ロケーションから知る
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麻原は、団体発足以降、海外に頻繁に渡航し、各国の政府要人や宗教指導者と会談するとともに、これらの活動を機関誌等を通じて盛んに宣伝し、自らを権威付ける手段として利用した。特に、1991年に「救済元年」を宣言して以降は、海外における活動を一層活発化させ、4か国(アメリカ合衆国、ドイツ連邦共和国、ロシア連邦、スリランカ民主社会主義共和国)に支部を設立するに至った。このうち、ロシア連邦では、ソヴィエト連邦崩壊後の混乱等に乗じるなどして、多数の構成員を獲得した。
※以下、肩書は当時のもの。 -
団体は、「日本シャンバラ化計画」に基づき、静岡・山梨両県下に「サティアン」と称する大規模な出家した構成員の活動拠点兼居住施設を確保したほか、全国に本支部・道場等を確保するなど、1995年3月までに計35か所に施設を確保した。
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アメリカ合衆国
ニューヨーク支部
開設:1987年11月〜閉鎖:1995年12月麻原が、「オウムの教えを世界に広めていかなければならない。支部を各国に作っていかなければならない。最初にアメリカ合衆国に支部を持とう」と述べたことなどを受け、団体は1987年11月、ニューヨークに「オウムUSAカンパニー」を称する非営利会社を設立するとともに、上祐史浩を支部長とするニューヨーク支部を開設した。そして、団体は、1988年、「東洋哲学、宗教の学習、実践を通して精神的発展を促し、瞑想、演習、学習、労働などの知覚を働き掛ける活動を奨励し、精神的安定の発展のための栄養となる情報や課題を与える」として、同社を慈善団体として登録し、団体書籍等の販売を通じて構成員獲得を図った。しかし、ニューヨーク地域における構成員数は数十人にとどまり、地下鉄サリン事件後の1995年12月、支部を閉鎖した。
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ドイツ連邦共和国
ボン支部
開設:1989年4月〜閉鎖:1996年4月団体は、1989年1月、当時のドイツ連邦共和国(西ドイツ)の首都であったボンに「管理及び文化目的」の名目で約90平方メートルの事務所を月額約43万円で借り上げ、同年4月、ボン支部を開設した。その後、1992年2月、同事務所に「A.WAKATAKE オウム仏教・ヨガセンター」の看板を掲げ、書籍・カセット等の販売を行うなどして構成員の獲得を図るも、ドイツ人ら十数人が入会したにとどまり、1996年4月、支部を閉鎖した。
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ロシア連邦
モスクワ支部
開設:1992年9月〜閉鎖:1995年4月(「モスクワ宗教連合・オウム真理の教え」として存続)-
支部の設立
【モスクワ支部の主な拠点】 団体機関誌「MONTHLY真理NO.41」(1994年10月20日発行)
スフォーデンスカヤ(左上)、バウマンスカヤ(右上)、ペトロフカ(左下)、アレクセイエフスカヤ(右下)麻原は、1992年3月、予言者といわれるエドガー・ケイシーの「ロシアを通して世界の希望がやってくる」との言葉を持ち出し、ロシアを訪問する必要性を説き、構成員約270人を動員してロシアに渡航した。そして、首都・モスクワで同国のルツコイ副大統領、ハズブラートフ最高会議議長、ロボフ大統領諮問委員会議長らロシア政府要人と会談したほか、モスクワ大学などで講演を行った。また、この際、ロシア通信省の高官らと協議し、団体が同省から年間7,200万円で国営ラジオ放送局「マヤーク」の番組枠を購入し、同年4月以降、極東のウラジオストク経由で、「エウアンゲリオン・テス・バシレイアス(御国(みくに)の福音)」と称するラジオ番組の日本向け放送を開始することなどで合意した。
さらに、同年6月、ロシア司法省から宗教団体として認可され、同年7月、「日本宗教団体・オウム真理教ロシア支部」として公式登録された。そして、同年9月には、同国内におけるロシア語でのラジオ放送開始に合わせて、モスクワ支部を開設した。このほか、同年10月、著名な楽団出身のロシア人音楽家を集めた団体専属のオーケストラとして「キーレーン」を結成し、ロシアのみならず、日本でも公演を行った。 -
組織の拡大
1993年8月、麻原は、上祐史浩ら幹部構成員数人を伴って、初めてモスクワ支部を訪問した。この頃、ロシア人構成員は1,000人を超えた程度であったが、麻原の支部訪問及び同年9月に上祐がモスクワ支部長に着任したのを機に急激に増加し、1993年12月頃には約1万人、1994年5月頃には約3万人と、日本国内をしのぐスピードで伸張した。こうした構成員の増加に対応するため、モスクワ支部は活動拠点の増設を進め、1993年11月には、少なくとも5か所の拠点施設を有するまでになった。また、団体は、ロシア語の書籍を大量に出版することとし、麻原の著書12冊が相次いで翻訳・出版された。
1995年3月の地下鉄サリン事件後に行われたロシア下院の宗教問題委員会と安全保障委員会の調査報告によると、同事件当時、ロシア国内の構成員は約3万5,000人にのぼり、モスクワ市内に7つの拠点とモスクワ以外にサンクトペテルブルク、カザン、ペルミ、ヴォルクタ、チュメニ、サマーラ、ウラジオストク、エリスタ、ウラジカフカスに支部を保有していたとされる。 -
支部の閉鎖と活動の継続
モスクワ支部は、構成員の家族による布施の返還要求や子女の捜索要請等が相次ぐなど、我が国と同様、次第に団体の活動が社会問題化し、地下鉄サリン事件後の1995年4月中旬、エリツィン大統領が、ロシア検事総長、連邦保安庁(FSB)に団体の徹底調査を命令し、これを受けたオスタンキノ地区裁判所が団体の活動を禁止し、宗教団体としての登録を抹消した。ところが、この直前、モスクワ市法務局に「モスクワ宗教連合・オウム真理の教え」と称する団体が登録され、団体の残党による活動が継続することとなり、1996年2月、モスクワで「オウム真理教を閉鎖させるな」と題するビラが配布されたほか、1997年8月には、「インターネットオウム真理教ロシア」と題するウェブサイトが開設されるなど、組織の再建へとつながっていった。
その後、一部の構成員がモスクワ市内に施設を確保した上で活動を続けるも、2016年9月、同国最高裁判所が「オウム真理教」(同国最高検察庁の発表は「Aum Shinrikyo、AUM、Aleph」)をテロ組織と認定し、同国内における団体の活動を禁止する決定を下した。同認定後、施設は閉鎖された。
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スリランカ
民主社会主義共和国スリランカ支部
開設:1993年3月〜閉鎖:1996年4月団体機関誌「MONTHLY真理NO.30 1993年9月号別冊真理Information」
(1993年9月20日発行)団体は、仏教徒が国民の多数を占めるスリランカに支部を設立し日本での布教・宣伝活動に利用するため、1991年以降、進出を開始した。 麻原は、同年9月から10月にかけて、出家した構成員数十人を伴って同国を訪れ、ウィジェトンガ首相ら政府要人と会談したほか、1992年3月には、支部の建設に向けた準備等を進め、高僧アーナンダ・マイトリーと面談するなどした。また、同年5月、麻原の最後の渡航となった「スリランカ救済ツアー」では、構成員約350人を動員し、ジャヤワルダナ前大統領と会談して団体の活動への協力を取り付けたほか、前記アーナンダ・マイトリーと再度面談し、「尊師は偉大な宗教的グルです。精神的に非常に高いレベルに達している方です」、「麻原尊師ほどのグルに巡り合ったことは一度としてなかった」との言葉を受けたなどとして、盛んにこれを宣伝した。
支部の設立については、前記の麻原の渡航と並行して進められ、約16ヘクタール(※東京ドーム約3.4個分)の土地を購入し、1993年3月にスリランカ南部の村アングルガハに支部(「オウム・サッチャ・サンガ・アソシエーション」、Aum Sacca Sanga Association、略称「ASSA」)を開設した。また、コロンボやキャンディにも拠点が設けられ、それぞれ数十人程度の構成員が活動した。しかし、地下鉄サリン事件後、スリランカ警察当局が支部を捜索したほか、地元住民が支部の撤去と構成員の国外退去を求める請願書を政府に提出したこともあって、1996年4月、支部を閉鎖した。
なお、同支部は、構成員が約300人いたといわれるが、実際には名ばかりで、紅茶の栽培のほか、現地で研磨加工された宝石を買い付ける窓口に利用されたともいわれる。
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出典:地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)※図はタッチして横移動できます。
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出典:地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)に、1989年〜1994年当時の団体施設を追記して掲載※図はタッチして横移動できます。
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北海道
札幌支部
所在地(開設時):北海道札幌市中央区北二条西
開設時期:1988年4月
閉鎖時期:1996年1月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
宮城県
仙台支部
所在地(開設時):宮城県仙台市若林区河原町
開設時期:1988年12月
閉鎖時期:1995年11月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
群馬県
高崎支部
所在地(開設時):群馬県高崎市倉賀野町下稲荷前
開設時期:1992年6月
閉鎖時期:1996年10月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
茨城県
水戸支部
所在地(開設時):茨城県水戸市中央
開設時期:1989年6月
閉鎖時期:1995年12月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
埼玉県
深谷出張所
所在地(開設時):埼玉県深谷市萱場
開設時期:1990年8月
閉鎖時期:1995年7月
用途:道場 -
千葉県
船橋支部
所在地(開設時):千葉県船橋市新高根
開設時期:1991年3月
閉鎖時期:1997年3月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
東京都
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東京総本部
所在地(開設時):東京都港区南青山
開設時期:1992年7月
閉鎖時期:1996年3月
用途:事務所、出家した構成員の居室 -
新東京総本部
所在地(開設時):東京都江東区亀戸
開設時期:1989年2月
閉鎖時期:1996年8月
用途:事務所、出家した構成員の居室 -
世田谷道場(旧:東京本部)
所在地(開設時):東京都世田谷区赤堤
開設時期:1987年5月
閉鎖時期:1996年10月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
杉並道場(旧:新東京本部道場)
所在地(開設時):東京都杉並区下井草
開設時期:1989年9月
閉鎖時期:1996年3月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
渋谷出張所(布施精舎)
所在地(開設時):東京都渋谷区道玄坂
開設時期:1991年1月
閉鎖時期:1996年9月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
若林出張所
所在地(開設時):東京都世田谷区若林
開設時期:1993年7月
閉鎖時期:1996年3月頃
用途:道場 -
阿佐ヶ谷道場
所在地(開設時):東京都杉並区阿佐谷北
開設時期:1994年10月
閉鎖時期:1996年9月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
オウム真理教附属医院
所在地(開設時):東京都中野区野方
開設時期:1990年6月
閉鎖時期:1995年10月
用途:診療所
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神奈川県
横浜支部
所在地(開設時):神奈川県横浜市中区若葉町
開設時期:1989年5月
閉鎖時期:1997年1月頃
用途:道場、出家した構成員の居室 -
山梨県
団体は、1989年7月頃から1994年5月頃までに、山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)富士ヶ嶺の土地(総面積約4万5,100㎡)を宗教法人「オウム真理教」又は関連事業「株式会社オウム」等の名義で購入し、「サティアン」と称する施設を中心とした「第一上九」から「第七上九」と称する大規模な施設群を形成するなどした。
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第一上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第一上九全景
(提供:竹内精一氏) -
第2サティアン
開設時期:1989年7月
閉鎖時期:1996年11月
用途:麻原の居室、出家した構成員の修行部屋 -
第3サティアン
開設時期:1989年7月
閉鎖時期:1996年11月
用途:工場、倉庫 -
第5サティアン
開設時期:1989年7月
閉鎖時期:1996年11月
用途:印刷工場、事務所、道場、出家した構成員の居室
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第二上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第6サティアン
開設時期:1991年7月
閉鎖時期:1996年11月
用途:麻原及び幹部構成員の居室。なお、同じ敷地内に、麻原の警護担当者などが起居する「ヴィクトリー棟」と称する建物が設置
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第三上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第7サティアン
開設時期:1992年6月
閉鎖時期:1996年11月
用途:サリンを生産するための化学プラント。なお、同サティアンに隣接して、「クシティガルバ棟」と称する化学兵器の実験施設が設置
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第四上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第四上九全景
(提供:竹内精一氏) -
第8サティアン
開設時期:1993年3月
閉鎖時期:1996年11月
用途:団体関連企業「株式会社マハーポーシャ」等の工場 -
第12サティアン
開設時期:1993年3月
閉鎖時期:1996年11月
用途:団体関連企業「株式会社マハーポーシャ」の工場、同事務所、修行場
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第五上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第五上九全景
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第9サティアン
開設時期:1993年9月
閉鎖時期:1996年11月
用途:自動小銃部品の製造工場 -
第11サティアン
開設時期:1993年9月
閉鎖時期:1996年11月
用途:自動小銃部品の製造工場
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第六上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第10サティアン
開設時期:1993年10月
閉鎖時期:1996年11月
用途:道場。なお、同サティアンに隣接して、「ジーヴァカ棟」と称する生物兵器の実験施設が設置
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第七上九(所在地:上九一色村富士ヶ嶺)
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第七上九
開設時期:1994年5月
閉鎖時期:1996年11月
用途:工場、関連企業「有限会社ぶれーめん」の従業員施設
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その他(山梨県巨摩郡富沢町大字福士)
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清流精舎
開設時期:1989年10月
閉鎖時期:1995年5月
用途:自動小銃部品の製造工場
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長野県
松本支部
所在地(開設時):長野県松本市芳川野溝
開設時期:1992年12月
閉鎖時期:1996年7月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
静岡県
団体は、1988年2月頃、静岡県富士宮市人穴の土地(総面積約1,760㎡)を購入し、「富士山総本部」、「第1サティアン」及び「第4サティアン」の3施設を建設したほか、藤枝市築地堤下に支部道場を設置した。
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富士山総本部(道場)
所在地(開設時):静岡県富士宮市人穴
開設時期:1988年2月
閉鎖時期:1996年10月
用途:麻原が日常的に説法を行う場所として祭壇及び道場を設置したほか、ちゅう房、浴室、食堂、歯科診療所を設置 -
第1サティアン(写真手前から2番目)
所在地(開設時):静岡県富士宮市人穴
開設時期:1988年2月
閉鎖時期:1996年10月
用途:麻原の家族及び構成員の居室、工場、録音室、事務室、倉庫(提供 朝日新聞社) -
第4サティアン
所在地(開設時):静岡県富士宮市人穴
開設時期:1988年2月
閉鎖時期:1996年10月
用途:音楽スタジオ、アニメ制作室、出家した構成員の居室
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藤枝支部
所在地(開設時):静岡県藤枝市築地堤下
開設時期:1994年1月
閉鎖時期:1996年9月
用途:音楽スタジオ、アニメ制作室、出家した構成員の居室
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愛知県
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名古屋支部
所在地(開設時):愛知県名古屋市中区栄
開設時期:1987年11月
閉鎖時期:1996年7月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
名古屋支部寮
所在地(開設時):愛知県名古屋市中区栄
開設時期:1987年11月
閉鎖時期:不明
用途:出家した構成員の居室
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石川県
金沢支部
所在地(開設時):石川県金沢市京町
開設時期:1989年1月
閉鎖時期:1996年8月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
福井県
福井支部
所在地(開設時):福井県福井市御幸
開設時期:1992年6月
閉鎖時期:1995年7月
用途:道場 -
京都府
京都支部(旧:大阪支部京都相談室)
所在地(開設時):京都府京都市下京区堀川通り松原上ル五軒町
開設時期:1988年12月
閉鎖時期:1995年10月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
大阪府
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大阪支部
所在地(開設時):大阪府大阪市中央区久太郎町
開設時期:1987年1月
閉鎖時期:1995年7月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
堺支部
所在地(開設時):大阪府堺市海山町
開設時期:1992年4月
閉鎖時期:1995年11月
用途:倉庫 -
東淀川道場
所在地(開設時):大阪府大阪市東淀川区東中島
開設時期:1993年1月
閉鎖時期:1995年10月頃
用途:道場、出家した構成員の居室
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和歌山県
和歌山支部
所在地(開設時):和歌山県和歌山市駿河町
開設時期:1989年5月
閉鎖時期:1995年10月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
広島県
広島支部
所在地(開設時):広島県広島市南区西蟹屋
開設時期:1989年2月
閉鎖時期:1995年12月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
高知県
高知支部
所在地(開設時):高知県高知市はりまや町
開設時期:1988年3月
閉鎖時期:1996年1月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
福岡県
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福岡支部
所在地(開設時):福岡県福岡市博多区博多駅前
開設時期:1987年10月
閉鎖時期:1999年9月頃
用途:道場、出家した構成員の居室 -
福岡支部ホーム
所在地(開設時):福岡県福岡市博多区博多駅南
開設時期:1987年10月
閉鎖時期:不明
用途:出家した構成員の居室
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熊本県
波野村道場(シャンバラ精舎)
所在地(開設時):熊本県阿蘇郡波野村中江字上大河原
開設時期:1990年5月
閉鎖時期:1996年8月
用途:道場、出家した構成員の居室 -
沖縄県
那覇支部
所在地(開設時):沖縄県那覇市安里
開設時期:1992年2月
閉鎖時期:1996年4月
用途:道場、出家した構成員の居室
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