法制審議会 民法(成年後見等関係)部会 第2回会議 議事録 第1 日 時  令和6年5月21日(火)自 午後1時30分                     至 午後5時53分 第2 場 所  法務省地下1階 大会議室 第3 議 題  法定後見の開始に関する検討事項について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○山野目部会長 定められた時刻が参りました。法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第2回会議を始めます。   本日は御多用の中、御出席を頂きまして誠にありがとうございます。   前回に引き続き、本日もウェブ会議の方法を併用して議事を進めることといたします。   初めに、事務当局からウェブ会議に関する注意事項の案内を差し上げます。 ○水谷関係官 事務当局より御説明を差し上げます。前回の部会と同様のお願いになりますが、念のため改めて御案内をさせていただきます。   ウェブ会議の方法によって御出席されている皆様におかれましては、ハウリングや雑音の混入を防ぐため、御発言される際を除き、マイク機能をオフにしていただきますよう御協力をお願いいたします。また、御質問がある場合や御発言をされる場合は、手を挙げる機能をお使いください。指名されましたら、マイクをオンにして御発言をお願いいたします。御発言が終わりましたら、再びマイクをオフにし、手を下げるようにお願いを致します。 ○山野目部会長 今回初めて出席される委員、幹事の方の簡単な自己紹介をお願いすることにいたします。その場でお名前と所属などの自己紹介をお願いいたします。  (委員等の自己紹介につき省略) ○山野目部会長 どうぞよろしくお願いいたします。   出欠の状況について御案内を致します。本日、久保野委員、小林幹事、羽野幹事が御欠席でいらっしゃいます。沖野委員、佐保委員、山下幹事が途中で御退席の予定です。加毛幹事が途中で中座なさる御予定であると伺っております。   続きまして、本日の審議に進みます。配布資料の説明を事務当局から差し上げます。 ○河原関係官 本日は部会資料2並びに参考資料2及び3を準備しております。部会資料2については、後ほど審議の中で事務当局から改めて説明させていただく予定です。   次に、参考資料2は、公益社団法人商事法務研究会主催の成年後見制度の在り方に関する研究会の参考資料です。研究会の開催中に、研究者の先生方において諸外国の法制度について調査していただいた内容がまとめられた貴重な資料でして、執筆者の先生方から本部会の参考資料として用いることについて御了解を頂きましたので、参考資料として御準備したものでございます。   最後に、参考資料3について簡単に御説明します。前回、第1回の会議において、障害者権利条約に関する勧告を受けた諸外国の国々の取組の状況に関する御発言がありました。参考資料3では、参考資料2の内容等を踏まえて、アルゼンチン、オーストリア、韓国、スイス、ドイツ、ブラジル、フランスにおける成年後見制度と障害者権利条約との関係を整理しております。 ○山野目部会長 紹介を差し上げました。それでは、本日の審議に進むことにいたします。   本日は、法定後見の開始に関する検討として、一読目の検討をお願いいたします。事務当局から、部会資料2の1ページから始まっております1の部分、「法定後見の開始に際しての考慮要素(本人の判断能力の程度)」について説明をお願いします。 ○水谷関係官 御説明いたします。1ページ「1 法定後見の開始に際しての考慮要素(本人の判断能力の程度)」は、法定後見の開始に当たり、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分であることを要件とすることに関し、御議論をお願いするものです。   現行の法定後見制度は、精神上の障害により事理を弁識する能力、すなわち判断能力が不十分であることを開始の要件としており、実務上、医学的な診断等を得て、本人の判断能力の程度が判断されています。見直し後の法定後見の開始の要件においても、医学的な知見に基づいて判断能力が不十分であることを法的に判断することは必要であると考えられますが、これを法定後見の開始の要件の中でどのように位置付けるかなども含め、御議論を頂ければと考えております。   また、5ページ「4 重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である者」は、本人の判断能力が不十分とはいえない場合であっても、重度の身体障害により意思を表現することに困難がある者については、法定後見制度の対象者とすることが考えられるとの指摘があり得ることを踏まえて、現行の制度等について記載をしております。ここでは、重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である者において法定後見制度を利用することについて、具体的にどのようなニーズがあるのかに関して御知見を頂き、それに基づいて御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 これから、ただいま説明を差し上げた部分について委員、幹事の御発言を頂きます。   初めに、佐保委員から、途中退席の予定であることから、冒頭に御発言をなさりたいという希望を頂いています。佐保委員、お願いします。 ○佐保委員 御指名いただきありがとうございます。佐保でございます。所用により中座させていただくことをおわび申し上げるとともに、発言の順番について御配慮いただいたことに感謝申し上げます。   部会資料2の1と3について発言を申し上げます。3ページからの検討にある、現行では裁判所が法定後見の開始の審判をするに当たり、医学的な診断等を得て本人の判断能力の程度を判断していることについては、客観性の担保のためには必要であると考えます。例えば、この医学モデルを社会モデル、つまり被後見人の周囲の状況や環境を踏まえた判断とすることで、客観性が失われることが懸念されます。したがって、法定後見による保護を必要とするかどうかを要件の一要素に含めるとしても、診断書の提出を通じた医学的な知見に基づく判断の仕組みは維持すべきと考えております。   続いて、13ページからの検討にあるとおり、本人の自己決定が尊重されることは重要でありますが、意思を表示することが極めて困難である状態には、本人の同意があるとはいえないのではないかと考えております。したがって、医学的な知見に基づき被後見人の判断能力が認められることを前提に、法定後見開始の審判をする場合に、本人の同意等を要件とすべきと考えております。   私からは以上でございます。 ○山野目部会長 御発言を頂きました。   続きまして委員、幹事の御発言を頂きます。御随意にどうぞ。 ○小澤委員 まず、法定後見の開始に当たって、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分であることを要件とすることについてですが、私どもとしましては、法定後見制度が現行の3類型を見直して、本人にとって必要な権限だけを成年後見人などに付与する制度となることが適当であると考えておりますので、そのことを前提に意見を述べさせていただきます。   まず、法定後見制度は本人の生活に干渉する、本人に対する制約が強い側面を有する制度であり、本人の権利擁護のためのラストリゾートとして、なるべく抑制的に利用すべきものだと考えていますし、判断能力を十分に有しているのであれば、他の手段の利用による支援や保護を図ることが相当のように思われますので、本人の判断能力が不十分であることを、現行制度と同じく、法定後見開始の独立した要件とした方が適当であると考えています。つまりは、本人にとって、ある法律行為が必要だと思われる場面において、判断能力が不十分であるために、その法律行為を本人がすることができない、若しくは後見人による代理での支援が必要な場合に利用可能な制度設計とするのがよいのではないかと考えます。ただ、精神上の障害や判断能力が不十分という表現については、検討の余地があるように思っています。 ○青木委員 まず、この判断能力不十分の程度をどう考えるかにつきましては、やはりこの成年後見制度、今回の改正に当たって、民法だけではなくて社会福祉制度も含めた全体としての位置付けで考えるということが非常に重要であると思います。第2期基本計画の「成年後見制度の利用促進に当たっての基本的な考え方」におきまして、意思決定支援を十分に図る権利擁護支援制度を十分図った中で、成年後見制度がその必要な手段として活用されるということが位置付けられ、それに基づいた見直しということが提案されています。   また、権利条約でも、総括所見についてはいろいろな評価があるかもしれませんが、少なくとも批准をした条約12条の明文においても、完全な行為能力の保障、そして意思決定支援の優先、ラストリゾートとしての成年後見制度ということが位置付けられ、これを今回の制度としては実現していく必要があると考えますので、そういう意味で言いますと、まずは御本人が十分に支援をすれば何事も決めることができるかもしれない、決められる存在であることを前提に支援するということがあった上で、ではどういう場合に判断能力が不十分であるということを考えるかという視点が非常に重要だと思います。   そういう意味で言いますと、現在の医学的な所見に基づいて判断能力があるかないかを属人的に、事理弁識が欠ける常況あるいは著しく不十分とする認定の手法というのは、これにそぐわないものと考えておりまして、あくまでも判断能力が不十分ということについては検討する必要はありますが、それはあくまでも必要性があると申し立てられた代理権あるいは取消権との関係において、現時点においてご本人が意思決定が自分ではできず、第三者による代理や取消の保護の必要性があるかどうかということの中で、その範囲に限られて判断能力が検討されるべきだと考えております。そういう意味で言いますと、「判断力が不十分な者」とか、「事理弁識能力に欠ける常況にある者」ではなくて、具体的な事項との関係で判断能力が不十分かどうかを検討するということの位置付けにすべきであると考えております。   そうなりますと、それを独立の要件とする必要があるかということになりますと、これは、法律効果である代理権ないしは取消権の付与との関係で、その必要があるかどうかの中で、自ら自己決定することができない状況にあることを必要性の中で判断するために、医学的な知見も含めた、ご本人さんのその事項に関する判断能力の如何ということを評価すれば十分でありまして、それ以上に、判断能力が欠ける常況にあるかどうかということを認定した上で要件にする必要はないと考えております。   現在の成年後見制度の中の後見類型においては、たまたま必要性があって後見の類型を適用されますと、遺産分割や不動産の売買は確かに自ら意思表示することは難しいかもしれませんが、その余のことについては支援があれば自分で決めて意思表示もできるにもかかわらず、全て後見人が代表してしまうということによる不具合あるいは不満ということが非常に言われております。これやはりご本人さんの自己決定をする機会、自己決定をする力を必要以上に制限するということになっていると思いますので、その点からも個別の事項ごとに判断能力を検討するということが必要であると思います。   また、「精神上の障害」に限定するかどうかにつきましても、後で議論になりますと思いますが、自分の内心での意思決定ができたとしても、その表示行為を十分に外部に出すことができない方、例えばALSの方などがその典型かもしれませんが、そういった方々にとっては、民法上の法律行為についても、内心の意思は決められても表示が難しいということについて、何らかの代理等をするということも考えられてよいのではないかとも考えられます。そうしますと、「精神上の障害」ということで果たしていいのかということについても、その点も含めた検討が必要であると考えております。 ○星野委員 開始の要件のところで、医学的な判断が必要というところについては特に異論はないのですが、ただ、現状の医学的な判断である診断書に偏重している決め方ではなくて、本人の日常生活の中でどのような支援が必要になっているかというところを見ていくための本人情報シートの記載内容や本人情報シートの在り方というのも今後議論になると思っています。   それから、身体障害というところについて、5ページのところに記載されている部分なのですが、今、青木委員からもお話がありましたけれども、精神上の障害なのか、身体的な状況から、なかなか自分の意思、意向が表出しにくい、あるいは支援者に伝わりにくい、そういう状況が現実にあって、現在の成年後見制度において、そういった状況にある方も法律行為の代理が必要な場合に後見制度の対象者ということで判断されている事例はあると考えます。ですので、この障害の捉え方というところで、日本の場合は身体障害、精神障害、知的障害というような類型になっておりますけれども、より日常生活全般を見て、どの部分に支援が必要になっているのかという観点から見ていくときに、代理をする人が必要なのかどうかというところの見方というのも重要になってくると思います。 ○佐久間委員 まず、判断能力というか事理弁識能力の位置付けについてですけれども、先ほど来お話を伺っておりますと、事理弁識能力に欠けるところのない人についてサポートする必要がないことは、皆共通の認識なのだろうと思います。身体障害については後で申し上げますけれども。その上で、事理弁識能力が欠ける、あるいは不十分であるという一律の判断をすることがいかがなものか、医学的な判断のみなのか、あるいはそれが極めて重視されるのはいかがなものなのかということが疑問として出されているところかと思います。   お話の中でも出てまいりましたけれども、結局これは法定後見の類型をどのように考えていくかということと密接に関係しており、それと離れて結論を出せる問題ではなかろうと一つは思っております。もう一つは、ただ、どのような類型の立て方をするというか、あるいは類型というものをなくすということにいたしましても、自らおよそ判断をすることのできない遷延性の意識障害の方のような場合はゼロにはならないわけですので、一律の判断というものは、やはりベースラインとしては必要になってくるのではないかと考えております。判断能力というか事理弁識能力に関しましては、少し議論が進んだらまた申し上げることがあるかもしれませんが、差し当たり、以上です。   次に、身体障害についてなのですが、ALSという例が出てまいりましたけれども、実は私、この論点を拝見したときに、一体どういう経緯でこれが出てきていて、想定されているのはどういう状態の方なのかということがよく分かりませんでした。と申しますのは、身体障害が重度である方におかれて、精神上の障害もあると認められた方は、そちらのほうで制度の対象となっていくはずですので、精神上の障害はない方であって重度の身体障害だという方について、一体どういう状態の方が想定されていて、本当に表示ができないのだろうかというのがよく分かりませんでした。そういう方がおられるのだということだとしたら、しかしそれは意思は形成できる、そしてその意思を外部から何らかの形で認識できる、だけれどもその意思が表示できないと、そういう方に思われるわけですが、そうすると、誰かは意思を認識することが可能なわけですので、意思決定まで代行する必要はなく、仮に表示ができないのであれば、使者にすればいいだけだと私は思いました。   ただ、この最後に申し上げたところは、今私がこういうふうに考えたという前提をとったらそうなるのではないか、代理は要らないではないかということでありまして、まず、この4の論点について論ずることが必要だとお考えの方におかれて、どういう方について対象としようとしているのかということを、申し訳ないですけれども、教えていただければ有り難いと思っております。 ○山野目部会長 佐久間委員の御発言の前半の判断能力の観点の要件における位置付けの仕方については、御意見を承りました。後半で取り扱われた重度の身体障害者の問題については、御意見であると同時に委員、幹事の皆さんへのお問い掛けの側面があったのではないかとお聞きしました。その点に関して委員、幹事の皆さんから何か御発言がありますれば、承ります。 ○根本幹事 まず、1点目の法定後見の開始に際しての考慮要素のところですけれども、前提として、医学的な知見を要するということについて異論はありませんけれども、法制上、医学的見地に加えて生活上の支障等の社会的見地も判断要素となるということを明確にする必要があると考えています。これは、先ほど星野委員からもありましたが、現在の実務上の工夫である本人情報シートに対して法制上の位置付けを明確にするということが必要だと考えています。理由といたしましては、障害に関して医学モデルから社会モデルへの転換が図られる中で、完全な社会モデル的な捉え方で開始要件を構成することは現時点では難しいとしても、個別的な代理権付与を念頭に置いた場合には、社会生活上の困難性も開始時に考慮するということが望ましいと考えています。   なお、社会的見地を考慮するということについて、現行の実務上若しくは調査官調査等においても、これは考慮されている要素かと思いますので、社会的見地を考慮することで判断の客観性が失われるということにはならないと考えています。   こうしたことを前提に、精神上の障害により事理を弁識する能力が不十分であるということを独立した開始要件とするのではなくて、開始の必要性、特に保護の必要性における重要な考慮要素の一要素とするということがよいのではないかと考えています。理由といたしましては、個別的な代理権付与を前提といたしますと、類型的な判断というのは要さないということになります。その限りにおいては事理弁識能力概念というのは不要になると思われます。個別的に代理権付与を行うということは、個々の法律行為や対象事務ごとに意思能力が異なるということになりますから、そうしますと、その異なる個々の法律行為や対象事務ごとに代理権の要否を判断していくということになるかと思います。   あと、佐久間委員から御指摘がありました身体障害の点についてですけれども、これは理論的には、表示行為も含めて後見制度の支援の対象とするか否かという問題だと捉えております。先ほど佐久間委員からもありましたが、表示行為ができないということではなくて、できているのだけれども、ただ、それが使者というような立ち位置では実務上若しくは取引上、今の取引実務で受け入れられていないということがあると思います。例えばですが、メッセージボードですとか、いわゆる言語ですとか、若しくは筆記のような典型的な表現手段であればともかく、そういった表現手段ではない異なる表現手段を用いてしか表示行為ができないという方において、取引の窓口担当者等が筆記ですとか言語による表示以外の表示を表示行為とは認めていただけないという状況があると考えています。この点について後見制度で対象とするかどうかというところはいろいろ御議論はあろうかと思いますが、理論的な問題点は、表示行為を制度対象に含めるかという問題であると考えています。   今後、事務当局において当事者団体へのヒアリングを行われるということになろうかと思いますけれども、その際には、類型論を前提としたニーズの確認をされるということではなくて、個別的な代理権付与ということも考慮した上でのニーズ調査ということをお願いできればと考えております。 ○山野目部会長 佐久間委員から問題提起を頂いた事項のうちの、重度の身体障害者が後見制度を用いること等の必要性に関連して、その具体的に想像される場面の理解に関連する御発言が今、根本幹事からありました。その点について、ほかの委員、幹事からももし御発言があれば、承ります。いかがでしょうか。 ○上山委員 基本的には、今の根本幹事の御発言の内容が重度身体障害事案の一つの対象かなと考えます。新しい制度を意思表示あるいは法律行為に対する支援と考えた場合に、先ほど御指摘があったように、意思形成については特段の医学的な困難性がなくとも、表示行為の部分について著しい社会的な困難性があるというケースについて、裁判所が関与する形で、本人の申立てがあれば、重要な法律行為についての代理権を付与するという在り方というのは、制度設計としてあり得るのではないかと考えます。まず、これが1点目です。   恐らく一般的な民法の考え方からすると違和感があるかなと思わなくはないのですが、更に進んで、例えば、これからますます増えていくであろう寝たきり度の高い方、認知症はないけれども日常的な自立度が著しく低い方について、やはり同じような仕組みで対応することができないかという課題はあるかと思います。これは、要するに監督の実効性ということを確保するために、ご本人からの請求があることを大前提とした上で、そうした方を対象に入れるということはあり得なくはないのかなと個人的には思います。   恐らく一般的な理解からすれば、監督人になる人も含めた三面契約などを結ぶことによって十分な対応ができるのではないかという御意見があろうかと思いますけれども、しかし、寝たきりの状況のままで、その監督人について十分なコントロールができないという可能性もあり得ますし、現行のシステムですと、任意後見についても判断能力が落ちないと発動しないということがありますので、これを民法典の中で、あるいは新しい法定後見の仕組みの中で対応するかどうかはさて置くとして、重度身体障害のある方が利用できる代理に対する公的な監督について、個人的には一定のニーズがあるのではないかと考えています。 ○竹内(裕)委員 弁護士会の中で議論したときに、この身体障害の方に対することなのですが、中には福祉で対応すべきなのか、あるいは後見制度の対象とすべきなのかという議論もあったのですけれども、ただ、これの必要性について御意見を言っておられる弁護士の中では、やはり今、上山委員がおっしゃったとおり、公的な監督のある安心感ということをニーズに合わせて与えるということは必要なのではないかということがございましたので、これからヒアリングなどで、どのようなニーズがどういう方にあるのか、そういったところをお聞きしながら、引き続き議論の対象にしておくべきなのかなと考えております。   また、併せて第1の医学的知見、診断書等を開始要件とするかにつきましては、私としては、ここは客観性を担保するという意味では、やはり独立の要件とすべきなのではないかと思っています。といいますのは、必要性ということが非常に重要になってくるというのはそのとおりなのですけれども、開始の場面においては迅速に判断をするという要請もございますし、例えば診断書等、この事理弁識能力に関することを要件としたとしても、それが必ずしも類型化そのものに直結するであるとか、あるいは特定の法律行為について同意権、代理権、取消権を考えていく、そのことと必ずしも矛盾するものではないのではないかということで、ミニマムな要件としてはやはり維持をした方がいいのではないかと考えています。 ○野村幹事 まず1点目ですが、法定後見の開始に当たって医学的知見に基づいて本人の判断能力が不十分であるということは、明文上、独立の要件とした方が、現行法との連続性がありますし、民事基本法制の在り方としては分かりやすいと思います。ただ、必要条件であり十分条件ではないと思いますので、この点のみで開始させるわけではなくて、必要性があって初めて開始することになると思います。包括的な代理権、取消権を保護者に付与するのではなくて、本人に必要な事項についての代理権、取消権を個別に保護者に付与する制度になれば、実務上はその事項について判断能力が不十分かどうかを判断することになるので、余り変わりはないのではないかと思っています。   続いて、重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である者については、法定後見の開始事由とする必要はなく、意思決定支援の意思表明支援・実現支援として、後見制度ではない他の福祉的な制度で対応することも可能ではないかと思われますが、当事者の方のニーズをヒアリングする必要があると思います。なお、任意後見は契約なので、重度の身体障害によって意思疎通が著しく困難である場合にも利用できる制度とする余地はあると考えています。 ○青木委員 重度の身体障害に関する点についての具体的な状態像というかニーズについての発言となります。   実際にこれまでの実務の中では、ALSの方が利用したいという要望があって、後見申立てをされても、それが精神上の障害ではないとなりますと、要件が該当しないのではないかということで裁判例でも争われた実務もございます。裁判例の判断は分かれているところですが、やはり精神上の障害が要件とされれば、ALSの方に利用のニーズがあったとしても、認められないおそれがあるという実態がございます。逆に言えば、身体障害の方にも法定代理権を必要とする方がおられるというニーズがあります。現在の実務でどうしているかというと、精神上の障害があるとはいいきれないにもかかわらず、何とか精神上の障害を認める診断書を書いていただいて申請をするということで、利用しているという実態もございます。   また、利用が必要な具体的な場面で言いますと、銀行その他機関との関係で言いますと、ALSの方が文字盤等で意思を表示する、あるいは失語症の方が文字盤を目で追ったりして意思を表現しようとする、あるいは脳性麻痺の方がお話をされるのですけれども、近しい支援者の方や慣れている御家族であれば何をおっしゃっているかは分かるけれども、当該取引先の職員の方ではなかなか理解できないというようなことで、実際にはご本人の思っている内容を表示できずに、取引が阻害されるという状況があります。これにつきまして、大前提として、本人がもちろん望む場合に限りますけれども、一定の法定代理権というのを与えて、かつ法的な監督をはかる制度の利用ということのニーズは確かにあるだろうと思っています。一方で、障害者差別解消法において合理的配慮が義務化をされまして、様々な社会生活の場面で、様々な機器等の環境整備や個別の工夫した支援の取組をしていくということにもなっておりますが、それで果たして表示行為への支援として尽きるのか、やはり必要性のニーズがあるのかということを見極める必要があると思っています。 ○星野委員 今、重度の身体障害のところでいろいろ実例が出ておりまして、今のような、精神に障害がある状態ではないけれども、現行の成年後見制度を活用している事例を社会福祉士会でも把握しております。   それから、重度ということではなくて、個別にどんな支援が必要かというのを考えると、補助のイメージを考えると、補助のような部分的な代理が必要な方がこれまでの議論にあったような、精神的な障害という範ちゅうで診断書が出てこないと現行の成年後見制度の対象になりませんので、医師と相談して制度利用につながるような診断書を記載いただく、そういう例も実際にあります。ですから、これはもちろん民法の改正だけの話ではなくて、社会福祉法制の方でどういう受皿があるのかということが、今は現実的にないためにこういうことになっているという、そういう課題意識として発言しているのですが、精神上の障害という言葉の使い方にも関わってくると思います。障害というのが、障害者権利条約を踏まえれば、その人個人に発生しているのではなくて、社会の障壁として障害があると捉えた場合に、障害というのは個人ではなくて社会にあるのだとすると、それを精神上の障害というところで今立て付けているこの法定後見を議論していけば、今のような例は、確かに社会福祉法の方でしっかりと仕組みを作らなければならないのだと思います。ただ、現実にそれが今ない中で、実務上のいろいろなことが行われているという現実はお伝えしたいと思って、発言しました。 ○沖野委員 重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である者ということにつきまして、様々に御教示を頂いたところなのですけれども、私は佐久間委員の御指摘に共感しているところがございます。ただ、今の御指摘によって分かってきたように思うのですけれども、どういう制度を、あるいはどういう道を用意するかということにつきまして、意思疎通が困難であるということであれば、意思の表示行為をサポートするという方法があれば十分ではないかと、その意味では表示行為支援とか、そういうことになるのではないかと当初思っておりました。   それに対しまして、むしろ代理権を付与するのだという考え方が出されており、いずれで行くのかということがあるように思います。代理権については広狭があるとはいえ、代理人となる者がその裁量で判断して決定していくということになりますので、本人が全く判断能力には欠けないという場合に、ほかの人にそれを一定程度裁量で委ねる――自分もできるわけですけれども――、そういう制度を法定後見として用意するのかどうか、民法の問題であるのか、それとも、より社会的な、福祉という話がありましたけれども、そういったところに委ねるべきなのかということがあるように思いました。   それで、少し先取りして申し上げますと、後の方で出てくると思うのですけれども、現在の補助がそうだと思うのですが、代理権を付与するというタイプと、同意権を付与する、さらには取消権を付与するというので、どのくらい本人に対する関与だとか、あるいは制約的な要素が強いのかというと、一般的には本人が単独では行為ができないことになる同意ですとか、あるいはした行為が取り消されうるものとなる、取消権者がほかにいるという場合ですけれども、取消しの方が、本人の意思決定等に対する制約というか侵襲的な度合いが高いということで、それに対して、代理はそうではないとされているのだと思うのですけれども、代理権の範囲が広いと、本人の意向に必ずしもかかわらずに財産処分などができてしまう可能性があるので、飽くまでそれをするのは本人なのだけれども、同意か、あるいは再考した上での見直しかという取消権の方が、本人にしか行為ができないという意味では、むしろ本人の意思決定等に対する介在なり関与の度合いとしては、逆の評価もできるのではないかと思っておりまして、そういう感覚を少し持っておるものですから、代理権を付与すればいいということについて、本当に代理権を付与するのでいいのだろうか、それは結局は、任意代理もできるわけだけれども、どうなのだろうかということが気になっております。   1点目の判断能力の不十分につきましては、結局法定後見の開始の必要性をどう切り出すか、こういう制度を発動させる必要をどこに求めるかということですけれども、第三者が意思決定や法律行為に介入していくというものではありますので、そうだとすると、本人自身の意思によるか、本人が必ずしも全面的に望んでいるというわけではないというようなことを考えますと、それはやはり判断能力が十分ではないということに求めざるを得ないのではないかと思います。考慮要素の一つというよりは、やはり独立した要件になるのではないか、第三者による関与、介入というものを正当化するには、そこではないかと思っております。   そのときに不十分さというものをどういうふうに評価するのか、一定の行為との関係なのか、ミニマムなのかということがありますけれども、介入の根拠と考えるならば、ミニマムのところで一定の線はあるのではないかと思われます。ただ、効果との関係で、その効果にふさわしい類型なり場面なのかという検討は別途必要ですので、最終的には幾つかの類型になるにしても、何らかの効果がより具体化されていくにしても、それをもたらすためには、プラスアルファ何が必要なのかという、独立した要件ではあるけれども唯一の要件ではないということではないかと思っておりますし、判断能力ということであるならば、その客観性の判断は必要で、医学的な見地というのは、それはベースになるということではないかと思います。それが決定的ではないということは確かですので、決定的ではないということを明らかにするようなことは考えられるのではないかと思っております。 ○山下幹事 先ほどの身体的な障害の件に関しましては、私も佐久間委員がおっしゃった当初の御意見というのにある程度賛同できるところがあるかなと思っておりまして、ただ、使者でいいのかというところは私もよく分からなくて、沖野委員が今おっしゃってくださったような任意代理などの制度が利用できるという点が一つの重要なポイントではないかと思っています。   法定後見で法定代理の制度になるということは、本人が代理を使うことについての判断ができないという前提が恐らくあるのだと思いますけれども、自分が信頼をしている人に代理権を与えて、代わりにやってもらいたいということであれば、そのために、ある程度時間が掛かるとしても、本人の意思が確認できるのであれば、任意代理を使った方が本人の自己決定には望ましいのではないかという感覚が私にはございました。そのような点からすると、やはり任意代理などが、より広くほかの制度が使えるという選択肢があるということを考えると、身体的な障害と精神的な障害を同じ制度の中で、法定後見という一つの枠にくくって一つの要件で考えていくというのは、余り望ましくないのではないかという気がしております。   それと関連して、医学的判断の問題というのについても少し申し上げますと、これは結局のところ、開始要件のところで医師の診断書が必要かということが一番大きな問題になるかと思うのですが、そのときに先ほどの、正に身体的な障害や精神的な障害、本人が抱えておられる障害の種類とか程度というものについての一定のやはり医学的な知見は、考慮するべきではないかと考えておりまして、その上で、医学的な障害が社会的な障害にどのような形でつながっているのかということを裁判官なりが判断するという形で、やはり複数の専門家が関わって、御本人に一番必要な制度というものを提供していくというのが望ましいのではないかと考えております。 ○佐久間委員 いろいろな方から教えていただきまして、ありがとうございます。今度はそれを踏まえての意見を申し上げたいと思いますけれども、まず、使者でいいではないかと先ほど申し上げたのは、御本人が契約を締結することができるのであれば、その場面では使者でいいではないかということでありました。   今いろいろ教えていただいて、一つ思い出したというか、思い浮かべたことがございまして、それは、補助の制度が始まったときに、同意権を与えず、どうして代理権だけ与えるという制度を設けるのか、これは今は誰も疑問に思われていないかもしれませんけれども、当時の議論として、意思能力のある人について、どうしてわざわざ公的にそのような法定代理権のようなものを与えるという制度を作るのか、それはおかしいのではないか、むしろ介入しすぎではないかという議論があったのです。他方で任意後見制度もできまして、これは公的なサポートはするけれども御本人が動かすという制度ですから、それとの関係で、補助についてはやはり疑問があるのではないかという意見もありました。別にそれが一般的だとは申しませんけれども。ただ、それに対してどういう説明されたかというと、ごく簡単に言うと、困難を抱えている方に対する公的サービスなのですと、そういう説明がされていたのだろうと思います。   そうだとすると、この重度の身体障害の方についても同じ発想で、なかなか契約等を結ぶことが難しいということだとすると、公的サービスの在り方として、特別に法定後見の枠組みで代理を利用することもできるようにしましょうというのは、あり得る発想なのだろうとは思いました。あり得る発想なのだろうとは思いましたけれども、なるべく御本人の意思を重視していくという方向、基調がこの会議全体、これから検討しているところにあるとすれば、あるのだろうと思っているのですが、そのような基調があるところで、意思決定に困難を少なくとも抱えていないと認められる人について、法定の代理権を与えて、先ほど沖野委員、山下幹事もおっしゃったかもしれませんが、代理人が自由に意思決定を当該代理権の範囲でできるという制度を設けるのは、やはり適当ではないのではないかと思いました。   他方で、この対象の方は意思決定はできる、そして、それを慎重に酌み取れば問題ないのだということだとすると、任意後見の変形バージョンみたいなものの方で組んでいった方がいいのではないかと思いました。御本人が代理権を与えたいのだと、自分で決めることもできるけれども、いろいろ困難を抱えているから、ほかの人に任せてやってもらいたい。ただ、任意代理のための委任契約をすることも困難だということだとすると、任意後見の今の制度ではありませんけれども、そういう御本人の意思、請求に従って、御本人が望む任意代理の契約、委任の契約をサポートする、そういう仕組みを作ることで、私は十分なのではないかと思いました。 ○山野目部会長 佐久間委員が最後におっしゃった、任意後見の利用の要件の際に重度の身体障害者の問題を受け止めるという可能性は、大いにある提案の方向だと考えられますので、任意後見を検討する際に、ただいまの御指摘を忘れずに部会資料等において考慮の対象に含めることといたします。   これに続きまして小澤委員、河村委員、杉山幹事に御発言を頂きます。 ○小澤委員 重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である者について、先ほど申し上げたように、法定後見制度はなるべく抑制的に利用すべきものだと考えておりますので、重度の身体障害の方については、やはり任意後見制度など、本人の意思をより重視した制度を利用すべきだと基本的には考えております。   ただ、重度の身体障害によりコミュニケーション自体が困難であるようなケースについては、委任契約や任意後見契約などを締結することが事実上困難ということも考えられます。自己の意思を発信する能力に問題があり、判断したことを周囲に伝えることが全くできないということであれば、運用のレベルで、判断能力に問題がある状況に準じて法定後見の利用ができる制度であってもいいのではないかと考えますが、そのようなケースを想定した上で法制化をする必要まではないと考えています。   あと、診断書のところです。3(1)の事理弁識能力についての医学的な診断等についてですが、現在の法定後見制度は、医学的知見に基づいて本人の判断能力の程度を分類して、制度の利用の可否や利用できる制度の類型を決定し、その類型ごとに効果を定めておりますが、そのような画一的な扱いについて一定の修正が必要であるとは考えておりますけれども、一方で、本人の判断能力の程度を医学的に判断することは、制度利用の必要性や、どのような権限を付与するかを検討するために必要不可欠だと考えています。また、介護保険や障害福祉サービスなどの他の制度でも、医師による医学的知見に基づいた判断が必要とされていることからも、後見制度の利用に当たり医学的な判断を必要とすることが不適当ということにはならないと考えております。 ○河村委員 第1回のときに全く発言をしなかったので、すみませんが、若干私の経験に基づく、第1回のときに言うべきだったことなども入っているかもしれませんが、1のことについて意見を述べさせていただきます。   要件のことについてなのですけれども、結論的に申し上げれば、ほかの方もおっしゃっていることだとは思いますけれども、意思決定能力に不十分さがある者という要件がなくてこういう制度があるということに私は意味を見いだせないので、それは必要なのではないかと思います。実は私、10年ぐらい前から数年間、実の母の成年後見を私の兄と二人でやりまして、実務はほとんど私がいたしました。皆さんそういうケースは多いと思いますけれども、兄が、母が持っている実家の建物を、老朽化したので建て直さなければいけない、ローンを組まなければいけないとか、そういう契約の問題があったので、必要性から二人でなったものでございますが、私はこの時の経験から申し上げたいことがございます。私は法律の専門家ではないので、消費者団体の者として、又、後見人をした当事者としてのコメントになりますが、この1の範囲内で言えることには限りがありまして、私の経験から言うと、やはり後見人に求められていることを変えていかない限り、1回目のところで問題提起されたような、被後見人の権利というものが実現していかないのではないかと思います。   といいますのは、今、不十分である者とか著しく不十分となっていますけれども、不十分というのはゼロではないですよね、全くできないわけではないはずなのですけれども、私が後見人になって、本当に事務がいろいろ大変でしたが、求められていることは、私の印象ではただ一つでした。母の財産が減らないこと。毎月報告をして、減っていませんね、バランスシートオーケーですね、何なら増えているぐらいの方が褒められるような印象で、そこしか見られていないのですね、私の印象は。ほとんど兄の手続のためにやったことですから、なるべく波風立てないように一生懸命やりました。   何が言いたいかといいますと、母の意思がどこにあるかとか、母の利益がどこにあるかとか、そういったことを問われる場面が一切ありませんでした。そういう経験から言うと、要件の中に意思決定能力に不十分さがある者というものがあってもいいのですけれども、能力がゼロではないのに、ほとんどもうその人の意見を聞くということが求められていない。つまり倫理的には、道徳的には被後見人のことを酌み取るべきなのかもしれませんが、手続としては、後見人の事務をやった経験上、一切それは求められていなくて、財産が減らないことだけを見られていると強く感じました。要するに、ほかのどなたかもおっしゃっていましたけれども、後見の運用の中身とともにやっていかないと、これはいけないのかなと。つまり、意思決定能力がゼロではない人に対して何ができるのか、今いろいろな専門家の方たちの御意見を聞いていて、これ以降検討していく中身と密接にリンクしているのではないかと感じました。   それから、身体障害のことで先ほど意見を求められていたので、そのときにきちんと手を挙げなくて申し訳なかったのですけれども、私の意見としては、判断能力が不十分ではなくて、身体的な問題だけでいろいろな意思疎通というか意思を表現することが難しい場合と、そうでない精神的なものと一緒にするべきではないと思いますので、そこはほかの方がおっしゃったように、これは私は全体にいえることだと思うのですけれども、権利条約や、権利委員会のこととかを前回の資料などで読んで感じますのは、裁判官とかいろいろな専門家が関与してくるわけですけれども、関与をするというか、見ていくわけですけれども、その中に、意思を読み取るエキスパートといいますか、私はそういうことに余り詳しくはないですが、きちんと専門家がその人の意思を読み取れる人が必要ではないかと。英国意思能力法の5原則というのを見せていただきましたが、そういうところにその分野のエキスパートを投入して、その力をいかしてやっていかないといけないのではと感じています。意思があるのに表現できないだけの人の意思は、そういう技術や知見や能力というものがあるのであれば、それを使って読み取るべきだと思います。本当に権利委員会の見地から見直していくのであれば、今日の該当ページのことだけではないですけれども、そういう何か専門家の関与というのが必要なのではないかと感じております。 ○杉山幹事 私自身はほかの何名かの委員の先生方がおっしゃってくださったように、判断能力がないということが唯一でないにしても、一つの開始要件とすべきであると差し当たり考えておりまして、その判断にあっては医学的な知見からの検討は必要であると考えてはおりますが、ただ、少し時期尚早だと思いますけれども、その判断手続をどうするのかという問題も併せてといいますか、事後的には考えていく必要があると思っております。と申しますのも、これまで診断書とか本人情報シートとか、様々な医学的な知見を提供する手段というものが示されているわけでありますが、診断とか、つまり単なる医師の意見と鑑定というものは、手続上全く違うものとして構成されております。家事事件手続法の119条は、部会資料の3ページにありますように、成年後見の開始決定をする際には、明らかな必要性がない場合には鑑定が必要であるとしておりまして、この鑑定というのは、いわゆる民事訴訟法上の鑑定でありまして、宣誓が必要であるとか、中立性、公正さが保たれた、保障された鑑定人による鑑定が必要であるとなっているわけでありまして、現行のこの法律ができる際、改正法の際にほかの案なども提案されていたようですが、議論の結果、やはり開始決定に当たっては慎重かつ客観的な判断が必要であるとして、このような結論になったとのことです。   部会資料でも3ページから4ページ目辺りに、本人情報シートとか、あるいは診断に属するようなものが紹介されていますが、これらが使われているのは、飽くまでも手続の申立てをするに当たって、どの手続で申し立てるのかを振り分けるに当たって使うだけでありまして、ただ、それがそのまま開始決定の審判に使われるわけではなくて、家事事件手続法上は、開始決定の審判に当たっては、やはり厳格な鑑定が求められるということになっていて、そのような規律になるにいたってはそれなりの議論の経過、積み重ねがあったわけであります。   そのため、今後、後見開始の効果をどれくらい強いもので考えていくかにはよるところでありますが、この出発点というものは無視してはならないと思いますし、単なる医師の判断とか本人情報シートと鑑定というものは別のものとして規律されているということを、きちんと共通の理解として議論を進めていく必要性があるのではないかと考えております。瑣末な点ではありますが、気付いた点を発言させていただきました。 ○青木委員 今の皆様の意見を聞いて、私の意見とも照らし合わせてのことなのですが、まず、対象となる、あるいは要件とされるとおっしゃっている「判断能力の不十分さ」というものが、全般的な、申し立てられている事項の必要性と離れて、この人について、ミニマムとして判断能力が不十分と判定すべきである、認定すべきであるというご意見なのかどうかというところだと思います。私の意見はそうではなくて、あくまでも申し立てられた事項との関係で判断能力を考慮するということが必要だと思っています。   そうでなければ、必要性や申し立てられた事項と離れて、ご本人さんについて「判断能力が不十分である者」というふうに裁判所が認定をするということになりますれば、権利条約が完全な行為能力を認めるという12条2項の趣旨にも反することにもなりますし、ですから、やはり理念とか基本的な考え方が重要と先ほど申し上げたのは、あくまでもご本人に現在必要とされている行為との関係で、判断能力が十分かどうかということが審査の対象であるべきだと思っています。そうなりますと、それを要件とするのではなくて、やはり必要性の中で考慮すべきであって、独立の要件とする必要はないというところにつながるのではないかと思っているのです。   この点は非常に重要なところだと思っていまして、ミニマムで判断能力は判断するけれども、実際に付与する代理権や取消権は別に考慮するのであるので、それでいいということになりますと、そうすると必要性を離れて、ご本人さんを属人的に何らかの判定をするということになってしまいますが、果たしてそれが適当なのかということを議論していただきたいと思っているところです。 ○山城幹事 大きく分けて2点について御発言申し上げます。一つは今、青木委員からも御発言がありました、医学的判断の位置付けに関してです。   これに関しては、複数の委員の先生方から御発言がありましたけれども、私も医学的判断によって客観性を担保するという考慮は重要であると考えておりまして、この点について、部会資料の1の3(2)に書かれている考え方に賛同いたします。ただ、その一方で、開始要件を保護の必要性という観念に包摂するという着想自体は理解することができるとも思っておりまして、また、その観点からは、判断能力は必要性の判断要素の一つとして位置付けられるということも理解しているつもりです。   ただ、保護の必要性があるときに制度利用を開始するというのは、言わば原理論であって、要件の明確化とはまた別の次元の問題ではないかと思います。必要性の一要素であるからこそ、開始要件のレベルでは事理弁識能力が評価対象とされることを明らかにする必要もあるのではないかと感じます。また、そのことは、事理弁識能力を行為との関係で評価するのか、あるいは属人的に評価するのかといったような問題とは切り離して検討することができる問題ではないかとも感じます。   もう一つ、付随して御発言申し上げたいのですが、重度の身体障害の方をどのように位置づけるかという点につきましては、一般論として、精神障害の場合と身体障害との場合ではニーズが異なるのではないかと思います。そうしますと、どのようなニーズにこたえる制度として成年後見制度を構想するかによって、対応が変わってくるのだろうと思います。飽くまで事理弁識能力を補うというようなことを中核にするのでしたら、やはり精神障害の場合と身体障害の場合とは区別して扱う方が望ましいのではないかと感じます。   これに対して、意思決定をよりグローバルに支援する成年後見制度を目指すという構想もあり得るかと思いますが、そうしますと身体障害の場合も射程に入れるという考え方に結びつくのであろうと思います。ただ、そのように対象を広げた制度がはたして民法上の制度として構想されるべきものなのかについては、検討が必要ではないかと感じます。個人的には、身体障害の方についてニーズが十分に満たされていないという、御教示いただいたような現状があるのだといたしますと、それは成年後見とは別に適切な制度を創設するという方向性の制度改革を望みたいと、そのように感じたところでございました。 ○沖野委員 何度も申し訳ございません。青木委員から御指摘のあった、一考慮要素とするのかどうかという点について、少し基本となる理解として私が持っているところを申し上げたいと思います。   ミニマムの要件として、あるいは介入の根拠として、やはり判断能力が十分ではないということ自体は必要ではないかと思っており、それがなくても他の要素があればこの制度を開始してよいということになるのかどうかというと、一方での判断力の問題ではない類型を作るかというのは、重度の身体障害の場合についてどうするかといった方の問題になりますけれども、そういう点を置くと、一考慮要素にしてしまうと、判断力は十分である、当該行為との関係でも十分であるけれども、他の要素からこの法定後見を開始するという場合があり得ると、そういう制度設計になると理解しておりまして、そういう制度設計にはしない方がいいのではないかというか、そういう制度設計にするとなると、もう一つの問題というか、そちらも取り込んだ、かなり違ったものを含む形になるので、判断力の不足に着目した制度というのは、少なくとも一つ、そういうものとして用意するのがよいのではないかと考えた次第です。あるいは一考慮要素とするという趣旨を誤解しているのかもしれませんが、そのように理解して申し上げたということを申し上げたいと思います。 ○佐久間委員 沖野委員がお取り上げになったのと同じところで、先ほど青木委員がおっしゃったことについて、考えを述べさせていただきます。   先ほど青木委員は、私の誤解でなければ、医学的な判断は当該保護の必要性との関係で見ていくべきであるとおっしゃったと思います。ただ、と言っていいのかどうか分かりませんが、現行法もそうしているのではないかと思うのです。現行法は飽くまで後見、保佐、補助という制度を、類型的に保護の内容を決めて立てて、それに見合った必要性ということから、こういう判断能力が、例えば、契約の内容理解できないという人は必要だから後見ですね、サポートがあれば理解できるという人は、必要があるから保佐ですねというふうになっているのではないかと思うのです。それがそのままでは駄目だと青木委員がおっしゃるのは、恐らく今の3類型ではよろしくないと、もっと細かく権限の与え方とかも、柔軟にかな、柔軟に権限の与え方とかも考えていくべきだというふうな発想をとられているからではないかと思いました。   それ自体は今後検討すればよろしいと思うのですけれども、だから、ここから先はこの後の話になってしまうのですけれども、今必要な権限だけを与えればいいのですということだけで本当に済むのかどうかということを、私は疑問に思っております。つまり、今必要な権限を与えればいいのだということだとすると、権限の出し入れをしていくということだと思うのです。これは非常に煩瑣な面もありますし、コストも掛かるという面もありますので、そういう類型もあってもいいとは思いますけれども、そうではなくパッケージで、こういう権限を与えるのですというようなことも場合によっては、これは今後の議論の話ですけれども、設けておいた方がいい面もあるのではないかと、今のところ思っております。   そうだとすると、最後に申し上げたパッケージで与えた方がいいのですということが残ってきたとすると、今の後見の類型なのか、保佐の類型なのか、補助の類型なのか分かりませんけれども、これとほぼ見合ったものになってくるので、その制度の利用に必要な要件としての判断能力というのは、今の医学的な判断と非常に似通ったものになってくるのではないかと思っております。   ですから、ほとんど全ての方がおっしゃっていることだと思いますが、医学的な知見を抜きにして制度を組むことはおよそあり得ないと思うことを前提に、結局のところどういう保護の内容を伴った制度を作っていくのかということで後は変わってくるとしか、今の段階では言えないのではないかと。これは1回目の発言でも少し申し上げたことですけれども、そのように思っております。 ○青木委員 御意見いろいろありがとうございます。まず、佐久間委員の御意見との関係で言いますと、現行は個別の具体的に必要な法律行為とは離れて、やはりご本人さんが判断能力が欠けるか、十分かというのを判断していまして、決してその申し立てた事項との関係で判断能力が審査されているわけではありませんし、診断書もそのようなしつらえにはなっておりませんで、一般的に契約行為ができる方か、そうではないかということで診断書が書かれ、それに基づいて判断をされているということですので、私が申し上げているのは、そうではなくて、具体的に売買契約のために代理権を付与するのだけれども、それに基づく自ら判断する能力があるかどうかを医学的な見地からは、まずは診断書を出していただくと、その上で更に別の事情も考慮して必要性を判断するということに変えるべきではないかという意見ということになります。   先ほどのもう一つの沖野委員の御意見につきまして言いますと、お聞きしていて、私の考えも整理をしたいと思いますけれども、一要素としてということは、医学的知見がなくても発動してもいいという趣旨で申し上げているわけではございません。そういう意味で言いますと、要件とするか重要な要素にするかという論点と、私が一番重要視しておりますのは、対象となる判断能力不十分の審査が、特定の法律行為等を対象とした審査になるのか、そうではなくて、それを離れた属人的な判断になるかについては、重要な違いであると考えていまして、それはやはり前者にするべきであると考えております。それを要素と考えるか要件として考えるかについては、もう少し皆さんの御意見も聞いて、検討したいと考えました。 ○根本幹事 先ほど沖野委員からも、医学的な要素がベースになるけれども、それが決定打と必ずしもなるわけではないという趣旨の御発言があったかと思いますが、私としてもそのように思っています。判断能力が減退していないという類型を設けるということではなくて、医学的な知見というのは、ベースにはなるのだと思うのです。ただ、それが全てではないということをきちんと法制上位置付けるということが必要ではないかというのが一つです。   もう一つは、第三者が意思決定に介入をするなという消極的な要請と考えるのか、若しくは、前回ありましたように、自律の保障というものについて、例えばその意思決定支援等々を重視せよと考えていくのだとすると、本人の意思決定をむしろ支援せよという積極的な要請と捉えることも、できるのではないかと思っています。   その観点から申し上げますと、現行法上独立した要件とすることによって、先ほど青木委員からもありました、属人的な判断というところに結び付いてしまっているというところがあり、今回の改正ではそこをパラダイムシフトさせて個別的な法律行為に対する判断能力を見ていくという制度に変えていくべきではないかと考えておりますので、その意味で、もちろん医学的な見地を無視する、若しくは医学的な見地を全く考慮しないということではないわけですが、それを独立した要件としてではなく、重要な一考慮要素という形で位置付けていくことによって、個別的な法律行為に対する判断能力というところに結び付くのではないかと考えています。   それから、佐久間委員からありました権限の出し入れというところについては、出すというところは現行法上、想定はないかとは思いますが、入れるというところでいえば、保佐や補助についても、当初予定されていなかった代理権、取消権、同意権等について、追加的に付与をするという手続は現行法上も用意はされておりますし、実務上も活用されているところではあります。手続法との関係で、いかにスムーズに柔軟に手続、運用をしていくかという課題はもちろんあります。権限を出し入れするということについて便宜をとるということでは、イコール包括的若しくは属人的というところに結び付いてしまうのではないかということを懸念しております。 ○山野目部会長 久保委員、櫻田委員、花俣委員の御発言をお願いする前に、整理を試みます。意見の分布及び趣旨を明らかにする見地から、一つ二つお尋ねを差し上げます。   まず、根本幹事にお尋ねを差し上げます。根本幹事の最初の方の御発言で、医学的な見地から主としてされることになるでしょうが、判断能力の不十分さということが最も重要な考慮の要素になるとおっしゃっていて、今し方の御発言でも要素という言葉が出てまいりました。要素ということの意味ですけれども、医学的な点もチェックはするが、しかしほかの要素を考慮した結果、ほかの要素がものすごく凌駕するような後見を開始させる必要性の方向に向けての事情が大きいというときには、場合によっては医学的な見地から見て判断能力が不十分だといえない場合であっても後見が開始されるという事態もあり得るという意味で、要素という言葉を使っておられるものでしょうか。いかがですか。 ○根本幹事 そうではないです。 ○山野目部会長 そうではないですね、そのように受け止めました。直近の御発言でも、それはそうではないという方向はかなり明確におっしゃっていたように感じますから、そこは確認です。   それから、重度の身体障害者を後見の制度の対象にするかという論点との関係で、青木委員が何回か御発言になった中で、途中で、本人が望む限りはこの制度の利用の対象とすることを検討したいという御発言がありました。本人が望む限りはということは、これは本日の部会資料には含めておりませんけれども、終了の要件をやがて議論をお願いしなければいけなくて、終了の際には、本人がもうやめたいということを申し出た場合には、裁判所がほかの要素を考慮して、やはりやめないでいただきますというような運用はしないで、取り分け重度の身体障害者の場合には、本人がやめるということの意思の確認もきちんとしなければなりませんけれども、やめるという意向を表明したならばやめるという運用になるという理解でよろしいものでしょうか。お尋ねする趣旨は、そこのところまで見通しておかないと、身体障害者である特徴に注目して準禁治産者にする扱いをしていた従来の民法の規定の規律を廃止した過去の民法改正との関係で、趣旨の説明が先々、工夫を要するような事態が予想されますから、その点、念のためお尋ねを致します。青木委員、いかがでしょうか。 ○青木委員 私の考えは、重度の身体障害者の方については、本人の同意に基づき始まり、本人がやめたいといった場合には終了ができるということを前提に議論をしているということになります。 ○山野目部会長 御意見の趣旨を明らかにしていただいて、ありがとうございました。   ここまでのところで、二つの大きな性質の異なる問題について御議論を頂きました。主として医学的な見地から判断される本人の判断能力の不十分さということを全く考慮しないで、そこのところについては全く問題がないにもかかわらず後見が開始されるという姿は考えないという点については、委員、幹事の間に意見の一致がありました。しかしながら、それを考慮していくという際に、その考慮を、当該事案において後見が必要とされるに至った具体的な事情、経過、そして本人が必要としている具体、個別の法律効果などと関連づけて処するものとし、そのことを要件の規律上も明確にするという方向で行こうという御意見と、それよりは、抽象度を高めた仕方で判断能力の不十分さということを考慮し、位置付けていくべきであるという御意見とがありました。これらの御意見の分布については、本日両方の御意見があったというふうに受け止めます。   本日このすぐ後で御議論をお願いする、本人の後見を必要とする事情を考慮した上で後見を開始するかどうかを決めるという論点の議論と関連する部分がございますし、更に言えば、佐久間委員と青木委員との間で意見の応酬があったところから明らかになりましたとおり、今後、類型をどのように再編していくかという点についての見通しを得て初めて、ここの論点について安定性のある結論を見通していくことができるものであろうと感じます。この論点について熱心な御議論を頂いて、本日かなりの深まりがあったというふうに認識いたします。どうもありがとうございます。   それからもう一つ、それとは性質の異なる問題でありますけれども、重度の身体障害者を後見等の制度の対象にするかという点についても熱心な御議論を頂きました。これは、もし議論をしている題材が、厚生労働省の方で進めている持続可能な権利擁護支援のモデル事業の対象として、身体に重い障害のある方も含めますかという御議論をお願いするのであれば、それは中味が支援に尽きるものでありますから、支援の対象に入れてあげないよと、身体障害のある方は仲間外れにしますよという議論というのは考えられないものでありまして、その局面であれば、当然含めるという議論が推進されてよいはずであります。   しかしながら、民法の定める成年後見制度は、もちろん支援の側面がありますけれども、半面、これから代理権とか同意権とか、取り分け行為能力の制限の議論をどういうふうに進めていくかということに大きく依存しますが、何らかの形で本人に対する牽制という側面を持ってくる可能性をはらんでいる制度であります。そこに重度の身体障害者を入れますか、入れませんかという議論をするときに、何か入れないと、入れてあげないよ、仲間外れにしますよというふうな議論の雰囲気になってきて、いや、入れてあげなくてはいけないではないですかというふうな議論で進んでいくというなりゆきは、少し議論の状況がねじれています。   もちろん今日、委員、幹事の皆さんに御議論いただいたところは、そのような点にも注意して議論しなければいけないという観点を十分に踏まえたものでありました。星野委員から、社会福祉の方がどうなっていくかということを見据えた上で、そちらの方で引き受けるべき制度であるかもしれないという御発言がありましたし、沖野委員からは、成年後見制度が開始されることによって何らかの制約が本人に生ずるということにも注意を払った上で、重度の身体障害者の問題を考えなければいけないというような御指摘を頂いたところでありまして、当然、委員、幹事の間でこれらの観点に注意をしながら御議論を頂いて、本日、考察を深めていただきました。   明らかになってきたことといたしまして、本人の意思形成に問題はないのだけれども表示に著しい困難がありますという、その実態があるということを見据えて、それを一方では取引の実務との関係で、果たしてそこが後見や後見の下での他人への代理権の付与という仕方で保護するということを要請する強いきっかけになるか、それとも使者ないしは使者類似のものとして従来において民法が有してきた伝統的な観念を駆使することによって、行為能力の制限を含むことになるかもしれない成年後見制度の範疇に含めないという仕方で問題処理をしていくかということについては、お聞きになっておられて明らかなとおり、成年後見制度が始まることによって本人にどういうふうな支援と制約を考えていくことになるかというところを見通しませんと、この点もなお結論を決め切ることができないという側面がございます。本日、この重度の身体障害者の問題について相当に考察を深めていただくことがかないましたから、その点についても今後の検討において委員、幹事におかれて、更に御検討をお願いするものであります。   あわせて、佐久間委員から御指摘があったとおり、任意後見のところで、任意後見そのもの、ないしそれ類似の制度との関係で、重度の身体障害者の問題をどう扱うかということは、それ自体、ここでしていただいた議論とは独立して検討しなければならない、あるいは検討していくことができる論点でございますから、そのことを忘れないようにしていくことにいたします。   御案内を差し上げた上で、お話しいたしましたように久保委員、櫻田委員、花俣委員に、この順番で御発言をお願いします。 ○久保委員 今、皆さん、先生方の御議論を聞かせていただきまして、私としましては、医学的判断というのは重要な参考になると思っています。医学的判断で決めるというよりも、重要な参考にすべきと思います。今、議論の中で重度の身体障害による方の話が出てきていますけれども、ALSの方だけではなく、寝たきりのお年寄りでもなく、若い方でも肢体不自由の方はたくさんおられます。その人たちは話をすると、私たちは少し慣れていないと意思疎通は難しいですけれども、でも、きちんと意思判断がおできになる方はたくさんおられます。だけれども、誰にでも分かるような意思の表出ができないというような方もその中でたくさんおられますので、その意味では、判断が少し弱くても、または判断できても意思の表出ができにくいという方についても、障害のある本人にどれだけよく分かるような説明ができているのか、情報が届けられているのかということが、まず大前提だと私は思っています。その上で、その方法をどうしたらいいのかということが大変重要になってくるのだと思います。表出をどう受け止めるのかということも含めてのことになると思います。   それから、代理権についてですけれども、代理権については私たち家族としましては、限定的な代理権という、どうしても本人ができないという方も当然おられると思いますので、そういう意味では限定的な代理権は必要になってくるのではないかと思います。しかし、それを始める、代理権を御本人の代わりにやりましょうということを決めるときに、また本人の気持ちとか、家族とか周りの方の意見を聴いて、みんなできちんと議論をして、やはりそれが正しいよね、そうするしかないよねというところからスタートしていただきたいという思いがあります。現行の法律と余り違わない部分も多分あるのだろうなと思うのです、受け止め方によってですね。ただ、家族としては、余り違わないのに、何でこんなに今は使いにくいのだろうという疑問があるということがあります。そこは何か今の、私たちがこれからやろうとしていることの議論と現行の制度とが、よく考えてみるとそれほど違わない部分があるよというのであれば、現行の制度を使っている私たち、また支援していただいている方々の使い方が悪いのかというふうな感じで、よく分からない部分があるのです。ですから、そういう意味で少しその辺を整理していただけたら有り難いと思います。   私自身は、息子が知的障害ですので、肢体不自由の方のことは、仲間がおられますのである程度分かっていますけれども、詳しく分かっているわけではありませんので、是非ヒアリングでそこの御家族とか御本人がもし発言されることがあるようでしたら、よく聴いて、私たちがこれから議論を進めさせていただけたらなと思っています。 ○山野目部会長 久保委員に御指摘いただいたことは、いずれもごもっともでありますとともに、久保委員に御案内しておくといたしますと、法律の解釈、理解というものは、実は非常に大切なところになってくると尚更という部分がありますが、法律家の間でも理解が分かれるところがあります。今日、ある論点について、いずれも立派な法律家の先生でいらっしゃる佐久間委員と青木佳史委員との間で見方が異なったのは、それはどちらが正解ですかという話ではなく、同じ法文を目にしてお二人は議論していただいていますけれども、やや理解、アプローチが異なりますよというふうになったわけでありまして、こういうところはこれからの議論でも出てまいりますから、お付き合いいただければ有り難いです。 ○櫻田委員 皆様の御意見を伺わせていただいて、本当にいろいろなことを考えながら聞かせていただいたところではあるのですけれども、判断能力についてなのですけれども、判断能力が不十分という言葉が結構この資料の中にも出てくるのですが、私たちからすると、判断能力が不十分というのがどう判断されるのかというところがすごく気になるところでして、先ほどの医師の医学的な診断のところにも重なってくるところではあるのですけれども、やはりその診断一つ取っても、私たちが例えば制度利用をしたいとか、やめたいというときに際しても、それによってやはり自分たちの今後というのが結構数変わってくる可能性があることなのですよね。ということを考えたときには、やはりどうやって判断されて、どうやって意思の判断とかもするのかというところは結構重要なところになってくるのかなと、少し今ぼんやりと思ったところです。   本当に私たち精神障害を持っている者も、判断能力一つ取るにしても、結構症状とかに左右もされますし、その症状自体が結構変わってきたりもするのですよね。季節によって、少し調子が悪くなっているときとかに判断を委ねられてしまうと、やはりうまく自分の意思が伝えられないとか、判断ができない。それを見た人たちが、今そういう状態だからこうなのだね、みたいに言っても、自分が思っていることは本当にそれが、いや、そうではないのだけれども、ということが結構あったりもするので、それをどういうふうに双方で確認していくかということも結構、今後大事になってくるのではないかと思っているので、やはりそれを一方を見るだけではなくて、多角的に見たときに、本当にこれでいいのかというところは、多分今後の議論にもなってきますし、議題にも上がってくることなのかなと思っていました。   先ほどからありますとおり、重度の身体障害をお持ちの方のお話もあったと思うのですけれども、やはり実際自分たちを助けてくれる制度というものを私たちが知ったときには、使ってみたいとか、やはり自分を助けてくれるものだから興味があるという方も結構いらっしゃると思うのです。なので、そうなったときにやはりどういう立場といいますか、どういうことで判断されるのかとか、どういうふうに自分が、どういうことがあって使える、使えないということになってしまうと、やはり自分を助けてくれる制度ってなかなか使いづらいなとか、使いたいのに使えないのってどうなのだろうと思ったりもしてしまったりするので、やはりそういった観点からも今後議論をしていく必要もあるのかなと思っています。   私は身体障害ではないので、飽くまでそれが本当にそうかというところはあるかとは思うのですけれども、障害は違えど、当事者としては自分自身がよりよい生活になっていくために使える制度というものは使っていきたいと思っているので、やはりそういうふうな使いやすい制度というか、柔軟に対応とか考え方ができるような制度に今後なっていくためにも、検討がより必要なのではないかと思っています。   すみません、感想めいたことばかりになってしまったのですが、以上になります。 ○山野目部会長 櫻田委員がお話しになっておられるとおり、判断能力、判断の困難さということを考慮することの意味とか、その方法についての検討をきちんとしなければならないという点は、今は開始の場面での議論をお願いしていますけれども、終了のところでまた議論しなくてはいけないし、ひょっとするとそちらの方がかなり、更に検討しなければならない重要性の度合いは高いかもしれません。今日の部会資料では用意していませんけれども、やがてそこに会議が進みますから、引き続きその際にまた御意見をお述べいただきたいと望みます。ありがとうございます。 ○花俣委員 様々な専門的な意見の中で、我々が十分な理解をするというのは大変困難なことで、申し訳ないと思いながらここに座っております。青木委員あるいは星野委員の御意見は、具体的な案件等を用いていただいておりますので、私どもには伝わりやすいものがあります。その上で考慮要素の中の判断能力の程度のところですが、医学的なものが客観性を担保するためには必要という点について、それに異議があるということではないのですが、認知症に関しては、医師の判断あるいは医学的な診断書を書くときに、お医者様のスキルというか、確定診断ができる先生の数は限られている現状は今も大きく変わってはいない。機器を使った画像等については、一定程度、確実な診断ができつつあるようですが、経過観察の段階で、専門医が日常的な数分間の診察で、その人の病状の経過が果たしてどこまで把握できているかというのは、かなり疑問があると私は思っています。例えば認知症疾患医療センターという中核的な病院でさえどうなのかなと思うこともあります。医学的な診断書のみが、客観性を担保できる唯一のものなのかというのは非常に疑問があって、逆に、先ほど星野委員からあった本人情報シートについては、それは御本人の様態についてをいろいろな立場の人たちが総合的に判断して記載されているものとして、御本人の有様を示すのには、むしろこちらの方が適切ではないかと感じています。   あるいは、先ほど重度の身体障害により意思疎通が著しく困難である方のところの議論を聞いて、本人の意思はきちんとあるのだけれども、表出の手段あるいは表出の方法にかなり困難さがあって、というところは、認知症の人も同じだと思いました。体に障害がある場合はある程度までは外見上分かる。ところが、認知機能については頭の中で、脳の中で起きていることなので、外見だけでは障害の程度は見分けられない。それでいてコミュニケーション能力はどんどん奪われていくのです。認知症という障害特性によって、こういう議論のときには違和感を感じながら、様々な御意見を伺っていました。   ただし、法律的なことに関しては私たちは全く素人ですので、法律論に照らしてどうなのかということについては全く門外漢ということで御容赦いただきたいと思っております。以上です。ありがとうございました。 ○山野目部会長 花俣委員におかれては、ありがとうございます。御案内を差し上げておきますけれども、簡単な診断書でしていますし、それはお話のとおりですけれども、簡単な診断書イコール医学的な知見という概念の整理は少し正確ではなくて、ここのところは経緯を振り返ると、少し話がじぐざぐというか蛇行してきたような過去のいきさつがあります。家事事件手続法の119条1項というものがあって、杉山幹事がおっしゃったとおり、鑑定が基本であると法文に書いてありますが、でも、全部を鑑定することが実態に照らしてできませんから、それで簡単な診断書が出てきて、しかし、簡単な診断書と、その前提である簡単な診断では頼りがないという側面もあることから、あわせて本人情報シートが出てきたというふうに、あっちに行ってこちらに行って、また異なる方向へ行って、と今なってきていて、それが運用の実態ですけれども、今回この見直しをしていく出口のところでは、その辺のじぐざぐになってきたところを、裁判所がどういう資料を見て判断をしていくかということについても、可能な限りきれいに整理をし、今後の方向付けをしていかなければならないと考えておりますから、引き続き見守っていただきたいとお願いいたします。ありがとうございました。   ここまで、部会資料2の1についての御議論をお願いいたしました。   部会資料2の2の部分に進むことにいたします。事務当局から説明を差し上げます。 ○水谷関係官 御説明いたします。5ページ「2 法定後見の開始に際しての考慮要素(法定後見による保護が必要であること等)」は、法定後見の開始に当たり、特定の法律行為について法定後見による保護の必要があることを考慮するものとすることや、法定後見以外の何らかの支援等があることを考慮するものとすることについて、御議論をお願いするものです。   7ページからの「3 法定後見による保護が必要であること」では、(1)で判断能力が不十分であることと法定後見による保護の必要性に関する現行の法定後見制度における考え方などを整理しており、9ページからの(2)で、法定後見による保護が必要であることの具体的内容等について記載をしております。   また、10ページからの「4 法定後見以外の支援等があること」では、本人の判断能力が不十分であっても、法定後見以外の支援等があることを考慮して、法定後見を開始しないものとすることについて、想定される法定後見以外の支援等の具体的内容等の観点も含め、御議論をお願いするものです。 ○山野目部会長 部会資料2の2の部分について説明を差し上げました。この部分について御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○小澤委員 法定後見の開始に当たって保護の必要性を考慮する制度とすることに賛成を致します。ただ、必要性をどのように考慮するかについては、そもそも必要性の考慮が求められる理由としては、成年後見制度が本人に対する制約を含む制度であるからだと理解していますので、本人の請求又は同意によって成年後見制度の利用を開始する場合は、本人の自己決定を尊重して、本人の請求又は同意をもって制度利用の必要性を認め、本人の意思が確認できない場合や本人が拒否している場面において、必要性、補助性の考慮が必要という位置付けになると考えています。   法定後見以外の支援があるかどうかについては、法定後見開始の段階で十分に検討することは難しいケースも多く、また、他の支援がないことを裁判所にて調査、判断することは困難ではないかと考えますし、他の支援の可能性については開始時点で考慮するのではなく、終了段階で必要性が失われたといえるかどうかの考慮要素として扱うのが適切ではないかと考えております。   なお、他の支援の可能性があるのであれば本人が成年後見制度を利用したくても利用できないという制度にすることは適当ではなく、本人が成年後見制度の利用を望むのであれば利用できるような制度とするのが適当だと考えています。   また、成年後見以外の支援者等があることを考慮することの内容、11ページでございますが、法定後見制度以外の支援、特に福祉的な支援については地域差が存在していると理解しています。全国各地の福祉などによる支援体制の整備状況が後見制度の利用に影響を与えることになりますが、成年後見制度が民法上の制度であることを踏まえると、そのようなことは余り望ましくはないのではないかと考えています。   特に、成年後見制度の利用に消極な者にとっては、ある地域では福祉的支援体制が整っているために利用せずに済んだけれども、ある地域では利用を余儀なくされたということが生じるということになりますと、成年後見制度が一定程度本人の権利制限を含むことを前提に、必要性や他の支援の有無の考慮が求められることからすれば、極めて重要な問題となってくると思われます。もし仮に法定後見制度以外の支援を考慮する制度設計とするのであれば、地域によって成年後見制度の利用に差が出てしまうことがないように、地域福祉サービス事業を含めた支援等を提供できるように整備されることが必要と考えています。   親族による事実上の支援に関しては、法的な権限を欠く親族による事実上の支援を法的に積極的に評価することは、部会資料の11ページの(1)イでしょうか、ここにも記載のあるとおり、やはり少し難しいのではないかと考えています。少なくとも本人が成年後見制度の利用を希望している場合に、親族による事実上の支援があることで制度の利用が認められないということにはならない制度設計にする必要があると考えています。 ○青木委員 全般に申し上げていることでありますけれども、権利条約に基づいて、できるだけ本人の意思決定支援の整備を国全体として図りつつ、どうしてもご本人さんの意思決定支援では必要な法律行為その他の事務ができないという場合に、必要最小限のラストリゾートとして成年後見制度を活用するという全体的な、基本計画も想定している枠組みの中でいいますと、この必要性の要件というのをしっかりと審査をして、それが認められる場合に利用するという制度は、制度の根幹として重要であると考えております。   これにつきましては、これまでも保佐や補助の実務の中で、代理権の付与等につきまして、調査官調査等において、この代理権は要るか、要らないかということを本人面談の中でも確認しながら吟味してきておりますので、これを全般的に全ての対象者について行っていくということが一つのイメージとして想定されると思います。   現在は、申立ての動機として挙げられているものが様々ある中で制度利用がされますが、その動機とは全く無関係なことについてまで包括的な代理権が付与されたり、特に困っていないにもかかわらず取消権や、保佐人においては同意権、取消権が所定の類型で設定されるということになっておりまして、そういったところが過剰な規制であり、ご本人さんの意思決定支援と自己決定の尊重からすると、見直すべきところだと考えております。   具体的な必要性の認定も、保佐等の実務でされていることを更に具体的に深めていきまして、本人さんの生活や求められている状況から必要な代理権ということを設定することは十分できると考えております。今必要なものだけでいいのか、というご意見も先ほどもありましたけれども、現時点において必要なもの、あるいは近い将来必要なものということについては、ご本人さんや支援者の中で十分に見通すことができるのでありまして、それが見通せなかったものについては追加的な代理権の付与等で対応するということで十分であると思いますので、基本的には現在必要なものということを想定して必要性を検討するということになろうかと思っています。   また、補充性につきましては、ここには資料2には明確には書かれていませんが、やはり福祉的な制度、総合的な権利擁護支援策ということが重要でして、これも第2期基本計画でありますが、意思決定支援に関する十分な権利擁護支援策がある中で成年後見制度を使っていくというデザインの中からいっても、この補充性の中で、地域における権利擁護支援策の活用ということを検討するということは重要だと思います。現在でも、市長申立てなどの事案においては、申し立て前の市町村における検討の中で、意思決定支援を十分にしたのか、あるいは日常生活自立支援事業は検討したのか、あるいは、その他の支援者による支援策はどうなのかということを検討した上で、やはり市長申立てが必要ですねということで成年後見を申立てをすることにしているというような評価がなされておりまして、そういったことを市長申立て以外の事案も含めて検討ができるように、そういった情報が的確に裁判所に上がるような形で制度を作っていくということによって、ご本人さんに今求められている必要性と補充性のそれぞれについて検討することができるのではないかと思っているところです。 ○佐久間委員 まず、必要性のことにつきまして、今、青木委員がおっしゃった、先ほどの私の発言を踏まえてだと思うのですが、今必要な、今要る権限だけでいいのか、あるいは近い将来だけでいいのかというのは、同じことを結局申し上げることになりますけれども、そのニーズにこたえる制度はあっていいと当然思うのですが、それは現行の代理制度でいいますと保佐でも補助でも用意されているところだと思いますし、補助に関していうと、同意を与えることに関しても、今必要なものだけをチョイスするということは一応できるということになっていると思うのです。   焦点になるのは、それを原則化するというのも別に構わないと思うのですけれども、それだけでいいかという話だとずっと思っております。それだけでいいかというと、私はよくないと思っておりまして、包括的なパッケージでの保護の仕組みも用意する必要があり、そうだとすると、今の実情が後見が圧倒的に多くて、保佐は少なく、補助なんてほとんどないとかということだったと思いますが、それが変わっていくような姿にはすべきだと思いますが、3類型を維持するということではありませんけれども、考え方としては現行法と全く違うようなものが出てくるということは、なかなか難しいのではないかと今のところ思っております。   それから、補充性というふうな言葉で前に呼ばれたことかもしれませんが、11ページにある、法定後見以外の支援等があることを考慮するということなのですけれども、一般的、抽象的には、その考慮をすることが望ましかろうとは思います。思いますが、親族等による事実上の支援もそうですし、法的な一応の裏付けのある、任意後見は余り関係ないかもしれませんけれども、委任による任意代理とか委託とか、寄託は少し限定されているから別にして、信託なんかですと、こんなことを言っていいのかどうか分かりませんが、親族といったっていい人ばかりではなく、御本人のことをきちんと考えている人ばかりではないのですね。特に高齢者の面倒を見ている人なんかの中には、将来の相続の前争いみたいなことも考えて、自分の利益を動機としては優先させて行動する人だっているわけですので、繰り返しますが、これらの他の支援があるということを、どういう類型かはともかく、法定後見の開始を判断するに当たって考慮するというのはよろしいと思うのですが、余り強調しすぎることはいかがなものかと思う面もないわけではない。事実として、みんないい方ばかりが周りにおられる場合もあるとは思いますが、私が関心を持っている信託なんかですと、そうでない例が一杯あるようにも思われて、少し慎重な考慮が必要なのではないかと思っています。 ○竹内(裕)委員 これの問いに対する回答にはなっていないのかもしれませんけれども、この必要性というところについて弁護士で議論をしたときに、本人申立ての場合は必要があってやっているのだから、まあよしとして、本人以外の申立ての場合、不当に本人の権利を制約することにならないかという視点が入ってくると。ただし、ここで必要性について結論が出るかというと、必要性がないことについて法的効果を認める必要はない、その方向性はもちろん問題がない、だけれども、結局ここは後見のこの制度、今後の利用の方法について、財産管理を主とするのか、身上監護を主とするというか含めていくのか、これによって大分必要性という議論も変わってくるのではないか。つまり、効果のところがはっきりしていないと、なかなかこの必要性とか補充性であるとか、そういったところを議論するのは難しいという意見がありました。   そしてまた、何度か委員の先生方もおっしゃっていますが、11ページの、特に事実上の支援というところで、取り分け御親族からの支援であるとか、やっておられること、これを法的に評価するべきかという点については、我々弁護士はやはり親族間紛争があるケースを担当しておりますので、この御家族のことを事実上の支援として法的に評価してしまうことにはやはり違和感があるという意見が多かったです。 ○根本幹事 細かい点も含めて、幾つかのことを申し上げさせていただきます。  まず一つ目として、いずれの事案においても、いわゆる事務の必要性や保護の必要性という部分については必要ではないかとは考えております。いずれの必要性においても、やはり抽象的なおそれではなくて、具体的な事情というものを伴っていなければならないとは考えております。先ほど佐久間委員から、包括的な類型というのは必要ではないかという御趣旨の発言があったかと思いますけれども、現行法で包括的な後見類型というのがどうしても増えている実務上の理由としては、御本人の御意思というよりは、支援者であるとか、若しくは後見人、保佐人の事情といいますか便宜といいますか、そういったところがどうしても強く反映されてしまっているのではないかというのが実務感覚にあるところです。包括的な類型を残さなくても、結果的にたくさんの代理権が必要とされる方というのはもちろんおられると思うのですけれども、たくさんの代理権が必要な方がおられるからといって、すべからく包括的な類型を残すということにはならないのではないかと考えています。   細かいところにもなりますけれども、部会資料10ページのウのところで、預貯金取引ができない場合のことについて触れられていますので、この点について4点ほど言及をしたいと思っています。   一つは、預貯金取引ができない場合に後見制度で対応するのかどうかについては、まず、現行法上の民法9条ただし書における日用品の購入その他日常生活に関する行為というもの範ちゅうというのをどのように捉えていくのかということと密接に関連する問題ではないかと思っております。ほかの委員からもありましたけれども、いわゆる日常金銭管理というものについて、果たして後見制度で対応していくのか、対応していかないのかというところについては議論が必要だと思っています。   あとは、例えば特定の預貯金口座の取引の代理権というふうに考えた場合に、それがどのような財産管理権を有する範囲まで含まれるのかというところについても、細かい点にはなりますけれども、ここも分析的に見ていく必要があるとは思っています。払出しや引き出し、送金、引き落とし設定等の処分管理権限、若しくは口座の解約権限までは含まれるというのは当然としても、払出し後の現金や金銭についての処分管理権限がどこまでここに含まれていると見ていくべきなのかということは、個別的な代理権を付与するという観点からは検討が必要になろうかと思っています。例えば、現金支払いに伴う原因行為となるような取引行為に関する権限というのは、当該取引行為に関する代理権が別途必要ということになろうかと思いますし、入金等を行う場合の原因事実に関する手続に関する権限というのは、これはまた別途必要ということになるのではないかと思います。そういった意味からは、代理権の特定の程度をどの程度と考えていくのかということが、今後検討が必要になってくると思います。   それと併せて、取引の相手方から見てどの程度厳密に代理権の規定が求められるのかということについても留意を払わなければならないと思います。実例としては、実務上、裁判所で使われている保佐の代理権の書式を見ますと、携帯電話に関する契約ですとか、例えばクレジット信販等に関する契約というような、かなり個別的な規定が含まれています。これは実務上の要請に基づいて、裁判所が御努力いただいて入れていただいている規定ということになろうかと思いますし、例えば行政窓口実務においても、従前の代理権の規定であれば、登記登録の申請で住居の転居について受け付けられていたものが、例えば転居に関する代理権というのを個別的に明記していなければ受け付けないというような行政実務が見られる市区町村もあるようです。ですから、取引の相手方等との関係にも留意が必要かなと考えております。   すみません、話題は変わりまして、次が部会資料10ページ、終了との関係のところですけれども、どの時点で保護の必要性がなくなったといえるのかというところについては、先ほど小澤委員からも御指摘があったかと思いますが、補充性の要素がここではポイントになってくるのではないかと思います。例えば、継続的な契約という意味で施設入所というものについての代理権を考えた場合に、入所後のいわゆる見守りに関するところまで含むのか、含まないのかというところは大きいと考えています。   具体的には、例えば身上保護に関する課題の中で、入所契約という契約行為を個別的な課題と捉え、その後の見守りという行為を継続的な課題と仮に捉えた場合に、後者の継続的な課題については、いわゆる補充性の要素の中で親族、地域福祉、若しくは何らかの見守りというような機関が対応できる場合には、保護の必要性がなくなったと考えることができるのではないかと思います。ただ、そのような補充性を欠く、例えば親族や地域福祉で対応できないという場合には、保護の必要性が継続しているということで、後見制度の利用を続けるということを考えられるのではないかと思っております。先ほど小澤委員からは、地域差が出るのは望ましくないということがありましたけれども、今回の民法改正の議論の中ではなかなか対応し切れない部分でもありますし、こういったところを選択的とすることで、地域福祉制度が今後流動的に改善されていくことに、民法改正は対応しなければいけないのではないかと思っております。   最後に、補充性に関して、先ほど佐久間委員からありました、親族が本人の財産を管理するということを正面から認めるのかどうかというところに関してですけれども、佐久間委員御指摘のとおり、例えば大きな財産ですとか信託に関する、特に民事信託に関するようなときには、親族が必ずしも望ましい存在とは限らないというのは御指摘のとおりかと思いますが、他方で身上保護に関する支援ですとか日常金銭管理にとどまる範囲という条件付きであれば、これは親族という存在を重要なファクターとして考えることもできるのではないかとは思っております。補充性を考える上での親族という存在について、身上保護ですとか日常金銭管理にとどまるものなのか、それ以上のものなのかというところは、ここは区別して議論してもいいのではないかと思っております。 ○星野委員 社会福祉士なので、少し今までの論点からずれてくる可能性があるかもしれませんが、3点ほど申し上げたいと思います。   まず1点目、今までもありましたとおり、法定後見の支援の中には当然、身上保護と財産管理というものがあって、身上保護は現行の民法858条の身上配慮義務に基づいていると考えられます。ですから、私たち社会福祉士は身上保護と財産管理というのが一体的であると考えております。そういうふうに考えますと、11ページのいろいろな例示は、少し財産管理に傾いており、身上保護の中の必要性というところを考える必要があるのではないかというのが、まず1点目であります。   それから2点目ですが、先ほどの開始のところとも重なるのですが、代理権をどの範囲で与えるか、付与されるかということだけではなく、その付与された代理権を後見人等がどのように行使するのか、ここが現行の中で十分に運用としてなされていないことが問題として指摘されていると私は考えております。ですから、与えられた代理権が、今までの議論ですと、後見類型が多いので、どうしても本人を飛び越えて権限行使ができるというところで意見がずっと出ているように私には聞こえておりますが、補助や保佐を考えれば、当然ながら本人への説明、本人の意思尊重、本人の意向確認、それを踏まえて、いわゆる代行的な支援で代理権を使うということも現場の実践者として多いと思っております。それが類型によって異なるのかというと、決してそうではないために、後見、保佐、補助という三つの類型の在り方については見直されなければならないのではないかというのが、個人的に持っている意見です。ですから、2点目に申し上げたかったのは、代理権の行使の在り方というところが論点としてあるのではないかと。   最後にですが、現場の話で恐縮ですが、私が幾つかの自治体の中核機関の中で関わっている支援検討会議の場面を少しだけ御紹介したいと思います。これは、厚生労働省の方でも中核機関職員向けの研修をずっと行ってきており、その研修にも関わってきましたが、権利擁護の支援については後見制度ありきではないその方の支援を考えるということで、最初から後見の申立てを検討しているのではなくて、その方にどういった課題があって、どういう支援が必要なのかというのを検討します。ですから、その中で必要性というところはある程度今、検討できてき始めている地域も実際にはあると思います。ですが、それがまだ全ての地域において行われていないというところがあり、そういった地域実情も踏まえてこの検討をしていく中で、後見制度の利用のタイミングを検討したり、あるいは後見制度ではない支援方針が検討されたりしてきています。   そこで改めて感じるのが、この成年後見制度が民法が改正されて20数年たって、一つの効果としてあったのは、これまで潜在的になっていた、例えば身元保証の問題であるとか、医療行為の同意の問題であるということが後見制度を使っても当然解決はできないのですが、しかしこれは後見制度を使っている人だけに起こっている課題ではなくて、広く一般の社会の中での課題なのだということが明らかになったと考えます。これは現行の後見制度が二十数年経過して実践されてきたことの効果だったと思っているのですが、要は、後見制度だけでは解決できない問題というのは当然ございますので、様々な支援を構築していくには、後見人がチームに入って支援チームを形成していく、社会福祉士として今感じている後見制度の必要性というところは、支援チームがどう機能しているか、これが機能し始めていれば、身上保護の観点からいえば後見制度というのは終了できる制度となるのではないかというような感覚を持っているところです。 ○加毛幹事 先ほど一時中座しまして、その間の議論をフォローできていないのですが、山野目部会長が、法定後見の3類型をどのように再編するのかという見通しを持たないと、議論を進めるのが難しいとおっしゃったことは、そのとおりだと思います。   現在の法定後見の3類型は、段階的な類型であり、かつ排他的な類型とされています。しかし、後見類型と、平成11年の民法改正で新設された補助類型との間には、基本的な発想において違うところがあるのではないかということが、この部会の審議を通じても明らかになってきたように思われます。   前回申し上げたところにもかかわるのですが、成年後見について、本日、佐久間委員が御指摘されたように、遷延性意識障害等によって、まったく意思表示ができない状況にある方について、法律関係が形成できなくなってしまうのは望ましくないと思います。そのような事例を念頭に置いて、本人保護を図るために後見類型を残す必要があると考えます。その一方で、法律の想定する後見類型のあり方と、後見類型の実務上の運用との間に乖離があることをどのように評価するのかが、重要な問題であるように思われます。   そこで、一つの考え方として、後見開始の審判について、現在の実務運用と比較して、その要件を相当に厳格化するという対応があるのではないかと思います。そのことによって、後見類型を利用できる事例を限定し、それ以外の場合には、保佐類型や補助類型を利用してもらうようにするわけです。とりわけ、補助類型については、部会資料8ページ16行目のイで示唆されていますが、同意権や代理権の付与に関して具体的な保護の必要性の判断がなされているのであり、そのような補助類型を積極的に活用していくことが考えられるのではないかと思います。   ただ、その際に気になる点が二つあります。第一に、最初に申し上げた3類型が段階的類型とされていることにかかわりますが、補助類型における同意権付与の対象行為が、保佐類型に関する民法13条1項各号に規定されているものに限定されているところ、この点に問題はないのだろうかということです。民法13条1項については、平成11年に3号が改正され、「不動産又ハ重要ナル動産」という文言が「不動産其他重要ナル財産」に改められました。重要な「財産」とされたことで、「動産」に限られない様々なものを読み込めることが明確にされたわけですが、このような改正によって、十分に実務のニーズに対応できるのかを検討する必要があるように思います。民法13条1項については、平成29年の民法改正において10号が付け加わった以外、基本的には民法制定時から変更がないので、現在の状況のもとで見直しの必要があるのではないかと思われるところです。とくに、現在の段階的類型を維持しつつ、補助類型の利用を拡大することを検討する場合には、この点が考慮すべき重要な事項になるのではないかと思われます。   第二に、個別的な保護の必要性を考慮して同意権や代理権を付与することを拡大していくとした場合、先ほど根本幹事も御指摘されていましたが、取引相手方の保護をどのように図るのかが重要な問題となります。事後的に法律行為が取り消されるおそれがあることを考慮して、行為能力が制限されている可能性がある人(高齢者など)との取引を行うことに委縮効果が出るとすると、本人が取引をできないという不利益を被ったり、取引をするために過大な負担を負ったりするおそれが生じます。そこで、取引相手方が本人の行為能力の制限を事前にどのようにして知ることができるのか、また、行為能力の制限を知らずに取引をした場合に事後的にどのように対処するのかが問題となります。後者の問題については、民法21条が、制限行為能力者の詐術について規定しています。この条文については、興味深い判例法理の変遷があることが知られていますが、判例法理の見直しを含めて、民法21条で対処することで足りるのかどうかを考える必要があるように思われます。   なお、以上に申し上げたことに関係して、佐久間委員と青木委員の御意見が、それほど対立しているのかについて、私にはよく分からないところがあります。後見類型の実務運用の見直しが必要であるという点と、個別的な保護の必要性の判断を行う場合を広げていくという点、例えば補助類型の利用を広げていく可能性に関していえば、お二人の御意見は、それほど対立していないような気もいたしましたので、そのことを感想として申し上げたいと思います。   最後に、部会資料11ページの補充性に関連することで、これも佐久間委員がおっしゃったことと重なるのですけれども、自分の判断能力が衰えていくということが予想される場合に、事実上の支援を受けるという対処のほか、法律上の対応として、任意代理・委任契約、信託、任意後見契約、法定後見制度などが挙げられているわけですが、これらの法制度に関する違いとして重要と思われるのは、本人に代わって意思決定を行う者を、誰が監督するのかという点です。民法上の委任契約や信託法上の信託については、委任者が受任者を監督すること、受益者が受託者を監督することが、制度上、前提とされています。任意後見契約については、第一次的には、任意後見監督人が任意後見人を監督するものとされ、第二次的には、家庭裁判所も、任意後見監督人を介して、あるいは直接に、任意後見人を監督するものとされています。そして、法定後見については、後見監督人等の選任は必要的なものではなく、家庭裁判所による後見人等の監督が前面に出てきます。そうだとすると、法定後見の開始が問題となる場合に、もはや本人による監督が期待できないのだとすれば、本人が委任契約や信託契約を締結していたからといって、受任者や受託者を監督できなくなっている以上、法定後見が優先すべきように思います。信託については、受託者を監督する主体として信託監督人等を選任しておくことも考えられるわけですが、そのような主体による受託者の監督が実効的であるかが問題となります。部会資料11ページで指摘されている問題を検討する際には、今申し上げたような視点も重要なのではないかと考えております。   以上です。長くなりまして、申し訳ございません。 ○山下幹事 今の3類型の話というのは、まだこれから多分議論すべき話だと思いますので、私は開始要件の方に戻させていただきますが、まず必要性に関する要件としましては、私はやはりこの必要性の要件というのは非常に重要だと考えております。その理由なのですが、最初の1の議論とも関係するのですが、結局後見について何が問題になっているかといいますと、医師の判断があると、裁判官がそれに頼り切って後見を開始してしまうというところに、一番の問題意識があるのではないかと思います。つまり、医学モデルに対する批判というのが非常にあるわけです。それは結局のところ、診断書があると、本人の状況を何も判断せずに、包括的代理権のある後見が周りの人間にとって都合がいいから後見を自動的に選んでしまう。こういう状況が見られるという点が一番の問題であり、この法制審議会が取り組まなければいけない課題ではないかと考えております。   その点からしますと、私は、佐久間委員の包括代理が必要な場合があるという御指摘自体は納得するのですが、しかし医師の判断が出てしまうと自動的に後見のような制度を発動してしまうという問題を残したままで包括代理のような制度を残してしまえば、問題が全く解消されないということは明らかなわけで、ここの部分については慎重な検討をするべきではないかと考えております。   もう1つですが、11ページの他の制度との関係というのも、結局のところ法定後見を開始するときに、周囲の状況を考えたときに不要だと思われる法定後見を付与してはいけないということは、やはりそのスタートにあって、そのときに、事実上の支援であれ、代理であれ、信託であれ、それで現状、本人の財産管理がうまくいっているというのであれば、わざわざ後見開始審判を裁判所が介入して行う必要はないでしょうということは、多分いえるのだと思うのです。ただ、他方で既存の支援がきちんとワークしていませんというとき、先ほど佐久間委員もおっしゃったように、例えば親族が信託を悪用しているとかいうケースも極端なケースとしてはあり得るわけですが、そうでないとしても、状況が変わったりして既存の財産管理の制度ではうまくいっていませんというときに、では法定後見を使いましょうというのは、これは法定後見の在り方としてあるべきと思うわけです。   そのように考えますと、11ページには、法定後見に優先する他の支援は何かという形で、類型的に優先するものがあるかのような書き方をしているわけですが、状況ごとに考えて、法定後見が必要な場合、必要でない場合を考えていかざるを得ないと、それを裁判官が周囲の状況を聴き取って判断するという作業をするべきで、それを医師の判断に丸投げしてはいけないという点も含めて、そういう判断の仕方というものの改変というか改正といいますか、それを法制度の中でどうやって実現するかということが非常に重要なのではないかと感じている次第です。 ○向井幹事 必要性と補充性の関係について、それぞれ意見を述べさせていただきます。   まず、必要性については、現行制度に対して寄せられている批判として、一度手続が始まってしまうと制度の利用を終了できないということが大きな批判の一つであると思いますけれども、この批判にきちんとこたえられるような制度にする必要があるのではないかと考えております。   必要性の要件というものを設けて、必要性がある場合に開始し、必要性がなくなれば終了するというような建付け自体は、そのような制度設計は十分にあり得るものと考えておりますが、個別の各論のところを少し掘り下げて考えてみますと、今回の部会資料10ページのウのところに預貯金の取引についての記載があり、エのところに継続的契約についての記載があります。現状、預貯金の管理、解約をしたいということを理由とする申立ては、最高裁家庭局による実情調査の結果に基づく概数ではありますけれども、全体の30%を超えているということになっておりまして、預貯金の取引について、新たな制度の下でも、制度を利用する必要性があると考えますと、結局預貯金が存在する以上はずっと制度の利用が継続するというような話にもなりかねず、結局制度の利用が終わらないという、現行制度に対する批判がそのまま改正法後も残ってしまうということが考えられます。   こういった批判にこたえるためにも、例えば、日常生活に関する範囲での預貯金取引については、それほど高度な判断能力を要するものではないとも考えられますので、福祉的な観点からの本人の自己実現の手段として位置付けて、総合的な権利擁護支援の枠組みの中で、本人が支援を受けてやるというような整理も考えられると思いますし、現状使われている後見制度支援信託や支援預貯金についても、後見の手続外で利用できるような仕組みを検討するということも必要になるのではないかと思います。仮に後見制度を利用するということになったとしても、現状行われているような預貯金取引一般について代理権を付与するというようなことではなくて、飽くまでも個別の預金取引について代理権を付与するような規律にするというようなことも考えられるのではないかと思います。   また、継続的契約についても、継続的契約に伴ってもろもろの権利義務が発生することになりまして、この権利義務について全て後見人が責任を負うことになると、契約が続いている限りはずっと制度の利用が終わらないということになります。この点につきましては、継続的契約から発生する権利義務の全てについて、必ず後見人が責任を負うべき事務と整理する必要は必ずしもなく、発生する権利義務の中で、本人を代理して後見人が担う必要があるものに限って後見人の事務とするという整理も考えられるのではないかと思っております。   例えば、部会資料では施設入所契約が例として挙げられていまして、この契約期間中に役務が適切に提供されているかといった履行状況の確認も後見人の職務かのような形で記載されておりますけれども、こういったものについては、後見人というよりは権利擁護支援チームで行うという整理も考えられると思いますし、施設への支払などについても、例えば、毎回後見人が支払うのではなく、口座振替等の手続を行う限度で代理権を認めて、口座振替等の設定後は一旦、制度の利用を終えるということも十分あり得ると考えておりまして、契約の内容を変更したりする必要があったときに制度の利用を再開する、開始するということも実際にはあり得ると考えております。   また、補充性については、本日、何人かの方からお話が出ておりましたけれども、法定後見が補充的な役割で、ほかの権利擁護支援などがメインであり、最後の手段として法定後見があるという位置付けであるということは、そのとおりかと思うのですけれども、それをそのまま、他の制度を利用できる限りは法定後見を利用しない、他の制度を利用できないことが証明できなければ法定後見が利用できないというように、要件として構築するまでの必要性は、必ずしもないのではないかと考えております。   他の制度を利用できないことを要件として要求するということになりますと、それが立証できなければ裁判所としては申立てを却下することになるわけですけれども、そうすると、本人に対して事実上、法定後見以外の支援などを利用することをある意味、強制する、義務付けるということになり、そういったことが相当なのかを考える必要があると思います。   仮に、そういった補充性を要件に取り込んで、裁判所が審査しなければならないという制度になるとすると、やはりそれを適切に審査できるような仕組み、枠組みが必要になると考えております。現状、後見手続の申立ての対象となっている方について、法定後見以外に適切な制度があるかどうかというようなことを問い合せても、どこかが答えてくれるような仕組みはないと思いますので、もし補充性の要件を設けるのであれば、そのような照会に対して速やかに回答が得られるような仕組みが必要になるのではないかと考えております。 ○野村幹事 実務家の観点から発言させていただきます。   まず、法定後見の開始に当たって、特定の法律行為について法定後見による保護の必要性があることを考慮することについては、賛成いたします。その具体的内容としては、代理権については特定の法律行為の実施について検討する必要性と、当該法律行為について第三者に代理権を付与する必要性、同意権・取消権については、本人の現在や過去の生活状況から、将来行われる可能性のある法律行為をある程度の幅を持たせて特定した上で、この取消権を検討する必要性と考えます。   継続的な契約については、実務上、後見人等は施設等の入所契約を行った後も、この履行状況の確認を始めとして、本人の入所生活を維持するための様々な業務を行っており、施設等からも様々な役割を求められています。結局は、本人の支援環境も重要な考慮要素ではありますが、後見人等に求められる役割や業務の整理が必要なのではないかと感じております。具体例で申しますと、私が支援している方なのですが、グループホームで生活している知的障害の方の場合は、入所契約の後も福祉サービスの利用の申請をしたり、自立支援医療の支給認定申請、特別障害者手当の現況届の提出、住民税の申告等、様々な手続や、それから、サービスが過不足なく提供されているかを確認したり、本人の意思を確認して施設に伝えたり、施設利用料や施設の立替金の内訳を確認したりするなど、本人の入所生活を維持するための様々な業務を行っています。後見人等が入所契約の締結のみを代理権を行使して役割を終了した場合、後見人等に代わってその業務を行う人がいないと、本人の保護が図れないと思います。最初に申し上げたように、後見人等に求められる役割や業務の整理が必要とともに、本人の支援環境も重要な考慮要素であると思います。   補充性については、必要性の要件の中で考慮すればいいのではないかと感じております。本人が法定後見の利用を希望しているのであれば、他の支援があるからといって利用できないとまでする必要があるかは疑問に思っています。本人が拒否している場合や、本人の意思が確認できない場合には、補充性は考慮すべきと考えます。補充性の考慮要素としては、具体的には、ここに書かれているとおり、任意後見や委任による任意代理等のほか、日常生活自立支援事業や総合的な権利擁護支援策等の福祉的な制度が考えられますが、これは既に法定後見以外の支援を受けており、それによって本人の権利が擁護されている場合のみ考慮すれば足りるのではないかと思います。   法定後見は法定代理権を第三者に付与することが必要な場合に開始するものですから、補充性の考慮要素というのは、保護者にどのような代理権を付与するかによって決まってくるのではないかと感じております。例えば、遺産分割が必要になった場合は、本人が委任している弁護士や遺産分割の代理権を与えられた任意後見人がいなければ、法定後見を開始することになりますし、例えば入所施設から、本人がこういうものを欲しがっているから買ってほしいということで後見人が対応するということであれば、実際は身寄りのない方の場合は後見人はそういうことも行っておりますが、そういったケースでは、親族の方がいれば後見人に代理権を与える必要はないと思いますので、補充性の考慮要素は、保護者にどのような代理権を付与するかによっても決まってくると思います。 ○河村委員 様々な委員の方の意見をお伺いしていて、感想めいたことですし、専門家ではないのですけれども、そんなことを法律の論議のときに言われてもということかもしれないですけれども、今、必要性の観点、それから補充性のことが議論されているわけですけれども、結論に近いことから言いますと、幾つかの委員の方がおっしゃっているように、ほかの制度があることをもって、要するに法定後見にそれが優先されて、そういうのがあるなら法定後見は要らないという考え方はどうなのかなと思っております。   私はそもそも第1回の資料を読んだときから、障害者権利委員会の所見とか勧告のことをすごく考えておりまして。卑近な、私に引き付けて言えば、私は後見をした当事者ですけれども、被後見人になったのは私の母ということをすごく考えたときに、つまり、ほかの委員の方もおっしゃっているように、なかなかストレートに言えないことですけれども、性善説に基づくのか、性悪説に基づくのかで制度って変わってくると思うのです。本人の意思決定とか自律性とか利益とかというのを考えて、本人の意思決定能力を奪うなということを言われているわけなのですけれども、様々な場合があって、これは本当に物議を醸すかもしれませんが、後見のようなものを利用しないと、本人の意思決定とか自律性や利益が保護されるとは私は限らないように、非常に生活感覚、社会感覚に基づいて、思っているのです。   何を言いたいかといいますと、必要なのかどうかとか、ほかのもので代われるのかどうかというのは、こういう考え方がもし可能なのであれば、いわゆる本人の意思決定とか自律性や利益が尊重されるかどうかという観点において、必要なのかとか、ほかのことで補充されるのかというのを見られれば良いと思います。私たちはすべて、被後見人になる可能性があるわけですけれども、権利委員会の勧告に沿った考え方で制度を考えていけたらと思いました。感想めいたことでございますが。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   部会資料2の2について御議論を頂きました。少しガイドを差し上げた上で、休憩をお願いしようと考えます。   本日、部会資料2の2の部分について御議論いただいたところについても、部会資料を踏まえて論議の深まりが見られました。4点ほど申し上げます。   1点目は、まず必要性について御議論を頂きました。山下幹事が要約して明快に説明してくださったように、医学モデルといいますか、現場の状況に即していうと、医師の診断書が出れば、それにかなりの依存をして後見の開始を決めるというようなこれまでの制度運用に対するアンチテーゼとして、この必要性という論点が提起されています。そのことについては、本日の御議論において委員、幹事の間に広く共感があったとお見受けしました。細部について議論しなければいけないことはたくさん残っていますけれども、この必要性の考え方を育てていくという方向で、次回に向けての検討を進めていくのがよろしいのではないかと感じます。   具体的な事柄についても幾つか指摘がありました。向井幹事から、預金取引の問題については今後の実務を考えて工夫が要るという御指摘も頂いたところであります。想い起こしますと、全国銀行協会が2021年2月18日に作成した文書、金融取引の代理等に関する考え方および銀行と地方公共団体・社会福祉関係機関等との連携強化に関する考え方について、という文書を踏まえて、現在の金融機関における窓口の実務運用がなされているところでありますけれども、今回論議されている必要性のような論点を踏まえて、今後この方面についてどのような新しい工夫が可能であるかということを今後とも委員、幹事において御議論いただきたいと望みます。   施設の入所契約をした後でその履行状況を見ていかなければいけないという事務を、必要性との関係でどう考えるかということについても御議論を頂きました。ただし、これは今後とも議論を深めなければならない側面が大きくて、どのような施設であるかということについても、事案によって個別性が高いと思われます。福祉の機関やチームに委ねれば、もう後見が手を放してもいいだろうと思われる事案もあるかもしれませんけれども、施設を運用している事業者は良い事業者ばかりではありません。本人を、施設に対してする遺贈とか贈与の方に誘っていくような行動をとるような事業者もなくはありませんで、これは事案の個別性という問題が最後まで残るであろうとは思いますけれども、そういうことも注意しながら必要性の議論が続けられるべきであろうと感じます。   2点目、補充性について議論を頂きました。これについて、本日の論議の段階におきましては、補充性というものを要件として正面から入れるか、入れないか、どういうふうに位置付けるのかということについて、まだ論議が熟していないというふうに見ました。向井幹事からお悩みを漏らしていただきましたけれども、裁判所の実務から見れば、補充性という発想そのものは誤っていないかもしれないけれども、考えられる本人保護の支援の手段を全て潰していくようなことを証拠によって裏付けなければいけないという事案処理を裁判所に求められても、それはなかなか円滑に行きません、というお悩みでありまして、ごもっともなことであると考えます。更に言えば、法制を仕組む立場から申せば、この補充性というのを法文上どういうふうに表現していったらいいかという点も、今の裁判所の悩みと関連することですけれども、少し途方に暮れる部分がないわけではありません。今後の御議論をお願いしていきたいと考えます。   補充性との関係では、中身の議論も頂きまして、部会資料で親族というものを出していたことから、これをこういうウエートで部会資料で出したことが適切だったかという点は、やや反省している部分もございます。佐久間委員からは悪い親族もいるではないかとおっしゃっていただきましたし、考えてみると、悪い親族は悪い親族で困りますが、良い親族も困ったものでありまして、良い親族がいるから、その人が引き受けてくれるというような発想を制度構築のバックボーンとして正面から位置付けるということになりますと、お嫁さんが舅とか姑の面倒を見るのは当たり前だよ、みたいな雰囲気の議論になってしまいかねないところもあって、そういう議論を成年後見制度の見直しの議論において想定しておくということは大いに問題でありましょう。恐らく、竹内裕美委員がおっしゃった内容は、そのような観点も含まれていたであろうと受け止めました。やはりこの補充性の議論は、されていってよい議論ですけれども、親族とかいうものではなくて、社会福祉法制の整備が今後どうなっていくかということを法制審議会としてはにらんでいきますと、そこの話を受け止めた上で、こちらの民法の方の後見開始の要件を更に考えを深めていきますという話になると見通します。次の機会以降、また委員、幹事の皆さんに議論をお願いします。   3点目ですけれども、星野委員から御指摘があったことで、この必要性とか補充性を踏まえて始まる後見で、代理権がどのような姿になるかという点が決まっていないと議論がしにくいというか、そことの関連での議論ですねというお話は当然のことでありまして、そこの代理権などの在り方、包括性や個別的な代理権の与え方などの議論が進まないうちに、本日、必要性、補充性の御議論をお願いしている流れは、委員、幹事の皆さんに負荷の多い議論をお願いしていることになりまして、恐縮な部分がありますけれども、しかし全然議論を進めないわけにはまいりませんから、議論をお願いした次第です。星野委員の御注意はごもっともですから、代理権などの在り方の議論をする際に、またここの必要性、補充性の議論を思い出して、相互に関連させて議論をお願いしたいと考えます。   最後に、4点目ですけれども、類型の見直しに関連して、ここで議論をお願いしている論点との関係でも、活発な御意見の開陳を頂きました。現在の後見の姿そのものではないけれどもと注意深く断っていただいた上で、佐久間委員からは、包括性の高い後見人の事務というものを想定するような類型というものは、今後とも全くなくすわけにはいかないという御話があり、ただし、同時に佐久間委員からは、そういうものが割合として実態上多くなってしまっている現状は問題であるということもおっしゃっていただいて、そこの工夫が大切ですねというお話がありましたし、その観点を更に研ぎ澄ます仕方で、加毛幹事からは、三つの類型が排他的な類型として設けられている現行制度の仕組みを見直すことが必要かもしれないという観点も交えて御話があり、後見の現在の姿のような包括性の高い類型が余り慎重さを伴わない仕方で用いられている現状の改革が重要であるということについて、多くの委員、幹事の間に共感があったと感じます。これは、類型の問題を後で議論するときに、そこのところについて本格的な議論をお願いしなければならないということになります。   休憩にいたします。           (休     憩) ○山野目部会長 再開いたします。   部会資料2の3の部分に進むことにいたします。事務当局から説明を差し上げます。 ○水谷関係官 御説明いたします。12ページ「3 法定後見の開始に際しての考慮要素(本人の同意等)」は、法定後見の開始に当たり、本人の請求又は同意を要件とすることについて御議論をお願いするものです。法定後見制度の問題点として、成年後見人の取消権や代理権の範囲が広すぎることなどにより、本人の自己決定が必要以上に制約されるとの指摘があることを踏まえると、現行の補助の制度を参考に、法定後見開始の審判をする場合に本人の同意等を要件とすることが考えられます。   そこで、13ページ(2)では、現行の補助の制度を踏まえて、法定後見制度による保護が必要であることと本人の同意等との関係についての考え方を整理し、14ページの(3)では、どのような場合に本人による同意があると評価することができるかについて、(4)では、本人による同意があるといえない場合における法定後見の開始に関する考え方について記載しております。このような観点も含め、法定後見の開始に当たり、本人の同意等を要件とすることについて御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 部会資料2の3の部分について説明を差し上げました。御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○小澤委員 法定後見というのは、本人の権利が侵害されているときにこそ利用する制度ともいえると考えておりますので、本人の請求や同意を要件とし、これらがないと利用できない制度とすることには消極の意見を持っています。   法定後見制度は地域共生社会の実現の観点から、遷延性意識障害の方や、養護者から虐待を受けていてもその養護者をかばってしまうような方、セルフネグレクト状態にある方なども対象とする必要があると考えておりますので、したがいまして、本人の同意がない場合や利用を拒否している場合であっても利用できる制度としなければならないと考えておりますが、一方で、もちろんその場合の手続要件は、本人の同意がある場合と比較して厳しく判断がなされるべきだと考えています。本人が明確に支援を拒否している場合には、必要性の判断や、本人の拒否が真意であるかどうか、拒否をすること自体の判断能力の有無などの判断を特に厳格にする必要があると考えますが、本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶようなケースでは、成年後見制度による保護が受けられるような制度とする必要があると考えています。   3(3)の本人による同意があるとの評価の考え方、14ページでございますが、実務の現場においては、同意があるといえるかどうか、その同意が本人の真意であるかどうかの判断がなかなか困難なケースも多いと感じています。また、その同意はどの段階で必要なのか、審判があった後もずっと同意が継続していることが必要なのか、当初あった同意が失われた場合の対応といった点についても検討が必要でないかと考えています。特に、制度利用、代理権付与の根拠が本人の同意である場合には、同意が失われれば制度利用の根拠も失われますので、法定後見制度の利用を終了することも選択肢に入るのではないかと考えております。 ○星野委員 同意については今、小澤委員からもありましたように、何をもって同意があったと見るかというのは非常に難しいと思っています。そして、御本人の意向が変わるということもありますので、私としては、この同意があるかないかということももちろん重要な論点ではあると思いますけれども、定期的な見直しのモニタリングの期間が担保されていることこそが必要ではないのかと思います。ですから、必要性が高い方が同意が取れないということで、現行においても補助、保佐あるいは後見類型、後見相当と判断されていたとしても、本人の同意が得られないといって手続が滞っているという現状は一杯ございます。ですから、それは現行の後見制度が一度決まってしまうと終了できないということ、能力回復が証明されれば終了はできる場合もあるのだけれども、ほとんどそういう手続きはなされていないということで、ちゅうちょがあるのだと思います。ですから、新たな制度を検討していくときには、見直しの時期、それを個別にやはり検討されると一番よろしいのかなとは思うのですが、そういった見直しの仕組みが担保された上で、この同意の有無については検討される必要があるのかなと思います。 ○山城幹事 部会資料の2の問題、つまり必要性の判断の問題とも関わりますが、同意をどのように考慮するかについては、同意がなければ後見等の開始の審判をすることができないとする方向性と、同意があることを後見開始の必要性を認めるのに積極的に作用する事情として位置づけるという方向性と、二つあり得るのではないかと思います。   その上で、現行の補助類型を参考にするという整理で議論がされておりますけれども、補助類型では、精神上の障害によって事理を弁識する能力が不十分であることに加えて同意が要件とされていますので、同意があることによって補助開始の審判をすることを積極的に評価するという、そのような影響を与える事情としては位置づけられていないのだと理解しております。   こうした前提に立って考えますと、部会資料3の項で検討されていますように、同意がなければ能力制限や代理権付与はできないという制度設計をすることは、理論的にはあり得るのではないかと思います。ただ、既に御指摘がありましたとおり、同意があったかどうかをどのように評価するかという難しさがあるのとともに、従前の後見類型のように、恐らくは同意をすることが状況として難しく、だからこそ全面的に法定代理が必要だとされてきた場面を慮外に置いて一律に同意の有無を問題とすることにも、難しい問題もあるように感じます。その意味では、部会資料の14ページから15ページに記されていますような懸念は無視することができないと、そのように考えております。それが1点です。   その上で、同意があれば能力制限や代理権付与が正当化されるという整理をすることに対しては、特に取消権を付与する、あるいは能力を制限するということとの関係で適切とは言い難い理解ではないかと感じます。本人に対して取消権を与えることが、自ら単独で法律行為をすることができるという資格の制限を意味するのだとすれば、それを自己決定によって正当化することはできないと考えるからです。また、同意があれば自己決定が確保されるという認識に関しても、同意を得るという手続そのものが、適正性を確保することが困難なものであり得ることからして、慎重でなければならないと考えております。したがって、同意があることを、後見開始の必要性を積極的に肯定する事情として考慮するという考え方については、なお慎重に検討する必要があるのではないのかと、私はそのように考えます。 ○根本幹事 今、山城幹事からありました、同意があれば必要性を緩和するのではなくて、同意があっても必要性について慎重に考えるべきだというところについては賛同いたします。飽くまでも同意と必要性は、必ずしもリンクするわけではないというふうに整理をするべきだろうと思っています。   その上で、代理権付与若しくは同意権、取消権付与については、原則まずは御本人の同意が必要であるということを明確にした上で、本人が、代理権付与の場面であれば、例えば代理権付与の要否を理解することができないと判断される例外的な場合においてのみ代理権を付与するというふうに整理をし、ただ、その際には、この代理権付与の要否が理解できないと判断される場合というのは、個別具体的な場面において代理権を付与するということについて、御本人が、個別具体的な場面の事象であるとか、若しくは代理権を付与すること自体の意味、若しくはその前提となる利害得失の状況等を認識、理解することができるのか、できないのかとことをメルクマールにして判断をしていくということになるのではないかと考えています。   ただ、そうなってきますと、意思能力との関係性ということについても留意をすることが必要になるのではないかと思いますし、他方で御本人が不同意若しくは拒否をされている場合について、これも拒否や不同意であるのであれば付与ができないと考えることが原則だとは思いますけれども、もっとも、例えば御本人が拒否をされている理由ですとか、その判断の意思形成過程については慎重に検討するということが必要になると思いますし、御本人が不同意とされる意思形成過程に何らか不当な影響が及ぼされているといえるような限られた場面においては、これは御本人が不同意や拒否をされていても代理権を付与するという場面はあろうかとは思います。   その際に、先ほど冒頭で申し上げましたように、同意があれば必要性を緩和するわけではないと私としては考えていますので、そういった場面においては、より強い必要性が必要になってくると考えられるのだろうと思います。そのより強い必要性というのは、御本人の生命、身体、財産にとって看過できない重大な影響が生じるおそれが相当程度確実である場合というように、かなり厳格に考えていく必要があると思いますし、重大な影響が生じるおそれがあるか否かについては、生命、身体、財産への不利益の内容やその程度、本人の従来の生活状況、最低限の生活を維持することが困難になる程度、本人の現在及び将来予測される生活状況、支援状況などを考慮要素として、客観的に判断されるべきであると考えています。   さらに、同意権、取消権において、第三者が行使するという場面について、御本人の同意がないということであれば、これについてはなお、その行使ができないやむを得ない事情というのが個別具体的な場面において必要になると思いますし、それがどの程度顕在化しているのかというところも要件化していく必要があるのではないかと考えております。 ○佐久間委員 何人もの方がおっしゃったことと基本的には同じことは考えておるのですけれども、本人の同意が法的に有効にあるのであれば、それで別に特段問題はないといいますか、判断能力においてやや問題があり、一定の支援が欲しいということを本人が有効に望んでおられるというのであれば、その保護を与えることでいいのではないかと思います。   ただ、資料でいいますと14ページの32行目にある、どのような場合に本人の同意があると評価することができるかというのが非常に重要であると思います。不同意も同じだと思っているのですけれども、本人が望みますと言われる場合も、望みませんと言われる場合も、これは手続上のことではありますけれども、代理権の範囲とか、同意権の範囲に入れば、その後に行われる契約全てに関わるものですから、意思能力と呼ばれるものがやはり不可欠だと思います。その意思能力というのは、個別具体的な行為において判断されるものでよろしかろうとは思いますけれども、ある程度その生活全体を見通した上で、今の自分の状況に照らして適切な判断ができるという、適切というと少し言いすぎですかね、不適切でない判断ができるというべきかもしれませんが、それが求められるのではないかと思っています。これが1点です。   それともう1点は、本人の同意にできるだけ係らしめるというのはよろしいと思うのですけれども、その同意能力に関わることなのですが、これは別の場面にも関わるので、ここで伺うのが適当かどうか分からないですが、本人の同意によってかなりの程度、権限の付与が左右されるということになると、先ほどの権限が必要な限りで今与え、また必要になれば追加する、要らなくなったら取り消すということに密接に関わると思うのですが、1回手続をするのに相当の労力と費用が掛かると思うのです。その費用というのは申請、請求をする個人の負担もあれば、社会的な負担も大きい、裁判所に掛かる負担も大きいと思うのです。そういうことも考慮をした上で制度というのは組んでいかないといけないのではないかと思いますので、ここでいう本人の同意というのは、御本人の意向と同じ意味で取っては決して駄目なのではないかと。法的に尊重することができるものとしての同意である必要があるのではないかと思います。   ごめんなさい、少しずれてしまって。例えば、1回当たりの手続費用がどれぐらい掛かるのかということを、できれば知りたいので、権限の出し入れを自由に認めましょうというのは、それは理想的だとは思うのですけれども、それを推奨しますというふうに、本当に実効的なものとしてできるのかどうかを判断したいと思いますので、例えば、裁判所に請求するのに幾ら費用が掛かります、普通、多分本人が自分でとか、親族が自分でというのはなかなか、そればかりではないと思うので、専門職、弁護士さんに委任してやるとなると、いろいろかもしれませんが、1回当たりどのぐらいお金が掛かりますとか、どのぐらいの時間が、審査、判断のために掛かりますと、そういうことをできれば、今でもいいし、後でもいいので、教えていただければと思います。すみません、最後のは今の話題と直接は関係ありませんけれども、全体的なことなので、申し上げました。 ○山野目部会長 佐久間委員の御発言の中に、御意見とともに事務当局に対する情報提供の要請がありました。何分にも今ここでお諮りしている同意は現行の民法の仕組みの中にはないものでありますから、当然そのことも佐久間委員は御承知の上でおっしゃっていることですが、現在どのぐらいの費用が掛かっていてどう定められていますかということについては、お答えのしようがないものでありますけれども、しかしながら、それと類似の近接する場面について、現行法の制度の建付け及びその運用がどうなっているかということについて、可能な限り参考となる局面についての情報を収集した上で、次回以降の回において事務当局から善処を講じたいと考えます。   引き続き御意見を伺います。いかがでしょうか。 ○野村幹事 多くの方が述べられていますが、本人の自己決定権の尊重の観点から、法定後見の開始に当たって原則として本人の請求又は本人の同意があることを要件とすることに賛成いたします。この本人の同意等があると評価できるというのは、やはりその効果の重大性からも、本人が積極的に同意している場合であって、積極的な希望を述べていない消極的な同意の場合は、同意があるといえないと考えられます。   原則として、本人の請求又は本人の同意があることは必要としますが、例外的に、本人の請求又は本人の同意がない場合、例えば遷延性意識障害等の場合であっても、虐待等の権利侵害が既に発生しているような本人保護の必要性が非常に大きい場合には、本人にとって見過ごすことができない重大な影響が生じるかどうか、必要性について、より厳格に審査すべきかと思います。 ○上山委員 まず大前提として、同意がない場合についても何らかの強制介入ができるというのは、私も同じように考えています。むしろ御本人の同意がない場合に強制介入をしていくということこそが、私の理解の中では、法定後見制度のコアなのだろうと考えています。その上で、個人的には同意があるかないかというのは非常にこだわりがありまして、それは基本的に制度の正当化原理が、御本人の同意がある場合とない場合とでは、大きく分かれ得るのではないかと考えているからです。これが一つ目です。   二つ目としては、既にほかの委員の方からも御指摘がありましたけれども、同意があるかないかということと必要性があるかないかというのは必ずしもイコールではないのではないかと、これは別次元の話として整理することが可能ではないかと感じています。   3点目ですけれども、これは佐久間委員の御発言とも若干関連するのですが、一口に同意といっても、法的にその同意を評価する場合の言わば同意能力的なものについては、もう少し精密な議論が必要だろうと考えます。その上で、より一般的に同意の有様みたいなものを考えたときも、非常に大きなグラデーションがあると思うのです。というのは、御本人が積極的に、例えば代理権の付与を望んでいる、希望しているようなケースもあれば、単に御本人は嫌とは言っていないと、明示的に不同意な状況でないというようなケースも含めて、一般的には幅広に有様があると思うのです。そのうち、ある種の法律上の要件ないし要素として評価する同意というのがどこまでのものを指すのかというのも、関連する同意能力の問題と併せて整理する必要があるのではないかと考えます。   現行の補助制度に引き付けて言うと、少なくとも民法の実体法のレベルでは、請求と同意というものが等価として位置付けられているわけですけれども、簡単に言うと、その請求をする意思能力と、既に申立てが他者によってなされた場合の本人が同意するという場合の意思能力というのも、完全に現行と同じようにイコールと考えていいかどうかというのも、個人的には整理する必要があるかなと考えました。   最後になりますけれども、恐らく積極的な御本人の希望があるという意味で同意のあるケースというのは、前半で佐久間委員がおっしゃっていた、任意後見についての公的サービス性みたいな話をおっしゃっていたかと思うのですが、ある種そういう発想というのを限定的ながら法定後見の中にも持ち込むような形になるのかなと感じました。 ○河村委員 毎回同じことを別の角度で言っているだけではないかと御指摘を受けるような気もいたしますが、この同意ということの観点についても、意思能力とか同意能力という言葉が使われていますけれども、意思能力や同意能力を読み取る能力の側のことが言及されていないと感じます。そこを抜きにして、この項目のみならず、いろいろなことを考えていくのは、私は意見を言っていくのがすごく難しいのです。意思能力が、同意したとかしないとかということなのですけれども、やはり今までやってきたのとは違う、読み取られる権利が保障されるというようなことが高まらない限り、つまり、高まることを同時に考えていかなければいけないのではないかと、いろいろな文章を読む限り、思っております。また感想めいたことで、すみません。 ○鈴木委員 現行制度における現状について少し御紹介したいと思います。   保佐の代理権の付与、補助の開始、同意権及び代理権の付与については、本人の同意が要件とされているので、実務では、家事法に規定されている陳述聴取として、家裁調査官の事実の調査で本人の同意の有無を確認しております。ただ、本人の意思、意向の表明としては、部会資料14ページの記載にもあるとおり、様々な態様がございます。   現行の後見の類型に当てはまる本人について同意の有無を確認するということになると、どういう場合に本人の同意を認めることができるのか、法定後見の開始に係る審理に当たっては、その要件を申立人に主張立証していただくという必要があるということが大前提であることを踏まえますと、申立人の主張立証というのが大変難しくなりますし、裁判手続でこれを確認することも大変難しくなると考えられます。実際に保佐や補助類型での開始の審判の審理期間というのは、後見の開始の審判に比べまして長期間を要すると感じておりまして、現行の後見類型に当てはまる本人についての同意の有無等の確認を要することが要件とされた場合には、更に審理期間が長期化し、本人保護のために、迅速に審判を開始するという判断が難しくなるのではないかということを懸念しております。 ○佐久間委員 先ほど言い忘れたことを1点だけ追加したいのですけれども、これも教えてくださいということで、任意後見契約に関する法律の4条3項で、皆さん御存じだと思いますが、任意後見監督人を選任するには基本、本人の同意が要る、だけれどもただし書で、本人がその意思を表示することができないときはこの限りでないとあって、これと同じ運用になるのかなと。意思を表示することができないという文言かどうかはともかくとして、なるのかなと思っております。そこで、これが今どのように実際上運用されているのか、どういうふうに考えられているのかということも、今日ではなくて結構ですので、教えていただければ有り難いかなということです。それだけです。 ○山野目部会長 今日ではなくて結構ですというお話でしたけれども、今この場で家庭裁判所の実務について何かお伝えいただく御発言をお持ちの方は承ります。いかがでしょうか。 ○青木委員 任意後見につきまして、各庁によって若干取扱いは異なると思いますけれども、私がコンスタントに2、3件ずつ任意後見人として職務をしていますので、受任者として申立てをして任意後見監督人の選任を受けて発効しておりますけれども、原則として、診断書を見た上で、家裁がご本人の面談をしてご本人の同意を確認するということにしておりまして、ただ、そういう本人の同意が難しいという状況がいろいろな資料から明らかな場合には、それを省略するという実務も例外的になされているということだと承知しています。 ○山野目部会長 佐久間委員、ひとまずよろしいですか。 ○佐久間委員 要するに、診断書で判断しているということですか。 ○青木委員 診断書だけではなく、任意後見受任者が申し立てることが多いのですけれども、その申立人が記載する申立て事情説明書等で、本人が監督人申立てについてどのような意見ですかとか、どのようなやり取りをしましたかというのを記載するところがあり、それらを踏まえて、ご本人との面談可能ですかとなれば面談しますし、面談してもなかなか難しいという場合には面談を省略することもあるということで、どのような場合に例外的に面談を省略しているかは、恐らく家裁ごとに若干の差異があると考えられます。 ○佐久間委員 その実務がもし分かれば、こういう例もあります、ああいう例もありますというのが、これはものすごく大事な問題になってきて、件数も全然違ってくることになると思いますので、その参考にできればなということでございます。可能な限りでよろしくお願いいたします。 ○鈴木委員 東京家裁でも、診断書だけではなく、本人が意思疎通できる限り、家裁調査官の調査により、本人について、任意後見契約締結の記憶があるかどうか、受任者に任せることの意向等について、できるだけ本人の意思を確認するようにしています。本人が話すことは難しい場合があるとの記載が事情説明書にあっても、意思疎通が少しでも可能であれば、事案によっては、家裁調査官に確認してもらうこともあります。 ○山野目部会長 ありがとうございます。各庁によって差異もあるようにお見受けしますから、事務当局において、十分なものが差し上げられるかどうか分かりませんけれども、何か把握した知見がある場合には、次回以降の会議において御案内を差し上げることにいたします。 ○常岡委員 今の同意についてですけれども、本人の自己決定の尊重ということで、同意を要件とするということは一つ、意味があると思います。けれども、その同意能力の認定が非常にポイントになってきていて、仮にこの同意が成年後見の開始の要件となると、今ですと補助とか保佐における代理権付与のレベルですけれども、成年後見のレベルの人について、本人同意を要件とした場合に、同意があったと成年後見の審判のときには判断されて、成年後見が開始したのだけれども、後で実はあの同意は本人の意思能力がなかったとか、そういうような紛争が後日生じることは避けないといけないと考えています。   本人の意思を最大限尊重するということはとても重要なことで、特に法定後見の場合には代理権とか、同意権とか、取消権といった効果が出てくるとすれば、それについて本人の意思が表明されるという機会を確保することは必要です。ただ、例えば遺言でも、自筆証書遺言に限らず公正証書遺言であっても、作成時に本人の遺言能力がなかったということで、本人が亡くなってから遺言の無効の争いが最近増えてきている状況を考えると、本人の意思を要件としてしまうことがその後の紛争につながらないような制度設計が求められるように思います。   裁判所の方でいろいろと現在でも工夫をされて、先ほど御説明いただいたように、補助のときの意思の確認、同意の確認等をされていますけれども、現行の家事事件手続法の手続を前提として動かさずに、この成年後見制度、法定後見の改正をそのまま考えていく必要があるのか、あるいは家裁の後見に関する審判手続自体に手直しをすることまでこの場で審議することが可能であって、その手続の中で同意ないし本人の意思決定の場を設けて、本人の意思を確認するような手続の改正までこの部会で検討することができるのかという点も、関わってくるように思っています。   現行の手続を前提とせずに、例えば当事者、申立人の主張立証だけではなく、一種の、今は別表第1の事件ですけれども、調停のようなイメージのものを成年後見について導入するといったことができて、その場で可能な限り本人の意思を確認したり、あるいはいろいろな支援者の方々の情報をそこで総体的に考慮するような場というのが、もしも手続上できるのであれば、また違った見方、違った制度の在り方もあるかなと感じました。 ○山野目部会長 常岡委員の御意見を承りましたとともに、この部会における審議の手続の御案内を致しますと、諮問126号において大臣がこの法制審議会とこの部会に求めている範囲の事項については、意見を申し述べることができます。家事事件手続法は法務大臣が掌る法制でありますから、諮問126号の範囲において、ここで意見の取りまとめがかなうならば、それについても意見を申し述べることができます。新しい家事事件の手続について何かその必要があり、アイデアがおありであれば、常岡委員に限らず、おっしゃっていただきたいと望みますし、御提案を踏まえて、家庭裁判所の実務と、それから家事事件手続の理論に精通しておられる皆さんで、またここで議論をお願いして検討を深めるということになりますから、引き続きよろしくお願いいたします。   ほかの委員、幹事の御意見を引き続き伺います。いかがでしょうか。 ○星野委員 先ほどの本人の同意のところで、実務上の経験を2点述べたいと思っています。   まず1点目ですが、保佐の開始の申立てのときの本人の同意の確認というところで、過去に私が経験した事例で、調査官の面談が入り、医師の診断書や概況的には後見にかなり近い状態像の方だったのですが、調査官が御本人とのコミュニケーションの取り方を申立てを支援した関係者からの情報を受けて、非常に丁寧な聞き取りをされて、結果として鑑定をせずに保佐開始という審判が出て、私が保佐人に就任したという事例がありました。そのときに感じたのが、調査官が非常に丁寧に、例えば文字盤を使ったりですとか、本人の同意の在り方というところを、支援者のふだんの様子を聴き取りしながら、最終的にそれを裁判官に報告されたというような事例がありました。それが一つです。   それからもう一つ、代理権を追加する場合についてです。これも保佐の方だったのですが、代理権追加するに当たって、たまたまその方は視力障害がございました。通常ですと裁判所の方は代理権の追加付与の場合、保佐人に本人の同意を確認させて、本人に記名してもらって提出するということが一般的ですが、その方の場合は視力障害がございましたので、自分で署名ができないので、調査官に来ていただいて、本人に説明をして、代理権を追加することについての同意を確認したという経験がございました。 ○青木委員 この本人の同意というのは、今まで経験のある保佐、補助における同意と、これまで後見相当とされた方に関する同意と、両面があると思いますが、これまでの実務的経験から申し上げますと、補助の類型ですと、場合によっては任意代理などの委任もできたり、それから、当該代理権を要する法律行為の内容もある程度の理解をできる人についてもなお、補助という制度を使うことが自分にとってよいと考えた上で同意をすると、そういう思考回路をたどって同意をするという、法律行為の中身をよく理解した上での同意というのがありますが、一方では保佐ぐらいになりますと、具体的な契約とか法律行為の中身までは分からないが、自分がそれをする必要があって、それについて代理権を付与するということは自分にとって必要だということは分かる、具体的な中身の吟味は代理人にお任せしたいというレベルで同意されるということがあると思いまして、それも同意として評価を頂いているということになっていると思います。   加えまして現在、本人申立てによる後見申立てというのは、保佐、補助も併せてではありますが、全体の二十数%にもなっておりまして、その中の多くは後見申立てなわけですけれども、その本人申立てというのは、裁判所に何がしかの代理権等を担う第三者を選任してもらえるということについては理解をして、申立てをしているというレベルの理解状況になり、それを裁判所は確認をして手続を進めているということになっています。   本人申立ての理解は、申立て手続きに関する理解で足りるという仕切りをしている可能性もありますけれども、いずれにしても、実務上本人の同意として扱っているものにも非常にグラデーションがあります。その中で、本人申立てによる後見類型についても手続に乗せているということを考えますと、そのレベル、つまり、自分がいろいろ決める必要があるのは分かるけれども、自分ではよく決めれなくて、それを第三者の人を裁判所に選んでもらおうね、ということを理解できれば手続を進めていることを考えますと、そういうレベルを含めて本人の同意ということを整理できるのではないかと思います。一方で、本人の同意がない場合というのは、自分が今裁判所で何がしかの審判を受けたことによって、自分に何が降り掛かるかが理解できないという場合には、やはり言葉では表面的には「いいです」と言ったとしても、同意する能力がないと評価されるということもあると思いますので、医師の診断書等は、本人の同意能力の評価との関係での診断としても考えていく必要があるのではないかと思います。   調査官による面談を丁寧にやっていただくと、後見相当とされてきた方の中にも、代理権等の付与の意味が理解できるという方は十分おりますし、やはり申立ての準備の段階で、十分に意思決定支援の一環として、申立ての趣旨・内容を本人に分かるように説明していただいた上で申立てに至るということがあると、本人の同意ということがより適切に取れることもありますので、家裁の審理に当たっては、本人の同意を確認するためどういう関わりをそれまでしてきたかというようなことも裁判所に情報提供いただいた上で、裁判所の調査も併せて行うということになるのではないかというイメージを持っております。 ○山野目部会長 青木委員が今おっしゃってくださったことに乗っけて申し上げますと、後見類型を本人が申し立てているときには、申立てを見た裁判所の側が審査する際、その申立てが家事事件手続という特殊な手続であるとはいえ、手続行為として成り立っているということを確認した上で進めるわけですから、それはもちろん本人が求めているということが意思表示ないし手続行為として成り立っているということになりますし、それから、そこまで行っていなくても、現在の運用で本人情報シートの中には、申立てに当たって本人に対して後見の申立てをすることを説明しましたか、というチェックを入れる欄があって、それに対する反応はもとより様々ですが、受け止めて知っているというところにチェックされて裁判所に行くこともあるし、説明したけれども分かりませんでしたというところにチェックをしていくこともあって、いずれにしても下に大きな欄が用意されていて、知っている、あるいは分からなかったというのは、どのような経過でそうなりましたかという点を福祉の関係者に細かく記入してもらって裁判所に届けるということが行われていて、現在の運用でも、本人の考えというものを全く無視して後見の申立てをしているわけではなく、何らかのコミュニケーションは行われた上で、されているものでありますけれども、ただ、佐久間委員がおっしゃったように、そのようなものも含め、全体の中には意思表示として法的に評価することができるものと、そこまで行かなくて、本人が嫌がってはいないということは確かめられましたねというグレードにとどまっているものとがあって、そこを民事法制的なサングラスを通して見たときに、同じようには受け止めることができませんから、グラデーションを識別して、どういうふうにそれを受け止めて法制上反映していきますかということがこの部会の宿題であろうと感じます。 ○山下幹事 ほぼ山野目部会長の話とかぶってしまうような感じなのですが、同意能力という観点とは異なる考え方の方向性を申し上げます。本人の意思の尊重という考え方がなぜ出てきたかという文脈を考えますと、結局、本人の最善の利益に合致すれば、本人の意思を無視してもよいというような現行制度の運用に対するアンチテーゼという意味が、恐らく一番強いのだろうと思います。そうしますと、厳密な意味での同意能力というものが認められないケースであっても、その次に来るのが本人の利益なのか、それとも本人の意向のようなもの、完全な意思表明ができないにしても、恐らく本人の従前の生活からしてこのようなことを望んでいるに違いないといった推測も入るようなものも含めた意向のようなものを尊重して考えていくのかということは、非常に重要な点でございまして、その点をどのような形で手続に組んでいくかということはこれからの課題ではあるとは思いますけれども、やはり厳密な意味での同意というものに限らずに、本人の意思を尊重するということが非常に重要ではないかと考えた次第です。 ○山野目部会長 明らかに本人の意思に反すると認められる場合を除くとかという法文の書き方にすることがあり得るとすれば、それは補助のところで考えられている請求とか同意とは少し法律的な性質の異なるものになりますね。そういうものの可能性も含めていろいろ考えてみましょうという観点の示唆になる御発言を今、山下幹事から頂いたと考えます。   引き続き御発言を承ります。 ○上山委員 少しずれてしまうかもしれませんけれども、現在の保佐制度や補助制度を前提とした場合、ここでの同意の対象というのは具体的な法律行為、あるいは事務に対しての対物的な同意だろうと思うのです。他方で、現実に判断能力に問題を抱えていらっしゃる方がこの手続について利用したいと考えるときに、誰に委ねるかという部分も実は結構大きいのではないかという気がしていまして、この人なら信頼できるので、言葉は悪いですけれども、全部お任せでも構わないというような心の有様もあるかもしれないし、その辺り、特定の法律行為という事務の対象だけで、この同意があるかないかを評価するのか、それとも、実際に誰が、代理権なら代理権を行使するのかというところをある程度要素として含むのかというのも、議論としてはあり得るのかなと感じました。 ○山野目部会長 その点、今まで必ずしも論議されていなかったように感じます。ありがとうございます。   引き続き、いかがでしょうか。   もう一つ論点の山があって、明らかに本人の同意を確認するということが柔らかな意味の同意であっても難しいと思われる場合において、ではどういうふうに対処しますかという論点もありましたから、そちらも含めて幅広く御意見を伺いたいと感じますけれども、いかがでしょうか。 ○竹内(裕)委員 私も今、先生方が言ったことと重なりますが、なかなか一律に同意というのは難しいかなと考えていて、そこは理由は同意の対象と、本人がどこまで何に、そこは私が所属しているグループの中でも、誰が後見人になるというところまで含んでの同意なのかという議論は出されていました。そういう意味で、同意が不要な場合、部会資料の15ページの5行目以下なのですけれども、その要件ですよね、強制的に介入する場合に、厳格は必要だとしても、どこまで厳格にするのか、余り厳格にしすぎてしまってはどうなのかということで、規定ぶりはバランスを慎重に検討していく必要があるのかなと思っています。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   引き続き、いかがでしょうか。 ○佐久間委員 誰が保護者になるかについて、本人の意向なのか同意なのか分かりませんが、尊重するということは、よしあしだと思います。つまり、人間誰しもそうだと思いますが、判断能力にやや問題が生ずるとなると、やはり人に影響されやすい面だってあり得るはずで、先ほどの性善説と性悪説の話なのですけれども、必ずしも本人がこの人でと出してくる人がその人にとっていい人かどうか分からない、これは客観的にいい人がどうか分からないだけではなくて、その同意が他人の影響を強く受けていないという保証はなかなかないので、なるべく意向を考慮しましょうというぐらいだったら、私は全然問題ないとは思うのですけれども、その同意の対象を仮に後見人、保護者になる人についてまで広げるというのだと、それはよろしくないのではないかと思います。 ○山野目部会長 少し論議の経過を整理しますけれども、振り返りますと、後見開始に当たって、ほかの類型を全く認めないかどうかはともかくとして、主たる類型というか主たるパターンとして、本人の同意があるということが大事ですねということで始まって、でも、その同意を確認することができない場合はどうしますかとか、同意をどうやって確認しますかという同意をめぐる議論が比較的大づかみに進んでいた中で、上山委員が、同意といっても、その同意の対象は何ですかという、その同意の抽象度を吟味して、具体的な同意を求める議論をしているか、抽象性を保ったままの同意をしているかを注意しましょうという議論を問題提起してくださったのが重要であったと感じます。   ただし、その後、誰に任せるかというところをどう同意していますかというふうに議論が進んできました。それも議論されていいことですが、今、佐久間委員から御注意いただいたように、誰に、というよりも、むしろ何を、任せることについて同意をしていますかという点、あなたについては不動産を売却する、こういう必要が生じているから、どなたかにそれをしてもらうことの手続をこれからしますけれども、いかがですかというふうな、そこを具体性、個別性を高める仕方で同意を考えていくか、あるいは、もう少し抽象度の高い話で、民法には後見という制度がありますけれども、これに乗っかることについてあなたは受け容れますかという程度の同意でいいかといったようなところは注意が要るという仕方で議論が進んでいくと、更に深掘りがされると見通します。 ○星野委員 実務上経験することなのですが、私のいる地域の社会福祉士会では申立てをする前に、候補者として御本人と会うことが絶対条件としてやっております。そのときに、ご本人に対して何を支援する人なのかというのももちろんあるし、誰にそのような支援を頼みたいのかというところもあります。ただ、1回会っただけでこの人は嫌だとかいいとか普通は言わないです。そこで本人が「この人は嫌だ」と言うのはよほどだと思うのですが、つまり何が言いたいかというと、何をということだけだと、なかなかイメージが持ちにくい対象者の方がいらっしゃるのです。何をやるかというところまでは具体的にイメージができなくても、誰がこれから関わっていくのかというところで、本人の意向とか、そういう思いが出てくることがありますので、ここは、誰かという言い方は適切ではないかもしれませんが、どんな人かというところは、本人の同意を確認する場合において結構重要なところもあるのかなと思っているところです。   それと、あともう一つ、モニタリングと見直しということを先ほど申し上げたのですが、これは後見事務の中身の見直しだけではなくて、この後見人がずっと関わっていくことについての本人の思いというものも聴く必要があると思っていて、そこで、例えば今、厚生労働省の専門家会議の方で議論している後見人の交代というようなことが出てくるわけですが、その交代というのは、必ずしも本人がこの人がいいとか嫌とか、そういうことだけではもちろんないのですけれども、ただ、何をやってもらいたい、やってもらう必要があるかとか、誰にというところについて、本人の同意という側面から考えると、明確な同意を申立てのときには分からなかった方が、半年、1年、2年と経過するにつれて、本人なりの思いというのは明らかに出てくるものだと経験上思います。ですから、そういうことを丁寧に本人の同意という視点から見直していく必要があるのではないかということで、モニタリング、定期的な見直しという期限を考えることも併せて検討する必要があるということを申し上げたところです。 ○山野目部会長 星野委員のおっしゃっているモニタリングの話は、恐らくここでも今問題提起いただいて、大事だったですけれども、終了のときの手続の在り方のときにまた思い起こして、引き続き議論をしなければいけないことでしょう。 ○山城幹事 本人の意向を後見人の選任にどのように反映するのかということは、それ自体として一つの課題だと思うのですが、現行法に即して申しますと、後見人等の選任は職権で行うことになっていますので、その選択を同意の対象とすることは難しいのではないでしょうか。裁判所が職権で後見人を選任するにあたって、事前に心証を開示するというような手続になるのでしょうか、よく分かりませんけれども、どういうイメージの手続になるのかについて理解が十分に及びませんでした。 ○山野目部会長 よく分かりました。ありがとうございます。   もう一つの論点もお願いしますね。どうしても遷延性意識障害や支援拒否で同意が確認することができないときに、それでも開始すべき場合の要件の絞り方のところも御議論をお願いします。   星野委員の話がその話かどうか分かりませんけれども、どうぞ御自由に御発言ください。 ○星野委員 今、山城幹事が言われたところについて、事前に会って本人がどうかというところは、主に第三者が選任される必要性があるような場合に、我々が家庭裁判所に専門職として名簿を出しているというところの中で、今、運用上はそういった名簿の中から選任されるということが私の地域では一般的に行われているので、後見等開始申立の前に候補者として推薦するに当たって、事前に本人と面談をして、本人がどんな様子だったかということも併せて申立てがされるというところの話で、限定的な話でしたところです。全国的にみるとこういったやり方はむしろ少ないと思います。 ○山野目部会長 星野委員の情報提供も重要ですし、しかし、それを家事事件手続という裁判手続でどういうふうに論理的に仕組むかということを山城幹事はおっしゃいましたから、そこが大事だということも皆さん共通に認識していただいていると思います。   引き続き御発言を承ります。いかがでしょうか。 ○久保委員 私どもの団体は知的障害者の人たちの団体でございますので、同意を得るとか、本人にどうと聴かれても、詳しいことはよく分からないというのが現状だと私は認識しています。要は、この人と相談しながらいろいろなことができるのだということを本人が理解できるということが必要なのだろうと思います。それで、この人でいいのかなと、この人でなくて違う人の方が話しやすいわとか、ですから、前の厚生労働省で専門家会議で話をさせていただいていましたけれども、後見人になっていただく方は、最初の本人の接し方みたいなものによくよく注意をしていただかないと、紋切りの話をされても、本人はこの人嫌だなと思ってしまう、一回思うとなかなか切り替えてくれないというのはありますので、そういう意味では少しこの練習というか、最初に寄り添ってみるということが必要なのかなと思って、本人に、この人に寄り添って相談しながら自分のことが決められていくのだというのが何となく分かるというふうな方法というか仕組みというか、そういうことをしていただかないと、なかなか本人が、この人でいいですかと言われても、分からないですよね、急にこんにちはといって来られて、この人でいいですかと言われても、いいかどうかも分からないというのもありますし、先ほど星野委員がおっしゃったように、少し話をしただけではよく分からないと、少しやってみて、この人といろいろ話しやすいし、いろいろ相談もしやすいなという、自分のことを考えてくれているなというのが本人が何となく肌で分かるという、そういうのが必要なのだと思うのです。そこで本人の思いが段々きちんと出せるというふうになってくるというか、環境ですね、そういうことをやっていかないと、後見人になった人が本人の意思を確認するとか、同意を確認するとかいろいろなことが、本人の思いを確認するということがなかなか難しいと思いますので、本人が確認できるような環境と、一遍やってみるかみたいなことも、少しやらせていただけると、本人としては判断ができやすいのかなと思います。 ○山野目部会長 背広にネクタイで行かない方がいいらしいですよ。司法書士がその格好で行ったら拒まれて、次からはカジュアルな服装で行ったら、やっと心を開いてくれたという体験談を読みました。ただし、誰が成年後見人になることがよいかというマッチングの話は、今日のこの論点そのものではありませんから、それはまた異ななる機会に議論をお願いした方がいいのではないでしょうか。前々からその論点はあって、本当にそういうお試しみたいなものが必要であれば、特別養子縁組のときの試験養育のような制度、規定を設けることを考えてもいいですけれども、ただし、あれは親子としての長い付き合いがあるから必要なのであって、むしろここで新しく見直そうとしている成年後見制度の事務の範囲は、長期にわたって続くような身上保護などであるならば、重たい手続を用意し、お試しを考えなければいけないですけれども、そうでないならば、やはりそれは今までの運用で工夫してきたところをまた踏まえてしていきましょうということになり、やはり今日お願いしているのは、誰が成年後見人になるかという話ではなくて、後見の手続を本人について始めるときに、本人の同意というものに一つの役割を認めようという議論があるけれども、それをどう考えますかという、ここのところを引き続き御議論をお願いし、そして、同意が確かめられない場合について、それでも手続を始めなければならない場合にはどういう要件ですかというところに進んでいただけると、第二読に向けての部会資料を整える作業が進みますから、是非、委員、幹事におかれて、御意見を活発にお願いしたいと思います。久保委員、どうもありがとうございました。 ○青木委員 本人に同意能力がないとされて、それでもなお制度開始をする場合の要件ですけれども、15ページにもお書きいただいていますが、やはり本人にその代理権ないしは取消権を付与しなければ、本人の生命、身体、財産に大きな危険を呼ぶような場合ということが相当であると思います。これは現行の後見人の実務に関するガイドラインでは、本人に見過ごせない重大な及び影響を及ぼす場合には代行が認められると、意思決定支援から代行に移ってもいいというレベルでそういう議論がされていますが、それと、この本人の生命、身体、財産に大きな危険を及ぼすというのは、イコールではないかもしれませんが、その二つを参考にしながら基準作りをしていくというのがよろしいのではないだろうかと現時点で思っています。   それから、もう1つの観点としては、代理権と同意権・取消権で果たして同じ基準でいいのかということです。先ほど沖野委員からは、代理権の方がより広範な制約ではないかという御意見もありましたが、私はやはり、自分では法律行為が完結できない同意権・取消権の方が重大な制約であり、代理権が付与されたとしても本人自身の法律行為が制約されているわけではないということからしますと、代理権と取消権では取消権の方が制約が大きいと考えますので、本人の同意能力がない場合における必要性の要件も、取消権の方が高くなることが想定されるのではないかとは考えています。   それから、少しこの件とは違いますが、先ほどのお話の中で、本人の同意が必要性にどう影響するかということについては、本人の主観的な要件は重要ですが、一方で必要性の要件は独自に客観的に見る必要があって、例えば、当面必要がないけれども念のために付けておきましょうかとして、保佐とか補助で代理権をたくさん付けようとするご本人や支援者もいますが、それについては、今あなたは不動産を持っていないのに、不動産の代理権なんか要らないですよねと話をしたり、保険とかは当面、今入っていないのに、保険の代理権は要りませんよねという話をしたりもしますが、そういった本人の主観と本当の必要性がずれることというのがありますので、一応別に考えていただいた上で、ただ、同意があるときには必要性が認められやすい一つの要素になるという整理が適当なのではないかと思っています。 ○星野委員 何度も発言して申し訳ありません。今の青木委員の意見に全く異論はございません。ただ、それを家庭裁判所が判断する、審判を出すというところの情報の問題があるかなと思っています。どういったところで本人の生命、身体、財産に大きな影響が及んでいると判断できるのかという情報をどうやって得るかというところがあるかと思います。これは民法ではないかもしれません。いわゆる中核機関がそういった機能を持つことができるかどうかというところにも関わってくるので、これは民法の議論の話からは外れるかもしれませんが、ただ、家庭裁判所が判断するための仕組みというものが必要ではないかと思っております。 ○山野目部会長 委員、幹事の皆さんの理解をなるべく近付けておいた方が、次回以降の審議にとってよろしいですから、少しイメージしておられるところをお尋ねしてみたいと感じます。本人の同意がないとしても、本人の生命、身体、財産、場合によっては自由が重大な不利益を被るおそれというものは、今までの民法の規定においても緊急事務管理の規定などにおいて似たような規定ぶりのところがありますから、法制としても仕組みやすいとは感じますが、ただし、法律家の耳に入りやすいという話と、現場で個別の事案に接したときの福祉の関係者や、更に家庭裁判所が、ある状況を見せられて、これが本人の生命、身体、財産に重大な影響を生ずるかどうかという点はイメージが、どういうふうな局面でしょうか。   一つの例を挙げますと、御本人にそれほど資産がなくて、自律した生活がだんだんできなくなってきている状況にあって、施設に入った方がいいけれども、自宅を売却しないと資金は出ません、という計算になりますという説明をして、本人に、後見を始めてどなたかに代理人になってしてもらおうと思うのですけれどもどうですかと尋ねると、いや、この自宅には愛着があるから、絶対に売ってもらっては困る、そんな手続を自分は拒むと言い続けるときに、このまま行くと、そのおうちの中で自分で暮らしていけなくなる状態がじり貧で続いていくことになり、でも、一日一日が生きていけないわけではないですから、直ちにその生命が失われるわけではないといったような状況を出されたときに、本人がそれで結構です、後見でしてくださいと述べれば、それで進む可能性が出てくるでしょうけれども、本人が自宅に愛着があって、たとえどんなことがあったって自分は自宅の売却は嫌だと言っていると、こういうときはこの生命、身体、財産に重大な影響があるのですか、ないのですか。青木佳史委員の先ほどの提言の要件を当てはめると、どうなりますか。強くおっしゃっている委員は青木委員と星野委員でいらっしゃるから、順次お尋ねします。 ○青木委員 実際に現在の後見職務における意思決定支援のガイドライン等でも具体例として挙がっているケースを、山野目部会長から出していただいたのですけれども、例えば、本当にその家が崩壊寸前で、あしたの台風で潰れて下敷きになって亡くなる危険がありますというような場合であれば、明らかにそのまま住み続けることは生命に危険が生じますので、本人が嫌と言っても、そこからほかの住処に移って、売却若しくは解体をするための代理権付与をするということになるだろうと思われます。一方で、修理をすれば何とか住めるかもしれないということであれば、修理ができるだけの資産を持ちなのであれば、その修理をして在宅に残るという選択肢もあるので、そのレベルでは売買の代理権付与は、生命、身体に重大な影響と言えるほど差し迫ったといえるかどうかということになるかもしれません。さらには、一般的に言って随分古いおうちだよねとは言われているし、施設の方が安心できると専門職は思うけれども、ご本人にはやはりこの家にこだわりがあって、近くの喫茶店に通うのも好きで、どうしてもこの家で、少しぐらいお金が掛かっても介護サービス増やして、ヘルパーさんの支援で暮らしたいとなれば、いくら支援者の人たちが施設の方がより安全だよねとなったとしても、生命、身体に重大な危険があるとまではいかないということになるので、それについて本人が嫌だと言っているのに不動産売買の代理権を付与することにはならないということになるのではないかと思います。 ○山野目部会長 歩く注釈民法みたいにきれいにおっしゃっていただいて、突然お尋ねしたのに、原稿を準備していたみたいに御説明になって、それ自体はすばらしいとしか言いようがありませんが、ただし、そのおっしゃった中味について、法律家の先生やなんかが聞いて、その細部についてそうだとおっしゃるかどうかは、また少し聞いてみないと分からないですね。星野委員のお話を伺ってみましょう。 ○星野委員 私たち社会福祉士が多く経験するこのような事例は、やはり虐待案件かなと思っています。虐待を受けている本人が、施設で保護すべきということで、例えば行政が虐待防止法に基づいて分離をして保護しますが、契約する人がいない状況になっていて、本人も入所を希望していませんので、本人の能力も契約能力がないということで、親族も契約をしないというときに、成年後見につながることが多く、社会福祉士も受任します。そのときは正にこの状況かなと思って、まずは本人の保護と安全のために後見人になって契約をすると、そこからまた本人がどこで生活をしていきたいと望んでいるかを、そこは時間を掛けながらゆっくり関わっていく、こういう事例を私は今、思い浮かべていました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。 ○佐久間委員 15ページの4行目から5行目、特に本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶようなときにまでと、これを要件とするということについて、いいのかなと思うところがあるので、発言させてください。   私は京都府で収用委員というのをやっておりまして、法律行為ではないのですけれども、収用するときには権利者から意見を聴くのです。この場合に、法定後見の対象になる方について、後見開始の審判がされていないというときにどうするかということが問題となるのです。実際上は市町村長とかが申立てしてくれればいいですけれども、なかなかしませんので、結局のところ、推定相続人等から文句ありませんよねというようなことを聞き取って手続は進めるのです。ただ、私は常々、御本人が意向を表明できないときであっても、これは代理権の範囲とか期間にも関わることなのですけれども、ピンポイントのその手続で本人の利益を代弁する人は法的に立てた方が絶対いいと思っていました。   そこでもし、私が絶対にいいと思っているのが感覚として正しいとしたら、その場面で本人が法的に有効に同意について何ら表明できる状況にはない、しかし収用の手続は多分まともに進むのですけれども、そこで自分の言い分を誰かに代弁してもらうという利益は、本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶような状況ではないと思うのです。私が今思いついたのは、自分の経験上、その一例だけなのですけれども、その種のことはそこそこあるのではないかと。だから、今の後見のように包括的に行為能力が制限されるということを考えれば、これが必要なのかもしれませんけれども、今後ピンポイントで個別に保護者の権限を考えていく、しかも期間も区切っていくとか、場合によっては事務が終わったらもうそれで終わりというふうなことも考えるとすると、これを独り歩きさせるのは適当ではないのではないかと思いました。 ○山野目部会長 民事訴訟法35条のような規律が収用手続には存在していませんから、これは前々から悩みなのですよね。起業者側も悩んでいますけれども、今、佐久間委員は本人の側、収用を受ける側の立場に立っても、やはり心配であるという法感情を御紹介いただきました。ありがとうございます。   佐久間委員の御話を踏まえ、次に向けての整理に進みたいと考えます。上山委員のお話を伺った後で、もう一度お声掛けをした上で、花俣委員、櫻田委員、久保委員に、この順番で御意見を伺ったりするような進行でまいります。 ○上山委員 すみません、発言を控えた方がいいのかなと思ったのですが。   ここで提言というか、例示されている緊急事務管理に相当するようなところまで絞り込まなければいけないのかどうかというのは、私も議論の余地があるのではないかと考えています。結局、開始要件の必要性のところともリンクすると思うのですけれども、代理権で考えていった場合には、取引相手方の利益保護の観点も含めて、例えば不動産取引のような重要な法律行為については、代理権を通すことによって一定の安定性を確保するというのは考え方としてあり得ると思うのです。そのとき、例えば、資産家の方でたくさん不動産を持っているうちの使っていない別荘を売却するといったような場合に、それは今売る必要がないから法定後見を開始しないというのも一つの考え方である一方で、逆にその売却について限定的に法定代理権を付与するというのも議論としてあり得るような気もするので、必ずしも緊急事務管理的なところまで絞り込むのか、もう少し、重要な法律行為というようなところで抑えるのかというのは、個人的には議論の余地があり得るのかなと感じました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。 ○山城幹事 今の上山委員の御発言と、先ほど青木委員から御発言があった点に関わりますけれども、本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶという判断がいわゆる必要性とどのように関わるのかが、今一つよく分からないと感じました。   例えば、先ほど青木委員が挙げられた例として、売却する差し迫った必要のない不動産の売却が問題となるようなケースは、本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶ場合には当たらないとの御発言がありましたけれども、その場合は、結局、本人の同意があっても必要性がないという判断になりはしないかと感じます。その一方で、本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶ場合には、本人の同意がなくても高度の必要性が肯定されるから後見人に法定代理権が与えられるのだとしますと、本人の状況ごとに必要性を厳密に判断することで、本人の同意の有無にかかわらず、後見を開始して法定代理権を与えるべき場合が切り出されるのではないかとも思われまして、両者の関係が余り明確ではないように感じました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   ほかに御発言がなければ、私が次回に向けての簡単な取りまとめをした上で、3人の委員のお話を伺おうと考えますが、よろしいですか。   部会資料2の3の部分につきましては、二つの大きな問題について御議論を頂きました。本人の同意の必要性ということでお尋ねした部分について申し上げますと、もとより本人とのコミュニケーションを欠いたまま後見の手続を始めることがあってはならない、十分に本人の意向を尋ねた上で始めなければいけないという思想というのでしょうか、哲学というのでしょうか、根本、原則的見地については、それはそのとおりであると、その重要性が委員、幹事の間で広く共有されたのではないかと感じます。   その上で、そこでいうところの本人の意向を酌むという手順については、大きく二つの局面を分けますと、法律的な意味で意思表示に当たるものとしての同意が要求される場面と、そうではないけれども本人の意向を尊重すべき場面とがあると思います。意思表示に当たる場面に関して言うと、そこで意思表示として要求している同意というものが、更に仔細に考えたときに、抽象的な後見ならば後見という手続を用いることについての同意を主題としているか、あるいは今後、後見が開始したときの事務の範囲、期間や事項が限定される制度になっていくかもしれないということを踏まえた上で、当該の事項について理解をして同意していればいいという具体性を持った同意ということを議論しているかということについて、そこに注意をしなければならないという意識を委員、幹事において涵養していただきましたけれども、なお議論を深める必要があると思います。   それからもう一方の、意思表示とはいえないけれども本人の意向を酌む必要がありますねという側面は、これは意思表示としての同意に関する議論の進行の如何にかかわらず、今後とも現在の本人情報シートでしているような実務というものが続けられるべきであって、引き続き本人の意向をよく確認した上で後見開始を決めるという現行の実務の延長のようなことを今後においても考えていかなければならない、この点については御異論がなかったようにお見受けします。同意の必要性ということについて、次に部会資料を提示する際に、また御議論を頂きたいと考えます。   もう一つ大きな問題の検討を頂きました。どのようにしても意思表示としての同意ということを確認することができないということになった場合においても、後見などの手続を開始しなければならない局面が残るであろうということについては、その点そのものについては委員、幹事の間において意見の齟齬がなかったようにお見受けしました。その上で、その要件をどのように仕組むかということにつきましては、部会資料において、提案というよりも一つの候補という仕方で御提示申し上げていますけれども、本人の生命、身体、自由に差し迫った影響、不利益が生ずる場合というような要件の立て方があるかもしれないという考えをめぐって委員、幹事の間で御議論いただきました。本日の議論におきましては、その方向で考えましょうというふうな方向の御意見と、しかしそれ以外に考えるべき局面があるものではないかという方向からの御指摘、御意見があったと受け止めます。これも次の機会において、また御議論を深めていただきたいと望みます。   それでは、3人の委員に御発言をお願いします。花俣委員、一つ前に議論を致しました後見開始の必要性の考慮と、ただいま御議論をお願いした同意の問題などについて、お感じになるところを率直にお述べいただきたいとお願いいたします。 ○花俣委員 前の議題については、様々な先生方の意見を聞いているとき必死でメモをして、順番が回ってきたらと思っておりましたが、今急にそれをまとめて言えと言われると、時間も押していますので、それは少し保留させていただきます。同意ところについてだけ申し述べたいと思います。申し訳ありません。   権利擁護支援という観点から見れば、本人の意見あるいは同意といったようなものを前提にして後見が開始されることが望ましいとは思います。ただ、認知症の人に特化して考えたときに、果たしてその同意というのをどのように評価するのか、あるいは本人の最大の利益といわれるようなものというのは、どちらかというと第三者が判断する。そのことを考えたときに、こんな話があります。   長谷川式スケール、皆さん御存じかどうか分からないですけれども、認知症かどうかを評価する、100から7を順番に引いてという、あれをお考えになった長谷川先生も最終的には嗜銀顆粒性認知症という当事者になられました。御自分が様々な研究の過程の中で、認知症の人にとって有効だと、必要なのだということでデイサービスを初めてお作りになったのですが、御自分がそれを使う段になったときに先生の本音がどうだったかというと、うちにいるのが一番いい、うちへ帰りたいと、それが本音だったわけです。立場が変わって当事者になった途端、やはりこういう本音が出てきたわけです。それでも先生はそこに通っておられたのは、デイサービスのスタッフがよくしてくれるから、一生懸命気を遣ってくれるし、それに、ここに来ないと奥さんに負担が掛かりすぎてしまうからと、一方でそういう判断をされている。だから、本人の同意とか本人の意思というのは、果たして何を基準にどう評価し、どう第三者が判断するのだろうと認知症の人についてはすごく困難な作業だなとつくづく感じながら、最後の議論を聞いていました。 ○山野目部会長 花俣委員におわびがあります。一つ前の議題の際にお尋ねするチャンスを逸しました。御迷惑をお掛けしたと感じます。お許しをください。   櫻田委員、お願いいたします。 ○櫻田委員 私も今議論に上がっている点について発言をさせていただけたらと思います。   皆様からの御意見を聞かせていただいた中で、私自身もやはり感じたことなのですけれども、花俣委員も今おっしゃっていましたけれども、どうやって御本人の同意があったかを評価するかというのはすごく難しいのだなというところを改めて感じました。私どもというか、精神障害を持った方とかも本当に、この同意をどう取るかというところに関しましては、先ほどの最初の方でも御発言させていただいたところでもあるのですけれども、意見が本当に二転三転することもちろんありますし、昨日言っていたことと今日言っていたこと、更に次に言っていることが全然違うとか、あとは、支援者の方からいろいろアドバイスを頂いて迷ってしまって、どうしても意見が変わってしまうということとかもあったりはするので、どれが本当に御本人の意見、意思なのかとか、それに対して同意を取るのかというのは、やはりどういうふうにしていけばいいのかというのは多分、今後の議論に上がってくるのだろうなと感じています。   やはりそう考えますと、確かに評価をどうするのかというところももちろん大事ではありますけれども、一方で、意見にも挙がっておりましたとおり、本当に御本人の危機的状況、財産がなくなってしまうとか命に関わるものに関しては、やはりその限りではないというふうに私自身の意見としては考えております。前提を申し上げますと、本当に御本人の意思を確認して同意を得られることが前提ではあるのですけれども、やはり御本人の命が危ないですとかというところに関しては、御本人の同意を得るのを待たずに利用とかにつなげていくことが必要になってくるのではないかと思っております。   すみません、まとまりのない意見になりましたが、以上になります。 ○山野目部会長 ありがとうございます。櫻田委員におかれても、一つ前に議論がありました必要性、補充性の論点に関して何か想い起こすことがありますれば、次の会議以降の機会で結構ですから、御自由に御指摘を頂きたいと望みます。ありがとうございます。   久保委員、お願いします。 ○久保委員 私も知的障害の人たちのことをずっと想像しながら皆さんのお話を聞いていたのですけれども、期間が短いとか長いとか、緊急性というのは、大変重要なことだと思いますけれども、それも全てにおいて、意思能力とか同意能力というのは、先ほど少し私も変な意見を申し上げたなと思って反省しているのですけれども、要は本人が意思の表出がしやすい環境が必要なのですということを言いたかったわけなのです。それがないと、緊急の場合であっても、ピンポイントで利用する場合であっても、最初に申立てのときからも、どうしますかと最初に聴くときからです、本人の意思とか同意とかというのをきちんと聴き取ろうとすると、やはり本人が話しやすい環境とか話しやすい人というのがどうしても出てくると思っていまして、そこで、例えば聴覚障害の方に手話通訳者が入るように、私たちのような当事者団体がお手伝いに入るとか、御本人の周りで御本人のことをよく知っている方がお手伝いに入るとかという、そのお手伝いが少しあればいいのかなと思っているのです。初めてお願いする人に自分の思いというのを、私たちでもお話ししにくいですから、本人は特にですね、もう固まってしまって、自分の思いというのはなかなか言えない方がほとんどですので、そういう工夫をしていかないと、知的障害の場合は意思能力とか判断能力のない人がとても多くなってしまうなというふうに、少し心配をしています。もう少し丁寧に柔らかいいタッチで聴いてあげていただくと、自分の意思とか判断、同意とかいうのもできる人も結構おられると思いますので、その辺のところの工夫をしていただける必要があるのかなと、そういう仕組みもぜひ、できたら検討していただきたいなという思いを持っています。 ○山野目部会長 全体として作り上げられる制度は、柔らかいタッチが大きな役割が得られるようなものにしていかなければならないと考えますし、皆さんそのように考えていると思います。本日御議論があったところの局部を見ると、法律家的な堅い概念の操作が議論になっていた部分もありますけれども、そういうものも柔らかいタッチを入れていくための議論の一つの過程であります。いろいろ御負担のある審議に御協力をお願いしていますけれども、引き続き御協力方、お願いいたします。   この後、小出委員のお話を伺った後で、もう1回委員、幹事にお声掛けをした上で、内容にわたる議事を終局に向かうことにいたします。 ○小出委員 御発言の機会を頂きまして誠にありがとうございます。弊行の方からは、一つ前の必要性のところにつきまして、少し遅れてしまいまして恐縮ですけれども、最後に御発言させていただければと思います。先ほど一つ前の議題のところで、預貯金等の関係に関連しまして委員、幹事の方々からコメントがあったところに関係しますけれども、必要性に応じた代理権付与の設定に関して、取引の相手方となる金融機関等の立場から、想定される課題等について発言をさせていただければと思います。   まず、現行の金融機関、特に当行ではというところでありますけれども、後見制度の利用開始に当たっては、事前に御利用者の方からお届出を頂き、その後、後見人の方を代理権を有する者として取引を行っております。今後、代理権付与について、単に預貯金取引を範囲とするということではなく、その必要性に応じて、例えば、入院資金の決済に関わるような払出しにのみ代理権を付与すると、そういった個別具体的な付与がされるということを仮定した場合、今まで金融機関では単に、相手が後見人であれば、後見人本人か否か確認すればよかったところ、そういった資金使途、取引目的みたいなところまで確認をするということになりますと、我々の立場としても都度、その取引が代理権設定の範囲に収まるかどうかを確認していく必要があり、その判断が取引の相手方としてもできるのかどうかというところが論点になってくるかなと考えております。また、その取引の範囲内に収まるかどうかというところの確認をしていくものの、万一の場合ですけれども、もしそれが詐称であった場合に対しては、その責任関係がどのような形になっていくかというところも論点になると考えております。この点、今後の議論かもしれませんけれども、過度に複雑な代理権範囲を設定することとならないように、工夫が必要であると考えております。   また、日常取引に関しまして、御支援を前提に本人の方が取引を行うということも前提に、今後議論があろうかと思いますが、双方にとって、後日取引が無効となるということは望ましいものではないため、具体的な支援の在り方でしたり、御支援の法的効果等がどのような形になるのかという点も論点になろうかと考えております。   すみません、課題のコメントということで恐縮ですけれども、こういった点についても御考慮いただきながら議論をしていただければというところであります。当行からは発言は以上となります。 ○山野目部会長 小出委員におかれては、いずれも重要な有益な観点の御意見を頂きまして誠にありがとうございました。御指摘いただいたことを踏まえて、今後の検討を深めてまいるということにいたします。どうもありがとうございます。   委員、幹事の皆さんにお声がけを致します。部会資料の1から3までの内容についての御発言として、述べるのを逸した点がおありでしょうか。   よろしいですか。それでは、本日、内容にわたる議事はここまでといたします。本日は部会資料2の1から3までについての審議をお願いしたという扱いにいたします。   次回、第3回会議におきましては、同じ部会資料の4から後についての審議をお願いしますが、さらなる部会資料をお届けする可能性もございます。   続きまして、前回の会議においてお諮りしていたことについて話題といたします。前回会議以降、私と事務当局との間で、前回話題にいたしましたヒアリングの実施について相談、準備を重ねてまいりました。あわせて、それを踏まえ日程調整なども進めたところでございます。現時点において、このヒアリングの準備がどのようになっているかという点につきまして、事務当局から説明を差し上げます。 ○波多野幹事 ヒアリングの関係でございますが、日程調整に御協力いただきましてありがとうございます。7月及び9月は日程の調整をさせていただきまして、7月16日午後及び9月2日午後に開催することを予定しています。差し支えで御回答いただいた方もいらっしゃることは承知しておりますが、全体の調整をした結果でございまして、申し訳ございません。10月は引き続き調整中という状況でございます。   その上で、事務当局としましては、7月16日のヒアリングの候補としまして、4つの団体の方からお話をお聞きすることがあるかと考えておりまして、具体的には、全国精神保健福祉会連合会、日本認知症本人ワーキンググループ、日本発達障害ネットワーク、日本障害者協議会の4つの団体でございます。 ○山野目部会長 ただいま波多野幹事から差し上げた説明を踏まえまして、提案を差し上げます。御案内を差し上げましたとおり7月16日に、先ほどお話がありました4団体についてヒアリングを実施するという提案を差し上げます。いかがでしょうか。   それでは、御賛同いただいたものとして、そのように部会として決定を致し、事務当局において準備を進めることにいたします。   この際、委員、幹事の皆様からこの部会の運営につきまして意見やお尋ねがありましたならば御随意に承ります。いかがでしょうか。よろしいでしょうか。   それでは、最後になりますが、事務当局から次回の会議日程の案内を差し上げます。 ○波多野幹事 次回の日程は、令和6年6月11日火曜日、午後1時30分から午後5時30分まで、場所につきましては7階の共用会議室6、7を予定しております。   次回は、部会資料2の積み残し部分についてと、法定後見制度の終了に関して想定される検討事項に関して部会資料を準備いたしまして、御議論をお願いしたいと考えているところでございます。 ○山野目部会長 日程の御案内を差し上げました。   本日は委員、幹事におかれまして、長い時間にわたりまして熱心な御討議を賜りまして誠にありがとうございました。   これをもちまして法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第2回会議を閉会といたします。どうもありがとうございました。 -了- - 57 -