法制審議会刑事法(公訴時効関係)部会 第3回会議 議事録 第1 日 時  平成21年12月9日(水)   自 午後1時30分                         至 午後5時17分 第2 場 所  東京高等検察庁第2会議室 第3 議 題  凶悪・重大犯罪の公訴時効見直しの具体的在り方等について 第4 議 事 (次のとおり)                 議     事 ● ただ今から法制審議会刑事法(公訴時効関係)部会の第3回会議を開催いたします。 ● 本日は,御多用中のところ,お集まりいただきましてありがとうございます。   前回の会議で御了解いただきましたとおり,本日は,第1回会議で配布されました資料10の論点案に沿って引き続き議論を続けていくことになっておりますけれども,前回の会議で被害者団体の方々から今回の諮問に関する御意見を伺いました。そのことも踏まえまして,資料10の論点案のうち,特に第1の「公訴時効見直しの必要性,妥当性」について補充的な議論を行ってから,次の第3の「現に時効が進行中の事件の取扱い」という論点に入りたいと思いますけれども,それでよろしいでしょうか。―ありがとうございます。それでは,そのようにさせていただきます。   今回事務当局から追加で配布された資料もありますけれども,いずれも第3の「現に時効が進行中の事件の取扱い」以降の論点に関するものでありますので,これらの論点について審議する際に併せて説明していただくことにしたいと思います。   それでは,第1回の会議で議論いたしましたが,「公訴時効見直しの必要性,妥当性」について,前回会議におけるヒアリングの結果をも踏まえて,御発言があればどなたからでもお願いしたいと思います。いかがでしょうか。 ● 私は第1回の会議を欠席しましたので,私の方から最初に述べさせていただきます。   公訴時効については,犯罪被害者は前々から不満がございました。こういう時効は廃止すべきであって,被害者がいつまでも苦しんでいるときに,一定期間が来れば青天白日の身になるのはけしからんという議論がずっとあったのですが,ただ,私どもは,犯罪被害者等基本法とか,犯罪被害者等基本計画とか,被害者参加とか,そういう問題に一緒に追われておりましたので,時効の問題を声高に述べる機会もなかったわけでございます。正直に言いますと,私どもが知らないうちに公訴時効期間の延長が決まったというような状況でございました。その後,基本法ができたり,その後の基本計画,参加とかいうことがあって,犯罪被害者の中から凶悪事件の公訴時効の廃止を見直すべきだという望みが強烈に高まってまいりました。そういうこともあって,私ども,法務大臣に対してそういうお願いをしたということで,平成16年というのは,ちょうど基本法が12月にできた年でもありまして,そのときにはエネルギーはそっちへ行っていたのですが,それ以後は,この公訴時効廃止に向けてのエネルギーが非常に高まってきたということでございます。その間,参加とか,一つずつ越えなければいけなかったものですから,公訴時効廃止に関する意見を声高に表明する機会がなかったのですが,これが,特に基本法ができた後高まってきたということでございます。 ● ただ今○○委員からそのような御意見がございましたが,ほかの方,いかがでしょうか。 ● 前回ヒアリングをして,法務省が勉強会の意見をまとめる段階ではヒアリングをされていなかった,どちらかというと公訴時効の廃止・延長に反対の団体の方のお話がありました。その話も踏まえて,また交通事故の被害者の会の方のお話も聞いている中で感じたことは,必ずしも被害者は一様ではない,被害者全員が公訴時効の廃止・延長を求めているわけではない,いろいろな方がいらっしゃる,多様な被害者の方がいらっしゃるという中で,法務省の勉強会では,その反対の意見がほとんど聞かれないまま結論を出されたわけですけれども,やはり多様な意見があるということを前提に議論していく必要があるということで,公訴時効を延長することによって場合によっては苦しむ,つまり,犯人が捕まらないということで,長い間捕まるかどうかということを考えながら待たなければならない,本当は区切りをつけて次のステージに移りたいと思っても区切りがつかないということで苦しまれる方もいらっしゃるかもしれない。それなら多様な被害者がいらっしゃることを議論すべきであって,もちろん,公訴時効の廃止・延長を求める強い意見を述べておられる方もたくさんいらっしゃるということはよく分かるのですけれども,反対の方もいらっしゃるということも踏まえて,この審議会では冷静な議論をしていく必要がある,そのように感じております。 ● ちょっとよろしいですか。被害者の中で時効の延長・廃止を求めない人たちもいるとおっしゃいましたけれども,そういう団体をお知りですか。○○さんたちの団体以外にありますか。 ● そういうことを議論する場ではないと思いますが,声を上げていない方もいらっしゃると思うので,声を上げている方だけの意見を聞くというのはやはり偏っているのではないかと。 ● 声を上げていない人の意見を聞くといっても,どうやって聞くのですか。こういう人もいるのではないかといって想像するだけではありませんか。悪いけれども,○○さんのところだけですよ。しかも,その中に被害者が何人いるかということを確かめたけれども,それも明らかにしない。どんな罪名の人がいるかということも明らかにしない。もし○○幹事の方でこういう団体の人で反対している人がいるということが分かれば,それをここでおっしゃっていただきたい。私たちは,たくさんの被害者の団体とつき合っておりますけれども,そういうことを言う団体は一つも会ったことはありません。全国の講演会で行きますけれども,この問題について,おっしゃるようなことを言った被害者はだれもおりません。もしいたとしたら,それを明らかにしてくれと。 ● 特定の団体についてあまり踏み込むのは適切ではないと思うのですけれども,○○幹事,何か。 ● 要するに,そういうことを求めない方は声を上げられないわけですので,どうしてもそういう声が上がってこない,また,そういう団体がないというのは仕方がないと思うので,世論調査もありますけれども,○○さんのお話もありますし,いろいろな中である程度の割合,時効の延長・廃止を求めない方もいらっしゃるということはあり得ると思うので,100パーセントそういった被害者が廃止・延長を望んでいるのではないというスタンスでの議論が必要ではないかと思っております。 ● ただいまお二人は専ら被害者団体の御意見の内容を巡って議論されている。   それから,○○幹事は,法務省による制度見直しの方向性の取りまとめは一面的な意見だけを聞いて行われているというような言い方をされたようにお聞きしましたけれども,取りまとめの前提としてパブリックコメントも行われているわけでございまして,そこで意見のある方については,被害者団体に限らず,一般の方々の意見も前提にされているということは間違いないところですので,若干表現に誇張があったかとも思われます。   それから,○○委員のおっしゃったことについて質問してよろしいでしょうか。 ● 結構です。 ● 先ほど,非常に一般的におっしゃられましたけれども,あすの会の御意見は,すべての時効制度を廃止というのではなくて,凶悪・重大事件についての時効の廃止というのが基本的なお考えであると受け取ってよろしいでしょうか。 ● 基本的にはそれで,それ以外の軽いものについては延長すべきであるということでございます。全部が全部廃止ということではありません。 ● ありがとうございます。 ● ほかの方の御意見も伺いたいと思います。 ● この間の被害者の方の御意見などを伺いましても,凶悪・重大な事件について公訴時効を撤廃するという場合に,その範囲ですね,どこまで凶悪・重大な事件ととらえるかというかなり難しい問題があるということ,そして,交通事故の被害者の方たちも時効延長の大きな要求を持っていらっしゃるわけです。そして,あの中には出てこなかったのですけれども,性犯罪については,この前,告訴期間の撤廃をいたしました。ですから,公訴時効だけがかかってくるわけで,今は強姦罪などについては10年になるのですね。でも,幼いころの性的被害について,成長した後にどうしても究明したいというような,そういうものに対する要求もかなりあるのではないかと思うわけです。ですから,公訴時効の問題を取り扱うときには,どの範囲で撤廃し,どのような延長を行うかということについて,それぞれの犯罪の範囲をきちんと確定するのが非常に困難な作業だなと思いました。 ● 具体論に結び付く部分が非常に難しいという御意見ですけれども,ほかに,この必要性,妥当性について御意見がございましたら。 ● 私も,この前のヒアリングを伺いまして,確かに被害者団体の方々の意見も多様であるということはそのとおりだと思いましたけれども,しかし,圧倒的に多いのは,公訴時効を撤廃したり,あるいは延長という形で見直してほしいという意見でした。これはこの前のヒアリングだけではなくて,毎日新聞の世論調査とか,いろいろなテレビや新聞等の報道などを伺うと,被害者の圧倒的多数と被害者に共感する多くの国民は見直しが必要なのではないかという意見であるように私は受け止めております。   それでは,何故今見直しが必要なのかということを考えますと,やはり,その時々の世の中の人の受け止め方というのは大きいと思います。そして,今この問題をめぐる状況が動いているということがあると思います。   例えば,アメリカの例が配布資料でも配られておりますけれども,私も少し調べましたら,かなり長い歴史の中で,当初はあまり改正はありませんでしたけれども,今まで,年度によりますと,連邦について見ると20回ぐらい,1年に幾つかの法律の改正という場合がありましたので,その観点から見ますと,26ぐらいの回数にわたって公訴時効の延長とか撤廃というような法律の改正がされていると思います。特に1990年代以降はその頻度が多くなりまして,かなり多くの回数にわたって法改正がなされています。いろいろ特徴がありますけれども,その中では,謀殺についてはもともと時効がありませんけれども,性的な犯罪,違法な薬物,あるいは人身売買,テロ犯罪,児童に対する虐待等,このようなものが中心になって公訴時効の延長・撤廃がなされていると思います。   翻って我が国の問題を考えますと,性的自由に対する侵害,これを重視するのは我が国でもそういう傾向がありますし,子供に対する保護も重要だということになってきております。違法薬物に対する目も厳しくなっています。加えて,我が国の場合は,危険運転致死傷罪,自動車運転過失致死傷罪,これらのひき逃げと相まって,こういった問題を中心にして考えていくというのが具体的ではないかと私は考えます。今の我が国においても,そういうところに時効制度の見直しの必要性が認められるのではないかなと思いました。 ● そのアメリカの例ですけれども,連邦ということですよね。 ● 連邦です。 ● その場合,もともとかなり短い公訴時効期間を設定しているということが前提ですよね。そのアメリカでは,性犯罪の被害者の保護とか,あるいは児童の保護について,一般的に声が高まってきているということなのですが,例えば新しいDNA型鑑定技術の発展といったことなどは,どの程度法改正に結び付いているのでしょうか。結び付いていないのでしょうか。 ● それも一つ結び付いていると思います。   つまり,一つは,犯罪の重大性というか,こういう犯罪については訴追をもう少し長い期間認めてもいいのではないか,あるいはずっと認めてもいいのではないかという理由があります。テロ犯罪とか謀殺とかそういった犯罪等はその例ですね。   もう一つは,DNA鑑定の精度の向上によって,時間が経過しても公平・適正な裁判が可能だということがあって,特に連邦だと2003年からジョン・ドゥ起訴の運用がされるという状況になって,それも影響を与えていると思います。 ● アメリカの場合は,多くの犯罪は州法上の犯罪ですよね。州でも,一般的にそういう動きがあると理解してよろしいですか。 ● 州はたくさんあり,各州の法制度・運用には多様性がありますが,やはりそういう傾向はあると思います。 ● 分かりました。ありがとうございました。   ほかの委員の方,いかがでしょうか。 ● 先日のヒアリングの中でも,捜査機関,特に警察の対応などについてのコメントも何度か聞かれたと思うのですが,仮に殺人事件について,30年,40年訴追が可能だということになったときに,果たして対応は可能なのかどうか,あるいは,今とどのように違った対応をしていくことになるのかということを警察の方にお聞きしたいなという気がします。 ● 警察にという御指名ですが,○○委員。 ● 重大・凶悪事件,例えば死刑を科すことができるような犯罪について,時効が撤廃される,あるいはかなり長期に延長されるということになった場合に,警察としては,今やっております捜査が継続していくことになるわけですね。ただ,現在も時効ぎりぎりで検挙される事件はそれほどはないわけです。特別捜査本部を作るような重大な事件になりますと,1年,2年,あるいは数年のうちに検挙がなされる,それ以降はなかなか検挙できないというのが実際なのです。実際にありますのは,犯人が特定されて,それが捕まらない。例えば,指名手配をして逃走中の犯人を追跡していくという場合に,長期逃亡の末どこかで捕まると。この間のリンゼイ・ホーカーさんの事件は2年半逃走していましたけれども,あれが長期逃走していれば,10年,15年探すということは当然あり得るわけで,そういうケースについては,時効が延びれば捕まる可能性は非常に高くなるということだろうと思います。ただ,犯人がなかなか特定できないものの捜査をずっと継続していって飛躍的に検挙が増えるかというと,恐らく期間を延ばすことだけではなかなか難しいのではないか。ただ,そうは言っても,全くないわけではありませんので,それなりの意味があるだろうと思います。   それから,お聞きになられている趣旨とは違うかもしれませんけれども,先日のヒアリングで,交通事故,例えば死亡ひき逃げ事故について時効を延ばしても,捜査が充実しない限りあまり意味がないのではないか,捜査が十分されていないのではないかというような趣旨の御発言がありました。これは私どもも内心忸怩たるものがあるわけですが,数字的に見ますと,ひき逃げ事故については,特に死亡ひき逃げについての検挙率は93%ぐらいになっております。それも期間で見ますと,1年以内の解決が90%以上になっていると思います。ですから,現実的には,検挙に至る期間というのは,時効目いっぱいかかって捕まえているわけではなく,比較的早い段階で検挙がなされている。残っている部分を時効延長してどこまで延ばせるかというのは,例えば期間が倍になれば倍になるというほど飛躍的にはならないだろうと。ただし,意味がないということはないというような感じを持っております。 ● ということは,現状の体制のままで凶悪事件について時効延長ないしは廃止したとしても,偶然犯人が分かったというような非常に例外的なケースを除いてはあまり意味がない,あるいはシンボリックな意味しかないと理解してよろしいですか。 ● どれだけ意味があるのかというのは,やってみなければ分からないですけれども,飛躍的に伸びるという感じは持っておりませんが,それなりに意味は出てくるだろうと。ただ,前も申し上げましたけれども,捜査資源の分配の問題がありますので,その体制をどうするかというのは我々の方で考えていくべき話ではないかと思っております。 ● 分かりました。 ● 今の関連で○○委員に御質問したいのですけれども,平成17年1月1日以降の犯罪については10年公訴時効が延長されて25年になったのですけれども,それに当たって捜査体制とか捜査の記録の扱いとかについて改めた点というか,そういうのは何かあるのでしょうか。 ● 前の時効の延長ですか。 ● この間,延長しましたね。そのときなのですけれども。 ● お分かりの範囲で結構ですが。 ● でも,これはまだ時効は延びていないですよね。実際に時効が延びるのは。 ● もちろん15年たった後ですけれども。 ● それは,公訴時効が延びたことについて特に体制とか手当てを講じたということはありません。 ● 今の○○委員と○○委員の御議論を聞いての感想ですが,公訴時効を凶悪・重大事件について撤廃する,あるいは延長するかどうかという論点について,確かに,撤廃や延長をした結果として,これまで見付からなかった犯人が見付かる効果があるかどうかも一つの要素かもしれませんが,むしろ,いろいろな事情で犯人が検挙できたときに,それが時効のために訴追できないという事態が起こることについての,非常に茫漠とした表現ですが,被害者の方のそれは不当であるという感情あるいは被害者を含む社会一般の,凶悪・重大事件が訴追・処罰できなくていいのかという受け止め方,そっちの方が,むしろ立法理由・立法動機のかなり大きな部分を占めているのではないか,一般の方のコメントの中にもそのような意見が多くを占めているのではないかと思います。時効が延びた結果として犯人が検挙できるということを求めての御要望ではないのではないかという印象を持つのです。 ● ○○委員,何か反論はありますか。 ● いろいろありますが,とりあえずここはこの辺で。 ● 公訴時効の期間を延ばすことについての実際上の意味合いを考えるときに,先ほど○○委員がおっしゃったように,その事件の状態もいろいろなものがあるということを考えておかなければいけないのだろうと思います。非常に重大な事件で,犯人も特定されて,指名手配もしているというような場合であれば,その犯人を追及する時間が長くなるということは当然あり得るだろうと思います。それから,例えば,DNAの型が分かっている場合とか,あるいは,指紋が分かれば大体氏名は分かるのかもしれませんが,凶器などから指紋が検出されて,その所持者の名前までは分からないという場合があれば,その犯人がかなり後になって何らかの別の犯罪を犯してそれがヒットすることもあり得るわけで,その期間が延びるということもあるだろうと思います。他方で,それなりの証拠はあるけれども犯人の特定までは至っていないという事件もあるだろうと。そのときに,公訴時効の期間を延ばした場合には,その間,捜査をして犯人にたどり着けるかどうかということになるのだろうと思います。また,そのときにどこまでの期間捜査を続けられるのか,マンパワーの問題もあるだろうと思います。他方で,実際の事件を見てみますと,被害者と目される人が亡くなっているとはいえ,事件性が必ずしも明らかでない,不審死であるということで,令状を取って解剖もしました,どうも他殺らしいけれども,そこもよく分からないという場合もあり得るわけです。もっと言うと,もうそれは他殺ではない,不審死ではないのだということで処理されてしまったという場合も当然あって,そのときは捜査自体がなされていないということになろうかと思います。そういう場合は,公訴時効の期間を幾ら延ばしても,そのために捜査をする期間が延びて犯人が検挙されるという結果に至る可能性は実際上はないわけです。しかしながら,前にも話が出たかもしれませんが,自宅を立ち退かなければならないという事態があって,そこの敷地から遺体が発見されることを覚悟して出頭したという事例もあって,そういった事情で本人が自白する,あるいは犯人が判明する,そのときに,15年,25年を経過して既に時効が完成しているから処罰できないのだという事態を容認するのか,それが正義感にかなうのかという問題が出てくるのだろうと思います。それは,先ほど○○委員がおっしゃったような事態になる。ですから,公訴時効期間を延ばした場合の効果というのは,捜査をする期間が長くなって犯人の検挙に至る可能性が増えるというケースから,そうではないけれども何らかの事情で犯人が判明した場合に対応できるというケースまで,事件の状況によっても結構違い得るのではないかと思われるところでございます。 ● 今の検挙の問題というのは,時効の延長のときにはある程度分かる議論なのですけれども,特に今回は廃止というものがターゲットになっているときに,被疑者が百二,三十歳まで行けば必ず死ぬということが分かっているときに,廃止するということは永久に公訴時効がなくなるわけですから,そういう意味では永久に訴追可能性が残るのですけれども,そういう状態でありながら訴追可能だという状態にするということの理論的なおかしさというか,これは法務省の勉強会の中間取りまとめにも触れられていたのですが,100年以上たったら被疑者は死亡することが明らかなのに廃止するという選択をあえてするというのは,これは明らかに宣言的な意味といいますか,廃止するということをもって犯罪対策というのですか,予防というのですか,そういう効果を持たせる意味しかなくて,実際の検挙可能性はもうないわけですから,そういうことを想定しながら廃止という選択をするということについては,理論的な問題といいますか,理論的に破綻しているのではないかという気が私はするのですけれども,その辺について是非御意見をお聞きしたいと思います。 ● その前提として,訴追可能な状態が続くと何か不都合があるのですか。 ● 結局,警察はずっと捜査本部又は記録を持ち続けるのかということです。 ● その問題は恐らくレベルの違う問題ですよね。 ● レベルは違いますけれども,捜査し続ける状態ということになりますし,ある意味で,遺族から見ると,遺族の遺族というか,遺族等の相続人が永久に犯人が捕まるまで待ち続けるということですね。そのおかしさということがあると私は思うのですが。 ● ○○幹事はおかしいと感じられるということですね。その点については,勉強会に関して何か補足説明がありますか。 ● 特にはございません。 ● では,○○委員,どうぞ。 ● 遺族が犯人が捕まるのを待ち続けることがおかしいというお話がありましたが,これは,我々遺族にとっては極めて納得できない議論なんですよ。被害者というのは一生泣き続けるし,何とか犯人を捕まえてもらいたい,時の経過とともに青天白日の身になってたまるかという気が強いんですよ。そこを,被害者が長いこと待ち続けてどんな意味があるかと言われると,これは,被害者としては正直言って憤慨する議論なのです。犯罪被害者等基本計画以後の立法とか議論というのは,被害者の尊厳,被害者の気持ちの尊重,それで貫かれているわけです。捜査技術がどうのこうのというよりも,やはり被害者の気持ちを中心に考えるべきだと思うのです。   一つの例を申し上げましょう。これは,千葉県で,帰宅してみると御主人が殺されておりました。恐らく空き巣の居直り強盗ではないかと言われているのですが,犯人が捕まりません。子供さんが二人いて,50代の終わりぐらいの御婦人でした。だんだん子供さんたちも結婚して出ていきました。だけど,その御婦人はずっと家にいたのです。というのは,犯人が捕まって,もしも実況見分しなければいけないときに,この家を壊したらできなくなるのではないかと,その一心で壊さないでずっと住んでいた。同時に,風の音が来ても,あ,犯人が来たのではないかと。振り向いて通る人があれば,あ,あれが犯人ではないかと,こう思いながら。そのときには時効期間内ですから,警察が助けてくれるだろうと思いながらやっていたのですが,とうとう自分の体が悪くてホームに入られました。ホームに入られたけれども,1月に1回は千葉県警に通っております。この方は時効まであと2年ぐらいですが。それは,その人も子供さんも含めて,犯人が許せないんですよ。犯人がのうのうと生活している,こんなこと許してたまるかというのが被害者の気持ちで,一定期間たてば被害者はもう忘れるだろうとか,いつまでも時効を置いておけば苦しみのゴールを先に延ばすことになるだろうとかいうお話は,全く被害者の気持ちを無視した議論なのです。それは本当にそうなんですよ。だから,捜査の技術がどうこうというよりも,被害者がどう思うか。先ほど言ったように,時効期間内なら何となく警察の手元に事件がある,そうすると,だれかが振り向いても,いざというときには警察に頼めばいいという安心感があるのですが,時効期間が満了しますと,もう警察の手も離れたということで非常に不安になるのです。事実,その方は,ホームに入っておられるけれども,もし電車の中で私を知っている者が犯人だったらどうしようという恐怖感が絶えずあるということです。だから,そういうのが被害者だということを認識していただきたい。   それから,性犯罪の被害者ですが,これは42歳のときに集団で山へ連れていかれて性犯罪に遭いました。奄美大島の方ですが,もう人前に出ることが嫌になって,自分の市営住宅に機を買いまして,奄美大島の大島つむぎ,そして機を織って子供たちを高校まで出しました。もう外へ出てこないのです。それで,あすの会ができたということを新聞などで見て,やっと我々の思いを伝えられる会ができたといって手紙をくれて,私も会いに行ったりしました。もう70近い方ですけれども,そのときの性犯罪の苦しみというのはひどいもので,私たちの会員でも性犯罪に遭ったために結婚できないままになった人もおります。そんな状況で,時間がたったために被害者の苦しみが無くなるというのは,これは被害を受けていない人が頭の中で考えることなんですね。 ● ○○幹事もそこまでのことをおっしゃっているわけではなく,公訴時効を廃止しても,実際上,100年もたつと捜査はできなくなってしまう。そういう状態が続くということがいいのかというのが,多分○○幹事の趣旨なのですけれども,○○委員の御意見では,仮に公訴時効が廃止となる場合に,実際上の捜査の続行と連動するものなのでしょうか。それとも,捜査の方はある現実的な限界で,もう止めてよいということなのでしょうか。 ● いつまでも捜査本部を置いたような体制を作れないというのは分かります。どうしても新しい事件に資源を投入しなければいけませんから,それは分かります。それよりも,彼らが助かってどこかでのうのうと生活しているのではないかということが大変であって,仮に捜査がしてもらえなくても,やはり時効で許すことはできない,こういうところです。 ● 違う論点でも結構ですが,必要性あるいは妥当性について御意見があれば。 ● お聞きしていて,確かに真犯人が処罰されないまま免れるというのは非常に不当である,時間とともにずっと処罰されなくなってしまうのは非常に不当だ,あるいは,逆に言うと,真犯人がそういうものを免れる利益,あるいは期待みたいなものを持たないというのは正に正論で,恐らくそれはだれも反対しない。○○幹事も反対しないと思うのです。   何が問題かというと,私が刑事訴訟法を勉強したときに読んだことだと,刑事裁判の出発点というのは,だれが犯人か分からない,被疑者・被告人になっている人も犯人かどうか分からないという前提でやっていかなければいけないわけだから,現実問題として,公訴が提起されて裁判が行われるときには,犯人かどうか分からない方を相手にするという話になってくるので,長い時間たって正しい裁判ができるかどうか分からないという状況で,そういうリスクをその人にかけていいかどうかということ自体は,これは真犯人が免れるのは不当だとかそういうのとはまた次元の違う問題だと思うのです。正にこの公訴時効の問題というのはそういうレベルの問題だと考えてくると,本当に犯人かどうか分からない方に,正しい裁判ができるかどうか分からない状況の下で言わばリスクをかけるということの持っているマイナス面というか,そういうのがあるのははっきりしているわけだから,そのマイナスを凌駕して,これだけの不正義は耐えられないなという場合には,そういうものが多少後退する,すなわち,犯人かどうか分からない方にそういうリスクがかかることは,本来であればよくないのだけれども,他方,非常に大きな不正義があるから,例外的に公訴時効制度そのものを廃止するというような発想で議論すべきなのではないかなと。 ● ○○委員が訴訟法を勉強したときに,その「リスク」というのは片一方だけのリスクでしたか。 ● 片一方というのは。 ● 被告人の側にとってのリスクだけではなく,検察側が犯人であることを立証できないリスクも当然,時間の経過の結果としてあるわけで,いわゆる訴訟法説では,その両方を見ている。どちらか一方だけの不利益になるリスクという教え方はしていないはずなのです。 ● ただ,その前提として,犯人かどうか分からない方が起訴されるわけですよね。 ● 証拠が散逸するということをおっしゃっているのですけれども,証拠の散逸による影響は両方向考えられる,トータルとして正しい事実認定というか正確な事実認定ができる可能性が低くなっていく。それが訴訟法説と言われる考え方の一つの中身だと思うのです。「凌駕する」とおっしゃったのは,片一方に傾いているのを他方向に逆転させるということを意味するのだと思うのですけれども,そういうことではないような気がするのです。   そこは,後で議論していただこうと思っていたのですけれども,結局,一番最初に○○委員等から出た,防御の利益との関係ということになるのだと思うのですが,第1回の会議で○○委員等から問題提起された際には,それは前の改正のときに議論しているのではないかという御意見も出て,十分議論しないで終わってしまっているものですから,よろしければ,その点について議論していただきたいと思います。   主に○○委員等が出された具体的な問題点としては,一つは,例えばアリバイの主張をしようとしても,時間が経過し,アリバイを証明する証人がいなくなったり,記憶が薄れたりして,その立証が難しくなるのではないかということと,もう一つは,刑訴法321条1項2号・3号の供述不能の要件が満たされてしまうのではないかということなのですけれども,後者については趣旨がよく分からないものですから,そこを補充して説明していただけますか。なぜ証拠能力が与えられると防御上問題が出てくるのかですね。何年もたって,犯人かもしれないと思われる人が出てきて,訴追されたときに,本来なら公判廷に出てきて証言する人が亡くなったり行方不明になったり,あるいは記憶がなくなってしまって,321条1項2号・3号の供述不能の要件が満たされるということになり,供述調書が使われ得るようになったとして,防御上どういう不都合が生ずるということなのですか。 ● 必要不可欠性と絶対的特信情況の要件が出れば,何年か前に取った調書が,証拠が新たに出てきた20数年後に裁判の基礎になるということだろうと思います。つまり,弁護人としては,その書面が証拠になりますから,それを証人で反対尋問するということはできないということだろうと思います。 ● それは時間がたたなくても起こるわけですよね。もちろん,防御側にとっては訴訟上不利益かもしれないのですけれども。 ● そういうのが類型的に高まるということだろうと思います。 ● ただ,15年,あるいは25年以上たって犯人らしい人が出てきたときに,その供述調書を使って訴追していくことによって,例えば無実の人が処罰される可能性が高まるというシチュエーションが想定できるのだろうか,そこがよく分からないのですが。 ● ○○委員をカバーするわけではありませんが,よくあるのは,犯人性が非常に問題になっていて,例えば,たまたま殺人の犯人が捕まったけれども,実は実態としては正当防衛が成立している可能性があるというようなときに,目撃者の調書があっても,正当防衛が成立するかどうかにかかわることについては,往々にして書いていないことがあるわけです。そういうときに,弁護人の立場からすると,その正当防衛状況について証明したいと思っても,なかなか証拠が見つからない。例えば,目撃者の証言は確かにあるというときに,その目撃者にその状況を説明してくださいというと,それは調書にないわけですから,目撃者自身が正確に説明できない。こういうときに,検察官の調書にはその部分は往々にして記載されていないことがあるわけでして,あたかもそういう状況がなかったかのような供述になってしまっているというものについて,2号書面として証拠能力が出てきてしまうということがないことはないと思うのです。そういう危険性はやはり考慮する必要があるだろうと思います。 ● それは,供述調書が作られたものの,まだ証人が生存しているとか,あるいは記憶が鮮明であるという段階では訴追できなかったというような事例でしか起こらないですよね。その段階で訴追していれば,その承認は公判廷で出てきて証言できるわけですから。それは,被疑者は特定されているのだけれども逃げてしまっているというような場合ですか。 ● そうではなくて,被疑者はその段階でははっきりしなかった,ところがDNA型から犯人だということが分かったと。ですから,犯人性は問題ないということになったときに,それでは正当防衛状況がなかったのかあったのかという議論になったときにその問題が出てくるのだろうと思うのです。 ● 目撃者が目撃はしているのだけれども,それが具体的にだれであるかということはその段階では分からないというような状況ですか。 ● はい。 ● 分かりました。 ● 321条1項2号書面や3号書面に証拠能力が付与されるのは,刑事訴訟法が合理的な伝聞例外として定めているわけですから,法の定める要件が満たされて証拠として用いられることそれ自体には何の問題もないわけです。それから,これは当然のことではありますが,証拠能力の問題と中身の信用性は別の話です。そして,確かに供述不能の場合における供述代用書面は,直接供述者の反対尋問ができないという点において,反対尋問可能な供述に比べて問題がある。しかし,その上で,そのような事情をも勘案して信用性がどうなるかということは,いつのどういう供述であるということも加味されて総合的な事実認定に供されるわけですから,大昔の事件の供述調書が刑事訴訟法の規定に従って証拠能力が認められるということ,それ自体によって,一律に中身の証明力が圧倒的に高く評価されるというようなことはあり得ないわけです。そうすると,供述調書が証拠とされる機会が増えることと,公訴時効を廃止したり延長することは適当でないという結論との間には,論理的な関連性は認められないように思います。要するになんら反対の理由にはなっていない。   それから,先ほどの具体的な正当防衛状況を巡る話がありましたが,これは第1回会議でも述べましたとおり,犯罪阻却事由の不存在についても検察官が挙証責任を負っているわけですから,一般論としては,どちらに対しても証拠が不足する,あるいは供述者がいないということになったときには,最後は合理的な疑いが残った場合には無罪という大原則が働くので,どちらかに一方的に利益になるとか不利益になるという話ではないのではないかと思います。 ● 今の○○委員の御発言を踏まえると,○○委員が出されたのは,調書それ自体というよりは,むしろ証人が得られないということの問題のように思われますね。目撃証人がいるのだけれども,正当防衛状況について調書には詳しく触れられていないという場合に,証人が出てくればその状況について聞けるのだけれども,記憶が喪失したり,証人が亡くなってしまっているというような場合ですね。そうするとアリバイ証人の問題と同じ問題ですね。 ● 同じですね。 ● そうすると,調書の問題というよりは,証人が得られなくなるという問題だと整理できますね。 ● 若干微妙なところがあるのだと思うのです。というのは,調書の中にその記載がないわけでもないし,きちんとあるわけでもないというのが実際の事件では多いと思うのです。そういうときに,どのように認定するかというと,例えば検察官調書の中に記載されていることの限度で認定するようなことが結構あると思うのです。 ● それを信用すればですね。 ● ええ。解決の方法としては,そこは立証責任を厳格に考えていくことによって恐らく解決はつくのだろうと,私自身はそのように思っております。 ● 私も結局は同じことなのですけれども,○○委員が出された例で,25年前だったら出てこられたかもしれない証人が,その後で出てこられなくなったという場合に,出てこられなくなった事情を裁判官は相当慎重に御判断されるのではないかと思います。調書に記載があるからその限度で判断する,だから検察側にとって有利になるというようなことは,本当にそうなのかなという疑問を持たざるを得ません。 ● 時間の経過による証拠の散逸という問題は,検察側,弁護側両方に働くではないかという問題点が出されているわけですが,確かにそのとおりで,両方に働くはずです。しかし,検察の方は,あるとき,そのハードルを超えることに成功して初めて公訴を提起しているわけで,その次は今度は弁護側がハードルを超える番になり,そうすると,弁護に必要な証拠が散逸している,証人が死亡している,文書が無くなっているというような問題が出てくることになります。その意味では,公訴が提起されたという時点で考える限り,先ほどおっしゃったリスクというのはやはり防御側の方に働くと思うのです。 ● 公訴が提起されただけでは駄目で,最終的に立証できないと駄目なので,実務的には公訴を提起するというのはそれだけの自信があってやるのでしょうけれども,最終的に立証できるかどうかということですと,理論的にはリスクはイーヴンではないでしょうか。 ● 公訴時効を廃止したり,その期間をさらに延長したりすることにより,被告人の防御が困難になるか否かが問題とされているわけですが,防御が困難になるというのは具体的にどういうことなのかが必ずしもはっきりしていないのではないかという印象を持ちます。先ほど○○委員から御指摘があったように,時効を廃止するなり,その期間を延長するなりしたとして,その上で,現在であれば公訴時効が完成しているような長期間経過後に起訴がなされるという事例には幾つかのタイプがあると思います。大雑把な分け方ですが,被告人の防御形態という点から考えてみると,大きくは,三つぐらいに分けられるのではないかと思います。   第1は,これも,先ほど○○委員がおっしゃっていましたが,事件性自体が明らかでなかったのが,例えば30年後に何らかの事情で犯人が自首してきて犯罪であったことが分かったというような事例です。こういう事例では,恐らく捜査機関はその時点から証拠の収 集を始めるはずで,それに対して弁護側としても同じ時点から被告人にとって有利な証拠を集め始めるということになろうかと思います。その意味で,捜査機関側と被告人側は全く対等であって,時の経過が特に被告人側にとって不利に働くということはないはずです。   第2のタイプは,事件が起きた時点で,それが犯罪であることは明らかであり,一定程度の証拠もあるけれども,その時点では起訴に至るだけの証拠はまだ収集できていないという場合です。被疑者が特定できている場合も,そうでない場合もあろうかと思います。その状態がずっと続いていたのですが,例えば,30年後に,DNA鑑定が一致したというような決定的な証拠が新たに出てきたために,被疑者が逮捕され起訴されたというような事例です。こういう事例では,被告人の有罪を立証するための主たる証拠は,新たに発見された決定的な証拠なわけですから,弁護側としても,反証するとすれば,その証拠をたたくしかないと思います。ですから,先ほど来,問題となっていた具体的な例,つまり,犯行時のアリバイを証言できる証人がいなくなるとか,何十年も前に作成された供述調書が証拠となるといったことは,被告人の防御という点からは,おそらく問題にならないと思います。   第3のタイプは,犯行から間もない段階で被疑者が既に特定されていて,起訴するに足るだけの証拠もあったのですが,その被疑者が逃亡しており,それが例えば30年後に発見されて逮捕され起訴されたという事例です。これまでの話は,この類型を前提としてきたように思います。この場合は,犯行後間もない段階で収集された証拠が検察側の立証の中心になるでしょうから,それに対する反論が長期間経過した後には困難になるという問題は確かにあろうかと思います。ただ,そうだとしても,先ほど○○委員から御指摘があったように,例えば,何十年も前に作成された調書があり,その供述者が既に亡くなってしまっていて反対尋問ができないという場合には,その調書に高い信用性が認められるということにはならないであろうというのは,全くそのとおりだと思います。ですから,この場合も,被告人側が一方的に不利益を被るものではないはずです。   それから,こういう理屈が成り立つかどうかは検討を要すると思いますが,この第3類型の事例の場合,被告人は事件発生当時であれば,当然検察側の証拠に対する反証が可能であったわけですが,逃亡していたために,それが困難になっているわけです。そのような事態を自ら招いているわけで,このような場合にまで,時の経過によって証拠が散逸することで防御が困難になるということを,公訴時効の廃止や,その期間の延長を否定する根拠として主張できるのか,疑問があります。 ● 主張できるかどうかと,客観的に誤った裁判につながるかどうかというのはちょっとレベルが違う問題だと思うのですけれども,分かりました。 ● 第3類型についてはよく分かるのです。私は,事実上の不利益が恐らくあると思っています。しかしそれは,時間がたった事件に関しては基本的に反証が困難になるということにすぎない。それを公訴時効で担保すべきものなのか,ということは考えた方がいいと思っています。実際に,かなりの国で公訴時効が廃止されているわけでありますが,それらの国で防御権が保障されていないということは多分ない。先ほどの321条1項2号の話は,立法の当否の問題になってくる。時がたてば,供述人が死亡する確率が高くなるのは当然です。弁護人の立場に立ってみれば,捜査側は,第3類型の事件では資料を集めている。その上で,被疑者が検挙された時点で受任すれば,昔の事件でこれは困った,実際に反証のための証拠が集まらない,ということもあるでしょう。ただ,それを公訴時効で担保すべきものなのかということは考えていただいてもいいのかなと思っております。 ● 私も,○○幹事が言われている第3類型のことがもともと想定されている事例だと思います。一つは,そこは証拠開示の問題になってしまうと思うのですけれども,アメリカなんかは全面証拠開示になっていますから,後になって何十年たっても一応捜査側が収集した資料は全部手に入ると思いますけれども……。 ● アメリカでも全面開示ではありませんよ。 ● そこはかなり日本より広いと思いますが……。 ● 一概にそうは言えないですよ。 ● そうですか。いや,そこはあれですが,証拠開示の在り方とも絡むと思うので,現在の日本でも,残念ながら,正直言って,弁護人から見れば,まだまだすべての証拠が開示されていませんし,とりわけ被告人側に有利な証拠が開示されるという保障がないものですから,結局何十年もたって,捜査側は被告人に有利な証拠を集めていたかもしれないけれども,それが出てこないということもあり得ると考えますと,そこでゼロから証拠収集を始めたところで検察官側に対抗しようがないということもあり得るので,法制度うんぬんというのは確かにあるのですけれども,日本では,今まで公訴時効があるという前提で刑事訴訟法全体が作られている中での証拠開示制度だったかもしれないのですが,今回,すべての統一という観点から見たときに,公訴時効をいきなり廃止するという中で,しかし,弁護側にすべての証拠が開示されているわけではないということも考えれば,やはりある程度それは関係があるのではないかなと思います。 ● 現行法でも,被告人側がアリバイの主張とかを行うなら,争点関連の証拠として検察側は開示しないといけないはずですよね。 ● だから,そこは,出るか出ないかという実際の私たちの観点ですから。 ● それは出さないといけないわけでしょう。現行法ではそうなっているわけですから,そこまで違った前提で議論されるのは,おかしいのではないでしょうか。 ● ただ,そもそもそれが正当防衛かどうかとか,そういうことすら被告人は分からないかもしれないわけです。 ● そういう主張をされるなら,また別ですが。 ● ですから,主張関連というか,主張自体がそもそもできない。何十年もたって自分の行為について全く記憶がなければ,それが正当防衛ということも主張できないかもしれない。つまり主張自体が立てられないわけですから,主張関連証拠開示はできないということが……。 ● そこまで言われるなら,時間がたったら何も防御できないというのに等しい話になってしまいますし,今までの御議論とは違う話になってしまっていると思うのですが。 ● 恐らく○○委員がおっしゃろうとしていたことなのだと思いますけれども,今の刑事裁判では,例えば証拠開示で弁護人が不満を持っているというようなことはほとんどない状態で,そこは問題なく運用されていますので,それはそういう前提で議論された方がいいだろうと思います。 ● ○○幹事の証拠開示に関するただいまの一連の御発言は,外国法制について不正確な認識を前提としているうえに,日本の現在の実定法に関する不正確な理解に基づいたものというほかなく,そのような発言は適当でないと思います。日本国の公判前整理手続に設計導入された現在の証拠開示制度は,当事者主義の国アメリカとイギリスを参考にして作られておりますけれども,そのような国で事前全面開示のような法制度は設けられておりません。それはいろいろな理由によりますけれども,全面的な証拠開示がなされているという国は日本のような当事者主義の国ではありません。そして,○○委員がおっしゃったとおり,現在の制定法は極めて完備された証拠開示の制度を設けているのであり,その実定法を弁護士さんが法律家としての能力を的確に果たされて利用すれば,ほとんど全面開示に等しいような結果を得られるような制度設計がされています。もし○○幹事が,現在の証拠開示が何年か昔の状況と同じであるという前提の下で話をしているとすれば,それは全く誤っている。そうではなく,昔から言われているいわゆる事前全面開示論というのに立って証拠開示制度についての現行法の在り方に対する批判をされているのなら,そのような批判は既に述べたとおり私は全く当たっていないとは思うものの,議論としてはまだ理解可能です。しかしそうではなく,証拠開示制度が現状のままでは公訴時効期間を現在より更に延長したり撤廃するのは望ましくないというような議論をしているのであるとすれば,両者の論理的な関係が全く理解できない。どうしてそういう御議論になるんですか。 ● 主張関連の証拠開示が難しくなるという前提で私は言わせていただいておりますので。 ● どうもお話がずれてきているように思いますね。後ろの方の御説明は,それとして成り立つかと思うのですけれども,最初に○○委員が出されたのはそういう話ではなかった。アリバイの主張をしたときに,アリバイ関連の証人がもう生きていないというような場合にどうするのだという話であったと思うのですが。 ● それはそのとおりだと思います。 ● 議論の筋をずらしたら,かみ合った議論ができませんので,そこはきちんと踏まえてやっていただかないと……。 ● 私が言いたいのは,何十年もたった場合,それからもう一つは,そもそもその人が本当に犯人かどうか,つまり,本当は違う人が間違えて起訴されるということもあり得るわけですから,その人にとっては反証しようがないというか,反論しようがないということもあり得るわけです。 ● だから,そういう御意見として別に出していただければ,また新たな論点になるとは思うのです。 ● そのようなものとして。 ● もし,先ほど私が言いました第3類型を想定して議論されているとすれば,何十年もたったから,事件があった当時は自分が何をしていたか分からないとか,そういうこと自体がそもそも成り立たないのではないでしょうか。被疑者として特定された人が逃げているという前提で考えているわけですから。自分が被疑者となっているかどうか自体も分からない状態で捜査が続けられていて,ある日突然逮捕されたというような事例があるとすれば,それはむしろ第2類型に当たるものです。第3類型の場合というのは,およそ被告人が有効な主張ができないというような事例ではないと思いますので,そこは前提となっている事案が違っているのではないでしょうか。 ● 第3類型と呼ぶかどうかは別として,私が言いたいのは,公訴時効制度というのは,別に犯人であることが前提ではなくて,あくまでこれは,先ほど出ましたけれども,無罪推定が働いて,本当に犯人かどうか分からない人を検挙するわけでありまして,中には本当に自分は全くやっていない,間違えて誤認逮捕される人もいらっしゃるかもしれませんし,そういう人にとっては何を反論するのか分からない。つまり逃げているわけではない。逃走しているから常に公訴時効の問題ではなくて,これはいろいろな状況があると思いますので,逃げている人もいるでしょうし,逃げていない,つまり犯人ではないのに誤認逮捕されて起訴されるということもあり得るわけですから,第3類型と呼ぶかどうかというのは言葉の問題だと思いますが,一応公訴時効というのは射程としてそういうことも入っていると,それを踏まえて議論するべきだと思います。 ● 御主張は分かりましたけれども,○○幹事が三つに分けられた上で,その第3の類型でしょうと問われ,○○幹事もそうだと答えられたので,反論があったのだと思うのですが。 ● とらえ方の問題ですので。 ● それはちょっと違うと思いますね。もし第3類型に主に問題があるとすれば,○○幹事の指摘したとおりになるのではないでしょうか。 ● 第3類型と呼ぶ必要はないと思いますけれども……。 ● もう結構です。  それでは,○○委員。 ● ちょっと次元が違うことをお話ししたいと思います。   20数年,あるいは30年たって,強力な,例えば死体が出てきたとかDNAが出てきたというときに,それだけかという問題ですけれども,我々がいつも考えるのは,そうすると当然被疑者と言われる人に取調べがある。現状の取調べについてはいろいろ評価がありますけれども,弁護側から見るとかなり厳しい取調べがなされるという印象を持っています。そうすると,やはり防御力が弱い人は誤った自白をしてしまう。例えば菅家さんは任意同行その日に自白をしているわけです。それから,宇和島事件では40数歳の男性が実質4時間ぐらいで虚偽の自白をしている。そういう虚偽の自白が出て,後で撤回しても,自白という新たな証拠が出て起訴されると,我々は反証が非常に厳しくなる。そういうようなこともあろうかと思います。 ● 今,具体的な名前が出た事件は,公訴時効が問題となったものではないと思うのですけれども……。 ● 防御力の弱い人が虚偽の自白をする可能性があると。 ● 一般的にそういう御主張があるのはは分かるのですけれども,それは,25年,あるいは30年もたってそういう人がDNAで分かったという場合に特有の話なのでしょうか。 ● ええ,そうです。それで,ある日突然捜査官が来て,あなたのDNAが一致しましたとかいう話を言われたときに,当然取調べをされるわけでしょう。 ● 事件から短い間しかたっていない場合にも,同様の危険があると言えばありますよね。 ● それはそうですけれども,ただ,そうなって自白をしたときに,検察官は普通は起訴しますよね。DNAと自白がそろえば。 ● それで,時間が経過してしまってからでは,それに対して反証が非常にしにくくなるということなのでしょうか。例えば,どういう点で反証がしにくくなるのですか。仮にその取調べで不当なことがなされた。防御力の弱い被疑者に対して強圧的な取調べとか誘導的な取調べがなされ,その結果として誤った自白がなされたと弁護側が主張するとしても,それは,時間の経過の問題ではなく,当の取調べ自体の問題ですよね。そうではなく,時間の経過のために反証が難しくなるというのは,例えばどういう場合なのだろうか,その点を具体的に示していただけないと,議論が非常に抽象的というか,あるいは散漫なものになってしまうと思うのですけれども。 ● だから,DNAの鑑定の問題とか,取り違えの問題とか,あるいは正当防衛の問題などはそれからやらなければいけないということと,それから,やはり自白があるということは,いったん起訴されると弁護人としては非常に厳しいなと思います。 ● それは,事件発生直後でも2年後でも厳しいことは厳しいと思うのです。   今言われた中で時間がたつと難しくなるのは,DNA鑑定の問題点を突くことでしょうか。 ● 一つはそういうことです。 ● 今,○○委員が挙げられたのは,先ほど○○幹事が挙げられた第2類型ということになるのかなという気がいたしまして,正にDNA鑑定を崩せるかどうかというのが中心的な課題になってくるのだろうと思います。そういう意味では,今おっしゃった保存の状態がどうだったかというところから問題になるわけですが,それは,当然警察における資料の保存状態であり,鑑定のやり方であって,それを順次検察側で立証してくるわけでしょうから,そこに何らか問題があればそれを順次突いていくということになるのであって,DNA鑑定は一般に時間がたったから難しいという指摘があるとはあまり思われないところでありまして,具体的にそのように考えていくと,必ずしも難しいということにはならないのではないかという気もするのですけれども。 ● かばうわけではないのですが,議論を拡散させないために第3類型に限定してみますと,第3類型的な事案があって,捜査側の見方,検察官の見方では,そこに人がいれば起訴できる状態ですと。罪体も完全ですし,検察側の見方では,この人が被告人だろうということが立証できる状態。そういう状態のまま,逃亡かどうか分からないけれども,その人間が身柄確保できないという状態になったとき。それで何年もたった後,実際に起訴されましたと。そのときに反証される弁護人の立場とすれば,被告人自体の記憶の減退によってやるべき主張ができなくなるというのは事実上あるのかもしれません。先ほどの正当防衛に決め手となるような細かい状況について言えないということがもしかしたら出るかもしれない。それが一つ。   あと,これは時的限界でしようがないのですけれども,場合によっては生命を失うかもしれないし,記憶を失うかもしれない,被告人に有利な周辺の人間の証言が得にくくなる,また,文書が残っているとしたら散逸の可能性が高くなる,こういう防御の機会を逸するおそれというのはあるのではないかと思っているのです。ただ,それは刑事裁判での事実認定をどれほど厳格にするかという問題であって,時期が後の訴追を許さないという問題とはちょっと違うのではないかなと思っているところであります。だから,時効がない国での防御権の在り方とかと比較して考えてみたら,話は分かるのではないかなと思っているところであります。 ● 仮にそうだとすると,むしろ事実認定を厳しく行うことで対応すべきだということでしょうか。 ● 時間がたっている事件であろうと,そうでないものであろうと全ての事件について,立証ができているかどうかをきちんと吟味するものと思っております。弁護側も捜査側も,証拠獲得の機会も少ないし,有効な主張をする機会も少なくなっているかもしれませんけれども,それは,そういう事件としてきちんと見ていかなければいけない,弁論していただかなければいけないということでしょう。反証の機会が減るということに関して否定するつもりはない。ただ,事実認定の基本姿勢は同じであるはずだし,証拠開示というシステム自体は従前よりもかなり拡充されているので,検察側の持っているものについてはかなり見られるようになっている。その上で弁論を組み立てていけばいい。 ● 私は,先ほどの○○幹事の類型で言うと3番目はそれほど問題ではないだろうと。3番目の設定というのは,もともと犯人であって逃げている場合という前提を置かれると,これはDNAなどで把握されているわけですから,そんなところが問題になるわけではなくて,むしろ2番目の問題の方がはるかに大きな問題だと思います。どういうことかといいますと,DNAのケースを念頭に置くと,DNAが一致した場合は,要するに,犯罪の被告人と犯人の同一性の部分以外の部分が問題である。同一性の部分は,もうDNAで何ら問題ないわけですから。先ほど例に挙げたような,犯人であることは分かったけれども,殺意があったのかなかったのかとか,正当防衛だったのかどうなのかとかということは,幾らDNAがあっても,DNAはその辺については何も語ることがないわけですから,そこをどうしていくかということが問題であって,弁護人の立場からすると,DNAが検出されたということでいきなり起訴されたときに,そこから始まってしまうという問題ですよね。訴追する方は,最初から犯人はだれかということで捜査しているからいいのですが,弁護人の方は,そこから始まって,正にそこから証拠を集めなければいけないというところに困難があるわけです。結論としては,先ほど○○幹事が言ったように,私も立証責任を厳格に判断していくことによってクリアできるのだろうと思うのですが,ただ,それは,弁護側にとっては大きな問題だということは考えておかなければいけないのではないかと思っています。 ● 今の御指摘の類型で,弁護側の問題の以前に,まず検察側にとって非常に問題であって,正に立証責任の問題なのですけれども,殺意があったと認められる状況を立証できると思わなければ,殺人罪では当然起訴できないということでありますので,それは,最初から証拠を集めていたかどうかという問題ではないような気がするわけであります。検察官としても,当然,これが殺人になる状況なのかどうかという観点からも証拠を吟味して検討するわけでありましょうから,一方的に殺人だと決めつけて捜査する,起訴するという問題ではないのではないかと思うわけであります。犯罪発生当時に集められた証拠から見たらそうなっているということを,例えば25年たって全く別の検事が見るわけですが,殺人を立証することができる証拠が集まっているか,あるいは殺人を立証することができる証拠を補充して集めることができるかが問題となるわけで,そこでいきなり弁護側が不利になるというのは,本当にそうなのかなという感じは受けるのですけれども。 ● ちょっと水掛け論になってしまうかもしれませんが,実際にはそういう事件がないわけではなくて,こういうケースがあるのです。例えば,犯人性を争っていて,その点については非常に問題がある事案だと。外形的な事実を見ると,いかにも心臓のど真ん中を刺されていて,しかも非常に深い傷で,通常の認定からすると殺意があると見られる事案です。ところが,被告人の方は自分が犯人ではないと言っているわけですから,何でそうなったかということについては何も説明しないのです。そういう状態になってくると,検察官は往々にして,傷害の部位・程度,つまり心臓を一突きにして,しかも20センチぐらいの深さで入っているということから,これは殺意があるという前提で起訴されるということが結構あるのです。ところが,実際に証拠を見てみると,それ以外の犯行態様というのは出てこない,ただ,深さとかという客観的なものだけで,そこで果たしてそういう認定ができるのか。そういうケースでは,被告人は自分は犯人ではないと言っているわけですから,どうしてそういう傷がついたかということについては一切何も言わないということに通常なるわけです。そこは非常に微妙なところで,そういうケースを見たときに,殺意についての立証責任というものを厳しく判断することによって,それは殺意がないのだという判断をすべきものも結構あるのだろうと思うのです。 ● 最終的に,おっしゃるような事例が立証責任の問題に帰着して,検察官が立証できなければ殺意は認定されないということを否定しているわけでは全くなくて,それは御指摘のとおりだと思うのです。それが一方的に弁護人の不利益になるということではないのではないか,時間がたっていてよく状況が分からなければ,むしろ,検察官にとっての問題にもなるのではないかということを申し上げたかっただけでありまして,最終的に立証できているかどうかによって判断されるべきだということを否定しているわけでは全然ないということです。   それから,ちょっとだけ付け加えますと,今御指摘のような事例は,被告人がどうして傷がついたか何も言わないというのは,お聞きした範囲では,時間がたっていることとあまり関係ないような気もいたします。 ● 今の点でも結構ですが,ほかの点でも,もし付加して御発言があれば。 ● 特に弁護士の先生方にお聞きしたいのですけれども,有罪性の認定とは別に,例えば情状立証なんかの面で難しくなるということはないのですか。 ● それはあると思います。 ● 具体的に何か紹介していただけると。 ● 犯罪の情状は,例えば行為態様とか動機とかすべてかかってくるわけですけれども,行為態様だって立証がなかなか難しくなる。被告人が話すということになるでしょうけれども,それがそれほど信用してもらえるかどうかという問題とか,いろいろあるだろうと思います。 ● それでよろしいですか。 ● もう少し聞きたいですが,とりあえず。 ● 御質問の趣旨がいま一つよく分からなかったものですから伺いますと,情状立証の点で弁護側の防御が時間の経過とともに難しくなるのではないかということですか。 ● ええ。例えば,自分に有利な生い立ちの点とか,動機の点とか,自分に有利なことを言ってくれそうな人がもうみんな死んでしまっている,見付からない,あるいは当時どういう職業をしていて,どういう経緯で何をやっていたかなんていうことも分からなくなってしまっているというのが,もしあるとすると,それは時間が経過すると分からなくなるのかなと想像しただけです。もしそういう点で何か具体的なものがあれば教えていただきたいなと。 ● 生い立ちとかいうのは,何年たってもあれでしょうけれども,動機とか行きがかりとか,どういう姿勢で攻撃したかというのは,最後は被告人の話になってしまいますね。それは,被告人が話すのだからということで,どの程度信用していただけるのかということで,そこも立証責任の問題になるのかもしれませんけれども。弁護人のひがみかもしれませんけれども,罪体が出てきて弁解をしてもなかなかとってもらえないのかなという印象は持っています。更に,今議論しているような事件は,恐らく裁判員裁判対象事件になるだろうと思いますから,裁判員の方がどのようにとってくれるか,非常に不安はあります。 ● 先ほど○○幹事が指摘されたのと同じ論点ですね。それを,公訴提起をある時期からさせないという形で解決するのか,そうではなく,事実認定を厳格に行うことにより対応するのか,そこに帰着するのではないか。結局,公訴時効について訴訟法説と言われているのはそのレベルのことなのかとも思うのです。ある時期を超えると両方の方向の意味で正しい認定をすることが難しくなるので,あるところでもうやめましょうというのが公訴時効制度なので,そのレベルのことなのではないかということなのです。 ● ただ,お聞きしていると,一般論として時間がたてば困難になるということは認められているようですが,他方,全く大丈夫だというふうにも聞こえるのですが。 ● 大丈夫ではなくて,だんだん立証が難しくなるという意味では難しくなる。しかし,それに対しては,本来の事実認定の在り方と言いますか,厳しく事実を認定していくということで対応せざるを得ない。3年たった場合でも15年たった場合でも,同じ問題が生じてくる。そういう問題ではないのかというのが,○○幹事の趣旨だったのではないでしょうか。 ● ええ。   それで,別にどちらかという話をしているわけではなく,公訴時効を防御権の問題にしていいのかということに対して,一つの疑問の例として。短い公訴時効期間が定まっている犯罪について,長い公訴時効期間が定まっている犯罪と比較して防御権について考えて年数を定めているかというと,多分それは違う。だから,防御権と公訴時効を考えるときには,法定刑により時効期間が決められていることとの整合性をどうとるのかということもあるのかなという気はしています。 ● 部会長が大体おっしゃられましたが,検察にとっても弁護側にとっても,時がたてば立証が難しくなるというのは同等で,それは,証拠を厳密に評価して信用性の判断をきちんとすることによってしか解決できないだろうという議論に大体収れんしてきたのかなという感じを持ったのですが,その中で,一定の時点に達すると類型的にお互いにこの立証は難しくなるからやめるようにしようという制度だととるかどうかだという部会長の御説明でそうだなと思ったのですけれども,そうではない,時間がたっても立証できる事件もあるのだろうと。そうではない事件については,正に検察が訴追する段階でまず厳密に見て,その後弁護人ができるだけの防御をして,裁判官が厳密に判断する,そのシステムの中で真実の発見と人権の擁護のバランスを保つしかないのではないかなと思います。 ● 公訴時効制度の趣旨から考えてみようという論点設定になっているのですけれども,我が国では,純粋に訴訟法説をとる人もいなければ,実体法説をとる人もいないと思うのです。競合説というか折衷説というか,それが支配的な考え方だと思うのですけれども,先ほど○○幹事も指摘されたように,現行の制度を何か一つの説で整合的に説明できるかというと,説明できるようにはなっていない。そこを何か一つの考え方だけで押し切ってしまおうとすると無理が出てくるということなのだろうと思います。 ● 類型的に,検察も弁護側も立証・反証不可能だという段階でどこかでというのはあるのですけれども,今回は廃止ということがターゲットになっているものですから,廃止となると,普通に考えると,どう考えてももう超えている,類型的に立証不可能になっているのではないかなと。廃止ということは永久ということですから。延長の場合には議論が成り立つと思うのですが,廃止といったときに,○○委員からは可能な場合もあるという話もあったのですけれども,そういう議論の仕方でいいのかというのはあるのではないかと思うのですが。 ● 廃止だと議論が違うのではないかとおっしゃる趣旨がもう一つよく分からないのですが。○○委員が言われたのは,どこかで立証が不可能になるから割り切るという形の解決ではなくて,中には立証できるものも当然あるのだから,立証責任という形で解決するやり方でいいのではないかという考え方もあるでしょうということだとすると,延長であるか廃止であるかということとあまり関係ないような気がしたもので,廃止なら違うのではないかとおっしゃる趣旨をもうちょっと御説明いただければと思ったのですが。 ● 廃止といっても,先ほどから言っているように,被疑者が死亡したら訴追不可能なので,例えば80年後とか100年後ということですけれども,それと10年20年延長するというのは質的に違うのではないかということです。 ● それはまた話がずれてきていませんか。あるところまでいくと,検察も弁護の方も立証がほとんど無理になるということがどこかで来るはずで,だから永遠にという制度はおかしいのではないか,というのが最初に言われたことですよね。 ● 趣旨はそうです。 ● 二番目に言われたのは,それとは違う話ですよ。 ● それは確かに。ただ,少しおりてもという趣旨で言ったのですけれども,もし永久にというなら,やはり……。 ● 論点ごとに議論を整理してやらないと非常に混乱するので,そこのところは意識をして議論をしていただきたいと思います。 ● 理論的には最初に説明された整理の仕方です。 ● 一番目のところは,○○委員が言われたのは,大昔は別として,あるいは古典的な世界は別として,新しい技術が現れており,時間がずっと経過しても立証できるようなものも出てきているのではないかという御趣旨だと思うのですが。 ● そういうのが本当にあるのかというのは,私はちょっと疑問ですけれども。それにしてもという意味で……。 ● 分かりました。 ● 随分昔の事件を立証するというのは,実は今の実務でもありまして,赤軍事件であるとか,よど号事件,あれは御案内のとおり海外に行ってしまっておりますので,ですから30年後に立証するということは今現在でもやっていて,それはそれなりに,現在のシステムの中でやっている部分もあるのかなと。ですから,○○幹事,あるいは○○委員のお話のように,最終的には事実認定といいますか,疑わしきは罰せずという,そこのところで解決していくというのは,今の時効制度の中でもあるのではないかなと考えております。 ● 有利な点の立証ができないというお話がありましたね。これは検察官もそれを否定する立証はないと思うのです。有利な事実を立証することができなければ,検察官もそれを否定する理由はない。ということになって,結局,その場合は,裁判所は,どこかとろうとすると,被告人の主張をとらざるを得なくなってしまうわけです。被告人の言うことは証拠になるわけですから。それは弁護人にとってそれほど不利なことになるのかなと思ったのですが。もちろん,私ども弁護士としてやったときは,検察官が有利な情状を言われたときに,我々が反対してもそっちをとられたようなケースの方が多いのです。それから,弁護人が有利な事実を主張して,それを裏付ける証拠がない,検察官もそれを否定する証拠もないということになったら,被告人の述べたことが一つの証拠になってしまうということになるのではないかという気がしますが,どうでしょうか。 ● 理屈の上では必ずしも当然にはそうなるわけではないと思うのですけれども,ただ,被告人側の主張がそれなりにもっともらしいということになれば,それを乗り越えるだけの証明を検察官としてはせざるを得ない。それで証明がつかなければ,立証責任の問題で,○○委員がおっしゃるような結論になることが多いのだろうと思いますね。立証責任というのはそういう考え方ですよね。   今まで議論してきた点については,意見はもちろん分かれたままですけれども,論点はかなりはっきりしてきたと思いますので,今回はこのくらいにして,次回以降御に更に議論いただければと思います。   ここで少し休憩したいと思います。           (休     憩) ● 再開いたします。   休憩前に引き続きまして,次に,論点の第3の「現に時効が進行中の事件の取扱い」について御議論いただければと思います。この論点につきましても,まず事務当局から論点の具体的内容等について説明していただくとともに,今日は配布資料がありますので,その説明もお願いしたいと思います。 ● それでは,資料10の論点ペーパーに掲げております「第3 現に時効が進行中の事件の取扱い」の具体的な内容等について御説明させていただきます。   この論点は,公訴時効制度を見直すこととした場合,その方策を現に時効が進行中の事件についても適用することとするかという,いわゆる遡及適用に関する問題です。この問題は,1及び2として掲げましたように,現に時効が進行中の事件についても適用することができるかどうか,憲法39条等との関係でそのような立法が許されるかどうかという問題と,現に時効が進行中の事件に適用することも許されるとした場合に,それが立法政策として妥当かという問題の二つに分けて考えることができる問題であり,論理的には前者が先行するものと思われます。   そこで,まず1の「憲法第39条との関係等」についてですが,この点につきましては,そもそも,遡及適用が許されるとする積極説と,許されないとする消極説に見解が分かれている状況にあります。それぞれの論拠につきましては,省内勉強会の取りまとめ等でも触れているところであり,適宜御参照いただければと思いますが,何人も実行の時に適法であった行為については刑事上の責任を問われないと規定し,いわゆる遡及処罰を禁止している憲法39条の趣旨をどのように理解するのか,その射程がどのような範囲に及ぶのかなどについて,公訴時効制度の趣旨,性質等を踏まえて検討する必要があると考えられるところです。   2の「政策的な当否」は,仮に見直し策を現に時効が進行中の事件に適用することが許されるとした場合に,これらの事件についてどのような取扱いをするのが適当かという論点です。平成16年に成立いたしました「刑法等の一部を改正する法律」における公訴時効期間の延長を内容とする改正等においては,改正法を現に時効が進行中の事件に適用することとはしていないこととの関係をどのように考えるか,平成16年改正により,例えば殺人罪については,現に時効が進行中の事件のうちで,公訴時効期間が15年のものと25年のものに分かれているところ,今回更に公訴時効の在り方を見直すこととすると,同じ殺人罪で公訴時効の取扱いが三つに分かれることにもなりますが,この点をどのように考えるか,遡及適用に対する被害者等の要望をどのように受け止めるかなど,立法政策として考慮すべき点について,公訴時効の在り方を見直す必要があると考えられる趣旨を踏まえつつ検討する必要があるのではないかと思われます。   ただ今申し上げた点やその他考えられる点を含め,多角的な見地から御審議をお願いしたいと考えております。   続いて配布資料の御説明をさせていただきます。現に時効が進行中の事件の取扱いの論点に関連する配布資料は,資料番号11から13までであります。   まず資料番号11は,現行刑事訴訟法のもとで公訴時効制度が改正された際に,現に時効が進行中の事件がどのように取り扱われてきたかについてまとめたものでございます。現行刑事訴訟法制定時及び前回の平成16年改正時のいずれにおいても,現に時効が進行中の事件に対しては改正法を適用しない扱いとされております。   資料番号12は,外国法制に関する資料ですが,ドイツにおける公訴時効制度の改正と現に時効が進行中の事件の取扱いについてまとめたものでございます。謀殺罪等につきましては,公訴時効期間算定に関する特別の定めや公訴時効期間の延長,廃止が行われているところですが,改正法が現に時効が進行中の事件に対しても適用されています。公訴時効期間算定に関する特別の定めをすることにより,実質的に時効期間が延長された最初の立法について,我が国の憲法第39条とほぼ同じ内容となっているドイツ基本法第103条第2項に反しないかがドイツ連邦憲法裁判所で争われております。ドイツ連邦憲法裁判所は,この点について,同規定は,「基本法にのっとって処罰されると予告された行為について訴追され,予告された科刑により処罰されることが許される期間がいつまでに経過するかについては何も述べていない。時効法規は行為の可罰性ではなく,その訴追可能性とのみ関係するものであるから,基本法第103条第2項による禁止の対象ではない。」などとして,基本法に反しないとする判断を示しております。   次の資料番号13は,同じく外国法制に関する資料ですが,アメリカにおいて公訴時効制度の改正を現に時効が進行中の事件等に適用した場合の,連邦裁判所の裁判例の判断内容についてまとめたものでございます。   アメリカにおいては,事後法は制定されてはならないとの定めが合衆国憲法にありますが,この事後法禁止条項との関係で,公訴時効制度の改正を現に時効が進行中の事件に適用することの可否が問題となります。これに関する連邦最高裁判所の判例は見当たりませんが,連邦控訴裁判所では,全部で12ある巡回区のうち,9巡回区において,これを合憲とする判断が示されている一方,事後法禁止条項に反するとした判断は見当たらないところです。   これらの裁判例において挙げられている理由としては,以下のようなところが述べられております。   2ぺージの(2)の裁判例ですが,「この法律は事後法ではない。この法律は罪となっていなかった行為を罪とするものではない。この法律は,刑を重くするものでもない。被告人が以前主張し得た抗弁を主張できなくなったわけでもない。この法律は,実体的に見ても効果から見ても遡及的な法律ではない。」   同じく2ぺージの(4)の裁判例ですが,「訴追ができなくなる前に公訴時効期間を延長することは事後法禁止条項に抵触しない。変更が単に手続的なものであり,刑罰を重くしたり,犯罪の構成要件や有罪立証のために必要とされる事項を変えたりするものでなければ,事後法禁止条項には抵触しない。本件において公訴時効期間を延長することは単なる手続的な変更にすぎない。」   3ぺージの(5)の裁判例ですが,「公訴時効を弁護側が援用することは手続的な主張である。これは犯罪やその要件の内部の構造とは何の関係もない。もし被告人が当該犯罪を犯したときに主張し得た「抗弁」を後になって奪われるのであれば,それは事後法禁止条項に違反するであろうが,公訴時効の抗弁はこのような「抗弁」とは種類を異にする。」   他方,改正法を既に時効が完成した事件に対して適用することについては,事後法禁止条項に違反するとした連邦最高裁判所の判例がございます。   現に時効が進行中の事件の取扱いの論点に関連する配布資料は以上でございます。   資料に1点訂正がございます。資料13の2ぺージ,(2)で,「United States v. Clements」とありますが,正しくは「Clements v. United States」でございます。失礼いたしました。 ● まず,ただ今の説明につきまして御質問がございましたら。 ● 大変細かいことで恐縮なのですが,論点のタイトルは,「現に時効が進行中の事件の取扱い」ということになっておりまして,具体的な内容は,今御説明があったとおり,新しく改正した法律を現に時効が進行中の事件について適用することができるかという問題と理解していますが,御説明の中ではしばしば「遡及適用」という表現が使われています。極めて厳格に言葉にこだわりますと,これは,専ら公訴提起の時点においてそのときの実定刑事訴訟法を適用するかどうかの話なのであって,これに「遡及」という言葉を用いることは適当でないような気がするのです。ただ,その点は分かった上で,従来遡及適用の問題と称されているのでそういう表現を使っているのだと理解してよろしいですね。 ● 御指摘のようなお考えも十分承知しておりますが,正に御指摘のとおり,一般的に「遡及適用」と言われることも多いということでありますので,現に時効が進行中のうんぬんという表現はやや長いという事情もございまして,「遡及適用」という表現も,慣用的なものとしては,いろいろな御意見がある中でも,御指摘のような立場からも許されるのではないかということで時々使っているところです。 ● 正確に言うと,起訴の対象になる犯罪が行われたとされる時点の法律を適用するのか,起訴の時点ないし裁判の時点の法律を適用するのかという問題ですね。ある立場からすれば,おっしゃるように遡及ではなく,正にその時点の法律を適用するということになるのですけれども,前者に近い立場からすると新法を遡及的に適用するという見方になる。その違いだということですね。 ● ですから,中立的な表現になれば一番いいのですけれどもという指摘でございます。 ● ほかに御質問がございますでしょうか。 ● 今いただきました資料ですと,これまでの訴訟法の制定時と16年の改正時は,従前の例によるといいますか旧法によっておられるわけですけれども,それについては何か説明を用意されておられたのでしょうか。 ● 説明といいますと,なぜそうなったかということですか。 ● そうです。 ● まず16年改正時でございますけれども,平成16年の公訴時効制度の改正につきまして,現に時効が進行中の事件に対して改正法を適用することとしなかった理由については,公訴時効の制度趣旨について実体法説の考え方も有力に主張されていることに加え,事後的に公訴時効期間を延長することは被告人に不利益であることを考慮したものと理解しております。   他方,現行刑事訴訟法制定時について,その新法を現に時効が進行中の事件に適用しなかった理由については,確かな説明をしたものが見当たりません。 ● それでよろしいですか。 ● 結構でございます。 ● ほかに御質問ございますでしょうか。 ● 明治維新以後の我が国の刑事立法において,被疑者・被告人にとって不利益な改正を遡及的に適用したという先例があるのかどうか。 ● 「遡及的に」というのは一つの立場ですので。 ● 「なお従前の例による」というのを……。 ● そういう定めをしたものがあるかということですね。 ● ええ。 ● なお従前の例による……。 ● よらないものがあるかということです。 ● 「よらない」というのは訴訟法につきましては一般原則で,「よる」というのが特別の扱いなのです。 ● どうしてそうなるのですか。訴訟法の何条でそうなるのですか。 ● それは一般的に認められている考え方です。 ● それは現行法適用主義ということですか。 ● 裁判時の法律を適用するというのは長い間の訴訟法の通説です。そのことを前提にしながら,それでは不都合がある場合について,特に「従前の例による」という例外規定を設けているという構成なのです。 ● では質問を訂正して,「従前の例による」という条文を置かなかった先例はありますか。 ● 訴訟法規を改正して,その改正された訴訟法規を改正法の施行前に発生した事件について適用している例という言い方をしてもいいかと思いますが,そういう例としては,例えば,上告理由の一部を制限した刑事訴訟法応急措置法の規定がございますが,ほかにも次のような例がございます。例えば,検察審査会の起訴議決に基づいて公訴が提起される制度を導入することとした検察審査会法の改正。二つ目に,起訴後における勾留期間の更新の回数に制限のない罪及び権利保釈が認められない罪,この対象を短期1年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪まで拡大するとともに,権利保釈の除外事由として,刑訴法89条5号の証人等威迫の類型を追加し,保釈の取消し事由として,同法96条4号の証人等威迫の類型を追加することなどを内容とする刑事訴訟法の改正。ほかには,権利保釈の除外事由である刑訴法89条5号の要件について,従前は,「被告人が,被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる十分な理由があるとき」とされていたところ,「十分な理由」を「相当な理由」に改めて,威迫の対象に親族を含めるとともに,証人保護のため証人尋問における被告人の退席規定を新設する内容の刑事訴訟法の改正。例えば,こういったものがあると承知しております。 ● その際に,事後法の禁止に触れるという議論はなかったのでしょうか。 ● すべて当時の資料を子細に見たわけではございませんけれども,先ほども部会長からお話のあったように,訴訟法規については当該訴訟行為を行うときに施行されている法律を適用するのが原則だと理解しておりますので,そのような原則に従ったものと考えております。 ● 私が申し上げているのは,その改正は,法制審議会ないし刑事法部会にはかかっていない,かかっていても憲法39条ないし31条の問題は議論されていないのかということ。そのように理解してよろしいですか。 ● ただ今申し上げましたように,勾留期間の更新の回数の制限とか権利保釈の除外事由の改正は,昭和28年,昭和33年とやや古いものでありまして,そのときにどのような議論がなされたかまでは調査しておりません。応急措置法につきましても同様であります。検察審査会法については,比較的新しい平成16年の改正でありますが,これは法制審議会にはかかっておりませんで,いわゆる司法制度改革推進本部事務局の検討会で議論がなされましたが,これが事後法禁止に触れるのではないかというような議論は,記憶の範囲では特段ございませんでした。立案担当者の解説によりますと,訴訟法であり裁判時の法令の適用が原則であるので,それに従って経過措置は設けていないというような説明であったと記憶しております。 ● もう1点だけ質問ですが,確か最高裁の判例の中に,量的に刑が加重されたことによって公訴時効期間が延長される事態を来したけれども,新しい公訴時効の期間を適用すべきではなく,古い公訴時効の期間で判断すべきであるとした最高裁判例があると思います。今,ちょっとうろ覚えですが,それとこの問題とは関係はないと理解してよろしいですかね。 ● 今,委員から御指摘のあったのは,昭和42年5月19日の最高裁決定を指すものと思います。この最高裁決定は,「犯罪後の法律により刑の変更があった場合における公訴時効の期間は,法律の規定により当該犯罪事実に適用すべき罰条の法定刑によって定まるものと解するのが相当である」という判断をしたものでございますが,この決定は,公訴時効の期間を規定している手続法の内容をなす実体法が改正された場合に関するものでございまして,公訴時効期間を算定する前提となる刑について加重前の刑によるべきこととする当然の理解の帰結とも考えられるところでございます。この決定は,公訴時効期間の変更が刑法6条の刑の変更に当たる旨の判示をしたものではなく,刑が加重されずに公訴時効期間のみが延長等された場合についての判断を何ら示唆するものではないと考えておりますので,この最高裁決定から,刑が加重されず公訴時効期間のみが延長等された場合についての結論が導かれるものではないと考えております。 ● ありがとうございます。 ● ほかに御質問はございますでしょうか。   それでは,御意見の開陳をいただきたいと思いますが,論点案においては,二つの事項,ちょっとレベルの違う問題が掲げられております。一番目は憲法上の論点関係,憲法39条との関係で,二番目が政策的な当否ということですが,一番目のところで憲法に違反するので駄目だということになれば,政策的な当否を議論する余地はないものですから,まず,一番目の「憲法第39条との関係等」につきまして,現に時効が進行中の事件に対する改正法の適用の可否について御議論いただければと思います。   それでは,今の点につきまして,どなたからでも御意見を伺えればと思います。どなたかございませんでしょうか。 ● 私の意見の骨組みを申しますと,まず純粋な憲法解釈といたしましては,憲法39条が禁じているのは,実行の時に適法であった行為について刑事上の責任を問われないということですから,この意味する内容は,適法であった行為に対する評価を変更して可罰的違法であるとし,遡って処罰することは許さない,あるいはそのコロラリーとして,可罰的違法評価の内容を後になって重く変更するということをしてはならないということです。その趣旨は,実行のときに犯罪ではなかった行為について,後からさかのぼって,それは犯罪であったことにしたのだということで処罰する,あるいはより重く処罰するということは,人間の行動の自由,予測可能性を極めて大きく害しますので,そのようなことをするのは,国民の基本的な自由を侵害することになる,そういう趣旨だろうと思います。   これに対して,当初から可罰的違法行為として処罰し得ると定められていた犯罪行為について,その刑事訴追の時間的限界である公訴時効の期間を延長する,あるいは撤廃するということは,今申しました憲法の禁じている行為に対する違法性の評価を後になって変化させるということとは全然別の事柄でございますので,憲法の文言,趣旨からしても,これを変更して時効の期間を延長する,あるいは撤廃して,現に時効が進行中の事件について新たな法律を適用しても,憲法違反の問題は何ら生じないだろうと思います。 ● ほかの方はいかがですか。 ● 私も,憲法39条との関係では憲法違反の問題は生じないと思います。ただし,その精神には反するのではないか。より具体的には憲法31条違反の可能性があるのではないかという気がいたしております。国家刑罰権は,人的な制約,場所的な制約,そして時間的な制約という三つの制約を受けていると思うのですが,人的な制約としては,例えば治外法権で外交官特権とかそういうものがありますでしょうし,場所的制約としては,国外犯の処罰規定がないというようなこともあるでしょう。時間的な制約として,刑の時効と公訴時効の二つがあって,それ全体として国家刑罰権を制約をしているのであると考えますと,それを事後的に変更して現行法を適用するということは,実質的には,法律で被疑者・被告人にとって不利益なことをやってもいいということになるのではないか。これは憲法学者の御意見を聞かないと分かりませんが,39条には違反しないとしても,31条違反の可能性があるのではないかと思います。   それと,もし,この考え方で憲法違反でないとすれば,時効完成後のものについても新たな法律を適用することが可能であるというところまで理論的には行きつくのかどうか,そこら辺も含めて,私は,それはもちろん認めらないと思いますけれども,それが認められないのであれば,時効完成前についての延長規定を適用することにも疑義があるのではないかという見解を抱いております。 ● 31条違反と言われる点について,もう少し敷衍して説明していただけますか。 ● 31条は,法定手続の保障という,文言上はそれだけですけれども,一般には,デュー・プロセス・オブ・ローというアメリカの修正14条でしたかの翻訳だと言われておりまして,デューというのが「適正」だということなので,国家刑罰権について,法律によって自分で自分の手を縛っていたものを言わば禁反言的に変更して,これが現行法であるといって適用することは適正な手続とは言えないのではないかということです。 ● そうすると,訴訟法規でも,被告人に不利益であれば,行為時のものではなく裁判時の新法を適用するというのも駄目ということですか。 ● そういうことです。 ● 分かりました。そういう御意見だということです。 ● ただいまの○○委員の,39条ではなくて31条違反という御議論の内容は把握いたしましたけれども,おっしゃいましたように,憲法31条の沿革にはデュー・プロセス・オブ・ローの観念があって,その中身は究極的には,正義公正の観念とか,ファンダメンタル・フェアネスであるとか,そういうことが母法のアメリカでも言われているわけですけれども,公訴時効を延長ないし撤廃して新しいルールを現に時効が進行中の事案について適用するときに侵害される国民の権利利益ないし,基本的自由権とは何か,特に今話題にしている凶悪・重大事犯について,それは一体何なのであるか,それが果たして正義公正の観念に反するのかというのがまさに問題なのであろうと思います。○○委員のおっしゃった刑罰権の時間的限界,一回処罰しないことにした者を再び処罰する可能性を生ずるという点がアンフェアだという評価もあるかもしれません。しかし,別の表現をすれば,それは結局,一定時間検挙されずに逃げ続けることによって刑事訴追権が消滅して処罰されなくなるということが憲法上保護に値する利益であり,それが正義公正の観念であるということになるわけです。しかし,果たしてそうなのかどうかというところが正に問題で,私の感覚では,それはデュー・プロセス・オブ・ローの中身ではないように思います。   それから,もう1点の議論は,現に時効が進行中の事案に新法を適用するかという問題ではなく,更に進めて既に時効が完成しある時点で刑事訴訟法上訴追ができなくなった者についても,新法で,例えば時効を撤廃して,それを適用して再び公訴を可能にすることはどうかということでした。先ほどの私の説明である,過去の行為に対する可罰的違法の評価を事後的に変えて適用することが憲法39条の禁じていることであるという理解を詰めていきますと,理論的には,既に時効の完成した事案について新たに現在の訴訟法規を適用して訴追することを可能にすることも,行為に対する違法評価を変更するものではありませんから ,憲法上は可能であるという帰結になろうかと思います。しかしもとより,立法政策としてそれが妥当かどうか,そういう議論はあるだろうと思っています。私がそのような帰結をとるというわけではなくて,それはあり得る議論だろうと思います。むしろ私の言いたかったことは,○○委員の説かれる点のうち,果たして31条の保障しているデュー・プロセス・オブ・ローの内容かどうかというところが正に問題なのではなかろうかという意見です。 ● ○○委員の御意見は,犯罪行為が行われたとされる時点において,公訴時効の点についても,訴訟法規の適用についても,その時点の法律を適用しますという約束を国民一般に対してしたということを前提とされているのだと思うのですが,なぜ当然そうなるのかがよく分かりません。公訴時効も,被告人の権利を守るための制度であるならば,あるいはそう言えるかもしれないですけれども,訴訟法では,一般にはそういう考え方はとっていませんし,それが反射的な利益に過ぎず,本来的には被告人の方からはそういう主張ができない利益であるとすれば,その理屈は妥当しないことになるのではないかと思うのです。つまり,犯罪行為の時点で,国民一般に対して,今この罪を犯したら死刑・無期に処されることになりますよ,と約束したら,それは守らなければならない。しかし,25年逃げおおせれば処罰しないと,そういう約束をしたということが本当に言えるかどうか,さらに,仮にそれが,○○委員が言われたように正当な権利として保護されるべきようなものなのかどうか,そこが問われていると思うのです。 ● 私の理解ですが,先ほどの公訴時効本質論と密接に絡んでいて,もしこれが訴訟法の問題なのだという訴訟法説をとればおっしゃるようなことになるのだろうと思うのですけれども,どうも今の公訴時効は,これはまた議論になると思うのですけれども,実体法的側面も十分持っているのではないかと思うのです。つまり,一定の犯罪に対する先ほどの可罰的評価というものがそこに入っている。もしそうであれば,その可罰的評価の変更を伴うような形での改正ということになると,これは○○委員がおっしゃったような意味で,これは憲法何条になるかというのはまた問題ですけれども,それは別にして,もし仮に憲法の精神,あるいは憲法39条,31条の基本にあるものが,可罰的評価の事後的変更はよくないという思想を含んでいるとすれば,それに抵触する可能性は十分あるわけです。どうも先ほどの御議論では,訴訟法的には,時効期間を多少延ばしても,あるいは公訴時効を廃止しても,証拠の散逸ということではそれほどの問題は生じないという御趣旨のようで,そうなると,むしろ現行法の公訴時効というのは実体法的側面に重点を置いて説明するほかはないのではないかということになります。ところが,遡及効の問題との関係では,むしろ訴訟法規ですよということが強調されることになると,どうも整合性が疑問になるのです。○○委員のような疑問というのは当然に出てくるのではないかと思います。 ● 可罰的評価の減殺とか,処罰感情が薄らぐということは,実体法的な側面を持っていることは事実なのですけれども,だから公訴時効期間の定めが実体法なのだということに当然なるのでしょうか。 ● それは実体法とは言いません。要するに実体法的な側面を持っている。 ● それは,恐らく○○委員の出された問題と関連していて,犯罪行為の時点において,この行為についての可罰性は25年たてばなくなりますということなのか,それとも,時間の経過によってそういうものが減殺したので,打ち切りましょうということなのか,後者だとすると,犯罪行為の時点での判断ではなく,訴追の時点において薄らいでしまっているので打ち切るという判断ではないのか。そこが従来,渾然として議論されていたのですが,どっちなのでしょうか。 ● やはり立法の時点ではないですか。立法の時点で,類型的,法的にこのぐらいの行為については この程度でというふうに定めて……。 ● 犯罪行為の時点で,これから25年たてば薄らぎますよという,そういう判断なのか。そうではなく,訴追の時点において,犯罪行為から25年なら25年たって薄らいでしまっているので打ち切ろう,そういう判断なのか。立法時といっても,は両方の立法があるわけですから。 ● 立法的判断ですから,公訴時効の規定を入れた時点が基準となるのです。 ● 犯罪行為の時点で直近の立法と,訴追ないし裁判の時点で直近の立法と両方あるわけで,そういうだけでは決め手にならないのではないかということを言っているのですが。 ● 理解が十分行き届かないのですけれども,私は,例えば25年なら25年と決めたその時点,ここから決めたその時点に,この種の行為についてはこういう可罰的な重みを持っているということで決められたので,その時点が問題となると理解します。 ● それは一つの立場ですが,実体法説に立っても,後ろの見方もあり得るのかなと思うのです。 ● ちょっとそれは私は分からないです。 ● 実体法説だったら,犯罪行為時の法律を適用するということになるという前提に立っておられるからなのでしょうが, しかし,実体法説を前提としても訴追ないし裁判時の法律によるという考え方も導き得ないわけではないので,実体法だからこっちだと決めつけはできないのではないかと思うのですね。基本的には,○○委員が言われたような見方か,○○委員が言われたような見方か,どっちなのか,そこなのではないか。議論の整理という意味で発言しました。 ● 今のまとめからしますと,先ほど事務当局が,これまで「従前の例による」という形の規定をしたという理由として,実体法説もあるのだということと,遡及適用は被告人の不利益な形になるからということで「従前の例による」という形をとったということですが,そうすると,基本的には実体法説があるからという形にはならないわけですね。 ● 実体法説もあるからというふうに立案担当者の解説にあるのですが,その趣旨は,今,部会長が整理されたような意味で,実体法説をとるから犯罪行為時の規範,法令を適用すべきだという結論まで出したという意味では恐らくなくて,これは,従来から学説上いろいろな御意見があったところでありまして,実体法説と言われるものの立場から,いわゆる遡及適用であって許されないのだという説もあるから,あえてそこに踏み込んでいないという趣旨であると理解しております。現に,法制審議会の部会で公訴時効の延長の関係について議論されておりますけれども,いわゆる遡及適用をするかどうかにつきましては,特段の議論なく,今回はしないということになっておりまして,憲法上許されるかどうかというところまで踏み込んで議論はされていないので,当時の趣旨としてはそういう意味ではないかと考えております。 ● ○○委員に質問なのですけれども,少なくとも○○委員は39条違反の問題はないという御議論なのですけれども,○○委員は,39条に反すると言われるのでしょうか。どう考えても,実行の時に違法なのですから。実行の時に違法な行為について,ただその刑事訴追の可能性を生じさせるというのが公訴時効の延長とか撤廃なのですから,39条違反だということを御主張になっているのではないのですね。 ● 39条自体を読んでも,「実行の時に適法であった」と書いてあるのです。ところが,学説は,言葉を読み込んで,違法であっても可罰的評価を変更して法的に重くするのは39条違反だと言っているわけです。つまり,その面で言うと,既に39条の文言解釈を離れていて,実質解釈を読み込んでいるのですね。憲法学説自体が。私の考え方は,この公訴時効の問題は非常に微妙な問題で,たしかに実体法であるとは割り切れないが,法改正を行うとなると,可罰的評価の変更を正面から認めることになるのではないか。遡及適用は憲法違反であるということまでは言い切れない,ただ,憲法の持っている精神というのはやはりあるわけで,憲法のもとでの政策論の問題としては,可罰的評価の変更に対して非常に慎重でなければいけないと考えるのです。 ● 「精神」というのをもっと明晰に言語化すると,どうなるのですか。 ● 憲法の趣旨に照らして,可罰的評価の事後的な変更というものが含まれるような法規の遡及的適用は望ましくないということです。 ● 可罰的評価自体の変更なのですか,それとも,可罰的評価が薄らいでいく速度についての尺度の変更なのですか。どっちなのですか。 ● 憲法の「精神」と言うことによって憲法解釈における更なる詰めが止まるのです。それはよろしくないと思う。だから,その精神というのはどういうことなのか。そして,公訴時効の延長や撤廃は,可罰的評価を変化させているのかどうか。私は変化させているのではないと思うのです。可罰的評価は,正に行為時の実体法によって定められていて,その刑罰権の具体的実現,刑事訴追の時間的発動可能性を変化させるだけですよね。 ● もうちょっと簡単に言うと―簡単かどうか分からないですけれども,公訴時効制度はそれ自体,先ほどもおっしゃったように,一枚岩で一個の原則で割り切れない制度だと。つまり,訴訟法的側面も持っている,実体法的側面も持っているということで,その実体法的側面に注目して,一種の実体法的なものとして可罰的評価の変更を含むような形での改正が行われたとなれば,それはその限りで,要するに憲法違反にはならないかもしれないけれども,立法政策としては慎重に考えた方がいいのではないかということを言っているだけです。憲法は,黒と白で分かれて真ん中がないというものではないと思うのです。 ● 恐らく食い違いは,可罰的評価そのものの変更を意味していると考えるのか,あるいは,可罰的評価自体は,犯罪とするかどうかや刑の重さなどで決まるものであって,公訴時効の廃止や延長は,可罰性とか,あるいは処罰感情が薄らいでいく中で,どの辺で打ち切りにするのかという,その長さとか基準の変更を意味していると考えるのか。お二人の間のずれは,そこにあると思うのです。 ● 今,立法政策論とおっしゃったのですけれども,憲法の問題はないということなのですか。 ● いや,ですから,憲法というのは,黒か白かではなくて,はっきり違憲というものもあれば,憲法的観点から見て望ましい解釈もある。憲法は一種の価値体系を表現しているのですから。 ● 憲法にあらわされている価値体系から見ると,少なくとも政策としては妥当ではないという御趣旨でしょうか。 ● はっきりそうは言っていません。つまり,そういうマイナスの面を持っているわけで,もう片方によほどいいものがあれば,それによって凌駕されることはありうる……。 ● 先ほどと同じような議論ですね。 ● 整理のために1点だけ。   私も可罰的評価の変更というところまでは考えません。その点では,○○委員とは意見を異にしております。ただ,行為時より前に,立法府が,刑事訴訟法という法律によって,これこれの罪についての公訴時効期間は15年である,あるいは25年であると決めたということは,潜在的に犯罪者たり得る人との間で,法律の公布によって,自分たちの時間的な制約はこうですと,それを国民に知らしめたという見方は十分可能だと思うのです。それを,訴訟法だから何でも現行法を適用すればいいのだという考え方をとると,例えば,親告罪を非親告罪化した場合,あるいは,現行の単純賭博罪のように国外犯を処罰しないものを国外犯処罰規定を設けて遡及適用する,これも訴訟法的だから許されるという話になって,際限なくなってしまうのではないかと。 ● そこは多分論理が飛んでいるので。訴訟法だからすべてそうだというのではなくて,原則としてはそうで,ただ,個々の制度の趣旨によっては,旧法を適用すべきという場合が当然あるわけです。 ● この公訴時効の問題はどっちなのですか。 ● 私自身は,先ほど○○委員に申し上げたような物の見方をしていて,公訴時効が実体法説的な性質をも持っていることは確かだけれども,それは,一定の時間が経過すると実体法的な理由によって打ち切るという根拠を示すものであっても,公訴時効そのものが実体法であるわけではない。立法によって公訴時効期間を変更するのも,当該犯罪行為に対する可罰的評価自体を変えるわけではなく,可罰的評価が薄くなっていき,どこで打ち切りにするかという基準を変えるということなので,訴追の時点でで薄まっているかどうか,打ち切るべきかどうかという判断をするのが筋で,そうだとすれば,訴追の時点の法律を適用するというのが,本来の在り方ではないかと考えています。それに対して,親告罪とか国外犯処罰刑規定はどうかと言われますがそれは,それぞれに特有の事情があるので,それぞれについて議論しないと結論はでない問題で,今そこまで広げて議論する必要はないのではないかと思いますね。 ● それも同じではないのかという話です。   それと,先ほど○○幹事から勾留の話が出ましたが,現在は勾留の延長1回までで,原則20日ですが,これを例えば5回できる,50日までできるというふうにして遡及適用する。これも……。 ● それも「遡及」ではなく,そのときの訴訟法を適用するということです。その点は,だれも疑問は持っていないように思いますが。 ● しかし,訴訟法については現行法を適用するのが当然であると,それは原理的にどこから来ているのですか。 ● それは訴訟行為の適法・不適法はその時点の法規に照らして判断するということで,犯罪行為の正否や重大性は犯罪行為の時点の法律に照らして判断するのと同様,当たり前のことではないですか。 ● 当たり前ですかね。 ● 当たり前とお考えにならないのはなぜなのかが分かりませんので,それ以上説明のしようがないのです。 ● 日本の訴訟法では,従来,実体法説と訴訟法説とを併用するいわゆる競合説が通説で,私自身もそういうことを書いてきた一人でありますが,その際参考にしていたのは,専らドイツの学説でありました。アメリカには,まとまった時効理論などというものは見当たりませんので,ドイツで検討された学説を日本に持ち込んできていたと思います。しかし,ドイツは,今日の資料でもありますように,ある時点で謀殺罪について時効を廃止いたしました。その後,ドイツの訴訟法の学説は訴訟法説が有力になったのでありますが,それがすぐ日本に取り込まれなかったのは,ドイツの学説変更のきっかけがナチス犯罪という非常に特殊ドイツ的なものであったということが理由だと思います。それとともに,日本の最高裁判所は,どちらかといえば実体法説に親近感を示す判例を出してきたということがあります。そういうわけで,近年まで競合説に疑いを入れる人は,日本にはあまりいなかったわけですけれども,ここ数年の動きを見ますと,果たしてそれでいいのかということになってきたように思います。5年前の改正のときには,その点,従来どおりの考え方で,いわゆる遡及適用を認めることは問題外であるというような扱いをしたわけですけれども,そういう意味では,ごく最近に起こった変化かもしれません。この実体法説で被害感情という言葉を使う方もあるようですけれども,私はそれは使ったことがありません。社会の感ずる処罰の必要というような表現をしてきました。ドイツには苔むす墓の理論という言い方がありまして,時間がたつとお墓に苔がむすように社会の処罰感情は薄らいでいくという話でありました。しかし,日本の最近数年の状況を見ておりますと,社会の処罰の感情は,特にある種の重大な犯罪についてはなかなか苔むす段階には至らないということがよく分かります。そういう意味では,実体法説のよって立つ根拠は,社会的に非常に薄弱になってきているのではないかと思うのです。ただし,これは,たいへん大きな問題でありますので,先ほど○○委員が慎重にという言葉を使われましたが,私自身も本当の気持ちとしては,あと4,5年考えたいという気がしているわけです。ただ,現在の客観的な情勢がなかなかそれを許さないものであるということも一応理解しているつもりです。 ● 今の○○先生の話を聞いて,私自身も,ちょっと観点は違うのですが,実体法説というものの内容がいま一つ空疎というか,どうも把握できない。一般には処罰感情ということが言われていて,それは,被害者の処罰感情ではなくて社会の処罰感情だと,こういうことですよね。だけど,そこで言う「感情」という言葉の意味がワードとしてあまり適切でないせいなのか分かりませんが,それが一つの原因となって,被害者の側から見れば被害感情もそうだし,社会の被害感情もちっとも希薄化していないという話になるのですね。だけど,そうではなくて,通常量刑判断でやっているときにどのように考えられているかといいますと,被害者団体からは怒られるかもしれませんが,いわゆる被害感情というものを全面的にまず第一に考えるべきものだとは考えていないのです。基本的には,行為責任というものを主体にして考えて,その上で,犯情に対して一般情状的なものを考えるというときの一つとして,例えば被告人が反省しているかしていないかというのは同じようなものとしてあるのですが,それは真っ先に考えることではないのです。それと同じで,被害者の処罰感情というものを真っ先に考えるわけではなくて,その観点で言うと何を考えているかといいますと,被害というのはもちろん考えるのです。これは構成要件的な結果ですから。被害の重大性とか,あるいはその被害が社会に与えた影響とか,そういうものについては当然考えるのですが,それは,社会の被害感情とか被害者の被害感情とは違うものであって,むしろ,直接的な犯罪行為の結果なのです。それがどうも両方ごっちゃにして議論されていまして,実体法説で言っているところの被害感情というのは,今言いましたような,真っ先に考えられてないものを問題にしているので,それで,実体法説をこの場面に当てはめると何だかどうも議論が違うような気がするのです。ですから,社会の処罰感情の希薄化と言っているその「感情」というところにあまり重点を置かない方が恐らく実体法説の真意にも合っているのではないかという気がするのです。 ● 確認させていただきたいと思ったのですけれども,平成16年に,例えば,殺人の場合は15年から25年に時効期間が延ばされたわけですけれども,そのときは,先ほど部会長がおっしゃったように,可罰的評価が薄らいでいく速度が少し長くなっているというような考え方で,15年だったのが延ばされたと理解をしてよろしいのでしょうか。 ● はい。16年改正のときに,例えば,殺人罪についてはそれまで15年だった公訴時効期間が25年に延びましたけれども,そのときの考えは,平均年齢の伸びなどからして,被害者を含む社会一般の処罰感情に照らして考えたときに15年という時効期間は短きに過ぎるのではないのかという議論があって,併せて科学的証拠が収集される技術が発達しているということも考慮されて,25年に延長する改正になったと理解しております。 ● 先ほどの○○委員の御発言ですけれども,従来,実体法説も訴訟法説も,あまりそういうところを詰めて議論してきたわけではないように思うのです。あれは,ドイツでは実益のある,解釈論的な帰結に結びつく議論だったのですけれども,我が国の場合は,最初から公訴時効の定めは訴訟法規に入っており,しかも公訴時効が完成していれば免訴になると,処理の仕方も決まっていたわけで,あとは免訴の法的性質をめぐる議論とか,そういうところに結びつけて,茫漠とした議論をしてきたに過ぎない。それが,今回のような問題との関係で詰めて議論していくと,それぞれの説の脆弱さが浮かび上がってきているので,実体法だとか訴訟法だとか言っても恐らく問題は解決しないのではないかとも思います。むしろ,具体的に,あるいは実質的に,どういう不都合が起こるのか,そういう議論をした方が生産的なのではないかという気がするのです。 ● ちょっと違った観点で述べたいのですけれども,今回は,時効が既に完成したものについては考えないと。法務省の勉強会の最終取りまとめでも,さすがにだれもそれをできると思う人はいないという前提で書かれていると思うのですが,先ほどアメリカの判例の紹介もありましたけれども,それが憲法違反だから駄目なのか,それとも政策的に駄目だと言っているのか。アメリカの判例は憲法違反だと言っていると思いますけれども,憲法違反だとしたら,それとの対比で,例えば,先ほど言った廃止してしまったという場合を想定して,その廃止した新法を適用するということは,既に時効が成立した場合と限りなく近くならないかという気がいたします。もともと,公訴時効があるという前提でずっと,そういう意味では行為時にはそういう法律があった。それが,制度自体をなくしてしまう,5年を10年に延ばすとか,10年を20年に延ばすというのではなく,公訴時効自体をその犯罪については全くなくしてしまうということは,いったん公訴時効が成立したものに適用するのと限りなく近いのではないかという観点で憲法違反という議論はあり得るのではないかという感じがいたします。憲法違反かどうかという議論は,白か黒かと先ほど○○委員も言われましたけれども,確かにそういう議論はなかなか難しいので,簡単にこれは憲法違反で明らかということにはなりませんので,精神ということになりますけれども,既に時効が成立した人に対して適用しないということが憲法違反だと考えるのであれば,廃止するという法律を新たに適用するというのも同じような意味で憲法39条の精神に反するという考え方はあり得るのではないかと思います。 ● 今言われた「同じ意味で」というのがよく理解できないのですが。もうちょっと説明していただけますか。 ● 同じ意味というか,要するにもともとあった,つまり,それが反射的であろうが直接的であろうが,被告人にとって有利というか,被告人にとって働く公訴時効制度というものをなくしてしまうという変え方は,公訴時効があることを前提にそれを少し延ばすという変更とは質的に違うのではないかと思うということです。 ● 先ほど,公訴時効が完成した事件について新法を適用するのと廃止するのとは同じだと言われたので,どういう意味で同じなのですかということをお聞きしているのですが。 ● 同じではないです。近いのではないかということです。 ● どう近いのかよく分からないのですが。 ● 公訴時効の制度のある種恩恵を受けられた人が,一切その制度がなくなってしまうというような形でその制度の恩恵を受けられなくなるというのは,公訴時効があることを前提に少し期間を延ばすというのとは質的に違うと思います。 ● 私は,時効を廃止して新法を適用することと,既に時効が完成した場合とは同じではないと思いますが,後者については少し共感するところがあるのです。つまり,いわゆる遡及適用の問題で,まだ公訴時効が完成してないものについて延長するということについては○○委員の言われたことに全く賛成なのです。それは可罰性のあるものをその可能性を延長させるということだと思いますので。ただ,一度時効が完成したものについても同じように言えるかどうかということになると,やはり若干質的に違うのではないか。時効の制度ですから,一定の期間訴追をしないで公訴ができないという状態になると,我が国では免訴ということになります。しかし,免訴になると,結局は処罰することもできない。可罰権もそこで永久に失われることになるわけですから。しかも,免訴制度が今まで長い間定着してきたものだということを考えると,アメリカの最高裁判例がよっている考え方に近いところがあるように思えます。つまり,時効が一度完成したものをもう一度時効の廃止ということで訴追が可能となると考えると,訴追権を復活させるというような面があるのではないかと思います。ですから,一度時効が完成した事件について訴追を可能にすることは,憲法上の問題も何か出てきそうな感じがするなという感想を持っています。 ● 私も○○幹事が言おうとしていた部分について共感できるところがありまして,時効を期間延長することと廃止することでは,遡及適用といいますか,旧法ではなく新法を適用するという考え方はちょっと違うのではないか。もう少し別の要素があるのではないか。要するに,廃止してしまうということは,可罰性の評価が変化する,あるいは薄れていくというレベルではなくて,これは永遠に可罰的なのだということを宣言するわけですから,ある意味で,行為時においては旧法があって,例えば時効が25年だという形で進行していたものが,ある日突然,そこはもう駄目ですよという言い方と,25年のものが更に35年になったときにその進行を尊重しながら更にいろいろな状況の中でそれを延ばすことを認めるという場合と,ちょっと違うのではないかという感じがしているのです。だから,廃止するという場合は,かなり慎重でなければいけないのではないかというような理解をしています。 ● 訴訟法説と実体法説ということで,やはり実体法説になるのかなと思うのですけれども,○○委員が31条違反の問題になるのではないかとおっしゃいましたけれども,31条は,法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられないという規定ですよね。ですから,刑事訴訟法をきちんと適用しなければ刑罰を科せられないのだということを保障しているわけで,それはやはり刑罰権の範囲というものを画しているのではないかという感じがするのです。○○委員は,時間的な点でも刑罰権には限界があるのだと。刑の時効の規定も刑法の中にありますけれども,刑罰権の中に,ある程度時間的な,ここまでは刑罰権を適用する範囲が及ぶのだという時間的な限界というものを公訴時効は定めている部分があるのではないかと思うのです。ですから,やはり行為のときの刑事訴訟法の定めている公訴時効が適用されるのではないかと考えております。   ただ,時効が停止される事態があるわけですね。国外にいるときとか。そのような例外を認める規定の中に,DNAが特定されているものとか,それ以外のいろいろなものについて時効の停止を認めていったらどうかという案も入れられておりましたけれども,特定の事件について,今時効が完成しつつあるケースについては,そのような形で訴訟法を改正して救済していくというような方法もあるのではないかと。 ● 御意見は分かりました。   C-1案とか,それについては,また具体的な見直しの在り方のところで御議論いただければと思います。   前段については,○○委員に御質問したのと全く同じ疑問があり,訴訟法規について犯罪行為の時点のものを適用しなければ憲法31条違反だというのは,一般論として,訴訟法的には支持し得ない考え方ではないかと思います。それでは,公訴時効については特別なのか。そこがまだ御説明がない訳で,そこが説明できれば,憲法の問題としておっしゃるような帰結はとれるかもしれません。裁判時の訴訟法であろうと,訴訟法によって処断していることは間違いない訳で,それがなぜ犯罪行為時の訴訟法規によらなければいけないのか。そのところを御説明いただかないと,納得がいかないように思いますね。 ● 今の点について,議論の蒸し返しになるかもしれませんけれども,公訴時効が刑罰権の時間的制約を定めているという意味をどう考えるのかがポイントだろうと思います。一つの見方は,ある行為が処罰されるか,そして,処罰される場合に,いかなる刑罰を科すかということと並んで,それをどの程度の期間処罰できるかということも行為の可罰性の一内容であり,公訴時効の規定は,それをあらかじめ法律で定めたものだという理解です。もしそのように考えるとすれば,公訴時効を廃止したりその期間を延長することは,行為自体に備わった可罰性の評価を変更することになりますので,それについて行為時ではなく裁判時の規定を適用することは,正に憲法39条の問題になってくるはずです。そして,先ほど○○委員がおっしゃったように,もともと適法だった行為を処罰するのと併せて,より重く処罰するのも39条違反になるとすれば,時効期間の廃止や期間延長は,可罰性の一内容である処罰の期間を長くするものであるわけですから,それについて事後法を適用するのは39条違反であるという方が,私は筋が通っているように思います。他方で,それとは異なり,先ほど部会長がおっしゃったように,実体法説に立ったとしても,公訴時効期間によって示される刑罰権の時間的制約というのは可罰性の内容ではないのだという見方もあると思います。つまり,何が犯罪であり,それに対していかなる刑罰が科されるかという規定によって行為の可罰性はあらかじめ定められるのであり,公訴時効というのは,その意味での可罰性を持った行為について,一定の期間が経過した場合にその行為を処罰する必要性が失われているとみなして訴追を認めないことを定めたものに過ぎないという理解になろうかと思います。そうだとすれば,それは行為自体の可罰性の評価とは関わりませんので,憲法39条の話にはならないということになるはずです。   次に,その上で,憲法31条違反になるのかという問題ですが,○○委員は,憲法31条が適用される根拠として禁反言の原則を挙げておられました。そうしますと,憲法31条違反になるかどうかは,結局,行為時点で国家が定めていた公訴時効期間について被疑者なり犯人なりが信頼したとして,その信頼が保護に値するかどうかということに尽きると思います。この点について,裁判時の規定を適用することが39条違反になるかという問題について,公訴時効期間が経過すれば罪を免れるという期待は保護に値しないというのであれば,31条についても,同様に,その信頼が保護に値するということにはならないと思います。 ● 先ほどの○○幹事がおっしゃった,それから○○委員がおっしゃった議論に関してなのですけれども,お二人の議論の共通点は,廃止と延長は違う,憲法上もその意味が違うのではないかという御議論があったと思うのですが,私は,論理の構造としては同じで,廃止するか延長するかは法形式の違いではありますが,憲法論としてそこに決定的な違いはないと思います。先ほど来の御説明を聞いても,例を挙げられたのは,既に時効が完成したものについて再び訴追できるように法改正することと,現に進行中の事例について時効を廃止してそれを適用するのとが共通しているというような議論がされていたと思うのですが,それは全く私には理解できないので,もう少し分かるように説明してください。そういっても,多分説明はできないのであって,何となく気分でそう思っておられるのかもしれませんが,論理的には廃止と延長は憲法論の領域においては違いはない。その廃止や延長した現行法を刑事訴追するときに適用するかどうか,それが憲法に抵触するかという点では同じなのではないでしょうか。 ● ○○委員,何か補足説明が。 ● ○○委員がおっしゃったとおりでして,私としては,廃止であろうと延長であろうと,恐らく憲法39条の趣旨に反するだろうと思います。ただ,その場合であっても,廃止する場合と延長する場合では,もう少し慎重に検討しなければならないのは,廃止の場合の遡及,いわゆる新法適用ではなかろうかというような意見を申し述べたということであります。 ● 若干古い話になりますが,親告罪の告訴期間を延ばした法改正をしたときには,法律の適用関係はどのように決められたのかということと,今回の時効法制との関係についてどのように考えるべきかという点についてお教えいただきたいのですが。 ● 平成12年に性犯罪の告訴期間の撤廃がされておりますけれども,この際にも,その適用は,改正法施行後に犯された罪に限られております。平成12年のこの刑訴法の改正の際の取扱いの趣旨について明確に述べたものは見当たりません。 ● 恐らく事柄の性質が違っており,性犯罪についての告訴期間の撤廃の場合は,被害者保護の観点から旧法でいくのか新法でいくのか,どちらが適切かという,そういう判断であったように思うので,公訴時効の話とは事柄の性質が違っているのではないでしょうか。 ● 結局,そういうふうに変えること,時効期間が25年のものを例えば撤廃するというのは何が問題かというと,要するに,予測可能性とか法的安定性というものを害していること,これは間違いないと思うのです。ただ,実際に予測可能性とか法的安定性を害するとしても,それだけの変える必要性が本当にあるかないかというところに結局は帰着するわけです。問題は,要するにそういう必要性があるかないかというところであって,今までのものは遡及したものはほとんどないということですけれども,普通に考えて,予測可能性とか法的安定性を損なってまで何かをしようという必要性がなければ,それ以上の考えがなくてもそういうふうにはしないというのは当たり前のことですので,そういう意味では,今までのことはそれほど参考にはならないのかなという感じが,お話を聞いていて,しました。 ● 予測という意味では確かにそうなのかもしれませんが,そこが真の論点なのではなく,その予測というのが保護に値するのかどうかというところが,論点なのではないですか。○○委員などの御意見では,それは保護に値するべき予測ではない。つまり,行為時に,25年たてば訴追されなくなる,25年検挙されなければ訴追されないだろうという予測,あるいは期待というのは保護される正当な利益ではないのではないかということでした。それを正当な利益と考えれば,正に39条の話であり,31条の話になってくるかもしれないのですけれども。 ● それはそうなのですが,正当な利益とは必ずしも言えないとしても,あるいはその正当性はあまり大きくないとしても,それを上回るような改正の必要性というものがあれば,それは合理的な理由があるということになるのだろうと。 ● 多分,○○委員の御意見は,それすら無いということなのではないでしょうか。 ● この議論からすると,そういう利益が無いわけではないだろうという感じはしますけれどね。全く利益が無いということではないだろうという感じがします。 ● 私も,○○幹事がおっしゃったように,39条で保護に値する信頼でないとすれば31条でも保護に値する信頼でない,それはそうなるだろうと思います。しかし,私が申し上げたいことは,パクタ・スント・セルヴァンダということです。国家がいったん法律で国民と約束したことはそう軽々に破るべきではない,破るからには相当な理由がなければならない。今回それが相当な理由なのか,今回のように変更して新法を適用すること,それは,民法的に言えば事情変更の原則に当たるほどの重大な必要性と理由があるのか。私が申し上げたいのは,契約は破ってもいいのだというような感覚,国家のした契約も破っていいのだ,実体法は駄目だけれども訴訟法はいいのだというような感じで世間に受け取られるのではないかということです。 ● そこの前提が食い違っているのです。○○委員の場合は,犯罪行為の時点に契約をしたということなのですけれども……。 ● 犯罪行為の時点ではなくて,法律を公布したときに契約したのです。 ● 訴訟行為をする前にも新法が立法されていることが議論の前提なので,その訴訟行為をこの法律に従ってやりますと約束しており,それは破ってないともいえるわけで,結局,前提のとらえ方の違いなのですよ。 ● 難しい法律論になっていますけれども,議論を聞いていますと,国民の感情から離れたところで議論されているような気がしてしようがないですね。一般の国民は,凶悪犯罪は厳罰に処するべきである,みんなそう思っています。そして,逃亡して一定期間たったならば罪が罪でなくなる,青天白日の身になる,そんなことが許されていいのかという素朴な気持ちがあるんですよ。だから,いろいろな議論を展開する上においても,その国民の感情を納得させる議論展開でなければ,これは国民は支持しないと思います。そこの観点。例えば信義則と言いますけれども,殺人を犯した者に対して,お前は何年たったら助かるのだと約束したから,その約束を守らなければとか,こんなことを言ったって国民は支持しませんよ。だから,やはり国民がなるほどというような格好で法律論をおさめておかないと,専門家がまたいろいろやっているなということしか評価しないと私は思います。これは,被害者でなくて,国民が素朴に,なぜ逃げ回れば許されるのかというところですから,ここに分かるように答えてやらないといけませんね。 ● 私は,別に公訴時効を撤廃することに反対しているのではなくて,遡及適用というか,新法を適用することに反対しているということです。○○委員の御意見は,遡及適用も国民感情に合致しているということですよね。 ● そうです。国民はそう思っていますよ。 ● しかし,例えば,年金の支給開始年齢を70にするという改正をして,それを遡及的に適用するというようなときに,国民は納得するか。それは納得しないでしょう。 ● 延期というのは嫌ですよ。延長というのは嫌いなのです。というのは,許してやるという前提があるのです。逃げ回れば助かるという前提があっての延長なのです。軽罪については,また別でしょうけれども,重罪については,逃げて助かるという制度自体を正義感が許さないということです。確かに100年に延長すれば,犯罪を14歳で起こせば114歳。そうなると,ギネスブックでは114歳が世界で最高年だそうですね。そうすると,100年にまで延長すれば,大体みんないなくなるだろうと思うのです。だから,100年延長だぞと言っても,国民は納得しません。やはり,凶悪犯罪を犯しながら逃げ得を許すということがたまらないのです。法律的にどうあろうと何があろうと。その間捜査できませんと。極端なことを言うと,捜査はできなくてもしようがないんですよ。それから,支援してもらわなくても,これもいいんですよ。ただ,逃げているということがたまらないというのが,被害者に限らず国民一般の声ではないかなという気がしています。 ● 先ほどの議論に戻って恐縮なのですが,訴訟法説とか実体法説とか,私はまだよく理解できてない部分もあるのですが,それはそれとして,現行の規定上それが即座にその議論と連動しているのかどうか,それから,予測可能性なり可罰的な違法性の評価というのが現行法にどこまで連動して規定されているのかどうかというのは,少し違うところがあるように思われるわけです。例えば,時効は,法定刑の軽重によって期間が定まっておりますけれども,先ほど○○委員がおっしゃったように,いろいろな事由で停止することがある。それも,本人の行為による場合もあれば,よらない場合も当然あり得るわけです。したがって,行為の時点から25年たったら,必ず時効が完成する,可罰性がなくなるとかいうことにはなっていないわけです。そうすると,時効期間というのは,現実には延びることもあるわけで,縮んだりということはないのかもしれませんが,かなり浮動的なもので,結局,起訴の時点においてそれがまだ期限内かどうかというだけのものにすぎなくなってしまう。では,時効停止期間中に可罰的な要素が増えているのかというと,そういうことはないわけです。それは,むしろ,処罰の必要性なり,その間の訴追ができなかったという事情を考慮して, そういう停止を決めるとかいうことになっているのではないか。それから,予測可能性という点も,そういった停止の条項があるということを考えると,時々延びますよということを法律はもう書いているわけで,自分の事件は25年たてば全部なしになるのだということを法律が保障しているわけでも何でもないわけであります。そうすると,予測可能性がどの程度保護に値するものかということの議論はあろうかと思いますが,現在の法律上そこまで強く保障したものとまでは言えないのではないかと思います。法律の形だけの問題で申し上げました。 ● もう既に憲法論を踏み越えて政策的な妥当性の話にもなっていると思うのですが,更に政策的な妥当性・当否について付け加える御議論があれば,お伺いしておきたいと思います。何が政策的な妥当性・当否の問題なのかということ自体がよく分からないところがあるのですけれども,憲法そのものの問題ではなくて,憲法の趣旨とおっしゃったのもかなりそちらに近いのかなと思うのですが,付け加えて御意見があれば,お伺いしたいと思います。   よろしいでしょうか。現段階では,特にこの点については御意見がないようですので,それは次回以降に更に御議論いただくことにしましょう。先ほどの○○委員の御意見では,国民の意識を離れた専門家だけの議論になっているということでしたが,法理論的あるいは法技術的なところもきちっと詰めておかないと駄目なものですから,御理解いただければと思います。   もう一つ,「刑の時効見直しの必要性・具体的在り方」についても御議論いただかないといけないと思いますが,この点について,まず,事務当局から論点の具体的内容等について説明していただきたいと思います。配布資料もあるわけですね。これについても,説明をお願いしたいと思います。 ● それでは,論点ペーパーの「刑の時効見直しの必要性・具体的在り方」という論点の内容等について御説明させていただきます。   この論点につきましては,小項目を分けてございませんが,公訴時効制度を見直すこととする場合には,バランス上,刑の時効の制度も見直さなくてよいか否か,その必要性の有無の問題と,見直しの必要があるとすると,その具体的内容をどのように考えるかという見直しの具体的在り方の二つに分けて検討する必要があると考えられます。この二つの論点も,論理的には前者が先行するものと思われます。   まず,刑の時効見直しの必要性についてですが,公訴時効制度と刑の時効制度とは,一定の時間の経過により,公訴権,あるいは刑の執行権が消滅することとするもので性質が共通する面がありますので,公訴時効制度を見直すこととする場合には刑の時効も見直すべきであるという考え方と,この二つの制度は別の趣旨に基づく制度であり,また適用場面も異なるのであるから,公訴時効制度を見直すとしても刑の時効を見直す必要はないという考え方とがあり得るところです。   次に,刑の時効見直しの具体的在り方ですが,御案内のとおり,現行の刑の時効は宣告刑の軽重の区分に応じて段階的な時効期間が定められております。刑の時効を見直す必要があるという考えは,公訴時効制度について見直すことが前提となっていると思われますので,刑の時効見直しの具体的在り方についても公訴時効に関する改正内容を踏まえて検討することになると思われます。更には,刑の時効見直しの適用範囲の問題として,現に刑の時効が進行中の事件に適用することの可否,適否も問題となるところと思います。   ただ今申し上げた点,その他考えられる点を含めて御審議をお願いしたいと考えております。   続きまして,配布資料の説明をさせていただきます。「刑の時効見直しの必要性・具体的在り方」の論点に関連する配布資料は,資料14及び15になります。   資料番号14は,刑の時効制度に関する外国法制の概要をまとめたものです。   資料番号15は,過去10年間における懲役・禁錮刑の執行不能決定数に関する統計資料でございます。刑の時効の完成は,刑の言渡しを受けた者の死亡等と並んで刑の執行不能決定の理由となっておりますが,執行不能決定の理由ごとの数に関する統計はとっておらず,また,この決定書の保存期間が1年とされているため,刑の時効の完成を理由とする執行不能決定の数をお示しすることは難しいところです。もっとも,調査が可能な平成20年について調査いたしました結果,懲役刑の執行不能決定45件のうち3件が刑の時効の完成を理由とするものとなっております。   「刑の時効見直しの必要性・具体的在り方」の論点に関連する配布資料は以上でございます。 ● それでは,まず,ただ今の説明につきまして御質問等ございましたら,どなたからでも。 ● 最後の点についてですが,懲役刑で刑の時効が完成したケースというのは具体的にどういうものなのかを教えていただけませんか。 ● 先ほど申し上げましたように,45件のうち3件が刑の時効完成を利用とする執行不能決定でございますけれども,3件の罪名をお答えさせていただきたいと思います。道路交通法違反が1件です。住居侵入・窃盗が1件です。もう1件は公用文書毀棄及び住居侵入・窃盗となってございます。それ以上の個別事件の内容等につきましては,関係者のプライバシー等の観点からお答えを差し控えさせていただきたいと思います。 ● それでよろしいですか。 ● はい。 ● 今回は刑の時効が論点になっているのですけれども,これは,どこか特定の団体から刑の時効を延長してほしいというような要望があったから議論しようとしているのか,それとも,理論的に刑の時効と公訴時効の時効が関連するということでこれを俎上に上げたのか,その辺りの経緯をお聞きしたいと思います。 ● その点につきましては,先ほどの御説明で申し上げたとおりであり,あるいは,法務省の省内勉強会の取りまとめ等にも記載されているかと思いますけれども,公訴時効制度と刑の時効制度では,一定の時間の経過を理由として公訴権,あるいは刑の執行権が消滅するという点で共通する面がございますので,公訴時効制度を見直すときには,刑の時効制度についても見直す必要があるのではないかという考えからでございます。 ● 公訴時効でもこのぐらいの期間で完成するというか,訴追ができなくなるのに,有罪の言渡し,刑の言渡しがあり確定した者について刑が執行できなくなるのが,それより短くていいのかということですか,簡単に言いますと。 ● 簡単に申し上げると,刑の時効というのは,当然ながら有罪が確定して刑が決まった人でありまして,仮に今回公訴時効を見直すとすると,有罪・無罪自体が決まっていない人についてかなり長く責任の追及をする機会を設けるということになりますので,刑が決まった人がそれほど早く執行されないこととなるというのでは,バランスが悪いということになりはしないかということが考えられるということであります。 ● もう1点だけいいですか。   前回の改正のときには,死刑のある事件については刑の時効の方が30年であるということを踏まえて25年,つまりそれより5年軽くした。一緒又は超えるというのは何かバランスを失するという考え方でそうされたのだと思うのですけれども,特に説明はなかったのですが,その辺,先ほどの,もう有罪か無罪か決まった人と,これからどうなるかまだ分からない,無罪推定が働いている人とは違うのではないかと。逆に,刑の時効の方が,本来であればもう確定しているわけですから,長くあるべきと考えて5年の差をつけたのか。何かそこの理屈がありましたら,教えていただけますか。 ● 16年改正の趣旨ですね。その点はどうですか。 ● 記憶ベースになりますけれども,確か議論の中では,刑の時効とのバランスということも考慮の一つの要素になって延長後の期間が決められた,それは考慮の一つの要素になっていたという議論だったと承知しております。むしろ,そのときは,刑の時効を改正してまでというところまでは議論が行かなかったということではないかと思います。 ● よろしいですか。 ● 先ほどの○○幹事の御説明で,刑の時効についても検討するのは,公訴時効と性質において共通する面があるからであるというのが,法務省の勉強会の結果のペーパーでもそう書いてあるのですが,これは,後で議論すべきことなのかもしれませんけれども,どこが共通するのですか。証拠の散逸なんていう根拠は全然関係ないし,処罰感情というのも,もう処罰されることは決まっているわけですよね。 ● これは,答えになるかどうか分からないですけれども,試みということで。   例えば,ドイツだと刑法典の中に訴追時効と執行時効が並べて規定されているのですね。日本はそれを分けて規定しているのですけれども,解釈というか,理解の問題ですけれども,基本的に刑罰権というのがあって,その現れ方として公訴権というのがあり,執行権というのもあるわけですね。根本的な思想として,刑罰権そのものが時間とともに薄らいでいくという考え方がそこにはあります。そういう思想が基本的にあって,それが公訴時効においてはこういう形であらわれ,刑の時効についてはこういう形であらわれている。だから,推測するに,基本にある思想は,刑罰権というのは時間とともにだんだん薄くなっていく面を持っているということがあり,そう考えると,まだ真犯人かどうか分からない形で起訴するという段階の問題と,もう有罪が確定して決まっているということとの関係で言うと,同種の言わば兄弟か姉妹か分かりませんけれども,そのバランスが崩れているのがおかしくて,少なくとも確定判決が出て刑が確定してからの時効の方が期間が長くなるのは当然だということだとなるのだと思うのです。 ● ドイツ法に倣っていればですね。日本の場合はフランス法系の治罪法から別なので,ちょっと違うのかもしれませんが。 ● 事務当局で考えましたところだけ申し上げますと,ただ今○○委員からお答えいただいたような理論的なことを考えたわけではあまりなく,更に,○○委員が御指摘になったような趣旨において共通するというようなこと,それはあるのかもしれないのですけれども,むしろ現象面をとらえて,結果として,形は違いますけれども,時間の経過によって責任を問われない,あるいは執行されないという面において共通するので,先ほど申し上げたようにバランスが崩れるという考え方があり得るのではないかと思ったので,その点についての検討が必要ではないかと思いました。もちろん,いろいろなお考えによってそれは違うということであれば,その点は御議論いただければということでございます。 ● 既に議論の方に入りかけていますが,時間も残り少なくなってきましたので,御意見をお伺いするということにしたいと思います。   この問題につきましても,論理的には議論すべき順序があり,そもそも必要かどうかということと,必要だとして具体的な在り方はどうかということの2段階になると思うのですが,この論点は公訴時効とのバランス論的なところがありますので,その前提となる公訴時効についての議論が収れんしていない現段階では,踏み込んで議論するのは難しいようにも思われます。したがって,この段階ではこれらを一緒に御議論していただくのが適当かと思われますので,よろしければそういうことで,まとめて御発言をお願いできればと思います。   これは実体法そのものの問題ですので,○○委員,何か御意見があれば。 ● 私も,体系的と言うとおかしいですけれども,もし公訴時効を長くする,ないしは廃止するなら,それに対応した形で刑法を改正するのがいいとしか言いようがなくて,これは,実際上の理由というよりは,やはりバランス論というか,先ほど言ったようなシステマチックなバランス論としか言いようがありませんけれども,確定した段階で刑罰権が消えていくのが,それがより短い時間で消えていくというのは説明がどうしてもつかない。 ● ○○委員,御意見ありますか。 ● 私も○○委員の御意見に同調します。やはり,公訴時効を改正するのであれば,確定判決を得た本来収監されるべき者,あるいは執行されるべき者が逃亡して刑の執行を免れている場合には,なおさら刑の時効期間は長くてしかるべき,あるいは撤廃してしかるべきだと思います。 ● ○○委員は実体法から訴訟法まで幅広くやっておられると思うのですが,いかがですか。 ● 時効が完成したものがこんなに少ないところから見るとあまり意味がない規定かなという感じがいたします。現状を保護するという必要もあまりないのではないかと。 ● 意味がないというのは,存置してもいいという方向で意味がないという御趣旨なのか,もう廃止してもよいという方向での意味がないという御趣旨なのか,どちらですか。 ● 少し延ばすというよりも,やめてしまってもいいのではないかと思いますが。 ● 議論の前提として,刑が確定後逃走している人はどのぐらいいるかというのは分かるのでしょうか。 ● 日々新たに判決が確定して,新たなとん刑者というのが出て,その一方で,もちろん収監を随時やっていますので,一定の時点でということにならざるを得ないのですけれども,例えば平成20年末の時点で申し上げますと,懲役の実刑で言うと全体で36人という数があるようであります。 ● ある時点をとればということですね。 ● はい。 ● そもそもバランスだけで変える必要があるのかどうか。そして,立法事実というか,とりわけ死刑のあるような事件というのは,脱獄しない限り理論的にあり得ないわけでして,日本のすばらしい執行といいますか,拘置所なんかで脱獄するのは非常に難しいわけですし,正に,法律を変えて,あえてこの時点でそれを延ばす又は廃止するというようなことをする必要性がほとんどない,単にバランスだけで,バランスは先ほども出たようにかなり感覚的なバランスであって,理論的に本当にそうでないといけないのかどうかというところについては,必ずしもそうではないとも考えられますので,あえて公訴時効とリンクして,この時点でこれを変えないといけないという必然性はないと考えます。 ● 反対されているのだけれども,仮に凶悪・重大犯罪の公訴時効を廃止した場合……。 ● であったとしてもという意味です。つまり,リンクさせる必要はないと思います。 ● バランスとしてはおかしくはないということですか。 ● はい。 ● 分かりました。   ほかの方は御意見いかがでしょうか。 ● 私も○○幹事で同じでして,リンクさせる必要はないだろうと思うのです。仮にリンクさせないとした場合,例えば凶悪・重大な犯罪の死刑について,これをなしにするといった場合に,実体法のレベルですけれども,これも新法適用か旧法適用かという問題が起こりますよね。そういうややこしいことはやめてしまって,現行のままでいいのではないかと。 ● ほかに御意見は。 ● 例えば,江戸時代によくあった解放ですね。地震でも火事でも。 ● 災害のようなときのですね。 ● そのときに帰ってこない。30年帰ってこなければ死刑も執行ができないというのもおかしいので,私は,これはやはりやめてしまった方がいいのではないかと。裁判の結果もう決められているわけですから,決められているのを逃げ出したのですから,この者は,何年逃げ延びればいいぞとやる必要はないのではないかと思います。どうしてもやるのなら,江戸時代のように,帰ってくれば罪一等減ずるとかなるのならともかく,確定したのについては要らないのではないかと思います。 ● 両方の意味で御意見がありましたけれども,ほかに御意見ございますでしょうか。―よろしいですか。   恐らくこの段階で出る御議論はほぼ出たのかなと思いますので,この点も次回以降に御意見をお伺いしたいと思います。   予定していた時間がそろそろ経過しつつありますので,本日の審議はこの程度にさせていただきたいと思います。   次回の審議の予定について御相談したいのですけれども,次回については,「凶悪・重大犯罪の公訴時効見直しの具体的在り方」について集中した議論を行っていただいてはどうかと考えております。もちろん,必要性についての議論に決着が着いたということではございませんので,その点は留保しつつ,仮に見直しの必要があるとした場合にどういう具体的な在り方があるのかについて集中して議論するということでございます。   既に第1回においてある程度御議論いただいたところでございますけれども,その中でも御意見が出ましたが,論点案にA,B,C―CについてはC-1,C-2とあったわけですが,そこで言われている制度というのは具体的にどういうものなのか,いま一つ分かりにくいという御意見もございました。そして,初回だったこともあると思いますが,中身がもう一つはっきりしない,あるいは共通の理解を前提にしていないためか,議論もかなり抽象的にならざるを得なかったと感じております。   そこで,次の議論はむしろ,そこに挙げられている四つぐらいの方策について,仮にそういう案を主張し支持するとすれば,具体的にどういうものが考えられるのか,具体的なイメージが分かるよう,ある程度具体化した案を用意していただいて―用意していただくとすれば事務当局にお願いせざるを得ないと思うのですが―それを踏まえて,更に突っ込んだ議論をするのが建設的ではないかと思います。これは無論,飽くまで議論のたたき台にするというもので,そのような了解の基に,例えば,C-1とかC-2などでも,幾つかのアイデアはあり得ると思うのですが,具体的にこういうものが一つ考えられるというのを用意していただいて,それとは違うアイデアがあったら,こういうものも考えられるのではないかというふうに議論していくのがいいのかなと考えております。そういうことで,ある程度の大まかなイメージが分かる程度に具体化した案をたたき台として事務当局に用意していただき,それをもとに議論するということでいかがかと思うのですが,御賛同いただけますでしょうか。   それでは,時間があまりないので恐縮ですけれども,別に法務省当局の責任で出す案ということでなく,飽くまで議論のたたき台にするための考えられる案ということで準備していただき,次回はそれに基づいて議論させていただければと思います。 ● このC-1というのは,アメリカのジョン・ドゥ起訴をベースにしていると思われますので,そのジョン・ドゥ起訴についての資料というのですか,どういう制度かとか,もしそういう資料があれば一緒に提示いただければと思うのですけれども。 ● 分かりました。それは用意できますか。 ● アメリカの法律の規定等を参考に可能な範囲で用意したいと思います。 ● どういう場面に適用されているかという辺りもお願いします。 ● 分かりました。そのようにさせていただきます。   次回の部会の日時,場所について御説明をお願いしたいと思います。 ● 次回の部会は,12月21日(月曜日)の午後2時から午後6時まで,法務省ゾーン20階の最高検察庁大会議室で行うこととなっております。 ● 今日はかなり突っ込んだ議論をし,私自身もやや踏み込んだことを発言させていただいたところもあるかと思いますが,次回以降も充実した議論を是非お願いしたいと思います。   次回の予定をもう一度申しますと,12月21日(月曜日)の午後2時からおおむね午後6時ごろまで,場所は法務省20階の最高裁検察庁大会議室ということですので,よろしく御参集いただければと思います。本日はどうもありがとうございました。 -了-