法制審議会民法成年年齢部会 第6回会議 議事録 第1 日 時  平成20年7月22日(火) 自 午後1時29分                       至 午後4時44分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  民法の成年年齢の引下げの当否について 第4 議 事 (次のとおり) 議        事 ○鎌田部会長 予定した時刻がまいりましたので,法制審議会民法成年年齢部会の第6回会議を開催いたします。    (委員の異動紹介につき省略) ○鎌田部会長 前回の部会後,期日間に早稲田大学において大学生・留学生との意見交換会が実施されましたので,その実施状況について事務当局から報告をさせたいと思います。 ○佐藤幹事 それでは,早稲田大学における意見交換会の実施状況について御報告させていただきます。  7月3日午後3時から留学生との意見交換会を,同日午後4時30分から日本人大学生との意見交換会を,それぞれ約1時間にわたり実施いたしました。  まず,留学生との意見交換会につきましては,委員,幹事,関係官合計10名,留学生13名に御参加いただきまして,委員,幹事,関係官は3,4名,留学生は4,5名を一組といたしまして,日本人大学生の成熟度についてどのように感じているかなどにつきまして意見交換を行いました。御参加いただきましたのは,Aグループが出澤委員,岡田委員と当職,Bグループが青山委員,木幡委員と松尾関係官,Cグループが五阿弥委員,仲委員,山本委員と竹下関係官でございました。なお,参加された留学生はいずれも早稲田大学国際教養学部に在学している年齢20歳から25歳までの学生でして,出身国はアメリカ,ブラジル,中国,カナダ,韓国,イタリア,フランス,ブルネイ,ウガンダの9か国でございました。  次に,日本人の大学生との意見交換会についてでありますが,委員,関係官合計10名,日本人大学生合計17名に御参加いただきまして,委員,関係官は3,4名,日本人大学生は5,6名を一組といたしまして,大人とはどのようなものか,成年年齢が18歳になったらどうかなどにつきまして意見交換を行いました。御参加いただきましたのは,Aグループが青山委員,仲委員と山本委員,Bグループが出澤委員,木村委員,木幡委員と竹下関係官,Cグループが岡田委員,五阿弥委員と松尾関係官でございます。なお,参加された日本人大学生は,早稲田大学に在学の方が13名,そのほかの大学に在学の方が4名でして,年齢は18歳から21歳まででございました。  この後に各グループの代表の方に結果と感想につきまして御報告をお願いしたいと考えておりますが,各グループごとに報告者を互選していただきました結果,留学生との意見交換につきましては,Aグループは出澤委員,Bグループは木幡委員,Cグループは山本委員,日本人大学生との意見交換につきましては,Aグループは青山委員,Bグループは木村委員,Cグループは五阿弥委員がそれぞれ選出されたと伺っております。 ○鎌田部会長 それでは,早稲田大学における意見交換会に御参加いただいた委員の方々から,意見交換会の結果及び感想等の御報告をお願いしたいと思います。各グループの代表者の方からそれぞれ5分程度で御報告をお願いいたします。  まず,留学生との意見交換会について御報告をお願いしたいと思います。Aグループを代表して出澤委員,お願いいたします。 ○出澤委員 それでは,Aグループを代表いたしまして,私から御報告いたします。時間は1時間程度でしたが,言葉の問題もございまして,未消化の部分はかなりあるのではないかというところがございます。それから,留学生でございますけれども,国の特徴なのか,それとも個人の特性なのかというところも検証しているところではございませんので,そこのところをお含みおきください。  Aグループは留学生4名でしたが,まず中国の20歳の男性で,本国の成年年齢は18歳でございます。次にイギリスの21歳の女性で,本国の成年年齢は18歳でした。次に韓国の21歳の女性で,本国の成年年齢は20歳でした。ただし,韓国は数え年でございまして,生まれてすぐ1歳,それから翌年の1月1日に2歳という数え方をするという特徴がございます。最後にウガンダの21歳の女性で,こちらも本国の成年年齢は18歳でございます。  質疑応答でございますけれども,まず自国での成年年齢は適当かという質問をしたところ,皆さんが適当であると答えております。基本的に満年齢で言えば18歳が成年年齢なのですけれども,大学に進学するか,就職するか,そういう自分のことを決めることが成年なのだとのことでした。それから,イギリスとウガンダの留学生につきましては,18歳になったら家を出るということを言っておりまして,ここのところも大人になる一つのきっかけというところと感じております。  次に,本国と日本の同世代を比較してどういう印象を持つかということでございますが,大きな違いを感じるという指摘は特段なかったという印象を受けております。ただ,外観が子どもっぽい,日本人は大声で騒ぐといったところで幼さを感じるという指摘は幾つかございました。  それから,若年消費者保護の問題について,本国で何か問題になっていることはありますかという質問をしたところ,特段問題になっている旨の発言はございませんでした。ただ,私は日本人大学生との意見交換会にも出ましたが,そこでも消費者問題について身近で見聞している学生はおりませんでした。ですから,Aグループの留学生の個人的な経験で果たして法制度に問題がないのかということは判断できないと思います。  成年となるための教育は行われているかという質問に対しては,まず皆さんがそういうものはあるのかなといった態度を示していました。ただ,もう少し具体的に聞いていきますと,イギリスでは16歳で2週間のインターンシップがあるそうです。いろいろなところにインターンで行くようでして,役に立つところもあるし,人によっては大きな法律事務所といったところにインターンシップへ行ってコピーとりで終わってしまったみたいな話もあるようでございます。それから,中国では,大人になることについて,刑事事件とか結婚などについては教わるとのことでした。  それから,大人のイメージを聞いてみました。そうすると,自分で稼ぐこと,それから自分で責任をとれること,自分で決めることができることということで,ほとんど皆さんの意見が一致しておりました。ただ,その中でも,例えばイギリスの留学生は,仮に親が反対しても自分で決めることができることと考えており,少し意思が強いというか,決断が本人に任されているのかなといった印象は受けました。  最後に,日本は成年年齢を引き下げたほうがいいでしょうかという質問をしたところ,ウガンダの留学生を除いて,引き下げたほうがよいという意見でございました。中国の留学生は,成年年齢は文化によって異なるが,日本は18歳に引き下げることによって18歳が大人らしくなるのではないかという意見を言っていました。それから,韓国の留学生は,大学生になって何年も大人でないというのはよくないから,引き下げたらどうだろうか。ただ,いきなり18歳というのは問題が生じるおそれがあるので,まず19歳というのはいかがでしょうかといった意見を言っていました。ウガンダの留学生は,そのままでいいという意見でした。理由として,成年になる前にいろいろやりたいとか,間違いが許される,そういう期間があってもよろしいのではないかということでした。  以上でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。  次に,Bグループを代表して木幡委員,お願いいたします。 ○木幡委員 Bグループは,男性3人,女性2人,合計5人の留学生が参加してくれました。21歳が3人,22歳が2人でした。国の内訳は,アメリカ,ブラジル,中国,カナダ,フランスでありまして,それぞれの国の成年年齢というのは,アメリカ,ブラジル,中国,フランスが18歳,それからカナダが19歳ということでした。  まず,どんなときに大人を意識するかという質問なのですけれども,アメリカ人の女子学生は,誕生日などで親からもう子どもではないのよと言われるときであると言っていました。ただ,小さいときから,18歳になったら大人だよと言われてきたそうです。18歳のイメージはどのようなものかと聞きますと,何でも自分でできる,自由になれるという,むしろ楽しいイメージだと言っていました。ブラジル人の男子学生は,高校卒業イコール大人という感じではあるけれども,高校卒業と同時に急に大人になるというのではなく,むしろ高校を卒業したらもう子どもではないというイメージであり,段階的に大人になっていくということでした。また,大人になるということは自立することと同じであると言っていました。中国の女子学生は,高校の卒業のときに何か誓いのようなものをするらしいんです。「プロミス」と言っていましたけれども,それが何となく成人だと意識するきっかけだと言っていました。フランス人の男子学生は,フランスでは,大学入試がない代わりに,バカロレアという高校を出るときの試験が非常に重要で,むしろ成人になることよりも,この試験に通ることのほうが何か大きな意味を持つように思うし,バカロレアの証書が大人のあかしのように思っているということでした。カナダから来ている男子学生は,親に依存しているうちはまだまだ子どもで,親から離れて一人で生活できて初めて大人になるのではないかと言っていました。  次に,日本の学生についてどう思うかということについては,これは2人の学生の意見なのですが,やりたいことがはっきりしていない,個性が足りない,責任は理解している,自立心が足りないと言っていました。これはブラジルの学生だったのですが,ブラジルと違って,日本ではよい大学に行けば就職はそれほど難しくないことが何か影響しているのではないかと言っていました。  次に,日本で成年年齢を引き下げることについてどう思うかと聞きましたところ,これについては,特に問題はないのではないかという意見が多く聞かれました。  あと,言葉の点なのですが,例えば皆さんの国で「成人」に値する言葉,「社会人 」に値する言葉,「保護者」に値する言葉はあるのかと聞いたところ,皆さん電子辞書などを引きながらも首をひねっていまして,「そういう言葉はなかなかないですね。」と言っていました。また,日本のような成人式はあるのですかと聞きましたところ,これも「ないですね。」と言っていました。  ブラジルの学生の話によると,ブラジルは18歳が成人になったのが2003年だそうです。ちょうどそのとき彼は高校生で,3年間の移行期間を設けて,いろいろと周知徹底が行われたと言っていました。そのとき何かトラブルとか混乱はなかったのかと聞きましたところ,特にそういうことは記憶していないということでした。また,ブラジルでは,非常に若者が政治に対する興味があって,政治について熱く議論をしたりする。そのせいか,選挙は16歳から投票ができるということでした。  それから,カナダとアメリカの学生が,高校で選択授業をとるときに,18歳以前には親のサインが必要だということで,そのサインが要らなくなったときに成人になったという感じを受けると言っていました。  それぞれの学生に将来の夢を聞いたところ,アメリカ人の女子学生は,今はまだよく分からない。ブラジル人の男子学生は,国際弁護士になりたい。カナダ人の男子学生は,昔は大統領になりたかったが,今は弁護士になって国際機関で働きたい。中国人の女子学生は,メディアで働きたい。フランス人の男子学生は,昔は先生や大統領になりたかったが,今は公務員になりたいとそれぞれ言っていました。非常に目標も具体的に持っているなと感じました。  結論なのですが,終始日本語でのやり取りだったので,多少言葉の壁があったにもかかわらず,全体として皆さん非常に積極的に意見を聞かせてくれました。日本に一人で留学して来ている学生さんたちなので,当然自立心はありまして,将来のビジョンも明確であり,話し方や態度はもう既に大人だと私は感じました。共通している部分としては,法律で定められた年齢に達したときに突然大人に切りかわるのではないということ,それから彼らはおおむね高校を卒業したときにもう子どもではないと強く感じているようでした。しかし,その背景には教育とか,家庭内でそういう意識にさせるような小さいころからの取組があるのであって,日本で引下げを行う場合には,そういった教育や大学入試のシステム,家庭の環境なども考慮する必要があると思いました。  以上です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。  それでは,Cグループを代表して山本委員,お願いいたします。 ○山本委員 Cグループは,韓国,ブルネイ,イタリア,カナダの4名の留学生から意見を聞きました。いずれも女性でございました。ヒアリングには,五阿弥委員,仲委員,竹下関係官と私山本が参加しました。  主なやり取りでございますけれども,まず,成人あるいは大人という言葉から連想するものあるいはイメージは何なのかということを聞きました。さらに,それを踏まえて,選挙権と成年年齢は一致すべきと思うか否か,あるいは選挙権は何歳が妥当と考えるか,あるいは日本の20歳を見てどう思うか,あるいは大人になるための教育はあるのか否か,それから自分自身が大人になりたいと考えていたか否か,日本で成年年齢を引き下げることをどう思うかといったことについて順次意見交換していきました。  最初の成人あるいは大人という言葉から連想するものについては,三つの言葉にほぼ共通しておりました。一つ目は,職業を持っている,仕事をしているということ,二つ目は責任,三つ目は自立であります。特徴的なことは,大人観としては,経済的に自立している,あるいは稼いでいるということがほぼ共通したイメージとして考えているようでございました。  選挙権と成年年齢は一致すべきか否か,あるいは選挙権は何歳が妥当かということにつきましては,結論から申し上げますと,必ずしも一致する必要はないのではないかとのことでした。韓国の場合には,民法上は20歳,ブルネイは21歳,しかしコモンローによれば18歳。あるいはイタリアでは18歳,カナダは18歳,バンクーバーについては19歳が成年年齢であるという規定であったということですが,それぞれから出てきた意見は,必ずしも一致する必要はないのではないかとのことでございました。  また,選挙権については,ほぼ共通に18歳で妥当ではないだろうかという意見でございました。  それから,日本人の20歳を見てどう思うかにつきましては,これも少し驚いたのですが,共通して自分たちの国の同世代と比べると大人に思えるという点で一致しておりました。これは私の推測ですが,実は大人というイメージは,稼ぐということが非常に強くあり,日本人の20歳の大学生の多くがアルバイトをしているので,そのことをもって,稼いでいるという意味で大人ということにつながっているのかなと私は思いました。  大人になるための教育はあるのか否かということにつきましては,多くの国が特別の教育はないけれども,カナダにあっては,高校3年のときに必須科目でコミュニケーションという科目があるが,さほど真剣にそれぞれの生徒が受講しているとは思えないといったことを話しておりました。それから,ブルネイについては,イスラム教でありますので,宗教に基づいた特別の教育というか,しきたりがあるということでございました。  大人になりたいか否かということにつきましては,これも異口同音に大人になりたいとは思わなかったと言っておりました。その理由として,大人になるということは自立して稼ぐということであり,親の援助が得られない。したがって早く大人になりたいとは思わなかった,これはむしろ当然ではないかといった発言もありました。  日本の選挙権あるいは成年年齢を引き下げることについてどう思うかということについては,これも基本的には共通して,引き下げることに問題はないのではないか。仮に引き下げれば,それに合わせた形で様々な教育や社会システムや世間の考え方というものが形成されていくから,問題ないのではないかといった回答でございました。  感想でございますけれども,国によってもっと様々な違いがあるのかなと思っていたのですが,大人ということについては,とにかく職業を持っている,経済的に自立している,自分で稼いでいるということが,私からすると意外なほど,共通した強い大人に対する条件といったものとして理解されているのかなという感じを持ちました。  概略,以上でございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。  次に,日本人の大学生との意見交換会について御報告をお願いいたします。Aグループを代表して青山委員,お願いいたします。 ○青山委員 それでは私から,日本人大学生との意見交換会,Aグループのヒアリングの模様,結果を御報告いたします。  当方は仲委員,山本委員と私の3名で,学生のほうは,慶応義塾大学1名,早稲田大学4名,フェリス女学院1名の計6名でした。所属する学部は,法学部2名,経済学部1名,政経学部1名,文化構想学部1名,国際交流学部1名でした。性別で申しますと,男子学生3名,女子学生3名で,年齢は,成年に達している者が2名,これは21歳と20歳でございますが,それから達していない者が4名,19歳の者3名と18歳の者1名でございました。  ヒアリングでは,導入といたしまして,まずどんな日常生活を送っているか,親と一緒に住んでいるのかどうか,学費その他の生活費はどうしているのかといったことから聞きました。自宅・実家からの通学者が3名,これは男子2名,女子1名,それから親元を離れているものが3名,女子2名,男子1名でございました。自宅通学者はもちろん,一人暮らしの者も,生活費,学資はすべて親が出しているということでございます。ただ,学資については奨学金をもらっているという者が1名おりました。アルバイトをしている者あるいは夏休みや長期休みにはアルバイトをしようと思っている者が5名おりましたけれども,その目的は,それを学資や生活費に充てるということよりも,社会経験のためとか,あるいは得たお金は遊びや自分が入会しているクラブ活動につぎ込むということでございました。アルバイトをしていないという女子学生が1名おりましたが,これは,両親がアルバイトに反対だからという理由でございました。  この6名のうちロースクールに進学したいという者が2名おりまして,そのほかにマスコミ関係で働きたいと考えている者も1名ございました。これは全員に聞いたわけではありませんので,その3名が自発的にそういうことを言ったということでございます。  本題に入りまして,成年年齢との関係の質問でございますが,まず大人になるということにどういうイメージを持っているのかという質問をいたしました。これに対して,自分の行動について自分で責任を持つことができる,選挙権がある,納税をする,日本国民の一員として社会経験をすることと述べる者,自分の力で稼いで生活する,選挙権など,すべて自分で決定することができる権利があることだと述べる者,社会経済的に自立すること,自分で決定することができること,社会的に貢献すること,あるいは社会的責任を持つこと,精神的に自立することあるいは自分のことは自分でできることといった答えでございました。キーワードで申しますと,自分の稼いだお金で自分で生活するという経済的自立性,それから何でも自分で決定できるという自己決定,精神的自立,社会的責任あるいは社会的貢献といったことになるかと思います。  次に,三つの質問を一緒にいたしました。三つの質問というのは,第1は,諸外国では成年年齢を18歳にしているところが多いけれども,日本も18歳にすべきであるという意見についてはどう考えるか,第2は,選挙権は何歳から与えられるべきであると考えるか,第3は,成年年齢と選挙権年齢は同じであるべきかどうかというものです。  第1の質問である18歳にすべきであるという意見をどう考えるかに対しては,20歳のままでよいとする者が3名,18歳に引き下げてよいとする者が3名に分かれました。20歳のままでよいという理由は,引き下げると混乱が生じる,欧米とは文化が違う,日本には甘えの構造があるから,欧米と一緒にする必要はないといった答えでございました。また,18歳に引き下げてもよいという者の理由は,これまで20歳とされてきたのは,単なる固定観念にすぎないのではないか,高校を出れば自立意識が出てくる,大学に入る年齢で切りがよいといったものでございました。  第2の質問である選挙権は何歳から与えられるべきであると考えるかについては,高い年齢の順から,22歳からと考える者が1名,18歳からと考える者が4名,16歳からと考える者が1名でございました。驚いたことには,現行の選挙年齢の20歳でいいという者は1名もおりませんでした。18歳と考える4名のうち3名は,次に申しますが,成年年齢も18歳で同じにした方がよいと答えた者でございまして,その理由は,両者を一致させた方が明確である,高校で政治や経済の勉強をしているから判断できるというものでございました。18歳と答えた4名のうち1名は,成年年齢は20歳だが,選挙権年齢は18歳がよいというもので,その理由は,若者の意向を酌み取り政治参加を進めるためにも,選挙年齢を下げてよいというものでした。あとの2名は,成年年齢は20歳のままで,22歳あるいは16歳という者ですが,22歳に引き上げたらよいという者は,選挙権年齢は,政治判断が難しいので,大学を卒業してからの22歳でよいという理由でした。16歳に引き下げるという者の理由は,選挙の投票率が低いので,若い人の意見を反映させるため,義務教育を終えた段階で,終えた人という意味で選挙年齢を16歳にしたらよいという理由でございました。  第3の質問である成年年齢と選挙権年齢は一致させた方がよいかという質問でございますが,両者は一緒にすべきであるとする者と異なってもよいとする者とでちょうど3対3に分かれました。面白いことに,成年年齢を18歳とすべきであると考える3人は全員選挙権年齢も18歳にすべきであると考え,これに対し,成年年齢を20歳と考える3名は,選挙権年齢については,先ほど述べましたとおり, 22歳が1名,18歳が1名,16歳が1名と分かれました。18歳に一致させるべきだとした前者の理由は,高校を卒業し大学に入学するという人生の区切りであり,成年年齢についても選挙権年齢についても同じ18歳にすべきであるというものでございました。後者の異なってもよいとする者は,両者を一致させることは必要ではないので,事柄ごとに考えればよいというものでございました。  私どもが投げかけました最後の質問は,もし成年年齢を18歳に引き下げるとした場合には,どのような準備,支援が必要と考えるかという質問でございました。これに対する学生の答えは,やはり高校の教育の中でやるしかない,選挙権の意味などについて教えることが一番効果的であるという意見,それから,教育は必要であるけれども,日本の教育システムは非常に問題があって,受験熱がすごいので,高校では受験以外のことを教えるのは困難ではないか,いろいろな立場の人からいろいろな話を聞く必要があり,ゆとり教育で使われた時間などを有効利用すれば,教育の中でも教えることは可能ではないかという意見がございました。それから,学校に行っていない人もいるので,別の分野で教えるべきだ,別の分野というのはゲーム,雑誌,地域のイベント等,興味をひくところから教えるべきだという意見がございました。それから,18歳から住民投票を与えた自治体があったと思うので,その実例で役に立つようなものがあればそれを紹介し,それをきっかけに18歳以上の者の政治参加が増えていくのではないだろうかという意見もございました。それから,これはまた全く別の意見ですが,18歳に引き下げるのであれば,政治をもっと身近なものにすべきだ,政治が抽象的で分かりにくいので困る,もっと分かりやすいものにすべきであるという意見もございました。  以上でございますが,ヒアリングを行った感想を若干付け加えさせていただきますと,意外にと言うと大変失礼なことになりますが,私の感じでは,皆非常にしっかりした意見を持っており,はきはきと自分の言葉で話してくれたという印象が第1でございます。第2には,私どもが対象にした6名は,21歳から18歳までという3年の年齢のばらつきがありますが,わずか1時間程度の時間でも,かなり成熟度,精神的成長度というものにばらつきがあると感じられました。その理由は,必ずしも年齢ではなくて,それまでの生活体験の違い,親元から離れているか否か,受験勉強以外にも打ち込むものを持っていたか否か,異文化体験があるか否かといったことの差であろうと私自身は感じました。男女差は感じませんでした。年齢も,必ずしも18歳の者が未熟だとは全く感じませんでした。第3ですが,ヒアリングの対象とした学生はいずれも大学でしっかり勉強に真剣に取り組んでいるという姿勢が感じられまして,大変好感を持つことができたというのが私の感想です。  以上でございます。 ○鎌田部会長 それでは,次にBグループを代表して木村委員,お願いいたします。 ○木村委員 私から概要を御説明させていただきます。  日本人学生のBグループですけれども,ヒアリング対象者の属性としましては,男性4名,女性2名の計6名で,この6名は,早稲田大学の文系の大学2年生,年齢的には19歳が4名,20歳が2名でございます。  生活状況について聞いたところ,6名のうち地方の出身者1名だけが下宿生活で,残りの5名は自宅から通学しているとのことでした。自宅から通学している理由として,5名のうち4名は,一人暮らしをしたいのだけれども,親の了解が得られず,早稲田周辺というのは非常に家賃も高く経済的にも難しいことを,また残り1名は,元々一人で暮らすことなど考えたこともなく,一人で暮らしていけるか自信がないことを挙げており,家から通っておられる方たちは,まだ親離れをされていない面も感じられました。  一方,全員アルバイトはしておりました。ただ,自宅から通っている方たちは,生活費,学費とも親の負担で,アルバイト代は,衣服の購入,サークル活動費,あるいは趣味などにすべて使うと言っており,親から小遣いをもらっている学生の方もおりました。下宿をしている学生は,逆に生活費の半分はアルバイト代で賄い,残りの半分は貯金をしており,将来の就職活動に使う予定である,また,約束しているわけではないが,学費も社会人になったら親に返却するつもりであると言っておりました。また,自宅から通っている学生は,学費,生活費を親が負担している点に関し特に何も考えてはいない様子でしたが,その一方で,一人暮らしの学生のほうは,学費も将来返却したいといったように,実際には経済的自立には至っていないが,意識のレベルでは経済的な自立が始まっていると感じました。  将来につきましては,まだ漠然としか考えていない,やりがいがあり,お金がもうかる仕事に就きたいとか,有名企業で収入の多いところに就職できたらいいといった回答がございました。地方から出てきた学生も,2年間ぐらい東京で働いて,後は親の近くへ戻り安定した企業に就職したいといった,同じく漠然としたお考えをお持ちでした。唯一法学部の学生で1人だけ,将来は法曹界に進みたいので,法科大学院への進学を目指している方がいたものの,皆さん漠然と考えておられるという状態でございました。  大人ということについてどのように感じているか,あるいは大人だと思うときはどういうときかという質問に対して,多くの方は,働くようになったとき,学校を卒業して就職し,稼いだお金で生活できるようになったときと考えており,経済的自立が大人になるための条件であると考えているようでした。ただし,アルバイトは,まだ責任ある仕事ではなく,経済的自立とはいえず,正社員となって定職に就く状態をいうのであろうと言っておりました。一方,下宿生活の方だったのですが,一人暮らしをしており,アルバイトにおいても,クレーム対応など責任ある仕事も任せられているということで,余りそういうことで大人というものを感じない,むしろ政治の世界,選挙の話,あるいは年金保険など社会のことがいろいろ分かってきて,自分で管理できるようになったときが大人なのではないかと言っていました。社会的な経験の違いからなのかもしれませんが,経済的自立より,社会の中でのかかわり方,そういう中で自分をどれだけコントロールできるかとか,あるいは社会的な責任をどれだけ果たせるかといったところが,大人になるための条件と考えられていると感じました。  次に,成年年齢の引下げについてですが,そもそもこのような議論がされているか知っているかと聞いたところ,全員知っていました。  そして,6名のうち5名は,現在のままでは基本的に反対とのことでした。現在のままというのは,社会について経験も知識もない,あるいは責任感を醸成させるような教育がなされていないといったことから反対であるということです。特に,地方出身の方は,高校時代は家と学校の往復だけで,正直言って勉強しかしなかった,社会についての経験や知識もないし,一人暮らしをして初めていろいろな社会との関係を持ってきたということで,18歳で成人というのは高校を卒業しただけで成人ということなので,これは無理なのではないかということでした。そして,もう一人の方は,現在の教育事情のままでは反対,すなわち,欧米に比べて日本の小中高校では,特に中学校や高校の教育で,もっと責任ということを教育すべきであるにもかかわらず,そういうことをやっていない,先生が生徒に対して厳しくするといったこともやっていないため,もう少し先生と生徒の関係をドライにして,責任を持つような教育をしていくべきであろう,そういう教育がない限りは成年年齢を引き下げることには反対であると言っていました。別の学生は,選挙権などは引き下げてもいいと思うけれども,民法の成年年齢を下げるということについては反対である,そもそも民法の成年年齢の意味は,大学に入って初めて勉強して知った,そのような教育は何もなされていない,それから,今地元に戻って高校を卒業して働いている人と話してみると,自分は社会人ではないし,考え方についてもゆるいな,子どもだなと思う場面が非常に多い,教育環境がきちんと整ってくれば成年年齢の引下げは可能かもしれないが,今のままでは無理ということでした。一人だけ賛成と言った方は,19歳になるまでの11年間アメリカに住んでいた方なのですが,基本的には日本と外国とで18歳でも20歳でも社会的に把握している内容などは余り変わらないのではないか,18歳で成人にしてもそれほど影響は出ないと思うので,問題ないのではないかと言われていました。  引下げのメリット,デメリットについてですが,契約の締結という点では確かに便利になるのであろうけれども,その責任の重さという観点から言えば,全然軽くなるわけではなく,逆にかえって重くなるので,メリットは無いだろう,結婚についても,親の同意が要らなくなると言っても,親に認めてもらえないような結婚などはやはり嫌ということで,結婚それ自体についても,同意が要らなくなるといっても,制度上の話にすぎず,現実的にはメリットなどないであろうといったことでした。いわゆる詐欺とか悪徳商法についてですが,若干高校によってはリスク教育を受けた方もおりました。一方で受けていないという方もおり,そういうものについての意識は余り無いとのことでした。  成年年齢の引下げについての意見の多くは,条件付き賛成ともとれるわけですので,その場合の条件について聞いてみたところ,受験に追われて自宅と学校を往復していたことから考えると,社会に関する知識だけではなく,社会にかかわる,社会経験をするような教育といったものがなされるといいのではないか,責任感を醸成させるような教育,あるいはいろいろな人と交流ができるような機会,実社会に触れる機会,こういったことを与える教育をしっかりやっていく必要があるとのことでございました。また,そういった条件が整った場合に,大体条件整備から現実に18歳に引き下げるまでどのくらいの期間が必要であろうかといったことを聞いたところ,多くの方は3年から5年あればいいのではないかとのことでしたが,1人だけ5年以上猶予期間が必要といった意見もございました。  簡単ですが,私からは以上でございます。 ○鎌田部会長 それでは,最後にCグループを代表して,五阿弥委員,お願いいたします。 ○五阿弥委員 重なる部分が多いので,私は簡略に御報告したいと思います。  今回の意見交換では,早稲田,上智,明治の2・3年生が5人,うち女性は2人でした。年齢は,19歳が2人,20歳が2人,21歳が1人です。一人暮らしは3人ということです。中には高校から一人暮らしをしているという人もいました。  アルバイトは全員しておりました。アルバイトについて感想を聞いたのですが,大人のミニチュア版になった感じであるという言葉が非常に印象に残りました。それから,お金をもらうことで,社会の役に立っている,親の大変さを感じた,責任を感じて,要するに人に頼られることで何か社会にお返ししたいという気持ちにもなったという意見もありました。総じて非常にアルバイトの経験が大人という意識をつくっているところがあるなと思いました。  21歳と20歳の3人の方に,成人式に出てどうだったかと聞いたのですが,友人と写真を撮っただけで,大人になったという感覚はなかった,また,同じ年代でも結婚したり子どもができたりしている同級生がいて,そういう人を見ると大人だなと思う,仕事をしているかどうかが大きいという答えがここでもありました。  大人と言われてイメージすることについては,これも既に出ていますが,自分で何事も管理する,権利と義務,責任を持つといった答えでした。先日高校生との意見交換もありましたが,高校生との意見交換の中では大人に対するイメージは非常に暗いものが多かったのですが,今回は,夢がある,早く社会に出たい,大変だろうが,自分の意思で何事も決定できるということはいいのではないかというプラスの声も聞かれました。  次に親への意識ということなのですが,結局,契約面では,今でも保護されている,マンションを借りるのだって親の責任で借りている,ただ,一人暮らしを始めて親の有り難さを感じた,ここまで反発していたけれども,今はいい関係を持っているという声もありました。  18歳で契約ができるようになったらどうかということを聞いたのですが,年齢でなく,意識の差が大きいのではないか,20歳ならよくて18歳は駄目というのはよく分からないという意見がありました。また,契約の在り方などについて理解を深める教育や,保護のためのセーフティーネットが必要なのではないか,消費者教育というのを高校でやったこともあるけれども,一人暮らしを始めて詐欺にひっかかった学生もいる,だから,冒頭言ったように意識の問題ではないだろうかという声でした。  大人になることについては,大変だ,葛藤があるという人が2人いました。一方で,残る3人は,早く社会に出たい,しっかり勉強して社会に還元したいという声も聞かれました。一人暮らしの人とどうも重なってくるところがありました。  そして,成年年齢を18歳に引き下げることについては,賛成が3人,反対は2人でした。反対意見としては,不安がある,20歳でも不安なのに,18歳というのは無理ではないかという声でした。18歳だと高校生で成人になる人もいるわけですが,その点については,それでは早過ぎるのではないか,引き下げるのであれば,教育をしっかりすべきである,大学に受かる勉強しかしていないのでは判断力などは養えない,法律で成年年齢を下げるより前にやることがあるのではないかという反対意見がありました。賛成意見としては,未熟だからこそ引き下げるべきだ,日本の学生の考えることの7割は遊びだけれども,18歳で大人になると,将来をもっと真剣に考えるようになる,政治への関心が乏しいので,きちんと教育していくべきだ,今の段階では教育は不十分だ,将来のことを考えずに大学に行く人が多い,もっと将来を考える教育をした上で引き下げるという意見がありまして,条件付き賛成という方もこの中には入っています。また,世界の流れは確かに18歳かもしれないけれども,文化とか価値観が違うので,そこは関係ないのではないかという意見の人も1人いました。さらに,日本でも18歳で車の免許を取得できる,結婚もできることになるが,人の命を左右する年齢でもある。つまり,車を運転して事故を起こす,人にけがをさせる,あるいは死なせるということだって18歳の場合,あるではないかといった声もありました。  感想ですけれども,思った以上に大人に対してプラスイメージを抱いている。自分たちのことを客観的に見ているということが分かって,私としてはほっとしました。自分の未熟さを感じている人が多いのですが,話を聞いてみると,仕事を持っていないということがやはり根底にあるようです。これも繰り返し指摘されているところですが,大人や社会人のイメージは仕事と密接に絡んでいる。18歳への引下げについては賛成,反対に分かれましたが,いずれも現状の受験勉強一辺倒の教育の在り方には異議を唱えて,大人になるための教育の必要性を主張していました。プラスのイメージというのは,今回この5人というのはどちらかというと受験勉強の勝ち組ですので,そういうことも一つ影響していたのかなと思います。  以上です。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。  それでは,本日予定していた議事に入ります。  まず,事務当局から配布されている資料の説明をしてもらいます。 ○佐藤幹事 それでは,事務当局から配布させていただきました資料について御説明させていただきます。  第6回会議のために配布させていただきました資料の目録は,本日席上に用意させていただきました。部会資料といたしましては,事前に送付させていただきました資料番号23-1と2,24と25がございまして,それに加え,本日席上に配布させていただきました資料番号26がございます。参考資料といたしましては,本日席上に配布させていただきました資料番号16がございます。  まず,部会資料につきまして御説明いたします。  資料番号23は,「ヒアリングをさせていただきたい事項」と題するものでございます。資料番号23-1が,本日ヒアリングにお招きいたしました正高教授及び水谷教授に対する質問でございます。資料番号23-2が,同じくヒアリングをお願いいたしました仲委員に対する質問でございます。ヒアリングをさせていただく方に応じて質問事項を変えてございます。なお,資料番号23-1と23-2は,資料番号7の「ヒアリングをさせていただきたい事項(共通編)」とともに,ヒアリングをさせていただきます方々にあらかじめお渡ししてございます。  資料番号24は,本日ヒアリングにお招きいたしました正高教授から頂だいいたしました「発達障害者支援の重要性」と題する資料でございます。  資料番号25は,同じく本日ヒアリングにお招きいたしました水谷教授から頂だいいたしました「今,子どもたちは…」と題する資料でございます。  資料番号26は,同じく本日ヒアリングをお願いいたしました仲委員から頂だいいたしました「ライフスクリプトと「大人になること」」と題する資料でございます。 資料番号24から26までにつきましては,参考人の先生方,仲委員の御発表の際に使われるものでございます。  続きまして,参考資料につきまして御説明いたします。  参考資料16は,仲委員から頂だいいたしました「人生の出来事に関する意識調査」と題する2枚ものの書面でございまして,仲委員の御発表の際に参考として使われるものでございます。  以上,配布させていただきました資料について御説明させていただきました。 ○鎌田部会長 それでは,本日予定をしておりましたヒアリングに入りたいと思います。   本日は,京都大学霊長類研究所教授正高信男先生,花園大学社会福祉学部客員教授水谷修先生,当部会の委員であります仲真紀子委員の3名からヒアリングをさせていただきます。これから3名の方に民法の成年年齢の引下げに関する御意見をお述べいただきまして,その後に質疑応答をすることを予定いたしております。御意見をお述べいただきます順番といたしましては,正高参考人,水谷参考人,仲委員の順で,3名の発表が終了しました後に一括して質疑応答をすることとしたいと思いますが,よろしゅうございましょうか。  それでは,正高参考人,よろしくお願いいたします。 ○正高参考人 御紹介にあずかりました,京都大学の霊長類研究所というところの教授をしております正高であります。よろしくお願いいたします。  霊長類研究所というのは,京都大学でありながら実は愛知県の犬山にあるのですが,サルの研究所でありまして,研究室が10ぐらいあるのですが,私はその中の認知学習の研究室の教師をしております。サルの研究者がどうしてこんなところへ呼ばれたかというと,多分一つの理由は,「ケータイを持ったサル」という本を今から5年ぐらい前に書いて,割と売れましたので,その関係で呼ばれたのではないかと思うのですが,私は日本語の本を書くのは趣味で書いているものでありまして,書いた内容にそれほど責任が持てるほうではありません。それで,いいかげんなことを書いたので意見を言うのはちょっと気まずいなと思って断ろうかと思ったのですけれども,本業の話をちょっとするのでもいいのではないかと思って,今日は本業の話をさせていただきたいと思います。  それで,今どういう研究をしているかというと,一言で言うと認知神経科学ということをやっております。英語でCognitive Neuroscienceというのですが,最近飛躍的に研究が進んでいる分野なのですけれども,動物あるいは人間の認知機能というものを,今までは心理学者というのは心理実験しかしなかったのですけれども,神経科学とタイアップさせて学際的にやろうという感じであります。そういう研究ができるようになった背景というのは,最近,神経科学が脳を開けずに見ることができる,非侵襲で,外側からかなりの部分の機能を測定することができるということと関係しております。  そういう仕事をしているのですが,私の研究対象は子どもさんを含んでおりますので,そういう見地から,特に発達障害というものに最近非常に興味を持って,研究だけでなくて,療育をして,子どもさんの機能が改善するためにはどうしたらいいかという仕事をしております。その点についてお話しさせていただきたいと思います。  何はともあれ,我々が一体どういう実験をしているかというのを見ていただくのが一番いいだろうと思い,今日はパワーポイントを用意いたしましたので,資料の1枚目から6枚目をパワーポイントにしたものを御覧ください。  これだけなのです。これでどういう実験をするかというと,今3枚のスライドが出てきました。皆さんがもし被験者となるとどういうことをしてもらうかというと,課題は,まず1枚目のスライドの点を見ていただく。それで,0.2秒なので,数えるいとまはないのですが,ぱっと見ていただいて,次に2枚目のスライドを見ていただく。それで,心の中で1枚目から2枚目の差を検出していただく。それを3枚目の点の数と比べてどっちが多いかという大小判断をしていただくという課題です。こうなるわけです。答えは部会資料にあるので分かっているのですけれども,3枚目の方がこれは多いのです。1枚目のところには点が15あります。2枚目には点が10ありました。だから,差というのを計算すると5であります。3枚目には点が10ありますから,答えは3枚目の点の方が多いというのが正解になります。こういうふうに実演すると面白いのですけれども,大多数の方がおできになるのが普通であります。これは,今日は難易度が低いためです。本当はもっと難しくやります。どこが難しいかというと,今回の場合は差が5でした。ギャップが歴然としているわけでありまして,実際の実験ではこの3枚目に出てくる数値をあの差掛ける1.2あるいは差掛ける0.8ぐらいの値にいたします。ですから,3枚目が6とか4とかという数字で,非常に微妙な値にするのですが,それでも大多数の方はおできになります。どっちが大きいかといったらこっちの方だというので,かなりの高い正答数になります。できる人は3歳のときからできるのです。  でも,これは考えてみたら不思議なのです。なぜ不思議かというと,この提示をするときに,まるっきり数えるいとまを与えませんでした。ですから,数表象なのですが,この数表象を認識するに当たって,それを言語表象に変換するという猶予は与えられていないにもかかわらず,我々はそれができるということです。ということはどういうことかといったら,我々は,言葉で1,2,3,4,5という数を数えることなしに,ある程度の分量的なものなら,それをわっと認識することができるシステムがあるというところであります。  なぜそうなっているかといいますと,資料の8枚目を御覧ください。これはそういうことをしているときの脳の機能を撮っているわけですが,これはファンクショナルMRI,機能的MRIというものの画像であります。皆さんが脳ドックなどに行かれますとMRIというのを撮られますが,あれはただのMRIなのです。これはどこが機能的かというと,血がよく使われているところが赤く染まるという機械なのです。右側の脳の右上の部分が一番黄色くよく染まっているわけでありまして,原理はすごくシンプルです。何か脳を使って実行しているときに,そこを使ったらそこに血が行くだろうという原理でありますが,ある課題を遂行しているときにどこに血が集まっているかということから,一体脳のどこを使っているかというのを調べることができるという原理です。それで,先ほどのような課題をしたときに一体脳のどこを使っているかということが分かるのですが,右の脳の図でありますと右上の辺り,左の脳の図でありますと左上の辺りが黄色く染まっております。先ほどのような非言語的な,言語に頼らない,非常に体感的な,ボディーで感じた数の認識というもののところの中枢はこういう部分であります。ここがいわゆる言語中枢と言われるものです。ポイントは何かといったら,全然違うところが活動しているということで,我々の数の認識システムと言語システムは基本的には独立しているということなのです。  それで面白いのは何かというと,こういう実験をやってみますと,大多数の方はできるのですけれども,10人に1人ぐらいはできない。先ほどのようなスライドを見せても,1枚目引く2枚目と3枚目のスライドとどっちが多いか分からないという人が結構いらっしゃいます。そういう方はこういうことを調べてみないと分からないのですけれども,では調べてみないから分からないから,ふだん何の問題もなく生活しているかというと,やはり非常に細かく調べていくと,非常に様々な問題を抱えていらっしゃいます。  例えば,先ほど大学生が詐欺に遭ったという話がありましたが,世の中にはヤミ金融とか,いわゆる法定金利以上の高い金利でお金を貸すという業者が一杯存在します。いろいろ厳しく規制しても,ああいう業者ははびこります。なぜはびこるかといったら,幾ら規制してもそういうところへ金を借りに行く方がいらっしゃるからです。どうしてそのようなところへ行って金を借りるのか。よく読めば分かるわけでありまして,このままここで金を借りたら1年後には雪だるま式に借金が増えるということが分かっていても金を借りる方がいらっしゃるのはどういうことかというと,正にこういうところが問題です。我々の経済行動というのは,何か計算して,言語に変換して考えて,理屈であるかのように思われますが,それは確かに理屈の部分があるのですが,ベースになっている部分の数に対するセンスというのは,もっと野蛮な,もっと感情的なものなのです。それがないと,幾ら理屈で分かっていても,自分の欲望というものをとめることは非常に難しい場合がある。例えば,急に社会人になり,クレジットカードを作った。貯金はないけれども,欲しいものがある。ブランドものが欲しい。50万円でこれを買う。買ったら,来月請求が来るけれども,当然貯金残高はないから大変なんだということは幾ら理屈で分かっていたって,そのときに欲しいなと思ったら買ってしまう。来月になってどうするかといったら,サラ金に行って補てんする。だんだん雪だるま式にカード破産になるということがどうして起きるのかというと,その一つの理由は,理屈で幾ら経済原理を認識したところで,自分の欲望をコントロールするときに一番大事なのは,自分に預金残高がないのにこんなものを買ってしまったら途方もない借金になるということが,理屈ではなくて,100万円の借金というのはこんなに大変なんだということを体感して自分の欲望を抑制するというシステムが要る。それが先ほどのあそこの部分なのですけれども,それが欠落している方が世の中には結構いらっしゃる。その理由は何かといったら,それはここの脳の正に数のセンスの部分に微細な障害があるからであります。それが学習障害の一つの典型例であります。算数障害と普通呼んでもよいようなものであります。  日本では,算数障害は,私たちの今の領域の経験では,大体小学校の3年から4年にならないと顕在化しません。日本ではまだほとんどの場合,算数障害は顕在化せずに,ただ単に算数の苦手な子という形でクラスに存在します。なぜ3,4年まで顕在化しないかというと,日本の小学校では最初の1,2年に九九を教えるからです。ところが,この九九というのは,よく考えてみると,算数ではなくて,あれは国語なのです,日本語能力なのです。ですから,算数障害の方がいらっしゃっても,九九はできます。なまじできますから,小学校の最初のころは成績がいいんです。ところが,3,4年になってきますと,小数点が入ってくる。1メートルは100センチ,では1センチは何メートルかと聞かれたときに,突然分からなくなる子どもさんというのが出ていらっしゃいます。それが算数障害の実態なのですけれども,そういうのは今の日本では全くと言っていいほど顕在化せずに,担任の先生も,ひょっとしたら御両親も分からないままで生活していらっしゃるということがあります。  でも,先ほど言いましたように,もう致命的なわけではないのです。なぜなら,我々は言語というものを開発しています。しかも言語に基づいた理性がありますから,それをカバーすることができます。私の知人で博士号を取った典型的な算数障害がいます。算数障害というのはなぜかといったら,暗算がまるっきりできないのです。それでも一応と言ったら失礼ですけれども,大学院で博士号を取ることは可能です。なぜかといったら,バックアップシステムが人間には備わっているからです。それも我々は検証することができます。  資料にはないのですが,こちらの文字を見てください。これを,上を読んでくださいと言うのです。今日は法学の先生方がたくさんいらっしゃるので,多分お読みになれる方はいらっしゃると思いますが,素人は読めません。これは何かといったらローマ数字であります。ですから,これは「999」という記載でありますが,素人はこのようなものは読めませんから,「CMXCIX」と読んで,意味が分かりませんと言うんです。この種明かしをした後,これがすらすら読めるまで必死になって学生さんに勉強していただく。それで読めるようになったときに脳の機能のどこが変わったかというのから,数のセンスというものを言語に変換するのは一体どこかということを我々は特定することができます。そうすると1か所です。こちらも資料にはないのですが,脳を上から見ている図で,脳の左半球ですが,左半球の前頭前野のワンポイントのところに,言語と先ほどの数のセンスとがちょうどマッチして,そこで統合するという場所があります。ここがどんどん活動してくると,あれがすらすらと読めるようになります。だから,大事なのは何かといったら,そういう算数LDの方がいたときに,あなたは算数が苦手だと言っているのではなくて,それを早く察知して,その人たちにどうやったら効果的にその困難を克服できるかということをサゼスチョンし,きちんとそれに合った教材を提供するということがすごく大事なのですけれども,そういうことが今は全く行われていないということです。  もう一つ例をお見せいたします。資料の9ページを御覧ください。まずは,左側の点が動きます。これは何か分からないですね。これが分かる人はいないと思います。次に,右側の点が動きます。こっちはお分かりになると思います。でも,これが分かるのは,考えてみたら不思議なのです。なぜなら,両方の点の数は一緒です。それぞれの点のベクトルも一緒なのです。それにもかかわらず,我々はこの点がたまたまあのような空間付置をして動いたときにのみそこから他者のしぐさというものを抽出することができます。なぜかと申しますと,それは,人間の中にこういうことができる特徴抽出機構がビルトインされているからです。これは,見える人には新生児の段階から見えます。ところが,やはり先ほどと同じで,こうやって実験したら,見えませんという方が結構いらっしゃいます。資料の10ページを御覧ください。この本児というのが,見えない人の脳です。この右側の図は先ほどと同じ左半球ですが,人間の目というのは図の左下の辺りにあるのですが,目から入った情報というのは,人間の脳では必ず後ろに来ます。視覚野は後ろにあります。前から後ろへ後ろへと送られます。これは視覚連合野と呼ばれる部分で,網膜から入った情報を非常に高次に統合している部分です。ですから,この方は当然ここで見ています。同じところで,視覚連合で特徴抽出しています。下の図は普通の我々のような人間です。比較をしてみると,健常児の青丸がついている脳は赤くなっており活動をしているのですが,本児の脳はここに対応するところの活動がまるっきりありません。その1か所の活動がないだけで,この方は先ほどのようなものが見えない状態になります。ここは地下鉄で言ったら大手町です。もし大手町で事故があったら,東西線も半蔵門線も丸ノ内線も全部ストップするという感じになるわけです。正にそういうことがこの方の脳では起きているいうことであります。  では,この方はこんな刺激を一生の間に見ることはまずないと思うから,ふだんは全然分からないのですけれども,ではこうやって顕在化したときに,ふだんこの方は困らないかと申しますと,やはり困ることはあるのです。他人の気持ちというのがかなり分かりにくい。なぜなら,これは何をしているかといったら,結局他人のしぐさというものを見て,そこから無条件にそれに共感する,感情移入する。例えば,他人が何か感情表現をしたときに,その動きを見て我々の中にその人と同じ感情がわき起こるのは,正にこういうシステムをベースにしているからなのです。それが非常にできにくいということは,コミュニケーションが非常にとりにくい。もっと言うと,相手の動きというものを自分自身の身体をベースにしてなぞるということが非常にできにくい。コミュニケーションに問題のある方として,こういう方がいらっしゃる。やはりそういう方にも,調べてみると問題がある。結構そういう方がいらっしゃるということです。  もう1か所挙げておきますと,結構だれでも御存じの注意欠陥障害といわれる問題であります。注意欠陥障害とはどのようなものかといったら,一般的なイメージとしては多分,こちらがしゃべっていても向こうは注意が散漫で,全然注意が定まらない方だと思っていらっしゃいますが,実は注意欠陥障害のほとんどは全く逆であります。それも実験的に検証することができます。どのように実験をするかと申しますと,資料の11ページを御覧ください。まず,ここの真ん中のアスタリクス,凝視点を見ていただきます。最終的にプラスというものが,画面の右か左かのどちらかに出てきます。子どもさんには両手にボタンを持っていただいて,プラスが出た方を押してもらいます。ただし,プラスが出るまでの間に,このような矢印が出るんです。これは,左向きの矢印が出まして,次にプラスの印が左に出ます。これは課題としてはすごく簡単です。矢印が出てポンと押すのは,あっという間に反応時間を短くすることができます。なぜなら,この矢印が左を向いているのがくせ者でありまして,被験者の注意は自覚するしないにかかわらず左側にシフトしていますから,左側に来るとポンと押す。ところが,このようにして右側に出たとします。この反応には時間がかかります。ところが,注意欠陥障害の方はほとんどと言っていいほどこれができない。なぜできないかというと,矢印で注意がいったん左へいったのが,右側にシフトしない。というのは,注意欠陥障害の本質とは何かといったら,注意が定まらないのではなくて,いったん注意が固定したときに,普通人間の中では,その注意というものをシフトさせるときには,注意のディスエンゲージと呼ばれるプロセスがあって,注意を解放してやらなければいけないのですが,その解放ができない。ですから,先ほど車の免許の話がありましたが,こういう方は車を運転していると,すごく問題があります。なぜなら,注意が固定しているわけですから,普通には動かない場合がある。でも,そういう方でも大多数の方は,現在全くそういうのが顕在化しないままで普通の生活をしていらっしゃるということです。  次に,今年度からスタートした「e-ラーニングを核とする多様な学習困難に対応した地域単位の学習支援ネットワークの構築」について御説明いたします。  科学技術振興機構の社会技術開発研究センターというものが文科省の下にありますが,そこで研究開発成果実装支援プログラムというのが今年からスタートしまして,その一環として研究費をもらってやっているものであります。  学習困難児とは,聞く,話す,読む,書く,計算する,理解する,注意するなどについて困難がある。普通は三つに分かれているわけでして,学習障害,注意欠陥障害,それから自閉症,特に高機能自閉症という今御紹介しましたようなものがそうなのですが,それを含む特別な教育的支援を必要とする児童・生徒は,6.3パーセントと文科省は2002年の統計で発表しております。6.3パーセントということは,35人学級で計算して2人,普通の通常学級1クラスに2名こういう方がいらっしゃるということです。この6.3パーセントという数値に関しては,もう少し多いのではないかというのが我々の中の見解で,多い場合は8から10パーセントいるのではないか。すなわち,1クラスに3人ないしは4人,こういう方がいらっしゃるということです。  次をめくっていただくと,我々は2003年以降,これに先行するものとして,最初は社会技術研究開発で「学習困難児の脳内機序の解明と教育支援プログラムの開発・評価」というものをやって,先ほどお見せしたようなものは基礎研究のほうなのですが,次をめくっていただきたいのですが,そのように,まず学習困難,学習障害あるいは発達障害と呼ばれるものは一人一人みんな違うのです。ですから,文科省の言っていらっしゃる一人一人のニーズに合ったというのは正にそのとおりで,一人一人を見て,その一人一人が一体どういう問題を抱えているかというのを実証的に精査して調べた上で,何が問題なのかということを考えて,それに合ったインターベンション,療育というものをしないと駄目なのですということで,ある程度の療育プログラムを作ってきました。それが認められて現在スタートしているわけで,今,京都と名古屋と両方でやっております。名古屋のほうは,名古屋市と契約を結んで,名古屋市教育委員会が理解していただいてやっているし,京都もやっているわけです。最終的な絵が最後に出ておりますが,このように,e-ラーニングを使って教材を提供して,それでエキスパートがいて,療育センターや学校へ通って,学校の先生とも連絡をとってという地域ネットワークをいずれはつくりたいということなのですが,私がここで今日どうしてこの話をするかというと,問題は発達障害の多さにあるわけです。  発達障害というのは,基本的に遺伝的な素因に基づくものなのですが,それが6パーセントとか10パーセントという数値なわけです。私自身は今まで発達障害の研究をしてきましたが,生物学者としてのアイデンティティーでいきますと,障害というものはあり得ないわけです。普通は2万人に1人とか,1万6,000人に1人とかという確率で出てくるのです。なぜなら,障害があったら,普通はダーウィンの自然淘汰の理論によって淘汰されているはずなわけです。ところが,6.3パーセントとか10パーセントというのはどういうことかといったら,セレクションの対象になってこなかったということです。つまり,ごく最近まで,簡単に平たく言うと,発達障害があっても,自閉症であっても,注意欠陥であっても,あるいは算数LDであっても,生活する上で何も困らなかった。それが突然ここへ来て,困るようになってきた。なぜなら,それは我々の生活様式が劇的に変わって,プレゼンテーションをするにしろコンピューターを使わなければいけないし,それから家で会社のお仕事する場合,キーボードをたたいていなければいけないし,学校へ行ったら先生の授業をずっと45分間辛抱して聞いていなければいけないといった生活になってきたとき,すべての問題が一気に吹き出してきたというところであります。だから,基本的に私は余りITに対して好意的に思っていないのは,こんなにたくさんの発達障害者を生み出すような生活で,我々は幸せになったのかというのを聞きたいのですけれども,そんなことを言ったってしようがないです。問題は,好むと好まざるとにかかわらず,このようなたくさんの障害者を抱えて我々はこれからの生活をやっていかなければいけないということです。しかも,それが顕在化すらしていない。まして,そういう人に対して非常にケアをしない限りは,そういう人たちは日常の生活において,普通の典型的な発達過程を遂げた人間では感じないような様々なフラストレーションを感じながら世の中の日々を送っているということです。  ですから,18歳に下げるという話がある。別に私は無下にそれに反対するわけではないですが,今世の中では,攻撃性が突発的に発せられるということ,いわゆるキレるということが非常に問題になっているわけです。警察庁の統計を見る限りは,殺人の件数自体は去年多分史上最低を記録して非常に減っているわけですから,それでいいのだという意見もあるでしょう。逆にマスコミのように,ある意味で非常にセンセーショナルにあおるかのように,こんなにキレる人間が増えているという話がある。どちらがいいのかは一概には分からないけれども,公平に両方を見ても,確かにそういうキレるといった,今までにはなかったような形での若い人の暴走というのがあるということは事実だし,それはこれから決して減ることはないでしょう。その減ることがないときの背景として,マスコミなどはいろいろ報道しないかもしれませんが,一々その後ろを見ていったときには,その中には,こういう人が様々な不便を感じている中で,それが全く理解されないことによるものというのも非常に多い。  あるいは,先ほどの話で,算数LDは典型的にそうだと思います。ほとんどの場合,それは理解されていない。しかも,日本の教育システムというのは,担任の先生自体が理解していませんが,基本的にできないところをまず上げるということに先生は非常に熱心になります。だから,例えば算数LDのお子さんの場合,最初九九はできますから,ずっとできている。ところが,小学校3,4年で小数点が入ってできなくなった。混乱して親が行く。そうすると,その先生は開口一番必ず○○君は最近算数の成績が落ちましたと言うわけです。いいところを褒める前に,まず悪いところをけなすとは言いませんが,最近算数をやっていないみたいですから,頑張ってくださいと言うわけです。本人からしたら,やっていないわけではなくて,一生懸命普通並みにやっているけれども,それでもついていけないわけです。でも,先生はLDに対する認識がないから,そういうことを分かってくれない。それから,周りもだれも分かってくれない。そういう中で,やがていろいろな複雑なことが起きる中でそのフラストレーションが高まっていくということはあると思います。  それから,同じような算数以外のLDでも,日本語の問題だってあります。発達障害のうち特にLDの場合,一番有名なのはディスレクシア,読字障害あるいは読み書き障害と呼ばれるものだということは御存じだと思います。幸か不幸か,日本語という言語では,読字障害は英語ほど顕在化しない。それは,英語の場合は子音プラス母音のスペリングで構成されていますから,読み書きの困難な人には非常に大変なものである。文盲の方が非常に多いということがよく言われています。例えば,ある有名な映画俳優はまるっきり台本が読めない。ですから,映画をつくるときには,必ずおつきの人が全部読み上げて,それを頭に入れなければいけなかった。そういう方は決して少なくないわけです。  でも,日本語でも調べてみると,あるのです。例えば典型的にどんな方かというと,コンピューターでキーボードを使うときに,少なくとも日本語を入力するときには,平仮名入力をしている方というのがたまにいらっしゃると思います。あの方は多分そういう可能性が非常に高い。というのは,日本語をアルファベットで入れるということがものすごく大変だから,仮名入力をするわけです。我々から考えたらアルファベットの方がずっと楽なのですけれども,仮名入力している方が50人の中に4,5人はいらっしゃいますが,あの方は読字障害の比率がかなり高いです。今我々は,コンピューターをやるときに,あるいはキーボードを操作するときに独学でやりましたけれども,これは小学校へ入ったらそのうち,総合学習などでみんな画一的にコンピューターを習うわけです。そのときに先生はどうするかといったら,ディスレクシアの認識が全くなかったら,まず間違いなくアルファベット入力をさせる。その子どもさんは大変な困難に直面するという可能性が考えられる。  例えば,ある有名な小説家は読字障害でした。だから,その小説家の文章を読めば分かりますけれども,訳が分からない短い変な文章ですし,タイプで打った生原稿を見たらミスキーだらけだったという話がありますが,欧米ではディスレクシアというのは非常に古くからよく知られていますから,そのケアがなされています。端的に言うと,例えばイギリスがそうだと思いますが,イギリスでは,あらゆる国家資格の試験を受けるときに,ディスレクシアの方の受験時間は普通より長い。車の免許の取得試験でも長い。なぜなら,ディスレクシアであるということは障害ではないというのが国のスタンスです。ですから,そういう方はそれなりのハンディを持っていらっしゃいますけれども,それは見込んだ上できちんとほかの能力を検査しなければいけないという非常に行き届いたシステムがあって,あらゆる国家資格の試験時間がディスレクシアであるために延長されるということが法律で認められています。それが恐らく本当の意味で発達障害者支援というものの在り方なのだろうと思うのですが,残念なことに日本ではそういうものがある意味でまるっきりと言っていいほどないのが現状です。  例えば,現在お子さんが京都で発達障害らしい,うちの子どもはLDらしいと思って,どこかへ相談に行こうと思っても,相談できるところがほとんどないのです。最終的にどこへ行くかといったら,京大病院に行かざるを得ないと思います。京大病院の精神・神経科に回されます。電話してうちの子どもはLDなんですけれども,診てほしいと言ったら,来年の秋に来てくださいと言われます。これは早い部類です。もし名古屋で名大病院に言ったら,すみません,今年は満員なので,来年電話してくださいと言われます。来年電話したら,今年満員なので,再来年にしてくださいと多分言われるかもしれません。診療すらそうなのです。というのは,医者は診るだけで,診たってよくはならないのです。問題は,医者は診られますけれども,診たって,私の子どもが高機能自閉症だということは分かったから,ではどうしたらいいんですかということについて,医者は特にアドバイスはできないというのが今の状態です。ですから,そういう状態があった上に,今そういう方が大量に来た上で成人される。しかも,そういう方がある意味で当然のように今は大学に入っていらっしゃるわけです。  昔はそうでなかったわけです。例えば,僕は先ほど注意欠陥障害という話をしましたが,これも障害でも何でもない,非常に美徳なのです。特にものづくりの方やものを発明しようという方については,何かあるものにずっと集中するというのはすごく優れた才能なのです。それはすばらしいことなのですけれども,今の授業形式では駄目なわけで,先生が少々面白いことを言ったって,ははっと笑ってすぐに次の先生のスピーチの流れについていくのがいい生徒だとされているわけで,生活スタイルがものすごく変わってしまった。結果として,職人さんになれて,あるいは例えば高機能自閉症の方でノーベル賞をお取りになった日本人もいらっしゃいます。こういう方が生きていくマーケットが世の中から消え去ったという時代に,我々はそういう人を相手に,あなたも大人なのだから,もうクレジットカードを持ってもいいんだよ。あなたも経済行動をきちんとしないといけないんだよ。あるいは,詐欺に遭ってはいけないんだよ,投票しなければいけないんだよということを言わざるを得ないんだということは認識しておかなければいけないのではないかというのが,私の意見であります。  どうも御清聴ありがとうございました。 ○鎌田部会長 どうも大変ありがとうございました。  それでは,ここで休憩をとらせていただきます。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開させていただきます。  次に,水谷参考人,よろしくお願いいたします。 ○水谷参考人 よろしくお願いします。初めに,部会資料25でございますが,この資料は2004年8月に作った非常に古いものです。ただ,今も通じるものがあり,参考になると思いますから,御覧ください。  実は私は今から17年前に,横浜市立港高校という生徒数800名の定時制単独校に勤務しました。当時の横浜市民が横浜市立暴力団養成所と呼んだ学校です。入ってきた子どもたちの半数近くが学校をやめていき,夜の世界に沈む。僕は何と35歳で赴任して,赴任したその日に生徒指導部長となりました。前任は心を病んでやめました。前々任は過労で死にました。副校長が3人現職で連続して死んだ学校です。僕が行った年の触法及び刑法犯の生徒数が149件,41件が逆送及び成人でした。この学校に入った年から実は夜回りというのを始めました。当時は,毎晩夜の11時から朝まで夜の街を回って,授業に来ない,邪魔する子どもたちや,それ以外にあの当時は制服を着た中高生が横浜の夜の街にたくさんいましたので,その子どもたちと話し合いながら,そして,今は金曜と土曜の夜,講演などで行った都市で夜回りをやっています。僕の17年というのはそういう,夜眠らない子どもたちと呼んでいますが,夜眠らず悪さをする子どもたちと生き会ってきた17年でした。今,薬物あるいは暴力団,暴走族,風俗から助けた子どもたちが大体この17年で1万人を超して,それが僕の直系の子どもたちとして,全国各地の都市で僕のかわりに夜回りをやったり,エッチなビラ・看板をはがしたり,夜の世界の子どもたちを僕につないだりしてきました。また,僕自身が今全国に施設を47持っております。非行・犯罪の子どもたちの自立を助ける施設あるいは虐待を受けた親子のシェルター等ですが,そこで僕のかわりに働いてくれています。僕の17年というのはそういう暴れた,悪さをする,どちらかといえば社会から嫌われる子どもたちと生き会ってきた17年でした。  ところが,今から6年前に1人のリストカットをする少女と知り合い,リストカットの問題に取り組み始めました。実は僕は心の病の問題に取り組むには非常に優れたポジションにいたと思います。17年前から一番の僕のライフワークは薬物,ドラッグの問題です。薬物というのは,やってしまえば依存症,アディクションになってしまって,精神科の治療を受ける必要がある。ところが,日本の精神科の多くは薬物問題をやりたがりません。3Kといいます。危険,暴力団が必ずバックにいる。金にならない,もうみんな金を使い果たしてくる。治療が難しい,効果がない。だから,横浜市大の連中などでも,せりがや病院という専門病院に行けと言われると泣いて抵抗すると言われるぐらいに,やりたがらない。それでもやってくれる医師というのは,日本の精神科医の中では非常に優秀な方々が多かったです。彼らのもとを6年ほど前から回りながら,リストカットや心の病の問題に取り組み始めました。そして,愕然としました。私が毎晩夜の街を回って,夜眠らない,悪さをする子どもたちと夜回りで知り合いながら,彼らの援助をしながら,昼の世界に戻す。それをやっている同じ時間に,暗い夜の部屋でリストカットをしたり,明日を見失ってオーバードーズ,たくさん薬を飲んだり,死へと向かう子どもたちが我が国日本にたくさんいることに気付いたからです。そして,今から4年5か月前,2004年2月10日に一斉に勝負に出ました。私の直系の夜眠らない元暴力団,元ヤク中,元風俗,そういう子たちを集めて30名で研究所を設立しました。そして,メールアドレスと電話番号を一斉に公開すると同時にマスコミに出ました。  以来この4年5か月で,相談メール件数が47万件,電話は数え切れません。かかわった子どもの数が昨夜で14万7000名を超えました。残念ながら,死者が分かっているだけで60名います。4名が殺人を犯しています。去年,函館でリンチ殺人を犯した子,あの子もかかわって1か月目,とめられませんでした。おととし高野山で73歳の写真店主を13か所刺して殺した子も,その3日前に初めてのメールをもらい,会う準備をしているところで,間に合いませんでした。ただ,これは分かっている数で,亡くなってから家族や周りの人間が僕とつながっていることに気付いて教えてくれた数だけです。もっと亡くなっていると思います。僕は,そういう夜眠れず自らを傷つけ苦しむ,死へ向かう子どもたちについて集中的に取り組んできました。ですから,今,金曜・土曜は夜回り,それから日曜の夜から木曜までは,無限に続く相談メールに答え続けるという日々を過ごしています。  今,リストカッターというのは大体どのぐらいいるか,皆さん方は御存じですか。専門家の間では100万人を超したであろうと言われています。10代,20代の世代人口の大体7パーセントになります。リストカットはあらゆる自傷行為に言えます。例えばゴシックロリータ,独特の服を着て,自分を化粧で変え,髪の色を変える,これも自傷行為。ピアシング,ただひたすらピアスを体じゅうにつけるとか,タトゥー,入れ墨,すべてに通用して言える自己否定,そのあげくの自傷というのが,大体100万人を超えると言われています。これを都道府県別に見ていくと,僕のほうの分析でも非常に面白いのは,愛知がずば抜けて多いのです。多分愛知の管理教育のせいではないかと思うのです。実はその都道府県の不登校の生徒数と比例している部分があります。富山も非常に多い。落ちこぼれた子どもたちが自己主張できずに自らを傷つけるというパターンが非常に増えてきています。  ではこの背景はどこにあるのか。一つは,子どもたちの生きる力というのが今急速に失われてきています。でも,これは当たり前ですね。普通,コミュニケーションというのは,1対1のコミュニケーションですが,その他にも1対0.5,1対0のコミュニケーションという3通りのコミュニケーションがあると考えています。1対0というのは,DVDやビデオを見たりするもので,テレビを見ているのは単なる一方通行で,参加はできないわけです。テレビの人間にこいつに負けるな,おまえ殺されるぞ,逃げろと言ったって,テレビの中で設定されている場合には殺されてしまう。単なる一方通行です。1対0.5というのは,ゲームあるいは携帯電話,バーチャルリアリティーの世界で,ある程度の参加はできるけれども,しょせんは書かれたシナリオの中で左右されてしまう。でも,本当のコミュニケーション能力,生きる力というのは,1対1のコミュニケーションの中から生まれてくる。例えば,子どものころにチャンバラをやって,相手の頭をポカッとやって泣きながら家へ帰って,明日先生に怒られるなと思い,翌日学校へ行ったらゴツンとやられて,仲直りをする。いろいろなつらいことがそのときどきの体験の中にあっても,それを乗り越えながら作られていくものが本当のコミュニケーション能力であり,そこから生きる力が作られていく。なぜなら,1対0や1対0.5のコミュニケーションというのは,カットすることができる。ゲームはリセットできます。テレビは嫌ならば切ればいい。でも,人間関係というのは切るわけにいかない。この社会の中で公民として国家の中で生きていく,それはリセットできないのですけれども,今の子どもたちはその能力を急速に失ってきています。  今,携帯電話,メール,インターネット,ゲーム機がなかったら,日本の不登校,ひきこもりのまず8割は解決していると言われています。退屈で家にいられない。日本の深刻ないじめや事件,犯罪や心の病の5割もないだろうと思うのです。この間の秋葉原の事件は,携帯電話やインターネットがなかったら多分起きていない事件なのです。そういう非常に危険な道具をいとも簡単に親たちが,きちんと判断できない子どもたちに与えてしまっている。僕がよく言うのは,未成年,20歳までの子どもに携帯電話,メール,インターネット,ゲーム機を与える場合には,夜の11時から朝の6時までは親の管理に戻してほしいということです。なぜかと申しますと,先ほど正高先生もおっしゃっておりましたが,我々人間というのは実はサルから進化した動物なのです。私たち人間というのは夜行性の動物ではない。夜行性の動物にとって,夜というのは非常にうれしい,楽しい時間です。えさが寝ている間にねらえる。でも,我々人間にとって夜というのは元来眠るものですから,非常に感情的になり,不安定になり,不安になる。その不安定で不安な時間にコミュニケーションをとったり,いろいろな形でやるから,しなくていいけんかをしたり,あるいは人を傷つけたり,傷つけられたりするのではないか。その辺のことすら教えられない中で,生きる力がどんどん子どもたちから欠如していっている気がします。  もう一つ,自傷行為,非行の子どもたちに共通していえるのは,自己肯定感のなさです。もう自分なんてどうでもいいんだ,だから死んでもいい,だから今を楽しもうといったものです。実は今,日本の10代,20代前半の子どもたちが四つの大きな問題を私たちの社会に,大人に突きつけてきています。一つ目はいじめ。これは小中高校まで結構大きな問題になっている。二つ目が不登校,ひきこもり。不登校に関しては,文科省が統計をとっていますが,お気付きのとおり,万単位で急速に減ってきています。あれはうそです。なぜなら,各地で適応指導教室というのを作っており,そこに行けば学校の授業に出なくても出席扱いになるのです。ですから,完全に教室に1週間いられる人間で言ったら,決して減ってはいない。逆に増えている状況です。ましてひきこもりについては,残念ながら厚労省を軸に全く調査がなされていません。三つ目が心の病。四つ目が非行犯罪。この四つのすべての問題に共通して言えるのは,その問題を起こす子どもたちの自己肯定感のなさ,自分を大切にされていないから,自分を大切にできないということです。  このような自己肯定感のなさによる四つの問題が急速に増えてきたのは1991年以降だと我々専門家は考えています。御存じのとおり,1990年秋にバブル経済が崩壊しました。バブル経済は崩壊して当たり前だけれども,あそこまでの日本というのは,70年代の高度経済成長の完成から安定期の中で,非常に夢が見られた。まじめに努力をし,きちんとした成果を残せば,それに見合ったポジションあるいは就職,それと給料の昇給,そして一生努力したことが報われるんだという成長神話がすべて崩れました。それ以降余りに長く続いた不況。残念ながら,1991年以降多くのお父さん,お母さんがリストラ,仕事を失ったり,転職を余儀なくされたり,あるいはそこまでいかないまでも給料は下がっていく。例えば,高等学校卒・大学卒の有効求人倍率でも,このごろ上昇してきたとはいっても,91年以降非常に最悪な状況になってきました。また今,高校の有効求人倍率は1.1倍近くにいっている。でも,これもある意味ではうそです。なぜか。いわゆる非正規雇用,派遣型の求職が異常に多いのです。僕は高等学校の就職担当もやりましたけれども,派遣型に高卒の子をどうやって説得して送るのか。将来安定するのか,それが見えない。法改正が行われてはいますけれども,それも読み切れない。ましてや,2年前の数値しか持っていませんが,高校生の就職した子どもたちの5割近くが1年以内に仕事をやめているという,この非常に不安定な状況の中で,子どもたちが生きる力を失ったどころか,明日を夢見る力も失ってきています。  また,91年以降,私たちの社会そのものがものすごくいらいらしています。昨年の秋に非常に悲しいアンケート結果が新聞上に発表されました。アジア諸国の子どもたちに,自分にとって最も心安らぐ憩いの場はどこかと聞いたところ,シンガポールで80パーセントの中高生が家庭と答えて,2位が学校でした。ミャンマーでは1位が家庭,2位が学校,3位がお寺と答えている。フィリピンですら64パーセントの中高生が1位家庭,2位学校なのです。我が国日本では,中学生で14パーセント,高校生で6パーセントです。10位以内に家庭が入っていない。昼の大半を過ごす学校と,夜の最大の心安らぐ場所である家庭がもう完全な心安らぐ居場所になっていないのです。では,彼らはどこで心安らぎ,どこで明日のための準備をしていくのか。実は僕は年間400回を超える講演をやっていますが,子どもたちの講演のときに必ず聞くことがあります。おまえたち,家で怒られた数と褒められた数とどっちが多いか。90パーセント以上の中高生がしかられた数のほうが多いと答えます。では学校ではどうか。中高生の7割から8割,地域でも差はありますが,学校でもしかられた数が多いのです。人ってしかられ続けたら,明日を夢見られますか。人というのは,褒められる,認められることの中で自己肯定感,自信,明日を生きる力を身に付けていく。それをどうも家庭や学校,社会全体が1991年以降忘れてきて,その中で追い詰められてきていると考えています。  実は,それに伴い日本の自殺者の数が3万を超えるということで大騒ぎをしています。しかし,統計のとり方に問題があり,完璧な間違いです。どういうことか。日本で自殺統計をとっているのは,警察庁と厚生労働省です。警察庁,厚生労働省が自殺とみなすのは,死体で見つかった場合には,法務省の嘱託を受けた医師が遺体検案書に主たる死因は自殺と書いたケースです。病院や家庭で亡くなった場合には,医師が死亡診断書に自殺と書いたケースです。実は,僕が亡くした56名,オーバードーズで死んだ子の9割以上は中毒死と書かれています。リストカットで死んだ子の9割以上は事故死と書かれている。実は鉄道に飛び込んだとしても,靴が脱いであるとか遺書がない限り,あるいは普通のケースでいったら遺書がある,首つり,飛び込み,飛び下りでない限りは,医師は自殺とは書かないのです。それは正しい。本当に自殺かどうかは本人にしか分からない。でも,このケースまで入れたら,もうレベルの違う数の人間が亡くなっているだろうと言われています。  救急救命士という資格を皆さん御存じかと思います。今は専門学校出もなれますが,主には全国の救急隊の隊員の中で心ある優秀な人間を選考しまして,昨年の9月までは八王子の南大沢1か所しかありませんでした。前期300人,後期300人,びっちりと合宿をして,それで授業を受けまして,3月の国家試験をもってなっていく。昨年の秋からは,秋学期のみではありますが,福岡県の博多に200人入所できる養成の施設をつくりました。実際に僕は総務省の委託で,毎年そこに行って年間2回の授業をやっています。先日も南大沢へ行ってきて,300人の救急隊員に対し,「君たちに聞く。君たちは全国で救急隊をやっていた。リストカット,オーバードーズの子を運んだことがある救急隊員は手を挙げなさい」と聞くと,300名が手を挙げます。では次に,「同じ子,同じ人を2回以上運んだことのあるケースを抱える救急隊員は手を挙げなさい」と聞くと,200名近くが手を挙げます。では最後に,「冷たくなって来たケースは何人いるか」と聞くと,今年は91人でした。そのとき僕は,「おまえたちは人殺しだ。なぜ一度目のときに保健所に通報しないのか。おまえたちの仕事は患者を運ぶことではない。命を助けることだとするならば,厚生労働省傘下の保健所に通報し,保健所の担当官が家庭訪問することでその人たちの命を救うことができたのではないか。今後はそれをやってほしい」と言うのです。それを言わされるために年間2回行っています。今はそのように10代,20代が非常に急速にこの国で病んできています。  そんな中で今回,ヒアリング事項として,大人になるということはどのようなことかというのがありますが,僕はもうこれは自立することだと思います。国民の義務で言ったら納税をもって大人とすべきで,納税をもってすべて公民としての権利を受け取るのが一番いいだろうとは思います。ただ,障害を持ったり,様々な状況の方々がいらっしゃるから,納税だけでははかりきれない,そこだけで区切ってはいけないものだとは思います。実際の話として,青年期というものが今どんどん長くなってきているのです。文明の進歩というのは青年の時期を長くする。かつては例えば13,14歳になれば,産業革命のころはもう7,8歳で労働者としてこき使われて自立していった。社会にゆとりができるから,その間に教育というものを挟みながら,自立までの期間を長くして,多くのことを学んで,より有用な公民あるいは国民,社会人になっていただこうと。でも,それがどんどん長引いてきています。今実際に30歳以前で本当に自立して親からも離れ生活できている人間が日本国民の中に何割いるのか。そういうことを考えたときに,果たして18歳に成年年齢を下げることに何の意味があるのかと感じます。  多分,成年年齢に関する関係法というのは,日本の現行法の中で三百数十本ぐらいあると見ています。でも,それは実は現行法の中で,20歳という規定ではなく,もう非常に柔らかく運用されてきているのです。例えば結婚に関しては,女子は16歳で親の許可があれば,男子は18歳ですけれども,僕はこれは男女差別の典型的なものだろう,その根拠は何なんだろうと思っていますが,別に20歳ではなくて,親の許可があれば結婚はできるわけですし,少年法だってどんどん厳罰化の中で,ついには17歳,光市事件で死刑判決まで出てしまう。その他の法についても,いわゆるそれぞれの状況において弾力的に運用されている現状の中で,強いて民法を18歳に今変える必要があるのだろうかと思います。変えて喜ぶのは,大変な反対が起きて政府は倒れるかもしれないけれども,厚労省ですね。18歳を成人とすることをもって年金の強制加入に入ったら42年とれますから,そんなことは厚労省は考えないだろうと信じていますけれども,そのあたりを考えます。  また,ここには僕に対する質問で,契約の問題,親の同意なく契約という問題が出ています。また,一番最後にも,どのような法教育などの教育の充実が必要かというものがあります。僕は,高等学校で社会科の教員でした。実は,社会科という教科内容において,全国民が共通して最低限持っていなければならない知識を教えるのは,高等学校ではありません。中学校の社会科の公民です。ですから,社会科の公民というのは必修になっていて,非常によくできた教科書だと思います。中学生レベルであれを理解してくれたら,相当まとまったものになるのではないかと思うのです。ところが,高等学校に入ると様相が変わります。御存じの方は多いと思いますが,実は現代社会を1科目選択するか,倫理,政経のどちらかを選択するかになります。ところが,どちらも,いわゆる中学校の公民から合わせてそれを分厚くする公民としての非常に重要な知識,生きていく上での力を身に付けるものにはなっていないのです。現行の現代社会は2単位以上でいいわけですけれども,例えば哲学史が入ったり,心理の問題が入ったり,では法的なものはといったら,憲法をさらうのがもう限度です。民法,商法レベルをやるとしたら,よほど熱のある教員が,その担当の人を部外者から呼びながら講師としてやっていくことになります。とても2時間では無理です。政経,倫理についても同等で,理論的な,例えば経済史あるいは政治史的なもの,各国史的なものが多いというのが現状です。日本における民法,商法,特に今,電子契約法などというのは絶対に子どもたちに教えなければいけないと思います。僕のところにも,携帯電話でボタンを押してしまったら,すぐにお金を払わないと訴えるぞと言われたという相談があります。電子契約というのは,インターネットの場合には2か所押さなければ絶対入っていきませんし,その前に確認事項でチェックを入れるとか,規定がある。携帯電話の場合には直接の支払いはあり得ない。あの課金制度というのは,全部携帯電話会社が代行で集金するという形になっている。そのあたりが全く教育されていない。教育する余裕もないし,その知識もある意味では現行の教員の中にはない。だから,もしもどうしても18歳から成人にするようでしたら,そのあたりを含めた,高等学校において,中学校の公民と連携した上で,分厚い独立した日本国の公民として生きられる知識,得なければいけない知識をもう一回再構築して,それを必修化する歩みが必要だろうと思います。でも,現行の文科省の流れの中で,ゆとり教育から転換する流れとか,あるいは理科重視,理数重視の中では,なかなか難しいのではないかと思うところがあります。  たった一つだけ,成年年齢が18歳になると有利になることがある。どういうことかと申しますと,僕は薬物濫用者を非常に多く扱います。ドラッグ・アディクション・リハビリテーション・センターというのは,僕の関連の施設でもありますし,その薬物依存症の大体18,19歳あるいは16,17歳の子どもたちを多くかかわって預かります。どうしても病院に入院させることが必要になるのです。でも,親もお金のないケースが多いです。そんな場合に,いわゆる20歳以上の場合は生活保護を取らせてしまう。生活保護の認定を受ければ,それで医療費については控除されるのです。それで入院等の手厚い医療を受けることができる。でも,現行で18歳未満ならば,例えば北九州市の場合は,18歳未満の少年に関する薬物濫用の治療費というのは市が持つということを全国で初めて,僕のかかわりで3年前に始めました。またいろいろな手当のしようがある。ところが,19,20歳については,親がいる限りは生活保護は取れないのです。これが18歳になってくれたら,生活保護が取れる。非常に楽だなというのはありますね。  実際に今,例えば孤児とか,恵まれない子どもたちに対する国のいろいろな施設提供というのはどうなっているか。15歳までは手厚く,国家がきちんと面倒見ています。僕はこれを評価します。でも,残念ながら15歳以降,公的な施設で全日制への高校への進学は認めません。ぜいたくだとみなされるのです。こういう法律が作られたのは一体何年前なんでしょうね。夜間高校の場合ですと,働くという条件付きでその公的な施設に残りながら教育を受けることは,許される可能性がある。我々夜間の教員が一生懸命申立書を書きます。ただ,大体の場合には15歳で公的なものは終わります。18歳までの公的な施設を持っている都道府県というのは非常に少ない。となると,15歳以降18歳までは,例えば宗教的な施設も多いですが,民間の施設が18歳までは面倒を見てくれます。民間の施設の場合には,寄附金を集めたりしながら全日制の高校に通わせたりとか,ある程度の手厚いケアを受けられる可能性が非常に多くはなります。でも,18歳をもっておしまいなんです。民間であれ,そこから以降扱うことができない。ですから,こういう意味では18歳をもって成人とみなしているのではないかと思います。ですから,今実は東京弁護士会と横浜弁護士会と名古屋弁護士会が三つの施設をつくっています。19,20歳の子どもたちを2年間,虐待を受けたり孤児の子どもたちを完全に預かって,生活の保護をしながらその子どもたちの自立支援をしていくという施設です。今,京都が来年4月の設立に向けて動いています。これはあくまで民間の施設です。こういったところまでも含めて民法改正をやるならば,手厚くきちんとやっていただく必要があるだろうと思います。そうでなければ,20歳からは成人で,それまでは少年なのです。では少年は国が面倒を見るんですよって,見ていないではないか。その辺を問われてもしようがないだろうと思います。  また,選挙権について18歳に引き下げることは,国民としての自覚を持つという意味では決して悪いことだと思いません。でも,それに伴って,それに見合う教育を中学高校でできているのかどうか。公民の一人として,客観的な,ムードに押されない判断を果たして今の18歳の子どもができるのかどうか。僕には非常に不安です。  ただ,ここまでお話ししてきたケースというのは,あくまで日本の今の国民の大体3割の子どもたちです。これは,先ほど最初に大学生たちからの聞き取りがあった,僕の後輩の上智の学生もいたようですが,彼らはあくまで勝ち組です。そういう上のレベルの人間で見たら,さほど問題はないだろうと思います。実は,僕が生徒指導を始めた二十数年前というのは,7対2対1という言葉が我々生徒指導の間で常に叫ばれていました。どういうことかといいますと,日本の中高生の7割は全く問題ない。我々生徒指導が何の手を下さなくても,社会の教育力もあるし,家庭も整っているから,すくすくと育っていく。2割については,ふらふらしている。1割は,劣悪な家庭環境や様々なそれまでの教育環境の中で傷付き,悪さをしたり,いろいろな問題を持っている子である。まず我々生徒指導は,そのふらふらしている2割を押さえ込めというのです。2割を7割にくっつけたらこっちのもので,荒れない学校,安定した学校になる。しかし,その2割をしくじると,7対3で荒れた学校になってしまう。でも,どんな荒れた学校だって7割の子は,全く問題はないんだと言われた。それが,この10年ぐらい前から3対4対3と言われています。今の日本の子どもたちで,全く問題なく,リストカットの問題や心の病あるいは非行,犯罪にも触れずに,いじめもやらずに生きていく子は3割。それは我々教員が何もしなくても,すくすく,自分の能力も高いし,生きていく子。4割がふらふらしていて,3割が様々な意味で問題を抱えているだろうと考えています。  でも,今一部の地域,一部の学校では,3対7という学校まで出てきています。その地域の経済力とか家庭力,家庭環境などにものすごく左右されている面が大きいです。先ほど,管理主義的な教育がどうも愛知で不登校,心の病を多発しているように思えるという話をしました。その反面で経済的なものが,例えば高知県,今も高知市については,中学校が潰滅状態です。ある中学校では13名が非行で少年院及び少年鑑別所に送られている。昨年まで僕は2年かけて高知のすべての中学校を講演で回ってきました。最も荒れている中学では,生徒の60パーセントが生活保護世帯や母子家庭です。ここで何を語れるんだと。僕も一番荒れている30人ぐらいの子たちと講演の後に話をしたんです。おまえたちな,これやっていたら明日はないだろうと言ったら,何人かが「いいやん,おれさ,生活保護を受けるわ」と答えました。何でと言ったら,「うちの母ちゃん,生活保護を受けて,酒も飲んでるし,ばくちもパチンコもやってるし,別にあれでいいや」と言っているのです。それを言われたら,もう何も言えません。そういう環境の地域まで出てきているのです。その辺のところまで含めて,広い意味で考えていかなければと思います。  ですから,事前に僕は打合せにここに来ているのですけれども,そのときに法務省の関係の方々に申し訳ないけれども,本当はこれは,法務省の法制審議会ではなくて,内閣府なりで関係省庁すべてを集めた場で議論すべきことなのではないですか,例えば年金問題の余波がそこにどう来るかという問題もあるし,そうでないというのはなかなか難しい,民法だけの問題として終わらない部分があるのではないですかと言ったことを忘れていません。ただ,覚えておいていただきたいのは,それほどこの国の子どもたちが病んでいます。かつて戦後の日本を支えてきたのは分厚い中流です。それは,国も企業もまじめに努力すれば認めてくれて,それが分厚い中流をつくってくれていた。その分厚い中流が急速に崩壊している今現在に,果たして一番重要なのは成年年齢を18歳にすることなのか。もっと大事なことがあるのではないか。もしもこれに悪のりをされて厚労省が42年に年金を持ってきたらとか,そういう附帯的な影響まで考えたときに,ますます親たちが苦しくなるし,ますます大変なことになるのではないかと思うのです。例えば,年金を払えない家庭は多い。生活保護を受けている家庭がどんどん増えてきている。でも,僕は,生活保護を受けている家庭,年金を払えない家庭の子どもたちを扱っている。払えなくて,にこにこ笑って,払わなくて済んだなどと思っている日本国民の親や子どもたちは少ない。払えないこと自体でまた苦しむのです。自分の明日の夢をつぶして,あらゆる意味でこの国は今,負の連鎖に陥っており,特に貧しい人たち,恵まれない環境の子どもたち,一番弱いところにそのしわ寄せがいっている気がします。だから,その辺に本当は全省庁を挙げて全面的な意味で全学識経験者を合わせて取り組んでいかなかなければならないと思っています。  僕の資料は,古いですけれども,いろいろな意味で今話したことをもう少し論理的に,感情論的ではなくて整理していますので,御自由にお使いください。  以上です。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。  最後に,仲委員から御発表をお願いいたします。 ○仲委員 それでは,ライフスクリプトと「大人になること」ということで,報告いたします。  私自身は,すごく細い専門のトンネルから世界を見ているという感じがするのですが,でも今日の正高先生,水谷先生のお話と通じることを強く感じていますので,そこら辺をお伝えできればと思います。  初めに,どういう立場で御報告するかということなのですけれども,まず私自身は心理学を専攻しております。心理学といってもいろいろな領域があるわけなのですけれども,主に発達心理学と認知心理学の研究をしております。発達心理学は,時間軸上に沿って,人の行動とか心理的な過程がどのように変化するか,認知心理学は,思考とか言語とかコミュニケーションとか記憶とかといった知的な活動を扱います。研究の半分は実験室で,記憶やコミュニケーションの発達的変化を調べたり,あるいは体験をどのように記憶し,また人に伝えるかといった研究をし,残りの半分はフィールドに出て,子どもや少年への司法面接といったことをやっています。事件や事故に巻き込まれたお子さんたちが供述をしたりすることがある。あるいは家事事件において子どもが意向を述べる。あるいは被疑少年が供述をする。そのようなときにその供述の信用性とか,どのように面接をすればより正確で多くの情報が得られるか,そういうことを実地にやっております。また,それほど数は多くないのですけれども,子どもの証言の鑑定とか,意見書を書いたりとか,あと法廷に立って専門家証言をするなどといったことをやっております。  七つのヒアリング事項をいただきまして,まず思い付いたのは,発達心理学者ですから,ピアジェとかエリクソンとか,そういった人の名前を出して,人の発達というのは段階的に進んでいくのだとか,そんなことを言うのがいいのかななどと初めは思いました。けれども,成年だからといって,こういう心理学的な特徴があるといったことを言っても,だからといって成年を引き下げるとか引き上げるといった議論とは直接関係ないだろう。また,これまでの議論にもありましたように,何かができるようになったから,その資格試験に合格するような形で大人にするといったものでもないだろう。むしろ,人生のタイムラインの中で何がどのように起きるかということについて,私たちは何らかの期待を持っている。そういう期待に基づいてだんだんと人がその文化の中で大人になっていくのだとすれば,そのようなことについて検討するのがよいのではないかと思い,そのような期待のことをライフスクリプトと言っていますけれども,その調査なども踏まえて御報告したいと思っています。  ヒアリング事項は七つあって,最初の二つは大変難しいんですけれども,まず一つ目は「日本の若者たちについては,ニート,フリーター,パラサイト・シングル,晩婚化,ひきこもりなどが問題となっている。他にどのような問題があり,原因は何か。」という大変大きな質問です。二つ目は「諸外国の若者たちはどうか。日本及び諸外国はどう取り組んできたか。」。これらにつきましては,私の領域からは簡単に答えは出ないのですけれども,今,教育学の先生方と一緒にプロジェクトを組んで,ニート,フリーターの支援ということでどういう方策が可能かということを検討する調査をやっております。自立支援施設などで関係者へ聞き取りなどをしますと,最近の若者の問題というのは,エネルギーがあり余っているため,いろいろ破壊していくといった問題ではなくて,むしろ,今までのお話ともつながるところがあると思うのですけれども,力が余るというよりもひきこもり,エネルギーがない,コミュニケーションができない,日々の生活にすぐ困るというわけではないけれども,そういう状態から抜け出せないという話が聞こえてきます。  背景となる問題は何か。これも,そもそもニートとかフリーターとかパラサイト・シングルなどを一つにまとめて論じることが適切かどうか分からないのですが,一つの要因として,その背後に生きづらさみたいなものがある。その生きづらさというのが,例えば,虐待の体験であるとか,ネグレクトとか心理的な虐待も含めてですが,いじめであるとか,そのような心の傷がある。その心の傷が生じる背景には,先ほど正高先生が話されたような発達障害ということも見過ごすことのできない問題としてあって,6パーセントぐらい,それよりももっと多い人たちにあるということですから,障害と呼んでいいのかどうか分かりませんが,そういう方たちが生きづらさを感じている。周りの人もこの人はちょっと変だなといったことがある。そういう中で,いじめとか排他的なことがあって,それが心の傷になって世の中に踏み出していけなくなっている。そういう状況をつくっているといったことが一つあるのではないかと思われます。  また一方で,画一的で多様性のない環境ですね。先ほどのお話にも出てきましたように,どこに行ってもコンピューターをたたいてとか,Eメールをやってとか,あるいは接客をしてとか,そういう活動が望まれる。仕事をするには必ずそういうことをやらなくてはいけないといった画一化した世界,そういう遊びのない世界が多くの若者を社会から締め出しているということがあるのではないかと思います。  部会資料26の4ページにまいりまして,ニート,フリーターということもすごく重要なことなのですが,私自身の先ほどの司法面接といった観点からいいますと,まずは食事や安全な居場所や身体・心理的な世話を受けていない子どもがたくさんいるわけです。そういうお子さんたちが人を信頼できないまま大きくなって,後の問題行動や触法につながる例も多い。  例えば虐待ということで申しますと,5ページに簡単なグラフを作って載せておきましたけれども,年々増えていて,今は3万件,最近の速報によりますと4万618件の児童相談所への相談が寄せられています。しかし,先ほどの水谷先生のお話ですと,14万件の相談ということでしたから,これはもう本当に氷山の一角であろうと思います。  このようにして網の中にひっかかってくる子どもさんたちに対して,私たちが何をしているか,何をしていないかというと,彼らの話をきちんと聞くためのシステムを私たちは持っていないのではないかということが言えると思います。これはもう確かに言えることだと思うのですが,被害を受けたとされる幼児,児童,青年の訴えを聞いていない,加害したとされる少年の供述もきちんとは聞けていない,それから,目撃供述などもきちんと記録できないといったことがあると思います。もちろん児童相談所とか警察でもいろいろやっているわけなのですけれども,基本的なこととして,面接法が確立しておらず,その聞き出した情報というのを録音や録画などで客観的な形で残しておくということが私たちの国ではないのです。これは世界の国々を見ても大変立ちおくれていることです。子どもへの面接がきちんとしていないので,そもそも何からスタートしていいのか,子どもにどういう問題があるのかということが把握できない。そのために,4ページの一番下の行に書いてあるのですが,連携機関のコミュニケーション,例えば厚労省と法務省ということですとか,あるいは文科省がかかわってくるということも必要かもしれないのですが,そういうコミュニケーションがとれず,多くの子どもを取り落としているということがあるように思います。  6ページにまいりまして,諸外国の例を見てみますと,私たちが持っていないそういうシステムが諸外国にはあるわけなのです。ここでは英国の例を紹介したいと思います。例えば英国ですと,子どもに第一のプライオリティーを,国連の子どもの権利条約に基づいて持たせている。社会が子どもを育てるという意識が強くて,例えば虐待の疑いがあれば,すぐにフォスターケアに回すといったことが行われているわけです。でも,今これをここで言いたいわけではなくて,その下の段のところなのですけれども,目撃者,被害者に対する司法面接というのがきちんと完備されていて,面接で得られた情報というのが子ども保護の大きなネットワークの要となっているということを紹介したい。被疑少年においても,話を聞くことが大変重視されています。  私自身は,大体のケースは訴訟に上がってきたものなのですけれども,子どもの証言の信用性,この子どもはこのような供述をしているけれども,これは信用できるかどうかといったことを扱っています。しかし,大人もそうなのですけれども,子どもは特に暗示を受けたり,あるいは誘導にかかったりしやすいため,その供述に信用性があるかどうかを検討するためには,その子どもがどういう面接を受けたかということを検討する必要があるわけです。でも,どういう面接を受けたかということはほとんどの場合記録されていない。聞き取った人が子どもの言葉であるかのように文章にして書いているということがほとんどです。そのために,言った,言わない,やった,やらないということが問題になって,結局,では見守りましょうとして置いておく間に亡くなってしまったとか,大きな事件が起きてしまったとか,あるいは問題が解決していない家庭に戻されて,より大きな問題が生じてしまうということが多々あります。  外国の例を少し紹介したいと思うのですけれども,7ページに載せているものは,英国の面接法のガイドラインです。赤いほうは1992年につくられたものです。この面接法の大きな特徴として,被害を受けたあるいは事件を目撃した14歳未満の子ども,性が絡む場合は17歳未満の子どもは,できるだけ早い時期に,できれば1,2日内,遅くても1週間以内に原則として1回,ガイドラインに沿った面接を行うこととされています。このガイドラインに沿った面接というのは,質問をして,それに対して「はい」とか「いいえ」といった形で答えさせるものではなくて,子どもに話してもらうことを主体とした面接法を行います。この記録をビデオ録画しまして,この録画を司法の,例えば訴追するということであれば,裁判でも用いるし,福祉のためにも用いるし,こうやってレジスターした子どもの情報というのは,その子どもが成年になるまでずっと,どこに引っ越そうとも,特に虐待を受けたケースなどでは保持されるということになります。ここで得られたビデオ録画の情報は,例えば裁判となった場合には,子どもの主尋問の代わりとして用いることができる。ですから,1回この事実に焦点を当てた面接を受ければ,あとは子どもは心の回復のためのカウンセリングを受けるとか,忘れてしまうこともできるわけなのです。  この方法が大変うまくいったということで,右側の緑のほうは2001年につくられたベストエビデンスというガイドラインですが,こちらでは,もう子どもだけではなくて,発達障害,知的障害,精神障害,それから犯罪などで脅かされた大人の人たちも同じようなやり方で,原則として1回だけビデオ録画面接を受けるということになっています。こうやって事実をまず聞き取り,確定するというところから介入やケアが始まります。  次のパワーポイントは,資料にはないのですが,英国の面接室の様子です。ちょっと見えにくいのですが,壁にマイクが埋め込んであります。それから,この部屋の右と左に,これもちょっと見えにくいのですが,ビデオカメラがありまして,ここで録った録画をダブルデッカーの二つのDVDないしビデオ録画にします。それで1本は封印して,改ざんなどの問題が出てきたときに法廷で開封する。もう1本は,ワーキング用として警察や弁護人が使ったり,ソーシャルワーカーが使ったりといったことをやっていきます。これはもう特殊な施設ではなくて,どこに行ってもこういう面接室があって,毎日数件,1週間で20件とか30件といった面接がここで行われています。  今のは目撃供述,被害供述の例なのですけれども,こちらの資料8ページは被疑少年のほうです。これは1984年の英国の刑事司法法ですが,英国では,被疑者の取調べはガイドラインに沿ってテープ録音をするということが義務付けられているわけです。被疑者が17歳未満の少年の場合,これは同じやり方でやるのですけれども,大人と少し違うことは,親または保護者と,「と」のところは強調したいのですけれども,and Appropriate Adult,「適切な大人」が取調べに付き添うこととされています。この付添人は,取調べの様子を監視して,コミュニケーションを促進する役割も担うといったことが行われています。  次も,資料にはないのですが,これはある郡の警察署で撮らせていただいたもので,これも模擬映像なのですけれども,被疑者取調室です。スチールの机があるのかなと思いますと,そうではなくて,被疑者にもともかく自分のことを話してもらわなくてはいけない,話してもらうためにはテーブルが邪魔になることもあるということで,テーブルは全くないか,置くとしても例えばこういう丸い小さな机にするという方針で最近は行われているということでした。机の上にあるのはダブルデッカーのテープ録音の機材です。右にいる2人が警察官,左側にいるのが,緑の服を着ているのが被疑少年ということになります。その隣にいるのが保護者,その隣にいるのが弁護人や付き添い人,Appropriate Adultの協会から送られてくる成人ということで,2人が付き添って取調べを受けるということになります。ここでも,アカウントと言うのですけれども,自発的な報告が重視されていて,まずはその少年の言葉を聞くということになっている。自白を得るのが目的ではなくて,その人のアカウントを得るのが目的ということになるのです。  もう一つ,資料の9ページについては今日は省きますけれども,被害者陳述が最近話題になっていまして,少年審判も被害者が傍聴できるようにするとか,いろいろな試みが考えられているわけです。こういうことに関しても,被害者がいろいろなところで参加するということそれ自体は,被害者の権利という観点からも,重要だとは思うのですけれども,それがどういう影響を少年に及ぼすかということについては,よく検討する必要があります 。これは英国で,もう既に1999年に作られている資料なのですけれども,少年事件における被害者陳述というのは,修復的司法のために用いられる。そういう形でつくるということがうたわれているわけなのです。  まとめますと,私は本当に細い穴からしか現実のいろいろな子どもさんたちのこういう問題と接することはないのですけれども,子どもの声というのがきちんと記録されるような形で聴取されていない,公的な機関で保管されるような形になっていないということは,大きな問題だと思います。まず,厚生労働省,文部科学省,法務省が連携して,子ども一番という姿勢を明確にして福祉ケアをしていかないと,たとえその成年年齢を引き下げても,子どもはもう疲弊してしまって社会に参加してきてくれないのではないかという危惧を感じながら,こういうフィールド研究をしております。  残りの五つの質問にまいりたいと思います。今度は少し違う種類の質問が書かれてありまして,「『大人』になることとは,どのようなことか。最近の18歳,19歳前後の若者は『大人』か。『大人』となるための要件は何か。」。それから,「引下げについてどう思うか。18歳に引き下げられると,親の同意がなく18歳でも契約ができ,親の親権に服さないけれども,どう思うか。親の同意なく結婚ができるがどうか。先進国の状況,少子化にかんがみ18歳成年をどう考えるか。引下げには,法教育その他の教育を小,中,高でどうするか。」。そのようなことが問いかけとして与えられています。  まず,「大人」になることとは,どのようなことかですけれども,先ほども申しましたように,資格を得て,何か試験をやって,パスポートみたいな形で「大人」になるのではまずないわけです。高校生,大学生,留学生などへの今までの聞き取り調査などを踏まえますと,「大人」ということで関連してくる重要な項目は,経済的自立,それから責任ある行動や自己決定権のような大人としての態度ということです。民法の成年でいっている結婚とか契約とか投票とかということは,必ずしも聞いたときに彼らの頭にすぐ浮かぶような形の大人とはつながっていないように思われます。そのようなことを考えますと,個人や集団が大人かどうか,今18歳の方たちが大人かどうかということで成年の引下げを考えるというよりは,私たちがそもそも人生をどのように見ているのか,そして,結婚や契約や投票権は人生のタイムラインの中でどのように位置づけられるのか,そのような意識とか理念の検討が必要なのではないかと思いました。  そういったことで,この4月からなのですが,ライフスクリプトの調査というのをやってみました。本当はあと100人ぐらいあるのですが,分析が終わっているのは,大学生,社会人の513人です。北海道,東京,関西,九州の大学生や社会人の方に調査への回答をお願いして,18歳から20歳までの人が212人,20歳から30歳までの人が197人,30歳以上の人が97人で,最高年齢は74歳でした。そういう方たちが回答してくださっています。今この人数を足しましても513人にならないのは,必ずしもすべての人が自分の年齢を書いてくれたわけではないからです。  この方たちの人生に対する期待を調べてみました。 二つ質問があるのですけれども,一つはこのようなものです。お手元にも参考資料16としてアンケート用紙をお配りしておりますけれども,このような形でお尋ねします。「ごく普通の一般的な幼児を思い浮かべてください。あなたと同じ性別の幼児だとします(あなた自身ではありません。この文化・時代に生きるごく一般的な幼児です)。この幼児が80歳まで生きるとしたら,下記にある出来事は,この幼児が何歳になった頃起きるでしょうか」。つまり,あなた自身ではない,現実のだれか個人ではない,一般的な期待ということを強調して尋ねています。例えば恋愛をするとか,家を出て一人で生活するとか,あるいは結婚するとかということがいつ起きるかという,その年齢を書いてもらいます。また,責任を持って行動できるとか,人生が最も充実している,そういう年齢も,抽象的なのですが,書いてもらうのです。また,大変うれしいことが起きるとか,大変悲しいことが起きる,そういうことも書いてもらいます。それで得られた年齢を500人分全部集計しまして,各項目を年齢ごとにカウントするような形になっています。  部会資料26の15ページを御覧ください。最初に,期待される人生の出来事ということで,恋愛,一人で生活,卒業,アルバイトといった項目がいつ起きるとみんなが思っているかということが書いてあります。この細かい丸が1年ごとの刻みだと考えてください。このグラフからそのまま数値を読み取るのはなかなか難しいので,ハイライトを下にまとめておきましたが,例えば一人で生活,これは何歳ごろ一人で生活するということが期待されるかという回答を求めているわけなのですけれども,500人中過半数の人が,一人で生活をするのは何歳かというところに18歳と書いているということが分かります。同じくアルバイト,これも18歳がピークです。それから,最終学歴の教育機関を卒業するのはいつかということですが,最終学歴卒業とフルタイムで働き始める年齢というのは22歳と書く人が過半数,それぞれ350人,250人の人たちがそういう数字を書いています。それから,結婚するのはいつか。これは,それほど合意があるわけではないのですが,150人が結婚というのを28歳と書いています。そのほか30歳と書いていたりする人もいます。合意はもう少し分散するわけなんですが,結婚は28歳,親になるのは30歳ということになっています。責任ある行動,これもよく大人になることというキーワードとして出てきましたが,これは30歳のところにピークがあります。ただ,合意の度合いは少なくて,分散が多いということがあります。これらが,幼児が一生を終える間にいろいろな体験をする,それをいつ体験するかということに関する期待です。  次に,もうちょっと抽象的な,うれしいことはいつ起きるか,悲しいことはいつ起きるかという調査を見てください。次のページになりますが,こちらはほとんど合意が得られていません。26歳のときに起こるという人もいるし,28歳のころに起きるという人も,30歳のときに起こるという人もいて,特に何歳のときにそれが起きるといった合意のある回答はほとんど得られないのです。強いて言えば,うれしいことは,左側のほうにずれていて,悲しいことは右側のほうにずれていて,高齢者になればなるほど悲しいことが起きるという期待があるのかもしれませんが,余り一貫した合意というのはないわけです。ですから,こういうことと比較しましても,就職するとか,結婚するとか,あるいはアルバイトにつくとか,フルタイムの職に就くことに関しては,私たちは大変強い合意ないしは期待を持っているということが分かります。  次の質問です。こちらは,成年ということも考えまして,こういう質問も含めてみました。今と同じ幼児なんですが,この幼児が80歳になるまでに,「法律によって定められた年齢制限にこだわらず,上の幼児が以下の体験をしたとすれば,何歳頃すると思うか,あなたの考えをお書きください」というものです。選挙,契約,納税,免許,ギャンブル,酒,たばこ,風俗といった項目を入れて,それぞれその幼児が体験すると思われる年齢を書いてもらいました。回答してくださった方の中には,私が想定している幼児はたばこは吸いませんとかギャンブルはしませんとかと言って回答を拒否された方もあったのですが,いずれにしても,ともかく集計してみました。  プラスアルファの質問として,最後に「法律によって年齢制限をつける場合,何歳であればよいか」を,今の法的制限とはかかわりなく,「望ましいと思われる年齢をお書きください」ということで,同じ項目について尋ねています。こちらの結果も見てみたいと思います。  18ページのグラフは,期待されるほうです。幼児が80歳まで生きていく中で,ギャンブルやたばこをいつ始めるか,あるいはやるかということです。これで見ますと,アルバイトができるようになる,免許を取る,それからたばこや酒やギャンブルは,18歳がピークになっています。それから,選挙,契約は,現在の年齢制限というのを受けてでしょうか,20歳ということになっています。フルタイムの仕事は22歳がピークになっています。結婚は先ほどと同じで28歳がピークです。大変興味深いことにどれも2年ごとに,18,20,22歳というところにピークがあって,25歳とかというのは余りないのです。ただ,20代を過ぎて30代に入ると,30,35とか,60,65とかといった刻みが出てくるのですが,20代のあたりというのは大体2年刻みになっています。  次に,法律で定めるとしたらどうかということなのですが,これはすべての事柄が18歳と20歳に集約されるような形になっています。高校生や大学生の話を聞いていると,あるいは成年というのは25歳とか24歳とか,そういう高い方にいくのではないかとか,あるいは19歳とか21歳のところに来るのではないとか,いろいろ思っていたのですが,そうではなくて,法的に期待されることと聞きますと,18歳と20歳のところにピークがあるということが分かります。成人になる,成年を迎えるのはというのをグラフの中では赤で示していますけれども,20歳と書いた人が56パーセント,18歳と書いた人が29パーセントで,もうこれで85パーセントを占めることになります。契約はどうか。20歳と書いた人が46パーセント,18歳と書いた人が21パーセントです。結婚はどうか。幼児が結婚するとすればということで期待されていたのは28歳なのですけれども,法的にといいますと,20歳というのが39パーセント,18歳というのが38パーセントで,18歳と20歳が同じぐらいになっています。それから,選挙は,今の状態を受けてだと思うのですが,20歳と書いた人が50パーセント,18歳という人が33パーセントでした。ですから,21歳とか23歳とか25歳とかというのは年齢としては上がってこなくて,18歳と20歳というのが少なくとも私が調査した500人のサンプルでは大きな節目になっているということです。  もう一つ,興味深かったことを紹介しますと,年齢群を20歳未満の回答者,20歳から30歳までの回答者,30歳以上の回答者の3群に分けまして,それぞれ期待される年齢,法的に期待される年齢などを調べてみますと,30歳以上の回答者は,結婚や,責任ある仕事や,仕事が充実している時期や,退職の時期の年齢を,遅目のほうに書いています。例えば結婚でいいますと,20代の人たちは,幼児が結婚するとすればということで書く年齢が平均して26歳,20~30歳の回答者は27歳,30歳以上の回答者は28歳ということで,より自分に近いところに書いている可能性があります。このような現象は,心理学ではテレスコープ効果などと呼ばれています。これに対し,法的に期待される年齢はどうかといいますと,20歳未満の回答者は19.9歳,20~30歳の回答者は19.8歳,30歳以上の回答者は19.3歳という形で,回答者の年齢が高いほど少し遠目にというか,若い方に押しやっているという結果が見られました。  結果は以上ですが,これらをまとめてみますと,この簡単な調査を通して一つ示唆されることとしては,18歳,20歳,22歳,28歳,30歳という節目を迎えながら,人は大人の要件となる種々の能力を身に付けていく,ととらえられているのではないかと思います。  ヒアリング項目である「成年を引き下げることについてはどう思うか。」という質問については,18歳と20歳というのは,結婚,投票権,それから契約の節目とみなされているということが分かりました。また,大人になるということに関して,高校生にインタビューしたときには否定的だったわけですが,大学生以上の回答者に尋ねてみたところ,それほど18歳に対しても否定的な回答はなかったということがあります。結婚は比較的若くてもよくて,投票もそうです。それから,契約については,もう少し遅目の節目だったので,期待に沿って能力を身に付けていくということを考えるのであれば,例えば結婚とか投票権は先に,契約については後にといったことでもいいのかもしれないと思います。  「先進国の状況,少子化にかんがみると18歳成年はどうか。」という御質問については,問題も構造も異なる諸外国と一致させる必要はないのではないかと思います。ただ,ライフスクリプトについて諸外国で行われている研究を最後のページに載せておりますので御覧ください。このグラフは,縦軸に年齢が書かれていて,横軸に入学とか恋愛とか家を出るとか就職とかという項目がありまして,1983年のフライさんの研究や1992年のビアルさんの研究と一緒に本研究の結果をプロットしてみたものなのですが,諸外国と本調査の結果は余り変わらなくて,この辺は生物学的に規定されている部分もあるのかななどと思ったりしています。  もとに戻りまして,構造も異なる諸外国と合わせる必要はないのではないか。むしろ,少子化の時代で,本当に子どもは一人たりとも失うことはできないという時代ですから,成年年齢を下げたとしても,子どもの不利にならないようにするということが,まず一番に考えなくてはならないことではないかと思います。  最後の御質問である「法教育その他の教育を小,中,高でどうするか。」ということですが,確かにいろいろと教えていかなくてはいけないかもしれないけれども,それだけでなく,各省連携した子どもを主体とした福祉の充実ということをしていかなくてはいけないのではないかと思うのです。場合によっては生活する環境を子ども自身が選べるように,例えば私たちが高齢者になって,もう自分の子どもには頼れないななどと思ったら,ではおばあちゃんは高齢者ホームに行くよと言ってどこか高齢者ホームを選んでいくといったことが,私たちにとっては可能なのです。でも,子どもにとっては,親が自分にご飯をつくってくれないとか,医者に連れていってくれないからといって,こういう家は見捨てて子どもホームに入るといったことはいえないわけです。そういうことを考えますと,先ほど水谷先生が言われたように,3割,あるいは7割ぐらいのお子さんがそういう状況にある可能性もあるわけで,子ども自身が生活できる環境を選択できるようなケアまでを文科省,厚労省,法務省の連携で実現していかないと,本当の成年年齢の引下げにはならないのではないかと思っております。  以上です。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。  お招きいたしました3人の先生方から,大変貴重で有益な御意見をお述べいただきました。  これからの時間は,委員・幹事の方々から各先生方への御質問等をお伺いしたいと思います。 ○松尾関係官 最初に正高参考人にお尋ねしたいと思います。ある分野である事象について研究が非常に進んだというお話を伺いますと,まず浮かぶ素朴な疑問は,その事象自体が新しいものなのか,それともそれは昔からそうであったのかということです。発達障害について6パーセント前後という数字をお挙げになりましたが,例えば50年前にさかのぼっても発達障害児は6パーセント前後存在したのにそれに対する注意が払われていなかったということなのでしょうか,それともその後の日本社会の激しい変動,水谷参考人が描写されましたような変動によって引き起こされて,発達障害の問題が大きな重要な課題になってきたと見るべきなのでしょうか。今はちょっと極端に二つに分けましたけれども,どちらが実態に近いと考えるべきでしょうか。 ○正高参考人 遺伝的な素因があるわけでして,遺伝子頻度ということから考えますと,人間は寿命が長いですから,半世紀ぐらいの短期間,相対的に短い期間でそれほど遺伝子の頻度が全ポピュレーションの中で大きく変化するとは考えられませんから,少なくとも100年,200年というスパンで見た限りに関しましては,昔からこれぐらいの高い潜在的な障害が存在したのだろうと考えられています。ただ,それが環境の中で顕在化することがなかったということだと思います。 ○鎌田部会長 それでは,今田委員。 ○今田委員 正高先生にお伺いしたいのですが,健常児と問題の人との脳の違いという形で示されているのですけれども,実際にはそういう1かゼロかの違いではなくて,非常に連続的な大きな分布があって,その中にすべての人がずっと当てはめられていくという理解でよろしいのでしょうか。 ○正高参考人 おっしゃるとおりです。障害というのは,現在はスペクトラム構造をなしているといったことを言います。つまり,1,ゼロでは全くなくて,連続的に変化して,例えば高機能自閉症といっても,その症状・障害の程度は個人によって千差万別と考えられています。  それにも根拠があります。一昔前,自閉症の遺伝子というものを特定しようというので膨大な予算がつきましたが,結局のところ失敗しました。そういう自閉症のための遺伝情報の欠損などというものはなかなか単純には同定できません。一昔前,ADHDを起こしている遺伝子の欠損というのが報告されましたけれども,それもどうも怪しいということになっています。現在一番よく進んでいる研究は,ADHDについてカナダのトロントのグループが調べていますが,それは何とベンチャー企業がやっているのですけれども,膨大な量のいわゆるADHDと呼ばれる人たちから血液を採取しているのですけれども,候補遺伝子が大体30から40,ADHDですら,ですから非常に単純明快な症例なのですけれども,30から40の候補遺伝子が関与していると考えられています。もちろん,ADHDと呼ばれている人の中には,その30から40ある遺伝子のどれか幾つかの関連遺伝子に障害があるから発症するわけでありまして,その組み合わせと,それからその多様性というものに関しては,これはADHDをもってしても天文学的な数字になると考えられます。というのは,まず30から40の遺伝子のどれが発症しているか,発症していないかという問題がありますし,遺伝子同士の相互作用というのがあります。遺伝子は遺伝子ネットワークというものを形成すると考えられていますから,そのように考えていくと,もう無数のADHDの症状を持った人がいる。  だから,ADHDとか自閉症とか,それからいわゆるLDとかと我々が名付けているのは,非常にオーバーシンプリファイした単純なレッテルにすぎなくて,それは医者が自分たちの,あるいは我々が便宜上呼んでいるものであって,そう呼んだって御本人にとっては何の得にもならないし,何の症状改善の役にも立たないということなのです。そこが非常に我々の研究及び療育の難しいところで,御本人にとって一番大事なのは,まず本人を丁寧に診て,その方のいろいろな認知能力を評価した上で,どこに問題があるのかという中で一番その人が困っているところをまずケアするという態度をとらなければいけない。先ほど説明の中で使った図は,あくまでも単純明解に話をするための一緒のプロパガンダ的なポスターだと御理解いただければ有り難いと思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでございましょうか。 ○山下幹事 水谷参考人にお伺いしたいのですが,先生の今日のお話ですと,非常に自己否定の強い若者が最近増えているというお話でしたが,自己否定を緩和するというか,自己肯定的な感情を若者たちに持たせるという意味でどういった点が重要なのでしょうか。例えば,この審議会では,働いて自分でお金を稼いで,それを自由に使えるというのは,一つの大人のメルクマールであるといった話がありましたが,働くということが一つの自己肯定的な感情につながるようなケースというのはないのかといった点を中心にちょっとお伺いしたいと思います。 ○水谷参考人 あると思います。特にリストカットしている20代から上の子というのは,リストカットとか心の病の原因というのは,僕の分析では四つしかないんです。1番目は,親の過剰期待,実は東大とか優秀な受験校で非常にリストカッターが多い。2番目が親の虐待。大体父親から性的虐待を受けた子は,陰部あるいは首まで切っており,助けるのが非常に難しいケースです。3番目がいじめや対教師,仲間との関係の悪化等の学校での諸問題。4番目がいじめ,レイプ,猛烈な暴力のPTSDと,後遺症的なケース。このケースで20代以上で,特にひきこもり等が絡んでいるケースは,僕自身が上智,カトリックの出ですし,あと宗教界に今お寺とか神社をあけてほしいと,「良寛さんのいる寺づくりプラン」というのを6年前からやっているのですけれども,そういう宗教的な団体が老人ホーム等を持っているものですから,そこにアルバイトかパートで入れていくのです。その中でありがとうと言われたり,あるいはお年寄りのためになったということがものすごく生きる力につながってくる。やはり自己評価が自己肯定感になっていく。それは一つの方法論であると思いますし,僕自身が相当使っています。  ただ,付け加えさせていただきますと,非常に困ったことに,病んだ子が一番なりたい職業の1位がカウンセラーです。自分が悩んでいたから,将来悩んでいる子を治したい。僕の勤務している花園大学に臨床心理学科があります。あと立正の大学院でも2年ぐらい教えていたのですが,半分ぐらいの子は,自分がPTSDを持っている。だから,結局クライアントと自己同一性でお互いにつぶれていくというケースがすごく出てくる。2番目が看護師です。3番目が保育士,4番目が養護教諭となっています。ちなみに,僕の分析では,リストカッターの大体95パーセントが女の子です。男の子は5パーセント程度。男の子は爆発するか我慢ができます。女の子の場合に,抱え込んでいくので切っていく。そのかわり,男の子のリストカッターや病んでいる子は重いです。非常に病んで壊れてから切ってくるので,どうしようもない状況になります。  ただ,リストカットの場合でも治療し得るのは,オーバードーズをしていないケースです。精神科を回りながら何十錠と飲んでいったケースでは,医者の言うとおり精神科薬を飲んでいる分には何の問題もないのですが,数十倍,数十錠単位で飲めば,それ自体がドラッグですから,脳を変えていってしまう。正に正高先生の専門の部分で,そこで別人格になってきますから,もうそのケースはどうしようもない。僕が死なれた56名にすべて共通していることは,オーバードーズをやっています。オーバードーズをやらない子はそう簡単には死にません。ただ,厚労省が今動いていまして,オーバードーズは多分あと1,2年でできなくなります。実はオーバードーズは先進国の中では日本だけの問題です。どうしてかと申しますと,アメリカは,いわゆる主治医制度というのがあって,精神科の医師は1か所にしか掛かることができず,ほかへ行くときには紹介状がなければ移動できないのです。ヨーロッパでは,投薬カルテというカードがありまして,リアルタイムでそれが反映されますから,絶対オーバードーズはできない。今そのヨーロッパ的なものを,実は日本も,保険料の支払いがあるから,データとしてはもう蓄積しているのです。どの人にどの薬局でどれだけの薬を投薬したか,それをリアルタイムにすることによってオーバードーズを防ごうということが国のお金も無駄遣いしなくていいしというので,もうちょっとでできると思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○氷海委員 正高先生に伺います。私は学校に今いるのですが,中学生,高校生がゲームに没頭しておりますが,ゲームが与える脳に対する影響が性格,人格に及んでくるのかなという心配をしているんですが,その辺,先生の専門で何かお分かりの点はありますか。 ○正高参考人 ありません。昔からテレビを見せ過ぎたら子どもが駄目になるのではないかとか,ゲームをやり過ぎたら駄目になるのではないかと言われますが,本当に実証的に説得性をもってそういうことを検証した調査は今のところないと思います。ですから,ないとしか言えませんが,普通に考えて,ゲームばかりしていていいわけがないというのが私の個人的な感想です。 ○氷海委員 全く同じ感想は学校でも持っているのですが,実証は今のところないということで,ありがとうございました。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○始関委員 正高参考人に伺いたいのですけれども,先ほど松尾関係官の御質問に対して,そういう障害というのは昔から大体同じぐらいの比率で存在し,それが現在になって顕在化するようになったのだというお話でございますが,そういう昔からこれだけの比率があって,これからもそうすると6パーセントから10パーセントぐらいの方に障害があるということになるわけでしょうけれども,そうなりますと,今問題となっている成年年齢を引き下げることとその障害が増えるとか減るとかというのは余り関係がないのかなという気もしたのですけれども,成年年齢をどうするかという問題と先生がお話しいただいた障害の問題というのはどのようにリンケージしてくるのかということについて,もう少し教えていただければ有り難いのですが。 ○正高参考人 環境が変わってきたがために顕在化してきたということは,簡単に言うと,多くの人にとって非常に生きづらい世の中になってきたということです。ですから,その生きづらい世の中になっている以上,生きる上で大きな困難を抱えている者に対して,何らかの形で生きやすいようにシステムを変えるということが必要だと思うのです。先ほど言ったように,例えば試験をするときに受験の時間を長くするというのは一つの方法だと思うのです。あるいは,現金でのやり取りでない,カードだけでのやり取りというのが起きてくるときに,当然ながら非常にとんでもないお金の使い方をするようなことが出てくる。それに対して一体どういう教育をするのか,あるいはどういう補償をするのかということをきちんとしておいてあげないと,非常に世の中に対してフラストレイティブになってくるのですけれども,結局のところ20歳から18歳に下げるというのは,それが非常に激化することにつながると思うのです。  現に,例えば,先ほどの調査で驚いたのは,出てきた大学が早稲田とか慶応とか,偏差値のすごい高い大学で,私たちの接しているところは地獄のようなところなのですけれども,そういう偏差値なしでも入れるという大学が今世の中にはたくさんあり,大学に入って通分を勉強するという大学が現に存在するのです。親御さんからすると,通分を教えてくれるほうが有り難い。つまらないことを大学で教えるよりは,そういう生活に密着したことを教えてくれるほうが有り難いという大学が現に存在するわけでして,今までそれこそ通分もできずに大学に入った人がいて,これからはその人があなたはもう成人ですと言われるわけです。そこをどうするかという問題だと思うのです。それは20歳でも18歳でも大して変わらないではないかとおっしゃられれば,僕はそのとおりだし,それほど僕は18歳にすることに対して否定的でもないのですが,でもやはりその20歳,18歳の2年間というのはかなり大きいと僕は思います。そこの部分で非常にいろいろなトラブルが起きて,その結果として,それこそいわゆるマスコミ的に言うと,キレるというような行動が起きるケースは多いと思います。 ○大村委員 今の御質問とお答えの続きなのですけれども,20歳を18歳に下げることが一定の意味を持つのではないかというお話だったかと思いますけれども,今日お話を伺いました仲委員のお話ですと,18歳,20歳のほかに22歳というのがライフイベントとして重要なことが起こる年だということだったと思いますけれども,正高先生のお話から推察すると,では現状よりも22歳に成年年齢を上げたほうが,社会的な効果としてはよい効果が出るということも言えるのでしょうか。 ○正高参考人 とにかくやらなければいけないことは,年齢を上げる,下げるということよりも,10パーセントもいる社会的な弱者をまずどうするのかということが僕は一番先決問題で,これは実は大変な問題だと思うのです。ただ,これに本当にお金を使うと,ものすごいお金になると思うのです。でも,イギリスなどの例を見たら法律がそのようになっているということから考えたら,今の障害者自立支援法といった,多分全くどうということのないような理念だけの法律よりは,もうちょっとそれをきちんと充実させて,本当の意味で障害者の方がきちんとできるように,そういうきちんとしたソフトウェアとハードウェアを作るということが一番大事ですよというのが私の言いたいことです。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○松尾関係官 仲委員のお話の中で,子どもが一番という話がありました。そのお気持ちは,私は十分理解できるつもりでおります。ただ,今の日本の社会を客観的な目で眺めますと,外国と比べておかしい事象は幾つか見つかります。その一つは,電車に乗って席が空いているとき,子ども連れのお母さんが乗ってきたときにどっちが座るかといえば,子どもが座ってしまうのです。これはヨーロッパあたりでは恐らくあり得ない事象ではないかと思うのです。そういうことを見ていると,子どもが一番という考え方は,もし誤解されれば一種の危険思想になるのではないかという気がいたしましたが,いかがでしょうか。 ○仲委員 確かに,社会に受け入れられるしつけをするというのは正に教育の一つで,そういう教育が与えられないというのがネグレクトなどの虐待といったことにもつながるのではないかと思います。ですから,子どもが一番というのは,子どもを甘やかすということではありません。確かに,子どもさんが先に座ってしまうという電車の風景もありますけれども,必ずしもそうではないところもありまして,例えば長崎の市電に乗ったら小学生がすぐに立って大人に座らせてくれるとかいった風景もありますので,そういう価値観を再確認する必要はあります。子どもを大切にするという国は,子どもにし放題させるということではない,そこの基本は押さえておかなくてはいけないというのはそのとおりだと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。  大変興味深いお話で,まだまだ議論したいことが多いのですけれども,予定の時間を大分超過してしまっておりますので,このあたりにしたいと思いますが,よろしゅうございますか。  正高参考人,水谷参考人,仲委員,本日はどうもありがとうございました。  最後に,事務当局に次回の議事日程等について説明してもらいます。 ○佐藤幹事 次回の議事日程について御連絡いたします。   次回の日程は,日時,平成20年9月9日火曜日,午後1時30分から午後4時30分までで,場所は法曹会館2階高砂の間で行う予定です。本日とは場所が変わり,第3回会議を行った場所で行いますので,お間違えのないようにお気をつけください。   次回は,親権関係のヒアリングを実施したいと考えておりまして,日本弁護士連合会家事法制委員会副委員長の遠山信一郎先生,山梨県児童養護施設山梨立正光生園統括施設長兼山梨県立大学教授の加賀美尤祥先生,東北大学法学部准教授久保野恵美子先生の3名からヒアリングをさせていただきたいと考えております。 ○鎌田部会長 それでは,法制審議会民法成年年齢部会第6回会議を閉会にさせていただきます。  本日は長時間にわたり御熱心な御審議を賜りまして,誠にありがとうございました。 -了-