法制審議会 民事執行法部会 第12回会議 議事録 第1 日 時  平成29年10月13日(金)自 午後1時29分                       至 午後4時43分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  民事執行法制の見直しについて 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○山本(和)部会長 それでは,既に皆様おそろいですので,これより法制審議会民事執行法部会第12回会議を開会したいと思います。   本日も御多忙の中,御出席を頂きまして誠にありがとうございます。   まず,本日の出席状況ですが,小野瀬委員は本日御欠席と承っております。山本克己委員は,少し遅れられるということのようであります。   それでは,本日の審議に入ります前に,配布資料の確認を事務当局からお願いいたします。 ○内野幹事 事前送付資料といたしまして,部会資料12-1と12-2をお送りさせていただいております。資料は以上でございます。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。   それでは,本日の審議に入りたいと思います。   本日は,御承知のように,現在中間試案のパブリック・コメント中ということでございますので,その中間試案,それ自体に対する御議論ではなくて,それに関連するといいましょうか,事項について,この際,御審議を頂いた方がいいであろうというテーマを二つ御用意して御議論を頂くということにいたしました。   部会資料では12-1と12-2があるわけですが,まず部会資料12-1,「子の引渡しの強制執行に関する規律の明確化に関する補足的な検討」と題されたものでありますが,これについて御議論を頂きたいと思います。   まず,事務当局から資料の説明をお願いいたします。 ○吉賀関係官 御説明申し上げます。   まず,1ページの「1 はじめに」のところですけれども,ここでは部会のこれまでの議論を踏まえ,今回の部会において取り上げる問題について御紹介しております。   注に記載しておりますとおり,今回の部会では,子が第三者に預けられている場合について,専ら債務者に対する債務名義の執行力との関係において,子の直接的な強制執行を実行することができるのか否かという問題を取り上げるものでございます。   続きまして,「2 問題の所在等」ですけれども,こちらでは,まず(1)で部会のこれまでの議論でも出ておりました,子が債務者Bから保育士等の第三者Cに預けられている事例①と,子αが債務者βから子αの祖父母γに長期間預けられている事例②を取り上げており,次の(2)で飽くまで参考として,今回の議論に関連すると思われる動産の引渡しの直接強制等に係る規律を大まかに御紹介しております。   そして,5ページ以下の「3 検討」のところですけれども,まず(1)におきましては,事例①及び事例②における,子の引渡しの直接的な強制執行の可否に関し,動産の引渡しの直接強制等に係る規律の内容を基に,あり得る考え方について一応の整理を試みております。   続けて,6ページ以下の(2)におきましては,債務者に対する債務名義に基づく強制執行を許容し得る第三者の範囲につきまして,事例①及び事例②を念頭に,試みまでに検討に当たっての視点を提示しております。   まず,「ア」の部分におきましては,当該第三者の範囲を画する考え方として,第三者による子の監護の承継というものを観念しようとする考え方を取り上げるなどしております。   次に,7ページ以下の「イ」のところでは,当該第三者の範囲を画するために,債権者と第三者との衡平の観点から第三者と子との関係性として(ア),第三者と債務者との関係性として(イ)という二つの点に着目しようとする考え方について触れております。その中では,祖父母のように,子との関係において,当該第三者が何らかの法律上の地位を有するか否かによって,規律が異なり得るのかといった問題意識もお示ししております。   いずれにいたしましても,子が第三者に預けられている場合について,その第三者の子に対する事実上の関わり方には様々なものがあり得ることを踏まえた上で,債務者に対する債務名義に基づく強制執行を許容し得る第三者の範囲を画することができるのか,仮にできるとして,それはどのような要件で画するものなのかといった点について御議論いただければと考えております。   最後に,8ページの(3)でございますけれども,以上の議論を踏まえまして,具体的な執行の手続については,どのように整理すべきかという問題について指摘をさせていただいております。   部会のこれまでの議論では,承継執行文の付与制度の利用や執行裁判所の決定により,第三者に対する強制執行の枠組みを構想するといった考え方が示されているところですが,この点について更に御意見を頂ければと考えておるところです。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   それでは,この部会資料12-1について御議論を頂きたいと思います。   今,御説明がありましたように,この資料の「3」の5ページ以下の部分が検討ということになっているわけですが,ここでは事例①の保育所ケースとでもいいましょうか,そういうものと事例②の祖父母ケースというような事例に分けて,それを基にしながら(2)で債務者に対する債務名義に基づく強制執行を許容し得る第三者の範囲の問題,それから(3)の具体的な執行手続の問題に分けて記載がされておりますけれども,これらも相互に関連する問題であると思いますので,特に項目は区切りませんので,どの部分からでも結構ですので,御議論を頂きたいと思います。どなたからでも御自由に御発言を頂ければと思います。 ○垣内幹事 初めに質問を1点させていただきたいと思っておりまして,その背景について申しますと,今回の資料で動産についての占有との比較で,子の監護というものを執行手続上どう扱うかを考えようということで,それは出発点として的確なものではないかと考えたのですけれども,通常の動産についての占有を考えますと,この占有は基本的には今日一般的と私の理解している伝統的な理解によりますと,所持と申しますか,物理的な管理ないし支配の関係ということと,その支配ないし管理の関係をどういう形で社会的に評価するか,これは民法では自己のためにする意思ということで考えていて,この自己のためにする意思について,何らかの権原との関係を意識しているというのが,これまでごく一般的な理解だったのではないかと思われます。   その関係で子の監護の場合について考えますと,あるいは物理的な管理的な側面も違いがないわけではないかもしれませんけれども,とりわけ後者のそういった関係があるときに,それを社会的にどういうふうに意味付けるかという点において,特殊性があるのかなと感じておりまして,動産占有等ですとその所有者,所有の意思を持って占有するとか,どういう権原を基礎にして占有しているのかという形で考えるので,これは基本的には占有者の動産に対する一方的な関係と申しますか,動産は自分が意思を持ったりしているわけでありませんし,動産についての福祉を考える必要もありませんので,そういう関係かと思うのですけれども,子の場合には子の福祉という,子は意思を持った権利主体でもあり得るものでありますし,その福祉についても考える必要があるというところを出発点としなければならないと思われますので,そちらの方からの関係というものが出てくる関係で,監護者の権利というものだけで物事を語り得るのかというところが難しい問題なのかなと感じております。   今日の資料を拝見したところで,ここからが御質問ということになるのですけれども,多くの箇所では,「監護」とか「事実上の監護」という用語が使われていて,私が気付いたところでは,1か所だけ7ページのイの(ア)のところの第2段落の冒頭で,「監護権」という言葉を使っていらっしゃるのですけれども,この資料の中で「監護」という概念と「監護権」という概念について,何か一定の見通しを持って,こういう用語の使い方をされたのかどうかということについて,何かもし資料作成段階でお考えになったことがあれば,御教示いただければと思って質問させていただきました。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。   それでは,事務当局から御説明をお願いします。 ○内野幹事 今の御質問に的確に答えられるか,かなり自信がないところではあるのですが,資料作成上は,「監護権」というものと「監護」というものは意識的に区別し,少なくとも「監護」というのは,一定の事実状態を示す概念として用いようということを意識いたしました。これに対して「監護権」と書いておりますのは,先ほど垣内幹事がおっしゃったような,後半の問題で,第三者の関わりをどう保護すべきかについての一定の価値判断があると思うのですが,そこに何らかの意味で法律上の地位ないし権原というものに結び付ける考え方もあるのかもしれないと考えまして,ここでは「権」と入れているというところです。   そういう考え方を採るかどうか自体が,御指摘いただいたように論点だと思っております。 ○垣内幹事 ありがとうございます。関連して,これはあるいは民法の先生方に御教示を願うべきなのかもしれないですけれども,事実上の監護といった場合には,これは監護権の裏付けは必ずしも想定はされていないということでよろしいかと思うのですが,そうすると,実際上支配はしているのだけれども,事実上の監護でもないという場合があるのかどうか,それとも実際上支配していれば,それはこの資料では全て「監護」という概念でくくられているのか,それとも何か監護権には基づかないけれども,全く例えば誘拐犯が拘束しているのとは違うというような意味合いで,その「監護」という概念を用いておられるのか,その点については,あるいは民法上一般にどういう言葉の遣い方をされているのかということもあるのかもしれないのですけれども,いかがでしょうか。 ○山本(和)部会長 まず資料との関係で事務当局から御説明をお願いします。 ○内野幹事 資料との関係でございますと,先ほど申し上げましたように,「監護」というのは,事実上の関わりという事実概念だと捉えてやっているのですが,一つ価値判断が入っておりまして,子にとって利益方向の事実上の関わりを,まずどう評価しようかということを取り上げる趣旨で,「監護」とこう書いているというところはございます。   これに対して,正に今,御指摘の中で誘拐犯というようなお話がありましたけれども,こういった子への利益方向ではない関わり方をどう評価するのかというのは,論点としては残っていると思っております。問題にすべきは,子に対する利益方向での関わりを有する第三者については例えば何らかの手続を保障しようということだとすれば,そうではない子への関わりというのは,場合によると執行官の威力による排除対象として理解すればいいというような議論もあるのかどうかといったことを多少意識しまして,この部会の中であえて「監護」の部分を比較的多く取り上げて議論しているところがございます。   ただ,この仕分けも本当にそのようなものでいいのかどうか,そもそも子に対する利益方向での関わりというところが,一つの分岐点になり得るのかどうかというのも,今日の御議論の中で,その適切性というものも考えてまいりたいと,事務当局としては考えております。 ○山本(和)部会長 もし民法の先生方で,何かこの点についてコメントを頂ける部分があれば御指摘をお願いします。 ○久保野幹事 監護という言葉の使い方,あるいは概念について本来整理してお示しできればと思っておりましたが,ちょっとそこまではなかなか難しいところがございまして,その観点から用意してきていないのですけれども,今出ている範囲でいいますと,監護ということを言ったときに,監護権や親権といった法的な権原に裏付けられているものに限らず,そうではないもの,そうではない事実状態について,監護という言葉を使うということはあるということになるのだと思います。   ただ,難しいと感じておりますのは,その先でございまして,例えば保育園に日中預けられているですとか,学校の先生が昼間見ているということについて,監護委託がされているといったようなことが言われることがある一方で,ちょっと事実に引きつけてになってしまいますが,この例で,祖父母が継続的に同居して,ずっと同居しているといったような状況を監護ということもあり,では,その二つが概念として詰められて同じかどうかというところは,少なくとも私の理解する限りでは,それほど明確にはされていないのではないかという気がしております。   ただ,他方で,ちょっと話がそれるのですけれども,事実上の監護という言葉は,児童福祉法ですとか少年法など,少年法は定かではないですが,他方で公的な関わりとの関連で出てくる言葉でもありまして,そういう意味で,複層的ではなかろうかと思っております。   ですので,この事例①,②を通じて,むしろその内実自体を議論していくという方向での議論は,その方が執行との関係では適切なのではないかという感想を持っております。 ○佐成委員 私は監護とかそういったことについて十分な知見はないのですけれども,委員,幹事の方がお話になっていたところを聞いておりまして,感じたことを申し上げたいと思います。子に対して利益になる方向で関わるという関係性の話をされていましたが,保育園はともかくとして,学校などの場合には,教育という作用がございます。これも監護の範囲に入るのかどうかといえば,おそらく法律上は監護と教育はまた別の概念だと思うのですけれども,それも含めて「事実上の監護」と言っているのか,あるいは「身上監護」という言い方をされることもあると思いますが,要するに,そういったような概念がいろいろ錯綜しております。結論的には,いろいろな側面があるところを,まず法的に「監護」という範囲で何か議論をしてしまっては,必ずしもこの問題を全部捉え切れないのではないか思います。ですから,やはり実態といいますか,実際上何が行われていて,それをどう保護していくのか,あるいは保護しないのか,そういったところが重要なので,言葉の問題として監護の範囲とか教育の範囲とか,親権の中には監護と教育という二つの側面があるとか,そんなようなことを議論していても,特に執行の側面から考えると,余り生産的でないのではないかという感想を持ったということでございます。 ○阿多委員 今の同じ繰り返しで申し訳ないのですが,子の利益の方向という物差しはよく分かったのですけれども,そこに法的な関係がどう影響するのかというのは,我々が議論するときでも,もちろん子の祖父母のケースもありますけれども,よくあるのが親しい近隣の方が面倒を見ているというような場合に,どういうふうに評価するのか。少なくとも身分関係はないというような場合もあり得るのかと思うのです。ですから,これはいきなり全体の議論というのから入っていただいたのですが,事例①,②を分けていただいて,仮にこれで執行を認めるのが是か非かというところで意見が分かれるのであればあれですが,例えば事例①について,仮に何らかの方法で執行できた方がいいという前提で認識を共有することができるのであれば,その執行をするためにどういう方法を採るのかという議論と,多分後半の事例②の方は,逆に執行の是非自体についての意見が分かれることがあり得るのかなと思っていまして,議論の進め方も分けていただいたほうがいいのかなと思いました。 ○山本(和)部会長 議論の進め方を分けた方がいいというのはどういうことでしょうか。 ○阿多委員 全体にというお話があったのですけれども,事例①の場合に,この場合に執行を認めるということで余り異論がないのであれば,あとはどういう方法によるのかという話に,非常に技術的な話になるのかなと思っていたのですが。 ○山本(和)部会長 この保育所とか幼稚園とかのケースにおいては,余り異論がないのではなかろうかという御意見ですね。 ○阿多委員 はい,そこがもしかしたら異論はあるのかもしれませんが。 ○山本(和)部会長 いかがでしょうか。事例①に限るわけではありませんけれども,中身の議論として,この事例①,事例②,それぞれについて,そもそも直接的な強制執行の対象になるのか,あるいはなるとしてどういう構成なりどういう手続の下で強制執行の対象になるのかという,その中身の部分について,もし御意見があればお伺いしたいと思いますが。 ○今井委員 思い付きなので恐縮ですけれども,今の御議論は,監護の承継という概念があるのかどうかという議論と関係していると思うのですけれども,実体法上,監護権なり親権のある債権者のところに引き渡すというのが,この引渡しの場面だと思うのですけれども,そうなると,今,御議論の対象の監護というのは,これは債務者のことだと思うのですね。それが第三者の範囲のというところだとすると,そもそも子の引渡しの場合の債務者とは,事実上,監護している人が多いという現実はあるものの,法的には債務者は事実上とはいえ,監護していることが要件なのか,マストなのかというところが,詰めていくとそういう問題に当たるのかなという感じがいたします。   ましてや,権利という評価ではなくて事実上の問題ですから,いろいろな状況があるので,子供にとって利益といっても,それは本当におじいちゃん,おばあちゃんと良好な関係のある場合もあるだろうし,子供にとっていいことをしているけれども,子供は余りそうでもない場合もあるだろうし,そういうのを監護というのかどうかということも考えると,まず視点としては,債務者は事実上の監護をしているということが本当に要件とまず言えるのかどうか。更にそれが第三者に渡ったときに,監護が事実上の監護が承継されると考えるのか,この辺のところに行き着くのではないかなという感じがして,私見とすると,監護しているという事実上の状態は,子の引渡しにおける債務名義の問題とは,またちょっと一線を画して考えていいのではないか,そんな感じがします。 ○山本(和)部会長 御意見として承りましたが,ほかにいかがでしょうか。 ○道垣内委員 阿多委員の方から,①については異論がないとするならばということでしたが,実際,方法の問題であるというお話がありました。つまり保育園なら保育園,小学校なら小学校の中まで入って行って執行するのはよくなくて,下校時にしましょうといった方法の問題であるというのは,分からないではないのですが,やはり認めるべきかという問題と,その方法の問題は密接不可分であり,私は世の中の保育士の方や学校の先生やそういう人に,やって来たのが正当な執行官であり,正当な債務名義があるか否かの判断をさせるという仕組みは余りにかわいそうだと思うのですね。弁護士が行くから大丈夫というのだけれども,弁護士ですって言えばそれでいいのかという話になりますし,弁護士会の会員証ですといわれても,弁護士会の会員証を見たことのある保育士の人が何人いるのかといったら,私が適当にワープロで弁護士会の会員証を作ったって分からないわけですよね。   したがって,分かるだろうと言って引き渡す義務を認めるというのは,私は避けたほうがよいのではないかと思っています。したがって,実質論として事例①においては,執行できてよいのではないかということに対して,あえて異論を述べるつもりはないのですが,それはやはり当該第三者に課さないという方法が考案されて,初めて認められるべきことではないだろうかという気がいたします。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○阿多委員 議論するつもりはないのですが,私が申し上げたのは,何らかの法的な説明ができるのであればということをもちろん前提として申し上げているわけで,債務名義があればその債務名義のまま保育所の場合は常に執行できるということを申し上げているわけではなくて,ただ場面として,そもそも従前議論がありました債務者と同時でないと駄目だとか,執行場所について限定があって,その立場からそもそも駄目だというのであれば別ですけれども,仮に保育所にいる場合にも,執行が認められるというのであれば,それがどういう名義,債務名義そのままなのか,別途何らかのものを取るのかという,そういうつもりで申し上げているつもりで,そこにもし誤解があれば,法的な裏付けがきちんとあった上でできるということの議論をしていただけたらと,そう思いますので。 ○山本(和)部会長 そこは多分誤解はないのだろうと思いますけれども,手続の問題と不可分ではないかというのが,道垣内委員の御意見であったかと思います。 ○谷幹事 ①の場合に認めるべきなのかどうなのかという議論だと思いますけれども,その場合,①というのをどういう場合と考えるのか,この資料では保育士等の第三者に預けられている場合ということで,保育園も含むのか含まないのか,あるいは更には学校も含むのか含まないのかというのは,必ずしも明確ではないのですけれども,例えばいわゆるベビーシッターなんかに預けている場合というのは,これはどちらかというと,単純に監護している者から,その代わりに代行として預けられているということだと思いますので,この場合は認めるということに,それほどの異論はないのかなと思うのですけれども,学校なんかの場合であれば,学校というのは子供に対して一定の教育をするという責務があるわけでございまして,それを中断して連れていくというところまでの効力というものを,債務名義に認めていいのかどうか,ちょっとこの辺りの整理が必要なのだろうと思うのですけれども,ここら辺り,そもそも①に学校が含まれるのか,含まれるとすると今のような点についての考慮というのは,資料作成段階で何かなされたのかどうか,ちょっとこの辺りをお聞かせいただければなと思います。 ○内野幹事 正に今,御指摘いただいた問題意識は我々も感じておりまして,では,どこで線を引きますかというところを資料作成段階では考えておりました。   では,それをどこで仕分けをするかというところについて,例えば,ここでは試みとして,債務者との関係性,子との関係性というものに着目して検討することを提示しております。この点については本日の議論で深められるべきところであろうと思ったところであります。   若干前後するかもしれませんが,先ほど谷幹事に御指摘いただいた点については,債務者の代わりだという一言で,さらっとおっしゃったのですが,その「代わり」というのが,一体どういった事実関係に着目して「代わり」だとおっしゃっているのか,ないしはそう評価していいのかというところ自体も,今日の議論の中で深めていけたらいいなと思っております。 ○山本(和)部会長 いかがでしょうか。 ○谷幹事 「代わり」と申し上げたのも,私もそれほど厳密に概念を分析して申し上げたわけではないですけれども,ベビーシッターの場合には,正しく,一時的に監護している者が本当に監護という状態を他人に委ねるという意味での,その限りの意味での「代わり」と申し上げただけでありまして,例えば学校なんかの場合は,これはやはり少しそれとは違うのかなと。要するにそれは,独自の活動をするという子供との関わりで一定の責任があるということですので,親の監護とはまた別の活動を子供に対して施すというような意味では,「代わり」というふうな言葉で評価するのは妥当ではないのかなという,非常に今のところは雑駁ですけれども,そんなふうな感触を持っているところです。 ○内野幹事 そうしますと,別にこれが結論だというわけではないのですが,今の観点は,債務者の子に対する関わりとの同質性というようなところになるのでしょうか。その延長だと評価できるかというような観点なのでしょうか。ただ,それをどうやって評価するか,どういう事実関係でそれをつかまえるかというのも論点だと思うのですが,今の谷幹事の御発言は,そういった価値観から学校とベビーシッターが仕切られるのではないかという考え方,そこに何か仕分けがあるのではないかと,こういう発想でございますか。 ○谷幹事 同質性というのが正確なのかどうなのか。いずれにしても,監護者が本来やるべきことを,保育士なりがやるという関係であるのだろうと思うのです,保育士の場合は。学校はそうではないと。だから,そういう意味では,独自の,監護とはまた違った独自の子との関わり方があると。それを同質性というのか,あるいは違う言葉で評価するのかは,よく私も分からないところでございますけれども,そんな意味で申し上げたところです。 ○内野幹事 ありがとうございます。 ○阿多委員 今,学校のお話が出ましたけれども,でもベビーシッターの場合は,債務者宅で監護というか,面倒を見るので,むしろそちらの問題で,同室するときに債務者がいなければどうするのかという問題かと思うのですが,特に子供が移動していて,学校の話が出たのですけれども,資料にも出ていますけれども,保育所,幼稚園,更には場合によったら児童園が出てきたり,ケースによっては学校ではなくて塾,スイミングとかいろいろな場合があるのですが,逆に私自身は,学校教育だからといって,この執行との関係で当該第三者の方に独自の利益があるのかという点に疑問もあります。いわゆる所持者概念の議論をされているところと,独自の利益があるのかどうかという御議論をされているかと思うのですが,そちらの切り口の話なのかなと。   第三者の方で何らかの独自の利益というのがあるのであれば,その利益についての中身の議論になるのか,独自の利益を保護するための手続が要るのかという話になると思うのですけれども,学校だから特別だというのは,私自身はそんなイメージは余り浮かばなかったので,その点も併せて申し上げておきたいと思います。 ○山本(和)部会長 阿多委員は今出ていた教育については,必ずしもそれ自体が第三者の独自の利益であるとはいえないということでしょうか。 ○阿多委員 全体が独自の利益というのではなく,学校だから独自,例えば塾だから独自ではない,保育園だから独自ではないという意味で,学校とその他を区別するという意味での学校の独自性,小学校の独自性というのはないのではないかと,そういう意味で申し上げました。 ○山本(和)部会長 分かりました。   ほかに今の点で御意見ございますでしょうか。 ○村上委員 まず,この問題における中間試案の考え方というのは,やはりできれば債務者は子と共にいるときに引き渡せるのが原則であって,例外的に一定の要件の場合には,そうでないことも考えられるということだったかと思います。そういった観点で事例①を見た場合に,先ほど道垣内委員からも御発言がありましたけれども,保育士などの第三者に預けられている場合に引き渡せるという話になってくると,後から債務者であるお母さんから「何で渡したのか」と言われてしまうことはないのだろうかとの懸念があります。またベビーシッターに関しても同様の懸念がありまして,むしろ学校の方がもう少し公的な部分が大きく,責任という意味ではそういうことがあるのではないかと思います。   また,シングルマザーのお母さんのお子さんの場合,こうした懸念があるということになってくると,保育園等から,「そういうお子さんは預かりたくない」などということまで言われてしまう懸念はないのだろうかということも考えておりまして,こうした懸念も考えた上で,どこまで例外を認めるのかということを検討するべきではないかと思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。 ○勅使川原幹事 子の引渡しの執行の場面で,債務者が負っている債務というのは,子に対する監護を解いて申立人に引き渡すという債務だということだろうと。債務者以外の第三者が事実上監護しているという場合には,まずは第三者の監護を解いて引き渡しなさいということになるのだろうと。   今回の案の中でもやはり間接強制前置という考え方で,間接強制の申立てと代替執行の申立てが多分並行提起ということ,並行申立てみたいなことも考えられていると思うのですが,間接強制の議論の中で,間接強制が許される場合とされているのは,恐らく第三者の協力を得なければいけないという場面でも,債務者の監護は及んでいるから間接強制が許されるという議論をしていたのではないかと思っていたのですが,そうすると債務者の意思のみに応じてできるかという問題が従前からあったように思うのですが,第三者の協力が必要な場合には,一切間接強制は許されないという考え方,今はもうほとんどないのではないかと。   そのときに債務者のみによっては排除できない障害が存在するかどうかというところとか,あるいは債務者が第三者の協力を得るために期待可能な行為を全て行ったのかどうかということをメルクマールにしろという見解も,現在ではかなり有力なのではないかと思っていて,そういう場面で,少なくとも間接強制が許されるという場面では,そこには恐らく債務者の監護は及んでいると,枠としては及んでいると考えられるのではないかと。まだちょっと申し訳ない,定見に至っているわけではないので,そういう考え方もあり得るのではないかということを一つ,ちょっと今思い付きのような感じで申し訳ないのですが。   あと,これは純然たる質問なのですけれども,審判の中で,第三者が監護している場合,主文の中に「第三者の監護を解いて」という文言を入れるのかどうかという,私は入れた方がいいような気もしていて,それは何か建物収去,土地明渡しというか,建物収去の方に近いのかという考え方もあるような気がしたのですが,これは純然たる質問です。 ○山本(和)部会長 これはちょっと裁判所の方からですかね。 ○石井幹事 全て承知しているわけではございませんけれども,現行実務で,引渡しの主文について,今御指摘があったような,「監護を解いて」というような主文,文言が入っているわけではなくて,債務者は引き渡せといった形の主文になっているというのが一般的かと思います。 ○道垣内委員 ちょっと元に戻って恐縮なのですが,谷幹事がおっしゃったことに対して,阿多委員が反論というか,おっしゃったことに対してなんですが,谷幹事が,占有に独自の利益を持っているとおっしゃったのだとすると,多分,谷幹事のお立場としても言い過ぎで,恐らく占有の独立性みたいなことをおっしゃっているのだろうと思うのですね。   そこで,独自性とか独立性という言葉を使うのはいいのですけれども,もし仮にそこで独自の利益を学校が持っているという言い方をしますと,それは教育権の所在の問題の議論に関わってきますので,やはりそこまでやり始めると大変なことになりますし,デリケートな問題を含んでおりますので,同じことを言って説明するにしても,若干言葉遣いに気を付ける必要があるのかなという気がしました。 ○石井幹事 議論を聞いていて思ったところについて,御発言させていただこうと思いますが,監護という言葉がいろいろ使われておるのですけれども,法的な,と言っていいか分かりませんけれども,いわゆる審判で監護者を指定するという意味での監護者,監護権というところにつきましては,審判や調停で決めて,それ以外の方法では指定がされないわけですので,それが占有のようにそれ以外の形で事実上変更できるというものではなくて,そこは決まったらそれで動かないという性質のものなのだと思います。   今,お話を聞いていると,問題にされているのは,広い意味での事実上の監護ということなのだろうなと思っておりまして,私も先ほどの勅使川原幹事の御発言を聞いて,今回の事例についても,広い意味では事実上の監護というのは,①も②もあるのではないかというのが私の感覚でありまして,そういう意味では,物理的に監護しているという意味での監護については,この問題を検討する際に,さほど重視されるものではないのではないかという感じを持ちましたので,一度御発言させていただきました。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○青木幹事 その意味での事実上の監護に基づいて,第三者に預けられている場合に,強制執行ができるのかどうかという問題なのだと思うのですが,債務名義の方からみると,この問題は,執行力の範囲はどこまで及ぶのかという問題として捉えることもでき,執行手続の方から見ると,誰がその当事者,債務者になるのかという問題になります。動産の引渡執行についていうと,例えば請求の目的物の所持者とか占有補助者とかいうところで議論しているのは,例えば賃借人とかというのは,独立の占有があるので,賃借人であるとか受寄者というのは独立の占有があるので,その者を債務者として強制執行をする必要がある。しかし賃借人については,自己固有の利益があるけれども,受寄者などについては,自己固有の利益がないので執行力が及んでよいので,新たに債務名義を取得する必要がないという話になり,他方で占有補助者については,独立の占有がないので,債務名義上の債務者本人を債務者として,その手続で強制執行をすることができる。それが既存の債務名義の有する執行力の範囲に含まれているということの内容かと思います。   子の引渡しの場面についていうとどうなのかというと,事実上の監護が失われているのかどうかというところが,ポイントになってくるとは思うのですけれども,そこを飛ばして,誰を当事者として手続を進めたらよいのかと考えていくということもあり得るのかなと思います。   では,①とか②の場合どうなのかというと難しいのですけれども,②の方は長期間預けられているということで,祖父母を債務者として手続を進めていくということは考えられるかなと思うのですけれども,①について,保育所であるとか学校であるとかというのを,少なくともそれだけを債務者として手続を進めていくというのには,やや違和感があって,やはり本人が当事者となっている,債務者になっている必要があるのではないかなと。それは,もし学校とか保育所を債務者として間接強制をするという,前置するということになるのかということを考えると,少なくとも第一義的には,債務名義上の債務者本人が債務者とされている必要があるのかなと考えております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   そのように考えるとすると,資料の事例①の場合には,先ほどの類比でいえば,占有補助者的なものとして保育所等を捉えるということになりますでしょうか。 ○青木幹事 そのように捉えてよいと,よいかどうかというのが更に問題になるのですけれども,それを問われれば,捉えてよいと思います。 ○山本(和)部会長 そうすると,保育所等に対しては,一定の強制力が行使される可能性というのはあるということになるのでしょうか。 ○青木幹事 そうですね。ただ,1の「はじめに」の注の(b)の問題というのが,よく分からなくて,(a)と(b)を区別して(b)で同意が必要なのかという問題が,また更に控えているということなので,その関係はよく分からないのですけれども,差し支えないのではないかなと考えております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。 ○阿多委員 最初の発言で①と②で区別してと申し上げたのは,②の場合は,第三者の独自の利益なり別の問題が出てくるかと思いますけれども,私は,①については,占有補助者的な形の解決で余り異論がないのかなという先入観を持っていたものですから,学校等が何らかの形で短時間というか終日ではない時間,子供を預かっているという状況においては,もうそれは従前の債務名義に基づいて執行ができて構わないと思います。占有の問題は,今日は考慮しないという前提ですから,その前提で考えるとしても,その場合は債務者自身のまだ占有は及んでいて,占有が放棄されると,そもそも執行できるかという問題がありますけれども,占有は及んでいて,学校にいるかどうかにかかわらず執行は可能であると,①はそう考えるべきだと考えていますので,重ねてになりますけれども,それだけ繰り返したいと思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○垣内幹事 問題が執行手続上にどう表れるかという点については,先ほど青木幹事が整理されたとおりで,基本的には執行文の付与も要せずに,そのまま債務者に対する債務名義で強制執行ができるのか,それとも少なくとも請求の目的物の所持者ないし,場合によっては承継人というような形で,執行文の付与が必要な地位を持っているのか,それとも初めから新たな債務名義が必要かという,この三つの場合が考えられるのだろうと思っておりまして,事例①について申しますと,先ほど青木幹事,今,阿多委員も言われたように,占有補助者と同様に考えるのだという考え方は,あり得る選択肢なのだろうという気はしております。   事例①での問題は,主として占有補助者と同視してしまってよいのか,それとも少なくとも執行文が必要な請求の目的物の所持者と同等の地位があるのかというところが主要な問題かなと考えておりまして,そうした場合に,私自身は動産との対比を基に基本的には考えているのですけれども,受寄者との異同というのが一番気になるところでありまして,動産等で寄託を受けて預かっていますという人については,一般的にはこれは請求目的物の所持者として扱うという考え方で,これは占有補助者とは区別されるということなのですけれども,それとどう違うのかということをうまく説明ができる必要があるだろうと思っております。一つには,保育所等で預かっているとしても,それは一時的なものであって,非常に時間的に短い,あるいは朝行ったら夕方帰ってくるということであると,それにすぎないので,もう少し長期的な形で預かっている,常に寄託者,受託者をそう考えているのかどうかは,今一つよく分からない点もあるのですけれども,受寄者の場合には,もっと長期的なものを想定していて,そこが違うのだという考え,整理が一つあり得るのかもしれないという気はしております。   それから,更に先ほどベビーシッターの話がありましたけれども,ベビーシッターの場合には,どこでまず預かっているのかという問題があって,これが債務者の自宅で預かっているということですと,これは占有補助者との類似性は非常に高いということで,そこは余り異論がないところかなという感じがしますけれども,もう少し保育所までは行かないけれども,インフォーマルな形で,ベビーシッターの自宅で預かっているというような場合になりますと,今度は保育所と同じなのか違うのかという問題があり,これについては保育所が,例えばこの4月から少なくとも来年の3月までは,毎日平日は行きますというような継続的な関係を持っている場合が多いのではないかと思われるところ,ベビーシッターの場合,もう少し個別的だとすると,そこもまた違うけれども,その違いは最終的に保育所だって占有補助者だということになれば,余り意味は持たないのかもしれませんけれども,その辺りをどう評価するのかということが,私の中では気になっているところです。他方,先ほど学校の話も出ましたけれども,基本的に学校も住んで暮らす場所ではなくて,日中授業を受けにいって,それから本来的な,事実上かもしれませんけれども,監護している人のところに帰るという関係であるという点では,保育所と共通していると思うのですが,少し事例が変わって,寮に入っているとかいうことになると,これはまたかなり様相を異にしてくるけれども,その場合にどう考えるのかといった辺りが,一つの限界事例としてあるのかなと思っておりまして,私自身は一方では占有補助者ということでいいのかなという感じもしているのですけれども,受寄者の場合との違いをどこに着目して説明すればよいのかというところで,なお,確たる考えを今の段階では持ち得ていないというところであります。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○阿多委員 今,占有補助者と受寄者ないし所持者とかの線引きで御説明いただいたとおり,承継執行文ないしは代用執行文ですか,というものを取らなければいけないかどうかというところに影響してくるかと思うのですが,最後のところで,ある意味では整理していただいていることかと思うのですが,その微妙な問題というものの判断を,本案裁判所,ないしはその本案の書記官の方で判断するのがいいのか,むしろ執行機関としての執行裁判所で,そういう情報も含めて判断いただくのがいいのかというところにも関連してくるのかと思っています。もちろん本案と執行の峻別の問題もあるのは理解していますけれども,いちいち本案裁判所に行って,書記官の方であったとしても,その執行文付与の申立てをしないといけないのか,それとも一旦申立てをしていれば,少なくともこの①のケース,寮の場合はまた私も別だとは思っているのですが,①のケースについては,どの時間帯に執行するかによって,御自宅に戻っている時間帯に執行する場合と学校に行かれているときに執行する場合とで,提出しなければいけない債務名義が違ってくるのかという問題に関連することかと思いますので,所持者に当たるような,私は当たらないとは思うのですが,仮にそのような御意見があっても,子の利益調整は執行裁判所で代用するということも考えられるのではないかと思いますので,その点ちょっと付加しておきたいと思います。 ○山本(和)部会長 代用するということについては,その理論的な性質が問題となると思いますが,いかがでしょうか。 ○阿多委員 代用するというとあれですが,執行裁判所の執行方法として,むしろお考えいただけるのではないかという整理なのですが。 ○山本(和)部会長 それは,やはり理論的な執行力は及んでいるということを前提にしているということでしょうか。 ○阿多委員 おっしゃるとおりです。所持者に当たるとすれば,もう一度本案のところで承継執行文も取らないといけなくなるのですけれども,その実務的なことを申し上げますと,それに掛かる手間ないしは,それによって執行が遅れることを考えますと,そういうことも含めて,執行裁判所で御判断いただけるような制度設計を御検討いただきたいと思います。既存の割り振りでいくと,必ずしもそれがうまく合わないというのは,理解はもちろんした上で申し上げておりますが,ただ,執行裁判所の方で,そういうことも含めて御判断できるような制度が考えられないかと,そういうつもりです。 ○山本(和)部会長 分かりました。 ○今井委員 今,垣内幹事と青木幹事のお話を聞いて大変ヒントになりまして,先ほど私が申し上げたのは,やはり事実上の監護というのは,子の引渡しにおける執行としての債務者要件とは違うのではないか,一線を画せるのではないかということの,その先の議論で,では何なのだという考え方をしますと,この事例でいうと②の方を先に申し上げますと,子が債務者であるお母さんの手から離れて,おじいちゃん,おばあちゃん,その他第三者にあるという場面を想定しますと,少なくとも債務者の占有を離れて,それを直接は所持ですけれども,そちらの第三者に行っていると。そこのところに事実上の監護があるとかないとか,まして,その監護の内容がどういうものかということは,執行にはそもそも本質的になじまないのではないかなという感じをしているわけで,そういう意味では,先ほど垣内幹事もおっしゃられた,債務者のところにいないという事実が,執行としては非常に大事なわけで,そのいないというところについて,執行文付与が必要なのか,そのままできるのか,それで青木幹事がおっしゃられた,今度は不動産執行ですけれども,借主以外の同居人は,これを占有補助者と,これはどう考えても本当はみなすであって,そういうふうにみなしているわけですよね。だけど,みんなで住んでいるわけですけれども,だけれども,別に同居人に対する新たな執行文の付与とか債務名義は要らないわけですよね。   ですから,やはり債務者が,こういう言い方が適切かどうか分かりませんけれども,ふと浮かんだ言葉が,やはり支配しているのだというところで,借主は支配,その他の同居人は占有補助者みたいな位置付けになるわけですけれども,そうすると,これをやはり多くの場合には,その支配概念とか占有補助者概念で,債務者でない,例えばおじいちゃん,おばあちゃんでも監護権の承継ではなくて,事実上移転しているというわけですから,それは債務者の支配は及んでいるけれど,占有自体は移転している,それは事実上の関係ですから,そういう意味では,この当該債務者の債務名義で,そのまま執行できるという考え方の方が,執行の場面では合理性があるのではないかなという感じがいたしました。   そこで,あとはこの①の方の保育所や幼稚園に預けている場合ですけれども,これは垣内幹事がおっしゃられたとおり,やはりある程度一時的なものだと思いますので,小さい子が24時間いるわけがなく,いる場合もあるのかな,これはやはり債務者がそういうところに預けている,支配をしているのは当該債務者であって,その契約に基づくか,公的な義務として預けている,そういうふうな位置付けで考えていったらどうかなという,一つの私論でございます。   何が言いたいかというと,監護の中身を幾ら深掘りしても,この執行の場面では難しいのではないか,そぐわないのではないかと。むしろもう少し動産執行の,垣内幹事がおっしゃったような占有補助者の方にむしろなじむ,プラス不動産執行のような債務者,借主を債務者とした場合の同居人は,別に債務名義は要らないのだという一つの擬制的なやり方,この二つの考え方で,この執行の在るべき方向がかなりヒントになるのかな,そんなふうに思いました。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○成田幹事 事実上,同時存在などの縛りがかかっていない,ハーグ条約実施法の施行前における子の引渡しの強制執行の実務の状況についてですが,事例①につきましても事例②につきましても,事実上の監護というのを広く捉えて,事実上の監護を外すという意味では,どちらも一緒であるという観点から,どちらもその債務者に対する債務名義により執行をしていたと伺っております。   それはどういう理論的な整理になるのかというのは,ずっと悩んでいたところではあるのですが,先ほど今井委員がおっしゃった線に近い,つまり占有補助者と言ってしまうと,ちょっと語弊がありますけれども,やはり事実上の監護状態を第三者を使って実現していると。その実現している状態を外すのだというような整理になっていくのではないかと思っております。   事例②につきましては,多くの場合は債務者が祖父母と同居していて,一時的に債務者がいないという事態が大半かと思われますし,仮に債務者がどこか出稼ぎに行っているような事例であっても,たまには帰ってくるでしょうし,あるいは資金的なつながり等もあり得るかとは思いますので,そういう意味で,祖父母を監護補助者と見ることができるのではないかと思っております。 ○山本(和)部会長 分かりました。   そうすると,事例②も含めて,承継執行文とか,そういうような形は採らずに,債務者に対する債務名義で基本的には直ちに強制執行をしていたというのが,ハーグ条約実施法が施行される以前の実務の考えであったということですか。 ○成田幹事 そういうことです。 ○山本(和)部会長 分かりました。   事例②の話も入っておりますけれども,①,②どちらでも含めて結構です。 ○山田幹事 私も結論としては事例①,事例②,いずれについても執行が可能だと思います。事例①につきましては,従来これまでに御議論がありましたが,やはりテンタティブな管理というか監護ということですし,仮に子供に何かが起きたという場合の判断権限は,権限と言っていいのか分かりませんが,事実上はやはり債務者の判断を仰ぐ,例えば子供に急な病気が生じたというようなときには,やはり仰ぐということだと思いますので,その程度というのが非常に第三者の固有の判断というのは,ほぼ入る余地はないのではないかと思いますので,その意味では,占有補助者の扱いでもよろしいのではないかなと思います。   これに対して事例②の方ですけれども,これは例えば長期にその祖父母宅だけで監護をしているという場合には,実際にはこの債務者による監護を,もし,何らかその管理をするといいますか,占有するという内容だといたしますと,実際にはそれは行わないと。したがって,一種その監護をする能力といいましょうか,について祖父母に管理権が移っているような,そういう状況かなと思いますので,仮にそういうふうに考えるとすれば,こちらについては,あるいは承継執行文を要することになるのではないかなと,長期に預けているという場合にはということでございます。   それからあと1点,これはどうかよく分からないのですが,事例①に関しては,先ほど幼稚園,保育所に並んで学校も出てきたわけですけれども,これは占有のというか,対象が子供であるということで,冒頭垣内幹事から少しお話がありましたが,その子供の意思とか子供の何か固有の利益というものを考える必要が,ひょっとすると出てくるのかなという感じがしまして,特に学校だと教育を受ける権利というのが,先ほど来,学校の利益として出てきたのですけれども,子供の利益は,それは何らか考慮する必要があるのかどうかということが,ひょっとすると問題になり得るのかなという,これは今,少し思い付いたということなのですが,感想を持っております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。 ○内野幹事 もしよろしければなのですが,②の事例でも強制執行が可能だという御意見につきまして,承継執行文があれば強制執行をすることができるとされている第三者の範囲というのは,どういう概念で区切られるというお考えでしょうか。もし今の段階でおっしゃられるところがあれば,御示唆いただきたいのですが。 ○山田幹事 今の話は,例えば承継執行のところで,実体的なその債務そのものは債務者に帰属をしているのだけれども,その管理については,コントロールについては他者に移って,破産管財人なんかがそうですけれども,そういう場合に類したことなのかなというのが直感的な感想でございます。 ○内野幹事 そうすると,もし間違いがあれば皆様から御示唆をいただきたいと思うのですが,一つのアプローチといたしましては,勅使川原幹事から若干御示唆いただいたように,今回の資料では,第三者が子とどういう関わりを持っているかというところで,強制執行の対象となる者の範囲を画したらいかがかという観点に軸足を置いているのですが,もう一つの観点としては,今までの御議論からいたしますと,これと異なり,むしろ,債務名義が予定した実態関係の変動の前提に着目し,つまり,債務者が子を監護しているという,債務名義が予定した状態が残存しているかどうかで強制執行の可否を区別し,仮にこれが残存しているのであれば,事実としてそれ以外の者が登場したとしても強制執行をすることができるのだとする一方で,青木幹事のおっしゃった事例のように,仮に債務者による子の監護が失われているという場面があるとすれば,それでもなお債務名義の実効性を維持するなどの趣旨から,一定の手当てをすることにより強制執行が可能な者の範囲をどのように考えるのかを検討していくというようなアプローチがあるように思いました。このような二つの異なる考え方があるような印象を受けたのですが,その当否も含めて,御示唆いただきたいと思います。 ○垣内幹事 今の難しいお尋ねを十分に受け止めることができたかどうかは自信がないのですけれども,基本的には両方の観点が必要なのではないかと,私自身は,今伺った限りでは感じておりまして,先ほど山田委員の御説明の中で,承継執行文という説明をされていたわけですけれども,まず,そもそも執行文が必要かどうかという問題があって,先ほど成田幹事から従前実務ではそれを不要と考えていたというお話があったのですが,私自身は事例①について,一時性のようなものを強調するということになってきますと,これは事例②については,継続的に長期で生活の本拠をそこに置いて監護の状態が存続しているということですので,同じ説明で占有補助者だというようなことは言いにくいのではないかという印象を今のところ持っております。   そうすると,何らか,動産の占有等との類比で考えれば,占有そのものはあるという事例に引き付けて考えるということになるのですけれども,そうしますと,少なくとも受寄者かあるいは自己に固有の利益を持って占有している者になってくるわけですが,そのときに,狭い意味での承継を問題にしなければいけないのは後者の場合で,つまり,固有の利益がある者については,債務名義成立後に承継した場合であれば執行力は及ぶけれども,債務名義成立前に承継関係が既に生じていて,債務名義成立時に既に利害関係人として存在した場合には,当該債務名義では執行できないというのが執行法の建前ですので,狭い意味でも承継を問題にしなければならないのは,第三者の側がそれに値する利益を,保護に値する利益を持っているという評価を受ける場合なのだろうと思います。ですから,その両方を見ていかなければいけないということで,他方,その第三者の方が専ら債務者のために監護を,事実上も監護をしているのであって,何か自己固有に保護されるべき利益を持っていないという評価が仮にされるのであれば,それは占有目的,請求目的物の所持者と同等の地位だということになりますので,仮にその関係が祖父母のところには審判のときから預けていましたという場合であったとしても,執行文の付与は可能な事例になってくるのだろうと思いますので,そういう意味では,両方の面を,債務者との関係がどういう形で,どの時点で生じたのかということと,第三者独自にどういう関係をその子供との間に持っているのかということは考える必要があるのかなと,今,御質問を伺って感じたところです。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。 ○久保野幹事 私もちょっと十分にお尋ねに答えられて,対応しているか,自信がないですけれども,今の御整理を伺って思いましたことは,債務者の方の実態状態の変動,あるいは債務者が有している子の監護が失われたかどうかという観点で見たときには,私の感覚では,①も②も失われていないという結論が十分にあり得るのだと思っておりまして,恐らくこのときに想定している監護というのは,その事実よりもう少し抽象的な,先ほどの冒頭の占有とパラレルに考えると,権原に裏付けられた抽象的な事実も含む監護というものを想定していて,それは長期に及んで祖父母に預けていても,それほど簡単には失われないという気がいたしております。   そうすると,そちらに着目した場合には両方いけるという,執行ができるという結論はあり得るとも思われるのですが,他面で第三者の範囲について,第三者の観点から,第三者の子との関係が,何らかの法的な保護,あるいは法的に何らか尊重されるべき利益を持っているかということは,やはり視野に入れて,視点に入れた方がいいと感じておりまして,その観点から見たときに,事例①と事例②は異なる評価が可能だという御意見に賛成しております。   その違いは何かということにつきまして,先ほどから出ている一時的かどうかということや,生活の本拠がどうかということもあると思うのですが,物の場合は,物に関わる利益を享受するかどうかという観点から,法的な利益があるかどうかと考えると思うのですけれども,子供の場合は,先ほど来出ている子供の意思というものもありますが,その子供の福祉を図るための責務を伴ったものだということがありまして,そうすると子供に関わる者自身の固有の利益といったときに,いわゆる自身の利益も否定されないとは思いますが,むしろ子供の発達を保障する責務を伴った何らかの法的な地位が保障されている,尊重されているということだと思うのです。   そうなったときに,うまく整理できていないのですが,継続性,一時的ではなく継続的であることと,あとやはり曖昧になりますが,意思的なものは入ってくるのではないかという気もしていまして,子供の安全,保護を全面的に引き受けるという意思的なものがあると性質付けられるか,そして包括的かどうかということ,先ほど限界事例で全寮制の学校のケースが出ましたけれども,極限の事例で子供の保護を図っていくということと関連付けての監護の捉え方というのが,もしかしたらあり得るのではないかと考えますと,継続性とその引受けの意思と包括性といったもので,それらがあるものについては,法的な尊重に値する第三者の関与だと評価するというのがあり得るかもしれないと思っています。   今,お話していることは,監護権者,766条の監護者と事実上の監護の間にあるような者を想定できるかということを考えているのだと整理しております。   最後に一つなのですが,祖父母に今言ったような意味での地位を認められるとして,それと債務者の監護というのは,同時に存在するということはあり得るのではないかということも,先ほどちょっと気になっておりまして,その先はその場合の承継との関係がどうなるかとかは,私は分かりませんけれども,同時に存在するという場合にどう考えるかということがあるのではないかと思いました。 ○阿多委員 先ほどの御質問については,整理としてはどちらのアプローチかというのはあると思うのですが,どちらかに割り切れるものではないというのが,まず御質問に対する答えなのですが,いろいろ出てきた考慮材料なのですけれども,例えば子を祖父母に預けているけれども,たまには債務者も帰っているのだとか,お金を出しているのだとかいうようなお話,更には意思に基づいて預けたのか,場合によっては,これも極端なケースですけれども,債務者自身がほかの人と出ていって,監護を放棄して祖父母が預かっているというようなケースもいろいろあると思うのです。そうなってきますと,債権者としては分からないような事情で,例えば仕送りを受けているから債務者の監護を受けているとなって,従前の債務名義で強制執行をすることができて,お金なんかは一切もらっていませんと言えば,承継執行文も取らなければいけないとかということになり,そういうふうな切り分けの問題なのかなと思いました。むしろ今日お話していましたように,子供にとって,そこで生活をしているということが,何らかの子の福祉にかなうというか,独自の利益があって,それの反射として,例は祖父母が分かりやすいので,祖父母の方に利益があるのかというような形がまず基本で,債務者の意思ないしは経済的支援だとか事実上の支配だとかいうようなことに余り重きを置くと,執行の手続がどれによるのだというような形になって,非常にややこしくなるのではないかなと思いましたので,その点だけちょっと付け加えておきたいと思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○石井幹事 先ほど申し上げた点と重なる部分も多いのですけれども,実務上,子の引渡しが命じられる場面というのは,監護者の指定の申立てがされるとともに,子の引渡しの申立てもされ,夫婦間での子の監護に関する処分としての,子の監護指定というのをした上で,子の引渡しを命ずるということになることが多いのではないかと思っています。   その場面では,判断の際のメルクマークというか,いろいろな監護状況とか,あるいはどういった監護補助者が期待できるかと,そういったところも含めて調査をした上で,子の利益の観点から,どちらがより適切かといったところで審判はするということになって,先ほど申し上げたように,基本的に一度審判をしますと,その監護者変更の審判というのがされない限りは,一方が監護者のままということになろうかと思います。   執行の場面というところになって,そうしますと第三者について,動産のような場合には,その後に独自に何らか権利を取得するということがあり得るのかもしれませんけれども,そこが違うのかなという感じがしておりまして,そうしますと第三者,先ほどの内野幹事が整理されたような意味では,第三者の利益というのを重視する必要性というのが相対的に低くなって,むしろ監護者の監護状態が変わったのかどうかといったところが,より重視されるというふうなことが,実務的にはといいますか,私の感覚としてはなじむ気がいたしまして,そういう意味では,私は①,②とも承継執行文の問題ではなくて,執行力が及ぶということになるのかなと思います。   結論として,それがいいのかどうかというところについては,いろいろ御議論があると思うのですけれども,そこは多分執行力の問題とは,またちょっと違うのかなというふうな感じを,議論を聞いていて思った次第です。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○道垣内委員 久保野幹事に質問したいのですが,祖父母の監護権は何によって基礎付けられるのですか。 ○久保野幹事 石井幹事から御指摘があった点と重なる御質問かと思うのですけれども,私が先ほど祖父母の何らかの固有の利益というものを観念し得るかもしれないといったときには,監護権とは考えておりませんで,というのは石井幹事がおっしゃっている意味での監護権とは考えていませんで,どういう発想かといいますと,ちょっと物の方の占有の方を十分に理解しているかが自信がないのですけれども,占有の状態,物における占有の状態,占有について,事実としての占有あるいは所持について,何らかの固有の利益というものが認められる場合があるということと照らし合わせたときに,その事実に基づいて何か手続的な関与を認めるべき場合があるのかないのかという発想でまず考えております。   ですので,事実上の監護なのだけれども,ある種の法的な利益が認められるものというのを観念することができるかどうかが問題になっているという整理でして,それが定型的に確立して,そういうものが観念されているかというと,そうではないと思いますので,そういう意味では,②のときに及ぶという結論,祖父母の固有の利益というものは,全く考える余地はないという結論もあり得るとは思っているのですけれども,少し気になっておりますのは,事実上だけれども,継続的,包括的に引受けをしながら,子供の発達を保障するような関係を作り上げているというときに,その事実状態にある種の法的な意味を与えるというのは,比較法などで私が見ているイギリス法とかフランス法を念頭に置いていますが,比較法的に見たときに,それに何らかの法的効果を与えているという例がありまして,今ここで議論している中で,祖父母に何らかの関与の機会を与えたほうがいいと,もし考えるのであるとすると,そういうものを考えているのではないかと思った次第なのです。   ただ,その先,それを物と比べたときに,先ほど来出ている所持者と占有補助者と受寄者と比べたときにどうなのかということが,ちょっと整理がついていないので,仮に祖父母のそのような,ある種曖昧な利益というものを考えることができたとして,それを手続に関与させるという形で取り込んだほうがいいのかどうかということが問題になっているだろうという程度のことでした。 ○道垣内委員 いじめようとか反対だという趣旨では全くなくて,その辺りをきちんと説明をしていただかないと,久保野幹事のおっしゃることがうまく伝わらないだろうと思ったのです。しかしながら,久保野幹事のお考えというか,一定の関係がある人が事実によって,監護の利益といいますか,独自の立場を取得すると考えたときには,それは承継執行文も取れないのではないでしょうか。 ○久保野幹事 そこが先ほど同時に成り立つということもありそうで,承継ということなのかどうかということも分かりませんとお話したところでして,そういう意味では,承継という,私がお話していることは確かに債務者の監護を引き継いだという意味では話していないだろうとは思います。ですので,そこはちょっと技術,何ていうのですかね,そこについてちょっと確たる意見ですとか何とかがあるわけではないのですけれども。 ○道垣内委員 その点は結構重要な点で,もしそこを是認するのだったらば,AとBとの間で争って,父親ですよ,母親ですよとなったとしても,独自の利益をそれとは離れて持っているということになれば,その人との関係で正当性は是認されていないことになりそうですよね。   しかし,そこまで言うのは無理だろうと,そこまで言ってしまうと,もう制度そのものがうまくいかないだろうということで,そこには目をつむろうと考えたときに,しかしながら久保野幹事がおっしゃるように,祖父母が事実として監護を継続しているというときに,祖父母の監護権類似の一定の法的な地位が生じると考えることによって②を特別扱いしようとすると,その難問に入ってしまう。だから,もし②を特別扱いするということになると,その事実の継続による何かの地位の取得というものを,事実上の地位の取得とか,更に弱めないと区別がつかなくなって,そうしますと,そのような事実上の地位を取得している人との関係では,当然にはそのままの形では執行できないということになるのはどうしてなのかという問題が出てきそうな気がします。なかなか大変だなという感じですね。すみません。感想になってしまいました。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○山本(克)委員 今日授業があったもので遅れて参りまして,失礼しました。ようやくついてこられたので,少し発言させていただきたいと思いますが,以前から私は動産のアナロジーによって議論することはやめたほうがいいと申し上げていて,今聞いていまして,正にその感を強くいたしました。   というのは,動産の引渡執行における固有の利益として考えられているのは,所有権であるとか,固有所有権ではないですね,賃貸,賃借権であるとか何らかの用益物権のようなものを主として考えるとか,債権法上の債権ではあるけれども,何らかの利益を,固有の利益というものを考えていたのですが,子についてそんなものは存在しないわけですよね。子についての固有の利益って一体何なのかということを明らかにせずに,固有の利益がある場合はどうだとか,いろいろと議論すること自体が私は不毛の議論であると感じております。   むしろ私はここで重視すべきは,どこに執行官が立ち入ることができるのかという観点から議論すべきであって,テンタティブに学校に行っているというような場合には公的な,そういうある程度のオープンスペースですから,そこに入ることについては,一定それほど手続の保障というのは要らないし,子は元々どこかに住んでいるわけですからあれなのですが,祖父母のところに住んでいるというか,祖父母の家になぜ立ち入ることができるのかという観点が必要であって,そのためには,やはり私は承継執行文というのが適切かどうかというのはともかくとして,特殊執行文が必要であると,こういうふうに私は考えるべきで,むしろ強制力を誰に働かせるのかという観点から物を考えたほうがいいのではないのか。   今,道垣内委員が言われたのも,恐らくそういう,子に対する実体的な法律関係,権利というのは一体あるのかどうなのかが分からん状態でそういうことを議論していることに対して警鐘を鳴らされたのだと思いますが,私ももし私の道垣内委員の御発言の理解が正しいとすれば,私も正に同感であって,むしろどの場所でということが一つ大きなものだと思います。   もう一つは,それと大事な,本当に引渡請求権の性質自体がよく分からないというのが,ここの問題を難しくしているところであると。例えば母親が子を遺棄して,父が母に対して引渡請求権,名義を持っているという場合に,母親が完全に子供を遺棄してしまって,第三者がそれを拾って養育しているというような,いわゆる捨て子の状態になってしまったという場合に,果たして執行力が及ぶのかどうかというよりも,まずそこで実体的に考えて,引渡請求権というのはどういう根拠で発生するのだろうかと,その子供を引き取った人,育ててくれている人に対して,それは人身保護法上の何かの,あれも実体法なのか手続法なのかよく分からないのですが,そういうもので基礎付けるのか,その辺りももうちょっと議論していかないとまずいなという感じがします。   そこの事例②の場合については,委託があるのだということで,私はそれで執行できて当然だと思います。ただ,やはり父母の本来名義が想定していない祖父母の住居に立ち入って執行せざるを得ないという点で,承継執行文というかどうかは別として特殊執行文が必要であると,そういうふうに考えます。   遺棄した場合はどうなのかというのは,やはりちょっと議論しておかなければいけないのではないのかなと思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。   場所の問題は今回の資料では,1ページの注の中で,今回の議論とは切り離して考えるということに一応していたわけですが,今のお話は双方の議論が切り離せないのではないかという御趣旨の御発言だったかと思います。そうすると,例えば先ほど出てきましたけれども,債務者が子をベビーシッターに預けている事案については,自分の家で預けるのではなくて,ベビーシッターの自宅で預かってもらっているというようなケースがあると思いますが,今の山本克己委員のお話だと,このような事案については,やはり承継執行文か何か分かりませんが,何らかのものが必要であるということになるのでしょうか。 ○山本(克)委員 そこのベビーシッターの家で執行するのであれば,特殊執行文が必要であると思います。 ○山本(和)部会長 そうするとやはり,場所の問題が中心になるという性格ですね。 ○山本(克)委員 結局強制処分を行う根拠は何なのかということが問題なのだと思います。住居,物にも影響しますから,子供の監護を解くということだけを考えてはいけないので,やはり第三者の家に立ち入るわけですから,それについて何らかの手続を踏んだ上で,正当性を示す文書が必要であるという立場です。 ○山本(和)部会長 逆に言えば同意があれば,それはいいということですか。 ○山本(克)委員 もちろんです。 ○山本(和)部会長 なるほど。 ○今井委員 山本克己委員に御質問させていただきたいのですけれども,祖父母がいるところに行くというのは,そこに立ち入るために承継執行文とは言わないまでも,何らかの特別な執行文が必要ではないかという御趣旨と伺ったのですが,例えば債務者である母親と祖父母が同じ家に住んでいて,住んでいるときには母親が監護していたと。ところが何らかの事情でもう出て,事実上監護を放棄して,それで仕方ないといいますか,祖父母が監護するようになると。この場合には特殊な執行文というのは必要なのでしょうか。それとも必要ないということになるのでしょうか。 ○山本(克)委員 母親は一切戻ってこないと,戻ってきた形跡がないという場合ですか。 ○今井委員 そうですね,例えばそういうケースだとすれば。 ○山本(克)委員 限界事例は難しいのですけれども,私はその場合には特殊執行文が必要であると思います。 ○今井委員 でも,先ほどの話ですと,祖父母の家に立ち入るために,むしろ誰が事実上監護しているかというよりは,祖父母,前提としては母親が住んでいるところと祖父母が住んでいるところが違っていて,母親が監護を放棄して祖父母が引き取った,この場合のイメージはよく分かったのですけれども,一緒の場合にはどうなるのでしょうか。 ○山本(克)委員 いや,もはや一緒でないという評価を下されているのではないかと思ったので,私は一緒だとは思わないということを申し上げたつもりです。まだ一緒であるという状態であれば,当然そのままいけるはずで,どこかへ行ってしまって帰ってこないというのに,まだ一緒であるとおっしゃることが私には理解できないところです。 ○今井委員 でも,祖父母の家に立ち入る以上は,新たな執行文みたいなものが必要だという意味からすると,元々母親と祖父母は御一緒だとすれば,委員のお考えだと,そもそも必要ないということになるのではないですか。 ○山本(克)委員 いや,誰のプライベートな空間に立ち入るかということが問題で,物理的に物が同一かどうかということは,私は意味がない,余り大きな意味がないと考えているということです。それは,受寄者等に対する,請求の目的物の所持者に対する強制執行について承継執行文は必要なのは,そこの受寄者の占有しているスペースに入らないと,引渡執行が不可能だからだということで,それとのアナロジーを考えているということです。 ○栁川委員 債務名義を作成するときに,誰を監護者にするかというときには,いろいろな方が関与して,いろいろな方面から考えて,どういうふうにすれば子の福祉にかなうかということを,長い期間を使って,債務者,債権者等からも話を聞いて,最終的に決めたものだろうと思います。   ですから,それはその時点における子供の福祉にかなうやり方,かなう受け皿が決まったということだろうと思います。それが例えば時間の経過で事情が変化して,債務名義に合わなくなったということであれば別ですけれども,基本的には債務名義,それにのっとって執行していくということが,大勢の方が理解できるところではないかと思います。   それから,村上委員のお話にも出ましたけれども,例えば保育園等に強制執行を行うために突然執行官が入ってきたときに,園は非常に戸惑うと思います。通常は保護者との契約に基づいて,子供の命を預かり,責任とプライドを持って仕事をしているところですから執行官が来たからといって,簡単に子供を渡すということは考えにくいと思います。正式な手続を踏まないと,子供は渡さないのではないか思います。保護者との契約があるので,投げられたボールを自分たちがどういうふうに判断して投げ返せばよいのかを苦慮すると思います。そういった判断を保育園なり幼稚園にさせるのは非常に酷だと思います。園側は,責任上,自分で判断をしたいと考えるのではないかと思います。   だから,執行官が来たからといって,即,子供を渡すという保育園等は,実態上は余り多くないのではないかと思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○谷幹事 今更ながらになるのかもしれませんけれども,この事例②が,債務者βから祖父母γに長期間預けられるというのは,これは債務名義成立の時点で既に預けられていた場合もあれば,その後に債務名義成立後に預けられるようになったという事例もあると思うのですけれども,これは両方を含むという前提でよろしいのでしょうか。 ○内野幹事 ひとまず念頭に置いておりますのは,債務名義成立後に預けられた場面です。 ○谷幹事 なるほど。その場合,ちなみにですけれども,仮に成立前の場合だったら,これはむしろ恐らく債務名義というのは家事審判を念頭に置いているのですが,祖父母も相手方にした上で審判手続を進めるということになるのかなと思うので,そういう理解であれば,それはそれで,この事例②というのは,成立後に預けられたものという前提で少し意見を申し上げたいと思います。   前提としまして,先ほどからありましたように,これは動産の占有になぞらえるというのはよろしくないのではないかというのは,私もどうもそういうふうに考えておりまして,同じ類似する場面と違う場面というのがあるとは思うのですけれども,違うのはどこかというと,恐らく子供の引渡しということでいえば,子供にとって,誰に監護されるのがいいのかということを考慮しないといけないわけですけれども,動産の場合はそうではなくて,権利者が権利を持っているかどうかということで行く末が決まるということになるので,その点が一つ違うのかなということと,それともう一つというか,それとその反映なのかもしれませんけれども,家事審判で子の引渡しが命じられるというのは,これは元々監護権なり親権があるから当然に引渡請求権があるわけではなくて,審判手続の中で,裁判所の言わば合目的的裁量に基づいて形成的に引渡請求権が定められると,この辺りが違うわけでありまして,そうすると,それはやはり監護権があるから当然引渡しということではなくて,その具体的な子供の監護状態の下で,これはやはり移す必要があるという,その判断の下に引渡請求権が形成されると,こういうことになるのだろうと思うのですよね。   そうだとするならば,債務者Bから祖父母に預けられた場合に,その場合は,また新たな別の監護状態なり子供の生活状況ができたのだから,本来的には実態判断はやはりもう一度しないといけないのではないかというのが,理屈上出てくるということにはなるのだろうと思うのです。だから,その辺りは理屈上の問題だけではなくて,子供にとって,子供の福祉にとってどちらがいいのかということなので,これはそういうことを判断しないといけない場面があるのは間違いないと思うのです。   ですから,単純に祖父母に預けられた,債務者,債務名義成立後に預けられたからといって,直ちにそれがその債務名義の効力によって承継執行文が必要かどうかは別として,全ての場合にできると結論付けてしまうのは,若干ちゅうちょしてしまうところがあります。   だから,その辺りのところの整理をした上で,本当にその債務名義で執行できるような場面なのかどうなのかという辺りの区分けをきっちりする必要があるのかなと。では,その区分けはどうするのかというのは大問題なのだろうと思うのですけれども,今までの議論の中で,そういう視点というのは余り出ていなかったのかなと思ったところなので,意見を申し上げた次第でございます。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○松下委員 かなり時機に後れているのかもしれませんけれども,一言ちょっと申し上げたいのですが,先ほど山本克己委員からは,レジュメの1ページの(a)の問題と(b)の問題とは不可分ではないかという御指摘がありました。ただ,一応そこは切り離して考えるとして,①の場合も②の場合も,現在の事実状態,すなわち保育園に行っているとか長期間祖父母の下にいるとかが債務者の意思に基づいている限りは,やはりなるべく監護補助者というのでしょうか,に引き付けて考えるのが筋で,承継執行文なしに執行できるというのを,まず基本として考えるべきではないかと考えています。   議論がここでややこしくなっている理由の一つは,請求の目的物の所持者という概念があり,この場合には固有の利益があるので,単純執行文では執行できないという前提があるからだと思います。しかし,昔から疑問に思っていたのですが,寄託の態様によっては固有の利益なんかなくて,執行との関係では補助者にすぎず,単純執行文で執行できるという場合が,寄託の場合でもあるのではないかという気がしています。なので,子の引渡しの場合にも,そういう場面が結構あるのではないかという気がしますので,まず基本は債務者の意思に基づく事実状態である限りは,占有あるいは監護補助者として考え,そうではない場合が何かあるのかという,そういう順番で物を考えたらいいのではないかと考えております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○今井委員 谷幹事と同じ弁護士会からの出身で御質問なのですけれども,確認ですが,子の引渡しについての規定がないからこの法改正がなされているわけで,やむを得ず動産の引渡執行を類推ないし準用というところでやっていたわけで,ただ,現実に今日の議論をやっていますと,動産の引渡執行そのものが当てはまると言っているわけではなくて,その占有補助者概念で説明のつくところがありそうだという議論をしているということは共通だと思うのです。   それで,先ほどちょっと気になったのは,形成権の行使による引渡請求権は,当然に親権や監護権から出てくるものではなくて,それは審判等における形成権の行使,これはよく教えていただき分かったのですけれども,でも,形成権であっても債務名義化した場合のその執行力は,それが元々形成権であろうが債務名義化した以上は,その執行力が,形成権かどうかで基本的に変わらないのではないかと思っているのですけれども,そこはそうではないのですか。それはまた形成権だと個別に場面によっては違ってくるということなのですか。 ○谷委員 いや,私が申し上げたのは,形成権だから,債務名義成立後にそれ以外の権利と違うという意味で申し上げたのではなくて,形成権というのは,意味としては,要するにその具体的な監護状況の下で,子の場合には引渡請求権を付与するのが妥当だという判断,具体的,個別的な判断の下で形成されるものだということを申し上げたかったのです。   したがって,それが債務名義成立後にその監護状態が変わったとすれば,その具体的な状況の下で,改めてその引渡請求権を付与するのが妥当かとどうかを判断する必要があるのではないかと,こういう意味で申し上げたという趣旨です。 ○今井委員 分かりました。 ○山本(克)委員 今おっしゃった点なのですが,これは前から,ドイツ法的な手続を考えるかどうかという話が以前からありましたよね。つまり,執行段階でも更に本当に引き渡すのが適切なのかどうかということを判断するような手続行動を採るのがいいのかという話になっていたのですが,ドイツでは,再三申し上げていますように,裁判,つまり債務名義作成機関と執行機関が同一なのですよ。ですから,それは可能なので,そういう制度を採らない,これから家事審判法を改正してそういう手続にするというのであればともかく,そうではない状態で,そんなことを誰がどうやって判断するのかというのは,やはり私は,現在の執行法の枠組みにおいては無理だ,非常に難しいのではないかと思っています。   ですから,やはり執行文付与の手続しかもうあり得ないと。元からの債務名義に表示された,形成的に形成されたその請求権が,なお存続させるのが適切かどうかという判断をなぜ執行段階でするのかと。これはやはり,日本ではもうそこは割り切らざるを得ないのではないのかと。これはなぜかというと,繰り返しになりますが,債務名義作成機関と執行機関を分けていると。執行文付与の手続も,やはり執行手続の一環としてされて,債務名義作成そのものではないのだと考えてきているのではないでしょうか。仮におっしゃるようなことを言うのであれば,その債務名義作成,執行文付与の中でまた特殊な考慮を働かす余地を,執行文付与機関ではやはり難しいので,執行文の訴訟で何かやるというようなことは,一つの考え方としてはあり得るけれども,その請求権そのものがあるかないかという形で議論するのがいいのかどうかというのは,ちょっと私は現時点ではやはり消極的にならざるを得ないと思います。 ○阿多委員 私自身も谷幹事の御提案は,また本案をするのかという感じを持って伺っていたのですが,それとは別に,ちょっと山本克己委員に教えていただきたいのですが,特殊な執行文というようなお話が出て,その理由は,第三者等のプライベートな空間に立ち入ることについての手続的な問題が必要だという形です。それはやはり執行文という形になると,やはり本案裁判所で手続を経て付与してもらわないといけないものなのか,例えばと前から申し上げていることなのですが,執行機関は執行裁判所と整理して,執行裁判所の中で,そういうふうな第三者の負担なども併せて考慮するという制度というのは考えられないのか,質問なのですけれども,ちょっと教えていただけたらと思うのですが。 ○山本(克)委員 そこは,執行文の付与要件をどういうふうに考えるかで,従前どおり裁判所書記官に執行文付与権限を与えるかどうかと。与えるだけの,定型的に一定の書類さえ整えば定型的に執行文の付与ができるような要件を定立できるかどうかに係っているのではないでしょうかね。そこはまだ現時点,もやもや状態で,今,どちらがいいかと言われても,ちょっと判断しかねるところです。 ○山本(和)部会長 そうではない可能性としては,裁判所がそこに関与するということですか。 ○山本(克)委員 もういきなり執行,でも,それはやはり難しいのではないですか。今の執行の手続,やはり難しそうですね。阿多委員のおっしゃるようなことは,とにかく執行開始の申立ては,やはり債務者を特定するという前提で,特殊執行文の場合には債務者というのは執行文付与,ここでいう特殊執行文というのは,債務者のところを補充するような意味合いの執行文ですから,債務者が特定されていないのに執行開始申立てというのはできないのではないですかね。 ○山本(和)部会長 執行文の付与ではあるのだけれども,今おっしゃったように裁判所書記官では判断が難しいといったときに,例えば旧法にあったように,裁判官,裁判長かもしれませんが,がそこに関与するような仕組みとかが考えられるといったことでしょうか。 ○山本(克)委員 そういうのは考えていいのではないでしょうか。執行裁判所であるということは,やはりちょっとおかしいなという感じがします。 ○山本(和)部会長 そこはやはり難しいということですね。 ○山本(克)委員 はい。 ○阿多委員 私が申し上げたかったのは,今の制度を前提に,執行文付与を書記官が本当に判断できるのかという問題です。先ほどお話が出ていたような諸事情はもう考慮しないのだということで,正に場所の特定というだけであれば,それは書記官で判断できるかと思うのですが,いろいろな事情を考慮するとなると,書記官判断ではなくて,そうなると裁判官が判断する必要があるのではないでしょうか。特に,プライベートな空間に立ち入ることの是非という実態判断みたいなものが入るのだと,裁判所というような形のものの関与が必要になってしまうのではないかと。そうなると余りに重たくなるというイメージがあって,だから執行機関である執行裁判所で一定の判断をするような仕組みを設けてはどうかと,また持って行きたかったのですけれども。 ○山本(克)委員 しかし,受寄者に対して執行するときは,裁判所書記官が受寄者の住所なり事業所に立ち入ることを許す判断をしているわけですよね。だから,書記官だとできないということにはならないと思います。もちろん要件を明確化できるかが大事だということだと思います。 ○阿多委員 具体的な手続の流れを想定した場合に,パブリックな,学校でする場合は別ですけれども,まず申立てをすると。債務者の住所で執行した場合にいなかった,祖父母のところに行っていると。それも管轄が異ならない近所だとなったときに,新たに本案裁判所の方に,書記官の方に執行文を付与してもらって,再度申立てをしなければいけないのか,事件継続にして,裁判所の方に,祖父母の方に今生活をしているという形にして,そのまま手続をとるということができないかと。なるべく迅速にと思っているものですから,そういうイメージでちょっと御質問させていただきました。既に駄目だということは分かっています。 ○内野幹事 既にお答えいただいているのかもしれませんけれども,前提として,「特殊執行文」というものを取れば,もう一回債務名義を取らなければならない者の範囲というのは,前提としてどういうふうにお考えになっているのでしょうか。 ○山本(克)委員 子の生活空間,居住している空間が債務者のものでないということが一つですよね。それと,やはり何らかの委託関係があると。そこが微妙なのですけれども,遺棄と委託の関係というのが完全に明確に区別できるかと,おじいちゃん,おばあちゃんに預けて,もう私,知らんからあとお願い,と言ったのが委託なのか遺棄なのかという問題はあると思うのですが,何らかやはり委ねられたということであって,私は先ほどの谷幹事の御質問に対して,後の場合だけを考えていると,債務名義成立後の場合だけ考えているとおっしゃったのですが,私は前でも構わない,前からそういう状態でも同じなのではないのかなという気がします。   つまり,私は基本的に目的物の所持者とかなりパラレルな考え方をしているのであって,承継ということは考えないという立場ですので,どちらかというと,ですから前から持っていたって構わないと。いや,前から監護していても構わないと,おじいちゃんのところでというふうですね。 ○山本(和)部会長 委託があれば,それに沿ってということですか,なるほど。 ○内野幹事 ありがとうございます。 ○垣内幹事 山本克己委員にちょっと教えていただきたいのですけれども,先ほど来の御説明ですと,特殊執行文が必要だとしても,それは飽くまで,執行の直接の相手方になる者の所有あるいは管理している場所に強制的に立ち入るということを手続上正当化するためであり,それに尽きるのであるという。 ○山本(克)委員 いや,そういうことではないです。 ○垣内幹事 そういうことではないのですか。 ○山本(克)委員 そこにもありますけれども,やはり委託の要素を含まないといけないというところで,やはり実体的に債務名義上の債務者に代わって監護しているのだということは必要だということですので。だから,その意味でその限り,先ほどから出ていますように,引渡請求権の性質というのが一体何なのかもよく分からないので,そういう説明でうまく説明し切っているのかどうかというのは全く自信ありませんけれども,差し当たり今までの,私としてはやはりその承継という言葉ではなくて,やはり委託の要素というものを中心に考えていくというのが,実体的な正当性を確保するための方策なのではないかなと。ただ,それが民法,親族法上それがうまく正当化できるかどうかというのは,正に民法の先生方にまた教えていただければと。 ○垣内幹事 今の御説明のようなことであれば,私としては余り違和感がないところで,山本克己委員が言われた委託というのは,私の発想から申しますと,債務者のためにそういう状態にあるということを,逆から見ておられる部分があるかなという感じがいたしまして。   当初御質問させていただこうと思いましたのは,仮に今の御説明とは異なって,場所に対する立入りの正当化の問題だけであるということであるとしますと,山本部会長も先ほど少し言及されたかと思いますけれども,それは要するに同意があればいいという規律があり得るところで,実際にそのハーグ条約の実施法では,それに類するものがあって,それとは異なって,なぜ特殊執行文がこの場合には必要になるのかということについて,少し分からないところがあったのでということでしたけれども,今の御説明であれば,その点は特には問題にはならないのではないかと思います。 ○山本(克)委員 それだけで行ける場合としては,例えば,現実に監護している父親が引渡請求権を有している債務名義があるという状態で,母親がたまたまおじいちゃん,おばあちゃんの家に子供を連れて遊びに行っていましたと。それはテンタティブな状態で居住しているわけではないと。そこに執行に行くというときに,祖父母が了承を,同意をすれば執行はできるという形にはなると思います。 ○垣内幹事 ついでにもう1点だけ,先ほどのお答えを伺うまでは,専ら物理的な場所への立入りということを強調されているように理解しておりましたので,例えば祖父母のところに常居していると,住んでいると。たまたま祖父母の家から少し友達と遊びに出かけたところを,執行官が行って連れてくるという場合には,これは物理的な場所への立入りはないので,強制執行,特殊執行文の問題は生じないという御趣旨なのだろうなと思って伺っていたのですが。 ○山本(克)委員 そうではないですね。 ○垣内幹事 そうではないですね。分かりました。ありがとうございました。 ○山本(和)部会長 おおむね一通り御議論いただいて,おおむね今日の議論いただく目的は達したかと思いますので,取りあえずここで休憩にさせていただきたいと思います。           (休     憩) ○山本(和)部会長 それでは,議論を再開させていただきたいと思います。   部会資料12-1については,おおむねよろしいでしょうか。   それでは,部会資料12-2の方の審議に移りたいと思います。「第三者から債務者財産に関する情報を取得する制度の手続構造に関する補足的な検討」ということでございます。   まず,事務当局の方から資料の御説明をお願いいたします。 ○松波関係官 御説明申し上げます。   部会資料12-2では,第三者から債務者財産に関する情報を取得する制度の創設に当たっての補足的な検討課題を取り上げておりまして,具体的には,この手続の基本的な構造をどのように理解するのか,これを誰と誰との間の対立構造を中心とする手続と理解するのか,という問題について取り上げてみました。   第三者からの情報取得の手続の構造につきましては,これを現行の財産開示手続のように,債権者が申立人となって債務者が相手方となるという債権者・債務者間の対立構造として理解することがあり得ると思いますが,その一方で,例えば,第三者に対して文書提出命令を発令する場面のように,債権者が申立人となり,情報提供を求められる第三者が相手方となる債権者・第三者間の対立構造として理解することもできるのではなかろうかと考えました。   こういった手続構造の捉え方については,どちらか一方に割り切って考えることができるかどうかというのは,必ずしも分からないところではございますけれども,今後,この手続に関する具体的な規律を検討していく上では,これをどのように理解するのかといった理解の仕方や考え方について一定の整理をしておくことが,有意義ではないのかと考えたところでございまして,その意義につきましては,資料の1ページ「1 補足的な検討の必要性」というところで簡単に触れております。   そこで,資料では,まず2ページから3ページの部分にかけまして,この手続のうちの債権者と債務者との対立関係というところに着目した検討を取り上げてみました。その上で,資料の3ページから5ページまでの部分では,債権者と第三者との対立関係に着目した検討を取り上げてみたところでございます。   こういった検討をするに当たりましては,債務者財産に関する情報を第三者から取得するという場面において,債権者,債務者,第三者という三者間の利害関係がどのように対立しているのかについて,これをどう評価するのかが議論のポイントになってこようかと思いますが,こういった利害対立の状況を考えるに当たりましては,この制度の対象となっている第三者と情報の具体的な範囲をどういうふうに定めるかによっても異なるのではないのかと思います。   そこで,今回の資料では,債権者と第三者の対立を考える場面としては,情報開示によって第三者の固有の利益等が害されるおそれがあり得るかに着目した区別をしておりまして,例えば,3ページの(1)のところでは,第三者の固有の利益が必ずしも害されないのではないのかという場面を取り上げて,他方で5ページの(2)では,第三者の利益が害されるおそれがあるのではないのかと思われる場面について取り上げてみたところでございます。これらの各場面におきまして,債権者と債務者や第三者との間の利害対立の状況をどのように評価するのかといった点について,御意見いただきたいと思いますし,また,それを踏まえまして,この手続の構造を誰と誰との対立の手続として,これをどう理解するのかといった点についても御意見を頂きたいと考えております。   また,最後の部分ですけれども,5ページの「4 その他の検討課題」では,今後更に検討が必要となる細かな具体的な規律の検討課題の一例といたしまして,この手続の管轄について取り上げてみたところでございます。この点について検討する上でも,今後手続の構造について整理しておくことが有益ではないかと思いましたので,御意見いただきたいと考えております。   なお,資料の冒頭の括弧書きのところでも書いてございますが,本日時点ではまだ中間試案の内容についてパブリック・コメントの手続を実施している最中ですので,第三者や情報の具体的な範囲をどのように定めるのかといった論点や,とりわけ公的機関からの情報取得については,地方税法等によって職員に守秘義務が課されていることとの関係をどのように考えるのかといったことについては,今回の部会資料では触れておりません。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   今,御説明いただきましたように,この資料では,大きく分けて債権者と債務者との対立関係,あるいはそれから債権者と第三者の対立関係の二つのそれぞれに着目した検討を区分して記載しておりますが,実質的には相互に関連する部分も多いと思いますので,これもやはり特に項目は区切らずに全体について御議論を頂きたいと思います。どなたからでも結構ですので,御自由に御発言を頂ければと思います。 ○今井委員 入り口のところで確認といいますか,質問になりますが,債権者,債務者間での対立関係というのは,これはもう当然そういう対立当事者というのは分かるのですけれども,債権者と第三者が対立関係もあり得るように思われるということで,資料では債権者と第三者の対立関係に着目したという展開になっておりまして,第三者という言い方から分かりますとおり,第三者ですから当事者でもなければ債権者,債務者との関係では,言わば部外者というところなのに,何で対立関係だというふうな立論をされているのかというところが,少々ナーバスになって気になっています。と言いますのは,当然のことながら,この制度の第三者の範囲をより拡張したいと,少なくとも弁護士会としてはそういうふうな方向を望んでいる以上,この対立関係だという位置付けが,財産情報の開示を求める立場と求められる立場という意味で,構造的にそのことのみをもって客観的な対立関係だと言っているという理解でいいのか,それとも実質的に利害が対立し得るというようなことで,利害が対立し得る関係だという,こういう立論なのか,ちょっと抽象的で恐縮ですけれども,立論として最初の入り口論として教えていただければと。 ○山本(和)部会長 それでは,事務当局の方から御説明をお願いします。 ○松波関係官 今井委員の御指摘のとおり,まず,この手続の理解の仕方として,債権者と債務者との間の対立構造があり得ることについては,恐らくこの部会のこれまでの議論の中でも見え隠れしてきたところなのではないかと思われますが,その一方で,債権者と第三者がどのような関係に立つのかということについては,これまで,必ずしも意識してきたわけではなかったかもしれないと思っています。そのため,債権者と第三者との間で何らかの対立関係があるかどうかという点については,そもそも御意見が分かれるのではないのかとも思っております。   その上で,この資料を作成いたしました趣旨についてですけれども,この手続における債権者と第三者の関係は,この手続を申し立てて情報を取得しようとしている債権者と,裁判所の決定によって情報提供義務を課される第三者という意味で,この手続において利益を受ける者と義務を課される者という関係で登場するのだと思います。この関係がどのようなものであるのかというところは,それぞれ御意見があろうかと思いますので,本日御議論いただきたいと思っておりますが,例えば,資料でいきますと5ページのところ辺りでは,債権者と第三者との間で直接に利害の対立が起こり得る場面があるのではないのかと考えて,資料を作成してみた次第でございます。これも例えばということで,一例ではありますけれども,現行法の手続の中で第三者である公的機関が所持する文書等を取得しようとするものとしては,文書提出命令があるわけですが,この文書提出命令の手続構造を見ると,これは,文書の提出を求める申立人と,文書を所持する第三者である公的機関が対立するような手続構造が採られているわけでございます。このような現行法が,第三者から債務者財産に関する情報を取得する場面でも参考にすることがあり得るのではないかと思いましたので,今回御議論いただきたいと考えました。 ○今井委員 分かりました。ただ,開示義務の開示を求める債権者と開示義務を課される第三者と,この構図は確かに分かるのですけれども,開示義務を課された第三者は誰に対する義務かといえば,やはり直接は裁判所だと思うのですね,債権者ということではなくて。そういうことなので,後で出てきます文提なんかの点も,これは対立しているから,その保護というよりは,第三者の端的な保護なのかなという,保護すべきところがあれば保護すべきだと,それを手続保障というかどうかは別として,そういう意味からして,債権者,第三者との対立構造というのは,やはり違和感がありまして,それから預金の差押え,銀行預金についての差押えというのは,もうずっと議論させていただいていますけれども,これは開示といっても,実際に開示ができて,銀行預金を差し押さえるときには,銀行が第三債務者という関係になりますので,預金の債権差押えという関係では,債権者,債務者,第三債務者になりますので,これは当事者に近い関係かなと。   だから,それ以外の第三者ということになると,従前から申し上げているとおり,それは現金又は現金同等物を預かっている民間なり,公的な機関が抱えている債務者情報を開示してくれということ,そのこと自体に構造的な対立構造はないのではないかというのが,私が言いたい意見でございます。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   それでは,ほかの御意見があればお伺いしたいです。 ○中原委員 先ほど今井委員が述べられたように,開示対象が銀行預金に限定されるのであれば,そこには対立構造はないと思います。しかしながら,これは将来的な仮の話ですけれども,銀行に対する情報開示の範囲を広げるという議論となった場合,例えば銀行が債務者の財産上に設定している担保権の内容の開示にまで拡大されたような場合には,銀行と債務者との間の信頼関係に基づいて財産を開示してもらい,担保権の設定を受けているわけですから,銀行が開示するとなれば信頼関係が崩れてしまいます。特に与信取引というのは銀行と債務者の信頼関係の上に成り立っていますので,与信取引という銀行の重要な業務の遂行に支障が出ることになるとの意味では,対立関係に立つ可能性はあるとは思います。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。 ○山本(克)委員 中原委員は,預金については預金の口座の種類,種別と口座番号と残高だけが開示対象だから対立がないという御趣旨なのでしょうか。 ○中原委員 ええ,そういう理解です。 ○山本(克)委員 しかし,確かにそれはもう義務の範囲がはっきりしていて,銀行の固有の利益というものが,ほとんど考えられないようなものを開示の対象としているからだけであって,基本的にはやはり義務を課すのだから不利益処分なので,当然第三者には一定の,情報提供者には一定の手続的な地位が与えられなければいけないのは当然で,たまたま義務の範囲が非常に明確であって,争う余地もないし,ということから事実上そういう対立関係がないというだけの話で,やはり原理的には対立しているのだと言わざるを得ないのではないでしょうかね。   ただ,これを言うことがどういう意味を持っているのかが,もう一つよく分からないので,いずれにしろ,開示を命じられた第三者に不服申立権は付与するのだというくくりにはならざるを得ないのではないですか,どちらを採ったとしても。結局のところ,何が問題なのでしょうか,結局管轄が問題なのですか,これは。 ○内野幹事 資料説明で若干触れましたとおり,例えば,抗告申立てを許すのかとか,この手続の管轄をどうするのかなど,個別の要件のところに影響し得る論点だと考え,今回取り上げましたが,個別の具体的な規律をどうするのかというのは,今後パブリック・コメントの手続が終わった後に御議論をお願いしたいと考えています。ただ,今後の議論の前提として,今回の資料で取り上げました手続構造論みたいなところを,一旦,この手続全体をどのように眺めるのかについて,一つ認識を確認しておいた方がいいだろうと考えまして,今回取り上げているということであります。 ○山本(和)部会長 恐らく,今回の議論の対象は,必ずしも今後議論すべき具体的な規律に関する論点とも直結するものではなく,今回の議論の結果によってこれらがアプリオリに決まってしまうということではないのだろうと思うのですけれども,この全体的な手続の見方,構造をはっきりさせた上で,今後,個別の問題を考えていこうという事務当局の考えではないかと思います。 ○山本(克)委員 その対立構造がよくやはり分からないので,例えば証人拒絶権の裁判に対して,証人拒絶権がないよという裁判をすれば,証人は即時抗告権があるので,それは対立構造があるからとかいう問題ではなく,単に不利益処分を課せられているからですよね。だから,それでなぜ対立構造を問題にせざるを得ないのかというのが,もう一つよく分からない。あり得るとしたら申立ての相手方が誰なのかという話と結び付けて,そこで管轄の話とかになるのであれば,それは一つの筋のような気がしますが,もう不利益処分を与えられるのだから,一定の不服申立権を与えられるのは当たり前だと思ってしまいますけれども,それは間違いですかね。 ○内野幹事 正に部会長から御示唆いただいたとおり,今回の議論の結果によって不服申立ての可否などの具体的な問題の全てが決まるというものではなくて,今後個別の手続の要件を決めていくときに,どういう説明をとるのかを検討するのを見据え,その前提として,こういった手続構造に関する議論を整理しておくのが有益ではないのかと考えたところであります。 ○山本(和)部会長 よろしいですか,今の段階では。 ○山本(克)委員 ちょっと抽象度が高過ぎて,まだ納得できていないのですが,もうちょっと実益を教えていただかないと,ファイトが湧かないという問題がありますので。 ○阿多委員 今井委員がおっしゃったように,対立という言葉が前面に出ていますけれども,むしろ,不利益処分に対してのその後の手続保障をどうするのかというのが問題で,逆に山本克己委員と違うのは,今般議論しているところの第三者からの情報については,先ほどの銀行預金なのですけれども,それで不利益処分を課されたからといって,金融機関がまた争う手続を今,想定している,一般論として第三者からの情報取得についての手続の問題は出てくると思うのですが,今般,またそれを併せて議論するのですかということが,実は聞きたかったところです。一般論として手続構造を考えるときに,第三者の方で不利益なのか,それからまた独自の利益なのか,そんな独自の利益性がないのかということと,それに対する不服申立てを一般論として検討するけれども,今般の銀行預金については,先ほど中原委員の意見ではないですけれども,そこまで考えないという話なのか,どこまでお考えで議論をされようとしているのかなというのを質問したかったのですが。 ○内野幹事 そうですね。どういう説明をとるのかの前提として,最初のスタンスといいますか,そこを一つ議論してもいいのかなと考えるのですが,そういう意味で,今後,個別の要件を考えていく際に,その要件を要求するのはなぜかということの説明として,これは手続構造論からすれば,こちらが自然ですよねと,こういう説明をすることができるのか,それともまた別途の特別の何らかの考慮でもって個別の要件,やはりこれは要りますねと,こう説明するのかといったこともあり得ると思いますが,この辺の手続上の位置付けないし説明の前提として,こういう手続全体をどういうふうな構造で見るのですかというのが有意義かなと考えております。   要するに,こういった議論の立て方自体,こんなものは議論しても意味ないのだという御意見であれば,それはそれでそういう前提で今後の議論が進んでいくということになりましょうし,ある程度今回のテーマを意識した上で,ここはある程度論理的に決まる手続上の要件になるのではないですかということが出てくれば,それはそれで,その説明で今後の具体的な制度設計を考えていけるのかなとは思っているところであります。 ○阿多委員 その意味では,この分析に意味がないということは全く考えていないです。むしろ,これまで複雑に絡めた議論を整理していただいているのですけれども,ただ,逆に債権者と第三者の対立構造に着目して,ではそれで全て答えが出るわけではなくて,やはり債務者との問題が出てきて,どうしても分析しながら重畳的に議論をせざるを得ないのだろうなと思います。今回の議論をすることで,これから,弁護士会的に言えば,債務者への事前の告知は要らないのだというのが論理的に出てくるではないかと言いたいところではありますが,全てそう言えるということにはなかなかならないのかなというのは理解しています。ありがとうございます。 ○垣内幹事 私はこの議論をする意味についての御質問等ではなくて,その点は,私自身は余り実益がなくても気にならない方ですので,今回頂いた資料,大変興味深く勉強させていただきまして,その文書提出義務の際の規律とか,その第三債務者の陳述義務等の規律などをいろいろ眺めて見たときに,今回作ろうとしている手続をどういう形態のものとして作っていったらいいのかというのは,それぞれの文提なり,債権差押えなり,規律そのものについても,いろいろ,なお分からない部分がないわけでもないような気もしまして,その辺りとの関係,大変興味深い論点を提起されているなと思いまして拝見いたしました。   それで,ただ,結論として要件等がどうなるかによるでしょうということには,やはりなるのだろうと思うのですけれども,まず既に御指摘ありましたように,第1の着眼点としては,この裁判によって誰が義務を負うのかということは,一つ出発点として決定的な意味を持っており,それは第三者,情報提供を求められている第三者に義務を負わせる裁判であるということかと思います。   ただ,そこから先がいろいろなバリエーションがあり得るところだと思うのですけれども,その義務が履行されることによって,誰が更に実質的に見てどういう不利益を被っていくのかということが問題で,そのこととの関係で,その義務の要件が決まっていくということだと思うのですけれども,今回挙げていただいたものの中で,例えば文書提出義務に関して考えてみますと,文提の除外事由が何に着目して規律されているかと考えると,これは基本的には,文書所持者に不当な不利益を被らせないという,所持者の利益保護の限界を画しているという意味が第一次的なものであって,例えば訴訟における対立当事者の利益を保護することを主眼に置いたものではないという理解がとられているので,例えば最高裁の決定で対立当事者に不服申立権があるかというと,それはないという判断はされているのだろうと思います。   その点をこの財産に関する情報開示の問題について考えますと,第一義的に義務を課されるのは,これは第三者ということになるのですけれども,文提の場合ですと,これは訴訟の要件事実の認定に関わる情報が様々あり得て,それは多くの場合には,当事者自身に関する情報ということはあるだろうとは思いますけれども,必ずしもそれに限定されたものではないのだろうと思います。   それに対して,財産の開示という場合には,これは情報の内容としては,専ら債務者の財産に関する情報が開示されるということが定型的に問題となるという点が少し違うところで,そうなりますと,それによる不利益が事実上あるとして,それは債務者が自分のその責任財産についての情報を第三者から開示されてしまうという不利益を一応想定することは可能なのだろうと思いまして,そのことを手続上どういう形で位置付けるのか,そしてそうした債務者自身の何らか不利益があるという問題と,第三者の不利益がどの程度のものかという問題を併せて考えたときに,どちらにどういった形で主体的に手続に代えさせる。ウエートをどうするかということが出てくるのかなという感じがしております。   先ほど御指摘ありましたように,銀行の預金に関する現時点での金額等々の比較的限定された情報のみが開示されるという場合については,これは金融機関の負担というものは,かなり相対的には小さいものであって,それについて不服申立権を理論上は設けた方が安全だということはあるかもしれませんけれども,そこがものすごく致命的な分かれ目だということかどうかというと,そこはそういう要件の立て方をした場合には,意味は限定的になるだろうと思いますが,資料で整理していただいていますように,要件設定がもう少し幅広くて,開示が命じられる情報,内容によっては,正に第三者自身の固有の利益が,より実質的な形で問題となるということであれば,それはその点について慎重に考えるべき要請というのは相対的にはぐっと高まるということになるのだろうと思っておりまして,そういう意味で,どういう範囲で義務を設定して手続を踏んでいくのかということに密接に関連しているのだろうなという感想を持ったということを,ちょっと発言させていただいた次第です。 ○山本(和)部会長 垣内幹事の印象としては,申立人と相手方と考えるとすれば,やはり相手方は基本的には第三者と考えていいのではないかということになりましょうか。 ○垣内幹事 基本的な出発点としては,やはり義務を課されるものが第三者,相手方と考えるのが自然な発想ではあるかなという気が現時点ではしておりますけれども。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。 ○中原委員 不勉強で申し訳ありませんが,預金の差押えに際して陳述の催告がされた場合で,第三債務者が故意又は過失により陳述をしなかった場合や不実の陳述をした場合は,これにより生じた損害を賠償する責任が課されています。しかし,陳述の催告に対する第三債務者からの不服申立手続はないと思いますが,この点はどのように理解すればよいのでしようか。つまり,不利益処分を受ける者に対しては,一般的には一定の不服申立手続が与えられて当然であるという前提に立てば,陳述の催告に対しても,不利益を課される可能性のある第三債務者に,陳述の催告に対する不服申立手続が保障されていないと整合性がとれないと思うのですが。 ○松波関係官 中原委員御指摘のとおり,債権執行の場面で裁判所書記官からの催告に基づいて第三債務者に対して義務を課すという場面では,第三債務者に不服申立ての権利があるとか,若しくは事前に審尋を受けるとかということは予定されていないのは御指摘のとおりだと思います。その趣旨が何なのかというのは,申し訳ございませんが,ここで直ちにお答えできるほどの準備をしているわけではございません。   なお,類似の不利益処分を課される場合において,当然に不服申立てができるかどうかという観点から見てみますと,例えば第三債務者の陳述催告のほかに,調査嘱託や文書送付嘱託の場面でも,裁判所から第三者である文書所持人等に対して義務を課すものですが,それに対しても第三者である文書所持人等は当然には不服申立てをすることができるわけではないということを指摘することもできるとは思います。 ○阿多委員 誤解をしているのかもしれませんが,陳述催告で回答内容が虚偽だとか不回答だという形で当然に責任を負うわけではなくて,一般的に不法行為の要件を満たせば,差押債権者との関係で損害賠償義務を負うだけで,その催告に対しての義務に違反したことのペナルティーとは少し違うので,そこで考えている不利益処分とは損害賠償請求とは内容が違うのかなと思っていたのですが。   それと,ちょっと違う,先ほどの垣内幹事ないしは部会長の御発言で,第三者からの情報取得についての申立人と相手方という整理をしたときに,相手方が第三者なのかという御質問があって,実は今まではそれは第三者が独自の利益はないというイメージで持っていたものですから,飽くまでも,申立人は債権者で,相手方は債務者で,債務者に関する情報を取得するという形で,相手方が債務者と考えていたのですが,そうなると御質問は,第三者が相手方という形になると,申立て段階での債務者の位置付けというか,両方とも相手方になるか,それとも第三者だけが相手方という手続をイメージされたのか,ちょっと教えていただけたらと思うのですが。 ○山本(和)部会長 そこを正に議論しているというのが本日の資料の趣旨でありまして,そこをどういうふうに整理をするのかということなのですけれども,いかがでしょうか。 ○山本(克)委員 ファイトがちょっと湧いてきたので申し上げますと,私は当然垣内幹事がおっしゃるように,相手方は第三者であると思います。情報提供を求められる者だと考えざるを得ないのではないですか。そこでなぜそれが手続外のものとして位置付けられるというのは,債権執行についてのイメージが強過ぎるのではないのかなと。あれはやはり一義的には債務者から自ら有する債権についての管理処分権を剝奪されるという点に,まず第一に重きを置いた上で,第三債務者にも一定の拘束力を及ぼすという構造を採っているので,第三債務者は一応申立て段階で,申立ての相手方ではないという位置付けになっているのですが,今回,債務者は何もないわけですよね。管理処分権を剝奪されるとか不利益処分,自分に関する情報が出ていくということだけですが,それは情報公開法などの仕組みでは,行政庁がやはり相手方で,そういう自分についての情報が出ていくことについて異議があれば,それについては異議申立てができ,抗告訴訟もできるという仕組みになっていますけれども,飽くまでも情報公開の仕組みは,行政庁を相手に申立てを行うという仕組みになっているというのと,パラレルに考えれば済む話ではないのかなと思います。整理してください。 ○山本(和)部会長 手続構造の理解の仕方について,皆様の認識が必ずしも一致していないということは多分明らかになったのではないかとは思います。 ○今井委員 不利益処分という言葉ですけれども,第三者という意味からいうと,債務者財産若しくは債務者財産の情報を抱えている第三者にそれを開示させるという意味では,この開示制度全般が強制執行の実効性確保のための司法のインフラという大きな目的のための国民の義務の一環だと考えると,やはりそれは直接には裁判所に対する義務でもありますが,そうすると,不利益というのがちょっと私としては違和感があって,それはやはりこの法の目的とはいえ,第三者等の範囲になった方に開示してくださいということについての,やはり不利益というよりは負担だと思っているのです。そのような負担をどこまで課していいのかというところが,この法制度のバランスだと思っています。   そういう意味で,先ほど中原委員がおっしゃられたことは,非常に示唆に富むところでありまして,では全く不利益や何らかの第三者の固有の利益を害するようなことはないのかということの答えとしては,やはり何を開示するのかということの対象がはっきりしていることが肝心ではないかと。中原委員の先ほどのお話と山本克己委員の御質問というと,預金に絞った形であればこれは問題ないけれども,でもそれ以上にということになると,それは,今度は本当に不利益もあり得ると。この田原最高裁判事,亡くなられた田原先生の補足意見ですか,これも似たようなことをおっしゃっているのだろうと思うのですね。   ですから,制度設計として,どこまで絞り込んで構造的に不利益又は過度な負担がないとするのがこの制度設計の一番大事なところなのではないかと。引用されているこの文提も,やはり文提といっても裁判ごとにどんな文書かと言えばいろいろありますから,それは構造的に制約できるものではありませんので,それは都度判断しなければ。そうすると,その都度判断する上で,不利益が課されないような手続保障,これは文提を課された第三者,こういう制度設計になるのだろうと思いますし,先ほどの陳述催告の点も,そういうふうに考えるとターゲットは絞られているから構造的に第三者の手続保障は特に不利益というようなことは想定できないので,要らないのではないか。こんな整理ができるのではないかと思いました。 ○阿多委員 相手方が誰かという問題ですけれども,先ほど本来の債権執行に引きずられているという点は,確かにそういうイメージで考えていたのがあるのですけれども,ただ今回第三者からの情報取得のための要件として,一般的な強制執行の要件がまずあって,それと財産開示における実施要件とほぼ類似の要件があって,その上で前後関係の議論という形で,少なくとも想定している要件の中身というのは,財産開示と共通なものを考えているのかなと。そうすると相手方が第三者になった場合に,そこで問題にしてきた要件について,誰がその要件を満たしている,満たしていないということに,債務者側からのその要件を満たしていないということについて,どういう形で防御するのかという問題が出てくるのではないかなと。そうするとストレートに本当に開示で不利益を受ける第三者が,この手続の相手方であって,債務者は手続から外れるという構造でいいのかというのは少しひっかかるのですが,いかがでしょうか。 ○山本(克)委員 それは対立構造とは別個に,どういうふうな形で裁判を告知して,その人に不服申立権を構築するかという問題での話であって,対立構造の話とはちょっと違うような気がします。例えば家事審判で後見開始決定に対立構造はないのだけれども,後見開始の処分を受けた者は不服申立権がある,即時抗告権があるわけですよね,告知もされますし,それと同じように考えればいいだけの話で,やはり対立構造という点では,不利益処分を受ける,負担は不利益ではないとおっしゃいましたが,負担こそ不利益だと申し上げているので,ですから,それに対する不服申立てというのは当然できるという,する余地がないような手続はもちろん,今回そこまでやる必要があるかどうかというのは,第三者の範囲と情報の範囲によって考えればいいことですけれども,原理的にはやはり不服を,負担が課せられるということ自体が不利益なので,それを無視すれば行政法なんていうのは成り立たないですよね。 ○阿多委員 いわゆる抗告構造で手続を考えているのかと。少なくとも本件に戻りますけれども,一番気にしているのは,相手方を第三者にした場合の債務者の不利益について,事前に相手方としながら,債務者に対しても手続告知をした上で強制執行要件,実施要件等を満たしていないことを争う機会を常に与えるのであれば,余り相手方が債務者がどうかというのは意味がないと思うのですが,注で挙がっていたような,必ずしも債務者への手続の事前告知なしに,注というのは,パブリック・コメントの甲案,乙案及びその下の注という,そこの財産開示手続との前後関係に関する部分の注です。そこで挙がっていた意見などを考えたときに,何度も言いますが,債務者の不利益について,それはもう手続的には考慮しないということまで考えた上での意見なのか,それとも私自身は,相手方はもう債務者だけれども手続的なことが事後的な形で保障される手続なのかと思っていたのですけれども,そこは質問の仕方がおかしいですけれども,債務者自身の一般的要件の部分について,第三者を相手方とする場合,どういうイメージで整理していくのかという,そこのイメージがお伺いできたらと思うのですが。 ○山本(和)部会長 イメージというのは,事前の意見聴取などの手続を設けるかどうかといった点についてでしょうか。 ○阿多委員 ええ,それでもう手続としては元々負担を負うのが第三者なのだからという形で,第三者が相手方ということなのです。というのは,先ほど垣内幹事がおっしゃいましたけれども,後ろにいるのは債務者であって,第三者が負う負担,不利益よりも,それによって影響を受けるのは,やはり債務者だと,一番影響を受けるのは債務者だと思っていまして,その債務者についての不利益を何らかの形で守らないといけないのかなというのが,ずっとこれまで議論してきたことだと思っているのですが。 ○山本(和)部会長 ええ,それがこの議論と直結するのかどうかという御質問ですかね。 ○内野幹事 そこはやはりいろいろな考え方があり得て,どちらを原則的なものと見るのか,それとも何らかの別の理由付けで何か権限を付与するのかという議論に還元され得るのかなと今のところは考えています。ですから,先ほど山本克己委員もおっしゃったようなところがあるかもしれませんけれども,そこで債務者に何らかの手続保障をすべきだとなれば,前提となる説明の中に特定の説明を加えて工夫をしていくことが必要になってくるのだろうと思っていますので,結論と説明の組合せは幾つかあろうかと思います。 ○阿多委員 そういう場合,何らかのものを手続の中に取り込むという場合であっても,単なる呼び方の問題なのかもしれないですけれども,最終的な決定,命令の相手方が第三者であると,手続としては第三者が相手方で,債務者というのは相手方では整理がされないと,そういう理解になるわけですか。 ○内野幹事 それも一つあり得る整理かとは思います。 ○阿多委員 分かりました。 ○山本(和)部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○勅使川原幹事 財産開示を前置した方がよろしいという考え方ですので,阿多委員のおっしゃるような債務者の不利益みたいなことは,財産開示手続の中で既にカウントできる。もしB銀行の口座に照会してくださるなということであれば,一応免除なりなんなりの手続は財産開示の中でとれればよろしいということではないかと。その上でその次に財産情報取得手続に入ろうと,第三者に入ろうというときには,申立人の相手方は,やはり裁判所の裁判によって情報提供義務を課される,当該情報を持っている第三者だという形になるのが通常ではないかと。   その財産情報取得手続に入る際には,その財産開示手続を実施しましたという要件のほかに,第三者から情報取得する手続についても,必要性なりなんなりをもう一度勘案するという形にするのであれば,ちょっと文書提出義務の方に引き寄せますけれども,そういう証拠調べをするかどうかの必要性については,もはや債務者の即時抗告とかは考える必要はないという形になるでしょうし,その手続に入った後で,第三者自身の不服申立てについては,この資料にありますような文書提出手続,類似のいろいろな形の手続を考えれば済むのではなかろうかという理解ではおります。こう考えるべきだというよりは,私はそういうふうに理解しております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございました。 ○青木幹事 私は部会資料の5ページの情報開示によって第三者の固有の利益等が害されるおそれがある場面ということは考えなくてよい場合について,手続を設けるということかと理解してきたので,部会資料を拝見して少し驚いたのですけれども,すなわち第三者の固有の利益を考えずに,類型的に固有の利益が害されないという場合について,この手続を設けようということなのかなと考えていたということです。ですが,それを広げようということについて,特に異存があるわけではないのですけれども,広げるとなると,やはり部会資料にもあるとおり,その第三者の方で自分の固有の利益を害されるということを主張することを認めるということになりますし,まずはそれを消極的な要件として定める必要があり,それを主張する手続を執行抗告でいいと思うのですけれども,定める必要が出てくるということになるのかなと思いました。   もう一つ,関連して,第三者が財産開示手続を前置するかどうかということにも関わるのですが,第三者が執行不奏功等の財産開示と同じ,それに相当する要件を具備していないということを,第三者が主張することを認める必要があるのかということは,この対立構造と関係して議論し得るところなのかなと考えております。要するに不奏功等でなければ第三者は負担を負う必要はないという点で,第三者に不服申立て,執行抗告でそれを主張することを認めることは,原理的にはあり得るかなと思いますが,そこまでの利益ではないのかなとも考えております。   すみません,特にどうということはないのですが,以上です。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○成田幹事 既に議論は出ているところではあるのですが,恐らく一般的,抽象的に情報の開示を求めるという形であれば,やはり不利益,負担を課すということになるので,金融機関であろうが公的機関であろうが,不服申立権,やはり執行抗告かと思われますが,それを付与するという形になるかと思われます。   ただ,中間試案で挙がっている預金の情報ですとか,あと株式等の情報,更に公的機関に対する勤務地の情報について,そこまでの必要があるのかというところは大いに疑問があるところでして,むしろ調査嘱託の方に引き付けて,不服申立てが出てこないような形になるのではないかと考えているところです。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。   第三者からの情報取得の手続に関する具体的な規律が今回の議論で直接決まるわけではないということだと思いますが,資料の4では,管轄の話が書かれてあり,この手続を債権者と債務者との対立構造だとすれば,債務者の普通裁判籍を基本に考え,債権者と第三者との対立構造だとすれば第三者の普通裁判籍に着目するというのが自然ではないかということが書かれています。しかし,この手続が書面手続であるというようなことをも考慮して考えた場合には,債権者の普通裁判籍にも管轄を認めるという考え方もあり得るということですが,この辺りについても,もし何か御意見があれば,この際お伺いしておきたいと思いますが。 ○青木幹事 この管轄の話について,手続構造の外の観点からの意見を申し上げたいのですけれども,この第三者が取得した情報に対して,ほかの債権者が閲覧という形でアクセスするということとの関係では,債務者の普通裁判籍の所在地の裁判所に情報を集積するのがよいのではないかなと思います。手続構造の話ではありませんが,そのように考えております。 ○山本(和)部会長 ありがとうございます。 ○山本(克)委員 私が先ほどの管轄の問題ですかと聞いたのは,相手方が第三者なので,第三者の普通裁判籍所在地等に管轄を認めるべきだという御主張なのかということをお伺いしたかったのであって,そこは違うのですよね。それはやはり,それをやると話が根本から変わってくるので,ですから,その限りでは,相手方は誰かというのは意味がないということになるということでよろしいですね。 ○山本(和)部会長 山本克己委員としては,やはり債務者の普通裁判籍の管轄ということですか。 ○山本(克)委員 もちろんそうです。第三者から寄せられる情報を一つの裁判所に集中しないと意味がないと思います。 ○山本(和)部会長 債権者の普通裁判籍にも管轄を認めるという選択肢はないということですね。 ○山本(克)委員 それはないのではないですかね。 ○阿多委員 管轄のお話が出ましたので,引きずられているわけではないですけれども,債務者の管轄の方でお考えいただいて情報集約していただくほうがいいのだろうと。もちろんほかの有名義債権者にすれば,既に財産開示が先行しているのでは,財産開示の結果,更には第三者から提供された情報を全て見ている,場合によっては次の判断になるでしょうから,情報はやはり1か所に集約していただいたほうがいいと思っています。   それほど戻るつもりはないのですが,相手方が第三者になった場合に,先ほど青木幹事の方から,一般的な要件,実施要件,その他についてですけれども,その場合は相手方である第三者は,元々債務者の利益を考慮して定められている一般的要件や実施要件等を不服申立ての際の不服の内容にできるのかという問題があると思うのですが,そこはもう飛ばしてしまって,第三者は第三者,自己の利益だけでいいのかなとは思っています。   ただ,一般的実施要件というのは,債務者の利益だけではなくて,制度全体に本来関連するものなので,それをそこに瑕疵が,何らかの瑕疵があるときに,第三者は全く言えないのだというので,本当にいいのかどうかは気になっているのですが,この手続で考えている第三者というのは,相手方になっていても相当軽いイメージで考えていますので,現時点では,自己の不利益だけの判断なのだろうと,そういうふうに整理できたらと思っています。 ○山本(和)部会長 ほかにいかがでしょうか。 ○中原委員 阿多委員が述べられたのはそのとおりだと思います。第三者の不服申立ては,自己の不利益に限定していただく必要があると思います。例えば,手続違反などを理由に債務者が第三者に対して,不服申立てをすべきであるとか,なぜ不服申立てしなかったのかという執拗な主張が行われる可能性があるので,第三者の不利益に限定するという形で定めていただく必要があると思います。 ○山本(克)委員 それをやる,そういう形で制度設計としてあり得るのですけれども,そうすると,事前に発令前に債務者にその点についての不服を述べる機会を与えておかないと,やはり私はまずいのではないのかなという気がします。 ○山本(和)部会長 御指摘の論点は,現在行われているパブリック・コメントの手続の後に,大議論になるところではないかと予想していますが,ほかにこの手続構造に関連して御意見があればいかがでしょうか。おおむねよろしいでしょうか。   それでは,おおむね予定していた議論はいただけたのではないかと思いますので,本日の審議はこの程度とさせていただきたいと思います。   それでは,次回の議事日程等について,事務当局の方から御説明をお願いいたします。 ○内野幹事 次回の日時は,11月17日金曜日,午後1時半から5時半までを予定しております。   次回は,パブリック・コメントの手続の終了後,パブリック・コメントは11月10日までということで実施してございますので,この終了後でございます。ですので,可能な範囲でその結果の概要を何とか御紹介をするなどしたいとは考えております。また,これを踏まえて,このほか次回取り上げるべき課題というのを考えてまいりますが,これも後日また適宜の方法で御連絡申し上げたいと考えてございます。 ○山本(和)部会長 以上のようなことでよろしゅうございましょうか。   それでは,これで民事執行法部会第12回会議を閉会させていただきます。本日も熱心な御議論を頂きまして,誠にありがとうございました。 -了-