法制審議会民法成年年齢部会 第2回会議 議事録 第1 日 時  平成20年4月15日(火) 自 午後1時30分                       至 午後4時35分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  民法の成年年齢の引下げの当否について 第4 議 事 (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻がまいりましたので,法制審議会民法成年年齢部会の第2回会議を開催いたします。     (前回欠席された委員の自己紹介につき省略) ○鎌田部会長 それでは,本日の議事に入りたいと思いますが,その前に本部会の議事録の取扱いにつきまして,事務当局から報告をさせたいと思います。   前回の部会におきまして,皆様に御審議いただきまして,この部会につきましては,総会において部会の判断で発言者の氏名を明らかにすることができるとの決定がされた場合には,前回の部会の議事録から発言者の氏名を公表するとの決定が行われました。そこで,総会における検討の状況について説明をしてもらいます。 ○小山関係官 説明させていただきます。   法制審議会の議事録の取扱いにつきましては,発言者名を一律に非公開としている現在の取扱いについて,審議の課題によっては,これを公にすることができないものか法制審議会で慎重に議論してほしい旨の鳩山法務大臣の御発言を受けまして,法制審議会の総会が,会長であります青山委員により招集されまして,先月26日に法制審議会第156回会議が開催されました。   そして,御審議の結果,部会につきましては,それぞれの審議事項ごとに部会長において当該部会における議論を踏まえた上で,審議事項の内容,発言者名を明らかにすることにより自由な議論が妨げられるおそれの程度,審議過程の透明化という公益的要請等を考慮し,発言者を明らかにした議事録を作成することができるとの決定がされました。   以上,総会における検討結果を御報告させていただきました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ただ今御説明がありましたように,部会につきまして,発言者を明らかにした議事録を作成するかどうかは,当部会における議論を踏まえて部会長が決定するということでございます。   そこで,前回の部会で皆様に議論をしていただきましたとおり,当部会の議事録につきましては,前回の分を含めまして発言者の氏名を明らかにして公表するという取扱いをしたいと思います。前回部会を御欠席されました委員の皆様におかれましても,このような取扱いをするということでよろしゅうございましょうか。   ありがとうございました。それでは,当部会におきましては,第1回会議から発言者名を明らかにした議事録を公表することといたします。   それでは,議事に入ります。   まず,事務当局から配布されている資料の説明をしてもらいます。 ○佐藤幹事 それでは,事務当局から配布させていただきました資料について御説明させていただきます。   第2回会議のために配布させていただきました資料の目録は,本日席上に用意させていただきました。部会資料といたしましては,事前に送付させていただきました資料番号7,8-1と8-2,11がございまして,それに加え本日席上に配布させていただきました資料番号9と10がございます。参考資料といたしましては,事前に送付させていただきました資料番号9から11まででございます。配布させていただきます資料につきましては,番号が重複しないように第1回会議で配布いたしました資料から部会資料,参考資料ごとに通し番号となってございます。   まず,部会資料について御説明いたします。   資料番号7は,「ヒアリングをさせていただきたい事項(共通)」と題する一枚紙のものでございます。本日を含め,今後数回にわたりましてヒアリングを行うこととしておりますが,この質問事項につきましては,ヒアリングをさせていただきます皆様にお聞きしたい事項ですので,共通の質問事項とさせていただきたいと考えております。その内容につきましては,第1回会議におきまして御議論いただきました検討の対象をほぼそのまま質問事項としております。   続きまして,資料番号8は,「ヒアリングをさせていただきたい事項(教育編)」と題する質問事項を記載したものでございます。資料番号8-1が校長先生であります本多吉則先生,氷海委員に対する質問でございまして,資料番号8-2が社会教育学の研究者であります藤田英典教授に対する質問でございます。ヒアリングをさせていただく方に応じて質問事項を変えてございます。   なお,資料番号7及び8は,ヒアリングをさせていただきます方にあらかじめお渡ししてあります。   続きまして,資料番号9は,本日ヒアリングにお招きいたしました藤田教授からちょうだいいたしました「成年年齢引き下げの是非について」と題する資料でございます。   資料番号10は,同じく本日ヒアリングにお招きいたしました本多校長先生からちょうだいいたしました「成年年齢の引下げについて」と題する資料でございます。   資料番号11は,本日ヒアリングでお話をお聞きいたします氷海委員からちょうだいいたしました冊子でございまして,全国高等学校長協会生徒指導研究委員会作成に係る平成18・19年度研究報告書と題するものでございます。あとでヒアリングの際に氷海委員から御説明があると存じますが,35ページから89ページまでの部分を正式の資料とさせていただきたいと思います。   資料番号9から11につきましては,本日の部会におきましてヒアリングの際に使われるものでございます。   続きまして,参考資料につきまして御説明いたします。   事前に配布させていただきました参考資料は,いずれも報道機関において実施されました世論調査の結果についての記事及びそのもととなった結果についての資料でございます。第1回会議におきまして,委員の方から国民の意識を調査すべきであるとの意見が出され,事務当局から各種報道機関が行った国民の意識を調査した結果について参考資料とすることと回答いたしました。そこで,事務当局におきまして把握しております国民の意識調査を行った記事を収集いたしましたのが参考資料の資料番号9から11まででございます。   参考資料9は,毎日新聞が本年3月1日,2日にかけて電話により実施した全国世論調査の結果でございまして,成人年齢を18歳に引き下げることにつきまして反対が60パーセントを占め,賛成の36パーセントを大きく上回ったなどと記載されております。もっともこの調査におきましては,反対の理由の中に「18歳から飲酒,喫煙が認められるのが心配だから」という項目があり,これを理由として挙げた回答が16パーセントございますが,民法の成年年齢を引き下げても飲酒,喫煙年齢まで引き下がるわけでないことは前回の会議で御説明したとおりでございますから,この調査はいささかミスリーディングであると考えております。   続きまして,参考資料10ですが,これは日本経済新聞が本年2月22日から24日にかけてインターネットにより実施しました調査の結果でございまして,民法の成人年齢を18歳に引き下げることにつきまして,賛成が43パーセント,反対が45パーセントと拮抗したなどと記載されております。   参考資料11は,時事通信社が本年3月7日から10日にかけて個別面談方式で実施しました世論調査の結果でございまして,民法の成人年齢を18歳に引き下げることにつきまして反対が過半数の53.6パーセントに達し,賛成の40.8パーセントを上回ったと記載されております。この参考資料11の最初の2枚が記事の部分でございまして,後ろの5枚がそのもととなった調査の概要をまとめた資料でございます。   なお,日本経済新聞と時事通信社の調査につきましては,毎日新聞におきますような不適切なアンケート項目は見当たりませんので,これだけ大きな差がどうして生じたのかはよく分かりません。回答者数が日本経済新聞の調査では1,032人,時事通信社の調査では1,322人と正式の世論調査に比べてかなり少ないことが影響しているのかもしれません。   以上で配布いたしました資料についての御説明を終了いたします。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   次に,前回事務当局から本部会の検討の対象として説明がありました中で,仮に現行制度を変えるという結論になった場合,単純に成年年齢を引き下げるか否かという結論をとるほかに,成年,未成年で二分するのではなく,段階的に権利を付与する制度の創設も考えられるという説明があり,参考資料8として配布されました大村敦志委員の御論稿の紹介がありました。この大村委員の御論稿につきましては,前回事務当局から後日補足的に御説明をいただく機会を設けたいとの説明がありましたが,今後の議論の参考となる提言の一つでありますので,本日,大村委員から御説明をしていただきたいと考えておりますが,よろしいでしょうか。   それでは,大村委員,よろしくお願いいたします。 ○大村委員 東京大学法学部の大村でございます。事務局から私が書きました「民法4条をめぐる立法論的覚書」と題する小さな論文につきまして,簡単な説明をしていただきたいという御要望がございましたので,若干の時間を拝借いたしましてお話をさせていただきたいと存じます。   初めに,民法の研究者としての私がどのような観点からこの論文を書いたのかということにつきまして,一言触れさせていただきます。   私は,これまで契約法ですとか家族法というのを専門にしてまいりましたが,最近では人の法という観点から民法の再検討を行う作業を行っております。ここ数年は外国人に関する問題を取り扱ってまいりましたけれども,その後,年少者の研究に着手しております。ここで申します年少者というのは,民法上の概念ではございません。これは仮の概念でございますが,成年年齢の前後を通じまして,完全な成年者とは異なる扱いをすべき人々を広く年少者としてとらえております。このような考え方の背後には,20歳であれ18歳であれ,一つの年齢を基準として,その前は未成年,そのあとは成年として法的な取扱いを全く異なるものとするという考え方,言わば二分法的な考え方を見直そうという発想がございます。   具体的に申しますと,年齢をどうするかは問題がございますが,例えば12歳ぐらいから25歳ぐらいまでの人々を完全な未成年者と完全な成年者の間にあるものとしてとらえ,このような中間的な年齢にふさわしい処遇をする。基本的な方向といたしましては,年齢に応じたサポート,支援を行うと同時に,やはり年齢に応じて自分で決められる領分というのを徐々に広げていこうという考え方,言わば三分法的な考え方をとるべきことを提唱しております。ですから,この論文の主眼は具体的な立法論を提言するということよりも,むしろその副題に掲げた内容のほうにございます。副題は年少者法への第一歩というふうにしてございますけれども,繰り返しになりますが,広く年少者をとらえまして,これらの人々に対し,民法に限らず総合的な対応をしていく必要があるということを主張する点にございます。こうした基本的な発想に立ちまして,未成年から成年の移行につきましても,実情に即した多元的・相対的な扱いをすることを考えてみてはどうかということを提言しております。   以上を全体に関する前置きとさせていただきまして,もう少し詳しい説明をさせていただきます。   私のこの論文は,全体が三つの部分に分かれております。最初の二つの部分は立論の前提にかかわるものでございます。資料として配布されているもので申しますと,ⅠからⅢまでが本論部分になりますけれども,Ⅰの成年の意義と題した部分では,成年であるということの意味を確認しております。具体的には行為能力,これは自分で契約などを行うことができる能力ないし資格でございますが,この行為能力と親権,親権というのは親の子に対する監護,教育の義務ないし権利でございますが,この親権という二つの大きな効果について述べました上で,これらとの関係で現行法における婚姻による成年擬制,これは20歳未満でも結婚いたしますと成年として扱われるという制度でございますが,これに触れております。   続くⅡの成年の基準と題した部分では成年の基準となる年齢といたしまして,現行の20歳が適当であるかどうかということにつきまして,引下げ肯定論,否定論の双方のあり得る論拠を簡単に整理いたしまして,その上で子どもの自立性の尊重と若者への社会的支援はどちらも必要であるということを確認しております。そして,民法やその他の法律におきまして,20歳以外にもさまざまな年齢が基準として用いられているということを紹介しております。具体的には未成年者の中でも15歳や18歳を基準として線引きがなされている例が少なくないこと,あるいは成年者に関しても,25歳,26歳あるいは30歳に一定の意味を持たせていることがあるということを指摘してございます。   以上を踏まえまして,Ⅲの成年・未成年の多元化・相対化と題した部分では成年,未成年の多元化・相対化を考えてみてはどうかという提言をしております。ここで多元化というふうに申しておりますのは,一つの年齢を唯一の基準とせずに幾つかの年齢を基準とするという意味でございます。また,相対化と申しますのは,同じ年齢の人をすべて同じに扱うというのではなく,人に応じて扱いを変えてもよいのではないかという意味でございます。   この最後のⅢの部分の提言をさらにもう少し踏み込んで御説明いたします。   ここでは大きく分けまして二つの問題を扱っております。一つ目は今申しました多元化の問題でございまして,何歳を基準にしてどのような扱いをするのかという実質的な話でございます。この点に関しましては,一方で従来の未成年者を10歳ないし12歳あたりを境に二つに分ける。他方,従来の成年者を25歳ないし26歳あたりを境に二つに分ける,こういうことを考えてみてはいかがかというふうに提案しております。そうなりますと,年齢の低いほうから順に四つのグループができることになります。論文の中では仮にそれを一番若いほうを完全未成年,そして,その次の年齢を半準成年と呼んでおります。準成年というのは成年に準ずるという意味で仮にそう呼んでみました。それから,成年年齢を超えまして少しの間をいい言葉がないのですが,初成年と呼んでおります。初というのは初めのという意味で使っております。成り立ての成年という趣旨でございます。そして,ある年齢からあとを完全成年というふうに四つに分けてございます。   この議論のポイントは,先ほども触れましたように,完全未成年と完全成年との間の年齢層を一まとまりの人としてとらえて,中間的な取扱いをしてはいかがかということを指摘する点にございます。ですから,この中間の部分を何と呼ぶのか,あるいは何歳から何歳までを切り出すのかといった点については,私はさほどのこだわりを持ってはおりません。私の仮に呼んだ準成年と初成年というのを一括するといったようなことも考えられるでしょうし,あるいは,未成年のほうはそのままにしておいて,成年のほうを二つに分けるといったことも考えられるのではないかと思っております。   私自身は先ほど触れました四分法に立ちまして,一方で準成年の行為能力を現在の被保佐人と同程度までに拡張する。他方,初成年にはあらかじめ選任したアドバイザー,仮に支援人と呼んでおりますが,これを付けることにし,重要な行為につきましては,このアドバイザーに相談をしなければならないという制度を提言してみました。ここで申します相談というのは,文字通りの相談でありまして,未成年者のように法定代理人の同意がなければ契約ができないということは想定しておりません。相談という手続を設けることによって,一度立ちどまって考える機会を本人に確保してはどうかという趣旨でございます。   二つ目の論点は,先ほど申しました相対化という問題にかかわります。これまで成年であるということで単独で契約などを行うことができた人に新たにアドバイザー,支援人を付けるということになりますと,それらの人々の行動を制約することになるのではないかという問題が生じてまいります。もっとも成年年齢を18歳に引き下げ,18歳から20歳までに限ってこのようなアドバイザーを付けるということならば,行動を今よりも制約するという問題は出てまいりません。それでもいったん成年を18歳に引き下げた以上,成年の行動が制約されるのはおかしいのではないかという疑問はあり得るところでございます。   この点につきましては,次の二つの対応策を差し当たり考えております。一つは繰り返しになりますが,相談という手続さえ踏めば支援人,アドバイザーが賛成しなくても最終的には自分の責任で契約などを行うことができるという扱いをとるということでございます。もう一つは,アドバイザーを付けてほしいと考える人だけにこれを付けるとする,あるいは成年に達したあとはアドバイザーは要らないと考える人は,完全成年に移行できるようにしておくといった措置をとるということでございます。   以上がこの小さな論文で書いたことの概略でございますが,実はこのようなやり方はフランス民法の親権解放ですとか日本の旧民法の自治産という考え方と親和的なものでございます。ただし,これらの制度,フランス民法ですとか旧民法の制度は未成年者であっても,一定の年齢に達したらより広い権限を認める手続をつくっておこうというものであるのに対しまして,私の論文では成年になった後も一定の支援を受けることができるけれども,自らの選択でこの支援を返上することもできるという手続をつくっておこうというものになっております。このような考え方を基本的に採用するとした場合に,技術的に克服しなければならない問題というのがさらに幾つも出てまいります。そのうちの幾つかにつきましては,私の論文の中でも簡単に触れておりますけれども,それはかなり細かい話になってまいります。もし皆様から御質問がございましたら,可能な範囲でお答えをするということにいたしまして,差し当たり以上で私の御説明を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   参考資料8は前回の配布資料でございますので,本日お持ちでなかった先生方にはちょっと参酌しにくかったかもしれませんけれども,またお帰りになったあとに御参照いただければと思います。   大村委員の御提言に対する御意見につきましては,日を改めてまたお伺いする機会を設けたいと思いますので,ただ今の説明に対する御質問のみお受けしたいと思いますが,いかがでございましょうか。 ○始関委員 先ほどフランスの親権解放制度とか,あるいは旧民法の自治産制度がそれに似た思想があるんだというお話でしたけれども,先生の今の御提言というのは未成年についても二段階に分けるといいますか,完全未成年と準成年に分けると。このフランスの親権解放などでは個別具体の人ごとにこの人は能力があるから成年者と同じ扱いをすると,日本で言うと営業許可についてそういうものがあるわけですけれども,親権解放の制度はそれをもっと一般化したものだと理解しているんですが,その理解が正しいかどうかもお教えいただければと思います。また,先生の準成年というところはかなり独自のお考えのようにも思われますが,何か諸外国で先例などはあるのでございましょうか。 ○大村委員 御質問は二つの点を含んでいるのではないかと思いますが,一つは私が完全未成年と準成年というのを分けたという点に関してでございますけれども,完全未成年の点は今回のここでの審議とはやや遠い問題かもしれないというふうに思っております。現行法は未成年を一色にしておりますけれども,例えば外国の例ではかなり低いところで線を引いて,それより低い年齢については行為能力がないというような定めを置いているところがございますが,そのようなものを想定した議論でございます。現在の未成年者は一括して未成年者でございますので,その年齢の低いほうについてはもっと立ち入った保護というのが必要だけれども,上のほうを見ると,そういうこともやりにくいと。他方,年齢が上のほうについては,より大きな権限が与えられていいように思うけれども,もっと若い人もいるのでということでやや無理があるのではないかというふうに思っていますが,そのこと自体は今回の議論からはやや遠いというふうに思っております。ですから,そこまでのことは今回考えずに,年齢の低いところも含めて未成年は差し当たり一色で未成年だというふうに考えた上で,年齢の高いところについて親権解放あるいは自治産のような対応をとるのか,とらないのかというのがあり得る議論なのかなというふうに思っております。これが第一点でございます。   第二点はそのフランス民法や旧民法が考えている親権解放や自治産等,あるいは,私がここで提案をしている支援人あるいはアドバイザーということについてなんですけれども,始関委員から御指摘がありましたように,旧民法やフランス民法は,原則,未成年者は未成年者であり,解放するあるいは自治産を認めるというほうが例外でございます。ですから,これについては一応司法審査等を通して一定の事由があれば親権解放ないし自治産を認めるというふうにしているかと思います。それに対して,私の案は,仮に成年年齢を引き下げるとして,その年齢を超えたとしてもしばらく不安がある人については,成年になっているということを前提としてアドバイザーを付けようということでございます。それについては手続をしてアドバイザーを付けるというふうにすることも考えられますし,一定年齢まではアドバイザーが付いている状態だけれども,その手続をしてやめるということも考えられるかと思いますが,いずれにいたしましても,その場合は原則は成年に達しているということでございますので,そのアドバイザーが付いているというのは本人の意思によってそうなっているということでございます。ですから,手続を設けるとしても,ごく簡単な手続でやめたいという人はやめられるというふうに考えるということになるかと思います。その点が未成年というのを出発点にするのか,あるいは成年というのを出発点にするのかということで,理念としては違ってくるのではないかというふうに思います。ただ,実際の制度を仕組むというふうになった場合には,中間的な解決というのもあり得るかなというふうに思っておりますが,以上でよろしいでしょうか。 ○始関委員 今の大村先生のお話を伺ってちょっとびっくりいたしました。というのは,先生の御論文を拝見して,むしろ未成年を二つに分けるというところに主眼があるのかなと思っておりました。つまり20歳から18歳に下げるという選択のほかに18歳から20歳を準成年にするという選択もあるんだよということをおっしゃっている論文なのかなと思ったんですけれども,そうではなかったわけですね。 ○大村委員 成年をどうするのか,これは線の引き方はいろいろあると思いますけれども,私自身は18歳であれ20歳であれ,成年というところで線を引いて,成年を超えたとしても一定のサポートを受けられるというのを想定してはいかがかというふうに考えておりました。ただ,これは相対的なものでありますので,二分法ではなくて三分法だという考え方をとるということが主眼でして,始関委員がおっしゃったように,年齢の高い未成年者を二つに分けるという考え方ももちろんあり得るところだろうと思っております。そうなりますと,親権解放ですとか自治産というのに極めて近い制度になるのではないかと思います。なお,論文では,15歳ぐらいを境に完全成年と準成年を分けるということも書いてみましたが,あまりたくさんに分けるのはかえってめんどうかと思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょう。よろしいですか。   それでは,本日予定をしておりました教育関係者のヒアリングに入りたいと思います。   本日は,国際基督教大学教養学部の藤田英典教授,都立芝商業高等学校の本多吉則校長先生をお招きしております。そして,御両名と当部会の委員であります氷海正行委員のお三方に民法の成年年齢の引下げに関する御意見をお述べいただきまして,その後に質疑応答をすることを予定しております。御意見をお述べいただきます順番といたしましては,藤田教授,本多校長先生,氷海委員の順で,三名の先生方の御発表が終了しました後に一括して質疑応答をすることにしたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。   それでは,藤田教授,よろしくお願いいたします。 ○藤田参考人 国際基督教大学の藤田です。どうぞよろしくお願いいたします。   レジュメにも書きましたけれども,私の専門は教育社会学でありまして,民法,法律等を専門にしておりませんし,成年年齢はどのくらいが適切なのかということにつきましても,これまで特段に考えたこともありませんので,あとで見解を変えるということも当然あり得ることを御了解の上,お聞きいただければと思います。   まず,成年年齢引下げの今回の議論の背景,理由ですけれども,いまさら言うまでもありませんが,国民投票法が成立して18歳となったという政治的な契機であって,決して成年年齢を引き下げるべきだという世論があったわけでもなければ,専門家や関係各方面で引下げ等の再検討が必要だという特段の議論や意見ががあったわけでもない。そういう意味で社会的理由ではないと考えております。   前回のこの部会の資料として,自民党の葉梨康弘議員の「国造りの主役は若者」という毎日新聞の記事が配布されておりましたけれども,その中に五点理由が示されていたと思います。一点目,現行の成年年齢20歳は,明治9年に制定されたもので110年もたっているという理由ですが,この議論は,「教育基本法を変えた際に戦後60年変えられていないが,時代が変わったのだから変えなければいけない」という議論と同じものです。しかし私は,このような理由は適切ではないと考えております。   二点目,世界的な趨勢で,多くの国が1970年代以降,18歳に引き下げたというものです。本部会の参考資料3にも示されておりましたけれども,確かに1970年代以降に引き下げられた国が多いのは事実であります。なぜ70年代に引き下げられたのか気になったものですから,少し調べてみましたら,オーストラリアの引下げ理由について,ベトナム戦争に際しての兵役との兼ね合いが言及されておりました。後ほどお示ししますように,徴兵制・兵役については一覧表にしてみました。   三点目として,事実上18歳が労働行為の開始時期になっているという理由も挙がっておりました。労働行為に参加しているのだから国政への意見反映,参加権を認めるべきだという議論です。しかし,これを言うなら戦後60年,中卒労働者というのは多数いたわけですから,その間,参政権はもちろん,民法においても成年として扱われていなかったわけでありますから,社会的に大きな矛盾をこの60年抱えていたということになります。その一方で,18歳での就職者というのは高学歴化に伴って少なくなっているわけでありますから,そういう意味でも十分な理由にはなり得ないと思っております。   四点目は,少子高齢化が進む中で,世代間の利害調整が社会的・政治的な選択課題になっているというものです。これは事実でありますけれども,参政権の問題ではあっても民法の成年年齢とはかかわりがないと思いますから,理由としては不適切です。   五点目は政治的・社会的成熟等を促進するためということでありますが,法律はそういった行為能力の形成を目的にして制定するものではないと思いますが,これについては,後ほどお話しさせていただきます。   次に,諸外国における引下げの背景,理由ですけれども,レジュメ中の疑問符は特に理念的,実証的,機能的に疑問を感じている点であります。一点目として生物学的な成熟の早期化や,知的・人格的成長の早期化ということが言われてきたようですが,これにつきましては,世論にも反映されておりますように,賛否両論あるところであろうと思います。しかし,私は,生物学的な成熟の早期化は事実進んできたと思いますが,知的・人格的側面では必ずしもそうは言えないと見ています。   二点目として,事実上の経済的・社会的な諸行為についての行為能力の早熟化ということも言われておりますけれども,事実上の行為能力はどの年齢層でもあると言えばあるのであって,重要なのは適切な判断等ができるかどうかということでありますから,法律の制定・変更に際しては,現代的な時代状況の中でどういう局面において難しい判断を迫られるかということを考える必要があるのだろうと思います。   三点目は,社会的な保護制度,システムの整備,進展です。これはフランスが成年年齢を引き下げた理由として挙げられておりますけれども,社会的なシステムが整備されてきたから未成年だけを特別に保護する必要性はないという議論であります。これについては一理あるところでありますが,現代のように私法上の諸行為が非常に複雑化している時代にあっては,成年であれ未成年であれ,適切な保護は必要なのだろうと思いますし,それは特に未成年の場合,重要なのだろうと思います。   四点目の意見表明権,参政権の拡大あるいは世代間の平等化という側面ですが,これは歴史的には一貫して拡大してきた,進んできたところでありますから,特に異論はありません。   五点目として,かなりの国で徴兵年齢18歳との関係がありそうだということです。先ほども言及しましたオーストラリアは明らかにベトナム戦争の影響に言及して成年年齢の見直し,引下げをしたというふうに記載されております。   そこで,部会資料9の末尾にある参考資料の一覧表を見ていただきたいのですけれども,これは第1回部会で配布された参考資料の2及び3をも参考にして,徴兵制・兵役等の情報を加えて整理してみたものです。参考資料2に記載されておりました国につきまして,ほとんどの国が徴兵制を持っています。イギリスのように60年に廃止した国もありますけれども,事実上,多くの国は徴兵制ではないにしても,兵役登録ないし参加資格を18歳で設定しています。それとの兼ね合いが1970年代以降に成年年齢の引下げになった可能性は,背景としては十分あり得るというふうに思います。もしそうであるならば,日本の場合こういう事情があるとは考えにくいところでありますから,そういった意味でもこの影響がどの程度のものであったか,日本においてどういう意味を持つのかということを検討する必要があるのではないかと思うわけであります。   六点目は,少年における凶悪犯罪の増加です。これは,少年法の改正でしばしば言われてきたところでありますが,民法には直接は関係ないことであるにしても,民法改正は他の諸法令にも影響する可能性があることを考えるなら,慎重に検討する必要のあることだと思います。後ほど言及しますように,自己決定・自己責任が論じられているところでありますから,その点での影響も考える必要があると思います。   七点目は,諸法令における成年年齢の整合性確保あるいは斉一性志向というのが強いように思われることです。この点については,私は斉一性よりも適切性のほうが重要であって,そういう意味でも先ほどの大村委員の区分の仕方等については違う面もありますけれども,考え方の基本については同じ立場に立っていると思います。   次に,成年年齢規定の歴史的な展開と構造的な背景あるいはその意味でありますけれども,ここの部分が私の最も強調しておきたいところです。大まかな歴史的な展開は,主に経済,教育の発展と連動してきたというふうに言っていいだろうと思います。非常に大雑把なまとめではありますが,第一段階は前近代です。日本で言えば江戸時代ぐらいまでを考えていただければと思いますが,平均寿命はおおよそ50歳で,正式なものではなかったとも思いますけれども,元服はおおむね15歳でした。その時代は農耕社会で,教育・訓練は家庭,地域,今風に言えばOJTで行われていたと言っていい時代であります。次いで第二段階,明治以降の近代になりますと,政治の世界では参政権の拡大が進み,社会的な平等化も身分,階層,性の諸領域で徐々に進んできました。また,先ほどの徴兵制との兼ね合いで言えば,いわゆる近代的な戦争と冷戦構造が1980年代まで続いてきたところであります。この間,平均寿命はどんどん長寿化しまして,平均は大体65歳であったと言っていいと思いますが,そのころの企業等における定年退職の時期は60歳でした。成年年齢はこの時期ずっと20歳だったわけですが,この近代においては,多次元での保護的成年年齢の設定,保護主義,パターナリズムによる保護・ケアが世界各国で拡大してきたというのが歴史の趨勢的展開だったと言っていいと思います。経済社会は工業化社会,フォーディズム,日本では長期安定雇用化が進んだ時期であります。教育・訓練につきましては,学校化・高学歴化が進んで,C-E-W-R型のライフサイクルが確立した段階です。CはチャイルドフッドのC,EはエデュケーションのE,WはワークのW,そしてRはリタイアメントのRであります。そういうライフサイクルが定着した時期でありますけれども,教育期・大学生等を含む青年期の若者たちはいわゆるモラトリアム期というふうに言われたわけですが,それが長期化してきたのが,この近代であります。   そして,第三段階の現代でありますけれども,ポストモダンというふうにも言われますが,参政権の拡大,平等化は民族や国籍を越えて拡大する動きが強まっているところであります。そして,戦争との兼ね合いでは平和的共存・共生と国際的な協力を志向すべき時代にあると言っていいと思います。平均寿命はおよそ80歳と書いておきましたが,こういう時代にあって,特に日本では矛盾したことに,定年退職の時期はこの十数年どんどん早期化してきております。その一方で,再雇用,再就職,社会参加活動,余暇活動が高齢者の間で広まっている,あるいは奨励されている時代であります。こういう時代にあって,成年年齢につきましては,今18歳に下げるべきだという議論が起こっているわけですが,以上のような歴史的な趨勢と青年期構造の特徴を踏まえて言えば,モラトリアム期が長期化し,平均寿命が長寿化し,80歳になったのに,成年年齢を引き下げるという議論が起こってくるのは理解しにくいことで,そこには非常に大きい構造的な矛盾があるように思われます。成年年齢の斉一化,早期化という志向・考え方が一方にあり,もう一方で保護主義,パターナリズムから厳罰主義と自己決定・自己責任論を強調する傾向が今強まっている,そういう風潮・思想傾向の中での成年年齢引き下げ論なのだろうと思われます。経済社会は脱工業化社会,ポスト・フォーリズム,経営効率主義や,派遣法等により離転職,低賃金不安定雇用の増加が進んでおり,特に若者,若年層で顕著になっているわけですが,そういう不安定雇用をさまざまな別の言葉で奨励するカルチャーさえ広まっているというのが現実であります。教育・訓練では生涯学習社会ということが言われ,学校化・高学歴化社会を基盤にした生涯学習,リカレント教育の拡大が進んでいるところでありますが,もう一方で,いわゆる初等・中等教育におきましても教育の市場化,格差化,自己責任化が進んでいるのが現実であります。   そういう大きな流れを確認いたしまして,次に現代社会における青年期の構造的特徴と成長・発達課題の構造的な難しさについてお話ししたいと思います。   青年期というのは,私の専門分野ではアンバランスな発達段階の時期というふうにとらえられております。いわゆる身体的成長・生物学的発達は早熟化・早期化が進んでいることは周知のところであります。しかし,心理的・精神的な成長は文化・社会や人間関係の複雑化に伴いまして,克服・達成すべき課題・困難は増大しています。また,社会的成長,具体的には社会的役割・地位の取得・確立という課題も,経済社会の複雑化に伴って複雑化し,難しくなっています。ですから,そういう意味で,この三つの発達次元が非常にアンバランスになってくるのが青年期の特徴であり,そのアンバランスは近代以降,次第に顕著になり,そして現代においてはますます難しいものになっていると言えます。そうであるからこそ,この時期をモラトリアム期と称し,近代以降の社会においてはそのケア,保護を拡充し,そのためのさまざまな制度・仕組みを作り上げてきたといっていいと思います。青年期は子ども期から成人期への移行期・準備期・学習期・探索期であります。先ほど言いました上記三側面の成長がアンバランスになる時期,そして,それゆえにアイデンティティの危機とか拡散という問題を抱える時期でもあります。だからこそこの時期をモラトリアムととらえ,社会的保護・ケア(教育を含む)が必要との認識が歴史的に高まり,事実そういう制度,システムを作り上げてきたと見ることもできるわけであります。そういうわけで学校教育の拡大と保護主義的な諸法制の整備,充実が図られてきました。   次に現代の社会変化と文化・規範状況についてですが,IT化,グローバル化等の変化が進んでいますし,高度情報消費社会の進展と都市化の進行は生活様式・価値観・規範意識の多様化をもたらしております。その一方で男女共同参画社会,多文化共生社会,生涯学習社会の進展も特徴となっています。これらはすべて一応は好ましい変化と言えるのでしょうし,それに伴って生き方という点での多様な選択肢が拡大していることも確かですが,それはまた選択の難しさ,青年期の難しさが増大するということでもあります。生き方の模索,アイデンティティの形成,関係づくりが非常に重要になる社会,あるいはなっている社会,それが現代社会であると言えます。それはまた自明性,所与のもの,当たり前の生き方というものがあった時代から不透明性の時代,生き方を模索せざるを得ない時代になっているということでもあります。それは近代を通じて拡大してきたわけでありますけれども,現代はそれが非常に際立つ時代になっていると思うのです。そういうわけで,青年期・教育期,モラトリアム期の長期化と構造的な難しさが増大しているというのが現代の特徴であると言っていいと思います。   時間が限られておりますので,もう一つの特徴として挙げてありますアイデンティティ形成の難しさ,道徳規範・性規範の難しさや,職業・生活スタイル面の問題,自己実現・個性価値が重視・強調される時代でのその難しさ,さらには受容・承認・つながり・自尊感情といったものへの潜在的要求が非常に強まっていることに伴うさまざまな問題など多々ありますが,そこのところは説明を省略させていただきます。   次に「3.成年年齢をどう規定するか」についてですが,以上の様な諸点を前提にして私の考えを述べさせていただきます。これは社会のビジョンと青年期というものを社会的にどのように位置づけ,扱っていくかということを基本的に前提にして考える必要のあることであろうと思います。既に述べましたように,まず,1)歴史的な趨勢でありますけれども,①として,人口学的側面では長寿化に伴って成年年齢も遅くなってきました。大体人生,平均寿命の3分の1から4分の1が青年期,保護されるべき時期というふうに位置づけられてきたと言っていいと思いますから,そういう意味では長寿化が進めば保護されるべき青年期も長期化するということになるのでしょうが,無闇に伸ばせばいいというものでもありませんから,平均寿命の4分の1と考えれば,現行の20歳が妥当だと言えます。したがって,この観点からは引き下げる必要はないということになります。   ②として,社会的側面でありますが,歴史的趨勢としては,社会の複雑化に伴って教育期・学習期は長期化してきたわけで,それは大体人生の約4分の1から3分の1だったと言えますから,この点でも引き下げる必要はないということになります。   ③として,理念的側面でありますが,民主主義理念の発展あるいは制度化に伴って,さまざまな権利の拡大・平等化が進んできたことは歴史的事実です。子ども・青年についても人権としての意見表明権が, 「子どもの権利条約」等でも重視し認めるようになっていますし,それから次代を担う存在だという理由で,18歳くらいから参政権を認める国が増えてきたと言えます。しかし,これは選挙法で規定すべきことで,民法で規定することではありません。   次に,2)として民法における成年年齢をどう規定するかについてレジュメに挙げた諸点を中心に私見を述べさせていただきます。 まず①何のための行為能力の制限かという点についてですが,一つ目は基本的人権の保障です。先ほど言いました意見表明権,教育権,学習権等は適切に保障しなければいけないことは言うまでもないところだと思います。二つ目は社会生活上の必要性としての労働行為や婚姻等についてです。この側面については,必要に応じた適切な権限付与が望ましいと思われますが,私自身専門にしているわけではありませんので,どうするのがいいか特別の意見を持ってはいません。   次に社会的保護・ケア,保護法制。これにつきましては親権と契約行為が問題になるんでしょうが,一般論としては,これも適切な範囲・方式による保護が必要なのだろうと思いますが,同時に,適切な範囲での権利,権限付与も必要なのだろうと思いますから,具体的にどういう問題がありうるかを踏まえて,領域別に規定するのがいいように思います。   私自身が具体的に意見を述べられるのは次のところからでありまして,②理念的・実証的な問題として次のように考えています。   最近は自己決定・自己責任論が非常に強まっているわけですが,もう一方で,パターナリズム,社会的な保護をどのようにしていくかということも重要だと考えられます。法規制等を含めて,青少年をどのように保護・ケアし,支援をしていくのか,自己決定・自己責任をどのように考えるのか,その両面を検討し,適切なバランスと配慮を構想していくことが重要であると考えておりまして,どちらか一方で片のつくような単純なものではないというふうに考えております。   そのこととも重なりますが,権利と義務,責任をどのように考えるのかも無論重要だと思います。政治家の方は義務・責任の方を非常に重視されるわけでありますけれども,基本的な人権,正当な諸権利は保障されるべきものでありますが,財産管理や私法上の契約等については,権利や義務の範疇で考えるより,保護の必要性があるかどうかという点をむしろ重視する方がいいように思います。もう一方で,先ほどの徴兵制等との絡みもそうですが,国家主義的な観点からの義務の強制は今の時代,歴史に逆行する判断であろうというふうに思います。社会的なさまざまな義務につきましては,市民・住民の良識・合意,規範に根ざすべきものであって,これも国が定めて強制するようなものではないというふうに考えております。   もう一方で,社会的な義務,責任の観念や遂行意思というのは強制によってではなく,誇りと帰属心をはぐくみ,担保してくれる社会の中でこそはぐくまれるものであるということも重要だと思います。この点については,私の専門領域 では理論的・実証的な研究が多々ありますが,包括的にこれを扱っているわけではありませんので,今ここで具体的に挙げることはできませんが,そういう議論はたくさんあります。   それから,行為能力の実態につきましては,世代差よりも個人差のほうが大きい可能性も あると思いますし,また,先ほども述べましたように,十分かつ適切な能力かどうかを問わなければ,あると言えば,18歳未満でもあるとも言えますから,引下げの是非を検討する際,あまり重要な要素ではないと思います。最近問題になっております高齢者の方々の場合を考えましても,保護が必要だというふうに言われて,一部それが具体化しているわけでありますから,高齢者の方に限らず,社会的に必要な保護は適切な範囲で法制的にも保障していくことが重要なのだろうと思います。そういうわけで,青年期は教育期,学習期,準備期でありますから,その時期のさまざまなつまずきやあるいは試行錯誤の結果の失敗や挫折を社会的にどのようにケアし,そして,将来・次代を担っていくことのできる豊かな可能性を担保していくことが民法における成年年齢の規定では重要なのでないかというふうに考えております。   ③として,規範としての成年年齢の諸機能という側面も重要だと思います。民法で成年年齢をどう規定するかは,他の様々な法令・制度にも実効的なさまざまな影響を及ぼす可能性がありますから,そうした点についても十分に検討する必要があると思います。もう一方で,社会的な規範としてさまざまな影響を及ぼしていくということもありえます。社会規範が行為能力の形成に及ぼす影響については,政治家の方々がよく言われるところですが,この点については,専門的観点から言わせてもらえば,成年年齢よりも青年期の発達課題の達成度と文化規範状況の影響のほうがはるかに大きいと思います。例えば大学生の生活時間や時間感覚は一般的にはずいぶんいい加減なものと言えます。もちろん大学によっても違いますし,最近は授業にもまじめに出る学生が増えておりますけれども,遅刻は平気という大学生は結構多かったのが事実だと思います。しかし,そういう学生でも,就職すると途端に時間どおりに出勤するわけですから,これは一体何が影響しているのかということになりますが,それは教育効果よりも職場の規範や要請の方が重要で,学生たちには そうした規範・要請に合わせて行動するだけの能力があるのであって,それ以上の何か特別の規範や何かを作る必要がないと言うことを示唆しています。ですから,義務感や責任の自覚は成年年齢よりも青年期の発達課題の達成度や予期的社会化を含めて社会的地位・役割の社会化機能のほうが大きいのだろうと思います。   それから,社会規範・文化的志向への影響については,成年に付与される義務よりも権利の影響のほうが大きいのだろうと思います。引き下げた場合,例えば婚姻年齢等の低年齢化は多少なりとも進む可能性があると思います。それから,成年年齢を引き下げると,例えば成人式の持ち方や意義にも影響することになります。成人式については,ほとんど意味がないと言う人も少なくないとは思いますが,程度の差はあれ通過儀礼としての意味を持っているわけでありますから,そういった通過儀礼の文化的・社会的・教育的意味や機能というものを私自身は重視する必要があると考えております。適切な通過儀礼,社会的イベントは文化的な豊かさと教育的機能の基盤になるからであります。その点で現行20歳と18歳のどちらが有意味かということを考えますと,私は20歳のほうが有意味で,18歳というのは高校卒業の時期と基本的には重なりますし,受験や就職やいろんなことを抱えていますから,その意味や自分の生き方・振る舞い方を振り返るとか,式典や行事を祝い楽しむというようなことも十分にできるとは考えにくいからです。   それから,④成年年齢の引下げ,一律化は好ましいかという点ですが,以下が私へのヒアリング要望事項及びその他についての私の考えです。   まず,一律性よりも適切性のほうが重要だと思います。領域別により適切に設定するほうが好ましい。現行20歳で不都合があるのか。不都合な部分があるなら,それを適切に調整するほうが好ましいと思います。それから,最近の若年者についてどう思うかという御質問についてですが,流行情報に敏感だが,部分情報やサブカルチャーに限定されがちであると思います。社会経験の幅が狭い。これは構造的必然とも言えますが,特に問題視する必要はないと思います。私が特に気になっているのは,洞察力・思考力・周辺視野等の側面で課題がありそうだという点です。周辺視野については,例えば人混みのなかで周りの歩行者に配慮できないとか,バス停で事前にお金を出して準備していない,後の人たちを待たせて,バスが遅れて発車しても平気で話をしている若者が目立つといったことは周辺視野の狭さの例としてよく挙げられるところであります。   成年年齢18歳の場合と高校生であることとの関係についてですが,教育指導上の難しさは確実に増加すると言っていいと思います。オランダなどにおきましては,高校,これは中等教育ですから,日本の中学と高校が一緒になっておりますけれども,校庭を中学生と高校生とに分けていて,高年齢の生徒には喫煙も認められておりますから,校庭でたばこを吸っています。そういったようなことを含めて,もちろん日本の場合,喫煙は禁止されていますからともかくとしても,さまざまな形で高校の新たに対応すべき課題が増えることは言うまでもないことだと思います。   婚姻年齢の低年齢化は高校の対応課題を拡大することにもなります。アメリカ等では,生徒の子どものために託児所を設けている高校もたくさんあるわけですから,日本で直ちにそうなるとは思いませんが,そうしたことも含めていろいろ課題が生ずることは明らかであろうと思います。   先進諸国の多くが18歳を成年年齢としているからといって,それに合わす必要があるとは思いません。社会や教育の在り方をどのようにデザインするかはそれぞれの社会が決めればいいことで,自分たちの良識と責任意志が問われる問題であると思います。そういうわけで,私はさまざまな成年年齢の規定の仕方の違いを斉一に同じにするという考え方には賛成しかねるところでありますし,他国がそうしているからといって日本も同様にするという考え方にも賛成しかねるところであります。そういうたぐいの意思決定は思考停止・責任放棄を象徴するものだと思います。   以上述べましたように,今20歳を18歳にする必要性があるとは思えないわけでありますが,絶対に18歳にしてはいけないのかというと,必ずしもそうではない面もあるだろうと思っておりますから,本審議会で十分審議して決めていただければというふうに思っております。諸外国の事例を参考にする場合,先ほどの徴兵制の問題もそうですが,18歳に引き下げられた経緯,文脈,そしてその影響を検討することが重要だと思います。それから,そのほかの質問事項,ヒアリング要望事項として,先ほどの大村委員の報告の中の多元化と相対化と重なると思いますが,20歳を基本にして事項別の規定をするというやり方と,18歳を基本にして一部19歳,20歳にする方式のどちらにするのかを含めて,大村委員が言われたようなさまざまな規定の仕方もあるだろうと思いますが,いずれにしても,単純に20歳で一律にとか18歳で一律に規定するのが適切な問題ではないだろうと思っております。   最後に,私はこういう法律というのはやはり基本的にはジャスティスと,そして,シンプルでクリアであることが重要だと考えています。複雑で分かりにくい法律というのはいろいろややこしい問題が起こってくるだろうと思いますから,単純明快であること,そして,特に成年年齢にかかわることですから,成年に対する先ほど大村委員も言われました支援,社会的なケア・保護というものを適切にすることが重要だと思います。そういう意味でジェントル寛大でパミッシブル許容的な法規定が望まれているのだろうと思いますし,そして,同時にその具体的な執行・運用は信頼できるものでなければいけないと思いますから,そういう点で問題のないものに是非していただければと思います。少し長くなりましたが,これで終わります。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。   それでは次に,本多校長,よろしくお願いいたします。 ○本多参考人 都立芝商業高等学校の本多と申します。私は教えている教科が商業でございますので,商業高校を歩いております。ヒアリングの内容等について専門家ではございませんので,専門高校がどのような状態になっているのかを御説明させていただき,そのことを踏まえて,どういうふうに現在思っているかということをお話したいと思います。   部会資料10に簡単に書いておきましたけれども,専門高校というのは職業に関する教育を主に扱う高校という形になっております。そこに農業,工業,商業と書きましたけれども,こういうような形の職業教育を行っている高校を専門高校と呼んでおります。現状では70万弱の生徒がおりまして,高等学校の生徒全体の大体2割です。ここに挙げている数字は文部科学省のホームページとか文部科学省の学校基本調査からとっております。専門高校というのは成り立ちから有為な職業人を育成するというところが第一目標でありまして,望ましい勤労観とか職業観を育成するというのを根本にしております。   その次に書きましたけれども,全体の高校生の数は340万で,普通科にいる生徒が72.3パーセントとなっております。ですから,圧倒的に普通科の生徒が多いわけです。ちょっと見慣れないかもしれませんけれども,その隣に総合学科,15万4,000人と書きました。これは平成17年ぐらいから普通科ではなくて,普通科と職業科を合わせたような大きなカリキュラムの中から自由に選択できる学校を文部科学省が中心になってつくりまして,だんだん増えてきてはいるんですけれども,現状では随分普通高校の側のほうに寄っている形になっています。歴史的な流れを見てみますと,昭和50年のところで普通科が63パーセントで,平成17年ですと72.6パーセントとなっておりまして,平成7年より減っているんですけれども,総合学科を足していただくと,その割合は昭和50年より増えております。大体平成15年ごろから職業学科を持つ専門高校は,全体の20パーセントぐらいを占めていると言っていいと思います。   専門高校のカリキュラムですけれども,もちろん文部科学省の認めている高校でございますので,学習指導要領にのっとっり専門科目をカリキュラム全体の3分の1教えております。商業ですと簿記とか情報とかになります。残りの3分の2は普通高校と全く同じ科目を教えております。英語,数学,理科,社会,全く同じ科目になっています。特に専門高校では専門性を求められているものですから,専門性の基礎・基本の重視ということ,それから,生徒が多様になっておりますので,選択の幅の科目をたくさん持っておりまして,選択を広げる。それが社会の変化や産業の動向へ対応するという形になっています。   その次ですが,元来は専門高校というのは高校卒業後,就職するという形になっておりました。ですから,高校は学校教育の最終段階という形ですね。ですので,社会人としての必要なマナーを身に付ける。要するに社会人として通用する完成教育を目指していたんですね。他方,普通高校というのは高校卒業後,大学,短大,専門学校に進学をする形になっておりますので,進学の準備の教育をするという形で役割分担がありましたが,大分最近は変わってきております。そのことで専門高校の学校教育の目標で挙げておきましたけれども,先ほど言いましたように,社会人として必要なビジネスマナーといいますか,社会で生きていくためのマナーをという形ですので,自立した社会人を育成するというのが第一目標にしています。   ところが,社会も変わってきておりますし,さまざまなところでこれは専門高校に限らず高校一般ですが,最低限の授業規律を確保するということが難しい学校もはっきり言ってございます。他方,社会の指導者となるようなリーダーを養成する学校というのも現に存在しておりますので,高校というふうに一区切りをしましても非常に多様な生徒がおります。それから,職業高校,専門高校といいましても,多様な生徒がいるというふうに私は考えています。しかしながら,どちらしても将来我が国を背負う貴重な人材でありますので,私としては大切に育てていかなければならないと思っております。   それで,進路でございますけれども,就職と書きましたが,平成2年,今から18年ぐらい前は高校を卒業して全体で35パーセントぐらいは就職しました。しかし,平成17年は18.5パーセントで20パーセントを切っております。ですから,高校を卒業して就職するというのは非常に少数派になってきております。それで,平成17年ですと大学の進学率は50パーセントを超えました。専修学校についても17パーセント近くとなっております。普通高校と職業高校を比べてみますと,普通高校は大学が55パーセント,就職は8.7パーセントですが,専門高校と言われているところでも大学には20パーセント近く進学しております。就職は46パーセントですので,先ほど就職を第一にすると言いましたけれども,もう専門高校では就職率は50パーセントを切っております。これは全国ですので,東京ですともっと就職の数は少なくなっていると言って過言でないというふうに思います。   そういう形になっておりますので,私どもとしてはキャリア教育という形で指導を強めてはいるんですけれども,単に就職するとか大学に行くではなくて,自己の能力や個性能力を活かす教育というのを目指しているんですけれども,90年代以降,大学への進学率が非常に上がってきておりますし,大学も全入時代になってきております。高卒の就職率も下がってきておりますので,少し前,フリーター,ニートの問題というのも叫ばれてきている状態になってきております。資料には文部科学省が取り組んでいるキャリア教育の定義みたいなのを書いておきましたけれども,このような形で私どもも一生懸命頑張っているところであります。   次ですが,これも皆様御存じだと思いますけれども,これまで大学への進学と就職者の振り分けというのは,70年代半ばまでは普通科と専門学科,要するに普通高校と専門高校で,普通高校へ行けば進学,それから,専門高校へ行けば就職という形が一応分かれていました。これは70年代半ばぐらいまでなんですね。80年代半ばまでになってきますと,進学校,普通科の中でも進学校という形が出てきておりまして,非進学校,普通科なんだけれども,大学に行かないという層が出てきております。80年代半ば以降,この普通科の非進学校というところは進路多様校という形で大学にも少し行くけれども,専門学校にも行くというような形で,進学の準備の教育と完成教育を両方やらなければいけないというちょっと大変なことが学校では起こってきています。これと同時に,90年代以降,就職も進学もしないという層も拡大してきておりますが,昨今これは大分減ってきていると思います。   非常に雑駁ですけれども,現在置かれている普通高校と,それから特に専門高校についての概略をお話させていただきました。   それで,私は専門家ではないものですから,高校の校長という立場でお話をさせていただく以外ありません。ヒアリングの内容を受け取ったんですが,これは非常に難しい問題で私も大分悩みまして,一言でなかなか答えられない問題ばかりでございます。部会資料7の共通というほうですが,現時点で成年年齢を引き下げることについての意見ですが,私は引き下げることには賛成です。その理由としては,先ほど藤田先生もおっしゃられていましたけれども,若い世代の意思を社会,政治に反映させるのは当然だというふうに思いますし,社会の構成員であるという自覚を是非持たせるべきだというふうに思っています。   それから,これまでなかなか高校で行わなかったと思うんですけれども,法規範をしっかり教える必要があると思います。義務,権利を明確に教えるべきだと思います。商業高校には専門科目で多くの生徒が履修しておりますけれども,現在の科目名としては経済活動と法という科目がございまして,民法,商法について相当詳しく,商取引ですとか,個人の権利ですとか,契約とかについて は1年間かけて大体2単位から3単位で教えております。こういう科目は是非必要だろうなというふうに私は考えております。   次ですが,現行制度を変える場合に,成年年齢を単純に引き下げるのではなくて,段階的にはどうかというヒアリングの内容なんですが,私としてはこの成年という定義がどういうふうになっているのかなかなか難しくて一言では答えられないんですけれども,採用しないことに賛成したいというふうに思っております。どういうことかといいますと,制度が複雑でありますと,生徒がこの制度の趣旨をきちんと理解するのが非常に困難になるのではないかと思っております。なるべく単純明快なシステムのほうが自分自身のこととして受け止められるのではないかと考えています。これが非常に複雑ですと,本当に自分のことであるという意識が希薄になるのではないかというおそれを持っております。   それから,制度が複雑だということは余り望まないということと同じことなんですが,成年という概念を指導するときに余り制度が複雑ですと,論理立てて整合性を持って教えることがなかなか難しくなるのではないかなというふうに私は思っています。これが一般的な共通事項でございました。   次に部会資料8-1の教育編1について,レジュメの(3)以下で,簡単にお答えしたいというふうに思います。   最近の高校生のものの考え方,最近の高校生と昔の高校生はどのように変化があるかというヒアリング内容なんですが,私としましては,社会の変化は確かに存在します。しかし,高校生は変化しているのは当たり前だと思っておりますので,この社会の変化以上に高校生が変わっているかどうかということについては,私はちょっと確信を持って答えられませんので,昔の高校生もそうでしたけれども,今の高校生も私はそれほど社会の変化ということを考えれば変わっていないのではないかというふうに思っています。昔と違うという点は確かにあると思います。私が一番感じているのは,そこに挙げましたけれども,まずは少子化の結果だと思うのですが,子どもが家庭の中で非常に大切にされているなという気は保護者等を見ていても,日々よく感じるところであります。以前に比べて非常に子どものことを親がケアするというか,心配するという度合いが前よりもっと増えているのではないかなというふうに思っています。   それから,物質的に豊かになった結果だとは思うんですが,余り物事に固執しなくなったという感じがあります。こうでなければならないとか,こうではなければ駄目だというようなことを子どもたちが余り言わなくなったということです。それから,物事,ものに対しても余り執着をしない,なくなってもそんなに気にしないというところはあるような感じが受けます。   さらに,最近の高校生は昔に比べて知的で,それからスマートになったような気がいたします。昔はもう少し泥臭い感じがしましたけれども,知的でスマートになった。根拠は何だと言われてもなかなか難しゅうございますけれども,私の印象はそういうふうに思っております。   (4)ですが,高校3年生は大人と感じられるか。このヒアリング内容を受けたときに大人とは何かというのを非常に考えまして,大人という定義は非常に難しいので,一言でなかなか答えられないなというふうには思いましたけれども,責任能力があるとか自分で物事を判断するとかというさまざまな一般の人が考えている大人像に当てはめると,現状では高校3年生はそれほど大人だとは思えないというふうに私は思います。その大きな根拠は,自立的・自主的に行動するよりも指示待ちの姿勢をとることが多いというふうに思っています。ただ,これは現状の学校システムがこうなっているので,こうでなければこうではない可能性は十分に私はあると思いますので,学校システムというのは社会と独立にもちろん皆様の前で言うのは恥ずかしい話ですが,社会から独立してあるものではございませんので,社会の要請を受けて学校はやっておりますので,保護者ですとか生徒の希望を受け入れてという形になっておりますので,もちろん自主的・自立的行動ということを教えておりますけれども,余りこれが見られないかなというふうに思っています。   それから,意識していないと思うんですが,高校3年生は社会とか家庭とか学校で自分は保護されているんだという感じをもう暗黙のうちに持っているというふうに私は感じています。   それから,社会の一員であるということの自覚は余りないような感じがします。他者と共同しなければ生きていけないという意識が薄いのではないかなというふうに私は思いますが,しかしながら,今の20歳の人がそう思っているかどうかということについては非常に私は疑問を思っていますので,これは18歳だけの話かなというふうには思っております。   高校生活で特に高校生の教育活動の中には特別活動,これは生徒会ですとかいろいろな旅行ですとか特別活動,行事ですとか部活動というのがあるんですが,これをもっともっと活用すべきだというふうに思っています。部活動というのは少なくとも年が3歳違う中で一つの形でやっておりますので,勤労観に直結するというふうに思っていますし,特別活動を進めていけば自立につながるというふうに思っています。   次ですが,民法の成年年齢を18歳に引き下げることについてどう思うかということですが,私は学校教育上,ほとんど問題はないというふうに思っています。さまざまなことが起こる可能性がありますが,学校には校則がありまして,これを守ることを条件に入学を許可している形になっておりますので,校則というのは厳しい校則ではありませんけれども,きちんと学校に出てきて授業を受けるとかさまざまなことがありますが,それが受け入れられる範囲であればほとんど問題はないのではないかというふうに私は思います。もし最も問題があるとすれば,契約の問題についてではないかというふうに思います。これは最近インターネットとか携帯電話が非常に普及しておりまして,高校生が簡単に契約をしてしまう事例があるものですから,そこにケアは必要かなというふうに思っています。   それから,大学生というのは大学の在学中に成年になりますけれども,このことで何か問題があるという大学の先生はほとんど私は聞いたことがありません。それは大学の教育のやり方だと思いますし,高校でも18歳が成人という形で社会的認知が得られればそのように教育いたしますので,ほとんど問題はないというふうに私は思います。   次ですが,18歳で婚姻できるようになることについてということですが,これについても私は問題はないというふうに思っています。それ以上に男女で婚姻できる年齢が異なっているという状態のことのほうが現在の高校生はちょっと違うのではないかというふうに思っているように私は感じます。婚姻についてですが,性教育については随分指導してきておりますけれども,婚姻について現状ではほとんど指導しておりません。現在では家庭科の中で家庭生活とかという形で指導していますけれども,生徒本人としてはほとんど当事者意識はないというふうに思います。   次ですね。成年とそうでないものが混在する問題のことですが,私はこれもほとんど問題はないのではないかなというふうに思っています。車両等の免許についても取得する時期によって誕生日が違ってもさまざまですが,問題はないというふうに思います。この混在ということよりも成年であるということはどういう意味があるのかということを教えるほうが非常に大切なのではないかなというふうに思っています。私も少し考えてみたのですが,成年が18歳という形で,19歳では駄目なのか,17歳では駄目なのかという形でいろいろ考えてきましたけれども,18歳というのが一番効果的かなというふうに私は今思っています。どういうことかというと,ちょうど高校の3年生ですので,成年になるということが非常に身近な問題としてとらえる可能性がありますので,学校で指導・教育する上で非常にプラスになるのではないかなというふうに思っています。これは20歳という形になると,高校卒業してから1年以上,2年近く間にブランクがあるものですから,高校でなかなか成人という形のことを指導しても実感というか,リアリティーがないんですね。ですから,その観点からしても,18歳というような形のほうが学校教育ではうまくいくのではないかなというふうに思っています。   一番最後ですが,私は成年年齢は18歳にしたほうがいいと思っております。高校3年生はすばらしい可能性を持っており,日本を担う人材ですので,これを早く活用すべきだというふうに私は思っています。非常に雑駁で申しわけございませんが,以上でヒアリング内容にかえさせていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。   それではここで休憩をとらせていただきたいと思います。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,会議を再開いたします。   氷海委員,よろしくお願いいたします。 ○氷海委員 よろしくお願いいたします。   私がここで委員をしているのは,高校生の現状を皆さんに分かってもらうためにいるのかなと思っております。高校の全体像につきましては本多校長のほうから今お話がありましたので,私のほうは今の高校生の状況を中心にお話をさせていただきたいと思います。   部会資料11の研究報告のポイントは,全国の都道府県の校長先生たちに各県4校ずつピックアップをしまして集めたデータです。全国の高校生を把握しているという資料はないのですが,19年度にやったとき100パーセントの回収がありまして,全国の高校生のイメージがこれで少しは分かるかなということで提出をさせていただきました。これが私どもが中心になってたまたまやったものですから,ここからとらえられることは,これはあくまでも校長先生が今の自分のところの高校生を見てということで出していただいたデータなんです。今現在の高校生のイメージというのは,気質として思いやりだとか社会参加意欲,自主性,これはたけている。反対に自制心とか根気強さはないなというような大きなとらえ方で見ております。この社会参加意欲とかというのは,高校は公立高校が中心ですので,文部科学省の指導要領に沿った教育をしておりますので,やはりキャリア教育等インターンシップ制度,要するに社会へ出ていって活動することを授業の一環として認めるとか,いろんな制度が変わってきまして,そういうところに生徒をどんどん送り出しています。したがって,生徒はその文部科学省の指導要領のねらいどおりにやはり動いています。以前は個性を重視した指導要領がありましたので,非常に個性豊かな生徒が育っていまして,そのあと,ゆとりがありまして,今は生きる力という形で,やはり個性重視のときは子どもたちの個性をいかに引き出すかという教育を10年間ぐらいやっていましたので,非常に個性はあるんですが,分かりやすく言うと規律がなくなってくるというような形なんですね。片一方を優先して教育で引き出すと,もう一つのほうがちょっと崩れてしまうという傾向があります。そこから来て受験戦争がありまして,自殺者等が出まして,ゆとりという形で今現在進めております。今度また新しく中教審のほうで出たのは少し授業時間数が増えている形になっているようですが,まだ高校のほうは出ていないんですが,小中の答申が出ました。必ず社会の流れで文部科学省が指導要領をつくりますと,やはり10年間ぐらいやりますから,生徒はその色にやはり染まります。そうして先ほど言いましたように,社会参加意欲だとか自主性,やはり個性を引き出す教育をすると自主性というのも一緒に出てきますので,そういう形が出てきます。   思いやりというのは,これは切磋琢磨がなくなったという言い方はおかしいんですけれども,仲良しグループなんですね。昔は番長みたいなのがいて,今そういうのはいないんです。大体みんな仲良しグループで,あるとしたらネットのいじめだとかそういう感じで,余りグループをつくって対立するということは今はないんですね。だから,ある意味では思いやりが一人一人にあって,だれとでも仲良くできると。それが本心からの友達関係かちょっと難しいんですよね。メール友達とかそういうようなレベルかもしれません。そういうようなのが今の高校生の状態です。   もう一つは約98パーセントが高校生になりますので,高校生を一口で把握するのは難しいです。私も今現在,36年間学校関係をやっていまして,7校学校をかわっていますが,いろいろな学校を経験しています。全く別世界です。ある学校では18歳から 成年年齢にしても全然問題ないだろうなという学校も経験していますし,校舎の中を自転車で乗り回すような高校も経験しておりまして,そういう子たちが成年年齢をもらったときどうなるかなという心配もあります。ここに参加していて「先生,どうですか」と言われたとき,今の段階ではちょっと答えられません。大丈夫な子もいるし,心配な子もいるということで,答えが一つにならないんですね。それはやはり98パーセントの中学生が高校に来ますので,高校生を一口で表現するのは非常に難しいです。私が教員をやっていましたときには,私の高校時代よりもはるかに立派な生活をしていて,立派な考え方を持っていた生徒とも出会っていますし,反対に大丈夫かなと思うような,そういう心配をして中途退学をしていった生徒も見ておりますので,そういう観点でみると,今現在の高校生というのは非常に幅が広くなっています。   私ももう36年やっていますので,私の高校時代とまた高校生の気質も違います。また,ほとんど今,大学進学を希望しておりますので,日本の学校教育と文教政策というのは,義務教育は一応中学までですが,事実上,今高校まで義務教育化と言っていいんでしょうかね。大学もあと何年かすると,需要と供給がひっくり返って大学の応募人数のほうが増えるという時代が来ると言われています。したがいまして,これからの子どもたちは自分の意思と経済的な裏付けがあれば大学まで義務教育化するのかなと思うのです。これは極端な言い方ですけれども,22歳過ぎてからやっと社会へ国民のほとんどが出て行くという国になるのかなと。我々が高校時代には経済的なこともあって,中卒,高卒,大卒というある程度ピラミッド型に自然とそうなっていたかもしれません。今の日本はやはり親も自分の生活を切り詰めてでも子どもは大学にやりたい,これは正直なところだと思います。それは社会の受け皿がやはり大学を卒業した生活とそうでない生活,おぼろげながら親はそう思っているのではないでしょうか。自分の子どもには自分の生活を切り詰めても大学へやりたいと,そういうような今の現状です。   それで,やはり98パーセントの進学率があるんですが,その反面,中途退学が多くなっている。ということは逆に言うと,高卒というか,高校で生活をするというのは昔の入るときからのピラミッドではないんですが,ドロップアウトしたのを入れると,ある程度高校卒業の人数というのは,98パーセントそのものは卒業しませんので,そういう自然とうたはあるのかなと思います。やはり今一番高校生を扱っていて難しいのは,人間形成の中で,学校教育が影響を及ぼす点が非常に少なくなってきているという点です。やはり情報化社会の中で,インターネットで知識は入りますし,やはり経済的にも豊かになっていて,アルバイト等で行動範囲は広がっていますので,高校で人間形成をする部分は昔よりは少し幅が狭く,ほかからの影響というのが大きいなと思うのです。国全体で子どもを育てるというのはやらないと,学校がどうにかなれば子どもが育つということと今の時代ではないのではないかなと思います。   それで,そういう社会的な大人の世界が子どもたちを本気でいろんな場面で育てていくということが必要になってきているのかなと思います。したがって,今学校が頼るのは先ほども出ました部活動とか,あるいは教育活動の中に完全に授業のように位置づけられているものではないんですね。しかし,事故が起これば責任がありますから,言ってみれば公務であると。非常に微妙なバランスなんですね。それに高校生の人間的な教育を頼らざるを得ないところがあるんですね。だから,部活動の問題は先生方が非常に苦労されながら人間形成をしていくというような現状であります。それは何を示すかというと,やはり学校外での影響がものすごく最近は大きいということですね。いろんなところからの情報で子どもたちは影響されていますので,そういうところで今の高校生の中には,完全に18歳からでも大丈夫な子もいるし,全くそうでない子も存在している。だから,そこでの問題点をどのようにバランスをとって,今ここでやっている話に結び付けるのかなと。私も今現在分かりません。   それから,ヒアリングの中で質問されている項目ですが,正直言って民法を考えて高校の現場で教育はしていません。この質問は民法についての質問で,非常に答えに苦しみました。現場ではスカートが短過ぎるとか制服をきちんと着ろとか,茶髪は直せとかというのにかなりエネルギーを使うので,この民法に関して子どもをどう見るかというのは,日ごろは全くないです。私もこの委員になって民法を少し勉強しまして,要するに身分の問題ですよね。あと財産だとかそういう問題,それを高校生を教育するときに視野に入れてということはほとんどありません。今問題があればすべて親御さんに来ていただいて話を三者でしていくと。だから,もし18歳になれば18歳の生徒は卒業していくときではなくて,3年になって初めに18歳になる子もいますよね。そうなると,その子たちとの権利だとかで,もう対等な場面が出てくるわけで,その子たちに対する指導の仕方,親が来なくても当然本人はもう自己責任という形で法はなっていますから,そういういろいろな場面が想像されます。かなり大変だなと,そんなイメージがあります。   そういう中でこの質問を一応考えてみました。最初の質問が今の高校生の物事の考え方や性格をどう感じていますかというようなことですが,イメージ的には私ももう大分年ですから,どうしても昔の自分の高校時代のイメージと比較するんですが,やはり幼児化しているというイメージはあります。   それから,変化があると考えた場合はどのような点からですかというと,やはり社会的自立心や人間関係能力のほうがちょっと下がってきているのかなと。これはあくまでも私の感覚でしかないんですけれども,そういうようなことです。   それから,最近の高校3年生を見て大人と感じられますかという質問なんですが,これも難しいんですが,私がずっと高校を7校歩いてきた中で,これはあくまでも感覚ですけれども,大人っぽいとは感じますね。この大人の定義は難しいんですが,この質問で3年生を見てどうですかと。3年生の中で大人っぽい子もいます。だから,そうではない子もいるという答えになってしまうんですが,私のイメージとしては大人っぽい子が多いと感じています。   大人になるためにはどのようなことが必要ですかという質問ですが,やはり大人とは自分の思いだけでなくて他者との視点からものを見る力,それから,客観性や社会的観点や,そういうものを社会的な普遍的な道徳的なものをしっかり持っていることが必要かなと私なりに考えています。   それから,三番目の質問で,契約の問題で親の許可なくして契約ができるようになることについてはどうお考えですかということですが,もしくはそういう形になると,昔のいわゆる準禁治産者,多額の借金をするような者は増えるであろうと,そういう契約だとかそういうようなことで。それから,学校で先ほど商業科の話がありましたが,普通科ではそこまでやりませんので,やはり単利・複利の利子の違いだとか消費者教育,金融や資産教育が絶対的に必要になってくるであろうというところですね。   それから,これも心配なんですけれども,そういうような金融関係で犯罪や劣悪な労働に手を付けてアルバイトをして借金を返すとか,そういう面も教育上ちょっと心配はあります。今のアルバイトは自分で携帯電話料金を払うためにバイトをやるなんていうことがありますが,今度はそういう自分で契約がとれるようになりますと,いろんな問題がもっと大きく出てきますので,借金を返すために働くなんていうことも出てくるかなと思います。   それから,四番目が親の監護を受けなくて教育を受けることになって,それが学校教育上どういう問題点がありますかという質問なんですが,やはり先ほども言いましたように,今現在はすべて親を通して本人を指導していくというパターンがありますので,その関係で親との形が切れたら,本人対学校という指導のパターンが出てくる,そこのところが今までとやはり随分違うなと思うのです。逆に,社会的責任で親の扶養義務も生じるんでしょうかね。家庭によっては,親が子どものアルバイトで生計を立てているという家庭が実際にもありますので,その辺の問題が出てくるかなと思います。   それから,親の同意なしに結婚できるようになりますと,学校教育上どういう問題点がありますかという質問があります。やはりこれは学校の中で社会的責任ですよね,結婚だとかそれは大きな社会的責任,その辺の知識などをしっかりと教えないといけないなと。やはり配偶者とか実子とかそういう形が出てきますので,それにはやはり自分の責任問題が教育上大きく出てくるだろうなと。あとは先ほども話がありましたけれども,子どもを連れて学校に登校してくることも起こり得るかなと。そうした場合に学校側の対応はどういう形にしたらいいのかなというようなところもあります。   それから,六番目が成年のものとそうでないものが混在する時期が生ずることになりますということについてですが,ちょっと観点を変えてみますと,マイナス面としては,教室の中で選挙に行くものとそうでないものがいたりしたときにどういう扱いをしていくかというのが問題になりますし,プラス面としては,そういう混在したときに社会参加意識が深まるということはある,要するにその者から学ぶ,成人のものがいればそのものから学ぶということが出てくるかなと思います。学校の中には成人は教師しかおりませんので,自分たちの仲間でそういう者がいれば,社会的な意識を深めることがいい意味では影響が出てくる可能性もあるだろうと思います。それから,マイナス面としてはちょっと切り口を変えますと,先ほど言いましたように,個々の生徒の誕生日が違いますから,同じ3年生であっても成年に達している者と達していない者が出てくることから格差を感じる生徒も出てくるかなと思います。しかし,これは余り大きな問題ではないと思います。   それから,七番目は我が国の成年年齢も18歳にすべきであるという意見がありますが,どうお考えですかということなんですが,やはり20歳でも18歳でも基本的には個人差がありますので,どちらかがいいという形はなかなかとれないと思います。もし18歳にするのであれば,やはりかなりの教育,先ほど言いました自己責任,自己決定力の教育はしていかないといけないのかなという感想を持っています。   あと,この会に出させてもらっていて,共通の質問として,成年年齢の引下げについて,どうお考えですかという意見を聞かれているわけですが,先ほども話したように,まだいいとか悪いとか,まだ私個人の中ではありません。やはりここではいろんな問題点を掘り起こしていく必要があるんだろうなと。そして,できるだけまず心配点を掘り起こしてみて,それに対する対応を考えて,そして,最終的に判断していくのかなと。その中で私の役割はやはり現代の高校生の実態,状態を皆様方にできるだけ生の形でお示ししていくのかなというような形で,今日のヒアリングもできるだけそういう観点でお話をさせていただいて,この報告書も全国都道府県全部の意見が集約されているという意味で,全国の大体のイメージ,子どものイメージが分かるかなと。この中でも質問項目にありましたように,一番苦労しているのが服装指導だと。これは高校教育で本当はそこが本分ではないんでしょうけれども,現場はそこが一番苦労していると全国の校長さんたちは言っているんです。これが現状なんです。服装指導とかなかなか効果が上がらないというのが一番多くて,現場というのはそういうことがやはりあるんだというところでございます。   どこまで今の高校生のイメージが皆様方に伝わったか分かりませんが,現状,私の知る範囲では今の高校生のイメージはそういうところであります。以上であります。 ○鎌田部会長 どうも大変ありがとうございました。   各先生方から御意見をちょうだいいたしましたので,これから委員,幹事の皆様から各先生方への御質問をお出しいただきたいと思います。どの点からでも結構でございます。   それでは今田委員,お願いいたします。 ○今田委員 本多先生に質問させていただきます。   本多先生の御体験から高校の卒業を控えたときがちょうどキャリアチェンジの節目に当たる,その時期に成人たるものは何かとか,成人としての自覚とかそういうものをきちんと学習するというのは非常に効果的だという御意見だったと思います。それもなるほどなというふうに私も思いましたが,ただ,あとの先生方の御意見,高校の現状をお聞きしたときに,ではそういう本当に自立し,成人たるものが何かということを学習してもらいたい,高校を卒業する時点で学習させたいという先生方の意欲は非常に理解できるんですけれども,高校の現状を考えた場合にそうした成人たることが何たるかということを高校卒業までに高校のカリキュラムの中,高校生活の中,授業の中で教えることが可能なのか,実現できるのかというその点に関して,何かお聞きする限りでは現状でも非常に高校生の指導というのは厳しい,難しいというお話もあったことを考えると,それをやりたいと,やらねばという問題関心というのは非常によく理解できるんですけれども,実際にそれが実現できるのか,その点に関して本多先生はどのようにお考えかお聞かせいただければと思います。 ○本多参考人 今,高校の現状をお話しして困難だというところは非常に強調されたというふうに私は思うんですけれども,すべての高校がそんなに困難なわけではございません。もちろん困難な学校もありますし,そうでない,多くの学校はそうでないわけですので,それが一つと,それから,3年生のときにやればいいのではなく,1年生のときから計画的にやられるべきであろうというふうに思っています。何も18歳になる高校3年生のときに成人に対する教育をするというふうには考えておりませんので,もしできればカリキュラム的に1年生からその年齢に合った形で仕上げとして3年生でやりたいというふうには思っています。ただ,私は専門高校におりますものですから,大学受験が直接にはありませんので,割とそういうふうな形はできますけれども,そういうこともやらずに大学に行くために何か勉強するというのは本末転倒ではないかなという感じはいたしておりますけれども,答えになったかどうか分かりませんが。 ○鎌田部会長 普通高校の観点から氷海委員,何かございますか。 ○氷海委員 普通高校と専門学科というのは,普通高校の位置づけは難しいんですね。高校のイメージが普通高校なのか,専門学科が特別なのかという非常に難しいんですが,今の段階でやっぱり進学を中心に普通高校は考えているんです。私は大変な学校とそうではない学校を両方11年ずつ経験しているものですから,本当に煮え切らないんですが,心配するところと本当に大丈夫なところがあって,普通科のほうがその差は大きいですかね。進学校とされるところと大変なお子さんが多く集まっているところ,そういうようなところがありますので,特に普通科だからとか,そういうところはないんですが,先ほど言いましたように,もしやるのであればやはりその意識を早めからカリキュラムの中に位置づけて,その意識をやはり高めていかないと難しいかなと。そういう点では普通科でも同じですね。 ○鎌田部会長 藤田先生,何か関連してございますか。 ○藤田参考人 私も高校生対象の調査は随分やりましたし,世界青年意識調査等もやっていますが,二点ポイントがありまして,学校間の格差は今お話がありましたように,極めて大きいことは事実です。専門学科だからといって必ずしも大きい問題を抱えているというわけではなくて,普通科でもいわゆる教育困難校と言われる学校はたくさんありますから,そうした学校では非常に大変だろうと思います。   二点目はカリキュラムを組むとか,何らかのプログラムを行うということはどこでもできることです。問題はそれが十分な成果,期待する成果を上げることができるかどうかです。高校教育に限らず,特に1970年代以降,人間形成とか人格形成とか社会性の形成,道徳性の形成といったことが課題だと言われ続けてきて,様々の対応がなされてきましたが ,一向に成功しているとはみなされていない。ですから,何か特別のプログラムを組めばいいというような問題ではなくて,どういう状態で成年になるということを社会的に許容できるのかを検討する必要があるのだと思います。そして,具体的に民法の成年年齢を下げた場合に,それがどういう問題と連動してくるかがクリティカルなのではないかというふうに思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかに御発言ございますでしょうか。   はい,木村委員,お願いします。 ○木村委員 藤田先生,もし御存じだったら教えていただきたいんですけれども,先生のお話の中で教育・訓練の世界というのが非常に近代はモラトリアム化して長期化してきて,今や死ぬまで勉強という時代になってきているんだと。こういう中で,しかも平均寿命が伸びている中で,むしろ成年年齢を引き下げるというのは方向性として逆に違うのではないかなというお話がございました。   ただ,ヨーロッパを見ますと,ほかの海外もそうですけれども,きっかけは徴兵制というようなものが中心だったのかもしれませんけれども,現実に18歳という成年年齢でその後ずっとやってきている。しかも,何か大きな問題が発生しているかというと,決してそうではない。教育としては非常に長期化されている中で,18歳という段階ではまだ極めて未熟な段階を成人としておきながら,それほど大きな問題になっていない。逆にむしろ向こうのほうが大人なのかなと感じるような場面は随分多く見受けられるのではないかなという気がしているんですけれども,何かヨーロッパでは,例えばまず一つに日本以上に高学歴社会なのかどうか。そして,もう一つは高学歴だとすると,そのときにどういう教育が社会人といいますか,成人としてなるに当たって貢献するような教育といいますか,そういうようなものがなされているのかどうか,もしあれば教えていただけると有り難いなと思います。 ○藤田参考人 説明したいことがたくさんあるんですが,まず,高学歴化の程度ですけれども,今世界で最も大学進学率が高いのは韓国だと思います。90パーセントを超えています。アメリカ,カナダ等は日本よりも高等教育進学率は高い状況にありますが,特にアメリカはドロップアウト率が非常に高いために,実質卒業率は日本よりも低いと言っていいと思います。ですから,日本は世界的に見れば非常に高い水準にあると言えます。   それから,どういう問題が起こっているかということにつきましては,これはそれが成年年齢が18歳であるから起こっているとか,20歳であるから起こらないとかというような性質のものでは多分ないだろうと思います。とはいえ,具体的には,先ほどもちょっと言及しましたが,婚姻年齢等が下がることへの影響は,ほんのわずかかもしれませんが,出てくるだろうと思います。その点で触媒になる可能性は日本の場合にはあり得るだろうと思います。それ以上に大きい問題になるかもしれないのは,高校や大学の中退,ドロップアウトとそれに関連する問題だろうと思います。この問題は宮本先生が非常に詳しいところですが,イギリスの場合にはチルドレンズアクトやいろいろの法改正と,ラディカルな教育改革が1980年代以降進められましたが,その過程でいわゆるハイティーンのニートと言われる若者の急増でありますとか若年浮浪者の増加などが問題化するようになりました。非行や不適応といった現象もそうですが,それらの直接的な原因・背景は経済社会の構造的な問題にあると思いますが,ティーンエージャーを社会や家族がどのように責任をもって保護・ケアするのかということも重要なのだと思います。ニートや浮浪者はそういう社会的な保護・ケアのシステムによってカバーされないから問題として顕在化すると見ることもできますから,そういうことも含めて,成年年齢をどう設定・規定するかは重要だと思います。   先ほどの報告では申し上げなかったんですが,私が一番危惧することは,他の諸法令や政策への影響です。今回の成年年齢見直しの動きは,国民投票法が成立したからですが,同じように民法が仮に18歳になれば,ほかのさまざまな法規定もこれに合わせていくということになり,さらには,教育制度やその他さまざまな領域の制度設計にも波及していく可能性あるいは危険性があるのでないかということです。この20年ほどの教育改革・教育政策は,社会の他の諸制度の動きや,経済・文化・社会の変化が原因になって起こっているさまざまな問題を理由にして進められてきておりますから,そして,私はそれらの改革・政策の多くは決して好ましいものではないと考えていますから,そういう危険性がさらに強まるような契機は排除する方がいいと考えています。ですから,現行の成年年齢で何も不都合がないのであれば,あえて変える必要はないと考えていまして,そういうスタンスで実は今回報告をさせていただきました。   それから,もう一点ちょっと気になっておりますことは,民法の成年年齢とは直接には関係ないかもしれませんけれども,先ほども出ました社会的な支援ケアとか保護法制のようなものが成年年齢を引き下げることによって十分に手当てされなくなるのでないかということです。先ほどもちょっと言及しましたイギリスではそれが実際に起こったのだと思いますし,アメリカなどでは,それ以前から起こっていたことだと見ています。そう言う社会的な保護やケアが十分になされていないために問題が深刻化したという側面もありますので,そういった意味で,もし引き下げるとするならば,十分にその点の配慮というものが必要なんだろうというふうに思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   はい,山本委員。 ○山本委員 藤田先生にお伺いしたいのでございますが,一つ目は藤田先生の多方面から考察された御見解を伺って,藤田先生の考え方からすると,むしろ成年年齢を現行20歳から25歳とか35歳に引き上げるべきではないかというふうに私は理解したのですが,そういう理解でよろしいのかどうか。   それから,二点目はヒアリングの項目が下げることについてどうかという問いでございますので,余分なことを言う必要がないという御判断もあったんだろうと思うんですが,もし問われれば,その意味では積極的に20歳を例えば25歳とか30歳に引き上げるべきだというお考えをお持ちなのかどうなのか,その点お聞かせいただければ有り難いなと。   それから,大きな二つ目として参政権,投票する権利ですね。このことと成年年齢と成年としてさまざまな商業行為を行うとか,そういう行為能力とが一致しているべきだというふうにお考えなのか,そこは離してもいいのではないかというお考えなのか,これが大きな二つ目でございます。   それから,三つ目に仮に成年年齢を18歳まで引き下げるということになった場合,暦年と学校の教育年度のずれがございますけれども,ここら辺りについてはもしお考えがあればお聞かせいただけると有り難いなと。   以上でございます。 ○藤田参考人 今回報告するに際して,どういうスタンスをとろうかということを随分考えました。まず第一点目ですが,構造的に言えば長寿化が進み,高学歴化が進み,そして経済社会の高度化・複雑化が進めば成年年齢も上がっていくのが合理的であるように見えますけれども,そうは言いましても,この準備期やモラトリアム期をずるずる延ばしていけばいいというものでもないと思います。特に生物学的・身体的な成長年齢を考えますと,十分にというか,それなりに心理社会的な発達が確保されれば生物学的な年齢にむしろ合っているほうが個々人のレベルで考えれば好ましいというふうに言えるわけですから,そういう意味ではどのあたりが妥当かなと考えると,やはり20歳あたりが妥当なのではないかと思います。これからさらに長寿化するとしても,世界的に言っても平均80歳ぐらいまでが活動年齢としては多分妥当なところでありましょうから,それも考えると,人生の4分の1くらいのところが準備期,モラトリアム期,教育期,学習期という考え方あるいは仕組みに妥当性というか,構造的な合理性のようなものが多分あるのではないかというふうに考えております。   次に最後の御質問についてですが,仮に18歳に引き下げるとしたら,暦年齢と,教育年齢と言いますか,年度で設定するのと,どちらがいいか については,個人的には後者の方がいいと思います。先ほども言及されましたように,自動車免許その他は歴年齢で規定されていますし,高校在学中に免許取得できますから,そういった意味でも事実上,成年かどうかが高校生の間でばらばらであっても,そんなに大きな違いはないだろうとも思います。ただ,先ほどの指導面での対応や教育上の効果等も考えるならば,そして,ほかに生ずるかもしれない諸々のことを踏まえるならば,高校卒業の例えば3月31日,卒業後の4月1日をもって成年にする方が多分問題は少ないだろうと思います。そして,その場合,成人式は1月ではなくて3月25日ぐらいにするとか,そういうようなことも考えてもいいのではないかといったことを,実は昨日あれこれ考えました。多分そうするほうが高校までの教育を考えれば対応しやすいし,先ほど言いました文化的・社会的なイベントとか通過儀礼というような節目を設けるという点でもすべての子どもが一定の時期にその通過儀礼を経験するということのほうが好ましいと思いますから,もし18歳にするというならば,そういうやり方も一つの考え方ではないかというふうに思います。   それから,参政権との兼ね合いについては難しい問題があると思います。国民投票法の場合,これは憲法の問題ですから事前に相当程度の情報は高校生であってもマスコミ等を通じて入ってくると思います。しかし,一般の選挙,参政権の場合になりますと,日常的に高校生はそういったことを中心に勉強しているわけでもありませんから,高校までの教育は非常に面倒な問題を抱え込むことになると思います。特に社会科系の授業,歴史の授業等では,高校の教師がどういう発言をしたか,どういう説明,表現をしたかとか,言及した,しないということが公職選挙法に触れるのではないかとか,いろんな形で高校教育の在り方が難しくなるだろうというふうに思います。ですから,そういうことも含めて私自身は参政権の年齢引下げには余り賛成ではありません。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。よろしゅうございますか。   ほかにいかがでしょうか。   それでは,大村委員,お願いします。 ○大村委員 直前の藤田先生の御発言に関連して一点だけ御質問させていただきたいと存じます。今,藤田先生から年度末でそろえて処理をするということが望ましいのではないかというような御発言がございました。それは一つの考え方でありましょうし,そろっているという観点から19歳というのを採用している国もありますので,そういう考え方もあるかもしれません。他方,先ほどの御報告の中で本多先生からは,いや,成年の人と成年でない人がいても大学は支障がないではないかというような御発言もございました。私どもも考えてみますと,飲酒,喫煙の話は別にいたしまして,その他の点について言うと,学生が成年に達しているか,達していないかということを余り考えないで取り扱っているのではないかというように思います。大学という教育,そのシステムがその成年に達しているか,達していないかということで余り支障を受けていないということならば,もちろんその違う要素はありますけれども,高校でもやってみたら割合うまくいくというようなことはあるのではないかという気もいたします。   少し具体的なことで申しますと,ある人については18歳になったので既にもう成年なので保護者の同意は要らないと。しかし,ほかの人については保護者の同意が要るということではなかなかやりにくいところがあるというのも確かかと思います。大学について言いますと,自分の子どもが大学に入ると,保証人か何かに署名をさせられるというようなことがございます。これは直接的には学費について債務を負えということなんだろうと思いますが,保証人になっていることに伴いまして,成年か未成年かにかかわらず,一定の関与というのが親には義務として求められ,かつ権限として生ずるというような事情があるのではないかと思います。その限度で成年年齢というところで大学生が二つに分かれるということが緩和されているというようなことがあるように思うんですけれども,今のような問題につきまして,御専門の見地から何かお考えですとか,あるいはデータがございましたらお教えいただけると幸いです。 ○藤田参考人 データはもしかしたら調べればあるのかもしれないんですが,今すぐには思いつきませんので,理論的な観点からお答えしたいと思います。組織的な特徴からいいますと,高校までと大学とは極めて大きな違いがあるというのが我々教育社会学の領域の基本的な認識だと言っていいと思います。アメリカのアーヴィング・ゴフマンという人の用語で言いますと,トータル・インスティテューションという概念があります。全制的施設と訳されておりますけれども,刑務所もその一つなんですが,集団生活を基本としていて,その中で知的な形成だけではなくて人間形成,人格形成,価値観や道徳心も含めてすべての領域にわたって,ある考え方を伝え,そして教育していくという,そういう組織あるいは施設というものが持っている特徴は,日本の場合で言えば小中高校が持っているものです。しかし,大学におきましては,そういう全制的施設という側面は極めて低くて,学生の自律性や自主性というものが,高校までに比べますと格段に大きいと言っていいと思います。ですから,成年年齢を引き下げたから直接影響が出るかどうかは分かりませんけれども,そういう意味で,大学で問題がないからといって高校で問題がないというふうには言えないと思います。明らかに高校までのありようというのは,そういう点で性質が異なっていると思います。そういうわけで,学校単位,クラス単位での集団性という特徴を踏まえるなら,大学とは違って,高校の場合,予期せぬいろんな問題が起こる可能性は否定できないと思います。   もう一点,最後のところでお話のありました親の養育義務・教育義務といいますか,そういう部分については,高校については,かなり重要な問題の起こる可能性があると思います。大学は義務教育ではありませんから,親に教育を受けさせる義務というのは一応法律上はないと言っていいと思いますけれども,先ほどからの報告にもありましたように,高校教育は事実上,準義務化しておりますし,高等教育につきましても,日本の場合には保護者が授業料等や生活費も負担しているケースが諸外国に比べて極めて高いというのが実情でありますから,そういったところも含めて考えますと,成年年齢が下がった場合に,特に経済的に恵まれない家庭において高校教育の機会や高等教育の機会というものにある程度影響が及ぶ可能性はあり得るだろうと思います。 ○鎌田部会長 よろしゅうございますか。   ほかに御発言ございますでしょうか。   それでは,宮本委員,お願いいたします。 ○宮本委員 今の藤田先生の最後のお話に関連して御質問したいんですけれども,欧米なんかの状況というのを見ていますと,18歳が成年年齢でそのあとは基本的に本人が法的な権利を持つ。そうなりますと,例えば高校卒業したあとも教育を受けるのがかなり一般的になっているとは言いながらも,日本のように親がかりでないので,そうすると,親に保護されない状況の若い人に対しては,別の制度をいろいろな形でつくることによって保護されていくわけですね。そういう点からしますと,日本の場合には基本的に親がかりがかなり長期に続いて,それでうまく何とかいっているというところがありますので,そのことがいい悪いという問題でなく,事実としてそういう状況にありますので,18歳に成年年齢を下げた場合には,その若い年齢層の,つまり自立がまだできない人たちに対しては,さまざまな社会的な仕組みを新しく作る必要があるということになるんだと思うんですね。   そういう点で高校の先生方に伺ってみたいのは,例えば仮に18歳になって,つまり高校生の年齢で成人に達したといったときに予想される,つまり契約はできる,それから親の保護というものが保障されなくなるというようなときに日本でどういう問題が起こり得ると思われるでしょうか。つまりそれは高校生が多様だと先ほどお話がありましたけれども,その中でも特にいろいろと条件として恵まれていない高校生が年齢的に18歳に下げたときに,とりわけ親との関係の中でどういう不利益が出てくるかということなんです。先ほどドロップアウトという話がありましたけれども,高校生といっても一概に言えないのはドロップアウト問題で,これは先進国みんな抱えていて,そのドロップアウトをして親にも保護されない人に対しては,さまざまなきめ細かな制度をつくり,やっているというのが現状ですよね。というふうに伺いたいと思います。 ○鎌田部会長 本多先生,氷海先生,何かございますか。 ○本多参考人 難しい御質問だと思いますけれども,成年年齢が18歳に引き下げられて成年になったからといって,大多数の親は子どもが大学に行きたいあるいはいろいろなことをしたい場合には,それを妨げるような行為は,私は現在の日本では行われないというふうに思っています。問題なのは今,先生がおっしゃられたように,そういう保護を現在でも受けられていないとか,中退してしまうような生徒がたくさんいることは事実ですけれども,そこにどういう手当てをするかというふうな問題だと私は思います。 ○氷海委員 具体的な例を申し上げれば,私が大変な学校に行ったときは授業料がほとんど未納となることが非常に多い。家庭訪問して授業料をもらいに行ったりとか,それが現状なんですね。そうすると,授業料未納の量が増えるのかなと思うのです。非常に日常的なことですけれども,大変な学校に行くと授業料が未納となる,授業料だけではなくていろいろな諸々の教育費が未納となるというのはものすごく大きな問題でして,そういうところに影響が出てくるのかなと思います。 ○鎌田部会長 藤田先生,どうぞ。 ○藤田参考人 氷海委員からありました授業料の問題は,高校では非常に深刻な問題になる可能性はあると思います。御存じのように,今,小中学校でも給食費の未払いとか,あるいは修学旅行費の積立てのための費用も納めることができない家庭というのが非常に多くなっておりまして,これは各学校,教育委員会で非常に苦労をして,一部は先生が立て替えたり,あるいは教育委員会で巨額の債務を積み重ねているとかということが起こっております。成年年齢が下がるということは非常にシンボリカルな面や規範面での影響だと思いますけれども,保護者にある種の口実を与えるということになる可能性は十分にあると思います。ですから,宮本先生が言われたように,社会的なケアの新たなシステム等をきちんと構築しないと,そういう点では問題が大きくなるだろうと思います。   その点でイギリスは一時期非常に大きい問題を抱えましたし,アメリカ等におきましても,奨学金制度は日本よりも充実している部分はありますけれども,低所得層でありますとか家庭に困難を抱えている青少年の場合には,そういう点で十分なケアがされているとはいえない状況にあります。そして,そのことがいわゆる社会的な排除,ソーシャル・エクスクルージョンの非常に大きな原因になっているというのが欧米先進諸国の共通の課題でありますし,それへの対応というのは,日本の場合には今のところ教育システム,教育がそれを支えている部分がありますけれども,保護者と一緒になって,そこのところが変わっていく可能性というのは構造的な問題として非常に重要だろうというふうに思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでございましょうか。   それでは,始関委員。 ○始関委員 先ほど子どもが大学生になっても,あるいは成人になっても,親がいろんな面倒を見ているというのが日本の実態であるという認識が示されたわけなんですけれども,この成年年齢の問題について新聞等に発表されたある有識者の御意見を読みますと,そこがむしろ問題なんだと。つまりヨーロッパなどでは早く親離れ,子離れをするようにしているが,日本ではそうなっていないから引き下げるのは問題だみたいな議論をされる方がおられるわけですけれども,それと何か今日のお話はちょっと逆のような感じが若干したんでございますが,その点について何かコメントがいただければ有り難いと思います。 ○藤田参考人 これは多分二重のといいますか,社会的な層から言うと,いわゆるパラサイト・シングルというふうに言われるような親の保護やケアを受けることのできる層,それでいて,準備期にあることの自覚や自立性志向や社会性等を身に付けていないような振る舞いをしている層と,もう一方で,十分に家庭のケアや保護を受けられない状況にある層との間では大きな違いがあって,問題が深刻になるのは後者のほうだと思うんですね。ですから,いわゆる社会性を身に付けさせるとか自覚を育成するためにも成年年齢を下げたほうがいいのではないかというのは,上のほうの層には言えるかもしれないんですが,この層はいずれにしても,大学へ進学して20数歳まで事実上,パラサイト状況にあるわけですから,成年年齢を下げたからうまくいくということは余り期待できないのではないかと思います。 ○鎌田部会長 本多先生,いかがでしょうか。 ○本多参考人 非常に難しい御質問なので,何と答えたらいいかちょっと今考えているところなんですけれども,確かに高校生でも授業料を払えないとかという形で,非常に困難な状況に陥っている場合もあるんですね。それは事実ですが,そのことと成年年齢を引き下げるということと私は直結しないのではないかなという気はするんです。なぜかというと,成年年齢を下げるということと高校の授業料とか退学という形がどうも結び付くとは思えないんですね。それは現在でも退学ですとか授業料未納という形が非常に多いことは多いんですけれども,それと親の保護は全く受けられないということとちょっと違うような気がするんです。ちょっとまとまらない意見で申しわけございません。 ○鎌田部会長 氷海委員,お願いします。 ○氷海委員 今言われたように,早く大人にすれば,親に頼る状態というのは回避されるイメージはあります。早く一人前扱いにすることによって,私のイメージでは,うまくいっているイメージなんですね。うまくいったときに非常に日本の中で早めに子どもたちが自立心をもつようになる,いいイメージを持ったときにいくかなというイメージがあります。しかし,やはり先ほど言っていますように,そこまでに行くのにかなり意識改革だとかいろんなこと,手立てを打つことがまた逆にイメージされてしまうんですね。だから,下げることによって今の親からの保護をずっと大学になってもとか,そのイメージは国としてなくなるかなというイメージもあります。だから,個人的にはやってみなければ分からないという部分はあるんですが,現状の中で私なりの立場でいろんな心配事だとか,それをお話させていただいているので,その可能性はどうですかと言われたら,私はうまくいったときにあるなと。その効果は得られるのではないかなと思います。 ○始関委員 私の御質問の仕方が悪かったんだと思うんですけれども,先ほど御紹介した日本では欧米と違って親離れ,子離れが遅くまでできないということを指摘される方は,だから欧米とは違って日本の成年年齢を引き下げるべきでないと主張されています。つまり親離れ,子離れが早くできるようになるような氷海委員の御言葉を借りれば意識改革というんですか,それができるまでは引き下げるべきではないという御意見なんですけれども,それについてはどういうふうにお考えでしょうか。 ○鎌田部会長 それでは,藤田先生。 ○藤田参考人 親離れ,子離れしていないから引き下げるべきでないという議論も,逆に引き下げる必要があるという議論も,御指摘のように意識改革の問題,カルチュラルな問題だと思いますから,すぐに影響が出るようなものではないでしょうし,また,法律でどうこうするような問題でもないと思います。それよりも重要なのは,先ほども言いましたように,社会的にさまざまな困難を抱えている層へのインパクトで,これは多分実質的に生ずるだろうと思うのです。それ以外の部分は,かなりカルチュアルなものですから,どういう方向に行くかというのは余り大きくはすぐには変わらないだろうと思います。ですから,それを理由にして引き下げるべきだとか現状維持すべきだという議論には余り妥当性がないのではないかというふうに思っております。 ○本多参考人 先ほど,高校で困難な生徒が抱えているということは事実だというふうにお話しましたけれども,現在成年が20歳であってもこのような状態なんですね。それが18歳になったからといって,もっと増えるというふうには今の段階ではちょっと思えないという意味の先ほどの言い方だと思いますけれども。 ○氷海委員 先ほどの質問をし直された形での答えとしては,その言われている人の気持ちはすごく分かります。それは今の段階で,今の状況が余り変わらない形をイメージしているんだと思うんですね。そうしたら引き下げるのは非常に心配だということだと思っています。だから,その心配を取り上げて,引き下げないという結論に私はならない。引き下げるか下げないかの問題との視点ではなく,それは今の子どもたちを見ての心配点がそういう発言になっていると考えます。 ○藤田参考人 補足をさせてください。 ○鎌田部会長 はい,藤田参考人。 ○藤田参考人 今それで思い出したんですが,高校生の場合にまだアルバイトは建前禁止,実質許可ですか,もう許可になっているのですか。 ○氷海委員 学校によって異なります。 ○藤田参考人 そうですよね。ただ,建前はアルバイトは禁止のところが結構多いと思うんですね。けれども,実質的にはアルバイトを随分多くの高校生がやっておりますが,それもいわゆる第三次産業のパート雇用がほとんどで,外食産業等が非常に多いわけですけれども,もちろん生活上それが必要であるとか,あるいはもっと積極的な何らかの学習意欲とか職場体験等も含めて,非常にポジティブにそれをやっている子どもたちもいます。しかし,実質的な状況を考えますと,現在の雇用市場や企業の経営環境の中で,安手の労働力として使われていることも事実ですから,民法改正がそういうアルバイト雇用の契約上の問題とか,労働力としてどういうふうになっていくかということについては,18歳ですと,高校生はまだ含まれませんけれども,そこへの影響も多分及んでいく可能性があるのではないかというふうに思われますので,そういった点も多分重要なのかもしれません。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。 ○今田委員 藤田先生にお伺いしたいんですが,成人が20歳ならば親との関係が20歳まで続き,18歳にすれば18歳でという区切りになり違ってくる。そのことによる効果なんですけれども,親による階層問題と言ってもいいかもしれませんが,20歳だとすると,親が豊かであるとかいろいろ持っているものがその年齢まで子どもに影響する。18歳にすれば,一応成人なんだからそこからは自分でやる,親の影響というのはかなり弱くなると,そういう関係は読めると思うんですね。そうなると,藤田先生の議論で先ほどの議論とちょっと逆になると思うのです。20歳までにすることは18歳にするよりも,そういう親による影響がより強く出てくるのではないか。特にこの不利な層が出てくるのではないかという御議論があったんですけれども,今の私のような理論をすると逆になりますよね。20歳になるほうがより影響が出てくるということです。親の影響がより成年期が長くないほど親の庇護と影響,貢献が受けられる期間が長くなるわけですから,出てくると。その関係についてはどうのようにお考えでしょうか。 ○藤田参考人 おっしゃるとおりで,親の影響について考える場合にポジティブなサポートを受けられる場合と,逆にそれこそ搾取的な,子どものほうが搾取と言うと語弊があるかもしれませんが,親がサポートするのではなくて,親のほうが逆に子どもに経済的その他で依存するとか,あるいは養育放棄,ケア放棄的な状況にある場合の二通りあると思うんですね。重要なのは多分後者のほうだと思います。先ほど言いました韓国の場合に,大学・高等教育進学率は世界で今一番高いですけれども,いわゆる学歴社会,受験競争が非常に過激で,子どもへの教育投資というのは極めて高いわけです。教育投資を今やっている層は,成年年齢が下がったからといって,この教育投資を変えるビヘイビアをとるとは思えないんですね。問題はそうでない下のほうの層に対しては,先ほど言いましたように,十分なサポートを現にできていない親たちがそのサポートしないことの口実に成年年齢が引き下げられたことを使う,あるいはまた,そういったカルチャーとか規範的な状況の中でさらにネガティブな影響を及ぼすという可能性があるのではないかということなんですが,ちょっと矛盾していますかね。 ○今田委員 もう一言言うと,親による影響や庇護から社会支援へという枠組みに変わるべきであるという議論が成り立つのではないかと思うのです。18歳で一人前なんだから,アルバイトなどをしながらでも自分で生活をする。自分でできない場合には社会的支援を受ける。韓国の場合とかアジアの場合は比較的親による影響が強いんですけれども,ヨーロッパやアメリカの場合は,やはりもう少し親からの距離がありますよね。そのかわり社会的な支援とか制度を充実させようという気風があるわけです。日本の場合には相続とか税制とかいろいろあるんでしょうけれども,非常に親が関与する,親が経済的な支援するというのは当たり前のような制度になってしまっており,そのことはいかがかなと思うのです。階層問題とすれば藤田先生の御議論は反対になるのではないかと,そういうことを言っただけなんですが。 ○藤田参考人 親の保護期間や影響の及ぶ期間が長いほど,親の階層差等の影響は大きくなるのでないかという今田先生の御意見は,確かにそうだと思いますが,成年年齢を引き下げたからといって,その保護や影響の及ぶ期間が事実上短縮されるとは考えにくいことが問題なのだと思います。これは,多分歴史的な発展過程といいますか,日本も韓国もそうですし,急激にわずか一世代ぐらいの間に高学歴化と経済発展が急速に進んだ社会が持つ特徴なのかもしれないと思うんですね。親のコミットメントと教育投資等を含めて非常に手厚くなるという状況は,これは中国も同様の傾向を今示し始めています。ですから,個々の保護者がケアするということと,社会的に長い年月をかけて欧米諸国のように社会が形成されて発展してきた場合に,社会的に親に任せておけない社会的な問題が若年層のところでさまざま生じてきていましたから,社会的な保護ケアシステムというのは割と発展してきていたというふうに思うのです。けれども,日本の場合,戦後に必ずしもそういうふうにはシステムは作られてこなかったわけですから,今の経済状況,財政状況やいろんなものを考えると,これが逆転するというか,青少年に対する社会的な保護システムが今より充実して新しい仕組みを作るだけの財政基盤はまず期待できないと考えるならば,成年年齢を変更することで,階層的に低い層,さまざまな困難を抱えている社会的に保護されるべき層が十分に保護されないためにさらに困難な状況をつくり出すのではないかと思います。 ○鎌田部会長 松尾関係官,お願いいたします。 ○松尾関係官 この部会の審議の対象は,民法における成年の規定をどうするかということでありますので,今日の参考人の方々にお願いしたヒアリング事項もそこに焦点を合わせているわけです。しかし,先ほど藤田参考人も言及されましたとおり,この民法の成年の規定はほかに非常にたくさんの法律に影響を与える可能性があり,それがどうなるだろうかというのは常に懸念があるわけです。それに関連いたしまして,高校教育の現状について教えていただきたいと思いますけれども,例えば未成年者喫煙防止法という法律について,あの規定は題名こそ未成年ですけれども,本体の規定は満20歳という表現をしておりますので,たとえ民法が改正になっても直接大きな変化は直ちには起こらないわけですけれども,しかし,学校で君たちはたばこを吸ってはいけないよという指導をされる場合に,その理由づけとして,実質的に健康に極めて有害だということでお話になっているのか,それとも法律で禁止されているから駄目だよとおっしゃっているのか。もし後者であれば民法の規定が変わった場合に,民法では18歳だけれども,たばこの関係では依然として20歳だよという御指導が今までどおり行き届くかどうか,その辺についてはいかがでございましょうか。 ○鎌田部会長 本多参考人,お願いいたします。 ○本多参考人 私は,定時制の学校に勤務していたこともございます。定時制ですと20歳を過ぎたり30,40,60歳という方も学びますけれども,学校の中では喫煙を禁止すると校則で決めておりました。理由としては,20歳未満の生徒もいるということと,たばこを吸うということはほかの生徒に悪い影響を与えるということもありますし,清掃の問題等を順次説明しておりました。そのかわり自宅に帰ってどうしているかということについては,それは学校は関知できませんので,そこまでは指導いたしませんけれども,学校の中では20歳を過ぎた方でも一切喫煙,飲酒はさせておりませんので,それが18歳になったとしても,現在の高校生にも多分同じ指導をすると思いますので,ほとんど問題ないと私は思っています。 ○鎌田部会長 氷海委員,お願いいたします。 ○氷海委員 現在は両面からやっています。健康教育,たばこの保健体育の保健科目で教えております。それから,どこの学校でも喫煙した者が発覚すれば懲戒処分をしていると思います。その際,保護者同席で喫煙した者についての指導をするときには,法律でも禁止をされているという言葉は使います。 ○藤田参考人 補足でよろしいですか。   これもかなり深刻で,今おっしゃられたとおりだと思うんですね。ただ,これは普通科高校でいわゆる進学校というようなところでも文化祭とかのあとにクラスの仲間や,あるいは一緒に出し物をやった連中がファミリーレストラン等に行って飲んだりたばこを吸ったりということがやはりあるわけですね。これは実態としてはありますけれども,一般的には余り問題化しない。しかし,これが問題化するときには必ず責任問題だとか生徒の懲戒処分だとかいろんなことが起こって非常に大きい問題になります。これがもし18歳に喫煙年齢が引き下げられれば,確実に学校の中でそれへの対応はますます難しくなりますね。ですから,法的に禁止されているというのは,校則等でも指導上も根拠になっていると思いますが,その根拠が部分的に崩れることになりますから,そういう意味でも影響は大きいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   藤田教授,本多先生,氷海委員,大変長い時間にわたりまして,また有益な御意見をちょうだいしまして本当にありがとうございました。   本日の審議はこの程度にしたいと思いますけれども,それ以外に何か委員の皆様方から御発言ございますでしょうか。   木幡委員,どうぞ。 ○木幡委員 お話を伺ってまいりまして,本当に何を根拠に判断したらいいのか非常に難しいと思っておりますが,一つ感じましたのは,判断をする上で今の実際の18歳の人たちの声を聞くということは,極めて重要ではないかということです。もちろん今日のようなお話ですとか資料から浮かび上がってくるものというのも当然貴重な判断材料になるんですけれども,私個人といたしましては,何かプラスアルファとして今の若い人たちと実際に会話をしたり触れ合ったりする機会を持ってみたいと思いました。たまたま私の周りにはその年代の方たちがいらっしゃらないからそう思うのかもしれないんですけれども,やはりまさに議論の対象となっている年齢であるわけですから,この部会で例えばそういう高校生の意見を聴く機会というのを持つことなどは考えていらっしゃるんでしょうか。 ○鎌田部会長 ただ今木幡委員から成年年齢引下げを検討するに当たっては,その高校生ということでよろしいですね。 ○木幡委員 そうですね,仮に18歳ということであれば高校生ですね。 ○鎌田部会長 高校生の生の声を聞くことが必要ではないかという御提案がございましたけれども,この点につきまして御意見ございますでしょうか。 ○仲委員 是非聴ければいいなと思います。ただ,それが優等生のお子さんだけの意見だと何か物足りないなとも思います。 ○木幡委員 どの高校生の意見を聞くかによってまた全然違ってくると思うんですが,例えばこちらに来ていただくというのではなくて,こちらから高校に出向くとか,何かそういったこととかもしてみたいなと私個人としては思ったのですが。 ○鎌田部会長 ほかの委員の方,この点につきまして何か御意見はございますでしょうか。   宮本委員。 ○宮本委員 海外の動きというのを見てみますと,あらゆる場面で必ず当事者の意見を聴かねばならないというのは法律に定められるぐらいにやっておりますので,当然必要ではないかと思います。ただし,そのときに18歳になってどう思うというような発問をしたら,恐らく形どおりの回答しか出てこない可能性があって,そのあたり彼らの本音というか彼らの利害に絡む形で18歳なのか20歳なのか,あるいはもっと別の年齢なのかというようなことを聞くための工夫が必要であるような気がいたします。そのあたり検討をするというようなことも含めてやるべきではないかと思います。 ○鎌田部会長 ほかの委員の方もおおむね方向としては御賛成と思いますが,はい,大村委員お願いします。 ○大村委員 私も可能ならば関係の若い方々の意見を聴かれたらいいと思うんですけれども,そのときに18歳に限らずに現在の成年年齢の前後,19,20,21辺りも含めて20歳が成年年齢として仕切られていることについての意見を聴取するのがいいのかなと思います。 ○鎌田部会長 山本委員,お願いいたします。 ○山本委員 この種の機会をもし設けるのであれば,併せて現に18歳で成年年齢に達している諸外国の全く同年齢の人たちについても同じような場所で聴ければ非常に興味深いなと思います。 ○鎌田部会長 いろいろ考えていくと,かなり大がかりなものになって大変なことになりそうではありますが,少なくとも直接関係するような年齢の方の生の声を何らかの工夫をしながら聴いてみるということについては,委員,幹事の皆様御賛成のようなんですが,この点について,事務当局はどうお考えでございましょうか。 ○佐藤幹事 民法のこの検討を行うに当たりまして,やはり当事者であります18歳とか19歳の方の意見を聴くというのは重要なことだというふうに事務当局としても承りましたので,この提案を実現できるように,提案されました木幡委員あるいは校長先生として参加しておられる氷海先生にもし御協力いただけるのであれば,協力していただいて前向きに話を進めていきたいなというふうには考えております。 ○鎌田部会長 私は十分承知はしておりませんけれども,法制審議会の審議の中でそういう形のヒアリングというのは余りやったことがないと思われますので,事務当局としていろいろ工夫をさせていただきたいと思います。法制審としてできる範囲内で生の声を聴く機会を設けるということについて,具体的な方法等につきましては事務当局に御一任いただくということでよろしゅうございましょうか。   ありがとうございました。   それでは,最後に事務当局から次回の議事日程等について御説明をいただきます。 ○佐藤幹事 次回の議事日程について御連絡いたします。   次回の日程は,平成20年5月13日の火曜日,午後1時30分から午後4時30分まで,場所は本日と同じ法務省20階の第1会議室を予定しております。   次回は,消費者関係のヒアリングを実施したいということを考えておりまして,国民生活センターの相談調査部長の井口尚志氏,同相談調査部調査役補佐の河岡優子氏,そして弁護士の鎌田健司先生,同じく弁護士の髙橋温先生の4名においでいただいてヒアリングを実施することを予定しております。 ○鎌田部会長 それでは,法制審議会民法成年年齢部会第2回会議を閉会させていただきます。   本日は御熱心な御審議を賜りまして,誠にありがとうございました。 -了-