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マウテ・グループ
Maute Group

主な活動地域

フィリピン(南ラナオ州など)

組織の概要

「マウテ・グループ」は,「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)に忠誠を誓い,フィリピン南部・南ラナオ州における「カリフ国の兵士」を自称するマラナオ族中心のイスラム過激組織の通称名である(注1)。2016年末時点の勢力は263人であったとされる(戦闘員として動員可能な者は更に多数)が,2017年5~10月のマラウィ占拠事案で多数を失ったとみられている。

設立者とされるカヤモラ・マウテは,地元の有力氏族に属し,「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)に参加していたが,2012年10月の「バンサモロ枠組み合意」に反発するなどしてMILFから追放された後,「マウテ・グループ」を設立したとされる。同グループは,中東への留学経験を有するカヤモラの息子2人(オマルハイヤーム〈オマル〉及びアブドゥッラー)の指導下で2013年頃からテロを実行してきたとされる(注2)

「マウテ・グループ」は,2016年頃にISILへの忠誠を表明した後,「ラナオのカリフ国の兵士」などと自称し,同年8月には南ラナオ州マラウィの拘置所を襲撃して拘束されていたメンバーらを脱走させた(「ISIL〈東アジア〉」名の犯行声明が発出)ほか,フィリピン南部・ダバオで発生した爆弾テロ(同年9月,15人死亡),フィリピン中部・レイテ州ヒロンゴスで発生した爆弾テロ(同年12月,死者なし)など,爆弾テロや襲撃,誘拐,占拠などを頻発させた。また,拠点地域の住民に対しては,「『タリバン』的なシャリーアに基づく裁判制度」を強制していたとされる。

マウテ兄弟らは,2016年末にフィリピン南部・バシラン州から南ラナオ州に移動してきた「アブ・サヤフ・グループ」(ASG)幹部イスニロン・ハピロン及びその配下と合流し,マラウィ占拠の計画を進めた。2017年5月,マラウィ所在のハピロンの隠れ家が当局に急襲されたことを機に,「マウテ・グループ」やASGの一部,外国人戦闘員などから成る数百人の武装集団は,市内各所で一斉に襲撃を開始し,以後5か月にわたって市街地に立て籠もりを続け,死者1,100人を超す被害をもたらした。

マウテ兄弟は,ハピロンと同様マラウィで死亡し,設立者とされるカヤモラも拘束中の2017年8月に死亡するなど,「マウテ・グループ」は弱体化しているとみられている。ただし,マラウィから抜け出した残党らは,リクルート活動などを再開しているとされ,戦闘員らの再結集に警戒が持たれている(注3)。 

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