法制審議会 民法(親子法制)部会 第2回会議 議事録 第1 日 時  令和元年9月10日(火)自 午後1時28分                     至 午後5時19分 第2 場 所  東京保護観察所集団処遇室 第3 議 題  懲戒権に関する規定の見直しについての検討 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは,予定をしておりました時刻になりましたので,法制審議会民法(親子法制)部会の第2回会議を開催いたします。   本日は御多忙の中,また大変お暑い中を御出席いただきまして,誠にありがとうございます。   最初に,今回初めて出席される幹事等の方に簡単な自己紹介をお願いしたいと思います。その場でお名前と御所属等の自己紹介をお願いいたします。 (幹事等の自己紹介につき省略) ○大村部会長 では,皆さんどうぞよろしくお願い申し上げます。   それから,本日は千葉委員,手嶋委員,山根委員,山本委員,垣内幹事は御欠席と承っております。   次に,本日の審議に入ります前に,配布資料の確認をさせていただきます。事務当局の方でお願いいたします。 ○濱岡関係官 それでは,配布資料の説明を致します。   まずは部会資料2でして,こちらは委員,幹事の皆様に事前に送付しているものです。  次に,委員等提供資料についてです。成松幹事提供資料は,体罰等によらない子育ての推進に関する検討会に関するものです。後ほど成松幹事から御説明していただきます。   山本委員提供資料は,本日御欠席されておられますが,懲戒権に関する山本委員の意見書になります。こちらも事前に送付させていただいているものです。 ○大村部会長 ありがとうございます。よろしいでしょうか。   それでは,本日の審議に入りたいと思います。本日は,懲戒権に関する規定の見直しに関する御審議を頂く予定です。このテーマに関しましては,懲戒権に関する規定の見直しの在り方という項目と,それから,懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項という二つの項目が,大きく分けて,ございます。資料で申しますと第2,2ページ以下と,それから,第3の7ページ以下ということになります。そこで,これら二つにつきまして順番に御審議を頂きたいと思っております。   最初に,部会資料2の「第1 問題の所在等」も併せまして,その後の「第2 懲戒権に関する規定の見直しの在り方」の部分,ここまで事務当局から御説明を頂きたいと思います。 ○濱岡関係官 それでは,御説明いたします。お手元の部会資料2を御覧ください。今,部会長より説明がございましたが,今回は大きく分けて二つの論点,すなわち,懲戒権に関する規定の見直しと,それに伴う検討事項がございます。   まず,懲戒権に関する規定の見直しについてですが,部会資料のうち1ページの第1は,問題の所在について簡単に整理したものです。民法第822条の内容,平成23年の民法改正における懲戒権に関する規定の改正や,懲戒権に関する規定を削除することが見送られた経緯について記載しております。その後,児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律により,親権者による体罰の禁止が明文で定められ,その附則において,民法第822条の規定の在り方について検討を加える旨の検討条項が設けられたことを記載しております。   続きまして,2ページの第2ですが,ここは懲戒権に関する規定の見直しの在り方について記載しております。これまで,懲戒権に関する規定の見直しの方向につきましては,①懲戒権に関する規定を削除する,②懲らしめ,戒めるという懲戒の語を改める,③民法においても親権者の体罰禁止を明文で定めるなど,懲戒権の行使として許されない範囲を更に明確化するという三つの方向性が指摘されたところでございます。これらの方向性を組み合わせることや,その他の方向性を含め,懲戒権に関する規定の見直しの在り方について,どのように考えるかについて御審議いただければと存じます。   3ページから,各方向性について検討を加えており,3ページの2では,懲戒権に関する規定を削除するという方向性について記載したものです。ここでは,懲戒権に関する規定を民法から削除することが,親権者による体罰の禁止とあいまって,児童虐待を防止する明確なメッセージとなることなどを理由に,懲戒権に関する規定を削除するという考え方があることを紹介しております。これは,懲戒権の規定を削除しても,その内容は民法第820条の規定に含まれ,親権者がなし得る行為の範囲は基本的に変わらないという整理に基づくものと考えられますが,懲戒権に関する規定を削除したとしても,懲戒という言葉が別の言葉に置き換わるだけではないか,懲戒権に関する規定の削除によって,親権者による正当なしつけもできなくなるのではないかという懸念があり,そのような懸念にどのように応えるかも含めて御審議いただければと存じます。なお,念のため申し上げますと,4ページの第3段落にあるとおり,先ほど申し上げた三つの方向性の区別は,必ずしも絶対的なものではないと考えられます。   4ページの3の部分では,懲戒という文言を改正するという方向性について記載したものです。ここでは,懲戒権に関する規定を削除しないとしても,懲らしめ,戒めるという懲戒の言葉は強力な権利であるとの印象を与えることから,これを見直すという考え方があることを紹介しております。文言の改正を行う場合には,現在の懲戒権の解釈に沿う形で見直しを行うことが考えられる一方で,改めて親権者としてなし得る行為の範囲を検討した上で,それにふさわしい文言の見直しを行うことも考えられるという点や,懲戒に代わる具体的な用語として何があるか,懲戒に代わる具体的な用語としては,しつけの語が指摘されておりますが,どのように考えるかについて御審議いただければと存じます。   6ページの4では,懲戒権の行使として許容されない行為の更なる明確化という方向性について記載したものです。ここでは,児童虐待防止法のみならず民法においても,懲戒権の行使として体罰を加えることが許容されないことを明確化するという考え方があることを紹介しております。その上で,親権者による体罰の禁止が定められた現在においては,肉体的な苦痛を伴わない親権者の行為についてもその限界を明示するのが望ましいとの指摘がある一方で,そのような行為は体罰とはその性質が異なり,許容されない行為の範囲を判断することが容易ではないと考えられるため,慎重に検討する必要があるのではないかとの指摘もあることも紹介しております。   6ページの5では,これまで御説明した三つの方向性について,これらを組み合わせることも考えられるとの指摘もあることや,検討を進めるに当たっては,採り得る見直しの選択肢を挙げた上で,各選択肢の意義や親権者の子に対する行為の範囲に与える影響等を整理することが必要であると考えられ,今後の検討の進め方も含めて,どのように考えるか,御審議いただければと存じます。   第1及び第2についての事務局からの説明は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございました。   引き続きまして,厚生労働省の方から資料を出していただいておりますので,これにつきまして,では,成松さん。 ○成松幹事 厚生労働省の成松です。私の方から提出させていただいた資料に基づきまして,関連する動きとして御報告を致したいと思います。   表題が「体罰等によらない子育ての推進に関する検討会について」という紙でございますが,これは,去る9月3日に第1回を開催させていただいてございます。この会議の趣旨といたしましては,前回のこの部会でも御説明したとおり,体罰の禁止というのを児童虐待防止法の中に改正でさきの通常国会で位置付けたということでございます。こういったことを受けまして,体罰の範囲,あるいは体罰の禁止に関する考え方,あるいは,これらを国民に分かりやすく普及するということ,もう一つが,保護者に対する支援策も併せて周知をするということが大事になってくると思いますので,そういった様々な検討課題についての検討会というのを9月3日から開催をさせていただいてございます。   構成員としては,裏面の方を御覧いただければございますが,これらの方々でございます。座長は一番上の大日向先生にお願いをしているというところでございます。   9月3日は様々な角度からの御意見を賜っておりますので,次回以降,これを整理をして,具体的な,先ほど申し上げた検討課題について議論を進めていきたいと思ってございます。   この体罰禁止の規定の施行日が来年の4月1日でございますので,周知期間も含めて,それに間に合うように,この検討会というのも議論を進めてまいりたいと思っているところでございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは,今までのところ,御説明がありましたけれども,これにつきまして何か御質問があれば,お願いを致します。 ○磯谷委員 磯谷です。まず,4ページの上から6行目の「また」で始まるところに,「懲戒権に関する規定を削除したとしても,懲戒という言葉が別の言葉に置き換わるだけであり」という記載がありますけれども,ここは民法820条の監護教育の中に含まれるので,その監護教育という言葉に置き換わるという趣旨なのでしょうか。 ○平田幹事 御質問ありがとうございます。御指摘のとおり,懲戒という言葉が別の言葉に置き換わるというところは,基本的に,監護及び教育などの言葉に替わり得るというようなことで記載させていただいております。 ○大村部会長 よろしいでしょうか。   そのほか,御質問があれば伺いますが,いかがでしょうか。   差し当たり,よろしいでしょうか。   それでは,また何か質問等があれば伺いますけれども,次の審議の方に入らせていただきたいと思います。懲戒権に関する規定の見直しの在り方の部分,第2の部分を中心に御意見を頂きたいと思います。どなたからでも結構ですので,御発言を頂きたいと思います。 ○棚村委員 前回も少しお話をしたと思うのですけれども,基本的には民法822条の懲戒権を見直すというときに,規定そのものを削除してしまうというのと,それから,表現を少し変えていく,強すぎるからというものと,それから,体罰を含めて許されない行為,それから,許される行為と許されない行為の線引きというのですか,それを明確にするという整理がございました。仮に懲戒権の規定の削除をするということでも,やはり親として,しつけとか監護教育も含めて,子どもの人格を尊重するとか,それから,屈辱的な行為,要するに,教育措置とか監護のためとはいっても,そういうものは許されないとか,そういうような表現を加えるという,その辺りの御提案が割合と多かったのではないかと思っています。   それで,私も,懲戒という言葉については,これまでの沿革とか,いろいろなところの使われ方を見ますと,やはり三つぐらいの意味があると思うのです。お子さんに対して親がどういうようなしつけをしていくかと,そういう中で監護教育ということの延長線上として,ある程度,子どもの適切でない行動とかそういうことについて是正をするというのですかね,しつけをするというような意味のものがあります。それから,第三者に何か迷惑を掛けたときに,それをある面では戒めるというか,指導教育ということを通して注意を与えるとか,そういうような意味が2番目にある思われます。それから,懲戒という言葉は,学校でもありますし,組織の中でもあるわけですけれども,弁護士さんとかここにいらっしゃるみなさんもそうですけれども,組織の規律を維持する,秩序を維持すると,品位を保つとかそういう趣旨で,一定の制裁なり統制権を発動するというのですか,そういう意味合いの三つがあると思います。   これまで,懲戒権は民法の中でどう使われてきたかということを見ますと,やはり梅謙次郎さんの民法要義なんかを見れば分かるのですけれども,結局,監護教育というものを明治民法では明記しました。ボアソナード民法では置いていなかったものを,置いたわけです。その延長線上で,そこに含まれるかどうかという議論のときに,やはり軽く叩いたり叱責したり,部屋に閉じ込めたりというのですかね,そういうようなことで懲戒,戒めるような作用というのは監護教育だけではとどまらないのではないかと考えられていました。もっと遡ると,勘当とか久離とかと,親の言うことを聞かなかった者は,お前は勘当だみたいな,そういう絶対的な支配権として言うことを聞かせるみたいなものがあり,なおかつ,公法と私法がかなり融合しているような時代は,例えば,非行に走ったら懲戒場とか感化場という経緯もそうですけれども,やはり家の責任で,あるいは家長の責任で,親の責任で子の非行を是正しなければいけないという役割がかなり強く打ち出されていたと思います。そういう中では,親が子どもに対して責任を重く持って行くのだという流れの中で,懲戒権の規定というのは存在をしたりしたと思います。   他方,明治12年の教育令なんかを見ますと,体罰をすることは許さないという規定がもうあの時代からも入っていたりするわけです。これも少し経緯を調べると,やはり伊藤博文なんかが上申したと言われていて,西洋の近代的教育思想とか人権思想みたいなものが入ってきていたと言われています。こういう中で,やはり体罰はいけないのだとか,それから,旧民法でもボアソナードの民法でも,懲戒権は持つのだけれども,ただし,過度な体罰というのはやれないのだという禁止の規定をやはり置いているわけです。   こういうことを考えると,私自身は欧米諸国を見ていて,北欧が,この間も紹介しましたけれども,スウェーデンだとか,いち早く体罰とか暴力によらないで子どもを育てるという方向での規定を採用しています。ドイツなんかも御紹介したとおり,2000年に,暴力に因らないで子は教育される権利があるという規定が採用されています。その中にあって,イギリスは割合と,親の体罰とかしつけというのは,むしろ親としての権利だけではなくて,責任としても非常に重いものだというコモンローの伝統があって,それが1933年の児童青少年法でも,やはり合理的な範囲で親がしつけをする,体罰をするということについては許されるというような規定ぶりにもなっていました。その伝統がずっと続いていたのですけれども,2015年に,特に,2004年の児童法の改正で,58条で実はやはり身体的な暴力とか,けがをさせるというようなことについては,これはもうしつけとか許される範囲を越えているのだということを明示しました。2015年に,私もNHKか何かのコメントでお話をしたのですけれども,シンデレラ法というのができまして,結局その1933年の児童青少年法というのが約80年ぶりに改正をされました。議論はいろいろあったのですけれども,要するに,暴言を吐いたり無視したり,精神的に追い込むような行為についても,身体的な性格での虐待に対しても,厳しくやるべきだということで,初めて,最大ですけれども,10年の禁錮という重い罰則も科すのだということの法案が成立をしました。   この辺りのことを見ていると,暴力や,あるいはしつけのためだったら多少許されるという考え方から,やはり子どもの側に立って,子どもの人権を尊重しなければいけないという流れの中で,身体的にけがをさせたりなんかするのは,やはり犯罪にもなる可能性がありますし,駄目だけれども,むしろ心理的,精神的に追い込んでいって相手方の人間性を否定するような親の対応というのは,もう正当なしつけとか監護教育とか指導ということを越えていると考えられるようになりました。   そうすると,表現ぶりというよりは,やはり私自身は,この規定そのものが,2011年の親権法の再度見直しの時には,懲戒権がなくなると,何かきちんとしたしつけ,そういう正当なしつけまでできなくなってしまうのではないかという危惧もあって,それで監護教育に必要な範囲でというような規定を入れることで落ち着いたようですけれども,やはり,磯谷委員も前回少しおっしゃっていましたけれども,懲戒権の規定がなくなったからということで,直ちに暴力とか虐待がなくなるとはもちろん思えないのですけれども,世界全体の流れをこう見ていますと,やはり日本も,懲戒権の規定だけをなくす方向での議論が大切だと思います。もちろん,規定を削除したからといって,虐待とか暴力とか家庭内の不適切な行為,それから,いろいろな組織の中でもいろいろなハラスメントとかいじめとかも,もちろんなくなるとは思わないのですけれども,やはり民法の規定の中で,懲戒という言葉が持っている意味とか内容とかが大分大きく変わって,親がどう子どもを育てるかというよりも,子どもがどうやって周りの人からの愛情を受けて育つかということに視点を合わせていくと削除する方向で検討しなければならないと思います。とくに,今後は日本でもそうですし,心理的な暴力やモラルハラスメントや,ある意味では,親によるいじめに近いようなことも起こり得ると思うのですけれども,その線引きはとても難しいのですけれども,基本的には,梅謙次郎さんもなかなか鋭いことを言っていたのですけれども,ただ,やはりその時代とか社会の背景みたいなのももちろんあるのですけれども,その後の教科書を調べると,やはり懲戒権というのは監護教育の延長線上にあるのだという理解が一般的になっています。体罰は許されないのだというのも,戦前の教科書なんかも見ると出ていたりして,梅謙次郎もやはり,残酷なものは駄目なのだと理解しており,軽いものだけなのだということを書いています。結局,懲戒を残すと,その程度の問題が常に問題になってしまいますので,できればやはり削除ということが望ましいように思われます。懲戒権をなくし,体罰を全面禁止した国がある程度,親の体罰がとても多かったのが,こういうような体罰を禁止すると同時に懲戒権みたいなものを削除して,子どもの視点から,子どもがやはり暴力とかそういう屈辱を受けずに育つ,健やかに育つ権利という形で規定をしたときに,随分親や国民一般の意識や理解の仕方,そういうものが大きく変わっていったというような結果もあるようですので,日本もそういうような形で,削除をする方向で検討をすべきではないか。そして,体罰はもちろんですけれども,例示のような形で,一般的,抽象的になりますけれども,子どもの人格や人権を尊重するとか,あるいは体罰を含むような,子どもの人格を否定したり,屈辱的な教育的な措置とかの行為,こういうことはやはり許されないというようなところをどこかに明記していただくということで,許される行為,許されない行為をむしろ明らかにしていくということがいいのかなと考えている次第です。   すみません,少し長くなりました。そういう意見です。 ○大村部会長 ありがとうございました。今,御指摘もありましたし,その前の事務当局からの御説明にもありましたけれども,三つの方向性が取りあえず検討対象として挙がっているわけですが,棚村先生の御意見は,懲戒の意味ですとか,あるいはイギリス法の動向などについての御紹介もありましたが,それを踏まえて,懲戒権の規定は削除をするとともに,何か積極的に許されない行為を示すようなものを明文化する必要があるのではないかという御提案だと承りました。 ○磯谷委員 まず1点目については,今,棚村委員がおっしゃったことと重なるのですけれども,先ほど私が御質問を致しました部分,懲戒という言葉がほかの言葉に置き換わるだけではないかという,ここのところですけれども,確かに監護教育の中に含まれると解すると,そういうふうな論理もあり得るかと思いますが,一方で,先ほど棚村委員もおっしゃったように,元々監護教育の中でとどまらないものとして,この懲戒というものが位置付けられたというお話もございました。また,実際に解釈する中でも,懲戒という言葉が残ることになりますと,やはり監護教育と別に,そこからはみ出すものが何かあるのだろうと解釈されることになるのだろうと思いますので,このように別の言葉に置き換わるだけということにはとどまらないのではないかと思います。したがって,結論的に棚村委員の御意見に賛成したいと思います。   それから,2点目は,5ページのところにありますが,この懲戒という文言をしつけに改めるというふうなアイデアが紹介をされております。ただ,このしつけというのが一体どういうことなのかというのは,実は必ずしも明確ではないと思うのですけれども,5ページの下から8行目辺りでしょうか,監護教育の目的から,ある規範を内在化させるための行為と一応の定義を頂いています。そうすると,これは監護教育のある意味,それを実現するためのツールといいますか,そういったような位置付けになるのかなと思うのですけれども,しかし,その監護教育の内容そのものも幅広い上に,どういうふうに実現するかということについては非常に幅が広くて,このしつけという言葉でこれを全てうまく包含をするには,なかなか難しいし,この言葉は,そういう意味では余りに頼りない言葉ではないかなと思うわけです。   要するに,監護教育権があると,そして,次のところで,しつけができますというふうなことでは,何をよしとしているのかが分かりにくい上に,ここが非常に広いだけに,逆に言えば,このしつけに盛り込まれないものは認めないというふうなメッセージになるのだと思いますけれども,このしつけというところが非常に曖昧であることとあいまって,かえって過度に子育てを制限する,子育てのやり方を制限することにつながらないかというふうな懸念があると思うのです。   むしろ,それよりは,先ほど棚村委員もおっしゃったように,明らかに子どもの福祉を害するようなことは駄目だということは,非常にクリアですし,それさえしなければ多様な子育てが認められると思うのですけれども,このしつけという言葉が非常に曖昧であることから,しつけができますというふうな規律の仕方というのは,かえって制限的になるおそれがないだろうとかと懸念を致します。加えて,このしつけというところを何か外出しにる考え方に対しては,しかしながら本来は監護教育の中にしつけが含まれるのではないか,そうすると一体,監護教育を定める820条と,このしつけを定める822条との違いは何なのかというところで複雑な議論になりかねないと思いますので,したがって,この懲戒という文言の訂正,改正という流れで,このしつけが提案されていることについては,私としてはかなり懸念を持っているということであります。 ○大村部会長 ありがとうございます。先ほどの整理で言うと,三つの考え方のうちの2番目の,懲戒という言葉を置き換えるという考え方に対しては御懸念があるということで,磯谷委員のお考えは,懲戒権に関する規定の削除という方向でしょうか。棚村委員とは必ずしも一致しない。 ○磯谷委員 少し足してよろしいでしょうか。懲戒権の規定は削除することを希望しますけれども,加えて,その後に提案されている,これは懲戒権の行使として許されない行為の更なる明確化という言葉にはなっていますが,体罰など子育てにおいて許されないことを明記するということは十分考えられるのではないかと思います。これについては,また少し改めて意見を申し上げたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○久保野幹事 すみません,久保野でございます。この1から3の選択肢のどれがよいかということについては,意見は必ずしも固まっておりませんで,ただ,懲戒という文言はやめた方がよいのではないかと思っています。どの選択をするかという観点とは違う,より一般的な観点から,2点,気になっていることを,述べさせていただきたいと思います。   といいますのは,三つ目の選択肢において,許容されない行為といったものを示していくこと,これは反面で言うと,こういう子育てはしてよい,こういう行為はしてはいけないという規律をするということだと思うのですけれども,このような規律の仕方として,体罰といったような具体的な行為を挙げて,これをできない,許容されない行為だという形でルール化するのと,先ほど出ていましたような,子どもの人格を尊重しなければならないですとか,子どもの健全生育の観点から行使しなければならないというような規律を設けるのとでは,何か規定の性格が違うような気がしまして,体罰やこれこれの具体的なことをしてはいけませんというような規律の仕方というのは,現在の民法で親権を規律しているやり方ですとか判例が用いている方法とは少し違う,異質なものが入り得るのではないかという気がしております。   といいますのは,現在の判例がよいというつもりはないのですけれども,ただ,現在の判例や条文ですと,親権者は広範な裁量をもって子の利益とは何かを判断して,幅広く親権を行使できるということになっていて,ただ,その最も外の枠として最低限課される外縁や限界を基本的な考え方に基づいて画していくということをしているような気がしています。例えば,親権喪失で,虐待その他で子どもの利益を著しく害する場合には喪失させますよという形で,間接的にしてはいけないということを示しているですとか,判例で,権利濫用法理によって親権者による子どもの引渡しを否定するですとか,あと財産に関わる問題の方ですけれども,その代理権の行使について権利濫用によって否定するというような形で,例外的に,子どもの利益に反する場合,子どもの利益を著しく害する場合,子どもの利益を無視して自己又は第三者の利益を図るような場合に,権利濫用とするというようなことになっていまして,そうしますと,先ほど言いましたように,こういう判例には批判の余地があると個人的には考えていますが,ただ,親権者に対して具体的にこれこれをしてはいけないと民法に規定するというのが,これまでのルールとの関係で言うと,やや異質かもしれないということを意識して,考える必要があるのではないかというのが1点です。   今のこととの関連で,820条は,ただ,子の利益を目的に行使しなさいと言っていますので,そこは,親権者に,こう行使しなさいと言っている規定が入ったとはいえると思うのですけれども,これにつきましては,そのように親権者に対して,こう行使しなさいと指示するのは不適切だという学説の批判があると思いますし,このような規律の仕方の場合であっても,子の利益のためにという抽象度をもって規定するのと,これこれの具体的な行為をしてはいけないという定め方には違いがないのかということも意識しておきたいという気がしております。   長くなって申し訳ないのですが,もう1点で,先ほど磯谷委員から,過度に制限にならないかですとか,多様な子育てというものを害することになってはならないという視点が示されたのと少し似ている話なのですけれども,親権者に,これはしてはいけないと,こういうやり方でやってはいけないとした場合に,中には,法律によってしてはいけないと定められていることをしないと,自分は子育てができないと感じる方もいらっしゃるのではないかと思います。例えば,体罰をしてはいけないと規律する場合を想定すると,軽重ある様々な体罰の態様を考えると,自分は法律で禁じられている体罰をしないで育てることは難しいと感じる方も出てくるのではないかという気がするのです。そのような,法律で禁止されているけれども,自分はそうしないとやっていけないのだと思うような方について,どのような支援等ができるのかということとセットで考えていく必要があるように思います。   具体的には,例えばドイツ法では,親権喪失に至る前の段階の介入のところで,親権者が行政の支援を受けるよう裁判所から命じられる手続があると思うのですけれども,そういう形で,その親権者はそうせずにはいられないとしても親権行使として不適切であるという場合に,行政等による支援を受けて修正していける仕組みが整っているかというようなこと,そういう発想とセットで考えていく必要があるように思います。   この点,懲戒権の条文について,平成23年改正のときに懲戒場が削られてしまって,それ自体は懲戒場に該当する施設がなかったので仕方なかったと思うのですが,ただ,懲戒場の定めを,少年法ですとか児童福祉法とつなげて,社会や国家が親権者の養育を助けることを支える方向性を示すものに発展させることができるとよかったのではないかと個人的に思ったりしていまして,余計なことを申しましたけれども,親権者の支援というものとセットで考えていく,逆に,支援には限界があるのであれば,具体的な行為を禁じるというほうだけ突出すると問題が生じないかということは,少し懸念しているところです。   すみません,長くなりましたが,以上です。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○幡野幹事 棚村委員から比較法的なお話がございましたけれども,フランスで最近,今年の7月10日の法律で民法改正が行われ,新しく民法371条の1第3項という条文が挿入されました。そこでは,「親権は肉体的,精神的な暴力をすることなく行使される」と規定されています。その立法の過程での元老院というフランスの上院の報告書などによりますと,今述べた規定の趣旨は,日常的な教育のための暴力,しつけと称した暴力というものはもう一切できないということを公に示すための規定であると述べられております。   同じく元老院の報告書によれば,EUの圏内では,このようなしつけとしての暴力というものを禁止する立法というのが多くの国で制定されており,EUの28か国中23か国で,今言ったような日常的なしつけのための暴力を禁止する立法が既になされており,フランスもそのすう勢に乗るべきであるということが述べられています。さらに,民事法の規定で,このような日常的な生活の中でしつけとしての暴力をすることを禁じている国としては,ハンガリーやドイツやエストニア,ギリシアがあると紹介されております。   先ほど久保野幹事がおっしゃったように,禁止をする内容の条文になりますけれども,当然その禁止をする,このような形でしつけをしてはならないという規定を置く以上,それでは親はどうすればいいのかということに対する親へのサポートというものももちろん必要だということも,その報告書では書かれています。   また,懲戒権という文言は,フランスでは,1858年に懲戒場の施設が廃止されて以来,民法の中にはありませんが,実は刑法の違法性阻却事由として,懲戒権に基づく場合には,幾つかの要件の下で違法性阻却するという判例法があります。しかし,このような規定を置くからには,懲戒権に基づく違法性阻却を次第になくしていくべきである。そのようなメッセージもこの新たな立法には込められていると報告書には書かれております。   様々な意味で,今行われている議論というのも,恐らく世界的なすう勢の中で,似たようなコンテクストの中で議論されていることと思われますので,参考になる部分があればと思い,御紹介した次第です。 ○大村部会長 ありがとうございます。イギリス法とともにヨーロッパ大陸法の動向についても御紹介いただいたということで,有り難く思います。体罰を用いてはいけないということを明示するということで,その前の久保野幹事の御発言と,緊張関係に立つところもあるかもしれません。やってはいけない行為のリストを示すということが持つ意味をどう考えるのかという問題もあるというような御指摘も頂いたと受け止めました。   そのほかに,御発言,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 久保野さんの御指摘は,非常に丁寧に細かく分析をされていると思います。ただ,私自身が思うのは,やはり今の家族法の民法の規定の改正というのは,非常に限られたテーマや部分的な修復というような議論をせざるを得ない。そうすると,居所指定権とか,ほかの職業許可権もそうですけれども,やはり親権という言葉それ自体が,もう親の権利という立て付けになった構造の中で議論せざるを得ない,それに,子どもの利益とか,あるいは監護教育に必要な範囲内でとかと修正を加えながら,整合性を何とか維持しながらやっているというのが今の議論だと思うのです。   そこに私は当然,限界はあると思うのですけれども,先ほども言いましたように,ほかの国がなぜそこに踏み切っているかというのは,やはり親の権利から子どもの権利へという流れ,そして,子どもがどう感じて受け止めるかということで,親が何をしたいかということよりも,むしろそちらを優先しようという,そういう思想的な,理念的な大きな転換期に来ているという社会的背景の中で,一体何ができるかというときに,過去を振り返っていろいろと,教育法とかいろいろなところを見て,懲戒権が必要なのか,それに加えて民法にどのような規定を置くべきかを検討することになります。私はスポーツの問題にも少し関わっているのですけれども,そこでもやはり,今,現状を調査すると,体罰は禁止されるけれども,結果を出すためにはある程度の暴力,多少のことだったら許されるとか,家庭内だったら許されるというのが6割とか7割をやはり占めています,体罰も程度の問題だという意見がかなりあります。ところが,そこを全面禁止などもう一歩踏み出さないと,何も変わらないのではないか。もしかすると,相談支援とか教育啓発とか,意識をどうやって変えるかというときのやり方としては,条文を変えたからというので,子どもの権利だとか人格の尊重なんていうことを挙げたからといって,なくなるとは私も思っていません。しかし,懲戒権をなくして,暴力・虐待禁止を全面的に打ち出すようなことをしないといけないのではないか。結局,大幅な建て替えとか作り直しというのができずに,やはり整合性もある程度維持しながら,教育とか監護という中で,親の工夫とか創意だとか愛情による子育ての在り方の多様性というのを担保しながら,これは絶対やってはいけないということで皆さんが了解できるような一般的な規定,例えば,体罰はこれを加えてはならないというのはいろいろなところに出てきているわけですし,それから,屈辱的な教育措置はやってはいけないとか,人格を否定するようなことは許されないとか,非常に抽象的なので,それ自体が具体的にどういう意味を持ってくるのかということも考えなければいけませんけれども,教育啓発とか,あるいは相談支援体制とか,そういう意識を変えるための地道な努力をしつつ,でも,民法の規定を変えるとか変えないということについてのメッセージとか象徴的な意味,あるいは戦後の大幅な民法改正の中でも,やはり教育的,宣言的な意味というのは重要ではなかったかと思います。家制度を否定するといっても,やはり家の意識は残ってしまうとか,そういうことは起こると思うのですけれども,そういうようなことで踏み出す意味というのは,やはり大事かなと考えています。   そのときに問題になるのは,他との整合性とか,そこだけ突出しては少しまずいのかなということはあり得ると思いますけれども,それはやはり表現とかいろいろなことで,今までも改正を議論したときに何とかやってきたことなので,それを大きく外れたような形で進めるということはできないと思うのですけれども,むしろ近年の大きな流れの中では,私はやはり欧米の国々,フランスの例も今,言っていただきましたけれども,そういうものを参考にしながら,可能な範囲で民法の規定,懲戒権はなくても何とかならないのかという議論は十分にできると思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○久保野幹事 意見は定まっていないと申し上げたのですが,今,棚村委員に御指摘いただいた点との関係で言いますと,先ほどは判例も挙げたので,誤解を招いたと思うのですけれども,例えば,体罰は駄目だとだけ入れた場合に,山本先生から提出されている実務での御経験を踏まえた意見書に記されていることかと思うのですが,親権者というのは何でもできるのだという前提については修正のメッセージが実は余り発せられないまま,要は体罰は駄目だが体罰さえしなければよいのだろうといったような受けとめられ方につながるのだとすれば,余り望ましくないという感覚を持っています。むしろ,棚村先生が先ほど例示されたような,子どもの利益に制約されるのだ,そこからおのずと限界が生じるのだとか,人格を尊重して監護教育をしなければいけないのだという,体罰がなぜ禁止されるのかという根拠となるところの考え方を示す方がより望ましい,そのような規定ぶりの文言を考えるのは少し難しいかもしれないと思っているので,歯切れが悪いのですけれども,その方がより望ましいのではないかという意見を,持っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。懲戒権の規定を仮に削るとして,その後どうするかということについて,幾つかの考え方が示されているということかと思って伺っておりました。ネガティブリストで,これはいけない,これはいけないと書くか,あるいは,久保野幹事が先ほどおっしゃいましたが,より積極的に親権行使の指針を示すということも考えられる。今,直前には,それらを組み合わせるようなお考えも示されたように思いますけれども,複数の可能性があるということがここまでの御発言で出てきたように伺っておりました。   今まで頂いている御意見はおおむね,懲戒権に関する規定については削除をすべきではないかと,その後どうするかについては幾つかの考え方があり得るということであったかと思います。その方向での御意見でももちろん結構ですし,あるいは,そうした場合に生ずる可能性のある懸念等について御指摘を頂くということでも構いませんので,更に御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○磯谷委員 先ほど久保野委員がおっしゃった家族の支援というのは,非常に重要な視点だと思います。児童福祉について責任を負っている児童相談所を中心として,関係機関としてはよく念頭に置いていかなければいけないと思いますけれども,制度的には,平成28年の児童福祉法の改正の中で,その3条の2に「家族の支援」を第一に考えるということは明記されました。また,児童相談所の実務においても,虐待に分類されるケースであっても,実際に保護するケースというのはかなり少数でありまして,実際には家庭にお子さんを置いたまま支援をしているという現状にありますので,そういった実情も一応,御報告しておきたいと思います。   それから,先ほどの,子どもの利益といいますか権利の尊重というところも,これまた大変に重要な視点だと思います。御承知のとおり,同じく28年の改正のときに,児童福祉法の中には,子どもの権利擁護ということを冒頭で明記をしたわけですけれども,またそれとは別に,民法にも定めるということもあり得ると思います。820条は,子どもの利益のために監護教育権を行使すると定めていますが,これも平成23年の改正のときに,同じような認識の下で入れたように思います。そういった経緯も踏まえて,更に何か足すべきか否かという議論になるのかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。先ほど棚村委員からメッセージという言葉が出ましたけれども,懲戒権をどう見直すとしても,社会的なメッセージが大変強いということは常に考えなければいけないのではないかと思っております。仮に懲戒権の規定を現状のまま維持するということは,法解釈上は懲戒に体罰は含まれない解釈とされたとしても,社会に対しては,体罰は禁止だけれども懲戒であれば認められるという誤ったメッセージを発信することになってしまうのではないかと思っているので,その意味では,懲戒権規定を維持するということはあり得ないのではないかと思っています。   また,懲戒という言葉をしつけなどほかの言葉に置き換えたとしても,またその新しい言葉を理由にして保護者が虐待を行い得ることもあるのではないかと考えます。それでいけば,やはり懲戒権規定を削除することが最も明確に,子どもに体罰を行ってはいけないというメッセージを強く発信することができると考えています。そうなると正当なしつけもできなくなるのではないかという懸念への対応ですが,それで子育てに不安を抱える保護者を更に追い込んでしまうことになりかねないと思いますので,その意味では,先ほど厚生労働省からも御説明がありました,児童虐待防止法の議論をするときにも国会の附帯決議でガイドラインの作成というのもあったので,検討会が設けられていると思いますけれども,不安に寄り添うような保護者支援の充実,それが非常に重要だと思います。そこは厚生労働省でしっかりと対応すべきであると考えます。   また,民法における体罰禁止の明文化のところなのですが,民法で体罰禁止を明記するとした場合,限定列挙となって,明記された内容以外が許されてしまうという解釈がされてしまうのではないかというおそれがあると思っています。またあわせて,親権における監護を行うことの延長線上として居所指定や職業許可が定められている中に,並列で体罰禁止というのを規定することにはやや違和感を持っておりますので,その意味では,やはり体罰禁止の明文化というのは少し慎重に考えた方がいいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。今のところ,懲戒権規定削除という御意見が多いように思います。それに伴う懸念については,先ほど久保野幹事から御発言もありましたけれども,親に対する支援の方策を講ずるという,言わば手続的な,あるいは行政的な対応を図るということで,民法に何か実体的な規定を置くことによってその懸念を払拭するというご提案は余りなかったように思います。それでよろしいのかということが一つあろうかと思って伺いました。   体罰禁止等,具体的な規定を置くのかということについては,考え方はいろいろあるかもしれないけれども,何か置こうではないかという御意見と,それから,井上委員からは,それはむしろ望ましくない結果をもたらすのではないかという御意見が出ておりますけれども,以上のような議論の状況を踏まえまして,更に御発言があれば頂きたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○棚村委員 今,井上委員からも,懲戒権という規定自体の削除の意味というのは,私もそう思っています。ただ,体罰とか,いわゆる望ましくない行為みたいなものをある程度明らかにできないかということで,難しい話ではあると思うのですけれどもやはり暴力,いじめ,ハラスメントとかと,いろいろ人権侵害というのは,職場でも,それからいろいろな学校でも,家庭でも,起こっているわけです。日本は残念ながら,そういう包括的な差別とか暴力を排除したり禁止するという,そういう明確な禁止法みたいなものがなくて,個別の児童虐待防止法とか,配偶者暴力防止法とか,障害者差別の禁止とか,そういう形で個別の法律の積み上げというところがあると思うのです。それで,今回やはり民法というのは日常の生活の基本法ということになるので,余り細かい個別の行為の列挙というのはなじまないとは思うのです。   ただ,ほかの国がそこに踏み込んでいるのは,先ほどもフランス法の紹介もあったように,やはりそれを宣言することで大きな意味があるのではないかと考えるからです。例えば,旧民法,ボアソナードの民法の中にも,こういう過度な体罰というのは,あるいは懲戒というのは許さないとか,それから,体罰を禁止するというのは結構いろいろなところに法律としては出てくるわけですけれども,その体罰の定義そのものは,文科省にしても,それから厚労省で今やっているように,どこまでが許されて,どこまでが許されないかというのは非常に定義が難しく,総合判断みたいなものが必要となり,グレーゾーンというのはやはり出てくると思うのです。   先ほど言いましたように,象徴的な意味として,体罰という言葉を使うかどうかは別ですけれども,何らかの形で暴力を否定することは大切だと考えます。私はカンボジアの民法を2007年に起草する作業をお手伝いしたときに,女性に対する暴力がまかり通っていて,ユニセフとか国連なんかとも協力して,これを何とかしなければいけないという中で,民法の中に規定を入れさせてもらう提案をし受けれていただきました。民法の規定自体が,どれくらい効果を生じているかという問題はもちろんあるのですけれども,ただ,かつてと比べると,一般国民の間では少しづつ変化が生じつつあり,DVも離婚原因と認められるようになりました。日本でのハラスメントの問題もそうですけれども,私が1999年,早稲田大学で初めてガイドラインを作ってやったときには,19か所,全学であったのですけれども,アカデミックハラスメントには大反対でした。学問の自由を阻害するとか,熱心な研究教育や指導が行えない,批判されました。だけれども,今はハラスメントのいろいろ啓発とか教育とか,あるいは教員や学生の処分も通して,大分広まってきて,やはりアカデミックハラスメントもいけないのだということで,誰も異論を言う人はおりません。   ですから,そういう意味では,どこでどういうふうに踏み切って,どんな効果があるかというのは,やはり相談とか支援とか,地道な活動がそれを支えて,意識を変えていくということになると思うのですけれども,ただ,やはりこれはやっていけないのだというふうなことを定義を置いたり,あるいは宣言をするということは,民法の規定の中でも,これまでもそうですけれども,部分的ですけれども,かなり意味があって,ただ,余りディテールに具体的に書いてしまうと,かえって,規定ぶりが突出するだけではなくて,先ほど久保野委員からも言われたように,民法の役割とかそういうものの限界もありますから,やはり各分野ごとに詳細なものを作り,かつ規定を置きながら,ガイドラインみたいなもので,やっていいことと悪いことというのはきちんと線引きをしたうえで,冷静に議論を進めるということはしなければいけないと思うのです。   体罰みたいなものを禁止することに対して慎重で在るべきだというのは,それは海外でもそういう議論が結構あって,正当なしつけとか,あるいは許される行為みたいなものについて,萎縮効果が出たりする危険であるという議論はどこでも聞かれました。ただ,それを越えて踏み切らなければいけないのは,やはり目黒の結愛ちゃんとか,野田の心愛ちゃんの事件ですけれども,こういう事件が繰り返されて,昨日も何かいじめで3回ぐらい自殺未遂をした子どもが,結局,教育委員会がおおうそつきだという遺書を残して自死してしまった,いじめの調査を放置していたということで報道されていましたけれども,私たちはこれを,ただこういう事件が起こったからというだけで感情的に動くというよりは,やはりこれを防止するためにどうしたらいいのかということで,限られたものでも積み上げていくというようなことが,私はすごく大事なことだと思うのです。   それで,海外の経験も踏まえた上で,先ほどから,日本の歴史的なことも振り返って,江戸時代でも暴力なんて,体罰なんかやっていることは最低だと,教育効果はないのだと言っていた人たちも結構いらっしゃるのを見て,ああ,やはりこの時代でも,体罰だとか暴力が教育という中でまかり通っていた時代でも,こんなことを言ったすごい人がいるのだなんていうことを思いながら,この問題を考えていくと,体罰とかそういう言葉も含めてですけれども,暴力はやはり許されないとか,人権を,人格を否定するような行為は許されないとかということが,どういうふうに規定したらいいかというのは知恵を絞る必要があると思いますけれども,海外と同じような形で,やはり規定を置くことの意味は,私はかなりあるのではないかと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。井上委員が反対というか,体罰禁止について慎重論を説かれたのは,それだけを置くと反対解釈で,他は許されるのではないかというようなメッセージを送ることになるのではないかということだったかと思いますので,そうならないような方策があるのならば,それはまた別途考えるということになろうかと思いますが,同時に,規定の置き方として,他の親権の規定と平仄が合っているだろうかというような御指摘もされていましたので,それも考える必要があるかなと思って伺いました。 ○窪田委員 今の部会長からお話のあった点と重なるのかもしれませんが,元々の久保野幹事からの問題提起ということで,どういう監護教育の在り方が望ましいのかという観点から規定するのか,何が許されないのか規定するのかというのは,二者択一ではなくて,恐らく両立するのだろうと思います。ただ,恐らく規定のあり方としては,どのような懲戒が望ましいのかという規定の置き方をするのは,やはり少し変で,どのような監護教育が望ましいのかという観点から扱うとすると,恐らく820条の問題になるのかなと思います。現在でも子の利益のためにという規定は置かれていますけれども,それで十分なのかということ,それから,確か後半の検討事項に入っていたと思いますが,やはりこれは権利というよりは,むしろ義務の性質が先立っているのだとかといった観点から820条を見直すのかという観点から扱っていく問題なのではないかと思いました。   ただ,一方で,これは磯谷委員から御指摘があったことなのですけれども,そこの部分を余りがちがち書いていくと,結局,親としてできる監護教育というものが実はものすごく限定されてしまうのではないかという問題になりそうです。何でもかんでも許されるわけではないけれども,やはり原則はかなり幅広い裁量の幅があるというのが現在までの捉え方だと思いますので,それも踏まえて議論する問題なのではないかと思います。   先ほど両立すると言った点についてですが,私は前回の会議で,懲戒に関する規定は残した上で,禁止される行為というのを書くというのもあるのではないかと申し上げましたが,別に懲戒権という形での規定を残せという趣旨では全くなくて,監護教育についての規定はありますので,懲戒権という形で積極的に権利として規定する必要はないのだろうと思いますが,その上で許されないことというのを規定するというのは,形としてはあり得るし,むしろ,先ほど言ったように,裁量の幅は広いのだけれども,しかし,ここから先はやはり許されないというのを書くということは,むしろ許されないことを限定的に規定するという意味で,裁量を広く認めていることと両立するのだろうと思います。そうすると,先ほど御指摘があったように,禁止されていること以外は全部許されているのかという話になってしまうのですが,それはむしろ820条の問題として対応することができるのかなと思って伺っておりました。   ここまでは,今まで私がこういうふうに議論を受け止めたということだけなのですが,その上で少し気になっておりますのが,禁止する行為を,その外縁に当たる行為を書くというのができればいいのですけれども,それを実際にどうやって書くのかという点が非常に気になっております。体罰の禁止ということについては,恐らく潜在的にはもうここで共通了解は得られているのだろうと思うのですが,一体,体罰が何なのかということになると,本日の資料でも10ページ,11ページで,学校教育法11条に規定する参考事例ということが挙がっていますけれども,そこで挙げられているのも参考事例であって,どうしてこの事例が体罰に当たって,どうしてこの事例は当たらないのかという点については,必ずしも明確に示されているわけではなくて,積み重ねとしてこういうふうな判断がされてきたということだけだろうと思います。   また,学校における体罰の話と親権の行使における体罰の話というのは完全に重なるわけではなくて,特に未就学の小さい年齢の子どもに関してどう扱うのかといった問題は,これではカバーできないということになるだろうと思います。様々な外国法の規定の仕方においても,いろいろな形で工夫がされていると思いますし,厚生労働省の児童福祉法の一部を改正する法律も,体罰を加えること,その他,監護及び教育に必要な範囲を越える行為という,それなりに考えた言葉を使われていると思うのですが,これが結局,うまく書くことができるのかどうなのかということで,その外縁を規定するということがどうなるのかということが決まってくるのかなと思って伺っておりました。 ○大村部会長 ありがとうございます。御指摘は二つあったのかと思って伺いました。一つは,何というのでしょうか,これも複数の方から御発言があるわけなのですけれども,今回の改正で,しつけができなくなるではないかという懸念が生じるということがあるのですが,より一般的に言って,子育てが窮屈になるのではないか,あるいは,できることが限られてくるのではないかという懸念に対して,やはり一定の裁量権,判断権というものが親には残っているのだということを何らかの形で示す必要があるのではないかという御指摘を頂いたと思っております。それから,もう一つは,やはり書き方の問題はかなり難しい問題を含んでいて,具体的な事情が分かるのが望ましいのかもしれませんけれども,それがどこまで書けるのかという問題があるという御指摘があったかと思います。そのほか,いかがでございましょうか。 ○水野委員 23年の改正のときの議論を思い出しておりました。今までの議論とも重なってくるのですけれども,本当に必要なことは親に対する支援であって,ただ,日本の社会福祉的な支援は本人が望まないと介入できないという前提で動いています。でも,諸外国,特に民法の母法などでは,そうではなく,親に対する強制的支援が実際に活用されています。ドイツにしろフランスにしろ,そういう強制的支援になりますと,行政権が介入することですから,司法チェックを受けるのですが,その司法判断が年間数万件あります。そういう強制的支援が前提としてある国と,日本のように親権の喪失も停止もどちらも2桁でとどまっている国とでは,前提が大きく異なっています。実効的な規制が出来ない前提で,せめて親権行使の仕方のメッセージ性をどのように考えるかというのが悩ましいというのが,23年のときの議論でした。   私は,日本の社会福祉の強制的支援が非常に薄いという前提があるからこそ,せめて民法ができることとしては,体罰禁止のようなメッセージ性の強いことを書き込む意義が大きいのだろうと思いまして,そのように発言しましたし,その判断はいまだに変わってはおりません。また,社会福祉的な外枠のはっきりしない介入,うまく育てられていない親に対して支援をすることは,必要ですが,それを発動する親の行為を書き込むことは,なかなか難しい。刑法の構成要件のように厳しい,厳密なことを言わなくてもいいわけですが,それを,民法の中にうまく書き込めるか,その緩やかさが下手にメッセージ性を損なってしまわないかと不安です。一方,体罰はいけないのだというのはいまやコンセンサスだと思うのです。例えば,薬でものすごく効き目があるとみんな思っていたかもしれないけれども,その薬の副作用が,実は調べてみたら非常に大きなものだったということが分かった,体罰というのは,言わばそういうものだと私は思っております。体罰の禁止というメッセージ性は伝えたいと思います。ただ,そこから先,どのように親権法の書きぶりを構成していくかは,日本法の,強制的な介入社会福祉が非常に手薄い段階で,行政と司法の連携についても,書き込むことのコンセンサスというのは,なかなか難しいだろうと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。許容されない行為の明確化という点については,体罰の禁止ははっきり書き込むべきであって,その先は,どこに線を引くのかというのはなかなか難しいし,やり方によってはメッセージが不明確になるということもあるという御指摘ですね。前の方は,懲戒権規定については,これは削除という前提での御意見ですね。 ○水野委員 はい。 ○大村部会長 分かりました。 ○中田委員 削除論と改正論と,それから許容されない行為の明確化と,この三つの考え方があるわけですけれども,背反し合うものではないのではないかという気もいたします。実際にどういうふうに書くかというと,例えば822条を削除して,820条に第2項を置いて,例えば,「子の人格を尊重し,体罰その他の暴力の行使はしてはならない。」と書くか,あるいは,822条の方で,同じような文言をそこに盛り込むかということは,実際に書いてみると,それほど違ってこないのかなと思います。   ただ,何が違っているかというと,これは久保野さんが最初におっしゃったことともつながるのですけれども,監護教育の積極的な目的のために親権者ができること,あるいはすべきことというポジティブな面を規定するのか,それとも,これをしてはいけないというネガティブな面を規定するのかということがありますが,必ずしも裏表ではなくて,考え方はそれぞれにおいて違ってくるのではないかと思います。特に,ポジティブなものについては人によって考え方が違うので,それについてコンセンサスを得ようとすると,どうしても抽象的な文言になってしまうと思います。ただ,それにしても,両方あり得るということを前提にして,実際に書いてみると,どの程度の抽象度かは分かりませんけれども,できなくはないのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。今,挙げられている選択肢相互の間にそれほど大きな緊張関係はないかもしれないという御指摘だったかと思います。ありがとうございます。   少し確認させていただきたいのですけれども,820条の2を設けるというのと,822条の2を設けるというのの違いというか,同じようなことを書いて,とおっしゃったように思いますけれども,どういうことになりますか。 ○中田委員 先ほど,820条に2項を置くことについては具体的に申しました。822条の方を変えるとすると,例えば,「親権の行使に当たっては,子の人格を尊重し,体罰その他の暴力の行使はしてはならない。」というような規定を置くということです。820条は抽象的な規定という位置付けを残しておいて,それで821条,822条,823条というふうに置くという方法も考えられるし,820条の方を,抽象的な内容と具体的なものと両方含んでいるのだという前提で2項を置くというのと,両方あり得ると思います。 ○大村部会長 分かりました。規定の置き場所が820条の後ろの820条の2になるか,あるいは822条に変えたものになるかによって,その規定の性格付けは変わってくる。そういう前提での御発言でしょうか。 ○中田委員 820条の2でもいいのですが,私が申し上げたのは820条2項というつもりでした。 ○大村部会長 分かりました。すみません,重ねて確認のためなのですけれども,いずれにしても,そうすると,懲戒権に関する規定は削除するという前提になりますか,それとも,822条を書き換えるというのは,それは懲戒権の規定に代わるものとしてそれを置いたのだということになりますか。 ○中田委員 削除というか改定というのか,これは見方が違うと思いますが,懲戒権という言葉をなくすという意味では,それは賛成なのです。その上で何を置くかというのを,削除したと見るのか,それとも改定したと見るのか,そこを余り議論するよりも,むしろ,ポジティブに何をすべきか,監護教育というのは本来どういうものであるべきかということについて規定するのか,それとも,してはならないことを示す前提として抽象的に規定するのか,これは表から表すのか,裏から表すのかという,そういう選択の問題かなと思います。 ○大村部会長 そうすると,おっしゃることは,懲戒権規定を削除したとか削除しないとか,そういうことは余り言わない方がよろしいということになりましょうか。 ○中田委員 いや,別にどちらがいいということではないのですけれども,多分,懲戒権という言葉を残すという意見は余り出ていないのではないかと思いますので,それを削除して何も書かないという意見はあるかもしれませんけれども,何らかの代わることを書くとすると,それは,ネガティブなことを導く前提として書くという位置付けにとどまるのか,それとも,より積極的に,こういうことをすべきだ,あるいはしてもよいということをポジティブに表すという意味なのかという問題があると思うのです。そして,ポジティブな規定としてどういうふうなものを置くかについては,いろいろな考え方が分かれ得るなとは思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかにご発言,いかがでしょうか。 ○大森幹事 懲戒権の規定を残すかという点については,私も同じく削除が妥当と考えております。懲戒の言葉の意味については,部会資料の5ページの(注1)にも記載されていますけれども,結局のところ制裁であります。一昔と違って今の御時世では,程度として,昔は許容されていたものも今は許容されないといったことが解釈としてはあり得るとしても,例えば,叱るということは今も一定程度は許容されるだろうということがあるとしても,それは制裁として許されるものではなく,飽くまでもそれは監護教育の教育として許容される話であって,制裁として許容される行為は恐らくないのではないかと考えます。そういう意味で,懲戒という言葉を認める規定というのはもう削除すべきだと思います。   また,4ページで,削除したとしても親権者がなし得る行為の範囲は基本的に変わらないということも確認されています。そのため,削除によって正当な行為もできなくなるのではないかという懸念については,それは違うということを丁寧に説明して,誤解を解いていくべき話であって,そうした懸念があるから規定の削除を躊躇するという話ではないのではと思います。   その次に,では,ほかの言葉で置き換えられるのかという点ですけれども,思い付くものとしてはしつけという言葉ぐらいしかないのですが,そもそもこの懲戒権規定の削除の見直しという話が出てきたのは,昨今の児童虐待の問題を受けてということですし,その中で加害親は正当なしつけだと弁明をしているということからすると,しつけという言葉に置き換わったとしても,今の状況が改善することに果たしてなるだろうかという疑問がありますので,置き換えるということも賛成できかねると思っております。   そうすると,削除した上で,禁止規定を置くのか,それとも理念的なものを置くのかという話になりますが,今お話にも出たとおり,どちらにしても何らかの萎縮効果が出てしまうのではないかという懸念はあるのだろうとは思います。現時点でどちらがいいという明確な結論を持っているわけではありませんが,どちらの方がその懸念が大きいかというと,禁止規定の場合はそれ以外は許容されると思うのが大半であるのに対して,こうすべきという規定にするとそれに拘束されてしまうということになるのではないかと,もちろんどういう表現ぶりになるかにもよるのですが,漠然とした感覚として持っております。   他方で,体罰を禁止するだけでいいのかというところについては,今の御時世では,体罰だけではなくて精神的な虐待ということも非常に増えています。教育虐待なども含めて,そういったものも許されないということが分かるような文言があればいいなと思います。体罰だけですと,そこが盛り込まれないことになってしまわないかという懸念を持っていまして,先ほどの御説明があったとおり,厚労省の方で来年4月の施行へ向けて検討されるということでもありますので,その検討状況も踏まえて引き続き検討させていただきたいと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。懲戒権については削除の方向で考える,それから,しつけもやはり濫用されるだろうということですね。その後どうするかにつきましては,先ほどから幾つかの考え方が出ておりますが,体罰禁止の方が萎縮効果は少ないかもしれないけれども,しかし,更に検討する余地があるという御趣旨の発言だったかと思います。懲戒権を削除したとして,どうするかということにつきましては,今の大森幹事の発言も含めまして,皆さんから様々な意見が出ておりますが,更にこの点について,立ち入った御意見を伺っていきたいと思っております。   あと少しで休憩しようと思っていますが,休憩の前にもう一つだけ,今の大森幹事の御発言の中にもありましたけれども,叱るというのは監護教育の教育の方に含まれるので,それは許される。そのことについては様々な形で説明をしていくというお話があったかと思います。先ほど,この立法と併せて,親に対する支援を何らかの仕方,あるいは様々な仕方で考えていくという方向の御発言もございました。それらは全て,民法の外でそれらの問題について対応するということなのですけれども,生じるかもしれない懸念について,民法の中で対応をしておく必要があるのではないかという御意見は余りないと理解してよろしいでしょうか。その辺について少し御意見を伺った上で,許されない行為の明確化という項目について,更に御意見を頂ければと思います。   あるいは,その許されない行為を明確化することを通じて懸念を払拭するというような考え方も,理屈の上ではあるように思うのですけれども,そうしたことも含めまして,懲戒権削除に伴って出てくるかもしれない懸念については,説明や手続等で対応すればよいのか,それ以上のことが必要なのかということについて,何か御意見があれば伺いたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○水野委員 今の座長の御質問につきましては,23年の改正のときにも,停止と喪失だけではなくて,親権制限が必要だという議論がございました。つまり強制的な支援,親権制限を言い換えると強制的な支援なのですけれども,そういうことを民法典の中に書き込むべきであるという意見は,あの場でもありましたし,改正された後も,親権を止めてしまうことだけではなく,一番必要なのは,うまく育てられない親に対する強制的な支援ではないか,つまり親権制限ではないかという議論がございました。そういうことを民法典の中に書き込むべきではないかという御趣旨でしょうか,それとも,それ以外の可能性でしょうか。 ○大村部会長 今のような対応は,何というのでしょうか,親に対する支援を外出しにしてしまうのではなくて,民法の中にそれと関わるような規定を置くべきだという方向の対応だろうと思いますが,こういうこともできなくなるのではないかといった懸念にこたえるようなものを民法の中に置く必要はなくて,こういうことをできるできないというのは,民法の外で,いわば啓蒙広報活動で行えばよいというのが皆さんの御意見であるように感じています。それで国民の納得が得られるのであればよいのでしょうが,そこについては特に御懸念はないということでしょうか。   水野委員が最初におっしゃったことはよく分かりますけれども,私が申し上げたのは,それとは別に,懲戒権の削除についての懸念が平成23年のときにはあったわけで,結局,踏みとどまらざるを得なかったと思っております。この点については,現在の社会状況を前提にすれば,特別な配慮をする必要がないという認識で,皆さんが一致しているということならば,その先に話は進むということになるのですけれども,そこはそういう御認識だということでよろしいのかということなのです。 ○水野委員 あのときは,部会の中では,削除でそれほど問題ないという意見の方がおそらく多かったと思うのですけれども,結局そうできなかったのは,それでは国会の理解が得られないだろう,その結果,全体が頓挫してしまうのではないかという懸念をある程度,委員が共有したがために,ということでした。私は現在の国会の事情をよく分かりませんけれども,もし我々が,そういう配慮をしないで削除をしても国会を通るということならば,それでいいのかもしれません。ただ,国会での議論などを予測した上で,何らかの対応をしておくことが必要だとお考えになるのでしたら,私は余り事情をよく存じませんけれども,そういう御判断があるようでしたら,我々はやはり慎重に対応しなくてはならないだろうと思います。 ○大村部会長 もちろん要綱に基いて法案がまとまれば,それは国会に出ていくということになるのですけれども,法案は国民一般が受け止めるということになりますので,受け止める側に誤解や心配が生ずることはないかということについて,今の時点で我々はどう考えるのか,皆さんの御感触を伺えればと思って,伺ったわけです。それは様々な広報や説明で対応ができるという前提で進めるということであれば,その方向で考える。そして,さらに,具体的にどういう規定を置くのかということを考えるということになろうかと思いますけれども,前提となるところについて,現段階でので御意見を頂いておきたいと思った次第です。 ○窪田委員 今,部会長から御指摘のあった点ですけれども,基本的にやはり懲戒権という言葉を削除するということについては,少なくとも民法の中で,それ以上対応する必要はないのかなと私自身は考えています。つまり,820条の監護教育についての規定はあった上で,さらに懲戒権,懲戒権に基づいて私はこれをやるのだというのは,多分,実はそれほど多くはないか,それが用いられる場面というのはむしろ不適切な場面なのだとすると,懲戒権という言葉を削った上で,場合によっては禁止される行為を規定するというのについて,実際に書きようもないと思うのですけれども,民法の中でそれ以上の対応はできないのかなと思います。ただ,それは現在の規定を前提とすると,820条を手掛かりにしてという,ある意味での逃げ場があるということになるのですが,先ほど議論が出ていたように,820条自体を見直すという場合には,その見直しについて,これも民法の中で書くというのは難しいのかもしれませんが,別途もう少し説明が要るというような事態になるのではないかと思っています。ただ,民法の中にそれを書き込むというのは無理なのかなとは思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○磯谷委員 窪田委員と同じ意見で,個人的には,国民の懸念や不安を払拭する手立てを,特に民法の中でやる必要はないのかなと思っております。現在,厚生労働省が中心となって「愛の鞭ゼロ作戦」を推進しておりますし,また,東京都も体罰禁止を条例できめましたし,そういう流れというのは比較的浸透しやすい状況にあるのかなと思いますので,懲戒権削除に伴って予想される懸念や不安の払拭については,丁寧な広報などで対応すれば足りるように思います。   ただ,強いて言えば,これはむしろ事務当局の方にお尋ねする必要があるのかもしれませんけれども,将来,パブコメであるとか,そういったことをもしするということであれば,そういった中でどんな意見がまた出てくるのかというところも踏まえて,改めて検討してはどうかと思います。現時点では私は,必要ないのではないかと思います。 ○中田委員 私,先ほど具体的な規定の在り方として,820条に2項を置くか,あるいは822条に同内容のものを置くかということを申し上げたのですが,その趣旨は,今の御懸念に答えるということも含意していたつもりです。 ○大村部会長 822条にそれを置くという選択肢がということですか。 ○中田委員 言葉が足りませんでした,申し訳ありません。懲戒権という言葉を削除したとして,それは結局は監護教育の中に吸収されて,しかし,その具体的な行使の仕方について,これはしてはいけないということを明確に書くというものにすぎないのだと,つまり,しつけもできなくなるという懸念に対して,いや,それはそもそも820条の監護教育の中で適正なものはできるのだという前提があるわけだから,その懸念は当たらないと。ただ,単に削除するだけではなくて,820条の監護教育を具体的にどうするのか,こういうことをしてはいけないということを明確にすることによって,目的も達成できるということで,心配しておられた懸念については対応できるのではないかということを考えて,先ほど申し上げたつもりです。 ○大村部会長 ありがとうございます。できないことを示すことによって,一定のことはできるということをある意味で確認するという御趣旨ですか。 ○中田委員 言葉が足りなくて申し訳ありません。820条の2項を置くということは,820条の1項を前提として,それの在り方を明確にするということですので,親権の行使について,子の人格を尊重し,体罰その他の暴力の行使はしてはならないということで,してはいけないことを明確にするとともに,親権の在り方については820条の1項に委ねている,それは子の利益のためというのがあるわけですが,それに加えて,子の人格を尊重しというものを付け加えることもあり得るのではないかと考えた次第です。 ○大村部会長 ありがとうございます。中田委員のお考えは分かりました。それは,単に削除するのに比べて,より手厚い対応になっているということは分かるのですけれども,しかし,何ができるのかということについては条文の読み方に依存するようなことになりますせんか。法律家にはそれで十分だと思うのですけれども,一般の人々に対してそれで大丈夫かというのが,私が先ほどからやや心配して,皆さんに伺っているところなのですけれども,それは,条文をそのように書き換えて,かつ説明をすればとよいといったお考えでしょうか。すみません,何度もおたずねして。 ○中田委員 確かに外での説明ということに依存する部分が大きいと思うのですけれども,懲戒権という言葉を削除したことによって何もできなくなるわけではないのだと,むしろ一般化した上で,その一般的なルールの行使の仕方について明らかにしただけなのだという説明をすることによって,理解を得られることも期待できますし,それから,出来上がった条文を見ると,やはり何ができて,何ができないのかということは明確になりますので,私はそれほど心配しなくていいのではないかという気がしております。 ○大村部会長 ありがとうございました。今の点につきまして,そのほか御発言はございますでしょうか。 ○窪田委員 どうでもいいことなのかもしれないのですが,仮に今の822条を削って,820条だけを残して,それについて文言を変えないという場合であったとしても,例えば,子どもが赤信号で道路に飛び出そうとしたときに叱るといった,叱るという行為が子の利益のために監護教育をするという内容に含まれるというのは,法律家だからなのかもしれませんが,当然に読むことができるのではないかという気がいたします。 ○大村部会長 ありがとうございます。現在の822条の規定を削除するということについては,それほど大きな心配をする必要はないのではないか,ただし,説明をする必要があるだろうというのが皆さんの共通の御意見であると承りました。   そのような前提に立った上で,更に何か規定を設けるとして,それはどのようなものがよいのかということにつきまして,既に御意見を頂いておりますけれども,休憩を挟みまして,更に御意見を頂きたいと思います。   それと,磯谷委員から御説明がありましたけれども,パブリックコメントの段階では,少し幅広に意見を聴くことが望ましいかもしれないと,それも留意する必要があるかもしれないということを確認させていただきまして,少し休憩をしたいと思います。今,この部屋の時計で3時5分ですので,3時20分に再開ということにさせていただきます。   では,中断いたします。           (休     憩) ○大村部会長 それでは,再開をしたいと思います。   中断の前は,皆さんから,懲戒権に関する規定を削除してはどうかという方向で考えてはどうかという御意見を中心に頂きました。それとあわせて,許容されない行為,あるいは逆になすべき行為を導くような指針というのを定めるということについても,様々な御意見を頂きました。前者の方につきましては,繰り返しになりますけれども,皆さんの御意見はほぼ一致していたように思うのですが,後者につきましては,様々な考え方が出ていたかと思います。この辺りにつきまして更に御議論をいただきまして,方向性のようなものが出れば有り難いと思います。   ここまでの議論を聞いていただきまして,皆さんの最初の御発言と違う発言になるということもおありかと思います。そういうものも含めて,御発言をいただければと思いますが,いかがでしょうか。仮に822条を削除するという前提で考えたときに,その後に,懲戒権の規定とは別に規定を置くか否か,規定の置き方は幾つか考えられるだろうというのが中田委員の先ほどの御指摘でしたけれども,その点を含めて御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○水野委員 少し先の話になるのかもしれませんけれども,権利を有し義務を負うという規定の義務を前に持ってくるという案はどうかということだったのですが,私自身は,親権はやはり権利性がとても大切だと思っております。そして,必ずしも義務を前に持ってくることにそれほど賛成ではありません。積極的に反対というわけではないのですけれども,そこにありますのは,やはり親が子どもを育てる責任もあるし権利もあるという趣旨を,懲戒権を削るとすればそこを膨らますような,ただ各権利と義務,位置を変えないというだけではなくて,そこをもう少しやわらかく膨らませるようなものを補うというのも考えられないではないと思います。   ただ,先ほどからの繰り返しになりますけれども,実態として手厚い社会福祉,親の強制的支援がないという日本で,それだけ民法のスローガン性というのは非常に強く働いてしまいますから,しかもそのスローガン性がプラスにもマイナスにもどちらの意味でも働いてしまいますから難しく,にわかに,いい言葉が思いつかないのですけれども,親に子どもをきちんと教え導く責任はある,責任もあるし権利もあるという趣旨のことを少し書き加えることによって,懲戒権の削除を補うというところは,それくらいまでは考えてもよいかもしれないと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   懲戒権を削除した後をどうするかということで,何か規定を置くときの,その規定を置く理由は,一つは体罰等が許されないことをより明確に示すということであり,他方は,しかし親権の行使としてできることは依然としてあるということを確認するということで,この両方の面が含まれているのかと思いますけれども,水野委員の今の御発言は,後者の面について配慮をするとした場合には,権利と義務の順番という論点として後で出てきますが,その点については現在の順序を維持しつつ,なお条文に工夫を凝らす余地があるかもしれないという御指摘として承りました。   窪田委員は,先ほどそれに関連する御発言があったように思うのですけれども,あわせてご発言があればお願いいたします。 ○窪田委員 権利と義務の順番の話は,もう後ほどいずれにしても議題になっていると思いますので,そこで自分自身の考えは説明させていただければと思います。   水野先生のおっしゃることは,抽象的には分かるのですが,それを具体的にどうやって820条で示すのかというと,現在でも監護教育の権利,義務はあるわけですよね。それ以上に,懲戒を受けた形で子どもを指導し育てるということについて,書けるのかということと,書く必要があるのかというので,なおやはり具体的な文言が出てこないと,イメージしにくいなということはあるような気がしています。   先ほど私が820条で申し上げたのは,恐らく水野先生とは逆方向の話をしていたのかなと思います。水野先生は,懲戒権の規定がなくなった後,その言わば受け皿として820条を膨らますというお話をされていて,私は,久保野幹事の御発言を受けてということでしたけれども,むしろ許されない行為ということ,あるいは適切な親権行使というのがあるときに,それを適切な親権行使として書くのか,許されない行為として書くのかという問題の立て方があるときに,適切な権利行使として書くのであれば,多分820条の問題であって,そのときには,820条に関して子の利益のためにとなっているところを,中田先生からも類似の御提案だったのではないかと思うのですけれども,例えば別に2項を追加しなくても,子の利益のために子の人格を尊重して監護及び教育をするとか,そういうふうな書き方をするという,むしろ820条をより限定的にといいますか,具体的な内容として定めるという方向の発言でしたので,その後の部分では,ひょっとすると水野先生の御発言の趣旨とは逆方向だったのかと思っております。 ○大村部会長 なるほど。先ほどの御発言は親権を義務中心に書くとすると,考えなければいけないことが出てくるという御指摘ですね。 ○窪田委員 はい。 ○大村部会長 分かりました。 ○水野委員 窪田先生のおっしゃることに反対するわけではまったくございません。子どもの人格を尊重するという制限をより加えてという必要もあると思います。何しろ,実質的な強制的支援が薄いときに,このスローガン性というのは非常に大事ですから,820条にむしろそういうものを加えて,きちんと疑いの余地のないように子どもの尊重,人格の尊重を書き加えていくという方向については,私は全然反対はしておりませんし,価値的には同じ感覚を持っていると思います。   ただ,私が危惧しておりますのは,何しろ年寄りで,平成8年の婚姻法改正要綱を何年も苦労して作って虚しかったというような経験をしておりますので,懲戒権を削ることによってつまらない反発を招くよりは,そこに家族,親はやはり子どもを育てる責任があって,そしてそういうものによって子どもは育つのだというような,弊害のないような文言を書き加えることができれば,それがある種のクッションにならないかということを考えているということでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかいかがでしょうか。   水野委員の発言に対して窪田委員から,言葉はどうするかという話がありましたけれども,窪田委員おっしゃった指導教育というのは一つありうるようにも思いましたけれども。 ○窪田委員 では,ちょっと発言してよろしいでしょうか。   ちょっと休み時間に久保野幹事ともお話をしていたのですが,現在の監護教育という言葉なのですけれども,監護がどれどれで教育がどれどれでというふうなことを考えると,結構狭い概念になるのかもしれませんが,多分,監護教育という一語でかなり幅広い意味を持っているのではないかなと思っています。教育指導といっても,恐らく3歳の子どもとか4歳の子どもを指導するのだったら,指導に当たる言葉は監護の中に入るだろうし,10歳の子どもに対してこれはいけないと言うのであれば,これは多分教育に入るのだろうと思いますが,両者というのはそれほど区別できなくて,監護教育という一つの概念の中に入っているのではないかなと思いますので,それに加えて,例えばその外に指導,教育とかというのがあるのかというと,多分ないのではないかという気が私自身はしております。だからそんなの書いては駄目なのだというわけではありませんが,やはり書くことができないほど監護教育というのは実は広いのではないかなという趣旨です。   今の点以外でも結構ですので,822条を削った後の規定を置くとした場合に,どんなものが考えられるかということにつきまして,更に御意見を伺いたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○窪田委員 立て続けになってしまって申し訳ないのですが,822条を削ったので820条をどうするかという問題は当然あるのだろうと思うのですが,恐らくそれだけではなくて,820条を見直すというときには,別の観点からの意義というのもあるのだろうと思っております。例えば,体罰とか虐待に当たらないケースであったとしても,従来,親権の濫用という形で扱われてきた問題領域というのがあるだろうと思います。例えば命名に関して,悪魔ちゃん事件という形で知られているようなもの,そうしたところでは,命名権が親権に含まれるのかどうか,それ自体について議論がありますけれども,親権の濫用といったようなことが言われてきた。そして,濫用であるかどうかを判断する手掛かりとして,820条をより明確な形で規定し直すというのは,あるのかなという気もいたしますので,そういう観点からの820条の見直しもあるのではないかということで補足しておきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかいかがでしょうか。 ○棚村委員 今のに付け加えてですけれども,結局,どこに規定をどんな形で置くかと,削除した場合にですね。そのときに,しつけとして許されるような,むしろポジティブな面での規定とか,いろいろあると思うのですけれども,今言われたように,親権という中でも,命名権もそうですし,医療同意権とか,実質はカバーされていないものがあるので,むしろ親権を行使する場合に子どもの人格を尊重し,子どもの年齢とか発達の段階などに配慮しなければならないとか,それから民事執行法の改正でも,執行官が威力を用いる場合に子どもに有害な影響を与えるときには,その威力を用いてはならないとかと議論になって,条文化もされていますので,やはりそういうような形で子どもの利益に対する配慮ということを前面に打ち出すような形で,今までのせっかくの親権の規定の改正になりますから,822条を削除するというだけではなくて,その822条を削除したその精神とか考え方に,やはり子どもの利益に対する配慮ということを盛り込めるような形で,体罰,暴力,そういうような禁止規定プラス,子どもの人格の尊重とか,子どもに対する配慮,子の利益に対する配慮のような積極的な規定を置くということも考えられます。もちろん,非常に抽象的で一般的になってしまうのですけれども,両面の規定を置くことで,ポジティブな面とそれからネガティブな,これはやってはいけないということについての一定の指針みたいなものを出すというのは,親権の規定の中では非常に重要な意味があると考えます。具体的にどこにどういうふうに置くかはもうちょっと検討したいと思うのですが。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。   比喩になりますけれども,プラスの方向というか,積極的な方向の一般的な文言を現行の820条よりも充実させた形で置くとともに,ネガティブな禁止項目も幾つか挙げるというお考えですね。 ○棚村委員 そうですね。特に海外だと,やはり児童の権利条約なんかの条文みたいなものを引用する,それから多分児童福祉法の改正のときもそうでしたけれども,そのような形で児童の権利に関する条約にも批准して,加盟しているわけですから,国際的な責務もあるので,そういうようなことで子どもの健やかな成長・発達,あるいは四つぐらい,生きる権利とか,育つ権利,守られる権利,参加する権利とかいろいろなものがありますから,そういうものをうまく表現できるような書きぶりで,積極的な側面,親権の行使に当たってそういう子どもへの配慮みたいなものをするというもので積極的意味も出し,他方で体罰とか暴力とか,やはり人格を損ねるような行為は許さないという,何かメッセージとしては両方が出ると,バランスがとれているかなという感じはします。 ○大村部会長 ありがとうございます。   前半の議論でもあったかと思いますけれども,一方でその通りだという御意見とともに,それによって親権の行使が窮屈になりすぎやしまいか,あるいは窮屈になったという印象を持つ人たちもいるのではないかという御意見もありうるところです。何か関連して御発言があれば伺いたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○木村幹事 すみません,先生方の御議論を聞いて,うまく自分の中でも整理できていないのですけれども,気付いたことについて少しだけ発言させていただきたいと思います。   まず,先ほど窪田先生がおっしゃった,今回の820条について,いわゆる体罰などの問題以外の親権の濫用なども含めた形での規定の改正をするかどうかについてです。820条の1項では既に「子の利益のために」という文言があるにもかかわらず,これまでの議論の全体の流れとして,それを更にプラスアルファとして何を書き加えられるのか,ということが問われていたように思います。もっとも,先ほどの磯谷委員も御指摘にも関わるかもしれませんが,「子の利益のために」ということに加えて,「子の人格を尊重して」という文言を加えることに,どこまでの意味があるのか。メッセージ性として何か加わったということはあるかもしれませんけれども,法解釈論的にみて,どこまで特別な意義が付け加えられることになるか,若干よく分からないというのが個人的な感想です。   2点目ですけれども,懲戒権という規定を削除した上で,さらにどのような規定を設けるかについてです。これまでの様々な御議論を伺って,私が頭の中で整理できていない点として,ポジティブとネガティブという言葉の表現の意味内容があります。ポジティブという表現についてですが,親権の行使の在り方としてこういうものが「望ましい」という意味で用いられている場合と,子の利益を尊重して,何かしらの行為によらずに親権の行使が「できる」というふうな文言もポジティブな表現として捉えることが可能であると思います。   後者については,中田委員の御提案がそのような内容だったのではないかと,私が記したメモ内容からは推測できるのですが,私のメモの仕方が不正確である可能性もありますので,私の誤解かもしれません。いずれにせよ,ポジティブな表現というのは,少なくともいろいろな角度から捉えることができると思われますので,文言の表現のあり方を考えるときには,こういった点にも配慮する必要があると考えた次第です。   3点目ですけれども,体罰という言葉を使うかどうかという点について,私は少し懸念を抱いております。窪田委員がおっしゃったみたいに,学校教育法などに関しては体罰について十分な議論があるかもしれませんけれども,それを民法上の規定の中に置くとなった場合,体罰という言葉で意味される事柄が,民法が禁止されるべき行為と想定しているものと,同じかもしれないし,同じではないかもしれない。そもそも,体罰については,人によってそれぞれイメージするものが異なっているように思われます。たしかに,学校教育法などでの議論によればその具体例の蓄積があり,更に今回厚生労働省の検討の中で議論が積み重ねられるとしたとしても,民法の中で体罰という言葉を使うことが,必ずしも適切ではないかもしれないように思われます。というのは,先ほども述べましたように,まず体罰について,人々が持っているイメージが違うという可能性があるということです。加えて,フランス法などとは異なり,精神的な暴力は禁止されるべき行為には基本的に含まれないような解釈にもなりかねないようにも思われます。幡野先生から先ほど提示していただいたフランス法によれば,身体的あるいは肉体的な暴力によらずという表現が用いられており,そうした文言の方が,ある意味幅広く解釈の余地があり得るように思われます。つまり,体罰という表現を用いた場合には,体罰は禁止されているが,それ以外の精神的虐待にあたるような行為は禁止されていないということになってしまわないか,この点についても検討する必要があると考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   三つ御指摘いただきまして,最初の1点目は木村幹事もおっしゃいましたけれども,法律家的に考えるのと,そうではなく一般に向けてのメッセージも含めて考えるのとを,どのように仕分けるかということに関わるところですが,2点目,3点目は今日の議論,あるいはこれからこの先の議論を言わば整理するための軸を提供していただいたように思って伺いました。  確かにポジティブと言っても,規定の書き方として「できる」と書くのか「できない」と書くのかということと,それから,内容が積極的な目標を目指すのか,消極的にしてはいけないことを示すのかということと,この二つがあって,混同しないほうがいいという御指摘は,貴重な御指摘だと思って伺いました。   それから,体罰という言葉を使うかどうかという問題と,それから実質の問題として禁止するとしたらどこまでを禁止するのかという問題もある。体罰という言葉には含まれないものまで禁止した方がいいということだとすると,それにふさわしい言葉を選択する必要があるということなのかと思って伺いましたが,中田委員,何か御発言があれば。 ○中田委員 木村幹事の御発言と大村部会長の整理で,私が申し上げたかったことは尽きていると思います。私が先ほど提案と申しますかそういうものは,同じ言葉を何回か繰り返して申し上げたつもりですが,一応メモを準備していますので。それを820条の2項にするか,同内容のものを822条に置くかということで,規律の明確化とそれから懸念に対する配慮ということを考えてきたつもりでおります。   それから,ポジティブ・ネガティブについては先ほど部会長の整理していただいたとおりでありまして,私自身は,内容的な面で監護教育の積極的な目的と,それから親権者がしてはいけないこととの両方について,ポジティブ・ネガティブという言葉を使っていたつもりです。   第3点の,体罰という言葉よりもフランス民法の条文のような書き方の方がいいのではないかというのは,私も気持ちとしてはそうだなとは思うのですが,ただ,それだけにより広く何でもかんでもできなくなってしまうのではないかなという,その懸念の方がより強くなってくる可能性もありますので,そこを考慮しながらどういう言葉を見付けていくかということではないかなと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   先ほどの発言はメモに基づいて発言されたということでしたけれども,議事録を調べればいいのですけれども,具体的にはどちらで御発言いただいたのでしたか。 ○中田委員 規定の仕方としては二つあって,820条に2項を置いて,「子の人格を尊重し,体罰その他の暴力の行使はしてはならない。」という規定を置くのが一つ。それからもう一つは,822条を書き換えて,「親権の行使に当たっては,子の人格を尊重し,体罰その他の暴力の行使はしてはならない。」と書くという方法です。両方あり得るし,余り変わらないのではないかなということを申し上げたつもりです。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○木村幹事 私のメモ内容が不正確だったということで,誠に申し訳ございません。 ○大村部会長 間違っていたとしても,言わば創造的な間違いということで,中田委員がおっしゃったことを「できる」という形で書き換える余地もあるのではないかというご指摘として受け止めさせていただきたいと思いますが。それでいいですね。 ○木村幹事 はい。 ○大村部会長 中田委員も先ほど,そういう可能性があるかもしれないという受け止め型をしていただいたのではないかと思いました。 ○窪田委員 木村委員からあった3点の話で,第1点目はどっちでもいいのかなという感じもするのですが,ちょっとだけ発言をさせていただきますと,私自身も子どもの人格を尊重してという文言を入れることによってどのぐらい変わるかというのは,それほど明確ではないなという気もしています。ただ,恐らく中田委員からお話の中で,820条の方に規定しても822条の方に規定しても同じようなことを,言わば表裏という形で規定することはできるということはあったと思うのですが,形としては,例えば禁止に関してはある程度限定的に明示した上で,しかしやはり受け皿になるようなものに関して,820条でそれを受け止めることができるような形で補充しておくというのはあり得るのではないのかなという感じがしております。ちょっと分かりにくいと思いますが,例えば精神的な,言葉による暴力であるとか,体罰といった場合には,それが入りにくいということになるのですが,それを,そうしたものを受け止める規定として820条に関して人格的利益あるいは人格を尊重してというようなことを置くというのは,選択肢としてはあるのではないかという趣旨で,820条の見直しもあるかもしれないと発言したということです。   その意味では,解釈論としては全く意味がないわけではなくて,一定のグレーゾーンを受け止めるものとして機能する可能性があるのだろうなという趣旨で申し上げたということです。 ○大村部会長 今の御発言は,具体的な規定の作りに落として言うと,820条の方に,今おっしゃったような人格的な利益に対する配慮に関する文言を入れ,それとは別に体罰の禁止の規定を設けるいう方向になるということですね。 ○窪田委員 はい。 ○大村部会長 そのほか御発言いかがでしょうか。 ○水野委員 体罰という文言で規定することにこだわるわけではありません。これまでも御発言がありましたように,精神的な虐待というのも,これも非常に被害が大きいと,共同研究をした児童精神科医から聞いております。むしろ,ネグレクトなどは,命に関わってくるけれども,救出すると割合健康に育つ。でも,精神的な虐待の場合は,言葉は記憶をとめるピンの役割をするので,その後もずっと子どもの脳の中でその暴言がリフレインされて,子どもの脳を損なって痛めてしまうという,痛ましい話を聞きました。   ですから,そういう意味では精神的・肉体的暴力によらずに育てられるというような書きぶりができるのであれば,その方がいいと思いますが,それでコンセンサスがとれるのでしょうかというのが一つです。   それからもう一つは,私は何とかふわっとする形で親の権限を書けないかと思っています。それは,やはり通らないことに対するリスクヘッジなのですけれども,その書きぶりが820条でなくて822条の後に何かうまい言葉があれば入り込んでもいいかという気がしております。ただ,本当に繰り返しで申し訳ありませんが,長年,親権の壁という言葉が子どもたちを救おうとする現場の努力に対して強い妨害武器になってきてしまいましたが,このような妨害武器はもう使えないということははっきりさせた上で,親権法の改正をしたいとは思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○磯谷委員 2点ありまして,1点は,今,木村幹事もちょっと触れていただいた,820条の現行で子の利益のためにという規定があるわけですけれども,これに子どもの人格を尊重しという言葉を入れることにどれぐらい意味があるのかというお話でありました。   私は,発言の趣旨としては,それが何か消極的だということでは全くなくて,その点でコンセンサスがとれれば,それはそれでいいことではないかなとは思っておりまして,要するに論点としてあるというふうな御指摘をしたつもりです。   昨今,痛ましい子どもの虐待事件が相次ぐ中で,政府やあるいは議員の先生方の中でも,子どものアドボケートをしっかり力を入れてやるべきだというご意見があるとうかがっておりますし,厚労省もそれに向けていろいろ取組をされるのだと思います。多分その前提としては,やはり子どもの人格というものをきちんと尊重した上で,それをどう言葉として代弁していくのか,それが子ども自身ではなかなかできないので,それをどういう仕組みを作ってやっていくかというところに今はかなり焦点が当たってきているという。そういうところからすると,子どもの人格を尊重するということにコンセンサスが得られるのであれば,私は多分得られるのではないかなという気もしているのですけれども,そうであれば,そういったものを民法に入れるということは,有力な選択肢ではないかなと思います。これが1点目です。   それから,二つ目は,体罰という言葉を使うかということですけれども,私も民法にそれを使うかどうかというところについては,まだちょっと余り明確なことを申し上げる状況ではないのですけれども,前回も少しお話ししましたが,昨年度に東京都で児童虐待防止の条例を作りまして,そこの中で体罰禁止というのを入れたというところで報じられたと思います。   そこの中での書き方は,実は,保護者は体罰その他の子どもの品位を傷つける罰を与えてはならないというふうな形で規定をしたのですね。もちろん,この言葉を考える中で,体罰という言葉にどこまでこだわるのか,体罰というのはいろいろな意味で,学校教育法も含めてちょっと手あかがついた表現でもありますし,その辺りは随分悩んだのですけれども,我々の着眼点としては,やはりこの「罰」というところですね,この「罰」というところをきちんと出したいなと思った次第です。というのは,虐待が駄目だということは,もう虐待防止法に書いてあるわけですよね。それについては誰も異論がないところで,虐待をやっている親でさえ,虐待は駄目だと思っているわけなのですね。   そういう中で,今,何が問題なのかを考えると,やはり教育の中でペナルティーによって子どもを導こうという考え方が残っている。子どもを育てるうえで,肉体的あるいは精神的な苦痛を与えることを正当化する考え方が残っている。これがやはり虐待の温床なんだろうと。したがって,この「罰」によって子どもを育てるという考え方にNOと言うべきなのではないか。そういう趣旨から,あえて,やや手あかがついてはいるけれども,「体罰」と書き,さらに精神的な苦痛はどうなのかというところもありましたので,子どもの品位を傷つける罰ということで,少しバスケットのような形で入れたという次第です。   したがって,これを作った思いとしては,繰り返しになりますけれども,子の養育にあたり罰によって子どもを教育しようということについて,きちんとNOと言っていく意味はあるのではないか。こういう思いで体罰という言葉を使ったということは申し上げておきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。磯谷委員の体罰はノーで,それから体罰以外のものについてもノーになるものがあるということですけれども,ペナルティーに当たるものは全てノーだという前提ですか。 ○磯谷委員 すみません,資料をお配りすればよかったのですけれども,体罰その他の子どもの品位を傷つける罰という形になっているので,ここで禁止したのは体罰と品位を傷つける罰ということになります。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今のような御趣旨の御発言として承りました。そのほかはいかがでしょうか。 ○棚村委員 先ほど木村委員が,やはり人格を尊重してというのは,余り入れても意味がないのではないかというような趣旨で,特に民法の規定との整合性か何かで違和感があるという御趣旨でしょうか。 ○木村幹事 現行民法の規定の中に人格という言葉は見当たらないですよね。そうした中で,子どもについてだけ唐突に人格という言葉を使うことに若干違和感がある,慎重な検討が必要であると思っています。 ○棚村委員 結局,今,海外の法整備支援とか,法典編さんなんかにも,中国なんかにも関わっているのですけれども,そもそも人格権みたいなものについて規定を明確に置いていこうという流れがあって,特に児童の権利条約,子どもの権利条約との関係でいうと,やはり保護の対象ではなくて,子ども自身が人格を持った権利主体として尊重されなければならないという大きなやはり流れがあると思うのですね。   そういう流れの中で,難しいのですけれども,親の権利を中心として,水野先生がおっしゃっているように,そういう構成の中で親の権利も結構重要なのだということは認識はするのですけれども,子ども自身の人格や人権みたいなものを大切にしてという表現の仕方をどういうふうに入れたらいいか。もしそれがなくなってしまうと,子どもの利益もそうなのですけれども,やはり親権も子どものための責任であり義務なのだという考え方もかなり意見もあるわけで,それが,子どもが一つの独立した人格として大人とは別のものとして尊重されるというものが,ほかの例えばフランスなんかでもそうだと思いますけれども,そういうものが民法の条文の中にどんどん入ってくる。子どもの権利条約で国際的にグローバルなスタンダードとして一応認められるものは入ってくるということについて,やはり意味というのはかなり私は大きなものがあるのではないかと思って提案をさせていただいたりしているのですけれども。   民法の規定にそれを入れることによって,実際の裁判規範とかいろいろなものとして,具体的にどういう機能を果たすかというのは,ちょっと難しいところはあると思うのですけれども,ただ,先ほどから言うように,アピールとか,あるいは象徴的なかなりシンボリックな意味として,子どもの権利が実は一番大事なのだということを何とか表現する手段として,人格の尊重ということはベースに来るのではないかと思います。いじめでも暴力でも虐待でも,ハラスメントの問題にしても,お互いが対等な人格として,力関係の具体的な社会的な格差はある中で,やはり相互に尊重しようという考え方そのものを入れるということについて,私は割合と意味があるのではないかと思うのですけれども,その辺りのご意見をちょっとお聞きしたいのですが。 ○木村幹事 今御説明いただいた児童の権利条約の考え方であったり,欧米諸国の一つの流れとして民法典の中に積極的に,いわゆる権利義務に関する規定だけではなくて,指針やスローガン的な規定を入れるという流れ自体があることは,十分承知しています。   また,今回の改正に当たって,子どもの観点から子どもの人格を配慮してという言葉を入れるという意味であったり,そのメッセージの重要性は十分理解しているつもりです。ただ,これまでの民法の在り方をふまえますと,子どもの人格に関する文言を設けることについて十分な議論を経てコンセンサスを得た上で初めて,そうした規定や文言を入れることが意味をもつのではないのか,と私は理解しています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   子どもの人格の問題については,複数の観点が示されているように御議論を伺って感じました。一つは,最初から言われているメッセージ性というものをどのぐらい考えるのかということですけれども,もう一つ,磯谷委員や棚村委員の御発言を伺っていると,子どもの利益というのがある意味で客観的な観点から見たベスト・インタレスト,誰がベストだと考えるかというと,外部から見て客観的にベストなものを目指すというニュアンスを帯びているのに対して,子どもの主体性というか自立性のようなものに少し重点を移す必要があるのではないかという,そういう御感触を持っているのだろうと思いました。言い換えると,子どもの利益の中でこの点に配慮するために,子どもの人格という言葉を加えてはどうかという御発言なのだろうと思いました。   そうすると,何か実質的な意味もあるように思いますけれども,そうなると,今度は木村幹事がおっしゃったように,人格権について正面から書いている規定が民法の中にはないので,子どもについてこれを書くということについては,それは不可能ではないと思いますけれども,理由付けが要るということになってくる。子どもの利益はどうしても客観的なものになってしまうのだという点を突破するために,子どもについては特にこれを置く必要があるといった説明を加えるといった議論になっていくのだろうと思って伺いましたが,理念を書くという意味でのポジティブな規定を置くのだとした場合に,書きぶりの問題として,この先,今の問題を考えていかなければいけないということなのだろうと思って伺いました。   様々御意見いただきまして,整理の必要があると思いますけれども,幾つかの具体的な指摘とその背後にある考慮や懸念というのは出ておりますので,事務当局の方で整理をいただきまして,次の段階で改めて議論をしていきたいと思っております。今日は,前半も併せまして最初の論点,懲戒権に関する規定の見直しの在り方ということで,今まで御意見を伺ってまいりました。新たな規定を置くという場合にどのような規定を置くのかという点はなお残されていますので,それについて御意見を伺っていくということになろうかと思いますけれども,そのほか,議論の仕方につきまして,検討の方向につきまして何か御指摘や御意見があったら,この機会に伺っておきたいと思いますが,その点はいかがでしょうか。 ○棚村委員 御質問なのですけれども,先ほど中田委員からの御発言で,具体的な条文案としてどんなものを,どこ辺りに,どんなふうに入れるかということについての提案みたいなものも事務局で取りまとめていただき審議した方がいいのでしょうか。それとも,海外の立法例もいろいろありますので,少なくとも幾つかの候補なり,そういうものを挙げた上で,各自が提案してそれを議論するという形がいいのかなとちょっと思っていまして,具体的な提案みたいなものは差し控えていたのです。   というのは,先ほどからあったように,民法全体の親権の規定との整合性とかいろいろなものもあって,それだけが何か突出して大きくなったり細かくなったりしても,ちょっと不具合が出てくると思います。規定ぶりについては立法技術的な問題もあると思うので,中田委員の御提案というのは非常に示唆的であり,私がイメージしていたものとほぼ同じだったものですから,偶然だったのですけれども,何か具体的な形を持って議論をしないと,この規定ぶりの話になると,多分なかなかコンセンサスを得たりまとまるというのは難しい感じがします。その辺りのところの進め方を少しお尋ねをして,委員から具体的なものを出したほうがいいのか,それとも,そうではなくて事務当局の方から海外の,フランスの立法例もいろいろありましたし,ドイツもあるわけで,私も幾つか北欧のものと,それから幾つか見させていただいているのですけれども,割合と収斂されて,必要最小限こういうキーワードとかを使われているなというのが,先ほど中田委員も御紹介してくださったようなものだったものですから,あるいは東京都の条例なんかも全くそういうことを参考にしていたので,もし規定を,禁止規定でもそれからポジティブなものでも置くとしたら,おのずとそれほどほかとかけ離れたものを日本だけ置くとか,そういうわけにはなかなかいかないと思います。   その点,ちょっと進め方で,我々がむしろ個別に提案をした方がいいのか,それとも事務当局である程度整理して,もし考えられるとしたら削除をした上で,どういうところにどういう規定をどんなふうに置くかというのは,幾つかの案があるというようなことで今後の議論をするのか,ちょっと教えていただければと思います。 ○平田幹事 今日の議論を伺っていて,棚村委員御指摘のとおり,次回以降はある程度具体的なものを挙げて議論した方が良いのではないかと考えておりましたが,一方で皆様からばらばらに案が出てきますと,なかなか議論をしにくいかもしれないというところもあろうかと思います。また,外国法についてはやはり研究者の先生方の方がお詳しいかと思いますので,もしよろしければ,研究者の委員・幹事の方に適宜ご専門の外国法の知識を伺わせていただいた上で,検討してみて可能であれば,次の段階では幾つか案を示しながら議論を進めさせていただけないかと,今のところ考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。今回の資料は,大まかな考え方あるいは枠組みについて皆さんの御意見を伺うようになっているかと思います。最終的には具体的な規定の案をお示しして取りまとめるというところに着地するということになりますけれども,それまでに何が必要かということで,棚村委員の御発言の中で出てきたのは,比較法的な趨勢というのもあるだろうということでした。今日では世界的に見て,体罰に対する対応が図られている。幡野幹事からも御発言がありましたけれども,条文を作っていく場合にも,そうした外国法に関する情報はそれなりに有益なのではないかという御指摘も含まれていたかと思います。それについて,どのくらい可能なのかは分かりませんけれども,研究者委員の方々の御協力を得ながら,何か比較法的な資料も準備できるようだったら準備をして,皆さんに共通の前提としていただくというのがよろしいかと思いました。事務当局の方で少し考えてみていただければと思います。   一つの案にまとまるのか,少なくとも最初は複数案の併記になるのかは分かりませんけれども,案のとりまとめに向けて,ほかに何か準備するというか,やっておくべき事柄について,御意見があれば伺いたいと思いますけれども,いかがでしょうか。 ○髙橋委員 では,髙橋の方から若干意見を言わせていただきます。   先ほど,磯谷委員の方から罰という考え方,これの問題点というようなお話があったと思っているのですけれども,罰という考え方で子育てをするとどんな弊害が生じるのかというような,何か弊害と言うとちょっと答えを先取りしているようですけれども,親の育て方によって子どもにどんな影響が出るかというような,何かそういう部分の研究というか,そういうのって見ていく必要はないのかなと思うのですが。 ○大村部会長 ありがとうございます。   体罰に限らないかもしれませんけれども,罰を伴う教育の結果について,何か専門家の意見を聞くことができればという御趣旨の御発言ですね。ありがとうございます。   もし何か聞くということであるとすると,先ほどからこういう規定ができると子どもを育てる親はどう感じるかというようなことについて,こうなのではないかという御発言があったかと思いますけれども,そうしたことについても,もしかすると誰か適切な方がいればお話を聞いてみるといいのかもしれないと思いますが,何かその点について御意見等ございますでしょうか。 ○磯谷委員 いつも感じるところなのですけれども,こういった家族のことについて立法の議論に関わらせていただくと,法律の議論だけにはなかなかとどまらない,周辺領域の専門家の話,あるいは場合によっては当事者の方のお話を聞くのは,大変有益だと思います。そういう意味で,髙橋委員おっしゃったように,ヒヤリング等が実施できればいいかなと思います。   一つは,やはり今よく言われていることですけれども,特にかなりひどい体罰にはなるとは思いますけれども,脳にどういうふうな影響があるかというところもかなり科学的に分かってきているというふうなこともありますし,また,いろいろと福祉の問題に関わっている方々が,かなり長い間関わっていると,実際子どもの頃に関わって,その人が大きくなって,その後どういうふうになっていったかというところまで見えている方もいらっしゃったりして,非常にお話として参考になるのかなと思います。   一方で,なかなか難しいなと思うのは,親御さんからお話を聞くということですね。例えばここにお招きした親御さんが何か日本全国の親を代表して来るわけにはいかないと思いますし,本当に個人的なお話をしていただくことになると思いますので,そうであれば,むしろパブコメみたいな形で広く御意見をいただいた方がよいのではないかと思います。その中で,いろいろな多分意見が出てくるでしょうから,私たちとしてもそのように寄せられた御意見を汲み取っていくということでいいのではないかなと思います。   ということで,結論的に誰かをお招きしてということであれば,やはり何らか専門家や,あるいはこういったことに関わってきた方に御経験をお話しいただくのがいいのではないかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。今の点について,事務当局の方から何かありますか。 ○平田幹事 今,お二人から御意見頂きました。事務局としても児童の発達など,脳への影響も含めた周辺領域の専門家や,単なる一般の親ではなくて,広く子育てに関与し,個人にとどまらない知見を有している適切な方がいらっしゃれば,ヒアリングをして知見を得ることも有益かと考えております。もし皆さんがその方向でよろしければ,次に懲戒権に関する検討をする頃など,早目に広く知見を獲得しておいた方が良いかとも考えているのですが,いかがでしょうか。 ○大村部会長 これは,なかなかどういう人をお招きするか難しいところなのですけれども,児童,子どもの状態について一定の知見をお持ちの方に一度どこかの時点で来ていただいて,お話しをいただくということがよいのではないか,事務当局でもそのような準備をしたいという御発言でしたけれども,よろしいでしょうか。その方向で考えていただくということにさせていただいて,よろしいでしょうか。 ○棚村委員 それについて,もし可能であれば,こういう虐待とかしつけ,暴力なんかで当事者というのはなかなか難しいと思うので,国際NGOのセーブ・ザ・チルドレンが2018年2月に子どものしつけに関する体罰みたいなものについても,容認するかどうかというので実態調査報告書みたいなものを出しています。これはスウェーデンの大使館で,スウェーデンでこういう体罰禁止をしたときの専門家も来て,このセーブ・ザ・チルドレンの代表をされている方も来て説明をされていましたけれども,こういうような方の,もう報告書は出ているのですけれども,体罰は6割ぐらいの親が現実に行っており,2万人だったネットの調査ですけれども,非常に肯定的というか,肯定的でもやっていいというのは少なかったのですけれども,やむを得ないときはやっていいというのがかなりあって,足すとやはり6割,絶対駄目だというのは4割ぐらいで,実際にお子さんを叩いたりいろいろしているという実態も約7割がやっているという結果が出されていました。いろいろなものが実はあって,そういう辺りのことは我々も認識しておいた方がいいと思うのですね。体罰とか暴力とか,具体的にしつけとかと言っていても,中身について共通の理解を持っていないで議論している可能性もあると思います。今だったらやはり気になるのは,携帯を取り上げるとか,それから食事を与えないとか,先ほど罰の類型も大分いろいろな形で多様化している感じなのです。   そういう辺りのところで,やっていいと思っていることと,やってはいけないこととの区別がなかなか難しかったり,それからアンケートをとられたとき,それを容認したり,御自身が受けたことがある人が割合と肯定的であったり,育った環境とかいろいろなことも随分親の判断や考え方に影響があるようです。それをやはり個別の当事者の人たちを代表して何かを伺うというよりは,むしろ統計的に何か処理をされて,国際的な流れをみたいなのを見ておられる方にちょっとお話を聞くというのもいいかなと思います。一つ,選択肢ということで。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ヒアリングをするということにつきましては,皆様の賛成が得られたと思っておりますけれども,人選はなかなか難しいので,お許しがいただければ,最終的には事務当局にお任せいただければと思います。ただし,棚村委員からの御指摘は非常に興味深い話だと思います。他の委員・幹事の方々も,こういった人を呼んだほうがいいのではないかという情報等をお持ちの方々は少なくないと思いますので,そうした情報を早目に事務当局に寄せていただきまして,それを基に事務当局の方で人選をしていただくということにさせていただければと思いますけれども,いかがでございましょうか。よろしいでしょうか。   では,先ほどの比較法の件につきましては,可能な範囲でお調べいただく。そして,今のヒアリングにつきましては,人選につきましては情報を集めて,最終的には事務当局の方でセッティングをしていただく,こういう方針で臨みたいと思います。その上で,最初に棚村委員から御指摘ありましたが,条文案の基になるような形のものをどこかの段階でお示しして,それに従って御議論をいただくという形で進めていきたいと思います。その点よろしゅうございますでしょうか。   ありがとうございます。それでは,第1点の懲戒権に関する規定の見直しの在り方につきましては,本日のところはそのぐらいにさせていただきまして,もう1点,資料で申しますと7ページ以下になりますが,懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項,資料の番号でいいますと第3につきまして,御意見をいただきたいと思いますが,まずは事務当局の方から資料の説明をお願いいたします。 ○濱岡関係官 それでは,説明させていただきます。   部会資料のうち7ページの第3から,懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項について記載しております。   懲戒権に関する規定の見直しとしましては,まず懲戒権に関する規定を削除することが検討されております。この場合には,懲戒権に関する規定の内容は民法第820条の親権者の一般的な権利義務の規定に含まれるものと整理することになると考えられますが,懲戒権に関する規定のみならず,民法第821条の居所指定権の規定や民法第823条の職業許可権の規定についても,820条の規定との関係を整理する必要があるかについて御審議いただきたいと思っております。   居所指定権につきましては,現在では独自の存在意義はなく,懲戒権に関する規定を削除する場合には,これに併せて削除することが考えられるとの指摘があります。他方で,民法第821条については,親権者が子の身体を拘束する者に対して,その引渡しを求める根拠となるという見解もあることから,この規定を直ちに削除することは相当ではないとも考えられるとの指摘があります。   職業許可権につきましては,民法第823条を削除して,財産法に関する規律として民法第5条及び第6条と統合することは考えられるとの指摘がある一方で,監護教育のみに関係するものではないと考えて,懲戒権に関する規定の見直しに伴う整理をすることが必要でないと考えられるとの指摘もあります。   部会資料8ページの2では,民法第820条の改正について記載しております。懲戒権に関する規定の見直しに関しては,親権の義務的性格を強調することが児童虐待防止に寄与する面もあると考えられることなどから,これと併せて,親権を行う者は,子の利益のために子の監護及び教育する権利を有し,義務を負うと定める民法第820条の規定についても,義務の側面をより強調するような規定ぶりに改めることが考えられるとの指摘があります。   そのほか,9ページの3では,親権者の懲戒権に関する規定を見直す場合には,併せて校長及び教員の教育懲戒権を定めた学校教育法第11条との関係を整理する必要もあるとの指摘もあります。   第3について説明は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項ということで,822条そのものではないものを検討する必要があるかどうかということでございます。三つ項目が立っておりますけれども,一つは,懲戒権と並ぶ規定として存在する居所指定権や職業許可権について,820条で済むということなのか,そうでないのかということについて御意見をいただきたい。それから2番目に,820条そのもの,先ほど少し議論に既になっておりますけれども,この書きぶり,義務の側面をより強調するように規定したらどうかという意見もございますが,この点はどうか。そして3番目その他ということで,その他はいろいろあり得ると思いますが,学校教育法の規定との関係なども考える必要があるのではないかということでございます。   これはそれぞれ性質の違うものを含んでおりますので,順番に御意見を頂ければと思います。最初の820条との関係の整理ということで,居所指定権や職業許可権に関する規定,これらについて考える必要があるのかどうかという辺りから,御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○大石委員 意見というよりも,その7ページの補足説明のロジックが少し分かりにくいものですから,その点について質問したいと思います。   この第1の文なのですが,これを削除する場合にはこういうふうに整理することとなるというのがすごく違和感がありまして,(注)で述べられていることと大分違うのですよね。要するに,820条が一般的な規定であって,その中の具体的な規定がほかの条文だという位置付けをしているわけですから,その削除する場合にはこう整理するという話では全然ないと思うのですね,論理としては。   だから,議論としては,(注)のような本文があって,こうであるからもし懲戒権のところの一部分だけを削るとすると,ほかの条文も削る必要があるのかどうかを検討する必要があるという話になるはずです。逆の言い方をすると,ほかの規定には,独自の意味があるのかという,それも検討しなければいけないという,その論理の組み立てなら分かるのですが,削除する場合にはそういうふうに整理するのだというのは,何か意味が少し通らないような気がします。読んでいてなかなか意味が分からなかったものですから,その違和感を申し上げました。 ○平田幹事 失礼いたしました。ロジックとしては,大石委員おっしゃるとおりでございまして,ここでは,特に民法822条を削除する場合に,一番問題が顕在化するという趣旨を述べたかった次第でございます。 ○大石委員 その趣旨はよく分かります。大体読んでいて,最後にそうかなと思ったのですが,このままだと(注)の書きぶりと食い違うので,気になりました。ちょっと次回辺り工夫していただくと有り難いと思います。 ○大村部会長 (注)をむしろ前に出した方が分かりやすいということになりますか。 ○大石委員 表に出したほうが分かりやすいですよね。 ○大村部会長 いずれにしても趣旨は,大石委員の御指摘のとおりで,そういうことになる。前からある問題なのですけれども,今一つ規定を削除するこということになると,他はどうかということですね。 ○窪田委員 今出ていた話ですけれども,懲戒に関する規定というのがある意味で具体化された規定の中では一番目立つ規定だったので,それを削ってしまうと,残りあと二つで居所指定権と職業許可権で教科書見ても何も書いていないよなという話になるから目立つということではあるのだろうと思いますが,いずれにしても,削除するかしないかにかかわらずある問題なのだろうと思います。   その上で発言させていただくのですが,私自身は,絶対削らなければいけないというほどではないのですが,残すということの意味は正直余り分からないという感じはいたします。特に居所指定権に関しては,親権者が子の体を拘束する者に対して引渡しを求める根拠となるという見解,あることはあるわけですけれども,現在の判例によれば,親権行使に対する妨害排除請求権という構成をしていますので,居所指定権は必ずしも使っているわけではないですし,居所指定権が積極的に機能しているわけでもないだろうと。そして,更に職業許可権に関して言うと,ここにあるのはかなり唐突な印象があるものだということからすると,その中にも規定されていますけれども,むしろ5条とか6条と抱き合わせて規定する方が,規定する必要があるとしても,規定をいったほうがいいのではないのかなというのが,個人的な感想という程度のものですけれども,考えているところです。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○棚村委員 私も窪田委員がおっしゃるように,どれぐらい重要性があるのかという点で言うと,大分小さくなっている条文だと思います。ただ,居所指定権について言うと,やはり今問題になっているのは,正に子どもの連れ去りも奪い合いもそうなのですけれども,リロケーションというのですか,子どもが一体誰と暮らすか,誰が主として責任を負うかという監護の問題とも非常に密接なのですけれども,やはりこの規定そのものを,では不要のものと考えられるかというと,そこまでちょっと検討する余裕もないので,新たな規定が提案されるまでは,いじらないで置いておいてもいいのかなと思います。使えないという話となくていいという話とで言う,ちょっと別かなという感じを持っています。   それから,職業許可権も全く同じで,監護教育の中で子どものために,適切な判断ができない子どものために,仕事だとかそういうアルバイトなんかをするのだったら,どういうふうにアドバイスをして,支援したらいいかなというのがもしあるとすれば,その規定の内容に関係してきます。そうすると,従来のようなやはり営業と言えるかどうかとか,それに対する親の許可とかというのは,正に明治民法のときの兵役への出願の許可みたいな話と全く同じで,親のやはり支配権の中で子どもに全く,子どものためということはあったわけではありませんけれども,親がそれを許可するかしないかという,そういうレベルの規定なので,本当はなくてもいいようには思います。しかし,子の規定も,それをきちんと子どもの仕事に対して親がどうコミットしていくかと,アルバイトも含めてですけれども,それから財産の管理とも非常に関わるような部分もあるので,この機会になくしていいという話がなかなかやっていいのかなということはちょっと躊躇する点です。   この辺りで,やはり親権というもの自体が,先ほど言った命名権とかあるいは医療同意権とか,かなり重要なものがすっぽり抜けていて,子どもの側から見てどういうことが親に対して期待されているか,親の責任としてどんなことが求められているかという議論をきちんとしないまま,条文だけ,もう不要なものだから使わないから要らないという判断がちょっとできるのかどうか自信がありません。   それからもう一つは,ここは懲戒権の見直しのところで設置されている部会なものですから,十分な議論がこれについて蓄積ができているのかという点も気にかかります。そういう中で,検討事項というのでついでにやってしまうというのことがなかなか難しいのではないかという意見です。ほかの論点もそうなのですけれども,学校教育法での11条の体罰の禁止もそうですけれども,教育の場面では随分いろいろな議論があって,そういう議論の蓄積がある部分との整合性とかいろいろなものを検討するについても,それだけの余裕がないのではないかと心配になります。それを考えると,やはり限定的にこの懲戒権の見直しと,監護教育権という820条をどれくらい膨らませたりどんな規定ぶりにすることによって,なくしたことのある意味では代替的な役割とか,あるいはこれは絶対やってはいけないことのメッセージとしての何かをどう出すかということに集中したほうがいいように思います。結局,申し訳ないのですけれども,条文としての当否とかあるいは中身について,十分な議論する具体的な余裕がないので,意識はしつつも,検討はできないのではないかなという感じの意見になります。 ○大村部会長 ありがとうございます。 〇窪田委員 私も先ほど申し上げたとおり,この二つの規定に関してはどっちでもいいやという程度ではあるのですが,ただ,今回の検討対象ではないかというと,私自身は検討対象だと思っています。つまり,822条だけが検討対象なのではなくて,820条がやはり検討対象として含まれていて,その具体化の規定がそれにつながってあるというときに,やはり820条の検討の枠組みの中で議論すべきではないかという気はいたしますし,その820条に続けて何をどういうふうに規定するのかという部分は,やはり今回対象になっているのではないかと思っております。それが1点。   もう一つは,単なる質問なのですけれども,是非知りたいなと思うのが,居所指定権の(注)のところで,現在でもフランス法やドイツ法においては居所指定権の規定が存置されているという形で書かれているのですが,この存置されている理由がやはり知りたい気がいたします。こちらが気付いていない理由があるのだとすると,やはりそれを十分に検討すべきだということになると思いますので,自分でやろうという意思は全然ないのですけれども,どなたか適当な方に調べていただけたらうれしいなという,ドイツ法の方もフランス法の方もおられるのでというふうな希望です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今の窪田委員の御意見は,この際やれるのならば削除を検討してもよい,ただし,居所指定権は要るのかもしれないので,そこは慎重にということだったかと思います。棚村委員の御意見は,それはなくしてもいいのかもしれないけれども,今回それをやるは大変ではないか,問題があるのはその通りだけれども,親権の中身をどう書くか,それは窪田委員もおっしゃっていたことですけれども,親権を具体化する規定としてどのようなものが必要なのかというのは,また別途考える必要があるのではないかという御意見として,伺いました。   いずれにしても,822条の問題と関連することは確かだという御認識を示されたのだろうと思いますが,その上でどうするかということについては,両論あろうというのが今の御意見だと思いますが,ほかに何かありませんか。 ○中田委員 本当は大石委員に対するお尋ねということになるかもしれませんですけれども,居所指定権も職業許可権も,どちらも憲法22条1項の居住,移転,職業選択の自由との関係が問題になるのではないかと思います。821条の居所指定権については,憲法22条1項の公共の福祉の内容を定めたものだという理解があるようですけれども,そうすると,この821条と823条は,憲法22条1項との関係で親権が公共の福祉だと捉えるという見方を表しているということに今までの議論ではなるのだろうと思います。   更に考えてみると,他の自由権は親権によっても制約できないということも含意しているのかなと感じました。仮に821条,823条を削除するとしますと,それによって親権の憲法上の位置についての考え方に影響が出てくるのではないかなという気がいたしまして,もし削除するとすれば,その辺りがどうなるのかということも検討する必要があるのではないか。それについて,大石先生に何かお教えいただければと思った次第です。 ○大村部会長 大石委員,何か御発言があれば。 ○大石委員 質問するのではなかったという後悔の念を持っておりますが。説明としては二通りあると思います。一つは,今おっしゃったように,いわば各論的に,例えば職業選択との関係についてはこれこれの理由があるから制約されるという議論,最終的には「公共の福祉」で説明するという議論がありえます。もう一つは,人権共有主体の問題として,大きく未成年者という地位・属性に着目をして,そこに一般的に係る普通の成年者と未成年者との基本権の保障のあり方の違いという形で説明するものです。   基本的には,多くの憲法の教科書の人権総論で説明するときには後者の方ですね。この場合,未成年者が一般的にそういう成年者とは異なる地位・属性に伴うパターナリスティックな制約が当然あり得て,それは民法でも刑法でもいろいろなところで配慮しているので,そのこと自体は違憲とまでは言えないという形で説明する方がごく普通だと思います。よろしいでしょうか。 ○中田委員 そうしますと,この二つの条文を削除しても,憲法上の議論には直接は影響してこないということでよろしいでしょうか。 ○大石委員 私自身はそう判断しますけれども。 ○中田委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 中田委員の御指摘は,居所指定権あるいは職業許可権について規定を削除したからといって,直ちにこれらが親権の内容に含まれないということにはならないけれども,しかし,これら二つの規定がわざわざ設けられていることを今日説明するとすると,憲法との関係が正当化の事由になっているのではないかという御趣旨だったわけですね。その点については,今の大石委員の御発言を伺うと,憲法との関係について,それほど影響が及ぶようなことでは必ずしもないということですね。 ○大石委員 はい,そう思います。憲法の議論では,髪をどれだけ伸ばすとか,そういうことについて公立学校での制約がある場合にどう考えるかという話が多かったのですが,しかし,それは未成年者という地位に着目をしての議論なのです。各論的には憲法13条の幸福追求権,35条の住居・居住の自由の問題とか,あるいは22条の職業選択の自由の問題になりますが,そこの議論を一括して処理して,いわば総論的に処理する,説明するというのがごく普通のやり方だと思います。解釈論としては,もちろんそれは「公共の福祉」に帰着するのですけれども。 ○中田委員 民法の方の議論としては,821条や823条が憲法22条1項に違反しないかという形で問題が提示されていて,それは違反しないのだという説明として憲法22条1項の公共の福祉に含まれるのだというのが,従来の議論としてはあったようなのですね。そのことと,憲法上未成年者についてどのように位置付けるのかというのと,やや視点が違うのかなという気がいたしました。 ○大石委員 よろしいですか。一見するとその視点が違うように思いますが,しかし,民法820条の説明をする場合に,一般的には監護教育権という形で親の一定のある種の責務なり権能なりが認められていることを前提とするわけですよね。先ほどの一般的な規定があるという,そこに行き着くわけでしょう,結局は。だから,そこがいけないなら,もちろん各論的にもいけないのだけれども,そこの説明は今申し上げたとおりで,未成年者についてはそういう親からの一定の制約に服するという法制度をとっても,それは直ちに憲法違反にはならないというのが普通の立場だと思いますね。 ○大村部会長 821条,823条が完全に820条に包摂されるのならば,820条自体が憲法上一定の扱いをされているので,821条,823条について特に問題にするには及ばない。中田先生のおっしゃっている民法学上の説明は,821条,823条は820条からはみ出して,特に親に権限を与えたのだという理解を前提にして,それを説明するために憲法との関係について公共の福祉などをあげているということかもしれない。そんな整理になるでしょうか。 ○中田委員 今回,821条と823条についての憲法論について,それほど詳しく調べてきたわけではありませんので,どのような議論がどの場でなされていたのかというのは,更に検討する必要があると思いますが,いずれにしても,憲法との関係が問題となるのではないかということが気にはなっておりました。それについて,大石先生からそれは総論の方で解決できる問題だから,気にするには及ばないよということをおっしゃっていただいて,一安心はしたわけでございますが,ただ,これまでの議論というのはもう一度振り返ってみる必要があるかなと感じました。 ○大石委員 私自身ももうちょっと勉強してみます。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○棚村委員 私も憲法については,素人なのですけれども,職業選択の自由とか,あるいは居住・移転の自由というのは,自由権として大人の普通の人には当然認められるわけです。公共の福祉での制約というのはもちろんある。その基本権が未成年の子どもでもやはりあり得るのですけれども,自分で判断したり行使できないので,親が代わりにそれをやってあげるという意味でいうと,基本権を行使できないために親に負託される責任とか義務として残る可能性はないのかなというのが,私なんかは中田委員の御発言も含めてですけれども,ちょっと考えているところです。   それで,先ほどから言うように,今不要だから,あるいは紛争解決の基準として余り役立っていないし,規定を置いていても使われていないという話と,その規定が置かれた趣旨とか目的というのが,もしかすると大人でも保障されている子ども自身の権利を子どもが適切に行使できないので,どこに住むかとか誰と暮らすかとか,そういうものを監護教育とか親がやってあげられるものを権能別に分けてきた規定ではないかと思うのです。ただ,それは不要になったものとか,時代錯誤みたいなものについては規定がなくなっていくのだけれども,果たしてそれを今ここで議論していいのかどうかというものも,もっと大きな視点で考えないと,これは,それからかつて設けられた趣旨と変わって,先ほどリロケーションというのは,正に子どもを巡って親が争ったときに,国際的な子の連れ去りの問題でも正にこの規定を含めて誰が居所指定権を持っているのかというので議論を条文上もされているのです。その監護権というのは一体何なのだと,そういうときに,この規定がなくていいという話には直ちにならないものですから,その辺り,やはりどこに,居住・移転の自由とかあるいは職業選択の自由って,基本権として,人権として大人に認められているものを子どもが,自分が持っているのか持っていないかを含めて,それをでは誰が代わってサポートするのかという議論をしたときに,規定を直ちに削除できないのではないかという発想を私も持っていたものですから,その辺りのところを今後きちんとこの規定をどういうふうに残すか残さないかも含めて議論するためには,時間的にも余裕がないのではないかという議論をさせてもらいました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   憲法の問題というよりは,むしろ民法の側で821条,823条をどう位置付けるのかということについて,即断してしまってよいのかという疑念があるということなのですね。822条を削除するならば,821条,823条も削除というのは,これらは全て820条に含まれているという前提に立っていて,そうであれば,一つ削除するならば他も削除することを考えていいのではないかという話になりますけれども,固有の意味というのが,かつてのような形ではないかもしれないけれども,今は別の形で認められているという可能性がありやしまいか,そういう御指摘なのだろうと思います。   そこのところは更に検討する必要があるかもしれませんが,その点について考えた上で,それでも削除ということは十分あり得るところかと思いますけれども,今回そこまで検討できるかというのが棚村委員の御指摘だったと承りました。   よろしいですか。更にこの問題について御発言があれば,御意見を伺いますけれども,積極的に存置という意見があるわけではないようですが,削除することについて,この際だからという御意見と,いや,少し慎重に考えた方がいいかもしれないという御意見があるというのが現在の意見分布かと思いますが,そういう整理でよろしいでしょうか。   ありがとうございます。   それでは,もう一つ,むしろそちらは考えた方がいいと棚村委員から御発言があったものと理解しておりますけれども,820条自体をどうするか。これは,先ほど来問題になっている820条に2項を設けるかどうかということと関わってくるところがありますけれども,それはそれとして差し当たり括弧に入れて,現在の権利性を前に出している条文をこの際改めてはどうかという点についての御意見をいただければと思います。 ○窪田委員 先ほど,この点について自分の見解は後で発言させていただきたいということで申し上げたのですが,基本的には,820条の親権に関して,これは単純に義務としてのみ捉えるという見解もありますけれども,私自身も一定の権利性はあると思っています。ただ,その権利性というのは,子どもをどういうふうに教育するのか,どういうふうに養育するのかということに関して,子の利益に反しない限り国や社会から介入されないという意味で,他者からの介入を排除して,やはり自分の裁量的な判断によって教育,子育てをするという部分に権利性があるのではないかと思っております。   ただ一方で,親権の最も中心的な法的な権利義務関係というのは,親と子の関係ということになるのですが,それでは子との関係で親が権利を有しているのかというと,子との関係では,やはり基本的には義務を負っているのであって,子の利益のために監護教育をするというのは,これに対する関係では義務なのだろうと思います。非常に古い時代における子というか,「家の子」に対して言わば支配権を持っているというような意味での権利性ではないと思いますので,その意味では,やはり法律関係の中心となる子との関係で義務というのを先に規定して,そして社会や国家との関係で権利というのをその次に規定するというようなニュアンスで,入れ替えたらということでございました。一応その考え方自体が多分正しいかどうかというのは議論があると思いますけれども,そういう趣旨です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   これについてほかに御意見ございませんでしょうか。 ○棚村委員 先ほど水野委員からは,やはり権利があって義務があるのだという,並びの順番としてはそっちの方がいいのではないかというお話があったと思います。それで,御承知のことだと思うのですけれども,1998年にドイツは親の配慮という形で,エルタリッヒェ・ゾルゲという形で規定をされたときに,確か木村委員の方が詳しいと思いますけれども,その配慮の義務ということを前に出して,権利というのは後に変えた経緯があります。これはもう順番をただ変えただけで,本当に大きな変革ではないのではないかという御意見もあるかもしれませんけれども,やはり先ほど言ったメッセージとか理念ということでいうと,親権の義務性というのはかなり古くから言われていたにもかかわらず,やはり親の権利というものはかなり中心になってしまって,そういう反省の中で,先ほど言った2000年には暴力によらないで子どもは教育される権利を持っているのだという民法改正がドイツではなされました。体罰,精神的的な危害及びその他の屈辱的な措置は許されないと,こういう規定を置いたというのは,やはりそれなりに意味があったと思います。   ドイツなんかの調査の結果を聞くと,1990年代ですら,最初の頃は8割ぐらいの親がやはり体罰とか暴力みたいなものを日常的に振るっていたのが,2001年以降,2008年の調査なんかだと,それが25%ぐらいに減ったとか,いろいろな実態調査がされていて,確かにいろいろな宣伝とか教育とか普及とか支援みたいなものが必要で,水野先生がおっしゃるように,それをセットでやらなければ絵に描いた餅で,何の意味もないと思うのですけれども,むしろ日本もそういうような支援とか,教育とか,そういうようなことを併せてやることによって,民法の条文の変化も国民にだんだん浸透していくのではないかと思います。   それを考えると,窪田委員がおっしゃっていたように,やはり義務みたいなものを前にするということが,小手先の改正かなと思われる節はあるかもしれませんけれども,ほかの国を見ても,そういうような形で,親権の概念や言葉を変えるというのは大変なことですから,多分そういう義務と権利の順番を少し前に出すというようなことも,メッセージとしての大きな意味があり,私自身は賛成の考えを持っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○磯谷委員 日弁連としては,以前こういった形で義務と権利を入れ替えるということを提言したことがございます。ただ,個人的には,単純に入れ替えるということで済むのかなという疑問は正直持っております。先ほど窪田委員がおっしゃった御趣旨は,大変賛成なのですけれども,要するに,そのお話を伺うと,義務というのは子どもとの関係においてある一方で,権利性が認められるのは,むしろ対社会ないしは対国家,要するに不当な干渉を防ぐという意味での趣旨であると。全くそれは重要なことだと思うのですけれども,そうすると,単純にこの順番を入れ替えるだけでそれが表現できるのかどうか。すごく単純に言えば,親権を行う者は子に対しこうこうこういう義務を負うと。また別途,例えば,何でしょうか,国とかそういった社会から不当な干渉を受けない権利を有するとか,ちょっと言葉がいいかどうかは全然別ですけれども,そういった形で書いた方が,むしろその趣旨としては明確になるのかなとは思います。   ただ,そうは言いながら,実はすごく悩ましいなと思うのは,そういった形で一方で私も特に国などから干渉されない権利というのは非常に重要だと思っています。思っていますけれども,虐待防止の現場からすると多分すごく抵抗があって,というのは,やはり適切な介入がいまだできない,できていない状況の中で,それは足を引っ張ることになるのではないかというふうな,これは論理的というよりもむしろ本当に実務的な懸念は常に言われるところです。   したがって,率直に言っていろいろ手を入れたくなるのですけれども,手を入れて,入れ方によってはかなり反発を得る可能性もあるかなとも思いまして,非常に難しいところかなと感じております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかいかがでしょうか。 ○大石委員 私はこの点について定見があるわけではないのですが,ちょっと立法技術的な点から言うと,どうかなという感じは持っています。現在の820条ですと,子の利益のために監護及び教育をすると,そういう内容の権利義務だという話ですね。でも,ここに新しく書いてある提案の中身だと,ここに読点があることによって,利益のために,義務を負い権利を有するになるのではないかと思うのですよ。だから,ここは恐らく読点を取るのが正解で,だから元のあれと同じですね,権利と義務をひっくり返すのですけれども,そういう内容の義務及び権利をというふうに書かないと,意味が違ってくるのではないかという感想を持っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   権利義務,表裏一体であるけれども,どちらを強調するかという書き方の問題だという御指摘ですね。 ○窪田委員 むしろここの部分の読点ですよね。子の利益のためにの後の読点があることによって意味が変わってしまっているのではないかという御発言だと思います。 ○大石委員 そうだよね,普通は。確か。 ○窪田委員 読点がなければ,子の利益のために監護教育する権利義務,義務権利でもいいのですけれども,子の利益のためにで一遍切ってしまいますので,子の利益のために,監護及び教育をする義務を負うということで,監護及び教育に子の利益のためにがつながっていないという御発言ではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかいかがでしょうか。 ○久保野幹事 すみません,私自身は定見がないのですけれども,先ほど窪田委員がおっしゃった点の中で,義務の面について質問させてください。義務を負っているということになるであろうというときの,その義務というのは,主に親子に着目したときには,実際に裁判を起こすかはともかくとして,抽象的には,子が親に対して自分の利益になるように親権を行使することを求める請求権ですとか,そうしてくれなかったからこんなふうになってしまったことについての損害賠償請求権ですとか,そのような,対人的な権利義務といったようなことなのでしょうか。   この質問の背景にある疑問は,義務も,多分に社会や国家との関係という側面があると思いまして,整理の仕方として,そこを確認させていただきたいという質問です。 ○窪田委員 おっしゃる意味は分かります。子どもを適切に育てることというのは,単に子どもとの関係だけではなくて,社会に対する義務,国家に対する義務だという説明はあり得るのだろうとは思いますけれども,しかし,それは国家や社会に対する義務というだけではなくて,やはり私自身は主体的には子が権利者として何ができるかという立て方をすると,ちょっとうまく答えられないのですが,子に対する義務だというのがやはり本質的な部分ではないかと考えております。   では,同じように子に対する権利だというふうな立て方をできるかとすると,やはりそうではないのではないかという意味で,子と親の関係でいうと,子に対する義務というのがやはり中心になるのではないかという意味の発言です。 ○久保野幹事 ありがとうございます。   私自身は,どのように権利義務の構成を考えるかについてまだはっきりとした考えが固まっていないのですが,申し上げたかったことは,権利とか義務といったときに,対人関係における権利義務か,国家社会に対する権利義務かというような観点を,民法全体でいえば所有権との関係で採られる構成等も視野に入れて,どう捉えられるのかということを,もう少し詰めて考えることができればと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,この問題についていかがでしょうか。   今まで頂いている御意見は,義務と権利をひっくり返すということの前提として,窪田委員からは,義務は親子間の問題で,権利は対社会や対国家の問題なのだという整理がされましたけれども,それについて,必ずしもそうではないのではないかという御疑問と,それから,これを書き直すことに積極的なメッセージとしての意味があるという御判断に対して,いや,マイナスの反発を招くかもしれないという御指摘もあったということかと思いますが,更に何かこの問題を考える上で付け加えておくべき論点がありましたら,お願いします。 ○窪田委員 もうそれ以上こだわるつもりはないのですが,私自身は,権利と義務の順番の話は,現行の規定を前提とすればどっちでもいいのかもしれませんけれども,やはり先ほど言っていた820条に更に何らかの文言を足すかどうかには,かなり大きく影響を受けるのではないかと思います。例えば,子の人格を尊重してというような言葉を入れたときに,やはり権利が来るのではなくて,そこでは義務が来るほうが自然ではないかなという気もしますので,その意味では,そうした点も踏まえて総合的に検討していただければいいのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ここで議論する本体の問題と関連するという御指摘ですね。 ○木村幹事 それとの関係ですが,先ほど棚村委員からドイツ法の話が出ましたけれども,ドイツ法においても,児童の権利条約において子どもの人格の主体というものを尊重されるようになった点を踏まえ,子どもの人格の主体を尊重するのであれば,まず子どもの観点から誰が養育者として責任を負うのかという形で民法の規定を改正した方が望ましいと考えられていたように思います。こうした発想を受けて,子どもの権利性が強調されるようになったとの説明がなされています。   ですので,先ほどの窪田委員の御指摘も踏まえますと,820条その他の文言の中で子どもの人格への配慮という文言などを積極的に入れるのであれば,その前提,あるいは手掛かりとして,まず820条の文言において義務という言葉を先に入れた方が,全体として一貫性がある理解ができるのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○大森幹事 今の御説明に加えて,実務的な視点から付け加えさせていただきますと,子をめぐる紛争については事件数が増加していますし,高葛藤事例も非常に多い。その要因,様々あるのですが,その中の一つとして,父母両当事者の権利意識が強くなっているということも言えるのではと思います。例えば面会交流についても,会わせるのが権利だというような意識を持っている親も多く,調整に難航する事件も少なくありません。やはりそこに対するメッセージ性といいますか,今木村幹事からお話あったように,子どもの視点から出発して,子どもの利益にふさわしい解決について,親はどう考えるべきなのかということを明確にするという意味でも,順序を入れ替えるということは非常に重要ではないかと考えます。   なお,先ほど窪田委員から,子どもに対する権利として思い当たるものはないのではないかという趣旨の御発言がありました。元々この820条や821条というものができた当時,明治民法の当時は,まだ家制度等もあり子どもに対する権利という意識があったとは思うのですが,そういったものは今はもうないと思われます。そういう観点からすると,少し話は戻りますけれども,821条の居所指定権などについても,考え方を転換するというメッセージも含めて,残すことに本当に意義があるのかどうか検討する必要があるのではないかと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○磯谷委員 今までの議論とちょっと違いますけれども,この820条をちょっと見直すということであれば,この義務という表現も,それが一番望ましい表現なのかというところもあるかと思います。先ほどちょっとほかの立法例出てきたと思いますけれども,責任とか責務とか,そういったような表現もあって,多分いろいろ一長一短があるのだとは思いますけれども,そういう意味では,次回以降この議論をする素材として,事務当局の方ではできればそういった形で,この義務という表現以外にも少し選択肢があり得るというところも含めて,何といいますか,提案していただけるといいかなと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。今の御指摘は,これが誰に対する権利義務かということとも関わっている御指摘なのかと思いますけれども,そういうことを考えると,権利の方も権利という言葉でいいのかどうなのかといった問題がもしかするとあるかもしれません。   伺っていると,形としては前後を入れ替えるだけですけれども,かなり幅の広い議論になりますので,そのことも考えて検討をするということになろうかと思います。   あともう一つ,先ほど出ましたけれども,820条に何か付け加えるというときに,そちらとの関連というのも考える必要があるという御指摘もあったかと思いますので,それらも含めてなお検討をするということかと思いますが,何かほかに御発言があれば伺います。 ○中田委員 この問題,休憩後の水野委員の御発言に端を発しているわけですが,今出てきた,義務を先に出すということについての御議論は,水野委員は当然十分に理解された上で,なお大村部会長がおっしゃった問題も踏まえて,御発言されたのではないかなというふうに私は想像しております。   ですから,この問題については,懲戒権を削除して別の規定にするという場合に,先ほど示されました懸念との関係をどう見るのかということも併せて考慮する必要があるのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。大変貴重な御指摘を頂きました。ありがとうございます。   私は先ほど権利を,例えば権限というようなものを含めて,何か親子間で考えられることもあるのかと思って,言葉の問題を申し上げましたけれども,それは今の御指摘のような問題もここでなお考える必要があるのではないかという趣旨でした。中田委員の明確な御指摘を頂きまして,有り難く思っております。それらも含めて,この先,考えていく必要があるかと思います。   そのほかいかがでしょうか。   それでは,その他ということになりますけれども,今の二つの問題以外の検討事項として,どういうことが考えられるかということとしては,例示として学校教育法の11条が挙がっております。先ほど,多少これについて御意見をいただきましたけれども,改めてこの点について御意見をいただければと思いますが,いかがでしょうか。 ○磯谷委員 ちょっと素朴な疑問ですけれども,学校教育法について今指摘がここでありますが,この法制審議会で議論をする意味というのは,これは要するに文部科学省の方にこちらが改正したときに検討事項としてあり得るのではないかということを示唆するような,そういう趣旨でございましょうか。特に事務当局の方。 ○平田幹事 もちろん学校教育法につきましては,文部科学省の方で所管している法律ですので,こちらで何かいうということはございません。ただ,我々の方で懲戒権に関する規定を見直すということであれば,やはり同様に懲戒権について定めており,かつ体罰についても定めている学校教育法との並びについては一応議論しておく必要があるだろうというところで,記載させていただいております。   ただ,いずれにしても,これをどうするかというのは,必要に応じて文部科学省の方で検討されるというところでございます。 ○磯谷委員 では,もう一つ。そういう趣旨であれば,一つ懲戒という言葉を使っているのが児童福祉法の33条の2と47条,これは一時保護中の児童相談所長の権限,それから施設入所等の場合の施設長の権限のところです。こちらの方は,ここの(注2)にありますように,秩序維持というふうなことがこの学校教育法については書かれているわけですけれども,かなり微妙な話になってくるかと思うのは,学校よりもずっと小規模でありまして,特に里親さんになりますと,これはもう家庭ということになってきます。そうすると,一体この親の懲戒権を削除した場合に,それが残るのか,一方で,では施設などはどうなのか。施設も実はいろいろありまして,乳児院,児童養護施設もあれば,児童自立支援施設もありまして,児童自立支援施設の場合ですと,いわゆる強制的措置が可能というふうになっています。裁判所の別途許可が必要ですけれども。   いずれにしても,そういったところがありますので,この学校教育法とまたかなり違った論理といいますか,そういったところで検討しなければいけないのではないかなと思います。これも別にここで議論するというわけではなくて,厚生労働省に投げてしまうような話なのかもしれませんけれども,学校教育法をここで書くのであれば,多分児童福祉法も含まれるのかなとは思います。 ○成松幹事 磯谷先生と同じ問題意識を持っていますので,ここでの御議論,どういった趣旨で懲戒権がどうなるかというのに伴って,児童福祉法の方も施策の内容に応じてちょっと検討を重ねていかなければならないなと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○久保野幹事 児福法47条と33条の2については,私も指摘させていただきたいと思っていたところなのですけれども,ここは自己の見解を述べる場ではないとは思いますが,ただ,あの条文は,構造として,親権者がいないときに親権を行使できるということが元となっているもので,その同じ条文の中に,親権者があるときでも監護,教育,懲戒の措置が,必要な範囲でできるということなので,校内秩序,組織の秩序の維持ということが入るか入らないかということでは,私などは当然入らない規定だと読んでいました。いずれにしても,親権と密接な関係をもって規定されている懲戒に関する規定なので,検討が必要だろうと思います。重ねての同じことの発言で失礼しました。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○棚村委員 先ほどもちょっとお話ししたのですけれども,懲戒権と言った場合に随分使われ方がいろいろあるということで,正に学校教育法での懲戒権とか体罰の禁止規定,窪田委員もおっしゃっていましたけれども,オーバーラップする部分としない部分があるというのは,正に親の懲戒権の822条を負託されている部分というのが教師の場合もあるわけです。それから,児童相談所,要するに施設長なんかもそうだし,里親さんもそうですけれども,ある意味では親権を代わりに行使するという意味では,そういう民法の822条がやはり影響をしているのだと思います。   その辺りのところも,民法の822条での子どもに対するしつけとか,そういう意味での注意とか,そういうようなことが監護教育という枠の中でできるのだということになるとすれば,やはりその問題もそこできちんと議論をしていただいて,なくすというか,懲戒という言葉をなくすということも出てくると思います。   別な意味で,学校教育法について,私も少し勉強してみたのですけれども,やはり規律違反とか秩序維持とか,そういう組織としての,集団としての統制をとるための懲戒権,これはやはり必要ではないかと思っています。   それと誤解されるのは,親からある意味では日中ずっと子どもを預かっているわけですから,その負託された部分として,そういう監護教育の延長線上のものがあるとすれば,むしろ監護教育という枠の中でのものだけでいいのではないかと私も理解をしていますので,かえってそういう懲戒権みたいなものがあることによって,行き過ぎた体罰とか行き過ぎた指導がやはり行われている現状というのがあるものですから,そういうことを考えると,懲戒という言葉もきちんと整理した上で,それぞれの分野で学校でも家庭でも,それから施設とかこういう福祉の場面でも,懲戒という言葉が使われている文言については,もう一回再検討して,一体何を誰が子どもたちのためにしてあげる必要があるのかという観点から精査した方がよいと思います。民法の懲戒権の822条を前提として作られたり,あるいはイギリスなんか見ていてもそうなのですけれども,親代わりとか親の代わりに何かする人については親の権限がやはり移譲したみたいなことが書かれていて,そこでもある程度の体罰は許されるみたいなことで議論が進んでいたという歴史もあります。むしろ,それは後の学校教育法というか,名称はちょっと忘れたのですけれども,それから福祉関係のガイドラインとか,いろいろなルールの中でもやはり体罰は許されないとか,そういうことがどんどん入っていっていますので,これまでは親に認められたものを施設長とか,あるいは教員なんかも一部親の代わりとしてやっていたとも言われています。それが,やはり親もできなくなっていったり,親も制限されるようになると,当然にやはりできないとならざるを得ない。   つまり,親だからできるとか,第三者はできないという話よりも,親もできないし,第三者も子どもの側に立つとできないという整理をされてはじめていますので,学校教育や福祉の分野の話については懲戒権と関わるのですけれども,オーバーラップしない部分でもありますので,何が残されて何が残るのかということの議論も,それぞれの法律の趣旨にのっとって個別に議論していただいた方がいいと思います。 ○磯谷委員 私も全然施設で懲戒権を残すべきだなんていうつもりは全くありませんし,ただ,単純に学校教育法は秩序の維持という面があるから懲戒は必要だけれども,施設ではそれはないから要らないというふうな割り切りができるのかというところは,若干そこはよく整理しなければいけないなと思います。というのは,やはり規模が大きい施設になりますと,当然たくさん子どもがいる。いろいろな問題も抱えておられるお子さんがたくさんいる中で,やはりそこで秩序維持が要らないという話にはなかなかなりにくいのかなと思ったりします。   加えて,児童自立支援施設ですと,同じ敷地内に別に学校があって,そこで子供たちは授業を受けている間は懲戒があり得て,隣の建物で生活棟の方に移ると懲戒はないとかというふうなところもかなり技巧的なニュアンスもあるかなと思います。   いや,ここは本当に悩ましいところだと思っていますけれども,いずれにしても,かなり微妙な問題を含むところだと思うので,本当によく,慎重にちょっと整合性をとりながら議論しなければいけないところかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○髙橋委員 ちょっと学校という場所を考えると,教師と児童・生徒との関係だけではなくて,学校というのはほかの児童・生徒もたくさんいるわけですよね。だから,その中で授業中私語をしている子がいたらほかの子が授業を聞けないと,そういう中で,私語をするなという話だと思うのですね。   あるいは,廊下を走っている子がいたら,その子をでは叱らないとどうなるかというと,あっ先生,あれやっていいのだねと,ほかの子もやってしまうから,やってはいけないと,はっきりさせなければいけないとか,やはりほかの子たちの目があったり,ほかの子たちの利益があったり,そういう中で行われる秩序維持というものなので,またちょっと性格が違うのだろうなと思うのですね。だから,同じ懲戒という言葉が使われていても,やはりその内実はよく考えないといけないのだろうなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今の点は,棚村委員が最初の方で御指摘になった点とも絡んでいるのかと思います。児童福祉法の関係で言いますと,今回のこの審議を基にして児童福祉法の方でお考えいただくという方向がまた一方でありますけれども,他方で,学校教育法の場合には,学校教育法がどうしているかということが資料として出ていて,それを考えつつ,民法の側は学校教育法との異同を考慮に入れつつ,親権行使の適切な限界を判断しようということを考えておりますので,児童福祉法についても現状について何か指針みたいなものがもしおありならば,それを提供していただいて,それとの関係で議論するというのがよろしいのかとも思いましたので,またそれは事務的に御相談をさせていただいて,必要に応じて厚労省の方にも御協力を頂ければと思います。そのような対応でよろしいでしょうか。   そのほか,そのほかの部分について御発言はございますでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは,本日予定していた議事については,以上で終了ということになります。もちろん議論自体は更に深めていかなければなりませんけれども,本日の審議はこの程度にさせていただきたいと存じます。   そこで,最後になりますけれども,次回の議事日程等につきまして,事務当局の方から御説明を頂きます。 ○平田幹事 次回の日程につきましては,10月15日火曜日,午後1時半から5時半までを予定しております。場所につきましては,地下1階大会議室を予定しております。   内容につきましては,嫡出推定制度の見直しについて御議論いただきたいと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   次回は,日時については今御説明があったとおりですけれども,場所は違いますので,御注意をいただきたいと思います。それから,話題がまた少し変わりますので,そちらについてもどうぞよろしくお願い申し上げます。   それでは,法制審議会民法(親子法制)部会の第2回会議をこれで閉会させていただきます。   本日も熱心な御審議を賜りまして,誠にありがとうございました。閉会いたします。 -了-