法制審議会 民法(親子法制)部会 第6回会議 議事録 第1 日 時  令和2年2月4日(火)自 午後1時30分                    至 午後5時38分 第2 場 所  法務省共用会議室7・8 第3 議 題  参考人ヒアリング         諸外国における懲戒権に関する規定等についての調査報告         懲戒権に関する規定の見直しについての検討(二読) 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは,予定をしておりました時刻になりましたので,法制審議会民法(親子法制)部会の第6回会議を開会いたします。   本日も御多忙の中,御出席を頂きまして,誠にありがとうございます。   最初に,今回初めて出席される委員の方がおられますので,簡単な自己紹介をお願いしたいと思います。その場で,お名前と所属とを自己紹介お願いできれば幸いです。 (委員の自己紹介につき省略) ○大村部会長 どうぞよろしくお願い申し上げます。   本日は,手嶋委員,千葉委員が御欠席でございます。   次に,本日の審議に入ります前に,配布資料の確認をさせていただきたいと思います。事務当局の方からお願いを致します。 ○濱岡関係官 今回の配布資料は,事前に送付させていただきました部会資料6,参考資料6-1(1)から参考資料6-4までのほか,本日席上配布いたしました磯谷委員の提供資料,影山参考人提供資料,立花参考人提供資料,奥山参考人提供資料になります。 ○大村部会長 ありがとうございました。お手元の資料を御確認いただければと思います。   そこで,次に,本日の審議の予定について,あらかじめ御説明をさせていただきたいと存じます。   本日はまず,懲戒権に関する規定の見直しに関しまして,ヒアリングを行いたいと考えております。参考人として,東京都児童相談センターの影山児童福祉相談担当課長,それから,成育医療研究センターこころの診療部長の立花医師,NPO法人子育てひろば全国連絡協議会の奥山理事長から,順次お話を伺いたいと思います。   また,体罰に関する科学的知見を参照するということで,磯谷委員から,日本弁護士連合会が作成されたパンフレット「子どもがすこやかに育つ,虐待のない社会を実現するために」について,御説明を頂きたいと考えております。   なお,磯谷委員の御説明が終わった段階で,まとめて質疑応答の時間を設けたいと考えております。   続いて,諸外国における懲戒権に関する規定等につきまして,調査報告を行っていただく予定でございます。具体的には,石綿関係官からフランス法について,久保野幹事から英国法について,そして,横浜国立大学の常岡教授からアメリカ法について,御報告を頂きたいと考えております。こちらも,3人の方の御報告を伺った後で,まとめて質疑応答の時間を設けたいと思います。   その後,休息を挟みまして,懲戒権に関する規定の見直しについて御審議を頂くという予定でおります。盛りだくさんでございますけれども,どうぞよろしくお願いを申し上げます。   それでは,まず最初に,参考人のヒアリングに入らせていただきますけれども,最初に,影山課長に御説明を頂きたいと思います。   影山参考人,どうぞよろしくお願い申し上げます。 ○影山参考人 東京都児童相談センター,影山と申します。よろしくお願いいたします。   本日は,貴重な機会を与えていただいて,本当に大変有り難いと思っております。   私は,東京都児童相談所で,ずっと仕事をしてきておりますけれども,今回は,児童相談所の立場,あるいは,私自身が今まで児童虐待等で,いろいろ相談援助活動に関わってきた中で,懲戒権の扱いをどうすべきかというようなところについて,簡単にお話をさせていただきたいと思っております。   レジュメを準備させていただいておりますので,「懲戒権について」というレジュメで説明をさせていただきます。   1枚めくっていただいて,児童虐待を口実にして,懲戒権というような言葉を使われる保護者の方も時にはいらっしゃいます。実際に,今まで児童相談所で取り扱ってきた経過の中で,懲戒権というような言葉を,どんな場面で保護者の方が言ったり,発言されたりというようなことで,ヒアリングをしたり,あとは調査をさせてもらいました。   この1ページ目に書いたように,保護者が,叩くことは懲戒権の範囲であるとか,あるいは,子どもを叩くこと自体が法律の範囲内,民法で規定されているのだと。あるいは,暴力を振るったことは認めるけれども,それは懲戒権の範囲だというような言い方をされる方が多く見られるというところでございます。   ただ,全て虐待されている方が,懲戒権を意識して,体罰をおこなったり,あるいは子どもを叩いているということでは決してありません。実際に叩いたことを問われたときに,口実として,民法に懲戒権というのがあるではないかと,だから自分の行為は正当化されるというような主張をされているのかなというふうに見ております。   一方,懲戒権という言葉ではなくて,体罰ということで,身体的虐待を正当化される方も多いということで,これは懲戒権という言葉以上に,体罰ということで正当化を主張される方が多いので,ここで幾つか書かせていただきました。口で言っても分からないから叩いた,あるいは,子どものことを考えているから叩いた,他人に危害を加えたので,痛みを教えるために体罰を行ったと。こういった様々な形で,体罰を正当化しているという方々が実際にいるということが,現状でございます。   東京都では,一昨年に起きました目黒区での,児童が虐待によって亡くなるという悲惨な事件を受けて,これを二度と起こしてはならないという意味で,東京都子供への虐待の防止等に関する条例というものを検討し,昨年の4月に施行するということをやってまいりました。その中で,保護者の責務として,体罰等の禁止の規定を盛り込みました。具体的には,保護者は体罰その他,子どもの品位を傷付ける罰を与えてはならないということで規定をさせていただきました。   この条例については,検討段階で,案について,パブリックコメントを2回求めております。具体的に体罰禁止について,パブリックコメントの結果をこちらの4に書かせていただいたような数字でございます。   実際,パブコメとしては,体罰禁止に反対の立場を採られた意見が21,それから,体罰禁止に賛成というのが7,それから,体罰禁止について意見を述べられた方が16というような数字でございます。   体罰禁止を条例に盛り込むことについて,反対という意見では,言葉で幾ら注意しても子どもは言うことを聞かないとか,あるいは,体罰禁止で何が変わるのかと。例外的に,年少児童については認めてもいいのではないかと,こういった意見を頂きました。   一方で,体罰禁止,これを賛成するという立場からは,これは体罰自体が子どもの権利を侵害すること,虐待の防止を目指すためにも必要だと。あるいは,虐待にエスカレートする可能性のある体罰については,これを東京都が積極的に禁止するべきであるというような意見を頂きました。   もう一方,その他の意見で,体罰禁止を設けることで,子育て中の親を不安にしてしまうのではないか。あるいは,体罰を用いないしつけや子育ての方法,こういったことが本当に皆さん理解できて,子どもの養育をやっていけるのかというような意見を頂きました。   こうしたパブリックコメントの意見も踏まえ,いろいろ議論を重ねた結果,体罰禁止,これは東京都としては,条例に盛り込もうということで,決定したということでございます。ただ,それに併せて,体罰によらない子育て,これを広報・啓発していくというようなことも取り組んでおります。これについては,最後に述べさせていただきます。   さて,822条の懲戒権の規定についてでございます。ここからは,東京都の見解というよりも,これは私自身が,実際に児童相談所で仕事をする中で感じている部分でございます。   この懲戒権の規定は,やはり速やかに削除するべきであろうというふうに考えています。懲戒については,昭和35年の判例ではございますけれども,この中で,身体又は精神に苦痛を与える,加える制裁であり,一種の私的な懲罰手段であるというようなことが,判例の中で述べられているというようなことで,この身体又は精神に苦痛を与える,加える制裁という,こういう行為自体が,もう既に,これは児童虐待だろうというふうに判断されるということであり,あるいは私的な懲罰手段,これを用いて監護・教育することは,これはもう児童福祉の精神に反する。あるいは,冒頭申し上げたように,児童虐待を行っている保護者の口実となるのだというふうに考えております。   また,懲戒という言葉をしつけ等に言い換えるということについては,冒頭でも申し上げたように,保護者が行う児童虐待が考え方に基づいてやっているというよりも,実際に自分の行った行為を正当化するための理由として,懲戒権というような言葉を使ったり,あるいはしつけという言葉を使っているという現状を考えますと,そもそも,そういった懲戒あるいはしつけということを,あえて書く必要はないだろうと。元々,820条の監護及び教育の権利義務という中には,当然のことながら,子どもの誤りを正し,子どもが間違ったことをすれば,その誤りを正して,適切に養育するという義務が親権者に課せられているわけで,あえてこれを設ける必要はないというふうに考えております。   また,先ほども申し上げたように,親権者は,懲戒権を意識して児童虐待を行っているわけではありません。虐待については,保護者の子育て不安から,つい子どもに当たってしまうといったような虐待から,本当に子どもの命を奪ってしまうような虐待まで様々です。   ただ,そういった中でも,子どもの身体又は精神に苦痛を加えるような私的な懲罰手段を廃止することによって,子育ての方法に変化を促す効果があるだろうというふうに考えています。併せて,懲戒等の懲罰を用いない子育てについて,国あるいは自治体は,民間団体等の協力も得ながら,広報を行っていくことが必要ですし,また,820条等の包括的な監護・教育規定に体罰禁止を盛り込むことができれば,国民全体に対するインパクトは,非常に大きいものだろうというふうに考えております。   最後に,皆さんのお手元に配らせていただいた「体罰などによらない子育てハンドブック」というものでございます。これは,東京都子供への虐待の防止等に関する条例,これを作るに当たって,先ほども申し上げたように,体罰を用いない子育て,こんなふうにして,是非子どもを育てていこうというようなことで,有識者の先生方の御意見を頂きながら作ってきたものでございます。   こういった形で,広報・啓発をしていくことによって,懲戒権あるいは体罰を用いなくても,十分に子育てをしていける社会環境を作っていけるというふうに考えております。   簡単ですが,私の説明は以上で終わらせていただきます。ありがとうございます。 ○大村部会長 どうもありがとうございました。   それでは,続きまして,立花診療部長に御説明を頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。 ○立花参考人 成育医療研究センターの立花と申します。私の方からは,精神医学の立場からお話しさせていただければと思います。   お手元にある青い表紙の資料を御覧いただけますでしょうか。   まず,1枚目のところですが,体罰が子どもに与える影響というのは,いろいろ児童虐待の領域で,脳画像研究など,生物学的な研究もいろいろされておりまして,ここにお示ししておりますのは,今日,磯谷委員からも後ほど説明があるかと思うんですが,福井大学の友田明美教授が,虐待されたお子さんたちの脳の研究をされたものの結果になります。   虐待を受けた子どもたちでは,前頭前野,この前頭前野というのは,人間の社会生活に極めて重要な脳部位なんですが,そこの容積が19.1%も減少するですとか,また,言葉の暴力を日常的に受けているような子どもたちは,そこの言葉の聴覚に関係するような脳領域である聴覚野が変形してしまうというような結果も出ています。   次に,心理学の領域でも,いろいろ研究がされていまして,体罰・暴言が子どもの心の発達に深刻な影響を及ぼすということも分かっております。   ここでお示ししておりますのは,ガーショフという人が,今まで行われた体罰が子どもに及ぼす影響についてのいろいろな研究をまとめた,メタナリシスという手法を用いた文献研究の結果なんですが,親から体罰を受けた子どもたちは,その影響としまして,親との関係がネガティブになってしまったりとか,成人後に精神的な問題を持ってしまったり,また,体罰を受けているその時点での幼児期にも精神的な問題を持ってしまったり,また,反社会的な行動を大人になってから持つようになったり,また,受けているときにも持ってしまったり,あるいは強い攻撃性を持つようになってしまったりとか,このように,非常に子どもの心の発達に深刻な影響を及ぼして,それが,その影響が,子どもが大人になったときにも残るということが分かっております。   次に,体罰を行ってしまうようなリスク要因やメカニズムについて,お話しさせていただきたいと思います。これにつきましては,大きく二つの視点でお話しさせていただきたいと思います。   まず,当事者のリスク要因,それから,社会が体罰についての,今の現状の日本の社会の体罰についての認識から由来してしまうところ,このところについて,お話しさせていただきたいと思います。   まず,当事者のリスク要因としまして,これは,体罰というのは身体的虐待の一部と考えられますけれども,身体的虐待につながるような当事者のリスク要因というのは,これまでの国内外の研究で,いろいろ分かっております。   まず,親と子の関係性のところのリスクとしては,そもそもお子さんを授かったときに,望まない妊娠であったこととか,あとは,しつけの仕方,ここは正に体罰のところになりますけれども,しつけの仕方の親の認識によって身体的虐待につながる。そしてまた,親が育児ストレスを持っていると,身体的虐待につながりやすいというようなことがいわれております。   次に,親自身の性格特性や,そういった社会的なリスクとしては,怒りを持ちやすいとか,感情が過度に,いろいろなことに反応してしまう。また,不安が強かったり,精神病質だったり,憂鬱な気持ちが強かったり,自尊心が低かったり,あとは,自分の親との関係の悪さがあると,自分の子どもを持ったときにも,身体的な虐待のリスクになり得ます。また,被虐待歴, 犯罪歴,個人的なストレス,社会サポートの乏しさ,アルコール乱用,無職,親としてのコーピング・スキルや問題解決能力の乏しさ,独り親であること,親が低年齢であること,薬物乱用歴,健康上の問題,これらのことがいわれています。   次に,6枚目のスライドになりますけれども,子ども自身が身体的な虐待,体罰もそうですけれども,体罰を受けやすかったりするようなリスク要因を持っているということもあり得ます。親の要因を除いた上で,子どものリスク要因というものを考えたときに,どういうものが挙げられるかと申しますと,例えば,子どもの社会適応能力の乏しさだったり,子どもの外在化問題行動,この外在化問題行動というのは,攻撃性だったりとか,多動だったりとか,外に向かうような問題行動をいいます。   また,子どもの内在化問題行動,これは内に向かうような問題行動を,精神医学とか心理学の用語で申しまして,例えば鬱だったり,不安だったりとか,敏感さだったり,そういったところになります。また,男の子の方が身体的な虐待を受けやすいということがあります。子どもの性によって,受ける虐待の種類とかリスクが異なってくることがあります。   また,妊娠期や新生児期に問題を持っている,周産期のときにいろいろ障害,周産期の問題で障害を持ってしまうと,育てにくさを持ってしまったり,親御さんが育児の中で,日々,医療的ケアなどで大変さを感じてしまったりして,それが身体的な虐待につながるということもあり得ます。   それから,それとは別に,子どもが障害を持っていることや,子どもの年齢,年齢によって,その時期その時期によって,育てにくさが前面に出やすいような時期ということもあります。例えば,小さい頃,イヤイヤ期だったりとか,あとは多動が出やすい時期だったり,あとは思春期だったり,虐待のリスクによって,その時期その時期で,いろいろな問題を持ちやすい時期があります。   次に,あとは,家族の特徴としては,家庭内で衝突が多い家族,あとは,家族のまとまりを感じられないこと,これは家族心理学の領域で,家族凝集性という言葉があるんですが,家族が一体感を持って,つながりを持てるような家族というのは,非常に家族の健康が,心の健康が保たれやすいといわれていますが,一方で,家族のまとまりを感じられないようなことというのは虐待のリスクになります。   それから,伴侶からの暴力がある場合も,子どもにそのつらさが向かってしまって,虐待につながってしまうということもありますし,また,結婚の満足度が低かったり,家族の人数が多かったりとか,社会経済状況が悪かったり,家庭内に血のつながらない親がいるということもリスクになります。   7枚目のスライドですが,親は教育・しつけのつもりでも,子どもに暴力とか体罰を振るってしまうということが,日本の社会でも多々あるかと思います。その中に,親が精神的な問題や葛藤を抱えていて,それを緩和したり軽減したりしようとして,その結果,子どもへの教育に体罰を用いてしまうということがあり得ます。このような状況では,子どものためといいつつも,親自身の精神的な問題や葛藤の処理のために子どもが利用されて,そこから親が自己効力感や安心感を得ているということがあり得まして,このような状況というのは,我々,児童虐待の防止の観点からも,なくしていかなければいけないところかなと考えられます。   次に,子どもが成人したときの心の健康に関係するような親子関係についてなんですが,このようなことというのは,心理学の領域などで,いろいろ研究がされていまして,そこから明らかになっていることとしては,親がどのように愛情を子どもに注ぐかということよりも,むしろ子どもがどのように自分が親から愛情を受けているかということが,より子どもの心の健康には重要だということがいわれております。   一例をお示ししますと,厚労省の研究事業で行った調査で,大学生の女子学生と,それからお母さんの両方に,お母さんの方には,どのように子どもを育てましたか,そして,大学生の方には,そのお母さんやお父さんから受けた愛情をどのように感じていますかというふうなことを聞きました。あと,その大学生のメンタルヘルスの状況を聞きました。そうしましたところ,結果としては,お母さんがどのように,お母さん自身がどのように子どもを愛していたかということは,そんなに子どものメンタルヘルスには関係していないんですけれども,子ども自身がどのように,自分が親から愛されていたかということが,正に非常に強く,子どものメンタルヘルスに,成人したときのメンタルヘルスに影響を及ぼしていました。   これは飽くまで一例なんですが,このような研究というのはいろいろありまして,ここから分かることとしましては,親が幾ら愛情を持って子どもを育てていると思っていても,それが子ども自身に伝わらなければ,子どもの健やかな心の発達にはつながりづらいと。ですので,子どもが自分は親に愛されていると感じられる親子関係が大切になります。   一番最初の方に紹介しましたガーショフのメタナリシスなどでも,体罰というのは,子どもと親の関係を非常に損ねてしまいます。体罰は,こういった親子関係を損ないかねないものですし,そうすると,子どもが,自分は親から愛されていないんだという思いを持ちやすくなりますし,そうすると,それがそのときの子どもの心の健康,それがまた,後々にも影響を及ぼし得るということが言えるかなと考えられます。   9枚目のスライドですけれども,今,社会の認識の問題として,社会の中で一部の人が,子どもへの体罰や教育をしつけだとみなしてしまっているということがあり得るかなと思います。   10枚目のスライドで,822条の規定を削除することについてなんですけれども,子育ての中に,子どもへの体罰・暴言を容認しない社会の共通認識の形成につながり得るかなと考えられます。ここから,養育不全のリスクのある親も,子どもへの体罰・暴言がいけないこととして,踏みとどまらないといけないと意識することにもつながり得ます。   懲戒権を削除すれば,児童虐待は減少するのかということについてですが,児童虐待の対策について,予防医学の観点から,ポピュレーション・アプローチ,それから,ハイリスク・アプローチというものがあります。   ポピュレーション・アプローチというのは,広く,すべからく,多くの人にアプローチする手法で,環境の変容とか集団全体の行動の変容,社会の変容などによって疾病を予防するものであります。一方で,ハイリスク・アプローチというのは,集団の中からリスク要因を持っている人を選別して,その人たちが疾病から起こる確率を減らすためのアプローチです。   懲戒権を削除して,子どもへの体罰・暴言を容認しないという社会の変容を促すことで,児童虐待防止へのポピュレーション・アプローチとなり得ると考えられます。   次に,しつけの大切さですが,子どもの言うことを何でも聞くことが親の優しさとは限りません。子どもは,家庭でのルールや約束を守ったり破ったりしながら,人との関係の在り方や社会のルールの大切さを学んでいきます。体罰・暴言を用いずに,このようなルールの大切さを教えることが可能です。感情に任せて叱るのではなくて,子どもの気持ち,立場に立って考え,愛情を持って,大切なことを一緒に考えたり,教えたりすることができます。   ですので,懲戒権を削除すれば,正当なしつけができなくなるのではないかという懸念がありますけれども,しつけと体罰・暴言は異なると考えられます。その共通認識を,社会の中で形成していく必要があるのではないかなと考えます。しつけは子どもの健全な成長に必要であります。ですので,懲戒権を削除しても,繰り返しになりますけれども,このような懸念に関しましては,正当なしつけはできると考えられます。   最後に,体罰を禁止する規定を民法に設けることについてですが,体罰を加えてはならないという文言を加えることは,児童虐待防止の観点から有意義ではないかと考えられます。先ほど紹介させていただきました予防医学のポピュレーション・アプローチの観点からは,子どもに対して体罰が容認されていない社会への変容をもたらし得ますし,ハイリスク・アプローチの観点からは,児童虐待,養育不全のハイリスクの親に対して,子どもへの接し方の注意喚起や,ハイリスクの親への支援において,法的にも体罰は容認されないということを伝えることができ得ると考えられます。   以上です。御清聴ありがとうございました。 ○大村部会長 どうもありがとうございました。   それでは,続きまして,奥山理事長に御説明をお願いしたいと思います。   奥山参考人,よろしくお願いいたします。 ○奥山参考人 このような機会を頂きまして,ありがとうございます。   地域における子育て支援の立場から,お話をさせていただきます。   横浜市で子育て支援を行い,また,全国組織として,子育てひろば全国連絡協議会の代表もさせていただいております。   1枚めくっていただきますと,まずは居場所支援ということで,乳幼児の親子が集う場所の運営を,横浜市港北区内で3か所,運営をさせていただいております。それ以外に,地域での預かり合いですとか相談事業,保育事業,親が就労でないお子さんの預かり,それから多世代型の居場所,こういったものを運営させていただいております。   このNPO法人びーのびーのは,2000年に設立した団体ですが,基本理念は以下の通りです。地域社会の互助機能も失われ,密室育児になりがちな環境の中で,ゼロ・1・2・3歳の育児は,子どもの成長の土台づくりの大切な時期にもかかわらず,親の影響力が非常に強いという時期です。親子が密室育児にならないよう,共に学び,育ち合う場を提供したいということで,地域のシニアやボランティアの力を借りて,みんなで子育てをする環境づくりを目指して,そのことが活力ある地域社会を創り出すとともに,新たな社会システムの基盤になるということを目指し,発足をした団体です。   次のページをめくっていただきまして,子育てひろば全国連絡協議会は,乳幼児期の子育て家庭に向けて,交流の場を展開し,そこで親同士,地域の方々の協力も得ながら,夫婦が協力して子育てを担う環境をサポートする団体のために,このような中間支援組織を作って,活動してまいりました。今,会員が全国で1,300ございます。   この事業そのものは,厚労省の児童福祉法に位置付けられた事業として,地域子育て支援拠点事業という名称で,全国に7,400か所ぐらいございます。場所はいろいろあって,保育所併設だったり,単館型だったり,児童館に付いていたりします。写真は,私どもが運営している,どろっぷというところの写真になります。   今回の件でございます,6ページからです。822条についてでございます。   これにつきまして,私どもも,820条ですね,こちらの方に保護者の権利義務がしっかりと定められておりますので,822条は削除でよいのではないかというふうに考えております。理由といたしましては,今,児童虐待の防止等に関する法律ということで,厚労省の方でも体罰禁止の法が定められ,ガイドラインづくりも進められているというところです。   また,今,立花先生からも御紹介があったように,体罰が子どもに及ぼす悪影響についても,一定程度のいろいろなエビデンスがそろっているということでもございますし,また,法的全面禁止を実現した国が58か国ということで,日本についても,削除という,そういうことでよろしいのではないかなと思っております。   また,私には,子育て支援現場においては,いわゆる懲戒権というものの認知度については,一般的な子育て家庭にとっては,懲戒という言葉は,ちょっとなじみがないかなと思っています。体罰ということについては,非常に今話題になっているところでもございますし,耳なれていますが,懲戒という言葉は,あまりなじみがないかなと思います。   また,ただ,現場においては,体罰としつけの違いについて,今,ガイドラインでも定められているところですが,まだまだ現場では,その違いということについて,捉え方が異なるというようなことがあると思っています。また,後で資料も出しますが,子どものしつけ,叱り方に困っているという親は,横浜市のデータでも,半数以上というふうになっております。   また,御質問の中で,822条の削除によって,児童虐待は減少するかという御質問でした。体罰によらない子育てを推進するためには,抜本的に法的根拠との整合性が図られる必要性があると思っております。児童虐待については,子育て家庭の孤立や周囲のサポートの欠如,それからまた,親自身が十分な環境で育てられなかった等,先ほども立花先生から,いろいろな観点で御説明がございました。そういった理由によるものであり,子どもと家庭を包摂するような支援体制を予防的に構築していく必要があるというふうに考えております。   822条の削除の影響の有無というよりは,家庭を孤立させない体制整備に力を入れていっていただきたいというふうに,子育て支援の立場からは申し上げたいと思います。   次に,8ページです。   822条の削除によって,正当なしつけができなくなるという懸念についてですが,一般的には,822条があることで体罰が認められると考える親は少ないのではないかと思います。しかし,822条があることで,先ほど来,影山先生からもありましたが,それで正当化できるという根拠にされる可能性というのは否定できないと思います。   実際には,子どものしつけや叱り方について,困っている親が多く,現場で求められているのは,親自身が余裕を持って子育てができる環境であったり,子どものイヤイヤ期等,発達を踏まえた対処方法や知恵であったり,親同士の学び合いの機会,親同士が気持ちを話せる場づくり,子どもと離れて自分の時間を作るレスパイト等の支援策,こういったものが求められていると思っております。   地域子育て支援拠点等に親子が集うことで,しつけや叱り方について,体罰等によらない方法があることを学ぶ機会が得られているというふうに実感しています。実際,保護者の方が,家にいると密室だし,自分が子どもにもしかしたら,きつく言ってしまうかもしれない。ですが,拠点に来れば,いろいろな親子さんがいて,自分の気持ちを抑えることができるし,ほかの人の子育てを見ることができると,正直に話してくださる方がいらっしゃいます。   それから,体罰等を禁止する規定を民法上に設けることについて,児童虐待の防止等に関する法律に体罰の禁止等が記載され,体罰によらない子育てのガイドラインが検討されていること,こういったことと,整合性をしっかりと図っていくべきだと思っております。   次に,子育て家庭の孤立,戸惑いということで,これは,直接関係がないかもしれないんですが,現状をお伝えするという意味で御紹介したいと思います。地域子育て支援拠点の利用者からの投稿です。   本当に子育てがつらいのではない,子どもたちはかわいい。でも,不安や孤独で押し潰されそうで,どうしようもないときがある。頼れる人のいない土地,子どもと付きっきりの長く心細い一日,ろくに家事もこなせず,うつろに考え込む。自分の存在は一体何の価値があるんだろう。孤独感が高まるにつれ自信を失っていった。やはり,家族をもう少し応援する体制が必要だと思っています。   次の11のページのところのグラフですが,私たち,アウェイ育児と呼んでいるんですけれども,自分自身が育った市区町村で現在子育てできていない親が,全国調査で72%,都会では80%以上を超えます。   近所で子どもを預かってくれる人はいますかという質問にも,アウェイ育児の場合は7割が,預かってくれる人がいないと答えています。拠点を利用した後では,非常に子育てに対する考え方が前向きになるという傾向も,下のグラフで読み取ることができます。   次のページに少し,アウェイ育児のことを書かせていただいております。   あと,下に横浜市の調査がありまして,現在子育てをしていて感じている困り事,平成25年と30年の比較なんですが,実は25年のときに,しつけのことを聞いていないんですね。単純に比較できないんですが,オレンジのところが30年の比較です。1位が子どもの叱り方,しつけ,これが50%を超えております。2位が子どもの食事のことです。ここはちょっと,参考程度,見ていただければと思います。   次のページを見ていただきますと,日常の子育てを楽しく安心して行うために必要なサポートで重要だと思うもの,これは5年前とあまり大きく変わらないんですが,子どもを遊ばせる場所や機会の提供,親のリフレッシュの場や機会の提供,親同士の仲間づくり,親の不安や悩みの相談となり,5年前との比較で,ちょっと出てきているのは,父親向けの育児講座,やはり父親も含めての,こういったニーズが高まっていると思います。   あと,安心の場づくり,寄り添い型支援について資料など付けさせていただいております。現場では,次のページ,めくっていただければ,多機能型の支援ということで,ワンストップで,居場所もあり相談機能もあり,そして,子どもも預かってもらえる。そして,アウトリーチで訪問もしてもらえるというような,多機能型の支援というのが求められているということで,今日は施設長も来ておりますが,港北区地域子育て支援拠点どろっぷの取組を紹介させていただきました。   それとともに,次のページ,3ですね,妊娠期からの切れ目ない支援ということで,最初から,なかなか厳しい状況での出産を迎える方がいらっしゃること,それから,父親が産前からあまり関われないこと,こういったようなことが,まだまだ日本では多くて,この辺りをもっと変えていかなければいけないと思っています。   ひろば全協では,プレママ・プレパパ応援プロジェクトに今現在,力を入れているところです。両親学級といわれる両親の妊娠前の教室,この学びの場も,実は父親がなかなか参加できていないという結果が示されており,土曜日に開催しないと,今は働いている方が大勢ですので,土曜日両親教室を全面展開するということで,港北区では取り組んでまいりました。   22ページにも,今,厚生労働省からも,予防型支援が非常に重要であるということで,立花先生からポピュレーション・アプローチのことがございました。全ての家庭に,こういった体制をしっかり整えていってほしいと思っております。   24ページ,さいごにです。   子どもを育てるのは,本当に大変です。親なんだから,うまく育てて当たり前,子どもはきちんとしつけなさいという世間からの声に押し潰されそうな子育て家庭ばかりです。自信を持って育てられる人なんていません。体罰禁止は分かるけれども,私の代わりに子どもに関わってくれるんでしょうか,育ててくれるんでしょうか。どうやったらうまく育てられるんですか。私の子育て,手伝ってくれるんですかという思いが,心の中にあると思います。親を支える支援が社会になければ,そもそも子どもを産もう,育てようという気持ちにならないのではないでしょうか。   体罰によらない子育て社会を実現するために,親の責務ということに加えて,十分な子育て支援の整備がセットで必要だと思っています。敷居の低い相談場所,親同士の交流の場,土日開催の両親教室,子どもを預かってくれる,産後ヘルパーを派遣してくれる,家事援助等々,介護保険が実現するときに,家庭責任だけではなくて,社会がこれだけのサービスを用意しますよということがセットであったと思います。   26ページですけれども,是非,子育て家庭に実家的機能の提供を,併せて提供していただきたいなと思っております。   私自身は,法務のことということについては,あまりよく分からないんですけれども,現場の声としての思いを皆様にお伝えできればと思い,参加させていただきました。ありがとうございます。 ○大村部会長 どうもありがとうございました。   それでは,最後になりますけれども,磯谷委員の方から御説明を頂きたいと思います。どうぞ,よろしくお願いいたします。 ○磯谷委員 それでは,磯谷です。   日弁連発行の「子どもがすこやかに育つ,虐待のない社会を実現するために」という青いパンフレットを御覧いただきながら,お聞きいただければと思います。   表紙のところに記載がありますけれども,2015年3月19日に,日弁連は,子どもに対する体罰及びその他の残虐な又は品位を傷つける形態の罰の根絶を求める意見書を取りまとめまして,インターネットにも公表しておりますけれども,さらに,2017年10月28日に,公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンと共催で,体罰禁止に向けたシンポジウムを開催いたしました。この青いパンフレットは,そのシンポジウムの内容をベースに作成したものでございます。   昨年,児童虐待防止法に体罰禁止の規定が設けられましたけれども,それについては,まだここは反映をしておりません。昨年の体罰禁止が導入されて,一応の目的を達したようなところがございますけれども,今回の懲戒権規定の廃止も,同じムーブメントによるものだと思いますので,簡単に紹介をさせていただきたいと思います。   表紙の下のところにあるのが,日弁連の2015年の意見書の趣旨です。1のところで,体罰等は家庭を含め,あらゆる環境において禁止されることうんぬんということがございます。この体罰等というものは,体罰及びその他の残虐な,又は品位を害する形態の罰という趣旨,意味で使っております。   このときの意見書では,この体罰禁止の趣旨を,民法820条の監護・教育権の規定に,ただし書のような形で設けまして,体罰等を加えることはできないと定めることを想定しておりました。   めくっていただきまして,1ページから2ページのところは,診療内科医の明橋大二先生の講演要旨であります。   明橋先生は,京都大学の医学部を卒業された後,名古屋大学医学部附属病院などを経て,富山県内の病院で診療内科部長をされているというふうに伺っております。また,児童相談所の嘱託医等もされているということですけれども,ポイントは,先ほど立花参考人のお話にもございましたけれども,体罰が子どもに対して悪い影響を与えるということが科学的にも証明されているということで,子どもの攻撃性を高めたり,反社会的な行動に走らせたり,あるいは精神疾患を発症させるなどのリスクを高めるというような説明がなされてございます。   めくっていただきまして,3ページから6ページまでは,これも先ほど立花参考人のところでも少し紹介されました,小児発達学,小児精神神経学などが御専門の福井大学,子どものこころの発達研究センター教授の友田明美先生の講演要旨でございます。友田先生は,ハーバード大学との共同研究で,虐待が子どもの脳を萎縮させるということを明らかにしたということで著名な先生でございます。   3ページの下のところでは,アメリカでの研究を基に,子ども時代の逆境体験が長期的に,例えば心臓疾患とかがんのリスクを高めたり,寿命を短くするといったようなことが述べられております。   右側,4ページの下の方では,虐待を含むマルトリートメントによって,脳がどのような影響を受けるのかということが解説されております。これも先ほど御紹介ございました。   また,5ページ,6ページにおきましても,御覧を頂ければと思っております。   それから,少しめくっていただきまして,12ページのところに,先行して体罰を禁止した国において,子育てにどういう効果があったのかというところを統計的に説明しているところでございます。   最後に,裏表紙ですけれども,ここでは,セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの活動報告を掲載しております。このポジティブ・ディシプリンというものに今,取り組んでいるということですけれども,ごく簡単に言えば,体罰に頼るのではなく,子どもの感じ方,年齢によっても違うでしょうけれども,子どもの感じ方を理解しながら,例えば長期的な目標を決めて,つまり場当たり的な養育にならないようにしたり,子どもと話し合ってルールを決めるなどして,一つ一つ課題を解決していくという,そういうふうな考え方に基づく子育てでございます。   黄色い冊子がちょっと映っていますけれども,これと同じものが,セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのウェブサイトにも公表されております。   私からの御説明は以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   4人の方々からのお話を伺いましたけれども,これを踏まえまして,これまでの御説明の内容につきまして,皆さんから御質問があれば,御質問を出していただきたいと思います。   なお,質問される際には,まず,どなたに対する質問なのか,あるいは,この方とこの方に対する質問ということを示していただいた上で,御発言を頂ければと思います。   では,質問をお願いいたします。どなたでも結構です。 ○山根委員 本日は誠にありがとうございます。   影山参考人にお伺いしたいんですけれども,都の条例の中で,子どもに対して行う肉体的苦痛又は精神的苦痛の行為であって,子どもの利益に反するものを体罰と位置付けているわけですけれども,その括弧の中に,当該子どもが苦痛を感じていない場合を含むという文言が入っていますけれども,そのところをちょっと確認したいので,この括弧書きがどうして必要かということを,ちょっと御説明いただけますでしょうか。 ○大村部会長 お願いします。 ○影山参考人 では,私の方から説明させていただきます。   ここの部分については,子ども自身の発言を言い訳にさせない。子どもが痛くないから,痛くないように叩いているのだから,いいではないかというようなことではなくて,やはり叩くという行為自体が,これはもう体罰に当たりますよという意味で,ここにこういう書き方をしているということでございます。 ○大村部会長 山根委員,よろしいですか。 ○山根委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 同じく,影山参考人にお尋ねしたいと思います。   保護者への説明というところで,これ,スライドですと,体罰で虐待を正当化するというところに,悪いことを教えるためには叩くことも必要だとか,それから,自分も叩かれて育ったので,今は感謝しているというのがあります。こういうことというのは,一般に言われることがあると思うのですけれども,なぜ体罰はよくないとか,そういう御説明をするときに,どんなふうに保護者の方を説得されるのかというのを,御質問させていただきたいと思いました。 ○影山参考人 一つは,やはり,叩かれたり体罰を受けるという行為自体が,医学的にもこれは,脳等に悪影響を及ぼしているということが,最近の研究では明らかになっていることを説明します。今の親御さんたちが,特に,ある程度年齢いった親御さんたちが育ってきたときに,仮に叩かれたかもしれないけれども,そのときはまだ,そういったことが明らかになっていなかったというようなことが一つと,もう一つは,やはり親御さんたちが,自分の受けてきた子育てを,ある意味で正当化して,本人の中で合理化しているというところを,やはりきちんと丁寧に解きほぐすところから始めていかなければならないということで,やはり保護者指導,保護者支援というのは,そういうスタンスで,本当にお父さん,お母さんがそういうふうに感じているのか,その当時,あなた方が感じたことは何なのか,今あなたたちが立派な大人になったのは,叩かれたことが本当に理由だったのか,本当はそうではないのではないかというところをきちんと考えていくというようなスタンスで,指導・支援をさせていただいているというのが現状でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは,ほかにいかがでございましょうか。   それでは,髙橋委員,それから垣内幹事の順番で。 ○髙橋委員 立花参考人にお聞きしたいんですけれども,レジュメの6ページに,家庭内に血のつながらない親がいるというのが,これがリスク要因ということなんですけれども,これは再婚とか,いわゆる連れ子の場合ということなんでしょうか。 ○立花参考人 はい,そうですね。継父だったり継母だったりとか,再婚,そのような御家庭かと思います。 ○髙橋委員 法律上親子だけれども,実は血縁がないというような例は,何か御存じですか。 ○立花参考人 そのような場合もやはりありまして,例えば養子,養父,養母でも,やはり虐待につながってしまうということもあります。   例えば,養子にもらったお子さんがなかなか,例えば障害を持っていたりとか,育てにくさを持っていたりして,親御さんがそれで子育てに悩んだりとか,いろいろ養子の,養父さん,養母さん,里親さん,里子さんが子育てに悩んで,養育不全だったり,あとは激しい体罰だったり,虐待につながってしまうということはあり得るかなと。   でも,全てのおうちというのではなくて,一部の方で,そういう方がいらっしゃるということはあるかなと考えられます。 ○髙橋委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○垣内幹事 貴重な御説明,どうもありがとうございます。   私も立花参考人に,少し御質問させていただければと思います。   2ページから3ページに掛けまして,御紹介いただいた医学的知見に関してなんですけれども,体罰,あるいは精神的な,何というんでしょうか,虐待と申しましても,様々な強度のものとか,あるいは頻度ですとか,それがなされた期間ですとかいったものは,多様なものがあり得るのかなと思うんですけれども,今日御紹介いただいた医学的知見というのは,そういった強度とか頻度との関係で申しますと,それに,言わばリニアに比例して,こういった影響が出てくるということなのか,それとも,一定の限界を超えると,こういう影響が認められるというようなことなのか。もしその辺りについて,何か既にお分かりになっている知見というものがあるようであれば,お教えいただければと思いまして,御質問させていただきました。よろしくお願いします。 ○立花参考人 やはり,おっしゃるように,深刻な虐待はやはり,非常に,子どもの心身の発達に影響を及ぼすということもあり得ますが,スライドの3枚目にあるガーショフという人の知見は,お尻叩きなどの体罰をまとめたものなんですね。   この方が結論としていっているものは,お尻叩きというのは一般に,向こうの方の社会では,軽い体罰とみなされることも多いかなと思い,日本でもそういうこともあり得るかなと思うんですけれども,その軽い体罰でも,子どもの心身に非常に悪影響を及ぼすと。親子関係や子どもの発達に非常に影響を及ぼす。その影響の度合いが,深刻な虐待と,虐待事例での心身に及ぼした影響と,それほど差がない。だから,決して軽い体罰も無視してはいけなくて,やはりなくしていかなければいけないということを,このガーショフという人たちはいっています。   ですので,やはり,日本でもこういった,軽い体罰もやはり社会の認識の中で容認し,子どもに対しては容認しないというふうにしていくのがいいのではないかなというふうに,私個人は思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかいかがでしょうか。 ○磯谷委員 私からは,ちょっと奥山参考人に,少しお話を伺えればと思うんですけれども,子育てひろばといいますか,広場機能のところで活動されているというふうなことですけれども,今,広場機能で,やはり参加されるのは,ほとんどお母さんがまだ多いのか,それともやはり,お父さんも結構参加されるようになってきているのかという現状と,それから,飽くまでも御覧になった主観で結構ですけれども,やはりお父さんの子育てスタイルとお母さんの子育てスタイルというのが,やはり違うところがあるのか,それとも,結局のところは個性といいますか,そういったところに帰着するのか。ちょっとその辺りの,特にお父さんの子育てについて,見えているところがあれば,少し教えていただければなと思います。 ○奥山参考人 ありがとうございます。   20年前に,こういった事業が始まったときには,平日の開催が多かったんですね,月曜日から金曜日まで。いわゆる専業主婦層の方が多かったんです,御利用が。ただ,最近では,土曜日,日曜日,開けるようにしておりまして,というのは,就労家庭が増えてきていることや,それから,育休中ですね,ゼロ歳の育休中に御利用になる方が非常に多くて,利用家庭の子どもの年齢は,ゼロ・1歳で9割近いと思います。その中で,土日をなるべくやっていこうということで,今,平均60%以上のところが,土曜日若しくは日曜日,開設しているような状況です。   平日の利用は,やはりどうしても女性の方が多いんです,母親が子どもを連れてくるケースが多いんですが,土曜・日曜はかなり,3割から5割という形で,お父さんの参加も多いというのが現状で,例えば,育休中に母子で利用していたところ,その後保育園に入りましても,土曜日には,どちらかが子どもを連れてくるというようなケースも増えてきております。   ただ,やはり,何というんでしょうね,パパが非常に協力的な御家庭と,いわゆるイクメンといわれるような,そういう方と,やはり転勤・出張等が多くて,それで,なかなか日常的に関わりができないというような方との差が非常にあって,一様にいえないということがあるかとは思います。   そういう意味でも,私たちが力を入れているのは,産前からの両親教室で,まずは出産後の生活の変化,それから女性の体の変化,そういったことを男性も学ぶということ,それから,里帰りの方も多いんですけれども,やはりその期間のことですとか,あと,先輩パパ,ママとの交流ですとか,そういったことが非常に重要だと思って,それを土曜日に開催するということを,もっともっと国を挙げてやってほしいという思いでおります。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかにありますか。 ○水野委員 立花参考人と影山参考人に御教示いただければと思います。   今日は本当にどうもありがとうございました。私も,脳科学者の友人から,人類はそもそも,本当は群れで育児をする動物であって,孤立して育児するのは、むしろ非常に危険なのだという話を聞いておりました。そういう意味では,奥山参考人の御尽力は,非常に大きな意味があるのだと思います。私がお伺いしたいのは,支援を拒絶する親へのアプローチです。奥山参考人の活動に,自分から参加してくれる親は支援ができるわけですけれども,立花参考人が,ハイリスク・アプローチといわれたような,非常にハイリスクな親の中には,むしろそういう介入を嫌がる親,親が拒絶するというパターンが随分あると思います。   そういう親が拒絶するときに,どうやって子どもを救うかという方法について,立花参考人と影山参考人にお伺いしたいと思います。行政と司法の協力によって強制的社会福祉を行うのが欧米の在り方ですが,それだけの司法インフラがない日本では難しく,一部には,児相と警察との全件共有で,解決をするというアプローチも主張されています。しかし警察となると,そういう親は逃げてしまうかもしれず,そして,親自身がかつての被害者であったために,そういう育て方しか知らないので,そうしているという場合もあることを考えますと,警察の関与が万能の解決策とは思われません。そういう下手な育児をする親をどのように支援するか,下手な育児をする親が逃げてしまう場合をどうするかということについて,日本の現状で,なにか制度設計でこういうことがあればいいとか,あるいは,こういう工夫をしていると幾らか有効だというような知見がおありでしたら,御教示いただければと思います。 ○立花参考人 その点については,まずセーフティーネットで,いろいろな,一つの職種,一つの機関が,そういった親御さんをサポートするというのは,なかなか難しいかなと思うんですけれども,いろいろな,子育て家庭に関わるいろいろな人たちのネットワークの中で,その網目の中で,気付いた人同士が助け合うような,お互いに連携してサポートするような体制,地域社会が重要なのかなと考えられます。   そういう意味で,今,子育て家庭には,母子保健,保健機関,保健センターだの保健師さんだったり,また,医療も関わりますし,奥山さん方がやっていらっしゃる,子育てひろばとか,地域での子育て支援とか,あとは教育,保育園,幼稚園,あと学校だったり,いろいろな機関が関わるかと思うんですけれども,そういった機関が,その人たちが,あれっ,このおうち大丈夫かなとか,この子大丈夫かなとか,ちょっと心配になったときに,連携して,そして,お互いの強みを出し合ってサポートするような施策が重要なのかなと思います。   困っているときに,なかなか自分から援助を出せない,援助希求がしづらいお母さんたちも,ハイリスクの人たちには特に多いかなと思うんですけれども,そういった人たちも,何らかで困っていたり,悩んでいたりするかなと思うんですが,その困っているところに,気付いたところの職種,関わった人たちが,どんなことで困っているんですかとか,どういったことで悩んでいらっしゃいますかとか,そういった困っていること,悩んでいることに寄り添うような形でいくことで,そこの辺が,サポートの突破口も開けてくることがあるのではないかなと思うんですが。   それで,今,妊娠期から切れ目ない支援というのはよく,母子保健政策の中でも重要課題とされていますけれども,やはり,そういう全ての,ハイリスクの人たちがサポートの中から取り残されないように,やはり全ての人たちに,すべからくサポート体制が行き渡るようにということで,今,例えば保健師さんが,妊娠届出時に全ての妊婦さんに面接をして,そこで心理・社会的なリスクアセスメントもする自治体が増えているかなと思います。   そういったところで,ハイリスクのお母さんとかは,保健師さんたちが気付いて,そして,その後,訪問を増やすだったりとか,あと,困っていることに電話を掛けたりとか,あと乳幼児健診のときに気を掛けてあげたりとか,そういった形で,いろいろサポートを手厚くしていって,あとは,ほかの医療機関とか,福祉とかと連携したりして,サポートしていくというような体制なんかもあるかなと思います。   そういった体制があることで,一つの知見としては,そういった事業をある市町村でやり始めたんですけれども,妊娠届出時に,全ての妊婦さんたちに面接をして,心理・社会的なリスクアセスメントをして,多職種で連携してサポートするという事業を,長野県の須坂市というところで6年ぐらい前に始めたんですけれども,そうしましたところ,一気に産後の,その事業を開始する前と開始後で,産後のお母さんのメンタルヘルスが,事業を開始した後に,地域全体のメンタルヘルスが,お母さんたちのメンタルヘルスがよくなったりとか,あとは,このおうち心配だなといって,フォローされる件数が増えていたりということで,母子保健サービスと子育て家庭のつながりが深くなったという知見もあります。   ですので,やはりそういった,地域でセーフティーネットをしっかり作っていく。そして,一つの職種だけで何とか頑張るということではなくて,いろいろな職種,いろいろな機関がサポートしていく体制というのが重要なのではないかと思います。 ○影山参考人 今,市町村とか母子保健のところは,立花先生が話をしていただいたので,ちょっと児童相談所の立場から話をさせていただきます。児童相談所が,今,児童虐待の初期対応を求められる部分があるのですけれども,児童相談所は本来的には,やはり相談機関だというふうに認識しております。   実際に私どもが対応させていただいている児童虐待件数の,本当にそのうち,刑事事件になるような案件は,本当に1%未満,残りの99%は,ある意味で,子育て不安があったり,どういうふうに子どもに対応していいか分からない,そういったところからくる虐待相談だというふうに認識していますので,そういう意味では私ども,刑事事件になるような児童虐待事案を除けば,虐待をした親を責めるとか,そういう立場で関わるのではなくて,やはり親御さんと一緒に,違う子育て,体罰とか虐待を用いない子育て,これを一緒に考えていこうというスタンスで対応させていただいております。そういう意味では,ハイリスク・アプローチというところで,当然,リスク要因が高い家庭に対する介入は介入であったとしても,基本は取締りとか,罰する立場ではないと。駄目なことは駄目と言いながらも,本当に一緒に考えて,相談に乗っていくのだというところで,ある意味で,長い時間掛けて子育ての対応を変えていただくと,こういうアプローチを,やはり続けていかなければいけないというふうに考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○平田幹事 本日はありがとうございました。   お三方に1点だけ伺いたいんですが,皆さんが一般の方に接している中で,虐待をしている人,あるいは子育てをしている方に,懲戒権,民法の懲戒というような言葉が,どの程度認識されているかと。あるいは,体罰を正当化する言い訳に使われているのかといったところ,その割合,頻度につきまして,もし,感覚的なものでもちろん構いませんので,もしあれば,教えていただけないかというところでございます。よろしくお願いいたします。 ○大村部会長 では,奥山参考人から,順にお願いいたします。 ○奥山参考人 私のところでは,資料でも御説明したとおり,ひろばに来ているような御家庭に,懲戒権とかということについて話しすると,その言葉はあまり知らない方の方が多いと思います。   ひろばの中で,何というんですかね,手を上げてしまうみたいなことというのは,よほどでなければ,ないというようなことだと思います。それも,やはり周りの目があるのでということはあるんだろうなというふうには思っています。   ただ,そのことを話してくださる方は,私たちも敷居の低い相談という中では,正直に話してくださる方もあって,そこは支援の糸口だと思っております。 ○影山参考人 児童相談所の現場で,冒頭の説明の中でも,懲戒権,こんなふうにあるよというお話をさせていただいたのですが,これは本当に,ヒアリングを各児童福祉から行い,あるいは今までの経過記録から,懲戒権という用語検索をする中で,やっと見付けてきたようなものであって,本当に1%に満たないというのが現状だろうと思っています。   中には,保護者の方が代理人を連れてきて,あまり児童福祉法等に詳しくない代理人の方が,民法の懲戒権に基づくものだというようなことを説明される場面もないわけではありませんけれども,一般的に,保護者の方とやり取りする中で,懲戒権という言葉が出てくることは,ほとんどないというのが現状だというふうに認識しております。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○立花参考人 医療機関で,虐待をしてしまっている親御さんのサポートなどをしている際に,親御さんから懲戒権という言葉を聞くことは,私自身は経験がなくて,親御さんの中で懲戒権を知っているという方は,言葉を知っているという方はあまり,めったにいらっしゃらないのではないかなという印象はあります。   ただ,しつけだと思って叩いてしまってとか,虐待してしまっているという方は,たくさんいらっしゃるのが現状かなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○久保野幹事 すみません,影山参考人に対して御質問なのですけれども,山根委員から御質問があったのと同じ場所でして,スライド4ページの子どもの品位を傷付ける罰というところの定義規定なんですが,ここで,子どもの利益に反するものをいうという最後の一言が入っているのはどうしてかということについて,お教えいただけましたらと思います。   その趣旨は,その前段に書いてあるような行為であっても,子どもの利益に反しないものがあるかもしれないといったような考慮に基づくものなのか,別にそのような意味ではないということなのかということです。よろしくお願いいたします。 ○影山参考人 ここの部分については,やはり子どもの立場に立って,子どもの利益に反するかどうかを,やはりそこは考えていこうというスタンスで,先ほど苦痛を感じない部分と,若干,勘違いされると困るのですけれども,上段の部分では,子どもが痛いと感じているか感じないかではないよというところで,一方で,今お話ししたところは,やはり子どもにとってどうなんだと。子ども自身がこう感じている,ああ感じているだけではなくて,やはりその行為自体が子どもの利益に反するのであれば,それは駄目ですよというようなスタンスだということでございます。 ○大村部会長 今の御質問で,行為には該当するけれども,子どもの利益に反しないものが想定されているのでしょうかという御質問も含まれていたように思いますけれども,それについては,影山参考人,いかがですか。 ○影山参考人 ここに書かれている,上記に書かれているようなことが,そもそも子どもの利益に反するということだということで,そこに,利益に反しないことは,これには該当しないというふうに考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○大石委員 久保野幹事と同じような,私も同じような疑問を持っていまして,素直に読むと,この定義規定は要件が三つあって,しつけに際してであること,それから,こうこうこういう行為をすること,それで,子どもの利益に反するものということですから,独立の要件として,普通は考えるわけですよね。   ですから当然,先ほどのような,こういうものであって,子どもの利益に反しないものがあるのかという疑問が出ると思うんですが,最初のしつけに際しというところでも問題があって,例えば,山の方に行って川を渡ると,そうすると,つり橋があると。そこでわざと揺らす,子どもは楽しみですから揺らすと。でも,それを注意して,駄目だ,そんなことしては駄目だといって,ぽんと叩いた場合に,それはしつけに当たるのか,あるいは,子どもの利益に反するものに当たるのか当たらないのかというような疑問が当然出てくるわけですよね。真ん中の,要するに,そこで叩けば,当然苦痛を与える行為に当たることは確かなんですが,第1の要件と第3の要件に当たるのか当たらないのかと考えた場合に,少し厄介な問題になるのではないかと思っています。 ○影山参考人 すみません,条例制定過程については,私も今一つ,ちょっと理解に乏しいところもあるとは思うのですけれども,私どもがここで規定したときに,肉体的苦痛又は精神的苦痛,ここが与えられる行為だというところをいっているのであって,しつけを否定するとか,そういったことをしているわけでは全くないということで,あくまで今回ここで規定したのは,体罰の禁止を,体罰等を禁止するという意味で,そこで,肉体的苦痛又は精神的苦痛というふうに理解しております。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○磯谷委員 私,前ちょっと申し上げたように,この条例の立案過程に関わってきました。ただ,私どもが議論をして,最後は東京都の方でまとめられているので,正確なところは多分,東京都の方にお尋ねいただくのかもしれません。   基本的に今,影山参考人がおっしゃったとおりだと私も理解しているんですけれども,一つは,まず子どもが苦痛を感じていない場合というところですけれども,ちょっと議論があったのは,時に虐待の現場で見られるのですが,子どもの方が解離を起こして,苦痛を苦痛として感じていないこともあって,また,影山参考人がおっしゃったように,親が「子どもはそんな苦痛に感じていない」という弁解も封じるという意味で,子どもが苦痛を感じているかどうかが問題なのではないという趣旨で入れたと記憶しています。   それから,「子どもの利益に反するものをいう」と規定したところですけれども,私の見方からすると,ここは不徹底になったんだろうと思っています。というのは,この文言を入れざるを得なかったのは,やはり民法の822条の懲戒権の規定に理由がありました。つまり,懲戒権の規定と民法820条を併せて読むと,要するに,子どもの利益のためであれば,懲戒することは許されているわけですよね,今でも。とすると,子どもの利益になる懲戒というのが,法律上,まだ許容されているんだろうというふうに考えざるを得ないわけです。   そうすると,条例を定めるときに,法律が許容しているものを条例で禁止するというのは,なかなか難しかろうというふうなところで,知恵を絞って,結局,子どもの利益に反するものについては,これはやはり法律も禁止しているんだろうというふうなことから,子どもの利益に反するものというふうなことを入れたというふうに理解をしています。   ですから,そういう意味では,この規定というのは,民法の懲戒権の規定が結果的に残っていたことによる,何といいますか,やや妥協の産物なんだろうというふうに理解をしています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○山本委員 今の件ですけれども,海外の法律などを見ると,子どもが酔っ払って帰ってきて,どうしたのと声をかけた母親に,いきなりナイフを振り上げて刺そうとしたと。そういうような場面においては,たとえ暴力に当たる行為を用いてもそのナイフを取り上げざるを得ないですね。それは,子どもの利益に反しない,子どものその行為を止めるために,あるいは子どもが自傷他害の事件を犯すことを食い止めるために,やむを得ず採る行為というのがあり得るというふうに,法律で書かれているところもありますね。   なので,子どもの利益に反するか反しないか,特殊な場面だと思いますが,そういうことも含めて,子どもの利益ということを一つの柱にしておくということがあるのではないかと。ぐ犯少年の身柄の拘束とか,そういう議論と同じことだと思いますけれども,大人であれば,それは個人の権利で,人権の責任で,本人が地獄に落ちても,それは本人の責任だとなるのかもしれませんけれども,少なくとも子どもに関しては,そういうことに関して,大人や社会は責任を持っているので,子どもの利益に反しないことと反することとは,やはり判断が必要となることもあり得るという意味ではないかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○影山参考人 すみません。資料を確認しました。   東京都でまとめたときに,先ほど磯谷先生がおっしゃったように,やはり懲戒権,820条に,子どもの利益のために必要な範囲で懲戒できるということを規定しているので,それに対して,ここであえて,民法に抵触しないというところで,子の利益に反する行為を禁止したということで,ちょっと解説をしているということでございます。ちょっと訂正させていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。よろしゅうございましょうか。   それでは,以上で参考人の方々に対するヒアリングは終了させていただきます。参考人の方々からは,大変貴重なお話を伺うことができました。今後の審議に役立てていきたいと思っております。   参考人の皆様におかれましては,大変お忙しい中を,当部会の調査・審議に御協力を頂きまして,心よりお礼を申し上げます。   参考人の方々は,お時間もございますので,ここで御退出をしていただくことになります。誠にありがとうございました。改めてお礼を申し上げます。   では,引き続きまして,諸外国における懲戒権に関する規定等についての調査の御報告を伺いたいと思います。   最初に,石綿関係官から,フランス法についての御報告をお願いいたします。 ○石綿関係官 フランス法の概要について説明させていただきます。   部会の参考資料の6-2を御覧いただければと思います。   資料は,1ページから民事上の制度について,7ページから刑事上の制度の説明になっておりまして,9ページ以下に,関連するフランスの民法典の条文及び目次を掲載してあります。   まず,1ページの民事上の制度から説明してまいりたいと思います。   親権の規定の概要,懲戒権に関する規定について,そして体罰の禁止に関する規定についての3点について,順に説明していきます。   フランスでは,1970年の改正により,父権から親権へと表現が改められ,父母の権利の平等が実現しました。ヨーロッパでは,親権について,親責任や配慮という表現に改正を行っている国々がありますが,フランスでは現在に至るまで,親権という言葉を用いております。   18歳未満の未成年者は,親の親権に服するとされていますが,親権に関する規定は,子の身上監護に関する規定と子の財産管理に関する規定に大別することができます。   (1)身上監護についてですが,民法典371-1条2項の規定から,子の保護及び教育がその内容であるとされております。   それぞれをもう少し詳しく見ていきますと,まず,①子の保護に関しましては,その範囲は広範でありまして,子の日常的な世話をすること,第三者との関係を調整すること,子の健康を保護することが具体例として挙げられております。   子の日常的な世話とは,子を監護するということであり,監護のために親権者は,子の居所を決定する権利及び義務を有するとされています。   なお,子の監護が親の権利義務であることから,子の監護の態様について変更の必要があるような居所の変更は,親が他方の親に告げなくてはならないとされています。親が子の監護を行わないことを防止するという側面と,子と同居する親が転居をして,子と同居しない親の親権行使,監護に影響を与えることを防止するという側面がございます。   続きまして,第三者との関係は,子と直系尊属,祖父母等との関係や,子と他の第三者との関係について,監督をする権利義務ということでございます。   子の健康の保護は,治療や手術等の医療決定権若しくは医療に関する拒否権が該当するとされています。   ②子の教育に関しては,親はスポーツや宗教,道徳,職業に関する教育の権利義務を負うとされております。具体的には,子の学校の形態を選択し,公民教育の内容を決定し,宗教を選択するというような権利があるとされております。後に述べます解釈上の懲戒権は,親権者による子に対する教育の側面で問題にされるということになります。   (2)で財産管理の規定を挙げております。財産管理については,子が単独で行うことができる日常的な行為を除いて,親権者が民事上の行為を代理します。詳細な内容は,3ページ以降にございますが,こちらは資料を御確認いただければと思います。   続きまして,3ページの2.懲戒権に関する規定でございます。   フランス民法典には,かつて懲戒権についての規定が置かれていました。   制度の詳細につきましては,4ページの(2)からを御覧いただければと思いますが,懲戒権の具体的な制度というのは,父の権限において,子を拘禁するという制度でした。当該制度は,父からの申請に基づいて,裁判所長が子に対する逮捕命令を交付して,公的施設に拘禁するというものです。該当する条文を幾つか抜粋して,4ページに掲載しておりますので,御確認いただければと思います。   大きく二つの制度がございます。4ページの下から2行目からということになりますが,基本的には,子どもが16歳未満である場合は,父の申請に基づき,裁判所長が何らのチェックをすることなく,子に対する逮捕命令を交付していました。それに対して,子どもが16歳以上である,あるいは16歳未満でも,個人財産を有する等の事情がある場合は,裁判所長は裁量的に逮捕命令を交付していました。   5ページに入りますが,ここで行われている懲戒というのは,子どもに対しての教育という側面よりも,処罰という側面が強かったこと,処罰としての拘禁の側面が強かったこと,また,制度として,それほど利用されなかったといったようなことがございまして,幾度かの改正を経て,最終的に1958年に,民法上の懲戒権の規定は削除されております。   (3)ですが,フランス民法では,条文上は懲戒という言葉がなくなっておりますが,現在に至るまで,判例・学説上,両親には子に対する教育のために懲戒権が認められております。以前の法制審の部会で幡野幹事から御紹介ありましたように,2019年7月に体罰の禁止を定める規定が新設されるまでは,懲戒権が親に認められておりました。具体的には,慣習により認められる範囲では,子に対して体罰を行うことが認められると説明されております。   この懲戒権の概念が意味を持つのは,主に刑事事件においてでして,懲戒権の範囲内であれば,暴力的な行為が認められるという意味を有しておりました。詳細は後ほど,刑事法の部分で説明をしたいと思います。   なお,2019年の法律の制定過程の資料等によると,フランスの親の85%が,教育的な暴力を行ったことがあるといったようなアンケート調査等もあるということでございます。   次に,3.2019年の改正について,簡単に紹介したいと思います。   2019年7月に,日常的な暴力禁止を定める規定が新設されまして,民法典371-1条3項に,親権は身体的暴力又は精神的暴力を用いずに行使されるという規定が新設されました。   立法の理由は,以下の二つが挙げられております。  第1は,体罰禁止規定を設ける国際的な情勢の中において,国際機関等からフランス政府に対して,子に対する体罰の禁止規定を設けるようにという働き掛けがあったことでございます。   第2は,先ほど参考人の方々から御紹介がありましたように,日常的な教育的暴力は,子どもに対して,特に精神面で悪影響を与えるのだということが挙げられております。   6ページの方に入りますが,371-1条3項でいう身体的暴力,精神的暴力は,体罰,侮辱,その他,子に対して行使される全ての暴力を包含するとされております。具体例としては,お尻を叩く,平手打ちをする,子どもをどなる,子どもに対して威嚇をする,冷遇するといったことが該当するとされております。   これら体罰禁止の規定に反したとしても,特に民事法上のサンクションがないということから,今回の改正は象徴的な改正にとどまるのではないかといったような指摘もございますが,刑事法との関係では意味を持つ規定なのではないかということがいわれております。   そこで,7ページの第2刑事上の制度について,簡単に説明をしたいと思います。   1でございますが,親権者等による子の身体に対する有形力の行使が許容されるということについて,フランス刑事法上,明文の規定はございません。しかし,学説・判例上,懲戒権に基づいて,親や教師がしつけや教育のために,子に対して有形力を行使するということは,慣習によって許容されており,そのような行為であれば,正当化事由として,刑事責任を負わないとされております。ただし,当該行為は軽微なものである必要がございまして,子の尊厳を侵害しない,身体的又は精神的な後遺症を与えない,そして,教育的な目的を有している場合に限定されます。   2019年改正以前の説明ということになりますが,容認される暴行としては,平手打ちや子どものお尻を叩くことが例として挙げられておりました。逆に,判例で許容されなかった例としては,強い平手打ちや,子どもの頭を便器に付けてトイレの水を流すといったようなことが挙げられております。   ただ,条文の規定等があるわけではありませんので,いかなる場合に懲戒権の行使が正当化事由とされるのかは,必ずしも明確ではなく,予見可能性がないと批判があったところであります。   刑事法上,このように理解されていましたが,2019年の改正により,民法で体罰の禁止が新設されたことにより,今後は判例・実務上,形成された懲戒権の概念が否定され,親権者による暴力は正当化されないのではないかといった指摘が,立法過程等でされているところでございます。   第2の方は,親権者等に対する,子に対する体罰を禁止する刑事法上の規定はあるかということですが,この点につきましても,体罰を禁止する明文の規定はございません。ただ,8ページの(2)ですが,フランス刑法典で暴行というのは,①から④までの4種類のものがあるのですが,そのような暴行が15歳未満の未成年者に対して行われた場合は,まず通常の場合に比べて責任が加重され,さらに,それらの暴行が親権者等,子どもに対して何らかの権限を持つ者によって行われた場合には,更に刑が加重されるということになっております。暴行ごとに,加重の詳細について記載しておりますので,後ほど資料を御確認いただければと思います。   なお,刑法上の暴行には,肉体的な暴行のみならず,精神に対する暴行も含まれるとされております。   フランス法の報告は以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは,続きまして,久保野幹事から,英国法についての御報告をお願いいたします。 ○久保野幹事 参考資料6-3を御覧ください。   英国法ということで,イングランド,ウェールズ地方の法の内容について,簡単に御紹介させていただきます。もっとも,今日取り扱います分野では,隣のスコットランドとの興味深い対比もありますので,そこには若干触れることにしたいと思います。   与えられた質問に即してのまとめになっておりますけれども,まず第1,民事上の制度につきまして,親権に関してどう規定されているかということですけれども,法律の規定上は,児童法という包括的な児童に関わる法律がございまして,その3条1項に,親権について,挙げてあるように規定がされております。   すなわち,親責任という概念を使いまして,親責任とは法に基づき,子とその財産について,親が有する全ての権利義務,権能,責任及び権威をいうという,このような包括的な規定です。すぐに下に挙げてありますスコットランドでは,具体的な定め方になっていますけれども,イングランドでは,あえてこのような定め方がされています。   先に進みます前に,この親責任という概念について,若干補充的に説明をさせていただきます。   この親責任という概念が採用された理由は,三つにまとめることができると思います。   一つは,支配権的な親権の捉え方から脱却するということであります。   二つ目が,親は親である以上,責任を負うのであって,免れないのだと。そのような意味合いが2点目です。   もう一つが,国家との関係を視野に入れながら,子の養育の第一次的責任は親にあるのだということ,国家は二次的であるといったような意味合いです。3点目は,2点目の親が親である以上は責任を負い続けるのだという点とも関連しているというようなことになります。   もう一つ,こちらに注2というのを挙げてありますけれども,この親責任というものについて,規定も抽象的でございますし,どのようなものとして捉えるかということについては,なお議論があるように思われます。一方で,注2にありますように,親責任というのは,子の生活における決定を行う権限を持たせるということなのだという形で,決定を行う権限の束といいますか,まとまりといったような見方がありますけれども,他方で,そのような決定権限のまとまりというものではなく,子どもを育成する責任を負うということに伴う地位と申しますか,そのようなものを表しているといったような捉え方もあるといったような紹介がございます。   対して,スコットランド法はどうなっているかと申しますと,参考として,条文をそのまま挙げておりますけれども,親権の内容について,より具体的に規定がされています。児童法1条1項というところで,まず,責任を有するということで,(a),(b),(c)と,そちらに挙がっているようなことが定められておりまして,興味深いのは,2条が別にございまして,こちらで権利について,項目はほぼ対応しますけれども,権利について別途定められている。そして,この権利というのは,親が責任を果たすために持っているのだというような整理で載っているということになります。   このように,スコットランドでは,責任と責任を果たすための権利というのが書き分けられているということが特徴であり,かつ権利は,飽くまでも責任を果たすための手段的なものとして位置付けられているというところが特徴的であります。   イングランドにおきましても,スコットランドにおけるように,具体的に規定をするかどうかということは,議論がされたところでありますけれども,後で述べますとおり,イングランドでは,親が子どもを育てるに当たって持っている様々な権利義務というのを並べて,包括列挙は難しいといったような発想で議論がされていまして,時代の要請ですとか子どもの年齢等によって変わり得るものであって,条文で具体的に定めるということは適切ではないという判断が,少なくとも,1989年に定められた法律が,先ほど紹介した法律ですけれども,その時点では少なくとも,そういう判断がされたということであります。   次に,懲戒権に着目いたしますけれども,2です。懲戒権に関連する規定についてです。   こちらにつきましては,今申し上げましたとおり,親責任の内容について,具体的に法律で定められているわけではありませんので,直接規定がある,ないという議論はできないのですけれども,一般的には,判例法理などに基づいて,学説によって,親責任に含まれる権利義務というものはこういうものだという列挙がされて,紹介されているというのが通常です。そのような一覧表のようなものが示されるわけですが,その中に,子どものしつけといいますか,ディシプリンというものが挙げられるのが通例でありまして,つまり,有形力の行使は認められているということになります。   ただ,その背景をなす法状況というのは,イングランドの場合,やや複雑でありまして,刑事法との関係でルールが,形成されているというようなことになります。   ①以下で書いてあるものですけれども,伝統的には,合理的な体罰というものはコモン・ロー上,合法だとされてきておりまして,これはどのように表れるかというと,合理的な体罰の抗弁というものが,刑事責任を問われたときに有効に働くということであり,合理的な体罰だということによって,犯罪に当たらないと,あるいは刑罰を免れるというようなことが,伝統的に認められていたということであります。   ただ,②のアのところですが,2004年に法改正がありまして,一定の範囲では,合理的な体罰であることは正当化理由にならないということで方向転換がされました。その際には,刑事罰との,刑事責任との関係で正当化理由とならないのと同時に,民事上も正当化理由とならないんだということが確認されています。   ただ,その際に,完全に合理的な体罰の抗弁を全てなくすという決断は採られませんで,イングランドの場合は,暴行・傷害に関係するような犯罪が3段階に分かれておりまして,結論からいいますと,一番軽い一般的な暴行罪に当たるものについては,合理的な体罰の抗弁が残るというのが,現在の法状況ということです。   ③が,そちらの結論を書いてある部分になりますけれども,結論から申しますと,下線を引いてある部分ですが,一時的に皮膚が赤くなるようなものにすぎない程度のもののときには,一般暴行罪として,合理的な体罰として許容される余地がある。逆に,一時的に皮膚が赤くなるというような程度を超えるようなものになると,もはや合理的な体罰として免責はされないというような,そのような線引きがされているという状況になっております。   なお,この一時的に皮膚が赤くなるということとの関係では,具体的例として,日本弁護士連合会の作成された資料に,ぴしっと平手,軽く平手打ちをするというようなのが,何か所か出てきましたけれども,イングランドにおきましても,マイルド・スマッキングといって,軽く平手打ちをするという辺りが,これの日常用語でいうところの基準となるような形で理解されているようです。   このイングランドの法状況につきましては,フランスなどと多分同じように,例えば,国連子どもの権利委員会から勧告を受けたりなどしているということですけれども,今のところは,変更の具体的な動きはないように思われます。   次に,(3)のところで紹介しておりますとおり,お隣のスコットランドを見ますと,この抗弁を完全に撤廃するという議論がされていまして,それに対して,イングランドでは動きがないというようなことなのでございますけれども,(3)スコットランドにつきましては,2019年の立法で,この合理的体罰の抗弁を全て撤廃するということがされたということです。   4ページの一番下の方の注のところに,仮の訳を挙げておりますけれども,法律の題名がこのようになっています。暴力からの平等の保護という,ちょっと日本語がおかしいかもしれませんが,何が申し上げたいかと申しますと,大人がされるのが法的に許されないことは,子どもがされるのも法的に許されないはずだというような発想,大人と平等に暴力から保護されるという発想に基づいているように思われます。立法過程等を,立ち入って調べることできていませんけれども,そのような議論と見受けられます。   また,2条のところで,社会的認知や理解を促進するための措置を採っていかなくてはいけないということが条文に明示されておりまして,報道レベルではございますけれども,スコットランドにおきましても,社会で,皆が社会通念として,マイルド・スマッキングが禁止されるべきだというのが共有されているという現状ではなく,法律がまず変わっていることのようでございます。   3は,今言っていることと重なりまして,実質,体罰禁止を正面から採用してはいないのですが,ただ,少し興味深いのは括弧内に書いた内容の方でございまして,イングランドも世界的な動きなどを背景に,教師ですとか,様々な施設等での体罰というのを禁止する法律は,次々できているそうです。ですが,親には完全には及んでいないというのが,先ほどの法状況でございます。   次に,5ページ,居所指定でございますけれども,これにつきまして,やはり正面から居所指定を定める条文はなく,また,親責任というのはこういうものを含むという一覧表の中にも,居所指定という形では議論がされていませんけれども,子どもを養育する,育成するということの中,その項目の中において,こういう議論がされています。   歴史的にはというところですけれども,子どもの所有の権利,所有という言葉が適切かどうか分かりませんが,子どもをポゼッションする,子どもを所有するという支配的な権利が,伝統的には語られておりましたけれども,しかし,先ほど紹介しました1989年児童法は,支配権的な親観念から脱却しようということで制定されたものですので,子どもを所有するといったような考え方は正に排除しようとしたものであろうというようなことで,方向性を変える議論がされています。   その中で出てきている方向性としましては,いずれにしてもというところに書いてあるところなんですけれども,このような形で共通理解となっているというふうにいわれております。それは,一つは,国家からの恣意的な介入から自由に子を育て上げる権利なのだということ,他の個人からの介入から自由に子を育て上げる権利なのだと。そのようなものが,伝統的なところでいうところの子の所有の権利というものの,何というんですかね,発展形というか変形として,今日捉えられるべきものなのだという議論がされています。   後者につきましては,効果としては,つまり,他の個人の介入から自由に子どもを育て上げる権利という意味では,合法的な権限なく子を連れ去った人が,子奪取の罪に問われるという形で,刑事法によって守られる形で,間接的にそのような権利が見て取れるといったような整理でございます。   次に,最後に5ページの第2,刑事上の制度ということになりますけれども,イングランドにおきましては,刑事罰を合法化する抗弁という形で,そもそも議論がされているということで,密接不可分ということでありまして,社会的な捉え方としては,抗弁がなくなるということは,刑事法上,体罰が禁止されたというような意味を持っていると受け止められているということになります。   以上になります。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは,最後になりますけれども,常岡参考人の方から,アメリカ法についての御報告をお願いいたします。よろしくお願いします。 ○常岡参考人 それでは,アメリカについて報告させていただきます。   アメリカは御存じのように,連邦と州で権限が分かれていますし,親権につきましても,資料(参考資料6-4「懲戒権に関する海外法制調査(アメリカ)」)1ページに太字で書いてあるところですけれども,いわゆるカスタディ,監護権の場合と,それからペアレンタル・ライツ,親権では,それぞれ州権と,それから連邦の権限への帰属ということで,分かれて議論がされてきたという歴史的な経緯がございます。   監護権自体は,これは離婚後の父母や婚外子についての父母間での子どもの監護の帰属の問題ということで,資料1ページの注の1に書いておりますけれども,カスタディについては,身上監護と法的監護の両方を含んでいて,法的監護については,教育,しつけ,医療,宗教等について子のために決定をする権限を内容とする,例えば,ジョイント・リーガル・カスタディであれば,これを父母が共同して行使するということが,個々の州法にそういう形で,親権の法的監護や身上監護の内容と同時に,条文の中に定義付けられている。ジョイント・カスタディの場合とソウル・カスタディの場合で,誰がそれを行使するかということが,きめ細かく規定されているという状況です。   それと別に,そもそも親権,ペアレンタル・ライツということですけれども,これ自体については,これはアメリカでは,連邦の判例法に基づいて認められ,かつ形成されてきたという,そういう経緯であります。   連邦最高裁判所と,それから連邦の下級審裁判所において,子どもの世話,ケアと監護,カスタディ及び監督,コントロールは,合衆国憲法上の親の権利であると認められておりまして,これがアメリカにおける親権概念の基礎となっているということです。   ただ,判例に基づいて,個々の事件ごとにこの親権概念が形成されてきましたので,その内容は,個々にやや具体的なものがピックアップできるという状況にとどまるわけです。最初に,資料1ページの下の方の①で,子に教育を受けさせる権利というものが,まず連邦最高裁判所で認められました。私立学校で教師が生徒にドイツ語を教える自由,そして,親が子にそのような教育を受けさせるよう学校に託する自由を州は禁じてはならないということです。ここで問題となったのは外国語教育を禁じる1923年のネブラスカの法律ですので,第二次世界大戦前のアメリカと,それからドイツとの関係が,あまりよろしくなかった時代背景もあって,このような判例が出たという,このようなものが,まず嚆矢となっています。   このネブラスカ州の州法に対する判例において,資料1ページから2ページに掛けてですが,この判決の中で,このような子どもに教育を受けさせる権利についての親の自由は,婚姻する権利,家庭を築く権利,それから子を育てる権利とともに,合衆国憲法の修正第14条のデュー・プロセス条項によって保護される権利であると説示をしています。ここで,合衆国憲法上のいわゆる自由権の一つとして,親権が位置付けられるに至ったと解されています。   またそれに続いて,教育について幾つか判例が出ておりまして,資料2ページの3行目ですけれども,1925年のピアース・バーサス・ソシィ・オブ・シスターズの判例であるとか,その下の,ウィスコンシンのケースで,単にどのような学校に通わせるかを超えた,子に関する決定を行う権利,子に関して広く教育について決定をなす権利として,アーミッシュの人々につき,親が学校教育ではなくて,自宅でアーミッシュの教育を受けさせる自由があると。義務教育を義務付けるウィスコンシン州法は,そのような親の権利を侵害しているといった形で,親の子どもに関する決定をする権利というものが広く認められるようになってきたと,そのようなことが出発点になっています。   このように,親が子どもについて決定する自由,州や国に介入されない自由ということで,ペアレンタル・ライツという概念が発展してきたわけですけれども,他方で,子どもの養育について,州や連邦がどのような場合に介入できるのかということも当然問題になります。   それが,資料2ページ目の(2)の子の福祉と親の権利ということです。プリンス・バーサス・マサチューセッツという1944年のケースで,マサチューセッツの未成年者労働法に違反して,路上で宗教的な宣伝活動とパンフレットの販売を子どもにさせていた母親が州によって訴えられたという事件です。これが,連邦最高裁まで上がって来て,その中で,最高裁は,子の監護,世話,それから養育は,第一に親に属するものであるということを確認した上で,原則として,それらは国家が介入することはできない家族生活の私的領域であるけれども,年少者の福祉に関する一般的利益を守るために,国家はパレンス・パトリエとして,学校教育の義務付けや児童労働の禁止等の制約を通じて,親の子に対するコントロールを制限することができるということをここで,初めて認めたという,そのようなものです。   ただ,アメリカではこの点のせめぎ合いがずっと続くわけでありまして,原則としては,親も子も各自,国が家族に強制的に介入することを阻止する権利を持っているということを前提に,アメリカの議論は進んできたといえます。その後も,資料に幾つか判例を挙げていまして,婚外子の母が死亡した場合に,無条件に婚外子の父から子どもの世話と監護の権限を奪うというイリノイ州法を合衆国憲法違反とした判例などがあります。そのなかで,アメリカでやはり一番,親の権利について,それを国がどうやって制限するかが問題になるのは,医療に対する親の決定権です。   資料3ページに幾つか判例を挙げているものがそれです。ここでは,子どもに必要な治療を受けさせないことが,親によるネグレクトに当たるかが論点になりまして,親が子の治療を拒否することが子の最善の利益に当たるかどうかを公的に審査すべきであるという考え方のもと,個々の事案ごとに,治療に関する決定権についても判断されています。   それから,例えば麻疹の予防注射を受けさせるかどうかの決定権についても,カリフォルニア州が子どもの伝染病を防ぐために強制的に麻疹の予防注射を受けさせると決定したことが親の権利と抵触するのではないかとか,いろいろと議論されています。基本的には,子どもの最善の利益を考慮した上で,親のペアレンタル・ライツについて州や政府も制約的に介入できるというのが,連邦最高裁判所の立場となっています。   ここまでは,主に身上監護や,法的監護の中でも身上に関するものでした。財産管理につきましては,資料3ページの(3)になりますけれども,あまり判例でも,それから州の制定法でも論じられていません。英米法でも,親の権利,すなわちペアレンタル・ライツが子の財産の管理に及ぶかについて,否定するには及ばないというのが一般的な考えですけれども,通常これは信託と捉えられますので,信託の法理に従って,信認義務等により処理されます。したがって,独立に財産管理が親権の一内容として議論されるということは,あまりないといってよいかと思います。   このように,資料4ページの(4)でまとめておりますけれども,親は子どもの養育や教育について指示し,決定する権利を有するというのが,連邦最高裁判所の立場であり,憲法上の基本権であるということです。   もちろん,若干の修正や揺り戻しもありまして,それが(4)のトュロクセル・バーサス・グランビル判決です。これは,父親が亡くなった後,父方の祖父母と子どもとの面会交流権を,母親がどの程度コントロールできるのか,母親の決定に反しても,州の裁判所が祖父母に対して面会交流の機会を定めてよいのかが問題となりました。連邦最高裁判所は,ここでも原則としては,祖父母との面会交流の決定については親の基本権であって,この権利はデュー・プロセス条項によって保護されるのであって,州の裁判所が面会交流を自由に決めることができるというワシントン州法は憲法に違反するという判断を示しました。しかしながら,この判例は,さらに,州権が,州の法律によって,母親の決定権特に面会交流について介入する余地を若干残したものであり,その点において,注目されます。   連邦最高裁の判事は9人いて,そのうち5名の賛成,すなわち5対4の多数決で決まりますけれども,トュロクセル判決では6名の裁判官の意見が分かれ,統一されていなかった中で,何とか法廷意見を出したというものです。そのようなところから,州権がどの程度親の権利に介入できるかという問題についても,この判決などを契機に少しずつ州の権利を拡大していく方向性が見られるところです。   このように,アメリカでは親権は判例で規律されてきておりましたので,そうであれば,ペアレンタル・ライツが合衆国憲法上保障される憲法上の基本的権利であるならば,合衆国憲法を修正して,憲法上の規定として記述してはどうかという議論が,長らくされています。アメリカのペアレンタル・ライツを考えるとき,後で出てくる懲戒や体罰とも関連するのですが,アメリカは児童の権利条約を締結していません。署名はしていますけれども,締約国ではないのです。   この条約を批准することによって,親子関係に関する統制が州から連邦のコントロール下に一層置かれてしまうのではないかとか,さらに,アメリカではなくて国連の監督下や国際的な世論に左右されるのではないかということを懸念する声もあると指摘されています。そこで,児童の権利条約をもしも批准するのであれば,アメリカの合衆国憲法にペアレンタル・ライツについて修正条項を入れておくべきであるという主張が強くされていまして,2008年から毎年,そのような法案が連邦議会に提出されています。現在のところ,いずれも通ってはいないのですが,資料5ページに,2019年の第116会期で提案された法案を載せています。これは,ほぼ変わっておらず,2008年から同様の内容のものが出されていますけれども,そこにある第1項から第5項をペアレンタル・ライツとして,合衆国憲法に入れようという提案です。   第1項は,子どもの養育,教育及び世話を指図する親の自由は基本権であるとうたう,第2項で,教育について,合理的な選択をする権利を親の権利は含むとします。そして3項で,親の権利に対する連邦と州の介入について,政府の利害が最上位のものであって,当該事項の目的以外には用いられないことを証明しない限り,ペアレンタル・ライツを侵害してはならないという項目,第4項で,この親の権利は,親が例えば障害等を持っていることによって否定され,又は縮減されてはならないという保障が入っています。さらに第5項で,これは中絶に関する議論ですけれども,中絶権とこのペアレンタル・ライツの提案は決して結び付くものではないということが示されています。   この法案は,ずっと連邦議会に出されていますけれども,採択はまだ,もちろんされていません。ただ,現在のアメリカにおける親権に関する基本的な連邦全体の考え方を表したものが,この法案の第1項から第5項になるといってよいと思います。   ここまでは一般的な親の権利についてでしたが,次,資料6ページは,懲戒についてです。学校における体罰については,現在では多くの州法で禁止されていますし,そのような州法を持たない州であっても,学校における体罰は著しく減少して,制約されている状況にあります。それに対して,親の子に対する体罰を禁じる連邦法というものは,いまだアメリカでは置かれていません。   多くの州裁判所と連邦裁判所では,しつけとしての体罰は,子の養育の一環として許されるもの,ディシプリン・プリバリッジと捉えているということであります。   ただ,いろいろな制約はありまして,先ほどイギリスで,刑法の方とこの親の体罰は結び付くというお話がありましたけれども,アメリカも同様で,刑事罰のところで体罰に対する制約は出てきます。しかし,一般的に親権の中で体罰を禁ずるというような方向性は,連邦でも州でも,あまり見られません。   もちろん,各州法で,親による体罰について,どのような体罰が許容範囲かについては,規定を設けるという方法は採っておりまして,わきまえがあって,かつ穏当な力の行使であれば許されるという,アラスカとかミシガン,ウィスコンシン等,嚆矢になった州法の条文を資料に挙げています。   諸州法で示されている許されない体罰の例を集約しますと,子どもを投げ飛ばすこと,蹴ること,やけどを負わせること,刃物で傷付けること,こぶしで殴ること,3歳以下の子どもを揺さぶること,窒息させること,凶器で脅かすこと,一時的な痛みや小さな一時の傷跡といったものよりも大きな身体的な傷害を生じさせるその他のあらゆる行為がそれであるということで,ワシントンD.C.やデラウェアなどでは,このような許されない例を州法上明記している,そのような法制度も見られます。   なお,資料6ページの「子どもの虐待防止及び治療に関する法律」ですが,これは連邦法です。虐待防止と,かつ,虐待を行った親及び子どもの治療のために資金の援助を各州に対して行うということがこの法律の直接の目的なのですが,7ページに行っていただいて,さらに,CAPTAというこの法律の中で,虐待とネグレクト及び性的虐待について,定義規定が置かれています。そこには,医療ネグレクトも含むし,また,売買春や人身売買の犠牲となった子どもも,ここのトリートメントの対象とするという規定を置いています。   CAPTAは連邦法として施行されているものですが,資料のその次に,「虐待,ネグレクト及び監護権に関する手続における子どもの代理に関する統一法」というのがあります。これは,アメリカの統一州法委員会全国会議が出している統一法の一つです。虐待,ネグレクト,監護権についての手続において,子どもの代理人を選任する際に,代理人の役割がどのようなものであるのか,通常の訴訟代理人として以外に子どもの後見人という役割も果たすべきなのかといったことについて,州ごとにまちまちな対応がされているのに対して,統一州法で一定のガイドラインを明記して,統一しようという目的で,公表されています。   そこでは、特に虐待,ネグレクトのケースでは,全ての子に代理人を付けることを求める。さらに,その特徴として,通常の代理人の役割とともに,子の最善の利益の代理人という二つのカテゴリーを設け,必要に応じて,子の最善の利益のための代理人を通常の代理人と別に付けるべきであるといった提案が,この統一州法によってなされています。   民事法上のアメリカの状況は,以上のような概要です。次に,資料8ページからの刑事上の制度ですけれども,アメリカでは,先ほど申し上げましたように,親による体罰も許容範囲のものであれば許されると,一般に捉えられています。その場合には,もちろん刑事責任も免れることになり,マサチューセッツの判例などでも,このことを述べています。そして,刑事責任を問う場合の要件として,資料8ページですが,①,②,③という要件をその判例の中で挙げています。  それと並行して,モデル刑法典,こちらはアメリカ法律協会,すなわちALIが公表したものなのですが,その中で,児童虐待の場合の刑事責任について条文が置かれています。   このモデル刑法典,MPCは多くの州が採択していて,資料8ページから9ページに採択州を列挙しています。そして9ページで,親による子の懲戒については,MPC3.08条に,他者の世話,しつけ又は安全について特別な責任を負う者による腕力の行使に関する規定が置かれています。   この条文は,腕力を行使する者が親又は未成年後見人の場合と,他には教師,成年後見人,成人であっも成年被後見人なども対象になり得ますので成年後見人,そして一般的に医師,刑務所長等,あるいは船舶等の中で危険な行為をした者を制圧すべき責任を負っている者などに分類して,要件を定めています。ここで問題になります最初の3.08条1号の親や未成年後見人による腕力の行使ですけれども,親,未成年者の一般的な世話及び監督について責任を負う後見人若しくはこれと同様の者,又はこのような親,後見人若しくはその他の責任を負う者の要請によって行動する,子どもを委託された者ですね,これらの者が腕力を行使する場合には,(a)として,その腕力が未成年者の保護又は未成年者の非行の防止若しくは非行に対する罰を含む未成年者の福祉の増進のために行使され,かつ(b)で,その腕力が死亡,重大な身体的傷害,容貌の損傷,過度の身体的苦痛若しくは精神的苦痛,醜悪な劣化を生じさせることを企図し,又は,このような結果を生じさせる現実的な危険を知って行使されたのでない場合には,未成年者に対するこのような腕力の行使は正当化されるということです。すなわち,違法性がないことの要件を,このような形で定義しています。   ただし,ここで少し注意が必要なのは,この条文では,腕力の行使が合理的なものであるとか,親がそのような腕力の行使が適切であると信じることにつき,合理的な理由があるということは要件とされていないという点です。この(a),(b)に客観的に該当するかどうかで要件が定まっているということであります。   ただ,もちろん,例外はあり,資料の以下で,MPCの3.09条の2項や3項において,これらに当たる場合には違法性があるといったことも,非常に長い条文が続きますが,定められています。刑事については,このような諸条文が置かれていて,多くの州が,MPCを基に各州法を制定しているという状況です。   それでは,最後に州法の状況になりますが,まずニューヨークですけれども,ニューヨークはMPCを採択しています。その上で,若干,州法独自の文言による規定を置いています。ニューヨークの刑法によれば,親,後見人又は21歳未満の者の世話と監督を委託されたその他の者というように,ニューヨークの成人年齢に合わせた条文にしており,しかも,その続きですが,先ほどMPCの所で触れた,腕力の行使がそのしつけ又は福祉の増進のために必要であると信じる合理的な理由があるときには,その限度で体罰を行うことができると,そのような書きぶりをしています。ただし,死に至るような体罰は許されないというのが規定の文言です。   それに対して,カリフォルニアはMPCを採択していません。ただし,内容としては同様の州法規定を置いています。しつけを目的とする子の体罰は道理的観点から見て,当該状況の下でそれが必要であり,かつ,行使された腕力がわきまえのあるものであると判断されるときは正当化されるということです。そこでは,正当化されない体罰が問題となり,残虐若しくは非人道的な体罰又はトラウマ状態になるような傷害を残すようなものを指すという要件が規定されています。   カリフォルニアは,処罰についても,273d条で,フェロニーと,それから軽罪ですね,ミスデミナーの二つに分けておりまして,重罪の場合には2年,4年若しくは6年の懲役若しくは禁錮,軽罪の場合には,カウンティ刑務所での1年以下の懲役若しくは禁錮又は6,000ドル以下の罰金という処罰規定を置いています。   ニューヨークとカリフォルニアのものが,他の州をも代表した一般的な規定でありますが,それ以外に,ロードアイランドが特徴的な規定を置いています。といいますのは,処罰がかなり厳しいという点で,MPCを超えており,もちろんニューヨーク,カリフォルニアよりも厳しい処罰規定となっています。  ロードアイランドでも,親の子に対する体罰自体は,違法とはされていませんが,体罰が子に危害を与えるものや虐待の場合には,刑法上の罪に問われます。1996年に,ブレンダンズ・ローというものを制定しまして,第1級又は第2級児童虐待で有罪となった者は重罰を科されるという条文を置きました。第1級虐待と第2級虐待の定義がその下にあるわけですけれども,子に重大な身体上の傷害を負わせた者は第1級の児童虐待罪,それ以外の身体的障害を子に負わせた者は第2級の児童虐待罪となります。第1級児童虐待罪を犯した者は,10年以上20年以下の懲役若しくは禁固と,1万ドル以下の罰金,第2級児童虐待罪の場合には,5年以上10年以下の懲役若しくは禁錮及び5,000ドル以下の罰金であります。また,5歳以下の子について,第1級児童虐待罪を犯した者は,最初の10年について,刑の執行猶予や延期ないし保護観察処分を得ることができないであるとか,仮釈放のためには,少なくとも8年半以上刑に服するべきことを裁判所が命じるとか,非常にきめ細かく,特に乳幼児に対する虐待について,重い処罰を科しているという点が特徴的です。さらに,再犯の場合には,資料11ページになりますけれども,更に刑罰が加重されます。  このようにアメリカでは,特に体罰については,刑法上,このような形を取ることで,抑制の機能を期待しているということがいえると思います。   アメリカについては以上のようになります。 ○大村部会長 ありがとうございました。   3人の方から,フランス,イギリス,そしてアメリカの法状況について伺いました。   なお,ドイツにつきましては事情により,今回はお話を伺っておりませんけれども,次回以降におきまして,適宜皆さんに情報の提供の機会を持てるようにしたいと考えております。   予定ですと,これから質疑ということでしたが,大分時間がたっておりますので,15分休憩いたしまして,4時に再開をし,今の御報告に対して,まとめて質疑応答するということにさせていただきたいと思います。   それでは,休憩に入ります。           (休     憩) ○大村部会長 4時まで少し時間あるのですけれども,皆様お戻りになっていらっしゃるようですので,再開をさせていただきたいと思います。   3人の方々から,諸外国における懲戒権の規定等につきまして,御報告を頂きましたので,これにつきまして,御質問を頂ければと思います。   先ほどと同様に,どなたに対する御質問なのかということが分かるようにした上で,御質問をお願いできればと思います。どなたからでも結構です。よろしくお願いいたします。いかがでしょうか。 ○水野委員 大変詳しい御教示ありがとうございました。   私は,アメリカ法に詳しくなくて,とても勉強になりました。ただ,昔,児童虐待の対応について,少しだけ調べたことがありまして,恐らく,子どもの虐待防止及び治療に関する法律に関する話だったと思うのですけれども,そのときに読んだ限りでは,こんなふうに刑法で割合緩くしているということはあまり書かれてありませんでした。むしろ,介入が非常に厳しく行われていて,例えばドクターが,これは危ないかもしれない,虐待かもしれないと思うと,すぐにチャイルド・アビューズのウェルフェアに連絡がいって,そして,親権をサスペンドする。ドクターが見逃していると事後的に資格を奪われるリスクがあるので,積極的に通報します。そして,サスペンド期間に改善されないと,すぐ親権を取り上げてしまうというような手続でした。また,子どもが州に虐待を見付けられないまま,親に被害を被ってしまったときに,子どもが州に対して損害賠償請求をすると,それは州が権限を適切に行使していなかったということで賠償義務が認められる。それは,日本でいうと,児童相談所がきちんと対応しなかったからというので,国賠が認められるような構造になるのと思うのです。そういう行政的な関与の仕方が,非常に強力で介入的であるという印象を覚えたのを記憶しております。その記憶と,今お伺いした,親の自由をかなり強く認めて,刑法なども割合謙抑的であるというご説明とのバランスが,私の中でうまく整理できていないところがありまして,私の記憶違いなら違いと言うことでも構いませんので,何か御教示いただければと思うのですが。 ○常岡参考人 多分,行政的な介入については,水野先生がおっしゃったように,かなり積極的に,チルドレンズ・ビューローなどが連邦の部局としてありますので,そういうところを中心に,各機関と連携して積極的に介入をしているということは事実だと思います。   例えば,今御指摘のありました子どもの虐待防止及び治療に関する法律も,これは数次改正されていて,最新は去年の1月7日に改正されているのですけれども,かつてはやはり,おっしゃったように,親の暴力を防げなかったこと,虐待を防げなかったことによって,子どもが州を訴えるとか,そのような事例が相次いだため,そうではなくて,予防の方に非常にシフトしているということは,一つの特徴,最近の特徴として挙げていいと思います。   ですので,事前に,予防といっても,連邦が直接州に介入はできないので,飽くまで連邦が州に資金を与えるという,そういうメカニズムになっているのですけれども,例えば資料ですと,7ページの上の段落のCAPTAと並行してということですが,これと,他にもいろいろな法律が連邦法で置かれています。CAPTAもそうですし,それから,チルドレンズ・ジャスティス・アクトもそうなのですが,こちらは主に,子どもの性的虐待・搾取について,捜査や告発,それから,司法手続の推進のため,州へ基金提供するという形になっています。通常の親による体罰,通常といっていいか分かりませんが,アメリカで通常と考えられている刑事的な違法性のない体罰については,連邦は非常に謙抑的に介入する。ただ,それが違法性を伴っていて,刑事罰に相当するものについては,迅速に,非常に迅速に,できれば予防的に介入をして,そういう事態の発生を防ぐし,もしも発生した場合には,言われたように,親権の剝奪であるとか,必要なトリートメントなどを連邦と州の責任で行っていくという,そのような2段構えになっています。そこでは,やはり親権に対する発想として,全ての体罰を禁じているわけではないという考えが,ベースとしてアメリカには強くあるということが背景にあると考えられると思います。ですので,それを超える,アメリカで一般的に通常,違法ではないと考えられているのを超えるような虐待や体罰があるときには,その場合には,現在でも水野先生がおっしゃったような介入ということは,当然アメリカでもなされていて,その際には,チルドレンズ・ビューローもそうですが,ただ,それは連邦の部局ですので,具体的にはファミリー・コートであるとか,その州の行政の部局などが具体的な対応を行っていく。   即事の介入であれば,もちろんポリス・デパートメントも入るのでしょうけれども,問題はやはり,その後のトリートメント,どうやって関係を回復して,子どもが虐待によって,例えば,先ほどお話があった脳が萎縮するとかいろいろな後遺症があるときに,どうやってそれを治癒,治療していくのかというところについても,積極的に州や連邦,連邦は金出すのが中心ですけれども,具体的には州が介入していくという体制は,当然維持されています。そこの見極め,そこの区別が非常に,両極端という言葉がいいかどうか分かりませんけれども,一方では,正当なものであれば国家は介入しない,でも,それを,範囲を超えたものについては,迅速に国家の責任,州の責任で介入するという,そういう立場であると見ていいと思います。 ○水野委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○棚村委員 アメリカについては,私は,カリフォルニア州をかなり調べていて,水野先生も,それから,常岡先生もちょっとおっしゃったように,連邦にも部局があるわけですけれども,州ごとにも,デパートメント・オブ・チルドレン・アンド・ファミリー・サービスというのが,要するに,児童・家庭サービス局というような,あるいは省というような形があって,それがカウンティにもあって,虐待とか,あるいは子どもや家族の支援をする,養育費の取立てなんかもやるところなんですけれども,行政的な介入,困っている子どもや家庭に対する支援での介入というのは非常に積極的です。   特に社会保障の費用を出さなければいけないとか,子どもの人権が侵されている部分については,アメリカでは非常に積極的に介入をしてくる傾向が顕著です。ただ,その介入の際に,司法機関の関与というんですかね,介入のやはり限度とか方法をめぐって,特に虐待とかネグレクトなんかですと,司法機関がきちんと関与をし,州の行政の部門と,それから,子どもに対しても代理人とか,親に対しても代理人が付いて,司法機関できちんと判断をした上で入っていくということになっています。特に強制的な介入については,そういう形になっていると思います。   そこで,ちょっと質問があるのですが,久保野幹事に対してです。最初のときに,イギリスのお話をさせていただぎましたが,イギリスでも2015年3月だったかと思うのですけれども,チルドレン・アンド・ヤングパーソンズ・アクトというのが,1933年に児童・青少年法で,体罰とか虐待とか,暴力なんかについて,相当な範囲での体罰みたいなことができるような規定ぶりが,1条の(7)項だったと思うのですけれども,立法されました。それについて,体罰についての限度とか,そういう辺りが議論をされたんですけれども,2015年3月に,80年ちょっと超えたぶりに改正をされて,シンデレラ法というふうにいわれて,イギリスでも大変議論を呼んだのは,言葉で脅すとか,それから,要するに無視するとか,心理的な虐待というんです,そういうものについて,10年の禁錮という形で,ものすごく重い罰を科すべきだという法案でした。   この法案ができるときには,賛否両論あって,家庭にこんな形で,しつけとか,そういうことに介入していいのかという反対もあります。要するに,日本でいうと,きちんとしたしつけもできなくなってしまうではないかという議論と,子どもたちは,それによって大きく傷付いて,それが蓄積されることによって,脳科学の研究なんかもありますけれども,非常に重大な福祉,あるいは健康,将来にわたる,何というのですか,人権が損なわれるだけではなくて,重大な影響を受けてしまうと思われます。これを何とかしなければいけないということで,イギリスでは,踏み切って,法案が可決されました。それが,いわゆるシンデレラ法というので,継母とかが子どもをいじめて,「あんたなんか生まれない方がよかった」とか,「あんたなんかはいない方がいい」みたいなような形で,言葉でもって相手を追い詰めたり何かすることに対しても,かなり厳しくやろうという動きが一つあって,ただ,2004年の児童法の58条なんかでも,合理的な範囲でのパニッシュメント(懲戒)みたいなものは,これは正に身体的な傷害とか暴行とか虐待というのは,それで言い訳にならないというようなところだったんですけれども,やはりお尻とか顔とか頭を軽く叩くことは,むしろ身体的な傷害にならなければ,相当な懲戒権の行使として許されると。こういう流れの中で,やはり,イギリスはかなり,そういう意味では,親の教育権とか親のしつけみたいなものを重視をするという流れの中で,やはりかなり,そういう意味では,刑事罰として,こういう1933年の児童・青少年法みたいなところで大きな転換が出たということを,ちょっと紹介をさせてもらったんですね。   そのことは,よろしいのですよね。要するに,報告の中になかったものですから,すみません。 ○久保野幹事 申し訳ございませんでした。報告の中では,ご紹介いただきましたような虐待や年少者に対する犯罪としての介入の面について,十分に対応していないということでございまして,また,子どもの権利条約との関係でのレポートなどでは正面から出ていなかったものを外した形になっておりまして,申し訳ございません。   それで,今ご指摘いただいた内容は,結局,児童法58条の中で,2の(c)に載っているものだと思うのですけれども,そこで児童及び青少年に対する犯罪とされる行為の類型について議論があり,膨らんだということとして受けとめております。後ほど報告書にも補充したいと思います。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○木村幹事 貴重な御報告いただきまして,ありがとうございました。   石綿先生に,フランス法についてお伺いしたいのですけれども,細かい点も含めて3点あります。まず6ページに書かれてある内容ですけれども,2019年の改正において,身体的暴力,精神的暴力というものが禁止されたという内容で御報告いただいたと思うのですが,身体的暴力という単語と体罰という単語が使い分けられているのかどうかという点について,何かお分かりであれば,教えていただけたらと思います。今回報告していませんけれども,ドイツ法では,体罰という単語をあえて使っているようでしたので,ドイツ法との違いが分かればと思います。   2点目ですが,単純な確認ですけれども,同じく6ページでは,例として挙げられている尻を叩くことや平手打ちをすることなどを含めた,およそ全ての暴力が禁止されるという御説明だったと思います。この点について,有形力の行使に当たるものは,程度や目的如何を問わず,およそ一切禁止されるという趣旨なのかどうか,これが2点目の質問です。   最後,3点目,細かい質問ですけれども,フランス法においては,居所指定権について規定があるけれども,職業許可については規定がないという御説明だったと思います。この点についてなぜそのようになっているのかお分かりでしたら,ご教示頂ければと思います。というのは,ドイツ法も同じ内容ですけれども,なぜ居所指定権だけあって,職業許可について定めていないのかが,ドイツ法を幾ら調べてみても分からなかったので,もしフランス法で何かお分かりになれば教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。 ○石綿関係官 三つ御質問いただき,どうもありがとうございます。   1点目の,身体的暴力と体罰の使い分けですが,条文上は暴力という言葉のみです。私の資料で,身体的暴力と体罰が混在して出てくるのは,立法過程の議論等でその方の述べたものの言葉をそのまま訳しているがために,身体的暴力と体罰が混在しているという次第です。今回の法律の改正の趣旨は,身体的暴力の禁止ということで,条文としては,暴力という言葉,バイオレンスを使っています。   2点目として,例外がないのかということですが,国会等の議論では,全ての暴力を禁止するといわれていますが,例えば,子どもがぱっと飛び出していったときに,腕をつかむような行為は認められるのではないかといわれています。   3点目の居所指定権と職業許可権の関係なんですが,場合によっては,大村先生,あるいは幡野先生にお答えいただいた方がよいかもしれませんが,私もわかりません。日本法の居所指定,職業許可権がどこから出てきたんだろうと調べたときに,どうやらスイスなのではなかろうかというところまでしか調査をしておらず,お答えできず,申し訳ございません。 ○木村幹事 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   幡野幹事,御指名ありましたけれども,何か発言ありますか。 ○幡野幹事 特にございません。 ○大村部会長 私も特にありませんけれども,むしろ,日本に規定があることの方が,ドイツやフランスの基準から見ると,特異なことであるように見えるだということかと理解をしておりますが,また何かのときに調べておきます。   そのほか,いかがでしょうか。 ○久保野幹事 同じく石綿関係官に対して,同じ点について,重ねての確認といいますか,今後の議論に向けてというような質問なんですけれども,先ほど,体罰という言葉と身体的な暴力という言葉の関係について議論がありまして,まず,身体的暴力という概念の方が,体罰よりも広いということだったと思うんですね。   体罰というのは,罰という言葉が入っていて,御報告の中で,例えば6ページの1行目に,日常的な教育的暴力という言葉が出てきたりですとか,5ページの方のフランスの親の85%が暴力を行ったことがあるというところにも,教育的なという言葉が載っていまして,罰で与える暴力的なものと,教育的な目的で行う暴力のようなものというのが,厳密にどうかということを伺いたいわけではないのですけれども,その二つは何か分けて論じられる傾向のようなものがあるということでしょうか。 ○石綿関係官 すみません,その辺りの言葉を丁寧に追っているわけではないんですが,2019年の法律は,正確には,日常的な教育の暴力を禁止するという名前です。したがって,例えば,85%の人が教育的暴力を行っているというのは,立案担当者の説明でして,彼らがその際に使っている言葉が,日常的な教育的な暴力ということになっているということでございます。 ○久保野幹事 どうもありがとうございました。 ○垣内幹事 同じ点についてばかりで恐縮なんですけれども,そうしますと,法律のタイトルに出ている教育的暴力というものと,民法典に書かれている身体的暴力又は精神的暴力というのは,イコールだと考えてよろしいのか,それとも両者は違うのでしょうかということも少し,併せて気になったのですけれども,もしお教えいただければ有り難く存じます。よろしくお願いします。 ○石綿関係官 恐らく,イコールのつもりで使うということなのではないかと思います。当初の提案内容は,6ページの2段落目に書いておりまして,子どもは暴力を用いずに教育される権利を有するというものでした。これではやや不明確なので,明確に暴力を使ってはいけないという,暴力禁止だということを書こうとしました。内容を変えるという意図はないということですので,立法者たちの意図は,教育的暴力と民法典の暴力はイコールだということだと思います。 ○垣内幹事 ありがとうございます。   恐らく民法典の方は,親権の行使の在り方として,身体的暴力や精神的暴力を用いないというふうに書いているので,その全体の趣旨を理解すると,それは教育的暴力の禁止ということになるのかなというふうな理解でおったんですけれども,大体そういうようなイメージであまり,当たらずといえど遠からずというところなのでしょうか。 ○石綿関係官 はい,御整理いただいたような形で大丈夫だと私も理解しております。 ○大村部会長 ほかにいかがでしょうか。   私からも,石綿関係官に一つ伺いたいんですが,85%の親たちが,何らかの有形力の行使をしたことがあるという数字が,どこかに出てきましたけれども,こういう状況で,先ほど御説明があったような法律が通ったということで,この法律がどのように受け止められているのかという点につき,何かご存じでしたら,教えていただけますか。 ○石綿関係官 受け止め方までは調査は及んでおりませんが,国会の議論で,急に教育的暴力が禁止になっても,子育てに苦労する親もいるだろうということが指摘されており,周知,あるいは親の教育方法のケア等についての対策も採るようにという条文も併せて入っております。 ○大村部会長 ほかにいかがでございましょうか。よろしいでしょうか。   それでは,これで,諸外国における懲戒権に関する規定等についての調査報告についての審議を終了させていただきます。   報告者の方々におかれましては,大変お忙しい中,当部会の調査・審議に御協力を頂きまして,誠にありがとうございました。御指摘につきましては,今後の審議の中で十分にいかしていきたいと考えております。   常岡参考人は,ここで御退席と伺っております。どうもありがとうございました。   それでは,ヒアリングにつきましては以上ということにさせていただきまして,残った時間を使いまして,本日の資料,部会資料6について,御議論を頂きたいと思います。   部会資料6は,「懲戒権に関する規定の見直しについての検討(二読)」というものでございますけれども,初めに事務当局から,これについて御説明を頂きたいと思います。 ○濱岡関係官 それでは,御説明いたします。   部会資料6の第1を御覧ください。   懲戒権に関する規定の見直しについて御議論いただいた第2回会議では,具体的な条文案を踏まえた議論が有意義である旨の指摘を頂きました。そこで,部会資料6では,懲戒権に関する具体的な条文案を作成しました。   まず,甲案について説明いたします。   2ページの2を御覧ください。   甲案は,懲戒権に関する民法第822条を削除をするものです。これは,懲戒権の規定について,体罰を正当化する口実とされているとのイメージがあるとの意見があることから,これを払拭し,児童虐待を防止する明確なメッセージを発することができるとの指摘を踏まえたものです。   甲案の検討事項としましては,(2)アに記載しておりますように,正当なしつけもできなくなるとの懸念を生じさせないように,どのような対応をすべきかといった点や,イ,ウに記載しておりますように,体罰が許容されるかについて,民法上明らかにするための規定を設ける必要性があるかといった点などがございますので,御議論を頂ければと思います。   次に,乙案について説明いたします。   3ページの3を御覧ください。   乙案は,懲戒の語を訓育の語に改正するものです。これは,懲戒という文言が,懲らしめ戒めるという強力な権利であるとの印象を与えることから,これを見直すものです。   訓育の語は,国語学者に対するヒアリング調査の結果,挙げられた用語で,体罰を含まずに教え育てるという意味を持つものですので,乙案は,監護・教育に際して,体罰を禁止するという意義を有するとともに,親権者が正当なしつけを行うことができなくなるのではないかとの懸念にもこたえることができるものと思われます。   また,罵詈雑言等の子の人格を傷付けるような行為が許容されないことを明文により明らかにする趣旨で,その子の人格を尊重した訓育を行うことができるといった表現にすることも考えられます。   乙案の検討事項としましては,(2)アに記載しておりますように,訓育の語は日常一般であまり用いられておらず,体罰を含まないものであることも含めて,その意味内容等が子育てをする親の方に適切に理解されるかといった点や,イに記載しておりますように,乙案は体罰を禁止するものでありますので,子育てが窮屈なものにならないよう,親に対して,どのような支援等を行うことが考えられるかといった点がございますので,御議論いただければと思います。   なお,訓育という用語のほか,教導,訓戒という用語にすることも考えられるところでございますので,その他の用語についても,どのように考えるか,御議論いただければと存じます。   次に,丙案について説明いたします。   5ページの4を御覧ください。   丙案は,民法第820条の規定による監護・教育に際して,子の人格を尊重することを求めるとともに,体罰を禁止するものです。親権者が監護及び教育に関して,広い裁量を有していることを前提とした上で,その裁量の行使として許されない範囲を限定的に規定するものです。   丙案は,民法において,明示的に体罰を禁止するという点に意義があるとともに,子の人格を尊重する旨の規定を設けて,罵詈雑言等の子の人格を傷付けるような行為を許容しないということを明確にする趣旨において,意義があると考えられます。   丙案の検討事項としましては,(2)アに記載しておりますように,体罰の定義について,厚生労働省が主催する体罰等によらない子育ての推進に関する検討会における児童虐待防止法第14条1項の体罰での議論を踏まえて,どのように考えるかといった点がございますので,御議論いただければと存じます。   また,イに記載しておりますとおり,民法には人格という文言を用いた規定はなく,親の子に対する関係においてのみ,人格を尊重する旨の規定を設けることを許容する合理的な理由があるかといった点や,ウに記載しておりますとおり,体罰という具体的な行為を挙げて,許容されない行為を規定することが,親権に関する民法の他の規定と整合するかといった点などについても問題になろうかと思いますので,御議論いただければと存じます。   8ページの5,その他ですが,以上のほか,訓育の語を用いた上で,さらに,体罰を禁止する旨の規定を設けるなど,乙案と丙案を併用する案なども考えられますので,こういった点も踏まえまして,御議論いただければと存じます。   次に,第2,懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項です。   8ページの第2を御覧ください。   親権者の一般的な権利義務を定めた民法第820条を見直すことについてですが,義務の側面をより強調するように規定ぶりを改めることも含めて,民法第820条の規定の在り方を検討すると,幅の広い議論になることが想定されますが,懲戒権に関する見直しに伴い,どこまで見直しをすべきものであるかについて,御議論いただければと存じます。   また,懲戒権に関する見直しに伴うものとしましては,居所指定権を定める民法第821条及び職業許可権を定める民法第823条を見直すことについても,どのように考えるか,御議論いただければと存じます。   説明は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   御説明に対して,御質問もあろうかと思いますけれども,もう一つ御説明を頂くことを予定しておりますので,そちらと併せて,御質問を伺いたいと思います。もう一つは,参考資料についての御説明ということで,厚生労働省の成松幹事から御説明をお願いしたいと思います。 ○成松幹事 厚生労働省の家庭福祉課長です。   参考資料の6-1(1)から6-1(3)を使って,御説明をさせていただければと思います。   以前もこの部会において,体罰等によらない子育ての推進に関する検討会について,御説明をさせていただいたところでございますが,その進捗状況等について,改めて御説明を申し上げたいと思います。   まず,参考資料6-1(1)を御覧いただければと思いますが,左上に,設置の趣旨ということで書かせていただいてございますが,これも以前御説明申し上げましたが,平成元年6月の児童虐待防止関係の法律改正において,いわゆる体罰禁止,体罰を禁止する規定が設けられたということがございまして,それを受けて,その範囲,あるいは禁止に関する考え方を示したガイドラインというのを作成するということで,この検討会が設けられたところでございます。   左下に開催実績が書いてございます。今のところ,3回ほど開催させていただきまして,素案を作らせていただいて,12月20日から1月18日までパブリックコメントをさせていただいて,現在,その整理をさせていただいているという状況でございます。   今後,2月を予定してございますが,第4回をさせていただいて,取りまとめを行い,4月1日にこの条文が施行されますので,それに向かって,周知等を図っていきたいというものでございます。   内容について,御説明させていただければと思います。   時間の関係上,参考資料6-1(2)の概要を用いて,御説明させていただければと思います。   参考資料6-1(3)は本文ですので,適宜御参照いただければと思います。   体罰等によらない子育てのためにということで,取りまとめを予定してございますが,大きく五つの構成に分けてございます。   一つ目が,はじめにというところで,この取りまとめの背景だとか目的を書かせていただいてございます。   はじめにということで,先ほども申し上げた,体罰禁止規定が位置付けられた一つの背景である,しつけのために子どもを叩くということがエスカレートして,悲惨な事件を起こしているということ,二つ目の丸が,国際的にも,そういった体罰というのを禁止すべしというような指摘等も受けているということを踏まえて,法律が改正されました。   三つ目の丸のところで,この取りまとめの位置付け,目的ですけれども,体罰禁止に関する考え方を普及する,あるいは,社会全体で体罰等によらない子育てについて考えていただく。保護者が子育てに悩んだときに,適切な支援につながることを目的としているというところでございます。   その対象として,そこに書いてございますように,この取りまとめを読んでいただく方としては,子育て中の方はもちろん,その周囲の方,あるいは教育現場を始めとして,子どもの支援に関わる方など,多くの方々に読んでいただくことを想定するということによって,体罰によらない子育てが応援される社会作りを目指していくというのが,大きな目的でございます。   Ⅱとして,しつけと体罰は何が違うのかと書いてございますが,ここでは,体罰の範囲というか,体罰とはこういうものだというのを書かせていただいていますけれども,身体に何らかの苦痛を引き起こし,又は不快感を意図的にもたらす行為(罰)である場合には,どんなに軽いものであっても体罰に該当して,これは法律で禁止されているということを書かせていただいています。   1枚おめくりいただいて,2ページ目の上の方でございます。一つ目の下線部の部分を読ませていただきますけれども,しつけを行うときにも,体罰で押さえるしつけは,この目的に合うものでなく,許されないということで,その具体例,イメージを持っていただくために,破線の枠線の部分を,例示として書かせていただいているというところでございます。   その下の丸のところですけれども,ただし,罰を与えることとしない,子どもを保護するための行為,あるいは第三者に被害を及ぼすような行為を制止する行為というのは,体罰に該当しないということで,その次の丸のところですけれども,暴言等についても,子どもの健やかな成長・発達に悪影響を与える可能性があるということで,子どもの心を傷付ける行為で,子どもの権利を侵害するということを書かせていただいてございます。   Ⅲは,読み手を考えまして,なぜ体罰等をしてはいけないかということでございます。こちらは,先ほど立花先生もお話しいただいていたように,また,この検討会にも立花先生,入っていただいていますので,その御説明あったようなことを中心に,ここにも書かせていただいているというところでございます。   3ページ目のⅣでございますが,体罰等によらない子育てのためにということで,体罰によらない子育て,どういう工夫ができるかということを,大きく二つの視点で書かせていただいています。   (1)のところに書いてございますように,子どもとの関わりの工夫ということで,七つほど具体的な例示を書かせていただいてございますし,保護者自身の工夫ということで書かせていただいてございます。   その次の丸のところでは,困ったことがあれば,市町村の子育て担当,あるいは,いろいろな方々に相談してくださいと,1人で抱えない,保護者だけで抱え込まないようにしてくださいということを書かせていただいています。   4ページ,Ⅴにおわりにということで,既に先行しているスウェーデンでも,長い時間を掛けて,体罰によらない子育てを推進していくということで,これがゴールではなくスタートだということを書いているというところでございます。併せて,一人一人の意識を変えていかなければならないということ,あるいは社会全体で子育てを行っていく必要があるということを,書かせていただいているところでございます。   内容については以上でございます。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは,今説明していただきましたお二方に対して,まず資料に関する御質問等があれば伺って,その後,御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○磯谷委員 今,厚生労働省の方から御説明いただいたものについて確認したいのですが,資料の6-1(1)のところの主な検討事項の3番目のところでは,体罰によらない子育て推進方策及び保護者への支援策というふうなところが挙がっておりまして,公表されている議事録等を拝見すると,そういった点についても,いろいろと議論はされているようです。   一方で,今回,取りまとめをされる素案のところを拝見すると,その点については特に触れていないようです。ということは,この素案は,正に体罰によらない子育てを周知していくための,国民の方々に考えていただくためのツールであって,子育て推進方策あるいは保護者への支援策といったものというのは,この検討会の議論を踏まえて,厚生労働省の方で,別途進めていくという,そういうイメージでよろしいんでしょうか。 ○成松幹事 御指摘のように,この取りまとめ自体は,どちらかというと,普及・啓発とか考え方を整理をして,それを普及・啓発していくための基となるものを取りまとめていただいていますし,一方で,こちらにも書いてございますとおり,社会全体で子育てを行っていく必要があるということでございますので,我々も,これまで様々な,子育て支援センターなどの制度を設けたりして,取り組んできてございますが,十分かというと,まだまだだと思っていますので,そういったところも含めて,施策の方で,宿題として負わせていただくようなイメージでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかにいかがでしょうか。 ○中田委員 続けて,厚生労働省にお伺いしたいんですけれども,参考資料6-1(1)などの見出しに,体罰等というふうに,等が入っております。この等の意味なんですけれども,参考資料6-1(3)の18ページから19ページに掛けて,法律の条文が記載されておりまして,18ページにあります14条を拝見しますと,体罰を加えることその他うんぬんという,このその他が等なのかなというふうに理解いたしました。   さらに,19ページを見ますと,これは現行法ですが,2条に虐待という概念があって,虐待の中には,身体に対するものと,それから精神に対するものと,両方が入っていると思います。そうすると,等という部分,あるいはその他という部分は,主として精神的な苦痛を与えるものを指しているというように理解してよろしいんでしょうか。 ○成松幹事 おっしゃるように,体罰等となってございまして,同じページの左上の方に書いてございますが,今回,法律改正で明文化されたのは,体罰を禁止するということでございますけれども,一方で,体罰以外にも,子どもの心を傷付けたりする可能性があるものというのがございまして,例えば参考資料6-1(2)の,先ほど御説明した2ページ目の,三つ目の丸のところですかね,体罰以外にも,どなり付けたり,子どもの心を傷付ける暴言等も,こういった悪影響を与える可能性があるということで,そういったものもできるだけ使わない子育てを推進するということを意識してございます。   当然,著しい暴言というのは児童虐待に当たりますけれども,そこに至る前の,そうでないような暴言等も,できるだけ使っていかないと,できるだけ傷付ける可能性のあるものは頼らないというようなことを推進するという意味で,体罰等というのを使わせていただいているということです。 ○中田委員 ありがとうございました。   18ページにあります改正法の14条で,体罰を加えることその他これこれを超える行為によりというのがありまして,このその他の部分も,やはり禁止の対象ではないのかなというふうに読んだんです。   ですから,今,体罰だけが禁止されたというのは,やや限定されていて,その他の部分も禁止されているというように理解してよろしいでしょうか。 ○成松幹事 すみません,説明がちょっと不十分でした。   今回新たにという御趣旨でしたので,そもそもこの線の部分というのが,今回の法改正で入ったということでございます。そもそも民法の規定による監護・教育に必要な範囲を超えるものというのは,従来から虐待防止法により禁止をされているということでございますので,この体罰等によらない子育てというのの等の中には,元々入っていた,こういう要素も含まれているというふうに御理解いただければと思います。 ○中田委員 分かりました。   元々入っていたというところですけれども,必要な行為を超える行為によりというのは,元々は,必要な行為を超えて当該児童を懲戒してはならずという文章だったと思うんですね。そこに,これこれの行為によりというのが入って,かつそれは,その他で修飾されているわけですので,やはりこれは,体罰プラスアルファが入っていると見る方が素直なのかなと思ってしまったんですが,いずれにしても,元々あったのか,今回付け加わったのかは別にして,体罰に限らず,かつ虐待には至らないような精神的な,何というんですかね,行為も,今回,禁止の対象になったというふうに理解してよろしいんでしょうか。 ○成松幹事 そうですね,ここで説明しているのは,明確に体罰は禁止をしたということで,御説明を国会でもさせていただいておりますが,従来の条文においても,監護・教育に必要な範囲を超えて懲戒してはならずということを書かせていただいていました。ただ一方で,懲戒権の範囲というのは,そのときの社会情勢に応じて様々変わると,社会通念でいろいろと変化をし得るということでございましたので,そういった意味で,超える行為というのは,従来も含めて,今回でも,懲戒してはならないというふうな理解で,この法律を作らせていただいてございます。 ○中田委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 なかなか難しいところがあるかと思いますけれども,私の理解したところでは,中田委員がおっしゃるような点が新たに明らかになったというのは,そのとおりだろうと思いますが,厚生労働省の解釈は,それは元のものに含まれていたけれども,これを明確にするという形で改正がなされたということかと思って伺いましたけれども,どうでしょうね,ニュアンスの差でしょうか。   ほか,いかがでしょうか。 ○山根委員 すみません,確認したいんですけれども,今後,もしこの822条,懲戒権というものが削除されたとすると,このガイドラインの中身も,変更するところが出てくるのでしょうか。 ○成松幹事 ちょっと,どういう改正が,この懲戒権の見直しの中で行われるかというのはございますけれども,その内容に応じて,必要な見直しというのは,当然行われていくものだと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○大石委員 よく分からないところを少し教えていただきたいんですが,この素案の5ページと18ページの(注3)の関係なんですが,5ページを読みますと,体罰というのは,身体に何らかの苦痛を引き起こし,又は不快感を意図的にもたらす行為というふうになるわけですが,まずはここの読み方で,何らかの苦痛を引き起こしですから,言わば結果責任みたいなものですけれども,又はの後は,意図的にもたらす行為ですから,主観的な要件が入っているわけですね。   日本語として,身体に不快感を意図的にもたらすという語感がちょっと分からないのと,それと,18ページの(注3)ですが,その定義を支えるような引用として,児童権利委員会の話が出ていますが,ここは,苦痛あるいは不快感を引き起こすことを意図した罰ということで,全体に主観的な要件が掛かっているわけですよね。   ですから,先ほどの定義の場合と,ややずれがあるのではないかということを感じましたけれども,その点いかがでしょうか。 ○成松幹事 ここは,この検討会での議論の中で,当初,我々として,今回の体罰等によらない検討会という意味で,できるだけ,そういうのによらないようにしていきましょうという中で,あまり限定的に書かない方がいいでしょうということで,最初はこの1ページの意図的にというところはない形で,御提案を委員会にさせていただいたという経緯がございます。   一方で,不快感というのは,意図なく引き起こすことというのはあるんでしょうということで,それをあまり禁止だといってしまうと,なかなか,親御さんとか保護者の方々の受け止めが厳しいのではないかというところもございまして,不快感に関しては,意図的というのを入れてはどうかというような御議論がございましたので,一旦,そういった御議論も踏まえて入れさせていただいて,さらにパブリックコメントで,国民の皆さんの意見を聞いてみようということになったという経緯がございます。 ○大村部会長 よろしいでしょうか。   そのほか,御質問あれば頂きますが,いかがでしょうか。   ありがとうございます。   それでは,御意見を頂くということにしたいと思います。またその中で御疑問が生じた場合には,適宜御質問いただくという形で,この先の検討を進めさせていただきたいと思います。   今,厚生労働省の御報告について,質問が幾つか出ましたけれども,部会資料6の資料について御意見を頂きたいと思います。併せて,厚労省の資料についても,御発言があれば御意見を頂くということでいきたいと思います。   どなたからでも結構ですので,お願いを致します。 ○磯谷委員 部会資料の方ですけれども,乙案において,今回出していただいている訓育という言葉なんですけれども,ちょっと添付していただいている定義などを見ても,言わば教育との境界というものが,なかなか明らかでないような気がするんですが,この820条の方の監護・教育の概念と,822条で仮にこれを定めるとして,この訓育の概念というのをどういうふうに区別をしていくのかというところについては,ちょっと,どういうふうにお考えなのかなと思いました。 ○平田幹事 今後詰めていく必要があるというところではあると思いますけれども,ただ,現在の822条が,ある意味,いわゆる正当なしつけというような場面で使われているのに対して,820条は監護・教育の総則的な,もっと広い,しつけ的なもの以外の場面を広く含んで定められているとは思いますので,訓育という言葉も,現行法の理解を前提として,子に直接関わって指導する部分について機能するのではないかというふうには考えております。 ○磯谷委員 引き続いて,そうすると,今のところ,事務局のイメージとしては,監護・教育というものの中の一部が,この訓育に当たる,訓育なんだという,そういう整理になるわけでしょうか。 ○平田幹事 そのような位置付けになると思います。 ○大村部会長 よろしいですか。 ○窪田委員 今,磯谷委員からも出たことと同じ点だろうと思いますが,私自身は,訓育という言葉は知らず,そもそもあるのかと,造語ではないかと思っていたのですが,きちんと辞書に載っていて,ここに書かれてあるとおり,教え育てることと書いてあります。ただ,そうしますと,結局,820条の規定による監護・教育に必要な範囲で,その子を教え育てることができるというのは,極端に言ったら,820条の規定による監護・教育に必要な範囲で監護・教育することができるといっているのと,ほとんど変わらないのではないのかという気がします。   国語学者に対するヒアリングということで,多分,一番大事な部分は,体罰を含まない用語であることが望ましという点なのだろうと思いますがが,ただ,辞書的な意味では,体罰を含まないというのは,明確には出ていないだろうと思います。そうだとすると,一番大事な体罰を含まないという点について,結局,乙案も大変に苦労されて,考え出されたところなんだろうとは思うのですが,何か手放しで,この言葉を使えば問題が解決できるという感じには,なかなかならないのではないかなという気がします。感想めいたことで申し訳ないのですが,そういった印象を受けました。 ○棚村委員 私も,なかなか訓育というのは,国語の学者のヒアリングでは,一般的に可能だということのようですけれども,一般の人たちにとっては,訓育というのは,なかなかなじみがない,親しみもないような用語ではないかということと,それから,今までも出ていましたけれども,懲戒権を削除するにしても,やはり監護・教育権の中身とか,あるいは方法,あるいは行使の仕方,こういうもので,プラスのものは,いいモデルとしてやってほしいということを明らかに明文で規定するというのは,すごく難しいと思います。しかし,海外でやっているように,人格を尊重するとか,あるいは子どもの人格を尊重するとか,体罰もそうですし,暴力もやってはいけないとか,精神的な侵害をしてはいけないとか,その他人格を損なうような,あるいは否定するような行為は許されないというような形で,丙案のような形で規定を設けられないか。こうすることによって,監護・教育の中身,あるいは方法,行使の仕方に少しでも具体的な制約を設けるということができないかと考えております。そういうやり方が,穏当なのかなということを,今の段階では思っています。   その意味では,削除だけということだけで,後の対応をしないというのは,正に厚労省とかでも,体罰等という中で,ガイドラインで定めていますけれども,なかなか境界というか,明確な線引きというのでは,御苦労されると思います。   結局,当該行為の目的とか,手段・方法とか,それから,与える結果みたいなものを総合的に考慮しないと,これが許されるのか許されないのかというのは,なかなか,難しいように思われます。ただ,明らかにこれは許されないだろうなというものは,はっきりはしてくると思うのですけれども,グレーゾーンみたいなのは常に残るだろうと思います。   そうすると,民法でこういう規定を置くことの意味ということにもなってくると思うのですけれども,先ほどのフランスでも,少し軽く叩いたということは,日常的にたくさん行われていたとも言われています。そうは言っても,ある意味では暴力・体罰は否定しなければいけないと思います。ドイツについては,木村幹事がよくお分かりだと思うのですが,早稲田大学の岩志先生なんかからお話を聞いたり,文献を見せていただいたら,1996年の法改正の前には,83%ぐらいの親がある程度の暴力は家庭内で,しつけとして許されるみたいな意識であったのが,その法改正によって大分,4人に1人と,25%ぐらいになったと言われています。それから,実際に体罰をやっていたというのも大分多かったのですが,法の改正の後,もちろん教育・啓発みたいな活動が併せて行われないと効果は期待できない。もっとも,民法の規定が変わったからといって,直ちに意識が変わるとか,長年の慣行みたいなものを直ちに改めるというわけにはいかないと思うのですけれども,ただ,それが10年,20年というスパンで見ると,一般の人々の間に体罰・暴力がいけないんだということは一般に周知されてきて,大きな変化が一般に人々の間でも出てきたというようなことが,各国で少し報告されていました。そういうものを見ると,日本も,そういう意味では,削除するとか,あるいは言葉や用語を改めるというだけでいいのか。もしかすると,懲戒が訓育になったからこれはやっていいのか,やってよくないのかという問題はやはり残ってはくると思います。   しかし,丙案のような形で,今の段階ですけれども,監護・教育といっても,その概念はかなり広いですし,しかも,どこまでのしつけとしてだったら許されるかということについて,例示をするとか,子どもの人格を尊重するというのは,かなり条文的なことを御提案いただいたのも,メッセージとしては伝わりやすいのかもしれません今の段階では,丙案というのは,方向としてはいいのかなという感じを持っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   明確な御意見を頂きましたけれども,ほかの委員,幹事の方々からも御発言を頂きたいと思います。いかがでございましょうか。 ○山根委員 まず,甲案の822条の削除というのは,体罰禁止の明確なメッセージになると思います。それで虐待が大きく減るということではなくても,やはり社会に響く意味は大きいのだろうと考えます。   ただ,そのことで,子育てへの不安がやはり広がらないように,いろいろ配慮,注意は必要だと思います。皆,自信のない中,頑張っている親たちに対して,親たちにとって,子育てにますます世間の厳しい目が向けられるようになるのではないかというような,息苦しさを覚えるような受け止めにならないように,社会全体で子や親を守るんだ,応援するんだというメッセージとなるように,支援策の充実と併せて示して,ほっとさせることが大事かなと思っています。   ただ,822条を削除するだけでは,正当なしつけならば体罰が許容されるかどうかが,民法上はっきりしないというような指摘があるようですので,意見としては,削除するのでよしではなくて,822条を,やはり体罰を禁止する規定とするのがよいのではないかというふうに考えました。さらに,体罰という言葉が定義が曖昧だということもあるので,体罰を暴力と精神的な侵害というような言葉に変えるのも,検討してもよいのかなとも思いました。   そうしますと,丙案を,親権を行う者は820条の規定による監護及び教育に際して,子どもの人格を尊重するとともに,暴力や精神的な侵害を与えてはならないというような文章になるんですけれども,御検討いただければと思いました。   乙案につきましては,訓育という言葉がよいかどうかの前に,必要な範囲で丸々をすることができるという規定とすることに,違和感というか,どうなのかなと思うところがあります。適切に理解されるか,やはり心配になりますし,あと,先ほども出たと思いますけれども,教育に訓育をすることができるというふうに,育の字が重なるのも,やはりちょっと気になるところです。 ○大村部会長 ありがとうございました。   広報等についての御注意等ございましたけれども,案としては,丙案をベースにして考えるという方向で,具体的な文言などについて,修正の案をお示しいただいたと理解しました。   ほかの方々はいかがでしょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。丙案に賛成する立場で,意見と質問を発言させていただきます。   まず,私ども連合としては,子どもの人権を守り,子どもの最善の利益を考慮する観点から,監護及び教育に必要な範囲であっても懲戒すべきではないという考えの下,昨年の法制審の総会を始め,この部会におきましても,親権における懲戒権規定の廃止については主張させていただいてまいりました。また,本日も諸外国の話がありましたが,諸外国における懲戒規定の削除や,国連子どもの権利委員会の総括所見において,体罰の禁止が指摘されていることなどから,国際的にも懲戒規定はなじまないというふうに考えております。   また,連合は2年に一度,政策・制度「要求と提言」を作っておりまして,その中にも,子どもの人権を守り,児童虐待の予防と対応策を強化するために,親権者が子の利益のために子の監護及び教育を行うときなど,いかなる場合であっても,子どもに対する体罰を禁止することが必要だということを掲げているところであります。   よって,懲戒という言葉を用いずに,監護及び教育において,子の人格を尊重することを求めるとともに体罰を禁止するという,この丙案に賛成をしたいと考えています。   その上で,丙案について,1点質問ですが,今回,親と子に対する関係においてのみ,人格を尊重する旨の規定を設けるということになった場合,民法の他の規定に影響はないのでしょうか。例えば,人格を尊重するというところに関して,そういう規定を設ける合理性はあると考えますが,法律の立て付けとして,制限されることに問題がないのか,全体に人格を尊重するという前提がある上で,親と子に対する関係においてのみということが入ってくるのか,教えていただければと思います。 ○平田幹事 御質問へのお答えになるか分かりませんが,人格を尊重する,人格という言葉が,そもそも民法にないというところで,今回,人格という言葉を入れる合理的な理由があるかどうかというところを,まず御議論いただきたいというところでございます。   ですので,その上で,御質問としては…… ○井上委員 親と子の関係においてのみ人格を尊重する旨の規定を設けることについて,法律の立て付けに問題があるのでしょうか。 ○平田幹事 正にそこも,我々としては,資料に幾つかの理由を書かせてはいただいておりますけれども,それ以外にも理由があるか,また,今まで人格という言葉は使われていなかったものですから,民法にそういう定めを置いてよいかどうかというところを御検討いただけないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   人格を尊重するという文言を入れていいかどうかということについては,以前の会合で話題になったことがあって,どういうことが問題になるかは,資料に多少書かれているかと思いますけれども,その点も含めて御検討いただければということかと思います。賛成の御意見を頂いておりますけれども,これでよいということになったときに,井上委員御指摘のような問題はないのかということについても御意見を頂ければと思います。 ○磯谷委員 今の人格のところですけれども,私は是非,子の人格の尊重を入れていただきたいと思っています。   というのは,私も子どもの虐待の問題を中心に,福祉の問題にずっと関わってきましたけれども,やはり親子関係の非常に特徴的な部分として,親が,子どもは自分と同じ価値観を持っているんだというふうに思い込む傾向が強いことが挙げられると思います。例えば教育についても,自分はこういう教育を受けさせたい,それが子どもにとって幸せだというふうなことを非常に強く思って,また,それに従わない,それがうまくいかないということに対して,非常にいら立ち,そして,最終的には虐待に至ってしまうというふうな傾向があります。   また,そういった教育ではなくても,例えば感じ方とか,そういったところも,子どもは自分と同じように感じるものだというふうに考えて,例えば児童相談所の心理判定などで,子どもが非常に,それでトラウマを受けているということが分かると,逆に実は親が驚くことがありますね。そういうふうなことを考えると,ほかの人間関係とは異なって,親子関係の特徴として,親が,子どもは自分と同じ価値観を持ち,自分と同じように感じるんだという,別の言い方をすれば,親自身の人格と子どもの人格がかなり重なっていると思ってしまいがちである,しかし,実際はそうではないということは,やはりきちんと理解をする,そこが多分,虐待問題を含め,親子関係を,ある意味で正常にしていく,健康的なものにしていくというところの出発点かなと思います。   ですから,先ほどのお話に即していえば,やはりほかの場面とは違って,こと親子関係においては,子どもの人格の尊重というのはとても大切なことなので,民法に入れる価値はあるんだろうと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   大石委員,木村幹事の順番でお願いします。 ○大石委員 私は,丙案的なものに近い考え方なんですが,ただ,これは立法的な技術の問題にもなるんですけれども,親権を行う者はというのを,絶えずそれを主語にしなければいけないのかという問題は残ると思うんです。   820条から824条までの構造を調べてみると,まず身上監護の問題,財産管理の問題,財産管理の前の身上監護の問題で820条があり,かつ,それについての懲戒は,一つの延長線の特徴的な部分だという話ですね。それをなくすかどうかという話なんですが,私の考え方は,丙案的なものなんですが,むしろ主語を前条,私のイメージは,820条の次に持ってくるというイメージなんです。ですから,前条による監護及び教育は,子の人格を尊重して,子の人格については議論があるかもしれませんが,行わなければならないと。   この場合,身体的又は精神的暴力を用いてはならない,加えてはならないというので,前に持ってきて,そこで820条で,今提案しました821条が,その問題を踏まえて,後に特則的な821条と823条を持ってくると。そうすると,そこは,子はで始まっていますから,親権を行う者はで始まる必要は全くないのではないかなというふうに,全体的な,ちょっと後の条文まで見て,いろいろなことを考えたんですが,取りあえずの提案は,丙案に近い,丙案の立場がいいと思う,その趣旨から,今のような,ちょっと修正を考えてみました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   実質的なルールの内容と,それから,それを条文化するときにどうするかということで,必ずしも現在の場所にこだわる必要はなくて,これを820条の後に入れるということも考えられるのではないかという御指摘だったかと思います。   以前の会合でも,820条に続ける形でという御意見も出ていたかと思いますけれども,そうした方向を示すものとして承りました。 ○木村幹事 すみません,また丙案についての質問ですけれども,子の人格を尊重するという点について,これまでの先生方の御意見を伺っていると,一つは,子どもが独立した人格の主体であるということを積極的に訴え掛けるという趣旨によるものだと理解できます。しかし,もう一つの趣旨として,部会資料の6ページのウのところにあるように,子の人格を尊重する旨の規定を設けることによって,恐らく体罰以外の,その他の子どもの人格を傷付けるような,いわゆる精神的侵害を加えるような行為までも含むという趣旨も込められているかのように思えます。そこで,質問ですが,このウのような趣旨を実現するためには,子どもの人格を尊重するという文言で実現するのか,あるいは,これまでの議論や,今日の参考人ヒアリングや比較法などを踏まえて,体罰その他の,つまり精神的侵害を加えるような行為といった文言を積極的に設けるような形は考えておられないのか,お聞かせください。お願いします。 ○平田幹事 現時点で,この丙案を提案させていただくに際しては,精神的暴力といったような形のものを規定するのは,なかなか難しいというところもあるだろうということで,この「人格を尊重するとともに」という表現が,法的にどこまでの意味があるかというのは,別途議論のあるところだとは思いますけれども,そういう罵詈雑言といった暴言的なものについても,ある程度,抑制的に働く意義を有するのではないかというところで,入れさせていただいたという次第です。 ○木村幹事 精神的暴力に関する文言や規定を入れることが難しいという御趣旨は,前回も御説明いただいていると思います。ただ,私としては,なぜ難しいのかがだんだん分からなくなってきておりまして,外国法はもちろんのこと,東京都の条例では入っておりますし,そのほか弁護士会の提言でも,精神的暴力とは書かれていませんけれども,その他のという形で包括的な文言が入っているかと思います。それらのことをふまえつつ,精神的な暴力という言葉を使わないとしても,何か包括的な文言を設けることも難しいというお考えなのでしょうか。 ○大村部会長 体罰という概念自体が,一定の不明瞭さを含んでいるので,それに何かを加えて,更に不明瞭になることは避けたいという気持ちが事務当局にあって,ここに体罰ということを書いて,あとは,子の人格を尊重するというところの解釈で処理してほしいということかと,私は個人的には理解をしております。   ほかにはいかがでしょうか。 ○窪田委員 まだ全然,自分の考えは固まっていないのですが,私自身は,体罰という言葉がここに入ってくるのは,やはり若干の違和感はあります。というのは,体罰という言葉自体がある種,何か一定の教育とかしつけという観点から,肯定的な側面を持ってきた言葉としての歴史を持っているのかなと思うからです。その肯定的な側面というのを取っ払ってしまったら,要するに,身体的暴力,精神的暴力というものでしかないのかなという気がしたものですから,ちょっとその点が気になりました。   ただ,もう一つ気になったのが,例えば,子どもが道路に飛び出そうとして,ぐっと引き止めるとか,子どものところに車が向かってきたので,跳ね飛ばす,ぶつからないように跳ね飛ばすというのは,これは当然体罰ではないだろうと思うのですが,身体的暴力でもないという理解でよろしいでしょうか。というか,これも身体的暴力ではなくて,そんなのは構わない,許されるんだよということであれば,ここの部分を身体的暴力,身体的・精神的暴力としてもいいですし,そういう書き方もできるのかなというふうな気がしたものですから。   今みたいな形で,要するに,子どもを助けるために物理力を行使するというのは,あるいは体罰でもないとか暴力でもないとかという説明をしなくても,まったく別の観点から,違法性が阻却されるとか,いろいろな説明ができると思うのですが,ちょっと言葉の選び方によって,それが影響を受けるのかどうかという点だけが少し気になったということです。   それから,もう一つ,人格の方なのですが,これも私自身は,積極的に是非入れてくれということで考えが固まっているわけではないのですが,ただ,現在の状況との関係でいいますと,確かに現在の民法は,人格について規定は置いておらず,人格権についての規定もありませんが,しかし,不法行為の世界では,人格権であるとか人格的利益というのは,すでに保護法益として確立しているという状況があるのだろうと思います。   それを踏まえた上で,やはりメッセージとしては,ある意味で,体罰の禁止より強いメッセージなのではないかなと思うのですが,子どもを,正しくフランス法で,所有という概念で捉えていたのを,そうではなくて,独立の人格の対象として見るというものだというふうにすれば,一応の説明は付くのではないかと思っています。   ちょっと長くなって,すみません。ただ,その上で,さらに,やはり丙案でちょっと気になるのは,先ほど木村さんから出た御指摘も関わるのではないかと思うのですが,人格を尊重するとともに体罰を加えてはならないという並びが,すごく何か気持ち悪くて,人格を尊重しなければいけないから体罰を加えてはいけないのか,やはり人格を尊重するということは,それはそれとして大事で,それとは別に体罰の話があるのかというのは,私自身は,後者のようにする理解するのだったら,大石先生からも出た,主語を何にするかは別として,二つに分けてしまったっていいのではないかなという気はいたしました。ちょっとその気持ち悪さだけ,お伝えしておきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   幾つかのことを御指摘いただいたかと思いますが,一つは,子の人格を尊重するというのを残した上で,体罰の方の表現を変えて,精神的な暴力に相当するものを書き加えるという方向もあるかもしれないという御指摘を頂いたかと思います。   それから,もう一つは,この文章には,やはり引っ掛かるところがあるので,それは大石委員がおっしゃっていたわけですが,条文の場所をどこにするかということとは別に,書き方を工夫する必要があるかもしれないという御指摘かと思って伺いました。   ほかにいかがでしょうか。 ○垣内幹事 私自身も,確たる定見を持っているわけではありませんけれども,この甲,乙,丙の中で,丙案の方向で検討を進めていくというのが,基本的によいのではないかという印象を持っておりますけれども,ただ,その際,今も議論になっておりました,子の人格を尊重するという文言を入れるということの妥当性について,どう考えるべきかという点ですが,今日の資料の6ページのところで,まず第一次的には,この規定を設ける,文言を入れることによって,罵詈雑言等の子の人格を傷付けるような行為を許容しないという趣旨が込められているということかと思うんですけれども,確かに明確化することにはなるのかもしれませんが,他方で,人格権侵害であると,人格を傷付けるような行為というのが子の利益に反する行為であるということは,それ自体としては,こういう文言を置かなくても明らかなようにも思われますので,そうした文言を更に設けるということが,先ほど別の文脈で,窪田委員から,トートロジーではないかというお話がありましたけれども,結局,同じことをもう1回書くようなことになりはしないのかという点が少し気になっております。   他方で,7ページの(注3)のところで,そのことに加えて,子の主体性・自立性を踏まえた子の利益判断という側面も含まれるのではないかと。これも,そういう理解はあり得るのではないかと思われますけれども,その関係では,子の意思の尊重と申しますか,子がどういうふうに考えているのかということに関して,例えば家事事件手続法ですと,子の意思について考慮するという旨の規定が設けられていたりしますので,その辺りとの相互関係についても,更に今後,検討の中で整理していく必要がちょっと出てくるのかなと。   ですから,一方では子の利益との関係,そして他方では,子の意思との関係と。その両者をうまく包摂する概念として,子の人格というのは,もしかすると便利だということになるのかもしれませんけれども,その辺りも御検討いただければよいのではないかと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   子の人格を尊重するには,幾つかの意味があるのではないかというのが,複数の委員,幹事からの御指摘で,それぞれについて,これが必要なのか,他の概念との整合性というのをどう確保するのかということについて,更に検討が必要ではないかという御指摘を頂いたものと理解しました。   今まで頂いた御意見は,基本的には,丙案をベースにして考えるという御意見のようですけれども,そういうふうな御意見だというふうなことでよろしいんでしょうか。 ○水野委員 恐らく,ここでの議論だけでいえば,丙案が圧倒的かと思うのですが,それで全てが潰れてしまうことを私は心配しております。先ほど,乙案について,懲戒権を削ることで,親が子を教え導くことがすべてできなくなってしまうという危惧や誤解を与えないための配慮を含んだ案というご説明があったように思いますが,今後,立法が通るまでのことを考えると,そういう乙案の配慮には,それなりの意味はあるように思います。   ただ,やはり訓育という言葉も,いきなり出てくると,ちょっとびっくりする気がしますし,先ほど窪田委員が,トートロジーだとおっしゃったのも,正にそうだと思います。そうすると,むしろ,監護及び教育の一部を取り出して書くと,トートロジーにならない可能性はないだろうかと,先ほどから考えております。久保野幹事の御紹介くださったスコットランド法に,親責任は幾つかあり,そのうちに,子の発達段階に応じた適当な方法で,子に対して指示・助言を与えることというような書きぶりがありました。例えば,それがいいかどうか分かりませんけれども,親権を行う者は820条の範囲内で,その子に指示し,助言を与えることができるというような書きぶりにして,820条の一部を取り出して何か残すというのは考えられないでしょうか。懲戒を削っても,教え導くことが一切できなくなってしまうわけではないという工夫をする可能性もあるように思いました。   でも,いずれにせよ,人格尊重とか,あるいは体罰禁止ということは,この際,民法に書き込めれば,私もうれしいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   御意見は,そうすると,丙案は丙案で考えていくということで,乙案を残す必要があるかないかということについて,更に検討が必要なのではないか。その場合に,表現については,さらに,他の表現も含めて考え直す余地があるのではないかという御指摘かと思います。ありがとうございます。   ほか,いかがでしょうか。 ○幡野幹事 木村幹事に,もし分かったらお教えいただきたいというご質問です。先ほど,フランス法で,なぜ身体的暴力という文言が用いられているかという御質問があり,その際に,ドイツでは,体罰という文言を意図的に,意識的に採用したというお話がございました。今も正に,体罰という文言を使うか,身体的暴力を使うかが問題になっておりますので,もし御存じでしたら,なぜドイツ法で体罰という言葉が使われたのかについて,お教えいただければ有り難いと思います。 ○木村幹事 すみません,まだ調査が不十分でして,正確ではないかもしれませんけれども,ドイツ法の改正経緯をみると,当初は虐待が禁止するという規定だったのが,体罰という文言に変わっております。ドイツ法では,一貫して,暴力禁止という言葉を用いたくないようです。それは,先ほど窪田先生がおっしゃったみたいに,有形力の行使一般をやはり禁止すること自体までを,文言解釈からは導きたくないと考えられているからのようです。   それは,やはり子どもが自身の危害に当たる,子ども自身に危害が及ぶことを予防するために親が有形力を行使することや,第三者に危害を加えるようなときに有形力の行使は許されると考えられているからです。  このほか,体罰という言葉には,子どもが一度行った行為に対するサンクションとしての意味合いがあると解釈する論者もいるようでして,必ずしも罰や制裁に当たらないような教育の延長線上の有形力の行使は,一定程度許されるのではないかといった議論も,ドイツ法ではみられます。例えば,スーパーで子どもが,チョコレートを買ってほしいというふうに駄々をこねて,床で泣き叫ぶようなことをしているときに,サンクションという意味ではなくて,チョコレートは買ってあげられないんだという意味で,スーパーから子どもを連れ出そうとする行為は,有形力の行使として,どこまで許容されるのか。こうした行為は,体罰には当たるかどうかについて,解釈論上,見解にばらつきがあるように思われます。そこでは,体罰という言葉を用いたとしても,サンクションという意味合いがどの程度強いかどうかということが,議論になっていると言えます。 ○幡野幹事 どうもありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   水野委員の御指摘とも関わるのかもしれませんけれども,ぎりぎりのところで,できることがあるのではないかという含みを残すのか残さないのかというところで,多少,社会の受け止め方も違ってくるようにも思います。それぞれの国で,それぞれの工夫がされているというところがあるように感じました。   ほか,いかがでございましょうか。 ○磯谷委員 ちょっと論点は違うんですけれども,今日の外国法のお話を伺っていて,外国で懲戒権が明文で規定されているか否かにかかわらず,それが刑事法における違法性阻却事由として機能しているという,少なくともなっていたというところがあったと思います。   それについては,一番最初のときに,私もちょっと御発言させていただいて,実際上,判例を見ている限りは,日本でそんなに機能しているとは思わないんですけれども,ただ今回,懲戒権規定の削除ということになった場合に,ある意味反論として,例えばお尻をぺんと一発叩いた,それで捕まるのかという話というのは,必ず出てくると思うんですね。   これは,しかしながら,実際のところは,検察がそれを立件すると思えませんし,万が一立件したとしても,いわゆる可罰的違法性の問題ということになるでしょうし,あと,懲戒権が残っていたからといって,懲戒権に形式的に当たれば,全て正当業務行為になるというわけでもないだろうというところで,整理できると思うんですけれども,今申し上げたいのは,その点についても,ちょっと事務局で,やはり整理をしていただいた方がよいのではないかと思いますので,ちょっと今日は,あえて発言させていただきました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今の御発言にもございましたし,御指摘にあったように,先ほどの外国法の御紹介の中でも,刑事の取扱いの問題が出てまいりまして,磯谷委員のおっしゃっているような一般の受け止め方との関係で考慮すべき事情というのが表れていたように思います。   それを踏まえて少し整理をしていただくということは,どういう対応を採るかにかかわらず,必要なことかと思います。 ○棚村委員 私も,第1回にもお話ししたのですけれども,懲戒という言葉が使われる場面は,弁護士とか,専門職もそうですし,組織の規律維持のために必要だという場合がありますよね。先ほどの木村幹事のスーパーの例は,しつけの延長という部分もありますけれども,周りにたくさん人がいるときに,駄々をこねたり,いろいろなことをして,迷惑を掛けるということに対する規律維持の行為ということもあると思うのです。   その辺り,例えば教育のレベルで懲戒ということをいっている場面と,それから,親子の間で懲戒といっている場面と,組織を維持するために各種の団体が行使する統制権なども,同じく懲戒という言葉を使って,何らかの形で規律違反による秩序維持みたいなことを行っています。   その辺りが,懲戒という同じ言葉を使っていても,どういう場面で,どんな機能を期待して,どんな形でそれがサンクションになっている場合もあれば,いろいろあるので,是非,懲戒という言葉がいいのか,それから,訓育というふうにしたら,親子の間で,あるいは広く組織を維持する上で,そういう機能というのですかね,秩序維持のための機能とか,あるいは教育の現場で,これは体罰もそうですけれども,体罰のときも議論されているのは,どこまでが許されて,どこまでが許されないかというときに,受ける側の人格の問題もあるのですけれども,組織や秩序を維持するために,一定程度,自律的な作用みたいなものが認められている部分はあります。   申し訳ありませんが,その辺りも少し整理していただいて,懲戒という言葉をなくすというのだけれども,それは一体どういう部分をなくして,どういう部分は残るのかということを整理していただきたいと思います。先程,磯谷委員は,刑事責任と民事責任もそうですけれども,結局,違法性が阻却されるということは,結果的には,そういう行為が行われても,刑事上の責任を問われないという話と,民事上,例えば親子の間で,どこまで許されるか,もちろん不法行為の場合だったら,同じ議論が出てくるわけですけれども,同じ懲戒という言葉を使った場合でも,どういう機能や役割を果たしているかということを少し意識して,久保野幹事も調べられたかもしれないけれども,イギリスも懲戒の部分で,教育に関するガイドラインとか,いろいろなものは,子どもたちが校則だとかルール違反したときに,教師だとか学校は,どこまで何ができるかという議論がかなり細かくされていました。   そこで,参考になったのは,親が,懲戒というディシプリンの権能を持っている。それで,子どもを預けている以上,それを学校の先生も委託を受けて,一定範囲でしつけや懲戒の権能を持っていると説明されていました。それから,秩序を維持するために学校自体が,親から委託されたものではなくて,教育の一環ではなくて,持っているものがあるとも書かれていました。その辺り,やはり明確に区別していかないと,同じ懲戒という言葉を使っていても,教育の延長としてあるのか,組織を守っていくためにあるのかということが,少し議論を分かりにくくしているのではないかと思います。   ですから,もしよろしければ,大変でしょうけれども,親の懲戒ということで,本人の利益や身体を守るために有形力を行使するという場面もあれば,いろいろなところで,ほかの人に迷惑を掛けたときに,やはり親が一定程度,それを指導したり,制止するというものもあると思います。その辺りを少し整理していただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   御指摘はごもっともだと思うのですが,なかなか難しいところもあるかと思います。ただ,御発言の中にあったのは,許されることというのがどういうことなのか。これまで,懲戒権の行使だということで,もしかしたら許されるかもしれないといわれていたことの中に,幾つかの種類のものがあるのではないかという御指摘だったかと思います。先ほどの木村幹事の御発言も,そういうものと結び付くところがあったのかと思います。   いずれにしましても,先ほどの磯谷委員の御発言もそうですけれども,仮に民法の条文として,一定の行為を禁止するという規定を置いたとして,その下で,しかしこういうことは許されるのだということについて,ある程度のメッセージを発した方が,社会的な混乱は少ないかもしれないという御感触があるのかという気もしますので,もちろん,それが口実になるようなことがあってはいけないと思いますけれども,可能な範囲で,皆様からも御意見を出していただいて,具体的な範囲について,ある方向性のようなものを出すというのがいいのかと思って伺いました。   ただ,これまで幾つかの段階で,例を挙げてというようなことをやってまいりましたけれども,なかなか難しいところがあるというのも確かかと思います。そのことを踏まえつつ,事務当局の方で,更に御検討いただければと思います。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○中田委員 単に整理だけなんですけれども,言葉の選び方については,3段階の問題があるように思います。第1段階としては,起草というか,立案する側で何を盛り込むかというのがあると思います。第2段階は,それがどのように受け止められるかというのがあって,その第2段階の中に,何もできなくなるのではないかという反応と,それから,このぐらいだったらしてもいいだろうという反応と両面あると思います。それから,第3段階の問題として,意識自体を変えることができるかということもあろうかと思います。その辺り,整理ができるかなと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。非常に重要な御指摘を頂いたのではないかと思います。   先ほど外国法の御紹介の中で,象徴的なというような言葉遣いが出てまいりましたけれども,この規定は,裁判でどう働くのかということは,もちろん重要ですけれども,それとは別に,行為規範として,どういうものが形成されるかということと密接に関わるのではないかと思います。その観点から考えますと,今の中田委員の御指摘のような,言葉遣いについて,多層的に,幾つかの局面で配慮をするということが特に望ましい,必要になってくる立法かと思って伺いました。   事務当局では,国語学者に意見を聞いていただくこともしていただいたわけですけれども,今のような観点からも,用語の設定の仕方について,更に検討していただき,皆様の方からも是非,お知恵や工夫を出していただければと思います。   ほかにいかがでございましょうか。よろしいでしょうか。   部会資料6のうち,第1については御意見を頂きましたが,甲案をそのまま支持するという御意見は特に見当たらなかったと認識をしています。丙案について,これが基本的によいのではないかという御意見が多かったと思いますけれども,この規定の書きぶりの問題を始めといたしまして,人格の尊重,それから体罰という言葉をどうするかといったことについて,様々な御意見を頂いたと受け止めております。   さらに,乙案の考え方もこの段階で捨ててしまうのではなくて,適切なメッセージを発し,この立法について,広い意味でのコンセンサスを得るという観点から,なお工夫ができるのではないか,検討したらいいのではないかという御指摘を頂いたと受け止めております。   第1については,差し当たり,そのようなまとめをさせていただきますけれども,第2の懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項というのもございまして,こちらについては,今のところ,特に御意見を頂いておりません。今日のところは,この第2の部分については,持ち越しということにさせていただきたいと思います。   第1につきましては,先ほどのような,一応の整理でよろしゅうございますでしょうか。 (→異議なし)   では,第1につきましては,先ほどのような意見分布であったと理解させていただき,第2の部分は次回に持ち越しということにさせていただきたいと思います。   次回の議事日程等につきまして,事務当局の方から御説明を頂きたいと思います。 ○平田幹事 次回の日程につきましては,日時は令和2年2月25日の火曜日,午後1時30分から午後5時30分までとなります。会議室につきましては,法務省の20階の第1会議室になります。   次回のテーマにつきましては,本日,懲戒権に関する議論が残りましたので,引き続きその議論をしていただくほか,嫡出推定制度等について御議論いただくことを考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは,法制審議会民法(親子法制)部会の第6回会議をこれで閉会させていただきます。本日も熱心な御審議を賜りまして,ありがとうございました。閉会いたします。 -了-