「シパエ・サハバ・パキスタン」(SSP)
Sipah-e-Sahaba Pakistan
- 別称 :
- @「ミラテ・イスラミア・パキスタン」 (MIP)Millat-e-Islamia Pakistan,A「アフレ・スンナト・ワル・ジャマート・パキスタン」 (ASWJP)Ahle Sunnat wal Aljamaat Pakistan,Ahle Sunnat wa Al-jamaat Pakistan
主な活動地域
パキスタン(本部はシンド州カラチ)
組織の概要
デオバンド派の政党「ジャミアト・ウレマ・エ・イスラム」(JUI)から分派した反シーア派のスンニ派過激組織である。
パキスタンでは,1970年代末より,シーア派勢力が,ジア・ウル・ハク政権(1977年〜1988年)によるイスラム化政策がスンニ派ハナフィー学派の教義に基づいているとして批判し,また,1979年にシーア派国家を樹立したイランの影響も受け,政治色を強めた。こうしたシーア派勢力の台頭への懸念がスンニ派勢力の間に強まり,両派の対立が激化した。
1985年9月,マウラナ・ハク・ナワズ・ジャンヴィ,マウラナ・ズィア・ウル・レフマン・ファルーキ,マウラナ・エエサルル・ハク・カスミ及びマウラナ・アザム・タリクが,パキスタンをシャリーア(イスラム法)に基づくスンニ派イスラム国家にすることを目的としてSSPを設立し,ジャンヴィを指導者に据えてシーア派への攻撃を頻発させた。SSPは,初代指導者ジャンヴィが1990年2月にシーア派戦闘員と疑われる者により殺害された後,2009年までに,シーア派によるとみられる攻撃により3人の指導者を失った。1990年12月にパンジャブ州ラホールで発生したイラン総領事殺害事件は,初代指導者ジャンヴィの殺害に対するSSPの報復とされる。
1996年,SSPの活動方針が初代指導者マウラナ・ハク・ナワズ・ジャンヴィの理想から逸脱しているとして,組織内の強硬派がより過激な「ラシュカレ・ジャンヴィ」(LJ)を設立した。しかし,LJがSSP指導部の合意の下に軍事部門として結成されたという見方もある上,1997年1月のラホール・イラン文化センター襲撃事件や同9月のラワルピンディ・イラン空軍士官学校生殺害事件では,両組織メンバーの関与が指摘されたことなどから,LJとSSPは,密接な関係にあるとみられている。
パキスタン政府は,2002年1月,宗派対立をあおっているなどとしてSSPを非合法化した。SSP指導者で国会議員のアザム・タリクは,同措置を受けて,組織名称を「ミラテ・イスラミア・パキスタン」(MIP)に変更したが,MIPも2003年11月,非合法化された。
MIPは,2008年6月,「アフレ・スンナト・ワル・ジャマート・パキスタン(パキスタン・スンニ党)」(ASWJP)に名称変更し,マウラナ・アフメド・ルディアンヴィが指導者となった。しかし,ASWJPも2012年3月,非合法された。