法制審議会 家族法制部会 第21回会議 議事録 第1 日 時  令和4年12月20日(火)  自 午後1時31分                        至 午後5時21分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  参考人ヒアリング 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 予定しておりました時刻になりましたので、法制審議会家族法制部会の第21回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして、誠にありがとうございます。本日も前回までと同様、ウェブ会議の方法を併用した形で開催を致しますので、よろしくお願いを申し上げます。   前回からの変更点といたしまして、法務省民事局の廣瀬局付が関係官として任命されております。簡単に廣瀬さんから自己紹介をお願いいたします。 ○廣瀬関係官 法務省民事局付の廣瀬と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 ○大村部会長 廣瀬さん、どうぞよろしくお願い申し上げます。   それでは、本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局の方からお願いを致します。 ○北村幹事 事務当局でございます。お手元の資料について御確認いただきたいと思います。本日のヒアリングの参考資料として、まず、北村参考人御提出資料として1から6まで、渡辺参考人からは、二つの資料を事前に送付してございます。M.K.参考人からは、事前に一枚物の資料をお送りさせていただいております。これに加えて、会場にいらっしゃる方々については席上に、本日の報告の際に画面に表示して説明する資料をお配りさせていただいておりますけれども、こちらにつきましては本日の会議終了後に回収させていただきます。ウェブで参加の方には画面共有で表示させていただきたいと思います。   資料の説明は以上になります。今回もウェブ会議を併用していることから、御発言に当たっては冒頭でお名のりいただきますようお願いいたします。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、本日の審議に入りたいと思います。本日は5人の参考人の方々からヒアリングを行う予定でおります。なお、今回のヒアリングに当たっては、その内容が個人のプライバシーに関わる事項等が含まれますことから、各参考人の氏名の秘匿・匿名化や、御報告の際の資料の全部又は一部の非公開、さらには議事録の関係部分の非公開や要約化等につきましては、参考人の方々の御意向に十分に配慮をした上で、部会長である私の方で最終的には判断をさせていただきたいと考えておりますけれども、それでよろしいでしょうか。   ありがとうございます。それでは、資料や議事録につきましてはそのような取扱いをさせていただきたいと思います。   それでは、5人の方々に御意見を伺いますけれども、まず最初に、弁護士である北村晴男様に御説明を頂きたいと思います。本日、北村参考人はウェブ会議で御参加となります。   北村参考人、どうぞよろしくお願い申し上げます。 ○北村参考人 お願いします。北村でございます。本日は意見を申し上げる機会を与えていただきまして、ありがとうございます。なお、声が聞こえないなどのことがありましたら、何らかの方法でおっしゃってください。そして、まず参考資料についてですが、これは、我々が民間法制審というものを立ち上げてやったものですけれども、それの総意ではなく、私自身が同意していない部分がありましたので、事前にお送りした資料の中からその部分は除外していただきたいと考えております。それでは早速、申し上げたいと思います。   まず、現行法制の単独親権制度、これは離婚した場合に一方の親から親権を剥奪する制度でございまして、これはこども、特に未成年のこどもに対して、多くの場合、一方の親との交流を断ち切るという結果を伴っております。これは事実としてそういうことになっております。そのために、これは日本でまれに見る悪法であると私自身は考えております。多くの方もそう考えておられるようです。人間性を無視した人権侵害法制であると考えております。   なお、この点につきましては、例えばG20の諸外国では日本、トルコ、インド以外、全てがこの異常性、つまり単独親権制度の異常性に気が付きまして、いわゆるチルドレン・ファーストとして、原則共同親権に移行しております。その時期は1970年代から80年代に掛けて、ほぼ全ての国がこれに移行していると、これは当然のことだと考えております。日本だけがこの立法を放置した、つまり立法不作為を行ってきた結果、多くの被害者とされる人たちが憲法訴訟を起こそうとしたり、あるいは国賠訴訟を起こすなど、その準備をするなどされています。   まず、なぜ天下の悪法なのかということなのですが、お子さん、こどもの視点に立って考えますと、当然ながらお子さんの感情の問題がございます。大多数のお子さんにとって、離婚しようがしまいがお父さん、お母さん、父ちゃん、母ちゃんというのが大変大好きな存在なのでございます、当然ですよね。親の身勝手で離婚した途端に、こどもにとっては片方の親とほぼ会えないという状況が多く出現しています。   これは明日から、例えばですけれども、母親の90%が親権者となっているという状況を考えますと、一応、例としては父親と会えなくなったこどもという観点でお話ししたいと思います。ある日突然、大好きな父親、お父ちゃんとずっと会えない状況に置かれるというこどもが世の中にたくさんおられます。1年に一度も会えないとか、5年間一度も会えないとか、10年間一度も会えないというお子さんも珍しくありません。これはお子さんにとってつらく悲しい出来事でございます。これがこの日本の法律によってもたらされているというのは、大変重大な問題だと思っています。   他方で、1か月に1回、2時間しか会えない、これをスタンダードとしている日本の実務運用があります。しかも、第三者の監視付きで父親と会わせるというふうになっております。父親は犯罪者でも何でもないのであって、お子さんにとっては、何で第三者の監視付きなのという話でございます。全く会えないお子さんに比べれば、月に一度会えるお子さんは幸せなのかもしれませんが、月に一回お父さんと会ったお子さんが家に帰ります。母親に、今日はお父さんと会ってとても楽しかったよと話します。そうすると、お母さんの顔が曇る、明らかにお母さんが不機嫌になる。そうしますと、お子さんからすると、あれ、父親と会って楽しかったと言ってはいけないのだなと感じざるを得ない、そうすると、これは大変なストレスになっていく。もしかすると、父親を好きだという感情を殺していかなければいけないのだということを無意識のうちに感じることになる。それを繰り返すことで、母親の感情に迎合せざるを得なくなったお子さんというのは大変なストレスを抱えた心理状態に陥って、いつの間にか、あんなに好きだったお父ちゃんを嫌いになっていくと、こういう現象が全国で起きています。これは、お父さんを好きだという感情を無意識下に抑圧しているということにほかならないわけで、これは片親疎外症候群といわれているところですが、これは臨床心理士の先生などから多くの事例を紹介していただいています。そんな人間性に反するような感情を強いるということが、極めてお子さんの不幸を呼んでいることは間違いありません。   それだけでなく、お子さんの成長にとっても大変マイナスだと考えております。こどもにとって、自分に愛情を注いでくれる多くの大人に囲まれて成長すること、これが何よりもお子さんの成長にとって重要だと考えられます。これはお二人親がおれば2人の親、そして、その双方におじいちゃん、おばあちゃんがいれば、双方の祖父母、そしておじさん、おばさん、そういった親戚の自分を愛してくれる多くの大人に囲まれて生きるということ、成長するということが、子にとって大変重要でございます。それを得て成長することが、自己肯定感を育みやすい、自己肯定感というのは大変重要だと考えております。将来、仕事で、学業で、あるいはスポーツで、あらゆる面で成功するための一つの鍵になるのが自己肯定感だと思っていますが、他方で、何よりも自殺しない心、強い心を育む上でも自己肯定感は大変重要です。それらを少なくするというか、単独の親、あるいはその親に連なる祖父母だけからしか愛情を受けられないというのは大変、子の不幸でございます。それだけでなく、多くの自分を愛してくれる大人に囲まれて成長するということは、様々なものの見方、いろいろな人のものの見方、人格に触れることによって人間的な成長を促すという意味で大変重要なわけですが、これらをほぼ半分絶ってしまう、事実上絶ってしまう、この単独親権という制度は、極めて悪法だと考えています。   それ以外に、養育費の不払い問題がございますが、これも重要な要因がこの単独親権制度にあると考えております。いつもこどもと接している父親なり母親が、支払うべき養育費について、何を置いても支払いたいというモチベーションを保つためには、多くこどもと接して、こどもを見守っていくということが必要であります。これは人間の感情として当然のことだと思います。それをわざわざ、あなたはもう親ではないのだよと、親権を剥奪したのだよという法制下にしながら、養育費だけを払いなさいという極めていびつな法制度が単独親権制度でございます。法制度を設計するのであれば、人々が法を守りたい、法のとおりに生きたいと思えるような制度を作るのが当たり前で、その反対になっているのが単独親権制度でございます。   原則共同親権という制度にすれば、この養育費の不払い問題は多くの場合、解決するだろうと考えています。それ以外に、後に申し上げますが、原則共同親権にして、かつ、離婚する場合に共同監護計画を作る、そのときに養育費の分担について、監護費の分担についてもきちんと決める、それを公正証書とすべきだというのが我々の案ですけれども、そういう制度を実現することによって、この監護費、養育費の不払い問題はほぼ解決するだろうと考えております。これは、親の視点に立っても、現在の単独親権下で親権を獲得した親にとって、現在、実は養育費の不払い問題が、例えばシングルマザーの貧困につながっております。これを解決する一つの大きな方策だろうとも考えています。   次に、親の視点に立って検討しますと、親権を剥奪される親にとっては、子の成長を身近で見守って支援するという喜び、これを一方的に奪われているのが現行法制でございます。人の幸せの大きな部分を奪われるという意味で、これは重大な人権侵害だと考えています。もちろんそのように考える被害者の人たち、そして弁護士も多いわけですけれども、これについて、なぜか大変鈍感な方も多いのが不思議でなりません。例えば、子の親としての基本的な権利を奪われることによって自殺する人、あるいはその前段階として鬱状態になる方、これは大変多うございます。その結果、自殺する方も少なくありません。そういったことが極めて重大な問題を引き起こしていると考えています。   他方で、現在の単独親権下で親権を獲得した親が幸せかというと、そうでもありません。まず、共同親権下では不必要な親権獲得のための極めて深刻な争いをしなければいけない。双方が親権が欲しいというケースは大変多くて、それについて無駄な費用を払っています。弁護士に依頼をして、相手の悪口を言い合って親権を獲得するという、極めて非人間的なことを行わざるを得ない。こんな無駄な費用と労力を掛ける制度にも現状、なっています。   そこで、我々は原則共同親権ということを強く推しているわけですが、基本的には、費用負担については収入に応じて、監護の割合、つまりどのような割合でもってそれぞれこどもを見守るか、一緒に生活するかについては、50%が基本だと考えています。フィフティー・フィフティーにすべきだと考えています。ただ、少なくともいろいろな事情がそれぞれの離婚した元夫婦にはありますので、どんなに少なくとも隔週で週末一緒に過ごす、これが絶対に必要だろうと考えています。それらの共同監護についてのガイドラインを国が作って、そのガイドラインを参考にしながら共同監護計画を離婚の際に作るのだと、作った共同監護計画の提出を義務付ける、すなわち共同監護計画を提出しなければ離婚届を受理しないという制度を作るべきだと考えています。   なお、これについては余りにもこれまでの制度と違うために、違和感を持たれる方も多いと思いますが、皆さん、よく考えていただきたいと思います。我々は人間として、自由に人を好きになって自由に結婚をします、そして自由にこどもを作ります。そこまでは自由ですよね、誰に制約されることもない。その結果として、あるとき突然、嫌いになったから別れる、何かの理由で別れるということになります。この別れるというのはこどもにとっては大変な災難で、こどものことを何も考えていないのです、基本的には。自由に別れるのは、それはそれで結構でしょうと、しかしながら、せめて別れるならばこどもの利益を最優先して、せめて共同監護計画を作りましょうよと、こどもをどういう割合で養育していくのか、費用はどうするのか、それはせめて作りましょうよというのが実は当たり前のことではないかと考えています。この点は、よくよく皆さんに考えていただきたいと考えています。   この共同監護計画の要素としては三つあると考えています。一つは、監護費用の負担、これは収入に応じて作る。監護の分担、これはどのくらいの割合、どのくらいの日にちの割合でそれぞれがこどもと一緒に過ごすかという問題です。三つ目、これが大変重要だと思っているのですが、例えば子の進学とか、医療機関に掛かるとか、様々なこどもについての話合いを元夫婦はしなければいけません。それについて意見がまとまらない場合の決め方ですね、これについてあらかじめ決めて、つまり意思決定方法を、例えばですけれども、進学については母親の意見を最終的には優先しますとか、父親の意見を最終的には優先しますなど、あるいは第三者、Aさんの意思に従いますなど、そういった意思決定方法を定めておくということが大変重要だと考えています。   原則共同親権にした場合には裁判所がパンクしてしまうのではないか、つまり、子の進学先に困ったから裁判所に駆け込まれるというようなことが起きるのではないかと心配する向きもあるようですが、そんなことは起きないように、今申し上げた共同監護計画の中に最終的な意思決定方法をあらかじめ決めておくということが重要であろうと考えています。その場合、仮にそれでもうまくいかないケースは、ADRを活用して、裁判所の手前でもって様々な監護にまつわる話合いがうまくいかないケースを解決していくと、そういうことが必要だろうと考えています。   ところで、法制審議会の議論の中で、例えば、父母の意思で、つまり同意があれば単独親権にできるとか、あるいはその反対で、同意があれば共同親権にできるなどの考え方をしている議論もあるようですが、原則共同親権以外はもう話にならんと正直、思っていますが、父母の意思で単独親権にできるという制度は、これは絶対に作るべきではないと考えております。   どういうことかといいますと、今や離婚は大変多いわけですが、例えば小学生のお子さん、周りに離婚をした親をたくさん持っている、そういうお子さんはたくさんいると、そういう中で、うちの親だけは片方の親が自分を捨てましたというふうなことになる、そういった同意によって片方の親権を喪失させる、こういう制度は絶対に作るべきではない。当該のお子さんは、ほかの友達の親は誰も離婚をしてもこどもを捨てていないが、自分の親だけは父親が自分を捨てました、母親が自分を捨てました、こういうとんでもない状況は絶対に作るべきではないと、チルドレン・ファーストというのはそういうことだと考えております。   親権を喪失するのは、その親が親として全く不適格であると、暴力を振るうとか、それに近いようなこと、そういう場合にのみ親権を剥奪すべきだと考えています。その場合には裁判所の判断でそうすると。そうすれば、こどもにとっては、親が不適格なのだから仕方ないと、こどもはばかではありませんから、子の親が親として不適格であるということはおのずと分かりますので、そういうことであれば諦めも付くが、しかし、親として適格性があるのに自分を捨てたというのは、余りにもつろうございます。そんな制度を法律で作るべきではないと考えています。   最初にちらっと申し上げた監護費、養育費という名前でも結構ですが、離婚に伴って月々支払う養育費、監護費というものについて今、日本の親が大変その支払率が低いといわれています。モチベーションについては、先ほど申し上げたとおり。それだけでは不十分ですから、これを公正証書にして、当然ながら強制執行のできる状況にしておけば、この問題は大部分解決するだろうと考えております。養育費負担者、監護費負担者の子の親が勤務先があれば給与の差押えをすぐできますし、預金があれば預金の差押えをすぐできますので、この不払い問題はあっという間に解決するだろうと。そのくらいの措置をしないとお子さんの不幸を止められないと思います。それに伴って、同居している親の貧困も止められないと考えています。これは極めて重要だと理解をしております。 ○大村部会長 そろそろ時間ですので、まとめに入っていただけますと大変助かります。 ○北村参考人 はい。以上申し上げたところが我々の考えでございますが、この法制審議会でもチルドレン・ファーストということがいわれていますが、先ほど申し上げ忘れましたけれども、親として不適格、子に対する暴力を振るうなどの場合に親権を喪失させることで暴力を防ぐ、つまり例外的な場合については例外に対して対処するための措置を採るということで、御心配の向きもあるようですが、つまり、DVに対応できなくなるのではないかというお考えもあるようですが、日本人だけがそういった場合に対処できる法律を作れないはずはございません。必ず人間の工夫でもってDVなどの例外事例は防げますので、飽くまでも原則はDVはありません、多くの場合、こどもに暴力を振るうような親はいませんので、原則は原則に従った法制度を作って、例外は例外で救うという当たり前な法制度を作っていただきたいと思います。   ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、北村参考人からの今の報告の内容につきまして、御質問があればお願いを致します。なお、御質問される場合には、まずお名前をおっしゃった上で御発言をと思います。どなたからでも結構ですので、お願いいたします。 ○石綿幹事 幹事の石綿でございます。貴重な御報告、どうもありがとうございました。本日の御報告ではチルドレン・ファーストという視点を提示してくださいまして、また、提出資料の4では、民間法制審の御提案の特徴として、条約との整合性や諸外国の家族法との親和性ということを挙げていらっしゃいますが、これらの観点から、大きくは二つのことに関して、そして、細かくは4点、質問、意見の提示をさせていただければと思います。   まず、第1が、提出資料の4にもありますが、児童虐待事案等により親権が喪失、剥奪されたような場合においても、監視付きの面会交流を実施するという記載があるように思います。参考資料6ですと107から108ページがそのような考え方に基づいて記載されているように思います。例えば、諸外国の例、私は全ての国は分かりませんが、研究対象であるフランスなどでは、2019年、2020年にDV等に関する法改正が行われていて、両親の一方が他方に対する暴力を行っていて刑事訴追されていたり、有罪判決を受けている、あるいは虐待をしているというような場合には、親権の行使や面会交流を制限するという方向の改正も行われていたりもします。そのような視点から見ると、御提案にあるような、児童虐待がある、更に父母と子との交流で子の生命身体に重大な被害が発生するおそれがある場合にも監視付きの面会交流をするというのは、外国法と、少なくともフランス法とは親和性があるのだろうかという疑問を持ちました。   御質問させていただきたいことは二つで、一つは、なぜこのような場合にも面会交流をする必要があるとお考えなのか、これが本当に子の利益になるのかということです。もう一つは、児童相談所における面会交流というのが、子の身体生命を保護するための十分な機能を有するということなのかということでございます。   大きく分けて二つ目のことは、資料5の5ページ、御提案でいうと766条の10項に関してということになります。今日の御報告でも、共同監護計画というのが重要だということだったかと思いますが、現在の御提案ですと、共同監護計画の策定や遵守を拒んだときには親権喪失の審判の請求ができるとされています。この点に関して二つ質問でして、一つは。 ○北村参考人 石綿幹事、すみません、1点ずつのやり取りでもよろしいですか。二つ目の御質問に移っておられるので。 ○大村部会長 まず、一つ目の、監視下での面会交流の話についてお答えいただいて、それから、石綿幹事、二つ目は手短にお願いいたします。では、北村参考人、お願いいたします。 ○北村参考人 今の問題ですけれども、監視下の面会交流というのは、監視下にあってお子さんに暴行を振るうという、監視下にあってもそういうことを振るうおそれがあるケースが本当にあるのであれば、それはそれに対処するべきだと思います。しかしながら、一般的には、面会交流の監視システムというのは、正に子に危害を加えることを防止するための制度ですから、そのために機能することを前提に制度設計しています。しかし、それが機能しないというような場合がもしあるのであれば、おっしゃったとおり、その場合には更に制限すべきだと我々も考えています。 ○石綿幹事 分かりました。ありがとうございます。 ○大村部会長 では、2問目どうぞ。 ○石綿幹事 2問目は、共同監護計画の策定や遵守を拒んだときに、そのことのみで直ちに親権喪失の事由になるという前提でいらっしゃるのか、あるいは、それは親権を有していることが子の利益に反するかどうかということを判断していく際の一考慮要素になるのにすぎないのかという点が気になりましたので、御教示いただければと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。それでは北村参考人、お願いいたします。 ○北村参考人 監護計画に従ったことをしないというのは、これは基本的には子の利益を考えていない親ということになろうかと思います。ただ、もちろんそれについて正当な理由があるかどうかが当然、その判断の中に含まれるだろうと思います。なので、正当な理由がある、あるいは、やややむを得ない理由がある、様々なケースはあると思いますので、原則的には、全く守る意思がない、つまり、計画は作って離婚したけれども、それを守る意思が全くないというのは、子の利益に著しく反すると思いますので、その場合には基本的には、いろいろなケースがあるにしても、基本的には親権喪失の理由になると考えています。そのことが、親権を喪失したくない親にとって監護計画を守る大きな動機付けになるだろうと考えているというところでございます。 ○石綿幹事 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、その他の方、もしいらっしゃれば、お願いを致します。 ○水野委員 委員の水野と申します。御報告どうもありがとうございました。お時間を取ってはいけないので、なるべく肝腎のところだけ絞ってお伺いしたいと思います。   資料6の144ページでしたでしょうか、親権喪失でなければDVがあっても面会交流をと書いてあります。そして、共同監護契約を離婚のときには結ばせて、契約で縛るという御提案であるように伺いました。それから、民間法制審のメンバーなのですが、家族法学者が入っていらっしゃらないようにお見受けしました。そして、フランス人も入っていらっしゃるのですけれども、フランスとの対比はなさったのでしょうか。この制度を考えるときには、今の石綿幹事のお話にもありましたけれども、フランスと日本の背景になっている事情が大きく違っていることを考慮して考えなくてはならないと思います。例えば、親権喪失でなければと144ページには書いてありますけれども、日本の親権喪失はまだ年間2桁しかありません。親権停止がやっと3桁に入るぐらいです。婚姻中からこどもに対してよろしくない育て方をしている親はたくさんいるわけですが、フランスの場合ですと大体年間10万件近い親権制限判決が出ております。この割合ですと、人口比でいいますと、日本の場合では約20万件ぐらいに及ぶような親権制限判決が出ていてしかるべきということになります。しかし、日本ではそれが、先ほど申し上げたようなごく例外的なケースしか行われておりません。そういう前提で考えたときに親権喪失という除外は非常に危ないと私は危惧いたします。   それから、御提案は共同監護契約という契約で縛るという御提案ですけれども。 ○北村参考人 すみません、1点ずつ御質問とお答えにしていただいてもよろしいですか。 ○大村部会長 それでは、まず今の質問について、お願いいたします。 ○北村参考人 今おっしゃった、親権喪失制度自体が日本では余り機能していないのではないか、つまり、本来だったらもっとたくさんあってしかるべきではないかという御質問だと思います。我々も同じような認識を持っています。これは、こういう見方をしております。共同親権の制度になりますと、双方が相手が本当に親としてふさわしいかということに大変関心を強く持ちますので、離婚後の共同親権ということになりますと、恐らく実際に親権を持つにふさわしくない親がフランスのように多くいた場合には、双方の親がお互いを監視するということになりますので、親権喪失について申立てが増えるということが考えられます。そのようなことでもって、不適切な事例について正に親権喪失が現実に機能するような社会状況、あるいは裁判状況、運用状況になっていくのではないのかと理解をしております。今のところはそういうお答えでよろしいでしょうか。 ○水野委員 ありがとうございました。もう一つの質問は、今のお答えと少し重なって、更に展開するように思うのですが、共同監護計画を立てると計画をしておられます。北村先生はもちろんよく御存じと思いますけれども、最高裁の平成29年12月5日判例がございまして、これは家庭裁判所で離婚時に父親を親権者にする合意をして離婚をしたのですが、すぐに母親が親権者の変更を家裁に申し立て、そして家裁で審理中に父親が親権者として母親に対して引渡し請求をしたという事例です。原審は家裁で審理中という理由で却下したのですが、最高裁はこの父親の請求を却下せずに、入れた上で、権利濫用だとして結果として封じた判決です。そして、この事件は、2歳で母親がこどもを連れて別れて、7歳になっているケースでしたけれども、離婚時に父親に親権を与え、かつ、そのことについて一切文句を言わないという契約をしております。実際に2歳の子を連れて逃げる母親がなぜそういう合意をしてしまったのかなのですが、やはりどうしても離婚をしたいと思っている当事者が当事者間で合意を作ることになりますと、そういうことも行ってしまいます。ですから、紛争性の高い当事者間で、かつ当事者の一人が必死で離婚を希望している状況下では。 ○大村部会長 水野委員、少しかいつまんでお願いします。 ○水野委員 はい。そういう場合に健全な共同監護契約が立てられるとは思えないのですが、その点についてはいかがでしょうか。 ○北村参考人 おっしゃるとおりだと思います。そういった極端な高葛藤の事例において話合いが難しいことは、当然あると思います。そういった例外的なケースではADRの活用を、まず、考えております。そのADRの活用をするに際しても、自分が当事者として出ていくのは非常にはばかられるというようなケースもおありでしょうから、そういうケースでは正に例外的に、費用を払ってでも弁護士が関与して、かつADRを利用して、共同監護計画を作っていくということが想定されると理解しております。 ○大村部会長 ありがとうございました。   あと4人ほど手が挙がっていて、今、赤石委員から手が挙がったので、5人ということになります。質問される方は、手短にお聞きになりたいことをまとめておっしゃっていただきたいと思います。 ○原田委員 弁護士の原田です。今日はありがとうございました。今日の資料の改正案のところの民法752条についてですけれども、ここで規定されている類型の中で、夫婦の一方がこどもを置いて出ていったという場合が記載されていないのですが、その場合はどうなるのでしょうかというのが1点です。 ○北村参考人 夫婦の一方がこどもを置いて出ていったケースですね。その場合には、まず暫定的な共同監護計画を作るべきだと考えています。つまり、そのケースはまだ離婚前ということになりますので、離婚前に別居が生じているわけなので、その場合には暫定的な共同監護計画を作ると。作るのが難しければ、先ほど申し上げたようにADRを活用するなどの方法を我々は考えています。 ○原田委員 でも、その場合、その方はこどもと一緒にいたいとか、こどもと面会したいとかいう意思がなければ、それを作る意欲もないでしょうし、それで過料の制裁をされても、親権喪失されても、別に痛手はないと考えるのではないでしょうか。 ○北村参考人 それは、こどもと接しなくても痛くもかゆくもないという極めて例外的な親のことをおっしゃっていますね。 ○原田委員 それが例外的かどうかは、今までのいろいろ出てきた資料の中で、私は例外とは考えていないのですが、でも、どちらでも構いません。 ○北村参考人 我々はそれは極めて例外的なケースだと思っていますが、確かにそういう親もいますね、子に関心がない、そういう方がおられると。そういうケースでは、実際上の実務では様々なことが考えられると思います。これは言うべきではないかもしれませんが、共同監護計画を形式的には作るが、片方は全く守らない、それを見て、片方はそのまま放置して、実際上は自分が一人で養育していくことになるケースもあるでしょうし、これはよくないということで、相手について親権喪失の審判の申立てをするというケースもあろうかと思います。 ○原田委員 分かりました、ありがとうございます。   それから、先ほどの親権喪失についてですけれども、今回の資料では、現在の民法の親権喪失の規定はそのまま残した上で、共同監護計画を作らないとか、それを実行しない人も更に親権喪失の要件に当てはまるようにするということで理解していいですか。 ○北村参考人 はい、そのように理解しております。 ○原田委員 そうすると、その二つはパラレルといいますか、監護計画を作らないとか、それを守らない人は、現在の民法で規定されている、子に虐待をしたりとか、不適切な養育をするような事例と同様に評価するということですか。 ○北村参考人 同様に評価しております。 ○原田委員 それにもかかわらず、例えば資料6の107ページでは、そのような人を監護者にすることを認めたりする規定があるのですが、それは少し危ないのではないですか。 ○北村参考人 同等と申し上げたのは、親権喪失すべき者かどうかという意味では同等という意味です。共同監護計画を作らないとか、あるいはこれを守らないというのは、実は、言い方は悪いかもしれませんが、自分のエゴでもってこどもを囲い込もうとするなどのケースですから、それに対して親権喪失の制裁があれば、これはもう妥協せざるを得ないわけです、自分が子と接したい以上は。そうすると、共同監護計画を作ってこどもを双方で育てるという状況に行かざるを得ませんので、そういう方が結果として親権者として監護を分担するということは十分にあり得ることだと思っています。 ○原田委員 すみません、最後にもう1点だけ。基本的にお父さん、お母さんはこどもが大好きで、こどももお父さん、お母さんが大好きという前提でお話が全部進んでいるのですけれども、そうでない、大嫌いな親に強制的に会わせられることもあるということや、この規定の中でも、親権を放棄するとかいう方がいるということを前提に、しかしそれは認めない、厳しい要件でやると書かれているのですが、そういう親権放棄が認められなかった親御さんが、面会交流でこどもに対して、僕は愛されているのだという感情とか自己肯定感を増すような面会ができるのでしょうか。 ○北村参考人 どういうケースを想定されるか今一つ分からないのですが、仮に子に対する愛情が全然ない親のことを今おっしゃっていますか。 ○原田委員 いえ、親権放棄をするという親がいることは認めていらっしゃるでしょう、この条文で。 ○北村参考人 はい。 ○原田委員 でも、それは認めないと、あるいは要件を厳格にすると書いてありますよね。 ○北村参考人 はい。 ○原田委員 でも、そういう親御さんがこどもと面会交流をしたとき、こどもに対して、ああ、私は親から愛されているのだとか、自分の自己肯定感を増すような面会交流ができるのでしょうかという質問です。 ○大村部会長 すみません、今日は北村参考人と委員の方で議論をしていただくという場ではないので、原田委員の御意見は御意見として伺い、御質問はここまでということにさせていただきたいと思います。ほかにも質問の方はたくさんいらっしゃいますので、原田委員も北村参考人も、すみませんがそれで御了承いただきまして、先に進ませていただきたいと思います。 ○原田委員 御回答がなかったのですが。 ○大村部会長 今のやり取りでよろしいのではないかと思いますが、何か北村参考人の方でもし一言付け加えることがあれば、それを伺って先に進みたいと思います。よろしいですか、何かありますか。 ○北村参考人 いや、結構です。 ○原田委員 分かりました。 ○大村部会長 それでは、窪田委員、お願いいたします。 ○窪田委員 神戸大学の窪田でございます。興味深いお話を伺って、大変勉強になりました。私の方からは、民間法制審議会家族法制部会について形式的な質問をさせてください。先ほど水野委員からの質問でも冒頭で少し触れられたのですが、今回の資料3を拝見したところ、メンバーには外国の方も含めて、家族法、あるいはもう少し広く、民法の研究者は含まれていないかと思います。今回の民間法制審のメンバーがどういうふうな形で選ばれて、また、今回ここの法制審でもそうなのですが、非常に見解が対立しているこの問題について、どういう検討を踏まえて参考資料として提出されている中間試案というものがまとめられたのかについて、簡単に伺えればいいなと思っております。本来このようなことは全く本質的なものではないということは十分に承知しているのですが、民間法制審議会という名称で活動して、また、その名前で広く知られているということに照らして、御質問させていただければと思います。 ○北村参考人 なるほど。最初に言い訳めいたお話で恐縮なのですけれども、そもそも法制審議会の議論を拝見していて、これは原則共同親権にどうもなりにくいなと、これで大丈夫なのだろうかという危機感と切迫感、それから時間的な制約の中でやりました。これは言い訳ですけれども。その中で、様々なつてをたどって、各国の専門家については、特に離婚等を扱っておられる弁護士さんにいろいろお声掛けをさせていただいて、そして、短時間でもって人選をさせていただいたというところがございます。国内の方については、臨床心理士の先生とか、大学の先生とか、日程が限られている中で御参加いただける方、一定の知見を持っておられる方を取り急ぎお願いしたというのが正直なところでございます。   そういうところでよろしいですかね。 ○大村部会長 議論のプロセス、案の取りまとめのプロセスについて御質問があったかと思いますが。 ○北村参考人 議論のプロセスについては、特に共同親権を採用している諸外国の皆様方に、その諸外国の状況をいろいろと説明していただきました。その問題点があるか、ないかなど、そのメリット、デメリットなどをいろいろと御説明いただいた、その中で議論をして、どういう方向がいいのかということを議論して、考えていったというようなところでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○落合委員 落合です。お話どうもありがとうございました。納得できるところもいろいろありまして、例えば、DVのあるケースに対して対処する方法を日本でだけ考えられないわけはないなどということ、それもそうだろうと私も思うのです。ところが、伺っていて最後の辺りで、DVというのは原則ないものだと、親はこどもを虐待しないものだと、ごく例外があるにしても、というような御発言があったかと思うのですけれども、その辺りは私、社会学者ですので、実態の方を踏まえておりまして、かつ、児童虐待についての研究プロジェクトもやってまいりましたので、その辺りの認識が大変危ういものだと思って伺いました。原則、親はこどもを虐待しないものだとか、それから原則、親子は愛し合っているものだというのは、どういう根拠でおっしゃっているのでしょうか。 ○北村参考人 原則というのは、これは言葉の問題なのですけれども、実際の離婚の事例を拝見しますと、統計資料などを見ますと、実際に離婚している全体の母数でいうと、DVが理由になっているのは大体5%前後という資料がございます。かつ、それが全てお子さんへのDVが含まれているわけではございませんので、そういうところからというのが、まずあります。その資料を見ても、少なくとも95%の離婚についてはDVが理由になっていないということがいえますので、そういう意味で原則と申し上げました。 ○落合委員 十分そういうことがあるということを前提として、それを防ぐ、リスクを防ぐ方法を考えるべきだと思いますので、原則、親はこどもを虐待しないものだ、のような誤解を招くような言い方は、これからしないでいただきたいなと思います。これは実証をやっておる社会学者の方からのお願いです。よろしくお願いします。 ○北村参考人 了解しました。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   青竹幹事、赤石委員、柿本委員、沖野委員と手が挙がっておりますので、それぞれの皆さん、すみませんが手短にお願いを致します。 ○青竹幹事 離婚後の単独親権になる例外についてお考えをもう少しだけお聞かせください。離婚時に親権辞任ということをお考えのようなのですが、現行法上も親権辞任の規定がございますが、その基準と全く同じとお考えでしょうか。もし同じでしたら、例外を認める場合は厳しい、余りないだろうというふうな例外の設け方になるでしょうか、それとも、離婚時には一方の親権辞任をより容易に認めるべきという基準をお考えになっているかどうか、単独親権の例外についてのお考えを少しお聞かせいただけると幸いです。お願いいたします。 ○北村参考人 例外については極めて限定的と考えております。先ほどもちらっと申し上げましたが、子に対する暴力を振るうようなケース、それに準ずるようなケースが例外だと考えております。理由について一言だけ申し上げると、親権を辞退する制度を余り広く認めますと、先ほど申し上げたように、離婚をどうしてもしたいと思っている方が親権を一旦そこで放棄するという事態が起きてくると、これはこどもにとって大変不幸なことであるということと、放棄した人にとっても後々必ず後悔するだろうと、余りいい制度ではないなと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございました。予定していた時間がもう来ておりますが、少し延長させていただきたいと思っております。他方、御質問はあと5人いらっしゃいますので、皆さん、1問だけ出していただいて、簡単にお答えいただくということで進ませていただきたいと思います。質問の方もお答えの方も制限をして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたしますまず、赤石委員からお願いいたします。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石でございます。1問ですか、7問ぐらい用意していたのですけれども。北村参考人、大変貴重な意見をありがとうございます。立法事実というか、前提となる認識が若干ずれておられないかなというのが心配だったので、質問させていただくのですが、例えば、離婚すると全ての親子が断ち切られているようなお話があったのですが、家裁では、司法統計によりますと、年間面会交流の取決め件数は1万1,917件、これは週1回から長期休暇など、令和3年度のデータでございます。こういったデータがないですとか、お子さんが親と会いたくないと答えているケースは、法務省の調査でも1,000人中322人がそう言っているですとか、こういったデータがきちんと引用されて、先ほどの5%も多分、よく間違えて引用されているのですが、平成28年の全国ひとり親世帯等調査、養育費を払ってもらえない理由の中にDVが主たる理由になっていただけのデータであると思いますので、その点、お確かめいただきたいというのがあります。 ○北村参考人 資料についての前提として、私は全てが断絶されているという言い方をしておりません。後で聞いていただければ分かると思いますが、多くの場合、子と親権喪失した親との関係が断絶されていると申し上げています。断絶の意味なのですけれども、月に1回2時間しか会えないものについては、私の見方としたら、これは大きく、断絶に近い状態と考えています。統計資料によりますと、諸外国で意味のある親子交流としてみなされているのは、各週末の宿泊付きの交流、つまり、ざっくり言えば月に4回、宿泊付きで4日間会えるというのが意味のある親子交流だとされていますが、その意味のある親子交流がされている世帯は約6.4%しかないという統計資料もございます。なので、多くの場合、断絶されていると言って間違いなかろうと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○柿本委員 御説明ありがとうございました。共同監護計画作成に際し、ADRを義務化するということですが、現時点において市民がスムーズにADRを活用できるとお考えですか。一般市民にとって、ADRの活用はかなり難しいと思うのですが、いかがでしょうか。 ○北村参考人 ADRの活用につきましては、離婚に伴う共同監護についてのADR、これについては現状を前提としては考えておりません。国の広報も大変必要であろうと思いますし、そもそも共同監護計画の作成などを義務付けることによって、ADRを活用せざるを得ない状況にもなりますし、大きな広報などでもって変えていこうということですから、現状を前提とした発想ではございません。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○沖野委員 委員の沖野でございます。御説明ありがとうございました。私も四つぐらい用意していたのですが、一つだけということですので自分の中で判断が付きにくいのですが、1点だけお伺いしたいと思います。   今回の御提案につきましては、離婚時に共同の親権を行使している父母の場合であるということからしますと、既に離婚の段階で一方が親権を喪失していたり、停止していたりという場合には、この御提案は妥当するものではないという理解でよろしいかということです。若干申し上げますと、御議論の途中で親権の喪失や停止についての基準の見直し、あるいは運用の見直しということもおっしゃっていて、そういう問題は、むしろ離婚前の段階での親権の処理で対応するというようなこともお考えなのかなと思ったものですから、制度についてのお考えというか、今の点をお聞きしたいと思った次第です。よろしくお願いいたします。 ○北村参考人 今おっしゃったのは、現状既に離婚後に親権を行使していない方のことをおっしゃっていましたか。 ○沖野委員 婚姻中に共同親権ではなくなっているという場合を想定しておりました。 ○北村参考人 それについては直接には当てはまらないだろうと考えています。これについては、共同監護計画ではなくて面会交流養育費計画というものを作っていただくことになるのかなと思っています。 ○大村部会長 沖野委員、まだ御質問があるかもしれませんけれども、後の方がいらっしゃいますので、すみませんが、ここまでということにさせていただきます。 ○沖野委員 結構です、ありがとうございます。 ○久保野幹事 幹事の久保野でございます。御説明どうもありがとうございました。監護の割合50%を基本とし、最低で2週に1回、週末一緒に過ごすという基準を立てて運用することがこどもの利益を最優先する体制であるというお話との関係で、単身赴任ですとか転勤命令の在り方や、家族が近くに住むというのがどのぐらい制度的に担保される社会かというのは、国によって違うと思うのですが、今のような形での監護の割合を原則として想定する場合に、近くに住むこと等の規律といったものを併せて導入するといったようなこと、あるいは転勤命令等をめぐる社会の在り方について何らかの、具体的には思い浮かびませんけれども、対応や啓蒙等を考えていくといったことと併せてお考えでしょうか。お願いします。 ○北村参考人 今おっしゃった単身赴任の問題等は、確かに別の問題としてあろうかと思います。婚姻中に単身赴任をするというのは、それが企業などの都合で単身赴任を解消することが前提となっている制度なのかなとは思っています。ですから、本件の場合とは直接つながらないとは思っています。つまり、原則はそうであると、ところが仕事の都合で単身赴任というケースもあると、ただ、それについては基本、婚姻中であればいつか帰ってくることが前提なので、その社会制度そのものについて何か啓蒙活動をするとまでは考えておりません。そこはまた別の課題だろうと思って、そこまで少し手が回っていない状況でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   池田委員がまだいらっしゃるので、池田委員に、まずお願いいたします。戒能委員、ほんの短くということでお願いします。では、池田委員、それから戒能委員の順でお願いいたします。 ○池田委員 弁護士の池田でございます。1点質問させてください。民間法制審議会家族法部会の中間試案とされる御提出資料1の2ページについてです。これの第3段落のところで、離婚後共同親権を導入すれば、多くの子が虐待死に至らずに済む可能性が高まるというふうな推測をされています。要するに、同居親がこどもを虐待死させる可能性が低くなるという御趣旨かと思いますが、他方で、養育費の不払いがあって、ひとり親家庭の貧困という問題も先ほど御指摘されておられましたけれども、同居親による虐待死に別居親が養育費の不払いという形で関与しているという可能性もなくはないと思うのですが、その辺りの養育費の不払いとの関連性に着目した検討というのはされておりますでしょうか。また、逆に、別居親がこどもとの面会交流途中に虐待して死亡させるというケースも海外でも日本でも報告されていますけれども、それとの関連においても検討されておりますでしょうか、あるいは今後御検討されますでしょうか。立法事実として挙げておられる重要な事実かと思いますので、お尋ねいたします。 ○北村参考人 まず、御指摘のところでお示ししたのは、同居親による虐待死、あるいは同居親の連れ合い、同居親が付き合っている男性、女性による虐待死などが実際、社会問題になっていますので、これについては、親権喪失して全く子と関わらない親よりは、親権を保持したままで時々あるいはしょっちゅう子と会っている親の方がこれをコントロールできるだろうと、つまり、その犯罪の兆候を見て、これを防ぐ可能性は高まるだろうという趣旨でございます。   養育費の不払い問題は、先ほどもちらっと申し上げましたが、単独親権であることによって悪循環に陥っているなと、こどもに対する接し方を制限され、やがて愛情も少しずつ失われていく親にお金だけ払えという、なかなかむちゃな法制度を日本はとっているわけですが、これが悪循環を引き起こす原因になっているだろうと。もちろん、私も弁護士ですから、親だから払うべきものは払いなさいと常に言っているわけですけれども、しかし、払いやすい状況を作っていくべきだと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   最後に戒能委員、短くお願いいたします。 ○戒能委員 ありがとうございます。戒能と申します。1点だけ御質問です。本日の提出資料の4でポンチ絵のようなものがございますが、5番目の印のところですけれども、DVを父母の一方が主張している場合、婦人相談所という、突然ここに民法以外の法に根拠を持っている機関が登場いたします。それで、子の受渡しを実施というような強い権限をまるで持っているように書いてあります。これはどういう手続を想定されているのか、それから、そういう強制力を行使するような権限を持ったものとして、新たに、根拠法は当然御存じだと思いますけれども、規定し直すのか、そういうことをしたら、婦人相談所の本来の機能について、御存じなのかどうかということもお聞きしたいのですが、機能しなくなるのではないかと、簡単に言えば、相談になんか行かなくなるのではないかということはお考えになったのでしょうか。 ○北村参考人 なかなか難しい御質問ですけれども、子の受渡しを実施する機関として私、婦人相談所の皆さんにヒアリングしたわけではございませんので、そこはそういうことが可能な機関なのではないのかなと理解をしているというところで、御勘弁いただきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。   時間の関係もありまして、北村参考人に十分に御発言いただけなかったところもあろうかと思います。それから、委員幹事の皆様も御質問をたくさん準備されていたように思いますけれども、質問の数等を制限いたしまして、大変失礼いたしました。あとの参考人がお待ちになっておりますので、北村参考人からの御発言と質疑はここで終了ということにさせていただきたいと思います。   北村参考人におかれましては、大変お忙しい中を当部会の調査審議に御協力を頂きまして、誠にありがとうございます。それでは、このウェブ会議を終了いたしまして、次の参考人に入室をしていただきたいと思います。北村参考人、どうも本当にありがとうございました。 ○北村参考人 ありがとうございました。 ○大村部会長 それでは、続きまして、児童精神科医である渡辺久子様から御説明を頂くということで、今から入場していただきます。このあと、まだ参考人の方がたくさんいらっしゃいまして、御発言は15分ずつお願いしておりますけれども、質疑の時間も限られております。今の北村参考人のときと同様、質問されたい方々がたくさんいるということが想定されますので、質問の方は手短にお願いをしたいと思います。   それでは、児童精神科医である渡辺久子様から御説明を頂きたいと思います。渡辺参考人、お待たせを致しまして大変申し訳ございません。よろしくお願い申し上げます。では、お話の方をお願いいたします。 ○渡辺参考人 こんにちは。児童精神科医の渡辺久子でございます。本日は、父母の離婚後の養育の在り方について、法制審議会にお招きいただきまして、大変光栄に思います。私は臨床経験約50年近くの児童精神科医でございますけれども、恐らく今日の私の役割は、父母の離婚後の養育の在り方についてこどもの体験から発言させていただく役割ではないかと思います。   私自身は現在、日本では日本乳幼児精神保健学会の会長をしております。この日本乳幼児精神保健学会は、世界乳幼児精神保健学会の日本支部を兼ねております。そして、私自身は世界乳幼児精神保健学会の理事を務めておりまして、36年前から乳幼児精神保健学の新しい脳科学的な研究成果というものを基に、この新しい時代の、特に古い伝統と、それから急激な工業化社会で変化するこどもの発達環境というものを、日本のこどもに合った形、しかも、日本は東西南北、すごく地形が複雑で、各地域の精神風土も全部異なる中で、それぞれの地域に合った伝統的な育児というものをいかしながら、どうやって新しい時代のこどもたちが健やかに発達してくれるかということを考えてまいりました。   今日の副題は、人格の土台を作る乳幼児期の重要性を踏まえてということですけれども、今、世界中でやはり乳幼児期の大切さがいわれております。日本乳幼児精神保健学会は、変化する時代、特に離婚のことをめぐってこどもたちが大変な苦しみをしている中で、父母の離婚後の養育の在り方についての声明を出しました。これもお手元に資料で届いているかとは思いますけれども、私どもの乳幼児精神保健学会のホームページを御覧いただければ分かると思います。今日はそれに基づきまして、そこでまとめましたことを中心に、短い時間ではございますけれども、乳幼児期の大切さ、乳幼児期からどれほど、父母の関係性が穏やかであること、自然な範囲のいろいろなアップダウンであり、それを超えてのいさかいというものがこどもにいかに有害かということを、少し皆様のヒントになればと思います。   それで、私が今日お話しすることは、これは皆さんが既に御存じのことにすぎないかもしれません。でも、これは特殊なこどもの問題ではなくて、全てのこどもに当てはまる問題です。そういう意味では、こどもに関わる人たちには是非知っていただきたい乳幼児期の基本の基です。普通のこどもも、特殊のこどもも等しく、障害があっても、疾患があっても等しく、父母のいさかいによって大変ショックを受けます。というのは、人間のこどもは、人はいいものだと思って生まれてくるわけです。父母が大好きになるように生まれてくるわけです。その父母がいさかいを起こすということは理解できない、混乱の元になる、そして、とても嫌なものですから、父母のいさかいというものは、どちらがどうではなくて、その関係性をこどもが拒否して心を閉ざし、それだけではありません、ストレスの多い環境の中で脳の発達が阻害され、そして、同時に体と心の発達が見事に阻害されていって、言わば、特に乳幼児期の最初の1,000日、受胎から最初の1,000日間というというものが、これは生後約2歳までの日々が、こどもの心の芯、つまり、生きている限り最後まで、最終的なこどもの一つのよりどころとなっていく、軸となる心の芯の強さというものが作られるのが、最初の受胎から1,000日間だといわれています。私自身の臨床では、胎児期の影響を受けたために、その後、精神障害の兆候が生まれた直後から出てきたこどもたちがいますし、そういった精神障害ではなくて、体の発達そのものが阻害されるこどももいたりしますので、私自身のささやかな臨床経験の中ですらもいろいろなエビデンスがございます。   私どもの学会は、一人一人の赤ちゃんと家族の幸せのためにをスローガンに掲げて、全ての赤ちゃんが人とのやり取りを通じて心身の健康を育めるように、養育者が社会や家族などから健全な支援を受けられるように、未来を担うこどもとその養育者、支援者を応援することを使命としております。   こどもの成長、発達にとって最も重要なのは、安全・安心を与えてくれる養育者との安定した環境から守られることです。残念ながら日本の司法は、乳幼児期からの発達の複雑さと、それから大きな重要性というものに関する認識はまだ不十分ではないかと思うのです。そのために、三つ子の魂百までという言葉などが日本にありながら、直感的に日本人は世界でも育児上手な、そういう民でありながら、胎教という言葉もありながら、そういうものを忘れ去った中で、戦後の高度経済成長のいろいろなひずみが家族を襲い、そして、乳幼児期の土台ができていない場合には、残念ながら児童期、学童期、思春期以降の、成人になったときにいい親になりにくいという、それだけではなくて、生きづらさを持ちながら、いろいろな人生の局面で、やはりつまずきやすいということが起きがちなわけです。そういったことをもう一度、基本の基でございますけれども、おさらいしながら、皆様のお役に立てればと思います。   画面を変えてください。それでは、要旨から入りたいと思います。こどもは離婚により傷付くのではなく、離婚に至る、そして離婚後の父母のいさかいで傷付くということです。これは声明に挙げました問題と同じであって、そして、その声明の中には5点が書かれておりますので、読み上げさせていただきます。離婚後のこどもに必要なことは、こどもが安心で安全な環境で同居親と安心して暮らせることです。第2点は、こどもには明確な主体性と意思があるということです。これは既に胎生14週にこどもが意図した動きと意図しないランダムな動きの違いがもう識別されております。第3点は、面会交流の悪影響です。第4点は、同居親へのサポート。第5点は、離婚後の共同親権には養育の質を損なうリスクがあるという、こういった点でお話ししたいと思います。   次のスライドをお願いいたします。このスライドを基に、少しお話しさせていただきます。こどもは離婚により傷付くのではなく、離婚に至る、そして離婚後の父母のいさかいで傷付くという、これが私のテーク・ホーム・メッセージであり、一番大事なことでございます。父母のいさかいにさらされ続けることほど、こどもの脳と心と体の発達に有害なものはないと。常識で考えましても、信頼できる対人関係の中で人生を送る方と、常にびくびくしながら、いさかいが起きている対人関係の中で生きる方とでは、やはりストレスの状態が違います。そして、昨今の精神障害は胎児期、乳幼児期からのストレスの累積が将来の幅広い多様な行動障害や情緒障害や、統合失調症や内因性鬱などを引き起こす、いろいろな引き金であるということがデータとして出ておりまして、精神障害の亡くなられた方の脳のゲノムを解剖いたしますと、ずたずたにばらばらにストレスによって分解されているという事実が出てきます。つまり、工業化社会のストレスというものが個人、特に敏感な個人にとっては容赦ないものであって、それを生き延びるという中からいろいろな問題が出てくるということです。   少しおさらいになりますけれども、お話をさせていただきます。脳は生気情動、バイタリティーアフェクトという英語でございますけれども、生気情動の中で発達いたします。これは、下の脚注に書かれているように、理屈抜きの安心、安全、生き生き、わくわく、生き物としてゆったりとしているという、この状況ですけれども、これは胎内での母の心拍数を聞きながら羊水の中に24時間包まれ、温かい羊水に柔らかく包まれて、そして、脳の一等最初の芯が発達した時期の、そこからの延長と想像すれば分かりやすいと思います。脳はわくわくしているときはよく発達します。親の感情的対立により家庭内の生気情動は失われます。一家団欒が薄まり、そして消えます。そして、冷たい緊張が支配いたします。   私どもが人類として進化したときに、言葉はまだ獲得されていませんでした。言葉と理屈が現れるのは、人類として進化してからはるかに後です。人間は言葉がなく理屈もない時点で、体の仕草、そして気配、あうんの呼吸でお互いのコミュニケーションを取り合うという、優れた体の身体感覚的な交流というものを発達させました。それが同じ霊長類でもゴリラやチンパンジーと違うことでありまして、これを乳幼児期の間主観性という言葉で、いろいろな意味で1970年からもう既に50年間ぐらい細かく研究されて、共有されております。   近年の脳科学の研究は、面前のDVや虐待を受けた子は脳の海馬や扁桃体や脳梁などの構造がゆがむことが明らかにされています。離婚の段階以前の父母のいさかいにさらされたこどもは、同様に脳の発達のゆがみを受けるわけです。その結果、心の発達のリスクが高まり、人間不信、悲観、絶望や自己否定感に苦しみ、不安定な性格になりやすいと、これはもう広く知られている一般の普通の家庭医学の問題だと思いますけれども、次のスライドをお願いします。次のスライドでは、そのような脳の構造がかなり具体的に市民科学としてもう周知されています。   次のスライドをお願いします。幼少期から父母のいさかいにさらされ続けることは後の精神障害になるということは、日本児童青年期精神医学会も2017年に発表しておりますし、父母のいさかいの世界から離れることが、その後のメンタルな障害を防ぐということも知られております。乳幼児期あるいは児童期の予防と早期介入は、精神病理が生じてからの治療に比べてはるかに経済的であることが判明しています。   離婚に至る父母の争いは、そういう意味で、離れるしかないまで破綻した父母の葛藤であり、離れて一旦、そこに当事者たちがクールダウンする必要がありますね。しかし、離れた後のPTSDなどの後遺症が当事者を苦しめます。特に、将来あるこどもの人格形成をそこで潰すような疲労とストレスを新たに加えてはなりません。別れた後は、まず同居親の心身の回復とこどもの休息を最優先し、愛着を持つ養育者に安心して守られる生活に一刻も早く入れるように、社会が支援すべきです。つまり、離婚後の面会交流は、直後にすることは有害です。臨床的にこどもの混乱、不安、緊張、疲労を招きます。   次のスライドをお願いします。これが有名な世界的なボストンのタイチャーと福井の友田明美さんの、脳の構造が変わるというデータです。   次のスライドをお願いします。ドメスティックバイオレンスや、そういったものによってもはっきり、長時間たってから後に構造としてゆがんでくるわけです。これは、父母の葛藤の胎児期からの発達への悪影響です。つまり、父母葛藤は胎児の発達にも悪影響を及ぼし、出生後の成長も阻害いたします。これは具体例ですけれども、妊婦健診で2週間ごとの胎児の体重が増えない、変だなと思って入院させたら体重がぐっと増えた、退院させたら、また2週間後に体重が増えないというので、2回目の入院になったときに私が呼ばれました。向かって左の下が体重ですね、そして身長です、これは生まれてからですけれども、このお子さんは500グラムで生まれたわけです、普通のこどもの6分の1ですが、胎児期の周産期障害になりますけれども、2回目に入院したお母さんに、何かあるのではないかと言ったときに、お母さんがはっきりおっしゃったことは、おなかのこどもが聞いていますから、夫の悪口は言いませんと言いました。そういう決意でお母さんはこどもを守ろうとしているわけですけれども、もうそれだけで分かるので、それではこどもさんが無事に出産した後、きちんとケアした後は、一旦実家にお帰りくださいと言いました。   実家に帰ったということは父親の意向に反したわけですから、父親は家庭裁判所にこどもの連れ去りを訴えて、妻の虐待を主張しました。離婚と子の親権を求める裁判を起こしたわけです。入院治療経過報告書を私どもは求められて、そのまま提出して、家庭裁判所はそれを読んで、離婚を認めてくれて、母に親権を与えました。その後、父は嫌がる母子をストーキングして、子はおびえ続ける、なかなか体重が増えなかったという事態がありまして、御覧いただければ分かるように、青のところが最低の平均のラインですけれども、こどもさんの体重は少しずつ、離れてからキャッチアップしています。身長も少しずつキャッチアップしています。驚くことは、このストーキングは、お子さんは500グラムで生まれましたから、心臓の穴が空いたままですから、心臓外来に来ましたけれども、お子さんの通院に合わせて父親が病院の外来の廊下の端に現れた途端に、こどもがぎゃーっと泣きました。こどもは胎内で父親の足音、全部すごく敏感に聞いていたと思うしかありません。   次のスライドをお願いします。つまり、おびえ続ける、この子が、ずっと続いたということです。こどもは間主観性という鋭い胎児アンテナを生まれ持っています。自分から相手を観察し、心を開いたり閉じたりいたします。日々、よい記憶も悪い記憶も脳に刻まれていきます。よい記憶が離婚により消えることはありません。離れて住むことにより、子は両親のいさかいがなくなり、まず、ほっとし、親子関係が断絶することはありません。面前で父母のいさかいにさらされたこどもは心を閉ざし、トラウマ体験は身体感覚記憶として全身に刻み込まれて、更にこどもを苦しめていきます。そして、いろいろな心身の障害を引き起こしていきます。そういうことを踏まえて、世界乳幼児精神保健学会は国連のこどもの権利委員会に乳幼児の権利という一つの宣言を出して、今、検討中です。驚くべきことに、言葉のない乳幼児期のトラウマの体験は、体の中に暗黙の記憶として積み重なっていきますので、言葉の出る前に焼き付いたものが、言葉が出るようになっていからこどもが語れるということがあります。これも恐るべき事だと思います。   次のスライドをお願いします。こどもには明確な意思があります。こどもはよりよく生き延びるために、真心込めて自分を守る相手に愛着を向けて、なつきます。愛着は情動応答性といって、脚注にあるように、かわいがり、侵入せずに敵意なく自分を導いてくれる人に向かうわけですけれども、それはこどもの行動系として、なつく、一緒に何かやりたがるという親しみの行動として表れてきます。そして、人間のこどもというのは生まれつき人間性として、人を信頼して心を開き、やり取りをする、それから、思いやりをします、そして困難を一緒に乗り越えようとする、こういう人間の優れた共同、協調のものを脳のセンターの中にきちんと生まれ持っているといわれています。   1980年代の初頭から、片親引離し症候群というものがいわれましたけれども、膨大な研究で、該当例は2%にすぎなかったわけです。こどもは自分の身体感覚記憶に基づいて、理由があって、そして、悪意を持つ侵入的で自己中心的な親を拒否します。子の拒否を、まず拒否せずに受け止めることができると、その拒否が和らぎ、親に対してより広い認識が生まれて、関係性を修復する糸口になりますけれども、拒否を拒否でもって押さえ付けますと、本当に憎しみになっていって、それが焼き付いていって、とても別居親にとっても不幸なことになります。 ○大村部会長 渡辺参考人、すみません、大分時間が過ぎていますので、まとめの方に入っていただけますか。 ○渡辺参考人 はい。次のスライドをお願いします。面会交流の悪影響というのは、こどもが体全身で叫ぶことによって分かります。ここに書いてあるとおりです。それから、繰り返し面会すれば症状は消えるというのは、とても残酷な、拷問のような観点であって、これは現実のデータとは違います。   次のスライドをお願いします。そして、離婚後はしばらくクールダウンが必要です。   次のスライドをお願いします。そして、離婚後面会は子に負担であるということ、これも理解する必要があると思います。   次のスライドをお願いします。そして、子によい養育というのは、安定的な強い愛着のある関係ができた親からいいケアを受けることですけれども、一旦このいさかいから離れて、ほっとすることが大事です。離婚後の最初の1、2年は、まず、みんな当事者がクールダウンすべきではないでしょうか。   次のスライドをお願いします。そして、同居親のサポート、これは当然、一番身近な関係性の影響を受けるのが同居親です。   次のスライドをお願いします。そして、親の葛藤から逃れた子の回復ですけれども、御覧いただけるように、上が身長、下が体重ですけれども、緑の線から離れたとき、この例では別居親は母親になりますけれども、母親から逃れておばあちゃんのところにいたときにこどもの身長がぐんぐん伸び、体重がぐんぐん回復したという例です。   次のスライドをお願いします。離婚は父母の共同関係の破綻であるから、離婚後共同し養育の重要決定をすることは、これは難しいのではないかと、ACE研究や米下院の議決がいっています。   次のスライドをお願いします。これがACE研究です。よく知られています。   次のスライドをお願いします。それから、私どもは専門家として、たくさんの角度から多軸診断を慎重に行いまして、少なくとも90分の診断面接を最低3回は行います。   次のスライドをお願いします。そして、発達性トラウマ障害というのは、関係性の累積が人格を本当に潰していくということです。   次のスライドをお願いします。それから、親の紛争に巻き込まれたこどもの科学的研究に基づいて、アメリカの下院が以下のことを決議しました。つまり、家庭裁判所はまず、こどもの安全と人権を最優先せよと。2008年から10年間の間に635人のこどもが面会で命を落としました、家庭裁判所が面会交流を認めた例においてです。今、欧米が見直しを行っております。   次のスライドをお願いします。というわけで、父母のいさかいに巻き込まれる状況をできるだけ少なくしていくというのが大事なことだということを私は申し上げたいと思います。   以上が私の発表でございます。 ○大村部会長 渡辺参考人、どうもありがとうございました。   それでは、ただいまの渡辺参考人からの御報告の内容につきまして御質問があれば、お願いをしたいと思います。御質問される場合は、まずお名前を言った上で御発言を頂ければと思います。時間が押しておりまして、後の参考人の方もお待ちいただいておりますので、15時30分を目途に終了したいと思っておりますので、まず、皆さん1問ずつ質問していただいて、時間に余裕があるようでしたら2問目を出していただくという形で進めたいと思います。   どなたからでも結構ですので、お願いを致します。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石でございます。今日は渡辺先生、ありがとうございます。ペアレンタル・エイリエネーション、片親疎外についてお話しされてくださっているのですが、実は今の家庭裁判所でも、これをあることを前提に調査官調査が行われたりしているのではないかと思います。例えば、お子さんの意思ですけれども、面会交流で調査官調査が入ったときに、お子さんが会いたくないと言ったときに、これは私たちの調査で出てきた自由記述ですが、何で会いたくないの、お父さんはいい人に見えたよ、悪い人に見えないよ、みたいな誘導質問をして、こどもが会いたくないと言っていることは本当の意思ではなく、お母さんに影響されているのだと見るようなことがとても多く行われているように思います。こういったことについて御見解をお願いいたします。 ○渡辺参考人 私のささやかな臨床経験でも、家庭裁判所の調査官に誘導尋問されたということで、もう信じないと、大人は信じない、社会は信じないと怒り狂った5歳児、6歳児、7歳児を見ております。つまり、こどもは間主観性という相手の意図を見抜く鋭い野生の、人間という優れた生き物だということを、もう一度、原点に戻って学び直さなければいけません。そして、いまだ日本でPASが、古典としてかつての歴史的な産物ではなくて、いまだに通っているということは、これはどうでしょうか、私があえて言うことではありませんけれども、少なくともアジア、アフリカの先進文化国の人たちがひっくり返って驚くと思います。もっと科学的なデータがもうどんどん日ごとに蓄積しておりますので、そんなところでいろいろと私たち日本がごたごたしているということは、私は少し考えられないです。いいですか、これで。 ○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員、まだありましたら、また後でお願いいたします。   落合委員、今津幹事、それから大石委員の順番でお願いします。 ○落合委員 落合です。お話ありがとうございました。私は社会学者として、今日伺ったことで疑問なことがいろいろあるのです。人間のこどもは父母が大好きということですけれども、父母のいさかいが大きな影響を与えるということですけれども、例えばインドのような大家族の中で、父母が突出してこどもを育てないように意識して、しているようなところなどがあります。それから、歴史を遡ると、例えば平安時代に父母が同居していないときに、父母のいさかいが本当に大事だったのでしょうか。どうもやはり近代社会の核家族モデルを前提とした研究であるような印象があるのですけれども、それを非常に一般化されているところが、私は疑問だと思いました。ですから、こどもを取り巻く社会関係というものがもう少し違えば、もっと違ったことがいえるのではないかと思うのですが、その辺りについてはいかがでしょうか。 ○渡辺参考人 先生の御意見に私は完全に賛成です。なぜかというと、日本の現状は今、核家族が中心ですから、どうしても核家族の話を致しますけれども、世界乳幼児精神保健学会は欧米から発して今、アジアの家族を研究しています。アジアの家族というのは人間本来の共同育児ということをずっと行っておりまして、共同育児というものの原点を失ってしまった欧米の産業革命以降のいろいろな問題だけで見ていくのは、人間理解、乳幼児理解には欠けているのだという反省があります。ただ、日本は、特に都会は、やはり核家族化していますし、それだけではありません、やはり小さいときに普通の家族の中で普通に甘えたり、遊んだり、友達同士でつるんだり、こども集団の体験がないという方たちが新しい親世代になっています。ですから、いろいろな点で社会学的に、やはりアジアの、インドの、いろいろな観点もありますけれども、それがそのまま現在の新しい工業化社会に、ヒントになる部分とヒントにならない部分もございますし、それから、各家族それぞれはたくさんの視点の多軸的な観点から、その家族のヒストリーとか、家族自身が語られていないけれども、いろいろな場所を移動したとかですね、ウクライナの問題だけではありませんね、そういったものを全部総合していくという必要があります。つまり、離婚の問題の背景には、本当に信頼関係の中で緻密に見ていかなければいけない深い問題があるので、少なくともこどもを父母の取り合いの対象にしてはいけないという、そこら辺の単純な原点のところに戻らなければいけない、こどもを家族や特定の大人の取り合いの対象にしないという辺りのところで、取りあえず考えなければいけないと思います。いかがでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございました。落合委員、まだ何かありましたら、後の時間でお願いいたします。 ○今津幹事 幹事の今津です。今日は貴重なお話、どうもありがとうございました。私自身は全く専門外ですので、非常に貴重なお話を伺えて、よかったと思います。1点、事前にお送りいただいた資料、映された資料ではない別の資料についてお伺いしたい点があったのですけれども、専門家によるこどもの意思の聴取の必要性というところで、専門家がこどもの意思を把握すると、それを司法の判断に先行させるべきであるという記載がありまして、正にこれは正当な御指摘だと思うのですけれども、その場合の意思確認を担う専門家として、先ほど少し質疑応答の中で調査官という言葉も出てきましたけれども、現状、家裁が持っている調査官という仕組みでは、これは足りないという御指摘なのかなとも受け止めたのですが、例えば精神科医というタイトルを持っている方でないといけないのか、それとも、現状家裁にいるような、ある程度専門の訓練を受けた方であれば、こういう意思の把握はできるのか、その辺り、御感触をお聞かせいただければと思います。 ○渡辺参考人 とてもいい御質問、ありがとうございます。こどもは幼いこどもほど、やはり場がふだんと違いますと心を閉ざします。ですから、今の御質問は、年代がより低いこどもの場合に、私は専門家ですので、お答えすれば、こどもの生活と余りにも掛け離れた場で何かを聴いたり、何かをすることはできません。そういう意味では、例えばフィンランドなどでは、こどもの自然な、保育園ではありませんけれども、こどもが自然に来て遊べる場所の中で信頼関係を作った専門家が、ビデオとか、あるいはずっと四方を一方のガラスで取り巻かれた建物の中でみんなに見てもらいながら、一人の人がこどもと信頼関係を作りながら、こどもが何を表現するかとかそういうことを、まず、基礎にしています。そして、そのデータがそのまま、調査官とか関係なく、大事な資料として扱われるわけです。私はそれはとても必要だと思います。こどもは見知らぬ人や見知らぬ場ではなくて、こどもが親しめる場所で、そしてこどもの気持ちをつかむことができる人との間でどのように表現するかということを見ていく必要があると思います。   そして、日本でもたくさんの児童精神科医の中にはこどもの心をつかむ人がいます。それはこどもが決めるのですね、こどもがその人に何を語るかですね。ですから、それができない人のところに何時間行ってもこどもは本当のことを言いません。なぜかというと、後になって、なぜあなたは心を開かなかったのかと数年後に聞きますと、この人は上辺だけだ、処理だけだ、片付けるためだ、自分の都合のいいためだとはっきりと、言葉で言えるようになったこどもは言います。つまり、こどもは本当に鋭く、自分自身を守るために、両親のこともこの人に言っていいかどうかということも考えながら、必死でひたむきに生きているわけですから、断片だけを取り上げてどうのこうのといえるところまで、私どもは専門家としても力がありませんし、本当に慎重に、一旦決めたことに関して折々、これでよかったのか、これでよかったのかと聞いていく姿勢自体を私たち社会が持つべきだと思います。一回こっきりのことで決め付けるほど、こどもというものは簡単ではありません。お答えになりましたでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは、大石委員、それから池田委員からも手が挙がっていますので、大石委員、池田委員の順番でお願いいたします。武田委員は、その後で。 ○大石委員 ありがとうございます。千葉大学の大石と申します。本日は貴重なお話をありがとうございました。1点お伺いしたいのですけれども、父母の間に目立った葛藤がなかったと仮定しまして、例えば月に半分ずつ、2週間置きに父母の間の家を行き来するような養育をするということについて、先生の御専門の中でどういった御知見があるのか、教えていただければと思います。 ○渡辺参考人 既に大きな葛藤がなく、父母で話し合え、かつこどもも入れてこどもの意見を双方がフラットに聴けるという中では、おのずとこどもにとって一番いい結論が父母の間で生まれてくるはずです。そして、大人の段取りを作った上で、更にそれをこどもに返せば、こどもがこれでいいと言ったら、まず一回、慎重にトライアルすることですね。そして、そのトライアルの前後にどれくらいこどもが緊張するか、こどもの食欲や睡眠がどう変わるか、こどもの表情がどうなるか、そういった集中力とか、全体像を見た上で、やはり父母で話し合って、少しこれは負担だったかなとか、時間が長すぎたかなとか、そういう協議ができるのであれば、そのような慎重さですね、こどものいい状態から外れることを防ぎながらやる慎重なものであれば、それは可能ではないかと思っておりますし、そういうことができている御夫婦もいると思いますけれども、しかし、やはりそれは数多くはないと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   池田委員、武田委員という順番でお願いします。 ○池田委員 弁護士の池田でございます。今日は貴重なお話、どうもありがとうございました。1点、御意見の前提となる臨床ケースのサンプリングという点からお尋ねしたいと思います。誤解があれば本当に申し訳ないのですけれども、臨床ということでは、病院にこどもを連れてくるのはやはり同居親が基本的には多いだろうと思うのです。そうすると、こどもを同居親の視点から見るということはかなり豊富なサンプルがあるものであろうと推測するのですけれども、別居親がこどもを病院に連れて、診てもらうということはなかなかないと思いますが、それはやはりそういう実態なのでしょうか。PAとまではいかなくても、こどもが同居親の顔色をうかがいながら、なかなか別居親との関係について話をしにくいというふうな状況で困っているといったことも、私の実務経験ではあるのですけれども、その辺りについて御見解を頂ければ有り難いです。 ○渡辺参考人 私は約48年間、小児科、そして児童精神科、あるいは障害児療育センターで臨床をしておりますから、かなり幅広く普通の家族、普通の乳児健診に来る親子とか、そういうものを見ておりまして、そして、離婚に至る前の親御さんともよく知っておりますし、別居親とも仲よかったり、別居親の相談に乗ることもあります。ですから、サンプリングというよりも、広く離婚の事態というのはいろいろなことで起きますし、コロナではどんどん起きております。そして、東日本大震災でも私は12年間、毎月通っておりますけれども、生き延びるために別居したり離婚したりするということもあります。ですから、同居親に偏るとかそういうことではなくて、その親が、別居していようと同居していようと、心の中でこどもに対して生まれてよかったと思えているかという問いを日々、投げ掛けられるかどうかが決め手だと思うのです。   現実にこどもさんを、例えば、別居親ですけれども、私学の校門の前で拉致されて、同居親に拉致された形で生きている、そういう方もいらっしゃいますけれども、もちろん別居親というか、こどもを連れ去られた方は落ち込んでいますけれども、その直前までは普通の方だったのです。ですから、何か特殊なものではないということ、そして、かなりいろいろな、ケース・バイ・ケースで多様であるけれども、一つ、こどもが生まれ持っている人間性ですね、思いやり、そして相手と共に生きていることを喜べる、そして困難があっても、例えば慌てずに我慢して時が来るのを工夫して待つといった、そういったこどもが生まれ持っているという人間性の資質をきちんと維持しようとする、そういう大人がいる場合というのは、こどもはまだまだ救われます。そして、その大人がいない場合には、私どもがそういう親の通訳を致します。あなたは心の中でお父さんにもお母さんにも愛されて生まれたのだから、見たことがなくても、会えなくても、でも、心の中のいい思い出は体にあるよという話をきちんとしていきます。   ですから、生物学的な親であるということは、レイプとかそういうこと以外、特殊なこと以外には大丈夫なのだと、そういう励ましをきちんと別居親にしてあげる、そして、別居親が世間的なメンツとか、自分自身の何か傷付きでもって動き回ってしまうことによって、こどもがどれほど父親像が悪くなって、結局は、6歳のこどもはあっという間に16歳になり、26歳になりますから、36歳にも、46歳にもなりますから、そのこどもたちはやはり尊敬できる父親というもの、あるいは母親というものを何とかして社会が支えていかなければいけないと思うのです。ですから、偏りはそれぞれの個々のケースにあったとしても、よく話し込んで、芯の芯のところでこどもの幸せを祈ることができる、そういう父、母であれば、目の前にいようと離れていようと、それは私は余り変わらないと思います。   つまり、私どもが親の親性をどうやって離婚直後に疲弊している父母に対して守れるかという、この社会力ですよね、社会の人間関係力を何とかしてやっていかなければいけない。それにはもう、世界は多様性であり、離婚していようと同居していようと、そんなのは関係ないときに、日本はまだ離婚とか何とかで、何か知らないけれども、狭い世間のちまちましたところで真面目な個人たちが苦しむわけです。そういうものからもう離婚した両親とも解放してあげたい、こどもたちも解放してあげたい、一休みしろと言ってあげたい。そして、過去は過去で後で整理すればいいから、ともかく自分の本来の一番いい姿に戻ってほしいということを言い切れるかどうかなのです。私はそういうやり方でやってきて、やはり単位としては5年、10年、15年、20年掛かりますけれども、ずっとやり続ければ必ずいい成果になっておりますから、私は本当に、それは本人の主体性、本人の成熟。 ○大村部会長 まだ質問の方がいらっしゃいますので、この質問についてはその辺りまでということでお願いいたします。 ○武田委員 親子ネット、武田でございます。貴重なお話ありがとうございました。今日のお話を聞きまして、父母のいさかいでこどもが傷付く、それは本当におっしゃるとおりかと思います。今日の御意見の中で、まずはこどもの気持ちと生活の立て直しを離婚後には優先すべきということ、併せて、離婚直後の面会交流というのは有害であるという御意見が書いてあったかと思います。一方、別のページでは別居親との面会はこどもに良いものと悪いものがあるという表現があって、子どもが拒否する面会はよくないという記載がございました。その相関関係が今一つ分からなくて、要はこどもが拒否しない場合、いわゆる先生がおっしゃるこどもに良い面会交流の場合、こういった場合でも離婚直後は控えた方がよくて、2年かどうか分かりませんけれども、離婚から面会交流を実施するまで間に、例えばお医者さんかカウンセラーなのか、誰か分かりませんけれども、こういうサポートがあれば円満にこどもに負担なく面会交流もできると、そのようなことを補足を頂けるのであれば、有り難いと思います。 ○渡辺参考人 御指摘ありがとうございます。親子関係において、仮にこどもが言葉がなくても、これからお母さんがいなくなる、お父さんがいなくなる、そして帰ってくるとか、そういった自分の在不在に関しては、どの親も、普通の親、あるいは別居とか面会の親も、全ては言うべきだと思います。というのは、こどもは気配で分かる。そして、例えば、これからお父さんはしばらく消える、なぜかというとお父さんとお母さんは一緒にいるとけんかになるから、お父さんはけんかが嫌だ、けんかしない自分になれたら戻ってくるということを言って、こどもが離れている場合に、例えばZoomとか電話とかそういう形で、お父さんの声が聞きたい、顔が見たいというときにつながるというのは、そのコンテクスト、脈絡がこどもにきちんと伝わっている、丁寧なこどもを思いやる、その流れがあるときには、私はいいと思います。そして、こどもが本当にお父さんが大好きであった、会いたいのだったら、お母さんがそれを受け止められるだけのサポートを、必ずしも全員ではありませんけれども、してあげればいいと思います。   そして、そのときに大事なのは、こどもはもう生後7か月ぐらいからプライドもありますし、それから対人関係もきちんと判断いたしますから、そのときに自分が父親になつくことがお母さんを傷付けるのではないかとか、そういう気持ちが湧くことは、こどもにとってすごい不安になります。こどもは邪悪な気持ちが、自分の大好きな、自分の大事な父母に向くことは、こどもの4大不安の一つといわれています。ですから、親同士が精一杯こどものために、そういう気持ちを引き起こさないというだけの力を持った成熟度を鍛えていくということがある場合には、私はあり得ると思うのです。そして、やはり社会的に離婚とかそういったものがかなり定着している社会では、やはり私たちよりも進んでいて、きちんと説明して、そしてこどもにもきちんとセラピストが付いて、親もきちんとこどもに説明するようにという指導もありますし、そういうきめの細かいこどものセーフティーネットがある場所では、こどものいい面会も可能だと私は思っております。   それから、これから日本も欧米に近くなって、離婚は増えると思いますから、必ずこどもに説明して、あなたは悪くないのだと、あなたが嫌いだからいなくなるのではないと、あなたと会っても会わなくてもあなたに対する気持ちは変わらないということを言い切れる親にしていくという、そういったプログラムが必要だと思うのです。そういう意味で、何かお返事になりましたでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございます。   時間なのですけれども、水野委員から手が挙がっていますので、短い御質問を頂き、短いお答えを頂いて、終了ということにさせていただきます。 ○水野委員 短く伺います。先生が言われた、専門家によるこどもの意思の確認の必要性、とても説得力がありました。ありがとうございます。児童の権利条約がこどもの意見表明権を規定しておりますが、私が読みましたフランスやアメリカの分析では、両親のどちらがいいかということを決してこどもに聞いてはならない、それを聞くこと自体がこどもに対する加害行為であるという実務の判断があるようです。その点について御意見を伺わせてください。 ○渡辺参考人 それはもう本質の基本の基ですよね。こどもは、お母さんの瞳の奥にお父さんがにっこり笑っているときに、生まれてよかったと思うわけです。こどもは、お父さんの瞳の奥にお母さんがにっこり笑っているときに、生まれてよかったと思うわけです。つまり、父母の関係性というものを大人がこどもに問う、どちらが好きかというのは侵入以外にないです。人間に対する非常に無神経な、そういうものであります。つまり、こどもは私どもが気配でいらいらして夫に何かを持って一物あるときには見抜きます。そして、ふっと心を閉ざします。それはゼロ、1、2、3歳から、敏感なこどもほど見事にやりますし、それを覚えていて、大きくなってから語ることもあります。お答えになりましたでしょうか。 ○大村部会長 ありがとうございました。   原田委員と小粥委員、短くお願いいたします。すみません、渡辺参考人もお答えの方を一言だけでお願いいたします。 ○原田委員 先生の御専門は乳幼児ということですけれども、これは何歳ぐらいまでのことで、今度書かれている面会交流についてのいろいろな今日おっしゃったことは、青少年期ぐらいまでも妥当すると考えていいのでしょうか。 ○渡辺参考人 ありがとうございます。乳幼児期の記憶は、私たちが生きている限り続きます。私の患者は今、72歳で、乳幼児期にされた身体感覚、記憶を語っております。乳幼児期はずっと私たちが生きている限り、心の芯として、脳の中で消えることなく続きます。それをどうやって自分なりに抱えて生きていくかという課題が全ての人々にあると思います。 ○大村部会長 乳幼児期について妥当することは、大体どのくらいの年齢まで妥当するかという御質問ですね。 ○原田委員 そうです。つまり、青少年期に離婚したこどもたちにも妥当する話でよいかということです。 ○渡辺参考人 もちろんです。全てのこどもの心の中に乳幼児期があります。 ○大村部会長 分かりました。ありがとうございます。   小粥委員、どうぞ。 ○小粥委員 同じ質問ですので、結構でございます。 ○大村部会長 分かりました。せかして大変恐縮ですけれども、他の参考人の方々も時間が過ぎて、大分外でお待ちいただいておりますので、これで終わらせていただきたいと思います。   渡辺参考人におかれましては本日は、大変お忙しい中、当部会の審議調査のために御協力を頂きまして、誠にありがとうございました。それでは、渡辺参考人に対する質疑はこれで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。 ○渡辺参考人 どうもありがとうございました。 ○大村部会長 参考人の入れ替わりと併せまして、ここで10分間休憩させていただきます。刻んで申し訳ないのですけれども、今、私のPCで15時32分ですので、15時42分から再開ということにさせていただきます。           (休     憩) ○大村部会長 それでは、参考人のヒアリングを再開させていただきたいと思います。   これから3人の方に引き続きお話を伺いたいと思っております。まず、最初の参考人の方、議事録ではI.K.様という形で記載をさせていただきたいと思っております。   それでは、I.K.参考人、どうぞよろしくお願いいたします。 ○I.K.参考人 お願いします。皆様、はじめまして。I.K.と申します。私は現在19歳で、母と兄と弟の4人家族で暮らしています。本日は、両親の離婚を経験したこどもの立場から、今回の共同親権について思うことを述べさせていただきたいと思います。私は今回、共同親権という案が出てきて、そこに賛成する人々の意見を聞き、私が思うに、様々なケースや立場があるのだということを皆様に伝えたいと思い、今日この場に立っています。どうぞよろしくお願いします。   まず始めに、私の家庭は父が母に対して小さい頃から暴言や暴力を振るう家庭でした。父は一度怒り出すと抑えが利かなくなり、エスカレートしてしまう人でした。母が夕飯の支度をしているときなどでも、怒り出すと歯止めが利かなく、何時間でもどなり続け、夕飯を遅くまで用意できない、用意した夕飯を床にぶちまけたりすることがあったので、しっかりとした夕飯を食べさせてもらえないようなこともしばしばありました。また、物に当たる癖もあったので、姿見などの家具を壊すこともよくありました。   特に私の中で印象的だった出来事は、私が小学生のときに学校で熱を出し、両親に車で迎えに来てもらったときに、家に帰る途中の車の中で突然、母の言った些細な言葉に怒り出し、助手席に座っていた母を僕の目の前で殴ったときは、熱なんか出しても、言わずに黙っていればよかったなととても後悔したことを覚えています。こどもの頃の私は、そんな環境がとてもつらかったですが、年齢も体もまだ幼く、小さい私としては、ただその状況から目をそらしたり、受け入れ、黙っていることしかできませんでした。父と暮らしていたときから、離婚後約1年ほどたっても、私は早朝、父親のどなり声がして幻聴が聞こえ、しっかりと眠れない日々が多く、朝起きられず、学校に遅れるということがよくありました。   そういった環境の中で私の支えになっていたのが、小学校のスクールカウンセラーの先生などの大人の存在でした。常にカウンセラーの先生に気に掛けてもらえたことが、私としては大きな支えになっていたと思います。複雑な環境の中で生活をしているこどもたちに寄り添うような人や環境、場所があることは、本当に大切だと思いました。   その後、私が小学6年生の7年前、父は母が通報した警察の方々に逮捕され、その後、接近禁止命令などを受け、離婚することができました。私が今回、共同親権という制度の話を聞いて感じたことは、もし私の母が離婚するときにこの制度があったとしたら、私自身の居住地や進学先を決めるときなどに毎度大きなトラブルやいざこざが生まれ、とても大変なことになっていたと思います。こどもは両親と関わりながら成長することがこどもにとっての幸せだという意見があるかもしれませんが、その意見は私が思うに、親の自己満足であり、必ずしもこどもにとっていい形だとは私は思いません。本当にそう望むこどもは、大人が思っているよりも少ないのではないかなと私個人としては思っています。まだ幼く、物事の判断ができないこどもからしてみれば、急に片方の親と暮らせなくなったり会えなくなったりすることは悲しくつらいように思うかもしれませんが、数年たって考えてみれば、その形が本当に不幸だったと感じる人はそこまで多くないのではないかなと私は思っています。実際に私はそうです。   こどもは何よりも、両親と暮らせることや不仲な両親と関わり合いながら成長するよりも、そばにいてくれる親が明るく幸せに暮らしている状態でいてくれることの方が重要だと思います。実際に私の家庭では、離婚前の圧迫感や緊張感のあった家庭、こどもそれぞれ精神的に不安定になったりストレスを感じていた日々と比べ、離婚後は驚くほどに家庭全体の雰囲気や、母親に笑顔が増えました。精神的に余裕が出て明るくなったように見られて、当時両親が離婚して、とてもよかったなと思いました。   また、親権を失った親の立場としては本当につらいと思いますが、こどもは離れることになってしまった親とも、生活が落ち着けば、会ってみようという意思が芽生えることもあると思います。もし強制的に面会を強要されることになっていたとしたら、その気持ちは生まれなかったのではないかなと思います。実際に私の兄弟も父に定期的に会っています。実際、私は別れた父に対して、15歳のときに、父に会ってみたいと思い、自主的に父に連絡を取り、それからは定期的に食事をしたり、メールなどでやり取りをしています。本当にこどもの立場を一番に考えたいのであれば、離婚してもなお、共同親権があるがためにこどもの進学先や居住地などで両親がもめることが、こどもにとっての一番のストレスだと思います。   また、養育費の振込問題などで、共同親権にした方が親としての自覚が生まれ、しっかりと養育費を払ってもらえるのではないかなどという意見があるかもしれませんが、親権があるないにかかわらず、こどもが成長するまではしっかりと援助をし、成長を援助するのは親としての義務だと思います。共同親権あるなしにかかわらず、養育費に関しては払う義務を促すような制度が現状、十分ではないことが問題だと思います。   離婚をしなければならないような家庭環境になってしまっている時点で、こどもと親との関わり方に正解はないと思います。こどもがいるのにもかかわらず離婚をしなければいけなくなってしまった時点で、こどもにとって一番幸せな環境は崩れてしまっています。両親と関わった方がいいという意見は親の自己満足であり、必ずしもこどもにとっていい形だとは私は思いません。共同親権を可決することは、こどもの環境によっては不幸を生むということもしっかりと理解をした上で、どうか今一度慎重に判断をしてもらいたいです。   御清聴ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、今のI.K.参考人のお話につきまして、皆さんの方から御質問があれば、お願いをしたいと思います。御質問される方は、今までと同じように、まずお名前をおっしゃった上で、それから御質問をしていただきたいと思います。これも先ほどと同じですけれども、時間が限られております。20分ぐらいを考えておりますので、お一人1問ということで、もし時間が余ったら、2問目に入っていただくということで進めさせていただきたいと思います。   では、どなたからでも結構ですので、御発言があれば頂きたいと思います。 ○小粥委員 委員をしている小粥と申します。一つお尋ねをさせてください。少し立ち入ったことになってしまうので、お答えしにくいようでしたらお答えいただかなくても構いません。それは、御家庭で離婚される前と後との経済状況の違いというものがどうだったかということについて、つまり、なぜそれを伺うかというと、どういう背景でそういう意見をお持ちになったのかなということが知りたいからということなのですけれども、離婚前の経済状況と離婚後の経済状況に違いがあるか、ないかとか、どういう状況でそういうことになっているのかと、差し支えない範囲でお答えいただくことが可能であれば、お願いいたします。 ○I.K.参考人 そうですね、経済状況に関しては、父が元々そこまで働かない人だったので、父が稼ぐというよりは、母が正社員として、母を軸にして収入源があったと思うので、そうですね、離婚後の方が、何なら余裕はあったかもしれません。 ○小粥委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、ほかの方、何かありましたら。 ○佐野幹事 幹事の佐野と申します。本日はお話ありがとうございました。15歳でお父さんに会いに行かれたということなのですけれども、その連絡先などはお母さんが教えてくださったのでしょうか。もう一つ、お母さんの反応がどうだったかというのを教えていただけますでしょうか。 ○I.K.参考人 連絡先に関しましては、離婚前、小学生ぐらいのときから、父の連絡先はSMSだったりLINEだったりで自分で持っていたので、自主的に連絡をすることができました。また、母の反応に関しましては、そうですね、多少抵抗はあったかもしれないのですが、そこは自主性に任せるということで、特に止められたりすることはなかったです。 ○佐野幹事 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○原田委員 今日はどうもありがとうございます。スクールカウンセラーの支えがあったということですけれども、スクールカウンセラーの方はどういう形でI.K.さんの状況を知られたのかとか、どういう支えが一番本当の支えになったと思われるか、そういう辺りはいかがでしょうか。 ○I.K.参考人 僕自身の家庭の事情を知ったのは、僕が小学生の頃、結構荒れていまして、よく授業中などにスクールカウンセラーの教室に行って、カウンセラーの先生と会話をすることがとても多かったのです。そのときに、何でそれほど荒れてしまっているのだといろいろ聞かれたときに、自分で自主的に、家がこういう環境で、今こういう気持ちなのだということを自主的に話しまして、知ってもらいました。そうしたら、カウンセラーの先生はとても真摯に向き合ってくれて、毎日気に掛けてくれて、それがすごく僕自身にも伝わって、そういう気に掛けてくれる大人というのが学校に一人でも多くいるだけで、気持ちの支えにはなっていたと思います。 ○原田委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。今日はI.K.さん、ありがとうございます。面会交流とかを強制的にされたら、やはりすごく会いたいという気持ちは生まれなかったと思うとおっしゃっていたのですけれども、もし両親が別れてすぐに月に1回とか月に2回とか面会しなさいと言われたら、どうだったろうと思ったことはありますか。 ○I.K.参考人 そうですね、やはり僕自身は父に対して、父のことを嫌いだったり、そういう感情は正直余りないですけれども、やはり家庭の状況だったり、定期的に常に会わないといけないというと、やはり別れてすぐは多分、緊張だったり混乱、状況の整理だったり、そういうので混乱がまず起こるかなと思いますし、その後もやはり父親に会いたい、両親に会いたいというのは、強制されるとやはり会いたいとは思わないなという、自主的にそういうふうに思うからこそ意味があって、自主的に思ったからこそ今後も、今もある程度良好な関係で関わっていけているのかなと私は思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○武田委員 親子ネット、武田です。I.K.さん、今日は頑張って話してくれて、本当にありがとうございます。少し教えていただきたいのが、お父さんからお母さんに対する暴力、幾つかエピソードがありましたが、やはりずっとそういう光景を見なければいけなかったという事実があったのかどうかということと、中学校、15歳のとき、お父さんにそれでも会いに行こうと思った、何か心の変化が多分あったと思うのですね。その辺りを可能な範囲で説明していただけるとうれしいです。 ○I.K.参考人 そうですね、父が母に対して暴力を振るったり暴言を言うことは、小さい頃から常にありました。そのたびに、それはやはりこどもで小さくて何もできない立場なので、目をつむったり、外に出掛けたり、違う部屋に行って、なるべくそれから、聞かないようにしたり、その光景を見ないようにするというふうに、結構避けるようにして生活していました。   15歳のときに私自身が自主的にそういうふうに父に会いに行きたいなと、会ってみたいなと思った理由は、そうですね、だんだんと成長して、いろいろ考えていく中で、自分の父親ってどういう人なのだろうという、小さい頃はどういう人なのだろうということすら考えたことはなかったけれども、中学生ぐらいになっていろいろ考え始めたときに、自分の父親って一体どういう人なのだろうという、暴力だったり、そういう悪い反面ばかりが思い出になっているけれども、そういうほかの部分はどういう人間なのだろうという興味が出てきて、会ってみようと思いました。 ○武田委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○今津幹事 幹事の今津です。今日は非常に貴重なお話、ありがとうございます。お話を最初に伺っていたときには、こんなひどい父親にもう会いたくないという方向でのお話なのかなと伺っていたら、今現在、交流があるということで、少し驚いています。先ほどのお話の中で、お母様がお父さんに会うことについて積極的に勧めるということではないにせよ、阻止はしなかったということなのですけれども、すごく人格者でいらっしゃるなと思って伺っていたのですけれども、世の中には多分、お父さんに絶対に会わせたくないと思われている方も、特にDVの事案なんかは、多いと思うのですけれども、仮にお母様が反対をされて、かつ御自身が多分、もう少し幼かったとしたら、直接連絡を取る手段をなかなか持っていないお子さんもいると思うのですけれども、その場合に、共同親権という言い方だと少し強すぎるのですが、例えば、離れているお父さんとお子さんが何か接触するような手段ですね、それを法的に何か整備しておいた方がいいというお考えなのか、それとも、お母様が反対するのであれば特段、そういった手段はなくてもしようがないと、会えなくてもやむを得ないというお考えなのか、その辺りをどういうふうにお考えなのか、お聞かせいただければと思います。 ○I.K.参考人 そうですね、僕としては、僕よりも、15歳よりも更に幼かったり、そういう連絡手段を持っていないこどもで連絡取れないというのは、もうしようがないかなと私は思います。やはり身近に一緒に暮らしている、母か父か分からないですけれども、一緒に暮らしている親が、もう片方には会ってほしくないという意見を持っているのであれば、もうそれは一緒に暮らしている身としてはやはり、僕の場合は、もし母がそういうふうに言ったのであれば、母の意見を尊重して、それを受け入れると思います。そこに対して余り抵抗する気持ちとかはないと思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ほかにいかがでしょうか。 ○大石委員 千葉大学の大石と申します。オンラインで失礼します。今日はありがとうございます。先ほど御説明いただいたことに少し重なりますが、経済的な面の話で、お母様の方にかなり経済力というか、生活はお母様の収入によってかなり成り立っているということでしたけれども、お父様の方からの養育費とか、あるいは何らかの経済的な受渡しといったものについては、どのような経過があり、また、それについてどのようにお考えか、伺えれば幸いです。 ○I.K.参考人 すみません、もう一度いいですか、少し分かりにくかった。 ○大石委員 I.K.さんの場合は、御家庭では養育費の支払いというものがあったのかどうか、あるいは養育費でなければ何らかの、進学資金の受渡しとか、そういったものがあったのかどうか、また、その金銭的なやり取りについてI.K.さんがどのように感じていらっしゃるかについてお話しいただければと思いまして、差し支えない範囲でお願いいたします。 ○I.K.参考人 そうですね、養育費に関しては、最初は、1年、2年は全く払っていなかったと思います。ですが、母が頑固にというか、粘り強く連絡を取ったり、それでも父が答えない場合は、父の勤め先だったりに連絡をして何度も粘り強く言ったお陰で払うようになって、今も払っています。資金の受渡しというのは。 ○大村部会長 お父様がお金を渡されているということについて、どのようにお感じになっているかという御趣旨でしたね、大石委員。 ○大石委員 はい、そうです。 ○I.K.参考人 そうですね、それはやはり払って当然というふうに、いい言い方かは分からないですけれども、そういうふうに感じています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○大石委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ほかに御質問はございませんでしょうか。   それでは、多少予定していた時間に余裕がありますので、2問目をどうしてもという方がいらしたら、御発言いただければと思いますけれども、何かありましたら、どうぞ。 ○赤石委員 ありがとうございます。2問目でごめんなさい。I.K.さんに前にお話を聞いたときに、兄弟でも少しずつ考えが違うという話をされていたかと思うのですけれども、差し障りのない範囲で教えてもらってもいいですか。 ○I.K.参考人 そうですね、兄弟、僕は兄と弟がいまして、僕と弟は定期的に連絡を取ったり、食事に行ったりだったり、そういうふうに交流はありますけれども、長男に関しましては、もう長男が連絡だったり面会はしたくないと言っていまして、多分一度も連絡だったりはしていないと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほか、よろしいですか。何かありますか。御発言があれば伺いますが。   それでは、これでI.K.参考人のヒアリングと質疑応答を終えさせていただきます。I.K.参考人におかれましては大変お忙しい中を今日、お越しいただきまして、私どもの調査審議に御協力を頂きまして、誠にありがとうございました。それからまた、個人的な御事情に関する御質問につきましてお答えを頂きまして、大変感謝をしております。本当にありがとうございます。   それでは、ここでI.K.参考人には御退室を頂きまして、次の参考人に入室をしていただきたいと思います。ありがとうございました。 ○I.K.参考人 ありがとうございました。 ○大村部会長 それでは、参考人のヒアリングを続けさせていただきたいと思います。続きまして、参考人、記録上はT.S.様というイニシャルを用いさせていただきたいと思います。   それでは、T.S.参考人、どうぞよろしくお願いいたします。お話の方をお願いいたします。 ○T.S.参考人 長野から来ましたT.S.と申します。現在23歳です。本日は両親の離婚を経験したこどもの立場ということでお話しさせていただきます。よろしくお願いします。また、この機会を頂きましてありがとうございます。本日は私の体験から、こどもは親の所有物かというテーマでお話しさせていただきます。   現在、私は長野県で父と義理の母、3人で暮らしております。実の母は今現在、東京都内で、兄が1人いまして、その兄は独り暮らしをしています。私は5歳のときに母より家族で暮らしていた長野県から東京に連れ去られました。当時は、父が仕事で家にいないときに強引に連れ去りという形で東京まで連れていかれてしまって、私は母からは、話は聞かされたのかもしれないですけれども、当時5歳だったので、よく理解もできないまま、強引に連れ去られるという形で東京まで行きました。母と父の間で話合いがあったのかという点に関してなのですけれども、そういうのは特になかったということで父から後々聞きました。すごく突然のことだったので、私は仲のよかった友達とかに別れを言う暇もありませんでしたし、連れ去られた先の東京でも友達がいないという状況で、すごく寂しかったです。また、託児施設、保育園とかを転々としていたこともあったりして、友達がすぐできるということもなくて、すごく寂しかった思いがあります。   その後、父と母が離婚することになって、当時、自分はこどもだったのでよく理解できなかったのですけれども、母が親権者になったと聞きました。結果的に父は私に何ら悪いことはしていなかったのですけれども、親権がなくなるという形で、私は当時、母には、家族全員でまた暮らせるようになったらうれしいなという話はしていたのですけれども、そういう話をすると母は急に機嫌が悪くなって、どんなに機嫌がいいときでも急に豹変してしまって、すごく怖かった覚えがあります。そういうのが続いてくると、だんだん自分の中でも、またお父さんとかお兄ちゃん、みんな4人で住めたらいいなというような話とかも全然できなくなっていって、だんだん自分を押し殺すようになって、自分の本当の気持ちというのは伝えられなくなってしまって、すごく寂しかったですね、苦しかったですし、ということがあります。   その後、裁判所関係なのですけれども、その後、裁判所は自分が父に会う機会というのを制限するというか、年に1、2回程度というような形で決めたという話を聞いています。その1、2回というのが決まっていたのですけれども、長期休暇で主に会うことが多かったのですが、その際、直前になると母が何かしら理由を付けて、会いに行けないような流れを作るというのがあって、自分としてはすごく、ほかの用事が入ったとしても、そこは決められた、お父さんに会えるときだから、会いたいという気持ちは大きかったのですけれども、やはり母は会わせたくなかったのだと思います。そのたびになると、何かしらよく分からない予定が入ってしまって、会えなくなったりというようなことも少しありました。また、面会に行けた後に、母の下へ戻ったときにも、長野に行って帰ってくると○○は別人になってしまうとか、よく分からないことを言われて、自分は普通に父に会って帰ってきただけなのに、まるで父のところに会いに行くのが最悪なことだみたいな、そういうことを毎回言われてしまって、余計に父と会いたいということは言いにくくなってしまっていきました。   その点に関して対照的に、父の場合は母の話をするのは、お母さんとこういうことをしているよみたいな話をしても、別に機嫌を損ねたりとか豹変するということはなくて、普通に自分の話を聞いてくれていて、父の前では、本当はみんな4人で暮らせたらうれしいなという話をよくしていましたし、だんだん親権ということが分かってきて、どちらか選ばなければいけないとなったときには、お母さんはお父さんの話をするとすごく怖くなってしまうから、お父さんの方が一緒にいて言いやすいかもしれない、みたいなことをだんだん話していた覚えはあります。そんな二人の態度の違いとかを見ていて、自分が本当にどちらの下で暮らしたいのかなということを考えたときに、お父さんと暮らしたいなという気持ちは自然と強くなっていったように思います。   11歳になった頃なのですけれども、私は母の下から逃げ出すというような形で、こっそりためていた小遣いを使って東京から長野行きの電車に乗って、長野駅に着いたときに父に公衆電話から電話をして、迎えに来てくれないかということをしました。当時、父にも連絡していなかったので、公衆電話から電話が来たという時点ですごく父はびっくりしていたのですけれども、ひとまず保護しなければいけないということで、そのときは迎えに来てくれました。母の下から逃げ出したというのは、先ほど話していたように、お母さんよりお父さんといた方がいいなというのが、両親のお互いに対する対応の違いとかもあったのですけれども、11歳の頃、虫歯とかもあったりしたのですけれども、歯医者に行きたいという話をしても全然行かせてもらえなかったり、サイズの合わない服ばかりが家にあって、今でいうネグレクトですかね、そんなような予兆があったりして、ある一種の助けを求めるような気持ちで、お父さんのところに行くという決心をしました。   もちろんその後すぐに、私のことを母の下で戻すように連絡があったそうなのですけれども、自分は父には東京、お母さんの下には戻りたくないという話はしていたので、そこの気持ちを酌み取ってくれて、父はいろいろ言われたみたいなのですけれども、無理に戻すということには同意しませんでした。母は監護権をめぐって、私が東京に戻るように裁判所に申し立てたのですけれども、やはり私が東京に戻りたくないというのとか、お父さんと暮らしたいという、そういう話をしていたので、父はそれに対してやはり従わなかったのですけれども、また裁判所の方は、自分が母の方に戻るようにということをただ言い続けるだけで、最初の方は何も意見は聴いてくれませんでした。そうすると、少し自分は親の所有物のような感じがありましたね。   権利の話もあるのですけれども、自分が11歳のときに東京から長野に行ったということで、当時、小学生なわけで、学校には行かなければいけないのですけれども、長野県の小学校の方、一応通うことはできたのですが、成績表や教科書等、そういう勉強するのに使うものが一切与えられなくて、体験入学というような扱いでした。やはり小学生のときに周りと違う状況というのは、周りからも好奇の目で見られたりして、何でお前だけ違うのみたいな、そういうことがあって、行った場所の小学校の人たちがすごくいい人で、仲よくはしてくれたのですけれども、やはり周りと自分が違うなというので、疎外感とかはよく感じていました。   やはり役所からは、母の下に戻れということは、戻せというのが父に言われて、戻らなければいけないのかなということで、自分の中ではすごく不安があったりして、父の下に親権が移るまでというのはすごく不安な期間で、登下校の間も、もしかしたらよく知らない役所の人が自分のことを東京に連れていってしまうのではないかというようなことで、今考えればそんなことはないのかもしれないのですけれども、すごくびくびくしていて、長野で行った先の小学校にも母の知り合いとかはいたので、実際そんなことはないとは思うのですけれども、その人たちが自分のことを連れていってしまうのではないかみたいな、そういうことも少し考えたりして、小学校でも親が参加するような行事というのは少し怖かったりしました。そんなようなことがあります。   親権者が父に移った後の話なのですけれども、その後はほかのみんなと同じように生活はできたりして、そのときにやっと安心して、自分はここで暮らしていいのだなということを思えて、余計な不安というのが取り除かれたかなと思っています。今思い返しても、親権が父の下に移るまでというのはすごく苦しい期間でした。   まとめのような形にはなるのですけれども、親権がどうのこうので自分が不安に思っていた期間ということを思い返すと、日本はこどもの権利というのがないのかなみたいな、それは少し極端に言いすぎかもしれないのですけれども、こどもが自分の生活する場所を決められない、親が決めるというのは、それはこどものことを尊重していないのかなと少し僕は思ったりしていて、当時僕はすごく自分の気持ちを押し殺しながら東京では生活しているという面はやはりあって、自分の本当の気持ちを伝えられる人がいなかったし、受け入れてくれる人もいなかったので、そういう意味で、私の気持ちをもっと当時、聴いてほしかったなと、選択する権利というのがあればよかったのかなと思っています。   今お話しした話の体験から、2018年のときなのですけれども、同じように苦しむこどもたちの気持ちを届けたいということで、ジュネーブの方に行かせていただいて、自分の体験を国連の子どもの権利委員会の方でプレゼンさせていただきました。当時はCRCのフクダ先生や、またその関係の皆さんに英語の練習等も付き合っていただいて、スピーチ等をしてきたのですけれども、当時話を聞いてくれた外国人の皆さんは、すごく親身になって話を聞いてくれて、中には、話を聞いてくれた人の中の一人は、親族で僕と同じような経験をしている人がいるということで、すごく共感してくれて、それは本当に報告できてよかったなと思っています。また、その後なのですけれども、日本に対して勧告を出してくれたということで聞いています。今日のこのお話の機会というのも、その勧告を受けて開いていただけているということで、すごくうれしいなとは思います。それで、苦しむ子が、苦しむというか、すごく寂しい思いをする人が減ってくれればうれしいなとは思うのですけれども。   最後になるのですけれども、僕からのお願いみたいな形なのですが、今後は親によるこどもの一方的な連れ去りというのをなくしてほしいと思いますし、無理やり、友達とかにもやはり会えなくなってしまうので、自分が会いたいときにお父さん、お母さんに会えるというのがあればうれしいなとは思うので、こどもが選択できるという、こどもの権利が保護されるということと、それを通して、こどもが両親の愛情とかを受けながら生活できれば、日本もまた一歩、不幸な人が減るのかなと思いますので、法律を整えるということの方を是非お願いいたします。   すみません、拙い内容ではあったのですけれども、以上とさせていただきます。聞いていただいてありがとうございました。 ○大村部会長 T.S.参考人、どうもありがとうございました。   それでは、ただいまのT.S.参考人からのお話につきまして御質問があれば、お願いを致します。なお、御質問がある場合には、これまでと同様、まずお名前をおっしゃった上で御発言をお願いしたいと思います。20分程度を予定しておりますけれども、前の方と同じように、まず1問だけ質問していただきまして、時間に余裕があるようであれば2問目を出していただくということにしたいと思います。   それでは、どなたからでも結構ですので、お願いを致します。 ○原田委員 今日はどうもありがとうございました。先ほど、親によるこどもの一方的な連れ去りはなくしてほしいというお話でしたけれども、一番の主眼は、こどもの意思を尊重してほしいということをおっしゃっていたのかなと思うのですけれども、いろいろなケースがあって、お母さんなりお父さんなりが、出ていくけれども付いてくるかと聞かれて、付いていくお子さんもいるし、嫌だという人もいるし、きちんと状況をこどもさんに説明して、こどもさんの意思を尊重してほしいというのが一番の主眼なのかなと思ったのですけれども、それでいいですか。 ○T.S.参考人 そうですね、こどもの意見を尊重してほしいという点ではそのとおりなのかなと思うのですけれども、こどもの意思が出るところって別に最初の1回だけではないと思うので、会いたいときに父に会える、母に会えるという状況が望ましいのかなとは思っています。 ○原田委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○青竹幹事 T.S.さん、今日お話しいただいてありがとうございました。大変参考になりました。   質問なのですけれども、お母様がT.S.さんをお父様に会わせたくなかったということをお話しされていたと思うのですけれども、T.S.さんから御覧になって、何かこういうことが理由なのではないかということはありますか、それとも、理由は分からなかったけれども、お母様は会わせなくなかったというふうに御覧になっているでしょうか。お答えになれる範囲で、お願いいたします。 ○T.S.参考人 どういう理由があって会わせたくないという話をされたことはないのですけれども、父関係の話になると、すごくやはり機嫌悪くなったりして、お父さんと関わってほしくないのだな、みたいな雰囲気はこどもながらに感じていたので、そういうところから、お母さんは父に自分のことを会わせたくないのではないかなと思うようにはなりました。大丈夫ですか。 ○青竹幹事 分かりました。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかにはいかがでしょうか。御質問があれば伺いたいと思いますけれども。 ○井上委員 委員の井上と申します。今日はありがとうございます。先ほどお話の中で、お母さんから逃げていったときに、裁判所からお母さんのところに戻るようにとか、何も聞いてくれなかったという話がありました。裁判所でT.S.さんにいろいろなお話をされる裁判官、家裁の人たちというのは、例えば大勢いたのか、それともずっと同じ人が関わって、戻るようにお話をされていたのか、御記憶があれば教えていただければと思います。 ○T.S.参考人 その点なのですけれども、裁判所に行って自分が話を聞いていたとか、そういうわけではなくて、父が戻せと言われたという話を父から聞いただけなので、誰が関わっていたかは分かりません。 ○井上委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○今津幹事 幹事の今津です。今日は非常に貴重なお話、ありがとうございました。11歳でおうちを出られたというお話、すごく驚き、また、そこまで行動力があって、非常にしっかりしたお子さんだったのだなと思って伺っていました。   11歳で東京のおうちを出られた後のお母様との関わりについて、少しお伺いしたいのですけれども、しばらくは親権がお母さんにある状態で争っていらっしゃったということなのですが、その後、お父様に親権が移った後に、お母様の方から、例えば面会交流であるとか、そういった働き掛けというか、あったのかどうかということと、それから、実際にお会いになったり、交流はあるのかということを教えてください。 ○T.S.参考人 会いたいという話はありました。ただ、少し自分の方も母におびえているというような状況ではあったので、それを受け入れることはできなくて、顔を見るというだけでもすごく怖かったので、自分は会わなかったのですけれども。そうですね、会いませんでした。 ○大村部会長 ありがとうございます。   そのほかに御質問ありますでしょうか。 ○佐野幹事 幹事の佐野と申します。本日はお話をありがとうございました。先ほどの話の続きで、親権が移った後、お母さんと会わなかったということでしたが、その後、今まで一回もお会いになっていないということでしょうか。 ○T.S.参考人 それは、会っています、今は。 ○佐野幹事 今は会っていらっしゃる。それはどういうきっかけでお会いになったということなのでしょうか。 ○T.S.参考人 きっかけとしては、自分が18歳になった頃かな、だったと思うのですけれども、やはり母がどうして自分のことを連れ去ったのかという原因のところは気になるところはあって、そこで、父の話も聞きつつ、自分の中で、何が本当なのかなというのを知りたくて話を聞くという意味で、少し会いに行ってというのが始まりです。それがきっかけで、18の頃に1回会ったと思います。 ○佐野幹事 1問ですね。ありがとうございました。 ○大村部会長 ほかにいかがでしょうか。   それでは、佐野幹事、2問目どうぞ。 ○佐野幹事 ありがとうございます。今の話で、お母さんとお会いになられて、結局どのようなお話をされて、それについてどのように思われたのですか。 ○T.S.参考人 そうですね、中身の方は少し伏せさせていただきたいのですけれども、結果としては、どちらが言っていることが本当という結論は自分の中で出てないのですけれども、自分の中では、両親がどういういざこざがあったからといって自分がどちらかと会えなくなるのはおかしいよねという結論に自分の中で落ち着かせていて、その原因のところについては二人で解決してくれればいいかなとは思いました。 ○佐野幹事 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○武田委員 親子ネット、武田でございます。頑張って話していただいて、本当にありがとうございました。T.S.さんに辛い思いを経験してきていろいろ伝えたいこともあるだろうと思って今日は改めて聞かせていただきました。これは私の理解ですが、多分、離れて暮らす親と会うとか会わないとか、どちらと暮らすというより、やはり一番T.S.さんが言いたいことは、自分の意見を聴いてくれということかなと改めて感じました。あと、私はあなたの国連子どもの権利委員会での発言も拝見しているので、そのときのメッセージは、僕は親の所有物ではない、そういうメッセージを伝えたかったのだろうなと私自身は理解をしていました。今日は正に日本の法制度をどうするか熱心に考えていただけている皆さんに向けて、改めて伝えたいことを一言で表現いただけるとうれしいです。 ○T.S.参考人 そうですね、うまく……所有物ではない、そうですね、こども、僕ら、今は僕らと言わせてもらうのですけれども、当事者という意味で、僕らの主張、権利というのが、もっと自分らの権利というのですか、こども、僕らの権利というのが少しないがしろにされているというか、きちんと認められていなかったのかなということを思うので、こどもが選択できる権利というものをきちんと見直してもらいたいということですかね。所有物という話に絡めると、親がこどものことを決める権利は少しおかしいのかな、自分のことなのだから、こどもだって自分のこと決めたいよねという、そういうことなのかなと思います。すみません、少し長くなってしまって。 ○武田委員 ありがとうございます。ごめんなさい、変な質問をして。 ○大村部会長 ありがとうございました。   ほかにはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは、ここまででT.S.参考人についてのヒアリングと質疑を終えたいと思います。T.S.参考人におかれましては大変お忙しい中を当部会の調査審議に御協力を頂きまして、誠にありがとうございました。それからまた、お答えのしにくい個人的なことについてもお答えを頂きまして、その点についても大変感謝をしております。本当にありがとうございました。   それでは、ここでT.S.参考人には御退席を頂きまして、次の参考人に入室をしていただきたいと思います。本当にありがとうございました。 ○T.S.参考人 ありがとうございました。 ○大村部会長 それでは、参考人のヒアリングを続けさせていただきます。   次は参考人としてM.K.さんにお越しいただいております。M.K.参考人の方からこれからお話を頂きたいと思っております。   M.K.参考人、どうぞよろしくお願いいたします。 ○M.K.参考人 皆さん、こんにちは。M.K.と申します。私が5人目だと伺っております。お疲れだと思うのですけれども、重い話とかいろいろあったと聞いています。最後は皆さんの気持ちが少し軽くなるようなお話ができたらと思っていますので、よろしくお願いします。   皆さん、離婚をしてこどもをめぐって争っている両親に対して、どういう印象を持っていらっしゃいますでしょうか。葛藤が高すぎて手に負えないとか、そういったところ、確かにそうなのですけれども、実は私もその一人でした。7年前に係争を始めまして、非常に争ったのですけれども、今現在は共同養育というのができている、私はそういう人間です。今日はどういう過程を経て私が回復できたかということを主にお話しできたらなと思っております。   今、スライドの方に映していただいていますのが私の家族構成です。7年前、こういう状態だったのですけれども、典型的な日本の家族といっていいのではないかと思います。私がIT系のサラリーマンで、フルタイムで働いて、残業当たり前、土日もゴルフに行ったりという夫だったのに対して、妻は専業主婦やパート勤めをしていて、家事、育児は妻が担って、こどもが2人いるという、どこにでもいる家族でした。   それが、7年前のある日、家に帰ると誰もいない、奥さんがこどもを連れて家を出てしまっていたということが起きました。その頃の私の感情というのは、悲しみ、あと怒りでした。なぜ自分にこんなことが起きてしまったのだろうという気持ちになりました。当時、家にはこどものランドセルとか、寝ていた布団とか、そのまま残っていました。家に帰るとそのにおいが漂ってくるのですね、家でただじっとしているのもつらくて、当時のことは思い出すだけでつらい、そういう記憶になっています。そして、当時、相手に対する怒りが強かったです。100%相手が悪い、裏切りだ、何でこんなことをしてくれたのだと考えていました、その頃はです。そして、当時、裁判所を通して、何とかこどもとは会えるようになりましたが、なかなかこどもとの面会、うまくいきませんでした。   次のスライドをお願いします。私は当時、裁判を非常にたくさん争っていました。争いながら会ったこどもは、私のことをひどく罵りました。以前は父ちゃんとかダディーとか、僕は呼ばれていたのですけれども、別居してからは呼び捨てです。「M.K.、お前、お母さんにこんなひどいことして、探偵までつけて、とんでもないやつだ、お前なんか親ではない」と、3時間の面会交流で私を罵り倒して帰るという状況が続きました。その頃に娘が書いてきた手紙がこちらです。「学校に絶対来るな、来たら110番する、先生にも言ってある」、こういうことが書かれています。   次は、7歳の息子が書いた手紙です。やはり「クリスマスプレゼントとお年玉、図書カード要らねえよ、学校に来るな、110番するぞ」、そういうことが書いてあります。出ていく前の週までは、一緒に釣りをしたり、ハイキングに行ったり、仲よくしていたはずのこどもがこんなことになってしまった、これは母親による洗脳ではないか、私が絶対取り戻して自分で育てないとこどもが駄目になってしまう、そういう気持ちで親権争い、たくさんの裁判を私はやったわけです。   そうした係争を1年間繰り広げた挙げ句、私は大きな決断をしました。今振り返れば人生で最良の選択をしたと振り返ることができるのですけれども、当時5、6件係争していたものを全部取り下げました。これをなぜやめたか、決してこどものために身を引いたとか、葛藤を下げてこどものためにやったという、そんな見上げた気持ちでこの選択をしたのではありません。当時、私は裁判所が全く自分の気持ちを酌んでくれていないではないかと感じていて、何かおかしいと、そして、区役所に行っても警察に行っても、みんな能面のような顔で私を見るのですね。理屈で言えば、法律にのっとれば、裁判をしなければ親権を取れません。しかし、自分は本能に従って、裁判を全てやめたのです。諦めとか、尻尾を巻いて逃げるとか、そういう非常に情けない気持ちで裁判をやめました。   そこからは私は非常につらい時間を送ります。それまで書面を書くのに掛けていた時間、これはもうなくなりましたし、係争中は仕事も手に付かず、会社からは責任の伴う仕事を任されなくなっていたので、時間が余ってしまって、家に帰ると一人、ランドセルとか学習机に囲まれて過ごす生活、布団に潜って、自分の心臓の音が聞こえるぐらい静かな時間、本当につらかったのですけれども、そのときに私は決めたことがあります。   次のスライドをお願いします。当時私は、時間が有り余って仕方がないので、何かやりたいとか、友人が誘ってくれたとかあれば、全部そのチャンスをつかもうと考えました。当時始めたのが趣味であるランニングですとか副業、ボランティアといったことになります。   私はこどもが出ていく前は、実はぽっちゃりした体型だったのですね。こどもがいなくなって、心労であっという間に体重が落ちまして、体重が落ちるというのは走ることにはすごくいいのです。膝の負担がなくなって、見る見る速く走れるようになって、時間もありますから、練習をして、やがて海外の大きなレースとかも完走できるようになっていきます。   ある方が私を事業に誘ってくれました。ほかの家族の面会交流を支援するというお仕事です。当時、私が支援した3歳の男の子、実のお父さんに対しておじさんと呼びました。その衝撃を私は忘れられないです。それだけではなくて、いろいろな学びを私はこの事業で得ることになりました。   国連にこどもの声を届けるというすごいことをやっていらっしゃる先生がいて、M.K.さん、少し手伝ってよと言ってこられたので、当時私は何せ時間だけはあるので、やりますということで、そのお手伝いでジュネーブまで行ったりしました。当時の写真がこちらなのですけれども、見ていただいてのとおり、もう私、笑っているのですね。このとき決してこどもとの状況はよくありませんでした。月1回、3時間しか会えていませんし、こどもは私をずっと罵っている。しかしながら、片時でもこどものことを忘れて、夢中になれることができたことで、私は少しずつ回復を始めていきます。これが別居から3年たった頃になります。   次をお願いします。当時の面会交流の様子です。娘が私にパーを向けているのですけれども、これは何だとお思いでしょうか。これは、あと5万円分、服を買えというパーなのです。私もそれほどお金ありませんから、話をずらして、韓国のアイドルの話とかをして、何とか3時間場を持たせて、2万円ぐらい買ってあげるというようなことをやっていました。娘は、「何だM.K.、お前、本当にけちなおやじだな、もう二度と会わねえぞ」と言って帰っていくのですけれども、それを見たとき私は内心拳を握って、よしと思っていました。なぜなら娘の背中に楽しそうなオーラが漂ってきていたからです。右側は息子との面会の様子です。10歳前後のこどもたちが遊んでいる中で、40過ぎのおっさんが一人、だるまさんが転んだを必死こいてやっていると、こういったことをやっているうちに、こどもはこのおやじには何を言っても大丈夫なのだなと思えたそうです。私のこどもに対する見方も変わってきます。なぜ私を罵るのか、考えてみると、母親のところに住んでいるわけなのですよね。パパと会いたいとか、パパのこと好きなんて気安く言えるはずがないのですよ。だから私のところに来て、けちょんけちょんにけなして、母親のところに帰っていくというミッションをこどもが勝手に作って、私に会いに来てくれているのだなと考えると、もう来てくれるだけ有り難いではないかという気持ちになって、私も全力で面会交流に打ち込めるようになります。   この月1回、3時間の面会交流を5年間続けました。最初の1年間の係争のダメージはとても大きくて、回復していくのに5年掛かったと私は理解しています。5年たってようやく元妻とLINEとか電話ができるようになりました。そして、それまで監視付き面会交流というのをやっていたのですけれども、その付添いも要らなくなって、子育てに関しては元妻と直接相談できるようになります。   次をお願いします。関係が回復した後の娘からのLINEです。「父の日のプレゼント、送ったから受け取ってねd(≧▽≦*) 届いたら教えてね〜(*^^*)」と書いてあります。先ほどの「110番するぞ」と言っていたのと同一人物の娘がこういうLINEを私に送ってくるようになったわけです。   次をお願いします。これが今の私の家族です。別居から6年たって、娘が私と暮らすようになり、7年たって息子も私と暮らすようになって、今は3人で暮らしています。元妻からは、来る前にきちんと連絡が来まして、今から行く、あなたも少し子育ての苦労をしたらどうかと言われました。そこから、毎日弁当を作ったり、夕飯を作ったり、掃除も洗濯も私がやるという生活をやっております。   私は元妻のことは、同居中はとてもおとなしい人だと思っていました。余り自分の意見を持っていない人だなという印象だったのですけれども、今は言いたいことを言う関係になっています。すごく風通しがよくて、何なら同居していたときよりもいい関係になれたのではないかなと常々感じています。そして、振り返って、なぜ妻が出ていったのかということも考えるようになりました。当時、私はサラリーマンで、しっかり稼いで役職を上げて、家にお金を持ち帰ることが自分のミッションだと考えていたのですけれども、今思えば、きっと元妻は、ありがとうとか、一緒に御飯食べて、おいしいねとか、そういう言葉を求めていたのではないかなと今は振り返ることができます。   ここまでが私の来歴になります。私は決して取り立てて特別な人間ではないと思っています。なぜ自分がここまで回復できたのかということは、質疑の中でもお伝えできればと思っているのですけれども、環境が私をそうさせたと考えています。今日は法律を考える場所だと理解していますので、是非そういう環境を整えることを考えていただけたらうれしいなと思っております。   私からの報告は、以上です。御清聴ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、M.K.参考人からのただいまのお話につきまして、皆さんの方から御質問があればお願いをしたいと思います。なお、これまでと同じですけれども、御質問される場合には、まず最初にお名前をおっしゃった上で御発言を頂ければと思います。それから、これもこれまでと同じですけれども、最初は皆さん1問ずつということで、時間に余裕がありましたら2問目を頂くということにさせていただきたいと思っております。   ということで、どなたからでも結構ですので、お願いいたします。 ○戒能委員 ありがとうございます。戒能と申します。お話しいただきましてありがとうございます。最後におっしゃった、制度としての環境の整備ということだと思うのですが、どういうことをお考えか、お話しいただければと思います。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。私が係争とかをやっているときに、自分を苦しめたものは何かといいますと、能面のような人たちと私は呼んでいます。そういった人というのは口から下しか動かない感じがします。自分の立場とか役職とか、そういったもので話す感じですね。例えば役所に行って、私が何とかこどもの居場所を教えてくれませんかと必死にすがりついたときに、その方は個人ではないです、もはや、戸籍住民課の課長としてお話をされます。顔の下半分だけを動かして、申し訳ありませんが、立場上お答えできません、以上なのです。これが私にはつらかった。こうした人と役所とか警察、裁判所、そういったところでお会いして、本当に私はつらい思いをしました。   では、何が私を救ったかといいますと、立場のない人との対話でした。例えば、ある警察の刑事の方、もう定年間近で、恐らく余り立場を気にしなくてよかったのでしょう、その方が僕に言ってくれたのは、「M.K.さん、つらいよね、俺、何が起きているか分かるよ、でも、何もしてあげられないのだ、本当に申し訳ない」と言って、深々と私に頭を下げてくれました。私はその方のことを一生忘れないでしょう。   また、私の外国の友人が日本に旅行に来たときに会ってくれました。当時、私はすごく説明的な人間になっていて、なぜなら、どこに行っても自分の言葉が通じなかったからです。それで、「日本ってね、こういう法律があって、僕はDVなんかしていないのに、全然会えないのだ、会えても月に1回とかで」という話を一生懸命たたみ掛けたところ、友人は私の話を遮って、ハグしてくれました。そして、あるフィリピンの友人は、聖書の一説を読んでくれました。「神様は見ているよ、大丈夫」と、そういうことです。また別の香港の友人は、やはり人目も気にせず私をハグして、耳元で言ってくれました。「M.K.、あなたは本当に強いよと、普通の人だったらもう倒れているよと、だから立ち続けて、頑張って」ということを言ってくれました。そういった言葉があったお陰で、僕は回復できたと思っています。   法律論は私、プロではないので、分かりません、共同親権になるのがいいのかどうかも分からないのですけれども、人の痛みを分かる人が立場を離れて物を言ってくれるような環境、あるいは制度、そういったものがあれば、きっと多くの人が救われるのではないかなと思って、今日は私、それを伝えたくて来ました。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○大石委員 委員の大石と申します。本日はお越しいただき、ありがとうございます。お伺いしたいのは、元奥様とお子さんたちが出ていかれてから、ある程度、面会交流などが復活するまでの間、そしてまた現在、現在は御一緒にお住まいだそうですけれども、面会交流が復活するまでの間、裁判などもされていたようですが、お子さんたちの生活費というのはどういうふうな感じで維持されていたのかについて、もしお差し支えなければお話しいただけますでしょうか。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。別居して間もなく婚姻費用調停というのが相手方から起こされまして、裁判所で幾らお支払いするというのが決まりました。いわゆる算定表というのにのっとって決まった金額を支払うということが決まり、そこからは毎月それを支払い続けた、離婚が成立するまではずっとそれを続けたということです。 ○大石委員 ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。   ほかはいかがでしょうか。大石委員、まだ何かありましたら、後でお願いいたします。 ○棚村委員 M.K.さん、どうも本日はありがとうございました。興味深かったのは、かなり裁判とかいろいろな形で法的な手段に訴えて、5、6件、争っていたという葛藤の高い対立から、これを克服して良好な関係にシフトした点でした。もちろん争っている当事者同士は敵と味方に分かれるわけですから、お子さんの関係はどんどん悪くなって、お手紙にあるように最悪の状態にもなられました。そういう中で転換期を迎えて、取下げというときに、結局これではもうやっていてもいい方向に進まないのではないかというふうになって、M.K.さんの内側に大きな変化が出てきたというようなお話でした。要するに、疲れたとかいろいろな要因もあったのだと思いますけれども、それが何か転機になっていったというお話が非常に私としては興味深くて、結局、御自身がそういうやり方なり今までの方針を変えたことによって、内側に何か大きな変化とか、意識の転換とかがあったのでしょうか。特に、これまでのご自身の相手方に対する捉え方も含めて、どうやって解決しようかというときに、それが随分大きな転換期になって、争いから他のことにも目を向けられるようになり、自分のことも冷静に見られるようになって自らが変わることができたのかという点について、お伺いしたいなと思います。つまり、お話の一番最後のところで非常に私の心に響いたのが、今までの自分の妻に対する捉え方とか関わり方が、もしかして誤っていたのではないかと、妻が求めているのはお金とか働いて稼いでくるということだけではなくて、むしろ自分と一緒に食事したりという、その辺りのことが本当に私にも突き刺さってくるようなところがあって、そこで結局、自分自身が変わったことによって、元妻との関係も、それからお子さんとの関係も変わってきたということがとても印象に残りました。私は今回のお子さんの養育とかいろいろなことを考えるときに、お子さんの気持ちを大事にしようとか、あるいは元妻の本当の気持ちはどうだったのかというのを振り返ったり、そこのところがかなり私も大切なポイントになったのかなということも強く感じました。M.K.さんから見て、自分に起こった変化がその後の親子の関係みたいなものもよくしていったり、元妻も、最終的には一緒に暮らせるというところまで行ったわけですよね。そうしますと、正に争って法的に権利を主張し合っていたときには実現できなかったことが、争いをやめることで実現できるようになったという点では、私はエピソードとして非常に成功した例だと思うのです。その辺りのところを、私がこのように理解しているように、結局争ったり法的な手段に訴えてやればやるほどお子さんを含めて相手方との関係はどんどん悪くなり、逆に言うと、自分が変わり、歩み寄るような、あるいは反省するようなことになったときに、お子さんとの関係も元の相手との関係もよくなってコミュニケーションが取れるようになったと、そういう理解でよろしいでしょうか。御説明があれば、お願いしたいと思います。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。私や家族に起きたことは、今正に棚村さんがおっしゃったことだと思います。争うよりも歩み寄った方がいいということですとか、自分が変わったら家族も変わる、正にそういうことが起きたのですけれども、一つ今日、言いたかったのは、そういう説得を当時、私にした人がいました。「もうやめな、裁判なんて、こどもは苦しんでいるよ」という説得、説教だったのですけれども、実はその言葉は私には余り響きませんでした。そうではなくて、ありのままの私を受け止めてくれる友人や家族がいたこと、それがとても大きかったと思うので、先ほど環境と言ったのは、そういうことです。今、裁判所の中で、親教育とか、いろいろ動いていると思うのですけれども、「争う親はきっと問題がある親だ、だから矯正しなければ」という形のアプローチだと、もしかしたらうまくいかないのかなと、むしろ、人は失敗するけれども変われるのだということを前向きに後押ししてくれるような制度があったら、とてもうれしいなと思います。あとはおっしゃったとおりだと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○今津幹事 幹事の今津です。今日は貴重なお話、ありがとうございました。スライドを拝見して、最初に出てきたお子さんのお手紙、非常にショッキングなお手紙で、ああいうものを受け取ったときの御心境はいかばかりかと思って拝見していましたけれども、最終的にはすごく良好な関係を築いていらっしゃるということで、非常に心温まるといいますか、非常によかったなと思って伺っていました。当初のお手紙を書かれたときから今に至るまでのお子さんの心境の変化がすごく気になったのですけれども、最初のヒアリングのお話の中でも、別居するまで良好だったのが、いきなり別居した後にああいうお手紙が来るというのは、もうこれはお母様からの働き掛けではないかとも考えられたということですけれども、実際にその辺りの時期のことは、お子さんとお話しになって、お母様からこう言われたとか、あるいはお子さん御自身でそういうふうに思われたのか、その辺り、少し聞きづらいことで、どのくらいお話しされているか分からないのですけれども、当時のお子さんの心境などについて、分かる範囲でお答えいただければと思います。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。今は一緒に暮らしていますので、たまにそういった話が出ることがあります。どちらかというと私から聞くのではなくて、こどもがため込んでいたものを言いたいという感じで話すのですけれども、やはり同居していた母親からの圧力というのはあったとは言っています。ただ、私が思っていたほど、洗脳とか、無理やり書かされたとか、そんなことではなくて、こども自身の声ではあったと、それを自由に言えたというところはあるのではないかなというふうに、こどもと話していて感じます。ただ、これは飽くまで私が伝聞で聞いているだけですので、本当のところはこどもが自分の中で消化しているのだろうなと思いますが、今はそれを言えること、そして、母親とも今、下の子はまだけんかしたばかりで、まだ会っていないのですけれども、上の子は会っていたりするので、母親ともその辺、自由に話しているので、そのことを僕は評価したいし、ここまで来られてよかったなと感じています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。今日は本当にすてきなお話をありがとうございました。この法制審議会は、自由に共同養育が今の制度の中でM.K.さんが実現されているのを、よかったねと聞くだけで済まない場なのです。御存じのように、離婚後、親権者を決めるですとか、そのときに共同がいいのかどうなのかとか、そのときに身上監護を決める、決めないですとか、決めなかったら両方が持つことになるですとか、そういう細かいことを議論しているのです、残念ながら、このまま、いいよねと言えたらいいわけですけれども、そうすると、お話を聞いていると、共同で何かを決める、例えばお子さんの進学先とかを決めるとか、今まであったかもしれないのですけれども、これから大学進学とかあるかもしれないし、そういうときに何か権利として親が決めていくというようなことが果たしてお子さんを育てる上で本当にいいのか、どんなふうに今思っていらっしゃるのか、あるいは相手に少し譲ることによってうまく取決めができると思っていらっしゃるのか、その辺りを少し教えていただけますか。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。私もこの立場になったので、権利とか、少しは勉強したつもりではおります。権利という言葉は、何か自分が得をするというおいしいもののように聞こえるニュアンスがあるのかなと思っていて、そういう言葉だと、両方が争うと、どちらも「欲しい」となってしまうのではないかと思うのです。もう数十年前に親権という用語をやめようという議論が民法学者さんの間であったというふうに私、学んでおりまして、当時は後見という言葉を使おうかというアイデアもあったと聞いております。あるいは義務とか責任とかでもいいのかもしれないのですけれども、そういう言葉であれば、取り合いをしないでお互いのことを考えられるのではないかなとは考えます。   あともう一つ、今、譲るという言葉を赤石さんがおっしゃったのですけれども、譲るというのはすごくパワーのある行動だと私は思います。まるで日本で権利を譲るというと負けたみたいですけれども、相手に譲るということは、自分の心の広さだったりを見せることにもなるので、結果、いい方向につながる。なので、これからは譲る行為がお互いに促されるような法律や運用になっていけばいいなと願っています。 ○大村部会長 ありがとうございました。 ○落合委員 貴重なお話ありがとうございました。私は社会学者です。今日のお話は、結婚している人たちにお伝えしたいような話だったなと思いました。質問は、現在、親権は元の連れ合いの方にあるわけですよね。その辺りで、でも、今はお子さんたちと一緒に過ごしていらっしゃいますよね、それで、やりにくいこととかはないでしょうか。親権がどちらにあるというようなことは今、どのぐらい重要なことだと思っていらっしゃいますか。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。正直、ほとんど何も困っておりません。強いて言えば、ワクチンを打つ、打たないという判断ですとか、パスポートを作ろうと思うと親権者の承認が要るとか、そんなことはあると思うのですが、住民票も私のところに移しておりますし、学校の保護者登録も移しておりますので、実務上それほど困ることはないのかなというのが、まだ長い期間ではないですけれども、現時点での私の持っている印象です。 ○落合委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは、原田委員と石綿幹事ですかね。 ○原田委員 同じ質問でした。 ○石綿幹事 私も同じ質問でした。 ○大村部会長 分かりました。   それ以外の方、何か御質問がありますか。いかがでしょうか。 ○棚村委員 ここは、先ほど赤石委員が言ったように、法制審議会というので法律を作るところではあるのですが、私は先ほどの話で、やはり早い段階で、裁判とか、あるいは裁判所が関与するとかという前に、いろいろな知識とか相談とか、そういう支援の体制が身近なところであったり、あるいは教育的なカウンセリング的な働きかけとかも含めてですけれども、そういう相談支援体制や情報提供・働きかけ・プッシュ型支援などがあるともう少し内側で考える余裕があって、よかったのではないかという点がもう少し聞きたかった点です。 ○M.K.参考人 私が別居した7年前はそんなのはなかったのですけれども、実は今、自分がやっている事業がありまして、お金は全く頂いていないのです、別居しているお父さんを集めて、ただ自分の気持ちを打ち明けられる安全な場所を用意するというのをやっています。そこでは相手への怒りとか、裁判所への憎しみとかも言ってもオーケーです。私から見て、これは奥さんはつらかっただろうなという男性もたくさん来ます。それでもとにかく受け止めていく、やっていくうちに気持ちがほぐれていって、もう何年もこどもと会っていないお父さんが会えるようになったり、連絡が付くようになったりというのがあります。そういうものが法律でどうできるかというのは、私は専門外なので分かりませんが、迷える親が、自分はこれでも大丈夫なのだと思えるような気持ちに少しでもなれれば、救われるのではないかと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。   今、棚村委員は2問目だったのですけれども、先ほど発言された方で、あるいはまだ発言されていない方で、御発言があれば、その御発言を頂いて、それでこのセッションを終えたいと思いますが、どなたか御発言がありましたら、どうぞ。 ○水野委員 ありがとうございます。委員の水野です。最後にお話しされたことなのですけれども、いろいろな方を支える、プラスのお仕事をしていらっしゃると思うのですが、面会交流の支援もされていると伺いました。そういう中で一番の王道は今、M.K.さんが言われたような、御本人に対する支援なのかもしれませんが、いろいろな方がいらっしゃると思います。M.K.さんから御覧になってもひどい被害者意識の塊で、なかなかこれはそちらの方向へ導けないような方に対して、どういうサポートが、あるいは制度的なアプローチが、どういうものがいいと思われますでしょうか。 ○M.K.参考人 ありがとうございます。私は副業が高じて、実はアメリカまで行って面会交流支援の講習を受けたのです。そのときに学んだこと、一番大事な四つのバリューがあるのですけれども、その一つが、親への尊重なのです。アメリカですと、警察沙汰、DVが明らかなケースでも支援をすることがあるのですが、そのような場合でも親を人らしく扱うことが大事だと、なぜなら人を犯罪者のように扱うとその人は犯罪者になるという言葉が業界にあるそうです。ですので、難しいケースだからこそ、その人を尊重する、そして一方の立場だけに偏らないという中立、これは自分自身が健康であるからこそできると思うのですが、そういったところを心掛けております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   それでは、最後ということで、落合委員、どうぞ。 ○落合委員 今の支援の話、大変重要だと思うのですけれども、今、法律面で変えようという案のある中で、取決めをしないと離婚できないようにするというようなことがありますけれども、今日のお話を伺っていますと、別れようと思っている、そのときというのは一番、両方が冷静に判断できないようなときのようで、しばらく時間を置いて、いろいろな支援を受けたりしていると、取決めもできるようになったりするのかなと、ですから、離婚前後にいろいろなことを急いで決めない方がいいのではないかというような印象を持ったのですけれども、その辺りについてはいかがお考えでしょうか。 ○M.K.参考人 そうですね、個人差もあると思いますが、時間は掛かると思うのですが、少しでもこれを短くしようと思えば、方策はあるのかなとも考えていて、それが、先ほど私が申し上げた親への尊重だと思うのです。つらいよねとか、大変だったねと、その一言をもらえるだけで全然気持ちは違うのですよ。それを法律とかいった場でももらえるならば、少しは短く葛藤が収まるのではないか、欧米と日本で法律も違いますけれども、そういった離婚の当事者への接し方も結構違うのかなとかいうふうに考えたりもします。 ○落合委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、よろしいですか。赤石委員、まだありますか。では、1問だけどうぞ。 ○赤石委員 少し確認なのですけれども、面会交流が決まったとき、M.K.さんは監視付きの面会交流が決まられたとおっしゃっていましたよね。監視付きになるというのは、連れ去りの危険性があるとか、ある程度暴力の危険性があるときに決まるのですが、調停ではどう言われて監視付きになられて、別にそれが悪いとかいいとかではなくて、そうであった方がこのように変化しているということの事実がすごく価値があると思うのですけれども、そこのところを少しだけ教えていただけますか。ごめんなさい。 ○M.K.参考人 支援者を付けることが決まったのは、裁判の中です。面会交流調停をやっていまして、裁判所からは、会わせた方がいいよというような促しが相手にあったようです。その中で相手が、こういう団体を付けるのだったらいいですよということを言ってきまして、三つほど団体を挙げてきた中の一つが私が利用した団体でした。そういう経緯です。 ○赤石委員 では、暴力があったとか、何か危険だよねというこということではなく、裁判の中でそう決まったということですかね。 ○M.K.参考人 はい、そこは、あったともなかったとも認定はなかったですね。 ○赤石委員 ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、これでM.K.参考人に対する質疑応答を終えさせていただきます。   M.K.参考人におかれましては、大変お忙しい中をお越しいただきまして、本部会の審議に御協力を頂きましたこと、誠にありがとうございました。また、個人的な事情にわたる御質問をさせていただきましたけれども、それにもお答えを頂きまして、大変感謝をしております。どうも本当にありがとうございました。 ○M.K.参考人 ありがとうございました。 ○大村部会長 では、ここでM.K.参考人に御退席を頂くということで、本日のヒアリングは終了ということにさせていただきます。どうもありがとうございました。   本日のヒアリングでは、大勢の方、5人の方にお越しいただきましてお話を伺いました。法律及び児童精神科の専門的な見地から離婚後の共同養育等についての御意見を伺うとともに、親の離婚を経験したこどもが置かれる事情等につきましても幅広い観点からお話を頂いたと理解しております。   次回もパブリック・コメントの手続と並行いたしまして会議を開催することになりますけれども、次回以降の会議の進行につきまして、事務当局の方から現時点での状況につきまして御説明をお願いしたいと思います。 ○北村幹事 事務当局でございます。本日、5名の方々からヒアリングをさせていただいたところでございますが、従前から各委員から御推薦いただいて御準備いただいていた方で、本日御都合が付かなかった方もいらっしゃいますので、次回も引き続きヒアリングの方をさせていただくべく調整を進めてまいりたいと思います。今のところ、DV被害者の支援に関する専門家の方や、離婚をめぐる当事者の立場の方を何人かお呼びするという方向で調整させていただいているところでございます。それ以外にヒアリング以外のことも議題とするかどうか、以前から御指摘いただいているところも含め、事務当局において部会長と御相談の上、今後の進行について検討していきたいと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございました。今、事務当局の方から御説明がありましたように、次回以降の会議の進め方につきましては、事務当局の方でまず御検討いただいた上で私の方に御相談を頂くということで進めさせていただきたいと思っておりますが、よろしいでしょうか。   それでは、本日の審議はここまでということにさせていただきまして、次回のスケジュール等につきまして、事務当局から御説明を頂きたいと思います。 ○北村幹事 事務当局でございます。次回の会議は来年、令和5年1月24日火曜日午後1時30分から午後5時30分までで開催したいと思います。場所につきましては改めて御連絡いたします。   次回会議の進め方につきましては、部会長とも御相談させていただきながら、先ほど申し上げましたように、事務当局の方で検討して、改めてお知らせしたいと思います。   なお、先ほどのM.K.参考人の資料で席上に置かれているものにつきましては、そのまま席上に残したまま御退席いただきますようお願いいたします。 ○大村部会長 それでは、これで法制審議会家族法制部会の第21回会議を閉会をさせていただきたいと思います。   本日も熱心な御審議を賜りまして、ありがとうございました。皆様よい年末年始をお迎えいただきまして、また来年、引き続き当部会の審議に御助力を頂ければと思います。   これで閉会を致します。どうもありがとうございました。 −了− - 6 -