まさこは明治43年(1910年)に東京で生まれ、東京女子高等師範学校附属小学校、東京府立第二高等女学校、女子経済専門学校と進学しました。高等女学校ではバスケットボールに夢中になり、フリースロー世界選手権大会で優勝し、チームメイトとともにトロフィーを持つ写真が残っています。女子経済専門学校では、吉野作造から政治学を、我妻榮から法律学を学び、正子は後に当時の自身を振り返って「この学校3年間の私の結論は『もっと学問がしてみたい』ということであった」と述べています。その後、日本大学の選科、明治大学専門部女子部法科、明治大学法学部へと進み、弁護士を志して高等試験司法科を受験し、昭和13年に武藤嘉子・久米愛とともに合格しました。
修習を終えて昭和15年に弁護士登録、丸の内にあった岩田ちゅうぞうの法律事務所で勤務しました。この頃の正子の仕事として特筆すべきは、主婦之友社との深い関わりです。婦人雑誌として特に人気だった『主婦之友』誌上で、正子は「婦人法律相談」という読者参加型の連載を持って人気を集めました。また、週に1日、御茶ノ水にあった主婦之友社ビルにおいて、女性に対する面会相談も行っていたそうです。女性弁護士の誕生により、女性たちはそれまでよりも気軽に、専門家に法律相談ができるようになったのです。
昭和14年に結婚していた正子は、戦時中の昭和20年に鳥取県に疎開し、戦後は鳥取市内の自宅で弁護士事務所を開業して、地域のために仕事を続けていきました。夫の中田吉雄は昭和25年に参議院議員に当選して3期務めた人物で、正子には「議員の妻」としての側面があったことも重要です。
正子は、女性で初めて、鳥取県弁護士会会長や日本弁護士連合会理事も務めました。その功績は非常に大きく、鳥取県弁護士会のマスコットキャラクター「まさこ先生」は、正子をモデルにしています。また、正子の残した多くの貴重な史料は、現在鳥取市歴史博物館に寄託されています。