文字の大きさ拡大サイズ 標準サイズ
色変更・音声読み上げ・ルビ振りを行うアクセシビリティツールを利用するかたはこちら
表示の拡大・音声の読み上げをすることができます。
本文へジャンプメニューへジャンプ
徳島県人権啓発活動ネットワーク協議会
ここからメニューです 人権相談のご案内

人権教室のご案内
人権擁護活動シンボルマーク

ホーム > 活動紹介 >

ここから本文です

中学生人権作文コンテスト

平和に祖父の背中

私は、戦況や空襲、爆撃、紛争、原子爆弾、核兵器、そんな戦争に関係する言葉が、大嫌いです。なぜ、あんな戦争が起こったのでしょうか。あっという間に何千人、何万人という人の命が、なくなっていくのです。

日本も、大きな戦争を何度も起こしてきました。私の曾祖父も、第二次世界大戦で亡くなったといいます。海の上で亡くなったのだそうです。曾祖父の墓はありますが、その骨も髪もありません。まだ四十四歳という若いお父さんだったそうです。

祖父が2歳の時に、戦争が終わったのだそうです。祖父の心の中に、曾祖父の父親としての姿はないのだろうと思います。そのせいでしょうか。テレビでよく戦争に関したドキュメンタリーやドラマを見ています。今、そんな祖父を見ると、曾祖父のことを追いかけているのかなぁと思えてきます。祖父は自衛隊という仕事をしていました。それも、父の姿を求めていった人間としての生き方なのかとも思ったりします。

祖父は、双子で、妹がいたのだそうです。その妹も亡くなったそうです。祖父の記憶の中に、妹の存在は、はっきりと残っていないようです。それも、悲しい話です。戦争の後のあの貧しい時代に、妹は負けてしまったのでしょうか。二歳の時に、戦争とお別れをした祖父ですが、祖父の背中には戦争の苦しさや悲しみや寂しさがいっぱいあふれてうるように思えてなりません。

そんなふうに考えていると、会った事はないのですが、長生きしていたという曾祖母のことを思います。曾祖母の生きた重みが感じられるのです。曾祖父といっても、そのときは四十四歳の夫。そんなに早く夫をなくし、子どもを育てるとは、言いようのない苦しい毎日ではなかったでしょうか。あの食料のなかった時代を、親子で生き抜くということは、私たちが想像する以上に厳しいことだったはずです。

本の中の、テレビの中の、映画の中の、別の世界の話だと思ってきたのですが、自分の周りをよく見ると、戦後六十五年といっても、その重さはまだまだ残っています。曾祖母の育てた祖父が存在し、私の母が存在し、私が存在する。会うことはなかった曾祖父ですが、そのつながりを思えば、曾祖母に尊敬の気持ちが生まれました。そんな心の強い人に私もなりたいです。

広島の原爆ドームに行きました。資料館に行った時、胸が痛くなりました。人間って、こんなに変わるのか。日々の生活では見えない恐ろしい場面を目にすると、人間の冷酷さに涙が出ました。実際に被爆された語り部さんの話は酷いものでした。原爆は、語り部さんの家族を飲み込み、残ったのは自分だけ。それでも誰かいるのではないかと道を歩けば、その苦しさに泣き叫ぶ声、動けなくなりただ亡くなっているのを見るしかない人々、いたるところにある死骸。語り部さんは、その暗い世界の中を件名に生きていたのです。

私に、そんな強さが生まれるでしょうか。あの暗い貧しい時代の中を、一人で生きていけるでしょうか。周りの子供も大人も、みんな戦争にいってしまう時代だったら、私もいってしまうかもしれません。

いやです。そんな私には、なりたくありません。戦争という言葉にごまかされて、人の命を奪ってしまう私にはなりたくありません。その時代の風に負けてしまいたくはありません。日本は、何度も大きい過ちを繰り返してきました。だからこそ、そんなことに負けてはいけないのです。

戦争は、何のためにありますか。なぜ、戦争をするのですか。何のために、犠牲者を出すのですか。あの悲しい涙を、どうして絞り出せるのですか。

世界には、まだ紛争や戦争があります。核兵器も大きな問題になっています。けれど、そんな大きい問題と戦うためには、もっと強くならなくてはなりません。日本は平和になりました。食べるものも、たくさんあります。しかし、忘れてはならないのです。あの戦争の悲しさを……。

祖父の背中は、戦争の悲しさを語っています。でも、その半分は平和の温もりを伝えてくれているようにも思います。父親をなくした悲しさ。双子の妹がかけた寂しさ。その苦しみと共に、この平和な社会で育った母の存在、私の存在、自分の知り合いの多くの幸せを見ることができています。祖父の世界は広がり、曾祖父も笑っているかもしれないと思えるようになりました。

この世に戦争はいりません。日本という国が、苦しんだ戦争のあとを忘れないことから、平和が近づいてくるのだと思います。私の成長と共に、私の祖父もさらに平和の豊かさを実感してくれたら、私はさらに幸せになります。それが、曾祖父の短い人生を少しでも温めることになる一歩だと確信しています。

このページの先頭へ