法制審議会 民法(成年後見等関係)部会 第10回会議 議事録 第1 日 時  令和6年11月12日(火)自 午後1時27分                      至 午後5時52分 第2 場 所  法務省共用会議室6・7 第3 議 題  1 成年後見制度の見直しに向けた司法と福祉との連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実についての報告         2 法定後見制度の開始に関する検討(二読) 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○山野目部会長 いまだ定刻になっておりませんけれども、会場での御参加の委員、幹事、それから遠隔で御参加の委員、幹事、関係官、皆さんおそろいであると報告を受けました。ただいまより法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第10回会議を始めます。   本日も御多忙の中を御出席いただきまして、ありがとうございます。   本日は、櫻田委員及び久保委員、家原幹事、小林幹事、櫻庭幹事、杉山幹事及び南幹事が御欠席と伺っております。山下幹事が会議の中ほどから御出席の予定と聞いております。   本日の審議に入ります前に、配布資料の説明を事務当局から差し上げます。 ○水谷関係官 本日は新たな部会資料として部会資料7を配布させていただいております。資料の内容につきましては、後ほど御審議の中で事務当局から説明をさせていただく予定です。また、本日は厚生労働省より「成年後見制度の見直しに向けた司法と福祉との連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実について」と題する資料を提出いただいておりますので、こちらを参考資料6として配布させていただいております。 ○山野目部会長 御案内を差し上げました。   審議に入ります。   部会資料7の審議に入ります前に、厚生労働省からの御報告をお願いすることとし、これについて御案内を差し上げます。この部会における審議は、委員、幹事の御協力を頂いたお陰をもちまして一読目の調査審議が終わっております。本日から二読目に入ることになります。この部会におきましては、御高承のとおり、主に民法に規定されている成年後見制度の見直しについて審議をお願いしてきているところではありますけれども、第二期基本計画におきましては、成年後見制度等の見直しに向けた検討と併せて、総合的な権利擁護支援策の充実が並列して掲げられているところでございます。この総合的な権利擁護支援策の充実については、厚生労働省においてこれまで検討が積み重ねられてきております。本日、厚生労働省において成年後見制度の見直しに向けた司法と福祉との連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実に関して、資料を準備いただいております。   火宮幹事から参考資料6に基づく説明をお願いいたします。よろしくお願いします。 ○火宮幹事 厚生労働省社会・援護局地域福祉課成年後見制度利用促進室長の火宮です。   それでは、お手元の参考資料につきまして御説明をさせていただきます。   まず、1枚おめくりいただきまして、2ページになります。平成28年4月に成年後見制度の利用の促進に関する法律、いわゆる成年後見制度利用促進法が議員立法で成立し、同年5月に施行されております。同法では、成年後見制度の利用促進に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、国は基本計画を策定することを定めており、現在、令和4年度から令和8年度までの5年間を計画期間とする第二期基本計画に基づきまして、関係省庁等において成年後見制度利用促進に向けた取組が実施されております。   第二期基本計画の概要は資料のとおりでございます。資料上段にありますように、成年後見制度利用促進に当たっての基本的考え方として、権利擁護支援の推進や成年後見制度の運用改善などが掲げられ、その実現に向けた具体的な施策として、資料下段のとおり、成年後見制度の見直しに向けた検討や総合的な権利擁護支援策の充実等が盛り込まれております。   3ページ目です。これは、第二期基本計画のうち、総合的な権利擁護支援策の充実に関連する記載を抜粋したものであります。資料左側が、新たな連携・協力体制の構築による生活支援・意思決定支援の検討に関する記載であり、総合的な権利擁護支援策の一つとして、多様な主体による生活支援等のサービスが意思決定支援等を確保しながら取組を広げるための方策を検討する等とされております。   また、資料右側は、権利擁護支援の地域連携ネットワークや中核機関に関する記載であり、地域・福祉・行政等に司法を加えた多様な分野・主体が連携する仕組みである権利擁護支援の地域連携ネットワークについて、そのコーディネートを担う中核機関について、成年後見制度等の見直しの検討と併せて、その位置付けや役割にふさわしい適切な名称を検討する等とされております。   4ページ目になります。これらの第二期基本計画の内容を受け、厚生労働省では、令和4年度から持続可能な権利擁護支援モデル事業を立ち上げ、取組の促進を図ってきたところであり、本ページでは、モデル事業の一つであります「簡易な金銭管理等を通じ、地域生活における意思決定を支援する取組」について、その概要を示したものでございます。このモデル事業は、利用者であります本人との契約によって、日常的な金銭管理サービスや意思決定サポーターによる意思決定支援といった生活支援等のサービスを提供することを通じ、本人が安心して地域で暮らすことができるようにすることを目指す取組となっております。なお、このモデルでは、本人を支える各種生活支援等のサービスは、監督・支援団体による監督・後方支援を受けること、事業の継続性を担保するため、本人に対し、応能負担・応益負担等の料金を設定すること等が前提となっております。   本モデル事業の実施自治体は、令和4年度は7自治体、令和5年度及び今年度は9自治体であり、その中には事業スキームの構想段階にとどまっている自治体も含まれているところです。また、資料下部に記載したとおり、日常的な金銭管理のサポートに関しては、「サービス事業者や金融機関等の事業者の参画・協力が得られないこと」、「金融機関における現金取扱いの厳格化により払戻しに応じる条件が折り合えないこと」、意思決定支援に関しては、「支援の範囲・方法・頻度の更なる検討を要する」ことのほか、「意思決定支援を行うサポーターの養成・確保には課題があること」などがモデル事業の実施・検討を通じて把握された課題の一例として報告されております。   次のページになります。このような中、総合的な権利擁護支援策を充実させるに当たって、社会福祉法制における対応が求められていることも踏まえまして、本年6月、厚生労働省において「地域共生社会の在り方検討会議」を立ち上げ、現在、議論を行っているところです。検討会議の設置趣旨や主な検討事項等については記載のとおりでありまして、地域共生社会に関する課題について幅広く取り上げ、御議論いただいているところでございます。   次の6ページになります。8月に開催されました第3回地域共生社会の在り方検討会議では、成年後見制度の見直しに向けた司法と福祉の連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実について取り上げました。なお、会議当日には山野目部会長や最高裁の向井課長にも参考人として御報告を頂いたところでありまして、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。この第3回地域共生社会の在り方検討会議では、事務局から、今後、成年後見制度が適切な時期に必要な範囲・期間で利用できる制度に見直されるとした場合を想定し、資料6ページのとおり、二つの論点案を提示し、御議論いただいたところでございます。   一つ目は、「新たな連携・協力体制の構築による生活支援や意思決定支援の在り方について」であり、二つ目は、「中核機関に求められる新たな役割及びその位置付けについて」でございます。なお、構成員にイメージを持っていただけますように、次のページ以降にお付けした2つのイメージ図も併せて提示しておりまして、これらについて、順次、御説明させていただきます。   7ページになります。成年後見制度が見直されることによりまして、今後、地域において、後見人等以外の方が判断能力が不十分な方を支援することが必要な場面が増えるといったことが想定されます。そこでイメージ①として、判断能力が不十分な方を地域で支えるための支援体制及びその方法、中核機関の役割・位置付けについて、三つの異なるケースを例示してお示ししたものになります。   本人を支える支援の輪として、例えばケースⒶのように、「他の支援がなく、財産管理・身上保護の観点から後見人が選任されているケース」、ケースⒷのように、「家族等による支援があるものの、重大な法律行為等が生じたために一時的に後見人を選任したケース」、ケースⒸのように、「生活支援や意思決定支援等、様々な主体による支援を得て、後見人が選任されなくても地域社会において自立した生活を送ることができているケース」などが想定されます。  本人を支える支援の輪である権利擁護支援チームは、地域において多種多様に存在するものであり、飽くまで一例としてお示ししたものでありまして、現行の第二期基本計画上の権利擁護支援の地域連携ネットワークのイメージについては、参考資料の13ページに掲載しておりますので、こちらも併せて御参照いただければと思います。   その上で、今後、成年後見制度が適切な時期に必要な範囲・期間で利用できる制度に見直されるとした場合、例えば、ケースⒸのような単独での意思決定が困難な方が地域で自立した生活を送るための地域における支援体制やその方法等をどう構築するかについて、その支援の持続可能性や既存の取組・地域資源の活用等にも留意しつつ、御意見を頂いたところです。  あわせて、成年後見制度の見直し後も見据え、家庭裁判所との関係において、中核機関の果たすべき役割やその位置付けの在り方についても御議論いただいております。   なお、中核機関が整備されているのは、令和5年4月1日時点で全市町村の約6割、1,070市町村であること、また、中核機関には法的な根拠がなく、まずは周知広報機能からでもよいと、小さく産んで大きく育てる方針で市町村等に働き掛けをしてきたことについては、留意いただく必要があると考えているところでございます。   8ページになります。こちらのイメージ②については、成年後見制度が見直されることに伴って、地域において判断能力が不十分な方に対する意思決定支援を行う場面が増えることが想定されることから、地域の福祉関係機関による組織やチームレベルによる支援が必要であり、かつ、現実的に地域の福祉関係機関による支援が可能な意思決定支援の対象範囲等について御議論いただくことを目的として、判断能力が不十分な方の生活に生じやすいであろう意思決定を例示したものになります。  それぞれ必要と考えられる判断能力の程度に応じ、左から右に行くにつれて、意思決定を行う上で必要となる判断能力が高くなることを表現したものになります。  これらは飽くまでも一例にすぎませんが、御覧いただければお分かりになりますように、私たちは大なり小なり、様々な意思決定を行いながら日々の生活をしており、今後、成年後見制度が見直されたとしても、引き続き、「本人が自ら行うことになるであろう意思決定」、判断能力が不十分な人が、「身近な家族など個人レベルの支援があれば自ら意思決定できるもの」、「組織やチームレベルの支援があれば意思決定できるもの」等があると考えられますし、右側にある意思決定を中心に「成年後見制度が見直されたとしても、引き続き、後見人等による法定代理によることが相当とされ得る行為」もあるように思われるところであります。   10ページ以降は、参考資料をお付けしたものでありまして、その中でも16ページ以降に、第3回地域共生社会の在り方検討会議で構成員から頂いた御意見の要旨を添付しております。総合的な権利擁護支援策については、「日常生活自律支援事業を発展・拡充させた新事業の法定化」や「中核機関の法定化」等の法制化に関する御意見が複数出されているほか、福祉側における意思決定支援の範囲について、「現行の日常生活自律支援事業において、意思決定支援を行いつつ、福祉サービスの利用援助を行っている実態があるので、日常生活自律支援事業で対象としている行為をベースに、今後更に対象範囲や実施主体を精査していくことも必要になるのではないか」といった御意見も頂いているところでありまして、引き続き、検討を深めていくこととしております。   以上が、地域共生社会の在り方検討会議におけます、「成年後見制度の見直しに向けた司法と福祉の連携強化等の総合的な権利擁護支援策」の検討状況について、御報告となります。  現在、後見申立て動機の大部分を預貯金の管理等が占めていることを考慮しますと、今後、成年後見制度の利用を終えた方を地域福祉によって支えていくためには、本人の生活に生じる日常的な金銭管理を後見人以外の主体がどれだけ支援する体制を構築できるかということが重要になってくると考えられ、この点は、各金融機関において任意代理人との取引がどれほど認められていくかという点にも関連するとも考えられますことから、引き続き、検討を深めていく必要があると考えております。   なお、本日の御説明でも言及したとおり、福祉サービスによって本人を支援する場合には、本人との間での福祉サービスの利用契約を締結できることが前提となりますが、本人が単独で契約を締結できるだけの判断能力を有していない場合には、本人が単独で福祉サービスの利用契約を締結することは困難であると考えられます。  そこで、福祉行政においては、単独での意思決定が困難である方も含め、判断能力が不十分な方々に対して意思決定支援を行い、適切な福祉サービスにつなげていくことが重要となっていくものの、民法第3条の2において、「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。」と規定されていることとの関係で、現行の後見類型に相当するような、単独での意思決定が困難である方については、第三者が意思決定支援を行ったとして、果たして法律上有効な契約を締結することができることとなり得るのかについては判然とせず、今後の法制審議会における調査審議の深まりを注視していきたいと考えております。   いずれにせよ、当省といたしましても、引き続き、地域共生社会の在り方検討会議や法制審議会における議論を踏まえつつ、総合的な権利擁護支援策の充実に向けまして、適切に検討を行っていきたいと考えております。 ○山野目部会長 火宮幹事からの報告につきまして、委員、幹事から意見、質問などの御発言を頂きます。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 意見ではなくて、資料の見方の質問なのですけれども、最後の8ページの図なのですが、その一番下に、本人、個人レベル、組織・チームレベル、後見人等とあるのですけれども、これはこの下の4列と上の表がどのような関係にあるのか、どう見ればいいのかを教えていただけますでしょうか。 ○火宮幹事 お答えいたします。先ほども申し上げましたとおり、本イメージ資料は、地域共生社会の在り方検討会議において、福祉関係機関による意思決定支援の範囲及び実施主体について、御検討いただくに当たって、会議の構成員に一定のイメージを持っていただくことを目的として事務局において作成した資料となります。  上の表枠内の各意思決定は、判断能力が不十分な方の日々の生活で必要となる意思決定の例を表現したものでありまして、これらの意思決定をしたり契約をしたりするときに、どういった方による支援が必要か、どのレベルの支援があれば判断能力が不十分な方が意思決定できるのかといったことを、表の下の各主体と照らし合わせながら検討いただくことを想定したものになります。   例えば、「遺産分割協議」だとか「遺言書作成」といったような意思決定についてであれば、福祉関係機関によるチームレベルや組織レベルの支援ではなく、後見人等による法定代理が必要な意思決定なのではないかといった観点であったり、他には、「日々の食材の選択」や「旅行先の決定」といった意思決定であれば、本人自らによる意思決定でよいとか、本人に身近な家族による意思決定支援などの個人レベルによる支援でも十分に意思決定できるのではないかとか、そういった議論をいただく上でのいわば検討材料でございます。また、真ん中辺りになりますけれども、「賃貸借契約の更新」について、居住家屋の新規の賃借の場合と、その単純更新の場合とは必要となる判断の程度も違うということもあると思いますので、その際に必要な支援は、表の下の各主体で申し上げますと、チームレベルによる支援なのか、個人レベルによる支援なのかという御議論や、やはり個人だと少し責任が重すぎるので、チームでの支援が要るのではないかなど、御議論いただく際に活用いただくことを想定しながら、厚生労働省において整理した資料になっております。 ○佐久間委員 ありがとうございます。僕の聞き方が悪かったのでしょうけれども、例えば組織・チームレベルによる支援が必要な意思決定というのが、この上の表の中ではどれというのが分かるようになっているのか、なっていないのかということを知りたかったのですけれども。 ○火宮幹事 その点は、まさに、このイメージ図を検討会議にお出しした狙いそのものでありまして、我々もそういった組織・チームレベルによる支援をどの範囲で実施すべきかということを、構成員の皆様から御意見を頂きたいとの趣旨で提示させていただいたところでございます。我々も、これは組織レベルにより支援するものだ、チームレベルで支援するものだというようなことで決められているものではないので、それらがどういうレベルの人たちによる支援であれば、どこまでの行為ができるのかという点について構成員から御意見を頂きたかったので、提示させていただいた資料になります。 ○佐久間委員 分かりました。   賛否の話ではないのですけれども、今、中核機関の整備が進められているということで、参考資料なのですが、10ページのところに中核機関の整備状況を挙げていただいていて、都市規模によって整備状況が顕著に違うということが分かるのですけれども、その上で、2点あって、これは将来の話なのですが、まず1点は、中核機関の整備がこれだけ、都市規模が小さければ遅れているところがある場合に、7ページの例えばケースCが、恐らく後見人がなくても回るようにという場合だと思うのですが、この場合には結局、その地域に中核機関以外の支援者がそれなりの数必要だということになると思うのですけれども、そういうところの見込みを今のところどのようにお考えになっているのか、中核機関ができたとしても、この周りにいる人が余り十分でなかったら、このシステムはワークしないので、どうなのかと。中核機関の整備状況と比例するようなものなのか、必ずしも中核機関は整備されていないけれども地域のネットワークはできているということがそこそこ見られるのかを知りたく存じます。   もう1点は、これも後見によらないということを考える場合に、ケースCのような場合にも法人とかが関わることだってあるわけで、そこそこ費用が掛かるのではないかという気がするのですけれども、その費用は、ここではっきりしたことは言えないのは承知していますけれども、後見人が付いている場合よりも全体として低額になる見込みがあるのか、それほど実は変わらないのか、見込みで結構ですので、どのような感触を持たれているかを、よろしければお教えください。 ○火宮幹事 まず1点目で御質問いただきました、中核機関が整備されていない小規模な地域での支援の形についてですけれども、地域福祉においては、大なり小なり、中核機関があってもなくても、本人を取り巻く支援チームが存在し、チームにより本人に対する支援を行う取組が今広がっているところではあります。また、中核機関が整備されることによって関係者間の連携が進んだりすることもあると思います。  では、中核機関がない地域ではどうなのかといったことについては、現状でも、中核機関がなくても、本人をちゃんと支援することができている地域もありますので、中核機関の整備の必要性が感じられず、まだ整備が進んでないという地域もありますけれども、程度の差はあれ、中核機関のような、一定の関係者間のネットワークをコーディネートする役割が存在した方がいいと思いますので、厚生労働省としては、引き続き、中核機関の整備を進めていきたいと考えております。   2点目の御質問として、ケースⒸのような場合は後見人の付いている場合より安価になるのかどうかということですけれども、基本的には、今後の話ですし、契約ベースの利用料を設定するという話にはなりますので、まだ臆測に過ぎない話ではありますけれども、前提としては、後見報酬よりは低くなるような形でできないかと考えてはいるところです。ただし、複数のサービスを利用されるというケースもあると思いますので、一概に全員が全員低くなるのかどうかということまでは何とも言えず、御本人が利用するサービスの利用状況にもよってくるかとは思います。 ○佐久間委員 ありがとうございます。 ○山野目部会長 よろしいですか。   引き続き、いかがでしょうか。   ほかには委員、幹事からの御発言はありませんでしょうか。よろしいですか。   そういたしましたらば、本日は社会福祉の方の検討の動向につきまして、火宮幹事から厚生労働省の方の現在の施策の検討状況について、この部会の調査審議にとって大変に有益な、有意義な報告をもらうことができました。火宮幹事からのお話にもありましたとおり、今般の成年後見制度の改革は司法と福祉との連携があってこそ成り立つお話であります。そこに向けての検討は、一方において民事法制に関してはこの部会における検討が重要であることは申すまでもありませんし、半面におきまして福祉の方につきましては、地域共生社会の在り方検討会議における審議の積み重ねが充実したものになることが期されるところであります。それぞれの会議を事務的に支える法務省及び厚生労働省の事務当局においては、今後とも引き続き密接な連携を図ってもらい、この部会における調査審議を支えていただきたいと望むものでございます。厚生労働省からの御報告、ありがとうございました。   部会資料7の審議に入ります。部会資料7の「第1 法定後見の開始に関する考慮要素」の中の「1 本人の判断能力の程度」につきまして、事務当局から部会資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料7の第1の「1 本人の判断能力の程度」について御説明いたします。   法定後見の開始に当たり考慮する本人の判断能力について、現行制度は法律行為一般に関する抽象的な判断能力を基準としているのに対し、一読目の審議では、本人の判断能力を個別の事項との関係で判定すべきであるという意見があったところです。また、本人の判断能力の位置付けについても、法定後見制度を個別の必要性に基づいて保護者に権限を付与する仕組みとし、その必要性の考慮要素とすべきであるという意見が出されたところです。   このような観点から、資料1ページからの2では、現行法における本人の能力に関する考え方、行為能力制度の趣旨、事理弁識能力に関する医学的な診断等について記載しています。また、4ページからの3では、本人の判断能力の開始要件における位置付けに関する考え方を整理しています。   これらを踏まえ、法定後見の開始において考慮する本人の判断能力の程度の内容とその位置付けについて、御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 第1の「1 本人の判断能力の程度」の部分について御意見を頂きます。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。まず、法定後見制度は本人の生活に干渉する、本人に対する制約が強い側面を有する制度であり、本人の権利擁護のためのラストリゾートとして、なるべく抑制的に利用すべきものだと考えていますし、判断能力を十分に有しているのであれば、他の手段の利用による支援や保護を図ることが相当と考えております。また、判断能力が不十分であることは、第三者が本人の私的自治に介入することを正当化する根拠として考えておりますので、法律行為一般に関して抽象的に判断能力が不十分であることを法定後見開始の独立した要件とした方が適当であると考えています。   一方で、個別の法律行為に関連付けて具体的な判断能力を考慮するとした場合には、診断書を作成する医師が個別の法律行為ごとに判断能力の有無を診断することとなり、医療だけでなく法律行為に関する知識も必要となるため、医師の負担が大変重いものになると考えています。その結果、診断書を作成したり鑑定をしたりする医師が限定されることも考えられますので、法定後見制度が利用しにくい制度となってしまう可能性があると考えておりますので、消極の立場であります。 ○野村幹事 ありがとうございます。法定後見の開始に当たって考慮すべき本人の判断能力の内容については、理想としては個別の法律行為に関する具体的な判断能力と思いますが、医師にその点について法的な判断を求めることができるかについては、先ほど小澤委員もおっしゃったとおり、慎重に検討が必要かと思います。一つとか二つの法律行為について判断するというのはイメージができますが、現在の保佐や補助の実務のように代理行為目録に複数のチェックが付く場合もあることを想定すると、現行法の法律行為一般に関する抽象的な判断能力について医師が診断する方が実務上は円滑に運用されるのではないかと感じるところです。位置付けといたしましては、法定後見を判断能力が不十分な方を対象とする制度とする以上は、明文上独立の要件とした方がよいというのは一読目と同じ意見です。こう考えたからといって、別途個別具体的な必要性を要件とするのであれば、医学モデルという批判は当たらないのではないかと考えます。 ○竹内(裕)委員 ありがとうございます。私も、法定後見の開始ということは本人の権利行使を制約するということでもありますので、よってその正当性を担保するために、客観的な要件、独立の要件として医学的な知見は設けるべきだと考えております。また、今も御意見がありましたが、その判断に当たっては個別具体的な法律行為ごとに医師が判断するということは困難かと思われますので、人の行為一般についての抽象的な判断能力の程度ということで御診断いただきつつ、そして裁判所において、恐らく医学の知見においてはバリエーション、幅があると思いますので、それを踏まえまして、家庭裁判所の審判の段階で、家裁が当該行為の性質であるとか、難易度であるとか、本人の必要性について踏まえて開始を判断するということが妥当ではないかと考えています。そうすることで、個別の必要性ということについては判断が入りますので、必ずしも類型化と結び付くものでもないと考えております。 ○青木委員 まず、判断能力に関する裁判所の審判がどういうものを対象にするかということと、医師がどのような診断書に基づいてその前提となる医学的資料を作成するかということを区別して考える必要があると考えております。まず、制度としての審判の対象としましては、これまでも申し上げてきましたように、ご本人の抽象的な判断能力あるいは事理弁識能力を評価するという必要はなく、当該申立てに係る代理権若しくは同意権・取消権の付与との関係で、判断能力がどの程度であるか、それによって付与の必要性があるかどうかを検討するのが審判の対象になると考えるべきであると思います。したがいまして、例えば、その人が全般的に事理弁識能力に欠けるとか、不十分だということを、属人的に判断をする必要はなく、当該申し立てられた権限付与との関係で、判断能力がどの程度かということを判断をし、それに基づいて審判を下すという構造が望ましいと思います。それは人の判断能力というものが、対象によって、時期によって様々であり、一概に全てのことについて判断能力があるとかないとかはいえないということと、またそう考えるべきではないという権利条約12条の理念にもかなうものと考えております。   一方で、それを裁判所が審判として判断するについて、その前提となる機能障害的なもの、あるいは医学的な判断としての判断能力を評価される診断書については、個別に一つ一つの代理権や同意権・取消権ごとに医師にそうした能力を判断をさせるということは難しいとは思いますので、そういった意味では、裁判所のそういった判断に向けて、ご本人さんに関するある程度類型的な行為ごとに判断能力の程度を診断をするということで足りるのではないかと思っています。   先ほど、厚生労働省の方から参考資料6の説明をいただきまして、佐久間委員からのご質問がありましたが、日常的な行為から抽象的で難易度の高い法律行為まで様々なレベルの行為があって、それについてある程度の範囲、幅については医師が診断を下すということは可能だと思いまして、現在の診断書においてもそういう観点の項目も含まれていると思いますが、今後は新しい制度での診断書をどのようにするかということを考える中で、そういったことを詰めていくということができるのではないかと思っています。   また、事理弁識能力として、人の判断能力を抽象的、一般的に決めることによる弊害としても、やはり実際にはご本人さんが判断できることとできないことがあるにもかかわらず、「この人は判断できない人である」と裁判所が認定をしたかのような誤解を受けるということについての大きなデメリットを考える必要があると考えております。   なお、一巡目の議論では、私は、判断能力については必要性の一要素であるとの意見を申し上げましたけれども、いずれにしても判断能力を何らかの意味では認定をするということについては異論はありませんし、判断能力が現行制度のようにその法的効果、に直結するものではないということであるとすれば、特定の法律行為に関する判断能力の不十分さというものが一つの要件となると位置付けていただいても、あくまでも特定の法律行為との関係での判断能力という限りにおいては、要件たり得るのではないかと考えております。 ○山野目部会長 青木委員におかれては、前回の会議でおっしゃったことを踏まえつつ、今の御発言をいただき、一つの考慮要素にするということを述べたこともあるけれども、しかし判断能力の見方について諸般の仕組みが整うものであれば、独立の要件とするという考え方もあり得るという御意見をおっしゃったと聞きましたけれども、そのように受け止めてよろしいですか。 ○青木委員 はい。 ○山野目部会長 どうもありがとうございました。   引き続き御意見を承ります。 ○佐保委員 ありがとうございます。先ほど厚生労働省の方から御説明いただいた権利擁護支援の地域連携ネットワークが構築されることを前提に、この間のヒアリングや委員の皆様の御意見を踏まえると、本人の意思をできる限り尊重できる環境整備として、個別の必要性に基づく保護の制度が求められていると考えております。今後、司法と福祉との連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実に向けて取り組むのであれば、本人の判断能力や保護の必要性などを把握する仕組みとして、他の制度を参考までに確認することも必要ではないかと考えております。   例えば、管轄や目的なども異なりますが、公的な介護保険サービスを利用するために必要な要介護認定の制度も参考の一つになるのではないかと考えております。要介護認定は、市区町村の窓口で申請を行い、かかりつけ医に主治医意見書を作成してもらった後、市区町村の職員などから訪問を受け、本人や家族への聴き取り調査が行われます。認定の有効期間は、新規や変更は原則6か月、更新は原則12か月で、状態に応じて期間は短くすることも長くすることも可能です。また、更新のたびに再び主治医意見書の提出と認定調査員による調査が行われることとなっております。家庭裁判所がどのように行うのかといった検討課題はあるものの、本人の同意も含めて、少なくとも定期的に本人の判断能力や状況を、報告だけでなく客観的に把握できる仕組みも必要ではないかと考えております。 ○根本幹事 3点申し上げます。まず1点目ですけれども、先ほど青木委員からもありましたが、抽象的にドクターが診断をされるということと、そのことをそのまま法制上要件化するということは、必ずしも直結するものではないと思っておりますので、診断書については、もちろん今後、医療関係者、医師会等々とも協議をさせていただいた上でということになろうかとは思いますが、ある程度段階的な診断をしていただいて、その内容を踏まえて裁判所が実際にその個々の必要性というものを個別に判断をしていくということであれば、必ずしも抽象的な診断というところを独立した要件とすることは必要ないのではないかと考えています。   2点目として、そのことと、今回部会資料の中でもありますけれども、独立の要件とするのか、若しくは保護の必要性の必須の要素とするのかというところについては、実質的には変わらないというのは私もそのように思ってはおりまして、ただ、いわゆる今回の改正の中で、属人的な判断をしないということを考えていったときに、大きく枠を取って、そこから必要性ということによって絞っていくのか、それとも、最初から個々の必要性から見て、その上で判断能力の低下を司法的に判断をしていくのかという、違いなのではないかと思っています。結論としては実質的に変わらないのかもしれませんけれども、そこは法制上の表現の問題ともあいまって、議論が必要なのではないかと思っています。   3点目ですけれども、これも前回の議論にもありましたが、包括的な類型を残すかどうかということと、この開始の要件における抽象的な判断能力というものを独立した要件とするかというところも、別に直結する議論ではなくて、仮に包括的な類型が必要だとしても、それは代理権を包括的にすればよいということであって、御本人の判断能力の低下について包括的に判断するということとは直結しないのではないかと考えております。 ○星野委員 ありがとうございます。私も、個別の必要性に基づく保護の制度というところについての検討がやはり必要だとは思うのですが、先ほど佐保委員がおっしゃられたことで、前回私も発言したのですが、医学的な診断については現行、定期的にモニタリングが行われている公的な仕組みの診断を活用することで、まず、この方がこの制度の対象なのかどうかというところは確認することができると考えます。更に個別の必要性というところなのですが、これは皆様がおっしゃるとおり、これを医師が診断することは難しいだろうと思います。   ただ、そのときに、例えば今使われている本人情報シートというような、これは先ほど厚生労働省の説明にもあった、イメージ図の②のところなのですが、どういう段階で後見人等、いわゆる法定代理人が必要なのかというところは、やはり個別に違ってくると思いますので、その段階の必要性というのを医学的な判断プラス社会的モデルといいますか、本人情報シートのような、支援者との関係や本人の環境との関係というところで見ることはできるのではないかと考えます。そして、ある程度パッケージ化した方がいいという御意見も出ていたとは承知しているのですが、ただ、現状の補助制度、保佐制度における代理行為目録、これをどこが必要かという判断は現状でも行われている内容ですので、それを行うことに非常にコストと手間が掛かるとは、私は実務的に思っていないのですが、もしそういうことであれば、そこの仕組みを検討するということで、できるだけ個別の必要性というところが実現できることを目指している法改正の議論なのかなと私は個人的に感じています。 ○佐久間委員 個別の行為について必要な判断能力があるか否かを要素とすることは、適合的な場合が限られるのではないかと私は思っていて、それについておよそ判断することが不合理だとか適切でないとは思いませんけれども、それだけで済まない場合があるのではないかと思うのが一つです。   それと、二つに分けて申し上げたいのですが、本人に同意能力がある場合とない場合でありまして、本人に同意能力がある場合において、少し後の問題とも関連してしまうのですが、抽象的に、医学的な判断によってでしょうけれども、ある人について事理弁識能力に問題があるということにはなった、その人が、請求なのか、他人の請求に同意してなのかで、ある権限について付与してくれと申し立ててきている。その場合において、本人の同意をどうするかではなくて、例えば不動産の取引だったら、あなたは確かに事理弁識能力が不安定なので付与してもいいですねという判断があるところ、預貯金だったらあなたはできますよね、なんていう判断をするのでしょうか、ということを私は非常に疑問に思います。個別の能力を判断するということは結局、取引ごとに、この人の能力は足りている、足りていないということを見ましょうということなのだろうと思うのですが、繰り返しになりますが、本人が、事理弁識能力に問題のある状況で、この保護が欲しいと言ってきているのに、あなたの能力はそこまで足りないことはありませんよ、なんていうことで判断していくのかというと、私はそんな制度はあり得ないのではないかという気がいたします。ですから、抽象的に個別の問題について能力を判断していきましょう、それをどう位置付けましょうというのは、話として本当に成り立つのかなということを疑問に思っているところです。 ○山野目部会長 引き続き御意見を承ります。いかがでしょうか。   今お諮りしている第1の1の部分については、小分けを致しますと二つ話題がありまして、一つ目は、判断能力の有無、程度等を判断する際に、それを抽象的に判断するか、具体的に判断するかというお話があって、今御覧いただいたように委員、幹事の意見、見方が分かれております。もう一つ話題があって、いずれにしてもその判断能力ということを考えるとしたときに、それを独立の要件として育てていくか、一考慮要素とするかというところがありまして、根本幹事からお話があったとおり、法制的な工夫をすることによって一方だと決め付けないで議論を考えていく余地はありますけれども、今ここまでで頂いたお話の中では、独立の要件にするという考え方もあり得るという理解を示す御意見が多かったと見ます。   それに対して前者の話題ですね、判断能力を抽象的に考えるか、具体的に考えるかということについて意見交換が続いているところでございます。医師の診断書を円滑に作成してもらうことを考えると、抽象的な判断能力で行くことになるでしょうと複数の委員がおっしゃったのに対して、事理弁識能力ないし判断能力というものは法的な認定、判断に服する概念であって、医学の診断書のみで決まることではないという御指摘があったところです。ここのところをどういうふうに議論を深めていくか、まだ議論が熟していないと見ました。   それから、抽象的な判断能力で考えていくことでなければ、やはり様々な問題を処理していくことができない、具体的な判断能力ということを考えることはひどく不自然な制度になるのではないかというただいまの佐久間委員のお話も、伺っていて、なるほどと感ずる部分も大きくございます。半面、恐らく属人的なラベルを貼られる結果になってしまうのではないかということを心配する委員、幹事の御意見の背景にあるものは、想像いたしますと、一般的、抽象的な判断能力を考えるといったときの一般的、抽象的なるものが少しはっきりしなくて、売買は比較的みんなが分かるけれども、それよりは貸借型の契約の方が理解が難しいでしょう、それよりは更に抵当権設定とかというものが理解が困難です、これらの理解も心配です、とだんだんエスカレートしていって、一般的、抽象的に考えるというふうにいっていくと、どうしても思考の傾向が、せり上がりとよぶとよいでしょうか、一般的、抽象的であるものの概念理解が下方硬直性を持っていて、なるべくたくさんのことをできないと一般的に判断能力がありません、という方向に話が流れてしまうおそれがないかと、そうなってしまうと、かなりパターナリスティックな本人の状況に対する介入として後見制度が使われることにもなってきかねないから、そういう御心配があって、結局そういうことになると属人的にラベルを貼ってしまうことになるではないかという心配があるであろうと想像します。   こういった点について、この判断能力の見立ての在り方についてもう少し議論が熟すとよろしいと考えますから、引き続き委員、幹事の御意見を伺っていきます。いかがでしょうか。 ○向井幹事 まず、判断能力の程度を独立の要件とするか否かについて意見を述べます。自らの意思で法律行為をすることができることが明らかである本人については、法定後見による保護が必要であるとはいえないということからすると、本人の判断能力が不十分であることについては、法定後見開始に際して必須の要素であろうと考えております。そのように考えると、独立の要件とする方がなじむと考えております。   次に、判断能力の程度をどのように判断するかという点について、法制や規律の面というより、想定される裁判所の運用の面から申し上げます。本人の判断能力の程度については、裁判所としては、医師による診断や鑑定を踏まえてこれを前提に判断するという現行法と同様の運用になるのではないかと考えております。このことを前提に、医師が代理権付与の対象となる法律行為と具体的に関連付けた形で診断、鑑定をすることができるかどうかということにつきましては、本日も何人かの委員・幹事から御発言があったとおり、具体的に関連付けた形で医師が診断、鑑定することは現実的には困難なのではなかろうかと考えております。裁判所としても、具体的に関連付けた形での診断、鑑定にはならないということを前提に、判断能力について判断していかなければならないのだろうと考えております。   この場合、裁判所で、個別の法律行為に応じて、この法律行為については御本人自身でできるかできないかというきめ細かな判断ができるかというと、診断書や鑑定書がある程度抽象的なものになることを前提にすると、実際にはなかなか困難ではないかと考えており、ある程度類型的、定型的な判断にならざるを得ないのではないかと考えております。例えば、比較的簡単な法律行為であれば御本人自身ができるとか、難しい法律行為であれば御本人自身ではできないとか、法律行為についての難易度等をある程度一般的な形で分類等をして、そのような分類を基に運用していくというような、ある程度類型的、定型的な判断にならざるを得ないのではないかと考えているところでございます。ですので、この場面における規律を考えるに当たっても、こういった運用になるかもしれないというようなことを念頭に置いて御議論いただければと思います。 ○山城幹事 判断能力をどのように位置付けるかについては、恐らく二つの問題があるのではないかと感じまして、発言を致します。   一つは、どういう場合に法定後見を開始することができるかの正当化に関わる問題です。これにつきましては、先ほど向井幹事から御発言がありましたけれども、自らの意思によって行為をすることができる状況においては自らが法律行為をすべきであるということが出発点であり、それが難しい状況を客観的に認定するために判断能力を考慮する必要があるのではないかと思います。つまり判断能力の低下が客観的に認定されることによって、本人の決定に対する介入が正当化されるということです。これに対して、もう一つは、個々具体的な行為について取消権を付与し、代理を認めるに当たって、判断能力が低下していることがその必要性を裏付ける事情となるという、そのような考慮のされ方もあるのではないかと思います。   この二つの問題は、区別した上で議論をした方がよいのではないかと感じます。正当化として働く場面では、先ほど来議論がありますとおり、判断能力の低下を独立の要件とした上で、判断能力の低下が認められることを根拠として、本人が自らしたと評価される行為を取り消すことができることとか、あるいは、本人ではない、代理人がした行為の効果に本人が服することを正当化する必要があるのではないかと思います。そして、そのレベルの判断能力については、個々の行為ごとの判断は必要ではなく、判断能力が一定の水準にまで低下していることが確認されれば足りるのではないかと感じます。その上で、個々の行為について代理権を与える必要があるか、あるいは取消権を与える必要があるかを検討するに当たっても、当該行為との関係で判断能力の低下が持つ影響が考慮されるのだと、そのように整理することもできるのではないかと思います。 ○佐久間委員 ラベリングの話なのですけれども、私は事理弁識能力を欠く常況にある方とそうでない方は区別をすべきだということをずっと言ってきておりますので、ある意味、ラベリングは仕方がないと思っている立場なのですけれども、事理弁識能力を欠く常況にない方については、一律不十分ということだけであらゆる制度を動かせるということにしておいた方が、ラベリングをすることにならないのではないかと思うのです。   つまり、個別の行為について、この人についてこの行為はできます、あの行為はできませんとやってしまいますと、結局それは、この人はこの程度以上のことはできないのですよということを明らかにすることになるのではないかと。これに対して、不十分ですというところだけで線を引いて、あとは本人の請求、同意でその権限を与える、与えない、他の必要性は少し置いておきまして、能力面でいうと、それについてはもうそれ以上問いませんとしておく方が、みんな一緒ですとなって、ラベルを貼らないことになるのではないかと素朴に思います。 ○青木委員 今の佐久間委員の御発言にも関係しますが、まず、ラベリングについては、結局、抽象的であれ、判断能力が不十分である人であると属人的に裁判所が判断をしたということ自体が、やはり全般的に言うと、この人は単独では取引主体にはなり得ないのではないかというマイナスのラベリングになり得るということを申し上げています。むしろ裁判所としては、診断書はあるけれども、現に代理権や同意権・取消権を付与した行為については、第三者による介入が必要だと判断したにとどまり、付与していない行為については何も判断していませんという位置づけを明確にすることによって、本人が取引主体となる幅が広がると考えるべきだと思います。発想が多分逆から考えているから、そうなると思いますけれども、できるだけ本人ができることがあった上で、限定した部分についてだけは第三者による意思決定の代理代行が必要であるという、必要性アプローチが重要だということを申し上げたいということがあります。   それから、先ほどの、売買についてのことはできないけれども金銭管理ができるということがあり得るのかということですが、十分にあり得るわけでして、今の「後見類型」の方々の中にも、売買契約は難しいけれども、自分の年金について自分で出して管理をするということができるという人はおられるわけでして、だからこそ、「事理弁識能力の欠ける常況」という判断に基づく後見類型についての問題点が指摘されているわけですから、今回はそこを見直して、行為ごとに、できるところは本人が意思決定支援を受けながら自分でする、できないところは必要に応じて代理権を付与するというふうに柔軟なものにしましょうということが眼目でして、それは何も不自然なことではなくて、むしろそういう制度こそがご本人さんのニーズに合ったものになると考えています。もちろん本人の同意がある部分と本人が同意できない部分では丁寧に区別して議論する必要があるとは思っていますけれども、全般的に言えばそういうことではないかと思っております。 ○根本幹事 2点ございまして、まず一つは、先ほどの向井幹事からの御発言にも関係するのですが、確かに裁判所の運用等を考えた際に、今回の改正がどういう改正になるにせよ、当初はある程度定型化された判断でないと、今の法制度から新制度へ移行するということを考慮して余りドラスティックに変わるということでは現行制度の利用の方々を考えても影響が大きいというところから、実務の運用は最初は一定程度定型化されるということはあり得るのだろうとは考えております。   ただ、そのことと、最終的に今回どこを見据えた法改正にしていくのかということを考えてまいったときに、例えば10年後、20年後に、運用の積み上げがされていく中で、より精緻に個々に判断を、裁判所の運用も含めて、行っていくことができるようになっていくということを見据えた改正にしていくのかどうか、余地を残していくのかどうかということは、考え方としてあるのではないかと思っています。   2点目は、先ほど山城幹事からありましたけれども、能力を正当化根拠として、保護の必要性を、またそれとは別の要件として考えられるのであれば、例えば医学的な知見がその正当化根拠として位置付けられ、保護の必要性については、本人情報シートという言い方をするかどうかはともかく、本人の外部的な環境や本人の生活状況、は個々に、見ていくことができるのではないかと考えております。 ○山野目部会長 ほかに御意見はおありでしょうか。   ラベリングという言葉をめぐっての御議論が続いているところであります。佐久間委員、青木佳史委員、根本幹事にお教えいただきたいこととして、佐久間委員がおっしゃったように、今までの考え方に仮に即して言えば事理弁識能力が欠けているという状況を公的な判断でするということになると、それは結果としてラベリングになるという制度になるでしょうと、そのことは認めざるを得ないとおっしゃったとおりであるとともに、仮にそういうふうに進めるとしたときにも、それが社会的にラベリングであるといういろいろな不当な結果に結び付かないようにするための工夫としては、そこで事理弁識能力が欠けていますと言われていることが、もう少し具体的な観念として社会一般に伝わるように工夫をしていくという余地はないでしょうか。およそ何でもできない人だと裁判所が認定したものではありません、日常の預貯金の管理などはできるということなどを否定していません、ただ不動産の売買などについてはかなり困難であり、類するものについても、個々には挙げませんけれども、かなり困難であるという判断を裁判所がしますというふうな言い方で社会的に伝達してもらえるようになれば、それをもラベリングというかといった辺りは考えていく余地があるかもしれないし、青木佳史委員と根本幹事の方に考えていただきたいのは、今のように判断能力の認定判断をもう少し具体的にするという工夫を重ねていったときに、その種の思考が頭から全部ラベリングだという非難を受けるかというと、そこはどうでしょうということも引き続き少し考えてみていただきたいと感ずる部分がございます。   その点でも結構ですし、ほかの点でもよろしいのですけれども、引き続き委員、幹事の御意見を伺います。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 今、部会長がおっしゃった件ですけれども、まず、事理弁識能力を欠く常況にあるという類型を認める場合には、その類型に入っているということは当然明らかになるので、その限りではラベルを貼ることになるのだけれども、私は、欠く常況にあるからといって、この後の項目で詳しく申し上げるつもりですが、現在のように全面的に行為能力を制限しましょうなんていうことは考えていません。権限がある程度は柔軟にというのでしょうか、あくまである程度ですし、本人がするのではないかもしれませんが、保護者に与えられる権限を選択できるようにすることで、部会長がおっしゃったことに対するある程度のお答えにはなるのではないかと、まず思っています。   それから、この制度があることによって、この制度の中に入った人については事理弁識能力が不十分な人なのですということを宣言する効果は、やはり否定できないのではないかと思っております。先ほど申し上げたことを繰り返すことになるのですけれども、その制度に入ったからといって、事理弁識能力を欠く常況の方は少し置いておきまして、本人の請求又は同意によってこの権限を与えているのですということを徹底すれば、判断能力の不十分さの程度は明らかにならないということになるのではないか、そのことを目指した方がいいのではないかということを先ほど申し上げたところです。   そもそも判断能力が不十分だというラベリングをすることになるということを避けようと思ったら、この制度をやめるほかないのではないか。つまり、判断が不十分な人だけを対象とする制度とすることをやめない限り、それは避けられないことだけれども、これをやめるという選択肢は、私は今のところないのではないかと思っています。 ○山野目部会長 御意見を理解することができます。お考えいただきありがとうございます。 ○根本幹事 今、部会長や佐久間委員からもありましたけれども、宣言をするということ自体は、それはそうなのだろうと思っています。私の理解としては、ラベリングといわれるような形になってしまうのがなぜ問題かというと、本来はこの後見制度の枠組みの中だけで判断していたことが、結局ほかの制度ですとかほかの場面でも転用されていく、流用されていくというところに問題があると考えておりますので、当然、個々の行為であっても、この方は、例えばこういう制度が必要な方なのですという宣言をされるということ自体は、それは内在されているものということになるのだろうとは思っています。 ○山野目部会長 根本幹事の御意見もよく理解することができます。ありがとうございます。 ○青木委員 ありがとうございます。佐久間委員がおっしゃっていることと、もしかしたら共通しているのかもしれないのですけれども、家庭裁判所としては全般的な判断能力の不十分さを認定したのではなく、当該代理権あるいは同意権・取消権の付与を申し立てられたものに限ってご本人の判断能力を評価し判断しているのですよということが法制上もはっきりし、かつ社会的にもそのことが認知され理解されることになれば、成年後見制度を使っているからといって、代理権も同意権・取消権も付与されていない行為についてまで、何か問題があるかもしれないからご本人にはできないでしょうという扱いはしない、できないということを社会的に浸透させていくことになるのではないかとは思います。だからこそ裁判所としては、この代理権あるいは同意権・取消権付与の範囲内での判断能力しか評価していません、それ以外については判断をしていませんということを、むしろそういった他の法律行為には何らの影響を与えないということを、法文に書くぐらいの位置づけにしていただき、権限付与以外の他の法律行為に関する影響がないということを宣言するぐらいのことをしていただければ、ラベリングにはつながらないのではないかと思います。 ○山野目部会長 青木委員の御意見もよく理解することができます。 ○佐保委員 ありがとうございます。先ほど部会長がおっしゃっていたように、結局行為能力が不十分であるかどうかというところが一つの判断として、その後どういった法律行為にどういうふうにするのかという個別で、例えば家庭裁判所がそれを決めていくとか、そういったものでいいのではないかと思っています。ラベリングという話も出ましたけれども、これはラベリングと捉えるか、捉えないかという話であって、何か一つ物事を決めてしまえば、そこにもうそういう判断基準ですというのを植え付けてしまうということになりますので、これをラベリングというかどうかという話だと私は思っています。先ほど佐久間委員、青木委員がおっしゃった話というのは、お互いの見方が少しずつ違うだけであって、多分目指している方向は変わらないのではないかと思いました。 ○沖野委員 ありがとうございます。少し意見の対立がよく分からないところがありますので、申し上げたいと思います。   対立の前になのですけれども、一般的にはラベリングの問題という点については恐らく、類型化をどうするかという問題は少しありますけれども、現在考えられている話としては、やはり現行法であれば最低限である事理弁識能力が不十分という方であれば、この制度の利用可能性が認められると、利用資格というか、そのときにこれは現行法でもそうですが、不十分だからといってあらゆる法律行為ができないというわけでは全くなくて、むしろリストにないものはできるという前提になりますので、仮に入口で利用可能性なり、言わば利用資格といいますか、そういうものとして事理弁識能力不十分という一般的な要件を設けたとしても、そのことが全ての法律行為全般的に不十分な人だということにはならないはずで、なるとしたら制度の伝え方がおかしいということになりますし、現在でも本来は補助とかはそうなわけで、行為能力の制限を受けていない方も十分いらっしゃるわけですので、そのようなものとして工夫していくべき話ではないかと思いますし、判断能力に不十分なところがあるということは、この制度である限りはどうしても、そこはある部分については判断されていますということは、やはりそう言わざるを得ないのだろうと思います。今まででそのような意見に集約されているようにと思いましたけれども、私もそう思うということでございます。   見解の分かれ目がよく分からないと思っておりますのは、そのような一般的な抽象的な言わば入口要件を設定するかどうかということが一つの分かれ目だと理解をしておりまして、二つ目が、申立てに係る、どういう代理権を与えるか、あるいは同意なり取消しなりに持って行くかという行為に当たって、その行為について、その行為を基準とした必要性として、判断能力がその行為をするのに不十分だということを判断していくことを要請するのかどうかということで、根本幹事からは、必要性に必須の要素としてと言われたと思います。要素というのをどういう使い方にするかという問題はありますけれども、それが必要性を判断するためには必須であると、考慮するだけではなくて、やはり判断力がそれには十分ではないということは、もう必要性を基礎付けるために必ず要るのだとすると、結局独立の要件にするのと、必要性の中に位置付けているのかは、外に出しているかどうかだけで、それは必ず要件として必要だという点では同じなのだと思います。そうしますと、入口の一般要件を立てた上で、具体的に申立てに係る行為についてどういうことかということについては、その不十分さの程度に照らしてというような、そういう形になってくるのかと思いました。   それに対しまして佐久間委員の御指摘は、本人が同意だとか、あるいは意向確認で本人自身がそういう申立てに賛成されているということであれば、不十分だということさえ満たしていれば、あとは個々の行為について、この行為について本当に判断力不十分ですかというような判断はせずに、もう同意だとか意向表明ができるのであればそこでいいということで、その意味では、必須の判断能力自体の判断自体は入口だけというお考えのように思いました。そこは結構大きな分かれ目なのかなと思いまして、そこに更に裁判所の御判断として十分運用可能なものはどれになるのかということが入ってくるのかと思います。   以上は理解だけで、その上で自分がどう考えるかというのはなかなかまだ整理が付かないので、中途半端で恐縮ですが、かなりそこは意見が違うのかなと思いましたので、整理の意味で申し上げました。 ○山野目部会長 沖野委員が根本幹事の御意見と佐久間委員の提案とを聞きながら今分析していただいたところは、誠にそのとおりであって、それは部会資料でいうと今御議論をお願いしている1と次の2の論点にまたがる仕方で今後議論が深められていくことでありまして、それを今、沖野委員が明確に顕在化していただいたと聞きました。ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。 ○星野委員 すみません、これももしかしたら次の段階なのかもしれないのですが、今、沖野委員がおっしゃられた、リストに載っていないものはできるのだというお話があったわけなのですが、私は逆に、リストに載っているのだけれど自分もできると、これはその後の議論だと思うのですが、要は代理を求めることもできるし、支援を受けながら自分がやることもできる、いわゆる今の補助というのは、代理権が付与されていても被補助人本人もできるということであると理解しています。そうすると、この後、権限の付与のところとも絡んでくるのですが、もしそうであれば、今の議論の入口のところで、その人の医学的な目から見た判断能力の状況というのを捉えた上で、個別のいろいろな行為に対しては、自らもできるのだけれども、本人の同意の下にそれを依頼し、支援を受けることができるとすると、相当今の議論は異なってくるのかなと思いながら聞いていて、私はどちらかというと後者のやり方を求めていくことが望ましいように個人的には少し感じていますという意見です。 ○山野目部会長 星野委員から頂いた観点も、次の2において更に検討を深めていくことにいたしましょう。   ほかにいかがでしょうか。   それでは、第1の「1 本人の判断能力の程度」の部分について、大きく分けて二つの論点について御議論を頂きました。いずれの論点につきましても、山城幹事から御注意があったように、後見というものを開始するに当たっての最初の入口の段階での判断が、どうあるべきかということを今お尋ねしています。その後の個別の権限の付与などの設えの部分については、また議論をしなければなりません。   その上で、一番めの論点といたしまして、抽象的に判断能力を考えるか、具体的に判断能力を考えるかという問題について活発な意見交換がありました。仮に抽象的な判断能力の考え方で行くとした場合にも、その抽象的な判断能力の判断の在り方についてかなり検討を深めなければいけないということが明らかとなり、種々の御意見があったとおりでございます。   二番めの論点といたしまして、その判断能力を独立の要件とする考え方と、一つの考慮要素とする考え方が想定されるところ、独立の要件とする考え方はあり得るものであるという多くの御意見を頂きました。一番めの論点の方についての考え方をどのように調えるかによって独立の要件とする意味合いが異なってくる部分もございますから、両方の論点を関連させながら、次の機会に向けて検討を深めていかなければならないと感ずるものでございます。   先に進みます。第1の「2 法定後見による保護が必要であること等」の部分について、事務当局から資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料7の5ページ以下、第1の「2 法定後見による保護が必要であること等」について御説明いたします。   現行法でも、法定後見による保護が必要であることは、法定後見開始の要件であると考えられます。しかし、特に後見の制度や保佐の制度のように、判断能力の程度により法定された取消権等の必要性を擬制する仕組みについては、個別の必要性によって法定後見を開始する仕組みとすべきであるという意見がある一方で、そのような仕組みに一本化することについて慎重に考える意見もあるところです。   これらを踏まえ、まず6ページからの2では、本人のした法律行為を取り消すことができるものとする必要性を取り上げており、その(2)では保佐の制度について、(3)では後見の制度について、各制度の想定する本人の状態を踏まえた整理を試みております。次に、11ページからの3では、保護者に代理権を付与する必要性を取り上げており、(3)では後見の制度における考え方を、(4)では必要性と本人の請求又は同意との関係を整理しています。さらに、15ページからの4では、法定後見以外の支援等があることについての議論を整理しています。   これらを踏まえ、法定後見の改正において考慮する法定後見による保護が必要であること等の具体的内容について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 2の部分、法定後見による保護が必要であること等についてお諮りを致します。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。見直し後の法定後見制度においては、法定後見による保護の必要性について、法定後見開始の考慮要素とすることを明確に規定することが適当だと考えています。また、取消権や同意権、代理権といった具体的な権限についても、個別具体的な保護の必要性に応じて付与する制度とすることが適当だと考えています。   次に、部会資料7ページ19行目以降に触れられている民法第13条第1項各号については、実務上は保佐等開始の申立てに当たって同規定の必要性を意識することはそれほど多くはございません。また、個別具体的な保護の必要性に応じて権限を付与することで制度を利用しやすくするためには、民法第13条第1項各号の列挙事項のような定型的な定めは民法から削除してもよいのではないかと考えています。   さらに、法定後見以外の支援があることを考慮する点については、法定後見開始申立ての段階で十分に検討してから申し立てることが難しいケースが多く、また、他の支援がないことを家庭裁判所における法定後見開始の審理の中で調査、判断することも困難ではないかと考えています。法定後見以外の支援があることの考慮については、法定後見の開始時点で考慮するのではなく、終了の段階で必要性が消滅したといえるかどうかの考慮要素として扱うのが適切ではないかと考えています。   なお、他の支援の可能性があるとしても、本人が法定後見制度の利用が必要だと望むのであれば、利用を継続できるような制度とするのが適当と考えています。 ○野村幹事 ありがとうございます。法定後見による保護に関する個別の必要性によって法定後見を開始するようにすべきであるという意見には賛成です。障害者権利条約の要請からも、本人の判断能力の程度によって法定後見による法定された一定の代理権などによる保護の必要性を擬制する仕組みは採用できないと思います。任意代理との区別という観点から、本人の請求又は同意があるからといって客観的な必要性の判断は不要にはならないと思われます。ただ、客観的な必要性があるからこそ本人の請求又は同意がある場合が多いともいえるので、本人の請求又は同意があるということは、客観的な必要性の要件を認定する上での一要素になると思われます。法定後見以外の支援があること、補充性については、必要性の要件の一要素として総合的に考慮するのが実務上は円滑に運用されるのではないかと感じております。法定後見は本人の権利擁護支援の一つの手段ですから、本人が法定後見の利用を希望しているのであれば、他の支援があるからといって利用できないとする必要まではないと思っています。本人の意思が確認できない場合には、必要性の要件の中で補充性について検討することになると考えます。 ○根本幹事 2点申し上げます。野村幹事からも今ありましたけれども、御本人が希望されているから制度が利用できるということに直ちになるのではなくて、御本人が希望されていることを基礎付ける事情というものが何らかあるはずで、その事情が事務の必要性であったり、若しくは保護の必要性を基礎付ける事情となるという論理の立て方ということになるのではないかと私も思っています。   もう一つ、補充性の要件についてですけれども、確かに今、先生方からありましたように、開始の場面で補充性をどこまで厳格に見ることが実効性があるのかということはあるかと思うのですが、他方で小澤委員からもありましたように、終了の場面ではこの補充性をしっかり見ていく必要があるとは考えています。そうなってくると、開始の要件と終了の要件とを法制上のバランスの中でどのように整理していくのかという問題となるようにも思っておりまして、開始の場面において補充性を独立した要件とは見ずに、保護の必要性の一要素と考えていくというのは一つの理屈だとは思うのですが、他方でそれを終了の場面でも同じように考えられてしまうと、本来でしたらほかの制度で十分御本人の保護が図られるにもかかわらず後見制度を続けていくという結果を招いてしまうのではないかというところに懸念を覚えます。開始と終了でバランスをどのように図っていったらいいかということが、もう少し検討が進められればと思います。 ○佐久間委員 発言を始める前に、どこまでしゃべっていいのかがよく分からないので、伺いたいのですが、ゴシックでは法定後見等の開始の要件について必要性をどうのこうのということが問われているのですけれども、中の説明のところでは、例えば取消権を包括的に与えることについて必要があるかどうかうんぬんというような説明が個別にされています。そういった個別の権限についてこういうときに必要だから与えるようにしましょうとかいうところまで発言していいのか、それとも、ゴシック部分について基本的に意見を言うべきなのか、実は中身についても発言してもいいということとなると、大分言うことが多くなって時間を取ることになるので、この点について了解を得ておきたいのですが。 ○山野目部会長 一つ前の話題のときに沖野委員が分析されたとおり、佐久間委員のお立場からは、ここのところをどこまで話すかが悩ましいですよ。根本幹事の立場からは、余り代理権、取消権の付与のところをつつかないで、もう少し骨太の議論がしやすいでしょう。と私は整理をして、別に何を話してはいけませんという進行はしませんから、佐久間委員にお任せします。 ○佐久間委員 分かりました。では、すみません、時間が掛かりますということを最初に申し上げておきます。どうして時間を掛けるかというと、今まで私は類型を分けた方がいいとずっと申し上げてきて、あいつは類型を分けるといって何を考えているのだと、きっと多くの方が思われていると思いますので、それについて現在考えていることがある程度分かるように発言をしたいと思うためです。ただ、代理権については後にもう1項目あるので、別にお話しすることにさせてください。   最初、取っ掛かりとして、6ページに、家庭裁判所が最後、必要性を判断するのだというようなことが30行目前後に書かれているわけです。これはそうなのだと思うのですけれども、家庭裁判所は飽くまで請求の範囲内で必要性について判断をするわけでありまして、必要性の第一次的判断は請求をする者においてされているのだろうと私は思います。家庭裁判所は飽くまで請求が出てきたときに、それが過度である場合にその過度であるものについて認めないということがあり得るかということであり、不足を家庭裁判所が補ってくれることはないのだろうと思っています。   不足はと申し上げると一体どんな場面かと思われるかもしれませんけれども、現在の補助の類型の方についてはそんなことは考える必要はないと思うのですけれども、今後補助を基本にして考えていくときは、現在の保佐と後見の対象者について個別権限の付与とする場合には、その請求された権限では実は本人の保護のために不足しているのではないかということを心配する必要が出てくるのではないかと思います。   私の立場ではここで二つに分かれるのですけれども、現在の補助又は保佐の対象者の場合には、事理弁識能力が不十分かもしれない、あるいは著しく不十分かもしれないけれども、自分がどの程度の保護を受けることが望ましいかという程度のことは、資料にも書いてあるかもしれませんが、判断できるのではないかということから、不足があったとしても、それは本人が判断したことなのだから、それ以上介入する必要はないと私は思っています。   これに対して現在の後見の対象者についてはそうはいかなくて、本人に判断能力がないというわけなので、やはり本人に望ましい保護、あるいは判断能力のない方が社会で行動するということに対する社会全体の利益ということも考えなければいけないのではないかと思っています。   その上で、では現在の保佐の対象者についてはどうかということなのですけれども、10ページの6行目、7行目から、要するに補助の制度と同様の仕組みにするのは一つ考えられるよねということが述べられています。私はこれには賛成です。保佐、補助の区別はやめて、これも繰り返し言っているのですが、判断能力が不十分な人については一つの類型でいい。ただ、そのことを強調した上でなのですけれども、それで本当に全部うまくいくかというと、心配もあるということもここで申し上げておきたくて、被保佐人の場合には、多くの取引については意思能力があるのでしょうけれども、例えば不動産取引については意思無能力ということだってあり得ると思うのです。そういうことがあり得る、飽くまで一例ですけれども、不動産取引について意思無能力ということがあり得るからこそ、今は保佐人に同意権を与えることで、保佐人に同意を得させて、本人がその利害得失を事前に判断するについて適切な判断ができるようにという条件を整えて、本人に行為をさせているので、意思無能力だという心配をする必要が基本的にはないという仕組みになっているのではないかと思うのです。   これを補助と同じような形にして、今の保佐相当の方についても保護者の同意を得ずに本人が一人で行為をすることができますよということになると、意思無能力によって無効だという場合が出てくるのではないか、今までよりはずっと多く出てくるのではないかと思います。それがおよそ駄目だというつもりはないのですけれども、制度を変えるならばこのことを意識しておかなければいけないと思っています。意識しておかなければいけないのは二方向あり、一つは、本人が意思無能力によって無効だとできればいいですけれども、そのようにできる保証はないということ、そのため、本人のそのような不利益は受け入れるということです。もう一つは、相手方が、後見相当の方と比べれば保佐相当の方については、この人と取引しても大丈夫だろうと思って取引する確率は高くなると思うので、その場合に意思無能力の無効という主張が出てきてびっくりするというか、そういうことがあり得るということを織り込んで考えないといけないと思っています。ただ、繰り返しますが、私はそういうことは織り込んだ上ででも、この制度設計にすることに今のところ賛成であるということです。   これに対しまして、後見相当の方についてです。後見相当の方については、11ページの辺りに、取消権についても必要性の観点から絞り込むということが書かれているわけですけれども、代理権を必要性に応じて絞り込むというのと、取消権を必要性に応じて絞り込む、与える場合というのは、性格の違うところがあると私は思っています。代理権は、本人にとって必要な取引をつつがなくすることができるようにするということ、そのために与えられるわけです。そのため、今あるいは近未来において本人にとって必要な取引は何かということを想定することはある程度可能で、かつ、それでは足りないということになれば追加の権限付与を求めればいいということで、対応できるわけです。追加の権限付与をしょっちゅう求めることが合理的かということについて疑問を申し上げたことがあり、今もなおそう思っておりますけれども、これは個別付与でもひとまず対応できるものです。   これに対しまして、取消権のほうはどうかというと、私が偉そうに言うまでもありませんけれども、本人がした不利な取引から本人の利益を保護するためにあるわけです。これについては、しかし、本人が何をするかは事前に予測できないし、コントロールもできないわけで、本人が、あっ、行使してしまいましたというときに、どういう対応が可能かということを考えないといけないのだと思っています。これは事前に予測することが難しい上に、行われてしまった後には追加の保護を制度的に図ることができないということです。したがって、取消権を余り簡単に絞り込むと、本人にとっての不利益が著しく拡大するのではないかと思います。   ただ、そうは言いましても、その場合には何もできないかというと、そんなことはなくて、意思無能力による無効で争うことは、当然できます。事理弁識能力を欠く常況の方なので、意思無能力である公算も相当高い、だから無効で争うことも多くの場合できるでしょう。実際に意思無能力無効で争えて勝てるというのであれば、取消しによる保護は不要だと思われるのですけれども、見方を変えれば、取消権というのは意思無能力無効で争うことでは本人の保護を図れない場合がある、あるいは安定的には図れないということから、それを案じて与えるという性格のものだと思います。   そうすると、繰り返しになりますが、取消権による保護が必要な場合を事前に特定できるかというと、それは難しいのではないかと思います。難しいとすると、ではどうするかなのですけれども、今のように全面的に行為能力がありませんとまでする必要があるかというと、そうすることもあり得るとは思っているのですけれども、そうではなく、現在の保佐に関して13条1項に掲げられている行為のような、その全部かどうかは分からないのですけれども、本人にとって重大な不利益を生ずると考えられる取引については当然に取消権を与えるということを、私は考えていいのではないかと思っています。   それから、結局だから類型化すべきだという話なのですけれども、相手方の立場もなお考えておくべきであって、相手方から見ると、仮に類型を私が考えるように分けなかったら、意思無能力による無効での争いが起こりやすい場合かどうかということが分からないということになるのだと思うのです。現在の後見相当の方を対象とする類型を立てておけば、その人と直接行為をすると意思無能力無効の可能性が相当あるということが分かることになると思います。反対にそうしなかったら、相手方にとって不審に思った場合にどう対応すればよいかの判断が難しくなって、この人は判断能力に少し問題があるのではないかと思ったら意思無能力無効を恐れて取引を控えるということを、相手方は多分、自己防衛のためにするのではないかと。そうなると、判断能力が不十分だという類型に入る人全部について、もしかすると取引に応じてもらいにくくなる、相手方から広く取引を拒まれるという不都合が起こりうるのではないか。そのような事態を避けるためにも、この方についてはこの範囲について取消権がありますという類型を用意した方がいいのではないかと思っています。   取消権の必要性に関しては、今申し上げたとおり、本人の行為について事前のコントロールはできないのだから、大きな不利益が生ずることが危ぶまれるものに関しては、取消権を与える、保護者に限らず意思能力さえあれば本人が取り消したって構わないのですが、保護者に取消権を与えるという規律が適当ではないかと思っています。   代理権については、また別のところで申し上げるということで、以上が取消し関係で私が考えていることです。   15ページまでのところで、もう1点だけ申し上げたいのですけれども、15ページの4のところの法定後見以外の支援等がある場合を考慮するかということなのですが、理念的には考慮するというのはよく分かるのですけれども、法定後見以外の支援がある状況であると周りの者は認識しているにもかかわらず、本人又は本人の身近にいる人、請求権者から法定後見開始の申立てが来た、本人に同意能力があって、本人が請求しているか本人も同意しているという状況は、見方によっては結局、法定後見以外の支援の失敗なのではないかと思います。そうだとすると、そのような状況で、請求のところです、請求が出てきたときに、法定後見以外のサポートがあるよね、この権利を与える必要がないよねとそう軽々に判断していいのかどうか、私は疑問だと思っています。   ただ、ではおよそ権限付与を拒むということでいいかというと、それにはちゅうちょするところはあるのですけれども、そのようなことが起こる状況というのは、親族間ですとか本人の身近にいる者の間で本人を巻き込んで、本人の法律関係についてどうするか、生活についてどうするかの争いが起こっている状況だと思うのです。その争いが起こっている状況のところで単に請求を拒むということは、争いの渦中にそのまま本人を放り込んでおくということになるので、それが望ましいのかどうかが私には疑問に思えると。むしろ、そのようなときだからこそ、ある人を保護者に選任し、裁判所の監督下に置く方が好ましいのではないかと思います。   長くなってすみません。以上です。 ○山野目部会長 法定後見による保護が必要であるということをどのように判断するかという課題をお諮りしているところでありますけれども、佐久間委員から、必要性を判断要素に加えることはもっともであるという前提から出発して、本人が意思を表示することができる場合において同意とか請求をしていることの位置付けを更に考え込んで、この必要性判断の在り方を考える必要があるという指摘を添えていただきましたし、関連して、取消権を付与する局面について精査が必要であって、考え方の工夫が必要であるという御意見も頂いたところです。   今の御意見の全般でも結構ですし、お諮りしているゴシックの2のところについての御意見を引き続き頂くことでも結構ですけれども、いかがでしょうか。 ○根本幹事 佐久間委員の御意見を伺って、私もまだまとまり切っていないところもあるのですが、取消権のところで、仮に13条に列挙されている行為が不利益が大きいので取消権を付与しておくというアイデアを頂きました。確かに佐久間委員がおっしゃるように、特に取消権の場面においては予測ができないというところはおっしゃるとおりで、それでもやはり個別的だと考えたとして、本人同意がない場合であっても例外的に付与する場面というのはあるだろうと思います。   そうなってくると、どちらから物を見るのかという話になってくるような気がしてまいりまして、御本人の同意がなくても、非常に御本人にとって影響が大きい行為というのが、今の13条の列挙行為が全てそうかというところは少し検証が必要だと思いますが、例えば不動産取引については、これは住まいを失ってしまうかもしれないという、本人にとっての非常に重大な影響が生じるおそれがある行為だとはいえるのだと思います。御本人に影響が非常に大きいという行為類型を絞って、さらに事務の必要性があることを前提としたうえで、つまりそもそも不動産をお持ちでない方には付与しないとして、佐久間委員が言われているような考え方をとっていくということはあり得るのではないかともう少し考えたいと思っているというのが一つです。   もう一つは補充性の関係です。今回の改正の中で補充性の要件が設けられていくことの意味は、後見制度を続けていくのか、若しくは後見制度をやめてほかの制度に移行していくのか、その選択ができるようにしていく点を、この補充性という要件で明確化させていくということではないかと思っています。佐久間委員が先ほど言われたように、御本人が御親族や周辺支援者等も含めての影響を受けているケースもありますし、そうでないケースもあって、その影響というのが御本人にとっていい影響である場合もあれば、そうでない影響である場合もあるのだと思います。最終的に裁判所に御判断いただくということは、司法作用としてあっていいと思いますけれども、制度の利用について選べるようにするという意味で、この補充性という要件を位置付けていくということはできないかと考えております。 ○佐保委員 ありがとうございます。保護の必要性について、本人の判断能力は症状や周囲の環境などによっても変化し得るものであるということを鑑みれば、個別の必要性に応じて柔軟に対応できる仕組みが必要と考えます。また、法定後見以外の支援等の存在の考慮につきましては、ヒアリングを踏まえると、少なくとも複数でカバーできる支援体制の整備が求められているのではないかと考えます。そのため、法定後見以外の支援が存在しないことを保護の開始要件にするのではなく、実際の支援においては様々な支援が連携できる体制作りが重要だと考えております。 ○星野委員 まず、開始に当たっての法定後見以外の支援の存在のことをどう考慮すべきかというところは、今まで出ていたように、法定後見以外の支援が存在しないことが開始の要件、これは私もそういうことではないだろうと思っています。といいますのが、先ほど厚生労働省の方からもいろいろな取組が進んでいる報告がありましたけれども、現状において社会資源の在り方というのは地域格差が相当あると思います。そうしますと、ある地域によっては後見制度を使うしか方法がないということになってしまうと、これはおかしな仕組みになると思います。一方で現状において、終了のところの判断もそうですが、入口の開始の部分においても、今私が関わっている幾つかの地域においては、法定後見以外の支援というところの検討もしながら後見制度の必要性を判断するという事例が相当出てきています。その中には日常生活自立支援事業というものもありますが、もちろんそれ以外の支援方法も含めて検討をされているということがありますので、開始に当たっては他の社会資源の存在が考慮要素として考えられることになるのではないかと思っています。   あと1点、取消しのことが出ていたので、これは社会福祉士が関わる事案が法律家の方と少し趣が異なるということを踏まえた上での発言になりますけれども、後見類型の方が、今議論されているような本当に後見類型なのかどうかというところを考えたときに、取消しすべき契約行為というのがどのくらい行われているのか、いたのかというところはやや疑問があります。というのは今、先を予測してあらかじめ守っておくという、もちろんこれを否定するつもりはないのですが、本当にそこまで予測されて設定される取消権というのはどういう機能を果たしてきたのかということについて、少し考えなければいけないのではないかと思っています。 ○山野目部会長 星野委員に引き続きお考えいただきたい観点は、社会福祉士のお仕事の現場で見ると、それほどあちらでもこちらでも取消しをしなくてはいけないような事案が発生することはないという実態はそのとおりであって、皆さんの仕事はどちらかというとそういう取引の面よりは、身上保護の面で深刻であるとか、そういう重いお仕事を担っていただいていますから、そちらに関心の中心があるなりゆきは理解しますけれども、例えば消費者問題に向き合っている弁護士の先生方の目から見れば、ある意味でそこに持ち込まれるのは頻々と、これはもう取消権による保護が必要であるというような事案が持ち込まれてくるわけで、そういうときに意思無能力無効であるとか消費者契約法に基づく取消しなんかのほかに更にメニューがないと、やはり心配であるという声が出てまいります。全社会的な議論をしていかなければいけませんから、目に入っているところをおっしゃっていただいたところは理解しましたけれども、また引き続き議論していきましょう。 ○星野委員 すみません、少し今の点で発言していいですか。 ○山野目部会長 話したいことを、どうぞ、言いたいだけ言ってください。 ○星野委員 社会福祉士ももちろん消費者被害とか悪徳商法という事案に関わっております。私が今言いたかったのは、今後見と判断されている方の中には相当能力がある方も含まれているということが言いたかったわけであって、それは先ほど佐久間委員がおっしゃられたような、いわゆる後見相当ということではない補助、保佐の方たちに対するものと、それから、本当になかなか自分で意思表示が難しかったり、本当に判断が難しいという、本来予定されている後見相当の方というところのずれがある中での発言ですので、社会福祉士が全く取消しを検討したことがないということを申し上げているわけではございませんので、そこだけは誤解がないようにお願いいたします。 ○山野目部会長 御真意を理解しました。 ○竹内(裕)委員 ありがとうございます。私自身は取消権に関しては、今でいう保佐に相当する判断能力が著しく不十分な方と、今でいう後見に相当する状況にある方とを分けて考えています。   まず、今でいう保佐に相当するような方については、部会資料の9ページと最後の30ページ以下にありますけれども、やはり御本人が利害得失を適切にいつも判断できるかといったら、必ずしもそうではないということで、やはり取消権は必要であると考えます。ただ、今の13条というのが余りに重装備ということであれば、ここは本人の置かれた環境であるとか必要性に応じて個別に設定するであるとか、13条を選択制にするであるとか、そういったことは考えてもいいのではないかと考えています。   ただ一方、今でいう後見に相当する方については、ここも部会資料の11ページの冒頭、1行目から6行目ほどに書いてあるのですが、やはり取消権は必要であると。弁護士会の中で出た意見の中では、例えば民法債権法改正のときに暴利行為というものの条文化が見送られたと思うのですが、ああいったものがあれば救済はできると、だけれども、それがない以上はやはり、ある意味包括的といわれている取消権も必要なのではないかと私自身は思います。   あとは、実際に取消権が行使されている場面がそれほど多いかという問題は確かにあるのだと思います。ただ、取消権があるということ自体によって、消費者事件に携わっている弁護士などからは、そういった権限があることによって不当な取引を防止、予防しているという側面があるのではないかという指摘もありまして、そうしたことは視野に入れるべきではないのかと思います。   ただ、先ほど佐久間委員から、一定範囲で後見に相当する方について取消権という御意見がありましたが、それも確かにあると感じている次第です。 ○山野目部会長 暴利行為のルールを入れたかったのですね。愚痴になるから余り申しませんけれども。 ○上山委員 前回、機器の不調でいろいろと御迷惑をお掛けしました。申し訳ありませんでした。今までの議論を聞いておりまして、前回発言し切れなかった部分も関連することを含めてお話をさせていただく機会を得られればと思います。佐久間委員のお話を伺っていて、かなり個人的に考え方が近い部分と、あと、考え方が分かれている部分があるのだなと思いましたので、そこを中心にお話し申し上げたいと思います。   まず、必要性とか補充性とかの原則を諸外国で議論している、その要点というのは、本人の私的自治に対する規制、強制介入について、それを合理的な範囲内に制約していくための原理だと理解することができると思います。したがいまして、佐久間委員の御発言と関連するのですけれども、同意能力がある御本人が申立てあるいは同意をした場合、あるいは、そうした本人の同意を要件とする類型については、この御本人の制度利用に対する意思の中に必要性の要件、つまりは私的自治に対する介入の正当化というのはある程度までは解消されるのではないかと思います。したがって、この類型に関する限り、必要性の判断を重ねて厳格にチェックしていく意義は薄まるのではないかと考えています。   今日いろいろお話がありましたように、基本的に新しい成年後見の仕組みを利用するための要件として、事理弁識能力が不十分であることということが必要であるという点については、私も賛成します。その上で、ここも実は佐久間委員の考え方と重なるのですが、更に二つの、これは類型といっていいかどうか分かりませんけれども、対象者が事理弁識能力を欠く常況にある人たちなのか、そうではないのかという基準に従って、その取扱いというか対応を変えるという制度設計は、私もあると考えています。   その上で、多分ここからが佐久間委員の先ほどの御見解と異なるところだろうと思うのですが、支援者への具体的な権限の付与の範囲は必要最小限であることを出発点とした上で、具体的な必要性に応じて個別に設定するべきであると考えます。ただし、事理弁識能力を欠く常況にある人たちを対象とする類型に関しては、必要最小限の代理権をある程度定型的にワンセットの形で与えるという考え方はあり得ると思います。例えば、意思表示の受動代理についての代理権、これは取引相手方との関係でもある程度定型的に付与する必要性があるかなと思います。それから、後の話と関係するのですが、御本人に生じた取消権やクーリングオフ権、さらには御本人の意思無能力を理由とする無効主張についての代理権については、御本人の救済手段の確保のために、この類型の人については定型的にセットとして付与してもよいのかなと思っています。   もちろん、これ以外の特定の法律行為について、代理権を付与すべき具体的な必要性がある場合には、こうした必要最小限の基本代理権セットに加えて、別途、代理権を個別に付与してよいと考えます。ただし、この類型では、御本人の請求や同意によらずにパターナリスティックな介入措置として裁判所が代理権を付与するという形になりますので、必要性の判断を厳格に確認する必要があると考えます。   もう一つ、取消権についてですが、私は、極端な意見だと批判されることを承知の上で申し上げますが、事理弁識能力を欠く常況にある人については、基本的には取消権の付与は不要だと考えています。それは、先ほど既に佐久間委員から御示唆があったように、実はこの人たちが取消しをしなければいけないような重要な法律行為を仮にしてしまった、形の上でしてしまった場合には、基本的には意思無能力状態での行為であるということが事実上強く推定されると思いますので、基本的には取消権を付与せずとも、先ほど申し上げた意思無能力の無効の主張を代理人が行えば、それで足りるのではないかと考えています。   余りまとまっていませんけれども、今のところそんな感覚で受け止めているということで発言させていただきました。 ○山野目部会長 上山委員の御意見を頂きました。頂きましたけれども、ただいまの上山委員の一連の御提案と、それからその前に御発言いただいた佐久間委員から、かなりまとまった仕方で頂いた御意見について御願があります。もちろん議事録を調える際に、また両委員に中味を見直していただくと期待いたしますとともに、議事録はどうしても見出しなどを付けないでべたっと文字が並ぶ形のものになります。ここにおられる委員、幹事は、皆さんそれぞれの意味において専門家でいらっしゃいますが、専門家が聞いていても、佐久間委員と上山委員が良いことをたくさん言ったな、ところで何をおっしゃったのだっけと感ずる部分もなくはないとも思われます。私が少し愚かだから理解がついていっていないだけかもしれないですけれども。無理にとは申しませんし、そのタイミングとか方法等もお任せしますけれども、何か1、2枚の紙に調えていただいたものを部会に御提供いただけると、委員、幹事の御議論の深化に役立ちますし、それを見ながら事務当局も部会資料の今後の作成に向けて、やがては中間試案の作成に向けての取りまとめにおいて資するものが大きいと感ずることでございますから、両委員におかれまして、御無理のない範囲で御勘案いただくことがかないますれば幸いでございます。   引き続き御意見を頂きます。いかがでしょうか。 ○青木委員 必要性を要件とするということにつきましては、部会資料7の記載では、現行制度でも必要性を考慮するとありますが、しかし判断能力が三類型に分かれれば、それに伴う法的効果ということが予め類型ごとに決まっているという意味では、現行制度が必要性を要件としているとはいえないと思います。やはりそうではなくて、判断能力の程度の評価によっては何ら法律効果を発生せず、必要性の要件に基づいて権限の付与がなされるということを明記するというのが、新しい制度の中核になると位置付けていただいて、今回の改正の最大のポイントと位置付ける必要があると思っています。   その上で、必要性の要件については、佐久間委員からご指摘がありましたように、同意権・取消権と代理権では区別をして検討する必要があるとは思いますが、まず、いずれにしても必要性につきましては、ご本人さんの具体的な生活の中で、今ご本人さんがその法律行為等の事務について判断する必要性があること、そしてそのことを自ら意思決定することが難しくて第三者による代理代行が必要であること、あるいは不利益な法律行為を行うおそれがあり、第三者による同意権・取消権による保護が必要であることということを、個別にしっかり認定をしていくということが原則的な形として明記される必要があると思います。本人の同意は、本人の同意のところで議論した方がいいと思いますけれども、必要性とは別の要件として位置付けて、必要性は客観的な要件としっかり認定していくことだと思います。   具体的な必要性がどう認定されるべきかについては、法文上にどこまで書き込むのかは別ですけれども、これまでの議論でもあったように、どこまで具体的な必要性を求めるか、あるいは時間的な幅として現在の必要性か、将来の必要性かということ等について、もう少し具体的な議論をする必要があると思います。これは新しい制度ができて以降の裁判所の実務運用にも大きく影響するところではないかと思います。また、必要性とはあくまでも本人の必要性であって、もちろん申立人や相手方の必要性ではないですし、社会全体の必要性でもなく、あくまでも本人の権利擁護、本人の権利・利益にとっての必要性であることも法文上に明確にする必要があるのではないかと思っています。   その上で、部会資料7の論述は、全て補助、保佐、後見ということと照らしながら議論しているので、私としては大変に違和感があります。現行の三つの類型ではなくて、先ほどから議論のあるように、判断能力の不十分さは認定しつつも必要性で具体的に付与する法的効果を見ていきましょうということから言えば、保佐の場合はどうなる、後見の場合はどうなる、という論述は、そこではもう事理弁識能力の著しく不十分な人や欠ける常況にある人であることを前提にして議論がなされていますが、そういう議論ではないと思っています。あくまでも当該行為との関係で判断能力が十分でなくて第三者による代理とか同意・取消しが必要な場合にどう仕切っていくかと、そういう議論をしていただく必要があると思っています。   次に、同意権・取消権についてですけれども、必要性について、将来のことなので予測できないではないかというご意見がありましたけれども、実際のこれまでの実務経験の中では、ご本人さんの生活状況を見れば、多くの場合、既に何らかの失敗をしておられるとか、失敗をしないまでもそういった危険があったということがありますので、具体的にその方にとって必要な同意権・取消権があるか、それは何かを設定することは十分に可能だと思います。一方で病院や施設に入っておられて直接に取引等をする環境にない方、とか、ご本人さんの環境や性格によってはおよそご自身で誤った法律行為をして取消権が必要になることはない方もありますので、やはりここも、判断能力の程度とは区別して、ご本人さんの生活環境の中での必要性ということを、これまでであれば後見類型といわれていたような方についても、個別に判断していくべきでありますし、可能であると思います。   そうした個別の検討をしていった結果、多くの類型の法律行為について同意権・取消権を付けておいた方がいいですよねという、地域のご自宅で独り暮らしをして認知症高齢者のケースもあるとは思いますが、それはそれぞれのご本人さんの判断能力と生活環境によって、個別に評価することが可能だと思います。また、途中で同意権・取消権の追加ができないではないかという御指摘もありましたけれども、そういう意味で言いますと、代理権付与の必要性に比べてれば、取消権付与の必要性については、具体的に必要なことという必要性ではなく、誤った行為をする可能性がある人ということで、やや抽象的な必要性というのも許容されることになるのではないかと思われます。   それから、代理権につきましては、本人の同意との関係でいろいろな議論があると思いますので、そちらでお話ししたいと思いますが、基本的には代理権についても、従来は後見類型とされた方々、つまり判断能力がかなり低下しているのではないかと思われる方についても、先ほども言いましたように、日常的な年金を出すぐらいのことはできるけれども不動産売買はできないというふうに個別に必要性を認定していくことが可能ですので、全件を個別に認定するという仕組みにすることによって、類型を分ける必要性はないと思っております。   最後に、補充性につきましては、大きな観点で言いますと、権利条約12条4項が必要最小限度の措置としての成年後見制度を含意している関係で言いますと、必要最小限の利用のためには、必要性だけではなくて補充性の観点というのは重要だと思いますし、諸外国でもそういった観点からクリアリング等の制度によって、あらかじめ後見制度が必要かどうかを第三者機関にチェックさせるという制度もできていることから考えますと、日本でも、将来的には補充性というものを独自の要件として認定できる仕組みにしていくことを目指す必要があるとは思っています。   そういう意味では非常に大事な理念であり要件であると思いますが、今回の改正の中では、開始においては、必要性の中に、第三者による代理・代行が必要だということとともに、他の方法によってはそれを賄えないことということも必要性の要素として検討するもの、と位置付けていただきまして、そのことを終了時においては、必要性がなくなったかどうかの判断の中で、他の方法によることができるかということを考慮して必要性の消滅を判断できると、そういう仕組みにすることによって、補充性の観点を入れて行くことが重要であると思います。   実際に補充性が審判において問題になりますのは、裁判所が自ら他の方法を探索するわけではなく、例えば、本人に身近ではない親族が申立人となって後見制度の申立てをしたときに、実際の生活を見ると、ご本人は後見制度以外の方法で、例えば日常生活自立支援事業を使っていますとか、施設で制度化された金銭管理によって生活をしています、ということが明らかになることもあると思います。そういう明らかになったときにそのことを考慮するという範囲で、補充性を開始時においても検討することになるのではないかと思っています。 ○山野目部会長 青木委員から御意見を頂きました。一つ申し上げますと、部会資料が後見、保佐、補助だとこうなりますねという書き方をしているところは、現在の三つの類型を骨格は固く守るということを申上げているつもりではなくて、まずそこから出発して、いろいろ思考実験を重ねていって、新しい制度を構想しましょう、という議論を促す趣旨で描いております。青木委員におかれてもそのことは御理解いただいているものと私の方でも拝見しております。どうもありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。この2の法定後見による保護が必要であること等について、大きく二つの論点があるところの御議論を頂きました。一番めの論点は、いわゆる必要性の問題でありまして、これについて4点申し上げますが、1点めは個別の事項を想定して、具体的に保護の必要性を判断する考え方を可能な限り法制上明瞭に位置付けるべきであるという考え方については、皆さんの多くの賛同がありました。このことを確かめておきます。   2点めといたしまして、個別の事項を想定して、という際に、効果も関連させて考えたときに、代理権の話につながっていくか、取消権の話につながっていくかでは、随分その必要性判断の在り方も変わってくる側面があるかもしれないという注意喚起を頂いたところであります。   3点めといたしまして、保護の必要性のあるものを判断する際に、本人が同意ないし請求しているという契機を捉え、それにかなり自己完結的な意義付けを与えるべきだという見立てと、いや、それはそれとして、また必要性ということは独立に判断しましょうと考えるかという考え方が対照的に述べられたと思います。これは今後検討を深めていく必要があります。   4点めとして、従前具体的な保護の必要性を判断する考え方という問題提起を致しますと、それは社会的な費用を要する事態となるから慎重に考えましょうという指摘もされてきたところでありますけれども、今日の御議論においてはその観点の指摘が見られませんでした。もちろんその観点はどうでもいい話になったということではないだろうと思いますから、引き続き注意を払っていくことになりますけれども、仮にその観点があったとしても、それを克服し、その論点と対話をしながら、いわゆる必要性なるものを考えていこうという方向の御議論を頂いたと理解を致します。   もう一つ論点がありまして、いわゆる補充性といわれてきた問題でございます。他の支援等の不存在という側面をきちんと見ましょうということを必要性の一つの要素とする考え方については、多くの委員、幹事から賛成の御意見を頂いたところであります。お話を伺っていると、弁護士会におかれてもこの要件の位置付けについて議論を深めるべく議論の努力をしていただいたとお見受けしました。御尽力に感謝いたします。その開始の要件のところについて正面から、取り分け一つの独立した要件とする考え方というものが必ずしも適切なものではないというところまで議論が進んできていると感じます。それとともに、開始の場面においてもなお検討の要素としての位置付けは与えられるものであるとともに、取り分け終了の場面において、根本幹事から的確に整理していただいたように、他の支援が存在することを意識し、それとの選択可能性について十分に注意をするということを今後の制度運用に対して要請していくということが明瞭に指摘されましたから、このことを受け止めてまいりたいと思います。   このように議論が深められてきたことを受け止めて、裁判実務の観点から、これは消極的事実の証明を課するものであるとか、裁判所の認定判断が非常に困難になるという御心配は本日の御議論では聞こえませんでした。これもまた引き続き少し心配はしていかなければいけないですけれども、議論がある程度進んだことによって、裁判実務の方に御心配をお掛けする度合いというものが相対的に軽くなっているではないかと思いますけれども、なおどうであろうかということについては注視していかなければいけない側面があります。   本日冒頭に厚生労働省からの御発表を頂いて、この他の支援の存在、不存在ということについても社会福祉の方の制度の構想として努力が積み重ねられているというところを我々は知りました。ああいう動きがあるからこそ、この要素の位置付けについて一層考えていかなければいけないということが一方で言えますとともに、少し心配である観点は、こちらでこの議論をどんどんやってしまうと、他の支援があるという雰囲気になってきますが、今日、火宮幹事のお話を聞いていただいてお分かりのように、社会福祉は社会福祉で各地域のいろいろ難しい課題とそれぞれ向かい合いながら、この方面の工夫、整備を進めているところであって、余り民事法制がこう変わるからそちらはきちんとやらなくてはいけないですよというふうに、そこに圧を掛け続ける形になるなりゆきも少し困ったものでありまして、福祉というものの育て方というものには、またそれとしての悩みがありますから、そちらもよろしくお願いしますよということは引き続き言い続けていきますけれども、やはり厚生労働省の方の検討会の営みの積み重ねをにらみながら、こちらとしても論議を深めていくというお話になると考えられます。   続けて、「3 本人による請求又は本人以外の者の請求による場合の本人の同意」の部分について、お諮りをします。この部分について事務当局から資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料7の15ページ以下、第1の「3 本人による請求又は本人以外の者の請求による場合の本人の同意」について御説明いたします。   一読目の審議では、本人の請求又は同意を要件として法定後見による保護を開始する仕組みを支持する意見がある一方で、本人の同意があるといえない場合であっても法定後見を開始する必要がある場合があることについて、これに反対する意見はなく、そのような場合における法定後見の開始について更に検討する必要があると考えられます。   そこで、まず16ページの2では、法定後見の開始における本人の意思の考慮、本人による請求及び同意をするために必要な能力等について、現行法の規律を整理しています。その上で、19ページからの3では、現行の補助、保佐及び後見の各制度について、法定後見の開始に当たっての本人の同意等に関する考え方を整理し、4では、本人が法定後見の開始に同意をするために必要な意思能力を有するとは認められない場合における法定後見の開始について取り上げています。これらを踏まえ、法定後見の会社において考慮する本人の同意等について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 説明を差し上げた部分についてお諮りをします。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。まず、成年後見制度にとって本人の自己決定の尊重は重要な理念であると考えていますので、法定後見の開始に当たっては、まずは本人の請求又は同意があることを要件とするべきだと考えます。一方で、法定後見は本人の権利が侵害されているときにこそ本人を保護する制度という側面も持っていますので、特に本人の生命、身体、財産に大きな危険が及ぶようなケースでは、例外的に本人の請求又は同意がなくても法定後見による保護が受けられるような制度とする必要があると考えています。その場合の開始の要件は、本人の請求又は同意がある場合と比較して厳格に判断されるべきと考えています。   次に、本人の同意と意思能力との関係については、現行法と同じように、意思能力がある場合には同意能力もあると解釈すべきと考えていますが、同意能力がない場合には、本人の請求又は同意にはよらず、家庭裁判所が本人を保護する必要性を判断した上で法定後見を開始するような制度とする必要があると考えています。 ○野村幹事 ありがとうございます。本人の自己決定の尊重の観点から、法定後見の開始に当たって、原則として本人の請求又は本人の同意があることを要件とすることは必要と考えます。   一方で、本人が意思能力を有しない場合にも法定後見が必要な場合があることは、実務上経験しているところです。遷延性意識障害、重度の知的障害、重度の鬱状態などにより、同意する意思能力がない方であっても、周囲から経済的搾取を受けていて被害回復が必要だったり、身体や生命を維持するために財産管理や身上保護における幅広い支援が必要であったり、法定後見を利用しなければ本人の権利が守られないケースというのはあります。こういったケースにおいて、本人の同意がないからといって法定後見が利用できないとするのは、かえって本人の権利を害することになります。後見人が付くことで本人の権利が守られて生活が改善するという経験は、後見業務を行う者であれば誰しも経験があることかと思います。一方で障害者権利条約の要請から、本人の同意がない場合に安易に法定後見の利用を認めるという立場もとり得ないところです。   そこで、本人の保護の必要性と本人の意思の尊重との調和の観点から、一読目で述べたとおり、本人の請求又は本人の同意がない場合であっても、権利侵害が既に発生しているような本人保護の必要性が非常に大きい場合には、本人にとって見すごすことができない重大な影響が生じるかどうか、必要性についてより厳格に審査することによって、法定後見の開始を認めるべきと思います。 ○根本幹事 3点申し上げます。まず、本人の請求や同意について、部会資料でもその法的性質等について検討する必要があるということは触れられていると思いますけれども、併せてその認定ですとか、若しくはその能力というもの自体が何であるのかということについて、まず前提となる議論をきちんとしなければいけないのではないかと思います。   例えば、本人の請求ということは、家庭裁判所に対する申立ての手続をする能力ということになろうかと思いますので、ここは手続能力ということで異論はないのではないかと思います。現行でも、例えば後見類型における本人申立ての後見というのもあるわけですけれども、その際には調査官調査が保佐、補助の場合と比べて、必須ではないものの、多くの家庭裁判所においては、後見類型の本人申立てにおいて調査官調査を行い、本人の申立て能力というものを審査されていると承知をしております。   そうなってくると、この本人の請求における手続能力というのは、当該法律行為を行う意思能力とは違った概念と理解をされていると思いますし、そこにおいて、本人の同意というときの同意能力というのも、やはり当該法律行為を行う意思能力とは別のものと理解をされるのではないかと思っています。この同意能力というのを手続能力と整理をしてよいかどうかというところは、少しほかの先生方の意見も伺ってとは思っていますが、申立てをする能力とはまた違う同意能力という手続能力というものがあると仮に考えるとすると、繰り返しになりますが、当該法律行為を行う意思能力とは違うと理解ができるのではないかと思っています。   2点目は、先ほどの佐久間委員からの御意見とも関係するところですが、本人の請求や同意があり、判断能力の低下があるとしても、やはりその事務の必要性は見ていくべきだと考えています。一読目の議論でもありましたけれども、事務の必要性がないからといって却下をするということは現行の実務上もないわけですが、ただ、審理の段階で再検討を促されるということはあるわけですので、本人の請求や同意があったとしても、事務の必要性というものはしっかり要件として判断されるべきだと思います。   3点目は、先ほどの佐久間委員からの御指摘との意見の相違として明確にしておきたいと思いますが、判断能力の低下があり、本人の請求や同意があったとしても、やはり保護の必要性というものもしっかりと個別に見るべきだと考えています。その理由は、一つは、特に同意というものは、一読目でも星野委員からの御指摘であったように思いますが、非常に曖昧なもの、若しくは認定が難しいもの、ファジーな部分というのがあるようには思います。本人の同意があるからということだけで保護の必要性を個別に見なくてよいということにはならないというのが1点目です。もう一つは、今の指摘と重なるかもしれませんが、判断能力の低下が見られる方は他者の影響を非常に受けやすいという性格を、高齢者の方であっても、障害特性がある方であっても、お持ちなのではないかと感じるところもあります。御本人の同意が、果たして本当に御本人の同意と認定してよいのかというところを慎重に考えていくという意味でも、保護の必要性というのは見るべきだろうと思います。   そうなってくると、やはり保護の必要性というものとは独立した要件として、本人の請求ないし同意というものをきちんと法制化した上で、あとは、それを欠いている場合に、どういう場合に例外的に本人の請求や同意がなくても開始することができるのか、代理権若しくは同意権、取消権を付与することができるのかということを検討していくということになるのではないかと思います。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。ありがとうございます。   根本幹事のお話でも明らかにしていただいたことでありますけれども、二つ申し上げますと、一つは、ここで述べている請求にせよ同意にせよ、ですけれども、成年後見制度の法的効果の基本的な部分を理解して認容する意思のことを問うているものでありまして、そういう意味で法的な概念であります。それと意向とは異なり、ここの議論がどうなるかにかかわらず、今まで本人情報シートなどで、成年後見制度というものをあなたは説明を聞いて理解しましたかというような点をチェックするという、あの実務は変わらず、そこのところをいっているのではないということを今、根本幹事の方から確認していただきました。   それと、今まで御発言いただいたところの範囲では、法的効果意思を表示することができると認められる場合において、本人が異議を述べて明確に拒んでいるときには、もう成年後見制度を用いる可能性はないという御意見で大体一致を見ていると受け止めてよろしいものでしょうか。その辺りも含めて、何かお気付きのことがあったら委員、幹事からの御発言を頂きます。いかがでしょうか。 ○佐久間委員 今の部会長が最後におっしゃった点は、私はそのとおりだと思っています。本人に同意能力なるものが存在する場合に、現在ですと、本人が拒んでいても保佐開始の審判がされますと、同意権と取消権が一定の行為について当然に保護者に与えられますけれども、今後は、本人が明確に拒んでいるときはそのようなことを認めないということは、私はそう考えています。 ○山野目部会長 民法の大家でいらっしゃる佐久間委員に少しお教えいただきたいですけれども、そうしますと、御存じのとおり民法で議論しているいろいろな論点の中に、本人が自分の体を傷付けようとする行為を止めるのが事務管理の要件を充たすかという論争があって、御高承のとおり学説が分かれているわけでありますけれども、あそこでいろいろな議論が慎重さを伴って行われているのと、局面が異なるにせよ相通ずる発想があって、本人がこのまま見ていると客観的にはどう考えてもかなり酷な状況になるけれども、意思能力がある状態で自分は嫌だと言っているときには成年後見制度は用いないという政策選択の方向に私たちは向かっていると受け止めてよろしいでしょうか。 ○佐久間委員 それは、私は本心では反対なのですけれども。だからこそ事理弁識能力を欠く常況にある方についてしつこく言っているのですけれども、そうでない方についても本心は反対なのだけれどもと言ったところを貫き通すとすると、それこそ権利条約との関係で、全くもってうまくいかないのではないかという気がするので、今はそのような立場をとっています。今後も変えるつもりは多分ないです。多分世の中が納得するような制度設計ができないのではないかと思っているからです。 ○山野目部会長 議論は最終的には収れんしてまとめていかなければいけないですけれども、おっしゃりたいことを無理に抑えて議論が進める議事は公共のためによい成果を生みませんから、私は今のところを佐久間委員におっしゃっていただきたくて今、御発言を促しました。そこはやはり、恐らく佐久間委員も本心を抑制しながらこちらだねとおっしゃっているところが今の御意見であると思いますが、余り性急に決め付けないで、もう少し議論を進めていく方がよろしいかもしれません。佐久間委員、御発言をお続けください。 ○佐久間委員 ありがとうございます。その前にまたもう一つだけ申し上げておくと、本心はというのは、資料のどこかにあったように、事理弁識能力を著しく不十分な人と、事理弁識能力を欠く常況の人の区別というのは、やはりすごく難しくて、欠く常況に非常に近い人については、現在の保佐のある一部、要するに強制的な同意権と取消権の付与はあってもいいのではないかと思っているというのが本心だというところです。ただ、それを今まとめて言うことができないので、それだけ少し補充して申し上げた上で、元々申し上げようと思っていたことを申し上げます。1点だけです。   それは、19ページ、特に20ページからある、事理弁識能力を欠く常況、今でいうと後見の対象者について、どういうときに本人の同意を得られないから手続開始していいかということなのですけれども、そのうちの、これを現在でも支持される方がいるのかどうか分かりませんが、緊急事務管理のときに類する状況だったらいいのではないのという考え方があります。私はこの考え方では足りないのではないかと思います。なぜかというと、緊急事務管理に相当するような事態には至らないというときに、現在の保佐、補助の対象者、要するに事理弁識能力を欠く常況にあるとまではいえない人は、自分の判断で、あるいはほかの方の請求に自分で同意をして自己の保護を図ることができるのに対し、もしこの考え方を採りますと、現在の後見相当の、ある意味ではより保護が必要な方について、この事態に至らないとおよそ保護を与えないというのは、法制度として矛盾というとおかしいけれども、余りにもバランスがとれないのではないかと思っています。   ではどうするのかというと、結局のところ、全く必要がない、認められないことについて本人以外の方が制度の開始を申し立ててきたというときには、退ければいいと思いますけれども、申立てについて理由を述べるはずであり、それがそれなりに相当であれば、本人保護の必要があるということから、判断能力を欠く常況にある方については、後見というかどうかはともかく、保護の制度の開始を認めるべきではないかと私は思っています。 ○山野目部会長 承りました。 ○加毛幹事 ありがとうございます。本人の同意は今後の成年後見制度を考えていく上で重要なポイントである一方、それを絶対視できないということについて、3点ほど申し上げたいことがあります。   第1点は、先ほど2のところで山野目部会長がおまとめになった第3点に関わり、また、佐久間委員の前に根本幹事が発言されたところにも関係します。法定後見開始の判断において、本人の同意は重要であるものの、本人の同意に自己完結的な意義付けを与えることはできないだろうと思います。根本幹事は、同意が本人の真意に基づくものであるのかという問題を指摘されました。他方、仮に同意が本人の真意に基づくものであるとしても、法定後見制度が取消権や代理権の付与という効果を伴う以上、別途、法定後見制度による保護の必要性が根拠づけられなければならないと考えます。まず取消権との関係では、本人がした法律行為が事後的に取り消されることにより、第三者に不利益が及ぶ可能性があります。また、代理権との関係では、本来であれば本人が代理人をコントロールして自分の代わりに法律行為をさせるべきところ、法定代理においては裁判所等の外部のリソースを使って代理人の監督を行うという側面があるのだと思います。そうしますと、本人が真意に基づいて法定後見制度を利用したいと思っていたとしても、それだけで法定後見を開始してよいとはいえないはずです。本日の資料でいえば、1における本人の判断能力の程度や、2における保護の個別的必要性によって、法定後見開始の正当性が基礎づけられなければならいのだろうと思います。   第2点は、根本幹事が指摘された、請求又は同意をするために必要とされる能力の意義についてです。この点については、根本幹事の御発言について、山野目部会長が指摘されたところに尽きているのかもしれず、そうであれば余計な発言となります。まず、後見開始の審判などについて、本人が請求・申立てをするために必要とされる能力と、同意をするために必要とされる能力とは、別個に観念できるように思います。しかしながら、いずれについても、本人が後見開始の審判などにより発生する法的効果の意味を理解できることは必要であると考えられます。同意をするために必要とされる能力は、まさにそのようなものであると思います。その上で、後見開始の審判の申立てをする能力については、有効に手続を行うための能力が要求されるのかもしれません。ただ、請求や申立てをする能力に関しても、審判の結果としていかなる法的効果が導かれるのかを理解できることが要求されるように思います。   そのことを前提として、第3点です。資料の3では、現行法を前提として、本人の請求又は同意の可否について、判断能力を欠く常況にあるか否かが基準とされています。しかし、以上に述べてきたところによれば、より適切な基準は、後見開始の審判などに基づいていかなる法的効果が生じるのかを理解できるか否かであるように思います。そのような能力を有する本人については、本人の請求又は同意が法定後見を開始するに際して十分に考慮されるべきと思います。他方、そのような能力を有しない本人についても保護の必要性はあり、あるいは保護の必要性が高いともいえます。そこで、そのような本人について法定後見を開始する場合には、他の委員の先生方が御発言されたところと重なりますが、法定後見制度の開始が本当に必要であるのかを厳格に判断する必要性が高まるということになるのではないかと思いました。   ありがとうございました。 ○山野目部会長 二つに整理しておっしゃっていただいたところ、いずれもよく理解いたしました。ありがとうございます。 ○上山委員 ありがとうございます。今までの議論の屋上屋になりますので、できるだけ手短にお話しいたします。現実問題として、本人の同意がない場合というのは基本的に二つに場合が分けられると思います。   一つは、後見相当の人のように同意能力がないので同意ができないという場面で、この場合には障害者権利条約との関係性、これとの整合性は問題になるかもしれませんが、私は個人的には弱いパターナリズムの観点に基づいて、むしろ国家の責任において保護のために必要最小限の範囲で介入をすべきだと考えています。   もう一つが、判断能力が不十分であるということを前提に、同意能力は認められるけれども、本人が支援拒否をしている場合、セルフネグレクトケースのような場面です。正に一番問題になるのは、この場面において強制的な保護の開始という本人の私的自治に対する介入を認めるべきかどうかということになると思います。私はここは非常に悩んでいて、今でもすっきりはしていないのですが、ご本人に不十分ではあるけれども、事理弁識能力があるという類型について、これをご本人の意思的関与を契機として利用を開始する制度であるとして筋を通すのであれば、この場面については介入しないという方向で議論を進めていく形になるのかなと思っています。ただ、現実の支援の場では、多分ここにこそ取消権とかの需要があるかなという思いもありますので、もう少し皆さんの意見を聞いて慎重に考えてみたいと思います。 ○竹内(裕)委員 今だんだん19ページの4の議論に差し掛かってもいると思えたのですけれども、19ページの4のところで、この部会資料では、判断能力に欠く常況にある本人について、開始について述べられているのですが、ここを見たときに、今でいう後見相当だけの方ではなくて、判断能力が著しく不十分という、今でいうところの保佐に相当するような方についても、本人が利害得失を適正に判断したとはいえない意思、つまり、先ほど部会長がおっしゃったような経済的合理性だけではなく、ご本人の価値基準を踏まえても余りに合理性を逸脱しているという場合には、本人の同意がなくても開始することを議論をしなくてよかったのかと思っております。   また、弁護士会の中で出た意見として、本人の価値基準を踏まえても余りに不合理だというような場合、それでも尊重するのだという価値観が民法に過度に入り込んでしまうのは心配だというような意見もあったところです。これに関連して、先ほど加毛幹事がおっしゃったように、同意というものをもう少し明確にというか、確固たるものにできれば、同意を原則としつつ、その例外の要件を議論するのでよろしいかと思うのですけれども、同意というのが明確にならないものであったら、同意を開始等の要件にすること自体どうなのかという気もしないでもありません。改正法の理念には反してしまうのかもしれませんが、本人が拒否している場合本人の意思を原則としつつ、それを例外とすることは、同意できない人、拒否をする人、というように同意能力の有無以外のことでカテゴライズといいますか、人によって差別をすることにもつながるという側面もあるように思います。まとまっていませんが、そのような感想を抱いております。 ○山野目部会長 弁護士会の先生方が様々な角度から悩んでいただいた御様子をよく理解をすることができました。 ○星野委員 ありがとうございます。社会福祉士会でもこのことについてはいろいろ意見が出ておりまして、本人の同意がないけれども必要性があるケースはやはりあるということは出ています。安易に同意していると捉えることが逆に問題になるという考え方もあります。先ほど野村幹事がいろいろな例示を挙げられましたけれども、明確に意思を表出され意思疎通ができる方が、本当に本人が自ら危険になる行為を止められないというケースは、やはりあるのです。本人の意思に沿った支援ではなく本人を保護する必要がある場合は、現行制度においては法定代理人が裁判所の審判を得て本人に代わって施設の入所契約を代理をするなどして本人の契約等を取消しするという形ではなく、結果として施設に保護される、そういうことが今現実に行われていると考えます。   ただ、今そのことで一番気になっているのは、それが見直されることなく延々と続いてしまうということなのです。ですから、今の民法改正の議論で大事なことは、一度決まったものもきちんと見直しをして、状況の変化に応じて変えていくということだと思っていますので、やはりこれは開始のところもそうですが、途中できちんと見直しをされるということも併せた議論にならないといけないのではないかと思っています。   本人の同意というのは、部分的に切り取って同意をしている、していないという見方にならざるを得ないと思うのです。それがずっと継続していることの方が、むしろまれでありますので、最初は拒否していた方が、いろいろな支援を受けることによってある程度同意ができる部分を共有できるということも経験をしています、逆の場合ももちろんあります。ですから、やはり固定化した状態像で捉えない、その人の状況の変化に合わせて柔軟な制度としていくというところからも、併せて考えていく必要があるのではないかと思っています。   あともう1点、今回の資料で18ページのところで出ている意思と意向の区別、ここが実はとても重要ではないかと思います。福祉関係者は、やはり法律上の意思という言葉を見たときに、どうしても意向という捉え方をしていることが多いと思うのです、意思能力という捉え方で。これは厳格に違うというところをしっかりと理解をしないと、いつまでたっても意思という捉え方が異なった形で議論がどんどん進んでいくので、この整理というのが法律家だけではなく、福祉関係者だけでもなく、制度を利用する当事者、一般の国民というのですか、市民の方も分かるような言葉の整理というところも、少しどこかでしないといけないのではないかと思っています。 ○青木委員 まず、本人の請求及び同意につきましては、公的な介入をする正当化根拠として、一つの重要な原則とするというところは揺らがないのではないかと思っています。また、本人による請求という、本人が申立ての手続や、それによる審判の効果も分かった上で自ら申立てをするということと、親族や市町村長などの第三者が申立てをしてそれに対する同意をするということには、レベルの差があるのではないかという点も検討する必要はあるだろうと思っています。   この本人の請求もしくは同意の能力というのは、部会資料7に書かれていますような意思能力とイコールのものという考え方は、違うのではないかと思っていまして、そういう意味で新しい制度においては、意思能力若しくは事理弁識能力とは別の本人の「同意能力」というものをきちんと位置づける必要があるのではないかと思います。例えば、不動産の売買契約をする意思能力がない方であっても、裁判所に第三者が選任されて自分の自宅を売却する代理権を付与されるということについては理解ができて、それについて同意を与えるということは十分にあり得ることです。裁判例等でも、売買契約の意思能力と弁護士等の第三者に代理をする意思能力は別のものであるというものもあります。このように、その行為について意思能力があるかないかと本人の同意能力があるかないかとはイコールではないという整理をする必要があると思っています。そうしますと、従来の補助、保佐と後見という類型によって、当然に同意能力の程度が分かれるというわけではなく、やはり同意能力は、入口のところで検討する本人の判断能力の程度とは別に、同意に関する能力として確認をする必要があるものになるのではないかと思います。   それを前提にして、本人の同意能力がある場合についても、必要性というのは個別に検討することが客観的要件として必要だと思いまして、それは後の議論になりますが、終了の判断において、本人の同意の撤回があったら直ちに終了させるかということとも関係しますが、そうはならないと思っておりまして、もしそこで同意の撤回があれば制度も終わるとするのであれば、それはそれで一つの立場になりますけれども、やはり必要性の有無というのが制度の利用の終了か継続かの一番重要なウエートを占めるとなれば、開始の段階においても本人の請求や同意というものと必要性というのを区別して認定をしなければ、終了時の判断にも影響を及ぼすということにもなると思います。   それから、本人の同意能力がある場合の同意と拒否、本人の同意能力がない場合の拒否あるいは曖昧な反応ということについては分けて考えるべきであり、本人の同意能力がない場合で、同意がえられない場合、あるいは同意を拒否した場合には、必要とされる代理権や同意権・取消権を付けるということができることはやむを得ない、必要だと思っています。その場合の必要性の要件は、同意権・取消権については、行為能力の大きな制限になりますので、切迫した、緊急事務管理までのものに限るかどうかはともかく、先ほどの例でいいますと、ある程度予測できる切迫性、目の前で失敗したことがあるので、もう1回だまされるかもしれないというような具体的な必要性が求められるのではないかと思います。代理権につきましては、そこまでの切迫性は求められないと思いますけれども、したがって緊急事務管理の要件というのは狭すぎると思いますが、しかし一方で、本人の同意なく公的な介入をするということから言いますと、本人の生活に具体的な支障が出ているというレベルでの重大性、本人の生活への重大な影響ということを要求する必要があるのだろうと思います。   この点で現場実務で一番悩ましいと感じますのは、虐待事案とセルフネグレクト事案と、それから活発にご自分であっという間に一月の生活費を使ってしまう人、この三つではないかと思います。ご本人さんが明らかに意思が表明できない方の場合には、いずれも生活に困窮する重大性があるとして代理権を付与できると思いますし、同意権・取消権も付与できると思いますが、ある程度の判断能力はあって、事態を理解した上で拒否される場合に、それでもパターナリズムに基づき制度を発動するべきかは絶えず悩ましいところです。今であれば保佐とか補助類型に相当する方については、拒否されれば後見制度は使えずに、他の支援方策で四苦八苦をしているというところです。ただ、今回の改正で、そうした層について、よりパターナリズム発揮して代理権を付与できるようにするのかというと、やはりそこは難しいのではないかと思っていますので、いずれにしても現場としてはボーダーラインが難しい状況は続くということは承知の上で、先ほどのような整理が必要であると思っています。 ○山野目部会長 今、山城幹事を指名して、その次に向井幹事にお願いしますけれども、その前に青木委員に少しお考えいただきたいこととして、同意能力と意思能力が異なるという青木委員の御意見は説得力があって、そうだろうと承ったとともに、それは結局、成年後見制度の基本的な効果を受け容れるということを理解しているという意味で、その効果に関する意思能力ではありませんか。何とか能力という言葉を区別してたくさん議論したい、必要だというお考えは分かりますが、ここの議論は皆さん知っているのとしても、一般の人に出来上がったものを説明していかなくてはいけませんから、何とか能力というものをたくさん説明しないといけないようになることは、私はこれを教壇で説明しなくてはいけないかと思うと憂鬱になってまいります。少しその辺の概念整理は、今日でなくても結構ですから、引き続き少し一緒に考えていきましょう。お願いします。 ○青木委員 座長のご示唆はたいへんよく理解いたします。事理弁識能力いう概念と、民法の個々の法律行為に向けられた意思能力と、この制度の利用への同意に向けられた能力というのを区別をしっかりして整理していきたいと思います。 ○山野目部会長 了解しました。 ○山城幹事 大きく分けて三つのことについて発言させていただきます。   一つは、なぜ同意が必要なのかという問題に関わることです。根本幹事や加毛幹事から御発言があったことや、さきに問題になりました判断能力とも関わりますが、同意があったかないかは、必要性があるかどうかの判断からは切り分けて議論すべきであると思います。同意があった、ない、あるいは拒絶されたといった判断は、取消権や代理権を与える必要性があるかどうかに先立って、成年後見の開始を妨げるという位置付けのものではないかということです。   その上で、加毛幹事から御発言がありましたけれども、この点については、同意があれば成年後見制度を始めることができるというものではないと考えております。その理由につきましては、加毛幹事がおっしゃったことに全く賛成です。そうしますと、同意の有無が成年後見の開始を正当化するというのは、いわば消極的に、つまりそれが拒否されている場合には成年後見を開始することができないという意味で作用するものではないかと考えます。つまり、判断能力が低下していることが成年後見の開始を積極的に正当化するのに対して、本人の反対がないこと、より正確には本人の反対があることが、成年後見の開始を妨げるという意味で消極的に作用する事由になると、そのように整理することができるのではないかと考えました。以上が1点目です。   2点目として、同意の有無を問題とするときには、何について同意をするかが重要ではないかと考えます。意思決定を支援するとか、あるいは本人の意思を尊重するという理念を重視した成年後見制度を目指すということであれば、抽象的に成年後見制度を開始することについての同意で足りるのか、あるいは、代理権であったり、取消権であったり、どのような保護が適用されるかについてまで同意の射程が及ぶ必要があるのか、さらには、誰に対してその権限が付与されるかについても同意が必要なのかといった点を検討する必要があるのではないかと感じます。青木委員からの御発言に、本人自身が申立てをすることと、他者がした申立てに対して本人が同意することとは、レベルが違う問題ではないかとの御指摘があったかと思います。その点に関わるのですが、同意の位置付けに関して、ある一定の保護が適用されることを望まないという意思を表明する機会があることが重要なのだとしますと、本人の同意があったことを積極的に要件とする必要はなくて、拒否されていないことを要件とすれば足りるようにも思われます。その際に、何について拒否するのか、つまり抽象的に後見制度が開始されることなのか、それともその内容ですとか、誰が後見人に選ばれるかといったことも対象となるのかが問題になるのではないかと思います。以上が2点目です。   3点目は、同意能力についてです。仮定を重ねる形になりますが、同意能力の有無によって手続が変わるというように、つまり同意能力がない場合にはパターナリスティックな干渉をすることができるという制度設計をするとしますと、後見開始の審判では同意能力の有無が先決問題とされることになるのではないかと思うのですが、そういうイメージで捉えてよいのかをお尋ねしたいです。   なお、同意能力と意思能力との関係につきましては、山野目部会長から御整理がありましたけれども、部会資料の2ページにありますとおり、意思能力は個々の法律行為の性質及び行為時における各人の具体的な判断能力に着眼するものであることからしますと、同意能力というのも、同意という法律行為に関する意思能力にほかならないのではないかと理解しております。 ○山野目部会長 御意見を承りました。また、お尋ねを含めていただいた部分は、引き続き関係する委員、幹事において考えていただくことにいたしましょう。ありがとうございます。 ○向井幹事 先ほどの判断能力の議論において発言しそびれた部分がありますので、その点にも触れながら発言させていただきます。   まず、判断能力についてです。我々としては、代理権を付与する場合、御本人が自分では法律行為をすることができず、第三者によって法律行為をする必要があるという程度の判断能力であるということを前提に、代理権を付与することを念頭に置いていたのですが、本日の前半の議論を伺っていると、必ずしも第三者が代わって法律行為をしなければならないという程度の判断能力ではなくても、支援の必要性があれば、御本人が仮に自分で法律行為をすることができる場合であっても代理権を付与することを前提とする御発言もあったような気もしております。本人自身では法律行為をすることができない場合に代理権が付与できるのか、そうではなく、支援が必要であるという程度であれば代理権が付与できるのか、どちらになるのかによって、当然、本人に必要な判断能力の程度や裁判所が何を認定、判断するのかが変わってきますので、この点について、今後も意識的に議論いただきたいと思っております。恐らく、この点の議論によって、同意の捉え方や何について同意が必要なのかも変わってくるとも思っております。   次に、同意についてです。裁判所としましては、先ほど山城幹事からの御発言がありましたけれども、同意の有無によって手続が分かれる、又は効果が分かれることになると、同意能力の有無や、真意に基づく同意なのかというような点をまず認定してからでないとその先に進めないと思っております。同意能力の判断は、医学的な知見を前提にするものになりますので、同意能力の有無が争われる事案では、認定判断が必ずしも容易ではない場合もあるのではなかろうかと思っております。実際に、現状では、後見でも保佐でも補助でも、家裁調査官が出張して御本人と会って話を聴くなどしていますが、家裁調査官自身も医学的な知見等があるわけではありませんので、同意能力の有無をその場で判断することなどは到底できません。裁判官としては調査報告書を読んだ上で判断をしますけれども、調査報告書の情報だけで同意能力の有無を判断できるかについては、かなり難しい部分もあろうかと思います。さらに、鈴木委員からも前回会議で発言がありましたとおり、一時点で同意があるかどうかということを確認したことをもって、本人の真意に基づく同意といえるのか、裁判手続で確認された同意にどこまでの意味があるのかという問題意識があります。同意の有無や同意能力の有無を決定的な要件として手続を組むことについては、裁判所として非常に危惧感を覚えるところでございます。   部会資料18ページに意思と意向の区別について記載されています。裁判所としても、もちろん意思も考慮はしておりますが、実際に御本人に会って話を聴く際には意向も確認しております。そうしますと、同意能力があり、法的効果をきちんと理解した上での同意が必ず認められないと手続が始められないということなのかどうかについては、裁判所としては、御本人の意向を考慮要素の一つとした上で、意向を確認するという建付けでも十分に機能するのではないかと思っております。そして、意向についても、賛成の意向があれば、もちろん開始する方向での検討になりますが、賛成の意向を積極的に表明していなければ開始できないというものではなく、少なくとも開始することについて本人が反対の意向を表明していないのであれば、意向の確認としては足りるのではないかという考え方も十分あり得るのではないかと思っております。もちろん、御本人が反対の意向を表明している場合には、法定後見による保護の必要性があるのかも含めて審査しなければならないとは思っておりますが、反対の意向が表明されていないという場合には、御本人の意向の考慮として足りるのではないかと思っている次第です。 ○佐久間委員 今の向井幹事の御発言について、2点確認したいことがあります。   一つは、今まで裁判所としては、本人が同意をできないときに代理権を与えてきたというふうに御発言になったような気がするのですけれども、それは補助のときの代理権付与とはおよそ矛盾するのではないかという気がするのですけれども、それはどうですか、というのが1点伺いたいことです。   もう1点は、同意の能力があるかないかを判断すると前へ進めないというようなことをおっしゃいましたけれども、現状でも同意をすることができないときは同意を得なくていいという規定があって、それが使われているはずなのに、その判断をしていないのかというのを、もしかしたらしているのだけれども、今議論しているのとは随分違うことなのだということかもしれませんが、その点は非常に重要なことだと思うので、お教えいただきたいと思います。 ○山野目部会長 向井幹事、発言の補足をお願いします。 ○向井幹事 先ほどの発言は、後見を念頭に置いたものです。後見の場合には御本人の同意等は要件になっておりませんので、意向の確認はしておりますが、同意能力の有無や法的な意味を理解した上での同意であるかまでは確認はしていないということを申し上げました。このことを前提に、現行制度の後見相当の方についても、同意能力や同意を本当にしているかどうかを確認するということになると、相当難しい問題があるのではないかという趣旨で申し上げた次第です。ですので、現行の実務と矛盾しているというようなことでもないと認識しています。 ○山野目部会長 佐久間委員、よろしいですか。 ○佐久間委員 分かりました。事理弁識能力を欠く常況にあるということを後見の場合は先に判断しているので、その後は特段、能力判断はそれ以上していないということだと思うのです。それを今後も維持するかどうかというのがポイントかなとは思いました。ありがとうございます。 ○根本幹事 現行でも後見類型の本人申立ての場合には、医学的知見は当然考慮した上で、本人情報シートの内容等も踏まえた上で、本人申立てを認めていただけるかどうかということは御判断いただいているというのが私の実務感覚でして、この方については本人申立て能力は難しいと考えているので首長申立てで検討してくださいというような形の御指示というのは実際に出ていると私は承知をしていますので、裁判所が全く判断できないということではないのではないかと思ったところです。 ○青木委員 1点だけですけれども、本人の同意能力の評価の関係で、必要性との関係について先ほど申し上げなかったので、申し上げたいと思います。ご本人さんが同意をしない場合において、高度な必要性がある、本当に明日の生活にも困るというものがあるにもかかわらず、そしてそれはご本人が自らの意思決定により行為をすることによっては対応できないということが客観的に分かっているにもかかわらず、本人が拒否をすることがあります。その場合には、ご本人さんは自分のために第三者による代理権の付与の制度を取るという必要性について理解をする力がない、同意能力がないと評価をして、本人の同意がなくても代理権を付与するということは可能になることがあると考えています。そうした判断過程において、本人の同意能力の評価を通じて、高度の必要性を織り込むことが可能ではないかと考えています。 ○沖野委員 ありがとうございます。少しばらばらに幾つかあるのですけれども、一つは、同意能力といわれるものと判断能力、事理弁識能力を欠く常況にあるかどうかということの対応関係なのですけれども、必ずしも対応していないのではないかとは思っておりました。ですから、事理弁識能力を欠く常況にあるところだけで問題にしていいのかというのは既に御発言があったところなのですが、ただ、一方で裁判所の御判断の中で、保佐人に代理権を付与する審判の場合には本人の同意が必要で、その場合には保佐類型ですから、著しく不十分であるというときに同意が本当にできるのかというのは、同意能力が問題になりそうなのですけれども、やはり同意能力ということは問題にならない、逆に言うと、保佐類型にあるような判断能力の著しい不十分さであれば同意能力は当然に備わると、そういうようなことで問題にならないのか、それともやはり、それは今も問題にされているけれども、局面としてそれほど頻々に起こるものではないということなのかというのを確認させていただきたいというのが一つです。   2点目なのですけれども、先ほど来、同意ということを重視することによって、本人の意思決定や自由な選択を尊重するということになるのですが、どうしても最後に残るのは、破綻する自由というか、そのままではもう生活も立ち行かなくなって破綻してしまう、でも御本人は判断能力としては基準をクリアしているというときに、それを認めるのかどうか、やはりそういう場合には十分理解がされていないのではないかとか、もちろん行動指針としてはなるべく分かってもらうというのもあるかもしれませんが、そういう志向を持つ方というのはやはりいらっしゃるので、そういうときになお踏み込んでいくのかどうかというのがやはり悩ましくて、もう一つは、御本人はもう御本人で仕方がないというところもあるのだと思うのですけれども、これはかなり初期の段階で佐久間委員が浪費者類型の話をされたかと思うのですけれども、一方で家族がそれに生活依拠しているような場合だと、破綻する自由だけではなくて、破綻させる自由というようなことも出てくるときに、御本人はもう自分の判断で、それでいいのかもしれないけれども、子供たちもそれでいいのかというような、そういうところを最後にどうするのかという問題は、やはり残るのかなと思いまして、その辺りがある程度バッファーになるようなことを考えなくていいのかどうかということが残るのではないかと思っております。 ○山野目部会長 今、向井幹事に発言の補足をお願いしますけれども、何人かの方から話題にしていただいた、佐久間委員、竹内裕美委員、沖野委員がおっしゃった、一言で言えば破綻する自由の問題というものは、この部会でも議論が重ねられてきているところですけれども、民法の体系思想や国民世論の動向に関わることですから、余り、少なくとも部会の今日の会議ぐらいの段階で性急に、もう話の流れで言うとこうだよねという進め方は、しない方がいいだろうということで、先ほど佐久間委員にお声掛けをしたような経緯がありますから、このことは我々も悩んでいきますし、この後の議論を深める手順も考えていかなければなりません。 ○向井幹事 先ほどの根本幹事の御質問についての回答を申し上げます。確かに、御本人による後見開始の申立てで、御本人には意思能力がないのではなかろうか、要は申立ての能力がないのではないかと疑問に感じるようなケースはあり、そのような事案で判断に本当に悩むような状況があることもあると思います。ただ、そのような場合には、実際に御本人のところに伺って話を聴いてみたところ、全くもって話が通じず、本当に申立てをする意思があるのかどうかも含めてよく分からないというような、必ず端緒となるような出来事があり、その後、鑑定を行い、やはり申立てをする能力さえなさそうであるという判断に至って、取下げの勧告や却下をすることがあると承知しております。その一方で、このことと同意能力の判断は全くもって異なると思っております。同意について、全件、表面的には同意がありそうな事案についても、同意能力があるのかどうか判断するということは、申立ての能力を判断する必要がある場合に比べると、はるかに判断が難しい場合があると思っている次第です。 ○鈴木委員 先ほど、沖野委員から、保佐の場合に同意能力で迷うことはないのかという御趣旨の質問をいただいたかと思います。保佐開始の場合は、家裁調査官が御本人のところへ調査に伺って、各代理権についての説明をしても御本人が理解できていないように思われるときには、鑑定も実施した上で、保佐を認めることは難しいと判断し、後見開始の申立てに趣旨変更を促したりしております。保佐の制度を利用することの意味も理解できない、同意能力で迷うような御本人の場合は、保佐のまま開始するということはありません。 ○山野目部会長 沖野委員、よろしいですか。 ○沖野委員 現状どうなっているかというのは分かりました。ただ、同意能力のその線で一足飛びに常況にあるに行ってしまうのが本当にいいのかというのは、改めて問題があるようには思いました。ありがとうございます。 ○山野目部会長 ほかに御発言はおありでしょうか。   3の本人による請求又は本人以外の者の請求による場合の本人の同意について御議論を頂きました。二つ申し上げておきます。   1点めといたしまして、幾つかの場所で、緊急事務管理の要件では狭すぎるかもしれないという御発言を頂いきましたし、たしかに狭すぎるかもしれませんが、ではどうすればよいかという御議論まで今日は進んでおりません。相当と認められるとき、というような緩々の要件にすると、どんどんそこのところが拡がってしまうということになりますから、限定を掛けなければいけません。そこのアイデアを委員、幹事において引き続きお考えいただければ有り難いと考えます。   もう1点は、山城幹事と向井幹事からのお話をヒントにして申し上げれば、本人の請求にせよ同意にせよ、積極的な同意のようなものを求めるというプランと並行して、この種の要素を阻却要件として考えるという可能性も引き続き検討していかなければいけません。既に民法の規定の中には何か所か、必ずしも意思能力ではなくて意思を考慮する場面というものがありまして、利害関係のない第三者が第三者弁済をするときには本人の意思に反してしてはならないというときの、あの意思は阻却要件であって、必ずしも積極的な意思能力の行使である法律行為ではありませんから、そういうふうな既存実体法制の用例なども参考にしながら、どういうふうな制度の工夫が考えられるかということを、次の機会に向けて委員、幹事におかれてお悩みいただければ有り難いと存じます。   休憩をお願いして、その後、第1の部分が終わりましたから、花俣委員の御発言を頂いて、御発言を頂いた後、第2の部分の審議に進むことにいたします。           (休     憩) ○山野目部会長 再開いたします。   休憩前に部会資料7の第1の部分について審議を一わたり終えたところであります。ここまでの話を聞いておられて、花俣委員のお話を承ります。お願いいたします。 ○花俣委員 恐れ入ります。私ごときが申し上げる場なのかどうなのか、大変迷ってしまいます。本日の論点の内容に関して、特段私からの意見は申し上げようがありませんが、非常に中身が濃くて難しかったということです。二巡目ということなので、法的概念に基づいた議論から引き続き学ばせていただきたいと思っています。   その上で1点だけ、当事者、取り分け認知症の方たちの利用者の立場でということになるのですけれども、支援の対象として、司法関係者が持つ認知症の人へのイメージというのは一体どういうものなのかと思いながら皆さんの御意見を聞いていました。法的概念の中には様々な捉え方があるということなのでしょうが、やはりある意味、大変今日はきつい話ばかりでした。能力ということが中心になって話が進められていました。何々能力の有無という単純な言い回しで、いろいろレッテル、ラベルを貼られたりというのが、今の厚生労働省において策定された「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」における理念や流れの中に照らし合わせて、全く見えている世界が違うのだなと痛感した次第です。ただし、見えている世界が違うから、どちらが正しくてどちらが間違っているということでは決してなくて、それぞれ見えている世界が違うのだなということを認識しました。その上で、これからはここでの議論のワードとかフレーズに一喜一憂して反応するのではなく、もう少し違う視点を持った議論なのだということを踏まえて、しっかり学んでいけたらなと感じた次第です。こんなところで御容赦いただければと思います。 ○山野目部会長 一所懸命話を聞いてくださった花俣委員から今、お考えの率直なところをお話しいただき、ありがとうございますと申し上げますとともに、これからだんだん法制の仕上げに向かっていくに当たっては、おっしゃったような観点、言わば理論の中味のようなものに直結しないだけれども、民法の法文などが用いる言葉の表現とか文字とかにおいて、同じことを伝えるならばこういう言葉ではない方がいいのになというようなところもないものではありません。そういうところは、限界もありますけれども、御注意を頂きながら見直していくという注意も可能な限りしていきたいと考えますから、またいろいろな折に御注意を頂ければ有り難いと存じます。ありがとうございました。 ○花俣委員 こちらこそありがとうございました。 ○山野目部会長 部会資料7の第2の部分に進みます。まず、第2が「法定後見の開始の効果等」でございますが、そのうちの1といたしまして「本人の行為を取り消すことができるものとすること(取消権及び同意権)」を話題としております。この部分について資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料7の20ページ以下、第2の「1 本人の行為を取り消すことができるものとすること(取消権及び同意権)」について御説明いたします。   一読目の審議では、法定後見の効果としての取消権、同意権について、本人の自己決定を制約する性質を有するものとして、できるだけ廃止すべきであるという指摘があった一方で、本人が法律行為によって各種の被害を受けることを防止し、また被害を回復することを可能とする仕組みとして意義があるとの指摘もあったところです。その上で、法定後見開始の効果としての取消権、同意権については、取消権が本人の自己決定権を制約する性質を有するものであるとの指摘を踏まえつつ、その在り方や見直しの要否を検討する必要があると考えられます。   このような観点から、21ページからの2では、判断能力を欠く常況にある本人の保護者に同意権を付与することについて、3では、同意権を有するが取消権を有しない保護者を設けることについて、4では、取消権等の行使の在り方について、それぞれ整理を試みております。   これらを踏まえ、法定後見の開始の効果としての保護者の取消権、同意権の在り方と見直しの要否について御議論いただければと考えております。 ○山野目部会長 説明を差し上げた部分についてお諮りをします。いかがでしょうか。 ○小澤委員 ありがとうございます。まず、取消権は本人が自ら行使することを原則とすべきと考えますが、本人に対する権利侵害を回復するための権利擁護支援策の一つでもあると考えていますので、保護者に取消権を付与することも必要ではないかと考えています。しかし、保護者のみの判断で取消権を行使することは障害者権利条約との関係でも問題が残るように思われますので、家庭裁判所の許可を必要とするなど、本人の同意がない場合の保護者による取消権の行使を極めて限定する仕組みを講じる必要があると考えています。また、本人の意向に反して保護者による取消権の行使があった場合については、取引の安定の観点から、善意の第三者に対し、その取消しの効果を制限することは難しいのではないかと考えておりますので、その場合は民法第858条の義務違反の問題として、本人と保護者との間で対応することになると考えております。 ○野村幹事 ありがとうございます。リーガルサポートにおいて今年の7月から9月に掛けて、全国の会員に対して補助や保佐の利用実態に関するアンケートを実施いたしました。ただいまそのアンケート結果を集計中でありますが、取消権については1,285件中58件、約4.5%について行使の実績があるという結果が得られています。通信販売や携帯電話の契約などで取消権が行使されているとのことです。取消権については実務上、一定のニーズがあるといえると思います。取消権の仕組みについては、障害者権利委員会の総括所見において、全ての障害者が法の前に等しく認められる権利を保障するために民法を改正することとの勧告があったことからも、本人の権利の制約になる同意権、取消権については必要最小限になるような制度設計が求められているかと思います。   そこで、個別の必要性に応じて取り消すことができる法律行為を定める枠組みとして、取消権については本人が行使し、本人の意向を確認して、保護者も本人の取消権を代理行使できるという規律がいいのではないかと考えております。一読目で、その取消権の行使の場面で本人の同意を求めると、有効な同意がなかった場合の取消権の効果の問題があるとの御指摘がありましたので、取引の安全の観点から、行使の場面では本人の意向の確認ということでよいのではないかと今のところリーガルサポートでは整理しております。   また、本人に取消権を認めるということから、保護者には同意権はあるが取消権はないという整理になるかと思います。本人が取消権を行使できないか、本人の意向が確認できない場合で、本人にとって見すごすことができない重大な影響が生じる場合には、裁判所の許可を得て、保護者が本人の取消権を代理行使できるという規律については、一読目に述べたとおりですが、実務上は迅速性が求められる場面がありますので、運用上の工夫は必要と思われます。 ○佐保委員 ありがとうございます。本人の自己決定権を尊重し、意思決定支援、身上保護も重視した制度を運用するならば、比較的自己決定を尊重することが可能で、支援付き意思決定に最も近い類型との指摘がある補助の制度を参考に枠組みを検討するのも一案と考えております。その上で、具体的には個別の必要性に応じて、同意を得なければならない行為であってその同意等を得ないでしたもののみ取り消すことができる枠組みが考えられるのではないかと考えております。ただし、以前のヒアリングでも、本人の希望を確認しないで後見人が判断するといったことや、一度も後見人が本人に会いに来ないなどの事例もあったことから、本人意思尊重義務の徹底と十分なコミュニケーションをとる仕組みも必要であると考えております。 ○小出委員 御発言の機会を頂きましてありがとうございます。私からは、部会資料26ページ26行目の取消権のところに当たって、保護者が取消権の行使に当たりまして御本人の意向を確認したかという内部的な事実関係は、取引の相手方から直ちに判明するものではなく、これにより取消権行使の効果を不安定にするものであり、法的安定性を害することとなる点を考慮する必要がある旨の記載がありますが、こちらについて懸念に賛同いたします。   仮に取消権の行使の前提として本人の了解を得ることを前提とするということでございましたら、取消権の行使の際には本人の了解があることが取引の相手方にも明示的に示される必要があると考えております。ただし、御本人が判断能力を欠く常況にあり、御本人の意向を書面等で客観的に示すことができないことも想定されるため、現実的に取引の相手方が御本人の了解の有無を確認するということは課題があるのではないかと考えております。 ○上山委員 二つ申し上げたいと思います。まず、反対が多いと思いますが、私はまだ今のところ取消権者は本人に限定するべきであろうと考えています。   次に2点目です。瑣末な論点で恐縮ですけれども、120条1項の取消権者のうち承継人について少し考えてみてもよいのかなという気がしています。包括承継人についてはともかくとして、特定承継人に前主の制限行為能力を理由とする取消権の保護を与える必要性があるのかというのが少し疑問でして、契約上の地位の移転ということで説明はされうるのだろうとは思うのですが、今議論の方向性として、取消権の行使について、できる限り本人の自己決定を尊重しようという方向性で議論しているのと少し矛盾する側面が残らないかなと考えているということです。 ○佐久間委員 まず、26ページ、先ほど小出委員がおっしゃった点は私も同感でありまして、取消権の行使に当たって内部的な手続というのか行動ですね、それが尽くされなかったからといって当該取消しの効力を制限するというのは、取引の安全を著しく害することにもなりますし、ここは所詮というと駄目かもしれないけれども、権限の制約ということではなく義務違反だという整理に今のところなっていると思いますので、それを変えない限りは、義務違反で行為を無効にするというのは、ほかにもほぼないはずだと思うのです。濫用に当たるという場合に、その濫用について相手方が知っていたとか知ることができたというときは別かもしれませんが、そのような法体系全体のバランスからいっても、これは採れない、採るべきでないと思います。   ただ、取消しを保護者に自由にというか幅広くさせるのかというと、それは入口のところで制限することが適当ではないかと思います。上山委員は、余り賛成がないかもしれないけれどもとおっしゃったのですが、私は取消権を当然に付与するという前提をとる必要はないのかなと思っています。現在の後見相当の方は置いておきまして、補助人の同意権はもともと本人の同意を得てしか与えられませんけれども、同意権を与えてしまうと取消権が当然に補助人に付いてきてしまうわけですよね。でも、これをばらせないという論理関係、同意権は同意権、取消権は取消権というふうに二つに分けられないという論理関係はないと思うのです。   同意権を与えることについても、これは今の保佐相当の方も一応含んで考えていますけれども、微妙な例は今後いろいろなところと擦り合わせて調整していかなければいけないかもしれませんが、モデル的には同意権についても本人の請求又は同意を要件とする、取消権についても別個、本人の請求又は同意を要件として与えるか与えないかを判断する、両方併せて与えることもできるし同意権だけを与えるということもできるとしてよいと思います。同意権だけ与える場合はどう理解するかというと、今、自己決定権の尊重という理念が強調されているわけですから、同意権を与えることによって本人の自己決定の支援をする。支援をした結果、最終的には本人が、同意がないにもかかわらず、やはりその行為をするということを認める。取消しは、でも同意は得ていないので、本人は取り消せる、保護者は取り消せないということにすることではいかがかと思っています。これに対して現在の後見相当の方については、先ほどの繰り返しですけれども、一定の行為については保護者にも当然に取消権を与える。しかし、同意権は与えない。効力が不安定な行為がされることになるだけなので。これは、結局類型を分けて考えるということの流れなのですけれども、そのようにしてはどうかと思っています。 ○山野目部会長 佐久間委員が二つに分けておっしゃったうちの後半は、休憩前に佐久間委員の御構想の全体のお話を伺ったときから、取消権を誰が行使すると考えるかということのお話を承らないと佐久間委員のアイデアの全体の色合いがよく分からないと感じていたところがあるものですから、今、より一層、佐久間委員のお考えを理解することができました。   前の方におっしゃったことについて、少しお教えを頂きたいと感じます。確かに858条に反するから善管注意義務違反だというような位置付けをしたときに、現在の民法のこれまでの議論でも、義務違反が内部的にあったからといって対外的に無効にする場面は基本においてないという御教示は、そのとおりであると感じますとともに、佐久間委員御自身もおっしゃっていたものですけれども、少し気になる点は、相手方が858条に反する取消権を行使しているではないかというようなことをかなり事情を知っていたような場合とか、そういう事例を想像しますと、107条の代理権濫用の相手方の主観的態様だとか、あるいは心裡留保のときの93条の1項ただし書で相手方の主観的態様を考慮して一定の処理をするとか、ああいうふうな規律に類似のものはどう考えるかという論点はやや気になって、いや、そういうものも一切考えないで、とにかくもう対外的には取消権の行使は有効だということで確定させますという行き方もあるし、そうでない行き方もあるかもしれません。小澤委員が最初に意見をおっしゃったときに、取引の相手方が善意である場合もあるからとおっしゃいました。善意である場合に保護しなくてはいけないことはもちろんですけれども、でも悪意の場合にはどうしますかという点は、107条や93条の場面なんかを想像すると、細かく議論を進めておいた方がいいだろうという気がしますけれども、佐久間委員におかれて現時点で何かお考えがあったらお教えいただきたく望みます。 ○佐久間委員 ありがとうございます。先ほど私、権限の濫用の場合は別だけれどもと申し上げたのですけれども、その濫用に当たる場面をここで切り出せるならば、それは考えればいいかなとは思います。ただ、その場合、単に本人の意向に反するとか、本人の意向に沿っていないというだけでは足りないのではないかと思っています、今のところですけれども。 ○山野目部会長 御意見の御趣旨を一層理解することができました。ありがとうございます。 ○根本幹事 今の点に関してなのですけれども、先ほどの小出委員からの御意見とも関係するのですが、仮に濫用の点の規定を設けるという場合に、そうしますと取引の相手方としては本人同意を取っているのかどうかということを申告させるという実務になることも想定され、そうすると、果たして御本人が同意できないようなケースはどのように説明するのだとか、結局取消権行使が円滑に進まなくなるということも懸念されるのかなと思います。濫用かどうかというところを取り上げていくうえでは、取引の相手方が実際に実務でどういう対応をとられていくのかというところへの配慮も必要なのではないかと思いました。 ○青木委員 前提になりますけれども、今回の議論といいますのは、権利条約の日本政府への総括所見における勧告28にもありますように、将来的には制限行為能力制度を廃止するという目標に立って、現段階でどういう第一歩を踏み出すかという視点が非常に重要だと思っています。そういう意味で言いますと、この成年後見制度の中で、皆さんも私も念頭に置いているような、ご本人さんが何らかの被害に遭うような状況というのを全て救済、解消していく制度として捉えるのか、そうではなくて消費者保護法制や民法で、さきほど債権法改正で暴利行為は駄目だったというお話もありましたけれども、更に引き続き民法でも考えていくとかという全体的な制度の検討、障害のある人、ない人で区別せず、同じ市民法のルールに基づいて救済を図っていくという制度見直しを並行して進めていくという視点が重要だと思います。その視点をもちろん皆さんも持っておられると思いますけれども、その大きな視点の中で、今回の改正はここであると、今回は制限行為能力制度は全廃はしないで一部残すのですと、そういう議論をする必要があるのではないかということを改めて強調したいと思っています。   その上で、同意権と取消権を分けるというお考えも今お聞きして、なるほどと思っておりますが、少なくとも本人の同意が得られなくて、本人の同意能力がなくて、取消権を付ける場合、その場合の必要性は、本人の生活に重大な影響を与える切迫した危険性が迫っている場合に限られると考えますが、そういった場合には、もともと本人が取消権付与に同意をしないわけですから、取消権の行使の場面においても本人による行使や同意は難しいと思われますので、第三者に取消権を付与するということは必要で、その際の行使の要件は、付与のときの要件とほぼ一緒になるかもしれませんが、やはり生活に重大な影響を及ぼす場合には第三者が取消しができるということは必要ではないかと思っています。一方で、本人が同意できる場合については区別して、同意権と取消権を区別するという考え方は、引き続き考えていきたいと考えました。 ○山城幹事 2点について御発言申し上げたいと思います。どちらも既に議論があった点です。   1点目は、取消権ですけれども、これを本人以外の保護者等に与えるときには、本人がした法律行為を無効とすることについて、本人以外の者に選択を許すという、ある種の代行決定の問題が生じることになります。そうしますと、その要件については、法定代理がされる場合と平仄を合わせる必要があるのではないかと感じます。   そうしたときに、対応の仕方としては二つの考え方があるように思います。一つは、法定代理と平仄が合う要件を設定して、本人以外の人に取消権を与えることです。これに対して、もう一つは、取消権は本人のみに与えて、それについて法定代理の可能性を認めるという構成もあり得るであろうと感じます。これが1点目です。   2点目ですが、同意権は持っているけれども取消権は持たない保護者についてです。取消権は本人のみに与えるという制度設計のもとでは、そのような保護者が当然に存在し得ることになるだろうと思いますが、その場合に限らず、佐久間委員から御指摘がありましたけれども、同意権の行使を意思決定支援と結び付けて、つまり本人と保護者とがいわば共同で決定するものとして、そのような決定がされたときは法律効果が有効に発生するという制度とすることもあり得るのではないかと考えます。この共同決定の過程には、保護者だけでなく、様々な人が関与することになるかもしれませんが、その過程で本人の意思決定を支援するという運用を期待することもあり得るところかと感じました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。   よろしければ、大筋この取消権のところについて、小分けすると三つぐらい論点があって、広く意見の一致が見られたと感じたところは三つのうち一つであって、本人の意向に配慮することなく行使された取消権の効果については、対外的な効果に影響を及ぼさず、内部的な善管注意義務違反の問題として扱う必要があり、また、そこにとどめるという点について、広く意見の一致があったようにお見受けをしました。   裏返して言うと、意見の一致があった点はそこだけで、あとの二つの論点は、実はこれは委員、幹事におかれて聞いていてお気付きのように、全体の類型といいますか、開始要件の構想をどうするかという全体構想の立て方に大きく影響されるところがありまして、三つあるうちの二つめを申し上げますと、同意を得て本人が自ら法律行為をしたときに、その取消し可能性を認めるかどうかについては、現在の後見の類型と同じようなものをなおこの局面について維持するかどうかということについての、もう少し大きな構想の中での結着を得る中で結論が見えてまいりますが、現在のところは、同意を得たら、それは本人が同意を得て、もう取消し可能性のない法律行為をすることを全面的に認めようという御意見の一致のところまでは行っていないとお見受けしました。佐久間委員のお出しになっている構想を踏まえていくと、そこについて例外の局面が出てくるであろうと見受けます。ここのところについては、今日ここでこういう意見の一致がありましたというお話にならないところであることはもちろんですから、引き続き検討していくということになるであろうと考えます。   三つあるうちの三つめの論点は、同意権と取消権を切り離す可能性に関してでありますけれども、その発想は大いにあり得るというところは御意見の一致があったと感じます。ただし、どの局面においてどういう要件の絞り方で切り離すかということについては、お話ししているような全体の制度編成をどうするかということの見通しの中に位置付けていって、更に議論を深める必要があるというお話になるものと受け止めました。   なお、同意権と取消権を分けるというアイデアを育てていく中で、幾つかの細かく考えなければいけない論点の御指摘も頂いたところであります。三つほど申し上げますと、一つは家庭裁判所の関与をこの取消権行使の場合でどういうふうに位置付けるかということについて、散発的に御議論がありました。御存じのとおり現行法は、家庭裁判所が同意に代わる許可の裁判をすることができるという制度を持っていますが、そのことはそのこととしておきながら、反対に取消権行使について家庭裁判所の許可に係らしめるというアイデアを小澤委員がおっしゃいました。ただし、それについては実務的な安定性が確保できるかという指摘もあったところです。   それから、山城幹事からは、取消権を代行決定の仕方で行使するというよりは、明確に取消権は本人に与えるということに限定した上で、取消権の行使についての代理権付与ということが法的構成としてあり得るのではないかというヒントも頂きました。もちろん代理権の行使も代行決定ですけれども、それは言わば代行決定であるという性格を直視した上で、改めてその要件の下で、この第三者による取消権の行使という問題の解決を受け止めようという方向でのヒントを下さったと理解を致します。   また、上山委員から120条の承継人の概念について、今一度考えてもいいのではないかというお話を頂きました。おっしゃっている点は特定承継人のことであろうと理解しました。恐らく包括承継人は引き続き承継すると思いますけれども、法文に承継人とわざわざ書いてあるということは、現行法の理解として特定承継人があり得るということですからの、それが今後の規律においてもよろしいですかという問題提起を頂いたものだと考えます。   取消権の部分について、ほかにございませんですか。   それでは、もし何かお気付きのことがあれば、後で第2のところでもう1回お尋ねをすることにしますけれども、ひとまず先に行きます。部会資料第2の「2 代理権及び財産管理権」の部分について、当該部分の資料の説明を事務当局から差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料7の27ページ以下、第2の「2 代理権及び財産管理権」について御説明いたします。   法定後見開始の効果として、保護者に代理権を付与する対象を個別的な事項に限定する場合には、その代理権の付与の在り方を検討する必要があると考えられます。そこで、27ページからの2では、代理権の対象行為の特定に関する考え方を整理しています。また、現行制度では、例えば後見の制度では、保護者である成年後見人には本人の財産を包括的に管理する権限と財産に関する法律行為について代理権があるとされていますが、保護者の代理権を個別的な事項に限定する場合には、保護者の財産管理や財産調査に関する権限にも影響があるものと考えられます。そこで、29ページからの3では、保護者の代理権、財産管理権及び財産調査権について整理を試みています。さらに、30ページからの4では、代理権の行使の在り方について、本人の自己決定権との関係を踏まえ、考え方を整理しています。   これらを踏まえ、法定後見開始の効果としての保護者の代理権及び財産管理権の在り方と見直しの要否について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 御説明を差し上げた部分についてお諮りをします。 ○小澤委員 ありがとうございます。まず、代理権の付与の在り方については、本人の請求又は同意がある場合には、ある程度柔軟に代理権の付与を認めてよいのではないかと考えています。   次に、財産調査権についてですが、本人の財産の把握は本人の状況に応じた後見事務を行うには大変重要であると考えていますので、少なくとも本人の請求又は同意によらず法定後見を開始する場合には、必要な範囲で個別の代理権を付与するとしても、本人の全ての財産に関する調査権限の付与は必要ではないかと考えています。そのように考えますと、民法第853条1項、第854条の財産の調査及び目録の作成、財産目録の作成前の権限に関する規定の内容を援用して、まず、成年後見人には、全ての財産に関する調査を行った上で財産目録を作成し家庭裁判所へ提出するとともに、その際に本人にとって必要な範囲の代理権等について申立てをすることとし、それを受けて家庭裁判所が成年後見人に対して必要な範囲で代理権等を付与するという仕組みも考えられるのではないかという意見を持っています。 ○根本幹事 財産調査権のところについてだけ申し上げます。今の小澤委員からの御意見とは反対の意見になるかと思いますけれども、財産調査権を単独で必要とするかといいますと、例えば、この方は預貯金を持っておられるとか有価証券を持っておられるという一定の予測なり、何か端緒になるような情報があって、それについての代理権を付与することで足りるのではないかと考えております。財産調査権として包括的なものを認めていくと、すべからく保護者の善管注意義務の範囲が結局その方の全ての財産に対して及んでしまうということになりまして、これは非常に保護者にとっての負担が過度になってしまうのではないかということを懸念しております。 ○野村幹事 ありがとうございます。代理権についての改正は、私たち後見実務を担う者にとっては実務上一番影響があるところだと感じています。一読目において、代理権については主に本人の意向を踏まえた、あるいは本人の意向に明らかに反しているわけではない代理権の行使という場面を想定しているので、必ずしも謙抑的に行わなければならないというわけではないとの意見を述べましたが、その考えは変わりません。代理権の対象行為の特定については、現在の保佐、補助用の代理権目録記載のレベルでの特定でよいかと思います。平成12年に成年後見制度が開始した当初は、申立人が代理行為目録を自由に記載していたそうですけれども、法務局が登記において明確に公示するというニーズから、現在の代理行為目録のひな形という形になったと聞いております。   保護者の代理権を個別的な事項に限定する場合は、財産管理権も代理権の対象行為に応じた範囲のものになって、保護者はその範囲で責任を負うとすべきだと思われます。財産調査権につきましては、代理権の範囲内であることは原則かと思いますが、一読目で述べたとおり、例えば1,000万円の定期預金一口の管理、処分等の代理権しか付与されていない保護者が、その1,000万円の定期預金の管理、処分等を適切に行うためには、他の財産の状況を把握している必要があって、そういった場合は他の財産の状況を調査する必要があると思われます。 ○佐久間委員 代理権についてですけれども、これまた私は、事理弁識能力を欠く常況にある人とそうでない人を分けて考えてはどうかと思っています。事理弁識能力を欠く常況にある人については、保護者に本人の財産上の法律行為一切についての代理権、つまり包括代理権を与えることを認める。認めるというのは、与えなければならないというか当然そうなるということではなくて、与えることを排除しない。これに対して、それ以外の人については同意権だけではなくて、同意権ももちろんそうですけれども、代理権についても包括的な付与は認めないことにすることがいいのではないかと思っています。必要な事項について保護者に権限を与えるという考え方があるのは承知しておりますし、それが理想であるということは否定しません。ただ、本日の早い時間に申し上げましたけれども、必要性の判断には2段階あって、一つは裁判所に請求するに当たってどの権限の付与を求めることが必要かということ、もう一つは、裁判所がその請求があったものについてそのまま与えるのか、それが必要かということです。   このうちの前の段階については、本人にとって望ましい保護の総体、全体を判断するということだと思います。その本人にとって今、あるいは将来にわたってどういう保護が全体として望ましいかということについては、本来は本人が判断すべきことなのだと思います。本人の請求又は同意を得て審判をするという仕組みが正にそれを表しているわけです。ところが、その必要性を判断することができない、事理弁識能力が欠ける常況のためにそれができないという人につきましては、結局、裁判所以外の他人の判断ということになります。そういたしますと、その他人がどの程度本人にとっての全体的な必要性を判断することができるかは、よく分からないことがある、全然分からないということではないにしても、そういうことがある。権限を出し入れすればいいではないかという話もあったと思いますけれども、結果的にそれは本人にとって負担が重いということもあり得ますし、後手後手の対応になることもある。そこで、先ほど申し上げた包括的権限の付与も認める。繰り返しますが、それしかできないとするわけではなくて、事理弁識能力を欠く常況にある人については、保護者に包括的権限が付与されることも認める。   それに対しまして、事理弁識能力が不十分である、欠く常況にあるとはいえないという人に関しましては、保護者に代理権を与えたといたしましても行為能力の制限にはなりませんが、代行決定であって、私的自治あるいは自己決定の尊重反する面があることは、既に繰り返しいろいろな方から言われていることです。そうであるとすると、権限の付与は抑制的であることが望ましいことから、権限を包括的に与えることはおよそ認めないことにしておいてはどうかと思っています。これが一つです。   もう一つ、事理弁識能力を欠く常況にある人を対象とする制度では、先ほどこれも早い段階で上山委員が、意思表示の受領については代理権を与えるとおっしゃったと思います。私もそれは必要だと思っておりますし、加えて保存行為についても代理権を必ず与えることにしてはどうかと思います。つまり、保護者であれば全員が保存行為と意思表示の受領、ほかにもあるかもしれませんが、取りあえず今のところ思い付いているのは、その二つについては必ず代理権を与える。事理弁識能力を欠く常況にあるといえない人については、そのようなものはない、請求にあったものに限る。   なぜそのようにすべきと考えるかといいますと、現在、後見制度が果たしている役割は、本人のための契約等の法律行為を可能にするということ以外に、第三者、取引社会の保護、あるいは法律行為を可能にすること以外の面での本人の保護というものもあるはずです。例えばですけれども、時効完成の阻止の期待可能性がない場合に時効の完成猶予を認める民法158条は、本人の保護を図るものであり、保存行為について代理権を与えることでこれを可能にするというか、同条が問題としている状況に対処可能にする。あるいは、意思表示の受領については明らかに現在、意思表示の受領がされないことによって相手方が困るという状態に関して対応しているわけですから、それについての代理権を保護者に与えることが適当ではないかと思っています。こういった代理権を必ず保護者に与えることにしたといたしましても、事柄の性質上、本人の意思決定の自由に対する制約にはもちろんなりますけれども、過剰な制約ということにはならないのではないかと考える次第です。 ○山野目部会長 佐久間委員が休憩前におっしゃった大きな御構想の提示から行くと、今の御発言の一連の御提案は素直に理解をすることができます。一つ確認でありますけれども、そういたしますと、本人が事理弁識能力を欠く常況にある場合において、裁判所は、相当と認めるときに保護者が本人を代表することができるものとすることができる、というスタイルの規律を御構想だと理解しましたけれども、よろしいでしょうか。 ○佐久間委員 はい、そうです。 ○山野目部会長 ありがとうございます。 ○竹内(裕)委員 私も2点です。一つは調査権に関することなのですけれども、今後、代理権を個別的な事項に限定するという場合には当然、財産管理権も限定的になる。ただ、多くの委員の先生方がおっしゃったとおり、本人のために権利行使するときには全体の財産が分かっている必要があるだろうということで、包括的な調査権という形でなくても、一定の調査が可能になる仕組みを設けることは必要だと思います。これは一読のときに、家事事件手続法の124条を利用して何らかできないかというお話があったところだとは思っております。   それに付随してなのですが、実務的なことですけれども、もし個別の代理権ということになると、どこまでが個別の代理権に付随してくることなのかというのが、我々はよく分からなくなるところもありまして、例えば税務申告は、これは例えば不動産の売却をした場合、譲渡親告をやるのか、確定申告はやるのかというところで、分かりにくいところもありますので、今後は、何らかのガイドラインとか、マニュアルを設ける必要があるというのが問題意識です。   次、2点目が代理権に関することなのですけれども、弁護士会の中で議論したときにも、もしかしたら今の佐久間委員のお考えに類するものかもしれないのですが、価値判断というか問題意識として、恒常的に意思無能力の方について、何が必要な行為で、その内容が何か、その範囲が何かというのを、本人以外の他人がそのときの判断でその都度決めることというのは、そもそも合理的なのかという考え方もあるのではないかという話も出ました。それよりは代理権付与の範囲というのが全国一律に法律で定まっていた方が合理的とだという考え方もあるのではないかという意見がありまして、それは今、佐久間委員がおっしゃった、一部の行為については必ず特定の代理権を保護者に認めるというところと少し似通ってくるところもあるような気がいたしましたので、発言いたしました。 ○佐保委員 ありがとうございます。代理権の付与の在り方についても、本人のニーズや判断能力に基づいて、家庭裁判所が保護者に個別の法律行為について代理権を付与する仕組みとして、現行の補助の制度をベースに検討するのがよいのではないかと考えております。また、代理権の行使の在り方については、現行法で本人の意向を尊重することが要請されているとありますが、当然ながら本人の意思確認の下で行われることが望ましいと考えております。 ○青木委員 まず、調査権についてですけれども、広範な調査権、無限定的な調査権があることは、マイナス面も含めてあるという御指摘があったように、適当ではないと思っています。個別の代理権を付与していくことになれば、その代理権に付随して、あるいはその代理権を行使するのに必要な調査権ということは具体的に想定できるはずです。現行の保佐や補助のときには、代理権目録の最後のところにその他という項目がありまして、事務に関連する一切のことができるという選択肢があります。それを選択することによって、調査権も含んで運用することがある程度は可能だと思ったのが1点です。ただ、事案によっては、取引の相手方にとっては、どこまでの権限を含むものかが明確でないという場合もあるかもしれません。そこで例えばですが、新しい法制度の条文には、付与された個別代理権の行使に関連する調査をすることができるという権限規定を置くことによって、過度に広範にわたらない調査権限ということを取引の相手方も予測可能な形で設定することができないか、ということを考えています。   2点目は、事理弁識能力に欠ける常況というのは、どんな人にもないというのが私の立場ですから、佐久間委員とは相入れないわけですけれども、そのことはおくとして、具体的に実務的なことで申し上げると、これも繰り返しなので短く申しますが、遷延性意識障害の人でも、部会第3回提出の参考資料の事例シミュレーションのケースGを見ていただければと思いますが、代理権でその方に必要なものというのはその都度状況に応じて判断できるのだということを繰り返し申し上げていまして、同意権・取消権についてもまたしかりでありまして、それについて分からないということはないということです。   3点目は、そういう想定の方については、本人の同意を開始の要件としないことが多いでしょうから、事務を行う中で必要な代理権の追加が必要になれば、権限付与をされている方による追加代理権付与の申立てによって追加をするということは速やかにできるわけです。いずれにしても実務的に見ても何の不都合も生じないので、どうしても包括的代理権が必要な場合があるのではないかという御意見を言われましても、一体どういう場合に包括的な代理権でないと困るのかということが私には相変わらず理解ができないという状況であります。その点を、繰り返しになりますけれども、お伝えしたいと思います。 ○根本幹事 私からは2点です。1点目は、代理権の内容について個別的な代理権の内容について御意見がいろいろありましたけれども、現行の保佐における代理権目録を念頭に置けば、実務上、例えば竹内裕美委員からありましたような不動産取引、若しくは賃貸不動産お持ちですということであれば、現行の保佐の代理権においても税務申告の代理権のチェック欄はありますので、賃貸不動産をお持ちであれば、登記の申請ですとか、若しくは税務の申告というところについてはチェックを、半ば自動的にという言い方がいいのか分かりませんけれども、入れるようにしている、若しくは入っていない場合には、裁判所からこれは不要でよろしいのですかというお尋ねが来るというのが現行の理解ではないかと思っています。   それから、佐久間委員から御意見のありました、保存行為や意思表示の受領についてはすべからく代理権を認めるというところについてですけれども、2点疑問といいますか懸念がありまして、一つは、結局そこを認めるということになると、その後に何らか続く法律行為が予想される、予定されるというケースがほとんどかと思いますので、その後の代理権がない中で、その保存行為や意思表示の受領のみに代理権をすべからく認めるということにどこまで実効性があるのかということが1点です。もう一つは、これは保護者の立場から見た場合に、先ほどの財産調査権の意見とも重なるのですが、善管注意義務の範囲が保護者にとって過度に負担になってしまうのではないかというところも懸念されるところかと思います。 ○山野目部会長 根本幹事に一つ二つ教えていただきたいと感じまして、一つは、包括的な権限付与はやはり問題があるから、いろいろなリストを用意しておいてチェックを入れていくというような仕方で対応することができるし、そちらの方がよろしいでしょうという御意見は、それとして理解することが可能で、ごもっともだと感ずる部分もありますけれども、包括的な代理権付与の在り方を否定したときに、運用にもよることですけれども、現場では、そうすると裁判所とか弁護士事務所のコンピューターの中に、すごく包括的にやらなければ駄目だと思われる事例のときはこれをプリントアウトしましょうというデータが入っていて、すごくたくさんずらっと並んでいるやつを、放っておいても多分用意すると思うのですよ。包括が認められていないけれども、実質は包括に近付けてやらなければ駄目だよねというときには、それをプリントアウトして全部チェックしたものを裁判所に出すとか、裁判所が審判書に付けるとかということをすると、かなり包括になってしまいそうな気もします。0.999と1.0とはニアリー・イコールであるし、さらに申せば、循環小数の0.999……と1.0とがイコールであるか異なるかは、数学の授業をする際、悩む点でありましょう。これと相似する論点は、どのように考えるか。それが一つと、それから、もう一つ後ろの方でおっしゃった、佐久間委員がおっしゃった、例えば受動代理の権限を与えるのは、その後に続く問題を引き起こすところのケアがされていないから問題だとおっしゃるけれども、恐らく佐久間委員のお立場では、意思表示を受け取った際に次に続く事務が予想されるときには、一種、委任終了時の急迫事務処理みたいな感覚で、次の代理人、保護者が必要だよというようなことを家庭裁判所にインフォメーションするような措置ぐらいは当然してくださいよという規律がくっついているであろうと思われます。佐久間委員の御懸念の、やはり一番大きなところは、取引の相手方とか意思表示を能動的に投げ掛けてくる側が、受け取る人がいなければ困るではないかという現実の問題があるのに、そのことに答えてもらえないのかというところ、ここは、やはりそれは普通に考えても心配になってくるところですから、そこにお答えいただかないと、やはり佐久間委員がおっしゃったような御提案が、引き続き考えてみましょうねというお話になってくるように思われます。この2点、何か今お感じになっていることがあったら教えていただけませんか。 ○根本幹事 まず1点目のところは、前回の類型論の議論のときに沖野委員からの御意見にもありましたけれども、結局のところ積み上げていく足し算なのか、包括的なところから引いていくという引き算なのかということではないかと理解をしています。最終的に部会長が言われるようにいろいろなことが必要な方ということであれば、結果的には包括的なものに近いことになるのかもしれませんが、ただ、必ずそこで事務の必要性というのは見ることにはなりますので、やはりそこはニアリーイコールになるケースはあるにせよ、イコールではないという理解でおります。   2点目のところは、まず、何らか後続に予定されている後行行為といいますか、法律行為が何か予定をされているということであれば、それは最初から予想されていますので、普通に個別的に付与したらいいということになるのではないかと思っています。取引の相手方への配慮というところは、これも今まで一読目の議論でもありまして、そこは佐久間委員との意見の相違と言われているところですが、まず今の保佐、補助では意思表示の受領能力という部分について後見類型以外の方は受領能力があるという前提でしょうから、問題にならないのかもしれません。では現行の後見類型の方で意思表示の受領能力というのが問題に、理論上なるということは理解できるのですが、取引の相手方が害されて実務上問題になるケースが、どのくらいあるのかと思います。 ○山野目部会長 おっしゃったことは理解できました。 ○佐久間委員 まず、実務上問題になっていないというのは、本当にゼロなのかというのをやはり申し上げたいというか、ゼロでないのであれば、制度としては用意しておく必要があるのではないかというのが一つです。   それから、意思表示の受領に関して言うと、前に98条の2の規定にどう対応するかということで、この後も二読でどこかで出てくるのかもしれませんが、訴訟上の特別代理人のような制度を用いることも考えられるのではないかと私は申し上げたところ、根本幹事はそれに対して、いやいやというふうなことをおっしゃいました。それと同じで、今、部会長がまとめてくださったとおりで、背後にあるのはやはり相手方、意思表示をする側の利益というのを無視するわけにはいかない、立場を無視するわけにいかないので、意思表示を受け取る人をまず設け、受け取った上で本人のために何をすべきかということを考える、判断する人を設けておく必要があるのではないかと思っています。   それから、保存行為のことは、根本幹事は予想できるとおっしゃいましたけれども、保存行為というのは、やばいということが起こったときに何か対応できる人を用意しようというものでありまして、先ほどは158条を例として挙げましたけれども、保存行為というのは結局、本人の財産を、どのぐらい重要かはともかく守る必要が生じた、今まで予想できなかったことだけれども、というところで対応しましょうという考え方なので、おおむね事前に分かりますよねというわけには、なかなかやはり行かないのではないかと私は思っています。 ○山野目部会長 ここも引き続き検討しなければいけませんね。両方の御意見、いずれも伺っていると、どちらも説得されてしまって、ごもっともという気持ちにはなりますけれども、なお検討を深めていくということでしょうか。 ○根本幹事 佐久間委員が言われるように、保存行為単独で見ると、予想できないことというのはもちろんあるとは思うのです。ただ、そこは代理権の付与の時的な範囲とか、若しくはどの程度の予測をもって必要性があるとみていいのかということとも関係する議論ではないかと思ってはおります。念のためですが、先ほど私が申し上げたのは、部会長から、保存行為に続く法律行為の必要性がある程度予想される場合についての御質問と私は理解をしたので、後ろが予定されているのであれば、元々それは全体として見て代理権付与の予測ができるのではないかという趣旨で申し上げたというところであります。 ○青木委員 包括的なリストがあって、それを全部チェックをするのとどう違うのかということについては、それは全く違うと思います。包括的なリストがあっても、その人について何が必要かというのは、チェックをするときに一つ一つ確認していくという過程があります。その過程の中で、これは要らないというものが出てくるかもしれない。それは本人ができるかもしれないし、本人に必要がないかもしれないものがあるからです。ところが包括的に付与するとしたとたんに、本人の必要性とは無関係に、全てについてチェックが付くので、個別の必要性は全く検討されません。この差は量的な差ではなく、質的な差です。やはり本人の意思を尊重し、本人はできることはできるはずであるという推定を、仮に遷延性意識障害の方についても持つという理念を具体化する見地からすれば、全然違うと理解します。   それから、意思表示の受領とか保存行為ですけれども、これは結局、意思能力が欠ける人全般について民法が適切な対応をしていないことについて、成年後見で一部それを賄おうとしているという議論になると思います。したがって、私は議論の立て方が間違っていると思いまして、そうであれば意思能力が欠ける人全般に関しての意思表示の受領や、その他の保存行為について、別の制度を民法で用意すべき話だと思います。それを現在は包括的代理権を利用して一部の転用をしている話であり、転用した話を、転用していたものがなくなると困るから、包括的代理権が必要だというのは議論が逆さまだと思っています。保存行為について限定すれば、追加の代理権付与で対応できるし、場合によったら保全処分を使って、保存行為についてだけは財産管理者を付けるということもできますので、十分に対応できると思っています。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。   ほかにいかがでしょうか。よろしいですか。   花俣委員にお声掛けをする前に、私の方から5点ほど申し上げます。1点目といたしまして、代理権を与える与え方を類型的、個別的にするか、包括的にするかについては意見の相違が見られました。その背景には、再々本日話題になりました成年後見制度全体の制度編成の構想に関わる問題が横たわっておりますから、幅広く視野を取った上で、改めての整理が必要であると感じられます。   2点目といたしまして、小澤委員から財産調査権の問題について問題提起を頂きまして、それを比較的広範に認めようという小澤委員の御意見や、そこは限定的に考えて、与えられた代理権に係る事務に付随するものということで考えなければいけないし、考えることができるという根本幹事の御意見や、家事事件手続法124条のような仕組みをもう少し育てていく可能性等に言及された竹内裕美委員のお話などを頂いたところであり、財産調査権について引き続き検討しなければならないことが分かりました。   3点目として竹内裕美委員から、代理権目録に様々な類型的、個別的な代理権が掲げられたときに、どこまでそれに言わばのりしろのような形で与えられた権限の事務を理解すればよいかということについては、理論的には判断が可能ですけれども、現実の事案にぶつかったときには悩むであろうという御注意を頂いたところでございます。   4点目といたしまして、代理権行使における本人の意思の尊重という論点を問題提起として差し上げていたところであります。本人の意思の尊重をしなければいけないことはもちろんでございますけれども、しかしそれを内部的な善管注意義務違反の問題として捉えることにとどめるのか、対外的な効力への影響が生ずるものとして捉えるかについては、本日目立った論議がありませんでした。ただし、取消権行使の場面と同じにお考えであろうとも推察いたします。部会資料においては、事務管理に関する民法697条2項の「従って」という言葉を用い、本人の意思に従って事務管理をしなければならないといったような規律表現なども参考にしながら、今後の構想される規律の在り方を考えていく余地も示唆していたところでございますから、本日御意見を頂いておりませんけれども、次の議会以降において更に検討を深めていくことに御協力を頂きたいと望みます。   最後、5点目といたしまして、佐久間委員から保存行為や受動代理などの、それとして特に考えなければいけない法律行為ないし法律事務については、一種通奏低音のようにして、その局面を問わず、その保護者に権限を認めるということができるし、また望まれるのではないかという御示唆がありました。これをめぐって、お聞きになったような意見交換がありました。青木委員からは、そもそも意思能力において困難がある方への意思表示受領の在り方そのものの全般を考える別な仕組みが在るべきであって、それを成年後見制度に仮託することはいかがなものかという御指摘があって、ごもっともであると聞きますとともに、別の仕組みというのは、それならばまた考えていかなければ、私たちとしては答えを出したことにはなりませんから、それは引き続き立場を問わず、次の機会以降に向けて悩んでいただきたいと望みます。   ここまで第2の部分についてお話ししたところを踏まえて、これは一層テクニカルな話ですから、花俣委員へのお声掛けに気が引けますが、ただし、やはりそれは本人の保護の在り方に関わることであって、完全な法律技術論でもないですよね。ですから、御自由に御発言いただいてよろしく、花俣委員、いかがでいらっしゃいますか。 ○花俣委員 御配慮ありがとうございます。求められて的確な意見が述べられる知見は全く有しておりませんので、今後の議論をまたしっかりと学びつつ、聞いていきたいと思っています。皆さん本当に熱心な御議論を頂いたことに心から感謝申し上げたいと思っております。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   委員、幹事に一旦お声掛けをします。部会資料7の後ろの方の第2の部分につきましては、取消権と代理権の御議論をお願いしましたけれども、お話ししたように、なかなか結着の付く話がたくさんはなくて、次の部会以降に向けて整理を続けますが、今日の段階で何か言い漏らされたことがおありでしょうか。   よろしいですか。ありがとうございます。それでは、部会資料7についての審議を了したという扱いにいたします。   次回日程等の説明について、波多野幹事にお願いいたします。 ○波多野幹事 本日も長時間にわたりまして御審議いただきまして、ありがとうございました。次回の議事日程につきまして御説明いたします。   次回の日程は、令和6年12月10日火曜日、午後1時30分から午後5時30分までを予定しております。次回は法定後見制度の終了に関する検討等について、新たに部会資料を準備いたしまして、二読目の御議論を頂きたいと考えております。 ○山野目部会長 ただいま波多野幹事から差し上げた御案内を含めて、この部会の運営について意見やお尋ねがおありでしょうか。   よろしいでしょうか。それでは、熱心な御議論を頂きまして、委員、幹事の皆様におかれてはお疲れかもしれません。御協力を頂いたことに深く御礼を申し上げます。   これをもちまして法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第10回会議を散会といたします。どうもありがとうございました。 -了-