法制審議会 少年法・刑事法 (少年年齢・犯罪者処遇関係)部会 第20回会議 議事録 第1 日 時  令和元年11月27日(水)   自 午後 1時58分                         至 午後 3時53分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  1 少年法における「少年」の年齢を18歳未満とすること及び非行少年を含む犯罪者に対する処遇を一層充実させるための刑事法の整備の在り方について         2 その他 第4 議 事 (次のとおり) 議        事 ○玉本幹事 ただいまから法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会の第20回会議を開催します。 ○佐伯部会長 本日は,御多忙中のところお集まりいただきまして,ありがとうございます。   本日,小山委員,手嶋委員におかれては,所用のため欠席されています。また,今福関係官は,所用のため遅れて出席される予定です。   それでは,初めに,事務当局から資料について説明をお願いします。 ○玉本幹事 本日,参考資料として,「部会第8回会議から第19回会議までの意見要旨(年齢関係)」を配布しています。この資料は,事務当局の責任において,当部会第8回会議から第19回会議までにおける各委員,幹事の御意見の要旨をまとめたものです。   また,本日も,「部会第8回会議から第18回会議までの意見要旨(制度・施策関係)」,配布資料21「検討のための素案」,参考資料「犯罪者に対する処遇を一層充実させるための刑事の実体法及び手続法の整備-検討のための素案-」を机上に置いています。 ○佐伯部会長 それでは,審議に入ります。   本日は,前回会議に続いて,「少年法における「少年」の年齢を18歳未満とすること」について,意見交換を行うこととします。   それでは,御意見がある方は,挙手の上,御発言をお願いします。 ○池田幹事 年齢に関する議論として,第11回会議の中で,民法の成年年齢の引下げに関する法制審議会の答申や,児童の権利に関する条約の日本政府報告に言及された発言がありましたので,それについて発言と質問をさせていただきたいと思います。   まず,民法改正に係る法制審議会の答申に関するものとして,第11回会議におきまして,山﨑委員から,民法の成年年齢引下げについては,元々の法制審議会の報告書においても,親権からの離脱ということをメリットと考えて引き下げるわけではないということがはっきり指摘されているとの御指摘がありました。   そこで,当部会第1回会議で資料3として配布された「民法の成年年齢の引下げに関する諮問第84号に対する答申」に改めて目を通したところ,同答申に添付されている報告書の12ページに,専ら親による児童虐待事案を念頭に置くものとして,次のような記述がありました。親権の対象となる年齢を引き下げ,親から不当な親権行使を受けている子を解放するという点は,民法の成年年齢を引き下げることによるメリットとは言い難いというものです。しかしながら,これをもって,先ほどのような指摘をすることはできないのではないか,というのもこれは,専ら児童虐待への対応を念頭に置くものではないとするものでありまして,これが,民法の成年年齢引下げは親権からの離脱ということをメリットと考えて引き下げるわけではないということを,はっきり指摘しているとは言い難いのではないかと思います。   他方で,同報告書の7ページから8ページまでにかけましては,民法の成年年齢を20歳から18歳に引き下げることの意義について,①民法上,契約年齢及び親権の対象となる年齢を18歳に引き下げることを意味すると同時に,②一般国民の意識の上でも,20歳までを子供としてきた現在の扱いを変え,18歳をもって大人として扱うことを意味するとされております。その上で,さらに,民法の成年年齢を引き下げ,18歳をもって大人として扱うことは,若年者が将来の国づくりの中心であるという,国としての強い決意を示すことにつながると考えられるとの記載もなされているところであり,これを素直に読みますと,契約年齢の引下げのみならず,親権の対象となる年齢の引下げも,有意義なものとして考えられていると言えるように思います。   もう一つ,「児童の権利に関する条約」の日本政府報告に関して,第11回会議において,青木委員から,少年法の「少年」の年齢と民法の成年年齢との関係についての御意見の中で,同条約の日本政府第1回報告を引用しての御発言がありました。   そこで,外務省のホームページで公表されている資料を確認しましたところ,同条約の日本政府第1回報告は,1996年に行われており,当該報告において,青木委員の御指摘のとおり,「我が国においては,少年法上,20歳未満の者を「少年」として取り扱っている。少年が罪を犯した場合については,以下のとおり少年法等により成人(20歳以上の者)とは異なる手続を定め又は措置を講ずることにより,その年齢を考慮し,将来社会において建設的な役割を担うことを促進するものとしている」という記載がありました。   しかしながら,これは,飽くまで現行の少年法制がそのようなものであるという説明をしているものであって,少年法の「少年」の年齢を引き下げる改正をすべきか,民法の成年年齢との関係をどのように考えるかに当たって直接参考になるようなものとは思われないところです。そこで,青木委員に,当該報告を引用された趣旨についてお尋ねをしたいと思います。              (今福関係官 入室) ○青木委員 今おっしゃったように,少年法上の法律上の文言として20歳未満ということを使っているので,少年法そのものが,未成年,成年という区別ではなくて,年齢に着目して,年齢で20歳と区切って規定をしています。それほど深い意味があるということではないのかもしれませんが,少年法自体が,民法上の成年と未成年という区別と,少年法上の成人と少年の区別を連動させるということであれば,未成年という言葉を使っても良かったはずで,そうしていないのは,成熟する年齢というところに着目したという意味があるのだろうと思います。 ○山﨑委員 法制審議会民法成年部会の最終報告書に関する私の発言についても,今御指摘いただきましたので,その点について述べます。   今,池田幹事がおっしゃったように,確かに,児童虐待を念頭に置いた親権からの離脱については,それ自体が引下げのメリットとは言い難いという記載だと私も理解しておりますが,その上で,親権の対象となる年齢を引き下げた場合の問題点として,自立に困難を抱える18歳及び19歳の者の困窮の拡大,さらには,高校教育における生徒指導が困難となるおそれといったものが指摘されております。そして,若年者の自立を援助するための施策を充実させる必要があるという指摘もされており,やはり,親権の離脱ということ自体が年齢引下げの大きな理由とまでは言えず,むしろ,年齢を引き下げたことにより,自立に様々な課題が残る子供たちをしっかり支援しなければいけない,という点が強調されているのではないかと,私は理解しております。   そのような指摘も受けまして,前回の会議でも指摘したような,国会での附帯決議,養育費の支払終期の問題,児童福祉上の自立支援の継続といった決議に結実していると,私は理解しております。   また,親権に関する問題として意見を述べておきたいのは,この間の議論ですと,親権から離脱するということをもって,監護教育という,非常に監督的なものから解放されるという点が強調されているかのように,私は感じているのですけれども,民法の親権に関する最近の議論を勉強したところ,子供が親権者の監護教育権の客体として,それに服従するかのような理解ではなく,親権というのは,親が子供に対して監護教育する場合に,第三者からの妨害を排除する,妨害排除的な権利として整理をされていると理解しております。   そのこととの関係もあると思いますけれども,最近,共同親権などをめぐる家事法制の研究会も始まっているようですが,その中でも,以下のような資料の記載がございます。親権は,その名称からすれば,純粋な親の権利であるようにも思われるが,法的性質については,権利であると同時に義務であるとする見解,さらには,権利性はなく純粋な義務であるとする見解などがあり,さらに,海外では,これを子に対する支配よりも,義務や責任の要素を強調する観点から,親権という用語を改め,英国,アメリカ,オーストラリア等では親責任という概念,さらには,ドイツ,スイス等では親としての配慮,あるいはカナダでは決定責任,こういった用語に置き換える動きがあるということを踏まえて,我が国でも親権という用語が,親子間の法的な関係を表す言葉として適切であるかについて,改めて検討することが考えられると,こういった検討が行われているようです。それが,今回の議論にストレートにどう結び付くかという問題はあろうかと思うのですけれども,子が客体として親の監護養育権に服するという関係を過度に重視するような形での少年法との関連付けが,果たして現在議論されている親権の考え方に適合するものかどうかといったことも,改めて検討する必要があるのではないかと考えています。 ○田鎖幹事 ただいま,少年法と民法との関係のお話がございましたので,その関連で若干申し述べたいと思います。   前回も,その文脈の中で保護者の概念をどう捉えるかというような議論がございました。保護者について見ると,法律上監護教育の義務ある者としての保護者というのは,確かに民法の規定によって定まります。ですが,少年法は,こうした法律上監護教育の義務ある者と並列して,少年を現に監護する者も保護者としており,これについては以前からも議論になっているところでございます。現に監護,すなわち,現に監督し保護する者としての,言わば事実上の保護者という者は,民法によって規定される者ではございません。ですので,少年法における保護者概念が民法によって直ちに規定されるというものではなくて,より広い少年法独自の射程を持っているということを明らかにしているのだと,私は考えます。   もっとも,ここで重要なことは,第19回の会議で山﨑委員も指摘されたように,保護者の概念から少年の定義や範囲を定めることではないと考えます。民法の成年年齢が引き下げられたという状況において,少年法の目的や機能に照らして,少年の範囲がどう定められるべきかを考えなければならないわけでございます。   この点で,第11回会議,それから第19回会議において,以下のような御意見が出されました。すなわち,保護原理の根拠を未成熟で発達段階にある少年が健全に成長すると,そういう本人の利益を図るために,国が後見的に介入することが認められるという考え方を前提とした場合に,どの年齢で線を引くかは政策的な判断になるものの,後見的な介入を認めるかどうかの判断に当たって基本をなすのは,少年の基本的な地位,権利,義務に関わる民法の領域である,あるいは,少年法は,法制度全体の整合性の観点から,民法上の成年年齢のところで線を引いたということになる,このような御意見がございました。また,第19回会議において,この意見を補足する説明と理解しましたが,どうして現行少年法が適用対象年齢を引き上げるときに,21歳未満ですとか,それ以上にしなかったのかということを,制度としてどう説明するかと考えると,それは民法の成年年齢が根拠になるのではないかという御意見がありました。   確かに,現行少年法の年齢を定めるに当たり,民法の成年年齢が参照されたのではないかという見方が成り立つとしても,そのことから,少年法は法制度全体の整合性の観点から,民法上の成年年齢で線を引いたということに,直ちにつながるのかという点については,疑問があります。少なくとも,第19回会議で申し上げたとおりですけれども,国会審議の記録からは,18歳及び19歳の者の未熟性ゆえに,対象年齢を引き上げる必要があるということ以上には出てきておりません。ですので,民法を参照したという推測が成り立つとしても,そのことから,少年年齢の条件が民法の成年年齢によって規定されるのだという,明確な意図までを酌み取ることは,無理なのではないかと考えます。   また,仮に,現行少年法の制定時に,立法者が民法との整合性を考えたとしても,それによって,その後の少年年齢が民法によって運命付けられなければならないということを意味するものでもないと考えます。かつて,団藤博士が述べられたように,法が生きた社会を規制するものとして存在するに至った以上は,その社会とともに生きるべき運命を与えられ,言わば独自の生命力をもって,自らを発展させていくべきことになるということを,私は想起いたします。   そして,少年法は,70年にわたって社会とともに生きる中で,当然ながらですけれども,制定当時とは機能の仕方を,時代とともに変容させて発展してきたと言えます。例えば,前回も言及がありましたが,収容継続は,当初は例外的な制度として設けられたと見ることが可能なのであろうと思います。しかし,今では,少年法の対象者の年齢層は,特に男子を中心にして高い方に動いてきているということがあります。この部会での配布資料,統計資料を見ても明らかなとおり,一般保護事件の終局時の年齢区分では,年長少年が最多となっております。その結果として,少年院の出院者のうち,収容継続がなされた者の割合は,全体の約3割にものぼっています。つまり,20歳に達した後の収容継続は,例外どころか,むしろ規模としてみますと,当たり前の事態になっているのであります。そういうことからも,少年法の機能が,実際面として,近年においては,その対象を高い年齢の方に移しているという方向で変化してきているということも,事実として明らかだと思います。   こうした変化,すなわち,少年法が生きた法として機能の在り方を変えてきたという実態を踏まえた上で,今,政策的に少年年齢の上限を,民法で引き下げられた成年年齢に合わせることが求められるのかということを,検討すべきだと考えます。その際に,まずもって考慮しなければならないことは,第19回会議でも,青木委員やその他の方からも御発言があったとおりですけれども,刑事政策として,少年法の適用年齢を引き下げることが適切だと言えるのか否かであると考えます。最も重要なのは,刑事政策としての有効性でありまして,少年法が有効に機能しているとの評価が揺るがないのであれば,民法の成年年齢の引下げが少年法の適用年齢の引下げの決定的な理由にはならないと,私は考えます。 ○山下幹事 今の田鎖幹事の御発言に関連しますが,前回の第19回の部会におきまして,池田幹事から,少年法の適用年齢が引き下げられたときに用意される手当てが,現在の少年法上の処遇や手続と同内容のものでない場合に,そのことを理由に手続や処遇が不十分であるとの評価を行うのだとすれば,それは適切ではないとの意見が述べられました。この点について,意見を述べます。   今回の法制審議会の少年法・刑事法部会においては,現在の年長少年に対する家庭裁判所の調査や処遇は極めて良好であり,何の不都合もないという共通認識を前提として議論されているところです。18歳及び19歳の者を成人とすることにより,年長少年に対するこの制度を一旦なくしてしまうかどうかを議論するに当たっては,現在の少年法上の処遇や手続と比較して,それが不十分であり,見劣りがするというのであれば,そもそも立法論として,そのような立法をすべきではないと考えるのは,むしろ当然であると考えます。   本年11月8日に公表されました元少年院長などによる声明においても,「若年者に対する新たな処分」について,要保護性のある少年に対し,健全育成の働き掛けが十分とは言えないと指摘した上で,年齢引下げが成長発達の支援の最後の機会を奪うなどと指摘して,少年の年齢引下げに反対しているところです。   また,池田幹事は前回の会議で,現在検討されている刑事政策的な措置について,手続や処遇上の不十分な点があると考えられるのでしたら,それを十分なものとするためには,どのような制度施策が考えられるか具体的に御提案いただくなどして,その当否を含めて更に検討するというのが,建設的な議論に資するのではないかとの意見が述べられました。これについては,「若年者に対する新たな処分」は,私も含め,山﨑委員,青木委員,田鎖幹事などから具体的に指摘をしているとおり,元々の制度設計が中途半端であり,幾ら議論しても,これをよくすることはできないと考えられます。したがって,この点についての池田幹事の御意見にも反対です。 ○川出委員 少年法の適用対象年齢を引き下げるべきか否かの判断にあたっては法制度全体の整合性を考えるべきだという立場から,この点に関して前回会議において出されていた指摘について意見を申し上げたいと思います。   前回の会議において,民法の成年年齢が引き下げられた後も,18歳及び19歳の者については,飲酒喫煙がなお禁止されていること,また,民法上養親となることがなお制限されていることを理由に,立法の上で,18歳及び19歳の者は,成熟した存在でもなければ,自立した存在でもないという政策的な判断がなされているのであるから,これらの者に対して,少年法による保護的な介入を行うこととしても,法制度全体として不整合な点はないという御意見がありました。この点について考えを申し上げたいと思います。   まず,飲酒喫煙の禁止ですけれども,これらの禁止年齢が維持された趣旨については,前回白川委員からも若干御指摘がありましたが,国会での審議記録等を見ますと,国民全体に対して飲酒喫煙による健康被害を防止するための各施策が行われている中で,飲酒・喫煙の開始年齢が若いほど,健康への悪影響が大きいという研究結果等も踏まえて,健康被害の防止という目的から,18歳及び19歳の者についてはなお禁止を維持するものであるとされています。つまり,現在20歳未満の者について飲酒喫煙を禁止している趣旨は,それらの者が自律的な判断能力を有するか否かとは関わりなく,その身体面において発達途上であるということから,健康被害を防止するために,後見的に国家が介入するものだということになります。これは,精神的な成熟度とは別の観点からの制限ですから,18歳及び19歳の者の飲酒喫煙の禁止が維持されたことは,その年齢の者が未成熟であることを示したものではなく,民法の成年年齢が引き下げられて,18歳及び19歳の者が一般的に自律的な判断能力を有するものと法的に位置付けられたことと両立するものだと考えられます。   次に,養親となることができる年齢が,民法における成年年齢の引下げ後も20歳のまま維持されたことについては,養親となるということは,他人の子を法律上,自己の子として養育するという重い責任を負うことを意味しますので,養親年齢はそれに適した年齢として定められるべきものであり,親の監督や保護を離れて,自ら単独で契約等の法律行為をすることのできる成年年齢とは,別の観点から決まるものだと思います。そうだとしますと,養親となることができる年齢が成年年齢よりも高く設定されたとしても,何ら不合理ではありませんし,それは,成年年齢が引き下げられて,18歳及び19歳の者が一般的に自律的な判断能力を有すると法的に位置付けられたことと整合性を欠くものではないということができると思います。   したがいまして,いずれの制度についても,民法上,一般的に自律的な判断能力を有すると法的に位置付けられた18歳及び19歳の者について,法制度上,なお未成熟であることを認めたものとして,少年法をそのまま適用することの根拠にすることはできないと思います。 ○山﨑委員 まず,今の川出委員の御意見に関連するところから述べますと,私の理解では,飲酒喫煙についての規制に関して,少年法の適用年齢を引き下げなくても許容されるのではないかということとの関係で指摘されている内容というのは,自律的判断能力,あるいは精神的な成熟性との結び付きで言われているということよりも,民法上の成年に対しても,国がパターナリズムによる介入を許容しているという点こそが重要なのではないかと理解しております。   飲酒喫煙の禁止の趣旨としては,健康被害防止及び非行防止という,二つが言われているかと思いますので,確かに非行防止だけではない,健康被害防止という点が重要なのだという御意見は理解できるのですけれども,それでもなお,自律性が認められたとされる民法上の成年に対して,本人のためにパターナリズムによる介入が認められるという点が,少年法における介入と通じるところがあるのではないか,という趣旨だと理解しております。また,飲酒喫煙は確かに健康被害の防止という目的がありますけれども,競輪,競馬等の公営競技についても,民法の成年年齢とは異なって20歳以上ということが維持をされております。こちらは更に,健康被害防止という目的がなくても,民法上の成年に対してパターナリズムに基づく介入が認められているという点で,やはり少年法と同様に考えられる部分があるのではないかと思っております。   次に,養親の年齢の話も出ていましたけれども,それと直接関わる問題ではないのですが,民法の成年年齢引下げの際の法制審議会の議論を,改めて勉強させていただきました。その中では,有力な委員の方が,以下のような意見を述べられています。すなわち,成年,未成年の二分法というのは,現行法の下でも必ずしも貫徹されておらず,婚姻に関する規定が18歳,16歳,養子や遺言に関して15歳,養子縁組に関する25歳といった定めがあることを指摘されており,こういったことは,成年,未成年の二分法に全ての効果を結び付けるのが適当ではないことを示している。さらに,このことは,民法上の効果以外の効果をも考慮に入れると,より一層明らかとなる。と,こういう御意見がございました。実際のところ,それぞれの法制度の目的に鑑み,未成年者を更に細分する立法例が散見されるとして,児童福祉法や学校教育法,さらには労働基準法,少年法などが挙げられています。   以上を通覧すると,未成年に関しては,15歳,18歳という線引き,あるいは,成年に関しても25歳,30歳という線に一定の意味を持たせていることがあるという理解の上で,この委員の方は,民法上の成年,未成年の区別についても,多元化,相対化をするという提案は行いたい,とされており,成年に達した後でも,例えば,25歳になるまでは初成年ということで,完全な成年と区別するというようなことも考えてよいのではないか,という意見を述べておられました。   このような御意見は,結局採用されるところとはなっておりませんけれども,民法の中でも様々な規定によって基準となる年齢は異にされている。さらには,別の法律であれば,なおさらそれは当然のことである,という認識の下に,民法の成年年齢の引下げは行われたということが言えるのではないかと考えております。   したがって,民法との整合性を無視してよいというわけではないのですが,前回申し上げましたように,実体的な面での少年法の適用年齢引下げに関する立法事実がほとんどない中で,理論的な立法事実として,民法との整合性をそこまで重視する必要はないのではないかと,私は考えている次第です。 ○川出委員 基準となる年齢の設定が,それぞれの制度の趣旨によって異なるというのはそのとおりですが,ここで問題となっているのは,精神的な成熟度が自律的な判断能力を有するといえるほどに達しておらず,その利益を図るために後見的な介入ができる年齢を何歳とするかという点です。民法の成年年齢が20歳に引き下げられ,18歳及び19歳の者は,法的に,一般的に自律的な判断能力を有する者として位置付けられたわけですから,その18歳,19歳に対して,同じ根拠に基づく少年法における保護的な介入が正当化できるのかが問題となってくるわけです。先ほど,飲酒喫煙については,民法上の成年者に対しても,国がパターナリズムによる介入を許容していることが重要だという御指摘がありましたが,パターナリズムによる介入の具体的根拠を考えないと,どの年齢の者について介入ができるのかが議論できませんので,ひいては,少年法の適用対象年齢を引き下げるべきか否かの議論には役立たないと思います。   例えば,極端な例を言いますと,覚せい罪などの薬物については,自律的な判断能力を有する成年であっても,パターナリスティックな観点から一律に使用等を禁止するということをしているわけです。20歳未満の者に対する飲酒喫煙の禁止も,それと同じで,身体面,健康面に対する害悪を根拠とする規制ですので,民法の成年年齢が引き下げられ,18歳,19歳の者が,一般的に自律的な判断能力を有する者として位置付けられたことと十分に両立するものになると思います。 ○山﨑委員 重ねてになりますけれども,それだけでなく,公営ギャンブルの禁止というのもありますので,必ずしも健康被害の防止ということで説明がつき切るものでもないのではないでしょうか。   もう一つは,これも川出委員がおっしゃっているように,民法の成年年齢の引下げにより,その経過に至る事実認識はともかく,結果として18歳に成年年齢が引き下げられたことによって,18歳及び19歳の者の法的地位としては,20歳以上の者と全く同様に,一般的に自律的な判断能力を有する者と位置付けられたと理解することができるかどうかという点について,意見を述べます。   私は,今回の民法改正というのは,立法に至る事実認識も関係していると思いますが,成年年齢引下げの趣旨は,前回まで繰り返し述べたとおりの政策的なものであり,例えるならば,18歳が成年として認められるべき能力に関して合格ラインに達したと国が認めたものではなくて,これまで20歳としていた,成年として認められるべき合格ラインを,政策的に18歳に引き下げた,という性質のものではないかと考えています。決して対象となる年齢層,18歳及び19歳の大部分の者が,成熟してこれまでの20歳以上の者と同様な能力を備えたということを念頭に置いて引き下げたものではないと言えると思います。ですので,そのことをもって,結果18歳になった年齢が,自律的判断能力を有する者として20歳以上の者と全く同様に位置付けられるという政策判断をしたとまでは,言い切ることができないのではないかと考えております。   関連してもう1点ですけれども,前回私の方で,民法の適用場面と少年法の適用場面は異なるのではないかということを申し上げました。そのことに関連して更に考えたのですが,仮に川出委員がおっしゃるように,18歳が成年とされたことで,20歳以上の者と同様に自律的な判断能力を持つ者として扱われるという立場に立ったとしても,刑事法的には,なお18歳及び19歳の者は十分な能力を備えておらず,完全な責任を問うことはできないと考えられるのではないか。すなわち,民事法上で求められる能力と刑事法,少年法上で求められる能力には,違いがあるのではないかと考えています。   この点は,前回も少し申し上げたのですが,刑事法,少年法の分野においては,犯罪行為に対して国がどのように介入するか,その方法として,刑罰ではなく教育的な処分を優先した方が,刑事政策的に有効であり相当であるという判断がされるのであり,その局面において,近時の脳科学の知見などでも明らかにされているとおり,対象者が完全な行動抑制能力を備えるのがおおむね25歳前後であるということなどを考慮して,20歳という適用年齢を維持するということは,十分な合理性を有するのではないかと考えています。   ここで問題とされる行動抑制能力というのは,この例えが正しいかどうか分かりませんが,例えば,犯罪に及んだということが,その者が処罰を覚悟した上でのことであると類型的に言えるかどうか,あるいは,安易に犯罪に走ることを抑制する能力,すなわち,行為の結果をしっかり見通した上で,的確に自己の行動を抑制できる能力といったものと考えておりまして,その点においては,安易ではあっても,犯罪の意思決定を非難できるか否かという観点からの,刑事責任能力とは区別されるものとして想定され得るのではないかと考えています。したがって,民事法において,契約などの法律行為や,親権,監護教育の対象から離脱するかどうかという関係で求められるような能力や成熟度といったものとは,自ずから異なる能力であると言えるのではないかと考えております。   この点に関しましては,先日,ヨーロッパ犯罪学会の元会長でいらっしゃるドイツのフリーダー・デュンケル教授のお話を聞く機会がありました。同教授は,以下のように述べられております。少年法の適用年齢の上限は,民法上の上限と一致する必要はない。発達心理学と神経科学が,それぞれの領域で必要とされる成熟度に至るまでの年齢に差異があることを示しているからである。完全な責任,刑事責任は,25歳辺りまで続く長い脳の成熟のプロセスに関連している。その一方で,民法上の責任に必要な知的な成熟は,通常これよりも早い時期に備わる。したがって,民法上の責任を18歳で,完全な刑事責任を21歳,あるいは25歳といった,より成長した段階でとらせるようにすることは合理的である,と。このように,民法上の自律的な判断能力と刑事法,少年法上で求められる能力は,異なることが許容されるのであり,むしろそれは合理的であって当然のことではないかと考えております。 ○池田幹事 先ほどの法制度全体の整合性ということと関係すると思うのですが,田鎖幹事の御発言の中で,少年法第2条第2項の保護者概念のうち,「現に監護する」というのは,独自の射程を持ち得るという御指摘があったと伺いましたが,やはり監護という言葉自体が,民法上の監護を前提にしたものであって,その対象は未成年の者であると考えます。現に,現在の実務上も,成人に達した者については,保護者は存在しないものとして扱われていると御指摘もあったところですので,その点を確認させていただきます。 ○今井委員 山﨑委員の御発言について,意見を述べたいと思います。   幾つか重要な点を改めて御指摘されているのですけれども,先ほど,18歳及び19歳の者の飲酒喫煙が禁止される理由につきまして,パターナリズムによる介入であるということをおっしゃっておられます。その理屈から言うと,少年法の適用年齢の話とは違った問題があると思いつつ聞いていたのですが,そうではなく,そちらも同じくパターナリズムで御説明されているところに,少し違和感を覚えたところです。   どういうことかといいますと,飲酒喫煙等については,基本的には成人を念頭に置きますと,それは本人の自由であり,少年であった場合でも本人の自由ということを観念する領域はあるわけで,そういった本来自由であるべき領域への制約というときに使うのが,基本的にパターナリズムという言葉だと思います。これに対して,今ここで議論をしているのは,少年法,刑法を含め,他人の法益を侵害しているということを前提にした上で,どのような制約を科していくかということですから,この部会で話されている言葉を使うと,侵害原理というものがそこに関係してきまして,パターナリズムということだけで説明のできる問題ではないということを,確認する必要があろうかと思います。以上が,1点目の違和感です。   2点目ですけれども,民法と刑法とで要求される対象者の精神的な発達の度合い,ひいては,それが責任能力といいますか,犯罪能力といいますか,権利能力というかは別ですけれども,違ってくるというところは,それは一つの知見であって,今後,更に考慮するに足りる点であるかと思います。しかしながら,川出委員もおっしゃいましたけれども,法制度全体の整合性ということが基本になると私も思いますので,何歳からは成人であると決めていきませんと,権利義務の分野に関する民法の話も進まないでしょうし,刑法でも,何歳であれば,他人の権利利益を侵害しないように行動することを期待できるかという問題等が出てきます。そこで,そういった知見を参考にしつつも,刑事法の分野では,他人の利益を侵害したということを前提にした上で,更にパターナリズム的な要請がどこまで働くかという御議論をしていただくことが,建設的だろうと思いました。 ○橋爪委員 私からも1点,民事責任と刑事責任の関係について,一言申し上げたいと思います。   刑法上の責任としては,刑法第41条が規定しておりますように,現行法上も,14歳以上であれば当然に刑事責任を問い得るわけです。ですから,少年法の適用について問題となるのは,18歳及び19歳の者に行動抑制能力があるか否かという問題ではなくて,18歳及び19歳の者に対して,責任主義の制約を超えて,すなわち,侵害原理を超えて介入することが正当化できるかということではないでしょうか。処罰するための一定の能力があるかないかという問題ではなくて,責任の限度を超えて介入することがいかなる範囲で正当化できるかということが,問題の核心であるような印象を持ちました。 ○山下幹事 先ほど,少年法第2条第2項の保護者の概念についての議論がありましたので,それについて意見を述べます。   第19回会議におきまして,少年法にいう「現に監護する者」の「監護」という言葉の意味は,民法上の監護権を有している者を指すことは当然の前提であるという意見が述べられました。しかし,これは先ほどから御指摘があるのですが,少年法第2条第2項というのは,事実上の保護者という概念を認めており,それについては,少年を現に監護する者であり,少年を事実上,言わば親代わりとして現に監護しており,ある程度継続的に少年の生活全般にわたって,一般的に監督,保護している者を指すとされており,具体例として,住み込み就労中の雇い主,寮又は寄宿舎の寮長,里親,継父母,親権者ではない実父又は実母などが挙げられているところでございます。   また,前回の会議では,現行の少年法の下でも,成年に達した者が少年法の適用の対象になる場合,例えば,成年擬制された場合などには,その親に当たる方は,裁判実務上は保護者としては扱っていないということになっているかと思いますという発言がございました。この点については,それは,法律上の保護者に当たらないという趣旨であると考えられます。この点につきましては,「コンメンタール少年法」においても,事実上の保護者の地位は実際的な概念であるところから,父母と同居している場合や,配偶者が成人の場合には,事実上の保護者に当たるというような指摘がされているところでございます。   また,現行民法第820条は,「親権を行う者は,子の監護及び教育をする権利を有し,義務を負う」と規定しております。改正民法では,これに,「子の利益のために」という文言が付け加わっているところでございますが,ここでは監護をする権利と定めており,監護そのものが,直ちに監護権といった権利を定めたものでないということは明らかでございます。少年法第2条第2項の「現に監護する」という場合の「監護」とは,民法上の監護する権利というときの監護と同じ意味であるとは,そういう意味では言えないということでありますし,18歳及び19歳の者が成人になったとしても,少年法の保護者がいなくなるとの見解というのは,少年法の解釈としては無理があり,少年法の適用年齢の引下げについて,決定的な理由になるとは言えないと考えます。 ○池田幹事 繰り返しになりますけれども,監護概念は民法に基づくものでありまして,その対象は未成年の者とされておりますので,住み込み就労中の者などであっても,その者が成年に達していれば,その雇い主や寮長といった方が保護者になることはないと理解するのが一般的であり,実務でもそのような理解に基づいて運用されているものと承知しております。 ○田鎖幹事 今の関連ですけれども,確かに成年に達した場合に,民法における親権を前提とした上での保護者という者はいないということになるわけですが,実務において,例えば,収容継続申請事件の場合,手続の対象者は現に20歳に達しているわけですが,実質的に保護者としての立場にある者,つまり20歳になる前の段階で保護者であった者,あるいは現に監護していた者を,実質的に保護者としての立場にある者として手続に立ち会わせるという運用をしていると伺っております。   ですので,この場合は,正にそのような人たちが,取りあえず民法の問題は置いておいて,実態として監護の機能を果たしていると,そこに着目して,言わば,この実質的な保護者としての立場にある人々を,事実上の保護者に相当する者として,それと同じような扱いを現にしているということですので,そのような,正に実態に着目するという基盤を与えるものとして,少年法第2条の規定があるというのは,事実であり,この規定で全て完結すると考えるのか,そうではなくて,仮に下げられた場合に,ここの規定から出発して,どのように工夫する余地があるのかと考えるかと,その違いだろうと,私は考えます。   また,先ほど出ておりました飲酒喫煙の関係について,山﨑委員からも御意見がありましたけれども,その前に,川出委員から御意見があり,飲酒喫煙に関しては,健康被害の防止という身体面において,若年であるほど飲酒喫煙等の悪影響が出やすいということに着目しているのであって,精神的な未成熟さとは別であるという趣旨だと理解をさせていただきました。   一方で,それ自体別と捉えることも可能だと思うのですけれども,少年法の実務に携わっている様々な方々が今まで言われてきたこととして,10代の少年たちは,身体的には成長のスピードがすごく早くなった,あるいは知能という面でも,随分発達はしている。しかし,情緒面等でまだ発達が遅れていると,未熟であると,こういうことは繰り返し言われてきて,むしろ共通の理解になっているのであろうと,私は理解しておりました。現に,恐らくそういったことを前提として,部会が開かれる前の若年者に対する刑事法制の在り方に関する勉強会では,精神科医の方々をお招きして,ヒアリングと意見交換を行っていると思います。   脳科学の知見については,以前からコンセンサスが得られるまでに至っていないので,その点は,余りオーソリティーとして重きを置きすぎるのはいかがなものかという御意見があるのは承知しておりますけれども,しかし,わざわざ勉強会を開いてヒアリングをしている中でも,脳の発達という面において,まだまだ発達の途上にあって,特に,先ほど山﨑委員からも同じような指摘があったわけですけれども,実行機能をつかさどる部分,組織立てて考えたり,意思決定をしたり,物事を計画したり,感情を制御したりする,そういった部分の発達において遅れているのだというようなことが,専門家から異口同音に指摘されております。その成長のアンバランスが問題なのだという御指摘ですけれども,そういうことを考えると,やはり身体面において,成熟が十分ではないという点に着目して,パターナリスティックに介入をしていくという法制がある一方で,さらに,それよりも一般的に成熟が更に遅いと思われる精神面の未成熟さに着目する法制は,むしろ親和性のあるものとして考えていくことが,私は整合的なのではないかなと考えました。 ○山下幹事 先ほどの保護者概念のところをもう1点補足しますけれども,先ほどから,民法上の監護と少年法第2条第2項の監護は同じ意味であるという発言があり,前回の第19回会議でも同様の御指摘がありました。   その後,私の方で少年法に関する文献,コンメンタールを全て見ましたけれども,この監護が民法の監護と同じ意味であるということを明記している文献は一つも見当たりませんでした。当然少年法上のこの監護という概念をどのように解釈するかは,少年法の趣旨から考えるべきであって,監護という同じ言葉が使われているからといって,民法上の監護と同じ意味であると解釈しなければならないという,そのような趣旨ではないと考えております。 ○酒巻委員 監護という言葉が民法上の未成年者に対する監護を指すことは,余りにも当然のことですから文献に書いていないのではないかと思います。   田鎖幹事から指摘のあった事実上の話と少年法上の保護者の概念についてですが,私の指摘している問題は,事実上保護しているかどうかという話ではなくて,法律概念としての「保護者」が少年法に書いてあり,例えば,ぐ犯の要件の極めて重要な役割を果たしているわけです。それ以外にも,家庭裁判所調査官や家庭裁判所が保護者に対していろいろな働き掛けができる,そういう条文になっているわけです。そういう条文になっている少年法を,民法上保護者がいなくなった,すなわち親権から離脱して民法上成人になっており,成人に対する監護ということが想定できない者に対して,なお「少年法」を適用したいと言うならば,いったいどのようにして,保護者概念を整合的に説明できるのかというのが,私の繰り返し申し上げている疑問です。 ○田鎖幹事 法律上監護教育の義務ある者という場合,そこでの教育という言葉は,民法上の教育という意味になるのだろうかと,考えたわけであります。監護教育というのは,もちろん一般的に民法の世界で考えた場合,想定される事項があるわけなのですが,監護という言葉自体が,親権を当然に内包しているとは読めないのではないか。ただ,そこは,法律上という限定がありますので,親権がバックグラウンドにあるのだなと,前提とされているのだなと読めるのだろうと,私は考えました。   一方で,現に監護する者があります。監護という言葉は,別に民法の世界だけで使われている言葉ではなくて,辞書を引くと,監督し保護するとなっています。この漢語としての監護の歴史については,追い切れておらず,言葉の専門家でもないので分からないのですが,例えば,古くは精神病者監護法もありました。あるいは,教育に関するような古い書物の中で,監護ということが言われていることもありましたし,施行されなかった旧民法でも監護という言葉は出てきますけれども,その中には,例えば,第三者の監護,親権を想定していない監護というものも出てきます。   そういう意味では,今までは明らかに少年法の対象となる者は,普通は親権者がいる者,20歳未満だったので悩む必要はなかったのですけれども,そこは一歩引いて考えてもよいのではないか,年齢を引き下げるかどうかを考える部会ですので,むしろそのような必要があるのではないかと私自身は考えまして,確かに実態に光を当てたことを申し上げました。ただ,法自体が実態に着目しているということから,何らかの工夫をする手掛かり,糸口というのが得られるのではないか,そのような角度からの発言をさせていただきました。 ○佐伯部会長 事実上の保護者に注目する,あるいは脳科学の知見から,26歳ぐらいまでは連続しているということになった場合に,20歳で線を引く理由はどこにあるのでしょうか。20歳を超えても事実上の保護を受けている人はたくさんいると思いますが,もし御意見がありましたら,御発言いただけますでしょうか。 ○山﨑委員 私自身がその点を理論的に詰め切れているわけではないのですが,法務省の勉強会の中で葛野教授がその点について述べられていたかと思いますけれども,幾つかの要素に加えて,社会文化的な合意といったようなことを言われていたかと思います。少なくとも,これまでは20歳ということで,その合意の下で来たものを,今回そこをあえて下げるかどうかという点が問題なのであって,20歳という線それ自体に論理的な根拠があるかどうかという議論はなかなか決着が着かないのではないかと,私は考えております。   繰り返しますけれども,これまで20歳とされてきて,社会的,文化的な合意があったものを,民法の成年年齢引下げによって少年法も下げなければいけないのか,という問題設定だろうと理解しています。 ○橋爪委員 私からも一点,質問がございます。   18歳及び19歳の者は,事実上まだ精神的に未成熟であって,保護の必要性が高いという御趣旨は十分に理解しているつもりです。もっとも,このような保護の必要性という理解からは,仮に少年法の適用年齢を存置した場合ですが,民法上成年である18歳及び19歳の者に対しても少年法を適用して,ぐ犯についても保護処分を課すことが正当化できるのでしょうか。 ○山﨑委員 その点については,以前から御指摘があり,この間の議論でも一つのポイントになる部分だろうと理解しておりました。   まず,この間の議論を通じて感じていることですが,理論的にどちらかが絶対正しくて,どちらかは全く間違いであるという議論ではないのではないか,と思っています。どちらの解釈も成り立ち得る,あるいは法律の条文を今後修正することによって対応可能な範囲があるのではないかと思っています。要するに,立法事実という面で考えたときに,実体的には立法事実がほとんどないにもかかわらず,理論的な整合性,さらには国民の理解といった点も指摘されておりますけれども,それらをどこまで強く考えるのか,という問題であろうというのが基本認識です。   その上で,ぐ犯の問題を考えますと,確かにこれまで指摘されているように,犯罪行為でもない行為に対しての処分ということになるわけですけれども,実務において私たちが見ている,ぐ犯で処分を受ける少年たちは,実際にやはり保護する必要があるだろうと思わされる子たちです。周囲から適切な支援を受けてこられなかった,その少年たちに対して,仮にそれが法律的に犯罪行為に当たる行為の前段階ということであっても,家庭裁判所が相当厳格な要件認定をしているのが実際ですので,その上で,必要に応じて保護処分に付する,それによって対象者の成長を支援して立ち直りを図るということは,これは非常に重要なことで,民法の成年年齢が下がっても,18歳及び19歳の者に対して,その必要性がなくなるということではないだろうと思います。   特に,女子少年においては,ひどい性的虐待を含む虐待ですとか,様々なことで傷付いた子たちが,ぐ犯の規定に基づいて少年院に送致され,そこで立ち直っているという例が繰り返し指摘されているかと思います。そういった実態があるからこそ,今回,元少年院長らの方々の声明書でも,あえてこのぐ犯を存置する必要性ということが言われているのだろうと理解しております。   ぐ犯の規定に関し,民法上で18歳が成年とされ,親権者が存在しなくなることなどとの整合性については,選択肢として大きく三つあるのだろうと理解しています。少年法第3条第1項第3号では,イからニまでの四つの類型が定められておりますけれども,一つの選択肢としては,18歳及び19歳の者に対しては,ぐ犯規定を存置しないという姿勢があり得ると思います。しかしながら,これは,先ほど述べたように,実際にぐ犯で保護され救われている18歳及び19歳の者がいるということから考えますと,私としては賛成できない選択肢であります。   二つ目としては,ぐ犯の規定をそのまま残し,特に修正しないという考え方もあり得るだろうと思います。この場合,例えば,先ほど申し上げたイからニまでの規定の中では,イで保護者の正当な監督に服しないという条項ですとか,ロでは正当な理由がなく家庭に寄り付かないという条項がありますので,これが民法上の成年と果たして整合するのかという問題は生じ得るだろうと思われますけれども,家庭裁判所での適用場面において,それらの問題点を考慮して,他のハやニを適用していくというように,実務の運用において解決されるという立場もあり得ると考えています。   三つ目としては,18歳が民法上の成年とされ,親権からも離脱するということを重視して,18歳及び19歳の者に関しては,特に問題となり得るイとロの条項を削除して,ハとニのみを残すという法改正で対応するという選択肢もあると思います。   繰り返しますけれども,このぐ犯規定があることをもって,現実に今有効に機能している少年法全体について適用の範囲を制限する,縮小するというのは,行き過ぎかと思います。ぐ犯に関しては,必要があれば条文の修正等を行えばよいのではないかなと思われますし,それが一番妥当な方策だろうと考えています。 ○小木曽委員 論点が変わりますけれども,前回の部会で,選挙権年齢が18歳に引き下げられたことによって,国家の維持形成に関与する権能が与えられた者を,なお未熟な者として国家の保護の対象とするということには,疑問があるのではないかと申しました。これに対して,国家の維持形成に関与する権能は,選挙権だけではなく,被選挙権等の年齢も考慮して検討する必要があるという御指摘がありました。   衆議院議員の被選挙権は25歳,参議院議員のそれは30歳ですが,平成27年の公職選挙法改正の際の国会審議では,被選挙権年齢を何歳とするかということは議論の対象になっていなかったようです。ですので,例えば,18歳及び19歳の者には,選挙権は付与するけれども,その未熟さゆえに被選挙権は付与しないといったような議論があったことは確認できませんでした。   そういたしますと,国家の維持形成に関与する権能について,選挙権だけではなく,被選挙権等の年齢も考慮して検討する必要があるという御指摘の趣旨が,仮に選挙権年齢は引き下げられたものの,被選挙権年齢は引き下げられていないのだから,18歳及び19歳の者はなお未熟な存在であって,国家の維持形成に関与する権能を十全には与えられておらず,そのことが法制度上,この年齢の者を成人として扱わないことの根拠となり得るという御趣旨であるとすると,少なくとも立法府の議論の中からはそのような理解の裏付けを見いだすことはできないように思われます。   また,日本国憲法の改正手続に関する法律によって,憲法改正について意見を表明することのできる国民投票の投票権が,18歳以上の者に与えられたということも,注目すべきであると思います。   このように,18歳及び19歳の者には,被選挙権はなくとも,国家の維持形成に関与する重要な権能が与えられたと解することには,一定の合理性があると思います。このことは,少年法上の成人年齢,自律的判断能力の有無を検討する上で,十分に考慮すべき事情であると考えます。 ○山下幹事 先ほどの保護者のところの解釈論を述べたいと思いますが,少年法第2条第2項というのは,第2条第1項を受けて書いておりまして,第2条第1項は,「20歳に満たない者」が少年であるという定義が書いてあって,第2条第2項には,この少年に対して,つまり第2条第1項の少年に対して,法律上監護教育の義務ある者及び少年を現に監護する者を保護者とすると書いてあるわけです。したがって,飽くまでここで議論すべきなのは,少年法が定める少年に対してのことであります。   監護は民法上の監護だから,それは未成年に対する監護であるという発言がございますけれども,少年法の適用年齢をこのまま維持するとして20歳未満の者を前提に考えなければならないのであり,そこで監護を民法と同じだから未成年に対するものであると読み込むのは,結論を先取りしている議論であるし,先ほど私が言ったように,あらゆる文献を読みましたけれども,どこにも民法上の監護と少年法第2条第2項の監護が同じであるということを明言したものは一切ございませんでした。   いろいろな本を見れば,当然のことであってもそれを書く本があってもおかしくないと思いますけれども,どの本にもそのことは書いてありません。やはりこれは,飽くまで少年法の監護というのは,少年法の趣旨から考えるべきであるし,少年法第2条第1項が少年を20歳未満と定め,それを前提に,少年に対する監護ということなのですから,これは民法の監護と同じであると考える必要はなく,民法の成年年齢は,20歳から18歳に引き下がりましたが,ここでは少年法の第2条第1項の少年に対する監護ということが問題になっているのであって,先ほど事実上の保護者という議論がありましたけれども,そうなりますと,民法上は,保護者がいなくなっているかもしれませんが,事実上,親と一緒に同居したり生活しているということがあり得るので,それは事実上の保護者に当たり得るという議論をしているわけです。   要するに,この議論は,保護者がいなくなるから,少年法の適用年齢を下げなければならないという議論がおかしいということを言いたいのであって,いずれにしても,ここに民法の監護を読み込むというのは,私は無理な解釈をしていると思います。 ○山﨑委員 まず,保護者の概念との関係ですけれども,条文で,少年法の適用範囲を画する少年の定義がどのようにされているかと言いますと,第2条第1項において,「この法律で少年とは20歳に満たない者をいい,成人とは満20歳以上の者をいう」と定義されておりまして,飽くまで少年は20歳という,その年齢によって規定をされております。保護者という概念や保護者の存在ということを前提に,少年という概念が定義付けられているわけではないという点は,まず指摘したいと思います。   その上で,保護者の規定上の監護という言葉の定義,あるいはその内容から,民法上の成年が18歳に下がった場合には,18歳及び19歳の者をなかなか少年と認め難いのではないかというお考えがあることは,それ自体は理解するのですけれども,繰り返し言っておりますように,そういう概念の不整合が全く制度として認め難いものなのか,それを根拠に少年法の適用範囲全体を画するほどの重要性,決定的なものなのかというと,私はそうではないのではないかと思っております。むしろ,民法が改正されたことに伴って不整合が生じるような部分については,必要に応じて条文を修正すればよいと考えております。   その意味で,前回,全く不十分ではありますけれども,現時点での個人的な考えとして,不整合とされるような年齢層に関しては,扶養という概念から規定ができないか,あるいは,少年法で必要とされている保護者の法的地位を満たすという観点からは,18歳及び19歳の者に関しては,成年に達した際に親権者であった者,というような規定であっても許容されるのではないか,という考えを述べた次第です。   少年法上で保護者というのは確かに重要なアクターではあるのですが,飽くまで主役は少年であります。その少年が何歳であるかというのを,まず刑事政策上の観点等から定義付けて,それに関して重要なアクターである保護者については,必要な範囲で規定ぶりの修正を行うのが筋道として正しいのではないか,というのが私の考え方です。   非行を起こした少年が,立ち直りを図って再非行を防止するという上では,少年を監護する保護者にもその責任を自覚させて,必要な働き掛け,支援をするということが重要であるという点については,ほぼ異論がないところだと思います。しかしながら,今回,少年法の適用年齢を18歳未満に引き下げた場合には,犯罪に及んだ18歳及び19歳の者が,父母あるいは親族等に現実に監護されている場合であっても,刑事手続上,その親族は特別な立場にない,一関係者と扱わざるを得ないということになるかと思います。しかしながら,そういった18歳及び19歳の者に関して,やはり監護している父母等に対して働き掛けるということは,非常に重要なことでありますので,その点を法的に担保するためにも,やはり年齢引下げはせずに,18歳及び19歳の者を対象とした上で,民法との関係で保護者の規定に必要な修正を行うというのが,正しい道ではないかと考えております。   次に,先ほど今井委員から,飲酒喫煙のことに関して,パターナリズムによる介入に関して御意見をいただきました。御発言の趣旨を十分理解しているかどうか心もとないのですが,この問題が議論されているのは,民法の成年年齢の引下げがされたことで,民法上は成年とされた18歳及び19歳の者に対して,少年法の保護原理に基づくパターナリズムによる介入が認められないのではないかというのは,むしろ引下げを是とされる方々から示された主要な根拠の一つであると理解しております。   それに対して,民法上成年の18歳及び19歳の者であっても,国のパターナリズムによる介入は,飲酒喫煙,公営ギャンブルの禁止など他の分野では認められており,しかもその中では,非行防止という少年法と共通する目的も言われているわけです。ですから,民法上の成年に対しても,国がパターナリズムの観点から介入するということが許容されないというわけではないのではないか,ということが飲酒喫煙等の問題が指摘されている趣旨だと理解しております。   また,小木曽委員からは,公職選挙法との関係で,選挙権年齢,被選挙権年齢のお話がございました。この点については,前回発言したことで,ほぼ私は尽きているのですけれども,国家の維持形成について責任を有する者という,その点を重視するのであれば,必ずしも選挙権年齢に限られず,被選挙権年齢,あるいは公務の就任年齢ということも,同様に考慮するべきであって,選挙権年齢だけを理由にして少年法の適用年齢を検討するというのは,不十分ではないかという趣旨です。   これと関連しまして,また,これは国民の理解という点にも関係しますが,一般的に,選挙権が与えられたのに保護の対象になるのは,国民の納得が得られないのではないかというような指摘がされることがあります。私は,やはりこういった議論をしている中で,少年が保護主義をとっている,保護原理であるという,この保護という言葉が,どうも一般の方々には,対象の少年を甘やかしているとか,甘い手続であるというイメージを持たせてしまっているのではないかという気がしてなりません。実際の少年法の手続ですとか処分は,ここにおられる方は,皆さん十分御理解されていますけれども,むしろ成人に対する刑罰よりも,少年にとっては厳しい面がございます。そういった内容,実情を,しっかり国民にももっと理解をしていただいた上で,議論を進めていくのが,本当は必要ではないかと考えております。   ですので,少年法が甘いというイメージで語られる中で,公職選挙法で権利が与えられ,少年が保護されるのがどうなのかといった議論は,この法律的な有識者の会議の中では,それほど重要視すべき内容ではないのではないかと考えております。もちろん,国民の理解が重要であるという,大沢委員の御指摘はそのとおり受け止めておりますけれども,少年法,少年犯罪に関しては,事実とは異なる理解がされた上で世論調査の結果等が示されているという点は,前回までに申し上げたとおりですので,先ほどのように考えております。 ○大沢委員 確かに,少年院の処遇というのは,決して甘いものではなくて,生活全般にわたっていろいろな指導が,それこそ四六時中あるわけです。ですから,そういう面で,少年にとっては厳しいものであることは承知しています。ただ,世の中の受け止め方が,そういったものを全く知らないで,単なる甘い処分ということで,おかしいのではないかと考えていると言い切ってしまうのは,私は,そこはかなり無理があると思います。   一般の受け止め方として,成人と違う扱いを受けるということに理解をしてもらえるかどうかということなのではないでしょうか。甘いかどうかということは,それぞれの立場によって考え方,捉え方が違うと思うのですが,少なくとも成人の,起訴をされ,公開の法廷に立ち,実名が出されるという手続とは違うわけですね。ですから,やはりその違いに対して,理解を得られるかということが問題のような気がします。   これまでの議論を聞いていて,私がやはり素直に思ったのは,先ほど部会長が問いかけられた,実態として脳の発達が25歳ぐらいまでは未熟だということだったら,なぜ少年法の適用年齢は20歳なのですかという問いかけは,私もそのとおりだと思いました。もしそういう実態面に着目するのであれば,少年法の適用年齢は,正しく脳科学で立証された25歳とか,そういうところに置くのが筋であって,20歳というのは,余り意味をなさないのではないかと思いました。   それから,少年法第2条のところが議論になっており,改めて見てみると,少年とは20歳未満であり,成人とはなどと書いてあります。そうすると,もちろん私は,先ほど山﨑委員がおっしゃったように,この議論は両方に,どちらが間違っているということは絶対なく,それぞれの立場でおっしゃっていることは正しいと思うのですが,ただ,一般的に見た場合,民法では成年というのはこう,でも,少年法の成人ではこうと,法律によって年齢の差が出てくるというところは,やはり普通に考えると分かりづらいと感じました。   それから,先ほどから,飲酒喫煙のことが再三議論になっているのですけれども,飲酒喫煙のところは20歳という線が引かれたというところで,多くの人が納得しているというのは,必ずしも民法の成年年齢が下がっても,同時に飲酒喫煙も下げていいのかというと,飲酒喫煙というのは,みんなが対象になるわけですよね。そうなったときに,誰しもそういう健康被害に陥ってほしくないということは思うわけですから,直ちに民法の成年年齢が下がったからといって,そっちも下げてしまうということには,それは違うでしょうと思うのが,普通だと思うのですね。   一方で,少年法の方は,誰しもが対象になるわけではなくて,要するに,罪を犯してしまった人の責任をどうとってもらうかというところも,一つあると思うのですね。ですから,そういったところが,先日申し上げたのですけれども,選挙権を持って,それから民法上のいろいろなこともできるようになった人に対して,一方で,罪を犯したときだけ,大人とは別の扱いになる,それは,甘いかどうかというのはまた議論があるところだと思うので,そこはあえて申し上げませんけれども,大人と違う扱いを受けるということ,そこが理解を得られるのかなと思っているところです。 ○池田幹事 選任資格の関係で,先ほど公職選挙法の指摘があったところですけれども,裁判員の参加する刑事裁判に関する法律の関係で発言をさせていただきたいと思います。   前回の部会で,山﨑委員から,裁判員法の制定時の議論に関して,刑事裁判に国民の健全な意識を反映させるために必要とされる社会経験が,どのくらいの年齢だと備わるのかという観点から,裁判員の選任資格が議論されたと認識しているという旨の御指摘がありました。   裁判員法の検討が行われた司法制度改革推進本部裁判員制度・刑事検討会における議論を確認いたしますと,確かに社会に出てある程度経験を積んだ人を裁判員とするのが適切であるといった御指摘もありました。しかし,そもそも裁判員制度・刑事検討会で取り上げられた案は,衆議院議員の選挙権を有する者というA案,衆議院議員の選挙権を有するものであって,25歳以上の者というB案,衆議院議員の選挙権を有する者であって,30歳以上の者というC案の三つでありまして,B案とC案のいずれについても,被選挙権の年齢を参考とした案であるという説明がされ,そのことを前提にした検討が行われております。最終的に成立した裁判員法の条文においては,飽くまで衆議院議員の選挙権を有する者と定められており,20歳以上という形で,独自に年齢を定めるものではないということになっております。   このような経過を踏まえると,裁判員制度・刑事検討会における検討は,裁判員として裁判に関与することが,国政に参加する形態のうち,選挙権を行使することと,議員として公職に就くことのいずれに近いと考えられるかという観点からなされたものと理解できます。御指摘のように,裁判員に求められる特有の能力を想定し,それが何歳から備わるかという観点からなされたとは言えないように思われますので,その点を指摘させていただきます。 ○奥村委員 先ほど山﨑委員がおっしゃったことについて,反論といいますか,疑問を呈したいと思います。   刑事上の責任能力と民事上の責任能力が違うとおっしゃいましたけれども,例えば,最高裁判所の民事判例ですけれども,昭和49年3月22日判決,これは,当時15歳の少年が13歳の遊び仲間を殺害して現金を奪った強盗殺人事件について,本人は支払能力がありませんので,未成年者が責任能力を有する場合であっても監督義務者の義務違反により生じた結果との間に相当因果関係があるときは監護義務者につき「民法第709条に基づく不法行為が成立する」として,親権者に対して不法行為責任を追及したわけです。   そのときに,確かに,先ほど橋爪委員がおっしゃったように,刑法上は14歳以上とありますし,民法上も,第712条で損害賠償責任,不法行為責任の年齢を,大体12歳ぐらいで認めているということですね。12歳ぐらいになると,本人にも責任があるということですが,本人は支払能力がないため,これは,親の監督義務違反ということで,民法第709条で不法行為責任が認められたケースです。   それに対して,平成18年2月24日判決,これも最高裁判所判例ですけれども,19歳の少年が3人で共謀して,遊ぶ金欲しさに暴行を加え現金を強奪し,傷害を負わせたという強盗致傷事件について,被害者側が,本人に対してではなく,親権者に対して監督義務違反の懈怠を根拠に損害賠償請求したという事案です。ところが,最高裁判所は,被害者側の請求を否定しました。理由は,有職少年だったということもありますし,事案によって違うのでしょうけれども,要するに,不法行為責任を追及した場合,被告人は19歳という成人年齢に近く,親権者の影響力は限定的であること等から監督義務がないとしたのです。   そこで,何を申し上げたいかといいますと,罪を犯した場合,刑事責任というのがあるわけです。それに対して,民法上は不法行為責任ですよね。民事責任と刑事責任は一体どこが違うのかということです。18歳及び19歳の者に対して,民法は改正されましたので,もう大人として,親権者に対して損害賠償請求の申立てはできないわけです。だから,刑事上も大人として扱って,自覚をさせて,賠償する義務があるのだとみなすことは,重要ではないかと考えますけれども,いかがでしょうか。 ○山﨑委員 18歳及び19歳の者が犯罪行為に及び,不法行為の賠償責任を問われた場合は,民事法上は当然,独自に不法行為責任を負うということになると思います。   私が,20歳を維持することについて合理性があるのではないかと申し上げたのは,民事上の賠償責任とは全く違って,かつ,刑事上においても責任能力があるという前提で,実際に犯罪行為に及んだものに対して国がどういう介入の仕方をするのか,刑事罰なのか保護処分なのかを決める年齢のラインを定める上で,言わば行動抑制能力というものが考え得るのではないかという趣旨でございます。 ○太田委員 民法の成年年齢と少年法の適用年齢に関する比較について議論が出ておりますけれども,私も,両者は絶対に一致しなければいけないものではないと思います。ただ,少年法の適用年齢を考える場合に,民法上の成年年齢というのは,刑事政策上,一つの重要なメルクマールになるだろうと思います。   ただし,民法の成年年齢というのは,行為能力を包括的に18歳以上の者に認めるという制度でありますから,これと少年法の適用年齢を比較するというのは,何か次元が違うのではないかと思っております。先ほど橋爪委員がおっしゃったことから考えているのですけれども,比べなければいけないのは,むしろ刑事責任年齢であるかと思います。現在,14歳に満たない者の行為は罰しないと,要するに,14歳に達した者の行為は罰すると書いてあるわけで,刑法上の責任は,民法上の行為責任年齢よりもはるかに低い年齢から,その責任を問い得ることが原則になっていて,その上で,少年法という手続法上の施策として,保護的な処分を課すのか,刑事罰を科すのかは,きちんと少年保護手続に従って調査した上で,保護処分を課す者には保護処分を課し,そうでない者には刑罰を科すとなっているわけなので,そこで決める年齢は,正に刑事政策的な判断で決めるべきだろうと思うわけです。   民法の成年年齢も一つのメルクマールになると思うのですけれども,それだけで決められるわけでもなく,違う言い方をすれば,手続的に保護処分を課すか,刑事罰を科すかという,いろいろなことを調査して決めるべきだという,手続が設けられているのであればいいわけであるので,少年法の適用年齢を引き下げたとしても,18歳及び19歳の者に対して,きちっといろいろな調査をして,刑罰を科すか,処分を課すかという手続が適切にできるのであれば,それは,十分に政策的にはあり得るだろうと考えております。   ですから,逆に,年齢を意識するのであれば,刑法は刑事責任年齢をなぜ14歳以上にしているかということを,やはり考えなければいけないだろうと思います。刑法上の刑事責任年齢も18歳にしなさいという意見はないわけです。ですから,実態法規に14歳以上はこれを罰すると書いてある,これが原則になっている上で,少年法という手続法上,これまでは20歳未満の者については,きちんとした手続を経て,保護処分を課すか,刑罰を科すかということを決めるということを政策的にやってきた。今度,もしそれを18歳に下げた場合には,同じように,きちんとした手続を経て,刑罰を科すのか,その他の処分を課すのかということを決める手続ができれば,十分に政策的には可能だろうと考えます。 ○廣瀬委員 私の意見は,当部会の第11回会議の際に意見書として総論的なものを出していますので,前回と今回,皆さんの御意見を拝聴してきたわけです。けれども,伺っていますと,それぞれなるほどと思うところがありますし,また問題もありそうだという気がするところもあり,それぞれ申し上げたいことは少なからずあります。しかし,このままでは議論が平行線のままで膠着状態に陥ってしまい,意見の集約ということが非常に難しい状況になっているのではないかと率直に感じています。そのような状況ですので,審議を建設的にまとめ,進めていくために,私の意見もお役に立つのではないかと思いましたので,少し詳しく述べさせていただきたいと思います。   今,少年年齢の上限を18歳にすべきだという積極論と,少年法は有効に機能しているからその上限年齢については現状を維持すべきだという消極論が,激しく対立しているわけであります。けれども,一つ一つの論点について,私にもそれぞれ意見はありますが,どちらの御意見も一定程度,理があることには間違いなく,簡単にどちらか一方で決着するという話ではないだろうと思います。   特に注目したところについて触れさせていただきますと,積極論のうちで,これは,大沢委員や武委員がおっしゃっていることですけれども,公職選挙法で選挙権,参政権が認められ,民法上は契約や取引などの場面で成年として扱われる人が,なぜ犯罪をした場合だけ特別扱いされるのか,これはおかしいのではないかという御意見,これは,説得力があって,きちんと受け止めなければいけない問題だと思いますし,また,この点をきちんとクリアしないと,恐らく国民の理解は得られないのではないかという気がします。特に,重大凶悪事件の場合を想定しますと,この御意見は,十分な説得力があると思います。また,民法の成年年齢が18歳に引き下がり,18歳及び19歳の者が親権を離脱するということに伴って,関係規定の修正が必要であるというお話も出ていましたけれども,この点について改正による手当てが必要になることも,間違いないところだと思います。   他方で,私もこれまで申し上げてきたように,少年法によって行われている家庭裁判所調査官の調査や調整活動,少年鑑別所の鑑別といった科学調査の活動,それから家庭裁判所における少年審判,保護観察処分や少年院送致といった保護処分,これらが有効に機能していて,18歳及び19歳の者の再犯防止のために有効に機能しているという点については,ほとんど異論がないところだと思います。そうすると,それをできる限り実質的に維持し,実効的な運用を確保していくべきでありますから,引下げにより18歳及び19歳の者の再犯防止が有効にできなくなるのではないかという消極論からの懸念というのも,よく理解できるところであります。   私の考えとしては,前に出した意見書の繰り返しになりますけれども,全ての事件を一律に考えるのではなくて,重大・凶悪事件とそれ以外の事件に犯罪を区分して,その区分のやり方はいろいろあると思いますが,重い罪については,実質的に成人と同じ処分ができるようにする一方で,それほど重くない罪については,少年法の手続や処分をできるだけいかしていくということを考えていくべきだろうと思います。後者の点について,民法上,成年になっているから,行為責任の枠内で処分しなけれならないという縛りが掛かる,責任主義による縛りが掛かる,という御指摘がなされています。この指摘については,私も否定するわけではありませんが,それについては,文言はいろいろあると思いますが,18歳及び19歳の者の処分については,行為責任の範囲で,罪刑均衡を確保して,行わなければならない,などという規定を設けておけば,理論的な整合性も確保できますし,18歳及び19歳の者に対する過剰な関与・介入も抑止できると思います。   それから,民法上の成年年齢が引き下げられた結果,18歳及び19歳の者が,親権を離脱するということについて,先ほど山﨑委員からも問題点の指摘がありました。必ずしもそれと同じ考え方ではないかもしれませんが,保護者に関する規定等にそれぞれ必要な改正を加えて対応していくという対応も可能ではないかと思います。   これまで,確かに日本の少年法は,年齢・罪名等も含めてほぼ一律の規制でやってきましたけれども,世界的に見ると,年齢の高低や犯罪の軽重などに着目して,手続や処分に区分を設けたり、特則を設けたりするというのは,諸外国では当たり前の立法例となっていると思います。ですから,日本でもこのような区分を設けた形の法制とするというのは,一つのアイデアではないかと思います。   実際にどういう形にまとめていくかについてですが,これまで検討を重ねてきた「若年者に対する新たな処分」は,方向性としては,先ほど述べたような家庭裁判所調査官や少年鑑別所による科学調査,少年審判,保護処分を実質的にいかすという趣旨を持っているという点では,正当な方向性のものであるわけです。けれどもその対象範囲が「検察官が起訴しないと判断した者」と相当に限定されており,処遇や調査等の実効性を図るために制度として設ける必要性が高い,当初からの施設収容処分などを設けることは難しいという御意見も強いわけです。それから,罰金刑となる者,懲役刑の執行猶予になる者,あるいは短期の実刑になる者など,処遇の必要性,あるいは教育の必要性が高い層についても,現在十分に効果を上げていると思われる調査,審判や保護処分を課すことができなくなる,その対象から外れてしまうというところが大きな問題であるのだと思います。   翻って考えてると,そもそもこの「若年者に対する新たな処分」という案を検討し始めたのはなぜかということを思い返してみますと,仮に18歳及び19歳の者が少年法の適用範囲から外れることになった場合に,特に検察官が起訴しないという判断をした者については,現在行われている再犯防止のための処遇が,制度上全くできなくなってしまうという点を懸念したためだったと記憶しております。しかし,それは要するに,18歳及び19歳の者が少年法の適用範囲から外れた場合,若年者に対する再犯防止のための刑事政策的な処遇制度として,不十分となってしまうところを補う,現行の制度の有効な代替措置を設けようという趣旨で検討が始められたものであることは間違いないと思うのです。そうだとすると,その対象者の在り方は,今の案のように当然に「検察官が起訴しないと判断した者」に限定されるという性質のものではないのではないかと思います。先ほども,いろいろお話が出ていましたように,刑事政策的に有効な措置は何かという観点から,その対象の範囲を政策的に決定することは可能なものだろうと思います。そうだとすれば,その対象範囲を拡大して,類型的に行為責任がより重いものまで対象に含めるということにすれば,当初からの施設収容部分も含めた処分の選択肢を確保することもでき,制度の実効性を大きく高めることもできるだろうと思います。   このように考えましたので,罪を犯した18歳及び19歳の者の再犯防止や改善更生に資するべく家庭裁判所の調査,審判,保護処分の有効性を実質的に確保できるようするために,今後,当部会において,「若年者に対する新たな処分」の対象の範囲を拡大する案を検討するということを,強く希望いたします。なお,第11回部会の際に提出しました私の意見書では,18歳及び19歳の者の重大な犯罪について,直ちに刑事手続に委ねるという趣旨を含む案を書いておりますけれども,これは,飽くまで一つの案にすぎず,これに強くこだわるわけではありません。肝心なのは,今申し上げたような趣旨で,現行で18歳及び19歳の者に対してなされている処分や手続が実質的にうまく機能していく,再犯防止の実効性を上げていく,ということでありますから,そこは,当部会でお互いに知恵を出し合って,よりよい制度設計を検討していければよいのだと思います。   また,「若年者に対する新たな処分」の対象範囲が,「検察官が起訴しないと判断した者」に限定されてしまっているということについて生じる問題点については,これまでの当部会の議論でも,消極論の論拠として主張されてきているところでもあります。ですから,「若年者に対する新たな処分」の対象者の範囲を拡大する案の議論を始めるということは,少年法の適用年齢の上限をめぐる議論の進展を促すというだけではなくて,その意見集約にも資する面があるのではないかと思います。そのような観点から,是非部会長におかれて,これを前向きに御検討いただければと思います。 ○羽間委員 現在の少年法による家庭裁判所の審判,それから保護処分が,少年の再非行や再犯の防止,健全育成のために有益であるということは,この部会において一定のコンセンサスが得られていることと存じております。そこで,少年法の適用年齢の検討に当たっては,刑事政策的な後退が生じないよう,法理論上可能な範囲において,最も効果的と考えられる方法を選ぶことが重要だと考えます。   これまでこの部会で検討されてきました様々な刑事政策的措置のうち,保護観察付き執行猶予については,今以上には十分には活用されないのではないかということ,罰金の保護観察付き執行猶予については,現行の保護処分と比べて,再犯防止や改善更生という観点においては不十分なのではないかということを申し上げてきたところでございます。また,「若年者に対する新たな処分」について,適用対象を必ずしも起訴猶予となるような事案に限定するのではなく,処分や処遇の内容によっては,執行猶予や罰金となるような事案も,制度の対象とすることも検討するべきではないかということも,申し上げてきました。   加えて,若年者の特徴として,急激で大きな心理状態の変化や行動化が生じやすいということや,可塑性が高いということがございます。こういった特質を踏まえますと,処遇の実効性の観点からは,処分として保護観察を設ける場合には,遵守事項違反があった際に,それに対する措置を可能とすること,一方で,改善更生したと認められる場合には,保護観察を早期に終了させるなどの良好措置を行うことができるようにすることが重要であると考えています。 ○橋爪委員 私も,1点関連して申し上げたく存じます。   以前の部会でも申し上げたかと存じますが,新たな処分は,少年法の適用年齢の引下げが前提であり,それによって,成人となった対象者に対して,一定の自由を制限する内容を含む処分でございます。したがって,これは,侵害原理に基づいて,また,行為責任の範囲内で課す必要があると考えます。この点を改めて確認しておきたいと存じます。   もっとも,このような要請を満たす範囲におきましては,対象者に対して刑罰以外の処分を課し,対象者の再犯防止,改善更生を図ることは十分に可能でありますので,いかなる範囲の者に対して新たな処分を課すべきかは,立法政策として検討すべき課題であると考えます。したがいまして,飽くまでも侵害原理,あるいは責任主義の要請を満たす限度であり,かつ,政策的な必要性,合理性があるならば,対象者を拡大する御提案につきましても,個人的には異論ございません。   この点につきましては,既に部会でも活発な議論がございましたので,これを前提に,更に議論を深めることも十分にあり得ると存じますが,かなり問題が複雑ですので,大変僭越ではあり,また勝手なお願いでございますけれども,もし可能であれば,事務当局の方で,これまでの議論を踏まえて,新たな処分の対象者を拡大する場合,どのような選択肢があり得るか,またその選択肢に対してどのような課題があり得るかを整理したペーパーを御用意いただきまして,それに即して,次回以降,更に議論を続けることが生産的であるようにも思います。大変勝手ではございますけれども,御検討をお願いいたします。 ○青木委員 今の御意見に対してということでは,必ずしもないのですけれども,廣瀬委員,羽間委員が言われたことで,非常にもっともだと思っている部分も多々ありまして,いずれにしても,非常に重要なのは,18歳及び19歳の者に対して,今ある処遇をできるだけいかすということなのだろうと思います。客観的な事実として,民法上の成年年齢は18歳になることは決まっているわけですけれども,それが,整合性ということで,自動的に連動して,少年法上,完全に大人扱いをしなければならないのかというと,やはりそれはそうではないのであって,18歳及び19歳の者にふさわしい刑事政策的な措置がとれる法制度を,少年法を含めて,どういう法律でどういう対応をするかを考えて,それについて,民法と整合しなくてもいいということではなく,整合するような説明をきちんとできるような形で作っていけばいいのだろうと思います。   先ほど,最初に御質問があって申し上げたところですけれども,少年法自体が20歳という文言を使っているわけでして,成年,未成年という言葉を使っているわけではないので,絶対的に民法上の成年,イコール,少年法上の成人ということが,法制度上はっきりしているというものでもありませんし,成年擬制との関係で言えば,元々保護者なり親権者が存在しない民法上の成年に対しても,少年法は適用されているわけです。今回の民法の改正というのも,非常に乱暴な言い方をすると,民法上,自立した大人として一般的に自律的な判断能力をみんなが有するようになったから,18歳を成年としたということではなくて,むしろそういう自立した大人にしたいので,そういう方向にするために,政策的に大人とみなして,大人として扱うことにしたというのが,かなり近いので,そういう意味でいうと,成年擬制とは言いませんけれども,それに近いような側面もあると思います。   そういうことで,18歳及び19歳の者の未熟性に着目して,それにふさわしい刑事政策的な措置はどういうものかということについて,仮に年齢が引き下げられた場合ということではなくて,民法上は成年であるけれども,18歳及び19歳の者の未熟性に着目した法制度の在り方ということで検討していただいた方がいいと思います。要するに,「若年者に対する新たな処分」というのは,少年法上は成人とした上でどうするかという話なので,成人とした上でということになると,いろいろと制約もあるわけですね。そういう意味で,成人とするということを外して,民法上成年となった18歳及び19歳の者に対する刑事政策的な措置として,どういう法制度がよいのかという観点で検討するという側面も持った形の検討をしていただけたらと思います。 ○太田委員 廣瀬委員に御質問です。新たな処分の対象を,起訴猶予よりも拡大していくというところのイメージですけれども,私の場合,略式罰金相当のものはどうなのかなとか,いろいろ考えたことがありましたが,やるとすれば,何かやはり法定刑か何かで基準を設けて,その法定刑よりも重いものは,基本的に訴追の方向という感じでしょうか。それ以下の一定の刑の軽いものは新たな処分の方のための手続に回すというイメージでよろしいでしょうか。 ○廣瀬委員 意見書から申し上げているように,やはり非常に重い罪は,これは別になってくる,それ以下のところをどこで線引きするか,あるいは基準を罪でいくのか,法定刑でいくのか,そこは,いろいろな技術的な問題はあると思います。ただ,大きく言うと,2種類に区分して分けて考えていくという発想です。 ○佐伯部会長 ただいま,廣瀬委員から,今後の議事の進め方について御提案を頂き,また,羽間委員,橋爪委員,青木委員,太田委員から,関連する御意見を頂きました。   次回の議事につきましては,ただいまの御提案,御意見も踏まえまして,私の方で検討させていただき,できる限り速やかに事務当局を通じて,皆様にお知らせすることにしたいと思いますが,それでよろしいでしょうか。 ○大沢委員 もちろんそれで結構だと思いますし,是非この提案も,非常に建設的な御提案だと思いますので,是非これを進めていただきたいと思います。   ただ,その場合に,今回の御提案ですと,罪を犯した18歳及び19歳の者について,大きく手続が2分されるようなイメージを持ちました。イメージとして,実際の刑事手続と,それから保護処分類似の手続がイメージされるので,かなりその差は大きいようにも感じました。ですから,その場合に,どこで線を引くのかということは,やはり非常に大きな論点になるのではないかと思います。特にその場合に,それをやはりある程度納得のいく形の線引きの理由ですとか,特に被害者の方がいる場合,そこは,両方の手続の方に被害者がおられるというような線引きになってしまった場合に,その納得が得られるのかということは,やはり大きな問題ではないかと思いますので,その点,是非御検討の論点に加えていただければと思います。 ○山﨑委員 私も,先ほどの青木委員と同じ意見です。新たな処分を前提に,その対象範囲を検討するということですと,適用年齢を引き下げた上での成人ということが前提になってしまい,議論の幅がかなり限られてくると思いますので,もう少し幅広な検討をしていただきたいと思っています。 ○佐伯部会長 ほかにはよろしいでしょうか。   それでは,次回の日程につきまして,事務当局から説明お願いいたします。 ○玉本幹事 次回第21回会議につきましては,12月9日午前10時から,場所は法務省5階の東京地方検察庁会議室を予定しております。 ○佐伯部会長 引き続きよろしくお願いいたします。   本日の会議の議事につきましては,特に公表に適さない内容に当たるものはなかったと思われますので,発言者名を明らかにした議事録を作成し,公表することとさせていただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。              (一同異議なし)   それでは,そのようにさせていただきます。   それでは,本日の会議はこれで終了といたします。   どうもありがとうございました。 -了-