法制審議会 家族法制部会 第26回会議 議事録 第1 日 時  令和5年5月16日(火)  自 午後1時30分                       至 午後5時29分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けた検討(3)  第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは、予定した時刻になりましたので、法制審議会家族法制部会の第26回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中を御出席いただきまして、誠にありがとうございます。   本日も前回までと同様、ウェブ会議の方法を併用した開催になりますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。   前回からの変更といたしまして、こども家庭庁の小松秀夫支援局家庭福祉課長が幹事に任命されておりますので、簡単に自己紹介をお願いしたいと思います。 ○小松幹事 今、部会長から御紹介いただきました、こども家庭庁支援局家庭福祉課長の小松でございます。よろしくお願いいたします。 ○大村部会長 どうぞよろしくお願い申し上げます。   それでは、続きまして、本日の会議の配布資料の確認をさせていただきます。事務当局の方から御説明をお願いいたします。 ○北村幹事 事務当局でございます。お手元の資料について御確認いただきたいと思います。本日の会議資料として、部会資料26、そして、家族法制の見直しに関する中間試案に対して寄せられた意見の概要、令和5年5月時点の暫定版をお配りしております。具体的には、部会資料26につきましては後ほど御説明させていただきます。   そして、5月時点の暫定版の資料につきましては、従前と同じですけれども、御議論の際の参考としていただく趣旨で、パブリック・コメントの手続で寄せられました父母の離婚後の親権者に関する規律についての意見のうち、現時点までに集計することができたものを暫定的に御紹介するものになります。この資料につきましては、前回会議と同様に、パブリック・コメントの手続における全ての御意見を御紹介するものではないことや、今後の集計作業における修正の可能性があることに御留意ください。また、今後随時資料を更新させていただく予定となります。   今回もウェブ会議を併用していることから、御発言に当たっては冒頭でお名のりいただきますようお願いいたします。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、本日の審議に入りたいと思います。部会資料26が配布されておりますけれども、これに基づきまして御議論を頂きたいと思います。これから事務当局に部会資料26の全体について御説明を頂きますが、資料はゴシックの数字で申しますと1から3までございます。議論の順番としては、1について一通り御意見を頂いた後で2に入り、2について一通り御意見を頂いた後で3に入る、3については終わらないようであれば次回に持ち越すということにさせていただければと思っております。 ○原田委員 議論の在り方についてなのですけれども、皆さんも御承知のとおり、この前の部会の後の新聞報道、マスコミの報道は、この部会は共同親権に舵を切ったというような報道が主流でした。部会長のおまとめでは、今日ここで決めて819条を見直すのだという、それ以外の選択肢はない、どこかを必ず変えるということを合意したということではないというまとめをしていただきました。また、事務当局に伺いましたら、事務当局からそのようなコメントをしたことはないということでありましたので、それであれば、この委員の中のどなたかが聞かれて、答えられたのかなとも想像しております。また、この委員の中のどなたかは、もう共同親権は決まったと、秋には答申が出るというような発言を、ある程度人が集まるところで発言されたということも伺っております。伝聞ですから、違っていたら申し訳ないのですけれども。だから、その方を非難したくて言っているのではないのですけれども、特定の政党からの干渉にもあれだけ一致して反対されたのに、この部会の合意を無視した発言を外にされるというようなことはやめていただきたいということを皆さんにお願いしたいと思います。 ○大村部会長 事務当局の方から答えていただくということではなくて、御要望として承るということでよろしいですね。 ○原田委員 はい。 ○大村部会長 分かりました。ありがとうございます。   それでは、1、2、3を分けて御議論いただきますが、説明につきましては、部会資料26についてまとめて御説明を頂こうと思っております。事務当局の方からお願いを致します。 ○北村幹事 部会資料26について御説明いたします。部会資料26につきましては、部会資料25に引き続いて、父母の離婚後の親権者に関する規律を取り上げております。前回の第25回会議では、離婚後は例外なくどちらか一方しか親権者となることができない現行民法第819条を見直す必要があるのではないか、そして、離婚する夫婦も多様であることから、まず父母が協議離婚の際に双方を親権者とすることについて合意ができる場合を念頭に、父母双方を親権者とすることができることを検討すべきではないかという観点で資料を御提示させていただいて、御議論いただいたところでございます。   部会資料26では、前回の議論の経過も踏まえて、父母双方が親権者となる場合における親権行使の在り方を中心として御議論いただきたいという点をまとめてみました。父母双方が親権者となる場面については、現行民法第818条第3項が、親権は父母の婚姻中は父母が共同して行う旨を定めております。そして、実際に婚姻中の父母による親権の行使は、進学や医療等の重要な事項に関する決定をする場面に限らず、日常の些細な事項についても父母が日常のコミュニケーションの中で相談し合って決めているということも少なくないと思われますし、このように子の養育をしていくことは子の利益にも資することが多いと思われます。   ただ、このことは日常の些細な事項を含むあらゆる事項について父母が共同の意思で決定しなければならないということまでを民法が要求しているということを意味するものではなく、現行民法の解釈としても、日常的な監護教育のような行為は父又は母がそれぞれ単独で行うことができると解されておりますし、また、この部会のこれまでの議論の中でも、緊急の行為について同様に単独行使が可能と解すべきだとの御指摘があったところです。   ゴシックの1(1)と(2)では、まず、このような現行法の解釈などを参考に、親権は父母が共同して行うことを原則とした上で、例外的に父母の一方が単独で親権を行うことができるということで、整理を試みているところです。そして、(3)では、父母の意見が対立する場面において、家庭裁判所の手続でその調整をする仕組みについて、また(4)では、父母の一方が他方の意思に反して子を代理した場合等の法律行為の効力について、それぞれ取り上げております。   その上で、ゴシックの2では監護者の定めの要否等を取り上げております。部会では、離婚後の父母双方が親権者となる場面において、子の監護をすべき者を定めるかどうかについての議論があり、パブリック・コメントの手続においても様々な御意見が寄せられていたところです。本日も様々な御議論があろうかと思いますけれども、離婚をめぐる事情はそれぞれの家庭によって多種多様であることを踏まえれば、監護者の定めをした方が子の利益の観点から望ましいという場合もあれば、監護者の定めをしない方が子の利益の観点から望ましい場合もあり得るのではないかということで、ゴシックの2(1)では、監護者の定めをすることを一律には要求しないということを御提示させていただいておりまして、(2)では、監護者の定めがされた場合の親権行使の在り方についての整理を試みております。   最後に、ゴシックの3では親権者の変更について取り上げております。協議離婚の際に父母双方を親権者とすることを合意したような場合であっても、その後の事情変更によって、親権者をその一方に変更することが子の利益の観点から必要とされる場合があり得るほか、前回会議の御議論の際には、父母双方を親権者とすることを合意した場面であっても、その合意形成過程の問題がある場合であるとか、合意内容そのものが子の利益に反するという場合もあるのではないかという御指摘があったところです。その点を踏まえながら、今回の資料では親権者の変更の仕組みを取り上げております。この点を議論するには、親権者の変更の要件をどのように設定するのかということも論点となり得ると思いますけれども、この点については裁判離婚の際の親権者の定め方に関する規律と併せて議論することも有益であろうかと思います。   部会長の方から冒頭お示しいただきましたけれども、その具体的なところは次回以降でも引き続き御議論いただきたいと思っておりますが、今回の会議でも時間の許す限りにおいて、検討すべき点なども御示唆等を頂ければと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございました。ゴシックの1、2、3をまとめて御説明いただきましたけれども、先ほども申し上げましたように、議論の順序としては1、2、3を分けて御意見を頂きたいと思っております。   そこで、早速ということになりますけれども、1の点、父母双方が親権を有する場合における親権行使の在り方につき、御意見をいただきたいと思います。  赤石委員、どうぞ。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石でございます。今回は離婚後の親権の在り方についての議論なのですけれども、前回から引き続き、まずは協議上の離婚をする父母間において合意がある場合の対応を議論しているのだろうと思っております。   ただ、この議論の在り方が、婚姻時の父母、夫婦の共同親権の在り方を定め、その在り方を離婚後も適用するという議論の在り方になっていることに強く違和感を感じております。民法第752条には、夫婦は同居し、互いに協力し、扶助しなければならないという規定があり、その基盤の上で民法第818条3項で、婚姻中は親権を父母が共同して行うということがあり得るというふうになっているのではないかと私は、法学者でもないのですが、思います。   今回は、協議離婚で真摯な合意があるという前提で双方の親権の在り方が議論されていますが、とはいえ婚姻時の父母の協力関係や信頼関係とは離婚後は異なるというのが当たり前のことでございます。そこでの共同の親権の在り方というのも異なって当然である。では、どのようにするか。その基盤、信頼関係、協力関係、同居義務など、コミュニケーションのチャンスというのがないときに、紛争が起こらず、かつ、こどもの福祉に合致する規律というのをどう定めるのかが、私たちが今、課題になっているのだと思うのですが、それが少しよく分からない議論の展開であると思います。   しかも、離婚後、こどもが成人、自立するまでの期間というのは長い場合もあります。その長い期間保てる規律になっているのか、離婚直後のことではないのかとか、また、離婚後は双方が再婚の可能性があるわけです。新たな家族を形成することもあります。再婚率は離婚した男女の5割か6割という統計もあるのですが、なかなか有子離婚の場合の男女のことは、少し探したのですが、なかったのですけれども、双方あるいは片方に再婚した配偶者や、出生した、養子縁組したこどもが増えるという状況の中でも保てる規律にすべきであるというところが抜けているのではないか、議論としてここをきちんとやらないと、きちんとこどもの利益に合致して、かつ安定的に運用できる規律になっていないのではないかという疑念がございます。   具体的にどうすべきかということを多分問われるのだろうと思うのですが、私は監護の在り方のところの規定に影響するのかなとは思っておりますが、そういう立論でない可能性もある、そこはもう本当に法学の方たちにお知恵を拝借したいのですが、そもそもこういうふうな展開であることに非常に疑念を持ちます。   また、もう一つ、法的なアクセスの問題がございます。この審議会はこどもの福祉の向上、こどもの貧困の解消に資するということで設置されていたかと思います。私どものしんぐるまざあず・ふぉーらむという団体は、会員数が9,000人ぐらいに増えてしまっているのですけれども、今年度の食糧支援は、ほっと安心便という食糧支援を4,300世帯が申込みされました。激増しています。そのスタートをしているのですけれども、4月に頂いた感想の中で、こどもの食事のために母親が自分の食事を抜いているというような方がいらっしゃいました。少し長くなるのですが、ごめんなさい、読ませてください。   こどもの要望をかなえてあげたくて、たまに私の夕飯を抜いたりしていたら、こどもが、ママ、御飯は食べないの、私の半分あげるよと、うれしい言葉をもらいました。ママはおなかがすいていないのだと言うと、分かった、お皿を空っぽにするから見ていてと、うれしい言葉をもらい、その言葉でおなか一杯になりましたという感想を頂きました。言葉でおなか一杯になりますか。それはいいでしょう、気持ちでこう書いてくれたのはうれしいです。この家庭が司法アクセスできると思いますか。親権停止の手続できると思いますか。家庭裁判所に案件を持っていって、自分で意見の対立を訴えることができるのですか。それがこどもの福祉にかないますか。非常に議論が軽くなっていると思いました。ごめんなさい、こういう状態は放置されてはいけない状態だと思います。   とはいえ、少し論点に入らせていただきます。ページ1、1から区切るとおっしゃっているので、1のところだけ申し上げます。まず、1(1)ですね、ただし書が曖昧だと思います。どのような場合なのかを明確にしてほしいということがございます。しかし、これを例示するのか列挙するのか、それは本当に難しい課題だと思っております。   (2)日常的な行為と緊急の行為というのがあります。それで、資料を付けさせていただきました。高裁那覇支部の方ですね、2022年12月6日、毎日新聞、夫同意ない中絶、医師に過失なし、これは医療の分野での人工妊娠中絶の問題で、配偶者の同意のあるなしが問題になっているケースですが、少し類推していただきたいのですが、人工妊娠中絶のケースで、高校生など未成年のこどもの妊娠はかなりあるわけですけれども、その中絶のケースで、医療行為として保護者、親権者の同意が必要であるとしているクリニック、医療機関というのはかなりあります。こういった場合は緊急のケースとして認定されるのか、妊娠22週になれば人工妊娠中絶はできなくなります。では、こういうことに引っ掛かるかもしれない、でも一方では、遠くにいたり同意が取れない親権者がいた場合どうするのか、こういったことを一体どのように規定するのか、例示するのでしょうか。ではこどもの妊娠中絶手術は緊急の行為として認定しますとするのか、あるいはそこまで列挙できないのであれば、どのような処理をしたらこどもの利益になるのか、そういったことは議論をもっと丁寧にすべきだと思います。   (3)父母の意見が対立するために親権を行うことができないということです。この場合は、裁判所が当該事項について親権を行う者を定めるとあります。これもよく分からないのですが、例えば中学3年生のこどもの塾の選択を、意見が対立した。よくある御相談なのです、今でもあります、別居親との意見の対立がありますとかですね。この場合、塾の選定にするのか、こどもの進学先全般とするのか、そのこどもの教育というところでするのか、そういったことが分からなかったので、どのように処理されるのか、範囲の広さが不明なので、これも紛争の種になる。そしてまた、先ほど言ったような法的なアクセスの問題ということをどのように処理するのかということが分かりませんでした。多分、広くとった方がいいという議論もあり得るとは思うのですが、どのようにお考えなのかというのを少しお聞きしたいと思いました。   (4)ほかの一方の意思に反した場合でも効力が妨げられないという規律についてですが、関連資料で、これが適用されるのかどうかあれですが、大津地裁、昨年の2022年11月17日の娘への手術、面会禁止された父親の同意なしは違法ということで、3歳の娘さんが肺の動脈弁をバルーンで拡張する手術、それほど重くはないかもしれないけれども、ある程度の重大な手術だと思います。これを受けるときに、面会交流を家裁が禁じている父親の同意を経ずに実施したところ、損害賠償請求をされたという事件でございます。これは、滋賀医大ですかね、が地裁では負けているのです。お父さんに損害賠償をするように言われ、今も多分争っていると思います。こういったケースで医療機関が萎縮したり、同意を取れない場合にどうするのかということは、当然あり得ることです。これまでも教育に関しても、2020年5月に私どもが推薦してヒアリングを受けていただいた方が、離婚後、お父さんがこどもの学校の退学手続をしようとして非常にもめたという事件をヒアリングで御紹介したと思います。その場合は離婚が成立していて、親権者は単独になっていたので、学校が納得して、今はお父さんであるけれども親権者でないということで、その依頼をなかったということにしたわけです。こういう場合にどのように処理されるのか、一つ一つ、やはり議論が行われるべきなのではないかと思っております。   2からの議論は省略します。もう一つ危惧していることが、親権停止・喪失の手続についてです。この資料26には、意見が対立したり、あるいは意見が調わないときには、相手方の親権停止あるいは喪失をすべきであるということが繰り返し書かれておりました。また検索を掛けて数えたのですけれども、親権停止・喪失、あるいは親権の停止といった文字列で検索すると7回出てきました。かなり多いなと思っております。ページ7からページ8、ページ12では親権停止の審判、ページ14では親権者の一方が子への関心を失うなどして適切な親権行使をしないケースにおいて、親権停止や親権喪失によって対応するというようなことが書かれております。また、ページ21、居所指定のときに親権停止を行うとか、23ページ、親権行使が不適切な場合というようなことが書かれております。   私は、資料26の書きぶりを見ると最初、すごく親権停止、親権喪失をどんどんやっていいよという方針を変えるということを表明されているのかなと感じました。それだけやりますよということを表明されているのかと思ったのですが、しかし、司法統計を見ると、親権停止の件数は年間260件、親権喪失の件数が年間140件、これが令和2年の数字でございます。しかも、多くが児童福祉、児童相談所経由のものが多く、それ以外の関連の方が申立てしているケースは余りないのかなと、実態を御存じの方はもっとフォローしていただきたいのですけれども、また、児童福祉法の28条や33条の、ここにも資料が挙がっておりますけれども、一時保護とかとのバランスも当然あるのだろうと思うのです。そこについては全く門外漢ではあるのですけれども、意見が対立した、意見を調整できないときには親権停止・喪失がありますよねという資料26の書きぶりが果たして成立しているのか、いないのかが私には判断ができないというか、ましてや、ページ14は、これは後かもしれないのですけれども、子への関心を失うなどして適切な親権行使をしないケース、協議離婚でどこに行ってしまったか分からないみたいなケースも親権停止の対象になるというのは、今までにはこういう事例は利用例がないと思います。こういうところまで適用しますという意思表明をしていいのかどうかも分からなくて、非常に拙速な議論のように受け止めました。   私どもは就労支援事前面談などもこの間、しているのですけれども、掛け持ちをしているお母さんと事前面談するのが、平日の夜22時だったらできますと言われて、22時に面談した方もいらっしゃいます。そんなことで一体法律アクセスを、スマホで親権停止の申立てができるというようなことだったらあり得るのかもしれないのですけれども、でも、カウンターアクションもあります、当然相手がいろいろなことを言ってくる、それに対応できるのかとか、リーガルハラスメントの温床となるのではないかとか、こういった議論とか、弁護士を頼むことができるかとか、いろいろなことを考えると、軽々にこういったことができるからよいですねと言えるのかどうかというのも非常に、分からないと思ったので、是非もっと詳細な御説明が欲しいと思いますし、親権停止がありますからこれでいいのですという書きぶりで果たしていいのかということも、議論になるかなと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。赤石委員からはいろいろな御指摘がありましたけれども、3点ないし4点にまとめられるのかと思って伺っておりました。一番最初におっしゃったことは、この資料の枠組みについてで、それは重要な御指摘だったのではないかと思います。婚姻中の親権の共同行使という問題と、それから離婚後の共同行使という問題の関係をどのように考えるのかということで、この資料がどういう考え方に立っているのかということも含めて、検討を要するのではないかという御指摘だったかと思います。また、離婚直後とその後で事情が変わることがある、これは3の親権者の定めの変更というところとも関わってきますけれども、その点を考える必要があるのではないかということを、御指摘いただきました。   それから、2番目の問題として、法的なアクセスとおっしゃいましたけれども、手続負担の問題を御指摘になっているのだろうと思いました。これは最後、4点目として御指摘になった親権の喪失や停止という制度がどのくらい使えるかということとも関わるところかと思いますが、そうした御指摘もありました。   そして、3番目は1の(1)から(4)までについて御指摘がありましたが、ルールの明確化を図らないと使えないのではないかという御指摘だったのではないかと思います。   4番目は、既に申し上げましたけれども、喪失ないし停止についてですけれども、これはゴシックに出ているわけではなくて、それらも最後の受皿としてはあるといった位置付けになっているのではないかと思いますが、この点はまた後で必要に応じて御議論を頂きたいと思います。 ○小粥委員 委員の小粥でございます。前回の部会の議論を受けまして、離婚後の男女、父母についても、一定の場合には親権の共同行使を行うべき場合を認める可能性を前提に議論していくということになりますと、その場合に、離婚後の父母の親権共同行使についての何らかの規定を設けていくことが必要でありますから、その意味では、このようなゴシックの1の(1)から(4)までのようなことを検討するということも必要なことだと思います。   具体的に申しますと、(1)は共同行使する場合があるということを提案するもので、現在の婚姻中の父母の共同行使と同じ考え方ですけれども、(2)と(3)は、現在の婚姻中の父母の親権の共同行使に欠けているルール、少なくとも明文上は欠けているルールであります。これについて、(2)は解釈上このようなことが可能だという意見は有力でございますけれども、しかし、こういったことを法律に明記していくということは、少なくとも現在の婚姻中の父母の親権の共同行使についての民法の規定内容と比べれば、はるかな前進であります。(3)につきましても、現在婚姻中の父母の親権共同行使の場合に、父母間で意見対立があった場合にどうすればよいのかということは、民法からはっきりと読み取れないわけです。これについて民法にこの種の規定を設けるということも、これも現行法からすると確実に前進であります。(4)は、現在の婚姻中の夫婦の民法第825条の規律をこちらに持ってこようということだと理解いたしますけれども、(2)、(3)、(4)、それぞれ詰めるべきところはあるとは思いますけれども、基本的に現在の婚姻中の父母の親権共同行使の規定の不存在、何もないところに少なくとも前進、プラスの規定を設けていこうということでありますので、基本的には今よりは確実によいということだと承知いたします。   なので、今後の父母について共同親権行使の可能性を認めるという場合には、このような方向で検討するということは適切なことであろうと思います。もちろん(2)や(3)で打ち止めにするということを望んでいるわけではなくて、これをベースに、少しでもまた前に進めていくということであるつもりではございますけれども、また、(4)も825条の規定がそのままでいいとは限らないという意見もあると思いますけれども、少なくともこれをベースにして前に進むという方向で議論するということは必要なことではないかと考えます。   先ほどの赤石委員のおっしゃった司法アクセスの問題は、私も重要であると考えますけれども、しかしそれに先立って、やはり実体法の規律を明確にすると、実体法の規律を明確にしなければ、最終的に司法にアクセスしたところで、司法がその権利を実現するというときに、その実現すべき権利がないということになってしまいますので、やはり実体法をまず整備すると、特にその中心である民法を整備するということは重要なことではないかと考えております。   以上が、基本的にこの方向は、離婚後の父母について共同親権行使を認めるということを考えた場合に、こういう方向で考えていくことが適切ではないかということであります。しかしながら、二つ留保と申しますか、追加で申したいことがございます。   その追加の一つ目は、先ほど赤石委員がおっしゃったこととも関係するのですけれども、離婚後の父母が親権を共同行使するという場合に、これは、離婚後にも父母は子の親権行使という限度では共同して、ある程度協力するということが前提になっているわけです。婚姻中の父母であっても関係が良好な場合もあれば、関係がよくない場合がございますし、それから、離婚後の父母であっても関係がよい場合、よくない場合があると思います。しかし、離婚後の父母が親権を共同行使しようとする場合に、どういう考え方で離婚後の父母が親権を共同行使するのか。やはり基本的な考え方を示す規定は、もちろん今はないわけですけれども、規定を置くにしろ置かないにしろ、どういう考え方に基づいて離婚後の父母の親権共同行使に関する個別具体の規定を設けていくのかを検討しておくべきではないかと。   例えばですけれども、それがよいかどうかということは全く分かりませんけれども、離婚後の父母は、子の親権行使の限りでは協力しなければならないとか、あるいは双方の人格を尊重しなければならないというようなことを定めれば、それを前提にして、それにもとるような状況がある場合にはその親権を制限する根拠にもなり得るし、あるいは、その規定が離婚後の父母の親権共同行使の在り方のベースを示すというようなことにもなり得ると思います。とはいえ、実際に婚姻中の父母と、それから離婚後の父母について、違いを法律上作ることができるのかどうかというのは、私は本当にできるのかどうか分からないようなところもあると思っておりまして、それは何でかと申しますと、法律で決められることは最低限のことのように思いますので、それで婚姻中の父母にも、それから離婚後の父母にも、様々な関係があると思いますので、実際上、法律の規定としてどこまでその区別というものができるのかどうかというのは分からないということでございます。しかし、一定の議論は必要ではないか。これが留保の1点目ということになります。   それからもう一つ、二つ目の留保は、離婚後に共同親権行使を認める領域を作るという場合に、やはり前回の議論でもしばしば出てきたのはDV・虐待の問題についてどう考えるかということでありまして、もちろん親権停止とか喪失の制度ということの利用も考えられるのですけれども、先ほど来少し話題に出ましたけれども、先週、DV防止法の改正の法律案が可決成立したという報道に接しました。それで、ここら辺でこの部会でも、DV・虐待に対抗する措置として現行法上、民法だけではなくて様々な法律に基づいて、どういう対抗措置を講じることができるのか、あるいは行政の側でどんなことができるのかということを、できれば一覧できるような形にして、それで、どこが足りないところがあるのか、我々で手当てできるところはどこなのか、関係省庁に協力を求めるとしたらどういうところなのかということを整理して、それはそれとしてやると。   しかし、もう一度最初のところに戻りますけれども、民法の改正を議論すると、特に離婚後の父母の親権共同行使について、まず問題を一つずつ区切って議論していくということであるといたしますと、1の(1)から(4)のような方向で考えていくということは適切だと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。小粥委員からは二つの方向での御意見を頂きました。一つ目は、基本的にはこの1の方向で検討を進めていくということでよいのではないかということだったかと思います。中でおっしゃっていただきましたけれども、1の(1)から(4)までのうち(1)と(4)は、現行法の規律をここに当てはめているというものであるのに対して、(2)と(3)は、現行法について問題があり、一定の考え方が示されてきたけれども、はっきりしないというところであると、そこで、この(2)と(3)について明確なルールを置くということに意味があるのではないか、このような御指摘、あわせて、赤石委員の御指摘はあったけれども、まず実体法の内容を明らかにすることに意味があるだろうということもおっしゃっていたかと思います。   他方、2番目に留保とおっしゃいましたけれども、更に必要なことという御趣旨でおっしゃったのではないかと思います。一つは、離婚後の父母の共同ということについて、ベースになるようなルールを何か置くことはできないか、もう一つ、ずっと問題になっているDVや虐待について、現在の対応を整理した上で、民法で何かできること、できないことを考えていく必要があるのではないか、このような御指摘だったかと思います。 ○原田委員 今の御発言に少し質問があったのですけれども。 ○大村部会長 短くおっしゃってください。 ○原田委員 (2)と(3)が、今の規定にないところを作るのだから前進だということは、婚姻中の父母の共同親権の在り方にも適用するという趣旨ですか。 ○小粥委員 そのままスライドして持ってくるのだとしても、よいということで、婚姻中の問題を今議論しているのではないと思っていますけれども。 ○原田委員 そうですか、分かりました。 ○大村部会長 今のところは少しどこかで整理する必要があるところだと思います。ここで出ているものは、差し当たりは今、離婚後の問題を念頭に置いて考えておりますけれども、前回にも、婚姻継続中の親権の共同行使についての規律があり、そこにも問題もあるので、それとの連続性を考えて検討すべきではないかという御意見がありました。そこで、連続して考えるべき事柄は何であり、赤石委員からも御指摘がありましたけれども、連続させない方がよい事柄とは何であるのかといった形で、どこかで整理をする必要があると受け止めておりました。原田委員、それでよろしいでしょうか。ありがとうございます。 ○石綿幹事 幹事の石綿です。まず全体として、ゴシックの1のような方向性で整理を行うということについては賛成しております。直近、議論の方向性について大村部会長及び先生方から御指摘がありましたが、現状の婚姻中の親権の共同行使においても、何を共同で行使するのかということは実は問題になっており、その点の学説の議論があるわけですが、婚姻中、離婚後の双方について、共同でしなくてはいけないこと、単独でできることを一定程度明確にするということにつながると思いますし、また、1(3)のように、父母の意見対立がある場合でも裁判所の関与が明示されるということも、親権の共同行使を考えていく際にはよいことではあると評価しております。その上で、少し多くて恐縮なのですが、手短に5点、指摘させていただければと思います。   まず、単独で行い得ることについてです。日常的な行為について単独で行えるということは、現行の婚姻中の共同親権についても同様に考えられておりますし、比較法的にも、そのような運用の国が多いかと思います。例えばフランスでは、日常的な行為については事実上、単独で行うことが認められております。このようなことからも、日常的な行為について単独で行えるとする基本的な方向性には賛成いたします。ということが、まず1点目ということになります。   2点目は、これらの単独で行い得ること、あるいは反対に共同で行わなくてはいけないことについて、具体例を列挙するのか、条文化するのか、解釈に委ねるかということについては幾つかの選択肢があるのだと思います。いずれも、その中心的な点についてはイメージが部会で共有できたとしても、周辺部分については見解が一致しない、イメージも一致しないということがあるかと思います。そのような中で、部会としても最終的に何をどこまで提示していくかということについては、必要最低限の部分について一致できるのであれば、一致できる部分を何らかの形で示すということもあり得るのではないかと考えております。   第3に、赤石委員から御発言があった点とも関連しますが、資料12ページの3(2)及び現行法の民法第818条3項のただし書の解釈とも関連いたしますが、父母の一方が親権を行うことができないときというのをどのように解するのか、これをもう少し明確にしていくのかということは検討した方がよいのではないかと思います。父母の一方が音信不通となる、子に関心を持たないというようなことが、前回の会議で赤石委員から御懸念が紹介されていましたが、行方不明になるとまではいえない、所在は分かっているが連絡は取れない、連絡をしても応答がないというようなときに、親権を行うことができないといえるのか、あるいは黙示の合意があると解するのか、さらにはゴシックの3の親権者の定めの変更の問題になるのかといった複数の選択肢があるのだと思います。資料12ページで、日常的な行為等ができるから一定程度問題がないだろうというのは、実際としてはそのとおりかもしれないとは思いますが、一定の共同でしなくてはいけない行為というのは残り得るということになるかと思いますので、この点への対応をどうしていくのかということは議論を深める必要があるのかなと思います。   それから、4点目と5点目、併せてということですが、赤石委員が最初に御発言なさった、婚姻中と離婚後の問題を同様に考えるかという点、また、小粥委員が留保の2点目と御発言なさったことに関連することになります。婚姻中と離婚後の親権の行使の態様を同じに考えるかどうかということ、これも比較法の話で恐縮ですが、例えばフランス法では、父母の共同生活の解消は親権の行使の規則に影響を与えないと規定をしており、婚姻中と離婚後の親権行使についても同じ規定を用いております。したがって、現状の資料の考え方の枠組みというのは、一つあり得る考え方として理解できるのだと思います。   ただ、先生方の御発言があったように、離婚後も婚姻中と同様の親権行使のルールを用いるのであれば、当然の前提として、こどもの利益のために、父母は離婚後も子との関係では協力をするという黙示の前提があるということになるのだと思います。その上で、小粥委員が御発言なさったように、父母が協力をしなくてはいけない、双方の人格を尊重しなくてはいけない、恐らく新しく民法第821条にできた規定を念頭に御発言なさったのではないかと理解をしておりますが、そのようなルールを入れていくのか。また、小粥委員は恐らく、そのようなことに反した場合は親権制限等の可能性もあるということの御発言もあったかと思いますが、そこまで大きな効果を求めていくかというのは、様々な議論があるのだろうと理解をしております。考え方の基本理念を入れたときに、そこに大きな効果を含め何等かの効果を持たせるかというところには議論があるかと思いますし、理念については提示をしても、効果には慎重になるという選択肢もあるのかと思いますので、その点も、幾つかの考え方をまた慎重に考えていっていただければと思います。   申し訳ないです。長くなりましたが、以上です。 ○大村部会長 ありがとうございました。全体としては、ここでの方向で議論するということでよいのではないかという御意見だったのではないかと思います。その後、4点ないし5点について御発言がありましたけれども、その順番ではなくて、多少整理をさせていただきますと、議論が分かれ得る点について御意見を頂いた点と、更に検討が必要だとされた点とがあったように思います。前者に含まれるものとして、単独でできることがあるが、それはそれでよろしいのではないかということを、外国法の例を挙げておっしゃったかと思います。それから、婚姻中と離婚後とを同じにするのか否かということについても、同じという考え方はあり得るので、それを前提に規定を置いて、その効果等を考えていく必要があるのではないかという御発言があったと思います。あとは、規定の定め方として、列挙をするのかどうか、親権を行うことができないときの中身を更に検討する必要があるのではないかという問題の御指摘を頂いたと受け止めました。ありがとうございます。 ○武田委員 親子ネット、武田でございます。今日もよろしくお願いいたします。私の方から、1の意見を申し上げる前に、赤石委員が出された大津地裁の判決に関して、この記事内容ですと全て記載し切れていないと思いましたので、少し補足をさせていただければと思います。   これは昨年11月に報道が出た際に、私は個人的に関心があったので、判決文を取り寄せまして、改めて確認をさせていただいております。判決文を見る限り、今から申し上げるような事実認定がなされております。四つほどですかね。1点目、原告、つまり別居親ですが、娘の治療方針に関心を有しており、担当医との面談を行うなどしていたこと、要は無関心な親ではない、これが1点目かと思います。2点目、これは報道になかったので、何でなのかなと思ったのですけれども、担当医は原告、つまり別居親に対し、今後の治療については父親と母親の双方から同意を取る旨の説明をしていたこと。つまり、この担当医自身も説明の必要性というのは認識していて、そのような発言も原告に対してあったということです。これも報道では触れられておりませんが、3点目です。母親、同居親も、娘の診療記録の開示に対して同意書を提出していた、お母さんも実は同意していたわけでございます。最後4点目、この原告、別居親は親権停止の審判はなされていないということ、こういう事実認定がなされております。こういった事実があるにもかかわらず、病院は父親の同意を得ずに手術を行ったと、それに対して訴訟を提起したというのが背景事情かなと考えております。   大津地裁の判断なのですが、このように判断をしております。緊急性が高く医学的に正当性が認められる治療行為については、説明、同意のプロセスを欠いていたとしても正当化されることを前提としていること。つまり、今回の部会資料26の1と同様の考え方を既に採っているということかなと思います。あと、本件の治療は説明、同意の手続を踏んだ場合に治療の機会を逸するとは認められない、つまり緊急性がない、そのようにいっています。あと、この治療のリスクについては、このように言及しています。本件の治療には、バルーンが体内で破裂すること、遠い将来に右心室の負荷が起きること、カテーテルで心臓を突き破ることなどの可能性が伴うものであったこと、つまりリスクがあると、このように判断をしております。判決文を見る限り、この訴訟を提起せざるを得なかった父親の気持ちも分かりますし、大津地裁のこの判決も妥当かなと感じております。   今回、部会資料26には、父母の一方が親権を行えないとき、緊急の行為を行うとき、親権の単独行使が可能になるという整理になると思っています。つまり、今回の大津地裁の判決をより明確にする方向で、規律化する方向で検討が進んでいると、こんなふうに理解をしております。   秘密裏に子の手術を行ってしまおうとする、少し今回の事案とは違いますが、こういう一方親がいたとして、この選択が常に子の利益にとって望ましいということなのかというところに疑問を感じますし、一方親が不適切な選択をしようとした場合、ではその子の利益はどうやって守るのだということに関して、やはり一定の規律は必要だろうと私としては理解をしております。まずは、この大津地裁の関係に関しての補足を述べさせていただきました。   本題の1に関してでございます。(1)、(2)、(3)、(4)ともに、基本的には弊会のパブコメ意見で出したものと同様の方向であると思いまして、賛同したいと思います。このゴシックの記載ベースで詳細を検討いただければと思います。その上で、(2)、(3)、(4)に関して意見を述べさせていただきます。   まず、(2)に関してです。従来から、父母が共同で親権を行使するに当たって、適時適切な意思決定ができず、親権行使ができないおそれがあるという懸念意見が示されてきたと思っています。特に、日常的な行為に関しての父母の合意を得ることは現実的ではないという指摘も従来からありましたし、パブコメの中でもそのような意見が出されていると理解をしております。これに対しまして、私どものパブコメでは、日常的な事項に関しては、その時点でこどもを監護する一方親が決定する、つまり、同居親と過ごしている時間は同居親が日常事項を決定すればよく、例えば親子交流中など別居親と過ごしている時間は別居親が日常事項を決定すればよいという考え方でございます。   この議論は、以前も触れたことがありますが、米国はカリフォルニア州での離婚協議で定められた事例をベースに議論をしたものでございます。具体的にはこのように書いてあります。共同監護その他行使に当たっては、その行為がこどもの身上監護に関する命令と干渉しない限り、両親は単独で行使する。もう1点あります、父は母の養育時間を除き身上責任を負うものとすると。このような記載があって、私どもで内部的に検討しました結果、日常事項に関しては双方干渉しない方が、葛藤が高まることもないし、逆に日常的なことまで口出ししたいわけではないという結論を得まして、意見として提出したものでございます。   弊会のパブコメに関しましては、今回配布された5月暫定版の6ページの三つ目、番号70番ですね、こちらで紹介されておりますし、同様の意見を別の別居親団体も、4ページの一番下ですかね、こちらで同様に意見が提出されていますので、是非御確認いただければと思います。私ども親子ネットの意見が全ての別居親の立場を代表するものではありませんけれども、弊会のパブコメはパブコメとしまして、600名以上の会員の総意を得て提出した意見であること、弊会以外の別居親団体も同様の意見を出していることから、別居親が日常的な身の回りの世話にまで介入したいと考えているわけではないということを委員、幹事の先生方には御理解いただきたいと考えております。   また、緊急事項に関しましても、これも以前の部会で発言させていただきましたが、こちらも父母それぞれが単独で行うというのが弊会の意見でございます。とはいっても、何をもって日常的な行為や緊急の行為とするか、それぞれが単独で行った行為がこどもの利益に資さない場合にどのような手続で解決していくのかというところは、今後の先生方の意見を踏まえて検討していくべきと考えます。   次に、(3)に関してでございます。こちらにも基本的には賛同するものでございます。弊会といたしましては、裁判所が親権を行う者を定めるにとどまらず、親権の行使内容にまで踏み込める可能性はないか、また、合意形成を促す場を提供いただくことはできないかという意見をパブコメにて提出をしております。日常的な意見対立に裁判所がそもそも関与できるのか、子の養育方針に関して、その対立に立ち入った判断ができるのかという指摘は理解した上でありますが、一律に親権の行使者を定める方向にとらわれず、内容に踏み込める余地がないかということを検討いただきたいという立場であることをお伝えしたいと思います。   今、余地ということを申し上げました。ここは事務当局に1点、質問をさせていただきたいと思います。ゴシック(1)の3、裁判所の審判で定めるのは親権の行使内容ではなく、どちらの親が親権を行使するのかという親権行使者のみと理解をしております。これは飽くまで審判のケースだと思っておりまして、例えば調停手続において親権の行使内容を定めることも可能と理解してよいのか、見解をお伺いしたいと思います。   最後、(4)に関してです。冒頭述べたとおり、方向性に関して賛同するものでございます。第三者の子の保護の在り方等々、この辺りに関しましては法学者の先生方、実務を担われている弁護士の先生方からの御意見、御指摘がこの後もあろうかと思いますので、指摘を踏まえて引き続き検討を進めていただければと存じます。 ○大村部会長 ありがとうございます。武田委員からは、1につきましては(1)から(4)までを含めて、全体としての方向に賛成であると、ただし詳細は今後検討するということになるであろうということが、まず最初にありました。それから、(2)、(3)、(4)について御意見を頂きました。(2)、(3)については御自身のお考え、お立場というのをお示しいただいたものと理解いたしましたが、それとの関係で質問が1点あったかと思いますので、事務当局の方で何かあればと思います。 ○北村幹事 事務当局でございます。今、武田委員から1(3)について御質問を頂きました。(3)の規律については、家庭裁判所において父又は母の請求によって、当該事項について親権を行う者を定めることができると定めており、御質問としては、審判手続の中では親権を行う者を定めるということなのだろうけれども、調停の場合には更に踏み込んで、その具体的な内容を定めることができるのかという御質問だったかと思っております。   基本的には、調停手続の中でその親権の行使内容について当事者である父母が合意をすれば、その内容を調停調書に記載するという形で取り決めるということ自体はあり得るのかなと思っております。したがって、1(3)については、今御質問いただいたような取扱いを否定するというものではないと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。(3)の中身自体については更に検討をする必要があるかと思いますけれども、事務当局から差し当たりのお答えはいただいたかと思います。 ○青竹幹事 資料26の1に関しましては、できるだけ現実に即して親権を共同行使できるようにし、そしてまた、共同行使が困難な場合への対応を検討しようとする方向性自体は、基本的には支持できる内容ではないかと考えてはおります。   ただ、赤石委員から御指摘いただいたように、当事者の状況をよく聞いて、不都合ができるだけ少ないように、より十分な対策を綿密にとっていく必要があると感じております。特に、共同親権者とする決定をする際に、一方の圧力を受けて他方が共同親権に合意してしまったというような場合への対応、こちらはより慎重に検討すべきであると考えております。1については、方向性はいいですけれども、やはりこの問題は3のところで別途検討していくということが必要ですので、3のところでまた御指摘させていただきたいと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございました。青竹幹事からも、基本的にはこの方向に賛成だということで、ただ、当事者の事情に応じた対応が必要だということで、前回も話題になりました合意の問題をしっかり考えなければいけないという御意見をいただきました。3の問題はそれと関連するところがありますので、また3のところで、あるいはその後に別途、御意見を頂きたいと思っております。 ○戒能委員 ありがとうございます。戒能です。今、青竹幹事がおっしゃってくださったことに、特に後半部分ですね、十分に留意しながらというところは、本当にそのとおりでして、そういう意味では、これは3のところでお話しした方がいいのか、よく分からないのですが、やはり前回は、半数以上はというようなおまとめをなさいましたけれども、真摯な合意のある協議離婚というケースに取りあえずは焦点を当てて、具体的に議論をしていこうというおまとめだったと思うのですが、そのこと自体をきちんと議論したいというのが第1点です。   それで、協議離婚についてなのですけれども、日本の離婚の9割ぐらいなのでしょうか、協議離婚が占める、それにもかかわらず実態が分からないという状況がある。その中で、ほかにどういう調査があるのかということは明確ではないですけれども、これは赤石委員が代表を務めていらっしゃるしんぐるまざあず・ふぉーらむも含めたサポート団体の連合が、去年の夏頃でしたか、協議離婚についての調査をなさっています。それで、今、青竹幹事からも、当事者の状況をよく理解してということをおっしゃっていただきました。それから、小粥委員からも、更に必要な検討点ということ、留保事項とおっしゃったのですけれども、そこに、婚姻中の父母の関係、それから離婚後の父母の関係も多様であるというような御意見があって、そこをよく、どういう条件があれば共同行使ができるのか、それから、共同行使の基本的な考え方をきちんと議論すべきであると、正にそこにつながると思うのですが、その調査結果、詳細は皆さんにも既に資料として昨年、配布をしていただいておりますので、その中で協議離婚についての分析も、早稲田大学の石田京子さんの分析も配布してありますので、それを御覧いただきたいと思います。協議離婚の協議が十分できたのか、協議離婚で面会交流、それから養育費の問題の結論に対して満足しているのかどうかということで聞いていると、協議ができたと、そこの結果にも満足しているというような。 ○大村部会長 戒能委員、協議離婚の合意に関わるお話であるのならば、3のところでお願いいたします。1の方について、もし今この段階で御意見があればと思います。 ○戒能委員 それでは、3のところでお話しすることにいたします。   それで、1点、手続的な問題、法的アクセスですね、リーガルハラスメントの問題としても出されておりますが、そこと実体法、確かに実体法を先に議論するのだということは分かるのですが、法的アクセスというのは当事者にとっては非常に重要な問題だという認識を、先ほどの赤石委員のお話からも、理解が十分できるのではないか。そのことが、当事者というか父母に対してだけではなくて、こどもへの影響が非常に大きいのだという観点もそこには欠かせないのではないかと思っております。   ですから、1の特に(2)、(3)ですか、新しい今までなかったものを民法に新たに規定していくという点の意味はあるとは理解いたしますけれども、中絶の問題を出されましたけれども、そういうことも含めて、一つ一つ丁寧に議論していくことが必要であると、1については思っております。   それから、親権停止手続うんぬんというところも、そこももう少し、これは民法の問題ではないかもしれませんけれども、児童福祉法との関係とか児童虐待で出てくる問題なのですが、そこもきちんと議論すべきだろうと思っています。それでは、後で3のときに発言します。   それともう1点、これはどこで発言すればいいかというのを部会長にお聞きしたいのですが、親権の問題、最初に補足説明で出ていますよね。親権概念というところはどこで議論なさるのでしょうか。 ○大村部会長 いま親権の概念を議論することは、考えていませんが、親権の概念については、また別途と思っております。 ○戒能委員 分かりました。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございました。最初に、青竹幹事の御意見、特に後半部分に賛成だということで、合意の問題について御発言がありました。これは前回から非常に重要な問題として出ているところですので、先ほど申し上げましたように、3を含めて、今後議論すべき問題だと思っております。戒能委員には、またそこで御発言を頂きたいと思います。それから、手続と実体の関係ですけれども、もちろん手続の方も必要なのですけれども、実体のルールを考えるに当たって手続的な負担をどのように考えるかという形で、これに配慮するということも考えられるだろうと思って伺っておりました。それで、1の中身については、2や3のようなルールを導入するということに意義があるということは分かるので、慎重に議論していけばよろしいという御意見として承りました。 ○大山委員 ありがとうございます。大山でございます。2点ございます。   1点目は、先ほど来、他の委員の方からもいろいろ御指摘が出ておりますけれども、(1)、(2)、(3)のところで、何が日常で、何が緊急か、といったところや、裁判所の判断基準、考慮要素等は、これから更に検討が必要であるとの認識ではございますが、その上で、事務当局よりお示しいただいた方向性については賛成でございます。   その上で、2点目といたしまして、1の(4)にございます共同名義行為の効力の部分につきまして申し上げます。こちらも先ほど来、婚姻中と離婚後が本当に同じ規律でよいのかという御指摘がございますが、私も、特にこの効力のところでは、その点が同じ規律でいいのかというところは懸念を感じております。特に、ここにあるような案ですと、単独での親権行為を逆に助長してしまわないかといったような部分も、おそれがあるのではないかと感じております。理論上は、婚姻中も離婚後も同じと考えられるのかもしれないのですけれども、やはり実態面は、やはりあくまで離婚後になりますので、婚姻中と全く同じようにコミュニケーションを取れるのかといったときに、仮に真摯な合意の下での離婚カップルであっても、長いその後の月日の経過とともに、例えば相手が再婚するとか、当事者を取り巻く環境も変化したり、いろいろなケースが考え得ると思います。そういった中で、ベストシナリオだけではなく、やはりいろいろなパターン、グラデーションを考えると、ここは婚姻中と離婚後は分けて考える必要があるのかなと思います。   また、取引の相手方を保護するといった意味でも、逆にこの点は分けて考える必要があると思いまして、何かしらの規律を設けるということが必要だと思っております。その際、悪意だけではなくて、それぞれがやはり自分の信念に基づいて子の利益と思っていることで行使をするというパターンも大いに考えられると思いますので、そういったところの規律については是非御検討いただきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。大山委員からは、細部は別にして、全体としては賛成であるという御意見を頂いた上で、1(4)については婚姻中と離婚後は分けて考える必要があるのではないかという御指摘を頂きました。なお、ただし書に出てくる、「相手方が悪意であったときは」という相手方は、父母の一方から見た他方ということではなくて、法律行為の相手方ということですね、例えば契約の相手方ということです。それから、悪意は事情を知っていたということなので、相手を害するというか、相手に対してよくない思いを持っていたといったことではないということを申し添えておきたいと思います。そういうことも説明資料等には書いた方がいいのかと思いながら伺っておりました。ありがとうございます。 ○柿本委員 柿本でございます。私からは3点ございます。まず、青竹幹事の後半部分、それから戒能委員と小粥委員と重なる意見がほとんどでございますが、申し上げます。   まず1点目、離婚後にも父母の真摯な合意により双方を親権者とするということで議論が進んでおりますが、やはりこれは当事者への慎重な配慮が必要であると考えております。   それから、2点目でございますが、(3)のところ、家庭裁判所は父又は母の請求によって、と表現されておりますけれども、当事者の置かれている困難な現状に寄り添って考えてみますと、この請求をするということ自身、とてもハードルが高いように思います。これは、今まで出ておりました司法へのアクセスが困難であると、私もそのように考えます。   それから、3点目でございますが、小粥委員がおっしゃったように、現在、DV、虐待などにどの様な対抗措置をとることができるのか、DV、虐待などを正確に判断することがほとんどされていないように思われますので、リソースなどをきちんと構築していく必要もあると考えます。小粥先生から実体法をまず整備すべきであるとお聞きしましたので、これは並行してやっていくべきなのではないかと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございました。柿本委員からは、合意に係る問題として当事者への配慮が必要であるということと、それから、父又は母の請求によりという形で裁判所で解決するということが困難である場合もあるのではないかと、そして3番目に、先ほどから出ているDVの問題についての対応というのが必要ではないかという御意見を頂きました。 ○池田委員 弁護士の池田でございます。1(3)について、まず申し上げます。   双方が親権者である場合の共同行使について意見対立がある場合に、家裁が決定権者を決めるという点についてです。この提案は当該事項の事前の調整を企図するものですけれども、事後的調整を可能とすることも検討する必要はないかという問題点を指摘したいと思います。確かに今すぐ決めなければならないことは、緊急の行為として父母の一方が決められるというようにするのであれば、養育に関する事項を決められずに、結局それについて親権行使ができないで、子の不利益になるという問題は回避される場合があるというのは理解できます。例えば、こどもが交通事故に遭って、すぐに外科的手術が必要というような性質上緊急性を帯びた事項であれば、これで対処できるということになるのだろうと思います。   しかし、性質上緊急性を帯びているとは必ずしもいえないような事項でも、父母の協議の開始が遅れて、事実上期限が切迫しているというような状況も実はよくあるのではないかと思われます。例えば、受験のための塾をどこにするのかとか、どのコースを選択するのかといったような、もちろん前もって決めることも可能なのですが、やむを得ず直前に慌てて決めるということも多い事柄なのではないかと思います。その場合も緊急の行為に当たると解するか、あるいは、親自身の契約行為なので親権共同行使の対象ではないと解すればいいのかもしれませんが、違う解釈もあり得るとすれば、家裁の審判を申し立てなければならないことになる。ただ、それを拙速にやっていいわけではなくて、手続ではやはりこどもの意見も聴いていただきたいですし、そうやって丁寧に審理をするとなると、結局時間切れになってしまって、その事柄が実施できないというおそれもあります。このようなよくあるケースも考えますと、やむを得ない一定の場合には、一定の期間内に事後的に審判を申し立てるということも制度として考えてよいのではないかと思います。それが1点目です。   あと、これも今申し上げることかどうか、少し伺いたいのですが、別居の際の居所指定権というのは、3の後辺りに補足説明では書いてあるのですが、それはどこで意見を申し上げればよろしいでしょうか。3のところ、でも、2に関するのですかね。 ○大村部会長 今、御質問いただいておりますので、事務当局の方から、どこで扱うかにつき、何かあればお願いします。私自身は、ここではなくて、少なくとも後ろの方で扱うのが適切かと思っていますけれども。 ○北村幹事 まず、1については現行法の理解を前提としたこの枠組みについて御議論いただいた上で、居所指定のところはまた個別に御議論いただければと思っています。 ○池田委員 はい、分かりました。では、差し当たり私の意見は以上です。 ○大村部会長 ありがとうございます。御質問がありましたけれども、それとは別に、具体的な問題として1(3)について、事前の調整のほかに事後的な調整という考え方もあるのではないかということで、それが必要であると考えられる場合について御指摘を頂きました。その中で、親自身の行為との関係に関わる話が出てきましたけれども、これもどこかで整理が必要なのかと思って伺っておりました。 ○沖野委員 ありがとうございます。委員の沖野でございます。1につきまして、基本的にこの方向がよいと考えております。それで、父母双方が親権を有する場合における親権行使の在り方ということで、冒頭、赤石委員から、同居協力扶助義務といったような夫婦間の関係が裏打ち、あるいは前提として、ない中において、婚姻中の親権の行使と同じように考えていいのかという御指摘がありましたけれども、だからこそしっかりと規律を設ける必要があると考えております。夫婦としては関係を解消したとしても、共にこの子の親であるという地位はずっと続いていくわけであって、その双方が2人でこどもについて共に親権を持って育てていこうということを正に真摯な合意をしているというときには、双方が親権を持ち、かつ、それをその合意の内容として共同で行使していくという在り方が、やはり適切だろうと考えられます。   もちろん、できないときは仕方がないという、場面によってはそのような場合があるというのはそうであって、(1)はそのようなことを示しているものと思われます。そうはいっても、同居等がない中でどのような形で共同で意思決定をして行使をしていくのかということについては、同居協力扶助義務が裏にないような関係についてどうかということを決めていく必要がありますので、小粥委員や、あるいは石綿幹事がおっしゃったような、そのときの基本的な考え方あるいは指針というものを明確にしておくということは、大変重要だと思います。夫婦関係が解消したという中にあっても、こどもの養育については協力して当たっていくという相互の協力義務、それから、互いを尊重してやっていくという相互の人格尊重の義務というのを明らかにするというのは、意義のあることだろうと考えます。   ただ、今のような、こどもの教育について相互に協力していく、あるいは相互の人格尊重というのを明らかにするのだとすると、それは婚姻中でもやはり同じではないかという問題がありますので、この後についてもそうなのですけれども、今回は婚姻解消後の双方が親権を持つと仮定した場合の在り方というのを考えておりますけれども、その中には、むしろ婚姻中についても及ぼしていくとか、用意をしていくということが考えられてしかるべきだというのは、(2)や(3)だけではなくて、今のような一般的な義務についても考えられるのではないかというのは、更に考えていく必要があると思っております。   (2)や(3)というのは、確かに婚姻中でも問題となることですけれども、同居がないというような中で、それでも協議をしてこどもの養育に当たっていくというときには、それができないという場合として、あるいはそうする必要はないという場合として、それを明確にしていくという必要性は一層高いと思われますので、(2)のような規律が設けられる必要があるだろうと思います。   なお、緊急の行為の概念についてなのですけれども、ここでは父母が協議して共同の意思決定でやっていくということからすると、共同の意思決定や協議を待っていたのでは間に合わない、こどもの利益にならないというような場面が考えられるのだろうと思います。したがいまして、直前に池田委員から御指摘のありました、性質上、交通事故に遭って直ちに入院というような場合はもとより、もう少し早く示してくれれば協議の余地もあったのに、今では間に合わないというような場合は、だからといってこどもにしわ寄せをするというわけにはいきませんので、まずは決定した上で、事後の調整が可能であれば事後の調整を考えるということになるのではないかと思っております。したがいまして、緊急の行為性というのは、あるいは婚姻中と婚姻解消後とでは、具体的には違ってくることもあり得るということがあるのではないかとは考えております。   (3)につきましては、裁判所で最終的な決定というか、対立を解消して、こどものための意思決定をしていくという手法を用意するというのは、これは婚姻解消の段階だからこそ、同居して一緒にやっているというわけではないからこそ、最後の最後、こういった制度を用意しておくということにはやはり意義があるのではないかと思います。具体的な在り方がこれでいいのかというのは、この後、詰めていくべきことだと理解しております。   あと、(4)につきましても、前提が違うという面もございますので、このままでいいのかという問題はあろうかと思いますけれども、基本的にはこのような問題についても考えていくべきだという点では、1の(1)から(4)までについて、おおむねといいますか、細部は更に詰めていく必要があるだろうと思いますけれども、このような規律を考えていくべきだということに賛成だということでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。沖野委員からは、全体として賛成であるということを踏まえつつ、(1)から(4)につきまして個別に御意見を頂きました。その中で、離婚後について協力関係が得られないのではないかという点に関して、だからこそルールを明確にする必要があるという御指摘があったかと思います。それから、ここに書かれているものは、婚姻中についてもやはり当てはまるということがあり得るので、それについて議論することが必要だろうという御指摘。3点目として、しかしながら婚姻中と離婚後で違う扱いをすべき場合もあるという御指摘もあったかと思います。これは最初の赤石委員の御指摘からつながって出ている問題ですけれども、離婚後の問題と婚姻中の問題を、共通点と相違点というのを意識しながら議論するという御意見として承りました。 ○窪田委員 委員の窪田でございます。今の沖野委員の御発言とも重なる部分はあるのですけれども、まず最初に、(1)から(4)の規律については、現行法に定められた(1)、(4)、その隙間を埋めるものとして(2)、(3)という全体構造は十分によく理解できます。したがって、こういった形で問題を考えていくということは十分にあり得る選択肢だろうと思っています。   その上で、赤石委員からの御指摘もありましたし、今、沖野委員からの御指摘もあったのですが、父母が共同して親権を行うということが、現行法では婚姻中の共同親権であるということで余り神経質にならずに、その意味が何となく理解されてきたということがあるのだろうと思います。それを前提とした上で、しかし、日常的な行為については単独でもできるのだということを明確にするというのは、婚姻中の共同親権の在り方については十分にあり得るのかなと思いつつ、ここからは自分自身の考えがまとまっていないのですが、離婚後の別居を前提とした関係において、同じ規律で大丈夫かどうかというのは少し気になる点があります。   外国法の紹介というのがありましたが、ドイツ法では、別居の場合における共同配慮の行使の仕方ということで二つ定めています。その定めが子にとって重大な意義を有する事務について決定する際には、親双方の合意を必要とする。他方で、日常生活の事務において同居親が単独で決定する権限を有する、としています。なお、その日常生活の事務については、日常生活の事務における決定は、通常頻繁に生じ、かつ子の発育に重大な変化をもたらすような効果を持たない決定であるとしています。私自身はこのドイツ法みたいな、重大な決定と日常的な決定と、両方ともについて規定すべきだという趣旨では全くないのですが、原則と例外を定めるときに、場合によっては、父母がもう離婚している、そうした状況では、共同の意思に基づいてというのが一体何を意味するのかということについて、疑義が生じるようにも思います。その点では、重要事項について共同で意思決定をしなければいけない、あるいは合意が必要だということを定めるという方法もあるのかなと思いました。ひょっとするとそちらの方が簡単にできるのかもしれないということで、これは、是非ともそうしてくださいということではなくて、まだ選択肢の中に残しておいてもらって、考えるという余地があるのではないかというのが一つです。   もう一つは、先ほどからずっと出ている医療についての問題なのですが、医療についての問題をこの場面で扱うというのは、私も大事だとは思いますが、現在の一般的な理解では、必ずしも親権の内容だと捉えられていないようにも思います。そうだとすると、親の同意が必要だということは一般的な理解があるとしても、親権者の同意というのが法的にきちんと説明されているわけではないのが、現在の状況だと考えられます。だから議論の対象から外しましょうということではないのですが、医療に関する同意の話を中心にしてこの問題を議論しない方がいいのではないか、少なくとも基本的な仕組みを考えるときには、一般的な意味での身上監護、あるいは財産管理の話を中心にしてまず議論をして、その上で医療についての同意の問題を扱うというのが適当ではないかという印象を持ちました。 ○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からも、全体としてはあり得る考え方であろうという御指摘を頂いた上で、具体的な問題について2点御指摘があったかと思います。一つ目は、1(2)@、日常的な行為というものが挙がっているのですけれども、日常的な行為は単独でできるという規律の仕方のほかに、重要な行為については双方でしなければいけないという規律の仕方もあるだろう、どちらがよいか更に考えるという形で選択肢として残しておいた方がいいのではないか。これは、先ほど石綿幹事がおっしゃった列挙するかどうかということとも関わってくるのではないかと思います。それから、医療の例が今まで幾つか出ていますし、実質的な問題としてもかなり重要な問題であることは確かなのですけれども、これについては親権の問題としてだけ議論できないことがある、あるいは親権の問題ではないという整理もされているところなので、議論するときにこれを典型問題としない方が混乱がないのではないかという御指摘を頂いたかと思います。ありがとうございます。 ○大石委員 ありがとうございます。委員の大石です。婚姻中の状況をある意味、準用するような形という枠組みが、まだ私もしっくり来ないところがありまして、やはり離婚後というのは経済主体としては別の世帯を構成して生計を成り立たせていくという性質があるのではないかと、そのことが双方に様々な影響を及ぼすのではないかと考えております。また、別居親が再婚するようなケースを考えてみますと、この枠組みでは利害対立、コンフリクトが生じるのではないかと思われます。例えば、離別したこどもの進学と、今現在再婚して生まれたこどもの進学と、どちらをより重視するのか、どちらにより経済的リソースを振り向けるのかといったような葛藤を別居親の方が抱えることもありうるわけで、そうすると、離婚後も共同して合意を形成というときに、なかなか難しい状況が生じるのではないかと思います。   それから、2点目としては、父母双方が親権を有する場合に、親権行使の在り方について疑問を持っております。例えば、養育費の支払いが滞っている、あるいは支払っていない、けれども双方で親権を持っているというような場合に、こどもの養育に経済面では関わっていないにもかかわらず、何か重大な事案に関しては意見を言う、親権を行使することができるというふうになるのでしょうか。あるいは経済的な面での養育義務を果たしていない場合は、親権を停止したり、親権を片方に移転する理由になり得るのかといったことについて、疑問に思っておりますので、法的な観点からの御教示を頂けたらと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。大石委員から幾つか御指摘を頂きました。大石委員の区切り方と多少違うかもしれませんが、一つは、婚姻中と婚姻後をやはり同じに考えるというのは難しいのではないかという御指摘だったかと思います。今回出ている資料は、婚姻継続中ならばどうなるかということを言わば参照基準にして、そこから問題を洗い出して、それについてどう対応するかという形でできていると思います。先ほどから出ているように、ここは違う方がいいのだという御意見もあるでしょうし、ここは同じ方がいいのだという御意見もあるだろうと思いますので、更に議論が必要だと思って承りました。それから、もう一つは、再婚の場合、それから養育費の支払いとの関係についての御意見ないし御疑問がありましたけれども、これもやはり赤石委員だったでしょうか、事情が変わったときにどのように処理するのかという問題として、検討すべきことかと思いました。再婚後に親権や扶養の関係がどうなるのかは、そのこと自体が整理の必要な問題だろうと思って承っておりました。 ○向井幹事 最高裁家庭局の向井でございます。最高裁からは1(3)について、実際にこの手続を担うことになるという立場から意見を述べさせていただきます。   まず、父母の意見が対立した場合に、家裁が親権を行う者を定めると、こういう規律を設ける必要があるということにつきましては一定程度、理解をしているところでございます。ただし、中間試案時の裁判所のパブリック・コメントでは、この論点に関しまして、裁判手続上の懸念点として、主に三つほど意見がありました。   一つは、子の養育方針には多様な価値観があり得るところ、裁判所が価値判断の優劣を判断することは困難であり、かつ相当ではないということで、裁判所が特定の価値観に肩入れしているかのような外観にはならないような判断基準が必要ではないかというものです。   二つ目が、親権の行使者を定めることにつきましては一定の審理期間を必要としますけれども、実際に親権の行使が必要となる時期までにきちんと適切な審理を尽くすことができるような制度にしていただく必要があるのではないかという点です。   三つ目としましては、これは中間試案時での話になりますけれども、「親権の行使に関する重要な事項」が裁判手続の対象になるとされていた関係で、この「重要な事項」というような内容では不明確なので、明確にしていただく必要があるのではないかという意見が出ておりました。今の三つ目の意見につきましては、今回の部会資料では、裁判手続の対象外となる行為を定めたという形で変わっていますので、直ちには当てはまりませんけれども、パブコメでの意見を今回の提案に置き換えますと、(2)の日常的な行為や緊急行為が何であるかについて、できる限り具体的に示していただく必要があるということになると思っております。   その上で、最高裁としての意見になりますが、今回提案されているような規律を設ける方向で議論を進める場合には、今言った主に三つの懸念に対応するために、できる限り具体的な規律を設けるよう検討いただきたいと考えております。また、具体的な規律を設けるといっても限界があることは承知しておりますけれども、なかなか難しいという場合でも、単に抽象的な制度論だけを議論するのではなく、解釈の指針ですとか審理の在り方といったようなことについてもきちんとこの部会で議論していただいて、できる限り部会としての方向性を示していただけると、非常に実務上、円滑に進むのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。向井幹事からは1(3)を中心に御意見を頂きました。1(3)のような規律が必要だということについては理解をするけれども、懸念点があるということで、三つの御懸念を挙げられました。それとの関係で、望ましい審理の仕方について、具体的な規律の内容をできるだけ明らかにしていただきたい、書き切れない場合については、解釈指針のようなものについて議論をしていただくと実務の安定の上で重要であろう、このような御指摘を頂きました。ありがとうございます。   約10分休憩いたしまして、15時20分再開ということにさせていただきます。休憩いたします。           (休     憩) ○大村部会長 それでは、時間になりましたので再開したいと思います。 ○久保野幹事 ありがとうございます。幹事の久保野でございます。私も共同で親権を行使する場合の方法や、起こり得る困難を想定しての手当てを行っていくという意味で、(1)から(4)をベースに検討していくということには賛成しておりまして、その上で(1)と(2)に関しまして、補足説明の方の(注3)、9ページ以下に引用されています未成年後見や児童福祉法との関連で若干、指摘をさせていただきたいと思います。   まず、(1)の共同行使につきまして、未成年後見について平成23年に1人ではなく複数選任できると変更しましたときに、複数の未成年後見人が身上監護について異なる判断や行為をすることの弊害ということを一つの考慮要素としまして、成年後見人とは異なり、共同行使にしたといった経緯があったかと思います。そのような判断にも共同行使というルールを設けるということは整合するのではないかと思っております。ただし、協力できる関係であることが前提であって、そうしますと、そもそも複数での共同行使を認めるかどうかという、言わば入口のところでの基準、あるいは真摯な合意というのをどう考えるかといったことが重要であるということは、何度も出ているとおりだと思います。   その点、未成年後見人の場合は裁判所が選任するわけですので、恐らく複数にしたときに協力してできないようであれば、そもそも選任されないのだと思いますので、そのような仕組みとなっているということは、一つには、入口における基準や在り方を考えるときの参照に値するのではないかと思います。また、協力につきましては、752条や821条を参照しながら、協力義務や互いの尊重といったことを手当てしていく方向性があり得るといったことにも賛同するものであります。   次に、(2)ですけれども、まず日常行為につきまして、比較法的にも共通しており、という御指摘もあり、円滑にこどもの生活を送らせていく上で基本となる規律なのではないかというふうに、受け止めております。また、緊急の行為につきまして、児童福祉法上の33条の2の4項ですとか47条5項に表れているような緊急の行為については、親権者がある場合であっても、児童相談所等がその行為ができるといったようなルールを支えている価値判断にも、このような緊急の行為についてルールを設けるのは整合するように思っております。   児童福祉法上の条文の方は、親が親権を持ちつつ、なお児童相談所等が行為をすることを想定しての枠組みですので、想定されているのは狭い範囲ではないかと思いますけれども、その中核となり得るものを参照し、どこまでを認めていくのがよいのかということを議論する際に、これもやはり参照に値するということではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。久保野幹事からは、1の(1)から(4)をベースに議論するということについては賛成であるという一般的な御意見を頂いた上で、個別の問題について議論をするに当たって、未成年後見についての改正後のルール、それから児童福祉法上の緊急の状況に対応するためのルール、こうしたものとの整合性を念頭に置いて議論していく必要があるのではないか、あるいは、これらの考え方が参照に値するのではないかという御指摘を頂きました。 ○佐野幹事 幹事の佐野です。ありがとうございます。今回、枠組みについてということなのですが、出てきた中で、やはり離婚後共同親権行使を導入していくのであれば、親の協力義務とか相互人格尊重義務というのは必要になってくるのかと、伺っていて思いました。その上で、私が分からないと思った点、細かい話でここですべきでないのかもしれないですけれども、1点申し上げます。   1(3)なのですけれども、ここでは裁判所が調整する場面について、父母が共同して親権を行う場合となっているのですが、単独で日常行為ができるという規律を明示したときに、それぞれ独立して単独で日常行為を行った結果、こどもの利益を害するということがあり、その害する度合いが必ずしも低くないということがあり得るのではないのかと思います。例えば、食物アレルギーがある子が食べたいと言うからといってアレルギゲン食品を食べさせてしまうとか、あるいは服薬に関する意見が違うとか、それぞれ習い事を入れた結果、こどものスケジュールが非常に過密になってしまうとか、そういう場合は、確かに親権停止とか離婚後であれば単独親権に変えるなどが手段としてはありうるとしても、そのような大鉈を振るうよりも、むしろ当該事項について判断するというのが最小限の介入で済むため、そういう意味で、ここでの裁判所が判断する事項が共同で行うべき場合だけに限るとするのが適当なのかと思った次第です。 ○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは、何人かの方から出ている点ですけれども、離婚後について共同行使を認めるということになるとすると、そのベースになる規律が必要ではないかということと、それから、1(3)について、その対象をどうするのかということについて、日常的な行為についても事後的な問題が生ずることがあるといった御指摘がありました。これは先ほどの池田委員の御指摘とも関わるところで、後で処理をするという方向での規律を加えるべき場合があるのではないかという形で一般化して受け止めることができるかもしれないと思って承りました。ありがとうございます。 ○井上委員 ありがとうございます。委員の井上です。前回の部会でも発言をしたのですが、離婚後の父母が自律的に共同、協力している事例もあり、監護者を指定した方がよい場合も、しない方がよい場合も想定できることを踏まえれば、一律的に定めるのは容易ではないのではないかと考えています。 ○大村部会長 井上委員、いま、1、2、3のうちの1について御意見を伺っていますが、御発言は2についてですか。 ○井上委員 1について、全体をくくってというところです。1を全部ということ、どのように考えるかというところです。   検討に当たりましては、子の福祉や人権、人格を最大限に尊重することを大前提として、加えて、子に父母のいずれが監護者であるべきかを選択させるなど、子に心理的な負担を負わせないような制度設計をする必要があると考えています。 ○大村部会長 ありがとうございます。制度設計全体にわたる観点として、子の人格や福祉の尊重ということを考える必要がある。具体的には、子に心理的な負担を負わせないような制度というのが望ましいのではないかという御意見を頂きました。ありがとうございます。 ○原田委員 委員の原田です。いろいろ重なるかもしれませんけれども、今回の提案では、基本的に今の婚姻中の共同親権の在り方を検討した上で、それを離婚後どう引き継ぐか、あるいはどの部分を変えなければいけないのかというような検討、資料の提供の仕方になっているのかなと思ったのですけれども、これは元々、婚姻中の共同親権は子にとって親が話し合って子の福祉に合致するような決定を行うことが望ましいという前提があって、それは離婚後も変わらないのではないかということがあり、離婚という親のある意味、身勝手な選択によって親子関係が変わるのはおかしいということがベースにあったのではないかと思っています。   現在、婚姻中の親権の在り方としては、(注2)にあるように、ある程度寛容なというか、協議によって決める場合もあれば、一方が決めたことを追認するとか、あるいは一方の親に白紙委任するとかいう形を含めて、緩やかに共同親権の行使が行われていると思うのですけれども、私は、この離婚後の親権の行使の仕方を決めることによって、それが婚姻中の共同親権の在り方にも影響してくるということを念頭に置いて考えなければいけないと思っています。   離婚すれば基本的に別居して、相互扶助義務、これは今まで出てきましたけれども、ありません。仮にこどものためにお互いに協力しましょうとか、お互いに尊重しましょうとかいう規定を設けたとしても、離婚原因が何かにもよりますけれども、一般的には共同生活が行えなくなった当事者の関係が前提ですので、婚姻中とは全く違った状態になっていると思います。もちろんこどものことでは協力し合える関係の方がおられることは承知していますけれども、今回パブコメで回答を寄せられた個人の意見を、何十冊かある中の、私はまだ1冊しか読んでいませんけれども、本当にお互いを非難している意見が圧倒的です。   つまり、私は婚姻中の共同親権と離婚後の共同親権を同じに考えるのは無理だと考えています。そして、ここで一定の定めをしたら、結果として婚姻中の共同親権に跳ね返ってくると、これまでのように緩やかに決めてきたことができなくなるということを、婚姻中も裁判所で決めてくださいという事案が続発するのではないかと思っています。   だから共同行使、共同親権を反対だという、本心はそうですけれども、今の議論の前提はそうではないということは理解した上で話すつもりなのですけれども、その上で、共同親権とか共同監護を求めておられる方の御意見の中心は二つあって、一つは民法上の理念とか家族の在り方の多様性を法制度上認めると、もう一つは、こどもさんとなかなか会えない非監護親の方の強い要望、そこでは後者の方は、お子さんに会えないのは、会わせない監護親の問題だという前提で述べられ、だから権限をという理論構成になっていると思います。これではやはり、今までの議論で責任とか配慮とかいうことを言ってきたこととも矛盾しますし、権限を付与しても権限の対立になるだけで、新たな紛争が起こることは目に見えていると思います。   現に共同親権運動が始まってから、先ほどの赤石委員が紹介してくださった裁判例の中身の問題はありますけれども、DVとか虐待で避難した監護親を支援したということで、行政に対する訴訟とか、窓口での抗議とか、共同親権を盾に転園や転校を認めずに、こどもが幼稚園に通えない、学校は教育委員会が配慮しますけれども。それから、面会交流を妨害したということで、当事者のみならず、私も被告にされたことがありますけれども、代理人弁護士に対する損害賠償請求など、様々な訴訟が起こっています。これは、単に紛争が増えるということのみならず、病院とか行政とか、支援を躊躇する結果を生みかねないというところが一番恐い。逃がすことが主流の日本のDVの支援ですから、これが大きく後退する可能性があるということを是非御理解いただきたいと思います。   それを防ぐためには、これはもう2の方の議論になるということになるので、理由は述べませんけれども、共同親権を強制しないということです。まず、この前の話では、真摯な合意がある場合のみにするということ、もう一つは、仮に共同親権を導入したとしても、監護者を決めるということにすれば、婚姻中は監護者が決まっていないので、双方が共同で親権を行使し、共同で監護する。でも、別居した後、監護者指定をすれば、婚姻中でも監護者が決める、離婚後もそれは同じだというような、要するに、きちんと制度が違うということを前提とした仕組みを考えるべきではないかと。監護者を指定するということについては、2のところでまた述べさせていただきますけれども、私としては離婚前と離婚後では違う、別居を、その間の関係ですけれども、離婚に近い関係にするという制度を念頭に考えるべきだと考えています。 ○大村部会長 ありがとうございます。2については、後でまた御意見を伺いたいと思いますけれども、御意見としては、離婚後についてのルールが婚姻中に跳ね返るということについて懸念を持っているということと理解を致しました。ですから、これも既に出ているところかと思いますけれども、婚姻中をどうするかということについては、別途、改めて検討する必要がある、どこをそろえ、どこをそろえないのかということについては、今後検討する必要がある、この点は皆さんの共通の御意見であると理解を致しました。それから、共同親権を求める事情等についての御発言もありましたけれども、それは御意見として承っておきたいと思います。 ○落合委員 よろしくお願いします。京都産業大学の落合です。   1につきましては、(1)から(4)まで、大体基本的には賛成なのですけれども、ただし、赤石委員とかほかの方からいろいろ意見が出ましたように、これの実施に当たっては非常に慎重に、いろいろな場合を想定して行わなければならないということで、そのようなことを十分に書き込んだ上でということで、この方向でということに賛成したいと思います。   それが大前提なのですけれども、ただ、この論理の展開の仕方に少し分かりにくいところがあるような気がします。(2)が、つまり共同でなくてもいいことというのが書いてあるわけですが、これが、窪田委員も御指摘されましたように、元々は重要な事項については共同でというようなことがあったのに、そこから除外されるものを書くという形で、割と無難な書き方になっているともいえます。しかし、やはり共同の親権を持つ場合があるということが、今回改正するとしたら重要ポイントになるのでしたら、何を共同でしなければいけないかということを知りたいのが皆さんの気持ちだと思うのです。何は共同でしなくていいではなくて、何を共同してしなければいけないかが、やはりある程度明示されていないと、分からないだろうと思います。   重要な事項についての決定というようなことが前から挙がっていますけれども、それは、親権を義務と権利に分解できるのかよく分からないですけれども、できるとしますと権利の方になるかと思うのですけれども、義務の方についても明記するというようなことができないでしょうか。こどもを経済的にサポートすることであるとか、親であるからにはしなければいけないことをむしろ明示する形にするということです。離婚後に養育料を支払わないというようなことが問題になっているわけですが、共同親権というのはその問題を前に進めるための一歩にもなるべきですよね。であれば、決定に加われますというようなことだけではなくて、その義務的な面というものもしっかり伝わるような書き方にできないかというのが一つの問題意識です。   それから、権利的な面の方に移って、重要事項には何が含まれるのかというのも、列挙するのは難しいのかもしれませんけれども、やはりある程度書かれていないと、理解しにくいと思うのです。皆様の議論を伺っていますと、法律関係の方々は、ほかの法律ではこういう場合にそうなっているからというので、類推ができているようです。久保野先生がおっしゃったこととかですね。でも、一般の人はそういう類推ができないので、では何が共同で決めなければいけないこととして想定されているのだろうかということが全く分からないのは、やはりとても不安ではないかと思います。   それと関連してなのですけれども、(4)ですが、これは親権を二つに分けたときの身上監護権と財産管理権の財産管理権の方に関係することですよね。要は財産管理権について、一方が子に代わって法律行為をしたとき、もう一方の意思に反しても効力を妨げられないとあるのですけれども、私はここがよく分からなくて。財産管理権というのは親権の中の大きな部分のはずですよね。それを一方がしてしまったときに効力を妨げられないというのは、取引の方を、だから商業的な方面を円滑にするための規定なのかと思うのですけれども、しかし、これを一方が勝手にしたときに有効だというのは、一体どうして可能なのかと。共同で親権を行うということにしている人たちの場合、これがどうして有効になるのかがよく分からないのです。相手方が悪意であったときはこの限りでないという例外が示されていますけれども、それだけなのかと。普通の商行為であったら、片方の親がそんなつもりはなくても、例えば売られてしまうのかとか、そういうことがよく分からないと思いました。   一つ補足ですけれども、この相手方というのは、先ほど大村先生の方から補足がありましたけれども、契約行為の相手方なのだというのはやはり明示していないと、少しここは誤解を招くと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。落合委員からも、基本的には1の(1)から(4)をベースに更に詰めていくという方向でよいのではないかという御意見があった上で、具体的に何点かの御指摘がありました。三つぐらいあったかと思いますけれども、1(2)について、先ほど窪田委員から御指摘があったところですけれども、何を共同にするのかということを示す方がよいのではないかという御指摘が落合委員からもありました。書き方についてですけれども、この資料は、これまでにも御指摘があったところですが、現行法をベースにして書いておりますので、現行法であっても日常行為については、これは共同ではないという理解が支配的なのではないか、そこから出発しているので、こういう書き方になっているかと思います。最後にどうするかというところは更に議論が必要であって、重要な事項を明記する方がよいのではないかという考え方は、あり得る考え方として承りました。   それから、2番目に義務についてですけれども、議論をする際に区別すべき点は、親権の義務としての側面という問題と、親の義務という問題があって、養育費等の問題がありましたけれども、これは親の義務に関わる話であるとこの場では整理されているかと思います。そう整理した上でどうするかということにつきましては、前々回だったでしょうか、資料24で、一定の手当てをする、具体的には、現在の扱いをより確かなものとするための規定を置くということで、そちらで議論をさせていただいているとお答えしておきたいと思います。   3番目に(4)の問題がありました。(4)の問題が一般の方に分かりにくいのではないかというのは、先ほどの御指摘との関係で私もそう思いました。説明等は丁寧にしていく必要があるのではないかと思います。この(4)のルールは現行法のルールですので、現行法のルールが果たしていいのかという形で議論をするということかと思います。それとの関係で、対外的に契約が有効になったとして、内部で、父と母の間で、相手方の責任を問うということは問題にならないかということは、別途問題になり得るだろうということを申し上げておきたいと思います。 ○菅原委員 ありがとうございます。白百合女子大学の菅原です。既にたくさんの議論がございましたが、この1の(1)から(4)に関して、父母が双方でそれぞれ親権を行使する場合の原則が示されておりまして、基本的にはこの方向で考えていくということに賛成です。最初に冒頭の方で小粥委員がおっしゃられたように、(2)と(3)は特に新しいということで、この辺りに関しましては、婚姻中の夫婦であっても明確にまだ理解されていないというか、意識もされていないようなことも含まれていると思います。ですので、実際の運用に当たっては、丁寧に国民の理解を作っていく必要があると思います。   そのことは、しかし、私は家族の研究をしておりますので、こどものことはパパ任せとか、すべてママ任せとか、双方に責任があるということがあまり意識されていないご家庭もたくさんあるのですけれども、そうではなく、親になったからには単独で一人ずつこどもに対して親権、すなわち権利も義務も持っているのだということがきちんと法律に書かれ、人々が意識していく、というのは、日本の家族の将来にとって、またこどもにとって、私は非常に望ましいことだと思います。原田委員が先ほどおっしゃったように、家裁にケースが殺到して大変なことになるというようなことも現実に起こるかもしれないですけれども、波及的な効果として、婚姻中の父母に対してもお互いにこどもに責任を持つという自覚を促進する点でよいといいましょうか、長期的にはよい影響があるのではないかと感じます。   ただ、その具体的な手続についてはいろいろとハードルが高いところもありますし、たくさん意見が出ているように、(2)のところで、私も迷っているところなのですけれども、合意しなければいけないのはどういうことかという重要事項が少し明示されていた方がいいのではないだろうか、ということも感じています。   また、(3)につきましては、手続についてが細やかに考えられることが重要で、個人がダイレクトに家裁にアクセスするというのは非常にハードルが高くなってしまいますので、何かその間を埋めるうまい行政的なシステム等が、考えられていくべきですし、赤石委員がおっしゃっていたような、司法アクセスのサービスが低下してしまっては本当にいけないことと思いますので、この辺りのことについては丁寧に考えられる必要があると思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。菅原委員からも、基本的な方向には賛成だという御意見を頂きました。1の(2)や(3)のような新しい規律を導入するということで、明確化した規律を導入するということで、それはよいことだろうと思うけれども、しかし、国民の理解を得るということが必要であるので、きちんとしたルールを置くことが望ましく、それは婚姻中の父母に対してもよい影響を与えるのではないかという御指摘を頂きました。ただ、問題もあるということで、既に出ているところでありますけれども、(2)の日常的な行為に関わりますが、重要事項を列挙した方がいいのではないかという御指摘、あるいは、(3)の裁判所に行ってというのは、やはり負担が大きいのではないかといった御指摘を頂きました。ありがとうございます。 ○水野委員 ありがとうございます。委員の水野でございます。先ほど原田委員から、病院や行政庁などが消極的になってしまうという御心配を言われましたが、その点は実は私も同じように危惧しております。先ほど窪田委員からドイツ法の紹介がありましたが、西欧法は一般に婚姻中から、トラブル時には即時に介入することが前提になって、民法が動いているのですけれども、日本の場合にはその前提条件がないという問題があります。戒能委員や小粥委員がDVや虐待の対応との連携が必要だとおっしゃったのは、正にそういう点なのですけれども、それはにわかにできることではありません。そういう対応ができていない段階で、当初に赤石委員が心配されたように、いちいち当事者が重い手続で争わなくてはならないことになってしまうと非常に大変だということは、私もとても共感しているところです。   そして、先ほど落合委員が、このような漠たるものではなくて、もっと詳しくきちんと分からないと困るとおっしゃったのも、確かにそのとおりだろうと思います。ただ、民法に書き込めることには、限界がございます。日本では、確かに学校とか病院とか行政機関などが、責任を問われる可能性があると、とても消極的に自衛的になってしまう危険があります。この傾向は、ほかの省庁の審議会で脳死臓器移植などの仕事をしたときにも痛感しております。この点については、共同親権に踏み切るとなったら、関係省庁と詳しいガイドラインを作って、分かりやすく詳細な基準を設けて、行政的にスムーズに動くようにする努力が必要だと考えております。現在でも婚姻中から共同親権行使のトラブルはありますが、そこでも当事者をきちんと助けてあげることができていません。まして離婚後共同親権となると、トラブルはより深刻に大規模になる可能性がありますから、できる限りスムーズな親権行使ができるように行政的な配慮と当事者支援を構築することが必要だろうと思います。日常的な行為と緊急の行為は単独でできると大きく書いておられる、この全体の方針は、民法ではこれが致し方ないことと思いますけれども、そういうところで手厚く配慮をして、同時に動かすことを考えていただければと思います。   以上です。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。民法にルールを書き込むにあたっては、現状よりは詳しく書く必要があるとして、しかし、皆さんが望んでいるようなところまで書き切れるかどうかというと、それはなかなか難しいところもあるし、さらに、明示的にそうはおっしゃっていなかったかもしれませんが、それは適切でないところもある。しかし、民法のルールをバックアップするためのガイドラインのようなものを関係するところで作って、民法をベースにして、在るべき行為規範はどのようなものなのかということを明らかにし、これをサポートする必要がある。こういう御指摘だったと理解を致しました。 ○棚村委員 早稲田大学の棚村です。皆さんの貴重な意見を聞きながら、基本的には私も1のところの(1)から(4)について、具体的な規律を設けていくという基本的な方向性には賛成です。   3点ほどお話させていただきます。これまでの議論を少し整理をさせていただきたいと思うのですが、一つはやはり共同での親権、父母双方が関わっていくということの基本的な考え方についての確認です。離婚後の共同親権・共同監護法制については比較法的に見ると、父母双方に合意ができたとき、父母の合意があることを前提とするところもあります。それから、合意がなくても、裁判所が関わって、こどもの利益になるのであれば共同でやっていくというところもあります。そして、最近は、こどもや当事者の安全・安心の確保みたいなものも入れていくところも出てきています。この辺り、基本的にどういうふうな要件を充たせば、共同親権を認められるか、どのような制度設計にしていくかというのを、小粥委員が最初に言ったように、確認しながら、個別的具体的なルールの在り方を検討するというのが必要かなと思っています。   それから2番目に、皆さんからも出てきました、婚姻中と離婚後は置かれた状況がかなり違うのだから別々に考えるべきだという点も検討の必要があります。しかし、もっと前の問題として、そもそも婚姻関係と親子関係というのは連動させて考えるのか、それとも両者は切り離して考えるのかというようなことも考えてみる必要があると思うのです。この点につきましても比較法的に見ると、夫婦はもともと他人で、別れてしまえば他人になるのだけれども、親子関係は変わらないから、やはり親子関係については、こどもにとって、お父さん、お母さんとして責任を果たすべきなのだという考え方をする国もあります。アメリカでも、婚姻関係と親子関係は別の問題で両者は分けて考えるべきだとか、そういう割り切り方をして考えています。例えばイギリスでは婚姻中も、ある意味では、離婚後も、父母が共同で関わるということを前提としているのは、正に婚姻と親子関係は別次元で考える、だから婚外子の問題もそうですけれども、事実婚であろうが、そうでなかろうが、共同で親なのだから責任を負うべきだという考え方をします。この辺りもどれくらい離婚後と婚姻中とで違うかというのは、事実の認識とか評価もあると思うのです。   婚姻中、別居中の御夫婦の争いというのはものすごく熾烈で、7割ぐらいを占めておりました。形式的には婚姻が続くのですが、信頼関係や協力関係は壊れていて、そこが解決をしないために非常に高葛藤で大変な状態になっていることが少なくありませんでした。しかし、父母が離婚すると徐々に沈静化する傾向も見られます。だいたいですが、5年ぐらいたってくると少し落ち着いて、少しずつペースが出来上がるとか、3割くらいは徐々に争いも収まってくることも見受けられました。養育費相談支援センターや弁護士さんのお話を聞いたりしていても、家裁を見ていても、結構、別居中の御夫婦の争いというのは、先ほど言ったリーガルハラスメントみたいなものも出てきて、もちろん、離婚後に繰り広げられるケースもないわけではありませんが、婚姻関係の問題と親子関係の問題が混とんとして争われる傾向が見られました。当事者の状況や紛争の状態を、形式的に婚姻中と離婚後とで分けて考えていいのかと疑問に思うところです。しかも、私自身は、親の法的な責任とか、親子の関係の在り方はどう在るべきかというのを、婚姻中と離婚後とで分けられる部分もあるかもしれないですけれども、なかなかそれが連続していたり、当事者は切り離せずに、感情的心理的には激しく争ってしまいがちです。調査の結果を見ていると、婚姻中の親子の関係が余りよくない人たちは、面会交流とか、その後の養育費の支払いとか、余りよくないという傾向が出ています。逆に言うと、婚姻中しっかりとした良好な関係を持っていた親子の間では比較的、離婚した後もうまくいっているということが分かりました。言い換えると、婚姻中の親子関係の在り方もきちんと考えていかないと、離婚になったから親子としていい関係を作ろうと思っても、なかなか難しいのかなというのも調査結果からは出てきた示唆です。   私たちは、今ここで答えを出すというよりは、各論を議論したり具体的なルールを作るときに、婚姻関係と親子関係というのは分けて考えるのか、それともどうなのかということと、離婚後と婚姻中というのは、場合によっては海外なんかは別居制度があったりするので、非常にスムーズにクッションが入って、客観的な冷却期間として位置づけられルール化されています。しかし、日本の場合は婚姻と離婚という形で真っ二つに分かれて、しかも協議離婚という形で自分たちでやれという立て付けになってしまっているので、その辺りのことも含めて、婚姻中と離婚後のルール化ということについて、もう一度きちんと考える必要があると思います。   最後に、3点目なのですけれども、窪田委員がおっしゃってくださったように、重要事項ということになると双方が関与した方がいいという形になりますから、それをどう決めるかという問題と、それから、日常性とか緊急性という話で行くと、単独でやった方が早く決まって非常にスムーズだという感じになります。前から私は議論させてもらったのですけれども、重要というのは誰にとって重要なのかとか、そういう主観的な部分とか、当事者によって違ってくるようなところがあると思うのです。この辺りも、今後議論をするときに、重要なことでも日常的なことに含まれる場合もあるし、緊急性があった場合には単独でやらなければいけないということも起こり得ると思うのです。その辺りは少し重要事項、日常的事項、緊急的事項は、一律に分けるのではなく、個別的相対的に検討する必要があると考えています。なぜかというと、進学とか医療とか、転居なども、非常に緊急性が高い、こどもにとっても当事者にとっても重要度が高いとか、様々な角度から検討しなければならないと思います。いろいろな問題が起こったときに、じっくり話し合う熟慮の必要性というのと、それから、早く決めることが大事だという迅速性、その辺りがかなり相対的流動的な話ではないかと考えている次第です。   それから、こどもまで含めて考えると、親同士の関係性だけではなくて、こどもも入れた三面的な関係や構造になりますので、余り細かい具体的なルールを決めようとすればするほど、誰にとっての重要度なのだとか、誰にとっての緊急度なのだとかということで争いになるので、これは諸外国でもそうですけれども、紛争の熾烈化、長期化、泥沼化になるとして、簡易化、単純化の傾向も見受けられます。正直言って、比較法的にみると、細かく詳細な考慮事項や詳密で具体的に仔細な規律を、ルールを設けているところはほとんどないと言えます。つまり、ざっくりとした基本的なルールを決めながら、話合いを促進するとか、それから、争った場合とか対立があった場合に誰が決めるかを決めておくとか、いろいろな手立てをして、個別事案に柔軟に対応し、できるだけ裁判所で争うリスク・労力を軽減し、紛争がエスカレートしたり、長期化しないような工夫をされていると思います。   その辺りのところも、窪田委員も先ほど整理していただいたのですが、医療の問題というのは正に高齢者でもこどもでも、非常に特殊な事情なり要請も働いてくる部分なので、これを真正面から取り上げて、離婚した場合の日常的な事項か、緊急的事項か、重要事項かなどと論じて、一般的なルール化をすべきことかは、私も疑問をもっているところです。離婚後の共同親権の問題として、医療や宗教などについての具体例として議論することが本当にいいのかという点は疑問です。また、そういう意味では、水野委員が今おっしゃったように、余り細かいルール化をするということは、かえって紛争を生んだり、逆に対立を深める可能性もなくはありませんので、やはり民法は日常の暮らしの基本的なルールとして想定しておくという意味で大枠で議論しながら、個別的な問題が出てきたときにどういう解決やどういう方法がいいのかという辺りの具体的な規律の在り方を議論すべきだと思います。具体的なルール作りでは限界があるので、やはり民法のルールとしては、かなり抽象的、一般的な規律になってしまうことはやむを得ません。むしろその争いを解決したり、争いが起こらない予防するためには、実務指針とかガイドラインとかという形で柔軟に定め、むしろ紛争の予防に役立つような支援の中で考えていくというのではいかがでしょうか。   以上、長くなってしまいましたが、今回、実体法としてのルールが全くなかったり、それによって争いが非常に解決が困難な状態になっているのを回避するために、民法のルールを明確化するという意味で、(1)から(4)というのは、これが万全とは思いませんけれども、そういうような形で規律を設けていくことに賛成をします。ただ、三つの点について、少し留意点があって、その辺りのことが多分、今後の各論の議論の中でも分かれるところだと思います。しかし、差し当たりは、そのご意見が分かれる点と、分かれない共通のところの基本に何があるのかというところを考えながら、私たちは議論をできる限りかみ合うような形で進めたいと考えています。 ○大村部会長 ありがとうございます。棚村委員からも、基本的な方向には賛成であるという御意見を頂きましたが、議論の仕方について3点御指摘を頂きました。一つ目は、基本的な考え方とおっしゃいましたけれども、合意がある場合とそうでない場合ということで前回議論を致しましたが、合意とともに、子の利益、それから安心・安全とを考慮に入れて考えていく必要があろうという御指摘。2番目は、婚姻中と離婚後をどのように考えるのかという今日のこれまでの御議論と関わる話ですけれども、父母としての関係は離婚後も続いているという考え方、これはイギリスについて、お話がありましたけれども、ヨーロッパ大陸にもある考え方かと思います。そうした原理レベルの話と、それから、制度にしたときにどうするのかという話と、双方あると思いますが、その辺りを併せて考えていく必要があろうかという御指摘だったかと思います。3番目、重要事項の話が出ているのですけれども、最初におっしゃったのは、重要事項に当たるか、当たらないかは相対的に考えなければいけないという場合もあるのではないか、そうだとすると、列挙するということだけが選択肢ではないという御指摘を頂いたと理解を致しました。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。少し棚村先生にお聞きしたいのですけれども、支援の在り方というのはここで議論すべきではないというくくりになっているかと思うのですけれども、テレビを拝見したときに、クローズアップ現代、オーストラリアのファミリーサポートセンターのお話を棚村先生がされていたかと思うのですけれども、かなり、全国に何百か所もあって、そこが家裁でいろいろな、ここでは家裁にもう持ち込むということで書かれている、その手前のところの支援というのを行っているというようなことがございました。そういったものが多分必要かもしれないところを、日本でどうしていくのかというのは課題があり続けるというところは、どのように、少し御説明があってもいいかなと思ったのと、イギリスで、婚外子のことを少しお触れになっていたのですけれども、余り家族社会学の方も触れていらっしゃらないと思うのですけれども、今、婚姻に関してかなり法的な規定が増えてきていることで、かえって婚姻というのを避ける傾向があって、婚外子が増えているのかもしれないという認識がおありかどうか、少しお聞きしたいと思いました。フランスでも婚外子の出生率は多分、半数以上ですし、イギリスもかなり増えているかと思うのですけれども、やはりこれだけ婚姻に関して規定がたくさんあると、どうしてももう、日本は婚姻は結構まだ幻想があったり、結婚に対してのこだわりがある文化があるとは思いますけれども、今後どうなるのかなというのは思っているところで、何か少しその感触をお聞きしたいと思いました。 ○大村部会長 棚村委員、質問がありましたので、短くお願いします。 ○棚村委員 はい、手短にお答えします。赤石委員の御指摘のように、法整備と支援というのはできる限りセットでやる必要があるという点はずっと考えているところです。ただ、法制度について議論するこの場で、どこまでできるかというところで、いつも足踏みしてしまうところがあるのですが、こども家庭庁の担当の方も今回、入られていますから、是非その支援の方をしっかりやっていただくということでお願いしたいと考えております。そうすれば、法整備の方も、安心・安全がやはり確保される、これは正にオーストラリアとかほかの国が力を入れているところなので、大きな声で私も赤石委員と同じようにお願いをしていきたいと考えております。水野委員がいつもおっしゃいますけれども、私も同感です。   それから、もう一つの問題は、婚外子が増えているということはある意味では、同性婚が認められたり、日本とは違って婚姻そのものが相対化されていることもひとつの要因としてあると思います。つまり、婚姻したから、しないからということで法的保護が厚くなったり、薄くなったり、法制度から排除されたりということではないというのもあって、増えている面もあるのだと思うのです。もっとも、御指摘のとおり、婚姻制度が過剰な介入や規制をすれば、当事者はこれを回避する傾向も出てきます。逆に言うと、ある意味では、そういう形で婚外子、非婚の父とかそういうことの法的地位についても日本とは少し違う形で法の保護が入りつつあるということだと思います。   ただ、比較法というので先ほどから言っているのは、大きな流れについては言えるのですが、各国の文化的な、宗教的な、あるいは社会的な、政治的な背景の違いがあるので、なかなか海外の法制度を持ってくればいいとか、そういう議論は余り適当ではないと思っております。海外の動きは、経験として参考にしつつも、日本はやはり日本の現状の中で、どういう法制度、ルールを作っていることが一番いいのかというので考えるべきだと思います。赤石委員とか原田委員、戒能委員がおっしゃっているように、法制度は作ったことによってかえって支障とかマイナスが多いということになれば、またそれは考えなければいけないと思います。ただ、離婚後の親子関係の在り方について今の段階ではルールがないということについての問題も多いと考えていたりしますので、その辺りで具体的なルールをどういうふうに作っていくかということで、慎重かつ丁寧に議論していただけばいいかなということです。   すみません、答えになっていないかもしれません。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○原田委員 言い忘れたところで、1の(2)のところなのですけれども、日常的な行為を親権者が行うということにすると、先ほど佐野幹事もおっしゃったように、いろいろな混乱が生じる可能性があると思うのですが、従前の議論では、現に監護している親が日常的な行為、身上監護をするというふうな形で整理したのではないかと思うのです。だから、ここは親権を行うとしても、親権の中にはいわゆる身上監護と財産管理とあるのですけれども、それを全部持っている人がするのか、監護権を持っている人、あるいは面会交流中の監護者がするのかという、そういう整理があり得るのではないかと思いました。私もやはり重要行為について、監護権を持っていなくても、親権者が出てこなくてはいけないという決め方の方がいいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。先ほどから出ています、日常的な行為を規律するのか、それとも重要な行為を規律するのかということについて御意見を頂きました。その前提として、日常的な行為というものについて、それぞれ親権を行うことができるというのがこれでいいのか、別の仕切り方があるのかという問題もあるという御指摘も併せて頂いたと受け止めさせていただきます。   ほかに、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。   多くの皆さんからたくさんの御意見を頂きましたが、1の(1)から(4)まで、細部についてはいろいろな御意見がありますでしょうし、更に検討すべき事柄があるだろうと思います。しかし、次の2点を留保した上で、多くの方々は、この方向で細部を検討していってよいのではないかという御意見であったと受け止めました。   2点のうちの一つは、婚姻中と婚姻後の関係をどのように整理するかということで、ここは様々な意見がありました。共通のことは、この二つのことを対比して考える必要があるということ。対比して考えたときに、同じにすべきなのか、違うものとして考えるのか、この点については、一般論のレベルで、また、個別の問題について御意見が対立することもあるかもしれませんけれども、そのような問題として捉えて、なお考えていく必要があるのではないかと思っております。   それから、ここでは前提として、合意がきちんとできるということで議論をしておりますけれども、合意がきちんと確保されるのかということにつきましては前回から御懸念が示されているところです。本日の1についての御議論の中でも、それに関わる御発言が複数あったと理解をしておりますので、この点も別途議論しなければいけないと考えております。   以上の2点を留保した上で、取りあえずこの枠組みをベースに、更に細かい問題について検討するという方向で進めさせていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか。赤石委員、どうぞ。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石でございます。少し細かくはなるのですが、婚姻中というときに、本当にそれほどトラブルなく婚姻をしている状態と、実際のところもう離婚前の状況で別居している状態というのはかなり違う。となると、いろいろな懸念が示されたときに、婚姻後のいろいろな規律をしたときに、別居中のところに跳ね返っていくときに、非常にリーガルハラスメントを呼び起こす懸念もあるし、そこは意識して分けた方がよくて、健全なといったらあれですけれども、普通の婚姻中のものと、そこが含まれていると意識化しておいた方がいいのかなと思いました、ということです。 ○大村部会長 ありがとうございます。婚姻中の中に別居中は含まれるわけで、別居中の親子間の関係、あるいは父母間の関係をどうするのかということは、今回の議論の全体の構造にも関わる問題であろうかと思います。別居中も婚姻中なのだという御意見も皆さんの中にはあるのだろうと思います。そうした規律をした方が、ある考え方に立つと、望ましい結果が出るということはあると思います。他方、別居中は離婚後と同じだという規律をしないと不都合が生じるのではないかという場合もあろうかと思いますので、赤石委員の御指摘も踏まえて、婚姻中の中に別居中が含まれているということを意識して、現在のような扱いでよいのかどうか、この後検討するということかと思いました。御指摘どうもありがとうございます。   今のことを留保した上で、先ほどのような取りまとめでよろしいですか。   ありがとうございます。それでは、1についてはそのようにさせていただきます。   2と3をやりたいと申し上げたのですけれども、3は時間的に無理かという気がしてまいりましたので、2について御意見を頂いて、可能ならば2についての議論は一応終えたいと思っております。先ほど中身については御説明がありましたので、皆さんの方から御意見を頂きたいと思います。どなたからでも結構ですので、お願いを致します。 ○池田委員 弁護士の池田でございます。2ということですが、1も含めた提案の枠組みについて意見を申し上げたいと思います。メインは2ですが。   1、2の提案は、離婚後も父母双方が親権者となる場合に、原則として婚姻中と同様に親権は全て共同で行使するものとして、例外的に監護者を定めた場合には、親権のうち身上監護権は監護者が行使、財産管理権は共同行使という提案と理解しています。この大枠の提案には、離婚後は父母が別居することが大多数であるという実態に果たして適合的な制度なのかという疑問があります。先ほど来御指摘があった、離婚後と婚姻中を分けるべきではないかというのと同じ問題意識です。   確かに、ひとまずは協議離婚で真摯な合意があって、合意によって双方が親権者となる場合を今、想定していますので、当事者は選択するかしないかの自由がありますから、本提案のように、言わばフルサイズの共同行使を設計するという選択肢もあり得るところではあります。また、父母が共に子の養育に責任を持って一緒に考えることが子の利益を増進するのだという価値判断には、より適合的、あるいは一貫しているといえるかもしれません。   ただ、そうした制度とした場合に予想されることとして、父母としてはせっかく離婚したのにこれでは意味がないといって、鳴り物入りで導入した離婚後共同親権制度を結局回避するというような動きが出てくるのではないかということを思います。それから、何となく共同行使というのではないですけれども、双方が監護者も決めず全面的に共同行為ということは、逆に無責任になって、こどもを押し付け合うような事態が生じはしないかというようなことも考えられます。そうしたことを考えますと、確かに本提案は理論的に一貫性があって、分かりやすい制度ではある反面、実態に乖離する制度ではないかというふうな危惧を持ちます。   そこで、私としましては、離婚後の父母の大多数は一方がこどもと同居して、その同居親が監護の大半を担うという生活実態を踏まえて、これを制度として組み込むこと、つまり監護者指定を前提とした共同親権制度とするのが望ましいのではないかと思っています。もちろんこのようにしたとしても、ごく少数派ではないかと思いますけれども、監護者から非監護者への監護の一部委託という形で、より柔軟に共同性を高める運用をすることも可能だとは思いますので、それによる不都合というのはそれほど大きなものではないのではないかと考えています。 ○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは、2の(1)、(2)という分け方が実態と離れているのではないかという御意見がありました。御意見は、2を原則とするということではなくて、1をなくすという御意見ですか。 ○池田委員 いえ、監護者指定を必須とした1の制度とすべきだということです。つまり、2の(1)では、監護者指定を一律に要求しないとありますが、これを要求すべきだということです。その結果、1の規律が働くのは、結果的に財産管理権のみということになると思います。 ○大村部会長 監護者について指定しないという選択をしたい人たちについては、それは認めないという御趣旨ですね。 ○池田委員 はい。 ○大村部会長 それはどういう理由ですか。 ○池田委員 認めないというか、結果的に認めないことになるわけですけれども、1で想定している共同行使の制度というのは、監護者が指定されているという制度として設計されるべきだという意図でございます。 ○大村部会長 そういう御意見として承っておきたいと思います。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。私も2の点について、父母の一方を子の監護をすべき者とする旨の定めをすることは一律に要求しないという、試案の中のA案でなくてB案で行くということが書かれているわけですが、私も池田委員と同様に、やはりこれは監護者の指定をすると取り決めた方が現実的ではないかと思っております。先ほど、婚姻中と離婚後ではやはり共同親権の在り方が違いますよねというところで、どういうふうに違うのかということを規定するのかと、なかなか私も、これがいいのかどうかというのはまだ迷うところではあるのですけれども、いろいろな事案で紛争が起きる可能性があるときに、やはりこどもの生活を安定させるためには、どちらかが監護者になっているという方がこどもの利益になるのではないかと。   ただ、これだけ真摯な合意がある場合については、もちろんこどもの監護を一時的に担っていくということはあり得るし、それをやるだけの信頼関係があればいいとは思いますけれども、法律的に両方が担うということを定めてしまったときの不利益の方がすごく大きいような気がしています。   例えば、先ほど佐野委員がアレルギーのこどもに、卵アレルギーがあるのよと、それが分かったから卵は食べさせないでねと言っても、卵は食べさせなくても、卵を原料にするケーキですとか、いろいろなこどもが欲しいものがあるのを、それをきちんと分かってやっていただけるのかとか、面会交流のときのいろいろなつらい話を聞いていると、やはりなかなか厳しいという感じがしております。例えば、この子は早寝早起きにしようねとか、ゲームの時間をどうするとか、本当に日常的なもの、膨大なものがあって、それを監護している側のときには日常的な行為を全部決めますということが、武田委員がおっしゃって、それは理想として、そこには協力関係があればできるとは思うのですけれども、実際のところはかなり紛争の余地を作ってしまうというふうに、何を言っているのだ、お前は心配性なのだみたいな、いやそうではなくてみたいな、いろいろな話が出てきそうな気がして、とても恐ろしく思っておりまして、そこの辺りは離婚後の共同親権の在り方としては、やはり私は監護者を指定した方がいいと感じているところです。   取りあえずは、居所指定はないので、以上です。 ○大村部会長 ありがとうございました。赤石委員からも池田委員の考え方に賛成であるという御意見を頂きました。共同でうまくいくときにどうするのかというところについて、赤石委員は少しちゅうちょしておられて、池田委員もそこは少しちゅうちょしておられたのではないかとも思いますけれども、その辺りがどうなるのかというのは後の問題なのかもしれません。戒能委員、どうぞ。 ○戒能委員 お二人の意見に賛成であるとする結論です。それで、やはり監護の重要性、監護者の重要性というのをもう一度確認する必要があると思っております。それで、例えば重要事項の判断をするときにも、やはり日常的に生活を共にしていて、そこで全部分かるわけではないかもしれませんけれども、やはりこどもにとって何がいいかということを把握するための条件というのはあるのではないかとは考えております。   それで、もちろん十分な合意があって協力ができるという、ただ、これは今日は議論しないそうなのですが、真摯な合意の形成というところでいうと、余り割合は残念ながら多くはないということです。でも、一定程度いらっしゃるわけですから、そこは考える必要があるとは思っているのですが、ただ、資料26の補足説明の中に、16ページを見ていただきたいのですが、こういう考え方とは違うのではないかと少し違和感を持ちました。それは、2段落目なのですけれども、またのところで、日常的な行為や緊急行為については単独行使を認めるとすれば、監護者の定めをしなくても実際上の不都合が生じないと、不都合とは何だろうとかと思ってしまったのですが、そういう考え方でいいのかということがあります。   それから、もう一つ、今日の資料には出ていないのですが、実はパブコメで提出されました中間試案の補足説明という分厚いものがございました。それはその何回前かぐらいに突然出てきて、本当にびっくりしたのですけれども、後で御覧ください、27ページに、ほかの考え方があるということで括弧書きの中に入っているのですが、監護者の定めを禁止する考え方というのがあるとき突然出てきて、パブコメ用の補足説明にも生き残っておりました。これは禁止するというような非常に強い表現をしておりまして、そういうことを考えているのかと非常に驚いたわけです、禁止するとかそういうレベルの問題なのか、それには反対をしたいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。戒能委員の御意見は、池田委員や赤石委員と基本的には同じ方向だと承りました。最後の話は、今回それが提案されているということではないので、ここでの議論の外の話かと思いますけれども、そういう考え方に反対だという御意見は分かりました。その上で、他の2人の方もそうかもしれませんけれども、基本的にはやはり監護者を指定しないとうまくいかないのではないかという御懸念をお持ちで、監護者指定をベースにすべきではないかというお考えだと受け止めました。その上で、うまくいく場合もあるかもしれないけれども、それは少ないのではないかと戒能委員はおっしゃっているということだと理解を致しました。 ○小粥委員 委員の小粥でございます。池田委員を始め赤石委員、戒能委員の御懸念も理解できるつもりでございますけれども、このゴシックの2(1)の部分は、監護者の定めを一律には要求しないと。池田委員のお話は、基本的には一律に要求するという方向ではないかと思いました。しかし、両方で監護していくということも選択肢として全く認めないというような提案になるとすると、それは逆の意味で禁止ということにもなるのでありまして、少しこれはこれで狭量にすぎるのではないかと思うわけです。そういった選択肢を残しておくということは、私自身は有益なことではないかと思いますが、ただ、御懸念も私自身も共有するところでして、その問題は、今日の議論の対象からは外れるということですけれども、3の離婚後の親権者の定めの変更の仕組みというところに関連する問題として、離婚後の監護者の定めの変更の可能性なども併せて検討することによって合理化することはできるのだろうと思うのです。なので、現時点でゴシックの2(1)で、一律に要求しないということで選択肢を残すということの方が、私自身は相対的にはよいのではないかと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。小粥委員からは、今までの3人の方々の御意見は理解できるけれども、監護を共同で行うということを禁止することになり、それは問題があるのではないか。やってみたけれどもうまくいかないという場合はあるだろうけれども、監護者の定めを変更するといった対応も考えられるのではないか、こういう御指摘だったかと思います。 ○石綿幹事 幹事の石綿です。小粥委員の御発言と重なる点もありますが、発言させていただきます。子の監護をすべき者を一律には要求しない今回の御提案はあり得る考え方だと思います。赤石委員らが示された御懸念のとおり、うまくいかないケースがあるというのは、確かにそうなのかもしれませんが、ということではあるかと思いますが、小粥委員が御指摘なさったのと重なりますが、うまくいくような家庭というのもあるかもしれないので、そのための道を開いておくということは一つあり得るのかもしれないと思います。   子の監護をすべき者を定めない場合でも、子の居所というのは父母の一方の下に定めることはできるのだと私自身は理解しておりますし、恐らくそのようなことなのだと思います。要するに、監護者を定めずに、父母双方が事実上の監護を分担しているケースと、監護者を定めず、父母一方の下で監護を行うというケースがあるのだと思います。後者のようなケースであれば、実際に子を監護している親が日常の行為等については決定をしていくということになるのだと思うので、問題はそれほど生じないというふうになるのかと思います。問題は多分、前者のような、要は監護者を定めず、かつ父母双方が事実上監護を分担していくということなのだと思いますが、前者のようなケースについて、うまくいく家庭もあるかもしれないということで、道を開いていくということもあるのだと思いますし、また、どのような場合ならば監護者の定めをしなくてもよいのか、うまくいくのかというようなことをある程度、指針等、考え方を示していくという形で、一定の対応が可能になるかもしれないと思っていますので、現状でこの考え方をあり得ないという形にするのは少し早急かなと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事も基本的には小粥委員の御指摘の点が重要なのではないかということで、うまくいかないという御意見があるのだけれども、うまくいくとしたら、それはどういう場合なのかということをもう少し議論する必要はないかという御指摘を頂きました。 ○佐野幹事 幹事の佐野です。私は、一律定めることを要求しないという意味では、賛成ということにはなるのかもしれません。ただ、やはり監護者を定めないということを認めるのだとすると、最終的に監護の方法とか、いわゆる766条に書かれている事項を決めることが協議離婚の場合の条件にならないという前提で考えると、これは監護者も親権者も何も決めずに協議離婚ができるということを認めることになってしまうものにならないかと懸念します。   問題は、確かに監護者を定めなくても適切に監護できる夫婦もいるかもしれませんが、他方、子について何も決めない、親権者も監護者も何も決めないという合意、これが合意なのかよく分からないですが、そのような合意をもって離婚してしまう夫婦をきちんと峻別をするゲートがない点にあると思います。したがって、もし監護者を定めない離婚を認めるのであれば、監護者の定めをしない人たちには、例えば家庭裁判所に行ってもらって、父母の教育の仕方、決定に関して一貫性を持てないなど齟齬が生じるような場合には、その監護方針を最終的にどうやって決定するのかとか、あるいは事実としての監護教育をどういうふうに行っていくのか、あるいはその調整方法などをきちんと決めて、第三者に実現可能性を確認してもらうといったシステムにしなければ、こどもの生命・生活の安全が図れないと思います。特に乳幼児は、1日24時間を構成する瞬間瞬間につき、誰がこどもを監護するのかという点、誰かが全責任をもって指揮指令していかなければ、そのこどもの生命の安全に関わります。そういう意味では、監護者を定めないことを、合意さえあればどの離婚夫婦にも認める制度となると、こどもの生命や生活にとって、危険な制度になってしまうのではないかと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは、一律に要求しないということだとして、監護者を定めないという場合については手続を加重して、きちんとした結果が出るということを保証する必要があるのではないかという御意見を頂いたと理解を致しました。少し分からなかったのは、何も決めないで離婚する夫婦が出てくるだろうといったことをおっしゃったのですけれども、それはここでは想定されていないように思いますが。 ○佐野幹事 今であれば、少なくとも単独親権者を決めれば、単独親権者として子の監護者、すなわち離婚後、子の監護養育に責任を持つ人を決めることが、少なくとも離婚には必要不可欠とされていることになります。それが、共同親権で監護者を決めないことを認めた場合、双方が監護責任を自覚する場合ももちろんあると思いますが、他方、離婚後のこどもの養育について誰が責任を持つのかを一切明確にしないまま、親の合意のみで離婚することが可能になってしまうということを懸念しているということになります。 ○大村部会長 ありがとうございます。これはずっと議論されている、合意の内容をどうするのかということをどう考えるのかということとも関わってくるのだろうと思います。共同親権とするということだけを真摯に合意すればいいのか、監護について何も定めないのならば、そこについてもきちんと合意をしなければいけないということなのか、さらに、佐野幹事がおっしゃったように、当事者の合意だけではない仕組みが必要なのかといった形で、合意をめぐる問題として議論をする余地があるのではないか、そういう御意見として承りました。 ○窪田委員 委員の窪田でございます。結論から言うと、2のような形で、一律には要求しないということで構わないのではないかと思いますが、これまでと別の視点から発言させていただければと考えています。   ここでいう監護者というのは、もちろん現行法をベースに考えているとは思うのですが、しかし、現行法の仕組みでは、もちろん親権者を更に監護者と定めるということは、規定上できないわけではないだろうと思いますが、現在の一般的な理解というのは、単独親権を前提として、親権者でない者が監護親となる場合に、その人を監護すべき者、監護者と定めるという形になっていると思います。つまり、親権を持っていないけれどもこどもを監護する人について、全く何らの権限もないというのではなくて、一定の法的地位を与えており、そして、恐らくその法的地位というのは、本来は別の親の親権に由来するものといったような説明をするのが一般的ではないかと思います。ここでいう、同居親が親権者ではない場合の監護者を定めるということには、その点で、非常に積極的な法的な意味があるのだろうと思っています。   一方で、ここで問題となっているのは、両方ともが共同の親権という形で、親権者として既に権限を持っている場面です。その上で更に定める監護者というのは一体何なのかというと、実は現行法で議論してきた監護者とはかなり性格の違うものではないかと思います。これが1点です。   先ほども触れた点ですが、現在の監護者の監護の権限というのは、恐らく他方の親権者の親権に由来するものだというふうな説明をされると思いますが、しかし、由来するとその分が本当に親権者からなくなるのかという部分は、必ずしも自明ではなくて、あくまで親権者は親権者でフルセットの権限を持っていて、しかし、それを委ねた部分について、監護者はその委ねられた部分についての権限を持っているという説明も可能なのだろうと思います。そうだとすると、(2)の身上監護に関する事項については、基本的に当該監護者のみが行うものにするというのは、多分、現行法からは当然には出てこない、一歩踏み込んだものなのだろうと思います。   そういうふうにする必要があるのかどうかという点でも含めて、私自身は、先ほど原田委員からも御指摘があったのですが、1の方の、日常的な行為について父母がそれぞれ親権を行うことができるというのを、場合によっては、父母のそれぞれではなくて、同居する父母ができるふうにするというふうにいった場合には、実は同じことが実現できるのではないかという感じもします。つまり、同居親が必要なことは行うことができるのだ。そういった点も考えると、先ほどから出ている、一律には要求しないということによって生じる弊害というのは、全く理解ができないわけではないのですが、どうも法的な仕組みとしては、一律には要求しないという形で処理をしても一定の解決を得ることはできるのではないか、特に、1とうまく連携をさせることができるかどうかという議論はあってもいいのではないかと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは2点御指摘を頂いたかと思います。1点目は、親権の共同行使ということになったときに監護者を定めるということは、現行法の監護者指定とは違う新たな制度を設けることになるということで、そこまでおっしゃったかどうかは分からないですけれども、むしろそのことが必要なのかどうかということ自体が問題になるといった御意見だったかと思います。しかし、先ほどの池田委員以下の委員の御発言の内容についても一定の理解を示されて、それは原田委員がおっしゃっていた、1(2)の@についての取扱いを修正することによって吸収できるのではないかといったこともおっしゃっていたかと思います。1点目は法理的な議論で、2点目は実際的な議論ということでおっしゃったと理解を致しました。 ○武田委員 親子ネット、武田でございます。私の意見としては、26のゴシックの2の部分、基本的に賛同するものでございます。この記載をベースに詳細を検討していくのがよかろうと、そんなふうに思います。この監護者の定めについては、やはり1で日常的な行為、緊急の行為を父又は母は単独で行えるということを前提にすれば、必ずしも監護者を指定する必然性はなかろうというのが私の意見でございます。とはいいながら、決めた方がいいというよりも、逆に監護者を決めたい、きちんと指定したいという当事者も当然、私は存在すると思っていて、部会資料にも多様な価値観みたいな書きぶりもありますけれども、それを認める目的で、一律には要求しないという考え方がよいのではないかというのが私の意見でございます。   もう1点、これは私ごとで恐縮なのですけれども、現時点で、私は同居親となって5年以上、経過しています。したがって、監護者指定が欲しければ、家裁手続を使えば、監護者に指定されると思います。子どもが戻ってきてすぐ、「武田さん、何で監護者指定しないの?」と当事者仲間からも言われました。しかし、今なお、監護者指定はしておりません。監護者として何らかの優越権を欲しいとかそのような考えはありませんし、そもそもそんな紛争を今更起こしたくもなかったからです。要はなにかひとつの権利の取り合いになれば、こどもにとって良い影響はないと思っておりますし、私は子どもが未成年の間は、基本的には監護の分担だと思っていますので、向こうにいるときのことは口出ししない、こちら側にいるときのことは、いろいろ言ってきますけれども、それも聞いています。その上で父母間で、どう考えてもこどもにとって不利益なことを私が黙認しているようであれば、当然それはそれで問題だと思いますが、そういった場合はきちんと父母間で話をすればよいことだと思っております。こういった個人の体験も踏まえ、結論として、必ずしも監護者を決める必要がないという意見に私は賛同するものでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。必ずしも決める必要はないということですが、決めてもよいという点についてはいかがですか。 ○武田委員 決められる方は決めて結構だと思います。 ○大村部会長 分かりました。 ○沖野委員 ありがとうございます。委員の沖野でございます。私もこの2につきましては、今、原案といいますかゴシックで書かれているように、一律には要求しないという考え方が適切ではないかと考えております。   監護者というのが、両方が親権を持っているときに、親権者であり、かつ監護者というのはどういう地位なのかというのも、少し分かりにくいところではありますけれども、監護に関わることについては、両方がこどもの養育に関わっていくという態度決定をしながらも、一方のみが持つと、そういう形で責任や決定の所在をより明確にしていくことが、むしろいろいろな紛争ですとか問題を減じられるのではないかということが、実務の経験を踏まえた知恵であると御指摘いただいたと思うのですけれども、しかし他方で、これも部会長が確認をされましたように、うまくいくときはないのかというと、それは多くはないけれども、あり得ますねということも留保として出されていたと思います。更に言いますと、現行法下の経験を踏まえてということですが、現行法下では双方が親権を持ってやっていくという制度はありませんので、そういう制度になったときにどういうことになるのかということは、やや未知数なところもあります。   更に言えば、双方が親権を持つということが、正に真摯な合意というのがキーワードですけれども、それがあるならば余地を認めるということも考えられるのではないかというところの根底には、婚姻は解消したとして両方が親としてしっかりと協力していくというのが望ましいこともあるのだという考え方に立っているときに、その場合に常にそれは財産管理の局面のみですという制度設計をすることが果たして適切なのかというと、それはやはり適切ではないのではないかと思います。ですので、限定的な場合になるのかもしれませんけれども、およそその余地を封じるというのは、元々の発想からしても、適切ではないのではないかと思うところです。   一方、例えば佐野幹事から言われました、きちんと決めないということへの懸念につきましては、これは、そもそも離婚の際には離婚の講座を受講してというような話があって、そこでしっかりと、何を考えなければいけないかというのは考えてもらうという仕組みを導入しようとしているわけですし、あるいは制度ができたときにはといいますか、それとともに、ガイドラインのような形で、こういうことを考えなければならないですとか、そういうことは決めましたかという確認の手法とか、その組み込み方は本当にいろいろ考えられるわけで、その懸念に対応するやり方が、およそ一切認めないというのは、やはり適切ではないのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。沖野委員からも、全ての場合に監護者を決めるということが果たして適切なのか、これまでの議論の大枠からすると、財産管理だけは共同で監護の方は単独ということにして、監護も共同で行うことを全く認めないのは整合的ではないのではないかという御指摘とともに、しかし、問題が生ずることはあり得るので、それに対する手当てとして複数の方策を講じておく必要があるのではないかという御意見を頂きました。 ○池田委員 現状の認識について少し違いがありましたので、申し上げたいと思います。今、窪田委員、沖野委員から、両方が親権者であるときに一方を監護者と指定するということは想定されないというお話があったのですが、別居中の監護者指定というのは、恐らく両方が親権者で一方が監護者指定されるという場面として典型的に想定されるのではないかと思います。766条の類推適用で今、実務上行われていることですので、あることはあると思いますので、一言申し上げました。 ○大村部会長 ありがとうございます。実務として行われているという御指摘ですが、それが当初想定されていたことなのかと、そこは意見が分かれるところかもしれません。 ○池田委員 類推適用の実務は定着はしていると思います。 ○大村部会長 分かりました。 ○向井幹事 最高裁家庭局の向井でございます。最高裁としましては、父母の双方を親権者と定めた場合に、監護者の定めをすることを一律には要求しないという規律に反対するものではありません。共同監護の実態があるような事案ですとか、監護者の定めが不要であるということについて双方が合意できているような事案では、監護者を定めなくてもいいのだとは思います。   しかし、実際に裁判所に持ち込まれる案件としては、片方が監護者の定めを要するとして申立てをし、もう片方は不要であるとして争うというような事件が多いと思います。   そうした場合に、監護者の定めを要するのはどういう場合なのかということを明確にする必要があるのではないかと思っております。特に今回の1の提案のように、共同親権であっても単独で日常的な行為とか緊急的な行為をすることができるとなった関係上、今日、何人かからも御意見がありましたように、監護者を定めなくても一人でできるので、監護者の定めは要らないではないか、といった話になるわけです。そういった場合に裁判所として、監護者を指定する方がいいのか、監護者を指定せずに、意見対立がある事項についてだけ親権者を決めるような形にすればいいのかということが、具体的な違いとして非常に分かりづらくなっているような気がします。どちらにしたらいいのかが非常に悩ましくなることがあるように思いますので、監護者を指定すべき場合と、そうではなく、個別の事項について親権者を定めるべき場合というのを、きちんと整理して議論した方がいいのではないかと考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。大枠については反対ではないということでしたけれども、裁判所に委ねられたときに、監護者を定めるのか、個別の場合に親権者を定めるのかということについては明確な基準が必要ではないかという御指摘を頂きました。 ○水野委員 委員の水野でございます。1点はもう池田委員が御指摘されたことで、つまり、民法典が書いている監護者と、ここで問題になっている監護者は、実務が別居中の夫婦に類推適用して認めてきたもので、少し違うのではないかということで、それを申し上げようと思いました。   もう1点は、思い出話になって恐縮ですが、1980年代にアメリカが離婚後共同親権を入れた頃の話です。当時、共同親権、ジョイントカストディーの法社会学的な研究も出はじめておりました。共同親権は、うまくいく場合とうまくいかない場合があって、うまくいく場合というのは、例えば両親が冷静に議論できるとか、あるいは育児について基本的な価値観が共通しているなどの幾つかの要件があるというアメリカ法の分析研究を、私は東京家裁の判事さんたちとの共同の研究会で紹介を致しました。そのときに判事さんたちが皆、首を振って、「そういう夫婦は、日本では離婚しません」といわれました。その研究会の段階でも、判事さんたちが知っておられる離婚事案には協議離婚は含まれていないなと私は思いましたし、その頃から数十年たって、今は、そういう冷静な協力ができる夫婦が離婚してしまうことが、さらに十分あり得ると思います。そうすると、やはり平等に共同親権が行使できる道を開いておくのは必要なことではないかと思います。   ただし、その全ての前提として、これは3のところで議論しなくてはいけないことですけれども、こどもの福祉が守られていることを確実に担保しながら、離婚時に真の合意が確保できるようにきちんと手当てをしなくてはいけません。それから、トラブルになったときに、弱者がアクセスしやすく、すぐに対応して救済できる道を確保しておく必要があると思います。   以上でございます。ありがとうございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。共同監護がうまくいく場合があるのではないか、かつてよりは増えてきているのではないか。少なくともそうした場合があるとすると、それに対する対応が必要ではないか。しかし、それを支える制度的なものが必要で、入口をきちんとチェックするということと、後で不具合が生じたときに変更するということが容易にかつ適切にできなければいけない、そうした御指摘だったかと思います。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石でございます。いろいろ御意見を聞いていて思ったのですけれども、少し質問でもあるのですが、この2(1)、父母の一方を子の監護をすべき者、監護者とする旨の定めをすることを一律には要求しないという文言は、このまま条文になるのか、つまり、この表現が分かりやすいのかどうかもよく分からないのですけれども、例えば、すぐ考えられるのは、選択制ですみたいな言い方もあると思います。監護者を定めるか定めないかを選択することができるみたいな表現もあるかもしれませんし、今までお聞きしたところでは、監護者を定めないことをする、そのような離婚後の夫婦はレアではあるかもしれないけれども、いるであろうから、その人たちの道を封じてはいけないという、何か前回も聞いたような論理なのですけれども、なぜこれが勝つのかよく分からないのですが、私としては、一方の危険というのはものすごい命の危険もあると思っているので、この論理が勝つのは本当に納得はいかないのではありますが、それを認めるのだとすれば、原則としては監護者を指定するといって、レアなものを認めるとか、いろいろな表現があると思うのですが、一律には要求しないという表現がこのまま生きるのですかということです。つまり、基本的にはこうした方が安定するけれども、そうでない人も認めますよという言い方があってもいいような気がしたのですが、皆さんはどのようにお考えになって、これを認め得ると思っている方は、このまま条文に行くのですかというのがよく分からなかったので、お聞きしたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。今、御質問があったのですけれども、その前に、赤石委員がおっしゃった考え方というか、一部には共同でやってうまくいく人もいるかもしれない、そういうものについては一定の要件の下で認めたらどうか、これは佐野幹事が先ほどおっしゃったような考え方だと思うのですけれども、そういう形で制度を組むことはあり得ることだろうと思います。その上で、ここに書かれていることが何を意味しているかというか、このまま条文になるというと、このままは条文にできないと法律家の人たちはそう感じると思いますけれども、そこのところを少し事務当局の方から御説明を頂きたいと思います。 ○北村幹事 事務当局でございます。今回の部会資料のゴシックについては、全てそのまま条文になるという前提ではなく、考え方をお示ししています。ですので、必ず監護者を定めなければいけないのか、そうではないのかというところについて御議論いただきたいというのが、まず(1)のところということになりますので、必ず定めなくてもよいとなった場合にどうするのかというのは、その先の議論かなと思っています。 ○赤石委員 そうしますと、ある程度、数は少ない、割合は少ないかもしれないけれども、私どもの調査でも、ワクチン接種で相手方に相談していた方、本当に数%もいなかったのですけれども、そういう方たちが希望するかどうかもまた分からないわけですけれども、そういう方たちがいることを前提に、どの程度、しかし危険回避もできるような条文にして、佐野幹事のような設計をすべきではないのでしょうか。   選択制ぐらいの話でやると、かなり現実には厳しい紛争を生むことが考えられ得ると私は思いますので、原則としては監護者を定めるけれども、監護者を定めないこともあり得るというような書きぶりができるのか、あるいは何か少し違うことができるのかを、やはり追求すべきである。この記録も多分後に生きるのだと思うので、ここをきちんと言っておきたいと思うので、お話ししておきます。 ○北村幹事 事務当局です。御指摘は理解をさせていただきました。ただ、1点だけ、この部会資料の前提の議論としては、前回から引き続いてですけれども、まず合意のできる場面で協議離婚の場面だということの御理解を頂ければと思います。その上で、争いがある場合については次回以降、議論させていただくということになっていて、そこで原則であるとか例外とか、そういう話というのは大いに議論がなされるところなのかなと思ってお聞きしておりました。まずはそういう前提で御議論いただければと思っております。 ○赤石委員 それも踏まえて意見を言っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。 ○大石委員 委員の大石です。質問というか疑問なのですけれども、例えば、真摯な合意が成り立っている場合というのを前提に今、議論されていると思いますが、年数がたつにつれて、片方の親の収入が下がるであるとか仕事を失うとか、いろいろなことが真摯な合意を行った後にも起きるかもしれないわけです。この部会の今までの議論では、養育費の不履行が生じた場合に、子の監護に要する費用の分担に関して債務名義を取りやすくするといったようなことも試案の中に盛り込んだりしました。しかしながら、監護親を定めない場合において、果たして子の監護に要する費用というのは決められるのでしょうか。どちらも監護親ではないという場合ですとか、決めていないという場合に、これはどういうふうに扱われるのかということについて教えていただきたいと思います。基本的には私も佐野幹事と同意見でして、こどもの側からすると、やはり一対一対応で、監護親というのはこの人だというのは決まっていた方がよろしいのではないかと。それこそ監護を分割するという考え方もあるのかもしれませんけれども、基本的にはやはりコンタクトパーソンというか、最初の人として監護親を決めておいた方が、子の福祉には寄与するのではないかと考えております。もちろん選択の自由を広げるという考え方もあるとは思うのですが、やはりどちらかというと子の福祉を優先して考えたいという立場です。 ○大村部会長 ありがとうございます。これは今までも出ておりますけれども、事情が変わったときにどうするのかということについては、やはり考えておかなければいけないという御指摘なのだろうと思います。それから、監護費用の問題について、先ほど石綿幹事がおっしゃいましたけれども、共同監護というとき、どんな形での共同監護を考えているのかということによって、監護費用の問題も変わってくると思いますけれども、その辺りもきちんとしておかないと困ることが出てくるのではないかという御指摘として受け止めさせていただきたいと思います。 ○原田委員 委員の原田です。この議論は、真摯な合意がある場合を前提として協議しているとすると、決めなくてもうまくいく場合があるとおっしゃっていますが、それは認めますよ、でも、その方たちは、決めたらうまくいかないのでしょうか。真摯な合意に基づいて二人でやっていこうねと、でも、いざというときはどちらかが決めないとこどもが困ることがあるよという協議ができるのではないですか。その方たちは、決めたらうまくいかないのでしょうか。こどもの養育に二人の親が責任を持つというのは、言葉としては美しいですけれども、こどもの毎日の生活の一つ一つに統一性と安定性を持たせることはとても重要で、婚姻中でも両親が違うことを言ったらこどもはそれだけで混乱しますよね。真摯な合意の下に共同親権を選択した親なら、監護方針も共同して決められるでしょうし、決定をしてそれを行使するときにどちらかが行使するとしても、その決定の過程は当然、相談できます。その決定に双方が関与するということが普通なのではないでしょうか。それでもこどもの成長とか時間の経過によって意見が分かれることもあるわけですから、そのときに速やかに決定するためには、そのような場合の決定ができる監護者を決めておくということに意味があると思います。   共同養育というか面会交流というかは別にしても、監護者を決めていたとしても、夏休みはこちらねとか、週末はこちらねとかいう形で、これは池田委員がおっしゃいましたけれども、監護委託という形で片方の方に行って、そこにいる間はその人が現に監護する親として監護をするということは十分可能なので、できる人がいるからその道を開くということが、監護親を決めないということとイコールなのかどうかというのは非常に疑問があって、それよりも、決められなかったときに迅速に決められるようにするにはどうしたらいいかということを考える方が子の福祉にとっては重要でないかと思います。それだったら共同親権の意味がないとか、監護親の専権になってしまうとかいうふうな御意見もありますけれども、そのような関係ということ自体が、そもそも共同親権を維持していく基盤がない関係なのではないでしょうか。   先ほど大石委員がおっしゃったように、私もそこは養育費の決定とか、様々な社会保障制度の受給とか、税制の適用なんかが、監護者を決めていない場合にどうするのだろうかということはとても不安で、養育費の今の算定表は使えませんよね。けれども、どちらかを監護者としていて、でもこの部分はこちらの親が払っているとか、この部分はこういうふうにしているとかいう場合には、修正するようなやり方がもう今、十分できているので、そういう意味でも、監護親を決めた上で養育費の決定とかそういうことを決めていくということは、今の制度で十分できます。決めないということによって、今の社会保障制度とかいろいろな制度を根本的に変えないで適用していくことはできないのではないかと思っています。   そういう意味では、私は、真摯な合意がある場合であれば決定に十分関与する基盤があるわけですから、決めたとしてもうまくいくと思います。 ○窪田委員 委員の窪田でございますけれども、単純に質問ということで、させていただければと思います。原田先生のおっしゃることは非常によく分かるのですが、その場合に、すぐに単独で決めることができる監護親というのを定めておくということに合理性があるというのは、それ自体としてはよく理解できます。ただ、その場合に(2)のように当該監護者のみが行うという形のことまでのルールが必要となるのでしょうか。今のお話だと、その監護親のみで行うことができるということさえ定めておけば、それでも大丈夫なのかなと思ったのですが、特に現行法との関係で問題になる部分ですから、原田先生がどこまでのことをお考えなのかというのを質問させていただければと思いました。 ○原田委員 質問の意味がよく分からなかったのですけれども、(2)の。 ○窪田委員 身上監護に関する事項については、基本的に当該監護者のみが行うとなっていますよね。これは多分、現行法では当然には含まれていた規律ではなくて、また、先ほどの原田先生の御説明からいうと、身上監護に関する事項については当該監護者だけでも行うことができるというのでも別に構わないのかなと思ったのですが、これはある意味で当該監護者だけで、身上監護に関する事項については他方の親権者には認めないという部分を持ってくるので、ここまでのことを含めた上で、やはりそう在るべきだということをおっしゃっているのかどうかを質問したかったということです。 ○原田委員 という意味は、この期間はあなたがやってねという権限も付与した意味での、のみです。なので、その期間は委託された監護権者ではない非監護親、でもその時点では監護親になる人ですけれども、が行うということを含んでいます。違いますか。 ○窪田委員 もう少しだけ発言させていただきますと、もうお答えは頂かなくても結構ですが、監護親ではない者に一時預けられたときに、その監護親の監護権に由来して監護がなされると、それはいいのですけれども、監護親が預かっているときに、監護親だけでも判断できるという以上に、監護親だけがそれを行えて、非監護親、監護者ではない親権者はそれを行えないということまでがルールとして本当に必要なのかという点についてのご質問でした。先ほどから多分(1)の方が議論になっていたと思うのですが、実は(2)もかなり論点としては重要なのではないかと思いましたので、その趣旨も含めて確認させていただきたかったという趣旨です。 ○大村部会長 お答えはよろしいということでしたので、お答えなしで先に進ませていただきます。 ○棚村委員 早稲田大学の棚村です。実は今議論になっている親権者というのは、一体どういう権限や責任を負っているのかという問題があります。それと、監護者というのがどういう責任や権限を有しているのか。これらの点について、一応議論の前提として、ある程度定義をしてもらっているのですが、実は前から言うように、明治民法、明治31年、120年以上前にできている法制度の枠組みでの術語、概念、定義となっています。それで、成り立ちは、水野先生から説明していただいてもいいのですが、基本的には家にある父親が単独の絶対的な親権を持っていました。父親が行方不明になったり、何かで家を去ったり、死亡したときに、例外的に母親が親権者になれるという規定でした。戦前は、家制度の下での父親の単独親権制度でした。ただ、離婚したときに実際に面倒を見るのはお母さんだったために、何らかの権限、最低限世話をするという、今いうと身上監護に近いものだと思うのですが、そういうものを定める制度を一応置いておいたのが監護者制度でした。その監護者制度を戦後もほとんど踏襲して現行の民法はできていると考えてよいわけです。   ですから、かなりそういう古い時代にできた制度の枠組みで、親権者がどういう権限を持っていて、監護者がどういう権限や責任を負っているかということについて整理をしながら、新しい言葉にするよりも、そういうものを使いながら議論しているので、結局ここで監護者といったときも、一定の限定をしたり定義をしているのですけれども、窪田先生がおっしゃったように、今、監護者として考えようとしているのは、従前の制度や現行の実務で借用して紛争の解決をしている制度とは少し違うようなものを考えなければいけないのではないかというところも実はあるわけなのです。    それを一緒くたんに同じような議論をして、従来の概念や言葉をそのまま使っていいのだろうかというのは、私も同じように思っていて、そうだとすると、監護者を指定した場合には何ができるかということをむしろ明らかにしておいて、ルール化していくことの方が大事で、ただ監護者に指定すれば全部できるとか、あるいは全部できなくなるとかというと、正に今ある解釈上の対立や考え方をそのまま持ち込んでくるだけなので、生産的でないというのが多分、窪田先生の御趣旨にあるのだと思うのです。つまり、監護者に指定すれば、全部できて、監護者に指定しなければできなくなるのではなく、どのような権限や責任があるかどうかを明らかにする規律やルールでよいのではないか。   そこで、合意ができた場合も、一体何に対して合意をしているのだろうかとか、それからできない場合にどうするのだろうかというので、正にルールの明確化、具体化ということを今議論しているところなので、原田先生や赤石委員なんかがおっしゃっていたり、池田先生が言っている、監護者を定めておかないと実際上いろいろな不都合が生ずるから、そちらを決めさせた方がいいのではないかという御意見も理解しますし、それから、でも新しい制度やルールを作る場合には、余り従来の監護者ということに引きずられないで、それから親権についても、やはりどういう具体的な内容やルールを作っていくことが一番いいのかという発想で、私たちのような民法の研究者は考えているのです。   その辺りの議論の擦れ違いみたいなものが少し感じられたので、是非、親権者になるとどういうことが決められるとか、監護者になった場合にはどういうところまで決めさせた方がいいのかということを踏まえて議論をしておいた方がよくて、少し議論が擦れ違っていないかなというところを感じました。むしろ、監護者になったから全てオールマイティーで全部できるという話ではなくて、監護者になった場合も、かなり細かく話し合って、いろいろな責任の分担とかそういうことはできるし、逆に言うと、ほとんど丸投げというと失礼なのだけれども、全部任せるということもできるし、そのチョイスみたいなものもあり得るという中で議論した方がいいのではないかと考えています。   ただ、従来の議論はどうしても、親権者、監護者というこれまでの議論を余り大幅に変えてしまうと議論が非常に混乱したり、しづらいので、便宜的に使っているという理解です。ただ、今後共同化とか共同の可能性というときに、やはり親権の中身とか監護の中身というのを、窪田先生はそういう御提案や理解で、一律に排除しないということですし、小粥先生もそういう議論だと思うのです。少し整理になっていないかもしれませんけれども、その辺りのところで、決め打ちをしないというのは、ある意味ではそういう曖昧なところがかなりあるので、ルール化する場合に、これは単独でできるとか、これは単独でできないという、そういうような議論の流れの中で、監護者が全部できるわけではなくて、むしろ監護ということの中身いかんで、これはこういう形で分担もできるとか、あるいはほとんどこちらにお願いをせざるを得ないとか、その辺りのルールの決め方の議論ではないかと思いました。 ○大村部会長 ありがとうございます。少し議論が擦れ違っているところがあるのではないかといった御指摘を頂きました。 ○赤石委員 しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。一つは質問ですが、大石委員がおっしゃっていたように、監護者を決めないとした場合の養育費についてはどうなるのかということが書かれていないので、ここで賛否をするのはとても難しくなるということがございます。いろいろな御意見があった中に、両方が監護をして、だからほぼ半々なのかもしれないのですけれども、よく分からないのですが、だから養育費という概念はもうなくなるのだとか、それから、ひとり親に給付される児童扶養手当というのもなくなるのだというような御意見もこれまでにあったかと思います。その辺りが本当に整理されていないと、それから、扶養というのはどこに付くのかとか、いろいろな支援制度がどうなるのかとかいうことが、監護者のあれと非常に連動していると思いますので、まずは養育費についてはどうなるのでしょうかということは少なくとも明確にしていないと、意見は言えないのではないかと思います。   あと、窪田委員に少しお聞きしたいのですけれども、先ほど、一律に決めなくて、両方が監護者であって、それで1の方の日常的な監護、行為というのは親権のところで行うことができるというのがあるので。 ○大村部会長 赤石委員、今、養育費について御意見を承りましたけれども、窪田さんに質問していただいて受け答えをするという時間が十分あるかどうか分かりません。落合委員から御発言の希望もありますので。 ○赤石委員 ごめんなさい、それで私が思ったのは、決めないでも、片方に監護者を決めたとしても、1の(2)の日常的な行為はそれぞれが行う、そのときにこどもを見ている方が行うことができるということを援用すれば、別にそのときには双方親権の親権者が行うことができるのではないかということで、別に監護者をどちらか一方に決めていても、あり得ますよねということを申し上げたかったということでございます。 ○大村部会長 窪田委員、御返事があるかもしれませんけれども、次回にしていただきまして、今、赤石委員からは、1点目は養育費の問題ということで、養育費がどうなるのかという問題が出されました。これを今ここで議論するということは、養育費全体との関係で多分、混乱を招くと思いますけれども、親権の共同行使、そして監護も共同となった場合には、養育費はどうすることが望ましいのかということは、養育費を考えるときに、きちんと織り込んで議論してもらわないと困るという御要望として、差し当たり承りたいと思います。それから、2番目の点は、むしろこれは2(2)と関わるのだろうと思いますけれども、監護者のみが行うと決めたとしても、そうでない例外的な場合があると考える余地があるのではないかということで、それはもう監護者のみが行うものとするというルールから外れていくという、その外にある別の考え方を可能性としてお示しになっているということなのだろうかと承りました。まだ御議論はあるかと思いますが、一応そのように受け止めさせていただきます。 ○赤石委員 少し違うと思います。 ○大村部会長 分かりました。違ったら、また次回改めて御意見をおっしゃっていただきたいと思います。 ○落合委員 京都産業大学の落合です。今の、監護者のみが行うものとするというところが、やはり私もよくないだろうと思いまして、原則として監護者がとか、あるいは主に監護者がとかいう表現ならともかく、やはりここは少しおかしいと思うのです。それから、(1)についても、決めるとしても、原則として監護者を決めるが、決めなくても構わないというような言い方ですとか、とにかく緩い言い方がいいのではないかと思っています。   御議論の中で私は少し気になったことがあるのですけれども、監護者を決めておかないと、両親の意見が分かれたときにこどもが混乱するという御発言があったのですけれども、意見が分かれていいのではないでしょうか。親の意見が一致することがこどもの利益ではないと思うのです。それではこどもは選択肢がないですから。親は結構幅のある意見を示していると、だから必ずしも一致するわけではない、こどもがそれに意見を言って、落ち着くところに落ち着くというようなのが、私はこどもの利益だと思うのです。ですから、一個一個の件について簡単に意見が合わないから、面倒くさいから監護者を決めてしまうというのは、やはり子の利益にはならないと思います。だから、そこの論じ方に少し問題を感じております。   それから、養育費の議論になるときには、金銭的な費用だけではなくて、ケア労働をしているということも費用を分担しているということだと考えて、それをしていない人は金を払うというような、そんなような論理の立て方が必要であろうと思います。   それから、明治時代の在り方とかについて御発言があったので、実は江戸時代の九州で離婚後にこどもがどちらに付いていたかという研究を私たちの研究グループの中島満大先生という方がしましたので、次回にそのエッセンスのところをお配りしようと思います。結論は、嫁入り婚のときに妻に付くこどもが減ったというのが江戸時代の終わりに起きたことです。 ○大村部会長 ありがとうございます。御意見の部分だけまとめさせていただきますと、監護者のみというところにやはり問題があるのではないか、それから、意見の対立というのはそれ自体はよい面も含むのではないかという御指摘があったかと思います。   それで、まだ御意見のある方はいらっしゃると思います。赤石委員もそういう趣旨ではないということだったので、また改めておっしゃっていただき、窪田委員からのお答えもあろうかと思いますが、それは次回に送らせていただきたいと思います。   今日のところでまとめるのは非常に難しいのですけれども、御意見はおおよそこんな感じだったということだけを少し申し上げたいと思います。   まず最初に、基本的なスタンスですけれども、これが条文になるわけではないということで、条文化する、制度化するときにはどうするかということは、更に考えなければいけないということが前提かと思います。その上で、池田委員から、共同監護が原則であるというスタンスになっているのではないかといった御指摘があったかと思いますが、そういう考え方については、皆さんの中からは、それが原則だということではなかろうという御意見が強かったと理解をしています。では、監護者を指定することが必要な場合が多いとして、監護者を指定しないということを完全に排除してよいのかというと、完全に排除するというのはどうかという御意見も強く、数としてはそれが多数だったかもしれません。しかし、原田委員が最後におっしゃいましたけれども、指定した方がこどものためにはいいのだという御意見も有力に説かれていたのではないかと思います。   それで、議論のこの後ですけれども、やはり単独でできないと困ることがあるのではないかというので、単独でできないと困ることとは何なのかということをもう少し明らかにしていくということが一方で必要なのだろうと思います。他方で、共同で監護するということを望む人たちがいて、それには理由がある場合もあるだろうという御指摘もありましたけれども、それはどういう場合で、どのようにして進んでいくということになるのかという点について、少しイメージを共有するということが必要かと思います。これは棚村委員の、議論が擦れ違っているところがあるのではないかという御指摘とも多少関係するのかもしれません。   まとめ切れないのですけれども、今のような御意見を頂いたということで、次回も引き続きこれについて議論をするということにしたいと思います。3については次回、是非入りたいと思っております。取りあえず今日のところはそこまでにしたいのですけれども、今までのところについて事務当局から何かあれば、補足をしていただければと思いますが。 ○北村幹事 大丈夫です。 ○大村部会長 よろしいですか。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石です。(前注)に、今後の進め方の質問をさせていただいてもよろしいでしょうか。 ○大村部会長 次回のことについて事務当局に最後に言っていただいて、その後で(前注)について御質問を頂くという形にしていいですか。 ○赤石委員 はい。 ○大村部会長 それでは、今日の議論については今のようなことにさせていただき、次回会議で引き続き議論をしたいと思っております。   そこで、次回のスケジュール等について事務当局の方から御説明を頂きたいと思います。 ○北村幹事 次回ですけれども、6月6日火曜日の午後1時30分から午後5時30分までで開催したいと思います。次回会議につきましては、本日の積み残しの部分のほか、離婚後も父母双方が親権者となることについて父母間に意見の対立がある場合の規律や、裁判手続における規律等になろうかと思いますが、本日の議論を踏まえまして、その辺りを部会長と御相談して検討したいと思います。 ○大村部会長 赤石委員、もし御質問があれば。 ○赤石委員 ありがとうございます。合意をすることができない場面とありますが、私の理解では、@、協議上の離婚をする父母、真摯な合意がある場合を今、議論していたとすると、その真摯な合意ができない場合については当然、共同の双方の親権の在り様や監護の在り方全てに影響するという理解でおります。同じこの内容をこのままスライドすることだけは避けたいと思っておりますので、そのような理解でよろしいのでしょうかというのが1点です。   2点目が、予備日は一体どうなりますかと、この2点です。 ○大村部会長 1点目はお答えいただきたいと思いますけれども、予備日は、私自身の希望を申し上げますと、今日、3まで入れませんでしたので、6月の予備日は開かせていただきたいと思っていますが、その点も含めて、事務当局の方からお願いします。 ○北村幹事 特に@の場面であるとか、裁判離婚になるような場面について、どういう形で資料をお示しするかについては、なお本日の議論も踏まえて検討させていただきたいと思っております。予備日につきましては、大変申し訳ないですけれども、皆様に確保していただいているところですので、少し部会長とも御相談したところでありますけれども、使わせていただきたいと思ってございます。 ○大村部会長 内容につきましては今のようなことなのですけれども、進行につきましては、夏休み前まで親権に関わる問題について一通り皆さんに御意見を頂いて、大きな枠はなんとか固めたいと思っています。そう考えたときに、6月の予備日の開催は必須かと思っております。皆さん、大変お忙しいと思いますけれども、事前に御予定を入れていただいているところでもありますので、予備日は開催させていただくということにさせていただきたいと思っております。赤石委員、それでよろしいでしょうか。 ○赤石委員 分かりました。 ○大村部会長 今のようなことで進めさせていただきたいと思います。   ほかはよろしいでしょうか。   それでは、法制審議会家族法制部会の第26回をこれで閉会させていただきます。   本日も熱心な御審議を賜りましてありがとうございました。閉会いたします。 −了−