法制審議会 家族法制部会 第34回会議 議事録 第1 日 時  令和5年11月28日(火)  自 午後1時30分                        至 午後5時27分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  補足的な検討 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○大村部会長 それでは、皆さんおそろいだと伺いましたので、時間になったということで始めさせていただきたいと思います。   法制審議会家族法制部会の第34回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中、御出席いただきまして誠にありがとうございます。   本日も前回までと同様、ウェブ会議の方法を併用した開催となりますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。   それでは、本日の会議資料の確認をさせていただきます。事務当局から御説明をお願いいたします。 ○北村幹事 事務当局でございます。本日は事務当局から部会資料34−1及び部会資料34−2をお配りしておりますので、これらに基づき御議論いただきたいと存じます。部会資料34−1は、第32回、第33回の会議で御議論いただきました家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(2)のうち、特に多くの御意見を頂いた幾つかの論点について集中的に御議論いただくために作成したものです。部会資料34−2は、家族法制の見直しに関する要綱案の取りまとめに向けたたたき台(2)の第1で【P】とさせていただいていた、親子関係に関する基本的な規律についてお示しするものです。   また、事務当局から参考資料34、オーストラリア司法省ウェブサイトの仮訳をお配りしてございます。オーストラリアの法制度については、既にこの部会でもヒアリングを実施したところですけれども、今般改正法が成立したとの情報がございますので、その内容を御紹介する趣旨で配布させていただくものです。オーストラリアの改正法につきましては、前回会議において委員からもコメントがございましたけれども、前回会議後に他の委員から、その内容に必ずしも正確ではない部分があったのではないかという指摘がありましたので、改めて事務当局において内容を精査し、仮訳を作成させていただきました。この資料につきましては、これ自体は本日の会議の調査審議の対象にしていただきたいという趣旨ではなく、参考としてお配りするものでございます。   また、赤石委員、武田委員からそれぞれ資料の御提出がございます。こちらにつきましては適宜、御発言の中で内容について御紹介いただければと存じます。   なお、今回もウェブ会議を併用していることから、御発言に当たりましては冒頭でお名乗りいただきますようお願いいたします。 ○大村部会長 ありがとうございました。   それでは、本日の議題でありますところの補足的な検討に入らせていただきたいと思います。先ほど御説明がありましたが、本日の会議では部会資料34−1、それから部会資料34−2、この二つの資料につきまして順に御議論を頂きたいと思います。おおむね半分ぐらいの時間がたったところで一度休憩を入れさせていただきたいと思っております。   ということで、まず部会資料の34−1につきまして、事務当局の方から説明をお願いいたします。 ○北村幹事 事務当局でございます。部会資料34−1では、親権に関する論点のうち第32回会議で一部の委員、幹事から具体的な修正意見を頂いた部分について、これまでの会議で示された御意見を踏まえた論点整理をさせていただいております。   まず、資料1ページ目のゴシックの1、親権行使に関する規律の整備についての論点整理では、たたき台(2)第2の1(1)イの規律について示された修正意見を取り上げております。たたき台(2)では、父母双方が親権者である場合には、親権は父母が共同して行うものとするルールを提示した上で、父母双方が親権者である場面において、その一方が単独で親権を行うことができる場合を整理させていただきました。急迫の事情という要件については、今回の資料4ページで、父母の協議や家庭裁判所の手続を経ていては適時の親権行使をすることができず、その結果として子の利益を害するおそれがあるようなケースと整理させていただき、具体的には入学手続のような場面や、DV、虐待からの避難が必要である場面を資料に記載しておりますが、これらの場面に限定されるものではない、例えば、医療機関との間で緊急に診療契約を締結しなければならないような場面なども想定されると考えております。   第32回会議の御議論の際には、このようなたたき台の規律に対して、その要件をより緩やかなものに修正する観点から、必要性や相当性を基準とすべきであるなどの御意見を頂きました。他方でこうした修正意見に対しては、親権の単独行使が可能となる範囲が過度に広がってしまうのではないかとの反論もありました。また、こうした修正については、父母の協議や家庭裁判所の手続を経ることが可能であるにもかかわらず、そのようなプロセスを経ることなく重要な事項についての親権の単独行使が可能となることについて、その許容性や正当化根拠をどのように説明するかが問題となろうかと思いますので、こうした観点からの御議論をお願いしたいと思います。   次に、資料6ページのゴシック体の記載2、父母の離婚後等の親権者の定めについての論点整理では、裁判所が離婚後の親権者の定めについて判断する際の考慮要素について取り上げております。たたき台(2)では、裁判所が父母と子との関係や父と母との関係その他一切の事情を考慮するものとするとした上で、父母の双方を親権者と定めることにより子の利益を害すると認められるときは、裁判所は父母の一方を親権者と定めなければならないものとすることを提示し、さらに、子の利益を害すると認められる場合を例示することを注記しておりました。   この点について、この部会のこれまでの会議の中では、子の意思や子の意見の取扱いをめぐっての御議論がありました。この点を改めて整理すると、資料の9ページから10ページまでに書いておりますように、現時点における議論の焦点は、裁判所が子の意思を尊重すべきかどうかというレベルの議論ではなく、子の意思を実体法である民法に明記することで、裁判手続やこれを前提とした父母の紛争にどのような影響が生ずるのかという議論であろうかと思っております。本日の会議でもこのような観点からの御議論をお願いしたいと思います。   また、第32回会議では、裁判所が父母双方を親権者と定めるための要件として、父母双方の合意があることを必要とすることを求める御意見や、子の養育に関して父母が平穏にコミュニケーションを取れることを要件とすることを求める御意見などを頂きました。他方でこうした意見に対しては、このような修正をすると結果的に一種の拒否権を父母の一方に付与することとなるのではないかといった観点から、修正に消極的な御意見もありました。また、子の養育に関して父母が平穏にコミュニケーションを取ることができない事情の有無及び程度や、その事情に合理性が認められ得るかどうかといった観点からの考慮は、現在御提示させていただいているたたき台(2)の文言を前提としても、親権者の定めについて父母の協議が調わない理由その他一切の事情として考慮され得るとの整理もあり得ようかと思います。こうした観点から、たたき台(2)の修正の是非について御議論いただきたいと思います。   最後に、資料13ページのゴシックの3、監護者の定め及び監護の分掌に関する規律についての論点整理では、監護者の定めを必須とするかどうかという論点と、父母以外の第三者に監護者指定の申立権を認めるかどうかという論点を取り上げております。監護者の定めの要否をめぐっては、部会のこれまでの御議論の中で、監護者の定めをしないことにより不都合が生ずるケースがあるとの御指摘がありました。ただ、そうしたケースにおいて監護者の定めをするべきであるというのは、この部会における大きな争点となっているわけではなく、現段階における議論の焦点は、監護者の定めをしないことにより不都合が生ずるケースがあるかどうかというレベルでの議論ではなく、全ての事案において例外なく監護者の定めを必須としなければならないかどうかであろうと思います。本日もこうした観点から御議論いただきたいと思います。   また、第三者に監護者指定の申立権を認めることに対しては、第32回会議において積極的な御意見もあった一方で、父母の監護能力に問題があるケースへの対応策としては、親権制限や未成年後見等の制度を活用する方向での検討をすべきであるとして、慎重な御意見もございました。また、父母以外の第三者が子の監護に関わる必要がある場合は父母の別居や離婚の場面に限られず、父母の婚姻関係が円満である場合も含まれ得ることを念頭に置いた議論も必要なのであろうと思いますので、本日の会議でも引き続き御議論をお願いいたします。 ○大村部会長 ありがとうございます。部会資料34−1、「親権に関する規律についての補足的な検討」という表題が付いておりますけれども、ただいま事務当局の方から御説明がありましたように、大きく分けて3項目について、具体的な修正の意見が出ているものにつき更に補足的な検討をしようということで、御議論をお願いしたいと思っております。3項目あると申し上げましたけれども、どの点について御発言を頂いても結構でございますが、御発言の際にはどの論点のどの部分に関する御発言であるかということを明らかにしていただき、また、ゴシックの記載を修正するという意見なのか、あるいは解釈運用上の留意点を述べるという意見なのかということを言っていただくとよいように思います。それから、本日はこの後、部会資料34−2の方も、できれば議論したいと思っておりますので、御意見は可能な限り簡潔に述べていただきますよう、御協力のほどお願いを申し上げます。   ということで部会資料34−1につき、3点ありますけれども、どの点につきましてでも、どなたからでも結構ですので、御発言がある方は挙手をお願いしたいと思います。 ○小粥委員 委員の小粥でございます。簡単に、部会資料34−1の三つの項目について、今考えていることを意見として申し述べたいと思います。   まず、部会資料34−1の1、親権行使に関する規律の整備についての論点整理についてでございますけれども、この点については私の意見は、第32回のこの会議において石綿幹事がおっしゃったことと基本的に同じでございまして、付け加えるべきことはないように思います。あえて一つだけ申しますと、このような形で、元々のたたき台(2)の表現振りというのは、現行法の民法第818条の第3項でありますとか、あるいは児童福祉法の規律において、親権を持っている人がほかにいる場合に、例えば児童福祉法上権限を持っている人が、その親権者を言わば押し退けて何かをすることができるための要件として、現在の実体法上認められるところの表現振りということなので、これ以上何かということは、恐らく解釈運用上の問題ではないかと思うところです。それが1点目でございます。   それから、部会資料34−1の6ページの2、父母の離婚後等の親権者の定めについての論点整理のところでございますけれども、まず、@の子の意思を明示すべきであるという点、私はこの部会の審議を伺っていまして、池田委員のおっしゃることも水野委員のおっしゃることも、どちらも説得力を感じるところでありまして、しかし、実体法にこのことを書くということは意味があると思います。ただ、その場合にも水野委員の御懸念が拭えるような形でおまとめいただけるといいのではないかと、これが@についての意見であります。   Aについての意見は、先ほど事務当局から御紹介がありましたとおり、父母双方の合意があることを必要とすると、第32回の部会でも意見が出ていましたけれども、結局一方当事者に拒否権を与えるということと実質的に等しいということになりかねないということが恐らく問題ではないかということ、私も意見を共有いたします。それで、裁判所が父母双方を親権者と定めるときに、父母双方の合意があるかどうかを考慮に入れることは非常に重要なことだと思いますけれども、裁判所がその選択肢として父母双方を親権者と定めるという選択肢を持たないで、例えば調停等を行う場合には、結局その拒否権を行使するための制度、行使することができる制度ということになりかねないということで、裁判所が選択肢として少なくとも持っておくということは、当事者間の合意形成のためにも意味があるのではないかということを補足したいと思います。   その補足的な今申し上げたことは、第3の監護者等に関する論点整理の第1点についても似たようなことでございまして、監護者の指定を必須としないという選択肢を裁判所が持っておくと、つまり、監護者を指定することもできるし、しないこともできるという裁判所が選択肢を持っているという状態で、当事者が協議するということがよいのではないかと思います。   3(2)ですけれども、第三者の監護者指定の申立権の点につきましては、これも第32回のこの会議の席で久保野幹事がおっしゃった意見に私も賛成であります。 ○大村部会長 ありがとうございました。小粥委員からは1、2、3のそれぞれについて御意見を頂きました。1と3(2)については、これまでに出た委員、幹事の発言に賛成するということだったかと思います。2@、こどもの意思の点については、書くことに意味はあると思うけれども、懸念を払拭するような形でという御要望を頂きました。それから、2Aと3(1)については必須とすることには反対であるという御意見を頂戴したと理解いたしました。ありがとうございます。   その他、いかがでございましょうか。 ○石綿幹事 幹事の石綿です。小粥委員に続きまして、私も全ての論点について簡単に意見を申し述べさせていただきたいと思います。   まず、1ページの1の急迫の事情か必要性かということですが、今回の資料の整理、特に5ページの2段落目などを拝見しながら、必要性という要件にしたとしても本当に緩和されるのかということも考えた次第でございます。要するに、現行法と枠組みが変わり、父母の意見が一致しない場合には裁判所で判断をする、調整をするというような仕組みができた中で、それでも単独ですることが必要な場合というのは、結局、裁判所の判断を待っていられない場合と解される可能性もあるのではないかと感じております。もっとも、急迫という要件だと現在認められているけれどもできなくなることがあるのではないかという御懸念はあるのかと思いますので、急迫というときにどのようなものが当たるのかということは、現状の補足説明で十分なのか、何か例を加えた方がいいのかということは御検討いただければと思います。それが1についてということになります。   2についてですが、子の意思につきましては、小粥委員がおっしゃったように、どちらの御意見も説得的と思いつつ、今回の資料で整理を頂いているように、過度にこどもの意思ということが考慮される、それが錦の御旗になってしまうということが、かえってこどもの利益を害することはあるのではないかと思います。仮に入れるのであれば、そこの懸念に対応していただくような方策をとっていただきたいと思いますし、また、入れるときに子の意思だけでいいのか、要は意思が必ずしも明確に表現できないような年齢のこどもも踏まえると、意思、意向といったようなことになるのかといったようなことを、他の法律の文言なども見ながら御検討いただければと思います。   Aの父母双方の合意を必要とするかということについては、小粥委員と同様で、拒否権を与えるというような枠組みはよろしくないと思いますということで、入れるべきではないと思います。   最後、3につきましてですが、(1)の監護者指定を必須とすべきという点についても、これは必須とすべきではないと思っております。個々の事情を判断して、不要だという事案もあるかと思います。また、何度も申し上げているところですが、御懸念のあるような事案に対応するためには監護者指定をすることができないわけではないと思います。今回の資料でかなり、どういう場合に監護者指定をするのかということも示されているかと思いますので、どちらかというと補足説明の方でそちらの説明を丁寧にしていくという対応方法かなと思います。   (2)の第三者の監護者指定の申立権は、これも久保野幹事、小粥委員と同じで、私はどちらかというと慎重の方向で考えております。要は、第三者からの申立てによって父母の親権の中の身上監護の権限が制限されるということ、親権法全体の枠組みで見た中でそのようなことを認めていいのかというのは大きな問題だと思います。実質論としてこのようなことが必要なのだということは理解しておりますが、それは以前の会議で久保野幹事がおっしゃったように、他の制度をもっと柔軟に活用していくという方法で対応するというのが筋なのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事からも1、2、3の各点について御意見を頂きましたけれども、基本的なトーンは前の小粥委員と一緒だと伺いました。ただ、2@について、仮に入れるならばとおっしゃって、入れるという方向に対して小粥委員よりは消極的であるように感じましたが、基本は同じだろうと受け止めました。あともう一つ、御懸念のある点について補足説明の方で対応してもらうべきことがあるという御趣旨の御発言を頂いたと理解を致しました。 ○戒能委員 ありがとうございます。委員の戒能です。   本題に入る前に、事務局がオーストラリアの2023年改正の参考資料ということで、プレスリリースを翻訳してくださり、大変参考になります。どうもありがとうございます。御苦労していただきまして。それで、諸外国が既に、共同親権、共同養育の制度を実施してきたけれども、こういう改正法が出てくるというのは、そこに何らかの問題点があったということだと思います。それで、改正をして家族法制度、特に子の養育に関する定めを行う場合に、この点が一番重要なのだということを明確に示したということで、大変参考になるのだと思うのです。   今日もう机上に配布されておりますけれども、1ページの、こどもの最善の利益が中心にあることを確実なものとするという大原則が書かれていますし、2ページには、親としての責任を平等に分担するという推定規定を廃止したという点が2番目、それから、今も議論がございましたけれども、こどもの意思との関係では、2ページの最後のところに、独立したこどもの代理人という制度を確立すると、3ページに行きますと、この辺りが日本の法制度を今、議論しているわけですが、きちんと位置づけられていないということを、研究者として痛感しているところです。家族の安全、とりわけ児童虐待、ネグレクト、それからファミリーバイオレンスのリスクがあるという状況があり、こどもと家族の安全を優先するということですね、そして一番下には、きちんとジェンダーベースドバイオレンスをもう終わらせるのだという国としての意思を明確に示していて、4ページには再びファミリーバイオレンス、それからチャイルドアビューズ、ネグレクトというのはこどもを危険にさらすのだということですね、それで、一番最後の行ですけれども、家族の安全を損なうことなく、家族の法的問題を迅速、安全かつ安価に解決するのだというようなことが書かれております。それで最後に、こういうことをきちんというのだなと大変感銘を受けたのですけれども、当事者の方々の声を非常に尊重しており、法改正においても中心的役割を果たしたということをきちんと政府が書いていると、これが長年の懸案であったということなのですよね。その辺の視点を明確にし、そして、やはりこどもの最善の利益を最優先の原則に据えて法改正を行う、あるいは法的解決を行うという最も重要な原則を明記しているということは、学ばなければいけないと思っております。   それで、是非、事務局にあまりお仕事をお願いするのも気が引けることではあるのですが、こういうふうに一旦制度を敷いたけれども、そこでどんな状況がありどんな問題が出てきて、それをどういうふうに解決しようとしているかという経験を学ぶべきだと思っているのです。一周遅れでスタートするのであれば、余計にそういうことに対してきちんと向き合って、苦い経験を繰り返さないということをしなければいけない。それが21世紀の新しい法改正のチャレンジだと思っていますので、急ぎませんから、是非そういう情報を提供していただきたいと考えていることを、まず申し上げたいと思います。   それで、そこから学ぶことの最大のポイントというのが、やはり子の最善の利益が中心であって、こどもと家族というような言い方をしていたと思うのですけれども、その安全を最優先させるといっていることです。子の利益というのは一体何なのかと、どこに核心があるのかということを、この部会では残念ながら必ずしも明確ではない。これは私の個人的な受け止めです、ですから、そこを明確にしないと、どこへ向いていくのか、法律が実際に適用される側にとっては問題なのではないかと思われます。   それで、オーストラリアの場合、安全という概念が出てくるのですが、同時に安心という概念が子の利益の核心にあるべきだと考えているのではないかと思われます。それで、安全を優先するということ、危険から守られるとか、暴力を受けないとか、そういうことが具体的には考えられますけれども、やはり安心という考え方が大変重要です。安心というのは恐怖と不安から解放されていることだと考えております。それで、暴力の恐怖がいかに大きいものなのか、それが長期間に及ぶおそれがあるものなのかということです。トラウマ、心的外傷なのですけれども、こどもに大変影響があり、成長発達に著しい影響を与えるおそれがあるということを認識しておく必要があるわけです。それで、暴力だけではなくて、父母間の対立とか紛争がもたらす緊張感も、同時にこどもの安心感を損なうものだということも考慮をしておく必要があるということです。   それで、そういうことを前提として、議論を是非進めていただきたいと思います。あまりせかさないで、じっくりと大事な議論ですから、こどもの最善の利益、こどもの利益とは一体何なのか、それをこの法改正は本当に保障するものであるのかということを検証して、きちんと対応策をとって、それで法改正の提案をすべきだと考えております。   それで、以降はなるべく簡単に申し上げますけれども、1の急迫性のところです。これは、やはり私は狭すぎると思っております。民法ではないのですが、関連法としてDV法があるわけです。DV法の柱として保護命令制度があるのですが、その保護命令制度の運用の中身は分かりません。間接的にしか、どういう審尋が行われていて、どういうことがあればどういう結論が下されるかということは明らかにされていませんから、分からないのですが、日弁連の両性の平等部会が2010年に間接的な調査をした結果ぐらいしかないのですけれども、どうも急迫性という考え方と連なる考え方のようなのです。つまり、直前に本当に命の危険があるような身体的暴力があったということでないと保護命令がなかなか出ないという状況がずっと続いてきて、ようやく今回改正されて、精神的暴力や性的DVなども範囲に含まれるようになったのです。しかし、裁判官の判断ですから、この部会の議論においても重要な問題だと考えておりますけれども、DVの実態とかDVがもたらす影響が必ずしも反映されていないのではないかと考えております。このような保護命令の運用と同じようなことが起こるのではないかという危惧が大変あります。   それで、逃げることが前提としてDV法が制度設計されていまして、そのこと自体は問題なのですが、被害者支援制度も加害者対応も極めて不十分な現状を前提としてDV法は作られているのですが、しかし、そこでは被害を受けた人が逃げることを前提とせざるを得ないのです。そうすると、この急迫性の要件が非常に狭いということが運用上、危惧されます。認められなくなってしまうということが危惧されます。   それで、必要性、相当性についての批判があったわけなのですが、これは5ページに、過度に広がると書かれているのですけれども、私は逆に過度に狭くしていると受け取っておりまして、親権の単独行使が必要かどうかという点、それから、その手段とか方法が相当かどうかということを意味するものだと考えておりますので、こどもの安全と安心を守るためには必要であり、そして相当であるという要件が修正案として出ましたけれども、それに賛成を致します。   一旦終わりにいたします。ありがとうございました。 ○大村部会長 今、戒能委員からは参考資料へのコメントと、それに基づく御懸念を示された上で、1、2、3のうちの1の急迫の事情について、やはり狭いのではないかという御意見と、この文言の下での運用への危惧についてお示しいただいたと理解を致しました。またありましたら後、改めてお願いを致します。 ○沖野委員 ありがとうございます。委員の沖野でございます。部会資料34−1の幾つかについて申し上げたいと思います。   まず、1につきましては原案のとおりで、修正の意見のような形での修正はしない方がいいのではないかと思っております。元々の原案の考え方でございますけれども、父母が共同して親権を行うという場合に、そのような父母共同での意思決定が望ましいという考え方の下に立った上で、しかしそれができないというときには、中立の第三者にどちらが決めるかというのを決めてもらうという制度であり、かつ日常の生活に関わる行為というものについては単独でできるということですから、そうではないような決定事項については共同で慎重に判断するのが適切であるという考え方に立った構想であると考えます。しかしながら、そのような裁判所でどちらが決めるかを決めるというのを待っていたのでは望ましくないという場合として、原案は二つの場合を切り出しており、強いて言えば、一つは裁判所に行っても意味がないという場合ともう一つは裁判所に行っていたのでは間に合わないという場合だと考えられます。他の一方が親権を行うことができないときは、どちらが行うかを決めるというのが裁判所で決めていただくことなので、一方が行えないというのであれば、裁判所に行って決めるということには意味がないと考えられます。他方でイの方は、それを待っていたのでは望ましくない、あるいは待てないという場合を切り出すということです。   これが狭いという御指摘がありますけれども、急迫の事情というのは今申し上げたような観点から、本来は用意された手続に乗せて検討していくべきところ、慎重な考慮を要するところ、どちらが決めるかというのを裁判所で決めるという形であるべきところを、それを待てないと、それもこどもの利益の観点から待つことができないということですので、趣旨は十分伝わっているのではないかと思います。   説明の中に児童福祉法等の規定との比較において整合的であるという指摘がありますが、ただ、児童福祉法の方は生命身体、安全の確保のため緊急の必要とありますけれども、恐らくここでの急迫の事情は、待っていては望ましくないということですから、生命ですとか身体の安全の確保には限られない、より広い概念であると思われます。また、この言葉自体を少し民法の概念としてどうなのかというのを見たときに、ほかでもいろいろと使われているものでございまして、相隣関係における実力行使について、所有者に本来催告して所有者の行為を促すべきところ、急迫の事情があるときには実力行使が認められるとか、賃貸借契約において、賃貸人に修繕を求めて修繕をしてもらうべきところ、急迫の事情があるときにはそれを省略して自分でできるといったようなものでございますので、ほかにも幾つかございますし、それぞれ観点はありますけれども、結局は本来のルートを待つのでは適切ではないという考え方を切り出す概念として明らかにされていると思われます。そして、そのような例外を用意することが制度の建て付けとして望ましいものだと思われます。   これに対しまして、これを必要性、相当性に置き換えるというのは、一体どういう場合が必要であるのかということを非常に不明確にする、広すぎるのではないか、逆に戒能委員からは狭すぎるというような御指摘もありまして、結局、必要というのは何に照らしてどういう観点から必要なのかという基準の設定が甘いと思われます。さらには相当性については、それが要件であるのか行使の範囲や態様であるのかという問題もありますので、やはり概念として非常に不明確になります。しかも、アと並んでイに付け加えるときには、必要性、相当性、あるいは必要やむを得ないというのとアとの関係もよく分からない、結局それだけがあればいいのではないかという気もするわけです。ですので、かえって趣旨を不明確にし、概念を曖昧にするというようなもので、望ましくないのではないか、原案のままでも十分明確な例外になるのではないかと考えております。   それから、Aの父母の意見が対立しているときを追加すべきというのは、対立しているときこそ裁判所の中立的な判断で、どちらが行使するのか、決定するのかを定めることが望ましいと考えられるときですので、むしろポイントは、(であって、裁判所の判断を待てないとき)という括弧書きの中にあると思われます。しかしながら、これは正に急迫の事情、しかもこどもの利益のために急迫の事情というところで受けているべきものですので、それとは別に、ただ対立しているときだけを挙げるというのは望ましくはないですし、また、子の利益のための急迫の事情と並ぶときは、むしろ限定しすぎということにもなりかねません。ですので、これは原案の考え方がよろしいのではないかと考えております。   項目の2につきましては、小粥委員が御指摘になった点に非常に共感しております。石綿幹事の御指摘もありましたところですが、強いて@についてのニュアンスを言えば、小粥委員の御指摘に共感します。子の意思の重要性というのはよく分かりますので、しかし、それが明示されることによってもたらされる数々の懸念も表明されているところですので、その部分を考慮しないと踏み切れないのではないかと思っております。   それから、項目3の(1)につきましては、必須とすべきというのは、全ての場合に必ず決めなければいけないというのが、かえって柔軟性からも問題ではないかと、多くの場合は決められることがあるかもしれませんが、そこは委ねる余地を残した方がいいのではないかと思っております。   (2)でございますが、父母以外の第三者に監護者指定の申立権を認めるべきかということについては、一定の場合に必要性があるのではないかと感じております。一つには、父母自身が申し立てて第三者を指定するというルートと、第三者自身が申し立てて第三者を指定するというルートは分けて考えた方がいいのかもしれないと思っております。   それから、第三者が申し立てて第三者を指定するという場合でございますけれども、これは他の制度との関係で、実質的には親権者等から権限を奪うということにもなりかねませんので、そうしたときに単純に第三者に申立権を認める、そのルートを認めるということについては問題があると考えております。どのような場合に認められるかということを非常に絞り込み、他の制度では対応できない、正に一定の、暫定的にでも緊急、必要で、認めるべきときということがあるのかもしれませんけれども、要件の絞り込みが必要であると考えられますことと、あと期間について、停止でさえも期間が限定されておりますので、ましてや第三者が監護者として指定され、親権者等から実質的に一定の権限を奪ってしまうということになるものについては、暫定性というか、期間制限などが必要ではないかと思っているところです。 ○大村部会長 ありがとうございます。沖野委員からも1、2、3の各点について御意見を頂きました。基本的な方向性は、3(2)についてを除くと、前の小粥委員や石綿幹事と同方向の御意見と理解を致しました。同方向の御意見なのですが、1について従来の原案に賛成ということで、それについての積極的な理由と、それから必要性、相当性ということではかえって概念が不明確になるということについて、立ち入った御説明を頂いたと受け止めました。前の方々と少し違うと申し上げた3(2)については、一定の必要性はあるので、場合を分けて十分な絞り込みをするという形で認める余地があるかもしれない、こういう御意見だったと受け止めました。ありがとうございます。 ○落合委員 ありがとうございます。落合恵美子です。オーストラリアの改正法の資料を送っていただいて、いろいろ参考になりました。少し思ったのは、日本の法律の方が曖昧に書いているというか、解釈の余地を残すというか、含みがあるような表現にするのかなと。オーストラリアのは割とはっきり具体的なことを書いているなという印象を持ちました。   それに関連してなのですけれども、今日のところで、親権行使を父母が共同で行わない場合というような辺りに、例えば児童虐待とかDVとか、そういうような言葉がはっきり入らなくていいのだろうかという意見を出したいと思います。2の方の離婚後の親権者の定めのところでは書かれていましたよね。この部会で懸念しているのは、DVの問題が大きいわけですけれども、それがはっきり見える形で法文に何箇所かに書き込んでほしいというのが意見です。   それともう一つ、2のこどもの意見、こどもの意思というところで、少し懸念もあるしというようなことで、やや困った状態になっていますね。実際にどのようにそれが実現されるのかについて、オーストラリアなどで書いてあるこどものローヤーですか、こどもの意思の代弁者という辺りを明確に書き込む必要はないのでしょうか。こどもの意思をというと、こどもに直接聴いて、どうなのというようなことを想定しがちですけれども、それを行うときにこどもの側に立って、親の側ではなくて、こどもの意思の表明を手助けするような専門家が横にいる必要があるのだというようなことを書き込んでおくというのはいかがでしょうか。その辺は運用の問題だということになるのかもしれないですけれども、そうすると法が非常に抽象的なレベルで終わってしまうような気がしまして、そういうようなことを考えました。 ○大村部会長 ありがとうございます。落合委員からは2点御指摘を頂いたと理解を致しましたが、1点目なのですが、虐待あるいはDVについて書き込むことを希望するというお話だったのですけれども、それは、今回の資料でいいますと6ページから7ページに掛けて枠囲いになっている前々回の部会資料がございますけれども、その中で(注2)というのがあるかと思います。(注2)の中に書かれているようなことを本文に書くかどうかというようなことについて、前々回御議論があったかと思いますが、こういうものを本文に書くという方向に賛成だと受け止めてよろしいでしょうか。 ○落合委員 はい、そうです。 ○大村部会長 分かりました。それから、第2点については、先ほどから子の意思について、これを明示するかどうかというところにつき御意見が出ていますけれども、その聴き方について具体的な対応が必要なのではないかという方向の御意見として承っておきたいと思います。ありがとうございます。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあす・ふぉーらむの赤石でございます。部会資料34−1の資料を拝見しました。オーストラリアの法改正も含めて、資料をありがとうございます。いろいろな議論をいかして部会資料34−1が作られているということに関しては、一定の御苦労を掛け、まとめていただいたと思っております。とはいえ、やはり私が懸念するところが逆に拡大しているような部分があると思っておりますので、そこについてお伝えしていきたいと思います。   未婚の認知のところもあるので、やや長くなってしまうので、切った方がいいのかなと。 ○大村部会長 差し当たりここに出てくる話をしていただいて。 ○赤石委員 ここに出てくる話としてします、もちろん。 ○大村部会長 そうですか。長くなるようでしたら、少し切っていただいた方が有り難いです。 ○赤石委員 ありがとうございます。まず、部会資料34−1の2ページあるいはそのほかの箇所でも出てくる、親権行使を父母の一方のみの判断に委ねるよりも、父母双方がその責任を負い、双方の関与の下で意思決定されるものとした方が子の利益の観点から望ましいことが多いとの価値判断という言葉が、この文言のままで数回出てくるかと思います。最初に出てきているところは民法の戦後の改正のときで、単独親権であったものが婚姻時には共同親権になるときの判断要素として書かれているので、私も納得ができます。しかし、その後、離婚後についての共同親権についても同じ理念が適用されるのかということは、前から疑念を持っております。ですので、私は離婚後のこどもの養育に関しては、この価値判断に関しては反対、留保でございます。それが変わらないにもかかわらず、この価値判断を多数意見としてこの資料が書かれていることには残念に思っております。   これははっきり言っておいた方がよろしいかと思って、お伝えします。こどもに多くの大人が関わること、その価値については私は非常に認めております、もちろんです。しかし、多くの大人が関わる、今、斜めの関係とか横の関係とかいろいろ言われておりますが、しかしこどもに関わる意思決定、重大な決定に父母双方が関わるということとは、意思決定ですね、それとは位相が異なることをごちゃごちゃになっているのではないかと、混乱を招きこどもの利益にならないという意見を述べてきたつもりです。私はこの法制審議会で一度も、先ほど言ったこの価値判断に賛成したことはないと思いますし、その成功事例というのも残念ながら私の中では知っておりません。ということで、父母双方が関わること、父母双方から愛情を受けること、父母双方と交流することと、意思決定を双方が行うこととは別のことです。愛情とか交流と同じで考えることは、すごく誤解が一般社会に生じているので、お伝えしておきたいと思います。   その上で、この理念というのは、オーストラリアが平等に親が関わることの推定規定を外しましたというふうに、このオーストラリア法の改正でいっていることと非常に連動していると思います。ですので、もう1回やはり、これは戒能先生と同じですが、こういった経験を基に私どもが家族法の改正を考えなければいけない局面になっており、周回遅れで原則的な共同親権に近いものを導入するというのは、非常にこどもの利益にならないのではないかと思っております。   実際に幾つかオーストラリア法についてもお聞きしたいのですけれども、DVや虐待をどのように排除できるのかといったことがやはり懸念がありますし、共同決定を求めるときの不明確な条項というのが紛争を誘発することにもなりかねないといったこともありますし、こどもの安心・安全というのは何よりも優先されるべきということをもう一度きちんと考えたいと思います。   続いて、1の親権行使の規律について具体的に申し上げます。まず、このたたき台の論点整理について、音信不通であるという状況について検討をしていただいたのは大変有り難く思います。もし一定の連絡をしたもののそれに反対がないときには、黙示的な同意があったと整理するというようなことがこの補足資料に書かれていることは一定、評価ができると思っております。まず、その返事がないというのは1週間を考えるのか10日を考えるのか、この辺りを是非御回答いただいておくと大変安心かと思います。その上で、住所が分からない場合の連絡方法、そして住所が分かっても連絡方法は内容証明郵便なのか、この頃ネットでもそれは頼めるのですけれども、メールなのか、こういったものについてもよく分からないので、先ほど曖昧な規定が紛争を導くということにすごく、オーストラリアの例でもありましたが、後から聞いていないという紛争を防ぐための何か、補足資料に書かれているだけでは非常にまだ不安がよぎるということを思っております。   あと、音信不通という概念について、協議離婚でたまたまお父さんが家を出ていったようなケースでも、お父さんに関わってほしいから共同親権になってほしいというようなことを言って共同親権になったというようなケースを、音信不通の中で多いケースではないですかと私は申し上げておりまして、少し前回そこが、裁判所でというようなお話があったかと思うので、補足しておきます。   こういった黙示的な合意ということについて書かれたことは評価するものの、少し懸念がありますということをお伝えしておきたいと思います。その後にも、保全処分というようなやり方がありますねというようなことも、本当に保全処分をやれるようなひとり親ということがいらっしゃるのか、本当に真剣に書いていただくのであれば、例えばネットで保全処分ができますとか、夜に家庭裁判所が開庁していただくとか、やはり何らかの利便性と法的支援と一緒でないと、こういったふうに書かれるのは若干私としては、立場の弱い者にとっては、ありますねと書かれることは非常に何か残念に思います。次に行き、入学試験の結果発表後の入学手続ですとか、こういったものをこの急迫の事情の中に入れますと書かれていることには一定評価したいと思いますが、入学試験だけでなくても、幼稚園の入園から小学校入学、この頃は選択制が公立学校でもございますし、先ほど医療行為、手術等は入るであろうということを言っていただいたのはよかったかなと思いますし、そのほか高校ですと、この頃は私立だけではなく公立高校でも、海外での修学旅行をしているような学校が出てきておるため、パスポート申請とか海外渡航とかいったことも考えられるのかといったことが御回答いただけると、更に安心かと思います。   こういったいろいろな懸念事項を全てクリアできるのであれば、私は法律概念があまりよく分からないので、急迫の事情にここまで含み得ると、相当性、必要性ではそこが曖昧になるという議論になかなかコミットする能力がないのですけれども、想定されるものがカバーされるのかというところに関心がございます。DVや虐待からの避難についてもこの急迫の事情に入れるというふうなことで書かれているわけでございますので、一定評価できるわけですけれども、ここについても先ほど、命の危険があるようなDVなのか、命の危険といってもいろいろありますけれども、先日この議論をしたときに佐野幹事からも御指摘があったような、毎晩些細なことから一晩中正座させられて説教されるような精神的なDVというのは非常に多くお聞きするわけですけれども、やっている側にとっては、教えてあげていて親切にやっていると思っていらっしゃるのだと思うので、全く加害意識というのはなかなかおありでないようなケースも多いと思いますが、このような本人からしたら精神的DVからの避難というのもここで考えられ得るのかどうかも、やはり御回答いただけないと、急迫の事情がいいのか相当性なのか、こういったことがとても心配になるということがあります。   すみません、現場感覚でいろいろ申し上げているのがあれなのですけれども、一定程度ここを広がる概念であるとおっしゃっていただいているように見受けられるとはいえ、やはり意見の対立があるときというのもここに含まれ得るのであれば、ここを書き直す必要はないのではないかということも思うものの、まだここの曖昧性が結局運用のときにどうなるのかの不安がよぎりますということをお伝えしておき、それがかなり限定されるのであれば、相当性というような概念が必要かと思っております。   それから、運用の在り方に関する意見、5ページの4、特定の事項についてですが、ここもいろいろなお考えがあると思うのですけれども、例えば教育に関する事項とばくっと切り出す、こどもの健康や医療に関する事項とかいうことでばくっと切り出す、大きく切り出すということもあるかもしれないし、細かく高校の入学のというようなことで、これはもうものすごい紛争の種になっていまして、調停でも多くこういったことがあるときに、粒度を細かくするのか大きくするのか、どちらがいいのかという判断が私には付きかねるところでございます。   大きく括った場合には、例えばこどもの塾に行く、行かせない、習い事に行く、行かせない、サッカークラブからチアガールの習い事からバレエの習い事から、こどもが中学校に行けば部活なのか、いろいろなことがあるわけですけれども、それと健康とか医療とかいうのも密接に関わっているわけですよね、こどもをそういうふうに切れるのかというのが非常に、私の中では想像できないところもあるので、一体こういう曖昧なものを特定の事項としてやっていくというので運用が可能なのかどうかというのが不安になりましたということを申し述べさせていただきます。   このようにして、2まで行ってもいいですか。 ○大村部会長 では、そこで切っていただいて、また後でお願いいたします。   赤石委員からは、取りあえず1についての御意見を頂きました。御指摘の点は主として、補足説明に挙がっている基本的な価値判断に関する御異論と、それから具体例の扱いについての御懸念ということだったかと思います。そうした御懸念が払拭されるようであれば、現在の文言でもよいかもしれないけれども、そうでないならば、必要性あるいは相当性という方がよいのではないかという御議論だったかと思います。ここのところは後でまた研究者の委員の方々からの御意見も頂きたいと思っておりますけれども、ルールをどのように設定するのかということについて、基本的なスタンスをどう考えるかということにも関わっているのだろうと思います。英米圏の国々で採られているようなルールのセッティングをするのか、あるいは私たちの民法がこれまで採ってきたような考え方の延長線上でセッティングをするのかということで、かなりイメージも違ってくるかと思いますので、英米法について御知見をお持ちの方々にも後で御意見を頂戴したいと思います。   ということで、戒能委員も赤石委員も、まだ御意見があるということだろうと思いますけれども、他の方々の御意見も伺った上で、また御意見を頂戴したいと思います。 ○落合委員 すみません、少し補足といいますか、今、赤石委員がおっしゃったことに関連してなのですけれども、私が先ほど言ったことを2の方の本文に入れるというふうにまとめていただいたのですけれども、私としては、1の方も入れられるのではないかというような意味で発言しました。2はもちろんのこと、1の方ですね。急迫の事情というような表現で、その中にDVとかも入るとここでは議論されていて、それでいいかなと思ったと赤石委員もおっしゃっているわけなのですけれども、私などはやはり、日本の民法の作法なのかもしれないですけれども、何か奥歯に物が挟まったようなというか、みんなここでDVとか虐待のことを一番気にしているのに、それがずばっと出てこないというのが、やはり少し何というか。はっきり言った方がいいのではないかと思いまして、例えばここにウを付けて、DV、児童虐待や家庭内暴力などの懸念がある、リスクがある場合というのを明示してしまうのはどうなのでしょうか。一番懸念していることを(注)などに入れておくのではなくて、本文にはっきり書いてほしいというのが要望です。 ○大村部会長 ありがとうございます。御意見として伺いましたけれども、直前に私が申し上げたこととも関わると思います。あるいは沖野委員が御指摘になったような、この規定の構造ということも関わって、皆様様々な御意見があるところかと思いますので、また後で何かあれば他の委員、幹事の御意見を伺いたいと思います。追加ということで伺いました。   ほかにまだ御意見をおっしゃっていない方々がおられたら、御意見を伺い、その後、戒能委員や赤石委員にまた追加の発言を頂こうと思いますが、いかがでしょうか。 ○佐野幹事 幹事の佐野です。まず、1の先ほどから議論になっている@の急迫の事情のところなのですが、裁判手続を待っているいとまがない場合を含むというのは、通常、保全でも2、3か月掛かっていますので、一つの考え方だとは思うのですが、やはりその文言だと時間的な切迫性というもののみを一般的には想起してしまうというところがあります。審判手続を父母が同居したまま相争っているということ自体が、子を葛藤にさらすことになり、こどもの利益を害するといったような場合も入ってくるのかという点を踏まえて、この文言でいいのかということを思案しております。適当な対案が思いついていないのですが、この文言では、そういう事案が含まれなくなる不都合もあるのではないかということです。   あと2番目は、たたき台の方の1(3)についての5ページ以降、補足説明のところに関わる点です。先ほど赤石委員の方からもお話があったのですが、「特定の事項」をどういった範囲で設定するのかというのは、具体的に争われている事項によってくるものと思っているのですが、1点確認しておきたいと思いました。例えば、婚姻中でも離婚後であっても、居所指定権の行使者だけ決めれば済む事案と、その居所から進学すること、最近は特別支援教育を受けさせるか、受けさせないかとか、そういったところも含めて争われる可能性があるために、むしろ監護者指定まで必要な事案もあるのではないかと思っています。   また、DV、虐待事案などでは、特に精神的なDVの場合には、別居をした後でも加害者とコミュニケーションすること自体が安全性に懸念を生じさせるというような場合もあって、DVでは親権停止は認められませんので、被害親を監護者と指定すべきという場合もあるのではないかと思われます。その場合、離婚後であればたたき台の3(2)で一応、監護者指定というのがあるのですが、婚姻中別居の場合には、その類推適用によって、今の実務と同様、監護者指定が認められる、裁判所によって、その権限の広さ、範囲が適宜選択されるという理解でおります。   それから、2(6)のところなのですけれども、これも理解の確認なのですが、そもそも出発点としては、双方共同でこどもに関わる決定をしていこうという意向をもっている元夫婦が、離婚後もこどものことについては共同して決定していくというのがこどもの利益になるというコンセンサスはあったかと思うのです。ただ、私たちが見ているような紛争、高葛藤のケースなどについては、そもそも高葛藤状態が継続するということ自体がこどもの利益に反するということは、菅原委員などからも最初から指摘されていたところかと思います。そういう意味でいうと、裁判手続で共同親権にするかしないか争っているケースというのは、ある意味、事実上の推定、相争っていること自体、共同親権にするのが望ましいのかという点ですでに疑問が生じているということになるのではないでしょうか。したがって、それでも裁判所が共同と定めるのであれば、共同とすることがその害を上回るほどのこどもの利益になるということにつき、積極的に説明される必要があるのではないのかと思います。   さらに、今回の資料の10ページのところで、共同から単独にするということについて、その一方の親権を制限するという意味で親権制限の諸規定を踏まえた検討が必要とあるのですが、それに関連しては、第三者監護のところでも申し上げましたとおり、自分で親権を行使してこなかったというか、積極的に責任を果たしてこなかったようなケースについて、親権制限するということに非常に消極的な実態があるのではないかと考えております。そういう意味では、親権というのがやはり「親の権利」というところに引きずられているのではないか、こどものための養育をするべき責任というところを果たしてこなかったケースに親権制限がなかなか適用されないという実態を検証した上で、共同親権における議論においても、親権制限の諸規定を踏まえた検討というのを考えるべきではないかと思います。   それからもう1点、裁判離婚で裁判所が共同親権を定めるという場合、職権で、監護者を裁判所が定めなければいけないという状況が出てくるのではないかと思います。人事訴訟法の第32条は当事者の申立てが必要となっていますので、裁判所が職権で定めることができるというような規定が必要になってくるのではないかと思います。   最後に、父母以外の監護者指定ですけれども、先ほども申し上げたように、長期間にわたって親権を行使してこなかったケースに親権制限が認められにくいという実情を踏まえ、私たち弁護士委員からは、従前の監護状態を継続するというような内容で提案をしております。こういった事案でも適切に親権停止が認められればよいのですが、消極的な濫用というところが親権制限の対象とされにくいという実情を踏まえると、やはり現状では監護者指定が必要だと理解しています。 ○大村部会長 ありがとうございます。佐野幹事からは1、2、3それぞれについて御意見を頂きました。それで、今回ゴシックになっているところとの関係でいうと、1の急迫の事情については、それに収まりにくい場合があるのではないかという御指摘を頂いて、それは、少しこれでは狭いのではないかという御意見なのかと思って伺っておりました。それから、親権制限の運用について触れておられましたが、それは3との関係で、第三者の監護者指定を認めるべき場合があるのではないのではないかという方向の御意見につながると理解を致しました。それから、特定の事項ですとか、あるいは2Aに出てくるような場合の取扱いについて、佐野幹事の御理解や、あるいは裁判所の運用についての御意見を披露されたと受け止めさせていただきました。ありがとうございます。 ○原田委員 委員の原田です。やはり急迫の要件のところなのですが、この説明では、裁判所の判断を持てない場合と協議できない場合ということが急迫の要件とされていますが、弁護士同士で議論したときに、急迫というのはやはり時的な急迫性ということが最も感じられるということです。つまり、急迫という言葉はどうしても時的な切迫性とか、そういう印象を拭えなくて、私たち実務家からすると、すぐに頭に浮かぶのは正当防衛の急迫不正の侵害です。これは刑事だから違うとは言われますが、刑事の分野でも、例えば長年暴力を受けていた妻が、酔っぱらって寝ていた夫を殺害した事案では、正当防衛は認められていません。また、先ほどお話がありました民法の借家人が修繕できる場合とか、越境した枝の処理などについても、これも時的な急迫性が要件になっていると思いますし、第698条の事務管理で責任を負わない場合というのも正当防衛と同じように論じられています。これは正しく、急迫というのは時的なケースではないかと思われます。   しかし、懸念されているDVのケースなどは、これは何回も、佐野幹事もおっしゃいましたけれども、暴力が振るわれたときにすぐに逃げるというケースは少なくて、逆にそういうケースは、追い出されてしまってこどもを同行できないような場合が多いと思います。しかし、何か大きなことがあったり、もうこれは我慢できないというようなことになった場合は、相手の顔色をうかがいながら準備をして、休みのときとか相手がいないとき逃げるというケースが多いと経験上思っています。その場合も急迫と判断されるのかという問題です。このような準備期間には相手を怒らせないように最大限の注意を払うので、その期間は暴力がない状態があるということが多いです。また、DVは逃げようとする場合に最もひどくなるといわれていますので、離婚したいとか、別居したいとか、こどもを引き取りたいとかいう協議をすること自体にDVの危険があります。ですから、そのような協議などなかなかできません。そういう状態のときに、これは急迫要件に該当するとは思えないというのが弁護士会内で議論したときの意見でした。精神的なDVとかモラハラのケースでは最も顕著だと思います。ですから、この急迫という要件は非常に危険だと私は思います。   それで、やむを得ないとか必要性、相当性というのが駄目であれば、これは仮の提案なのですけれども、父母の協議や裁判所の判断を経ていては子の利益を害するおそれがある場合というのも、具体的にこれを書くのも一つの考え方かなと思います。これは、まだほかの方の意見も十分伺って練る必要はあると思いますが、そういうふうに具体的に書くというのも一つの案かなと思います。   それから、親権の指定の判断枠組みの件なのですけれども、双方が親権者であった従前の状態を継続するのか、一方の親権を制限する状態に変更するのかという判断をするものと捉えることもできると11ページに書いてあります。これまで単独親権でどちらを親権者にするかという場合も、一方の親権を制限する理由があるかどうかではなくて、相対的に子の利益にとってどちらがいいかという観点で判断されてきました。その選択肢の中に一つ、共同がよいのか、父の単独親権がよいのか、母の単独親権がよいのかという選択肢が広がったという判断ができるのではないかと思います。少なくとも相互に協力扶助義務がある婚姻中とは異なるので、子の利益のためとはいっても、相互に協力できる関係ができずに共同とすることで子の利益を害する場合は、共同を排除する。しかし、子の利益を害するというのも程度問題ですから、一律排除という程度ではないにしても、共同がいいのか、父の親権がいいのか、母の親権がいいのかという中から、どうしたら子の利益に資する養育環境を確保できるかということを裁判所が判断するということではないのかと思います。そこで、その意味を表すものとして、ここでは、またではなくて、この場合においてということを使用してはどうかと思います。 ○大村部会長 どこをおっしゃっているか、具体的な場所を示していただけますか。 ○原田委員 2(6)のところで「また、父母の双方を」と書いてあるところを、最初の4行目の後、この場合においては、このときは排除しますよと、だけれども元に戻って判断しましょうねという考え方です。   それから、監護者指定の問題は、私たちの中では池田委員が言うとおっしゃっていたように思ったのですが、本日配布されたオーストラリアの制度というのは、顕在化した問題点を事後的に修正してきた結果、到達した地点を表したものだと思うので、やはりこれに学ぶべきだと思います。もちろん、だからといって共同親権や共同養育を廃止したわけではないということは承知しています。しかし、従前も申し上げましたけれども、新しい制度を作るに当たっては、理念も重要ですけれども、それが実現した場合にどうなるのかということに配慮して、問題が生じにくい制度にする必要があるのではないかと考えます。日常行為について双方が単独で行使できるとされているのですが、前に説明を聞いたときには、実際に監護している状況で行使できると聞いたように思ったのですが、昨日改めて伺いましたら、行使できる場合の制限がない、重複したり早い者勝ちにならないためには監護者指定をするしかないというふうなことを説明で聞いたので、それでは間に合わないのではないかと思います。   もちろん一律に例外なく決める必要があるのかという御意見は、理解できないわけではありませんが、実際には共同できる関係があれば意思決定は共同で行いますけれども、決めていない場合に、監護していない親が勝手に行った場合は取り返しが付かないことになります。一律に例外なく決めた場合のデメリットと、決めない場合のデメリット、それはイコール子の利益や不利益に直結するもので、その比較衡量ではないかと私は考えます。   また、もめた場合に監護者指定すればいいではないか逆に、監護者が濫用した場合も監護者の変更をすればいいと、そういう双方の関係があると思うのですが、実際に裁判の手続を待っていては間に合わないという点はどちらの場合も同じです。そうすると、実際に監護している親と実際に監護していない親の考えのどちらを優先する方が子の利益に合致する場合が多いかということを考えると、実際に監護している親の意見を優先する方が子の利益に合致する場合が多いのではないでしょうか。そうすると、一律に例外なく決めておいたとして、それが駄目な場合は変更するとか、あるいは、それがあっても、双方の関係がよければ双方で話し合って決めるということができるということであるので、一律に例外なく決めるということにそれほど大きな問題はないのではないかと思います。私は理念を優先するよりも、そう決めた場合にどんな問題が起こって子に不利益が及ぶのかということをもっと考えるべきだと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。原田委員からも1、2、3について御意見を頂きましたが、1については、急迫の事情でない別の案はどうかということで御提案を頂きました。より具体的なとおっしゃったけれども、それがより具体的かどうかというところについては、ほかの委員、幹事の御異論があるかもしれませんが、御意見として頂戴いたします。それから、今日出ているところではないですけれども、資料の6ページの囲みの中の2(6)の文言を直してはどうかという御提案を頂きました。それから、3については(1)は必須にするという意見を支持されるということをおっしゃったかと思います。(2)は、これは池田委員の御発言に委ねるということですね。 ○原田委員 多分言われると思っていたので。 ○赤石委員 聞き取れなかったので、最初の急迫に代わって何を御提案したのか、もう一度おっしゃっていただけると。 ○原田委員 4ページの2の3段落目の、他方で、父母の協議や家庭裁判所の手続を経ていては適時の親権行使をすることができずその結果として子の利益を害するおそれがある、というところを具体的に書いたらどうかということです。 ○赤石委員 ありがとうございます。すみません、突っ込んでしまって。 ○大村部会長 それで、次にウェブの方で最高裁から手が挙がっているかと思いますので、最高裁まで御発言を伺って、そこで一旦休憩したいと思います。 ○向井幹事 幹事の向井でございます。最高裁からは、先ほど佐野幹事から監護者指定の関係で、協議で話が付かない場合には裁判所の方で必要な限度、範囲で監護する者を決めるような御発言がありまして、恐らくこれは監護の分掌についてお話ししていたのかと思いまして、これについて裁判所としての意見を述べたいと思います。また、赤石委員からも特定事項についての親権行使者に関し、特定の事項の粒度、どれぐらい細かくするかというところについてお話がありましたが、これについても裁判所からの意見を申し上げたいと思います。   まず、部会資料34−1の15ページの(3)や16ページの(注)のところには、監護の分掌について、子の監護を担当する期間を父母で分担するというものと、監護に関する事項の一部を切り取って父母の一方に委ねるという、この二つがあり得るという説明がされております。このうち後者の点、すなわち一定の事項を区切って父母の一方にその権限を委ねるということに関しては、16ページの(注)にも記載されていますとおり、父母間で現実に紛争となっている特定の事項につきましては、たたき台(2)の第2の1の(3)の特定事項に係る親権行使者の制度によることになると思います。   そうすると、仮に監護の分掌として事項を区切って権限を委ねるということを定めるとすると、例えば、いまだ紛争にも至っていないような将来の子の進路選択を含めた子の教育全般みたいな形で、相当に包括的、抽象的で現に紛争化していないものの分掌に限られると思われますけれども、父母双方を親権者として、双方がこれから子の養育の重要な事項について関与していこうというときに、そうした包括的で抽象的な権限をあらかじめ一方に委ねておきたいというようなニーズがどれぐらいあるのかということについては疑問があります。   また、いまだ意見対立も具体化していないにもかかわらず、父母のどちらに教育全般を委ねることがよいかといったことを裁判手続で争おうとしても、紛争化していないがゆえに、当事者においてどのような具体的な主張立証活動を行えばいいのかということもなかなか分からないでしょうし、そもそも第2の1(3)の特定事項についての親権行使者の制度であれば求められる特定性ないし必要性を欠くような抽象的なことを裁判手続で定めるというのは難しいのではないかと思われます。   そうすると、監護の分掌をどのように定義するかにつきましては、一定の事項で区切る方を監護の分掌というのではなくて、子の監護を担当する期間を父母で分担するという、こちらの方だけを指すと定義することも可能ではないかと、一定の事項を区切るということにつきましては、調停で抽象的なことまで含めて合意をするということはできるにしても、審判で争うといった場合には、具体的なもののみを特定事項の親権行使者を決める制度で定めるというのがよいのではないかと考えております。   仮に、そうではなくて、監護の分掌にはやはり一定事項を区切って、父母の一方にその権限を委ねるというのも含まれると整理するのだとすると、たたき台(2)の第2の3(2)のゴシックの本文に、裁判所に判断を求める手続としては特定事項の親権行使者の制度を利用する、ということを明確にしていただくような規律を加えるようにしていただかないと、利用者としても裁判所としても混乱するのではないかと思います。   また後ほど意見を申し上げるかもしれませんが、差し当たり以上でございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。先ほどの佐野幹事、あるいは赤石委員の御発言との関係で、特定事項をめぐる判断の在り方について、向井幹事のお考えをお示しいただいたと受け止めさせていただきます。   まだ御意見があると思っておりますけれども、先ほど申しましたように、15時に近付いておりますので、少しここで休憩いたしまして、休憩後に改めて残りの御意見を頂戴したいと思います。今、15時2分前ですけれども、15時10分まで休憩したいと思います。では、休憩を致します。           (休     憩) ○大村部会長 それでは、再開したいと思います。   引き続き部会資料34−1について御意見を頂戴し、できれば部会資料34−2に入りたいと思っております。   それで、休憩の前に、先ほど赤石委員と戒能委員に後で残りの部分について御意見を頂きますと申し上げておきました。それから、池田委員から御発言があるのではないかという予告もありましたので、まず、このお三方に御発言を頂いて、更に御発言があれば伺うということで進みたいと思います。時間もだんだん押してきているようですので、戒能委員と赤石委員にはコンパクトな形で御発言を頂ければと思います。 ○戒能委員 発言の機会をまたいただきまして、本当にありがとうございます。先ほど委員から、これは部会長のまとめで、ルールの設定について、やはり英米法系と大陸法系という問題がある。日本の民法は大陸法系と整理できるのでしょうか、当事者の合意にまず任せて、合意ができなければ裁判所の判断で、その裁判所の判断も様々な事情を一切合切考慮してというような、そういう仕組みでずっとやってきたわけなのですが、やはり心配されているのは、運用がどうかというところだと思うのです。条文を読むなどということは市民はあまりないかもしれないですが、見たときに、これは自分のケースはどうなるのだろうかということを普通は考えるわけです。そのときに専門家がきちんと説明できるのかということです。   ですから、抽象性から来る運用の危惧という問題をどうクリアするかということで、せっかく新しい家族法制を構築していこうという、しかも対立があるという場面、領域ですので、ここはせめて合意できるところは、運用の面で少しそういう枠を突破できるような工夫ができないものだろうかと、どういうことかというのを今すぐに私は提案できませんけれども、考えたいと思っておりまして、そういうことをまず申し上げたいと思います。それから、最後の方の議論で監護の分掌ですが、事項の分掌なのか期間の分掌なのかというようなところも含めて、これは紛争が頻発するのではないかと、皆さんこれも危惧されていらっしゃると。   そこについても、今日頂いた参考資料のオーストラリアで、明確には分からないのですが、2ページ目の最後のところに、長期化する対立した訴訟がもたらす悪影響からどうやってこどもを守るか、その際に強大な権限の付与というのは、どこになのかということが、大きな問題になっているらしいということが分かります。ですから、その点についても、リーガルハラスメントという用語も前に出てきましたけれども、それは費用負担の問題、時間の問題、それから精神的負担の問題、それがこどもに与える影響の問題、きちんと議論をして対応策を明示しないといけないと、先ほどの議論とオーストラリアの改正法を見て感じました。   それで、早く終われという、なるべく短くということなのですが、ゴシックの2の方で、6ページから7ページのところなのですが、修正案も出ておりましたが、(6)で基本的に少し疑問に思っている点だけ申し上げます。これは、裁判所が親権者を父母双方にするか、一方とするかを判断する場合の考慮事項を書いているわけなのですが、ここでも一切の事情とまとめておりますけれども、後見的機能を持つ家庭裁判所が判断基準をもってそれぞれのケースで判断をしていくということが可能なのかどうかということをお聞きしたいのが1点と、それから、もしそれが可能だとするならば、そういう判断基準を規定するのであればということなのですけれども、子育て、養育に関しては、濃度の濃い、薄いはあるにせよ、親の一定の考え方に基づいて子育てというのは行われているのではないかと思うわけです。何か判断しなければならないときに、どういう自分の価値観に基づいて判断をしていくかということになると思うのと、送られてきた札幌弁護士会の意見書にも書いてあったことなのですけれども、極めて個人的な問題で価値観の問題に国家権力の介入という問題につながらないのかということです。   そうすると、こういう父母と子の関係とか父母の関係とかというのは、少しこれもよく分からない記述です。特に、父母と子の関係と書くのであれば、子の安全と安心、先ほども申し上げましたようなこと、子の最善の利益を確保することを中心としてとか、そういう文言を入れた方がいいのではないかと考えます。ただ、それは家庭裁判所がそういう判断ができるという仮定に立った上での話でありまして、そういう判断をするというふうにここで持って行くのかどうかということは議論になると思っております。   それから、先ほど修正案も原田委員から出ておりましたが、またということ以降ですね、これはやはり、ほかのところもそうなのですが、DVとか児童虐待を明確に、落合委員が言ったように、条文上も記述した方がいいと考えております。ただし、これも危惧なのですけれども、本当に共同親権が不適切であるケースを全て判断して除外できるかどうかということは、どうなのかという疑問を持っております。ですから、一つは提案としては、DVとかチャイルドアビューズは明確に単独親権にするということをきちんと規定する。運用上、適切な判断が現在されているのだろうかと、ニュートラルフラットと言われていますけれども、その辺りの危惧が大きいのではないかと思っております。   それから、3番目の3のゴシックで、監護者指定の問題です。13ページ以降ですが、これは補足説明の14ページですね、監護者の定めをしないことにより不都合が生じ得るケースがあるとの指摘があるけれども、全ての事案において監護者の定めを必須としなければならないかどうかという議論なのだとしていますが、やはり不都合が生じるケースこそきちんと事前に審議しておくべきだと思っております。   どういう不都合が生じるかというのは今までも出ておりますから、省略を致しますけれども、実際にここもまた紛争を裁判所の判断に委ねるとなると、適切な必要な医療が不可能になったり、遅れてしまって、それが子の利益を著しく害するということも、現場の方々は、医療の現場の方々、それから学校とか行政とか、危惧されると思います。ですから、その辺の議論の方が重要だと思っております。必須としないではなくて、それは必須とすると修正していただきたいと考えております。   それから、あまり議論が出ていないところですけれども、同じ3のところで、たたき台の3(4)ですが、ここはあまり議論しなくてもいいのでしょうか。それで、監護をすべき者の行為を妨げない限度で監護者ではない側の親権者が日常の行為を行うことができるというところなのですけれども、それがこの補足説明の文章では、15ページの上の方にこれをまとめて言い換えているのですが、Cというところで、監護者ではない親権者が監護者の身上監護を不当に妨害することができないものとされているとまとめているのですが、このまとめで正しいのかということが疑問であります。同居親としては、その判断を誰がするのかとか、もしそういう妨害行為があったら同居親は何ができるのかとか、相手方にどういうことが法的な行為として必要とされるのかとか、制裁措置があるのかとか、そういうことがはっきりしないというところで、不当に妨害することができないとまとめることの可否が疑問であります。少しその辺は説明をしてほしいと思っております。 ○大村部会長 戒能委員、大分長くなっていますので。 ○戒能委員 大分長くなっているということですけれども、でも、あまり急がせないでほしいと思います。 ○大村部会長 すでに、十数分に及んでいますよ。 ○戒能委員 それで、この一文の効果というものを同居親というものの立場から考えると、大変大きいのではないかと、安定した一貫した養育が不安定になってしまうのではないか、それが子にも影響を与えるのではないかということを危惧するということです。   一応ここで終わって、また別の機会に。 ○大村部会長 全部おっしゃってください。ただ、短くお願いいたします。 ○戒能委員 分かりました。どうも申し訳ございません。   それで、これはゴシックのところには直接関わりないのかもしれませんが、補足説明の文章で大変気になっているところがありまして、15ページの記述です。不当に妨害することができない、のすぐ下の方なのですが、父母の責任に差を設けるとか、父母の一方が優先的な地位を獲得することになるなど、こういう表現がふさわしいかどうかというのは是非御検討願いたい。ここにもやはり子の利益が最大の目標である、優先事項であるという考え方がきちんと入っているのかという疑念や、疑問が生じるということを申し上げて、終わりにしたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございました。最初におっしゃっていただきましたけれども、民法に規定を置いたときに、その運用がどうなるのかということが問題になるということで、それをできるだけ明確にするような努力をしたいということを全体的な御意見としておっしゃったと理解を致しました。そして、具体的なこととしては2と3がありますけれども、2については(6)について御意見をおっしゃったかと思います。その中で2(6)については、家庭裁判所にこういう判断ができるのかということをおっしゃったかと思いますが、親権者の指定及び変更ということ自体は現に家庭裁判所はやっていますので、一定の場合に家庭裁判所が判断するというのは難しいのではないか、こういう御意見として受け止めさせていただきました。書き方としては、(注2)に出ていることをどうするかということとも関わるのですけれども、やはり具体的な基準を(6)の中に書き込むということで、先ほどの運用上の懸念を払拭するというような方向で考えたいという方向の御意見として承りました。それから、3(1)については、これは原田委員と同じ方向の結論だと理解を致しました。そして、ここに挙がっておりませんけれども、3(4)について補足説明の説明が十分ではないのではないかということで、工夫をしてほしい、併せて15ページのその下のところに出てくる説明についても見直しが必要なのではないか、こういった御意見を頂いたと理解を致しました。ありがとうございます。 ○赤石委員 ありがとうございます。しんぐるまざあす・ふぉーらむの赤石でございます。2の父母の離婚後の親権者の定めについての論点整理のところから意見を言わせていただきます。その前に、先ほど黙示的な同意についての期限がどのくらいなのかというのは、できれば少し御示唆を頂けると大変有り難いです。これは事務局への質問です。   意見の方を述べさせていただきます。この論点整理の中で、認知した場合においても、親権は母が行うものとするが、父母の協議で父母の双方又は父を親権者と定めることができるという(3)についての規定がございます。ここについてそれほど議論がないまま進んできてしまっていることに本当に反省をしておりまして、私どもひとり親の会員さんが1万人ぐらいいらっしゃることになってしまっているわけですけれども、多分10%以上、未婚のひとり親の方がいらっしゃると思うのですが、この方たちの意向というのを現段階のところで聴かないといけないということを、なかなかできなかったので、皆さんにお伝えもできなかった。中間試案のときに未婚のひとり親のところもあったのですが、それほど注目されていないので、皆さん分かっていらっしゃらないのではないかという危惧があって、本当に緊急に意向を聴いて、今頃出しているのは本当に申し訳ありません。   ただ、そうはいっても認知の後に共同親権になることができる規定を設けるか、設けないかとかいうことはこどもの身分関係にとても大きな影響があり、例えば、非嫡出子差別の撤廃についてずっとこの何十年進んできたわけですけれども、ものすごく大きなテーマとしてやってきたのと同じような事項がここにさらっと入ってしまっているということが、いいのかどうかが非常に不安になったので、お伝えします。ごめんなさい、言い訳が長くて。更なる実態の把握というのは必要だと思います。私どもの調査の結果は配っていただいております。ありがとうございます。   それで、結論だけ述べさせていただきますが、要するに認知の手続の後、共同親権を望む方と望まない方がいらっしゃいました。それから、法定養育費についてはやはり、まだ分からないという方がすごく多かったと思いますけれども、期待されている方ももちろんいらっしゃいました。ただ、認知の手続の後に申立てによって共同親権が裁判所で決まることができることについて、認知という手続が一方の側だけでできることから、父の確定が一方の手続でできるような後に、その共同親権の申立てができることになることについて、やはり問題を感じている方がいらっしゃる。認知が一方的にできるという制度を改めた後に、やはりこういうものがあるべきではないかというような議論があったことをお伝えしておいた方がいいし、今までのいろいろ論文を見ても、そこを指摘されている方はいらしたように見受けられました。日本の認知制度は、母の合意なくても任意認知はできるというところが、やはり気になるところでございます。あと、認知した後、法定養育費がほぼ自動的に決まるということについては、その制度により認知を避ける父親側が出てくる可能性があるわけで、これをどう考えるのかということも議論がなかったので、やはり議論しておくべき必要があると思います。   それから、お付合いをしている間にDV被害を受けたりストーカー被害を受けているような、そういう関係性の中で一方的に妊娠をさせられて、認知をされてしまい、共同親権まで持ち込まれたというようなことが起こらないとは限らないので、やはり暴力被害の拡大の可能性というのは、レアケースではあっても考える必要があるのかなと思いました。   それから、一般的にやはり強制認知までされている方というのはすごく少なくて、でもいらっしゃったのですけれども、非常に大変であるという記述もあったので、やはり知識の周知とともに法的な手続についての支援というのが手厚く必要ではないかと思いました。離婚前後の法律手続の支援というのを無料でやっているような機関もあるのですけれども、ここに明示的に未婚のひとり親とかいうのが対象であると書かれていないようなケースもあるので、しかし、強制認知を求めて、更に養育費を求めるという手続はかなり大変であるというのは書かれていたので、是非その辺りのインフラ整備と一緒にやはり議論すべきであると思っていて、私はこれを全く議論しないままこのたたき台が決まってしまうような方向というのは非常に罪責感を感じますので、皆さんにも是非御意見を頂きたいと思っております、ということがあります。   その上で、この論点整理のほかの意見なのですけれども、子の意思というところで先ほどいろいろな御議論があったかと思います。時代というのは、やはりこども家庭庁ができ、こども基本法ができ、年齢や発達の程度に応じて意見の尊重、最善の利益を優先して考慮されるということはこども基本法にもある、この時代にやはり子の意思というのを何らかの形で私は書き込むべきである、自分のことを自分で決めたいという、このことを尊重すべきであるとは思いますが、過度にそのことで何か不都合があるというのは、なかなか想像はできないのですけれども、あれば、そこは配慮しつつ、入れていく方向ではないかと思います。   この間も大学生の方のお話を聞いたのですけれども、ずっと別居しているけれども、父親が離婚を認めないために共同親権下で数年過ぎていて、非常にストレスがあると。高校で普通高校から通信高校に移りたいというときに、許可をもらいに父親のところに面会に行くことを父親から要求されたと、もう本当に高校の転学すら父の許可が要るということに絶望しましたというような御意見を頂いております。このように、やはりこの方が親権者の指定変更を求めたいと思ったときに、高校生になっていたらできるのか、そういった子の意思を考慮するというのは必要であると思います。   それから、10ページから11ページの補足資料の書き振りについてお伝えしたいと思います。婚姻時は共同で親権を父と母が持っていて、それが離婚後に、例えば単独の親権になった場合には、そこでこどもの親権者が2人の状態であるというところから身分関係に変動を生じさせているという観点で、子の利益に合致するかどうかということを書かれているのですが、非常にこの書きぶりが違和感がございました。婚姻時に確かに共同親権なのですが、先ほどどなたかがおっしゃったように、その末期には親権の行使というのがもう本当に破綻しているというか、子の利益に合致していないからこそ変動が生じる必要性があると考えられるので、このような二人の共同親権者、これが一人になったら不利益ですねというような図式というのは非常に違和感がございます。先ほど言ったように、高校の転学すらうまくできないというような機能不全が生じている状況を考えるべきだと思います。だから、この書きぶりというのが許されるのかというのは、私としては反対です。   その次に、(3)のところに、離婚時の親権者と定めについて、これは窪田委員が前回おっしゃったことなのかなと思うので、三つのパターンがあるということをおっしゃっていたかと思います。その後に、この@、A、Bのうち、@とBは当事者は子の養育に責任を持って関わっていく態度を示していると考えられるというようなことが書かれております。私はこれは、親の権利としての親権の考え方を持っている人が自分の権利を主張していると見受けられるので、こういう書き振りは非常に容認できないと思っております。自分の権利が侵害されるのが嫌なので親権を調停で主張しているような方も見受けられることから、ではあなたはきちんと親権行使できるのかと聞かれると、いや、こどもの面倒は全部母親、こどもの祖母ですね、に任せます、みたいなことを平気で言って、途中で諦めるみたいな方たちの話も聞きますので、親権というのを親の権利と誤解しているような主張をされる方たちもいらっしゃるのを、単にここで責任を持って養育に関わっていく態度を示しているというだけを書かれるのは、非常に現実的なところで違和感がございます。このときに、父母の一方が子の養育に関し他の一方との共同の関係維持を強く拒絶するケースも想定されるというような形式的な解釈というのは、非常に実態と合っていないと思いましたので、少し考えていただきたいと思ったところでございます。   その論理がずっと何か続いていて、12ページの中段ですが、父母双方の合意があることを必要とする旨の修正を求める意見については、一種の拒否権を父母の一方に付与する結果となるというようなことが書かれておりますけれども、これも非常におかしな論理であります。この拒否権という言葉は、これまでの審議会の議論の中であったのでしょうか。私は少し32回のところ検索しましたけれども、ありませんでした。もしここで新たに書き加えたのであれば、撤回していただきたいと思います。それぞれが子の利益を考えて、合意がないと運用できないということを考えての、合意を必要であると言っていることを、拒否権であるというふうな言い方をすることには非常に違和感があります。   12ページの(4)の平穏なコミュニケーションのところですけれども、平穏なコミュニケーションを取ることができないというのは私が申し上げたところです。ただ、ここについては、そのほかに含意されているというようなことを言われているように思うので、それが明確であれば、平穏なコミュニケーションというのが条件としてあるということが言われていれば、ある程度はよいのかなと、平穏なコミュニケーションというのは親権者の定めについて父母の協議が調わない理由その他の一切の事情に含まれていると書かれておりますので、一定少し譲歩をしようかなと思ったところです。   13ページにもその後もありますけれども、子の利益を害する事情がないにもかかわらず身分関係の変動を要求するということを、何か一方の親の全くの我がままで共同親権を拒否しているかのような書き振りは非常に、共同親権であることによってこどもをきちんと育てることができないのではないか、それはDVとか精神的な暴力も含め、あるいは意思疎通ができないとかコミュニケーションができないとか思っているひとり親の気持ちを全く踏みにじったような表現であると私は思いますので、これは撤回していただきたいと思っております。   続いて、3について。 ○大村部会長 すみません、短くお願いします。 ○赤石委員 すみません、突然出てくる表現があるので、やはり言っておかないといけないのです。 ○大村部会長 分かりますけれども、コンパクトにお願いいたします。 ○赤石委員 監護者の定め及び監護の分掌のところに行きます。まず、監護の分掌というタイトルに私は違和感がございます。これは前回出てきたのですけれども、そのときに意見を言わなかったのは大変申し訳ありません。15ページですが、先ほど戒能委員がおっしゃったような、監護者の定めがされた場合には身上監護に関する事項全般について包括的に父母の一方が優先的な地位を獲得することになるというような表現があります。外部から見たら優先的な地位を獲得するという形式論になることがあるかもしれませんけれども、これはこどもの利益を考えたら、権利の争いや権力闘争をしているわけではありません。権力闘争のように見えるのは、少し眼鏡が違っていると思います。日常的な世話に関する一貫性の必要性というのを考えたときに、監護者の指定が必要であるということを言っているので、ここについても突然出てきた、この優先的な地位という言い方は非常に違和感がございますので、撤回していただきたいと思いました。   こどもにとっては、特に年齢が小さければ小さいほど、安心な愛着関係が必要です。法制審議会の第21回会議で渡辺久子先生、乳幼児精神医学会の先生が、こどもの成長発達にとっては最も重要なのは安全・安心を与えてくれる養育者との安定した環境である、離婚後のこどもの養育に関してそれが損なわれるのを心配しているとおっしゃっておりました。この愛着関係をきちんと形成できるような関係がないと、脳の発達から体と心の発達が阻害されていく、こどもの利益にならないということをおっしゃっていたかと思います。このことを実感している親が、やはり監護者を指定すべきであると思っており、私どももそれを考えているということであって、こどもを同居親が一人で抱え込みたいと思っているかのような言説は違うと思います。   同居親の方たちは仕事と子育てで疲れ果てており、安心して託せる相手であれば当然、託したいわけでございます。社会的支援も必要です。柔軟性がないのではなく、安全・安心を損なわないということが必要なので、柔軟性という言葉も非常におかしな言い方であると思いますので、ここで、先ほどから言っているように、監護者の指定というのはこどもの安全基地を作るという観点からも必要であると思いますし、先ほど監護の分掌というところも非常に危機感を述べさせていただいたのですけれども、面会交流の規定というのがあるわけですので、そこできちんとお子さんのお世話をするということの可能性は開かれているわけですので、わざわざここで監護の分掌というのをする必要はない、そこで、それについては修正していただきたい、このように思います。   第三者については、意見があれば言いますが、以上です。 ○大村部会長 ありがとうございます。具体的な御意見としては、2の子の意思について書き込むと、明示的にするということについて賛成だけれども、しかし、それに対する懸念があれば対応する必要があるということだったかと思います。最後の点は分掌に反対という御意見ですか。 ○赤石委員 監護の分掌というタイトルと、その内容については反対します。 ○大村部会長 分かりました。そのように受け止めさせていただきます。それから、補足説明についての御意見を頂きましたが、これは補足説明を見直すということで対応を頂きたいと思います。そのほか2点あって、御質問にわたる点がありましたけれども、期間の相当性とか連絡方法の相当性ということについて、今ここで、事務当局に問うても一義的な回答は出てこないと思いますので、説明の中で可能な形でまた御検討いただきたいと思います。それから、最初の方で認知のことをおっしゃって、これは議論が足らないのではないかということで、問題点になるような点について御指摘を頂いたと思います。あわせて、周知や支援、情報提供などがこの部分で特に必要ではないかという御要望をいただいたと受け止めさせていただきます。   あと池田委員、武田委員と伺って、ウェブで今津幹事、久保野幹事、青竹幹事ということで、大分いらっしゃいますので、すみませんが、コンパクトにお願いできればと思います。 ○池田委員 池田でございます。私からは2と3について意見を申し述べたいと思います。   まず、裁判所が親権者指定をする際の考慮要素として、子の意思を明示的に規定するかどうかに関してです。父母の離婚に当たって、どちらかあるいは双方がどのように責任を負って自分を育ててくれるのかという重要な事項について、こどもが意思や心情を表明する機会を保障し、そして表明された意思、心情を関係者がしっかりと受け止めるということが重要であるというところは、異論がないところではないかと思っています。こうした考え方あるいは子供の権利条約第12条の締約国の義務を根拠としまして、既に手続法上は子が意思、心情を表明する機会を保障する仕組みがある程度整っているところだと思います。先ほど落合委員の、こどもの代理人ということを明記した方がいいのではないかという御意見がありましたけれども、それについても手続法上は、こどもがこうした事件類型について自ら手続に関与して、必要がある場合には代理人を付けるという制度が既にあるところではあります。   しかしながら、こどもの意見表明権は、こどもが自分の意思や心情を表明する機会の保障という手続保障という意味合いだけで捉えるのでは十分ではないと思います。それをしっかりと受け止めて判断の際には考慮してもらえるという点も重要で、それは実体的な権利であると考えるべきではないかと思います。そうしますと、手続法上の規定では十分ではなくて、実体法、つまり民法に裁判所の考慮要素として、子の意思というものを何らかの形で明記していくという考え方になるのではないかと思います。   他方で、そのように明記した場合の弊害についても検討する必要があると思います。親権者指定は、どちらかの一方を親権者としないという可能性もあるわけですから、水野委員がかねて御指摘のように、子に親を選ばせる負担を負わせるということになりかねないという弊害もやはり考えられるところです。そうしますと、仮に子の意思というものを何らかの形で考慮要素として明記していくにしても、子の意思という文言でいいのかどうか、いろいろなバリエーションがあるかと思いますし、子の意思や心情を聴いて受け止める場面、考慮していくべき場面というのはほかにもいろいろと考えられるところですので、それとのバランスをどう考えていくのかといった検討がなお必要かと思っております。   仮に、懸念される弊害をなかなかクリアができず、裁判上の離婚の際の考慮事由としては規定できないという場合でも、後で申し上げる部会資料34−2について少し先行してコメントすることになるのですが、今申し上げたような弊害が考えにくい親子関係の基本的な規律の場面においては、また別の考え方もあり得るということは指摘しておきたいと思います。以上が2@です。   それから、2Aに関連して、6ページの囲みの(6)のところについて一言申し上げたいと思います。先ほど原田委員から御指摘があったところですけれども、「また」以下のところの趣旨としましては、共同親権が不適切なケースにおいて万が一にも共同親権を選択されないようにということを強調する形で、そのようなケースでは単独親権としなければならないという強い表現をしているということで理解しています。そのメッセージは非常に重要かなと思います。   他方で、この書き方ですと、子の利益を害するとまではいえないとなれば共同親権が選択されるというようになりはしまいかと、そういう運用とならないかという懸念もあるところです。特に、補足説明を拝見しますと、婚姻中は共同親権なのだから、離婚時に単独親権とするというのは他方の親権を制限するということになるので、制限するにふさわしい事由がないといけないというふうな発想に立っているように思われましたので、その懸念というのは強く感じたところです。   離婚後の親権の在り方を本当にゼロベースで考えるのであれば、そういう発想もあり得るかと思うのですけれども、ここでの議論というのは、戦後80年近くとられてきた離婚後単独親権制度というものを大転換して、離婚後も共同親権ということを可能にする制度を導入すべきかという議論ですから、どのような場合に共同親権の方がより子の利益に資するのかという方向で考えてきたのではないかと思いますので、このような議論の経過も大切にしたいと考えています。その意味では、いずれかを原則とするのではないということが誤解なく読み取れるような規定振り、飽くまで総合判断で裁判所が最も子の利益になる選択ができるような規定振りが望ましいと考えています。   最後、少し長くなって恐縮です。3(1)について、先ほど原田委員から託されたところを一言申し上げて、終わりにしたいと思います。3(1)で、監護者指定を必須とするかどうかというところですけれども、日弁連の意見では、なお必須とすべきだという意見が非常に強いところです。ここも、申し上げると発想の違いということになるのかもしれません。共同親権で監護者を定めない場合でも、それぞれが日常の行為については単独でできるということになりますので、一定の程度、その監護が生活の安定に資する形で保障されるというか、要するに邪魔されることがないということは保障されていて、それを超えて、重要事項も一方が決定できるようにすべきだというのが監護者指定なわけですけれども、そこまで行く必要があるのか、そうではない場合もあり得るのではないか、当事者の話合いできちんとできるということもあり得るのではないかということは、確かに理解できるところです。   ただ、先ほどの発想という点で申し上げますと、やはりこれまで離婚後単独親権ということがずっととられてきたと、そういう中で、それは当たり前だと考えてやってきた中で、そこを大きく変えようとするときに、監護者指定が任意だとすれば、やはり何もしなければそうなってしまうわけで、そちらが非常に多数派になると思うのですが、そうすると一定の混乱がやはり生じ得るのではないかと危惧されます。今の制度からの変化ということを考えた場合には、よりスムーズに子の養育が回っていくように、監護者指定で一方が基本的には身上監護について決められるという制度とセットアップで共同親権というシステムを導入するということもあっていいのではないかと考えているところです。   以上です。長くなりまして、すみませんでした。 ○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは2と3のそれぞれについて御意見を頂きました。2@について、子の意思ということを何らかの形で書き込んだ方がよいが、弊害を考えるという観点から文言等を工夫する必要があるというのが一つと、それから、仮にここでその弊害を考えて、これを書くのが難しいとしても、部会資料34−2の方はまた別途考えることができるのではないかという御指摘があったかと思います。それから、残りの2Aの関係、先ほど原田委員が文言についておっしゃった、また以下の部分と、それから3(1)の監護者指定必須ということについて、基本的な御意見は、単独親権から共同親権へと変わっていくというこの制度の変化がスムーズに行われるような配慮が必要なのではないかという御意見として伺いたいと思います。ありがとうございます。 ○武田委員 親子ネット、武田でございます。冒頭、本日提出した意見書について簡単に触れさせていただきまして、部会資料34−1、それぞれについて意見を述べさせていただければと思います。   配布させていただきましたけれども、御一読いただければお分かりのとおり、この意見書では、子の利益の観点から共同親権制度導入の賛成の立場からの意見が述べられております。ルール作りであるとか、葛藤を下げる仕組みであるとか、こういった従来私が述べてきた意見と基本的に合致するものだと考え、提出をさせていただきました。今回御賛同いただいた皆様、基本的には女性の権利を守る活動をしている皆さんであったり、こどもの権利保障のために活動している皆様、こういった方々が多く含まれていること、したがいまして我々別居親当事者側からの意見ではないということに御着目を頂きたいと思います。賛同者に関しては3枚目に記載されておりますので、御覧になっていただければと思います。   さて、取りまとめに入っているわけですけれども、我々別居親当事者の中に、今ここでなされている議論に関しまして不満を持っている当事者は当然多くおります。私個人的にも、たたき台(2)ですね、当然納得しかねる部分もございます。しかしながら、こういう状況を踏まえて、取りまとめに向けて双方の立場、多様な意見があろうかと思いますので、取りまとめに向けて御努力いただいていると、このように感じております。いろいろなケースがあると思います。私も一面的な見方をやはりしがちな部分もあります。しかしながら、やはりこの議論はニュートラルかつこどもファーストの観点で御議論を進めていただきたいという一助になればと思いまして、提出をさせていただきました。冒頭、意見書に関しては以上でございます。   続いて、部会資料34−1、1の親権行使の部分と2の離婚後の親権者の定め、ここに限っての意見を申し上げたいと思います。本日いろいろな意見、部会資料34−1の記載を押す意見がいろいろ出てくると思っていましたので、本日はここまで聞かせていただいたつもりです。しかしながら、結論から申し上げますと、部会資料34−1の修正意見、これに私は賛同するものではなく、元提案である部会資料32−1のゴシック記載、ここをベースとして進めていただきたいというのが私の意見になります。   1、2に関して、簡単に理由を申し上げます。相当性とか必要性とか父母の対立、こういった変更を追加する提案がなされておりますが、補足説明にこういった記載がありました、父母の協議や家庭裁判所の手続を経ることが可能である状況であるにもかかわらず、そのようなプロセスを経ず親権の単独行使を可能とする規律を明記する、これに対する正当性があるや否やという論点、このような整理がなされていると思っております。ここに関して正に賛同するものでございます。   ただ、本日もいろいろと部会資料34−1の相当性、必要性に対して肯定する意見が出てきたと思います。赤石委員とか戒能委員を含めて出てきた運用に関しての懸念、ここは正に賛同するところでございまして、もう少し丁寧に、要は今、今逃げないできちんと準備をしてから避難するということも、私は個人的には急迫の中に当然入るのではないかと思っております。この辺りの運用に関する懸念、ここはもう少し、本文に書ける、書けないというのは、いろいろ専門の学者の先生方の御意見もあろうかと思いますので、せめて補足説明でこういったケースが急迫の事情に当たるということをもう少し丁寧に書いていただいて、広く御理解を頂けるようにしていくのがよいのではなかろうかと、こんなふうに考えております。   次に、2に参ります。子の意思に関してです。これは事案による話かと思いますけれども、基本的にはこれまで一度も会ったことがない調査官とお子さんたちは会うわけです。私がこれまで当事者からお聞きしてきた経験則で言いますと、基本的には1回1時間程度の面談になろうかと思います。このような面談でこどもが率直な思いを本当に吐露するのだろうかと、吐露することはなかなか難しかろうというのが私の認識でございます。今回このような子の意思に関する意見も出ていまいりましたので、直近、監護者指定を争った当事者から頂いた調査報告、これを10件程度、いろいろ見返していまいりました。   その中で顕著な例、極端と言われるかもしれませんが、こんな事案がありました。この事案は当初、一方的に連れ去られて、褒められた話ではありませんが、その後、当事者が自力救済でこどもを連れ戻した事案でございます。提出された調査官報告は2回です。連れ戻し、自力救済に至る2か月前と連れ戻し後1か月の調査結果です。当時のお子さんの年齢は10歳です。連れ戻し前の面接結果、調査官報告によれば、調査官は別居親と二人で暮らしたいか、別居後の面会についての希望、これをストレートに聴いております。それに対しまして、当時のお子さんは分からないと答えております。これに伴っての最後の取りまとめの調査報告、調査官の意見ですね、ここでどう書かれたかというと、緊急に現状の監護環境を変更しなければならない特段の事情は確認されなかったという報告がなされております。次に、連れ戻し後のお子さんとの面談結果でございます。お子さんの発言です。同居親には元住んでいた家に帰りたいと伝えていたし、今回戻ったのも自分の意思である、連れ去られ先の小学校ではいじめられていた、もう戻りたくありません、前回の調査官面接の後、同居親や祖母から1メートル定規で叩かれた、前回も本心を言いたかったけれども、同居親に怒られそうで言えなかった、今日はもう連れ去り先に返されたくないから裁判所に来た、二度とこういうことを話したくない、こういう発言が明確に報告をされております。調査官の意見、どう書いてあったかというと、今後の監護環境に関して言及はありませんでした。   この一事案で全てを語れるわけではありませんし、私はこの調査官も一生懸命やっているものと思います。与えられた条件下で対応していると思います。しかしながら、現在のこのやり方、子の意向調査の方法でこういう、なかなか本心が出てこないということは実態としてあるものであり、こどもの意思把握の限界かなと、そんなふうに感じています。   今回このこどもの意思に関するお題は、補足説明10ページにも書いてあるとおり、子の意思を明記することで父母の協議や手続にどのような影響を与えるか、正にこういうことかと思います。先ほど御紹介した事案でも明らかなとおり、裁判所が子の意思を正確に把握すること、これは極めて困難であろうと、民法で、実体法で明記することは、かえって裁判官が判断に当たりこどもの意思を偏重することになりかねない。また、これは水野先生などが従来から意見をおっしゃっておりますが、こどもに決断の責任を押し付けることになりかねない。こういうことを懸念いたします。子の意思を、錦の御旗というと変な表現ではありますが、逆にこれを濫用する事案が出てくると思いますし、この裁判所の手続に先立つ、特に父母の協議において、こどもがこう言っているからということを前面に押し出して、これが裁判所に持ち込まれて、結果として裁判所の判断がゆがめられるリスクがあるのではなかろうかと、こんなふうに考えておりまして、子の意思、これを明文化していくことについては反対という意見を述べさせていただきます。   最後、父母双方の合意でございます。いろいろな御意見がございますけれども、そもそもの、これは私の個人的な意見でございます、今現在、親権者としての不適格性を理由として離婚するわけでないにもかかわらず、子から親の一方を排除してしまうこと、つまり親権を奪うことですね、これが子の利益にかなわない、これが従来から私が考えている基本的な考え方でございます。今回、共同親権制度を入れていこうという理由の一つだと認識をしております。そういった中で、今回提案の父母の合意を要件として求めることに関しては、一方親が拒否すれば、先ほどと同じです、親権者としての適格性にかかわらず自動的に子から一方親を排除することになる、結果として現行の単独親権制度とあまり変わらなくなる要素を内包することになる、このように考えております。 ○大村部会長 ありがとうございます。武田委員からは1と2の2点について御意見を頂きました。基本的には、元の提案の部会資料32−1で出ていたものに賛成するということだったかと思います。ただ、1について運用上の懸念があるので、そこについては説明を丁寧にする必要があるのではないかという御意見を頂戴しました。ありがとうございます。   あと5人、ウェブでいらっしゃいまして、今津幹事、久保野幹事、青竹幹事、水野委員、菅原委員、それから対面で、原田委員、棚村委員。原田委員は2回目なので、ひと回りしたところで時間の許す範囲で伺いたいと思いますが、今津幹事から始まって菅原委員まで、取りあえずオンラインの方々に伺いたいと思います。すみません、何度も繰り返しますけれども、コンパクトに御意見を頂戴できればと思います。 ○今津幹事 幹事の今津です。実体法の先生方の御意見を控えている中で、専門外の者が発言するのも少しはばかられるのですけれども、今回の部会でも大変意見が割れている状況ですので、態度表明だけさせていただければと思います。   部会資料34−1の1ページ目、1のところなのですけれども、@、Aの修正の御意見については、私自身は修正は必要ないのではないかと考えております。この点は、部会の冒頭であった沖野委員からの御説明が非常に分かりやすかったかと思うのですけれども、例外としてのアとイという二つの項目がそれぞれ、裁判所の判断を求めても意味がない場合と、判断を求めていくということが適切でないケースをそれぞれ想定していると、そういった建て付けになっているという御説明だったかと思います。そのようなものとして理解する限りは、「急迫の事情があるとき」という言葉の解釈について、修正意見を述べていらっしゃる委員の先生方から御懸念があるような、狭すぎる解釈ということに恐らくならないのではないかと思いますし、そのような限定しすぎる解釈はよくないということについては、補足説明等できちんと公にしていくということでよろしいのではないかと思います。   それから、6ページ目の2のところなのですけれども、こちらのまず@の方、子の意思というのを明示すべきかどうかという点については、私自身は明示をすべきでないと考えております。民法の規定の中にこれを独立した考慮事情として書くということについては、慎重になるべきではないかと思っております。この点は既に池田委員等からも御教示がありましたように、手続法の中にはこどもの意思を把握するですとか、こどもの意思を考慮するということ、あるいは、これは落合委員からも休憩前に御意見があったかと思うのですけれども、今回の参考資料にあったようなこどもの代理人という制度は、部分的にではありますけれども、現行の家事事件手続法にも導入されているところでありますので、そのような手続的な方向からの施策によって補っていけるのではないか、そうだとすると、民法に正面から書くということのリスクの方が大きいのではないかと感じているところです。   それから、同じところのAの父母双方の合意があることが必須の要件になった方がいいのではないかという御意見についても、私自身は消極に考えております。誰が親権者であるべきかということは、本来的にはこどもの利益をまず第一に考えて判断すべきものであるところ、父母の双方が合意しなければその判断ができないというような書き振りは、その本来の想定とはややかい離しているのではないかと思われるところですので、私自身はこの修正の御意見には賛同できないかなと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。1と2について御意見を頂戴いたしました。基本的には原案の方がよいという御意見であり、それについて理由を添えて御説明を頂いたと理解を致しました。 ○久保野幹事 ありがとうございます。順番に簡単に申し上げていきますが、1につきまして、急迫の事情の要件のままでよいと私も考えます。その理由は、今の今津幹事の御意見とほぼ重なりまして、沖野委員から示された趣旨を背景にどのようにこれらの要件を解釈するかということからしますと、御懸念が示されているようなものを含む可能性があり得るものとして解釈運用をしていくことが考えられ、それを明らかにするということが、むしろ言葉の選択自体というよりも大切なのではないかと思います。1点だけ、沖野委員がおっしゃったことのうち、こどもの利益の観点から見て急迫だというところも大事なのではないかと思う次第です。   その次に、2の子の意見につきましては、以前に消極の意見を申し上げましたので、同じですけれども、改めて考えましても、子の意見を民法に明示するといったときに、離婚の場面がまず明示すべき筆頭の場所ではないだろうという感触を依然として持っております。   次に、父母双方の合意につきましては、まず、この(6)と(注2)というのが原則を共同ということではないという理解をしております。拒否権という言葉は強く響くのかとは思いますけれども、ただ、合意というのを要件で明示してしまいますと、やはり合意をしない一方がいると共同親権でできないということになり、その限りで、小粥委員が冒頭におっしゃったとおり、硬直的と申しますか、そういう心配があるような気がします。私なりに小粥委員がおっしゃったことを受け止めた言い方になりますけれども、共同親権を認めていくのが望ましい場合は円滑に合意が成立しているときであるという価値判断は、恐らく共有されていると理解しておりまして、その上で、大事なのは、協議で合意には至らなかったけれども裁判所で合意を目指して関係調整等ができる、裁判所という機関の特性をいかした上でできる範囲で関係調整等を行っていくということなのだと思っておりまして、そのような裁判所での合意形成の試みというものをより円滑に行っていくためには、むしろ合意というのを要件として示さずに、当事者の主張の理由ですとか背景事情を含めて、一切の事情を考慮して判断しますという枠組みにしておいた方が望ましい、かえって円滑に合意を目指す判断が行っていけるということではないかと思います。   最後に、3の監護者指定についてですが、どのような場合に共同親権になって、どのような場合に一方の親権になるのかというところの想定の幅が、もしかすると違い得るのかもしれませんけれども、一方の親権になるという場合の基準となる「子の利益を害するということ」の解釈次第だとは思うのですけれども、父母の間に意見の対立や矛盾行為のおそれがあって弊害が生じそうな事例の少なくとも一定の範囲のものは、そもそも初めから共同親権にはならないのだとも思いますし、一律に指定するという枠組みは適当ではないと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。久保野幹事からは1@と2@、A、それから3(1)について御意見を頂きました。それぞれについて原案、部会資料32−1の方を支持するという御意見だったかと思いますけれども、1@については沖野委員の意見に賛成ということで、子の利益の観点から見てという点も重視すべきだということを御指摘になったかと思います。それから、2Aについておっしゃっていたことは、合意がある場合に共同親権とするのが望ましい、この判断は共有されているのではないかということで、その上でそれを踏まえて、硬直的でない運用、よりよい運用をするためには、合意がなくてもというようにしておいた方がよいのではないか、こういう御意見を頂戴したと理解を致しました。 ○原田委員 今、2(6)についても言い掛けられて、途中でやめられたのかなと思ったのですけれども、違いますか。 ○大村部会長 2(6)については、先ほど御発言があったと思いますけれども。 ○原田委員 あれだけなのですね、分かりました。 ○青竹幹事 急迫の事情について、先ほど狭すぎるのではないかという点が指摘されていますが、急迫の事情を維持してよいとの意見を支持いたします。確かに、必要性、相当性、やむを得ないといった基準は広い意味を持ち、家事事件で柔軟に対応するのに適しているとも考えます。ただ、家族法の規定でよく見られる柔軟な基準というのは、家庭裁判所がこれらの基準により決定するという意味を持っているのに対して、今検討している親権行使では、家庭裁判所の許可がなく一方が親権を行使するという場面が問題になっています。曖昧な基準を採用すると、解釈が広がりすぎるということになりかねず、もちろん狭すぎるというのは実際に妥当ではありませんけれども、ここでは明確な基準を設ける必要があるということから、急迫の事情の基準がふさわしいのではないかと考えております。先ほど原田委員の方から、協議を経ているのでは子の利益を害するといった基準が示され、有意義のようにお聞きしましたが、こちらも急迫の事情の一例に取り込めるのかどうか、更に検討するのがよいのではないかと考えました。   それから、監護者指定を必須とすべきかの点ですけれども、確かに共同親権とされる場面で一方を監護者に指定するのが望ましい場合が多いということを、これまでの議論から十分に理解しております。ただ、離婚後共同親権とされる場面が多様ですので、監護者を指定する必要のないところで民法が監護者指定を要求する、強制するというのは、一般的に離婚後に、父母が共同で子の監護に責任を持つということは望ましくないといったようなメッセージを送ることにもなりかねないので、避けた方がよいと考えております。   最後に、第三者による監護者指定の申立権ですが、こちらはこれまで多くの学説も支持しているようで、特に親権喪失や停止の審判が有効に機能していないという指摘があるところで、監護者指定の制度によって未成年者の利益のために養育を確保するという面で望ましい面があると考えております。ただ、問題として乱訴や紛争の拡大について多くの専門家が指摘されています。乱訴を避けるために第三者の範囲に制限を掛ける必要もありますし、また紛争の拡大を否めないところがあるようにも思いますので、第三者による申立権を認めるとするには、申立権者の範囲などを慎重に検討する必要があり、急いで立法化するのは望ましくはないように考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。青竹幹事からは1と3について御意見を頂きました。1は原案がよい、より明確な基準の方が望ましいという御意見でした。3(1)についても原案支持ということでしたが、3(2)については、監護者指定というのが必要な場合はあるとは思うけれども、制限を掛けることが必要であって、慎重に検討をする必要があるのではないか、今回これをやるということについては、やや消極的な御意見を頂いたと理解を致しました。 ○水野委員 委員の水野です。ありがとうございます。池田委員が子の意見表明権について発言なさいましたので、また自動的に、すみません、私も一言、申し上げます。こどもの意見を書き込むことは本当に危ないと思っております。将来的にこどもが責任を感じてしまうことも深刻な弊害ですが、それだけではなしに、こどもが聴かれる前に両親がどういう働き掛けをするかということまで考えますと、こどもの意見で決まるという枠組みを作ってしまうことは非常に危ないと思います。もちろんこどもの様子、こどもが何を望んでいるかということは慎重に確実に把握して理解しなくてはならないのですけれども、それは条文に書くことではないだろうと思います。落合委員がこどもの代理人のことをおっしゃいましたけれども、オーストラリア法と比較いたしますと、私はまた少し違う感想でして、確かに揺れ戻しはあったのですけれども、それでもやはり共同親権についてこれだけ積極的な線を保っているのかというのが私の改めての読後感でした。それから、同時に共同親権かどうかと言う点だけではなくて、背景にある様々な行政的な支援、育児支援がオーストラリア法は日本の現状とは全然違っていますので、そういうところまで全体像を考えて比較しないといけないと思います。   そして、この改正法の全体像につきましては、沖野委員が最初にきれいに説明してくださいました枠組みの理解に、私も賛成です。原田委員が急迫性の要件として、時的なもののほかに暴力、つまり具体的なモラハラのような例を挙げられて、そして、それがこういう事態では救われないとおっしゃったわけですけれども、そういう事態が本当に非常に悲惨であり深刻であることは確かで、日々それと闘っていらっしゃる原田委員の御意見は説得力があると思います。ただ、この事態については、こういう事態そのものを問題にする姿勢から、対応する設計を考えなければならないと思います。一番問題なところであることは確かなのですけれども、でも、ここで議論しているのは、親権行使一般についての規定です。今までの議論を伺っておりますと、念頭に置かれているのがもっぱら一定の場合、つまりDVから母が必死で逃げて、そしてこどもを一人で育てている場合というのを想定した上で議論をされているような気がします。逆に、少数派であるかもしれませんが、DV父に子を取り上げられて追い出された母もいるはずです。   拒否権という言葉が取り上げられておりますけれど、私は前回の会議で拒否権という言葉を使った自覚がございます。このような場面で、こどもの利益に資するのは、DVから逃げた母が単独で親権行使している状態を想定して、その状態を安全に保つことが一番こどもの福祉だと断定する議論があるわけですけれども、当然のことながら、そうではない事態もあるわけで、条文を書くときには、全体的にあらゆる場合を配慮に入れて書かなくてはならないだろうと思います。   もちろん家族の自律と家族に対する国家介入との関係は永遠の二律背反で、そこは非常に矛盾に満ちている微妙なところなのですけれども、日本では家族内の暴力に対する公的な介入が足りなさすぎることは、これは誰も否定しないだろうと思います。そして、その限界を、戒能委員は何とかこの条文の文言で突破できないかと問題設定をされたのですが、私は条文の文言だけではどう書いても難しいだろうと思います。ここは何とか実務によって突破してもらいたいと思うのです。この会議にはこども家庭庁をはじめ行政担当官も参加しておられます。家庭裁判所による支援のイメージも、やはり今の家庭裁判所のイメージを固定化して、それで議論を進めている硬直性が見られるような気がいたします。   最近、家庭裁判所物語という戦後の家庭裁判所の創設期からのルポルタージュを読んだせいもあるのかもしれないですけれども、そこに固有名詞で出てくる家庭裁判所の判事たちがどれほど今の家庭裁判所を作り上げるまでに努力をされたか、そして、戦後の膨大な数の戦災孤児たちがいるような状況から、今の家庭裁判所まで、どうやって形作られていったかということを考えますと、今の家庭裁判所を固定化して考える必要はないのだと思います。児童相談所との協力とか、それから判事や家庭裁判所調査官の増員なども図ることによって、託された任務をきっと果たしてくださるような突破口を開いてくださるのではないでしょうか。ここでいろいろ現状を固定化して発想するよりも、やはり実務によってこの限界を突破してもらいたいと思います。そして、そういう突破口に対して、今御提案になっている文言は、十分その力になるものだと思います。むしろそれを下手にいじりますと、たとえば暴力などを書き込むと、そのこと自体の立証で弊害がむしろ大きくなってしまうこともあり得るような気がします。暴力対応は現状よりずっと幅広く行われなくてはならず、そういう救われるべき場合が救われないことがないように、(注)などでは一生懸命書き込んでいただきたいと思うのですが、文言そのものは原案のものが妥当であるという印象を持っております。   以上でございます。ありがとうございました。 ○大村部会長 ありがとうございます。水野委員からは幾つか御指摘を頂きました。参考資料へのコメントもありましたが、それを置くとして、子の意思について池田委員から御発言がありましたので、それについて、子の意思で決まるということは避けなければいけない、条文に書くことではないという御意見を頂きました。他の点については、部会資料32−1で出ている現在の原案に当たるものの文言を維持した上で、家庭裁判所や児童相談所、その他様々な機関の協力によってこの文言を運用していくということを考えるべきではないか、こうした御意見を頂いたと受け止めております。ありがとうございます。 ○菅原委員 ありがとうございます。菅原でございます。では、手短にお話しいたします。   まず、1番ですけれども、基本的に事務局がまとめてくださったたたき台の文言に賛成しております。今日の御議論でもいろいろ思うところはありましたが、特にイの子の利益のため急迫の事情があるときという部分で、子の利益というところをもちろん重視していただきたいと思います。   それに連動しまして、4ページの急迫の事情の意義というところを書いてくださっているところで、以前の会議でも少し、この急迫の事情のところの説明は丁寧にする必要があるのではないかという意見を述べさせていただいておりましたが、今回、最後の方に具体的な例を幾つか盛り込んでくださっております。ここのところは、補足として最後まで残るとしますと、大変重要であると今日も感じておりまして、例えば順番として、一番最初に入学試験と出ているのですけれども、もちろんそれも重要なのですが、やはり私たちがたくさん議論してきたDVや虐待というのを最初に挙げていただいて、そして今日、北村幹事の方から少し触れられた医療契約のことも非常に重要な問題になりますので、医療契約のこともここに入れていただくなど、急迫の事情に関する具体的な例示についてもう少し丁寧に漏れなく網羅していただけると、特に法学以外の者にとってみれば、より分かりやすくなるのではないかと思いました。   それから、もう1点、2の子の意思の尊重という点については、私自身、こどもの発達心理を研究している者として、こどもの最善の利益の観点からいつも一番大事に考えているところで、離婚もこどもは関係者であって意思や心情を重視されるべきであるという立場なのですけれども、これまでの実体法の先生方の御議論をじっくり聞かせていただきまして、子の意思について民法中に記載することの危険性について理解できましたので、既に手続法の中に盛り込まれている子どもの心情・意向の確認や尊重についてそれを充実するという方向に賛成します。   そういう意味では、家庭裁判所のこどもに関する調査の力量アップということもとても重要になりますし、またこどもの手続き代理人という制度も日本の中でももっと充実させていくことが必要であると思います。両親間のDVのアセスメントもそうですが、離婚に関係する様々な調査の能力やスキルアップが今後さらに大事になってくると思います。   先ほど池田委員の方から少しお話がありましたが、部会資料34−2の方で議論されることになると思うのですけれども、そもそも父母の親としての責務として子の人格を尊重することが重要であり、それぞれの親が自分の利益のためにこどもにいろいろな発言を託したり強制したりするというのは、もうそれ自体が子どもの人格尊重の観点から大きな問題になってしまいますので、そのようなリスクを避けるという意味で、ここに盛り込まれるということには私も反対したいと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。菅原委員からは1と2について御意見を頂きました。1については、たたき台とおっしゃいましたが、部会資料32−1の案に賛成するということで、ただ、補足説明の方について御要望を頂きました。2について、子の意思というのは重要だという前提に立たれつつ、弊害があるだろうという意見があるので、手続法での対応もなされていることであるし、池田委員が御指摘になった次の部会資料34−2のところでまた考えるということもあるだろう、こうした御意見を頂戴いたしました。 ○棚村委員 早稲田大学の棚村です。皆さんのいろいろな御意見をまた聞かせていただいて、私としては基本的には民法の先生方、特に、沖野先生からの御意見に近い立場でして、また、事務当局の示した原案のところに賛成をしたいと思っています。34−1の部会資料についてですけれども、五つほど簡単に申させていただきたいと思います。長らく法制審議会での法改正の議論にこれまで関わらせていただいて、どういう手順で、どういう目的でどんな形で考えていったらいいかということにつきまして、三つほど考えてまいりました。先ほどから各委員や幹事の皆さんから出てきたように、まず第1はその手順ですけれども、法改正については、立法の目的が正当なものか、それから2番目に、その目的達成のための手段、方法が相当かどうか、そして、最後にその立法によってどういう結果、影響がもたらされるか、この3点から議論をするということを行っていまいりました。   2番目に、法改正や立法の目的で、大きく分けますと、ある一定の理念を実現するために立法を行う理念実現型というのがございます。それから、実務とか裁判ではもうある程度ルールというかが示されていて、実務でやっていることを追認するというのですか、確認をするという実務確認型という立法もございます。それから、規律が曖昧なために、もう少し明確にしたいという規律明確型というものもあります。そして、手続とか制度の利用を促進したいということで、手続制度利用促進型という類型があります。そのほかにも政策形成型とか立法があり得るのですが、ある意味では、主としてこの四つの型があります。今回の改正で議論させていただいているところは、それぞれの論点ごとに、理念実現型、実務追認型、規律明確型、手続制度利用促進型など、いろいろな立法の目的を達成しようとする各類型が併存している御提案であると思っています。   3番目に、この当てはめのところで、やはり一番議論が出てしまっているのは、離婚後の共同親権の導入の可否についてです。現行民法の離婚後の単独親権というものを改めて共同親権の可能性とかその選択肢を入れるというのは、ある意味では新しい制度を導入すること、先ほどの説明で言うと、理念実現型というもので、その理念そのものに対してもいろいろ御意見があるかと思いますけれども、慎重にとか時間を掛けてとか、あるいは反対ももちろんあるということも今日の議論を伺っていても明らかです。   しかしながら、重要なのは今、法改正の手順とか目的ということを踏まえた上で、この改革の提案というものが理念の面でどうなのだろうか、運用した場合にどういうところに注意しなければいけないのか、それから、この制度や立法を本当に機能させるために支援の面でどんなものが必要かという具体的な当てはめの部分では、正にその理念がどういうもので、運用がどうなって、改正の結果どういう影響がでてくるのか、果たして動かせるのだろうか、それから、そのための支援では何が必要かということで、大きく分けると、以上のこれまでの手順や方法で、慎重かつ丁寧な議論をさせてきていただいてきたと思うのです。もちろん完璧ではありませんけれども、十分な議論が相当程度尽くされてきたことは事実です。大きな方向性の議論の中で、最初の共同親権を離婚後も入れるか入れないか、親権とか監護という用語とか概念もある程度明確にしながらやっていくということで、大きな判断枠組み、具体的な規律の仕方、それから、事務局が提案をされていることの内容や当否についても、民法の研究者だけでなく、さまざまな立場や専門の委員・幹事の皆様が、これまでの法制審議会の部会と比べましても、時間、回数だけでなく、ヒアリングや調査の範囲や程度でも、かなりの程度議論を尽くすことができたのではないかと思っています。   4番目に、特にオーストラリア法の改正のことで、外国法の参照の仕方とか取り入れ方ですけれども、やはり大陸法と英米法の違いがあって、落合委員からもありましたけれども、具体的にどこまで規律に盛り込んでいくか、どこからは解釈運用に任せるべきかということについて難しい問題があります。また、民法それ自体としても体系性とか、ほかの法律との整合性とか、民法の内部での統一性ということを考えると、民法改正には専門的、技術的な問題があるということを指摘させていただきたいと思うのです。   最後に、5番目のところですけれども、委員、幹事の御意見をいろいろ聞いておりますと、今まで議論してきた効果とか運用とか、要するに理念もそうですし、運用面でも支援面でもいろいろな問題があるという指摘がさまざまな角度からされてきました。ただ、私どもは、ゴシックの対象が正に改正すべきかどうかの議論の本丸というのですか、論点整理とかこれまでの経緯を述べていただいて、それで補足的検討とか説明というところは、その表現振りは、ある意味では今後、立法が実現したりしたときの参考にはなるので、重要なのですけれども、私たちはやはりゴシックで提案をされている部分が妥当かどうかということに議論を絞ってゆくべきだと思うのです。論点整理や補足説明のところで妥当かどうか、表現が適切でないという御意見は承り参考にさせていただくけれど、ゴシックの部分での要綱案の議論にしていただければ幸いです。しかも、問題があるとか、賛成できないだけでなく、具体的に事務局提案をどのように修正するかという御意見を述べていただきたいと思います。今後は以上に述べた形で、時間の制約もありますので、検討を絞っていきたいと考えております。   私自身は、民法の多くの先生がおっしゃっていたような形で、部会資料34−1で御提案され、論点として絞られて議論しているところについても、一つ一つ言うと、また同じことの繰り返しになりますので、基本的には沖野委員がおっしゃったように、第三者の監護者指定については、やはり必要性を非常に感じて、私自身もそういう論文を書いたりしてきたのですけれども、要件と効果の絞り込みということをしないと、条文にする場合には、なお問題もいろいろあるので、基本的には事務局の御提案を支持する考えであるということです。 ○大村部会長 ありがとうございます。棚村委員からは冒頭に、原案、部会資料32−1で示されたものに賛成だということで、最後におっしゃったのは、第三者の監護者指定は必要だとは思うけれども、立法するのはかなり難しいという御意見をおっしゃっていただきました。併せて、法改正の在り方について一般論と、それから、これまでの作業についての評価を述べていただき、議論の対象についても確認をしていただいたと理解を致しました。   それから、原田委員でしたね。短くお願いします。 ○原田委員 まず、今日配布された要望書について一言申し上げますと、これは共同親権に賛成の方が多いとは思いますが、それを認めた場合の法整備をきちんとしろということがこの主眼で、テーマも導入に伴う法整備についての要望書ですので、そこが大きな主眼であると思います。それは今までも何度もいろいろな方から出たことですけれども、民法以外の問題であるからということではありました。しかし、ここにも書いてあるように、あるいは今までも出てきて、こども家庭庁などでどう考えているのかという御意見を、まだ調っていないように伺っています。そのようなことも言っていただきたいと思います。   それから、武田委員がおっしゃったケースは、私もこんな直接的な質問をする調査官がいるのだろうかと思うほど、最初の調査官の調査の仕方については疑問があって、前回ですかね、最高裁から報告があったとおり、あんな直接的な質問をするのは非常に例外的なものではないかと思いました。また、こどもの手続代理人というのは、1回会うとかいうことではなくて、何回もこどもさんに会ったり、時間外とかいろいろ自由が利きますので、こどもと仲良くなってこどもの意見を聴くということで、調査官と違う役割を果たしているので、この導入については是非、もう少し広くできるようにしていただきたいと思います。手続法として今、限定的な使い方がされていますが、こどもが関わる問題についてはこれが使えるような改正をしていただきたいと思います。   それから、水野先生がおっしゃった、実務によって突破してほしいというのは、この要望書でも分かるように、今の実務では本当に私は絶望的だと思っています。実務の実態をもっと知っていただきたいと思います。 ○大村部会長 ありがとうございます。原田委員からは、参考資料についてのコメントと、武田委員、水野委員の御発言のコメント、それからこども代理人の更なる活用ということについての御意見を頂戴いたしました。   ほかに御発言はいかがでしょうか。   よろしいでしょうか。ありがとうございます。すみません、戒能委員をはじめ皆様をせかして申し訳ないですけれども、この後の部会資料34−2についても、是非御意見を頂きたいと思っており、そのための時間を確保したいと思っておりました。   そこに進む前に、今、部会資料34−1について頂いた御意見についてですけれども、部会資料32−1が言わば原案ということであって、それについて具体的な修正提案が出ているものを取り上げるということで、今回1、2、3の三つに大きく分けてそれらについての御意見を頂戴いたしました。皆様の中には、ここで修正意見といわれているものを支持されるという方々が、数の上では多数ということではないものの、一定数はいらっしゃったということを本日確認を致しました。修正意見が望ましいのだということについて様々な御指摘を頂戴いたしましたが、他方で、原案をサポートされる方々からは、それらの指摘についての疑問や懸念も示されたところでございます。こうした状況を踏まえた上で、更に事務当局には次の整理をしていただきたいと思っております。   ただ、伺っていて、意見の対立を越えて共通に指摘されていることもあったように思います。例えば、1について現在の案、部会資料32−1の急迫の事情というのを維持するとしても、様々な懸念が示されていますので、そのことについて補足説明等で十分な説明をしてほしいという点については、立場を越えて御指摘の共通の御意見があったものと理解をしております。赤石委員からは、そこのところが十分であれば、よいかもしれないといった御発言もあったと理解をしております。   それから、2の@の子の意思についても、子の意思が重要だということについては皆さん前提にされているし、それだけで決めるというものでもないというところも多分、共通の御理解なのだろうと思いますけれども、これを書くか書かないか、あるいは書くとしたらどのように書くのか、懸念にこたえるのにはどうすればいいのかということで、議論の幅というのは狭まってきているようにも思いますので、それらを勘案して更に案を練っていただければと思います。   そういうことで、今日のところは部会資料34−1については引き取らせていただきたいと思っています。事務当局、部会資料34−1について、よろしいですか。   ありがとうございます。   それでは、あと40分ほどなのですけれども、部会資料34−2の方に入らせていただきたいと思います。部会資料34−2の資料につきまして、事務当局の方から御説明をお願いいたします。 ○北村幹事 事務当局でございます。では、簡単に部会資料34−2について御説明申し上げます。   部会資料34−2では、部会資料32−1でペンディングとしていた親子関係に関する基本的な規律について、親権の有無にかかわらず父母が負う責務や、権利義務等に関する規律を提示させていただきました。   このうちのゴシックの1@は、父母と子との関係の規律を提示しており、父母が子の心身の健全な発達を図るため、その子の人格を尊重するとともに、その子の年齢及び発達の程度に配慮してその子を養育しなければならず、かつ、その子が自己と同程度の生活を維持することができるよう扶養しなければならないこととしております。   また、ゴシックの1Aは、父母間の関係について規律しており、父母は婚姻関係の有無にかかわらず、子に関する権利の行使又は義務の履行に関し、その子の利益のため互いに人格を尊重し、協力しなければならないこととしております。   この点につきましては、この部会のこれまでの議論において、各委員、幹事の皆様から様々な御意見を頂いていたところではございます。今回のゴシックの@、Aでは、そういった様々な御意見に最大限配慮させていただいて、各委員、幹事の皆様方の御意見を最大公約数的に集約させていただいたつもりです。本日の会議でも是非御意見を頂きたいと思います。   ゴシックの2では、親権の性質について取り上げております。この部会のこれまでの議論の中では、親権という用語を見直すことも含めて御議論いただいておりましたが、これを他の用語に変えることに対しては慎重な御意見も頂いておりました。今回の資料では、親権という用語は変えないにしても、民法第818条第1項の父母の親権に服するという表現は変えるべきではないかとの御意見も踏まえて、親権が子の利益のために行使されなければならないものであることを明確化するものとすることを提示させていただいております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   部会資料34−2は、ゴシックの部分は1ページの1と2ということになります。これについて御意見を頂戴したいと思っております。どなたからでも結構ですので、御発言がある方は挙手をお願いしたいと思います。それから、皆さんの御意見を十分に今日多分、全てを伺うことができないかとも思いますけれども、その場合には次回続行ということにしたいと思っております。 ○石綿幹事 幹事の石綿です。基本的にこのゴシックの提案に賛成ということで、2点申し述べさせていただければと思います。   まず、1@の、その子を養育しなければいけないという、養育という語についてです。5ページの(注1)に書かれているように、私自身はここで養育しなければいけないという言葉が入ったとしても、当然に親権者でない父母が監護教育をする権利義務を得ることになるわけではないと理解をしております。そうすると、子の養育というのがどういう概念かということをきちんと詰める必要があるかと思います。現状、4ページの(注3)に記載がしてあるかと思いますが、重ねて民法第828条の養育ということの関係も整理していただければよいのかなと思います。かつて池田関係官が資料を提出なさっているかと思いますので、その辺りなどを参考にしながら、お願いできればと思います。民法第828条の養育というのは親権者が行うものなので、監護教育だというふうに学説では認識されているような気がしまして、そうすると第828条の養育と、ここでいう養育というのは、多少広さが違うかもしれないということなどを整理していただければと思います。それが1点目です。   2点目は、Aのような規律を入れることは非常に有意義であるとともに、次のような点でも意義があるのだろうと思っております。具体的には7ページの(注1)で、このような規律を設けて、義務履行の確保の方法として、親権の判断において影響を与えるという解釈があり得るのだと記載がされております。従前、親権喪失・停止において、父母間の問題をどう考慮していくかというところが解釈論上必ずしも明確ではなかったし、可能なのかという点もあったわけですが、このような規律が入ることによって、その規律を根拠にして、父母間のことについても親権行使の問題の際に考慮し得るという点で、この部会で様々御懸念が示されているような点にも対応し得る可能性があるのかと思っておりまして、その意味でも有意義かなと思っています。 ○大村部会長 ありがとうございます。石綿幹事からは1の@、Aについて、基本的には賛成だという御意見を頂いた上で、@については養育という言葉を現在の条文上の用語と擦り合わせる必要があるのではないかという御指摘、Aについては、こういうものを置くということは積極的に望ましいのではないかという御意見を頂戴いたしました。 ○池田委員 池田でございます。1@についてコメントさせていただきます。   まず後段から申し上げますと、重い扶養義務の対象を未成年子するか、未成熟子とするかという難しい議論があったわけですけれども、ここでは単に子としつつ、目的を子の心身の健全な発達を図るためとすることで、発達途上にあるこどもが対象であることを示しておられて、解釈による適切な線引きがなされるのではないかと思います。賛成です。   次に前段について、精神的、非金銭的な関与についても親子の基本的な規律に含めていただいたということについては、大変結構だと思っております。ただ、2行目に、配慮する対象として子の意思、心情といったものも含む規定にしていただきたいということを提案したいと思います。その理由としましては、子の権利主体性を確立する上では、親が養育の責務を果たすにおいて子の意思や心情を考慮するということが非常に重要であるということ、また、それが人格の尊重という中に含めて解釈され得るとしても、なお明示的にそれを規定する価値を有しているものだということです。こどもの権利ということが広く認識されてきております現代社会におきましては、このことは既に多くの親に共有されていると思われますので、仮にそのような規定をしたとしても大きなハレーションはないのではないかと思います。また、@の規律は離婚の際の親権者指定といった狭いところを想定しているわけではありませんで、親の養育全般に関わるものですので、先ほど親権者指定の場合の、子に親を選ばせる負担を負わせてしまうのではないかというような弊害が直接的に懸念されるわけでもないと思います。   仮に配慮する対象としてそのようなものを含めるとしても、文言の選択については更に検討が必要かと思います。例えば、意見とすると言語的表現に限定されるニュアンスが出てしまって、幼少の子はどうなるのかという疑義が生じたりということもありますので、例えば意思、心情、あるいはもう少し一般化する形で心身の状態といったような文言も考えられるかと思いますので、この点は引き続き検討していただけると有り難いと思います。   それから、2のところについては、是非こういった方向での検討をお願いしたいと思います。その際、以前、青竹幹事ほか民法の先生方がお出しになった意見書で提案されているような、民法第818条に関する提案等が参考になるのではないかと思っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。池田委員からは、1の@と2について御意見を頂きました。@の後半部分については、未成年子という限定をするのか、しないのかということが議論されていましたけれども、これを解釈に委ねるという態度をとっていて、それでよいのではないかという御意見、それから、前半の部分については、子の人格を尊重するの中に子の意思も含まれるとは思うけれども、外出しにするということに意義がある、ただ、用語については考える必要があるということで、その具体的な用語も、心身の状態というようなものもあり得るという御意見を頂戴いたしました。ありがとうございます。   そのほか、いかがでしょうか。 ○落合委員 落合です。ここの箇所については皆さん割と賛成されて、私は大変不思議に思っています。共同親権というようなことについてはこんなに慎重に議論されてきた方たちが、親の責務というような、非常に大きな規定を設けるということについては割と簡単に通してしまうのが、私には不思議でなりません。これは欧米法にはあることの多い規定でして、基本は近代家族的な考え方だと思うのです。生殖家族という言い方がありますけれども、こどもを作ってしまった人たちがその責任をとるのだと、それが家族の責務であって、だから人間再生産が家族の責務であって、それは国家に対して家族が負うべき義務である、責務であるというのは非常に近代的な考え方ですよね。それが入っている欧米諸国の法律があるので、日本もそれに追い付かなければいけないというのが基本線になっている話だと思いますけれども、それではまるで、欧米諸国は植民地を持っているから日本も持たなければいけないと考えたときと同じではありませんか。   今、欧米諸国はむしろ、こうやって親に養育責任を限定してきた、その枠組みからどうやって出ていこうかということを考えているときだと思うのです。にもかかわらず、日本でこの規定を今作ると。そうしますと今度は、本来ならというか、国から支援をしなければいけないような状態の家族に対して、いや、これは親の責務だからというふうに、その支援が滞るというようなことが起きるのではないかということを私は懸念します。   ただ、ある意味で日本はやはり西洋化する方向を選択しているのだと思います。アジアの各国は少し違う方向に行っています。そちらは日本では議論にもならないということが、大変よいことだと思っています。そうなのですけれども、世界的な流れを見るとここから離れる方向に向かっている国が多く、しかも、もう日本もその段階ですよね。少子化しているのは、家族だけではこの負担を背負えないからでして、そういう意味ではこの規定は少子化をより進める、そういうタイプの規定だと思います。だから、非常に問題があると思います。   でも、どうしても皆さんがこれを設けたいのであれば、ここから起こり得る弊害を最低限にできるようなものを織り込んだ形で文言にしていただきたいと思います。前のときに私が発言して、責務だけを書くのはやはり一方的なので、権利性というようなことを書くべきだと言ったのですけれども、この@、AのAの方に権利という言葉が入っています。ただ、私はやはり@の方に入るべきだと思うのです。養育とか扶養をするという権利があり、責務があるというような書き方にする、それによって、養育や扶養が難しい親への支援というものの道筋が付くのではないかと思うのです。そういう意味で、@の方に権利という言葉が入るのであれば、ましだと思っています。   それが典型的に入っていますのが3ページにあるドイツ法ですね。これは露骨なぐらいはっきり、生殖家族が国家のためにこどもを再生産するということをはっきり書いてあるのですけれども、アのところの、こどもの保護、教育は親の自然な権利で、義務であると、その遂行のためには国家共同体がこれを監視すると、監視して支援もしてくれるのだと思うのですけれども、これが一番露骨な書き方だと思います。日本で今話をしているところでは、国家が出てこないのです。出てこない方がましだという考えもあるかもしれませんけれども、福祉国家的な支援を引き込むような形で何とかそれが書けないか、そうでなければ少子化を推進する規定になってしまいかねません。   それから、もう一つ少し懸念していますのが、親の定義です。どういう人たちにこの責務と、権利だと私は思いますが、それが付いて回るのかというようなことで、ここでいっているのは生物学的な親なのですよね。そうすると、例えば、この間少し別のところでこういう例を出している人がいたのですけれども、結婚しないで関係を持った、妊娠してこどもを産んだということを女性は男性に告げなかった、生まれてからその男性のところに、実はこれはあなたの子で、DNA鑑定すれば間違いありませんよと言ってきたと。そうすると、この男性はこどもを持とうという意思が全くなかったわけですが、それでもやはりこの責務は生じるのですよね、養育費を払うのですよね。これは、でも、覚悟がないとか、産む前に言ってほしかったというような話が出たりするのではないかと思うのです。中絶してくれと自分なら言っただろうとか主張するだろうと思います。そういうことで、いろいろな場合が出てくると思います。同性カップルでこどもができたようなときに、その相手になっていた人はどういう責任があるのかとか、この場合に精子提供者に責任が行ってしまうのかとか、いろいろなことが起きますよね。だから、近代家族的なものが非常に安定しているときなら、これは作り得る法律だと思うのですけれども、それが正に揺らいで、いろいろな多様な形ができているときにこれを作ると、どのような弊害があり、どのような関連する問題が出てくるかということをきちんと議論しておかないと、無責任になるであろうと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。落合委員は、この1を置くことが家族に対する支援を滞らせることになるのではないかという御懸念を示されたものと承りました。そういう懸念がないようにと皆さんお考えだと思いますけれども、それをこの条文の中で実現できるのかどうなのか、権利ということを@に加えることによって実現できるのかというところについては、なお検討を要するところかと思って伺っておりました。それから、父母の問題については、これは民法の先生方が答えていただくとよいかなと思いますが、窪田委員、違う問題について手を挙げられているのかもしれませんが、御発言と併せて、父母の点も引き取っていただけると幸いです。 ○窪田委員 神戸大学の窪田でございます。最初に確認しておきたいのですが、ここで述べられている親あるいは父母という概念は、生物学上の父母ではなくて、法的な意味での父母ということになろうと思います。生物学的な関係があったとしても、まだ認知がなされていないという場合には法的関係はないという形になりますし、嫡出否認がなされない場合には、嫡出推定による父が法的な父とされます。その点はまず確認して、共有した上で議論を進めていく必要があるのではないかと思います。   落合先生の御主張は十分に分かるのですが、その上で、かみ合った議論になるかどうか分からないですが、一応、法律家の立場から説明させてください。これらの規定に関していうと、一つは、この1というのが新しく何かとんでもなく重い責任を課するということで提案されているというようなイメージの御発言でもあったのかなと思いますが、基本的には1の中で示されていること、人格の尊重という部分は必ずしも明確ではなかったと思うのですが、生活保持義務を負担するといったことについては従来からも、それが法的な根拠は何であるのかということについての議論はありましたが、しかし一般的にはそうではないかと考えられてきた内容を示したものだということです。一方で、未成熟の子あるいは未成年の子に対する養育義務あるいは扶養義務というのは一体何を根拠とするのかということについては、複数の法律構成、説明というのが考えられてきましたが、しかし必ずしも明確ではなかったという状況がありました。そういう点で、1の@、Aというのは、少なくとも法律家の発想からすると、これまでなかったようなとんでもない責任を親に課することになるのだというものではなくて、従来不明確だったものを明確にする規律ということになるのではないかと思います。   あと2点ということになるのですが、もう一つは、これは義務だけではなくて権利という側面も規定しろということであったのですが、特に@の方で権利ということを規定すると、後ろの方にもあるのですけれども、親権者でない父母が監護及び教育をする権利義務という中で権利を有するという形になると、親権とのすみ分けということができなくなってくるのだろうと思います。この規定は、むしろ親権の有無にかかわらず、親である以上、ここでいうのは法的な親である以上、一定の義務を負うのだということであるのだとすると、ここのところに権利を書くというのは、それほど簡単ではないのではないかと思います。   それからもう一つ、最後にということになるのですが、落合先生から御指摘のあったかなりの部分というのは、身分関係、親族関係に基づく、ここでいうと親の子に対する扶養という関係と、社会保障との関係ということになるのだろうと思います。この点は従来からも、親族間の扶養義務と社会保障がどういうふうな関係に立つのかという点について争いがあるところだったと理解していますし、その問題というのは、この1を規定したことによって、常に社会保障に優先するのだ、優先したこういう形で義務を負わせるのだということに当然につながるわけではないということを前提として、議論をしていくべきではないかと思います。   うまく議論がかみ合ったかどうか分からないのですが、一応、法律家の立場として説明させていただきました。 ○大村部会長 ありがとうございます。窪田委員からは、ここで挙げられていることというのは、子の人格の尊重に関しては、昨年末の法改正も受ける形で新たに付け加えられておりますけれども、他の点については、これまで認められてはいたけれども、明文の根拠がないというものを明文化するという趣旨なのだという御説明を頂きました。それから、父母については窪田委員の御説明のとおりで、法律上の父母ということを考えていて、例えば養父母というのもここに含まれるという前提で規定はできていると思います。そして、1の@に権利を付け加えるというのが落合委員の目的にかなうかどうか分からないと私が申し上げましたけれども、窪田委員がおっしゃったのもそれと同じことなのだろうと思います。ただ、ここで書かれている権利義務は当事者間での権利義務、父母とこどもの間での権利義務を想定して書かれておりますけれども、落合先生は、先ほど資料中のドイツの条文にも言及されておられたかと思いますけれども、国についての権利ということを言いたいということでおっしゃっていたのだろうと思いますが、それはこの建て付けとはうまくなじまないところがある、うまくなじまないということを前提に窪田委員が発言されたということなのではないかと思って、承りました。   落合委員、取りあえず以上のようなお答えになります。 ○落合委員 ありがとうございます。それなら、私の懸念を持たなくていいような文言というのを是非、プロの方から提案してください。ここではなじまないというような言い方だけではなくて、何とかうまい工夫を提案していただけないでしょうか。それで納得できたら、私も安心してここの委員の一員としてこれを提案できると思うのですけれども、既に言われていることだから、そんな大げさなことではないとおっしゃるなら、要らないのではないですか、今までどおりでいいのではないですか、とも思います。だから、あえて入れたいのだったら、やはりかなり目立つことだと思いますので、私が言うような懸念を持つ人がいないように、これは日本国が家族に責任を負わせようとしてこれを付けたのだとみんなが思わないで済むような、いい文言を是非提案してください。それを伺って納得したら、私も賛成します。 ○大村部会長 御意見として承りましたけれども、窪田委員を始めとする方々は、この文言で落合委員の言っているようなことが導かれるわけではないという御理解をされているということなのだと思います。ただ、落合委員がおっしゃっているような懸念を持たれる方というのはいらっしゃるだろうと思います。このことはこの部会の中でもずっと議論をされてきたことであって、今回、離婚後の養育について一定の規定を民法に置くと、それでおしまいかというと、そういうことではなくて、それ以外に様々なサポートが必要である、これは直前に水野委員がおっしゃっていたことですけれども、そういうことを皆さんは意識として共有されている、その上でこういう提案されているということではないかと思っております。ただ、御懸念が表明されたということは御意見として賜っておきたいと思います。 ○落合委員 ゴシックに書かれていないと心配です。幾ら皆で共有しているとか言っても、これの(注)のところに書かれていることでは弱いのだというような意見も今日、出ていましたよね。ですから、やはりゴシックのところに反映される形で心配のないように書かれてほしいと思うのです。私が言ったような懸念を持つ人もいるとおっしゃいましたけれども、もう一つは、私が心配するような方向で利用する人もいるだろうということなのです。利用したい人が既にいるのではないのですか、それに押されてこの条文を入れるのではないのですよね、という辺りを、私は心配しています。だから、そういう意図で使われないような条文にしてください。 ○大村部会長 ありがとうございます。御意見として承りたいと思います。   そのほかにはいかがでしょうか。 ○原田委員 1Aですけれども、人格を尊重するというのはいいと思うのですが、協力というところが、これは補足説明を見ると、子に対するDVとか虐待とか、そういうことが主に考えられているようには見えますが、協力しなければならないというのはフレンドリーペアレントルールに通じるのではないかという懸念も出されていましたので、そこはもう少し考える必要があるかなと思います。これをなくした方がいいのかどうかというのは、私はまだ確定的に言えないのですけれども、そういう意見が私に言ってほしいということで出てきておりましたので、考えていただきたいと思います。   それと、子の利益というのが何なのかということについて、非常に抽象的な概念で、その時々によって違うのかもしれませんが、DVや虐待を排除するためにはどうしたらいいかということを考える上では、例えば8ページの3行目のところで、このような一般的な父母の人格尊重義務の規律に加えて、DV事案に対応するための更なる規律を設けるべきかについて、というところがありますが、それの一つとして、子の利益というのは子の安全と安心というのが非常に重要な要素であるということを明記していただきたいと思います。例えば子の安全、安心というのは監護親がDVや虐待を受けないということによって、あるいは父母間の紛争がこどもの前で激化しないということによって、こどもが安心できるということがあるので、子の安全と安心を含むか、中心としたとか、子の利益にそういう形容詞を入れることによって、8の3行目以下のところを表すことができるのではないかと考えます。 ○大村部会長 ありがとうございます。1Aの基本的な考え方については賛成だと受け止めさせていただきましたけれども、協力しなければならないという文言ですとか、あるいはその子の利益のためにというところについて、もう少し工夫の余地がないかという御意見として承っておきたいと思います。それでいいですか。   ほかにはいかがでしょうか。 ○小粥委員 事務局へのお尋ねになるのですけれども、一つは、この部会資料34−2の提案というのは、できたばかりの民法第821条の改正を含むことになるのだろうかということが一つ目のお尋ねで、もう一つは、全然違うことなのですけれども、かつて私はこの部会で、こども家庭庁の方からお教えを請いたいということを申しましたけれども、その件についてはどうなっておるのかというのが二つ目のお尋ねでございます。 ○大村部会長 ありがとうございます。御質問を二つ頂きました。第821条というのは、先ほど少し触れました昨年の立法に係る規定ということで、それとの調整はどうなるのかということについての御質問でした。それからもう1点は、こども家庭庁に関する御質問を前にしていただいたということでしたけれども、それはどうなっているのか、この2点を御質問いただきました。 ○北村幹事 事務当局でございます。1点目でございますけれども、まずこちらの本体が決まってから、どうするのかということを検討になるのかとは思っております。ただ、昨年改正していただいた条文、非常に大事な条文だとも思っておりますので、その点も踏まえながら、こちらのゴシックが固まって、検討するということになろうかと思っております。   2点目については、なお検討中だと伺っております。 ○大村部会長 ありがとうございます。   その他、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは、一通り御意見を頂けたようですので、これを一応まとめさせていただきたいと思います。1の@、A、それから2についてですけれども、2については特に大きな御異論はなかった、ただ、具体的にどうするか法技術的には考えなければいけない問題もあろうかと思います。それから、1の@については、子の意思というのを何らかの形で書き込むことはできないかという御意見を頂戴しました。1のAについては、やはり子の利益、それから、協力という文言を少し直すことはできないかという御意見を頂戴しました。それから、落合委員からは文言上、これが親にのみ義務を課すという趣旨ではないのだということを示せるような工夫はできないのかという御要望を頂きました。こうした御要望を頂きましたけれども、そうしたものを含めて、更に事務当局の方で御検討を頂きたいと思っております。この部会資料34−2については、そういうまとめでよろしいでしょうか。 ○赤石委員 申し訳ありません、部会資料34−2について、きちんと意見をまとめてこなかったので、次回お伝えできたらと思い、発言しなかったのですけれども、まとめと言われたので、少しだけ意見を述べさせていただきたいと思います。   先ほど認知と共同親権のところの条項でも言ったのですけれども、父母の義務などの規律というところを考える上で、未婚のひとり親が認知した場合もここに当てはまるということをどういうふうに考えるのかというのは、少し課題がありそうな気がしております。自分のこどもはこの子ですというのを認知届出することが、それで責務が発生するということになるときに、一体この意識というのはどこで生まれるのだろうかとかいうことがあるので、少し考えて、またお伝えしたいと思っている意見表明です。申し訳ございません。 ○大村部会長 ありがとうございます。今、この部会資料34−2について、取りあえずまとめて引き取らせていただきましたけれども、なお検討を頂く点もありますので、次回以降に他の部分と併せた形で資料等を用意していただくということになるのではないかと思いますが、それを検討する際に、また認知について、他の先ほど御指摘の部分と併せて御意見を頂戴するということになろうかと思いますが、そういうことでよろしいですか。 ○赤石委員 はい。 ○大村部会長 ということで、本日はここまでにさせていただきたいと思います。繰り返しになりますけれども、少し進行を急がせて申し訳なかったのですけれども、お陰様で部会資料34−2の最後まで御意見を頂戴するということができました。   それでは、次回のスケジュール等について事務当局の方から御説明を頂きたいと思っております。 ○北村幹事 事務当局でございます。次回の会議は、令和5年12月19日火曜日、午後1時30分から午後5時30分までで予定しております。場所は改めて御連絡いたします。   次回の会議では、たたき台(2)の御議論と本日の補足的な御議論も踏まえて、要綱案の取りまとめに向けた御議論をお願いしたいと考えております。次回会議に向けて、部会長とも御相談の上、頂いた御意見を踏まえて改めて整理した資料を準備させていただきたいと思ってございます。   ○大村部会長 ありがとうございます。次回のスケジュールは12月19日ということで御予定をお置きいただければ幸いです。   それでは、法制審議会家族法制部会の第34回会議をこれで閉会させていただきます。   本日も熱心な御審議を賜りまして、ありがとうございました。閉会いたします。 −了−