法制審議会 民法(成年後見等関係)部会 第1回会議 議事録 第1 日 時  令和6年4月9日(火)自 午後1時33分                    至 午後5時25分 第2 場 所  法務省第1会議室 第3 議 題  1 部会長の選出等について         2 民法(成年後見等関係)の見直しに当たっての検討事項について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○波多野幹事 法務省民事局参事官の波多野と申します。予定した時刻になりましたので、法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第1回会議を開会いたします。   本日は御多忙の中、御出席いただきまして誠にありがとうございます。   本日はこの部会の第1回会議でございますので、後ほど部会長の選出をしていただきますが、それまでの間、私が議事の進行役を務めさせていただきます。   まず、事務的な事項といたしまして、ウェブ会議の方法による御出席と配布資料について御案内いたします。   ウェブ会議の方法による御出席ですが、議長を除く委員につきましては正当な事由があり相当であると議長が認めるとき、幹事につきましては相当であると議長が認めるときに、ウェブ会議の方法によって御出席いただくことができます。本日もウェブ会議の方法によって御出席いただいている委員、幹事がいらっしゃいますが、ウェブ会議の方法によって御出席されている皆様につきましては、ハウリングや雑音の混入を防ぐため、御発言される際を除き、マイク機能をオフにしていただきますよう御協力をお願いいたします。御質問がある場合や、審議において御発言される場合は、手を挙げる機能を使ってください。指名されましたら、マイクをオンにして御発言ください。御発言が終わりましたら、再びマイクをオフにし、手を下げるようにしてください。   続きまして、本日の資料について御確認いただきたいと思います。まず、部会資料1です。これにつきましては、後ほど審議の中で事務当局から説明させていただく予定でございます。次に、参考資料1です。これは、公益社団法人商事法務研究会主催の成年後見制度の在り方に関する研究会が取りまとめた報告書です。また、席上には委員等名簿、諮問事項及び今後の会議の日程案を配布しております。資料がお手元にないようでしたら、事務当局にお知らせいただければと思います。   次に、この部会で審議されます諮問事項とこの部会の設置決定につきまして、簡単に御報告いたします。   本年2月15日に開催されました法制審議会総会第199回会議におきまして、法務大臣から成年後見制度の見直しに関する諮問がされました。諮問事項はお手元にございますが、高齢化の進展など成年後見制度をめぐる諸事情に鑑み、成年後見制度を利用する本人の尊厳にふさわしい生活の継続や、その権利利益の擁護等をより一層図る観点から、成年後見制度の見直しを行う必要があると思われるので、その要綱を示されたいというものであります。この諮問を受けまして、同日の法制審議会総会におきまして、専門の部会を設置して調査審議を行うのが適当であるとして、この部会を設置することが決定されたものでございます。   以上、御報告いたします。   続きまして、審議に先立ちまして、事務当局を代表して民事局長である竹内努より挨拶を申し上げる予定でございましたが、本日は国会関係の公務のため欠席しております。そこで、大臣官房審議官である松井委員から挨拶があります。 ○松井委員 今御紹介いただきました法務省大臣官房審議官の松井と申します。本日は、民事局長の竹内が御挨拶すべきところではございますけれども、公務で不在にしておりますので、私の方で挨拶を代読させていただきます。   皆様にはそれぞれ御多忙の中、法制審議会民法(成年後見等関係)部会の委員、幹事に御就任いただきまして誠にありがとうございます。   成年後見制度は、平成11年に民法を改正するなどして設けられた制度ですが、この間の高齢化の進展や単独世帯の高齢者の増加等に伴いまして、今後、成年後見制度に対するニーズが増加し、また、そのニーズが多様化することが見込まれるところです。他方で、現行の制度に対しては、本人が制度を利用する動機となった法律行為、例えば遺産分割等が終了しても、本人の判断能力が回復しない限り制度の利用をやめることができないなど、制度の利用しづらさや課題に関する指摘がされています。また、令和8年度までを対象期間とする第二期成年後見制度利用促進基本計画においては、成年後見制度の見直しに向けた検討を行うこととされておりますし、令和4年10月に公表された国連障害者権利委員会による日本の審査についての総括所見においても、民法改正に関する勧告がされているところでございます。   このような成年後見制度を取り巻く状況や制度に対する御指摘など、成年後見制度をめぐる諸事情に鑑みますと、成年後見制度を利用する本人の尊厳にふさわしい生活の継続や、その権利利益の擁護等をより一層図る観点から、成年後見制度の見直しを行う必要があると考えられます。そこで、法制審議会において成年後見制度の見直しについての検討をお願いしたく、今回の諮問がされたものでございます。   私ども事務当局といたしましても、部会における調査審議が充実したものとなりますよう努めてまいりますので、委員、幹事の皆様方におかれましては、成年後見制度をよりよい制度とするために御協力を賜りますよう、何とぞよろしくお願い申し上げます。   以上、代読でございました。 ○波多野幹事 続きまして、委員、幹事及び関係官の方々に自己紹介をお願いいたします。後ほどフリーディスカッションの時間を設けておりますので、まずはお名前と所属等を御紹介ください。  (委員等の自己紹介につき省略) ○波多野幹事 また少し事務的な御説明が続くのですが、この機会に、関係官というものについて補足して御説明いたします。法制審議会議事規則によりますと、審議会がその調査審議に関係があると認めた者は会議に出席し、意見等を述べることができるとされております。この部会でも従前どおり、関係省庁等に審議への御参加を頂くことになると考えております。本日も、先ほどから自己紹介いただいてきましたように、関係官に御参加いただいているというところでございます。   続きまして、部会長の選出をお願いしたいと思います。   法制審議会令によりますと、部会長は当該部会に属する委員及び臨時委員の互選に基づき会長が指名するということとされております。まず初めの手続としましては、委員の皆様におかれまして部会長を互選していただきたいと存じます。何か御意見いかがでございましょうか。 ○上山委員 私は山野目委員を推薦いたします。山野目委員は、成年後見制度の在り方に関する研究会の座長として成年後見制度の見直しに向けた議論を深められ、報告書の取りまとめに当たって多大なお力を発揮いたしましたので、正に御適任かと存じます。 ○波多野幹事 ありがとうございます。   ほかに御意見はいかがでございましょうか。 ○青木委員 私も上山委員同様、山野目委員を部会長にお願いしたいと思っております。山野目委員は成年後見利用促進専門家会議の方におきましても、総合的な権利擁護支援策の検討ワーキング・グループがありますが、その主査を務めていただきまして、福祉法制についても大変造詣深くあられます。今回の改正に当たっては、民法改正とともに社会福祉法制も視野に入れた検討が必要となりますので、大変適任ではないかと思っておりますので、御推薦いたします。 ○波多野幹事 ありがとうございます。   ほかに御発言はございますか。よろしいでしょうか。   ただいま上山委員、青木委員から部会長として山野目委員を推薦するとの御発言がありました。ほかに御発言がないようでございましたら、部会長には山野目委員が互選されたということになろうかと思いますが、よろしゅうございましょうか。   それでは、山野目委員が部会長に互選されたものと取り扱います。   その上で、部会長は法制審議会会長が指名するとされておりますが、本日は高田法制審議会会長におかれましてはこの場にいらっしゃいませんので、事務当局において電話で連絡をさせていただきます。大変恐縮でございますが、一旦休憩とさせていただきます。           (休     憩) ○波多野幹事 会議を再開いたします。   休憩時間中に高田会長から山野目委員を部会長に指名する旨の御連絡を頂きました。   それでは、以降の進行につきましては山野目部会長にお願いしたいと存じますので、山野目部会長におかれましては部会長席への御移動をお願いいたします。 ○山野目部会長 改めまして、委員の山野目でございます。一言申し上げます。遠隔で御参加の委員、幹事の視野から外れないようにするため、恐れながら着席でお話を差し上げさせていただきます。   委員、幹事の皆様の御支援を頂きながら精一杯務めますから、何とぞよろしくお願い申し上げます。   顧みますと、現在の成年後見制度が民法上の制度となりましたのは1999年の民法改正によってでございます。それから20年を超える時間が経過しております。また、2022年には成年後見制度利用促進基本計画の第二期の計画が閣議決定をみました。ここにおきまして成年後見制度についての見直しの問題提起もされているところでございます。この部会に調査審議が託された事項は誠に重いものがございます。是非、委員、幹事の皆様の闊達な御意見、御論議によって、良い成果が得られることを切望するものでございます。何とぞよろしくお願い申し上げます。   議事の内容に進むに先立ちまして、一つ二つ話題とすることがございます。初めに、部会長代理を定めなければなりません。部会長代理は部会長において指名することとされております。部会長におきましては佐久間委員にお願いしたいと考えます。佐久間委員、いかがでいらっしゃいましょうか。 ○佐久間委員 誠に微力ではございますけれども、務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。 ○山野目部会長 どうもありがとうございます。それでは、佐久間委員を部会長代理に指名いたします。   続きまして、議事録の発言者名の記載についてお諮りをします。   法制審議会における議事録の発言者名の記載に関する従来の取扱いについて、事務当局から説明を差し上げます。 ○波多野幹事 法制審議会の議事録における発言者名の取扱いについて御説明いたします。   部会における議事録につきましては、発言者名を記載した議事録を作成することを前提として、その議事録を法務省のホームページで公開するに当たって、原則として発言者名等を明らかにした議事録を公開することとされています。ただし、それぞれの諮問に係る審議事項ごとに、部会長において部会委員の意見を聴いた上で、審議事項の内容等のほか、発言者等の権利利益を保護するため、当該氏名を公にしないことの必要性、率直な意見交換又は意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれの有無を考慮して、発言者名等を公開するのが相当でないと認める場合には、議事録の公開に当たって発言者名等を明らかにしないこととすることができます。   したがいまして、当部会の議事録につきましても、発言者名を明らかにしたものを作成することになりますが、部会長において皆様から御意見をお聴きいただき、ただいま申し上げたような諸要素を考慮して、発言者名等を公表するのが相当でないと認められる場合には、これを明らかにしないこととすることができることとなります。 ○山野目部会長 ただいま説明を差し上げたところでございますけれども、これから始まるこの部会における議事録の発言者名の記載の取扱いについてお諮りを致します。   特段、従来の取扱いと異なるものとしなければならないという理由が見当たりませんから、ただいま事務当局から御案内を差し上げた従来の法制審議会における段取りのとおりに議事録の発言者名の記載を取り扱いたいと考え、その段、御提案を申し上げます。いかがでございましょうか。   どうもありがとうございます。それでは、法制審議会における従来の取扱いのとおり、議事録の発言者名の記載を扱うことを決定いたします。   これより審議に入ります。   本日は部会資料1をお届けしております。これについて事務当局から説明を差し上げます。 ○波多野幹事 御説明いたします。   部会資料1は、この部会で調査審議を頂く検討課題につきまして、その全体像を概観し、想定される検討事項について記載をしております。   1ページ目、「第1 基本的な視点」の「1 成年後見制度」では、成年後見制度についてその定義を記載しており、「2 成年後見制度を取り巻く動向等」では、今回の諮問に至る経緯、背景などに係る事項を記載しております。令和8年度までを対象期間とする第二期基本計画において、成年後見制度の見直しに向けた検討を行うものとされ、また、令和4年10月に公表された国連の障害者権利委員会による総括所見におきましても、民法を改正することについての勧告がされていることを記載しているほか、成年後見制度をめぐる事情の一つとして、我が国の高齢者数等や成年後見関係事件の概況について簡単に記載しております。   3ページ目の「3 現行の成年後見制度に対する問題点の指摘」では、現行の法定後見制度及び任意後見制度の問題点の指摘を記載しており、このような指摘が適当であるか否か、そのほかにどのような点を指摘することができるかについて御発言を頂ければと存じます。   4ページ目の「4 成年後見制度の基本理念」では、現行の制度に関する基本理念を確認した上で、今回の見直しを検討するに当たって、その基本理念を整理しておく観点から、成年後見制度の在り方に関する研究会報告書の17ページから18ページに掛けての指摘を引用しております。このような指摘も踏まえまして、成年後見制度の見直しを検討するに当たっての基本理念を整理すること及びその内容について御発言を頂けますと幸いでございます。   6ページ目以降の第2から第4までは、法定後見制度に関して想定される検討事項、任意後見制度に関して想定される検討事項及び成年後見制度の見直しに伴い想定される検討事項を記載しております。これらは基本的には次回以降の会議において取り上げることを予定しておりますので、本日の会議におきまして、その一つ一つについて御議論いただくことまでは予定しておりませんが、第2から第4までの記載を参照していただきつつ、今後の議論の進め方や、ほかに取り上げるべき論点等について御発言いただければと存じます。   部会資料1の御説明は以上でございます。 ○山野目部会長 それでは、ただいまより審議をお願いいたします。本日はこの部会資料1などを題材といたしまして、委員、幹事の皆様にフリーディスカッションをお願いいたします。フリーディスカッションということでありますから、御質問、御意見がありましたらば、どうぞ御遠慮なくお出しいただきたいと望みます。   そういうことでお願いいたしますけれども、いかにフリーなディスカッションと申しても、部会資料1、それ自体、既にかなり盛りだくさんのものが示されてございます。少し小分けをしてお諮りしたいと考えます。第1の総論的な事項を扱っている部分が一つの塊、それから第2から第4までの、その余の検討事項に関してやや細目にわたる論点を扱っているところがもう一つの塊であると見ることができるでしょうか。大きく二つに分けて御議論をお願いいたします。途中に休憩を1回予定しておりますから、きれいに休憩の前のところで第1、休憩の後のところで第2から後というふうに行くかもしれませんし、御議論の進み具合によっては、そうならないこともあろうと思いますけれども、それでもよろしいのではないかと考えます。   部会資料1の第1の部分は基本的な視点ということでございまして、これについては、もちろん全般にわたって御随意の御意見や御質問をお出しいただきたいと望みますけれども、先ほど事務当局から案内を差し上げましたとおり、その中でも第1の中の3の部分、現行の成年後見制度に対する問題点の指摘、それから4の部分、成年後見制度の基本理念のところについてなどは、本日取り分け委員、幹事がどのようなお考えをお持ちでいらっしゃるか伺ってみたいという気持ちもあるところでございますから、どうぞその辺りを中心に御議論をお願いしたいと望みます。   このようなことで、第1の部分とそれ以外の部分とを分けてお諮りを致しますけれども、おのずと取り扱っている事項の性質上、きれいに切り分けて議論ができるものではなくて、相互に関連してございます。ほかの部分に立ち入って御議論がわたってはいけないということはございませんから、どうぞその辺りは余り堅苦しくお考えにならず、御意見、御質問をお出しいただければ幸いでございます。   それでは、第1の部分を中心に委員、幹事の皆様の御発言を頂いてまいりますけれども、先ほど事務当局からも御案内を差し上げましたとおり、佐保委員においてはこの後、お仕事の関係で退席のお時間が迫っていると聞いております。そこで、まず佐保委員から御発言を頂き、その後、委員、幹事の皆様から更に御発言を頂きたいと考えます。 ○佐保委員 ありがとうございます。部会長並びに事務局の御配慮に感謝を申し上げます。   まず、第1回目ですので、私からは今後の議論に向けて1点申し上げたいと考えます。   高齢者数の増加とともに、2025年には認知症の有病者数が700万人を超えると推計される中、成年後見制度の利用者数は僅かに増加傾向にありますが、2022年時点で約24.5万人と、いまだ多くの需要を満たしているとは言い難いのではないかと思っております。成年後見制度の利用には申立てに手間と時間、費用が掛かるといった意見や、後見人の負担が大きい、専門家が成年後見人になると費用が掛かる、障害や症状の回復が認められても家庭裁判所で取消しが認められない限り、途中でやめることができないなどの課題が指摘されております。できる限り利用しやすい制度の実現、判断能力が十分ではない人の更なる権利擁護などを踏まえ、課題解決に向けた議論に期待したいと考えております。   なお、本部会ではあくまで成年後見制度に係る民法の見直しを議題にすると理解しておりますが、後見人の成り手不足も指摘されている中で、市民後見人の更なる育成も重要である点も申し添えておきたいと考えます。   私からは以上でございます。ありがとうございます。 ○山野目部会長 佐保委員の御意見を承りました。ありがとうございます。   それでは、会場で御参加の委員、幹事、また遠隔で御参加の委員、幹事から御随意の御発言を承ります。どなたからでもよろしくございます。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。現在、全国の司法書士が専門職後見人として成年後見人等に就任をしておりまして、令和5年には新たに1万1983件の事件を取り扱っております。私たち司法書士は法律事務の専門家として国民の権利を擁護し、もって自由かつ公正な社会の形成に寄与するという使命を負っておりますので、本部会においても成年後見業務に積極的に取り組んでいる法律事務の専門家の立場から意見を申し述べていきたいと思っております。   具体的な論点についての検討は今後なされていくと思いますので、本日は部会資料1の第1の3、現行の成年後見制度に対する問題点の指摘と、第1の4、成年後見制度の基本理念について、若干ではありますがコメントをさせていただきたいと思っています。   まず、部会資料1の第1の3の現行の成年後見制度に対する問題点の指摘についてでございますが、問題点として指摘されている中で、特に、本人の抱える制度利用の主な動機となった課題が解決され法定後見制度の利用が終了した後に、本人をどのように支援していくのかという点や、任意後見制度においては任意後見契約の適切な発効にとどまらず、任意後見の利用を促進するためにどのように任意後見制度を見直していくかという点について、大きな関心を持っているところであります。   次に、第1の4の成年後見制度の基本理念についてですが、成年後見制度の見直しを検討するに当たって、基本理念を改めて見詰め直して整理することは重要なことと考えています。その上で、私たちは現行の自己決定の尊重やノーマライゼーションといった基本理念は、引き続き重要な理念であると感じています。制度上の問題点が数多く指摘され、制度改正に向けた議論をこれから進めていくことになるわけでございますけれども、それは自己決定の尊重やノーマライゼーションといった現行の基本理念そのものが不十分となったからというわけではなく、現行の制度を運用していく中で基本理念に合わない部分が出てきた、若しくは運用においてその理念を十分に反映することができてこなかったと承知しています。したがいまして、今回の成年後見制度の基本理念を今一度見詰め、指摘されている問題点については、制度の改正が必要な問題であるのか、それとも運用の改善によって対応することが適当な問題なのかしっかり区別をして、議論を進めていく必要があると考えております。どうぞよろしくお願いいたします。 ○山野目部会長 御意見を承りました。   引き続き伺います。 ○佐久間委員 ありがとうございます。2点ございます。一つは、制度を取り巻く動向等に関する質問です。もう一つは、基本理念に関連する意見です。   まず、制度を取り巻く動向等に関しての質問ですけれども、障害者の権利に関する条約に基づいて先頃、障害者権利委員会から統括所見における勧告がされたと御紹介いただいております。私が紙の上で拝読して受け止めたところによりますと、条約で一般的に求められていることよりも、勧告においては相当程度その要求度が高いように受け止めました。我が国は条約の批准国でありますので、このような勧告を受けた以上は、それを当然尊重しなければならないとは思っております。ただ、関心がございますのは、何といいますか、拘束度でありまして、この勧告自体をどのように受け止めるかということについては理解に幅があり得るということは承知しておりますけれども、その幅の中で、100%これにこたえないことには、そういう言葉がいいのか分かりませんが、政治的要求を満たさないことになり、この審議会で幾ら調査審議をしても不十分であるというそしりを免れないことになるのかということが気になっているところでございます。そのために、現実にお答えいただけることには限りがあるということは承知しておりますけれども、調査審議を始めるに当たりまして、どのような心構えを持っておけばいいのかという現時点の見通しをお教えいただければと存じます。   それに併せて、もし可能であれば、諸外国も批准国については同じような勧告を受けているはずだと思いますので、現行の制度の紹介は報告書に簡単にしていただいて、それは承知しておりますけれども、その勧告を受けた後の各国の取組の状況がお分かりでしたら、そのお分かりのところをお教えいただきたいという質問でございます。   もう一つは、制度の理念に関連することでございまして、ここに制度の理念として書かれていることについて私には異論はございません。ただ、現行の成年後見制度、取り分け法定の制度、任意も含めてですかね、制度におきましては、理念ではないかもしれませんが、制度の趣旨目的といたしまして取引の相手方の保護というものが大きな柱として立っていると理解しております。現在このペーパーではその他の項目に挙げられており、別にそれで不十分だと言いたいわけではないのですけれども、その行為、取引の相手方を保護する必要性を意識することは大変重要なことだと私は思っております。取引の相手方の保護と申しますと、本人の利益と対立するものとしてよく受け止められることがあろうかと思います。例えばですけれども、本人の側から取消しや無効の主張をしたいというときに、相手方の信頼を保護するということは、それを妨げるということに結果としてなりますので、本人の利益か相手方の利益の保護かということで対立的に捉えられることは無理もないことだとは思っておりますけれども、しかし、最終的に問題となったときはそのような利益の対立の調整を図るということであるといたしましても、実は、別に私が実はなんていう大層な言い方をしませんでもお分かりのとおり、取引というのは相手方がいないと成り立たないわけでございまして、相手方を適切に保護しないことには、幾ら本人が意思決定をし、それを尊重しましょうということになりましても、事実として応じてもらえないと本人の意思に基づく法律関係の形成というのは、これはできないということになってしまうのです。そうであるところ、これは全ての人に妥当すると思うのですが、効力がはっきりしない、無効になるかもしれない、取り消されるかもしれないということになりますと、取引に応じましょうという人はそういないはずでありまして、相手方の信頼を保護する、正当な信頼といってもいいと思いますが、正当な信頼を保護するというのは、本人の自己決定に従った法律関係の形成を促進するためには不可欠であると私は考えております。   これは理念レベルの話、一般論レベルの話ですけれども、そのために具体的に考えていかなければならないことは幾つもあると思っております。一つには、どのような制度になるか分かりませんが、ある制度が新たに設けられたといたしますと、その制度の対象者であるのかどうかということが、直ちに明らかになる必要はないかもしれませんが、一定の手段をもってすれば取引の前に事前に分かるということにしておかなければならないと思っております。また、今、民法3条の2にあります意思無能力による行為の無効というのも本当にそのままでよいのか、場合によっては本人の意思能力に問題がある、あるかもしれないという人について、自ら行為をすることを制度的に認めるということであったとすると、その場合には意思無能力による無効の主張を制限するということも考える必要があるのではないかというように、例えばですけれども、思っております。   あるいは代理権の範囲も、今は一律に代理権が与えられておりますから、範囲について心配する必要はないわけですけれども、個別化するということになりますと、表見代理の規定はあるわけですけれども、その適用をきちんと図っていくようにするといったことが必要と思います。最後に具体的に申し上げた3点は、例えばということでありまして、今日御議論いただきたいということではないのですけれども、相手方の信頼を保護するということが結果的には本人の自己決定に基づく法律関係の形成を促進することになるのだという観点は、最初から持っておいた方がいいのではないかというのが意見でございます。 ○山野目部会長 佐久間委員が前半でお出しいただいた部分が質問でございます。小分けすると、質問は二つ頂いたということになりましょうか。波多野幹事から、これから現時点で持っているお答えを差し上げます。後半、佐久間委員が御意見としておっしゃったことについては、関連する御発言があれば委員、幹事から承ります。まず、波多野幹事、お願いします。 ○波多野幹事 佐久間委員から御質問いただいた、障害者権利委員会の勧告をどのように扱うか、法的に効力をどう考えるかというところにつきまして、政府として対外的に申し上げているところは、勧告は法的拘束力を有するものではないけれども、勧告の内容を踏まえて検討をするというのが多分、政府としてこれまで述べてきたところかと思っておりまして、それ以上なかなか申し上げにくいところかとは思いますが、他方で、もう少し申し上げますと、恐らくこの対日審査のときに法務省の担当者が現場に行って、その当時、成年後見制度の研究会をされていたこところなどを意識しつつ、行為能力制限撤廃の可能性も否定しない形で検討を進めていますとか、ただ、代行決定を全部廃止するのは、本人の保護とか障害者の保護に資するという面もあるので、それは慎重に考える部分もあるのではないかとか、そういう趣旨のコメントをしているのかなと思っております。そういう意味で、なかなか勧告を踏まえてすぐに何か答えが出るわけではないのかなと思いますが、その幅の中でどういうふうな規律を設けていくのかというところは、今回の審議の中で議論いただくということなのかなと現時点で私の方では考えているというところです。   諸外国の法制でございますが、研究会の時期に研究者の先生方に調査をしていただいているところでございまして、これは研究者の先生方に御了解を頂ければということですが、次回以降、資料として御提供できるかと思っております。その中で、調査いただいている範囲については御説明できるかと思っておりますので、次回以降整理して、また御説明させていただければと存じます。 ○山野目部会長 佐久間委員において御高承でいらっしゃるとおり、対日審査と呼ばれております機会は、ここでの議論ですから対日審査というふうにお話ししていますけれども、とりたてて日本のみが審査の対象になったものではありません。当該条約の締約国の様々なところに対して、様々な課題について、国際連合の委員会から意見が出されておりまして、それを受け止めた各国の動向というものは、当然のことながら様々なものがございます。対日審査ないし他の国に対する審査が行われた時期の当面の各国のリアクションというか、リアクションというところまでしっかりしていなくても、雰囲気というか、といったようなものは、あの時期に出されている雑誌の「実践 成年後見」の、103号でしょうか、そのあたりについて若干の情勢を紹介していたと記憶いたします。ですけれども、その後の情勢について体系的な紹介が、少なくとも日本において、されているものではありませんから、先ほど波多野幹事から紹介申し上げましたとおり、事務当局において可能な限りで現状を把握した上で、次回以降の部会の会議において適切な時期に委員、幹事の皆様に御紹介したいと考えます。   国際連合の委員会が掲げるその理念と、それに基づく勧告というものは今、佐久間委員がおっしゃられたとおり、大変高くモデルを掲げて様々な意見を出しているという特徴がございまして、高く掲げていることに対する各国の反応というものは本当にいろいろなものがあるという状況でございますから、佐久間委員が御示唆のとおり、そこに関心を持って行くということも大変に大切であろうと考えます。御質問をお出しいただきまして、ありがとうございました。   ただいまの佐久間委員の御発言の後半の意見の部分について、何かありましたら承りますし、また、そのほかの観点で委員、幹事から御発言があれば御意見、御質問を承ります。引き続き御発言をお願いいたします。いかがでしょうか。 ○青木委員 私の方からは、まず最初でございますので、現行制度の問題点につきましてお話しした上で、基本理念についても少し触れたいと思います。   2000年に始まりました成年後見制度、私も常時20件ぐらい担当させていただいておりまして、これまで相当数の事案を経験してきましたが、私自身が担当したものを振り返ってみましても、果たしてこのままでいいのだろうかと自戒をするものがございます。例えば、障害者虐待とか高齢者虐待の対応として担当させていただきまして、当然、虐待からの救済のためには成年後見制度は非常に有効に働いてきていると思っていますが、その後、虐待対応が終了して本人は安定した生活に戻って、本人がグループホームや支援者の皆さんと安定した生活をしているにもかかわらず、現在もなお、長いものでは20年ぐらいですね、継続して関わっているものがございます。果たして今の本人の生活に私が必要なのかと思いながら日々お付き合いをしていますが、もちろんできるだけの支援を考えて努力はしていますが、後見制度抜きに支援者の皆さんとの日常生活に戻ってもいいのではないかと感じる事案が少なからずございます。本人たちも、私の存在を果たしてどういうものとして捉えていただいているかということも思ったりもします。   また、保佐事案として担当したケースにつきまして、本人さんの精神障害の状況によって、様々な取引、通信販売とかいろいろなものを本人がされることがあっても、それについて、取消権を使うということにはなかなかならない。不必要な買い物だと考えて取消権を使ったところ、本人が強く反発され、自分が必要と思って買ったもので、自分はそれなりにお金もあるのに、なぜ勝手に相談もなく必要がないとするのか、ということです。たしかに十分に本人と話をした上で取消権を行使しなかったという反省も含めて、それからは取消権は使わずに、本人と必要かどうかをよく話し合い、不必要となった場合には、取引の相手方とお話をして、事情をお話し、本人は1回だけだと思って契約したら毎月の契約になっていたので、申し訳ないがキャンセルしてほしいとなれば、取引の相手方も最近は事情を酌んで取消権によらずキャンセルができるという事案もたくさんございまして、そういった対応で本人と取引の功罪をよく話し合いながら、意思を尊重していくことが大事だなと感じており、取消権がなければならない人というのは必ずしも多くないなという実感も持ちながら、させていただいています。   一方で、取消権が付与されているために、先ほどのお話とも関係するかもしれませんが、本人が自ら取引をしたいと思っても、取消権がある以上は後日取り消されるかもしれないとして、必ず後見人、保佐人を通じてほしいと相手方からお申出になる機会も多く、本人が後見制度の利用をしているためになかなか直接の取引の主体になれないという弊害も多数経験をしています。   また、私は、弁護士会の立場上、地域包括支援センターや市町村担当者、あるいは地域の様々な機関などから後見人の苦情に関する相談を受けることもありますが、その中で例えば、たまたま親御さんが早期に亡くなってしまい、遺産分割等があるので後見人に専門職が就いたけれども、その前から地域に移るためにグループホームを考えていたのだと、ところが、その遺産分割のためになった専門職後見人の方が、安全ですか、本当に大丈夫ですかと言って、なかなか施設からグループホームに移行させてくれないのだと、地域の皆さんも、支援者も、本人も期待をしていた生活の実現が、たまたまお母さんが亡くなったということによって途絶えてしまって、何のための後見人だろうと疑問が上がっているという苦情を受けまして、その対応にあたるようなこともいくつか経験をしてきています。   そういったことが私の経験の中でも多数ございまして、やはりこの後見制度というのが本当に本人の必要性に応じた制度になっているのかどうかということにつきましては、もちろん権利の救済や支援のために必要なケースは間違いなくございますが、一方で、本人の権利や利益にとって不十分な部分があるということも、この20数年の実務実践の中で分かってきたことなのではないかと思っております。ですので、本人の視点、本人の生活や権利の視点から制度の見直しをしていくという今回の改正の問題提起には大いに賛同しておりまして、これまでの経験も踏まえて、できるだけよい改正につなげればと思っているところでございます。   次に、基本理念につきましては、この間、日本は障害者権利条約を批准しまして、12条で本人の法的に完全な能力、行為能力を認めていこう、そのためには前提として本人の意思決定を支援するという締結国によるしっかりとした支援策がなければ、本人が主体的に決定できないということで、意思決定支援の取組が進んでまいりました。私も後見人の一人として、それを意識するようになっていきまして、やはり非常に重要な問題提起だと感じています。おそらく2000年改正のときには、本人は判断能力が不十分な人であるから、それを代行、代理することは保護としていいことなのである、という発想に基づいて行われてきたと思います。しかし、この二十数年の取組の中で、果たしてそうか、先ほどのグループホームの件もそうですけれども、まずは本人は自ら決められる人である、本人は意思を表明できる人であるということを前提に必要な支援に取り組んだ上で、なおどうしても必要なときには代理・代行もやむを得ないという発想に立つ必要があるのではないかと。12条はそういった意味で、代理・代行による保護から意思決定支援へのパラダイムの転換を図りましょうということを我々に提案したものと受け止め、実践を模索してきました。   私も、かなり以前に担当した独居の男性の保佐事案で、本人が転倒骨折して病院に入院した後、もう在宅生活は難しいと判断しまして、本人の意向は余り聴かずに、特別養護老人ホームに入れる手立てを懸命にいたしまして、入所が決まって私としてはよかったと思っていたのですが、本人とすれば、家での生活で一番楽しみにしていた食後に一杯飲んでおつまみを食べるという生活が施設ではできなくなってしまったということに失望し、次第に食事をなかなかとらなくなり、比較的早い段階でお亡くなりになったという大変苦い経験を持っております。こうした経験も踏まえて、やはり本人の意思決定をしっかり踏まえた上で支援をしていくことの大事さを痛感をしておりまして、権利条約12条の理念というのは、自己決定の尊重と保護というバランスではなくて、更に一歩前に出まして、まずは自己決定できるためにできるだけ支援をしていくのが原則だと、例外的な場合に保護を代理・代行によって図ろうというふうな発想の転換をしていきましょうという12条の提案を我々は受け止める必要があると思っております。   確かに22年10月の総括所見の勧告に現時点において全てに対応するということではないと思っていますけれども、勧告でも、「廃止する観点から」と方向性を示すものになっていることから、まずは今回の改正で意思決定支援を重視し、代理・代行制度を例外的・補助的なものとしていくという制度に向けて、本人の権利の立場から見直していきたいと思っております。そういう意味で、基本理念を、新しく「自律の保障」というものをしっかりと据えた上で、そこから様々な諸原則や具体的な制度枠組みを検討していくということで、是非議論していければなと思っているところです。 ○山野目部会長 御意見を承りました。   引き続き、いかがでしょうか。 ○星野委員 社会福祉士会の星野です。私も今回の部会資料の第1の3と4について意見を述べたいと思います。   問題点の指摘のところは、一体どうしてこういうことが起こるのかということを端的に考えますと、成年後見制度が始まってから、見直しをするという考え方が一切今までなかったからだと思います。これまでも、成年後見制度を利用した方については選任された後見人等が家庭裁判所に定期的に報告をしております。報告をしておりますが、その報告内容は飽くまでも財産管理に偏ってきた、これは事実だったと思います。しかし、御本人の意思であるとか状況の変化、ニーズの変化といったものについて十分な報告がなされず、制度の利用についての見直しが全くなされてこなかったということが、これらの課題につながっているのではないかと考えます。こういったことから見直しをどのような仕組みで行っていくかということがこの民法改正の議論の中では重要かなと思っております。それは基本理念にもつながるところです。   4番の成年後見制度の基本理念のところには、見直しのところについて多く触れられています。この見直しの在り方のところをどこまで法律で、先ほど運用でできるかということもあったのですが、運用では難しいということをどこまで法的に整理することができるのか。ここで出てくる意思決定支援との関連です。これまでも何人もの委員の先生がおっしゃっておられましたが、私たち社会福祉士は、逆に御本人の意思を尊重しようとする余り、御本人の自己決定なのだから、余りそこには立ち入れないのではないかということで、御本人が非常に厳しい状況になることが予測されても、御本人の意思だからといって尊重してしまう傾向が強いかなと思っています。でも、実際は意思決定支援を尊重することができる土壌としては、先ほど出ていました、本人の意思尊重を超える例外的なところというのをどのように整理するのか、そして、それをいかに短い期間で解決に向けて取り組んでいくのか、それがあって初めて本人が本当に意思決定支援を受けて自己決定するというところにつながるのだろうと思っており、これは成年後見制度につながるような対象者の方だからこそ、そこのところの整理がとても重要なのではないかと思います。ですので、見直しというところをどのように法律の中で落とし込んでいけるのかというところ、これは民法改正だけではなくて、社会福祉法制とも関係してくると思いますが、とても重要なのではないかと思っております。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございます。   引き続き承ります。 ○根本幹事 ありがとうございます。今回の改正では、これまでの成年後見制度が保護と御本人の意思というのをバランスをとっていく、若しくは保護を重視するという考え方であったところをパラダイムシフトをさせて、御本人意思をより大切にしていくという方向性に変えていくべきであると考えています。当然、御本人の保護を一切しなくてよいというわけではもちろんありませんので、どのような場面で御本人意思を優先しながら保護に配慮していくのかということを具体的かつ丁寧に検討していくということが求められているのではないかと思っています。   また、従来成年後見制度は、精神上の障害により判断能力不十分であるという方が、法律行為における意思決定が困難な状況について、その判断能力を補う制度であると位置付けられてきたものと考えていますが、そのような判断能力が類型的に不十分であるという制度の枠組みを維持するのではなく、個々の個別具体的な場面や個々の個別具体的な法律行為ごとに判断能力を検討していくという制度にどこまで切り替えていくことができるのかということが、この議論の中では試されていると思っています。   その中では、先ほど佐久間委員から御指摘があった、取引の相手方という存在も含めてということになるのかもしれませんが、実際の運用や制度が活用されていく中で、こうした理念というものがどこまで実効性を持った制度、運用となっていくのかということを見据えた議論をしなければいけないと思っています。   その根底にあるのは、先ほど青木委員からもありました自律の保障とインクルージョンということになるのではないかと私も考えていまして、今後の10年、20年という先を見据えた制度改正ということを今回議論できるのであれば、理念として考えていくということもあり得るのではないかと思っています。   こういった観点から、従来の民法学における意思概念との関係ですとか、若しくは日常金銭管理における御本人の能力というもの、また、法律行為を行う能力と、あとは、例えば同意をする能力ということについての違いやどのように相互に関連するのかについても、考え方を含めて整理をしていくことが必要になるのではないかと思っています。あわせて、御本人の意思の尊重という観点からは、任意後見制度への着目も重要であると思っていまして、まだ任意後見制度の利用促進につながる改正議論というのはこれから詰められていくというところになってくるかと思いますので、次回以降のところでこれらについての考え方についても御提案をしてまいりたいと思っております。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございます。 ○竹内(裕)委員 私も今回の部会資料の基本理念については賛同するものです。誰しもが、あなたはこう在るべきだというふうに、自分の人生を自分の意思と掛け離れたところで他人に勝手に決められたくないということだと思います。成年後見制度というのは、様々な事情でこの意思決定に困難がある方を保護するという側面はもちろんあるのですけれども、ただ、その保護という概念の前にといいますか、どのような方であったとしても、その方が望む法律行為によって法律効果を発生させて、そういう世界を享受できるように、個別にその方の必要に応じて支援をするという考え方が必要だと思うからです。   もっとも、私も後見業務を日頃行っているのですけれども、実際に悩みはあります。先ほど青木委員もおっしゃいましたけれども、遺産分割であるとか、あと不動産の売却とか、あるいは損害賠償の請求であるとか、そういった課題となった法律行為が終了した後に、いつまでその後見人として関わるべきかという問題は常にありまして、例えば、後見業務をこれは終了してもいいかなと思われるけれども、多額な資産がある方など、仮に終了した場合、その後の受皿をどうしたらいいのかという悩みがあるケースもありますし、他方で、福祉職の方がすごく密に関わってくださって御本人たちも安定した生活を送っている、ただ、支援体制は整っているのだけれども、しばらくすると別の法律問題がまた起こってくると、結局継続的な関与が伴うと思われる、そのようなケースもあって、本当に様々で、一体何がいいのかなと思うところです。   あと別の観点としては、我々は後見の受任者という立場で、後見業務は結局何が求められているのか、どこまでの範囲を行うべきなのかという悩みもあるところで、そこが、先ほど小澤委員の方から成り手不足という御意見も出たところなのですが、どこまで何を、役割分担といいますか、範囲といいますか、そこが明確になってくると、成り手不足等々の問題の解消にも資するのではないのかなと思うところです。 ○山野目部会長 ありがとうございます。後見の終了の要件をどのようにするかということは、後半の方にも若干、本日は論点の頭出しをしておりますから、引き続き御議論をお願いしたいと考えます。ありがとうございます。   引き続き、いかがでしょうか。 ○野村幹事 私が所属する成年後見センター・リーガルサポートは、現在全国の50の支部に8700名を超える司法書士の会員が所属しており、5万8000件を超える後見等の事件を受任しております。私も日々、後見人等の担い手として実務を行っている立場から意見を述べたいと思います。少し細かい指摘になりますが、御容赦ください。   まず、この資料の問題点の指摘のところですが、法定後見制度の問題点については、おおむね資料に御記載のとおりと思います。具体的には、まず一つ目の、判断能力が回復しない限り制度の利用が継続することについては、これによって本人の報酬の負担が重くなって、それが制度の利用をちゅうちょさせたり遅らせたりする原因となっていますし、一方で、後見人等の担い手不足を招いていると思います。特に地方における後見人等の担い手不足は深刻で、家庭裁判所や中核機関から後見人等の推薦依頼があっても、断らざるを得ない状況があると聞いております。   1点、気になるのは、ここに「家族やその他の支援」というという記載があるのですが、事実上の支援があるからといって制度利用を終了させるのでは、本人の保護を図れるのかという懸念があります。ここに記載にある「その他の支援」の中には、福祉的な制度による支援がありますが、福祉法制による整備が図られる必要があると思います。   二つ目の、取消権や代理権が広すぎることについては、特に後見の場合は、取消権については、実際に行使する必要性がない場合にも包括的な取消権が付与されていますし、代理権については、選任当初は代理権がたとえ適切な場合であっても、課題が解決したときに柔軟に変更できないという問題点があります。一方で、保佐人や補助人の場合でも後見人と同じ働きを求められて、あれもこれもやってくれと言われる現実があって、特に死後事務で実務上困ることがあります。   三つ目の、本人の自己決定に基づく権利行使が制約される場合があることについてですが、例えば、独り暮らしの認知症の方が本当は自宅で暮らし続けたいと思っても、独り暮らしで火を消し忘れて火事になったらどうするのだ、心配だ、施設に入った方がいいのではないかという周囲の声が大きくなって、後見人が本人を施設に入れてしまうということも制度上は可能です。もちろん意思決定支援に基づく後見事務のガイドラインを実践している後見人であれば、このようなことはありませんが、現状ガイドラインには法的な拘束力はなく、十分に実務に浸透しているとはいえない状況です。   四つ目の、後見人の交代が実現しないことについては、専門職が後見人等に選任されて、遺産分割や不動産売却など当初の課題が解決して、むしろ親族後見人や市民後見人の寄り添い型の支援が本人のニーズに合っている場合があります。また、後見人が本人と信頼関係が築けず、本人が後見人に交代してもらいたいと思っても、後見人の自発的な辞任がない限り、解任事由がなければ後見人に辞めてもらうことができないので、制度の利用をちゅうちょさせたり、苦情が発生したりする原因にもなっていると思います。   以上が法定後見の問題点の指摘なのですが、任意後見制度については次のような問題点があると考えています。令和3年度及び令和4年度に実施された法務省の調査では、判断能力低下のときに任意後見監督人選任の申立てをすることを知らないとか、任意代理のままで支障を感じないという回答が一定数あって、特に約7割を占める親族、友人、その他個人はそのような回答の割合が高くて、制度趣旨が十分に周知されていないと考えられます。また、委任者の判断能力の低下を把握して申立てを促したり、また、申立てを行うための仕組みが十分ではありません。監督人選任申立ての手続に負担感がありますし、任意後見人が監督に負担を感じることが利用をちゅうちょさせている面があります。監督事務の平準化など、監督の負担を軽減する仕組みが必要だと思いますし、平準化による監督人報酬の軽減を検討する必要があると思います。さらに、誰が監督人になるか分からない、予測しづらいといったことが制度の利用をちゅうちょさせる原因にもなっているかと思います。   以上、多少細かいですが、問題点について述べさせていただきました。   次に、基本理念なのですが、所属団体内でも検討したのですが、現在の成年後見制度は自己決定の尊重、ノーマライゼーション等を基本理念としていますが、自己決定の尊重というのは、本人が自分のことについて自ら決定することを尊重するという本人意思尊重の理念であって、ノーマライゼーションは障害のある人もない人も互いに支え合って地域で生き生きと明るく豊かに暮らしていける社会を目指すという理念かと思います。これらの理念は改正後の制度においてもなお重要な理念であって、また一般の人にも分かりやすい言葉であるので、あえて変える必要はなく、改めて打ち出すべきだという意見です。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。野村幹事に一言申し上げます。司法書士が2人、席を並べておられますけれども、しいて同じ意見をおっしゃる必要がありませんし、小澤委員は立派な司法書士で大先輩ですが、どうぞ御遠慮なく今のように御発言をください。それぞれが活動しておられる団体が異なりますし、異なる世代の実務の受け止め方を出していただくという妙もあるであろうと考えますから、引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。   御意見を承ります。次に御発言いただく方はどなたでしょうか。遠隔で御参加の委員、幹事の皆さんもどうぞ御遠慮なくお声掛けをください。 ○久保委員 ありがとうございます。私の団体は知的障害者の本人と家族からなる団体でございますので、知的障害者のことでこの成年後見を使うというのは、本当は家族もみんな大事な制度だということはよく分かっていて、今回見直しをされるということは、すごく強い関心を持って、期待を持って見守っているというのが今の現状でございます。   ただ、今までの現状から言いますと、やはり先ほどから何人もの先生方がおっしゃっているように、一度使うとやめられないというのが一つあるのですね、家族の誰かがお亡くなりになって、財産分与のときに後見人を使った、だけれどもその後、後見人が力量を発揮していただけるようなことは余りないのだけれども、ずっと後見人が傍らにおられて、何か私たち、こういう言い方をすると大変失礼ですけれども、親や本人からすると、毎月2万円取られるみたいな言い方をするわけですよね。何のお仕事をしていただく必要もないのに2万円取られてしまうという言い方を家族の中でする人はとても多いわけなのです。   というのは、やはり、特に親が心配していますのは、親がいるうちはまだ金銭的にも応援ができる、だけれども、どっちみち親が先に逝きますから、第三者に託さなければならないときが来るわけですよね、そこを親は心配をしています。それで、本人が親亡き後も暮らしていくには、障害のある人たちの収入というのは障害基礎年金が中心ですよね。多少福祉的就労とかをして、お仕事というか工賃があっても、1万円前後ぐらいのことが多いわけです。それにも全然届かない方もたくさんおられます。その中で、大体基礎年金というのは6万円から8万円ちょっとぐらいの範囲で、1級年金から2級年金までは8万円から6万円ですけれども、その中でお家賃5万円ぐらいが普通、全国平均5万円ぐらいです。東京だと10万円というところもありますけれども。それと食費を払い、光熱水費を払い、ということをするわけです。そうすると、御本人の手元にほぼ残らないような状態なのです。少し残ったものでお医者さんに掛かったり、散髪に行ったりというような感じですので、そこで後見人にお金が払えない。大事な制度だと分かっていても、払えないから使わないというのが一つあります。   それともう一つは、今までの、今は大分改善されてきたと聞いていますけれども、でも、やはり身上保護の部分で、御本人の状態を余りきちんと把握をしないでおられるという後見人の方もたくさんおられたということでございますので、そこがやはりみんなが、親が一番心配しているのは身上保護の問題なのです。本人が健康で安心してつつがなく暮らしていってほしいというのが親の心配事ですので、そこが一番大事で、それに必要な、本人の持っているお金を使っていただいたらいいという感覚なのです。普通の成年後見の制度は財産管理が先に来るのですけれども、親が思っているのは逆なのです。身上保護が第一、それに沿ったお金を使ってもらったらいい、本人の名義のお金は本人の命の尽きるまでにきれいに使ってもらっていいと親は思っているわけなのです。残していただく必要はないと思っています。   そういう観点でみんなは考えていますので、現状の成年後見制度は使いにくいというのがありますし、御本人で話を聴きますと、ある日突然知らない方が来て、こんにちは、今日から私があなたの代理でやりますと言われて、えっ、どうなるの、みたいな感じなのですよね。だからそこも、その方との相性とか、これからうまくやっていきましょうねという、その辺のところをうまくやっていただかないと、この人嫌いと思われてしまうと、もうなかなかうまくやっていけないというのがあります。そういうこともありますので、私たちの中では、少しお試し期間みたいなものがあるといいなと、そういう制度があるといいなという思いがありまして、お試し期間があって、この人とこんなふうにしてやっていくのだなというのが本人が分かると、スタートしていく上で滑り出しよく、意思疎通をしながら進めていくことができるのかなと思います。   ですから、必要なときに、後見人は是非とも法的な行為をするときには必要なのですけれども、それで日々、特にないというときには、地域の見守りだとか地域の福祉サービスの支援だとか、そういうところでやっていって、後見の費用を払わなくてもいいとか、代理権がうんぬんとかいう話ではなくて、地域の見守りや支援でやっていけたらいいなというのが私たちの、親も本人も感じているところであります。意思決定支援の上でそういう体験ができたら、本人がこの人だったら少し体験していいかなという、そういうことも必要だと思いますし、私が経験しているのでは、本人の意思決定支援ってとても難しいですよね、本人の思っていることと言っていることが違う場合があるわけなのです。   よく私も電話で相談を受けたりするのですけれども、お友達というか職場、企業就労されている方ですので、割としっかりされている方ですけれども、昼食、お弁当を一緒に食べようかと誘われて、いいですと断ってしまったと、でも本当は一緒に食べたかったと、どうしたらいいといって電話を掛けてくるというような。ですから、本人がそのときに答えていることが本当の本人の気持ちとは少し違うというのもあって、本当はどうしたいのということを聴いてほしかったのだろうと思うのですけれども、そういう難しさがあって、本人の意思決定支援、意思を聴いてもらって、自分の気持ちを整理して、そして選択をして、私はこうだということを発信するという、その行為が知的障害の場合は、ほぼ、私たちが悪いのです、親が悪いのですけれども、日々の生活でお母さんが勝手に決めてどんどん進めていると、そういうことも多々ありますので、本人が選んで、自分でこれだという経験をたくさん積んでいる人ほど、自分の意見はきちんと言えるのですけれども、そうでない人は、なかなか自分の思いを自分の言葉で伝えるということがしにくいというのがあるのです。しかも、親でも家族でもない第三者の方に伝えるというのは、とても本人にとってはハードルが高い状態ですので、是非意思決定支援につきましても、十分に寄り添ってあげていただきたいなという思いがあります。   そういう中で、言わば後見人が必要なときと、そして、少し地域での見守りや支援で行けるのではないかというときとの、どこでそれを切り分けるのか、変えるのかという、変わるところで空間ができると困るなというのもありますので、その辺のところも少し私たちの中では心配をしつつも、この民法を変えて、更に根本的に成年後見を利用者にとっていい制度になるように見直そうというときには、すごく期待をしていますので、是非皆さんのお知恵とお力で、私たち障害者団体は本当に素人ですので、法律のことは全然分からないままに話をしますけれども、少しお酌み取りを頂いて、是非いい制度に変えていただけたら有り難いと思っています。 ○山野目部会長 終わらない後見を終わりにしなくてよいかという論点は、この部会において、これから幾つかの部会資料で扱っていって、委員、幹事の皆様に難しい御議論をお願いしていくことになります。障害基礎年金6万円ないし8万円くらいのものを受け取っておられる人が、月々2万円出捐を強いられる、という具体的な数字をお出しいただいて、今お話があったことは、強く印象に残るものがあります。半面、久保委員のお言葉では空間という言葉でしたけれども、踏み込んで言えば隙間でありまして、軽々しく一旦始まった後見を終了させることにいたしますと、先ほど竹内委員が危惧しておっしゃられたように、ある主たる事務が終わった後、しかし本人の権利擁護がどのようになるであろうかということについての危惧が残されたままの状態になります。そういたしますと、ひとり成年後見制度に限った視野ではなくて、地域社会福祉を基盤とする総合的な権利擁護支援の大きな枠組みが調えられていき、それが本人を包み込む状況が整備されていく環境の中で、民事の法律制度としての成年後見制度の在り方を考えていかなければならないということになります。局面によっては、諮問126号がこの部会に託している民事法制の変革の範囲を越えるところまで視野を拡げて議論をしていかなければならない側面もございます。そのような意味で、簡単ではない課題に取り組んでいくことになりますけれども、今の久保委員のお話などを踏まえて、委員、幹事の皆様に是非、議論を深めていっていただきたいと望みます。   引き続き、部会資料1の第1の部分についての御発言を承ります。いかがでしょうか。 ○花俣委員 全く法律的な知見も専門職でもない立場からは、大変発言が難しいと思っているので、少しちゅうちょしてしまいます。先ほど松井審議官の冒頭の御挨拶にもありましたように、社会の有様が変化していく中で、それに伴って、この制度そのものにも様々な課題があって、見直しの必要があるという御判断の下に今日このような場が設けられていると理解しております。   思い起こせば2016年5月に成年後見制度利用促進に関する法律が施行されてより、翌年第一期基本計画、更にその後、第二期基本計画が策定されて、その中で成年後見制度の見直しに向けた検討を行う旨が規定されたということで、民法を所管する法務省主導で成年後見制度の在り方に関する研究会が設置され制度改正に向けた議論がなされ、ようやく今日に至るということに関しては、ある種感慨を持って本日この場に参画させていただいております。   第二期基本計画には、全ての住民が障害の有無にかかわらず尊厳ある本人らしい生活を継続できるよう、社会全体で支え合いながら、共に地域をつくっていく地域共生社会を目指す旨が基本的な考え方として示されています。そのため、地域共生社会の実現に向け権利擁護支援策の一層の充実などの成年後見制度利用促進の取組を更に進めていくという必要があるわけです。また、権利擁護支援という言葉の定義についても第二期基本計画に盛り込まれております。権利擁護支援とは、地域共生社会の実現を目指す包括的な支援体制における本人を中心とした支援活動の共通基盤であり、支援を必要とする人が地域社会に参加し、共に自律した生活を送るという目的を実現するための支援活動のことを指しますと。権利擁護支援を進めるに当たっては、成年後見制度は大変重要な手段として位置付けられていると認識しています。   私の在住地のさいたま市において、この制度に関する市民アンケートの調査の結果が8期に続けて9期でも出されていました。成年後見制度については、制度の内容まで知っていた方は4割弱にとどまり、制度の名称を知っている方は全体の3分の2程度、一方、制度の名称も名前も知らなかったという方が全体の3分の1となっていると、その中でも60代の制度認知度というのは約8割という結果が出ておりました。認知症が身近な問題となる年齢層には一定程度、この制度の認知が進められていると感じました。将来判断能力が不十分になったときに成年後見制度を利用したいと思うかという問いに対しては、利用したい、あるいはどちらかといえば利用したいが半数を超えています。52.1%、また、どちらかといえば利用したくない、全く利用したくないと答えた方が約4分の1ということになっていました。さらに、成年後見制度について不安に思うことを尋ねた質問では、制度を利用するための手続が複雑そうであるが37%を超えていまして、次いで、制度の内容や利用方法が分からないが34.4%、ほかにも、援助者に住居、医療、介護等に関する法律手続や財産管理を委ねることが不安、あるいは他人に財産状況や生活状況を知られることに抵抗がある、援助者との間で何がしかのトラブルが発生するおそれがある、制度を利用するために費用、経済的負担が掛かる、制度の利用を始めるタイミングが分からないなどの回答もございました。こうした結果から、成年後見自体の認知度は高まってきていますが、制度の内容まで知っている方は決して多くはないことが分かります。   この状況で、認知症になった人が、例えば銀行の窓口で再三トラブルを起こすなどすると、窓口の方に、御家族がご本人に後見人を付けてくださいというふうに言われて、預貯金が凍結されてしまうことも多くございます、現状では。お金の出し入れができなくなれば、窓口で言われたままに制度利用に至って、結果、こんなはずではなかったということになってしまいその様な、苦情を相談電話で掛けてこられる方も最近は増えてまいりました。   先ほど青木委員その他の委員の皆さんから使い勝手の悪さというところの御指摘もありました。たくさんそういうものがあって、制度は使い勝手が悪い、報酬が高い、後見人の質の問題というような否定的な情報が多くあるわけです。ただ、制度そのものが果たす役割の大切さ、あるいは制度により人としての暮らしが守られている側面も評価されるべきであると考えています。その上で、改善すべき点は改善し、必要な人が必要なときに適切に利用できる制度となることを期待しております。   これまで積み重ねてきた議論を踏まえて、制度改正を視野に入れ、地域共生社会の実現を目指す包括的な支援体制を構築することこそ、今こそ求められるのではないかとも考えております。認知症の人本人の権利擁護支援については、認知症の人の意思を尊重した支援体制の構築がもちろん求められるわけですが、自分のことを自分で決める、どのような病態の時期であっても、認知症の人の意思はきちんと表出されています。私のことを私抜きで決めないでと、障害を持っている人や認知症の人が繰り返し主張しています。誰もが自分らしく生きたいと願っています。一人の人として当然の訴えでもあります。そのことを理解し、その人らしい生き方を支える体制が整えられることに大きく期待しております。   本年1月1日に施行された共生社会の実現を推進するための認知症基本法においても、さきに述べた、「尊厳ある一人の人として」という文言が盛り込まれております。同様に、その基本理念には、認知症の人が、あるいは認知症の人に、そして認知症の人のといった文で始まる条文がたくさん書かれております。日本認知症本人ワーキンググループ、当事者本人の法人がございます。藤田和子代表は、この条文の『認知症の人に』というところを是非、『私』はと置き換えて読み進めてほしいと折に触れておっしゃっておられます。85歳以上の高齢者の2人に1人は認知症に罹患するというデータも示されています。是非委員の皆様も、御自身が高齢になって被後見人となった場合を想定し、どのような制度であればよいかという自分事としての視点をお持ちいただき、今後の議論を進めていただければ大変幸いでございます。   私からの要望ということで、発言は以上となります。ありがとうございました。 ○山野目部会長 花俣委員におかれては御意見を御用意いただき、御披瀝いただきました。ありがとうございます。   部会資料1の第1の部分について、もう少し委員、幹事の御意見を承ろうと考えますけれども、すぐにという方がおられなければ、今、櫻田委員にお声掛けをしたいと考えておりまして、この部会は当事者団体と申しますか、本人や本人の家族の団体の方面からお出ましいただいている委員として、お三方をお迎えしております。久保委員と花俣委員に御発言を頂いたところでありますから、何かがありますれば、櫻田委員にお声掛けをしてお話を伺いたいと考えますけれども、櫻田委員、いかがでいらっしゃいますか。 ○櫻田委員 ありがとうございます。是非意見を述べさせていただけたらと思っております。私の方からは、私自身が精神障害を持った当事者ということで、当事者として、この成年後見制度が期待する面とか、どうなってほしいかというところを主に意見として述べさせていただきたいと思います。   本当に私たち、将来的にと申しますか今現在、精神障害を持った方の中にも成年後見制度を利用されている方がたくさんいらっしゃいます。ですが、私の近しいところで聞くお声としましては、後見人さんとうまくいかないんだよねとか、この制度ってどういうことをしてくれるのですかというお声が非常に多いということが現実としてありますので、やはりまだまだこの制度のいいところが伝わっていないのかなと感じております。なので、制度自体がやはり難しいと申しますか、内容が非常に複雑なので、そのよさが伝わっていない、そして、どういうことをしてくれる制度なのかというのが伝わっていないというところがあります。それが伝わっていないというところで行くと、やはり制度利用にもなかなかつながっていかないと思っておりますので、まずはやはり私たち自身が使いやすい、そして理解ができるような制度になっていってほしいと思っております。そして、私たちがそういうふうに利用するときに、やはり自分自身が使う制度を理解していないのに使えるかというところで申しますと、なかなかその制度が使えないとか、使いにくいというところがありますので、やはりそこら辺は変わっていくといいのかなと思っていますので、この部会でその辺りもこれから審議されていくところなのかなと思っておりますが、そういうところを期待していきたいと思っております。   そして、久保委員も花俣委員もおっしゃっていましたけれども、本当に必要なときに必要な人が使える制度になっていっていただきたいと思っております。そして、私たち自身が将来的に安心して使える制度、自分たちを助けてくれる制度として、私たち自身が、制度利用をちゅうちょされている方に対して、こういう制度だから安心して使えますよということが伝えていけるような制度になっていくといいのかなと思っておりますので、これからの民法改正も含めて、そこら辺のことを期待しつつ、そして、私たち自身もそれに向けて、難しいことは本当に、法律関係とか分からない部分も多いのですが、自分たち自身のこういうふうな制度になってほしいというところを皆さんに発信していけるようにしていきたいと思っております。   少し短いですが、以上になります。 ○山野目部会長 御意見を下さりありがとうございます。必要なときに用いることができる制度という強調していただいた観点につきましては、部会資料1の後半で用意しておりますいささか具体的な論点との関係でも議論をしていくことができる側面がございます。櫻田委員におかれては、後半もまたお気付きのことがあったら、おっしゃっていただきますようにお願いいたします。ありがとうございます。   もう少し部会資料1の第1の部分について御意見を承りますけれども、いかがでしょうか。 ○佐久間委員 もう一度発言させていただきます。今いろいろな方々の御意見を伺いまして、民法の規定を改正するという観点から、できないということではなくて、難しいな、どうなるのかなと思ったことがございますので、それを申し上げたいと思います。   何人かの方がおっしゃいましたとおり、成年後見の制度は民法上は財産管理の制度と位置付けられております。法律の規定というのはある程度モデルを想定して設けるものだと思うのですが、平成11年の改正法がモデルとしていたのは、特にその利用をされる方、そしてそれをサポートされる方について、今御意見がたくさん出たのとは多分違っていたのだろうと思います。利用される方は財産のある方であり、だから、その財産が、端的に言うと他人から食い物にされないように、言葉は少し悪いですけれども、その人の判断が足りない愚かな行為によって財産が潰されないように、というようなことが主眼に置かれていたのだと思います。また、支援をする方も、これは数字ではっきり表れていると思いますが、平成11年の制度発足当初、明らかに親族が後見人になることが圧倒的に多かったと思います。しかし、そこに、親族全員が悪いというわけではもちろんありませんけれども、本人と近しい関係にあり、制度上は家庭裁判所の監督があるとはいえ、ふだんは自分で本人の財産を自由にできるという立場を利用して、親族が食い物にするということがあったがために、今では数字上はっきりと親族の後見人等は減っており、様々な専門職の方がほぼ後見人に付いておられるという状況だと思います。そのようなことでもよかったのは、繰り返しになりますが、財産管理の制度であり、お金持ちが基本的には利用する制度であったので、報酬が支払わなければいけないけれども、それでよかろうということになっていたのだと思います。   今申し上げたことは平成11年改正の当時のモデルであって、現在もそれをモデルにしていいかというと、恐らくそれはいけないというのが今日、縷々お話の出てきたところなのだと思います。では、かつてモデルとして想定されていたものがもう需要がなくなったとか、無視していいかというと、これもまた多分そうではない。そうすると、従来のモデルであったものと新たにモデルとすべきものについて、民法の規定ですから、包摂した形か、うまく分けた形で、規定を設けていかなければいけないのかなと思いました。それはきっとすごく難しいのだろうという感想、印象を持ったということでございます。単なる感想なのですけれども、今後いろいろ考えていきたいと思っております。 ○山野目部会長 ただいま佐久間委員から、感想というよりは一つの観点を提示してくださったと受け止めますけれども、今、御発言のあった点についても委員、幹事から御意見があったらおっしゃってください。ほかの点でも結構です。いかがでしょうか。 ○青木委員 今のお話に関連して私も考えるところがありまして、今、先生もおっしゃっていただいたように、現在、新規の申立て事案のうち、市長申立てと本人申立てだけで約5割を占める状況になっているということからは、明らかに現在の成年後見制度は親族を頼れない方々が福祉的要請に基づいて利用しているということになっており、これは2000年改正時の予想から大きく変容したと思っています。   そこでは、財産を管理するということだけでなく、それ以外の様々なニーズを含めて、身寄りのない人の支援も含めて、担ってきています。果たしてこの状況を、役割論として、成年後見がどこまで担うのかということについて、これは基本理念のところでもありますし、後半の開始要件における必要性をどう考えるかというのも関係してくると思いますが、やはり成年後見制度が社会におけるどういう役割、位置付けとするかということを、福祉法制の整備もにらみながら考えていく必要があるのではないかと思っております。   その点で、近時、寄り添い型の支援とか、あるいは身寄りのない方の支援ということについても、成年後見制度に期待をされているところがありますが、これはそうしたニーズに必ずしも社会の様々な制度が十分に対応できていない中で、成年後見制度に非常に期待をされすぎている面もあると思っていまして、その辺りを整理をしながら、成年後見制度が担うべき役割と他の諸制度との関係・連携ということに焦点を当てていくということがとても大事だと思っています。後半の部分でありますけれども、必要性の議論などの中で、やはり成年後見がするべきところ、それから意思決定支援を中心とした福祉政策が担う役割ということをにらみつつ、それをどう法制化に立て付けていくかということだと思っています。   私の意見としては、やはり開始要件における必要性をしっかり位置づける中で、先ほど先生がおっしゃったような2000年に想定されていたニーズも、最近の新しいニーズも、それぞれ一人一人ニーズと必要性を個別化することによって、柔軟に対応ができるようになっていくのではないかと思っていますが、その辺りも今後議論できたらなと思っております。   もう1点は、先ほど自己決定とノーマライゼーションのお話があったので、あえて再度こだわってお話をさせていただきますが、自己決定というのは、やはり、本人が自力で自己決定ができる場合にはそれを尊重する、という意識が非常に強いと思っています。一方今回、「自律の保障」にこだわっていますのは、やはり本人の意思決定、自己決定というのは、様々な支援の中で決められるようになることがある、あるいは、物事によって決められることと決められないことがそれぞれにあるという人間感をしっかり持つ必要があると思っています。   これはやはり権利条約が出発点として、障害の医学モデルから社会モデルへの転換という大きな障害観の転換がありますけれども、意思決定という行為についても、やはり医学モデルから社会モデルへということを踏まえた考え方が必要だと思っています。現行では診断書をベースにして、医学的観点から、その人の全般的な判断能力が不十分な者のレベルを認定していますが、本来それは人ごとにするものではなくて、物事によって、時期によって、支援の程度によって変わり得るものであるという、そういう人間感に基づいて判断をしていく必要があると思います。その観点からいうと、やはり自ら決めることができる人の自己決定という前提ではなくて、自律という考え方によって、人は支援によって自己決定できるようになることがあるのだという考え方に基づいて制度設計をするということが重要でして、そういう意味でも、自己決定の尊重だけでは十分ではなく、やはり自律を保障するという観点が大事だということを、これは制度の具体的な制度設計に大いに関わるものとして、意見を言いたいと思っています。   また、ノーマライゼーションといいますのは、障害のある人も障害のない人と同様の普通の市民社会に同じように適合していくという発想に立っています。しかし今、ノーマライゼーションから更に発展をして、インクルージョンの発想というのは、障害のある人と障害のない人というのは区別できるものではなくて、それぞれの多様性で、それぞれが支え合って生活をしていくべきではないかという観点だと思います。これは、意思決定についてもやはり同じようなことが考えられるのでありまして、ノーマライゼーションからインクルージョンへ発展した中で、新しい制度についても制度設計をするということが重要ではないか、具体的には、地域の中で支え合う、というノーマライゼーションにはなかった観点をインクルージョンにおいて導き出すという意味でいうと、今、成年後見制度利用促進基本計画で推進されている権利擁護の地域連携ネットワークを構築する中で、必ずしも裁判所や専門職だけではなくて、地域の皆さんと共に成年後見制度の利用を考えていくという基本的考え方にも合致をしていくものになると思っておりまして、そういう意味で、基本理念についてはこだわっていきたいと思っています。 ○山野目部会長 御意見を承りました。 ○根本幹事 今、佐久間委員からの御発言を受けて、実務のところで感じるところをお伝えできればと思っております。   佐久間委員が言われたように、従来のモデルが今回の改正で考慮しなくていいということではないとは思っています。ただ、現行法の中でも、例えば家庭裁判所の実務においてもだと思いますけれども、5年前、10年前までは家庭裁判所から専門職後見人に期待される役割というのは財産管理が中心であったという実務運用から、現在では、例えばチーム支援であるとか身上保護というものを重視するという家裁実務の運用の変化というのもあります。民法との関係で言えば、858条の条文の役割というのをどんどん拡大させて解釈してきたというのがこれまでの現行制度の歩みではないかと私自身は感じています。ただ、この858条の役割を拡大させていくというのもそろそろ限界に来ていて、今回の改正が必要になるというのがこの法制上との関係ではないかと捉えております。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございました。 ○星野委員 3月の専門家会議等でも出たのですが、成年後見制度だけではなく、少し広がる話になりますが、権利擁護支援の対象者というのは財産が多い少ないということは関係するのかと、やはり意見が出ていたかなと思っております。もちろん財産が多い方がそれなりの専門的な財産管理が必要になるのはそのとおりだと思うのですが、今議論になっている身上保護とか意思決定支援というのは、どのような状態にある方であっても必要となる場面がある、それは財産の多寡には関わらないと私は個人的には理解しています。ですので、今後この議論が分断した整理になるのか、包括的な整理になるのかは分かりません、専門的ではないので分からないのですが、ただ、私はそこは大きく異なるものではないということは発言しておきたいと思います。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。   遠隔で御参加の委員、幹事もどうぞ御遠慮なくお手を挙げください。いかがでしょうか。   改めて考えてみますと、財産を持っているがゆえに悩みが深い人、財産、所得が乏しいがゆえに悩みのある人、それから、それとは別な軸になりますけれども、精神の面でいろいろ精神上の理由から困った状況にある方と対比しながら、重度の身体の疾患を患っておられる方々、こういう幾つかの範ちゅうが相互に重なっている部分もありますし、切り分けられる部分もありますけれども、これまでの成年後見制度が立法上想定してきたものがどの部分で、現状にあって、それから将来に向かって成年後見制度に期待されていく部分がどういう像の方々であるかといったようなことを、ただいま委員、幹事からお出しいただいたような幾つかの観点を踏まえ、また部会資料で整理をしてお出しして、ここで議論をお願いするような機会も設けたいと考えます。そのような意味では今、有益な意見交換をしていただいたと受け止めます。   部会資料1の第1の部分について、ほかにいかがでしょうか。 ○常岡委員 今、様々な御意見が委員や幹事の方から出されまして、理念の面については非常に重要な御指摘があったと思います。それと同時に今回、民法上の成年後見制度の改正ということを考えたときに、現行法では第4編の親族編のところに未成年後見と併せて成年後見の規定が置かれていますけれども、民法の改正をするときには、ここの部分につき成年後見を切り離して、独立に考えていく必要が恐らくあるのではないかと思っております。   特に、ずっと御議論されていましたような財産管理と身上監護についてですけれども、先ほども指摘がありました民法の858条で、成年被後見人の意思の尊重と身上の配慮という条文が、実際の実務ではこれをベースにしながら身上監護の部分についてもかなり拡大して扱われている部分があるのかなという印象を受けましたが、現実にはこれは身上に関する生活とか療養看護及び財産管理に関する事務についての配慮に関する規定であって、いわゆる身上監護とはまた別のものとなると考えております。   同じ親族編の後見の事務のところに、未成年者については、これは親権者と同じように親権の効力としての包括的な身上監護権を未成年後見人に認めている条文が857条等にもあるわけで、そういったものと成年後見が今、同じ箇所の条文において混在しながらあるというところを、やはり明確にそこを切り離して考えていくことがまず、出発点かと思います。さらにその場合に、例えば、財産管理については総則編に移す、身上監護の部分については未成年後見の場合と同様に、身上に関するものとして親族編のところで規定を充実させていくという方向性もあるように思っています。   それともう一つは、先ほどの若年の知的な障害のある方についての将来の生活についてということですが、未成年の間は親権者である親御さんが身上監護とともに、財産管理も含めて対応されるわけですけれども、それを成年になったときにどのように移行させていくのかというところについての規定の整備が、場合によっては要るのではないか。いわゆる若年層からの移行、ユース・トランジションという言い方をされることがありますけれども、そういった若年者の障害を持った方が成年になったときに、どのようにその法的な監護や保護の状況、あるいは自己決定の状況を移行していくのかという点は、非常に考えておくべきことであって、そうであれば未成年後見と成年後見を全く切り離していいのかという問題が反対に出てきて、未成年後見の一部の規定を成年後見と連携していくような仕組みも一方では必要になると思います。その辺りが、民法の改正として成年後見の部分をどのように後見の中で位置付けるのか、それとも場合によっては行為能力又は意思能力を含めた総則の中に位置付けるのかという、その構造自体に恐らく関わってくるような気がしました。これは今後議論していかなくてはいけないと思いますし、私自身も考えていきたいと思いますけれども、そういうような感想を持ちました。 ○山野目部会長 常岡委員から頂いたヒントを踏まえて、委員、幹事の皆様に改めてお知らせをしておくといたしますと、未成年後見の内容、本質に関わる見直しは、この部会が担っている諮問126号の諮問事項ではございません。そこに立ち入って内容の見直しをするということになりますと、児童の保護の在り方に関する全く異なる深まりのある検討の用意がなければいけませんけれども、それをするのに適した場所ではありません。そのことを確認した上で、しかし今、常岡委員から御注意いただいた観点は、成年後見に関して身上保護と財産管理の関係を整理していくということになりますと、従来ややもすれば、必ずしも明確な識別なしに法制上取り扱われてきた未成年後見と成年後見の関係について、もっと明瞭な仕切りが考え方の整理の上でも、また法制上も要請されるという観点をおっしゃってくださいました。   大きなサイズの話になるとしますと、後見の規定を今までどおり第4編に置いておくのかということがありますし、そこまでの大手術にならないとしても、少なくとも、第4編の規定の中に後見人という漢字3文字でしか書かれていないところが何か所かございます。これは現行法の解釈理解としては、未成年後見人と成年後見人の両方に適用があるということで受け止められて運用されてきたところでありますけれども、今後の見通しを考えたときに、それはいささか無造作なのではないかと、改めて法制上の整理をしなければいけないということが、まだ本日議論が始まったばかりですので、先の話にはなりますけれども、出口のところでは、そういう法制上の整理の労力を要する仕事もあるということを委員、幹事にも共有いただいて、引き続き調査審議を進めていただきたいとお願いいたします。   部会資料1の第1の部分について、そのほかにいかがでしょうか。 ○上山委員 これを発言すると、お前がきちんと調べてから発言しろと怒られそうかなと思って、若干ちゅうちょしていたのですが、部会資料の障害者権利条約との整合性、あるいはその関係性について、障害者権利条約の勧告の具体的な射程について、もう少し丁寧な検討する必要がありはしないかと感じています。勧告を拝見しますと、意思決定を代行する制度を廃止しろと書かれているわけですが、この対象となっている意思決定を代行する制度というのが具体的にどこまでの射程を持つものなのかというのが、この文言だけから明確に見て取れるかというと、議論の余地があり得るのだろうというふうにも感じるところです。恐らく現行の成年後見類型は駄目だと言われるのだろうなと思うのですが、その反面において、現行の補助制度が、どこまでこの勧告で駄目出しをされているのかというのは、少し丁寧に議論をした方がよいかなと感じるところがあります。各国において、様々な法定後見に関する制度があるにもかかわらず、実際に今まで障害者権利委員会が出してきた勧告というのは、ほとんど抽象的な似たような表現が用いられているというところもありますので、委員会が否定している代行決定の具体的な射程というのを、改正しようとしている日本の現在の仕組みに引き直した上で、丁寧に検証をしないといけないのではないかと感じます。   それを前提に考えた場合に、恐らく障害者権利委員会の2回り目の総括所見を見ていかないと、権利委員会が求めている具体的な法制度像みたいなものが少し分かりづらいところがあると思うのです。というのは、コロナの関係で国際モニタリングがかなり渋滞して遅れているということもありますが、私が認識している限り、各国に対する第1回目の国際モニタリングの総括所見の中では、すべての国の法定後見制度が12条に反するという趣旨の勧告が出されていたかと思います。それを受けて、主要国であるイギリスであるとかドイツであるとかフランス等の諸国がそれぞれ法定後見に関する制度改正を行っていますので、今度はその勧告を受けて改正されたものが障害者権利委員会からどういう評価を2回目の総括所見で受けるのかというところを見ていくと、権利委員会が気にしているコアの部分というのがより明確に浮き上がるかなと感じます。この審議会の日程の関係で、どこまで具体的に2回り目の総括所見が出てくるかというところを私も把握していないのですけれども、その点を少し丁寧にウオッチをしていくと、こちらの議論にも一定の実りのある示唆が得られるのではないかと感じました。 ○山野目部会長 整理の観点から皆様に御案内を致します。2点申し上げるといたしますと、国連の障害者の権利の委員会から出されている勧告、所見は、原文がヨーロッパの言葉で示されておりまして、日本の法制度の言葉、法文で用いられている言葉そのものをそのまま素直に用いて示しているものではありません。一旦こちらがヨーロッパの言葉で言い表されたものを受け止め、外延が少しはっきりしないところをどういうふうに理解すべきかという作業がどうしても必要になってまいります。過般の間の対日審査の際にその場で日本政府が答えているものも、こう答えましたと日本国内では日本語で紹介されていますけれども、それも実はその現場では、担当官が英語でその場で応接しています。それをこういうふうな趣旨のことですと国内に紹介しているものでありまして、その辺のところは、言語だけではありませんけれども、言語の間に一つ、壁になっている部分があります。そういうところに注意をしながら、上山委員から御注意があったように、どういうことが意見として示され、求められているかということを、改めて我々なりに翻訳というか、理解を調えるということが大事であろうと考えます。これが1点です。   それからもう1点は、佐久間委員から冒頭に問題提起を頂いたところですけれども、国際連合から求められている事項の理解を調えていくということと共に、そこで理解した結果は必ずここでの部会の結論にしないと叱られるという関係になっているものではありません。上山委員のお話でいう駄目出しされる可能性というものは、駄目出しされると、本当に駄目だという事態であると理解することになるかどうかという点は、そこはまた、先ほど佐久間委員と波多野幹事との間で、今後、慎重に考えていきましょうという意見交換があったということを踏まえて処していくことになります。もとより、それを踏まえて今の上山委員のお話もあったと理解することができますから、これらの段を整理しながら、委員、幹事におかれては引き続き御議論にお付き合いを頂きたいと望みます。   ほかにいかがでしょうか。部会資料1の第1の部分に関係することというのは、全て第2から後の部分に関係するという側面もございますから、今この段階で是非ともというお話がなければ、休憩を挟んだ上で、第2から後の御議論をお願いする中で、第1の部分についての御意見もおっしゃっていただくという進行も考えられるところでありますけれども、委員、幹事の皆さんにおかれまして、特段の御異論はなくていらっしゃいますか。   よろしいですか。それでは、休憩にいたします。           (休     憩) ○山野目部会長 再開いたします。   引き続き部会資料1の第1の部分についての御意見をおっしゃっていただくことも妨げません。その上で、軸足を第2から後の部分に移し、今度はいささか細目にわたる事項が登場してまいりますけれども、そこについての御議論をお願いいたします。細目とは申しましても、本日は初めての段階での御議論ですから、論点の何番についての議論をお願いしますと細かく切ったりは致しませんで、第2から第4の部分についての御議論をお願いしますという形で御相談を差し上げることにいたします。先ほど休憩を取る前までの審議と同様に、委員、幹事の皆様から御随意の御意見を承りたいと考えます。どなたからでもおっしゃっていただくようにお願いいたします。いかがでしょうか。 ○沖野委員 ありがとうございます。問題点、理念、それから個別の問題にも関わるかもしれませんけれども、本日は初回でフリートーキングということで、自由な感想を申し上げたいと思います。   現行法の問題点につきましては、やはりそれが硬直的にすぎるということが問題ではないかと考えております。一つは入口のところで、判断能力の程度に応じた類型化による一対一対応になっているということです。それが必要な部分を超えた形になっているわけですけれども、そのために必要なところには大掛かりすぎて使えないとか、もうあえて諦めるというようなことで、必要な支援が届いていないということにもなっていると思います。   もう一つは、一旦入った後です。これは判断能力の状態というのはかなりの長期にわたって続くということが想定され、長期性のある場合が一般的だと思われますけれども、継続性があるものについては、契約でもその間の変化にどう対応するかというのが必ず問題となってくるところ、この能力制度について、あるいは成年後見制度については、それが必ずしも組み込まれていない。これは今まで御指摘のあった点だと思います。変化の中には、必要とした事情、動機と書かれていますけれども、そういう事項が変化しているということもありますし、本人御自身の状況が変化しているということもありますし、あるいは保護者とされた方や周りとの関係性が変化しているということがあって、それぞれに応じた見直しのための受皿という継続性を考慮した変更の可能性について十分な配慮がされていない。そういった、全体として硬直的で大掛かりであるということが利用をためらわせ、本来の制度趣旨を発揮できていないという部分があるのではないかと考えておりますので、既に書かれていることですし、個別にも問題提起がされていることですけれども、そこに非常に問題があると私自身は考えております。   その一方で、取消権の付与や、あるいは同意権ということについては、取消権というのは一方では、完全に有効な法律行為を単独でそのときにできないということから、行為能力の制限というような形になっているわけですけれども、他方で一度見直しのための機会を与えるものであるというものでもありますし、同意権というのは第三者の判断によって補完すると、そういう機能を持っておりますので、それがやはり必要な部分というのはあるのだろうと思います。そういった観点からの必要性ということも考えていくべきだと思われますし、そう考えていきますと、取消権自体については、そのような再考のチャンスなり機会が付与されるということと、その機会を使うかどうか、すなわち、取消権の付与の問題と取消権の行使の問題があり、そこにそれぞれ本人の意向というものがどう関わっていくかとか、それをどう組み入れ、あるいは十分に酌んでいけるかということを考えていかなければいけないのではないか、だから、取消権についても付与と行使といったことを分けて考えていく必要があるのではないかと思っております。   一方で、判断能力の類型に応じたある程度定型的な取消権付与というのを仮にやめてしまうとしますと、それはしかし、先ほど理念としての自律と自己決定の区別というのをご指摘いただきましたけれども、例えば契約や取引ということを考えますと、それに拘束される、自己責任といわれますけれども、それを生む自己決定の土壌というのが必要で、その土壌や基礎となるものとしては、やはり判断能力というのは非常に重要なものですから、判断能力が十分ではなかったというときには見直しの機会を与える必要があるだろう。それが、しかし判断能力を事前に一律に定型化してそのような機会を与えるのか、それとも個々の事情を酌んでそうするのかですが、ただ、個々の事情を酌んで引き返す機会を与えるということになりますと、その後の証明の問題ですとか、そういった問題があって実現が難しくなるという問題がありますし、一方で、やはり意思能力との関係というのを考えていく必要というのがあると思います。   また、意思能力のことを考えますと、現在では先ほどの預金取引などで、認知症の方に対してはもう後見を付けてくださいと言われるのは、意思能力で無効になってしまうという、その懸念があるからであり、現実にそうでないかもしれないけれども分からない中で、そのリスクは引き受けられないということだと思いますので、意思能力の問題は両面に働く可能性があります。ここはもう意思能力を気にせずしっかりと行為ができるようなものにする必要も一方であり、現在の制度はそれを担っている面もありますので、そういう面も考えていく必要がある。一方では個々の状況に応じて完全に効力を否定するという、あるいはそれを無効と主張できる地位を与えるという面があるかと思いますが、そうしますと、この制度を考えていくときには、やはり意思能力の制度は関連する制度としてどう捉えていくのかということを考える必要があるのではないかと思っております。これは佐久間委員の御指摘の点だと思われます。   それから、こういった判断能力が十分ではないのではないかと、それから、いろいろな状況があいまって自己決定、自己責任の土台が十分ではないという人が、もう一度考え直す機会を与えられるという意味での取消権付与は、現在は消費者法で担われているところですし、民法の中では民法90条などがいわれていますけれども、そういったものにあとは委ねるということでよろしいのかという問題もあるかと思います。   私は消費者法も若干研究をしておりまして、消費者法の方では逆に、2000年頃にいわれていました、いわゆる強い消費者、一定の情報などを与えられれば、交渉力の格差について配慮がされれば、自己決定、自己責任を引き受けられる、そういう消費者ばかりではないというか、むしろ一般的に消費者の脆弱性というか判断の限定性ということに着目がされています。さらには、相手方についても幾つかの類型がいわれております。相手方と話して、それでいい結果をもたらすというような、相手方がそういう相手方であればいいですけれども、様々な相手方があり、いわゆる付け込み型ですとか悪質な消費者被害とか、そういうものが特に日本では問題になっていると、そういう状況の中で、これは消費者法の問題であるとか、あるいは90条の問題であるということで、そこに一種、丸投げしてしまっていいのかという問題もあり、現在の制度が担っているところを、これを外したとき、あるいはそれを見直したときに、想定している保護の与え方ということについても考えておかないと、結局、制度趣旨が達成できないということになりかねないということを懸念しております。必要な保護をこの成年後見制度の中だけで与えるということではないということは、重々指摘されてまいりました。社会福祉の問題もあるということですけれども、民事法制の中においてもいろいろ見直す点があるのではないかと考えております。   なお、消費者法について申しますと、私の理解するところでは、消費者法もそんな完備はしていなくて、いかにこういう問題に対処できるかというのをいろいろ検討はしているけれども、なかなか難しい問題があるとなると、それは後で、あるいは別途整備されればいいでしょうということでいいのか。あるいは消費者法というのが本当に特殊な領域なのか、むしろ民法一般の問題ではないのかという問題はずっと存在しておりますので、成年後見制度の見直しといったときに、どこまでのことを民事法制としても考えていくべきなのかということは、考えておく必要があるのではないかと思っております。   それから、もう一つ最後になのですけれども、問題の中には一種、あなたは一人で判断ができない人であると、だから行為能力が制限されているのだという、やや烙印的な問題があるのではないかということも感じております。平成11年の成年後見制度の見直しでは、それ以前の様々な、社会的にマイナスを呼ぶような用語自体、禁治産とかですが、そういう用語や名称を改めたということがありますし、それを期に、以前は行為無能力者としてカテゴライズされていたものを、制限されているにすぎないのだということで、制限行為能力者という表現に改めたということがありますが、現在から見たときに、行為能力が制限された人なのですという制限行為能力者という表現自体も、このままでいいのかという問題関心を持っております。今日の段階では、そういった感想を持っているということでございます。以上でございます。 ○山野目部会長 NHKの朝のドラマで、妻って昔は無能力だったのですねという話がでてきて、驚いた視聴者の皆さんが多いとききますが、法律家から見るとよく知られた出来事でありまして、むしろ、一般の人は驚きを感ずるということを改めてこちら側が感じ入り、驚いているような側面もあります。今、沖野委員から多岐にわたる、多くは内容実質の観点から重要な御指摘を頂いたとともに、最後に言葉遣いのこともおっしゃっていただきまして、国民各層から見て、決して法律家の独りよがりではない、また、差別的な要素を払拭した現代にふさわしい法律概念のラベルを整えていくということも課題であると考えます。そうはいっても様々な法制上の制約があって、簡単ではないかもしれませんけれども、可能な限りこの部会の仕事として追求することができれば、更にすばらしいであろうと感じます。   引き続き、第2から後の部分について御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 3点ございます。一つは議論の仕方なのですが、何かこれを言うと報告書に対して文句を言うようなので、そういうことは思っていないということをまず申し上げておきたいのですが、本日の部会資料でいうと、法定後見制度の開始に関して想定される検討事項の(2)で、必要性及び補充性の内容並びに開始要件における位置付けに関することです。私は、結論から申しますと、必要性、補充性という言葉は使わない方がいいのではないかと思っています。というのは、特に必要性なのですが、必要ということの中身がはっきりしないといいますか、例えば、判断能力が不十分な人については保護が必要である、しかし他の制度をもって対応することができるのであればその必要はないというふうな言い方が可能です。ところが、報告書は、そのような言い方でない、きちんとそういう紛れを避けて言葉を使っているというふうには読めなかったように思います。   法定後見制度が存置されるといたしまして、どのような場合に開始をすべきかということを要件レベルでやはり論じていくべきであって、例えばですけれども、判断能力が不十分であるということが一つ要件となる、もう一つ、例えば任意後見制度が機能している場合には法定後見を開始しないなど、現在もそのような枠組みはとられていることでありますので、現在の枠組みで不十分なところについて、具体的な要件をきちんと考えていくということを、かなり早い段階から意識した方がいいのではないか、そのためには必要性と補充性の関係を余り議論することは生産的ではないのではないかと思っているということでございます。これが1点目です。   2点目は、沖野委員もおっしゃった取消しに関連することで、その中に二つあります。一つは、例えば支援をする人の同意を得て行為をしなさいという場合が残ったといたしますと、その同意を得ずにした行為については、やはり効力の否定という道を残しておく必要があり、それは取消しという手段であろうと思うのです。このことをなぜ申し上げたかというと、そもそも法定後見制度における取消権について現状でいいか、その可否について見直しましょうというのを、それとして取り上げるということは、恐らく難しいというか、やはりこれも生産的ではないように思います。一体、保護の在り方、あるいは支援の在り方としてどのようなものがあるのか、どのようなものとすべきなのかということとの関連で、取消権というものがどこまで認められるかということを考えなければいけないのではないかというのが、取消しに関する一つめです。   もう一つは、これも誤解されるとすごく困るのですけれども、取消しというのは本人の保護だけではなくて、周りの者の保護の手段でもあると今まで考えられてきた面もあるのではないかということです。非常に古い話ですけれども、昔は準禁治産制度というものがあり、その中に浪費者の制度があり、その浪費者については保佐人が選任されて、取消し可能ということになっていたけれども、実は保佐人には取消権はないというのが平成11年の改正前の制度だったのですね。平成11年の改正で、浪費者制度はなくなったのですけれども、その改正の前に保佐人に選ばれるのは浪費者の配偶者や、あるいは浪費者の財産で生活を営んでいる人である場合が多い、あるいはそれが無視できない程度にはあるということから、そうすると本人の財産を守ることを通して、本人の財産によって生活を成り立たせている人たちの生活というか人生というか、それを守るという側面もあるということも意識されて、浪費者制度はなくなりましたけれども、判断能力の不十分ゆえに、保佐の場合ですけれども、その財産を不当に失うような行為をした人については、同意権を有する者が取消しをすることができるということになったと理解しています。それが主眼でないということは繰り返し申しておきますけれども、本人の保護、本人の財産の保護という視点のほかに、その周りにいる人の保護ということもあったはずだということです。   今回の見直しに当たって、今申し上げたようなことを表に出して、だから現在の制度を維持しましょうなんていうことにならないのは分かっておりますけれども、そのような観点を全く考慮しないことにしていいのかということも、取消しの制度の見直しに当たっては十分考慮しなければいけないのではないかと思っているということでございます。   3点目は、その他に当たるところで、ほかに考えられる事項、検討を要する事項はないかということについてです。ここまでは専ら本人が意思表示をするという場面が念頭に置かれていたわけですけれども、意思無能力者に関するもの、あるいは現在の成年被後見人に関し、かつ、意思表示に関連することとして、意思表示の受領についても、民法98条の2には、法定代理人等が知るに至るまでは効力を生じないという規定があるわけです。取引を考えますと、意思表示をすることと意思表示を受けることは、契約ですと不可欠でありますし、契約でなくても、単独行為や、あるいは履行の請求を受けるという場面でも、いつどの人についてその意思表示の効力を受けた場合に生じさせてよいのかというのは、極めて重要な問題だと思うのです。   そうであるところ、意思能力制度についてこのままでいいのかということを考えなければいけないということを先ほど沖野委員もおっしゃいましたけれども、そのようにするのであれば、98条の2の意思無能力者に対してしたうんぬんというのは、やはり見直しの対象になる可能性が出てくると思いますし、成年後見制度の有様が変わって、後見・保佐・補助のうち後見の制度がもはや独立の類型としてなくなるといたしますと、成年被後見人に対する意思表示について効力を生じさせないということにしていた規定も当然見直さなければいけません。   その場合には、およそ意思表示の受領については、成年後見についてですけれども、意思無能力の場合を除いて効力を生じさせるということでいいのか、そうでないとしたら何を基準に、現在の後見制度の対象となっている人が新たな制度の対象として残ってくる場合に、どの人をどの要件で意思表示の受領能力が制限されるという人にするのかということを、これも早い段階から意識して考えていく必要があると思っています。   少し細かいことですけれども、以上3点、意見として申し上げます。 ○山野目部会長 佐久間委員から今お出しいただいた種々の御意見については、これから委員、幹事の皆さんに御議論をお願いしたくて、もし何か受け止めをお持ちの方におかれてはおっしゃっていただきたいと望みますとともに、私において、議事の整理の観点から、3点にわたって貴重なことを御指摘いただきましたから、一言申し上げておきます。   最初に、必要性と補充性のことについて佐久間委員からおっしゃっていただきました。本日の参考資料として提示申し上げている研究会報告書において、必要性、補充性という二つの漢字3文字の概念を立てて議論が展開された様子を取りまとめて描いております。佐久間委員から御注意があって、この言葉を軸に据えた議論をしていくことでよいかという疑問というか、それはしない方がいいだろうという御助言を頂きました。申し上げておくとしますと、必要性、補充性という言葉を使おうではないかとか、これを使う前提でいろいろ周辺のことを考えていこうという御議論をお願いするつもりはありません。研究会の検討の段階においては、従来の事理弁識能力の程度ということに専ら依存して後見等の開始が決まる、いわゆる医学モデルに対するアンチ・テーゼとして、必要性、補充性といったような概念が提示されました。弁護士会のみではありませんけれども、弁護士会の先生方を中心に、必要性、補充性の原則を考えなければいけないではないかという御意見をおっしゃっていただいたところが、ごもっともな部分があるということを受け止めて、従来の考え方を見直す可能性が大いにあるという観点から、この意見を研究会報告書において比重を与えて取り入れているところでございますけれども、これらの言葉は、言わば医学モデルに対するアンチ・テーゼとしての役割を果たしたところで、その役割をほぼ実質終えているものでありまして、これをこのままもっと深めていこうという議論をしようとしても、例えば一つ二つ申し上げますと、必要なときには必要な制度を使いましょうというような法文を、まさかこの部会の成果物としてそんなものができるとは思いませんけれども、仮に作ったとしても、それを政府が法律案にして仕上げて提出するときの法制審査で、そんな同義反復といいますかトートロジーみたいな法文はあり得ないと指摘されて、斥けられることは明らかでありますから、必要性と従来いわれてきたものを、きちんと中味を実体要件として書き下すような描き方は、どのような形でその法文をよりよいものとして仕上げることができるか、また、それが手続上ワークするように手順を考えるにはどうしたらよいかという方向での議論をお願いしていかなければなりません。   それから、必要性と補充性というのを並べてお出ししていますけれども、これも両方が必要かといったような議論もされた経過がございます。よく考えますと、必要性を一所懸命考えて認定すれば、おのずと補充性についての結論も明らかであり、この二つを並べて要件にすることは、要件事実論的にいえばaとaプラスbの関係になっていて、過剰な主張を要求するような論理的関係になっているようにも見えます。ですから、御注意のとおりでありまして、別にこのことを今後中心に深掘りして議論をしていくということにしようということを部会資料1が提案しているものではありません。   それから2点目でおっしゃっていただいた、取消権の作用としていろいろなことがあるということに関連して、見なければいけない民法上の制度、規定もあるではないかという御指摘も、もとよりそのとおりでありまして、従来の研究の段階におきましては、取引の相手方になる立場の方に、その観点から御意見を集約しておっしゃっていただくような場面がありませんでした。例えば、銀行取引の観点から見て、本人はこう悩んでいるけれども、では金融機関の側はどうであるか、といったような観点が必ずしも反映される場がなくて検討されてきた側面がございますけれども、もちろんこれから成果物を仕上げていくに当たっては、その観点を欠かしては議論が進まないものであります。今、一つ例を挙げますと、民法の20条の、取消権を有する者の取引の相手方の催告権という規定がありますけれども、あの規定が今後、制度の見直しの帰趨が定まっていくに当たって、どういうふうに見直したらよいかという点は悩まなければなりません。あそこを放っておきましょうというわけにはまいりませんから、それを考えてまいることになります。   3点目として、いろいろな民法やその他の法令の規定との関係で注意しなければいけないものがあるでしょうという御注意を頂いて、98条の2を例としてお出しいただきました。もちろんそのとおりでございます。実は、どのような規模ないし内容の改正になるかということにもちろん依存するものでありまして、議論が始まった段階でそれを見通すことは不可能でございますけれども、話の進み具合によっては、極めて多くの民法の規定や、更にその他の基本法制の規定に、法制上の表現でいうと跳ねるという言い方をしますけれども、いわゆる跳ねる結果をきちんと検討しなければいけないという問題があります。佐久間委員がおっしゃったような98条の2があり、それからまた、私が先ほど申し上げた20条があり、それから時効障害に関する158条の規定があり、さらに、民法だけでもほかに幾つかあることに加えて、会社法や民事訴訟法の規定まで含めて精査を致しますと、かなり数の多い規定について、煩瑣を厭わない丁寧な検討が要請されます。しかも、関係法律整備とかというレベルでは済まないような、少し内容的な検討も避けられないだろうと思われる側面がありまして、先々の作業は考えると重いものがあります。佐久間委員など民法の先生の皆さんに引き続きお知恵を貸していただきたいとお願いするほかないことでありまして、重々ごもっともな三つの御注意を頂きましたから、それらを踏まえて今後の調査審議が進められていくべきであると考えます。   今の御意見についてでも結構ですし、ほかの観点でも結構ですが、委員、幹事の皆様から御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○加毛幹事 発言の機会を頂戴し、ありがとうございます。直前の沖野委員、佐久間委員、山野目部会長の御発言に関わることを申し上げたいと思います。   まず、沖野委員が問題の本質の一つとして御指摘された法定後見制度の硬直性につきまして、成年後見3類型のうちの補助については、補助人に対する同意権の付与及び代理権の付与について個別的に判断することになっています。制度の硬直性への対処という観点からは、既に存在する補助類型が前提とする発想をどのようにいかしていくのかということが、重要な視点になるのではないかと思います。以上が一つ目に申し上げたい事柄です。   二つ目の点ですが、山野目部会長がおっしゃったのと同様、私も、佐久間委員の御発言をうかがって、取引相手方の催告について考えなければいけないと考えておりました。その際、重要なのは、成年後見に関する基本的な理解であるように思います。平成11年の民法改正の立案担当者などが前提としていた考え方は、成年被後見人は、たとえ後見人の同意を得たとしても、民法9条ただし書の場合を除いて、単独では有効に法律行為をすることができないというものでした。このような考え方が、民法の様々な規定の基礎にあるものと思います。そうだとすると、今回、成年後見制度を見直すに際して、本人(成年被後見人)の意思の確認の重要性や自律的な意思決定の重要性を強調する議論は、現行民法が成年被後見人について前提とする理解と真っ向から対立するように思われます。成年被後見人は、一定の例外を除いて、後見人の同意を得ても単独で有効な法律行為をすることができないという現行民法の基本的発想を改めるのか否かということが、民法の様々な規定の改正の要否にかかわってくるのだろうと思います。佐久間委員がご指摘になった民法98条の2の意思表示の受領能力や、山野目部会長がご指摘になった民法20条の取引相手方の催告権などがその具体例です。取引相手方の催告権についていえば、民法20条4項において、成年被後見人が催告の相手方として規定されていないのは、意思表示の受領能力のない成年被後見人は、催告の相手方としてふさわしくないという考え方に基づくものと思います。そのほか、例えば、追認に関する民法124条2項2号も成年被後見人が追認をできないことを前提としていますので、同じく検討の必要が生じることになります。佐久間委員・山野目部会長のお話を伺って、成年後見制度の改正が様々な規定に跳ねるというときに、前提となる成年被後見人に対する理解のあり方がやはり重要なのではないかと思っておりました。以上です。ありがとうございました。 ○山野目部会長 いずれも今後の論議において注意しなければならない大切な観点をおっしゃっていただきました。加毛幹事、どうもありがとうございます。   引き続き御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○根本幹事 関係条文というところで実務上非常に影響が大きいと思っていますのは、一つは委任の規定の653条3号のところです。ここは令和元年の会社法改正のところにおいても、今後の民法改正に委ねるという議論が会社法の法制審議会部会でもされていたように記憶をしておりますので、特に認知症の高齢者の方で企業経営者の方も当然おられますので、配慮しなければいけないというところです。あと、実務上非常に問題の波及が大きいと思っていますのは973条です。後見類型の場合の遺言の規定というところですが、現状においても、後見開始の審判がされているということを知っている上でも、一部の親族がこの規定を使って遺言を作成するということがあり、その結果、遺言無効訴訟に至るというケースは実務上散見されるところではありますので、今後、検討が必要かとは思っております。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○上山委員 今までの御指摘の繰り返しになる部分が多いかもしれませんけれども、佐久間委員から御指摘のありました意思表示の受領代理の問題というのは、制度設計の上で実はとても重要な観点だと思っています。時効の完成猶予などとも同質の構造があるのですけれども、仮に現行法でいう意思能力を欠く状況にある人について、代理権の範囲を限定的にしか設定しないような後見のシステムに変更していった場合に、かつ、現在の仕組みというのは、言ってみれば本人側からしか申立てができないという状況の中で、例えば取引の相手方から後見の発動というのを積極的にできるかというと、できないという状況があるわけです。そうすると、取引の相手方と本人側の利害というのが常に一致するわけではありませんので、本人側がその受領代理について代理権を積極的に申し立てない、使わないという判断をしたときに、相手方は非常に宙ぶらりんな状況に置かれるわけです。こうしたことは時効の場面でも同様の問題が起こると思います。そうした場合の受皿というのを考えていかないと、恐らく、単純に代理権の範囲を制約して本人側の利益になる部分だけ使えばよろしいという整理だけでは、うまく回らない部分もあるのだろうというふうに思っています。 ○山野目部会長 ありがとうございます。引き続き御意見を承ります。   幾つか話題にしていただいた、民法やその他の法律の幾つかの規定への影響という問題につきましては、二つの異なる性質の作業を進めていかなければならなくて、一方においては、いろいろな規定への影響を考えなければいけないですよねという、それらの規定を忘れないようにしましょうというふうに漏れなくリスト・アップしていくということを、もちろんしなければいけなくて、佐久間委員がおっしゃって上山委員が深めてくださった98条の2もそうですし、根本幹事が更に追加してリストに入れていただいた規定なども、本日の議事録を踏まえて今後留意していくことになります。   これが一方の仕事としてありますけれども、もう一方に、先ほど加毛幹事がおっしゃってくださったように、そもそもそのリスト・アップされた規定の見直しを考えていくときの基本思想ですね、現行の制度の下における後見の開始になった成年被後見人は、主体的なアクションを期待することができない人であるという基本的想定で現在の制度は組み立てられておりますけれども、そこについてどのような新しい思想を用意して見方を改めていくか、あるいは変えていかないかといったようなことについての基本的な考え方、思想、哲学を整えるという作業が要請されております。リスト・アップは今後、ある意味で事務当局が漏れないようにしていきましょうという話で考えていくことのできる側面もありますけれども、その本質に関わるところというのは、正にここで委員、幹事に議論を深めていただかなければいけないことであります。   今日、部会資料1について用意しているものは、まだそれほど潤沢ではありませんけれども、今後もちろん深めていきますし、今日の段階でこの観点について、自分は今のところこういう見方を抱いているという御意見があれば、それは本日段階において積極的に述べていただきたいと望みます。   それらの点も含めて、引き続き委員、幹事の御意見、御発言をお待ちします。いかがでしょうか。 ○星野委員 ごめんなさい、ここで発言するのはちゅうちょするのですが、現状の実務上で今、私も成年後見等を担っている中で、現在後見類型と判断されている対象者の状態を考えたときに、平成11年の民法改正のときに想定されていた類型の考え方にどこまで合致しているか、少し表現が難しいのですが、要は後見類型であっても、私が関わっている方では、自分で日常的な金銭管理ができる方もいらっしゃるわけなのです。というのは、今、医学モデルなので、医師の診断書を主に参考資料として家庭裁判所は類型を判断していると思われますが、現実に接している中では、本当に後見類型なのかなと思わされる方も少なくない。最高裁判所の概況調査の中では、後見類型は徐々に減ってきていますが、それでもまだ8割は超えているという。なぜ今ここを言っているかというと、現状の使われ方というところを、本人の状態像というところを抜きにして、今、後見類型で判断されている方がこれぐらいいる、この方たちについてどう捉えるかという議論なのですけれども、でも、現実に後見類型と判断されている方が、本当に民法が改正されたときに想定されていた後見相当の方なのかというのは、ここで少し発言させていただきたかったのです。   後見類型と判断されている方々の中に相当、保佐でもいいのではないかとか、もっと言えば補助とか、あるいは成年後見制度が本当に該当するのかと思われるような状態像の方もいらっしゃいます。特に精神疾患がある方は重く判断されているというのが実情としてあると思うのです。何度も申し上げるように、見直しがなされていないという中で、後見類型がずっと続いている状態の方がいらっしゃるのです。このことについては、最高裁判所や家庭裁判所がどのようにお考えになるか分からないですが、今二十何万人の方が成年後見制度を使っていますけれども、本当にその予定されているとか、今考えられている民法上の類型に合致しているのかというところも少し、一つ課題として申し上げたいと思います。 ○山野目部会長 星野委員に御案内いたしますけれども、決して今おかしなタイミングでおかしなことをおっしゃったものではありません。つまり、この部会の仕事は、先ほど来から民法の先生方がおっしゃっている、従来の民法の制度の下における考え方の核というものはこういうものですという、そこは確認しなければいけないから、おっしゃっていただいているものでありまして、それと、現代日本社会における、そこに現実に暮らしている高齢者、障害者の方たちの現実、リアルと、これらを睨み合わせて最終的には法制度に昇華することができるような法律理論上の整理をしていかなければいけないですけれども、その二つの間に現在のところ乖離がありまして、今の星野委員の御発言がその一つのきっかけを提供してくださって、その乖離を明瞭に確認していただいたものです。   その乖離をどういうふうに埋め合わせていくかということは、今日そこに宿題がありますねということが明らかになったというところで、十分とはいいませんけれども、そのことから始めないといけなくて、答えはどうですかということについては、そういうものが1回か2回の会議で簡単に得られるような話ではありません。少なくともはっきりしているのは、従来の理論の見立てが、何と言えばいいですかね、そう、森鴎外の小説『舞姫』の最後に登場してきた人物が精神疾患に陥ってしまって、癲狂院に入れられましたというくだりで終末を迎えます。狂ってしまったから、あるところに収容されて終わりですねという顛末になっていますけれども、ああいう見方が無造作にされてきた側面がありますよね。もう精神疾患になったから、その人は自分ではほとんど何も考えることができない人ですという見方で来た部分を、もう少しきめ細やかに見ていかなければいけなくて、きめ細やかに実態を見ていったところを踏まえ、それを法律論としてどう受け止めますかということをまた考えていくという仕事が続いていくものであろうと思います。星野委員におかれては、大事な指摘をしてくださってありがとうございます。   引き続き承ります。 ○久保野委員 ありがとうございます。委員の久保野です。既に出た御意見について、私としまして重要だと思う点について感想を申し述べるような形になりますけれども、2点申し上げさせていただきます。   1点は、硬直的だということが大きな問題であるという中で、柔軟にあるいは変化を持たせて制度設計をするという観点から見たときに、現行の類型のうち補助というものをどう捉えるのかということについて、丁寧に見ていく必要があると思います。補助への着目について御指摘がありました加毛幹事の御意見に賛成いたします。現行の制度のうちどこにどう問題があるのかということを具体的に見ていくときにポイントになる点だと思います。   他方で、本日も何度も出てきておりますとおり、終身続く包括的な保護が行きすぎであり、修正が必要だとしましても、それによって隙間が生じたり、法制度として看過することができないほどの本人への不利益というものが生じないようにという点は、やはり何度強調してもよい面なのだと思います。本日の資料にも、5ページのところの報告書の引用で、本人保護のラストリゾートという言葉が出ておりますけれども、この点も、本当に、繰り返しということにすぎませんけれども、大事だと思っております。その点との関係で、消費者法に任せてよいのかという点につきましては、在り方の検討委員会の段階でも議論があったところと思いますけれども、先ほどの沖野委員の御指摘を伺うにつけ、やはりここは慎重に見極めなくてはいけないところだという認識を改めて持ちましたので、言及させていただきます。   もう1点は、先ほど佐久間委員から本人の周りの人への影響という御指摘がございまして、この点については大変難しい価値判断を含んでいると受け止めておりまして、私自身は平成11年改正について、恐らく佐久間委員とは少し違った見方をしておりますけれども、それはともかくとしまして、少し余計なことかもしれませんが、昨今の寄附の問題ですとか、ギャンブルへの関わりといった、社会的に問題となっている事例での議論状況などを見ましても、ある個人の財産の使い方によって生じるリスクや負担が周りにどう影響するかということについては、事実として、様々な考えや社会観念があると思いますので、本人の財産や権利義務の在り方が周りの人にどう影響するかということ、もう少し伝統的な言い方に即して言いますと親族とか家族との関係ということになるのかもしれませんけれども、そのような面については、今後の方向性としてどのように考えていくのがよいのかということを見極めながら、議論しなくてはならないということを思った次第です。   この点に関しましては、反面と申しますか、リスク、負担の周りへの影響とは違う方向、つまり本人の周りの人が本人の保護のために事実上役立っているという側面における家族の在り方ということについて、これも途中で御指摘があったと思いますけれども、そのような周囲の人との関わりについて法制度上どのように位置付けていくかということ、これも難しい問題ですが、やはり念頭に置きながら議論をする必要があるのだと思っております。   すみません、少し長い発言になりましたが、以上でございます。 ○山野目部会長 久保野委員、いずれも大事な観点の御披瀝を頂きまして、ありがとうございました。   引き続き承ります。いかがでしょうか。 ○山城幹事 自由に議論をしてよい場であると認識致しまして、大まかな話で、既に御指摘があった点でもありますけれども、感じたところを少し申し述べます。と申しますのは、今般の改正の課題には幾つかの層があるのではないかと感じております。   まず、法定後見について申しますと、差し当たり二つの層があると感じます。一つは、民事法の内部での位置付けという層、具体的に申しますと、平成11年の改正との連続性という問題です。先ほど、理念に関しては、平成11年改正と今般の改正の課題とは基本的に連続線上にあるとの認識が示されたかと思いますが、それを具体化する規律には、平成11年改正の時点でも望まれてよかったものと、改正以後の議論の展開によって望まれるに至ったものとがあるのではないかと感じます。   平成11年改正の時点でも望ましいと考えられたはずのものとしましては、例えば、成年後見の言渡しをする際に期間を設けるという規律は、11年改正の時点で導入されていてもよかったものではないかと思います。現行法は、民法上の成年後見等の開始要件である精神上の障害が回復しない蓋然性が大きいことに着目して、一度言い渡したものがそのまま継続するという制度設計を採用したにすぎないのであって、期間を設けて見直しを促すという制度設計を排除するわけではないのではないかと感じます。後見人の交代や報酬の合理化も、現行法と大きく異なる考え方を目指すものではないと認識しております。   これに対して、平成11年改正以後の議論の展開によって望まれるに至った規律としては、先ほど来議論がありますような能力制限や法定代理に関わるものがあり、その辺りが大きな問題であろうと思います。この点について具体的に踏み込んだことを申し上げる用意はないのですけれども、これらの問題を考える際には、言わば法定後見に関わる第2の層として、総合的な権利擁護支援策といった表現の下で、民事法制と福祉法制との関連付けが問われていると理解しております。   平成11年改正以後の議論の展開として、様々な御発言でも共有されていた認識かと思いますが、自律の尊重という観点からは、従来、成年後見制度の利用対象者とされてきた人であっても、適切な支援を受けることによって自分自身で行動することができるはずだという考え方が、しばしば強調されてきたところです。ただ、これを民事法制として見ますと、問題の立て方にねじれといいますか、捉え方の難しい部分があると感じます。   と申しますのは、ここで想定される支援というのは、日常生活上の自律の支援に関わるものですから、私法上の法律関係の設計に関わるものではなく、基本的には福祉の領域に属する支援ではないかと思います。しかし、そういった支援を受けて自ら行動することができるのであれば、少なくとも伝統的な観点からは、成年後見制度を利用する必要はなさそうです。ここで問われるのは、そのような福祉制度上の支援を受けて決定をすることができるという状況を、民事法の枠組みの中でも自己決定や自己責任の基礎とすることができるのかという点であろうと感じます。そうすると、民事法の改革によって総合的な権利擁護支援策を推進していくためには、民事法制の積極的な寄与を考えることが求められる一方で、福祉法制と矛盾しない民事法制の構想が問われているという側面もあるのではないかと認識しております。   また、任意後見についても申し添えることをお許しいただけますならば、ここでは、法と契約という層での問題が生じているという認識を持っております。任意後見は、平成11年改正当時の構想によりますと、公的機関による監督を伴う任意代理というオプションを加えるものであったと理解しております。つまり、委任者について成年後見開始の審判がされたことが委任の終了事由とはならないという民法653条の規律を前提として、委任による財産管理の可能性を排除することなく、そこに公的機関による監督を伴う任意代理というオプションを加えたのが任意後見だったのであろうと理解いたします。   こうした経緯を踏まえて考えますと、今般の改正の課題として、監督の負担が任意後見の利用を妨げる要因となっているとの指摘については、通常の委任契約ですとか、三者間での委任契約ですとか、そういった対応で克服することもあり得るのであろうと思います。それにもかかわらず、任意後見制度に飽くまでも期待しつつ、しかし監督は軽くするという方向性が掲げられることについては、それが一体どのようなニーズに応えようとしているのかについて、よく検討する必要があるのではないのかと感じます。   茫漠としたことで時間を取ってしまいましたけれども、以上のようなことを感じております。 ○山野目部会長 ただいま山城幹事の御発言で、任意後見についての意見も添えてよろしいでしょうかと大変遠慮がちにおっしゃられたものでありますけれども、実はそれは有り難くて、もう一つ言えば、別に遠慮がちにおっしゃる必要は何もなくて、本日に限らず、この後も委員、幹事の皆様にお願いでございまして、どうしても部会における審議の時間だとか、部会資料のページの分量だとか、その他もろもろの量で見たときに、法定後見の部分に多くを取られてしまいます。これは課題の性質上どうしてもやむを得ないことでありまして、そこについての検討をしっかりしなければいけないことは当然であります。それと同時に、しかしこの機会にきちんと任意後見を見直しておくということは極めて重要であります。   平成11年の立案担当者は、実は今日法定後見といわれているもの自体についてあれだけ大きな手直しをしたところで、更に重い任意後見の制度を入れようかということについては悩んだはずでありますし、その上で勇気を奮ってこの制度を平成11年の時点で、設けてくれた、という言い方は変かもしれませんけれども、設けて、今日にバトンを渡してくれたという側面があります。そもそも法定後見という言葉はあの時から生まれたのでありまして、その前は全部、法定後見だったわけですから、そうすると、この機会に、私及び事務当局もいろいろ運営の工夫はいたしますけれども、折に触れ、任意後見についてもお気付きのことはたくさん御意見をお出しいただきたいと望みます。ただいま山城幹事が精密に言ってくださったとおりでありまして、一言で要約すれば、監督の在り方が今後、今のものをどういうふうに見直していくかということが、ざっくり一言で言えば中心になってまいりますから、ここについてもお知恵を頂いてまいりたいと望みます。   そういうことですから、この部会資料の後半の部分について幅広く、引き続き委員、幹事の御意見を伺います。いかがでしょうか。オンラインで御参加の皆さんも、どうぞ御遠慮なくお声掛けください。 ○沖野委員 二度目で恐縮なのですけれども、2点を申し上げたいと思います。   一つは、佐久間委員、久保野委員が御指摘になった、誰の利益を考慮するのかという問題において、本人のほか、影響を受ける家族ですとか、特に財産関係では、その本人の財産に生活や扶養が依拠しているような人の問題があり、久保野委員がおっしゃった寄附の問題、いわゆる霊感商法として社会問題になり、寄附の不当勧誘防止に関する法律ができたような、そういうケースでは、本人の意思の尊重と、それに依拠する周りの人たちの保護というのをどう図るかということが正面から問題になり、法律では債権者代位を使うということで規定が入ったわけですが、本人の財産を本人の思うように使えるという、そことの関係は非常に難しいという問題があります。   まして、これが後見制度というのが本人のためにということであるならば、例えば保護者が付いた場合にどういう利益を考慮していくのかということで、ほかの人の利益もということになると、利益相反の問題が出てきますし、意思との緊張関係というのが出てくるので、霊感商法的なものでさえもそこにとどまらざるを得なかったという問題はあるのですが、しかし、その問題を避けては通れなかったということもあります。これもまた消費者法の方では、消費者保護というときに、保護すべき消費者は誰なのかという、本人とその家族、特にその扶養が依拠されているような人というのをどうするのかという問題は、問題意識として出ておりまして、そういった問題をここでも、それを考慮するものとするのかどうか自体が非常に問われることなのだろうと思っております。これは佐久間委員、久保野委員がおっしゃったことの繰り返しにすぎません。   もう一つは、山城幹事が御指摘になった点にも関連するのかと思うのですけれども、現在、本来なら成年後見なり法定後見を使って代理権のある人を付けてくださいと、しっかりした監督の仕組みにしてくださいというのだけれども、それはなかなかできないために、預金が下ろせないと生活がもう困難になるというようなこともあって、金融商品の方ではかなり商品設計というか実務対応で工夫されていることがあると思います。保険ですとか預金ですとかの指定代理人の制度とかです。ただ、それは別に任意後見契約を使っているわけではなくて、単純な委任とか代理を使っていて、任意後見で問題視されたような、いざというときに本人が監督できないというようなところにある程度目をつぶってやっているようなところもあります。それは商品設計の工夫でやっているのだと思うし、それがあることで非常に助かっている面もあるのですけれども、それを任意後見の方をより使いやすくするのか、あるいはまた別途考えるのか、今、それ以外の委任や代理権でやっている、純粋に任意の制度を使ってやっている部分が、もしそこに懸念があるようならば、それをサポートするようなことも考えてしかるべきではないかと思います。   ただ、これは寝た子を起こすおそれもあって、せっかく実務の運用で柔軟にやっているのに、結局できなくなりましたというのでは、やや本末転倒かと思うのですが、現在の任意後見をどうするかだけではない、他の制度の活用というか、そういう中には信託などもあるかもしれませんし、どこまで波及するのか分からないのですが、そういった問題があるのかどうかというのは、問題があるのかどうかから考えていく必要があるので、あるいはヒアリングなりもあるのかもしれませんけれども、これだけで全てを解決するわけではないという視点が必要ではないかと思っております。 ○山野目部会長 寝た子を起こすと困るというよりは、寝た子には起きてもらわないといけないものでありまして、実は認知症高齢者や障害者の暮らしを考えたときに、もちろん従来のイメージを大きく変えないで、成年後見人の関与、極端な場合には代理権行使というのを考えていかなければいけない法律行為というものは、これからも不動産の処分、遺産の分割の協議への関与、それから施設への入所契約などのヘビーな法律行為、取引は残りますけれども、しかしそういうものが毎日あるわけではありません。毎日、不動産を売っている高齢者は少し考えにくいものでありまして、しかし毎日、あるいは日常、金融機関の窓口で用事がある高齢者という存在は決して珍しくはなくて、想像が可能です。現代社会における日常の生活を考えたときに、預貯金の取引が持つ比重は、比重というよりも、それがあって初めて暮らしが成り立つという側面があって、しかしそれは民法上の概念としては法律行為でありまして、それについてどう考えるかということは、今般の成年後見制度の改革にとっては、もしそれが寝た子であるとすれば、寝た子には起きてもらわなければいけません。そこを解決しないでは、避けては通れない課題であろうと感じられます。そういった観点についても、引き続き部会で委員、幹事から御意見をお出しいただきたいと望みます。ただいま沖野委員からは差し当たり、商品として今工夫している側面があるかもしれないけれども、それは今後ともどういうふうに考えていくかを考えてほしい、多分それは任意後見に引き付けて考える論点というよりは、法定後見も含め、ここで考える話全般に影響してくるサイズの論点でしょう。大事なことを指摘いただきました。ありがとうございます。   ただいまの点に関連することでも結構ですし、ほかのことでも結構ですけれども、いかがでしょうか。オンラインの方もどうぞ御遠慮なく御発言ください。 ○根本幹事 沖野委員からの御発言を受けて、例えば、指定代理ですとか任意代理のところで、まだここは新しく、金融商品の設計も含めて最近出てきたところで今後懸念されることとして、若しくは今まで佐久間委員から御指摘があった親族の存在というのをどのように考えるのかということについて、親族の持つ多面性に留意が必要だと考えています。親族は、もちろん御本人を支援してくださったり支えてくださるという立ち位置というのはもちろんあるわけですけれども、他方で特受の問題ですとか不当利得の問題ですとか預金の引き出しというような、後々相続紛争につながってしまうような立場ということもあるのではないかと考えております。その観点で申し上げますと、先ほど沖野委員からありました、寝た子を起こすような話になってしまうのかもしれませんが、今、実務上若しくは金融商品上いろいろ工夫をされているものの中の一部には、そういった親族紛争、相続紛争を誘発してしまうような結果になっていることもなくはないのかなとは懸念をしているところというのがございますので、そこは申し上げておきたいと思っています。   それから、あともう一つ、理念の関係ですけれども、平成11年改正のときのノーマライゼーションという理念は、もちろんこれは否定されるものではないのですが、他方で今後、今回の法制度の改正の中で目指していくところとして、例えば、御本人が地域で生活をされていく、御本人ができることは御本人にやっていただくというようなところ、若しくは、場合によっては認知症等々になられても、障害特性等をお持ちであっても、社会的な参画というのを促進させていくという観点からは、やはりノーマライゼーションというところだけでは足りず、一歩進めたインクルージョン、共生、包括、どういうふうに表現するかともかく、インクルージョンというところは一つの理念として掲げられていくべきではないかというのは、今日冒頭申し上げたところと重複するところにはなりますが、委員の先生方の御意見を聞いていて、改めてそこが大切ではないかなと感じたところです。 ○山野目部会長 第1の部分にある基本理念との関係も触れながら、根本幹事から御発言を頂きました。ありがとうございます。   引き続き御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○青木委員 今回の制度改革の議論においては、誰のための改革かということを常に念頭に置くことが非常に重要だと思っております。大臣から法制審への諮問でも「本人の権利利益の擁護を一層図る」ということが見直しの観点として示されていますけれども、前半で現行制度の問題点のところでも議論してきましたように、本人の生活、本人の権利にとってどうなのかという観点で一本筋を通して検討することが必要かなと思っています。そういう意味で言いますと、本人の判断能力の状態というのは人によって、対象事項によって様々違うということから、類型化や一体化の弊害ということも先ほどお話しいただいているとおりですので、そこを崩していくことをいかに図っていけるかということだと思います。もちろん、制度検討において、家族や取引の相手方の視点は関係がないという趣旨を申し上げているわけではないのですけれども、まずは本人の権利や利益にとってどうなのかという観点から考えて、それならば現行の制度をどうするかと、そういう明確な視点が必要かと思っています。   先ほど御指摘のあった現行民法の後見人を前提にした様々な関連する法規というのも、類型化の下で、成年後見人に包括的代理権を付与していることを前提にして、必ずしも本人のためではないかもしれませんが、法制度上、包括的代理権に基づいて様々な制度設計がなされたという側面があると思います。包括的代理権が本人の個別性、必要性という観点から適当でないという道をとるのであれば、個別性を前提にして、従来の包括的代理権を前提とした法制度をどう別の方策に置き換えるかという議論が筋道であって、その逆の発想をとるべきではない、現行制度がこうなっているから変えることに消極的になるという議論ではないだろうと思っています。   それはこの点だけではありませんで、例えば、これまで実務上二十数年間積み上げられてきた実務というのがあり、それは類型化に伴う様々な実務でもあるわけですけれども、その家裁の実務、あるいは各後見人等の実務から見て、それがどう変わっていくかの見通し、視点は必要ですけれども、だからといって、これまでの後見実務の運用を前提にして、本人さんの権利利益の観点からの見直しについて、それは実務慣行から難点があるのではないかという場合に、やはり本人の権利利益の観点に立ち返って見直すという観点を絶えず議論の中で意識する必要があると思って聞いておりました。 ○山野目部会長 ただいまの青木委員の御意見に対する受け止めの御発言でも結構ですし、それ以外でもよろしいですけれども、いかがでしょうか。 ○常岡委員 今いろいろと御意見を伺っていまして、御本人の意思の尊重と、そして御本人自身のための成年後見ということと、それから親族との関係ですけれども、親族の中でも配偶者は恐らく少し位置付けが違うと思います。配偶者自身は、夫婦財産制としては法定財産制で別産制をとっていますけれども、ただ、それと同時に婚姻費用の分担義務を相互に負っていたり、夫婦間の扶養義務があったり、あと、別産制なのですけれども婚姻解消時、離婚とか、あるいは相続、特に配偶者相続分については、例えば典型的には夫名義の財産だけれども、妻の貢献があったということを配偶者相続分の中で吸収していくのだということで配偶者相続権の考え方ができています。そういったときに、後見の財産管理の側面ですけれども、本人の財産だから本人のことを第一に考えるのみでよいのか。ただ、民法全体を考えると、やはり配偶者というのは本人の財産に対して特殊な立ち位置にある者であって、もしもそういうところまで考えていくとすると、非常に細かい検討が必要になるかなという気はいたしました。現時点では感想のレベルですけれども、配偶者については他の親族と切り離して考える必要があると思った次第です。 ○山野目部会長 本人の方が中心ですよという青木委員の御指摘が、もとより当然のことで中心に据えられるべき観点であるとともに、何人かの委員、幹事から、親族という言葉をお使いになったり家族という言葉を用いたりして、そこもしかし視点として全くないわけではないという御指摘を頂き、議論が進み始めていますけれども、確かに民法上の概念として括ると親族になってしまいますが、親族という言葉でお互いに議論しているときに、本人の子供、長男、二男、長女、二女みたいな人たちを想像して議論することが多いかもしれない半面において、親族の概念には配偶者も入っておりまして、今、常岡委員からお話しいただいたように、例えば扶養義務だって、成人した子に対する扶養義務の在り方と配偶者相互の扶養義務の在り方というものは本質的に異なりますから、一概に親族という言葉でひとくくりにできないし、親族という言葉を用いて議論をするときにも、どのような人をイメージして議論していますかということには注意を要する、という大切な御注意を頂きました。   引き続き御議論をお願いします。   もう少ししましたら当事者団体の3人の委員の皆様にもお声掛けをしますけれども、今の段階で、しかし委員、幹事、皆様からの意見を引き続き承ります。いかがでしょうか。オンラインの皆様や、それから関係官の皆さんも、どうぞ御遠慮なくお気付きのことは御発言を求めてお話しをください。   それでは、どなたかが御発言の御希望をお出しいただくまでの間、久保委員、櫻田委員、花俣委員に、この順番でお声掛けをしてもよろしいですか。その前に、どなたかおありでしょうか。 ○青木委員 先ほどのお話、家族の位置付けの関係なのですけれども、お話をお聞きして少し思い浮かびましたので、御参考としてお話いたしますと、いわゆる高齢者や障害者の虐待防止法制の解釈や対応の関係で言いますと、配偶者の方が本人の認知症等に乗じてお金を使ってしまうということが経済的虐待として認定できるかという検討におきまして、一つの判断基準として、まずは本人の資産や収入で本人に必要な支援が確保され、本人の生活が守られているかから判断する、それができていることを前提にして、更に配偶者の方も扶養とするということが成り立つかどうかという順番で考える。それが仮に配偶者の利益が本人の生活に優先されて本人の権利や利益が損なわれることがあれば、やはりそれは経済的虐待という可能性があるのではないかという考え方を示しているところです。虐待防止法制でのそういった対応、考え方というのも、民事法制でも参考にしつつ、どういう優先順位で考え方を進めていくのかということは必要なのかなというのを少し聞いていて考えましたので、御紹介したいと思います。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○星野委員 今、青木委員が言われたことに少し関係するのですが、経済虐待から成年後見につながるケースはやはり多く、そのときに配偶者であったりとか、障害のあるお子さんとの扶養の関係とか、いろいろ出てくる中で、同じことを今感じています。それで、この法律の中にどこまで落とし込むのかというのは、少し実務的に考えて、今そういう本人のためではない、家族のための、家族なり本人が望んでいるお金の使い方というのは、かなり裁判所も認めてくださっているという実感があるのです。これは制度が始まった平成11年の改正の後は、絶対本人のため以外はもう駄目ですみたいなことはかなり強く言われた時代があったのですけれども、今はむしろそうではなくて、もちろん御本人の意向もありますし、関係者の中で、これはやはり本人のいろいろな状況から考えて、負担してしかるべきではないかというのは、これは後見人だけの判断ではなくて、関係者との話合いを行うことによって、家庭裁判所は個別に認めてくれているのがここ数年の、10年ぐらいの実情かと思うのです。なので、法律の中にどこまで規定するのかというところを今、聞いていて感じました。むしろそれは社会福祉法制なのか、少し分かりませんけれども、そういうことを後見人だけが決めていないということが大事なのかなと思っていて、それをどこかで明確に位置付ける必要はあるのではないでしょうか。 ○山野目部会長 御意見を頂きましてありがとうございました。法律にどういうふうに書くかというのを、特に星野委員が今の段階から余り心配なさらなくて宜しいです。それはだんだん出口に向かっていく段階で見えてまいりましょう。法制上どの法制で受け止めるかとか、どういう用語表現で表現するかというのは、また改めていろいろ検討しなければいけない、それ自体としては重い課題でありますけれども、中味の議論が重要でありまして、今日、多々御議論いただいたように、高齢者、障害者の暮らしの実像と、それに向き合って今、民法の概念がどういうものを標榜してきたか、しかしどういうものが現実に向き合ったときに課題をもたらしているかといったような大切な議論、既に今日の段階でも大切な議論をしていただいていると思いますけれども、そちらが先でありますから、どうぞ御遠慮なく御議論をなさってください。   引き続き御議論を承ります。いかがでしょうか。   では、また後でお尋ねしますけれども、差し当たりお三方の委員にお声掛けを致します。前半と異なり、後半は少し細かい話になりますけれども、お三人の委員は既にいろいろな機会によく御存じでいらして、法律の話をするとこういうふうになるというのは、御労苦をお掛けしているとは思いますけれども、それほど驚かれていないとは想像しますし、いろいろ分からないやり取りもありました、というような御感想をお漏らしいただくことでも結構ですから、どうぞ久保委員、お願いします。 ○久保委員 家族が後見人になるというときによく言われるのが、家族が本人の財産を使ってしまうというところをよく言われて、そうではなくて、やはり第三者とかの方がいいのではないかというようなこともありますし、家族、親族後見には監督人をきちんと付けなければという話もあるので、家族の中では、何で我々だけ監督人が付くのよ、みたいなことを言っている人もいるのですけれども、感覚として、本当に子供のお金を自分のために使ってしまおうという感覚でいる人は結構少ないのです。子育てをしていく中で、障害者の扶養手当というのがあります。扶養手当があって、終わって少しした頃に年金が来るわけです。そうすると、扶養手当って障害のある子を扶養していく、育てていく上でのおうちのお金みたいな感覚です。   それが、本人の年金もそのまま続きでおうちのお金みたいな感覚になってしまっていて、ある人は、息子のお金で冷蔵庫を買いました、冷蔵庫に息子の名前を貼っていますみたいなことがあるのです。いや、それは駄目でしょうと、みんなで使うのだから、一部は出してもらっても、親もきちんと出さないと駄目でしょというような話を私たちの中でしていたりしているのですけれども、また、妹さんが大学を出ました、お姉ちゃんの年金で出させてもらったのだから、お姉ちゃんに足を向けて寝たら駄目です、みたいなことを言う親もいるわけなのです。それは感覚として、おうちのお金みたいな感覚が、扶養手当からずっと続きみたいなので、全然悪気なく、おうちでみんなで暮らしていくためのおうちのお金みたいな感覚でいるという方がとても多いです。それが駄目なのだということは、私も口を酸っぱくして言っているのですけれども、何となくそういう行為をしてしまう親がとても多いというのがあって、もっと本人を一人の人としてきちんと見なさいというような話を、もっと私たちは進めていかないと駄目だなとは思いますけれども、結局、親が障害のある人を見ているというか、保護しているという感覚があって、保護するのだからお金もみんな、保護の関係で私が管理して、おうちでみんなまるっと暮らせればいいわ、みたいな感覚になってしまっているというのが事の始まりの人がとても多いと思っています。本当に全然悪気なく、息子のお金で冷蔵庫を買いました、車を買いました、車には名前を貼っています、みたいな方がおられますので、平気でそれを言うので、全く悪気ないのですよね、そういう家族がとても多いので、おうちのお金という感覚で普通に使ってしまっているという。使ってやろうと、私のために、自分たちのために、子供の年金を使ってしまおうというような感覚ではないのです。少し貸してね、みたいな感じで、買いました、だから誰々君の冷蔵庫ですみたいな名前を貼ったりするわけですけれども、そういう保護をしているという親が、成人になって、もう20歳代、30歳代になっても、親が我が子を保護しているのだというような感覚を持っているのです。ですから、私たちは、障害のある人たちも成人になったらもう保護の対象ではない、権利の対象なのだということを言っているのです。   その権利の対象として、私たちと同じ権利を持っている一人の人ですという認識を持たないと、というような話をしているのですけれども、逆にまた、自分の兄弟のために、お正月が近いから、少し暖かいセーターを買ってあげようと思って、妹さんが後見人になっておられるのですけれども、1万円のセーターを買いましたと、そうしたら裁判所からぜいたくだといって怒られたというのがありまして、それはそれで、その方は黙っていなくて、食って掛かって、障害があったら1万円のセーターはぜいたくなのですか、みたいなことを言って裁判所から呼出しを食ったというような、もう3月の末から4月の頭に掛けて、何回も電話してこられるのです。私は滋賀県ですが、滋賀県の方ではないです、他府県の方なのだけれども、こういう審議会に私が出ているというのをホームページを調べて見て、同じ知的障害のお姉さんなので、私のところに電話を掛けてこられるというようなことがありまして、逆に、保護をしてあげようというので、思いが強ければ強いほど普通に使ってしまうというのと、そして、そのことはよく分かっていて、お姉さんのためにやったのに、裁判所から怒られたというようなこともあって、一体私たちはどうすればいいのという声がいろいろなとこから聞こえてくるのです。   ですから、金銭搾取を意識してやっているという方はとても少ないということを少し分かっていただきたいのと、それと逆に、そのことが駄目だということはよく分かっていて、自分のお金もお姉さんの預貯金に入れておられるのです。そのお金で1枚のセーターを買ったら裁判所から怒られたという逆のパターンもまたあって、すごく私たちの家族の中では混乱しているといいますか、よく分かっていなくて、何とも思わずに使っている人もいれば、しっかり分かっていて、お姉さんのことをきちんと見なければと思っているけれども、いろいろなところからいろいろなことを言われるという、とても混乱をしているというのが今の現状なのです。   ですから、そういう意味では、一人の人として、権利の対象として見るという意識が私たちの中ではなかなか進んでいないのだなと思うのと、また、この法律のことを考えていく上で、保護の対象ではなくて権利の対象なのだなということも、私自身が肝に銘じてここに参加させていただかないと駄目だなと思いながらここに来ているというような、感想めいたお話ですけれども。   それと、取消権ですけれども、取消権もやはりその権利の対象として、私たちはよく、どんなに重い障害のある人でも意思はありますということを言っています。バイタルで見ても快と思っているか不快と思っているか分かるのですというような話をよくするのですけれども、そこまで行かなくても、少し目の動きとか顔色とかを見ると、本人さんはどう思っているのかなという思いで見ていくことが必要だなと思います。そういう意味では、取消権も余り、本人に聴きました、よく分からないけれどもこの方がこの人のためになると思いますという簡単なものではないなということも、私は親として、親は簡単に、我が子のことですから、はいはい、こうしておきましょうねと決めてしまいがちですけれども、そういうものではないのだと、きちんと本人の、この子は今何を思っているのだろうか、何を感じているのだろうか、どう思っているのだろうかということをよく見て、本人の権利の対象としての目線で、親も周りの者も本人を見て判断をしていく必要があるのだろうとは思っています。   皆さんのいろいろな意見を聞きながらも、親として、そして、成年後見とか本人の権利を守り、財産を守っていくという上では、とても難しいけれども、そこも大きなポイントになるのではないかなというようなことを思いながらお話を聞かせていただきました。すみません、感想です。よろしくお願いします。 ○山野目部会長 久保委員のお話を伺って、つい先ほど私がした整理に落ち度があったということを反省しております。親族とか家族とかいう際に、子供と配偶者は別ですよねと二つのみ挙げましたけれども、もう一つ親というものがありますね。長い人生ですと、そこも考えなければいけないということを今気付かせていただきました。また、そのことは同時に、今後において規定の見直しをしていくときに、現行の規定でも何か所か、利益相反の規定が複雑で、意義が不明瞭になりかねない箇所がございますから、そういうものを見直していく際にも、今お話しいただいたようなことを想起しながら作業を進める必要があるということが感じられます。ありがとうございます。  櫻田委員、どうぞ。 ○櫻田委員 ありがとうございます。皆さんの審議を聞かせていただいての、本当に感想になってしまうのですが、先ほど星野委員が精神障害を持った方の例を挙げていらっしゃったところで、ふと思ったのですけれども、確かに制度を使っている中でも御本人、金銭管理できる方もやはり非常に多かったりはするのですけれども、それでもやはり一部の方とかは、どうしてもあるとあるだけ使ってしまって、どうしても制度は必要だよねという方も中にはいらっしゃるのです。実際に私が関わっている方の中でも、どうしても御本人がお金を持ってしまうと全部使ってしまって、生活費がなくなってしまって借金してしまうという方とかもいらっしゃるので、そういう方にはやはり必要なところかなと思ってはいるのですけれども、でも、やはり、例えば専門職の方の関わりとかの中で、金銭管理ができないなといったら見直しをして、その方に合った類型とかにしていくということは、やはり大事なのかなと思っていますので、その辺りも改めて、制度利用とか民法改正を考えていったときには、盛り込んでいく必要があるのかなとは思っていた限りです。   先ほども私の意見の中で、必要なときに必要な人に制度を使えるといいというお話をさせていただいたのですけれども、先ほどの久保委員の取消権のこともそうですし、あと、後見人さんの交代とか終了に関しましても、やはり御本人の意思がどうかというところを確認するようなものがポイントとして上がってくるのかなと思いました。やはり、御本人としてはこうしたいのだけれども、周りは必要だから、それに流されてしまうではなくて、やはり御本人がどうしたいか、それに向かって周りの人たちがどう支援していくかというところがポイントなので、やはりそういうような流れにはなってほしいなと思ってはいます。   本当に久保委員のお話を今聞かせていただいて、そうだよなとすごくうなずきながら聞いてはいたのですけれども、精神障害を持った方で制度を利用される方というのは、ほとんどもう成人をされていて、大人としているので、やはり保護というよりは権利として、一人の人間としてこの制度を使っているというところを考えますと、やはりそういう対応をしていく必要もあったりするのかなとか、あとは、そういうふうに一人の人間として制度を使っていて、その制度で自分が助かっているというところに結び付けるような制度になっていくような法改正が必要だったりとかをすると思いますので、やはりそこら辺のポイントといいますか、そこら辺の考えも盛り込んでいただけると非常に有り難いなと思っています。 ○山野目部会長 どうもありがとうございます。 ○花俣委員 久保委員の御意見、今、櫻田さんもおっしゃったように、我々一般人としては、同様の感想を持っております。その上で、配偶者が被後見人、後見人の関係になったときに、こんな話を聞いたことがあります。御主人が入院をされ足腰がかなり弱ったので、退院してくる前に奥様がおうちの中の改修をしようとしたところ、裁判所から、本人が家にいないのに本人の家の改修にお金は使えないと言われたということで、こんな制度を使わなければよかったということをいろいろなところでお話しされていたことを思い出しました。ただ、それは制度がスタートした当時のことだったので、今の星野委員の御意見からその辺が柔軟になってきており、適切な対応が裁判所の方でしていただけるというようなお話がありました。そこの部分というのは、成年後見制度の利用促進法以降、様々なワーキングにおいていろいろ検討されてきた、いわゆるチーム支援の成果として、実際にそういう変化が出てきているのかなと思いました。   それからもう1点、本人の意思能力のところですが、特に認知症の高齢者だけではなく、実は認知症は若年期に発症される方もおられます。若年性認知症の方というのは今、希望大使や希望のリレーといって、本人が御自身の言葉で様々な場所で、自分たちは当たり前の人として、できないこともあるけれども、失敗する権利も奪わないでくれというようなことを盛んに発信されています。普通に話せるし、記憶も多少の障害はあるかもしれないけれども、当事者として、仕事も継続できている方も多い。ところが早期から字が書けなくなるという方もおられるのです。字が書けなくなるというのは、知識として文字を忘れてしまうということではなくて、視空間認知障害というのがあったりするわけです。それから、文字の形態認知能力が落ちるとか、物の空間的な配置が分からない、あるいは、相貌失認というのがあって、人の顔が覚えられない。   そんなふうに、見た目とその方が抱えている障害というのが、認知症というひとくくりの中ではとても語り尽くせない。でも、例えば契約するときに署名できることは重要なポイントになると、早々字が書けなくなって本当に難儀をされている方もおられたりするわけです。そういう方が制度を使ったときに、仕事が続けられなくなって奥様が働きに行かざるを得ない、公的なサービスにつながるほどの障害はない、そんな中で、後見制度を利用した場合の経済的な負担というのも、かなり大きな課題になってくるかとも思っています。   それから、先ほども申し上げました認知症基本法に関連しても、成年後見制度の基本理念のところでもノーマライゼーションからインクルージョンへというふうに、先ほど来、各先生方から御意見が出ていました。正にこれは基本法でいうところの、認知症とともに安心して生きられる社会、ともに生きるというところがインクルージョンというところとつながっているのかなと思っていました。テクニカルな議論についてはなかなかついていけませんが、飽くまでも認知症の当事者の視点で、皆さんの御議論の中で、いや、ここだけはもう少し深く考えてください、もう少し広い視野に立ってくださいという気付きがあったときに、また今日のように発言の機会を得られると大変有り難いと思っています。そんなところで御容赦ください。 ○山野目部会長 どうもありがとうございます。   部会資料1の全般について、ここに掲げられていることは今後も繰り返し検討をお願いすることでありますけれども、本日段階で御意見として承っておくことがありましたら、更にお尋ねします。いかがでしょうか。本日段階ではよろしゅうございますか。   私は委員、幹事の皆様のお話を伺っておりまして、フリーディスカッションという趣旨でお願いを致しましたけれども、本日の会議におきましては、フリーディスカッションという、片仮名だから軽いとは申しませんけれども、いささか薄っぺらい言葉で表現するのでは本当に軽すぎると感じる、密度の高い御議論を委員、幹事の皆様に頂きました。到底解決の糸口が見いだされるというところには、今日は初回の会議でありますから、そこが遠いということは確かめられましたけれども、どのようなところを考えていかなければいけないかという、その問題の難しさの在りかをかなり浮き彫りにする熱心な御討議を頂いたと感じます。初回の会議から、委員、幹事の皆様にこのような熱心な充実した御論議をお願いすることができたことに深く御礼を申し上げます。   この後、私と波多野幹事から今後の部会の運営についてお諮りをしてまいります。   まず私から、いささか内容にもまたがることについて委員、幹事の皆様にお諮りをして、御意見があれば承りたいと考えます。本日の御議論においても既に明らかになってきておりますが、新しく構想する成年後見制度の理念はもちろん、それを敷衍した基本的な法律概念であるとか基本思想であるとかというようなものを、もちろん整えていくことになりますけれども、それは机上の議論であってはならないことでしょう。ここでしている議論は基本的には机上の議論ですが、机上の議論だけで進めるということとは異なる慎重な手順があってしかるべきであろうというようなことも、本日段階の論議を振り返ってみて、皆様も等しく共通にお気付きでいらっしゃるものではないかと想像いたします。民事の法律制度を見直すとき、全てについてそうでありますけれども、取り分け親子関係であるとか夫婦財産制であるとか、そして、ここで主題とする成年後見制度のようなものについて手を加える際には、関連する社会的実態をきちんと把握するということが分けても重要であります。   この部会で毎回の会議で委員、幹事にどのような論点をどういう順番でお諮りするかという点は、また逐次、御相談をしてまいりますけれども、半面、ヒアリングをきちんとして関係者から意見を聴取する機会も、私が今し方申し上げたような観点からいうと、大事であるということを考えますと、これは相手のあることでございますから、この段階で少しそういうことも考えてみましょう、それはもっともではありませんか、ということを皆様にお諮りし、お許しを頂くことができるものであれば、事務当局において少し前倒ししてというか、先取りして、どのような方々にヒアリングをしたらよいか、また、いつ頃を日程として考えているけれども御都合が合うかといったようなことについての調整をこの段階から少しずつしていくということにすれば、上手にその機会を持つことができると考えます。   部会が与えられた主題ごとに、部会のメンバー以外の方のヒアリングをする時期というのは様々であって、特に従わなければならない慣行はありませんけれども、この部会は、与えられた主題の特性から申して、もし可能ならば、少し早めの時期にヒアリングをしたいということを皆様にお諮りし、御提案申し上げますけれども、このような運営で進めてよろしいでしょうか。   皆様から御賛同を得られたと認めます。ただいまの点を含めて、今後の会議開催の事務的な段取りについて、波多野幹事からまとめて御案内を差し上げます。 ○波多野幹事 お手元にお配りしておりますスケジュールのとおり当面、月に1回程度のペースで会議の開催を予定しているところでございまして、本日の御意見を踏まえまして、順次論点についての御議論をお願いしたいと考えております。   審議のスケジュールは、先生方の御議論の状況によるところでございますけれども、事務当局としましては、次回以降の4回又は5回程度を使って一巡目の議論を一回りするようなイメージで部会資料を作成していくということで準備を進めていきたいと考えているところでございます。一巡目の議論を終える辺りで、またその時点の御議論の状況を踏まえながら、その後の部会資料の作成については御相談をさせていただくことになろうかと思っているところでございます。   また、先ほど部会長からお諮りいただきましたとおり、ヒアリングの実施につきましてもある程度早期に実施するということも一つの選択肢かと思っておりまして、部会長からもありましたが、相手がいらっしゃることでございますので、そういう意味で調整が付けばという留保付きではございますけれども、例えば7月に部会を2回開催させていただいて、うち1回をヒアリングの回とするようなことも含めて、7月とか9月の辺り、早い段階でヒアリングを実施させていただけるようなことを検討したいと思っておりまして、お許しいただけば、そのような方向で7月の2回目以降の部会の日程調整も含めて、進めていきたいと考えているところでございます。   私の方から現時点で御説明できるところは、以上のところでございます。 ○山野目部会長 波多野幹事から、今後の部会運営につきまして大づかみな提案を差し上げました。この後、先々進めていく折々に少しずつ見直していくということがもちろん考えられるところでありますけれども、現時点での大づかみな進め方として、このようなことで考えてよろしゅうございますか。   ありがとうございます。それでは当面、今、波多野幹事から案内がありました方向で日程を考えてまいりたいと考えます。   そのほか、この部会の運営につきまして委員、幹事の皆様からこの機会において何かお尋ねや御意見がありますれば承ります。いかがでしょうか。オンラインの皆さんも、よろしゅうございますか。   それでは、あと事務的に御案内差し上げます。次回日程について、波多野幹事からお願いいたします。 ○波多野幹事 次回日程は、令和6年5月21日火曜日、午後1時30分から午後5時30分までを予定しております。場所につきましては、法務省地下1階の大会議室を予定しております。   次回は、法定後見制度の開始に関して想定される検討事項につきまして、御議論をお願いしたいと考えているところでございます。 ○山野目部会長 第2回会議もどうぞよろしくお願いいたします。   これをもちまして、法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第1回会議を散会といたします。どうもありがとうございました。 -了-