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中学生人権作文コンテスト

自分の間違いに気づくこと

私は今までに、人種差別や男女差別などいろいろな人権問題について学習してきました。しかし、部落差別については、それほど深く考えることができませんでした。
「同和地区の人がかわいそう。」
「同和地区に生まれなくてよかった。」
これは、人権学習で部落差別のことを取り上げるたび、いつも思うことでした。私の心の中にはその気持ちがずっとありました。

私は、人権の授業で「私の生きてきた道」という資料を学習しました。作者は、同和地区出身であることを隠して結婚し、妻に知られるまで、そのことを言うことができませんでした。私ははじめ、そんなことがあってはいけないと思いました。しかし、妻に言えないことが、どれだけ作者を苦しめていたかということを知りました。自分の生まれを言うことは、それほど重いことなのだと思います。作者の出身地を知った妻は、作者につらくあたってしまいます。どうしたらよいかわからず、このような態度をとり、妻も苦しんでいたのだと思います。数年後、夫婦は地域で行われていた同和問題学習会に積極的に参加しました。その学習会によって、妻は自分が人の道にはずれていたことに気づき、作者に謝りました。長年の夫婦のわだかまりは消え、二人ともが今までの差別体験を語り、差別解消への活動をしているそうです。作者は妻にさえ理解してもらえず、ずっと孤独で苦しい生活をしていました。でも、学習会に参加したことがきっかけで、理解し合えたから、同和教育は二人にとって本当によい結果をもたらしました。妻も自分の間違いに気づくことができて、それを正したからだと思いました。だから私は、作者の妻は、初めは差別心があったけれど、差別解消の活動をするまで、自分の考えを変えることができて、本当にすばらしいと思いました。

私の母が父と結婚した当初、事務員として勤めようとしていた会社が同和地区にあったそうです。その会社は産業廃棄物処理をしていましたが、
「あそこは部落やけん、いかんほうがいい。会社も辞めたほうがいい。」
と、父や祖父に言われて、実際に差別はあるのだと、ショックだったそうです。母は父に理解してもらうため、会社見学をしてもらったそうです。父は自分の目で見て、理解し、母の説得に応じました。母が周りを説得してまで勤めようとした理由は、社員の一人一人が自分たちの仕事に誇りをもっていたし、この仕事をしてくれている人がいるから、自分たちの生活が成り立っているんだと思ったからだったそうです。私は、この時の母の考えや行動を聞いたとき、「よかった。」と思いました。部落差別は就職や結婚など、一人の人間の最も大切な場面で関わってきます。その時に、自分がおかしいと感じたことを、小さなことからでも実際に行動に移して、解決することが、差別解消への第一歩につながるのだと思いました。だから、私もその一歩を踏み出せるような勇気をもった人になりたいです。

私は、「私の生きてきた道」を学習して、作者のようにふるさとが言えず、ずっと惨めな気持ちで毎日を過ごさなければならない人がいることを知りました。そして、私がずっともっていた気持ちは一つの差別心だったこともわかりました。自分は同和地区出身でないことで、直接関係がないという気持ちがあったと思います。でも、部落差別は日本の国民すべての問題なのです。部落差別は現在も残っているけど、同和地区の人たちが、差別される理由や原因はどこにもないのです。だから、結婚や就職の時に出身地で判断することは絶対にあってはならないことです。私は人々に自分以下を求める気持ちがあったことが部落差別を作り、現在まで残してきた原因だと思いました。出身地でその人の価値を決めつけてしまうのも絶対におかしいことです。長い間、部落という名前でその人たちを縛りつけ、自由に生きる権利を奪い、苦しめてきたのだと、今回の学習で感じました。そして、部落差別をなくすことは、私たちが必ずやらなければならないことです。そのためには、差別解消に向けてさらに学習を深め、自分の間違った考えに気づき、それを改める必要があると思います。誰のためでもなく、自分のためにもっと積極的に人権について学習し、人権感覚を高めていきたいです。そして、実際の生活の大切な場面で、人間として恥ずかしくない行動ができるようにがんばっていきます。

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