秋田県人権啓発活動ネットワーク協議会
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第28回全国中学生人権作文コンテスト 法務事務次官賞
秋田県大会最優秀賞 秋田地方法務局長賞
母とともに

横手市立増田中学校 3年 たか橋 和弘(たかはし かずひろ)

作文を書いている僕のそばで、母が起きている。夜遅くまで仕事をし、朝早く僕や弟たちの食事の世話をする母にとって睡眠時間は貴重だ。にもかかわらず母は僕の作文を見ている。そして自分も一緒に書き始めた。

「僕は中国人だ。」そう言えない自分がいる。日本に来てから七・八年になる。自分ではもう日本人だと思っている。中国語はすっかり忘れ、ほとんど話すこともできない。だが、僕は「金峰」という名を持つ中国人でもあるのだ。きっと母はそんな僕がもどかしく、悲しい思いでみていたにちがいない。母から渡された紙には「中国人であることを誇りに思い、自信を持って生きなさい。そして日中両国のかけ橋になれるよう努力しなさい。いろんな差別をなくすには、自分に何が必要なのか、また、できるのかを考えなければなりません。」と書いてあった。

僕は中国吉林省延吉市で生まれた。母が二十一歳のときだ。だが、生まれてすぐ父母は離婚、僕は母の実家で祖母と八歳まで暮らした。母が仕事で日本に行ったからだ。日本で一緒に暮らそうと、母が迎えに来た。一緒に暮らせる嬉しさと、日本に対する不安が錯そうしたまま、僕は日本に来た。言葉が全くわからないままに。

小学校に入学するため体験入学したが、言葉の壁に戸惑った。それでも、勉強させたいとの母の思いからとりあえず入学することになった。言葉のハンディは予想以上だった。みんなが何を言っているのかわからない。僕が悪いことをしても言葉がわからないので、なぜ怒っているのかわからない。中国では怒る理由がはっきりしないと謝らない。誤解された。もどかしさでいっぱいだった。どう表現していいのかわからなかった。しだいに心は閉ざされ、一人ぼっちになった。でも、先生たちが懸命に日本語を教えてくれ、支えてくれた。ある程度話すことができるようになったが、友達はできなかった。鬼ごっこではいつも鬼の役。タッチしても「されてないよ」と言われ、また鬼。悲しさと怒りは、日ごとに大きくなり、いつ爆発してもいい状態だった。そんな僕を見て母が言った。
「私たちは中国から来て、日本で生きていくのだから、他の人よりも何倍も努力しなければいけない。何事も逃げてはいけない。」と。

母は誰にも負けないで一生懸命仕事をしている。辛いときもたくさんあったと思う。それを僕たちには見せずがんばっていた。

僕は母にこれ以上心配をかけられないと思った。だから積極的に日本語を覚えたり、仲間に入っていったりした。ある程度日本語が話せるようになるとみんなが認めてくれるようになった。友達ができ、一緒に遊ぶことも多くなった。友達が増え、何とも言えず楽しい気持ちになって学校生活が送れるようになった。だが、僕は気がついた。グループの中でただ話を聞いているだけの自分に。「なぜ自分はここにいるのだろう」そう思った。自分が中国人だから話に入れてもらえないのかと、ひどく淋しく、悲しい思いがした。しかし、今はそう思った自分を嫌悪する。なぜならそれは僕自身が作った「差別」という壁だったと思うからだ。言葉が通じなかったときから、自分は他の子と違うという負い目を持って、卑屈になっていたのだ。

確かに今でも友達がふざけて「中国人」という。そのときは笑っているが、内心ひどく悲しい。「中国人」といわれると同じ人間と見てくれないと思うし、拒否されているような気になる。だから、最も嫌な言葉だ。僕が日本に来て八年。日本人の常識が僕の常識であり、身も心も日本人だと思っている。そして日本人として生きていきたいとも。日本で母や弟たちに愛され、いろいろな人たちに支えられ助けられながら生活できることを、改めて幸せだと感じている。

作文を書きながら、普段は照れくさくてなかなか聞けないことを母に聞いてみた。僕を連れて来てよかったか、と。母は迷わず言った。「未熟児で生まれた子を置いてきて眠れないくらい不安だった。日本に連れて来てからは学校のことなど心配で頭から離れることはなかった。でも、今ひとつずつ障害を乗り越えて、自分の将来を考えながら、みんなにまざって勉強や部活に汗を流しがんばっている姿を見ると心から連れてきてよかったと思っている。行きたい高校、大学に進学して、自分が経験してきた差別や人権問題を生かして社会に少しでも役に立つ活躍をしてほしい。そのときは中国人だということを忘れないで。誇りを持ってね。」と。

夜が明けてきた。忙しい母とじっくり話したことはなかったが、母の僕に対する思いが伝わって、嬉しくてしかたがなかった。また「僕は中国人です」そう胸をはって言えそうな気がしてきた。忘れていた中国語も、少しずつ母と話していこう。いつか母と共に中国の地を訪れるために。

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