秋田県人権啓発活動ネットワーク協議会
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平成19年度最優秀賞 秋田地方法務局長賞 かわいそうの代償

横手市立増田中学校二年 古関 万倫子

「どうしたの」母がメールの前でかたまっていたからです。相手は一緒にカンボジアに行く高校生でした。メールをのぞいてみると「お土産の件ですが、家で使っていない物を持っていくのは『施し』をしているようで相手を不快にさせると思うのでやめたほうがいいと思います。私はフィリピンの貧しい子どもたちに、新しい物がほしいといわれた経験があるので、使わない物は喜ばれないと思います。」と書いてありました。それを読んだ別の高校生からのメールには、

「物が不足しているのだから、持っていった方が喜ぶと思うよ。とにかく必要とされているのなら、量が多い方が絶対だよ。」とありました。

二人のメールは母の提案に対してのものでした。母は今年、ODAの民間モニターとしてカンボジアに行きました。そのとき、孤児院を訪問するので、何かお土産を持っていこうということになり、班員十名のメールのやりとりが始まったのです。母は自分の家にある子供向けの絵本などを持っていこうと提案し、それは全員の了解を得ていました。更に家で使われていない文房具も持っていこうと提案したのです。それに対する返信でした。意見は二つに分かれたのです。母の返信は、

「我が家では使い回しは当たり前だったので『施し』になるとは気づきませんでした。配慮が足りなかったね。教えてくれてありがとう」というものでした。

正直、私は納得がいきませんでした。私の家では兄姉からのお下がりは当たり前です。母の友人や親せきからも「使って」といろいろなものが送られてきます。新品から使い古しまで。私も姉もいつもワクワクしながら送られた箱を開けていました。だから母は提案したのでしょう。まさか『施し』と言われるとは思わないで。

しかし、母は家中から使えそうな文房具を集め、鉛筆は一本一本削り、色鉛筆、クレヨンなどは色を補足し、ペンケースに入れたり箱に入れたりし、トランクの半分は文房具と本でいっぱいになりました。「持って行くの。施しと言われるんじゃないの」と聞くと、「答えはカンボジアにあるはず。渡せなかったら大使館の方にお願いし配慮してもらうから。」と重い重い荷物を持って出発しました。

「どうだった?渡せた?」と帰国した母に聞くと「すごく喜んでいた。持っていって良かった。」と言いながら気は重そうでした。

「プノンペンの町で子供を抱いた母親が、缶をさし出してお金を下さい、この子のために、と言ってずっとつきまとったの。公園では小さな子供がやはりお金を下さいとまとわりついてきたの。大きな観光地では押し売りをする子供たちの姿が痛々しかった。」と語りながら、

「万倫子、この責任は日本人にあるんだよ。かわいそう、と言って恵んでやったのでこの人たちは、かわいそう、を売り物にしたんだよね。」と言って考え込んでいました。

「かわいそう」を売り物にしている、私にはその意味がよく分かりませんでした。母はカンボジアの写真を見ながら、

「この井戸のまわりに集まっている村の人はこの村の半分の人なんだよ。六百人中三百人が日本人だというので集まってきて、感謝をこめてココナッツの実をくれたの。この船の子はただバナナを売っているの。いきなり出現したときはびっくりしたけど、押し売りはしないの。一回だけバナナいりませんかと言っただけ。孤児院の子もあなたの『数のおけいこ』すごく喜んでいた。田舎ではバスのまわりに集まって手を振っている素朴な子供たちがたくさんいた。だけど、あの子たちもいつか、物ごいをするようになるかもね。難しいね。」と言う母の顔はいつになく厳しいものでした。

かわいそうを売り物にする、物ごいをする、親切にすることは「施し」なのかと写真をみたとき、市場の風景と一緒に表情のない子が写っている一枚を見つけました。

「かわいそう」の代償。人であって人ではないような表情の少年を見たとき、私は援助の難しさと言った母の言葉が少しだけわかったように思えました。人と人とは対等でなければならないのに、与える者と与えられる者の関係ができていました。かわいそうを売り物としたとき、人間として誇りや尊厳を忘れてしまったように見えたのです。確かに生きるための知恵だったのでしょう。でも悲しすぎます。国際援助の難しさを知りました。その国の人々の人間としての尊厳は侵してはならないのです。人間としての誇りを奪うことを決してしてはならないのです。私たちは何気なく「かわいそう」と言います。そのとき、相手の人間としての権利、尊厳を傷つけていないでしょうか。国際援助を通してみた「かわいそう」の代償。自分のまわりをもう一度みつめ直してみたいと思います。

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