商法学のあらゆる分野において学問の発展を牽引するとともに、
昭和期から平成初期における数々の商法改正をリードした学者
すずきたけおは、明治38年(1905)に神奈川県の葉山村で、「味の素株式会社」創業家に生まれました。東京帝国大学法学部に入学し、同学部商法の田中耕太郎教授に誘われて、卒業した昭和3年(1928)に同学部の商法助手になりました。昭和5年(1930)に助教授、昭和15年(1940)に教授となり、60歳の停年まで勤めた後、停年後は、上智大学法学部の教授を10年間勤めるとともに、弁護士業務に携わりました。その後は、亡くなるまで法務省特別顧問を務めたほか、大会社の監査役を始め、多くの会社や団体の顧問、理事等を務めました。
鈴木が研究を始めた1930年代は、第二次世界大戦に向かう時期であり、日本においても、全体主義的風潮が強まりましたが、その風潮に対し、鈴木は、自由主義的な信条に基づいて強く抵抗し、商法の目的は、個々の経済主体の相互間の利益調整を企図するものであり、国民経済全体の要請ないしは企業の公共性を法形成の直接の要因とする経済法とは同一平面で把握することはできないとして、商法の独立性を主張しました。鈴木は、それまでの理論に偏した商法学から、経済や制度の実態を直視し、利益考量を重視した柔軟かつ斬新な解釈と理論よりなる現代的な商法学、そして時流に流されない商法学を生み出した巨人といえましょう。
しかし、鈴木が昭和の商法史に残した最大の功績は、昭和から平成初期にかけての商法改正を指導したことにあるかもしれません。とりわけ中心的な立場で草案の起草に当たり、戦後商法の基礎が作られたのが昭和23年(1948)と25年(1950)の商法改正でした。GHQの指令に基づいて改正作業が行われたもので、昭和23年改正においては、株金の分割払込制の廃止(全額払込制の採用)、昭和25年改正においては、株主の権利を大幅に強化するなど、会社法制をそれまでのドイツ型からアメリカ型への転換を図った戦後日本の会社法制の基礎を築いた大改正でした。その後も鈴木は亡くなる平成7年(1995)まで、65年にわたって商事法の立法に関わりました。経営者一家出身で、学界だけでなく経済界からの信頼も厚かった鈴木が、学者として商法改正をリードしていたことによって平成6年改正まで学者主導の商法改正の立案が行われてきたという側面も否定できないと思われます。
略歴
- 明治38年(1905年)5月神奈川県三浦郡葉山村生まれ
- 大正14年(1925年)3月第一高等学校文科乙類卒業
- 昭和3年(1928年)3月東京帝国大学法学部法律学科卒業
- 4月東京帝国大学法学部助手
- 昭和5年(1930年)5月東京帝国大学法学部助教授
- 昭和11年(1936年)11月欧米に留学、昭和13年(1938年)12月帰国
- 昭和15年(1940年)4月東京帝国大学法学部教授
- 10月司法省商法(商行為編)改正調査委員会幹事
- 昭和23年(1948年)6月日本私法学会常任理事
- 8月法務庁専門委員
- 昭和24年(1949年)8月法制審議会破産法部会委員
- 同月法制審議会商法部会委員
- 昭和28年(1953年)12月日本学術会議会員
- 昭和32年(1957年)3月法制審議会国際私法部会委員
- 4月東京大学法学部長
- 10月法制審議会民法部会委員
- 昭和35年(1960年)2月法制審議会商法部会部会長
- 昭和37年(1962年)1月法制審議会総会委員
- 3月法学博士の学位を受ける
- 9月臨時司法制度調査会委員
- 昭和38年(1963年)10月日本私法学会理事長
- 昭和39年(1964年)9月最高裁判所民事規則制定諮問委員会委員
- 昭和41年(1966年)3月東京大学停年退官
- 4月上智大学法学部教授
- 同月弁護士登録(第一東京弁護士会)
- 5月東京大学名誉教授
- 昭和44年(1969年)8月外資審議会委員
- 昭和46年(1971年)9月民事行政審議会委員
- 昭和49年(1974年)3月民事行政審議会会長
- 昭和50年(1975年)11月勲一等瑞宝章受章
- 昭和51年(1976年)3月上智大学定年退職
- 7月法務省特別顧問
- 10月日本学士院会員
- 昭和57年(1982年)11月文化功労者
- 平成元年(1989年)11月文化勲章受章
- 平成7年(1995年)12月死去