法制審議会 民法(成年後見等関係)部会 第14回会議 議事録 第1 日 時  令和7年2月4日(火)自 午後1時30分                    至 午後6時05分 第2 場 所  法務省大会議室 第3 議 題  1 法定後見の開始の要件及び効果に関する検討事項         2 法定後見の終了に関する検討事項 第4 議 事  (次のとおり) 議        事 ○山野目部会長 法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第14回会議を始めます。   委員、幹事におかれましては御多用の中、御出席を賜りまして誠にありがとうございます。   本日は、家原幹事、小林幹事及び杉山幹事が御欠席と伺っております。   審議に入るに先立ちまして、配布資料の説明を事務当局から差し上げます。 ○水谷関係官 配布資料について御説明いたします。   本日は新たな部会資料として部会資料10を準備し、お送りしています。資料の内容につきましては、後ほどの御審議の中で事務当局から御説明を差し上げます。 ○山野目部会長 御紹介を差し上げましたとおり、本日は部会資料10を取り上げます。   審議に入ります。まず初めに部会資料10の第1の部分、「第1 法定後見の開始の要件及び効果」、その中の1といたしまして「法定後見の開始の要件」、この部分についての審議をお願いすることにいたします。   この部分について、事務当局から資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料10の第1の「1 法定後見の開始の要件」について御説明いたします。   法定後見の開始に当たって、本人の事理弁識能力の程度及び法定後見による保護が必要であることをどのように考慮するのかという点については、現行法の規律を維持する考え方のほかに、現行法の規律を改める考え方として、様々な観点から複数の考え方が示されているところです。   そこで、2ページ目以下の1では、法定後見制度の枠組み、事理弁識能力の考慮の方法及び保護開始の審判の方式について、5ページ以下の2では、法定後見による保護の必要性の判断における事理弁識能力の位置付けについて、7ページ以下の3では、法定後見の審判をするための要件としての本人の同意等について、それぞれの観点に関する考え方の整理を試みています。   このうち本人の同意等については、まず7ページからの(1)から(3)までにおいて、本人の同意を要件とする前提となる考え方について整理をした上で、9ページからの(4)では、本人に法的に有効な同意をするために必要な能力があり、かつその有効な同意があるとは認められない場合について、10ページからの(5)では、本人に法的に有効な同意をする能力があるとはいえないと考えられ、そのために有効な同意があるとは認められない場合について、これまでの議論を整理しております。   これらを踏まえ、法定後見の開始の要件に関する事項について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 ただいま資料の説明を差し上げた部分につきまして、御意見を頂きます。御自由にどうぞ。 ○小澤委員 三つありますが、まとめてでいいですか。   では、まず第1の1(1)の法定後見制度の枠組み、事理弁識能力の考慮の方法、保護開始審判の方式については、私どもは従前より、法定後見制度における代理権などについて、保護の必要性を踏まえ特定の事項のみを付与する制度とすることに賛成する旨の意見を述べてまいりました。今回、改めて部会資料の(1)イにある、事理弁識能力を欠く常況にある者について別の規律とするという枠組みについて内部で検討を致しましたが、ここについては非常に重要な論点でもあり、我々の内部でも現状においては意見は様々となっています。   この別の規律を置く枠組みに賛同する意見としては、遷延性意識障害や重度の知的・精神障害のため、事理弁識能力を欠く常況にあり、あらゆる法律行為との関係においても意思能力がないと判断され得る方は実際には存在するため、そのような枠組みを適用した方が取引の安全や相手方の保護という面で分かりやすく、有益なのではないかというものがありました。一方で、別の規律を置く枠組みに慎重な意見としては、民法上に事理弁識能力を欠く常況にある者という規定を残すこと自体、障害者権利条約との関係で許容されるのであろうかというものがありました。また、一方で事理弁識能力を欠く常況にある者に関する枠組みを設けるかどうかにかかわらず、そのような方に必要な保護を行うべきことには変わりはなく、結果として枠組みによって保護の内容が変わることはないと考えられますので、制度利用の入口での類型分けをするのではなく、一元化された制度の中で保護に必要な代理権などの内容を考慮することによって事実上、類型化がなされるのではないかという意見もありました。   なお、部会資料の5ページの6行目以降に記載のある、事理弁識能力を欠く常況にある者を対象とする法定後見による保護が開始された後は、事理弁識能力が回復しない限り法定後見制度の利用をやめることができないことになるようにも思われるという点につきましては、確かに個別の代理権などの必要性を考慮せずに法定後見の開始の審判をすることになりますので、個別の事務が終了したことで保護の必要性が失われたとして法定後見を終了させることは難しいのではないかと考えています。   次に、第1の1(2)の法定後見による保護の必要性の判断における事理弁識能力の位置付けにつきましては、個別の法律行為ごとに事理弁識能力を判断することは、診断書を作成する医師にとっても非常に負担の重いものになり、実務の感覚からも現実的ではないと考えます。個別の法律行為ごとに事理弁識能力を判断しようとすると、多くの事案で鑑定が必要となり、使いにくい制度となっていくおそれもあるため、抽象的な法律行為一般を基準として事理弁識能力が不十分であることを判断するイの考え方に賛同します。   最後に、第1の1(3)の法定後見の審判をするための要件としての本人の同意書などのアとイの考え方につきましては、(1)の事理弁識能力を欠く常況にある者について別の枠組みを置くのかどうかという同じ論点ということになると思いますので、アとイのどちらの考え方を採るかによって意見が分かれております。ただ、本人の自己決定を尊重するために本人の同意は原則として必要だと考えますが、仮に本人の同意がなくても、必要な場合には法定後見による保護が受けられるような制度とする必要があるという考え方は共通しています。その上で、アの考え方を採った場合に、生命、身体、財産に大きな危険が及ぶような状況にもかかわらず、本人が法定後見制度の利用を拒否して同意しない事案について、本人に法的に有効な同意をすることができる能力があったとしても、例外規定を設けて、本人の同意がなくても法定後見による保護が受けられるようにすべきとの意見や、そのような場合には、本人がその状況について適切な判断ができていないと考えられ、そのことから、法的に有効な同意をする能力があるとはいえないと考えられる場合に当たると考えられるため、本人の同意がなくても法定後見による保護が受けられるようにすべきとの意見がありました。 ○竹内(裕)委員 まず、法定後見の開始の要件のうち1ページから2ページに掛けてのゴシック体の部分について、(1)、(2)、(3)とありますが、私はいずれもイに賛成しております。すなわち、事理弁識能力が不十分な方については原則、御本人の同意あるいは御本人の意思に反しないことを開始要件として、具体的な保護の必要性がある場合には保護者に個別に代理権を付与する、あるいは保護者の同意を要する旨の審判をする、そして、個別の代理権、取消権の必要がなくなれば法定後見を終了させると。他方、事理弁識能力を欠く常況にある方、これは同意を開始要件としないで、保護開始の審判をすることによって取消権、また一定の法律行為についての代理権を発生させ、かつ、申立てによって個別的な代理権限を追加的に付与するという仕組みが妥当なのではないかと考えます。理由は、事理弁識能力を欠く常況にある方について、同意に依拠することや同意を立証すること、また、それを法文化することは、やはり難しいと考えるからです。   ただ、そういう考えに対しては確かに、事理弁識能力が回復しない限りは法定後見の利用をやめることができなくなると指摘を受けるのですけれども、私としては必ずしも全ての法定後見を絶対に終了させなければならないというわけではないと思っています。例えば、母親が事理弁識能力を欠く常況になって、暴力的傾向のある息子さんがお母さんの財産をお母さんのために使用せず浪費をしている、だけれども、そのほかの兄弟がそれを止めることはできないとか、かなり親族間の対立が激しくて、御本人がさらされている場合、こういうときは後見を続けることで御本人を保護できる場合もあると思います。また、仮に法定後見の利用をやめることができなくても、例えば代理権が付与される一定の法律行為の内容を検討して、必要に応じて個別代理権を追加するということで、本人に対する権利制約が過度になりすぎない工夫であるとか、鑑定を原則として、事理弁識能力を欠く常況を安易に判断しない、そういう運用もできる、工夫もできるように思います。   また、少し後半に係ってしまうかもしれませんが、あるいはこのような場合、期間満了で法定後見を終了させる仕組みを導入することも考えられると思います。というのは、例えば事理弁識能力を欠く常況にある方が相続放棄だけを必要としている場合とか、単発的な保護で足りる場合というのは確かにあると思うのです。そのような場合は、申立権者が期間を定めて、短期間の期間を申し立てて、その期間が満了したら当然に終了するとすれば、事理弁識能力の回復の有無にかかわらず、御本人にとって不必要な法定後見を終了させるということもあり得るのではないかと考えました。 ○佐保委員 第1の1ですが、先日、私どもは障害者団体の方と意見交換をさせていただきましたが、テーマは限定しなかったにもかかわらず、そのほとんどの時間が成年後見制度の意見交換になるほど当事者団体の関心は極めて高く、改めてこの場で議論することの重みを痛感しております。当然ながら当事者団体からは、障害者権利条約の勧告を踏まえた見直しが求められています。その観点から、またこの間の議論からも、現行法の規律を維持する方向性は考えられず、改める方向性で中間試案に向けてまとめていく必要があると考えております。   今回、事務局より考え方を幾つかお示しを頂きました。本人の意思を最大限尊重する観点からも、個別の法律行為について、本人の事理弁識能力の程度が不十分であり、保護者による保護の必要性がある場合に、本人の同意を得ながら審判を行う、必要に応じてその積み重ねを行うことを基本に、一元的な制度とする枠組みに見直す方向性がよいのではないかと考えます。   なお、3ページの下段から4ページ上段に掛けて、現行の後見や保佐のように、事理弁識能力の程度に応じて一定の範囲の代理権や取消権が発生する仕組みとすると、念のために保護者に広い権限があった方がよいとの考え方に基づいて、後見や保佐の類型の申立てがなくならず、本人の自己決定が制約される現象が継続するのではないかとの意見が紹介されております。この点、念のため以外にも、当事者団体からは、補助の審理期間が長いため、本人の緊急を要する保護でやむを得ず後見で申し立てる事例があると伺っております。見直しに当たっては、本人の緊急を要する保護は速やかに行えるよう、家庭裁判所の審理期間の短縮の方策も併せて検討していく必要があるのではないかと考えております。 ○根本幹事 まず、部会資料の3ページから6ページのところについての意見を申し上げたいと思います。3ページの(2)の4段落目の3行目に、別に保護を開始する旨の審判を必要としないという考え方を採ることが考えられるという記載がありますが、この考え方に賛成を致します。   個別に代理権を付与すると考えていく場合に、開始の審判という概念が必要なのかという議論と承知をしていますが、現行法の理解においても、14条の補助開始の審判について、立法担当は、補助開始については後見、保佐と異なる独自の構造になるということを指摘された上で、他の条項との表現の共通化や、ほかの規定との平仄を合わせるために開始の審判という概念を14条で入れていると解説しておられます。この観点から、法制上の連続性という意味では、今回の改正によって個別的な付与になるとしても、開始の審判という概念を残すという考え方もあるのかもしれません。ただ、先ほどからほかの先生も御指摘されていますが、権利条約等々の立法事実があるという観点からすれば、今回の改正に合わせて開始の審判という概念は不要となるという考え方は合理性があると思っております。開始の審判が不要な理由は、ラベリングという言葉も出ていますけれども、これは社会的な認識の問題というところはあるかもしれませんが、制度上この後見制度がほかの制度に転用されてしまっているという問題にもつながる点かと思っています。具体的には精神保健福祉法上の保護者の同意の場面かと思いますけれども、制度の転用を認めていかないようにするという観点からも、開始の審判というものは不要ではないかと考えています。   さらに、例えば終了の審判若しくは交代や制度を一度終了した後にもう一度制度を利用するという場面との関係で、開始の審判の概念が必要ではないかという指摘もあるのかもしれませんが、そもそも終了の審判というのは、取引の相手方に対して代理権の付与が終了したということを宣言すると同時に、登記嘱託の問題から、開始の審判の概念が必要ではないかと考えられるとすると、開始においては代理権等を付与するということで、取引の相手方や登記の問題も解消されると思いますので、開始の審判というのは不要ではないかと考えます。後見人の交代や若しくは一度終了した後にもう一度制度を利用するということについては家庭裁判所の事件管理の問題ではないかと理解をしておりまして、必ずしも開始の審判の必要性を基礎付けることにはならないのではないかと考えています。   次に、4ページの2行目の個別の法律行為を離れて事理弁識能力の程度を判断することとしていることが問題である旨の意見が出されていることについて、今申し上げた点が具体的な例といえると考えています。   続けて、4ページの(3)ですけれども、事理弁識能力が不十分であるという方について、その状況にある者を対象とする仕組みを設けるとするという考え方について、私としてはそのような立場を採らないということになりますが、仮にこの立場を採られるということであったとしても、この立場は飽くまでも個別付与との関係では例外的な立場であるということを法制上、明確にするべきだと考えています。少なくとも現状の後見類型の運用とは、概ねの法律行為について意思無能力である欠く常況という法制上の文言と実態上の運用にかなり乖離があると認識をしております。運用を改めるという意味も含めて、常況にあるという文言を変えてメッセージ性も含めて、改正をするべきではないかと思います。仮にこの類型を残すとしても、開始の要件において本人の請求又は本人の同意というものを一つ明確に開始の要件として位置付け、その例外をどうするかということはこの後、議論になると思いますけれども、事理弁識能力を欠く常況にあるという仕組みを残すとしても、本人の請求又は同意を要件として、その例外であるということを明確に位置付ける必要があるのではないかと考えています。   5ページの2の上のところですけれども、事理弁識能力を欠く常況にある方という類型を残すとした場合には、部会資料の指摘にもあるように、現行の後見制度をやめることができないという指摘に対応することが難しくなるという見解に、私もそのように思っています。結局、個別の必要性を個々の法律行為との関係で見るということにはならないことになるのだと思いますので何か特定の行為についての必要性があったか、なくなったかということで終了事由が判断できないということになると思います。理論上の必要性で始まるという言い方が適切かは分かりませんが、理論上の必要性で始まったものが、理論上の必要性がすべからくなくなるということは恐らくないのだと思いますので、そうなると終われなくなるという、この部会資料の御指摘はそのとおりではないかと思ったということになります。   それから、5ページの2の事理弁識能力の位置付けについては、これは(1)の特定の法律行為について保護の必要性を判断する際に個別に判断能力を考慮するとの考え方に賛成するものです。この点について、第2段落の2行目の後見制度を利用する要件であるとするという点は、そのとおりだと思っております。6ページ目の3行目のその内容というのが、本人の判断能力が特定の法律行為の意思能力と連動してくるものであるということは、そのような認識でいますので、事理弁識能力とは異なるということになるのだろうと思います。そうなりますと帰結として、少なくとも後見制度に関する部分についての民法上の事理弁識能力という概念は不要になるのだと考えますので、後見制度以外の場面で出てくる事理弁識能力の概念まで否定するものではありませんが、後見制度においては事理弁識能力という概念には不要になると考えます。   先ほど小澤委員から、診断書やドクターの判断との関係の御指摘はありましたけれども、診断書やドクターの判断が特定の法律行為について個々に判断していくことが難しいというのは、医師によっては確かにそのとおりの御指摘ではあるのですが、それは診断書の書式の問題であると理解をしておりまして、飽くまでも現行法のように、医師に実際の類型判断までをしていただいているということではなくて、飽くまでも司法作用として家庭裁判所が判断されるという整理ができるのではないかと考えております。 ○野村幹事 ありがとうございます。まず、(1)なのですけれども、本人の自己決定権を尊重する観点から、法定後見制度においては本人にとって必要な権限を保護者に与える制度とすべきと考えますので、個別の法律行為について保護者による保護の必要性がある場合に、保護者に代理権を付与する旨の審判又は保護者の同意を要する旨の審判をして、類型は設ける必要がないと考えております。   現行の後見や保佐のように、事理弁識能力の程度に応じて一定の代理権や取消権が発生する仕組みとしますと、本人にとって必要な権限が何かというよりも、支援者にとっての支援のしやすさ、つまり広範な権限があった方が支援をしやすいとの観点から、制度が利用されるおそれがあると思います。一定の枠に人をはめ込むのではなくて、目の前のその人を支援するために必要な権限は何かを考える、本人を中心にした制度とすることが今回の制度の見直しにおいては求められていると考えております。   保護を開始する審判を別途必要とするかについては、リーガルサポート内部でも意見が分かれていまして、代理権付与の必要性がなくなったときに開始の審判が存続する必要性はないので、不要であるという意見がある一方で、期間を設定し、期間満了で終了する方向で制度改正をするのであれば、開始の審判が終了すると整理した方が、特に複数の代理権が付与されている場合には、使いやすい制度になるのではないかとの意見もありました。   続きまして、(2)の事理弁識能力の位置付けのところなのですが、これは今までも申し上げてきたのですが、法定後見による保護の必要性の判断における事理弁識能力の位置付けについては、本人の事理弁識能力を法定後見制度の開始の独立の要件として、保護の必要性の判断の際には事理弁識能力について特段の考慮を要しない、現行の補助と同じ立て付けが実務上は円滑に運用されると考えます。ただし、事理弁識能力を欠く常況にある者についても、本人の権利擁護の観点から、保護の必要性があるかについては、他の者と同様に検討が必要と考えます。   (3)の同意のところなのですけれども、本人の自己決定の尊重の観点から、法定後見の開始に当たって原則として本人の請求又は本人の同意があることを要件とすることは必要と考えています。保護の必要性の要件と本人の同意の要件との関係ですが、本人が自分の置かれた状況や法定後見制度の内容を理解した上で、利用が必要と考えた上で同意している場合は、保護の必要性がある場合が多いと思います。しかし、保護の必要性というものを代理権について、①特定の法律行為の実施について検討する必要性と、②当該法律行為について第三者に代理権を付与する必要性と考えると、例えば、他の支援によって対応可能である場合など、本人の同意があるイコール保護の必要性があるとはいえない場合もあるかと思います。また、法的に有効な同意をする能力があるものの有効な同意があるはと認められない場合は、本人の意思を最大限尊重して、法定後見制度ではなく、他の方法で支援することとなると思います。現行の保佐、補助で、本人の同意がない場合には代理権の付与は認められていませんので、同様の規律でよいと思います。   ただし、セルフネグレクトなど本人の生命・身体・財産に重大な損害が生じている又は生じるおそれがある状況にもかかわらず、本人が拒否している場合には、そもそも同意能力がないとの整理ができると思います。法的に有効な同意をする能力があるとはいえない場合であっても、保護の必要性がある場合はありますので、権利侵害が既に発生しているような、本人保護の必要性が非常に大きく、本人にとって見過ごすことができない重大な影響が生じる場合には、必要性について、より厳格に審査することによって、法定後見の開始を認める必要があると思います。この点については実体法上の要件とした方が、より本人の権利擁護に資するのではないかと思います。   以上のように考えますと、抽象的又は将来的に必要となる法律行為を対象とするケースについては、個々の必要性を認めることは一般的には難しいのではないかと考えますが、例えば、消費者被害のおそれがあって取消権の付与が必要な場合には、本人の現在置かれている環境や本人の過去の被害状況などによっては、保護の必要性があると考えられるケースもあると思います。 ○佐久間委員 多分8点あります。   最初に、資料全体として、今回、説明も含めて、これまでの議論を踏まえて大変よく整理をしていただいていると思いました。そのために、それぞれの考え方についてこういう問題があるというのは、確かにその問題があって、今後考えなければいけないし、まだこういう問題が残っていますねということが出てきたとしたら、それはこれまでの議論が不十分、これからも調査審議は続くので特に問題はないのですけれども、まだ不十分であった点だろうと思いました。そういう観点で、大変すばらしい資料だと思いました。   その上で、1点、資料の作り方について最初に聞きたいのですが、例えば最初に、現行法の規律を維持する考え方のほかにと書いていただいていて、これは3類型案もまだおよそ否定したわけではないということを意味していると理解していますけれども、そうであるとして、そうすると結局、現行の3類型と全く同じであるかどうかはともかく、3類型を維持する、2類型にする、類型分けはしないという三つが、論理的にそれしかないと思うのですが、出ているのですけれども、それぞれの中身というのでしょうか、これはまだ別途検討するということなのか、一部この中にも入っているのですけれども、ここで検討するということなのか、それを最初に、ほかのことと切り離して、お教えいただけますでしょうか。 ○波多野幹事 佐久間委員から今御質問いただいたところは、お答えになるかどうか分かりませんが、今回の会議である程度詰めていただけるところがあれば詰めていただきたいという意図はあるのですけれども、この部会資料10を今日終わることを一応念頭に置いておりまして、そうしますとどこまで踏み込めるかというのは、時間のこともありまして、なかなか難しい部分もあるのかなと思っていたところでございます。   例えば、事理弁識能力を欠く常況にある者について別途の仕組みを設けるとした場合に、一定の範囲をどのように考えるのかということは、今回の資料では正面から取り上げていないところでございまして、ここを取り上げますと恐らく時間が足りないだろうということもあり、見送っております。ただ、中間試案までにはどこかで議論をしていただかないといけないという認識はあるというところでございます。 ○佐久間委員 結構です。私は中身を議論しましょうということが言いたかったのではなくて、ただ、1点だけ申し上げたいのが、3類型維持というときに、例えば現在の後見について私はこう考えるというのは以前申し上げたところですけれども、現在の保佐についても、それに連動してとなるのか別個なのか分かりませんが、ここはこう変えるべきだというようなことは出てくるはずだし、それは考える必要があると思っています。それをざっくりとしたことでも今日お話をすべきなのか、それとも、私は3類型維持案も中間試案には用意すべきだと思っておりますので、その場合はどういう考え方でということは、後日なお議論の機会があるということであれば、今日申し上げないでおこうと思っていました。そのようなことで伺った次第ですので、今日は、その点には立ち入らないということで承知しました。   2点目なのですけれども、(1)アで、個別の法律行為について保護者による保護の必要性がある場合には、個別の法律行為の権限を与えるということが提唱されていて、それ自体はあり得ると思います。けれども、この「個別の法律行為」という言い方について、例えば、ある不動産の売却とか、ある不動産の賃貸とかというのは個別の法律行為だと思うのですけれども、そういう権限の与え方ばかりではなくて、所有不動産全般の管理とか、金融取引全般というのかどうか分からないけれども、銀行取引でもいいかもしれません、そういう場合には「個別の法律行為」という表現は適切ではないと思うのです。アの考え方を支持される方が多数おられることは存じておりますけれども、その方々にとって「個別の法律行為」という言い方でいいのかということを、是非今後詰めていただきたいと思います。今日の範囲でも関係してくることがあります。   3点目は、(1)イの4行目かな、「それらと同時に保護開始の審判をする」ということが考えられていて、アの場合については特に挙げられていないのですけれども、既にその場合にどうするかという御議論はあったところです。そこから分かるとおりというか、アについても、やはりそれをするかどうかというのは問題となりますねということが一つと、これをしないで済ませられるのかというのは、理屈の上では何とでもなるような気はいたします。複数の権限を付与するとか、ある程度の包括性のある権限を付与するということになってもいいと思うのですけれども、事実の問題として、一個一個の審判で、それしか制度として設けないというときに、後でいいので教えていただければいいのですけれども、審判を一つ一つ取り消していくという場合と、全部一括して取り消すというときに、必要な書類とか手数料というのは変わってこないのかなと思いました。もし変わってき得るとしたら、幾つかの権限を付与される方が少なからずいると思うのですけれども、その人たちにとって、開始の審判があることによって、ラベリング効果がうんぬんということがある、デメリットがあるということは伺いましたけれども、それはそもそもが個別の審判をされても同じようなものだ、五十歩百歩だと私は感じるので、そういう理念的なところだけではなくて実際的なところはどうなのかなと。変わらないのだったらいいのですけれども、例えば10個の権限について付与されている場合に、一つ一つ取り消していくときは一緒ですけれども、もう全部要らないですとなったときに、いちいち取消しの手続をとるのは結構大変なのではないかと思います。ですので、そういうことも考えないといけないのではないかということが3点目です。   次に4点目は、1のイの、私はこちらを支持しているわけですけれども、この場合に、5ページに、それでは制度の利用を終えられないではないかということが記されており、本日既に何人かの方からも言及があったところです。これについては、終われないではないかというけれども、竹内裕美委員がそうおっしゃったと思いましたが、必要があるのだったらしようがないと私は思います。では必要がなくなることがおよそないかというと、この場合だって、数は限られているかもしれないけれども、あるのではないかと。一つは竹内裕美委員がおっしゃったような、そもそもが制度開始のときの工夫をするということによって、それが考えられるということと、およそ本人がもう自分で行為をすることは考えられないという状況になったとすると、取消権について考える必要はなくなる。代理権についても、その代理の必要は想定されないというのであれば、別に終了したって私は構わない、終了させてはいけないというわけではないと思います。結局必要性があるかないかで、ないと判断すればやめればいいし、あるのであればやめてはいけないと私は思っています。   そうすると、私自身がいろいろこだわってきたところの中の一つに、通知の到達についてどうするのだ、意思無能力状態なのに、ということはあるのですけれども、これは、こう言っては何ですけれども、ここを手当てしようがしまいが、制度を利用しない方の中に継続的に意思無能力の人が存在する、その人に関して何ら法に手当てがないというのは明らかな事実なので、それとして考えるべき問題が、ここをどうするかにかかわらず残ると思います。少なくとも後見等の制度利用の必要が本人になくなったとしたら、この審判の開始による保護を受けるかどうかは元々自由というか、誰かの申立てに委ねられているわけですから、他の制度や規定が使えなくなることがあっても、一旦使われていたところが使えなくなっても、それはしようがないというか、当たり前のことだと思っています。   それから、個別の代理権付与だったら制度利用を終えられなくなる心配がないかのような御発言が幾つかありましたけれども、例えばですけれども、銀行取引というふうにして代理権を付与してしまいますと、銀行取引の必要がなくなったのだということが本当に言えるまでは、これは終わらないわけです。個別の代理権であっても、その個別の代理権がずっと必要な場合だったら、この問題はやはり残ってくるということになろうと思います。   利用をやめられない制度はだめだということについて権利条約との関係なのですが、言っては悪いけれども、国連は我が国の社会について全く責任は負ってくれないですし、これまで事理弁識能力を欠く常況にある人というのは、我が国で考えると、明らかに認知症の人がメインターゲットなわけです。認知症の方で全く発話もできませんという人については、また別かもしれませんけれども、そうではない、非常にアクティブだという人について、状況がよくなることがあるとは思えない、経験上というか、多分医学的にもそうなのだと思います。その人について、状況が変わらないのに制度の利用をもうやめなさいというのは、ある意味、とんでもない面を含んでいると思います。全面的におかしいとまでいうつもりはありませんけれども。そうだとすると、権利条約で言われているということだけで、飽くまでだけでです、だけで一定の方向に議論を進めるしかないという考え方は、少なくとも現在においては採るべきではないと思います。ただ、社会においてこうしましょうというコンセンサスが我が国においてできることはあり得るはずなので、それができれば、それに従うことになるのだと思います。以上が4点目です。   5点目は、これは先ほどのことに関係するのですけれども、(2)アで個別の法律行為を基準にして事理弁識能力を考えるということなのですけれども、まず、本当に可能なのだろうかと思います。ある特定の不動産をすぐに売却することに関して代理権を与えるというときだったら可能だろうと思います。けれども、所有する不動産の管理全般ということになった場合は、その管理のうち一番難しい事柄を基準に考えることあり得るのかもしれないけれども、何が一番難しい事柄か、何が一番大変かを考えることができるのだろうか、ということが一つです。そもそも、もしそれが可能だったとしても、適切かという問題もあって、能力というのは時の経過によって変わり得るわけです。認知症の方をメインターゲットに考えた場合、通常は時間の経過とともに更に能力が低下するというおそれがあるわけで、そうすると、申立ての時点ではある行為について判断能力がありそうですねとなっても、もう少し先になったら分からないということになりますので、個別の法律行為を基準にすることが本当に可能なのか、適切なのかということについては、よく考える必要があると思います。   6点目は、(3)にまいりまして、(3)そのものではなくてアに関連することとして、9ページ以下で、同意能力のある方について本人の同意なしに制度の利用を開始することの是非について論じられています。その場合に、例えば本人が単に同意しないだけではなくて、明確に制度の開始を拒絶している、その際意思能力はあると考えられる、この場合に、それはいろいろな場面は考えられますけれども、例えばセルフネグレクトの例も出ました。私がもしセルフネグレクトで問題だというような状況に今あったとして、私は多分判断能力にそれほど問題はないと思っているのですけれども、他人が干渉できるかといったら、本来できないはずだと思うのです。事理弁識能力が不十分な人もそれと同じに扱いましょうというのが、本人意思の尊重の意味だと思います。そうであるところ、本人の意思を尊重するということを制度設計において非常に強く押し出すというときには、この場合は保護の開始はできないということにならざるを得ないのではないかと思います。   また、もし保護を開始したとしましても、これは少し別の面からになりますけれども、本人意思尊重義務というのが今もあり、それを更に強く押し出してはどうかとしているところ、本人が拒絶しているのに代理人か何かが選ばれてしまいました、その人の事務処理を本人が続けて明確に拒否していますというときに、この代理人、保護者は本人意思尊重義務に違反せずに権限を行使することができるのかというと、これはできないのではないかと。権限を行使する方が望ましいことはあるかもしれませんけれども、できないのではないかと思います。そうすると、やはりこの場合に代理人というか保護者を選任することは適当ではないと思います。   今のところこの問題は多分起こっていなくて、それはなぜかというと、現行制度は本人の事理弁識能力の程度に応じて、本人の意思の尊重を重視する場合と、強制的なものも含めた本人保護を重視する場合との使い分けというか、バランスをとっているのですね。3類型維持案を除いては、私がこれがいいのではないかと申し上げた2類型案も含めて、このバランスを崩そうとしているわけですから、そのバランスを崩すのであれば、基本思想をしっかり共有して、その共有した基本思想から一貫した制度設計をしないといけないとここの関連で思っています。これが6点目です。   次に7点目で、これは2ページの(3)イに関することで、本人に法的な同意能力があるとはいえない場合に関してのことです。これはまた質問になるのですけれども、すみません、10ページ以下から、事理弁識能力が著しく不十分である者についてもケースによっては有効な同意をすることができないことがあると。理屈の上で二つの能力は違うから、こういうことがあるというのは分かるのですけれども、具体的にどんな場合なのか、想定されているケースが実はよく分かりません。これは結局、事理弁識能力は不十分ながらもあるということ、著しく不十分かもしれないけれどあるということが前提とされているところ、例えばここで代理権が保護者に付与されたらどうなるのだ、同意権が付与されたらどうなるのだということを丁寧に説明しても、精神上の障害によって理解できないという場合に、事理弁識能力を欠く常況にないというか、法律行為をする意思能力がそこそこありますよねということが、どんなときに考えられるのか。そのようなことはないと主張しているのではないのですけれども、典型例があれば、これは事務局でなくても、委員、幹事の皆さん方でもいいのですけれども、教えていただければ、これをどう考えればいいかを考えられるなと思ったところです。   最後に8点目ですけれども、事理弁識能力が著しく不十分な者についても、場合によっては同意なくしてある権限付与をしてはどうかという考え方があるということが、何人かの方から、これまでも含めて述べられてきていると思います。多分ですけれども、3類型を維持することを考えた方がいいのではないかというのは、正にこのことを考えようとするものなのではないかと思うのです。というのは、3類型維持案を支持しようということではないのですけれども、現在の3類型というのは能力に応じた保護の在り方を追求してきたわけです。事理弁識能力を欠く常況にある人についてはこうですねというのは割と分かりやすいのに対し、不十分な人の中でも著しいか、著しいとまではいえないかは、ぱっと線を引けるところではありませんけれども、著しく不十分な人についてはやはり、より強い保護を与える、本人の意思の尊重という理念を後退させて保護の理念を強めるということがあってしかるべきだという考え方に基づくものだと思うのです。ですから、ややほかの方に対する批判ということになってしまうかもしれませんが、本人の同意がなくても、こういう場合はいいですよねとおっしゃるのであれば、そのときについては、その本人の同意がなくてもいいと考えられる方の判断能力の程度と当該事務の重要性についてどう考えるかをはっきりしておかないと、なかなか立法にはできないのではないかと思っています。   大変長くなりまして申し訳ございません。以上です。 ○山野目部会長 1点目でお話しいただいた点でありますが、部会資料10の1ページの冒頭のところに現行法の規律を基本的に維持する考え方というものが出てきて、そこに、なお、で始まる括弧書でありますけれども、開始の場面で現行法の規律を維持するとしても、とあって、例としては、期間制や定期的な見直しというものを挙げていて、その後に、する等の仕組みを設けるという留保を付けておりまして、ここの等は、多分ないでしょう、という意味の等ではなくて、仮に3類型のフォーメーションを維持していく際にも様々な手直しをしなければならないものでありまして、そこに例示として挙げているものに限定されるわけではありません、ということを伝えようとしている等でありますから、佐久間委員から問題提起を頂いた点については、今後広く論議の可能性が開かれていると受け止めていただければ有り難いと存じます。   2点目でおっしゃった点ですが、個別の法律行為という表現が適切かということの問題提起は、なるほどと感じて承りました。佐久間委員におかれて今、何か代案がおありでしょうか。現行法は補助のところで特定の法律行為という文言を用いていますけれども、あれと狭い、広い、様々な感覚はあるかもしれませんけれども、何か佐久間委員におかれて今、個別の法律行為ではなくて、こんな言葉があるというのがあったら、仰せください。 ○佐久間委員 事項を特定して、ぐらいの方がいいのかもしれないと思いました。こなれていないのは分かっていますし、法文にできないかもしれないということも分かっていますが、そういった使い方の方がいいかと思いました。 ○山野目部会長 差し当たり中間試案の段階は、意見を社会の各方面から出してもらうために分かりやすく伝えることが大切ですから、法制的な洗練に余りこだわると、かえって分かりにくくなってしまうかもしれません。今、一つのヒントを頂いたと感じます。   3点目でおっしゃった点ですけれども、部会資料10の1ページの(1)アについても、保護開始を包括的に定める審判という観念があり得るかどうかということが論点になるであろうという御指摘は、なるほどそうであろうというふうな印象を抱きますから、これは中間試案に向け、御指摘いただいた点に留意するということにいたします。   4点目におっしゃった点ですけれども、(1)イの考え方で行ったときの、異なる規律で始まった重い類型というのでしょうか、これが終わらないのではないかという疑惑があると、その疑惑に対して今、佐久間委員の方から、それはこう考えた方がいいという御説明を頂いた点は、この部会資料において、終わらないのではないかという問題提起を差し上げていたことに対するお答えを頂戴したと受け止めまして、有り難く感じました。その上で一つ、二つ、三つほど佐久間委員にお声がけを致しますけれども、要するに、必要性がなくなれば、終わらないわけではなくて、終わることは十分にあり得るというお話だったわけですけれども、そこで言っている、必要があるから始まって、だからその必要がなくなったら終わるでしょうというときの必要な事務には、保存行為であるとか通知を受けるような受動代理のようなものは、それがあるからずっと続くというような必要性概念の取扱いをしないとおっしゃったように聞こえましたけれども、その理解で間違いありませんか。 ○佐久間委員 そうです。 ○山野目部会長 その上で、その話の続きで、もう一つお尋ねがあるのは、この異なる規律で行ったときにも、必要性のチェックで始まって、必要性がなくなったら終わるから、だから終われるではないかというお話ですが、実はこれは、始めるときと終わるときとの間にはきっと期間がある程度経過していると思われます。現行の家事事件手続法の規律で、仮にそれを前提として言えば、後見開始の審判をした家庭裁判所が取消しの審判についても管轄権を持っておりますから、一応形の上では同じ裁判所が判断をするということになり、開始のときにこういうふうな、審判書にも書いてあるし、必要性があるから始めたのですよね、でもそれがなくなったから、仮に事理弁識能力を欠く常況であったとしても終わりましょうというふうな運用が可能になると一応いえるであろうと思いますが、ただし、時間の幅があるとすると、同じ裁判所がといっても、裁判官の異動もあるわけでありまして、開始のときの審判書を取り出してきて、どこに着目して開始の裁判官は開始を決めたのであろうかというものを読み込んで、関係者に対して必要があれば立証であるとか資料提出を促すというところが円滑に行くかという点は、少し気になっているところがあって、もしこの佐久間委員の御構想で行くときには、もう少しはっきりと開始の審判のときに、この必要があるから開始しますという観点が何か、理由をよく読み込むと初めて分かるみたいなのではない工夫が要るかもしれないなと感じました。これは佐久間委員にもお考えいただきたいし、委員、幹事においても引き続き考えていかなければいけない宿題だと感じます。   なお、4点目に関して、国連の条約に関しての発言をするのがどうかというお話がありましたけれども、幅広く御自由に議論していただくことが重要であると感じます。   5番目でおっしゃった、事理弁識能力というものを個別、特定の法律行為と関係させて判断することが可能か、適切かという問題点の御指摘は、中味について一面のごもっともな指摘を頂いたところでありますし、また、これと異なる意見もありましょうから、今後議論が深められていくとよいだろうと感じます。   6点目でございますけれども、本人の同意なしに開始することがあり得るという議論がされているところについて、若干の曖昧さがあるということを掘り込んで明瞭にしてくださった6点目の御発言であったと感じます。考えてみますと、本人の同意が表明されていて同意の能力もあるというときに、同意があるのを確認して開始をする、それから、同意を表明する、表示することができる状況でないときには、それがなくても開始することがあり得るというふうな議論をこれまで受け止めてきて、部会資料に今日それを記しておりますけれども、実はこの中間のところに佐久間委員がおっしゃった非常に重大な局面がもう一つあって、本人に同意の能力があると見られる場合において、本人が強く拒んでいるときに、それでも開始することがあり得るかという点は正面から議論しておかなければなりませんという御注意でありまして、それはごもっともなことでありまして、今後、部会資料を作っていくに当たっても、そこについての御議論を意識して委員、幹事において、なさっていただくことができるような工夫を積み重ねていきたいと考えます。それと恐らく通底することを8点目でもおっしゃいましたから、8点目についても同じような向き合い方に今後、努めていきたいと考えます。   7点目でおっしゃったことでありますけれども、1(3)イの論点のところで、同意能力がない、あるの問題と、事理弁識能力がある、ないの問題をきちんと組み合せて、もう少し精密に議論してほしいという御要望につきましては、そこのところをもう少し深めて削り込んで、議論を深めていかなければいけないというところは確かであると感じられますから、今後の委員、幹事において、ただいまの佐久間委員の7点目の指摘も参考にしていただければ有り難いと感じます。   佐久間委員から包括的に8点にわたる御指摘を頂きましたから、私の方から若干整理を致しました。 ○青木委員 私も少し長くなり恐縮ですが、よろしくお願いいたします。   まず、1(1)の部分については、従来から申し上げていますとおり、(1)アによるべきであり、「事理弁識能力を欠く常況」の場合を区別することには明確に反対をいたします。まず、第1回の部会ときにも議論しましたけれども、自律の保障、権利条約の理念というのは、決して権利条約だけの理念ではなく、現在の日本における様々な制度においても、ご本人には意思決定能力があるものと推定して、その意思を支援をしてご本人にできるだけ決めていただこうということを基本的な指導理念にしていきましょうということが日本国内も含めて支持されているものであり、先ほど佐保委員がおっしゃった各障害者団体も、そのことを基本に置いて議論していると思われます。したがいまして、まずはこの理念を踏まえて考えるときに、どんな重い障害があると見える人についても意思能力が全般的にないのかどうかは分からないという前提に立って、その中で、現時点において、やはりここは意思能力がないと確認されるものについて、必要な保護を考えて代理権等を付与するという制度でなくてはならないのであって、ご本人の能力がまとめてないとして属人的なものとして判断するという発想自体を持つべきではないと考えます。   その理念に基づく制度とすることが実務的に支障があり、本人の保護に欠けることがあるというのであれば、もちろん考慮しないといけませんが、今から述べることも含めて、個別の必要性を検討して特定の代理権を付与するということによって、保護の必要性は十分にカバーできるものであると考えています。そもそも障害者権利条約は、代理権の付与する制度自体を廃止して全てを意思決定支援による制度にしましょうということを求めていまして、それはすぐに実現するのは難しいものではありますけれども、少なくともその発想に立った上で、まずは、個別に必要なものについて特定の代理権や同意権・取消権を付与するというところに踏み出すべきであるというのが日本の状況であると思います。   資料10の記載には、2ページの中頃において、現行制度に関するご説明として、事理弁識能力の程度で分けて必要な保護の範囲を明確とする仕組みであって、裁判所もその枠組みを越えたことができないのがメリットであるという記載がありますが、立法当初はそう考えておられたかもしれませんが、実際の運用をする中で、これによってご本人の必要とは無関係に判断能力だけで権限の枠組みが決まってしまうということが、本人にとって過度な権利の制約になったり、本人が使いにくかったり、ニーズに合わず硬直的だということで制度利用が進まないということの大きな要因になっているということは、既に何度もこれまでの議論の中でも出てきておりまして、そういった現行制度のマイナス面もしっかりと指摘をする必要があると思います。   また、裁判所が必要を超えて本人の権限を制約することを抑制するといいますが、これについては、本人の同意をしっかりと位置付けることにより、かつ、本人の同意が得られない場合には必要性を吟味することにより、裁判所の抑制的な権限付与ということが新しい枠組みの中でも十分にできることでありまして、必ずしも現行制度の利点と捉えるべきものではないと思っています。始まるときも柔軟に、終わるときにも柔軟にという制度にすることが今回の改正のニーズに一番にこたえるものになるのであって、それに反する「事理弁識能力に欠ける常況」による類型化というのは適切ではないと思います。   これまでの議論の中では、一旦包括的な代理権を付与しておいて、必要がなければ引き算をすればいいというご意見がありましたが、この発想は、結果として、制度開始の時には必要性の判断を吟味をしないまま始めてしまい、何らかの事情が生じなければ引き算はしないという運用を追認するということになります。正に、後見類型の現状がその状況にあると思います。現行では、申立ての動機はあっても、動機に過ぎないのであって、動機以外のその他の法律行為や事務に関して、本人に必要かどうかということは吟味しませんので、結果としては本人や申立人が想定した以外の事についてまで広範な代理権が付与されてしまうことの弊害ということが指摘されているわけです。   また、実務の運用としても、「事理弁識能力に欠ける常況」にあるかどうかの認定を厳しくするというのは困難でありまして、提出された診断書に基づくしかないというのは、裁判所からもこれまでにご発言があったところです。「事理弁識能力に欠ける常況」という用語・概念を使う限りにおいては、現行と同様に広範な判断能力の対象者にこの適用がなされ、原則と例外が逆転する運用を防ぐことはできません。それは法制度の問題ではなく、運用の問題であるとして片付けることができないのは、この25年間の実務が示しているものです。支援のしやすさという観点からは、包括的代理権があった方がやりやすいということもあり、本人以外の方々の都合や思惑により制度利用が進んでしまうという弊害を打ち破ることは不可能です。これを食い止める具体的な制度案があるのであれば、是非そのことを、包括的代理権を残すことを支持する皆さんからご提案いただきたいと思います。   それから、指摘しておきたい見過ごせない最大の問題は、本人の最大の権利侵害ともいうべき、後見人等の不正の大きな要因の一つとして、包括的代理権があるということです。使う必要のない財産も含めて全てを預かって管理することができる包括的代理権があることによって、多くの不正事案が起き、裁判所において親族後見人の不正防止のため、後見制度支援信託・支援預貯金という制度をわざわざ作らざるを得なかったということです。不正は本人の権利侵害の最たるものですから、今後、国民の中からも包括的代理権と不正防止との関係を問う声が出るものと思われます。   加えて、一部であれ、終わることができない類型を作ることになる、ということも大きな問題です。さきほどから、竹内裕美委員や佐久間委員がおっしゃった、終わることができるかもしれない状況を作れるではないかとおっしゃっていただいた具体的な事例や場面は、包括的代理権を付与した場合には、一定の判断能力認定イコール法的な効果とすることには終われないことであり、逆に言えば、そういった終われる状況を考慮をされるということであれば、制度利用時においても同じ考慮をすることによって、事項ごとに特定の代理権を付与する、ことによって、保護の必要性は十分にカバーできるのであって、逆に終われないというものを作ってしまうというところに大きな弊害があると思います。   加えて、現行制度においては、「被後見人を代表する」と表現されている包括的代理権によって、様々な制度への転用、行政手続や福祉手続、あるいはキーパーソンとして家族同様の対応をさせられるという広範な役割になっていることがあり、後見人の役割というものを明確にして他の支援者としっかりと役割分担をしていくということにならないという問題を抱えるものにもなっています。   特定の代理権を付与していくことで必要な場面をカバーすることができることは、私が6月の部会に提出したシミュレーションにおけるケースGの遷延性意識障害の事例を見ていただければおわかりいただけることだと思います。これについては、追加代理権の付与は大変ではないかというお話もありますけれども、ご本人さんの同意を要件としない類型においては、今後オンライン申請ができるようになれば、印紙代については佐久間委員がご心配されるような特定の代理権の数ごとに印紙代が付与されるということは現行でもありませんので、心配はありませんので、全国各地で今より速やかに代理権の追加付与が可能になっていくだろうというインフラの整備予測も見越せば、追加代理権の付与について御心配するようなことにはならないと思われます。そして、現在でも保佐や補助において、特定事項ごとの代理権目録・同意権目録が整備されていますので、それを意思能力が多くの場合になかろうという方についても、事項ごとに確認をしていくという実務は十分に可能と思われます。   それから、保存行為とか意思表示の受領については、包括的代理権を付与しておくことが必要ではないかというご意見が前回までに出ていましたけれども、保存行為につきましては、緊急を要する場合には、審判前保全処分において財産管理人を選任し保存行為を手当てするということは今後も可能であると思われます。それから、意思表示の受領の問題は、佐久間委員もおっしゃっていただいたように、意思表示の受領能力のない方全般についての問題として別に扱うものであって、この問題をクリアするために包括的代理権を入れるという理由にはならないものだと思いますし、実務的には、意思表示の到達後の具体的な権利行使のところで手当てをしていくことによって十分に可能ではないかと思われます。   また、そういった包括的代理権を付与しないことによって取引社会から排除される心配はないかという御意見もあったと思いますけれども、当初からの取引を開始するときに御本人が自分で取引行為ができないとなれば、進んで本人さんは進んで申立てをし、あるいは家族が申立てをすることに本人が同意することによって、制度が利用されると思います。利用することによって、本人の望む取引に入っていくことができると思います。また、途中から意思無能力の状態になったときのことを事前に想定して取引を逡巡する取引の相手方というのがあまり想定できませんが、そうなったとしても、特定の代理権の付与を中心とした制度になることによって、これまでのように後見制度を使うことへの躊躇は大幅に減ると思いますから、取引の相手方との関係で、途中でご本人さんが意思表示の受領できなくなったり、権利行使が難しくなったときでも、その段階で制度利用することによって、取引の相手方も安心して取引社会を同じように作っていくことが可能になると思われます。   以上のことから、包括的代理権が必要という理由は、理念上の要請だけでなく、様々な弊害があり、それがなくともいずれも他の方法で十分にクリアできると思いますので、制度の根幹に関わるところで、二つの道を区別する制度を残すべきではないと考えています。   それから、開始審判の形式についてですけれども、現在は後見と保佐があるから補助についても開始審判がされているとは思いますけれども、今後は、代理権付与についても、同意権・取消権付与についても、後見人の選任の審判についても、それぞれその審判をしていただいて、それぞれそれを取り消して終了するということで運用されることになるのではないかと思います。あとは事務処理手続の問題として、人単位で事件管理をするところについては、開始審判という形式以外の方法で事件管理をする方法を考えることではないかと思っております。   事理弁識能力の用語・概念につきましては、資料10でまとめていただいているような平成11年改正のときの説明を前提としますと、特定の法律行為や事項を離れて、属人的にご本人さんの能力を評価し、意思能力とは別に、意思能力のようにあるなしではなくて、程度について十分、不十分ということを考えるということになりますので、代理権や同意権・取消権付与の必要性との関係で求められる能力判断を超えたものになってしまい、加えてラベリングの問題もありますし、ご本人さんに不要な点についてまで裁判所が判断するということにもつながると思います。   その場合に、今後の判断能力についての考え方はどうなるかといいますと、申立てのあった代理権や同意権・取消権付与との関係で、ご本人さんが意思能力があるかないか、意思能力があるとしても不十分ではないか、どの程度不十分かという程度を考えるものとして、事理弁識能力とは別の概念として、新しい事理弁識能力というのか、従来使われている概念とは別の概念が必要なのではないかと思います。   ただ、このことは、診断書でその能力の判断を求めるということを意味するわけではないと考えています。診断書としては、ある程度類型的な法律行為を念頭に、どの程度の判断能力があるか、例えば日常的な買物ができる能力があるか、不動産の売買ができる能力があるか、更にそれ以上の高度な法律行為がどうかという程度のことぐらいは医学的にも判断いただけると思いますが、それを基に、裁判所が特定の事項の必要性の中で判断能力を判断するのであって、医師の診断書で、代理権付与の事項ごとに何らかの医学的所見を言って書いてもらうことを意味しないと考えます。医師には、入口としての判断能力の不十分さということだけを診断書に基づいて考えればいいと考えます。   最後に、本人の同意ですけれども、これについてもアの説によるべきだということで、事理弁識能力に欠ける常況で区別すべきでないというのは既に述べたとおりということになります。そして、ここでも、本人の同意というものを属人的に固定的に考えるのではなくて、できるだけ本人の意思決定支援をしっかりと身近なチーム支援でしていただいた上で、できるだけご本人に制度利用についての理解をしていただいた上で同意をしていただくということを現場で実践していただいた上でご本人さんに制度利用につき同意する意思能力があるかどうかを判断していただき、それが難しい場合には、高度な具体的な必要性を考慮して、ご本人の同意が明らかでない場合にも代理権等を付与するという制度はやむを得ないと思います。ただ、これも包括的に権限付与をする必要はないのであって、特定の事項ごとに一つ一つについて判断能力の程度を確認してやっていくということだと思っています。   本人に同意する能力がない場合に求められる具体的必要性につきましては、高度の必要性、具体的な必要性が必要だと思っていまして、ここについての要件設定をしっかり明記すべきだと考えております。代理権付与については、現在の最高裁の意思決定支援ガイドラインにあります「本人の生命・身体・財産に重大な影響を及ぼす場合」ということが参考にはなりますが、重大な影響を及ぼす場合という要件では重すぎるのではないかというのが法制上の理解だとすれば、高い必要性がある場合についての法文案を考えた上で、同意がある場合と区別をするということが重要だと思っています。また、同意権・取消権の付与については、代理権以上に本人への権利制約が強いものと思いますので、本人が同意能力がない場合の同意権・取消権の付与については、やはり重大な影響がある場合というような限定的な要件が必要になるのではないかと思いまして、この二つの違いをしっかりとこの部会でも議論して、どのレベルの必要性を想定するかということだと思います。   先ほど佐久間委員からもありました、10ページの下のところの著しく不十分な者の保護の必要があるかというのは、この論点にも関わってくると思いますけれども、現行の保佐や補助で代理権付与できない、補助で同意権・取消権が付与できないという場合についてまで、今回の改正で付与できるようにするという方向性ではないと思っています。私も現行の保佐制度で「著しく不十分」と判断された方の中に制度についての同意能力がない場合というのは、なかなか想定はしにくいと思いまして、むしろ考えるべきは、現行でいうと後見類型とされている方の中にも、ご本人に同意能力がある場合と同意能力がない場合というのが分かれてくるのではないかというところをしっかりと想定をして、その判断ができるようにしていくということが重要ではないかと思っています。   長くなりましたが、以上でございます。 ○山野目部会長 青木委員のお話を伺って、整理のため一つ、二つ、三つほど話題にしておきます。   1点目は、印紙代の点は心配が要らないとおっしゃったのですが、心配が要らないかもしれませんけれども、佐久間委員は御心配で問題提起をしていて、これから作っていく制度のことですから引き続き悩んでいきましょう、ぐらいにしておきましょうかね。それから、保存行為や受働代理のことを言い出したら、それで必要性は簡単に満たされてしまうし、一旦始まったものは必要性が消えることにはならないという御意見もありましたが、と青木委員のお言葉にありましたけれども、多分その御意見を言っている人はいないか、いなくなったと見ます。そこはそうは考えなくて、もっと実質的な必要性を考えていきますよ、ただし、それにしてもそこから先、いろいろ考え方が枝分かれしていく部分があるかもしれませんねという委員、幹事の御議論の状況になっているとみられます。   それから、青木委員にお尋ねですけれども、包括的な代理権を保護者に与えることの危うさということを繰り返し青木委員がおっしゃっておられて、これは重要な御注意てあると感じます。本人が包括的な代理権にして欲しいと望んでいる場合というものは、どう考えますか。 ○青木委員 ご本人が、先ほどの同意能力のところの能力がおありになって、制度の理解ができた上で、代理権目録を見て一個一個するよりも包括的と仮におっしゃった場合に、そのことが理念的には否定されるものではないとは思います。後で申し上げることになりますが、終了のときに本人の同意の撤回だけで直ちに終了にはしないという考え方に立ちますと、私もそう考えますが、その場合、いくら本人が包括的な代理権でよいと同意をしたとして、開始の段階で各代理権について必要性を吟味しないことをしておきますと、終了のときにその必要性の吟味ができなくなるということになり、終わることができないことになります。そういうことからしますと、結論としては、幾ら本人が包括的な代理権に同意したとしても、客観的な個別の必要性を開始のときにおいて確認をしておくことが重要なので、結論としては消極意見ということになります。 ○山野目部会長 御意見は委曲を含めて理解しました。そういうことを話題にした背景には、余り良い喩えではないかもしれませんけれども、よく知っている人とじっくり話したいと思ってレストランに行ったりして、席に着いてこれから話そうというところにサービスをする店のスタッフの人が来て、お客様、一品ずつ御説明させていただきますかと述べられると、いや、この人と話したいので、少し煩わしいな、という感覚から、コース・メニューはありせんかと尋ね、AコースとBコースを御用意しておりますと告げられると、ではAコースにしておいてください、と、こういう注文の仕方が楽であるという人生経験はみんな持っているわけで、それと構図が相似するようなことというものはこちらでもあるかもしれませんから、それでお尋ねをしましたけれども、あながち否定はしないけれども慎重に判断しなければいけないという御注意をよく理解することができました。   引き続き、お手をお挙げになった委員、幹事のお話を伺ってまいります。委員、幹事に本日の部会資料10を題材とする論議の仕方について、若干お心掛けいただきたいことがあります。部会資料にはいろいろな案が、それぞれ枝分かれする仕方でありますという整理を御提示申し上げております。私は、ここに挙がっているうちのこれが魅力の案だと思うのです、それから、異なるこれこれの案は魅力がなくて大いに問題がありますという御発言にとどまるのであれば、やめていただけないでしょうか。それはもうこれまでたくさん聞いてきておりまして、部会資料には書いておりませんけれども、それぞれの考え方の後ろに括弧誰々と書いてもいいくらい、お手をお挙げになった瞬間に、もうこの意見を仰せになられるでしょうというのは事務当局においてよく承知しております。ですから、この整理でパブリックコメントに進めると国民から見て分かりにくい文章の建付けになっているとか、言葉遣いがこれでは一般から見ると、ここで一所懸命議論したことが伝わっていませんよとか、何かそういう注意が頂けると、次の資料を事務当局が作成していくときに、うれしいなという御気分になってもらえると思いますから、引き続きお手をお挙げになった順番に指名を差し上げてまいりますけれども、根本幹事のお話もそういうお話であるといいですね。お願いします。 ○根本幹事 御期待に沿えるように頑張りたいと思います。佐久間委員からご指摘がありました点について、佐久間委員の御意見を伺っている中で、幾つかの意見と、逆に御質問がございます。   まず一つ目は、御指摘の個別の法律行為ということの個別ということは、確かに御指摘のとおり非常に、例えばこの不動産の売買という内容をイメージされるというのは、そのとおりだと思いました。恐らく私も含めてですけれども、大きくここでイメージをしていますのは、現行の保佐の代理権目録における、その程度の個別性ということかと思いましたので、文言の表現としては、部会長からもありましたが、例えば特定の法律行為という意味であるということを前提に今後は意見を申し上げたいと思ったということが一つです。   それから2点目は、終了のときに必要性がなくなることはあるのではないか、それであれば終了できる場面があるのではないかという御指摘だったかと思うのですが、まず前提として、現行の少なくとも保佐、補助においては、法制上の要件には必要性はなっていませんが、実体法上の要件に必要性がなっているというのは、平成11年改正の立法担当もお書きになっているところでありますし、実際の実務の現場においても、裁判所の調査官調査等で審査をされていると承知をしていまして、今回の改正において、その必要性というものを開始の要件に法制上位置付ける意味は、終了事由において必要性が消滅したということを終了事由にするためであると私自身は理解をしています。   その観点で行きますと、個別だからもちろん終わるわけではないというのは、おっしゃるとおりで、個別に付与するとしても、開始時と終了時それぞれで審査をするということだと思うのですが、これが包括的な類型になると、終了時だけ必要性を審査して、開始時には必要性というものは審査しないということなのか、結局終了時に個別に審査をするのであれば開始時に審査をされるということと何が違うのかというところが、先生の御意見を伺っている中で、少し私が分からなくなったということになります。   それから、本人が同意能力があるのに拒否をされている場合というのは、これは先生が御指摘のとおり、理念からいってもそうだと思いましたし、現場においても、御本人が同意能力がおありになるような方で制度利用を拒絶されている場合には、幾ら代理権付与を仮にしていただいたとしても、結局その代理権行使の実効性がなくなる場面が実務上非常に多いとは思います。実効性が確保できないという意味からも、制度は利用できないと考えるということなのではないかと思いました。   あと、事理弁識能力と同意能力のところについての整理ですけれども、文字どおり現行でいうところの保佐程度の事理弁識能力の方は、これは同意能力はあるということに理論上なるのだと思っています。問題は、いわゆる9条ただし書の法律行為について意思無能力であるという方の同意能力との関係性というのは、これは私も引き続き考えなければいけないことだと思ったということです。   最後に、同意について、御本人の同意がない場合に高度の必要性が必要だという指摘が青木委員からありましたけれども、それについて従前の本人の生命、身体、財産に重大な影響が生じるというのは狭すぎるという御指摘は部会でもありました。各地の弁護士会を回らせていただいている中でも御意見を頂いていまして、一つの新しい御提案になりますけれども、法制上、重大という文言よりは著しいという文言の方が少し程度が軽いという理解の前提で、本人の生命、身体、財産、あとここに生活を加えてはどうかという提案もあったので、本人の生命、身体、財産、生活に著しい不利益ですとか、若しくは看過し難いという文言と重大という文言を比べてどうかというのは、少しここはまた法制上の御相談かもしれませんが、看過し難い不利益ということで、本人の同意がない場合の代理権付与というものの必要性の要件を考えてはどうかということを、御提案できればと思います。 ○山野目部会長 御意見を頂きました。 ○星野委員 ありがとうございます。非常に発言することが難しくなり、どうすればいいかと頭を抱えているところで、早く発言しておけばよかったと後悔していますが、社会福祉士会の検討メンバーの中で議論したことについて、提案型ということになるように発言したいと思います。開始の議論は終了のところとリンクしておりますので、やはり終わることができる制度にするというところからは、この論点は事理弁識能力をどう取り扱うかではないかということから私たちは検討したので、(3)のところから、本人の同意のところから発言したいと思うのですが、事理弁識能力が不十分又は欠く常況にあるというのを二つに分けたものではない、イではないというところが私たちの考えではあったのですが、では、アの場合に更に検討するものは何かというところになるかと思います。   例えば、10ページの中に記されているセルフネグレクトの事案というのがありました。こちらについては現行においても、成年後見人だけで対応ができる問題ではないものが、成年後見制度を使うことで何とかならないかと制度利用の検討に上がってくるケースが多いと感じています。セルフネグレクトについては、既に虐待防止法の中で虐待に準ずる対応が必要だということで、行政による保護などの介入がなされることが多いと思います。当然ながら虐待の対応の中で後見制度を活用するということが出てきまして、虐待対応のひとつの方策として、首長申立てなどが行われているというケースも多いと思います。この場合は、本人の事理弁識能力が欠けている常況であるという捉え方ではないケースも当然あります。環境の整備、今までも出ていました本人の生命、財産、生活を守っていくための保護を一時的に強める、いわゆるレスキュー的な対応として活用されているということで、現在の3類型のままで何が問題かというと、虐待という事象が改善し、被害が回復され、環境が整備されても、申立て当初のままの介入が続けられて見直されないということ、これが問題だと考えますと、期間の設定であるとか終了というところにつながることになります。これを先ほど冒頭で申し上げた、開始と終了の考え方はリンクしているというところです。   本人の同意をどうとらえるかについては、事理弁識能力という考え方を採用し続ける限り解決できないのではないかと、私たちの中ではそういう意見になりました。その中で、さらに(1)、(2)のところになるのですが、まず(2)の保護の必要性のところの位置付けのところなのですが、このように事理弁識能力のところを考えれば、現行の補助、保佐、後見、いろいろな方がいらっしゃる中で、今までも出ていましたけれども、個別のことを同意することは難しくても、項目ごとに、今、例えば補助、保佐類型の代理権目録、同意取消権目録、かなり細かく設定されていますが、その中のいわゆる大項目あるいは中項目、例えば、大きい項目では不動産に関することについて、更にそれが細かく売却とか担保権設定とか賃貸、警備などが今、小項目として出てくるのですが、これを一個一個ではなくて、やはり不動産に関すること、それも本人のものなのか他人のものなのかという、こういったことについては同意ができる場合が多いと考えますので、そのような検討が考えられるかと(2)については思います。   開始のところの(1)につきましても、これも医学的な事理弁識能力を常に欠くという状況とそうではない状況と分けてしまうことの難しさは、終わることができなくなるというのももちろんあるのですが、先ほど虐待に準ずるセルフネグレクトの話も出たように、必ずしも本人の能力が低下したために判断できないのではないという状況を考えたときに、その判別が難しくなるというところから、分けることは難しいのではないか、そういうような例示を挙げていくということも、分かりやすさというところではあるかなと思います。   かなり最初に発言しようと準備していた内容と異なった発言になったので、分かりにくい面も多かったと思いますが、以上です。 ○山野目部会長 工夫してお話しいただき、ありがとうございます。 ○小出委員 ありがとうございます。私の方は若干、事例の共有みたいな側面もあるのですけれども、部会資料10ページの(5)の本人に法的に有効な同意をする能力があるとは考えられない場合について、御意見申し上げます。   この中で、事理弁識能力を欠く常況にある方につきましては、同意をすることができない状況にあると考えられ、このような方についてこそ保護の必要性があるのではないかというふうな御指摘を資料で頂いているかと思います。実際、そういった考え方に賛同ということなのですけれども、金融機関の窓口でどういったところがあるかというところで申し上げますと、例えば、キャッシュカードの暗証番号を忘れてしまって、一日に複数回銀行に暗証番号の御確認にいらっしゃる方ですとか、実際には通帳等を無くしていないのですけれども、毎日のように無くしてしまったと思われて銀行にお申出をされる方、ないしは預金の払戻しをされたのですけれども、その行為自体をお忘れになってしまっているという方がいらっしゃいまして、このような方が同意をする能力を持つか否かは定かではないのですけれども、単独で保護の開始の同意が困難な方に関しては、金融機関の店舗などでもお取引いただくことは恐らく難しいかなと考えておりまして、こういった方たちこそ、御本人の財産保護の観点からも保護が必要であると考えております。   したがいまして、例えば部会資料11ページの30行目以降にありますとおり、事理弁識能力を欠く常況の方に関しましては同意を要件としない仕組みとするなど、有効な同意を行うことができない方に関しても保護できる仕組みとすべきと考えております。 ○遠藤幹事 大きく2点ほど、事理弁識能力を欠く常況についてと、同意能力について、意見を申し上げます。   御議論を伺っていて、事理弁識能力の概念あるいは事理弁識能力を欠く常況にある方について、1類型にするのか2類型にするのかということにも関わってくると思いますが、その対象とされている方のイメージが共有されているのだろうかと思いました。現行の後見類型の実務においては、事理弁識能力を欠く常況にある方というのは、通常は意思無能力の状態にあることが多いとされており、基本的には遷延性障害の状態にある方など、およそ意思の疎通を図ることが困難であるような限定的な場合が想定されているように思われる一方で、民法9条ただし書にもありますとおり、事理弁識能力を欠く常況にある方の中にも、時に能力が回復して、日常生活に関する日用品の購入その他、日常の行為についてすることができることを前提とした規定もあります。実務運用ではこのことに加えて、先ほども御議論がありましたが、医師の診断書の中で、必ずしもきめ細かい認定をすることに限界があるといったようなことも踏まえて、事理弁識能力を欠く常況にある方の認定については、ある程度幅を持ってなされているというのが実情ではないかと考えております。これは後見実務に携わっていらっしゃる委員、幹事の皆様にも共感いただけるところではないかと思っております。   今般の制度見直しにおいて御本人の意思をより一層尊重することが重要である点については意見の一致を見ていると思います。そういったことを前提に、改めて、どのような方が事理弁識能力を欠く常況にある方に当たるのかを考えますと、これまでの御発言の中には、そもそも事理弁識能力という言葉自体をやめた方がよいのではないかという御意見もございましたが、その範囲を厳格に考え、先ほど申し上げた遷延性意識障害の方のように、御本人においておよそ意思の疎通を図れないような方を対象とするのであれば、そういった方の場合は、法定後見は権利の制約ではなく専ら権利の保護という面を持つものであると思われますので、そういった方に限定することも考えられるのではないかと思います。これも踏まえ、事理弁識能力というものについて、どのように考えるのかについて御議論を更に聞かせていただけると、理解が深まると思った次第です。   もう1点目は、同意能力についてです。同意能力につきましては、部会資料8ページ(2)20行目以下に、保護開始の要件としての同意について、「同意したことによって法定後見による保護が開始されて、その結果の法的効果を理解するに足る精神能力」あるいは「同意という行為に関する意思能力」が必要であると記載がされております。本日の同意能力に関する御議論を伺っておりますと、果たして、皆さんが「同意能力」について、このような理解を共有した上で御意見を述べられているのだろうかということに、少し疑問を抱いております。加えて、実務において比較的よく直面する事例かもしれませんが、例えば、後見という制度の中身はよく分からないのだけれども、「とにかく誰かに助けてほしい」であるとか、「面倒を見てほしい」といった御意向を示すような方がいらっしゃいます。後見相当であると判断されている方の中にはそういう方もいらっしゃると承知しており、事理識能力を欠く常況にあるとされるこういった方について、同意能力があるといえるのか、いえないのかが問題になると思います。また、同意能力があるかどうかよく分からない御本人であっても、例えば意見がころころ変わる方、裁判所職員から説明しても制度の意味は分からないけれども、親族から説明すれば、「それならいいよ」とおっしゃるような方というのも一定数いらっしゃると聞いております。   今例示したような方々も含めて、同意能力があるのだという整理になるのであれば、そういう前提の御議論ということになると思いますし、仮にそういった方は同意能力がないのだということであれば、そうはいっても、保護を受けたいという御意向を示していらっしゃるわけでありますので、このようなことを実体法上の考慮要素として取り込まなくてよいのかを議論する必要が出てくるのではないかと思います。その上で、仮に今申し上げたような方々の御意向を実体法において取り込むとするならば、この点に関する一つの帰結としては、「本人の意思に反しない限り」といった規律も十分な合理性を有するのではないかと考えております。 ○山野目部会長 遠藤幹事がおっしゃった前者の点は、中間試案でどういう用語表現を用いるかということも含めて、なかなかその工夫が難しい論点かもしれませんけれども、考え込んでいかなければいけないと感じました。後者の点は、主に今後また委員、幹事の間で御議論を深めていただく際に、ただいまの御注意を踏まえて皆さんに御議論をしていただくことがよろしいのではないかと感じられるものであります。どうもありがとうございます。 ○沖野委員 ありがとうございます。資料における提示の仕方について幾つか分からないところもあり、今後の、特に中間試案に向けた提示という点から、このことを教えていただければ、あるいは考えていただくといいのではないかという観点から申し上げたいと思います。   それで、1の柱というか、につきましては、現行法の規律を維持する考え方とそうでない考え方ということが文章になっていて、むしろゴシックとしては切り分けて考えた方がいいのかなと思いました。それは内容に関わる面ではございませんけれども。   それから、(1)のア、イなのですが、これ以降いずれもそうなのですけれども、ア、イの対比がどこにあるのかというのが必ずしもはっきり見えないように思いました。アとイというのを(1)について比べますと、イのところでは、既に御指摘がありましたけれども、代理権付与の審判と同意を要する旨の審判と、それとは別に保護開始の審判というのを設ける、そういう構造にするかどうかというのが一つあるように思いました。実はアでも想定されているというような御説明も途中あったかと思いますけれども、しかしそのようなものは必要ないというお考えも根本幹事からは明確に示されたように思いますので、そもそもここに、法定後見の審判というということですが、法定後見の審判の構造をどういう形にするか、特に代理権付与と同意を必要とする審判、これはあるいはともにやることもできると思いますけれども、それと別途開始の審判を要するか、これは常に同時である必要があるかということももう一つあるかと思いますけれども、そういう構造というのが一つあって、そのことは、あるいはその後、(2)の話にも関係してくるかもしれないと思います。開始の審判というのを全く設けないときに、開始の要件というのを一般的に立てた上で、それとともに個別にというか、特定の行為についての代理権付与の審判というのはそれぞれ考えていくという形であれば、開始の要件というのは一つ要ると思うのですけれども、そうではなくて開始の審判というのがないときには、両論あり得ますけれども、どちらがなじみやすいかというような話も出てくるかと思います。   それから、(1)のアとイの対比においては、特に事理弁識能力を欠く常況にある者について別規律立てとするという、これまで2カテゴリー化、一元化に対して二元化ということで言われていた、そういう考え方が一つあるということかと思います。そして、これを事理弁識能力を欠く常況にある者でくくるのか、もっと絞り込んだ、あるいは別概念でカテゴリー化するかというのは、また一つの論点として、特に直近の遠藤幹事の御指摘で明らかになったものと思います。   この2カテゴリーにするということの意味なのですけれども、ここでの意味は、今仮に事理弁識能力を欠く常況にある者ということで言いますけれども、その場合には常にこちらのカテゴリーにすると、そこでのカテゴリーは、個別に特定の事項についての法律行為の代理権というようなことをそれぞれ更にその中で考えていくということではなくて、事理弁識能力を欠く常況にあるとなれば、もうこちらしかないという、ここは言わば個別に対して一定の法律行為で示されるようなある程度類型的、画一的なカテゴリーになっていて、かつ、これは能力との一対一対応であるという話をするのか、それとともに一方で、補足説明の中では、事理弁識能力を欠く常況にあるという者の場合には、包括的な形での代理権というのを認めるか、認めないかという話があって、包括的な権限の付与を認めないという仕組みと、包括的な権限の付与も否定しないという仕組みがあるとされていまして、事理弁識能力を欠く常況にあるカテゴリー、あるいはそれを違う形でカテゴリー化するにしても、こういう者であれば包括的な形での権限付与も可能とするけれども、可能だということと、そうしなければならないというのは別だと思いますので、ここの2カテゴリーを設けるというときに、このカテゴリーのときは必ずこうなるという一対一対応で、ここだけは能力対応にするのか、それとも、この場合には、極限というか、こういうものも可能にするという意味で一種、別カテゴリーということにするのかということがあるように思いました。   次に、(2)なのですが、(2)はア、イの考慮するという意味がどうもよく分からないような気がしました。アは、特定の項目の法律行為について、それを基準としつつ、事理弁識能力の程度がどうかということを考慮する必要があるというのは、例えば、必要性などのときにも、どのくらいの能力のある人なのかというのは考慮するといえば考慮するし、それを一切考慮しないということが果たしてあり得るのかということを考えると、ここでの考慮するは、例えば要件とするということなのかもしれません。そういう趣旨なのかどうかということで、さらに、要件とするということの意味としては、それに対応した能力の不十分さがある者でなければならなくて、過度な制限は許さないというか、そういう趣旨であるのか、考慮するというのが要件とするということなのかということと、その要件としたときの何が要件になるのか、あるいは要件ではなくて、飽くまで設定の際にはその能力面のところを、正に考慮しなければならないということであれば、考慮した上で最終的にどう行くかというのは、むしろ別の要件で立てられるのだということになりますと、果たしてアとイの違いがどのくらい際立ってくるのだろうかということがよく分からないように思いました。   イの方は、開始要件さえクリアしていれば、不十分だということを言っていれば、もう具体的にどういうものを設定するかについては、能力の程度は考慮する必要がないと書いてあるのですが、この考慮する必要がないというのは、要件にはしない、だけれども本当に全然考慮しないのかというと、要件立てとはしないけれども、必要性だとか相当性だとか、そういうことではやはり考慮されるのか、それとも全くらち外に置くのかと、その辺りは明確にした上で、どういう立場なのかということを選択肢として示した方がよろしいのではないかと思いました。   そして、こういう中で能力を考慮するということが、やはりそれに均衡した制約であるべきだという発想があるのだとすると、それを入れたような書き方というのは別途あると思います。その能力に比して大きな代理権を与えることはできないとかですね。もしそういう考え方に立つのであれば、更に同意があればいいのかという問題があって、例えば現行法との対比で行くと、現行法の保佐類型に後見類型の効果を与えるということはできないとなっていると思うのですけれども、本人が同意すれば、私は後見型の方が楽でいいとか、楽でいいというのは不適切な表現かもしれません、その方が安心できるということであれば与えてもいいと、そういう、より同意重視で行くのかどうかということも、ここに関わってくるように思われます。   それから、イの括弧書きなのですけれども、事理弁識能力を欠く常況にある者については、申立ての内容が本人の権利擁護を図る上で合理的かつ相当なものであれば足りるとするというのは、先ほどの(1)イで出てきた、一種の類型的画一的、一定の法律行為についての一定が類型的に決まるのか、それとも、ここもそれぞれ本人の事情に応じてある程度のものに決まっていくのかということだと、対比がよく分からなくなってくるわけですけれども、(2)イになると、事理弁識能力を欠く常況にある者の場合も、合理的かつ相当なものという形になるので、一定の能力の前提を採った上で、この中に入れてくるというのが、(1)イの考え方の下でも出てくるのか、それとは全く違う考え方なのかという、その整理も必要ではないかと思いました。   それから、(3)なのですが、これはどう違っているかということなのですが、アとイを比べますと、アは、基本的にイでも、中核としては採用されていて、アとイの違いは、事理弁識能力を欠く常況にある者を一旦、イの方はそれから除き、かつ事理弁識能力を欠く常況にある者については本人の同意は要件としないという、ここが違いのように思われます。もしそうだとするならば、むしろ対比としては、原則として本人の同意を要件とするということにしながらも、しかし一定の場合には同意を問わず開始ができるとするかどうかについての選択肢を設けた上で、そのような場合として、事理弁識能力を欠く常況にある者の場合とか、そうではなくて本人に法的に有効な同意をする能力があるとはいえない場合というのを更に追加するかしないかという話であり、かつもう一つには、同意を問わずというのは、同意の能力があるという人であったとしても一定の場合には、仮に同意がない、それは意思に反するかどうかなのか、積極的同意なのかということはあると思いますが、この要件の場合には設けるかという、そちらの方を選択肢として提示した方が分かりやすいのではないかと思いました。   それから、イについては、本人に法的に有効な同意をする能力があるとはいえない場合に関してどのような要件で開始するかという中には、事理弁識能力を欠く常況にある者というのがもう入りそうなのですけれども、一時的に回復したということを想定していなければ。そうすると、イを読みますと、事理弁識能力を欠く常況にある者については、およそ同意は問題としない、しかし、それ以外のタイプで同意する能力があるとはいえない場合については、ただ、もう同意を要件としない、以上、ということではなくて、同意を要件とはできないのだと思うのですけれども、そのときに、例えば代替的な要件とか付加的な要件とか、そういうことが考えられるけれどもどうしますかという問いになっているように思われて、それは、しかし一方で事理弁識能力を欠く常況にある者については、そういう付加的な要件とか代替的な要件とか、そういうのはおよそ考慮しないということになるのかどうか、それが合理的というか正当化できるのかとも思いまして、その意味でも、アとイの対比、あるいはイの書き方には非常に分かりにくいところがあるのではないかと思いました。   私の発言自体が非常に分かりにくくて申し訳ありませんけれども、以上です。 ○山野目部会長 分かりにくくはなくて、おっしゃっていることはいずれの点も大変よく理解することができました。今後、中間試案に向けてより良い整理にしていくに当たって、沖野委員からいずれも大事な点を御注意いただきましたから、これを反映させてまいることにいたします。ありがとうございます。   第1の1の部分について御意見を頂いてまいりました。 ○山下幹事 ありがとうございます。私も中間試案に向けての取りまとめということで発言させていただきますが、先ほど遠藤幹事がおっしゃってくださったように、事理弁識能力を欠く常況という概念そのものが、従来の使われ方というのが少し広すぎるのではないかという問題がある一方で、普通は非常に程度の重いものということで想定されているということで、二重の使われ方をしてしまって誤解を招いてしまう可能性が非常に高いという気がいたしますので、この点を工夫していただくという必要があると思います。(3)のアとイに関してなどは今、沖野委員がおっしゃってくださったように、結局、意味の捉え方によってはほとんど同じことを言っているのに、その状況にある者という概念を残すかどうかというところにむしろ論点が行っているような感じもいたしまして、その辺は工夫をせざるを得ないと思っております。   もう1個、それと関連してなのですが、先ほど佐久間委員が御発言になったときに、認知症の高齢者が本制度では一番念頭に置かれるということをおっしゃっていたわけですが、やはりこの制度自体は障害のある方の制度でもありますし、その障害につきましても、生まれつきで継続的に判断能力に問題を抱える方のほかに、脳の病気等で一時的な障害を抱える方というのもあるわけで、恐らく、事理弁識能力を欠く常況にある者という抽象概念でまとめられているだけでは、中間試案を読んだ方が法律を知らないと、どういう方を想定しているのかということについて分かりにくいのではないかと思いますし、具体例をもう少し明確にできないかという気はいたします。終われないではないかという部分も、正に佐久間委員がおっしゃったような、多分想定しているのはアルツハイマー型の認知症のように進行していくというタイプのものについては終われないという可能性は事実上あり得るというようなことは、それは皆さん多分、当然だというふうにある意味、共有した上で、それを要件として残すかどうかというところが論点なのだというところは、やはり法律を知らない方にも分かるように丁寧に説明する必要があるかなと思いました。 ○山野目部会長 いずれのお話も大変よく理解することができます。 ○山城幹事 大きく分けて二つのことについて御発言申し上げたいと思います。   1点は、代理権を個別の事項について与える場合を念頭に置いて考えてみましたときに、部会資料3ページ、沖野委員からの御発言でも御指摘があった点ですけれども、代理権を与えるという審判と保護を開始する旨の審判との関係がどうなるのか、つまり個別の事項について代理権を授与するためにも二つの審判をすることが果たして必要なのかという点が、私も気になっております。そこから派生することなのですが、保護という言葉の用い方も、多義的になっているかもしれないと感じました。   たとえば、資料3ページ17行目では、保護を開始する旨の審判という形で、代理権や同意権を付与するものとは別の審判を想定していますが、資料8ページ14行目では、同意能力の定義について、法定後見による保護を開始することによる法的効果を理解することという説明があります。後者では、保護という言葉は、代理権や同意権を付与することそのものを指しているのではないかと思います。取り分け同意能力を問題とする文脈では、先ほど星野委員から関連する御指摘がございましたけれども、同意の対象となる保護の内容として、どの程度まで具体的に対象となる事項を理解している必要があるかが問われるかと思いますので、保護を開始するという言葉の意味については整理が必要なのではないのかと感じました。   なお、同意能力につきましては、資料8ページ6行目に言及されることとも関わって、本人に同意能力があるならば任意代理を使えばよいのではないかという疑問もなお生じ得るように思います。自ら委任契約を締結することと、保護が開始されることについて同意するとの間に違いがあるということでしたら、やはり何について同意をするかがはっきりしている必要があるのではないかと感じます。   もう一つの点ですけれども、部会資料4ページ19行目から26行目に掛けて、事理弁識能力が不十分である者と、事理弁識能力を欠く常況にある者とを区別する考え方が提示されています。これによると、事理弁識能力を欠く常況にあるケースの方が、有効な同意があるかどうかを問わずに包括的な権限を与えられることになっていて、より少ない要件の下でより多くの効果を与えることができることになっているようにも感じられます。もちろん、事理弁識能力が欠けているという判断は厳密に行われるから、要件の大小を単純に比較することはできないでしょうが、予想される後見事務の内容が煩雑なケースなどでは、事理弁識能力がないと判断することで包括的な権限を与えるという運用を助長する懸念も生じそうに思います。それは、この見解の内在的な問題点なのかもしれませんが、こうした懸念に対応することができる考え方があるようでしたら、併せて示していただく方がよいのかもしれないと感じました。   最後にもう1つだけ申し上げますと、2ページ目のゴシック(3)には、本人の同意を要件としないという考え方は示されていませんが、それはもう採らないということでよいのでしょうか。賛否はともかくとして、本人の同意は要件としないという考え方もあり得るようには思いますので、気になりました。 ○山野目部会長 おっしゃった点はいずれもよく理解することができます。中間試案における整理において反映していかなければいけないと感じられる事項もございました。山城幹事、どうもありがとうございました。 ○久保野委員 ありがとうございます。二つありますけれども、一つは先ほどの山下幹事から御指摘があり、他の委員、幹事からも御指摘がありました、事理弁識能力を欠く常況にある者について、具体的な状況をイメージして議論できるように提示をする方がよいという点、非常に大事な点だと思いましたので、あえてもう一度ここで言及させていただきます。その際、なかなか難しいことではあると思うのですけれども、以前に青木委員が資料でお示しになられたような具体的なケースを使っての提示の仕方は、以前に親権制限制度の見直しがなされた法改正のときの検討過程で、行われた例もあったかと思いますので、可能な範囲で、そのような方法も含めて検討することができると有益なのではないかと思いました。   もう1点は、細かいことなのですけれども、10ページから11ページのところで、有効な同意があるとは認められない場合であっても、どのように開始ができると考えるべきかという点の議論のところで、10ページの9行目のところで、これまでの審議で出た意見の紹介という形ではあるのですけれども、本人が扶養義務を負う者の生活までも破綻させるような意思決定を制度として尊重することが妥当といえるかという問題提起への言及がありますが、このような御意見について考える際には、浪費者が要件から外れたこととの関係が問題になるのだと思いますので、以前に資料のどこかで載っていたようには思いますが、資料のどこかでその点について触れておくことが大事だと思います。 ○山野目部会長 いずれの提案もよく理解することができます。ありがとうございます。 ○波多野幹事 御議論いただきまして、ありがとうございます。次に向けて整理を進めていかないといけないところを御指摘いただけたと思っております。先生方から御指摘いただきましたところで、我々としても書きにくいなと思っておりましたところも御指摘いただいておりまして、例えば、ゴシックでいきますと(2)のアとかで、事理弁識能力の程度が個別の法律行為を基準として不十分であることを考慮する必要があると、この記載の整理を進めるに当たって、どういう要件として書いていくべきなのかというところは、本日もアの方がいいですという御指摘を頂きつつも、具体的にどのような要件なのかについてもう少し、この立場を採られる委員、幹事の方で補充いただけるのであれば、有り難いと思うところでございます。もしなければ、今日頂いた御意見で、こちらの方で検討して書いていくことになろうかと考えております。 ○山野目部会長 ただいま波多野幹事からお尋ねがあった問題について、この段階で御意見がおありの方のお話を伺っておきます。いかがでしょうか。 ○青木委員 私は判断能力の不十分さについては、医学的な診断書に基づき一定の認定をする、それは法的効果を付与するための一要件になると理解をします。ただ、代理権等の付与の必要性を判断する際には、認定された何らかの判断能力の不十分さというのが、当該対象事項についての必要性の判断に影響を及ぼすものとして、必要性判断の要素としても考慮するという整理になると考えております。ですので、判断能力の何らか不十分な者を対象として、加えて必要性の判断においては判断能力の不十分さを対象事項ごとに考慮するというようなことになるのではないかと考えているということですが、その整理ではまだ不十分かどうかということで御質問があればお願いしたいと思います。 ○根本幹事 具体的な文言というところで、判断能力の低下については、先ほどの佐久間委員からの御指摘等も踏まえますと、特定の法律行為についての判断能力が不十分な状況があり、かつ当該法律行為について御本人が当該法律行為を要する状態にあり、かつ、それが社会的、環境的な要因を含む本人の状況等を踏まえた、付与の必要性があるということではないでしょうか。補充性をどういう文言にするかは、検討を更に要しますが、開始の要件の規定として考えられるのではないかと思います。それに加えて、本人の請求又は同意が開始要件という整理となる理解でおります。 ○山野目部会長 ほかにおありですか。波多野幹事、お続けになることはありますか。 ○波多野幹事 ありがとうございます。頂いた御意見を踏まえて整理を試みたいと思います。 ○山野目部会長 それでは、第1の1のところについて御議論を頂いてきました。私の方から3点ほど話題にいたします。   佐保委員にお尋ねですけれども、現行の後見、保佐、補助の類型を維持するということはあり得ず、改革していかなければならないという佐保委員の御意見を頂きました。中間試案に向けて、現行法の基本的なフォーメーションを維持するという考えを一つの考え方として社会の各方面に向けて紹介していくということについては、御異論がないと理解してよろしいでしょうか。 ○佐保委員 現行法を説明するためにということですか。 ○山野目部会長 今日の部会資料10の1ページのように、現行法を維持する考え方もあり得ると、それと異なる考え方もあり得るとして並べているわけですけれども、この並べ方、この振り合いを維持しながら、今後、社会の各方面に向けて問合せをしていくという進め方については、お認めいただけますでしょうか。 ○佐保委員 そうですね、私どもとしては見直す方向性を出した方がいいのではないかというのはありますが、両方とも中間試案に向けて提示をしていくというのは、方法としてはあるかもしれないと思いました。 ○山野目部会長 現行法を維持するという案を中間試案に書くなとおっしゃられると、険しい議論をしなければいけないですけれども、よろしいですか。 ○佐保委員 はい、それはいいです。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   それから、2点目ですけれども、部会資料10は、これでもなるべくコンパクトにして審議をお願いしようという心積もりで作っている部分がございまして、もちろん後見の開始に関連して議論しなければならない幾つかの大事な点を掲げておりません。それを無視するとか忘れているとかいう趣旨ではないということの御案内もしておかなければなりません。幾つか申し上げますと、精神上の障害ではなく、重度の身体障害があって意思を形成することができるけれども、表明することが難しいというような方への制度の適用可能性についてどう考えるかという問題は、中間試案のたたき台以降の審議において、そのことをどういうふうに一般に向けて問うていったらよいかということを論議の俎上に載せてまいります。それから、そもそも私は今、精神上の障害という言葉を用いましたけれども、現行法が精神上の障害により事理弁識能力が云々としている、この言葉遣いの当否ということもこの部会においてたくさん議論されてきたわけでありまして、これも議論を避けるとか、しないとかいう趣旨ではございませんから、今後に向けて、また議論をお願いしていくことになります。   それから、もう一つ申し上げますと、波多野幹事からもお話がありましたとおり、現行13条1項の法律行為のリストのようなものが新しい法制の中でまた用いられる場面があるかどうか自体が検討の余地がありますけれども、仮に用いられることがあり得るとしても、現在の13条1項のリストを洗練させていく必要がないかということは課題となりうるものでありまして、そのことも忘れておりません。   それから、最後にもう一つ申し上げます。根本幹事から、後見人が存在すること、あるいは後見人の権限がほかの制度に転用されている面があって、それが別規律といいますか、後見人が包括的な代表者として常時いるというふうな姿が現在の制度の一つの背景を成しているという御注意があって、それはそのとおりの側面があるだろうと思います。根本幹事からは、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律5条2項のお話も具体的に頂いたところであります。安易な転用が良くないと言わなければいけないことがもちろんであるとともに、我々の方から見ると転用と思われるような幾つかの局面も、それぞれの法制領域においては、それにある意義を与えて制度運用をしているという側面があるかもしれませんから、ここでの議論はここでの議論として自己完結させていくことになりますけれども、行き先が見えてきた段階で、そうした諸方面との調整も、しないというか無視するというか、そういうことで進めるものではないということも、この際、確認しておく必要があります。   根本幹事がお挙げになった例のほかにもう一つ挙げますと、法律の名称が長いですけれども、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律23条の2の適用関係においては、これは刑事司法の領域においてはある重みを持った役割を担っておりますし、ここでの成年後見制度の改革は、それ自体として認知されている要請、需要を踏まえて進めていくことになりますけれども、こうした諸方面にも引き続き注意を払ってまいらなければいけないと感じられるものであります。 ○沖野委員 申し訳ございません。1に関わる点でございまして、1点だけ、現行法の規律を維持する考え方というのを選択肢というか一つの考え方として提示する場合の、その内容なのですけれども、ここでは現行法の規律を維持する考え方といっても、そこに一定の見直しを加えてと、そういう可能性を持った考え方だと思っておるのですけれども、今回、ゴシックの括弧書きのところで、開始の場面で現行法の規律を維持するとしても、終了の場面に関しては一定の必要な見直し、適切な見直しをする余地というのはあるのだということが書かれております。ただ、開始の場面につきましても、例えば11条のただし書を削除するとか15条の1項のただし書を削除することで、能力との一対一対応ではない形にし、ある程度の選択を可能にするというようなことも考えられるのではないかと思われまして、そうだとすると、開始のところも一定の見直しの可能性はあるということになるかなと思い、現行法を維持する考え方というところについてどのくらいのバリエーションがあるのかということも、更に検討していく必要があることではあるのかなと思いました。これは、もうそのような含意であったかもしれませんけれども、念のため申し上げたいと思います。 ○山野目部会長 現行法を維持するという提案で仮に進めるとした場合においても、それについて所要の見直しをする必要があり、所要の見直しをする範囲は無制限であるということは、本日の佐久間8項目の冒頭の1項目のやり取りのところで御案内したところでありますけれども、今、沖野委員からも御注意を頂いて明確にしていただきました。ありがとうございます。   審議を先に進めます。部会資料10の第1の「2 法定後見の開始の効果」の部分について、事務当局から説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料10の12ページ以下、第1の「2 法定後見の開始の効果」について御説明いたします。   法定後見の開始の効果については、保護者に代理権を付与することや、保護者の同意を要する法律行為を設定し、本人が保護者の同意を得ることなく当該法律行為をした場合には、これを取り消すことができるものとすることが可能となるという規律を維持することが考えられます。なお、事理弁識能力を欠く常況にある者については、法定後見の開始の効果として、一定の範囲の取消権と代理権を保護者に付与するものとする考え方も示されています。その上で、法定後見の審判によって本人のした法律行為を取り消すことができるものとした場合に、誰が当該法律行為を取り消すことができるものとするかという点については複数の考え方が示されているところです。このような観点から、12ページ以下の1において、法定後見の開始の効果に関して更に整理を要する事項を確認した上で、13ページ以下の2では、法定後見制度における本人がした法律行為の取消権者に関し、これまでの議論を整理しております。   これらを踏まえ、法定後見の開始の効果に関する事項について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 説明を差し上げた部分について御意見を承ります。 ○小澤委員 ありがとうございます。以前にも述べましたとおり、取消権は本人が自ら行使することを原則とすべきと考えますが、本人が取消権を積極的に行使しない場合には、本人に対する権利侵害を回復するために保護者に取消権を行使することができる規律も必要な場面があると考えています。ただし、保護者による取消権の行使は極めて限定的に行われるべきだと考えますので、家庭裁判所の許可を必要とするなどの仕組みを講じる必要があると考えています。取消権の行使に家庭裁判所の許可を要することになると、家庭裁判所の負担が増えるとも考えられますが、取消権の実際の利用実態に鑑みますと、家庭裁判所の負担もさほど大きくならないのではないかとも考えています。 ○星野委員 この部分について、まず説明の中で出てくる三つの、(1)、(2)、(3)があったと思いますが、(1)の内容は現行とほとんど変わらないので、どうかなというところはあります。そして、(3)は本人のみということになりますと、いろいろ検討すべきところは出てくる、(2)というところは、家庭裁判所が取消権者を決定するということが書かれているのですが、ここの議論で大事かなと思うのが、取消権の有無というか、取消権を誰が行使できるかということも大事なのですけれども、その取消権を行使したことについての承認のような、後付けであったとしても取消権を行使したことに対する効果といいますか、それをしっかりと家庭裁判所が確認するというプロセスが必要ではないかという意見を持っています。   一つ一つの取消しをすることについての行為に審判を求めるということよりも、取消権を行使した根拠を明らかにして報告をする、例えば現行においても、保佐、補助で同意・取消権が設定されている場合は、その取消権を使ったかどうかということを聞かれています。東京家庭裁判所では定期報告において行使状況の報告を求めています。このようなものを取り入れていくということ、そして、そのときのプロセスの確認というところで、本人の同意を前提として、本人の同意をどのように確認したのかといったプロセスをしっかりと報告するということとセットで考えていく必要があるのではないかと思います。 ○佐保委員 ありがとうございます。法定後見の開始の効果については、本人の保護と意思の尊重のバランスで様々な場面が想定され、この間の議論を踏まえて幾つかの考え方をお示しいただきましたが、本人の意思を尊重する観点からは、個別の法律行為に基づき審判を行うことを前提に考えるのであれば、その効果も段階があってもよいのではないかと考えます。同意権のみでは不十分な場合は別途取消権付与の審判を行うなど、可能な限り本人の意思を確認しながら保護ができる制度が求められるのではないかと考えます。 ○根本幹事 第三者が取消権行使をする場合の要件審査について一つは、実際に取消権を行使しなければいけない場面を具体的に想定していただきまして、例えばいわゆる悪徳業者との対応ということにもなってきますので、事前審査はなじまないとは思います。これはどんなに家庭裁判所にその審査期間を短縮していただいたとしても、即時に、直ちに行使しなければいけない場面というのはありますので、配慮は必要であるということです。仮に事後的に確認を家庭裁判所がされるという仕組みを検討するとしても、取引の相手方への配慮として、取消権行使自体を無効にするという取引の相手方への影響を考慮しなければいけないと思います。行使について要件を設けた場合の法的効果については、当該後見人の善管注意義務に収れんされていくのではないかと思います。家庭裁判所が、裁判管轄の問題等もあると思いますが、善管注意義務違反の内容をどこまで御判断できるのかという点についても考慮が必要ではないかとは思います。 ○野村幹事 ありがとうございます。取消権者についてなのですけれども、今までリーガルサポートの意見としては、14ページのエに近い、これそのものではないとは思うのですが、意見を述べてきたかと思うのですけれども、保護者が取消権者である旨の規律は設けないで、本人が取消権者となって、本人の意向を確認して、保護者も本人の取消権を代理行使できるという意見を述べてまいりました。また、本人の意向の確認ができない場合で一定の場合には、裁判所の許可を得て本人の取消権を代理行使できるという規律がいいのではないかという意見を述べておりました。これは、本人の意思を尊重して第三者による取消権の行使を必要最小限にするという考え方からの意見だったのでのですが、実務的には本人の意向があるかどうかは第三者から分かりにくいですし、家庭裁判所の許可を得るのは迅速性に欠けるとの欠点があることは承知しております。   部会資料の14ページのウの家庭裁判所が申立てによって保護者に本人の有する取消権の行使の代理権を付与する旨の審判をするという考え方に立つとすれば、こういった欠点は解消されるのかなとも感じています。ただし、その考えに立つとしても、本人の意思を尊重するためには、本人の請求又は本人の同意を原則することが必要と考えますが、遷延性意識障害や重度の知的障害、重度の鬱状態などによって意思能力がない人でも、周囲から経済的搾取を受けていて被害回復が必要な場合など、取消権によって本人の権利を守ることが必要なケースというのはあるかと思います。そのような場合には一定の要件の下、取消権の付与の必要性があると考えております。 ○佐久間委員 保護者に取消権を与えないという考え方があるということがゴシックにあるのですけれども、説明の中では、その場合は代理権を与えるか与えないかでコントロールするのだということが書かれています。これはすごく大事なことなので、ゴシックに書いておいた方がいいかなと思いました。   その上で、どれを支持するかの話にはなってしまうのですけれども、前回私は特に現在の後見相当の場合を念頭に、取消権を当然に与えるということで発言しましたけれども、その後少し考えまして、取消権は本人のみに与え、保護者と言っておきますけれども、保護者が取消権を行使することができるかどうかは専ら代理権があるかどうかで判断するのがいいのではないかと思いました。ただし、そこには幾つかやはり分けて考えなければいけないところがあるかなと思っています。保護者は代理権がある場合のみとすることには、大きく言うと二つ理由が私の中ではありまして、一つは、事理弁識能力を欠く常況に至っていないという人については本人の意思を尊重していこうということからすると、説明の中にも書いていただいていますけれども、同意権を与えるというのは飽くまで事前の意思決定支援であると位置付ける方が適当ではないか、そうだとすると、事前の意思決定支援を超えて更に介入というのですかね、事のよしあしまで判断を最終的にしてくださいと考えるかどうかは、本人の同意をかませた上での権限付与、代理権付与に委ねることが適当なのではないかと思っています。   ただ、ここはまた類型の話になってしまうのですけれども、事理弁識能力を欠く常況にあって、本人の意思を基礎に制度を組んでいくことができないというときには、本人保護のために取消しの規律を設けるわけですから、その取消権が実効的に行使されないといけないので、必ず代理権を与える、取消権は本人にしかないのだけれども、今でいう成年後見人に当たる人には必ず代理権を与えるというような仕組みにする必要があるのではないかと思います。これが1点目の理由です。   もう一つ理由がありまして、前回私がこのことに関して意見を申し上げたところ、部会長から、取消権行使については、要するに余計な行使というのがあり得て、それをどうコントロールするのだというお話がございました。それについて一定の答えをそのときも差し上げたのですけれども、その後、法律の規定に依拠してそのコントロールができる方がいいかなと思いました。そうだとすると、代理権の構成にすれば、ほかに手当てをしないという意味ではありませんけれども、ほかに手当てを仮にしなかったとしても、代理権の濫用という規定がありますから、最低限そこでコントロールは可能であると思っています。そういったことを説明に加えていただいたらいいかなと思いました。   ただ、もう一つ大事なところがやはりあるかなと思っているのは、取消権の場合に、今のような考え方を採るということにいたしますと結局、現在の保佐相当の方につきまして、かつては保佐人に取消権はなかった、それを平成11年にわざわざ取消権を入れた、これは資料にも書いていますけれども、それには一定の理由があった。これをまた元に戻すことになりますので、先祖返りになるようなことなのだけれども、その方がいいのだという理由をきちんと書き込む必要があるかなと。そのときにはやはり、少なくとも意思決定が法的に有効にできる人に関しては、保護の実効性よりも本人意思の尊重を優先するのだ、価値判断としてそうなのだということかな、今私が思い付くのは、そうなのかなと思っています。そうすると、先ほど来何人かの方がおっしゃった、必要があるときは裁判所が介入するのだとか、誰かが保護のために出てくるのだという考え方は採れないのではないかと思っています。 ○山下幹事 ありがとうございます。すみません、説明が不十分でした。そもそも同意制度そのものがないという制度を構想するかというのが最初の主旨でした。その上で、佐久間委員が言うように、財産保護が必要だということは全くおっしゃるとおりなのですけれども、そこは、本人がやった場合について、現行の消費者保護制度等で普通に判断能力のある方と同様の保護にするというのが、恐らく障害のある方を一般の方と同様に扱うという点からすると、一つ可能性としてはあり得て、その上で、しかし、その制度はさすがに採れないということであれば、やはりその点についての説明が必要なのではないかということを申し上げたかったということです。 ○山野目部会長 今の点は委員、幹事にお声掛けをしておこうと考えますが、その前に山下幹事に1点確認ですけれども、取消権は本人が専ら行使するというふうな構想で行ったときに、その取消権の代理行使という契機は認められるか、認められないかについては、何かお考えがおありでしょうか。 ○山下幹事 ですから、取消権を認めるのであれば、取消権の代理行使というのはあり得るだろうとは思うのですが、そもそも本人に取消権を与えずに、代理権のみの制度にするというような可能性というのはないかという趣旨です。 ○山野目部会長 分かりました。私がきちんと山下幹事の御意見を理解していませんでした。本人が行使するのであれ、保護者が行使するのであれ、およそ取消し可能性というものは考えないという構想というものを問う必要がないかという御発言をいただいていると、これで正しい理解ですか。 ○山下幹事 はい、そうです。 ○山野目部会長 ありがとうございます。今の点についてお声掛けをしますけれども、佐久間委員、どうぞ。 ○佐久間委員 制度としては構想できるのかもしれませんけれども、同意を得て行為をしなければいけないという類型をもし残すとすると、その同意を得てしなければいけないということの効果を考えないといけないことになり、そこでやはり取消権は残ってくるのではないでしょうか。ただ、取消権を行使しようがしまいが自由だ、あるいは、今までだったら多くの場合取消しがされていますよね、というようなことにはならないようにしようということなのではないかというのが一つです。あと、これも類型次第なのですけれども、事理弁識能力を欠く常況にある人が自分で行為をしたときに、それでも取り消せませんというのは、やはり少し制度としてどうかなと。それならば、自ら行為をすることはできないとする制度は置かなくていいではないかということにならないでしょうか。つまり、論理的には考えられるけれども、同意を得てしなければいけない、あるいは自らしてはいけないという、そういう行為を残すのであれば、そこにはやはり、まずい結果になった場合に効力を否定させてあげようということが当然含意されているのではないかと思うのですけれども、そういうことではないのでしょうか。 ○山下幹事 ありがとうございます。すみません、説明が不十分ですが、そもそも同意制度そのものがないという制度を構想するかというのが最初の主旨でした。その上で、佐久間委員が言うように、財産保護が必要だということは全くおっしゃるとおりなのですけれども、そこは、本人がやった場合について、現行の消費者保護制度等で普通に判断能力のある方と同様の保護にするというのが、恐らく障害のある方を一般の方と同様に扱うという点からすると、一つ可能性としてはあり得て、その上で、しかし、その制度はさすがに採れないということであれば、やはりその点についての説明が必要なのではないかということを申し上げたかったということです。 ○山野目部会長 山下幹事の一つ前の御発言の中にあった、後見制度というものを代理の制度にするとおっしゃった部分が大事ですね。取消権をなくすとおっしゃられるから、ぎょっとするけれども、そうではなくて、後見制度というものは他人が代理権を行使する制度ですよと、専らそこに特徴を見いだしますというふうな整理というものは、一つのアイデアとしてあり得ませんか、ということを今お話をなさり始めていると思います。   沖野委員は手を下ろされましたか。 ○沖野委員 実は今のやり取りで明らかになりました。山下幹事の御指摘が、同意は残すけれども取消しをしたいという話なのか、そもそも同意自体をやめてしまうという話なのかということが少し気になったものですから。しかし、明確にしていただいたので、必要なくなりました。 ○山野目部会長 ありがとうございます。   引き続き今の点を伺います。 ○佐久間委員 制度としては、同意の制度をなくすというのはあり得るとは思います。でも、同意の制度をなくすことが本当に本人の意思の尊重につながるというか、そちらに傾くのかということがよく分かりません。代わりにしてもらうことはもちろん構わないのだけれども、代わりにしてもらうのではなくて、同意を得て自分で最終的には判断して、やれるものはやりたいということはあり得ると思うし、それは残すべきなのではないかと私は思います。考え方としてはあり得るので、提案してはいけないということではありませんけれども、そこまで手を広げる必要があるでしょうか。もし山下幹事が、いや、ほかの方でも、同意の制度をなくす方がいいとおっしゃるのであれば、検討しなければいけないと思いますけれども。少なくとも今まで、その方がいいというふうな考え方を述べられた方はいないのではないかと思うので。 ○青木委員 今の皆さんの議論の前提となる議論かもしれませんけれども、そもそも障害者権利条約は制限行為能力制度は撤廃をするよう勧告をしていまして、そのことを前提として、第1回の部会から議論してきて、本来の目指すべき方向はそうであり、そのためには消費者契約法の充実や民法90条の見直しということも含めて今後対応するというのは、日本国の法制度に課されている課題であることを認識した上で、ただ現時点においては直ちには廃止できないのではないかという議論をしているのである、ということを、中間試案を取りまとめて国民に示すときは、その議論経過を示さないと、部会として障害者権利条約をどのように捉えて、同意権・取消権をどのように残そうかという議論になっているのかということが、今の資料では分からないと思います。中間取りまとめのあり方を見越すと、やはりそういう価値判断をしているのですよということを示すためにも、同意権も取消権も全くない制度、それから同意権だけの制度もありえる、ということについては、示していただくということが重要ではないかと思いました。 ○山野目部会長 山下幹事がおっしゃった問題を中間試案でどう扱うかを、中間試案の中に入れるか、入れないで補足説明で、しかし併せて考えてほしい事項として取り扱っていくかということを、中間試案のたたき台を検討する際にもう一度委員、幹事に御議論をお願いすることにいたしましょうか。ここでやる、やらないという選択を急ぐ、それは拙速のような気がしますけれども、どうでしょうか。そのように議事を整理させていただいてよろしいですか。   では、その余の点のお話を伺います。 ○根本幹事 私からは2点あります。部会長の整理とも関係するのですが、今の議論というのは、今までの部会の中でも代理権と、同意権、取消権の間で、御本人に対する権利制限性という言い方になるのか、若しくは本人意思との緊張関係というような言い方になるのかはともかく、認識の違いが委員、幹事の間であるように思っています。つまり、例えば沖野委員からは、代理権というのは、御本人に代わってやるという部分で、取消権が御本人の行為の見直しと捉えるのだとすれば、代理権の権利制限性についても着目しなければいけないのではないかという御指摘なども頂いているところです。中間試案にそのこと自体の相違を載せるということよりは、前提の説明というのは必要なのではないかと御議論を伺っていても思いました。もう一つは、佐久間委員が言われたところの、代理権と取消権というものが付与の段階で果たして連動するのかというところも、それぞれの行為の性質を見なければいけないのではないかとは思っております。例えばですけれども、金銭消費貸借契約を考えたときに、後見人になる人間が御本人の代理権行使で金消を結ぶということは通常、実務上余り想定し難いと思うのです。他方で、御本人が予想し得ないところで金消を結ばされてしまっている、それに対して取消権行使をしなければいけない場面もあるとは思いますので、連動するという整理がいいのかどうか考えなければいけないのではないかと思いました。 ○竹内(裕)委員 中間試案を作るときの観点なのですけれども、14ページの(2)の冒頭のア、これは現行法の制度なので、それほど書かなくてもよいというところはあると思うのですけれども、弁護士の中にも、現行法の規律がいいのではないかという意見もあるところで、そのように考える意見の根拠、それでは法的にコントロールできないのではないかというデメリット、両方書いておいた方が、中間試案においては分かりやすいと思いましたので、以上です。 ○青木委員 検討項目の見せ方の問題としての意見なのですけれども、12ページから始まるところで今議論している項目は、「法定後見の開始の効果」ということで見出しを整理いただいているのですけれども、実際に議論している論点は同意権・取消権に関する様々な制度のあり方に関しての議論ということになっているところです。本体の効果としては代理権付与の議論もありますので、資料10は三読目の資料として限られた論点ということだと思ってはいますけれども、今後の見せ方としては留意が必要ではないかと思います。   もう1点は、同意権を付与することの効果ということで、本人の意思決定支援の一環であるとか、自己決定の見直しの機会を付与するというご意見があるのですけれども、一方で、本来、意思決定支援というのは強制的な契機を伴わずに、本人との関係性を構築する中で、本人が間違った判断をしないとか適正な判断をできる力をつけることを支援していくところに本質があるとすると、同意権者に同意の可否をうかがわなければ意思決定が完結しない制度というのが、果たして意思決定支援の延長にある制度なのかということについては、私は疑問を感じておりまして、つまり、同意権のとらえ方にはいろいろな見方があると思っておりまして、そういったことも中間試案では御紹介いただける方がいいのではないかと考えます。私のとらえ方からは、同意権に意思決定支援という役割は期待はせずに、あくまでも本人が誤った場合の保護の制度として存在意義を残すという位置付けということも十分にあり得ると思っていますので、気になった点として指摘をさせていただきたいと思います。   それから、同意権と取消権の行使のことについては、同意するかどうかでご本人とどのようなやり取りをしたかを踏まえて取消権を行使するかどうかを判断するという一連の過程があってこそ本人の状況を踏まえた行使の是非の適切な判断になると考えますと、同意権と取消権の行使権者を切り離すということが、果たして本人さんとの状況を踏まえた上での適切な判断になるのかということに不安があります。 ○波多野幹事 法定後見開始の効果のところですが、1点だけ確認をさせていただきたいところがございまして、12ページ目から13ページ目に掛けて記載しているところではあるのですけれども、1の議論で、いわゆる一元的な枠組みを採った方がいいと、そういうお考えもあるところかと思いまして、事理弁識能力を欠く常況である人について別途の仕組みを設けないということかなと思います。仮に、その仕組みを採った場合に、同意を要する旨の審判をするということができるのかどうかというところについて、どのようにお考えになるのかというところを、もしお考えがあれば御教示いただければ、次以降の資料の作成に参考になるかなと思っております。今の後見の場面ですと、現在の議論の状況では、後見の対象の方には、後見人が同意を与えて、御本人が行為をしたとしても後から取り消せると、そういう議論になっているのかなと思いますけれども、それとは違う考え方になるのかどうか辺りが少し分からないなと思っていたところでございまして、もし御教示いただけるのであれば、御教示いただきたいと思います。 ○山野目部会長 お問合せの事項について、御意見があれば承ります。 ○青木委員 私もなお検討中であることを留保してではございますけれども、現行であれば後見類型のご本人さんであったとしても、今後は、事理弁識能力に欠ける常況の方とは限らない、その点の判断はしないということになりますので、その中にはご本人さんの意思能力がないわけではないけれども不十分な状態で誤った契約をする危険性がある方が、対象となる法律行為・事項によっては存在することになると思います。その場合にはその不十分な意思能力を同意によって補完して有効な法律行為にするという場合があり得ると思っています。   一方で、同意権・取消権付与に関する同意能力もないご本人について、同意能力はないのだけれども、事項によっては同意権による補完があれば有効な法律行為をする程度の意思能力の不十分さが残っている場合がありますかと聞かれますと、日常生活上の行為についてはありえると思いますが、それ以外になりますと想定しにくいかなとも思っていまして、そうであるとすると、同意能力もないご本人について同意権を付与したからといってその法律行為が有効になるということ可能なのか、3条の2との関係で整合するのかというところは整理しないといけないと思っています。したがって、従来の後見類型であっても、同意権を認めて法律行為を有効にできる事項がある一方で、全ての場合についてそれが可能かという点では疑問が残るというのが、現時点の私の意見となります。 ○星野委員 私も実務上の立場で考えていることですが、やはり補助のことを一番前提に考えて、例えば本人に必要性があるようなときに本人の同意があるときを考えますと現行の保佐類型は自動的に13条1項の取消権が保佐人に付与される、後見の場合ももちろん。実際どこまでこの権限行使がなされているかと、前も発言したことがあるのですが、もちろん先ほどの開始のところの議論でもあったように、本人の同意がなくても開始をするということは仕組みとして必要だということなので、そういう必要性がある方については、本人の同意はないけれども限定的に同意・取消権を付与するという審判が必要になるということはあるだろうと思います。ただ、今のように当たり前のように保佐類型、後見類型に付いてくる、これを変えて個別に検討するという考え方はやはり大事なところではないかなと思うのですが。 ○根本幹事 波多野幹事のお尋ねの点で、非常に私も迷っているところがありまして、一つは、消費者被害との関係で見ますと、従前からの議論にもありますように、同意権、取消権があるということによって一定の抑止効果があるのだという意見は、私もそのとおりだと思うところもございます。要は、一定の場合にこういった内容について付与されるということが一切なくなってしまったときに、悪徳業者といわれるようなところは法改正についても非常に着目をされていて、悪用されるというリスクはあるのではないかという懸念は持っております。もう一つは、今の13条の範囲をそのまま維持するかどうかというところは、内容の見直しは図った上で、残していくということについて検討が必要だと考えております。 ○山野目部会長 波多野幹事、お続けになることがあったら。よろしいですか。   ほかに、2の部分についていかがでしょうか。効果のところについて、大体御意見を承ったと理解してよろしいですか。   私から1点申し上げます。取消権を本人に、あるいは原則として本人に与えるという規律で仮に進むとした場合において、現行法においては、そういう事後の問題というよりは、あらかじめ同意を保護者に対して求めたけれども同意してくれないときに、同意に代わる許可の裁判をするという制度がございますが、新しい取消権の規律の姿が見えてきた段階で、あの制度を今後どういうふうにしていくかということは、その段階でまたきちんと考えておかなければいけない宿題として残されていると感じますから、備忘として申し上げておくということにいたします。 ○沖野委員 度々申し訳ございません。備忘ということで、これは別のところで御指摘があったのかとも思うのですけれども、相手方の催告権がどういう形になるのか、本人のみが取消しができるというときに、もうそれで単独で取消しができるということであれば、本人に催告をして、一定期間に確答がなければ追認とみなされるのか、そもそも催告の制度はやはり働かないのか、それとも取り消したものとみなされるのか。恐らく現行法は、取消しになるのは本人保護になって、よいという発想で規律はできているのではないかと思うのですが、現在はそもそも取消しというのは本人が一旦した決断を覆すことなので、むしろ望ましくないという保護と意思との間の緊張関係というか、そういうことが少し現行法と違ってくるときに、催告の話がどうなるのかということが、細かいことですが、ありそうですので、正に備忘として申し上げたいと思います。 ○山野目部会長 第二読までにおいて、民法の幾つかの関連する規律への影響の論議をお願いしてきた部分がございまして、沖野委員がおっしゃった催告のほかに、詐術の問題、時効障害の問題等が並んでおりまして、あの辺りの議論はもうこの後はしないということでは、当然のことながら、ありませんで、今後、取消権の問題も含めて、新しい制度の全貌がもう少し見えてくる折々に、これらの民法上の、あるいは民法以外の民事法制各規律への影響を引き続き検討をお願いしてまいりたいと考えます。その観点から今、沖野委員が一つの大事な点について注意をしてくださいました。ありがとうございます。   皆様、熱心に御議論いただいたところでお疲れでいらっしゃるだろうと思いますから、休憩をお願いし、休憩後の再開の冒頭で、第1の部分が終わったところを受けて、久保委員、櫻田委員、花俣委員に、この順番でお声掛けをするというところからお話をお願いしてまいりたいと考えます。           (休     憩) ○山野目部会長 再開いたします。   それでは、部会資料10の第1の部分についての本日段階の審議が一通り終わりましたから、3人の委員にお声掛けをします。久保委員からお話がありますれば承ります。お願いしてよろしいでしょうか。 ○久保委員 ありがとうございます。ちょっと今日もまだ腰が悪いので立っておりますけれども、今ずっと議論を聞かせていただいていて、なかなか難しいなと思っていて、ちょっと私の頭ではついていかないなと思っていますけれども、同意権と取消権の連動ですけれども、とても難しくて、知的障害のある人たちのことを考えてみますと、私たちもそうですけれども、失敗して学ぶということも一つはあるなと思いまして、ただ、それがあんまり大きなけがにならないような失敗で学んでほしいなというのも、親としてそういう思いがあります。   全部を周りの方から守ってあげるというのもちょっとやり過ぎといいますか、本人自身が、これは駄目だったんだなって、失敗して学ぶということもして成長してほしいという思いもありますので、そういう意味では、知的障害のある人たちの意思というのも大事にしなければならない、私たちずっと本人に意思があって、どんな人でも意思があるから、本人の意思を重要視してほしいということをずっと言ってきましたけれども、その意思も間違っていることは誰でもあることなので、その辺のところは、周りの者がよく見ていながら、本人の意思でないかもしれない、意思ではないんだけれども、そこを進むと大けがになるよというところは、周りの者が取り消してあげるという、そういうことが大事なので、どこでそこを発令すればいいのかというのもよく分からないですし、大きなけがにならないように、ちょっとした失敗で学んでほしいなというのもありまして、その辺のところで同意権とか、本人の意思決定をしたものについて、取消しというのをどこでやればいいのかというのが、私自身にはちょっとよく分からないんですけれども、皆さんの御意見を伺っていながら、なかなか難しい。   多分、私なんかは、知的障害の本人の立ち位置しか考えていないと思うんです、多分ね。相手方があるということも、先ほどちょっと御意見もあったんですけれども、相手方もあるので、どこでそれを、取消しを発令して、誰がするのかというところが議論なんだろうと思いますけれども、本当によく分かっていませんので、感想のようなものでございますけれども、でも、全部守る必要ないと私は思っています。ちょっとした失敗は、やはり失敗から学んでほしいということもありますので、その辺のところが難しいなと思いながら聞いておりました。   感想でございます。以上です。 ○山野目部会長 久保委員に二つお声掛けをします。   一つは、ようやく法律家の間でも愚行権という概念が議論の俎上にのるようになりました。愚かな行いをする権利というよりは、愚かであるかもしれない行いをする権利と理解すべきであうと考えますけれども、考えてみますれば、我々の人生、皆の人生は愚かな行いの連続でありまして、こうして話している私なんて、朝起きてからここに来るまでも愚かな行いでない方が珍しいぐらいなわけでありまして、お年寄りや障害者の皆さんのそういう問題に向き合ったときに、開始要件も取消権もどういう要件で振り合いを考えたらいいか、本日ここまでの議論で、委員、幹事に悩んでいただいたところを、久保委員においてもお聞き取りいただいたと、今伺って理解をいたしました。   もう一点は、久保委員におかれては、くれぐれもお大事になさってください。御養生なさって、御快癒なさることを念じております。ありがとうございました。 ○櫻田委員 ありがとうございます。委員、幹事の皆様の御意見を伺っている中で、すごい今までの部会の中での御発言とかもいろいろ、自分が何発言したかなと思いながらも、ちょっと考えていた部分ではあるんですけれども、結構議論が深まってくる中で、なかなか結構、当事者である私にはなかなか理解が追い付かない部分があって恐縮ではあるんですけれども、やはりずっと私の中で皆様にお伝えさせていただいているところとしては、当事者の1人として、本当にこの制度がよりよいもので、なおかつ自分が使う立場になったときに使いやすい、そして、本当に部分の意思決定とかを助けてくれるような制度でいてほしいなというのは、多分ずっと私の中でも思っている思いでもありますし、お伝えしている部分かなとは思うんですけれども、それが形に徐々になってきているのが何かすごいなという、ただ純粋にそう思ったところではあるんですけれども、皆様様々な御意見がある中で、やはり私たち当事者とか、あと関連する御家族とかのこともすごい考えていただいて、大変有り難いなと思っております。   本当にここでの意見というか、本当に感想にはなってしまうんですけれども、この先また中間試案があり、その先パブリックコメントもありで、また様々な部会の中で意見が交わされていくとは思うんですけれども、本当に私たちとしては、この制度自体がよりよいものになっていって、自分たちが使いやすいもので、本当に自分たちを助けてくれる制度でい続けてほしいなというのはありますので、1人の当事者の思いとして受け取っていただけると幸いですということで、意見とさせていただきます。 ○山野目部会長 櫻田委員、どうもありがとうございます。どうしても数として多いものがお年寄りであって、そこをイメージして制度を考えがちでありますけれども、もちろん障害をお持ちの方がいらっしゃるし、そこも、一言で障害といっても、いろいろな形態の障害があるということを常に忘れてはいけないと、今日、山下幹事の御発言の中にその御注意がありました。そのことを私ども心掛けて、引き続き検討してまいろうと考えます。   中間試案も、これから悩んでまいりますが、確かに多くの委員、幹事がおっしゃったように、事理弁識能力を欠く常況にある者といったような法文上の抽象的、あるいは決まり文句でだけ書いたのでは、国民に伝わらない部分があって、お年寄りとか障害者の具体的な状況を例示するような仕方で問いかけをするという工夫も要るかもしれないですが、ちいささか悩ましい点は、十分に工夫しないで例を挙げると、またかえってそこが不正確だったり誤解を招いたりするような部分もありますから、また事務当局の方に悩んでもらった上で、中間試案をたたき台の検討の際、委員、幹事に見てもらって御意見を頂いていくというプロセスを重ねてまいりたいと考えます。引き続き見守ってください。ありがとうございました。 ○花俣委員 これまでの議論を聞いていて、具体的な場面の想定が大変難しかった。どんなケースのどんな場面なのかというのが、なかなか分からなかった。それから、法律の条文については知見がないので、ただただ聞くしかないのですが、今、部会長がおっしゃったパブコメを求めるときに、どんな書きぶりでどんなふうな発信の仕方をというのはすごく難しいと思いますが、少なくとも事理弁識能力などには、ルビは打っていただきたい。私もようやく事理弁識能力という言葉は耳慣れましたが、これを人に説明することはとてもできません。ここをかみ砕くというのも難しいし、まして法律の条文を変えるか変えないかという議論なので、そこをかみ砕くのもそぐわないという気がしています。   あともう一点は、私どもは、数として非常に多い認知症高齢者の立場ということですが、認知症は本当に幅が広く、容態が様々で、さらに今のところは不可逆性の疾患と言われています。原因疾患によって括ることもすごく難しい。初期、早期の方は、私よりもずっと聡明な東大卒のキャリアを持った優秀な方もおられ、時事問題を語らせたら、とても理路整然とお話をされます。そういう方たちでさえ、先行き重度になって、コミュニケーション能力を奪われ、意思の疎通が難しくなるのも承知してはいますが、やはり我々にとっては、今盛んに注目されている意思決定支援、支援付き意思決定や、その基になっている権利条約についても、どちらもとても重要なものだと考えています。   あと、民法がどのぐらい我々の暮らしの近くにあるのかということも、この議論に関わらせていただいて、その辺は少し分かるようにはなってきましたが、この議論は難しいことの連続であり、まだまだ遠いなという感想を持ちながら、本日も議論に加わらせていただきました。   ○山野目部会長 花俣委員に最初に、私、お知り合いにさせていただいたときに、叱られた記憶が今でも鮮明に残っていて、事理弁識能力を欠く常況っていう、あの常況が「常」という字を用いられているのはひどい差別表現です、認知症になった人は常に駄目だと法律の条文には書いてありますけれども、許せませんと言われて、私がそういう意味ではないと説明しようとするのですけれども、お怒りを解いていただけなかったという、鮮明な記憶がございます。   一般の方に法律概念や法律用語で中間試案を説明していったときに、様々なコミュニケーション・アクシデントが起こるであろうということが想像できますから、その具体例を添えるなどしますけれども、ただ、精査しないで具体例を載せると、かえって不正確な伝達になることもありますから、例を添えた上で、時々あるではないですか、飽くまで個人のイメージですという括弧書が付いてあるような画面とかのパンフレットの案内がありますけれども、あれに類似するような説明を、中間試案本体とか補足説明の中に入れたりして、論理の説明とイメージの伝達ということを両立するように、なかなか大変ですけれども、いろいろな工夫をこれから委員、幹事に御相談を差し上げていこうと考えます。引き続きお力添えをください。どうもありがとうございました。   部会資料10の第2の部分の審議に進むことにいたします。   初めに、第2の1の部分についてお諮りをいたします。「第2 法定後見の終了」のうちの1、法定後見の審判(法定後見の開始の審判又は保護者に権限を付与する旨の(個別の)審判)の取消しについての審議をお願いするに先立ち、事務当局から資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料10の15ページ以下、第2の1、法定後見の審判の取消しについて御説明いたします。   一般論として、法定後見開始の原因が消滅した場合には、当該原因により発生させた法定後見の効果を継続させる必要はないと考えられます。そうすると、本人の事理弁識能力が回復した場合や、法定後見による保護の必要性が消滅した場合には、法定後見の開始の審判又は保護者に権限を付与する旨の個別の審判について、これらを取り消す旨の審判をするものとすることが考えられます。   このことを踏まえ、15ページ以下の1では、本人の事理弁識能力の回復等による法定後見の開始等の審判の取消しについて、16ページの2では、当該取消しの審判の申立権者について、若干の整理をしています。その上で、16ページ以下の3では、本人以外の請求により取消しの審判をするには本人の同意を要件とすることについて、17ページ以下の4では、本人が法定後見の終了を希望する場合の考え方について、これまでの議論の整理を試みています。   これらを踏まえ、法定後見の開始の審判又は保護者に権限を付与する旨の個別の審判の取消しに関する事項について御議論を頂ければと考えております。   御説明は以上でございます。 ○山野目部会長 説明を差し上げた部分について、御意見を頂きます。 ○小澤委員 ありがとうございます。法定後見の取消しの審判の申立権者については、現行法と同様、本人、後見人等のほか、配偶者や4親等内の親族など、開始審判の申立権者に対応させることが適切と考えています。内部の検討の中では、市区町村長なども申立権者に加えてもいいのではないかという意見もありましたが、福祉法制で市区町村長に法定後見の申立権限が付与されている理由は本人保護のためであるところ、本人保護のために法定後見の取消しを申し立てる場面が想定し難いため、市町村長に申立権限を付与する必要はないのではないかという意見もありました。   本人以外の請求により取消しの審判をする際に、本人の同意を要件とすることについては賛成をいたします。もし本人以外が取消しの審判を申し立てたとしても、本人が法定後見制度の利用を希望しているのであれば、そのことを法定後見による保護の必要性の考慮要素として判断し、法定後見の利用を継続できることとするのがよいのではないかと考えています。   次に、本人が法定後見の終了を希望した場合には、その時点で保護の必要性が消失しているのであれば、法定後見を終了できるようにすることに賛成しますが、本人が終了を希望していても、法定後見制度による保護を終了することによって、生命、身体、財産に大きな危険が及ぶような状況になるなど、本人の保護が引き続き必要な場合には、開始の場面と同様に、その終了について有効な同意をする能力があるとは言えないと考えられる場合に当たると考えられますので、法定後見を終了させることはできないと考えています。 ○佐保委員 ありがとうございます。見直し後の制度において、本人の事理弁識能力の回復や保護の必要性の消滅による取消しの審判ができること、その申立権者の範囲は、現行法と同様の範囲とすることに異論はございません。   一方で、事理弁識能力が不十分ではなくなった、又は保護の必要性がなくなった場合は、本人が継続の意思を有しているとしても、本人以外の請求により取消しの審判ができるようにすることについては懸念もあります。本当に事理弁識能力が回復したのか、保護の必要性はないのか、悪用されてはいないかなど、客観的に確認する要素の一つとして、本人の陳述を聞く機会はあってもよいのではないかと考えます。   本人の取消しの希望については、事理弁識能力が不十分ではなくなり、保護の必要性がない場合は、当然できるものとして考えるべきと思いますが、保護の必要性が客観的にある場合は、事理弁識能力も不十分と思われます。そうした場合に、本人が積極的に取消しの意思表示をしているならば、開始のときと同様ですが、保護の必要性、保護の有無によって起こり得ることなどについて、本人に丁寧に説明し、理解していただいた上で、本人の意思を確認する支援が必要ではないかと考えます。 ○根本幹事 部会資料に明記されていない点で、終了との関係で懸念を五つ申し上げたいと思います。終了の要件そのものをどう考えるかは非常に重要なのですが、あわせて、佐保委員からも御指摘ありましたけれども、終了した後との関係で問題になる点についても、中間試案では記載がされるべきではないかと思いますので、その観点から申し上げます。まず一つ目が、部会資料の中では、保護の必要性の消滅の点についての御指摘ありますけれども、事務の必要性が消滅した場合も当然終了するということで、そこは異論ないところなのかもしれませんが、それに付随する点として、追加的に代理権を付与するということも、今回の制度改正では予定をされているということは、きちんと御説明を頂いた上で、事務の必要性が消滅した場合には終了するのだという点を明確にしていただかないと、特に福祉の現場からは心配の声が上がっていることです。   2点目になりますけれども、申立権者との関係で、先ほど小澤委員からありましたが、区長申立てが認められるということであれば、取消しの申立権者にも、少なくとも区長申立て事案についてはなっていただくということが一つの考え方だと思います。基礎自治体の実務から見ても、区長申立て事案は引き続き区役所のワーカーさん、市役所のワーカーさんなどが御本人の見守りを継続されているというケースも一部あると思いますので、取消権者にもなり得るという整備が必要ではないかと思います。この点の指摘は、中核機関が仮に今後法定化されて申立権者に加わるとなった場合も、同様かと思っています。   3点目が、本人の同意を取消しの要件とするかということについてとの関係ですけれども、これは、本人の請求ないし同意という開始要件が、制度の正当化根拠ということなのであれば、必ずしも取消しにおいても本人同意が必要であるということにはならないのではないかと思いますが、ただし、取消しの手続においては、佐保委員の御指摘もそうですけれども、本人の意見聴取のほかに、現後見人の意見も当然そうですが、支援者、特に終了後、受皿になる地域福祉の意見も、確実に裁判所に届くようにしていただく必要があると思います。その点では、繰返しになりますが、終了版の本人情報シートを導入していただくということで、支援者の意見を確実に家庭裁判所に届けるということが必要だと思いますし、仮に首長申立て事案については、申立権者である首長の意見も考慮した上で終了させるかどうかというのは、判断されるべきであると思います。   それから、4点目です。今回の資料にはない点なのですが、本人同意を継続要件とするかどうかということとの関係でも、いわゆる親族間対立がある事案で、現状、開始の審判等について、抗告審で争われるような事案もあります。こういった事案は、今回の終了という制度を設けるということになり、かつ、取消しの審判の申立権者に4親等内の親族の方が入ってこられるということになりますと、繰返し同一事由ですとか、若しくは取消しの審判の申立ての濫用が懸念されるということになります。同一事由による一定期間の取消しの申立ての審判の制限ですとか、客観事由も含めた整備は、検討されなければいけないと思います。その点についての御指摘がないと、困難な事案を担当している専門職においては、取消しについての不安が増えてしまうと考えています。   最後になりますけれども、補充性を仮に開始要件において保護の必要性に取り込んでいくと考えるとしましても、特に終了の場面では、補充性を欠く場合ということがどういう場合であるのか、若しくは、いわゆるトリガー契約がどういう場面で締結ができて、どういう場面では締結ができないのか、特に本人同意がある場合はよいという整理も今まであるかとは思います。本人同意がない場合に、追加で代理権付与ができるのかという論点は非常に重要な点になってくると思います。この点については、中間試案等でも意見を伺うべき点と思っております。 ○山野目部会長 本日は佐久間8項目というのがありましたけれども、根本5項目というのも今、出ましたね。どれも重い御話です。ありがとうございました。 ○野村幹事 ありがとうございます。部会資料に沿って、意見を述べたいと思います。   制度の見直し後も本人の事理弁識能力が回復して、その程度が不十分であると言えなくなった場合や、保護の必要性として考慮した事情がなくなった場合には、取消しの審判をすることになると考えますが、民法上の申立権者については、現行法と同様の範囲でよいと考えています。ただし、身寄りがない人が増えていることから、市区町村長については、福祉法制上、取消しの審判の申立権者とするニーズがあるのではないかと思います。  本人が回復して事理弁識能力が不十分ではなくなったものの、本人が制度利用の継続の意思を有している場面においては、事理弁識能力が不十分であることは制度利用の継続要件と考えますので、取消しの審判をすべきと考えます。 本人の事理弁識能力が不十分である状況に変化はないが、保護の必要性がなくなったものの、取消しに当たって本人の同意がない場合においては、本人の同意は終了に当たっての考慮要素と考えて、後見制度の利用を必要最小限とする趣旨から、取消の審判を認めうる場合もあると考えます。    それから、本人が法定後見の終了(取消し)を希望している場合でも、客観的に保護の必要性がある場合には、当然に取り消すものとするのではなく、家庭裁判所の判断が別途必要だと考えます。 ○上山委員 法定後見の審判の取消しの審判の申立権者ですけれども、仮に今後、任意後見制度との併存を認めるという法制を採った場合には、ここに任意後見人や任意後見監督人といった任意後見の当事者も含めて考える余地があるのではないかと感じました。 ○山野目部会長 ありがとうございました。忘れがちな点おっしゃっていただきまして、参考になります。 ○小出委員 ありがとうございます。私の方からは、部会資料19ページ4行目以降に記載されております、保護の必要性が客観的に失われていないのに、本人が法定後見の利用をやめたいとの意思を積極的に表明する場合の件について、御意見を申し上げられたらと思っております。   金融機関の窓口においては、単独で取引を行うことが難しいと思われる方はいらっしゃり、先ほどの事例紹介の通り、例えば、キャッシュカードの暗証番号を1日に何度も忘れてしまう方であったり、預金をATMとかで払い戻していただいたんですけれども、払い戻した事実を忘れてしまっているという方もいらっしゃります。実際、実務の現場においては、ちょっと悩みながら対応しているという実情もありまして、こういった方について、御本人がやめたいという意向を申していただいたことをもってのみやめてしまった場合には、御本人様の財産保護の観点でも問題ないのかというところありますし、今後の残存するお取引は誰ができるのかという問題が発生すると思われます。   また、事理弁識能力を欠く常況の場合については、そもそも有効な同意を行うことができない状態になっていると思いますし、また、開始の際は有効な同意をする能力があったということであっても、終了の申出をする際には、本人の意思能力が低下し、有効な同意をする能力がない場合も想定されると考えております。このため、終了の審判の際には、本人の事理弁識能力や保護の必要性を改めて確認いただいて、意思能力が著しく低下しており、かつ、保護の必要性が継続している場合については、本人の申出のみをもって終了することは慎重にすべきでありまして、他の支援の存在により、残る法律行為が対応可能かどうかというところも含めて判断すべきと考えております。また、事理弁識能力を欠く常況にあり、本人が有効な同意を行うことができないといった場合には、そういう問題もあるので、保護の継続を行うということも必要ではないかと考えております。 ○星野委員 ありがとうございます。まず、現行の、先ほどの3類型の維持の話のところにもちょっとつながるんですけれども、現行の補助類型というのは、本人の事理弁識能力が、判断能力が回復したという場合は、診断書等の医学的判断を必要としますけれども、本人が保護者に代理権、同意取消権を付与する、しないという意思、代理する、代理をしてほしいと思っていないということで、この意思を確認することで取消しができる、今の現行法はそうだと理解しています。つい最近もありましたが、本人の能力回復ではない形の補助の取消しを私も含め複数の社会福祉士の補助人が経験をしております。   その場合、保護の必要性が失われていないにもかかわらず、本人の明確な意思があるというところで、現状では補助を取り消すという判断になるということがありました。では、その場合はどうしたらいいのかというところで、現行の基では、類型を保佐なり後見なりに変えておくしかないということを家庭裁判所から助言されました。この仕組みが現行の制度の問題として指摘されるところではないかと、私は捉えています。   何が問題なのかというと、必要性が客観的に失われていないという判断基準が、何をもって判断されているのかというところであり、何度も出ています必要性がなくなったというところを、民法の規定だけで定めるのは難しいことであり、今までも出ていましたように、社会福祉法の中でどのような仕組みで支援が継続していけるのかというところがあるかないかによっても、必要性、補充性というところの判断は異なってくると思います。そのため、根本幹事も先ほどおっしゃいましたけれども、それを継続していく必要があるのかどうか、終了することができるかというための資料を裁判所に届けること、届けた資料を裁判所が受け取っていただけるような仕組みが必要であり、現行の本人情報シートについて後見制度を利用した後のバージョンが必要だというところを、専門家会議等でも発言をしているところです。   判断能力の回復を、第一義的に見るのではなくて、やはり本人の意向というところから、本人が続けたい、あるいはやめたい、あるいは必要性がある、ないというところ、その必要性の有無の中に、本人の判断能力の回復ということも考慮されるかもしれませんが、事理弁識能力の回復というところを出発点としないというところの整理が必要ではないかと思います。   そして、同意の捉え方が、それぞれイメージが異なっているという御指摘が先ほどもありましたけれども、本人が同意をしていないというところの捉え方も、ここでは問題になってくると思います。続けたい、あるいはやめたい、どちらでもいいんですが、支援者の考え方や意向とずれているような場合、なぜそのように考えるのかというところ、やはり丁寧に確認をしていくことで、本人が同意をする、あるいは同意をしていないというところを言葉だけではなく、しっかりと見ていく必要があると思います。   それから、ここの報告書の中で、是非入れていただきたいと思うのが、この後任意後見のところも出てくると思うんですが、任意後見制度がどのように変わるのか。つまり、法定後見と併用するというような議論もかなり進んできている中で、そこによっても終了の判断、必要性の判断というところには影響があると思いますので、そこにも触れる必要があるかなと思っています。 ○佐久間委員 質問を含めて3点あります。   一つは、本人は同意能力があるというか、事理弁識能力を欠く常況にはない、あるいは比較的高い判断能力は維持されているというような場合について、ちょっと現状を教えていただきたいんですけれども、16ページの31行目から、現行法の規律で書かれていることは、法律上はそうだというのは承知しているんですが、こういった場合に、本人以外の者の請求があったときに、実際法律の条文がそうだからということで、本人の意見を全く聴取しないまま審判を取り消すということが、同意はともかく、意見すら聴取することなく取り消すということが行われているのか、かなり行われているのか、あるいはどういうときに行われ、どういうときには行われていないのかということを知りたいと思いました。   条文はともかくとして、実態としては、本人の意見を基本的には聴取しているとすると、今後その本人の意見を聞かないとか、同意を得ないなんていうことにはなりそうにないので、そこをまずちょっと知りたいと思いました。 ○山野目部会長 今のお尋ねについて、波多野幹事や遠藤幹事から何かお話があったら承ります。 ○波多野幹事 我々としては、現行法の規律に記載しているところに尽きるのですけれども、家事事件手続法におきまして、一定の場合、この取消しの審判をするには、御本人の陳述を聞かなければならないというふうな規定が用意されているものというように認識しているところでございまして、一定の補助人の同意を要する審判とか補助人に代理権を付与する審判については、この規律がないというところが今の現行法の規定かなと認識しているところでございます。 ○佐久間委員 分かりました。特に審判の取消しの場合に、必要性が失われたという判断だけで、本人の意見も全く聞かずに行われているか、本人の意見を聞いても仕方がないなという状態の方だったら、それは分かるんですけれども、それが、今後拡大することになるかもしれないということが今問題としようとしているところなので、規定はこうだというだけではなくて、現状も余り本人の意思を聞かずにやっているとか、現状は基本的には本人の意見を聴取できる限りはしているということを、中間試案についてパブリックコメントを求めるときに情報提供する方がいいのではないかという趣旨です。   今答えてくださいということでは必ずしもありませんけれども、将来この点について考えていただく方に対する情報提供として要るのではないかということです。   2点目ですけれども、これは、先ほどの言葉の話になっちゃうんですけれども、「事理弁識能力を欠く常況」をどうするという話があることを踏まえてなんですけれども、審判の取消しというのは、成年後見関係に限らず法文でいっぱい使われているんですけれども、皆さん、私もそうですけれども、終了、終了、終了っていうふうにおっしゃっていますよね。終了の審判とか何かに変えることを考えなくていいのかなって思いました。取消しっていうと何か、元あった審判をなかったことにしますというふうなことになるんだけれども、審判は、別に遡及効がどうのこうのではなくて、語感として、審判はやはりあったと。でも、その審判の効力は消滅するとか、審判の効果が終わるとかということだとすると、ほかの制度、ほかの審判等々との兼ね合いはもちろんあると思うんですけれども、そういうことも考えた方がいいのではないかと。   特に、期間満了で自動的に終わりますとかということになったら別ですけれども、期間満了のときも、期間も満了したし、大丈夫ですねということを確認してやめるというときは、取消しではないのではないかというふうな気がするのでということで、それが2点目です。   3点目は、先ほど星野委員ですかね、違う方だったらごめんなさい、おっしゃった、19ページの、小出委員もおっしゃったのかな、19ページの本人が明確にもうやめたいと言っている、まだ必要性は失われてなさそうなんだけれども、ということに関してです。皆さんがおっしゃる御意見はそのとおりで、それでいいと思うんですけれども、最初の開始の審判のときに、本人が嫌だと言っているのに審判するのかというのとやはり裏腹の関係にあると思いますので、そこと併せた説明の仕方をしていただく必要があるかなと思います。 ○青木委員 開始の議論でも申し上げるべきだったかもしれませんけれども、必要性がなくなったかという検討の中には、特に終了の場面では、補充性として、他の手段で賄えるようになったとか、本人さんの支援環境が整いいろいろなことが代理によらずできるようになったということが含まれると思いますので、今後、中間取りまとめをするときには、この部会の検討としては、補充性が独立の要件ではなくて必要性の中で考慮する事情ということでおおむね共通認識になったと思いますけれども、終了の場面では、必要性の解消の中でも、補充性の検討を含めて終了するんだよということが分かるように、考え方を明記して頂く必要があるのかなと思います。そうでないと、与えられた事務が終わったときだけ終了するのかと誤解されることもあるかもしれません。終了の検討において、補充性をどのように扱うかということもご検討いただきたいと思いました。   2点目は、市町村長申立ては、終了の申立権者としても入れていただく必要があると思っています。それは、その根拠法自体は、開始と同様に、福祉三法に根拠を持つことになるのかもしれませんけれども、市町村長申立てについても必要性を確認した上で申立てする以上、申立てをした市町村長の責務としまして、必要性が解消した場合には終了させるということがあることによって、市町村長が申し立てた事案について最後までしっかりケースを把握していくことにつながりますし、報酬助成制度との関係でも、利用の必要性がある者に助成をするという観点からも、必要性解消による終了についても市町村長で評価をし、場合に応じて裁判所に終了の申立てができるということが重要なのではないかと考えているところです。   それから、本人の同意の扱いについて、第三者による申立てのときに、必要性がなくなった場合には、本人が幾ら続けたいとの意思があっても終了せざるをえないと資料10でお書きいただいているわけですけれども、この必要性の中に、先ほどの補充性の問題が入りますと、成年後見でもいける、だけど、日常生活支援事業でもいける、銀行の様々な商品でもいける、と選択肢がある場合に、本人がなお後見制度によって支援を続けたいとなった場合に、本人のその意向が終了事由には影響することになるのと思いますので、そうした観点も追加していただけたらどうかなと思いました。   最後に、本人の請求もしくは本人の同意に基づいて制度利用が始まった場合に、本人がやめたいと同意を撤回したことについては、本人の意思に基づくことを徹底すれば、確かに継続要件や終了要件にすべきなのかもしれませんけれども、法定後見制度としては、やはり必要性の認定に基づいて公的介入を行うということが主要な制度開始の要件だと考えれば、必要性が残っているのに、本人の同意の撤回だけで終了するということは難しいと考えていまして、ただ、本人が示した撤回の意思、あるいは意向を、必要性の終了の有無の判断においてはしっかりと尊重して考慮すべきことという位置づけであると思います。そこで、終了の判断事由をどこまで法文に書き込むかはあるかもしれませんが、補足説明も含めて、終了における重要な考慮要素として本人の意思・意向というもの考慮しなくてはいけないということを取り入れる必要があると考えています。 ○遠藤幹事 まず、佐久間委員から御指摘を頂きました、陳述聴取の関係について申し上げます。波多野幹事から家事事件手続法の規律については御説明を頂いたとおりであり、裁判所の実際の運用としても、その規律に従って行われていると承知しており、後見、保佐、補助の開始審判の取消しに当たっては、本人の陳述聴取を行っているというのが実態でありますが、補助の場合には、御本人が相当しっかりされている場合も多いので、例えば書面を提出していただく方法によって陳述聴取をしているといった実務運用はあると聞いております。   次に、本日の御議論の中で、幾つか気になった点がありましたので、意見を申し上げたいと思います。  星野委員及び根本幹事から、法定後見の制度利用終了に当たっての本人情報シートに関するお話がございました。御案内のとおり、本人情報シートは基本的に法定後見開始に当たっての医師の判断の資料として作成されたものであり、裁判所もそういった位置付けのものとして取り扱っております。星野委員の問題意識につきましては、法定後見を継続中、本人の状況などを継続的にモニタリングする中で、様々な環境が整備されるなどして、もはや法定後見の必要がなくなったといったようなモニタリングの結果を裁判所に届けて、それを判断の資料にしてほしいという御趣旨のものかと思われますが、法定後見の終了に当たって、何をどのように勘案して判断するかというのは、裁判官の判断によるということが大前提であり、そのようなモニタリングの結果といったものを裁判官が勘案するべきであるという御趣旨であれば、それは裁判官の職権行使の独立との関係で懸念を覚えます。そのような法定後見の制度利用終了に当たっての本人情報シートといったものについては、社会福祉法制の枠組みの中で、御本人支援の一環のものとして位置付けていただくのであれば、それは有益であると思いますので、そういった御議論がされていくべきものなのではないかと思っております。   また、小出委員から、法定後見終了に当たって、御本人の事理弁識能力や保護の必要性について判断してほしいといった趣旨の御発言があったように認識しております。この点については、基本的には裁判所は、申立ての範囲内で必要な判断をしていくことになると思いますので、小出委員御指摘のような点は、基本的には後見人において環境が整った、あるいはその他の事情で法定後見の保護の必要がなくなったということを主張立証していただければ、それを踏まえた判断がなされていくということに尽きると思っておりまして、それを超えて、裁判所が積極的にそれを探知するという性質のものとは少し違うのではないかと思います。 ○根本幹事 遠藤幹事からの御指摘について、終了版本人情報シートは、私が申し上げて、その後、星野委員も御指摘あったところですが開始時においても、開始要件で医学的知見とは別に、保護の必要性を、具体的な法制上の文言はともかく、要件としていくという議論において、開始時の本人情報シートの位置付けを見直す必要があるということが、この終了版の議論とも連動していると理解をしています。つまり、その保護の必要性の中身をどうするかというところは、先ほどの前半の議論にもありましたけれども、少なくとも社会的、環境的要因を含む本人の状況というものを踏まえた判断が保護の必要性の中身だとすると、医学的な知見とは別の要件ということになります。判断するための一つの資料として本人情報シートが有用だと思いますし、本人情報シートそのものを必須の提出書類とするわけではもちろんありませんけれども、ただ、その情報シートを介した情報というものは、保護の必要性において裁判所が御判断される上で必要な情報ということの位置付けになると考えています。   そうしますと、開始時にそれを要求する以上、終了時にも解消されているかどうかということを、裁判所としても確認されるということになるかと思いますし、あわせて、補充性の観点で、後続するトリガー契約が果たして、本当にそのトリガー契約に移行できるのかどうかという点は、裁判所の知るところではないかと思います。ただ、それを確認せずに終了できるのかという現実的な問題もあると思っていますので、終了版本人情報シートを必須とするということではないのかもしれませんが、保護の必要性の消滅ということを確認するための非常に重要な資料になってくると位置付けることはできるのではないかと思っています。   あわせて、手続法の議論だと思いますけれども、ドイツやオーストリアであるようなクリアリングに類する中核機関等に裁判所がアクセスするルートを設けていくということは、開始と終了だけではなくて、交替ですとか更新ですとか、いろいろな場面で裁判所の判断を助けるルートになるとも思っています。終了版の本人情報シートを是非御検討いただきたいと思っております。 ○山野目部会長 今のところは、議論がかみ合っていなくて時間の無駄になっていますね。本人情報シートという言葉を使うから、あれは医師の資料であって、元々位置付けが違いますと言われてしまいますが、その言葉を使っているだけでありまして、要するに、社会モデルに立脚した、それによって作成された資料が裁判所に届くルートを、法制上明確にしてほしいということを、星野委員と根本幹事はおっしゃっています。   あわせて、それを届けられた裁判官が拘束されるようになるということを申し上げているのでもなくて、恐らく規定にするときには、裁判所の方が意見や資料を求めることができるというタイプの規律になるであろうと予想されます。とりたてて裁判所が求めなかったら、それは違法な審判になるというようなことは、多分それもどなたもおっしゃっていなくて、医学ではない資料を豊富に裁判官に見ていただけるようにしよう、制度環境の整備としてはいいですねということを、星野委員、根本幹事、遠藤幹事、皆さん共通の思いでおっしゃっているものであり、そこを先ほどからああでもない、こうでもないとおっしゃっていると聞こえましたから、そのような建設的な方向でまた議論を続けていただきたいと願います。 ○波多野幹事 取消しの審判の申立権者のところで、市区町村長の申立権について触れていただいた御発言があったかと思います。若干法務省の守備範囲を越えるのかもしれませんが、現行法では多分そういう仕組みが設けられていないところではありまして、取消しの場面になりますと、既に開始していますので保護者、要は後見人という存在が出てくるのかなとも思っていたところでございますが、そのような人たちがいても、なお市区町村長に何か申立権を認める必要がある場面というのは一体どういう場面なのかというのは、ちょっと聞いていてすぐには分からなかったものですから、どこが主体として整理するのか分かりませんが、参考になれば教えていただければと思った次第でございます。 ○山野目部会長 後で中間試案の扱いとの関係でも、今のことをお話ししなければいけませんけれども、差し当たり今の波多野幹事のお問合せについて、御発言があれば承ります。 ○青木委員 ご指摘いただきましたとおり、市区町村がこの事案は後見制度の利用を終わらせてもいいという判断をしたときに、第一次的には、担当する後見人さんに相談をし、後見人から終了の申立てをさせるということになるとは思いますけれども、中には、そこがうまくいかずに、後見人から終了について積極的に申立てをしていただけず、本人からも申立てをする能力などがなかなかないケースの場合に、市町村長から積極的に終了の申立をする必要があるケースがあると思っていまして、そういう場合のために申立権を付与しておくべきべきではないかと思っているというのが、私の意見になります。 ○根本幹事 具体的に申し上げると、一つは親族の方が後見人になっていらっしゃるような場合で、例えば、現状も申立ての手続をするというだけでも支援が必要でいらっしゃるような方もおられ、若しくは定期報告等においても、裁判所とのやり取りがうまくスムーズにいかないというケースもあるかと思います。そういった場合は、首長がということはあると思いますし、もう一つは、チーム支援がうまくいっていない事案のときに、現保護者の方は継続することに固執をされている、ただ、支援者や自治体からすると、終了させてよいと思っている事案があった場合に、代わりに首長が取消しの申立権者でないということになりますと、後見人を交替してほしいですという手続を経て、それから後見人に取消しの審判の申立てをしていただくということになってしまって、手続的に迂遠かと考えたという次第です。 ○山野目部会長 波多野幹事、よろしいですか。 ○波多野幹事 はい。 ○山野目部会長 ほかにいかがでしょうか。   そうしましたならば、この法定後見の終了の1の部分についての御意見を承ったところを踏まえ、私から2点申し上げます。   1点は、ただいま話題になった市町村長申立てのことについて、取扱いの観点と、それから中味の観点とについて申し上げますと、まず取扱いの面において、これは、今活発な御議論を頂いて、司法書士会の方には消極の御意見があるということも承っていて、議論しなければいけない事項ではありますけれども、中間試案というものは、やはり諮問の範囲内で、民事基本法制についての見直し事項を主として考えるという場所であります。厚生労働省主務の法令で今扱っているものを、市町村長の関与を全部民法に飲み込むという話になるならば別ですけれども、そうではなくて、今の建付けが維持されるとすると、そのことはなかなか中間試案に正面からは書きにくいです。   ただし、それとともに、このことは、先々は必ず今回法制の見通しが得られた段階で議論しておかなければいけないことでありまして、始まってから福祉の現場が困ったという状況になる論点でありますから、いずれにしても、どこかの段階で法務省と厚生労働省との間でじっくり、きちんとどういうふうな解決にするかということを相談してほしい、そのことが強く望まれます。   それから、中味との関係で言いますと、仮に市区町村長申立てで取消しが認められるというときに、申立てをする者は、開始を申し立てた市区町村長でしょうか。イメージしやすいように例を挙げますと、例えば、A市とB市って隣り合っています。県境をまたいで隣り合っていて、A市のお年寄りが困った状況にあるけれども、誰も申し立てないということで、A市長の申立てで始まった後見だけれども、やがて身寄りがいなくなって施設を探したら、A市内に施設がなく、B市の施設に入って、そこで10年ほど過ごした後、今もう後見は要らないのではないですかとなったときに、取消しを申し立てる者はB市長でしょうか、それともA市長でしょうか。お世話を現実にしている社協も、きっとその県境をまたいでいるんで違っていますから、なかなかちょっと悩ましいと感じます。こういうこと、福祉の現場ではしょっちゅうあることですね。   だから、そういうことも考え込んでいかなければいけませんで、なおさらこれを民法に書けという進め方は、いささか苦しい面がありますから、厚生労働省の方で本気で考えていただいて、それでまた法務省と打合せをしていただくということでしょうか。これが1点目です。   もう一点は、星野委員と根本幹事から、終了に際して支援者の意見をよく聴くようにというふうな御意見を頂いていて、もっともな部分があります。これについても、先ほど申し上げた観点と似た面があって、取消しの、佐久間委員の御提案だと終了の審判ですが、取消しないし終了の審判をする裁判所は、開始の審判をした裁判所ですよね。そうすると、本人が施設や何かの関係ですごく遠方で暮らしていて、取消しを迎えるという場合があって、そのときには、本人の支援者たちって、そこの遠方の周りの人たちですね。取消し事件を管轄する裁判所から問合せがいくわけですが、今のこの電子の時代ですから、そんなの幾らでも電子でやり取りができるということがあるかもしれないけれども、地元の支援者から見ると、何か遠くの見たことない裁判所から問合せが来ましたねとかいうような状況も起こるかもしれません。   私、この間テレビの報道を見ていたら、重度の知的障害の人をどこの施設も受け容れてくれなくて、首都圏でお母さんが育てていたけれども、お母さんが一所懸命探して北国の施設を見つけたという例があって、そうすると、本人の生の暮らしの周りで世話している支援者は雪深い地の人たちですよね。ああいうときって、裁判所が情報収集で一所懸命に器用にしてくれますということを期待していて、福祉の方もそれと連動しましょうというお話になると思いますけれども、運用が始まってみると、いろいろ工夫しなければいけない事柄が出てくるだろうと予想します。   しかし、これも何か中間試案で正面から書きましょうという話ではなく、今ここで御議論を頂きましたから、備忘のために運用のことを今から悩んでおきましょうというお話になるであろうと想像されます。ありがとうございました。   それでは、2の部分の後見の期間のところにお話を進めることにいたします。   この部分について、事務当局から資料の説明を差し上げます。 ○水谷関係官 部会資料10の19ページ以下、第2の2、法定後見に係る期間について御説明いたします。   これまでの審議では、法定後見を終了する理由が存在していないかを定期的に確認する機会を制度的に確保する方法として、法定後見に係る期間を設定することが考えられるとの意見がありました。もっとも、法定後見に係る期間を設けることを支持する立場においても、その期間が満了したときに発生する法的効果や期間を設けることを必須とするか否かなどの点については、様々な考え方が示されたところです。   そこで、20ページ以下の2では、まず法定後見に係る期間を満了することによる効果について、考え方の整理を試みております。また、22ページ以下の3では、法定後見の審判の全てに期間の定めがあるものとすることの当否等について、24ページ以下の4では、期間の満了により法定後見を終了する場合における取消しの審判の要否について、考え方を整理しております。   これらを踏まえ、法定後見に係る期間に関する事項について御議論を頂ければと考えております。 ○山野目部会長 ただいま説明を差し上げた部分について、御意見を頂きます。 ○小澤委員 ありがとうございます。法定後見に係る期間を設定する趣旨は、一律に保護者に付与された権限が消滅して終了する期間ではなく、法定後見による保護を継続する必要があるかどうかを定期的に見直すための期間だと捉えています。期間が満了することによって付与された権限が当然に消滅する制度とすると、本人保護に欠けることはもとより、実務でも大きな混乱が生ずる可能性がありますので、そのような制度設計には反対の意見を持っています。   また、期間満了によって、一定の者に手続に関する一定の義務が生ずるとする考え方を採ることも考えらますが、その場合でも、行うべき手続を怠ったまま期間を満了した際に、後見人等に付与された権限や義務は引き続き残ることとし、法定後見の利用が終了するまでは、後見人等が事務を継続できるようにする必要があると考えます。   次に、期間が満了する際の手続については、後見人等が法定後見の継続又は終了に関する報告書及びその疎明資料を家庭裁判所に提出し、判断をすればいいのではないかと考えますが、家庭裁判所の負担が重くなり過ぎないようにする方法も検討が必要と考えています。   最後に、設定をする期間については、全ての事件において家庭裁判所が事件ごとに細かく設定する必要はなく、全ての事件において一律の期間を法律に定めておくことが、分かりやすいのではないかと考えます。 ○根本幹事 今回の部会資料では、いろいろとお尋ねを頂いている点があるかと思いますので、それらの点について私の考えを申し上げるとともに、部会資料にない点についても申し上げたいと思います。3点申し上げます。まず1点目は、期間を満了することによる効果については、21ページの(2)にあります一定の者に手続に関する一定の義務が生ずるとする考え方を従前から申し上げていますので、その中身について少し補足をさせていただきたいと思います。   この(2)のイにあります、どのような者にどのような手続をというところですが、ここは、まずは義務を負う者としては、保護者のみと考えるか、そこに本人を足すかどうかということが議論されるところかと思いますし、あわせて、職権でもできるということは、同時に検討する必要があると考えています。   本人、保護者、職権以外の方を入れる必要がないと考えていますのは、それは申立権者になりますから、期間満了で終了したということであっても、そこで更に終了に何か別の必要性があるんだということでしたら、それは申立てをしていただければいいということで整理することができないかなと思っているというのが一つです。   あともう一つは、これは具体的なイメージという観点で申し上げるだけですけれども、更新の手続は、定期報告とは別の手続が必要ではないかということは前回申し上げているところです。それは変わらないんですけれども、更新をするつもりはありません、期間満了で終わりでいいと思っていますということ自体は、例えば定期報告等で保護者の意向や意見というのを聴取するということは、欄を一つ設けるということで可能なのではないかなとは思っています。   それから、もう一つの22ページの1行目、2行目にも関係するところですが、どういった資料が必要になるのかについては、更新の法的な性質を文字どおり必要性の再審査という、期間の伸長という性質として捉えるのか、更新という言い方になるのかはありますが、再度の開始要件審査と捉えるのかによって変わってくるかと思います。期間の伸長であると位置付けて、必要性の再審査ということでしたら、例えば、その能力等の医学的知見に関する資料というのは、必ずしも必要ないということに、必要であれば提出していただければいいわけですが、必ず必須ということではないのではないかと思っています。   それから、ウのところの最終的な効果ですが、先ほど申し上げましたように、保護者のみにするということであれば、これは改任、解く方の解任ではなくて、改める方の改任かと思いますが、改める方の改任事由にする、若しくは善管注意義務違反というところにとどまると思っています。   それから、3番の期間についての全般的な考え方ですが、これについては、今申し上げたような21ページの(2)を前提とすると、部会資料にもありますように、22ページの(イ)ということになるんだと思います。その際に、家庭裁判所がそれぞれの審判について期間を定めるものとせずに、当初の後見の審判がされたときから何年と法定しておくことが考えられると部会資料ではありまして、これは、刻々と期間を変えていくということは、取引の相手方や、若しくは本人、親族の方なども含めた保護者からしても、分かりやすくするということが非常に重要ではないかと思っていますので、シンプルにしていくということが必要なのではないかなと思っています。   最後に、部会資料にない点で指摘を申し上げるとすると、更新の判断ですとか、若しくは終了の判断について、不服申立てというものを概念するのかどうかということについても、併せて検討が必要ではないかと考えております。 ○佐保委員 ありがとうございます。本人の状態や状況の変化を踏まえた定期的な見直しの機会は、制度的に担保する必要があるのではないかと考えます。令和5年の成年後見関係事件の概況によれば、年齢割合は男性で65歳以上が71.7%、女性では86.1%を占めており、開始原因の62.6%が認知症であるといったことを踏まえれば、例えばですが、介護保険を利用するために必要な要介護認定の制度といったものも参考に期間の設定を検討するのも、利用される方において分かりやすいのではないかと考えます。   今後、司法と福祉との連携強化等の総合的な権利擁護支援策の充実に向けて取り組むことを考えると、このような他の制度と連動した期間設定も想定できるんではないかなと思います。本人の同意も含めて、少なくとも定期的に本人の判断能力や状況を、報告だけでなく、客観的に把握できる仕組みを考える必要もあるのではないかと考えます。   私からは以上です。 ○小出委員 それでは、私の方からですけれども、こちらに関して、法定後見に一定の期間を定めることの意義に関しましては、法定後見は定期的にスクリーニングして、終了させるべきものを終了させることと理解していますし、反対に法定後見の利用継続が必要な場合には、引き続き利用可能というような制度設計とすべきかと考えております。   部会資料20ページ17行目以降の(1)の「期間の満了によって保護者に付与された権限が失われるとの考え方」では、期間の満了に伴い、保護の必要性などにかかわらず法定後見が終了となるとなりますので、本人の状況に応じた保護を提供できない懸念があるものと考えております。   後見開始から期間が経過し、御本人の意思能力が低下している懸念もありますので、21ページ20行目の(2)の「期間満了によって一定の者に手続に関する一定の義務が生じるとする考え方」に基づき、御本人の状況を踏まえた更新要否の手続が行われることを確保することを支持いたします。取引の相手方の心理としても、御本人の状況をよく知る保護者の方が、終了しても問題ないとおっしゃっていただいて、家庭裁判所が御判断いただいているということは、一定の安心感につながるものと思われます。   加えまして、一定期間後に法定後見が自動失効する場合には、反復継続的な法律行為が予定されている取引の相手方では、代理人取引が可能な期日を管理可能とするための人的ないしはシステムコストが発生し、誤って期日経過後に無権限者の元保護者と取引を行うことによるリスクも発生するものと考えております。   具体例を挙げさせていただきますと、金融機関としては、後見人の方に代理人用のキャッシュカードを発行することがありますけれども、これは、一定期間後に自動的に利用停止する仕組みになっておりません。このため、一定期日が到来した際に、能動的に使用停止するということになりますと、非常に管理負担が重いと考えておりまして、例えば、人手で対応する場合にはヒューマンエラーのリスクもありますし、システム対応する場合には、その開発コストが発生すると考えております。   ちょっと長くなりましたけれども、期間の設定の意義は、やはり冒頭に申し上げたとおり、定期的にスクリーニングすることにあると思っておりますので、取引の相手方には影響が発生しないように、「期間満了によって一定の者に手続に関する一定の義務が生じる」という考え方に基づいて、定期的な見直し要否の手続を行うことを支持するとともに、仮に期間の満了によって法定後見を終了する場合には、一番最後の4番のところですけれども、対外的に明確化するため、取消しの審判を行うべきものと考えております。 ○遠藤幹事 期間満了時の取扱いを含めてどうするかという点について、若干意見を述べさせていただきます。   今般の見直しに当たって、期間については、裁判所としては、かねて必要的に定めてはどうかということを申し上げておりますが、法定の期間とするか、裁判所が期間を定めるものとするか、いずれの定め方であったとしても、裁判所は法定後見に必要な期間について開始の段階で審査をしているということになると思いますので、その審査の結果の期間が満了すれば、当然に法定後見が終了すると考えることを原則とすることが相当ではないかと考えております。ただ、これについては、部会資料20ページ25行目以下において、保護の必要性が消滅していない場合でも法定後見が予期せず終了してしまうリスクがあるといった指摘があるところです。この点については、先ほど委員・幹事からも御意見がありましたように、期間満了時に保護者に法定後見の終了報告の義務を課すということにしますと、裁判所としては、現行法の運用の延長線上で考えれば、所定の終了報告がなかった場合には、保護者に督促をするという運用が想定されることになります。そうなりますと、保護者だった者が単に報告を失念していただけであれば、終了報告をすれば足りますし、保護者だった者において法定後見による保護の必要性が依然としてあると考えている場合には、裁判所による督促を契機に、再度の法定後見申立てがなされるということが考えられます。   したがいまして、御本人が意図せずに法定後見による保護を受けられない状態が継続するということは、実際にはあまり考えられないのではないかと思っております。   なお、先ほど小澤委員からもお話がありましたが、この場合、期間満了から再度の法定後見開始申立ての任用審判まで一定期間を要しますので、御本人の保護との関係では、終了報告を期間満了の一定期間前までに行うといったことなども含めて、考え得るのではないかと思っております。   ○山野目部会長 はい、よく分かりました。ありがとうございます。 ○佐久間委員 一つ目は、この論点を上げる場合、何のために期間を設定するのかという理由を明らかにしないことには、先に進めないのではないかと思います。その理由につきまして、20ページの冒頭に一つは書かれており、先ほどの小出委員の発言で言えば、終了させるべきものは終了させることが必要だ、終了させるべき状態になっているかどうかを確認する、その機会を定期的に確保する、というようなことが一つあると思います。それに対し、遠藤幹事がおっしゃったような考え方の場合、それとは全然違うことになります。恐らくはどなたかがさきにおっしゃったかと思いますけれども、法定後見の利用は最小限にするんだというような考え方かもしれません。その場合、最小限にするのはなぜかということも含めて、拠って立つところをまずは提示しないと、先になかなか進めないというか、結論として何がいいかを判断する材料がないことになると思います。何か逃げるようであれですけれども、私は、この1行目から書いてあるようなことが趣旨であるべきだと思っておりますので、例えばですけれども、期間が満了したって、それは見直すだけなんだから当然終了にはならないとつながっていくわけですが、そうでないという、例えば遠藤幹事のように当然終了なんだとおっしゃるのであれば、それはどういう制度として捉えているんだということを、まず明らかにしないといけないのではないかと思います。これが1点です。   もう一つは、今の遠藤幹事の御発見ですけれども、裁判所としては期間は必要的なものとして設定するべきだと考えている、その場合には、裁判所は必要な期間はこれだけだと考えたんだから、期間が終わったら終わりだといわれたかと思います。けれども、そもそも最初に必要な期間、例えば5年とか、人の状態は一律ではないのに、5年とかの期間で十分だということを考えて設定できるのかを私は疑問に思います。あるいは、その見込みが違った場合だってあり得るはずですけれども、その見込みが違ったときに、後見人が手続取らない以上、で、報告書もきちんと出してこない以上、終わりでもしようがないというのは、それは本人保護をないがしろにしたものであると、私には感じられます。これが2点目です。   3点目は、私、かつて20ページの32行目にあるような、かつてというか今もそう思っているんですが、家庭裁判所が定期監督と併せて職権で、職権でとは考えていないんですけれども、併せて考えたらどうかと思っていました。今も思っています。それは、例えば5年経ったら、例えばですけれども、根本幹事がおっしゃったように後見人に報告を出す義務を課すということはあり得ると思うんですけれども、きちんと守られるかどうかは分からない。そこで、ここの定期監督と併せて、毎年やってくれということを私は考えていたわけではなくて、3年目とか5年目とかの定期監督に併せてこういう報告書を出してくださいよという、先ほどそれは遠藤さんがおっしゃったことと一緒だと思うんですけれども、督促をして、それを受けて次のステップに進むという仕組みがいいのではないかと思ったところです。   定期監督と併せてどのくらいの期間でというのは、私は必要的に期間を定めること、登記事項証明書に権限の期間を5年とか3年と書くような形で定めることは要らないけれども、3年目とか5年目には定期報告のときにこういうことを求めますからねということで制度を組んでおいて、その定期報告を受ける。報告を出さなかったら、そいつはどうしようもないやつだということになるので、解任の話とかにつながっていくのかもしれませんし、報告が出てきた場合には、私の考え方ですけれども、見直しの機会を確保することが趣旨なんだから、権限が当然に消滅するのではなくて、そこで継続の必要があるかどうかを判断するのがいいと思います。   一旦終わらせて、もう一度開始の審判の手続を取れというのは、それはちょっと誰のためかと感じるところがあるということも、併せて申し上げておきたいと思います。 ○山野目部会長 佐久間委員から、背景にある基盤となる考え方の対比から整理していって、国民の意見を取っていくという段取りを踏みましょうという、大事な提案を頂きましたのから、頂いたアイデアを踏まえ、中間試案に向けての整理を進めることにいたします。 ○青木委員 この定期的な見直しをするということについて、資料10では、制度的に確保すると書いていただいています。その制度的に確保するということが、必要最小限の利用とすることと関連をしていると理解をすべきではないかと思っていまして、後見制度の利用は必要性のあるものだけにしようねという仕組みを、本人ないしは申立権者からの取消申立てに自発的に委ねるのではなくて、裁判所の管理の下、するために、全件につき制度的に見直す機会を保障するということによって、必要最小限度であることを確保するということではないかと思いまして、二つの別の目的を達成するという理解とみる必要はないと思っています。   その際に、有期の位置づけについて、有期を定めて、その期日が来るまでに見直しの機会を裁判所が職権で行うというあり方と、有期ではなくて、単に見直しの機会を設けるべき期限を定めて、その期限を経過しても取消審判がなされない限りは継続するというあり方とは、技術的な問題の違いだと思っています。そのうち、私が有期を定めた方がいいと考えるのは、有期で終了しては困る必要性が残るご本人や申立権者、支援者側が、積極的に裁判所に必要性についての資料提供する機会として捉えるということにおいてより良いと考えているからです。有期で終了してしまう不都合については、裁判所が職権で暫定的な期間延長することができるようにするとか、積極的な必要性に関する資料を出すことのできない後見人に代わる職務代行者を選任するとか、の対応策を講じることによって補うことが可能ではないかと思いまして、どちらのあり方論理的に必然的に決まるものではないのではないかと思っています。 ○星野委員 ありがとうございます。この点については、社会福祉士会で検討しているメンバーで同意ができているのが、今のこの期間を設定するということが、見直しを行うことを法的に規定するということにつながることなんだというところです。先ほどの終了のところでも出ていましたけれども、期間が来たからといって、例えば3年とか5年とか、期間が来たからといってその判断ができるのかということが、そもそも疑問として出ました。逆もあります。期間が来るまで積極的に終了することを検討することができないのではないかという問題です。期間を設定することよりも、見直しを行うということの法的な根拠が必要であって、その見直しについては、今、家裁には毎年定期報告しているので、この機会を活用することが考えられます。終了か継続かの審査をするための報告ではなくて、権限を行使したかどうか、行使状況と今後の継続した権限行使が予定されているかということを、僅か数行だと思うんですが、そこを定期報告の中で求めてはどうかと、これは家事手続法の話になるかもしれません。   そして、先ほど来出ています、家庭裁判所が集中的に必ずそこを見るというところでの期間設定として3年とか5年ということについては否定はしませんけれども、私たちの議論の中で出たこととして、見直しをするというのは、本人の状況の変化とか課題解決状況というのもありますし、必要性のところも出てくるんですが、後見人自身がきちんと求められている事務、意思決定支援への取組みやチーム支援など、そういったものにきちんと取り組んできたか、そういうことを踏まえながら権限行使をしてきたのか、しなかったのか、そこを定期的に見直すというのが、今の1年毎の定期報告のタイミングでやるということが、やはり必要ではないかというのが出ていた意見です。 ○山城幹事 内容というよりは形式的な点に関わりますけれども、審判について期間を設けるという提案は、期間という概念の意味からして、期間経過後に審判が効力を失うというもの以外にはあり得ないのではないかと思います。資料21ページの20行目から、期間満了によって一定の者に手続に関する一定の義務を生ずるとする考え方が示されていますが、これは期間を設けるという考え方ではなくて、期間は設けないけれども、一定の期限が到来したときに、保護者に見直しのための一定の手続をする義務を課するという、保護者の義務に関する規律として位置付けるべきものではないかと感じます。いわゆる期間が満了したことの効果としても、資料22ページ5行目以下では終了と関わらない効果が想定されていますから、やはりこれは、期間ではなく、保護者の義務に関する提案だと整理しておく方がよいのではないかと考えます。 ○山野目部会長 法的構成をきれいに整理していただきました。 ○野村幹事 ありがとうございます。期間を満了することによる効果としては、現在も保佐や補助で必要性がなくなった代理権について取り消されることが漫然と続いている現状に鑑みますと、本人の権利制限を最小限にするという趣旨から、保護者の権利が実体法上消滅すると考えるのが妥当ではないかと思います。   手続といたしましては、先ほど遠藤幹事から終了報告というお話がありましたが、リーガルサポートで検討したのは、家庭裁判所がその保護者に対して期間満了前に期間の更新、又は伸長が必要な場合には、その旨の手続をするように、手続がされない場合は終了する旨を通知する仕組みです。例えば、後見人からの定期報告の提出の時期や、監督立件の手続の中で通知する方法が考えられます。通知を受けた保護者は、審判の取消しの申立て、更新又は伸長の申立てを行うことになるかと思います。また、登記事項証明書に期間の記載があれば、その期間満了時期が明確に公示されるのではないかと思います。保護の期間については、定期的に保護の必要性を検討する機会を設けるという趣旨から、一定の期間を上限とする規律を設けるべきではないかと考えます。 ○常岡委員 事項としては少ないかと思いますけれども、現行民法上期間の設定にそぐわないケースというのはあり得て、恐らく典型は他の相続人もいる遺産分割だろうと思うのですけれども、遺産分割に参加すべき相続人の中に後見の対象になる本人がいた場合に、あらかじめ裁判所で期間を定めるということ自体、遺産分割の規定との関係で非常に困難ではないかと考えられます。   ということは、一定の事項については期間を設定しないものというのを前提として考えられる制度として構築していくのか、そういうことが可能なのかということは、少し考慮に入れておく必要があるかと思いました。 ○山野目部会長 分かりました、ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。   波多野幹事からお問合せがあれば御発言いただくし、その後、3人の委員にお声掛けをしようと考えますけれども、波多野幹事から何かありますか。よろしいですか。 ○青木委員 期間の件、今の常岡委員のご発言との関係なんですが、例えば、遺産分割でも、遺産分割の対象となる遺産が不動産のみで分割協議の調停が整わず審判にもいかずに、事実上取下げになって終了するケースも想定されまして、そういった場合に、期間を一定期間定めておくことによって、遺産分割協議の経過を確認して、一旦は調停取下げになったので代理権は終了させるということもあると思います。   そうしたことも考えると、特定の訴訟などの法律事務についても、一定の期間は定めておいて、通常予想される期間で終了するのもあれば、そうでないのもありますが、確認する機会の付与という意味では同じように考えていいのではないかと考えています。 ○山野目部会長 なかなか悩ましいですね。はい、分かりました、ありがとうございます。   ほかにいかがでしょうか。よろしいですか。   そうしましたら、お三人の委員に、先ほどとは逆の順番でお問合せをします。花俣委員からお話があればいただきます。この部会資料10の後半の部分、第2の部分の全体が終わったところでのお尋ねです。 ○花俣委員 この辺りの議論になってくると、民法改正で法務省マターだけではなく、関係省庁それぞれが関連するような、そういった検討事項も結構たくさんあるのかと思って聞いていました。   したがいまして、私たちから申し上げたいのは、決して縦割りではなくて、省庁横断的な対応を、これからも総力戦でやっていただければと強く願っております。 ○山野目部会長 花俣委員に御案内いたしますが、余り心配しなくても大丈夫です。霞が関というのは、一つの固まりのマシンをなしておりまして、入念に府省の間で調整をしますから、今励ましていただきましたし、そのように伝えますから、引き続きよろしく見守ってください。ありがとうございます。 ○花俣委員 ありがとうございます。 ○久保委員 ありがとうございます。なかなかこれも悩ましいなと思いながら聞いていましたけれども、期間満了というのは、見直しのために行って定めてもいいのかなという気はあります。ただ、ここでもうばしっと終わってしまうというのでは、ちょっと困るなと思っております。それはなぜかといいますと、後見人になっている保護者が年を重ねてその事務ができなくなっていくという、後見人の親自身がきちんとできなくなっていく。だけど、後見人を自分はしているという意識はあっても、どうすればいいのか分かんないというような、そんな状態になっておられる方があるんですね。   私は後見人を保護者がやっている場合は、親がやっている場合は、どのタイミングで後見人を替わってくださいねって言えばいいのかなと思うぐらいに、私も社会福祉法人やっていますけれども、そこに家族支援室というのを設けていますけれども、後見人になった親御さんの支援をしているわけですね。ですから、裁判所に年に1回届出するというのも、最初はすらすらできたのに、もうできなくなって、どうすればいいって、いろいろな書類を持ってきて、書き込んでくるというのが発生して来るんですね、だんだんそういう人が増えてきます。   後見人を次に替わってくださいねというようなことが言えるのか言えないのかというのも、ちょっと悩ましいところですけれども、そういう意味でも、ちょっと定期的に後見人が大丈夫かというのも見てほしいし、ばちっと終わってしまうんではなくて、きちんと後見人が後見人の仕事、事務ができるのかというところも見ていただきながら、もうそろそろ終わりますよみたいな、ちょっとたとえは変かも分かりませんけれども、運転免許証がもうそろそろ終わりますよって満期が来るように、そういう通知が来て、これが来たんだけれどもどうしたらいいって相談してくれたら、やりましょうねっていう周りの支援者ができるかなということもありまして、何か期間満了っていう言い方が適切なのかどうか分かりませんけれども、一定ちょっと見直しの期間はあってもいいかなというふうな気持ちはしています。後見人になっている保護者、親がきちんと大丈夫かというのも見ていただいて、きちんと本人の権利を守れるだけの事務ができているのかということも見ていただきながら、継続も可能というような形で、前もってもうすぐ、そろそろ終わりますよという、見直しの期間ですよというような案内はがきが来たら、ちょっとは継続してもらうと、本人の権利を守り続けることができるのかなということを思っています。   ちょっと今の議論に合っているのかどうか分かりませんけれども、そんなふうに感じています。 ○山野目部会長 久保委員に御示唆を頂いたとおり、現在の制度が終わらせるための仕掛けというものを何にも内包していないものになっているところを改革して、始まった後見に何らかのリズムを与えなければならず、そのための手段として、言わば時間という名のもう一人の取消申立権者を設けようという発想がどうしても要るということに、委員、幹事が気付いて、そのための熱心な議論を今ここでしてもらいました。   しかし、それはポエティックに言えば、時間という名の取消し申立権者ですけれども、それを法律構成のロジックで落とし込んでいって、どういうふうに構成しますかということになってきますと、テクニカルな問題も含んできて、本日のような難しい議論になります。引き続き折々に御意見を頂きたいと望みます。どうもありがとうございます。   委員、幹事の皆さんにお声掛けをします。   部会資料10についての審議を了しました。本日は本当にお疲れさまでした。内容も大変密度の高い御議論を頂きましたし、時間も18時を過ぎました。本日の審議はここまでとし、しかし、お陰さまで部会資料10の審議を了したという扱いにいたします。   次回及び次回以降の会議日程等について、波多野幹事から案内があります。 ○波多野幹事 本日も長時間にわたりまして御審議賜りまして、ありがとうございました。   次回の議事日程等について御説明いたします。   次回の日程は、令和7年2月25日火曜日、午後1時30分から午後5時30分まで、場所は法務省7階の共用会議室6・7を予定しております。   次回、新たに部会資料を準備いたしまして、成年後見人等に関する検討事項等について御議論をお願いしたいと考えております。 ○山野目部会長 次回は7階の会議室になりますので、御注意をください。   この部会の運営等につきまして、皆様からお問合せや御意見がありますれば承ります。   よろしいでしょうか。   本当にお疲れさまでした。   これをもちまして、法制審議会民法(成年後見等関係)部会の第14回会議を散会といたします。どうもありがとうございました。 -了-