法制審議会民法成年年齢部会           第7回会議 議事録 第1 日 時  平成20年9月9日(火) 自 午後1時30分                      至 午後4時35分 第2 場 所  法曹会館 高砂の間 第3 議 題  民法の成年年齢の引下げの当否について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○鎌田部会長 それでは,予定した時刻がまいりましたので,法制審議会民法成年年齢部会の第7回会議を開催いたします。    (幹事の異動紹介につき省略) ○鎌田部会長 それでは,本日予定していた議事に入ります。   まず,事務当局から配布されている資料の説明をしてもらいます。 ○佐藤幹事 それでは,事務当局から配布させていただきました資料について御説明させていただきます。   第7回会議のために配布させていただきました資料の目録は,先日送付させていただきました資料目録のとおりでございます。部会資料といたしましては,資料番号27-1と2,28から30がございます。   参考資料といたしましては,資料番号17-1から8まで,18-1から3までと19がございます。   まず部会資料について御説明いたします。   資料番号27は,「ヒアリングをさせていただきたい事項」と題するものでございます。資料番号27-1が本日ヒアリングにお招きいたしました遠山先生及び加賀美先生に対する質問でございます。資料番号27-2が同じくヒアリングにお招きいたしました久保野先生に対する質問でございます。ヒアリングをさせていただく方に応じて質問事項を変えてございます。なお,資料番号27-1と2は,資料番号7の「ヒアリングをさせていただきたい事項(共通編)」とともに,ヒアリングをさせていただきます先生方にあらかじめお渡ししてございます。   資料番号28は,本日ヒアリングにお招きいたしました遠山先生からちょうだいいたしました「意見陳述(骨子)」と題する資料でございます。   資料番号29は,同じく本日ヒアリングにお招きいたしました加賀美先生からちょうだいいたしました「社会的養護を必要とする子ども家庭の現状と課題」と題する資料でございます。   資料番号30は,同じく本日ヒアリングにお招きいたしました久保野先生からちょうだいいたしました「親権」と題する資料でございます。   この資料番号28から30につきましては,参考人の先生方の発表の際に使われるものでございます。   続きまして,参考資料について御説明いたします。   参考資料17は,いずれも本日ヒアリングにお招きいたしました遠山先生からちょうだいいたしました資料でございます。17-1が「座談会「親権法改正に向けて-論点整理と法改正の展望」」と題するもの,17-2が「養育費支払に関するアンケート」を抜粋したもの,17-3が「養育費支払の実情について」と題するもの,17-4が「養育費支払確保のための意見書」と題するもの,17-5が「児童虐待と親権」と題するもの,17-6が「少年非行等の概要(平成20年上半期)」と題するもの,17-7が「児童虐待の実態-東京の児童相談所の事例に見る-」と題するもの,17-8が「児童の権利に関する条約」でございます。   参考資料18は,いずれも本日ヒアリングにお招きいたしました久保野先生からちょうだいいたしました資料でございます。18-1が「虐待に関わる要因と親に対する介入・治療」と題するもの,18-2が「被虐待児救出の流れ」と題するもの,18-3が「親が適切に対応しないときの対応についての英・仏・日の比較」と題するものでございます。これらの資料は,参考人の先生方の発表の際に参考資料として使用されるものでございます。   参考資料19は,事務当局におきまして作成いたしました「諸外国における成年年齢等の調査結果」と題する書面です。第1回の部会におきまして,参考資料3といたしまして,「近年成年年齢の引下げを行った国」という題名の資料につきまして,平成14年に行いました成年年齢についての調査結果をまとめたものであると御説明をいたしましたが,その際,その資料につきましては,成年年齢の引下げを行った理由等が必ずしも十分ではなく,再度調査を進めているところであると御説明いたしました。各国からの回答が遅れるなどしたため,部会における御報告が遅くなりましたが,これまで判明した調査結果をまとめましたので,参考資料19として御報告いたします。   この参考資料には,59か国についての調査結果を記載しており,五十音順に並べてございます。このうち54か国につきましては,法務省から外務省を通じて,在外の日本大使館に対しまして,成年年齢や養親,婚姻年齢が何歳であるか,成年年齢を引き下げたことがあるのか,成年年齢を定めた理由などについての調査を依頼し,その結果を記載したものでございます。オーストラリア,カナダ,シンガポール,ニュージーランド,メキシコの5か国につきましては,事務当局の担当者が直接訪問し,当該各国の関係者などと面談して調査してまいりましたので,その結果を記載しております。   以上の結果をまとめたものが,参考資料19の表でございます。この表の一番左側の列に国名が記載してございまして,次の列に私法上の成年年齢を記載してございます。次の列に養親となれる者の年齢,次の列に婚姻適齢,続いて選挙権年齢,成年年齢の変更したことがあるか,ある場合における変更した年,その次の列に変更前の成年年齢,一番右の列に成年年齢を定めた理由あるいは成年年齢を変更した理由を記載してございます。なお,国名を赤で書いております国は,今回行った調査に回答がなかった国でございまして,このうち平成14年の調査時に回答があったものにつきましては,判明しているデータを記載してございます。また,今回の調査及び平成14年の調査時にいずれも回答がなかった項目につきましては,N/Aと記載してございます。   この表のうちの主だった国について御説明いたします。まず1枚目の上から三つ目がアメリカ合衆国です。アメリカ合衆国は,州ごとに制度が異なっておりますので,各州ごとに調査を依頼いたしましたところ,40州から回答をいただきました。私法上の成年年齢については37州で18歳,2州で19歳,1州で21歳ということでございました。成年年齢を引き下げた理由につきましては各州で異なり,主なものを御紹介させていただきたいと存じますが,ワシントンDC,ニューヨーク,ヒューストンなどからの回答では,ベトナム戦争との関係が指摘されております。すなわちアメリカでは,徴兵年齢が18歳とされておりましたが,1960年代に多くの若いアメリカ人兵士がベトナム戦争に派兵されていたことから,徴兵されるのに十分な年齢である者は,政治に意見を述べることが認められるべきだという議論が高まり,選挙権年齢が引き下げられ,この社会的な流れを受けて成年年齢の引下げが行われました。また,ミシガン州では21歳未満の者の多くが有給雇用され,家屋を所持することになった結果,契約締結等における混乱を招いたこと,18歳以上20歳以下の年代の者に大人としての各種機会,権利及び責任を認めるべきとの社会的風潮が高まったことなどが引下げの理由であるとされています。   続きまして,二つ下のイギリスを見ていただきたいと思います。イギリスの成年年齢も1969年に21歳から18歳に引き下げられましたが,その理由としましては,時代とともに若年層の成熟化が進んでいること,18歳までにほとんどの者は権利と義務を享受する準備ができており,コミュニティー全体も若年層の参加により,大いに利益を受けるであろうことなどが考慮されたとされております。   なお,イギリスやアメリカなどコモン・ロー諸国では,伝統的に成年年齢は21歳とされておりましたが,これは13世紀に騎馬兵隊が一般的となり,騎馬用の重い防具を身に付けつつ,乗馬して戦うことのできる年齢として決められたと言われております。   1枚めくっていただきまして,2枚目の上から五つ目のオーストラリアにつきまして御説明いたします。オーストラリアも歴史的には成年年齢が21歳とされておりましたが,1970年代に各州の成年年齢が18歳に引き下げられました。引下げの理由といたしましては,やはりベトナム戦争における若年者の派兵が大きく影響しているようですが,選挙権年齢を引き下げた法案審議の際には,現在の18歳は知識面,肉体面,社会面,経済面において,一世代前の21歳と同じくらいに成熟し,政治的な面での知識も有していることなどが指摘されたそうであります。   その二つ下のカナダにおきましては,成年年齢は19歳が4州と3準州,18歳が6州となっておりますが,19歳の州における理由としては,若年者が家を出る年齢や消費取引を始める年齢等についての社会的な認識に基づくものとのことであり,高校を終えている必要があるということで19歳にしたのではないかとのことであります。18歳の州における理由としては,ヨーロッパの多くの国が18歳としていること,派兵年齢が18歳であり,これに選挙権年齢,成年年齢を合わせたとのことです。   もう1枚めくっていただきまして,3枚目のやや下の欄にある大韓民国を見ていただきたいと思います。韓国につきましては,選挙年齢は近年19歳に引き下げられましたが,成年年齢は20歳とされています。成年年齢が20歳と定められている理由は,肉体的,精神的能力及び社会,経済事情等を総合的に検討して,20歳が適当と考えられたのではないかとされております。なお,韓国では現在,成年年齢を19歳に引き下げる法案が国会に提出されているところですが,その提出理由といたしましては,青少年の自然的な精神能力の向上や早熟現象,世界的な趨勢を反映する必要があるためと説明されています。   1枚めくっていただきまして,4枚目の冒頭にあるドイツを見ていただきたいと思います。ドイツにおきましては,1974年に21歳から18歳に成年年齢は引き下げられましたが,その理由としましては,当時法律上の多くの領域で18歳以上の者に,成人とほぼ同様の義務と責任が負わされているから,それに応じた権利を認めるべきであるという点にあったとされております。   二つ下にニュージーランドがございます。ニュージーランドは成年年齢法により,成年年齢が日本と同様20歳と定められており,第1回の部会で配布いたしました国立国会図書館が作成した資料にもそのように記載されておりますが,今回の調査の結果,契約や選挙年齢等につきましては,特別法により18歳から可能とされており,成年年齢法が適用される場面は少ないということで,実質的には成年年齢は18歳と考えられるようでございます。なお,選挙年齢につきましては,1969年に21歳から20歳に,1974年に20歳から18歳に引き下げられておりますが,これは大学教育など高等教育の普及や,ベトナム戦争に18歳以上の若者が派兵されていたことが影響していると説明されています。   次に,同じページの一番下のフランスを御覧ください。フランスでは,1974年に選挙権年齢とともに成年年齢が21歳から18歳に引き下げられておりますが,その理由としましては,国の次代を担う若者に,自己の政治的欲求に充足感を与えることにより,政治における責任感を醸成する必要があること,当時の若年者の成熟度の増大,中等・高等教育の普及,各種メディアによる情報の多様化,大量化等が挙げられています。   以上,主な国の成年年齢及び成年年齢を引き下げた理由について御説明させていただきましたが,養親となれる者の年齢や婚姻適齢,さらにはその他の国の年齢条項の状況につきましても調査いたしましたので,適宜御参照いただければと思います。   以上,配布させていただきました資料について御説明させていただきました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   ただ今説明のありました参考資料19の「諸外国における成年年齢等の調査結果」につきまして,御質問があれば今お伺いしたいと思いますが,いかがでございましょうか。   御質問がなければ,本日予定をしておりましたヒアリングに入りたいと思います。   本日は,親権関係のヒアリングを実施したいと考えておりまして,日本弁護士連合会家事法制委員会副委員長の遠山信一郎先生,山梨県児童養護施設山梨立正光生園統括施設長兼山梨県立大学教授の加賀美尤祥先生,東北大学法学部准教授の久保野恵美子先生の3名からヒアリングをさせていただきたいと思います。   これから3名の方に民法の成年年齢の引下げに関する御意見をお述べいただきまして,その後に質疑応答することを予定いたしております。御意見をお述べいただきます順番といたしましては,遠山参考人,加賀美参考人,久保野参考人の順で,3名の発表が終了しました後に一括して質疑応答をすることとしたいと思いますが,よろしいでしょうか。   それでは,遠山参考人,よろしくお願いいたします。 ○遠山参考人 遠山でございます。私の肩書きに日弁連がついておりますが,私の個人意見ということで,述べさせていただきます。お手元の部会資料28に基づきまして,御説明させていただきます。そちらを御覧になりながら聞いていただければと思います。   まず,第1は,親権の本質は,親が子に対して負担する「子の最善の利益」を実現する債務,責任であると考えるというのが出発点です。子どもの権利主体性ということをうたい上げております。この辺の学理的な問題は久保野先生から後で詳しく御説明していただけるのではないかと思っております。そうしますと,成年年齢の引下げは,親の上記債務履行期間・責任期間の終期の繰上げであると考えたときに,その影響については,多角的な検討を要するのではないかと思います。   例えば,日本の離婚後の単独親権制度の下では,離婚時に親権の帰属の争い,つまり子の奪い合いという問題が起こります。この点については,その紛争から子どもが解放される時期が繰り上がるというメリットがあるかもしれないと考えております。この共同親権の問題につきましては,参考資料17-1で,各国の比較を研究者と実務家が議論をしており,ここでは,世界的趨勢は離婚後は共同親権,我が国は単独親権ということを想定しながら,その紛争のありようを議論しておりますので,資料としてつけさせていただきました。   他方,親権の終期の繰上げというのは,離婚後の養育費の支払いの終期の繰上げということになって,子どもの大学進学の機会を狭めるのではないかという懸念が生ずるということでございます。これについては,例えば協議離婚とか裁判離婚とか調停離婚で,大体どれぐらいの年齢までが養育費の支払いの終期かということについては,少し古いですが,有意性がある資料なので,参考資料17-2をつけさせていただきました。   この資料のいいところは,調停離婚だけではなくて,協議離婚における養育費の終期にもアンケートをとってありまして,20歳までが59パーセント,18歳までというのが28パーセント,22歳までが8パーセントということで,どうも主流は20歳らしいということがここでうかがわれます。そうしますと,もし,成年年齢を18歳に引き下げるということになりますと,養育費の要するにグロスの支払い金額が減ってしまうという懸念が生ずる。それが一体何を引き起こすかというと,離婚後のひとり親家庭の困窮化,それからワーキング・プア問題,所得格差と貧困の連鎖ということの深刻さの要因の一つとなる可能性があるのではないかと考えております。   さらに厄介なのは,これは専門家でいらっしゃる加賀美先生の領域かと思いますが,児童虐待と実は多少リンクするところが,嫌な感じがするのですね。平成13年とちょっと古いのですが,参考資料17-7をつけさせていただきました。 その資料の第3章「虐待を行った保護者等の要因」を見ると, 虐待を行った者は,実母が59パーセントと最も多いことが分かります。さらに,この資料の第4章(1)を見ていただくと分かるように,虐待が行われた家庭の特徴として,ひとり親家庭というのが30パーセントあるという統計が出ていて,虐待につながる家庭の状況として,経済的な困難,ひとり親家庭などという原因が挙がっています。どうも貧困が一番の病根なのだけれども,それとひとり親家庭ということと,それと虐待をするのがお母さんということを考えると,養育費がだんだん細くなってくるということが,実は児童虐待についても悪い影響を与えているのではないか,ということを実務家的な発想で懸念しております。   養育費が支払い総額として減っていくのではないかという懸念をずっと追っていくと,今のような関連性が出てきます。ただし,だからといって,成年年齢を18歳に引き下げるのは反対だという意味ではありません。これはもともと貧困問題なので,社会政策とか貧困政策の問題を正面から取り組むべき問題でありまして,たまたまこの18歳に引き下げるということになると,このようなマイナスの波紋が可能性としてあるのではないかという実務家的な発想からの指摘でございます。この問題に対して,それなりの社会的手当てをできるのであれば,それはそれで構わないというふうに思っている次第です。   次に,「大人とは何か」という問題なのですが,これはなかなか質問自体が面白いなと思いました。一応,生計的自立というふうに考えましょうというぐらいに,骨子としては書いておきました。   そこで,若者の非自立性という現状認識を考えていくと,むしろ成人年齢を30歳にしてしまえという議論だってあり得るわけです。ただし,やはり今の現在の高齢社会の担い手としての若者に頑張って自立してほしい,早く大人になってこの社会を支えてほしいという要望からすると,引下げ論に傾くのかなというふうに思っています。私はどちらかというと後者の方の立場で考えてはおります。   3番目に児童虐待の問題でありますが,これは本当に加賀美先生のテリトリーなので,少しだけ実務家的な発想で話をさせていただきます。児童虐待防止法というのはもう公知のことで,18歳未満の者が保護対象になっています。参考資料として,警察庁作成の資料や,東京都の虐待に関する資料等をつけさせていただきましたが,それによると,どうも被害者となる子どもたちは,比率的に言うと低年齢児童が多いかなという流れの中にあると書かれています。ただ,実際の実務家的な発想で考えますと,18歳以上20歳未満の被虐待未成年者にとっては,虐待親からの親権から自動的に解放されるという意味では,成年年齢を引き下げていいかなということを指摘させていただきます。   この点は,加賀美先生にお話ししていただけるのかなと思っているのですが,例えば18歳になると,児童福祉相談所としては原則的には措置解除という形で社会に戻すことになります。そのときに親権者のお父さんが彼女を例えば性的搾取,つまり売春をさせたり性的虐待をしたりするケースがまれなことですけれども実際にあるのです。これは確かにまれなケースかもしれないけれども,社会的な手当てが必要な問題だと考えています。   成年に達すると,自然に親権が消滅してしまうわけですから,虐待親からの解放という意味では,成年年齢を18歳に引き下げるというのは,仮にこの彼女を解放しようと頑張る弁護士団に属していたとしたら,救済活動はやりやすいと思います。ただ,これはあくまで虐待親,つまり子どもにとって親が害悪の場合の話で,子どもにとって親が言わば保護者として害ではない場合,有益な場合はどうかというのとはまた別の議論になるということを付け足しておきたいと思います。   4番目に,グローバリゼーションの話を書いております。先ほどの諸外国における成年年齢等の調査結果を聞いて,確かに国際標準とは言いませんけれども,一つの流れは18歳かなと思いました。   参考資料17-8を御覧いただきたいと思います。これは,「児童の権利に関する条約」を外務省のホームページから引っ張ってきたものです。我が国がこの条約を批准し,承認しているから国内法化していますけれども,このことから即18歳に引き下げるということにはならないとは思いますが,この条約は18歳を基準にしてつくられています。すなわち, 第1条には,「この条約の適用上,児童とは,18歳未満のすべての者をいう」と書かれております。「ただし,当該児童で,その者に適用される法律によりより早く成人に達したものを除く」という留保はありますが,まず18歳というのを大人の一つの年齢的な基準にしているという点では,留意しておいたらどうでしょうかということを,ここではお話をさせていただいて,次に行きます。   質問事項の中に,法教育というのがありました。この法教育って一体何だろうと思うのですが,これは私の記憶だと,2004年の11月に法務省から法教育研究会報告が確か出ているのですね。それをベーシックにして,例えば小学校へ行って裁判官がお話ししてみたりとか,模擬裁判を中学校でやってくるとか,いろいろ実施されております。18歳に成人年齢を下げるということは,社会も国も責任を持って,18歳未満の人たちが十分な大人になるための社会人基礎教育というものをしなくてはいけないということではないかと思っております。   つまり,国家的な教育目標として,18歳を成人年齢にする限りは,責任を持って教育システムを整備して,18歳で十分に大人としての,言わば社会人基礎教育というのを条件整備しなければいけないだろうと考えております。法教育は,社会人基礎教育の一部にすぎないし,法教育だけを取り出して,引下げの当否に絡ませるほど現実的な関連性があるとは思えないというのが,法教育に対する私の認識です。ただ社会人的な基礎教育,大人教育と言ってもいいのかもしれないのですが,この辺はしっかり,国の責務,社会的責務として,18歳とするのであれば,18歳までには標準的な子どもたちはそこに達成できるように,教育制度を整備しなければいけないという問題だと思います。   それから6番目,段階的権利付与は,制度が煩瑣になりますので,経済取引の安定性をすごく害するのではないかと思いますし,本人も混乱するかもしれませんので,反対でございます。   最後に第7というところでは,民法の成年年齢の引下げの当否というのは,いつ,一律に独立の経済主体としての能力,行為能力を付与するのが,社会経済の実態に相応して適当かという国民的コンセンサスが要ると思うのです。だから,少なくとも世論の支持があって初めて成り立つのではないでしょうかということを締め言葉にしてあります。   私の意見は以上です。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。   それでは,次に加賀美参考人,よろしくお願いいたします。 ○加賀美参考人 今日はパワーポイントを使って説明をさせていただきます。   御質問を受けた内容について適切に回答を出すということがなかなかできにくい状況にある立場といいますか,社会的養護を必要とする子どもたちと長いことつき合ってきた中で,施設現場を通じて今日の子ども家庭の問題というようなことを見通しながら,今のこの18歳年齢の問題について私なりの私見を述べさせていただこうということで,今日の子ども家庭の状況を,社会的養護を必要とする子どもたちの問題から,少しお話をさせていただければと思いますので,よろしく御理解いただければと思います。   私が申し上げるまでもなく,今の子ども家庭にまつわる事象については,連日のようにマスメディアを通じて皆さん目にしておられたり,御覧になっておられると思いますが,学校現場でいくと,いじめの問題,いじめによる自殺の問題があります。これはかつて今から十数年前に大河内君事件というのがあって,主任児童委員という制度ができたものであります。それからまたさらに時がめぐって,また同じような問題が出始めて,言ってみれば学校現場におけるいじめ,あるいはいじめによる自殺といったようなものもかなり定着をしている状況かなと思います。それと一方で不登校の問題があります。これも十数万人の小中学生が不登校となっており,もう定着している我が国の状況であります。それと関連するところで,引きこもりやニートの問題,最近ですとネットカフェ難民なんていうことも耳にしておられるだろうと思います。   それから,少年による凶悪事件があります。これも昨今の連続殺人事件というのも,かなり連続した問題としてとらえた方がいいような感じがございます。というのは,いわゆる少年の凶悪事件の背景に家庭の問題があり,家族の問題があるというのは常に言われているし,また,そういう方たちが逮捕されたときの吐露する発言の中に,家族の中での不全状況をみんな話しています。そういったことも,家族の問題というようなものが彼らの事件と深くかかわっているのではないかということが思料できるわけでございます。   神戸少年A,通称酒鬼薔薇事件,あるいは奈良の少年事件などは,特に御記憶があるとは思うのですが,いずれの少年も家族の問題ということは,その後の様々な情報から一般に広く知られているところではあるわけですけれども,彼らが残した言葉をみると,いずれにしても自分自身の現実を全然子ども自身が持っていない,自己感あるいは自尊感といったものが著しく欠落している発言が見られました。神戸少年Aでいうと,生まれてこなければよかったとか,あるいは奈良の少年は,もう一度人生をやり直したいというようなことをリセットという言葉で彼は表現しているようですが,そんな言葉が残っております。   それから,家庭内子ども虐待,あるいはこれはDVも同じ俎上で考えられる問題でありますけれども,こういった事象も連日のように,これもマスメディア等を通じて皆さんよく御覧になっているとおりでございます。   こういう状況を見るにつけ,私が長いことかかわりを持ってきました社会的養護を必要とする子どもたち,具体的に言うと,私が直接かかわっているのは,先ほど御紹介いただきましたように,私が今いる児童養護施設は,全国に今約560施設ほどございまして,3万3,000名ほどの定員のところに,入所がおおむね90パーセントを少し超えたところで推移しております。90パーセントを超える状態というのは,ほとんど満床状態であります。これは平均値ですから,都会の施設等ですと入所の定員をオーバーして預からざるを得ないような施設もたくさん出てきております。東京あるいは神奈川といったようなところが,かなり深刻な状況であります。   それから,その子どもたちの問題から常に見えてくるところは,いわゆる社会的養護を必要とする子どもたちは,その時代の社会を象徴するというか,反映をしているといわれております。そういった視点から私のお話を進めさせていただきたいというふうに思っております。   まず,私が所属している児童養護施設でございますけれども,児童養護施設というのは,戦争で親を失った子どもたちの受け皿として,昭和20年にいわゆる孤児対策として始まったものです。1945年から1960年代ぐらいまでが戦争孤児の保護の時代でございました。その子どもたちの問題が終了したところが,第一の戦後のステップだったといいますか,その子どもたちが社会に出たころ,いわゆる高度経済成長期に入ってまいります。   その高度経済成長期で何が起こってきたかと申しますと,急速に家族問題が起こったわけでございます。これはよく御存じのとおり,日本の人口の約半分ぐらいが三大工業地帯,三大都市圏に集結をした時代であります。その集まった子どもたちというのは,とりもなおさず中学生,当時金の卵と言われた,いわゆる工業化を担った子どもたちでありました。その子どもたちが20歳になったころ,15歳でかばん一つを持って都会に出て,北海道の男性と九州の女性が結婚をするというような状況が急速に進行いたしました。いわゆる若年結婚層であります。その結果として,いわゆる核家族,二世代家族というのが出現をして,急速に増加をしていくわけです。いわゆる核家族が家族構造の約3分の2ぐらいを占めるという状況がその当時定着して,今日までずっと連綿として続いております。   核家族が持っている課題というのは,当然のことでありますけれども,子どもの養育について脆弱性が非常に高いことであります。これはもう当たり前でございますけれども,母親が病気になると子どもを見られない。あるいは父親が職を失うと,経済的に成り立たない。そういう状況でありまして,その中で象徴的にその高度経済成長期に出てきたのが,コインロッカーベビー問題でありました。そういう子どもたちの問題が急速に増加して,戦争孤児に代わって児童養護施設等に入所してまいります。   その子どもたちが大体中学生になった1970年代になりますと,いわゆる非行行動を伴った不適応逸脱行動と一般に言われるような行動を伴った子どもたちが急増した時代に入ります。そのような少年少女たちをあらわしたテレビドラマで「積木くずし」というのがございましたが,これは実話に基づいたものだと言われております。   そういう時代から以降,いわゆる子ども,特に中学生を中心とした不適応逸脱行動というようなものがやや一般化をし,そしてそれは,いわゆる社会的養護施設の 中にも,非常に多くそういう子どもたちが入所してくるわけですけれども,そういう子どもたちだけの問題ではなくて,極めて広く一般化をしていったのが次の70年代,80年代の問題であります。先ほど来お話がありました虐待問題がその流れの中で,90年代になって日本では急速に顕在化をしました。   既に欧米,特にアメリカ,イギリス,カナダでは,70年代から虐待問題が顕在化をしておりましたが,我が国では1990年代に急速に虐待問題が顕在化をしました。   あえて顕在化という言葉を申し上げておるわけでございますけれども,部会資料29の6枚目のグラフでございますけれども,今申し上げた虐待問題,虐待の統計をとり始めていたのが1990年代の初めでございますので,それからやや時間がたった平成9年からのものでございます。真ん中のグラフが,児童相談所への虐待の通告相談処理件数,すなわち,虐待通告があって虐待が明らかになり,その子どもを何らかの社会的支援をするという判断をして,そして対応した件数でございます。右肩上がりで急速に伸びてきたのはお分かりいただけるかと思います。平成18年が3万7,000件ぐらいでございますが,平成17年から虐待通告相談の窓口が各市町村の福祉事務所になっており,そちらのほうの数字が4万件ほどございますので,平成17年から一気に7万件ほどとなっており,平成19年度の児童相談所処理件数は,4万を少し超えております。ただ,この数値が多いのかどうかについては,かなり議論のあるところでございまして,米国のそれが年間300万件ほど,イギリスが日本の約10倍ほどでございますので,人口比的に見れば,これは実態をあらわしているのかどうか怪しいのではないかと思います。   同じく部会資料29の6枚目のグラフでございますが,一番上のほうのこの横に長いグラフは,今我が国における社会的養護施設のキャパシティを集計したものでございまして,おおむね5万床ぐらいを少し切っております。一方で,一番下のグラフでございますが,これは虐待を理由に児童福祉施設に入所してきた子どもたちの数でございます。つまり,この一番下のグラフというのは,平成9年からあまり増加をしていないのです。これは当然のことでして,実はもう平成9年ぐらいからかなり満床状態に近くて,空きがないためなのです。したがって,児童相談所虐待相談処理件数は右肩上がりにどんどん伸びていくのですが,入所できない子どもたち,つまり真ん中のグラフと一番下のグラフとの乖離が,言ってみれば入所できなくてもとの家庭に戻している,つまり,虐待があったんだけれども,やむを得ず家庭に戻さざるを得ない子どもたちの数です。これは見守りであるとか,あるいは在宅指導というふうなことで,先ほど御紹介のありました東京都の報告にもその辺の状況は書いてございますので,また御覧いただければと思います。   ということで,この乖離した状況がどんどん開いてきているというのが現実であり,先ほど申し上げたように米国の数値とイギリスの数値等と比較すると,本当にこれが日本の虐待の実態をあらわしているとはいえないのではないかということも付け加えておきたいと思います。   入所率の推移というのは,虐待関係の子どもたちも含めて,乳児院,児童養護施設,情緒障害児短期治療施設等に入所している子どもたちの入所率の推移や,これはだんだん入所してくる数字が,もうほぼパーセンテージとして95パーセントというところに来ていますから,ほぼみんなどこもかなり満床状態になってきているという現実があるということでございます。   部会資料29の9枚目のグラフは,少子化の状況と社会的養護を必要とする子どもを合わせたグラフです。棒線のところは児童人口ですが,昭和60年の児童人口が3,172万人,平成16年が2,164万人であり,約1,000万人ほど減っております。減っているのですが,社会的養護を必要とする子どもの数は,4万人からスタートして,しばらく減少しているのですが,平成16年には,また4万人ほどに増加をしているというような状況なのです。これは何をあらわしているかというと,人口当たりのいわゆる社会的養護を必要とする子どもの数が最初1,000分の1ぐらいだったのが,今500分の1ぐらいになっているということです。定かな数字は記憶しておりませんが,米国は相当ひどい状態で50分の1,スウェーデン,デンマークあたりでも200分の1ぐらいであったと思いますから,日本もそういう状況になりつつあるというふうにいえるのが今日的な状況かなというふうに思っております。   かつて社会的養護を必要とする子どもというのは,社会から見ると特別な子どもたち,例えば戦争で親を失った子どもたちに限定され,一般子育て群とは別のものという状況でした。   ところが,先ほど来申し上げたように,いわゆる高度経済成長期を境に家族問題がかなり急速に進展をしていく中で,この両者がどんどん近寄ってきていて,その重なっている部分,これをグレーゾーンとあえて申し上げているのですが,そのグレーゾーンの群が急速に増大をしているという状況にあるのだというふうに申し上げておきたいと思います。   社会的養護の要養護群と一般子育て群の接近重層化とグレーゾーン群の拡大というふうに,ここで申し上げておるわけでございますが,ここで申し上げるところではないのかもしれませんが,それに対して何が必要かと申しますと,先ほど遠山先生からも,成年年齢を引き下げる際には,それにあわせて子どもを明確に成人に育てるようにしていかなければならないという御発言がありましたが,そういう意味からは,このパラダイム転換というようなことをあえて申し上げているのですが,こういうことが,言ってみれば今一番求められる状況にあるのではないかなというふうなことを申し上げておきたいと思います。これはまた後ほど少しお話をさせていただきます。   さて,虐待という問題でございますが,どういうのを虐待ととらえるかという点について申し上げると,そもそも虐待という言葉を法律用語として使ったことは,これはかなり独善的な発言をするわけですが,あまりいい選択ではなかったというふうに言わざるを得ません。なぜならば,「虐」という字は,虎と爪を合わせた虎の爪そのものでありまして,暴力を象徴する言葉として,古来から使われている言葉でございます。したがって,その虐待というのが暴力を象徴するがゆえに,暴力だけが社会化してしまうという問題が一つあると思います。これについては東京都の報告の中でも,虐待をした親に与えるメッセージというのが語られておりますので,また御覧いただければと思います。   そこで,欧米では何と言うかというと,アメリカではabuse and neglectと言っています。abuseは子どもの濫用。それからneglectはネグレクト,二つの用語で日本の虐待に当たる言葉として説明しているわけです。というよりも,日本がabuse and neglectを虐待というふうにくくってしまったのです。もう一方で,maltreatmentというような言い方,これは不適切な養育ということになります。malというのはtreatmentを否定する言葉でございますので,そういうような言い方もしておりますが,我が国では虐待という言葉でくくっているというところに,虐待の問題が先ほど日本では4万あるいは7万件のオーダーがあるというようなお話をしましたが,米国の数字だとか,イギリスの数字で見ると,大分その開きがあるという現実のことから言っても,この言葉の問題というのはかなり影響があるんだろうと思っています。   虐待が子どもにもたらすものというのは,このabuse and neglectあるいはmaltreatmentというふうな言い方から逆に言うと,養育の不全状態の全般をあらわすというふうにとらえていいと思います。つまり,例えばかつて過保護あるいは過干渉というふうな言葉が強く言われた時代がありましたが,それらも子どもにとってみれば,今日言うこのmaltreatmentに当たるという状況があるわけで,そうすると,少子化の中で子育てをしているという家族の問題を考えると,そこにやはり極端な過保護になったり過干渉になってしまったりという現実が当然にあるのが,一般に広く子育ての状況の中であるだろうと思うのです。それらも含めてこの広く虐待というとらえ方の中で,我々は見なければいけないんだろうと思います。   そうすると,虐待が子どもにもたらすものでございますが,これは虐待が,自分が最も信頼し依存する親から受けるという現実の中にあるものですから,当然,子どもにどんなメッセージを与えるかというと,実は社会的養護を受けている子どもたちの姿から私どもが感じるのは,先ほど冒頭で申し上げたように,自分を大切な存在だと思えない,自分がかけがえのない大切な存在だと思えない,自己感あるいは自尊感を喪失しているという状況に置かれている子どもたちが非常に多くなってきています。   その子どもたちが,当然のように表出する行動表現の典型的なものが自傷行為です。リストカットというのがありますが,あれも自傷行為には違いないのです。それだけではございません。学校で成績を上げるなんていうことに何の希望も持てない子どもたちであるとか,そういったものも含めて,自分は大事な存在ではないというところをあらゆる面で表出します。   それから,そういう自傷行為の反対として,自分を大事な存在と思えない子どもが,隣にいる他者を大事に思えるというはずはないわけでして,他害行為,つまり自傷他害といったことが,極めて深刻に表出されている。その行き先に当然自殺,あるいは他者をあやめるというところまで進展するという子どもたちが出現しても不思議ではないという今の子ども家庭の状況が社会的養護を必要とする子どもたちの姿から見えてくるというふうに申し上げたいと思います。   そのプロセスの中に愛着に課題を持った子どもであるとか,発達障害の子どもの問題が最近急速に顕在化をしているのです。   発達障害の研究家の中には,この障害の問題について,障害そのものが先なのか,虐待が先なのか分からない。つまり,家族の中の不適切な養育,やはり養育不全状況が発達障害をつくっているのかもしれないという発言をされる方もおられました。   つまるところは,この自己感,自尊感を失った子どもたちが当然抱える問題は,他者との関係性に極めて生きづらさを抱えるということです。その子どもたちが当然のようにぶつかるところは,自立への困難性であります。つまり,他者との関係を築くことのできない子どもたちは,社会の中で生きづらさを抱えてしまうということに,結果としてはなっているように思います。したがって,社会的養護を必要とする子どもたちから見えてくる姿は,自立を困難とする子どもの増加という状況だろうというふうに思っております。   今日の18歳年齢のテーマとかかわるところでは,そんな問題があるのかなというふうに思っております。   部会資料29の13枚目は,いわゆる少子化問題に対して我が国がとっている状況と,それから欧米各国のいわゆる出生率と,それから少子化対策に対してのコストの問題とを比較したグラフでございます。日本,韓国等がかなり下のところにあるわけですけれども,北欧諸国,それからフランス,ドイツなどがかなり少子化が改善されてきているというグラフでございます。   課題ということにもなるわけですが,部会資料29の14枚目のグラフをご覧ください。これは,人口問題研究所がそのホームページで出しておりますので,御覧になった方も大勢いらっしゃるかもしれません。我が国の社会保障給付費全般は,2003年のものでございますが,約85兆円ほどでございます。このうち高齢者関係に給付されているものが70パーセントを超えております。児童・家庭の分野に対しては,地を這うようにほとんど変わっておらず,3.6パーセントでございます。高齢者に70パーセントの反面,子ども家庭のところへは3.6パーセントというコストのかけ方の問題ですが,これを欧米と比較したものが右のほうにございます。ドイツ,スウェーデン,フランスと見ますと,おおむね10パーセントほどということになります。これらと比肩して我が国の状況を見ると,アメリカ側が州制をとっているのと,チャリティーの国ということもあって,はっきりした数字は分かりませんが,我が国の子ども家庭へのコスト全般の問題が先ほどの少子化の問題の改善の方向とも絡んできているのか,改善している国は明らかにそこにコストをかけているのです。つまり,次世代育成を現実のものと考えて,次の国づくりというところに子育ての問題を明確にあらわしているのが,この数字なのかなといういうふうに思っております。   ということで,御質問に明確にお答えをするということは,なかなか難しいわけでございますけれども,最初の質問に関しては,先ほど遠山先生からもお話がありましたけれども,実父母による虐待が約80パーセントを占めていると思います。そのうち虐待を受ける子どもたちというのは,おおむね小学低学年齢以下,乳児までがこれもまた60パーセント以上であり,やはり中高生ぐらいの子どもへの虐待というのは,本当に数パーセントということになってしまいますので,それから考えると,この成人年齢を引き下げることで,親権から18歳,19歳の子を解放することによる虐待の問題への寄与度は,極めて限定的なのかなと考えているところです。   それから,諸外国の虐待問題への対応について申し上げると,これはイギリスは日本と同じようでして,行政がまず対応をします。行政といいますと日本では児童相談所が一元的にかかわるというのが原則で,そしてそれを難しいケースについては家庭裁判所の審判を受けるというやり方でございます。アメリカあるいはカナダ等について申し上げると,最初から司法がその裁断をして対応するというふうに,かなり明確に分けている点が目立っております。我が国は,まだその司法の関与の度合いは弱いのかなというふうに思っていまして,難しい案件ですと,現実の社会的養護の現場,児童養護施設などでは,かなりその親との対応に困難を来たすという場面も多々ございます。   それから2番目の質問,大人とは何かということでございますけれども,これは申し上げるまでもなく,私が先ほど来申し上げた,年齢だけの問題ではないというふうに申し上げざるを得ない。つまり,幼少期から養育者との適切な人間関係,これは愛着の形成といったようなことが最も重要な課題になるのかなと。そこがやはり自立と非常につながる問題だろうというふうに思っておりますので,そういう観点から言うと,今の子どもたちの問題は,年齢ということではなくて,やはり基本的な発達課題が達成されているということが一番大事だろうというふうなことで,これもなかなか答えを出しにくい話でありますが,その行動面から言うと,これは関係性という言葉で先ほども申し上げましたけれども,他者との関係をバランスよく形成したり,いわゆるコミュニケーションを主体的に適切にとれるといったようなことがやはり成人であるというふうに,私は判断をせざるを得ないと思っています。   3番目の質問,契約を18歳,19歳の若年者にさせることにつきましては,先ほども申し上げましたように,大変自立の困難な子どもたちが全体として増えてきているように思っていますので,親の監護権を外れた成年たちによる契約行為ということに関して言うと,かなりいろいろな契約行為に破綻をした結果としての様々な問題が現出してくるのではないかというおそれを持っております。   4番目の質問,結婚に関しては,これも他者との関係性に著しく生きづらさを抱える子どもたちが増えている というふうに申し上げました。そういう成年たちが増加をしている現在,結婚という他者との関係を濃密に形成して,しかも子育てをしていくという状況を考えると,これにもかなり危機感を持たざるを得ないというふうに申し上げておきたいと思います。   5番目の質問,諸外国では成年年齢を18歳にしている国も多いがどうかという質問についてですが,我が国の子ども家庭の実態というようなことで考えると,高度経済成長期以降,これは各国状況も似てはいるのですが,特に我が国は,いわゆる高学歴化というふうなところと,子育ての私化ということが,同時並行的に急速に進んできた。そういう中で,家族の中で,自分の子どもは狭い家族の中で責任を持って育てるという責任を家族に急速に持たせてしまった。つまり,子育てというのは,次世代育成ということから考えれば,もっと社会化をしないといけないことだろうと思うのですが,高度経済成長期以降の状況から言うと,子育ての私化が急速に進んできている状況の中で,この虐待問題も急速に現出している我が国のやや特殊事情があるかなと思うのです。そういう意味では,その適切な対人関係を含めての社会参加ということを考えると,なかなかこれは難しい課題なのかなというふうに思っております。   6番目の法教育の問題ですが,これは私の専門ではございませんが,先ほど来申し上げたとおり,これは法教育レベルの問題ではなくて,子育ての新しいパラダイムを我が国は構築しないと,この子どもたちの育ちの問題がなかなか回復できないのではないかなというふうに思っています。重層的な社会的子育て支援システムといったものを新しくつくっていくことが望まれるのではないかなというふうに思っております。   私の発表は以上でございます。 ○鎌田部会長 どうもありがとうございました。   それでは,ここで休憩をとりたいと思います。休憩後は,久保野参考人の御意見をいただくことにしたいと思います。よろしくお願いいたします。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,久保野参考人の御意見を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○久保野参考人 東北大学大学院の法学研究科で民法の研究をしております久保野と申します。よろしくお願いいたします。   私の場合には,日々具体的な個別の問題に取り組むといいますよりも,日本や外国の制度を勉強しておりますので,今日はその観点から少しお話しさせていただきます。   あらかじめヒアリングの質問事項をいただいておりましたけれども,以下では,先ほど申したような観点から,重要と思われるところを中心に概略的にお話をさせていただきまして,最後にヒアリングの質問項目に戻っていくという形に,それもお話しましたことの関係でできる範囲で触れさせていただくということにさせていただきます。   お配りしましたレジュメは,やや難しい印象を持つものでございまして,むしろ今伺った遠山先生,加賀美先生のお話との関係で申しますと,遠山先生がまず,御意見の中で最後のほうに,独立の経済主体としての能力,行為能力というものを付与するかどうかということが中心的な観点になるのではないかというふうにおっしゃいまして,途中では,児童虐待は本来はあまり考えていなかったけれどもとおっしゃりながら,児童虐待のことなどを考えたときには,被虐待未成年にとっては早くに解放されるというメリットがあるかもしれないということをおっしゃいました。このお話は,後者のほうは加賀美先生のお話につながってまいりました。親権と申しましたときに,実はこの両面を含んでいるのでありまして,両面のお話をしていくことになりますが,まず行為能力のほうは既にこちらで消費者問題のことを扱われていまして,その正に消費者問題との関係で年齢を下げるのが妥当かどうかということに,つまるところいくのではないかと思っております。   今日,私が主にお話しさせていただきますのは,いただいた質問項目が児童虐待等の不適切な養育を中心に組まれておりました関係もありまして,不適切な行為という言葉で書かせていただきましたけれども,むしろ親権のうち,子どもを監護,養育する,育てるという側面との関係でどのように考えるかということが中心になります。しかも,これも遠山先生の御意見との関係で言いますと,確かに未成年者の年齢が下がりますと,悪しき親から解放されるメリットがあるということはあり得る考え方なのですけれども,今日は違うお話をします。親に何か問題があるというときに,親が原因になっているということも,もちろんあるから問題になっているわけでありますが,そのような状態のときに国や社会が何ができるかということが今問われている。これは加賀美先生がお話しされたところになりますけれども,国や社会が何ができるかということが問題になっておりまして,その制度面をお話しします。   結論といたしましては,どちらかといいますと,国や社会が何ができるかという点について日本を考えましたときに,まず仕組みが整っていないと思うのです。だからどういう基準で親から離すのか,親に戻すのか。分かりやすく言えばそうなりますけれども,その途中の過程も含めて基準がはっきりしていない,仕組みが整っていないということと,率直に申しますと,仕組みがそれほど整っていなくても,資源がたくさん投入されて,専門職のソーシャルワーカーがたくさんいて,施設も整ったものがたくさんあれば,そういった問題は解消するのではないかと思っておりますけれども,それは先ほどの加賀美先生の資料で非常にクリアにお示しいただきましたとおり,そちらの面でも非常に乏しいのではないかということがございまして,そうすると,虐待する親から解放してハッピーになるというよりは,それは本当は国や社会が守るべきなのに守れないという問題をその年齢を下げることで解決するということにもなりかねない。そこまではっきり申すつもりはないですけれども,そういう関係もあるのではないかと,その辺も考えてこの問題を考えた方がよろしいのではないかといったようなお話をさせていただきます。   それで,中身に入りまして2として,「親権および親子間の法的効果」と書かせていただきました。実は,子どもと親の関係というのを今日,見てまいりますけれども,厳密に言いますと,その親権というものと,親と子であるから生じてくる効果というのは区別できますが,あまりこだわらなくて結構かと思っております。   その内容面をまとめたのが(1)ですけれども,ここで挙げましたものも実は網羅的なものではございませんで,今日のヒアリング事項と,この審議会の第3回会議の議事録を見せていただきますと,そこで髙橋弁護士が親権について言及なさっておりまして,それと今日も扶養のことなどが出ましたけれども,それらのこの審議会で扱われていると思われるものを拾ってきてあります。   先ほど申し上げましたように,親権といったときには,その身上監護と言葉としては難しいですが,養育したり教育したりするという面と,財産管理と呼ばれる,子どもが契約を自分で1人では結べないときには,親の同意が必要になるか,もしくは親が代理するということになるという面がございます。ほかに面接交渉といいますのは,子どもと一緒に住んでいない親が子どもと会ったり,手紙や電話で接触を保つというようなこと,こういう関係を指しております。これが,親と子の関係を保つというのは,理屈ではちょっと申しにくいところですけれども,その大事な,犯してはならない基本的な関係であって,大切なものなのではないかというのは最近言われていることであります。それで,婚姻に対する同意は,先ほど来出ているとおりで,未成年者の場合に要するとされています。ほかに養子縁組に着目しますと,養子となる者の年齢で分かれておりまして,15歳未満のときに親が代わりに承諾するということになります。それと扶養というのは,先ほど出ているとおりですが,後で少し戻ります。   (2)に「親子間の法的関係の構造」と書きましたけれども,これはあまり深入りするつもりはないのですが,ローマ以来,古くは親というのは子どもに支配権を持っていて,極端に言いますと,自分の所有物のような見方で見られていたこともありました。その名残りなどもあるわけですけれども,むしろ後の時代には,真ん中に書きました二本矢印の親権というのは,実は子どもの利益のために義務を負っているものなのだといったような考え方が重要だとされてまいりました。子どもに対してもちろん監護教育をきちんとしなくてはならないという義務的な側面,さらに,実はそれについて国も無関心ではいられないはずだと。加賀美先生の御報告とつながってくるところですけれども,国も実は親が適切に監護教育をしないと,親から親権を取り上げるということを予定しております。親権を喪失されられるとそこに書きましたけれども,これは国が,親が子どもにする監護教育について,ある意味監督のようなものをしていて,不適切であれば取り上げるのだということを意味しているわけです。   親権に着目しますと,実は日本は取り上げるのか,そのままにしておくのかという二者択一しか用意していないものですから,ここにはそれしか書いていないのですけれども,先ほどの施設に入っている子どもたちのときにはどうなっているのかというようなことにつながっていまして,児童福祉法や児童虐待防止法に基づく社会的養護,あるいは私の報告では児童保護という言葉も結構使いますけれども,両方同じことを指していまして,そのような児童福祉行政によって担われている活動といいますのも,やはり国あるいは社会が子どもの養育について何ができるかという側面にかかわっているわけでございます。   この関係の中では,子どもの保護なり,子どもを自立させるための何らかのかかわりといいましたときに,親がするのか,国がするのか,どちらが責任を持つのかといったようなことが問題になり得るところでして,今の一般的な考え方は,親が第一次的に責任を負い,国や公は補充的に負うというのが一般的な考えかと思います。   一番下に書きました破線の矢印,二重矢印は,むしろ他国にも目を転じましたときに最も近時注目されているところでして,子どもを守るために国や公が介入しなくてはならない,関与しなくてはならないことは,一方で確かなのだけれども,先ほどの面接交渉で申しましたことと関係しまして,実は国から不当な介入を受けることなく,親子水入らずで暮らすといいますか,どう育てるかということなどを自由に決めて,むやみに子どもと親が引き離されないというような利益というのも,無視されてはいけないのではないかというようなことが,最近は注目もされています。   そこで次のページにまいりまして,具体的に親が適切に行動しないときの対応についてでございます。質問項目の1がこのようなものでしたので,その関連でございます。   まず原因は何かというお話がありましたけれども,これは先ほど来出ておりますので,原因の多様性,そして対応の多様性というものがあるということは,忘れてならない前提だろうという程度にとどめます。   次に,我が国において法的な対応はどうなっているかという仕組みについてでございます。制度としましては,親が持っている親権を裁判所の判断で失わせるということが一つ用意されていますが,先ほど少し言いましたけれども,親権を全部失わせるか,それともそのまま持たせるかのどちらかしか用意されておらず ,権利・義務をどうするかという話としては書いておりません。民法がその親権について定めておりまして,そこでどこまで定まっているかというのは,比較的重要なことではないかというメッセージを含んでおります。   と申しますのは,ほかに何があるかといいますと,行政的な対応ということになってまいります。法律でいいますと,児童福祉法と児童虐待防止法が分担しておりますけれども,そこで緊急の場合には一時保護をするということになります。   参考資料18-2を見ていただけたらと思います。これが行政的な対応を中心に書かれた流れになります。虐待が発見されますと,通告がされて,児童相談所というその行政の担当責任機関が主に活動するということになります。その中で一時保護という,これは裁判所の承認もなく,親権者の同意も特に必要とせず,もちろん同意がとれるにこしたことはありませんが,同意がなくともできる2か月間の緊急の保護で,通常一時保護所というところに子どもが入ることになります。その後,本格的にどのような対処をとっていくかということにつきましては,その下の児童福祉法27条1項各号の措置というところにつながっていきまして,今日は施設入所と里親委託というのを念頭にお話ししていきます。   家庭裁判所の枠から左に点線の矢印が出ておりまして,親権者等が反対の場合どうするのかということが大きな問題になりまして,この場合には家庭裁判所,つまり司法が出てきまして,この家庭裁判所の承認によって,施設入所や里親委託がされるということになります。   このように,同意がある場合と同意がない場合と両方ありまして,同意がない場合には裁判所がかかわるということになっています。このような,いずれにしても判断がとられますと,親子が分離して暮らすことになりまして,次なる課題はその分離させた親子を将来的にどうしていくかということになるわけです。   この図は,親子の再統合というのだけ書いてあります。これは児童虐待防止法の中にも親子の再統合ということを目的として,最近は織り込まれておりますが,他方で,先ほどの性的虐待のケースなどを念頭に置くとよろしいかもしれませんが,再統合が妥当ではないというときにどうするかという問題が出てまいります。再統合できないというときには,代わりの環境を子どもあるいは若年者にどう用意するのかということが課題になってきます。   そこで,部会資料30に戻っていただきまして,2ページ目の一番下に問題の所在ということを書かせていただきました。ここでもう一度強調しますのは,制度として親権については取り上げるか,そのままにするかのどちらかしかなく,あとは行政的な対応になっているということです。それで,資料に「親がダメなら代わりに国が育てれば良い」という考え方を挙げました。この考え方を割り切ってとってしまいますと,親権を取り上げるか取り上げないかの選択だけあれば,それで十分ではないかということになろうかと思います。この価値判断は,他国を見ましてもある程度分かれるところでございますけれども,先ほど申しました,まず児童虐待防止法が最近は親子の再統合を重視している,政策的にはそういうことになっていると思います。これには恐らく一 つは ,子どもはやはり社会的な養護のもとに置かれるよりも,できれば家庭環境に戻した方が幸せであろう,子どものためになるんだという考え方。そしてもう一つは,先ほど最直近の考え方と申し上げた,親と子どもというものは一緒にいるということに,ある種固有の侵しがたい利益を持っているのではないかというようなことも,背景に出てくる考え方と思われます。   ただ,先ほど価値判断も分かれると申しましたとおり,仮に親が育てるのではなく,国や社会が育てた方がいいのではないかという判断も,それをとることは,政策としてあり得ることだと思いますけれども,そういうときには,これも他国の状況もあわせて見ますと,国や社会が果たしてどれだけの環境を実際に与えることができるのか。それが本当に取り上げたもとの家庭との関係で,より子どもを幸せにしていると本当に言えるのか。取り上げただけで保護したと満足するに至ってしまっているのではないかといったようなことが問われるところです。日本でも今,社会的養護の問題は,研究会,審議会で行われていると思いますけれども,日本に限らず,この点はやはり問題になるところであります。   そうしますと,差し当たり再統合の可能性と,再統合できないときにどうするのかということにつきましては,バランスはともかく両方目指しているものの,どこの国でも苦労しているのです。レジュメに書いたような微妙で困難な調整を,国の責任でやっていかなくてはならないのではないかということになってまいります。   一方で不当な行動をする親というのは抑えなくてはならない。そうではないと保護できないわけですが,他方で,できれば再統合に進めたいというようなことを考えつつ制御しなくてはならないと。再統合のほうから申しますと,再統合を一方で目指しているのだけれども,どこかでは見切りをつけなくてはいけないときがあるかもしれない。むしろ,その再統合の見込みもないのに,ずるずると子どもを将来が分からないまま施設にずっと入れておく,あるいは里親のもとに置いておいて,里親も養子にとれるかさえ分からないといったような状態が本当にいいのかどうかということも含めて,代替的環境を用意するのかどうかといったことも同時に考えていかなくてはならないと思うのです。そういう困難な事柄がその不適切な養育の子どもについて,社会や国がかかわっていくときに課せられた課題であります。   そこで,日本の制度はどのようになっているかと申しますと,レジュメの3ページに「4)特徴と問題点」として書かせていただきました。特徴は,何度も繰り返しになりますけれども,裁判所がかかわって親権を取り上げるか,取り上げないかということ以外については,基本的に行政上の措置がとられまして,その場合に親の立場との関係をどうするのかということについては,はっきりとした基準が定まっていないので,その微妙で困難な調整のほとんどを行政が裁量的な判断によって行っているということです。   先ほどのお話の中で,親が取戻しに来たときに困るんだといったようなお話がありましたが,こういう条件があれば,親に返してもいい,逆にこういう条件があれば,どんなに親が会いたがっていても会わなくていいというルールが定まっていて,裁判所に行けばはっきり答えてもらえるですとか,あるいは厚生労働省に聞けばはっきりとルール化されているというようなことではなく,現場のと言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが,いずれにしてもその福祉行政の裁量的な判断に任されているということです。   それがいけないということを申すつもりはございません。後で言いますけれども,特徴としましては,基準があいまいになっているということです。つまり,国といえども超えてはいけない親の利益というものがはっきりしていませんし,逆に親としても,どこまですれば子どもが戻してもらえる,あるいはどこまですれば奪われるというようなことがはっきりしていないということです。   もう一つは,これは悪いとは言いませんということにつながるのですが,資源によって左右されるということです。先ほど加賀美先生から,保護される子どもは増えているのに施設に入っている子が少ない,増えないのは重篤なケースが少ないわけではなくて,施設が増えないからだというお話がありましたが,資源の多寡によってその処遇などが分かれ得るという状態に現実としてなっているということだと思います。   それで,実際にどういう場面でそういう困難や問題が生じるかというのを①,②,③で書きましたけれども,引き取り・面会・通信は今例に出しましたとおりですし,③は先ほど来強調していますように,親子を離すというのは重大な決断であろうと思われるにもかかわらず,その基準がはっきりしていない,離す場合の代替的な環境をどこまで用意してやるのが子どもの権利なのか,国の責務なのかということもはっきりしていないということです。   この度,私には,外国はどうなっているかというお尋ねがございましたので,一応表を用意させていただきました。それが参考資料18-3になります。細かいことといいますよりは,どれだけ違うかということを少しイメージを持っていただくということだと思いますので,フランスのところに注目していただきたいと思います。ここにイギリスとフランスを挙げましたのは,日本の児童福祉法がイギリスをバックグラウンドに持っていると思われることと,そして親権のほうは,フランスだけではないですが,フランスとかかわりが強いものですから,これらの国を挙げました。   フランスの場合は,先ほど加賀美先生のお話で,行政機関がイニシアチブをとる国と司法が主導する国があるというお話がありましたけれども,フランスは司法がイニシアチブをとるほうであります。ただ,問題は,どちらがイニシアチブをとるかももちろん大事ではありますが,先ほど来申していますように,その基準がはっきりしていて,どこまでが守られて,どこからは親子が離されるのか,どこまで会わせていいか,どこからは会わせないかといったような基準がはっきりしているかという問題です。   そこでフランスの場合は裁判所がイニシアチブをとりまして,裁判官が子どもをどのように処遇するかということを決めてまいります。その後,定期的に報告が,その処遇している福祉機関から裁判官のほうに上げられてまいりまして,親がなかなか施設の言うことを聞いてくれないとかということになりますと,施設から電話がいって,では裁判所に集まりましょうとなって,どうしましょうかというような話し合いが持たれるということで,親の地位との関係調整にも継続的に関与しております。そういう意味では,裁量的な側面も多くありますけれども,原則として親権ととられた措置との関係がどうなるのかということは,きちんとその親権にかかわる法律に書かれております。基本的には,親は親権を取り上げられるのではなく,保持しており,そして採られた措置の適用と相反しないすべての属性を有するということで,施設から離すことはできないけれども,教育や人づき合いの関係について親と相談できるとか,必要に応じて調整されることになります。   次に,面会・通信に関してですが,フランスでは面会や通信が非常に重視されていまして,これは原則として与えなくてはならないとされています。しかも,例えば裁判官が施設に任せてしまうというようなことはできませんで,裁判官がどれだけ会わせるかというようなことを必ず定めなくてはならないとなっていて,例外的に停止するときには,子どもの利益のために必要となる基準が定められ,しかも仮に停止できるということがはっきり書いてあります。つまり,この制度の下では,不適切な親の行動があるとしますと,それは裁判官が制御していくことが可能であり,しかも,その制御の仕方が,全部取り上げるか,全部与えたままにするかという二者択一ではなく,一部分必要なところだけ取り上げようといったことができ,他方でそうであっても取り上げてはならない,取り上げないのが原則だという事柄が残るということです。   フランスは,その後の処遇としましては,なるべく家庭にとどめようという原則を非常に重視している国でして,その価値判断は,先ほど来申し上げているように分かれると思いますけれども,そのフランスでさえと言っていいと思いますけれども,親がどういう状態であれば最終的に子どもが永久的に親から引き離されてしまうかということがはっきり書いてあります。そこには,親の明白な無関心が続けばということだけ書いてありますけれども,例えば施設に預けて面会や通信の権利があるのに,2年間そこに会いに行かないといったようなことがありますと,子どもへの関心を失った親というので親権を取り上げられて,もとの親との関係が切れる養子に出されるというようなことも決まっております。   以上が,簡単な比較でございます。   レジュメにお戻りください。4ページ目の4番です。   少し話が変わりまして,契約同意,そして婚姻への同意・扶養という事柄が,質問項目の3,4,そしてこちらの議論に扶養については出てまいりますので,少し整理させていただきます。ただ,契約についての同意は既にされているということですので,(2)の婚姻についての同意について主にお話いたします。   結論として申し上げたいことは,何が大人かですとか,どこまでいけば独立に,未成年者あるいは子どもにさせていいかということを考えるときに,その取り扱っている事柄が何かということがとても重要だと思うのです。皆さんがおっしゃっていることですけれども,それによって何が帰結されるのかということによって,効力が異なるのだという点にかかわって,この婚姻も考えることができるであろうということです。   その趣旨としましては,社会経験の浅い未成年者の軽率な婚姻を防止し,未成年者を保護するためだと一般的には説明されますけれども,よくよく同意権者についての議論を見ますと,婚姻には父母による同意が必要なのですが,親権者がいない場合に,未成年者には後見人が付されますけれども,その後見人の同意は不要であるというのが一般的な解釈ということなのでございます。そうだとすると,軽率な婚姻を防止するために必ずだれか大人のアドバイスを得させようということではないように思われるのでありまして,この同意については立法論としては批判もあるところです。   それでは実質的に考えてどうかということを考えますときに,未成年者が婚姻するということはどういう帰結を導くのかということとの関係を考えてみようということで,次にまいりますと,一方で婚姻というのは言うまでもなく異性間の結合でございまして,一緒に終生生活していくということでありますので,高度に人格的な性格を持ちます。婚姻の自主性,尊重というのは憲法にもうたわれているものでありまして,そうであれば,未成年であっても自主性を尊重してさせればいいのだという方向にいくと思います。   そのような観点から,実はほかの身分にかかわる行為について,年齢はどう定められているかといいますと,先ほど養子について少し述べましたように,15歳に達すれば未成年者も単独で養子となることができるとなっておりますし,遺言もしかりです。認知については,年齢制限はありません。このように実は未成年者であっても許していいのではないか,そういう種類の行為なのではないかとも思われます。   ただ,他方で,少し手前に書きましたとおり,未成年者は婚姻をすると成年とみなされるというふうにされております。婚姻共同体として様々な住居を契約したり等々していく中で,契約を単独で結べる行為能力を与えるということになっております。   そうしますと,こちらの側面につきましては,むしろ4の(1)の契約締結の能力とつながってくるわけでございまして,契約締結の能力を18歳で認めることが妥当なのかどうかという問題として考えていく一環になっていくのではないかと思います。   次に,扶養です。扶養は法的な根拠も混乱しておりますし,実務も公開されていないので分かりにくいなと思っていましたところ,先ほどの遠山先生のお話しの中で,当事者が話し合ったときの話が出ておりましたけれども,教科書などで審判例の紹介などを見ましても,18歳で終わるものもあれば,20歳までとっているものもあれば,中には大学卒業までというようなものもあるということです。主流は20歳なのではないかと思うのです。少なくともここで申し上げたかったのは,成年年齢と直結している事柄ではないという程度のことでございます。ただ,他方で遠山先生がおっしゃっていましたように,やはり20歳というのは基準になりますので,成年年齢を下げますと,扶養の合意なり審判に影響を与える可能性というのはあり得るのではないかと憂慮されるところではないかと思います。   最後に5として,若年成年者保護制度というものを挙げさせていただきましたが,フランスは74年に21歳から18歳へ成年年齢を引き下げましたときに,分かりやすく言いますと,日本でいう児童福祉法の措置としてされる措置を21歳の子まで続けられるようにするという特別法をつくりまして,それが今でも適用されているということであります。恐らく背景は共通ではないと思うのですが,イギリスにおいても,ドイツにおいても,どうも18歳で切ることはせずに,その福祉的なと言いましたときに,そこに雇用や教育や訓練ですとか,住居なんていうことも書かれていますが,そのような援助,支援を社会からしていくという側面について,21歳未満まで対象となり得るという制度を持っているということが分かりました。つまり,18歳を超えると成人なのですが,21歳未満という年齢を基準にして,それを対象に自立した生活をできるよう公的に援助する制度がどうも存在しているらしいということは,少なくとも分かりました。   これはつまり,子どもを養育して自立させることが,第一次的な責任が親である状態から,成人して第一次的責任者が子自身になったとしましても,なお特別の支援を社会的に必要とする場合があり得るということを示していると思われます。   そのような観点から,日本のほうに戻っていきますと,実は日本の児童福祉法も18歳未満が対象ではありますが,児童が満20歳に達するまで入所措置や里親委託を継続することができるということになっておりますし,二つ目の児童自立生活援助事業というような,やはり二十歳になるまでに就労や生活等を支援することを継続するというものも制度としてあります。直接専門ではございませんが,その後者につきましては,今,特に問題になって力が入れられているところではないかと思います。   あと先ほど教えていただいたのですが,33条の6で,児童相談所というのは,親権者が非常に問題を持っているときに親権の剥奪を申し立てることができますけれども,それもやはり20歳までが対象になっているということです。   るる述べてまいりましたけれども,6番でまとめとして成年年齢との関係についてということですが,今申し上げましたような制度的な観点から言える限りのことを二,三,簡単に触れさせていただきます。   一つは,質問項目の一つ目が親の不適切な行動の問題を言葉だけでとらえますと,年齢を引き下げることによる解決ができるかという質問になっておりまして,これは先ほど冒頭に紹介しましたような,成年年齢が下がると早期に問題ある親から解放されるからいいんだという意味では解決されるとも言えますが,もう既に途中で何度か申しましたとおり,第一次的な責任が親であったのが子どもに移されて,すべて18歳,19歳の子どもの自立の問題,養育の問題が自己責任ということになってしまうということでいいのかどうかということは考えてみなくてはならないのではないかということです。そのようなことを申しますのは,5番で簡単に述べましたとおり,外国を見ましても,若年の成年もまた,その自立の支援が課題になっているというのを,簡単ですが見ましたのは,そのような問題提起とつながっております。   そうしますと,少なくとも今日課題となっております親との関係での子どもというのと,成年年齢との関係というところで見ましたときには,その問題は,親との関係のもとにとどまっているか,それとも離れるかというようなことよりも,その必要に応じて親によってであろうが,社会や公によってであろうが,必要な援助がその当該子どもに対して与えられるのかどうかということにかかっているということになるのではないかと存じます。   もう一つは,途中で申しましたとおり,結婚ひとつを見ましても,行為能力の面で考えるか,人格的な面で考えるかによって,大人になるというのはどういうことかですとか,一人でやらせてしまって妥当かどうかというような判断は分かれるであろうということであります。   監護・教育については,判断は難しいですが,どちらかというと,契約能力の問題よりは人格的な関係である,結婚の人格的な関係のほうに近づけて,つまり低めてもよろしいのではないかという判断につながりやすいのではないかとは思っております。やはり一番の問題は,契約を独立にさせてしまっていいかというところが問題ではないかという認識でございます。   3番目に,最後に付け足しですけれども,以上は,冒頭に申し上げましたように児童虐待等の話から説き起こしましたので,自分で独立して生活していくことに困難があろうという者を中心に発想してまいりましたけれども,逆にこの審議会でも,高校の先生でしょうか,もう十分彼らは立派なので,どんどん引き下げたほうがいいという御発言があったと思いますけれども,18歳,19歳で起業をして立派に社会生活を営んでいる方も多くいらっしゃるわけでして,その方々について個別に自由を広げる仕組みというのを工夫されてもいいとは同時に思っております。この辺はニュートラルでして,すべきだとまでというわけでもございませんが,ただ逆にそれらの者たちがいるから,全員下げたらいいとまでも考えることができるかというところは,一考に値するかと思います。   私からの報告は以上になります。どうもありがとうございました。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。お招きいたしました3人の参考人の先生方に御意見をお述べいただきました。これからの時間は委員,幹事の方々から,各先生方への御質問あるいは御意見をお伺いすることにしたいと思います。特に順序等を定めませんので,お気付きの点から御自由に御発言いただければと思います。 ○五阿弥委員 参考人の先生方,どうもありがとうございました。大変参考になりました。   私は2点質問させていただきます。一つは,参考資料17-7の図表1-6なのですが,被虐待児の年齢別の人数が書いてあるのですが,これは17歳までなのです。今度,18歳に引き下げた場合を考えると,18歳,19歳というのが非常に影響が出てくるわけですけれども,これは多分児童ですから18歳未満しかないかもしれませんが,18歳,19歳で虐待されているケースというのは,実際としてはどのくらいあるかという推計値みたいなものがあるのでしょうか。   二つ目は,加賀美先生の御発表の中で,児童福祉施設の現状として,非常に数が少ない,新規に入る人もなかなか少ないという問題もありましたけれども,私の認識では,それも大変だけれども,同時に18歳を超えた人たちが追い出されてしまい,行き場がないということが非常に問題になってくるのではないかと思うのです。成年年齢が18歳に引き下げられた場合は,もうあなたたち大人だからという形で,これまで以上に放り出される可能性があるのではないかと思うのですが,そこら辺について,もし現状とお考え等ありましたら,教えていただけませんでしょうか。 ○鎌田部会長 まず遠山参考人からお願いします。 ○遠山参考人 18,19歳の虐待というのは,私が知る限りは,正確な統計数値がないのではないかと思います。ただし,弁護士として取り組んでいると,そういった案件に結構遭遇しますし, 児童虐待を専門にしている研究者の方と一緒に議論をしてみますと,やはりこういった案件が散見されますが,社会問題化するほどの量ではありません。 ○鎌田部会長 それでは加賀美参考人,お願いいたします。 ○加賀美参考人 部会資料29の11枚目に,高校へ進学する児童の率とその後大学へ進学する率という数字が出てございますが,現状では,高校へはかなりの子どもたちが進学をするようになっておりまして,高校へ進学する子どもたちが増えてきているという点は,それだけ社会がいろんな意味でバックアップするようになってきたということのあらわれではあるわけでございますけれども,さりとて92.1パーセントという一般的な数字からかなり低い数字であることは確かです。   児童養護施設入所者の大学等への進学率は,18パーセント程度であり,全国の高卒者のそれが67.5パーセントという状況から比べると,かなり低いところにあるということは事実でありまして,これはいろんなファクターがあるわけで,必ずしも経済的な問題あるいは社会的な仕組みの問題だけではないわけですけれども,大学へ進学するといっても,やはり1人ですべてを賄わなければいけないという子どもたちにしてみれば,その後の様々な生活の状況が保障されない中で,大学まで行けないという現実があることも事実であります。   それから,もし,18歳が成人年齢になった場合には,恐らく高校生はほとんど19歳で卒業しますので,もちろん制度的なバックアップがあればそれでいいのかとは思いますけれども,そんな問題も出てきようとは思います。   御質問の,社会的養護を必要とするの子どもたちの施設からの退所については,制度的には18歳まで保障されているわけですけれども,現実的にはもっと低い年齢で社会自立を余儀なくされるような状況の子ども,すなわち,自立心の弱い状況にある子どもたちが,自分の行き先に対して希望を持って勉強をしようというような意欲を喪失してしまうような子どもたちが多いという事情もありまして,実はそういう子どもたちの多くが中学年齢で社会へ出ざるを得ないという状況が実はあるわけです。   というのは,先ほど御説明をしなかったのですが,全国の児童養護施設566か所のうち約70パーセントは,いわゆる大舎制という形態をとっています。大舎制というのは,最低がおおむね30人ぐらいの規模なのですが,そのほとんどは平均的には60人ぐらい,あるいは80人ぐらい,もっと大きいところは250人なんていう大規模な施設もございまして,学校から学校へ通っているみたいな,そんな状況の中で暮らさざるを得ない。大きな食堂で子どもたちはいつも大勢で食事をするというような生活形態というのがかなりあって,それが約70パーセントほど占めている。そういう戦後状況といいますか,戦後の収容保護パラダイムというふうに言っておるわけでございますけれども,そういう状況の中で暮らしておりまして,いわゆる個別的な援助を極めて受けにくい状況があるという事実があります。   具体的には,職員の配置状況で言うと,昭和51年に最低基準として,職員1人に対して6人というふうに制度が決められており,これは24時間制で見ると,18人を職員1人で見るという計算に,平均的に見るとなるわけでして,それに職員が年休をとるとか休みをとるとかというカウントをしていくと,実に二十数人を1人で見なければならない。そういう中で,そういうパラダイムはまだ全然基本的な改善がされていない中で,虐待を受けて重い課題を持った子どもたちがどんどん増えているという状況の中で,十分な個別的な援助ができないという事実が あります。   そうすると,やはり大学進学率の問題も,高校進学率の問題も含めてなかなか思うようにいかないということの中で,やむを得ず中学を卒業して社会に出ざるを得ないという子どもたちも少なからずいるという現実がありますので,そういう中で,この年齢との絡みの問題は,微妙にいろいろな問題が出てくるのかなというふうには思っています。   必ずしも,この成年年齢の問題と関係はない話なのかもしれませんけれども,そういう社会的養護の現実の問題を含めて,私が申し上げたいことは,そういう子どもたちを取り巻く一般家庭群の中に,そういう課題を持った子どもたちが実は大勢いるような状況になってきてしまっているということが,むしろこの成人問題としては一番問題なのかなと思うのです。   今の質問に明確にお答えをしたことではないわけですけれども,社会的養護を受けている子どもたちは,その中でも突出して重い子ども群になってしまう。先ほど御説明したように,施設のキャパシティが極めて少ないわけですから,そこへ選別的に子どもを入れるとしたら,重い課題を持った群から選別して入れざるを得ない。そうすると,どんどん重い子どもたちのたまり場ということになってきているのが現実ですので,ますます,この子どもたちが高校へ進学し,あるいは大学へ進学するという状況をつくるのが難しくなっているというのも確かにあると思いますので,そういう意味で社会的養護を必要とする子どもたちの問題は,ますます深刻かなというふうに思っておるところでございます。   今,御質問に明確に答えたことにならないかもしれませんけれども,確かにそういう子どもたちの問題が実はかなり深刻でして,社会的養護を必要とする子どもたちが再生産されていってしまうという状況が少なからずありまして,せっかく社会のコストが十分に行き渡らない状況の中で頑張っても,その子どもたちが親になり再生産をするというふうなことも少なからずあるということを考えると,話がもとに戻ってしまいますので,正にパラダイム転換というようなことが,絶対必要な状況に来ているのではないかということでございます。というのは,こういう子どもたちがよりどころとする社会的養護の機関や施設というのは,言ってみれば社会の一番ベースになるところであります。そこがあまりにも低いので,どんどん一般子育て群のところも低くなっていってしまうという考え方を持った方がいいと思うのです。そこをずっと底上げすることで,日本の子ども,子育ての問題が希望が持てるのではないかなというふうに,私の立場としては思っているところでございます。 ○鎌田部会長 久保野参考人,何か関連して御発言ございますか。 ○久保野参考人 18歳,19歳の子の虐待につきましては,結局18歳より低い年齢で虐待を受け児童相談所に認知されて扱われていった子どもたちがその後処遇されていく中で,先ほど施設から出ざるを得ないことも多いということでしたけれども,施設に入ったまま18歳,19歳を迎えるということも含めて問題をとらえると,児童虐待にあったかなかったかよりもひどい問題が背後にはあるかもしれないというふうには思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。よろしゅうございますか。   ほかにいかがでしょうか。仲委員。 ○仲委員 先ほど久保野参考人のお話で,例えば児童虐待防止法の行政上の措置がとられたときに,一つの特徴として,基準が明確ではないということだったと思うのですけれども,親権を主張するのは,親側なのでしょうか,それとも子ども側なのでしょうか。例えば,子どもさんが,親子の関係を再統合してほしいというか,家庭に戻りたいというような主張をされることが多いのか,それよりも,子どもさんは離れたいのだけれども,むしろ親のほうが何らかの理由で子どもさんを自分のところにもう一回取り戻したいというような主張が多いのでしょうか。 ○加賀美参考人 現実的な話で申し上げると,先ほど子育てを社会化せずに,どんどん私化していったという流れの話を申し上げて,それが虐待を生んでいるという言い方をしたわけですけれども,かなり乱暴な言い方をして自分でも反省をしているのですが,ただ,それは当たらずとも遠からずだと思っています。   そういう中で,社会的養護の子どもたちの親の現状を見ていくと,極めて深刻な課題を持った親が増えてきている。具体的には,これはもうボーダーラインの人格障害というふうな言葉でくくってはいけないかもしれませんけれども,そういう状況の人たちがとても増えていて,そういう親たちへの対応に実は苦慮しているというような現実があります。   事例をお話しすることは差し控えますが,一般でもいわゆる教育分野でも,モンスターと言われる方たちが出てきている背景に,やはりあまりにも子育てを社会化できずに私化していったという流れの中で起こっている問題でもあると思います。 ○仲委員 そうすると,親でいたくないというようなパワーの方が強いのですね。 ○加賀美参考人 そうですね。親になれない親,親になりたくない親というような群が社会的養護のところに増えていることも事実でありまして,それはもう高度経済成長期の時代から連続して起こってきているように,私は思っております。 ○始関委員 今の仲委員がお尋ねになった関係なのですけれども,直近の児童虐待防止法の改正によって,施設長等が面会・通信制限をすることができるようになったわけですけれども,この改正法は,議員立法なんですけれども,私はその議員立法で超党派の先生方が議論されているのにずっと関与していましたので,どうしてこういうことになったかということを申し上げたいと思います。 この議員立法の議論を議員の先生方がされているときに,いろんな方からヒアリングをされました。その際,親が承諾をしないので,家庭裁判所が承諾に代わる審判をして子どもを施設に入れたところ,親が自分の子どもなのだからといって無理やり会いに来て,施設の外で「会わせろ」と言ってどなり散らし,子どもは部屋でおびえているという非常に困る状態が起きているという紹介がされました。このような状況は,子どもの養育上も非常によくない,精神状態にも悪いので,面会・通信の制限を施設の長などができるようにしてほしいという要望がありまして,それを受けてこういう規定が設けられたというふうに承知しております。 ○仲委員 どうもありがとうございました。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでございましょうか。 ○松尾関係官 遠山参考人からいただきました部会資料28の第4ですが,児童の権利条約を引用しておられて,この条約も18歳を一つの年齢区分の基準としているという御指摘ですけれども,確かに条約の第1条で18歳というのが区分として出てきますが,それは18歳未満には少なくとも保護を与えるという意味で,この実定法がそれより高い,例えば日本のように20歳という定めをしている場合に,それを好ましくないという趣旨は含まれていないのではないでしょうか。 ○遠山参考人 松尾先生のおっしゃられたとおりでございます。例えば子どもが小さいうちから強制労働させられているとか,国際人権の世界では,かなり児童の搾取ということが行われています。それらも想定して,つくられている条約でございますので,この条約が別に,18歳でいこうではないかということをアピールしているものだとは,私も思っておりません。少なくとも先進国と称するところでは,イメージとしてそういう18歳の方に空気が流れている気がするのです。 世界の空気の流れというのは多少はやはり感じ取らないと,いかに極東の島国といっても,少しまずいのではないかなという,その程度でございます。 ○鎌田部会長 今田委員,お願いいたします。 ○今田委員 久保野参考人にお聞きいたします。   成年年齢を引き下げるかどうかということは,あまり重要なのではなくて,それにかかわる国や社会の制度的な構えが重要なのだという御議論だったと思うのですけれども,あえてお伺いしますが,先生のお立場で引き下げることが適切かどうか,現状がいいのかということについて是非お聞かせいただけないでしょうか。   というのは,多分御議論の中で,成年年齢を引き下げた場合には,例えば子どもの利益という観点から言えば,ケアを早く断たれるわけで非常にマイナス面があるけれども,虐待されるという側面から見れば解放されるという,そういうメリットもあるわけです。   そういう観点で,どういう観点に立てばどういう結論が出るのかということの全体のチャートをつくらなければいけないという,そういう意味も込めて,先生はどう考えられるのか分かりやすく教えていただければと思います。 ○久保野参考人 あえてといいますか,私もそれほど固まった意見がございませんので,申し上げなかったつもりでございます。   話の手がかりに先ほどの面接交渉の制限の話をさせていただきますと,日本で現場の方々がおびえさせられたような形で困っているというのはいろいろ聞くところでありまして,だからこそあの条文が入ったのだというのも承知しておりますが,問題は恐らくなぜ窓の外から叫ぶ親が来て,中の子どもがおびえる状態までいってしまうのかというところを,多分立法的に考えてみなくてはならないと思っております。   他国の状況を見ましたときに,先ほど少し強調させていただきましたように,将来的に考えたときに,この親はひどいから会わせなくていいのだと国が奪ってしまうことを容易にしてはいけないかもしれないというのが,割といろいろな国で言われていますので,極端なケースは別でございますが,日本の状態はひょっとすると,やはりもう少し,子どもをおびえさせる親が駆けつけてくるから,施設の長が面会を許さないというふうにいってしまうより前に,もう少し工夫できるところがあるのではないか,あるいは工夫してほしいという思いがございます。   その観点から見てきましたときに,18歳,19歳の子は会いたくなければ会わないでしょう。ただ18歳未満の子も含めた未成年者について親との関係が問題になるときに,今,法律や制度が何ができているかと考えたときに,まだまだ工夫の余地はあるのではないかという基本認識に立っていまして,そうしたときに成年年齢を18歳に引き下げてしまって,18歳,19歳の子はそのような,私の見解によりますとまだまだ改善の余地ある制度にさえ守られなくなるという状態にしてしまっていいのか。18歳未満が今申し上げたような状態なのに,18歳,19歳について,先ほど先生も少し懸念を示されたような点にケアをするような手当てができるのかということも考えてから結論を出したいと思うのです。恐らくそうすると,今無理に答えるとしますと,どちらかというと消極だということでございます。よろしいでしょうか。 ○今田委員 ありがとうございます。 ○鎌田部会長 五阿弥委員,どうぞ。 ○五阿弥委員 今の質問に関連して教えていただきたいのですけれども,もっと工夫をする際の工夫の中身ですけれども,アメリカなどは,禁酒プログラムをやっておりますが,例えばそういうような様々な教育プログラムを徹底するとか,そういうようなことなのでしょうか。あるいは,それ以外に何か具体的なことがあったら,ちょっと教えていただければと思います。 ○久保野参考人 実は,禁酒プログラムというようなものまで行くよりも手前かなと思っておりまして,具体的な制度設計は難しいのですが,例えば児童相談所の人員の数ですとか,あるいは施設の数ですとか,その専門性をもっと充実させていくということで随分違うのではないかと思います。   先日,たまたま児童虐待の研究会に出ましたときに,カリフォルニアの例のお話がありまして,1人のワーカーさんが負担する,一般に一時に持つケースの数というのが,いろいろ困難さによって違うのですが,10から15ですとか,20,30と紹介がありまして,それが例えば5種類の家庭について10から15という数が並んでいるのを見て,日本の児童相談所の方が,これ全部合わせてですよねというふうにおっしゃいました。恐らくその10から15という国と,日本の場合,いっぺんにけたが1つ違うというような状態のようであります。客観的な数字ではないですけれども,ただ10倍違うというようなことは恐らくあろうかと思いますので,行政の充実でも,十分対応できるのではないかと思っておりますし,あるいは家庭裁判所の家裁調査官等の制度を少年法と絡めて改善していくということですとか,いずれにしても,抜本的な政治的な問題でしょうから,そんなに簡単なことではないということだとは思いますが,あえて理想論としてお答えすればそういうことではないかと思います。他国を見ると,本当に解決したいのであれば,そういうことが必要だというふうに思っております。 ○五阿弥委員 ありがとうございました。 ○鎌田部会長 水野委員,お願いします。 ○水野委員 遠山参考人にお伺いをしたいのですが,一番最後のところで,世論調査で過半数を得たコンセンサスがないと改正できないだろうと書いておられますけれども,私自身はそうではないと考えております。民法は制度を形成するものですが,それだけではなく観念の力,制度を変えることによるその観念が変わることによる力,制度が変わり観念が変わることによってその社会が変わっていくことの力というのは,とても大きいと思っております。   例えば,家制度廃止でも,あの段階で世論が過半数になるのを待っていたら,恐らくいまだに家制度が続いていたろうという気がしますし,それから遠山参考人がくださった座談会の資料の中にも,例えば離婚後の共同親権が立法されたことによって,離婚後の親子の接触が途切れなくなっていく,意識が変わっていくという例が挙げられていたと思います。介護保険の制度化によっても,私は社会的な介護というものに対する国民の意識も全部変わっていったと思います。   このように,大きく制度が変わるときに,観念が変わってそのことによる力が大きいということもあるのですが,問題はここでずっと今まで語られてきましたように,制度が,特にサポートのためのお金がかかる制度が,すごく足りないのに,そこが今すぐには変わらないという前提で,年齢だけを動かすことを今我々が審議していることの限界と難しさがあります。   年齢を変えることでも,観念と制度の関係で言いますと,フランスは2006年のファミリーバイオレンスに関する法律で,女性の婚姻年齢が低かったのですが,男性並みに18歳に上げました。それはやはり一つは平等という観念ですし,もう一つは,そういう若い女性を性的な結婚対象にすることに対する問題性ということを込めて18歳にしたのですが,現実には場合によって例外を認めるという145条があって,女性が若くして妊娠してしまったような場合には,例外的に結婚ができるということにしてあります。この成年年齢の場合は,あなたは未熟だからということで例外的に年齢を上にするという形の仕方はできないだろうと思いますし,遠山参考人がおっしゃいましたように,私も何段階かに分けるということについてあまり賛成できません。それはそれだけあなたは大人になったのだという観念の力を弱まらせてしまうことになると思うからです。   そこで最後の質問になるわけですが,司法にしても行政にしても,社会のサポートが圧倒的に足りないという現状を前提にしたときに,その18歳から19歳の自立の困難な子どもに対して,現在はサポートはないのだけれども,将来のサポートの対象を親にする方がいいのか,それとも子ども本人にしてしまう方がいいのかという,そこのぎりぎりの切り分けです。そういう切り分けだけで考えていきますと,そんな今さら親にというよりも本人を対象にしたほうがいいではないかと見えるかもしれないのですが,先ほどから加賀美参考人は,親に問題がある子ほど,やはり自立後もサポートが非常に必要なのだと言われましたし,それから久保野参考人も,自立させて足りることにしてしまうことについて非常な危惧を述べられたと思います。つまり,自立後もサポートが必要なそういう18歳,19歳の子どもたちに,18歳以上は親に対する抵抗力は,年齢的にはある程度あるでしょうから,そういう子どもたちは親の力を借りるという形で制度設計をした方がいいのか,それとも必要な援助はもう子どもにここから先は与えるという形で,ここで踏み切って,そのサポートを組み立てていった方がいいのか。本当にぎりぎりのところだと思いますが,どちらだと思われますか。 ○遠山参考人 多分,無条件に18歳に下げましょうという人は,あまりいないのではないかと思っております。必ず下げる考えの方は条件が付いている。それは下げることによって生ずる弊害に対するサポート,それから,久保野先生がおっしゃっているとおり,今でも結構十分ではないから,それも充実させなくてはいけないというところは,引下げ論の方々も大体共通のところではないかというふうに思っています。   私の骨子の最後の3行というのは,それをまず前提とした上で,要するに国民的に皆さんの議論を十分に積まなくてはいけない問題ではないかなという意味合いのメッセージです。   だから,この成年年齢の問題は,今言った制度設計の問題もあるのだけれども,国民文化の問題もあるのかなと思っているのです。文化の問題というのは,それぞれの生活している方の生活感覚というのがとても大切だと思っていまして,そういった感覚もくみ取った形で決める方が,制度としてはやはり望ましいのではないかなという意味合いで,実はこの3行を書きました。 ○鎌田部会長 氷海委員,どうぞ。 ○氷海委員 久保野参考人にお聞きしたいのですが,諸外国の資料等も見させていただいて,ほかのところでは成年年齢を18歳にして,保護的なものをいろんなパターンで延長するなどいろいろな形に工夫している国があるようですが,実際に,もしも日本において成年年齢を18歳にした場合のメリットが幾つかありましたら,お聞かせ願いたいと思います。   それからもう一点ですが,先ほど先生のお話の中で,高校の先生の話がありましたが,私がこの中で高校の先生なんですが,18歳ですばらしい者がいて,だから大丈夫だとおっしゃっておりましたが,あれはそうではなくて,日本の高校生というのはすばらしい者もいるし,全く不安な者もいて,日本の高校生を一言では語れないのですという話です。 ○久保野参考人 先ほど,どちらかというと消極であるとお答えさせていただきましたが,引き下げることが問題ばかりだと思っているわけでございません。ただここでもあえて親権法の観点から言わせていただきますと,諸外国を見ましたときに,もちろん子どもの権利条約を始めとしまして,だんだん成熟してくる子どもの欠けているところを補っていくのが親権者なのだというような制度になっていっておりまして,日本の在り方としましても,やはり,例えば過保護な親問題というのがどのくらい本当にあるのか分かりませんけれども,ただやはりあるとしますと,その子どもを1人の人格の主体として認めて,補充的なものとして親を考えていくという考え方は,もっと強調されていいと思っております。   そのような方向で見ましたときには,先ほど申したような懸念が払拭できれば,むしろ下げていくということも十分あり得るところだと思っておりまして,どちらにしましても,今おっしゃいましたように,いろいろな人がいる中で,どこで思い切って切るかということですので,援助が必要な人を本当に助けるセーフティネットが用意できるのか,他方で独立性の高い人になるべく,可能性をどう認めていくかというこのバランスの中で,今,先ほど私が申したのは,若干,自立に援助が必要な人に対する支援に不安があるので,あえて言えば否定的だということだけでございまして,むしろ将来的には,私も大学で教えておりますので,18歳,19歳の人たちとは日々接しておりますけれども,成年年齢の引下げは,社会経験を積ませるというところが大きいかと思っていますので,必要な保護を与えながら,社会経験を積ませる機会を与えられるようにしていければ,もちろんメリットはあると思います。 ○氷海委員 ありがとうございました。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでございますでしょうか。 ○始関委員 久保野参考人にお伺いしたいのですけれども,部会資料30の5ページに若年成年者保護制度について書いていただいておりまして,非常に面白いなと思って読ませていただきました。18歳が成年だけれども,21歳になるまではフランスでもイギリスでもドイツでも,国が一定の保護をするということのようですけれども,その中身について,今日は時間の関係であまり詳しく述べられなかったのですけれども,例えばフランスの措置の内容として,観察とか教育扶助という言葉を書いていただいているのですけれども,どのような観察あるいは教育扶助というのが行われているのでしょうか。   あるいは,ドイツですと教育扶助として教育学的給付とか就労措置などということが書かれておりますけれども,一体どんなことが行われているのかというのが,これを拝見しただけではイメージが全然わかなかったものですから,何かお分かりであれば教えていただければと思います。 ○久保野参考人 先ほども少し申しましたけれども,特にイギリス,ドイツについては,制度としてそういうものがあるということをとらえてきただけでございまして,具体的なものにつきましては,正にその国の児童福祉行政でどういうことが具体的にやられているかというのは,もう少し見てみないとお答えができないということになります。   フランスについては若干知っていることがございまして,これはフランスの場合,前者のほうは非行の少年に対する対応が延長されたもので,後者のほうは,ここで使っている言葉で言いますと,児童福祉法上の措置を延ばすというようなものになっております。ただし,具体的な措置といいますか,今御指摘があったような観察ですとか教育扶助のやり方は似通ったところもございまして,エデュカトゥアーというソーシャルワーカーといいますか,個別の家庭に訪問する専門家,国家資格を持った専門家がおりまして,それらの者が訪問して相談に乗ったりですとかということをしているというのが,解放環境における教育扶助というのは主にそういうものを指していると思います。   包括的には,とても御説明できるほどのものを持ち合わせておりませんで,ただそれだけ見ましても,フランスは特に手厚い国ですので,いかにそういう専門家をそろえて人材を投入してやっているかというものの一端でございます。 ○鎌田部会長 私の理解力が追いついていないかもしれないですけれども,今日の課題に関して言えば,児童に対するある種公的な保護の体系と,それから親子間の問題,民法が規律している問題というのがあって,その公的な保護の体系,これは児童福祉法にしろ児童虐待防止法にしろ,日本でも18歳が基準となっているのですよね。 ○久保野参考人 はい。 ○鎌田部会長 一方で,民法は20歳となっている。このずれを合わせる方がいいのか,合わせない方がいいのか。あるいは,現在でも今のドイツ,フランスのようなことで言えば,18歳で児童福祉法体系の保護が外れた後,20歳あるいは21歳までの間をどうするかという問題は,今の日本でも,成年年齢を引き下げなくてもある問題だというふうな気がするんです。この民法の成年年齢の引下げ問題と,今の児福法,児虐法の体系との関連をどう理解したらいいのかなというところが,今一つ整理できていないところがありますので,何か御意見がありましたら,教えていただければと思います。 ○加賀美参考人 私は,全国の児童養護施設協議会というところで,その取りまとめをしていた時期がございまして,その中で議論してきたことというのは,社会的養護を必要とする子どもたちの自立問題,虐待問題を中心にして,そういうことから,自立年齢のむしろ引き上げを期待したいという意味で,児童福祉法の18歳年齢を20歳あるいはそれ以上に引き上げるべきだという議論をずっとしてきて,そういう国への提言もしてきました。   そういう流れから言うと,今,虐待問題あるいは社会的養護の問題にかかわっている研究者なり,かかわっている社会的養護の人間は,18歳に下げることはとんでもないという感覚を持っているはずです。それは,とりもなおさず先ほど申し上げたような子どもの発達上の問題が虐待と極めて深刻に絡んでいるからということでありますが,そういう観点から言うと,実は事務局で詳細な各国の資料をお示しいただいた中で,ほとんどの国の18歳年齢の引下げの時期が,1970年代以前であるということであります。   特に先進国と言われる国において,いわゆる工業化社会,つまり近代化を進めた社会の中で同時発生的に起こってきたのがこの虐待の問題でして,虐待の問題が実際にアメリカ,イギリスなどの各国で,1960年代の後半ぐらいから70年代くらいにかけて初めて虐待問題が社会化,問題化をして,ずっと議論をされてきて,今深刻な虐待問題に悩んでいるという状況にある中で,実はその成年年齢は70年代以前に大体各国とも18歳になっているのだなというふうに改めて思ったところです。実はこれは世界的には,虐待が幼少期から極めて深刻に起こるというのは先ほど来の数値のとおりでありまして,そういうことからその愛着の問題も,含めて極めて発達上の課題,そしてそれが人生を決めていってしまうような大きな子どもの心の自立の問題に大きな影響を与えるファクターだとするならば,この問題はそういう視点からももう一回検討してみる必要はあると思うのです。   だから,先ほど遠山先生のお話にあったとおり,もし下げるのであれば,本当にそういう意味で子育ち,親育ちの問題に社会コストをしっかりかけるということを考えていかざるを得ないのではないでしょうか。先ほどフランスの事例の紹介がありましたが,フランスが一番少子化対策も含めて改善は見られているのですが,明らかに社会コストを子ども養育にかけているということは,そういう状況も含めての話だというふうに理解をしております。 ○鎌田部会長 それでは平田幹事,お願いします。 ○平田幹事 今の加賀美参考人の話について,1点だけ確認させていただきたいのですけれども,児童養護施設の協議会では,70年代から20歳でそろえるべきだという議論とともに,児童虐待が顕在化してきて,子どもの引渡要求というのが増えて,親権の壁ということも70年から同時に言われていたと思うのですけれども,20歳にそろえるという議論は,親権解放とか親権の一時的停止とかという議論と対になっていたのではなかったんですか。 ○加賀美参考人 児童養護界で本当にその親権の問題あるいは子の権利の問題を含めて議論されたのは,1990年代以降だと思います。そのような議論が70年代にはほとんどされていないというか,虐待問題そのものへの認識が極めて希薄だったというふうに思いますし,1990年代の初めごろになって初めて,大阪に虐待防止協会というのができて,翌年に虐待防止センターが東京にできたというふうなところから,初めて日本でも虐待が深刻だというようなことが出て,急速に虐待問題が顕在化をしてきたという流れですので,あまりこの問題について,虐待という問題から親権,子の権利の問題はあまり議論はされてきていなかったなというふうに思っています。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。おおむね予定の時間になりましたので,ここまででよろしゅうございますか。   それでは,質疑応答はここまでということにさせていただきたいと思います。遠山参考人,加賀美参考人,久保野参考人,本日は大変有益なお話を承りまして,誠にありがとうございました。   最後に,事務当局に次回の議事日程等について説明してもらいます。 ○佐藤幹事 それでは,次回の議事日程につきまして御連絡いたします。   次回の日程は,日時,平成20年9月30日火曜日,午後1時30分からで,場所は法務省20階の第1会議室です。本日とは場所が変わりますので,お間違えのないようにお気をつけください。   審議内容についてですが,次回以降はこれまでのヒアリングの結果を踏まえて,委員,幹事相互間で成年年齢の引下げについて御審議いただきたく存じます。その前提といたしまして,次回は冒頭に事務当局からこれまでの調査審議の結果について御報告させていただきたいと考えております。 ○鎌田部会長 以上をもちまして,法制審議会民法成年年齢部会第7回会議を閉会にさせていただきます。本日は御熱心な御審議を賜りまして,誠にありがとうございました。 -了-