法制審議会少年法(犯罪被害者関係)部会 第2回会議 議事録 第1 日 時  平成19年12月21日(金) 自 午後1時30分                        至 午後7時16分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  少年審判における犯罪被害者等の権利利益の一層の保護等を図るための法整備について 第4 議 事 (次のとおり) 議        事 ● 大変お待たせいたしました。予定の時刻になりましたので,ただいまから法制審議会少年法(犯罪被害者関係)部会の第2回会議を開催いたします。 ● 本日は,御多忙中のところお集まりいただきまして,ありがとうございます。   さて,本日は前回の審議で皆様にお諮りし,御了解いただきましたとおり,犯罪の被害者やその御遺族の方々から直接御意見を伺うことといたします。被害者の方々につきましては,時間の関係上,質疑応答も含めて1団体につき20分以内ということでお願いしておりますので,委員,幹事の皆様の御協力のほどよろしくお願いいたします。   また,今回の手続は犯罪の被害者やその御遺族の方々から御意見を伺うということでありますので,御質問につきましては発言者の意見の趣旨を明らかにする範囲でお願いしたいと存じます。その後,ヒアリングが終わりました後は,要綱(骨子)についての審議を行いたいと考えております。   本日はこのような進行でよろしゅうございますでしょうか。   それでは,早速ヒアリングを実施したいと存じます。   最初は,「少年犯罪被害当事者の会」の○○さん,○○さんから御意見を伺うことといたします。      (参考人2名入室) ● 本日は,お忙しいところ,また遠方からお越しいただきまして,誠にありがとうございます。この部会は,「被害者等による少年審判の傍聴」などについて審議をしておりますが,本日はその審議の参考にするため,皆様方の御意見を拝聴することにした次第でございます。   どうぞよろしくお願いいたします。 ● こんにちは。初めまして。今日呼んでいただきました少年犯罪被害当事者の会の代表をしています○○といいます。今日はこのような機会を作っていただいたことに感謝をしています。ありがとうございます。   私の息子の事件は今から11年前でした。そのころは本当に少年法もまだ改正になっていませんし,情報も一切もらえないときでした。その後,少年法が改正になり,基本法ができ,基本計画ができ,いろんなことができてきて,この11年間で随分変わってきました。本当に喜んでいます。私はそのことを思うだけで,今日も足を運んでいる新幹線の中で胸が熱くなっていました。でも,私はいつも思うんですね。それが果たしてその被害者に届いているだろうかと。今の被害者はどうだろうかと思ったときには,まだまだ足りないところがあるんですね。ですから,今日は被害者等による少年審判の傍聴についての意見,そして閲覧・謄写の拡大,範囲を広げることに対しての意見を少し述べたいと思います。   2000年の少年法改正により,本当に意見陳述など認められるようになりました。場合によっては,審判廷で意見陳述ができるようにもなりました。とても大きな変わり方だと思っています。実際に少年法改正後に意見陳述をした人も含めて,私たちが望んでいるのは,意見を言うだけでなく,審判全体を傍聴したいということがあります。それをとても願っています。審判廷で加害少年がどのようなことを言っているのか,加害者の親,代理人である,その付添人である弁護士がどのようなことを言っているのか,それに対して裁判官,調査官の人がどのような対応をしているのか。殺された子どもに代わってきちんとやはり見届けたいんです。それは確かに事件直後の私たちにとってはとても辛くて大変なことです。けれども,見届けなければならないのです。子どもが殺されたという現実と向き合い,事件の内容の一つ一つに向き合うことが私たち残された家族がこれから生きていくためのスタートだからです。   私たちは本当に悲しみのどん底に突き落とされるんですね。でも,どうにかして生きていかなければいけないんです。そのために,とっても大きなことの一つなんです。事件直後,少年法のことを余り知らなかった私たちは,刑事裁判のようなものがあると信じていました。でもそれはありませんでした。そして私たちが民事裁判を起こしてから目にしたものは,記録を見て,審判の席でその加害少年の一方的な暴力やリンチであっても,その起こした少年が「あれはけんかだ」と述べていたり,傷ついた被害者を放置したにもかかわらず,「自分は介抱した」と言っていたり,そういうことが分かったんです。被害者の体格や容貌,そんなことまで違った証言をしていたのが分かりました。そこに被害者遺族が傍聴していたならば,そのような明らかなうそと言える証言は,私はしないのではないかと思っています。   少年法の目的は,少年の健全育成であり,保護,教育の優先をうたっています。よく少年は未熟で可塑性に富んでいると,少年法改正に反対を唱えておられる方は言われます。それならばなおのこと,自分の行ったことに対してうそをついていても一般社会では通用しないという原則的なルールを周りの大人が教えなければいけないと思います。加害少年の健全育成のためには,まず必要なことは自分の犯した事件と向き合うことではないでしょうか。その事件と向き合うということは,言い換えれば被害者と向き合うということなんです。なぜなら,その被害者は勝手に生まれたわけではありません。その加害少年が起こした事件で生まれている,それだからです。絶対に加害少年を被害者から目をそむけさせてはいけないと思います。   また,少年法改正に反対を唱えておられる方の意見に,被害者が傍聴していると加害少年が萎縮して事実を話しにくくなるということも言われます。少年審判の場合,審判廷には加害者の親,付添人である弁護士,そして調査官が加害少年のすぐそばについています。さらに,今回,国選付添人制度も新設されると聞いています。これらを考えてみても,加害少年は手厚く守られており,仮に被害者遺族が傍聴していても被害者はただ聴くだけであり,何も発言できないのでありますから,萎縮するとは到底思えません。私たちは遺族の立場として,自分の子どもの最期を知りたいのです。また,加害者本人のためにも審判と同じ空間に被害者遺族を置くということは,事件を本当に「自分は大変なことをした」という自覚をさせて反省させることにもなるのではないかと考えています。その点から言っても,被害者が傍聴することがいけないということにはならないと思います。   審判のときに正直に自分の犯した事件に向き合うことができなければ,時間がたってその後,事件と向き合うことは難しくなると思います。それは自分の起こした事件と本当の意味で向き合おうとしていないことだと思います。自分の間違った証言がまかり通ってしまうということは,被害者から逃げるということを教えているようなものです。誤解を恐れずに言えば,加害少年自身が世の中をなめてしまうということにもなりかねないのです。   私たちは,その後,民事裁判を起こしてから加害者の姿を見るんですが,反省のない姿ばかりです。自分の犯したことが分かっていない少年ばかりの姿を見ているんですね。私たちの会,大体30家族の遺族がいますが,ほとんどの遺族が民事裁判を起こすんです。その民事裁判の法廷で初めて加害少年の姿を見ることが多いんですが,本当にそのときの姿というのは自分のやったことが分かっていない,その姿なんですね。だから,それをさかのぼって考えると,やはり少年審判の席に被害者がいないということは,私は大きいことではないかと思うのです。それを考えてもやはり傍聴というものは,被害者のためにも加害者のためにも必要なことだと思っています。   そして,記録の閲覧・謄写についてなんですが,確かに認められるようになりました。でもやはり制限があるんですね。加害者のプライバシー保護,いろんな意味で制限が付いています。それももう少し,やはり被害者が求めるものは出していただきたいんですね。今回も社会記録は認めてはいません。でも,それも含めて私たちは本当は欲しいんです。なぜかというと,加害者の処分を決めるときにそれがとっても大きな影響を与えているからです。この少年はこんな育て方をされたからとか,こんな育ち方をしたから,そしてこんな環境にあったから事件を起こした。だからもっと保護しなければいけない,教育しなければいけない,いろんなことが書かれています。だから,その理由になるから,その社会記録も欲しいわけです。私たちは加害者のプライバシー,そういうことが知りたいわけではないんです。殺された子どもの事件に関することだから知りたいわけです。それももう少し出るようになってほしいと願っています。   そして,その閲覧の時期なんですが,もう少し早い段階から閲覧ができるようになってほしいと思います。といいますのは,少年審判というのは大体1回で終わってしまうんですね。そして家庭裁判所に送られてから少年審判までがとても短いんですね,期間が。その間のその中で被害者遺族は意見陳述をするわけです。そうなると,もっと早い段階から,どんな事件だったか,加害者が何を言っていたかを知りたいわけですね。知った上で意見陳述をしたいと思っています。だから,もう少し早い段階で加害者の言っていることを,やはりそういう内容を,事件の内容だから知りたいわけです。もう1回言いますと,自分の大切な子どもの,殺された子どものことだから,もっと早い段階に知りたいわけです。それを知った上で意見陳述をしたいわけです。そのことをやはり強く言いたいと思います。   今日は,少年法改正から,あと改正後に事件に遭った○○さんが来ています。意見陳述もできました。閲覧もできました。それでもやはり傍聴したかったんですね。そんなことをこの後に話をしてもらいたいと思います。私たちが望んでいることは,被害者だけの権利をくださいと言っているのではないんです。せめて在るべき権利だけはくださいと言っているんです。私たちが訴えていることは特別なことではないと思います。被害者遺族が生きるために在るべき権利を言っているんだと思うんです。せめて,人を殺した加害少年並みの権利が欲しいんです。それで考えていただきたいと思います。   では,○○さんに代わります。お願いします。 ● ○○です。よろしくお願いいたします。   私は,昨年の4月に13歳の娘を15歳の少年に殺されました。意見陳述は3回しました。1回目は事件から35日目,家裁に送られてから14日目の5月26日でした。裁判所の都合で,その日以降でないと供述調書の整理ができないとのことで,その日になりました。整理ができないというのは,閲覧を許可する範囲の判断ということでした。午前中に意見陳述をして午後から初めて少年の供述調書を閲覧しました。ですから,1回目の意見陳述は今まで母親として娘をどう育ててきたか,娘はどんな性格で家族にとってどんな存在であったかということと,娘の事件の加害少年は長男の同級生で毎日のように家に遊びに来ていましたので,私から見た子ども同士の関係や加害少年の性格,今まで私の知っている中での加害少年の非行事実などを文書にして提出し,裁判官3人,調査官2人,書記官1人の前で,私1人で話をさせていただきました。   少年審判は加害者側が加害少年に問うことも,怒りや悲しみを直接伝えることもできない,傍聴することもできないと聞いていましたので,被害者不在の密室で,大切な娘の命を奪った者の罪の重さを決めてほしくはないと検察官への逆送致を求める思いを話しました。その場の雰囲気は忘れられません。時間は1時間だったと思いますが,裁判官はじっと私を見つめているだけで,最後まで質問の一つもなく,うなずくこともありませんでしたし,調査官はたまにメモを取るだけでした。話が聞いてもらえたという思いはありませんでした。その後,初めて加害少年の供述調書の一部を閲覧しました。検察庁での供述調書でしたが,紙がいっぱい貼り付けて目張りがしてあったり,開けないように何枚も重ねてクリップで留めてあるといった状態で,見ることができたのはごくわずかな部分でした。   閲覧した部屋は書記官室で,7~8人の人が仕事をしている部屋の隅に机があって,そこに座って見るという状態です。そんなざわざわして知らない人ばかりがいる部屋の中で,我が子が残した最後の言葉,残虐に次から次へ痛めつけられる暴行の内容,意識がなくなっていく娘の様子を少年が生々しく語った調書を読んで普通でいられるわけはなく,途中で目も開けられなくなりました。自分が立っているのか座っているのかも分からなくなって,取りあえず閲覧が許可されているすべての部分の謄写をお願いして持って帰りました。そのとき謄写できたのは,供述調書が30枚,現場の写真が5枚でした。多分,私の記憶だとコピー代が1枚70円でしたので2,450円かかりました。   2回目の意見陳述は事件から90日目,家裁に送られてから68日目の7月20日です。自宅からは家庭裁判所までは高速道路を使っても1時間半掛かります。往復の高速代やガソリン代を考えても1万円はかかります。その当時の精神的な面や体力的な面や経済状況なんかではかなり無理もありましたけど,どうしても意見を言わずにはいられませんでした。少年の供述や犯行内容を知らない段階での意見は真の意見陳述になりません。それと,それまでの警察の記者発表の中にもなかった少年の犯行現場での行動が調書の中にあったからです。娘を殺害した後,その遺体の横で娘のかばんを探り,財布まで開けて見ているということでした。少年は傷害致死を主張しましたが,私たち遺族からすれば,かばんをあさり財布までも開けて見ている行為は強盗殺人だと言わずにはいられません。そのほか少年の言葉や行動の中で,これは絶対うそだと思うというところや娘の言葉の言った意味の説明や娘と少年の友達から聞いた話などを意見して,このときも検察官への逆送致を強く望みました。裁判官は時間の調整が付けにくいということで,調査官2名だけになりましたけど,このとき初めて事件に対しての意見ができたと思います。それと,検察官の立会いが認められなかった理由を教えてほしいとお願いしたんですけれども,答えてはもらえませんでした。   この日,意見陳述をした後,私の代理人弁護士からまた一部証拠の閲覧ができることになって,その部分をすべて謄写してあるとのことで,それを受け取り,帰宅しました。その中にはまた改めて知る事件の内容が書かれてあって,そのことについてももちろん意見したいと思ったのですが,審判まで1週間という時期でしたので,裁判所へ出向くことはできず,文書で意見を提出するだけとなりました。3回目の意見陳述で私が裁判所に訴えてきたことは,刑事裁判への逆送です。少年審判では被害者側が直接加害少年と接触することはできないからです。少年はどんな態度で何を言うのか,裁判官や弁護士がどんな質問をしてどう答えるのか,被害者遺族の思いをどこまで理解しているのか,そういうところが知りたいんです。遺族の思いが伝わらなければ真の反省などあり得ないと思うのです。しかし,それはかないませんでした。事件から3か月,裁判所に訴えてきた私たち遺族の気持ち,無念な娘の気持ちを何一つ考慮されたとは思えません。   娘の事件は廃墟になった建物の中で,少年と娘と2人だけのときに起こりました。見ていた人も声や音を聞いた人もいません。真相は加害少年と娘にしか分かりません。直接の被害者である娘が殺されてしまった以上,私たち遺族が事件の真相を知る方法は記録の閲覧以外にありませんでした。それなのに,開示されたのはごくわずかな供述調書だけで,情状鑑定書の開示も一切許されなかった。大切な我が子を奪われているのに,その奪った少年の人権やプライバシーの方が重視され,私たちの知る権利がこれほどまでに制限されることがどうしても納得できないでいます。私たち被害者側の代弁者もなく,加害者側だけの審判で結論を出されても受け入れることはできません。いつまでたっても娘の命が奪われた悲しみや怒り,絶望から立ち直ることができません。遺族としては裁判所から更にひどい仕打ちを受けたと思います。   審判も終わり数日がたって,私の代理人弁護士から審判廷での陳述要旨が届きました。しかし,裁判長質問と書かれているところも内容は書かれてなく,保護者意見陳述のところも両親とも白紙で,何を質問したのか,どう意見したのか,私たちには分かりません。審判決定の処遇理由の中に,少年及びその保護者は遺族に対する謝罪の意を示していることとありましたが,事件から1年8か月,加害者側からの連絡はなく,1周忌にもお花の一つも届きませんでした。私たちからすれば娘の事件はやみに葬られたのと同じです。そんな思いで被害者遺族が前を向いて歩き出すことはできないと思います。私たち家族は,審判の日からめちゃくちゃに壊れました。絶望感でいっぱいになり,自分の感情をコントロールできなくなって,私は一歩も外に出られない。掃除もできず食事の用意もできない。生きる気力も失い,何度も娘のところへ行こうとしました。主人ともけんかが絶えなくて,家の中のものがぐちゃぐちゃになることもありました。そのうち主人は家に帰ってこなくなり,加害少年と仲の良かった長男は自分を責めて,おれがあいつと友達にならなければこんなことにはならなかったと荒れ始めて,夜遅くまで遊び歩く毎日で,そんな中,仕事中に事故を起こして手の指を切断しました。長女はうつ病で入院し,私の妹もうつ病で,今でも毎日薬を飲まないと普通の生活ができない状態です。あのとき私たち遺族の思いがもう少し考慮されていたら,加害少年に少しでも感情をぶつけることができていたら,もっと事件の真相を知ることができていたら,やり切れない思いが少しは消化できて,ここまで家族が壊れることはなかったのではないかと思ってしまいます。   今,私は遺族会などに出席できるようになって,主人も帰ってきましたが,長男の心の傷は深く,指も元には戻りません。私たち家族の悲しみも寂しさもいえることはありません。娘がいない以上,元の家族には戻れません。もうだれもこんな悲しみ苦しみを味わうことのないよう,願う気持ちでいっぱいです。 ● どうもありがとうございました。   それでは,委員,幹事の方々から何か御質問がありましたら,お願いいたします。   はい,どうぞ。 ● 私は今日,意見書を作って持ってきています。これは昨日の夜遅くまで掛かりました。私は専門家ではありません。ただ,代表しているということだけで,やはり何かに出掛けていくときには意見書を作らないといけないと思って,必死の思いで作ります。そのときに私はいつも考えることがあります。私は犯罪者,その少年犯罪の遺族です。遺族感情がすごくあります。もう加害者を一生許さないというすごい感情を持っています。でも私は意見書を書くとき,パソコンに向かうときにはやはり一つ考えます。私は,事件に遭わなかったときの私はどう考えるだろうって,必ず考えるようにしています。だから,決して自分の感情だけで書いているわけではないのです。ですから,私たち遺族の話を聞くときにも,聞く方も考えていただきたいんです,もし自分がこんな立場だったらどうだろうって。少しでいいんです,想像しながら読んでいただきたいと思います。私はこれからも,被害者の権利が欲しいと思います。在るべき権利は欲しいと思います。でも,それを振りかざしてはいけないとも思っているんですね。自分で力を出さないといけないことはたくさんあると思います。子どもを失ったから,少年犯罪に遭ったから,ずっと泣いていようって思いもしました。でも,生きていくには自分で力を出さなければいけないんですね。私は多くの遺族の人を知っています。でも,みんな持っている力が出せないでいるんですね。それはよく今言われます。被害者の支援をしたらいいって。もっと心に寄り添った支援をしましょうって。話を聞きましょうとか,カウンセリングを付けましょうと言います。でも,それでは駄目なんです。事件直後に,事件とどう向き合うか。事件,裁判にどうかかわるか,審判にどうかかわるか,当事者として,殺された子の代わりに自分がかかわることで違ってくるんですね。それは,あとでの支援ではできないことです。幾らカウンセリングを受けても,世界一の先生が付いても,それは埋められないことなんですね。事件直後に被害者遺族が自分の力を振り絞りながらしなければできないことなんです。その機会をどうぞ奪わないでください。   私は思いました。人というのは,私は宗教家ではありませんが,思うんです。死というのはみんな怖いと思います。死ぬことを考えればみんな恐れます。なるべく穏やかに死にたいと思います。それが犯罪で殺された子はどうなるでしょう。それが少年となったら,もうすべてをあきらめなければいけないんです。情報は出せません,ものは言えません,何もかもあきらめなさいと言われてきました。確かに少年法は変わりました。でも,まだまだ在るべき権利には近づいてはいないんです。そこを考えていただきたいと思います。偉そうなことを言っていたら本当にすみません。でも,私はそんなことを思いながら,意見書をいつもいろんな人の力を借りながら力を振り絞って書いてきています。どうぞ,しっかり読んでいただきたいと思います。   ありがとうございました。 ● どうもありがとうございました。   この拝聴しました貴重な御意見は今後の審議に役立たせたいと思っております。ありがとうございました。   それでは,次に「全国交通事故遺族の会」の○○さん,○○さん,○○さん,○○さんから御意見を伺うことといたします。      (参考人4名入室) ● 本日は,お忙しいところ,お越しいただきまして,ありがとうございます。この部会は,「被害者等による少年審判の傍聴」などについて審議をしております。その審議の参考にするために,本日は皆様方から御意見を伺いたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。 ● 「全国交通事故遺族の会」の○○と申します。本日,このような機会を設けていただきまして,誠にありがとうございます。   まず,今日意見を述べさせていただく私どものメンバーを簡単に御紹介させていただきます。私の右手におりますのが副会長の○○でございまして,○○の方からは2点,本少年法そのものについての意見と,もう1点は交通事故と少年の問題という立場から意見を2点述べさせていただきたいと思います。次に,向こう側におりますのが○○でございまして,私の左手におるのが○○でございまして,いずれも私どもの会員でして,この2人はいずれも加害者が未成年,少年で,それぞれ家族を亡くされた。○○さんは○○さんのお母さんを亡くされて,○○さんは同じ少年のお子さんを亡くされたということで,遺族の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。   なお,大変申し訳ない話なんですが,事前に意見調整をしていないものですから,場合により今日の意見というか本来の趣旨からちょっとずれてみたり重複する内容もあるかと思いますけれども,あらかじめ御了承願いたいと思います。   最後に,私ども「全国交通事故遺族の会」を簡単に御紹介します。   私ども「全国交通事故遺族の会」は,私どもの会長である○○が耳鼻科の開業医でございますが,自らのお嬢さんを亡くされて,遺族の置かれた立場が非常に危うい状況にあるということで,今から17年前に設立した,会員の会費のみで運用している自助団体であります。恐らく日本で一番古い遺族団体で,日本で最初に組織された団体だと思っております。現在,全国に約1,000名の会員がございまして,全国的な組織としては唯一かなと思っておりますが,会員は遺族のみということで活動しておる団体でございます。よろしくお願いいたします。   では,○○さんの方から。 ● 副会長の○○と申します。よろしくお願いいたします。   お送りいただきました諮問事項につきまして,私どもなりに考えまして,遺族の会の意見として発表させていただきたいと思います。   まず,今回の改正のポイント,少年審判についての傍聴とそれから記録の閲覧コピー,そして被害者側の意見を聴くという,この三つになっているわけですけれども,これは犯罪被害者等基本法ができたことによりまして,一般の成人の刑事裁判におけるいわゆる参加ということで同じように傍聴,それから閲覧コピー,それから被害者の証言が認められたと。それに歩調を合わせたいわゆる一種の少年バージョンではないかと思っておるわけですけれども,私たちはこの3点を見させていただいて,成人の部分と少年の部分において,基本的には何ら差がないわけですから,この三つがこのような形で実行されることにつきましては,総論として私たちは賛成させていただきます。支持をさせていただきたいと思います。   三つありますけれども,それぞれが独立した一つ一つの事項でありまして,相互に補完し合うものではありませんので,私はこの三つの項目について,是非一列に並んで一歩前進していただきたいというのが私たちの意見です。中には,これはいらないのではないかという意見もあるかというふうに私は思うわけですけれども,この三つは最低限必要なものだというふうに私は認識しております。   成人と少年の違いにつきましては,その線引きにつきまして難しい問題があるわけですけれども,私たちはそういう難しい議論は抜きにしまして,今回の犯罪被害者等基本法によって今までないがしろにされてまいりました被害者の権利回復という趣旨から,この改正を1日でも早くして,この少年法に反映させていただきたいというふうに思います。   各論についてですけれども,第一,第二についてちょっと,細かいことですけれども,意見がございます。   第一の傍聴についてですけれども,この骨子によりますと,少年の年齢及び心身の状態,事件の性質,審判の状況その他の事情を考慮して云々という除外条件があります。ごく普通に考えれば当たり前のような気がしますけれども,私はこの傍聴につきましては,基本的に何ら条件を付けるべきではない,原則無条件でなければならないと考えています。万が一どうしてもというならば,この少年ということも考えまして,心身の状態ということにつきましては百歩譲るということもあり得るのかなと。ただ,気持ちとしましては,先ほど言ったように無条件で傍聴の道を開いていただきたいと思います。   それから,対象事案ですけれども,故意の犯罪ともう一つ,刑法第211条の業務上過失致死というのがあります。御存じと思いますけれども,今年,自動車運転過失致死傷罪というものができました。この刑事犯ですけれども,あらゆる刑事の中でも一番数が多く,そして被害者も非常にたくさん出ているということを考えますと,ここは業務上過失ではなくて,私はむしろ言葉としては自動車運転という法律にしていただきたいというのが私たちの希望であります。   第2番目につきまして,閲覧の問題ですけれども,ここも同じようなことで条件がありまして,少年の健全な育成に関する影響というふうなことをうたっているわけですけれども,私は記録の閲覧コピーについて少年の育成にかかわることは基本的にはないんではないかというふうに思います。特に,身上部分という,交通事故では身上部分というのがありますけれども,運転者の運転に対する性癖ですとか,あるいは違反や補導の前歴ですね,こういったふうなものが今は成人ですらカバーされて,見られない状態にあります。これは,この事故の原因の本質を探し出す上で非常に大切な項目ですので,是非この記録が隅々まで見られるような手配にしていただきたいと思います。   以上が,今回の諮問に対する遺族の会としての意見というふうにお考えいただきたいと思います。   関連して,もう1点付け加えたいと思いますけれども,交通事故は申すまでもなく,道路交通法を守らなかったことによって起こる犯罪です。犯罪被害者等基本法でも交通事故もその中に明確に入れていただいているわけですけれども,ただし,この事故という言葉が示すように,まだ世の中の認識というものは非常に軽く見られているのが現状なんです。ところが,車の問題につきましては,御存じのとおり16歳からバイクに乗れ,18歳から四輪の車に乗れるというふうなことで,一般の酒やたばこなんかとは違った運用のされ方をしているわけです。少年といえども免許の所持が認められているのであれば,私たちはそこで結果として起こした事故については成人と同じようにそういう扱いをするべきである,というのが私たち遺族の基本的なスタンスであります。   御存じの福岡で起きた,3人の子どもが玄界灘に叩き落された悲惨な事故がありました。この加害者に対しては危険運転致死傷罪でもって起訴されたわけですけれども,最近のマスコミによりますと,この危険運転致死傷罪の適用が危ういというふうなニュースが流れております。これはせっかくああいう犠牲も考えながら,その前に私たちの会員の○○さんとか○○さんのいろんな悲惨な事故の結果こういう法律ができたわけですけれども,なぜこの法律ができたかという精神が十分に裁判所でくんでいただけない結果がこのような形になったのではないかというふうに考えているわけです。私たちは,危険運転致死傷罪ができたときに,危険運転致死傷罪になる危険運転とはそもそも何ぞやということで,世間一般の考え方から,例えば無免許であるとかひき逃げであるというようなこともこの法律の中に入れるべきだという運動を何年にもわたってやってまいりました。   残念ながらこの危険運転致死傷罪はまだ改正されておりませんけれども,もう1点あるわけです。それは暴走族の問題です。暴走族というのは基本的には道路交通法を集団でもって破ろうという団体なんです。それともう一つ,暴走族の構成員は基本的には少年ばかりです。ほぼ100%少年なんです。こういう確信的な運転行動,犯罪者が起こした事故につきましては,私たちは本来は無条件で,事故を起こせば危険運転致死傷罪というものを適用していただきたいわけですけれども,交通犯罪の低年齢化というのは暴走族ばかりでなくてどんどん進んでいまして,最近は小学生でも車に乗って事故を起こすようなことがあるわけですから,私はこのように少年に対して車というものは非常に怖いものだ。もし事故を起こせば大きな事故になって人をけがさせ殺してしまうんだということを教える意味でも,そして自分に与えられた権利,それに対してやはり責務を果たすべきだということで,悪いことは悪いということをきちんと社会が教えてやるということが最も必要ではないかというふうに考えております。是非少年法の改正につきましては,この辺りのところをおくみいただきたいと思います。   以上が遺族の会からの意見であります。ありがとうございました。 ● 会員の○○と申します。本日は意見陳述の機会を賜りまして,ありがとうございます。   私は,平成15年11月に母を亡くしまして,母は当時19歳の少年の運転する原付自転車に自宅の正面ではねられて,母は頭部を強打したほか全身骨折,道路にたたきつけられて本当に全身ぐずぐずになって12日目に心停止しました。今年で満4年が経過したわけですが,今も非常に苦しいです。その私の苦しさというのは,母という大切な存在を亡くしたという,亡くしたことだけによる苦しみではないんです。法律のことや何か何も分からない人間が母のこと,加害者の少年のこと,いろいろ裁判だとか何だとかをやっていく中で,被害者の命というものが日本の法律の中に何も証拠物という以上の位置付けがないということ,それから命の重さというものに実はきっちり差別というものが設けられているんだと。19歳の少年と68歳の専業主婦,どちらが大事ですかという言葉を検察官から投げ付けられたこともあって,そうしたことが二重三重に苦しみとなって,私のこの4年間を何かこう非常に支配してきたように私は思っています。   今,会としての意見ということで副会長の○○から何点か申し上げたと思うんですが,今回の法改正,全部,審判の傍聴ですとか意見陳述,記録の閲覧に関することは賛成です。けれども,その前提として,お手元にお配りさせていただいた資料に4点,私から是非皆さんに御検討いただきたいと思っていることがあるんですけれども,その4点をどうか御斟酌いただけないかと思っています。   ○○も先ほど申しましたけれども,国の定める運転適性を認めて免許を交付しているわけですから,少年用の免許とか成人用の免許とかはありません。結果の責任というようなことについては成人と同様にすべきだと思うんです。それでも少年法の適用ということを何かしているのにはそれなりの理由があるんだろうと思います。少年の更生ですとか教育といったことを何かお考えになって適用しているんだと思うんですね。でも,その更生の定義って何なのか,幾らいろんな本を読んだりしても私は分かりませんでした。被害者の命を奪ったということへの痛みがどうして加害者に起こらないようにする仕組みばかりなのか。加害者が心に何かPTSDとか人の命を奪ったということに対する痛みを何にも覚えないようにすることが,もしかして少年法の趣旨,少年法の思い描く教育なのかしら,更生なのかしらという疑問が今も拭えません。今現在もまだ検察逆送になる前は,例えば事故現場での加害少年立会いの実況見分というものを行っていないと思います。でも,自分がどういう状況で事故を起こしたのかということを何にも見つめないまま,どうやって反省ができるのか,私は分かりません。是非,検察逆送前,少年審判に当たっては,事前に必ず加害少年立会いの実況見分を行っていただきたいです。   それから,調査ということで審判の前にいろいろ行うと思うんですけれども,その過程で反省とか更生の定義というものをきちんとして,それを実現していくためのモデルを何か作っていただきたいんです。それに対して,専門家の方,いろいろ教育心理学とか青年心理学とかをやっていらっしゃる方が調査官になられていると思うんですが,きちんとフォローと記録を行ってほしい。その記録ももちろん被害者遺族が閲覧可能として,審判における意見陳述で少年の反省とか更生について,きちんと確認できるようにしていただきたいんです。お手元の資料の中で「更生や反省のモデルを作って専門家によるフォローと記録を行うこと」としたんですが,私が「フォロー」と書いたのは,本来「確認」という言葉にしようかと思ったんです。でも「フォロー」としたのは何でかといいますと,3番でちょっと書かせていただいたんですが,うちは我が家の場合,加害少年がもう事故直後から私選の弁護人を付添人に付けまして,その中で民事のことを当然にらんで自分の加害者側の利益を図るのが弁護士の仕事ですから,そういう中で加害者が加害少年がいろいろ振り回されているのがこちらにも分かるんです。一種のゲームのようになってしまっていて,何か利害が目的な枠組みの中ではゲームのようになってしまって,被害者の命の重みというものがどこかへすっ飛んでいってしまうんです。このことを民刑分離の原則というのがあるから仕方がないよというふうにおっしゃる向きがあるかと思うんですが,どうか更生や反省のモデルに当たっては,そうした民事訴訟における弁護士による利益誘導の少年の心理への影響というものも考慮していただきたいんです。そういうことで,少年が自分がやったことに対して本当に痛みを覚えるとか,そういう機会を奪われていくということは更生ではないし,命を奪われた母本人も私たち遺族も望みません。本当に命の痛みということを加害少年が持ってくれることが望みです。   最後の4番は,これはもうお読みになっていただければ分かると思うので省略いたしますけれども,私たち,罪とか罰とかいろんなことを遺族って考えます。弁護士の先生や法律家の先生というのはいろいろな難しい本を私も読みましたけど,書かれていることが分かりません。いろんな法概念とかそういうことを大切にしていらっしゃるのは分かります。戦後の民主主義とかいろんな言葉が出てきましたけれども,私はそういうのは分かりません。どこにも,命が奪われるということの重みが感じられなかったです。でも遺族は,罪って何だろうとか,罰って何だろうといったことをいっぱい考えます。ほとんど人間というものがこの世に生まれてから人類3万年の旅です。3万年くらいかけて人間が築いてきた世の中でいろんなことを考えながら法律や何かができてきたと思うんです。そういうことを独りで,遺族の一人一人がもう何年もかけて悩むんですよ。どうか,何か近代法とか民主主義とか加害者の人権とか,そういった概念だけではなくて,ここにいらっしゃる委員の先生方皆さん人類3万年の旅をしてほしいんです,遺族と一緒に。命が奪われるということがどんなことなのか,奪うってどういうことなのか,一から御一緒に考えていただけたらというふうに祈念してやみません。   どうもありがとうございました。 ● 私の息子は平成9年3月11日,アルバイト先から帰宅途中,青信号の交差点を通り過ぎようとしたときに,突然飛び出してきた車と衝突しました。加害者は18歳の未成年で赤信号で停止している前の車を追い越して交差点に飛び出してきたんです。しかも自分が逃げるために,倒れている息子の体を車でひいて逃げました。その事実を知ったのはずっとずっと後のことでしたけれども,その後,離れたところに車を隠し,ナンバーを取り外して自宅に隠れているところをすぐ2日後に逮捕されたんです。車は友達の回し売りで,車検も自賠責ももちろん任意保険も入っていません。改造された車で,公道を本当は走ってはいけない車を運転していました。それで信号無視をし,倒れている息子をひいて逃げました。   最初,私たちは加害者がひいて逃げたなんていうふうな思いに届きませんでした。だから,遺体解剖で車に轢下された跡があるというふうに書かれてあったとき,それを理解することができなかったんです。警察に行ってもあいまいなことしか説明されませんでした。本当のことを私たちは知りたかったので,面会を求めましたが,もちろん拒否されました。鑑別所に行っているときも面会を求めましたが拒否されました。事実を知ることは,私たちはできないまま,検察の方も警察の方も,これは悪質だからきっと逆送致になりますと,はっきりおっしゃったんです。それでも加害者は家庭裁判所送りになり,審判を下されることになりました。家裁で審判されるときには,加害者も保護者も付添弁護人も同席できたのに,私たち,息子の家族も親も同席することさえ,日時を教えてもらうことさえできませんでした。加害者には少年法という保護があって,私たちから隔絶されたところで守られていましたけれど,私たちは息子を失った後,教えてもらえるところも,状況を知らされるところもなく,ただただ相手の父親から漏れ聞こえてくるそういう通報のみが頼りでしかなかったんです。警察が教えてくれたのは,逮捕しましたというだけのことでした。実際の状況の詳しい説明もされませんでした。   あのとき,私たちは何も知ることができないのに,大切な息子を突然亡くして途方に暮れ,辛い思いをすごくしたのに,だれも私たちや息子のために配慮をしたり守ってくれたりする法律はなかったんです。あのときつくづく思いました。法律というのはごみみたいなひどい人間でも生きてさえいればどこかで守られるものなんだと。悪くないのに,全然悪くないのに,殺されてしまったら,それで何も権利も何もなくなるんだというのをいやというほど知ったように思います。あのときまでは法律は余り私たちの暮らしには関係ない,庶民の生活ですから,でもあのときから私は法律というのを絶対信頼できるものではないんではないかというふうに不信感を持った一番初めのことでした。   殺された息子にだって家族や親や友達があります。20歳の青年の夢や希望もありましたし,親にも夢や希望はありました。でも一瞬にして奪われて,死んでしまったらそれでおしまいだったんです。本当に加害者はただただ守られて,中等少年院に行くことになりました。あんなに逆送致になると確信を持って言ってくださるほどのケースであったにもかかわらず,家庭裁判所の審判は中等少年院送りで1年で出所しました。少年の基本的人権とか将来への更生とか保護とか,そういう言葉ばかり使って私たちを拒否してきたんですね,法律は。でも,自分の犯した罪,自分が悪いのに守られるのが悪い方で,悪くなかった方は何も守られないというのは余りにも不公平だと思います。   出所後1年過ぎて,私たちは初めて相手の顔を見ました。その後は何というか私たちが思っていたような謝罪の誠意とかそういうものは何も感じませんでした。だから,私たちにきちんと向き合おうとしない加害者に「忘れないでほしい」という意味で民事裁判を起こしました。お金よりも自分のしたことを忘れずに責任を持って生きていってほしいという思いも強かったです。でも,判決の後,本人は蒸発して10年たった今でも逃げ回っています。少年院でたった1年です。1年で何をしていたのかと聞いたら,職業訓練といろいろな勉強をしましたと,本人はそう言っていました。ですけれど,あの加害者にとって1年の少年院は全く効果はなかったんではないかと私は思います。刑が軽過ぎるんではないか。だれでも自分が悪いことをしたらそれに見合う罰を受けて当たり前です。だけど少年法というのは悪いことをした子をよしよし,よしよしと一所懸命周りで守っているように私はすごく感じました。ですから,職業訓練をする前にもっと精神の建て直しとか,大切なことを取り戻す,先ほど○○さんがおっしゃっていたように,大切なものを取り戻す教育をする方が必要なんではないかと思います。それに,入所している期間の長さ,そういうことも関連はあると思います。   どうぞ,私たちのように惨めな辛い思いをした親がこれから先,少年の罪だけではないですけれど,そういう犯罪とか何かで増えませんように。少年法というのはもう一度よく考えて甘やかさないでください。悪い子は悪いんです。悪い子をいい子にするには少年院,人を殺して1年なんていうのは甘過ぎます。だから,そこら辺のところをよく考えてください。もし自分のお子さんや知り合いの方がそういう目に遭ったら,多分聞いていられないだろうと思います。私が申し上げたいのは,どんなに情報が手に入らなかったことや,非協力的だった公的な機関とか裁判所とか,そういうものに対する辛さみたいなものを申し上げたかったんです。これからの方がそういうことのないように,今回開示されるであろう改正がきちんと皆さんの中で正しく判断されますように,よろしくお願いいたします。 ● ありがとうございました。   それでは,委員,幹事の方々から何か御質問等はございますでしょうか。   よろしいでしょうか。   本日は,貴重な御意見をいただきまして,ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。今日伺いました御意見につきましては,今後の議論に役立てたいと思います。ありがとうございました。   それでは,次に「被害者と司法を考える会」の○○さんから御意見を伺うことにいたします。      (参考人入室) ● 本日は,お忙しいところ,お越しいただきまして,ありがとうございます。本部会は,「被害者等による少年審判の傍聴」等を審議しております。その審議に役立てるため,今日は皆様からの御意見を拝聴しております。どうぞよろしくお願いいたします。 ● よろしくお願いいたします。私は,○○と申します。   今から10年前になりますけれども,息子の○○という男の子,当時8歳でございましたけれども,交通事故で失った父親でございます。今日は「被害者と司法を考える会」という会がございまして,その代表でもありますので,被害経験も踏まえてお話をさせていただきたいというふうに思います。   法律を作るための法制審議会,大変重要な機会だというふうに思っておりまして,私も大変緊張しておりますけれども,後々法律ができた後にこの記録を読む方もおられると思いますので,私の部分は実名で公開をしていただきたいというふうに希望を申し上げておきます。   まず今日は,少年法について被害者の,特に審判傍聴をどうするかということについてお尋ねがあった件についてお話をしたいというふうに考えております。時間の都合がありますので,主に私の被害経験,それから被害者支援をしていた経験,それから,少年院等で被害者の視点での教育というものに何年かかかわっておりますので,その経験を踏まえてお話をしたいというふうに思います。   まず,少年事件であれ,一般の成人の事件であれ,例えば交通事故もそうなんですけれども,被害者の受ける痛みというものに基本的な差はないのではないかと私は思います。偶然の被害に遭い,その現状をどうやって受け止めるか,またどうやって回復するか,毎日苦難をし続けて日々送っているのが被害者の実情だというふうに理解をしております。その中で,司法に対するかかわりというのは大変関心があることで,例えば私も息子の命を奪ってしまったドライバーが当時不起訴処分になってしまったものですから,不起訴処分というものは一体どういうことなのか,有罪無罪を簡単にそんなに裁判所に送る前に決めていいのだろうかということで署名活動をしまして,結果24万人という方の賛同署名をいただきました。これは再捜査をしてくださいという署名でございまして,最初から有罪無罪の決まっている有罪にしてほしいと,同じような形で苦しみを与えてほしいという意味合いではなく署名活動を行いました。   当時からやはり有罪無罪というものに大変私はこだわりがありまして,有罪であるならば,それぞれにふさわしい処遇を加害者に与えるべきであると。一方で,被害者に対しては,個々に回復をしなければいけない。事件とのかかわり,遺族なのか当事者なのかによっても痛み,苦しみは違いますので,それぞれに対して個別の立ち直り方法はあるであろうというふうに考えてまいりました。   私も大変いろいろな方にお世話になりましたけれども,被害者支援をして大変喜ばれたのは,事件直近からの支援です。日々生活もままならない。弔問客が多く訪れてどうこたえていいか分からない。そういう被害者遺族を陰ながら支えるのが私の役目でございました。   ある事件では,事件当日から支援に入りまして,一体どういうことが起きてしまったのか分からないという中で,裏方に回りまして,弔問の方に対する御案内,また御遺族も大変お疲れになるものですから,お休みを取っていただくこと,また切々と悲しみを訴えることを一緒になって控えを取っておき,その後警察,検察庁また裁判所に対して意見陳述をするときに当時こういうことをおっしゃっていましたよねということを申し上げたことがあります。被害者遺族はしばしば,当時の記憶を忘れてしまうことがありますので,特に事件直近の記憶というものは大変重要だろうというふうに思います。   このたびは少年法ということで少年審判の問題が議論されていると思うのですけれども,少年審判は事件間近,特に49日裁判と言われるぐらい直近に開かれるのが特徴だというふうに思っております。成人のように時間を随分使って調べていいというのではなく,少年の可塑性を信じるために,早めに審判を開き処分を早く出し,早く回復するということが特徴だというふうに思います。   私は去年,法務省のヒアリングで意見を申し上げたのですけれども,保護主義というものを強く支持したいというふうに思います。被害者側にとって瞬間的な謝罪というのは全く意味がないと思っております。本当に自分がしてしまった責任を重く感じ,自分の言葉で謝罪をする,これは簡単なことではありません。深く内省に踏み込み,自分自身がどうして非行してしまったのか,被害者に対してどういう行為を及ぼしてしまったのか,それを深く考えるのがとても重要だというふうに思います。そのために,保護主義の中で少年を立ち直らせ,その可塑性を国が支えることによって被害者の思っている,期待している以上の謝罪,あるいは社会内でのかかわりができるというのが私にとって一番いいことではないかと思います。   そういう中で,例えば少年院に行っていろいろ講演をすることがあります。また,グループワーク,個別指導をすることもたくさんあります。もう100回以上になったわけですが,そういう非行少年たちとかかわっていますと,非常に驚くことが幾つもあります。一つには被害者が大変多くいたということ,被害経験者がいたということ,それがきっかけで非行に走ってしまった子どもも多くいたということです。もちろん,被害経験があるからといって非行事実が軽くなる,また薄まっていいんだということは全く思いませんけれども,社会全般として被害者問題を何とか考えなければいけないのではないかなということが,そこにも現れているというふうに思いました。   いろいろと少年院では私も勉強になることがありまして,もし皆さんも機会があったら,是非少年院に行かれて,どのような処遇が行われているか,また実態はどういうことなのかということを実際に体験されてみると,非常に見方が変わるのではないかというふうに思います。   被害者にもいろいろあると思います。例えば,被害者遺族も一つのかたまりだというふうに思いますし,被害当事者も同様です。私は,被害者遺族の中でも特に息子を失った父親としての経験が非常によく分かるわけですが,家内である母親の痛みというものは,幾ら想像しても本心,分かっているかどうか自信はございません。また,亡くなった息子には兄弟がおりますけれども,彼の痛みというのも100%分かっているかどうかも,それは分かりません。被害者それぞれやはり被害事実を受け止めて,それを背負いながら生きている。ようやっと生きているというのが現状ではないかというふうに思います。ということからも,被害者の悲しみ,苦しみというのは一様ではなく,それぞれの言い分があるのではないかということをここで指摘させていただきたいというふうに思います。   今回の少年審判に被害者が傍聴するということについて私は反対だというふうに申し上げたわけですけれども,それはまず少年法の理念というのが保護主義であるということ,少年法というのは少年を立ち直らせることによって,社会若しくは社会の一員である被害者に対してもやはり正面から謝罪をする力を付けさせるというところにあるのだと思います。   私は,少年問題に限らず,加害者,被害者問題で一番ネックになっているのが,それぞれの自尊心,またコミュニケーションが足りないことではないかというふうに思います。そういった意味では,私は少年院の更生プログラムというのは大変よくできているというふうに思います。特に少年に対して心の中に潜んでいる,例えば自尊心が非常にかたまりとして強い子どもに対しては,社会性を強く持たせるようなこともしておりますし,コミュニケーションを強く持たせなければ施設内でも叱られてしまうというふうに,むしろ刑務所よりも内省を深めるという意味では厳しい部分が強いのではないかというふうに思います。   今回の傍聴ということなのですけれども,それに対して,言うならば審判が事件直後であるということ,事件直後に被害者はどういう心境でいるかというと,遺族であるならば,お通夜,お葬式が終わり,初七日が終わり,やや納骨をするかしないかというようなときに審判傍聴をするかしないか判断を迫られるんだと思います。これは被害者にとっても回復に至ってはおりませんし,まだ被害事実も夢と思いたい。事実はどういうことだったのか知るに至らないというプロセスにあると思います。いろんな被害者の方を見ておりますけれども,49日前後というのはまだ混乱期にあって,例えば警察の方から私が直接聞いたところによると,49日までは御遺族は落ち着かないので,むしろ事情を聞くのも差し控えることがあるんだということも伺っております。ですから49日までの審判に傍聴するという選択を被害者に迫るのは,私は間違いであろうというふうに思います。   また,被害者側は加害者から何が聞きたいかというと,どうして被害に遭わなければならなかったのか,その理由を求めているんだと思います。それが審判で明らかになるとは限りません。いろいろな理由があります。それは少年非行だけに限らずその他の社会的要因もありますし,すべてが審判で明らかになるとは思ってはいけないのではないかというふうに思います。むしろこれらの答えは少年が例えば保護処分になった場合,少年院に行ってやがて時間をかけて更生プログラムを受けた後に,もしかすると答えが見つかるかもしれませんし,その後の社会内処遇,また今いろいろな民間の加害者,被害者との対話プログラムもございますけれども,そういった中でもしかすると答えが見つかるものかもしれないというふうに思っております。そういったことから,やはり直近に被害者の気持ちを加害者にぶつける,また逆に聞き出したいというのは,非常に問題があるのではないかというふうに思います。   また,審判廷は非常に狭うございます。私も見学に行ったことがありますけれども,被害者が座るスペースというのがほとんどないというふうに思いました。また,かといってそれを一般の刑事事件の法廷を借りるというのも和やかな雰囲気ではないというふうに思っておりますので,賛成できかねるというふうに思います。   また,少年審判は非公開になっておりますけれども,被害者が傍聴することで,被害者は当然いろいろな思いを社会に向けて述べたいと思います。それは止めることができないと思います。ただ,傍聴した事実を一部被害者の目を通じて被害者の口から社会に伝わることによって,ある意味被害者の社会的責任というものも強くなってしまいますし,非常にこれは非公開全体の審判そのものがゆがんでしまうということになりかねないというもので,これも私は反対理由の一つとさせていただきたいというふうに思います。   ではどうしたらいいのかということの御提案になりますけれども,まず調査官の方や判事さんから被害者に対して時期を限らず丁寧な御説明をいただきたいというふうに思います。しばしば専門用語も出てきます。実況見分をしたところで被害者はなかなか理解できないことがいっぱいあります。それを丁寧に説明していただきたいというふうに思います。現状,少年院に参りますと大変驚くのは,被害者側が警察若しくは裁判所等で述べたことがほとんど施設に伝わっていないということに驚きます。私もいろいろな指導をしていく中で被害者がどういうことを望まれているのか施設に問い合わせるのですが,記録そのものが届いていないのです。これは,大変困ることですので,制度として警察若しくは調査官,判事さんの被害者に対して聞いたことをすべて施設に届けていただきたいというふうに思います。   被害者側が救われる保護主義について,これはいろいろな方法があると思いますので,様々な形で丁寧な議論をしていただきたいというふうに思います。   もう一つなんですけれども,逆送事件がございます。検察官送致が適当ということになって一般の成人と同じような刑事処分を少年が受けることがございますが,その場合でも保護主義というものをもう一度考えていただきたいというふうに思います。例えば,非常に刑事裁判になりますと時間がかかります。その間,少年は可塑性の高い時期を何も処遇も受けずにほうっておかれるわけです。ですから,任意で結構ですので,更生プログラムを受けられる,立ち直りが早くできるような処遇を選択できるようなことを是非ともお願いしたいというふうに思います。そうでなければ,保護主義というものが全体的に一貫性がないというふうに誤解されてしまうことにもなりますので,この辺は強く新たな御提案として申し述べさせていただきたいというふうに思います。   その他,いろいろな見方がありますけれども,被害者の権利というものは,私は一般市民がそもそも持っている権利と同じだと思います。たまたま被害に遭って,それで権利を失ってしまったことが幾つもあります。それは元に戻していただきたい。しかしながら,被害を受けたからといって特別な権利を持つというのはどうだろうかなというふうに思います。被害者と加害者が互いに接近しているだけに,隣の存在が気になることだと思いますけれども,被害者は被害回復を1日も早くした方がいいですし,その中で加害者のことが大変気になるのは分かりますけれども,なるべく専門家の方が仲介者となっていただき,それぞれの気持ちをそれぞれに伝達していただき,被害者側からすると日常回復を早めにしていただくことを,で加害者側に対するとその責任をより認識してもらうこと,社会の一員として再被害を犯さないだけではなく,再被害を犯させない人間になってもらいたいというふうに私は思っております。お時間もございますので,そろそろ私のいただいた時間はそろそろかなというふうに思っておりますので,取りあえずここまでとさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。 ● どうもありがとうございました。   それでは,委員,幹事の方々から御質問などございますでしょうか。 ● ありがとうございました。弁護士の○○と申します。   先ほどのお話の中で,被害者の悲しみ,苦しみは一様でないという御指摘がありましたけれども,意見書等を拝見していて,やはりその傍聴の判断を事件直後に迫られる,あるいは傍聴によって各種の二次的な被害を受けるおそれという御指摘がありますが,被害者の中には,たとえ傍聴することによって傷つく場面があったとしても,それでも見たいとおっしゃっておられる方も多々おられるかと思いますけれども,その点について参考人はどのようにお考えでしょうか。 ● 私は,そういう方も含めて,やはりするべきではない,反対であるというふうに思っております。なぜならば,審判というのは二度も三度もあるわけではありません。被害者のために複数回開かれることはありませんので,私も成人の事件ではありますけれども,いろんな方の傍聴支援をしておりまして,大変緊張する。もちろん審判傍聴の希望を出していながら法廷で卒倒される方も随分見ております。ですから,そういうようなことを事件直近に被害者が迫るような行為がやはりよくないのではないかというふうに私は思うわけです。傍聴して何が知りたいのかということを考えますと,公平なやり取りがなされているか,また少年側が何を言ったか,自分の問いがその中に見つかるかどうかを確認されたいんだと思います。それについては,先ほども申し上げたとおり,調査官若しくは判事さんの方から丁寧な説明を受けること。もちろん,現状でも意見が言いたいということでは意見陳述もできますし,場合によっては在廷という形で法廷に入ることもできるわけですから,そういうような形で参加いただくのが私はもっとも限界ではないかなというふうに思います。それ以上に見たいというふうに思われる根拠はむしろもっと踏み込んで内容的に深く理解をしたいというふうに思いますので,そういうことであるならば,専門家の方から丁寧な説明を,情報をぶちまけるだけではなくて,説明を加えた形で何度も何度もやっていただくのが私は一番いいというふうに思います。 ● あと,もう1点御意見をお聞かせください。   先ほど,被害者の権利も一般市民と同じであるべきで,被害によって特別な権利を付与されるべきでないとおっしゃられておりました。御指摘として,確かに少年審判を傍聴できるという意味では一般市民よりも多くの権利を付与されるようにも見えますが,他方,参考人も含めて,成人事件の刑事裁判というのはだれでも傍聴ができるわけですよね。すると,たまたま加害者が少年であるがゆえに傍聴の機会が許されないという意味では,むしろ特別な権利が付与されるというような評価にはつながらないのではないかという考えもあるんですが。つまり,少年事件の被害者であるがゆえに傍聴の機会が付与されないということと,成人刑事との関係というものについて,参考人のお考えを聞かせていただけますか。 ● 少年事件というのは御承知のとおり保護主義です。保護主義をさせるのが一般市民の一つの責任だというふうに私は思います。一方,被害者として事件にかかわってしまった以上,参加したいのだと,少年事件であっても成人と同じに参加したいのだという意見があると今伺いましたけれども,それでは,不起訴,起訴を決める場に被害者が立ち会えるのでしょうか。検察審査会に被害者が立ち会えるのでしょうか。そういうことはないと思います。つまり,国がきちんと有罪無罪を決める大事な瞬間に立ち会えなくても,被害者の権利あるいは回復というものは十分に今なされつつあるので,私はその運用を待って被害者の権利回復というふうに考えた方がいいというふうに思います。 ● そのほか,御質問等ございますでしょうか。 ● 今,被害者だからといって特別の権利を持つことはおかしいという御趣旨の発言がありましたが,犯罪被害者等基本法には,犯罪被害者は尊厳を尊重され,その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利を有するとありますが,この規定はどういうふうに考えられますか。 ● 元々国民が持っていた権利を奪われてしまったものを回復する。国が犯罪被害の責任を負うということにしたところで,私はいろいろな保護策がこれから生まれていくことであると思いますし,情報開示もそうですし,いろいろな形で運用がなされていくことだと思います。 ● それが傍聴につながるとは思いませんか。 ● ですから,少年事件というものが,例えば少年法1条から全部見直すということになるならば,話が違うのですけれども,保護主義の精神を殺してまで被害者の権利を認めるということは,犯罪被害者等基本法のどこにも書いてありません。 ● そうすると,傍聴というのと保護主義というのは矛盾すると,そういうふうにお考えなんですか。 ● いろいろな意味で矛盾するような部分が私はあると思います。 ● ほかに御質問はございますでしょうか。   本日は貴重な御意見を賜りありがとうございました。お伺いしました御意見につきましては,今後の議論に役立てたいと思います。ありがとうございました。   それでは,次に「被害者支援都民センター自助グループ」の○○さんから御意見を伺うことにいたします。      (参考人入室) ● 本日は,お忙しいところ,わざわざおいでくださいまして,本当にありがとうございます。本部会は,「被害者等による少年審判の傍聴」などについて審議をしております。その審議の参考にさせていただくために,本日は皆様から御意見を伺っているところでございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ● 私は都民センター自助グループから参りました○○と申します。   まず初めに,骨子の中にございます第一という中の途中からなんですけれども,「被害者等による少年審判の傍聴」の部分に触れさせていただきます。「審判期日における審判の傍聴の申出がある場合において,少年の年齢及び心身の状態,事件の性質,審判の状況その他の事情を考慮して相当と認めるときは,その申出をした者に対し,これを傍聴することを許すことができるものとすること」とありますが,この内容は,犯罪被害者の理解が全くなされていない取り決めの文章に感じました。あくまでも,少年優先であり,被害者のことは少しも考えられていない内容だと思います。ここの部分こそ,私たち犯罪被害者にとって大変な重要な部分であります。少年審判を申し出た犯罪被害者全員に少年審判傍聴を認めてほしい箇所であります。   私たち遺族は,今まで少年審判に参加することができませんでした。加害者少年の顔すら知ることができなかったのです。御存じでしょうか。加害者少年はどこの少年院に行ったのか全然分からない現状でした。そして,通知制度すらございませんでした。事件を起こして,親はどう思っているのか,全く伝わってきませんでした。仮出所さえも教えてくれない。何一つ分からないのです。私たち犯罪被害者は少年審判を傍聴することによって事実を知ることができるのです。この方法しかないと思います。私たち遺族が真実を知ることには,相当な年月や体力,根気強さが必要になってきます。このような現実を私が経験をしてきましたが,本当に計り知れない大変なものでした。真実を知るということは,法律の壁を突き破らない限り見えてこないのです。   今月,家庭裁判所で少年審判が行われていく過程のビデオを見させてもらいましたが,現実にはこのビデオの内容と現実とはほど遠く,ビデオどおりにはいかないと思いました。大切な家族が他人に殺されてすんなりと行くはずがありません。物が壊されたとか盗まれましたという立場とは全く違うものなのです。これからの未来があった人間の命が少年により奪われた挙句,いつ少年審判が行われたのか,全く知らずに被害者はいます。そして,殺人を犯した少年は被害者が全く知らないうちに少年院から出てきて,新しい人生へとスタートしているのです。   私の場合は,事件後5年たっても少年の顔すら知りませんでした。謝罪も何一つなく,ただただ月日が過ぎていくばかりでした。5年たっても加害者と親は何も言ってこないのはどうしてなのか。当然被害に遭ったのだから,少年院に行った少年らの謝罪は本当は受けたくはないのです。だけれどもあるのだと私は信じていました。でも,全くありませんでした。段々と納得がいかない状態になってきました。私が行動を起こさない限り,一生少年からの謝罪も顔も知ることができなかったと思います。全く知らない少年でしたので,何も分からなかったのです。こんな状態が今,犯罪被害者が置かれている厳しい立場であります。ここにいらっしゃる方々はこのようなことを現実として犯罪被害者が置かれている立場を御存じでいらっしゃいますか。   あるブログに,少年審判の傍聴を認めれば傍聴だけして黙って聴いているしかできないのかという不満が被害者から出て,次には質問権などの要求が次々と出される可能性がある。それらも見越した上で,そもそも少年審判に被害者等の傍聴を認めるか否かを慎重に論議すべきであると,被害者にとって大変失礼なこのような犯罪被害者を全く理解していない文章があります。このように国民は全体的に犯罪被害者というものを理解できていません。私は犯罪に遭ってからも仕事を続けていますが,本当に並大抵なものではありません。犯罪被害に遭う前は本当に何もなかったことが犯罪被害に遭ってからは職場でもいじめに遭ったりしました。そして,夫の失業だとかいろんな様々な問題,自分自身,本当に何も手に付かない状態,でもやはり自分というものを失ってはいけないということで,本当に仕事はしてきました。   このような状況で,実際に少年審判が行われる場所を見学し,少年審判のビデオを見ました。この内容は犯罪被害者を抜きにして作られているビデオでした。実際,殺人等の重大事件が毎日起きているわけではないと思いました。本当に,重大事件というものは年に,本当にたくさんあるわけではないと思います。ですから,重大事件に限り,少年審判を傍聴できるようにしていただきたいと思います。いろんな様々な内容の少年審判があると思いますが,本当に一つの大切な命が奪われたわけですので,この辺はしっかりと考えていただきたいと思います。   このようなことは簡単に終わらせてはいけない問題です。他人を殺してまで自分の命が残されている分,加害者は大変な思いをしても当然なことです。現実を真正面から見て考えていく必要性があります。先ほどのブログのように考えている人がいる自体おかしなことです。これはきっと大人だと思います。少年審判の傍聴に被害者を交え,被害者の様子を目で見ていくことこそが被害者の痛みを知り,反省へとつながります。犯罪被害者に謝罪なくして更生は不可能と言えます。   犯罪被害者にも,立ち直っていくには,段階というものがあります。事件の内容や事件当時の年齢,裁判,年数経過,家族構成によっても人それぞれ本当に違ってきます。違いが出てくるのは当然であって,同じ被害者だからといって,立ち直っていく段階が必ずしも同じとは限らないのです。辛い,苦しい,悲しいはみんな一緒なのです。立ち直りといっても,完全に立ち直りができたとは言えません。きっと一生できないと思います。尊い命を他人の手により失った重みを消すことはできない。心の傷となっていくのです。謝罪すらない少年たちを育て上げてきた現実は大人にも責任があります。そして社会にも責任があります。私が言いたいことは,犯罪被害者にも人それぞれ段階があり,体の状態,心身の状態が違ってくるということです。それらを踏まえ,もう一度,法律の壁だった重大事件の犯罪被害者のだれもが知ることが困難だった真実を知るという方向に近づけていただきたいと思います。   二つ目の意見といたしましては,この前,少年審判を見学に行ってきたんですけど,少年審判が行われる場所に。そのときに感じたことなんですけれども,その中のビデオの中に,調査官は現在,心理学,教育学,社会学,法律学というものを学んでいて,何というかしら,ビデオとしていろいろと作っていることでこういうふうに終わりますという内容だったんですけれども,私から見まして,これは本当に調査官自体も犯罪被害者というものを理解して,犯罪被害者学というものを国が作って学んでほしいなと強く思いました。でなければ,本当に公正な公平な少年審判というものはほど遠いのではないかなと強く思いました。   三つ目に,第1回審判と第2回目の審判というのがその説明の中にあったんですね。その中間に試験観察の様子というものが第1回審判の後に第2回の審判を迎える人にとってあるようなんですよ。その中に,いろいろな加害少年にこういうことを学ばせましたとかいろいろあるんですけれども,何というかしら,全然被害者にとって謝罪とかそういうものを学ばせている部分が何一つないんですね。それはおかしいんではないかなと思いました。そういうようなことというのは,本当に事件を起こしたということで反省させる意味でも,犯罪被害者のそういう勉強を是非させていただきたいと思います。ここで,しっかりと事件を犯した少年に犯罪被害者の痛みとか,被害に遭ったことにより過酷な人生を歩んでいる犯罪被害者の実情を認識として学ばせる必要があります。そのようなことでよろしくお願いします。   そして,四つ目なんですけれども,本当に少年審判だとかそういうものにはほど遠い内容なんですけれども,先ほどお配りしました資料なんですけれども,そのことについて述べさせていただきます。食育と犯罪ということで,四つ目に食育と犯罪の関係性を加害者に学ばせてもらいたいということです。食育基本法というものを皆様は御存じかと思いますが,その食育基本法は服部栄養専門学校からスタートしています。私はそこに犯罪被害に遭ってからいろいろな事情でそこに通うことになりました。たまたまですが,そこで学んだんですけれども,それで,そこのたまたま食育という教科はないんですけれども,そこがスタートしてからの第1期生として卒業しました。そういうことで,私は強くそのとき感じたことなんですね。知識不足の食生活によって,少年や大人もそうですけれども,様々な問題との関連性が出てきます。自己効力感として,正しい食の知識を身に付けさせることによって,健康な体へと変わっていき,自分自身が自信を持って行動できる,そして生きることにつながっていきます。自分の体に自信を持てるようになってくるということが,今の教育の中にとても食育が大切な必要なことだと思います。そのためにも,食育が一つの糸口となっていくのではないかと思います。   私の思いといたしましては,本当は息子を殺害した少年のことは考えたくはありません。ですが,社会をよくしていく上では,一つ目から三つ目は,大変な思いをして経験をしてそういうふうに考えた結果でした。この四つ目の食育は社会全体として考えたとしましたら,以上のことが本当に必要ではないかと思いました。私として一番望むことは,犯罪被害者が本当に真実を知るということで,本当に長い年月苦しんでいます。そういうことで,私はどうしたらいいのかということで長い間考えてきました。そのことによって私がとった手段というものが本当に民事裁判の中で加害少年を呼ばなければいけないということしか残されていませんでした。ですが,東京都ではそのころ誰一人として呼ぶ人がいなくて,本当に難関問題でした。それをできないというふうに言われましたが,私は本当に意志を貫き通しまして,実現させていただきました。でも,本当にそういうことによって私の味方になっていた弁護士さんとかが離れていってしまうのではないかとか,もうだれも私の味方にはなってくれないんではないかという思いにもなったほどでした。   そういうことで,少年と会うということの難しさを経験しましたので,こういうことで本当に被害者は,少年とは本当は話なんかしたくないと思います。でも,長い間,いろいろ謝罪すらないことに対して腹立たしく怒りを覚えてくるんですね。もう本当に謝ってもらいたくないけれども,謝ってこない自体が本当に納得いかなくなります。そういうことでそういう問題とかがありますので,この少年審判にそういう犯罪被害者の傍聴というものを取り入れていただければありがたいと思いますので,よろしくお願いします。   以上です。ありがとうございました。 ● どうもありがとうございました。   それでは,委員,幹事の方から何か御質問はございますでしょうか。   本日は,大変貴重な御意見をいただきまして,ありがとうございました。本日いただきました御意見につきましては,今後の私どもの議論に役立てようと思っております。どうもありがとうございました。 ● 是非よろしくお願いします。ありがとうございました。 ● それでは,ここで休憩したいと思います。      (休     憩) ● 会議を再開いたします。   引き続きヒアリングを行います。   次は,最後になりますが,「全国犯罪被害者の会(あすの会)」より御紹介いただきました○○さんから御意見を伺うことといたします。      (参考人入室) ● 本日は,お忙しい中,また遠方よりお越しいただきまして,本当にありがとうございます。この部会は,「被害者等による少年審判の傍聴」などについて議論しております。それで,この審議の参考にするため,本日は皆様から御意見を伺っておるところでございます。どうぞよろしくお願いいたします。 ● ○○です。よろしくお願いいたします。   私の夫は,国家公務員として長い間単身赴任で家を空けておりました。私のパーキンソン病の進行を気遣い1年早く退職を願い出て家に戻り,私の手助けをしたり,今まで留守をし地域活動に十分参加できず迷惑をかけていましたので,「これからは恩返しをしたい」と,活動し始めていました。かねてから,退職後は,自分の好きな農業を楽しもうと夢を描いていたようで,そんな第二の人生を歩み始めた2年目のことでした。   平成15年5月9日午前6時50分ごろ,夫は飯前仕事を済ませ道路の端に立っていたところ,通学途中の少年が乗ってきた50ccの原付バイクにはねられ8m50cmも飛ばされるという事故でした。   少年は事故を起こす2日前に,在学中の高校で,警察署の交通課による安全運転講習を受けております。安全運転の義務とマナー,事故の怖さ,双方の悲惨さを学び記憶も新しいはずでした。   この事故は,少年も供述しているとおり,夫が道の端に立っていたことも,その反対側に軽自動車が止めてあり,元の道幅よりも狭くなっていることも,かなり手前から分かっていた上で,危険を感じながらも「通れる」とスピードを落とさず,警笛も鳴らすことなく50キロを超えるスピードで通り抜けようとしました。すると夫が後ろを振り向いたので当たってしまった。少年は,「安全運転をしていれば事故は防げた」と供述したそうです。   夫はその後,意識不明の重体のまま10日間苦しんで息を引き取りました。何も語ることもできずこの世を去りました。本当に無念です。   少年の高校の担任の先生は,日ごろの姿勢から少年について「野球部に所属し,運動神経が発達していることを有頂天にして,スリルを味わって運転したのであろう」と言っておりました。   また,通学に原付を利用していることを知っている近所の人も「あの兄ちゃん,小さなバイクでスピードを出して走っているけど大丈夫なんかな……」と感じていたと語ってくれました。   担任の先生は現在でも命日には必ずお参りに来てくれています。   事故4日目の夕方,少年と両親が初めて「謝罪する」と言って私たちの前に現れました。少年はニヤニヤと薄ら笑みを浮かべた顔で軽く会釈するのみ。付き添ってきた母親も同程度の態度。私は怒りを逆なでされた気分です。意識不明で生死をさまよっている夫を,何とか助けてほしいと必死で祈っているのに,加害少年と両親のあの姿は誠意の微塵も見られませんでしたので,悔しくて涙がにじんできました。   次の日になって,少年の父親が共済担当者を連れてきて,「今後,一切を共済担当者にお任せしますのでよろしく」と言って,謝罪も中途半端のまま私たちと距離をとろうとしましたので,私たちの怒りは倍増するばかりでした。   その後,夫が亡くなり50日が過ぎても加害少年は顔も見せず,お参りにも来ません。誠心誠意心を込めた謝罪をしてくれません。少年は何をしているのかと学校へ質しました。学校側も少年を面接して気持ちを尋ねたそうですが,取り返しのつかないことをしたという事の重大さ,命の大切さを全く感じていないので,1週間の自宅反省をさせたとのこと。母親はこの処分に対し,「息子は起こしたくて起こした事故ではないので,どうして反省をしなければいけないのか」と学校に抗議したそうです。そして,「この件については被害者と少年の家の問題なので学校側は一切手を引いてほしい」と言っていたそうで,学校側としては様子を見ることにしたそうなんです。   こんな経緯があった後,学校側は私から問題解決が全く進んでいないことを聞いて驚き,少年と両親を呼び,きつく指導されたそうです。お参りの仕方の一から,謝罪,そして誠意を持って対応する姿勢などを指導したそうです。   確かに,事故から1か月半を過ぎて6月28日から8月28日までの約2か月間ですが,少年も顔を見せるようになりました。が,しかし,やれと言われてやっているような気がして,本当に心から謝っているようには見えません。お参りだけして謝っているようには見えませんでした。帰りには「ありがとうございます。すみません。また来ます」というあいさつだけです。謝罪は一切ありません。またまた腹立たしいばかりです。   私たちは,謝罪がなければ保障の話へ移行していくことは考えられませんでした。少年の父親にあるとき聞きました。「あなたたちは仏に参りには来るけれど,大黒柱の夫を亡くし,残された年老いた母と私たちにはどう思っているの。誠意の謝罪はないのですか」と。すると,「共済の担当者に誠意をもって対応してもらいます」と言われ,何だか常識の外れた狂った人たちと話しているような,悔しい思いが募るばかりでした。   私たちは,「被害者なのに家族を失った悲しみの上に数々の屈辱まで受け,それでもなお,手をこまねいて見ているだけしかできないのですか。人1人殺しておいて,不起訴,審判不開始では,まじめに生きている方がバカを見るようなそんな状況ではないですか」と弁護士の先生に相談しました。   現在,被害者のための制度のお陰で,自分たちの気持ちをぶつける場がありました。少しは気が晴れましたが,意見陳述をしたとき,できれば加害少年本人に直接言いたかったのです。   現在は,90歳になる夫の母親と二人で暮らしておりますが,母は毎日夕方になると仏様の前に座りお経をあげ,息子に一日の出来事を語ります。最後には「おれ,おめえに最期を看取ってもらおうと頼りにしていたのに,おれを置いて先に逝ってしまいどうしたんだ」と泣きながら話しかけています。私も子を持つ親として母の気持ちが分かるので,本当にやるせない思いです。こんな気持ちを今でもあの意見陳述のときに少年や両親に聞いてほしかったと思います。今もって苦しんでいることを分かってほしいと思っています。   夫は,生前,退職して間もないころ,「俺が先に死んだら叙勲がもらえるから手続をしてほしい」と申しておりましたが,この事故の解決に時間が掛かりその権利もなくなりました。遺言をかなえてあげることができずに本当に残念です。   学校側には,退学や停学などの外から見てもはっきり分かる処分をしてほしかったのですが,公立高校であったせいなのか指導的な考え方を選ばれ,少年の家庭からはうっとうしがられていながらも,私たち被害者家族との間に入って連絡を取り合っていました。   学校に厳しい態度をとってもらえなかった分を,少年審判では厳しく裁いてほしいと訴えました。   法の上では同じ死亡事故でも,加害者が少年と成人の場合では刑罰に違いがありますが,被害者の立場での思いは一緒です。少年だからといってすべて「保護」の観点から考えるのではなく,この人間には「罰が適当か」,「更生する余地はあるのか」,事件や事故の再発を防ぐためにも厳しい対応と審判を望みます。そして少年を対象とした法にも危険運転致死傷容疑を加えて考えてほしいと思います。   10年後,20年後に常識のない父親母親ばかりの世の中になるのが怖いです。   諮問事項について。   被害者等による少年審判の傍聴。   可能だったら傍聴に行きたかったです。   当時,弁護士の先生から裁判所での流れを教えていただいておりましたので,直に少年の発言や態度を見てみたかったです。死亡事故の場合は,目撃者もいなければ片一方の証言だけが正当化されがちですから,その証言が慎重なものか死亡した被害者の家族としても聴けるのがいいと思います。   また,民事裁判にもいかしたいと思いました。   被害者等による記録の閲覧及び謄写の範囲の拡大。   私たちは,少年の検察での供述調書や家庭裁判所での供述調書,保護観察中の記録を見たくて申し出ましたが,無理でしたので,見れるようになったらいいと思います。   うちの場合は,少年の警察署での捜査報告書を見せていただきました。ここでは謝罪や反省の言葉は述べてありましたが,遺族には,警察で話したような具体的な気持ちは言ってくれなかったのです。謄写資料を見て,ますます不信を感じました。ですから,他の記録も見たいと思います。   これも民事裁判にいかしたいです。   あと,被害者等の申出による意見聴取の対象者の拡大。   私たち,私と子ども2人が意見陳述をさせていただきました。そのときに,加害者本人と両親を是非呼んでほしいということで申し入れたのですが,実現できませんでした。是非呼んで聞いてほしい,そういう方向にしていただきたいと思います。   あと,検察庁での事情聴取があったわけなんですけれども,私が1人呼ばれて行ったのですけれども,とってもショックが強くて思うことが余り言えなかったんですね。だから,家族とか身内の者で言える人も呼んで聞いていただきたいと思いました。   4番のことについてはちょっとよく分からないんですけれども。   よろしくお願いします。 ● どうもありがとうございました。   それでは,委員,幹事の方々から御質問などはございますでしょうか。 ● ありがとうございました。弁護士の○○と申します。   御意見をお伺いしたいんですけれども,被害者の方が少年審判を傍聴することについては,傍聴することでかえって嫌な思いをしたり傷ついたりするのではないかと,だから傍聴は認めない方がいいのではないかというような意見の方もおられるのですが,その点について,○○参考人はどういうふうにお考えになりますか。 ● 交通事故の場合は是非,私の場合は本人のやっているところを見たいと思いました。 ● たとえそのことでつらい思いをしたとしても,やはり直接自分の目で見たいという御意見でしょうか。 ● はい。 ● ありがとうございます。 ● ほかに御質問ございますでしょうか。   貴重な御意見を本当にありがとうございました。お伺いした御意見につきましては,今後の審議に生かしたいと思っております。 ● ありがとうございます。是非よろしくお願いいたします。 ● 本日予定しておりましたヒアリングはこれで終了いたしました。   本日伺いました御意見も参考としながら,今後の議論を続けていきたいと思いますが,この段階で何か御意見等ございましたら,伺いたいと思います。 ● 先ほど議事録の関係で○○さんは実名にということも言われていたんですけれども,その辺りの取扱いというのはどのようになる予定なんでしょうか。 ● いわゆる議事録の顕名の取扱いについては前回事務当局の方から説明をしたとおりでございます。 ● 御自分のお名前という趣旨でいいですか。 ● 前回御説明したとおりですので,それを前提に取扱いを考えなければならないと思いますが,御本人が特にその部分を顕名というふうにお話の場合にどうするかということについては,まず事務的に検討させていただきたいと思います。 ● ひょっとしたらほかの被害者の方ももしそうなんだったらというような御意向もあるのかもしれませんし,その辺り丁寧に対応していただいたらいいのではないかなと思いました。 ● そういった御意見も含めて検討させていただきます。 ● 今後の議事についてはこれからまたお話があるのかもしれないんですが,今日大変貴重な被害者の御意見を伺いました。他方,今日の論点にもありますように,やはり少年審判を受ける少年の側から見てどうなのかということも重要なポイントかと思いますが,例えば少年の側に立つ立場の方からのヒアリングというようなことを考えていただけないかと思います。 ● 少年の側に立つ立場の方というのはどういう意味でしょうか。 ● 例えば,非行の問題での親の会とかもありますし,そういった親の立場であるいは非行少年をサポートする立場で,少年審判についての少年や保護者の意見をよく知っている方などもいらっしゃるかと思いますので。 ● 具体的に審議のやり方の問題はもちろん部会でお決めいただくことだとは思いますけれども,審判の傍聴を認めることが,その少年あるいはその審判の手続自体にどういう影響を与えるかというのは前回も議論になったように当然議論しなければいけないことだとは思います。具体的に,少年や保護者に対してどういうふうに影響があるだろうかということを考える上で,この場には付添人の経験をたくさんされた先生方もおられるし,また少年審判を実際に主宰してこられた裁判官の方もおられるので,そういう意味ではそういった少年や保護者のことについてよく理解されている方に審議に参加していただいているというふうに私どもとしては理解をしております。 ● ただ,具体的なヒアリングの対象とされたいというような要望がありましたら,御検討いただきたいと思います。 ● 今の点は,被害者の方も今日当事者の方から直接的なお話がお聴きできたということで,より実感を持っていろんなことが理解できたという部分もあったかとも思いますので,○○委員と同じなんですけれども,確かに付添人等,事件にかかわっている人がここでも参加しているわけですけれども,そういう御要望があれば,是非当事者のお話も聞く機会を設けていただけたらというふうに私も思っております。 ● 私自身はそういう付添いをさせていただいた経験もございませんが,今日この場でヒアリングをなさった趣旨といいますのは,これまで審判廷に出ることもかなわなかった方々の貴重な御意見ということで,これは正にヒアリングとして非常に意味があったと,生の声として思っております。今お二人の先生がおっしゃったことにつきましては,もう既にそういった経験を十分に積んでおられる方が,事務当局の説明にございましたように御参加いただいておりますので,それを踏まえた上でお考えいただければと思います。私は事務当局の説明に賛成いたします。 ● 時間の関係もありまして,この論点については,本日はこの程度にいたしたいと思います。   引き続き,諮問事項についての審議に入りたいと思いますが,よろしゅうございますでしょうか。   それでは,まず事務当局から配布資料について御説明をお願いします。 ● それでは,配布資料の説明をさせていただきます。   まず,資料番号の13になりますが,これは審議の参考となると思われる統計資料でございます。   前回の審議の中で,「被害者等の申出による意見聴取」の罪名別の統計,あるいは,少年法第31条の2に規定されました「被害者等に対する審判結果の通知」についての統計はないかとのお尋ねがございましたので,その点について,簡単にまとめました。   内容について御説明いたしますと,まず1でございますが,1は要綱(骨子)第三の「被害者等の申出による意見の聴取の対象者の拡大」に関する統計でございまして,送致罪名別に,意見聴取がされた人数やその方法等についてお示ししております。これによりますと,意見聴取がなされたのは,傷害が319人と最も多く,全体の約40%を占めており,次いで,業務上過失致死が77人,約9.7%,傷害致死が51人,約6.4%となっております。   次に,2は,「被害者等に対する審判結果の通知」の関係の統計でございます。改正少年法施行後5年間の「審判結果の通知の実施数等」及び「審判結果の通知をしなかった理由」をお示ししております。これらによりますと,現行法上,審判結果の通知の申出をした者のほとんどについてこれが認められており,これが認められなかったのは,法定の申出資格のない者からの申出であったなどの理由によるものが多くなっております。   次に,資料番号14でございますが,この14は被害者等による少年審判の傍聴についての主要な論点についてまとめたものでございます。この中で括弧をしまして「(第一の一)」などと記載してある事項は,要綱(骨子)の中で既に事務当局の考え方を示しているものでございますが,そのようなものを含めまして,御審議の参考に供するため整理をさせていただきました。   以上,簡単ではございますが,配布資料の説明をさせていただきました。 ● それでは,最高裁判所,何かございますか。 ● では,まずお手元に最高裁からの資料といたしましては,第2回会議最高裁判所提出資料として資料1から3までございます。これに関して御説明いたします。   被害者等による少年審判の傍聴制度が導入された場合にどのようなイメージになるかという点について前回の部会でお尋ねがありました。そこで,部会における審議の御参考のために,少年審判の運営を行う立場から,審判廷の実情を踏まえた傍聴のイメージについて御説明いたします。申し上げるまでもないことでありますが,審判廷内での配席等は,裁判官の審判指揮にゆだねられていることでありますから,これから説明する内容は,すべて最高裁家庭局において,東京家裁などの審判廷のレイアウトを参考にイメージとして検討しているものにすぎません。実際は事件を担当する裁判体の判断事項に属することでございます。   そこで,まず一つ目,審判廷の実情でございます。資料1の「審判廷の面積について」を御覧ください。前回の部会で委員からお尋ねがありました全国の審判廷の広さなどについてでございます。この面積については資料1に記載したとおりであります。なお,複数の審判廷を有する庁については,その中で一番大きな審判廷を取り上げております。前回の部会終了後に御覧いただきました東京家裁の合議用の審判廷の広さは,御参考までに約35平米でございます。審判廷は少年の再非行防止につながる和やかかつ内省を促す雰囲気と,適正手続を保障する厳格な構造を両立させるのにふさわしい広さ,構造のものとして設置されております。   審判廷の典型的なレイアウトについてですが,資料2と3,それぞれ合議審判廷,単独審判廷の図のとおりでございます。   被害者等の配席について御説明いたします。仮に被害者傍聴の制度が実施されて,実際に被害者が審判を傍聴することとなった場合には,このような審判廷の配席の実情や少年との距離などを考慮いたしますと,被害者などの傍聴位置は,それぞれの2枚の配席図のように,比較的スペースのある廷内後方,この図ですと廊下側と書いてある方になることが多いのではないかと思っております。もちろん,この点も審判廷の形状や事案に応じて裁判体が判断すべき事項でありますが,この位置ですと,傍聴していただく位置としても落ち着きが良いように思われます。審判廷の形状などにもよりますが,このイメージですと,おおむね25平方メートル以上の広さがあれば,裁判官と少年との間,それから少年と被害者との間に,それぞれ一定の距離を保ちつつ,傍聴に対応することが可能であると考えております。ただし,縦長,横長又は不整形な審判廷などもありますので,面積だけではなくて形状をも考慮した上で様々な工夫をする必要がありますし,また傍聴可能な人数が限られることもあるものと考えております。 ● ありがとうございました。   なお,前回,委員,幹事から御質問のありました「被害者の方々への情報提供」について御説明がありましたが,この「被害者の方々への情報提供」について,法務省,警察庁,最高裁判所から資料が提出されておりますので,お手元に配布しております。これまでの事務当局あるいは最高裁判所の説明などについて,まず御質問がございましたら,お願いいたします。 ● 最高裁から御提出いただきました審判廷の面積についてです。ありがとうございました。これまで東京家庭裁判所の審判廷を見学させていただいたときに,一番大きな審判廷は身柄事件には向かないというような御説明がございました。今日の資料1につきましては,複数ある場合には最も大きい審判廷と伺いましたが,この審判廷が身柄事件には向かないとか,あるいは身柄事件も大丈夫であるとかということについてはお分かりでしょうか。 ● 今,御指摘のように,東京家裁では具体的に前回御覧いただいたうちの一番大きいところを計上してあります。まず大前提としては前回御覧いただいた一番大きい審判廷というのは40平米以上の中に含まれているわけですが,各庁でそれほど数はございません。その中のどれが身柄の事件に対応した構造をしているかというところまで逐一調べておるわけではありませんので,中には対応していないものもある可能性はございます。ただ,大体のところ,大きさ,それから手元の資料では,その名称などを見ていますと,おおよそのものは身柄にも対応する通常の審判廷として使っているものと,こういう理解でございます。 ● そのほか御質問ございますか。   それでは,審議に入りたいと思います。   前回,要綱(骨子)の第一から第四まで一通りの御質問や御意見をいただきました。本日は要綱(骨子)第一の「被害者等による少年審判の傍聴」について議論を行いたいと考えております。それでよろしいでしょうか。   具体的な進め方でありますが,私の方で事務当局にお願いして,少年審判の傍聴についての主要な論点をメモとしてまとめ,資料14として配布していただいております。本日は○○委員,○○委員からも傍聴に関する論点を整理した資料が提出されており,お手元に配布されております。この資料14につきましては,両委員から提出された論点をも踏まえて作成されております。   そこで,本日は,資料14に記載された論点ごとに議論を進めることとしたいと存じますが,それでよろしゅうございますでしょうか。   では,そのようにさせていただきます。   要綱(骨子)第一について,まず,1の総論,「①被害者等による少年審判の傍聴の意義,必要性や法的利益についてどう考えるか」,「②被害者等に少年審判の傍聴を許すことと少年の健全育成等との関係をどう考えるか」について,御議論いただきたいと思います。御発言をお願いいたします。 ● これは前回,○○委員から問題提起が出たように記憶しているわけですが,その関係の議論で元々少年審判の非公開の意義ということも議論になったと思うんです。この非公開というのは,私の理解では広く不特定の人に公開をしないという意味で,プライバシーを保護しているというような側面と,併せて少年審判,少年の再非行防止に役立つ人が集まるという枠組みでその審判を運営する,すなわち少年が審判の中でできるだけ話しやすい雰囲気を作るとか,若しくは少年の更生に役立っていくというようなこと,更には調査官,鑑別所の技官などの科学的な調査に基づいた,かなり少年に立ち入った,少年の内面に立ち入った議論をするという場を確保するという,そういうようなものも含めて非公開というのがあるのではないかという気もするんですが,その辺りのところについて,確か前回の事務局の最初の説明で非公開の意義というのは少しだけ話が出たように思うんですけれども,その点どのように考えているのかというか,ここの非公開の言葉の意味をちょっと整理しないと議論がかみ合わないのではないかなと思ってちょっと発言をさせてもらいました。 ● ただ今,少年法が少年審判を非公開としていることにつきましてお尋ねをいただきました。御案内のように,少年法は22条2項におきまして「審判は,これを公開しない」と規定しております。少年法では,裁判官,裁判所書記官,家庭裁判所調査官,少年はもとよりその保護者,付添人のほか検察官の関与について規定されているにすぎない状況にございます。少年法は少年の更生のためには,少年等関係者のプライバシーやその内面にかかわる事実を含め,広く情報を収集するとともに,少年の心情の安定にも配慮する必要があると,こういったことから,このように審判を非公開にしたものというふうに理解しているところでございます。 ● この点につきまして,更に議論をしたいと思います。 ● ○○委員の御発言に関連する質問です。我々研究者も実際の少年審判は見たことがないので,実際に少年審判実務に携わっている家庭裁判所の関係者の方に質問です。ただ今の事務当局の御説明では,少年審判非公開の重要な趣旨・目的の一つとして,審判の対象となっている少年のあるいはその家庭に係わるプライバシー保護という観点が挙げられていました。そのとおりだと思いますが,この点に加えて,少年審判の手続過程そのものが,事案によってはその少年に対する,何というんでしょうか,ケアというんでしょうか,少年の更生改善のための働きかけの場にもなっている側面があるとお聞きしたことがあります。そうだとすると,単に少年や家族のプライバシー保護というだけでなく,むしろその審判廷に少年審判の目標達成のために参集・在席しておられるすべての関係者,-そこには家庭裁判所の裁判官も含まれると思うのですが-,裁判官,それから常にいるのは調査官,その方たちの柔軟的確な活動の確保という観点もあるように思います。その方たちは,恐らく刑事公判とは違って,その審判の場において少年をいろいろ叱咤激励したり叱りつけたり,あるいは言いたいことを親身になって聞いてやったりという,その場自体がカウンセリングや教育的な作用を持っている事案も多いと想像しています。このような活動はやはりだれか直接関係しない人が,例えば一般公衆が傍聴していると,そういうことは明らかにできない,あるいはできにくいこともたくさんあるんだろうと思います。このような意味で,少年審判手続そのものの持っている,今述べたような働きかけの機能を,的確に実現するためにも審判が一般には公開されていないと考えられるのですが,このような理解が正しいかどうかという点について,御意見をお聞かせいただければと思います。 ● 正に○○委員がおっしゃったとおりだというふうに思います。一例を挙げますと,不処分という決定がございますが,これは正に今,○○委員がおっしゃった教育の場としての審判でございます。あえて処分をしないんですけれども,審判を開いて裁判官等が説諭するというのが,カウンセリングとまではいかないかもしれませんけれども,教育的な働きかけをしているということでございます。ですから,そういう場に第三者が入るということは,言わば,例えが適当かどうか分かりませんけれども,お医者さんの診察室に全然関係のない人が入ってくると。心の病を例に挙げた方が一番いいかもしれませんが,そういう状況になろうかというふうに私個人は思っております。現場の様子としては○○委員が御指摘のとおりで,そういう機能を果たすことが少年審判に要請されているというふうにも理解しております。各裁判官は,そのためにどう審判を運営していくか,事前に工夫しながらやっていっているという状況でございます。 ● 同じ観点からの御質問なんですが,今,非公開ということで,さらし者にしてはいけないということはすごく理解できます。他方で教育あるいは審判自体,内省を促すといいますか,健全育成の過程であるということを考えますと,一方では事実と向き合わなければいけない,逃げてはいけないという。そうなると,正に非行とされた事実についても,被害者がいらっしゃるという,あるいはその御遺族がいらっしゃるということに向き合うことも非常に大事な教育過程ではないかと思われるのですが,いかがでしょうか。 ● それは御指摘のとおりだと思います。先ほど私が申し上げた例の中で,お医者さんと違うのは必ず被害者がいるということでございます。先ほど参考人のお話もありましたけれども,自分が与えた被害に向き合うことがまず第一歩だというのは現場の裁判官はそのように承知していると思います。ですから,そういうことについて認識するということについては,傍聴もかなり効果があることかなというふうには思っております。 ● 今の○○委員,それから○○委員からの御質問に関して,元々の出発点が非公開の趣旨と範囲と,こういうところからだったろうと思います。その点に関しては,非公開であることの趣旨というものは,もちろん通常の傍聴人である一般の方だけではなくて,やはりそこは被害者などに対しても非公開ということであろうと思います。今,○○委員もお答えしましたように,被害に向き合うことの重要性を決して軽視していることは全くありませんけれども,どうして非公開かと,その趣旨について私どもの考えておるところというのは,やはりプライバシーに相当踏み込んだやり取りが必要になるということ,それから正に今話題になっている教育的な働きかけというものは率直な気持を語ると同様に,その内面に深く立ち入って厳しく指摘して,それを真摯に受け止めてもらうと,こういうものでございます。そういった教育的働きかけというのが実効的になるようにということから,やはり手続が最初に申し上げた意味で非公開になっているものと理解しております。 ● 少年法ができた当初の非公開というのは,ほとんど今,出尽くしているのかと思うんですけれども,子どもの権利条約が批准され,また国際的な少年司法における準則も多くできております。そういう観点からいたしますと,少年本人の意見表明権の保障ということも大変重要な目的になろうかと思います。 ● 先ほどの○○委員と○○幹事の説明に少し補足させていただきます。   被害者の被害状況や被害者の心情に直面させる必要ということは,特に平成12年改正少年法以降,裁判所の方も特に配慮をしてきております。そういった観点で,被害者調査を調査官がして,その被害者の被害の大きさのみならず被害者の心情等についても聴取し,それを家裁調査官が少年に伝えて,その少年がどういう反応をするか,そういうことも踏まえて,更にその処遇の意見を考える。そしてまた裁判官も審判廷でそういった情報に基づいて被害者についてどう思っているのか,その被害者がいるということについて自分はどのように反省し,更に更生するのかという,そういうことの確認をするような運用を最近はかなりしてきております。ですから,もちろん被害者が審判廷に在廷することでその少年の内省が深まることはあるだろうと思いますが,一つは今のような被害者調査であれ,あるいは被害者が審判廷で意見陳述する,これは調査官が聞き取ってそれを少年に伝えるということも可能ですが,そういったことでやはり被害に直面させて少年の内省を深めさせるということは裁判所がこれまでやってきておりますし,これからもそういった方向で配慮していきたいと考えております。 ● 今,被害者の側の参考人の方々の御意見を伺いまして,傍聴したいということの意義としましては,やはり事実を知りたいということと,それから不満として少年が何も謝りにこないといいますか,少年自身と向き合う機会がほとんど今の状態ではないんだという,そういうところにかなり不満があるのではないかというふうに受け取りました。やはり民事裁判を起こしても代理人同士の審理になれば少年自身と会うこともなかなかできないという,そういうところも伺いました。しかし意見を陳述するというふうな場合でもやはり被害者の側にもかなりの負担はあるわけですね。被害直後の非常に厳しい状況の中で裁判所まで自費で出掛けて行って,意見を述べ,資料を取るというふうな御負担がかなり大きくのしかかってくるという,そういう状況を見ますと,わざわざ出掛けて行かなくても家裁の調査官の方々による被害者調査などによって事実その他のいろいろな情報が伝えられ,そして被害者の意見というふうなものも審判に伝えられるという,そういうことがきちんと行われることで,ある程度今の不満というものは解消できるのではないか。そして述べたいときには意見を書面で訴えるということもできるのですからね。   少年が非行事実に向き合ってきちんと被害者の痛みを理解しなければいけないという,それが更生の基本だということはよく理解できるわけですけれども,そのためにはやはりまだ審判の段階では少し早いのではないかと。処遇の段階で少年院でもかなりしょく罪教育ということも行われておりますし,先ほどの○○参考人も少年院での更生の場に立ち会ってかなりいい教育が行われているのだというふうな御意見がありました。そのように,少年院の処遇とか保護観察の段階で,ある程度少年の直接謝るという,被害者に対して陳謝するという,そういう機会を設けることが,この不満の解消にはより役立つものになってくるのではないかというふうに思っております。 ● 審議は,まず手続の非公開性の意義の確認のところから始まったわけですが,既に議論は被害者等による少年審判の傍聴の是非に入っていると思いますので,この資料番号14の1の総論に関連して,この問題についての御意見を伺いたいと思います。 ● 議論の進め方についての発言です。これまでの御議論は,専ら総論の②の,少年審判は被害者に対する場合も含めて非公開であったということの趣旨についてのものであり,それについての皆様の御理解は,ほぼ共通したものだったと思います。その上で,しかし問題は,一般公衆ではなくて正に犯罪の被害者や御遺族の方が傍聴したいという御要望があり,それをどういうふうに位置付けるかという,そちらの方の議論がまだ正面からなされておりません。前回の会議において,何人かの方から,被害者やその御遺族が審判の場に在席して直接その様子を見ること,この目でつぶさに見ることそのものが被害者の方の利益なのである,あるいは被害者のために必要なのであるという御意見があったと思います。私は,そのような利益ないし必要性というものを明確に理解・意識するためにも,この点について特に傍聴が必要であると御主張されている委員,幹事の方からの御意見を改めてお聞かせいただければと思います。その上で,先ほど前提として議論した少年審判非公開の趣旨目的とが,果たして,そしてどのように折り合うのであろうかというふうに議論していくのがいいのではないかと考えます。 ● それでは,この傍聴が必要であるという方の御意見をまず伺いたいと思います。 ● 傍聴が必要という以前の問題といたしまして,今日のヒアリングの被害者の遺族の方々の御意見を伺っていました率直な感想なのでありますが,先ほど○○先生の方から,非行事実を知りたいと,それもございましたけれども,ひしひしと伝わってまいりましたのが,審判がどのようにして下されたのかというところをこの目で見たい,聴きたいというふうに,そのニーズも非常に強かったというように私には受け止められましたということであります。 ● ○○です。○○委員の方から御指摘のあった点について,被害者支援の立場で現在の私の考えを少し申し述べたいと思います。   まず論点表,総論の①のところで,「被害者による少年審判の傍聴の意義,必要性,法的利益」という御指摘がありますけれども,今日のヒアリングの中でも出ておりましたように,被害を受けた方にとって加害者が成人であるか少年であるかというのは全く偶然に依存していまして,たまたま成人であるか少年であるかにかかわらず,やはり自分が受けた被害に対して加害者が処分を決定される手続を自分の目で見たいと,この利益については,特に少年審判の場合と成人刑事の場合とでは異なるところはないというふうに理解しております。その法的な利益をどういうふうに構成するのか,どういうふうに説明するのかについては,今現在私も考えが深まっていないところですが,取りあえず実体法に即して言うならば,基本法の3条で「個人の尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利」という文言があると。   今日のヒアリングの中で,○○参考人でしたか,事件が闇に葬られた感じがすると。やはり重篤な被害を受けた方が「事件が闇に葬られた」というような感想を持つ手続というものは,個人の尊厳にふさわしい処遇と評することができるのかという率直な疑問を持っております。だから,被害者の利益というのでは成人刑事と同様,そして成人刑事の場合なぜ被害者が傍聴したいんだということが議論のそ上に上らないわけですから,処遇の決定過程を見たいと。事件の当事者としてそれを見定めたいという利益は非常に強い。そして,それに関して恐らく御異論はないのではないかと思います。この点については先ほど○○委員が御指摘されたところに私も同意いたします。   では,そういうような,ちょっと私もあいまいもことしておりますけれども,被害者の方の利益というものが一方存在するとして,当然対置されるものとして少年の健全育成という理念がある。被害者の傍聴に関して考えるべきこととしては,ではその少年の健全育成の理念と被害者の処分に関する手続を見たいという利益の比較考量の問題ではないかと私は考えております。というのは,一方が常に他方に優先する関係ではないだろうと。当然,被害者の利益を全面的に重視すれば健全育成を阻害する場面も出てくるでしょうし,かといって被害者の利益を認めつつ,しかし健全育成の観点から一切それは考慮しないというのもまた不相当ではないかと。となると,少年審判の機能を害さない範囲で被害者の手続を見たい,処分決定を見たいという利益を図る,その調和点を探していくというのが議論の筋道ではないかと,現時点では私はそのように理解しております。 ● それでは,今の○○委員の御意見と同方向と申しますか,そういう御意見がありましたら,もうお一人伺いたいと思いますが。 ● 被害者の方,何人かから今日,ヒアリングをして意見を聴いたんですけれども,本当に○○委員がおっしゃられるように,いかに審判の中に入れないということが辛いかということはもう伝わってきますよね。私ももう何十人の少年犯罪の被害者にも会いましたが,皆,傍聴したいということを言っているわけなんですよ。つまり,今の少年法は被害者から非常に憎まれています。毛嫌いされています。というのは,被害者を全部シャットアウトし過ぎているんですね。そこに原因があるわけで,こんなに被害者から毛嫌いされる少年法,少年審判制度を持っていていいのかということをまずお考えいただきたいと思うんですよ。保護主義,保護主義と言われるけども,被害者からこんなに毛虫のように嫌われるような制度を持っていて,これで立派な少年法を持っております,少年の健全育成に資しておりますと,こう言って世界中に言っていいのかということをまずお考えいただきたいと私は思います。   今日の最後に話された○○さんですね,今日は大分はしょっておられましたけれども,今日は○○弁護士が付き添っておられました。○○さんはこの事件の発生以来,○○さんにぴたっとくっ付いて記録の謄写から閲覧,全部やられた。全部やって,そして調査官と会った結果なんかも全部報告しているんです。○○先生が言われていたように,第三者を通じてやれば十分やれば何とかなるんではないかとおっしゃいましたけれども,とっくにやっております。にもかかわらず,傍聴しなかったということが悔しくて,悔しくて仕方がないと。今日は非常に大人しく話されましたけれどもね,私たち日ごろ聞いているところではそうなんですよ。だから,いかに審判に立ち会いたいか,それを阻害する少年法が憎いかという,憎まれているということをまず皆さんに私は認識していただきたいと思います。そうでないと,保護主義,保護主義といいますが,逆送するかしないか,ほんのちょっとしたはずみで,傍聴できるかできないかというさじ加減で決まってしまうんですよね。   先ほど,○○先生がおっしゃいましたように,被害者は加害者が少年であろうが成人であろうが,全く関係ないんですよ。同じ被害を受けているんですよ。それが裁判所のさじ加減で逆送になればずっと傍聴できる。ならないときは全く見えない。天と地の差があるんですよ。これは納得できないんですよ。何でそんなことになるのかと。   そして,先ほどから少年保護の議論がずっと来ておりましたけれども,少年の保護といいますけれども,それは被害者を犠牲にしてまで少年を保護していいということにはならないと私は思うんです。これは基本法ができてそうなっているはずなんですよ。だから,本来少年事件であれ成人事件であれ,被害者は全部最初から関与して,そして取調べ状況を聞いたり意見を聴いたりする権利があると思うんですが,保護主義のために,被害者が妥協してあげているだけのことなんですよ,審判にも今まで入れないのは。これは加害者の方で感謝してもらわなきゃいかんと思うんです。被害者が妥協してくれていることについて。逆に今までの議論を見ますと,保護主義というのがバンとあって,そしてその中に被害者がどこまで入っていけるのかと,そしてどこまで入っていっても保護主義を害さないかという議論ばかりしていますけれども,私は逆だと思うんです。先ほど言ったように,だれから被害を受けても同じ被害者が関与したいということで今度被害者参加制度もできました。それも被害者のやはりたまらない気持ちがそうさせたんですよね。それと同じように少年事件だってあるわけで,それをどこまで抑え付けられるのかと。保護主義の名の下に被害者の欲望を希望を抑え付けられるのかという観点から議論していかなければいけないと,私はそう思います。 ● それでは,今後これからは,御意見の内容いかんを問いませんので,この論点について御意見をちょうだいしたいと思います。 ● 一点ちょっと戻りますけれども,裁判所の方にお伺いしたいんですけれども,先ほど○○委員からの御発言もありましたし,前回,○○委員からも御発言があったとは思うんですが,先ほどの裁判所の方の御発言ですと,12年改正以降,被害者に関する痛みを加害少年に対して伝えることによって内省を図ると,深めるというようなことの御指導をなさっているというようなことをお伺いしましたけれども,○○委員や○○委員のおっしゃったのとちょっと違うのかもしれませんけれども,ちょっとまだその段階では早いという御発言があったように思うんですね。加害者少年自体が被害者意識が非常に強いというようなことがあるというようなことで,もう少し後の段階ではないかというふうなことをおっしゃったんですけれども,裁判所のお考えとしてはどういうふうに御判断なさっておられるんでしょうか。 ● ○○委員がおっしゃるとおりの問題もかなりあると聞いております。といいますのは,最近の少年の特色として,共感性に乏しい,あるいは人の痛みになかなか気が付かないという,そういう少年が多くなっているというふうにも聞いております。そういう少年に対しては,もちろん事件が係属してから家裁調査官が鑑別所等に赴いていろいろな話をして,そういったこともどう考えているのか,被害者に対してどう考えているのかということも十分把握しながら最終的な審判に持っていくわけですし,審判においても裁判官がそういうことの問題点を十分把握して,いろんな働きかけをするわけですが,そういう共感性の乏しい,つまり人の痛みをなかなか理解できない少年に対する処分というのは非常に難しい。結局そういうふうになりますと,被害者に対する痛みをまだ十分理解できていないので,そういう少年に対してはやはり少年院等において専門的な知見に基づく教育をすべきだという,多分そういう判断をして,あとは,もちろん少年審判でもいろいろな説諭指導,訓戒もいたしますし,保護者に対しても少年の問題点を指摘して指導はいたしますけれども,やはりどうも大分たってから少年がようやくその被害者の痛みに気が付いたと,そういうふうになるということも裁判官やあるいはそういう事件を担当した家裁調査官からよく聞いております。そういう面では,○○委員から御指摘のあったような問題はあるだろうというふうに認識しております。 ● 現場の裁判官は,少年に事実と向き合わせる時期はやはり審判廷からスタートしたいというふうに思っております。そこをきちんと向かい合わせませんと,処遇にもうまく乗っていかないというふうに考えております。ですから,事実の向き合わせを先送りするのがいいとは決して思っておりません。今,○○委員からの御説明にありましたように,少年によってはなかなかそれに向き合えない少年も現におります。その少年に対しては裁判官も一所懸命立ち向かうようにと,自分の非行について見つめ合うようにというんでしょうか,向き合うように働きかけはするんですけれども,やはりまだ我関せずみたいな状況の少年もございます。そういう少年についてはやはり最終的には処遇段階に行くかもしれませんけれども,一般的には,仮にそういう少年であっても,裁判官は向き合うように審判廷で努力しているということは御理解いただきたいというふうに思います。 ● よろしいですか。○○です。   先ほど来,早いというお話が出ていますけれども,そもそもそれが被害者にとって早いということなのか,少年にとって早いということなのか,そこはやはり明確に区別して論ずべきではないかと考えます。私の立場は,第1回で述べましたように,被害者が傍聴することによって少年の改善更生に資するかどうかという観点は,この席の議論では反射的利益ととらえるべきと考えておりますので,その観点からは功罪を論ずるべきではない。では,被害者にとって早いかどうかという観点で2点申し上げると,私は現時点でこれは処分の決定過程を知りたいという被害者の利益が図られるかどうかと理解しております。そうだとすると,処分の決定過程を見たいという被害者に対して,処遇の段階で見ればいいではないですかというのはやはり利益に対して議論がかみ合っていないと私は考えます。   2点目として,共感性に乏しい少年がともすれば審判廷で傍聴している被害者を貶めるような発言をすることがあるかもしれません。その意味では確かに被害者がより傷つく可能性というのは否定できないかもしれない。だけれども,今日の最後に○○参考人もおっしゃっておられたように,たとえどんなに辛い思いをしたとしても,自分の目で見たいとおっしゃっている方が少なからずやはりおられるわけです。比ゆ的に言えば,自分の血を流してでも審判を見たいと言っておられる方に対して,あなたが傷つくかもしれないからやめなさい,あなたの負担が大きいから国は見せませんというのはいかがなものかと,私は考えております。その意味で,早いという議論はちょっとかみ合わないんではないかと考えております。 ● すみません。ちょっと私,取りあえず1の①のところで少し言っておかないといけないと思ったことがあるものですから,手を挙げたんですけれども,要するに,傍聴というか処分過程を見るということが一定の権利なのであると,若しくは非常に権利に近いものであるというような構成をとる,そういう基盤があるというふうに考えるということになると,恐らくなぜ審判だけなのかと。むしろ,先ほど○○委員から御発言がありましたけれども,その権利の内実としては,捜査段階であれ審判であれ,更に保護過程であれ,基本的にはそういうものを知る権利があるんではないかというような議論になってくると思うんですね。では,そういう権利があるとして,その制限原理をどうするんだという話になるので,私はその傍聴は例えば賛成だという立場を仮にとられる方がいらっしゃるとしても,それは権利がベースになっているんだというふうに気軽に言ってもいいのか,それともそうではないのかというのはやはり本当はそこはしっかり議論が要ると思っているんです。もし,権利だと言ってしまうのであれば,先ほどのほかの部分との違いがどうなのかとか,それは権利を制限するだけの理由と言えるのかという議論になってくると思うんですね。   もう片方で,私自身も,およそ傍聴したいというような意見を,検討するに値しないというような,そういう思いではなくて,そういう御意見があることは事実ですから,仮に,ではそれが権利ではないというふうに考えたときにどういう調整を図るのかということで今議論になっている何が侵害があるのかどうかという議論は,それはいずれにしろすることにはなるとは思うんですけれども,元々ベースがそれが権利なのか権利でないかということで随分やはり議論の色合いが変わってくると思うので,権利であると,若しくは法的な利益であるというのであれば,そこのところは一貫した理屈がないと,説明できないんではないかというふうに私は思っています。 ● 権利でないとすると,それでは逆送されるまでは権利があったのかどうなのか。逆送されたら突然に権利が生まれ,逆送されなければ権利が生まれないと,おかしなことになると思うんですよ。やはり被害者は一貫して捜査段階から情報提供を受け,そして必要な傍聴を行う権利が本来あるとしないと,逆送か逆送でないかによって,それが生まれたり消えたりするのはおかしいので,それを少年事件の特性からそれが制限されるんだというふうな構成をとらないといけないと思うんですね。そうしないと,なぜぽかっと生まれたり,ぽかっとさかのぼって生まれたり消えたりするようなことになると思います。 ● 傍聴が権利に基づくものなのか,あるいは,何らかの利益に基づくものなのかという議論は,突き詰めていくと非常に難しい問題を含んでいるわけですが,今回の私どもの要綱(骨子)に書きましたのは,裁判所が相当と認めるときに許すことができるという形で規定をしておりますので,被害者の方々はそのようにして許された場合に,その許された範囲内で傍聴ができるという地位といいますか,立場になるということなわけであります。これまで被害者の方々が傍聴ができなかったのに対して,こういう改正を行うべきではないかというふうに考える経緯はこれまでも御説明していることでありますが,やはり基本法というものができて,その中で犯罪被害者等が,個人の尊厳が重んぜられて,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有するというふうに規定されていて,そういう方々が事件の当事者として,実際に少年が審判を受けるその手続といいますか過程を直接見聞きしたいという要望というものは,正に尊重といいますか,保護に値すべきものだという考え方をベースにしているわけであります。   基本法には,ほかにも刑事に関する手続の進捗状況等に関する情報の提供だとか,あるいは刑事に関する手続への参加の機会を拡充するための制度の整備など必要な施策を講ずるということが規定されているわけで,もちろん少年審判だけではなくて捜査手続やあるいはその後の処遇,場合によっては刑の執行の過程についても情報の提供を図るということが基本法にも書いてあり,それに基づく基本計画でもいろんな施策を進めるということが書いてあるわけです。私どもとしてはこの少年審判の問題だけではなくて,捜査手続における情報の提供の在り方をどうするかということもいろいろと工夫して進めているところでありますし,この間も少し御説明し,今日も資料に載っておりますけれども,処遇の過程における情報提供についても新たに施策をとっているということであります。このように,基本法に基づく被害者の個人の尊厳にふさわしい処遇ということで,審判についても直接見聞きをする地位を得ることについて今までの制度を改善していく必要があるのではないかというふうに考えているところでございます。 ● 今日は時間の制約がございますが,この論点メモの2以下は傍聴を認めることとした場合を前提としての具体的な議論になりますので,もう少し皆様の議論がありましたら,総論について議論を続けたいと思います。 ● 傍聴というのが,どこから出てくるのかという話は,今,○○委員がおっしゃったとおりで,基本法からそれを直接に導けるかどうかはともかくとして,そこで示されている被害者の尊厳の保護ということを踏まえて法的利益として認めるということになるのだろうと思います。その上で,総論中の,傍聴の必要性についてですが,本日のヒアリングの中でも出ていましたように,被害者の方にとって,情報を得るという点でも,単に関係者から審判の様子を説明をしてもらうだけではなく,自らの目でその状況を見るということは,それ自体として意味も持つものでしょうから,その必要性も認められると思います。   ただ,その上で,傍聴というのは,審判がその目的に沿ったかたちで行われることを前提に,それを見るということであるはずです。そうしますと,これは後の議論にも関わってきますが,被害者の方の傍聴が,審判での適正な処遇決定ですとか,少年の内省の深まりを阻害するような場合には,それによって審判の本来の目的が達成されなくなるわけで,そのような傍聴を認めることは背理ですから,それは認められないというのが,やはり譲れない線としてあるのだろうと思います。逆にいえば,傍聴の利益というのは確かにあるわけですから,いま申し上げたような結果に至らないような場合があり得るとすれば,それは傍聴を認めるという形を当然考えていいだろうと思います。   この点につき,傍聴に反対される意見の中には,先ほども少し出てきましたけれども,少年事件の場合,審判が開かれるのは事件から間もない場合が多く,少年も被害者のことを考えられる状態ではないし,また加害者側の感情も高ぶっている状態なので,そういう状況では,傍聴というのは,健全育成に反する結果になる可能性が高いという意見があります。これと同じような議論が,平成12年の少年法改正の際に,被害者からの意見聴取を審判期日で行うことを認めるべきかどうかという問題についてなされて,そのときは,事件から間もない時期に,被害者の方に少年を前にして意見を述べていただくというのは無理な場合が多いだろうということで,刑事事件での意見陳述とは異なり,必ずしも審判期日での意見聴取に限られないかたちで,様々な選択肢が可能な規定にしたという経緯がありました。ところが,本日お配りいただいた参考統計資料を見ますと,意見聴取の方法として審判期日というのはかなりの数に上っていまして,しかも,前に伺ったところでは,裁判所としては,基本的には,被害者の方から審判期日での意見聴取の希望があれば認めるということだそうです。そうしますと,審判期日における意見聴取については,実際にやってみたら,想定されていた弊害というのは必ずしも生じなかったということなわけでして,そうだとすれば,傍聴についても同じことが妥当するのではないか,一律に事件直後だから駄目ということにはならないのではないかと思います。   その上で,傍聴を認めると,適切な処遇決定ですとか少年の内省の深化を阻害するおそれがある事例については,傍聴を認めないということになるんでしょうけれども,その場合は正に先ほど出ていましたように,関係者の方から被害者の方に対し,十分説明をするという措置をとるべきだと思います。そのような説明は,それ自体として当然行うべきことであって,それがあるから傍聴を認めなくてもよいというものではないと思います。 ● 1の総論のところで簡単にお話ししたいんですけれども,今日の参考人の方々の意見を伺って一番感じたのは,被害といっても一様ではない。したがって,被害からの回復,あるいは個人の尊厳にふさわしい処遇といっても,それは多様であって,被害を受けた方々の被害の内容であるとか,あるいは人的ないろいろな関係それぞれによって多様であるということを非常に強く感じました。   そういう意味で考えてみると,その方々の中から単に処分の結果なりを書面で通知を受けるだけというのではなくて,処分決定の過程についてこの目で見たいという御希望があったときに,仮にその方々が自分たちで傷つく可能性があるとしても,そのような希望を持っているといったときに,少年法の理念に反しない限度でそのような方々についても個別に配慮を示すというのは,これは立派な法的な利益ではないかというふうに私は思った次第です。 ● そのほかございますか。 ● 被害者の傍聴の可否に関するこれまでの御議論は,対象となる犯罪ないし非行の性質を限定することなく,一般論として展開されたと思います。それは総論としての議論なのですから,もちろんそれで結構なのでありますが,ただ私は,先ほどのヒアリングの際に,○○さんが重大事件という言葉を一度ならず使われ,「重大事件」に限って傍聴できるようにしてほしいと言われたことを思い出します。被害者の方が傍聴を望まれるまず第一の理由は,審判廷で加害少年と向き合ってその言葉を聞きたい,本当のことを知りたいということが第一であると思いますけれども,そういうお気持ちは,いわゆる重大事件について強烈であるということを感じましたので,一言それをテイクノートしておきたいと思った次第です。 ● 私の立場は前回も申し上げましたように,最終的には,この問題は政策決定という形で解決すべきものだろうと思っております。ただ,本日のヒアリングの結果,非常に感じたのは,被害者や遺族の方々は,これまでの少年法の運用にかなりの不満を持っているということです。非行事実は当該少年の要保護性が外に現れたものであるから,それはそこでいったん置いておいて,あとで最善の処遇を選択すればいいという感じで,何となくリセットされてしまうように感じられているのではないかという具合に思います。したがって,当然罪種等についての限定を付すことはあり得るだろうとは思いますけれども,例えば殺人の事案ですと,被害者を殺害したのがどのような少年であって,具体的にどのように審判を経てどのような処分決定がなされるのかを審判の場に立ち会って自分の目や耳で確認したいという希望,それを権利というべきか否かは困難な問題があるとは思いますけれども,そのような希望を尊重するということは問題がないと考えています。そして,一応「重大な事件」と言っておきますけれども,重大な事件を起こした少年自身が被害者あるいはその遺族の方と対面するという負担を負わなければならない場面があることは,やはり否定できないだろうという具合に思っております。何か責任を全く問われなくていいというような印象を与えかねない少年法の運用は,妥当なものではないだろうという気がするわけです。もちろん非行少年の責任の問題にまでここで立ち入るつもりはございませんが,被害者又はその遺族の方々と対面するという形の負担という意味では,非公開の原則に抵触するものではありませんし,ある意味で当然のことだとも思っております。 ● ここで議論するのか,再度恐らく相当性のところでまた議論になるかもしれないので,どこで議論するかということはあるんですけれども,一つちょっとここで申し上げたいのは,いろんな場合があるんだから,認められる場合もあるんだから,したがって一律にそもそも否定するというような議論にはならないのではないかというような議論もかなり出ていると思うんですけれども,最初の事務当局の説明では,社会記録の閲覧・謄写については,これは類型的にやはり困難があるので,今回は要綱から外したということを言われているわけですね。そういう意味では,この傍聴についても類型的に外さないといけないような問題があるかどうかということを本来はここで議論すべきであるということになると思います。ただ,ちょっとこの議論をしなかったら次には絶対進まないとかいうと,ちょっとぐるぐる回りになっているので,場合によっては相当性の議論でまた議論しながら戻ってくることもあるかもしれませんが,ただ論理的にはやはりそこの問題は議論しなければならない。そのときに,やはり傍聴があるということについて,少年の側にどのような影響があるのかということは議論しなければならない。   その議論をする際に,私も大きな意味で事実と向き合う。被害と向き合うということが重要であるということはそうだとは思うんですけれども,問題はその向き合い方の問題でして,例えば被害者の方が傍聴,審判段階で傍聴されるというのがどういう影響があるのかないのかというようなことを個別に議論していく必要があると。さらに,その議論は,本来はエビデンスに基づいて議論するのが本筋だと私は思っています。もちろん,被害者の方の生の状況を知るということが,何というか常識的に考えると当然少年にとって必要だろうというふうな思いも片方でありますけれども,では本当に成長発達過程にあったり,若しくは元々認知行動がゆがんでしまって,だからこそひどい事件を起こしてしまっていると,そういう少年に被害者と向き合うことが本当にどういう影響を与えるのか,若しくはどんな条件がそろえば向き合うことができるのかというようなところは,本来はそこはもうちょっとエビデンスに戻した議論が要ると思うんですが,その辺りも含めて,どういうんですか,私の言いたかったことは,いろんな場合があるからいいではないかとはならずに,本来,やはり類型的に問題があるかどうかということを議論しようと思うと,かなりいろんな点を丁寧に議論する必要があるのではないかということです。 ● 今日のヒアリング等との関係で,先ほど出ました意見に付け加えるものでありますが,重大性というところにつきまして,これは法律家の目から見た重大性ではなくて,少なくとも今日おいでいただいた方々は法定刑,罪名はともあれ,生命身体に対するものが本当に重大だというふうに受け止めておられるということは,よくよく我々も議論する際考えていかなければならないと思いました。 ● 先ほど○○委員が,結局この問題は最初に話題になった少年審判の場が一般に非公開になっていることの趣旨,目的と,被害者等がこの目で審判を御覧になりたいという,権利というかは置いておいて,そういう御要望との比較考量,あるいは利害調整の問題だとおっしゃいました。確かに大きくは私もそう思います。しかしながら,やはりこれは単純な平面的な比較考量ではないと考えます。少年保護手続の中核部分,心臓部は少年審判手続だと思うんですね。その中核的な機能が維持,確保されるということは少年法の持っている一番基本的な核の部分なので,単純な利益考量ではなくて,やはりこれは格別に高度な価値であるということを起点とすべきだと考えます。やはりその上で,しかしこの目で見たいという法的な利益,これを今述べた少年保護手続の中核的価値とどうやって調整するかという,そういう話だと思います。そういう意味でこの要綱(骨子)の第一というのは,先ほど○○委員の御説明にあったように,正に諸般の事情を考慮して裁判所が相当と認めるときに傍聴を許すという構造になっているわけで,今のような考え方に即した一つの制度の設計の在り方であろうと私は考えております。 ● 先ほどもちょっと申しましたが,議論を進めていただく前提として多分ここだけで議論してしまうとやや空中戦も混ざると思うので,後で相当性なりの議論の中でも多分同じような議論が出てこようかと思いますので,そういう意味では少し行ったり来たりするかもしれないという前提で私も次に進んでいっていただいたらいいと思っています。   それと,あと一点だけ,これも裁判所なり,我々弁護士はよく分かっていることだと思うんですけれども,今回,審判の傍聴ということが議論がされていますけれども,少年審判自体,何とか審判廷でやっていることと審判廷以外でやっていることというのがすごくいろいろと結び付きがあって,先ほどの被害者の方の中には真実を知りたいというようなことで,非常に辛い思いからお話をいただいたとは思うんですけれども,結構多くの場合,私ども付添人も審判が開かれる前に調査官といろいろな話をしたり,また審判官ともいろいろな話をして,審判廷ではこういうふうなやり方にしましょうというふうなことをしたりするわけですので,刑事裁判とは随分審判廷でやられていることというのが違う部分もあると思うんですね。ですから,その辺りもある程度前提にしながら議論をする必要があるのではないかなと思うんです。要するに審判廷見たけれども何のことだったか全然分からないとか,これは陰でまた何かやっているんではないかというような議論もまた出てきかねないと思いますので,その辺の現在の少年審判の進み方の実情というのも十分前提にする必要があるんではないかと思って一言,言わせてもらいました。 ● それでは,お差し支えなければ2の対象事件の方に移りたいと思います。むろんこれは1の総論と密接に関係している部分ですので,議論はまた1に戻ることは当然あり得るということを前提にしまして,この2に進みたいと思います。「①いわゆる触法少年に係る事件も傍聴の対象とするか」,「②どのような罪種の事件を傍聴の対象とするか」。この点につき御意見をいただきたいと思います。 ● 先ほどちょっと罪種の点で少し事務局にお聞かせいただきたいんですけれども,これも前回説明があったとは思うんですけれども,今回の対象というのが,要するに生命,身体という究極的な法益侵害というか,そういうものを念頭に置かれているということで,そういう意味ではそこが一貫していると思うんですけれども,他方で,少年法の中ではいわゆる原則逆送と言われている手続の対象事件はどういう事件であるかとか,それから,検察官が立会いが可能な事件はどういう事件であるかということとの関係と少し事件名が違っていたり,それからあと刑事裁判への手続参加が可能な事件ともまた少し違う部分もあると思うんですけれども。恐らくその辺りをいろいろ考慮した上で,あえて重大な生命の重大な危険というところに焦点を当てられたと思うんですけれども,その辺りどのような検討がされ,またなぜその重大な生命身体への被害というところを中心にされたのかというところをもしあれば教えていただきたいなと思います。 ● 少し長くなるかもしれませんけれども,このように対象犯罪を絞った理由について,ほかの制度との比較も踏まえてお話ししたいと思います。   まず,そもそもこういう事件に限ったことの理由は,繰り返しの説明になるかもしれませんけれども,これはやはり基本法から下りてくるものと考えておりまして,基本法が「すべて犯罪被害者等は個人の尊厳が重んぜられ,その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」,このように基本理念を定めており,こういった基本理念を踏まえて,特にこの個人の尊厳の根幹をなす人の生命を奪うような事件の被害者等を傍聴の対象とすることがその趣旨に合致するのではないかというふうに考えたところでございます。   また,少年法が少年の更生のためには,少年と関係者のプライバシーやその内面にかかわる事実も含めまして,広く情報を収集するとともに,その心情の安定にも配慮する必要があると,こういったことから,審判を非公開にしているものと理解されるところでありますが,このような審判が非公開とされた趣旨からしますと,やはり少年審判の傍聴を非公開の例外として認めるとしても,その対象事件としては殺人事件等の重大事件など何ものにも代え難い家族の生命を奪われた場合のように,被害者側の「事実を知りたい」という審判傍聴の利益が特に大きい場合に限るのが適当ではないかと,このような考え方を基本に据えて,対象犯罪を絞ったところでございます。   ○○委員から,ほかの三つの制度,すなわち,原則逆送,検察官関与,それと刑訴法におけるいわゆる被害者参加制度の対象犯罪についても御指摘があったかと思います。   少し記憶も混じるところでございますが,まず原則逆送の対象事件につきましては,何ものにも代え難い生命を奪うような事件については,刑事処分もあり得るということを示すことによって,規範意識をかん養して最終的にはその観点からも少年の健全育成を図ると,こういった説明がされていたかと思います。他方,若干繰り返しになりますけれども,今回の私どもの制度というのは,被害者の方が家族の命を奪われると,やはりそういう場合には傍聴の利益と申しますか,要するにその審判を直接自分の目で見たいと,そのような心情を抱くということは,これは十分理解できるところであり,また基本法の趣旨からすると尊重するに値すると,こういったことから認めるものでございます。したがいまして,いわゆる原則逆送の対象事件というのは,故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪となっておりますが,こちらの制度では,まず故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪,これはこちらの方でも当然対象にした上で,同様に命を奪われた場合として,業務上過失致死を対象としているところでございます。   さらに,この点は若干細かな話になりますので,少し補足するだけにしておきますと,傷害につきましては,やはり死亡に匹敵するような生命重大危険を生じたような傷害につきましても,故意であろうが業務上過失致死傷のものであろうが,そういったものを対象にすると,こういう整理をしたところでございます。   次に,検察官関与でございますが,検察官関与の対象事件は,故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪と短期2年以上の罪ということになっているかと思います。この制度は,事実認定の適正化の観点から認められた制度でありますけれども,特に重大な事件で適正な事実認定が必要とされる事件に限るべきではないかと,こういったことから対象犯罪の限定がなされたものというふうに理解しております。他方,こちらの制度につきましては,生命が奪われたような事件については傍聴したいというその心情は尊重に値すると,こういったことからやはりその対象犯罪において差が生じているのかなというふうに考えているところでございます。   それと3点目,刑事訴訟法における被害者参加の対象犯罪との違いでございます。刑事訴訟法における被害者参加につきましては,故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪,あるいは業務上過失致死の罪に加えまして,通常の傷害,強姦ですとかそういった性犯罪,あるいは逮捕・監禁,あるいは誘拐なども対象犯罪になっているかと思います。   これにつきましては,そのように対象犯罪を絞ることとしましたのは,被害者参加という形で訴訟行為的なものを許すかどうかにつきましては,新しい事務手続が当然生ずるものでありますので,制度の円滑な運用を図るためには,まずはこれを認める必要性が特に高い犯罪に限るべきではないかと,そういった考慮がまずございまして,基本法の趣旨ですとか,あるいは被害者等のニーズ,こういった諸々のことを総合的に考慮した上で,そのような対象犯罪に限定することになったというふうに理解しております。これに対しまして,こちらの傍聴につきましては,先ほどから申し上げておりますように,やはりかけがえのない家族を奪われたと,そのような御遺族,あるいはその近親者の立場からしますと,その傍聴したいという心情は十分尊重に値するという観点から,そのように対象犯罪を絞ったということでございます。 ● よろしゅうございますか。それでは,2のまず②についてほかに御意見ございますでしょうか。 ● 要綱(骨子)の第一の一の1では,「故意の犯罪行為により被害者を死傷させた罪」となっております。先ほど○○委員が究極的な法益侵害という言葉を使われたと思いますけれども,それは結局死亡とかあるいは重大な傷害という結果が発生したことを意味していると思います。しかし,現行の少年法では,先ほど御指摘のあったような何か所かで重大事件が定義されているわけですが,「死亡させた罪」という限定も用いられています。それと対比しますと,死傷させたというのは少し広いのではないか。特にこの触法少年の場合が出てくると,そこは気になるわけですけれども,今年の警察白書は触法少年に関する記述が昨年度と少し違っておりまして,去年の分には触法少年の殺人の数が書いてあった,確か6という数であったと思います。ところがこの6の中身を調べてみると,実際既遂に至った事件は一つもないと,未遂その他の事件だけであるという指摘がなされました。恐らく警察庁ではその指摘を受けて,今年の警察白書では触法少年の殺人という項目を削除されたのではないかという気がいたします。死亡の結果を生じたかは決定的な差異で,そういうことも考え合わせますと,この死傷させたというところをもう少し絞る余地はないだろうかというのが私の感想であります。 ● 死傷させた罪と書いてあるところではございますが,要綱(骨子)第一の一の3行目からになりますけれども,「いずれも被害者を傷害した場合にあってはこれより生命に重大な危険を生じさせたときに限る」というふうに書いております。すなわち,単に傷害を負わせただけで対象になるわけではなく,死に匹敵するような,このような生命重大危険を生じさせたような傷害,こういった場合に限っております。やはり死亡に匹敵した場合,繰り返しになりますけれども,御家族の方が傍聴したいという心情を特に強く持たれるような場合に限定しているところでございます。 ● 前回も伺いましたけれども,その生命重大危険のところで少し事務局の御説明をいただければと思います。   心身の重大な故障の場合との対比を前回伺いましたが,あの後考えておって,例えば失明をしてしまったですとか,片腕片足を切断するというような重篤な後遺症が生じている,だけれども,死亡に至る蓋然性は必ずしも高くないと。この場合は生命重大な危険というのにはやはり含まれないというような理解でよろしいのでしょうか。 ● その点につきましては,事務当局としましても慎重に検討いたしました。結論的にはそういった場合は必ずしも含まれないというふうに考えざるを得ないと思っております。繰り返しの御説明になってしまいますけれども,審判というのは非公開になっていると。その場合に例外的に傍聴していただくということになりますと,かけがえのない家族の命が奪われた場合に基本的には限るべきではないかと考えております。ただ,傷害によってはそれに匹敵するような場合というのがあるのではないかということで,生命重大危険というふうに,その傷害を絞ったものでございます。御指摘のような,身体機能に障害を生じさせたような場合というのは,確かにそれは場合によっては周りにいる家族からすると,受けるものというのは大きなものがある場合もあるかとは思うんですけれども,やはり傷害により生じ得るそういった身体機能につきましては,例えば手の指の欠損ですとか,下半身不随など様々な程度のものがあるということでございまして,どのような機能障害が対象となるのか,一義的に明確にするということが必ずしも容易ではないのかなということをまず考えました。そして,そういったものを対象として入れられるかどうかということを考えていきますと,場合によっては死亡した場合に準ずるとは必ずしも言い難いような場合というのも入ってくるということになると思われますが,やはり非公開である少年審判に入っていただくということですので,相応の傍聴の利益がある場合に限定すべきではないかということで,生命重大危険に限ることとしたものでございます。 ● 質問です。○○先生がおっしゃいましたように,死亡させたという枠組みはこれまでからある枠組みであり,その実際の適用も非常に明確ですね。それに生命重大危険の傷害を付け加えたという,その御趣旨も今までの御説明でよく理解できるところなんですけれども,そもそも対象者がこの生命重大危険という場合に当たるのかどうかということは,このような規定を現実に動かすときには,どのような運用になるのかがいささか気になります。被害者側の申出によって家裁が最終的に御判断されることになるから,家裁のところに来ている記録に基づいて判断されるのか,ある意味で不確定概念である,被害者が生命重大危険の対象者なのかどうかというようなことについての判断やその前提資料等はどうなるのかなというのがやや気になるので,この点についてまず聞かせてください。 ● 生命重大危険につきましては,基本的には裁判官にそういう状態が生じているということを疎明していただかないといけないのかなというふうに考えております。ただしということで申しますと,一件記録の中には医師の診断書ですとか,あるいは重大事件であれば捜査官が医者から聴取する場合もあるでしょうし,電話で症状がどういう状況にあるのか,どの程度生命に対する危険性を生じさせたのかと,そういったことを確認する場合もあるでしょうから,一件記録の中にそういった資料が含まれている場合が通常ではないかというふうに考えております。 ● 確認ですが,このように,生命に重大な危険を生じさせた場合に限るということになりますと,傍聴される方というのは,実際上は,被害者自身というよりは,その遺族とか親族に限られてくることになり,被害者御自身が傍聴することがあり得るとすれば,それは,犯人が全然見付からなかったため,審判までに長期間がかかり,その間に,生命に重大な危険が生じた被害者の方が回復されたというような事例である,そういう理解でよろしいんですか。 ● 今の点は,おっしゃるとおりでございます。基本的にはやはりその周りの方,御家族が傍聴するということが想定されているところでございます。ただし,被害者の方が時間の経過に伴って回復される場合というのもあり得ますので,そういった場合には被害者御自身が傍聴するということもあり得ると考えているところでございます。 ● この論点2の対象事件について,①を含めて更に御意見ございますでしょうか。 ● 私も付添人として記録を読んでいる関係上,裁判官にこの判断はとても難しいのではないかというふうに思うんですね。現に生命の重大な危険が生じている状況にある中で審判が行われているのであればまだしも,医師の見解なり申出人からの疎明なりで分かると思うんですけれども,一時は死にそうだったと,しかし,かろうじて生命をとりとめてというときに,その一時は生命の危機があったということを記録から判断はなかなかできなくて,御家族としては,客観的な危機というよりも家族の思いから,本当に死にそうになったんだと,本当に辛かったんだということを供述調書などでおっしゃるかもしれませんが,それが果たしてこの条項にいう危機なのかどうかということを客観的に裁判官が判断なさるというのは非常に難しいことだと思いますが,その辺はどういう前提で御提案になっていらっしゃるんでしょうか。 ● 付添人の御経験でということでおっしゃられましたけれども,普通の捜査の過程とかを考えますと,やはり生命に重大な危険を生じさせたかどうかというのは,犯罪の一つの結果がどうであったかということが非常に重要な要素であると考えられますので,こういう重大な危険に至るまでの結果を生じさせた行為だったのか,そうでなかったのかというのは,いわゆる普通の刑事事件でいうと情状面として非常に重要なことでありますので,捜査側からいたしますと,その点はそういう生命身体の事件であれば,そこは先ほども御説明したようにお医者さんに聞く,診断書を求めるとかということで捜査をするのが通常ではないかと思っています。したがって,通常はその辺の資料も,いわゆる一件記録として家庭裁判所にあるのではないかというふうに考えております。 ● ちょっと御質問をいろいろさせていただいている趣旨というのは,刑法などの構成要件で重大犯罪,重大生命危険罪というのが例えばあるのであれば,今までの蓄積からある程度こういうラインがあるのかなと思うんですけれども,今の事務局の御説明のように情状面というか,事件の見立てとしてそういうことがとても重要であり,関係者もそういうことをいろいろにらみながら,事件を遂行していることは間違いはないんですけれども,しかしこの手続で要するにそれに当たるか当たらないかで,傍聴の対象になるかどうかが全く異なるということになってしまうものですから,そこでうまく線引きができるのであろうかと。だから,どこまでが当たるのか私はよく分からないのですけれども,例えば包丁とかで被害者の方を刺してしまって,たまたますぐに対応したから命もとりとめられたしお元気でもいらっしゃるけれども,5分遅れたら亡くなっていたというようなこともあり得ると思うんですね。それは,ある意味ではこの重大な危険を生じたというふうにも言えると思いますし,非常に首尾よく治療がされたので,元どおりとはなかなかいかないとは思うんですけれども,日常生活には支障のない程度に体自体については例えば回復されたというような場合に,これに当たるのか当たらないのかとか,例えばそんなのはどうなるんですか。 ● 今の概略を聞いただけで当たるか当たらないかをお答えするのは非常に難しくて,それは正に具体的にどういう部位にどういうふうに刺さって,それについてお医者さんがどういうふうな見立てをしているのかという証拠関係を聞かないと,何とも言いようがないところです。先ほどこちらからも説明しましたように,どういう危険があったのかというのは,むしろ捜査の対象として重要なポイントですし,もちろん今後こういう要件が立てられて少年事件を取り扱うという場合には,なおさらそれを意識してその点についての証拠を収集することになるので,それに基づいて適切な判断はできるだろうというふうに思っております。 ● 捜査過程で傷害の程度等については,当然様々な証拠が収集され,それが一件記録の中に入って,家裁の手元にある。これを前提にした場合に,傍聴の申出をされる被害者ないし被害関係者の方がこの要件があるために何らかの負担,自分は重大傷害だということを更に証明しなければいけないというのは適当とは思われないので,そこが気にかかっていたのです。事務当局のただいまの御説明によれば,そういう御負担が生じるわけではないようですので,裁判官に一件記録に基づいて判断してもらうということのようですので,傍聴したい被害者の方に余計な負担が生じない要件であるということであれば,先ほどの事務当局の御説明も勘案して,死亡に加えて重大傷害を含めるということは適切であろうと思います。運用に係る理解はこういうことでよろしいのでしょうか。 ● 結論的には,おっしゃるとおりでございまして,再三の御説明になってしまうかもしれませんが,やはりそこは捜査の重要なポイントでありますので,基本的には捜査を尽くして事件を家庭裁判所に送りまして,その一件記録中の資料でそういった点も明らかになっているのではないかというふうに考えております。 ● 結論から言うと,私はその生命重大危険の場合も含めるという考えに賛成です。ここでやはり思い起こしていただきたいのは,先ほど来御指摘があった少年審判は割と事件から早い時期に開かれることが多いということもやはり考えるべきではないかと思います。端的に申し上げると,先般の御説明ですと,医療行為を施しても死亡に至る蓋然性が高いという場合,言葉としてはやや不謹慎ですが,たまたま,まだ死亡に至っていない,適切な医療行為のあるいは延命措置のお陰でまだ死亡には至っていないが,審判が開始されるという場合に,やはりそのような重篤な傷害結果が生じた場合には,正に事務局御説明のとおり殺人に匹敵する結果ということで,傍聴の利益を考慮する必要が高いのではないかというふうに思っています。   あとは,蛇足ですけれども,先ほど疎明資料の提出ということでちょっとお話が出たけれども,それは是非ともやめていただきたい。というのは,被害者御家族にしてみれば,うちのお父さんはうちの息子はと,懸命に生存のための闘いをやっているときに,傍聴したいがために死亡に至る蓋然性が高いんですという資料を出すというのは,これは誠に心情に反した過酷なことでありまして,そこは捜査の段階で資料収集を尽くしていただいて,一件記録から裁判所が判断していただくというのが穏当ではないかと思料します。 ● 論点メモの2の①の触法少年に関することで何か御意見ございますか。 ● この論点は,前回の会議で私が質問した項目であっただろうと記憶しております。そのときの○○幹事の説明を聴き,いまだ決断はできていないのですが,現在の考えを述べます。例えばお父さんが殺されてしまった被害者遺族の心情を想像しますと,犯人が13歳の人間なのか14歳なのかというのは全く関係ないということ,そういうことは一つあるんだろうと思います。それからもう一点特に留意すべきことは,触法事件というのは制度上逆送がないわけですから,刑事裁判になって公開の法廷で事件が審理される可能性が制度上ない。したがって,事件の審理の様子をこの目で御覧になりたいという被害関係者の要請を満たす機会は,正に少年審判の場でしかあり得ない,そういう側面があって,これはやはり相当程度考慮しなければいけない要素だと考えられます。   他方で,先ほどの○○委員のお話にあったように,触法少年は少年法の世界では年少である故に脆弱であるということから,類型として手厚い保護の対象,そういう扱いになっている面がたくさんあります。それを傍聴との関係でどう考えるか。それは結局また元の問題に戻ってきてしまうんですけれども,被害関係者の方が審判廷の場で間近に座って見ておられるということが,特に少年に対してどんなインパクトがあるのか。そのインパクトが年少であることによって,類型的に,傍聴はおよそ認めるべきでないという方向に切り分けるべき性質なのかどうか,問題はそういうところに帰着するだろうと思われます。問題を整理すればこのようになると思いますので,関係者の方々から今,私が触れたような論点についての御意見や前提となる実情の御認識をお聞かせいただければと存じます。 ● 家裁の現場からの情報提供としましては,触法だからすなわち傍聴になじまないというわけではないと思います。やはり個々の少年の特徴次第だと思います。ですから,これは本当に類型化はできないんではないかというふうに考えておりますけれども。こんな御回答でしかございません。 ● 罪種と触法の両方についてなんですけれども,今回対象となっております事件の中で,例えば死に至った事案を考えますと,いわゆる少年による集団暴行でのリンチ殺人とか呼ばれる傷害致死罪ですね,これもかなり多いと思うんです。他方で,少年の場合,殺人罪あるいは殺人未遂罪の場合というのは,逆に心理的に医療的なケアが必要なケースとか,あるいはいじめの結果反撃したとか,なかなか複雑な心の問題を持っていることも多いわけです。触法少年がこのような重大事件を起こしたという場合もやはり医療的な心のケアが必要とされるような事案が多い一つの象徴でもあろうかと思います。   罪種を考えるときに,集団暴行的な事案だけを思い浮かべるのではなくして,心のケアが必要となるような殺人事件,そして犯罪少年あるいは触法少年も思い浮かべて御議論いただきたいと思います。 ● ほかにこの2の対象事件,①,②について御意見ございますでしょうか。 ● 私は一般に被害者の傍聴を認めることに関してかなり懸念を持っておりますけれども,百歩譲りまして裁判官の相当性の判断で適切なケースに限られるということに期待することにいたしましても,触法少年の事件についてそういうことを認めることには全く反対です。触法少年というのは犯罪を犯していないわけですから,その行為事実にどうして向き合わせる必要があるのでしょうか。その被害としては同じだというふうに,そしてそういう論調が先ほどから成人犯罪の被害者でも少年犯罪の被害者でも被害は同じだというふうに,そういうことですべて被害者の意見,利益を尊重するべきだというふうな形で進められておりますけれども,正に少年法というのは年齢ごとの成熟段階,そういうことに配慮しての手続なわけですから,そこのところを十分に配慮しなければいけないというふうに思っております。 ● 先ほどの○○委員の御発言と今の御発言も共通するところがあるんですが,一つだけ申し上げたいのは,私どもの御提案している犯罪被害者の傍聴というのは,少年に被害者あるいは犯罪事実と向き合わせるために行おうと考えているものではないということであります。触法少年は犯罪を犯していないから,どうして犯罪に向き合わせる必要があるのかと言われましたが,私どもからするとそういう目的のために傍聴をしていただくわけではなくて,飽くまでも犯罪の被害者,御遺族の方が事件の当事者としてどういう手続,経過で処分が決まるのかということについて直接傍聴したい,見たいという強い要望があって,そのことを尊重する利益があるのではないかということでこういったことを考え,議論していただいているところでありますので,その点からして,○○委員の言われるような形で議論を立てられるというのは,ちょっと私どもの元々考えていることとはやや違うのかなという感じがしております。   もちろん,これまでも議論されておりますように,触法少年の場合にいろんな成熟度等々を勘案して,実際に個別の事案において傍聴していただくのがいいのかどうかというのは,犯罪少年以上に慎重に吟味し検討すべきだろうとは思いますけれども,それは正に先ほど○○委員が言われたように,触法少年だから当然にそれは相当でないということには恐らくならないのではないか。個別の事件によってその少年の状況も違いますし,被害者の状況も違いますし,それをそれぞれ勘案して決めていただくのがいいのではないかと,そういう考え方でございます。 ● 今の向き合うということについては,要するに先ほど最高裁の方から元々審判廷の説明もありましたが,狭い審判廷の中で被害者の方が傍聴されるということが,ある意味では先ほどから言いましたように,その向き合い方というのはいろんな向き合い方があると思うんですけれども,結局そういう形で向き合うということを選択する結果になるので,したがってそこのところが何か副作用がないかとか問題がないかということで議論すべきでないかというようなことだと思うんです。   それから,あと裁判所が最終的に適切に判断するからよいではないかというような,簡単に言うとそういう御趣旨の御説明だと思うんですけれども,元々事務当局説明にもあったように,一方で犯罪被害者の方からの強い要望がある。他方で非公開という少年審判の原則がある。その中で調整をして,事件の罪種を限ったりしているわけですよね。要するに裁判官に任せるのだったら事件の罪種なんか限らないで全部裁判官に相当性で判断してもらえばいいわけですから,そういう意味ではかなりやはり慎重を要するものであるからこそ,ある程度類型的な判断もしながら事件の罪種を絞ってみたりとか,いろんな工夫をされて,かなり,だからデリケートな問題で苦労されているんだと思うんですけれども,そういう意味では,触法少年についてもそこは裁判官が判断するからいいんだということではなくて,一定の類型性が認められるのであれば,外すべきではないかということをやはり議論すべきでないかというふうに思うんです。   向き合うとか傍聴の課題という中の問題点の一つとしては,恐らく少年自身が自分の思っていることを話すことができないということが一つの大きな課題だと思うんですね。この話すことができないというのは,私の立場から言ったら,すごい変なことというか間違った考えであっても何であっても,ともかくきっちりその話をさせて,その上で,ではそれはどうなんだという議論をしていくという意味で,何というのかな,うそでも何でもというとちょっと言い方がおかしいんですけれども,まず,やはりきちんと言える環境を整えるということが私はとても大事だと思っているんですね。そういうことを考えたときに,前回も申し上げましたけれども,例えば警察庁の触法マニュアルの中でも,威圧感とかそういうものがあるとむしろ少年が迎合してしまうのではないかというようなことで,かなり気を配ったマニュアルを作っておられるというようなこととか,それから少し場面は違いますけれども,性被害に遭った子どもたちからの聞き取りなどについては,アメリカとかイギリスなどでは司法面接と称してかなり配慮したような形での面接を行っているというようなことをいろいろ考えると,やはり子どもにとっては話しづらい状況になっているのではないかというふうに類型的に推測するというのは,それはそうではないかなというふうに思うんですね。ですから,全体的な問題もあるけれども,取り分け触法少年について入れていいのかということもやはり議論をしっかりしなければいけないんではないかと思います。 ● ちょっと元に戻ってしまうかもしれないんですけど,私は法律の専門家ではないので,刑事法とかそういうことは全然分かりませんけど,○○委員がおっしゃった触法少年が犯罪を犯していないという言葉には,少なからぬショックを受けました。それは,私は被害者を支援する立場からちょっとびっくりする発言でした。そして,今いろいろ少年が意見を言えないのではないかとか,そういう実際の法廷の場で少年がどうなのか,あるいはその法廷自身がどういう方向でいくのかという辺りのことをもしかしたら皆さんおっしゃっているのかもしれませんけど,やはりその中には被害者はいないんだなというふうに思います。今日,たくさんの方にヒアリングに来ていただいて,それは十分分かっていただけているとは思いますけれども,被害者にとって,皆さん異口同音におっしゃっていたように,やはり事実を知って,そしてそこで事実を受け入れながらどうにかして生きていく,自分が寸断された人生を再構築していくために,どうしてもそれは欠かせないことだと多分おっしゃっていたと思うんですね。もちろん少年の保護,教育,育成そういうものも大事だということ,それを否定するものではありませんけれど,やはり被害者も同じように,自分たちの人生を作っていかなければいけないわけなんですね。ですから,その視点をやはり入れていただきたいと強く思います。 ● まず結論を申し上げると,私としてはやはり触法少年であっても傍聴の対象に含めていただきたいというふうに考えております。先ほど来の議論を拝聴しておりまして,やはり○○委員がおっしゃったように,この問題は向き合わせるためのものではないと。先ほど私の考えを示しましたが,処分の決定過程を見聞きしたいという被害者の利益と健全育成の利益との調整という観点で考えるべきだと,この場面でもやはりそう思います。その観点でいくと,被害者にとって,触法少年であろうが非行少年であろうが成人であろうが,処分決定を見たいという部分では変わりがない。そして,触法少年の場合には非行少年と違って逆送の可能性がないという意味では,むしろそこに直接見聞きしたいという利益は通常の場合より大きいという評価もできるのではないかと思います。   他方,触法少年の場合,やはり年少という特殊性,年少であるという特殊性を考えると,通常の特に成人に切迫しているような19歳,18歳の少年なんかとはやはり異なる配慮というのは必要な場面も出てくるかと思いますが,先ほど来,○○委員がおっしゃっている類型的に考えるという,検討する場面では類型的に検討してはいいと思うんですけれども,私は判断をするという場面では類型的に結論を出す必要はないと考えています。というのは,およそ触法少年は常に被害者が在廷していると萎縮するということは言い切れないだろうし,被害者が在廷しているとおよそあらゆる場合で健全育成の理念が害されるということではないのではないかと私は考えるからです。当然,慎重な配慮を必要とする場面が多いでしょうが,事案によってはやはり傍聴を認めたとしても健全育成を阻害しない場面,事案というのはやはりあり得るのではないかと思います。もっとも,要件の設定に関して,要綱(骨子)と同様に,非行少年と触法少年を同列で定めていいのかという部分はちょっと私自身結論はまだ出ておりません。そこはちょっと検討の余地はあるかと思います。   それから,傍聴を認める,認めないだけではなくて,あとの論点にはなりますが,例えばそういう触法少年の萎縮が懸念されるような場合であれば,モニターを使うというような,傍聴の方法で配慮をするということもあり得るのではないかと思います。そういったことを考えると,触法少年を一律に傍聴の対象から除くというのはやはり被害者の利益という観点からすると賛成できないというふうに考えます。 ● ただいまの○○委員のお話を聴いていて感じるところが一つあるんですが,私はこの点については利益の調整という観点で説明すべき話ではないんだろうというふうに思います。私が先ほど申し上げたことは,種々の被害者の方がいるのだけれども,しかし少年法の理念というのは厳然として存在するのであって,少年法1条で掲げている目的を阻害するような形での傍聴の実施というのは,これは法の趣旨からはずれてくるだろうというふうに思います。ただ,そうはいうものの,結論として○○委員とまったく違うことを考えているかというとそうではなくて,そのことを十分踏まえた上で,しかし類型的に触法事件を除外するということには恐らくならないのではないかというふうに思います。触法事件であれば健全育成の要請は質的には急激に高まりますので,傍聴の側が譲らなくてはいけない,譲るといいましょうか,傍聴について配慮は一歩後退せざるを得ないだろうというふうに私は思いますし,また裁判所がそのような方向で御判断することを期待したいのでありますけれども,しかし類型的に触法事件を除外する理由にまでなるかというと,先ほどの○○委員の御見解を伺いまして,恐らくそうではないのではないかというふうに感じた次第です。   案を拝見しましても,考慮事由の第1に少年の年齢という明示の記載がありますので,この点は重々配慮した上で,相当事由の判断をしていただきたいというふうに私は考えております。 ● 私も基本的には同じなんですけれども,触法少年は確かに犯罪を行っているわけではないわけですが,ここでは審判の傍聴を認めるかどうかが問題なわけですから,少年審判の対象となるという意味では同じである触法少年と犯罪少年を分ける理由はないと思います。その上で,類型的に触法少年は犯罪少年とは違うのではないかという話があったわけですけれども,確かに年齢に応じて類型的にその成熟の度合いが異なるということはあると思うんですね。ただ,例えば10歳を事実上の下限としますと,10歳から始まって19歳まで少年法の対象になり,それぞれの年齢ごとに成熟度の類型化が図れるとしても,それは年齢に応じて類型化された成熟度が上がっていくという意味で程度問題なので,それを14歳のところでスパッと切って,一方は傍聴を認めて一方は一律に認めないという,そういう理屈は出てこないはずだと思います。 ● すみません。類型化と言っているものですからついちょっと反論だけはしておかないと,と思うんですが,元々刑事責任能力があるかどうかとかいうようなことも含めて,正に類型化しているわけですね。前回の少年法改正で少年院送致が可能かどうかという意味ではそこの類型が少し外れている部分もありますけれども,しかし全体としては明らかに類型化されているわけで,私はその類型化の背景としては,ちょっと繰り返しになりますけれども,先ほど私が申し上げたようなこととの結び付きがあるものですから,そこのところがしっかり検討が要るのではないかということですね。   それから,あとこれは他の件ともかかわってくるんですけれども,その辺りを裁判所が十分に配慮して対応すればよいではないかと言ってしまえばきれいな話なんですけれども,しかし,では裁判所の方で類型的に考えて年齢が低いとか脆弱であるということが具体的にどういう判断になって,どういう場合だったらどっちにどう判断するのかというようなことがかなり実務上難しい判断を,他の傍聴の案件でもそうなるんではないかという心配もありますけれども,取り分けまた触法の事件ではそういう問題を抱え込むことになるんではないかという気もするものですから,立法の段階である程度判断できるものは判断すべきであると。もちろん100例あり200例ある中には,中にはいいと,傍聴の方がいいという事例も科学的に絶対ないとは私は申し上げません。ですけれども,法律というのはやはりそこを考えた上で,もちろんいろんな方の利益もあるし被害者の方が見たいというようなお気持ちは全く変わらないとは思うけれども,実際に手続を運用していく中で,混乱の生じないやり方を決めていくということが法律の責任だと思っています。 ● 私が先ほど「負担」と言ったために,もしかしたら少年を被害者などと対面させることを私が念頭に置いているかのように思われたとしたら,それは私の趣旨ではございませんので,確認的に申し上げておきます。また,触法少年の問題については,類型的判断になじむか,なじまないかの問題なのであって,罪種等を限った上で傍聴を認めるという限りでは触法少年を類型的に排除することはできないだろうと考えております。その意味では○○委員と結論的に同じでございます。もちろん,具体的な判断に当たっては,傍聴を認めることが相当かどうかという観点から,実質的に判断していかなければならないだろうという具合に思っています。   それから,②について感想的なことで恐縮なのですが,重大な傷害の事案を対象にするという趣旨は理解できるのですが,これを入れたときに例えば被害者の方が重大な傷害で傍聴したいと言ってきた場合,いや実は重大な傷害でないから傍聴させないといったような事態があり得るとしたら,家庭裁判所としては非常につらいのではないかなという感想は持っております。 ● 触法少年の類型的な課題についてなんですけれども,私は審判の在り方の変容を心配いたします。教育的機能というとき,やはり年齢の低い少年に対しましては非常に穏やかにといいましょうか,下からと申しましょうか,平易な言葉で語りかけるわけなんですね。今日伺ったようなお気持ちの被害者の方がそこにおられるとき,裁判官も人間ですし,付添人も人間です,本人ももちろん人間です。その方のお気持ちを考えないわけにはいきません。そうなってきますと,下からおだてるようにというのも変な言い方ですけれども,気持ちをほぐし,ほぐし,本当のことを聞き出すというような質問の仕方自体,非常に難しくなる。そうすると,適正な事実の認定というところについても困難になってくる。そういう問題があることも類型的に触法少年ではやはり大きいというふうに言っていいというふうに思いますので,その点重視していただきたいと思います。 ● 私も先ほど○○委員がおっしゃったように,加害者によって違うと思うんですね,それぞれ。13歳と6か月の者と15歳の者と比べて,13歳と6か月の者の方が精神的に発達している場合もあると思うんですよ。だから,そこはやはり裁判所の判断に任せないと,類型化して定規で計ったようなことは,私はできないと思うんですよ。それを裁判所にその判断をさせるのは大変な労力ではないかという御意見があるようですけれども,それはやはり調査官が記録をしっかり読み,捜査記録を読み,それこそ社会記録を作られるわけですから,その過程で,その上で判断されれば,そんなに間違ったことにはならないと,こういうふうに私は思います。触法少年だって随分しっかりしている者もいるし,そうでない者もいるでしょうし,これは14歳,15歳になったからしっかりしている,しっかりしていないということと同じことだと私は思います。 ● 論点メモの3の要件,広い意味では2もそれに入るわけですけれども,お差し支えなければそちらの方に移りたいと思いますが,よろしゅうございますか。   傍聴を認める要件,実体的あるいは手続的要件をどうするか。実体的要件は相当性の問題等であると思いますし,手続的な要件といえば,例えば○○委員,○○委員の御提出の論点の第1の2の(5)のようなことがこれに含まれるのではないかというふうに思っております。この第3の要件のことについて御意見をいただきたいと思います。 ● ○○先生と○○先生の出された論点メモは,先ほど拝見したばかりなのですが,手続要件にかかわるところでは,今,○○先生が触れられたように,少年や付添人の意見を聴くことを要件とすべきではないかというようなところがありますが,これはどのような御趣旨ですか。 ● 要するに,傍聴の申出があったときにその傍聴について傍聴してもらってもいいというのか,いやこういう心配がありますというのか,それを少年なり付添人なりに家庭裁判所としては聴いた上で判断をするというふうにすべきではないかという,そういう趣旨です。 ● ということは,意見を聴かないで裁判所が職権で自ら判断をするだけでは不適当であるということですか。 ● はい。 ● 分かりました。 ● 具体的なこととしては,審判の記録の中からこのようなことが判断できたり,調査官の意見から判断できればいいんですけれども,例えば被害者側と加害者家族との間で地域でのいろいろな問題があるというようなことですと,これはなかなか調査官なり審判の記録なりからは分からないんですね。付添人ですと,家族と接しておりますので悩みを打ち明けられていたりとかいうことで,それが伝えられると。あるいは少年が,裁判所には示していないけれども,付添人に打ち明けている心の問題があるとか,そういったところを考慮していただけますので,付添人がいる場合には是非付添人の意見を聴いてもらいたいというふうに思うんですが。 ● 事務当局にお尋ねします。今の要綱(骨子)がそのまま条文になると想定した場合ですね,申出によって裁判所が諸般の状況を考慮して相当と認めるとき,傍聴を職権で許可すると,そういう格好になっているわけですが,この条文だけでも,裁判所が必要と認めるときに付添人や少年の意見を聴くということは当然あり得るという前提でしょうか。 ● 少年は取りあえずさておきまして,付添人が選任されている場合に,その意見を聴くということは可能性の問題としてはあり得ると思います。ただ,少なくとも法的に必ずその意見を聴かなければならないかどうかはまた別の問題でございまして,御案内のように少年審判というのは裁判所が手続を主催する職権主義的な審問構造を採っておりまして,その観点からすると,必ず法的にそういった意見を聴かなければならないとするというのはどうなのかなというのがまず1点ございます。   また,現行の少年法におきましては,そういった手続的な事項について検察官ですとか,あるいは付添人から必要的に意見を聴取しなければならないと,こういった規定は設けられていないのではないかと思います。こういったことなどからすると,少なくとも法的に必ず聴かなければいけないというのは少し違うのではないかというふうに考えておりますが,お尋ねに対して今一度答えますと,付添人が選任されている場合にその意見を聴くということも可能性の問題としてはあるものと考えているところでございます。 ● ありがとうございました。 ● そのほかこの3の要件について御意見ございますでしょうか。 ● 今回のこの傍聴に関する条文というか要綱(骨子)は,いろいろな事情を考慮して相当と認めるときは許すことができるという書き振りになっていて,被害者の方からの記録の閲覧については,その裏返しのような形で,相当でないと認める場合を除き,閲覧又は謄写をさせることができると,ちょっと対をなしているような形になっているんですが,ここで相当と認めるときに許すことができるというふうな形にしているというのが,どの程度の線を考えているのかというか,恐らく先ほどからもここの議論で多分やや空中戦になっているのは,では具体的にどの程度認められるんだというようなところが多分委員によって実はイメージが全然違っていたりする可能性もあって,まず事務局の方でこういう書き振りにしたというのがちょっとすみません,答えにくいのかもしれませんが,どういう配慮でこういう条項にしているのかというのをちょっとお聞きしたいのです。 ● このような書き振りになっておりますけれども,ちょっとこれも再三の御説明になってしまいますが,事務当局の発想といたしましては,やはり少年の健全な育成を阻害しないということを基本に据えているところでございます。もう少し補足いたしますと,適正な処遇選択ですとか内省の深化が妨げられないような形で初めて傍聴を認めることとするというものでございますので,相当というのは,結局,申出があった場合において傍聴してもらうかどうかの判断をする場合に,適正な処遇選択や内省の深化,こういったものの妨げになるということであるとすれば,やはり御遠慮願うのかなと思います。逆にそのような観点からの支障がない場合には,それは傍聴していただくということになるものというふうに考えているところでございます。 ● 今のに関連してなんですが,前回,私が少年の年齢及び心身の状態のところについて御質問させていただいたときに,ここの部分は少年法5条の2の少年の健全な育成に対する影響というのと別に違うわけではないのだと。むしろ,要件としては具体的に審査をするには年齢とか心身の状態とかという用語の方がふさわしいからこのようになっているというふうに御説明があったように理解をしておりますが,そういう理解でよろしかったでしょうか。 ● そうですね。書き振りがこうなっているというのは,やはり傍聴が少年ですとか審判に与える影響を考えないといけないだろうと。そうしますと,その判断をするために直接的に必要となるのは,少年の年齢ですとかあるいは心身の状態ではないかということで,こういったものをまずは考慮事情として書いているところでございます。前回と同様の説明になってしまいますけれども,少年の健全な育成ということを忘れてしまっているわけではもとよりなくて,これは広い意味では当然考慮されるべきものであるというふうに考えておりますが,具体的に考慮するための要素としてはあえて掲げなかったと,こういうことでございます。 ● そうしますと,例えば仮にこういうものが条文になったときをイメージしますと,5条の2には少年の健全育成と書いてあると。けれども,この条文には違う言葉があると。そうすると,健全育成というのと年齢及び心身の状態というのは同じなのか違うのかという,こう疑義が生じる可能性もあるように思うんですけれども,例えばここのところを5条の2と同じ言葉に言い換えても要綱の趣旨とか枠組みとかは変わらないということでしょうか。 ● それはこの場の議論としてどのように御意見がまとまるかということなのかもしれませんが,相当性の判断をするための考慮要素としてどういうものを例示するかというのは,閲覧・謄写を認めるかどうか,傍聴を許すかどうか,それぞれの判断対象ごとにどういうことを考えるべきか,その場合何を例示として掲げるのが適当かということですから,それぞれの判断事項によって例示は変わってくるというのが普通だろうというふうに考えております。そういう意味で,今回の傍聴を許すかどうかというのは,審判廷に被害者の方が入って傍聴するということですので,それによる影響というのを考える場合には,少年の健全な育成に対する影響という,割と大きな概念を例示するよりも,それによる影響を具体的に考える場合の要素を具体的に挙げた方がより判断が適切になされるのではないかというふうに考えたということでございます。 ● 先ほどの○○委員の質問に関連することなのですが,今,御説明があったように,審判の傍聴を認めることが適切な処遇選択等を阻害するという場合は駄目なんだということであれば,相当と認めるときではなくて,相当でないと認める場合を除いて認めるという書き方でもいいように思うんですが,そうではなくてこういう書き方をしたというのはなぜなのでしょうか。傍聴が不適切な結果をもたらす場合を除くというだけではなくて,プラスで相当性を基礎付ける要素が必要だという趣旨のようにも読めるのですが,それはそうではないんでしょうか。 ● ちょっと御趣旨を正確に理解しているかどうか分かりませんけれども,相当でない場合を除くと書いて,原則と例外を付ける趣旨かということでありましたら,それはそうではないということだと思います。やはり個別の事件においてここに例示として掲げたものを個別に判断して,そういう意味ではケースバイケースで御判断いただくという趣旨でありまして,どっちが原則,どっちが例外という趣旨は入っていないということだと思います。 ● ですから,審判の傍聴を認めると適切な処遇選択等を阻害する結果が生じるおそれがある場合は駄目だというのは分かるんですけれども,そうだとすると,それは結局相当でないという場合になると思うんですよね。そうではなくて,積極的に相当であるときに認めるという書き方をするということは,そういう場合以外にも認められない場合があり得るということになるんでしょうか。審判を傍聴する利益は大前提として認めて,しかしそれが不適切な結果を生じさせるような場合,要するに処遇選択の阻害等になる場合は例外的に認めないというのであれば,割合に分かりやすいんですけれども,積極的に相当と認めるときに傍聴を認めるんだというのは,不適切な結果が生じないということ以外に,傍聴を認めるかどうかについて考慮要素というのは出てくるんでしょうか。例えば,審判を傍聴する利益が低いとか,そのようなことを考慮するというのであれば,積極要件にするというのも,意味があると思いますが,その点はどうなのでしょうか。 ● 書き方が変わっているというのはどういう部分ですか。 ● ですから,第二の記録の閲覧及び謄写のところは原則認めるという形で相当でないと認める場合を除いてとなっています。これに対して,傍聴については,裁判所が相当と認める場合に認めるということですから,書き振りとしては違っているわけですね。 ● 閲覧・謄写の方は現行法が相当と認めるときは閲覧・謄写させることができると規定しているところを今回改めて,閲覧・謄写については原則として閲覧・謄写を認め,ただし,相当でないという具体的な事由がある場合にはそれを認めないということにするものです。今回の傍聴については,相当と認める場合にこれを認めるというわけですので,閲覧・謄写のように,原則として認めるという考え方はとっていないということだろうと思います。 ● 条文の形式としてはそうなのですが,実際の適用の場面では,傍聴が認められない場合というのは,先ほど御説明があった,要するに,審判の目的を阻害する場合だけと考えてよろしいわけですか。 ● ○○幹事に対する質問なんですが,御質問の趣旨としているところというか,御質問の背後にあるのはどのような事案を想定されているのでしょうか。「様々な事情を考慮して裁判所が相当と認めたときには傍聴が許される」わけですよね。不相当だと考えたときには許さない。その不相当というものの一つの場合として,先ほど来話が出ている適正な審判の要請や秘密保持等,非公開で行われていたことにより確保されていた審判の運用が阻害されるというのが不相当な場合の一つとしてある。それ以外にも例えばどのような事案を想定しておられるのか。 ● それ以外にもあるんですかというのが私の質問なのですが。 ● あるとすればどんな場面を考えておられますか。 ● 仮に,この要綱(骨子)と異なり,あらゆる罪名の事件について傍聴を認めるという前提をとったとすると,例えば,事件によっては,被害者にとって傍聴の利益が低いという場合もあると思います。その場合は,弊害が生じるとまではいえないにしても,傍聴が審判に及ぼす影響を考慮して,傍聴を認めることが相当でないという判断を裁判所がすることがあり得ると思うんですね。ところが,今回の要綱(骨子)は,非常に重大な事件に限定しているわけですから,そこでは,傍聴の利益が高いということが前提になっているわけで,その意味で,傍聴の相当性が前提になっているのではないか。そうすると,裁判所が,傍聴を認めるかどうかの判断において考慮することは,実際には,それにもかかわらず,傍聴を認めるべきではない事情,それが,先ほどから出ている審判の目的が阻害されるおそれがあるということですが,それに尽きていて,それ以外の考慮要素というのは,あまり考えられないように思います。そうすると,結局のところは,条文上,原則,例外はないといっても,実際は,それと同じことになるのではないかというのが,私の印象なのですが。 ● 今の観点で申し上げますと,傍聴の利益というのは,要するに審判の状況であるとかそういうことを知りたいということでありますので,それが場合によって高かったり低かったりということは余り想定はしていません。それで,相当性の中に少年の健全育成だけかと言われると,ほかにもおよそあり得ないかと言われると,ちょっと場合によっていろんな場合がありますので,例えばどういうものがあるのか分かりませんけど,傍聴した結果で少年には関係ないところで何か傍聴した結果得た情報を使って何らかの不相当な行為をされるという場面は,頭の中で考えるとあり得るかなという気はしますので,およそそれだけかと言われるとそこは場合によるのかなと思います。 ● 相当と認めるときはというのが,何というのか少年法で見るといっぱい出てくるんですね。それで,ちょっと全部見たわけではないので私もよく分からないんですけれども,例えば20条1項の検察官への送致というのは,相当と認めるときは検察官に送致するという規定があって,20条2項の方で一定の事件については,いわゆる原則逆送のような形での規定が入っているということなんですけど,ちょっと理論的に私も突き詰めていないので分からないんですが,実務的な感覚から言うと,20条1項の相当と認めるときはというのは,やはりそれなりのかなり慎重な判断をした上で,要するに少年事件というのはいわゆる保護処分に処するのが一般であると。しかし,こういう事情があって相当と認めるときは,やはりそれはいきましょうというような,慎重な判断を経た上でこれを決めるんだというふうなことが,解釈上求められていると言えるかどうかは分からないんですが,私は実務をやっている感覚から言うとそういう感覚でこの文字を読むわけですね。それで,今回の相当と認めるときはという条文が入っているというのが,先ほどの事務当局説明のように,もちろん被害者の方の強い御意向もあるんだけれども,もう一方で今まで少年審判を非公開としてきたことの大原則の例外を設けていくということになると,やはりそこには慎重な判断が要るというようなところで,その慎重さを要求しているという趣旨があるのかなとか,若しくは,何というかな,証拠によって明らかにこれは少年の健全育成を害するというふうにはっきりしている場合には駄目でしょうというのは,多分皆さんかなり一致する部分もあるのかもしれませんけれども,多分実務上はそういうおそれが非常に強いとか,そういうおそれが感じられると。感じられるというのも別に感覚の問題ではなくて,調査官が具体的に少年を調査されたり,また被害者調査をされる中で,健全育成を阻害するとは言えないけれども,言えないというのは言えるほどの証拠はないけれども,そういう恐れを持つということもあると思うんですね。そういうときに,やはり慎重に判断する,若しくは相当と認めるときはいいんだよと書いているという場合は,やはりそういう場合も含むというような意味で,全体的には慎重な判断を要求しているという趣旨があるのであろうかと思ったんですけど,そういうものでもないんですか。 ● 慎重な判断という趣旨がもう一つよく分からないんですが,先ほど申し上げたように,慎重な判断という御趣旨が,傍聴は原則認めないという方向でまず考えましょうという御趣旨であれば,それはそういうつもりはなくて,原則例外なく,いろんな要素を考えて,繰り返しで申し訳ございませんが,個別の事件に応じて御判断いただきたいということであります。 ● 要綱の意味内容について確認の質問です。少年審判は通常は1回とか2回という期日ごとに行われるわけですが,この傍聴の可否に係る要件は,期日ごとというわけではなく,審判期日の途中でも常に働くと考えてよいですか。例えば,審判の,冒頭まず傍聴をお認めするかどうかで働いて,相当であるということで傍聴が始まった場合でも,その審判期日の途中で実施される事柄によっては,常にこの要件との兼ね合いで,例えば,極めて秘密を要するような事柄がそこで読み上げられざるを得ない場面ですとか,あるいは,例えば証人の方との関係ですとか,様々な事情により,審判期日の途中で,傍聴不相当になると判断され,家裁の裁判官が,-ここはやはりこれこれこういう事情によりという十分な御説明は必要だと思いますが-,傍聴人に一時的に退廷してもらう,しかしまた相当な場面では入っていただくというようなことは想定されているのでしょうか。 ● そこは結論的にはおっしゃるとおりでございます。審判も生き物ですので,進行によってそのときの状況というのは当然変わると。相当性を必ずしも満たさないという場合には,それは要するに審判傍聴を認めないということになるでしょうし,場合によっては退席していただくといったようなことも考えられるのではないかと思っております。 ● 今の件との兼ね合いで,前回,私は,社会記録の閲覧が認められていないということとの兼ね合いで,場合によっては傍聴が認められない場面があるんでしょうかというまた御質問をさせてもらったんですけれども,少年審判において,社会記録も十分に踏まえて,立ち入った審判を行うというのが恐らくある意味では理想的な審判だと思うんです。中にはそういうことに十分触れないまま終わってしまう審判もそれはないわけではないかもしれませんが,そうだとすると,今,事務当局説明のあったような,被害者の方に一部退席していただくということが,理想的な審判が行われるならば,ほぼ全件において発生すると。ちょっと極端な言い方ですけど。若しくは,極端な言い方をやめると,非常にしばしば発生するというような状況を念頭に置いておられるということになるのかなと思うんですけれども。すみません,これは数の問題でどうこう答えてくれというわけではないんですけれども,それからもちろん個別のケースで見てみないと分からないというのももちろんそうなんですけれども,要するに法律記録にも書いてないようなことでも社会記録で分かったというようないろんなことについて話が出るということもよくあると思うものですから,結構そういうことは,よくというか一定程度起こるということが前提になっているんでしょうかという質問です。 ● 理想的な審判が行われればという仮定のお話ですので,そこはなかなか答えづらい部分があるんですけれども,やはり社会記録に書いてあるような相当深いプライバシーに踏み込むような内容に審判が及ぶ場合には,その傍聴というのは御遠慮いただくのかなというふうに考えております。   それと12年意見交換会で○○先生が言われていたかと思うんですが,どこまで深く,どこまでそのプライバシーにかかわっていくかと,やはりそれは事案,事案によると思うんですね。そのとき○○先生は,少し引用させていただきますと,生育歴とかそういったものを考えなければいけないと,こういうことは事実であろうけれども,現実問題すべての少年事件においてそのように深い背景事情とかプライバシーとかいうのが問題になっているわけでもないのであると,こういう趣旨のことを述べられているんです。この点は,事案,事案によって異なるものと思いますが,いずれにせよプライバシーの相当深いものにかかわる場合には,それは傍聴していただかないということになる,ということかと思います。 ● そうしますとね,要するに,今まで家庭裁判所の方は少年審判を行うについて,余りそういうことを意識せずに審判していたと思うんです。要するに先ほど非行事実の浅い部分を聞いたかと思うと,話の流れ上,正に審判は生き物ですから,ちょっと話の流れ上,非常に突っ込んだ話になっていって,では先にこの話を聞こうかということでかなり深い話に入っていったり,またそこから引き上げて,だからというのでまた事件の部分を聞いたりというようなことで,そういう運用をされていたと思うんですけれども,そこのところは審判のやり方を少し変えるというか,そういうようなことになるんでしょうか。実務上,どういうふうになっていくのかなということでよく分からないものですから,質問しているんですが。 ● そこは,結論的には裁判官の方に工夫していただく場面は当然あるんだと思います。もちろん社会記録に書いてあることに触れれば全部傍聴は御遠慮いただくという趣旨ではありませんので,社会記録に書いてあることであっても,ものごとの程度というのもありましょうし,少年がどんな少年であるのかという問題も当然ありましょうし,審判の状況としてどういう段階なのかというのもありますので,社会記録に書いてあるような多少ともプライバシーにかかわるものなら全部出ていただくという趣旨ではございませんけれども,一方ではやはり非常にプライバシー性の高い場面では,ほかの要素も考慮すると,ちょっと一時退席していただくということもあり得るということを申し上げたわけでありまして,その場合,先ほどのお話でいくと,そういうところへもし退席していただくのが相当な場面というのが予想されるのであれば,そこをなるべくまとめてやるとか,そういう審判の工夫はある程度考えていただく必要がある場面もあるかもしれないとは思います。 ● だから,私の意見としては,私はちょっと傍聴自体が反対ではあるんですけれども,もしこういう枠組みの中でやっていくとすると,そうは言っても審判は生き物なので,そういう意味では審判手続を分けるといったらおかしいんですけれども,かなり非定型にいろんなことを聞く部分を最初の何分かやろうとか,ここの何分でやろうとかいうようなことをしないと,今のやり方でやっていると,ではちょっと出てくださいと言って3分出てまた戻ってきてもらったけど,また次の話に入ったらまたそっちに来たから,ではあと2分出てくださいとかいうことになるので,かなりそういうことを意識した審判運営が要るのではないかなと思ったんです。ただ,他方で,この間,意見交換会などで裁判所の方から要保護性と非行事実の認定を分けて審判するというのは非常に実務上難しいということも話が出ていましたのでね,そこは私は似たような話ではないかと思うものですから,現状,現実にその実務を運営していく上でそこでやれるのかという,そういう質問でもあるんですけれども。 ● 引用されたので行きがかり上出てきましたけれども。先ほどからの社会記録という言葉が今の議論の中では独り歩きしているかなと。確かに類型的に社会記録に記載してある内容というのはプライバシーの要保護性の高い事実を書いてあることがあるんでしょうけれども,社会記録の閲覧・謄写が認められていないということと,社会記録に書いてあることが審判で議論になったら傍聴ができないということはイコールではないはずだと思います。そして,社会記録に書いてあることであっても,プライバシー侵害等に至らない,あるいは,何というかな,類型的に,ごめんなさい,うまく言えない。社会記録に書いてあることであっても高度な保護に値するプライバシー事項とは限らないと思うんですよね。家庭の生育関係とか全然問題ない少年とかだって,現実,殺人事件を起こすことがありますから。だから,社会記録にかかわる部分になったらそれで退席をしなければいけないということは余りないんではないかなというふうに思います。   あと,○○先生がおっしゃるように審判は生き物だから流れの中でちょっとプライバシーに突っ込んだ質問をしなければいけないと。社会記録云々ではなくてね,プライバシーに突っ込んだ質問をしなければいけないという場面も確かにあり得るのでしょうけれども,でも幾ら非定型とはいっても,裁判官,審判官が行き当たりばったりの質問をしていたり審判を運営しているわけではなくて,ある程度流れというものを考えて運営されているのが実務ではないかと思うんです。そうすると,今日の審判期日の中で少年に対する質問でどうしてもここは触れざるを得ないなというときには,例えば事前に一律に退席させてしまうということはやはりあるかもしれないけれども,その都度,入ったり出たり入ったり出たりというような細切れの審判運営というようなのは余り実務上心配ないんではないかなと私は考えております。 ● 審判運営の話が出ましたが,○○委員がおっしゃるとおりだと思います。通常は,裁判官は審判の流れを一応想定して入っておりますので,今の審判でもいつ関係者を退席させようかというようなことも考えながらやっておりますので,そこはそう御心配いただかなくてもいいんではないかなというふうに思います。   これに関連して申し上げたいのは,やはり内省,適正な処遇選択は言わば実体的な目標なんですけれども,実際の審判の運営ではいかに少年が話せるかどうかということも裁判官は考えます。ですから,今後,仮に傍聴が認められるとして,少年が話せなくなってしまうような場合は,これはマイナス要素というか,傍聴をお断りする方向に考慮されるんだろうなというふうに思います。今,傍聴のない審判でも非常にしゃべらない子がたまにいます。ですから,そういう少年に対して更に第三者が入ったら審判自体が成り立たないということも考えられますので,そこはそういうことになろうかと思います。   それから,先ほど審判の利益というようなお話もありましたけれども,あるいはこういう事例はどうでしょうか,暴走族同士の対立抗争で他方が死んでしまったと。その家族もちょっと問題のある家族だというような場合に,これは審判を認めるかというと,ちょっと認めづらいかなというような事例を今,議論を聞いて思い浮かべましたので,一応御参考までにと思います。 ● そのほか,この論点メモ3について,更に御意見等ございますでしょうか。 ● よろしいですか。被害者側の今,○○委員がおっしゃったような事情というのは,この要綱でいうと,その他の事情というところに入るんでしょうか。これはあくまでもここに例示されているのは少年側なのか,被害者側の事情というのはどこなのかというのを一つ聞きたいのと,それから,私現実の場面を想定したときに非常に懸念しますのは,今,私も刑事裁判,逆送された少年の刑事裁判で,ずっと亡くなった少年の御両親が傍聴席の一番前で傍聴されておられる事件を体験しております。被害者の遺影をお持ちになって,やはりどうしても事実の部分,少年が亡くなった部分になりますと,御両親としてはもうこらえ難い涙があふれるわけでして,共犯9名おりました。私,傍聴も含めて何度もその場面を見ておりますけれども,嗚咽とかどうしても被害者について失礼なといいましょうか,マイナスな出来事ということも証言せざるを得ない場面があって,そういうところになるとため息とかあるいは憤りとか,本当に少年がバーの一番前にいるわけですが,そのすぐ斜め後ろで嗚咽やため息やそういう息づかいと申しましょうか,そういうものがあるんです。そしてまたある日のとき,お父さんがバッと裁判の途中で立ち上がられて随分靴音高く外にお出になった。そうするともう,裁判長たちも含めて,合議体の裁判官も含めて全員がはっとして何かが起きるのではないかみたいな状況になったりとかいたします。そういうことというのはもちろん被害者の方も傍聴を希望される以上,私は冷静に聴けますというふうにおっしゃってのことと思いますが,被害者の方もやはり審判廷に入ってみないと分からない感情の爆発と申しましょうか起伏と申しましょうか,そういうことがあると思います。その辺りについてやはり現実的に考えて議論すべきではないかと思っております。 ● まず,○○委員の言われたような事例が考慮事情のどこに当たるのかということにつきましては,基本的には事件の性質で読めるのではないかというふうに考えております。   それと2点目の○○委員の御指摘でございますが,裁判所による適正な処遇選択ですとか内省の深化が妨げられるような事情が仮に生じているのであれば,それはやはり傍聴していただくというのは必ずしも適切ではないのかなと思いますので,そういった場合には退席していただくということになるのかなというふうには思っております。 ● 相当と認めるときはというのは,ここでなくてもいっぱいあるんですね。法律の中で,被害者参加でもありますし,それから被告人に対する質問のところでも,証人に対するところでもどこでもあるんですよ。一々書けないところを相当と認めるときはということになっているわけですから,ここで細かくそれを相当と認める場合はああだこうだ列記しろといったら,それは100も200にもなるかもしれません。だから,ここはやはり慣例に従って裁判所の判断に従うということしかないんではないですか。それ以上細かく,ああだこうだ,ああだこうだと私はやれないと思いますよ。そこは裁判所を信頼する以外に手はないと思います。   それから,今,○○委員が言われたように靴音高く出たとか,ため息をついたとか,全部が全部そうではありませんよ。それはそういう例もあれば裁判所が適切に判断すればいいわけでね。悪い例ばかり挙げてはいけないと思います。 ● 先ほど○○委員の話もありましたけれども,私の意見も,もちろん被害者の方が皆さんそういう行動をされるということでもないし,それからまたそういう行動をされること自体がよくない,よくないというか被害者の方が悪いとか被害者の方として行動がおかしいというつもりは全然ないんです。当然だと思うんです。しかし,要するにそういうようなことがある場合もあって,付添人の側からすると,非常に強い緊張感がある。多分,被害者の方も先ほどのお話でありましたように,少年の健全育成のための審判廷に1人で出てこられるというのが非常に心細いお気持ちで大変辛い思いで出てこられると思うんですけれども,他方また少年の側も非常に強い緊張感があるというのがむしろ一般的だと思うんですね。私自身は少年審判の中で被害者の方の意見陳述を少年と共に審判廷で聞いたというような経験が一度あるだけで,逆送手続などでは何件か経験がありますけれども,何しろ審判廷が狭いということも含めて,いずれにせよかなり強い緊張感が伴うものですから,私の感覚ではかなり多くの場合に少年自身が話をしにくいとかいうような状況が出るんではないかと。もちろん黙ってしまうとか,何も言わなくなるというような,そういうような場合は,それはそれでそんなに数が多くないのかもしれませんけれども,本当に言っている内容が自分が思っているとおり言っているのか,言っていないのかということを考え出すと,いろんな影響があるのではないかなというふうに自分の経験からは思っています。   もう一点だけいいですか。 ● はい,どうぞ。 ● あと,議論されていないんですが,私の実務上の懸念は恐らくこういう手続になると,審判が形式化,形骸化するのでないかというようなことも心配をしております。少年事件の手続自体はある意味では調査官といろんなやり取りをしたり,場合によったら審判が始まる前に裁判官とこういうような話をしたりというようなことが総合的に絡み合って,最後に審判が行われるというような枠組みになっているわけですね。ですから,そういう意味では被害者の方が傍聴されていろいろと話がしづらい部分も出てくるとなると,ではそれは事前に調査官調査でいろいろ話をしようとか,裁判官に直接訴えたいことがあるけれども,それは,では審判の前に付添人が代わりに言っておこうとかいうような形になって,結局少年審判自身がある意味では形式化するというか刑事裁判化するというか,そういう懸念もあるのではないかとも思っています。 ● ほかに御意見ございますか。   それでは,時間も大分経過しておりますので,次の4のところまでは行きたいと思っておりますので,4の傍聴の場所,方法等のところに移りたいと思います。この①は先ほど○○幹事の御説明がありましたことと関連することですが,「被害者等は審判廷のどこで傍聴することとするか」,それから,②は「被害者等が審判廷と別の部屋でモニターにより傍聴することも認めるか」。この①,②併せて審議をしたいと思います。どちらからでも結構ですので,御意見をちょうだいしたいと思います。 ● モニター傍聴というアイデアは前回会議で出されたものと思いますが,今日の議論も踏まえて考えたことをまとめて申し上げます。   モニター傍聴という方式は,被害者の方は審判廷の外にいながら同時的に審判の様子を正にこの目で,モニターを通じてではありますけれども,見聞きできることから,審判の状況を自分の目で見て如実に知りたいという被害者側の要請は満たすわけです。他方で,少年その他の関係者が,被害関係者により非常に近い場所から直接見られることに伴って,様々な,萎縮的な効果,作用が出てしまうというおそれを回避できる。そこで,一見すると審判非公開による審判廷の機能の維持ということと,被害者側の傍聴したいという要請をうまく調整しているように見えます。しかしながら,私にはこの問題は単なるこのような利害調整の問題ではないように思われます。この論点メモでは傍聴の場所と同列の,こういう方法もオプションとしてあったらいいんではないかという位置付けで書いてあるんですが,これは大分性質の違う問題ではないかと思うのです。結論を先に申しますと,モニター傍聴というのは,不適切である,こういう方法は設けるべきではないというのが私の仮の結論なんです。   どういう理屈かといいますと,先ほど傍聴の相当性について議論されたように,結局審判の状況をこの目で見たいという要請の当否については,審判の経過が見られていることそれ自体によって,審判の過程に,少年等のプライバシーも含めて,何か阻害要因が生じるかどうか,それが著しい場合にはやはり不相当だから審判は傍聴していただくわけにはいかないという判断をするか,そういう要因がない場合には相当であるから傍聴していただいて結構だという,いずれかの整理になると思うのです。そして,見られていることによる影響というのは,直接審判廷の場で見られているか,モニターを通じて間接的に見られているかを問わず,基本的に変わらないはずであろうと思います。だから,見られていることによって不相当な効果が発生するということが予測される場合には,審判傍聴は認めないという結論になるはずであって,直接傍聴は不相当だけれども,間接のビデオ傍聴が相当になるという場合は,理屈の上ではないんではなかろうかというのが私の考えたことです。だとすれば,こういう方法はやはり適当でない。逆に見られていても大丈夫であり,傍聴相当であるという事案であれば,やはり直接その場で傍聴していただければいいのではないかというのが私の考えです。正にこの目で直接見ていただくのが筋ではないかと思うのです。   ただ,被害者の方の心情を考えると,直接審判廷に行くのはためらわれるけれども,モニターを通じて別の部屋で見られるのであれば傍聴したいという御要望があるのかもしれません。そこで,まずそのような御要望があるのかどうかというのをお聞きしたいと思います。ただ,私はそういう御要望はあったとしても,傍聴,つまり見られていることによっても少年審判の機能は害されない,裁判所が相当だと判断する場合であったならば,やはり直接その場で傍聴されるのが筋なのではないかと思うのです。これは理屈の問題ではないと言われれば終わりですが,単なるオプションの問題ではなくて,どっちかではないだろうかというのが私の現在の意見です。そういう意味で,モニター傍聴という方式を別途設定するのは,適当ではないと考えます。皆様の御意見を承りたいと思います。 ● 被害者の要望としてその経過を知りたいという,そういう御要望が多いわけですから,こういうモニターという方法によってその御意向を達成するというふうな場合はかなり考えられるのではないかと思いますので,こういう方法も用意しておくといいますか,それは裁判官の相当性の判断の中で決定していただく。そういう方法も認めるのだということにしておくのが適当だというふうに考えます。 ● ○○委員の提示された問題点に対応する形で意見を述べますが,私としてはモニターによる傍聴というのもやはりオプションの一つとして残していった方が相当ではないかと考えています。ただ,○○委員がおっしゃった基本的な理屈の構造に関しては,逆の立場から賛成ですけど,ビデオで見せていても問題ないと思っているんだったらライブで見せてくださいというのが一般的な被害者の方の考えになると思うんですね。だから,仮にオプションとして置くとしても,できるだけ例外的な場合に限定してもらいたいと。ビデオで見せて,モニターで見せて構わないと思うんだったら,きちんと在廷させてくださいというのをまず原則として考えるだろうなと。   では,ライブで見れるからモニターみたいな措置は一切要らないのではないかというと,例えば,やはり先ほど問題点を整理すると,見られていうことでは一緒かもしれないけども,やはりその少年にしてみれば生身の人間がすぐ近くにいるということとカメラで別室で見られていることでは,場合によっては言いたいことをしゃべれなくなるという萎縮的効果に違いが出てくる場合もやはりあるでしょうし,特に私,先ほど御指摘があった触法少年なんかの場合には,知らない大人が座っているという場面と比べると萎縮的効果に差は十分あり得るんではないかなと。そうすると,折衷的な手当としてこういった方法は意味があるというのが一つ。   それから,被害者が傍聴するという場合,被害者が1名ならいいんですけれども,被害者が多数ですとか,子だくさんで兄弟姉妹が8人,10人いるなんていう場合には,別室で見てもらうというのもやはり一つあり得る方法ではないかというふうには思います。   そんなわけで,おっしゃるとおり,原則として被害者が見ても問題ないんだったら,ライブで見させてもらいたい。ただし,場合によったらこういうオプションも残してもらいたいと思います。   もう一つ,被害者によっては加害少年の手続はきちんと見たいけれども,加害少年のすぐ近くに座るというのは心理的負担が大きいという方もおられると思うので,そういう場合に配慮するためにはこのモニターの制度というものは有用ではないかというふうに思います。 ● 繰り返しになってしまいますが,先ほどの私の議論の前提は,直接在廷して傍聴する場合であろうと,別室でモニターによる傍聴が行われる場合であろうと,被害者によって審判の経過がこの目で見られているということを審判廷のすべての関係者が意識することによって,審判廷に何らかの影響が及ぶだろうし,その影響に違いはないはずだろうということです。これに対してもし何か違いがある,つまり直接そこにいて傍聴されるのは不適当な影響が大きいので傍聴不相当という結論になるが,間接的なモニター傍聴であれば直接傍聴による不当な影響が減じて傍聴相当になるというような,そんな場合が本当にあるんだろうかというのが私の問題意識なんです。   被害者の方のお気持ちとして,直接行くのはちょっとためらわれるが,間接的に見たいということは,確かにモニターで満たされるかもしれません。しかし,傍聴されたいという場合はやはり直接傍聴されるべきではないかと思うんですね。それが不相当な場合はモニターであれ在廷傍聴であれ傍聴できないという帰結となるのが筋ではないかなと考えているんですが,御議論いただければと思います。 ● 余りこの論点を全面的に論じる持ち合わせは今ないんですが,少なくとも直接傍聴すべきだという性質の話ではないのではないかと思います。やはりある意味ではオプションの問題ですので,先ほど言われたような被害者のいろんな複雑な心情もあり,あるいは少年に対する複雑な影響というのがあるとすると,どう考えるべきかという議論になるのではないかと思いますので,こういう場合,むしろ直接それを踏まえて傍聴すべきだという形で議論するのはややどうかなという感じがしました。 ● もし単なるオプションの問題だというのであれば,ちょっと構造が違うんですけれども,わざわざ条文に書かないでも,傍聴が相当かどうかの判断は法律に書いて家裁の職権判断になる。その傍聴の一態様として,モニター方式というのもオプションとしてあり得るけれど,それは家裁の広い意味での職権判断あるいは審判指揮の問題だから,必ずしも条文に書く必要はないという考えもあり得ますか。 ● ちょっと私もそこを少し確認したかったんですが,要するに事務当局の骨子案からすると,そもそもビデオによる傍聴というのも入っていて,単にその傍聴がここでというか,後ろで見ているか,部屋のちょっと3メートル横で見ているか,更にはビデオを通して見ているかの違いであって,それは含まれているというのか,多分,御趣旨は元々は含まれていないということなのかなという気もするんですけれども,それはこの要綱(骨子)による傍聴ではないので,仮に部会でいわゆるモニター傍聴を入れるということであれば,何か条文で書く必要があるというようなお考えなのかというような,そこのところと,あといろいろ仮に元々の骨子案がモニター傍聴が入っていないということであれば,それはそれでいろいろお考えになった末に,そこは除いておられる部分もあるのかなと思いまして,その辺りのところ,もし御説明があれば教えていただきたいと思いました。 ● 要綱(骨子)自体の傍聴というのは,通常考えられているとおり,同じ部屋で直接見聞きをするという意味の傍聴だという前提で考えております。モニターによるものを認めるかどうかというのは,私どものこの案を検討する過程では元々被害者の方々の御要望というのが基本的には今述べたような傍聴を認めてほしいということでありましたし,モニターによるものを認めてほしいと,積極的に言われているわけではないように受け止めておりましたので,こういう形でまとめたということでございます。その上で,では,モニターによるものをなお認めるかどうかというのは,正に御議論いただくべき事柄だとは思います。もしこの骨子案どおりに決まったとして,その上で条文がないとモニターによる措置が認められないかどうかというのは,なお検討の余地があるのかもしれませんが,それは別にして,やはり,それを盛り込むべきかどうかについてどのように考えるのかということを議論していただくのが先ではないかという感じがしております。 ● そういう意味では,最終どういう解釈になるかというよりはここでいわゆるモニター傍聴がどうなのかという議論があって,あとはそれがどういう読み方をすればいいのかという議論になるのかもしれません。先ほど○○委員から出ていた少年に対する影響がどうなのかというのは,ちょっと私どもあまり深く考えたことがなくて,よく分からないといったらあれなんですけれども,一見そばにはいらっしゃらないわけだから,漠然と考えたら効果が違うのかというふうに思えなくもないですけれども,しかし結論においてはモニターを通じて傍聴しておられるということなので,若干の差がないわけではないのかもしれませんけれども,直感的には,少年の側だけからの事情から見ればあまり変わらないのかなというふうな気がしていますけれども,次回までにその点またよく熟慮してきます。 ● 正に,モニターの議論というのがどういう目的で出てくるかというのが一つあろうと思います。多分,出発点としては少年が萎縮することを防ぐというところだろうと思っております。そういう観点から今,何人かの委員からも幾つか指摘がありましたけれども,本当にその場にいないでモニターであれば萎縮しないという効果があるのかどうかというのは,そこはかなり疑問ではないかというところは思っております。   もう一つは裁判所ですね。審判機能を確保するということでは,裁判官ですが,そこに直接被害者がいるのか,それともモニターという形であってもやはり見ているかというときに,その働きかけをするときにどう変わってくるかというと,やはりそれは被害者がどういう形であれ見ているというのはモニターであっても変わらないところが大きいのではないかと思っております。   もう一点,○○委員から,萎縮を防止するということではなくて,例えば人数の関係だとかそれから被害者の希望とか,こういった観点からモニターをということになると,また随分事情が違ってくるところがあろうと思います。先ほど各論ですか,要件を検討していたところですけれども,少なくとも今の要綱(骨子)ではこれこれの事情を考慮して相当と認める場合と,こういうふうになっているわけですが,そこは少なくとも審判が今まで果たしてきた機能に影響があるかどうかと,こういった観点から,認める,認めないというのを考えていたところですけれども,モニターというオプションができて,そのオプションの目的というのが,例えば人数の関係だとか,被害者の側の事情ということになると,裁判所はこれをどういう要件でどう判断したらいいのかというのが非常に分かりにくくなってくるところではないかと思っております。まだ十分な検討ができているわけではありませんけれども,直感的と言いますか,検討すべき点としてはそういうところがあるのではないかと思っておるところです。 ● あとは,モニターの関係では,例えば先ほどの一部傍聴というか,退席をしていただくというような場面が出たときに,直接傍聴であればいらっしゃるわけですから,裁判官自ら直接に説明してやり取りをして,ではちょっとお待ちいただけますかということになると思うんですが,それは多分モニターを通じて今からこうなりますよというふうに言って,ブチッとモニターが切れて,真っ黒の画面のところで,もちろん付添いの方もいらっしゃったり裁判所もそれなりに配慮はするにしても,そういう形で1人置かれていつ始まる,まあ退席してもいつ始まるか分からないわけですけど,いつ始まるか分からないと。始まるときには画面がボンと出て,ではまた今から見ていただきますみたいな話になるというようなことも考えると,そう気軽にいろんな意味でオプションでやっていいんではないかというふうに飛び付けない面もあるんではないかなと思って,ちょっと私自身もいろいろと慎重な立場から検討はしたいなと思っています。 ● この問題で,被害者の立場からは何か御意見はございますか。 ● 少年事件に関しては今までは体験ありません。その付添いも全然なかったわけですから。刑事裁判の中でビデオリンクというものが取り扱われるようになって,それは本当にありがたいことだというふうには思っています。ただ,最初気が付かなかったんですけれども,いいんでしょうか,そういうお話,ビデオリンクって小部屋に通されて,私ちょっと付添いをしたことがあるんですが,座っているわけですね。こちらの認識としては向こうが見えないので,私たちが向こうに映っているという認識がなかったんですね。そうしたら,こちらのビデオリンクでしていただいているところのことも全部映っているということで,ちょっと驚きまして,それでその後,何か性被害とかそういうようなことで御要望があればビデオリンクプラス遮へいということをしていただくというようなお願いをするようになっています。被害者側から言わせていただければ,もちろん少年審判に対してどういう影響があるかということは本当に最大の着目事項になるとは思うんですが,ただもう少しシンプルに,例えば傍聴したいという申出をして,裁判所の方で考慮していただいて,大丈夫ですよという御返事がいただけたときに,被害者の状況に応じて実はすごく張り切っておられたけれども今ちょっと直接入れるような状況ではなくなってしまっているので,何か配慮をしていただけないかというときに,ではモニターでというようなやり取りの中でそういう措置をとっていただけるのであれば,それは是非お願いしたいことではあると思います。 ● そのほか,このモニターの問題について御意見ございますでしょうか。 ● 被害者も傍聴はしたいけれども,怖くて入れないという場合もあり得ると思いますね。例えば相手が非常に凶暴な少年であると。少年院出てきたらまた何されるか分からないと。そういうふうな場合には,親は傍聴はしたいけれども,顔を覚えられたくないという場合もあると思うんですよ。そういう場合に遮へい化,今,○○委員がおっしゃったように,モニターにしてもそれが丸映しに法廷でなってしまう,審判廷でなるということでは困りますから,その辺を工夫した上で,私は一つの選択肢としてあっていいんではないかなと。被害者のためにもあった方がいいんではないかと,こう思っておりますけれども。 ● ビデオリンクは被害者証人の方をお守りするための制度ですけれども,証人尋問ですからやむを得ず別室にいらっしゃる御様子も法廷に映ってしまうんです。今,想定して議論しているのはそういうものではないですよね。一方的に別室で御覧いただけるというものですね。 ● ただ,刑事裁判の中でそういうこともあり得ましたので,被害者側から見るとやはり被害者を守るというか,被害者の状況に応じた処置という意味で考えていただきたいということをお伝えしたかったんです。 ● このモニターの問題について更に御意見ございますでしょうか。 ● 今の被害者の側からの御要望ということについて,これは立法的なほかの制度ではないわけですね。刑事の公判傍聴でも民事の法廷傍聴でも。それから,最近の医療観察法における審判は非公開とする,ただし,被害者傍聴できる場合があるという,そういう制度設計の中で,少年審判のときに被害者の御要望に応じて別室でモニターで審判廷の模様を見ることができるという,それは制度的にはどういうふうに位置付けられることになるんでしょうか。これは事務当局の方に確認をさせていただきたいんですが。 ● この論点は,そういう意味では前回の御議論を踏まえて,論点として出しました。事務当局として今一定のこの点に関して意見を持っているわけではございませんので,こういう位置付けにしたらいいとかということはちょっと今の段階では申し上げられませんし,そこも含めて必要であれば御検討いただく,御審議いただくということではないかと思います。 ● それでは,このモニターの問題については,また更に御意見を伺う機会がございますので,本日のところはこの程度にして,残りました4の①の方に移りたいと思いますが,「被害者は審判廷のどこで傍聴することとするか」,この点について御意見ございますでしょうか。 ● それはもう本当にこの問題は各地の裁判所の審判廷の構造とかありますし,それこそどこに座ってもらうかというのは,その審判ごとに,審判官というか裁判官の裁量判断で決すべきことなんではないかというふうに思いますけれども,いかがでしょうか。 ● 私も前回申し上げたとおり,もちろんそのそれぞれの裁判官が決めていくことであるとは思うんです。しかし,ここでの議論が,別に拘束する趣旨ではないけれども,例えばこういうような懸念が示されたとか,こういうことに配慮する必要があるんではないかとか,いろいろな意見が出ることで,仮に傍聴するというふうになった場合に,裁判所としてはこういうことを十分考慮して席を決めようとかいうようなことも出てくるのではないかと思うので,委員でみんな意見がなければ意見がないからそれで次のところに行くということになると思うんですけれども,やはりその席についてこういうような配慮が要るのではないかとか,いろいろ裁判官の判断とはいえ,いくら何でもこの席に座るのはまずいのではないかとか,もしそういうような議論があるのであれば,しておいた方がいいのではないかと思って前回私申し上げたということなんです。   それとの絡みで言うと,裁判所の方で,これもだから例えばということですけれども,一つの例として,この資料,最高裁からの資料2,資料3でいわゆる廊下側というふうになっているところ辺りかなというふうにおっしゃったんですけれども,もし裁判所の方でもちろんこういう模式的な例ではあるんだけれども,こういう場所も考えてみたけど,こっちはこういう不都合があり,またああいう場所も考えてみたけど,こういう不都合もあり,この例であればこういうところに落ち着きましたみたいな,もしそういう何か試行錯誤があるのであれば,ちょっと教えていただければと思います。 ● 試行錯誤というほど選択肢がたくさんあるわけではなかろうと思っております。この資料2,3でお示ししたとおり,通常,審判廷というのはこういう形で使われておるものですから,大体こういうイメージを持つところと共通ではないかと思うんですけれども,大体入れる可能性のあるところとしては,この2つの図ですと左下部分になりますけれども,おのずからそこら辺になってくるのではないかと。ここが出発点でございますので,特に試行錯誤ということではなかったというふうに考えております。 ● これも技術的なことなのかもしれませんが,どういうのかな,よく刑事の裁判とか民事の裁判でも,バーの中に入るか入らないかで結構細かな議論になるときもあるんです。裁判官によっては事務員さんはバーの中には入らないでくださいとか,代わりに日を決めるのに行ってもらったときに。その辺りは,要するに,裁判当事者であるのか当事者でないのか,代理人なのか代理人でないのかということについて結構きめ細かくこだわりをされて,裁判,その法廷を仕切っておられるという趣旨だと思うです。私はバーを設けた方がいいのでないかという趣旨で質問しているわけではないんですけれども,要するに傍聴と在席が外見的に見たときにはほとんど変わらないような形になると思うんですけれども,そのような,要するに傍聴だからということで何か外形的に配慮が要るというような問題があるのか,ないのかという,そういう趣旨の質問です。 ● いろいろ検討する中で,場所については選択肢がたくさんあるということではなくて,今の○○委員の御発言ですと,バーの設置とかそういうことだろうかと思います。それに関して考えてみますと,まず,もちろんこれは傍聴する場合に使う審判廷でもありますけれども,多くの事件は,多分傍聴制度が入ったとしても被害者の傍聴がないという前提で使っていくべき審判廷であろうと思われます。そうすると,通常の法廷は傍聴席が恒常的に設けられているわけですから,バーというのも当然固定式になっているわけですが,いろいろな制約がある中で,この審判廷にそういった恒常的なバーを設けるということが果たして適当だろうかというのは考えるべきことだろうと思います。また,もう一歩踏み込みますと,ではバーというのを可動式のものにしてはどうなのかという御指摘があるかもしれませんけれども,それを設けることの目的や効果ということを考えてみたときに,果たしてそれが必須のものかどうかというのは,まだもう少し検討すべきところではないかと思っております。 ● あと,今回この資料の中で立ち会うであろう人を挙げていただいているんですけれども,恐らくこの書類だと調査官お一人ということですけれども,例えば被害者調査された調査官がいらっしゃればもう少し増える,若しくは共同調査ということになれば元々の調査官も人数が増えるので,この調査官が2人になったり,場合によったら3人,4人になったりというようなことがあり得るということでしょうかというのが一つの質問と,もう一つは,これもちょっと趣旨としては被害者の方がそういうふうな不適切な行動をされることが多いという意味で言っているわけではないんですけれども,中には不測の事態が起こらないとも限らないので,それはまた逆に少年の側が,若しくは少年の親の側が不測の事態を起こすということもまたあり得ることではあると思うので,そういう意味では,いわゆる警備というか,そういう観点を入れたときに,更にこの模式図でいうとどこかに,裁判所の方が配置されるというようなことにもなるんでしょうか。 ● まず調査官の人数という御指摘がありました。正に御指摘のとおり,特に重大事件になりますと,共同調査ということで調査官が1名でなくて2名なり3名で担当することもございます。そういったときに,審判に調査官全員が入る例も当然ございます。そういうことからすると,調査官がこの図では1人になっておりますけれども,2人又は3人という場合も出てこようというふうに思っております。あと人数が変動するものとしては付添人が必ずしも1人ということでなくて,やはり2名なり3名付く事案もあるというふうに承知しておりますので,調査官なり付添人の人数に関してはそういう変動があるものですから,それに応じて実際の配置というものは変わってくるというところがあろうと思います。   それから,2点目ですが,不測の事態などを想定した警備なり裁判所の職員の立会いということでございます。これは合議審判廷の方も単独審判廷の方もいずれも裁判所事務官を,最近は余り廷吏という言葉は使わないんですが,配置しております。通常の軽い在宅であれば事務官が立ち会わないこともあるんですけれども,まずこういう種類の事件であれば裁判所事務官が1人立ち会うということは,これも審判の指揮の問題ということになってきますけれども,大体通常いるというふうに考えていいだろうと思っております。そのあと,人数に関しても事案における各裁判官の判断ということで,可能性としては鑑別所職員もここに1人と書いておりますが2人になることがあるのと同様に,裁判所事務官の数も変わってくる可能性はあるのだろうと思っております。 ● それでは,予定をしておりました時間を大幅に経過してしまいましたので,本日の審議はこの程度にいたしたいと思います。   それで,次回の審議の予定ですが,特に御意見がなければ,要綱(骨子)第一の残りの部分,それから要綱(骨子)第二から第四までの第二巡目の議論を行い,さらに,要綱(骨子)全体についての第三巡目の議論に入りたいと考えておりますが,それでよろしゅうございますか。 ● 三巡目ということに絡むのかどうかは分からないんですけれども,場合によっては書面で少し意見を提出させていただくと。ここでまたそれを読み上げるという趣旨ではなくて,むしろ時間節約の趣旨も含めて書面でお出ししたり資料を提出するというようなこともできれば認めていただきたいと思っています。 ● よろしくお願いします。   それでは,次回はそのようなやり方で御異論がなければ,次回の日時場所等について。 ● 次回の部会につきましては,来年の1月10日木曜日になります。時間はいつもと同じ午後1時30分から,法務省20階の第1会議室で行うことになっております。 ● それでは,次回の部会は,ただ今事務局からありましたように来年1月10日の木曜日午後1時30分から,法務省20階の第1会議室で行います。   それでは,本日はこれで散会いたします。長時間大変どうもありがとうございました。皆様どうぞ良いお年をお迎えください。