
『一番あきらめの悪い法務教官』であり続けたい
水府学院 法務教官

まだ「法務教官」という仕事を知らなかった頃。専門学校を卒業し工場勤めをしていた男性はある日、職場の先輩から、「お前、何のためにこの仕事やってるんだよ」と叱責されます。この出来事をきっかけに生まれた、「もっと考えて、感じて生きなければいけない」との思いを若者に伝えたいと矯正の世界に飛び込みました。自分が決めた道を突き進むべく、少年たちと心と心をぶつけ合う生き様を熱く語っていただきました。
自分の思いをいつまでも熱く語れる職場でありたい
これまで多くの少年と出会い、たくさんのことを少年から学びました。当初は厳しく叱ることくらいしかできなくて、発達障害のこともよく知らないまま、結局うまく導くことができなかったこともありました。今はどういう関わり方ができるのかを常に考えながら、少年たちと関わっています。仕事というのは、思いをもってやらないといけないと感じています。
採用された頃は、先輩たちが毅然と少年を指導していました。「なるほどこれが少年院なんだな」と思い必死に食らいついていましたが、私が集合研修のためにしばらく職場から離れるとき、いつも厳しい先輩たちが寄せ書きを作ってくれていました。こんな人間関係の職場はいいなと素直に思えました。
少年院の変わらないでほしいところは目に見えないところにある
最近は、職員同士で意見交換をしたりすることが少し難しくなっていますが、かつては、よく夜中まで処遇論について話し合っていました。そこで、少年たちに対する思いが整理できたり、他の職員の思いや考えを取り入れたりしたものです。
少年院の処遇も、時代とともに変わって行くことには賛成なのですが、土台になる部分、少年院がこれまでやってきたものについては変わらずにいてほしいと思います。先人たちの「思い」という目に見えない部分があって、これを言葉にするのは難しいのですが、施設や法務教官の目的を明確にするのであれば、やはり「再非行防止」につながるのではないでしょうか。
少年たちからはどのように見られているのかは分かりませんが、「自分の仕事を一生懸命にやっている大人」と見てもらえていたらうれしいです。彼らの「どうせ大人は」という気持ちを打ち破りたいというのもあって、「大人って、めっちゃいいよ」って伝えたいです。
思いを後押ししてもらえる社会であってほしい
社会は変化していますが、法務教官と少年との関係は、今も昔も余り変わっていないように思います。立場の違いはあっても、一人の人間として関わっていきたい。先入観を持ち過ぎず、目の前にいる少年と向き合っていけることが理想的な関係です。とはいえ、職員と少年は対等な関係ではいけないと思っています。人と人との関係ではあっても、状況によっては立場が違うことを伝えなければいけません。少年がお客様になってはいけないと思います。
「さん付け」、「行動規制の緩和」、「行進の廃止」という変化は、かえって互いの気持ちが伝わりにくくなるのではないかと心配しています。社会が変化したとしても残したいことがあるのですが、その必要性を社会に説明するのは難しいです。「してはならない」という制限を増やすばかりではなく、再非行防止に向けて「存分にやってください」、「矯正職員として大切なことは忘れないでください」と、周囲の人から現場の思いを後押ししてくれるようになってほしいし、そのための目的地を社会からも掲げてもらいたいです。
答えはまだない それでも考え続ける「犯罪被害者との関係」
犯罪被害者との関係についての質問はとても難しいですね。もし私が犯罪被害者だったらと考えると怖くなりますし、矯正に期待することも特にないと思います。「被害者」や「加害者」というレッテルを貼って先入観や一方的な思い込み持つのではなく、対話をする相手として意見が言い合える関係、互いに真剣に向き合って1対1の関係で話し合えることが望ましいと思います。そのためにも、加害者側が被害者の気持ちを想像することはとても大事だと思います。被害者の苦痛や苦悩を想像しているからこそ、ようやく一人の人間として対峙できるものと思います。だからこそ、私が担当する少年に対しては、少年自身がそうした苦悩や苦痛に向き合える準備ができる時期が来るまでは、被害者に関する課題を出さないようにしてきました。表面的な反省になってほしくないからです。
「法務教官の仕事ってすごいね」 いつか、そんなふうに認められるようになりたい
社会からは、矯正についてあまり知られていないと思います。「法務教官?何、その仕事」ってよく言われます。取り上げられるのは不祥事があったことばかりで、「法務教官ってすごいね」というような取り上げられ方がされることもないですよね。矯正の仕事をしている自分のことは好きですが、社会からどのように見てもらいたいかは考えたことがありません。ただ、頑張っている少年たちのためにも、悪く見られたくはない。社会の人から、「そんなところに入っても仕方ない」とは言われたくはないです。
諦めの悪い法務教官であり続けたい
少年たちは、これまでに様々な配慮がなされてきた人ばかりです。それでも少年院にまでたどり着くことになったわけですから、私たちもそれなりの覚悟を持って関わっていきたいと考えています。何があっても私たちは諦めないで接する。私は「一番諦めの悪い法務教官でいたい」と思います。
最近の矯正はやることがどんどん増えていき、一番の目的としなければならないところに力が注げていないように感じてしまいます。先輩方からは、「教官室や事務室にいない法務教官になりなさい」と言われてきました。私は、時代の流れに取り残されないで、時代の流れとともに進む生き方をしようと考えています。再非行防止という柱を残しつつ、世間体を気にし過ぎないように。
法務教官になったとき、本当に少年たちに少しでも何か良いきっかけを与えたいと思っていました。あれから何十年も経ちましたが、「やっぱりそれが大事だよね」という話ができるような、何かこう「見えない部分」というか、人と人との魂のぶつかり合いみたいなところが残っている矯正であってほしいです。


