法制審議会 民法(成年後見等関係)部会 第9回会議 議事録 第1 日 時  令和6年10月22日(火)自 午後1時31分                      至 午後5時57分 第2 場 所  法務総合研究所第6教室(赤れんが棟1階) 第3 議 題  1 任意後見に関する検討事項について         2 成年後見制度に関する家事審判の手続の検討事項について         3 法定後見制度の枠組みに関する検討事項について         4 成年後見制度に関するその他の検討事項について 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○山野目部会長 お待たせを致しました。法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第9回会議を始めます。   本日も御多忙の中を御出席いただきまして誠にありがとうございます。   本日は、常岡委員、竹内努委員、家原幹事、小林幹事、杉山幹事、遠坂幹事及び南幹事が御欠席と伺っています。また、沖野委員、馬渡委員、内野委員、加毛幹事及び山下幹事が会議の中ほどから御出席予定であると聞いております。   本日の審議に入るに当たりまして、配布資料の説明を事務当局から差し上げます。 ○山田関係官 本日は、既に配布しています部会資料5に加え、部会資料6並びに参考資料4及び5を準備しています。まず、参考資料4は「任意後見制度の利用状況に関する意識調査について」の資料です。その抜粋について部会資料5で取り上げていましたが、参考資料4において改めて全体をお示ししています。また、参考資料5は、これまでの部会において外国における成年後見制度の件数等について言及があったことを踏まえ、さきに配布しました参考資料2から抜粋するなどしてまとめた資料です。なお、部会資料の内容については、後ほどの御審議の中で事務局から説明を差し上げる予定です。 ○山野目部会長 御案内を差し上げましたとおり、参考資料をお届けしております。お手すきの折に委員、幹事におかれまして御覧いただければ有り難く存じます。   本日の審議に入ります。本日は、部会資料5をまず取り上げます。部会資料5につきましては、前回の審議の機会に第4の1までが済んでおります。本日は、部会資料5の第4の2からの審議をお願いいたします。まず、部会資料5の13ページから後、2として、予備的な任意後見受任者の定め等(任意後見契約の登記に関する規律等)、それから14ページからの3、任意後見人の代理権の段階的発効等、また15ページからの4、その他、これらについての審議をお願いいたします。申し上げました部分について、部会資料についての説明を事務当局から差し上げます。 ○山田関係官 部会資料5、13ページからの第4の2、予備的な任意後見受任者の定め等(任意後見契約の登記に関する規律等)から第4の4、その他について御説明いたします。   まず、13ページからの2、予備的な任意後見受任者の定め等(任意後見契約の登記に関する規律等)では、任意後見契約は契約締結から効力が発生するまでの期間が長いことなどから、予備的な任意後見受任者を定めるニーズがあるとも考えられることを踏まえて、予備的な任意後見受任者の定めを設けることや、登記に関する規律について御議論いただきたいと考えています。   次に、14ページからの3、任意後見人の代理権の段階的発効等では、一部の事務の委任、代理権の付与を段階的に発効させることや、委任されていなかった事務を追加すること等について御議論いただきたいと考えています。   また、14ページからの4、その他では、1、複数選任の任意後見人の分掌等、2、任意後見契約の方式、3、任意後見受任者の事務所所在地及び職務上の氏名の登記、4、終了事由について御議論いただきたいと考えています。   なお、これらに限らず、これまで取り上げた事項のほかに必要な検討事項があれば、御議論いただきたいと考えております。 ○山野目部会長 御説明を差し上げました部分について、意見を頂きます。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。まず、第4の2についてです。任意後見契約の登記に関する在り方については、登記制度を担う法律事務の専門家である司法書士として強い関心を寄せております。後見登記に関しては、現在の法定後見の事件番号や任意後見契約ごとに編成する登記記録の在り方から、本人を基準とした登記記録の制度に改め、法定後見も任意後見も同じ登記事項証明書に記載されるようにすれば、法定後見と任意後見が併存する場合の権限について一覧性があり、分かりやすくなるものと考えています。   予備的な受任者につきましては、現行の実務でもそのような契約上の定めをしているケースは多くありますので、導入することには賛成をします。ただ、制度的に導入するということであれば、まずは実体法である後見契約に関する法律の第2条の第1号の規定を改正し、本来の受任者がいる場合は、予備的な受任者については任意後見監督人が選任されても任意後見契約が発効しない旨の定めを設ける必要があると考えています。なお、本人を基準とした登記記録の制度に改めることができるのであれば、予備的な任意後見受任者についても一つの後見登記記録に複数の受任者を載せることになりますので、そこに予備的な任意後見受任者を定めた場合の順位を登記できるようにするかという点も併せて検討していくことになるのではないかと考えています。 ○野村幹事 まず、予備的受任者なのですけれども、任意後見契約は契約締結から効力発生、終了するまで長期にわたりますので、受任者の事情で後見事務が行えないリスクに備えるために、リーガルサポートの会員が受任者となる場合には、他の会員とも任意後見契約を行って、当事者間で主たる受任者を決めておくという工夫をしている場合もあります。親族、知人等の間の契約でも、同様の対応を行う場合は少なくないと思われます。また、当初、当事者間一本の契約だったものが、当初の受任者のみではリスクがあるとして、別の受任者とも2本目の契約を結ぶ事例もあります。このような事例では、予備的な任意後見受任者を定めておく必要性があると考えられます。このような現実的なニーズから、予備的な受任者の定めを可能とする検討がされてもよいと考えています。この予備的な受任者に関する登記についても、現実の実務の運用に合わせて公示方法を検討してもよいと考えます。また、これに関連しまして、複数の契約がなされる場合に、例えば受任者の氏名、住所までは開示されずとも、本人以外にも家族や受任者などが契約の締結数や締結日、契約番号ぐらいを各確認できるような、名寄せ的な公示方法は検討してもよいのではないかと考えます。 ○竹内(裕)委員 まず、予備的な任意後見受任者ですけれども、これは信託であるとか遺言でも、不測の事態が生じた場合に備えて予備的な信託行為や予備的な遺言執行者の定めを設けていることが行われていますので、そのような長期にわたり何が起こるか分からないというところで、問題状況は任意後見でも同じだと思います。必要性はあると考えますので、認めても問題ないと考えます。なので、後見登記等に関する法律にこの予備的登記ということを明文化して定めるであるということを考えてもいいのではないかと。また、実体的には、この任意後見契約が発効した、その次に予備的な定めの発効条件が成就したという場合について、予備的な受任者の方が従来の、当初の任意後見人の方を引き継ぐ仕組み、これを設けるということが考えられるのではないか、つまり任意後見監督人も引き続き継続するということです。ここに関して弁護士会内のメンバーで議論したときには、信託法の75条に権利義務の承継というような文言があるので、そういったものも参考になるのではないかというような意見が出されておりました。 ○佐久間委員 今話題に出ている予備的な受任者の選任ですけれども、実質的には私も認めていいと思います。ただ、今、竹内委員がおっしゃった、信託でも可能なのだからという点について、実質的にはそうだと思うのですけれども、信託の場合は、もちろん契約で設定されることもありますけれども、一旦設定されたら制度的なものになって、その枠組みの中で、例えば裁判所による後継受託者の選任もあるなどから、二人の間の契約の効力だという捉え方は多分余りされなくなると思うのです。そうであるところ、今あります任意後見契約というのは、本人と任意後見受任者の間の契約であって、最後まで法的な性質をずっとそれが決定付けるというような仕組みになっていると思います。だから駄目だというのではなくて、私は、予備的な受任者というものを認めるのであれば、そこの認識を変える必要があるのではないかと思います。その認識を変えなくても、例えば1通の契約書で二つの契約があるのですという解釈をすれば、悪くはないと思うのですけれども、次に申し上げることも考えた方がいいのではないかということも含めて、任意後見契約というのも、おっしゃるとおり信託と同じように考えればいいではないかという点は竹内委員と共通しているのですけれども、法的な理解の変更を含んで、そのように理解した方がいいのではないかと思います。   そのように理解するとすれば、今話題になっているのは任意後見契約を締結するその段階で、後継の任意後見人になる者を選んでおくということなのですけれども、場合によっては、最初は選んでいないのだけれども、途中から交替させたい、あるいはこの任意後見人は難しいなとなったら追加したいとということだって出てくると思いますので、そこまで踏み込んだ制度設計をした方がいいのではないかと私は思っています。ただ、そういたしますと、繰り返しになりますけれども、当初の本人と任意後見受任者の間で結ばれた契約を別の人との間でそのまま承継させるというのは、およそできないというわけではないと思いますけれども、やはり一定の仕組みが必要だろうと思いますし、理解の変更も必要だと思うので、そのようにしてはどうかと思っています。   ただ、その場合は、その場合というのは、例えば追加的な受任者の選任ということをする場合には、やはりその時点で本人に意思能力がないといけないということから、契約自体は当事者でやればいいと思いますけれども、その受任者を実際に任意後見人にするという段階では、本人の契約締結時の意思能力の確認をもう一度しなければいけないのではないかと思っています。   そのようなことを受けて、次に登記については、当初から予備的な任意後見受任者を選んでおくとしても、任意後見人になっていない段階で登記に現す必要は余りないのではないかと思いますので、任意後見人にその人が選任された段階できちんと登記されるようにする、そのためには、やはり任意後見人が新たに、交代の形でもですけれども、選ばれるに当たっては裁判所の関与を求める、登記は結局職権で変えるということになると思いますので、そうする必要があるのではないかと思います。   さらには、今最後に申し上げた裁判所の関与はというのは、場合によってはそれまで選ばれている任意後見監督人が、新たな任意後見人については欠格事由があるということも含めて、適任でないということだって事態としては考えられないわけではないので、任意後見監督人の選解任についても、場合によって、その必要性も含めて、裁判所が判断することにすべきではないかと思っています。 ○青木委員 幾つかの論点がありますが、今話題になっている予備的な受任者についてまず申し上げます。これまでの御意見にあるように、ニーズは非常にありまして、本人が予め決めておくという意味から言いましても、予備的な受任者が誰かということを、契約書上も、後見登記上も明らかにしておくことが必要であると思っています。任意後見の特徴は、法定後見と違いまして、任意後見受任者に対して本人の信認が厚いというところにあると思いますので、その任意後見人が欠けたときに、法定後見によって本人の意思とは離れた者を付けるという考え方ではなく、やはり本人が信認できる者を予備的に付けておくことの重要性があると考えていますので、そういう意味で、予備的な受任者を任意後見制度の中にしっかり組み込むべきだと思っています。   その際に、登記の表示につきましては、発効した、つまり任意後見人になった者と任意後見受任者の予備的な地位にとどまる者が登記上も明確にしていただき、取引の相手方からも明確になる登記の仕組みの見直しをお願いしたいと思っています。   また、任意後見受任者が何らかの事由で欠けたときに、予備的な受任者を設けていなかった場合の対応については、先ほど佐久間先生の御提案もありますが、私の意見としては、その場合には法定後見制度の利用が新たに必要になった場合として、任意後見監督人が申立人になり、法定後見の開始により新たに代理権等を付与するという仕組みも併用できると思っていますので、任意後見契約の基本的性格は変えないまま法定後見での手当てを行う方向性がいいのではないかと思っております。 ○山野目部会長 青木委員の御発言を今承ったところです。青木委員、どうもありがとうございました。   併せて御案内を致します。遠隔で御参加の委員、幹事、関係官の皆様には大変に御迷惑をお掛けいたしました。ただいまの青木委員の発言の途中までのおよそ午後1時45分頃までの会議室で行われている審議においてされた委員、幹事の発言が遠隔の皆さんに全く聞こえない状態であったと報告を受けております。   部会資料5の第4の2以下ということで、部会資料5の任意後見制度の残りの部分全部をお諮りしたつもりでありますけれども、遠隔の皆さんにお声を届けることができなかったおよそ15分間の間は、ほぼ部会資料5の第4の2のところを中心にする御議論に終始している状況でありました。   予備的な任意後見受任者の定めにつきまして、会議室におられる何人かの委員、幹事から御発言がありまして、その細密なところは、追って議事録の案を作成してお届けしてお伝えするほかないものでありますけれども、ここまでのお話で登場していた要点といたしましては、何よりも、部会資料の問題の投げ掛け方が、予備的な任意後見受任者の定めというよりも、そのことを登記しておくことはどうかという方に力点があるような仕方になっておりますけれども、しかし会議室でお話しいただいた委員、幹事のお話から分かってきたことは、登記をどうするかということは、もちろん最終的には考えなければいけないとしても、その前に、複数の任意後見契約が走る際に、順位を付けて又は時間をずらして任意後見契約が締結されるという事態を容認するということは、任意後見制度の趣旨からして大いに考えられるところであるという方向から多くの御発言を頂きましたとともに、しかしながら、それをするときには、その複数の走っている、あるいは走ることになる任意後見契約の法的構成について、かなり考え込まなければいけないという課題がございます。   二つの任意後見契約がある状況を想定して申し上げますと、先行する任意後見契約が事後どのようになるか、後行する任意後見契約がいつからどのような法的構成で効力を生ずるか、それから二つの任意後見契約の関係がどうなるか、関連して、先行する任意後見契約について任意後見監督人が選任されていたときに、その任意後見監督人が選任されている状況やその職務について、後から来る後行の任意後見契約に引き継がれるかどうか、引き継がれるとして、その実務上の運用においても円滑を期して工夫が要るのではないかといったような多岐にわたる御指摘があって、一言で申し上げれば、実体的な法的構成やそれに関わる運用について相当程度の見通しを持った上で、更に登記についての検討をすることが望ましいという方向から、多数の貴重な御意見を頂いたところであります。   そのほかに、ここまでの御発言の中では、それ以外のところにわたる目立った御意見はありませんでしたが、ただ、小澤委員から、後見登記の制度全般にわたる抜本的な提言として、現在は契約単位で後見登記が行われておりますところ、人単位にするということにそのやり方を改めれば、今般考えられている成年後見制度全般の改革のもろもろの論点についてうまく受け止めて、登記上も適切な処理がされるのではないかという夢のような提案がありました。大変すばらしい提案であるとともに、これは事務当局を悩ませると思います。極めて大規模、重大なシステムの改良をしなければならないことになりますから、夢が実現するかどうかは、少し事務的な観点からも引き取らせていただいて、また次以降の機会にお諮りをしてまいりたいと考えます。   引き続き御発言をお願いいたします。いかがでしょうか。 ○根本幹事 任意後見人が御本人よりも先に死亡してしまった場合、現行法ですと任意後見人死亡で任意後見が終了してしまうということへの懸念から、複数で契約をする、若しくは予備的な存在を必要とするというニーズは非常に強いものだと私も承知しております。   その中で、今回の任意後見制度改正議論で、代理権について、段階的発効や追加的付与のように、代理権を柔軟に考えていくことに加えて、先ほど佐久間委員からありました、任意後見人についても追加や変更について、御本人が任意後見契約締結能力がある限りにおいては、柔軟に認められていくべきだろうと私自身も考えています。   そうなってくると、特に今、現行法においても任意後見契約の締結能力を争う裁判例というものが少しずつ出始めているという実態もございますので、この代理権や任意後見人の追加の場面、特に人を変更する追加をする場面のときに、その能力審査をどのように法的に担保していくのかというところは十分留意が必要ではないかと思います。   あわせて、予備的受任者を設けるときに主位的受任者が何らかの事由で終了するという場面においても、例えば心身に支障があるというような言われ方ですと、果たしてそれが終了しているのか、終了していないのかというところについても争いになるということが懸念されますので、終了事由についての法制上の規定の仕方及び、その終了事由について裁判所が関与するのか、しないのかという点についても引き続き検討する必要があるのではないかと考えております。 ○小澤委員 ありがとうございます。3の任意後見人の代理権の段階的発効などについて意見を申し述べたいと思います。任意後見人の代理権の段階的発効については、そのような制度が可能であれば、現状より任意後見制度が使いやすいものになると考えますので、基本的に賛成します。委任されていなかった事務の代理権の追加については、家庭裁判所や任意後見監督人の関与があるとはいえ、本人との合意によらないで任意後見人の代理権を追加する制度とすることには、飽くまで当事者間の契約に基づく任意後見制度の性質を踏まえると、違和感を覚えています。やはりこのような場合には、部会資料5の第3の検討項目で検討したように、任意後見と法定後見を併存させ、任意後見人を法定後見人にも選任して、必要な代理権を付与して追完することが適切ではないかと考えています。 ○山野目部会長 そのほかの論点については、特に小澤委員の方からはございませんか。 ○小澤委員 ございます。よろしいですか。   では、4についてですが、まず、複数選任の任意後見人の分掌等については、任意後見人の複数選任や権限の分掌について、特に制限を加える規定を設ける必要はなく、本人が契約で決めているのであれば特段問題はないものと考えています。複数の任意後見人間の権限の矛盾や抵触の問題が発生するのであれば、原則どおり任意後見監督人による監督によりその矛盾を調整し、解消することが第一であり、もし任意後見人がその監督に従わず、権限の矛盾により支障が生じるのであれば、任意後見監督人から一方の任意後見人の解任申立てを行ったり、法定後見の申立てによって任意後見の利用を終了させたりすることも可能と考えますので、現在の制度でも十分対応できるのではないかと考えています。   様式については、任意後見契約は本人の生活にとって重大な影響を及ぼす契約であり、任意後見の委任者と受任者それぞれに十分な理解と自覚を持ってもらうためにも、現行の公正証書によるという様式は維持すべきであると考えています。   最後に、3の任意後見受任者の事務所所在地及び職務上の氏名の登記ですが、現在任意後見契約が登記される場合においては、法定後見の場合と異なって、専門職が任意後見人受任者となる場合であっても、事務所の所在地での登記が認められておらず、各自の自宅住所が登記されることになっております。また、職務上の氏名による登記も認められず、戸籍姓による登記がなされております。任意後見監督人の選任申立権者を広げるという議論もありましたが、専門職である任意後見契約受任者にとっては、その範囲で自身の生活の場所である自宅住所や戸籍姓が第三者に知られてしまう可能性があり、制度の利用を促進しようとする際に、専門職には大きな抵抗感があることを御理解いただければと思っております。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございます。   引き続き承ります。 ○根本幹事 段階的発効については、法定後見が個別的な付与を原則として考えていくとすると、任意後見についても同様に段階的発効というのは認められるべきと思いますし、段階的発効の中身についても、例えば一部を終了させるですとか、発効だけではなくて終了の部分についても一部終了を含めて、先ほど申し上げましたように代理権の出し入れというところを柔軟に捉えていく必要があるのではないかと考えております。   あわせて、代理権を追加するというところにつきましても、先ほど申し上げましたように御本人の判断能力、任意後見の契約締結能力がある限りにおいては当然、御本人の契約の範囲の中で自由に行えるということになるわけですが、現行法上現場で問題になっているのは、発効後に代理権目録に、代理権目録の解釈に疑義が生じたり、若しくは代理権目録の内容に何らか欠落している部分があり、そのためだけに法定後見に移行させなければいけないという問題がございます。   そういった観点でも、先ほど佐久間委員から、この任意後見という制度についての法的性質を、当事者間の契約から何らか制度的なものに少し変えるということも考えられるのではないかという御意見を頂きましたけれども、発効後でも代理権を何らか追加する必要があり、しかも、それを今担当している任意後見人が担うことが適切であると裁判所が判断した場合には、代理権の追加ができるようにしておくことは必要なのではないかと考えております。その際に報酬等の在り方についてどのように考えるのかという点については、留意が必要だと思います。   それから、2点目として、今回の部会資料にはテーマとしては記載はございませんけれども、任意後見契約を代理締結するということが認められるのかどうかについては、今回の改正時に改めて議論をするべき内容であると考えております。そもそも任意後見制度が本人意思を尊重するという制度であるとすると、果たして代理締結を認めるという法的な根拠がどこにあるのかという問題もございます。すべからく認めないのかというところについてはいろいろ議論があるところかもしれませんが、少なくとも現行の、何らの制約もなく代理締結が認められているという点については、改正時から異論も根強くあると認識をしておりますので、ここについては是非今後この部会の中で議論していくべきだと思っています。   私個人としては、現行上も任意後見契約の締結意思が御本人におありになるのか、かつ、代理でそれを締結するという意思もおありになるのかというところを、現場の公証人の先生方は実質上きちんと御確認いただいていると伺っていますが、それを法制上の例外的な措置として要件とすることが必要だと考えていますし、例えば任意後見監督人が代理締結できるのかとか、法定代理権を用いて代理締結できるのかなど、問題提起もされている点もあるところです。代理締結がそもそも許されるのかどうか、どういった場合に許されるのかということを、きちんと要件を定めて法制化していくということが必要なことではないかと考えております。 ○佐久間委員 段階的発効についてですけれども、段階的発効というのは、先ほど申し上げたことを繰り返すような感じになりますが、念頭に置かれているのは、最初に契約に定めておいた効力が順番に発生していくということだろうと思います。それ自体に反対ということはありませんけれども、段階的発効を認める場合には、その要件、どういう場合に発効させるのかということをかなりきちんと判断しやすくしておかないと、機能しないのではないかと思います。実質要件みたいな、本人がこういう状況になったらというのは、なかなか判断が難しいので、私は段階的発効を認めるといたしましても、本人又は任意後見人の裁判所に対する請求があり、これは契約ですので、他方も同意しているということを裁判所が確認して、次の効力発生を認めるというようなことにするべきではないかと思います。そのことによって登記も変えられるというか、代理権の目録も変えられるのでと、まず、思っています。   ただ、それはそれとして、先ほどの予備的な後見受任者のところで申し上げたのと全く同じなのですけれども、本人の状態を見て、追加のニーズの方が高いのではないかと思うので、ここも本人に意思能力があるという前提の下でですけれども、権限の追加を認めることが私は適当なのではないかと思います。それは、新たに契約を結ぶというのではなくて、契約の変更をさせればいいと思います。今、任意後見契約というのは変更が認められない契約だと思うのですけれども、契約の変更というのは当事者が合意すればできるはずなので、変更を認める手続を設けるということが私は適当なのではないかと思っています。   この点で最後なのですけれども、15ページの15行目の「他方で」以下の部分について、「本人の判断能力が低下している場合には、法定後見制度の利用による」というのは、やはり低下の程度であって、意思能力があるのだったら法定後見に行けというのは、それは適当ではないのではないかと思います。本人に契約締結能力はあるのだから、任意後見の枠内でやりたいという本人の意思を無視して、現状の権限では適当ではないのだからということを、裁判所を含めてですけれども第三者が判断して、法定後見に行けというような強制的な制度設計にするのは適当ではないと私は思っています。   ほかの点も併せて申し上げたいのですが、よろしいですか。   次に、4、その他のところの、まず複数の任意後見人を選任した場合の権限分掌等ですけれども、これ以外にないと考えられているわけではないのかもしれませんが、16ページの冒頭にあるのは、任意後見人とか任意後見監督人の申立てで権限の共同行使、分掌の定めをするとあります。けれども、私は、任意後見は飽くまで本人の意思に基づいて行われるべきものであると考えておりますので、法定後見のような保護者のイニシアチブで様々なことができるというような考え方は持ち込むべきではないと思っています。   むしろ任意後見と法定後見はかなり違うのだという性格付けを明瞭にした方がよろしいのではないかと。実際でもよろしいと思いますし、そもそも今、この部会が開かれていることから分かるとおり、法定の制度に対して様々な批判があるわけですよね。その様々な批判は端的に言うと、本人の意思を無視してそんなことをやっていいのかというところに集約されるのではないかと思うのですけれども、任意後見の制度の中に本人の意思を問わずに何かができるというのを持ち込めば持ち込むほど、任意後見に対しても法定後見に対してされているのと同じ批判が出てくるのではないかと思います。ですから、私は、任意後見は本人の意思に基づいてあらゆることが組み立てられているのだと純化させていく方が適当であると、今は純化していると思うのですが、それを維持することが適当であると考えています。   長くなるのですけれども、いいですか。   次に、任意後見契約の方式について、私は公証人の関与を必ず維持すべきであると思います。わざわざ私が偉そうに言うほどのことではなく、当たり前のことなのですけれども、この契約というのは効力が生じたときに本人の事理弁識能力が低下しているわけで、失われているといっていい状況のときだってあり得るわけです。ということは、それより前に、本人の事理弁識能力が低下する、あるいは失われる前に、きちんと真意性、真実性を確保しておくことが極めて重要だと思います。そうすると、後に契約の効力、あるいは真意性をめぐって争いを起こさないようにするための、恐らく今、我が国の契約の制度の中で一番確実なのは公証人の関与であると思われますので、ここは揺るがせにしてはいけないと思っています。   それから、終了事由のところなのですけれども、本人の状況によって、必要性がなくなったら終了させてもいいのではないかと、そういう記述があるのですけれども、必要性の判断を誰がするのかということが問題となりますので、本人の意思に基づいて始まった、代理権を与えて代理させるという制度について、いや、もう必要性ないですよねということを、繰り返しますけれども、外部の第三者が判断して、はい、終わりでいいですね、とはならないのではないか。法定の制度については、必要性がなくなったということが本当にいえるのだったら、法定の制度は外からの本人に与えられた制度なので、終わりですということはあり得ると思うのですけれども、任意後見の場合はそうではないのではないかと思っています。代理権の与え方によっては、その代理権がある程度行使されて、もはや事務が残っていないということはあり、その場合は目的達成による終了ということはあり得ると思っていますけれども、外部の者が判断して保護の必要性がなくなったからという理由で終了させるのはおかしいのではないかと思っています。   最後に、これは資料に書いていないことで、審議会で決めましょうという話ではないのですが、参考資料4を送っていただいて拝見したのですけれども、任意後見制度が全然認識されていないというか、分からないで使われている例がたくさんあって驚きました。今の制度よりもっといろいろなことができる、複雑にもなるというときに、分からないまま使われていては全くもってよろしくないので、任意後見制度がこの部会の議論などを通して変わった場合は特に、あるいは変わらなくても、なるべく法定後見よりは任意後見制度を使えるのだったら使ってもらいましょうということに持っていこうというふうに多分なるのではないかと思うので、その周知の作業ですね、周知活動を極めて重視していただきたいと思います。 ○山野目部会長 任意後見契約の終了事由について佐久間委員がおっしゃったことは、ごもっともであるというふうに伺ったとともに、法制上の措置としては現在の9条の解除の仕組みを骨格としては大きく改める必要はないであろうと聞こえましたけれども、おおむねそういうふうな御意見であると受け止めてよろしいですか。 ○佐久間委員 そうです。 ○山野目部会長 どうもありがとうございます。   引き続き伺います。 ○野村幹事 ありがとうございます。まず、段階的発効ですが、法定後見制度において具体的な必要性、補充性を考慮して、本人にとって必要な法定後見を開始する制度についてで議論しておりますけれども、任意後見契約においても、本人に必要な代理権だけの効力を生じさせて、不要になれば取り消すなど柔軟な制度を検討する余地はありますが、一方で選択肢が増えることによって仕組みが複雑となってしまう点は否めないと思います。登記の面からは、段階的発効に係る代理行為項目の記載について、金融機関と契約の相手方などに明確に示すことのできる記載方法の工夫も必要かと思います。加えて、特に受任者の約7割を占める親族間による契約に配慮した、利用しやすさやニーズという点にも考慮して検討する必要があると考えます。   続いて、代理権の追加ですが、任意後見契約は一般的に本人と受任者との間の一定の信頼関係を基に締結するものであって、この関係を前提として、本人の支援に必要な代理権の追加を可能とすることは、本人が希望している受任者が支援を継続して行うことにつながるため、本人にとってもメリットが大きいため、代理権を追加する方策を検討すべきであると考えます。   具体的には、契約締結時に本人が希望する場合は、代理権の追加を認める条項を入れることで追加を可能とできないか、その上で、必要が生じた場合は本人の同意によって、また同意が困難な場合は監督人が代わって同意して、その上で家裁の審判を経て代理権の追加を可能とすることを検討できるのではないかと思います。その際の報酬については、現状でも本人の生活状況又は健康状態の変化その他現行報酬額を不相当とする特段の事由が発生した場合は、契約当事者双方の協議によって、また、本人が意思を表示できない場合は監督人との合意によって、変更可能であるという条項を入れることがありますので、それと同様に考えればよいのではないかと思います。   その他の部分ですが、まず、複数選任の任意後見人の分掌等については、私的自治の尊重という観点からは、共同行使や権限の分掌について、委任者が希望する場合には、任意後見の契約の時点においてその旨を定めておくことを基本とすべきだと考えます。ただし、委任者が必要な場合に共同行使や権限分掌の定めを行うことに同意するという条項がある場合には、任意後見人又は任意後見監督人の申立てにより、委任者にとっての必要性を考慮した上で、家庭裁判所による権限の共同行使や分掌を定めることを可能とするということも検討できるのではないかと思います。   続いて、任意後見契約の方式についてですが、証書の改ざんのリスクや、公証人の関与による確実な契約提携を行う必要性を考えると、これまでどおり公正証書による要式行為とすることは維持すべきだと考えます。公証人役場まで行くことに対する負担感につきましては、オンラインによる手続が可能となれば軽減されると考えます。なお、将来的には定型様式によるウェブサイト上の入力によって契約が可能とするなど、公正証書によらない契約についても、委任者保護を担保することが技術的に可能となるのであれば、検討の余地はあるのではないかと考えます。   続いて、事務所所在地及び職務上の氏名の登記なのですが、こちらは弁護士や司法書士など後見を業として行う専門職等と契約を希望するニーズは一定ありますが、受任者側において自宅の住所や戸籍姓が登記されることに抵抗を感じて、受任をちゅうちょしてしまうという声もあります。成年後見を業として行う者については、事務所住所及び職務上氏名の登記を可能とするべきだと考えます。   最後に、終了事由のところですが、任意後見制度は本人の選択により利用されるものであって、また、監督人選任後においても正当事由により解除ができることを考えると、特定事務の終了を終了事由とすることのニーズはそれほど高くはないのではないかと考えます。委任者は自らによる判断が困難になった場合の備えとして、制度を利用することを選択していますので、むしろ特定事務以外の支援が必要になった際の委任事務の追加や、法定後見制度との併存の必要性という視点に立った検討が必要であると考えます。以上のことから、本事項については慎重意見です。 ○竹内(裕)委員 まず、段階的発効なのですけれども、今後の議論で、やはり判断基準というところが気になっています。例えば、従来の3類型だとか保護の類型化ということがされるのであれば、どの段階で何を発効させるかということも家庭裁判所が判断しやすいとは思うのです。ただ、類型を廃止していくと考えた場合、その的確な発効条件がなかなか難しいのではないかと、安定した運用にならないのではないかという懸念があります。   こういった段階的発効のようなニーズがあるということであれば、むしろ発効した後の事後的な追加を認めることで、そこに解消されていくと思われます。事後的に追加ということは、確かに任意後見契約は契約であり、契約として純化するということもよく分かります。ただ、実務でやっていると、任意後見だけに、御本人と信頼関係を築いて、できることは本人にやってもらう、そうする中で、本人もできることはやっていくという中で、まだできる、まだできると言っているうちに手遅れになってしまう、実際上はもう必要になったときには御本人の判断能力がかなり危ういということがあります。それを考えますと、元々任意後見というのは信頼関係がベースになっておりますし、たとえ本人が同意を明確にできなかった場合でも、追加ということは後見監督人と家裁と協議の上で、本人の必要性が高ければ、認めるということもあり得るのではないかと考えます。それが段階的発効です。   また、その他の後見制度については、既に出ておりますが、公正証書については賛成、また、職務上の氏名の登記については賛成です。よく我々がやるときに、印鑑証明が要るので自分の個人の印鑑証明を持ってこいと言われることもあるのですが、そうした問題も職務上の住所、事務所住所、氏名が登記されればなくなると思いました。   あと、すみません、ここには書いていないことではあるのですけれども、もしかしたらこれは法定後見とも連動してしまうかもしれませんが、任意後見で、先ほど申し上げたように、御本人が御自分で申し立てるだけの能力が少し危ういといったとき、任意後見受任者であるとか周りの方が申し立てる場面が出てくると思います。そのために法律も四親等内の親族と書いてあると思うのですけれども、今、とても家族の形というのが変容していっていると思うのです。その場合、四親等内の親族だけを書くことでよかったのかと思うところもありまして、申立権者に、御本人の状況をよく知る方として事実婚だとか、内縁の配偶者とか、同性パートナーとか、そういった方を申立てできるように手当てする必要はないのかなということは少し気になりました。例えば、これは悪用される危険もあるのでなかなか難しいかなと思うのですけれども、過去1年間とか一定の期間の間に何か月以上本人と生計を同一にしていた者とかそういった形で、何か今後、家族の変容に対して手当てするということはどうなのかなと思ったというところはありました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。 ○根本幹事 先ほど佐久間委員から15ページの追加の場面で、本人の判断能力が低下している場合について、任意後見の契約締結能力がある限りにおいてはという限定を付して、御意見を頂いていたかと思います。この点について、先ほど野村幹事からもありましたが、例えば今の実務において、契約時に予測できない何か追加するべきことがあったら、そのときは追加してほしいと契約締結時から御本人が望んでおられるケースというのもあります。本人の意思なき仕組みを入れるべきではないというのは一つのお考えかとは思うのですが、その本人の意思というものをどのように取り込んでいくのかというところについては、少し柔軟に考えることもできるのではないかとも思っております。何らか追加をしてもらうと、その追加をするということについてある種一任する御意思があるようであれば、これは任意後見契約締結能力が失われた後であっても、裁判所等の判断により追加ができるというところについて考えてもよいのではないかとは思っております。   これを仮に導入した場合には、現行の任意後見契約を新しい制度にどのように移行させていくのかという、非常に難題にぶつかるというところもあります。もう少し議論が進んできたところで、既に結んでいる方も、新しい柔軟な制度に移行していただくための方策についても十分に検討する必要があると考えております。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   久保委員、櫻田委員、花俣委員にもこの順序でお声掛けをしようと考えておりますが、その前に、ひきつづき他の委員、幹事の御意見を引き続き伺います。 ○青木委員 任意後見契約の代理権の段階的発効についてですけれども、まず、発効について法定後見と同じように必要性を考えるかといいますと、任意後見はやはり本人が元々判断能力が不十分にになった場合には代理権を設定することを自ら望んで作っている契約ですので、必要性を法定後見のように厳格に考える必要まではないと思っています。一方で、ご本人としては、日常的な金銭管理はまだまだ自分でできるけれども、賃貸不動産の管理等はもう難しくなってきたということで、その意味では発効させたいのだけれども、発効したら全部の代理権が発効してしまうよね、という躊躇あるケースというのがあります。そういった場合に、個別にこの代理権は発効させ、この代理権は発効させないということを本人の選択に委ねることによって段階的に発効させるということができる制度は、この任意後見の趣旨にかなうのではないかと考えていまして、そうなれば、任意後見監督人の選任申立てが躊躇されている事態もある程度改善される可能性もあるかと思っています。ですので、段階的発効の判断基準は、客観的な必要性というよりは、むしろ本人が必要と感じたものについては発効させ、本人が必要とされないものについてはまだ発効させないということで基準化できるのではないかと思っています。   この場合の後見登記の表示につきましては、発効した代理権と未発効の代理権を別々に書き分けるような登記をしていただくことで、これも制度改正をしていただく必要ありますが、そうすることによって、取引の相手方は、どれが発効した代理権かを明確に確認して取引をすることが可能になるのではないかと思っています。   一方で、代理権の追加については、やはりご本人がこの人に任せたいとしている契約について、更に代理権を追加をするということですから、発効前は追加を幾らでも認めていいでしょうが、発効後につきましては、本人が代理権の追加につき理解して同意ができる状況であれば、同意に基づいて追加の代理権を付与するということは可能だと思いますが、本人の同意が得られなくなった場合には、やはり法定後見を別に開始して併存させるということが、任意後見の趣旨にはかなうのではないかと考えているところです。   続きまして、現在の任意後見契約の形式につきましては、公正証書によることが契約内容を本人の真意を反映させるために確実であるということは私も同意するところでありますが、現在の契約締結件数がドイツやイギリスに比べて圧倒的に少ないという中で、今後の公正証書作成のデジタル化の進捗によって果たしてどのぐらい契約締結数が伸びるのかを見極めた上で、場合によっては思い切って公正証書でなければならないとすることを見直すしていく、その代わりに契約の本人の真意確認の担保は発効時点の審査などで担保するというようなことによって、より契約をしやすい方式を考えざるを得ないということも将来的にはありえるのではないかと考えます。   それから、職務上氏名と事務所住所の扱いにつきましては、任意後見契約ですから、紛争事案や関係者とのトラブルなどはないのではないかと思っておられるかもしれませんが、実際には、専門職等に依頼する任意後見事案の中には、親族とご本人さんとの関係がよくないために、親族ではなく専門職に委ねて、本人の意思による将来設計を任意後見で守ってもらおうというものも少なからずございます。そういった場合には、親族と任意後見人が敵対関係、紛争関係に立つこともありまして、その場合に、事務所住所ではなく自宅の住所あるいは職務上の氏名ではなく戸籍上の氏名が明らかになることによる弊害は大きいものがあり、受任を躊躇する要因になっています。また、職務の遂行にあたっても、書類関係の送付先が自宅になるという弊害もあります。今後、身寄りのない人が増えてきまして、任意後見契約を専門職だけではなくて様々な第三者が、親族以外の皆さんに担っていただくニーズが高まってくることを見越しますと、任意後見受任者の方が安心して受任できる環境作りが必要だと思います。最近では不動産登記や商業登記においても、様々な登記表示におうて、自宅住所や戸籍上氏名を表示しない運用が検討されているところですので、是非後見登記についても今回の改正を機会に見直しをお願いしたいと思っています。   任意後見契約の終了につきましては、先ほどの発効の際の必要性の意義の裏返しだとは思いますが、本人が必要と思って付与した代理権ですので、佐久間先生がおっしゃったように、明らかに終了している事務がある場合には、これを終了させないと、監督人がずっと付き続けて監督人費用だけがかさむということにもなりますので、明らかに代理権の目的が終了したときには終了するという仕組みをきちんと確保するということが重要ではないかと思っているところです。 ○向井幹事 本日、何人かの委員・幹事から既にご発言がありましたけれども、任意後見制度は私的自治、自己決定の尊重という観点から、公的な関与を必要最小限にするというコンセプトで設けられている制度です。そのため、任意後見制度の下では、裁判所による公的関与はできる限り少ない方が良いと思っております。少なくとも判断能力を欠くような状況に御本人があるという状態で、裁判所が実質的に契約の内容を変更するという判断ができる仕組みにすることは、相当ではないと考えております。例えば、本日のご発言にもありましたけれども、代理権の追加であっても契約の内容の変更に当たりますので、任意後見で対応するのではなく、その限度では法定後見を利用いただくことが、任意後見制度と法定後見制度をきちんと区別するという意味でも、必要なのではないかと思っております。 ○星野委員 かなり平たい発言になってしまいますが、個別に意見を申し上げるというよりも全体的な意見なのですけれども、佐久間委員もおっしゃっていたのですが、今この任意後見の使われ方というのは、御本人が本当に希望して契約をしているかというのは、かなり疑問を持っております。親族がほとんど契約の相手方になっていますけれども、社会福祉関係者に相談が入ってくると、とにかくほかに方法がないからと、つまり法定後見の対象ではない、判断能力に問題はない、例えば財産管理委任契約になるかというと、それもない。今後身寄りがなくて、これからどうやっていけばいいかという日常的な支援について任意後見のお話が出てくる場合があります。つまり、ご本人自身が任意後見制度をよく理解できないままに、任意後見契約というやり方があるのでということで契約をしているというケースが、全体からすれば数は少ないかもしれませんが、私が知る限りではそういうケースが多いと思っています。ということは、やはりそもそもどうしてこの契約をしたいと思うかというところの任意後見契約の中身が理解されていない、やはり周知が足りないと思います。周知をするということが第一に必要だと思っているのが、まずあるのですが、監督人がなかなか選任されないということの問題という捉え方ももちろんあるのですけれども、なぜ監督人選任に進まないかといったら、それはそもそも理解ができずに契約をしているからではないでしょうか。   2点目なのですけれども、これも佐久間委員がおっしゃられて、非常にそのとおり、皆さんほかの方もおっしゃっていたのですが、法定後見とは違うということを明確に表す必要が、やはりあると思います。それは今までの意見の中で出ていたことだと思います。ですから、併用されるということが今後必要になってくると理解しています。   それから、3点目は契約内容の変更の話、これも出たのですけれども、公正証書に基づく契約は非常に安心で、私もそれは維持すべきと思う反面、現状ですとなかなか、契約を変えるためには、また手続の費用と時間が掛かるということで、結局包括的な任意代理契約をしてしまうのがほとんどだと思うのです。それがまた利用しづらさとか利用することへのちゅうちょにもつながりますから、やはり権限を追加できるような、契約内容を簡単にせよというのではないですけれども、契約の中身を変更しやすいような仕組みをつくっていくというのが必要なのかなと思っています。 ○山野目部会長 少し先に進みたいと考えますが、久保委員、櫻田委員、花俣委員にお声掛けをするところに進んでよろしいですか。 ○久保委員 ありがとうございます。なかなか難しい議論だなと思いながらお聞きしていたのですけれども、知的障害者全体としては任意後見を利用できる人はそれほど多くはないかなという感じを受けています。どちらかというと軽度の方になるのかなと思います。それはやはり、任意後見の意味を本人がどこまで理解をして、それを使おうとするかということが、御本人自身が分かっていないと駄目だと思っていますので、そういう意味では知的障害者の分野では利用できる人はそれほど多くないだろうと思っていますが、その上で、本人がもし任意後見を利用したとして、年数を経過していきますと、どこでこの任意後見のままでいいのかというのが、軽度の方でも御本人が判断ができない人が更に多いだろうと推測されますので、そこをどうフォローしていくのか、任意後見を利用したとしたら、そこをどうフォローしていく仕組みを作るのかということがないと、なかなかそのまま、ほとんど判断できないような状態までずるずると任意後見で行ってしまうのか、みたいな感じもしますので、その辺のところをどこで、任意後見ではなく、地域の支えを受けながら後見人の方をスポットで必要なときに使っていくのかということをどう判断するのかというのは、なかなか難しいなと思って聞いていました。   任意後見であれ後見人であれ、御本人の状況によりまして個別に適時適切に、ちょうどいい具合に利用できるというのは、なかなか難しいと思うのですけれども、でも、できるだけそれに近い形がないと、なかなか御本人は、これをやってしまったから自分の思う生活ができていないとか、またそういう不満も出てくるかなと思いますので、そこはできるだけ御本人の意思を酌み取りながら、本人にとって、もう個別ですよね、一人一人違いますから、個別で適時適切なことができる仕組みというのを、できるだけそれに近いような形ができるようなことを期待して、お願いしたいなとは思っています。   感想みたいなことで申し訳ないですけれども、以上です。 ○山野目部会長 久保委員の御意見を承りましたとともに、久保委員の御所属になっている団体において引き続き検討していただきたい事項のお願いといたしまして、根本幹事から出されました任意後見契約の代理締結、取り分け親権者による代理締結をどう考えるかということについて、今までも御意見を承ってきた経過がありますけれども、なお引き続き御検討いただければ有り難いと存じます。ありがとうございました。 ○櫻田委員 ありがとうございます。私も皆さんの御意見を伺っていた中での感想という形にはなってしまうのですけれども、今、久保委員のお話でもあったとおり、この任意後見を精神障害をお持ちの方がどう使えるかなというのを少し想像しながら聞いてはみたのですが、精神障害の方が任意後見を使うというのも、余りイメージが私自身がなかなかできない部分があったりとかしていて、でも、やはり必要だろうなと思いながら聞いていた次第です。   本当に御本人は判断能力があるとはいえ、やはり周りの方が心配されて、任意後見を使ってみたらというお話をするパターンが多いのかなと思ってはいるのですが、やはり精神障害をお持ちの方というのは、自分で自分のやりたいこととか議題を決めたいという方が非常に多いので、それをお手伝いするツールとして、どういうふうにしたらうまく使っていけるのかというのは、少し皆さんのこれからの御意見も伺いながら、私たちの法人や、今私が勤めておりますところでも、考えていかなければいけないのかなと思っております。   任意後見としたら、段階的な発効というところでもお話がありましたとおり、本当に単発といいますか、ここのところだけ使うみたいな感じで多分使われることが多いのかなと思っております。人によって様々なパターンはあるとは思うのですけれども、この任意後見も使っていけるようになったりとかすると、私たち精神障害を持った方とかも、よりよい生活が、もっと豊かな生活といいますか、につながるのではないかと思っておりますので、どういうふうに、周知も含め、こういうのがあるよというのもなかなか支援者の方も知らなかったりするので、そこをいかに広げていったりとか、メリットを伝えていけるかなというところは、皆さんにお知恵をお借りしながらやっていけるといいのかなと思った次第です。 ○山野目部会長 精神障害と一口で述べても、櫻田委員がおっしゃったように多様な態様、状況がありますから、任意後見制度とどういうふうに接合させていったらよいか、櫻田委員においては思い悩むところがおありでいらっしゃることをよく理解することができます。引き続き議論に付き合っていただければ有り難いです。どうもありがとうございました。 ○花俣委員 我々が一番真剣に考えなくてはいけない立場なのかなと思いながら、この任意後見制度に関しての先生方の御意見を拝聴させていただいたところです。やはり高齢で認知症に掛かるリスクが最も高い塊としての当事者ということになると、先ほど佐久間先生の御意見の中にあった、本人の意思が最も優先されてというのが非常に重要なキーワードだと思いました。適切にまとめられないところは星野委員の方からきれいに整理をしていただいて、正に星野委員の御意見に同感するところです。   いずれにしても、各項目ごとの先生方の御意見がきちんと整理された上で、我々自身もこの任意後見制度についての理解をもっと深める必要があるということは痛感いたしました。周知という意味、あるいは制度を皆さんに知ってもらうための、何か分かりやすい広報の仕方であるとか、あるいは制度の理解を深めるためにどんなことが必要なのかということも、専門の先生方の御意見を聞きつつ、私たちも何か考えていくべきかということを感じた次第です。 ○山野目部会長 確かに、花俣委員の周辺の方々の声を、実感として持っておられるところを要領よくまとめていただいたのが星野委員の発言だったのですよね。今そのことを確認していただいたということにも意義があると思います。どうもありがとうございます。   部会資料5の第4について御議論を頂きました。顧みますと、任意後見人の代理権の段階的発効や、あるいは追加、あるいは任意後見契約の変更、それから複数選任の場合の任意後見人の間の分掌などの論点は、それぞれ異なる側面がもちろんありますけれども、委員、幹事から頂いた観点として、一方におきましては、やはり任意後見契約という制度の特徴として、いろいろな節目節目に何かをするにしても、本人の関与、意思などをきちんと尊重しながら進めなければいけません、という大事な観点がありました。   それとともに、いろいろ事後的な変更を考えるに当たっては、内容の面でも手順の面でも明解に要件の認定をして事務が進むことが実務の安定に資するものでありますから、そちらにも留意しなければならなりません。裁判所の手続や登記の制度をどう絡ませるかということについても、異なる観点から指摘がありまして、難しい問題であるとは感じますけれども、それらを考えていかなければなりません。これらの観点について、本日は取引の相手方からの立場の御発言がありませんでしたけれども、取引の相手になる人から見ても明瞭な状態になっていることが必要であろうと考えます。   任意後見契約の方式につきましては、ウェブで公証人と会うという契機があるということに留意しつつ、公正証書によるという現在の規律を維持するという方向での御発言を多く頂きましたけれども、異なる観点からなお検討してみるべき余地もあるという複数の御発言もあったところでありまして、引き続き検討していくことになります。   任意後見受任者の氏名及び住所の登記に関して、取り分け住所の登記についてたくさんの御意見を頂きました。私はこれについて皆さんに是非引き続きお願いしておきたいことがあります。ここに委員、幹事として代表する形で送っていない人々の声というか感覚をお伝えすることも多分、私の一つの仕事であると考えますから、申し上げますが、御発言になった委員、幹事が皆さん、職務上の住所とおっしゃっていましたけれども、私はこれを、あれれ、困ったものよ、聴きました。つまり、市民後見人がいるのです。福祉の現場に足を運んでいただきたいと望みます。今、厚生労働省が様々な事業を展開している中で、現場では専門家の先生方の関与を待たなくて済む事案は、本当に市民と市民が助け合う仕方でやっていきましょうねといういろいろな営みがあって、市民後見人の研修を受けた人たちが、あるときは後見人になって、あるときはサポーターになって仕事をしていて、主に地域社会福祉を担っている市町村は市民後見人的なサポーターになった人の個人情報の扱いに非常に留意しながら丁寧に扱っているのですね。後見人になった途端に登記上住所があらわにされるというなりゆきは困るわけでありまして、そうすると、決して職務上の住所に限る必要はなくて、登記記録には個人の本当に寝起きしておられる住所を、やはり法務行政としては確認しなければいけませんから、記録しなければなりませんけれども、交付する登記事項証明書には連絡先のようなものを記載して一般に知らせるというような、一言で申せば、記録はするけれども記載はしないというような仕組みの工夫が、後見人になる人がどういう人であるかを問わず、望まれると考えます。そういうふうにしていくと、今度は連絡先として登記事項証明書に記載されたところに郵便物が行ったり連絡が行ったりしますけれども、弁護士や司法書士の先生方の事務所のときには、自分の事務所だからいいよということになるとしても、市民後見人の場合にはそうはいきませんから、そこをどういうふうな運用を想定して制度構築をするかということも悩ましい点であります。あわせて、後見登記のそこを改めるならば、商業登記法の40条1項1号についてもそれと整合する見直しをしなければなりません。本日の御議論を法務省事務当局が聴いていますから、検討してくれることでしょう。技術的にできないこともありますから、そこの相談をしながら、検討を更に深めていって、次の機会においてまた御相談を差し上げることにいたします。   終了事由につきまして、佐久間委員、野村幹事、青木委員などから御発言を頂きました。そこを踏まえて議事の整理に努めます。私の聞くところ、佐久間委員のおっしゃったことと青木委員のおっしゃったこととはそれほどぶつかり合う話ではなくて、法制的に工夫をすれば両委員のお話を受け止めることができるであろうという見通しを抱いています。   そして、部会資料に載っていないいろいろ重いことを委員、幹事の皆さんがたくさんおっしゃって、非常に今までのいろいろな機会と異なって、任意後見制度に関する議論が大変豊かに盛り上がりました。その代わり、中味は大変です。四つありまして、一つは佐久間委員から、任意後見契約は今後の在り方の基本的な理解として、契約であるか制度であるかという、とてつもない問題提起がありまして、多分、制度である側面と契約である側面と、今も両方あるし、これからも両方あることでしょうけれども、どちらに軸足を置くかということについて、ここで少し腰を据えて考えましょうという問題提起を頂きました。   2点目は根本幹事から、任意後見契約が代理に親しむ行為であると考えてよいかという問題提起を頂きました。久保委員にお声掛けをしましたけれども、委員、幹事の皆さん、引き続き御検討いただければ有り難いと望みます。   佐久間委員からは、新制度発足後の広報をきちんとせよという法務省への要望がありましたから、そういう声が法制審議会においてあれば、広報予算が取りやすくなることもあり、ありがたい励ましを頂きました。   4点目ですけれども、竹内委員から任意後見監督人の申立権者の範囲を、主に家族の多様化に代表される社会の様々な情勢の変化を踏まえて、現在の四親等内の親族、親族というのは民法が定める親族の概念ですが、そこに限定することでよいかという問題提起を頂き、それも受け止めて検討を続けることになりますが、併せて竹内委員にお願いを差し上げるとすれば、弁護士会の先生方におかれて、ここの申立権者を先生がお挙げになったような人たちを追加していくような方向で拡げるというゆきかたも一つの方策ではあるとして、それとともに、何らかの公的機関が監督人の選任の申立てをするという契機を、今存在しないものを認め、更にそれをいろいろな仕方で拡充していくということは、どうなのだろうということも御検討いただければ有り難いです。   と申しますのは、おっしゃるとおり家族その他の人の関係が多様化していて、それを受け止めなければいけないという側面がありますけれども、それを法制上、こういう人もいる、こういう人もいると追加していくと、またその先に法制が予想していないものが出てきて、今の判例、立法の動向を見ると、いろいろなことが出てきそうにも思われますから、何かそれがいつも後追いになっていくことになりかねません。もちろん、後追いになってもいいですというお考えもあるかもしれませんけれども、それと並行して、また別な工夫もアイデアとして練っていかなければいけないと思いますから、引き続きお知恵を貸していただきたいと望みます。   部会資料5の第4から、次の第5に進むことにさせていただいてよろしいでしょうか。   それでは、第5に進みます。事務当局から説明を差し上げます。 ○山田関係官 部会資料5、18ページからの第5、成年後見制度に関する家事審判の手続についての検討について御説明いたします。   成年後見制度に関しては、制度利用の開始から終了までの間に必要な裁判手続を家庭裁判所における家事審判の手続によってすることとされています。ここでは、これまでの部会の御議論も踏まえ、代表的な家事審判の手続について整理しています。   まず、18ページの2では、法定後見制度に関する家事審判の手続について整理しています。18ページの(1)では、後見開始の審判等やその取消しの審判等について、鑑定や医師その他適当な者の意見を聴くとする現行法の規律について整理しています。また、20ページの(2)では、後見開始の審判等や成年後見人の選任の審判等について、本人等の陳述を聴くとする現行法の規律について整理しています。さらに、23ページの(3)では、法定後見の事務の監督について、24ページの(4)では、事実の調査及び証拠調べについて、26ページの(5)では、保全処分について、それぞれ現行法の規律について整理しています。そして、30ページの3では、任意後見制度に関する家事審判の手続について、法定後見制度に関して取り上げた項目について、同様に現行法の規律を整理しています。   これらの成年後見制度に関する家事審判手続の規律について、その見直しの要否について御議論いただくとともに、ここで取り上げた項目のほかにも検討すべき項目があれば、御指摘いただきたいと考えています。 ○山野目部会長 委員、幹事の皆様に御意見をお願いするに当たりまして、お願いがございます。何分にも成年後見制度の法定後見及び任意後見についての実体的な規律が細密なところまでどうなっていくかが、現在その見通しが得られていない状況でありまして、その段階において手続について意見を述べてくれというお願いは、細かな意見をおっしゃってくださいというお願いの趣旨でないのはもちろんでございまして、この段階で、しかし一旦、家事事件手続についてもいろいろこれから考えていかなければいけませんから、見直すべき点については大筋の観点として、お気付きのところを御指摘いただきたいという趣旨で、本日の部会資料に盛り込んでいるものでございます。御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。幾つか指摘させてください。   まず、法定後見制度に関する家事審判の手続の(1)精神の状況に関する鑑定及び意見の聴取などのアです。18ページからのところです。法定後見制度に関する鑑定及び意見の聴取等について、見直し後の法定後見制度においても判断能力が不十分な状態にある方が利用する制度とするならば、判断能力の認定については原則として鑑定などの厳格な手続を経る必要があると考えますので、法定後見開始の際に診断書による医師の意見聴取や鑑定を行う現在の規律を維持すべきと考えます。判断能力が不十分であることは制度利用の入口ではありますが、後見制度の利用が必要であるかどうかも重要な要素だと考えますので、本人の抱える問題を把握するため、本人情報シートなどに記載された情報も十分に考慮し、本人にとって必要性のない制度利用や代理権付与がされないようにすることも併せて重要だと考えます。   次に、19ページのイのところですが、後見開始の審判の取消しの際の医師の意見聴取については、制度利用の必要性が失われた場合に終了できる制度とするのであれば、現在の医師の意見聴取に関する規律は改正する必要があると考えます。   次に、20ページ、(2)の陳述の聴取のところですが、本人等の陳述の聴取については、開始及び終了の際のいずれも可能な限り本人などの陳述を聴取する現在の規律を維持すべきと考えます。後見制度を必要な権限のみを付与する制度とするのであれば、本人がどのような権限を与えることを望んでいるのかは大切な要素になりますので、陳述の聴取はこれまで以上に重要なものとなってくると考えます。   25ページの(5)保全処分ですが、法定後見事務の監督、事実の調査及び証拠調べ、保全処分については、大きな変更は必要ないのではないかと考えていますので、現在の規律を維持すべきだと考えます。   31ページ、任意後見制度に関する家事審判手続の陳述の聴取ですが、これも任意後見についても、精神の状況に関する意見の聴取、本人等の陳述の聴取について、現在の規律を維持すべきと考えます。   32ページ、任意後見監督人の事務の調査については、任意後見監督人に対する家庭裁判所の監督の在り方をどのように見直すかにもよりますが、現在の間接的な監督を前提とするのであれば、家裁調査官が任意後見監督人の事務を調査することができる規律は必要だと考えます。   最後です。33ページ、任意後見監督人の解任の審判事件等を本案とする保全処分ですが、これも現在の規律を維持すべきと考えます。なお、第4回の部会でも発言をさせていただきましたが、任意後見人の解任がなされると、本人の判断能力が不十分な状況にもかかわらず代理人がいない状態になりますので、本人に法定後見による保護が必要な場合には速やかに保護が開始できるよう、任意後見監督人であった者にも法定後見の申立権限を与えることが適当だと考えています。 ○青木委員 まず、最初の精神の状況に関する鑑定ですけれども、本制度が改正になりまして、基本的には精神の状況は勘案するにしても、それだけが制度開始の要件にならず、必要性の重要な一要素となるという位置付け、それから、本人が同意をして制度を利用するのが原則となっていくという位置付け等からしますと、鑑定は原則ではなくなり、医師その他適当な者の意見を聴くというところに原則を置きつつ、本人の同意が明確でないとき等に、裁判所の判断で必要な場合に随時鑑定を実施するという立て付けに変更することになるのではないかと考えております。   併せまして、現在「本人情報シート」が運用で活用されていますけれども、「医師その他適当な者の意見を聴かなければならない」というのが、医師等の医学的な判断のことを指すのか、あるいは医学的判断に加えて社会福祉的な判断も必要だと考えるかによっては、ここの規律についても、その双方から意見を聴くということを原則とするという明確な位置付けをすることが望ましくなるかもしれないと思っています。今後、そうした観点からの検討が要るのではないかと考えています。   取消しにつきましては、必要性の終了に基づく取消しということと能力の回復に基づく取消しという二つの終了、取消の事由がありえることになりますと、必ずしも精神の状況を勘案する必要がない取消しというのが出てきますので、ここは医学的意見を聴取することは原則ということではなくなり、取消しをする事由によって必要に応じて医学的な意見を聴取するかということになるのではないかと考えています。   それから、本人の意見の聴取につきましては、先ほどもありましたように、今以上にご本人さんの手続的関与というのは、本人さんの判断能力の程度にかかわらず重要であり、本人さんが法的な意味での意思を表明できる場合だけではなく、希望や選好や意向などを手続の中でしっかり反映することが重要になると思いますので、今以上に原則的に本人さんの手続関与を行うという規定にする必要があるのではないかと思います。ただ、一方で、開始後の追加的な代理権の付与などの手続の運用については、その原則をどの程度合理的にできるかというところもまた検討する必要がありますので、運用上の様々な柔軟性を持たせる規定にする必要はあるかなと考えております。   監督につきましては、資料にまとめていただいている現行の三つの事項については変更する必要はないと思っておりますが、一方で、後見人の交代を検討したい場面などでよく言われていることですけれども、ご本人さんや関係者と後見人等との関係性が悪化して本人の不利益等がある場合に、現行の調査方法とは別に、例えば家庭裁判所でケース会議を開催して調整を行うなどができるような、監督に関する新しいツールを盛り込めないかということを問題意識としてあります。   事実調査に関しましても、現在の方法以外に、裁判所が終了時の判断や交代の是非の判断の際に、福祉関係機関に何らかのリファレンスを行いたいというときに、より簡易なといいますか、福祉関係機関への迅速な照会という観点から規定があった方が良いのではないかということを検討していくべきではないかと思っています。   最後に、保全処分ですけれども、新しい制度においては、開始時点においては、必要性の判断、それから本人の意思の確認という点で、今より手続に時間が掛かり丁寧になっていくことが想定されます。そうなりますと、緊急の保護の必要性がある場合に、保全処分の活用の意義が今より大きくなると思っています。現在は、平均審理期間が1か月から2か月で開始・選任に至るように迅速化されたことの裏腹として保全処分を余り使わなくなっていますが、かつては審理期間がかなり掛かるということを前提に、虐待事案や紛争事案において保全処分が活用されてきました。今後も、これを有効に使えるということが重要になってくると思います。その中で、処分の内容として、財産管理者の選任だけでいいのか、後見命令、保佐命令のような契約の取消しができる処分までが必要なのかということは、もう少しよく検討する必要があると思っているところです。 ○小出委員 御発言の機会を頂きましてありがとうございます。私の方からは、24ページの事実調査及び証拠調べに関連するところでありまして、そこに直接的に関連はしないのですけれども、そこに掛けた形で御発言をさせていただきます。   後見開始の審判をする際には、家庭裁判所が御本人様の財産状況を確認するために、裁判所の御判断によって、預金通帳の写しでしたり残高証明書の提出を求めることがあると認識しております。預金通帳があればよいのですが、そういったものを御本人様が紛失している場合などにおいては残高証明書の発行を求められるケースがあると理解しております。一方、申立て時につきましては申立人の方はその時点では特段、代理権等の付与はないということでございますので、金融機関の立場においてはそういった場合には原則、開示が難しいということになっております。運用面での御要望、御相談ということになるかもしれませんけれども、もし申立て段階からそういった事情で銀行の残高証明書等が必要であるということであれば、裁判所の方から銀行に情報開示を求める運用にしていただくなど、そういった部分の御検討をお願いしたいというところでございます。 ○向井幹事 私からは鑑定に関する発言をさせていただきます。   現行法上、後見及び保佐の開始審判手続では、原則として鑑定を実施するという規律になっております。後見では、包括代理権が後見人に付与されることから本人に対する権利制約が大きく、かつ死亡又は判断能力が回復するまでは制度利用が終了しないことからも、やはり本人の権利制約が大きいため、このような規律になっていると理解しております。これに対し、補助の開始審判手続では、行為能力の制限が比較的軽いこと、また、被補助人となる本人の請求又は同意がなければ補助開始審判はされないことから、鑑定まで要さず、医師の意見で足りるという規律になっております。   見直し後の制度では、これまでの議論を伺っておりますと、補助に近い制度が志向されているのではないかと思っており、もしそのような方向になるのであれば、現行制度と比べて本人に対する権利制約が少ないものになり得ますし、加えて手続の過程で本人の意向も十分に考慮されることになるのであれば、鑑定まで要せずとも、医師の意見書で十分であるという場面がかなり多くなるのではないかと考えております。そうなりますと、制度の建付けとしても、原則として鑑定を実施するというものではなく、裁判所が必要に応じて鑑定を実施するという規律で十分ではないかと思っております。   鑑定には御本人や申立人の費用負担の問題もありますし、鑑定を実施すると判断までの期間も要します。また、鑑定人の引き受け手がなかなか見付からないということも地方によっては生じています。鑑定を実施する場合が少なくなることで、そういった問題からも解放されますので、原則として鑑定を要するという規律にしなくてもよいのではないかと考えております。 ○鈴木委員 部会資料5の20ページ以下に記載されている陳述聴取の在り方について、東京家裁での現状を御説明させていただくとともに、それを踏まえた意見を述べたいと思います。   家裁調査官による事実の調査の実施の有無についてですが、開始審判の申立てのうち後見開始の審判の申立てでは、意味のある意思疎通ができる御本人の場合には、調査官調査を実施しております。明らかに後見相当であることが間違いないと判断できる場合、陳述の聴取を省略することも多いです。そのほかに省略する場合としては、意味のある意思疎通は可能であっても、申立ての際の資料である申立事情説明書などで、本人に制度利用について説明していて、本人がこれを理解して賛成している、制度を是非利用したいという本人の意向が明確に記載されている場合、支援者や親族など本人の周囲の方々によって、本人の意向が十分に反映されているということが申立資料一式からうかがわれ、親族間対立などの争いも認められないというような場合にも、本人の意見・意向は十分確認できたと認められますので、裁判所による直接の意見聴取は省略しております。   保佐又は補助開始の審判につきましては、本人申立ての場合も含めて調査官調査を実施しております。家裁調査官には、面接時の様子などから、保佐なら保佐、補助なら補助の開始が相当かどうかを報告書に記載してもらっています。とはいえ、判断能力の低下の程度を家裁調査官が調査・報告するというよりは、保佐なら保佐、補助なら補助という医師の診断書と矛盾がないかどうかという観点で意見を書いてもらっています。実情として、本人申立てといっても、本人が自ら全ての書面を書くわけではなく、支援チームなどが支援しながら本人が書類を作成している場合が多いと思います。そうすると、申立段階では御本人が納得して申立てをしていたとしても、申立後に家裁調査官が調査に行きますと、いや、そんな申立てはしていないということをおっしゃる方もいますので、裁判手続上は本人の意向を尊重し、確認するために、本人申立てであっても家裁調査官による事実の調査を実施しているというのが現状です。  一方、保佐又は補助の開始後、代理権付与あるいは保佐人や監督人の追加選任などについて、本人の意見を聴取する場合には、書面照会で本人の意見を確認することが多いです。  また、後見等開始の審判の取消しの場合には、通常は医師の診断書又は鑑定と家裁調査官による事実の調査を行うことが多いですが、本人申立てで後見人等も同意している場合には、専門医の診断書のみで取消しの審判をすることもあります。   少し家裁調査官による事実の調査について補足を申し上げます。コロナ禍を経て、現在は施設においてもウェブでの面会に慣れているところも多いので、事案によって、ウェブ調査も積極的に利用しています。なお、家裁調査官による事実の調査を実施しますと、やはり本人の家族や施設などとの日程調整などで審理期間がかなり長期化します。   見直し後の制度について意見を述べさせていただきます。事件処理をしていますと、裁判手続において保佐開始に同意していた本人が開始審判直後に翻意されるというようなこともままありますので、判断能力が不十分な御本人にとって、裁判手続における一時点、ある時点での意向が確認されたということをもって本人の真意ととらえてよいのか、手続保障として十分と評価できるのかと疑問に思うことが多々あります。第二期成年後見制度利用促進基本計画において、制度利用前の権利擁護の相談支援の段階から、本人の権利擁護支援の取組が進められている現状を踏まえますと、日常生活において本人と接しておられる支援者の方々によって、福祉・行政の関与の下で確認された本人の意向が反映されることこそが本人の意向の反映、本人の真意であって、本人の利益になるのではないかと思うことがしばしばあります。そうすると、地域において本人のための権利擁護支援の仕組みが作られている、これから作られていくということが重要で、例えば新しい制度の下での開始の申立時の資料としては、本人の支援チームの方々によってサポートされた本人の意向が確認された書面が提出されれば、本人の意向確認としては十分であり、本人の真意ととらえてよいのではないかと考えております。   先ほど申し上げた家裁調査官による事実の調査は、現行法においては、事案に応じて最もふさわしい意思確認の方法を裁判所が弾力的に採用できるよう、裁判官の裁量に委ねられているところです。今回の制度の見直しにおいて、現行法に規定されている陳述聴取の手続について、全件において裁判手続で家裁が関与して本人の意向確認をしなければならないというような解釈、運用が果たしてよいのかどうか、裁判手続における一時点の本人の意向確認だけで手続を開始することが本当に本人の利益になるのかということを考えますと、相当でない場合もあるのではないかと考えているところです。 ○根本幹事 重複するところもありますが、手続に関して5点申し上げたいと思います。   まず1点目が、現状の家事事件手続法の119条1項のところで、今までほかの先生方からも出ていますが、鑑定をしなければいけないと規定をされており、この鑑定というのは厳格な証明と考えられていますので、飽くまでも原則が鑑定であるとされます。他方で実務の運用では今、裁判所からもありましたけれども、親族間対立の有無や本人が制度利用に反対でないか、診断書の記載内容や本人の生活状況なども考慮した上で、鑑定を実際には実施するケースというのは少ないという現状がありますので、まずはこの現状に合わせた、119条1項の鑑定という文言についての改正というのは検討されるべきではないかと思います。   他方で、実際に特に抗告審において、紛争性が高い事案であればあるほど、鑑定をしていないということで差し戻されるというケースも非常に多くございますし、特に虐待等が絡んでいるような事案において、囲い込み等によって、そもそも御本人の今の状況に関しての医学的知見が物理的に得られないケースも多々あります。裁判所をもってしても情報収集が的確にできない、であるがゆえに、例えば申立てをしても、取り下げる結果になってしまうという事案も非常に散見されるところです。これは権利擁護の重要な手段としての役割が果たされておらず、鑑定が実施できない場合の対処方法として、例えばかかりつけ等の医療機関に対してより強い裁判所の照会権限等を付与するということも含めた検討というのがなされてもよいのではないかと思っています。   2点目になりますけれども、同じく119条の2項のところで、現行法は医師の意見となっていますが、これについて今後、例えば今、申立時に任意の取組としてされている本人情報シートを何らか法制上の位置付けを持たせていくということであれば、若しくは行政機関の側としても、個人情報保護法などとの関係で、どういった場合に御本人の個人情報を提供できるのかという法令上の根拠を付与するという意味でも、何らか、医師の意見というところに、その他の福祉関係者の意見というような形の規定を考えていくということもあり得るのではないかと思っております。併せて現行法上の調査嘱託で、例えば裁判所が中核機関など、法定化された場合という仮定になりますけれども、情報照会ができるということは、手続法上は予定はされ、可能なのかもしれませんけれども、よりスムーズに照会できるように調査嘱託とは別の形できちんとルートを明記していくということは、裁判所にとっても、若しくはそれに応じる行政機関側にとっても、必要なことではないかと考えています。   3点目は、開始時もそうですけれども、先ほど青木委員からもありましたが、終了時のことを今後は考えなければいけないということになるのだろうと思います。終了時においては、医学的知見が必要な場合ももちろんあるかとは思いますが、医学的知見が必要でないとしても、必ず、いわゆる生活状況ですとか福祉の状況ですとか、終了時の本人情報シートのような規定というのは、終了時においては開始時よりも、より資料としての必要性が高くなるのではないかと思うところがございます。   4点目になりますけれども、現行法上、手続法の考え方として、実体法で同意が要件とされているものについて、手続規定としての陳述の聴取というのは必要がないと考えられているところかと思います。仮に実体法において今後、代理権等の個別的な付与が本人同意が原則であると考えられるとすると、本人同意がない、特に同意能力がない場合にも代理権等の付与がされるということになるのだろうと思いますので、そうしますと、実体法の同意が要件とされていない場合の規定が、常に手続法上は必要になるということになるのだろうと思います。   そうなってきますと、先ほど鈴木委員からもありましたけれども、当然、御本人の関与というのが手続法上、より重視されていくとなる一方で、例えば、書面による方法ですとかデジタル技術を活用した方法及び、それでも恐らく家庭裁判所の調査官の人員不足というのは現場で問題になると思いますので、そういったところの体制強化も含めて検討する必要があるのではないかと思っております。   五点目が、保全処分との関係です。今後、申立手続が仮に個別的な付与というところが重視されていくとすると、やはりどうしても手続期間、若しくは手続に掛かる時間的期間とか負担というのが一定程度増えるということは想定されるところだとは思います。他方で、虐待等があって早急に開始されなければならないという事情がある場合には、この保全処分というのを現行よりもより活用しやすくするというところは、保全処分の開始の要件とも絡んで、検討されるべきと思います。あわせて、保存行為のみならず、例えば日常的な支出ですとか、公共料金の出金ですとか、公租公課の支払いなど最低限の支出については柔軟に認めていただくようなことを前提とした改正というのが検討されるべきと考えております。 ○山野目部会長 議事進行についていささかの御案内を差し上げます。ただいまから青木哲幹事のお話を伺います。久保委員、櫻田委員、花俣委員に向け、この際においてはこちらから強いて御発言をお願いするお声掛けはしません。何かありますれば、発言する印を掲げていただきたく存じます。掲げていただければ、お声掛けを差し上げるというふうな運び方でお願いしようと考えておりますから、どうぞよろしくお願いいたします。 ○青木幹事 ありがとうございます。部会資料18ページ以下の精神の状況に関する観点についてのみ、意見を申し上げたいと思います。   家事事件手続法119条1項は、後見開始の審判をする際に、成年被後見人となるべき者の精神の状況について、鑑定の方法によることを原則として定めております。鑑定は民事訴訟の証拠調べの方法の一つであり、鑑定人の宣誓を要するなど厳格な手続になります。このように鑑定を原則とすることについては、家事事件手続法の制定の際にも議論がされたようですが、部会資料にも記載されているところと重なりますが、成年被後見人となるべき者の行為能力の制限という重大な結果を伴うことから、成年被後見人となるべき者の精神の状況について慎重に判断する必要があるとされたものです。実際の運用においては、必ずしも多数の事件で鑑定の方法が用いられているわけではないようですが、現行法上は行為能力の制限を伴うので、鑑定という厳格な手続が原則であるということを示すという重要な意義があるものと考えております。   成年後見制度の見直しにより、後見開始の審判においても、また後見開始の効果についても、本人の意思決定を制限するということから本人の意思決定を支援するという方向で制度が改められ、また、手続の開始の際にも本人の判断能力よりも制度利用の必要性が重視されるようになれば、鑑定をすることを原則として示すということも必要ないということになるのかもしれませんが、本人の意思決定の制限という側面が残るということも考えられますので、後見開始の要件や効果についての審議を踏まえて、引き続き考えていきたいと思います。 ○山野目部会長 鑑定の制度趣旨について御案内いただきまして、大変よく分かりました。ありがとうございます。 ○久保委員 ありがとうございます。いろいろ今お話をお聞きしていたのですけれども、手続上の鑑定とか診断書というのは、やはり御本人の状況を知る上で一定程度必要なことなのだろうということはよく理解はできました。必要だと思います。ただ、いわゆるスポット利用とかそういうものが可能になったとしましたら、知的障害者の中軽度の方ですけれども、判断能力に不安があるけれども様々な状態像の人が利用するということが想定されますので、判断能力の状況を判断できる診断書というのを重点化することが重要なのだろうかなとは思っています。   ただ、知的障害の場合は主治医を持っていない人はたくさんおられるわけなのです。割と健康で、年に一回二回風邪を引くぐらいでという人もたくさんおられて、ほかに主治医がおられても、別の科で診断書が書けるのかというと、少し書きにくいという、断られるというお医者さんもおられますので、そういう意味では、診断書をどこに行って書いてもらうのかみたいなことを、みんなが右往左往しているということをよく聞きます。   そんなこともありますので、診断書だけに頼るのではなくて、それ以外の資料でカバーするという方法も検討していただけたらいいなと思っていまして、先ほども少しお話がありましたけれども、診断書を活用するだけではなくて、本人の情報シートとかそういうことも十分に活用していただけたら有り難いと思いますし、スポット利用をした場合、一旦成年後見制度を使いました、また地域での権利擁護に戻りました、次また何かあって後見制度を使うことになりましたとなったときに、もう一回同じことをするのですかというような、診断書を取って、戸籍も要るでしょうとか、いろいろなことを私の方に言ってくる人はいるのですね。ですから、そういうことを、もう一回同じことをやらないと駄目なのだろうかと。前の診断書を活用して、そこから変わっているところを見ていただくとか、何か工夫ができないかなとは思っております。それと同時に、家事審判の手続について必要とされている書類がとても複雑で、大変なのだということをいろいろな人から聞きます。あれが大変ということをいろいろな人から聞きますので、可能な限りシンプルにしていただきたい、そんなふうに御検討いただけたら有り難いなと思っています。 ○山野目部会長 主治医との距離感が高齢者とそれ以外の皆さんとで必ずしも同じではないという実情を今御紹介いただいて、なるほどというふうにお話を伺いました。ありがとうございます。 ○櫻田委員 ありがとうございます。私の方からも、診断書のことについてとかについての意見を述べさせていただけたらと思うのですけれども、精神障害の方は結構その時々によって状況が変化しますので、障害者手帳も2年に1回の更新があるというところがあります。なので、そのときによって調子が悪いときもあればいいときもあって、多分それによっても判断能力というのは左右されてきますので、1回の診断書のみで判断していただくのではなく、定期的に見直しの時期を設けていただきたいなと私としては思っている次第です。   それによって、今必要なのはこういうことだから、この制度を使っていこうとか、こうしていこうというふうに、医師の先生だけではなくて、その方を常日頃見ていらっしゃる、例えばソーシャルワーカーの方ですとか福祉の事業所の方の御意見も反映していただきながらやっていけると、制度利用もよりいい方向に進んでいくかと思いますし、御本人にとってもいい作用があると思っているので、そういうふうな検討も是非していただけたらいいなと思っています。 ○山野目部会長 御意見を承り、大変よく分かりました。ありがとうございます。 ○佐久間委員 2点ありまして、一つは家事事件手続法の119条1項についてです。部会長が最初におっしゃいましたとおり、ここに掲げられている論点全体において、今後法定後見制度の枠組みがどうなるかに依存するわけで、次の部会資料6でそれは扱われるわけですけれども、私はもう何度も繰り返し申し上げてきて、皆さん御存じだと思いますが、後見類型に相当するものは必ず残さなければならないと思っています。ただ、それは現状と同じぐらいというか、制度の主たる役割を担うのがその制度だとまでは思っていなくて、かなり限定的にはなるのかなと考えています。でも、そのように限定的になればなるほど、この家事事件手続法119条のような厳格なというか、あるいは精密な手続による能力判断というのが重要になると思っているということを少し申し上げておきたいと思います。   もう1点は、非常に細かくて申し訳ないですが、でも結構大事だなと思うので発言させていただくのですが、資料の22ページの15行目から、後見開始審判の取消の審判について取り上げられており、特に17行目以下にただし書があるのです。これは違うのではないかと思います。つまり、後見開始の審判の取消しで、現状は結局、本人の能力が問題なくなりましたということで取り消すわけで、そうだとすると、成年被後見人について陳述を聴くことができないというのはあり得ないのではないか。家事事件手続法の120条第1項のただし書は確かにあり、各号に当てはまるように見えるけれども、これは第2号については実際上適用される余地がないのではないかと思っています。間違いだったら恥ずかしいなと思いながら言っているのですけれども、間違いだったら間違っていたなといえばそれで済むので、なぜこれを発言しているかというと、こうするのかどうかが今後の焦点になるということなのかなと。つまりは、本人の判断能力の改善が見られたときであっても取消しをするのだと、認めるのだとなったら、このただし書が正に生きてくるということで、これは今後の論点なのではないかということを確認的に申し上げておきたいと思いました。間違っていたらごめんなさいということで。 ○山野目部会長 二つおっしゃったうち後ろの点は、おっしゃったとおり論点でしょうから、引き続き検討します。前者は、従来において佐久間委員が表明なさってきた主に実体法についてのお考えを、手続法と関連させて明瞭にしていただきましたから、お話を伺って大変よく分かりました。ありがとうございます。 ○野村幹事 法定後見に関しまして、陳述の聴取について発言させていただきます。開始、選任、同意権の付与の審判に当たっては、本人の意思尊重の観点から本人の意思を確認しなければならず、現行の規律を大きく見直す必要はないと考えます。今後成年後見制度の開始の場面で、原則として本人の同意が必要とされるということが検討されていますが、この場合であっても陳述の聴取の必要性は変わらないと思います。なぜなら、先ほど鈴木委員の御発言にもありましたけれども、開始の場面等においては揺るがない決意で制度利用について本人が同意するということはおよそ想定できると、そういったケースにしても、揺らぎ迷いながら、あるいは支援者の意見に左右されながら意思表示したということも考えられます。同意があったか否かについては繰り返し、かつ多層的に確認する必要があると思います。また、本人の心身の障害によって本人が陳述できない場合でも、本人の意思確認の重要性から、本人の意思を確認する方法を広く認めて、精神の障害によって本人の陳述を聴くことができないときについては極めて狭く解釈すべきと考えます。以上の点は、取消しの審判についても同様だと思います。また、取消しの審判に当たっては、本人や保護者だけでなく、本人の支援チームの意見を聴いて総合的に判断すべきと思われます。   続いて、任意後見ですが、こちらも現行の規律を変更する必要性は感じられませんが、陳述の聴取については今申し上げたのと同じように、本人の意思確認の重要性から、本人の意思を確認する方法を広く認めて、心身の障害により本人の陳情を聴くことができないときについては極めて狭く解釈すべきだと思います。また、精神の状況に関する意見の聴取においては、医師の診断書に限らず、高度な専門的知見を持つソーシャルワーカーが作成したレポート、本人情報シート等の活用を進めるべきと考えます。 ○竹内(裕)委員 ありがとうございます。まず細かな点で言うと、120条ですかね、ここで本人の陳述録取のときに、先ほど青木委員から、中には御親族と任意後見人が対立している状況もあるということで、解任の審判、任意後見人、任意後見監督人のところで、ここは御本人の陳述は録取しないことになっているのですが、それはよかったのかというのが1点目です。   2点目は、もし今後、個別代理に基づく後見という制度を作るのであれば、特に権限の出し入れであるとか、それを機動的に行う必要があると。であれば、家庭裁判所による事実の調査や証拠調べに関する規律は非常に重要になってくると思います。先ほど銀行の委員の方から申立て段階の情報開示という話もありましたが、ここは今後検討する必要があるかなと思いました。家族法の改正で、人訴と家事事件手続法に情報開示命令というのがありまして、全然場面は違いますけれども、情報収集をする手段というのは今後の検討課題になるやもしれないと思いました。   次の点は、保全に関してです。青木委員もおっしゃったとおり、今後個別代理という制度をしていく場合、時間が掛かると思います。ですので、保全処分もまた家裁の調査権限と同時に重要になってくる。なので、ここは保全の要件を緩やかにするのか、あるいはメニューを増やすかというところが検討課題になってくるのかなと思うのですが、一方で保全ということで御本人への介入という要素を含む面もあると思うので、そことのバランスを検討する必要があるというところです。 ○星野委員 2点申し上げたいと思います。まず1点目は、18ページの開始のところの、ずっと出ていました鑑定の話は、委員の皆様がおっしゃったとおりなので、診断書の関係のことです。本人情報シートを是非本当に法制化するということを検討する必要があると思っているのと、あと診断書については、例えば福祉関係者は介護保険を利用している方とか障害福祉サービスを利用している方は、何らかの医師の診断を受けてそういったサービスを利用している方が多いと思うのです。そういったものを適用させる、活用させるということができないかということは、一つ検討いただきたいと思っています。先ほど久保委員からもお話があったように、医療機関にかかる必要性というか、日常的に通院が必要かどうかというところの問題もあります。現場では成年後見の申立てのために、今まで関わっていない医療機関に掛かっていただいて診断を受ける、当然その医師は支援者の話しかほとんど聴けないので、どうしても重めの判断になってしまう、必要性が高く評価されてしまうということがあって、これを本人情報シートを法制化することによって情報を少し整理するということと、あと、判断能力については既にある医療機関の情報を活用するということも検討できないかということが一つです。   それから2点目は、23ページの法定後見の事務の監督のところです。ここでは、家事事件手続法では現行は財産管理の監督というところをかなり細かく規定されていると思うのですが、これからは書式もいろいろ変わるというところの中で、チーム支援の在り方であるとか意思決定支援をどのようなプロセスで行ったかというところが監督の対象になってくると思われます。そういったときに、家庭裁判所だけの情報では非常に難しいということは現場でもいろいろ議論しているところで、こういったときに中核機関とか関係者とどのような情報共有をするか、この連携をどう取るかというところの明文化も必要ではないかと思います。   以上、2点です。 ○山城幹事 家事事件については不案内ですので、適切な発言であるか自信がないのですが、先ほど竹内委員からも御指摘がありましたけれども、権限の出し入れをすることになりますと、例えば、一定の事項について保護を開始する旨の審判がかつてされた者に対して、新たな必要性が生じたので改めて開始の審判が申し立てられるといったことが起きるのではないかと思います。そのときに、後続する審判で先行する審判の記録等を確認することができるようになっていないと、連続性のある判断ができないのではないかと思います。法律で定める類いの事項ではないと思うのですけれども、一定の手当てが必要ではないかと考え、部会資料に示された事柄ではありませんが発言いたしました。 ○山野目部会長 論点として認識し、引き続き検討します。 ○青木委員 家事手続法についてではないのですけれども、家事手続規則につきましても、様々な重要な運用に関する手続上の規定がございます。例えば81条には、裁判所が後見人等の職務に関して、財産管理から療養看護の事項全般に関して「必要な指示ができる」という規定がございます。代表的な運用として、後見制度支援信託や後見制度支援預貯金の契約締結や一時金出金の際に、文書での指示書を出している扱いがあります。これにつき、もう少し幅広く、家庭裁判所が監督の一環として、身上保護面を含めて、これをお使いいただく場面を広げることができるのではないかと考えております。そういった趣旨で、今後、手続上の議論の際には、家事手続規則も含めて、意見や要望などを議論させていただければという希望を申し上げたいと思います。 ○山野目部会長 家事事件手続規則ですね。家事事件手続規則は憲法の規定によって、最高裁判所が規則制定権を行使するものでありますから、青木先生に対して釈迦に説法ですけれども、法制審議会の答申に正面から盛り込むという扱いをすることに親しむかどうかは分かりませんけれども、しかし実質内容を委員、幹事に御議論いただくことはもちろん大事ですし、したがって妨げられるものではありませんから、引き続き様々な観点からの実質的な御議論をお願いしたいと考えます。 ○沖野委員 申し訳ございません、少し発言するのがいいのかどうか迷うようなことではあるのですが、先ほど佐久間委員から御指摘のあった22ページの17行目の120条1項2号という話なのですけれども、この場面は聴取の規定ですので、7条の要件がなくなった、精神上の障害により事理弁識能力を欠く常況にあるという状態ではないということを理由としつつ、しかし心身の障害によって陳述には耐えられない場合もあり得るということではないかと思いまして、精神上の状態としては、常況にはないということだけれども、しかし、例えば体に非常に負荷が掛かって陳述には耐えられないというようなこともあり得るのではないかとは考えました。ただ、いずれにせよこの規定をどうしていくのか、元々の実体法に関わることではあろうと思います。すみません、余りに細かいことなのですけれども、ここで申し上げた方がいいのかもしれないと思いました。 ○山野目部会長 ただいま頂いた沖野委員のお話と、それに先立つ佐久間委員のお話を併せて事務当局において議事を整理いたします。ありがとうございます。   部会資料5の第5について、大体御議論を頂いたと受け止めてよろしいでしょうか。   これもこの部会の委員、幹事の主たる関心事項には必ずしもならないことも含めて御案内を差し上げるといたしますと、御高承のとおり令和6年法律第33号によって民法の中の離婚後の子の監護、扶養、そして何よりも親権についての規律が大きく変更されました。家庭裁判所はこれから一つの大きな課題として、この重大かつ深刻な主題に実務上対応していかなければなりません。この部会で議論をお願いしている、お年寄りや障害者をきちんと受け止めて、家庭裁判所の権限行使などの、それを受けて様々な事務が進められていくということも大事でありますけれども、日本社会全体が今、家庭裁判所に対して、あるいは家庭裁判所調査官にもう少しここをしてほしい、家庭裁判所にもっと熱心に仕事をしてほしいという需要が全体として膨張してきています。当然、裁判所の予算やその人員の拡充をしていくことになりますけれども、この種類の事柄の常として、追い付かないことがございます。お年寄り、障害者も大切であるとともに、子の将来という課題は国の存亡に関わる重大な課題でもあります。朝のドラマが教えてくれたように、家庭裁判所という機構は国民の財産でありまして、これをどういうふうに私たちが大切に用いていくかということは、非常に重い検討の宿題になっていくのではないかと感じます。   本日は委員、幹事の皆さんに熱心に御議論を頂きました。実体法の規律の先行きがまだ定まらない中で御無理な御議論をお願いしたかとは感じますけれども、たくさんの重要な御指摘を頂きましたから、今後深められていく実体法の次元における検討とにらみ合わせながら、引き続き議事の整理を進めて参るということにいたします。   休憩にいたします。15時55分まで休憩をお願いいたします。           (休     憩) ○山野目部会長 再開いたします。   部会資料6をお取り上げください。部会資料6は「法定後見制度の枠組みに関する検討、成年後見制度に関するその他の検討」についての審議をお願いするものであります。   初めに、部会資料6の中の「第1 法定後見制度の枠組みに関する検討」について事務局から資料説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料6の「第1 法定後見制度の枠組みに関する検討」について御説明いたします。   法定後見制度の枠組みについては、法定後見の開始要件やその効果等の検討の結果に対応するものとも考えられますが、今後、これらの検討を進めるために、法定後見制度の枠組みについても併せて検討する必要が生ずる場合があると考えられます。そこで、部会資料6の3ページ以降で、現行法の趣旨等と現行の3類型に対する指摘を記載した上で、4ページの(3)では、見直しの検討の際の視点等について、5ページの(4)では、枠組みの見直しと個別の検討項目との関係等について整理を試みています。また、(5)では、3類型そのものをどのように考えるのかとは別の観点から、いわゆる特別代理人類似の仕組みについても取り上げています。   これらを踏まえ、法定後見制度の枠組みについて御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 御説明を差し上げた部分について御意見を承ります。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。以前も申し上げたことになりますが、法定後見制度は本人の生活に干渉する、本人に対する制約が強い側面を有する制度でありますので、本人の権利擁護のためのラストリゾートとして、なるべく抑制的に利用すべきものだと考えていますし、判断能力を有しているのであれば、他の手段の利用による支援や保護を図ることが相当と思っています。したがいまして、本人の判断能力が不十分であることを現行制度と同じく法定後見開始の独立した要件とした上で、法定後見制度における代理権等の付与を事務ごとに個別に判断し、必要性を踏まえ、特定の事項のみを付与する制度としての一元化には賛成をしています。   なお、成年後見制度は地域共生社会の実現の観点から、遷延性意識障害の方や自身の権利を侵害されている人、セルフネグレクト状態にある方なども対象とする必要がありますので、したがいまして、本人の同意がない場合や利用を拒否している場合であっても利用できる制度としなければならないと考えていますが、その手続要件は、本人の同意がある場合と比較して厳しく判断がなされるべきだと考えています。ただし、本人の同意がある場合と本人の同意がない場合とに分けて法制化することまでは不要と考えています。   なお、部会資料6の5ページ、イの包括的な保護の仕組みにつきましては、遷延性意識障害や重度の知的・精神障害のため事理弁識能力を欠く状況にあり、あらゆる法律行為との関係においても意思能力がないと判断され得る方というのは存在すると思いますが、仮に包括的な保護の仕組みを残した二元化を検討するということであれば、その仕組みが適用されるのは遷延性意識障害などの意思決定が不可能な方に限定すべきであり、支援をすれば何らかの形で意思決定が可能な方については、この包括的な類型の対象とならないような見直しが必要だと考えています。 ○佐保委員 ありがとうございます。現行の3類型の枠組みにつきましては、本人にとって必要となる保護の内容が固定的、画一的に定まるといった課題が指摘されております。本人の判断能力は、症状や周囲の環境などによっても変化し得るものであり、柔軟に利用できる制度が求められていると考えます。その点、補助の制度は比較的自己決定を尊重することが可能で、支援付き意思決定に最も近い類型との指摘もございます。そのため、補助の制度を参考に枠組みを検討するのも一案だと考えております。また、一定の類型による分かりやすさや、裁判所の判断の予測可能性の担保といった視点は重要でございますが、本人の意思をできる限り尊重するため、最終的には成年後見制度の廃止を目指しつつ、当面の対応として、任意後見制度を利用しやすくする方法もあるのではないかと考えております。 ○野村幹事 ありがとうございます。法定後見制度を、本人にとって必要な権限を保護者又は本人に与える仕組みと考えて、必要性、補充性を要件としますので、類型は設ける必要がないと考えております。必要性を踏まえて特定の事項について代理権又は同意権、取消権を付与することになるかと思います。類型をなくすことに伴う申立ての段階での制度利用者にとっての予測可能性の問題や、審理が長期化するおそれについては、家庭裁判所や申立てに関わる専門職や行政、中核機関との今までの実務の積み重ねがありますので、それほど危惧する必要はないのではないかと思われます。   遷延性意識障害等によって意思無能力の能力の状態にある者を想定して、包括的な保護の仕組みを維持して、それを別の類型とする、いわゆる2類型とすると、終われる後見との関係で説明が難しいのではないかと思います。むしろ1類型として、遷延性意識障害等で本人の請求又は同意がない場合であっても、虐待等の権利侵害が既に発生しているような本人保護の必要性が非常に大きい場合には、本人にとって見過ごすことができない重大な影響が生じるかどうか、必要性についてより厳格に審査するという要件レベルで差を設けるのが妥当ではないかと考えます。 ○佐久間委員 私は、補助の類型に今相当するものを中心に考えていって、代理権の付与のみとする、同意権の付与をするのみとする、両方あり得るということを中心とするということには異論はありません。しかしながら、遷延性意識障害の方は典型だと、もちろんですけれども、そうでない方でありましても、会話が成り立たない、ごく身近にいる人は何だかんだで分かるのだとおっしゃる方はたくさんおられますけれども、取引の相手から見て言っていることが分からない、ころころ言うことが変わるというふうな方について、これはやはり意思無能力だという判断をせざるを得ないことが多かろうと思いますので、その人に行為をさせるとなると、意思表示、法律行為、契約は無効になってしまう、このことを前提とすると、そういった方を対象に後見の類型に当たるものは必須であると、私はなお考えています。   ただ、2ページの19行目からある、成年後見制度の立案担当者によれば、精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く状況にあるとは、通常は意思無能力の状態にあることを指すにもかかわらず、この状態でない方が今、後見開始の審判を受けているように思われるという御指摘がこれまでに何度かありました。それはあってはならない、絶対にあってはならいと思いますが、そういうことがないということにするという前提で、もちろん人間はミスをしますので、およそ根絶ということにはならないかもしれませんが、そういうことはないということを前提に、私は今申し上げたとおりのことと考えています。   このことについては、確かに本人の権利の制約になるということは間違いありません。ありませんけれども、行為能力の制度の中の後見の制度というのは、一つには、やはり社会全体を回すという要素があるわけでありまして、逐一申しませんけれども、例えば意思表示の受領についても、平成29年民法改正で意思無能力というのも入ってきてしまいましたけれども、それ以前から、後見の開始かどうかということで、相手方、意思表示をした人ですね、の保護も図られていることなどからも分かるとおり、後見制度に当たるものがあるということは、取引社会全体の仕組みとして、これはもう不可欠なのではないかと思っています。そのような状況であるからこそ、これも私は何度も繰り返し言っていますけれども、もし後見相当のものをなくすということになりますと、非常に広い範囲の人について取引に応じてもらえない状況、取引に応じてもらうのが困難になる状況が生じ得るのではないかと懸念しています。   そこが中心なのですが、もう一つ、必要な権限を必要性、補充性に従って判断して与えればいいとおっしゃいますけれども、言うは易し行うは難しで、その人にとって今何が必要な権限かを、一体誰が何を基準にどうやって判断するのか。本人の状態なんていうのは割と近いうちに変わることだってあるし、その点からすると将来を見通すことは困難だということから、難しいだろうと思います。   さらには、決定コストがものすごく高くなると思います。必要な権限だけ与える、それは言うのは簡単です。だけれども、ああ、足りなかったなということになると、また追加しなければいけないということになり、いちいち手続をとらなければいけないということにもなる。それは、意思無能力状態であることが常態という状況にある人にとっては、何か行為の必要が生じた度に起こることであって、それをわざわざ選択しますというのであればいいですけれども、それを選択しなくていいようにしておくということも本人にとっても必要なのではないかと思います。   そのようなことから、繰り返しますが、意思無能力状態、その人が契約などをしてしまうと意思無能力で無効になってしまうというのがほぼ常であるという人に限っては、後見の類型に相当するものを残すことが、私は不可欠、本人保護のためにも不可欠だし、取引社会のためにも不可欠であると思っています。 ○山野目部会長 白熱してまいりました。 ○久保野委員 久保野でございます。続けて当てていただいて有り難く思います。と申しますのは、類型については佐久間委員と同じ意見を持っております。補助の類型は現在でも硬直的なものではないものになっており、しかし実際上は余り活用されていないということであって、そちらを軸に設計していくということがあり得、それが適当なのではないかと考えております。なお、保佐の類型を積極的に廃止すべきだとまでは考えていませんけれども、途中の議論の中で実務的に予測可能性を確保することには適していないというような御意見も、現場の声として伺いましたし、そのようなことを考えましたときに、補助の類型ということを中心にということがよろしいように思います。   その上で、後見の類型を残すことについてですけれども、佐久間先生がおっしゃられたことのうち、本人の保護のために、取引社会のためにということもある、冒頭はそちらを強調しておっしゃりつつ、最後の方で、本人が社会で生活していくためにこそ必要なのではないかとおっしゃったと私は受け止めておりまして、通常、意思能力を欠く常況にあるということは、その方は法的に意味のある行為はできないという状態だということでありますから、そういう方がいらっしゃるときに、法律の規定に基づいて家庭裁判所が関与して監督しつつ、代わりに行う方を確保するという制度があるというのは、お一人では法的に意味のある行為はできない状況であるけれども、取引社会のメンバーとして参加していくことができるということを制度的に担保する大事な仕組みだということではないかと思うものですから、必要なのではないかと思います。   なお、類型を2類型にせずとも、実質的には同じようなといいますか、包括的な保護を与える運用ができるのではないかとも考えられるとは思いますが、これも小澤委員や佐久間委員のお話の中で、意思無能力の常況にあるという方にしか使ってはいけないということを厳格に確保していくべきだということを考えますと、かえって1類型にするよりも2類型にして、後見の方は議論になっているような厳格な場合にしか使えないということを要件としてしっかり組み立て、それを外れないように設計、運用を担保するという方が適切なように思います。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   たくさんの方がお手をお挙げになっているのですけれども、民法の先生方の話を聴いてしまいましょう。沖野委員、お願いします。 ○沖野委員 ありがとうございます。一つは、判断能力の不十分さの取扱いということで、これにつきましては現在の成年後見制度が持っている、本人に対する制約という面がどうしてもあります。具体的には財産行為に関してですけれども、行為能力の制限をそれでも掛けるということを維持するのであれば、その範囲の問題はあれ行為能力の制限が掛かってきます。それから代理につきましても、御本人がお願いする、選んで、この人にこういうことをやってもらうというのは任意代理ができるわけで、また任意後見もある中で、そうではない法定代理で、本人ではない人が本人に効果帰属するような行為をするという、そういう制度を設けるということは、これもまた本人の意思決定や判断に対して一定の制約になりますので、そうしたときにその制約をどう正当化できるのかというときに、その判断能力に不十分さがあるということがないときに、それを正当化できるかというとそれは難しいのではないかと思っております。そうすると発動要件としては、判断能力の不十分さは独立した要件として残さざるを得ないのではないかと思います。ただ、そのことは、それがあれば当然に発動するということではなくて、飽くまで発動させる必要性がある場合であると、あるいは必要な範囲においてであるということは、もちろん追加で掛かってくるというか、同じように重要な要件として掛かってくるということではないかと思っております。   その上で、今度は判断能力の不十分さというのが要件として必要だというときに、そこに一定の段階を設けるかというのは、この3類型を維持するか、あるいは2類型にするのか、全面的な一元化にするのかということに関わります。全面的な一元化ということも考えられると思うのですけれども、他方で少し気になっておりますのは、既に言われました判断や決定のコストということがありまして、類型が用意されているということは、それが様々なというか、どういう形のものがこの人にとって望ましいのかということを考えるにとっても、モデルとしての意義がありますので、そういう意味での類型の意味というのは考える必要があるのではないかとは思っております。   ただ、現在の3類型は、硬直的と言われた、あるいはある程度の確実性があるということを言われましたけれども、問題は一つは柔軟性がなく、状況に応じた変化を組み込んでいないということがあるという面と、それからもう一つは、判断能力の程度に応じた類型化に完全になってしまっているということです。   具体的には、平成11年改正によりましてある程度柔軟化はされて、例えば保佐においても、あるいは補助の同意類型においても、こういうものが必要ですねというのは、同意を必要とする行為を足していけるという形にはなっているのですけれども、逆に引き算はないといいますか、例えば、成年後見型である事理弁識能力を欠く常況にあるという場合であっても、このような制限を掛ける必要はないのだというようなときも全てが掛かってくるということになりますので、引き算部分がないということは非常に問題ではないのかと思っております。   ですので、類型をなお維持しつつ、それを更に柔軟化できる方向に、柔軟化できる方向にというのは、判断能力の不十分さの程度に必ず対応したといいますか、それを受けて類型が分かれてしまうというものではなく、どの類型にあっても、より柔軟なというか、形にできるということにするというやり方はあるのかなと思っております。   現在の制度を見ますと、一方で、逆にと言えばいいでしょうか、一元化したときに、例えば判断能力が不十分だけれども、現在の、例えば保佐並みの制限を掛けるというようなことができるのか、あるいは保佐類型に当たる著しく不十分の状態だけれども後見並みの制限を掛けることができるのかというと、現在はできないという形になっているのではないかと思います。これ以上の制限は掛けられないということがこの類型によって担保されているという面がありますので、そういう面をどう考えるかという点が考慮点としてあるように思われます。現実の運用でそのようになるということは、仮に一元化しても、ないと思うのですけれども、判断能力に対して、これ以上の制限を掛けてはならないのだというような、そういうことを織り込むという必要はないのだろうかということが気になっております。実際、運用はそれでも、そのようなことはなかろうから、制度としてもそのような必要はないという考え方もあり得るとは思います。   それから、この類型についてなのですけれども、ここでも二つございまして、仮に現在の3類型を維持するとしても、あくまで仮にですけれども、特に保佐の13条1項の列挙行為がこれでいいのかという、それぞれの行為の見直しというのは、やはり必要ではないかと思っております。2類型にするならば、保佐類型はなくなるということかと思っており、したがってその必要もないのですけれども、仮にということです。   それからもう一つ、包括的な形のもの、具体的には現在の後見類型というのをどうするかということで、今例えば、もう意思能力を欠く常況というか、もう意思能力を欠いているという、そういう状態にある人について、その人について、しかし必要な法律行為をするには、御自身でももはや誰かを選ぶことも難しいということであれば、法定の後見人を付けて、一方で生活や療養看護とともに財産行為についても包括的な代理権を与えて、必要なことができるようにする必要があるというのは、恐らくそのとおりだろうと思います。医療関係もそうですし、保険関係ですとか、いろいろなことが出てきますし、生活全般、契約をやっていかざるを得ないという面があると思うのですが、ただ一方で、そのことと行為能力の制限を掛けるのが、常に一致なのかというのがよく分からないところで、逆に言うと、意思能力を欠いてはいるけれども、あえてこの人がした行為は全て取り消すことができる行為になりますということを宣言する必要があるのかは、気になっているところです。包括的な代理権の方は必要な場合は十分あるし、ただ、それも包括的に代理権を持つとあるいは裁判所で決めていただければ、それで済むのかもしれませんけれども、その両者が常にセットになっているということが、果たして適切な在り方なのだろうかということも気にはなっているところです。   最後に1点、特別代理人型といわれる類型が資料の6ページに挙げられております。少しここは私が理解をできていないところなのですけれども、6ページの特別代理人のようなタイプを設けることも考えられるとされているのは、現在の補助の代理類型とどこが違うのか、補助で個別の代理権を付与するというのは今もあるわけで、その場合は行為能力の制限は全然掛からないわけですけれども、それとの違いが何であるのかということをもう少し説明していただいた方が、この提案の趣旨がよく分かるのかなと思いました。 ○山野目部会長 3人の民法の研究者の委員に御発言を頂きまして、最初に御発言を頂いた佐久間委員から、後見類型と仮に佐久間委員が呼んでおられるものを残すべきであるということを力説するお話がありました。その背景等もつまびらかにおっしゃっていただいたところでありますけれども、私が聞いておりますに、恐らく佐久間委員のお話の力点は、包括的ないしそれに近いような仕方で代理権が付与される類型というものが存置されるべきであるというところにあったと思います。現在の後見類型に対し様々な批判がある中で、代理権の付与が包括的であることに加えて、医学的な判断能力の判定から機械的に後見が始まってしまうことや、これも機械的、必然的に行為能力のほぼ全面的な制約を伴うといったことについても、制約があるというということについて批判があるわけですけれども、恐らく佐久間委員はそういうところも含めて、現在ある実体法上の現実の存在である後見類型を残せとおっしゃっているものではなくて、むしろ機械的に開始してしまうことについては、それは大いに考え直さなければいけないということを力説なさいました。   そして、久保野委員からも、それを更に深化させる御発言を頂いたところに加えて、ただいまの沖野委員の多種にわたる重要な御指摘の中でも、行為能力がほぼ全面的に否定されるということが必然的に随伴するかということについては、よく分からないと沖野委員はおっしゃったのですけれども、恐らくそこをきちんと考えなければいけないという御意見を頂戴したと受け止めます。   民法の先生方によく練られた丁寧な説明を検討して、意見を開陳していただきました。引き続き委員、幹事の御意見を伺います。 ○青木委員 この課題については、そもそも障害者権利条約12条の要請を民法がどう受け止めるかという観点から、議論をしていただく必要があるのではないかと思っています。当然、障害者権利条約は民法の上位規範でありますから、12条の要請を現在の民法のこの制度がどう受け止めて見直すべきかという観点からしっかり議論する必要があり、その点でこの部会での議論はいまだ不十分ではないかと思います。ヒアリングでは、12条についての様々な御見解も示していただきましたけれども、そういった見解も踏まえて議論する必要があると思います。   御承知のとおり、完全な行為能力の保障と代理代行制度から意思決定支援の仕組みへの転換を求めているのが12条ですが、そこでは「自律の保障」を求めているという最大の理念があるわけです。そこからは、どんな障害がある人も誰もが自分で意思決定できる可能性があるというところから出発するということが重要でして、人というのは、皆さんも含め、私も含め、置かれている状況や環境、病状とか障害とか、これまでの経験、その方の辿ってきた生活史とか、今の支援の状況、そういったものによって、その時期ごと、その事項ごとに、判断能力というのは変わるということを前提に考える必要があると思っています。   そういう意味で言いますと、「事理弁識能力」という概念を、医学的判断に基づいて画一的に判断し、属人的にその人は一生事理弁識のない常況にあると判断するということ自体が転換を迫られていると考えるべきだと思っています。この基本的理念から議論していただくことが是非とも必要ではないかと思っています。意思能力の議論につきましても、意思能力の有無につきましては、対象となる事項(法律行為)ごとに、人の置かれている状況ごとに、相対的に、意思能力がある、ないということを検討することが裁判例において蓄積されているのも、そういったことも反映されていることだと思っています。   これまでの部会で議論してきましたように、今後の制度の利用というのは、判断能力だけは開始せず、必要性を判断能力の程度も含めて十分に考慮して、具体的な効果・権限を考えていこうということでした。そういう意味で言いますと、本人にとっての必要性と本人の同意に基づいて、法的効果としての代理権とか同意権・取消権の付与を認めていこうという制度設計からすれば、判断能力の程度がイコール法的効果には結び付かないわけですから、類型を設ける意味はない、と考えるのが自然であると思います。   包括的代理権が必要な人もいるのではないかという御意見がありますけれども、具体的に何を念頭においてそのように言われるのかがいまだに明らかではありません。私がシミュレーションでお出しをしたケースGをお読みいただいたでしょうか。そこにおいては、遷延性意識障害の人にとっても、その時期ごとに必要な代理権というのは家族や支援者によって明確に想定ができます。それに基づいて必要な代理権を付与し、状況が変われば別の代理権に転換をし、場合によっては担い手も替わるということが十分に可能ですし、そのことは今の実務の中でも実証されてきています。それは重度の認知症の方にも、重度の知的障害者の方にも当てはまることです。   もう一つ言えるのは、そういう人たちが本当に「事理弁識の欠ける常況」にあるのだろうか、ということを疑うということの重要さです。市民後見人が後見相当とされるご本人に関わると、今まで3年も4年も施設の職員にもしゃべったことがなかった人がしゃべるようになった上で、コーヒーを飲みたいとか、この施設は嫌だからほかのところに変わりたいということを意思表明するようになるという実践も各地で実証されてきています。そういったことを踏まえれば、全ての人、どんな人であっても、今必要とされる範囲に限っての支援を行う、保護を行うという観点が、制度の基本に据えられるべきだと思っています。   これまで民法でもそれ以外の諸法でも、包括的代理権を前提にして後見人の転用を図ってきた様々な規定、運用があります。それらは、たまたま成年後見人に包括的代理権が付与されていることからそうしただけであって、本来は、それぞれの制度ごとに、意思能力に欠ける場合について、どういう手当てをすべきかを検討すべきものでした。それをせずに成年後見人の包括的代理権を流用しているわけです。それは成年被後見人の欠格事由問題と同様の構造とも言えます。本来は一つ一つの制度ごとに欠格事由の内容が違うはずなのに、成年被後見人だからというだけで欠格事由としてきたのと同じことをしているわけです。これからは、欠格事由をy撤廃したときと同じように、包括的代理権がなくなった場合に、それぞれの制度はどういう新しい手当を用意すべきかを個別に検討することが迫られているわけでして、そういった具体的検討をせずに、ご本人さんの意思やご本人さんの個別のニーズを超えて、周囲にとっての制度の使いやすさを優先するということはあってはならないと思っています。   2000年からのこの24年間で、3類型の制度が弾力的な運用であったことは一度もありません。2000年改正時には、弾力的運用を目指すと言われましたけれども、3類型のどれに該当するかで大きく法的効果が変わるので、実際に利用する人も家族も支援者も、一体私たちはどの制度をどう使うことになるかということの予測がつかず、個別ニーズに合わず、逆に混乱をしてしまいます。私はこういうこと援助が必要なので、この代理権やこの取消権がつきます、と説明され、申し込みをできる方がどれだけ分かりやすいでしょうか。24年間の運用は、硬直的なものであり、7割から8割が後見類型の利用になり、本当は「事理弁識能力の欠ける常況」にもない人が全て後見類型が開始されているのは、硬直性と支援者の使いやすさの結果です。この24年間の実態を踏まえて、事理弁識能力が欠ける常況にある人にだけ例外を残せばいいではないか、ということになるでしょうか。それが例外的に扱われる保障はどこにあるでしょうか。諸外国でも、2類型を残すと、どうしても支援がしやすい類型の方に利用が偏っていくという経験もあります。   そうしたことから言えば、個別代理権の付与ということを徹底して、遷延性意識障害の人についても、そういった個別の代理権を付与を積み上げることで運用していくという方向性こそが、我々が障害者権利条約12条に課せられている使命であると考えています。取引の相手方にとっても、個別の代理権がしっかりと登記事項に記載されるわけですから、それによって銀行も含め取引の安全が害されることはありません。包括的代理権がないとそういった方々が取引社会から排除されると言われる方がいますけれども、発想が逆なのでありまして、そういった方についても、完全な行為能力を前提に、必要な事項には代理権等を付与して、必要な法律行為ができるようにすることによって、取引社会から排除されないようにしていくということができるというふうになります。   わが国の諸制度が、ご本人の個別ニーズにそって、個別の支援計画を立てて、個別に対応していこうと制度の改革がなされていっているのに、成年後見制度や民法だけが、類型的に画一的な処理の方がいいのだということでは、世間が納得する改革には全くならないと思います。運用において手続上の負担が増えるのは確かにそのとおりですけれども、それについては、これまでの保佐や補助の実務経験、権利擁護支援の地域連携ネットワークを作って中核機関を育てていく第二期基本計画に基づく各地の取組を通じて、利用する本人の不利益にならないような運用上の工夫をしていくということや、幸いにも制度利用のオンライン化、オンライン面談、オンライン申請等の様々なツールが活用できるという状況も踏まえて対応することが必ずできると思っています。まず障害者権利条約12条の基点に立ち返っていただき、そこからどう在るべきかを議論するのがこの枠組みの議論だと思います。 ○山野目部会長 ここも続けて、根本幹事のお話を伺います。 ○根本幹事 青木委員と重複するところもありますけれども、佐久間委員や沖野委員からの御指摘のところに触れながら、と思っています。   一つは、今までいわゆる3条の2を超えることはないということが一つ前提にあったところを踏まえますと、いわゆる後見類型といわれるものが必ずしも3条の2の意思能力無効と連動していないということが今までの実務の前提であったわけです。そこが限定的にするのだということが仮に今後の改正で議論されるポイントだとした場合に、そうすると、一つは、例えば現行の9条ただし書の位置付けも、全て意思能力無効で見ていくのかということを考えなければいけないということにもなりますし、須らく意思能力無効である方を、法的にラベリングをするような形で位置付ける必要性というのがどこまであるのかということも考慮しなければいけないのだろうと思います。   その対立利益は、今まで先生方がおっしゃっているような手続的なコスト負担ですとか、取引の相手方というところはあるのかもしれませんけれども、ではそれを上回る社会的な利益が果たしてあるのかというところの議論ではないかと思います。そうなってきますと、先ほど青木委員からもありましたけれども、現行法上の保佐で必要性の判断はできていますし、例えば追加付与を柔軟にしていくということで手続負担というのは軽減される部分はあるのだろうと思うのです。   むしろ、意思能力無効の限られた方だけを包括的な類型として残すとすると、それはかなり限られた件数になると思いますので、その限られた件数を残したところで、社会的な利益がどこまで見いだせるのかということになるのではないかと、議論を伺っていて思っています。むしろ取引社会からそういった少数の方をある種、排除するようなことを民法として規定していくのかという問題の捉え方もできるのではないかと思います。   沖野委員から、包括的な類型を残した上で引き算をするという考え方もお示しいただいたところではありますが、結局それは個別的に付与をして足し算をしていくことと何が違うのかということにもなってくるかとは思います。 ○星野委員 先ほど沖野委員が言われた引き算のところも、私も少し現実の話をしたいのですが、私は最近、後見類型の方を補助開始審判の申立てをすることによって、後見取消しになるという事例に関わりました。そのときのコストというのですかね、手続きの労力は非常に大変なのです。結局、状態が合っていない中で後見という審判が行われていて、その方を在るべき姿に戻す、今類型があるから、そういうことになってしまっていると思っています。ですから、類型は要らないと私も同じように思います。   先ほど来出ている包括的な代理権という話なのですけれども、例えば、今補助や保佐の方であっても、たくさんの代理権が付いている方は現実にいらっしゃいます。それが必要かどうかは置いておいてもですね。ですから、もしかすると状態的には、ほとんどの代理権が付与される方というのは、これから法改正されたときに、いらっしゃるだろうと思うのです。それが今でいうところの後見類型に近い形の方になる、そのときの同意のあるなし、緊急性のあるなし、保護の必要性あるなしというところで、そういった整理をされるとは思うのですが、それは類型を新たに作る必要ということは全然ないと思っています。ですから私も原則、補助の考え方で行くということを意見として持っています。   更に言うと、同意というところが、先ほどの家事事件手続法の中で鈴木委員が言われていた、どの部分を切り取って同意していると見るか、ここがかなり問題になってくると思っています。ですから、私はこの枠組みの中で必要なことは、見直しをするということをしっかりと法律の中に明記することであると思っています。それをすることによって、緊急的に必要があるという方が、状況が変化しているというところを見直すということにもなりますし、そのときの判断、本人の同意というところをもう一回見直すというきっかけにもなると思っています。ですから、枠組みを考えるときには、これがずっと固定した状態で継続するのではないということを明確に法律の中に規定するべきだと考えます。 ○山野目部会長 そのなさった事件は、後見開始審判を取り消して補助開始審判を申し立てたのですか。 ○星野委員 補助開始の審判を申し立てることで、結果的に後見取消しを求めているということになるので、裁判所の方からは補助開始申立てをしてくださいと言われました。 ○山野目部会長 二つの裁判が必要であるということですね。 ○星野委員 補助開始だけでいいですと言われています。補助開始の審判が出れば、後見取消しになるということです。 ○山野目部会長 とにかく面倒になるという御話をいただきました。 ○星野委員 とにかく、それがとても大変なのです。先ほどの引き算の話で。 ○鈴木委員 今の星野委員のご発言について補足させていただきます。補助の開始の審判申立てを裁判所が指示したのは、補助が開始されれば後見は当然に終了するためであると思われます。 ○山野目部会長 鈴木委員のお話を伺って、さらに明快に理解することができました。御礼申し上げます。   引き続き伺います。いかがでしょうか。   青木委員のお話を伺って、大事なことをたくさんおっしゃったわけでありますけれども、その中で心に留めておかなければならないことの一つとして、遷延性意識障害という言葉を聞くと、何か皆さん無意識のうちに思考停止をしてしまうようなところがないでしょうか。遷延性意識障害と聞くと、ああ、もう全部全く意思表明ができない人であるから、これはもう包括的な代理権で決まりだねと、何かそこから先を深く考えないで話が進んでいってしまうような勢いがありますけれども、遷延性意識障害になっている人が、例えば毎日、不動産を売る事務が生じたり、遺産分割に参加する用事が生じたりするということはなく、大体の時間は施設などで看護をされて時間が過ぎていくという事実の状態が続いていきます。法律行為をしなければいけない局面がそれほど頻繁に起こるわけではありません。青木委員がケースGの話ということを強調しておっしゃいましたけれども、ですから、もし包括的に代理権を幅広く与える類型と呼ぶか、はともかくとして、そういうものがあるとすると、それというのは遷延性意識障害を挙げれば簡単に例を挙げたことになるというお話になるよりは、もう少し、本当にそういうものがあるのだったらこんな場面ですという、そこではないようなものを挙げていっていただくと、先ほどからなさっている白熱した議論がもっと深まっていくと見通します。   司法書士会にもお願いすれば、小澤委員におかれてはバックアップチームの先生方にお伝えいただきたい点として、ぎりぎりの極限状況では後見類型とおっしゃった例が遷延性意識障害ですけれども、何か異なるアングルで見て、また考えたけれども、こういうものはどうか、というところを出していただいたりすると議論が深まるのでしょうね。   引き続き御意見を伺います。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 自分の意見を繰り返すわけではないので、むしろ私とは異なる御意見の方に1点伺いたいことがありまして、保佐や補助で現行ほとんどうまくいっているという場合に、まず保佐については、同意権を与えるのがパッケージで決まっておりますよね。それについては恐らく否定的にお考えになるのだろうと思います。そこを除いて考えますと、結局代理のことだけになるわけですけれども、保佐でも補助でも代理権を与える、その際に絶対的な欠かすことのできない要件として、本人の同意を得るということになっているわけですね。全ての本人に当たる人について、その同意が得られると思われているのかということを一つ伺いたいです。これは認識の問題ですけれども、法的に有効な同意を得られない場合もあるというときは、一体誰が必要性と補充性を判断して、この権限のみを与えるということを決めることをお考えになっているのか。それが私は難しいのではないかと。   結局のところ他人決定であるということになってしまい、その他人決定の中には、私人が決定するとなると、非常に立派な方々がきちんとサポートしていますという事例だったら問題はないと思いますけれども、そうでない場合に、自分にとって都合のいい、あるいは保護者になる方にとって都合のいい権限だけが与えられるというようなことだって恐れられるところもあるので、そうすると、誰かが選ぶということではなくて、もう一定程度、要するに本人が同意できないというときにはパッケージで権限を与えておくのだ、代理権で別にいいと思うのですけれども、ということになるのではないかと私は思っているのですけれども。そこで、2点伺いたくて、本人の同意を得られないということはほぼないのか、およそないのか。同意を得られないというときには、どうしてほかの人が今必要だと、補充性も含めて、これだと決めていいのか、決められるのか。そこを教えていただければ、納得できれば、ああそうだなというふうに意見を変えるつもりではあるので、そこを疑問に思っていますということを申し上げておきます。 ○山野目部会長 二つお尋ねいただいて、しかし二つは相互に関連しています。どなたからでも結構です。 ○星野委員 答えられるとは思っていないのですが、そのために今いろいろな、地域の中では検討支援会議という検討するための会議体がどんどん作られてきているのです。ですから、支援者とか後見人になる人をどうするかという話もそうですし、その必要性がどこにあるか、また、これは本人は本当に同意しているといえるのかどうか、あるいは今が申立てのタイミングなのかということも含めて、権利擁護支援を考えるための検討会議というのがこれから広がっていく必要があると思っています。全ての地域にそれがあるわけではもちろんないですが、こういった取り組みが中核機関というところに求められている役割だと思っていますが、それをどう進めていくかという課題はあります。ただ、そういうやり方を民法改正を見据えてやっていかなければならないということで、いろいろ創意工夫をしているところではあります。ですから、まず、同意を本当にしているかどうか、これは本当に難しいと思っています。人によってはこれは同意だと見る人もいれば、いや、それは同意とはいえないのではないか、そういうケースが当然ありますし、全ての人がこれが同意と見なされないということもありますので、そういうことを検討していく会議の中で検討をし、更にそれを見直していく、成年後見につながった後も定期的に見直していくことが必要だという議論がようやく始まったというのが、福祉の現場の実態としてはあると思っています。 ○根本幹事 佐久間委員からの御質問に私なりにお答えをします。まず一つは、同意ができない方がおられるということは前提になるのだろうと思います。同意ができない場合に他者にどのような場合に代理権付与ができるのかということが、今回の民法改正の肝になるのではないかとは思っておりまして、それを決定できるのは、裁判所という機関しかないと思います。それがなぜできるのかというと、それは司法作用であり司法機関であるからというところに理論的にはなるのではないかと思います。裁判所が果たして判断できるのかというところについては、開始要件で今まで出ている医学的知見や、御本人の生活状況で、星野委員から御指摘があったような点も含めて判断をしていくということが制度として予定されるということになるのではないかと考えております。 ○青木委員 私も、本人が同意能力がなくて同意ができないという場合があって、その場合にも代理権や同意権・取消権を付ける必要がある場合があることを前提に議論をしています。佐久間先生が、現在は後見類型とされる方についても全員、本人の同意を取るのかという意味でおっしゃっていると思うのですけれども、それについては、本人の同意が取れるときと同意が取れないときがあると想定します。同意が取れないときに、必要性を誰が判断するかとおっしゃるのですけれども、全ての案件について、何の必要もないのに後見を申立てするということはなくて、親族申立てであれ、本人申立てはもちろんのこと、市町村長申立てについても、何らかの後見制度を必要とする事情があるから申立てをするわけです。特に、市町村長申立てなどは、必要性をきちんと吟味した上で、市町村長が申立てしないと本人の支援や保護ができないということで申立てをするので、そこにおいては、申立てに取り組む支援者の人や親族の方が、ご本人が直面している法律行為や意思決定すべき事項について把握した上で、それについて必要性ありということで申立てをすることはできるわけです。   裁判所は今、保佐申立てでもそうですけれども、その代理権を必要とする何らかの資料や事情を付けてくださいということでやっていますので、同じように今は後見相当の方についても、例えば、施設契約をしないといけないことになっていますので、とか、病院から退院しないといけなくて、とか、本人が通帳の再発行を3回もやっていて、また失ってしまい、金銭管理が難しいのです、というような事情を書いた上で、それぞれの代理権が必要ですということを申し立てれば、裁判所は、たしかに必要性がありますね、ということで判断ができるということになりますので、決して誰が必要性を判断するのだということをご心配いただくことはないのではないのです。できれば現実の申立ての実務についても、もう少し詳しく御紹介いただく機会があればなとも思っているところです。 ○山野目部会長 問題提起をしていただいた佐久間委員から、もし何かおありでしたらお話しください。 ○佐久間委員 人によりけりなのだろうと思いますけれども、結局のところ、今要る権限だけをとお考えになっているのだと思うのですけれども、今要る権限だけを与えるということで、本当に本人に掛かる、あるいは社会も含めてですけれども、コストも考えて、その制度設計でいいのか。別にそれを排除する必要はないとは思うのですけれども、本人の保護のために、それでいいのかどうかというのが一つです。   それともう一つは、意思表示の受領能力もそうでしょうし、例えば時効の完成の阻止についてもそうですけれども、そのような現在の仕組みがあることによって相手方が保護されている面、本人が保護されている面、様々なところを個別の代理権付与で置き換えていった場合にどうするのかと。相対的にこの人は自己で対処する能力がない、能力というか、できる状況にないということになっているからこそ用意されている制度についてまで目配りして、それで本当に駄目なのですかと。沖野さんがおっしゃったとおり、行為能力の制限を当然に掛けるかというのはまた違う問題であって、代理権が包括的に与えられているということで、その代理権がどれだけ行使されるかは分からないのですけれども、本当にそこまで不都合なのか、ほかの制度も動かせるということも考えてというふうに、今のところはまだ思っています。   それと、やはり本当にそれほど周りがきちんと支援してくれる人ばかりなのかというのがすごく心配です。一人で生きている人、高齢者だってたくさんいますし。もしかしたら何だか私は余り障害のある人に寄り添っていないように思われているかもしれないですけれども、私自身、両親も90ぐらいになっていて、どうなのかなといろいろ心配しながら生きていて、そのときに本当に両親がいわゆる社会の支えをきちんと受けられるかというと、そこも心配している。そういう状況で、世の中を変えていきましょうというのは分かる。分かるけれども、本当に変わるかどうか分からないときに一気に制度を変えてしまう、そこまで行くのかというのが疑問に思っているところです。 ○根本幹事 佐久間委員がおっしゃることも私なりに、懸念があるというのは承知をしております。一つは必要性の範囲といいますか、認定といいますか、それをある種どこまで厳格に見ていくのか。つまり、こういうことが御本人には予測されるという、その予測の程度をどのように評価して、それが必要性がある、ないという判断につなげていくのかというところについて、ここは法文には書けないところだと思いますけれども、先生がおっしゃるような懸念を少し緩和できるような、そういった解釈はあるのではないかと思っているというのが一つです。もう一つは、それでも予測できないことはどうしても起きますので、その場合に、特に緊急性が高いような事案において、いかに迅速に追加付与ができるのかというところは、手続的な規定も含めてもう少し丁寧に議論する必要があるとは思います。 ○山野目部会長 部会資料6の第1でお願いしている議論については、是非、久保委員、櫻田委員、花俣委員の御意見は尋ねなければいけない論点です。次第にそういうふうに持っていこうと考えております。   その上で、ここまで、熱心に白熱した御議論を頂いているところを、今後新しく事務当局において作成する部会資料において反映させていって、議論をお願いしていきますけれども、2類型論と一元化論と二つあって、丁々発止でしたねとあおり立てるように整理をする作業は、ある意味でたやすいことで、面白がってやろうとすれば、そういうこともできなくはありませんけれども、しかし真面目に考え始めると、今激しく意見を交わしていただいた皆さんの意見は、真っ二つに分かれているでしょうか。本人の同意が明確に確認されなくて、他者決定、他者は根本幹事がおっしゃったように、最終的には裁判所ですし、しかし孤立した裁判所ではなく、裁判所に対していろいろ情報提供するような機関を整備していき、それらが協働して、本人の同意を経ないでも始まる手続があり得るということは、皆さん認めていますね、それはあり得ないと言った方はいないわけでありまして、それから、そのようにして始まった場合が特にそうですけれども、極めて多くの種類の多様な代理権がその場合の保護者に付与されなければいけない事案があるし、与えられる代理権はその存続する期間が長期にわたるというような、一言で言えば重い代理権が与えられる局面が、数はもちろん決して多くないと思われますけれども、ある、残り得るということ、ここも多分恐らくどなたも否定していません。あとは、こういうものを受け止めていく民事法制上の規律を、類型という言葉を使うか、使わないかというふうに問い詰めるように議論をあおり立てるのではなくて、規律としてどういうふうに表現していって、またその運用の見通しも獲得することができるかというところに、今皆さんが熱心にしていただいた議論は実はほぼ収斂されつつあるということが顕らかになってきている側面があると感じます。   ただし、もちろん整理してかなくてはいけないことがたくさんありますから、今日お出しいただいた議論を改めて整理した上で、今日でほぼ大体、部会資料をお出しして御審議いただく第一読のクールが終わりますから、第二読以降において事務当局において、またここまでの、取り分け今日の御議論を整理した上で、諮っていくことにいたします。   3人の委員にお尋ねする前に、更に委員、幹事からお話を伺います。いかがでしょうか。 ○山城幹事 屋上屋を架すような発言になるのですけれども、座長に整理していただいたことと恐らく同じ印象を持っておりまして、これまでの議論のどの点が両立可能で、どの点が対立しているのかが気になっております。最終的には裁判所で個別に判断するコストをどう考えるのかという問題に帰着するような感もありますが、類型を残すか一元化するかという問題を立てると、少しミスリーディングになるのではないのかというのが座長の御発言のご趣旨ではないかと理解いたしました。私もそう思います。順を追って私なりに申し上げたいと思います。   まず、一元化か類型化かという問題を立てることが意味をもつ論点もあるかとは思います。例えば、沖野委員から、現行の後見類型のように包括的な能力制限や代理権授与を認めた上で、そこから引き算をするという考え方があるとの御指摘があり、これに対して、根本幹事から、そのような考え方は、必要なものを個別に積み重ねていくという考え方と理論的に異ならないとの御指摘があったかと思います。確かに、理屈の上では行き着くところは同じかもしれないですけれども、大きめに保護を与えてそこから不要なものを差し引くという考え方では、必要な限りのものを積み重ねていくという考え方とはベースラインが違いますので、引き算をするための判断コストを忌避して大きめの保護が与えられがちになるのではないかと、理屈ではなく運用レベルの話ですが、そのような懸念が生じ得るように思います。この点は、星野委員が指摘されたとおりであると感じます。   その上で、現行法は判断能力の程度に応じて類型を作っているわけですが、それは判断能力という、程度を観念することができるものに着目しているからこそできるのではないかと思います。これに対して、必要性に焦点を当てるとすると、必要性について高低の程度を観念することはできないでしょうから、類型化という発想にはなじみにくいのではないかと感じます。それにもかかわらず、包括的な保護を定める類型を残して二類型を編成すべきだというのは、ほとんど全ての市民生活上の行為について自ら判断することができない、その意味で判断能力が正に欠けているという状況があるとすると、そのことによって直ちに保護の必要性が正当化されると考えることになるでしょうか。この点については、判断能力と必要性とがどのような関係に立つかを整理する必要があるのではないかと感じます。ただ、判断能力が欠けているから市民生活上のあらゆる行為について保護の必要性があるのだと考える余地が仮にあるとしますと、それは結局、保護を一元化した上で、保護を必要とする事項の指定の仕方として、全ての行為を包括的に指定する余地を認めることに帰着するのではないかとも思います。この点については、そういう理解でよいのかが気になっています。   そして、そのように理解することができると仮定しますと、議論の対立点は、保護を一元化するのか、二元化するのかという点にはないのではないかと思います。むしろ重要なのは、青木委員から御示唆があった点ですが、あらゆる行為について意思能力がないから包括的な保護を与えるべきだという状況がはたして存在するのかということではないでしょうか。存在するのかというのは、現実問題として存在するのかという問いと、それを認めた上で、自分自身で法律行為をする可能性を否定することが条約の理念に照らして許されるのかという問いをともに含んでいると感じます。もちろん、条約の理念は、適切な支援を与えられれば誰でも意思決定をすることができるという事実認識に基づくものであろうと思いますが、いずれにしましても、条約の理念を徹底すると、意思能力がないという状況を認めること自体ができなくなるのではないかという疑問が、突き詰めると生じてくるように感じます。青木委員におかれて、そこまで踏み込んで条約の理念を酌み取ろうというお考えがあられるのかが、私は気になっております。   うまく申し上げられていないかもしれませんが、以上のようなことを感じました。 ○山野目部会長 屋上屋ではなくて、立派な屋根を作っていただきました。ありがとうございます。 ○青木委員 山城幹事の最後におっしゃっていただいたとおりのことを認識しておりまして、元々今回の改正というのは、権利条約12条の趣旨に照らせば、見直しの途上の第一弾の改革だとも思っておりまして、行く行くは、やはり成年後見制度の利用をできるだけなくして意思決定支援制度を中心としていくためにはどういう法制度を含めた環境整備ができるかという中での改正ですから、どんな人でも支援があれば意思決定が可能ではないかということを追求していくという基本的な姿勢が、権利条約12条の要請を受け止める国全体の姿勢として求められるのではないかと思っています。 ○向井幹事 部会資料6の3ページの3項のイについて、本日のこれまでの議論とも関連する意見を述べさせていただきます。一元的制度と多元的制度については、現行法への法改正検討時の議論として、多元的制度では必ずしも裁判所の判断に当たっての裁量は広くないけれども、一元的制度では裁判所の判断に当たっての裁量が広くなるというような形で整理がされており、これは恐らくドイツのように広範な裁量権を有する裁判所が職権で後見を開始することができるという制度を念頭に置いていたのではないかと思っております。   今回の見直しに当たって言われている一元的制度は、必ずしもそういうものばかりを念頭に置いているものではなく、例えば、判断能力が必ずしも十分でない方が、裁判所に必要な法律行為の代理権を第三者に付与してほしいという申立てをして、裁判所がその必要性について判断をして代理権を付与するという制度では、その都度、必要な代理権等を申し立ててもらうという意味では一元的制度ですけれども、裁判所としては、その必要性があるかどうかを判断して、その代理権を付与するかどうかを決定することになりますので、裁判所の判断に当たっての裁量は必ずしも広くはないと思っております。   他方、裁判所が申立てに基づいて判断するというだけではなく、例えば、申立てに含まれていない代理権を付与するということもあるということになると、裁判所の裁量的判断で申立てに含まれていない権限を付与するということになりますので、裁判所の判断に当たっての裁量がかなり広くなるのだと思います。今般の法改正は、本人の意思に沿う、あるいは本人にとって真に必要である場合に後見制度を利用するという方向で検討されていると考えております。本人の意思やニーズというのは、本人及び周囲の関係者こそが適切に把握できることからすると、やはりいかなる代理権を付与する必要があるかということについては、裁判所が職権で判断するものではなく、本人や周囲の関係者、申立人において主体的に検討いただき、このような必要性があるのでこの代理権を付与せよという申立てがあることが、在るべき仕組みであると考えております。本日、裁判所の判断のコスト、負担が大きいのではないかというご発言がありましたけれども、裁判所としては、基本的に、必要性については、申立人から必要性を証する資料を提出いただいて判断することになりますので、負担という意味では、これまで行っている判断とそれほど大きく変わるものではないと考えております。   さらに、二元的な類型、包括代理権を要するような類型を設けるかどうかという議論がありました。これについて、一つ目は、必要性を判断する際、この代理権が今正に必要であるということに限定するのか、今後このようなものが必要になる、あるいは必要になる可能性があるということを取り込むのか、取り込むとしてどこまで取り込むのかということによって変わってくると思っております。確かに、今正に必要であるということを要件にしますと、包括代理権が今正に必要であるということはないのかもしれませんが、例えば、今後何年かの間にこのようなことが必要になる、あるいは必要になる可能性があるということまで含めて必要性を判断するということになると、場合によっては包括代理権の必要性が認められる事案もあるかもしれません。必要性の中身の話だけではなく、どこまで将来を見越して必要性を判断するのかという時的範囲も影響すると思っております。   二つ目は、仮に後見類型を残す場合に、どのような要件の下に残すのかということです。判断能力について何らかの規律をするということになると、少なくとも現行の後見よりはかなり厳しく要件を絞って規律するということが目指されるのではないかと思います。後見類型を残す、残さないのいずれにしても、現行制度上、裁判所としては判断能力を裁判所独自で判断するということはもちろんしておらず、判断能力が争われるようなケースでは基本的には鑑定を実施して判断しており、鑑定意見を尊重して開始審判をしております。   今後、判断能力の程度をどれだけ絞ったとしても、判断能力の部分についてはやはり鑑定によって判断されることになりますと、結局のところ、鑑定人がどう判断するか、鑑定人が後見制度のことをどれだけ理解し、本人の意思能力等をどれだけきちんと判断できるか次第で制度の運用が大きく変わることになります。制度について十分な理解が得られない状態で制度が動き始めることになりますと、結局のところ、現行制度の後見に対する批判がそのまま同じ形で新しい制度に対する批判になってしまうというようなこともあると思います。仮に必要性等を考慮しない類型を設けるとすると、どのような要件にするのかを慎重に検討する必要があると考えております。 ○山野目部会長 必要性判断の時的範囲の観点は、皆さん意識はしておられたとは理解しますけれども、今、向井幹事に明快に整理をしていただいて可視化していただきました。御礼申し上げます。それから、鑑定の問題は類型の問題と無関係ではないということも、休憩前に青木哲幹事から鑑定の制度趣旨を整理していただいたところで理解しているつもりですけれども、今、裁判実務の観点からもその受け止めを念押ししてくださるよお話を頂きました。引き続きそれらの点も検討していくことになります。ありがとうございます。   ほかになければ花俣委員にお声掛けしますけれども、よろしいですかね。このたびは花俣委員、櫻田委員、久保委員の順にお願いします。花俣委員に御発言をお願いしてよろしいですか。考え込んだお顔でいらっしゃいますけれとも。 ○花俣委員 向井幹事に丁寧に整理をしていただいて論理的なお話を頂いた後で、少し情緒的な話で申し訳ないのですが、テクニカルな部分についてはそれぞれ専門家の先生方、皆様に考えていただく、あるいは委ねるしかない私たちの立場なのですけれども、ただ、こういう議論の根っこは、山野目先生がおっしゃったように、一つなのかなと思っています。本人の権利擁護、あるいは本人保護のためにどういったことを考えていけばいいかということで終始されているのだろうと思っていますが、議論の流れに関しては、私としては青木先生の御意見が非常にすんなりと入ってくる、賛同したいと考えています。   それから、制度を変えていいのかどうか、現行制度で本当に権利擁護ができるのかどうかといったようなお話があったかと思うのですけれども、現行制度のままでは対応しきれないのは明らかなわけですから、今制度を変えないと、それこそ御自身の権利が守られない方が世の中にあふれてくると思われます。理想を言って、果たしてそれが実現できるのかどうかと言い出したら切りがないわけで、今年施行された認知症基本法の中でうたわれていることも、今議論していることも一部かぶるところがあると思います。正に私たち抜きに私たちのことを決めないでと認知症の御本人が声を上げられて、認知症になったとしても何もできない、何も分からない人ではないということを繰り返し訴え続けて、きちんと基本的人権を有する人だとか、いろいろなことが基本法の中に書かれており、認知症観を変える必要があると、明記されています。ではそれがすぐ実現できるかといったら、そうではないかもしれないけれども、目指すべき方向はそれに間違いないわけで、私たちが認知症になっても安心して暮らせる地域を、社会をと言い続けて44年掛かって、ようやく基本法にたどり着いたように、この成年後見制度の新たな制度への議論というのも、今がちょうど転換点になっているのだろうと私は思っています。難しい話にここまで一生懸命付いていっていますが、これが変わってくれなかったら、私の7年、8年は無駄になるのであって、今のままの制度で、そのまま結論が得られるということは多分考えられないとは思いつつ、ここは何としても新しい成年後見制度が柔軟な対応ができて、必要なときに必要な人が必要なだけ使えるような、そういう本当の意味での法的根拠のある、裁判等が関与した、きちんとした本人保護になるものであってもらいたいと強く願います。柔軟な対応が可能になって、そのはざまにいる人たちには地域が、あるいは権利擁護支援のネットワークという仕組みがきちんとできていく、これがあって初めて、これから急増する独居の人であるとか、あるいは認知症の老老世帯の人であるとか、そういった方たちが本当に安心して暮らせる社会が多分できるのだろうと思っています。今までのお話の全ての、本人の意思決定能力があるとかないとか、遷延性意識障害の方についてはと言われているのを、全部我が身に置き換えながら聞いてみたのですが、残念ながら私は遷延性意識障害にまだなってはいないし、辛うじてまだ認知症の本人ではないので、明らかに想像ではありますが、もし私が自分の意思を伝える能力が奪われた状態になったとして、自分の意思があるにもかかわらず、全く赤の他人であったり周りの人たちが自分のことをさくさくと決めていく状況というのは、とても受け入れられないなということを意識して聞かせていただきました。   本人に意思決定能力がない場合はと簡単におっしゃいますけれども、本当に意思決定能力がない状態というのが明らかにこれだと言える場合があるのでしょうか。私は意思のない人間はこの世にいないとずっと思い続けています。強いて言うなら、遷延性意識障害の人については、さすがに脳の機能が全部損傷されているとすると、そこは判断に迷うところですけれども、それ以外の人は、少なくとも認知症の人は、あるいはほかの障害を持っている人は、全ての人は何らかの意思を絶対持っておられ、自分の意思を伝える能力が奪われてしまう、そういう障害だということを前提に支援付き意思決定も大事であると思い続けています。何が言いたいのかよく分からなくなりましたけれどきちんとした議論での結論が、世の中のどんな障害を持っている人にとっても安心できる社会につながるような、正に共生社会の実現に資するような、そういう結論に至るように皆さんにしっかりと議論を重ねていただきたいという思いでいます。   今のところは感じたところを申し上げた次第です。 ○山野目部会長 花俣委員がこれまで経た数年が無駄になることはありません。どなたも一人として現行のままでよいとおっしゃった委員、幹事はおられませんから、改めていくということははっきりしております。引き続き一緒にやりましょう。 ○櫻田委員 ありがとうございます。今の花俣委員のお話を伺っていて、うなずきながら聞いていたところではあるのですけれども、やはり先ほどもお話で出ていたとおり、私は精神障害を持つ当事者なので、やはりどう考えても障害者権利条約とは切っても切り離せないなと思っているところではあるのですけれども、やはり権利条約にもあるとおり、成年後見制度は行く行くは多分、今以上に変わっていくことが予測はされていますので、やはりそこに向かって今議論を進めている段階ではあると思うのですけれども、障害を持っている方の権利が侵害されないように、やはりいいものにしていかなければいけないなというふうなところは、今までの今日の議論を聞かせていただいて、改めて思ったところです。   なかなか議論が白熱してくると、頭がだんだん働かなくなってきたりとかもするので、うまく言葉にできない部分はあるのですけれども、自分がもしかしたら将来的に成年後見制度を使うかもという立場になったときには、やはり自分の意思をうまく伝えられるかどうかも分からない、そして、それをうまく酌み取ってくれるかどうかも分からない状況になるかもしれないのですけれども、やはりそんな中でも自分の意思をしっかり受け取っていただいて、自分がやりたいこととか、こうしたいのだというところを手伝っていただけるような制度になっていくように、将来的にも、この先にもなっていくといいかなとは思っています。   本当にこの改正を含めて、多分この先もずっと何回か改正を繰り返していく中ではあると思うのですけれども、その中でも、やはり私たち障害を持つ者が自立した生活が営めるように、いろいろな方に支援していただきながら、よりよい生活ができるように支えていけるような制度として、なっていけばいいかなと少し思ってはいます。すみません、本当に意見というより感想になってしまったのですけれども、以上になります。 ○山野目部会長 おっしゃったことはごもっともなことばかりでありまして、受け止めて審議を続けたいと考えます。ありがとうございます。 ○久保委員 私もお二人と同じようなことも考えておりまして、知的障害の場合は、意思決定支援をやっていても、最初はこれでいいのだろうなと思って支援をしていても、ずっと御本人は我慢している場合があるわけです。そして、ある日突然、もう嫌だといってばんと荒れてしまうというようなことがあるのです。割とできるだけ受け入れて我慢するというようなことをする知的障害の方もたくさんおられますので、私たちは、滑り出しがこれでいいねと確認したと思ってやっていても、本人の本意は違うということがままありますので、それは手を変え品を変え御本人の意思を探るということも一方で必要かなということも感じております。知的障害の方を普通に支援する場合でもそういうことがよく起こることですので、そういうこともなかなか難しいですけれども、必要になってくるかなと思っています。   また、今日の後半の方の議論で、特別代理人の類似の仕組みですけれども、制度の利用が長くなるのが知的障害の特徴かなと思いますので、いわゆるスポット利用のようなことになった際に、後見人などが選任されていない時期をどう支えるのかという仕組みが、特別代理人類似の仕組みなんかも使いながら、施設における金銭管理なども含めて、考えていく必要があるのかなと感じているところです。   中軽度の人というのは、本人がだまされて加害者になってしまうということも多々ありますので、加害者なのだけれども被害者だというような、そういうことも結構ありますので、その辺のところも考えながら、知的障害のある人たちが成年後見を利用して安心して暮らせるということの仕組みが更にできたらいいなと思っておりますので、考えてみると、いろいろなところで少しずつ、こんなリスクもあるよね、こんなリスクもあるよねということを考えながらお話を聞かせていただきました。   私たちは、花俣委員がおっしゃったように、もう感想のようなこと、そして家族としての心理的なことしか言えないような立ち位置ではありますけれども、本人のことを思うからこそ、同じようなことを何回もこの場で申し上げて、申し訳ないなと思いながら、感想のような意見を言わせていただきました。ありがとうございました。 ○山野目部会長 おっしゃった特別代理人のことにつきましても、沖野委員からも問題提起を頂いていまして、全体の姿が見えてくる中で、存在意義があるかないか、あるとしてどういう意義を与えるかを考えてまいりたいと存じます。ありがとうございました。   第1の部分についての審議を頂きました。部会資料6の第2の部分の審議に進みます。この部分について、事務当局から説明を差し上げます。 ○山田関係官 部会資料6、6ページからの第2、成年後見制度に関するその他の検討について御説明いたします。   ここでは現行の成年後見制度を前提とした規律のうち、これまでの部会において意見が出されたものの、これまでの部会資料において取り上げていない規律について整理しています。まず、6ページの2では、制限行為能力者の詐術について整理しています。また、8ページの3では、委任の終了事由を規定する民法第653条及び株式会社と役員との関係は委任に関する規定に従うなどする会社法の規定について整理しています。さらに、10ページの4では、成年被後見人の遺言について、11ページの5では、人事訴訟における訴訟能力等について、それぞれ整理しています。   成年後見制度の見直しとの関係で、これらの規律の見直しの要否について御議論いただきたいと考えています。 ○山野目部会長 これまでの部会の審議におきまして、第一読でありますけれども、民事の法制でいろいろなところについて改めて見直さなければいけないのではないかというお話を散発的に頂いてまいりました。それらについてまとまった仕方で御意見を頂く機会を設けてまいりませんでした。無論この点につきましても、いまだ実体的規律の基本的骨格すら明らかになっていない状況でありますから、おのずと議論がしにくいものであります。しかしその前提で、いつまでも忘れたかのように放っておくのではなくて、一度ここで御議論を頂いておきたいと考える次第でございます。御意見を承ります。 ○小澤委員 制限行為能力者の詐術、委任の終了事由、成年被後見人の遺言、人事訴訟における訴訟能力の4点とも、法定後見の枠組みを一元化していくのであれば、いずれの規定も廃止することになるのかなと思いますし、現在の後見類型相当の枠組みを残すということであれば、基本的には現在の規律を維持するのが適当なのではないかと考えています。また、終われる後見という観点からは、必要性がなくなったことが制度終了の理由であるならば、制度利用の入口の視点で意思能力が十分でないと判断され、その後もその状態が継続している場合には、制度利用終了後も検討項目である4点の規定の適用を引き続き受けるということもあり得るのではないかとも思っています。   以前に検討項目となった後見開始の審判の休止制度という仕組みで、今回の検討項目の4点に加えて、意思表示の受領能力がない場合の本人の保護の問題も、現行法の規律が適用できるという考えもあるのではないかとも思っています。 ○根本幹事 テーマに関連して、2点申し上げます。   一つは、委任の終了事由との関係ですけれども、部会資料9ページの(3)アのところにありますとおり、前回の会社法改正の際に、委任の規定の終了事由の中に後見の開始を残すと御判断をされているところについては、私が承知している限りでは、会社法の法制審部会において、民法の改正の議論に委ねると議論されていたように承知をしております。現行法は、部会資料の第2段落のところにありますとおり、委任の終了事由になっているがゆえに、御本人が後見開始の審判を受けた場合には、株主総会における審査がある種、強制されるということに制度上なっていると理解をしておりまして、この点について、仮に委任の終了事由から後見開始が除かれるとなりますと、一つは、取締役会設置会社であれば取締役相互の取締役の監視義務の問題ということになろうかと思いますし、株主総会で改めて取締役としての適格性を判断されるかどうかというところを法律上、株主総会が強制されるのではなく、自ら株主総会としてどのような判断をされるのかという仕組みに変えていくのかどうかというところに関わってくるのだろうと思います。   仮に後見類型が廃止されたとしても、そのような株主総会に審査を強制するのだということになるのだとすれば、改めて代わる何らかの規定を設けるかを含め、委任の終了事由を議論しなければいけないのではないかと考えております。この点については、恐らく会社法の先生方の御意見も賜らなければいけないのではないかと思いますので、意見を伺う手続についてはしかるべく法務省において御検討いただきたいと思っています。   現場の感覚としては、特に一人会社などでは、この手続が行われないまま放置をされているという会社が非常に多数あり、かつ、そういった方について後見開始がなされて、専門職が株主権行使を含めた手続を行うということが現実に起きているというところもございます。これがもし、いわゆる事業承継ですとか経営権の争いというようなことが紛争化しているような場合には、かなり困難な状況になっているというのが実務の状況だと承知をしていますので、そこを含めた検討というのが具体的には必要であると思っております。   それから、2点目の成年被後見人の遺言につきましても、これも今の裁判実務の捉え方としては、遺言能力は飽くまでも個々の遺言の内容ですとか難しさとかそういったこととの、動機等も含めて、様々な要素で判断をされると考えられていると思いますけれども、仮に後見類型が廃止されたとして、では、医師2名というような要件を課して遺言能力を何らか推定させるような規定を残すのかどうかというところは、後見類型が廃止されたとしても、検討しなければいけない点だと考えております。   ただ、実際の実務の現場を見ますと、医師2名について、必ずしも判断能力の診断について適切だと思われない医師、若しくは診療科目との関係や、これまでの御本人との関係で初見なのか、今まで御本人の御様子を見ていらっしゃる先生なのかなども含めて、この条文に基づいて作成されている遺言が果たして裁判になった場合に認められている事例がどこまであるのかというところも少し分析をしながら、検討しなければいけないのではないかと考えております。 ○野村幹事 ありがとうございます。まだ制度が固まっていないので、リーガルサポートとしての立場から考えてみましたので、発言させていただきます。   まず、詐術なのですけれども、制度を開始しても本人が詐術を用いた場合の取引相手方の保護の必要性はあるかと思います。リーガルサポートでは取消権者を本人に限定して、本人の同意がある場合は保護者も本人の代理権を代行行使できるというふうに現時点では考えているのですが、本人が自ら取消権を付与されていないことを信じさせるために詐術を用いるという場合もあり得るでしょうから、そういった場合には取り消すことができないという規律を設けて、取引相手方を保護することも考えられるのではないかと思います。   続いて、委任の終了事由なのですが、類型をなくして一元化するという考えに立つと、やはり制度の利用開始の審判を受けたからといって判断能力を欠く状況になったとはいえませんので、一律に委任の終了事由とするのは難しいのではないかと思います。世の中には、重度の認知症等で事務処理能力がないにもかかわらず、制度を利用しないで任意契約の受任者になっている例は幾らでもあるのではないかと思いますので、その場合と区別する必要はないのではないかと思います。そういった場合は、当事者間の契約等で解決すればよいのではないかと思います。   遺言についてですけれども、遺言も同じく一元化するという考え方に立つと、審判を受けたからといって判断能力を欠く状況となったとはいえず、やはり973条の規律を維持するのは難しいのではないかと思います。   人事訴訟のところなのですけれども、本人の必要性を踏まえて特定の事項についての代理権又は同意権、取消権を付与すると、同意権、取消権の付与があった場合には、人事訴訟において訴訟能力が制限されない旨の規定が必要ではないかと思います。また、制度の利用開始の審判を受けたからといって判断能力を欠く状況となったとはいえませんので、14条の規律を維持するのは難しいと思われます。 ○小出委員 みずほ銀行の小出でございます。私の方からは、遺言に関して申し上げさせていただければと思います。現在、先ほど根本先生の方からのコメントにもあったかなと思いますけれども、現在民法973条は、この資料上にありますとおり、判断能力を欠く状況にあると定義されている成年被後見人の方が、事理弁識能力を一次的に回復したときに実施した遺言について、事後的に疑義が生じないように、医師の方の立会い等を求めていると認識しております。今後、類型の見直しがあった場合でも、現在の後見相当の方といいますか、一定の方に関しましては、民法973条に基づく立会いが行われる等、遺言に関して今までどおり一定の要件を付すような対応ができないかどうか、御検討をお願いしたいと考えております。   なお、現状においても、後見制度にかかわらずということでありますけれども、提示された遺言につきまして、遺言者の方の意思能力の観点から有効性に疑義があるとして、相続人、受遺者間のところで銀行預金のところが争われるケースがあるということなのですけれども、こういった民法973条に基づく立会い等を取り止めた場合には、そのような現在の後見相当の方の遺言について事後的に争われるケースも増加する懸念があるのではないかと考えております。 ○佐久間委員 まず、既におっしゃった方がおられますけれども、後見類型に当たるものを維持するのであれば、現行法のままで、それはいいということになると思いますので、後見類型に当たるものをやめるというときについて意見を申し上げます。   いずれについても、後見類型に当たるものを廃止するとなると、現在の特別の手当てというのはやはり落ちざるを得ないということになると思います。その上でどういうことを考えるかですけれども、何人かおっしゃったのは結局、後見相当なのだという言わば認定だけはしておいて、現在の規定を適用するということを考える余地はないかというようなことをおっしゃったと思うのですけれども、そうなると個別の、何類型か分かりませんが、代理権の付与を申し立てた場合に、その人が今でいう後見の類型に相当するのだけれども、効果とは違うのですよという認定をいちいちしなければいけないということになって、そんなことは現実にできるのかな、無理なのではないかなと。全件についてそうしなければいけないというふうになるので、それは無理なのではないかなと思います。私も実はそういうふうにするのかなとかとは思っていましたけれども、現実問題としては難しいのではないかと思っています。   そのことをまず申し上げた上で、現在でいう後見相当なのだけれども後見開始の審判を受けなかった方について、詐術はおよそ考える必要はなくなると思います。あるとしたら詐欺の規定の適用とかになるだけだと思っています。それで、少し考えた方がいいのではないかと思うのは、委任と、ここにはありませんけれども、代理の111条1項2号にも同じ規律があるので、これについてはどうするのかなということを思っていました。   まず委任については、受任者になっているわけですから、事務処理義務を負っているわけですよね。ここから解放するというのも委任の当然終了というのにはあるわけで、そうすると、義務を負っている人が義務の履行をしなかった、債務不履行ですというような責任についてどうするのかということを考えなければいけないと思うのです。考え方としては、その人には義務の履行の前提となる能力が欠けているので、債務不履行になりません、責任を問われませんということはあり得るのかもしれないけれども、それが今から後見類型をなくして、本人には意思があるのですよねということを前提とする制度設計と合うのかどうかというのが私には疑問に思えるところです。少しまだこれから考えたいと思うのですけれども。   それから、委任で間接代理で本人の法律関係を形成するということもあるかもしれませんが、より直接的には、代理人となっている者が、後見相当なのだけれども、代理権はなお有していて、なぜか代理をしましたという場合が問題となってきまして、ここは成年後見相当になった人に代理される本人の保護が問題となってきます。今だったら無権代理だということになり、相手方が表見代理の成立を主張できなかったら本人は責任を負わなくていいところ、これは代理権のある人の行為だということになってしまうわけですよね。そうすると何が心配されるかというと、相手方がその状況を利用して本人にとって非常に不利益な行為をすると、その効果を否定することが、信義則上認められませんというようなことを言うのであれば、場合によってはできるかもしれませんが、そうでなければ否定できないということになるので、ここがすごく難しいのではないかと思っています。難しいのではないかというのは、そうなったらもうほったらかしにするしかないと思っているのですけれども、こういう難しいところもあるから類型を残した方がいいのではないかというふうなことに、私の中では現在なおつながっているということです。 ○山野目部会長 ありがとうございます。話の性質上、民法や会社法の先生方の意見をできる限り聴いていった方がいいお話です。会社法の研究者はここの席におられませんから、それはまた工夫することとして、民法の先生方どうぞ、無理にはお願いしませんけれども、お考えのところがあれば、御遠慮なく御意見をお出しいただきたいと望みます。   それから、あらかじめ申し上げますけれども、花俣委員がお帰りになりましたから、久保委員と櫻田委員におかれましては、何かお話があるときにはお手を挙げる印を出しになってください。特にこちらから発言を強いてお願いするようなお声掛けはいたしません。   ほかにいかがでしょうか。 ○竹内(裕)委員 先ほど佐久間委員がおっしゃった詐術のことなのですけれども、後見相当の方が詐術をするとは思えないので、このまま特に支障はないのではないかということは同意見です。   ただ、詐術で今後もし特定の行為、特定の期間のみ行為能力が制限されるという仕組みをとった場合、これを仮にA行為としたとします。それを導入したときに、例えばほかのB行為、A以外のB行為については行為能力は制限されていないのだ、補充性、必要性なのだということになったときに、本人がAとBとを余り区別していなくて、私は行為能力者なのですと表明したとき、A行為の取引の相手方というのは詐術を主張することができるのかと。本人が余り峻別できるとは限らないと思うのです。その場合、本人にとっては詐術を主張する場面が広がってしまう懸念があるのかなということは思いました。ただ、それは法制上というか、詐術の適用範囲をどこまで解釈するかという問題であるような気もします。 ○山野目部会長 竹内委員に整理をしていただいたのが大変好都合で、そのことを踏まえて21条の検討を続けます。改めて考えてみますと、まず局面として、行為能力の制限が残るかどうかによりますが、仮に何らかの形で残るとすると、四つ場面を挙げますけれども、1番目、およそ行為能力の制限などを受けていないと偽るという形、2番目、行為能力の制限を受けているけれども同意を得たと偽る、3番目、その事項については行為能力の制限を受けていないと偽る、4番目、行為能力の制限を受ける手続を受けていたけれども、その手続はもう取り消されていて終わったと偽るといったような、それぞれの局面について、話はこういうふうに複雑化してきますが、しかも竹内委員がおっしゃったように、外から見ると偽る形になっているけれども、本人がよく自覚しないまま、結果として事実でないことを相手方に告げている場合があるし、反対に今度は相手方の方から見ると、状況からして少し気付いたのではないですかと思えるような場面もあって、今まで詐術というふうに、割と21条の文言で単純にその一語で片付けられてきた事態について、本人と相手方との主観的容態を細密に想定して、ややその規律の働き方を精査していかなくてはいけないかもしれません。精査した結果、出口が必ずしも複雑な規律になるとは限らなくて、整理を踏まえて簡明な規律が引き出せれば、それに越したことはありませんけれども、ただ検討のプロセスにおいてはきちんと考えておかなければいけないと思います。重要な指摘をしてくださいました。ありがとうございます。   引き続きお話を承ります。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 どなたもなければ。この資料に載っていることではないのですけれども、112条の表見代理の見直しをしなくていいのかということを、これは類型の話ではなくて、代理権の消滅を頻繁に認めるというか、普通のこととして制度に組み込んでいくということになると、もちろん今でもある問題ではあるのですけれども、事柄の重要性が全然違ってくるので、検討はした方がいいのではないかと思います。私はどちらの方向がよいということについては今のところ意見はないのですけれども、少し検討はした方がいいと思うということです。 ○山野目部会長 佐久間先生の前でそういうことを申すことは恐れ多いですけれども、一つ二つ申し上げると、一つは112条が法定代理に適用があるかという古典的論点があります。代理の研究の第一人者が佐久間先生ですから、皆さんに御紹介しておきますけれども。それと、任意後見契約に関する法律には、代理権消滅を第三者に対して主張することができるかというようなことについて局地的な規律があります。今まで割と現場で必ずしもそれほど重大化していないものですから、議論が低調であった側面がありますけれども、佐久間委員がお話しのとおり、これからこの問題は重くなってくるかもしれませんから、引き続き検討してまいらなければいけないと感じます。ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○青木幹事 幹事の青木哲です。ありがとうございます。人事訴訟のところで、今日の御発言の中で、後見類型がなくなれば14条の規律も要らなくなるのではないかというお話があったのですけれども、部会資料の12ページの17行目以下で御紹介されているところでもありますが、法定代理人による訴訟追行が認められないとすると、14条のような規律は何らかの形で残しておく必要はあるのではないかと思いました。ただ、その場合に、成年被後見人に相当する者の意向に反して保護者が訴えを提起することは認めるべきではないと思いますが、14条の規律が要らなくなるというのは検討を要すると思います。 ○山野目部会長 ありがとうございます。御意見を承って、引き続き人事訴訟の規律の見直しの検討を進めます。   ほかにいかがでしょうか。大体今日のところはよろしいですか。 ○山城幹事 四つの例が挙がっておりますけれども、終わりの二つにつきましては、本人に判断能力がある限りは自ら行為をすることができるという準則との関係が直接に問われていると理解しております。それらについては、適切な支援を得て本人が自ら行為することができるという考え方に立つことになりましたら、現行法と同じように規律することは難しく、廃止されることがあってもよいのではないかと感じます。   それに対して、1点目の詐術につきましては、行為能力を制限する、あるいは取消権を付与するという規律が残るのでしたら、特別の取消権が付与されているにもかかわらず、その原因となる事実がないことを偽ったという理由で取消権の行使が制限されるという場面は、あってもおかしくないと感じております。その点は、未成年者に関する規律と平仄を合わせることになるのではないかと思います。   委任の終了事由につきましても、判断能力に直結する規律ではなく、委任の当事者間での信頼関係が失われたかどうかに着目する規律ですから、後見制度の在り方が変わったからといって直ちに規律が変わるものではないと感じます。もちろん、終了事由とはせず、信頼関係が失われたのであれば任意解除に委ねればよいという考え方もあり得るとは思いますけれども、少なくともそうすることが必然ではないと思います。   その上で、佐久間委員から御指摘がありました111条の1項2号の取扱いが、私も気になりました。このこととから派生して、資料の中でも触れられていますけれども、102条本文がどのような形で働くことが想定されるかについても、整理が必要ではないかと感じました。つまり、代理行為をすることについて能力制限がされるということがどのような状況で生じるかは、制度設計の在り方に依存するのではないかと思います。 ○沖野委員 ありがとうございます。私は653条についてだけ申し上げたいと思います。今、山城幹事からも御指摘ありましたけれども、653条の趣旨自体は、委任の契約当事者がどういうようなことを一般的に合意するかというところから来ている部分というのが大きいように思われます。そうしたときになのですが、そうはいっても、現在と同じように後見開始の審判によって日常行為以外の行為能力の制限が掛かるという場合であれば、当初の契約とかなり状況が違うために、むしろ終了というのが一般的ではないかという考え方に基づいているのだと思いますけれども、そのような形で後見開始の審判を受けたという状況が残るとか、あるいは行為能力の制限はかなり残るとかということであった場合に、それでもこのままでいいのかどうかというのは少し分からないところがありまして、気になっておりますのは、信託法が受託者について56条1項ただし書によって、成年後見ですとか、あるいは保佐については、信託行為で別段の定めがあれば任務終了事由にならないとしています。   653条自体、任意規定ではないかという問題があって、そういう意味では現在でも解釈で、当然には終了しないという帰結は解釈で導くことができるのかもしれません。受任者の死亡ですとか、あるいは破産手続開始の決定についてはある程度、当然終了でない場面があるということが認められていると思うのですけれども、あるいはそれも踏まえて明文化する、一種の任意規定性というのを規定するということは考えられるのかもしれません。参考となるのが、先ほど申し上げました信託法ですけれども、しかしながらこれは結構難しく、ここに挙がってくる、3号だけそう書くというのはなかなか難しいとすると、1号、2号のそれぞれの事由についてどうかというのを検討しなければいけなくて、その結果どうなるのかという判断をしなければならないということはあるかと思います。   それから、後見開始の審判によって行為能力制限がそう広くは掛からないということになると、後見が開始しても、当該委任事項について行為能力制限が掛かっていないのであれば、それはもう当然終了事由にはならないことになりますので、終了事由だとされたとしても場面が限定されると、そういう説明になっていくのではないかと思っております。 ○山下幹事 ありがとうございます。今の沖野幹事と関連する653条との関係ですが、後見開始について能力制限等をするかどうかということとは離れて、後見が開始した場合に考えられる制度について発言させていただきます。後見が開始した場合、受任者本人に一定の能力の低下が見られることを前提に、受任者は後見開始の事実を委任者に明らかにした上で、その委任契約を継続するかということについて委任者に判断を委ねるという選択肢もあり得ると思います。このような義務は、受任者の委任者に対する善管注意義務の解釈として導くこともできるかとは思いますが、もし受任者の能力低下が何らかの支障を来すことが一般的に認められるのであれば、受任者は委任者に対して、後見開始の事実を明らかにした上で判断を委ねるべきことを明文化しておくというのも一つの考え方と思います。受任者本人が自分の能力低下に気が付いていないときにどうするかといった問題がありますが、後見制度を利用するときに、それを関係者に報告する義務を課すことが考えられるかなと思った次第です。   ただ、他方で少し悩ましいのは、そのようなことをしますと後見制度利用に萎縮効果が働く可能性があります。本人が能力の減退について自覚をしていても、後見制度を利用することに同意しないというような可能性もありますので、この辺は少し慎重に考える必要があるかなと思いますが、一律に終了事由にせずに、当事者間の話合いに委ねるというような規律もあり得るかなと思って発言させていただきました。 ○山野目部会長 山下幹事がおっしゃったような発想がありそうであると思っていました。ですから、御発言いただき、ありがとうございます。   ほかに御発言がなければ、今日、第2の部分について様々な御意見をお出しいただきまして、大変有益でした。私の方から4点申し上げておきます。   いずれにしても、お出しいただいているいろいろな規律において、後見とか行為能力制限という概念自体が用いられている場面においては、中味の問題もさることながら、法制的には、それが今後とも全く同じ意味で用いられていくということになる可能性は余り大きくありませんから、やはり一部なりとも見直さなければいけないということが予想されます。これが1点目です。   それから2点目は、653条でありますけれども、山城幹事、沖野委員、山下幹事におっしゃっていただいたことがいずれも有益ですから、それらを踏まえて検討していくとともに、御存じのとおり、この653条は656条を介して準委任契約一般に準用されておりますし、御案内のとおり準委任契約というものは、現代社会における非常に多種多様な様々な契約の根拠になっているものであります。取り分け福祉との関係では、各地の地域社会福祉で民生委員経験者とか市民後見講座の受講者が、後見人にならない仕方で本人から頼まれたり、あるいは社会福祉協議会や市町村からの委託を受けたりして活動していることがあって、そこはもう市民と市民が助け合って地域を支えているときに、支える側が、何か後見が開始されて、あなたは民法の規定で終わりですよということになってしまったのでは困ります。この局面に波及しないように、法制上の用語では跳ねるとよびますけれども、準委任契約に跳ねるところを少し注意してしていかないといけません。   それから、委任の関係の話の延長で、3点目は、民法の先生方にお願いですが、これは審議会での議題というよりは、今般ここで法制が整って、それが進み始める段階で、本か何かをお書きになるときに、事務管理のところをお書きになる際、何か少し書いていただけると有り難いです。事務管理の管理者が行為能力が要るかという議論が昔の民法の本には時々書いてあって、最近余りうるさく議論されなくて、でも、それは解決したからされていないのではなくて、何かうやむやという状態になっているのですよね。そこを少し、新しい制度を前提に、学界における議論を深化させていただけると有り難いと存じます。   それから、4点目ですけれども、会社法330条、331条の2の規律等の今後の行方については、根本幹事から御注意がありましたとおり、どこかで会社法に精通した方々の意見を個別に聴取するなどの機会も工夫したいと考えます。その際、併せて商法6条についても、あるいは商業登記法の42条5項などについても、今後この規律の見直しの要否について考えていくという話題提起をしていくことになると思います。   皆様御存じのとおり、株式会社の取締役は、かつてはおよそ成年被後見人は取締役になることができないという規律だったところを、株主総会が選任すれば選任することができるようにするという法制変更をした上で、終任事由にするというところまでやってきました。いささかのエピソードを御紹介しておきます。無駄話ではなくて意義のあるエピソードであると私は考えています。法制審議会の会社法制(企業統治等関係)部会の第10回会議、会議日が2018年2月14日でありますけれども、会社法の実務家と研究者の先生方がずらりと並んでいるところに民法の研究者が複数招かれました。そのとき大活躍をしたのがここにおられる佐久間先生です。会社法の先生方が熱心に話を聴き取ってくださり、そして出される質疑に対し、獅子奮迅の活躍で応じ、株主総会の判断で選任する途を開きましょうと力説してくださったことにより、今日ここまで来ました。もう一歩進めるかどうかというところの審議を今日お願いしたわけであり、お時間のある方は先ほどの議事録をどうぞお読みください。本当に活発な議論がそこで展開されていて、法制審議会という会議を真剣勝負でするとあそこまで行くという典型の例ですから、御紹介しておきたいと考えます。   部会資料6についての審議をお願いいたしました。次は新しい部会資料を作る予定で、後で波多野幹事からも御紹介があります。   部会資料6について何か言い残されたことがおありでしょうか。よろしいですか。   それでは、今後の部会の議事日程等につきまして、波多野幹事から案内があります。 ○波多野幹事 本日も長時間にわたりまして御審議いただいて、ありがとうございました。次回の議事日程等について御説明いたします。   次回の日程は、令和6年11月12日火曜日、午後1時30分から午後5時30分まで、法務省7階の共用会議室6、7を予定しております。次回は新たに部会資料を御準備いたしまして、法定後見制度の開始などに関する検討について二読目の御議論をお願いしたいと思っております。 ○山野目部会長 ただいま御案内を差し上げた予定を含め、この部会の運営についてお尋ねや御意見があれば承ります。いかがでしょうか。   よろしいでしょうか。長時間にわたる熱心な御議論を頂きまして、ありがとうございました。   これをもちまして法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第9回会議を散会といたします。どうもありがとうございました。 -了-