法制審議会民法(債権関係)部会           第48回会議 議事録 第1 日 時  平成24年6月5日(火)自 午後1時00分                     至 午後6時06分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  民法(債権関係)の改正について 第4 議 事 (次のとおり)           議        事 ○鎌田部会長 定刻になりましたので,法制審議会民法(債権関係)部会第48回会議を開会いたします。   本日は,御多忙の中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   本日の配布資料につきまして事務当局から確認をお願いいたします。 ○筒井幹事 事前送付資料として部会資料40と部会資料41をお届けしております。このうち部会資料41につきましては,電子データでは前半と後半の2分割で事前にお届けし,紙では前半部分を事前に送付しておりました。本日の机上には,後半部分を付け加えた差し替え版を配布しております。この差し替え版では,紙で事前送付した前半部分についても比較法欄に加筆するなどしておりますので,本日以降,専ら差し替え版を御利用いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   本日は,部会資料40及び41について御審議いただく予定です。具体的な進め方といたしましては,休憩前までに部会資料40及び部会資料41の「第1 契約に関する基本原則等」の「2 契約の成立に関する一般的規定」までについて御審議いただき,午後3時半ごろをめどに適宜休憩を入れることとしたいと考えております。休憩後,部会資料41の残りの部分について御審議いただく予定です。   それでは,部会資料40の「第1 更改」のうち「1 更改の要件・効果の明確化」から「4 更改後の債務への担保の移転」までについて御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○松尾関係官 「1 更改の要件・効果の明確化」では,更改に関する要件・効果が条文上,不明確であるという問題に対応するために,判例・学説を踏まえて要件・効果を条文上,明確化することを提案するものです。   「2 更改による当事者の交替の制度の要否」は,当事者の交替のためには債権譲渡や免責的債務引受が利用されるのが一般的であり,更改による当事者の交替の制度が積極的に利用されているわけではないという指摘を踏まえて,更改による当事者の交替の制度を廃止することを提案しています。その場合に,更改による当事者の交替に相当する合意の効力を担保するための規定を設けることの要否が問題となりますが,本文ではそのような規定は設けないという提案をしております。   「3 更改の効力と旧債務の帰すうとの関係」は,民法第517条の規律内容が不明確であるという問題に対応するために,本文のように規定を改めるという考え方の当否を問うものです。もっとも民法第517条についてはこれを削除し,旧債務の帰すうについては個別の事案ごとに判断するという考え方もあり得るところですので,この考え方を別案として提示しております。   「4 更改後の債務への担保の移転」は,民法第518条の規律内容を明確化する観点から,規定を見直すことの当否を問うものです。 ○鎌田部会長 ただいま説明がありました部分について御意見をお伺いします。御自由に御発言ください。 ○潮見幹事 「第1 更改」の「1 更改の要件・効果の明確化」のところで,債務の発生原因の変更に関する更改を「債務の性質」の変更と改めることについては,言葉としていかがかなという感じがいたします。端的に債務の発生原因の変更と書くべきではないでしょうか。と言いますのも,ここで「債務の性質」といったら,契約の性質だとか,債務の性質という言葉が使われるときに「性質」とは発生原因のことだと誤解をされるとまずい。それから,債務の性質といった場合は,債権総論では債務の属性,債権の属性という言い方を請求権競合論の辺りですることがありまして,そこでは利息が付いているかどうかとか,行使の可能性がどうかとか,期間制限はどうかとか,責任制限はどうかということを「性質」あるいは「属性」という言葉で表現することがあります。その意味でも,ここは債務の発生原因の変更と書けば十分であって,「性質」と書くべきではないと思います。 ○中田委員 今の潮見幹事の御意見に,もし,性質という部分を入れるのであれば,発生原因のほうがよいという点においては賛成です。ただ,もうちょっと遡って考えますと,そもそも発生原因の変更を更改の事由とすることがいいのかどうかを検討する必要があると思います。と申しますのは,旧民法では原因の変更も更改を生じさせる四つの事由の中の一つとして規定されていたわけですが,それを現行民法にする際に意識的に削除した。それについては法典調査会でかなりの議論があった上で,意識的に起草者は原因の変更を削除したという経緯がございます。   原因というのを入れるのは,恐らくローマ法あるいはフランス法の影響があると思うんですが,ただ,起草者は原因の変更を入れることにはいろいろ弊害があると,発生原因というのは発生時に決まっていて,その際に契約類型に応じた規律の適用を受けるはずなのに,事後的に当事者が勝手に変更するということは,適当ではないのではないかということで,意識的に落としているわけです。もちろん,それに対しては構わないではないかという意見もあり,両論あったわけですけれども,少なくとも起草者は入れないという解釈を貫いております。それを今回,改めるのだとすると,その検討が必要になるのではないかと思います。その妥当性,必要性の両面から,本当にこれがいいのかどうかということは,検討する必要があると思います。さらに,もし,性質あるいは発生原因ということを入れるということになりますと,原因というフランス民法の概念をここに持ち込むという面もあるわけですが,その当否という観点からも慎重な検討が必要かと思います。ですから,ここは潮見幹事のおっしゃるように表現の面もありますが,もうちょっと本質的に妥当かどうかという検討が必要かと思います。   それから,表現のレベルで申しますと,もう一つのほうを債務の目的とするということなんですが,こちらは実質は賛成なんですけれども,目的という言葉を使うのがいいのかどうかは,なお検討が必要だと思います。というのは,目的という言葉の使い方が日常用語と違っていて分かりにくいということがございます。それから,もう一つ,別のところでは債権の目的という言葉が使われる可能性がありまして,債権の目的と債務の目的という言葉がどのような関係に立つのかということが今後,議論の対象になる可能性もありますので,例えば債務の内容という言葉が可能かどうかということも含めて,こちらは表現レベルの検討が必要かと思います。 ○能見委員 私もこの資料を拝見していて,原因の変更というのが更改だけでできるのかという点について疑問を感じました。例としては売買契約を原因とする債務を贈与契約に基づく債務と変更する。あるいは,その逆も考えられますが,目的物の所有権移転や引渡義務という債務の部分だけを見ればいい,そういうことも可能なのかもしれませんけれども,売買ですと,当然,対価があるわけですが,贈与となると対価がない債務に変更されるわけで,それは更改プラス何かアルファがないとできないのではないか。売買から贈与に変更する場合は有から無にするので,それはできないわけではないかもしれないけれども,逆の方向への変更は難しいでしょうし,このように考えると原因の変更が無条件でできるわけでもないのではないと思います。更改の中に原因の変更という概念を持ち込むことによって非常に複雑といいますか,不明瞭な更改にしてしまう危険があるのではないかと思います。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○佐成委員 (3)のところもよろしいでしょうか。 ○鎌田部会長 結構です。 ○佐成委員 中間論点整理の段階で削除というか,廃止という提案に対して……間違えました,(3)ではなくて2のところですが,よろしいですか。  更改による当事者の交替の制度の廃止について,中間論点整理のときに廃止していいかどうか慎重に検討してほしいということを申し上げました。実務的に本当に問題ないかどうかを再度確認したいという趣旨でその段階で申し上げて,実際に改めて経済界の内部で議論をしましたけれども,それほどの異論がなかったのは事実でございます。ただ依然として,若干,慎重に考えたほうがいいのかなというのは,国際的な取引の場面においてでございます。国際的取引の場面においては,例えば英米法を準拠法として契約交渉をしていると,当事者の交替を巡ってノベーションとアサインメントの選択問題に遭遇することがあります。実際,ノベーションでドラフトをして,それをアサインメントに直したり,あるいはアサインメントの契約をノベーションに直したりとか,そういったようなことが行われておるようでございます。現に私が関与したものについても,海外の資産の買主の立場だったかと思うのですけれども,確か代金債務とかの親子会社間のノベーションのドラフトを,結果的にはアサインメントに変えたというのがありました。  欧米で当事者の交替による更改という制度が廃止されるということであれば,日本法もそれに合わせて平仄をそろえるというのは一つの選択肢だとは思うのですけれども,欧米では依然として当事者の交替による更改という制度が存続しており,それを廃止するという動きもないようですが,もし日本法だけがこれに対応する概念をなくしてしまうということですと,確かに実務的にはそれほど大きな問題にはならないのかもしれないのですけれども,果たしてそれでいいのか,いささか心配です。短期的にはいいのかもしれないですけれども,長期的に何か悪影響を及ぼす可能性はないかという懸念もありまして,やや慎重に考えたいなと思います。   特に欧米でも当事者の交替による更改と,それ以外の,債務の中身の変更による更改については,両方ともまとめて「更改」と呼んでいるようでございますし,例えばフランス法なんかでも更改はノバシオンと言い,その中にノバシオン・スブジェクティブというのと,ノバシオン・オブジェクティブというのがあって,それぞれ当事者の交替による更改とそれ以外の債務の変更による更改に対応しますが,まとめてノバシオンの類型であるという説明もなされているところです。にもかかわらず,日本法だけが直ちにそのうちの一つの類型である当事者の交替による更改を制度として廃止してしまうというのは,当事者の任意の合意で同様の効果をもたらすこともできるし,付加的にいろいろ特約を付けることも可能ですから,実務上の支障は生じないとは思うのですけれども,比較法的には,慎重に考えたほうがいいのではないかという意見を依然として持っているということだけ申し上げたいと思います。 ○三上委員 ちょっと戻って恐縮です,(2)の「更改意思」ですが,更改意思が必要であるという趣旨は,例えば債務の要素に当たる部分が変更されていても,更改の意思がなければ更改にならないという趣旨なのか,債務の要素に変更があった場合には,当事者間に更改するつもりがなかったとしても,更改の効果が認められてしまうという趣旨なのか,つまり,客観的に更改というのが判断される余地があるのかないのかという点を御確認したいと思います。金融取引では手形貸付の手形の書き換えで旧手形を返したら更改になってしまうとか,過去の判例で貸付の種類,例えば枠貸しをしていたが,信用の問題で枠では貸せなくなったときなどに,専門的になって恐縮なんですが,当座貸越勘定から手形貸付勘定に乗り換えるというときに,帳簿上は当座貸越勘定を一旦返済したことにして,新規に手形貸付勘定を銀行内で起こしますが,その作業の際に一旦,金が出て入ってということをお客さんの口座を通してやってしまったがために,一瞬でも債権が倍になっているから,この二つは別物で更改になるんだという下級審判例がありまして,融資担当者への要注意点になっています。それで,第一読会のときから更改意思がない場合には更改にしないでほしいということを申し上げたんですが,今回の御提案は,更改の意思がなければ要素の変更があっても更改にならないということなのか,あるいは要素の変更があれば,当事者間にその意思がなくても更改の効果は発生することがあるのか,この点はいかがなんでしょうか。 ○松尾関係官 今の三上委員の御質問については,三上委員がおっしゃったうちの前者の考え方,つまり,債務の要素が変更されても債務を消滅させるという意思がなければ,更改には当たらないという提案です。 ○松本委員 最初のほうの議論に戻りますが,私も債務の性質という言葉は多義的だからやめたほうがいいと思います。   発生原因についてですが,準消費貸借というのは明文の規定があって,言わば発生原因の切り替えが認められているわけです。準消費貸借と更改の関係についてはいろいろ学説があるかと思うんですが,更改の一種だと考えれば発生原因の更改というか,切り替えは日本民法では既に認めているということだから,金銭消費貸借の形への更改に限定して認めるという立場を採るのか,それとも一般化するのかというところだけになるのではないかと思うんですが,いかがでしょうか。 ○中田委員 その点も法典調査会で議論があったところでして,売買代金債権を貸金債権に変えるのは準消費貸借として認められていて,更改ではないんだというような議論があります。さらに,それ以外についてどうかというところ,むしろ松本委員のおっしゃる一般化できるかどうか,そこが対立しているところでありまして,幾つかの例が挙げられておりますし,以前からも例えば寄託と使用貸借と取り替えるのはどうかとか,いろいろなケースが検討されております。ですから,一般化できるかどうか,そこですね。あとは更改と準消費貸借との関係というのは御指摘のとおり,いろいろな考え方があると思いますけれども。 ○鹿野幹事 3についてなのですが,よろしいですか。3の517条に関するところなのですが,結論から言いますと,別案の考え方に共感を覚えております。つまり,現行の517条は,資料にも書いてありますように,更改契約が無効である場合,あるいは取り消された場合には,旧債務は消滅しないということを原則とし,その上で,その例外をどのような場合に認めるのかを問題としているものと思います。資料では,これに関する規定内容を明確にさせるという趣旨から,無効事由あるいは取消しの事由を債権者が知っていた場合を例外として取り扱うことが提案されているものと思います。しかし,単にこれらの事由を知っていたというだけでこれを例外とする必要性が私には理解できません。   まず,この場合に,知っていた債権者に果たして免除の意思があったと推定されるのかというと,必ずしもそうではなく,むしろ実態は随分違うのではないかと思います。例えば,更改契約をしたときに債務者に何らかの錯誤があり,錯誤無効の主張ができる場合,あるいは不実告知による取消しができる場合において,債権者がその原因となる事実を知っていたという場合を例にとって考えてみましょう。この場合,債務者が取消権を行使し,あるいは無効を主張すれば,それによって,更改契約の効力が否定され,新債務の成立が認められないということは,確かにそうでしょう。しかし,その場合に,これに加えて,旧債務が全く失われてしまうのかということがここでの問題です。少なくとも債権者には,更改後の新しい債権を取得できないときに,旧債務まで免除する意思は有しないのが通常なのではないかと思います。   あるいは,債務免除の意思の推定という趣旨からではなく,一種のサンクションを課すためにこのような例外規定を置こうという趣旨なのかもしれません。無効・取消しの原因事実を知っていた債権者なのだから,そのぐらいの不利益は覚悟するべきだという別の趣旨の下で,このような規律を置くということは,一応考えられるのかもしれません。しかしながら,普通の場合は,無効取消しの効果は,その契約の効力が否定され,契約前の状態に戻すというだけです。それ以上の効果を,更改の場合についてだけ認めるということには,理由が見当たらず,その点でも疑問があります。ということで,一言で申しますと,免除の意思があるか否かは場合によって違いがあるでしょうし,また,制裁という観点からも直ちには正当化できないのに,一律にこのような形で規定することは問題なのではないかと思います。   ところで,資料の8ページから9ページにかけて,別案が書かれており,別案は,517条を削除するというもののようです。ただ,517条を置く意味があるとすればそれは,更改契約が無効である場合,あるいは取り消された場合は,原則として旧債務は消滅しないという内容で置くことだと思います。これは書くまでもないということかもしれませんが,原則をここに示すということには意味があるかもしれません。例外は,個々の場合によって違いますから,個々の場合の意思解釈等に委ねてよいと思います。 ○鎌田部会長 別案修正案ということになりますね。 ○岡委員 今のところですが,弁護士会も別案に賛成のところが半分ぐらいございました。ほかの半分は文言をきれいにするという本案でもいいのではないかということではありましたが,私個人としては別案のほうに賛成でございます。今,鹿野先生がおっしゃったような債務者が錯誤無効になっている場合を考えて,旧債務の消滅という利益を与えるのは,ペナルティとしか位置付けられないのではないかと思います。   ペナルティで旧債務消滅の効果まで一律に与えるのは行き過ぎだろうということが一つと,債権者が錯誤無効に陥っていた場合で,そのことを自分が知っていて重過失であれば,錯誤無効は主張できないわけですから,軽過失で錯誤無効になった場合で,それを知っていたときは,旧債権が消滅する。それはペナルティとしか位置付けられないのではないかと議論をいたしました。ただ,弁護士で話しても実例はほとんどないし,こんな条文は使ったこともないということもありまして,別案のほうが柔軟な解決ができるのではないかというほわっとした意見でございます。 ○筒井幹事 本日,御欠席の安永委員から「第1 更改」の2に関する発言メモを事前に頂いておりますので,読み上げて紹介いたします。   更改による当事者の交替については,労働者の意に反する転籍,すなわち労働契約上,供給されるべき労務に関する債権者の交替を容易にすることが危惧されます。部会資料の「更改による当事者の交替に関する民法第514条から第516条の規定を削除する」という提案については,当事者の交替に関して,更改に含めないことを明確にするものと考えますので,積極的に賛成いたします。 ○鎌田部会長 それでは,1の(1)については御意見を頂戴しましたが,もう少し検討の必要があると思いますので,最終的には部会で決めることを前提にして,分科会で補充的な検討をしてもらうということにしたいと思いますが,よろしいでしょうか。2につきましては,頂戴しました御意見を踏まえて,更に事務当局において検討を続けさせていただきます。3につきましては,現時点では別案又は別案の一部修正をしたものに賛成という意見しか頂いておりませんけれども,ほかの御意見がありましたらお出しいただければと思います。   それでは,これも御意見を踏まえて事務当局で更に補充的に検討させていただきます。4について御意見がありましたらお出しください。特に御異論はないと伺ってよろしいでしょうか。   それでは,「5 三面更改(更改による当事者の参加)」について御審議いただきます。事務当局から説明をしてもらいます。 ○松尾関係官 部会資料11ページの図のAB間の債権がAX間の債権とXB間の債権とに置き換えられる法律関係は,様々な取引において現れるものですが,債権を置き換える契約当事者の意図を適切に反映させるための法律構成が民法は用意されていないと指摘されています。そこで,本文は新たな類型の更改を導入する考え方の当否を問うものです。なお,この新たな類型の更改については,ここでは差し当たり,三面更改と呼ぶことを提案しています。本文①,②では要件・効果に関する規律を,本文③では第三者との関係に関する規律の在り方を問うものです。また,そのほかの問題についての考え方を部会資料の15ページ以下にまとめておりますが,この点についても御意見があれば御議論いただきたいと考えております。   この論点については,具体的な規定の在り方等につき分科会で補充的に検討することが考えられますので,この点につき分科会で検討することの可否についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ただいま説明がありました部分について御意見をお伺いします。御自由に御発言ください。 ○佐藤関係官 三面更改全般に関する意見を申し上げますが,前提といたしまして, 三面更改の規定を設けることについては,特段,賛成あるいは反対というものではございません。ただ,実務的な観点を踏まえますと,いろいろと実務家の意見も聞いてみたのですが,現行, 相応に安定的に運用されている清算制度が採用しているような法的構成の有効性について,否定あるいは疑義を提示するようなものではないということ,要は現行,安定的に運用されているような清算制度の実務に無用な悪影響を及ぼさないように検討をお願いしたいということでございます。   その上で,何点かコメントさせていただきますけれども,まず,本文の③のところでございます。債権の置き換えの効力を対抗することができるというところでございますけれども,この点につきましては三面更改の規定を設けるとするならば,決済の安定性を確保するという観点から,このような規定を置くことに賛成でございます。   もう一つ,三面更改に関してこのような規定を設けるとするならば,免責的債務引受のところで,部会資料で申しますと部会資料38でございましたけれども,免責的債務引受の効力発生後には債務引受の対象となった債権の譲渡人や差押債権者に対して,債務の消滅及び引受人の債務負担の効力を対抗できるという規律,これは部会資料の中では特段,明文の規定を定めないとの提案がされておりますけれども,場面的にはどうやら同じような場面ではないかと思われるところ,もし,ここで③のような規定を設けるとするならば,免責的債務引受のところにおきましても,同様の規定を設けたほうがよいのではないかと考えております。   あと,2点ほどですけれども,部会資料の補足説明の中で16ページの上から4行目以降に記述されているところですが,過去の大審院の判例との関係も踏まえて,新債務の不履行を理由として更改契約を解除することができないという点について,更改一般を対象として注意的な規定を設けるということについては,取扱いが明確になるという点で賛成でございます。   最後に1点だけ,瑣末なところでございますけれども,部会資料の14ページの6行目以降に,「免責的債務引受構成によると,将来発生する債務についての包括的な免責的債務引受が行われることになる」という記述がございますが,証券の関係の清算の実務におきましては, 取引発生の都度,債務引受を行っていると,このような基本的な取扱いになっているという指摘がございましたので,一応,紹介させていただきます。 ○岡委員 弁護士会の意見ですが,今,金融庁の方がおっしゃった③のクレジットカードについて,三面更改契約を持ち込むのに重大な疑念を持っております。抗弁の切断がされると規定をされておりますので,クレジット契約とか消費者契約のところで三面更改だと言われると,抗弁の接続の今まで築いてきた保護が崩れてしまうのではないかと危惧しています。それは消費者法制でやればいいのではないかという議論もあるかもしれませんが,今までCCPの関係で①②の事例を念頭にされていた議論が今回,③のところが突然出てきました。ここについて疑問というか,非常な懸念を持っております。三面更改のクレジット等への展開による抗弁の接続が封止されることについての疑問でございます。これをどう解決するか,道筋を立てない限り,これを導入することには反対という意見でございます。   それから,①と②のCCPと電子マネーがどういうことになるのかは,いまいち分かりかねておりますけれども,弁護士会としてはこういうものは民法ではなく,特別法でやっていただきたいという意見でございます。大分前に民法を汚すことになるのではないかという議論をしたこともございますが,それだけではなく,部会資料の18ページに書いております当事者を限定する,あるいは債権を限定する,あるいは有効期間を限定する,こういう制約を付した上で,特別法でまず様子を見た上でやるべきではないかというのが,今のところの弁護士会の意見でございます。 ○三上委員 佐藤関係官の意見と重なるかもしれませんが,一つは債権者の変更は債権譲渡であって,更改ではないという提案が前にされているわけですが,三面更改に関しては,それを更改と呼んでいますね。そこの呼び方にこだわるわけではないんですが,過去,この手のCCP取引関係で更改が用いられてこなかった理由は,債権者交代の更改には債権譲渡として対抗要件が必要であったからですが,ある意味,今回の改正でそういう規制がなくなるという,それはそういう趣旨でよいのかという点を確認したいと思います。それから,もう一方の債務引受場面ですが,これも先ほど同じような指摘がありましたけれども,部会資料38の「債務引受と両立しない関係にある第三者との法律関係の明確化」で挙げられていたけれども,見送り方向で議論されていました,特に将来債務引受と将来債権譲渡が対抗した場面で,どっちが勝つとか負けるとか,そういう部分とほとんど同じ議論をここでしていると思いますので,それについての結論がもしここで出るのであれば,債務引受の本体部分で明文化してもいいのではないかと思います。   特にこれが債権流動化証券化協議会で議論されたときに,例えば先に債権譲渡があって,第三者対抗要件が備わっていないというときに,後から債務引受をしたときに債務引受のほうが勝つのかというときに,勝つという意見もあれば,対抗関係にないから常に債務引受が負けるという意見もあった中で,ここでそういう議論の結論めいたものが先に出てきてしまうということでいいのかと。   それともう一つ,最近,東証の傘下の日本クリアリング機構で店頭デリバティブで同じCCP方式の決済が導入されて,これは金商法上の免許も取得済みの取引ですけれども,そちらのほうは更改とか言わずに,いわゆる発生消滅方式を採ったと理解しています。参加者間で契約すると,ABのパーティ間で契約しても,その間に権利は契約と同時に消滅して,自動的にCCPを通した権利が発生する。そういう契約方式が日本法でも有効なのかどうかという議論は別途あるんですけれども,そこの部分をクリアにしないまま実務は先行しています。要は,先ほど佐成委員がおっしゃったように,海外ではノベーションという理解でもう標準になっているんですね。アサンプションだのアサインメントといったら,ある意味,クリアリングハウスを世界のマーケットと接続するときに相手にされないわけです。今回の民法改正の趣旨が国際的な標準に合わせていくということにもあるのであれば,ノベーションに当たるもの,発生消滅方式の肯定につながるような改正も検討に入れていただければと考えております。 ○鎌田部会長 事務当局から何かありますか。 ○松尾関係官 三上委員から,2点,お尋ねいただいたのだと思います。まず,1点目が三面更改という考え方を採り入れた場合に,今まで更改による債権者の交替で対抗要件が必要とされていたものがなくなるという理解でよいのかというお尋ねであったと思いますが,そのことを直接意識していたわけではなく,同じような法律関係を作り出す法律構成として,これまでは免責的債務引受という法律構成が利用されていて,そこでは,これまで対抗要件はなく取引が行われていたわけですので,それと基本的には同じような考え方を採ってはどうかというのがここでの提案です。   もう一つ,債務引受と第三者との関係についても規律を設けるべきではないのかということですけれども,今回は更改が債権の消滅原因だから,部会資料のように整理をすることが可能でないかということを提案しているものであって,その理由がそのまま債務引受と第三者との関係に当てはまるわけではないと思っています。債務引受と第三者との関係については,現在,事務当局で何か考えがあるわけではありませんので,是非,どう考えるべきなのかということを御提案いただけると有り難いと考えております。 ○松本委員 2点ほどなんですが,1点は第1ステージのこの議論のときは,更改という位置付けが明確には出ていなくて,一人計算とCCPという議論でやっていたわけですが,今回,更改の一種なんだということを打ち出したことの理由を事務当局から御説明いただきたいと思います。更改だということを強調することによって,ひょっとすると16ページから17ページにかけての説明にあるように,11ページの③に当たる部分を積極的に根拠付けようとしているのかなという印象があるんですが,そうなんでしょうかということです。すなわち三面更改が行われた後で,元々の債権が第三者に譲渡された場合について,債権譲受人は更改によって消滅した債権を譲り受けているのだから,譲受人には泣いてもらいましょうと整理されているわけですね。   確かに弁済によって消滅した場合と同じだと見れば,そうなのかもしれないけれども,実態的に見れば先ほどからいろいろ議論が出ているような債権譲渡だとか免責的債務引受だとか,そういうものとの類似の性格が強い。したがって,ある面では債権譲渡が競合しているに近いようなところもあるわけで,そう考えると,対抗要件的なものを残しておかなくていいのかと思います。性質論として更改によって消滅ですということで,後の議論は要らないということでいいのかということです。   もう一つはそこからの派生ですが,二重の三面更改が行われた場合にはどうなるのかという話で,2番目に三面更改で実質的に原債権を譲り受けた,あるいは買い取ったというのかな,に近い立場の者,X2とでもいいましょうか,X1と三面更改をやって,X2とも三面更改をやったという場合の2番目のX2はどうなるんでしょうか。これも弁済による消滅の場合と同様なんだといえば消滅した債権を更に,よく分からないけれども,消滅させたんだから,そんなのは何の意味もないというだけの話で,不当利得の非債弁済か何かで処理をしましょうというだけの話になるという整理でしょうか。 ○松尾関係官 まず,なぜ,この新たな法技術を更改と位置付けたのかというところの松本先生からの御質問については,ここで提案されている法律構成というのは,一つの債務があって,それを消滅させると同時に新債務を発生させているものであり,これは正に更改と同じであるということが言えると思います。さらに,この法律構成に求められている効果というのは,例えば決済のような局面で使われるのであれば,新債務の不履行があった場合であっても,元々の合意は覆されないということが求められているのであり,そういった効果をうまく説明できる法概念というのは,正に更改そのものなのではないかと考え,更改の一種として位置付けてはどうかということを御提案申し上げた次第です。ただ,中身については,これからどのようなものとすべきか,御議論いただきたいと考えており,その上で最終的にこの法技術を更改と位置付けるのがよいのかということは,改めて振り返っていただければよいのではないかとも思っております。   その関係で,債権譲渡や免責的債務引受に類似するので,第三者との関係を現在の部会資料のように整理して本当によいのかというところですけれども,一つの整理として,この法技術を債権消滅原因と考えれば,部会資料のように考えてもよいのではないかと考えましたけれども,是非,債権譲渡や免責的債務引受との関係を意識して,これから御意見を頂戴したいと思っている次第です。   最後に,二重の三面更改が行われた場合の法律関係に関する御質問がありましたけれども,それは部会資料の19ページ,(6)の「三面更改の競合」で御説明してあるとおりで,遅れて成立した三面更改については消滅すべき旧債務が存在しないので,更改の効力自体が生じないと考えております。 ○中田委員 ただいまの松本委員と松尾関係官のやり取りの2番目の論点なんですけれども,更改あるいは三面更改をどこに位置付けるのか。債権の消滅原因と位置付けているわけですけれども,それは一旦オープンにしておいていいのではないかと思います。例えばフランスの2011年の司法省草案ですと,更改自体を債権譲渡とか代位でしたかと並べて債権債務関係の移転というところに入れていて,債権の消滅とは別のところに置いています。最終的に日本法でどこに置くかというのは検討したらいいと思いますけれども,最初から債権の消滅原因だと性質決定をしてしまうのではなくて,そこはオープンにしておいて,実質的に良い規律を考えて,最後にどこに置くかと考えたらいいのではないかと思います。 ○山野目幹事 3点,申し上げます。   1番目は,5の論点で三面更改という名称でこの度,事務当局から御提案を頂きました概念の受け止め方の問題でございます。更改の一つとして位置付けられていて,その特徴は恐らく,三当事者を巻き込む点であるとか,債権者ないし債務者の交替変動を引き起こすというような点にも特徴がありますけれども,それは従来の債権者や債務者の交替による更改の場合でも同じでありまして,今般,御提案いただいているものの特徴は,何といっても債権の個数の変更を伴う更改という構成であって,そこに提案いただいているものの特徴があるものであろうと感じます。   この提案に至るに当たり,この部会における今までの審議の経過との関連でも,幾つかの御指摘を今,頂いたところでありますけれども,中間的な論点整理も含めて,特定の名称を付し,集中決済などをイメージした債権の消滅原因を議論したことは,今までなかったことであろうと感じます。この部会の調査審議において,参考としてきた研究者グループの提案の中には,その提案を特徴付けて人々に見てもらいたいという趣旨から,特別の名称を付して提案されたような経緯もありましたけれども,部会のオフィシャルなドキュメントでは,それはなかったものだと認識しています。新しい債務の消滅原因を考えようというお話でしてきたものが今回,このような提案になったものと理解します。   それで,今後,どのようにするかということについては中田委員が御指摘になったように,債権の消滅原因と決め付ける必要はないということがごもっともであるとともに,今般,御提案の更改というのも,それほどおかしな提案ではないであろうということも,改めて認識されてよいのではないかと感じます。参考とされた研究者グループの提案でも,特定の名称で提言がなされていますが,あの通称,基本方針と言われている文書の配列上,更改のすぐ後ろのところにこの概念が置かれていたものでありまして,あのときの議論からして既に更改の一種ないし更改と極めて性質の近いものであるという認識があったものではないかと感じます。   今般,民法の定める債権の消滅原因の一つとして,より安定的な位置付けを与えるために,これを更改の一種として御提案になったことはそれなりの根拠がありますし,債権の消滅原因でありますから,決して民法は汚れものでもないとする配慮も十分に伴わせながら提案いただいているものでありますし,国際的な取引との関係で申しましても,更改に関するルールに従って準拠法が定められるというようなメリットも併せてあるのではないかと感じます。もとより,その採否については分科会で細部を御検討いただく必要がありまして,佐藤関係官が冒頭に御指摘になったような種々の観点から,引き続き検討されるべきものであると考えます。これが1点目でございます。   2点目は,この部会資料の問題提起のサイズには必ずしも収まり切らないことであり,ここで申し上げることがよいかどうか,私自身も自信がない問題ですが,実際上の問題が感じられますから,是非とも申し上げておきたいことです。債権差押えないし相殺との関係でございまして,部会資料40の11ページの図で申しますと,AのXに対する債権が差し押さえられたときに,この図ではAのBに対する債権のみ登場してきて,それがAのXに対する債権,XのBに対する債権に置き換えられるものですけれども,これが具体的に例えば集中決済の場面で展開される場合には,反対にBが持っている債権などについても置き換えが行われ,そのほかにもたくさんの当事者がいて,その中にはAに対して取得する債権の置き換えもこのような仕方で起こるものであります。   その場合にAのXに対する債権が差し押さえられたときに,反対向きにXがAに対して取得することになる債権との相殺が安定的にかつ適切な範囲で行われるようになっているかどうかという問題は,決済システムの安定に関わる問題になってまいります。これは,このような問題ですから,この概念そのものの採否とは直接は関係のないことでありまして,むしろ,民法511条との関連などの問題を意識して検討されるべきことでありますけれども,そのような問題も引き続き自分としては視野に含めて考えていきたいと感じております。   3点目,岡委員から御指摘のあった問題でございまして,今回の部会資料で集中決済の問題と電子マネーの問題に加えて,クレジットカード取引のことが問題提起されております。岡委員も御示唆になったとおり,電子マネーや集中決済と,クレジットカード取引とはかなり異質であろうと感じます。そのことは間違いありませんけれども,しかし,そのことをこの概念の検討ないし採否との関係でどのように位置付けていくべきかということは,もう少し突っ込んで引き続き考えなければいけないであろうと思っております。   元々,今までのクレジットカード取引の議論の枠組み自体が,本来発生した売掛代金に係る債権と,立替払い契約に係る債権という異質な債権が二つ出てきて,抗弁が接続するかどうかという,そういう思考枠組みにおいてのみ議論されてきた嫌いがありますけれども,今般,一つの債権の置き換えであるという見方があり得るのではないかという問題提起がされたことは,一方で,たやすく抗弁の切断がされる方向に議論が傾くのであれば,消費者保護上,極めて深刻な問題を引き起こすことになるものですが,同じ債権である以上は,むしろ,抗弁が引き継がれることが原則であって,取り分け,このタイプの取引の場合には,消費者保護法制上などにおいて,そのような手当をするならば,むしろ,この概念を用いて更に議論が発展していく可能性もあるのではないかと感ずる部分もございます。そのような両面を意識しながら,ほかの取引想定需要との間の異質性に十分留意して,岡委員が御注意いただいたように,この問題についての決着は必要であることは間違いありませんから,引き続き検討がされていくことがよろしいと感じます。 ○道垣内幹事 遅れてまいりまして,既に説明していただいたことに含まれているのかもしれませんし,私が十分に理解できていないのかもしれないのですが,三面更改についてです。AからBに対する債権が,AからXに対しての債権とXからBに対する債権に置き換わるわけですが,これは金額とか内容とかは必ず全部イコールでなければならないのでしょうか。  と申しますのは,仮にAからBに対する元の債権と,XからBに対して生じる新債権が,山野目幹事から先ほどの抗弁権の話もありましたが,そのことも鑑みながら,同一でなければならないとし,しかし,AからXに対する債権は必ずしもそれらとは同内容のものでなくてもよいのだと仮定すると,債権譲渡で売買代金債権が発生したという場合と,どう違うんだろうかという疑問が生じるわけです。   いや,違わないよ,二通りの道があるんだよ,ということでも構わないのですが,そういたしますと,更改のところにおいて,債権者の交替による更改は,債権譲渡法制が十分に発達していない時代の産物であって,本来的には存在するべきものではなく,債権譲渡の対抗要件制度の中に位置付けられるべきものではないかという議論がされていることと,衝突はしないのかしらということが気になるところです。   逆に,AからBに対する債権とAのXに対する債権が同じでなければならないが,XからBに対する債権は必ずしも同じでなくてもよいという考え方もあるかもしれません。そうなりますと,実はXを引受人とする免責的債務引受が起こって,その後,XからBに免責的債務引受の対価たる債権が発生するという関係になります。そして,対価は自由に内容を定めることができるので,それはそれでもあるのかなという気もいたしますけれども,私が十分にメカニズムを理解できていないのかもしれませんので,御説明いただければと存じます。 ○松尾関係官 基本的には,元々あったAB間の債権と,新たに発生するAX間の債権とXB間の債権は同内容になるのが原則だと考えていました。それが基本形なんですけれども,当事者間で別途合意することによって,その内容を変更するということはできてよいのではないかとも考えていました。 ○道垣内幹事 そうすると,債権者の交替を更改そのものとしては認めないということとは,衝突はしないのだろうかということについてはどうでしょうか。 ○松尾関係官 債権者の交替による更改ですと,Aの責任財産から逸出してXB間の債権になってしまうと思うのですけれども,必ずAX間の債権が発生するという点で,債権者の交替による更改とは違いがあると考えていました。 ○道垣内幹事 松尾関係官は,合意をすることによって,必ずしもAX間の債務内容というのがAB間の債務内容とイコールでないことになるという話をされたんですが,ゼロにしてはいけないと,1円ならばよいということになるのでしょうか。責任財産の逸出というのはかなり実質的な概念ですし,更改においても債権者の交替の更改をする際に対価が支払われたら同じではないかという問題もあります。責任財産が逸出するか否かで区別をするというのは,難しいのかなという気がいたします。 ○松尾関係官 私の説明が不十分であったと思いますが,趣旨としましては,AX間の債権額を変更する合意は,更改の合意とは別に一部免除が成立したと考えるのではないのでしょうか。 ○松本委員 今の御議論は結局,債権譲渡にしろ,更改にしろ,AX間の原因関係が何かあるでしょうという話に還元されてしまうわけで,債権譲渡については,無償で債権譲渡する場合もあれば,買い取る場合もあれば,代物弁済の場合もあるわけで,それはAX間に一定の矢印であるところの債権,売買代金債権というのが立つか,立たないかという話で,更改の場合も恐らく更改の原因として幾らかお金を払いましょうかという話があるのであれば,この矢印が立つわけだから,債権者の交替による更改ですよね。   それを三面更改だということによって,例えば金額が固定されるということであれば,独自の意味が出てくるのかもしれないけれども,そこも結局,AX間の原因関係がどうかによっていろいろあるんだということだと,道垣内幹事がおっしゃるように,債権者の交替による更改とほとんど変わらない。ただし,それがCCPによる集中決済だということなので,個別の合意によるものではなく,非常に包括的なシステムの一部なんだというところで,大変大きな違いが実質的にはあるんだろうけれども,ところがこの三面更改は民法の非常にベーシックな概念として提案されているわけだから,そうなるとCCPではなくても,この制度が適用されるという話になります。そうすると,確かに一方で債権者の交替による更改は廃止して,債権譲渡に一本化したにもかかわらず,ここで復活するというのは確かに理念として一貫しないところがあるかと思います。 ○松尾関係官 確かに,原因関係が別にあって,それと債権者の交替による更改などの制度を組み合わせれば同じような法律関係はできると思うのです。しかし,一つの違いとしては,例えばAB間の債権を,債権譲渡や更改による債権者の交替によってBX間に移転し,AX間の債権債務関係を移転の対価だと構成すると,その対価が支払われない場合に,債権の移転を含めた取引全体が解除できるという帰結になり得るという指摘があると思われますが,三面更改という概念を用いれば,単に新債務の履行がないというだけなので,置き換えの効力自体を否定することができないことが確実になるという点で,違いがあるのではないかと考えていました。 ○鎌田部会長 ほかに御意見はいかがでしょうか。 ○神作幹事 CCPを念頭にコメントをさせていただきたいと思います。取引所取引に加え,一定の店頭デリバティブについてはCCPによる取引及び決済を強制するという動きは,今般の金融危機の後,世界的な傾向となっています。その考え方の前提には,CCPによる集中決済により決済リスクが削減されるということがあります。したがって,CCPによる決済についてリーガルリスクも含めて安定性を確保することは,極めて重要な課題です。もっとも,そうは申しましても,これまで実務で行われてきたCCPの法律構成が,新たに提案されている三面更改によって置き換えられるべきであるということでは恐らくなく,CCPが採用し得る法律構成に新たな選択肢が加わるという性質のものだろうと思います。   CCPによる集中決済の安定性の確保という観点からいたしますと,例えば今回の提案では電子マネーですとかクレジットカードの決済にまで射程が広げられておりますが,もし,CCPに射程を絞るとすると,恐らく三面更改のように1本の債権を2本の債権に置き換える局面についてだけ民事的な規律を整備するのでは足りないことになると考えます。CCPの実質はマルチラテラルネッティングを実質的に実現することにあると思われますので,ネッティングが安定的になされるかどうか,クローズアウト条項については日本では部分的に立法上解決されているとは思いますけれども,クローズアウト条項についての手当は十分であるのかどうかといった観点から,更なる検討が必要になると思います。このような方向を押し進めると,CCPに特化したルールが置かれるべきであるということになり,そのような規律であれば民法に規定を置く必要は必ずしもないのではないかというこれまでと同様の批判がなされることになりましょう。しかしながら,CCPによる決済の安定性の確保を正面から目的とするのであれば,ネッティングですとか,クローズアウト条項の有効性やその条件等にも踏み込む必要があるのではないかと感じます。   その場合,交互計算契約というのが商法にはございまして,そこでは交互計算期間という期間を観念して,当該期間の間に交互計算による決済に組み込んだ債権については差押えが禁止されるとか,譲渡が禁止されるという法的効果が認められています。もし,三面更改をCCPに特化した規律として考えるのであれば,交互計算と同様に,三面更改についても更改期間を観念することが適切であると考えます。CCPの場合には,大量かつ多数の債権債務関係が三面更改によりCCPに置き換えられることになりましょうから,プロセスに着目し,例えばポジションについて相互に勝ち負けをネッティングしていき当事者間においては1本の債権しか残らないような確保をすることの可否や要件等を含め,検討をする必要があるように思います。このようにCCPに特化したルールを構想するとすると,恐らく御提案の三面更改だけでなく,より複雑なルールとなる可能性があります。電子マネーやクレジットカードまで含めて,三面更改という一般化した形で民法に規律を置くべきなのか,それともCCPに特化した法的手当てとして,三面更改を離れて規律していったほうが良いのかを含めて,更に議論をしていく価値と必要があると思います。 ○山本(和)幹事 17ページの(5)の差押えとの関係で,2点,コメントですが,1点目は先ほど佐藤関係官あるいはその他の方が触れられたのと同じことですけれども,純粋差押えの観点から見ると,この問題は基本的には免責的債務引受がなされた場合も,全く同じ問題が発生するのではないかと思われます。AのBに対する債権を差し押さえたところ,それが債権者の知らないうちにAのXに対する債権に変わっていて,AのBに対する債権は消滅していたという問題は,免責的債務引受にも同じ形で生じるということです。したがって,(5)で何らかの規律を考えるのであれば,免責的債務引受についても何らかの同様の規律を考えることに帰結としてなるんだろうと思っています。   第2点として,そういう規律が必要かということですけれども,18ページの最後のところで必ずしも必要でないのではないかと言われています。その中で,AはAX間の債権を新たに取得しており,Aの責任財産が減少するわけではないからという理由が述べられていますが,これはやや危うい理由付けかなと思っております。先ほど若干,そういう議論もありましたし,XがBと同じ資力を持っている,通常のCCPとかであれば全く問題ないわけですが,執行妨害に使うとすれば,Xに無資力の人間を間に挟んで,それでBが資力がある場合でも,Xを無資力にして差押えを空振りに終わらせるというような執行妨害というのは,考え得るのではないかという気がいたします。   ただ,これで対処する必要があるのかと,この範囲を制限する必要があるのかということについては,結局,責任財産を脆弱化する策動に対する対応ということですから,基本的には詐害行為取消権等で対応がされることなのかなと思っております。ですから,結論としては,ここの資料に言われているように特段の対応がなくても不都合はないのかな,どれだけそういう濫用みたいなものが起こり得るのかということの予測とも関係しますけれども,なくてもいいという考え方も十分成立し得るかなと考えたところです。 ○中井委員 皆さんの御議論を聞いて改めて思いますのは,第一読会のときは一人計算という御提案があり,その中の,基本的に一つの債権が消滅して,二つの債権が成立するという最小単位のユニットを基本形として民法に入れてはどうかという,そういう審議の経過があって,それを受けて,今回,こういう形で御提案されているのだと思いますが,弁護士会の意見は先ほど岡委員からもありましたように,全体としてこういう規定を民法に設けることについては,危惧の念が強くあります。   先ほどの神作幹事のお話を聞いておりましても,AとBはそれなりの金融機関であり,XはCCPを典型として,しかるべき機関で,大量の決済を確実に迅速に行うこと,かつ安定的に行うことを想定して検討された仕組みだと理解をいたしました。そのときに,その一つのユニットを民法に取り入れることが果たして適当なのか,幾つかの懸念が既に出ていると思います。それはこの部会資料の中にあります,先ほど岡委員からも指摘がありました,クレジットカード取引についても当てはまるのではないかという御示唆があります。   それは,Bの抗弁についてAB債務が消滅するのに伴って,同時に消滅してしまうのではないかという懸念,また,Bが弁済しない場合に,Xから解除をして,当該債権をAに戻すという実務処理もなされていましたけれども,更改という仕組みを採ることによって,それも基本的にはできない,Bの債務不履行によって更改が元に戻ることはないという考え方を採る。だとすれば,クレジット取引に与える影響が少なからず存在すると思われます。   また,山本和彦幹事からお話がありましたけれども,これを一つの仕組みとして取り入れたときに,執行妨害的に使おうと思ったら,御示唆があったように使えると思われます。AとBがXというものを作って,特定の取引を切り分ける。これまでも現実には債権譲渡,債務引受等によっても同じようなことが行われているのではないかとも思われますが,この仕組みがそういう使い方を助長しかねないとも思われます。したがって,この基本ユニット,基本原則を民法に取り入れることについては,慎重に検討していただく必要があるように思われます。   また,これを更改という仕組みにしたことについて,松本委員からもお話があり,道垣内幹事からもそういう趣旨と理解しましたけれども,その前のところで当事者の変更については更改から外へ出して,債権譲渡ないし債務引受として処理しようという方向性が示されている一方で,ここでの三面更改は当事者の変更が二つ起こっているようなものですので,他方でなくそうというものを,ここで取り入れるという考え方自体にも違和感がございました。この点は中田委員若しくは山野目幹事から,更改を前提としないで仕組み作りを考えるというお話がございましたので,それなら,それに基づいて考えることは可能だと思います。   そうだとしても,この実質が債権譲渡なり,債務引受であることは間違いがないと思います。ここでは更改によって,AB債権が消滅することを前提に,例えば債権譲渡による対抗要件の具備を不要な制度にしているわけですけれども,実質が債権譲渡なり,債務引受であるとすれば,そういう公示制度が全くないままに持ち込んでいいのか,疑問を感じます。それが先ほどのような濫用的な使い方にも結び付くのではないかと思います。  これを民法に取り入れるとするについては,更に慎重に検討していただきたいと思います。 ○佐成委員 経済界で議論したところについて御報告させていただきます。5の論点ですけれども,三面更改については賛成とか,反対とか,そういった強い意見は特にございませんでした。ただ,補足説明の1以下にるる書かれているのは,どちらかというと「全て同一の法律関係であるから,様々な法律構成を用いなくても,いずれも三面更改として説明できる」というような趣旨の説明ですけれども,実務感覚からしますと,それは議論の先取りをしているようにも見えるわけで,むしろ,実態はそれぞれ個性がある,それは委員の皆さんもおっしゃったとおりで,それぞれ違いがあるということが実務的にも率直な感覚かなと思われます。それで,実務界の中でも,それぞれ現実にこういった制度が運用されていて,それなりに機能しているので,そこら辺について現実の運用方法を更に精緻に見極めた上で,もし,こういう制度を作るとしても,それに悪影響を及ぼさないようにしてほしいと,慎重に検討してほしいということが意見としては大勢でございました。   それで,1点だけ特徴的だったのは5の②の後半部分についてでございますけれども,後に成立した合意の当事者のいずれかが,その合意の当事者でない先に成立した合意の当事者に対して,後の合意の成立を通知したときに三面更改の効力が生じるということについては,現状の実務とは必ずしも一致しないのではないかといったような意見も寄せられておりました。ということでございますので,結局,これはオプションとして提案されているわけですから,実務で現実に採用されるかどうかは別でございますけれども,仮に導入するとしても,少なくとも現状のそういった運用方法との整合性は充分にらんだ上で,導入をしていただければと思います。 ○鎌田部会長 思い付き的な質問で誠に恐縮なんですけれども,三面更改という言葉からいうと,これの逆パターンも含まれそうなのですが,どうなのでしょうか。AX,XBの債権があるのをABの1本の債権に変えたときに,XBの債権をその後に差し押さえても,対抗要件なしで債権の弁済による消滅で対抗できるというところまで考えてしまうのか。それはそうではなくて,1本の債権を2本にするときだけを対象とする提案ということなのか,どっちなのでしょうか。 ○松尾関係官 すみません,そこまで考えていなかったので,更に検討させていただきたいと思います。 ○鎌田部会長 5の三面更改につきましては,当然に最終的には部会で審議するということでありますけれども,詳細について更にいろいろ検討すべき場面もありますので,分科会で補充的な検討をお願いしたいというのが事務当局の原案ですけれども,そのような取扱いにさせていただいてよろしいでしょうか。 ○松本委員 取扱いについてではなくて,議論の続きなんですけれども,部会長が最後におっしゃった逆方向はどうなんですかというのは,前回にやった三面相殺と大変似ているような感じがいたします。それが1点。   もう1点,松尾関係官が11ページの③のタイプについて,AB間の契約が契約の性質をそのまま同じものとしてAX,XBと二つに分割されるという趣旨の説明をされて,したがって,抗弁も全部ひっついていくかのような説明をされて,山野目幹事もそう考えたほうがいいのではないかという御主張をされたんだけれども,もし,そうだとすると,CCPを真ん中に置いて安定した決済をしようという理念と逆行するのではないか。全ての抗弁がひっついたままだと,集中決済がそう簡単にできるのかなという感じがいたしますから,本当に集中決済で安定してやろうとすれば,個々の債権の性質が非常に抽象化されて,単なる裸の金銭債権に変わるんだという当事者の交替を伴う更改,プラス,債務の発生原因にも関わる部分まで変えてしまうようなものとすれば意味があるんだけれども,抗弁を引きずった集中決済というのはあり得ないのではないかと思います。 ○松尾関係官 私が先ほど債権の内容が同じだと言ったことが不十分だったために,誤解を招いてしまったのかもしれませんけれども,抗弁は切断されるのが原則であり,それについて,岡委員と中井委員から御懸念をお示しいただいたのだと思っております。 ○神作幹事 抗弁の切断について御質問をさせていただきたいと思うのですが,例えば単純な証券の売買の決済のためにCCPが用いられる場合を想定します。この場合,証券の引渡しについての債権債務関係と売買代金支払いに関する債権債務の両面があります。三面更改は,それぞれの債権債務関係について別々に対象になり,両方のポジションが同一の三面更改により一緒に移るという形ではなくて,例えば資金決済との関係でいうと,AのBに対する金銭債権が,AのCCPに対する金銭債権とCCPのBに対する金銭債権へと,元の債権が消滅して二つに分かれることになります。他方,BのAに対する証券の引渡請求権についても三面更改により同様に債権が二つに分かれることになりますが,金銭債権と証券の引渡債務は別に考えるので,たとえ同一のCCPが三面更改によりBに対する証券の引渡債務とBに対する金銭債権の双方を取得したとしても,引渡債務と金銭債権は観念的には別々の三面更改によりCCPとの関係に置き換えられているにすぎないため,Bは証券の引渡しがないこと等について抗弁を主張してCCPからの金銭債権の行使に応じないことはできず,そのような意味において当然に抗弁が切断するという理解でいたのですが,そのような理解でよろしいでしょうか。 ○松尾関係官 今の御質問については,神作幹事と同じように考えております。 ○山野目幹事 松本委員から問題提起を頂いたことを伺いながら,さらに本日の5の論点に関する議論を伺っていて私なりに感じたことですが,詰まるところ,1個の債権を2個の債権に置き換えるというタイプの更改,そのアイデアの基本的な部分,コアの部分について民法に基本概念を用意するという観点から,これを置いておくことに,やはり意味があると考えるかどうか,今後,更に議論されるべきことであるとして,仮にそうしたときにも,それに更に付随的に追加されるべき規律というものは,実はそれぞれの立法領域ごとによって様々なものがございまして,そのことが本日の議論で明らかになったものであろうと感じます。   抗弁の接続とか債権の同一性の問題なども,消費者保護法制の場面で機能するようなイメージで考えれば,抗弁はむしろ接続するという方向で考えるべきですし,そうではなくて集中決済を念頭に置いて考えるならば,抗弁はむしろ切断されると考えるべきであろうと思います。どこまで民法普遍的な規律を用意することができるか,また,そこに意味があるか,それと民法の外に様々なそれぞれの領域における規律がどう用意されて組み合わされるかということのコンビネーションの問題が今後,議論されていくべきことであるということが今日の論議で自分なりに理解されたような気持ちを抱いております。 ○内田委員 2点,申し上げたいと思います。   一つは,山本和彦幹事から御指摘があり,中井委員からも御指摘があった執行妨害の点ですが,現在も債務引受によって同じことが可能で,それに対しては,しかるべき対応がなされるべきだろうと思います。その方策として山本幹事から,本来は詐害行為取消権でいくべきではないかという御指摘があり,私もそれが筋ではないかと思います。そして,そういう対応が可能であるなら,執行妨害に使われ得るから三面更改という構成がおかしいということにはならないのではないかと思います。   もう一つは抗弁の接続か,切断かという点です。専ら消費者の問題だと思いますけれども,現在使われているクレジット契約については第三者による立替払い構成も可能ですし,債務引受構成も可能ですし,債権譲渡構成も可能だと思います。どの構成であるかによって,消費者保護の規律が潜脱されることは好ましくないことですので,どのような法的構成を採ろうとも,必ず抗弁は接続するという規律を置くべきだと思います。そして,割賦販売法は,そのような規律を置いているわけで,割賦販売法の規律は法律構成依存型ではないわけです。   ですから,そういう規律は飽くまで存在していて,それとは別に,これまで,債務引受等を使って,かなり技巧的な構成で説明されているところを,一つの債権が二つに分かれるという法技術によって,もっとストレートに法律関係が説明できるようにしようというのがここでの提案であって,これによって抗弁の切断をしやすくしようなどということを意図しているわけではないということだけ,申し上げておきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,これまで議論のありましたような点も踏まえて,恐縮ですけれども,分科会で補充的な検討をお願いしたいと思います。 ○中井委員 9ページの4の論点で,どなたからも意見がないまま過ぎたんですが,設問が必ずしも理解できないところがあります。①で,債権者が単独の意思表示で担保の移転をすることができるとなっています。更改契約は債権者と債務者とが合意をして行うもので,更改契約の中心部分というんでしょうか,それは当事者間の合意でするけれども,担保についてだけ,単独の意思表示でできるという意味がよく理解できませんで,いくつかの弁護士会から,担保の移転についても両当事者の合意で行ったらどうかという意見が出ておりました。更改契約と担保設定契約を同じ債務者との間でも別に考えれば,更改契約については両当事者の合意,担保については債権者の一方的意思表示という切り分けもあり得るとは思うんですが,あえてそれを意図しているのか。   そうだとしたら,保証ですけれども,保証は第三者の保証だろうと思うので,③では保証については書面によって行う,だから承諾が要るわけですけれども,それと①の債権者の単独の意思表示によって保証を移転させることができる,この関係について,お教えいただければと思います。逆に言えば,③では第三者の担保提供若しくは保証は常に第三者の承諾が要る,加えて保証の場合は書面による承諾が要る。こう理解するなら①の保証は何かと,こういう質問にはなりますが,お教えいただければと思います。 ○松尾関係官 ③の第一文は,債権者の意思表示によって移転する担保を第三者が設定した場合には,承諾を得なければならないということで,ここでは,保証以外の担保一般について書いてあり,第二文は,保証の場合には承諾が書面によってされなければならないということですので,担保設定者が第三者である場合には,常にその者の承諾は必要だということになります。では,①が,なぜ単独行為になっているのかというと,特に担保設定者ではない更改契約の相手方が,なぜ,担保の移転についての合意の当事者にならなければならないのかということを説明するのが困難ではないかという問題提起があり,それは確かにそのとおりではないかと考えたためです。担保設定者ではない更改契約の相手方としては,今回の提案を前提とすれば,債務者が念頭に置かれると思いますけれども,担保移転について,担保設定の当事者ではない債務者による承諾などの意思表示は要しないということがここで言いたいことです。   すみません,これでお答えになっていますでしょうか。 ○中井委員 第三者が設定した部分については理解しますが,①で問題になるのは債務者が担保設定した場面と思うんです。更改するときに担保をどう処理するかというのも,更改契約の中に当然入るのではないかと理解すれば,両当事者の合意で終わっているはずではないか。そこを,債権者の単独の意思表示とするのはなぜか。同時に③があるのなら,なぜ,①に保証が入っているのか。①の意思表示によって移転する担保には,保証も入っているのかもしれませんが,そのような整理は分かりにくいということかもしれません。 ○道垣内幹事 ぎりぎりのところを突くと,委託のある保証人と委託のない保証人と分けたときに,委託のある保証人が更改後にも保証人になることを承諾しているときに,債務者が承諾しなければ,それは委託のない保証に転化するのか,それとも債務者は文句が言えなくて,委託のある保証という性質は変更がないのかというところで,担保設定契約の当事者,ここでは保証契約ですが,その契約当事者でないところの債務者の意思が問題になってくる場合があるかもしれませんね。ただ,部会資料の書き方は格好よすぎる。つまり,本当に抽象的に理解ができて,①では適用されそうなのだけれども,③で外れているよねといったかたちで理解していかなければならず,必ずしも分かりやすくはない。場面ごとに分けて恐らく説明したほうがいいのだろうなと思います。 ○鎌田部会長 それと,債務者自身が例えば設定した抵当権があるときに,その抵当権が新債務を担保するかどうかは債権者の意思だけでいいのか。物上保証のときには物上保証人の意思が反映するけれども,債務者イコール設定者のときには,むしろ,一般的には債務者・設定者の意思が反映しているはずなのに,それを外していることはどうなのかという,そういう御趣旨も……。 ○中井委員 よろしいでしょうか。鎌田部会長がおっしゃった趣旨もありますが,弁護士会の多くは,内容が更改されたのだったら債務者の承諾を取るべきで,①についても債権者の単独の意思表示ではなくて,債権者と債務者の合意によって行うべきだという意見が多かったです。 ○松本委員 説明のところの10ページの2段落目の3行目の「現在は」というのが現在の解釈を説明されているようで,債務者の交替による更改の場合には債務者が更改契約の当事者とならないので,担保移転について債務者の承諾が必要であるが,それ以外の場合には債務者は更改契約の当事者であるので,債務者の承諾は不要である,債権者の一方的意思でいいという説明につながっているようなんですが,債務者の承諾が不要であるということは,更改契約の当事者に債務者が入っているのだから,通常,債務者はそういう意思で合意しているだろうという推定の下に,通常は承諾が入っているというだけの話なのか,それとも担保の移転を債務者は拒めないという意味まで,現在の解釈はそこまで考えているんですか。 ○山野目幹事 道垣内幹事が書き方が格好よすぎるとおっしゃったところを踏まえて申し上げると,①についてはそのような嫌いが確かにあると思います。現行法が担保を移すという表現を採っていて,移す,というのは,日本語の主述の問題として,債務者や設定者が移すということにはならないであろうということをぎりぎり考えると,移すのは債権者ないし担保権者であって,しかし,実質的にそのような移転というか,被担保債権の変動が生ずることについては,債務者イコール設定者である場合には,更改の合意の中で債務者,設定者が関与していることに着眼して事態の実質が理解されることで特に問題は,ないでしょう。ここのところの現行法の文言の少し不安定さというか,不適切さに対応する必要がある部分が一方にあります。加えて,それとは別に物上保証人や保証人,いわば第三者提供に係る当事者の関わりの在り方について実質的な規律を調えなければいけない部分とがあって,その辺りのところをよく整理されないまま,というよりは,少し整理しすぎてしまって格好よく書いた結果,こうなっていて,皆様の御理解が得られなかったところがあるかもしれません。   御議論を伺っていてはっきりしていることは,③の部分については内容的な異論はないものであろうと感じます。また,①の部分について現行法の文言がそのまま維持されるという改正は適当ではないと思いますけれども,ここでの御議論で内容判断が一致したものが適切に表現されるように,①に対応する事項についての規律内容が引き続き検討されていけばよろしいのではないかと感じます。 ○鎌田部会長 もう少し事務当局で検討させていただきますけれども,前のほうにあるように,当事者の交替による更改がなくなると,更改は専ら債権者と債務者との間の合意で行うことになるのに,担保の移転だけは債務者が関与しなくていいというのが理解しにくいんだと思うんです。物上保証のときに物上保証人と債権者の合意があれば債務者の関与はいらないではないかと,こう考えられるとしたら,債務者提供担保について設定者としての債務者の関与をどうするかが問題になるところ,そこのところにずれがあるのではないかという疑問を呼ぶのではないかと思うので,その辺,少し御検討いただければと思います。   続いて,「第2 免除及び混同」について御審議いただきます。事務当局から説明していただきます。 ○松尾関係官 「1 免除の規定の見直し」は,債権者の単独の意思表示によって免除することができるとする民法第519条の規律についての見直しの要否を問うものです。甲案は免除を合意として構成する考え方,乙案は免除を単独行為と構成しつつ,債務者が異議を述べた場合に免除の効果生じなくなるとする考え方であり,いずれも債務者の意思に反して免除することができないとする方向で規定を改める考え方です。これに対して丙案では,現在の民法第519条を維持するという考え方を取り上げています。   「2 混同の規律の明確化」では,混同の例外を定める民法第520条ただし書は狭すぎると批判されており,実際には条文からは直ちに読み取ることができない例外が判例・学説において認められていることを踏まえて,混同の例外に関する規律を拡張する考え方の当否を問うものです。   以上の各論点のうち,「1 免除の規定の見直し」については,具体的な規定の在り方等につき分科会で補充的に検討することが考えられますので,これらの点につき分科会で検討することの可否についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 ただいま説明のありました部分について御意見をお伺いいたします。御自由に御発言ください。 ○松本委員 契約構成に変更する,あるいは同意がない限り免除できないという構成に変更することの理由として,20ページの補足説明の1の2段落目を読みますと,第三者の弁済や債務者の交替による更改は,いずれも債務者の利益になると考えられる行為であるにもかかわらず,債務者の意思を尊重するという考え方があるんだと。だから,債務の免除も債務者の利益のためであるから,債務者の意思を尊重すべきだという点で合わせたんだという説明なんですが,委託を受けていない第三者の弁済についても求償権は当然,事務管理等を理由にして取得するんだという議論で当部会ではやってきたわけだし,債務者の交替による更改も交替の原因関係があるんだとすれば,そこは事務管理か何かで求償請求ができるということになると思うんですね。だから,当該債務をその場ではほかの人が肩代わりしてくれるという局面は発生するかもしれないけれども,最終的には求償債務の負担をして,場合によっては利息も付けてたくさん払わなければならないということだから,必ずしも利益にならないという面もあると思います。   他方で,免除について,私はよく分かりませんが,免除したんだから事務管理として求償権が生じるというような議論が果たして出てくるのか。そうだとすると全く同じなんですが,免除では求償権は出てこないのではないかと私は考えております,今のところは。したがって,免除と第三者弁済とでは究極的に債務者の利益になる,ならないという点は,相当,違うのではないかと思いますので,差があってもおかしくはない。同じなんだから同じにしろという理由は,それほど説得的でないのではないかと思います。 ○松岡委員 今,松本委員の指摘されたことを少し違う角度から申し上げるのですが,第三者弁済の扱いそのものがこの間の議論で変わる可能性がありますので,私は松本委員とは違ってむしろ第三者弁済あるいは債務者の交替による更改と,要するにどの制度を使っても余り結論が変わらないほうがいいのだろうとは考えています。そうすると,第三者弁済の扱い自体が変わるので,ここはもう少し検討を要するのではないでしょうか。 ○鎌田部会長 検討を要するという具体的な内容は。甲案とか乙案のような形が妥当だという話でしょうか。 ○松岡委員 必ずしも甲案若しくは乙案に,直ちに結び付くわけではないのではないかと思います。 ○三上委員 そもそもの発想として何度も申しておりますけれども,第三者弁済等で出てくる武士の気質を立法理由にするような古い考え方をここでまで維持する必要があるのかという大きな問題は別としまして,先ほど松本委員がおっしゃったように,第三者弁済とか委託を受けない保証でも求償権がなければいいという案が出ていたと思うんですけれども,免除というのはそもそも見返りを求めない場面ですから,それも同列に扱う必要はないのではないかと思います。実務上,免除が行われる場面というのは,例えば住宅ローンの相続等で協力しない相続人がいるときに免責的債務引受で一本化したい,つまり,中途半端に相続債務が残っていると時効管理などの事後管理,リスケ等の際に非常に面倒である。したがって,あなたにはもう請求しませんという意味で免除したいのであって,その免除も受けないという意思表示の機会を与える,その手間を掛けるためだけに債務が残るというのは,非常に問題になるわけです。   かつ当事者間に例えば成年後見状態の人がいたら,そういう方が短期間のうちに反対の意思表示をしなかったから免除が発生するということにならずに,恐らく意思能力が復活してからその期間が走るという制度になってしまうと思うんですが,そうすると長期間不安定な状態が継続するという別の問題が起きます。よく免除を受ける場合の問題に,免除益課税の問題があるという指摘を聞くんですが,もし,そういうことも考えた上でのこういう提案であれば,免除とは異なる放棄とでも言うのでしょうか,債権が残っていることによって,債権者が影響を受けないような形の,債権を放棄したら無主物みたいに国庫帰属でも困るんですが,どうなるのかは分かりませんが,そういう法制も同時に検討いただくとか,いずれにしても現行法上,単独行為による免除というものは,こういう場面で活用されているという現状をよく理解いただいて,わざわざ,使えなくするような変更にならないようにお願いしたいと考えております。 ○高須幹事 今の一連の御発言と同趣旨になるんですが,弁護士会の意見もここで合意構成を採ることには慎重ということでございます。事前の会議での議論の結果ということではありますけれども,乙案か丙案のいずかと。基本的に現行法維持という立場もありますし,あとは免除される者の意思を何らかの形で反映するとしても乙案でいいのではないかと,そのような意見でございました。 ○佐成委員 経済界の中での議論状況ですけれども,甲・乙・丙とございますけれども,どれがいいというところまで,まだ,コンセンサスは得られていない状況でございます。いずれの案もそれなりに意味があるということであります。   その中で出てきた意見としましては,一つは,先ほども出ておりました,免除というのは見返りを求めないということについてなのですけれども,この点,ここでは第三者弁済だとか,債務者の交替とか,そういったところとの比較だけをされております。けれども,免除には,フランス法で議論されているように,被免除者に対する間接的な贈与といった性質もあろうかと思います。そういう意味では,贈与が現行法上,契約となっていることとの整合性も考えてはどうかといった意見がございました。ただ一方では,三上委員がおっしゃったとおり,単独行為でなくしてしまって,いちいち債務者の合意を取るということにしてしまうのは,非常に実務的には煩雑だというところもあろうかと思います。   それから,先ほどの課税が発生するということについてですが,特に金銭債務に関しては,資金繰り上,たまたまその時期は手元不如意で現金の工面がつかないというときに,そのことにお構いなしに免除されて,無理やり一時所得を計上させられると,一気に納税義務が発生してしまうのは,時期の面で困るといった意見がございました。ただ,今の意見はいずれも甲・乙・丙のどれかを支持するということでは必ずしもなくて,そういった意見が出て,なかなか,収拾がつかないという状況でございます。 ○岡委員 弁護士会は乙案がどちらかと言えば少数で,丙案のほうが多かったという高須さんの説明のとおりでございますが,まず,免除されるほうの意思あるいは利益を考えるべき場合があるというのは,そういう場合があるのはそのとおりでしょう。ただ,そういうことを念頭に置いて,その人の同意がなければ免除の効果が発生しないとまでする必要はないのではないか。損害賠償が成り立つとすれば,損害賠償で処理をすればいいのではないか。履行しなくて済んだが,倉庫費用がかさんだという場合には,損害賠償で対処すればいいのでしょうし,芸術的なパフォーマンスをやろうと思っていたのに,発表の場を与えてくれなかったというのは,それも無理やり,履行させるというよりは受領遅滞か何かで,損害賠償で処理をすれば足りるのではないか。損害賠償というルートがあれば乙案までいかなくて,丙案のままでいいのではないかという議論をしておりました。   それから,もう一つは乙案を採った場合の不都合として,先ほど三上さんがちょっとおっしゃったことが弁護士会でも多少,議論がありました。免除は嫌だと,毎月1万円ずつきちんと払うという嫌がらせ的な免除拒否者も出てくるのではないかという人もいまして,乙案には少し抵抗があるというのがありました。もう一つは乙案に対する懸念として,相当の期間内とか,決め方がまた分かりにくくなるのではないかと,そういう懸念もございまして,最終的には私の今の意見としては,丙案を採って損害賠償で処理するという方向でいけないだろうかということを思っています。 ○潮見幹事 岡委員にお尋ねなのですが,損害賠償といった場合,要件はどうなるんですか。それから,コンサートのほうは受領遅滞とおっしゃられましたが,単独行為の免除を認めた場合には債権が消滅しますよね。受領遅滞があり得るんですか,それとも,おっしゃる趣旨というのは単独行為としての免除というものを維持した上で,何か,何らかの形で債務者の利益を確保するための特別のツールを別途設けるという形で対処するということもありだという趣旨も含んでおられると理解したらよろしいのでしょうか。 ○岡委員 そこまで細かくは考えておりませんが,先ほどの芸術的パフォーマンスの場合は,双務契約で対価義務は残るんですか。演出料支払債務という反対債務が,パフォーマンスに係る債務を免除したとしても,全部残るのであれば問題ないように思うんですが,残ると理解してよろしいんでしょうか。 ○潮見幹事 残りますかね。 ○岡委員 要するに金銭解決がいいのではないかという趣旨でございまして,それほど理論的に考えているわけではございません。 ○山野目幹事 しばらく前に松岡委員から御注意がありましたように,第2の1の論点は第三者弁済でありますとか,債務引受,更改に関するほかの規律との見合いを考えて検討しなければいけませんから,そのような意味で分科会で補充的に議論されるべきであると感じます。その上で,そのような議論が続けられることを視野に置きつつ,私から,どの案がいいというよりは相互の案の位置関係について自分が感じているところを申し上げさせていただきますけれども,まず,甲・乙・丙の3案は,いずれもここでは言わば純粋な合意構成は提案の対象になっていないものでありまして,合意が何が何でもないと免除が成立しないということではないという前提で,もし,甲・乙・丙の3案で検討されるものとすれば,それらはいずれにしても穏やかな提案であるという評価が可能である枠内での検討になるものであろうと感じます。   それから,甲案と乙案の関係ですけれども,何となく合意構成対単独構成と,少しエキサイトしてイデオロギッシュな雰囲気で,どちらがいいのかという感じで見てしまいがちですが,実際は甲案と乙案の違いは,甲案が,免除の意思表示があったら直ちに免除の効果が生ずるのではなくて,相当期間の経過を一種,停止条件として免除の効果が生ずるのに対して,乙案は,相当期間内に異議がないことを言わば遡及的に働く特殊の解除条件のような仕方で働かせて考えることから,免除の効果は,いうところの解除条件成就がない限りは,免除の意思表示をした時に生ずるというふうな実際上の法律関係になるものでありますから,そういうふうな実際になるものであるというプラクティカルな観点を含めて検討していただけると有り難いと感じます。   それから,丙案ですけれども,岡委員が御指摘の金銭的解決をこれに補う丙案が一番よいというお話は,バランス感覚としてあり得ると思いますけれども,このままでは金銭的解決が出てくるかどうか心配です。現行519条をそのまま維持するのではなくて,単独の意思表示でできるが,それによって相手方に生じた不利益は賠償しなければいけないというような規律を明確に設けておかないと,意図されたところに届かないのではないかということも少し心配いたしますから,その点も御検討いただきたいと感じます。 ○鎌田部会長 この点につきましては,頂戴したような御意見を踏まえて分科会で補充的に検討してもらいたいと思います。御指摘の点がありましたけれども,御意見の中で深読みのしすぎなのかもしれないんですけれども,債務者の意思を尊重するという傾向と,債務者の客観的な利益を害するような免除の効力に疑義を呈するというものがあって,これらは若干ニュアンスが違うのかもしれないと思いますので,それが提案内容に反映されるかどうか分かりませんけれども,その辺ももし可能であれば,分科会で御検討を頂ければとも思います。   混同のほうはいかがでしょうか。 ○三上委員 私のほうから口火を切らせていただきますが,部会資料に挙げられている場面は,いずれも混同させる必要はないといいますか,原債権を残す必要性のある場面として余り異論はないと思うんですけれども,例えば,銀行から土地に第一順位の抵当権を設定してお金を借りていた人が,銀行に単純に返済するのではなくて,銀行から第一順位抵当権付債権を買い戻すとします。ドイツ法では土地債務というんでしたか,大学時代に習って忘れてしまいましたが,第一順位の担保権付の債権ですから,後順位で担保設定する場合よりも,買い戻した債権を再度譲渡する形のほうが有利な調達ができると考えると,そういうものも「債権を存続させる必要があるとき」に入るという程度に,広い概念でこの要件が採られているのか,「必要があるとき」という範囲はどのように画されるのかを確認したいと思います。 ○鎌田部会長 今の御意見は債権そのものの話と,自己抵当権みたいなものを認めるかどうかという担保物権法上の議論と,両方が絡んだ問題になるのですが,多分,それらを債権の混同の問題として一気に解決しようということまでは検討の対象にしていないのだろうと思います。あとは,ここに書いてあるような表現ぶりで,本当に条文として成り立つのだろうかという問題も残っていると思いますので,何か,その点についても御意見があればお出しください。あるいはまた,十分に書き切れないから例外は設けないというふうな御意見も従来されてきたと思いますので,その辺の御意見があればお伺いしておきたいと思います。 ○中田委員 今,三上委員が御指摘になりましたように,部会資料に書かれたような部分については,プラスアルファ,何らかを盛り込んだほうがいいと思うんですけれども,規定の仕方はなかなか難しいと思います。520条の本文を絞り込むという方法か,あるいはただし書を広げるという方法か,両方があって,どちらでもいいと思うんですけれども,ただし書を広げるという場合,例えば今のような要件ではなくて,「当事者又は第三者に正当な利益のあるとき」というような表現も考えられるんですが,いずれにしても抽象的なものにならざるを得ないだろうと思います。それでも入れておいたほうがいいのではないかとは思いますけれども。 ○松尾関係官 部会長と中田委員の御発言と関連しますけれども,今回の本文の提案は飽くまでも現在の民法520条ただし書以外にも例外があり得るという程度のことを書けるだけではないかという提案ですが,それであっても規定を改めるほうがいいのか,改めるとして他によい案がないかということについて,是非もう少し御意見を頂きたいと思っています。今,中田委員から,具体的な提案を頂いたわけですけれども,ほかにも何か御意見があれば,頂戴できると有り難いと思っております。 ○中井委員 弁護士会の意見を申し上げておきますと,基本的には現在の規定ぶりでは狭い,ここに挙がっているような例については拡張していいのではないか。結論としては賛成です。具体的な文言についてはいい知恵が出ているわけではございません。 ○内田委員 発想を転換すると,原則として混同によっても消滅しないと考えることもできると思います。ただ,消滅しないといっても,あえてそう言う意味がない場合があるわけで,それは当然,自分で自分に履行して消滅したと扱えばいいわけです。しかし,そうでない場合には,原則として消滅しないとすることも,一つのやり方としてはあり得ると思います。ただ,比較法的には異例な立法になりますので,それでいいのかどうかという点は詰めた検討が必要だと思います。 ○中田委員 先ほど私は520条本文を絞り込む方法があると申し上げたんですが,多分,内田委員の発想というのは,そちらの方向を突き進めていくと,そういうことになるんだろうと思います。ただ,御指摘のとおり,かなり思い切った形になりますので,もし,これまでどおりにするのだとすれば,現行法をベースにしながら本文を絞るか,ただし書を拡張するかかなと思います。 ○鎌田部会長 その前に,以前の部会審議のときに申し上げたかと思うんですけれども,先ほど三上委員がおっしゃられたような,これは抵当権という物権秩序に関わる問題ですけれども,そういうのを別にすると何も規定しないというのも一つの方法ではないかと思っています。無理やり消滅させなければいけないという公序が必要なのかどうかというところに,若干,疑問がないわけではないと思います。ただ,それも無謀なことかもしれません。 ○道垣内幹事 鎌田部会長がおっしゃって,内田委員がおっしゃったのと,ある種,似通ったところがあるのかもしれませんが,そうしたときに気になるのは,一方的債務負担行為をどこまで認めるのかということです。つまり,混同で消滅した債務の債務者,まあ債権者でもあるわけですが,そういった者が抽象的には債権を有していることになりますと,それを第三者に譲渡することができることになりそうです。そうしますと,混同が生じた債権を有していた者は,一方的な債務負担行為が結構自由にできるということになってしまいまして,少し問題かなという気がいたします。 ○鎌田部会長 お伺いしたような御意見を前提にして,難しいですけれども,もう少し事務当局で検討を続けさせていただければと思います。   続きまして,部会資料41,「第1 契約に関する基本原則等」のうち「1 契約自由の原則」と「2 契約の成立に関する一般的規定」について御審議いただきたいと思います。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「第1 契約に関する基本原則等」の「1 契約自由の原則」では,まず,(1)として,いわゆる契約締結の自由及び相手方選択の自由を明文化することの可否を取り上げています。これらを明文化することを提案する甲案を採用する場合には,規定を設けることの意義があるかどうか,また,これらの自由に対する制約を明文化するかどうかを中心に御意見を頂ければと思います。(2)は,内容決定の自由を明文化するかどうかという論点を取り上げたものです。甲案は,端的に当事者には内容決定の自由があることを条文に明記することを提案するものであり,乙案は,内容決定の自由は公序良俗の規定及び強行規定によって制約されることを併せて規定することを提案するものです。公序良俗の規定及び強行規定以外の制約原理があることを明記すべきであるという考え方がありましたら,その具体的な内容や制約原理に反した場合の効果も含めて御意見を頂ければと思います。   「2 契約の成立に関する一般的規定」は,契約が成立するのは申込みと承諾の合致という方法による場合に限られないという問題意識から,どのような場合に契約が成立するかに関する一般的な規定を設けるかどうかという問題を取り上げるものです。本文では,契約が成立するために合意されるべき事項を規定するのではなく,当事者が法的な拘束力を生じさせることを合意したときに契約が成立するという考え方に基づく提案をしています。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   それでは,ただいま御説明のありました部分について御意見を頂戴しますが,まず,「1 契約自由の原則」について御意見をお伺いいたします。 ○岡田委員 前にも申し上げましたが,私たちの立場からすれば,是非,この部分は書き込んでいただきたいのです。それで,(1)に関しては,甲案で,(2)に関しまして乙案の公序良俗だけではなくて,公序良俗と強行規定というのはどうも一致しないというか,別物みたいな気がするものですから,できたら強行規定も書いていただきたいと思います。 ○筒井幹事 本日,御欠席の安永委員から第1の1に関する発言メモが事前に提出されていますので,読み上げて紹介いたします。   1の「契約自由の原則」について申し上げます。民法及び労働法においては,労働者の労働権,人格権保障及び差別的取扱いからの労働者保護のために,使用者がその優越的地位を利用して労働者を選択し,契約内容を一方的に決定する自由を規制するための努力が積み重ねられてきました。この使用者の契約自由を規制する原理としては,少なくとも公序良俗,強行規定及び信義則が挙げられます。   契約自由の原則自体の果たしてきた役割の重要性は認めます。しかし,契約自由の原則が濫用されることにより生ずる弊害の発生を防がなければならないという立場からは,契約自由についてはむしろ制約があることを明らかにすることが重要と考えます。民法に契約の自由の原則のみを新たに明記することは,当事者(実質的には強い立場にある契約当事者)の自己決定権の尊重のみが強調されることとなるため,賛成できません。   1の「契約自由の原則」の(1)「契約締結の自由と相手方選択の自由」については,規定を設けないとする乙案に賛成いたします。   次に,(2)「内容決定の自由」について申し上げます。(2)の乙案では,契約内容自由の規制原理として,公序良俗に関する規定を挙げ,4ページに強行規定はここに含まれる旨の記述があります。しかし,強行規定の中で社会政策的観点から制定されたものの中には,必ずしも公序良俗に関する規定に含まれるとは言えないものもあります。例えば,労働基準法は,一日の法定労働時間である8時間を超えて労働させるためには,労使協定を締結することが必要であると定めていますが,これを締結せずに8時間を超えて労働させることについて,直ちに公序良俗に関する規定に違反すると解することは難しく,強行規定の全てを公序良俗に関する規定と解するのは困難です。   また,例えば,労働契約の中に,懲戒事由に該当する事実があると使用者が判断した場合,弁明の機会を付与することなく,即時,懲戒処分を行うことができる,といった条項が設けられた場合は,適正手続の保障という信義則違反の観点から,この条項の有効性が判断されることが考えられます。懲戒処分の際の弁明の機会の付与については,法律上規定がなく,また,公序良俗違反とまでは言い難いとしても,信義則上の義務としては肯定することができます。   契約自由を規制する原理は,具体的契約により様々であり,一義的に定めることは困難であり,これらを全て公序良俗に関する規定に含ませることには無理があります。(2)の「内容決定の自由」については,まず,甲案について制約原理を明示しない点で反対であり,乙案については制約原理の明示を公序良俗に関する規定に反しない範囲のみとしている点で,十分とは言えないと考えます。 ○松本委員 最初の発言にありました公序良俗違反に限定しないで強行規定違反をもという御指摘との関係で4ページの下のほう,(3)の最後のほうでは,強行規定と公序良俗の規定の双方を含む趣旨で,「公序良俗に関する規定」という表現を用いているということの意味は,民法90条に限定しているわけではなく,強行規定も実はここに入っているのだから,心配要りませんよという御趣旨なのか,それとも,90条と91条の関係に関するいわゆる一元説,大村幹事は今日,御欠席ですが,一元説の立場に立って全ては公序良俗の問題に一元的に還元されるんだというところまで含んでいるのか。もし,そうであれば,90条と91条の部分は既にどこかで議論したと思うんですが,特に91条に関してそういう整理で結着したのでしょうかという質問です。 ○笹井関係官 90条と91条の関係について特定の立場を前提としているわけではありません。趣旨としては4ページに書いたとおりですので,表現だけについて議論するのもどうかという気もしますが,ここの趣旨は,現在の民法91条が任意規定のことを「公序に関しない規定」と表現しているなどに倣えば,「公序良俗に関する規定」と書けば強行規定もそれに入ってくると考えたということです。 ○松本委員 ですから,端的に言えば,岡田委員が懸念された心配はなくて,ここには強行規定違反も入っているという御回答になるわけですね。 ○笹井関係官 はい。 ○岡委員 弁護士会の意見も,まず,(2)については制約原理を本文に書く案に賛成でございます。その中に,今,笹井さんがおっしゃったような表現で,弁護士からも公序に関する規定だけでは強行法規が読み取れないと,明確に前のほうにどこかで定義するのだったら別だけれども,このままでは不安に思う弁護士が多うございました。比較法資料の16ページのヨーロッパ契約法原則を見ると,強行規定のほかに信義誠実という言葉も出てきておりまして,安永さんの提案にも信義誠実というのが出てきております。理論的に日本の民法で何がいいのかというのは,いろいろ難しい問題はあると思いますが,是非,強行規定も信義則も入るようないい表現を本文に書いてほしいというのが弁護士の多くの意見でございます。   (1)については,法務省も部会資料も少し差をつけており,弁護士の感覚としても(1)のほうにまで,制約原理をばしっと書くべきだという意見も当然あります。ありますが,程度の差はあるので,甲案のように書いてもいいのかなという説と,やはり,甲案は原則だけが出るので,それだったら乙案でいいのではないかと,そう意見が分かれておる状況でございます。まとめると,(2)は乙案で制約原理をもう少し詰めて書いてほしい,(1)については3説あると,甲案でもいいし,書かないでもいいし,(2)と同じでもいいと,そう分かれているのが現状でございます。 ○鎌田部会長 ほかに御意見はいかがでしょうか。 ○野村委員 (2)については乙案でいいのではないかと思います。確かに,制約の原理をどう表現するかというのは,なかなか難しいと思います。公序良俗の概念の中に強行規定も含まれているという理解でこのような文言が採られているということなのですけれども,民法の中にはほかにもいろいろな表現があるように思います。例えば,所有権の範囲に関する205条では,法令の制限内にという表現も使われています。もっとも,これがいいかどうかはよく考えないと分からないところです。要するに,もう少し規定の表現については工夫したほうがいいのではないかと思います。(1)のほうについても,本当は差を設けるということではあるのでしょうが,制約の原理そのものは存在するので,うまく表現ができれば,こちらの方も入れたほうがいいのかなと思っています。 ○山野目幹事 1の(1)について意見を申し上げます。乙案を推すという意見を述べさせていただきます。理由の骨子は,甲案のような規定を置くことが内容的,理論的にはそのとおりでありましょうけれども,誤ったメッセージを社会に与えることを危惧いたします。これは部会資料でもそういうふうなファクターは,考慮しなければいけないということを御示唆いただいているとおりであります。もう一つ付け加えますと,(1)のほうの論点は,成功を収める仕方で制約原理を上手に書くことが難しいのではないかと感じます。甲案のまま書かれたときに,誤読のおそれということは余計大きくなるものでありまして,そのことも申し添えたいと思います。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。 ○佐成委員 1のところの経済界の議論状況について御報告させていただきます。まず,(1)ですけれども,これについては民法に甲案的なものを入れるというのは,それなりに意義があるのではないかという意見がある一方で,皆様も言っておられるとおり,制約についてどのようなものが書かれるかによって,逆に経済界としては必ずしも好ましくないとなるかもしれないし,そうであれば乙案ということもあり得るということで,なかなか,コンセンサスは得られておりません。   それから,(2)についてですが,これは正に契約自由の原則そのものと言ってもいいのかなと思います。内容に関するということでございますから,私的自治というか,当事者の意思が法律に代置するといいますか,そういったような意味合いがあるのだろうとは思うのですが,どちらかと言うと,元々,これも無制限に契約自由を認めるということでは全くなくて,当初から制約原理を入れた上での規律となっていると認識しております。実際,ナポレオン時代から連綿と続くフランス民法の1134条なんかも,正にそういうことが前提になっていると思います。つまり,契約自由の原則とは当初から制約原理があるという状況で,近代民法の中の条文の一つとして出来上がってきたのではないかと認識しております。ですから,改めて現代における制約原理をどう書き込むかというところがかなり問われている部分だろうと思います。   現状では,本当に制約原理を近代の時点ではなくて,正に現代の時点でどう書き込めるのかというところがかなり難しいのではないかなという気がしております。いずれにしても,書くとすれば確かに(2)の部分が本体になろうかとは思うのですけれども,制約原理をどのように書き込むかについては,単に公序良俗違反や信義則だけを書き込むというのであれば,実質的にはフランス民法に倣ったような格好になると思うんですが,プラスアルファでそれ以外に何か入れていくと,収拾がつかなくなるのではないかという感じでございます。ということで,結論的にはまだ,経済界では議論が煮詰まっておりません。  それともう一つは何度も出ておりますけれども,91条との関係で,(2)については重複感があるという指摘もあったということでございます。 ○能見委員 私は,(1)も(2)もいずれも原則とそれから制約原理が書けるのなら,書けたほうがいいと思います。それについての細かい議論は省略しますけれども,契約締結の自由,それから,相手方を選択する自由については,ここでは制約原理は信義則が恐らく中心になるんだろうなという感じがするんですね。場合によっては強行規定というのも入れてもいいのかもしれませんが,契約を締結しないことが信義に反するというような場合には,駄目ですよというメッセージを伝えることよって,これがまた,不法行為などについても根拠として,不当差別とか,そういう場合に使えるのではないかと思うわけであります。   それから,(2)のほうの契約内容のほうの自由については,もちろん,公序良俗は制約原理の一番の中心ですけれども,先ほどから議論になっているように強行法規も入れていいと思いますが,信義則を入れるかどうか,信義則はもちろん契約内容をいろいろ制約する場合もあるんですけれども,ちょっと公序良俗とは違う意味での制約だと思いますので,こちらは信義則を外す。恣意的かもしれませんけれども,そう制約原理を書けたらいいのではないかという案といいますか,意見を述べたいと思います。 ○岡田委員 今の御意見を聞いていて,どうも(1)は私の主張は不利のようですがもし,(2)で乙案を選ぶとして,ここで読めるだろうと認識を皆さんはお持ちだと思いますが,私たちの立場からすると,架空請求とか不当請求の案件は正に契約する,しない自由,その辺のところから消費者に理解させることに苦労したものですから,もし,(2)で乙案ということを書かれるのであれば,契約を締結するか,しないかの自由というのを是非入れていただかないと,そこが抜けてしまって契約の内容を決定する自由だけ入ってきますと,事業者優位を考えますと事業者だけが自由に決めることができると解釈されるのではないかと心配になりました。取り越し苦労かもしれませんが。 ○山本(敬)幹事 幾つか申し上げたいことがあるのですが,一番最後の点に関しては,契約の内容を決定する自由は,一方当事者が持つわけでなく,双方の当事者が持つわけですので,そのような御懸念には及ばないのではないかと思います。それ以外の点では,(1)及び(2)があり,結論として,私は,(1)は甲案,そして,(2)も甲案でよいのではないかと考えています。   (2)について申し上げますと,既にこの部会でも,制約原理に当たるものは,民法の基本原則として定めるという方向で議論してきていると思います。現在では民法90条に当たるものがありますし,91条をどう変えるかということはありますけれども,強行法規に当たるものに反すれば,その法律行為は無効とするということも,別途,基本原則として規定することになっています。そのようなものとは別に,この契約の内容を決定する自由について制約原理を書くとするならば,それとどう関係するのかということを明らかにする必要があると思います。少なくともこれまでの部会では,能見委員が最後に御指摘されましたけれども,信義則に反すれば法律行為や契約が無効になるという規定を置くことは,全く議論してこなかったと思います。そのような提案が新たにあるということかもしれませんが,それならばそれとして議論する必要があるだろうと思います。   そのような議論をした上で,言わば一種のレファランス規定として,契約の内容形成の自由について,例えば別に定めている現在の90条や91条に当たる規定の限度内でといったような形でレファランスを示すというのは,まだ理解はできるのですけれども,そのような形ではなく,何か実質的な制約根拠,原理,要件に当たるものをここで別に定めるのは,私は問題がむしろ大きくなる可能性があるのではないかと思います。ほかにも,原則と例外というセットで出てくる制度はたくさんあります。制約は別に定めているところで,原則だけ定めるときに,原則だけが独り歩きするという懸念を持つのであれば,至るところで全てワンセットで書かなければならないことになってしまうと思います。   この制約原理については,基本原則として明確に定めることについては疑いがないところですので,ここで併せていろいろ心配して書き込んでいくと,かえって問題が生じるのではないかという意味で,(2)については,私は,乙案でなく甲案を支持したいと思います。先ほども言いましたように,もしどうしても懸念があるというのであれば,レファランス規定のような形で,当該制約を定めた規定によることをはっきりさせるという程度にとどめるべきだと思います。   そして,(1)に関しては,契約を締結するかどうかを自由に決定することができるということは,部会資料の中にもありますように,自由主義社会では根本原則であって,これを否定してしまうと,自由主義社会が成り立たないというぐらいの重要な基本原則だと思います。そのような原則を認めるのであれば,それはそれとして明確に定めることが,今回の改正の趣旨に合うのではないかと思います。独り歩きする懸念といったものが,たくさんの方から示されていますけれども,それは,先ほども言いましたように,一方当事者ではなく,双方の契約当事者が自由に契約できるのであるということが理解されれば,問題ないですし,基本原則としての意味はいずれにしても揺るがないのではないかと思います。 ○沖野幹事 これらの原則の規定の位置ですけれども,こういう形で契約に関する基本原則等という項目を立てて書くことがいいのかどうかという点もあるように思います。   具体的には(1)の締結の自由につきましては,第2の「契約交渉段階」の規律があるわけですけれども,例えば不当破棄の規律に関して,今は(1)(2)という二つ立てになっていますが,これを三つ立てにして締結が自由であると,それから,交渉に入ったとしても,そこから抜けることができるというような契約の締結の自由の一段の具体化としてその規律内容を明らかにし,しかし,例外的に信義則によって損害賠償等の責任が掛かってくる場合があるという例えば三本立てにして,契約締結のところにその大原則は何か,その具体化は何か,その例外は何かということが3セットで入ることによって,基本原則だけが別途置かれるということに伴う弊害に対応しつつ,しかし,基本原則が何かということを明確にするということができるのではなかろうかと思います。   また,交渉段階のほうの規律の中で一種の重複感と言われますが,重複感は私はないと思います。基本原則と,それから,その一種の具体化ということです。それをセットにすることによって,両方の懸念に対応するということができるのではないかとも思うものですから,そのような在り方も一つの候補として御検討いただけないかと思います。  そうしますと,今後は内容の規律をどこに置くかということで,契約内容の確定というのが別途項目が立てられるのであれば,内容決定はまず自由であるけれども,というような形で置くことも考えられるのかとは思っておりますけれども,成立や締結ほどきれいにまとまらないのが嫌みなところではあります。そのような考え方もあるのではないかと思います。 ○中井委員 先ほどの山本敬三幹事の御意見ですけれども,(1)について契約締結の自由をうたう,(2)についても契約内容を決定する自由をうたう。制約原理についてはレファレンス規定を設けるにとどめるという御提案については,弁護士会で十分議論したわけではありませんけれども,これまでの議論の経過を知る限りにおいては,反対意見が強いだろうと思われます。   (2)ですが,考え方としては強行法規に反する内容,公序良俗に反する内容の契約を締結する自由はないのではないかというのが弁護士会の基本的スタンスです。したがって,(2)について甲案を採用するという考え方については,賛同できない。公序良俗に反する契約を締結する自由があるのかということになる。別のところで公序良俗に違反する契約は無効だと書いたとしても,そのような内容の契約は締結してはならない。それが道しるべではないかと考えるからです。(2)についての山本敬三幹事の御意見については反対ということになります。   (1)は,微妙だと思っております。基本的には締結する自由,締結しない自由はある。幾つか制約原理はあるだろう,締結しなければならないにもかかわらず,締結しない,東京ガスに申し込んで契約を締結しないということはできない話で,制約原理があるわけですけれども,それを(2)のような形でうまく書けるのか。   それを記載することがそれほど容易ではない,先ほど能見委員がおっしゃられたように,書けるのであれば,私も書くことに全く反対はいたしませんけれども,その制約原理をまとめて書くことについては困難ではないかと思っております。そうしたときに,契約を締結する自由のみを書くことについては懸念を感じます。制約原理が書けるなら,セットで書くという考え方は排斥しなくていいかもしれませんけれども,自由のみ書くことについてはちゅうちょを覚えます。   そこで,沖野幹事の御提案のように自由を書いた上で,制約原理としてのこの後に議論される不当破棄を例に並べることができないかという御提案ですが,不当破棄に関する限りにおいては,並べることはあり得るのかと思いますけれども,不当破棄は一つの場面にしかすぎないと思いますので,締結が義務付けられている場面で締結しないようなとき,若しくは締結してはならない場面で締結したようなときについての制約が,不当破棄と同じように並べて書けるのかというと,やはり,難しいのではないかという気がいたします。ここは更なる検討が必要ですけれども,書かないという選択も十分あるのではないかと思います。 ○山川幹事 個人的には,原則的な面と制約の面がうまく書ければ,両方とも書いたほうがいいと思っています。あとは,皆様方の御意見でかなり出てきた部分と共通しているんですけれども,2点だけ付随的な点を申し上げたいと思います。   第一は,(1)で甲案,乙案の前に,②として相手方を選択する自由ということが明示されていますけれども,多分,こういう表現まで条文化するという趣旨ではないと思いますが,相手方を選択する自由まで明文化してしまいますと,労働法規では様々な差別禁止規定があり,それらと抵触する印象があるので,書かれるとしてもなるべく抽象的なほうがよろしいかと思います。   (2)につきましては,(1)とやや位置付けが違っているようにも補足説明で読めます。(1)は理念規定であること,権利義務関係に関する要件,効果を定めるものではないということが明示されているようですが,(2)はそうでもないように思えます。その場合には,乙案で公序良俗,それから,強行規定,信義則の位置付けがかなり重要になってくるかと思いますけれども,その点についてはともかくとして,(2)についても言わば理念規定的なものとして書くとしたら,もうちょっとふわっとした書き方も可能かなと思います。必ずしも法制的な知識はないんですけれども,位置付けの点で理念規定とするか,より具体的なルールを伴ったものと見るかについても,考慮の対象になるかもしれないと思った次第です。 ○山本(敬)幹事 先ほどの中井委員の御指摘に対してですけれども,基本的には公序良俗に関する規定あるいは強行法規に関する規定が定められている場合には,たとえ契約の内容を決定する自由があるという規定があろうとも,公序良俗や強行法規に反する内容の契約を形成する自由があるかというと,ないということになると思います。したがって,おっしゃるような指摘はおよそ当たっていないと言わざるを得ないと思います。つまり,制約原理を定めることは,契約の内容を形成する自由は,その限りではないのであるということを明確に示す意味を持っていると思います。   基本原則に当たる規定,ここで言いますと契約の内容を決定する自由があるということを定める意味はどこにあるかと言いますと,契約をする場合に両当事者は自らする契約の内容を決めることができるか,できないかという問いに対して,できるということを基本原則として定める。ただ,全てにおいて何の制約もなく自由に定めることができるかというと,そんなことはない。公序良俗に反する内容の契約ないし法律行為は無効とするということを定めるのは,その限りで内容を自由に形成することはできないのであるということを法が明確に示すということを意味します。したがって,中井委員の御指摘される御懸念は,私はまったく当たっていないと思います。これは定め方の問題であり,そして,基本原則を定めることの意味をきちんと理解すれば,懸念は払拭できるのではないかと私は思います。 ○中井委員 山本敬三幹事の今の御説明ですけれども,私は山本敬三幹事のお話を聞けば,むしろ,乙案でいいのではないかと思ってしまうところがあります。書いて否定するのなら,否定を盛り込んだ書き方がなぜいけないのかというところがよく理解できないところです。 ○中田委員 今の点ですけれども,乙案を採ると,山本敬三幹事の印象ですと民法総則の適用がある以上,重複になってしまうのではないかという問題の御指摘ではないかと思うんです。ただ,90条,91条という一般規定と,他方で契約法の大原則と二つの原則があるとすると,両者の関係を明確にしておくということは,それはそれで意味があるのではないかと思います。特に,今の山本幹事と中井委員とのやり取りをお聞きしましても,どうしても誤解が出てしまうように思います。そうだとすると,山本幹事もおっしゃっておられますように,乙案を前提とした上で,「90条,91条の規定に反しない範囲で」という表現を入れれば足りるのではないでしょうか。それはまた,同時に今まで公序良俗と強行規定との関係について幾つかの考え方が出ておりましたけれども,それも具体的に書くことによって解決できそうな気もいたしますので,何か,そこで集約できるのではないかなという気はしております。   他方で,(1)についてのほうが恐らく問題が大きいところでありまして,これも多分,総則の規定はここでもかぶってくるんだろうと思いますけれども,何らかの確認的なものを入れるかどうかということは,結構,難しいと思います。沖野幹事のアイデアは非常に魅力的ですし,契約交渉の不当破棄についてのおっしゃったような外国での立法案もあったと思うんですけれども,そうしますと,どうしても交渉破棄以外の場面がどうなるのかというのが起こってしまって,そもそも交渉に入らないという場合もあります。そうすると,一部分についてだけ書くことが,かえって反対解釈を呼んでしまう可能性もあるということも考えた上で,(1)については更に制約原理を書けるかどうかを検討すべきだと思います。 ○潮見幹事 (1)については沖野案に賛成,(2)については中田案,それから,山本敬三幹事が最初におっしゃられた契約自由の原則はやはり書くという部分について賛成ということを申し上げたいと思います。山本敬三幹事の御発言の中に出ていたポイントは恐らく三つあって,一つは山本幹事自身も契約自由という原理はある,それから,それを制約する原理もあるということは認めておられて,そこは中井委員も誤解のないようにしていただければと思います。これが1点。   それから,2点目は,制約原理だけ書いて,私的自治の根幹にあるところの契約自由の原則というものを規定として置かないという判断をする理由が一体どこにあるのかということです。むしろ,制約原理の前に契約自由という,正に近代民法あるいは現行民法の基礎にある自由の考え方をうたうことは,それはそれとして意味があるのではないか。このことを私は尊重したいと思いますし,賛成するところです。これが2点目。   それから,3点目は中田委員がおっしゃられたことですけれども,制約原理をどこに,どう書いていくのかという点です。総則に制約原理が書かれているときに,それとともにここで何かを書いたときに,佐成委員は重複感とおっしゃられましたけれども,評価矛盾みたいなことが生じたら,これが一番怖い。先ほどの山本敬三幹事の発言の中でも,レファレンス規定として置くということ自体については,一つの可能性として認めておられるわけですから,そのような方向を,事務局か分科会か知りませんけれども,探っていただければと思います。   なお,前段のほうは制約原理を書くのは難しいし,しかも制約するときには,能見委員がおっしゃったように信義則という観点からの制約というものが出てきます。この信義則からの制約が出てくる場合に,現在の日本の学説あるいは実務を前提にすれば,契約の締結強制という方向に向かうことはまずあり得ない。そうであれば,後は交渉当事者の責任という観点から,これをどう評価していったらいいのかという枠組みで考えるのが自然な流れではないかと思います。そうならば,今日後半でも議論されるのでしょうか,交渉当事者の責任の部分とくっついた形で少し議論を展開させていったらいいのではないかと思ったところです。 ○中井委員 私は(2)の乙案を誤解しているのかもしれませんが,乙案は制約原理だけを書いているのでしょうか。私はそうは思わないわけです。むしろ,契約の内容を自由に決することができる。これが本文ではないのでしょうか。ただ,公序良俗に関する規定に反しない範囲でという限定が付いている。ですから,通常原則として何々できる,例外としてこれこれであるという書き方ではなくて,制約原理の範囲内で自由に決することができるというのは,決して制約原理だけを書いているのではなくて,契約内容は自由に決することができるという基本を宣言していると私は理解しているんです。ただ,そこには公序良俗に反する内容を盛り込むようなことは,本来的にできませんと,このように理解をしているものですから,乙案を制約原理のみを記載した規定だとは思っておりません。 ○潮見幹事 乙案は制約原理だけを書いているとは一言も言っていませんが。 ○鎌田部会長 基本的な考え方はそれほど隔たりがあるわけではないんですけれども,所有権の自由と契約の自由とは近代市民法の二大基本原則で,そこにどれだけ制約原理を書くべきなのか,あるいは基本原理だけの宣言に意味があるのかという,その辺のところの意見の違いと,あとは民法総則との重複を避ける必要性の問題があるように思います。野村委員がおっしゃられたように法令の制限内とか,法令に別の定めがある場合を除いてというふうな形で書けば,少なくとも表現上は重複しているわけではなくなるということもあろうかと思いますし,それぞれに出てきた信義則というのが本当にどのような形でここに反映できるのかというのも,少々,微妙な問題を含んでいるような気がします。この点の補充的な検討は分科会にお任せしますか,あるいは事務当局で引き受けますか。事務局でいいですか。では,いろいろ頂戴した御意見を踏まえて事務当局で更に詰めた検討をさせていただきたいと思います。   「2 契約の成立に関する一般的規定」についての御意見もお伺いしたいと思います。特には御異論はないと思ってよろしいですか。 ○松本委員 「契約の法的拘束力を発生させることを合意することによって成立する」という言い方が大変分かりにくくて,何か,ここだけを読むとトートロジーなんですね。後ろのほうを読むと,どうも冒頭規定のことを考えているのか,その周辺も含めて考えているのかというような感じなんですが,ここの部分だけだとメッセージ性が大変低いので,もうちょっと具体的なことを書くか,あるいは全く書かないかのほうがいいのではないかと思うんですが。 ○岡委員 弁護士会としても分かりにくいというのが共通の意見でございます。それから,まず,順番にいくと,ただし書が何か変だと。抗弁みたいに書いているけれども,本文が成立しない場合の一事例なので,積極否認ではないか。ただし書で書かれると何か誤解を招くのではないかという意見がございました。   それから,比較法的あるいは部会審議の状況からいくと,本質的な事項あるいは重要な事項という観点から攻めるのは,スイスにはあったようですが,いろいろ問題があるので,それは採らないということですね。量的な側面から規定するのは諦めて,質的というか,法的拘束力を発生させるという方面から攻め出したのかなと思いました。比較法を見ると,そのような切り口もあるようですが,なかなか,イメージは湧きにくいですね。   最後,裁判官が確認判決あるいは給付判決を書ける程度というイメージから攻めているのだろうかと思いました。そうだとすると,裁判官が給付判決を書けるためには,内容的な事項がしっかり固まっていて,なおかつ,法的拘束力に従うという質的なものも認定できて初めて,契約成立と認定するのだと思います。そのような裁判官目線で考えたらいいのではないかということであれば,少し分かるような気もするんですが。ただ,それがこの文言で表現されているのかどうかがよく分からないというような議論をしておりました。 ○加納関係官 別の観点から申し上げますと,4ページの本文の2のところに書かれている「契約の法的拘束力を発生させることを合意することによって成立する」というお考えなんですけれども,考え方として理解できなくはないところではありますが,消費者紛争におきましては,この合意がどういう場合に認められるのだろうかというところに関心を持ちます。つまり,消費者紛争におきましては,様々な理由から,契約の有効性等を争うのではなく,契約の成立そのものを争って,支払済み代金等の返還を求めるということが相談事例であるとか,裁判例等においても見受けられるところでございます。   そうした場合,契約書等が作成されておりますと,契約が成立していないということ自体を認めてもらうということは,一般的には非常に難しいわけですけれども,その契約が締結された状況でありますとか,あるいは当該消費者の属性でありますとか,商品購入量でありますとか,必要性等をいろいろ主張することによって,そういった契約成立がそもそもなかったのであるというようなことを争うことがあると認識しているところなんですが,契約の成立に関する一般的な規定というのが仮に設けられたとしますと,どういう場合に合意が認められるのかという,そこの手掛かりのようなものが併せて検討されないと,先ほど申し上げたように,契約書があるのだから,契約は成立しているんだというような判断にも結び付きやすいのではないかと思われるところでありまして,その点も見据えた検討がいいのではないかと。   確かに,このペーパーのところの補足説明を読ませていただきますと,契約書の作成とは別に合意を考えていくというふうなトーンで書かれておりますので,そういうことも考慮されているとは見受けられるところでありますけれども,どういう事情があったら合意があったと言えるかというものの手掛かりをどう見るかということも,併せて視点として持つ必要があるのではないかと思いました。   それから,もう1点,後ほど,また,契約の申込みのところにおいても申し上げたいと思っておりますけれども,例えば特定商取引法によるクーリングオフの規定など,いろいろと契約の申込み概念を法律の中で規定し,申込みについて一定の場合に撤回を認めるとか,あるいは締結された契約についても解除を認めるなどという形で,契約の成立とは別途,申込みについて法律で規定し,それについて特別の効力規定を設けるといったものがございます。そうしますと,後ほどの議論だとは思いますけれども,申込みについてどういう定義規定を設けるのかと。これは契約の成立に関する定義規定と密接に絡む問題であると思いますので,あえて,ここで申し上げているところなんですけれども,その点につきましても,そういった関連法への影響というのも更に併せて検討する必要があるのではないかと思いますので,今の点は指摘だけになりますけれども,申し上げたいと思います。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。 ○山本(敬)幹事 今の加納関係官の最初のほうの御指摘とも関わるのですが,よく契約の成立について紛争が生ずるケースとして,消費者紛争ではなく,事業者間でかなり大規模な契約についての交渉を行っていて,ある特定の事項について当事者が一致を見るまでは,契約の締結を拒絶するということが明示ないし暗黙のうちに予定されている場合で,しかし,客観的には大半の部分について合意を見ているというケースがあります。   そのようなケースで,なお契約が成立していないという判断をするときに,それは,契約の法的拘束力を発生させることをまだ合意していないから,契約の成立はないのであると言うのかどうかということを確認させていただければと思います。比較法的に言いますと,ヨーロッパ契約法原則だったかと思いますが,法的拘束力を生じさせる合意があることを,それに類する表現で要件としつつ,その例外に当たる事由として,幾つかあるうちの一つとして,私が先ほど挙げたような場合を例示,ないしは別に挙げていたように思います。そのような意味で,両者の関係がどうなるのかということを確認させていただければと思います。 ○笹井関係官 分かりにくいという御指摘もたくさん頂きましたけれども,ここで意図していたことは,今,山本敬三先生がおっしゃったように,例えば大規模な事業者間の契約では,交渉段階で,まだ法的な拘束力を発生させる終局的なものではなく,ただ,その時点での合意内容を確認したという趣旨で書面が作られることがありますけれども,その時点では,まだ当事者間は自分たちがこの合意に拘束されるという意思を持っているわけではありませんので,この時点ではまだ契約は成立していない。契約が成立するのは,いろいろな合意のうち,法的に効力のあるもの,それに自分たちが拘束されるという合意をしたときに,初めて契約は成立するんだということを表現しようとしたということでございます。   岡先生からも御指摘がありましたが,量的な,質的なという表現が正確かどうか分かりませんが,イメージとしてはそういうことを考えております。仮にこのような考え方を採るとすると,自分たちがこういう合意に法的に拘束されるということは合意しているけれども,実は中身は何も決まっていない場合が考えられる。例えば,「いいものをあげる。これは契約だよ。」ということを合意したけれども,では,いいものというのは何なのかということは何も決まっていないという場合があり得る。ではそれが契約になっているかというと,それはそうではありませんというのが「ただし」以下で書いたことです。これは本文が成立していない一場面ではなくて,やはり本文とただし書の関係になっているのではないかと思っております。 ○山本(敬)幹事 今の点に関してですが,本来は岡委員から御指摘いただくべきことかと思うのですが,私も少し気になっていましたもので,確認をさせていただければと思います。  本文が原則であり,ただし書は例外であるという構造になっていますと,読み方としては,本文に当たる要件が備わっていれば,契約は成立して履行請求できると読むのが通常だろうと思います。そうしますと,内容は確定していないけれども,法的な拘束力を生じさせることが合意されているので,契約は成立し,その履行を請求すると言ったとしても,中身が固まっていないと,何を請求するかということも特定できないことになります。そうしますと,法的拘束力を発生させることの合意があることと内容の確定性は,原則,例外の関係に立つということなのかもしれませんけれども,請求原因としては,内容が確定していて初めて請求が立つと考えられますので,このような形で本文・ただし書構成で書くのは,少し問題があるのではないかという御指摘だったと私は理解しました。ですので,これは規定の書き方の問題なのだろうと思いますから,その辺りはもう一度,よく整理し直していただいたらと思った次第です。 ○松本委員 いわゆる練り上げ型の契約,最終的には書面で合意をするというセレモニーを例えば会社の幹部も入れてやる,そこで初めて契約が成立するんだというタイプの契約がある。それは十分理解できますが,ここの表現からそれを念頭に置いているということが分かるのかというと,大変分かりにくくて,法的拘束力を発生させない契約なんて,そんなものは契約ではないではないか,トートロジーのように読めるわけですね。例えば虚偽表示は,契約内容はある意味では確定しているかもしれないけれども,両当事者が本気ではないから無効になります。契約の法的拘束力を発生させることは合意していないというのが虚偽表示ですよね。そうすると,これと虚偽表示とどこが違うんですかということにならないですか。つまり,拘束力を発生させるという言葉が恐らく多義的なのではないでしょうか。 ○中井委員 1点目はただし書との関係です。先ほどのような例,対象物も決まっていないけれども,あげるよと,あげることについて当事者が法的拘束力を持たせたと仮に主観的に考えて,それで契約が成立し,その後にただし書が適用されるというのはいかにもおかしいと思います。それは法的拘束力を発生させるような合意ではなかったはずで,本文が否定されるのではないか。つまり,主観的に義務がある,発生させると思ったところで契約の成立だと考えること自体,不自然な感じがします。   逆に言えば,契約は具体的な権利を取得し,義務を負担する。権利として具体的な権利構成ができなければならない,義務としても具体的な義務として明示できなければならない。そういう権利と義務を取得する合意という意味で,ここで言う法的拘束力を発生させるというのであれば理解できますけれども,先ほどのように特定物,物も決まっていなくてあげるというのだったら,そもそも権利としても義務としてもないのではないでしょうか。そこが契約の法的拘束力を発生させる合意という記載の分かりにくさではないかと思っています。ただし書との関係でも,これはただし書になるわけではなくて,本文の中でまず決められるべきことではないかという感じがするのですけれども,いかがでしょうか。 ○筒井幹事 今,議論になっていることは,ある規定が本文とただし書という構造で書かれている場合に,それをどのように読むのかという議論でして,それをこの場で,今の段階で議論することにはそれほど意味がないと思います。その議論のきっかけは,部会資料でこういう書き方をしたことにあったと思いますから,特に条文表現の議論をする必要がない場面では,今後,こういう書き方はしないようにしようと思います。ルールの実質的な内容を提示してその実質の当否を議論していただくのが,今の段階では重要なのではないかと私は思います。 引き続きになりますが,本日御欠席の安永委員から事前に発言メモが提出されていますので,それを読み上げて紹介いたします。   契約の成立に関する一般的な規定を設けることについては,第1ステージの論議において労働契約をこの適用から除外してほしい趣旨での発言をしたところです。この点,部会資料の本文には,「法令に別段の定めがある場合を除き」という除外条項が設けてあり,労働契約の成立に関しては労働契約法第6条がこの除外条項に当たり,これにより,労働契約は契約の成立に関する一般的規定から除外されると考えられます。   しかし,この除外条項については,部会資料において示されている契約成立要件に関する本文の部分のみならず,ただし書の部分に関しても除外条項が及ぶかどうかについて,必ずしも明らかではありません。労働契約の場合,当初から契約内容の詳細について合意されていることが多いとは言えず,この場合に,除外条項が及ばず,ただし書に記載の「当事者の合意によって契約の内容を確定することができない」とされると,労働契約の成立が否定される解釈を招くことが懸念されます。   労働契約法6条は,労働と賃金支払の合意のみを成立要件としており,使用者が労働者に直接賃金を支払う旨の合意を要求するものでなく,また,契約内容の詳細についての合意を要求していません。これは,契約内容の詳細についての当事者の合意がなければ労働契約は成立しないとすると,採用内定取消の場合等において労働者の保護に欠けることになること等を配慮したものと言えます。また,労働供給関係においては三面的労務供給関係もあり,違法派遣,偽装請負の場合等,形式的には労働契約の当事者ではないが,労務の供給を受ける者と労働者との間の労働契約の成否が問題となる場合もあります。   そこで,部会資料において示されている契約成立要件に関する本文及びただし書の部分のいずれに関しても,「法令に別段の定めがある場合を除き」との除外条項が及ぶということを,念のため,ここで確認させていただきたいと思います。仮に除外条項がただし書に及ばない場合は,以上で述べてきたとおり,労働者保護の点で大きな問題が生じるため,提案には賛成できません。 ○佐成委員 簡単に経済界での議論状況を御紹介します。まず,一般原則に関しては特に賛否というのはなかったのですけれども,「法的拘束力」あるいは「内容を確定することができないとき」という文言が非常に分かりにくいというようなことは指摘されておりました。それから,先ほど松本委員がおっしゃった,やや,これはトートロジーではないのかと,要するに契約というのは法的拘束力がある合意を言うので,定義規定と考えて構成してもいいのではないかといったような指摘もあったところでございます。ただ,これ自体についてまだ十分議論はされていないというところです。 ○中井委員 先ほどの筒井幹事の発言を前提に,基本的に私も契約の成立に関する一般的規定を一般論として設けることについては反対いたしません。ここでの問題はむしろ契約の法的拘束力が発生するという表現ぶりが気になっております。これは後ろの資料を見ると,ヨーロッパ契約法原則等ではそのようになっているようですけれども,他の国では義務付ける,義務という言葉が幾つか出てきているかと思います。つまり,義務が発生する若しくは権利を取得する,そういう合意のほうが一般市民には分かりやすいのではないかという意見を持っております。 ○中田委員 一般原則を置く際に,二つの要素があるということについては,大体了解が得られているのではないかと思います。それは学説でもいろいろな表現があって,合意の範囲と合意の深度とか,内容の確定性と終局性とか,いろいろな表現がされていますけれども,いずれにしても二つの要素があるということは,それほど異論はないのではないかと思います。その上で表現として法的拘束力というのが分かりにくいのではないかということだろうと思います。更に法的拘束力が満ちたときに成立するという考え方と,それは十分なんだけれども,なお成立を留保するという別の合意があるとする考え方と,両方あると思うんですが,それを一つの表現で表そうとしているのか,それとも,一方のみを選択しているのかということをもうちょっと詰めたほうがいいのかなと思いました。 ○鎌田部会長 今の点で何か説明することはありますか。 ○笹井関係官 中井先生に,どこが資料と違っているのかということを明らかにするという趣旨でお伺いしたいのですが,今,中田先生が範囲や深度とか,いろいろな表現があるとおっしゃったこととも関連しますけれども,中井先生のお考えとしては,何か中身についても要件が必要なのではないかということなのでしょうか。それを本文に書くかどうかはともかくとして,契約成立のためには,その中身として特定の事項がされている必要があるというお考えでしょうか。 ○中井委員 いいえ,契約の法的拘束力を発生するという言葉自体が一般市民には分かりにくいだろうと。契約の効果を定義として書いているわけですからという点もあるし,法的拘束力という言葉自体が極めてトートロジー的で分かりにくいと思っているものですから,そこで,ほかの言葉を使うとすれば,権利を取得するとか,義務を負うとかいう言葉もあるのではないですかと,ほかの立法例を見れば,そこまで申し上げただけです。  その前の発言は,中身さえ特定できないものは,果たして契約が成立していると言えるんでしょうかという趣旨です。そもそも契約は成立していないのではないですかということで,ただし書の問題ではなくて本文の問題だと申し上げたわけです。それはここでの議論外にしましょうというのが,先ほどの筒井幹事の整理と理解したんですが。 ○青山関係官 先ほどの安永委員の文書意見に関して,労働契約の成立要件についての事実はそのとおりだと思うのですけれども,今回の提案との絡みで,「法令に別段の定めがある場合を除き」というところで考えるのか,それか,契約の法的拘束力が何をもって発生すると捉えるのか,契約の内容を何をもって確定するのかというのが,恐らく契約の種類によって違うところに原因があるのではないか。労働契約では先ほど安永委員の発言メモにありましたように,労務の提供と賃金の支払だけ約すれば成立するので,「自分の労働力を提供するよ」だけで成立するのですね。ただ,確かに売買契約では「何かを売ります」だけでは多分,成立しないのだと思います。先ほどの御提案は,契約の種類によって解釈を柔軟にできれば問題ないというふうな整理もできるのかなと思いまして,一言,申し上げました。 ○高須幹事 一回りしている間に,大体,私もまとまってきたんですが,ここは要するに一般的規定を設けるということなので,何が一般的規定の表現としてふさわしいのかなのだろうと。そうすると,今,御指摘があったようにいろいろな部分があって,いろいろな部分の一つ一つは書けないわけだから,正に一般的規定としての言葉を探すという努力なんだろうと思います。   笹井関係官からの御指摘で想定されていることはよく分かりました。結局,いわゆるいろいろな合意文書を作っていっても,まだ,これは最終合意ではないですよという留保をした上でやっていくということは,確かに大きなビジネスの場合にはよくございまして,私どももそこは注意をして,この時点で契約成立だと言われないように,いろいろな備えをしていくというようなことは確かにやっておりますので,そういうビジネスモデルを考えたときには,一般的規定といって御指摘いただいている内容ですごくよく分かるんですが,反面,ごくごく普通に行われているような取引で,契約書がまだ作られていませんというよりは,契約書は絶対に作られませんというか,契約書面がないまま取引が進んでいってしまいますみたいな多くの契約類型のような場合のときに,法的拘束力を発生させる合意なるものが果たして当事者にぴんとくるのかどうかと,それが一般的規定ですと言われたときに,そんなことを言われても,全然,考えたこともありませんみたいな当事者関係もよくあるのだろうと思いますので,そういう意味では,中田先生から御指摘があったように,一定の留保を置いた場合にどうするかというようなことはまた,別途,考えるとして,一般的規定としては極めていろいろなタイプがあるという中でのふさわしい言葉を探す努力なのかなと,そのように思いました。   その場合に法的拘束力を発生させる合意というのは,やや硬い表現なのかなというような印象を持ちまして,もう少し,汎用性のある言葉を探す努力をしたいと思います。私も考えてみますので,また,御相談させていただければと思います。 ○鎌田部会長 今,高須幹事が,そういう趣旨ならよく分かるとおっしゃったのは,山本敬三幹事がそういう場合はこれでうまく対処できないのではないかといったケースと同じケースかなと思ったりしたんですけれども。多くのことが決まっているんだけれども,どれか一つの事項が決まらない限りは,契約は成立しないという合意が当事者間にあったというようなケースを語られたんですね。そういう場合に,多分,山本敬三幹事は,そういう意味で法的拘束力を発生させようとする合意はあり,かつ契約内容の大部分も確定しているということだけだと,今のようなヨーロッパ契約法原則が例外的に留保しているような事態に対応できていないのではないかという御指摘を先ほどされたように伺ったんですけれども,そういう理解でいいですか。 ○山本(敬)幹事 そこまで深読みされるような意図ではありません。ここで書かれていることが,今言ったような場合に契約は成立しないということを導くものとしてお考えですかということをお尋ねしただけです。お答えはそうであるということですので,ヨーロッパ契約法原則をどう理解するかということはまたもちろん別の問題としてあると思いますけれども,このような定め方をするということ自体は,お聞きした感じではあり得ることかなと思います。   ただ,実際に条文化するときに,法的拘束力という言葉をそのまま使うのは恐らく異例のことだろうと思います。素朴に予想すれば,「法的に効力を生じさせることを合意した」かどうかということが,恐らく基準になるのではないかと思います。「法的に効力を生じさせる」というのであれば,中井委員が御指摘された,権利を生じさせ,あるいは義務を生じさせるということと意味合いはほぼ変わりがありませんし,一般市民にとってどちらが分かりやすいかというと,どちらも同じようなものではないかという気がいたします。もちろん,よりよい表現があれば,それを採用すべきだとは思いますけれども,一応,私としては,御趣旨は理解できたというつもりです。 ○鎌田部会長 私が誤解していました,申し訳ありませんでした,高須幹事にも。 ○山川幹事 簡単に申し上げます。先ほど安永委員のペーパーと青山関係官のお話にもありましたが,労働契約の場合に限らない問題もあるかと思います。例えば内容の確定性ということについては,建設請負等でも例えば協議により報酬を定めるといった条項については,時価の定めと読み替えたりしていた例があったかと思いますけれども,そのように,詳細については後で定めることにするけれども,法的拘束力を発生させる合意は成立しているというケースは,労働契約ですと多く存在し得るものですから,そうすると,法的拘束力を発生させるといいますか,中田委員のおっしゃられた終局性といいますか,その辺りが契約成立についての基本的なことで,あとは間接事実みたいなものかなと思っております。どう書けばいいのか分かりませんけれども,現在の内容を確定することができないときはという表現ですと,細かいことは後で定めましょうねと言いながら終局性は持っているというような場合の契約の成立可能性がなかなか読み取りづらいのかなという感じがいたします。 ○松本委員 拘束力が発生していないと当事者間で考えられている場合として,二つを分けたほうがいいのではないかということをお話を聞いていて感じました。一つは民法のいわゆる冒頭規定的に言えば確定している,売買で言えば目的物と代金は確定している,しかし,それ以外の様々な条件があって,ここが決まらない限り,当事者間では契約確定とは言わないという前提あるいは事前合意で議論していて,あと,一点が決まっていないという場合です。それから,そこまでも決まったんだけれども,最後は来週,正式に書類で調印しましょうというような手続要件をもう一段,重ねるという場合と,この2つはタイプがかなり違うのではないかと思います。いずれも言ってみれば,当事者がそういう合意の下に契約締結交渉をやっているということが多分,前提になるのだろうと思います。 ○内田委員 法的拘束力という言葉の評判が悪いのですけれども,ややアカデミックな表現で,条文にそのまま書くのが適当な言葉かどうかは分かりませんが,ただ,これは別に比較法の結果どこかの国の法律から取ってきたとかという話ではなくて,日本の判例実務だと思うのです。   契約を成立させるに足りる合意らしきものがあるけれども,実は契約は成立していないという場合をどう規定するかという問題で,松本委員がおっしゃったような場面もあると思いますけれども,そのほかに,ある特定の物を給付するという合意はあるけれど,当事者はそれを法的な契約にするまでの意図は持っていないという場合,いわゆるカフェー丸玉的な,道義上の義務ではあるけれども,法的な義務とまでは言えないというような場面に,裁判所は法的な効力を発生させる合意とまでは言えないという言い方をして,契約の成立を否定しているわけです。そのことも表現したいということがあって,法的拘束力という言葉が使われているのだと思います。ですから,何か特定の物を給付するという合意があれば常に契約かというと,そうではないので,そこの拘束力の強さ,これは中田委員が言われた深度というのと関わるのかもしれませんが,それを表現しようとしているのだということも申し上げておきたいと思います。 ○中田委員 今の内田委員のカフェー丸玉事件なんですけれども,そうすると心裡留保との関係が出てきて,また,難しい問題があると思いますが,そこは切り分けるという発想ですか。 ○内田委員 それをこの条文で何か決着を付けようということではないと思います。ないと思いますが,現実問題として,心裡留保ではない合意はあるけれども,しかし,法的な拘束力を発生させる,つまり,契約を成立させる合意ではないという処理の仕方があるので,それに対応できる規律として想定されている,という趣旨です。 ○鎌田部会長 この「契約の法的拘束力を発生させることを合意する」という表現は,非法的な約束を除くということのほかに,先ほどの中田委員のお言葉でいう終局性みたいなことも意味しているわけですね,契約交渉の途中段階ではないという。 ○松本委員 今,おっしゃったのは契約の定義だと思うんです。英米法で契約とは何かという議論のところで出てくるのは,単なる合意ではない,合意の違反に対して一定の法的なサンクションが課せられるものが契約だ。だから,霞ケ関の駅で何時何分に落ち合いましょうというのは,約束であって守らないと,今後相手にされないというような不利益があるかもしれないけれども,別に法的な意味での契約ではないということです。それなら成立の話というよりは,定義のところで書いたほうがよほど分かりやすいと思います。成立でいくのなら,先ほど笹井関係官が一番こだわっておられるような,練り上げ型の契約というようなものについて,念のための規定を置くというのは一定の意味があるかと思います。 ○鎌田部会長 分かりました。いろいろと多角的な御意見を頂戴したところでございますが,これも事務当局で引き取って,更に検討を深めることでいいですか。では,そのようにさせていただきます。   大分遅くなりましたけれども,ここで15分間の休憩を取らせていただきます。           (休     憩) ○鎌田部会長 それでは,再開します。   続きまして,「3 原始的に不能な契約の効力」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「3 原始的に不能な契約の効力」では,履行請求権の限界事由が契約締結時点で既に生じていたため,債権者が当初から契約に基づく債務の履行を請求することができない場合の契約の効力について取り上げるものです。本文では,このような契約を一律に有効又は無効とするのではなく,給付の可能性について当事者がどのような認識を持ち,リスク分配をしたかという観点から決定するという考え方に基づいて,履行請求権の限界事由が生じていることから,直ちに契約が無効になるわけではないことを明確にすることを提案しています。このような規定を設けた場合には,契約が無効となるのは,錯誤その他の制度による無効原因がある場合になり,この規定自体が私法上の要件効果を定めたものではないということになりますが,そのような規定を設けることの意義があるかどうかを含めて御審議いただければと思います。 ○鎌田部会長 ただいま御説明いただきました部分について御意見をお伺いいたします。特に御異論はないと伺ってよろしいですか。 ○佐成委員 原始的に不能な契約の効力ということについて,経済界の中では,原始的に不能な場合というのは,実務では契約を無効にするというのが通常の取扱いであろうという指摘がございました。   それで,この御提案自体は,伝統的な解釈である原始的な不能は無効だという考え方を,必ずしもそうではないと,当事者の合意によって有効な場合もあれば,無効の場合もあると,そういうことを明らかにするという御提案だとは思うのですけれども,それだと当事者の合意内容を確定しないと,どちらになるか分からないという不安定さがあるということで,例えば,原則としては無効だけれども,例外的に当事者の合意で有効にできるといった書き方で提案されるのであれば,検討の余地はあるのではないかと,実務的にも受け入れる余地があるのではないかという意見がありました。要するに,冒頭に申し上げましたとおり,実務的には既に原始的に不能なものは無効だというのが,考え方としてはかなり定着した認識なので,それを180度変えるというのは,実務の連続性から考えると非常に厳しいというような指摘でございます。 ○道垣内幹事 その御見解はどのような事例を念頭に置かれていらっしゃるのでしょうか。 ○佐成委員 主に保険業界から出てきたものでございます。 ○道垣内幹事 第一読会か何かでもあったと思うのですけれども,保険業界において,例えば目的物が存在しない場合の損害保険契約が無効であると考えているというのはよく分かるのですが,それを超えて,実務において目的物がないときは契約が無効であることが定着しているというのは本当なのでしょうか。つまり,売買契約が締結されたところ,目的物がなかったというときは,無効だから仕方ないですよねというのが実務の安定した慣行なのだろうかというのは,私には極めて疑問な感じがするのですが,そうなのでしょうか。 ○佐成委員 私自身は,それについて具体的な事実を必ずしも十分に認識しているわけではございませんけれども,経済界の中で複数の業界さんが集まって議論をしている中で大方の方は,今,保険業界さんが特殊な事例ではございますけれども,表明された意見に賛同されて,そうだねというようなことをおっしゃっておったということでございます。ですから,全て保険業界を超えて,そうだったということでは必ずしもないかとは思いますけれども,少なくとも直近で議論している中では,多くの業界の方が,それが普通なのではないかというようなことをおっしゃっていたと思います。それから,私の前任の木村委員もかつて部会で同種の発言をされていたかと思いますので,そういう意味では実務ではそうではないかと。私が身近で知っている範囲では,そういうものが具体的にあるというわけではないのですけれども,経済界では恐らくそういう認識が一般的ではないのかというのが現時点での感触でございます。 ○深山幹事 原始的に不能な契約が無効であるというのは,教科書的にはなじみのあるところなんですけれども,実務的には,無効であることを当事者が認識しながら契約行為をするということは通常なくて,有効だと思っていたところ,後から考えてみたら無効ではないかという話になり,それが紛争になる場合というのは,一方は無効だと考え,もう一方はそうではないと考えている場合ですが,そのような場面が,実務的には間々見られるかと思います。   何をもって無効と考えるかという問題については,いろいろなケースがあるのであって,単純に教科書的に原始的に不能であれば無効ということを金科玉条のごとく維持するのもいかがなものかと思います。そういう意味では,提案にあるように当然には無効とはならないというのは,そうかなという気がするんですが,ただ,規定を設けるときにどういう規定がふさわしいかということになると,当然には効力が否定されないという規定ではほとんど意味がないわけで,抽象的にであれ,何かメルクマールなり,ポリシーなりがそこに表現されていないと,規定を置く意味がないということになろうかと思います。具体的にどういう規定がいいかという妙案はないんですが,規定を置く方向で検討するのがよろしいのではないかと考えております。 ○岡委員 弁護士会の多数意見は,一律無効としないでいいのではないかという意見でございます。ただ,弁護士の中にも一部,相応に,原則一律無効でいいんだという人がいます。結論は同じ,それほど変わらないはずだということをるる説明するのですが納得していただけません。別荘の売買契約を結んだところ,契約前に燃えてもうなかったと,そういう場合に両当事者の責めに帰すべからざる原始不能であれば,契約を有効としても,危険負担の法理で代金債務も当然消滅して代金請求も成り立たないし,家の引渡請求も成り立たないんですよと,結論は一緒ではないですかと言うと,その先生方からは,それを無効と言うんだよと,有効とした上で消えるなんて説明しないでいいではないかと反論されます。   いやいや,それは有効とした上で,両請求権の履行請求権がないとした上で,損害賠償等について契約に基づいて調整するほうが便利ではないですかと,いろいろ手掛かりがあっていいではないですかと言うと,いやいや,契約を無効とした上で不法行為なり,損害賠償で調節できるんだから,無効とした上で損害賠償で処理するというほうが絶対に普通の人に分かりやすいんだと,強くおっしゃる弁護士がかなりいます。だから,もう少し分かりやすく事例で説明をしてくれれば有り難いです。   有効だというと,では,原始不能の履行請求権が裁判所で認められるのとか,反対請求権も何か生きるのと,そういうふうな誤解にいくようでございます。だから,有効と扱うけれども,履行請求権も反対請求権も基本的には成り立たないし,履行利益と信頼利益で少し差があるけれども,信頼利益ではなくて履行利益賠償が認められる余地が出てきてむしろ便利になるんですよという辺りをうまく説明していただければ支持が広がるかなと思いました。 ○潮見幹事 直前の発言があったのでどうしようと思って聞いていたんですけれども,この頃の教科書では,原始的不能の場合にこれが有効になった場合にどのようになるのかは一般的に書かれていますので,弁護士の皆様もその辺りを参照していただければいいのではないかと思います。   ただ,この問題については先ほどから弁護士会の多くの意見もこれでいいというようなこともあり,深山幹事の意見も同旨かと思われます。私自身もこのような形での規定を設けることに意味があるのではないかと思います。この程度のものであっても,従来の原始的不能の契約は無効であるということが金科玉条のように言われていたことを変える,そのような考え方を採るのではないということを示す意味で価値が高いのではないでしょうか。もちろん,それにプラスアルファで意味のあることが書き込めるのであれば,それはそれに越したことはないので,この工夫は,事務局でやっていただければと思います。   要するに,ここの問題の核心は,給付が可能か不可能かということだけで契約の有効,無効が決まるのではないことを示すことではなかろうかと思います。先ほど笹井関係官からのお話にもあったとおりですし,また,直前の深山幹事の発言の中で,結局,原始的不能の場合の処置というものについては,当事者がそんな場合にどう考えていたのかということを個別の場合で考慮に入れて,その判断をしているんだという実務の考え方は,正しくそうではないかと思います。   私自身も,原始的不能の関係の実務については,いろいろな場面で具体的な事案に触れる機会がありました。そうした中で,実際にどう処理したらいいのかを考えるときに,単に給付が不能か,可能かというところだけで決めるのではなくて,それぞれの場面ごとに判断をして,その結果としては,個々具体的に,これはこうだ,これはこうだというような形で考えるのがよいということを多々経験しました。そのような経験も踏まえて申し上げますと,結局のところ,ここは事務局提案のような形にしておくということを強く希望します。 ○岡田委員 消費者契約の場合に,原始的無効のケースという判断自体がつかないという感じなので,無効の条文というのを消費者センターで使う場面というのはほとんどないのですが,補足説明のところの9ページのところを見ますと,有効にしたほうがむしろ履行利益があると書いてありますが,消費者側としては無効と有効といったときに,時効の期間のことがばっと浮かんでしまい,無効と決まっていたものを有効にして取り消し得るものにするということに関しては抵抗があるように思いますので,先ほど岡委員の発言にもありましたが一般の人に分かるように説明していただきたいと思います。   一方で,最近,私が聞いた事例で,例えば一度,出た個人情報を回収してあげると言って契約させたというのがありましたが,そのようなことは実現可能性がないと思えますので当然無効だろうと思うのですが,消費者センターで断定できるかどうか明確になりません。その辺では有効の場合と無効の場合があるとしてその場合にある程度明確に判断がつく形になれば有り難いです。 ○鎌田部会長 ほかにいかがでしょうか。内容的には正面から反対というわけではないということだと思います。あとは規定ぶりについて若干,御意見があるようですが。 ○松本委員 規定ぶりですが,当然にはその効力を妨げられないという書きぶりがいいのかどうかについて,私は話を聞いていて,契約締結時点で既に履行不能となっていたということのみを理由にしては無効にならないというぐらいのほうがいいのではないかと思います。つまり,それのみで無効になるわけではないと。今までの議論はそれのみで無効にしていたわけですね。ほかのことは一切関与させないで,履行不可能なんだからおしまい,無効と。しかし,例えば先ほどどこかで出ていた錯誤による無効だとか,あるいはそれが解除条件になっていた場合とか,いろいろな場合が当事者を取り巻く事情から考えられるわけですから,ほかの理由で無効になる,あるいは取り消し得るという場合は一杯考えられるわけで,それはそれで残っているということだろうと思います。 ○鎌田部会長 原始的に履行不能であることのみで無効になる場合というのもあり得る……。 ○松本委員 それには公序良俗違反とか,もう一つ,何か要るような感じがするんです。例えば月の土地を分譲しますという契約がありまして,登記まであるらしいんです。あれなんかは一種のジョークとして意味があると考えるのか,原始的に履行不能の契約なのか,それとも,いずれ将来,可能になるかもしれないと考えるのか,いろいろな考え方があると思うんですが,どちらかというと拘束力のない,先ほど出ていたような契約の法的拘束力を発生させるものとは考えられていない合意だという処理でいいのではないかと思いますが。 ○能見委員 私も提案としては原案にあるような方向に賛成なんですけれども,若干,危惧がないわけではない。ある場合には原始的に不能だという理由で契約の拘束力が否定できるという道があったほうがいいんだろうなと思っています。先ほどの月の土地の売買だとか,消費者を害するようないろいろな契約があり得ると思うんですけれども,もし,これが原始的不能を理由に無効にできないと,あとは,危険負担制度を残すのであれば,危険負担の債務者主義を適用すれば契約を無効にする余地がありますが,危険負担の制度がないと原始的に不能な契約であってもその契約を解除しなくてはいけないという場合が出てくる可能性があります。しかし,解除については契約で解除権行使の期間制限があったりして,一定の期間内に解除しないと解除できないなんていう契約になっていると,余り実害はないかもしれませんけれども,原始的に不能な契約がいつまでも存続するということになって,これも何か気分が悪いなという気がいたします。ということで,松本委員の御発言の中にあった公序良俗と関係するのかもしれませんけれども,原始的不能なものについて,契約の拘束力をストレートに否定できるような何か手段があるといいのではないかと思います。 ○山下委員 先ほどから唯一の原始的不能のルールがぴったり適当な結論に収まる場合というのが保険契約ということだったと思うのですが,これは合理的な理由があってそういう結論となるべきところ,たまたま,原始的な不能のルールでそれを賄ってきたかと思うのです。そのルールをやめるということになる場合に,契約で合意すれば従来どおりの処理ができるのか紛れがないようにしておけば,経済界からの問題点の指摘が保険業界からだけだというのであれば,そこら辺は対応できるのかなという感じがいたしました。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいでしょうか。   それでは,次に「4 債権債務関係における信義則の具体化」について御審議いただきます。事務当局から説明してもらいます。 ○笹井関係官 「4 債権債務関係における信義則の具体化」では,信義則に基づき講学上,付随義務や保護義務と呼ばれている義務があることを,条文上明示するかどうかという論点を取り上げるものです。(1)が,いわゆる付随義務を明文化することを提案するものであり,(2)が,いわゆる保護義務を明文化することを提案するものです。信義則などの一般条項を具体化するかどうかという論点は,この論点を含めて多くありますが,一般条項を具体化することについては,確立したルールはできるだけ法典に規定するという観点から支持する意見がある一方,その必要性に疑問を呈したり,弊害を指摘する意見もあります。そこで,一般条項を具体化すること自体について,どのように考えるかについても御意見を頂きたいと思います。その上で,付随義務や保護義務について規定を設ける必要性の有無や,(1)と(2)とを分けて規定することの是非についても御意見を頂ければと思います。   なお,この論点については,規定を設けることの要否は最終的に部会で決定することを前提に,規定を設ける場合の問題点や具体的な規定の在り方などについて,分科会で補充的に検討することが考えられますので,分科会で検討することの可否についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま御説明いただきました部分について御意見をお伺いします。 ○潮見幹事 1点,確認の質問をさせていただいてよろしいでしょうか。補足説明の15ページの上から7行目の受領義務のところですが,今回,ここでお示しになられているところからすると,信義則に従って受領義務が生じるということについては,ここのみならず,ほかのところでも規定は設けないという方向での御説明なのでしょうか。 ○笹井関係官 例えば売買について。 ○潮見幹事 そうではなくて,債権総論あるいは契約総論では,信義則に従って受領義務が生じるということを一般的に書かないのかという質問です。 ○笹井関係官 特にここで何か一つの結論を出しているということではありません。 ○潮見幹事 分かりました。もし,一般的な受領義務というものの規定を置かずにいるということになると,そもそも契約関係では受領義務が生じないのではないかとかいうようなことにもなりかねないですし,逆に契約関係において,信義則上,受領義務が生じるということについて異論がないということなのであれば,(1)とか(2)と併せて契約関係の中で信義則上,受領義務が生じる場面があるということを定めておいたほうがいいのではないかと思いまして,発言をさせてもらった次第です。 ○中井委員 4の規定を設けることには,基本的に前向きに検討していただきたいと思います。その関連で確認ですが,この規定は,契約の最初の段階を議論しているわけで,この後,不当破棄の議論もある,つまり,契約成立前の契約交渉段階における規律がこの後で議論されるわけです。4の射程ですが,「契約の当事者は」となっている,契約交渉の当事者はどうも入っていないようにも読めます。また,「債権の行使又は債務の履行に当たり」ですから,権利義務関係が成立した後の履行過程を専らターゲットにしているようにも読めます。つまり,契約成立前に債権債務関係に入ろうとする場面若しくは契約終了後もあるのかもしれませんけれども,後の処理の場面においても信義則は適用されるべきと思いますが,4の射程をどのようにお考えになっているのか。そこまでも射程には入るんだけれども,明確な段階というところで契約の成立した後の債権債務の履行に焦点を合わせて規定をしようというお考えなのか,その辺り,お教えいただければと思います。 ○笹井関係官 ここで資料の意図しているのは,付随義務であるとか保護義務と言われているものに,条文上の根拠を与えようということを提案することでございます。中井先生がおっしゃった契約交渉段階については,第2以降で検討することとしており,第1の4では契約交渉段階についてまで射程に含めることを考えているわけではございませんでした。契約終了後の余後効みたいなものをどう扱うかは,十分に詰めて検討したわけではありませんが,それもいわゆる付随義務の一つとして認められるんだということであれば,それは4の中に入ってくるのかもしれません。 ○佐成委員 4の(1)(2)ですけれども,経済界の中での議論の状況としては,(1)については,債権債務関係に絞って信義則を具体化するということには,余り賛同する意見は見られなくて,むしろ要らないのではないかという意見を非常に多く聞いております。それから,(2)につきましては,今,笹井関係官がおっしゃった保護義務ということなのですけれども,保護義務の法的性質が契約責任なのか,不法行為責任なのかということとは別に,こういう規定を設けることはあり得るという御趣旨だと思うのですけれども,効果面から考えたときにどうなのかということがあります。つまり,この補足説明では,こういった場面については,請求権競合で両者の効果がかなり近似してくるというような趣旨のことが書かれてあったのですけれども,必ずしもどこまで収束するか,微妙なところがあります。したがって,保護義務を真正面から書いても,そこら辺に争いが残る以上は,余り意味のある規定にならないのではないかという意見といいますか,指摘があったということでございます。 ○三上委員 金融界のほうでも,1条2項をもう少し高度化するためにというだけで,「契約をした目的を達することができるよう」と書いたところで,何か,変わった効果はあるのか疑問と考えています。少なくとも補足説明に書いてあることだけであれば,説明義務だとか,不法行為責任だとか,別の論理でも説明もできますし,わざわざ,こういう一般論を1条と別途設ける必要はないのではないかと思います。   特に(2)に関しましては,こういうものが具体的に認められる場合というのは,それぞれ特殊な場合ではないかと思っているんですけれども,こういうものが一般的に入ってきますと,例えば債権回収の場面においては,必ず相手方の財産その他の権利を害している部分が伴うわけで,金貸しが家や職場来るとか電話すること自体が周りに体裁が悪いとか,名誉や私生活の平穏を害してるとか,言い訳を与える項目になるだけではないかと思います。したがって,受認限度を超える部分が別の責任を引き起こすということは理解するわけですが,それは一定のレベルを超えたところに発生するのであって,こういうふうに利益を害しないというのがテーゼにきてしまうと,かえって誤解を与えるのではないかと危惧しておりますので,(1)にしても(2)にしても,わざわざ規定する必要はないのではないかと考えております。 ○高須幹事 弁護士会としては(1)のほうは,会議に参加した単位弁護士会の中では全て賛成でございます。(2)については若干の慎重論があったものの,ほとんどのところが賛成ということでした。私としても,債権債務関係における信義則の具体化という一般規定を設けるというのは,これまでの判例等の積み重ねの中である程度,実践されてきたところであろうと思います。三上委員が言われたように,確かに言い訳に使われるというところをどう考えるか,この点に対しての慎重な配慮というのは必要だと思いますが,それを踏まえた上で,しかし,大きな枠組み,方向性としては信義則の具体化の規定を設けるということは,今回の民法改正の中では,特に契約法の改正ということを旨とする今回の改正の中においては,大きなテーマであり,重要なことだと思っておりますので基本的にこのような規定を設けるべきだと思います。 ○道垣内幹事 実は三上委員の2番目におっしゃった問題がずっと気になっておりまして,このままだと100万円の金銭債権を行使するときに,100万円を取るということ自体が駄目であると読まれかねないという面があると思うのです。三上委員は削除説ですから,それだけを言えばいいんですが,私は入れるべきだと思っておりますので,そうなりますと,どういう文言にするのかが問題になり,先ほどからずっと文言を考えて発言を我慢をしていたのですが,まだ,よい文言は浮かんでいません。補足説明のところでは,契約利益以外の利益,例えば,というふうな書き方になっているのですが,これでは駄目かなと思っております。ただ,三上委員がおっしゃったこと自体は,正当なものを含んでおり,このままだと契約上の権利自体の行使にも影響を及ぼすような気がいたしますので,少し文言の修正が必要なのではないかと思います。 ○岡田委員 信義則に関して,このように具体的に書いていただくことを是非,お願いしたいと思いますが,今の意見としては(1)より(2)のほうが好ましいと思います。確かに利益を害しない配慮という部分に関して,逆の立場から見れば,何か懸念があるということであれば表現を変えていただくことは構いません。 ○岡委員 3点,申し上げます。   1点目は今の(2)の表現ですが,弁護士会にも同じような危惧を抱く人がいまして,例えばその他の利益を不当に害しないよう配慮しろとか,契約の趣旨に反して利益を害しないようにとか,何らかの工夫はすべきだという議論を弁護士会でしておりました。   2番目は(1)の信義則の書き方のところで,契約の趣旨とか当事者の属性,その格差のことを念頭に置いた当事者の属性というのも,ここに入れられないのかという議論がありました。ここは微妙なところで,余り書きすぎてもごちゃごちゃしますが,先ほどの山本敬三先生のように一番最初に解釈規定があれば,それでいいではないかという説も,そちらの原則で適用したらいいではないかという説もありましたが,信義則を書くときに当事者の属性というのをどの程度,表現するかという問題意識を申し上げておきたいと思います。   それから,3番目に,私自身がまだいまいち理解していないのかもしれませんが,(2)の安全配慮義務は,公務員の事故の昭和50年の最高裁判決から始まっておりまして,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った人について安全配慮義務があるとされています。雇用契約という契約関係がない微妙な人からスタートした判決ではありますが,それがかなりインプットされていますので,ここだけに置くと,せっかく最高裁が広く安全配慮義務を認めたのを契約当事者だけに狭めるのではないかと危惧される。それに対する手当が欲しいという意見がございました。その人が一弁の弁護士ですが,債権総論に置くのはどうかというような提案があったんですが,債権総論も何かしっくりこない,ただ,問題意識としては契約当事者だけではないところにも安全配慮義務はあるので,それをどうしたらいいかという問題提起をさせていただきます。 ○能見委員 私は,結論として(1)も(2)も文言はともかくとして,こういう信義則の具体化というのは書いたほうがいいと思っているんですが,今発言したいことはその先のことなのです。ここで,こういう形で信義則を具体化したときに,その義務違反というのを契約責任と考えるのか,不法行為責任と解するか,それともいずれとも決めないでまだオープンな問題だと見るのか,そこら辺の問題です。私としては,債権債務関係における信義則の具体化ということで認められる付随義務あるいは保護義務の違反というのは,契約責任として構成するという立場を明確にしたと理解するのが本当はいいのではないかと思っています。   ここは恐らく異論があるところだと思いますけれども,信義則上の義務違反を契約責任と根拠付けるのですが,それを前提としつつも,さらに不法行為責任も根拠付けることが可能かどうかは,また,別な問題です。少なくとも契約責任としては根拠付けられると,そういう理解をするのがいいのだと思うのですけれども,ただ,契約責任だと根拠付けると,あるいは付随義務,特に保護義務のほうかもしれませんが,その範囲が狭まる可能性があるかもしれないという危惧を持っています。狭まると言いますか,どこまでを保護義務と見るかというときに,これは契約責任としての保護義務なのでそれが認められる場合ないし範囲が狭まるとかいう問題はありはしないか。あるいは契約成立の前にもこの規定が及んでいくことになると,契約が成立してないのに,そこを契約責任として考えることはできるのかという問題にもなります。信義則上の義務を契約責任を生じさせる保護義務であるとすると,契約成立前にはこのような意味での信義則上の義務を認めるのは難しいのではないかとか,そういう議論につながっていく可能性もある。そこら辺をどう整理したらいいかというのはまだ,私自身,整理しておりませんけれども,問題点として感じております。 ○潮見幹事 能見委員の発言とほぼ同じなのですが,(1)(2),特に(2)については私も契約責任を基礎付けるための義務であると理解しました。その上でのことなのですけれども,これが不法行為の場面でどう展開するのかは考えなければいけない。そのときに,後で議論になると思いますが,結局,効果,属性面で保護義務違反という形で処理する場合と,不法行為という形で処理する場合とで差がないような形で,できるだけ工夫をしておかなければいけないのではないでしょうか。   その上で,先ほど何人かの委員がおっしゃっていたことですけれども,(2)を今のように理解しますと,契約の中に取り込まれる保護義務と,契約関係からは基礎付けることが難しい保護義務とをどう仕分けしていくのかをルール化するのには,かなり難しい部分はあります。しかし,これも現在の債権総論でいろいろな説明が出ておりますので,それを参考にしながら分科会とか事務局で分かりやすいルールになるような形で整理をして,書いていただければと思います。それは(2)のところで,補足説明ではいろいろと書かれていますが,その本意は笹井関係官が説明されたところにあると思いましたから申し上げたところです。   ついでに,一言。冒頭で申し上げました信義則上の受領義務ですが,個人的には一般的な規定を置いていただきたいなと思うところがあります。 ○笹井関係官 潮見先生がおっしゃったのは,契約総論のところでということですか。債権総論のところでということですか。 ○潮見幹事 債権総論を設けるか,契約総論を設けるかというのは決定済みなのでしょうか。 ○笹井関係官 いいえ,そこは決定済みではないと思います。 ○潮見幹事 決定済みではないですか。それでは,どちらもありではないでしょうか。少なくとも契約総論に置くという可能性はあるのではないでしょうか。 ○山本(敬)幹事 能見委員及び潮見幹事の御意見とほぼ重なっているのですが,まず,(1)と(2)があって,(1)については部会資料を拝見しましても,信義則の中身を明らかにするために,「契約をした目的を達することができるよう」というのを入れてはどうかという御提案で,私もこれは賛成をしたいと思います。と言いますのは,契約上の義務として認める以上,契約とのつながりを何らかの形で設定する必要があるのではないかと,かねてから思っていました。このような形でそれが実現できるのであれば,適当ではないかと思った次第です。   そうしますと,問題は(2)のほうで,先ほどの御発言等とも関係するところなのですが,相手方の生命,身体,財産その他の利益を害しないようにすることは,それ自体としては,別に契約当事者に限らず,当然に認められるべきことでして,だからこそ,不法行為責任が基礎付けられるわけです。それとは別に,わざわざ契約当事者について,このような保護義務に当たるものを定めるとするならば,難しい問題は置いておくということもあり得るかとは思いますが,わざわざ定めるのであれば,これは契約上の義務,そしてまた契約上の責任を基礎付ける規定としての意味を持つというほうが素直で,理解しやすいのではないかと思います。   もしそうだとしますと,一方で,このままでもよいという立場が理論的にも実践的にもあり得ると思いますが,他方で,契約上の義務としてこのようなものが認められるというのであれば,(1)と同じように,契約とのつながりが付けられるのが望ましいという考え方もあり得ると思います。先ほど岡委員が指摘されたのも,これと関わると思います。例えば医療契約や雇用契約,あるいは学校契約,幼児保護委託契約,さらに運送契約,警備保障委託契約などなど,そのような契約は正に相手方の生命,身体,財産等が害されないことが契約上当然に要請されている場合だろうと思います。だからこそ,保護義務が特に認められるべき場合だと考えられます。   そして,潮見幹事がおっしゃるように,不法行為責任として構成しても,契約責任と構成しても,基本的な効果はできる限り変わらないようにすべきだというのは全くおっしゃるとおりなのですが,それでもなお違いが残るかもしれないところがあります。例えば履行請求ができるかという問題は,契約上の義務であれば,履行請求が比較的簡単に基礎付けられるだろうと思います。そういうことを考えますと,仮に(2)で規定するとするならば,岡委員の御指摘に乗ってしまうわけではないのかもしれませんけれども,例えば「契約の趣旨に従い,相手方の生命,身体,財産その他の利益を害さないように配慮しなければならない」というような形で定めるということも,一つの方向として考えられるかと思った次第です。   さらに,潮見幹事に倣って一つだけついでに付け加えますと,生命,身体,財産というのは,私の感覚では「権利」であって,何か「利益」ではないということも指摘しておきたいと思います。 ○鎌田部会長 履行請求ができるかどうかというのも関心があったと思いますが,山本敬三幹事は履行請求ができるという前提……。 ○山本(敬)幹事 できるとする規定として意味を持たせることも,考え方としてはあるという趣旨です。ただ,そこまで考えずに,最低限の救済としての損害賠償責任を基礎付ける義務として規定を置くこともあり得る立場です。これは効果をどう考えるかという問題で,それとして議論すべき事柄だと思います。 ○中田委員 私も信義則を具体化する規定を置くということについては賛成です。その上で,まず,(1)で「契約をした目的を達することができるよう」という表現は,ちょっと分かりにくいのではないかと思います。契約と結び付けるという山本幹事の御意見には賛成なんですけれども,契約をした目的と申しますと,それは契約の類型によって決まるのか,それとも当事者の主観によって決まるのか。主観だとすると,どちらの当事者の主観なのかという問題があります。それから,契約をした目的というのはほかの場所でも出てくる表現でありまして,今回の案でどうなるか分かりませんけれども,瑕疵担保ですとか,複合契約の解除とか,そういう場面での表現と,ここでの表現がどういう関係に立つのかということを整理する必要があるのではないかと思います。   それから,(2)につきましては契約解釈によって導かれる義務を狭めることにならないかということが若干気になります。取り分け山本幹事は履行請求まで認めるということを,しかも,それを信義則から導こうということですけれども,むしろ,それは契約解釈によって契約上の義務として構成できるのではないか。それを信義則のほうをやたら広げてしまうと,解釈の役割が減ってくるのではないかという気がいたします。同時に,そのことは契約当事者外の関係の規律をどうするのかということとも関係してくるわけでして,契約当事者間では契約解釈でできるはずなのに,あえて信義則についての規定を置いて,それ以外については置かないということになると,何か全体としてバランスがよくないのではないかなというふうな感じがいたします。 ○中井委員 私も,是非,規定は具体化していただきたいと思っています。最初の質問の関係で申し上げると,(2)は少なくとも契約成立後だけでは恐らくないはずだろうと思いますので,契約締結関係,交渉関係に入った後,一定の類型で保護義務が生じるのではないかと思いますので,それが漏れないような形でワーディングができないかと期待をしております。   (1)については,先ほど例えば山本敬三幹事がおっしゃられたように,契約との関連付けということを強くおっしゃられておりまして,付随義務というのは基本的にそうなのかなと思います。しかし,これも最初に挙げているマンションの例で言うならば,契約締結前から機能する考え方ではないかと思いますので,いずれも「債権の行使又は債務の履行に当たり」というのが,契約に基づく債権,契約に基づく債務だろうと思いますが,そこの限定の仕方を何とか工夫できないものかと考えております。対案があるわけではございませんが,その辺も含めて御検討いただければと思います。 ○三上委員 (1)(2)について何らかの規定を置くことに賛成する意見が多いので,もう一度,よく文言を考えていただきたいということで言わせていただきますけれども,敵対的買収を掛ける側と掛けられる側の双方と取引があって双方から金を貸してくれと依頼があるとします。別に敵対的買収イコール悪ではない。防衛で対抗することも別に悪ではない。どちら側の信用にも問題はないというときに,融資取引自体は,委任のような善管注意義務だとかフェデューシアリー・デューティーを伴うものではありませんから,利益相反等の問題はない。そうすると,双方にお金を貸していることそれ自体は,少なくとも法律的な非難には値しないだろうと私は思っているわけです。道義的云々で,こういうときにはどちらにも貸さないのが中立だなどと言う人もいますが,どこからでも金を調達できる強い会社と,メイン銀行に資金を依存した会社がある場合には,どちらにも味方しないということは間接的に前者の味方をしていることになるという問題もあるわけで,その辺はある程度,割り切って行動しなければならない場合も多いわけです。そんなときに,「契約をした目的を達することができるよう」などという曖昧な表現があると,相手の会社を買収するためにお金を借りているのに,防衛する側に貸すことは「目的を達することができるよう」に反しているではないかという法的非難につながりかねない。しかし融資者の立場からは言われなき批判です。   先ほど(2)に関しては,かなりこの文言だと広すぎるという意見が出ていたわけですけれども,(1)についても今のような疑念を払拭する文言は非常に難しいのではないかと思います。安易に解釈できるような曖昧な言葉を入れられると,実際に取引している場に支障が出てくることがあると,極端だったかもしれませんが,際立つ例を一つ挙げさせていただきました。 ○松本委員 今,三上委員がおっしゃったことは,恐らく金銭消費貸借における目的というものと売買契約における目的というもので,大分,スパンが違うのではないかと。つまり,金銭のというのは非常に普遍的なものだから,何にでも使えるという性質から目的に入るものが大変広くなるという意味で,ちょっと特殊な状況があるのかなという印象を受けています。   もう1点,本来,発言したかったのは,潮見幹事が2回にわたって発言された受領義務との関係です。先ほど前半の議論で債務の一方的な免除が不当な場合があるという例として,芸術的パフォーマンスを行うという債務を負っている場合に免除されると,パフォーマンスを公衆に見てもらうという利益が害されるという議論が出ましたが,これは合意構成でいくと,免除に同意しなければ債務は存続する。となると,次のステップは債務を履行させろというところまでいかないと,一貫しないということになると思うので,そうなると,受領義務ないし受領強制が認められるべき場合だということになってきます。   本来であれば,それを債権として構成すればもっと分かりやすいわけだけれども,債務として構成しておいて,なお,債権に近いようなものにするのはいかがなものかという議論が,他方,当然,出てくると思うんです。従来,受領義務というと例の最高裁の昭和46年の硫黄鉱石の引取に関するものが典型だったわけで,それはそれでいろいろな事情から十分意味があるわけでしょうが,今のような芸術的パフォーマンスをする義務というものも受領強制になじませるのが果たしていいのかという辺りの議論もする必要があるのではないかなと思います。 ○森幹事 今までの議論を拝聴しまして感じたことを一つだけ申し上げますが,この規定はほとんど今の1条2項と変わらない。これをわざわざもう一回,規定することの意味がどこにあるのかというふうな観点から私のほうはいろいろ聞いておりましたが,私が理解したところでは余りシンボリックな意味とか,メッセージ性とかいうふうなものを超えたものがあるかどうかというところが若干,疑問を感じております。1条との違いとして,「契約をした目的を達することができるよう」という言葉が入っているんですが,その言葉もどういう意味なのかということで,むしろ,入れないほうがいいのではないかというふうな議論も賜っているところでございます。そういうことを踏まえまして私の個人的な考え方なんですけれども,この規定を置くことによって1条2項とどういう違いが出てくるのか,どういう意味があるのかというふうなことを具体的に,そういう方向から引き続き検討したり,議論していかないといけないのではないかと,そんなふうなことを感じましたので,そこだけ申し上げておきます。 ○潮見幹事 今の森幹事の発言に対して1点だけ,この規定を置くということは単に1条2項というものを具体化するということだけではありません。むしろ,契約規範,あえて契約の場面に限りますけれども,契約規範の内容というのは一体何なのか,そこで単に約束した給付を履行したら,それで義務は尽くしたと言えるのか,それ以外のことを債務者が負っているのではないかということを明らかにするという意味があるのではないでしょうか。シンボリックとおっしゃられましたけれども,正にシンボリックなところにこそ意味があるのではないかと私は理解しております。その意味では,1条2項があったとしても,なお,ここにこの種の規定を設ける価値は高いと思います。 ○鎌田部会長 初学者的な感想めいたことを言えば,信義則の具体化というときに,今の議論のように,信義則はこの場面ではどういうことに配慮して適用されるべきかというのをできるだけ具体的に提示していくというのも信義則の具体化なんでしょうが,もう一つ,信義則の役割として,新たに生成してくる権利や何かに明確な条文上の根拠がないから信義則に頼っていた。それがかなり定着してきて権利内容等が明確になってくると独自の法理として確立すると言われてきたように思います。その辺のところとの関係で(2)には「信義則に基づき」という言葉が入っていないから,これは信義則上の義務ではなくて民法上の独立の義務として規定しようという,そういう趣旨なのかなというふうなことも思ったんですけれども,(1)も(2)のほうも,これは契約総則に書いてあっても信義則上の義務であると,こういう性格付けをするというのが共通の理解なんでしょうか。   御発言の中には信義則上の義務なんだから,これの違反は不法行為になるかもしれないというふうな御発言も一部にはあったかのように思うんですけれども,信義則上の義務であることを前提にして,それを具体的に書いているだけなのか,信義則を通じて形成された新しい契約上の保護義務というものを明確に民法上,契約法上の義務・債務として規定しようとしているのか,それはどっちなのでしょうか。それが,履行請求ができるかどうか,債務不履行責任かどうかという問題にも延長線上で関係してくるかと思っていたんですけれども,それについてはどんな考え方なんでしょうか。 ○佐成委員 私が発言するというのはふさわしくないかもしれないのですけれども,先ほど(2)のところで不法行為責任か,契約責任かの争いが残る以上,意味のある規定は作れないという趣旨のことを申し上げましたが,今までずっと議論を聞いていた中では後者,即ち,契約上の保護義務を明確に規定しようという議論の方向性だろうという認識で私はおりまして,もしそれなら場合によっては意味があるのかなと思い直しました。要するに信義則の具体化ではなくて,契約責任として明確に位置付けるということであれば,もちろん,不法行為責任としての保護義務を否定するということでは全くないという前提ですけれども,契約責任としての保護義務というものを明確にできるのであれば,それはそれなりに意味があるのかなと聞いていたところなのです。もとより経済界の中で一般的にそれに賛成しているというわけではなくて,飽くまで議論をお聞きしていた範囲ではそういう方向性であろうと私は認識しました。 ○鎌田部会長 事務当局,何かありますか。なければ,特段の御発言は必要ないですけれども。 ○笹井関係官 鎌田先生の大変難しい問題に対して,私が今,お答えできることは余りないのですが,ここで「信義則の具体化」と表題を付したのは,民法上の規定が何もないこともあって,従来の裁判例が何か義務を認めるときには信義則が援用されておりますので,そういった裁判例なり,あるいは学説なりで認められている実務をそのまま,ここに書こうということで信義則という言葉を使ったということです。ただ,規定が具体的に生成していくと,経緯としては元々信義則があったとしても,それが具体的な要件効果を備えて一つの法理に昇華した場合には,もはやそれを「信義則の具体化」という必要はないのかもしれません。 ○松本委員 ここの12ページの4ですが,その次に17ページから「契約交渉段階」のまた似た議論が始まるわけです。契約締結後の話と契約締結前の話で,前のものについては確かに契約はまだ成立していないんだから,信義則上の義務というのは不法行為上の義務だというのがかなり有力な考えで,裁判所もどちらかというと,そういう考え方のほうが強いと思うんですけれども,契約締結後の段階でこういう信義則の具体化規定をもし入れるのだとすれば,それはもう契約責任の一環,契約上の義務として整理するほうが分かりやすいと思います。不法行為の特則をこんなところにわざわざ入れる必要はないので,それなら不法行為のほうに整備すべきだと思います。 ○鎌田部会長 先ほど森幹事からの御質問に潮見幹事がお答えくださいましたけれども,ほかに実務界から何か御意見があればお伺いしておきたいんですが。 ○深山幹事 結論的なことだけですけれども,既に御発言もあるとおり,判例実務で蓄積されている付随義務とか保護義務と言われているものについて,実体法上の根拠規定を置くということ自体に私は十分な意味があると考えますので,現行法の信義則の総則規定とは別に,契約当事者間の契約上の責任・義務として,本来的な債権債務のほかに,付随的な義務と称されるものがあるということについての実体法上の根拠規定を置くべきではないかと考えます。 ○内田委員 深山幹事のただいまの御発言とか,他の方々の(1)について明文化をサポートする御意見は非常によく理解できたのですが,他方で,森幹事から,結局1条2項と同じことを表現しているように読めるとの指摘がありました。確かに文言上はそう読める面があると思うのですね。そこで,結局,表現したいのは付随義務だということであれば,それをストレートに書くという余地があるのかどうかについて感触をお伺いできればと思います。「契約をした目的を達することができるよう」という表現については,中田委員からも余りよくないという御指摘がありましたけれども,しかし,契約をした目的を達することができるように,明示的に合意した権利義務とは別に必要な付随的な義務を負うというような,文言は全く暫定的なものですけれども,そういう趣旨のことを書いて,「信義に従い誠実に」という1条2項をそのまま繰り返すのではない,もう少し何か新たな言葉を加えた条文にする余地があるのかどうかについて,少し感触をお伺いできればと思います。 ○松本委員 今の御指摘との関係では,(1)とか(2)に反する行動を債務者なり,債権者なりが行った場合に,どういうサンクションが与えられるのかということをきちんと書くことによって,単なる1条2項の一般の信義則と具体的な違いが出てくるのだろうと思います。学説的には恐らく債務不履行のタイプとして整理している説が多いわけですから,はっきりとこれに違反をした場合には債務不履行の責任を負うんだということまで書けば,かなり積極的な意味があると思います。それ以上,履行請求までできると書くのかどうか,その辺はなかなか難しいところがあると思います。雇用契約だと安全配慮義務の履行請求もできるという説がかなり有力だと思いますが,契約全般において保護義務を実現するための履行請求まで認められるのかというのは,議論があると思います。 ○高須幹事 今の内田先生からの御指摘のような形で,明確に弁護士会で議論してきたわけではありませんので,飽くまで,私個人の見解ということにはなるのですが,実務的に訴訟等でこの規定が問題になるということを考えたときには,信義則のような表現的なものよりは,より付随義務というような形で明確化されたほうが,主張する側にしろ,守る側にしろ,戦いやすいという面はあると思いますので,そういう意味では,規定の明確化ということにはつながると思いますし,実際の裁判ではそこがポイントになるわけで,信義則という言葉だけを幾ら繰り返しても,その中身がないと言われてしまえば,それきりなわけですから,そういう意味では,ストレートに今のような切り口を持つということは,魅力的な考えではあると思っております。 ○中田委員 ただいま内田委員が明示的に合意したもの以外にも,付随義務を設けるという規定を置いてはどうかということですが,そうしますと,給付義務と付随義務との関係はどうかという議論になってきて,これは御専門の潮見幹事からいろいろお教えいただけるかと思いますが,私が気になりますのは契約解釈との関係でございます。明示的に合意したもの以外にも契約解釈によって導くことができるのではないか。そこを押さえて信義則に置き換えるということがどういう意味を持つのかというのは,もう少し検討する必要があるかなと思っております。 ○内田委員 信義則という言葉は使わない。 ○中田委員 失礼しました。明示的に合意したもの以外に付随義務を置くという言い方をすると,給付義務と付随義務という用語法のように聞こえてしまうのですけれども。 ○内田委員 給付義務という言葉も使わないのです。何が給付義務かについて争いがあり得るので,それも使わないで,明示的に合意したもの以外でも,契約目的を達成するのに必要な付随的な義務を負う。それ以外に更に契約解釈で何か義務が出てきたとしても,それは別に排除するものではないと思います。 ○中田委員 付随的義務という言葉がどうしても給付義務との連関で理解されがちではないかということですが,内田委員としては給付義務,付随義務との関係とは切り離したお考えということですね。 ○内田委員 そうです。ドイツ法を輸入し,翻訳をした日本では給付と付随という対比をしますけれども,ほかに国では付随的な義務ということをドイツ的な給付義務を想定せずに使う例もありますので,そういう給付義務との対比ということから離れて使えないだろうかということなのです。 ○中田委員 その場合には契約解釈によって導かれる義務とは別に,法定の義務があるということでしょうか。 ○内田委員 契約解釈でもっと広い義務が生ずることは排除はしないけれども,契約目的を達成するのに必要な限りでの付随的な義務は当然に負うのだということを明示するということだと思います。ただ,そんな規定に意味があるのかどうか分かりませんけれども。 ○三上委員 今の議論の関係で確認なんですけれども,今の提案は信義則の具体化というところから来ていますから,原則,強行規定のようなイメージで規定されておられるのか,あるいは先ほどから私が懸念しているような点について,国際契約で言うところのエンタイア・アグリーメント条項,つまり契約書に書いていないことは一切,当事者間に法的拘束力ある合意はありませんと書けば,排除され得るような権利も含んでいるのか,どうなのでしょうか。   もし,合意でもって意図的に排除できるものであれば,それを含めるためにわざわざこんな規定を設ける必要はないのであって,また,合意でもって排除し切れないような信義則上の義務だというのであれば,もっと狭い表現になるはずだろうと考えます。私は,エンタイア・アグリーメント条項があっても,なお出てくる義務の範囲の話をしているという理解でいたんですが,強行法規的な部分を議論しているということでよろしいんでしょうか。 ○内田委員 どのくらいの強行規定にするかというのは,これから議論することだと思いますが,私のイメージとしては当事者が明示的に排除すれば,それは有効ではないかと思います。明示的に合意した義務以外のものが契約解釈を通じて,当事者の合意内容として導かれるというは,全く排除されてはいないという理解の上で,しかし,明示的に合意したもの以外でも,付随的に目的達成に必要な義務は当然負うということを書き,ただ,当事者が合意の中で明示的にこういう義務は負わない,あるいはこれしか負わないということをはっきり定め,それが不当条項とされるような合意ではなく有効な合意であるとされるのであれば,私はその合意は有効ではないかと理解しています。 ○道垣内幹事 合意がある場合とない場合と分けて伺いたいと思うのですが,まず,排除合意がない場合には,契約をした目的を達するために必要な行為義務は,全て債務者が負うのかというと,そうではないと思います。そこには一定の制約があるのであって,今までは信義誠実という言葉で限界を画してきたのだろうと思います。信義誠実という言葉自体が良い悪いという問題はありますけれども,目的を達することができるようにするための付随義務というのは負うのだと書いてしまうのは,広すぎるのではないかと思います。   さて,そうしますと,次に,三上委員がおっしゃったような,これ以外の義務は一切負いませんと書いている場合はどうなるのかといいますと,私は内田委員と微妙に違いまして,何らの義務も契約に書かれている以上には何らの義務も課されないとは,必ずしもならないのだろうと思います。しかし,それは,当該契約における信義誠実とは何なのかというときに,当該契約においては両当事者のリスク分配を図るために,義務は文言的にこの範囲に限定しているのだということを考えながら,しかし,そこには更に契約解釈の問題が生じてきて,字面にもかかわらず,なお,信義誠実に基づいて行動するのだというルールに従って,微妙ににじみ出てくる部分はあるのだろうと思います。したがって,三上委員に賛成するところと反対するところとがあるのですが,付随義務が,当該契約関係において信義誠実の観点から出てくるものに制約されるという必要があるのではないかという気がします。   さて,そうしますと,信義誠実という言葉を使って,1条2項と基本的に同じにするのかということになります。この点では,全く思い付きのレベルを出ないのですが,1条2項というのは「行わなければならない」という受け方をしているわけですね。今回の4の(1)というのも「行動しなければならない」という受け方をしているのですが,中田委員が先ほどからずっと気にされている契約の解釈の問題も含めて考えますと,結局,契約当事者の義務を設定するに当たって,契約目的を達するというゴールを背景にしながら,信義誠実の原則に従って義務内容が設定されるという書き方は,可能なのではないかなという気がしております。ただ,最後に述べたことは全くの思い付きでございます。 ○鎌田部会長 ありがとうございました。   いろいろと御意見を頂いて,ますます難しくなった感じがしなくもありませんけれども,事務当局の御提案としても規定を設けることの要否は最終的に部会で決定することを前提に,規定を設ける場合の問題点や具体的な規定の在り方などについて分科会で補充的に検討することとしてはどうかという,こういう御提案でございますけれども,この御提案に従うということでよろしいですね。あと,同時に事務当局からはここでの問題を超えて,一般条項を具体化すること自体について,どのように考えるかというふうなもうちょっと幅広い御意見があれば,それもこの機会に伺っておきたいというふうなお話が最初にあったかと思うんですけれども,今までの議論以上に何か付け加える御意見があれば,お出しいただければと思います。よろしいですか。それでは,また,機会がありましたら御発言を頂くということにしまして,先に進んでよろしいでしょうか。   続きまして,「第2 契約交渉段階」について御審議いただきたいと思いますが,まず,取りあえず,1についてだけ事務当局から御説明を頂きます。 ○笹井関係官 「1 契約交渉の不当破棄」では,契約交渉の破棄が原則として自由であることを明文化するかどうか,例外的に信義則に反する契約交渉の破棄によって損害賠償責任が発生するというルールを明文化するかどうかという問題を取り上げました。後者は信義則の具体化という性格を有する論点です。(1)では,交渉についての基本原則として,交渉を自由に破棄することができることを明文化することを提案しています。これについては,このような規定を設けることの意義について御意見を頂ければと思います。   (2)は(1)の原則に対する例外として,契約交渉を破棄したことによって相手方に生じた損害を賠償しなければならない場合があるということを明らかにしようとするものです。その代表的な類型として,アでは,相手方が契約の成立を信頼するに至ったのに,当事者が合理的な理由なく契約の締結を拒絶した場合を挙げ,これ以外にも信義則に反する対応での交渉破棄があると考えられることから,イでバスケットクローズを設けることを提案しています。(2)は信義則の明文化という性格を有する論点ですので,一般条項の具体化についてどのように考えるかという問題に遡って,契約交渉の破棄等について信義則を具体化する必要性や意義についてどのように考えるかについても御意見を頂ければと思います。また,この論点については,具体的な規定の在り方などを分科会で補充的に検討することも考えられますので,分科会で検討することの可否についても御審議いただきたいと思います。 ○鎌田部会長 それでは,ただいま御説明のありました部分について御意見をお伺いします。 ○大島委員 中小企業の取引においては,大企業との交渉力の格差から契約交渉段階で交渉が中止され,不利益を被るケースも考えられますので,明文化には賛成をいたします。しかし,部会資料の文言では,現行の信義則上の注意義務違反と比較して,責任が認められる範囲を厳格化していると認められますので,中小企業にとっては大企業に対して責任を取りづらくなる懸念がございます。信義則の注意義務違反よりも責任が認められる範囲が狭まらないよう,文言等の御検討をよろしくお願いしたいと思います。 ○鎌田部会長 これは主として(2)のほうの問題,(2)の要件立てですかね。 ○大島委員 そうです。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。 ○沖野幹事 先ほどの発言の繰り返しにはなりますが,(1)を置くことについて,契約交渉の不当破棄に対する責任といっても,それは本来は契約自由ということからすると,締結をするかどうかの判断や意思決定は,当事者の自由であるという原則が明記されるべきだろうと思います。その根底には契約自由ということがあって,それが交渉のレベルにおいて,その段階で出てくる原則が(1)で,それが明記されて,そして(2)へつながっていくという構造ですし,これまでの基本的な一般的な考え方としても,まず,例外から書く,あるいは例外だけ書くということはむしろ避けて,何が原則かということを明確にしていくという点からすると,(1)のような規定も併せて置くことが望ましいと思います。   それから,(2)については信義則上の注意義務より広いのか,狭いのかということですが,先ほどの説明ですと,イがバスケットクローズで,これが信義則に違反した交渉行動や破棄ということですので,これがバスケットになっている以上は,ここに明らかになっているのではないかと思います。ただ,信義則に反してというときに,どういうことを考慮して信義則違反を考えていくのかという考慮要素が,アですと交渉の経緯とそれから相手方がどういう信頼をしたか,それが合理的かということが一つの例示として挙げられているんですけれども,しばしば出てきております当事者の属性ですとか,そういったことを考慮しなくてよいか,もう少し考慮要素を挙げなくていいかという点はワーディングの問題かもしれませんけれども,考える余地があるのだと思います。 ○鎌田部会長 ほかの御意見はいかがでしょうか。 ○岡田委員 相談員の間では,不当破棄というのがインパクトが強すぎて猛反対だったのですが,ここの(1)が加わったことによって適正に理解される可能性が高まったように思いますが,(2)の確実であること,通常考える場合とか,信義則に違反した場合とか,補足説明の内容をより鮮明にしていただきたく思います。そうすれば相談員の賛同も受けられるように思います。 ○鎌田部会長 ほかにはいかがでしょうか。 ○佐成委員 (2)についてですけれども,アのところに「合理的な理由なく……拒絶したとき」と書いてあって,これについて「合理的な理由なく」というのは,中身自体はそれほど異論はないかとは思うのですが,それを相手に明示できないというか,明示するのをはばかられるような場合が実務上あります。それであっても,合理的理由を明示しない限り不当破棄とされてしまうというのでは,裁判になって実態が明らかになれば,また,話は別なのでしょうけれども,裁判以前の段階で相手から不当破棄だと主張されるということについては,非常に懸念を表明している業界の方がいらっしゃいました。それと,基本的にイはバスケット条項ということであれば,アについてはそういったような意味で懸念を述べる方もいるので,イだけあればいいのではないかといった御意見の方もいらっしゃいました。ただ,全体的に賛成というわけではなくて,そういったような意見があったということでございます。 ○高須幹事 弁護士会の状況でございますが,基本的には(1)と(2)を合わせて賛成の方向が多数でございます。(1)に関しては反対もないわけではありませんが,賛成が大多数でした。(2)については結局,表現の在り方というか,あるいはもう少し書き込むかというようなこととかがあって,このままでいいかどうかに関しては,いろいろな意見が出たところではございますが,基本的にはこの種の規定を設けるということについては賛成のほうが多いという状況です。   ほかの要素も書き込むかどうかというのは,今,既にお話がいろいろ出てまいりましたように,当事者の属性とか契約の性質というようなものを考慮するのかどうかというような指摘ですとか,あるいは岡田委員から出ましたように,消費者の問題についてはまた別な考慮が必要になるのかもしれないとか,そういったようなことの指摘が出ておりまして,もう少し,この書きぶりについては検討したいところかなということでございました。   私個人としても,この種の規定を設けることは基本的に賛成でございまして,契約責任という問題について,今回の改正の中ではある程度,充実してきて置いておくということは意義のあることではないかと思っております。 ○中田委員 私もこのような規定を置くことは賛成ですが,その上で,2点,申し上げたいと思います。まず,(1)で「交渉の開始,継続」というのが入っていて,それによって相手方に生じた損害の賠償責任は原則としてないんだというのですが,そうすると,例外的に交渉の開始,継続による損害賠償責任はあるかのようにも読めて,それと(2)で書いていることとの間に隙間がないだろうかということが気になっています。恐らく(1)は巻末の資料のカタラ草案とユニドロワの規定を交ぜて一つにしている結果,分かりにくくなっているのではないかと思いますので,整理したほうがいいかなと感じました。   それから,もう一点は,今までこの種の問題で考えられてきたのはマンションの売買契約とか,単発の契約についてだったと思うんですが,継続的な取引がある場合についても,この規律が及ぶのかどうかということを検討しておいたほうがいいかと思います。また,継続的な契約の更新段階においても,更新後の次の時期の契約を結ぶについても,この規律が働くのか,働かないのか,そこも詰めておいたほうがいいかと思います。 ○松本委員 岡田委員の消費者からの危惧との関係なんですが,不当破棄のことしか書いていないというところに問題があるのではないかと思います。交渉開始を不当に強要する,あるいは交渉からの離脱を不当に妨害するという行為によって,消費者が損害を被っているケースは一杯あるわけで,破棄だけではなくて,交渉のほうに縛り付けることも信義則上,許されないんだという趣旨の文言をどこかに入れるというのが,特に格差者間契約を考えると適切ではないかと思います。信義則上,そういうことをするのも問題があるんだと。交渉を破棄するだけではなくて,交渉に縛り付けるという不当拘束,交渉過程への不当な拘束をしてはいけないと。言ってみれば,交渉を打ち切る自由があるんだと,交渉しない自由もあるんだということをはっきり宣言する。それを一方当事者がさせない場合は信義則上,責任を伴うんだと。 ○中井委員 弁護士会の意見は,先ほど高須幹事から説明があったとおりです。(1)のところですが,今の松本委員,その前の中田委員の発言もお聞きしてですけれども,(1)について疑問を持っております。沖野幹事がおっしゃられたように,これは最初の契約を締結するかどうかの自由の一場面ではないかと思っていまして,これを開始,継続,破棄の各段階に応じて検討していくと,今のような松本委員のお話にもつながっていって,より詳細に規定化していく方向が考えられるんですけれども,結論としては契約を締結する義務を負わないというのがポイントではないかと思います。そこに絞って契約の当事者は原則として契約を締結する義務を負わないということをうたっておくことが重要で,また,それで足りるのではないか。書き方としても賠償する責任を負わないというよりは,(2)と平仄を合わせて賠償責任というような形で規定されたのかもしれませんけれども,義務という形で規定するほうが分かりやすいのではないかと思いました。   それから,(2)については,消費者関係の皆さんから逆適用というか,岡田委員,松本委員がおっしゃられたようなことに対する懸念が強く言われておりますので,考慮要素として交渉の経緯のみではなくて,両当事者の属性というのを入れる必要があるのではないかという意見です。 ○山本(敬)幹事 先ほどの松本委員からの御指摘があって,少し確認しておいたほうがよいかもしれないと思うことがありますので,発言させていただきます。  (2)のイがバスケットクローズであって,これで受け止めるということなのですが,書き方としては「アに掲げる場合のほか,当事者が信義則に反して交渉を行い,又は破棄したとき」とあります。ということは,破棄した場合だけではなくて,信義則に反して交渉を行った場合がこれで受け止められている。つまり,表題は「契約交渉の不当破棄」なのですけれども,必ずしも不当破棄の場合に限らない,交渉過程における信義則違反をこれで受け止めようという提案なのかなと思いました。   そして,実際,部会資料の20ページの4の(3)で挙がっている例を見ますと,交渉破棄の例ではなく,広い意味での情報提供義務違反に当たるようなものが例示されています。それから,21ページの5では守秘義務違反の例が挙がっていまして,これもバスケットクローズで受ける可能性があるということが書かれていますが,これも少なくとも交渉破棄の問題ではない。このような意味で提案がなされているということだと思いますが,もしそうならば,少なくとも不当破棄の中に書くよりは,もう少しそのことが分かるような提案になっているほうがよいのではないかと思いました。部会資料を見ましても,途中から「不当破棄等の責任」になっていまして,もう少し分かりやすいほうがよいではないか,特にこれは非常に重要な問題ですので,分かりやすいほうがよいのではないかと思いました。 ○松本委員 山本敬三幹事が指摘されました21ページの6では,「不当な態様で契約交渉を行った」という文言が書いてありますから,このような文言が17頁の本文の中にも入れば,それでかなりの部分,例えば拘束をしてなかなか帰らせないというようなことが契約交渉段階における信義則違反だという点がはっきりしますから,それも入るように本文をもう少し修正するということで結構かと思います。 ○潮見幹事 全く同じことで,イの文言を少し修正して,分かりやすくしたらいいのではないでしょうか。   もう一つ,違うことでもいいでしょうか。交渉破棄を理由とする損害賠償ですが,先ほどのところにも少し絡みますけれども,ここでの義務違反を理由とする損害賠償について,契約違反を理由とする損害賠償と捉えるのか,それとも不法行為を理由とする損害賠償として処理するのかという問題が従来あったと思います。先ほども申し上げましたように,どちらの責任という形で構成するにしても,基本的に同じような処理,同じような効果が出てくる形で,ここに限ったことではありませんけれども,対処をしなければいけないのではないでしょうか。その対処をしなかった場合には,第2の(2)で書いている義務というものが,契約上の義務なのか,不法行為上の義務なのかを突き詰めて考えて規定を置かないと,思わぬ方向に走ってしまうような危惧を実際に感じました。   先ほど高須幹事の御発言の中で,ここの義務は契約責任だという発言がございましたが,私自身は果たしてそうなのかと疑問を持っているところもございますので,そうすると余計に効果面での統一をどのようにするのかということを含めて,この規定の在り方を検討していただければと思います。 ○山川幹事 先ほどお話のあった,ここでの議論の対象は破棄に限らないということに賛同します。単なる情報提供みたいなことで,あとは中田委員の先ほどおっしゃられた契約更新に関わることでもあるんですが,事例がございます。最高裁の平成22年4月27日の判決で,河合塾事件という塾講師の講師契約の更新に関わる事件ですけれども,更新条件についての意見が合わなくて,最終的には講師側から更新を拒否したと事例ですが,最高裁はそのような場合であっても,使用者側の交渉態度が不当なときには損害賠償責任が発生することを一般論として認めるような言い方をしていまして,原審では実際,不法行為に基づく損害賠償責任を認めております。したがって,更新の場合も射程に入るであろうと思いますし,また,破棄というのも結局,契約が不成立に至ったというような事態をいうものとして広く捉えられるのかなと思いますが,それをサポートする事例があるという御紹介でございます。 ○中井委員 先ほどからの御議論を聞いていますと,私は先ほどの12ページにある,第1の4とこの第2の1の関係が少し分からなくなってきました。4の関係で私はその範囲について気にしていたんですけれども,ほとんど議論としては採り上げられずに,4のうち(1)については契約を前提とした議論に集約され,これは契約締結後の話で,契約締結前の話は第2以降で議論すると。それも一つの整理ではないかという御示唆があったように思いました。今の第2の1の議論を聞いていますと,不当破棄の問題だけではなくて,契約交渉段階における信義則の適用の広い話になってきているのではないか。そうだとすると第2の1における,契約交渉段階における信義則の適用の問題と,その前に議論した第1の4における信義則の具体化の問題とをもう少し整理しないと,議論が混乱していくのではないかという印象を受けました。 ○道垣内幹事 うまく言えないかもしれないのですが,ここまで皆さん,ある種の業者が消費者に対して交渉を求めていくということで,勧誘交渉過程に信義則違反があって,消費者に対して賠償される可能性があるということを(2)のイが示しているという理解の下で,それはよいことではないかという話をされてきたように思います。しかし,これは全く逆にも適用される条文で,実際,私もいろいろな勧誘の電話を受けますが,冷たくあしらいますと,電話の相手方から,人間として人の話は丁寧に聞くものだと諭されたこともありまして,そういう業者というのは結構います。対面で大手企業の方に言われたこともあります。私は,そのとき,そのような義務がどこから発するのかを教えてほしいと言ったのですが,条文に信義則に違反して交渉してはいけないと書いてあるではないかと言われますと,そういえば,そういうのが法制審であったなと私は思って負けてしまうかもしれない。その意味で,これは非常に危ない条文だろうと思います。   また,山川幹事のほうから河合塾の事件でそういうのがあったという御発言がありましたが,しかし,それは継続的な契約関係において,更新の期待が,ある一定程度,出てきていたという非常に特殊な事案であろうという気がいたします。およそ,やってきた人が契約交渉してきたら,それに対して誠心誠意応じなければならず,お前は邪魔だ,帰れと言えないというのは明らかにおかしいので,帰れと言えるというのが大原則のはずです。だから,消費者のある一つの被害を救済するがために,議論が拡大傾向にある点に私には違和感があるところであります。それでは,具体的にどうすべきかという意見をまとめてから発言をしようと思っていたんですが,時間が迫っておりますので発言をしてしまいました。 ○山川幹事 先ほどの河合塾事件の事案については,はしょって申し上げましたが,道垣内幹事のおっしゃることとの関係では,実は更新への合理的期待までは認められなかった事案でした。しかも,それなりに更新が継続してきたという事実関係を踏まえての判断ということで,その点は,アのほかにイが書かれており,あとは信義則の解釈適用の問題かと思いますが,おっしゃられるように余り不当に拡大されるようなことはないほうがよろしいかと思います。 ○鎌田部会長 ほかにはよろしいでしょうか。   もう少し進みたかったんですけれども,6時を大分過ぎてしまいましたので,本日の議論はこの程度にさせていただきたいと思います。   分科会についての報告です。本日の審議において幾つかの論点について,分科会で補充的に検討することとされましたが,そのうち部会資料40に掲載されている論点につきましては,いずれも第2分科会で審議していただくことといたします。また,部会資料41に掲載されている論点につきましては,いずれも第3分科会で審議していただくことといたします。松岡分科会長,松本分科会長を始め,関係の委員・幹事の皆様には御負担をお掛けしますけれども,よろしくお願いいたします。   最後に,次回の議事日程等について事務当局から説明してもらいます。 ○筒井幹事 次回会議は,来週6月12日火曜日,時間は午後1時から午後6時まで,場所は法務省地下1階の大会議室です。この日は予備日として予定していただいたものですので,新たな部会資料の送付はありません。本日の積み残し部分である部会資料41の残りの部分について御審議いただきます。よろしくお願いいたします。   それから,分科会の開催の報告があります。第1分科会の第4回会議が先週5月29日に開催されました。この会議の出席者,議題等につきましては,机上に配布したペーパーのとおりです。また,この分科会の会議の際に,「保証人保護の方策の拡充に関する補足資料」と題する分科会資料3と,「民事執行手続における配当と弁済の充当」と題する分科会資料4をそれぞれ配布いたしました。いずれの分科会資料も,それ以前の部会での審議における様々な御発言を整理し,あるいは部会に届けられた立法提案を整理したものでございます。   以上について御報告いたします。 ○鎌田部会長 それでは,本日の審議はこれにて終了とさせていただきます。本日も長時間にわたり熱心な御議論を賜りまして,誠にありがとうございました。 -了-