法制審議会 家族法制部会 第11回会議 議事録 第1 日 時  令和4年1月25日(火) 自 午後1時30分                      至 午後5時24分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  残された論点の検討 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは、予定した時刻になりましたので、法制審議会家族法制部会の第11回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中、御出席を頂きまして誠にありがとうございます。新年の御挨拶というのには少し遅くなってしまいましたけれども、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。   本日も前回と同様、ウェブ会議の方法を併用した開催となりますので、こちらの方もよろしくお願いを申し上げます。   まず、会議に先立ちまして本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局の方からお願いをいたします。 ○北村幹事 事務当局でございます。資料でございますけれども、部会資料11につきましては、残された論点について事務局において整理したものを記載したものでございます。資料の内容については後ほど御説明いたします。参考資料といたしまして、法務省の調査員として来ていただいている東北大学准教授の池田関係官作成の資料をお送りしております。また、赤石委員から提出された資料もお配りしているところでございます。   資料の説明は以上でございます。 ○大村部会長 それでは、本日の審議に入りたいと思います。   今御説明がございましたが、本日は部会資料11に基づきまして、残された論点について御議論を頂きたいと考えております。   では、まず最初に事務当局から、この資料11について全体の御説明を頂ければと思います。 ○北村幹事 それでは、部会資料11について御説明いたします。   部会資料11「残された論点の検討」といたしまして、「第1 はじめに」ということで本資料の位置付けを記載しております。そして、本資料で扱う論点の概観について第1の2で記載しておりますけれども、そこで記載しておりますとおり、第2では、まず、祖父母等が子を養育している場面等を念頭に、父母以外の者が子の養育に関与する場合の規律の在り方について論点を整理しております。第3では、普通養子縁組がされた場合を念頭に、子に複数の父母がいる場合の親間及び各親子間の関係に関する規律の在り方について論点を整理してございます。第4では、親権などの子の養育に関する基礎的な概念の整理を行うとともに、そのような概念を表現するための用語についての検討を行っております。第5では、これまでの検討において父母間の養育費請求権又は子の親に対する扶養請求権の実現のための制度を再構築するという方向性にはおおむね異論がなかったということを踏まえつつ、その方向で検討を進める場合に、婚姻費用分担請求権をどのように扱うべきかという点について検討を行ってございます。第6では、いわゆる連れ子養子縁組の在り方との関係で、子の氏の変更に関する規律の在り方についても検討を行うべきとの御指摘があったことを踏まえて、その点についての検討を行っております。第7については、父母の離婚等に伴う子の養育の在り方に関連する論点のうち、明示的に取り上げていなかったものについて、2巡目の検討の対象とすべきと考えられるものがあるのかどうかについて御意見を賜りたいというものでございます。   それでは、第2について簡単に御説明いたします。第2については「父母以外の者が子の養育に関与する場合の規律の在り方について」ということになります。現行法の規律を記載した上で、父母以外の第三者との関係で、父母以外の第三者が裁判所に対して子の監護について必要な事項を定めることを求めることができるのかという点や、民法766条等に基づいて、父母以外の第三者を子の監護者として指定すること、あるいは第三者と子の面会交流を定めたりすることができるかという点について検討を行ってございます。この点につきましては、2件の同じ日に出された最高裁決定がございまして、令和3年3月29日の決定でございますけれども、こちらを前提として議論をさせていただいております。   4ページの2の検討のところになりますけれども、この最高裁の決定によれば、父母以外の第三者は監護者指定の審判であるとか面会交流の審判を申し立てることができず、また、監護者に指定されることなども想定されていないように思われますけれども、この点について様々な御指摘があるところではございます。他方、また、誰でも子の養育に関する審判を申し立てられることとした場合には、潜在的な紛争当事者が増えることや濫用的な申立ても増えるのではないかとの指摘も考えられるところでございます。   こういったところを踏まえて、6ページの課題ということで、父母以外の第三者も、自らが子の監護者となることであるとか、自らと子との面会交流を求める審判を家庭裁判所に申し立てることができることとすることについてどう考えるか、仮にそのような規律を設ける場合には、第三者の範囲を一定の範囲に限定することが考えられますけれども、その点についてどのように考えるか。仮に@のような規律を設ける場合には、濫用的な申立てなどがあった場合の規律の在り方についてどのように考えるのか、仮に@のような規律を設ける場合には、親権者の配偶者が子と養子縁組をしない場合において、その配偶者と子との関係について監護者指定を活用することについてどのように考えるのか、ということについて御検討いただきたいというものでございます。   第3については「養父母と実父母との関係等」ということで、現行法の規律をこちらに記載してございます。連れ子養子の場合であるとか、複数回の縁組がされた場合の親権行使ということで、7ページのところに簡単に図を記載してございます。現在の民法ですけれども、普通養子縁組によって子に複数の父母がいる場合であっても、その子は最新の縁組による一組の父母、この資料上は養育父母としておりますけれども、その一番最新の縁組による一組の父母によって養育されるということを想定しており、それ以外の親が子の養育に関与することを想定しないようにも思われます。   そこで、9ページの検討の方ですけれども、部会資料9−1でも、縁組の後に実の親がどのように関わっていくのかという御議論も頂いたところでありますけれども、こちらでも併せて御検討いただきたいということでございます。   10ページから11ページのところに課題とありますけれども、普通養子縁組によって子に複数の父母がいる場合に、その親間の関係であるとか各親子間の関係について、現行法上、明確な規定がないなどといったことも踏まえまして、まず@として、先ほど申し上げましたように、原則として一組の父母が子を養育することを想定している、そして、それ以外の親の関与を想定していないように見えるけれども、このような想定を維持すべきなのかどうか、また、そもそも民法が子の養育を一組の父母が担うと想定されていると考えていることについては、それをそもそも維持をすべきなのかどうか、あるいはAで、未成年養子縁組後に実親等も親権者になることができるとする規律を設けることについてどのように考えるのか、B未成年養子縁組後に実親等も子の監護者となることや、子との面会交流を求める審判を申し立てることができるとすることについてどう考えるのか、そして、C濫用的な申立てがあることも想定されますので、そのような場合の規律の在り方についてどのように考えるのかといったことについて御検討いただきたいというものでございます。   第4は「子の養育に関する概念・用語の整理」ということをさせていただいております。親権であるとか監護、監護権、養育、子に対する扶養といった概念、親子関係に関する基本的な概念であるにもかかわらず、その内容は法的に必ずしも明らかではないようにも思われます。また、親権といった用語は、あたかも専ら親の権利であるかのようであって、親子関係を表す語としてはどうなのかという御意見もあるところでございまして、今回、様々な子の養育に関わる規律について御検討を一読の中でさせていただいてきたこともございますので、それらの検討を踏まえまして、それらの用語について御検討いただきたいというものでございます。   12ページの方には親権について記載しております。一般的に親権とは子の監護及び教育をする身上監護権と、子が財産を有するときに、その管理をしたり、子の財産上の法律行為について子を代理したり、同意を与えたりする財産管理権とからなると解されておるというところでございます。なお、従来の用法に従って、この資料でも身上監護権及び財産管理権という形で「権」という言葉を用いておりますけれども、民法820条が、親権を行う者は子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負うと規定しておることからも明らかなように、「権」としておりますけれども、いずれも権利であると同時に義務としての性質を有するという理解を前提に資料を記載してございます。また、監護権についても、766条1項等によれば、父母は親権者とは別に子の監護をすべき者を定めることができるとされております。これは、一般的に親権から身上監護権を切り出して父母の一方に専属させるものであると解されているところでございます。   このように親権が監護権と財産管理権とからなると考えるのであれば、監護者というものは財産管理権を除いて子に関する全ての事柄を決定することができそうですけれども、監護者が指定された場合に、親権者は財産管理権以外の事項について一切関与することができなくなるのかという点については、必ずしも定まった見解はなく、特に重要な一定の事項についてはなお親権者の下に決定事項が留保されているという見方もあり得るようにも思われます。監護権の範囲については、どのような見解を採るとしても、監護権が子との関係で極めて重要なものであること自体には違いございません。ただ、監護権、現行法においては、監護者が指定されている場合であっても、そのことを公証する手段は用意されてございません。こういった検討等を踏まえた上で、まず、親権等の用語についてどのように考えるのかということについて御議論いただければと思います。   先ほども申しましたように、いずれもこれらは「権」という言葉を用いておりますけれども、親権者にとってこれらの権限を行使するかしないかという点や、どのように行使するかという点に自由裁量はなくて、子の利益の観点から一定の制約を受けているものと解されているところです。そうすると、これらの各概念というものは、親が負っている子の利益を図る義務又は責任を中核とするものであって、権限についてはそれを果たすために付与されているものという方が自然であるようにも思われます。いずれにせよ、その概念に「権」の語を用いることはどうなのかというところ、あるいは責任や義務というのを強調する語を用いることがよいのか、様々な御意見等があろうかと思います。   15ページの参考のところには、我々が把握している形でそのまま抜き出したものですけれども、海外における用例も表しております。ただ、ここに注意で付けておりますけれども、これらは参考のために機械的に置き換えたものということで、正確に訳すためには、やはりそれら各国の法概念の内容も含めた検討が必要であろうとは思われますが、今回の検討の御参考の一つにしていただければと思います。   監護の在り方についての決定と現実の具体的な監護というところで、部会資料6で様々な決定について、離婚後の帰属の在り方について検討を行ったところでありますけれども、親権の一部である身上監護権、監護権については、子に関する決定のみならず、子を直接監護、教育するという事実上の行為を行う責任も含まれるところでございます。このような観点を意識して、外国法では監護の在り方についての決定に関する部分と現実の具体的な監護に関する部分を区別した上で、規律を設けている例もあるようでございます。そうしたところも、この監護権、そもそも可分なのかどうかというところも議論になるところでございますので、その点について、親権が一部親権制限できるのかというところも踏まえて記載をしております。監護権と法定代理権というところ、親権と監護権が分属している場合における子の代理権の在り方についても検討が必要ではないかということを記載しております。   それらの検討を踏まえた上で、皆様に御検討いただきたいところの課題として、18ページのところでございます。@親権及び監護権の法的な性質について、親の子に対する子の利益を図るための責任及びそれを果たすための権限であると捉えた上で、親権等の語を適切な語で置き換えることを検討することについてはどのように考えるのか、また、親権の有無とは独立に親子間に発生する親の責任や義務、扶養義務等についても民法上、名称を設けて明確に規定してはどうか、A親権及び監護権の概念について、子の観護の在り方についての決定に関する部分と具体的な現実の監護に関する部分とを分けて規律の在り方を検討することについて、どのように考えるのか、B親権及び監護権について、例えば医療、教育といった領域ごとに父母のそれぞれに分属させることについてどのように考えるのか、C監護者が指定されている場合における親権者の法定代理権の行使の在り方について規律を設けることについてどのように考えるのか、について御検討いただきたいというものでございます。   (注1)に記載しておりますけれども、仮に@及びAの方向で検討を進めるのであれば、一案としては、親の子に対する責任とそれを果たすための権限について、親子関係から当然に発生するものを、例えば親責任などと、子に関する決定についてのものを決定責任、子の事実上監護に関するものを監護責任などと呼ぶことが考えられます。この場合には、全ての親が親責任を負って、そのうちの全部又は一部が決定責任を負うといったことも考えられるところでございます。   続きまして、19ページの養育、監護、扶養についてですけれども、養育という言葉についてはどのように考えるのかについて検討を行ってございます。実は民法上、養育の語は828条において用いられているのみでございまして、それ以外の条文では養育というという言葉は使われておりません。828条、実務上これが問題になるということは余りないというか、なかなかこの条文を使っている例というのは見たことはありませんけれども、子が成年に達したときは、親権を行った者は、遅滞なくその管理の計算をしなければならない。ただし、その子の養育及び財産の管理の費用は、その子の財産の収益と相殺したものとみなす、というところで養育という言葉が使われております。なかなか難しい条文ではありますが、その考え方について一つ考えられるところを事務局の方で記載しております。こういった検討を踏まえた上で、養育という言葉をどう考えるのか、この828条の養育という言葉についてどう考え、さらに子の養育、監護、扶養といった概念、用語について整理を行うことについてどのように考えるのかということについて御検討いただきたいというものでございます。   21ページからは、「養育費と婚姻費用の関係」でございます。先ほど冒頭で申し上げましたように、養育費については部会資料3におきまして詳細に御議論いただいたところでございます。その検討を踏まえまして、婚姻費用分担請求権全体と養育費等を同等に扱うことができるのかどうかについて御検討いただきたいというものでございます。具体的には、23ページのところの課題でございますけれども、未成年子を有する父母が婚姻中に別居している場合における同居親からの婚姻費用分担請求権についての実体法及び手続法上の規律の在り方について、子の養育費請求権に関する見直しを検討していることとの関係も踏まえてどのように考えるのかというところの御検討いただきたいというものでございます。   第6は「子の氏の変更制度に関する規律」ということで、こちらも未成年養子縁組におきまして検討いただいた際に出た御意見を踏まえて、氏の変更について、例えば子の氏の変更に関する791条1項の規律について、一般的に又は特別の場面に限って家庭裁判所の許可を不要とすることについて、どのように考えるのかということについて御検討いただきたいというものでございます。また、791条の3項の関係ということで、自ら単独で氏の変更を申し立てることができる年齢を引き下げるのかどうか、その点について、あるいは自ら単独で氏の変更を申し立てることができない子の氏の変更手続について、親権者でない親を手続に関与させることについてどのように考えるのかということについて、御検討いただきたいというものでございます。   最後に、第7でございます。「その他」でございます。父母の離婚等に伴う子の養育に関して、この1巡目で様々な御意見、御議論を頂いてきたところでございますけれども、明示的に取り扱っていない論点のうち、部会の2巡目の検討で取り上げるもの、飽くまでもこの離婚等に伴う子の養育に関してということでございますけれども、2巡目で取り上げるべき残しているものがあれば、御意見を賜りたいというものでございます。   長くなりましたが、以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ただいま事務当局から部会資料11について説明がございました。7項目に分かれておりますけれども、第1が「はじめに」ということで、第7が「その他」、その間に五つの論点に関する説明が記載されております。本日はこの資料を三つに分けまして、すなわち、まず第1に第1から第3まで、1ページから11ページまで、そして第2から第4、11ページから21ページ、最後に第5、第6、第7、21ページ以下という形で御議論を頂きたいと考えております。   そこで、まず部会資料の「第1 はじめに」の部分、それから「第2 父母以外の者が子の養育に関与する場合の規律の在り方」、そして「第3 養父母と実父母との関係等」、この部分について意見交換をお願いしたいと思います。第1から第3までの部分につきまして御意見がございましたら、自由に御発言を頂ければと思います。 ○棚村委員 棚村です。まず、第2の部分で、父母以外の者が子供の養育に関与するということで、今問題になっているのは祖父母等ということだと思います。これについては、課題のところでありますように、最高裁の直近の決定があって、実務では積極的に認める立場と、それから消極的な立場が分かれてはいましたけれども、実務上は、祖父母等でお子さんの監護に関わったり、それから、やはり交流が適切だというケースについては認めているものもかなり見られていました。そこで最高裁がこういう判断をしたわけですけれども、少子化とか、あるいは共働きの一般化に伴って、祖父母等が子供の養育を実質上サポートしているとか、あるいは、この例の中でも出てくるのですけれども、親権の濫用とか、いわゆる親権喪失、停止までは行かないけれども、かなり子供との関係が悪化している、不適切な養育も見られるというようなケースで、親権制限の制度を使うまでではないのだけれども、ある程度子供の監護関係や、事実上の生活を安定させたいというときに、肯定しなければいけない場合があるのではないかということを考えております。これは新注釈民法等でも判決の評釈等でも述べさせていただいたところですので、6ページの父母以外の第三者というとき、祖父母もあるのですけれども、里親さんとか、叔父叔母など、実際のケースもありますので、一定の者が家庭裁判所を通して面会交流とか監護者の指定ということを認められる可能性というのは認めた方がいいのではないかと思います。   諸外国等でも、第三者の監護者の決定、指定とか、養育命令みたいなことができるとか、親責任やいわゆる親権の一部移譲とか、そういういろいろな制度の中で、親に代わり得る役割を果たしてきたとか子供と実質的な関係を有してきた者については、家裁の関与で監護者の指定に相当するような決定ができるというところが多くなっています。オーストラリアを見ますと、養育命令とか養育計画、これを父母以外の第三者、祖父母等も想定しているわけですけれども、継親ということもあり得ると思うのですけれども、家族コンサルタントのカンファレンス、要するに家裁の調査官の関与みたいなものをきちんと確保して、この辺りが父母の場合と少し差別化を図るなどして、申立てができる要件の設定の仕方を重くし、子供と実質的な関わりを持っていること、それから、子供の利益になるということを積極的に証明をするというようなことで、父母の養育に不当に干渉するとか不必要に介入するということを避け、迅速な子の監護、養育の安定した環境を確保しようとするところが多くなっています。このような場合でも、父母による養育が何らかの形で十分でないときに、それに代わる人が面会交流なり監護者の指定ということを通して適切に関与できる余地を認めていくという趣旨です。ですから、この御提案にあるような濫用の申立てとか、混乱が生じないような一定の配慮が必要になってくるとそれから、養子縁組なんかがされた場合に、特に連れ子養子みたいなときも、親権というものを一応持つわけですけれども、こういうような監護者指定ということを活用することによって一定程度紛争を解決したりすることが期待されます。もっとも、この場合でも、監護者がどういう内容の権限とか責任を負うかというのは、明確にしなければなりません。   少し長くなりましたけれども、基本的には6ページの課題の3のところで、父母以外の第三者の監護者指定とか、あるいは面会交流ということについて、積極的に検討した方がいいだろうと思います。一応、この点についてはこれぐらいにしておきます。 ○大村部会長 ありがとうございました。第2の父母以外の者を監護者に指定するという問題につきまして、まず第1点として、そのような余地を認めるべき場合があるのではないかという御意見を頂きました。また、第2に、外国の立法例について御紹介を頂き、最後に第3に、そのようなものを認めていく上で、要件の設定をどうするのかということについて十分に検討する必要があるのではないかという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。 ○武田委員 親子ネットの武田でございます。皆様、今日もありがとうございます。まず、第2に絞って発言をさせていただければと思います。第2の論点、父母以外の者が子の養育に関与する場合という論点が挙がりましたので、実は今日の会議に先立ちまして、私ども親子ネットの会員、祖父母の会員ですね、10名程度のおじいちゃん、おばあちゃんからお話をお聞きする機会を設けました。弊会では当事者に加えて当事者の家族も会員としておりまして、圧倒的に多いのは祖母ですね、当事者のお母さん、子供にとってはおばあちゃんということになります。したがいまして、ここからの意見は主に祖父母を意識した見解であるということを先にお断りさせていただきまして、紹介をさせていただければと思います。   祖父母と一言でいっても、それぞれ境遇は異なると思っております。当事者御本人が父親のケース、母親のケース、また、その当事者が置かれている状況ですね、具体的には、祖父母と当事者で何とかお子さんと断絶にならないように頑張っているケース、こういったケースは実は少なくて、どちらかというと当事者の御本人が心身を病むケース、もう子供のことを含めて考えられなくなってきている、このようなケースにおいて、祖父母の皆さんが我々親子ネットの会合に来て、何かヒントがないかということで探してお越しになるケース、そういう方が非常に多うございます。中には当事者御本人、つらい話なのですが、自死などで亡くなってしまっている方もいらっしゃいます。こういった皆さんは、先ほど御紹介がありました最高裁の判例を見てまた愕然としておられたのですけれども、何とか祖父母への面会交流も認められるような法改正を求めて、活動されている方もいらっしゃいます。ただ、こういった皆さんに共通しておりますのは、今日、監護権というテーマも上がっておりますが、そもそも監護権どころか、母親であってもお嬢さん同様、お孫さんに全く会えない、祖父母、別居親ともにゼロ面会という方がほとんどでございます。今回ヒアリングをした祖父母の皆さんでお孫さんと会えている方は僅か1名でございました。こういった祖父母当事者の意見も踏まえて、6ページ記載の課題、それぞれに関して意見を述べさせていただきたいと思います。   1点目、祖父母が監護者指定、面会交流を求める審判、これは是非申し立てることができるように進めていただきたいと思います。先ほど自死の例を出しましたけれども、このヒアリングの中でも、このケースでは自死されたお嬢さんの配偶者はもう再婚しておられました。しかしながら、その元配偶者とお孫さんの間での養子縁組がされていない、そういうケースです。この祖母当事者がおっしゃっておりましたのは、もし娘の元夫がまた死亡するようなことになったら孫はどうなるのかと、そのような場合には、孫は大切な娘の忘れ形見であると、何とか養育に関与したいと、そのために、このおばあちゃんはお孫さんと断絶して既に12年たっているのですが、「12年顔を見ていないけれども、その前に一目でも会いたい、娘が子供をどれだけ大事に思っていたか、ばあばから伝えてあげたいと、あなたのことを愛しているばあばという存在もいるということを伝える方法が欲しい」と、このような意見でございました。決定において、監護者指定、面会交流をどのような頻度で認めるか、これは個々の事案によるものだとは思いますけれども、まずはこういった監護者指定、面会交流を求める権利、これを祖父母の皆さんにも是非認めていただきたいというのが私の意見でございます。   次に、A、第三者の範囲に関して申し述べさせていただきます。先ほど申し上げたとおり、私どもの会員は当事者以外はほぼ祖父母でございますので、本日時点でおじ、おば、これをどこまで広げるかというところに関しましては、今日は意見は控えさせていただきたいと思います。とはいいながら、従前から私どもが、申し上げているとおり、親に限らず、子供は多くの無償の愛情を注いでくれる方々に囲まれて育った方がよいということが私どもの基本スタンスでございます。したがいまして、一つの要件になるとは思うのですけれども、過去に同居したことがある者に限定すること、少しこのような要件の立て方というのは現時点では否定的な考えでございます。   あと、親族との交流について1点、申し添えたいと思います。改めてになりますが、面会交流、継続的に会えているのは我が国で約30%、この中で別居親以外の祖父母や親族に会うこと、これを明示的に制限されているケース、これはございます。また、1回2時間などの時間的制約ですね、時間的制約により別居親以外の祖父母や親族とは会えなくなっているケース、これも非常に多くございます。そのような中で、まだ文化としてあると思っているのですが、年に1回、親族で集まると、このようなところで、よく遊んだいとこのお兄ちゃんと遊びたいというようなお子さんの意見、あと、逆に別居親側のいとこから、「どうしてあの子は来られなくなってしまったの、もう会えないのと」、こういう素朴な疑問が出てきて、誰も大人が答えられない、こういった現状もあると思っております。この辺り、本来であれば面会交流のテーマで取り上げることかもしれませんけれども、こういったいとこを始めとする親族との交流に関しても、先ほど棚村先生から、要件と、計画の中にというような御発言もありましたけれども、こういった取決めの中に、親族を始めとする交流の取決め、実行がなされるよう検討する必要があるのではと考えてございます。   最後にB、濫用に関してです。濫用的な申立てがあった場合、これも祖父母の皆さんから意見がございました。両親にも増して、祖父母間で相手方の悪口、こういったことを孫の前で平気に話題に出すというようなことが多いという指摘もございました。こういったことが濫用的な申立てにつながるようなこと、これらも想定して、一定の規律を設けることは前提として必要であろうと、このように考えます。   長くなりましたが、まずは第2に関してということで、以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。祖父母に当たる方々の意見等を踏まえてということで、この第2の提案の基本的な方向性には賛成するということだったかと思います。その上で、範囲についての御意見は、絞り込みについては余り賛成でないという御意見だったでしょうか。 ○武田委員 明確に申し上げられないということです。 ○大村部会長 そして、濫用については対応が必要だという御意見だと伺いました。ありがとうございます。 ○戒能委員 ありがとうございます。戒能です。少し抽象的なことでもよろしいでしょうか。事前の御説明などを受けて、それから、今までの議論をずっと見てきて、1947年に現行の家族法が改正されておりますけれども、多くの点で概念が明確ではない、それから、規定がそもそもないというようなことが極めて多いということに改めて気付かされております。それがどういう要因によってもたらされているのかということも、よく考えていく必要があると思います。家族法が第二次世界大戦後、改正された時点からもう75年たっているわけですね、その間に、大きな改正がなされようとしたりしたけれどもかなわなかったとか、改正が幾度かあるわけなのですが、もちろんその背景には家族の変容、大きな変容があります。その変容をどう捉えるか、その中で、今回どういう議論をして家族法改正というゴールにどういうふうに行くのかということを、深く考えたいと思っています。   もうこれは家族法の研究者の方々には言うまでもないことなのですけれども、47年の家族法改正のときは、やはり戦前の家制度の否定ということが非常に大きな要素としてありました。ですから、家族という概念自体が出てこないというような集団主義的な思考を排除したということがありますが、同時に憲法の理念ですよね、13条とか24条、個人の尊厳と男女平等というような、そういう個人主義的な考えを尊重して組み立てていったと思います。規定がないというのは、これは利谷信義先生がおっしゃっているように、白紙条項が大きな役割を果たしたということがあります。非常に柔軟に当事者間の協議に任せると、それはもちろん家裁の後見的機能を前提としておりますけれども、そこの意味というのをもう一度考えていく必要があるだろうと思っているのです。   それで、二つ側面を考えたのですが、一つは、白紙条項というのは柔軟性ということがあって、家族の変容にも改正しなくても対応できるという機能を果たしたのですが、同時にそこに個人の自律性の尊重というのが、プラスの面として考えれば、あるのではないかということなのです。それが十分機能したかというのは別の問題でありますけれども、やはり家族の自律性というものをどう尊重していくか。ですから、抜けている規定など、今の段階の議論は多分、そういうものを全部出してみて、そこから出発して考えるのであって、それが全て規定されていくわけではないということは重々理解しておりますけれども、やはり家族の自律性、あるいは個人の自律性ですよね、離婚を選ぶと、離婚してシングルマザーあるいはシングルファーザーとして子育てを行っていくということを選ぶということの尊重という側面がある。それをプラスとすれば、マイナスの側面としては、これも言うまでもないことなのですが、力関係の差がそこでは左右していくということ、対等な関係の協議にならないということがあるということなのです。ですから、その辺を注意して見ていかないと、そのマイナスの面をどう克服して、新しい規定や、考え方を設計していくかということが求められているのではないかと思うわけです。   これは私の個人的な考え方なのですけれども、対等性というものは主に、雇用の関係でもそうですし、教育の関係でもそうなのですけれども、社会における対等性が整備されていかなければ、それは家族の関係における対等性も作られていかないけれども、少なくとも非対等性を作らないというような、あるいは防ぐというような家族法規範を作っていくということが大事ではないのかと思っております。そういう考え方の下で、現実の社会にある問題をどう解決していくかということが目的でありますから、オートノミーの問題も意識しながら、そういう力関係、家父長制みたいなものですよね、それを再生産しないような、そういう規範を目指していくべきだと考えているということを一言申し上げました。   以上でございます。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。1947年の家族法大改正から約70年たっているですが、新たな観点から立法を見直す必要があるのではないかということで、その際の基本的な考え方について御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。 ○佐野幹事 佐野です。棚村先生が先ほどおっしゃったことともほとんどかぶってしまうのですが、すみません、言わせていただきます。   実はこの第三者への監護者指定、非常に実務的には必要性が高く、これがないことで、なかなか実親からの引渡し請求を阻止できないといった事態が生じています。ですので、こういう形で規律、明確化するということには非常に賛成しております。Bにありますように濫用的な申立ての可能性も否定できないというところはA、その範囲を限定する規律により対応すればよいのではないかと思います。ただ、この範囲については、子供の成長発達に資するところが目的ですので、子供から見た関係性の重要性をきちんと捕捉できるような形で規律ができないかと思っております。   もっともCについては、唐突に出てきた感があります。前回、前々回ですか、養子縁組をしない場合の連れ子養子と実親の配偶者の関係がどうなるのかという問題意識から出てきたのだと思うのですけれども、ここについてはまだ考えがまとまっていないのですが、ただ、実親の配偶者が親として子供に対して頑張ってしまって、それで継父母と子供の関係が悪くなって虐待が生じているという事案も児童福祉の現場ではよくあるパターンです。そういう意味では、子の監護者として指定する、こうやって義務を課すということがプラスに働くのか、マイナスに働くのか、これによって一体何を達成しようとしているのか、ということはよく考えなければいけないのかなという気がいたしております。 ○大村部会長 ありがとうございました。これまでに出ている基本的な方向、第2の方向で検討する、ただ、範囲と濫用の可能性については留意をする必要があるという考え方に賛成された上で、その範囲の画し方についての御意見と、それから、6ページの課題の中に出ているCについて、何を目指しているものなのかは慎重に検討をする必要があるという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。 ○落合委員 先ほど大村先生のお声がよく聞こえなかったんですけれども、私だけですかね。 ○大村部会長 こちらの声はどうですか。 ○赤石委員 大村部会長の声が途切れて、おまとめのところがよく聞こえなかったので、少し前に戻って御発言いただけますと幸いです。 ○大村部会長 分かりました。赤石委員、ありがとうございます。それでは、少し戻るというか、佐野感じから御発言を頂きましたけれども、御意見は、これまでに出ている大きな方向性には賛成するということで、第2の問題について積極的に検討する、ただし範囲の問題と濫用に対する対応を考える必要があるのではないかということを踏まえた上で、一つは範囲の画し方についての御意見を頂きました。それから、もう一つは、6ページのCの提案、養子縁組が関わる場合の取扱いについては、この規律で何を目的にするのかということを考慮しつつ慎重に検討する必要があるのではないか、こういう御意見だったとまとめさせていただきました。 ○落合委員 落合です。私はこの祖父母のことと養父母のことと併せて、割と広い視野から、家族社会学者にはどう見えるかというような話をさせていただきたいと思います。   まず出発点は、この11ページにあります一組の父母が子を養育するということを想定している法律の仕組みが狭いということだと思うのです。これが非常に核家族的でして、非常に狭いと。先ほど棚村先生から、この頃は共働きということもあるので、祖父母がもっと関わるようになってきているというようなお話があったのですけれども、私の認識は少し違いまして、祖父母の関わりは今も大きいですけれども、昔はもっと大きかったと思うのです。祖父母だけではなくて、もっといろいろな多様な親族が関わっていたと。ですから、戦前ですとか戦後しばらくの方が、例えば、祖父母の下に預けられて、預けっ放して育てられている人というのがいたと思います。ですから、今新しく生まれてきている状態なのではなくて、元々親族というのは子供の養育にいろいろな角度から関わっていたのだけれども、法律ではそのうちの実の親二人だけというのが切り取られてしまったというのが社会学的な認識だと思うのです。   日本の歴史だけではなくて、国際的に見ましても、例えばアジアの国で調査などをしますと、隔代家族というものがありまして、それは中抜けなのです。親世代がいなくて、例えば出稼ぎに出ているとかで、おじいちゃん、おばあちゃんが孫と同居していつも育てている、親は年に2回ぐらい顔を見に来るとか、そんなようなものもあるのです。これは別に異常なこととは思われていなくて、フィリピンでもタイでも中国でも、異常なことではなくて、まああることなのです。ですから、そういう様々な育て方をしている社会があるのに、一組の父母が子供を育てるのが当たり前だという法律は非常に狭いと思います。   今、ヨーロッパやアメリカでも親族の復権ということが言われています。養子に出すような場合も、養父母だけがいればいいのではないと、子供にとってはやはり自分がどういうつながりの中にいるかということがアイデンティティということで重要なので、大きい親族のつながりの中にその子供を入れていく、それが親族里親の推奨などにもなっていくのですけれども、そういう親だけではない親族の広がりが子供の養育には非常に重要だというのは、欧米圏でも今は見直されているところだと思います。ですから、広めに、監護者にしても親権を持つ人にしても、親権の定義にもよりますけれども、広めにしていくということは一般的によい方向だろうと私は思っています。   ただしなのですけれども、日本の現実で何が起きているかといいますと、この親族によるサポートというのが細ってきているというのが現実なのだろうと思います。例えば、親が子の面倒を見られなくなったときにおじさん、おばさんなどが引き取ってくれる可能性が下がっているということがあります。そういう中で祖父母の役割を大きくすると、心配なこととしては、祖父母が若い世代に介入する離婚というようなこともありますよね。ですから、両方の祖父母が自分の娘なり息子なりを囲い込んでしまって、それで子供のパートナーから親権を取り上げてしまうというか、関われなくしてしまうような形での祖父母の介入というものも十分に考えられます。ですから、濫用といいますか、よかれと思っているのでしょうが、そういう懸念もありますので、その辺りを踏まえてなのですけれども、ただ一般論としては多くの人が関わっていくようにという方向に緩めていくのが正しいだろうと思います。ただし、それが親族だけではなくて、国家の責任もありますので、親族だけで子供の面倒を見ろというのもまた少し違うと思うので、親族とそれ以外、公的な責任ですかね、そのようなものを広く取れるように書き込んでいくのが望ましいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。ここまで第2と第3のうちの第2を中心に皆様から御意見を頂きましたけれども、落合委員の方からは第2、第3を併せた形で、親族の養育関与を広く認めるという方向で考えていくべきだという御意見を頂戴いたしました。その上で、ただ、祖父母の介入等が弊害をもたらす場合があるので、それについては対応する必要があるだろうということと、国家の責任がそれでなくなるわけではないので、その点についても留意する必要があるという御指摘を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。 ○赤石委員 表示名が変えられなかったので、Jになっていますけれども、よろしくお願いします。   父母以外の第三者が子の監護者になるとか、面会交流を求めるというようなことについてなのですけれども、監護者になる、それから面会交流を求める、あるいはそういった法律的な要素ではなく、子を育てるときにいろいろの大人が関わるといったような発想が何か混在して議論されているように思います。私は子供を育てるのを複数の大人、親以外の大人が関わるということは基本的にはよいことだと思っておりますが、法的にどのようにするのかというのは少し別の話題ではないか、別の議論ではないかと思っております。   まず、子の監護者が増えていくといったことが本当に子の福祉に資するのかという、いろいろな義務、責任が生じている人が増えていくことによって、船頭多くして混乱を生んでしまう、子の本当にメインで責任を負っている人が子の監護をスムーズにやっていけるのだろうかといったことを少し疑問に思いました。   私ども会員の方にお聞きしていると、祖父母の関わりですね、離婚した後、元夫さん、子供の父親とは面会はしているけれども余り親しい関係ではないが、元配偶者の両親はよく子供の面倒を見てくれるので、いろいろな出張とかそういうときに祖父母に預けていますみたいな、そういうお願いをしている方たちはいらっしゃいます。今までの関係を継続して、ちゃっかりなのかもしれませんけれども、そういった関係の中で仕事を継続するといった方がいらっしゃいますが、それはそれでございまして、その方たちが監護者になるとか面会交流権を主張するとかいうのは、少し別の話かなと思います。そういった監護者になることによって不当な介入を認めてしまうということは、少し危惧するところです。先ほど、おいとことさんとの交流とかありましたが、そういうのも積極的にやれるような方策はもちろんあってよろしいかと思います。ですので、基本的にはここで、第3の方もそうなのですけれども、議論されている方向には消極的です。   また、6ページのB、濫用的な申立てということが議論されておりますが、子の養育に関するいろいろな法的なステージで濫用的な申立てというのはいろいろ議論がされていますので、全てのステージで濫用的な申立てについては制限をすべきであると私は思います。ここに限らないと思っております。   6ページのCについては、同性愛カップルで親権者の配偶者になれないパートナーが監護者指定を活用するということがあるのであれば、場合として分かるのですけれども、それは同性婚を認める方向でやっていくべきではないかと思っております。場合がよく分からなかったので、そのように議論しておきます。   子育てに関わる大人が増えていく、一組の夫婦だけが子供を育てるというのではないですよねという議論は、もちろん私も正しい方向だと思うのですけれども、であれば、離婚後の子供の養育に関して議論するのではなく、婚姻内の法律婚夫婦の間でも子の監護者が増えるとか、そういった議論が出てくる余地があると思いますけれども、ここでだけ出てくるというのも少し何か不思議な感じがいたしました。   第3については、また議論させていただきたいと思いますので、一応ここまでとさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員の基本的なお考えは、ここで扱われている問題、監護や面会交流の問題について、法的な側面と事実上の問題としての側面を区別して考える必要がある、前者に限って言った場合には、義務や責任を多くの人に課すことには消極的な意見を持っているということだったかと思います。その上で、濫用的な申立て等については、これは一般論としての対応が必要である、それから、Cの部分との関連で、どういう場合を想定しているのかという議論の範囲の問題についての御指摘があったと理解いたしました。ありがとうございます。 ○水野委員 ありがとうございます。申立権を認めるかどうかという問題の前に、今、赤石委員から、法的な問題と事実の問題は違うという御発言がありましたけれども、私も近い判断でございます。まず、大きな一般論でいいますと、落合委員が言われましたように、育児において、子供に関わる人が多い方がいいだろうと思いますし、現代の孤立した親子関係ではなくて、群れによる育児が、本来とても健康的なものだろうと思います。親族であれ、保育園であれ、子どもに関わる人が多い方が健康的ですから、児相の現場では、虐待が疑われる危ない親に保育園に預けることを説得できると非常にほっとするという現実があるそうです。   ただ、申立権を認めるかどうかという法的な設計については、私は消極的です。関与する個人に司法への申立権を認めて、そして司法権が直接その是非を判断するという設計は、今の日本の現状ではふさわしくないように思うのです。ドイツ法にしてもフランス法にしても、年間数万件の親権制限判決が出ております。人口はフランスの倍の日本では、親権喪失と親権停止を合わせてやっと三桁に届くくらいにとどまっています。そういう現状を前提にしたときに、当事者がいきなり裁判所に申し立てるという筋よりも、例えば児相長に申し立てて、児相長が状況を調べて子の福祉のために動くという設計の方が、日本ではまず充実させるべき方向なのではないかと思うのです。その背景には育児支援への公的介入が圧倒的に足りないという日本の構造的な問題があります。家族の誰かが個人として司法へ提訴するという設計は、個人は非常に脆弱な存在ですので、例えば里親などの個人が実親と直接司法で戦うという設計は余り感心できません。766条についての最高裁のこの前の判断も、そういう意味では、一つの合理的な判断であるような気もします。   明治民法のときから親権喪失制度があって、親族に広く提訴権を認めてきましたけれども、これは実際には、今様常盤御前判決みたいなろくでもない事案が僅かにあっただけで、親権喪失をさせた方がいい虐待のような典型的ケースには全然機能しませんでした。条文は母法にならって、検察官が提訴できることにしてありましたし、本来はそこが機能すべきでした。母法のフランス法では、調査と支援を担当する社会福祉行政と連絡を取って、強制的支援の方法としてほとんど検察官が提訴しているわけですけれども、日本では検察官が民事で働きませんので、親権喪失制度は、機能してこなかったわけです。公的な機関が親の育て方を調査して提訴まで積極的に働くという制度設計をする方が、日本の近未来の制度設計としては本筋だろうと思います。   以上です。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。水野委員からも、法的な問題と事実に関わる問題とを区別すべきだという御意見を頂き、その上で、具体的な問題については、裁判所への申立権については消極的に考える方が日本の状況に合っているのではないかという御意見を頂きました。 ○大山委員 大山でございます。6ページの第2の課題について申し上げたいと思います。   こちらで御提案いただいておりますとおり、父母以外の者による子の養育への関与の在り方について、何らかの規律を設けて規定をするとの方向性については賛成です。その上で、この第三者の範囲ですとか、先ほど来、両論のご意見が出されておりますけれども、やはり実際、今、家族の在り方も多様化しつつあります。事実婚も増えておりますし、また、先ほど御指摘があったとおり、LGBTの方が3人で子育てを始めている、そのような時代に入ってきております。こうした中で、例えば、同性婚を認めてからという話になると、鶏と卵で、日本でそういった法制がいつできるのかということにもなってしまいますので、この第三者の範囲というのを広めに取るという、どちらかというと落合委員の御意見に近いような考え方を持っております。ただ、そうはいっても、濫用のところはきちんと担保しなければいけないとも感じておりまして、やはりきちんと要件のところで実質的にどのようなことの関わり合いがあるのか、それは法律上の関係だけではなく、実際にどういうふうにきちんと監護者としての、権利だけではなく、義務の部分をきちんと要件の中で担保した形で制度設計していくことが望ましいのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。大山委員からは、第2の点について方向性としては賛成であるということで、基本的なスタンスとしては広めに認めるという方向で考えるべきではないか、ただし、要件化に当たっては、要件を実質的なものとする検討が必要だろうという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。 ○柿本委員 ありがとうございます。柿本でございます。皆様の御意見を伺っている間に少し考えが変わりました。もともと、私は落合委員の意見と同じで、広めに、祖父母である必要もなくて、一番子供のことを思っている人たちが監護者となることがよろしいのではないかと思っておりました。落合先生からは昔からそのような風習はあったというお話でしたけれども、私もそのように認識しておりましたので、子供は多くの人の手によって、そして社会で育てていくという意見ではございますが、水野委員のお話を伺って、審判を家庭裁判所に申し立てることを認めるということ、そのことについてもう少し深く考えておく必要があるのではないかと思い至りました。それがどういうことになるのかという解は私にはないのですが、丁寧に考える必要があるのではないかというところでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。柿本委員からは、祖父母に限らず広く監護を認めていくべきであるという御意見を頂戴すると同時に、先ほどの水野委員の御発言にありましたけれども、申立権を認めることに伴う問題をどのように捉えるのかということもやはり考えなければいけないだろうという御指摘を頂きました。ありがとうございます。 ○原田委員 私も水野委員の意見にかなり近いのですけれども、前提として、今回の離婚後の子の養育の在り方の検討という審議会のテーマを考えたときに、親権というより、やはり監護をどうするのか、安定的で安全で安心な子の養育、監護をどうするのかという観点から考えるべきで、やはり親権の方から考えると親の視点からの発想になるのではないか、その辺りが議論の全体を通じていつも気を付けていかないといけないかなと思っています。   現に監護している親の監護が不適切である場合は、あるいは先ほど佐野委員が言われたように、一旦はネグレクトしているような親が突然、親だからといって連れに来るというような場合にどうするかという問題は確かに実務上あって、親以外の人の監護者指定の申立てを認める必要がある場合は確かにあると思うのですけれども、裁判所に申し立ててそれを決めるという形でないとできないのかという点で考えると、やはり一方で濫用の危険というのを考えざるを得ません。離婚の際に親権とか監護権を争って、監護者となれなかった、あるいは親権者となれなかった一方当事者からの頻繁な申立てというのは本当に珍しくなくて、私も扱った事例で、結局それで監護している親が外国に行ったという例まであります。そして今、裁判所の判断というのは一回決まったらそれで終わりというのではないので、自分のことを理解してくれる裁判官に当たるまでは何度でも申し立てるということは十分に考えられるわけです。しかも、法改正をしたときにそれが適用されるというのは紛争家族なのですよね。実際におじいちゃん、おばあちゃんや親族みんなで子供を育てているケースでは、協議でそれができるので、この規定で争うということではないわけです。これは誰が監護するのかに争いがあるときの問題なので、それを裁判所で争うというのは、やはりいろいろな人の愛情に囲まれて子供が育つというのが理想だというのが適用されない場面だということを考えないといけないのではないかと思います。   これを防ぐために申立権者の範囲を制限するとか、要件を厳しくするとかいう方法ももちろんあるのですけれども、私はどうしても現在の裁判所を前提に考えてしまうので、弁護士間で議論したときにも、やはり今の裁判官の数の3倍、4倍ぐらいにしないと無理なのではないかというような議論も出ました。そういうことによって実際に監護している親が消耗してしまうというのは、本当に子供にとって不幸な事態だと思います。面会交流もそうですけれども、どうして面会交流ができないかという原因は、それは非監護親がDVであるとか、逆に監護親が感情的になって、お父さんや、あるいは非監護親に会わせたくないというケース、原因はいろいろあると思うのですけれども、結局そこで紛争が起こったときに割を食うというか、巻き込まれるのは子供なのですよね。だから、その子供が安心して過ごせるためにはどうするかということを考えたときには、やはりもう少し福祉とか行政とか、先ほど水野委員も言われた児相とか、あるいは裁判所でないもう一つの機関とかいうふうに、当事者が直接申し立ててその場でけんかしないといけないというような仕組みでないところで考えるということを考えられないかなと思っていまして、研究会のときにはほとんど賛成意見が多かったようなので、あえて消極意見を述べさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございます。大きく二つの御意見を頂いたかと思いますが、まず、観点の問題として、親の観点からでない検討が必要だろうという御指摘を頂きました。それから、このような父母以外の者の監護が必要である場合があるだろうけれども、実際には濫用の危険がかなりあるのではないか、繰り返し申立てがなされるといった実例が多いという御紹介も頂いたところです。方向性としては、先ほど水野委員が御指摘になったような、直接の申立てではないやり方で対応するのはどうだろうかということを示唆していただいたと理解をいたしました。 ○窪田委員 窪田でございます。私の方は、少し議論を整理した方がいいのかなという観点から発言させていただきたいと思います。   一つは、まず@のところで、自らが子の監護者となることや、自らと子の面会交流を求める審判を申し立てることができるかという形でまとめられていますが、自らが子の監護者となるという審判を申し立てることと、自らと子の面会交流を求める審判を申し立てるというのは、かなり性格が違っているのではないかという気がいたしております。つまり、子との面会交流が認められるかどうかという点に関しては、例えば、先ほども例として挙がっておりましたが、祖父母がずっと子供の面倒を見ていて、その後、離れることになったけれどもというようなケースを考えると、基本的には子の利益と面会交流を求める人との関係ということになるのだろうと思います。これを入口のところで第三者の範囲を非常に狭めるかどうかという点は、紛争がたくさん生じることを避けるという点では問題なのかもしれませんが、基本的には実質的な観点としては、子供とその人の面会交流の妥当性といったような観点から判断することができるのだろうと思います。   一方で、自らが子の監護者となることの申立てという点については、私自身もやや慎重になるべきではないかと思っております。議論の整理が必要ではないかと申し上げましたのは、先ほど、社会で子供を育てるのだ、大勢で子供を育てるのだというのは、理念としてはよく分かるのですが、ここで自らが子の監護者となることを申し立てるということは、基本的には現在の監護者との関係では権限が抵触するような関係になって、多分その点では、私も監護者に加わるので仲よくみんなでやっていきましょうというタイプの問題ではないのだろうと思います。先ほどから出ているように、現在の監護者、親権者の監護の仕方が妥当ではないというときに、事実上の親権制限に当たるような作業を自らが監護者となることで行うのだというふうになりますと、かなり明確に監護者との関係が対立するようなタイプのものなのだろうと思っております。その点では、この二つを明確に切り分ける必要があると思いますし、社会で子供を育てる、大勢で子供を育てるのが妥当な社会の在り方なのだということで@番、A番、そして第三者の範囲についても緩やかにしましょうというのは、恐らくそれほど単純な話ではないのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは議論の整理という観点から御発言を頂きました。課題の@のところで、監護者になるということと面会交流を求めるということが並列的に挙げられているけれども、これらの性質はかなり違うのではないか、一方が排他的な問題であるのに対して、他方はそうでなくて、複数の人が関わることが可能な問題なので、分けて検討する必要があるのではないか、前者については、必ずしも広く認めるということは適切ではないのではないか、このような御意見を頂戴したと理解をいたしました。 ○畑委員 畑でございます。実体法的な内容についての意見ではないのですが、今話題になっているような第三者の申立て、あるいは第三者による監護というのを認める場合、手続的にも一定の手当てが必要ないかということを考える必要が出てくるだろうということを申し上げておきます。すなわち、現行の家事事件手続法は申立権者については明確な規定はなくて、民法ですとか民法の解釈ということになるかと思いますが、その先の陳述聴取でありますとか、あるいは即時抗告権者といった辺りにつきまして、もし第三者の申立て等を認めるのであれば、その辺りも検討する必要が出てくるだろうと、手続的にはそういうことがあるだろうということを申し上げておきます。それから、度々出てきている濫用的な申立ての話というのもその一環かなという気がしておりますが、これも先ほどから少し御指摘がありますけれども、濫用的な申立てというのはここだけの問題ではないという面もあり、一般的な問題としてどう考えるかということでもあるかと思います。それからまた、判決手続ではありませんので、元々割合簡単に申立てを却下したり棄却したりということは相当程度できるのではないかという気もしております。その辺りも含めて検討する必要があるだろうと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。畑委員からは手続の問題について御指摘を頂きました。第三者以外の者の申立てを認めるということになったときに、手続的な対応、手当てが必要になる部分もあるということと、それから、濫用的な申立ての問題についても、やはり手続との関係でどういうことになるのかを考える必要があるのではないかという御指摘を頂きました。 ○青竹幹事 よろしくお願いします。第三者による監護について、賛否両論のようですので、一言、御意見を申し上げます。   最高裁が親以外の者による監護者指定の申立てを否定したということも確かに重要なのですけれども、最高裁がこれを否定した理由は法律上規定されていないということに尽きるようでして、親以外の者を監護者とする立法を否定するといった理論を展開しているわけではないように考えております。最近の多数の意見に従って、立法によって解決すべきであると私自身も考えております。法的な問題は別という御意見も確かだと思うのですけれども、それでも子供の福祉にとってどうしても必要という状況が生じるのでしたら、年齢によっては子の意思も尊重する必要があるとは思いますが、法的な扱いも検討すべきであると考えております。反論として、これにより混乱したりとか、濫用の事例が生じて紛争が多くなると裁判所で扱えないといった問題も、それも大きな問題で、ごもっともと思います。これに対しては、やはり第三者の範囲を限るということをきちんと明確にしておくということにはなると思います。ただ、例えば一定の親族に限るとしてしまうと画一的解決ということにはなるのですけれども、子供の福祉から見て養育にふさわしい状況を拾うためには、やはり親族に限るというように画一的にしてしまうというのは問題もありますので、例えば、親子と同視できるような関係にあった者といったように、ある程度要件を明確にしておくという方法があるのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。大きく分けて2点あったかと思いますが、一つは、最高裁の判断が出ているけれども、立法による解決を否定するものではないので、立法を考えるべきなのではないかという御指摘だったかと思います。それから、もう一つは、ではどのように考えるかということについて、事実上の問題だけではなくて、やはり法的に対応すべき部分というのもあるのではないか、それから、要件を定めるときには画一的な切り方にならない方がよいのではないかという御指摘を頂いたと受け止めました。 ○久保野幹事 久保野でございます。同じ6ページの3の課題の特に@につきまして、面会交流とは別の問題として切り分け、また、サポートを協力的にやっていくという社会は望ましいとしても、また別の問題という整理があり得るという窪田委員の御指摘が出発点なのですが、それを切り分けた場合に残る5ページの2段落目の、「すなわち」で書いてあるような場面について想定したときに、先ほど権限の抵触が起こるような場面であり、それへの注目が必要だという御指摘があったのですが、正にこの点が非常に重要であるように思います。その点からしますと、第三者が実親からの引渡し請求を阻止しつつ安定的に養育ができるような法的仕組みをどのように作るのがよいかということを、幾つか関連しそうな制度と照らし合わせながら考えるという方が適切で、御指摘が出ているように、766条の監護者指定というのを出発点にするのは望ましくないと思っております。   それで、実質面とほかの制度との比較というところを述べさせていただきたいのですけれども、実質面で言いましたときに、こういう不適切な養育関係について私人たる第三者が関わるときに、祖父母や親族にどのぐらい関わってもらうかについては、外国で、良い面もあるけれども、不安定化を招きやすい面があり得るという議論があり、実親の影響を受けやすいので不安定化を招きやすく、そこをどのように手厚く支援や監督をしていくか、あるいは権限の抵触という問題について、どのようにしっかり解決を図っていくかということが課題になっていると思います。そうすると、繰り返しになりますが、日本においても、権限の抵触をしっかり調整し真に安定的な監護を図れるような仕組みが作れるのかということを考えるべきだと思います。先ほど実親からの引渡し請求を阻止できなくて困っている実務上の例があるというのが出まして、それは非常に大きな問題だと思うのですが、逆に、指定を受けて一旦は阻止できても、その後やはり安定的に監護が実現できるのかということなのだと思います。   それで、制度との比較で言いますと、先ほど途中でも出ました児相長が関与してという話の延長で行きますと、里親について親族里親の活用ですとか、あるいは一時保護も一時保護委託ですとか、様々な方法の中で親族に関わっていただいているというのは恐らくあると思いますので、そのようなものとの比較が一方であると思いますし、養子縁組の場合であれば親権が移動できて、そのときの実親の代諾が仮にネックになるケースがあるのであれば、そこに何か新しい制度があり得るかというような発想もあり得るように思います。また、反対の側面からの指摘になるのですけれども、未成年後見の場合に、後見人を親権者が指定しておくことができることですとか、後見人が親権者が定めた教育方針を変えることには一定の規律が設けられているといったようなことがあるので、そのような制度を変える必要があるかといったようなことも含めて、対比して考えてみるということが重要ではないかと思いました。   最後に、イギリスの例で、第三者が関わる際に、養子でも未成年後見でも必要性を満たさないので、新たに特別後見という制度を作られたというような経緯があるといったような御紹介もありまして、それらも参考にしての意見でした。   以上です。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。先ほどから御指摘がありますけれども、監護者指定というやり方は望ましくないのではないか、それ以外の制度を念頭に置きながら、それとの比較で考えていく必要があるだろうということで、親族里親等々を挙げていただきました。また、イギリスでは新しい制度が創設されているという御紹介も頂いたところです。ありがとうございます。 ○池田委員 私からは第三者による監護者指定の点について申し上げたいと思います。これは私は導入に賛成です。内容については最初の方に佐野幹事がおっしゃったところとほぼ同じですので、その点は繰り返しませんけれども、慎重論の御意見を伺っている中で思いましたのは、確かにいろいろな方法があるという中で、でも、この方法がやはり実務の中でこれまでに繰り返しトライされてきたということの重みは御理解いただきたいと思います。かつて親権制限として親権停止が導入されたときにも、この第三者の監護者指定ということが議論されたものの、結局は導入されなかったと、やはりこれは親権停止というやや軽めのハードルの低い制度を設ける以上、そこで行くべきだというふうな配慮があったのかなと思います。しかし、現実にその親権停止制度が始まってみますと、今申し上げているような第三者の監護者指定という場面で活用されるかと思われたのですが、現実にはほとんど活用がなされていないと。やはりそれは、一つはハードルが高いということと、それから、停止期間が2年で終わってしまうというところなのです。例えば、祖父母がそこで親権停止の審判を得たとなったとしても、2年後にまたやらなければいけないということで、それを私人である祖父母がやっていかないといけないという、その負担があったからではないかと思っています。その中で引き続き第三者による監護者指定の申立てという実践がなされてきたというところがありますので、その有用性、実務が求めているニーズの高さということについては是非御理解を頂きたいと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。ほかの選択肢もあり得るけれども、この方法が求められてきたということの内実を考えてみる必要があるのではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。 ○原田委員 すみません、先ほど言い忘れて、実は弁護士会の中で議論したときに出た意見で、少し御紹介したいと思うところがあるのですが、申立権者を父母以外の第三者とした場合に、子供はどうなるのかというので、子供の申立権も認めた方がいいのではないかという意見がありました。これは、要するに賛成の立場からですね。あと、面会交流と監護者指定というのは、監護者指定の方が重たい手続のようではあるけれども、面会交流の場合も、子供が拒否できなかったり、あるいは間接交流だったらいいではないかと言われる場合もあるのですけれども、写真を撮るのでさえ子供が嫌がるような場合にとても苦労しているという例があるので、先ほどの窪田委員の仕分とは少し違うのですけれども、面会交流だったらできるのではないかというのは、余り軽く考えないでほしいという意見がありましたので、御紹介いたします。 ○大村部会長 ありがとうございます。子供の申立権をどうするのかということと、それから、面会交流にもそれに固有の問題があるのではないかといった御意見があるという御披露を頂いたと理解をいたしました。   ほかはいかがでしょうか。 ○窪田委員 ただいまの原田先生からの御発言なのですけれども、私は、面会交流の話は軽いから、こちらは認めてもというレベルではなくて、問題の判断構造が違い、親権者、監護者との直接の権限の抵触の問題が生じるかどうかという点を指摘した上で、やはり切り分けて考えるべきではないかという発言でございました。その点だけ確認させてください。 ○大村部会長 ありがとうございます。先ほどの御発言の趣旨について補足を頂きました。  まだ御発言があるかもしれませんが、大分時間がたちましたので、ここで休憩を入れさせていただきまして、休憩後に、更に御意見があれば、特に第3については、多少御発言がありましたけれども、何かもしあれば御意見を頂き、その後、次の論点、第4に進みたいと思います。   現在、15時2分ですので、15時15分まで休憩したいと思います。休憩いたします。           (休     憩) ○大村部会長 それでは、時間になりましたので、再開をしたいと思います。オンラインの方々、よろしいでしょうか。   休憩前に、再開後に更に御意見があれば伺いますと申し上げましたが、第2、第3につきましては賛否両論があるということはよく分かりましたし、また、論点についてもかなりの程度、お出しいただいたのではないかと思います。もし特にという御発言がなければ、これについてはこのぐらいにして、先に進みたいと思いますけれども、第1も含めて、追加の御発言の御希望があれば伺いたいと思いますが、よろしいでしょうか。 ○武田委員 第2までを切るとおっしゃった。 ○大村部会長 いえ、第3まで含めて、特に御発言がなければ先に進みたいということです。 ○武田委員 では、第3に関して、お願いします。親子ネット、武田でございます。では、第3に関してということで発言させていただければと思います。   第3、第9回会議で未成年養子検討の回でも質問が出たと思いますが、離婚、再婚問題、諸外国での実母、養父母の位置付けがどうなっているのかというところに関しまして、私なりに確認をしてみました。当然、私は比較法の専門家でもございませんので、私の理解が間違っていれば御指摘いただきたいという前提でございます。私の知る限り、アメリカでは離婚、再婚後も実両親が基本的に監護権を継続的に維持する、つまり継親は法的責任を持てないと理解をしています。一方、英国、ニュージーランド、カナダなどは、両親に追加して継親に対しても一定の条件付で後見人的なものにするということができるようになっていると聞いております。アメリカ型の解決策の一つとしてこのような考え方が採られているのではないかと理解をしております。   他方、我が国、日本では、今日の議論、論点でも挙がっておりますとおり、別居親を親権者に加えられるかどうかという問題設定になっていて、順番が逆なのだなということを改めて理解いたしました。これは戸籍制度に象徴される、子供はどれか一つの戸籍であったり、世帯であったり、何か一つの箱に単独で所属させるというような思考が制度的に作られているからなのではなかろうかと、こんなふうに考えています。この現状の日本の制度は何か大人中心の視点だなと、具体的には親子の関係よりも夫婦の関係、これを優先する原則になっていて、こういう物の考え方で対立構造を解消すること、これがより困難になっているのではなかろうかと、感じています。   子供の権利条約の考え方に立って、欧米諸国は法改正してきたと思っております。つまり、親子関係が夫婦関係に優先して、親の結婚、離婚、再婚、いわゆる婚姻状態に関係なく親子関係が永続するという原則に置き換わったと、こんなふうに考えております。そういう親子関係が永続するとの原則であれば、養子縁組に関しては簡単にはできないということになろうかなと思います。今の家制度、家制度が今、あるなしの話をするとおかしくなりますが、こういった戸籍に基づく大人中心の視点から子供中心の視点へ、このように考え方を根本的に見直す必要があるのではないかというところが私の考えでございます。   第3の課題、11ページに記載いただいておりますが、今申し述べた前提を基に意見を述べさせていただきます。Cの濫用を避ける、これはもう前提といたしまして、@、A、Bに関してでございます。最新の一組の養育父母が子を養育することにとどまらず、実親を含めたそれ以外の親の関与が可能になる規律は当然必要と、こんなふうに考えます。監護親になること、面会交流を求める権利についても同様に必要だと思います。この辺りのアメリカの事例など、参考資料に関しましては整理する時間がなかったので、本日間に合いませんでしたけれども、別途これに関しては提出をさせていただきたいと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。基本的な考え方としては、一組の父母が養育するという考え方にとらわれる必要はなく、子供の利益の観点からすると、むしろ全ての親が関与する、継親も含めてということかもしれませんが、そのようなお考えを示されたと理解をいたしました。ありがとうございます。 ○棚村委員 棚村です。先ほど、養子縁組後の親子というか、実親との関係ということについて意見を言わなかったものですから、簡単に述べたいと思います。特に10ページから11ページで、実親と、普通養子縁組の場合には養親との二重の親子関係みたいなものが併存するという形になっています。そこで、親権もそうですし、監護、面会交流、それから養育費、こういうことについても、明確な規律がない状態なので、これをどうすべきかというようなことが課題として挙げられると思います。そのときに、親というのは一人とか、あるいは一組でなければならないのかという、そういうこれまでのモデルとかというものを少し広げていく必要があるのではないかと考えています。海外でもそういうことを議論していますし、特に生殖補助医療が利用されて親子関係ができた場合の子供の出自を知る権利も含めて、親というのは複数出てくる余地があるのではないかと言われています。ただ、複数の親の法的関わり方をきちんと規律しないと、監護、養育関係の混乱をもたらしたり、あるいは法律関係が非常に複雑になったりというようなことが起こってきます。   しかし、逆にそれを単純に一組の父母でないと安定的な関係が確保できないということになってしまうと、野沢慎司先生なんかもおっしゃっているように、スクラップビルド型の家族の関わり方、代替する家族ではなくて、最近は、家族は再編されてネットワーク型になっているのだというようなことも考慮すると、一定の要件の下で実親がどういう権限なり責任なりを有しているか、交流もそうですけれども、養育費も含めて、再婚家庭の安定と、それから、子どもを中心として複数の親が具体的にどういう関わりをできるかということについて検討する必要はあるのだろうと思っています。もっとも、先ほどから言うように、申立権の濫用とか混乱とか不必要な介入に対しては、やはり一定の要件や歯止めをきちんとかけた上でバランスを取るというようなことで考えていってはどうかというのが、先ほどの意見とも連続しますけれども、私の意見として申し述べさせていただきました。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。養子縁組のところでも話題になったかと思いますけれども、養子縁組が行われた後に親権、監護権、そして扶養義務がどういうことになるのかという点が現状においてはっきりしないというところがある、そこでこれを整理する必要があるが、一組の親にそれらが帰属すると考える必要はなくて、この点を柔軟化する方向で考えるべきではないか、ただ、先ほど第2について問題になったような点はやはり問題になるであろうという御指摘を頂きました。ありがとうございます。 ○赤石委員 赤石でございます。よろしくお願いします。まず、11ページのところなのですけれども、一組の父母が子の養育を担うと想定されているのを維持すべきかというような論点というのは、面白いというか、ラジカルとも読み取れるのですけれども、それは社会学的というか、社会現象的にはいろいろなことが起こる余地があるのではないかと思いますので、であるならば、もし法的な枠組みを変えるのであれば、先ほども申し上げましたけれども、法律婚夫婦の監護権、親権についても二重、三重にやるということはよいことなのかとか、いろいろな議論を巻き起こす可能性があるので、私としては基本的には今、監護の中心である者が混乱しないような制度が在るべきだと思っております。   Aに関して、実親等も親権者になることができるのかという議論が、何か非常に危惧するのですけれども、虐待死事件があるといつも、養子縁組をした後の虐待死事件の場合に、実親が関わっていれば虐待死を防げたのではないかというような議論が出てきます。ちまたの議論なので無視してもいいのかもしれないのですけれども、本当に根拠があるのかということです。例えば、2018年に虐待死事件があった船戸結愛ちゃんの場合ですが、目黒の事件です。この場合、子供の実親は離婚後も母親に金銭要求、お金をせびることはずっとしていたということが『結愛へ』という母親の手記が出版されていますけれども、そこで明らかで、実親が子供の養育に関心を持っていたという事実はないわけです。ですので、こういった虐待死事件を根拠に何か、実親が関わると子供の福祉が進むみたいな、ちまたの議論かもしれないのですが、少しエビデンスに欠けているのではないかとは思っております。   私が今日出した資料を見ていただきたいのですけれども、今正に首相の答弁が少し変わってきておりますが、給付金、18歳以下の低所得世帯に、クーポン券かあるいは現金かという議論もあって、お子さん1人に10万円が給付された件ですが、9月の基準日、児童手当の口座が指定されていた、この指定された口座に振り込んだわけです。ですので、これ以降に離婚した世帯で児童手当の口座が変更されていた場合は、元父親、多くはそうだったのですけれども、に振り込まれてしまっておりました。政府はどうしたかというと、元夫婦で話し合って、監護している親の方に渡すようにというような呼び掛けをいたしました。しかし、話合いがそもそもできないで離婚されている方が多いので、私どもがアンケート調査をしたら続々と、手元に来ないという訴えがあり、非常に多くの方が困惑しておりました。10万円が届かない。これは福祉現場で起こっていることですけれども、このときに、離婚前後の夫婦が話合いによって子供のためによい行動をとるということができ得ないような状況になっている、ではこのためだけに調停をするのかといったら、そういうことはなかなか皆さんできないというようなことが4万1、000人のお子さんについて生じてしまったということでございます。   このような、離婚前後の夫婦が子供のよりよい福祉にとってよい行動をするというのはなかなか難しい時点を鑑みると、やはり主たる監護者が責任を負うような制度を考え、そして、もし不適切であった場合には、虐待の問題等では、養子縁組の取消しの請求とかも可能性としてありますので、このようなことで、Aというのはやはり問題が大きいのではないかと思います。監護者になることと面会を認めるということはまた別の議論であると、Bの方も、思います。濫用防止については、先ほど言ったのと同じように、離婚後の子供の養育に関して、あらゆるステージで濫用が起こっているということをやはり防止すべきであると思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。大きく分けて二つ御意見を頂いたかと思いますが、一つは、実親監護がプラスになるのかというと、そうでもなかろう、むしろ監護にとって混乱が生ずることが多いのではないかという御意見を頂きました。それから、先ほども御指摘がありましたけれども、議論の範囲をどうするかということで、広い範囲で一般化した議論をするということになると、部会で議論している離婚後の監護、養育に関わる問題からはみ出すことになるのではないかという御指摘も頂いたところです。ありがとうございます。   ほかに、第3について御発言がありますでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは、第2、第3につきまして、賛否両論とともに議論すべき点、あるいは議論の見方について御指摘を頂きましたので、また次の段階でそれらを取り入れた形で御議論を頂ければと思います。   続きまして、「第4 子の養育に関する概念・用語の整理」に進ませていただきたいと思います。この第4の部分につきまして御意見がありましたら、頂きたいと思います。どなたからでも結構ですので、お願いをいたします。 ○棚村委員 棚村です。明治民法以来の民法典というのは非常によくできた体系であって、先ほど戒能委員からも御指摘がありましたけれども、かなり優れた仕組みや規律が作られていて、かつ、協議ということを通して柔軟に社会の変化に対応できるというメリットはあるわけです。けれども、時間が経過して大きく家族の関係も社会も変化してくると、どうしても当初予想していないような新たな事態とか状況というのも生じてくることも避けられません。それから、当事者の力関係というのもありますから、協議とか自主性、話し合いとはいっても限界があるわけでで、法的概念や術語、規律そのものを見直し必要がでてきます。もっとも、単に用語を見直したからといって、何かすぐ紛争の解決や具体的な問題の処理に役立つかというのは、直ちに結びつかないこともあると思います。ただ、海外の改正の動向を見ると、やはり親の権利から子供の権利とか子供の最善の利益の確保、子供中心の改革という大きな流れの中で、やはり用語も含めて、シンボリックな面で、象徴的な面で改正をすることによって大きく変わろうとしています。正にこの部会とはまた違う親子法制の部会でも、懲戒権をめぐって、これまでの親の権利、支配権という構造から、子供の利益とか子供の権利とか子どもの成長、発達ということを軸にして考えようと、人格の尊重とか、体罰禁止などの大きな流れがあります。   そういう中で、子供の養育というところで出てくる親権、監護、それから、その中身・内容についても積極的に検討すべきだろうと思います。たとえば、12ページのところに挙げられているものの中以外でも、これは条文にはないですが、命名権とか、医療に対する同意とか、海外渡航やパスポート、それから、今やはり問題になっているのは、障がいのある子供を含めてですけれども、ケアみたいなものをどうするか、世話とか、あるいは介助とか、実は条文の中に入っていないけれども、現代的にいろいろ深刻で重大な問題になっている課題や、重要な事項というのはあると考えます。この辺りでも120年以上も前の民法が想定をしている状況とは大分変わってきているので、この身分行為の代理という問題もそうですけれども、正に誰が子供にとって大事なことをどういうふうに関与して決めていくかという問題、それから、先ほど法的な問題と事実上の問題というのは、実はそう簡単に切り分けられないぐらいに密接なところがあって、これは成年後見等も正にそうですけれども、医療行為とかケア、世話の問題という事実上のことに関わることと法的な問題の切り分けということ自体が非常に難しく、誰がどういう形で決めるのだということが問われています。また、事前の指示だとかそういうものについてはどういう形で残すのだとか、誰が判断をして、本人自身の意思決定をどう支援するかというようなことが成年後見の分野でも問題になってきて、これは正に子供の問題でも同じことが問われていると思います。   そこで、私自身は、用語の見直しとかでも何かが変わってくるのであれば、それなりの意味があるだろうということも考えております。たとえば、親責任とか、親の配慮とか、いろいろな工夫があるわけですけれども、そういうようなものを参考にしながら、最終的には監護とか親権というものが一体どういう中身を持っているかを明確にすべきだと思います。特に16ページの御提案の中で重要だなと思うのは、親権では、親の束になった権利なり責任というのがあるということは争いがないわけですけれども、そこの中に具体的に子どもの監護や養育の基本的な体制をどうするかという問題と、個々具体的な事項についての決定・関与の問題とか、かなり複雑な問題が入り込んでいる、これを、監護権の可分性とかという問題もそうですけれども、どういう中身が子供にとって重要な問題としてあるのかというリストを作って、その上で、この事項については誰がどういうふうに関わって決めていくかということを議論する必要があると考えています。たとえば、海外でいうとリーガル・カストディ(法的監護)という問題と、それから、実際の世話をどういうふうにしていくかというフィジカル・カストディ(身上監護)というのですか、そういう区別とか、あるいは面会交流についても、ペアレンティングタイムということで一緒に過ごす時間というような形で用語を変えて、誤解がないようにしようと、あるいはオーストラリアなんかではスペンディングタイムというので一緒に過ごす時間みたいな形で、この辺りも最近の海外のいろいろな動きや流れを見ながら、日本でももう一度その用語法とその中身について併せて検討するべきではないかと思います。   そして、私たちは、先ほど来ずっと議論が出ていますけれども、親権や監護も、細分化したり細かく分かれて、かつ、それに複数の人が関与するということになると、物事が早く決まらないとか、いろいろかえって紛争がエスカレートしないかとか、そういうデメリットの面もあります。しかし、他方で、監護の分属とか可分性という議論をしたときに、メリットとしては、やはり親としてきちんと当事者の方が公平に平等に関わるとか、共通な課題とか何が問題になっているかということをお互いに知るとか、熟慮したり話し合う機会は与えられるというメリットはあります。けれども、他方でそれによって紛争が激化するとか、物事が決まらないとか、いろいろな問題もありますので、そう簡単にどちらがいいとかいう結論は出てこないのではないかと思います。   いずれにしても、法定代理権の問題もあって、最後の18ページのところに出てくる総体的な親としての地位みたいなものとか、まとまった立場みたいなものを、親責任とかそういうふうに表現をしていくとか、それから、個別な問題ごとに親としての個別的な地位というのですかね、親として子供に対してどういう関与の仕方なり働き掛けができるのだろうかということを少し切り分けながら議論したほうがよいように感じました。それから、先ほど言った事実行為と法的な行為というのですか、そういうものもありますので、少し細かく切り分けながら議論を丁寧にしていって、どういう事項について、どういう問題について誰が関わりを持ったり、どう決めていくべきなのかという議論と、それから、ある意味では親としての地位とか立場というのが、ある意味では固有に親であるから当然に持てる責任とか、持たなければいけない責任とか、親であっても、義務や責任を他派さない限り当然にはもてないものもあるのではないか、もう少し権利とかというところで、自分たちにはこれができるのだという側面よりも、どういう責任や義務を子供たちのためには誰が果たしてくれることが一番望ましいのかという観点から正に整理をしていって考えてゆくべきと思っています。事務局からの御提案自体に対して、私自身は、大枠としてはこういう検討をする必要が、あるのではないかと思っています。   少しまとまりが悪かったのですけれども、言葉を変えたから、用語を変えたから、直ちに改善されてよくなるとはいえないのですけれども、ある意味では用語も検討しながら、その中身・内容、親権・監護というものの中身が一体どういうもので、どういう事項が監護という中に入ってきて、特に権利を誰が持つという反面、義務という責任の問題にも関わるのですけれども、責任のところを中心にしながら、親としてどういう関与なり法的な地位が認められるルールにしていくのかということを少し議論していくべきではないかと考えている次第です。そうすれば今までなかなかかみ合っていないところが少しかみ合ってくるのかなという感じを持っております。正に扶養とかそういうことにもまたつながってくるとは思うのですけれども、婚姻費用とか後のところで出てくるものも、法的概念というものの中身、それが一体何を表しているかということと、それをどういうふうに変えることによって何を実現しようとしているのかということを、少し細かく検討する必要があるのかなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。用語の問題と概念の問題とが絡み合う形であるわけですけれども、用語については、その象徴性ということも考えて検討する方がよいのではないか、概念については、整理、分節化につき細かく詳しく見ていくことがやはり必要なのではないかといった御意見を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。 ○池田委員 池田でございます。18ページの@について、親権を適切な語で置き換えることですとか、親権とは別に親子間に発生する親の責任や義務についても別途名称を設けて明確に規定するという方向性について賛成です。そういった置き換える用語を考えるときに、よく候補に挙がるのが「親責任」という言葉ですけれども、これをどこに当てていくのかということを考えたときに、仮に今の親権に当たるものを「親責任」と置き換えるとすると、今、養育費といった扶養義務というのは親権とは別物だと解されているので、「親責任」という広い意味合いを持つものから扶養義務が外れてしまうというのはやはり不都合だろうと思います。そこで、「親責任」という用語を用いるのであれば、(注1)で御指摘いただいているように、親子関係から当然に発生するものを広く「親責任」と呼ぶというのが適当なのではないかと思います。   そうしたときに、今の親権に当たるものをどう位置付けるかだと思うのですけれども、これは概念整理の話になるかもしれませんけれども、私としてイメージしやすいのは、親責任というものが大きくあって、その下に扶養義務であったり、あるいは監護義務であったり、財産管理義務というのが直接ひも付いているというふうな形がイメージしやすいのかな、分かりやすいのかなと思っています。そうすると、親権の内容とされている監護義務ですとか財産管理義務というのも直接親責任にひも付けてしまえば、今の親権に当たるものというのは別途設ける必要がないのではないかという印象を持っています。   仮にそう考えた場合に、監護義務というものの中身をどうするのかというのが多分、Aの問題として位置付けられると思うのですけれども、監護義務に関しては現実のお世話というところがやはり特殊なものとしてあり、ほかの扶養義務とか財産管理義務とは違いますので、その現実の監護というものと、それから決定に関する部分というのを分けて考えるということは、確かに分かりやすいのかなと思います。ただ、これを別々の人が担うというのがいいのかどうか、これはまた次の議論かなと思っています。   それから、Bについてはやや、ここまで監護の部分を細分化するのが本当にいいのかどうか、複雑になってなかなか機能しないのではないかという懸念はあります。それから、Cですが、これは現在でも日常の監護に必要な対外的な法律行為というのを監護親が問題なくできているのではないかと思いますし、ですから、監護義務の中には一定程度の法定代理権も含まれているというのが運用といえるのではないかと思いますので、それを明確に法律で定めるということは適当な方向性かなと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございました。18ページに課題というところで出ている提案の方向性については基本的に賛成であるという御意見を頂いた上で、@からCまでについて個別のお考えを聞かせていただきました。大きな枠としては、親責任というものを広い意味で使って、その中に様々な義務、責任を置く、現在の親権から出発する必要は必ずしもないのではないか、また、現実の監護と決定を分けて考えるべきだけれども、それを担うのが誰かというのはまた別の問題だという御指摘、それから、Bについては、更なる細分化については慎重に考えたい、Cについては明確化していくことについては賛成である、こういったことだったかと理解をいたしました。非常に具体的な御意見を頂戴いたしました。 ○佐野幹事 佐野です。私も@については賛成なのですが、B、Cに絡むのかどうなのかという辺りで、具体的にこんなことが実務の現場というか、むしろ養護の現場で問題になっているというところからお示しできればと思っています。例えばB、医療の部分についても、どう考えるかというところで今問題となっているのが、向精神薬の服薬をどう考えるかというところが問題になっています。これが養護施設の判断、監護権の範囲でできるのか、親権者が反対していたらできないのかというような、医療というところをひとつ取ったとしても、そういう問題が出てくるということがあります。また、Cについても、財産管理権と監護権だったら明確に切り分けられるのかと思いきや、赤石さんが今回、新聞を出していただきましたけれども、この給付金の関係、施設の子供の口座に入ったものを、親の方が財産管理権、自分に管理させろと言ってきているというような実情もあり、なかなか監護権と財産管理権も、監護権の範囲に入るものがあるとすれば、どこまでかと切り分けるのもなかなか難しいと感じているところです。 ○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からも基本的な方向性について、特に@については賛成だという御意見を頂戴いたしました。ただ、BやCについては具体的な問題について、その切り分けが必ずしも簡単ではないということを意識する必要があるのではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。 ○落合委員 この親権という言葉は変えた方がいいような気はずっとしてはいるのですけれども、親責任という言葉、これは英語で聞くと何かもっともな感じがするのですけれども、日本の文脈で今これを使ったときに、子供の養育は親の責任である、家族の責任であるという言い方も今あるわけですよね。ですから、社会的な責任とか国の責任ということと対立して理解されると困ったことになるなと思って、それを危惧しています。基本的にはオーソリティよりリスポンシビリティだろうと思うのですけれども、今のこども庁にこども家庭庁と名前が付くというような状況で、責任という言葉の方が意外と重く親にのし掛かるものとして、今の日本の文脈で思われないかなというのが少し気になるところです。でも、どちらがいいというのははっきり考えが決まらないのですけれども。それから、本当はその中身を分けて別の人が持てるようにするというのが、理論的には正しい感じがするのですけれども、実務としてそれは難しいという、何も決まらなくなるということも想像できまして、だから、そこもなかなか難しいなと思っております。はっきりした意見でなくてすみませんが、そのように考えました。 ○大村部会長 ありがとうございます。2点御指摘を頂いたかと思います。親権という用語を変えるということには賛成であるけれども、親責任という言葉が持つ別の含意にも注意する必要があって、重すぎるものがのし掛かることにならないだろうかというような御指摘を頂きました。それから、様々な責任ないし権限が分属すると考えたいけれども、しかし決定ができなくなるという事態を避けなければいけないということも理解できるので、その辺のバランスを考えなければいけないという御指摘もいただいたと思って伺いました。 ○小粥委員 小粥でございます。既に私の申し上げたいことが落合先生におっしゃっていただいたので、重なってしまって恐縮なのですが、一つ目は、18ページの@の権利ではなくて義務とか責任を強調する方向性ということ自体は基本的には異存ございませんけれども、落合先生がおっしゃったとおり、親だけの責任、あるいは親だけが子育てを担うのだというようなことになると、やはり問題はあるのだろうと思いますので、国が親責任を負う親をサポートするというようなことを民法という法律の中に書きにくいような気もするのですけれども、でも、その辺をうまく手当てするということは、社会へのメッセージということを考える場合には大事になってくるのではないかと思ったと、これが一つ目です。   二つ目のことは、権限の分属とか、それから仕分ということ、あるいは前半で議論された第三者が関わってくる子育て、あるいはたくさんの人がネットワークのように関わる子育て、共通して問題になることですけれども、たくさんの人が関わるという可能性があるのだとすると、船頭多くしてうんぬんということでもありますけれども、決め方を、明治民法のように家長が決めるということがよいというつもりはないのですけれども、誰が一番責任を持つのかとか、話がまとまらないときにどう決めるのかということを考えるということはとても重要で、いろいろな人が出てくると決まらなくなるからよくないというだけの方向ではなくて、決まらなくなった場合にどうするのかを考えることも必要ではないかと。以上、2点でございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。前の落合委員の発言と関わる形で御発言を頂きましたけれども、親の責任に関して、国の関与ということを民法に何とかうまく書き込めないかということを考えていく必要があるのではないかというのが1点と、それから、決まらないということが困るというのはそうなのだけれども、まとまらない場合の決め方を定めておくという観点も必要だろうという御指摘を頂いたかと思います。 ○窪田委員 窪田でございます。2点発言させていただけたらと思います。   1点は、まずここで示していただいている方向、この第4の部分というのは言葉の問題であると同時に概念の問題であるのだろうと思います。概念の関係を整理していただくというのは大事な課題であって、それは絶対にやらざるを得ない部分なのだろうと思います。特に親権と監護権の関係というのは多分、この中にも詳しく書いてもらっているように、財産管理権プラス身上監護権イコール親権だよね、だからそのうち監護権だけ外に出したら財産管理権だけが残るよねと、そんな単純なものではないというのははっきりしているのだろうと思いますので、言葉の問題とは切り離して、とにかくその関係について明確にしていく必要があるのだろうと思います。言葉の問題と切り離してと少し申し上げましたのは、どちらが先でもいいのですけれども、多分、言葉の問題はある意味、ものすごく分かりやすくて面白いものですから、そこにはまってしまうと、なかなか実際の具体的な話に行かずに、そちらの方にだけ焦点が当たってしまうのかなという気もしながら伺っておりました。これが第1点目です。   第2点目なのですが、第3のBの辺りについて、こんなに細かく分けることは難しいかもしれないということで御指摘がありましたし、この資料自体もどちらかといえば、非常に体系的に様々なものを分類して、領域を整理し直して、監護権なり、監護なり親権なりを再整理するというイメージがあるのかとは思います。ただ、それほど頑張らなくても、通常の親権、監護権についての一般論としての規律とは別に、例えば医療の分野においてどういうふうな形で同意を与えるかとかといったことについては、特則として置くということは十分に考えられるのだろうと思います。というのは、従来からも医療における同意というのがそもそも親権の行使なのかどうなのかはっきりしていなかったというようなこともありますし、例えば、親権者には指定されておらず、監護者にもなってはいないのだけれども、実際に同居する親というのがいる場合に、多分その親の同意というのは緊急性が高い治療とかにおいては必要だし、恐らくそうした場面では妥当なのだろうと思うのですが、そうしたことを支えるルールというのが用意されていなかったという点からすると、私自身は、親権とか監護権の概念を体系的に整理する中で一定のものを切り分けるというよりは、今までうまく行かなかったものをある程度ピックアップして、それについて特則を設けるという意味での、Bのような行き方というのはあるのかなと感じました。   以上、2点です。 ○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは議論の仕方について御指摘を頂いたと理解をいたしました。まず一つ、用語の問題と概念の問題とがあるのですけれども、概念の方をまず固めていくということが非常に重要なのではないかという御指摘があったかと思います。それからもう一つに、細かく分けた上で一般論を再構築するという思考方法をとるのではなくて、個別の問題に即した形で特則を考えるというアプローチもあってよいといった御指摘を頂いたと理解をいたしました。ありがとうございます。 ○大石委員 千葉大学の大石です。落合先生がおっしゃったことにおおむね同意ということを申し上げたいと思いました。ただ、親責任という言葉、責任という言葉が法律の世界でどういうふうに捉えられてるのか、私はよく分かっていないのですけれども、いろいろな捉え方もあるようです。ですので、むしろ「親の権利及び義務」ですとか、「監護者の権利及び義務」ですとか、そういう表現のほうがはっきりするようにも思います。少子化が進んだ今の社会では、親だけで子供が育てられるわけはなく、国の関与ですとか様々な社会システムからの支援が必要だという状況を踏まえますと、親だけが子育ての責任を負うというような印象を与えるような言葉を使うのは多少問題があるのではないかと考えております。@の部分についてだけ意見を申し述べさせていただきました。 ○大村部会長 ありがとうございます。大石委員からも、やはり責任という言葉が持つニュアンスとか含意があるのではないかということで、別の言葉で置き換えられるのならば、置き換えることを考えた方がいいのではないかという御指摘を頂いたと受け止めました。 ○原田委員 私も、池田委員の意見に大体賛成なのですが、一つは、財産管理権と法定代理権という言葉が出てきますけれども、監護に必要な法定代理権あるいは財産管理権は監護の中に含ませて考えるというような整理の仕方でないと監護が十分できないのではないかと、そういう整理の仕方をどうやってすればいいのかよく分かりませんが、そういうことを思いました。それから、責任という問題が、誰に対する責任かというのは、これは子に対する責任なのだろうと思うのですけれども、そうすると、その責任の対象である子は親に対してどういう請求ができるのか、あるいはそれを拒めるのかとかいう発想も必要なのかなと。面会交流のときにそういう話が少しありましたけれども、面会交流しない親に面会交流を要求できるのかとか、いろいろな、責任の対象がどう考えるのかというのを、まだ私も整理が付いていなくて、そこを疑問に思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。2点御発言があったかと思いますが、1点目は18ページのCのところで、先ほど池田委員からも御発言がありましたけれども、監護のために必要な代理権があるのではないかという前提で実務は動いているように思うのですけれども、それをうまく説明できないかということなのかと思って伺いました。それから、責任という言葉の当否が問題になっているけれども、責任というときにはその責任の相手方が考えられるので、相手方が持つ権利がどういうことになるのかということも考えなければならないという御指摘を頂きました。 ○落合委員 大石さんのおっしゃった、親の権利と責任と並べて言うのが分かりやすいのかなと、伺って思ったのです。ただ、それが法律用語として、今まで親権と書いてあったところにそういう少し長い表現を入れて当たるのかどうか、うまくはまるのかどうかというところが心配なのと、それと、親権の「権」の理解なのですけれども、ペアレンタル・オーソリティの訳なのですね、15ページを見ますと。それを権利と訳すのは間違いですよね。これは法律家の方たちに質問なのですけれども、親権というのは親の権利であると理解してしまっている人は結構いると思うのですけれども、それは正しいのでしょうか。日本の親権は英語でだったら何と訳してきたのでしょうか。言葉のことを考えるという機会ですので、基本的なことを教えていただきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。落合委員からは、先ほどの大石委員の発言がわかりやすいが、しかし法律用語としてうまく行くかどうかの検討も必要だという御指摘を頂きました。その上で、現在の親権という用語がどういう意味なのかということについての御質問があったかと思います。事務当局の方で何かお答えになりますか。 ○北村幹事 事務当局でございます。現在、外国語法令翻訳のサイトの方で当てている言葉としては、ペアレンタル・オーソリティという言葉を当てております。ただ、これは飽くまでも暫定的な訳ということで当てておると。権利なのかどうかというところについては、学者の先生からも頂ければと思いますけれども、資料の中にも、権利ということではなくて、権利及び義務あるいは権能という意味で理解をされていることの方が多いのかとは思いますが、ただ、一般的には権利だということで誤解をされている方もいらっしゃるという理解はしております。補足がありましたら、学者の先生方からお願いいたします。 ○大村部会長 ありがとうございます。これを議論し始めるとなかなか大変なので、今の段階で立ち入るのはどうかと思っています。少しだけ落合委員の質問に対してお答えしておくと、親権という言葉は英語の概念を翻訳したわけではないので、英語との対応で考えるというのが本筋というわけではないというのが一つです。元々はヨーロッパの用語に対応するものとして考えてきておりますけれども、ヨーロッパの方の用語が変わっても日本の親権という言葉は変わらないですので、そこに意味のずれが出てきているということもありまして、精密な検討をするとなりますとかなり難しいことになります。以上の経緯をふまえた上で、現在日本ではどのように受け止められているのか、あるいは英語で表現するとしたらどのように表現するのがよいのかといった形で議論をすることになるのかと思います。落合委員、今のところはこの程度の説明でよろしいでしょうか。 ○落合委員 はい、どうもありがとうございます。 ○戒能委員 もちろん親の子に対する義務とか責務、責任ではなくて責務といいましょうか、そういうことだとは思うのですが、他方で、もちろん子の利益のためにということなのですけれども、やはり親の権利性というのがあるということです。一番明確なのは国家などに対してということで、そういう側面もあるということを、これは留意しておいた方がいいと思っております。   それからもう1点は、先ほどからも御指摘があるとおり、18ページの課題のBの分属というところなのですが、これは基本的には先ほど窪田委員がおっしゃったようなことだと思っておりまして、やはり現に養育、子育てをしていて子供についてよく理解している人が判断すべきことであるけれども、特則という形で、その状況とか問題によって切り分けていくということはあるかもしれないけれども、基本的には子供に一番近い人が最終的な判断をすべきだという考えを私は採りたいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。2点あって、1点目は親権の「権」の権利性ということも考える必要があるだろう、それは国家に対する権利という意味だという御指摘だったかと思います。それから2点目は、原則としては子供を監護している人が権限を行使するとして、それに対する例外はあるだろう、しかし原則の方を重視して考えたいという御趣旨だったかと思います。 ○落合委員 いろいろ教えていただいてありがとうございました。オーソリティというか、その元々のヨーロッパ語がどこの何だったのか、不勉強で分からないのですけれども、もしオーソリティだったら義務とか権利という意味はないですよね、権威とか権限という感じかなと思うのですけれども、そうしますと、今の親権という言葉は日本語で共通理解が曖昧だということになりますね。そうすると、やはりキーワードがそういう曖昧なことではいけないと思うので、これが権利と責任ということを意味しているのだとしたら、親の権利と責任とか、権利と義務と先ほど大石さんはおっしゃったのですけれども、義務というのよりは責任の方がいいような気がするのですけれども、例えば、親権という言葉をもし残すとしても、最初のところに、すなわち親の権利と責任とか書くというのはどうですかね。今、親権という言葉の意味が非常に多義的で難しいとかいうようなことを法学者が議論しているのでは、一般国民は全く分からないと思うので、最初のところに何かそうやって少し、国民フレンドリーな法律の言葉にしたらいいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。多くの方々に分かりやすい用語を探す必要があるのではないかという御指摘を頂きました。それから、先ほどの大石委員の御発言にもありましたし、今の落合委員の御発言にもあったのですけれども、親権の内容を説明して、それが一定の権利及び義務であるという規定は現在もあるのです。それらを総括するときに親権という言葉がよいか否かということが今ここで問題になっている、中身をどのように捉えるのかということと、それを一括りにしたときにどういう言葉を当てるのかという問題がここで議論されている、そういうことだろうと思って伺いました。この先まだ議論していくことだと思いますが、取りあえずそのように受け止めさせていただきます。窪田委員、武田委員の順番でお願いいたします。 ○窪田委員 すみません、もう今、部会長から出た点が一つで、現在も820条という規定があって、親権を行う者は、子の利益のために、子の監護及び教育をする権利を有し義務を負うということから、権利、義務という言葉が比較的よく使われているということなのだろうと思います。それから、落合委員から御質問がありました、元になったヨーロッパの言語は何なのかというと、私はドイツ法しか知りませんが、ドイツ法の方ではエルタリッヒ・ゲバルト(elterliche Gewalt)という言葉です、ゲバルトというのは昔の大学紛争時代のゲバ棒のゲバルトですけれども、単語としては暴力という意味もあれば力という意味もありますし、そういう意味では、親のゲバルトというのは非常に強いニュアンスを持った言葉でした。それが改正によって廃止され、親の配慮という用語に変わったということです。 ○大村部会長 ありがとうございます。武田委員の前に、ドイツ法の話が出たので、フランス法の話もどなたか少しなさっていただければと思いますけれどもいかがですか。 ○水野委員 フランス法の親権は、当初はピュイッサンス・パターネルという言葉でした。それがオートリテ・パレンタルに、つまり父の権力から、両親の権限に変わりました。親権概念の変遷は、母親と子供の地位が次第に上がる歴史だったといわれています。もともとは父の権力だったのが、その権力性を示すゲバルトやピュイッサンスという強い言葉からゾルゲとかオートリテという柔らかい言葉に変わっていって、そして父のものだったのが両親のものに変わっていきました。西欧法の親権は、当初はその言葉から強い権力性が明らかだったのですけれども、日本の親権という言葉は元々明治民法の段階で、かなりそういう子供に対する義務でもあるという理解で進んでいた段階で継受して、それを親権という言葉を作ってその中に書き込みましたので、それほど強い言葉だとは私自身は余り思っておりません。   ついでに発言させていただきますと、監護権という言葉もいいかげんに作られています。明治民法では、離婚後も、父が親権を持ち続けるという前提で考えて、ただ、幼い子供はやはりお母さんでないと育てられないだろうというので母に監護権を与える可能性を設けました。それを戦後のときに余りきちんと考えずに機械的に男女平等にしただけで、監護権規定を残し、戦後改正後もしばらくは父が親権をもつほうが多数だったのです。そして徐々に変わっていって、昭和40年頃に母が親権を持つ方が多数になって、それなら育てている母が離婚後そのまま親権者になればいいのであって、監護権概念は不要ではないかという議論が一時期有力でした。しかし、やがて子供の奪い合いが問題になり、親権と監護権の分属が共同親権的に使われる可能性が議論されるようになりました。つまり、かつては離婚することは、お母さんたちにとっては子供を奪われる前提だったので、離婚後は電信柱の陰からそっと子供の様子を見るのがせいぜいで、そういう事態は放置されていたのですけれども、やがて母の方が子供を連れて逃げるようになって、父が異議申立てをすると議論も変わってきました。いずれにせよ日本法はいつも当事者の実力任せで、子供を奪われた側を助けることはなかったのです。子供の奪い合いが問題になってから、離婚後の親権や監護権の見直しが進んできたという流れです。親権と監護権について、そういう意味では元々あまりきちんとした議論はなされておりませんでした。   何しろ戦後の改正は本当にどたばたでした。戦後改正で不貞行為を男女平等に離婚原因にしたのですけれども、そんなことをしたら夫の不貞行為ごときで離婚になってしまうという強い反論があったぐらい、明治民法の作り上げた常識は強かったのです。さらに、第3の問題に戻ってしまうのですけれども、明治民法は、同じ家の親子に法的な関係があるという発想でできておりました。ところが家が廃止されたときに、本当ならば養子縁組の効果もきちんと考えなくてはならなかったのですけれども、それは考えなかったので、法的効果を持つ複数組の親が出現することになりました。今度は一組の夫婦が担うという解釈論的枠組みを立てられたということで、これは戦後の改正のときによく考えずに立法してしまったことの取りこぼしを再構築しようという大きな試みだろうと思います。   そういう意味で、この一組の夫婦が担うという解釈論的枠組みは、多少の例外を認めるにしても、とても意義があると思うのですけれども、同時に、危惧されますのは、現在では、他の新たな論点への波及がありうることです。同性婚の可能性が論じられていますから、そこに波及しますと、議論が紛糾します。同性婚を認めるにしても同性同士では子供は作れないわけですから、人工授精や代理懐胎を認めるかというすごく難しい問題にも入りますし、生殖子の提供者を含めて3人の親という可能性も生じ得ます。3人の親については、明治民法は嫡母庶子関係というとんでもない親子関係で3人の親を認めてしまっていました。そういう古い伝統もありますので、何でも多様化というよりは、今回の改正は、まず原則を立てるという形でアプローチするのがいいと思います。   明治民法を改正したときの取りこぼしの問題は、その次の問題にもあるので、申し訳ありませんが、次の問題も少しだけ一緒にまとめてしゃべらせてください。明治民法では、氏の変更が家の変更を意味しており、その認識を引きずって、氏の変更に裁判所の許可という重い条件をかけました。戸籍が家の単位だったのですが、三代同籍の禁止などで戸籍も夫婦ごとになり、同籍者の基準として、家に代わって、民法上の氏がその代用をすることになっています。そうすると、婚氏続称した親が親権を得て、その子を自分の戸籍に引き取るときには、子の称する氏そのものは全然変わらないのですけれども、民法上の氏が変わると考えられて、家裁の許可が必要になる。でも、同じ親が婚姻前にもうけていた子を自分の戸籍に引き取るときには、子の称する氏が変わるにもかかわらず、家裁の許可は不要で、入籍届だけで可能です。このように、慌ただしい戦後の民法改正には、家という枠がある発想で作ったものも残り、取りこぼしがかなりあります。そういう取りこぼしに今回は手を入れようとしている構造でもあることを御理解いただければと思います。   長くなりました。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。少し難しい込み入った歴史的な経緯についてのお話もあったかと思いますけれども、戦前の明治民法の下で存在した制度が戦後に改正されたときに、意識的に放置されたものもありますし、気が付いてみたらこうなっていたというものもありまして、様々な経緯があります。親権という言葉も、そうした経緯を踏まえて、今、使っているということだろうと思います。どの程度整理することができるのかという問題はあるのですが、歴史的な経緯も踏まえた上で検討する必要があるのだろうと思って伺っておりました。 ○武田委員 いろいろ言葉のお話がずっと続きましたので、第3の方にもう一度戻らせていただきまして、改めまして、親子ネット、武田でございます。私はこの整理の仕方に関しましては、12ページの表で示されている、これは非常に簡易な表ですけれども、この中身を再整理していく方向なのかなと思っています。特に、1点目に書いてあります、この表上は親権の外に出ている子の扶養という話、これは以前にも申し上げましたけれども、親権者でもない、子供にも会えないし、様子も全く分からない、養育に何ら関わることもできないのに養育費を払う、これは一体何なのだという声に、この上位概念でひもとくのが相当かどうかというのは、まだ判断できないですけれども、一定、答えていくことになるのかなと、この@に関しては考えております。こういう整理をする中で、これも以前に申し上げましたが、教育基本法で、父母とその他保護者みたいな、こんな表現もあると認識しています。こういう概念的なことをまず整理する、その上でいろいろ今、名前の議論もありましたけれども、名称についても、方向性としては権利性を弱める方向で検討をしていくというのは非常に良い方向かなと改めて思いました。   Aに関しても、基本的には進めるべきと思っています。16ページのイのところに、リーガル・カストディとフィジカル・カストディというところに関してきちんと分割して、もう少し細分化して規律を検討していった方がよいのではなかろうかと、考えています。   Bの分属に関しては、いろいろ意見が出ておりますが、私もこういう細かく分離して一方の、これはこの人、医療はこっち側、教育はこっち側、こういうふうに分ける形、いわゆるプロットして分けるような形ではないだろうと思っています。双方責任のガイドラインみたいなもの、考え方というようなものが一つあって、その上で、日本は協議離婚という非常に高いハードルがありますが、養育計画書を作成して、きちんと合意の上で裁判所が認定するという形がよいのではなかろうかと、考えております。   あと、ここまでの議論で余りフィジカル・カストディ、日本語で監護の分担という言葉を当てていいのかどうかというのが判断できませんが、余りここまで議論の俎上に上がっていなかったかなと思います。正に関わり方に関わる問題かと思っておりまして、単純に面会するということではなくて、もう具体的な例として出ておりますが、食事の世話をする、お風呂に入る、宿題を見てあげる、寝かし付けをさせてあげるように監護を分担する方法をとった方が望ましいということも当然、ケースとして非常に多いものと思っています。実際このような関わり方をする親子は、私どもの経験上でも養育費、面会交流も途絶えずに続いているケースが非常に多いと感じています。実際、別居以降何年にもわたって全く面会もできなかった親子、これが1週間のうち土日の2日間を一方の家で過ごして、残り5日間を他方の家で過ごすといった事例も最近は非常に増えてまいりました。なので、子の監護の分担というところに関して正に、以前も述べましたが、うれしいことも悲しいことも含めて子供の育ちに関わると、そんな考え方で、子供の福祉のために、ここの監護の分担に関しても、今後の論点として検討いただきたいということを申し上げさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございました。全体として、概念を検討した上で用語に進むというのがよいのではないか、そして、余り細かい分属を考えるというのは疑問だけれども、監護の在り方についてはより分節化した検討を行って、分担という方向も考えていくべきではないか、このような御意見として承りました。ありがとうございます。 ○落合委員 少し補足的なことなのですけれども、先ほど水野先生に歴史を話していただいて、すごくよく分かって、有り難かったと思っています。かなり本質的な議論をここではしますので、面倒がらずに遡って、家まで戻って考えないといけないことが多いと思います。それで、家に戻る話を一言だけしたかったのですけれども、家制度の下では離婚のときに子供は置いて出るのが当たり前だったという話ですけれども、それは明治以降の法律の話なのです。江戸時代の家の実態を見ていますと、夫の側に置いて出るとは限らないです。いろいろあります。女の方が連れて出たりとか、その後で親戚に預けたりとか、いろいろあるのです。地域差もありますが。だから、明治になって法律ができたときにも現実と乖離があっただろうと思います。だから、そういういろいろな経緯を踏まえて今の議論をしたいなと思います。よろしくお願いします。 ○大村部会長 ありがとうございました。先ほど明治期の話が出ましたけれども、それとの対比で江戸期の状況について御説明を頂きました。検討するときに、事実としてどうだったのかということと、権限がどのように分配されたのかということを、先ほど出た話ですけれども、分けて考えるということも必要かと思って伺っておりました。 ○池田委員 池田でございます。先ほど戒能委員の方から、親権というのは国家に対する権利というところは忘れてはならないという御指摘があったのを受けて、コメントさせていただきます。その御指摘の点は非常に重要だと思います。やはり国家ですとか、それを含む公的権力の不当な介入を防ぐという意味で親権というのが理解されてきたということもありますので、その点が全くなくなってしまうというのは、やはり危惧を感じます。その文脈で考えますと、先ほど何人かの先生方から、責任というのを親だけに押し付けてはいけないと、社会で広く責任を負うというふうな形が望ましいという御指摘があったところなのですが、ただ、親は子の養育に対する責任を負っているから、その責任を果たすための一定の権限を有しているという関係性にあるわけですので、その責任を広く社会で負うとなったときに、その社会が広く権限を持ってしまうとなると、不当な介入を招くという危険もあるのではないかということを感じました。その意味で、社会で広く責任を負うということについては一定の慎重さも必要かなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。国家との関係というのは重要な視点だという御指摘を頂き、社会が責任を負うといっても、不当な介入が生じないようにする必要があるという御指摘を頂きました。 ○今津幹事 幹事の今津です。親権の権利性に関して意見を述べさせていただきたいと思います。   今回の部会資料の12ページに整理されておりますけれども、その中で、第三者に対する妨害排除請求権というものに言及されております。これは正に第三者との関係で権利として親権を行使する場面だと思うのですけれども、この場合、通常の訴訟の手続の中で、正に権利としてそれを主張していくという形になりますので、あたかも物を排他的に支配する所有権者が妨害排除するかのようなイメージで受け取られかねないような側面もあるかのように思いますので、子供に対して排他的支配を及ぼしているからこういう権利が出てくるのだというような説明にならないような形での整理が可能であれば、検討したいなと思っているところです。   また、第2のところで話題に上りましたけれども、祖父母など父母以外の人に仮に監護権というものを観念するのであれば、ここでいう第三者に対する妨害請求権というものの中身が従前想定されていたものと少し扱い方が異なってくる可能性があるのではないかと、つまり、現在では祖父母が子供を事実上、監護していて、それに対して親権者が妨害排除として引渡し等を求めるというようなことが通常の訴訟で争われることもあるかと思うのですけれども、これに祖父母も監護権なりを持つ可能性があるのであれば、それは通常の訴訟というよりも、むしろ家事の手続で扱うような側面もあるかのように思いますので、その辺りの第三者というのが誰を想定してどういうふうに行使され得る権利なのかということについても検討できればと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。今津幹事からは、12ページに出てきます妨害排除ということについての御指摘がありました。子供に対する外部からの介入について妨害排除ができる、そのときに親権の権利性ということが言われるわけですけれども、それを子供に対する排他的な支配だというのではないやり方で説明することが必要ではないか、それから、第三者の妨害を排除するというのだけれども、祖父母に監護権を割り当てることになったときには第三者概念を考え直していくことが必要になる、それに伴って手続にも影響が生ずる、そうした御指摘を頂きました。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。よろしくお願いします。この親権や監護権に代わる言葉をどう議論するかというのは、双方責任というような形で一度、仮に置いた概念だと思うのですけれども、そこでどのように双方が責任を持つのか、みたいな議論があったかと思います。そこと分けて今、概念をどういうふうに整理するのかという議論が出てきていると思っていて、しかり、かなり重要な議論だと思っていますので、かなり綿密に時間を掛けて議論をすべきだと思っています。   私としては、親権というかなり支配的なニュアンスがある概念、言葉が変わっていくのは歓迎なのですけれども、その親責任と今、御提案が書面であるその言葉の、同居親としての責任と別居親としての責任というのがあると思うのですけれども、扶養の責任は五分五分で考えられていると思うし、その点がはっきりしていた方がいいと思います。監護の責任は、もちろん主たる監護者が子の福祉を考えて実行するわけですが、ある程度時間的な分担とかいうことが提案されているということではあるけれども、主たる責任というのはやはり一人の親の方にあるのではないかと思っておりますし、決定責任も、いわゆる監護というふうな内容の人が担うのではないかと思っているのですが、それをどのように表現していくのかというのは、先ほど社会との関係、国との関係というのがあるのを学ばせていただいたので、かなり場合を想定して丁寧な議論が必要ですので、ここでもまだ出てこない議論があるのかもしれませんので、かなり重要な議論だと思うので、時間を掛けて議論してほしいということをお伝えしたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員から二つのことを言っていただいたと受け止めました。一つは、責任ということがどういう意味を持つのかということ、先ほどから御意見いただいておりますけれども、非常に重要な問題なので、時間を掛けて良い用語を探すという必要があるのではないかということ。それからもう一つ、以前の議論との関係について触れておられたかと思います。双方責任という言葉が挙がりましたけれども、責任ないし義務の分配、あるいは帰属をどうするのかという問題と、その対象をどのように切り分けるのかという問題があるのだろうと思います。今日はその後者の方を主として議論しているのだろうと思いますけれども、どこかで両者を重ね合わせて、言葉の方も調整するということが必要になるのかと思って伺っておりました。   そのほか、第4について御意見があれば頂戴したいと思います。今日できれば最後まで行きたいと思っておりますので、もし特にという御発言がなければ、お疲れかもしれませんが、休憩を挟まずに、残りの第5、6、7に進みたいと思います。原田委員、手を挙げておられますか。 ○原田委員 21ページの課題のところのお話がほとんど出なかったので、一応、子に一定の財産があっても、親が自分と同じレベルの生活を子に提供する義務というのは変わらないのではないかと、ただ、子に資産がある場合は、親が提供できないようなものを子の資産を使って、例えば専門教育を受けるとか、そういうことはあり得るとしても、ここは余り影響しないのではないかという、私もそう思いましたし、弁護士の中で議論しても、そのような意見が多かったように思います。養育、監護、扶養という概念の問題は、先ほど池田委員が言われたように、扶養というのは監護、養育の経済的な側面を考え、扶養と監護と財産管理ですか、そういうような形で整理ができるのではないかとおっしゃった意見に賛成です。 ○大村部会長 ありがとうございます。21ページの課題のところについて御意見を頂きました。@について、財産があっても親の側に義務があると考えるべきではないかということと、養育、監護、扶養について、先ほど池田委員が触れられたような考え方に賛成であるという御発言を頂きました。 ○青竹幹事 1点だけ、先ほどの用語の議論に戻らせていただきますが、親権という言葉の代わりに、親権とか扶養とか、いろいろ含めた形での一般的な概念を設けるという流れに賛成いたします。ただ、その場合でも、お話をお聞きしていて思いましたところでは、やはり内容的には現行法の親権に当たる部分について、また用語を考える必要があるのではないかと理解いたしました。そこで、また親権とか監護権のような言葉を使ってしまいますと、結局権利性が強調されるという問題が出てまいりますので、ここでいう内容的な親権の部分について、先ほど議論していただいている親責任とか親義務とか、親の権利及び義務ですか、そういった用語を用いるという検討をするということになるのではないかと理解いたしました。その場合に、やはり別居とか離婚後には、どちらか一方がそれを負うということになるのであれば、その場合でも一般的な扶養義務といった親としての義務は消滅しないという、そういった明文の規定を設けるのがよいのではないかと考えております。 ○大村部会長 二つおっしゃったのかなと思いますけれども、一つは、先ほどの用語の問題がありましたけれども、親権に当たるものについて何か名前を付け直す必要があるということをおっしゃったと理解していいですか。 ○青竹幹事 そうですね、親の一般的な義務としての用語と、もう少し限定的な現行法でいう親権に当たる内容に当たる用語としての義務だとか責務といった適切な用語を考えるべきではないかということを申し上げました。 ○大村部会長 ありがとうございます。階層的に幾つかのものがあるのですけれども、一つのものを、例えば親責任と名付けたとしても、他のものについて○○権というかたちで残っているというのでは支障があるだろうという御指摘があったのではないかと思います。これはよく分かりました。その上で、親権のレベルに親責任という言葉を当てるということもおっしゃっていたのかと思い、そうすると一番上位の包括的なものについてはどういう用語を当てるのか多少疑問に思ったのですが、いずれにしても、それぞれのものについて用語を当てるということが必要だということだと理解いたしました。それから、もう一つは、その問題ではなくて、扶養のことについてもおっしゃっていて、離婚後も従前同様に扶養義務を双方の親が負うということですか。 ○青竹幹事 明文化すべきではないかということでした。 ○大村部会長 分かりました。ありがとうございます。   それでは、第4までは御意見を頂いたということにさせていただきまして、第5、第6と、最後のその他について御意見を頂戴したいと思います。これもどの点についてでも結構ですので、お願いをいたします。 ○佐野幹事 佐野です。氏の変更の部分のことについてなのですが、連れ子別居の場合に未成年養子縁組がとられている理由の辺りをきちんと把握する必要もあるのではないかと、それを前提として、その代替として子の氏の変更がとられているのであれば、と考えるべきではないかと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。子の氏の問題が未成年養子縁組とどのように関連しているのかということについて、もう少し明らかにした上で議論する必要があるという御指摘と受け止めました。 ○石綿幹事 幹事の石綿です。今の佐野幹事の意見に重ねて、氏の話を述べさせていただきます。佐野幹事がおっしゃったとおり、連れ子養子の場合に本当に氏の変更だけを目的としているのか、あるいはそうではなくて、親子関係を構築し、親子としての権利義務を負うという目的を持って行っているのかという実態の調査は必要かと思いますし、それを踏まえた上で議論をしていくべきだと思いますが、仮に25ページに書いてある実態があるとしてということで、次のことを発言させていただきたいと思います。   24ページの最後の段落で書いてあるように、氏の変更と養子縁組の手続の不均衡という問題が生じているように思います。そのような理由は、先ほど多分、水野委員が戦後改正の経緯の中で御説明くださったかと思いますが、そのような手続上の不均衡をまだ残しておく必要があるのかということは考えた方がよいのではないかと思います。個人的には、26ページの方に書いてありますが、一定の場合に限定してでも、家裁の許可を不要とするということを考えてもいいのかもしれないと思っています。その場合、再婚してどちらかの親の名字が変わった結果、氏を同じにするということの裏返しとして、その再婚家庭が離婚をした場合の氏の変更についてのケアもできた方がよいのではないかと思います。今は養子縁組の届出と離縁によって氏が変わっていることを、氏の変更ということで2回やるという家庭も出てくるかと思いますので、家族を新たに作るときだけではなくて、別れるときの対応も考えておいた方がいいのかなと思います。   それから、もしこの点について検討を進めていく場合、養子縁組をする場合と氏の変更をする場合で戸籍上の扱い等でどういう違いが生じてくるのか、例えば何か子の社会生活上の様々なところで違いが生じてくるのかということをある程度資料で整理をしていただけると、議論する際に参考になるかと思いますので、それも可能であれば事務当局にお願いしたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事がおっしゃった前提問題を踏まえた上で、基本的な方向としては26ページの提案のようなことを考えるべきではないか、しかし、この先の問題として、離婚後の問題とか、戸籍上の扱いについても整理をする必要があるのではないかという御意見を頂きました。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。養育費と婚姻費用の関係の方をお話ししても大丈夫でしょうか。   別居期間中の婚姻費用ですけれども、子供の養育と同居の親との生活というのはどうしても一体のものとなるということで、親の生活が貧困であり子供だけ十分な養育を受けるということは基本的にはなかなか想定できないのかなと思います。コロナ禍でひとり親の方、減収が続いているのですけれども、私ども食料支援を続けていますけれども、2、400世帯に毎月送っているのですけれども、支援を受けている方の中には、困難の状況の中で子供だけに食べさせて、子供からお母さんは食べないのと言われて、ダイエットだからと笑ってごまかしたというような声も頂いておりますし、子供だけ肉、野菜を食べさせて、親は炭水化物だけで1年以上食べていたところ、あるときに就職がお世話して決まったのですけれども、親の血糖値が300以上超えていて糖尿病レベルだったので、本当に非常に親御さんが大変な状況で、就職が危ぶまれたというようなことがございました。もし就職できなければ当然、子供さんの生活にも大きな影響がございます。何とか回避したのですけれども、そういうことで、親の生活と子供の生活というのはかなり不可分のものでございますので、婚姻費用については同じように扱うべきではないかと思います。   また、氏の変更、連れ子養子のところなのですけれども、私どもは会員の方にアンケートをしようとしたのですが、やはりサンプル数が少なかったので、再婚の御支援をしているような団体にきちんと調査をした方がいいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。2点について御意見を頂きました。養育費と婚姻費用については、婚費についても同じように扱うという方向で考えたいという御意見。それから、氏の変更については、先ほどから出ておりますけれども、データというか、実情がどうなっているかということについて、もう少し詳しいことが必要なのではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。 ○原田委員 ありがとうございます。弁護士の原田です。私も婚姻費用と、養育費の点ですけれども、弁護士間で議論したとき、やはり違うと、特に養育費の請求について特則を設けようというような議論があったときに、婚姻費用までそうするのかについては抵抗があるというような意見は確かにありました。しかし、婚姻関係になって、子供の監護のためとか、あるいは家事のためにキャリア形成を中断するような実態といいますか、夫婦が同等な関係ではなくなる場合も多くて、そういう場合に突然、成年に達した私人間の紛争であると言われるのは違和感があるなという感じがしております。それから、未成年の子がいる場合は、やはり今、赤石委員が言われたように、親と子の生活が一体ですので、ここだけ切り分けるというのはどうかなと思います。それから、もう一つは、子を持つか持たないかを結婚するときから決めている人というのは結構少ないので、結果として子が生まれなかった場合に、未成年の子がいない婚姻費用だけ別扱いするというのは何となく子供がいない配偶者に罰を与えるような感じがして、そうすると、子がいる、いないに関わらず、やはり婚姻費用は養育費と同じように扱ってもいいのではないかと思います。   それから、氏の問題では、26ページと27ページの関係で、もし裁判所の許可が要らないとすると他方の非親権者の関与する機会がなくなるかなと。役所に届けるときに何か同意書を取れとかいうのなら別ですけれども、私はそれでいいと思うのですけれども、それでもいいのかなという疑問はあります。ただ、氏の問題というのは、家族が同じ氏であるべき、あるいはあった方がいいという価値観があって、再婚、離婚の場合に子供の氏も一緒に変えるというところがあると思うのですけれども、今、通称を使っている人とか、選択的夫婦別姓が認められるかどうか分かりませんけれども、結局同じ家族でも婚姻家族でも氏が違うという時代が来るのではないかと、半ば希望的観測ですが、そういう状況になったときに、子供の氏を次々と変えるという人も減ってくるのではないかと思っていて、裁判所の許可の問題は、するとしても、ここを余り大きく変えなくてもいいのではないかと思っています。   それから、実態調査という点では、弁護士にいろいろ聴いてみたら、裁判所の許可が要るので、養子縁組の方が簡単だからそちらにしたというふうな実態は余りないのではないかという意見の方が多かったということをお知らせしておきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。幾つか御発言がありましたけれども、第1に、婚費と養育費と同じように考えるという方向の御意見を頂きました。それから、第2に、氏の変更については、他方の親の関与をどう考えるかという問題があるけれども、全体として氏が違っていてもいいという家族が増えるならば、それほど大きい問題ではないという御感触。それから、3番目に、養子縁組を氏の変更の手段と考えているという例はそれほど多くないのではないかという御認識を示していただいたかと思います。 ○菅原委員 ありがとうございます。白百合女子大学の菅原です。今、子の氏の問題に関連して、27ページの方の(2)の課題の@のところ、よろしいでしょうか。こちらなのですけれども、以前も年齢のことについて議論したことがあったと思いますが、27ページに書いてございますように、子の社会生活にとって非常に大きな問題ですし、今、原田委員の方からも御意見ありましたけれども、子にもやはり自分の氏というのを選択する権利というのはあると思いますので、その意味で、15歳というところからもう少し下げて、以前議論したような13歳ぐらいから子供も参加できるといいましょうか、子供も変更を申し立てることができるというふうになるとよいのではないかと思います。   もう1点は、やはり氏の問題は関係者全員にとって大きな問題となりますので、親権者以外の親も、最低限その結果を共有できるというようなシステムがよいのではないかと感じました。   以上です。よろしくお願いします。 ○大村部会長 ありがとうございます。27ページの課題のところについて御発言を頂きました。子供の申立てについて、年齢を15歳から、例えば13歳に下げてはどうか、それから、他の親の関与ということが出ているけれども、関与というよりも情報が行くようにする工夫が必要ではないか、このような御指摘を頂きました。 ○落合委員 落合です。何点かあるのですけれども、一つは婚姻費用のところで、私は原田先生のおっしゃったことに賛成でして、キャリアを中断させて稼得能力を失わせた場合、それは子供の扶養と同じような義務を課すべきだと思うのです。ですから、子供と、稼得能力を奪われた妻の扶養というのを独立のものとして、両方とも義務として課すというような形がいいと思っています。ですから、婚姻費用の中に子供の扶養の費用も入るということは、それで割引とかをされるのですかね、実質的には2人分足すと何割引とかするのでしょうね、余り引かないでいいのではないかと思います。   それが第1点で、それから、子の氏についてなのですけれども、今、母親が再婚したときの話が出ていますけれども、母親が再婚しなくても、母親が親権者になったとき、そのときの子供の氏って母親の氏にするのも大変なのですか。私、そこのところが、ごめんなさい、よく分かっていなくて。離婚することによって、子供の氏が父親の氏だったときに、母親が親権者となったときの子供の氏の変更はどのぐらい大変なのですか。そこは簡単であるべきだと思っているので、伺いました。   それから、3点目なのですけれども、子供の相続権の話が余り議論されていないような気がするのです。第7のその他になるのかもしれないのですけれども。今の連れ子養子も、相続権ということでは非常に大きな変化なわけですよね、氏どころではないわけですよね。その場合でも、実の父の方に対しても相続権は残りますよね。代襲相続の権利もある。妻が夫の財産の半分の権利があるとみなされるときには、やはり財産を作るのへの貢献というようなことが言われているわけですが、子供による血筋での相続というのは貢献と関係なく、定まっているわけで、という少し大きい話になってしまうのですけれども、でも、何かこれって実態と合っているのだろうか、人々が感じる正当性と合っているのかというようなことが問題として出てくるのではないかと思います。この辺りは議論していくことはできないでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございます。3点お話がありましたけれども、1点目の婚費については、先ほどから出ている議論に賛成ということでしたが、婚姻費用の性質論に関わるお話もあって、その辺りも含めて検討する必要があるのだろうと思います。それから、2点目と3点目は御質問を含む形で御発言があったと思います。2点目は、親権の変更と氏の変更がどういう関係になっているのか、3点目は、子供の相続について、子供が親の資産を形成するのに貢献したということがどのような形で反映しているのかという御質問を含んでいたように思いますが、この2点について、事務当局の方で簡単にコメントしてください。 ○北村幹事 まず、離婚の際ですけれども、離婚の際に、元々婚姻によって氏を改めた夫又は妻につきましては、協議上の離婚によって婚姻前の氏に戻ります。親権者、例えば今お話がありましたように、母親の方が氏を変更していて離婚したという場合に、親権者を母と定めたとしても、直ちに子の氏が母の氏になるわけではございませんで、今回議論いただいております民法791条の1項での子の氏の変更の手続をしていただくことになります。そうしますと母の氏になるということになりまして、母の氏に変更した上で、家庭裁判所の許可を得て氏の変更をして、それで入籍届を出すことによって、母と同じ氏、そして同じ戸籍に入るという手続になります。ただ、この許可の手続自体はそう大変な手続ではないとは承知をしております。その点は以上です。   ○倉重関係官 事務当局でございます。法定相続分の点につきましては、個々の事案における寄与というのは考慮しないで、やはり運用されているというか、規律上はそのようになっているところかと思います。他方で、先ほどございました、既に相続開始時には亡くなっている息子の方の配偶者の方の寄与等がどうなっているのだという辺りの御疑問につきましては、平成30年の相続法改正のときに特別寄与という制度を創設してございまして、そちらの中で考慮等もされるということになってございます。現状ではその限度ということになってございます。   本部会の外縁との関係でございますが、相続分のところまで行くというのは、やや今回の諮問からは距離があるところかなとは感じているところでございます。 ○大村部会長 よろしいでしょうか。 ○落合委員 はい、分かりました。相続のところは、でも、肝要ではあると思うのです、養子のところなんかと関係しますと。ですから、一番大事なところを外すような気もしないではありません。 ○大村部会長 相続一般については、なかなかここでは議論しにくいのですけれども、養子縁組の効果をどうするかということとの関連で、養子になった場合の相続については多少検討する余地があるかもしれません。全体としての見直しは難しいのではないかいう今の事務当局の御発言とあわせて、このように引き取らせていただきたいと思います。 ○落合委員 はい、分かりました。 ○杉山幹事 幹事の杉山です。私は第5の養育費と婚姻費用の関係のところについて、少しだけコメントをいたします。私も、既に御指摘があったように、養育費の部分だけ婚姻費用からうまく切り取ることができるのかという点について、やや疑問にも思っていますが、仮に切り分けられるとしても、その切り分けられた残りの養育費以外の婚姻費用などについて、今の制度を変えて一般債権のような扱いにしていくということ自体は避ける方向で議論していただきたいと思います。民事執行法の151条2とか、破産法の253条などでは、養育費に限らず、扶助の費用とか、あるいは婚姻費用の分担義務などについては、手続が比較的容易に開始できるようにしたりとか、あるいは免責されないという形で特別な取扱いがされています。これは、これらの婚姻費用などについての額が低いということ、さらには毎月定期的に発生するというような性質に着目するとともに、生活の維持に必要な費用であるという配慮に基づいているからであると理解しております。養育費などを有利に取り扱うといった場合に、その有利の意味が何によるかと思いますけれども、仮に養育費だけ今の制度よりも更に簡易な回収方法を認めるという形になったとしても、婚姻費用については現状維持にしてほしいと思っておりますし、そうしますと、かえって手続が多層、複雑になる可能性があるので、一括して有利な取扱いを認める方向で検討してもいいのではないかと考えているところです。 ○大村部会長 ありがとうございました。出発点として、婚姻費用についての取扱いを現在よりも不利にしようという議論は、多分、今のところ出ていないのだろうと思いますけれども、その線は仮に維持するとして、養育費の方を更に有利にしたという場合には、養育費だけそうするという余地もあるけれども、併せて婚費についても同様の扱いをするというのが手続上、違うものを作らないという意味で簡便なのではないかという御指摘を頂いたかと思います。ありがとうございます。 ○棚村委員 私も第5の養育費と婚姻費用との関係について意見を述べたいと思います。今までも各委員から出ているように、養育費というのは766条1項の監護費用の分担というふうに理解していますけれども、この監護費用の分担と婚姻費用についてはかなり密接な関係があって、一体的に扱った方がいいだろうというような側面が多いのではないかと思っています。ただ、そうはいっても、今の条文での請求の当事者とか、それから手続というようなことを考えると、要するに請求の当事者や法的方法も異なってはいるわけです。その中で、算定の方法などについては、できるだけ合理的で簡易なものをというので、算定表みたいなものが修正されたりして用意をされている実情があります。   ただ、注意すべきところは、金銭の算定などは、基礎収入をベースにしてどう按分するかとかそういう話なので、それから、義務の程度とか分担の程度みたいなものについては、割合と共通のところもあるのですけれども、やはり若干、大人と子供というのですか、夫婦と子供との違いみたいなのがあって、これも有責性をどの程度考慮するとか、それから、婚姻関係の破綻の程度をどういうふうに考慮して、分担の割合、生活保持から、例えば扶助程度になるかという違いもありますので、子供の養育費とか監護費用に相当する部分と、それから、妻なり夫なり配偶者としての生活費の問題については、若干違うところもありますので、それについて配慮する必要はあるのではないかと思います。基本的には現在の監護費用の分担とか婚姻費用の分担については、その仕組みなり条文を維持しながら、場合によっては二重取りみたいなことについての調整みたいなことはあり得るし、大人の夫婦の問題と子供の問題というのはやはり分けて考えて、夫婦の何か有責性とかいろいろな問題と絡まないように、子供の部分はきちんと確保できるような配慮が必要だと思います。そこで、一番問題なのは、877条での扶養との関係は、少し整理し、監護費用と扶養との間は、請求権者とか請求の手続、それから算定とか義務の内容も含めてですけれども異なっていますので、少し整理をしていく必要があるのかなと思っております。   ですから、第5の養育費、監護費用と婚姻費用の関係については、現状をベースとしながら、請求する当事者の問題もありますし、それから密接な関連性もあるので、できる限り現行規定を維持しつつ、要素ごとに、誰がどういう請求をしたときにどのようなものを分担したのかということを少し考えなければいけない、違いも配慮する必要があるだろうということで、皆さんの意見とほぼ同じです。もちろん、一括して、子供の養育費とか婚姻費用とかというのが、統一して条文を設けるべきだという考え方もあるかもしれませんけれども、私はどちらかというとサテライト型で、場面に応じて紛争を解決するための合理的な方法や規定として、婚姻費用分担の中に、監護の費用とか教育の費用とか子供の医療とか、そういうものが含まれている場合には、その要素をきちんと明確にしながら具体的な算定をし、請求ができるような仕組みというのは合理性があると思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。2点御意見を頂いたと思いますが、一つは、婚姻費用と養育費の関係については、共通の取扱いをすべき面も多いけれども、しかし、親子、夫婦の違いというのはやはりあるので、その点を勘案する必要があるという御意見だったかと思います。それからもう一つは、877条の扶養義務の問題と養育の問題ということで、これは前の概念整理の方の問題かもしれませんけれども、この点も整理しておく必要があるという御指摘を頂いたと理解をいたしました。 ○武田委員 ありがとうございます。親子ネット、武田です。今も棚村先生が触れていただきました第5に関してと、第7の氏の変更ということに関して、少し申し述べさせていただければと思います。   今、棚村先生から、帰責するケースということに関して、配慮という表現をされたのだと思うのですけれども、非常に私どもの中ではよく報告されるケースでございます。一方の親が不貞による有責の場合ということで、私の理解では、権利の濫用として、婚姻費用でなく養育費相当という決定が出る場合、中には一部減額になるケース、全く考慮されないケースといろいろあると、そんな理解でおります。この事例の中でやはりよくお聞きするのが、いわゆるこの不貞行為が他方配偶者に発覚した後、すぐに子供を連れてどこかに行きまして、婚費請求、離婚請求がなされる、このようなケースがございます。とはいいながら、そういう状況で当然、不貞を理由とした損害賠償請求の訴訟を提起しても、判決が確定するまで優に1年以上掛かると、ではこの婚費の合意はどうするかというと、まずは算定表どおり合意するという形かなと思っています。一部の声として、養育費相当ならまだしも、なぜ生活保持義務まで負うのだという声もございます。したがいまして、養育費相当になるか否かは婚姻の破綻の程度とかとよく言われますけれども、個別に裁判官が判断していると理解しています。ただ、この決定の基準や帰責性が判断された後の、暫定的に払ったことになるのでしょうか、婚費の一部精算など、この辺も分かりやすくしていただきたいなというところを少し、この帰責性という点に関して述べさせていただきます。第5に関しては以上でございます。   第7に関してです。氏の変更ということなのですが、氏の変更、これは申し上げるまでもなく、子供にとって非常にインパクトのあることなのだろうと思っています。非常に身近すぎるヒアリングで恐縮なのですけれども、子の氏の変更に関して、今、私の一緒に暮らしている高校生の長男、正にこういうことになりかねない経歴を持っている子供でございます。彼が言うには、名前を勝手に変えられるのは絶対嫌だと、小さい頃なら何も分からずに変えられてしまうと思うけれども、一定大きくなったときに、なぜ名前が変わったのだということに気付くと、その際、この別居に至ったタイミングの、全く僕たちの意見を聴いてくれなかったということを思い出すと。これは、15歳になったら、13歳になったら、自分の意思で変えられるからよいと、そういう問題ではないと、これが私の長男の意見でした。なので、そもそも氏の変更、原田先生からも、この氏というのが本当にこれから将来どう位置付けられるのかという話も当然あると思いますし、この変更ってそもそも誰のためにやるのでしょうか。家庭裁判所の許可を不要にした場合、子供の意見聴取というのはどこでどういう手続が残るのでしょうかということに対して、非常に懸念を感じています。部会資料には簡易なチェックとかという記載もありますけれども、やはりこの子供の意思に関しての手続、ここが具体的に明示されない状況で、手続としてこれを進めるのかということに関しては、消極的な立場であるということをここで述べさせていただきます。 ○大村部会長 ありがとうございます。婚姻費用の問題については、有責性の問題と関わりがあるのではないかという御指摘を頂いたと理解をいたしました。それから、氏の変更については、それが誰のための変更なのか、子供本人の意見を聴取する手続なしで家裁の許可を不要とすることについては消極的だという御意見として承りました。 ○落合委員 落合です。私、子の氏のことなのですけれども、今いろいろお話を伺いながら考えてきまして、家裁の許可を不要とするのに賛成です。それをはっきり申したいと思って今、また手を挙げました。しかし、お母さんの再婚の場合だけではなくて、離婚のときのもということにしたらいいと思うのです。氏なんて、軽い感じで変えられるようにした方がいいだろうということです。理由としては、親権という概念、これからどうするか分からないですけれども、親権者と同じ氏にするには家裁の許可は要らないとか、例えばそういうのはどうですか。そうすると、離婚した後、母親の氏になるのに何の問題もなく、母親が再婚するなら、またそのときに許可が要らなくなるわけですね。それで、15歳以上で、また変えたければ変えたらいいし、子供も15歳でなくて、もっと低い年齢でもいいと思うのですよ、12歳ぐらいとか、あるいはもっと低い年齢でも。子供が自分で変えたいと思ったらいいというようなことで、家裁の許可が要るなんていう大仰なことにしないという方がいいのではないかと思うのです。という意見です。 ○大村部会長 ありがとうございます。全体として氏の変更についての規律を弱めるという方向で考えるというのがよいのではないかという御意見として伺いました。 ○戒能委員 最後の第7、その他でもよろしいですか。2巡目の議論に是非取り上げていただきたいということで、父母の離婚等に伴う子の養育に関する紛争における家裁の、DVや虐待とか、高葛藤ケースの対応の実際といいましょうか、その辺をもう少し詳しくお話を聞きたいし、議論をした方がいいのではないかという、これは私の要望です。 ○大村部会長 ありがとうございました。DV等の場合も含めて、高葛藤の夫婦に対する家裁の対応の実情について、もう少し知りたいという御要望として承りました。   今、戒能委員からは第7についての御発言がありましたけれども、他の委員幹事から、第7についての御意見もあれば、併せて頂きたいと思います。 ○原田委員 弁護士の原田です。家裁の氏の変更に関しては、チャットに今の状態を書かせていただいて、家裁の許可というのもほとんど有名無実化している現実があります。だから要らないというのか、だからあってもいいではないかというのは、少し意見が分かれるかもしれませんが、どちらにしても、今は子供が15歳になっていると、子供の名前で申立てをしますけれども、親が子供にこれを書いてと言ってやるような場合もありますし、逆に、子供が氏を変えたくないというから婚氏続称している人も多いという実態があると思います。   それから、議論していない部分についてという点については、今、戒能委員がおっしゃったような、私も同意見なのですけれども、子供の意思をどう確認するかという点は、全ての手続に関連するとして一つの議題として議論されましたけれども、DVや高葛藤があるケースについて、それは別としてというような形で横に置かれてきたと思うのですけれども、虐待とかDVとかをどういう範囲で考えるのかという問題と、それから、それがあると誰がどう判断するのかという問題と、ではそれをどのように扱うのかという問題が、手続的な問題も含めて、あるのではないかと、そういうリスクがある場合をどのように扱うのかという点についての議論がやはり必要なのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。1点、家裁の許可について、実態についての御紹介ないし御意見を頂きました。それから、もう1点は、DV等について戒能委員の意見を受けて、議論する機会があった方がよいという御要望を頂きました。1点目、チャットで送っていただいたということなのですけれども、その内容について事務当局の方から、今、かいつまんで御紹介を頂きたいと思います。 ○北村幹事 今書き込んでいただいたのは、原田委員からは、氏の変更は家裁の許可が要るのですけれども、福岡では申立書の書式に当事者名を書いて、理由として父母の離婚にチェックを入れられれば無審尋で許可が出ていると、郵送で申し立てて1、2週間で結論が出る、東京家裁では1、2時間待てば決定をもらえるそうだということでの御意見を頂きました。 ○大村部会長 ありがとうございました。今のような形で記録に残させていただきたいと思います。   そのほかはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは、本日用意いたしました部会資料11「残された論点の検討」という資料について、御意見を頂いたということにさせていただきたいと思います。これで1巡目の議論が終わりましたので、次回会議からは2巡目に入るということになるかと思います。事務局においては、これまでの議論を踏まえまして、2巡目に向けての論点を整理した資料を御用意いただくということになるかと思います。   本日の審議はここまでということにさせていただきたいと思いますが、次回の議事日程等につきまして、事務当局の方から御説明を頂きたいと思います。 ○北村幹事 次回の日程は、令和4年2月22日火曜日、午後1時30分から午後5時30分まで、場所は改めて御連絡いたします。   次回は、先ほど部会長から御指示いただきましたように、1巡目の議論を今日終えましたので、それを踏まえた資料というのを御準備させていただいて、2巡目の議論に入りたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   次回以降、2巡目の議論に入りたいと思っております。本日のところはこれで終了ということにさせていただきたいと思います。   法制審議会家族法制部会の第11回会議を閉会させていただきます。   本日も熱心な御審議を賜りまして、ありがとうございました。閉会いたします。 −了−