2005年12月
私たちのカンボジア法整備支援


カンボジア プノンペン市内
(カンボジア プノンペン市内)

法務省法務総合研究所国際協力部



「座談会」

私たちのカンボジア法整備支援



法務総合研究所国際協力部教官  三 澤 あずみ
  
同               関 根 澄 子
  
同               柴 田 紀 子
  
法務省広報企画アドバイザー   渡 邉 文 幸


法務省法務総合研究所国際協力部




 カンボジア法整備支援においては,民法作業部会と民事訴訟法作業部会とが中心となり,民法及び民事訴訟法案の起草支援を継続してきました。その結果,両草案が完成し,近々,成立が期待されています。
 これらの法律の成立後,カンボジア法曹界の課題は,全国の司法関係者にこれらの法律の内容を普及させ,特に,裁判所において,適切で妥当な民事裁判を実現させることでしょう。しかし,新法の成立は,カンボジアにとってまさしく民事裁判制度の大変革であり,多くの裁判官にとって,新しい民事裁判のあり方を理解することは容易ではありません。
 加えて,カンボジアにおける法学教育や法曹養成制度は未だ十分でなく,カンボジア政府は,裁判官と検察官の質的向上を目指して,2003年11月,王立司法官職養成校を開校させたものの,講師は現職裁判官や検察官がパートタイムで務め,十分な教材もなく,裁判実務を効果的に指導するためのカリキュラムもない状態です。
 そこで,法務総合研究所国際協力部は,独立行政法人国際協力機構(JICA)と協力しつつ,2004年2月以降,司法官職養成校に対する民事裁判実務教育に関する支援を検討し,実施してきました。当部のカンボジア担当教官3名が,繰り返し同養成校にJICA短期専門家として派遣され,同養成校の教官等をカウンターパートとして,民事第一審手続マニュアル,民法演習問題と講義案の作成,これらを用いた民事カリキュラムの策定を支援するとともに,同養成校第1期生を対象に民事模擬裁判を実施して新手続のあり方を紹介するなどしてきました。そして,2005年11月には,JICAカンボジア事務所所長と同養成校の上位組織である王立司法学院の学院長との間で合意文書(RD)が取り交わされて民事教育改善プロジェクトが正式に開始され,2006年2月には,当部のカンボジア担当教官のうち1名がJICA長期専門家として派遣される予定です。
 当部のカンボジア担当教官3名は,それぞれバックグラウンドが異なり,国際協力部に配属された経緯も異なりますが,このプロジェクトについて,あるときは一人で悩み,あるときは皆で頭を寄せ合い,またあるときはメールや電話で日本とカンボジアの距離を乗り越えて相談し,協力してきました。
 この座談会は,そういう日々の仕事ややり取りのなかで,3名の教官それぞれが感じたことや考えたことを,思いつくままに語り合ったものです。




私たちのカンボジア法整備支援


1 年月日  平成17年11月11日(金)


2 場 所  法務省法務総合研究所国際協力部
 (大阪中之島合同庁舎4階セミナー室)



3 参加者  法務総合研究所国際協力部教官  三澤あずみ
 同               関根 澄子
 同               柴田 紀子
 法務省広報企画アドバイザー   渡邉 文幸(インタビュアー)


4 座談会内容


  I  カンボジアとの出会い
  ある日偶然に
  夕暮れの川べりで
  クメール語にない「残業」



  II  法整備支援ということ
  分からない判決書
  いっしょに考える
  トレーナーズトレーニングとは



  III  カンボジアで考えたこと
  「汚職」の問題
  ドナー間の調整
  見返りを求めない支援
  先輩の励まし



  IV  楽しみと苦労と
  いっしょの作業は楽しい
  しんどさとやりがい
  子どもの姿と虐殺の記憶




I カンボジアとの出会い


ある日偶然に
(渡邉 )最初に,私と<カンボジアとの出会い>をお聞きしたいと思います。みなさんがこれまでにやってきた仕事を、自己紹介を兼ねて話してください。それからカンボジアに行っての印象も併せてお願いします。三澤さんからいかがでしょうか。
(三澤 )私は,以前,『研修』誌に書いたとおりですけれど,希望して国際協力部に配属されていて,その理由は,アジ研(国連アジア極東犯罪防止研修所)の研修で初めて東南アジアの司法が抱える問題の一端に触れてびっくりしたということですね。そのときは別にカンボジアに行きたいという気持ちは全然なかったのです。
 ただ漠然と東南アジアの司法制度であるとか,法整備支援であるとかそういうものに関わってみたいと思っただけで,とくにカンボジアに特定して考えていたわけではなかったのです。アジアの法整備支援自体は自分の希望でやりたいなと思いましたけども,カンボジアに関わったのは,言ってしまえば当部でそのときにカンボジア担当が誰もいなかったために私が行くことになったというわけです。
(渡邉 )こちらに来られる前は神戸地検姫路支部にいらしたのですね。
(三澤 )神戸地検姫路支部にいたころに,アジ研研修の研修員として,府中のアジ研で2か月くらい過ごしました。そのときは刑事司法コースだったので,東南アジアやアフリカ,南米から裁判官,検察官その他刑事司法関係者が来ていて,汚職であるとか,法律情報へのアクセスの難しさであるとか,日本からすれば,なぜ裁判官が最新の六法を持っていなくて裁判ができるのかしらというような,あっと驚く状況を聞いたのがきっかけです。だから当時は,私はラオスの方に興味があったのです。アジ研研修のときに,ラオスの司法省の方が来ていて,すごくいい方だったんですよ。
(柴田 )一般的には,ラオスってどこ?という感じですけれども(笑)。
(三澤 )そう(笑)。あえてピンポイントで挙げるなら,最初はむしろラオスに興味があったのですけれど,先程も言いましたが,当時カンボジアの担当が空席だったので新しく来た私がやることになりました。最初にカンボジアに行ったのが1年目の秋,つまり2003年9月に今私たちが取り組んでいる法曹養成プロジェクトではなく,民法・民訴法起草プロジェクトの関係で現地調査のために2週間くらい行って,プノンペンと地方で聞き取りをしました。それがカンボジアを訪問した最初ですね。
(渡邉 )初めてカンボジアを訪れたときには,どんな印象を受けましたか。
三澤あずみ(三澤)その前の4月にラオスに一週間くらい行っていたせいもあって,司法制度はさて置き,町並みとかに驚くということは無かったのです。そのときは幸いプノンペンだけではなくて,バッタンバンというカンボジア第三の都市でも調査をする機会があって,首都と地方との格差は日本以上に大きいことなどを感じました。そのときはほんとうに駆け足であちこち聞き取りをしたり調査をしたりしていました。
(渡邉)この辺はポル・ポト時代の後遺症,例えば対人地雷とかはどうでしたか。バッタンバンとか,そういう地方に地雷はなかったのですか。
(三澤)プノンペンからバッタンバンまで300キロくらいあるのですが,その300キロを自動車で移動しました。朝暗いうちに出て,昼前に着いたので5時間か6時間くらいかかりました。道は全部舗装道路だったのですが,いっしょに行った方,その方はカンボジアが長いのですが,その方は相当道はきれいになったと言うのですけれど,私から見るとほんとうに道路だけが舗装されていて,その他はドロドロのぐちゃぐちゃという感じでしかなかったです。
 そのとき,それこそ地雷の話が出たのですが,道路が走っている所は大丈夫らしいです。道路を作るときに除去したので。しかし,途中でトイレに行きたくなったときに,道路を離れて草むらに行こうとすると,運転手さんから「奥は地雷があるからあんまり奥に行っちゃ行けない」と言われたとかそういう話は聞いたことがあります。
(渡邉 )関根さんは,国際協力部初の裁判官からの教官ということですが。
(関根 関根澄子私は,04年に国際協力部に来て,それまでは大阪地裁におりました。それまでこの部の教官は,検察官と法務省本省の民事局の方で,裁判官から教官になったのは私が初めてなので,内示をもらったときは国際協力部が何をするところなのか,よく分からなかったのです。実は私は,このような部署があることは少しは知っていました。どうしてかと言うと,ほんとうに偶然なのですが,大阪地裁に,以前,田内前部長といっしょに仕事をした裁判官がいまして,その裁判官あてに田内前部長からセミナーの案内が送られて来ていました。そういったつながりで,この部署のことを聞く機会があったのです。
 ちょうどそのころ大阪地裁では,判事補が海外司法制度を勉強するための会があって,その裁判官と私,その他何人かでその幹事をしていたのですが,その裁判官のアイディアで,欧米に留学した裁判官ばかりではなく,国際協力部で研修を受けている開発途上国からの研修員を呼ぼうということになりました。というのは,偶然,京都大学に来ていた韓国の裁判官に話をしていただく機会があり,そのお話が面白かったのでやはり外国の法曹の話を聞くことが有益だという地盤があった中で,国際協力部に来る外国人を呼べば興味深いのではないかということになって,それで一度招へいすることになりました。
 ベトナムの第一回法曹養成研修の研修員が大阪地裁を訪問したときに,夕方4時ころから約1時間,その研究会用に枠を取っていただき,ベトナムの研修員と大阪地裁の裁判官との懇談会をしたことがありました。それでこの部があるのは知っていたのですが,何をする部なのかはよく知らなかったのです。この部に裁判官が教官として行くということはそれまでなかったため,びっくりしたという感じです。
 私は裁判官出身の教官として,特定の国を担当するというのではなく,各国に広く浅く関与するという形を前提として始まりました。つまりカンボジアだけを担当するのではなく,判決の書き方や民事裁判の運営など,裁判官としての実務経験が必要不可欠な領域の支援に関与するというやり方でやっています。
(三澤 )04年4月に関根さんがこの部に来たときには,私はちょうど日本にいなかったのです。
(関根 )そうですね,三澤さんは,この法曹養成プロジェクトをどのような中身にするかという調査のため,6か月間カンボジアに行っていました。その調査の結果,それをプロジェクト化して継続的に支援しようという方向で検討を始めていて,そうすると次にまた誰かがカンボジアに行かないといけないという問題がそのころ既にあったのです。着任後すぐにカンボジアに行ってもらうかもしれないと言われました。そんな感じでした。


夕暮れの川べりで
(渡邉 )現地カンボジアに行かれて,最初の印象はどうでしたか。
(関根 )最初に行ったのが,その年の7月ころだったのですけれども。そのときは,ラオスのプロジェクトに判決書の改善指導セミナーというのがありまして,他の先生といっしょにラオスに行っていました。その帰りに,秋ころからカンボジアに行くかもしれないから,三澤さんがいる間にちょっと様子を見てきたらどうかということで行ったのです。だからラオスに10日間くらいいた後に,5日間くらいカンボジアに行きました。
 カンボジアの印象ですけれど,ラオスは人口も少なく静かで,車もあまり見ないし,たまたま走っている車の速度も遅くて,時間が止まったようなところなのですが,ここからカンボジアに行くとカンボジアが大都会にみえました。結構賑やかで車も通っているし,普通の速度で走っているし,人も多いし,ラオスは国全体で600万人くらい,大阪より人口が少ないですね。首都のビエンチャンは50万人くらい?5,60万人ですよね?
(三澤 )プノンペンで120万人くらいだから。
(関根 )そう。ざっと考えても倍くらいなので,すごく大都会だと思ってしまいました。
(三澤 )結局ラオスが田舎だったと(笑)。
(関根 )そういうことです(笑)。でも車のことで言うと,私は04年7月にカンボジアに行った後,再度11月から半年間カンボジアに行っているのですけれど,その4か月間で既に車が増えていました。
(三澤 )私も2回目に行ったときに,1回目よりも車が増えたと思いました。バイクの数も増えて,しかもスピードが速くなっているし,危険運転も増えていました。
(関根 )最初は信号がないのにも驚きましたね。カンボジアもラオスもほとんど信号がないんです。でもカンボジアはだんだん信号が増えてきている。開発途上というと,都市としての機能がまだできてないようなイメージで,それこそカンボジアというと,地雷があるからまともな都市が構築できないような密林のイメージじゃないですか。でもそれは全然違いました。びっくりしました。
(三澤 )でもプノンペンだけなんですよね。
(関根 )ちなみに今朝のニュースでプノンペンが出ていましたね,NHKの「アジア&ワールド」というコーナーで,原油が値上がりしていてバイク通勤が大変だから,ソーラー自転車を作って売っている人が出ていました。そういうたくましさがあるという話でした。
柴田紀子(渡邉)柴田さんは,高知地検からこちらに来られたのですね。
(柴田)私も法務省にいながら,国際協力部のことをほとんど知らずにいました。私は刑事事件をやりたくて検事になったものですから,主に民商事を扱っているこの部の活動は,関心の外だったのです。元々,海外に行ってみたいという希望はあったのですが,それも頭に描いていたのは先進国であって,開発途上国に行くことを考えたことは全く無かったのです。05年4月に辞令をもらって国際協力部に配属されときには,アジアだし民商事だし,正直言って躊躇(ちゅうちょ)しました。
(渡邉)その後の6月に模擬裁判で初めてカンボジアに行かれたのですね。
(柴田)私の印象も関根教官と同じで,空港がとてもきれいですし,街もきれいだと思いました。道路も広く,交通量もすごく多い。用事があるとはとても思えないのに,みんな楽しそうにぶらぶらと歩いていて,夕方になるとトンレサップ川の川べりなどで楽しそうにしゃべっている。カンボジアにはこれといった娯楽がないせいだろうと思われるのですけれど,とにかくみんなたくさん外にいますよね。だからとても活気を感じたのです。一般的にカンボジアに対して持たれている地雷とか貧しさとか,そういうイメージとは全く違っていました。
(渡邉 )それなりにみんな生活を楽しんでいるという感じですか。
(柴田 )楽しそうですよね,プノンペンの人たちは。
(三澤 )生活はどこでも楽しいのだと思う。日本の尺度で測るから,貧しいし娯楽もないと思うけれど,たぶんどんなところでも楽しいのですよ,生きていくということ自体が。
(柴田 )私は,模擬裁判を実施するためにカンボジアに行ったときに,プロジェクトのアシスタントに同情されたことがありました。というのはカンボジアではお昼休みが正午ころから2時ころまでと長くて,みんな家に帰ってご飯を食べるのです。日本はどうなのと聞かれて,日本ではお昼休みに家に帰ったりしないし,お休みも1時間しかないと答えたらすごく驚かれて,誰が昼食代を出すのだとか,いつ昼寝をするのだと随分同情されました。
(三澤 )カンボジアに半年くらい行って日本に帰ってくると疲れます。まず電車が嫌ですよね。電車通勤が耐えられなくてすぐにタクシーに乗ってしまう。それにカンボジアに行くとハンモックはすばらしいと思ってしまいます(笑)。寝るとき布団だと暑いし,だからといって床に寝ると体が痛いじゃないですか。
(関根 )みんな家の中でもハンモックですよ。
(三澤 )家の中にハンモックを吊るための器具まで売っている。ハンモックだと涼しいですよね。
(柴田 )そういう意味ではほんとうにみんなゆっくりしている。
(渡邉 )カンボジアと日本、どちらの生活が豊かなのか貧しいのかという感じですね。
(関根 )とくにカンボジアなどのメコン川流域は食べることに困らないから余計にそうなのでしょうね,食べることに困っている国ではそうはいきません。メコン川流域のラオスもそうですが,基本的にお米は年に2回も3回も取れますし。
(柴田 )川で魚も採れるし。
(三澤 )果物もおいしいし。


クメール語にない「残業」
(渡邉 )カンボジアにおける女性の権利とか社会進出についてはどうなのですか?
(三澤 渡邉文幸カンボジアでは女性の社会進出は遅れていると思いますね。土壌としてはベトナムやラオスも元々は同じでしょう。日本もそうですが,割と男尊女卑の風土があると思うのですが,ベトナムやラオスは社会主義国になったので,意識的にそれではいけない,社会主義国たるもの,人民は男女を問わず社会参画すべきだということなのでしょうけど,カンボジアはずっと昔の男尊女卑が残っていて,とくに欧米から見ると許せないくらい社会進出が遅れているようですね。
(渡邉)王立司法官職養成校一期生の方の中には女性がいますね。
(三澤)私たちが取り組んでいる支援プロジェクトの対象機関である王立司法官職養成校には,55名の一期生がいて,その中で女性は6名ですから,1割ですよね。日本はいま3割くらいですよね。
(柴田 )修習生ですね,3割はいるでしょうね。
(渡邉 )官僚などはあまりいないのですね。
(三澤 )あまり大勢はいないですね。これまでの社会の風土として,男性は外で働く,女性は家庭を守るというのがあるようですね。
(関根 )お店などにはいますけれどね。
(三澤 )お店とか畑は家内産業ですから。
(渡邉 )人口構成がいびつになったりはしていないのでしょうか。ポル・ポトによる虐殺があったりして。
(関根 )いまの40代,50代が少ないのではないでしょうか。他の国で現在リーダーになっている世代の人が少ない。
(三澤 )そう聞いたことがあります。50代だとまさしくポル・ポト時代の真最中に20代を過ごした人たちですね。
(渡邉 )話が少し前後するようですけれど,カンボジアには娯楽はほとんどないというと,あるのはどのような娯楽なのですか。インドだと映画がありますね。
(関根 )タイで作っている映画を上映している映画館はありますが,自分たちで映画は作ってはいないようですね。
(三澤 )一番の娯楽はテレビです。
(関根 )あとはラケットではなく足で打つバドミントンでしょうか。
(渡邉 )夜などはどうなのですか。繁華街なんかはあるのですか。
(三澤 )カラオケ。
(関根 )外国人相手のバーであるとか,ディスコですかね。
(三澤 )日本みたいに,普通の人が仕事帰りに居酒屋で酒を飲むということはないですね。カラオケやディスコはあるにはありますが,外国人相手だったり,カンボジア人の中でも相当裕福な人を対象にしたりしているのではないかと思います。
(関根 )普通の人は,やはり川べりで集まって夕涼みをしたり,バイクを乗り回したり。
(渡邉 )朝は早いのでしょうね。何時くらいから動き出すのですか。
(関根 )早いですね。日が昇る前に農作業を一仕事するようです。
(三澤 )夜明け前から動いています。その方が涼しいし,あの炎天下ですから。一番暑いときは摂氏35,36度を超えていますよね。
(関根 )ただ暑いだけではなく陽射しが強いので,日の高い時に外にいたら,体に負担がかかる。だから昼休みを長くして昼寝をして,農作業などもその時間は一切しないのでしょうね。
(三澤 )合理的ですよね。
(関根 )オフィスも朝が早いですよね。8時とか7時半とかからですから。
(渡邉 )夕方は何時ころまで仕事をしているのですか。残業などはするのですか?
(関根 )5時ころ。ごくごく一部の人はやっていますが,(「残業」というのは)一般的観念としてはないです。
(三澤 )日本だと午後のほうが仕事をする時間が長いのですが,カンボジアは逆ですよね。午前中に仕事が進みますよね。残業はしませんね。「残業」「休日出勤」,クメール語にそういう単語はないと思います。
(渡邉 )日本人の観光客はやって来るのですか。
(三澤 )プノンペンではほとんど見かけないですね。かろうじて大学のお休みの時期に若いバックパッカーを見かけますが,それもこれからシェムリアップに行きますとか,シェムリアップから来ましたという感じで,シェムリアップの方が優先順位が高いみたいです。
(渡邉 )ガイドブックもないし,旅行会社のパンフレットにもないですよね。旅行者はプノンペンを素通りという感じですね。ベトナムとセットになった旅行が多いのでしょうか。
(三澤 )でも海外旅行誌「AB—ROAD」(エービーロード)の新しい号にカンボジアが出ていました。シェムリアップに行くと日本人観光客のあまりの多さにびっくりします。
(関根 法務省法務総合研究所国際協力部セミナー室(大阪中之島合同庁舎4階)「ベトナムとアンコールワット」というのを見たことがあります。なぜ「と」なの?と思いましたけれど。シェムリアップは,ものすごく観光に力を入れていますね。ここは,アンコールワット観光の拠点となる街で,カンボジア人の日本語ガイドがたくさんいるのです。日本語が上手ですよ。
(渡邉)その人たちはどこで日本語を勉強しているのですか。
(関根)カンボジア国内で勉強しています。
(三澤)シェムリアップにはとくに日本人観光客が多いので,カンボジアの若い人は観光関連の職につきたいようで,プノンペンでも日本語学校はいくつか見かけますね。
(関根)プノンペンにいたころ,スーパーマーケットで日本語のひらがな練習帳を持って歩いている男の子とすれ違って,目が合ったら向こうもうれしそうでしたね(笑)。中学生くらいの男の子でした。
(渡邉 )日本の企業関係者はいるのですか。日本人会などありますか。
(関根 )開発関係がほとんどですね。ダムを作るとかそういう事業だけで,純粋な民間の事業はほとんどないです。(日本人会は)ありますよ。
(三澤 )国際協力機構(JICA)関係者とかですね。カンボジアはJICAも力を入れている国なので,そういう意味でも日本人が多いですね。
(関根 )支援開発の関係者が結構たくさんいますね。



II 法整備支援ということ


分からない判決書
(渡邉 )では次に<法整備支援>に移りたいと思います。カンボジアでは,準備フェーズを経て、本格的な法曹養成支援プロジェクトが立ち上がったということです。法整備支援とは,一体どういうことなのでしょうか。
(三澤 )法整備支援が何かというのは定説をみていないのですが,抽象的に言ってしまえば,開発途上国における司法制度の構築を支援するということだと思います。代表を一つ挙げれば,現在カンボジアでも行われている起草支援です。しかし,私たちは3人とも立法経験がありませんから,起草支援ではなく裁判実務改善支援と法曹養成支援ですね。
(渡邉 )具体的にはどういうような仕事なのですか。
(三澤 )カンボジア支援に限ったことではないですが,関根さんが主に取り組んでいる判決書の改善ということが,一つ大きい内容ですね。
(関根 )分からないのですよ。判決を読んでもなぜその結論に至るのかが。
(渡邉 )なぜ分かりにくいのですか。
(関根 )なぜ分かりにくいのか。まず無駄なことが書いてあって,肝心なことが書いていない。どのような証拠に基づきどのような事実を認定したのか,どのような法律を適用したのか,当事者の言い分が対立する点でどちらの見解を採ってどちらを採らないのかという,その理由がきちんと書いていない。結局,判断の過程がよく分からないのです。
(三澤 )印象で判断している感じがありますよね。日本だと,民事も刑事も,この要件に当てはまるかどうかとか,この要件を備えているかとどうかということを分析的にやって,その集積としてこの結論だと考えるのだけれど,印象に走っているような。
(関根 )法律というものが定着していないのだと思います。法律そのものも使いにくいものになっていますし,不備ですし,例えばある条文の適用場面なのかどうかというのも,まさに一つ一つの条文を解釈した上で事実関係に当てはめることができるかということを考えなければならないのだけれど,そういう発想ではないのですね。法律の条文の文言に当てはまるかどうかという解釈をしないので,きちんとした理由にならないのです。カンボジアの場合,きちんとした法律がないということも原因の一つですよね。
(三澤 )そもそも判断の拠りどころである成文法がないので、それを解釈したり、事実関係にあてはめたりしようがないということですね。
(関根 )それと紛争というもののとらえ方が全然違いますね。日本では,裁判というのは法律を適用して解決するということで,法律的な権利があるかどうかの判断をするというふうに狭く考えているのですけれど。ベトナム,カンボジア,ラオスでは,ある当事者がもめていたら,その周辺の人も含めた全体的な解決をしなければならないという発想が強くあります。
(三澤 )国家が国民の利害に関係する事柄を決めてあげないといけないという考えがあるようです。
(関根 )例えば,日本でもよくある賃料を払わないから家を出て行けという争いなら,賃料不払の事実があるのかどうかを判断して,ほんとうに払っていなかったら契約解除によって出て行く。その出て行くのか行かないのかだけを判断するのが日本の裁判ですよね。それが,ベトナムの例ですが,被告が出て行った先にどこに行くのかまで裁判で決めてあげないといけないのです。
 あるいはこれはカンボジアの例ですが,ある土地を不法占拠している者を被告として土地の明渡しを求めている裁判の判決書をみると,被告が土地を明け渡さなければならないのかという判断ではなく,原告と被告はその土地を仲よく半分に分けなさいとあるのです。逆に彼らからいえば,出て行ったらどこに行けばいいのか,それを決めてあげない日本の裁判は不親切ではないかと。日本のやり方が非常に奇異にみえるようですね。
(三澤 )日本でも、最終的には公平な結論となって、全体でみれば穏当な解決が図られるようにもちろんなっているのですが、一つの裁判手続だけで最終的な解決まで図らなければならないとは考えませんよね。事案によって、別訴で解決されたり、裁判以外の方法で解決したりする。
(関根 )例えば日本の場合,当事者がある事実を認めれば,客観的な証拠関係とあっていなくてもそれを事実として認めなくてはならないという自白というルールがあるのですね。そうするとAさん(原告)が被告に対して私の土地ですから出て行けといって,被告がそうですこの土地はAさんの土地ですと認めたら,その土地は原告の土地と認定されるのですよね。ところがほんとうはCさんのものだったりするのです。
 証拠を調べれば分かるのですが,でも日本の裁判ではこの場合,証拠を調べてはいけないから,ほんとうは違うとしても,その自白どおりの事実を認めなければならない。このことをラオスの研修で話したことがあるのですが,彼らには衝撃だったようです。
 社会主義国は,土地を国家が管理していますから,そんなものに対して当事者間の自由な処分で,しかも実体的真実と合わないことを自白によって認定してしまうことが可能な法律制度というのは,正義に反していておかしいと考えられるのです。
 その場合どうなるのだ,Cさんはどうなるのだと彼らは言うのです。それは別訴で,解決するのですよと説明するのだけれど,なぜそんな手間をかけるんだ,Cさんは悪くないのにかわいそうじゃないかと言うのです。
(三澤 )そうした国々では,広い意味の規範と法規範とが分かれていないのも特徴ですね。つまり道徳規範も法規範も混同していて,かわいそうとかこの人が一番悪いのにといった感覚に引きずられてしまう。
(関根 )そうした国々の裁判には,一番悪い人を被告にする傾向がみられます。ある人をだまして家を買って転売してしまったとしたら,その家を取り返すためには転得した人に返せと言わないと,いくら間に入った人が悪くても,その人は家は既に持っていないので返すことができないのに,だましたその人に向かって返せと言ったりするのです。
(三澤 )生の意味での悪い人をやっつける。可哀想な人を保護するというのが強くて,理屈では話にならないことも多いですね。


いっしょに考える
(渡邉 )判決に関して言えば,日本では書面審理が中心であり,判決が非常に精密で詳しいといわれます。これに対し,カンボジアでは慣習や経験則を積み上げているということで,矛盾はありませんか。
(関根 )日本の判決書が世界的なスタンダードなのかというと,そうではないと思うのです。日本ほど民事も刑事も緻密にやっているところはなくて,逆に言うと,そこまでする必要があるのかという疑問もあると思うのです。日本の判決書が,カンボジアや対象国の風土に合っているのかというと,恐らくあっていないと思うのです。
 ですので,結局私たちは日本の実務しか分からないので,日本の実務はこうしているということしか基本的には教えられないというジレンマがあるのです。私たちは,ベトナムやカンボジアが,日本の実務どおりやればいいと思っているわけではないですし,証拠の評価の方法にしても日本の慣習・慣行でしていることであるので,それをそのまま彼らができるとも思わないし,するべきだとも思いません。
 カンボジアで一般に裁判を受ける人たちが,日本のような細かい証拠分析に基づいた理由の説明を求めているとも思いません。また詳しい判決書は,書く方も読む方もそれなりの文章理解能力や識字率がないといけないといった問題もあります。
 日本の場合は弁護士がつくことが多いので,裁判官と弁護士,あるいは検察官もそうですが,裁判が法律家同士の問題,判決書がこれらの法律家向けになっているというところがあります。カンボジアのように基本的に弁護士が少なくて,当事者だけで裁判をしているところで,日本式を教えていくことは,必ずしも有益ではないと思います。
 だからといって違う方法を具体的に教えるのも難しくて,日本ではこうだけれど,あなたたちの実情から考えてどうですかというように根気強く何度も協議しながらいっしょに考えていくしかないのかと思います。
(渡邉 )日本ではこうしている。これをカンボジアに合うように,不具合なところを直していくということですか。
(関根 )カンボジアは日本の支援で民事訴訟法を作っている最中なのですが,基本的な部分は日本の民事訴訟法とかなり似ているのですね。ところがカンボジアの現行民事手続の実態というのは,社会主義モデルの影響を受けていて,かなり職権的な審理をしている。そこに新しく日本のような当事者主義的な審理を導入するわけなのですが,それが現状とどう違うのかが彼らの中ではまだ消化できていなくて,彼らは結局何がどう変わるのかが分からないのです。
 かといって私たちも,日本ではこうしているということしか分からないので,互いにどこが似ていてどこが違うのかということを協議しながら探っていかないといけないですし,それは時間のかかる作業であり,いまはそれをしているのです。
(渡邉 )ベトナムで法整備支援をしている方が,「社会主義国では二重売買はないのだから,対抗要件の規定は不要と言われた」という話をどこかで書いていました。やはりカンボジアでもその類の話はありますか?
(三澤 )二重売買の話をすると,三澤が関根さんに売ったものを柴田さんに売れるわけがないじゃないかと,そこで議論が止まってしまうと聞いたことがあります。二重売買という状態を民法の問題としてイメージできないのです。
(関根 )あるいはそれを刑事の問題にしてしまう。
(三澤 )三澤は悪い人だと。三澤はほんとうは関根さんに売ったのに,それを柴田さんに売るというのは柴田さんをだましているわけだから,あるいは関根さんに対する背任行為だから処罰されるべきという結論になってしまいます。
(関根 )彼らにしてみれば,まずそういうことはあってはいけない。現象として起こりうることは分かるのでしょうが,あってはいけない現象なのですよね。もう一つは,そのあってはいけない現象が起こった場合には,最初の方だけが保護されるのですね。
 しかし,ベトナムのドイモイ政策のように市場経済原理を入れるとなると,AさんのBさんに対する売却行為が実は取り消されていた場合,常にBさんからその物を買ったCさんがその物の所有権を失うとなると,取引が非常に不安定になり,誰も取引をしなくなるので,それでは困ると思うのですが。そういう市場経済的な発想がなかったころの名残で,起こってしまったことをどう処理するかという発想になっていないということなのですね。
(三澤 )二重譲渡という事実上の状態はあり得るのですよね。
(関根 )そのときにどうするのかということですよね。
(三澤 )カンボジアのほかラオスなど社会主義国には,法律ができると国民がその法律を勉強して法律のとおりに経済活動をするはずだ,ラオスでこんなにいろいろな問題が起きるのは,法律がきちんとしていないため,国民が正しい行為をしないからだという発想がみられるのですが,それはちょっと違うのですよね。
 法律には,国民に対してこのように行動しなさいと示す機能もありあますが,もっと重要な機能は,実際に起きた事柄,例えば三澤が柴田さんと関根さんに二重に物を売った場合に,この物は最終的にどちらのものになるという結論を導くための指針を示すことだと思うのです。ところが彼らは,法律を作れば二重譲渡というややこしい状況は出てこなくなるはずだという考えをもっています。そうではなく,どんな法律を作っても二重譲渡という問題は出てくるんですね。
(関根 )あとからもっと高いお金を出して買うという人が出てきたら,後の人に売るという人が絶対出てくるわけじゃないですか。
 以前,カンボジアのプロジェクトスタッフから,日本にはあんなにたくさん法律があるのにどうして裁判が多いのかと聞かれたことがあります。彼らの考える「法律」は行為規範であり,みんなが法律を読んで理解し,法律に従って行動すれば争いは起こらないと考えているのです。しかし,実際に日本で民法の条文を読んで生活している人なんていませんから。
(三澤 )でもカンボジアの人たちは,日本人は識字率や教育レベルは高いし,法律関係の本をどこででも手に入れることができるから、多くの日本人は法律も読んでいるだろうと言って信じてくれません。


トレーナーズトレーニングとは
(渡邉 )カンボジアでは法律関係の本を入手するのは難しいのですか。
(関根 )ええ,買えないのです。理由の一つとしては,カンボジア国内の印刷技術のレベルがあります。またラオスやカンボジアの市場に行ったときに思ったのですが,本屋がないのです。カンボジアやラオスの市場には,外国人向けの洋書や外国の古本を販売している店はいくつか目にしますが,一般の人たちが気軽に利用できるような本屋はないのです。
 国内の印刷技術や設備が十分整っていないので,印刷するのに非常にお金がかかるのです。だから法律関係の本がないというのは,どの国にとっても大きな問題だと思います。
(渡邉 )現在のカンボジアには,昔からの法律家はまだ残っていますか。
(三澤 )ポル・ポト派の時代にその多くは粛清されてしまいましたが,そのころたまたま国外に留学していた人がほんの数名いる程度です。例えば前の司法大臣などがそうですね。彼はそのころ,たまたまオーストラリアに留学中であったため,難を逃れることはできたものの,そのような事態の中,なかなか帰国できず,90年代になってからようやく帰国したと聞いたことがあります。その他にもフランス留学中にポル・ポト政権ができたため,そのままフランスの公証人事務所で20年間くらい働いていたという例も聞いています。
(渡邉 )人口700万人のうち,正確には知りませんが,200万人くらいの人が虐殺されたと聞きました。法律家の多くもその時代に亡くなってしまったのですね。
(三澤 )ポル・ポト派は,職業的な裁判官が裁判を行うことを徹底的に否定したのです。裁判は知的エリートによる搾取だとみなされ,そうした理由で裁判官が殺されてしまったようです。また裁判所も壊されたり,倉庫など別の用途に利用されたりしたそうです。
(渡邉 )みなさんのお仕事は,法律家を養成するトレーナーズトレーニングということですが,具体的にはどういうことなのでしょうか。
(三澤 )私たちの「教官」という肩書きが誤解を招いているのかも知れませんが,私たちがカンボジアの若い裁判官を育てたり,教えたりするのを目的としているわけではありません。あくまで,本プロジェクトの目的は,カンボジアの司法官職養成校の先生方が若い法律家を育てる仕組みを定着させることであり,それがトレーナーズトレーニングなのです。
 一見,私たちが裁判官候補生を直接指導した方が,レベルの高い内容を教えることができてよいのではないかという発想に傾きがちで,むしろ養成校側もそれを望んでいる節もあります。しかし,それではこの支援の出口がみえなくなってしまいますし,継続的に日本から先生方を送り続けなければならなくなってしまいます。やはりそれはおかしいのではないでしょうか。
 国家として一定の能力を備えた一定数の裁判官や検察官を定期的に供給することが,制度としてあるべき姿だと思うのです。そうするとその制度を作れるように,言い換えれば,カンボジアが自力で裁判官や検察官を供給できるような手伝いをすべきであって,私たちが供給してあげるべきではないと思っています。そうした理由から,トレーナーズトレーニングという考えで支援を行っているのです。
 しかしこれは,カンボジア側からもなかなか理解を得にくい点であり,「日本の先生を派遣してほしい,日本でカンボジアのための教材を作ってほしい」といった要望がいまなおあります。いわゆる「自立」の部分の問題ですが,まさしく自立的にやってもらうことがこのプロジェクトの目的なのです。支援がいらなくなるようにするために支援を行っているのであり,ずっと支援を行っていくことが目的ではありません。
(渡邉 )一期生が間もなく卒業し,06年5月からは二期生が入学してきます。その際,柴田さんは教官として彼らの前に立つのですね。
(柴田 )一部講義を受け持ちますが,それは例外であり,原則的には養成校の学校運営,とくに民事分野のカリキュラムの実施状況をモニタリングしたり,その内容について相談を受け,随時アドバイスをしていくことになります。
(渡邉 )そのカリキュラムやマニュアルといったものはほぼ完成しているのですか。
(三澤 )そこが問題なのです。日本側で作ってしまえば時間的には確かに早いと思います。しかし,大切なことは,カンボジア側にマニュアルを書いてもらう,カンボジア側にカリキュラムを作る方法を学んでもらうことなのです。ですから作業に大変な時間がかかることは仕方のないことだと思います。
(関根 )カンボジア側の教官も,裁判官や司法省の役人といった本業と兼任して養成校の教官をしているという状況です。現在のカンボジアで法律について十分な知識を持っている方はまだ限られていますし,ましてやこの新しい民法,民訴法案についての知識を持っているのは,この起草に携わっている方だけなのです。このようにカンボジアではリソースが限られているので,教官方は起草にも忙しいし,本業の裁判業務等でも忙しい日々を送っている。彼らがほんとうに忙しいことは間違いありません。
(渡邉 )カンボジアの裁判官が一人当たり抱えている事件数はどのくらいなのでしょうか。かなり多いのでしょうか。
(関根 )それははっきりとは分かりません。
(三澤 )少なくはないと思います。ただ,カンボジアの裁判には事件処理の効率の悪さがあって,いったん受理した事件の判決を書き上げるまでに日本では考えられないくらい長い時間がかかっていることもあるようです。もちろん日本にも時間のかかる事件はありますが,それ以上にあっという間に終結する事件もたくさんあります。これらの事件については,日本では刑事も民事もいかに効率よく終わらせるかという観点で裁判を行っています。
 しかし,カンボジアでは,全ての事件,それこそ争いがない部分についても多くの証人を調べるといった方法で裁判を行っているようです。ですから件数は少なくないと思いますが,ただ日本の感覚だとすぐに終了するようなものについても,ずっと大事に抱えている感じがします。
(関根 )とは言え,実際それ程忙しいという感じはしないのですがね。
(三澤 )まあ,法廷があるのも午前中だけですし。
(関根 )何となくのんびりした感じがありますよね。
(渡邉 )カンボジアの裁判は三審制ですか。
(三澤 )ええ,三審制です。
(渡邉 )職業裁判官だけで,陪審制などはないのですか。
(関根 )ベトナムには人民参審員という制度がありますが,カンボジアにはありません。



III カンボジアで考えたこと


「汚職」の問題
(渡邉 )では次に,現地を訪れて,<カンボジアで考えたこと>ということでお聞ききします。先ほどのトレーナーズトレーニングにも関連して,司法における「汚職」の問題などはカンボジアで議論になることはありますか。
(関根 )なかなか話題にしにくいデリケートな問題ですね。
(三澤 )カンボジア側も一般論として汚職についての意見は述べますし,汚職はなくすべきと考えています。
(関根 )それは,どの国でも同じですね。
(三澤 )もう一つ,「汚職」というものの定義が,そもそも日本とカンボジアでは異なっているようです。日本でいうところの「廉潔性」に対する考え方が違っていて,日本では明らかにお金をもらう行為は当然,自分の地位を利用して自分の身内に利益を図るような行為も廉潔性を損なうと考えています。しかし,こういった行為は汚職に入らないと考える国もあるし,むしろ裁判官や検察官としての地位に伴う,当然のメリットであると考える国もあるようです。
(関根 )逆に,それをしない人は,身内から「冷たい人」と恨まれるかもしれません。
(渡邉 )韓国も同じようなことがいわれていますね。
(三澤 )いろいろな利害が対立する社会になってくると,こうした考えではいられなくなると思うのですが。
(渡邉 )こうしてみてくると,法典などを作ることは何とかできるかもしれないけれど,その後の人や仕組みを作り上げていくことは大変難しいことだと思います。
(関根 )どの国も頭を悩ませているところだと思います。例えばインドネシアのように,それなりに進んだ制度がある国においても,この問題は深刻化する一方です。
(三澤 )カンボジアでも汚職の問題は深刻です。カンボジアの公務員の給料は低いにもかかわらず,みんな公務員になりたがるのです。1月20ドルという給料では明らかに暮らしていけないのに,それでもなりたがる。そこには,給料では計れない何らかの利益があるように感じられます。
(渡邉 )判検事らの給料はどうですか。
(三澤 )所長クラスで400ドルから500ドルくらいでしょうか。
(関根 )正確なことは分かりませんが,一般の書記官や裁判所事務官は,それだけでは暮らしていけないような金額だと思います。
(渡邉 )その辺を何とか手当てしないと,汚職といったようなものを一掃するのはなかなか難しいのかも知れませんね。
(三澤 )カンボジアでは,司法関係者の給与が低すぎて汚職の原因になっていると各ドナーが昔から言っていて,給料を上げたという経緯があります。確かにカンボジアは財政的に逼迫しているので,裁判官の給料ばかりを上げるわけにはいかないという事情も理解はできるのですけれど。給料を上げることで,汚職は減るのかも知れませんが,高い給料をもらっているからといって,汚職がなくなるわけではないと思います。
(関根 )もちろん、カンボジアの裁判官や検察官の全てが、給料の不足を汚職で補っているわけではありません。ドナーが実施しているプロジェクトに参加し、協議への出席や執筆作業を引き受けて副収入を得ている人たちもいます。
(三澤 )カンボジアでは、公務員の兼業は禁止されていませんからね。裁判官が、比較的自由にプロジェクトに参加したり、大学で学生に法律を教えたり、そのほかのビジネスを経営することができるのです。
(関根 )実際、そういった正規のビジネスの収益で生活を成り立たせている司法関係者もいるのではないかと思います。
(渡邉 )みなさんの行う支援は,まさにカンボジア司法の一部分を担っているわけですけれども,それがカンボジアの司法全体に反映されて来ている感じはありますか。
(関根 )まだこれからではないでしょうか。
(渡邉 )カンボジアに司法試験はありますか。王立司法官職養成学校に入ることが司法試験のようなものですか。
(関根 )学校の入学試験のような感じです。
(三澤 )それが司法試験に相当する感じだと思います。あの学校を卒業しないと裁判官になれないという仕組みになりましたから,その意味では,あの入学試験が一応司法試験と考えられます。
(渡邉 )学校への入学希望者は多いのですか。
(三澤 )一期生55人は,四百数十人の中から選抜された学生たちということになっていますが,どうも聞いてみると,最初は100人くらいしか応募者がいなかったということでした。応募者が400人を越えるまで試験を延ばしていたと聞きました。
(関根 )母数を多くして,その中からよりよい人材を選ぶ確率を高めてはいるわけですが,ほんとうにそうなのかはっきりしません。まだ入学試験も1回しか実施していませんし,今後の試験の実施方法についても考えていかなければなりません。
(渡邉 )二期生の試験はもう終わっているのですか。その試験は相当難しいものですか。
(三澤 )これからです。06年5月に二期生を入学させる予定とのことですが,その前の5月までのいずれかの時点で入学試験も実施しなければいけないのです。その入学試験が公平に行われるかどうかも一つのポイントです。
 カンボジアの法曹のレベル自体は決して高いものではないのですが,それこそみんながこうした公務員の職を目指しているので,事前に問題が漏れないか,採点の際に特別に下駄を履かせていないかなど,そういったことが一つ重大な問題であり乗り越えなければならないハードルだと思います。
(渡邉 )カンボジアには大学がどのくらいありますか。やはり法学部も多いのでしょうか。
(三澤 )まず国立大学のプノンペン王立大学が国内に一つあって,そこには法学部もあります。他には私立大学があります。ただ日本とは違って,大学設置法のような法律はないので,どこでも「大学」と名乗れば,大学になってしまうのではないかと,私は思ってしまっています。進学率はあまり高くはありません。大学に進学するのは,ほんとうに一つかみのエリートだけです。


ドナー間の調整
(渡邉 )よく明治新政府のお雇い外国人,フランス人法律家・ボアソナードに例えられ,みなさんもいわば現代の「女性ボアソナード」といえるのかも知れません。民商事分野の支援を実施しているみなさんと,刑事分野の支援を行っているフランス,またカンボジア支援に乗り出してきたアメリカなど,各ドナー(支援国・機関)間相互の連絡調整はどのようになっているのでしょうか。
(三澤 )養成校自体はとても小さな組織なので,調整はしやすいはずですが・・・。起草支援の切り分けに従って,フランスが刑法と刑事訴訟法支援を,日本が民法と民事訴訟法の支援を行うという形に自然に棲み分けされています。
 各国ドナーも,日本がカンボジアの民法及び民事訴訟法の起草支援を行っているのを知っているので,養成校においても日本が民法及び民事訴訟法を教えるのだろうと考えているようです。それはいいのですが,「基本法」と「特別法」という考え方を全てのドナーが持っているわけではないし,裁判官教育や養成教育に関する共通のコンセンサスが図られているわけでもないのです。
 例えばフランスの司法学院や日本の司法研修所のように,同じような枠組みを持っている国同士であれば話は通じやすいのです。フランスとの間ではいま,王立司法官職養成校においてやらなければならないことは,刑法,刑事訴訟法,民法及び民事訴訟法に関する基礎教育であるというコンセンサスは確立しています。
 しかし,英米法の国とは少し考え方が違っていて,土地法に関するトレーニングをするべきであるとか,知財や契約法に関するトレーニングを実施すべきだといった意見も出てなかなか話が噛み合わない場面もあります。
(渡邉 )現在,いろいろなテーマごとに多くの国が支援を行っていますね。
(三澤 )ええ,いろんな国が支援を行っています。一期生の前期研修では,アジア開発銀行(ADB)が相当の時間を費やして土地法のトレーニングを実施しましたし,二期生に関しては,ユニセフが少年法のトレーニングを実施したいと申し入れています。日本やフランスにしてみれば,そういったトレーニングを実施する重要性については十分理解しているけれども,それは刑法なり民法なりをしっかり学ぶことによって,その応用編として理解できる事柄ではないかという考えを持っています。
 アドホックにそうした講座を設けることについては,もちろん反対はしていませんが,ボリュームの問題としてそれ程大きなボリュームを持つ話ではないだろうと思います。
 例えば私たちは,刑事法というものは,刑法・刑事訴訟法という非常にボリュームのある基礎的教育があって,ここにアドホックに少年法や薬物対策法といったものが積み重なると考えていますが,ドナーによっては,「刑法」「少年法」「薬物対策」それぞれを同じ比重で考えています。
(関根 )各ドナーとも,自分たちの支援の中心としてとらえている関心事を教えたいと考えているようです。例えば,ドイツの支援機関であるドイツ技術協力公社(GTZ)は,ジェンダー問題改善やドメスティックバイオレンス対策に関する支援を実施しており,養成校でもそれを教えたいという話をしています。カンボジアにおいて,ドメスティックバイオレンスは大変深刻な問題であるので,ドイツはとにかくそれを教えたいと考えているようです。
(渡邉 )他にはどのようなケースがありますか。
(三澤 )他には国際労働機関(ILO)は労働関係を,ADBは土地法のトレーニングを,カナダは契約法を実施したいと言っています。
 カンボジア側にそうした支援を取捨選択する能力がないものだから,例えばドイツがドメスティックバイオレンスに関する講座を実施すると言ってきた場合に,他の科目とのバランスや優先順位を考えないまま,それを容易に歓迎してしまう感がある。それは良いことではないとは思うのです。
 そして私たちの側にもカンボジアの法律や法案の全てを勘案して,養成校のカリキュラム全体について支援をするまでの余裕がないものですから,現在は,民法・民事訴訟法起草支援からのつながりで,民事分野のカリキュラムに限って支援を実施しているのです。
 ここだけでもカナダなどが契約法に関する教育の支援をするといってきた場合に,われわれの支援との重複をどうするかというのが今後の問題です。養成校に対し,支援の受け入れを止めてほしいということもできないので,そうした重複が出てきた場合の調整が非常に重要だと思います。
(関根 )それが各ドナー間で調整すべき問題なのか,カンボジアが取捨選択しなければならない問題なのかというと,筋としては後者ではないかと思います。ただ取捨選択する能力の問題とか,あるいはお金の問題もからみ,単純な問題ではないと思います。
 支援の受入れには金銭を始めとする様々なメリットが伴いますから,カンボジアが重複してもやむを得ないと考えているのであれば,それについてまで私たちがどうこうできない部分もあって,非常に難しい問題ではあります。


見返りを求めない支援
(渡邉 )ほんとうにいろいろな難しい問題がありますね。大切なことは,カンボジア人が何を考え,どうしたいかということなのでしょうか。
(三澤 )そのとおりです。そして私たちとしては,カンボジアが自ら考えることを手助けし,一定の成果に結びつけたいと考えているわけです。ですからいままでの話からもお分かりのように,私たちは民法と民事訴訟法を教えることだけをやっているわけではありません。むしろカンボジア側との協議を重ねながら,プロジェクトを企画し,その実施に関わっている側面が大きいのです。
 たぶんこれが外部から一番大きく誤解を受けている面だと思いますが,民法・民事訴訟法を教えることが私たちの仕事の100%ではなく,自分たちが受けてきた法曹教育や裁判所の実務を生かしてプロジェクトを立てたり実行したりしているのです。
 確かに検察官なのに民商事関係の支援を行うことは難しいという人もいるでしょうし,検察官ではできない部分もあるかも知れません。しかし,そういった部分については,裁判所から来ている関根さんに解決してもらうことができる。そこに関根教官が法総研に来ている意味があると思っています。
(渡邉 )支援に関しての依存と自立の問題については,カンボジア側がどう考えるか,何をやりたいのかということでしょうが,この問題の解決の方向性はどの辺りにあるのでしょうか。
(関根 )やはり時間をかけていくしかないと思います。やっていく中でどうあるべきかということをカンボジア側は考えていかなければならないのでしょうが,能力や財政的な問題等からそう簡単にはいかないと思います。
 とはいえずっとそのままにはしておけないのですから,それをどうしたらいいのかということをアドバイスして,カンボジア側の事情も聞きながら,理解できるところ,理解できないところ,改めるべきところなどを一つ一つ解説して,ある程度時間がかかることは覚悟の上でやっていかないと仕方がないと思います。
 矛盾している法体系を重複して教えるなんておかしいといったところで,彼らはいま,それを選べる状況にありません。ですから選ばないのはおかしいとか,そんなところに日本が支援しても意味がないといったわけにはいかないのですから,ほんとうにすごく難しい問題だと感じています。
(渡邉 )司法制度改革審議会の意見書(01年6月)の一項目として,<法整備支援の推進>が挙げられており,その司法制度改革の一翼をみなさんは担っています。このような開発途上国への支援は,やはり今後も続けていくべき大切な支援だと考えますか。
(三澤 )私は続けていくべきだと思います。これまで日本の法律界が外国と関わる場面では,日本が外国の制度を取り入れることが日本の利益や発展につながるという発想が多かった気がします。それは恐らく日本の全分野がそうであったと思いますが,現在は,日本が国際協力をすべきだ,これまで蓄積したものを今度は外に向けて出すべきだという動きが生まれていて,遅ればせながら司法の分野でも国際協力をという方向に進みつつあるのだと思います。ですからこの支援をやったから直接的に日本に何らかの見返りがあるはずだということではないのです。
(関根 )「見返りを求めない支援」という感覚が新しいのだと思います。
(三澤 )これまでの外国法の研究というのは,研究することによって日本の制度が良くなる,日本に新しく良い制度がもたらされるというスタンスでしたが,この分野はそれとは少し違っていると思います。
(関根 )カンボジアに関して言えば,日本ではカンボジアの民法と民事訴訟法の起草支援を行っているわけですけれども,すでに明らかなように,法律を作っただけでは国は何も変わらないということです。法律の中身を理解できている人も起草に実際に関与したごく限られた人たちだけですし,その彼らでさえ新しい法律になったらいままでと何がいっしょで,何が変わるのかについてまだ具体的にイメージできていない状態なのです。そのような中で,1,2年の後には施行されるであろう新しい法律に則った訴訟ができるのかということは大きな問題です。
 第一に,法律自体が簡単には浸透しないでしょうし,一般の裁判官がその意味を理解することも最初は難しいと思います。変えるべきところも変えないままやる。それでは結局,法律を作ったけれども何も変わらないということになってしまいます。あるいは,この法文は自分たちの手には負えないからと言って死文化させてしまうという事態になってしまうおそれもあります。また他のドナーの支援により,それと矛盾する単発の法律がどんどんできてしまって,結局,民法や民事訴訟法が有名無実の存在となってしまう可能性もまだまだあるわけです。
 法律を作るということは,その法律がきちんと適用されて,その法律が意図したきちんとした手続で訴訟が行われる,あるいはきちんとしたルールで取引が行われる,といったような裁判実務や,社会の取引実態も含めた改善まで行かないと,いま取り組んでいることはほんとうの意味での成果にはつながらないのではという気がしています。ちょっと思いつきでやって,大変だったからもう止めようといったものではなく,一度始めたらかなり息の長い話になってくると思います。
(渡邉 )柴田さんはカンボジアの模擬裁判に参加されて,これから長期専門家としてカンボジアへ行かれますが,これまでの話を聞いていかがですか。
(柴田 )そうですね,正直楽しみでもあり,不安な面もあるというところでしょうか。やはり相手があることですし,これまで挙がっていたように,いろいろな考えを持った他ドナーとの関係調整もますます必要になってくると思います。自分が講義する分にはまだよいのですけれども,養成校の教官や学校関係者,他ドナーとどういった関係を築いていくか,また学校をきちんと進めていくためにはどうすべきかといったようなことについては,不安な部分もありますが,日本にいる両教官とも連絡を取りながら試行錯誤でやっていくことになるでしょう。
(渡邉 )いろいろみなさんの話を聞いてきて,カンボジアの司法の現状はまだ「法の支配」というようなレベルにはまだ達していないのかなという印象を受けましたが。
(関根 )法律が不十分であることは間違いないと思います。
(三澤 )まだ制度が構築されていないので,法によって個人の権利を実現するということは,不十分であると思います。


先輩の励まし
(渡邉 )初の裁判官教官の関根さんは,法整備支援に関して,先輩裁判官から激励の手紙をもらったということでしたが。
(関根 )先輩の裁判官から,明治のころに,われわれの先輩方が諸外国からしてもらったことを思えば,これから法制度を構築しようとしている国に対して私たちにできることがあるのなら,それをしていくことは非常に有意義なことであるので,是非頑張ってもらいたいというようなことをおっしゃっていただいたことがあります。こちらに着任してあいさつ状を出したときに,そのようなお返事をいただきました。
(渡邉 )そういう理解は組織全体のものになっているのでしょうか。
(三澤 )むしろ70代とか,80代といった方々の方が理解はあると感じました。一つには年齢を重ねたことで,大局的な視野をお持ちなのだと思います。もう一つには,その年代の方々は,日本が戦争に負けたときの若者で,発展途上国の若い法律家として欧米の先進国に留学した経験があるからだと思うのです。
 私たちは,日本が先進国になってから法律を勉強したので,あえて外国の文献を当たらなくても,先生方が苦労して書かれた日本語の文献を読むことで,諸外国の司法制度を理解することができるのです。しかし昭和20年代から30年代,日本が開発途上国であったころの法律家として海外で学んだ先生方には,ほんとうにご苦労をされたり,感激されたりしたことがたくさんあったと思います。だからこそいま私たちが取り組んでいる法整備支援に対して理解がおありになるのではないでしょうか。
 ところがより若い世代になると,既に先進国になった日本という体験しか持たないので,どうして日本の裁判官が途上国に出かけて行って,その国の裁判実務を考えなければならないのか,どうして日本の検察官がわざわざカンボジアで民法を教えなければならないのかという発想になっている方もいます。
(関根 )もちろん,現在は日本でも司法制度改革の真最中で,懸案事項が多いことは間違いないので,優先順位として国内よりも海外のことを先に行うということは難しいのかもしれませんが。
(渡邉 )司法制度改革の本来的な意味からすれば,みなさんのような方々がアジアに出て行っていろいろな法整備支援を行うこと自体がまさしく司法制度改革であり,検察官や裁判官の意識改革にもつながっていくと思います。だがそうした考え方が司法界の共通認識なのかというと,残念ながら,まだそうとはいえないようですね。
(三澤 )これを行うことによって直接の見返りはありません。しかし,私たちはこの仕事に携わることで,自分自身が得難い経験をしていると思いますし,より多くの裁判官や検察官の方々がこういった経験をすることは,非常に意味があることだと感じています。
(関根 )とくに司法制度改革で裁判官や検察官の他職経験の必要性という問題は指摘されていますし,その意味では,このような多様な経験そのものにも意義があると考えています。
(三澤 )法律家であるというバックグランドを最大限に生かしつつ他職経験ができるということですから。
(渡邉 )もちろん現地でも,JICAの職員などいろいろな方々といっしょに仕事をするのですよね。そういうことも,それぞれ検察庁や裁判所にいたらできない貴重な体験だろうと思います。
(関根 )そのとおりです。もしこの仕事をしていなかったら,いまいっしょに仕事をさせていただいているみなさんや現地の方々とも出会うことはなかったかも知れません。正直なところ,これまで私は日本がODAでどのようなことをしているのか,実際に具体的なイメージを持って理解してはいなかった気がします。また「見返りのない支援」という側面からみると,途上国への支援に生きがいを感じて,自分の一生の仕事にしている人と仕事の場面で出会い,いっしょに仕事ができたことには大きな意味があったと思います。
 逆にまた私は,JICAなどの方から,裁判官といっしょに仕事をすることがあるとは夢にも思わなかったとか,裁判官にどんな人がいて,どのような仕事をしているのか想像したこともありませんでしたと言われたことがありました。そういう意味では,司法に縁のない方々に対しても司法関係者がこうしたことをしているというアピールにもなったと思います。



IV 楽しさと苦労と


いっしょの作業は楽しい
(渡邉 )このカンボジア法整備支援の仕事に関わって,これまでに一番楽しかったことはどんなことですか。
(柴田 )模擬裁判が楽しかったですね。
(関根 )私も模擬裁判ですね。それまで口で説明するだけではカンボジア側は,教官を含めなかなか分からないし,またこちらにも,彼らの実際の理解度も分からなかったのです。そこで,日本の教材をカンボジアの実情に合うように作り直してクメール語訳し,事実関係についても工夫を凝らしたりして,司法官職養成校の第一期生を対象に模擬裁判を実施しました。教材が彼らにとって難しかったという反省もありましたが,彼らは,新しい民事訴訟法の手続がどのように動くのかということを実際に体験することで初めて理解を深めることができたと思います。
 また説明をして分かったつもりになっていたり,共通認識ができたつもりになっていても,実際にやってみて初めて分かったことや,やってみてもやはり分からなかったことなどが出てくるのです。そういった実感が持てたことは大きな意味があったと思います。カンボジアで新しい民事訴訟法に基づく手続が模擬とはいえ,初めて行われた場面に立ち会えたことには,一つの出発点に立てたという大きな達成感がありました。
(三澤 )法曹養成プロジェクトを実施するといってはきたものの,準備の時間が多く,それまで大きな進展はみられませんでしたから。
(関根 )その後,民事第一審手続マニュアル作成などの裁判実務を理解させるための活動をしていく上でも,やはりあのときの経験が大きかったと思います。理屈ばかりを説明しても,それを聞いただけでは彼らは恐らく何もできない。いま説明している理論が実際の裁判の場面ではこうなるのだともっと具体的に説明しないと,初めて法律を読む人には分からないということが分かったのです。
(三澤 )考えてみると,そういった作業の充実感が「楽しさ」の中身だと思うのです。私はカンボジアの教官といっしょに研修生のための民法事例を作成したときに,いろいろな発見をしました。民法起草に関わっているカンボジアの裁判官は,民法を相当理解しています。ところが民法にこういう条文があるという知識はあるものの,それを事例解決の指針として実際の事例に当てはめて使いこなせないのです。日本の司法試験のような事例を想像していただければ分かりやすいと思いますが,具体的な事実に民法から該当する条文を拾ってきて解釈して当てはめ,結論を導くことができないのです。
(関根 )知識が抽象的であるということかと思います。実際の事件でそれをどう適用するのかというところまで,まだ行ってないのです。
(三澤 )抽象的に民法にはこうした規定があるといった説明はできるかも知れませんが,実際にそれを具体的紛争事例として把握できていないといった問題点もみえてきました。
(関根 )いっしょに作業をするのが楽しい。
(三澤 )養成校の教官に対しては,単に民法の規定について説明するだけではなく,事例問題を作って,研修生に,この事例には民法の第何条が適用されて,どのような結論が導かれますかといった内容を考えさせましょうと提案して事例を作っているのですが,先生である教官が事例を作れない,また事例を作ったはいいが,その事例を自分たちで解けないといったことが起こるのです。
 そのためその事例問題について検討論点を絞り込む作業や,該当条文をどう当てはめどう解釈すべきか等について,現在もさらなる検討を重ねています。それにしても,彼らといっしょに作業を進めることは楽しいですし,何より充実感があります。
(関根 )その中で新しい問題がみえてきたりもしているところです。
(渡邉 )では逆に辛いとか、難しいと感じることはありませんか。
(三澤 )答えがないという点かも知れません。カンボジア民法もカンボジア民事訴訟法も,日本法に似ているとはいえ,やはり違うところがあるのだけれども,違うところの解釈や実務がどうなるのかという答えがない点が難しいと思います。
(関根 )支援の中身として「こうしなければいけない」ということが決まっていないのです。先程から何度か話題に出ているように,私たちには日本の実務とか日本の法曹教育の経験に基づく知識しかないのですが,それだけではあるべき支援の中身が簡単に決められないのです。
 例えばカンボジアの養成校支援についても,最初のころは,日本の研修所のような教育をするというイメージがありました。しかし実際は,まだその3歩くらい前のレベルであることがだんだん分かってきたので,(それ自体も難しいことなのですが)まず彼らのレベルを見極めて,そのレベルに合わせた教育が必要だと感じています。実務家になるために必要なことを教えなければならないのですが,彼らにとって必要なことは何なのか,どの程度のことまでが必要なのかが誰にも分からないのです。日本人だって基本的には日本法や日本の実務しか分からないわけですから,日本のことを知っていればそれが分かるというものではない。そうかといってカンボジア側も自分たちではそれが分からない。
 結局,いま私たちが最善と考えたことをやるしかないという点がたくさんあるのです。しかも,私たちがここで決めた支援内容が,カンボジアの後20年位のことを決めてしまうかもしれないのです。
 そのような重要なことが私たちの決めた支援内容に左右されるという意味では辛さもあります。この国の将来を背負ってしまったという感じがします。私たちがこうしたら良いのではないかと言ったことが,そのまま10年20年とカンボジアで続いていくかもしれないのですが,ほんとうにそれでいいのかどうか誰にも分からないのです。
(渡邉 )それはおもしろさでもありますね。
(三澤 )おもしろさであると同時に,これでいいのかという感じになりますね。
(柴田 )真面目に考えていたら,昨日は眠れなかったなんて先程もおっしゃってましたね。


しんどさとやりがい
(渡邉 )では日常生活していく上で大変困っているということはありますか。
(三澤 )いろいろな方から「カンボジアに行くのは辛いでしょう」と言われるのですが,正直なところ,現地で業務を行う方がより楽しいと感じることが数多くありました。
(渡邉 )それはどういった点からですか。
(関根 )支援をしている実感が持てるということではないでしょうか。
(三澤 )いっしょに作業を進めているわけですからね。もちろんなかなかカンボジア側の理解が得られず大変な場面もありますが,基本的に現地にいるとマニュアルをどのように良くしていくかとか,民法の事例についてより理解を深めさせるためにどのような説明が効果的かなど,純粋に法律の中身の話や作業ができますし,これまで検察官として民事から離れていたのでそのための勉強をしなければならないという意味では大変でしたが,それ以上に楽しいことが多かったと思います。
 基本的に検察官や裁判官なので,本来業務は法律の中身で,その話になると楽しいのですが,支援にまつわる様々な交渉事になると,正直,いまでも苦手な部分はあります。
(関根 )大変だなと思うところは,やはり何が起こるか分からないところだと思います。
(三澤 )それに何かが起きたときの対処もそうです。
(関根 )裁判で,自分が担当する事件であったなら,何かあっても自分の裁量でできるのですが,複数の機関が関与するプロジェクトの進行に関わるもの,例えば先方の組織が急に変わって責任者不在の状態が続いたときにどう対処するのかといったものであった場合には,もう自分で解決できるレベルの問題ではなくなっているのです。
 例えば、組織的に不正入学を行っているのではないかといったうわさが出たときにどうしたら良いのかといったことは,カンボジア国に対しての支援をどう考えるかという方針の問題になってしまうので,支援を実施した実績を挙げることが優先なのか,支援の中身の改善・充実を優先させるのかは政策決定の話になってきます。そういった領域に関しては,逆に言えば,交渉事に長けた方たちといっしょに協力して取り組むおもしろさにつながっていると思います。
(渡邉 )生活上の不安などはとくにありませんか。治安面はどうなのですか。
(三澤 )ないですね。もちろん夜中に一人で出歩くのが危険なことは,カンボジアに限らず日本でも同じです。
(柴田 )私は,来年から長期でカンボジアに赴任することになるのですが,一番心配なのは,仕事の中身ですね。私がカンボジアに赴任するというと,大抵の人が,「カンボジア」という言葉に反応して,日常生活や健康,治安の心配をされるんですけど,私に言わせれば,そんなことよりも,仕事の中身の方がとっても心配ですね。
 カンボジアで生活すること自体の大変さよりも,仕事の大変さとすばらしさに是非着目してほしいですね。
(関根 )仕事をしていれば,どんな仕事でも大変なのだと思います。ましてや責任の重い仕事であればなおさらです。カンボジアでの仕事は確かに大変で,胃が痛くなったり眠れなくなったりしたこともありますが,それはカンボジアにいるから大変だったのではなく,仕事,あるいはその責任の重さが大変だったのだと思います。
 先程も話題に出ていましたが,カンボジアの裁判官になる研修生に何を教えなければならないかという,カンボジアに10年,20年に渡り影響を及ぼすようなことを自分が考え、提案しなくてはならない。私だって司法研修所で司法修習生を教えたことなんてないですから,決して法曹養成の専門家というわけではないですし,ましてやカンボジアの研修生の理解度や,カンボジアの社会において裁判官にどのような能力が求められているのかなんて実感としては分からないのに,そのような重大な判断をしなければならないのです。
 もちろん実際に判断するのはカンボジア側ですが,カンボジア側もどうすればいいか分からず,結局,日本の専門家にお任せという感じになるので,それが分かっているだけにしんどいという思いはありました。
 ただ逆に自分のしていることがほんとうにカンボジアで必要とされていて,意義深いことなのだと実感できることもほんとうによくありました。裁判実務に関することなどを説明して,カンボジアの裁判官のみなさんに分かってもらえたときなどは,ほんとうにうれしかったですし,これがカンボジアの裁判実務改善に向けての小さな前進だと思うとやりがいがありました。


子どもの姿と虐殺の記憶
(渡邉 )カンボジアから日本を振り返ってみたときに,日本社会はみなさんにはどのように映ってみえましたか。
(三澤 )「段取り社会」という感じを受けました。日本は,締め切りを決めて逆算し,締め切りに間に合わせるためには,いつまでに何を仕上げておかなければいけない,そのためにはいつまでに別のこれをしなければならないといった段取りをきちんと決めたがります。これは良い点悪い点両面があるとは思いますが,段取り社会なのだと思いました。
(関根 )カンボジアの人たちは,そういう段取りが苦手というか,段取りをつけなきゃいけないという発想自体がありませんよね。
(渡邉 )みなさんはカンボジア滞在中ホテル住まいとのことですから,カンボジアの普通の人たちとの付き合いはあまりないのかも知れませんが,日本と比べると物質的な貧しさのようなものは感じますか。モノは十分あるのですか。
(三澤 )お金さえ出せば売っていますね。
(関根 )ただ,一般の人々にとっては手には入らない物が多いと思います。
(三澤 )一般の人々の生活はつつましいと感じます。普通の生活をしている人たちは物をそれ程持っていなくて,例えば多くの家庭では冷蔵庫も持っていません。
(関根 )毎日市場に行って,朝に買い物をしますし。でもそれで回っていく社会なのです。煮炊きも外で七輪を使って行っています。
(三澤 )そういう意味では貧しい国と言えるかも知れません。自分の国で生産できる物としては農産物程度しかありませんし,あらゆる物が輸入品なのです。外国人向けのスーパーに行けば,タイ製の洗剤であるとかいろいろな雑貨なんかも揃います。しかし,それはカンボジアの一般の人々からみれば高級品であるのです。
(関根 )そういったスーパーにカンボジアの人々はほとんどいません。外国人ばかりです。
(三澤 )とくにプノンペンでは,居住外国人向けのエリアあるいは店と,一般の人向けの市場や店とは完全に分かれているのです。そういう意味では,まだカンボジアは開発途上なのだと思います。
 例えばフィリピンやマレーシアといったさらに少し発展した開発途上国に行くと,こうした外国人と全く同じレベルの生活をしている裕福なフィリピン人やマレーシア人を見かけることができます。しかしカンボジアにはいないのです。民間でものすごいお金持ちが出てくるには至っていない,いまカンボジアはそういう状況にあるのです。
(渡邉 )先の話の中に,カンボジアの人たちが夕暮れに川べりで楽しそうにたたずんでいる風景がありました。時間に追われるわれわれ日本人にはないような生活の豊かさを感じるのですが。
(三澤 )カンボジアに行くと,貧しいながらも親が子どもをとてもかわいがる姿をよく見かけます。それを見ると,どうして日本では児童虐待が最近多くなっているのだろうと思うのです。しかもカンボジアだけでなく,マレーシアやタイといった東南アジア地域でも同じような光景を目にしますから,なおさらそう思うのかも知れません。
(関根 )私は子どもがかわいいなあと思いました。汚れたりしても平気で元気に遊んだりしている姿が印象的でした。
(渡邉 )カンボジアはどうしても映画<キリング・フィールド>(1984年)のイメージが強くて,トゥール・スレン虐殺博物館についてお聞きしたいのですが。これはプノンペン市内にあるのですか。
(三澤 )あります。元高校だった所をポル・ポトの時代に収容所兼処刑場として使用した場所で,当時の様子をそのまま残していたり,当時の様子を写した写真も展示されていたりします。生き残った人々の証言を集めたビデオの上映などもあります。
(関根 )その他,発掘して出てきた骸骨の展示や,水責めの拷問器具もそのまま置いてありました。その横には,収容所から生き延びた人が描いた拷問の様子の絵も展示されていました。あれには少しぐっときましたね。
(渡邉 )柴田さんはまだ行かれてないのですか。
(柴田 )ええ。機会がありませんでした。
(三澤 )あれは行くべきです。確かに目を背けたくなるようなことだけれども,あれに目を背けることはいけないことだと思います。私は滞在中に何度か行きましたが,カンボジアを訪れる日本人はあまりそこには行きません。でも,欧米の若い人たちは結構来ていて,泣きながら見ていく人もいるくらいです。途中で気分が悪くなって,その場に座り込んでしまう若い女性もしょっちゅう目にしました。
(渡邉 )その人たちは,顔写真や骸骨などを見て,どう思うのでしょうか。
(関根 )ほんとうに何百枚という顔写真が部屋中に貼られています。恐らく収容時に撮影した物だと思われますが,みんな死人のような顔で写っているのです。それが部屋の中にたくさん貼られています。
(三澤 )まさに,そこに収容されるということは死を意味するということなのです。あれはほんとうに見なきゃいけないものだと思いました。
(関根 )その施設は町の中にあって,すぐ近くには市場もあったりします。
(渡邉 )日常的に見に来る人たちがいるのですか。
(三澤 )います。カンボジア人も来ますし,外国人も見に来ます。
(渡邉 )長時間にわたり貴重なお話をありがとうございました。みなさんの一層のご健闘を期待しています。


— 終 了 —





模擬裁判 オープンセレモニー(2005年6月 カンボジア王立司法官職養成校講堂) 左端 柴田,その右隣 三澤 右端 関根各教官  模擬裁判
 オープンセレモニー
(2005年6月 カンボジア王立司法官職養成校講堂)
 左端 柴田,その右隣 三澤
 右端 関根各教官
模擬裁判 講評
(2005年6月 カンボジア王立司法官職養成校教室)
後列左から二人目 柴田,5人目三澤,右端 関根各教官
模擬裁判 講評(2005年6月 カンボジア王立司法官職養成校教室)後列左から二人目 柴田,5人目三澤,右端 関根各教官
第1回カンボジア法曹養成支援研修におけるカンボジア王立司法官職養成校教官等と国際協力部教官(2005年10月)前列左から関根,柴田,三澤各教官 第1回カンボジア法曹養成支援研修におけるカンボジア王立司法官職養成校教官等と国際協力部教官
(2005年10月)
前列左から関根,柴田,三澤各教官




国際協力部が入居している大阪中之島合同庁舎

(国際協力部が入居している大阪中之島合同庁舎)


法務省法務総合研究所 国際協力部


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RESEARCH AND TRAINING INSTITUTE

MINISTRY OF JUSTICE


〒553-0003 大阪市福島区福島1-1-60 大阪中之島合同庁舎

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発  行:2005年12月





カンボジア司法省,中央は当部教官

(カンボジア司法省,中央は当部教官)

 
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