法制審議会 民法(親子法制)部会 第10回会議 議事録 第1 日 時  令和2年9月8日(火)自 午後1時30分                    至 午後5時25分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  懲戒権に関する規定の見直しについての検討(三読)         嫡出否認制度の見直し(3)-その他の見直し-(二読)         嫡出推定制度に関する更なる課題 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは,予定しておりました時刻になりましたので,法制審議会民法(親子法制)部会の第10回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中御出席を頂きまして,誠にありがとうございます。   今回も,前回から引き続きウェブ参加併用となっております。   それから,議事に入ります前に,人事異動の関係で委員等に異動が生じておりますので,御紹介をいたします。 (委員等の自己紹介につき省略) ○大村部会長 皆様,どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。   それから,本日は山本委員が御欠席と承っております。   それから,次に配布資料の確認をさせていただきます。事務当局の方でお願いいたします。 ○濱岡関係官 今回の配布資料として,部会資料10-1,10-2がございます。   また,参考資料としましては,厚生労働省における体罰等によらない子育ての推進に関する検討会関係の資料として,参考資料10-1(1)から(4)が,木村幹事によるドイツ法に関する資料として,参考資料10-2がございます。  山本委員提供資料は,本日御欠席されておられますが,山本委員の意見書になります。 ○大村部会長 ありがとうございます。お手元の資料を御確認いただければと思います。   そこで,本日の審議に入らせていただきますが,本日は懲戒権に関する規定の見直しと,それから嫡出推定制度に関する規定の見直し,この2項目について御審議を頂きたいと考えております。   まず,部会資料の10-2の「懲戒権に関する規定の見直し」につきまして御議論を頂き,次に部会資料10-1の第5の「1 嫡出の承認の制度の見直し」と,それから2の「推定の及ばない子に関する外観説の明文化」,これらにつきまして御議論を頂き,最後に,部会資料10-1の第6の「嫡出推定制度に関する更なる課題」につきまして御議論を頂きたいと考えております。   資料番号と御審議いただく順序が逆になっておりますけれども,まとまりとしてはこの方がよろしいのではないかと考えまして,このようにさせていただきました。   そこで,最初に懲戒権に関する規定の見直しに関する御審議を頂きたいと思いますが,それに先立ちまして,事務当局の方から部会資料10-2について説明を頂き,その後,中野幹事から参考資料10-1についての御説明,さらに,木村幹事から懲戒権に関する海外法制の調査報告としてドイツ法についての説明を頂きたいと思っております。   これらの御説明が終わったところで,御説明に関する質疑の時間を設けたいと考えております。   では,事務当局の方からまず部会資料の10-2について御説明をお願いいたします。 ○砂山関係官 それでは,御説明いたします。お手元の部会資料10-2を御覧ください。   懲戒権に関する規定の見直しに関しては,甲案,乙案,丙案の三つの案を提案させていただいております。甲案,丙案は,部会資料6から引き続き提案するものです。丙案については,部会資料6では体罰の禁止のほか,子の人格を尊重する旨を定めることを提案していましたが,この点については民法第820条の見直しにおいて定めることを提案することとしたため,省いたにとどまるものです。   そこで,新たな提案となる乙案について説明いたします。   部会資料6の第1の乙案では,親権者が行う行為として「訓育」という用語を提案していましたが,今回これを「指示及び指導」とするなどした上で,体罰の禁止を定めることを提案しています。   続きまして,2ページのイです。「指示及び指導」は,児童の権利に関する条約第5条を参考として提案するものであって,一般的によく用いられる用語であり,これらの用語を用いることで親権者が子を教え導くことが一切できなくなるといった懸念にもこたえることができると考えられます。   次に,3ページのウです。第6回会議でも指摘があり,スコットランド法でも用いられていることなどから,「指示及び助言」という用語も考えられるため,本文(注1)に注記しています。   次に,5ページのイでは,体罰の具体的内容等について記載しています。体罰については,1,子に肉体的な苦痛を与えること,2,上記1の肉体的苦痛が子の問題行動に対する制裁として行われることが要素になるとも考えられ,その具体例を示しております。   次に,ウでは,他の法令との整合性等について記載しております。学校教育法第11条における体罰については,上記考え方と大きく異なるものではないと考えられますが,教員等に許される行為の範囲と必ずしも一致する必要はないとも考えられます。   また,児童虐待防止法第14条第1項における体罰についても,上記イの考え方とは表現等には違いがあるものの,その範囲等はおおむね一致するものと考えられます。   次は,7ページのエで,体罰に代わる用語について記載しています。身体的暴力の用語については,道に飛び出そうとする子を引き止める行為等が含まれてしまうのか,逆に,子に長時間正座させるなどの有形力を行使しない態様で身体的苦痛を与える行為は含まれないのかといった点が問題になるとも考えられます。   そのほか,精神的暴力についても禁止すべきとの指摘もありましたが,どの程度の行為が精神的な苦痛を与える行為として禁止されるのかを判別することは極めて困難になると考えられ,精神的な苦痛を加える行為を含めて禁止する定めを置くことは難しいとも考えられます。   9ページの「第2 懲戒権に関する規定の見直しに伴う検討事項」です。   民法第820条について,本文1①においては現行法のとおり提案していますが,親権の義務性を明らかにする規定を設けることは,メッセージ性という意味で意義があるなどの指摘もあり,ブラケットを付して権利と義務の先後を入れ替えることも提案しています。   本文1②は,同法第820条に子の人格を尊重しなければならない旨の規定を設けることを提案するものです。子の人格を尊重することは,監護教育権の総則的な規定と解されている同法第820条に規定を設け,監護教育権の行使全般において子の人格が尊重されるべきことを明らかにするのが相当であるとも考えられます。   以上,これらの点について御意見を頂ければと存じます。   部会資料10-2の説明は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございました。   後で御質問を頂くことにいたしまして,続きまして,中野幹事より参考資料10-1の(1)から(4)までについての御説明をお願いいたします。 ○中野幹事 厚生労働省家庭福祉課長の中野でございます。   私の方からは,参考資料10-1の(1),(2),(3)それから(4),横のものですね,この四つを用いまして,当省にて昨年度開催いたしました検討会,体罰等によらない子育ての推進に関する検討会でございますが,その取りまとめの内容について御説明を申し上げたいと思います。   昨年6月に成立いたしました児童虐待防止法等の改正法,これにおきまして,体罰が禁止されたところでございます。また,改正法の附帯決議におきまして,子どもの権利条約を参考にしながら具体的な例示を示したガイドライン等を早期に作成するとともに,体罰が子どもに与える影響につきまして,広く国民が理解できるよう啓発活動に努めることという内容が決議されたところでございます。   こうした決議等を受けまして,厚生労働省子ども家庭局において昨年9月,この検討会,体罰等によらない子育ての推進に関する検討会を立ち上げたところでございます。   本年2月,第6回の部会におきましては,この検討会の議論の取りまとめの素案をお示しをいたしまして,その後,パブリックコメント等を踏まえた正式な取りまとめをする予定である,その旨御説明を申し上げたところでございます。   本日は,そのパブリックコメントを経た最終的な取りまとめの内容,そこで示されております体罰の考え方について御説明を申し上げたいと思います。   まず,参考資料10-1の(1),縦紙のものでございますが,これはパブリックコメントの結果をお示ししておりますが,詳細について御説明は省略させていただきたいと思いますが,全体で63件御意見を頂いておりまして,左側にその御意見の概要,それから右側にその対応と考え方,それをお示ししているところでございます。対応したもの,対応していないもの,幾つかございますが,個々の説明については,本日は時間の関係で省略をしたいと思います。   さて,それを受けた取りまとめでございます。体罰等によらない子育てのためにという資料という形で最終的に取りまとめをしておりまして,資料10-1の(2),これにその概要のスライド,それから本文ですね,それが参考資料の10-1の(3)縦紙でございますが,そういう形で皆さんのお手元にお配りをしているところでございます。   まず,資料10-1の(2),概要の方を御覧いただければと思います。   身体に何らかの苦痛を引き起こし,又はその不快感を意図的にもたらす行為(罰)である場合は,どんなに軽いものであっても体罰に該当するということとされておりまして,その分かりやすい情報提供ということで,右側に四角の枠でこんなことをしていませんかという言葉で例示をしているところでございまして,例えば,言うことを聞かないので頬を叩いた,あるいは友達を殴ったので同じように子どもを殴った,宿題をしなかったので夕御飯を与えなかったと,こうした具体的な例示をしているところでございます。   ただし,子どもを保護するための行為ということで,例えば道に飛び出しそうな子どもを手でつかむ,あるいは第三者に被害を及ぼすような行為を制止をする行為,例えば他の子どもさんに暴力を振るう等の行為を制止する行為等は体罰に該当しないということとしているところでございます。   次に,法改正の趣旨・啓発というところでございまして,この審議会におきましても,体罰の範囲については詳細な検討を頂いているところでございますが,このたびの児童虐待防止法等の改正の趣旨につきましては,保護者を罰したり追い込むことではなく,子育てを社会全体で応援あるいはサポートをしていくと,体罰によらない子育てを社会全体で推進する取組を進めていくことにございました。   そこで,資料10-1の(4),一番最後のものでございますが,カラー刷りのパンフレットをつけさせていただきました。ここでは,体罰等によらない子育てを広げましょうということで,みんなで育児を支える社会にというキャッチコピーも掲げさせていただいておりまして,表側1ページ目,資料番号のついている方には体罰が子どもの人権侵害であること,それから体罰が子どもの健全な成長・発達に悪影響があることなどを記載しておりまして,続いて裏側,2ページ目でございますが,体罰等によらない子育てを行うための工夫,ポイントを1,2,3,4,5,6,7と七つのポイントを示しまして,そうした工夫を紹介させていただいているところでございます。   こうした媒体も用いながら,厚生労働省としましては体罰等によらない子育ての周知・啓発を引き続き進めていきたいと考えているところでございます。   当方からの説明は以上でございます。 ○大村部会長 どうもありがとうございました。   続きまして,ドイツにおける懲戒権に関する規定等についての調査報告ということで,木村幹事にお願いをいたします。 ○木村(敦)幹事 本来であれば,ほかの外国法調査と一緒に報告させていただくべきところ,報告が遅くなってしまい,申し訳ございません。本日は,要点をかいつまんで報告させていただきます。   まず,配布資料1ページ目についてですけれども,ドイツ民法における親権に関する規定の特徴を簡単にまとめております。   ドイツ民法では,1626条1項に親権,すなわちドイツ法における配慮権に関する規定が置かれています。その具体的内容として,身上配慮,財産配慮,そして法定代理権が含まれるという点では日本と共通しています。その上で,配慮権行使の指導理念としては,子の福祉というものが条文上明確に定められています。   2ページ目に移ります。   このような配慮権に関する規定が定められた歴史的変遷を見てみますと,民法が制定された当初は親の支配的色彩や,父親の権利,父権を中心とした発想が強かったところ,そういった発想が徐々に克服されていったことがわかります。とくに特徴として挙げられるのが,1979年に,親権という単語ですとGewaltという支配力という意味が強いということから,親の配慮という用語への転換が行われたという点です。   加えて,1997年の改正によって,親の配慮の義務的性質を明らかにするために,1626条1項の文言について「義務を負い,権利を有する」という形で,まず義務を負うということが先に書かれているという形の改正が行われています。   続いて,懲戒権に関する規定について見ていきたいと思います。   3ページに移ります。   ドイツ民法の懲戒権に関する規定の変遷をおおまかにまとめると,次のようになります。   民法が制定された当初は,懲戒権が定められていましたが,その後,規定が削除されることになります。しかし,慣習あるいは判例を通じて親による懲戒権行使は認められるとの解釈が長い間採られてきました。   その後,幾つかの改正を経て,2000年の改正によって,暴力によらず教育を受ける子どもの権利が明文化され,体罰等の禁止を定めた規定が設けられます。この規定をもって,少なくとも民法学においては体罰や精神的侵害に当たる行為が一切禁止されているという解釈がとられていると現行法上の内容を見ることができると思います。   まず3ページに記述した通り,民法制定当初においては,1631条2項において父親が子どもに対して相当の懲戒手段を用いることができると定められていました。その後,この規定は削除されたのですけれども,先ほど述べたように判例などを通じて懲戒権があるということ自体は肯定されていたわけです。   そのような内容が若干変わってきたのが,4ページ以下で示している1979年の改正以降になります。   5ページに記述しておりますけれども,1979年の配慮法によって,屈辱的な教育措置は許されないという形の明文規定が設けられます。この屈辱的教育措置については,2)で書いてあるように,不適当な身体的処罰に限らず,教育を理由としては正当化できない程度に子どもの名誉や自己評価を侵害するようなその他の行為一般も含まれると解されていました。   もっとも,屈辱的かどうかの判断に当たっては,体罰の方法,その程度や長さを踏まえて総合的に判断されると考えられていたわけです。この規定においての特徴については,更に6ページを見ていただきたいと思います。   この1979年の改正では,屈辱的な教育措置が禁止されるという文言になっており,懲戒権を一般的に禁止するという旨の規定は設けられませんでした。これは,あらゆる身体的懲戒を厳格に禁止することによって,当該行為が虐待の程度に至らない場合であっても,その行為が犯罪として扱われることが懸念されたことによります。   そういった意味で,教育を目的とした動機が認められ,懲戒権の行使に当たると考えられる場合には,刑法上の傷害罪には当たらないというような理解が採られていたわけです。   これが1979年法の特徴になっています。   これに対して,更に改正が行われたのが1997年になっております。この1997年の改正によって,7ページで示しているような条文となりました。つまり,屈辱的な教育措置,特に身体的並びに精神的虐待は許されないという形に規定されたわけです。この規定の改正においては,屈辱的な教育措置として身体的虐待と精神的虐待が挙げられるということで,その内容が明文化され,明確になったということが一つの特徴として挙げられることになります。   さらに,この規定の特徴については,次の8ページ以下で示してありますように,身体的虐待と精神的虐待が許容されないと定めることで,許容される教育的措置とそうでないものの区別が具体的な形で明示されたということになっています。   この点について,立法者の考え方を踏まえると,親の行為の不適切性の判断においては,身体的への物理力の行使の動機やきっかけを考慮することができるとの理解が示されていると解することができます。   他方で,刑法上の正当化事由としての懲戒権については,97年の改正をもって刑法上,懲戒権による正当化は認められなくなったという理解が一般的に示されているところです。   さらに,現行法のベースになっているのが,9ページ以下で示している2000年改正です。この2000年改正において,10ページで記載したような条文が定められました。つまり,「子は暴力によらず教育される権利を有する。体罰,精神的侵害及びその他の屈辱的な措置は許されない」という規定に改正されているわけです。   この規定の特徴は,まず子どもの権利として,暴力によらず教育される権利を有するという内容が設けられていることです。この点について,確かに子どもの尊厳,人格を尊重するという意味が込められているとともに,親に対しての要請という形を採ってしまうと,親が自分の教育スタイルと違うということで受け入れない可能性があるということから,まさに子どもの権利としてこういった内容が尊重されるべきだというメッセージ性を込めたという説明がなされています。   そして,現行法の解釈に関して,この体罰の禁止,そして精神的侵害の内容については11ページ以下で説明をしております。体罰というものについては,虐待の程度,虐待と言えるような程度にまで達していないものであったとしても,およそ一切の体罰は認められないことを意味しているというのが,この2000年改正の立法者の意図した点です。   さらに,精神的侵害というものに当たるものも,この2000年改正をもって明示的に許されないものとして含まれることになりました。   具体的な行為としてどのようなものが含まれるかについては,13ページ以下で示している通り,学説上様々な見解が主張されています。   13ページの5の2)で挙げているように,身体への軽微な程度の暴力においても体罰に当たるのかという点が学説上議論の対象になっていますが,有力な見解は,14ページで示しているように,軽微な有形力の行使に当たるものであったとしても一切許されないとの立場を採っていると思われます。   そのほか,子どもや第三者を危険から回避することを目的とした行為などは許されるとの解釈が示されています。刑法上の問題などについても,様々な見解が主張されているようですので,15ページ以下を見ておいていただければと思います。   このように,1631条2項においていかなる体罰も許されないといったような規定が設けられていますが,この規定に違反をすることによって,どのような効果が生じるかについては,16ページ以下で記述しているとおりです。この点について,2000年改正の目的としては,親に刑罰を与えるのではなく,まず援助をするということがスローガンとして掲げられていたのであり,そのため直ちに民事あるいは刑事上の制裁が科されるわけではないという説明がなされています。   ただ,17ページ以下で示していますように,民法1666条が定める裁判所の介入などが必要とされるような要件を満たす場合に当たるのであれば,1631条の2項の違反をもって裁判所が介入をして配慮権の剝奪などが認められる可能性があります。   そして,最後になりますが,18ページ以下でドイツ民法における居所指定権そして職業許可に関する規定についての解説を簡単に書いております。   ドイツ民法においては,先ほど冒頭で述べたように,1631条において身上配慮に関する規定が設けられています。そして,ドイツ民法では,この規定に引き続き,とくに不可欠なものに限って,具体的な明文規定が設けられているようです。   この点について,たとえば,居所指定権は1631条においてその明文規定があるわけですが,これは,居所指定権は親が子の世話,教育及び監督をするに当たって不可欠な権利であるという理解から,具体的に明文規定が設けられているわけです。   他方で,職業許可については,明文規定はありませんけれども,職業選択に関する事柄については親が子の適性などを考慮しなければならないという形での規定が置かれております。   すみません,駆け足でのご説明となりましたが,ドイツ法に関する報告は以上になっております。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは,事務当局からの御説明と,それから今の二つの御説明を含めて,まず質問があれば伺います。どなたからでもどうぞ。特に質問はございませんでしょうか。 ○棚村委員 すみません,ちょっと質問をさせていただきます。乙案でいきますと822条を必要な指示及び指導ということで整理をしていただいたということなのですけれども,これは結局,懲戒権について文言を少し穏やかにするというんですか,そういう趣旨だと思います。しかしながら言葉を変えたとしても,懲戒権的な意味合いとか機能みたいなものは残るのではないか。乙案は要するに子育てとしてこの範囲のことはできるという意味で文言を提案されているということでよろしいのでしょうか。 ○平田幹事 基本的に,子育てとしてこういうことはできるという趣旨も含んでおりますけれども,従前の懲戒権で懸念されていたようなものはもちろん払拭するという観点と体罰の禁止は明示で定めるという観点から提案させていただいております。 ○棚村委員 分かりました。 ○大村部会長 よろしいですか。そのほかにいかがでしょうか。 ○幡野幹事 木村幹事に御質問がございます。大変貴重な御報告ありがとうございました。   10ページの2000年改正を受けて,この1631条というのが現行法という理解でよろしいでしょうか。 ○木村(敦)幹事 はい。 ○幡野幹事 10ページに条文があって,1631条2項というのがあるんですけれども,これが現在の最新の法状態ということで大丈夫でしょうか。 ○木村(敦)幹事 はい。 ○幡野幹事 それを前提にお伺いしたいのですけれども,ここで暴力という文言と体罰という文言が使われているのですが,暴力によらずに教育される権利というときは暴力という言葉があって,その後に体罰という言葉が続いています。ここには意図的な使い分けといいましょうか,両者の文言の関係についても一定の理解というのがあるということでよろしいでしょうか。   どういう問題意識でお伺いしているかというと,体罰というのはやはり何か子どもが問題行動を起こしたときに,それに対する制裁という文脈でこの文言が使われており,それに対して最初にある暴力によらずに教育される権利というのは,そういった文脈を問わず,一般的に身体的な暴力を禁止する意味を有するように思われます。このように文脈があっての文言と,そうでなくより一般的な文言という使い分けがあるという読み方でいいのかについて,もし御存じのことがあればお教えいただければと思います。 ○木村(敦)幹事 幡野先生,御質問ありがとうございました。   一応,立法理由においては,配布資料11ページで書いているように,暴力によらず教育を受ける権利の具体化として体罰,そして精神的侵害その他の屈辱的な措置を示したとの説明がなされているところです。ただ,幡野先生の問題関心に即して御説明するならば,暴力あるいは有形力の行使に当たる行為が全て体罰とイコールとして捉えられている,言い換えると,暴力,有形力に当たる行使は一切禁止されているのかという点については,学説上解釈が分かれている,あるいは必ずしも一致した理解があるようには思われないところがあります。   というのは,14ページで示したように,有形力の行使に当たるもののうち,第三者や子どもを危険から回避することを目的とした行為自体は許容されているとの理解は広く共有されているようですが,このほか,学説上も議論が固まってはいないのですけれども,教育的措置をまさにその場で実行する,直接的履行として行われる有形力の行使自体は許容されるのではないかといった解釈論も示されているところです。   例えば夜の街に遊びに行こうとする子どもを引き止める際に何かしらの有形力の行使をするとか,スーパーでだだをこねる子どもを抱きかかえて運ぶような有形力の行使自体は許容されているとの考えが唱えられていることもあります。もっとも,こういった有形力の行使自体が暴力であると捉えられているわけでもないようにも思われます。お答えとしては曖昧な点もありますが,調べた範囲内でのご説明は以上です。申し訳ございません。 ○幡野幹事 どうもありがとうございました。 ○大村部会長 そのほかにいかがでしょうか。 ○棚村委員 木村先生に御質問が一つあります。ドイツの懲戒権に関する民法の規定の変遷について,非常に分かりやすく解説をしていただき,ありがとうございました。そこで,ドイツでは,懲戒権についての規定があった当時,それから削除されたり,この2000年の立法のときも相次いで短い期間で改正がなされているのですけれども,この規定の改正のときにも書かれているようですが,ドイツでも家庭の中で暴力みたいなことがまかり通ってしまっていたとのことでした。しつけとかそういう親の教育という名目で,行き過ぎた行為もかなりあったのではないかという点についての統計的なものとか調査はあるのでしょうか。立法のところでは9ページのところで幾つか立法資料で民間のデータが出ているということが明らかにされていますけれども,2000年の改正によって親の行き過ぎたしつけがどういうふうに変化したかというデータとか,調査結果等があるとすれば,教えていただけると助かります。日本の場合も民法の規定を変えることによって,社会全体に対してどんな効果があり得るかという点で,北欧の国とかいろいろなところの変化については少し見聞きはしていますので,ドイツのことで,もし国民の意識の変化などについての調査したデータがあれば教えていただきたいと思って御質問しました。 ○木村(敦)幹事 御質問ありがとうございます。   正確に覚えていないのですけれども,ドイツでも2000年以降,家庭内での体罰などが減ったといった統計データがあったかのように記憶しております。また分かり次第お知らせしたいと思います。   棚村先生のご発言に関連しますが,北欧諸国については,体罰の禁止や暴力を明示的に禁止するという規定の制定を契機として,体罰や子どもへの暴力が減ったとの統計データがあり,このことが,ドイツ法の2000年改正の際に改正の必要性を基礎づける根拠の一つとして挙げられておりました。ドイツ法の改正にあたっては, そういった北欧のデータが参考にされていたということを申し添えておきます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ほかはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは,また御意見を頂く中で,関連して御質問がありましたら頂くということで,先に進めさせていただきたいと思います。   では,資料の10-2「懲戒権に関する規定の見直しについての検討」,これにつきまして御意見を頂きたいと思います。どなたからでも結構ですので,御自由に御発言を頂きたいと思います。 ○磯谷委員 今回の事務当局にまとめていただいたものについて,基本的には本当に歓迎したいと思います。長く子どもの虐待問題に関わってきた立場からしますと,この会議の冒頭でも申し上げましたけれども,やはり児童虐待は駄目だということが言われても,民法という親子関係の基本的な規律の中で懲戒権というものが存在していると,積極的にそれが存在しているということから,やはり何か許されるものがあるのではないかといったような疑念が生じて,なかなか徹底することが難しかったわけですけれども,今回,第1の甲案から丙案まで,どれも懲戒権規定が削除する点では共通しており,大変意義があることだと思っております。   どの案も,何か決定的に問題があるとは考えておりませんけれども,しかしながら,結論的には丙案が適当ではないかと考えております。   まず,体罰の禁止は,今般児童虐待の防止等に関する法律等の中においても定められたところではございますけれども,親子関係を規律する基本法であるこの民法の中で改めてそれを書くということは,やはり大きな意義があるんだろうと思っております。   その上で,乙案についてですけれども,今回,訓育という言葉ではなく,指示及び指導という言葉を頂きました。ただ,やはりこの指示及び指導ということと,820条の定める監護教育との違いというのが一体何なのか,結局その820条をある意味言い換えたにすぎないのではないかというところの疑念というのは少しまだ残るのではないかと思っております。   そもそもこういった言葉を入れるのは,一般の方々が懲戒権が削除されると「しつけ」ができなくなってしまうのではないかという誤解を生じかねないというところが出発点だったと思いますけれども,しかしながら,再三出ていますように,この820条自体で監護教育ということが定められ,また先ほど厚生労働省からも御紹介がありましたように,体罰に頼らない子育てということで,国もかなり精力的に広報活動をしていることも踏まえますと,果たして民法がそこまで配慮する必要があるのかというところは引き続き疑問があります。   加えて,この指示及び指導という言葉そのものが,児童の権利条約の5条を参照されたということですけれども,この5条の方は,よく見ますと児童の発達しつつある能力に適合する方法で適当なという修飾語といいますか,語句がございます。ある意味で,民法はそれを外したのかというふうなことになりますと,なぜ外したのかとか,そういった余計な疑念というものも出てきかねないのではないかと思います。   また,指導という言葉自体も,やはり最近教育における指導死ということも報道されておりますけれども,指導という言葉がやや強い内容として受け止められているというふうなこともありますので,あえてこういうふうな言葉を入れる必要性は薄いのではないか。そのように考えますと,シンプルにこの丙案というところが望ましいのではないかなと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   全体の方向性について積極的に評価をしていただいた上で,甲乙丙の中では丙案がよろしいのではないかという御意見を述べていただきました。   他の委員・幹事の方,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 磯谷委員がお話をしてくださったように,私もこの甲案,乙案,丙案ということですと,やはり丙案がいいのかなという印象を持っています。やはり乙案については,先ほども御質問の中でもお話をしましたけれども,懲戒権をなくすというような形で進んでいる中で,必要な,あるいは相当な範囲での指示とか指導とか助言とかいろいろ,訓育とかいろいろな言葉も出てきましたけれども,虐待の事件,痛ましい事件を見ましても,親がむしろ教育だとか指導だとか,そういうことを名目にして,行き過ぎた行為,人格を損なうような行為を行ってしまって,後でそれを言い訳というか弁解のような形で使っているというのが少なくはないという印象がぬぐえません。   そうすると,言葉を置き換えただけでは,親がその趣旨を誤解をしたり,あるいは自分のやっていることを正当化するとか,言い訳として使うような危険というのは払拭できないように思われます。   さらにまた,海外のいろいろな国々の立法,ドイツについては木村幹事からも詳細にお話を伺いましたけれども,暴力によらないで子どもは教育を受ける権利があるのだという子どもの権利主体性の問題,それから,親であっても子どもをコントロールできる,支配をするという考え方ではなくて,子どもに対する指導,教育とか適切な範囲で子育てをする責務があるということを明確にする必要があると思っています。   そうしますと,最初に出ていたように,子どもの人格を尊重するということと,それから体罰を含めてしつけ名目でも行き過ぎた行為,あるいは子ども自身の人権とか人格を著しく損なうような行為,ドイツだと屈辱的な教育措置というような形で表現をされたりします。いずれにしても,やっていいことと,やってはいけないことを明確にする必要があると思います。もっとも,民法の規定を変えたからというので直ちに虐待とかネグレクトとか,不適切な養育がなくなるわけではもちろんありません。むしろ教育的な様々な働きかけや支援みたいなことを通じて,民法の規定も体罰とかあるいはこういう懲戒とか,要するにしつけ名目で行き過ぎた行為はやってはならないんだということを明らかに宣言をしていくといことはとても重要です。民法が明確な規定をおき,暴力や尊厳を傷つける行為の禁止,子の人格の尊重を謳うことは,教育啓発やシンボリックな意味での効果はものすごくあるのではないかと思います。   そうしますと,もちろん削除をするということも重要ですけれども,それに代わって,積極的に規定をもうけていくことにも大きな意味があるように思います。すでに,2011年には,子どもの利益というのが820条の目的規定として入っており,大村先生が前にやられた民法改正において児童虐待の防止という中で明らかにされています。後の提案とも関係しますけれども,820条の中にやはり体罰の禁止ということを入れるとともに,それから人格の尊重ということを含めて規定する。要するに,そういう一環の中で改正が議論をされて,進んでいくといいなと考えております。長くなりました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   棚村委員からも,甲乙丙の中では最終的に丙案がよろしいのではないかという御発言を頂いております。   木村幹事から手が挙がったようですので,次に木村幹事,どうぞ。 ○木村(敦)幹事 すみません,先ほど棚村先生に御質問を頂いた点の補足をさせていただきたいと思いまして,今よろしいでしょうか。   すみません,2000年のドイツ法の改正を受けて,実際に統計データとしてどのようなものがあるかというのが御質問の御趣旨だったと記憶しております。この点について,資料の9ページなどで挙げている1990年代からBussmannという方を中心とした統計データがあるのですけれども,このBussmannが2001年に更に統計をとっているようです。その詳細データを今確認することはできないのですが,ある論稿によりますと, そのBussmannの2001年の統計データを踏まえると,子どもに対する家庭内暴力が顕在的に減少したことについて,2000年の改正が影響を与えたという分析ができる, との指摘があるようです。すみません,その点だけ補足させていただきたいと思います。失礼致しました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは,続けて御意見を頂きたいと思いますが,山根委員,どうぞ。 ○山根委員 まず,822条に体罰は加えてはならないという言葉を入れることには賛成です。それと,820条の方に子の人権の尊重という言葉も入れることに賛成です。   それで,指示及び指導あるいは助言という言葉についてなんですけれども,しつけに代わる言葉,訓育よりも,そしてなじみやすい言葉ということで熱心に探していただいたとは思うんですけれども,やはり何々ができるという言葉を置くことで,いろいろまた誤解というのかが生まれる気もします。体罰はできないけれども何々はできるといった場合に,また言い訳の範囲が広がってしまうような気がしています。   できるということを置くよりは,やはり駄目なことをしっかり文として置いて,以前私も何かできるようなことを書かないと何もできなくなるということで親が恐れたり伸び伸びとした子育てができなくなるような,そういう懸念もあるというようなことも述べたんですけれども,でも,許容されるというふうにするよりは,駄目なものをしっかり示して,逆にそうすることで許容される措置が見えてくるのではないかと,そういうふうにしていかなければいけないのではないか。また文章に書く以外に,そういうことが分かるように,社会というか国として方向を示していく方がいいのかなと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   今,820条についての御意見も出ております。併せてということでも結構ですので,御発言を頂ければと思います。ほかの委員・幹事,いかがでございましょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。   私ども連合としては,子どもの人権を守り,子どもの最善の利益を考慮する観点から,監護および教育に必要な範囲であっても懲戒すべきではないと考えて,この間,当部会におきまして親権における懲戒権規定の廃止を述べてまいりました。   同時に,児童虐待の予防とそれから対応策を強化するため,親権者が子の利益のために子の監護及び教育を行うときなど,いかなる場合であっても子どもに対する体罰を禁止することが必要だと考えています。よって,第820条において子の人格を尊重しなければならない旨の規定を設けることを前提に,懲戒という言葉を用いずに監護および教育において体罰を禁止する丙案に賛成をしたいと思います。   その上で,乙案に関して2点意見を述べさせていただきたいと思います。   3ページ,ウの項で,指示や助言という用語がスコットランド法でも用いられているということなのですが,内容によって訳が変わる場合があるのではないかと思いますので,そこは留意が必要ではないかと考えます。   それと,12ページの指示のところに,指示には指図の意味も含まれていますけれども,指図には,命令して人を動かすといった意味もあることから,解釈によっては,子に対して言葉によって精神的苦痛を与えることも含まれてしまうおそれはないかということ。それから,指導についても,指示を下すという意味を含むことから,誤解が生まれてしまうことはないかと思っています。   それと,5ページのイの子の問題行動ですけれども,子の年齢や発達状況などによって様々であるということは理解できるところでもあるのですけれども,どういったことが子の問題行動となるのか,判断が難しいのではないかとも考えておりますので,意見も含めて述べさせていただきました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでございましょうか。 ○久保野幹事 今御指摘がございましたスコットランドの規定なんですけれども,事前に調べることができていなくて申し訳なかったのですが,原語は児童の権利条約と同じです。 ○大村部会長 ありがとうございました。   訳語の問題はなかなか難しいところがあるのかもしれません。   ほかにいかがでしょうか。幡野幹事,どうぞ。 ○幡野幹事 私も丙案に賛成ではあるんですけれども,若干気になっている部分がありまして,それは体罰という概念についてです。   5ページを見ると,その5ページの真ん中,イの(ア)の3段落目ですか,体罰という概念の定義付けの中に,上記①の肉体的苦痛が児童の問題行動(主観・客観を問わず)に対する制裁として行われることとありまして,かなり定義として文脈が特定された中での概念であるように思われます。丙案の場合,監護教育という820条の一般的な規定の中に体罰規定が置かれることになります。つまり,抽象度の高い規定の中でかなり具体的場面が特定された体罰という概念が用いられることになします。そこで,監護及び教育という一般的な規定に置くのであれば,もう少し概念として広い概念を用いる必要はないのかどうかという点について気になっております。   先ほどドイツ法の紹介がありましたけれども,木村幹事の資料のドイツ法の10ページのところ,先ほど御質問差し上げたところですけれども,体罰という具体的な文言の前に,子は暴力によらずに教育される権利を有するというかなり抽象度の高い一般的な規定を置いております。そういう意味でも,子は暴力によらずに教育される権利を有するといったような一般的な文言を,丙案のように820条と体罰の禁止というものを結び付ける前段階として必要ではないかと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   丙案を支持するけれども,文言については体罰の前にもう少し抽象度の高いものを差し挟むということも考えるべきではないかという御意見だったかと思います。   ほかにはいかがでございましょうか。 ○磯谷委員 先ほど申し上げたとおりでありますけれども,あえて一つ,この体罰についてちょっと補足をしたいと思います。   と申しますのは,先ほどドイツの例が出ておりましたけれども,精神的侵害とか屈辱的な措置という言葉も入っておりました。具体的に考えると,虐待の場面で,例えば罰の一態様としてほかの兄弟とあからさまに差別するとか,そういうこともよく見かけますけれども,恐らくこれは体罰という定義には入ってこないということにはなると思います。   また,子どもたちにあえて恥ずかしい思いをさせるという罰もあったりします。これも体罰という定義には入りにくいと思います。こういったことも広く禁止するため,ドイツも精神的侵害であるとか屈辱的な措置という言葉を使っているのだろうと思うのです。   事務局の方の整理では,特に7ページの下の辺りのところで,精神的暴力に関してですけれども,やはりその範囲が必ずしも明らかではないというふうな話がございます。それ自体は否定しませんけれども,ただ民法における体罰等の禁止規定は,こういってしまうと研究者の先生方には怒られてしまうかもしれませんが,そこまで何かぎちぎちにラインを引かないといけないわけではない,刑法のように処罰の範囲が明確になるように厳密に定義するところまでは要求されないのではないかと考えると,やはり体罰に加えてそういった屈辱的な措置や精神的侵害なども禁止するということはあり得るのではないかと思います。   さはさりながら,820条の方で子どもの人格を尊重するということを設けていただいている,これはとても大きいことでありまして,先ほど申し上げたようなものは,やはり人格を尊重しているとは到底言えないことですので,そこでカバーするという考え方もあり得ると思います。そういう意味で,最終的には,何といいますか,絶対に必要だというところまで強く申し上げることはありませんけれども,希望としては,引き続き体罰に加えてそういった必ずしも体罰に含まれない罰も禁止する方向を検討していただいて,特にこれから中間試案をまとめて一般の方々の御意見も伺うということになると思いますので,そういった御意見も踏まえて更に検討していっていただくとありがたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   丙案を基本的に支持された上で,禁止の範囲をどうするかということについて幾つか御意見を頂いております。それは820条をどう変えるかということとも関連してくるかと思いますので,更に御意見を頂きたいと思いますが,そろそろ休憩したいと思っています。休憩の前に,今までのところ,甲乙丙につきまして,甲案を支持する御意見は見当たらなかったと思います。それから乙案についても,これを積極的に支持する御意見はなく,乙案の指示や指導という工夫については,皆さんから,これをよく考えていただいたという評価を一方でしていただくとともに,それでも濫用や誤解の可能性がなお残るのではないかということで,乙案についても積極的に支持されるというお考えはなかったと認識しております。   もし,甲や乙がよいという御意見があれば今頂きまして,甲乙ではなくて丙を中心に考えるということであれば,更に細かい点につきまして休憩後に伺いたいと思います。   どなたか,今まで出ているのと違う方向での御発言がありましたら頂きたいと思いますが,いかがでしょうか。   それでは,窪田委員,水野委員の順番でお願いいたします。 ○窪田委員 発言させていただきます。   乙案と丙案に関しては,もう丙案の方が圧倒的に支持者が多いということでしたし,その趣旨は十分に理解できました。取り分け乙案に関して言うと,監護及び教育をすることができるということと,そのために必要な指示及び指導をすることができるというのは,やはり一定の重複感があることは否定できないのだろうと思います。   ただ,中間試案をもう出す前の段階で丙案に絞るということに対しては,私自身は若干のためらいがあります。乙案については今申し上げたように重複感はあるのだろうと思いますが,しかし,監護及び教育に向けて一体親が何をすることができるのかというのは,やはり親子法においてはそれなりに意味を持っているのではないかと思います。親に関してはひたすら禁止されることばかりが規定されるというのではなくて,何ができるのかということです。もちろん指示及び指導というふうな言葉があれば,これを契機としてということになるかもしれませんが,恐らくそういう人たちは監護及び教育という言葉であってもそれを契機として暴力を振るうのかもしれませんし,先ほど言ったように重複感があるとしても,乙案のように一定のことができるとした上で,ただし体罰を加えることはできないという,これは非常に明確な形で規定されていますので,少なくとも中間試案に向けての案としては,乙案はやはり残しておくのが適当なのではないのかと思います。丙案の趣旨は非常によく分かるんですが,全体的にまとめるとしたらそういうふうに考えてはどうかという意見でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   水野委員,続けてお願いいたします。 ○水野委員 ありがとうございます。   窪田委員と要するに同じ意見でございます。中間試案の段階ではまだ乙案を残しておいた方がいいのではないかという意見です。理由につきましても窪田委員と同様です。 ○大村部会長 窪田委員も水野委員も,必ずしも積極的に乙案を支持するというわけではないけれども,選択肢としてはなおしばらくの間,乙案も残しておく必要があるのではないかという御意見として承りました。   中田委員からも御発言があるようですが,中田委員,お願いいたします。 ○中田委員 私も,ただいまのお二人のお考えと同様でございます。少なくとも中間試案の段階では,丙と乙を併記するのか,あるいは乙の方を(注)という形にするのかは分かりませんけれども,ただこういう形も選択肢としては残しておく。その言葉はいろいろあると思いますが,結局は何かができるというポジティブなことを書けるかどうかということになると思うんですけれども,その選択肢は,今の段階では残しておいていいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   中田委員からも今のような御発言がございましたけれども,先ほどの丙案支持の御意見を披露された委員・幹事,この点についてはいかがでございましょうか。よろしいでしょうか。 ○棚村委員 中間試案では幅広く御意見を聞くという意味もありますので,乙案を併記することに賛成します。 ○大村部会長 それでは,甲案については支持がないので,これについては落とすということにしますが,丙案,乙案につきましては,丙,乙という順にするか,あるいは丙を本案とし,乙を(注)とするかといった問題はあるかと思いますけれども,中間試案の段階では乙案も選択肢として残しておく。ただ,この会議の席では,丙案が多数意見として支持されているということで,取りあえずまとめさせていただきます。先ほど申し上げましたように,休憩を挟みまして,丙案についての更なる御意見,あるいは820条の方についての御意見を承りたいと考えておりますが,もし休憩前に特に御発言があれば頂きますが,よろしいでしょうか。   それでは,休憩いたします。           (休     憩) ○大村部会長 それでは,再開したいと思います。   先ほどは資料の10-2の第1につきまして主として御意見を頂きました。乙案と丙案とを中間試案では併記するという方向が示されましたが,仮に丙案を採るとしても,なお検討すべき点があるのではないかという御指摘もあったところでございます。   それとの関係で,第2の1の820条に関する問題につきましても,併せて御意見を頂ければと思います。いかがでございましょうか。 ○大森幹事 先ほどの議論に関連して意見を申し上げさせていただきます。   体罰を禁止するという文言を入れることには私も賛成します。他方で,体罰には含まれないけれども不適切な行為について,どうするかという課題がまだ残っていると思われます。   先ほど磯谷先生からも具体例を提示していただきましたけれども,参考資料10-1の(3),厚労省の資料の7ページを見ていただきますと,体罰には含まれないけれども,子どもの人格を損なうような行為として具体的に列記されているものがございます。これらをどうにか法文に落とし込むということができないかということについての検討は,引き続き行うことが大切ではないかと思う次第でございます。   部会資料7ページに,精神的暴力という言葉について中身が不明確ではないかと記載されていますが,本日,ドイツ法では精神的侵害その他屈辱的な措置という文言を使われているという御報告があったことも踏まえて,何か適当な文言がないか,という点は引き続き検討していただく,あるいは中間試案に向けて(注)書きで付記することを検討していただくことをお願いしたいと思う次第です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   休憩前に体罰という文言に含まれないようなものについても何か対応することができないだろうかという御意見がありましたけれども,それに賛同する御意見ということで,更に検討をすることにしてはどうかという御指摘を頂いたと思って伺いました。ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 私も今の大森幹事とか磯谷委員と同じ意見でして,それから幡野幹事もおっしゃっていたこともそうだと思うのですけれども,体罰ということですと,いかに定義をとっても,少し狭い感じを受けています。海外の法制とか条文を少し見てみますと,スウェーデンでも,人格・個性の尊重ということと,そのほか,体罰またそのほかいかなる屈辱的な扱いも子どもは受けないという形になっていたりします。   それから,フィンランドなんかも子どもは抑圧とか体罰とか,訳にもよりますけれども,そのほか屈辱の対象とはされないとか規定されています。要するに,子は辱めを受けないとか,成長・発達が支援をされるとか,こういうような規定を設けている国もあります。   多分,幡野幹事が詳しいと思いますが,フランス民法の直近の改正なんかも,やはり体罰だけではなくて身体的それから精神的な虐待とか暴力とかということを入れていたりすると思います。   それから,表現によるのですけれども,ドイツもやはり屈辱的な措置とか身体的・精神的な暴力とか虐待というのは,精神的な侵害というような訳になったり,いろいろあると思いますけれども,そういう意味では,体罰や暴力に限らず,精神的な侵害などのような表現を用いて,ほかの海外の立法例にも倣って少し広げていく必要があるのではないかなと考えております。体罰・暴力に限らず,もう少し広げられないかということを少し検討していただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   体罰という表現がやや狭くないかという意見が相次いでおりますけれども,ほかの委員・幹事,いかがでございましょうか。あるいは820条の方で一定程度対応されることになるのだろうという御趣旨の御発言が先ほど磯谷委員からもございましたけれども,そちらの方についても御意見を頂ければと思いますが。 ○窪田委員 少し発言をさせていただきたいと思います。   体罰という概念がかなり狭い概念ではないか,その周辺にもっと拾うべきものがあるのではないかという,問題の御指摘はよく分かります。よく分かるのですが,ちょっと議論を整理する上でも,もう禁止できることを全部片っ端から挙げるということなのかという点について考えてみてはどうかと思います。私自身はこの体罰が禁止されるという点については,本来はやはり監護教育という枠組みの中で,懲戒というものも認められていた,そうした中で,体罰というのは,単なる暴力ではなくて罰としてやるものだから教育の一環なんだといった主張があり得たのに対して,体罰を禁止するということなのだろうと思います。   ある意味で,ここに何も書かなかったとしても,物理的な,身体的な侵害が許されないのは当たり前なのだろうと思います。それを親権のところに書かなければいけないかというと,多分それはもう民法709条の問題とかそういうレベルの話なのだろうと思います。   ですから,許されないこと,親がやってはいけないことというのはたくさんあると思うのですが,親権の中で書くべきことと,そうではないことというのについて,少し整理して議論した方がいいのかなという気はいたします。その上で,これが十分かどうかという点はありますけれども,磯谷先生から御指摘があったように,820条で子の人格を尊重しなければならないということを置くことによって,精神的な虐待とか,そうしたものに関してはある程度カバーできるということになるのだろうなと思っております。   ちょっとここから後,木村先生に急に振ることになって迷惑かもしれませんが,先ほど木村先生の御報告の中で10ページ,最新の内容ということで1631条が挙がっておりました。なるほど,この規定を手掛かりにして今もう少し幅を広げることができるのではないかというお話で終わったのですが,ここでは三つのことが禁止されています。体罰,(Köperliche Bestaften)と,精神的侵害(seeliche Verletzungen)というのがあり,身体的暴力あるいは身体的侵害(Köperliche Verletzungen)ですが,よくわからないのは,身体的侵害ということであれば精神的侵害と並ぶわけですが,他方,体罰という形で身体的な罰を与える,Bestaftenというのは罰を与えるという意味ですが,それと,精神的侵害の方は教育とか罰だとかそういうことを何も言わずに単なる不法行為あるいは侵害という意味のVerletzungenという言葉を使っていますので,1631条がどういう構造の規定なのかなというのが分かりませんでした。   つまり,罰でもない精神的侵害や屈辱的な措置というのは,そもそもここに規定されなくてもドイツ法でも許されないのではないかと思います。すでに御説明があったのかもしれませんが,その辺りについて何か教えていただけたらありがたいと思います。木村先生には迷惑な質問になってしまったかもしれませんが,発言させていただきました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   親権の行使ということで許容されるかに見えるものを否定することに主眼があるというのが窪田委員の今の御発言だったかと思いますけれども,それとの関係で,ドイツ法の1631条の文言の意味ないし由来についての御質問があったと思いますが,木村幹事の方で何かお答えいただけることがありましたらお願いをいたします。 ○木村(敦)幹事 窪田先生の御質問の趣旨は理解できたと思うのですが,直接的に明確な答えができず,幾つか手掛かりになる事柄だけを挙げさせて頂ければと存じます。精神的侵害,seeliche Verletzungenに関する説明内容を確認しますと,そこでは,必ずしも行為の対応や目的,つまり罰として行われているかどうかということを一切問うことなく,結果として子どもの精神的侵害を与える行為を全て禁止するという趣旨になっていると考えることができそうです。   となると,では, なぜ身体的暴力については体罰という形で限定をされているのかということになるか, との疑問が生じるわけですが,その点については,必ずしも明確な説明はなされていないように思います。   この点について,窪田先生のお話を踏まえた上での私個人の推測ですけれども,暴力行為や身体的な侵害を与えるような行為は基本的にドイツ法でも一切禁止されていると思います。ただ,その中でも,やはり懲戒という形での行為,つまり子どもがした行為について何かしら罰として与える行為自体は許容されるという理解が長い間とられていた。ドイツでは,こうした歴史的経緯を踏まえて,とくに体罰については許されないという形で規定をされていると考えることができるのではないか,説明できるのではないかと言えそうです。   この点について,お配りした資料でも, 判例などにおいて, 子どもに対して行われた身体的な暴力に当たるような行為について,それが懲戒権の行使として正当化されるという判断が幾つか示されていたことを紹介しております。そういった行為であったとしても許されないということを条文化するべきであるとの意識から,体罰禁止が明確に規定されているのではないか,という一つの推測がなりたつように思います。あくまで個人的推察にすぎませんが。 ○窪田委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでございましょうか。御発言ございませんでしょうか。   今のところ,820条の②については積極的な御意見を頂いていると受け止めておりますけれども,この点について,あるいは①の方で権利と義務の順序をどうするかという問題もございますが,その辺りも含めまして,何か御発言があれば頂きたいと思いますが,いかがでございましょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。   民法の他の規定に影響しないということであれば,第820条に子の人格を尊重しなければならない旨の規定を設けることはよいと思っています。   同条の子の利益のためにとの定めと重複するとありますけれども,親が親自身と子の価値観が同じと思い込む傾向が強いことを考えると,条文上に子の人格を尊重しなければならないと明記することで,行為指針を示すものとなるのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでございましょうか。 ○大森幹事 9ページの1①の権利と義務の順序をどうするかという点について,先ほどの懲戒権の規定と同じように,個人的にはメッセージ性が重要と考えており,順序を入れ替えることも十分あり得るのではないかと思うのですが,この点も併記していただいた上で中間試案として残していただくことでいかがでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ①については両案を中間試案には併記して,意見を伺うというのがよいのではないかという御意見,それから,②については大きな支障がなければこのようなものを置いた方がよいのではないかという御意見を頂いております。   そのほかに何かございますでしょうか。   第2の2の居所指定権や職業許可権も含めまして,第2全般につきまして,更に御意見があれば頂きたいと思います。いかがでしょうか。   特に御発言ございませんでしょうか。第2についてはこのような方向で進めるということでよろしいということでしょうか。   それでは,この第2につきましては,資料に書かれている方向で今後細部を詰めていくということにさせていただきたいと思います。権利義務の点につきましては,先ほど御指摘ありましたけれども,どちらの選択肢も残しておくということにさせていただきたいと思います。   資料10-2につきまして,全体として更に追加の御発言があれば伺いたいと思いますけれども,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 先ほど窪田委員の方からやはり体罰ということで十分だというのですか,少なくとも民法の規定はそれでいいのではなかろうかという御発言があったと思います。ただ,どこの国を見ても,最近はやはり暴力とか虐待というときに,その類型を示したりしながら,精神的・心理的な部分での暴力の問題としてクローズアップされています。どこの国でも,殴った,蹴った,けがをさせたという身体的暴力から,むしろ人格を損ねる行為,あるいは屈辱的な行為をもカバーしようとする顕著な傾向がみられます。しかも,最近は,家庭でも,職場でも,心理的な形で追い込んでいく,モラルハラスメントが注目され,主張されることが多くなっています。ハーグ条約の事案でも,家裁の実務でも,殴っていないから,けがをさせていないからいいんだという主張が結構出てきます。そういう中で相手方を精神的に追い詰めていく,心理的にも追い詰めていくということが,いかに相手方にダメージを与えるかということについては,各国とも認識を強くしてきています。   ただ問題なのは,資料にも書いてありましたように,精神的な侵害やハラスメントなどは,その範囲とか内容,程度,許されるものと許されないものの線引きの問題があり,どこの国もその対応に苦慮しています。しかし,その規定を置かなくていいのかという問題については,民法はその範囲が曖昧だから置かなくていいのかということでいうと,むしろせっかく立法したり改正をするのであれば,精神的に相手を追い詰めるような行為についても,やはり許されないんだというメッセージを明確に示すことは必要であるように思います。   そういう意味では,体罰という言葉に代えて,本来だったら不適切な養育とか,子どもの人格を損ねるような屈辱的な行為は許されないというような表現でもいいのかもしれませんけれども,せっかく厚労省とも時間を掛けて,体罰によらない子育てというような形で従来の概念も生かしつつ,一体何が体罰かという問題もあるでしょうし,それから何が精神的な虐待でありモラルハラスメントなのかという問題は常に出てくるとは思うのですけれども,精神的に相手を追い詰めたり,被害者のふりをして実は加害者になっていくとか,陰湿で悪質な行為に対して,明示したり,明確に許されないことを示す必要はあると思います。暴力,虐待,ハラスメントということが,ある意味では心理的,精神的に相手方に対してダメージを不必要に与えていくという行為に対しては,おそらく連合の井上委員なんかもそうだと思いますけれども,人権侵害や人格侵害に対する社会全体がそれを一つの暴力の形として禁止していたり,許されないということを明らかにしていくということに大きな意味があるように思われます。そういう中で,子ども,子育てとか職場とか学校とか,いろいろなところで安心して自分たちが自分たちらしく生きられるということにつながるのではないかと考えています。   そういう意味で,民法は,そういうことを児童虐待防止法とか,いろいろなところでハラスメントだとかそういうところが個別に規定をされればいいという考え方もあると思うのですけれども,やはり一般の人たちが生活の基本に置かなければいけないような暮らしの基本ルール,その中で暴力とかハラスメントとか,そういう人格を損ねるような行為をしてはいけない,親子の間でも家庭でも夫婦の間でもしてはいけないということを明確に伝える必要があるのではないか。   私は,2007年にカンボジアの民法典を起草したときに,社会主義国法の影響もカンボジアは受けていましたので,フランス法のほかに,家庭の中の暴力,女性に対する暴力の問題が非常に深刻でした。そこで,民法の条文の中で夫婦の間でお互いの人格を尊重する,それから,職業の選択,こういうことも保障するとともに,やはり暴力を禁止するという規定を入れさせてもらいました。これは,そういう機会だから入れることができたと思うのですけれども,今回の民法の改正でも,是非その表現とか書きぶりはちょっと工夫していただいて,精神的な暴力とか精神的な虐待とか,モラルハラスメントのような精神的に追い詰めていく行為に対する何らかのメッセージというものを盛り込めればというのが,私の考えているところです。 ○大村部会長 ありがとうございました。   幾つかの意見が続いて,今,棚村委員から御指摘があったように,精神的なものについても何らかの形で書き込むということを検討できないだろうかという方向での御指摘があったかと思いますが,窪田委員からも手が挙がっていますので,窪田委員にお願いをいたします。 ○窪田委員 ちょっと誤解をされているかもしれませんので,訂正をしていただく必要があると思うんですが,体罰の禁止さえ規定すれば民法としては十分だといった趣旨で申し上げたわけではありません。虐待に関していうと,現在の民法も禁止しているはずです。つまり,親権の停止や喪失の原因になるということは,虐待をしてはいけないということは,もう規範としては存在しているのだろうと思います。ただ,それを更に詳しく書き込むかどうかという問題なのだろうと思います。   体罰に関していうと,親権の行使と一見見えるようだったとしても,体罰は許さないという文脈で,この親権の枠組みの中で書くのは分かるのですが,身体的な虐待であるとか,ネグレクトであるとか,精神的な侮辱行為であるとか,これが許されないのは親権とは関わりなしにそもそも許されないだろうと思います。したがって,虐待を許さないとか,家族間においても暴力を許さないという規定を置くというのは構わないのですが,親権のところに置く話なのか。親権の行使として許さないのではなくて,そもそも禁止されているというだけの話ではないか。そういう趣旨で先ほど発言したということです。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今の窪田委員の御発言を踏まえて言うと,何人かの方がおっしゃったような対応をするとしたら,体罰という概念を何らかの形で拡張する,具体的には,体罰というものが有形力の行使に限られないという形での拡張を検討するといった方向になるのかと思って伺いましたけれども,窪田委員のお考えでも,それは可能だということになりますか。 ○窪田委員 その点をそういう形で対応するというのはあり得ると思います。ただ,それと親子関係で一般的に許されるか許されないかという話をまとめて議論しない方がいいのではないかなという発言でした。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○磯谷委員 今の窪田先生の御意見も踏まえますと,やはり親権のところで書き込む意味というのは,監護教育の一環として罰がなされることについて,注意喚起の意味も含めて禁止していくということ。体罰はそのひとつですけれども,先ほど申し上げたように,きょうだい間の著しい差別などや「お前が悪いことをしたから,これはしては駄目だ」とか,「お前にはこれを与えない」とか,そういうことも罰となり得るんですね。以前,ある施設でしたけれども,罰として調味料を使わせないということがあったケースがありましたけれども,実に様々な罰によって子どもをコントロールしようという事態はあるわけです。   ですから,窪田先生のおっしゃっているところと矛盾しないと思いますけれども,そういった罰,えてして教育の中で行われる罰だけれども体罰には含まれないものを,禁止規定の中にうまく取り込んでいけるといいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか,いかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは,先ほどから出ておりますけれども,体罰という表現を更に広げた形で何かの表現ができるかということと,それから,それが難しいという場合には,最終的には820条と併せて考えるということになるという趣旨のお話がありましたが,その辺については更に検討課題が残るという形で今日のところは引き取らせていただきたいと思いますけれども,よろしいでしょうか。   ありがとうございます。   それでは,この部会資料の10-2につきましては,御意見を頂いたということにさせていただきまして,残りの時間でもう一つの部会資料の10-1の方について御意見を頂きたいと思います。   先ほど申し上げましたけれども,これにつきましては,第5とそれから第6に分けて御説明を頂き,そして意見を頂きたいと思います。   まず,部会資料10-1の第5の「嫡出の承認の制度の見直し」と,それから2の「推定の及ばない子に関する外観説の明文化」と,この2項目を含む第5につきまして,事務当局の方から説明を頂きたいと思います。お願いいたします。 ○濱岡関係官 それでは,御説明いたします。お手元の部会資料の10-1を御覧ください。   第5は嫡出否認制度のその他の見直しについてです。   1についてです。ここでは,民法第766条の嫡出の承認の規律について,否認権者が子の出生後において公正証書により子が母の夫の嫡出であることを承認したときは,その否認権を失うことを提案するものです。   2ページの2で記載しておりますが,これは否認権の行使期間を長くすると,現行法と比較して子の身分関係が不安定になることは否定できず,否認権者が早期に身分関係を確定させたいと考えた場合に,それを実現する手段を認める必要があるとも考えられる一方で,現行法上そのような制度として嫡出の承認の制度があるものの,その要件も不明確であり,実務上利用されていないとの指摘があることから,嫡出の承認の制度の見直しを行うことが考えられます。   3の(1)で記載しておりますが,民法第776条の見直しに当たっては,承認を積極的に否認権の放棄する意図で必要とされる放棄の意思表示に変更することも考えられるところです。   また,(2)で記載しておりますが,嫡出の承認をする者の範囲として,否認権者の拡大に伴い,夫のみならず子(及び母)を含むことも想定しており,子による嫡出の承認については親権を行う母等による代理行使がされることを想定していますが,特に子について嫡出の承認をする者に含むことについては,その必要性があるかなどについても御意見を頂きたいと考えております。   (3)の行使の方法としましては,嫡出の承認の効果が重大であることに鑑みれば,否認権者が嫡出の承認の法的効果やリスクを正しく理解した上で行うことが望ましく,公証人を関与させることが考えられます。   そのほか,(4)その他の検討課題としましては,子の出生前に嫡出の承認が認められるかも問題になり得るため,子の出生前の嫡出の承認については引き続き検討することとしております。   続きまして,4ページに移りまして,2は,「推定の及ばない子に関する外観説の明文化」についてです。   嫡出推定制度の見直しによる外観説に対する影響を検討するために,民法第772条第1項の見直しの理由と関連する範囲で考え方を整理しており,まず,今回の見直しは現行法との連続性を重視し,いわゆる懐胎主義を基本としつつ,婚姻後200日以内に出生した子についても推定の範囲を広げるという考え方であり,このような考え方を採った場合には,民法第772条第1項を見直したとしても,従前の懐胎主義が適用されていた範囲については外観説が維持されるという考え方と親和性が高いと考えられます。   そして,妻が婚姻前に懐胎し,婚姻成立の日から200日以内に出産した子については,外観説のような考え方を取り入れて嫡出推定が及ばないとするか否かについては今後の判断に委ねられると考えられます。   他方で,現行法を大きく変え,妻が婚姻中に出産した子については夫婦の子として養育する意思があることのみを根拠としてこれを夫の子と推定するという考え方を基本として,婚姻の解消又は取消しの日から300日以内に生まれた子については推定の範囲を広げるという考え方もあると考えられます。このような考え方を採った場合には,外観説をそのまま維持することは困難であるとも考えられます。   また,推定の及ばない子に関する外観説の明文化につきましては,今回の影響を見極める必要がある,要件を定めることが難しいなどの問題点があり,外観説を明文化しなかったとしても,理論上,外観説が直ちになくなるわけではないとの指摘が多かったことを踏まえると,外観説が維持されなくなる可能性が相当程度高まるようなことにならない限り,外観説の明文化については慎重に検討するということも考えられます。これらの点も含めまして御意見を頂けると幸いです。   第5の説明は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございました。   第5は御説明いただきました1の問題と2の問題は性質がかなり違いますので,別々に御意見を頂きたいと思います。   まず1の方の嫡出の承認の見直しという点につきまして,御意見を頂ければと思いますが,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 この民法776条の嫡出の承認の規定は,余り使われていませんでした。これについて一定程度有効に使えないかという御提案だと思っています。   それで,確かにここで言われる公正証書のような形で方式とかは特に規定がありませんので,そういう意味では公正証書みたいな一定の書面によって承認の行為の真実性や意思の確実性とか,そういうものをある程度担保できるというふうな感じは持っています。   それから,こちらの資料のところでもちょっと触れられていますけれども,特に出生前の承認ということがかなり意味を持ってくるのは,AIDとか生殖補助医療を使って生まれてきた子どもに対して,同意がある場合にある程度親子関係を早く確定できるというメリットも出てくると思います。   ただ,他方で,今回の改正が特に子どもの承認とか,あるいは母の承認ということを考えますと,要するに当事者の意思によって身分関係を確定をしていくということを認めるというかなり積極的な位置付けや効果を認めることになってくると思います。これまでの承認というのは,どちらかというと,仮に血縁関係がなくても,自分の子として引き受けていくということに対する,どちらかというと否認権を失っていくというか,消極的な効果の擬制,否認権を失うという消極的な運用なり規定だったように思います。ある意味では,信義則とか権利濫用みたいな形で封じるのと非常に近いような形で解釈をされていました。   しかし,今回の提案ですと,むしろ同意とか承認という行為に対して積極的な法的効果を付与するということにならないかと考えます。今回整理もしていただいているように,消極的な効果でいくのか,つまり承認があると親子関係を否定できないという形にするのか,それとも同意とか承認に対して積極的な法的効果を付与するのか。要するに当事者の意思や意思表示によって法的親子関係をむしろ積極的に形成することを認めていくということにするのか。もし,後者の選択をするのであれば,これまでの実親子法制とは大分違うことに踏み出していくことになりますので,今のところ,これにもろ手を挙げて賛成というわけにはいかないという思いもあります。しかし,他方で,今回の提案には積極的な面もあって,今後この改正,特に嫡出推定否認制度を見直していく場合には,この承認の制度みたいなものをうまく使うと,生殖補助医療とかAIDの問題なんかに対しても子どもに安定した法的地位を与えられるというプラスの面があると思います。   ただ,方式面ででは,公正証書ということにすると公証実務みたいなものが,もちろん成年後見とかいろいろなところで公証実務というのはかなり役割を果たしているわけですけれども,この親子関係について,公証人がきちんと研修とかいろいろな知識や経験を積んだ上で,あるいはガイドラインみたいなもので,具体的に当事者にどういうふうな説明をして承認の行為に対してどのように関与するのかということをやはりきちんと定めていく必要があるのかなと思います。   特に家庭裁判所は,後見的な関与を認めるとなると,ただでさえ今負担がかなりあるところにさらなる負担が出てくるようにも思います。また,許可する場合の基準の明確性と,基準を満たすかどうかのチェックの問題がやはり出てくるんだろうと思います。ここまで重くするということも必要なのかという問題もあります。これについても引き続き検討ということになっていますけれども,何でも家庭裁判所に持ってくればいいのかなということについては,家裁に関わっている立場からしても,大丈夫なのかなとも考えます。   もちろん,公正証書ということで割と身近なところで公的なところが関与した上で,この承認という制度をもし活用できるということになれば,かなりのメリットはあると思いますけれども,今の段階ですと,この承認の制度についてこういうふうに積極的に活用している方向に動いた場合に,特に子どもとかあるいは母親とか,新たに承認の権利を持つ人たちを増やしたときに,真実と異なる感じで法的親子関係が形成されることに対する何かチェックみたいなものをどうするかという問題があると思います。そこで,基本的には,うまく活用できれば776条の積極的な活用については賛成をしたいのですが,他方で検討課題は多々あるのかなという感想です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   全体として内容,手続の両面から課題があるのではないかという御指摘を頂いたと思います。他方,AIDなどの場合について考えるとメリットがあるということで,慎重な検討が必要ではないかとまとめられたのではないかと思います。   水野委員から手が挙がっているようです。水野委員,どうぞお願いいたします。 ○水野委員 ありがとうございます。   こういう形での御提案というのは余り予期しておりませんでしたので,質問になるかと思います。承認というこの規定を何らかの形で有意義に使うかということは,私も以前から考えておりまして,例えば身分占有的なものの解釈をここに入れ込んで解決するようなことはできないかというふうなことは考えてはいたんですが,公正証書によってこれをするということになりますと,果たしてそういうことをする動機がその人にあるだろうかと思いますと,非常に珍しい利用になるかと思います。もし公正証書によってどうしても承認をしないと駄目だ,例えばAIDを受けるときに必ずこの公正証書による承認をしておかないと施術をしないというふうな実務にでもなれば話は別なんでしょうけれども,でもその場合も,そういう夫が,今AIDを受ける夫は極力そういうことが外には漏れたくないと思うでしょうから,公証人のところで秘密が漏れないにしても,やはりこういうことはしたくはないと思うだろうと思います。   それ以外の場合で積極的に公証人のところへ行ってこういう承認をしようという動機付けがちょっと考えられないのですが,具体的なこういう御提案としてどういうシチュエーションをお考えでいらっしゃるのか,お聞かせいただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   窪田委員はそれとの関連での御質問,御意見でしょうか。 ○窪田委員 先に今水野先生からの御発言について答えていただいてからで結構です。 ○大村部会長 そうですか,分かりました。 ○平田幹事 具体的な場面というのは様々,なかなか観念しにくい部分もあろうかと思いますけれども,一方で,今回嫡出推定制度の見直しということで,否認の期間の拡大というようなところがございますので,その制度を整備しておくという観点から今回御提案をさせていただいたというところではございます。   ただ,御指摘のとおり,公正証書を使うというのは手続としてかなり重くなりますし,それで本当に使われるようになるかという問題があることは承知しておりますので,そこも含めてこの場で御議論を頂けるとありがたいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは,窪田委員,どうぞ。 ○窪田委員 2点ございますが,1点目は先ほどからAIDとの関連も出ていますけれども,AIDに関しての同意の話と,この公正証書による同意の話は一応切り離して議論した方がいいのではないかなと私自身は思っております。つまり,AIDというのはそもそも血縁関係というのはあり得ないわけだけれども,生殖補助医療を利用するということに同意を与えることによって,言わばそうした親子関係に乗せるというレベルのものですし,前半の方で出ている話は本来自然生殖の可能性がある場面において,しかし子の否認権を失うというような形での嫡出の承認という仕組みの話ですから,一応切り離したらいいのではないかと思っています。   その上で,前者の問題,本来予定されている主たる部分に関してなんですが,基本的な問題意識は水野先生と多分全く同じなのだろうと思いますが,一体どんな場面で利用されるのだろうかと考えると,これは本来血縁関係がないということを当事者が知っているような場面に限定されるのではないかと思います。   つまり,血縁関係があると思っていれば,3年でも5年でも一定の期間が経過すれば,どっちにしろその問題というのは蒸し返しはなくなるわけです。しかし,父も母も場合によっては違うということがよく分かっているというケースにおいて,そうでないとわざわざ公正証書を作ってまで承認なんかしないという気もするのですが,そういう場面に限定されるということになるのだろうと思います。   この前提の理解が正しいかどうか自体,また検討していただければよろしいのですが,仮にこの前提が正しいのだとすると,公正証書に同意を与えたことによって血縁関係がなくても法的な親子関係が確定するという仕組みを作ることになります。これは,先ほどの棚村先生からの御指摘とも関連するのだろうと思います。実は,かなり強い制度なのではないかなと思います。血縁関係がなくても一定の期間が経過すればそうした期間の経過によって形成されてきた社会的な親子関係が法的な親子関係として保護されるというのとは,かなり性格の違うものなのではないかという気がします。   その意味では,今までの嫡出の承認が余りうまくいっていなかった,他方で,嫡出否認に関して権利行使の期間を広げたり,否認権者を広げるということになると,そこで安定性を確保するしくみが必要だという基本的な問題意識は分かるのですが,それによって,意思のみに基づいてこういうふうな嫡出親子関係が確定するという仕組みを作るというのは,そのままストレートに認めてしまっていいか気になるということです。  もう1点,これも恐らく棚村先生の御指摘とも関連するんだろうと思いますが,これ,もし意思だけで血縁関係がないときにも親子関係が確定的に成立するということになると,恐らく養子縁組とかと同じ,あるいはもっとストレートに特別養子縁組のような形のものなんだろう思います。そうだとすると,公正証書を要求するだけでいいかどうかというのが,また別の観点から問題になってくるのではないかなと思います。  出発点の問題意識はよく理解できるのですが,結構課題が多い点なのではないかなというのが私自身の感想です。 ○大村部会長 ありがとうございました。   幾つか御指摘を頂きましたけれども,一つは,AIDの場合とは,最後をどうするかはまた別かもしれませんが,議論のプロセスでは問題を分けた方がいいのではないかという御指摘,その上で考えたときに,これは水野委員からも先ほど御指摘ありましたし,棚村委員もそれを念頭に置いておられたと思いますけれども,どういう場合に使われるのか,やはり血縁がないということを想定している場合に使われることになるのではないか,そのことの当否をどう考えるのかといった御指摘があったかと思います。   中田委員から御発言のお申出を頂いておりますので,中田委員,どうぞよろしくお願いします。 ○中田委員 ありがとうございます。   恐らくこの提案というのは,積極的に776条を活用しようというよりも,むしろ先ほどお話がございましたけれども,否認権の行使期間の長期化に伴って紛争が生じるだろう,そうすると,今まで眠っていた776条が注目されるようになるだろう,そうであれば,あらかじめそれを検討しておいた方がいいのではないか,という問題関心なのかなと私は理解しておりました。   ただ,今何人かの委員・幹事からお話がありましたように,いろいろ問題があるということは,伺っていて,そうだと思いました。   もっとも,意思によって形成するというのは,現在の776条にも既にそれは含まれていることだろうと思いますが,それが今まで余り注目されていなかったということだろうと思っております。   今回の御提案によりまして,具体的に考えてみるきっかけを頂いたという意味があると思います。一つは,方法なんですけれども,公正証書というのについては,慣れていらっしゃる方は違和感がないのかもしれませんけれども,普通の人にとっては公証人役場というのは余り親しみがない,よく知らないのではないか。むしろ家庭裁判所の方がまだ知られているのではないかという気がします。もちろん,家庭裁判所がお忙しいのは承知しておりますので,その点考える必要はありますけれども,許可という重い手続よりももう少し軽い確認あるいは認証といいますか,そういったレベルの軽い手続がないのかなというように思っております。   それからもう一つ,今回の御提案によりまして,分析の出発点が出てきたと思います。一つは,今お話のあったAIDとの関係ですけれども,もう一つ,父による嫡出承認と子による嫡出承認との関係を検討するための出発点になると思います。父による嫡出承認については既に検討されているわけですが,子による嫡出承認というのは,子の否認権の行使期間によって意味が違ってくるのではないかと思います。母の代理行使のみを認めるという場合には,子の地位の安定ということからの説明ができるかと思いますけれども,大きくなってからの子自身の否認権行使を認める,この第6の3の乙案の方ですけれども,それを認める場合には,大きくなってからの子自身による嫡出承認は父子関係の安定という意味をもつのだろうと思います。   他方で,母の代理行使による子どもが小さいときの嫡出承認というのは,将来の子自身による否認権も放棄できるのかという問題になってくると思います。そうしますと,この問題は子の否認権の行使期間について固まった上でないと,なかなか議論しづらいのかなと感じました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   提案の趣旨につき,否認権の行使期間,行使権者が広がるということとのバランスの問題として,776条の検討が必要になるのではないかということであろうという御指摘を頂いた上で,手続として公正証書がよいのだろうか,それから,子の側からの承認ということについて,母がその権限を行使する場合と子が権限を行使する場合でかなり大きな違いが出てくるので,そちらの問題との兼ね合いも考える必要があるのではないかというご指摘だったかと思います。問題の所在についてまとめをしていただいたと受け止めました。   いかがでしょうか,そのほかに。   それでは,髙橋委員,まずお願いいたします。 ○髙橋委員 先ほどAIDの話が出ましたけれども,AIDを行う場合には,母親がAIDをやるということで,父親がそれに同意して,二人の子どもにすると,そういうことです。ただ,今,生殖医療に関する法律がありませんで,その同意に関する決まりができていないと,こういう状態です。   本来,そこの中でカウンセリングなどを行うような仕組みを考えたりするということが本来あるべき姿なんだと思います。今回の嫡出の承認は,基本的には子どもが生まれた後の話ですけれども,今日の資料の中に出生前までというのを継続的に検討課題にしたらどうかということがあります。   ただ,AIDというのは,懐胎よりも更に前になりますので,出生前よりももっと前の懐胎前の話ですので,果たして話がかみ合ってくるのかなというのはちょっと心配なんですけれども,同意の仕組みがきちんとできていないところで子どもの地位を守ろうとする場合,この制度が何か利用できることがないのだろうかということをちょっと期待もします。その辺が,まだ同意の方がどうなるか分かりませんのでちょっとはっきり発言しにくいのですけれども,この段階で全部切ってしまうということにはちょっと不安を感じるというところです。 ○大村部会長 ありがとうございます。   AIDの同意という問題から議論する場合とここでの承認の問題から議論する場合では落差があるということを御指摘いただいた上で,それにしても,同意の方について手当てがされないのならば,この承認の活用の余地もあるのではないかという御意見をいただいたかと思います。具体的には,議論の全体が定まらないとなかなかその先進めにくいところがあるが,現段階ではこれをなお残しておいた方がいいのではないかという御意見だったかと思います。   手嶋委員から先ほど手が挙がったかと思いますが。 ○手嶋委員 先ほど家庭裁判所の負担と役割について双方向から御発言を頂きましたので,何らかの発言が期待されているかなと思いまして,手を挙げさせていただきました。   まず,許可ということを前提とする場合,やはり司法機関としては何の判断が期待をされているのかというところはやはり意識をいたします。そういう意味で,要件と効果がきちんと明確にされた場合について,その権限を行使するというのは分かるのですが,今のままですと,なかなかはっきりしていないというところがございます。   また,中田委員の方からもっと軽い確認的なというお話もあったところではありますが,そうなりますと,後見的関与ということなのかもしれませんけれども,家裁に求められる役割というのが何なのかというところもやはり併せて考えていく必要があるのではないかと思っておりまして,その真意の確認,本当に素で真意の確認というようなことでありますと,やはりそれを同意手続に乗っけるかは慎重な検討が必要なのではないかなと思っているところでございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   不確定な部分があって,難しい問題である,どのくらい使われるのだろうか,濫用されるのではないか,あるいは制度の趣旨が変わり,親子関係についての根本的な考え方に変化を及ぼすのではないかなど,様々な御意見が出ているところかと思います。   ただ,中田委員から先ほど御指摘があったように,今回の嫡出推定否認の制度の改正との関係では,検討しておくことは必要な問題かと思います。この段階ではなかなか細部は決まらないところはありますけれども,なお引き続きこれについては検討するということでいかがかと思いますが,何か,更に御発言があれば頂きたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。   検討の方向でということで発言させていただきます。   否認権の行使期間が長くなって,また否認権者の範囲が拡大するとすれば,お互いに行使するかどうか疑心暗鬼の状態が続くのは望ましくはないと思います。その点では,少なくとも父に行使しないという積極的意図がある場合に,父自らが明確な意思表示としての承認を行うことは,子や母の安心感につながりますし,それを証明するための公正証書が存在することは有効ではないかと考えます。   ただし,子自らによる承認が子の利益のために本当に必要かどうかというのは,現段階では判断がつきませんので,慎重な検討が必要ではないかと思います。   先ほど,子の否認権の行使期間について御発言も出ていましたけれども,事務局でもし御答弁いただければお願いしたいのですけれども,2ページの3の(2)のところに嫡出の承認をする者の範囲があります。ここに「子による嫡出の承認については,親権を行う母等による代理行使がされることを想定している」とあるのですけれども,仮に,子について出生のときからと,それから一定年齢に達した日からの両方の否認権の行使を認めるとする場合,かつ母の代理行使を認めるとする場合,母が子が小さいときに代理で承認したら,その子の否認権は将来にわたって失われることになるのか,先ほどのところも同じかと思いますけれども,現段階で何か,お考えがあれば教えていただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   議論を要するところかと思いますが,取りあえず事務当局の方から。 ○平田幹事 仮定のお話ではございますけれども,基本的にこの案を両方採用した場合に,母が代理で承認したときには,子が成人等してから後の否認権の行使は認められなくなるというのが割と素直な考え方だと思います。もちろん,これと異なる制度を組めば必ずしもそうはならないかと思いますが,先ほど中田委員から御指摘あったとおり,その辺は全体の制度を踏まえた上でもう一度検討する必要があると考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   更に検討することに意味があるのではないかという御指摘とともに,今,最後にあった子の固有の否認権を制約することになるのではないかという問題との関連を特に考える必要があるだろうという御指摘だったかと思います。   そのほか,いかがでございましょうか。   それでは,この問題につきましては,先ほどから御議論がありますけれども,否認権者の問題等々を踏まえた上で更に検討する必要があろうかと思いますので,今日のところは御意見を伺ったということで先に進ませていただきたいと思いますが,よろしいでしょうか。   ありがとうございます。   それでは,第5のうちのもう1点の推定の及ばない子に関する外観説の明文化という,こちらの問題につきましての御意見を頂きたいと思いますが,いかがでございましょうか。 ○棚村委員 前にも述べたのは,200日以内に出生した子についても推定を及ぼしていくというようなことで,懐胎主義みたいなものから,出生主義的な修正もするのですけれども懐胎主義を維持するということになると,やはり外観説というのがどの程度使われなくなるかという問題は改正によって起こってくると思うのですけれども,その動向を少し見ながら改正をして,今早急に明文化をするというような対応は少し慎重にした方がいいのではないかと考えています。   特に無戸籍児の問題については,強制認知みたいなものを認めるとすると,外観説的なものは残さざるを得ないとも言えます。そういう中でどの程度この利用が減ってくるのかどうかということも見極めた上で明文化もやるべきだろうと考えます。それから,外観説を明文化した場合の条文で,例えば夫による懐胎が客観的に見て不可能な事情があるとかと,そういうふうに規定したとしても,判例での要件を十分に酌み尽くしたような規定になるのかどうかということにもちょっと疑問もあります。   そこで,やはり改正をするのであれば,要するに嫡出推定や否認制度を改正をすることが大分絞られつつありますので,それを見た上で外観説についても明文化するかしないかを更に検討するという御提案に賛成したいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   様々な状況を見据えて慎重に検討をする必要があるだろうという方向の御意見として承りました。   そのほかにはいかがでしょうか。 ○大森幹事 外観説の意義については,2点に整理できると思います。1点目は,現行法では否認権者が夫に限られている点について子や母に拡張できるということ。2点目は,強制認知の手続を採ることにより,夫若しくは前夫を相手方当事者にせずに手続を行うことが可能となることです。   1点目については,今回の否認制度の拡張によって解決が図られると思いますが,2点目については,第8回部会において離婚後300日以内の出生について,否認以外の方法も考えることができないか,認知等の方法が採れないかという御提案などが出てきて,こうした方途について今後検討されると思います。そのため,そうした検討も踏まえて,外観説で賄われていた意義が今回の改正法で解消されていくのか,あるいは,なお外観説の意義が残る部分が出てくるのかという点を整理しながら,明文化という検討課題についても引き続き考えていくのがよろしいのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   外観説が必要とされる状況について整理をしていただいた上で,それについての議論を更に進めた上でこの問題について考えるという順序が望ましいのではないかという御指摘を頂いたかと思います。   そのほかについてはいかがでしょうか。   議論の仕方に関わるかもしれませんけれども,外観説を明文化しておかないと困るといった御意見,御指摘があれば是非伺いたいと思います。困るか困らないかはまだ分からないという御感触もあろうかと思いますけれども,今の段階でこういうことが生ずるので明文化の必要があるのだといった積極的な御意見があれば,是非お願いしたいと思います。 ○水野委員 積極的な意見とまでは言えないんですけれども,現在の外観説がそのまま維持されるという前提で,前回もそういうお話であったんですけれども,外観説はすばらしいものではないとは思っています。つまり,外観説を採った場合に,親子関係不存在確認請求訴訟ができることになってしまいますが,親子関係不存在確認請求訴訟というのは,誰でもいつまででもできるというものですから,これは訴えの利益というのはかかりますけれども,まずちょっと考えにくいような訴訟類型,親子関係の訴訟類型であろうと思います。そういう意味では,手当てをしなければならないだろうとは思うのですが,その手当てが判例に任せておけばしていただけるものなのか,それともここの段階で立法的に全て詰めて,外観説が今まで担ってきた役割などを全てきちんと手当てをすることができるのかという点については,申し訳ありません,今はまだ全体像がちょっと見えていないものですから,私自身もまだ確言できない,確証を持って意見を申し上げることができないという段階です。   ただ,外観説が道を開く親子関係不存在確認請求訴訟というもののある種の非常識さというのは,議論の前提として持っておく必要があるようには思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今回の改正がある形で実現されれば,外観説に頼らなければならない場面は減っていくだろうというのが皆さんの認識だろうと思いますけれども,外観説は全く不要になるのかどうかというところまでは分からない。そうしたときにどうするのがよいのかということについて,水野委員は,放置しておくのではなくて,やはり何か議論して対応した方がいいのではないかお考えであると承りました。しかし,今の段階で何か具体的にというよりも,更に検討せよという御意見であると承りました。   そのほか,いかがでしょうか。   それでは,これについては今の御指摘を踏まえて,更に今後慎重に検討しておくということにしたいと思いますが,それでよろしいでしょうか。   ここで休憩を入れさせていただきまして,その後,第6の「嫡出推定制度に関する更なる課題」というところで,子及び母の否認権等の問題について御意見を頂きたいと思います。では,ここで休憩します。           (休     憩) ○大村部会長 それでは,再開したいと思います。   今日残っている議題はもう一つございまして,第6の「嫡出推定制度に関する更なる課題」ということで,子及び母の否認権,これが第6の1,それから再婚後の夫の子と推定される場合における前夫の否認権,これが第6の2,子の否認権の行使期間,これが第6の3ですが,これらに関する検討に移りたいと思います。   まず,事務当局の方からこの10-1の第6についての説明をお願いいたします。 ○濱岡関係官 それでは,御説明させていただきます。   部会資料10-1の6ページを御覧ください。「嫡出推定制度に関する更なる課題」でございます。   1は「子及び母の否認権」についてです。   部会資料9では,子の否認権と母の否認権を分けて提案していたところでございますが,子を否認権者とすることについて特段異論はない状況でしたが,子の否認権の代理行使をどのようにするかという点と,母の否認権を認めるかという点で関連した議論がされたため,併せて整理し提案しております。   甲案は子に否認権を認めますが,母固有の否認権を認めないものです。なお,部会資料9においては,特別代理人による否認権の代理行使に関する規律は設けないこととしておりましたが,これを認めるべきであるとの意見が多く見られたことなどを踏まえ,特別代理人による代理行使に関する規律を設けることを提案しております。   乙案は子及び母に否認権を認めるものです。なお,母に関しては,自らの否認権行使と子の否認権の代理行使と重複することから,自らの否認権行使に一本化すべきではないかとの指摘があったことなどを踏まえまして,本文③において親権を行う母に子の否認権の代理行使を認めない案もブラケットを付して併記し,引き続き検討することとしております。   続きまして,8ページに移りまして,2の前夫が再婚後の夫の子との推定を否認する場合の要件についてです。   再婚後の夫と子が実質的な家族として安定的な生活を送っているようなときに,生物学上の父子関係がない前夫が再婚後の夫との父子関係を否定することを防ぐための規律として,甲案は原告適格として前夫に生物学上の父子関係を必要とするもので,乙案は,子の福祉に反することが明らかな場合には,前夫は否認権の行使ができないとするものです。   甲案に関しては,前回,生物学上の父子関係を要件とすることは避けるべきである一方で,先ほど申し上げた弊害は防ぐ必要はあるとの御指摘を多く頂いたため,乙案として子の福祉という抽象化した要件を提案しております。   続きまして,10ページの3の子の否認権の行使期間についてです。   子が一定の年齢に達した後に否認権を認めるかどうかについては,大きく見解が分かれたところでして,指摘等を踏まえて整理しております。乙案は,子が一定の年齢に達した後の否認権を認めるものですが,乙案に関しては特別養子縁組制度との整合性が問題になるのではないかといった指摘がされています。   甲案は,母による否認権行使が子のために適切に行われることを前提として,子が一定の年齢に達した後,子の否認権を認めないものですが,甲案に対しては,子が自ら父子関係を維持するかについて判断する機会を設ける必要があるのではないかとの指摘がされています。   部会資料9にも記載させていただきましたが,甲案・乙案の検討に当たっては,子の出生後比較的短期間に行使される場合に保護される利益,子が一定の年齢に達した後に行使される場合に保護される利益がそれぞれ何かという点を踏まえて議論する必要があるかと考えられます。   続きまして,11ページの4では,一定の要件の下で子自身の否認権を認める考えについて検討しておりますが,特に社会的な父子関係の要否を要件とするものについて,検討すべき具体的な要件等がございましたら,御意見を頂ければ幸いです。   次に,13ページの5の関連する論点ですが,嫡出否認がされ,民法第772条により推定される父子関係が遡及的に失われる場合の効果に関し,遡及効の制限等を含めどのような対応を考えられるかについて整理をしております。特に,再婚後の夫の子との推定が前夫の子に優先するという規律を設けた場合には,長期間経過後に子によって再婚後の夫との推定が否認され,前夫の子との推定が復活したものの,前夫は既に死亡し,遺産分割が終了しているといった事態も生じることになりますので,これに対する手当てが必要になるとも考えられます。   これらの点を踏まえまして,御意見を頂ければ幸いです。   部会資料10-1の説明は以上になります。 ○大村部会長 ありがとうございました。   第6の「嫡出推定制度に関する更なる課題」というところには,先ほど申し上げましたように,太字でいいますと三つの項目が挙がっております。1と3は関係するところもございますけれども,取りあえず1,2,3と分けて御意見を頂きたいと思います。1について議論するに当たって3に及ぶということもあろうと思いますけれども,まずは1についてということで始めさせていただきたいと思います。   この点について何か御意見あるいは御質問等ございましたら頂きますが,いかがでしょうか。 ○山根委員 否認権のところで質問なんですけれども,多分私だけがよく分かっていないのだろうと思うんですが,この否認権については,子にも母にも広げてよいのではないかと思っていたんですが,御提案の中には,母に権利を広げた場合には子の代理としての否認権は認めないということで一本化するというような御提案がありますけれども,それをどういうふうに解釈していいのかなというのがよく分からないんですが,母の権利の拡大というような視点で見たときに,どちらがいいのかではないですけれども,どういう影響を考えればいいのかということをちょっと教えていただけますでしょうか。 ○平田幹事 基本的に,ここは両案併記でご提案させていただいているところでございまして,ご提案の契機としては,従前の議論において,母が固有の否認権を行使できるのであれば,子の否認権を代理行使する必要性がないだろうと,つまり,母は自分の判断で否認権を行使できますので,母が単独で否認権を行使すればいいのではないかという御指摘をいただいたところであり,その点については,究極的には恐らく長期間経過後の子自身による否認権の行使を念頭においた御指摘かと存じます。そこで,幼少期については母が母自身の否認権を行使し,長期間経過後には子が自分の独自の否認権を行使すると,そういう考え方もあるのではないかというところも踏まえて,ブラケットを付して提案させていただいた次第です。 ○大村部会長 よろしいですか,山根委員。 ○山根委員 分かりました。どうぞ続けて,皆さん。 ○大村部会長 そのほか,いかがでございましょうか。 ○井上委員 ありがとうございます。   ちょっと感想的な発言です。   母固有の否認権を認めるかどうかについてですが,父子関係の文脈で,子と完全に切り離した状態での母の利害関係が存在するかというと,非常に悩ましい面があると思っています。   一方で,代理行使といっても小さい子に関わる話であり,母の主体的な意思が全く働かないかというとそうではないと。そのため,最終的にどう表現するかというのはあると思うのですが,子の否認権を代理的に行使できる権利を,子の親権を行う母の実質的な権利として認めるといった整理になるのではないのかなと思っているのですが,感想めいて,まとまっていないですけれども,御検討いただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○平田幹事 御指摘の母の実質的な権利行使を認めるということで整理してはどうかというところについては,甲案も実質的には母が行使するということで発想しておりますし,もちろん乙案については母固有のものということがございますので,あと子の利益を離れた行使がどれだけ考えられるかといいますか,そういうところも含めて検討を進めていきたいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかに御発言いかがでしょうか。 ○大森幹事 母固有の否認権か代理行使かという点について意見を述べさせていただきます。   私としては,母に否認権を認めるとすれば母固有として考えるのが適当ではないかと考えております。理由は,母が否認権を行使するとすれば,やはり母自身の考えに基づくという意味合いが大きいことに加えて,嫡出承認について,母に代理行使を認めると,たとえ子に一定年齢以後の否認権を与えたとしても,子は否認権を行使するという機会を奪われてしまうことになるのに対して,母固有の否認権と構成すれば,たとえ母が嫡出承認の手続を利用したとしても,それによって子自身が自らの否認権の行使の機会を奪われることにはならないという点があります。子自身の否認権と母の否認権は,そういう意味でも区別するのが適当ではないかと考えております。 ○平田幹事 ちょっと先ほどの私の発言で1点誤解を生じたかもしれませんので,念のため補足させていただきます。   承認のところの議論というのは,まだ検討を要するといいますか,先ほどありましたように,むしろこちらの子の否認権,特に長期間経過した後の子の否認権の行く末を見た上で検討されるべきものかと思っておりまして,仮に長期間経過した後の子の否認権を認めるというようになれば,嫡出の承認については母による代理を認めないですとか,様々なことが考えられますので,嫡出の承認の検討よりは,先にまずこちらの本質的な子及び母の否認権,あるいはその行使期間をどう考えるかというところを御検討いただけないかとは考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   大森幹事は,子固有の否認権というのは残った方がいいという前提でお考えになっていて,それとの関係でいうと,いろいろ説明はできるけれども,母の固有の否認権を認めた方が説明がしやすいのではないかという御意見であると伺いました。   そのほかはいかがでございましょうか。ここはこれまで大分議論してきたところかと思いますが,資料では,甲乙という形で両案併記になっておりますけれども。 ○大森幹事 質問があります。7ページの乙案の説明の中で,甲案と乙案との実質的な相違点として最も大きいのは親権を行わない母による否認権行使が可能かどうかと書かれています。ただ,甲案では,⑤で親権を行わない母は特別代理人の選任を請求できるとされています。これに関連して7ページの20行目で,裁判所に選任された特別代理人は必ずしも嫡出否認の訴えを提起する義務を負うわけではないと書かれていますが,親権を行わない母が否認権を行使してほしいと言って裁判所に特別代理人の選任を申し立て,裁判所が特別代理人を選任したときに,その特別代理人が否認権を行使しない場合として想定されるのは,明らかに血縁があるとの確証がある場合に限られ,結局そうした確証がない以上は,否認権の申立てを特別代理人の立場からはせざるを得ないことになってくるように思われます。そのため,特別代理人が選任されたけれども嫡出否認の訴えを提起しなくてもいい場合について,どういった場合があり得るのかという点をお聞きしたいと考えております。 ○平田幹事 ここで想定していたのは,今大森幹事がおっしゃったとおり,生物学上の父子関係があることがある程度明らかであるといったような場合に,あえてそこでもう一回否認の訴えを起こすかというような場面などを考えておりました。そのほかにどうかと言われると,いろいろなケースがあり得るとは思いますので,一般論として,これは前回も御指摘があった部分ではありますので,書かせていただいたところではございます。 ○大村部会長 よろしいですか。それとも,それを踏まえて何か御発言ありますか,大森幹事。 ○大森幹事 明らかに血縁があると考えられる場合を除いては否認訴訟をせざるを得ないということを考えると,自ら否認訴訟をするか,特別代理人が否認訴訟をするかという違いはあるにせよ,親権を行わない母も否認権行使をするのと同じ結果にならないだろうか,そうすると,実質的な違いは出てこないのではと考えた次第です。 ○大村部会長 ありがとうございます。   実質的な違いがどれくらいあるのかということと,仮に実質的違いが余りないとしたときに,どちらで整理するのがよいのかということと,二つの問題があるのかと思って伺いました。   そのほかこの問題について御発言いただけないでしょうか。   あるいは3番目の,子の固有の否認権と絡めた方が議論しやすければ,そういう発言でも結構ですが,いかがでしょうか。 ○窪田委員 余りきちんと立場も固まっていないですし,これまでにももう何度か議論になっていたことなのだろうと思いますが,1の子及び母の否認権をどういうふうに構成するのかということと,子の否認権,特に乙案における②で認められているようなかなり年齢が上の方になってから再度否認権を行使するという場合の関係をもう一度確認しておきたいと思います。特に子どもの否認権を母が代理で行使するという場合に,母が代理で行使したけれども,その否認の訴えが余り適当な形ではなくて認められなかったというケースにおいては,この場合にはもう権利は行使されており,否認権の行使は認められなかったということで確定しているんだという説明ができるのかなと思います。   ただ,それでは母の固有の否認権を認めればその問題が出ないのかというと,これもこれまでの議論の中で出ていたと思うのですが,否認訴訟をやったところ負けたのだけれども,人事訴訟ですので,判決効は対世的な効力を持っている。したがって,結局25歳とか20歳になっても子どもが改めてそれを争えるわけではないという説明もできるのかと思います。そうだとすると,結局,母固有の否認権を認めるのか,代理行使というふうに構成するのかというのは,結局3番目の乙案の②を認めるか認めないかという部分には余り関わりがないということになるということなのかもしれません。確認しておきたいのは,そういう理解でよろしいのか,あるいは制度設計上はもっと違う形での組立てというのも考えられるかもしれないということなのか,その辺りについてはどういうふうにお考えなのでしょうか。   ちょっとだけ補足いたしますと,恐らくどの説明でもできるのだろうと思いますが,3番の子の否認権の乙案の②を認めるかどうかというのは,どうも何か3歳ぐらいになるまでの間の否認権の問題とどうも違う利益を争っているんではないかというような気もしたものですから,これをそういう形でどっちの法律構成であったとしても,負ければもうおしまいだよという形でいいのかどうなのかという辺りも含めて,少し見通しについてお考えのところがあれば教えていただければと思います。 ○平田幹事 これは必ずしも十分検討できているわけではないので,訴訟法の御専門の先生からの御意見を頂いた方がよろしいかもしれませんが,今考えているところでは,子の幼少期に権利が行使された場合については対世効が生じますので,それは大きくなってからについても基本的にはもう争えないというような理解をしているところではございます。 ○大村部会長 仮にそういう理解だとすると,その先について何か窪田委員の方からございますか。   垣内幹事から手が挙がっているので,垣内幹事にまず伺います。窪田委員,すみません。 ○垣内幹事 訴訟法ということでしたので,微力ながら手を挙げさせていただきましたけれども,今,事務局から御説明がありましたように,従来の一般的な考え方で申しますと,これは否認権者が複数になったときに,その訴訟物をどう考えるのかという前提問題というのはあろうかとは思いますが,基本的にはその否認原因というものがそれぞれの否認権者について共通の内容であるということを前提にしますと,人事訴訟の一般的な考え方からいえば,認容でも棄却でも対世効があると。対世効があるということは,ほかの当事者適格者が再度訴えを提起しても争えないことになるということなんだろうと思います。   そして,そのことを担保するための枠組みとして,人事訴訟で例えば職権探知主義が採用されているというようなことがあり,単にたまたま最初に提訴した者が至らない訴訟追行をしたために真実とまるで異なるような判決が確定されるということが可能な範囲で防がれようとしているということは言えるのかなと思います。   差し当たり以上にさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それで,先ほど窪田委員にそのことを前提にして更に御意見があれば伺おうと思ったのですが,何かありましたらお願いをいたします。 ○窪田委員 特に積極的にということではないんですが,ちょっとこれまでのほかの方の議論を伺っていて気になった点として,特に一定の年齢に達したときから改めて子どもが否認権を行使できるというときには,どうも今の垣内さんのお話になった訴訟物がそもそも同じなのかという点にも関わるのですが,何か子のアイデンティティーを知る権利だとか,出自を知る権利だとか,その種の話も出ていたのかなという気がします。それを積極的に取り込むべきだということではないのですが,仮に乙案の②のようなものを認めるというところで,そういうふうな発想の考え方があるのだとすると,それとの関係で,小さい頃にほかの人が否認権を行使して,もうそこで結論が出てしまったということで全部片付けるというやり方もあると思うのですが,それで全部問題が解決したのかなというのが気になるという点です。   私自身は,ちょっと本来,出自を知る権利の話とかは,この否認の話とは連続させない方がむしろいいのではないかと思っておりましたので,先ほどの事務局からの御説明,あるいは垣内先生からの御説明でも十分理解できたのですが,これまでの議論の経過からすると,少し意識的に検討しておいた方がいいのかなというだけです。 ○大村部会長 ありがとうございます。   窪田委員の今の御指摘は,先ほどの事務当局からの説明の中で,問題になっている利益に違いがあるのかどうかということについて言及もあったところかと思いますけれども,そこも意識して9ページの3の乙案の②について考える必要があるのではないかという趣旨の御指摘だったかと思います。   もう3も一緒になっていますので,3の方も併せて御意見を頂ければと思いますが,いかがでしょうか。 ○磯谷委員 本当にこの問題はとても難しい問題だと思っていますが,今のところ,この3の問題については乙案の②のところを支持したいと思っています。   先ほどから出ていますように,また前回の議論でも申し上げましたが,やはり子ども自身の人格的な利益が一つの出発点になるんだろうと思っています。前回の話と重なって恐縮ですけれども,具体的に想定しているところは,幼いときには様々な問題によって,本来父子関係がないにもかかわらず否認権が行使をされなかった。例えば親の能力の問題もありましょうし,例えば母が亡くなっていたとか,いろいろな問題があると思いますけれども,ところが,その後,例えば父は実際には父子関係がないことが分かっていたり,うすうす感づいていたことで,ほとんど養育らしい養育をしてこない,場合によってはもう全然関わりを持たないということもあり得るでしょうし,また逆に,同じ屋根の下で暮らすけれども邪険に扱ったり虐待をしたりというふうなこともあるんだろうと思います。   そういうふうな場合に,やはり子どもが成長した後,そういった実態にも反し,かつ福祉にも反するような父子関係というのをあえて維持させる必要があるのかという点には,やはり常に疑問として持っています。このような場合を考えると,やはり子どもが成長した後否認権を行使できる余地を認める必要があるんだろうと思います。ここまでは前回と大体同じです。ただ,その後,前回の議論の中でも指摘されましたが,父親の方が普通に父親としての義務を果たして生活をしてきたということも,当然これは想定されるわけでして,そういう場合に,子どもの一方的な申立てによって父子関係がひっくり返るということが果たしてどうなのかというような意見もありました。   感覚的には,子どもが未成年のうちに,つまり父の親権に服しているような状況下で父の方の都合を強調することについては,個人的には少し抵抗がありますけれども,成年になった後,言わば対等な成人となった後であれば,父親の方の利益を考慮することは,あながちあり得ない話ではないのかなと思います。   そうすると,ちょっと事務局の方のまとめによると,12ページの4のところになるのかもしれませんけれども,子の否認権行使を,生物学的な父子関係が否定されさえすれば,常に認めるということではなく,もちろん子どもの否認権行使を全く認めないということでもなく,中間的で妥当な解決が図れるように制度設計するのはあり得るところのように思います。   そうすると,ひとつの規定の仕方としては,乙案をベースにして子どもの否認権は認めるけれども,しかし一定の場合には裁判所が認めないこともできるというかたちもあるのではないか。その場合には,例えばやはり父子関係が一体どう推移してきたのかとか,あるいは実質的には重なるかもしれませんが,この段階の父子関係の否認が父の利益を不当に侵害するようなことがないのかとか,そういった実質的判断を経た上で否認を認めないというふうな整理。一方,甲案をベースにすると,裏返しみたいな話になってくるのかなとイメージしていますけれども,生物学的に父子関係がないだけでは駄目で,例えば実質的にも父子関係がないとか,あるいは虐待的なものがあるとか,何かそういうふうな積極的な要件も設けて,それがいずれも満たされた場合に否認権を行使できるとかという,そういう規定ぶりが考えられるのではないかと思います。   先走ってしまうかもしれませんが,今のように分けてみると,生物学的な父子関係がないというところをどこまで重視するのかという,すこぶる価値判断的なところにもなってくるかもしれませんけれども,私としては,乙案ベースにしながら,やはり不当な結果になるものは一定程度父子関係を維持していくというふうな整理がなじむのではないかなという,まだ厳密に検討したわけではありませんけれども,今のところちょっとそういうふうな感触を持っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   資料の12ページの4で,一定の要件の下で子自身の否認権を認めるという考え方が整理されておりますけれども,乙案を採りつつ,②については何らかの制限をかける,その制限のかけ方については,どちらを原則とするかとか,具体的に何を上げるかとかといったことは問題になるといった御指摘だったかと思います。   窪田委員から手が挙がっているように思いますが,窪田委員。 ○窪田委員 すみません,磯谷先生,1点だけ教えていただきたいなと思いまして,今の磯谷先生の御説明について,非常に説得力がある形でよく分かったという気がするのですが,その上で,要件を設けるとしても,②の年齢に達した場合,しかし,この子どもが3歳とか5歳までの間に母なりが否認権を行使して,その否認権の行使が認められなかったという形で判決が確定していた場合,この乙案の②というのは認められないという,先ほどの事務局からの説明のままでよろしいでしょうか。何か磯谷先生のお立場からすると,制限を設けつつも何か固有の形で否認権の行使を認めるというようなこともありそうな気がしたものですから,その点だけ確認させていただければと思いました。 ○磯谷委員 ありがとうございます。   仮に例えば母が幼少期に否認権行使を一応したのだけれども,大変ずさんなやり方で,裁判所としては本来職権探知できるのだけれども,それでもなおよく分からないまま,結局棄却をせざるを得なかったというような場合をちょっと想定しますと,子どもが成長して実際に子の否認権行使をするという場面は,恐らくそれでもなお父子関係がないということがほぼ明らか,何らかそういう証拠があるとか,常識的には多分そういうふうな前提なんだろうなと思います。   そうすると,実際上父子関係がないということがほぼ分かっている状況で,以前判決が確定していることをもってそれをさせないということは,何といいますか,実体法の要請を訴訟がきちんと満たしていないのではないかという,ちょっと変な言い方かもしれませんが,何かそんなような気がいたします。   この辺りはもう訴訟法の先生方,あるいは裁判官の方々,範ちゅうかもしれませんけれども,例えばなれ合いなんかでやった場合にどうなのかとか,やはりそこはもう少し実態を考えられる余地があるのか。逆にないのであれば,やはり対世効のところで子ども自身が将来否認権を行使することについては,そこまで効力は及ばないという整理をするのか,どちらかにはちょっとしていただく必要があるのではないかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   判決効が及ばないか,あるいは覆るか,どちらかを考えたいという御指摘だったかと思いますが,垣内幹事,お願いいたします。 ○垣内幹事 基本的には先ほど申し上げたことの繰返しということになるのかなと思いますけれども,訴訟物という点で考えますと,基本的には生物学上の父子関係があるかないかということが審理対象であって,それは幼少期に母が代理人として提訴した場合も,3の乙案に従って子が一定の年齢に達してから提起する場合であっても,審理対象そのものは全く同じであるという前提で考えたときに,それでもなおその子によって再訴することを棄却判決確定後に認める必要があるかどうかというと,そこはこの乙案で認める否認権の趣旨をどう考えるかということによっては,もしかするとあり得るのかもしれませんけれども,基本的には事務局の御説明にありましたように,それはできないということにならざるを得ないのかなという感触を今のところ持っております。   ただ,それでも母が提訴していない場合について,子が改めて争うということは,3の乙案を採った場合には認められるわけですので,そのことから直ちに3の乙案を採ることは意味がないということになるものでもないだろうと考えます。   他方,なれ合い訴訟等々のお話がありましたけれども,近年の裁判例で会社関係訴訟なんかの場合ですと,第三者に判決効が及ぶ場合について,場合によっては再審の訴えを認めるということもあり得るところではあるかと思いますので,そういった形で例外的な救済が図られるということは余地はあるかもしれないと思います。   ただ,実際に母が提訴していた場合に,どういう証拠調べがされるのかということによるかと思いますけれども,例えばDNA鑑定みたいなことがされるとしますと,そこで基本的には決着がつくような問題であるとすると,これは実際の実務の実情が分からないところもありますが,明らかに父子関係がないにも関わらず棄却されてしまうという例が現実的にどれほどあり得るのかというと,そこはどうなのかなという感じも少しするところです。ちょっとまとまりのない発言で恐縮ですけれども,以上にさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   母が争っているのであれば,一般的にはそれほどおかしな結果にはなっていないはずなのではないか。争っていない場合について,このようなものが残るということには,それ相応の意味があるだろうという御指摘だったかと思いますけれども,磯谷委員,何かありますか。よろしいですか。   ほかに御発言いかがでしょうか。では,大石委員,それから棚村委員の順番で。 ○大石委員 すみません,私は全く素人的な質問なんですが,乙案の場合,3年でも5年でもいいんですが,一定期間経過したときには否認権を行使することはできないと。これは代理行使になるわけですよね。その一旦代理行使されたものが,どうして年齢によって②のように,年齢によったら一旦行使されてしまったはずのものが,なぜそれが復活するのか。あるいは,潜在的にずっと子の権利というのは残っているという前提での話なのか。単に行使期間の話とするのかがちょっとよく分からない。救済策としては,私はその再審の道もあり得るのだということは考えたんですが,①の命題があって,②は丸ごと覆すわけですよね。①の命題を丸ごと覆すというような設定があり得るのかなという疑問を持っています。いろいろな条件を設定して,先ほども議論がありましたけれども,無限定ではなくて,いろいろな条件が重なったときに認めるということはあり得ても,その場合でも,しかし一旦行使された権利をどうして年齢がたったら今度は別の人格のようにその法的権利を主張できるのか,どうやって説明できるのか分からないんです,私としては。   だから,その点を少し整理していただかないと,ちょっといきなり②は行けないなという感じは素人的にはしています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○平田幹事 そこの部分は,御指摘の部分はあろうかと思われます。子自身による権利行使が,①の期間は飽くまで代理行使というところですので,救済するという観点から置いていますけれども,理論的に問題があり得るというところは検討していきたいと思います。 ○大村部会長 大石委員の方からは,例外的に救済するならばということで,いろいろな要件を書くことになると御趣旨の御発言もあり,先ほど磯谷委員からの御発言もありましたので,そういうことと併せて理論的にも検討するということかと思います。   木村幹事から手が挙がっているかと思いますが,木村幹事,どうぞ。 ○木村(敦)幹事 すみません,先生方の御議論を聞いて分からなくなった点があるので質問させていただきたいと思います。母親が仮に子どもの法定代理人として子どもが幼い間に否認訴訟を提起した場合について,その対世効が問題になっており,今議論されている点においては,そのような問題が具体的に生じる場合として,職権探知主義との関係などで訴訟物が生物学上の父子関係の存否についての実際証明自体がうまくいかなかったことが想定されていたと理解しました。こうした問題を議論する前提として,子どもの法定代理人として母親が否認訴訟を提起した場合に,生物学上の父子関係が存在しないことが明らかであったとしても,例えば実際に子どもと法律上の父親の関係からすると,法律上の父親が十分に養育上の責任などを満たしているような場合において,否認訴訟,否認権の行使は認められるという前提で議論を理解すればよいのでしょうか。それとも,法定代理人による否認権行使の場面なので,飽くまで子どもの利益においては否認権を行使の結果を認めるべきではないとして,そういった子どもの利益の点から,一般的に否認権行使が否定されうる可能性があるということも念頭において議論をお伺いすればよいのか。つまり,子どもの利益や福祉の要件というのが法定代理人による母の否認権行使のときに関わることが前提になっているのか,なっていないのか,もう一度その点を確認させていただければと思います。   すみません,事務局の方にお答えいただくのが一番よいかと思うんですが。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それは1の甲と乙とでどこがどう違ってくるのかということと関わる点かと思いますけれども,何かお答えは。 ○平田幹事 基本的にここの部分の提案については,期間内に提訴されたものについては血縁関係の有無というところで判断されることを想定しています。もちろん権利濫用等があって棄却されるような場合があり得ることは別として,基本的には血縁関係の有無で判断されるということを前提に御提案させていただいておりまして,子の福祉のために血縁関係はないけれども否認権の行使が棄却されるということは余り想定はしていないというところでございます。 ○木村(敦)幹事 分かりました。事務局の方のお考えは理解できたのですけれども,果たしてそれでいいのかどうかについては,検討する余地があるのではないかなと思うところです。つまり,法定代理人として親権者が行使する場合,一般的に子どもの利益とか福祉の要件との関係でどう考えるのかいう点と,否認訴訟の場面でそれを具体的にどのように考えるのかという問題があると思います。この点をふまえると,先ほど大村部会長がおっしゃったように,甲案と乙案では, 要件面でも違いがあるようにも思われますが。 ○平田幹事 1点だけ補足させていただきますと,今回御提案させていただいているものの甲案については,飽くまで代理人としてですので,子の利益に反し,代理権の濫用が認められるということであれば,子の否認権の代理行使としてその請求は認められないという余地はあり得るものというふうには考えておりますけれども,母の固有の権利とした場合については,子の利益を離れることになりますので,そういうことはないとは考えております。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○窪田委員 今の点に関してちょっと先に確認をさせていただきたいのですが,例えば現在でも認知とかに関して,小さな子どもの場合に法定代理人が代わって認知の訴えを,権利を行使するとかという場面が考えられると思うのですが,その際も,血縁関係があるかないかということ以外に,それがこの子にとって将来望ましいかどうかというのは,やはり考慮していないのではないかなという気もします。例えば否認の場合だって,今はよく面倒を見てくれているけれども,この人がベストかどうかはやはり分からないわけですよね。ある意味で,そういうことについて裁判官に,そのレベルで子どもの福祉の判断を求められても困るのかなという気はするのですが,木村先生,それはどうなのでしょうか。 ○木村(敦)幹事    先ほどの発言は,ドイツ法では,未成年子の場合において法定代理人により否認権が行使において,子の福祉要件が明確に定められていることをふまえての発言でした。私自身,法定代理人が行使する場合に,生物学上の父子関係の存否のみをもって法的父子関係の否定を認めてよいのかどうか,簡単には割り切れないところがあるのかなと思っております。やはり法的親子関係の存否に対する様々な当事者の利益,あるいは実際営まれている社会的親子関係の意義というものについてももう少し配慮する必要があるのかなとも考えております。 ○窪田委員 分かりました。あり得る解決なのかもしれません。ただ,恐らくそういうふうになった場合には,訴訟物自体が2歳とか3歳のときに争っていた場合には血縁関係の存否以外にプラスアルファの判断が入っていると。20歳以降で争う場合には違うものというふうになりますので,対世効は及ばないという結論は導くことができるのかなと思いながら伺っておりました。 ○大村部会長 垣内幹事,それから棚村委員の順番でお願いします。 ○垣内幹事 ありがとうございます。   今の点ですけれども,直前に窪田委員がおっしゃった点に重なるかと思いますけれども,仮に血縁関係はないのだけれども,否認することが子の福祉に反するというような理由で請求棄却判決をするということがあり得る制度なんだということを前提にしますと,訴訟物が別になるかどうかはちょっと分かりませんが,仮に訴訟物が同じだとしても,判決確定後,あるいは前訴の基準時後にやはり子の福祉に反するということが分かってきたと,そういう事情が出てきたということになりますと,基準時後の事情があるということで,今度は認容判決をするという余地は出てくるかもしれませんので,仮にその既判力が作用するとしても,それと異なる判断をする余地というのは出てきやすいということはあるかもしれません。   それから,ちょっと私の先ほどの発言の中でも少し混乱していた部分があったかと思うんですけれども,例えば母が固有の提訴権限を持つという,1のところの乙案の考え方に立って母が棄却判決を受けた場合ですと,これは対世効の問題で,子が後で仮にその提訴期間としては一定の年齢に達してからできるとしても,棄却判決の効力は対世効で及ぶのではないかという問題が出てくるということですけれども,甲案を前提として,親権を有する母が法定代理人としてやるという場合で考えますと,子は当事者だということですので,対世効の問題というよりは,当事者として既判力そのものが及んでいるからできないと。   そうした中で,しかし代理人が相手方となれ合いをしていたみたいな場合に,民訴法の338条の1項3号に準じるようなものであるということで再審を認めるかどうかというようなことが,解釈問題としてはあり得る問題として残るんだろうというような整理になるかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○棚村委員 この問題は,前回もそうだったのですけれども,やはり子どもについても,要するに否認権者を夫,父以外にどこまで広げるかという議論をしたときに,結局子どもの利益とか子どもも年齢によって,特に代理行使される期間,守られるべき利益というのは,扶養とか監護とか,そういう意味での面倒を見てもらったり,そういう利益なんだと思います。ただ,何年かたって,自分が成人になったり,ある程度判断ができるようになってからの否認する権利とか利益というのは,正にアイデンティティーとか,それからこれまでの父子関係の積み重ねが本当にあったのか,ないのかとか,そういうことになってくるのだと思います。   そのときに,私も先ほどから聞いていて,この否認という親子関係を否定する場面での手続に誰が関わることが重要なのかというのですか,その視点と,それからもう一つ,それぞれの夫,父,それから子ども,母親の,妻になるかもしれませんけれども,固有の利益というんですか,そういうものはどういう固有の利益が具体的にあって,そして最終的にそういう権利を認めた場合の否認権の法的な性質というんですかね,これは中田委員も前に言っていた,亡くなったときにではそれは引き継がれるのか,一身専属的なものとして認められないのかとか,そういうことを少し考えながら構成をしていく必要があるのではないかと思います。先ほど来,子の否認権を母が代理行使した場合,母が適切に行使しなかった場合に,一体子のためにどういう救済策があるのかという,むしろその効果というんですかね,そういうところの議論も出てくると思います。   ただ,私自身が非常に疑問に思っているのは,甲案みたいな形で母親も子どもの権利をベースとして否認権を行使するという形でいくとシンプルに問打を処理できるし,いろいろなことを説明もしやすいという点はあります。ただ,乙案でいくと,子と母というものに対して否認権を広げるという構成でいくと,今言いましたように,それぞれの持っている固有の利益なり利害関係というものが子と母とで少しずれてきているようなところがあって,相当丁寧に説明する必要が出てきます。つまり,乙案でいくと,子と母双方に認めると,法的構成や処理が非常に複雑になってきたり,説明も工夫しなければいけない。   ただ,海外の法制を比較して見てみると,例えば台湾なんかも1985年に妻に,まず日本の民法に倣っていますから基本的には夫,しかも出生を知ってから1年というので非常に短く,夫を中心として嫡出推定や否認の仕組みが構築されていたものが,1985年に男女の平等の問題と,それから子どもの利益ということを考えて,母に拡大をされていきます。私も正確に全部把握しているわけではないのですけれども,それが母に認められたときに,母が子どもの利益を守れていないという場合に,裁判所としては権利濫用という形で否認権行使を棄却をしたりしているようです。つまり子どもをきちんと育ててきちんとやっていた,正に木村幹事がおっしゃったような社会的家族関係とか生活事実みたいなものを考慮しながら,母や妻の利益と子どもの利益が一致しないときに調整をしていたようです。2007年には,DNA鑑定とかそういう科学的な鑑定方法の進歩もあったのですけれども,子ども自身が独立に否認権を持つという改正をしました。しかも,今の提案でいうと乙案でかつ子の否認権の期間も一定の年齢になってからも認めるというふうになりました。   この辺りの経過を見ていくと,なかなか複雑な処理というものが出てこざるを得ないという印象があります。そうすると,子どもが一定の年齢になってから判断させるという点についても,そのまま認めてようものか悩ましい点もあります。磯谷委員も私もそういう考え方を持っていたのですけれども,そのときにやはり制限せざるを得ないケースも一定程度あるかもしれません。だからそういう意味では否認権者を増やしていくという考え方,あるいは独自の利益を認めていくという場合には,後始末とか処理とか説明でかなり丁寧にやっていかないと,いろいろな問題がでてくるなと思います。   台湾の今の法制では,DNA鑑定というのは非常に至上主義みたいな形で進んでしまって,最後は血縁で全部決まるのだというようなことが強くなっているような気もします。それを例えば韓国とか台湾というのは,要件のところでDNA鑑定をうまく使って絞ったり,それから逆に生活関係とか生活実態で,調整しているようなところも見えます。たとえば,虚偽の嫡出子出生届について,養子縁組とか権利濫用とか無効行為の転換を認めたりという判例を使ったりというので工夫をしています。甲案を採った場合も乙案を採った場合も,なかなか難しいところはあります。子と母を合体をさせた案と,それから乙案は母にもう独自の否認権みたいなのを認めた案ということで整理をしたとしても,最終的には子どもの問題でも,社会的な家族関係とか親子関係という要素,あるいは子どもの利益みたいなものを,親子関係の成立の場面でどれくらいファクターとして入れられるかどうかというところがかなり重要になってくるのかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   いろいろな御指摘を頂きましたが,6ページの1で子の否認権で考えるのか,母の否認権で考えるのか,先ほど木村委員もおっしゃっていたところですが,この問題についてどちらで考えるかによって,あるいはどちらで考えるとしても,一定の制限があるのかないのかという問題が実質的な問題としてはあるのではないかそれから,9ページの3について,乙案を採って2のようなものを入れたとして,しかし,やはりここでも何か実質的な制約がかかるということがあるのではないか。こういた実質の問題について考えるということと,これを理論上どのように説明するのかということと,問題は幾つかに分かれるかと思いますけれども,そうしたことについて御指摘を頂いたものと受け止めました。 ○磯谷委員 今日は持参しておりませんけれども,以前いただいた資料で,今棚村先生も台湾の話に触れておられましたが,結構幾つかの国で子どもが大きくなってから子の否認権行使ができるような仕組みを持っていたように思います。そういう制度があること自体は分かりましたが,それぞれどういうポリシーでそういったことを設けてきているのか。それから,実際のところ,これはなかなか難しいと思いますけれども,実際のところどんなケースで子どもがある程度大きくなった段階でやはり子の否認という形になっているのか。本当にもう生物学的なところだけで判断しているのか,それともかなり微妙な判断をしているものなのかとか,可能な限度でまた教えていただけると有り難いなと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○手嶋委員 今日いろいろ御議論を伺っておりまして,やはり制度に対してどういうことを期待するのか,制度趣旨,目的が現行の制度とは大分違うものも想定されているように感じましたし,その最たるものとして,子が自分で判断できるようになってからの否認権というものをどういうふうに考えるのかといところがあるように思われます。この資料の,例えばこの10ページのところに乙案の根拠等という記載があり,その3行目辺りに,子には本当の父親が誰かをはっきりさせたいという思いがあり,それを公的に明らかにできるのはうんぬんという記載があるわけですけれども,そこから始まりますと,同じようなシチュエーションはやはり特別養子の場合にもあると。それとの関係は当然に気になると思いましたし,他方,今日,磯谷委員のお話を伺っておりまして,言わば特別養子のときの離縁みたいなものをある意味想定するのかなとも思いましたのですが,それはここで書いてあることとはまたちょっと違うもののようにも思いまして,そうなってくると,否認権といってもいろいろな意味のものが想定されていて,実質がかなり異なるものについてはむしろ別のものとして構成した方が分かりやすいのではないかと思いながら,個人的には伺っていたところでもございます。   前提として想定するものがいろいろ違いますと,誰にそれを認めるのがいいのかとか,そういったところも随分変わってきてしまいますので,やはりそこからもう一度整理をしていただいた方が議論もしやすいのではないかと考えたところでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   なかなか難しい問題になっているかと思います。一方でここに出ているような形で単純に割り切るということではなかなかうまくいかないのではないかといった御意見が幾つか出ていましたが,ではそのときにどのような要件を組み込むのかということは,今御指摘があったように,どのような制度として考えていくのかということと連動するところもある。   それから,窪田委員の御指摘だったでしょうか,従前は血縁関係の有無だけで判断していたはずなのに,そうではない要素を組み込むということになると,またそれについても一定の価値判断が正当化されなければいけない。様々な問題があるように思います。   いまは中間試案に向けて整理するということなので,必ずしも一つの案に絞り込むというところまでいかなくてもよいのかもしれませんが,さはさりながら,もう少し整理をして,もう少し検討しておいた方がよいのではないかという感触も抱きます。   今日は残り時間もわずかですので,いま更に議論を進めるのは難しいかもしれませんが,今日のところで今議論されている問題について御発言があれば伺っておきたいと思いますが,いかがでしょうか。 ○山根委員 今のまとめでよろしいと思います。まだここについても議論が必要だと思います。父子関係を否認することで現れる影響というか,まだある論点というようなところでこの中でも示されておりますけれども,それまでの養育費をめぐる問題であるとか,相続の問題であるとか,いろいろあると思いますが,そこを十分理解した上でこういった否認権を行使するということが必要だと思うんですけれども,本当の父親が誰かをはっきりさせたいということ,あるいは反りの合わない親と縁を切りたいとか,そういうこととはまたちょっと違うと思います。   また,一定の要件を設けるのもまだまだ議論が必要というか,難しいところがあると思いますので,継続してまたいろいろと教えていただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか何か。 ○棚村委員 先ほど言っていたことで混乱をさせたかもしれませんけれども,大分議論の中では整理をされつつあるなということで,今回の資料や提案も拝見しました。   それで,多分最終的に嫡出推定とか否認制度が一体何を目的としているのかということについて,血縁なのか,それともある程度子の福祉とか生活事実みたいなことも考慮するのかというのは,根本的な議論だとは思うのですけれども,それをある程度血縁をベースにしながら,どこまでどんなファクターを入れてどんな権利者について否認ができるということで広げていくか,その期間,行使期間をどうするかというので,大分整理はされてきたと思うので,むしろ今日の議論を前提として,更に絞り込んでいくような形で甲案とか乙案という形で示していただければありがたいなと思っています。   混乱させるようなことを言ったのですけれども,大分回を重ねるたびごとにいろいろと議論は絞られつつあるなという感じは持ちました。 ○磯谷委員 先ほど手嶋委員から特別養子の離縁のようなものという話がありましたけれども,前回もちょっと特別養子の話も出てきましたが,やはり特別養子は,もう一番スタートの段階で裁判所が十分な審理をして福祉的な判断をした上で形成したものを,その後どうするかという枠組みであるのに対して,今回のものは,そうではなくて最初から事実行為だけが進んできたものを,どこの段階で,何という表現がいいのかな,改めるかというような話なので,そういう意味では,特別養子の規定も参考にはなるかもしれませんけれども,嫡出否認についてはそれと異なる考え方でもいいのかなというふうに私は今思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかに御発言があれば,いかがでしょうか。   それでは,なかなか難しいのですけれども,議論は一旦引き取らせていただきまして,今日の御意見も踏まえた形で次回にも更に議論をするということにさせていただきたいと思います。   今日の資料で申しますと,8ページの2の問題と,それから,子が一定の年齢に達した後に特に問題になりますけれども,13ページの5の関連する問題という論点というところについて,まだ御意見を伺っておりません。これも併せて次回に持ち越しということにさせていただきたいと思います。   そういうことで,事務当局も,よろしいでしょうか。   それでは,積み残しが生じてしまって大変申し訳ないのですけれども,残った分につきましては改めて次回に御議論を頂きたいと思います。その次回の議事日程等について,事務当局の方から御説明を頂きたいと思います。 ○平田幹事 次回の日程につきましては,日時が令和2年10月27日火曜日午後1時30分から午後5時30分まで,場所は今回と同様法務省地下1階大会議室になります。   内容につきましては,本日否認権の関係で議論を積み残しましたので,そこの部分と,加えてほかに嫡出推定制度,特にこれに関連するものについて,残された部分について御議論を頂きたいと考えております。   以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   では,次回は10月27日ということでお願いをいたします。   それでは,これで法制審議会民法(親子法制)部会の第10回会議を閉会させていただきます。本日も熱心な審議を賜りましてありがとうございました。閉会いたします。 -了-