって,そんなに複雑なものじゃない。最初から殺人であれば,それだけで終わった事件ですから,それが殺意がなかったかあったかということが訴訟を長引かせたり複雑化するということは,私はちっともないと思います。殺意があったかなかったか,それだけを入れれば,傷害致死は自然とその中でついてくるわけですから,そんな複雑な問題ではないと私は思います。  それから,職権主義の下ではできるけれども,当事者主義の下ではなじまないというようなお話がありましたけれども,今言ったようなやり方で考えていけば,そういうことはないでしょう。なぜ職権主義ならやれるけれども当事者主義ならやれないというのか,ここが私にはどうも理解ができない。 ● 先ほども誤解のないように言ったつもりなんですが,当事者主義だったら理論的にあり得ないということを申し上げたつもりはないんです。職権主義のシステムの下では,そういう制度というのはある意味なじむでしょう。当事者主義のところでやると,結局は訴因のところまで入ると,今の殺人と傷害致死の例でも,結局は2つの違った主張があって,しかもそこについて検察官と被害者の方がそれぞれ違うことをおっしゃっているわけです。その意味では,○○委員のおっしゃっている中では小さな差なのかもしれませんけれども,少なくともその範囲では,検察官と被害者が違うことをおっしゃっていて,2つのテーマが訴訟に上がっている。その限度では間違いないわけです。それは,現在よりも訴訟を遅れさせるという意味では,それもまた間違いのないことではないでしょうか。 ● 殺意があるかないかということだけの問題になるんですが,そんなに複雑になるんでしょうか。殺意があったと被害者側は言い,検事はなかったと言い,もちろん被告人はなかったと言うでしょう。それを日本の優秀な裁判官がどうしてどっちが正しいか見抜けないんですか。 ● 余り議論をするつもりもないんですが,殺意があったかなかったかだけの場面で済む話なのかどうかというのは,やはりもう少し全体を見ないとよく分からないなという感じがいたします。  それから,あともう1つ,感想で申し上げますと,訴因の設定について被害者の方が非常に御不満を持つ事件があるというのは,私,先ほど○○の話を聞いていて,なるほどと思いました。ただ,それを訴訟の場で解決するのかということについては,まだ幾つかほかにも方法がありそうな気はするなという感じがいたしました。つまり,例えばそれがもし仮に起訴しないということであれば,それは検察審査会の問題に本来なっていくはずであります。そこについての不満を現行の制度とどのように整合性を付けてやっていくのかというのは,必ずしも訴因の変更や訴因の追加というだけの話ではないのではないかという気がいたします。 ● 私ばかりしゃべっていますが,応援が出ないものですから我慢してください。検察審査会の話が出ましたけれども,私どもも考えました。しかし,今の検察審査会は,起訴されたものは,もう取り上げないんですね。不起訴の場合だけなんですね。だから,実際,傷害致死で起訴された被害者が,殺人じゃないということで検察審査会に持っていった例があるんです。もっともこれは傷害致死で起訴されておりますから,うちの管轄ではありませんということで門前払いを食いました。その法律を改正して審査会にそういう権限を持たせるかということも考えましたが,そうすると,起訴状の記載を改めるために審査会を開く。その間,裁判が進行しない。こういうことになると,これまた大変だなということで,裁判所の許可ということで訴因の追加ができると考えたのです。その起訴する前に検察官とよく打合せをして,検察官に頼んで納得のいくような起訴をしてもらえばいいのではないかという御説明もあるかと思いますけれども,しかし,実際は,20日間の勾留の中で処理する。大勢の事件を処理される検察官は,そんなに打合せの時間はとっていただけません。これはもう事実ですね。最近は一生懸命検察官も被害者と打合せしようというふうにしておられますけれども,同じように柄にさらしを巻いた包丁で何回も突き刺された,それで殺された人が傷害致死で起訴されたのですが,警察は殺人で送ったのですけれども,傷害致死で起訴されたのです。それはちょっと古い例でありますけれども,検察官が起訴前にも一回も被害者の遺族と会っておりません。そして,起訴後も一回も会ってくださっておりません。忙しくて会う暇もないんでしょう。よく交通事案なんかの場合には,なかなか検察官が忙しくて話を聞いていただけないという例がよくあるわけでありますね。20日間の間に会って,とことん詰めるということはまず難しいのではないかと,検察官にとってもそれは大変な負担じゃないかなと,私はそう思います。 ● すみません。ちょっと○○委員にお伺いしたいんですけれども,結局,先ほどの殺人か傷害致死かという事例などでお話を伺っていますと,二当事者の国家と被告人との関係で,検察が訴因を設定する。現在のこういう仕組みであると,事案の真相解明ができないという場合がある。だからもう1つの立場として,被害者側が訴訟関係人として公訴事実の同一範囲内で訴因を設定することが,例えば殺人のようにできるんではないかとおっしゃっているわけですけれども,先ほどから,それは二当事者の関係でいくべきではないかという御議論があるわけですが,検察と別に,検察とは独立して被害者側が訴因の設定をするという委員の御主張を,今の殺人か傷害致死かという点を,検察と例えば対話をすることによって,そういう仕組みを作ることによって二当事者間で問題解決するという方策は考えられないのでしょうか。 ● それは参加した後の話ですか。 ● 参加して,検察官と訴因について話し合うと。この仕組みは具体的に私もまだ分かりませんけれども,例えばそういうことで,別に訴因設定する,独立して訴因設定するという考えではなくて,先ほどそういう問題点がいろいろ指摘されていますけれども,従来の訴訟構造の中で話し合うなどによって,どちらかに振るという形ですね。要するに被害者側も納得するような訴因の設定ができるような仕組みを作るということは無理ですか。 ● 訴因の変更を検察官にしてもらうということになるわけですかね。 ● そういうことになりますかね。 ● 検察官がそうやってくださればいいんですが,なかなか検察官も面子がおありのようでしてね,一度やると変えないんですよね。そうやってくだされば非常にいいのですけれども,私どもが参加したいというのは,訴因についてだけじゃありません。この訴因が今非常に多く出ていますけれども,こういう例はほとんどまれな例だと思うのですよね。一般的には検察官も殺人で起訴されておるわけでして,時々手抜きをされる。口は悪いんですけれども,それはまれであると私は思っております。きちんとやっておられると思いますから。だから,これだけ取り上げて参加を議論すると,これだけのために参加しているように思うかと思いますが,そうじゃないんですね。○○委員がおっしゃられたような制度は,これはこれで一つの解決法と思いますけれども,意見が合わなかったときにどうするかという問題はありますね。  参加というのは,やはり先ほども,基本的に我が国では検察官だけが起訴して公判を維持をしてきたという歴史が確かにありますが,その反面,被害者が泣かされてきたという,この事実があるわけですね。被害者が泣かされてきたと。だから,被害者はやはり被害を受けた者ですから,自ら手を下すことは,これはしませんけれども,裁判所の中で訴えていきたい。そして証拠も出していきたいし,証人の尋問をしたい。そこまで尽くすことによって初めて立ち直りできるという部分もあるんですよ。被害者の立ち直りと刑事裁判は関係ないと言われるかもしれませんが,しかし,基本計画では刑事司法は被害者の利益のためにもあると書いてくださいました。これはやはり今まではそうじゃなかったのですね。被害者のためにやっているのではない,社会秩序のためにやっているんだという最高裁の判決であり,学者の先生方もそれに異を唱えられなかった。そういうことで被害者も切捨て御免で証拠としてこき使われてきた。それで非常に苦しめられてきたのですね。だから,そういうことがないようにしたい。そのためには当事者として参加して,参加しても別に検察官と協力することが--これはもう90%以上検察官と協力をするでしょう。それは仕事をしてもらいたいですから,食い違ったことを言って失敗をするようなことはしたくない。ほとんど検察官と私は変わらないことを言うと思います。だけれども,そこに参加して,被害者としての叫びがきちんと法的にそこで確保される,被害者の尊厳がそれで守られるというところに大きな意味があると思うのです。  それがやはり被害者の,やられながら--例えば,私も遺族ですけれども,刑事裁判で何をしてやれたか。何もしてやれなかったのですね。嘘八百を被告人に言われても,じっと後ろで聞いている以外にしてやれることは何もなかった。とてもつらいです。証人として立ったときだけは一生懸命,妻のために言えるだけのことは言いましたけれども,それ以上のことは何も法廷ではできない。もちろん検察官と一生懸命いろいろな協力をしてきましたけれども,被告人を裁く法廷の場では私の出る幕が全くない。一体何をしてやれたかなと思うと,とても被害者はつらいし,何もしてやれなかったということになると立ち直りにも時間がかかりますね。「やるだけのことはやったよ。裁判所の前で頼むべきことは頼んだよ。死刑にはならなかったけれども勘弁してくれ」と,こう言えることが立ち直りにつながるものであり,被害者の利益につながるんだと私は思います。そういう面で参加したいと言うのですね。訴因だけで言っているわけじゃないんです。 ● 日本の刑事訴訟法も刑事司法の関係者も,被害者に関心を持っていなかったという御批判,これには正しいものがあったと思います。数年前に刑事訴訟法を改正して,被害者側の意見陳述の制度を入れましたときに,確かに被害者の御主張はそのとおりだという考えが強くて,ああいう制度を新設したわけであります。ただ,そこから更に進んで,日本の検察官の活動が不十分であるという御批判の点になりますと,個々の事件については別といたしまして,制度全体としてはそうだろうかという疑問を感じます。  御承知のとおり,日本の刑事裁判は99%をはるかに超える有罪を獲得しているわけですが,これはドイツでもフランスでも無罪が何%かは出ておりますし,アメリカなどに至っては何十%という無罪が出ております。その違いの背景には,やはり日本の検察官が非常に努力して証拠を収集し,できるだけ有罪を確保しようとしているという活動があると思います。ただ,その反面として起訴が慎重であるがゆえに,○○委員の御不満のような積極的な十分な起訴をしていないケースがあるということはあり得ると思います。ただ,日本の場合に,思い切って起訴するという方向にはなかなかいかないのは,やはり日本全体のカルチャーとして,無罪の判決を受けるような起訴はすべきでないという気持ちが非常に強い。その1つのあらわれは憲法の40条でありまして,無罪判決が出れば,国家は頭を下げて謝るということが憲法に規定されているように思われます。これはGHQの示唆した原案にはなかった日本特有の規定でありまして,その辺にも,今日の全体テーマを包括している「我が国にふさわしい」というところにつながる問題点があるのではないかというように考えます。 ● 私は法律のことが全く分かりませんが,何か,先ほどからお話を伺っていて,11年近く被害者の支援をしてきた中で被害者の方を見てまいりましたけれども,果たして訴訟に参加してやっていける被害者の方というのはどういう方なのかなというのが……。当然,そういうのがあれば,それを行使したいという方はいると思うのですけれども,私は,これまで見てきた多くの被害者は,本当に声なき声といいますか,裁判のことすらよく分からない。私どもの支援があるというのを知って,こういう制度ができて,早期援助団体として警察提供情報を受けてつながってという裁判が今とても多いんですけれども,そういう中で,私どもにつながらない被害者の方が圧倒的に多いわけで,私どもにつながった方でも,最初にお会いすると,刑事裁判と民事裁判の違いも全く分からない。だから,起訴するまでの段階で,確かに検察庁に呼ばれて検事さんとお話をしたり,いろいろなことはありますけれども,本当によく分からないまま初公判を迎えるわけです。初公判を迎えて,ただ,何で裁判に出向くのかというと,○○委員がおっしゃったように立ち直りというか,もし遺族であれば,自分の家族が何で殺されてしまったのか,あるいは自分が被害者であれば,なぜ自分がこんな被害に遭ったのか,それをやはり確かめたい,見届けたい。そしてどういう罰を受けるのかをちゃんと見届けたいという思いの中で,震えながら参加したり,もう裁判が終わるとトイレへ行って吐いたりと,大変な状況の中で裁判を傍聴したり,場合によって否認事件であれば証人として出たりするわけです。  そういう中で,どの段階から公訴に参加するということになって,どういう手順を踏んで参加に至るのか,私にはちょっと分からないんですけれども,ここまで来て自助グループというのをやっていまして,被害から大分たった御遺族の方もたくさんお話しした中で,私は最近になって,被害者を長いスタンスでとらえるようになった。刑事裁判のころの被害者の方,特に御遺族は本当に混乱の中にありまして,裁判そのものすら分からないのだけれども,裁判に参加して公判を見続けながら,その途中で「ああ,こういうことだったのか。じゃ,ここはおかしい。やはり検事さんがああいうふうに言っているのは,ちょっとそこは違うよ」とか言いたくなって,検事さんに申し入れたりというのも若干ありますが,多くはとにかく公判を見届け終わって,そして,それを見届けたことで一定の前に踏み出すきっかけにはなるんですけれども,本当にそのころというのは冷静でない。混乱している時期にあるので,そういうときによほどちゃんとした慎重なものでいかないと,被害者はどういうふうに訴訟に参加して,検事さんがどう対応してという,その辺が,私には難しいことは分からないんですが,多くの被害者のことをたくさん見てきまして,被害者の方というのはそんな簡単に--訴訟に参加して質問したりいろいろできる方ももちろんいるでしょうけれども,多くはちょっと違うなという印象を持っているので,どんなふうにそれを進めていったらいいのか分からないけれども,ちゃんと相当慎重にそこを考えていかれた方がいいのかなと思っています。 ● 参加しなきゃいけないという制度を作ろうというのではないですよ。参加したい人は参加するということですよ。○○委員のところは生々しい事件の支援をしておられますけれども,私どもの会でも支援傍聴,その他やっております。だけれども,後で言うと,「今日のあそこの証人にはこういうふうに突っ込んでもらいたかったわね」とか,「あれはいいかげんなことを言ったね。あのまま黙っておいてよかったのかしら」とかいう話が必ず出ますよ。それは参加しておれば,これは弁護士が付くわけですから,その弁護士が追及してくれることもできるわけなんですよ。だから,今はそういうような制度もないし,被害者というのは使い捨てでやられることに慣れてきていますから,だから,もうこんなものだというふうになっちまっているんですね。私どもの会員に,外国ではこんな制度があるよと,こういうふうなことを言うと,それは日本でも欲しいということをみんな言っております。それは○○委員の支援センターでもそういう説明をなさっておられるかどうか分かりませんが,なされば,私はしたいという人が出るはずだと思います。 ● 今のことに関して,しなければいけないじゃなくて,当然,だから私は,別にこの制度を反対しているとか,そういうことじゃなくて,本当にそういうことをしたい方もいるし,制度としてきちんとなれば,それはいいと思うのです。私も,今回のことについても御遺族の方といろいろお話をしていたりしていますけれども,そういうふうに質問したいという気持ちもあるという方も中にはいらっしゃいます。ただ,できるかなと。やはり勇気がないなという声が多かったり,だから,したい人はもちろんしていいんですけれども,そこのところでする人がいて頑張って量刑が違って--ちょっと,私も分からないんですよ。もし違ってきたりして,被害者の方は割と自責の念もあるので,絶対人の前に出ていって話せない人もいるんですね。そうすると「あの方は頑張って裁判に立ち向かった。でも,私は力がなくてできなかった」という気持ちも非常に自分を追い詰める。  私は全然反対していませんから。そういう被害者もいると,私の経験の中で本当にいろいろなたくさんの被害者の方を見てきて,本当にそういう方が多いということなんです。 ● 今の○○委員のお話を伺って1つ感じるのは,やはり被害者の,刑事裁判が進められている時点での心情といいますか,いろいろな状況というのは,もちろん様々であるということで,実際,裁判を傍聴するのが精一杯,あるいはそこにも行けないという形でとどまっておられる方が相当おられるという実情ももちろんあるんだろうと思いました。ですので,今回,何らかの関与,参加の拡充という制度を作る場合にも,当然そういう被害者の方々の実情を踏まえて,少しでもそういう方々で望まれる方が,機会をとらえて参加の活動ができるようにする,そのことについての援助についても考えていく必要があるのではないかというのが1点でございます。  それから,先ほど○○委員も言われたことでありまして,○○委員のお話と共通する部分かなと思いましたのは,要するに被害者,遺族の方々が持っておられる深い傷を,立ち直っていくプロセスの一つとして,そういう刑事裁判への関与というのが位置付けられるといいますか,そういうものとして主張されている面があるということです。数年前の意見陳述の制度を導入した際も,被害者の意見を踏まえて裁判をするということを刑事司法の中に取り入れるという側面もあったわけですが,他方で,やはりそれによって被害者の方が自分の思いを述べる,そのことによって被害者のいろいろな思いが解消されていくという面もあるという評価があったはずで,今回の参加についても,それを更に進めるという側面がやはりあるのだなという感じがしております。 ● まず,援助を含めて全体的に考えなければいけないというお話ですが,特に○○委員の制度設計といいますか,御提案されている案,これはやはり弁護士が付いてきちんと法的支援をしていかなければいけないと思います。それで,私が一番最初に申し上げた補助的という言葉が悪いのであれば,検察官と一緒にということになるんですけれども,そういう案も,できれば被害者側の支援弁護士がついて行うのが望ましいと考えております。  やはりこのように制度として被害者に関するいろいろな施策ができ上がってきたときに,それを十分に被害者が活用し利用し,それで自分の権利利益を守るためには,やはり法的支援は欠かせないわけです。今,○○委員がおっしゃったように,やはり被害者は一番大変な時期に刑事裁判を迎えることが多いわけで,私が支援している被害者の方も,こういうところを聞いてほしい,何でここをもっと聞かなかったのだという声があるわけです。私も聞いていて,検察官の質問にはっきり言ってもどかしさを非常に感じた事実があるんですね。けれども,彼女--彼女というか御遺族なんですが--は記録を見ることができないんです。いまだに記録は見られないんです。それは全部私たちが代わって見ている状況なんですね。ですから,そういう被害者,御遺族にとっては,やはりきちんとした制度を作っていただくとともに,それを補完するような援助システムを一緒に考えていただきたいと思います。これは少し論点が外れてしまうかもしれないですけれども,そういうふうに思っています。 ● それでは,ここでいったん休憩にいたしたいと思います。休憩後は,この資料24の3の,「具体的にどのような関与を行うことができるものとするか」という点について審議を行いたいと思います。これまで議論いただいております基本的な問題も,それとの関係で御指摘いただきたいと思います。            (休     憩) ● それでは,会議を再開いたします。  まず,1の問題につきまして,○○委員から御発言いただきます。 ● 先ほどの議論に立ち戻るわけでございますけれども,我々弁護士の仲間で議論をいろいろしているときに,被害者という立場の方が訴訟当事者として当初から裁判にかかわってくるということと,いわゆる無罪推定の原理との関係がどうなるのだろうかというようなことを論じたことがございます。言うまでもなく有罪判決を受けるまでは無罪と推定されるということでございますので,逆に言いますと,当該被告人との関係で,被害者が正に被害者であるかどうかということが争われる裁判もある。その方が当初から被害者という立場で訴訟に加わるということは,無罪推定の原理に反するのではないかというような考え方もあり得ると思うのですけれども,この点についての御意見があれば,皆様方の意見を伺っておきたいと考える次第です。 ● ただ今○○委員の紹介された議論につきましては,およそ理由がないと考えます。既に先ほど来,話題になっております「被害者による意見の陳述」の制度が現行法に存在しているところですが,その制度を導入する際にも,無罪推定原理に反するのではないかという議論はあったかと思います。しかしながら,現行法の意見陳述と同様に,そこで言われている「被害者」という主体・訴訟関与者につきましては,要するに検察官の起訴状ないし公訴事実において被害者として記載特定されている者,あるいはその遺族の方といったように,そのような方々を刑事手続の中で「被害者」として扱い,一定の権限を認めるというものにすぎません。もとより実体の世界で訴追された被告人が当初から犯人であること前提とし,また犯罪被害の存在を所与の前提にしているわけではありません。したがって,これは理論的な話ですけれども,本来的には犯罪の証明に関する原則であるところの被告人の無罪の推定の原理と衝突するという問題は生じないと考えられます。 ● この問題は,この程度でよろしゅうございますでしょうか。もちろんまた,今後審議する機会は十分あると考えております。  それでは,この資料24の3の「具体的にどのような関与を行うことができるものとするか」という論点について,審議を行いたいと思います。事務当局から既にこれについての御説明がありましたが,まず,そこに戻りまして,何かそのことについて御質問などありましたら。 ● このAからDの違いについて,もう少し御説明をお願いしたいと思います。Dは他との違いが明確ですから,具体的には,AからCの違いになります。まずAとBなんですが,これは,結局,Aから訴因設定権と上訴権を除いたものがBだという理解でよろしいでしょうか。また,その関係で,Aの方には「訴訟当事者の立場で」というのがあって,Bの方にはありませんけれども,これは何か意味があるのかということも教えてください。  それから,BとCの違いなんですが,Cは「検察官の事実に関する主張・立証の範囲において」という限定が付いていますので,両者は,要するに,被害者が独立に証拠調べ請求ができるかどうかの違いと理解してよろしいのかどうかという点が一つです。それから,もう一点,Cについては,例えば訴因記載の事実ではない量刑事実,つまり,情状に関する事実についても,検察官の主張・立証と異なる主張・立証はできないという理解でよいのでしょうか。。 ● まずAとBの違いですけれども,訴因設定権と上訴権を除いたものがBになる。基本的にはそのような考え方でございます。訴訟当事者の立場でというふうな言葉をBから除きましたが,これは訴訟当事者という言葉がどういう内容のものか,もちろん一義的に決まっているわけではないかもしれませんが,やはりこれまでの検察官が当事者として活動していく場合に,そういう訴因設定であるとか上訴という権限を持っていたことと同様の立場でという意味で,Aの方には「訴訟当事者の立場で」というふうに加えて,それとの比較でいうと,Bの場合にはその権限の,ある意味重要な権限を持たない立場ということになりますので,より当事者性が薄いということも言えようかと思いますので,Bからはそういう言葉を除いたということでございます。  BとCの違いといたしましては,おっしゃるとおり,証拠調べ請求権がCの場合にはないということ。モデルの考え方としては証拠調べ請求権を持たない形で一定の訴訟活動を行うということをイメージしております。証拠調べ請求権を持つということになれば,当然その立証の命題として何らかの事実を主張するという関係になると思われますので,Bの方では「事実に関する主張・立証を行うことができる」ということを記載したものでございます。  Cの場合に,いわゆる情状事実がどうなるのかというのは,正に制度の作り方の問題かもしれませんが,一応私どもの方で考えていた限りでは,独自の証拠調べ請求はしないということで,そういう意味で言えば,検察官の方でそういう情状も含めて主張をしている事実の範囲で訴訟活動を行うという形になるのがCではないかと考えているということでございます。 ● もう1点だけ確認ですが,Cには,「一定の訴訟活動」と書かれていますが,これは権利性は持たないという前提なのか,あるいは,そこはまだどちらとも言わないということなのか,その点はどうなんでしょうか。 ● そこは正に制度の作り方の問題と考えております。 ● よろしいですか。 ● 今,議論に出ましたCの「事件の当事者」という用語例ですけれども,これは以前は,被害者は事件の当事者ではあるが訴訟手続の当事者ではないという,どちらかと言えば消極的な方向で使われていた言葉であると思います。ただ,このCで拝見すれば,むしろ事件の当事者ということで一定の訴訟活動ができるという積極的な方向付けを与えられているような感じがいたします。 ● その関連で申しますと,その1枚前の紙,1番の地位や関与の在り方を記述した3つの丸の中で,2つ目の丸と3つ目の丸にそれぞれ「事件の当事者」という用語を使っております。この言葉は,ほかの言葉ももちろんあり得るのかと思いますが,要するに犯罪被害者の方が,意見陳述という形にせよ,あるいはそれ以上の訴訟活動を行うにせよ,それは検察官の公訴提起をした事件において,被害者,あるいはその遺族として特定された,そういう当事者の立場ということを意味しようというふうに考えたものでありまして,その3番のCのところで「事件の当事者」と書いたのも,その前のページの1の「事件の当事者」という概念を繰り返したというつもりでございます。 ● 申しわけありません。前半にちょっとおりませんでしたので,今,前半の議論にもちょっと関連するような形でお話が出ましたのでお伺いしたいと思いますけれども,この3のA,B,C,Dというのは,1枚目のペーパーの1の丸3つと何らか対応しているのかどうか。多分私のぱっと見たところだと,1番目の丸は恐らくAのところへ行きそうな感じがして,ただ,ひょっとしたらBのところへも行き得るのかもしれない。2番目,3番目の丸というのは,Cのところに「事件の当事者」と書いてあるので,そこに対応しそうな感じもするけれども,考えようによっては,Bのあたりにも行くかなと,何かそんな感じも受けるのですが,そのあたりは何かお考えになられているのかどうか,お教えいただけるとありがたいと思います。 ● 直接的に,これを採ればこうなるという明確な結び付きまでを考えているわけではありませんが,おおむね今,○○幹事の言われたような考え方が,相互の連関としてはなじみやすいものとして結び付くのかなということを考えております。 ● そのほか,この資料について御質問ございますでしょうか。 ● ちょっと細かいことで申しわけございません。1の真ん中の丸に「『事件の当事者』としての特別の地位に基づいて」というのがございますね。その3番目の丸は「『当事者』としての立場から」と,3のCは「『事件の当事者』としての立場で」という使い方になっていて,「特別の地位に基づいて」という言い方は,この3のところではないのですが,何か使い分けをしておられるんでしょうか。 ● そこは,これ以外の表現方法があり得ないというつもりはありませんが,強いて言えば,この1の2番目の丸で「特別の地位」とあえて書いたのは,正にここが被害者の方々の地位や関与の在り方という基本的な考え方といいますか,理念としてどういう考え方があり得るかということを述べようとしたものですので,単に「事件の当事者」と書くよりも,そこで一定の積極的な関与を行うということを意味付けるとすると,そこに「特別の地位」という言葉を付した方がよりふさわしいかなというようなことでございます。 ● それでは,3番の論点について議論を行いたいと思います。どなたからでも御発言をちょうだいしたいと思います。あるいは,先の質疑において,この資料の3のAからDまでの趣旨というのがより明確になったと思いますので,場合によりましては,御発言の際に,そのそれぞれのモデルについての御意見という形で御発言をいただいても結構です。 ● 被害者が刑事手続に参加,あるいは関与する目的を考えた場合に,ただ言いたいことを言いたいとか,聞きたいことを聞きたいとかということではなくて,真実を究明したい,それから名誉を回復したいということがあると思います。そうであると,このCの点ですね。「検察官の事実に関する主張・立証の範囲において」と限定を加えるのは余りにも狭いのではないかと思います。ただ,制度設計として,例えばBのところ,一定の訴訟行為をするということが権利としてどこまで認められるかは別としまして,やはり被害者にも事実主張,訴因を前提とするけれども,被害者の事実の主張・立証を認める,一定の条件といいますか,どういうような形に認めていくかということは別にしまして,認めるのが被害者が望んでいる参加の目的,関与の目的からしてふさわしいのではないかと思っています。 ● もう少し具体的に教えていただければと思うのですが,検察官が設定した訴因を前提として,被害者の方で主張・立証をするということを認めるという場合に,その場合の主張というのは,例えばどんなような主張が典型的な例として想定されるとお考えなんでしょうか。 ● つまり,公訴事実そのものではないかもしれませんが,動機とか犯行に至る経緯とか,そういうことに関して,例えばこの証人を呼んでほしいというようなことがありますね。この点について知りたい,事実を究明したい。例えば被告人がその家に入ったのは,被告人が鍵を開けて入ったのか,あるいは被害者が鍵を開けて中に入れたのかとかということですね。こういう事実に関して,例えば検察官は,いや,そこはそんなに重きはないということで,そこは簡単に,例えば被告人側の主張を認めて,そこはカットするというようなことがあっても,被害者としてはそこについて,例えばこの証人にこういう点を聞いて,そこを立証したいとか,そういうことがあるかもしれない。そういうことを,被害者が,裁判所に証拠調べ請求権をぽんと出すという制度設計じゃないとしても,例えば検察官の同意を得てという形にしても,検察官側ということで考えますと,それはいいと思うのです。でも,そういうことを被害者ができる道を制度として作っておいていただければ,それをもとに,事実上の効果としては,検察官との意思疎通も非常に密になると思います。ですから,そういうような,被害者が別途主張・立証できる制度を作っていただきたいと私は思っています。 ● A,Bも「事実に関する主張・立証」となっておりますが,これは意見を述べることも入るわけですね。主張・立証の中には意見を述べることも入る。例えば論告求刑とか。 ● それは,正に制度をどう作るかによるんだろうと思いますが。 ● よると思いますけれども,全部について意見が落ちているものですから。 ● そういう意味で言えば,それを排除しようという意味ではございません。 ● そうじゃないですね。 ● 今,○○委員の方が,被害者が望んでいる検察官と違う主張ということで,動機とか犯行の経緯とおっしゃって,それは,いろいろな事件の中で,被害者がやはり我慢できない主張を被告人がして,検察官はそれを争わないというふうなことはあると思うのです。ただ,日本の刑事司法自身が今どういう局面にあるかというと,今までのいわゆる精密司法というものからむしろ脱却をして,裁判員制度というものを入れていることによって,争点に絞った審理をし,その争点に絞った判断を裁判員にもしていただいて判断をしていくということになるので,そういう意味では,それを,じゃ,証人を立てて尋問することになるのかという点で,従来の精密司法の刑事裁判と,これから少し変わりつつある刑事裁判の姿でいうと,やはり被害者の思いというのは,なかなか制度としては従来よりも実現しにくくなっているんではないかというふうなことも考えております。その点で,公訴事実に関する問題,それから重要な量刑事実に関する問題というのは,まさに裁判のテーマだと思うのですが,やはり検察官がそうは思わない,被害者はしかし重要と思っているテーマというのが,どれだけこれからの刑事裁判で審理の対象になっていくのかという点では,やはり無理があるんではないか。それはやはり民事訴訟なり,そういう中で被害者の思う存分権利行使できるところで実現するほか,やはり方法がないんではないかなと私は考えております。 ● ○○委員のおっしゃることは十分分かりますけれども,その方向と,もう1つ,被害者の声を聞く,刑事司法の中で被害者に一定の関与をするという方向性がもう一つあるわけです。だから,一方のその刑事司法の方向性に,この被害者の求められる社会的要請である被害者が関与するというものをどうやって入れていくかという問題なのであって,こちらがあるからだめなんだ,やりにくいということではなく,それをうまく合体させるのがこの審議会の役割なんだと思いますので,そういうふうに思って前向きに考えたいと思っています。 ● 現在の御議論は,このCの「刑事裁判に出席し」云々という項目をターゲットとして進行していると思います。そこで,この「一定の訴訟活動を行うことができる」ということの内容を確定するのが,我々の行うべき作業の一つだと思うのです。  まず,刑事裁判に出席するのは,いわば最小限度の要件として冒頭に書かれているわけですけれども,しかし,これについても,いざ立法するという場合には若干の考慮が必要であろうと思います。つまり,常に当然に出席できるという形をとるのか,それとも何らか裁判所の判断が働いて,ある場合には限定されるということになるのか。事実上の運用としては,恐らく限定はされないだろうと思いますけれども,しかし,例えば非常に多数の方から出席の申し出があった場合に,それを制限する必要があるとか,あるいは,ほとんど考えられない事態ですけれども,裁判を非公開にする決定があった場合にどうするかとか,そういうような点を,ある意味で技術的ですけれども詰めておく必要もあろうかと思います。 ● 今,○○関係官から,Cをターゲットにして議論をしているというお話がありましたが,そうなんでしょうか。まだそういうところまでいかないで,全体の議論を,ここに書かれていることの分からないことをいろいろ質問してきたと思うのですけれども,今のお話ではCをターゲットにして議論しているというようなことをおっしゃったのですが,どうなんでしょうか。 ● 今の問題ですけれども,BとCの主な違いは,被害者等に証拠調べ請求権が認められるかという点ですので,そこにひとまず問題を戻して,委員,幹事の方の御意見を伺いたいと思います。 ● 私たちは,先ほどから申し上げておりますとおり,検察官と密接な協力はしますけれども,しかし,被害者は被害者の立場として,今,○○委員が言われましたように真相の究明,名誉の回復,それから立ち直りのためにも,やはりこの訴訟の手続に参加して,そして思いを述べたいということがあるわけです。  実は,最近,ある被害者が鉄道自殺をされました。私どもの会員であります。これは,娘さんがすぐ近くに住む男性に殺された。勤めから帰る途中で殺されたのですが,2年間,だれが犯人か分かりませんでした。2年のうちに近くに住む男が「私がやりました」と言って自首してきたのです。ところが,その後,弁護士が付くとまた否認。裁判になって逮捕されたから否認になりましたけれども,その裁判がずっと続いておりました。そのときに,被告人がもう勝手なことを言うのですね。後ろで聞いている被害者の母親は,何度も立ち上がって「違う」と言おうとしました。だけれども,裁判所に制止されて言うことができません。それで,裁判が終わると被告人はそのまま連れていかれるわけですから何も聞けない。そこで廊下へ出て,被告人の親に向かっていろいろなことを言っていたわけです。そういうことを繰り返して,何も聞けない,「違う」と,こう言っているうちに判決になりました。その判決の日に,もちろん実刑判決ですけれども,閉廷して被告人が被害者の前を通るときに,「通勤の帰りに親が迎えに行かないからこんなことが起こるんだよ」,こういうことを捨てぜりふを残していったのです。それから非常にそのことを気にしまして,自分が迎えに行かなかったからこうなったということを思い詰めて,とうとう線路のそばに靴を並べて亡くなったという事件なんです。  これが今,控訴されておりますけれども,もし参加しておれば,いろいろその場で反論できたと思います。言いたいことを何回も言おうとして制止されております。また,控訴審でも,その捨てぜりふについて質問をし,追及できたと思います。先ほど○○委員から,そういうようなことは考えられないようなお話がありましたけれども,そういう深刻なのが新聞をにぎやかしたのですよ。私は,その葬式には出ませんでしたけれども,本当に傍聴に行っていた会員たちは,あのときに参加して質問させてあげれば,こんなことにはならなかったのではないかと皆言っておりました。そういう事例がつい最近起こったのです。そういうことも踏まえて御議論いただきたいと思います。やはり検察官がその都度質問してもらうといっても,それは検察官にも分からないこともあります。だけれども,被害者から見ればいろいろ言えることがある。そういう面で,私は,検察官とは別の立場で訴訟活動できる制度を作ってもらいたいなと思っております。いつもいつもこんな問題が起こるとは限りませんが,検察官と意見が違うことはないんですが,検察官だって,それは被害者の思っていることをいつも言ってくれるとは限らない。そして,そういう質問を被害者がするだけで,かなり私は,その被害者は救われたと思います。 ● 今,○○委員がおっしゃった事例は非常に不幸な事例で,そういう事件において何かしてあげなければいけない,そのために何らかの制度を作らなきゃいけないということに関しては,私も全くそのとおりだろうと思います。  ただ,今の事例で,被害者の方が検察官に,今被告人が言っていることは間違いであると,こういったときに,今の検察官がそれを無視する訴訟活動を本当にするんでしょうか。私は,そこは非常に疑問に思っています。もちろん検察官というのは被害者と100%同じ立場ではない。それは,例えば訴因の設定について言えば,例えば証拠とか,いろいろなことを考えて,被害者が例えば危険運転致死だと被害者がおっしゃっている事件について,検察官としては,やはりこの事件は業務上過失致死としてしか責任は問い得ないと,こう考えて起訴をされるケースというのは,それはあるかと思いますけれども,今,○○委員がおっしゃったようなケースについては,検察官と被害者の方の関係が密になっていれば,それは必ず検察官が質問するはずだし,仮に被害者の方が質問した方がいいというときに,そこを検察官に代わって質問するというような制度を組めれば,それで解決しているのではないかなという感じがするんですが,いかがでしょうか。 ● 検察官から見れば「また始まった。放っておけ」,こういうこともあるわけですよね。だけれども,被害者から見れば,それがぐさりぐさり心に刺さるということもあるわけなんです。だから,そこにやはり被害者と,それから検察官との違いが出てくる。だから,被害者が思っていることを絶えず検察官が発言してくれるとは限りませんし,検察官にとっては大事ではないと思われることでも,被害者にとってはとても大事だと思われることがあるんですね。そこまで刑事司法が面倒見るのではないよとおっしゃられるかもしれませんけれども,随分それによって救われるか救われないかという,そういうことは出てくると思います。 ● 伺っていて,ちょっとこの議論だけでいいのかという気がしないわけでもありません。つまり,○○委員の言われるような新しい制度を入れるにしても,検察官は,それでは別個独立だから,被害者とは別の立場でやるのかというと,恐らくそうはならないわけで,検察官は依然として被害者の心情を酌み取り,被害者のために最大限配慮していくというところは変わらないはずなんですね。そうだとすると,やはりどういう制度を採っていくかということとは別に,検察官として今まで一生懸命やってきたことを踏まえ,そもそも制度として,あるいは運用として,被害者とこれからどういうふうにしていくのか。コミュニケーションという話が出ていますけれども,検察官としては,今までの活動を踏まえて,しかし反省点も踏まえながら,どうやって新しく被害者の意向を酌み取っていくのかと,そういうところをセットにして考えないと,今後は検察官と被害者が対立しうるかのような前提で制度作りの議論をしていくというのは決して好ましいことではないのではないか。もう少し広い視点で,そういう点を含めて議論をする必要があるのかなというように思います。 ● 今,設定されている議論の土俵から少しはずれてしまうかも知れませんが,一点意見を申します。先ほど来いろいろな方がおっしゃっている,被害者のお気持ちを刑事司法で酌み上げるチャンネルとして既に存在しているものとして,「被害者による意見陳述」という制度があるわけですね。確かに,それに対して御不満がある面があり,更にそれ以上の直接関与というのが基本計画で出てきたという側面もあるんだろうと思いますけれども,振り返ってみますと,あの意見陳述の制度は被害者の方を主体にして,すなわち,証人として,単なる証拠方法として扱うということではなく,自らの被害に関する心情・御意見を述べてもらい,かつ制度上,それは量刑にも反映するという仕組みになっている。このような制度が既に存在する。これを出発点にして更に一層何ができるか考えてみる必要があろうというのが一つ。  それから,もう一つは,今,○○委員が触れられた点です。私,先ほど被害者は,訴追側と一体になって,共同して関与されるという形が一番自然ではないかということを申し上げたのですけれども,その大前提としての検察官と被害者の方の間の意思疎通,その部分がたいへん重要であると考えます。現に存在する制度,あるいは,犯人の処罰を求める方向では協力し,一体となり,共同参画するような被害者と検察官側の意思疎通の仕組みないし運用,A,B,C,Dに出てくる以外で,そういう枠組みを考えた上で議論をしていった方がいいのではないかと思います。  私の意見は,先ほど最初に述べたとおり,別個独立の関与ということをしなくても,○○委員始め多くの方がおっしゃっているような思いを具体的に実現する制度は可能であると思います。今ある意見陳述の制度を拡充する方向もあるでしょうし,それ以外に御意見を主体的に述べられる手続段階が考えられるかも知れない。あるいは検察官が気が付かないところを指摘して,それが法廷に示される結果になるよう様々な工夫はあると思います。あえて私の意見がどれに近いかといえば,Cを具体的に考えていくのがいいんではないかということになります。さらにその前提として,既にある制度の機能の充実,あるいは法制度以外の周辺のコミュニケーションといいますか,そっちの方の拡充も併せて考えるべきであるとの意見を持っております。 ● 私も,被害者の方々が検察官とは別の立場で,しかし検察官と協力関係で自分の意見を述べる,参画するというようなことは可能であり,その形態はいろいろな形があるだろうと思います。先ほどから出ておりますけれども,一方で,既存の枠組みを前提にしたのでは,この議論は始まらない。これもそのとおりだと思いますけれども,しかし,他方で,今の検察実務を固定したままで考えるというのも,これもおかしなものですから,むしろ,例えば○○委員が言われる検察実務の方を変える方がある意味では容易なのではないかなという気がいたします。いずれにしても,出発点はやはり基本計画だと思います。基本計画の上に立って,今まで軽視されてきた被害者の,今日のテーマでありますと参加をどうやってより多く実現していくかという問題だと思います。  今度の基本計画では,基本法の18条に基づいて43施策が決定されておりますけれども,その中で法務省関係の施策112におきまして公訴参加制度を含めて犯罪被害者等が直接関与する制度が出てきます。それから,116のところで犯罪被害者等と検察官のコミュニケーションの一層の充実。それから,117のところで,公判期日の決定についても十分なコミュニケーションを取るべきだということが出てきます。さらには120のところで,検察官は上訴の可否について犯罪被害者等から意見を聴取するなど適切な対応に努めるべきことが求められています。これらの施策の中でかなり重要なキーワードとして出てくるのは,検察官と被害者等とのコミュニケーションという言葉がかなり大きな意味を持つのではないか。そうすると,検察官と被害者等とのコミュニケーションをより緊密にすることによって参加の実を上げていくということがかなり大きなポイントになっているのではないか。  もちろんいろいろな形態があります。各論的に言いますと,○○委員が主張されている,まず一番問題がないものから申し上げますと在廷権。自分で裁判に参加して成り行きを確かめる。これは正当な要求だろうと思います。それから,成り行きを見ていて,これからどういうようなことをするか,あるいは検察官にしてほしいかということを言うためにも,これは欠かせないだろうと思います。在廷の場所につきましても,傍聴人と全く同じだということでは,これは基本法の精神に合っていないだろうと思います。ですから,バーの中に入るということも一つの考え方だろうと思います。バーの中に入るということについては,被告人に不当なプレッシャーを与えて,防御活動を十分にさせないのではないかという御意見があります。しかし,これは被告人には弁護人がついていて,実際には弁護人が主たる防御活動を行うという実務を前提にして,まず,果たしてそれが不当なプレッシャーと言えるかどうかという疑問がありますけれども,たとえそういうことがあった場合にも,例えば在席の位置の工夫とか,いろいろな形でそれはクリアできる問題ではないのかなと思っております。また,防御活動を制限するというのに当たらないのではないか,別の場面で,例えば具体的には,被害者の証人尋問が予定されていて,証人適格の点で問題になり得るというような場合は,そういう場合は制限できるとか,そういうようなことはあり得るにしても,基本的には在廷権は認めて問題ないのではないか。  それから,○○委員が今おっしゃったように,意見陳述についても相当これは効果を上げてきていると思います。裁判に参加して御自分の意見を述べる。これが立ち直りの効果を持っているということも幾つかの研究によって言われていることだと思いますので,例えば意見陳述の範囲を広げる,それから,権利的な性格をより強めるというようなことは可能だろうと思います。ですから,心情に限定されないような形での意見陳述というのはあり得るのではないか。ですから,例えば求刑も含むというようなことも,これも現実には,実際に死刑に処してくださいと言うようなことは,ある意味ではもう求刑をしているということと同じですので,それを今より広げるということは考えられるのではないか。これをある程度心情以外のところまで広げて,ある意味で被害者の最終弁論というようなものを認めるということは考え得るのではないでしょうか。  ところで,さらに,より積極的な問題になりますと,証拠の提出権とか証人尋問権とか,被告人への質問権とか,訴因変更権とか上訴権とか,こういったものがありますけれども,先ほど○○幹事などから指摘がありましたように,訴因の設定権というのは相当問題が大きいし,それから上訴権というのも相当問題があるだろうと思います。また,それ以外の積極的な権利についても,この趣旨を生かすということは私は大事だと思っておりますけれども,その趣旨を生かすためには,つまり,これも先ほどから出ておりますけれども,一方では迅速,適正,充実した裁判という重要な刑事裁判の目的があります。その点を考えますと,果たして被害者がそれらの活動を直接行使するのが一番いいのかどうかということになると,必ずしもそうは言えないという場合がありますので,そういう意味では,これらのうちある部分については,先ほど出ました,例えば検察官と協力して,協力してといいますか相談して,場合によっては一定の場合に質問を認めるというようなこともあり得るかと思いますけれども,基本的には,事柄によって,被害者側の求めがある場合には,検察官は必ずその問題について被害者と相談するということを事実上義務付けて,そして被害者等の要望に適切に対応してもらうということがこれらの場面での参加という点で現実的であると思います。 ● 先ほどから検察の実情に対する御批判をたくさんいただいているところでございます。今,○○委員の方からもございましたけれども,確かに基本計画で,いろいろ検察の実務について御指摘もいただいております。そこらあたりについて,検察が今どういう取組をしているかということについて,一言述べさせていただきたいと思っております。  第1回のときに配布していただきました資料の10のところに,「検察における被害者保護の取組みについて」という資料がございますけれども,これに検察がこれまでにどういう取組をしてきたのかということを取りまとめて作成していただいております。このとおりでございます。その最後の方の7ページあたりを御覧いただきますと,第8の「犯罪被害者等の保護・支援に関する意識の向上等について」というところで,「犯罪被害者等基本計画に関する留意事項についての通知」というのがございます。これは,御指摘のありました基本計画に掲げられております,様々な検察がとるべき対応ということにつきまして,最高検から各現場に対して,これをきちんとやるようにという通知を出したものでございます。各現場におきましては,この基本計画を詳細に読ませていただきまして,またこの最高検からの通知に基づいて,現場でそれぞれこの基本計画の趣旨に沿うような活動を現実に今やらせていただいているということが,まず1つ申し上げたいと思っております。  そういった現場の取組の状況について最高検としても把握をしているところでございますけれども,その一つの手段といたしまして,今年の10月2日には,この被害者関係の中央協議会を最高検が主催して東京で行いました。ここには全国の高検,地検,これは全部ではございませんけれども,大半の高検,地検の被害者担当の検察官を呼びまして,そこで特に基本計画の実施状況についての意見交換等をさせていただき,情報を共有し,それぞれの庁で,またそれに基づいて,更に基本計画が達成できるように取り組んでいるというところでございます。また,この中央協議会におきましては,今日御出席の○○委員にもおいでいただきまして,検察の現場で,今,被害者に対してどういうことが行われているのかを被害者の方の立場から御講演をいただき,これを各庁の検察官が持ち帰りまして,それをほかの検察官,さらには,出席していない庁にも伝達をするというようなことも行っております。こういったように,徐々にではございますけれども,検察といたしましても被害者の方のお気持ち,心情を理解し,それをどうやって裁判に反映していくのかといったことについて,鋭意努力をしているということだけは御理解していただきたいと思っております。 ● この3の問題は,事務当局から示されたA,B,C,Dというモデルを一応前提として議論をいたしております。繰り返しになりますが,AとBとの違いというのは,事実に関する主張・立証を行うことができるという点では共通であるが,訴因の設定及び上訴ということがBには書かれていない。このことを考えますと,Bでは証拠調べ請求権があるという前提でこのモデルが作られていると了解できると思います。Cにつきましては,これは「検察官の事実に関する主張・立証の範囲において」という限定がありますので,事務当局からの御説明がありましたように,これは証拠調べ請求権はないのだという考えだろうと思います。しかしここで議論すべきことはこれだけではなくて,例えば○○関係官から御指摘がありました在廷権,あるいは出席権の問題もございます。また,他の委員からも御指摘がありました意見陳述や質問権の問題もあると思われます。 ● 今のご指摘と関連すると思いますが,このBとCの切り分けは,必ずそのどちらかでなければならないという話ではなくて,問題とされる訴訟活動に応じて違う扱いをするという考え方もあり得ると思います。被害者の方からのお話を伺いますと,最も求めておられるのは在廷権と被告人への質問権だろうと思いますが,例えばCの立場ですと,こういうことは実際の訴訟ではあり得ないのかもしれませんが,検察官も,それから弁護人側も被告人質問を求めないという場合は,被害者としては被告人に聞きたいことがあるというときでも,それは認められないということになるように思います。もっとも,Cは,証拠調べ請求権がないことを意味するという説明でしたから,被告人質問はそれとは別に考えるということなのかもしれませんが,仮に,Cが,被告人質問を含んだ意味で,「検察官の主張・立証の範囲において」としているのだとすれば,先のような結論になるわけでして,それは妥当でないと思います。そうすると,,その必要性に応じて,例えば,被告人質問については,被害者が検察官とは別個独立に行うことができる,その意味で,Cの枠にはとどまらない,しかし,それ以外の,例えば証人尋問については,検察官が請求した証人につき,検察官が尋問をした後に,補充的に尋問をすることだけを認めるということで,Cの枠にとどめるというような形もあり得るのではないかと思います。以上の意味で,BかCかという一律の切り方でない制度設計も考え得るのではないでしょうか。 ● ただいまの点に関連して,何か御意見はございますでしょうか。 ● ちょっと,先ほどから伺っていますと,何か検察官と被害者が対立するような立場で私が話しているようにお考えの方もいらっしゃるかと思いますが,そんなことはありません。検察官が一生懸命やってくださらなければ,これはもう捜査もできませんし公判の維持もできません。それに一緒になって協力して被害者がやる。これは当たり前のことであります。そしてまた,検察官が今までの在り方と違って,被害者のことをよく考えようということで方向転換を一生懸命考えていらっしゃるということも,これもよく分かっております。  にもかかわらず,やはり被害者が入っていきたい一番の基本は,被害を受けた者は自分ではないかということですね。そして,自分に被害を与えた者を裁く,その手続にどうして被害を受けた自分が参加できないのかという,この悔しさなんです。これが一番あるんですよ。だから,そこを御理解いただかないで,こうすれば救えるのではないか,こうすればいいのではないか,検察官に頼んだらいいのではないかというだけでは,被害者の思いとはちょっと離れた議論になると思います。これは,この基本法ができるときから,私ども,政党でも何回もお話ししましたし,そして内閣の検討会でも話しました。そういうような被害者の思いを考えて,この基本法の18条,参加の機会を拡大するということができたのであって,この18条というのは,検察官が一生懸命やればいいのではないかということとは違う規定なんですね。そこを御理解いただきたいと思います。  それから,先ほど日本にふさわしいという言葉がありましたが,これは内閣府の検討会で,私は,こんなものを置くと,どうせ後でこれを楯に取られてろくなことはないから,この言葉は取ってくれということを言ったのですが,やはりフランスやドイツとも違うし,日本にふさわしい,日本にふさわしいというだけだからいいのではないかと,こういうことを○○先生がおっしゃいまして入れたということなんですよ。私は,こんな言葉がまたひとり歩きして変に使われたら困るということだったのですが,変に使われるというより,やはりそれはいいのではないですかと,日本にふさわしいのだよということでなったので,これがあるからということで,余り意味は持っていないんですね。  それから,フランスでは公訴参加はありませんが,附帯私訴というのが実際は公訴参加ですね。1フランでも附帯私訴できるんですから。イタリーでは当事者主義だけれども参加させているんですね。職権主義から当事者主義に変わったけれども,参加させているんですよ。だから,当事者主義だから参加させないということはない。まず,こういうふうにすれば被害者を参加させなくても済むのではないかと,こういう観点よりも,被害者を参加させなきゃいけないのだという立場で,そして,だけれどもこの辺までというように議論していただければ,まだ分かりやすいんですが,こういうことをすれば被害者は満足でしょう,それでいいじゃありませんかと,こういう議論になっちゃうと,基本法第18条の精神とはすっかり違ってくると私は思います。 ● 先ほどは○○委員の方からもコミュニケーションの強化というのが必要だというふうに出ましたし,最高裁の○○委員の方からも同じことが出たので,私もそれは非常に大事なことだと。私自身は,この直接参加の制度については反対なんですけれども,仮にこういう制度を入れても,やはり基本的には検察官と被害者のコミュニケーションが強化されて,検察官の援助も受けながら,被害者が例えばいろいろな意見陳述制度をやっていくとかいうふうなことがとても大事であろうと思うのですが,やはり今の制度の中では,被害者が検察官に説明を求めたり質問をしたり意見を言ったりという制度自身は特にないわけですね。弁護士が支援弁護士につけば,当然検察官と対等な立場で検察庁に乗り込んで意見を言うということはできるんですけれども,通常はやはり日本の国民の感覚で,自分が1人検察庁に乗り込んでいって質問をするとか説明を求めるということはなかなかできない。それはやはり私自身は制度化をきちんとすべきではないかということで,これは第1回にお配りしました日弁連の犯罪被害者等の刑事手続への関与についてというところで同じような提言をしているんですけれども,被害者等の検察官に対する質問及び意見表明制度を新設するということと,その意見表明や質問を的確に行うために,公判が始まる前に弁護側に示された証拠については被害者側が閲覧したり,場合によったら謄写もできるというふうな制度を確保して,そういう制度を実効あらしめるというふうなことが重要ではないかなと思っています。 ● 先ほどの○○委員の御意見にちょっと触発されての話ですが,いずれにいたしましても,どういう制度設計をするにいたしましても,やはり検察官と被害者との関係,権利義務関係を制度化するということが前提にならなければいけないんではないかと私自身も考えております。  それで,現在意見陳述の制度がありまして,私自身も弁護人として何回か経験をしております。先ほどの○○委員と○○幹事の議論ではございませんが,検察官の訴因は傷害致死なんですけれども,意見陳述をされる被害者の方は,同時に殺意を持って殺したという前提での意見陳述をされるということもあるんですね。被告人や弁護人として,被害者のお立場というか,遺族の方の心情も分かりますので,余りそれについてとやかく言うこともないのですけれども,程度によっては,やはり殺人ではないと。被告事件についての意見というふうに法律上書いてありますので,被告事件を離れて意見を言うことについてはどうかということを言う場合も中にはあるんですね。そういう意味では,やはり今の意見陳述の過程でも,被害者の方のおっしゃることと検察官の提示しておられる訴因との食い違いというようなものがありますので,これを例えば被告人質問などに持ち込むということになりますと,さらにある意味での複雑化,先ほど混乱という言葉について○○委員が反論されましたけれども,そういうことも起こり得るのではないか。そういう意味で,やはり前提としての検察官と被害者の方とのきちんとした意見交換,コミュニケーションの制度化ということは,どうしても前提として必要だと思っております。 ● それでは,残りの時間もわずかになりましたので,1つは出席権,あるいは在廷権の問題,もう1つは意見陳述と質問権の問題。これについて御意見をいただきたいと思います。 ● 在廷権は,これはもう最低限認められるべきだと思っています。私は支援弁護士として活動するときに,バーの外に被害者の方と一緒にいて,非常に弁護士としても疎外感を一緒に味わうということを何度も経験しています。弁護士でありながら,バーの中でやられていることがどういうことなのかよく分からなかったり,聞き取りにくかったり,聞き取りにくい場合は上申書を書いて拡声措置をしてくれとか言ったり,自分がバーの外にいて,全く刑事司法から置き去りにされている,あの象徴が,やはり傍聴席での被害者なんだと思います。ですから原則在廷を認めていただきたい。もちろん○○関係官がおっしゃったように,それは裁判所が例外的に認めないというケースは,多数の場合とかいろいろあると思います。それは当然,そういう例外を認めることは裁判所が認めないということをすることは,制度としてよろしいと思いますが,それを原則認めるという方向でお考えいただきたいと思います。  それから,意見陳述につきましては,○○委員の方から広げると,心情に限らないという御意見がありました。今,意見陳述は,確かに被害者がバーの中に入って唯一自分の気持ちを伝える機会ではありますが,ある意味で被害者の心情に限定されて,ガス抜き的な役割を果たしているんですね。この関与については,それ以上に,先ほど申し上げました事実の究明,真相究明,名誉回復ということがありますので,それではやはり足りないと思っています。心情に限定するのであれば,それはやはり意見陳述は,単に被害者の感情を吐露させればいいのだというような感じが少ししますので,広げるという方向で考えるなら結構ですが,それ以外に,やはり別の関与の方向を考えるべきではないかと思っています。 ● 今のお話のうちで,在廷権を認めるのは最小限度だという御趣旨があったと思いますが,私もそのとおりではないかと思います。ただ,この在廷を認めるという場合には,やはりいろいろ考えるべき事項もあって,ドイツあたりでも被害者保護と証人保護というのはしばしば一緒に議論されております。刑事訴訟法を改正して,日本でも証人についていろいろな保護の措置を講じているわけですけれども,この場合にも,つい立てによって遮へいすることが必要な場合もあるのではないかとか,そのような考慮も必要になってくるかと思います。 ● 先ほど○○委員が,在廷をさせると被告人に対するプレッシャーがあるかもしれないということをおっしゃったので,私たちはやはり弁護人の立場として,この裁判というのがいかにあるべきかということを考えるときに,例えば,かなりひどい被害を生じさせたような被告人が,なぜそういう犯行に至ったのかということを,それを語らせるというのが弁護人の仕事でもあり,また社会が求めていることでもあると思うのですね。なぜこんな犯行をするに至ったのか,それを直前の出来事はもちろんのこと,なぜそういう人間になってしまったのかということも含めて解明をしたいと思うのが社会でしょうし,弁護人も被告人にそういうことを自分で自覚させ,そして語るということを進めようとする弁護活動をすることがあると思うのですが,被告人の方は,むしろ逆に言うと,どんなことを言っても,自分がこんな人間になったところに,例えば家庭環境の問題がある,学校の問題があると,そういうことを言ってみても,社会はそれを受け入れてくれないんではないか。ましてや被害者の御遺族などがそれを受け入れることはあり得ないという意味で,口を閉ざすということもやはりあるわけですよね。それを我々は,口を開くようにやはり努力をし,説得をし,やっていくわけですけれども,そのためには,やはり刑事裁判という場が今,無罪推定の原則とか予断排除とかいう中で被告人が物を言いやすいような,できるだけ法廷の中を空っぽにして,言いたいことがあれば言いなさいという形で設営してきたこの制度が,実際には,私がさっき言いましたような,被告人を説得をしても,被害者の方々が自分の視野に入る目の前で自分のことを例えばにらんでいるという中で,私が何を言っても受け入れられないでしょうという形で,やはり物を言えなくなる。それは,先ほど弁護人が努力すれば何かなるのではないか,弁護人が防御すれば何とかなるのではないかとおっしゃったけれども,それは被告人の口から語らせなければ意味のないこともたくさんあるわけで,拘置所の中では言うけれども,法廷ではもうこんなことを言っても通りませんよと,通らないと思うから言いたくないというふうなことも,関西でもあるいろいろな凶悪事件の中での弁護人も,同じような悩みを抱えながら弁護活動をやってきていらっしゃるということで,やはりそういう社会にとって,この事件の真相がむしろ解明できなくなるということもあり得るということを私は危惧するところがあります。 ● ほかに御意見ございますか。 ● 私も,在廷権ということについては特に異論があるわけではないというか,大いに積極的に考えていいのかなと思っておりますが,ただ,それを考えるにおいても,被害者の方というのは単に被害者という立場だけではなくて,場合によっては事実関係の証人になるという立場もあり得るわけでして,従来の通常の運用をしていれば証人的な立場にある人というのは,関係証人の尋問が行われるような場合については,やはりその場にはいないという扱いがされていただろうと思います。それは多分,その証人の証言の中身の信用性を高める一つの配慮という側面をもっていたのだろうと思います。  証人としての立場というものもあり得る。在廷して全部の証言を聞いてしまえば,それでは,その人が言ったことがどんなふうに評価されることになるのかとか,あるいは,この間議論がありましたけれども,より進んで,処罰を求めるというような立場でかかわっていく,そういう利害関係のある立場に立ってしまうと,証人として言うことがかえって迫力を失うというような面も出てきてしまって,かえってあべこべの結果になるというようなところもあり得るのではないか。そのあたり,被害者としての立場と,場合によっては証人になり得る立場というあたりの調整ということも十分に考えながら,しかし,このあたりは積極的に考える方向が望ましいのではないかなと思います。 ● 私は,在廷権は,もちろんこれは当然なことだと思っています。自分のやられた犯罪を受けた事件で,傍聴席でバーの外でひたすら聞かされる,こんな情けない話はありませんから,これは当然のこと。  それから,証人に尋問する,それから被告人に尋ねる,これもやはり是非とも与えてもらいたい。検察官に頼んでやればいいのではないですかと,こう言いますけれども,やはりそこは,とっさに検察官と打合せをできるわけでもないですし,弁護人の補佐を受けながらその場で質問をしたいということもあるわけであります。それから,目撃証人なんかのときは,それは連れてきたい。検察官に頼んで連れてきてもらう場合もあるでしょうが,それがうまくいかない場合は自分で申請したいという場合もある。こういうことを被害者がやって,どうしていけないのか。これは60年やってきた今の制度にないからいけないのだというだけでは,被害者としては納得できないんですよね。  先ほどからいろいろ細かい議論がありますけれども,なぜ被害者が入ってはいけないのだという議論が余りないんですね。今,○○委員が,在廷していると加害者が萎縮するということを言われましたけれども,後ろで傍聴していまして,そんなに萎縮するようなおとなしい凶悪犯なんていませんよ。私なんか,むしろ被害者の方が小さくなって嘘を聞かされている,そういうことを経験していますよ。加害者の方が虚偽のことを言いたいけれども,被害者がいるから言えないという場合があるかもしれませんけれども,被害者がいるから真実が言えないと,そんな話を聞いたこともないし,私自身,弁護士活動をやっていて,そんな経験をしたことは一度もありません。これは大体,基本計画を実現するための審議会なんですよ。加害者のための審議会じゃないんですよ。もっと私は前向きな議論をしていただきたいと思います。 ● そのほか,何か御発言はございますか。 ● なお,検討会のときに,法務省から出ていらっしゃった○○さんが,検察官を通さないで直接に関与できる制度と,こういうことをおっしゃったことが議事録にも残っております。 ● ほかに御意見ございますでしょうか。  議論はまだ尽きているとは思いませんが,時間の関係もございますので,本日の諮問事項第4についての審議はこれで終了いたしたいと思います。  続いて,諮問事項第3についての審議に入りたいと思います。  この諮問事項の第3については,2つの資料,すなわち「犯罪被害者等に関する情報の保護(諮問事項第三)に関する資料」と,「『犯罪被害者等に関する情報の保護』についての参考条文」が用意されております。まず,事務当局から,これらの資料の説明をしていただきたいと思います。 ● それでは,諮問事項第3の「犯罪被害者等に関する情報の保護」についてですが,本部会の第一回会議における御議論等を踏まえまして,事務当局において審議・検討の参考としていただくための資料を作成いたしましたので,その内容や考え方等について御説明をさせていただきます。  それでは,まず資料22の「犯罪被害者等に関する情報の保護(諮問事項第三)に関する資料」を御覧ください。なお,資料23としては,これは参考となると思われる現行法の条文を記載したもので,こちらも適宜参照していただきたいと思います。  資料22ですが,まず,第1の「公判手続における被害者特定事項の秘匿」についてです。  現行法上,被害者の氏名等につきましては,起訴状の朗読,冒頭陳述,書証の朗読,被告人質問,論告・弁論等の訴訟手続の各場面におきまして,公開の法廷で明らかにされることがあります。  しかしながら,例えばいわゆる性犯罪の事件の場合のように,どこのだれが当該事件の被害者であるかが一般に明らかにされますと,被害者等の名誉やプライバシーが著しく害されるような事態が生じることも考えられます。したがって,こうした事件につきましては,公開の法廷で被害者の氏名等を明らかにしないこととすることが,被害者等の保護の観点から必要かつ相当であると考えられます。  そこで,本資料では,まず,1の(1)及び(2)に掲げました事件,すなわちいわゆる性犯罪につきましては,一般に,公開の法廷で被害者の氏名等が明らかにされることにより,当該被害者等の名誉やプライバシーが著しく害されることとなる蓋然性が類型的に高いと考えられることから,裁判所の決定により,被害者の氏名や住所といった,その者が当該事件の被害者であることを特定させることとなる事項,すなわち被害者特定事項を,公開の法廷で明らかにしないことができるものとしました。  また,1の(1)及び(2)に掲げました事件以外の事件でありましても,例えば,精神病院の入院患者が被害者である殺人事件など,当該事件の犯行の態様や被害の状況等の事情にかんがみると,公開の法廷で被害者特定事項が明らかにされることにより,1の(1)及び(2)に掲げた事件と同様に,被害者等の名誉やプライバシーが著しく害されるような事態が生じるおそれがあると判断される場合も考えられます。そこで,本資料では,1の(3)に記載したように,このような事件についても,裁判所の決定により,被害者特定事項を公開の法廷で明らかにしないことができるものといたしました。  さらに,これまで申し上げました事件とは別に,例えば,組織的な背景を有する事件など,当該事件の犯行の態様や被害の状況等の事情にかんがみると,公開の法廷で被害者特定事項が明らかにされることにより,被害者等の身体・財産に危害が加えられ,あるいは,被害者等を畏怖,困惑させるような事態が生じるおそれがあると判断される場合も考えられます。そこで,本資料では,2に記載したように,このような事件についても,先ほど申し上げました事件と同様に,被害者等の保護の観点から,被害者特定事項を公開の法廷で明らかにしないことができるものといたしました。  なお,1に記載した事件については,いずれも被害者等の名誉やプライバシーを保護しようとするものですが,中には,氏名等を明らかにして裁判を行ってほしいとの考えを有している被害者等の方々もおられると考えられますことから,まずはその申出を得た上で,裁判所が秘匿の決定をすることといたしました。他方,2に記載した事件については,被害者等の身体・財産等を保護しようとするものであることから,これらが害されるおそれがあると判断される限り,裁判所は,その申出を待つことなく,秘匿の決定をするということにいたしました。  以上のような事件について,裁判所が被害者特定事項を公開の法廷で明らかにしないことを決定した場合には,本資料では,3及び4に記載しましたように,起訴状の朗読及び証拠書類の朗読において,例えば,被害者の氏名の代わりに仮名を用いたり,単に「被害者」と呼称するなど,被害者の氏名等を読み上げずに手続を行うものとし,また,冒頭陳述,被告人質問,論告・弁論等の場面におきまして,訴訟関係人のする尋問又は陳述が被害者特定事項にわたるときは,犯罪の証明に重大な支障を生ずるおそれや被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあるときを除いて,裁判長が尋問等を制限することができるものといたしました。  次に,第2の「被害者特定事項の秘匿の要請」についてです。  刑事訴訟法におきましては,あらかじめ相手方に防御のための準備の機会を与える必要がありますことから,現行法上,検察官,弁護人等が,証人等の尋問を請求し,又は証拠書類や証拠物の取調べを請求するにつきましては,あらかじめ,相手方に対し,当該証人等の氏名及び住所を知る機会や証拠書類等を閲覧する機会を与える,いわゆる証拠開示をしなければならないこととされています。  しかしながら,先ほど申し上げましたように,被害者の氏名等が他人に知られることとなると,被害者等の名誉やプライバシーが著しく害されるような事態が生じたり,被害者等の身体や財産に危害が加えられるような事態が生じるおそれがあると判断される場合も考えられます。  そこで,本資料では,検察官において,被害者特定事項が明らかにされることにより,被害者等の名誉や社会生活の平穏が著しく害されるおそれがあると認めるとき,あるいは被害者等の身体や財産に害を加え,あるいは被害者等を畏怖・困惑させる行為がなされるおそれがあると認めるときは,弁護人に対し,その旨を告げて,被害者特定事項が,被告人の防御に関し必要がある場合を除いて,被告人を含め,他人に知られないようにすることを求めることができるものといたしました。  なお,被告人につきましては,公訴提起があったときに,裁判所から起訴状の謄本が送達されることから,当然,そこに記載された被害者特定事項は了知していることとなります。したがって,これを被告人に知られないよう要請することは不合理ですので,被害者特定事項のうち,起訴状に記載された事項を除いたものについて,被告人に知られないよう要請できるものとしました。  また,証拠開示の際に被害者の氏名等が知らされることとなるのは,検察官が弁護人に証拠開示をする場合であると考えられますことから,本資料では,このような場合を念頭に,検察官が弁護人に対して秘匿の要請を行うことができるものといたしました。  以上,簡単ではございますが,参考資料について御説明させていただきました。もとよりこの資料は,議論のためのたたき台として作成したものでございますので,皆様におかれましては,これも参考にされた上で,幅広い観点から御審議・御検討をしていただければと考えております。 ● ただいまの事務当局の説明につきまして,まず御質問などがございましたらお願いいたします。 ● 起訴状とか証拠調べの中で朗読しないという方法だけではなく,特定するようなものに関しては裁判の中で配慮すると,そういうふうに考えていいのか。  といいますのは,最近,私どもの支援の中で裁判に行ったのですが,強姦致傷なんですけれども,その方はちょっと遠方なので交通の便も悪いので,私ども,自宅からの裁判所への送迎も含めて付き添いをしたのです。被害者は複数いたので,裁判官が姓名の姓だけ言って,住所は番地を言わないと,そういう形でだれだれ事件,だれだれ事件とやったのです。裁判員制度をにらんで,公判前手続もしまして,週に2回ずつ長時間にわたる裁判が続いているんですけれども,そのまず第1回目のときに,御本人がどうしても裁判に行って見届けたいということで付き添ったのですが,名前と番地は出ないですけれども,プロジェクターで本当に生々しく,その方の住んでいる被害があった地図と場所,それから家の全景とか,被害に遭った部屋の間取りから,すべて細かくいろいろなものが出てしまったのです。それで,もちろん御本人の写真も黒くなったものが出ましたけれども,かなりの--ちょっと「えっ」と驚いたくらいなんですが,言いたいのは,その帰りに,遅くなりまして暗くなって,遠方なので車でお送りする途中に,その方が「幾ら姓だけ言われても,あの辺であの地図が出れば住んでいるのは私だけだし,あんな姓はほかにいないし,間取りから何から家の様子から全部出た」。精液のついた下着まで映されたりいろいろ出たのですけれども,やはりすごく不安な,周りに人がいない,助けも呼べないようなところに住んでいるものですから,「このまま家に帰って,あの裁判のときに見ていただれかが私をまた襲いに来たらどうしよう」と。朗読しないだけという問題じゃなくて,裁判員制度をにらんで,すごく映像に訴える,プロジェクターで具体的なものをいっぱい映したのですけれども,そこまでの必要は全くなかったのではないかなと思いました。それは検察官と裁判所の方にも意見が行きまして,次回は実際にはベランダの写真とかが図になっていて,「ここにあった血痕ですね」とか,そんな形になってきましたけれども,いわゆるブツとして出てくる,プロジェクターに映る証拠物のところのラベルに被害者のフルネームがちゃんと書いてあったりして,どうしたって傍聴席で映ると見ちゃうわけですね。  ですから,これは,慣れていって裁判員制度のこういう裁判になって,検察官側としては--主に検察側から出したものなんですけれども,そういう配慮がなされていくとは思うのですけれども,ただ単に朗読しないという問題ではない。そういう分かりやすい裁判を目指すんだけれども,その中に被害者への視点が映す段階でなかったと思うので,そういう配慮も必要だと思います。 ● 正におっしゃるとおりで,今,○○委員が言われたことは,運用面で考えていかなければならないことがたくさんあるんだと思います。今回の御提案というのは,基本的には基本計画の要請に基づいて,いろいろ御提案させていただいたものですけれども,現行実務上,既にある程度やられているところではあるんです。そういうことで,基本計画でこういう制度の導入を求められていることもあり,現行の運用として,当事者がみんなこういう形で納得すればそういうことができるということになっているものについて制度化しようというものです。要するに,そういう制度になっているということで,被害者の方には安心していただいて,捜査あるいは公判にも十分御協力いただけるようにしようという,そういうことなんですけれども,そういう意味で,最低限こういう法律的な定めをしようということで提案させていただきました。  そこで,正にその被害者が特定されるような事項,これを公開の法廷の中で明らかにしないように,,裁判所の決定という形で,そういう枠組みを作ろうと。それ以上になってきますと,個々の事件によってどこまでのことをどういう形で立証していくのかという運用の話になってきてしまうと思うのですけれども,それは,こういうふうな法制度が一つできるということも踏まえて,運用でも十分,これからますます配慮されていくことになるんだと思いますけれども。 ● よろしいでしょうか。 ● 何点かありますが,ちょっと絞って,今の○○委員のお話を聞きまして,そういう現状があるのかなというのを改めて認識をしたのですが,今,○○幹事から御説明もありましたとおり,この第1の1の(1),(2)の犯罪に関しましては,私の経験といいますか,あるいは私の身近にいる弁護士の経験だけしかないのかもしれませんが,ほとんど運用の上では,こういう起訴状の朗読の段階から被害者特定事項を秘匿するということでやられているのではないかと思うのですね。ですから,運用でやられているから履行する必要はないという,そういう理屈にはならないかもしれませんけれども,かなり運用で現実的にはやられている。それを法制化するということについての何か特段の理由があるのかどうかということが1つと,第2に関しましては,似たような条文で299条の2という規定があろうかと思うのです。その立法趣旨と,この第2の立法趣旨とが違うのか同じなのか,その辺がちょっと読んでいて理解できなかったものですから,そのあたりをちょっと御説明いただきたいと,この2つでございます。 ● 最初の方の話は,重複にもなってしまうかもしれませんけれども,1つは,犯罪被害者のための国の施策としてどうあるべきかという問題があって,そこで基本法ができ,基本計画ができ,基本計画の中でこういう制度の導入をやってはどうか,やるべきだという,そういう政府としての決定が出た。それを基に,特にこの諮問事項第3については,かなり詳細にこういう形の制度を導入すべきではないかというのが,正に出発点になっているわけです。  正に委員がおっしゃったように,我々も直近の運用を調べてみましたけれども,かなりいろいろな場所でこういう運用が現実問題として行われています。ただ,それは,先ほども言いましたように,おおむねそれで運用としてうまくいくのかもしれませんけれども,やはり制度としてきちんと決めて,要するにそういうことを言われる弁護人はおられないと思いますけれども,万が一反対しても,やはり事案によってはきちんとそういうことを明らかにしないようなことができるという,そういう制度をやはり導入すべきなんであろうと思います。正にそういう制度になっているからこそ,被害者としては安心して,こういう刑事司法手続の中にかかわっていけるようになるんではないかという,そこはやはり今の犯罪被害者基本法のもとでは非常に重要な施策ではないかと思っております。 ● 2点目のお尋ねでございますけれども,委員御指摘のとおり,現行の刑事訴訟法の299条の2というのが今回の第2と似たような規定を置いているところでございまして,この条文は,お手元の参考条文の中にも記載させていただいてございますが,検察官又は弁護人は,証人等の氏名等を知る機会を与える,あるいは証拠書類等を閲覧する機会を与えるに当たり,証人等の身体・財産に害を加え,又は証人等を畏怖・困惑させる行為がなされるおそれがあると認められるときは,証人等の住居,勤務先その他通常所在する場所が特定できる事項が,被告人を含む関係者に知られないようにすることなどを求めることができるというのを定めたのが,現行の299条の2でございます。しかしながら,この資料では,例えば,性犯罪等の被害者につきましては,関係人に氏名等を知られるだけでその名誉等が著しく害されるにもかかわらず,加害のおそれがない場合には,現行法では,この規定に基づく秘匿の求めということを行うことは,身体・財産等の加害のおそれが認められない以上できないわけでございます。ただ,今申しましたように,性犯罪等の被害者につきましては,その氏名等,つまりその事件の被害者がどこのだれであるかということが他人に知られるだけで,一定の害が発生すると考えられますことから,この資料では,その場合についても秘匿の要請をすることができるようにするということで,このような定めを置いてはどうかという提案をさせていただいているものでございます。 ● 今,○○幹事がおっしゃいました刑訴法299条の2の関連なんですが,確かこれは組織的な犯罪対策関連三法としてできたというふうに理解していまして,その関連の解説書では,この条文の立法趣旨については,証人が報復を恐れ出頭を渋る事案があり,出頭や供述の確保に相当の困難を生じていることから,証人に安心感を与えることで証人の出頭,十分な供述を確保することに資するということで,むしろ公正な裁判の確保というふうな公益的な何か要請があるのかなと思うのですが,その意味では,今回のものについては,むしろ被害者の権利保障というところを前面にというふうに理解していいんでしょうか。  それから,あと各論で,ちょっと3つほど質問なんですが,被害者特定事項の定義として,氏名,住所のほか,「その他その者が当該事件の被害者であることを特定されることとなる事項」というのは,具体的にはどのようなものになるのかというのが1点。  2つ目には,先ほども○○幹事がおっしゃったように,被害者の申出を要件にするかどうかについて,この第1の1と第1の2が異なっているわけですが,これは保護法益などにむしろ違いが出てくるのかどうか。保護法益が少し違うものが含まれているということでそうなっているのかどうか。その要件にしなかった理由がお聞きしたいと思います。  3点目は,これも細かなことですが,尋問,陳述の制限を受ける訴訟関係人という定義なんですが,被告人は含むという理解でいいのか。それから,証人,鑑定人は入るのかということについて。  最後に,第4点目は,この非公開決定をされる時期がいつであるのか。どうも起訴状朗読の点でも,もう匿名にするということであれば,人定質問後,起訴状朗読前ということになるのかということの,この4点について,ちょっと教えていただきたいと思います。 ● お尋ねとしては5点あったかと思うのですけれども,まず1点目の,被害者の方々の利益を重視したものかというお尋ねは,おっしゃるとおりでございます。ただ,先ほども御説明したように,もとよりそれのみではなくて,現行法の場合でも同様に,このようなことが法律上明記されていること自体が被害者の方々に安心感を与え,ひいては供述の確保と申しましょうか,被害の申告がしやすくなるというような部分もあるだろうとは思っております。  それから,2点目のお尋ねでございますが,氏名,住所,それ以外何かというのがお尋ねだったかと思います。先ほど○○委員の方からもお話がございましたけれども,例えばそういう特殊な人口が少ないような地域で,一定の例えば家の玄関の写真等が出れば,それによって特定されるということももとよりあるでしょうし,場合によっては勤務先の名称でありますとか,あるいは学校名とか,あるいは何年何組といった学級・学年といったような事柄が,結局被害者を特定することにつながるという場合もあるかと考えております。  それから,3点目のお尋ねでございましたが,第1の1の(1)から(3)までに掲げたものと,第1の2に掲げている事件とは多少違いがあるのかというお尋ねだったかと思います。最初の御説明で申し上げましたとおり,第1の(1)から(3)までにつきましては,その氏名等が明らかにされることによって名誉等が著しく害されるおそれがあることを防止しようとするものでございます。他方,2の方は,こちらにも正に書いてございますように,身体,財産等への加害のおそれなどを防止しようとするものでございまして,そういう意味で違いがございます。  それから,4点目のお尋ねでございますが,これは被告人や証人,鑑定人などが含まれるのか。恐らく尋問制限の対象としてそういうものが含まれるのかというお尋ねかと思いますけれども,もう少し具体的に申しますと,資料の第1の4により,訴訟関係人のする尋問又は陳述が制限され得るとなっておりまして,ここでいう訴訟関係人にこれらの者が含まれるかというお尋ねかと思いますが,これは含まれると考えております。  それから,最後のお尋ねでございますが,裁判所による被害者特定事項を明らかにしない旨の決定はいつなされるのかということでございます。御指摘があったとおり,早いうちになされませんと,起訴状で氏名や住所が明らかになされてからでは手遅れということもあり得るかもしれませんので,それはその以前になされるのが一般的だろうと考えております。 ● 尋問と陳述の制限のところで,今,尋問の制限のところで問題になるのかとおっしゃったのですが,むしろ,例えば被告人の場合は,自分が質問に答えて陳述をするとか,証人とか鑑定人も,その答えをするときに被害者の名前を呼んでしまうとかいうことについて,事前に注意を求めたりするということではないんでしょうか。 ● 私の説明の仕方が不十分だったのかもしれませんが,第1の4の尋問又は陳述の制限の主体となる訴訟関係人にこれらの者が含まれるとお答えしたつもりでした。 ● 1点確認ですが,名誉又は社会生活の平穏が著しく害されるということで,○○委員の御説明はプライバシーという言葉をお使いになりましたけれども,名誉侵害以外に社会生活の平穏が著しく害されるというのは,例えばどういうような場合を想定されているのかというのを教えてください。 ● あの事件のああいう被害者だからということで,その場所に住んでいることが非常に困難になるとか,あるいは勤め先を変えなきゃいけないような事態が生じるとか,そういうのが社会生活の平穏を害するという,そういうものをイメージしておりますけれども。 ● 第1の1で,「被害者等から申出があるときは」とされている点ですが,被害者等からの申出というのは,具体的にどんな形,チャンネルを通じて出てくるということが想定されているのかということが1つと,それから,第2の方で刑訴法299条のみが挙がっておりますけれども,公判前整理手続での証拠開示のところは,今,ちょうど299条の2が316条の23で準用されているのと同じような措置になるのかどうか。そのあたりをお教えください。 ● 前半の部分なんですけれども,今回は要綱ということで,そこまでは細かくは書いていないんですが,一つの方法としては,一応申出にかからしめるという形にしているんですけれども,例えば検察官を経由して,それを裁判所に伝えるというような方法が恐らく考えられるのかなと思います。ですから,平場でいきなり被害者に裁判所に対して申立ててくれという制度というのは,なかなか難しいのかなと思いますけれども。 ● 2点目のお尋ねですけれども,御指摘のように,いわゆる公判前整理手続における証拠開示に際しても,今回と同様に保護すべき場合があるのではないかと考えておりますので,同様の手当てが必要ではないかと思われます。 ● 先ほど,非公開決定の時期が起訴状朗読の前であるということでしたので,当然その判断のところで問題になるんですが,例えば第1の1の(1),(2)については,これは罪名のみで判断をし,後は相当性があるかどうかということだと思うのですが,第1の1の(3)の名誉,それから社会生活の平穏が害されるという要件と,第1の2の危害,又は畏怖・困惑という要件については実質的な判断が要るんではないかと思います。特にこの第1の(3)については,この被害者の名誉,社会生活上の平穏が害されるというためには,被害者の人物像であるとか,その環境であるとか,こういう公訴事実記載以外のものについても事実が明らかにされることになるんではないか。それから,第1の2の危害,畏怖,困惑のおそれという要件については,例えば被告人や,その関係者からそういうことがなされるおそれがあるというふうなことが主張される可能性がある。しかし,それは被告人への予断,偏見という点では重大な事情でありまして,起訴状朗読前にそういうものが検察官の口から明らかにされたり,そういうことについては予断排除の原則に反するという問題があるのではないかと思います。ですから,その点で,これを審理をしていく同じ裁判官が判断をするのか,それとも,例えば第1回の公判期日前に保釈請求をした場合の判断は他の裁判体の裁判官がやっておりますけれども,そういうような仕組みは考えられていないのか。この予断排除の問題についてどういうふうにお考えになっているのか,お聞きしたいと思います。 ● まず最初に,最初に裁判所が判断することは困難ではないかという御指摘がございまして,それに対しては,先ほどもお答えしましたように,検察官を経由して申出をしていただく,その際に検察官等が意見を述べるというようなことによって,適切な判断をなすことが可能ではないかと今の時点では考えているところでございます。  もう一点は予断排除の点でございますけれども,これにつきましては,先ほど来お話がございましたように,被告人はもとより無罪の推定を受けているわけでございまして,そういう意味では,そもそも被害者なのかという問題もひょっとしたら御指摘があるのかもしれませんが,それはさておくにいたしましても,現実にこのようなおそれがあるかないかということを少なくとも判断する,その限りで弁護人の意見を含めた意見を聞くということでございますし,公訴事実の存否等を認定するために一定の証拠調べをするということを考えているわけでもございませんので,必ずしも直ちに予断排除の原則に反することになるというわけではないと考えております。 ● この名誉又は社会生活上の平穏の問題というのは,ひょっとしたら,これは弁護人が同意すればいいかどうか。非公開の問題は,基本的にまず弁護人が同意すればいいかどうかという問題なのか。社会がこの公開裁判を要求しているという中で,弁護人がオーケーすればいいという問題でもないような気がするのが1つと,今おっしゃった,何の資料も出さなくて判断してもらうのかということで言うと,検察官が申し出たこういうおそれという事実に対して,弁護人がそういうおそれはないと反論したときに,裁判所は一体どういう資料をもって判断するのか。弁護人が同意して異議を言わなければ,多分そのまま裁判が進行するんでしょうけれども,弁護人が異議を言えば,その判断を何を根拠にするのかということが問われるので,そうなれば,やはり裁判所は判断が実際にはなかなかできない。主張だけで判断するという,証拠に基づかない判断になってしまうのではないかと思うので,そのあたり,この制度設計がうまくできているのかどうかという点では,私はちょっと疑問があるんですが。 ● そういうことも含めて御議論していただきたいということで御提案しているわけです。もちろん第1回公判前には検察官がそれなりの資料,証拠を持っている。こういうおそれがあるということについては,検察官がそれなりの資料を裁判所にお示しすることに実際はなるんだろうと思います。それで,もちろんそこで弁護人の方が,それは非公開にするのは適切でない,そういう要件を欠いているということが争われて,結局そのことで最終的に裁判所がどう御判断するかということに多分なるんだと思いますけれども,その場合にどの裁判体がやるのかという,そういうことも含めて,御議論いただければと思いますけれども。 ● 今おっしゃった,資料は出すのか出さないのか。今,○○幹事は,何か出さないで判断してもらうようにおっしゃったのですが,○○幹事は今,出すとおっしゃったので,そのあたりはどうなっていますか。 ● 資料を出すというか,要するに,単に何らかのおそれがあるということだけでは,それでは多分判断のしようがないのだろうと思います。その意味で,資料というのは形のあるものなのかどうなのかというのはともかくとして,そういうことが分かるようなものはある程度お出ししなければ,多分裁判所は判断できないだろうと思いますけれども。 ● ほかに質問がありませんでしたら,審議に入りたいと思います。この配布資料22は第1と第2に分かれておりますが,まず第1から議論をしていきたいと思います。御意見をいただきたいと思います。 ● 今のまたいろいろな,○○委員がおっしゃったようなことをまとめて,被害者が本当に名前とかも出してほしくないということで申出をするということすら,私たちが支援していると,本当に裁判に初めて来て,名前を言われるか言われないかなんていうことすら知らないんですね。私たちは多く支援していて,性被害も出ると,ほとんどの裁判が名前を伏せて住所も伏せていますけれども,申出をするには,立法化されれば,そういう制度があるときちんとあれでしょうけれども,今の段階だと,申出をしないと,検察官は自ら被害者の方に,そういう名前を伏せることもできますよとかというふうにちゃんとお知らせしているのかということが,やはりそこはすごく大事です。  被害者の気持ちはやはりすごく大事で,つい最近の支援でも,本当にとんでもない拉致監禁の性被害で,本当にお気の毒な事例だったのですけれども,初公判に行ってみたら,もう全部,名前から住所からすべて言われて,しかも呼び捨て。本当に被害者としては驚いたわけですよね。ただ,そういうことを申し出ていいのかすらも何の情報もなかったから,2回目から「あなたから検察官に言って申し出たらどうでしょうね」と言ったら,やはりそういう被害に遭った女性はとても自己評価が低くなっていて,自分から検察官に電話すらできなかったのですね。1か月後の裁判近くになって「やはり私は言えませんでした。勇気がなかった」と。「じゃ,私の方から検察官の方に申し出ましょうか」という形で申し出たら,2回目からすぐにちゃんと隠してもらえましたけれども,1回目,全くそういう状況だったというのもあるので,そういう伏せることができるかどうかすら被害者の方は知らないということなので,その辺をきちんと明文化していかないと,検察官がお知らせしないのではないかなと思うのですけれども。 ● 正に,最近運用でどんどんそういう方向にはなっていると思います。それで,この被害者特定事項の秘匿の現実の運用状況みたいなものを,最近調べてみたのですけれども,ことしの5月から8月までで秘匿の措置を採った事例というのが,実は全国で244件ありました。その中で,秘匿の措置を採る必要があると考えるに至った経緯ということで,実は被害者からの要望はなかったけれども,検察官において必要と判断したというのは197件あります。むしろ被害者側から要望があったのは43件と少なくて,今,現場ではそういう配慮は十分やる方向で動いていると思いますけれども。 ● 資料の第1について御意見はございますでしょうか。 ● これは,私は非常に結構な整理だと思うのですが,確かに○○委員がおっしゃったように,被害者からの申出を待ってといっても,被害者は知らない場合がありますね。だから,被害者とともに検察官もこの申出ができるとか,何かしてもらわないと,被害者から裁判所に向かってすぐ申出られるというと,被害者に弁護人がついているとは限りませんのでね。ついていないのがほとんどですから,知らないままになってしまうだろうと思いますね。  現在は裁判所が一方的にやっているんですか。今の数字,挙げられている数字は。 ● さっきの数字は,別に裁判所が一方的にやっているのではなくて,検察官の方から申し入れてということです。 ● すると,これは被害者等の申出があると書いてありますけれども,むしろ検察官の方の申出の方が早いように思いますね。被害者もですけれども。 ● 被害者の申出と書いてありますけれども,先ほどちょっと○○幹事の方からも話をさせていただいたように,検察官経由でという形で実際上の手続を組むことも当然考えられるところでございます。その上で,恐らく実際上の運用としてどうやるかということになれば,正に現在の運用と同様に,検察官と被害者との関係で言えば,検察官の方から被害者の意見といいますか,意向を伺う,こういう制度があるけれども,それに従って秘匿をしてもらいたいかどうかということを確認をして,その上で,もしそれを希望するということであれば,それを申出という形で裁判所につなぐという運用になるだろうと考えております。  他方,検察官が独自に申出をするという形を取るということについて若干ちゅうちょを覚えますのは,やはり被害者のいろいろな状況を見ておりますと,被害者の名前を出してほしいという被害者の方もおられるので,正にそこは最終的には被害者の意見,希望を基礎に,この制度を組むのがいいのではないかと考えて,このような形を記載したということでございます。 ● 時機に遅れたような質問で申しわけないんですが,そうすると,今までの御説明を聞いてもう一つ分からないのは,この第1の1と2で申出を要件とするかどうかの差異を設けている,その理由がもうちょっと御説明できないでしょうかね。 ● 先ほどもちょっと申し上げたように,1の方は被害者の名誉,あるいは社会生活上の平穏ということが問題となる場面であり,被害者の方が名前を出してもらうことの方を望むかどうかという,そこが被害者の方の意思によって左右される部分を保護しようということから申出を要件にしているものです。他方,2の方は身体,あるいは財産に対する危害を保護しようという趣旨ですので,これは被害者の方の意向というよりも,そういう安全を保護することは,公益と言ってもよい面があり,名誉などが傷つけられるものとは性質が違うということで申出の有無を区別したということでございます。 ● この第1の1の(3)の名誉が害されるというところなんですが,このあたりがいろいろ解釈が幅広いといいますか,名誉についての考え方がいろいろ違うだろうと思うのです。確か民事の関係でのこの名誉という,不法行為の対象になる名誉というときに,社会的名誉ということで,人格的価値についての社会から受ける社会的,客観的な評価と言われるものと,いわゆる名誉感情と言われている自己自身の人格的価値についての自ら与える主観的な評価というのは区別されておりまして,前者については不法行為の対象になる,後者については原則として含まれないと言われているんですが,実はこの名誉を害されるという問題と,被害者が知られたくないという,そういう利益や希望との関係がよく分からないんです。例えば被害者が政治家であるとかタレントであるとかいうときに,自分がこういう被害に遭ったことは知られたくないというふうな場合に,それは名誉を侵害されると言えるのか。又は,一般人であっても,もし被害者に落ち度があったというふうな事件の場合に,そういう場合は被害者は公表を望まないという場合にはどうなるのかという,このあたりが知られたくない権利というのと名誉というものの関係を教えていただきたいなと思いますし,また,例えばマスコミなどで氏名は既に報道されているというような場合にも,被害者が望めば法廷では氏名は秘匿するということもあり得るのかということについてもお尋ねしたいと思います。 ● 1つは,名誉,社会生活の平穏というのは,先ほど○○委員からの話がありましたが,客観的認定をするんでしょうけれども,多分にその人の主観面にかかわることが多くて,そういった,その人の守ってほしいという問題と裁判の公開との,結局そこの利益衡量みたいな話に多分なっていくんだと思います。そのように利益衡量で価値がぶつかった場合には,その第1の1に書いてありますように,あくまでここは「相当と認めるとき」という,最後は相当性の判断,そこで判断していくことになるだろうと思います。 ● ちょっと別のことになってしまいますけれども,先ほど○○委員から,特に第1の2などの判断に当たって,第1回の起訴状朗読前に判断をすることの関係で,特に資料等を見て判断することが予断排除に反するかどうかの問題提起,御質問がございましたが,この関係で,私どもとしてはどういうふうに考えたらいいのかということで,いろいろ御意見を聞かせていただければと思います。 ● 予断防止原則の関係等について意見を申し上げます。  その前にひとこと,○○委員が名誉に関する民事法の解釈にも言及されて細かいことをお考えになるのは,法律論として,不法行為責任を追及される側の行為者のことを想定すれば,理解できるところもあるんですが,しかし,この制度の基本趣旨は,刑事司法手続の進行過程で被害者の方の気持ちが傷つけられることを防ぐことにあるだろう。これができた暁には,そういう方向,趣旨を踏まえて解釈していくべきものなのであり,そういう観点を法律家としても大事に考えるべきであろうというのが1つ。これは意見表明です。  次に,予断防止原則との関係について,確かに被害者の方の名誉や社会生活の平穏が害されるかどうかの判断材料として,起訴された犯罪事実の性質・態様が関係することはあると思いますけれども,裁判所が,氏名秘匿等の要否判断の際に,犯罪事実そのものについて証拠を調べて心証を形成するわけではない。公訴事実の記載と予測される関係者の活動から見て,この人の名前を公開の場で出したら本当にかわいそうなことになると認められるかどうかを検察官と弁護人の意見を聞いて職権で判断をするという世界の話である。かつ職権判断の前提として,一方的な主張ではなく両方の意見を聞くわけですから,公平という観点からも問題はない。犯罪事実そのものについて裁判所が予め一方的な証拠に接し心証形成することを防ぐという刑事訴訟法の大原則である予断防止の問題は,ここでは関係がないと理解すべきものであろうと思います。 ● この点について,ほかの方の御意見はございますでしょうか。  それでは,第1の論点について,ほかに御意見はございますでしょうか。もしございませんでしたら,最後の第2の方に移りたいと思います。  では,この第2の点について御意見をちょうだいしたいと思います。 ● この点につきましては,先ほど来の御質問等のお答えなどもお聞きし,この制度を設けることは大変望ましいだろうと思います。現行の299条の2との関係も先ほどの御説明で明らかになりました。299条の2が対象としている事柄については,第1の2に対応し,そして第1の1に対応する部分が新たにここに取り込まれたと理解できます。先般,法299条の2の立案に際しても証拠開示の制約の在り方が十分議論された上で立法されたわけですけれども,今回の案も基本的に同じ考え方で作られている。被告人側の基本的な防御上の利益を害しない限りにおいて,このような合理的調整を図る制度を導入することにより,被害者の方のお気持ちを保護し,あるいは不安を解消することは大変重要なことであると考えます。  加えて,こういう制度が存在するということ,それ自体が被害者の安心感をさらに強めることとなり,この意味でも明文規定を明確に設けることは重要なことであろうと思います。 ● そのほか,第2の点について御意見ございますでしょうか。 ● さっき○○委員がちょっとおっしゃったので一言申し上げますが,やはりこの制度は,当然被害者の要求をどう実現するかということで私も検討したいと思っていますが,当然制度ですからひとり歩きをしたりする危険があります。例えば証人の遮へいの,前回の改正で行われたものなどについても,私たち刑事実務の実感としては,証人の遮へいについての要件が非常にルーズに解釈されてきているんではないか。弁護人の中では,やはり事実を争っているのに遮へいをされることに対して,いろいろ抵抗のあるというふうなこともあるので,やはりこの制度自身が歯止めのないものにならないようにという意味で,私もこの定義などについてはきちんとしておく必要があると思いました。  それで,この秘匿の要請については,これは私は意見についてはまた次回までに考えて申し上げたいんですが,質問としては,現在でも実務の運用で証拠開示に際して謄写されてくる記録の中には,被害者の住所などはもう既に弁護人の了解なく検察官がマスキングしているという例もあるわけですけれども,もし今回,こういう形で弁護人に対する秘匿の要請ができるとなった場合には,実はマスキングがあることによって,例えば被害弁償しようとしても,その被害者の住所が分からないという事態もあるわけです。もしこの制度が導入されれば,このようなマスキングという措置は不要になるということになって,又は原則的に弁護人には開示されるようになるのか。それとも,その運用は従来どおり変わらないのか。このあたりについてはお伺いしておきたいと思います。 ● 御存じのとおり,現行法でも,証拠開示の際には,相手方にあらかじめこれを閲覧する機会を与えなければならないとされていますので,マスキングがなされているというような場合に,弁護人の方から異議があるときには,それは現行法の299条のただし書きを満たさないことになりますので,「ただし,相手方に異議のないときはこの限りでない」ということではなくなると思いますので,そうなる場合には,そのマスキングというものについても外した形で閲覧する機会を与えなければいけなくなるのかもしれないと思っておりますが,そのような現在の運用というのは,恐らく正に現行の299条の下で行われているところでございまして,今回新たな法整備を仮に行うことになっても,それが影響を及ぼすということではないのではないかと思われますが。 ● ほかに御意見ございますでしょうか。よろしいですか。  それでは,予定した時間も経過しましたので,本日の審議はこの程度にいたしたいと思います。  次回の審議の予定ですが,特に御意見がなければ,前回御議論いただきました諮問事項第1の「損害賠償請求に関し刑事手続の成果を利用する制度」及び諮問事項第2の「公判記録の閲覧及び謄写の範囲の拡大」について,再び議論したいと考えておりますが,それでよろしゅうございますでしょうか。  では,事務当局から何か新しい資料などの提出などをお考えでしょうか。 ● 議論の参考にしていただくための資料が作れれば,また作成して提供したいと思っております。 ● それでは,よろしくお願いいたします。  それでは,次回の部会の日時,場所等についてよろしくお願いします。 ● 次回の部会は12月1日金曜日の午後1時30分から,東京高等検察庁の第2会議室で会議を行うことになっております。この会議室は,今現在,私どもがおりますこの法務省ゾーンの隣の検察ゾーンの17階にございます。 ● 次回は12月1日金曜日の午後1時30分から,東京高等検察庁の第2会議室で行います。  それでは,これで本日は散会といたします。どうもありがとうございました。 -了-