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ISIL東アジア(ISEA)
Islamic State East Asia(注1)

主としてフィリピン南部で活動する「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)関連組織・派閥の連合体

別称:
①ISIL Philippines,②IS East Asia Division(注2)

(1) 設立時期

2016年4月(注3)

(2) 活動目的・攻撃対象

ア 活動目的

フィリピンにおけるイスラム法に基づく国家を設立すること。

イ 攻撃対象

治安部隊のほか,キリスト教徒や先住民,ムスリムを含む民間人。

(3) 活動地域

フィリピン南部(スールー諸島〈主にスールー州,バシラン州〉,ミンダナオ島西部〈主に南ラナオ州,マギンダナオ州〉)。

(4) 勢力

300~500人(注4)。「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)の一部,「マウテ・グループ」,「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)の一部,「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)等から構成される。

(5) 組織・機構

ISEAは,2015年末から2017年初め頃にかけて指導者イスニロン・ハピロンの下に合流したフィリピン南部におけるISIL関連組織・派閥の連合体である。2017年,南ラナオ州マラウィに集結し,5か月にわたって市街地を占拠する事件を引き起こした。各組織・派閥は,同事件終結後も,それぞれの拠点でテロ活動を継続しているところ,主な構成組織・派閥等の概要は以下のとおりである。

ア 主な構成組織・派閥(注5)及び各指導者・幹部

(ア) 「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)(注6)の一部
〈組織〉

ASGの主な拠点はスールー州及びバシラン州であり,タウスグ族やヤカン族から構成される。それぞれを拠点とする派閥は「ASGスールー」,「ASGバシラン」と総称され,各派閥のリーダーは一定の自律性を保持しているとされる(「(6) 沿革 イ(ア)」参照)。

ASGのうち「ASGスールー」の一部派閥及び「ASGバシラン」がISILへの忠誠を表明しているが,ASGが全体としてISILを支持しているわけではなく,例えば,「ASGスールー」幹部の一部がISILに忠誠を表明している一方,「ASGスールー」の指導者とされるラドゥラン・サヒロンはISILへの忠誠を表明していないとされる。なお,これらの幹部とサヒロンとは,戦闘における共闘等の協力関係は維持しているとみられている。

〈指導者・幹部〉

a ハティブ・ハジャン・サワジャアン(Hatib Hajan Sawadjaan)

「ASGスールー」幹部。1959年生まれ。フィリピン南部・スールー州ホロ島ホロ出身。拠点はホロ島パティクル町バランガイ・タヌム。娘婿はマラウィ占拠事件に参加して死亡したとされるアミン・バコ。

サワジャアンは,2018年5月,パティクルで開催された「シューラ」(協議,相談の意)に出席したISEA各構成組織・派閥の代表によって,ISEA指導者(二代目)に選出されたと指摘されている(注7)。なお,ISIL及びISEA側によるそうした事実関係の発表はなされておらず,サワジャアンは「事実上の指導者」とも指摘される(注8)

2020年8月,国軍は,サワジャアンが7月に発生した軍との衝突において負傷し,その後,死亡した可能性が高いと発表した(注9)

b イスニロン・トトニ・ハピロン(Isnilon Totoni Hapilon)(死亡)

「ASGバシラン」前指導者。ISEA前指導者(初代)。1966年3月18日又は1967年3月10日生まれ。フィリピン南部・バシラン州ランタワン出身。2017年10月,南ラナオ州マラウィで国軍によって殺害。

バシラン島で活動していた2016年4月,ISILは,アラビア語週刊誌「アル・ナバア」で,ハピロンを「フィリピンにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)として承認した」と発表した。また,同人が南ラナオ州のISIL関連組織「マウテ・グループ」に合流した後の2017年6月,ISILは,機関誌「ルーミヤ」で,同人を「東アジアにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)」として認めたことを明らかにした。

c フルジ・インダマ(Furuji Indama)

別名:
アブ・ドゥジャナ(Abu Dujanah)

「ASGバシラン」指導者。自らの配下グループを「カティーバ・アブ・ドゥジャナ」と称し,ハピロンと連携して活動していたが,2016年4月,正式にハピロンの傘下に入り,ISIL最高指導者(当時)アブ・バクル・アル・バグダディに忠誠を表明したとされる。インダマは,2016年末にハピロンが南ラナオ州に移動した後も,バシラン島でテロを継続しており,同人の配下が実行したとされるテロ等に関し,ISILの犯行声明が発出されている。2018年5月にパティクルで開催された「シューラ」(前述)では,サワジャアンに不測の事態が発生した場合,インダマがサワジャアンの後任となることが決定したとされる。

2020年10月,国軍は,インダマが9月に発生した軍の衝突において負傷し,その後,死亡した可能性が高いと発表した(注10)

(イ) 「マウテ・グループ」(注11)

別称:「ラナオのイスラム国」等。

〈組織〉

「マウテ・グループ」は南ラナオ州を主な拠点とし,マラナオ族から構成される。2017年のマラウィ占拠事件で同グループ最高幹部であったアブドゥッラー・マウテ及びオマル・マウテの兄弟が死亡した後,マラウィから脱出していたアブ・ダルが指導者に就いた。同人は,南ラナオ州でリクルート活動等を継続していたが,2019年3月に国軍との衝突で死亡し,新たな指導者にザカリア・ミンバンタスが就任した(注12)

〈指導者・幹部〉

a ザカリア・ミンバンタス(Zacharia Mimbantas)

別名:
アブ・ザカリア(Abu Zacaria),ファハルディン・ハッジ・サタル(Faharudin Hadji Satar),アブ・バカル(Abu Bakar)(注13)

「マウテ・グループ」指導者。

2020年10月,国軍は,初めて「マウテ・グループ」の現指導者に言及し,同人が指導者の地位オワイダ・ベニト・マロホムサルから引き継ぎ,南ラナオ州を拠点にリクルート活動を行っていると発表した(注14)

b オワイダ・ベニト・マロホムサル(Owayda Benito Marohomsar)(死亡)

別名:
アブ・ダル(Abu Dar:最も使用されている通称),フマム・アブドゥルナジド(Humam Abdulnajid)

「マウテ・グループ」前指導者(2019年3月死亡)。アフガニスタン渡航歴を有する説教師。フィリピン南部をカリフが統治する宗教国家にすることを掲げ,2012年,「ヒラーファ・イスラーミーヤ運動」(KIM)(注15)を設立し,後に「マウテ・グループ」に合流した。2019年3月,南ラナオ州トゥバランで,国軍との衝突時に死亡した。

(ウ) 「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)(注16)の一部
〈組織〉

BIFFはマギンダナオ州を主な拠点としており,全体の勢力は,2018年6月時点で300~400人とされる。同組織は,主流派,ISILを支持する分派及びISILを支持しない分派の三派に分かれているが,これらの三派は,度々連携して活動している。

〈指導者・幹部〉

a エスマエル・アブドゥルマリク(Esmael Abdulmalik)

別名:
アブ・トゥライフィー(Abu Turaifie),アブ・トライペ(Abu Toraype)

元BIFF「内務」担当副指導者。同人は,2016年10月にBIFFから離脱し,2017年4月頃,「ジャマアトゥル・ムハージリーン・ワル・アンサール」(JMWA)指導者と自称した上で,ハピロンの下に合流したと主張した。BIFFからの分派後も,引き続きBIFF主流派等と連携してテロを継続している(以下,JMWAについては原則として「アブ・トゥライフィー派」という)。なお,同人と共にBIFFから離脱したサラフディン・ハサンは,現在,独自のグループを率いているとされる(注17)

b エスマエル・アブバカル(Esmael Abubakar)

別名:
コマンダー・ボンゴス(Commander Bongos)

BIFF主流派指導者。2014年,ISILへの忠誠を表明したとされるが,ハピロンの下への合流は確認されていない。

(エ) 「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)(注18)

AKPは,サランガニ州を拠点とし,ISILへの支援及びISILの擁護を掲げてテロ活動を行っていたが,2017年1月に当時の指導者モハンマド・ジャアファル・マギド(別名トクボイ)が死亡した後は,活動が停滞していた。また,トクボイから指導者の地位を引き継いだジョフリー・ニロンが組織再建に取り組んでいたが,同人も2020年9月に当局によって殺害(注19)された。

イ 組織形態・意思決定機構

ハピロン存命時には,総括指導者(アミール・ル・アンム)とされる同人の下に,3人の指導者(アミール)が地域ごとに設置されていたとされる(注20)。マラウィ占拠事件時の証言等から,各地域の指導者は主要な意思決定に際し,総括指導者の裁可を求めていたことが明らかになっている(注21)

2017年4月に発出されたアブ・トゥライフィーとされる者の声明動画中の画像

また,ISILからの指示や資金供与は,(各地域の指導者ではなく)ハピロンに対して行われたとされることから,総括指導者は,ISILの権威と財力を背景に各地域の指導者を統率していたことが推察される。

ハピロン死亡(2017年10月)後の組織形態や意思決定機構は不明であるものの,前述の「シューラ」(2018年5月にパティクルで開催)においてサワジャアンがISEA総括指導者に選出されたとの指摘があることから,少なくとも,総括指導者の任命機関として「シューラ」が存在しているとみられる。ただし,同「シューラ」において選出されたとされるサワジャアン及び同人の代替候補であるインダマは,2020年に入って国軍との衝突により死亡した可能性が高いほか,同人らの死亡報道以降,指導者選定の「シューラ」が開催されたとの情報はなく,現在のISEAの指導体制は不明となっている。

(6) 沿革(2017年のマラウィ占拠事件発生以前)

ア 「ISILフィリピン」

「ASGバシラン」指導者イスニロン・ハピロンは,2015年12月,バシラン州等で活動する他の小規模な武装組織を傘下に収め,「バシランにおける総括指導者(アミール・ル・アンム)」に就任したとした上で,改めてISIL最高指導者アブ・バクル・アル・バグダディへの忠誠を表明した(2016年1月,動画発表)ところ,ISILは,2016年1月,アラビア語週刊誌「アル・ナバア」でこれを受け入れたことを示唆した。同年4月,ハピロン及びインダマ(同月,ハピロンの下に正式に合流)が,国軍への大規模な攻撃を実行(少なくとも兵士18人死亡)したところ,ISILは,同月,フィリピン国内の事件としては初となる犯行声明を発出したほか,ハピロンを「フィリピンにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)として承認」し,こうした中,同人の配下勢力は,「ISILフィリピン」とも呼称されるようになった。ISILによる地域指導者の任命は,東南アジアで初めてであり,ISILの支援(注22)を受けたテロの活発化に対する警戒が高まった。

イ 「ISIL東アジア」

マウテ兄弟を最高幹部とする南ラナオ州のISIL関連組織「マウテ・グループ」は,2016年8月,南ラナオ州マラウィの留置施設を襲撃し,拘束されていたメンバーらを奪還した。ISILは,同年9月,機関誌「ルーミヤ」で同事件を自組織による犯行と自認するとともに,「マウテ・グループ」を「東アジアにおけるカリフ国の兵士たち」(いわゆる「ISIL東アジア」)と呼称し,また,ハピロンの配下勢力(「ISILフィリピン」)を「バシランにおけるカリフ国の兵士たち」と呼称して両勢力を区別する姿勢を示した。

「マウテ・グループ」は,その後も,南部・ダバオ市内での爆弾テロ(同年9月,死者15人)や中部・レイテ州ヒロンゴスでの爆弾テロ(同年12月,負傷者35人)を実行するなど,活動範囲を拡大させた。同組織は,自らの影響下にある地域では,「タリバン」を模倣した「裁判制度」を住民に強制したとされるほか,同年11月には,当時拠点としていた南ラナオ州ブティグで複数の建物を占拠し,ISILが使用する旗を掲揚するなど,ISILによる「領域支配」に追従する動きを見せた。

一方,ハピロンは,同年7月にバシラン州ティポティポ町で軍の拠点に対する攻撃を実行するとともに,同9月にも同町内のバランガイ(村)の占拠を企図したが,いずれも失敗に終わった。こうした中,ISIL中枢は,活動地域として同州は狭すぎるとして,拠点を移すようハピロンに指示した。これを受けて,ハピロンとその配下の一部は同年末,南ラナオ州に移動した。「マウテ・グループ」は,ブティグの拠点でハピロンらを庇(ひ)護するとともに,同人を指導者として受け入れ,ここにハピロンを頂点とする「ISIL東アジア」(ISEA)が事実上形成された。ISEAには,「ASGスールー」やBIFFの派閥やメンバーも合流し,このうちマラウィに結集した勢力が,2017年5月に同市街地を占拠するに至った。

ISEAを構成する各組織ごとの沿革は以下のとおりである。

(ア) 「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)

1991年4月,「モロ民族解放戦線」(MNLF)に所属していたアブドゥラジャク・アブバカル・ジャンジャラニが,フィリピン南部・ミンダナオ地域を始めとする各地に「イスラム国家」を設立することを目的にASGを設立し,バシラン島を拠点としてキリスト教会,宣教団,聖職者等を標的としたテロを繰り返した。また,政府との和平交渉に反対するホロ島のMNLF幹部らに接近し,ラドゥラン・サヒロン(現「ASGスールー」指導者)らをASGに加入させたとされる。

また,ASGは,設立当初から1995年頃までの間,オサマ・ビン・ラディンの義弟を通じて「アルカイダ」から資金援助を受けていたとされるほか,複数のASGメンバーが,1991年~1992年にかけて,後に「アルカイダ」幹部となるハリド・シェイク・モハメドの甥であるラムジ・ユセフから爆弾製造訓練を受けたとされる。ユセフは1993年以降,フィリピンに設けたアジトで,航空機12機を太平洋上で爆破する「ボジンカ作戦」なるテロ計画を進めていたが,この際,ASGが同人に作戦上の支援を行っていたとも指摘されている(注23)

1998年,アブドゥラジャクが治安部隊に射殺された後,後継者としてカダフィ・ジャンジャラニ,ヤシル・イガサン(注24)及びラドゥラン・サヒロンの3人が候補に上がり,選挙によって前二者に絞り込まれた後,現場幹部らの推挙によってカダフィが新指導者に選出された。

その後,2001年9月の米国同時多発テロ事件を受けた「テロとの闘い」の一環で,ASGに対する掃討作戦が強化される中,ASG指導者らはミンダナオ島中部に逃れつつ,改宗者らから成る過激組織「ラハ・ソレイマン運動」(RSM)と連携し,2004年及び2005年には,マニラ湾で,「スーパーフェリー14号」爆破テロ等の大規模爆弾テロを実行するなど,その脅威を高めた。

2005年後半,ASG指導者らは,スールー州ホロ島に逃れたが,2006年の同島における掃討作戦で指導者カダフィが死亡した後,同島を拠点とするサヒロン(前述)が指導者に就いたとされる。一方,ASGは,カダフィ指導下にあった頃から,バシラン州及びスールー州の二大勢力に分かれていたとされるところ,カダフィ死亡後は,各幹部が自律性を高め,複数の小規模グループが同盟関係で結び付く組織形態が採られるようになったとされる。

2014年に入り,バシラン州を拠点とする「ASGバシラン」のうち,イスニロン・ハピロンのグループが,バグダディに初めて忠誠を表明した。同人は2016年4月,ISILから「フィリピンにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)として承認」された。

また,インドネシアのISIL関連組織「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)が,ハピロンのアミールへの任命と前後して同人に接近し,同人はJADとの協力関係を深めた。JADメンバーであるスルヤディ・マスウド(2017年1月逮捕)は,元来ハピロンとの接点を有していなかったが,2016年3月,妻の縁故を通じてバシラン州でハピロンらと面会し,JADメンバーに対する軍事訓練提供,武器売却等で合意した。これを受けて,複数のJADメンバーが同年5月頃,バシラン州に渡航し,ハピロン配下のインドネシア人戦闘員から訓練を受けた。

一方,「ASGスールー」は,スールー州等で身の代金目的の誘拐を繰り返したほか,掃討作戦を行う国軍や国軍に協力するMNLFとの衝突を続発させてきたが,2016年以降,「ASGスールー」内でのISILの浸透が指摘されるようになった。同年4月及び6月,「ASGスールー」の一部が,ISILのプロパガンダを模倣し,人質としていたカナダ人2人を斬首する動画を公開した。また,同年11月には,ISIL支持者らが情報発信するSNS上で,サワジャアンが「ホロ島でイスラム国兵士を率いている」旨の指摘がなされた。さらに,2017年4月,サワジャアンの配下の一人でISILに忠誠を表明したムアンマル・アスカリ(別名アブ・ラミ)が,国際的観光地を擁するフィリピン中部・ボホール州イナバンガで治安部隊と交戦して死亡した。

(イ) 「マウテ・グループ」

2012年10月頃,「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)に所属していたカヤモラ・マウテが,MILFと政府による「バンサモロ枠組み合意」(同月)に反発して「マウテ・グループ」を設立した(注25)。最高幹部には,カヤモラの息子であるオマル・マウテ及びアブドゥッラー・マウテの兄弟が就いた。設立当初,同組織は,インドネシア人の「ジェマー・イスラミア」(JI)メンバーであるサヌシ(同年11月,マラウィで死亡)の指導下にあったとされる。後に,「ヒラーファ・イスラーミーヤ運動」(KIM)(前述)が「マウテ・グループ」に合流した。

「マウテ・グループ」は,2016年頃,ISILへの忠誠を表明した後,「ラナオのカリフ国の兵士たち」等と自称し,同年2月に南ラナオ州ブティグ町で国軍と衝突したほか,同年8月にはマラウィの留置施設を襲撃し,ISILから犯行声明(「東アジア」名)が発出された。

(ウ) 「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)

2010年12月,MILF強硬派のリーダーであったアメリル・ウンブラ・カトが,政府との和平交渉を再開したMILF指導部を「ジハードを放棄した」等と批判し,BIFFを設立した。BIFFは,「バンサモロ(モロの土地の意)独立のための戦い」を標ぼうし,マギンダナオ州やコタバト州において国軍に対する襲撃を頻発させたほか,マレーシア人JIメンバーであるマルワンことズルキフリ・ビン・ヒルから爆弾製造等の訓練を受けた。

2014年8月,BIFFの広報担当アブ・ミスリ・ママは,同組織がISILへの忠誠を表明し,「ISILと同じくイスラム政府樹立のために戦っている」と主張した。2015年1月,マギンダナオ州ママサパノで,BIFFを含む武装集団が国家警察特殊部隊と衝突し,特殊部隊員44人が死亡したほか,マルワンらも死亡した。

カトは2015年4月に病死し,後継者にエスマイル・アブバカル(別名コマンダー・ブンゴス又はボンゴス)が選出された。2016年7月,ボンゴスが,BIFF軍事指導者イマーム・ミニンバン(通称ウスターズ・カリアラン)を解任・追放したことを機に,BIFFは,ボンゴス率いる主流派とカリアラン派に分裂した。カリアラン派は,「ISILと同一化している」としてボンゴス率いる指導部を非難するとともに,自派こそが「モロの大義を守る」と主張した。

さらに,同年10月には,ISILを強く支持するアブ・トゥライフィーらが,新組織「ムアッサスーン」を設立して主流派から分派し,2017年4月頃,自らの派閥を「ジャマアトゥル・ムハージリーン・ワル・アンサール」(JMWA)と称した上で,ハピロンの傘下に入ったと主張した。ISILは,2017年3月以降,アブ・トゥライフィー派等が実行したとみられるマギンダナオ州でのテロに関し,「東アジア」や「東アジア州」名で犯行声明を発出した。

(エ) 「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)

MILFにおいてアメリル・ウンブラ・カト(前述)の指揮下で活動していたモハンマド・ジャアファル・マギド(別名トクボイ)が,2013年,フィリピン南部・スルタン・クダラト州でAKPを設立した。AKPは,2014年8月にISILへの忠誠を表明し,2015年4月には,フィリピンで米軍兵士を攻撃すると主張したほか,首都マニラのマラカニアン宮殿(大統領官邸)にISILの旗を掲げるなどとも主張した。

2015年11月には,スルタン・クダラト州で,AKP指導者トクボイの配下で活動していたインドネシア人戦闘員が治安部隊との交戦で死亡したが,その後,同戦闘員がインドネシア中部・中スラウェシ州ポソ周辺で活動する「東インドネシアのムジャヒディン」(MIT)メンバーであったことが明らかになった。

2016年1月,ISILは,アラビア語週刊誌「アル・ナバア」上で,AKPがISILに忠誠を表明し,イスニロン・ハピロン(前述)に合流した旨を発表した。AKPは,フィリピン南部・サランガニ州で国軍襲撃等を続発させ,2016年11月末にマニラで爆弾が発見された事案では,関与したとされるAKPメンバーが逮捕された。2017年1月,指導者トクボイが治安部隊の作戦で死亡した後,AKPの活動は停滞した。

(7) 最近の主な活動状況

ア マラウィ占拠事件(2017年5~10月)

2017年5月23日,ISEAを構成するASGの一部,「マウテ・グループ」のほか,これらに合流した外国人戦闘員(FTF)等から成る数百人の武装集団は,マラウィ所在のハピロンの隠れ家が当局に急襲されたことを機に,留置施設,警察署,市庁舎,大学,教会,病院等を一斉に襲撃し,脱走させた囚人等も勢力に加えて,マラウィ市街地を占拠した(注26)。武装集団は,逃げ遅れたキリスト教徒らの一部を処刑したほか,拘束したキリスト教徒らに対し,略奪,武器製造,戦闘参加等を強制した。

5月25日時点で,武装集団側は,FTF8人及びフィリピン人25人の計33人が戦闘で死亡したと発表した。死亡したFTFの国籍(武装集団側の主張による)は,イエメン,インド,インドネシア,サウジアラビア,ロシア(チェチェン)と幅広い地域にわたっていた。これらの死亡者を含め,マラウィ占拠事件には48人程度のFTFが参加したとみられている。

治安部隊は掃討作戦を展開したが,武装集団側も,コンクリート造りの堅固な建築物や排水用の暗渠(きよ),1970年代の内戦期に掘削された地下トンネルを利用して空爆による被害の軽減を図ったほか,地上からの接近に対しては,市内の橋梁(りよう)3本を確保し,河川を天然の要害として活用した。また,ラナオ湖の港湾エリアも確保し,湖を経由した兵站(たん)ルートの維持に努めたほか,占拠地に所在する店舗等から食糧や武器を略奪するなどして「自給自足」を図った。

治安部隊は,7~9月に橋梁(りよう)3本を奪還したほか,ラナオ湖にも艦艇を配備するなどした結果,武装集団の占拠地域は徐々に狭まり,10月16日,ISEA指導者ハピロン及び「マウテ・グループ」最高幹部オマル・マウテが狙撃されて死亡した。10月23日,ロレンザーナ国防相は戦闘作戦の終結を宣言したが,5か月間にわたる占拠において,武装集団側920人以上,治安部隊165人,民間人47人の計1,100人以上が死亡した。

なお,BIFFは,いずれの派閥もマラウィ占拠事件には参加しなかったが,6月に発生したコタバト州ピグカワヤンでの学校占拠については,当時マラウィを占拠していた武装勢力を援護するため,BIFFのうちISILを支持する派閥が後方かく乱として実行した可能性が指摘されている(注27)。また,8月から9月にかけて,マギンダナオ州で,アブ・トゥライフィー派がMILFとの衝突を継続したほか,BIFF主流派も,アブ・トゥライフィー派を支援して国軍等への攻撃を継続した。

イ マラウィ占拠事件後の状況(2017年11月~)

マラウィ占拠事件に参加した武装勢力は,多数の幹部・要員を喪失したものの,マラウィから脱出した者のほか,同事件に直接参加せずにそれぞれの拠点に残留した者や国外から合流したFTF等が,フィリピン南部の各地でテロを継続している。

ISEA構成組織・派閥の各州における活動状況は次のとおりである。

(ア) バシラン州

バシラン州では,「ASGバシラン」が,治安関係者,地元政治家,自組織の脱退者等を標的として爆弾テロや襲撃を行っているほか,他のフィリピン南部の地域とは異なり,旧ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM)(注28)当局者,インフラ関連の作業員等に対する攻撃を散発させてきた。なお,ハピロンがバシラン島を拠点としていた2016年以前に見られた国軍との大規模衝突は発生していない。

事件の発生地域は,スミシップ,ラミタン,イサベラ,ランタワン,ティポティポ等,バシラン州の広域に及んでおり,2018年7月には,ラミタンの検問所で,フィリピン初とされる自爆テロが発生した(死者10人)。 同自爆テロは,「ASGスールー」幹部のサワジャアンが首謀し,「ASGバシラン」メンバーが支援の上,モロッコ系ドイツ人が実行したとされるなど,FTFと地元メンバーとの協力・連携体制がうかがわれた。

(イ) スールー州

「ASGスールー」は,スールー州ホロ島で,掃討作戦を行う国軍等との衝突を続発させているほか,2019年には,日曜ミサ中のカトリック教会(1月,23人死亡)及び国軍施設(6月,6人死亡及び9月,死者なし)を標的とした自爆テロ3件を実行した。いずれも首謀者はサワジャアンであり,各事件の実行犯は,インドネシアのISIL関連組織「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)に属する夫婦(1月),フィリピン人及び人定不詳の者(6月),エジプト人とされる女性(9月)であった。2020年には,サワジャアンの甥であるムンディが首謀し,ASGメンバーの未亡人とされる女2人による繁華街における連続自爆テロ(8月,14人死亡)が発生した。また,「ASGスールー」は,同州のほか,サンボアンガ半島やスールー海において,地元住民や外国人を標的とした身の代金目的の誘拐(注29)を実行している。

「ASGスールー」指導者サヒロンについては,依然,ISILに対する忠誠表明は確認されていないが,既にISILに忠誠を表明したサワジャアンとは一定の協力関係にあるとみられる。

(ウ) 南ラナオ州

「マウテ・グループ」については,2017年11月下旬,南ラナオ州で,指導者アブ・ダルが,約40人の配下と共にリクルート活動を再開したとされ,2018年5月には,戦闘員らの入村を拒否した同州の村長をアブ・ダル自ら射殺したとされる。2019年3月にアブ・ダルが死亡した後,ザカリア・ミンバンタスが指導者に就任した。同年10月には,マラウィで国軍兵士1人が射殺される事件が発生し,ISILが「東アジア州」名で犯行を自認した。

(エ) ミンダナオ島中・西部(マギンダナオ州,コタバト州等)

BIFFは,マギンダナオ州で,国軍に対する襲撃を継続しているほか,特に,アブ・トゥライフィー派によるとみられる民間人を標的としたテロが相次いで発生している。2017年12月には,マギンダナオ州で,非ムスリムの原住民テドゥライ族に対する攻撃を続発させたほか,スルタン・クダラト州では,教会(2018年4月,2人負傷),祭典会場付近(同年8月,3人死亡) ,インターネットカフェ(同年9月,2人死亡),レストラン(2019年4月,1人死亡),公設市場(同年9月,8人負傷)等で,それぞれ爆弾テロを実行したとみられている。このうち,2019年9月の公設市場での爆弾テロでは,トルコ系スウェーデン人を含むアブ・トゥライフィー派のメンバーと疑われる者らが,同テロに関与した疑いで逮捕されている。

一方,2017年時点で,既にBIFF主流派とアブ・トゥライフィー派による連携を示す動きが散見されていたが,2018年3月以降,カリアラン派を含めた三派による連携の動きが見られた。同年4月に国軍が制圧したキャンプは,三派共通の潜伏地であると指摘された。三派による連携の背景としては,血縁関係を土台とした親族的紐(ちゆう)帯の存在やBIFFの設立理由となった分離独立主義(注30)が現在も各派に影響力を及ぼしていることが考えられる。

(8) 他勢力との連携

ア 「アルカイダ」

「アルカイダ」は,1990年当時,「国際イスラム救援機構」(IIRO)のフィリピン支部長を務めていたオサマ・ビン・ラディンの義弟ムハンマド・ジャマル・ハリーファを通じ,ASG指導者(当時)アブドゥラジャク・アブバカル・ジャンジャラニに資金を提供していたとされる。しかし,その後,ハリーファが,「ボジンカ作戦」(前述)に関与したとしてフィリピンに入国できなくなったため,同人を通じた「アルカイダ」の資金援助は1995年に途絶えたとされる。

イ 「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)

「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)は,マラウィ占拠以前,ISEA指導者(当時)イスニロン・ハピロンに数百万ドルの資金を援助したほか,同人に対してバシラン州から南ラナオ州への拠点移動を指示するなど,ISEAに対し,多額の財政支援を通じた統制を行っていたとみられる(「(6) 沿革」参照)。

また,同じくマラウィ占拠前の2017年,インドネシア出身のFTFらから構成される部隊「カティーバ・ヌサンタラ」(現状は不明)は,シリア渡航を目的に接触してきたインドネシア人ISIL支持者らに対し,シリアではなくミンダナオへの渡航を指示し,渡航費用も支援するなど,ISILは人員調達面でもISEAを支援した。さらに,マラウィ占拠中の2017年6月には,ISILの機関誌「ルーミヤ」で,支持者らにフィリピン南部への移住を求めるハピロンの呼び掛けを掲載するなど,ISEAと一体となって宣伝活動を行った。

2018年3月,ISILは,アラビア語週刊誌「アル・ナバア」で,約半年ぶりに,フィリピンにおけるテロに言及した(注31)。同年7月,同誌において,フィリピン南部が初めて「東アジア州」と表記され,フィリピン南部をISILの支配地の一つとして支持者らにアピールした。近年では,ISILは,ISEAに対して犯行声明の発出等のメディア支援を実施しているものの,資金,戦闘員の派遣等の支援は限定的と指摘されている(注32)

ウ インドネシア国内勢力(注33)

(ア) 「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)

インドネシアのISIL関連組織「ジャマー・アンシャルット・ダウラ」(JAD)(注34)は,2016年前半,当時バシラン州で活動していたISEA初代指導者イスニロン・ハピロンに接近し,協力関係を深めた。JADメンバーであるスルヤディ・マスウド(2017年1月逮捕)は,2016年3月,バシラン州でハピロンらと面会し,JADメンバーへの軍事訓練提供,武器売却等で合意した。これを受けて,複数のJADメンバーが同年5月頃,バシラン州に渡航し,ハピロン配下のインドネシア人戦闘員から訓練を受けた。

現在のところ,ISEAとJADがいかなる関係にあるかは不明であるが,2019年1月には,インドネシアから渡航してきたJADメンバーの夫婦が,ASGが首謀したとされるホロ島の教会における自爆テロを実行したほか,2020年8月には,ASGが首謀したとされるホロ島の市街地における自爆テロにJADメンバーが関与しており(注35),JAD及びISEA間には一定の関係性がうかがわれる。

(イ) 「東インドネシアのムジャヒディン」(MIT)

インドネシアのISIL関連組織「東インドネシアのムジャヒディン」(MIT)(注36)については,2015年11月,同組織メンバーがAKP指導者の配下で活動中に殺害されており(前述),AKPとの人的つながりがあったことがうかがわれる。

MITは,2016年7月の指導者サントソ死亡等で弱体化が進んでいるが,残存メンバーは現指導者アリ・カロラの下で活動を継続している。2018年6月,MITは,ライフル銃の訓練風景を記録したプロパガンダビデオを発出したが,その際,活動地域のポソについて,「ヌサンタラ(インドネシアの意)における『イスラム国・東アジア』(ISEA)のムジャヒディン基地」と主張し,自らがISEA構成組織であることを示唆した。また,2020年11月,ISILは,アラビア語週刊誌「アル・ナバア」第260号(11月12日)を通じて,MIT関連テロに関して初めてISEA名の犯行声明を発出したほか,翌12月にも別のMIT関連テロについて,ISEA名の犯行声明等を発出しており,ISILとMITの間の一定の繋がりがうかがわれる。

(ウ) 「ジェマー・イスラミア」(JI)

「ジェマー・イスラミア」(JI)(注37)は,2000年代,ミンダナオ島に訓練キャンプを設立し,現地に残ったJIメンバーの一部は,後にBIFFや「マウテ・グループ」の庇(ひ)護を受けつつこれらの組織に訓練を実施するなどした。

2014年,JIの共同設立者アブ・バカル・バシール(収監中)や元JI幹部アブ・フスナらがISILに忠誠を表明したものの,JIの組織的立場としては,ISILを否認する姿勢を保っているとされる。

(9) 資金獲得活動

いずれのISEA構成組織・派閥も,非合法活動によって資金を得ている。「ASGスールー」は,主として,誘拐した人質の家族等から獲得した身の代金を資金源としているとみられている。「ASGバシラン」は,主として恐喝によって資金を得ているとみられ,ムスリム・ミンダナオ自治地域公共事業道路省(DPWH-ARMM)当局者らが標的とされている。なお,マラウィ占拠事件以前には,中東に渡航したフィリピン人労働者が,ISILからの資金をハピロンらに送金していたとされる(注38)ものの,現在では資金援助は限定的と指摘されている(注39)

「マウテ・グループ」は,マラウィ占拠時に数十億ペソともされる多額の金銭を略奪し,これをマラウィ市外に持ち出して資金源としているとされる。マラウィ占拠事件以前は,強盗や麻薬取引のほか,親族関係等にある地元有力者らからの資金援助を資金源としている可能性が指摘されていた。

BIFFは,麻薬業者を庇(ひ)護する見返りとして,違法薬物の販売利益を得ているほか,住民に対し,寄附の徴収と称した恐喝で資金を調達しているとされる。

(10) リクルート活動

「ASGスールー」は,身の代金で獲得したとされる資金をリクルートに利用しているとされるほか,リクルート能力に秀でた有力幹部らが地元の若者を引き付け,過激化させていることが指摘されている。

「ASGバシラン」は,2016年当時,現金約5,000ペソ及びライフルの供与を約束するなどして,地元の若者らをリクルートしていたとされる。また,指導者(当時)ハピロンは,国外でも積極的なリクルート活動を実施し,同人側近のマレーシア人マフムード・ビン・アフマド(2017年,マラウィで死亡推認)は,自らに接触してきたインドネシア人を利用して,同インドネシア人の仲間をリクルートさせていたとされるほか,自らの配下をマレーシアに派遣し,マレーシア人,バングラデシュ人等をリクルートしていたとされる。

「マウテ・グループ」も,金品を活用したリクルート活動を行っていたことが指摘されている。マラウィ占拠前には,地元の貧困家庭に現金を渡して子供をリクルートしていたほか,地元の大学生,指導部に疑問を抱く若手のMILFメンバー等もリクルート対象としていたとされる。このほか,フェイスブック等SNS上の投稿内容を閲覧し,経済的・社会的な疎外感,歴史上の不公正さ等について発言する者らを抽出してリクルート対象にしていたともされる。また,「マウテ・グループ」は,マラウィ占拠事件後も,マラウィで死亡した戦闘員の親族のほか,学生,子供らに対し,1人につき1万5,000~5万ペソの現金を提供するなどしてリクルートしているとされるほか,引き続きSNSを利用したリクルート活動を行っているとされる。

AKPについては,2015年当時,コタバト市において,同組織と関連を有する説教師がイスラム勉強会への参加者らをリクルートした事例や同市のオートバイ販売店主がモータースポーツ仲間をリクルートした事例が指摘されており,いずれもリクルートした者をAKPや「マウテ・グループ」の訓練キャンプに送り出していたとされる。

年 月 日 主要テロ事件,主要動向
91年  アブドゥラジャク・ジャンジャラニが「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)を設立
10.12  アメリル・ウンブラ・カトが「バンサモロ・イスラム自由戦士」(BIFF)を設立
12.10  カヤモラ・マウテが「マウテ・グループ」を設立
13年  モハンマド・ジャアファル・マギド(別名トクボイ)が「アンサール・ヒラーファ・フィリピン」(AKP)を設立
16.4.9  フィリピン南部・バシラン州で,「ASGバシラン」が国軍と衝突し,国軍兵士少なくとも18人が死亡。ISILが「フィリピン」名の犯行声明を発出
16.4.19  ISILのアラビア語週刊誌「アル・ナバア」は,ISILがハピロンを「フィリピンにおけるカリフ国の兵士たちの指導者(アミール)として承認した」と発表
16.8.27  フィリピン南部・南ラナオ州マラウィで,「マウテ・グループ」が留置施設を襲撃し,拘束されていたメンバーらが脱走。ISILが「東アジア」名の犯行声明を発出
16.9.2  フィリピン南部・ダバオ市で,「マウテ・グループ」による爆弾テロが発生し,15人が死亡
16.12.28  フィリピン中部・レイテ州ヒロンゴスで,「マウテ・グループ」による爆弾テロが発生し,35人が負傷
16.12  ハピロンとその配下が,南ラナオ州で「マウテ・グループ」と合流
17.4  フィリピン中部・ボホール州イナバンガで,ISILに忠誠を表明したとみられる「ASGスールー」幹部アブ・ラミ及びその配下が治安部隊と衝突。アブ・ラミらが死亡
17.5.23  南ラナオ州マラウィ占拠事件が発生
17.10.16  ハピロン及びオマル・マウテが国軍による狙撃で死亡
17.10.23  フィリピンのロレンザーナ国防相が,マラウィにおける戦闘作戦の終結を宣言。マラウィ占拠中に1,100人以上が死亡
17.12.31  フィリピン南部・スルタン・クダラト州タキュロンの飲食店付近で,BIFFによるとみられる爆弾テロが発生し,2人が死亡
18.4.29  スルタン・クダラト州コロナダルの教会で,BIFFによるとみられる爆弾テロが発生し,2人が負傷
18.6.22  フィリピン南部・コタバト州ピグカワヤンで,BIFFが学校を占拠
18.7.31  バシラン州ラミタンの検問所で,自動車爆弾テロが発生,10人が死亡。同日,ISILが犯行声明を発出。「ASGスールー」幹部サワジャアンが首謀し,「ASGバシラン」が支援したとの指摘
18.8.28  スルタン・クダラト州イスランの祭典会場付近で,BIFFによる爆弾テロが発生し,3人が死亡
18.9.2  スルタン・クダラト州イスランのインターネットカフェで,BIFFによる爆弾テロが発生し,2人が死亡
18.9.16  フィリピン南部・ジェネラル・サントス市で,AKPメンバーとみられる者が,爆弾テロを実行し,8人負傷。9月18日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出
18.11.16  スールー州ホロ島パティクルで,「ASGスールー」が,国軍を襲撃し,兵士5人が死亡。11月17日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出
19.1.27  スールー州ホロ島ホロのカトリック教会で,インドネシア人夫婦が自爆し,日曜ミサの参加者ら23人が死亡,95人が負傷。同日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出。「ASGスールー」幹部サワジャアンが首謀したとの指摘
19.4.3  スルタン・クダラト州イスランのレストランで,爆弾が爆発し,1人が死亡。BIFFアブ・トゥライフィー派による犯行の可能性が指摘
19.6.28  スールー州ホロ島インダナンの国軍施設前で,フィリピン人を含む2人が自爆し,兵士及び市民計6人が死亡,22人が負傷。同日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出。「ASGスールー」幹部サワジャアンが首謀したとの指摘
19.9.7  スルタン・クダラト州イスランの公設市場の駐車場で,爆弾が爆発し,8人が負傷。同日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出。BIFFアブ・トゥライフィー派による犯行の可能性が指摘
19.9.8  スールー州ホロ島インダナンの国軍施設前で,エジプト人とされる女が自爆したが,死傷者なし。「ASGスールー」幹部サワジャアンが首謀したとの指摘
19.10.4  フィリピン南部・南サンボアンガ州トゥクランで,武装集団が,英国人とフィリピン人の妻を誘拐。11月25日,国軍が両人を救出
19.10.6  南ラナオ州マラウィで,何者かが陸軍兵士を射殺。10月7日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出
20.1.16  マレーシア東部・サバ州沖の同国領海内において,ASGとみられる武装集団が,インドネシア人漁民5人を誘拐
20.5.3  マギンダナオ州ダトゥ・ホッファー・アンパトゥアンで,BIFFとみられる武装集団が国軍を襲撃し,兵士2人が死亡,1人が負傷。同日,ISILが「東アジア州」名の犯行声明を発出
20.7.6  スールー州ホロ島パティクルで,国軍とASGの衝突が発生し,兵士2人が負傷。8月25日,国軍は,同衝突時の負傷によりサワジャアンが死亡した可能性が高いと発表
20.8.24  スールー州ホロ島パティクルで,ASGメンバーの未亡人とされる女2人が連続して自爆し,兵士,警察官及び住民14人が死亡,75人が負傷。サワジャアンの甥ムンディ・サワジャアンが首謀したとの指摘

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